源氏名の今昔

                        

菊池眞一

『川柳獅子頭』第二巻第三号(明治43年3月)9~12頁に、
飯島花月が、「源氏名の今昔」という文章を寄せている。
以下、引用。


   源氏名の今昔
              上田  花月

今日娼妓の源氏名の批評などしたらば村夫子には叱責せられん娼妓を擯斥して醜業婦と呼び遊里を魔窟暗黒界と罵しり乍待合這入りや料理店泊り込みの口を拭ふて君子を粧ふ偽善家の多い世の中滅多に斯る題目を掲げべきで無いがこれも古今の人情風俗の変遷を窺ふべき資料と先づ遁辞を置いてフト思付た儘を聊か批評すべし
「琴茶書画並べた計り知りんせん」と川柳点穿ちは有れど実際昔の花魁の見識者素晴らしきものなりとか其は貴紳諸侯までが大びらに遊びたる事なれば左も有るべく又歌を詠み文を行り書画を巧みにせし名妓も実際に多く文人墨客が遊里に風流韻事を玩びし例し少からねば昔時吉原が殷賑を極めし頃も琴茶書画が部屋部屋に陳列せられ啻に名妓が其道に堪能なりしのみならず楼主にも多少の文事を解し風流を好みたるもの多かりしは通人方の善く御承知の通りなりされば娼妓に名くるに佳字を選みたるを後世の欲張一方縁起のよき俗悪文字を用ゐたる如き比に非ず
明治の世は西洋の物質的文明を真似ることが上手にて現世的肉欲的の嗜好にのみ耽り心霊の向上には一向に無頓着なれば文学宗教などの振はぬも道理従つて万事が俗悪に流れ其殺風景なることお咄に成たものに非ずよろづの事いにしへのみぞ慕はしきと某の法師を真似るにあらねど昔の優長の時代は坐ろに偲ばしきことのみで多かりけるされど知れ切つた事乍ら古へにのみ偏するは素より愚なり今の文明誠に結構なれど唯余りに実利一点張りに流れて没風流を極むるを慨するの反動心より聊か憎まれ口を叩くのみ今娼妓の源氏名の今昔に就て比較対照するに極めてはかなきこと乍ら是にも亦其一端を見るべき昔の名の如何に優美にて文学的なりしか今の源氏名の如何に無風流なるか勅選集に見ゆる遊君や平家物語以来の傀儡白拍子の時代は余りに隔絶せり請ふ之を手近の吉原細見に求めん

明和四年即ち今より約一世紀半以前の吉原細見に依るに当時の娼妓に二人禿とは殆んど其総てが古歌の語を取り或る縁語に求め極めて佳名を選みたるを知るべし左に掲ぐる所を見よ(細字の仮名は二人禿の名なり)

若菜(ねのひ・こまつ)  染川(なみぢ・ちどり)  雛里(きくの・ちよの)
子日(はるの・はるか)  陸奥(しのぶ・みだれ)  此春(すまの・あかし)
歌之助(たつた・もみぢ) 言の葉(ことぢ・きくぢ) 姿野(さゆり・にほひ)
尾の松(たける・みどり) 松風(はるの・うへの)  九重(にほひ・うめの)
小枝(はるの・ことり)

新造の名も亦佳名多し試に江戸町松葉屋に於けるものを挙げて其他を類推せしめん

和歌波 三保風 空蝉 菊川 春風 浮橋
園菊  花川  若松 滝川 初菊 唐糸
住の江 豊浦  歌川

是等の名今に襲用するもの多しと雖も決して当時の如く佳名の揃ひたるを見ざるなり然らば次の時代は如何これより殆ど五十年の後に於ける

文化七年の吉原細見を聞けば当時国学の勃興せし反影は亦此地に於て見ることを得べし即ち妓名と禿の名とは明和に比し一層好熟語を選みたる傾向あり亦楼々のお職として数代襲ぎ来れる所謂通り名なるものを除き其他新たに選みたるものは成る可く陳腐ならざる語を採り又往々に漢音の熟語を附したるを見る蓋し漢文学の盛なりし潮流は此処にも波及したるのみならず洒落なる漢学者国学者文人墨客の風流を此地に戦はしたるもの少からざりしを以て是等の韻士の選に依りて佳名を得たること多かりしならん塞止の意に三国志の名馬赤菟(せきどめ)馬の字を仮り或る名山泰山と名乗り兎子波(としなみ)と称し襁褓(きようほ)の字を用ゐてむつきと訓じ詩をからうたと読ましめたるの類を見て分るべし

花紫(あげは・こてふ)  唐土(あやの・おりの)  夕映(てりは・かへで)
春日野(はかな・こまつ) 妻機(いとの・いろの)  誰袖(とめき・かをり)
佐保川(はまの・かもめ) 佐喜草(みつば・よつば) 綾袖(くれは・あやは)
真砂地(はまの・ちどり) 万代(みねの・まつの)  葛城(みやま・かつら)
玉章(ふみの・たより)  花妻(さくら・にほひ)  都路(いそじ・みつじ)
難波(うめの・つぼみ)  白糸(たきの・をとは)  三国(やまじ・みつじ)
染衣(きぬた・いろね)  吉野(みねの・さくら)

以上は編中より特に選抜たる雅名なれども此他の概ね此類にて典雅といふは仰山なれど優美なるは今日の比べものに非ず誰袖に薫香(とめき)の香りを偲び佐喜草に三ツ葉四ツ葉の殿作りを思はしむる豈艶ならずとせんや都路は五十余りに三つの宿の東海道往来より着想せる命名の如き機知文才あるものならでは能くし難き好文字ならずや

明治に至り二人禿の制廃れてまた往年の如き待偶せる熟語縁語を用ゐるの要なきに至り娼妓の源氏名も概ね古名を踏襲するに過ぎず偶ま嶄新の名あれば則ち俗陋醜悪殆ど語を成さゞるものゝみなり茲に其数名を挙げん

尾車      豊子(とよこ) 尾の町     九十九(つくも) 愛人(あいんど)
福寿      宝山(ほうざん)中条      愛之助      政名木(まさなき)
金人(かねんど)芳里(よしさと)三木枝(みきえ)小福       琴陵
室町      大巻(おほまき)万龍      豊花       正八木(まさやき)
玉綾      花遊(はなゆふ)政尾      長尾

此他鶴納(つるなう)、千龍(せんりう)、花友(はなゆう)、愛州(あいしう)、紫君(しくん)、市花(いちはな)、亀納(かめのう)、和守(わもり)の数名の如き奇妙不思議にして振仮字を用ゐざれば何とも読得べからずしかも鶴納以下の数妓は某楼一戸に居るものなり中条と呼ぶもの廓中数人ありこは中将の訛れるならんが堕胎薬の中将を連想して失笑に堪えざらしむ操(みさを)の名屡々見ゆるは娼妓に相応(ふさは)しからず近年わが地方の某廓にすめらぎと称するもの有りしは滑稽過ぎて殆んど狂気の沙汰といふべし
妓名既に古へに比して堕落すること数等況んや新造の名に於てをや吉原の振はざること之を以ても知るべく一には亦嫖客の品位の下劣となりしを推知せらるされどこれ文明のお蔭にて醜業次第に衰滅し上流の人士が純潔方正にのみ成り行くを証するものなりとして喜ぶものあらば吾輩また何をか謂はんや噫また何をか謂はんや

(『川柳獅子頭』第二巻第三号。明治43年3月)




2016年2月18日公開

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