百年以上前の靖国神社(当時:招魂社)の様子

                        

菊池眞一


『風雅新聞』第十号(明治10年2月10日)に、「招魂社」の様子が描かれている。競馬や相撲などが行われていたらしい。明治12年には「靖國神社」と改称された。
以下、引用。会話の部分は読みやすくするため改行した。

   ○招魂社滑稽話     本郷 岡本黛山
爰に本社大祭の景況まづ境内の商人は、手遊鬼灯飴細工、堅子(わんぱく)の椎実(しひのみ)恍惚子(おぼこ)の十三豆(はじけまめ)、観物(みせもの)は軽業(かるわざ)機操(からくり)独楽廻し、法印まがひの祭文(でろれん)や道楽和尚の阿房陀羅経、競馬は砂煙を、立て甲乙を争ひ相撲は団扇を待て勝負を決す、各省の桟敷四方を囲繞し、数万の見物八方に群集す折唐(をりから)来掛る弥次郎北八
(弥)オイ北公近(ちかごろ)西洋巡もして見たがドウモ日本の方が陽気ダノウ時に此見物はドウダ
(北)ムヽ夥い事タ是ヂャア中々傍へは往(いけ)ねエ
(弥)サウサ此辺(こゝら)とヤラカサウ見なせエ那奴(どいつ)も此奴(こいつ)も力瘤をおヤかして見て居る面アねエぜ
(北)成程惚タ女も寝返(ねげへり)だ
(弥)ヤアきな臭いきな臭いアヽあの人の衣(きもの)から煙(けぶ)が出るワ、モシモシ、丸デ夢中ダ
(北)オイ弥次三其夢中と云処(とこ)で初夢を一首ドウダ
(弥)ヨシヨシ夫ヂャア己(おれ)上句を詠唐(やるから)貴様
(北)オット下句承知承知
(弥)「祭典の其名も鷹き富士見町
(北)是(こり)ヤエライ己も斯(かう)ダ「山茄子程に集ふ諸人
(弥)イヤ貴公も中々、是ヂヤア随分風雅新聞へも被出(だされる)ぜ
(北)エヽ誰ダ勿押(おすな)勿押、是ア余(あんまり)混雑ダ、モウ帰(けへら)うヂャねエか
(弥)ムヽサウ自是(これから)洒落とはドウダ
(北)ソレガ善(よか)らう
ト共に鳥居を出ぬけ
(弥)ナア北八己は此様(こんな)に人が出(でよ)うとは知なんだ
(北)当然サ九段とは違(ちがふ)ものを
(弥)何ダ夫が何か洒落なら洒落と断て置ばイヽにトハ言ものゝ北公も中坂上手に成タ
(北)オイ兄(あにき)付逆上(つけのぼせ)ヂヤアねエが誰にも斯(かう)田安くは出来ねエぜアハヽヽ
(弥)コレコレ手前(てめへ)一人で持切ダナ
ト呟(つぶやき)なが坂を下り牛淵へ曲る
(北)ヤアヤア強的(ごうてき)ナ別品が門並に居(ゐる)ぜ
(弥)成程殊的(すてき)殊的
(茶居(ちやゝ)娘)モシモシ鳥渡(ちよいと)サア一服吸(あぶつ)て被為入(いらつしやい)ナモシ
(北)是が即(すなはち)真の招魂
(弥)ナゼ
(北)夫でも別品を拝(をがん)ダラ魂ガ向(むかふ)へ被招様(まねかれるやう)だから
(弥)何様(いかさま)如彼(あゝいふの)と一番相撲を取て組伏て遣(やり)テエ
(北)己(おら)ア競馬をして見てエ
(弥)ナニ競馬とは
(北)ソレ一鞍乗て責(せめる)ノヨ
(弥)成程是(こり)ア好洒落ダ
(娘)オヤ憎(にくら)しいヨじらしてサ早くお這入(はいん)なさいナ
(弥)其(そん)なら這入(へえつ)てお祭をしやうか
(北)オット夫はいけねエ
(弥)ナゼ
(北)所が悪い
(弥)篦棒(べらぼう)め色に所が入(いる)ものか
(北)ソレタツテ爰は牛が淵だからソレ山神が角を出すだらう



2016年1月2日公開

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