露伴『国民書簡文』序

                        

菊池眞一


小林鶯里著『国民書簡文』(明治四十四年十月七日。盛陽堂書店)に、幸田露伴が序文を寄せている。
これは『露伴全集』(岩波書店)には掲載されていない。


   序
世に文学びする程むづかしき業はなかるべし、あるが中に、易きに似て難きは、日用の手紙なり、彼れ是れの間の思想を互に会得了解せしむるは、いと難し、それを学び習ふのたよりもがなと思ひつるに、こたび鶯里子予が最好の栞を作りて名けて国民書簡文といふ、読みもて行くに往来の文、四季の文、其の他、雑文に及びて説くこと詳密丁寧なり、真に国民の採つて手本とするに宜しかるべし、国民書簡文とは、いしくも名けたるかな、よく熟読玩味せば得る所少なからざるべきかと一言巻首にしるす。
  明治四十四年九月        露伴

これは、全く同内容の改題本、小林鶯里著『実用書簡文』(明治四十四年十一月五日。盛陽堂書店)にも、そのまま流用されている。


小林鶯里著『日用往復現代書簡』(明治四十四年十一月二十四日。盛陽堂書店)には、これらとは別の序文を寄せている。
序 書簡は意を達するのみにして足る、而かも意を達するのみにして足らざる有り、譬へば花の只美即足るが如し、而かも只美即ち足らざるあり若し夫れ芳烈の香あり、馥郁の香あり微妙殊勝の香あれば人愈々之れを悦ぶ美にして香なきを以て美にして香あるに比すれば美にして香なきはもとより足らざるある也、只美即ち足る、而かも只美乃ち足らざる有ると云ふもの是れ之れを云ふ也、書簡はもと意を達せんと欲するに出づ意を達するを能くす即ち足るのみ、而かも能く意を達す猶足らざるあらんとす、予古の佳章を見るに名花の多く奇香ある如きを覚ゆ書簡も文の一体なるのみ文豈意を達するのみにして而して足らんや、文の能くし難きや久し、書簡の能くし難きも久しきかな   明治辛亥晩秋       露伴学人識


小林鶯里は、本名善八。明治十一(一八七八)年生まれ、没年不明。多数の本を出版した。



2020年9月15日公開

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