江戸時代初期人心の質朴

                        

菊池眞一

『博聞雑誌』第五十六号(明治23年2月20日)に
●二百年前の借金証文
という、内藤燦聚の文章が載せられている。以下、引用。

   借受申銀子の事
 一銀百五十目也
右の銀子慥に預り申候万一此銀子返済いたし不申事に候はゞ人中に於て御笑ひ被成候共其節一言申分無之候仍而如件
  万治三年子五月        さのや 喜兵衛
 はりま屋 喜兵衛どの

右は摂陽落穂集と云ヘル写本に載る所ナリ以テ当時一般人心ノ最モ恥ヲ重ンジタルコト想像スベシ之ヲ今ノ世ノ人ノ心ニ比セバ実ニ天壌啻ナラザルナリ(内藤燦聚氏寄稿)



『面白草紙』第二十六号(明治29年10月10日)33頁には、
「徳川初代人心の質朴」として、
これと同じものが示されている。
以下、引用。


○徳川初代人心の質朴
記者曰く、昔し徳川初代の頃、戦国の後ちを受けて、一般人心の質朴にして、道徳に富めること、実に驚くばかりにて、当時人の為めに笑はるゝは、此上なきの不外聞にて、一たび人の為めに笑はるゝに於ては、最早其人の本質は消失せたるものにして、好(よ)し其人の体躯(からだ)はおツ立て居るも、其実は一種人間の蟬脱(せみぬけ)なり、故に当時借用証文には、其抵当として、債主(かねかし)に、笑の一字を入れたるものなりと云ふ、『摂陽落穂集』と云ふ、古写本中、当時貸借証文の写あり、今左に之を掲げて、読者の参考に供すとなん云爾。


   借受申銀子の事
 一銀百五十目也
右の銀子慥に預り申候万一此銀子返済いたし不申事に候はゞ人中に於て御笑ひ被成候共其節一言申分無之候仍而如件
  万治三年子五月        さのや 喜兵衛
 はりま屋 喜兵衛どの




2016年2月16日公開
2016年3月12日増補

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