明治大坂の流行
菊池眞一
上方落語に『江戸荒物』という噺がある。
米朝は「これはもぉ明治のごくはじめぐらいの、古い古いお噺でございますが」と言っているが、話には「東京荒物」とあるので、タイトルも「東京荒物」とすべきではないかと思う。明治時代、大阪でも東京物・東京言葉がはやった、という話。
平成では東京に関西の饂飩屋がたくさん進出している。変われば変わる世の中なり。
『文芸倶楽部』第九編(明治28年9月20日)には、この落語のネタとなったと思われる大阪の状況が描かれている。
以下、引用。
◎大坂流行 の一とて、大坂天満宮表門前に東京生蕎麦の掛行燈を見る。蓋し此の頃開業したる更科の蕎麦屋と知らる。矢鱈に温飩を喰ひたがる濃厚的(こつてりもの)の多き土地柄だけ、ドコへ行ても『麺類処』或はあんぺい、ひやし素麺、など書き出し、蕎麦を喰ふ客はホンの附けたり、強ひて通がるものは温飩屋へ這入りて、
オイ姉(ねー)はん、イカキ(東京の笊の事)蕎麦を一杯呉れな……いかき蕎麦とはソリヤ何だすいな……
との質問に閉口して逃げ帰ると云ふ笑ひ話しも亦た一興ながら、近来何でも東京流行り、東京浴衣、東京下駄、東京小間物、東京足袋、東京女髪結、其他何とか漢と頻りに東京の信仰者多くなりし機先(きさ)きを察しての更科が開業、客室は狭けれど、畳一畳に台一個、矢張り東京風の衝立にて客の坐組を区別するなど、他の温飩屋と全然其類を異にし、一種通人を喜ばせる趣向に出来たれば、弐銭五厘の笊蕎麦一杯おごつて、一夜の江戸ツ子を気取らんとするのワイワイ連より、無暗に江戸ツ子弁を遣ツて美人を生擒らと謀反を巧める粋客など、入り代り立ち代りて押し掛ける朝々夜々の繁昌に給仕女も引き足らぬ勢ひなれば、更科夫婦今は猫の手でも借りたいと云ふて、目をクルクル廻はし居れり。
一御膳茶蕎麦 十二銭より 一玉子とじそば温飩 三銭
一同らん切 十二銭より 一花巻そばうどん 二銭
一御膳大蒸籠 三銭 一天南蛮うどん 二銭
一御膳ざるそば 二銭五厘 一天ぷら丼 四銭
一親子南蛮 六銭 一親子丼 七銭
一天ぷらとじそば温飩 四銭五厘 一子丼 五銭五厘
一かしわ南蛮 六銭 一五もく蕎麦うどん 三銭五厘
一天ぷら蕎麦うどん 三銭 一おかめ蕎麦うどん 三銭
一月見そばうどん 三銭 一かきあげ 十二銭
一あわゆきそばう飩 三銭 一天ぷら 一人前 八銭
右にて大抵品は揃ひ居れども、鴨南蛮のなきは、かしわを以て代用とする積りか、あられ蕎麦のなきは其あられの材料(貝柱)なきが故なるべし、而して温飩屋の看板には必ず『温飩そば』と云ふ、更科は則ち『蕎麦うどん』と題す、蓋し其互に主とする処異なればなるべし。(商業資料)
(『文芸倶楽部』第九編二三八頁。明治28年9月20日)
2016年3月5日公開
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