なのれなのれ雨の中ゆく不如帰
菊池眞一
『福島民報』は、明治30年8月5日から10日にかけて、尾崎紅葉の福島来遊を扱っている。
この件は、2010年11月06日に、下記ブログで紹介されている。
風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)
http://kazenoshin.exblog.jp/11527470/
もっと早くには、
『愛書趣味』第三年第四号(第十六号)昭和3年6月10日
で、野崎左文が
飯坂温泉に於ける紅葉山人の逸話
と題して、紅葉の逸話を描いている。
この二者ともに、飯坂での紅葉の句、
なのれなのれ雨の中ゆく不如帰
を紹介している。
しかし、この句は、岩波書店『紅葉全集』に載っていない。
以下、『福島民報』明治30年8月5日から10日までの記事を引用する。
『福島民報』明治30年8月5日(二面)
○紅葉山人の来遊 現代一流の小説家として明治俳壇一派の領袖として名声隆々たる紅葉山人尾崎徳太郎氏は穴原温泉に入浴かたがた著作上の用務を帯びて一昨夜来福し本社吉田菊堂氏の許に一泊して昨日より福陽館に滞在中なり多分一両日中に穴原温泉に向ひ静に修養を了りて再ひ来福せらるべく右につき当町の同好有志者は其滞在中の一の歓迎会を催し名士を遇するの道を尽さんものと昨今それぞれ計画中なりといふ
『福島民報』明治30年8月6日(二面)
○尾崎紅葉氏 前号に記し置きたる如く当町福陽館に滞在中なりし紅葉山人尾崎徳太郎氏は昨日飯坂温泉に遊ひ二三日滞在の上穴原温泉に入り約二週間後に於て再ひ来福せらるへしといふ
『福島民報』明治30年8月8日(二面)
○尾崎紅葉氏 先日来飯坂温泉花水館に宿りて穴原地方の名勝を探検中なりし紅葉山人尾崎徳太郎氏は連日の雨天の為め稍々予定の方針を変更し昨日一先つ当町に帰へりて福陽館に投宿滞在中なり
『福島民報』明治30年8月8日(三面)
○飯坂に於ける文壇の一佳話
さんぬる四日の黄昏の事とかよ予て漫遊家として知られたる野崎左文翁は当代著名の画家富岡永洗、水野年方、中央新聞記者村松柳江、及び劇通として隠れもなき老大家某氏(仔細ありて特に其姓名を公けにせず)と倶に文壇の名星打ち揃ふて飯坂温泉に来遊し花水館に投宿して四方八方の道中物語りに会興転た湧くが如く晩酌の趣味まさに三昧に入らんとする其折柄、遥に聞ゆる若葉町の絃鼓の響に耳を傾けしは年方、永洗の二氏にしてさすが其道の人なればにや徐に画心の動き初めしまゝ宴に侍するの館女お清といへる可憐の少女を麾ねきて彼はいかなる戯れぞと尋ぬるにお清はいとゞ得意に而もあどけなう彼は飯坂の盆踊りで御座りますお慰みに往て見て来ませと答ふれば扨はかねて聞及べる飯坂踊りとはこれなんめれと好事の心一しほ動きて今は中々に止めもあゑざるより潜に宿の主人を案内に頼み二人の画伯はやがて若葉町の遊廓にと浮れ出で和泉楼といふに登りて意気筋の遊びに意を凝せしも田舎の事とてこれぞと言へる慰みもなく唯々飯坂踊りの稍眼先変りて面白きより左文翁をも招くべしとの議も起りしがこればかりにては翁の数奇心を揺かすに足らざる事もあらんかと
此楼には大雅堂の幅物、応挙の群猿の図、山陽の状、伊達正宗の道服、蜀山人の屛風一双あれば飯坂踊りをかねて見にござれ
との意味を認めつ、使を馳せてこれを花水館に齎せしに折りしも左文翁は此館の投宿帳によりて読売新聞社の紅葉山人の別室に泊り合せ居るを知り側への老大家に牒して茲処一番紅葉山人を担いでみんとの謀略を廻らし和泉屋なる画伯の許より到りし書状の宛名を削りこれに相応しき他の紙片を継ぎ合はして土佐将監、狩野元信の二名より紅葉山人に宛てたる書状となし老大家これに一句を添えて
盆前や飯坂おどり見にござれ
土佐将監
狩野元信
と書き改ため館女のお清さんに細々その意を含めて依然和泉楼より使者の到りし体に装はしめこれを紅葉山人の許に持たしやりて是非君を迎へよとの仰なるよし使者の来りて御返事を待ち侍べる旨言上に及びしに流石の山人も転た不審の眉を顰め知人あらぬこの山中にて扨は何者よりの音信ぞと打ち呟きつゝ兎も角も件の手紙を読み終りて驚くこと一方ならず処もあるべきに卑しき娼楼より而も変名を以て我を迎ふること仮令ひ何者の悪戯にもせよ譎怪至極の仕業なれと一旦は一筋に憤りしも或は来り合はせし心易き友どちの我が茲処にあるを聞き伝へて酒興のつれづれに担いでやらん所存なるやも測難し仮し名は画工に因なむと雖も盆前やなどゝこなれし句を詠む手腕のほどやは凡物なるべきやと漸々に色をおさめて忽ち矢立の筆を走らし
なのれなのれ雨の中ゆく不如帰
紅葉山人
と記して和泉楼の使者にもたせよとこれをお清に渡しやりぬ 《未完》
『福島民報』明治30年8月10日(三面)
○飯坂に於ける文壇の一佳話《続》
斯くて紅葉山人の返書を得たる館女のお清はこれを同館別室の軍略所たる左文翁、及び老大家の許に持ち往きしに扨てこそ旨く担いでやつたりけりされどこの上これを担がんは却つて身共の破滅の基となるやも測り難し如かず茲処は一番彼方の謀略を山人に知らしめて彼に二度喫驚を喰はしめ而も山人を延て此方の参謀総長となし和泉楼に登楼中なる永洗、年方の二氏を大仕掛けに担ぎあげんにはと老大家則ち筆を執りて
なのれなのれ雨の中ゆく不如帰 の下に
それ箭一本夏の狩倉
と脇をつけ再びお清に命じて紅葉山人の許に齎たらしやりしに山人は一読して其知己なる某老大家の書なるを知りしなしたり担がれたかと終にお清を脅迫して其所在を知り馳せ往きて互に顔を見合しつこれはこれはとばかり……後は言葉もなくて大笑ひとなり斯く都遠き片田舎にてゆくりなくも相会せし喜を語りあふうち彼の画伯に対する軍略も粗ぼ纒り其夜はそれで事済みしが翌五日の朝に至りて紅葉山人は字体の判明せざるやうにと態と片仮名を用ゐて『昨夜和泉楼に於て大陽気の騒ぎをなしたるは定めし貴下等御両名なるべし予は東京某新聞社の探訪員なるがこれに就て聊か貴下御両名に面会したけれは一寸来訪せられたし』との意味を認め某なる名を署して角屋よりの使者なりと詐り同じくお清を使者にたてゝ永洗年方二氏の許に遣はせしに両者の真率なる互に顔見合せて大に驚き用あらば尋ねて来るこそ礼なるべきにあべこべに来訪せられたしなどゝは以ての外の不礼の挙動なれど或はこれを餌にして幾何かのゆすりをなさん所存なるやも測り難し如何に御両所方のお考へはと左文翁と老大家にこれが相談をしむくれば両者はかねて牒し合しある事とて左ればなり斯る手紙の舞ひ込みし上からは聊か思ひあたる節もなきには候はす昨夜君方の不在中新聞社の探訪らしきもの一名宿帳を取調べに来りしものありしとの事なればそれは定めし御意見の如く多少ゆすりの手段なるやも測り難しとの物語に画伯は益々打ち驚き斯な事を尾に鰭つけて東京の真唯中に悪く素つ葉ぬかれんは心外千万なり寧ろかゝりし難題とあきらめて五円なり十円なりの損耗は覚悟の上となし素直に此方から角屋まで出かけやうかとの相談を側より左文翁等がそれ上策なりとそゝのかすに両画伯も終にその気になり今往かうか今往かうかと起つてみつ座つて見つそゞろに一時間ばかりは精神の沈ち着かざる様子を老大家昵と見て居て今更ら気の毒に堪えやらす潜に紅葉山人の別室に忍びて本気だよ本気だよ最う大概の事にして免へてやり給へとの事に山人のおかしさは言ふもおろかお臍でお茶の煮えるどころの騒ぎにあらざるより茲に老大家の説を容れその新聞社の探訪こそ茲処にありと楼下なる一室よりぬツくと現れしに画伯は又もや喫驚しえゝ先生の悪戯なりしかと散々に打ち罵しりつゝも不意の奇遇に果は一同大笑ひとなり酒よ酒よと朝まだきより花水館の賑かさ一盃一盃又一盃、興趣ますます濃なりしとなむ《おはり》
菊池眞一
2016年6月4日公開
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