明治初期の投稿、送料タダ
菊池眞一
『本道楽』第三巻第三号(昭和2年7月1日)に、
三浦おいろの「みやひの楽しみ」と題する文章がある。
明治10年頃から明治15年末までは、新聞雑誌への投稿封書には郵便切手を貼る必要がなかったという。
昭和40代から50年代、一部健康保険で本人は治療代無料の時期があったのを思い出した。
以下、冒頭部のみ引用。
〔温故知新〕みやひの楽しみ(其一)
三浦おいろ
風流の遊びは色々さまざまあれど、若い時は二度ないと酒食に身を持ち崩し親に勘当さるゝとか親類縁者に見放されても無我夢中に世の中を、いつも月夜に米の飯はつきものとでも思ひ暮らしてや、
僅か人間五十の命百も承知でする苦労
喃漢と云ふ内は花も実もありと浮かれて過す人もあれば又た月雪花を楽しみ、十七字や三十一ともじに心を寄せて、みやひ雄も風雅の一徳とて別に悪い遊びであらねば人の咎むる程の事もなく、仮に一紙半仙に書きつらね、自分免許の遖れ秀逸巻頭と嬉しがり三度の食事もうはの空で月が晴れたとか時鳥が啼たとかの句三昧、斯ういふ楽しみに読者を興がらせんと各地に発兌せる文芸雑誌中々に多かりし、丁度西南戦争の明治十年頃から、各新聞雑誌社へ送るべき通信又たは詠草はすべて表面へ「新聞原稿」と朱書し開き封(現第四種郵便物同様)なれば何十目にてもロハと云ふ有難い特権あり、なんでもござれの自分達は狂詩歌、俳句、よし此、情歌、都々逸、川柳、狂句、今様、端唄、新調、替歌、冠句から社説、論説、雑録等小説続き物語には及ばねど自から投書家と称し一度誌上に雅号の掲げられるを見れば大恐悦で、
己が名の載つた雑誌を選て貸し
と云ふが当時の穿ち、其頃は発句とか川柳ばかりでなく所謂八方美人、狂詩でござれ狂歌、今様と洒落も滑稽も粋も風雅もなんでもかんでも斜ならざりし、その雑誌さへ高々一部金五銭以下三銭乃至二銭五厘と云ふ低価、実に安い風流の遊びなりしも、明治十六年一月には郵便条例改正となり各新聞社並に雑誌を発兌せる本局にては左の如き社告を掲示せり
今回郵便条例御発布に付て新聞原稿も尋常書簡と同様二銭の郵税を払ふべき事に相成候間以後御寄送の御投書は必ず二銭の(二匁毎に)切手御貼付可被下候様此段奉願上候云々
明治十六年一月五日
(『本道楽』第三巻第三号。昭和2年7月1日)
『驥尾団子』第四十二号(明治12年8月13日)最終ページには、次のようにある。
新聞原稿は表へ宿所姓名を詳記し朱にて新聞原稿と記し開き封歟帯封にて差出し候へは無税にて送達相成候御規則に候処右に触れ聢と糊封し有もの儘之あり右等は都て信書の通り郵税先払相成迷惑致し候間前文御承知無之投書家諸君に為念御断申上候尚又三河線燕子伊予酉水軒さんは書状同様に切手御貼用相成候へ共切手御貼用無之とも前書の通御取計に相成候へは屹度相届申候
2016年2月18日公開
2016年3月6日追補
et8jj5@bma.biglobe.ne.jp
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