『茶目草紙』序(露伴)


菊池眞一

要二郎著『〔小咄〕茶目草紙』(大正八年一月二十四日。東亜堂書房)に幸田露伴の序文がある。『露伴全集』には収録されていない。
以下、引用。


  序

 洒落といふことは何時よりはじまりけん、知らず。おもふに世のはじまりを混沌といふ、それがそもそも洒落なるべし。気と形と質と具はつて未だ相離れず、之を混沌といふ、とある乾鑿度の講釈を承はれば、混沌といふは分らぬといふことにて、帝鴻氏の不才の子をば、民之を渾敦といふ、とある左伝の言葉も、分らぬ奴といひしとならん。さらば歴史は七竅既に穿つて後の目くそ鼻くそにして、洒落は三皇未だ出でざるむかしむかしよりのあつたとさなるべし。此故におそれながら記紀はゆゑある洒落をつたへ、風土記霊異記は罪無き洒落をのべ、竹取に至つてふざけた洒落を尽して、何やら何といふことは此時よりぞはじまりけると、律義な口上まで添へけるが、言魂の洒落あふ我邦ばかりかは、言冴ぐからのかんころりん共も、芒網をつくりそむ、といへる芒の面つきはどうやら網の字の中に見え、夙沙塩をつくりはじむ、といへる夙沙は宿沙にて、塩浜を見しものは、宿沙作塩、ハヽアと合点行くべく、事物のはじまり大抵は洒落なり。荘列はいさゝか斯道を説けるのみ。さても其後鴻門の会に駈付けたる樊噲、壮士復能く飲まん乎と項王がいへるに答へて、臣死且避けず、巵酒安ぞ辞するに足らんといへる、死且と巵酒とに洒落の響あれば、勇士も口合をいへりとおぼしく、漢の武帝のしかつめらしくも相を論じて、人中の長さ一寸あればすなはち百歳の寿を得と説かれしに、東方朔の笑ひころげて、彭祖の間のびのした顔、おもへばおもへばこたへられませぬといひしは、仙人も考へ落を云ひたりと聞ゆ。天竺はよくよく口巧者の国なればこそ、妄語の綺語のといふ戒までも出来たれど、鹿を遂ふ猟師が、こゝらへ来た筈だが比丘殿知らぬか、といふに対へて、吾が指甲を見ながら、諾佉鉢奢弭といふはよしと毘奈耶律にもあり、其語の意を按ずるに、我は指を見ることなしといふことにも当るとなれば、洒落をいひて鹿を救ふは、仏も叱らずと見えて、お釈迦も中々洒落た方なれば、善巧方便も好い洒落といふことなるべきにや。既に言葉の洒落だによし、心の洒落の何ぞ悪からん、煩悩執着一処にねばりついて、動きの取れぬは無洒落のみなかみ、円転自在はたらきある光風霽月は洒落の上乗、下品の駄洒落馬糞洒落より、あくのぬけたる生粋の洒落、詞少くいたり深きところを会得し、世のいざこざも随縁真如、輾然一笑の声の中に尽未来際を了すべしとぞ。
  洒落の説一篇   大正午の夏
                  露 伴 草


2017年1月12日公開
菊池眞一

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