『諸芸新聞』第五十三号(明治14年11月28日発行)に、
山岡鉄舟に関する記事がある。以下、引用。読みやすさを考え、私に句読点・括弧を補い、段落を設けた。
山岡鉄舟君は当時在官にて莫大の月給を取らるゝ御身なれど、余人の如く芸妓に巫山戯るの権妻を抱へてお髯の塵を払はせるのといふやうな事はなく、おどけ新聞の画であてつけられる抔といふ不体裁は一度も聞いた事はなし。君は斯ばかり堅固の御生質なれば阿諛(おべつか)などは大お嫌ひ、只折々のお慰みには詩を作り歌をよみ書画の揮毫をなさるゝのみ。時として運動の為撃剣を試みらるゝ位ゐなお楽みにて、御邸内へ撃剣道場を取設けられてはあれ共、御玄関よりお住居に至るまで甚だ麁末ゆゑ、如何なれば君には斯質素でいらせらるゝかと窺ひ見るに、旧幕臣数万の中には今日の活路に迷ひ君の在官なるを見込んで救助(すくひ)を乞ひに来る者多く、其都度多少恵まるゝもの年中には余ほどなりと。
茲に一ツの話しあり。矢張旧幕臣の何某が此頃君を訪て云ひけるやう「僕しばらく非役無業なり。願はくは君が推挙に依つて官途に就く事を周旋したまへ。然りながら僕も一旦栃木県大参事を奉職せし身なれば奏任以下は御免を蒙る」と云ふにぞ、君には暫く其者の顔を見られ「左ほどの事を何とて辞されしぞ」との仰せに「されば病気ゆゑ止を得ず辞したれど、其後何の御沙汰もなく今日まで只徒らに過せしなり」とお答えせしかば、君には彼れに向つて「失敬ながら君の召れし羽織は何程にてお求めなされしや」と異な事の仰せに「さればとよ。今こそ汚れては居れど、求める時は十円以上なり」と答えしかば「左やうなれば、只今は直打はなく、先頃曲物(でんぶつ)にいたした時漸やく七十五銭を借うけたり」「ソレ御覧じろ。其意味をよく御勘考あれ」との仰せに、彼の者はしばらく黙然として居たりしが、稍あつてハタと手を打ち「アヽあやまてり。君が御教訓心魂に徹したり」とて別れを告て帰りし由。これは彼の人が維新間もなく高官に居られしは、所謂僥倖(こぼれさいは)ひでありしと或る人の語られしを其儘掲載す。
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