『集古』庚申第二号(大正9年4月25日発行)五丁裏に、
ヘナチヨコの由来
と題する野崎左文(蟹廼屋左文)の文章がある。以下、引用。
前号の「猪尾助の由来」といふ記事を読んでふと思ひ出した儘茲にヘナチヨコの由来を白状する、それは明治十四五年の夏の事で当時風雅新誌の社主であつた山田風外氏とおのれ等四五人で同年神田明神に開業した今の開花楼に登つて一酌を催した、其時銘々の膳に附けて出した盃は内部がお多福外側が鬼の面になつて居る楽焼風の気取つたものであつた、是れは面白い盃だ先づ一杯を試みやうと女中に酒を注がせるとこは如何にジウジウと音がしてブクブクと泡が立つた、イヤ是れは見掛によらぬ劣等な品物だヘナ土製の猪口だからヘナチヨコと呼ぶべしだと呵々大笑したのが抑もの始まりで、それから以後外見ばかり立派で実質の之に伴はぬものを総てヘナチヨと呼びヘナチヨコ料理屋、ヘナチヨコ芸者、ヘナチヨコ芝居などゝ盛んに此の新語を用ひたのが忽ち新橋の花柳界に伝はり又落語家円遊などが高座で饒舌るやうになつた為め終に東京一般の流行言葉となつたのである、此のヘナチヨコなる語は今でも猶屡々耳にする事があるのに其の名付親たる当時の四五人の連中は過半故人となり活き残つて居るのは風外翁とおのればかりとは座ろに今昔の感に堪へぬ。
野崎左文『私の見た明治文壇』(春陽堂。昭和2年5月15日)の
「昔の銀座と新橋芸者」の項には、次のようにある。
其頃新橋ではいろいろな流行語があつた、挟み言葉やツの字言葉も用ひられ「アラよござい」「シンだねへ」「十銭頂戴」其外いくらもあつたやうだが今急には思ひ出されぬ、今日でも用ひられて居る唯の事を「ロハ」一円を「円助」半円を「半助」秘密を発く事を「スツパヌキ」劣等又は粗悪を意味する「ヘナチヨコ」などは盛んに唱へられたものだが、此ヘナチヨコといふのは実は私共の作つた新語で、それは明治十三四年の夏風雅新誌の山田風外翁と私等四五人が同年神田明神に開業した今の開花楼に登つて一酌を催した時、銘々の膳に附けて出した盃は内部がお多福、外部が鬼の面で、その鬼の角と顎とが糸底代りになつて居る楽焼風の気取つたものであつた、是は面白い盃だ先づ一杯を試みやうと女中に酒を注がせると、こは如何にジウジウと音がしてブクブクと泡が立ち酒が盃の中に吸込まれた、イヤ是れは見掛けに寄らぬ劣等な品物だ、ヘナ土製の猪口だから以来ヘナチヨコと呼ぶべしだと呵々大笑したのが始まりで、爾来外見ばかり立派で実質の之に伴はないものを総てヘナチヨと称して居たのが忽ち新橋の花柳界に伝はり終に一般の流行言葉となつたのである。
ネットの『語源由来辞典』は、
http://gogen-allguide.com/he/henatyoko.html
【へなちょこの語源・由来】
として、次のように記述する。
「へな」は腰砕けの状態を表す「へなへな」の「へな」で、「ちょこ」は「ちょこまか」など目立たない小さな動作を表す「ちょこ」と考えられる。
漢字で「埴猪口」と表記されることもあり、「埴(へな)」は「粘土」、「猪口」はお酒を飲むのに使う小さな杯のことであるが、「埴」も「猪口」も当て字である。
へなちょこの語源には、明治の新聞記者野崎左文が神田明神境内の料亭開花楼で酒宴をした際、使ったお猪口が埴で作られた粗末なものだったため、「へなちょこ」と呼んだとする説が多く、野崎左文の『昔の銀座と新橋芸者』には、経緯も書かれているらしい(未確認)。
同じ野崎左文の説では、「変な猪口」から「へなちょこ」になったとする説もある。しかし、経緯が明らかと言う割に、「へな」の語源が異なっているため信憑性は薄い。また、曲がったりしなったりするさまの「へなへな」という語は、「埴」とは無関係に江戸時代から使われており、小生意気な者を意味する「猪口才」の語もあることから、この語だけが特別に作られたとは考え難く、当て字に合わせて考えられた説と思われる。
『語源由来辞典』の編者は左文の別の説の典拠を明示していない。これが明らかにされない限り、編者の説を信じることはできない。左文以上の明快な語源説はないであろう。
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