魯文を訪ひし話

                        

菊池眞一

『集古』戊辰第二号(昭和3年2月20日)に、大橋微笑の
「魯文を訪ひし話」
という文章がある。
魯文は1894(明治27)年11月8日に没しているので、大橋の訪問は明治27年春だ。
以下、引用。


   魯文を訪ひし話
                    大橋微笑

  こは旧冬の題にかゝる一話なれど春の談ゆへ一寸かく。

 我魯文を知りたるは、翁が極晩年の事にして、翁の終りし年の春なりし、新富町の表通りにて、至て風雅の小庵と覚ふ、此時ふと思ひ出せしは、其前の月京都にゆき、江馬天江を訪ひし時、若主人の居間に通されたるが机のほとり片つき、床の間に投入れし、花も香りていとゆかし、折から若き妻君が奇麗に化粧し薄茶持出でしを見、さても奇麗なる家庭かな、恐らくは東京には見難き景なりと思ひしが、今此魯文の家の様、かの江馬氏と同じ造りなりと覚えて、折ふし朝まだきの事なりしかば、今や朝げの所なりき、見れば十五六の奇麗なる小間使、三種四種の小鉢をば、膳に載せて持出でしが、朝とはいへ皆仕出し屋物にして、其気取りし様一目に知らる、さても贅沢なる生活かな、始て其風雅なる所、京都にて見しと一対なれど、其贅沢はまた此家の方が、一等上なりと感ぜし事ありき、

  商売にすこしは肩も春なれや見世のはなにて其日くらしつ太刀安




2016年3月5日公開

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