勝海舟、泥棒を勧む
菊池眞一
『諸芸新聞』第五十三号(明治14年11月28日発行)に、
勝海舟に関する記事がある。以下、引用。読みやすさを考え、私に句読点・括弧を補い、段落を設けた。
又勝海舟君には官を辞されし後、世の塵を避け風月を友とし、仮にも俗事に関係らず。今では号へ散人を附せられ書画会の席へも度々お出になり、需に応じて揮毫さるゝのが何よりのお楽みなるに、何かすると種々な事を云ひ込んで来る者があるゆゑ、これを夏蠅(うるさし)として近頃では経文仏書などを見て居らるゝ由。
茲にも又一ツの話しあり。去る八月ごろ壱人の女が汚れきつた衣類で去年産れたぐらゐの子を背負ひ同君の御邸へ来て姓名を名のり「何卒御面会を願ひたい」といふので君は例のお手軽ゆゑ早速お逢ひなさると、彼の女は涙を翻し「同じ旧幕の御家来でありながら君は御器量あるゆゑに今では斯る御繁昌、妾しどもの連合」と云ひさしてあとは涙にくれければ、君には不審に思はれて「如何(どう)ぞなされしか」「ハイ夫は長々の貧苦より夫を気病みに昨夜死亡(なくなり)ましたが、末期におよんで申しますには『今となり青山の御邸へ参る訳にも行かず、願ふは勝君ばかりゆゑ、事の次第を申しあげ、拾円だけのお恵みを願つて後の取片づけをするより外に仕方がない』と遺言いたし、其儘に息を引きとりました」と最(いと)も哀れな話しを聞かれ、君にも愍然(ふびん)に思召、云ふが儘に拾円の金を恵んで帰されしが、
此ごろになり、死んだといふ何某が面会を願つたゆゑ「ハテ変な事もあるもの。先頃香奠まで遣はしたに如何な訳か。何にしろ逢つて様子を窺はふ」と彼れを呼び入れられ、よくよく御覧なされても幽霊ではなし。「何(どう)した事か」と其訳を聞かれると「全く死ぬかと思ふほどの大病ゆゑ、妻と計つて尊君を欺きしは実に恐れ入るが、お蔭で薬用にありつき、斯の如く存命いたすもこれ単(ひとへ)に君の給(たま)もの。謝するに言葉なし」と云ふに、勝君呆(あき)れたまひ「イヤ君の妻君は貞なり智者なり。よくも空々しく那様(あのやう)な事が云はれたもの。併し感心仕つる。而して君には何ぞ活業にありつきたまふか」と聞かれる言葉の尾について
「実は今日参りしも余の義でなく、僕が病気は治つたが後の始末がつかぬゆゑ、妻子は里方へ預け置き、今は独り身になりましたから、何ぞ相応な役がござらばお使ひ下さるまじきや」と厚かましくも述ければ、其愚なるを憐れみたまひ、さして咎めず帰すに如(しか)じと「イヤ僕は御存じの世捨人。雇ふ人などいらぬゆゑ是はお断りまうす」と断然(きつぱり)云はれると、「左やうならば何でも宜しいから今日喰えるやうな知恵をお貸下さるまいか。只喰つてさへ行かれゝば夫でよろしうございます」と能々困つた云ひ立に、何と答えもなさらずに暫し黙して居られしが「夫ほどに思召なら憚かりながら知恵を貸ませう。君、泥棒をなさい。失敬ながら君の胆では一命に係るほどの事はなさるまい。左すれば懲役になつて命は全たうし、喰ふに困る事はありません。是より外にお貸申す知恵はござらぬ」と仰せられたゆゑ、流石の鉄面皮もこれには驚いて帰つたといふ。これも聞き取り話しを其まゝ。併し此様(こん)な無芸の者を此新聞へ出すも似合しからねど、是等を思ふても人間は一芸なくてはなりません。
2016年2月2日公開
et8jj5@bma.biglobe.ne.jp
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