江戸時代通信社
菊池眞一
『江戸趣味』第一号・第二号に、大槻如電の「江戸時代通信社」という話が載っている。如電の話を記者が筆記したものらしい。中身は藤岡屋(須藤)由蔵の話。この『藤岡屋日記』を文行堂が売り渡した相手の「狩野氏」が「狩野亨吉」だとすると、彼がこれを買ったのは、一高校長をしていた1898年(明治31年)から1906年(明治39年)の間だろう。とすると、狩野が東北帝国大学に蔵書を売却したものの中には、この『藤岡屋日記』はなかったということになる。それ以前に東京帝国大学に寄贈していたのであろうか。『藤岡屋日記』原本は関東大震災で焼失したという。
●江戸時代通信社(上) 如電
嘉永六年の六月に、突然米艦が浦賀にやって来た、江戸中は沸返る様な大騒ぎ、一体何をしに来たのか、さつぱり事情が分らないので皆々其真相を聞たがつて居た、一寸話が脇へそれる、下谷御成街道に藤岡屋由蔵(通名本由)といふ古本屋があつた、生来筆まめな男で、三是相流行相性といふ文久中に出来た番附にも、
相変らずの上々根御成道の古本翁
と褒められた位で、当時評判の人物だつた、此男が当時世上の出来事を、見たり聞いたりする度に筆記してゐたが、其事を大名の留守居役が聞込んで、是非其材料を供給して欲いと申込んで来た、一体留守居役といふ者は、柳営や諸侯や市中の出来事を集めて、主君若くは家老へ報告する役である、されば常に多人数を使つて、種を捜させて居るものゝ、中々甘く集まらない、処が本由には日々の種を集めた筆記帳があるといふので、得たり賢しと申込んで来たのであつた、偖本由の筆記帳の種は、何処から出るかといふと、是亦種を売込む人物がある、それは下座見といふ者で見附などで営中や諸侯の風説を聞込んで、種一ツを大抵廿四文乃至卅二文位で本由に売つたのである、其種を筆記して居ると、留守居役が来て何かいゝ種がないかと聞く、こんな種があるといふと筆記帳から写させて、天保銭一枚即ち九十六文に買つて行くといふ有様で、宛然現今の通信社同様の営業、古本屋はたゞ看板のみとなつて仕舞つた(文責在記者)
本由は人のうはさで飯を喰ひ
(以上、『江戸趣味』第一号。大正5年7月10日)
●江戸時代通信社(下) 如電
話はもとへ戻る、浦賀に来た米艦は。将軍薨去の為に一旦琉球迄引返したが、一年越に又やつて来たので、市中の騒ぎは前よりも烈しかつた、諸大名は事情を知りたい為に、われもわれもと家来を浦賀へ遣る、それも日々の事で、使者の往復は実に頻繁であつた、大大名は費用御構なしだから夫でも宜いが、小大名では遣り切れない、そこで留守居役が本由へ行つて、筆記の写を買つて報告の材料としたので、本由でも亦宜い種を奮発して高く買ふやうになつてからは、材料は益々精撰される、従つて留守居役の出入が盛んとなつて、本由の店は毎日種売込人ざ買込入とで、非常に混雑したのであつた、仝く米艦渡来は本由の為に福の神と言つても宜いのである、
通信社の元祖とも云ふべき本由は本姓須藤氏で、上州藤岡村の産である、文化の初めに江戸へ来て、埼玉屋の寄子をしてゐたが、後には御成道の足袋商中川屋の店先に筵を敷いて古本の露店を出して居た、所が其筆記の御蔭で利益を得て、弘化三年には今の太々餅の隣へ店を構へた、其時裏店から表店へ出た者は三人あった、角天(三河屋市太郎)と紙徳(紙屋徳八)と本由とである、開店の時に本由は
月花の長きながめも板びさし
今は本屋となりてよし蔵
と呼んで自ら祝したといふ事である、
本由は頗る太つた男であつたから、達磨といふ綽名を附けられた、御成道の達磨といへば、当時誰知らぬ者も無い名物男であった、朝起ると直ぐ湯に行き、食後机を店頭に出して、一日も欠かさず筆記するさまは、宛然九年面壁の如くであっ穴、酒と灸が好物で、いつも土瓶に酒を入れては傍に置き、退屈すると茶のやうに飲んだが、眠気がさすと日に幾度となく灸をすゑて居た、女房は御屋敷奉公したものゝ上りで、老年ではあつたが平常化粧して、亭主の背後にキチンと座つてゐたが実に行儀正しいものであつた、此女房を晩年其里へ帰して、明治三年の頃本由は八十余歳で故郷藤岡へ隠居したが、幾程もなく同地で歿したとの事である、
本由が故郷へ帰る時に、古葛籠二個を中川屋へ預けて行つたが、其後何年経つても終に受取に来なかつた、其うち中川屋が退転する時に蔵を調べると、本由から預つた古葛籠が出たので、蓋をとると反古同様な帳面が塡つて居た、そこで近所の古本屋文行堂を呼んで若干金かで売払つて仕舞つた、それを文行堂が持つて帰つて調べて見ると、面白い見聞録百八十余冊(前記自慶長至文化末年、後記自文政至明治二年)で、駿河半紙四折に極細字で書いた日記である、前記の方は諸書の抜萃であったが、後記は本由自ら見聞したもので、即ち諸侯留守居役へ材料として売つたものゝ原本である、そこで文行堂の主人が早速拙宅へ来て、こんな物が出たと話したので、それは面白い物だ、是非見に行くからと約束して、二三日過ぎて文行堂へ行つて尋ねると、昨日狩野氏へ売つたといふ返答、さうなると猶更欲しくなるのが人情で、僅一日違ひでアレを人手に渡したのを、今でも遺憾に思つて居る(文責在記者)
(以上、『江戸趣味』第二号。大正5年8月1日)
2016年3月5日公開
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