日本写友会発企之文

菊池眞一


ここに紹介する文章は「全集未掲載」という訳ではない。岩波書店『紅葉全集』第十巻(平成六年)解題に、

明治三十六年十一月十五日、尾崎夏彦編『草茂美地』に収録。初出誌不詳だが、文末の日付によって明治三十三年十二月中旬の執筆であることが明らかなので、この位置に収めた。

とあるが、初出誌を明らかにできたので、ここに報告する次第である。

『団々珍聞』第一千三百号(明治34年1月1日)三十一ページに、

日本写友会発企之文

として掲載されている。これが初出であろう。『草茂美地』では、

東京写友会発企之文

となっているが、「東京」のほうが正しいようだ。

文面はほとんど同じといってよいが、冒頭の人名が、『団々珍聞』では、

プチスタ ポルタ

とあるが、『草茂美地』では、

バプチスタ ポルタ

となっている。ウィキペディアには、

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ :Giambattista della Porta

とあるので、これも『草茂美地』のほうが本名に近いようだ。

末尾の署名も異なる。『団々珍聞』では、

  感光道人  黄葉誌 ㊞

だが、『草茂美地』では、

  感光道人

としかない。

『団々珍聞』の「黄葉」という署名例は他にあるのかどうか知らない。誤植なのか戯れなのか、私にはわからない。

紅葉書翰を見ると、写真機に凝っていたことのうかがえるものが数点ある。

インターネットサイト
芸術写真の『東京写友会第壹回写真展紀念画帖』とグラフモンタージュの『犯罪科学』
http://www.nichigetu-do.com/navi/info/detail.php?id=758
には、
東京写友会は明治34(1901)年、写真好きの尾崎紅葉を会長として発足したアマチュアの写真クラブで、尾崎など文人と鏑木清方等画人を中心に組織されたと云います。この写友会が写真コンテストを主催、応募作を集めて展覧会を開くとともに、入選作をまとめて発行されたのがこの記念写真帖〈菊池注=明治36(1903)年発行の『東京写友会第壹回写真展紀念画帖』〉というわけです。
とある。
同じく、
元町通の写真機店(1) 「赤壁商店」
https://www.kobe-motomachi.or.jp/motomachi-magazine/motomachidori/motomachidori13.html
には
明治32年(1889)には東京大学の御雇い教授のバートン博士、チャールズ・D・ウェスト教授らの外国人の主唱で、宮内省出入りの写真師小川一真(かずまさ)らの東京・横浜の営業写真師、華族らが集まって日本初のアマチュア写真倶楽部「大日本写真会」が誕生、やがて明治34年(1901)に「東京写友会」(会長は写真好きの尾崎紅葉)も出来て、各地にアマチュア写真倶楽部が続々と生まれ、翌明治35年に神戸にも「神戸写友会」が神戸初のアマチュア写真倶楽部として誕生し、事務局が置かれたのは4丁目(浜側)の「赤壁商店」でした。
とある。



2019年8月16日公開
菊池眞一