帝国図書館に就きて
深見洗鱗
(『風俗画報』第二百十八号。明治三十三年十月十日)
 
 
帝国図書館はと問はゞ余の答ふる迄でも無く帝国の首都上野公園の内にあり先づ順路より述んとすれば公園の表口とも称すべき三橋より山王台の石楷を登り一直線に竹の台を経て博物館前へ出づる乎又精養軒前東照宮の鳥居前を過ぎて同じく博物館前に至る乎何れにてもよし茲より左折する事約半丁余にして美術学校前に達す此の美術学校の裡面は即ち図書館なる故少く右に歩を転し更に左折するの右側は今や新に建築中なる図書館なり思ふに本館竣工の後は規模輪奐の更に完全を見るなるべし是より散歩にして音楽学校の門と相対するは今余が案内せんとする帝国図書館の門牆なり其の他谷中よりするの径路等牆垣を廻り樹木を縫ふの捷路は渾て公園中の歩道随処亦可なり
已に門を入れば通路分岐するあり左方は本館倉庫及事務室に通ずるを知るべく少く右方に稍や直進する事数歩にして平坦なる本館の入口に達すべし造構は東北に面する煉瓦二階建にして四周皆な樹木を以て繞らし所謂春の花秋の紅葉は更なり夏の?声も反て喧鬧ならずして涼風を送るかと思はしめ冬の霜雪も眼にのみ堆積の観あるも案内の暖炉は身の寒さをも知らしめず都下の紅塵より脱し来れば宛然羽化登仙せし哉の感を得べく若し夫れ研鑽倦み来れば運動場の閑歩を試むるべく場中水あり椙あり茶菓の供給需用を待あり以て討究の倦を医するに充分なるべし
已にして此の入口〔第一図〕に達すれば茲に求閲券売場あり普通或は特別の何れか又は壱回限り〔第三図〕か十回分〔第六図〕かを任意に乞受け左より右折すれば看守所〔第二図〕の口に入るなり茲に求覧券と閲覧証〔第四図〕との交換を領受し将に閲覧所に入んとするの左側は便所にして右側は喫煙室なりこの喫煙室より連続して運動場へ出るの通路あり別図閲覧室一班に示せる階下の尋常室に入り左方の卓上に備ふる目録〔第五図〕に拠て所要の書冊を先に領有せる閲覧証に記載し之を一斑図の左方に描ける出納係員に渡し暫時自己姓名の喚出を待つの間予め坐席を定むるを要すべし其他外出の証〔第七図〕は曩に運動場中販売店なき迄では食事等の必要より設けられしにや今は已に廃止せり又問答板〔第八図〕は標記の範囲内に於て随意に問ひ或は答ふるの用に供し〔問答板標記左の如し〕学芸参考若くは著述上或る一事を調査せんと欲するに其何れの書に就かば之を亮知するを得べきや其捜索人中互に質問するの方法を設く故に質問せんとする者は出納所に申出で質問用紙を受取て其の疑問を記し此処へ挿むべし又閲覧者中其質問の事に就き書名等承知の者は質問用紙答の部に其答を記載ありたし投書函〔第九図〕は又標記に拠るべく〔投書函標記〕学芸参考上裨益ある図書は可成蒐集すべきに付閲覧人に於て当館蔵書外のものにして有益と認めたる図書あらば注文用紙に記し此函に投入ありたし新聞閲覧室〔第十図〕は数脚あり内外幾多の新聞紙あり輪次随意に閲覧し得るなり以上総て階下の概略なり尚階上に特別室并に婦人室の設けあり其の図及び解説は更に次号に再記すべし
寔に帝国図書館との名称の如く内外無敵の書籍及図書を網羅し尽せるは試に図書目録の捜索のみに於ても部類に拠らざれば或は尽日索引の裡に彷徨せん乎の有様を以て其の梗概を推知すべく凡そ百科の書自己の希望に従ひて閲覧し得るは実に本館の賜にして之に因て研究の材料に余りあるべく或は薄資にあらさるも精研の学生にしてあらゆる図書を購求するは行ひ得べからさる所なり其の学者を裨益するの無限なるは今更余の贅言を須たざるべし
惟に我国文学の沿革は漸次幾多の変遷を来せしは余輩の詳記し得ざる処なりと雖も応神天皇御宇依頼文教漸く行はれ天智天皇の朝に至り初めて大学なるもの起り文武天王の御世大宝年間に至りて其の制備ると雖も未だ印刷の書籍は有らざりしと聞く且つ当時大学等は学生の制限ありしを以て一般学者の希望を果さゞりしを知るべく此の間和気氏の弘文院藤原氏の観学院橘氏の学館在原氏の奨学院王氏の淳和院の如きものありしと雖も是亦各自の子弟一族の為めにのみ設けしと聞きけり本館即ち図書館の如きものゝ始めて博く衆人の縦覧に供せしは光仁天皇天応の頃石上の宅嗣と言へる人の芸亭と称せし書籍館を起せしと聞くも素より今日の如き定成の規模書籍の無尽蔵なりしには非ざらむ又孝謙天皇の胡陀羅尼経なるものを印刷せられしを以て我国印刷の創始なりと雖も一般印刷せし書籍の刊行せられしにあらざりしならん故に学者の書籍を得るは至困の業にして為めに昆山の玉石も其の?氏に逢ふの期なく空く雑石に属せしもの幾多なるを知了せば今や文運隆盛の聖世に生れこの無尽蔵なる宝庫に入る事を得るもの豈錐股啻ならずして可なるべけん哉
余は常に本館に出入す依て茲に本館一班の状況を筆し以て未知の同志者に報ず幸ひに江湖諸君の案内となるを得ば余の喜び之れに過ぎず
  2018年5月3日公開