延慶本平家物語 総ひらがな版
平家物語一
(系図)
(章段目録)
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一 へいけのせんぞのこと 二 とくぢやうじゆゐんくやうのことつけたりだうしさんもんちゆうだうのやくしのこと
三 ただもりしようでんのことつけたりやみうちのことつけたりただもりしきよのこと 四 きよもりはんじやうのこと
五 きよもりのしそくたちくわんどなること 六 はちにんのむすめたちのこと
七 ぎわうぎによのこと 八 しゆしやうしやうくわうおんなかふくわいのことつけたりにだいのきさきにたちたまふこと
九 しんゐんほうぎよのおんこと 十 えんりやくじとこうぶくじとがくたてろんのこと
十一 とさばうしやうしゆんのこと 十二 さんもんのだいしゆせいすいじへよせてやくこと
十三 けんしゆんもんゐんのわうじとうぐうだちのこと 十四 とうぐうせんそのこと
十五 きんじゆのひとびとへいけをしつとのこと 十六 へいけてんがにはぢみせたてまつること
十七 くらんどのたいふたかのりしゆつけのこと 十八 なりちかのきやうはちまんかもにそうをこむること
十九 しゆしやうごげんぶくのこと 二十 しげもりむねもりさうにならびたまふこと
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廿一 とくだいじどのいつくしまへまうでたまふこと 廿二 なりちかのきやうひとびとかたらひてししのたにによりあふこと
廿三 ごでうのだいなごんくにつなのこと 廿四 もろたかとうかはのほふしとことひきいだすこと
廿五 るすどころよりしらやまへてふじやうをつかはすことおなじくへんてふのこと 廿六 しらやまうかはとうのしゆとしんよをささげてしやうらくのこと
廿七 しらやまのしゆとさんもんへてふじやうをおくること 廿八 しらやまのしんよさんもんにのぼりたまふこと
廿九 もろたかざいくわせらるべきよしひとびとまうさるること 三十 へいせんじをもつてさんもんにつけらるること
丗一 ごにでうのくわんばくどのほろびたまふこと 丗二 たかまつのにようゐんほうぎよのこと
丗三 けんしゆんもんゐんほうぎよのこと 丗四 ろくでうのゐんほうぎよのこと
丗五 へいけこころにまかせてふるまふこと 丗六 さんもんのしゆとだいりへしんよふりたてまつること
丗七 がううんのことつけたりさんわうかうげんのことつけたりしんよぎをんへいりたまふこと 丗八 ほふぢゆうじどのへぎやうがうなること
丗九 ときただのきやうさんもんへしやうけいにたつことつけたりもろたからざいくわせらるること 四十 きやうぢゆうおほくぜうしつすること
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平家物語第一本
一 ぎをんしやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひびきあり。しやらさうじゆのはなのいろ、じやうしやひつすいのことわりをあらはす。おごれるひともひさしからず、はるのよのゆめなほながし。たけきものもつひにほろびぬ。ひとへにかぜのまへのちりととどまらず。とほくいてうをとぶらへば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしうい、たうのろくさん、これらはみなきうしゆせんくわうのまつりごとにもしたがはず、みんかんのうれひ、よのみだれをしらざりしかば、ひさしからずして、ほろびにき。ちかくわがてうをたづぬれば、しようへいのまさかど、てんぎやうにすみとも、かうわのぎしん、へいぢにしんらい、おごるるこころもたけきことも、とりどりにこそありけれども、つひにほろびにき。たとひじんじはいつはるといふとも、てんたういつはりがたきものか。わうれいなるなほかくのごとし、いはんやじんしんのくらゐのものいかでかつつしま
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ざるべき。まぢかく、だいじやうだいじんたひらのきよもりにふだう、ほふみやうじやうかいとまうしけるひとのありさま、つたへうけたまはるこそ、こころもことばもおよばれね。かのせんぞをたづぬれば、くわんむてんわうだいごのわうじ、いつぽんしきぶきやうかづらはらのしんわうくだいのこういん、さぬきのかみまさもりがそん、ぎやうぶきやうただもりのあつそんのちやくなんなり。かのしんわうのみこたかみのわうむくわんむゐにしてうせたまひにけり。そのおんこたかもちのしんわうのおんとき、くわんぺいにねんごぐわつじふににちにはじめてたひらのあつそんのしやうをたまはりて、かづさのすけになりたまひしよりこのかた、たちまちにわうしをいでてじんしんにつらなる。そのこちんじゆふのしやうぐんよしもち、のちにはひたちのだいじようくにかとあらたむ。くにかよりさだもり、これひら、まさよし(まさのり)、まさひら、まさもりにいたるまでろくだい、しよこくのじゆりやうたりといへども、いまだてんじやう
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のせんしやくをゆるされず。
二 ただもりのあつそん、びぜんのかみたりしとき、とばのゐんのごぐわん、とくぢやうじゆゐんをざうしんし、さんじふさんげんのみだうをたて、いつせんいつたいのしやうくわんおんをあんぢしたてまつる。ちゆうぞんぢやうろく。よつててんじようぐわんねんかのとのゐ、さんぐわつじふさんにちきのえたつ、きちにちりやうしんをもつてくやうをとげられをはんぬ。ただもりは、いつしんのくわんしやうには、びぜんのくにをたまはる。そのほか、かぢ、ばんしやう、そまし、そうじて、けつえんけいえいのにんぶまでも、ほどほどにしたがひて、けんじやうをかうぶること、しんじつのごぜんこんとおぼえたり。ごだうしには、てんだいのざすと、おんさだめあり。しかるに、いかなることにかおはしけむ、ざす、さいさんじしまうさせたまふあひだ、「さては、たれにてかあるべき」とおほせあり。そのときところどころのめいそう、てらでらの
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べつたう、のぞみまうすところ、じふさんにんなり。じやうどじのそうじやうじついん、おなじくべつたうだうちゆうそうづ、こうぶくじのだいしんほふげんじつしん、どうじだいなごんのほふいんじやううん、おむろのでし、いうはんしやうにん、をんじやうじのごんのだいそうづりやうゑん、おなじくちかくそうじやう、とうだいじのだいなごんのほふいんりうばん、くわさんのそうじやうかくうん、みのをのほふげんれんじやう、ひやうぶきやうのそうづいうぜん、うぢのそうじやうくわんしん、さくらゐのみやのしやうにんゑんめういじやうじふさんにん。このちとくたちは、みなほふわうのごぐわいせき、あるいはほふわうのおんしとく、あるいはほふわうのおんきたうじよのまんとくなり。みなこうしやうをもつて、つとめらるるひとびとなり。まことにしゆしやうかうきにして、ちえめいれうなり。じやうぎやうぢりつにして、せつぽふにふるなのあとをつたへ、「われこそてんがいちのめいそうよ。われこそにつぽんぶさうのしやうだうよ」と、おのおのけうまんのはたほこ
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をたてて、のぞみまうさせたまふもことわりなり。「げにも、てんだいのざすのほかは、このひとびとこそ、きりやうよ」と、ほふわうもごぢやうあり。されば、おぼしめしわづらひてぞ、わたらせたまひける。まいにちに、くぎやうせんぎありけれども、さしてたれともさだまらず。さらばくじにとるべしとて、かのぜんりよらをみなとくぢやうじゆゐんにめされたり。ゆゆしきみものにてぞありける。さてくじのしだいは、じふさんのうちに、じふには「おんだうしたるべし」とかきて、よのじふには、ものもかかず、しらくじなり。ほふわうのおほせに、「まろがげんたうにせのだいじ、ただこのぶつじにあり。もしまことのどうしたるべききりやうのひと、このじふさんにんのほかにてなほやあるらん。みやうのせうらんしりがたし。さればいまひとつをくはへて、じふしのくじに、なすべし」とうんうん。よつてごぢやうに
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まかせて、じふしにして、じふさんにんよりて、めんめんにとりたまふに、みなくじをとりて、「おんだうしたるべし」といふくじはのこりたり。「みやうのせうらん、まことにやうあるべし」とおほせあり。じふさんにんのちとく、おのおのたからのやまにいりて、てをむなしくして、かへりたまへり。そののちほふわう、「このひとびとのほかに、たれあるべしともおぼえず。ただねがはくはかならずしもちしやにあらず、のうぜつにあらずとも、しゆしやうげれつなりとも、こころにじひありて、みにぎやうとくいみじく、てんがいちばんにまずしからむそうを、だうしにもちゐばやとおもふは、いかに」とおほせあり。くぎやういまだおんぺんじまうされざるところに、みのかさきたるものの、もんぜんにのぞみたり。あやしくごらんずるところに、みのかさをば、からゐしきにさしおき、くろきころもけさかけたるそうひとり、らうらうとして、
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ほふわうのおんまへにまゐりて、「まことにてさうらふやらん。とくぢやうじゆゐんくやうのおんだうしには、むちげせんなりとも、こころにじひありて、みにとくぎやうあらんひんそうを、めさるべしとうけたまはる。ぐそうこそ、じひとぎやうとくとはかけてさうらへども、びんぐうのことは、につぽんいちにてさうらへ。しんじつのおんことにてさうらはば、まゐるべくやさうらふらむ」。そのときくぎやうてんじやうびと、「さこそおほせあらんからに、わそうやうのものをば、いかでかめさるべき。ふしぎなり。みぐるしし。とくとくまかりいでよ」といふ。ほふわうのおほせに、「いかなるところにあるそうぞ」とおんたづねあり。そうまうしけるは、「たうじは、さかもとのぢしゆごんげんのおほゆかのしたに、ときどきにはくさむしりてさうらふ」とまうす。ほふわう、「さては、まめやかに、むえんひんだうのそうにこそあむなれ。ふびん
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なり。おんだうしにさだめおぼしめすところなり。きたるじふさんにちのむまのときいぜんに、かのみだうにまゐるべし」と、ごぢやうあり。そうなみだをはらはらとこぼして、てをあはせて、ほふわうををがみまゐらせて、みのかさとりてうちきて、まかりかへりけり。そのときほふわう、ひとをめされて、「あのそうのぢゆうしよみてまゐるべし。いかなるありさましたるそうぞ。よくよくみよ」とてつかはす。おんつかひみがくれにゆくほどに、げにぢしゆごんげんのおほゆかのしたにいりぬ。きよしよのありさま、あまがはひきめぐらして、ゑざうのみだのさんぞんかけて、ほとけのまへのつくへに、せうかうさんげのにほひ、かをりたり。さてはなにごともなし。ただしつくえのしたに、かみにひねりたるものあり。それをとりてちやはいにちといれて、あかおけなるみづにすすぎて、ぶくしけり。さてそののち、ひとりごとにまうし
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けるは、「とかくして、まうけたりし、まつのはもはやとぼしくなりぬ。なにをもてか、ろめいをもささふべき。あはれ、はやおんぶつじのひになれかし。さてもめでたき、ほふわうのごぜんごんのきよさかな。なむさんわうだいし、しちしやごんげん、じひなふじゆをたれて、しやうじやうのごぜんごん、しゆぎやうしたまへるほふわうを、しゆごしまゐらせたまへ」とて、ねんじゆしてはべり。おんつかひかへりまゐりて、このよしをそうもんす。ほふわうおほきにかんじおぼしめすところなり。すでにごくやうのひ、かのおほゆかのしたのひじりのもとへ、よはうごしをむかへにつかはさる。ひじりまうしけるは、「こしぐるまにのるべき、おんだうしをめさるべきならば、のぞみまうすところの、じふよにんのかうゐのそうをこそめされさうらふべけれ。しかるにいまは、わざとむえんひんだうの
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そうをくやうぜさせたまふ。しやうじやうのごぜんごんなり。いかでかいうめいむじつのこけのさうをば、げんじさうらふべきや」とて、よはうごしをかへしまゐらせをはんぬ。きちにちは、じふさんにち、りやうしんはむまのときなり。いぜんにごかうもなり、ぎやうがうもなりぬ。にようばうなんばうすべてうんしやうのひとびと、みなまゐりたまへり。いかにいはむや、とひ、ゑんきん、きせん、じやうげのしよにん、いくせんまんといふことをしらず。まゐりあつまり、くだんのおんだうしもすでにのぞみたまへり。ありしみのかさをこそ、けふはきたまはねども、ころもけさは、ただそのときのままなり。らうらうとしてこしすこしかがまりたまへり。じゆうぞうとおぼしくて、わかきそうふたりあり。おんふせもたせむとおぼしくて、げそうじふににんていしやうにあり。まことにわうじやくたるすがた、しよにんみなめを
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おどろかしてぞはべりける。だうしすでにかうざにのぼりたまへば、ひざふるひわななきて、ほふそくのしだいもぜんごふかくにみえたり。しばらくありて、くわんじやうのくを、はたとうちあげたまひたりければ、さんじふさんげんをひびきめぐり、いつせんいつたいのおんほとけも、なふじゆをたれたまふらむとぞ、めでたかりける。へうびやくまことにたまをはき、せつぽふいよいよふるなのべんぜつあり。ちやうもんしゆゑのばんにん、ずいきのなみだをながして、むしのざいしやうをすすぎ、けんもんかくちのだうぞくは、くわんぎのそでをかきあはせて、そくしんのぼだいをさとる。むかししゆだつちやうじやがしじふくゐんのぎをんしやうじやをたてて、しやかぜんぜいのごくやうありけんも、りやくけちえんのみぎり、これにはすぎじとめでたし。ごせちぽふながくして、みときばかりあり
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けるを、ほふわうはせつなのほどとぞおぼしめされける。すでにゑかうのかねならして、かうざよりおりて、しやうめんのひだりのはしらのもとにゐたまへり。はじめにはすみぞめのけさころもは、いまはにしきのほふぶくよりもたつとくぞみえける。おんふせせんごくせんぐわん、こがねせんりやう、そのうへにおんかぶせ、みだうのまへにやまのうごきいでたるがごとし。たむらのみかどのおんとき、たかきみことまうすにようご、かくれさせたまひて、あんしやうじにてみわざしたまひけるに、だうのまへにささげものおほくしてやまのごとし。それをざいちゆうじやうよみたりける。
やまのみなうつりてけふにあふことははるのわかれをとふとなるべし K001
ぜんごんのこころざしのふかきには、おんふせのいろにあらはれたり。つきのわにしやまに
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かくれて、やいんにおよびければ、みだうのまへにまんどうゑをともされたり。おんだうしすでにかへりたまひけるに、ちやうもんのしゆう、にはにおほくして、いでさせたまふべきやうもなかりければ、みだうのしやうめんよりこくうをとびあがりて、そうもんのうへにしばらくおはしましけり。ににんのじゆうぞうは、につくわうぐわつくわう、ひかりをかかやかし、じふににんのげそうは、やくしのじふにじんじやうなり。おんだうしはぢしゆごんげんのほんぢ、えいさんちゆうだうのいわうぜんぜいにてぞましましける。よすでにまつだいたりといへども、ぐわんしゆのしんじんしやうじやうなれば、ぶつじんのゐくわうなほもつてげんぢゆうなり。ほふわうのおんこころのうちさこそうれしくおぼしめしけめ。しやうむてんわうのごぐわん、とうだいじくやうのおんだうしは、
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ぎやうきぼさつとおんさだめありけるに、ぎやうきかたくじしまうさせたまひけるやうは、「ごぐわんのだいぶつじなり。せうこくのびくさうおうせず。りやうぜんじやうどのどうもんしゆ、ばらもんそんじやとまうすだいらかん、いまにてんじくにあり。むかへにつかはすべし」とて、ほうびやうにはなをたて、あかをしきにすゑて、なにはのうみにおきたまひければ、かぜもふかざるに、あかをしきながれて、にしをさしてゆく。なぬかをへてのち、くやうのひ、かのばらもんそんじや、あかをしきにのりて、なにはのつにきたりて、だいぶつでんをばくやうじたまひにき。それをこそきたいのふしぎとうけたまはるに、これはなほすぐれたり。さてかのばらもんそんじや、なんてんじくよりなにはのうらにたうらい
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のとき、ぎやうきぼさつたいめんしてのたまはく。
りやうぜんのしやかのみまへにちぎりてししんによくちせずあひみつるかな K002
ばらもんそんじやのへんじ。
かびらゑのこけのむしろにゆきあひしもんじゆのみかほまたぞはいする K003
さてばらもんそんじやはどくし、ぎやうきぼさつはかうじにて、だいぶつでんをばくやうありき。そのとき、「ばらもんをばそうじやうになして、とうだいじのちやうらうしたまへ」とせんじなりけれども、ふじつにてんぢくにかへりたまひにき。ぎやうきぼさつははちじふにて、てんぴやうしようほうぐわんねんにぐわつににふめつしたまひき。かのうたのこころにて、ばらもんそうじやうはふげん、ぎやうきぼさつはもんじゆなり。ふげんもんじゆとうのにぼさつ、だいぶつでんをばくやうじたまへり。いま
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このとくぢやうじゆゐんをば、ちゆうだうのやくしによらい、につくわうぐわつくわうとうのにぼさつをじゆぞうとし、じふにじんじやうらをけんぞくとしてごくやうあり。はるかにむかしのせいせきよりもたうがらんのかうげんはすぐれたまへりと、ばんにんみなほめたてまつるところなり。
三 とばのぜんぢやうほふわう、えいかんにたへさせおはしまさず、ただもりにたぢまのくにをたまはるうへ、としさんじふしちにてうちのしようでんをゆるさる。しようでんはこれしやうがいのえらびなり。たとへゐんのしようでんすらしかなり。いかにいはんやうちのしようでんにおいてをや。くものうへびといきどほりそねんで、おなじきとしじふいちぐわつごせち、にじふさんにち、とよのあかりのせちゑのよ、やみうちにせむとぎす。ただもりのあつそん、このことをほのかにききて、「われいうひつのみにあらず、ぶようのいへにむまれ
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て、いまこのはぢにあはむこと、いへのため、みのためこころうかるべし。せんずるところ、みをまつたうしてきみにつかへよといふほんもんあり」とのたまひて、ないないよういありけり。ただもりのあつそんのらうどう、もとはただもりのいちもんなりけるが、のちにはちちさぬきのかみまさもりがときよりらうどうしよくにふす、しんのさぶらうだいふたひらのすゑふさがこに、さひやうゑのじよういへさだといふものあり。びぜんのかみのもとにまゐりてまうしけるは、「ちちすゑふさ、おそれながらごいちもんのすゑにてさうらひけるが、こにふだうどののおんとき、はじめてらうどうしよくのふるまひをつかまつりさうらひけり。いへさだちちにまさるべきみにてさうらはねども、あひつぎてほうこうつかまつりさうらふ。ことしのごせちのごしゆつしには、いちぢやうひがこといできたりさうらふべきよし、ほぼうけたまはるむねのさうらふ。てんちゆうにわれもわれもとおもふひとどもあまたさうらふらめ
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ども、かやうのおんせのをりふしにあひまいらせむとおもふものは、さすがすくなくこそさうらふらめなれば、ごせちのしゆつしのおんともをば、いへさだつかまつるべし」とないないまうせば、ただもりこれをききて、しかるべしとてめしぐせられたり。いつしやくさんずんあるくろさやまきのかたなをよういして、ちやくざのはじめよりらんぶのをはりまで、そくたいのしたに、しどけなきやうにさして、かたなのつかをしごすんばかりさしいだして、つねはてうちかけて、つくりまなこして、ゐられたり。はうばいのうんかくこれをみて、きようくわうのこころあるならば、やみうちはせざらましのはかりことなり。いへさだもとよりさるものにて、ただもりにめをかけて、とくさのかりぎぬのしたに、もえぎのいとをどしのはらまき、むないたせめて、たちわきにはさみて、てんじやう
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のこにはにさうらふ。おなじきおとと、さつまのへいろくいへながとて、としじふしちになりけるが、たけたかく、ほねぶとにて、ちからおぼへとりて、たびたびはがねあらはしたるものありけり。まつかはのかりぎぬのしたに、むらさきいとをどしのはらまききて、びぜんづくりのさんじやくごすんありける、わりざやのたちかいはさみて、かりぎぬのしたより、てをいだして、いぬゐについひざまづきて、てんじやうのかたを、くもすきにみすかして、ゐたりければ、くわんじゆいげ、てんじやうびとあやしみて、くらんどをめして、「うつほばしらよりうちに、ほういのもののさうらふ、なにものぞ。らうぜきなり。まかりいでよ」と、いはせければ、いへさだすこしもさわがず、「さうでんのしゆう、ぎやうぶのきやうのとの、こんややみうちにせらるべきよしうけたまはりさうらへば、ならむやうみさうらはむとて、
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かくてさぶらふ。えこそまかりいづまじけれ」とて、かしこまりてさぶらひける。つらだましひ、ことがら、しゆうことにあはば、こにはより、でんじやうまで、きりのぼりつべき、けしきなりければ、ひとびとよしなしとやおもはれけむ、そのよのやみうちせざりけり。そのうへ、ただもりのあつそん、だいのかたなをぬきて、ひのほのぐらかりけるところにて、びんぱつにひきあててのごはれけり。よそめには、こほりなどのやうにぞみえける。かれといひ、これといひ、あたりをはらひてみえければ、よしなくぞおもはれける。さてごぜんにめしありて、ただもりのあつそんまゐられけるに、ごせちのはやしとまうすは、「しろうすやうの、こぜむじのかみ、まきあげふで、ともゑかきたるふでのぢく」とこそはやすに、これはひやうしをかへて、「いせへいじはすがめなりけり」とはやしたり。ただもり
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ひだりのめのすがみたりければ、かくはやしたり。くわんむてんわうのばつえふとまうしながら、なかごろよりはうちさがつて、くわんどもあさく、ぢげにのみして、みやこのすまひ、うとうとしく、つねはいせのくににぢゆうして、ひさしくひととなりければ、このいちもんをば、いせへいじとまうしならはしたるに、かのくにのうつはものにたいして、「いせへいじは、すがめなりけり」と、はやしたりけるとかや。ただもりすべきやうなくて、さてやみぬ。
そもそもごせちとまうすは、きよみばらのてんわうのおんとき、もろこしのみかどより、こんろんさんのたまをいつつまゐらせさせたまへり。そのたま、やみをてらすなり。いちぎよくのひかりごじふりやうのくるまにいたる。これをとよのあかりとなづけたり。ごひさうのたまにて、ひとこれをみることなし。そのころまた、もろこしのしやうざんより、せんぢよごにんきたりて、
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きよみばらのにはにて、くわいせつのたもとをひるがへすこと、いつたびあり。ただしあんてんにして、そのかたちみえざりしかば、かのいつつのたまをいだして、くわいせつのかたちをごらんじき。たまのひかりあきらかにして、ひるよりもなほあかし。しかるにごにんのせんにんのまふこと、おのおのいせつなり。ゆゑにこれをごせちとなづけたり。そのときよりかのせんにんのまひのてをうつして、くものうへびとまひけり。そのときのひやうしには、「しろうすやう、こぜむじのかみ、まきあげふで」とはやしけり。そのゆゑは、かのせんにんのころもの、うすくうつくしきことさま、しろうすやう、こぜむじのかみに、あひにたり。まひのそでをひるがへし、かんざしよりかみさまに、まきあげたるかたちににたりければ、「まきあげのふで」とははやしき。さればまひびとのかたちありさまを、はやすべきことにてぞありける。しかるに「すがめ
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なりけり」とはやされて、ぎよいうもいまだはてぬに、しんかうにおよびてまかりいでられけるに、「いかに、なにごとかさうらひつる」とまうせば、めんぼくなきことなれば、「なにごともなし」とて、いでられにけり。さてただもりいでたまひけるとき、こしのかたなをば、とのもりづかさにあづけてだいばんのうへにおかれてけり。ごにちにくぎやうてんじやうびと、これをまうされけるは、「ばうじやくぶじんのてい、かへすがへすいはれなし。さこそぢゆうだいのゆみとりならむからに、かやうのうんしやうのまじはりに、てんじやうびとたるものの、こしのかたなをさしあらはすこと、せんれいなし。それゆうけんをたいしてくえんにれつし、ひやうぢやうをたまはりてきゆうちゆうをしゆつにふするは、みなきやくしきのれいをまもり、りんめいよしあるせんぎなり。しかるをただもりのあつそんにおよびて、あるいはさうでんのらうどうとかうして、ほういのつはものをてんじやうのこにはにめしおき、そのみこしのかたなをよこだへさして、せちゑのざにれつす。りやうでう
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ともにきたいいまだきかざるらうぜきなり。ことすでにちようでふせり。ざいくわもつとものがれがたし。はやくみふだをけづりて、げくわんちやうじせらるべき」よし、おのおのいちどうにうつたへまうさる。しやうくわうおどろきおぼしめされて、ただもりをめしておんたづねあり。ちんじまうしけるは、「まづらうじゆうこにはにしこうのこと、ただもりこれをぞんぢせず。ただしきんじつひとびとあひたくまるるしさいあるかのあひだ、ねんらいのけにん、このことをつたへうけたまはるかによつて、そのはぢをたすけむために、ただもりにしられずして,ひそかにこにはにさんこうのでう、ちからおよばざるしだいなり。このうへなほそのとがをのがれがたくは、そのみをめししんずべくさうらふや。つぎにこしのかたなのこと、くだんのかたなとのもりづかさにあづけてさうらふ。いそぎめしいだされて、かたなのじつぷにつきて、とがのさうあるべきか」とまうされければ、しゆしやう、もつともしかるべしとおぼしめされて、かのかたなをめしいだして
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「てんじやうびとぬけ」とおほせくださる。えいらんをふるに、うへはさやまきのくろぬりなりけるが、なかはきがたなにぎんぱくをおしたりけり。しゆしやうすこぶるえつぼにいらせたまひて、おほせのありけるは、「たうざのちじよくをのがれむがために、かたなをたいするよしをかまふといへども、ごにちのそしようをぞんぢして、きがたなをたいしたるよういのほどこそしんべうなれ。きゆうせんにたづさはらむもののはかりことは、もつともかくこそあらまほしけれ。かねてはまたらうじゆう、しゆうのはぢをすすがむとおもふによつて、ひそかにさんこうのでう、かつうはぶしのらうじゆうのならひなり。まつたくただもりがとがにあらず」とて、かへつてえいかんにあづかりけるうへは、あへてざいくわのさたにおよばざりければ、おのおのいきどほりふかくてやみにけり。ちゆうなごんださいのごんのそつすゑなかのきやうはいろのくろかりければ、こくそつとぞ
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まうしける。むかしくらんどのとうたりしとき、それもごせちに、「あなくろくろ、くろいとうかな。いかなるひとのうるしぬりけむ」とはやしたりければ、かのすゑなかにならびたりけるくらんどのとう、いろのしろかりければ、すゑなかのかたうどとおぼしきてんじやうびと、「あなしろじろ、しろいとうかな。いかなるひとのはくをぬりけむ」とはやしたりけり。くわざんのゐんのにふだうだいじやうだいじんただまさ、じつさいとまうしけるとき、ちちちゆうなごんにおくれたまひて、みなしごにしておはしけるを、なかのみかどのちゆうなごんかせいのきやう、はりまのかみたりしとき、むこにとつて、はなやかにもてなされけるに、これもごせちに、「はりまよねはとくさか、むくのはか、ひとのきらをみがきつくるは」とはやしたりけり。「よあがりてはかかることにもさせることもいできたらざりけり。まつだいは
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いかがあらんずらむ、ひとのこころおぼつかなし。ただもりのきやうしそくあまたおはしき。ちやくしきよもり、じなんつねもり、さんなんのりもり、しなんいへもり、ごなんよりもり、ろくなんただふさ、しちなんただのり、いじやうしちにんなり。みなしよゑのすけをへて、てんじやうのまじはり、ひときらふにおよばず。につぽんにはなんししちにんあるひとをちやうじやとまうすことなれば、ひとうらやみけり。これもただことにあらず、とくぢやうじゆゐんのごりしやうのあまりとぞおぼゆる。
ただしいのちはかぎりありけるならひなれば、にんぺいさんねんしやうぐわつじふごにち、しやうねんごじふはちにてただもりのあつそんほくばうす。としいまだろくじふにみたざるに、さかりとこそみえたまひしに、はるのかすみときえにけり。さしたるやまひもおはせず、しやうぐわつじふごにちはまいねんにしやうじんけつさいしたまひければ、ことしもまたしんじんをきよめもくよくして、
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ほんぞんのおんまへにかうをたきはなをくんじたまひけるが、にしにむかひてねぶるがごとくしてひきいりたまひにき。こんじやうはいつせんいつたいのほとけのりやくをかうぶりて、いつてんしかいにえいぐわをひらき、しゆうえんのくれにはさんぞんのらいかうにあづかりて、くほんれんだいにわうじやうす。によしごにんなんししちにん、おのおのなみだをながしてをしみたまひき。なんによじふににんのはらから、みなとりどりにさいはひたまひき。おとひめぎみばかりぞことしはここのつになりたまひければ、ははにつきて、むなしきやどにひとりおはしける。ちちのこひしきときは、うゑおきたまひしつぼのうちのさくらのもとにたちより、なくよりほかのことなし。あけぬくれぬとすぎゆくほどに、しやうぐわつもすぎ、にぐわつやよひのころにもなりければ、つぼのうちのさくらうるはしくさきたり。ひめぎみこれをみたまひて、
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みるからにたもとぞぬるるさくらばなひとりさきだつちちやこひしき K004
四 きよもりちやくなんたりしかば、そのあとをつぐ。ほうげんぐわんねん、さだいじんよをみだりたまひしとき、あきのかみとてみかたにてくんこうありしかば、はりまのかみにうつつて、おなじきとしのふゆだざいのだいにになりにき。へいぢぐわんねんうゑもんのかみむほんのとき、またみかたにてきようどをうちたひらげしによつて、くんこうひとつにあらず、おんしやうこれおもかるべしとて、つぎのとしじやうざんみにじよす。これをだにもゆゆしきことにおもひしに、そののちのしようじん、りようのくもにのぼるよりもすみやかなり。うちつづき、さいしやう、ゑふのかみ、けんびゐしのべつたう、ちゆうなごんになりて、しようじやうのくらゐにいたり、さうをへず、ないだいじんよりだいじやうだいじんにあがる。ひやうぢやうをたまはつてだいしやうにあらねども、ずいじん
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をめしぐして、ぎつしやれんじやのせんじをかうぶつて、のりながらきゆうちゆうをいでいる。ひとへにしつせいのじんのごとし。さればしきのぐわつりやうのもんをひきおはして、くわんぺいのほふわうのごゆいかいにも、「だいじやうだいじんはいちじんにしはんとして、しかいにぎけいせり。くにををさめみちをろんじ、いんやうをやはらげ、そのひとなくは、すなはちかけよ」といへり。これをそくけつのくわんとなづけて、そのひとにあらずはけがすべきくわんにてはなけれども、いつてんたなごころのうちにあるうへは、しさいにおよばず。しやうこくのかくはんじやうすること、ひとへにくまのごんげんのごりしやうなり。そのゆゑは、きよもりそのかみゆぎゑのすけたりしとき、いせぢより、くまのへまゐりけるに、のりたるふねのなかへめおどろかすほどのおほきなるすずきとびいつたりけるを、せんだちこれをみておどろきあやしみて、すなはちかむなぎふみをしてみるに、「これはためし
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なきほどのおんよろこびなり。これはごんげんのごりしやうなり。いそぎやしなひたまふべし」とかんがへまうしければ、きよもりのたまひけるは、「もろこしのしうのせいはくしやうといひけるひとのふねにこそ、はくぎよをどりいつたりけるとはつたへきけ。このこといかがあるべかるらむ。さりながらせんだつはからひまうさるるうへは、なかばごんげんのしめしたまふなり。もつともきちじにてぞあるらむ」とのたまひて、さばかりじつかいをたもち、ろくじやうこんをさんげし、しやうじんけつさいしたるみちにて、かのうををてうびして、いへのこらうどう、てぶり、がうりきにいたるまで、ひとりももらさずやしなひけり。またとしさんじふしちのとき、にぐわつじふさんにちのやはんばかりに「くちあけくちあけ」と、てんにものいふよしゆめにみて、おどろきて、うつつにおそろしながらくちをあけば、「これこそぶしのせいといふものよ。ぶしのたいしやうをするものは、てんよりせいをさづくる」とて、とりの
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このやうなるもののきはめてつめたきを、みつのどへいるとみて、こころもたけくおごりはじめけり。さればくまのよりげかうののち、うちつづきよろこびのみありて、そしりはひとつもなかりけり。ほうげんにことありて、だいこくたまはりてだいにになり、へいぢにくまのまうでしたまひたりけるみちにこといできたりて、さんけいをとげず、みちよりげかうして、かつせんをいたし、そのこうによつて、おやこきやうだいだいこくをかね、けんぐわんけんじよくににんじけるうへ、さんぼんのかいぎふにいたるまで、くだいのせんじようをぞこえられける。これをだにゆゆしきこととおもひしに、しそんのしようじんは、りようのくもにのぼるよりもなほすみやかなり。かかりしほどにきよもり、にんあんさんねんじふいちぐわつじふいちにち、としごじふいちにしてやまひにをかされて、ぞんめいのため、たちまちにしゆつけにふだうす。ほふみやうじやうれんとまうしけるが、ほど
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なくかいみやうしてじやうかいといふ。しゆつけのくどくはばくたいなるによつて、しゆくびやうたちどころにいえててんめいをまつたくす。ひとのしたがひつくこと、ふくかぜのくさきをなびかすがごとし。よのあまねくあふげることは、ふるあめのこくどをうるほすにことならず。ろくはらどののいつけのきんだちといひてければ、くわそくもえいゆうも、おもてをむかへかたをならぶるひとなかりけり。さればにや、へいだいなごんときただのきやうまうされけるは、「このいちもんにあらざるものは、をとこもをんなもほふしもあまもにんぴにんたるべし」とぞまうされける。さればいかなるひとも、あひかまへてそのゆかりにむすぼほれんとぞしける。えもんのかきやう、えぼしのためやうよりはじめて、なにごともろくはらやうとて、いつてんしかいのひとみなこれをまなびけり。いかなるけんわうせいしゆのおんまつりごとも、せつしやうくわんぱく
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のせいばいをも、ひとのきかぬところにては、なにとなく、よにあまされたるいたづらものの、かたぶけまうすことはつねのならひなり。しかるに、このにふだうのよざかりのあひだは、ひとのきかぬところなれども、いささかもいるがせにまうすものなし。そのゆゑはにふだうのはかりことにて、わがいちもんのうへをそしりいふものをきかんとて、じふしご、もしはじふしちはちばかりなるわらはべの、かみをくびのまはりにきりまはして、ひたたれこばかまきせて、にさんびやくにんめしつかひければ、きやうぢゆうにじゆうまんして、おのづからろくはらどののうへをあしざまにもまうすものあれば、これらがききいだして、ふくけのとがをもとめてゆきむかひて、そくじにほろぼす。おそろしなどまうすもおろかなり。さればめにみ、こころにしるといへども、ことばにあらはれてものいふものなし。じやうげをぢをののきて、みちをすぐるむま、くるまも、よぎ
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てぞとほりける。「きんもんをしゆつにふすといへども、しやうみやうをとはず。けいしのちやうり、これがためにめをそばむ」とぞみえたりける。ただことにはあらずとぞみえし。
そのころあるひとのまうしけるは、「そもそもこのかぶろわらはこそこころえね。たとひきやうぢゆうのみみぎきのためにめしつかはるといふとも、ただふつうのわらはにてもあれかし。なんぞかならずしもかぶろをそろふる。これらがなかにいちにんもかけぬれば、いれたてて、さんびやくにんをきはとするもふしんなり。いかやうにもしさいあるらん」といひければ、あるじゆしやのいはく、「つたへきく、いこくにかかるためしありけり。かんのみかどのみよにわうまうだいじんといふ、けんさいしゆしようのしんかありけり。くにのくらゐをむさぼらむがために、はかりことをめぐらすやうは、かいへんにいでて、かめをいくせんまんといふかずをしらずとりあつめて、そのかめのこふのうへに、「しよう」といふじをかきて、うらうら
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にはなちぬ。またあかがねのうまとひととをつくりて、たけのよをとほしてこれをいる。きんごくのたけのはやしに、おほくこれをこめられけり。しかるのちくわいにんななつきのをんなをさんびやくにんめしあつめて、しゆしやをせんじて、まんやくといふくすりをあはせて、これをのます。つきまんじてうめるこ、いろあかくしてひとへにおにのごとし。かのわらはをひとにしらせずして、みやまにこめて、これをそだつ。やうやうせいぢやうするほどに、うたをつくりてならはしむ。『かめのこふのうへにはしようといふもじあり。たけのはやしのなかにはあかがねのじんばあり。わうまうてんがをたもつべきしるしなり』と。かくしてじふしごばかりのとき、かみをかたのまはりにきりまはしてみやこへいだすに、これらひやうしをうちて、さんびやくにんどうおんにこのうたをうたふ。このけしきふつうならざるあひだ、ひとあやしみてみかどにそうもんす。すなはちかのわらはをなんていにめさる。さきのごとくにひやうしをうちて、
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このうたをうたひ、ていしやうにまゐりのぞみければ、すこぶるえいりよにいぶからずといふことなし。すなはちくぎやうせんぎありて、うたのじつぶをたださむがために、うらうらのあまにおほせてかめをめす。そのなかにこふのうへに「しよう」のじかきけるかめあまたあり。またきんりんのたけのはやしをもとむるに、そのなかにあかがねのじんばおほくとりいだせり。みかどこのことをおどろきおぼしめして、いそぎおんくらゐをさり、わうまうにさづけられにけり。てんがをたもちてじふはちねんとぞうけたまはる。さればにふだうもこのことをへうして、さんびやくにんめしつかはるるにこそ。くらゐをもこころにかけてやおはすらん。しりがたし」とぞまうしける。
五 にふだうわがみのえいぐわをきはむるのみにあらず、ちやくししげもり、ないだいじんのさだいしやう、じなんむねもり、ちゆうなごんのうだいしやう、さんなんとももり、さんみのちゆうじやう、
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しなんしげひら、くらんどのとう、ちやくそんこれもり、しゐのせうしやう、しやていよりもり、じやうにゐのだいなごん、おなじくのりもり、ちゆうなごん、いちもんのくぎやうじふよにん、てんじやうびとさんじふよにん、しよこくのじゆりやう、しよゑふ、さいえう、しよし、つがふはちじふよにん、よにはまたひともなくぞみえける。ならのみかどのおんとき、じんきごねんつちのえのたつ、ちゆうゑのだいしやうをはじめておかれたりしが、だいどうしねんちゆうゑをあらためて、こんゑのだいしやうをさだめおかれてよりこのかた、さうにきやうだいあひならぶこと、わづかにさんがどなり。はじめはへいぜいてんわうのぎよう、ひだりにうちまろ、ないだいじんのさだいしやう、たむらまろ、だいなごんのうだいしやう。つぎにもんどくてんわうのぎよう、さいかうにねんはちぐわつにじふはちにち、かんゐんのぞうだいじやうだいじんふゆつぎのじなんそめどの、くわんばくだいじやうだいじんよしふさちゆうじんこう、ないだいじんのさだいしやうにごにんありて、おなじきくぐわつ
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にじふごにち、ごなんにしさんでうのさだいしやうよしあふこう、だいなごんのうだいしやう。つぎに、しゆしやくゐんのぎよう、てんぎやうはちねんじふいちぐわつにじふごにち、こいちでうのくわんばくだいじやうだいじんていじんこうのちやくなん、をののみやのくわんばくさねよりせいしんこう、ないだいじんのさだいしやうにごにんあり、じなんくでうのうだいじんもろすけこう、くわんばくだいなごんのうだいしやう。つぎにれんぜいのゐんのぎよう、ひだりによりみち、うぢどの、みぎによりむね、ほりかはどの、ともにみだうのくわんぱくみちながこうのきんだちなり。ちかくはにでうのゐんのぎよう、えいりやくぐわんねんくぐわつよつかのひ、ほつしやうじどのかんばくだいじやうだいじんただみちこうのごそく、ひだりにまつどのもとふさこう、みぎにつきのわどのくわんばくだいじやうだいじんかねざねこう、おなじきじふぐわつみぎにならびおはす。そのときのらくしよかとよ。いよさぬきさうのだいしやうとりこめてよくのかたにはいちのひとかな K005
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これみなせふろくのしんのごしそくなり。はんじんにおいてはいまだそのれいなし。じやうだいはかうこそ、こんゑのだいしやうをばをしみおはしましと、いちのひとのきんだちばかりなりたまひしか。これはてんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんの、きんじき、ざつぱうをゆりて、りようらきんしうをみにまとひ、だいじんのだいしやうになりあがりてきやうだいさうにあひならぶこと、まつだいといへども、ふしぎなりしことどもなり。
六 おんむすめたちはちにんおはしましき。それもとりどりにさいはひたまへり。いちはさくらまちのちゆうなごんしげのりのきやうのきたのかたとなづけられて、はつさいなるおはせしが、へいぢのみだれいできて、とげずしてやみぬ。のちにはくわざんのゐんのさだいじんのみだいばんどころになりたまひて、おんこあまたおはしまして、よろづひきかへてめでたかり
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けり。そのころいかなるものかしたりけむ、くわさんのゐんのよつあしのとびらにかきたりけるは。
はなのやまたかきこずゑとききしかどあまのこどもがふるめひろふは K006
このしげのりのきやうをさくらまちのちゆうなごんといひけることは、このひとこころすきたまへるひとにて、ひがしやまのさんざうのまちまちなりけるに、せいなんはちやうにさくらをうゑとほされたり、きたにはもみぢをうゑひがしにはやなぎをうゑられたりける、そのうちにやをたててすみたまひけり。きたれるとしのはるごとに、はなをえいじて、さくことのおそく、ちることのほどなきをなげきて、はなのいのりのためにとて、つきにさんどかならずたいさんぶくんをまつりけり。さてこそしちにちにちるならひなれども、このさくらはさんしちにちまでこずゑにのこりありけれ。せいなん
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のそうもんのみいれよりさくらみえければ、いみやうにさくらまちのちゆうなごんとぞまうしける。さくらまつのちゆうなごんともいひけるとかや。はなのもとにのみおはしければさくらもとのちゆうなごんともまうしけり。さればきみもけんわうにおはしませば、しんもしんとくをかかやかし、はなもこころありければ、はつかのよはひをのべけり。いづかたにつけてもすきたるこころあらはれて、やさしくぞきこえし。ににはないだいじんしげもりこうのおんことす。すなはちきさきにたちたまへり。わうじごたんじやうありしかば、くわうたいしにたちたまふ。ばんじようのくらゐにそなはりたまひてのちは、ゐんがうありて、けんれいもんゐんとまうす。だいじやうにふだうのむすめ、てんがのこくもにておはしまししうへは、とかくまうすにおよばず。さんはろくでうのせつしやうどののきたのまんどころにておはしまししが、たかくらのゐん
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おんくらゐのとき、おんははしろとて、さんこうになぞふるせんげあつて、ひとおもくおもひたてまつる。のちはしらかはどのとまうす。しはうひやうゑのかみのぶよりのきやうのそく、しんじじゆうのぶちかのあつそんのつま、のちにはれんぜいのだいなごんたかふさのきたのかたにて、それもおんこあまたおはしき。ごはこんゑのにふだうてんがのきたのまんどころなり。ろくはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうのきたのかた。しちはあきのいつくしまのないしがはらなりけるが、じふはちのとし、ごしらかはのゐんへまゐりたまひて、にようごのやうにておはしけり。このほかくでうのゐんのざふしときはがはらにいちにんおはしき。くわざんのゐんのさだいじんのおんもとに、みだいばんどころのしたしくおはすればとて、じやうらふにようばうにて、らふのおんかたとまうしけるとかや。ないしはのちにはゑつちゆうのせんじもりとしあひぐしけるとぞ
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きこえし。につぽんあきつしまはわづかにろくじふろくかこく、へいけちぎやうのくにさんじふよかこく、すでにはんごくにおよべり。そのうへしやうゑん、でんばく、そのかずをしらず。きらじゆうまんして、たうしやうはなのごとし。けんきくんじゆして、もんぜんいちをなす。やうしうのこがね、けいしうのたま、ごきんのあや、しよくかうのにしき、しつちんまんぽう、ひとつとしてかけたることなし。かたうぶかくのもとゐ、ぎよりようしやくばのもてあそびもの、ていけつもせんとうも、いかでかこれにはすぐべきと、めでたくぞみえし。むかしよりげんぺいりやうしてうかにめしつかはれて、わうくわにしたがはず、てうけんをかろんずるものには、たがひにいましめをくはへしかば、よのみだれもなかりしに、ほうげんにためよしきられ、へいぢによしともうたれてのちは、すゑずゑのげんじせうせうありしかども、あるいはながされ、あるいはうたれて、いまはへいけのいちるい
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のみはんじやうして、かしらをさしいだすものなし。いかならむすゑのよまでも、なにごとかあるべきと、めでたくぞみえし。
七
そのころみやこにしらびやうしににんあり。あねをばぎわう、いもうとをばぎによとぞまうしける。てんがだいいちのをんなにてぞありける。これはとぢといひししらびやうしがむすめなり。およそしらびやうしとまうすは、とばのゐんのおんとき、しまのせんざい、わかのまへといひけるにようばうを、すいかんばかまにたてえぼしきせて、かたなささせなどして、まはせはじめられたりけるを、ちかごろより、すいかんにおほくちばかりにて、かみをたかくゆはせてまはせけり。かのぎわうぎによを、だいじやうにふだうめしをかれてあいせられけるに、ことにあねのぎわうをば、わりなくさいはひたまひければ、ひとびとじやうげ、にふだうどののおんけしきにしたがひて、もてなし
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かしづきけることかぎりなし。ざいしよさるていにしつらひて、よしあるさまにてすゑられたり。さだよしにおほせつけて、ははいもうとなどにも、さるべきやうにいへつくりて、かのとくにてふそくなし。まいにちにじつぴきじつこくをおくられけり。そのうへをりふしにつけてあてられければ、ゆかりのものどもまでたのしみさかへけり。これをみきくひとうらやまずといふことなし。かくのみめでたかりしほどに、そのころまたみやこにしらびやうしいちにんいできたり。みめかたち、ありさまよりはじめて、てんがにならびなきいうぢよにてぞありける。なをばほとけとぞまうしける。にふだうのぎわうをもてなされけるをみききて、「よもさりともむなしくかへさるることはあらじ。のうなどをばあいしたまはんずらむ」とおもひて、あるときすいさん
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をぞしたりける。さぶらひども、にふだうどのに、「ほとけとまうしてたうじみやこにきこえさうらふしらびやうしのただいままゐりてさうらふ」とまうしければ、「さやうのあそびものは、ひとのめしによりてこそまゐれ。さうなくまゐるでうふしぎなり。そのうへぎわうごぜんのあらんところには、ほとけもかみもしかるべからず。とくとくまかりかへるべし」とぞのたまひける。このうへはちからおよばずしてまかりいでけるを、ぎわうごぜんききて、にふだうどのにまうしけるは、「いかにや、あれにはすげなくてはかへさせたまふぞ。あれらていのあそびもののならひ、めされねどもかやうのところへまゐるは、つねのことにてさぶらふ。ごげんざんにいらずしてまかりかへるは、いかにほいなくおもひさぶらふらむ。『ぎわうがごしよへすいさんして、おんめもみせられまいらせでかへりにけり』と、ひとのまうさむもふびんに
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おぼゆ。いまこそかくおんめをみせられまいらせずとも、かならずしもひとのうへとおぼえさぶらはず。こころのうちおもひやられさぶらふに、しかるべくはめしかへしてげんざんして、かへさせをはしませ。わがみのめんぼくとおもひさぶらふべし」とまうしければ、にふだうのたまひけるは、「こはいかに。かれをすさめてかへしつるは、ごぜんのこころをたがへじとてこそ、かへしつれ。さやうにまうすほどならばめしかへせ」とて、よびかへさせて、いであひたまひたり。「かやうにげんざんするほどならば、なににてものうあるべし」とのたまひければ、ほとけはとりもあへず、「きみをはじめてみるおりは、ちよもへぬべしひめこまつ。ごしよのまへなるかめをかに、つるこそむれゐてあそぶなれ」といふいまやうを、をしかへしをしかへし、さんべんまでこそ
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うたひけれ。にふだうこれをききたまひて、「いまやうはじやうずにてをはしけり。まひはいかに」とのたまひければ、「おほせにしたがひて」とてたちたりけり。
おほかたみめことがらせいありさまはさてをきつ、ものかぞへたるこはざしよりはじめておもしろし。たうじなをえたるしらびやうしなり。としのほどじふはちくばかりなり。さしもすさめておひかへしたまひつるに、にふだうどのふたごころもなくみたまひけり。ぎわうはにふだうどののけしきをみたてまつりて、をかしくおぼえて、すこしうちゑみてありけり。にふだういつしかついたちて、いまだまひもはてぬさきに、ほとけがこしにいだきつきて、ちやうだいへいれたまひけるこそけしからね。さてまうしけるは、「いかにやかやうにをはしますぞ。わらはがまゐりて
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さぶらひつるに、げんざんかなはずしてむなしくかへりさぶらひつれば、『なにしにすいさんしさうらひぬらむ』とよのひとのききて、『さればこそ。あそびもののはぢのなさは、めされぬところへまゐりて、おんめもみせられずしておひかへされまいらせたり』と、まうしさたせられむずらむと、こころうくおぼえさぶらひつれば、いづくのうらへもまかりゆかんと、けふをかぎりにはてぬべくさぶらひつるを、まことやらむ、ぎわうごぜんのあながちにまうさせたまひて、めしかへさせたまひたりとこそ、うけたまはりさぶらへ。わらはがためにはせせしやうじやうのほうこうなり。いかがたちまちにこのおんをわすれて、こころのほかのことはさぶらふべき。ぎわうごぜんのおもひたまはむもはづかし。のうにつきてのおほせは、いかにもそむくべからず。なめてならぬおんことは、ゆめゆめ
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おぼしめしとどまりたまへ」とぞまうしける。にふだうのたまひけるは、「ぎわういかにいふとも、じやうかいがききいれざらむには、なじかはよびかへすべき」とて、いかにまうせども、ほとけもちからおよばずして、あくるもくるるもしらず、さいはひふしたまへり。さるほどに、はかなきよのならひにて、いろみえでうつろふものは、よのなかのひとのこころのはななれば、ただひとすぢにほとけにこころをうつし、はてはぎわうをすさめて、「いまはとくまかりいづべし」とのたまひけるぞなさけなき。ひとゆきむかひてこのよしをぎわうごぜんにまうしければ、きくよりはじめて、こころうしなどまうすもなかなかおろかなり。いままでにふだうどの、めみせたまひつれば、じやうげしよにんもてなしかしづきつること、ただゆめとのみおぼえたり。「かやうなるあそびもの
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なれば、かならずさてしもながらへはてたまはじ。つひにはかくこそあらんずらめ」とおもへども、さしあたりてのひとめのはづかしさ、こころのあやなさ、なごりのかなしさ、とにかくにおしはかられてむざんなり。かなしみのなみだせきあへず。これをみたまひけるひとびとは、よそのたもともところせくぞあはれなる。さてしもあるべきならねば、このひごろすみなれしところをあくがれいづるぞかなしき。なみだをおさへてそばなるしやうじにかくぞかきつけていでにける。
もえいづるもかるるもおなじのべのくさいづれかあきにあはではつべき K007
さてさとにかへりて、ぎわうははになくなくまうしけるは、「あはれ、われいかなるかたへもみやだて、いかなるひとのこともなしたまはで、かやうな
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あそびものとなしおきたまひて、いまはかかるうきめをみせたまふことよ。さもあらんひとをとりすへて、われをおもひすてたまはむはちからおよばず。おなじさまなるあそびものにおもひかへられぬることのくちをしさよ。かかるみのありさまにて、ながらふべきちぎりにはあらねども、いつたんなれども、なのめならずふびんにしたまひつれば、ちかきもとほきもうらやみて、めでたかりつることかなとて、いはひのためしにもひかれつることの、いつしかかくのみなれば、『さればこそ。ほどならぬもののなりぬるはてよ』と、いはれむもはづかし。ゆめまぼろしのよなれば、とてもかくてもありなむ。ぎによごぜんがさぶらへば、はははそれをたのみて、うきよのなかをわたりたまへ。わらはにはただみのいとまをたべ。いづくのふちかはにも
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しづみなむ」とぞいひける。いもうとのぎによも、「ともにこそいかにもまかりならめ。ひとりむかひてたれをたよりにてかあかしくらすべき」とかなしむ。ははまうしけるは、「いまだゆくすゑはるばるのひとびとをさきだてて、おいおとろへたるわがみののこりとどまりて、いくほどのとしをかおくるべき。あるいはみたらしがはにみそぎして、かみをかこつならひ、あるいはばうふせきのうらみ、かかるためしおほけれども、たちまちにみなどなぐることはありがたきならひなり。またわれももろともにみをなげば、おのおのははをころすつみありて、ごぎやくとかやのそのひとつにて、おそろしきぢごくにおちたまはむもつみふかし。あなかしこおもひとどまりたまへ」とせいしとどめて、さんにんいつしよになきゐたり。てんにんのごすいもかくやとおぼえてあはれなり。さるほどににふだうは
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ぎわうにあたりたまひつるにはさしすぎて、はなやかにもてなされければ、めでたさまうすはかりなし。したしきあたりまで、ひにしたがひてたのしみをなす。ぎわうはにふだうのあはれみたまひつるほどは、たのしみにほこりて、せけんのこともしたくなし。すてられてのちは、ひとすぢにおもひしづみて、これをいとなむことなし。さればしだいにおとろへけり。これをみ、かれをきくひとの、こころあるもこころなきも、なみだをながしそでをしぼらぬぞなかりける。さるほどにとしもすでにくれぬ。あくるとしのはるのころ、にふだうどのよりとてぎわうがもとへおんつかひあり。なにごとなるらむとあやしみおもふところに、「これにあるほとけごぜんがあまりにつれづれげにてあるに、まゐりてのうどもほどこしてみせよ。さるべきしらびやうし
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あらば、あまたぐそくしてまゐるべし」とぞのたまひける。ぎわうこれをききて、またははにまうしけるは、「ありしときよくおもひとりてさぶらひしものを、ゆるしたまはずして、いまかやうのことをきかせたまふことのかなしさよ。たとひさんぜざらむとがに、みやこのほかへうつさるるか、またいのちをめさるるか、このふたつにはよもすぎじ。なかなかさもあらばあれ。うらみあるまじ」とて、おんぺんじもまうさず。「いかにいかに」とおしかへしたびたびめされけれどもなほまゐらず。にふだうはらをたてて、「まゐるまじきか。こんどまうしきれ、あひはからふむねあり」と、にがにがしくのたまひたり。これをききて、ははなくなくぎわうにまうしけるは、「いかにやまゐりたまはぬぞ。おもひきりしをせいしとどめたてまつりしも、おいのみにうきめをみじがためなり。
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それにいままゐりたまはぬものならば、たちまちにうきめをみせたまふべし。ただいきてのけうやうこれにしくべからず。いそぎまゐりたまひてのち、さまをやつして、いかならむかたほとりにもくさのいほりをむすびて、ねんぶつまうしてごしやうのいのりをしたまへ」など、くどきければ、これをききて、ぎわうはははのおもひのかなしさに、こころならずいでたちけり。わがみ、いもうとのぎによ、またわかきしらびやうしににん、そうじてしにん、ひとつくるまにとりのりてぞまゐりける。くるまよりおりてさしいりたれば、いまだありしにもかはらぬごしよのありさま、なつかしともいふはかりなし。さてうちへいりたれば、にふだうどの、ほとけごぜんをはじめて、しそくあまたなみゐたまへり。このぎわうをばえんにをかれて、ひとところにだにをきたまはで、
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いまひとつなげしさがりたるところにぞすへられける。これにつけてもかなしみのなみだせきあへず。こころのうちにはははをのみぞうらみける。しげもり、むねもりいげのひとびと、めもあてられずして、さばかりかたぶきまうされけれどもちからおよばず。「いかにいかに。なにごとにてもとくとく」とのたまひければ、ぎわうは、「まゐるほどにては、さてしもあるべきならねば」とおもひて、いまやうのじやうずにてありければ、
ほとけもむかしはぼんぶなりわれらもつひにはほとけなり。
いづれもさんじんぶつしやうぐせるみをへだつるのみこそかなしけれ
と、おしかへしおしかへしさんべんまでこそうたひけれ。これをきくひと、よそのたもともところせきて、ほとけごぜんもともになみだをながしけり。されどもにふだうはすこしもあはれをかけたまはず。まして
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なくまではおもひもよらず。しばらくありて、にふだういかがおもはれけむ、ゑしやくもなくてうちへいりたまひぬ。そののちぎわうはひとびとにいとままうして、なみだとともにぞいでにけるしゆくしよにかへり、ははにむかひてまうしけるは、「さればこそ、よくまゐらじとまうしつるを。ははのおほせのおもくしてまゐりたれば、うきめみることのかなしさよ」とて、なきゐたり。さてそののち、よのひと、「にふだうどのすてはてたまひぬ」とききければ、こころにくくおもひて、われもわれもとふみをかよはし、えんにつきてちぎりをむすぶべきよしまうしけれども、ききいれずして、ぎわうはにじふに、ぎによはにじふ、はははごじふしちにていちどにさまをかへて、みなすみぞめになりつつ、さがのおくなるやまざとに、くさのいほりをひきむすび、さんにんいつしよにこもりゐて、ひとへにごしやうじやうど、
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わうじやうごくらくといのるほか、たじなくて、すでにみつきばかりになりけるに、あるよ、やはんばかりに、いほりのとぼそをほとほととたたくものありけり。このひとびとおもひけるは、「こはなにものにてかあるらん。みやこにもさるべかりしひとびともみなかれはてて、たれこととふべしともおぼえず。かかるしばのいほりのすまゐなれば、なにのたよりにかたづぬべき。さなくはごしやうぼだいをさまたげむとて、てんまなどのきたるやらむ。などかはやまのかみとかやもあはれみたまはざるべき。さりながらも」とて、おづおづしばのあみどをあけたれば、「いかにや。いたくなおそれたまひそ」とて、さしいりたるをみれば、ほとけごぜんにてぞありける。「さても、いかにこのひごろのおんこころのうちどもは」とばかりいひて、なみだもせきあへ
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ずぞなきける。そのときぎわうはさらにうつつともおぼえず、ただゆめのここちして、やかんなどのばけてきたるやらむ、おそろしながらぎわうまうしけるは、「そののちはなにはのこともおぼえずして、よろづあぢきなくのみありしかば、ただひとすぢにおもひきりてあかしくらすくさのいほりをば、いかにしてききつたへてをはしたるぞ」とまうしければ、ほとけなみだをおさへて、「さればこそ。わらはがにふだうどのへすいさんして、おんけしきあしくてまかりかへりしを、それにまうさせたまひけるによりて、めしかへされたりしかば、おもひのほかににふだうどのにげんざんにいりにき。さるほどににふだうどのこころよりほかのけしきにをはせしかば、あまりにあさましくおぼえて、『ただいまにふだうどのにげんざんにいるも、それのおんゆゑにこそさぶらへ。いかがはうしろめたなき
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ことはさぶらふべき』と、さしもいなみたてまつりしかども、をんなのみのはかなさは、おもひのほかのことどものありき。『たとひさりとも、あれていのひとのならひなれば、ひとすぢにはおもひたまはじ。あまたをこそみたまはんずらめ』とおもひしほどに、そのぎもなくて、うちすてたてまつりしことのあへなさ、まうすはかりなかりき。あまりにこころぐるしかりしかば、たびたびまうししかどもかなはず。これをひとのうへとおもはざりしかば、またいかなるひとにかと、なにはのこともあぢきなくて、『ただみのいとまをたべ』とまうししかども、ゆるしたまはざりしかば、きのふのひるほどにひまのありしににげいでてさぶらふなり。もろともにごしやうをいのり、このひごろのうらみをもやすめたてまつらんとて、うはのそらにいづかたとしもわかず、まどひありきさぶらひつるほどに、
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おもひかけざるみちゆきびと、『さやうのひとはこのおくにこそ』とまうしさぶらひつれば、これまでたづねまゐりたり。おんこころをきたまふべからず。われもかやうになりたり」とて、かづきたるきぬをひきのけたれば、あまにぞなりたりける。ぎわうまうしけるは、「これほどにこころざしのあさからずをはしけることよ。まことにかやうのためしはみなぜんぜのことなれば、ひとをうらみたてまつるにおよばず。ただみのほどのつたなさをこそおもひしかども、ぼんぶのならひのうたてさは、おもはじとすれども、うらみられしこともときどきありつるなり。かくちぎりをむすびたまはんうへは、いかがこころををきたてまつるべきなれば、さんげしつるぞ」とて、へだてなくしにんいつしよにつとめおこなひて、つひにはぶつだうをとげにけり。さてこそごしらかはのほふわうのちやうがうだうのくわこちやうにはいまも、「ぎわう、ぎによ、ほとけ、とぢ」とはよまれ
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けれ。ぎわうはうらむるかたもあれば、さまをやつすもことわりなり。ほとけはたうじのはなと、じやうげばんにんにもてなしかしづかれて、ゆたかにのみなりまさり、ひとにはうらやみをこそなされつるに、さりとてとしもわづかにはたちのうちぞかし。これほどにおもひたちけるこころのうちのはづかしさ、たぐひすくなくぞあらんとて、みきくひとのたもとをしぼらぬはなかりけり。さてにふだうどのは、ほとけをうしなひて、とうざいてをわかちてたづぬれどもかなはず。のちにはかくとききたまひけれども、しゆつけしてければちからおよばず。さてやみたまひき。
八 とばのゐんごあんがののちは、ひやうがくうちつづき、しざい、るけい、げくわん、ちやうじ、つねにおこなはれて、かいだいもしづかならず、せけんもらくきよせず。なかんづく
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えいりやく、おうほうのころより、うちのきんじゆをば、ゐんよりおんいましめあり、ゐんのきんじゆをばうちよりおんいましめあり。かかりしかば、たかきもいやしきもおそれをののきて、やすきこころなし。しんえんにのぞみて、はくひようをふむがごとし。そのゆゑは、うちのきんじゆしや、つねむね、これかたがはからひにて、ほふわうをかろしめたてまつりければ、おほきにやすからざることにおぼしめして、きよもりにおほせて、あはのくに、とさのくにへながされにけり。さるほどにまたしゆしやうをしゆそしたてまつるよしきこへありて、かものかみのやしろにしゆしやうのおんかたちをかきて、しゆじゆのことどもをするよし、さねながのきやうききいだして、そうもんせられたりければ、かうなぎをとこいちにんからめとりてことのしさいをめしとふに、「ゐんのきんじゆしや、すけながのきやうなどいふ、かくごんのひとびとのしよゐなり」とはくじやうしたりければ、すけながのきやう、しゆりのだいぶげくわんせられぬ。また
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ときただのきやう、いもうとせうべんのとのたかくらのゐんうらみたてまつらせけるとき、くわごんしたりしとて、そのさきのとしげくわんせられたりけり。かやうのことどもゆきあひて、すけとき、ときただににん、おうほうにねんろくぐわつにじふさんにち、いちどにながされにけり。またほふわうたねんのごしゆくぐわんにて、せんじゆくわんおんせんだいのみだうをつくらむとおぼしめし、きよもりにおほせて、びぜんのくにをもつてつくられけり。ちやうぐわんにねんじふにぐわつじふしちにちおんくやうあり。ぎやうがうなしたてまつらむと、ほふわうおぼしめされけれども、しゆしやう「なじかは」とて、おんみみにもききいれさせたまはざりけり。じくわんのけんじやうまうされけれども、そのごさたにもおよばず。ちかのりがしきじぶぎやうしけるを、みだうのごしよへめし、「けんじやうのことはいかに」とおほせくだされけれ
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ば、ちかのりがはからひにてはさうらはぬよしまうして、かしこまりてさうらひければ、ほふわうおんなみだをうかべさせたまひて、「なにのにくさに、かほどまではおぼしめしたるらむ」とおほせのありけるこそあはれなれ。このだうをれんげわうゐんとぞなづけられける。こまのそうじやうかうけいといひしひとは、しらかはのゐんのみこなり。みゐもんりうにはさうなきうちとくぎやうのひとなりければ、ほふわうことにたのみおぼしめして、しんごんのおんしにてをはしけるが、このみだうをばことにとりさたしたまひて、せんだいのちゆうぞんのぢやうろくのめんざうをば、みづからきざみあらはされたりけるとうけたまはるこそめでたけれ。しゆしやう、しやうくわうふしのおんなかなれば、なにごとのおんへだてかあるべきなれども、かやうにおんこころよからぬおんことどもおほかりけり。これもよげうきにおよび、ひとけうあくを
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さきとするゆゑなり。しゆしやうはしやうくわうをもつねにはまうしかへさせたまひける、そのなかに、ひとじぼくをおどろかし、よもつてかたぶきまうしけるおんことは、ここんゑのゐんのきさき、たいくわうこうぐうとまうすは、さだいじんきんよしこうのおんむすめ、おんはははちゆうなごんとしただのむすめなり。ちゆうぐうよりくわうだいこうくうにあがらせたまひけるが、せんていにおくれまいらせ、ここのへのほか、このゑかはらのごしよに、せんていのふるみやに、ふるめかしくかすかなるおんありさまなり。えいりやく、おうほうのころは、おんとしにじふにさんにもやならせたまひけむ、おんさかりもすこしすぎさせたまひけれども、このきさき、てんがだいいちのびじんのきこえわたらせおはしましければ、しゆしやうにでうのゐん、おんいろにのみそめるおんこころにて、よのそしりをもおんかへりみなかりけるにや、かうしよくにじよしおはして、
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ぐわいきゆうにひきもとめしむるにおよんで、しのびつつごえんしよあり。きさきあへてきこしめしいれさせたまはねばひたすらほにいでましまして、きさきじゆだいあるべきよし、ちちさだいじんげにせんじをくださる。このことてんがにおいてことなるしようじなりければ、いそぎくぎやうせんぎあり。いてうのせんじようをたづぬれば、そくてんくわうごうは、たいそう、かうそうりやうていのきさきにたちたまへることあり。そくてんくわうごうとまうすは、たうのたいそうのきさき、かうそうくわうていのけいぼなり。たいそうにおくれたてまつりて、あまとなりてかんごふじにこもりたまへり。かうそうののたまはく、「ねがはくはきゆうしつにいりてまつりごとをたすけたまへ」と。てんしいつたびきたるといへども、あへてしたがひたまはず。ここにみかど、すでにかんごふじにりんかうあつて、「ちんあへてわたくしのこころざしを
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とげむとにはあらず。ただひとへにてんがのためなり」と。くわうごうさらにちよくになびくことばなし。「せんていのたかいをとぶらはむがために、たまたましやくもんにいれり。ふたたびぢんしやうにかへるべからず」とおほせられけるに、くわうてい、うちとのきみ、たひらかにぶんせきをかんがへて、しひてくわんかうをすすむといへども、くわうごうくわくぜんとしてひるがへらず。ここにこしようのぐんこうら、よこしまにとりたてまつるがごとくして、みやこにいれたてまつれり。かうそうざいゐさんじふしねん、くにしづかにたみたのしめり。くわうごうとくわうていとににん、まつりごとををさめたまひしゆゑに、かのおんときをばじくわのぎようとまうしき。かうそうほうぎよののち、くわうていのきさき、ぢよていとしてくらゐにつきたまへり。そのときのねんがうをじんこうぐわんねんとあらたむ。しうわうのまごなるゆゑに、たうのよをあらためて、たいしうそくてんたいくわうていとしようす。ここにしんかなげきていはく、
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「せんていのかうそうよをけいえいしたまへること、そのこうせき、ここんたぐひなしといひつべし。てんしなきにしもあらず。ねがはくはくらゐをたいしにさづけたまひて、かうそうのこうげふをながからしめたまへ」と。よつてざいゐにじふいちねんにして、かうそうのこ、ちゆうそうくわうていにさづけたまへり。すなはちよをあらためて、またたいたうしんりようぐわんねんとしようす。すなはちわがてうのもんむてんわう、けいうんにねんきのとのみのとしにあたれり。「りやうていのきさきにたちたまふこと、いこくにはそのれいありといへども、ほんてうのせんぎをかんがふるに、じんむてんわうよりこのかたにんわうしちじふよだい、しかれどもにだいのきさきにたちたまへるそのれいをききおよばず」としよきやういちどうにせんぎしまうされけり。ほふわうもこのことをきこしめして、しかるべからざるよし、たびたびまうさせたまひけれども、しゆしやうおほせのありけるは、「てんし
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にぶもなし。わればんじようのほうゐをかたじけなくせむひは、などかこれほどのことえいりよにまかせざるべき」とて、すでにじゆだいのにちこくまで、せんげせられけるうへは、しさいにおよばず。きさきこのこときこしめしてより、たぐひなきことにおぼしめされて、ひきかづきてふしたまへり。おんなげきのいろふかくのみぞみえさせたまひける。まこととおぼえてあはれなり。「せんていにおくれまゐらせられしきうじゆのあきのはじめに、おなじくさばのつゆときえ、いへをもいでてよをものがれたりせば、かかるうきことはきかざらまし。くちをしきことかな」とぞ、おぼしめされける。ちちさだいじんなぐさめまうされけるは、「よにしたがはざるをもつてきやうじんとすといへり。すでにぜうめいをくだされたり。しさいをまうすにところなし。ただひとへにぐらうをたすけさせおはしまさむは、けうやうの
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おんぱからひたるべし。またこのおんすゑにわうじごたんじやうあつて、きみもてんがのこくぼにてもやおはしまさむ。ぐらうもぐわいそぶといはるべき。かもんのえいぐわにてもやさうらふらむ。おほかたかやうのことはこのよひとつのことならぬうへ、あまてるおほんがみのおんぱからひにてこそさうらふらめ」など、やうやうにこしらへまうさせたまひけれども、おんぺんじもなかりけり。ただおんなみだにのみむせばせたまひて、かくぞすさませたまひける。
うきふしにしづみもはてぬかはたけのよにためしなきなをやながさむ K008
よにはいかにしてもれきこえけるやらむ、あはれにやさしきことにぞまうしける。すでにじゆだいのにちじさだまりにければ、ちちおとど、ぐぶのかんだちめ、しゆつしやのぎしき、つねよりもめづらしく、こころもことばもおよばずいだしたてまゐらせ
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たまへり。きさきはものうきおんいでたちなりければ、とみにもいでさせたまはず、はるかによふけ、さよもなかばすぎてぞ、おんくるまにはたすけのせられたまひける。ことさらいろあるおんぞはめさざりけり。しろきおんぞ、じふし、ごばかりぞめされたりける。ごじゆだいののちは、やがておんをかぶらせたまひて、れいけいでんにぞわたらせたまひける。あさまつりごとをすすめまうさせたまふ。せいりやうでんのぐわとのみしやうじにつきをかきたるところあり。こんゑのゐんいまだえうねんのみかどにてわたらせたまひけるそのかみ、なにとなくおんてまさぐりに、かきくもらかさせたまひけるが、すこしもむかしにかはらでありけるをごらんぜられけるに、せんていのむかしのおんおもかげ、おぼしめしいでさせたまひて、おんこころところせきて、
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かくぞおぼしめしつづけさせたまひける。
おもひきやうきみながらにめぐりきておなじくもゐのつきをみむとは K009
このあひだのおんなからへ、あはれにたぐひすくなくぞきこえし。そのころはこれのみならず、かやうのおもひのほかのことどもおほかりけり。かかるほどに、えいまんぐわんねんのはるのころより、しゆしやうにでうのゐん、ごふよのことおはしますときこえしが、そのとしのなつのはじめになりしかば、ことのほかによはらせたまひにき。これによつて、だいぜんのだいぶきのかねもりがむすめのはらに、こんじやういちのみこ、にさいにならせたまふわうじおはしまししを、くわうたいしにたたせたまふべきよしきこえしほどに、ろくぐわつにじふごにち、にはかにしんわうのせんじをくだされて、やがてそのよくらゐをゆづりたてまつらせたまひにき。なにとなくじやうげあわてたりし
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ことどもなり。わがてうのとうたいは、せいわてんわうくさいにて、ちちもんどくてんわうのおんゆづりをうけさせたまひしよりはじまれり。しうくたんのせいわうにかはりつつ、なんめんにして、いちじつばんきのまつりごとをおこなひたまひしになぞらへて、ぐわいそちゆうじんこう、えうしゆをふちしたまひき。せつしやうまたこれよりはじまれり。とばのゐんごさい、こんゑのゐんさんざいにてごそくゐありしをこそ、としとひとおもへりしに、これはわづかににさい、いまだせんれいなし。ものさわがしといへり。
九 えいまんぐわんねんろくぐわつにじふしちにちにしんていごそくゐのことありしに、おなじきしちぐわつにじふはちにちにしんゐんおんとしにじふさんにてうせさせたまひき。しんゐんとはにでうのゐんのおんことなり。おんくらゐさらせたまひてさんじふよにちなり。
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てんがのいうきあひまじはりてとりあへざりしことなり。おなじきはちぐわつなぬかのひ、かうりゆうじにあからさまにやどしまゐらせてのち、かのてらのうしとらにれんだいのといふところにをさめたてまつる。はつでうのちゆうなごんながかたのきやう、そのときだいべんのさいしやうにておはしましけるが、おんはうぶりのごかうをみたてまつりて、
つねにみしきみがみゆきをけさとへばかへらぬたびときくぞかなしき K010
ちゆういんそうづがしうくもこのときのことなり。しちぐわつにじふはちにちいかなるひぞや、さりぬるひとかへらず。かうりゆうじいかなるところぞや、ぎよしゆつありてくわんぎよなき。あはれなりしことどもなり。こんゑのゐんのおほみやはにだいのきさきにたちたまひたりしかども、またこのきみにもおくれまいらせさせたまひしかば、やがておんぐしおろさせたまひけるとぞきこえし。たかきもいやしき
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も、さだめなきよのためし、いまさらにあはれなり。
十 ごさうそうのよ、こうぶくじ、えんりやくじのそうと、がくたてろんをして、たがひにらうぜきにおよべり。こくわうのほうぎよありてみはかへおくりたてまつるときのさほふ、なんぼくにきやうのだいせうのそうとら、ことごとくぐぶして、わがてらでらのしるしにはかうをたて、がくをうつ。なんとにはとうだいじ、こうぶくじをはじめとして、まつじまつじあひともなへり。とうだいじはしやうむてんわうのごぐわん、あらそふべきてらなければ、いちばんなり。にばん、たいしよくくわんたんかいこうのうぢてら、こうぶくじのがくをうちて、なんとのまつじまつじしだいにたちならびたり。こうぶくじにむかひて、ほくきやうには、えんりやくじのがくをうつ。そのほか、やまやまてらでらあなたこなたにたちならびたり。こんどごさうそうのとき、えんりやくじのしゆと
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ことをみだりて、とうだいじのつぎ、こうぶくじのかみにかうをたつるあひだ、やましなでらのかたより、とうもんゐんのしゆとさいこんだうじゆ、とさばうしやうしゆんとまうしけるだうしゆ、さんまいかぶとにさうのこてさして、くろかはをどしのおほあらめのよろひ、くさずりながなるいつしきざざめかして、ちのはのごとくなるおほなぎなたをもつて、あるいはこほりのごとくなるたちをぬきてはしりいでて、えんりやくじのがくをまつさかさまにきりたをして、「うれしやみづ、なるはたきのみづ」とはやして、こうぶくじのかたへいりにけり。えんりやくじのしゆと、せんれいをそむきて、らうぜきをいたせばそくざにてむかひあるべきに、こころぶかくおもふことありければ、ひとことばもいださず。そもそもいつてんのきみ、ばんじようのあるじよをはやくせさせたまひしかば、こころなきさうもくまでも、なほうれひたるいろあさからず
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こそありけむに、かかるあさましきことにて、あるいはちりぢりとして、たかきもいやしきも、たれをうとしもなければ、しはうにたいさんす。あるいはれんだいの、ふなをかやまのみぞにぞおほくはしりいりける。をめきさけぶこゑ、くもをひびかしちをうごかす。まことにおびたたしくぞきこえける。
十一 やまとのくににはりのしやうといふところあり。このしやうのさたによつて、さいこんだうのおんあぶらだいくわんをがはのしらうとほただがうちとどむるあひだ、こうぶくじのじやうかうじじゆうのごしくわいそんをそつして、くだんのはりのしやうへうちいりて、をがはのしらうをようちにす。とさばうしやうしゆんもとよりやまとのくにのぢゆうにんなり。じじゆうのごし、だいしゆをかたらひて、「しやうしゆんをおひこめて、おんさかきのかざりたてまつりてらくちゆうへいれたてまつりて、そうもんをふべし」とて、しゆとらはつかうするところに、しやうしゆんあまたのきようどをそつして、
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かのさかきをさんざんにきりすてけり。だいしゆいよいよほうきしてうつたへまうすあひだ、しやうしゆんをくげよりめすに、あへてちよくにしたがはざるときに、べつたうかねただにおほせて、ごせいだんあるべきよし、しやうしゆんにおほせくださる。これにつきしやうしゆんしやうらくせしむるところに、すなはちかねただにおほせてしやうしゆんをめしとりて、そのときのおほばんじゆ、とひのじらうさねひらにあづけらる。つきひをおくるほどにとひのじらうにしたしくなりたりけるとかや。したがひてまたくげにもごぶさたにておはしましけり。「なんとにはてきにんこはくして、げんぢゆうせむことかたかりければ、かさねてなんとのすまゐもいまはかなふまじ。るにんひやうゑのすけどのこそすゑたのもしけれ」とおもひて、いづほうでうにくだりて、ひやうゑのすけにほうこうしたりけり。こころぎはさるものにてありければ、ひやうゑのすけみをはなたずめしつかはれけり。ひやうゑのすけ、
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ぢしようしねんにゐんぜん、たかくらのみやのれいしをたまはりて、むほんをおこしたまひしとき、しやうしゆん、にもんじにおほかりのもんのはたをたまはり、きりものにてありけるあひだ、ひとのまうしけるは、「かすがのだいみやうじんのばつをかうぶるべかりけるものをや」とまうしけるに、のちにかまくらどのより、「くらうたいふのはうぐわんうて」とて、きやうとへさしのぼせられたりけるに、うちそんじてきたをさしておちけるが、くらまのおく、そうじやうがたによりからめとられて、ろくでうがはらにてかうべをはねられけるとき、「ちそくぞありける、みやうじんのばつはおそろしきことかな」とぞひとまうしける。
十二 おなじきはちぐわつここぬかのひのうまのこくばかりに、さんもんのだいしゆくだるときこえければ、ぶし、けんびゐし、にしざかもとへはせむかひたりけれども、しゆとしんよを
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ささげたてまつりて、おしやぶりてみだれいりぬ。きせんじやうげさわぎののしることなのめならず。うちのくらのかみたひらののりもりのあつそん、ほういにてうゑもんのぢんにさうらはる。「しやうくわう、やまのだいしゆにおほせて、へいぢゆうなごんきよもりをついたうすべきゆゑにしゆとみやこへいる」と、なにもののいひいだしたりけるにや、きこえければ、へいけのいちるいろくはらへはせあつまる。じやうげあわてたりけれども、うひやうゑのかみしげもりのきやうひとりぞ、「なにのゆゑにただいまさるべきぞ」とてしづめられける。しやうくわうおほきにおどろきおぼしめして、いそぎろくはらへごかうなる。へいぢゆうなごんきよもりもおほきにおそりおどろかれけり。さんもんのだいしゆ、せいすいじへおしよせて、やきはらふべきよしきこえけり。さんぬるなぬかのひのくわいけいのはぢをきよめんとなり。せいすいじはこうぶくじのまつじなるゆゑにてぞありける。せいすいじのほふし、
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らうせうをいはずおこりて、ふたてにわかれてあひまちけり。ひとてはたきをのふどうだうにぢんをとる。ひとてはさいもんにぢんをとる。さんもんのだいしゆ、からめではくくめぢ、せいがんじ、うたのなかやままでせめきたる。おほてははりようのくわんおんじまでせめよせたり。やがてばうじやにひをかけたりければ、をりふしにしかぜはげしくて、くろけぶりひがしへふきおほひてければ、せいすいじのほふしひとやをいるにおよばず。しはうにたいさんす。つひにはだいもんにふきつけたり。むかし、さがのてんわうのだいさんのわうじ、かどゐしんわうのきさき、にでうのうだいしやうさかのうへのたむらまろのおんむすめ、しゆんしにようご、ごくわいにんのおんとき、ごさんへいあんならば、わがうぢてらにさんぢゆうのたふをくむべきよし、ごぐわんにてたてさせたまひしさんぢゆうのたふ、くりんたかく
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かかやきしもやけにけり。こやすたふとまうすはこれなり。いかがしたりけむ、たふにてひはきえにければ、ほんだういちうばかりぞのこりける。ここにむどうじのほふしにはうきのりつしやじようゑんといふ、がくしやうだいあくそうのありけるが、すすみいでてせんぎしけるは、「ざいごふもとよりしようなし。まうざうてんだうよりおこる。しんしやうみなもときよければ、しゆじやうすなはちほとけなり。ただほんだうにひをかけてやけや、ものども」とまうしければ、しゆとら、「もつとももつとも」とまうして、ひをともしみだうのしはうにつけたりければ、けぶりくもゐはるかにたちのぼる。かんやうきゆうのいてうのけぶりをあらそふ。いちじがほどにくわいろくす。あさましといふもおろかなり。しゆとかくやきはらひてかへりのぼりければ、ほふわうくわんぎよなりにけり。うひやうゑのかみしげもりも、おんおくりにまゐらる。
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うひやうゑのかみおんともよりかへられたりければ、ちちちゆうなごんきよもりのたまひけるは、「ほふわうのいらせおはしましつるこそかへすがへすもおそれおぼゆれ。さりながら、いささかもおぼしめしより、おほせらるるむねのあればこそ、かやうにももれきこゆらめ。それらにもうちとけらるまじ」とのたまひければ、うひやうゑのかみ、「このことゆめゆめおんいろにも、おんことばにもいでさせたまふべからず。ひとびとこころづきて、なかなかあしきことなり。えいりよにそむきたまはず、ひとのためによくおはしまさば、さんぽうしんめいのごかごあるべし。さらむにとつては、おんみのおそれあるまじ」とてたちたまひぬ。「ひやうゑのかみはゆゆしくおほやうなるものかな」とぞ、ちゆうなごんのたまひける。ほふわうくわんぎよののち、うとからぬきんじゆしやども、ごぜんにさうらひけるなかに、あぜちのにふだうすけかた
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もさうらはれけり。ほふわう、「さるにてもふしぎのこといひいだしつるものかな。いかなるもののいひいだしつらむ」とおほせありければ、さいくわうほふしがさうらひけるが、「てんにくちなし、にんをもつていはせよとて、もつてのほかにへいけくわぶんになりゆけば、てんたうのおんぱからひにて」とまうしければ、「このことよしなし。かべにみみありといふ。おそろしおそろし」とぞ、ひとびとまうしける。さてもせいすいじやけたりけるこうてうに、「くわけうへんじやうちはいかに」と、ふだにかきて、だいもんのまへにたてたりければ、つぎのひ、「りやくこふふしぎ、これなり」と、かへしふだをぞたてたりける。いかなるあとなしもののしわざなるらむと、をかしかりけり。
十三 えいまんぐわんねん、ことしはりやうあんにて、ごけい、だいじやうゑもなし。
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どうねんの十二月廿五日、ひがしのおんかたのおんはらの法皇のみこ、しんわうのせんじかうぶらせ給。今年は五歳にぞならせ給ける。としごろはうちこめられておはしましつるが、いまはばんきのまつりごとわくかたなく法皇きこしめしければ、おんつつしみなし。このひがしのおんかたとまうすは、ときのぶのあつそんのむすめ、とものぶのあつそんのまごなり。せうべんのとのとてさうらはせたまひけるを、法皇時々しのびてめされけるが、わうじくらゐにつかせたまひてのち、ゐんがうありて、けんしゆんもんゐんとぞ申ける。しやうこくのじなんむねもり、かのにようゐんのおんこにせさせ給たりければにや、平家ことにもてなし申されけり。にんあん元年、ことしはだいじやうゑあるべきなれば、てんがそのいとなみなり。どうねん十月七日、きよねんしんわうの
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せんじかうぶらせたまひしわうじ、とうさんでうどのにてとうぐうだちのおんことありけり。とうぐうとまうすはつねはみかどのみこなり。これをばたいしと申。またみかどのおんおととのまうけのきみにそなはらさせたまふことあり。おんおととをたいていと申。それにしゆしやうはおんをひ、わづかに三歳、とうぐうはおんをぢ、六歳にならせ給。「ぜうもくあひかなはず。ものさわがし」といへり。「くわんにん三年にいちでうのゐんは七歳にてごそくゐあり。さんでうのゐん、十三歳にてとうぐうにたちたまふ。せんれいなきにあらず」と、人々まうしあはれけり。
十四 ろくでうのゐん、おんゆづりをうけさせ給たりしかども、わづかに三年にて、どうねん二月十九日、とうぐうたかくらのゐん八歳にてだいこくでんにてせんそありしかば、せんていはわづかに五歳にておんくらゐしりぞかせたまひて、しんゐんと
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まうして、同六月十七日にしやうくわうごしゆつけあり。ごしらかはのほふわうとぞ申ける。いまだごげんぷくなくて、ごどうぎやうにて、だいじやうてんわうのそんがうありき。かんか、ほんてう、これぞはじめなるらむと、めづらしかりしことなり。このきみのくらゐにつかせおはしますは、いよいよ平家のえいぐわとぞみえし。こくぼけんしゆんもんゐんとまうすは、平家の一門にておはしますうへは、とりわきにふだうのきたのかた、にゐどののおんいもうとにておはしましければ、しやうこくのきんだち二位殿のおんはらは、たうぎんのおんいとこにてむすぼほれまゐらせて、ゆゆしかりけることどもなり。へいだいなごんときただのきやうと申は、にようゐんのおんせうと、しゆしやうのごぐわいせきにておはしましければ、ないげにつけたるしつけんのひとにて、じよゐぢもくいげ、くげの
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おんまつりごと、ひとへにこのきやうのさたなりければ、よにはへいくわんぱくとぞ申ける。たうぎんごそくゐののちは、法皇もいとどわくかたなく、ばんきのまつりごとをしろしめされしかば、ゐんうちのおんなか、おんこころよからずとぞきこえし。
十五 ゐんにちかくめしつかはるる、くぎやう、てんじやうびと、げほくめんのともがらにいたるまで、ほどほどにしたがひて、くわんゐほうろくみにあまるほどに、てうおんをかうぶりたれども、ひとのこころのならひなれば、なほあきだらずおぼえて、この入道の一類、くにをもしやうをもおほくふさぎたること、めざましくおもひて、「このひとのほろびたらば、そのくにはさだめてかけなむ、そのしやうはあきなむ」としんぢゆうにおもひけり。うとからぬどしは、しのびつつささやくときもあり
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けり。法皇もないないおぼしめされけるは、「むかしよりいまにいたるまでてうてきをたひらぐるものおほけれども、かかることやはありし。さだもり、ひでさとがまさかどをうち、よりよしがさだたふ、むねたふをほろぼしたりし、よしいへがたけひらをせめたりしも、けんじやうおこなはるること、じゆりやうにはすぎず。清盛がさしてしいだしたることもなくて、かくこころのままにふるまふこそしかるべからね。これもまつだいになり、わうぼふのつきぬるにや」と、やすからずおぼしめされけれども、ことのついでなければ、きみもおんいましめもなし。また平家もてうかをうらみたてまつることもなくてありけるほどに、よのみだれけるこんげんは、
十六 さんぬるかおう二年十月十六日に、こまつのないだいじんしげもりこうのじなん、しん
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ざんゐのちゆうじやうすけもり、ゑちぜんのかみたりしとき、れんだいのにいでてこたかがりをせられけるに、こさぶらひ二三十騎ばかりうちむれて、はひたかあまたすへさせて、うづら、ひばりおひたてて、ひねもすかりくらされけり。をりふしゆきははだれにふりたり、かれののけいきおもしろかりければ、夕日、やまのはにかたぶきて、きやうごくをくだりにかへられけり。そのときはまつどのもとふさせつろくにておはしましけるが、ゐんのごしよ、ほふぢゆうじどのより、なかのみかどひがしのとうゐんのごしよへくわんぎよなりけるに、ろくかくきやうごくにててんがのぎよしゆつに、すけもりはなづきにまゐりあはれたり。ゑちぜんのかみ、ほこりいさみてよをよともせざりけるうへ、めしぐしたるさぶらひども、みな十六七のわかものにて、れいぎこつぽふをわきまへたるものいちにん
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もなかりければ、てんがのぎよしゆつともいはず、いつせつげばのれいぎもなかりければ、せんぐう、みずいじん、しきりにこれをいらつ。「なにものぞ、ぎよしゆつのなるに、らくちゆうにてむまにのるほどのもののげばつかまつらざるは。すみやかにまかりとどまりており候へ」と申けれども、さらにみみにききいれず、けちらしてとほりけり。くらきほどにてはあり、おんともの人々もつやつや入道のまごともしらざりければ、すけもりのあつそんいげむまよりひきおとし、さんざんにせられにけり。はふはふろくはらへにげかへり、「このこと、あなかしこひろうすな」といましめられけれども、かくれなかりけり。入道のさいあいのまごにてはをはしけり。おほきにいかりて、「たとひてんがなりとも、いかでか入道があたりをばはばかりおもひたまはざるべき。をさなきものにさうなくちじよく
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をあたへてをはするこそ、ゐこんのしだいなれ。このことおもひしらせ申さでは、えこそあるまじけれ。かかることよりひとにはあなづらるるぞ。てんがをうらみたてまつらばや」とのたまひければ、こまつのだいふ、「このことゆめゆめあるべからず。重盛なむどがこどもと申さむずるものは、てんがのぎよしゆつにまゐりあひて、むまよりもくるまよりもおりぬこそびろうにて候へ。さやうにせられまゐらするは、ひとかずにおぼしめさるるによつてなり。このことかへりてめんぼくにてあらずや。よりまさ、ときみつていのげんじなむどにあざむかれたらば、まことにちじよくにてもさうらひなむ。かやうのことよりよのみだれともなることにて候。ゆめゆめおぼしめしよるべからず」とのたまひければ、そののちはだいふにはかくとものたまはず。かたゐなかのさぶらひどものこはらかにて、入道殿の
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おほせよりほかにはおもきことなしとおもひて、ぜんごもわきまへぬものども十四五人めしよせて、「きたる廿一日、しゆしやうごげんぷくのさだめに、てんがのさんだいあらむずるみちにてまちうけて、せんぐう、ずいじんらがもとどりきれ」とげぢせられて、またのたまひけるは、「てんがのぎよしゆつにみずいじんにじふにんにはよもすぎじ。ずいじん一人に二人づつつけ。そのなかにさがみのかみみちさだとて、よはひ十七、八ばかりぞあるらむ。かれはともひらしんわうのばつえふにて、ちちもそぶもきこえたるかうのものなり。みちさだもさだめてかうにぞあるらむ。かれにはつはもの十人つくべし」とぞいはれける。そのひになりて、なかのみかど、ゐのくまのへんにて六十余騎のぐんぴやうをそつして、てんがのぎよしゆつをまちかけたり。てんがはかかることありともしろしめさず。しゆしやうのみやうねんのごげん
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ぷくのかくわんはいくわんのために、けふよりおほうちのおんちよくろになぬかさうらはせおはしますべきにてありければ、つねのごしゆつしよりもひきつくろはせたまひて、こんどはたいけんもんよりじゆだいあるべきにて、なにごころもなくなかのみかどをにしへぎよしゆつなりけるに、ゐのくま、ほりかはのへんにて六十余騎のぐんびやうまちうけまゐらせて、いころしきりころさねども、さんざんにかけちらして、うのふしやうたけみつをはじめとして、ひきおとしひきおとし十九人までもとどりをきる。十九人がうち、とうくらんどのたいふたかのりがもとどりをきりけるときは、「これはなんぢがもとどりをきるにはあらず。しゆうのもとどりをきる
なり」と、いひふくめてぞきりける。そのなかにさがみのかみみちさだは、たけたかくいろしろきが、たづなをくりしめてさうをきとみる。つはものよせてひきおと
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さむとしければ、ふところより一尺三寸ありけるかたなの、つかにむまのをまきたるをぬきいだして、むかふかたきのうちかぶとをさしければ、さうなくよするものなし。むまよりとびおりて、かたなをひたひにあてて、つはもののなかをうちやぶり、そばなるこいへにはしりいりけるを、つはものよせてうちとどめむとしければ、たちかへりて刀をもつておもふさまにきりたりければ、とりつかむとしけるもののこひぢを、こてをくはへてつときりおとし、かたをりどをちやうとたてて、うしろへつとにげにければ、つづいてかくるものもなし。かかりければ、みちさだばかりはのがれて、のこりははぢにぞおよびける。てんがは、おんくるまのうちへゆみのはずをあららかにつきいれつきいれしければ、こらへかねておちさせ給て、あやしのたみのいへにたちいらせたまひにけり。せん
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ぐう、みずいじんもいづちかうせにせむ、一人もなかりけり。ぐぶのてんじやうびと、あるいはものみうちやぶられ、あるいはしりがいむながひきりはなたれてくもをちらすがごとくにげかくれぬ。六十余騎のぐんぴやうかやうにしちらして、なかのみかどのおもてにてよろこびのときをはとつくりて、六波羅へかへりにけり。入道は、「ゆゆしくしたり」とかんぜられけり。こまつのないだいじんこのことをききておほきにさはがれけり。「かげつな、いへさだきくわいなり。たとひ入道いかなる不思議をげぢしたまふとも、いかでかしげもりにゆめをばみせざりけるぞ」とて、ゆきむかひたりけるさぶらひども十余人、かんだうせられけり。「およそは重盛などがこどもにてあらむものは、てんがをもおもんじ奉り、れいぎをもぞんじて
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こそあるべきに、いふかひなきわかきものどもめしぐして、かやうのびろうをげんじて、ふそのあくみやうをたつるふけうのいたり、ひとりなんぢにあり」とて、ゑちぜんのかみをもいましめられけるとかや。そうじてこのおとどはなにごとにつけてもよきひととぞ、よにもひとにもほめられ給ける。そののち、てんがのおんゆくゑしりまいらせたるものなかりけるに、おんくるまぞひのこらうのものに、よどのぢゆうにんいなばのさいつかひくにひさまると申けるをとこ、げらふなりけれども、さかざかしかりけるものにて、「そもそもわがきみはいかがならせたまひぬらむ」とて、ここかしこたづねまいらせけるに、てんがはあやしのたみのいへのやりどのきはにたちかくれて、おんなほしもしほしほとしてわたらせ給けり。くにひさまるただ一人、しりが
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ひ、むながひむすびあはせて、おんくるまつかまつりて、これよりなかのみかどどのへくわんぎよなりにけり。そのおんぎしき、こころうしともおろかなり。せつしやうくわんぱくのかかるうきめをごらんずること、昔も今もためしありがたくこそありけめ。これぞ平家のあくぎやうのはじめなる。あけぬるひ、にしはつでうのもんぜんにつくりものをぞしたりける。ほふしのひきこしがらみて、なぎなたをもつてものをきらんとするけいきをつくりたり。またまへにいしなべにけだちしたるものをおきたり。だうぞくなんによ、もんぜんいちをなす。されどもこころうる者一人もなし。「こは何事ぞ」といふところに、とし五十あまりばかりなるらうそうさしよりて、うちみて申けるは、「これはよべの事をつくりたるにや」と申せば、「それは何事
ぞ」と
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いふに、「よべてんがのぎよしゆつなりけるを、平家のさぶらひ、おほひのみかどゐのくまにてまちうけまいらせて、さんざんとおひちらして、御車くつがへしし、せんぐう、みずいじん、もとどりをきられたりけるをつくりたり。これをこそ、『むしものにあふてこしがらむ』とまうすは」といひければ、いちどうにはとわらひけり。いかなるあとなし者のしわざなるらむと、をかしかりける事共なり。十七 さて、せんぐうしたりけるくらんどのたいふたかのりは、あやなくもとどりきられたりければ、いかにすべきやうもなくて、しゆくしよにかへりてひきかづきてふしたりけるが、にはかに、「おほとのゐのあやをりがうちに、めあかくてききたる、二人ばかりきとめしてまゐらせよ」といひけ
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れば、さいしども、「なにやらむ」とおぼつかなくおもひけるところに、ほどなくめして参けるを、さいしけんぞくにもみせず、ひとまなる所にこもりゐて、きられたりけるもとどりを、かづらをたをしていちやのうちにむすびつがせて、くらんどどころに参りて申けるは、「いやしくもぶしにうまれて、かたのごとくのゆみやをとりぢゆうだいまかりすぐ。そのひしかるべきふしやうにあひたり。しかるにみにそくたいをまとひ、つめきるほどのこがたなていの物をもみにしたがへず。人にてをかくるまでこそなくとも、あたる所のくちをしきめをみむよりは、じがいをこそつかまつるべかりしかどもかなはず。あまつさへもとどりきられたりといふふじつさへいひつけられ、ゆみやとるもののしぬべき所にてしなざるがいたすところ也。
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すなはちよをものがれいへをもいづべけれども、さうなく出家したらば、『もとどきられたる事はいちぢやうなり』と、さたせられむ事、しやうじやうせせのかきん也。今いちどたれたれにもたいめん申さむとぞんじて参たり。ただしなましひに人なみなみによにたちまじはればこそ、かかるふじつをもいひつけらるれ。おもひたちたることあり」とて、ふところより刀をとりいだしてもとどりおしきりて、みだしがみにえぼしひきいれて、そでうちかづきてまかりいづるこそ、かしこかりけるしわざなれ。廿二日にせつしやうどのは法皇におんまゐりありて、「かかる心うきめにこそあひて候へ」と、なげきまうさせ給ければ、法皇もあさましとおぼしめして、「このよしをこそ入道にもいはめ」とぞおほせありける。入道もれきき、
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「入道が事をゐんにうつたへまうされたり」とて、又しかりののしりけり。てんがかく事にあはせ給ければ、廿五日、ゐんのてんじやうにてぞ、ごげんぷくのさだめはありける。さりとてさてあるべきならねば、せつしやうどのは十二月九日、かねてせんじかうぶらせたまひて、十四日にだいじやうだいじんにならせ給。これはみやうねんごげんぷくのかくわんのれうなり。おなじき十七日ごはいがあり。ゆゆしくにがりてぞありける。大政入道だいにのむすめきさきだちのおんさだめあり。今年十五にぞなりたまひける。けんしゆんもんゐんのいうしなり。
十八 めうおんゐんのにふだうどの、そのときは内大臣の左大将にておはしましけるに、だいじやうだいじんにならせ給はむとて、だいしやうをじしまうさせ給けるを、ご
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とくだいじの大納言さねさだ、いちの大納言にておはしましけるが、りうんにあててなりたまふべきよしきこえけり。そのほか、くわさんのゐんの中納言かねまさのきやうもしよまうせられけり。とののさんゐのちゆうじやうもろいへのきやうなどまうす、おんとしの程はむげにをさなくおはしませども、なりたまはむずらむと、せけんにはまうしあひけるほどに、こなかのみかどのちゆうなごんいへなりのきやうのさんなん、しんだいなごんなりちかのきやう、ひらにまうされけり。院のごきしよくよかりければ、さまざまのいのりをはじめて、さりともとおもはれけり。このこときせいの為には、あるそうをはちまんにこめて、しんどくのだいはんにやをよませられけるに、はんぶんばかりよみたりけるときに、かはらのだいみやうじんのおんまへなりけるたちばなのきに、やまばとふたつきたりてくひあひてしににけり。はとはだいぼさつのじしやなり。みやじ「かかる不思
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議なし」とて、べつたうしやうじやう、事のよしくげにそうもんしたりければ、じんぎくわんにてみうらあり。「てんし、大臣のおんつつしみにあらず。しんかのおんつつしみ」とぞ、うらなひ申ける。是のみならず、かものかみのやしろに七ヶ日、かもみおやのやしろに七ヶ日しのびて、かちのひまうでをして、ひやくどせられけり。「きみやうちやうらいわけいかづちだいみやうじん、しよしうなふじゆして、しよきにこたへたまへ」といのられけるに、第三日にあたるよる、まうでてげかうし給て、なかのみかどのしゆくしよに、あしやうふしたまひたりけるよるのゆめに、うへのおんまへにさうらふとおぼしきに、かみかぜ心すごくふきおろして、ごほうでんのみとをきつとおしひらかれたりけるに、ややしばらくありて、ゆゆしくけだかきにようばうのみこゑにて、一首のうたをぞえいぜられける。
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さくらばなかものかはかぜうらむなよちるをばえこそとどめざりけれなりちかのきやう、むちゆうにうちなげきておどろかれけり。これにもはばからず、かみのやしろにはにんわじのしゆんげうほふいんをこめて、しんごんひほふをおこなひけり。しもわかみやにはみむろどのほふいんをこめて、だきにてんをおこなはれけるほどに、七日にみつるよる、にはかにてんひびきちうごくほどのおほあめふり、おほかぜふきて、いかづちなりて、ごほうでんのうしろのすぎのきにいかづちおちかかり、てんくわもえつきて、わかみやのやしろやけにけり。かみはひれいをうけ給はねば、かかるふしぎいできたりにけるにや。なりちかのきやう、是にもおもひしらざりけるこそあさましけれ。
十九 さるほどに、かおう三年正月三日、しゆしやうごげんぷくせさせたまひて、十
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三日てうきんのぎやうがうとぞきこえし。ほふわう、にようゐんは御心もとなくまちうけまゐらせ給ふ。しんくわんのおんすがたもらうたくぞわたらせ給ける。三月にはにふだうしやうこくの第二の御娘、にようごにまゐりたまひて、ちゆうぐうのとくしとぞ申ける。ほふわうごいうしのぎなり。七月にはすまふのせちあり。重盛みぎにつらなりをはしければ、「こんゑのだいしやうにいたらむからに、ようぎ、しんだいさへ人にすぐれ給へるは」と、申あひけるとかや。「かやうにほめたてまつりて、せめての事にや、まつだいにさうおうせで、おんいのちやみじかくおはせむずらむ」と申あひけるこそ、いまはしけれ。おんこたち、たいふ、じじゆう、うりんなどいひて、あまたおはしましけるに、皆いうにやさしくはなやかなる人にておはしましける上、だいしやうは心ばへよき人にて、しそくたちにも
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しいかくわんげんをならひ、事にふれ、よしある事をぞすすめをしへられける。
廿 さるほどに、このごろのじよゐ、ぢもくは平家の心のままにて、くげ、ゐんぢゆうのおんぱからひまでもなし。摂政、関白のせいばいにてもなかりければ、ぢしよう元年正月廿四日のぢもくにとくだいじどの、くわさんのゐんのちゆうじやうどのもなりたまはず。いはむや新大納言、おもひやよるべき。入道のちやくし重盛、うだいしやうにておはしまししが、左にうつりて、じなん宗盛、中納言にておはしけるが、すはいのじやうらふをこえて右にくはへられけるこそ、まうすはかりなかりしか。ちやくし重盛のだいしやうになりたまひたりしをこそ、ゆゆしき事に人おもへりしに、じなんにてうちつづきならびたまふ、よには又人ありともみえざりけり。
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廿一 なかにもとくだいじ、いちのだいなごんにて、さいかくいうちやうし、いへぢゆうだいにてこえられたまひしこそふびんなりしか。「さだめてごしゆつけなどやあらむずらむ」とよのひとまうしあひけれども、「このよのなかのならむやうをもみはてむ」とおもひたまひければ、ろうきよしたまひて、「今はよにありてもなにかせむ。本鳥をもきりて、さんりんにもまじはりて、いつかうまことのみちにいらむ」とのたまへば、げんくらんどのたいふすけもとなげきまうしけるは、「平家、しかいをうちたひらげて、てんがをたなごころににぎり、ばんじおもふさまなる上、せつしやうくわんぱくに所ををかずちじよくをあたへ奉り、ばんきのまつりごとを心のままにとりおこなはる。ひれいひほふちやうぎやうする平家のふるまひをうらみさせ給はば、おほくのあをにようばうたちみながしし候はんずらむ事こそくちをしく候へ。よははかりことにてこそ候へ。
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大政入道のことにあがめたまふ、あきのくにのいちのみや、いつくしまへごさんけいあるべく候。だいしやうのおんきたうの為にごさんろうわたらせ給はば、そのみこをばないしと申候、おほくまゐりて候はば、しゆじゆのおんひきでものたびて、もてなさせおはしませ。さておんげかうあらば、さだめてないしどもおんおくりにまゐりさうらはむずらむ。やうやうにすかして、ないし四五人あひともなはせおはしまして、京へおんのぼりさうらへ。ないし、京にてさだめてだいじやうにふだうどののげんざんにいりさうらはんずらむ。『なにしにのぼりたるぞ』ととひたまはば、ないしどもありのままに申さば、『わがたのみたてまつるところのいつくしまのだいみやうじんにまゐりたまひたりけるごさむなれ。いかでかかみのごゐくわうをばうしなひまゐらすべき。だいしやうにまゐらせよ』とて、いちぢやうまゐりさうらひぬとぞんじさうらふ。かやうにおん
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ぱからひやあるべく候らむ。徳大寺をこのおんときうしなはせ給はむ事、くちをしくさうらふ」と、なくなくこしらへ申ければ、げにもとやおぼしめされけむ。御心ならず、いつくしまへおんまうであり。あんのごとく内侍共つどひたりければ、しゆじゆのおんひきでものたびて、さまざまにもてなし給けり。かくてなぬかのごさんろうありて、おんげかうあるところに、内侍共なごりををしみまゐらせて、ひとひおくりまゐらせけり。つぎのひかへらむとするに、とくだいじどのおほせのありけるは、「なさけなし。ないしたち、いまひとひおくれかし」とのたまひければ、「うけたまはりぬ」とまうして、おくり奉る。つぎのひかへらむとする処、又いろいろのおんひきでものたびて、「ややないしたち、都をたちいでて、おほくの国々をへだてて、なみぢをわけて参たるこころざしは、いかばかりとかおもふ。されば、「だいみやうじんおん
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なごりをしくおもひまゐらするに、内侍達の是までおくり給たるは、しかしながら
大明神のごなふじゆとあふぎてかたみをとる。そのうへは只今ひきわかれ給はむ事あまりになごりおしきに、いまひとひおくれかし」と宣へば、「承ぬ」とて、又参にけり。「いまひとひいまひとひ」と宣ふ程に、内侍もさすがにふりすてがたくて、都ちかく参にけり。徳大寺殿の宣けるは、「内侍、さすがにみやこはちかく、われらがほんごくはとほくなりたり。おなじくはいざ都へ。きやうづとばしもとらせむ」と宣へば、「承ぬ」とて、内侍十人きやうへのぼる。「このうへは又大政入道殿のげんざんにいらざらむ事もおそれあり」とて、内侍共入道殿へさんじけり。いであひてたいめんし給けるに、入道宣けるは、「なにしにのぼりたるぞ」ととひ給ければ、「徳大寺殿、
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だいしやうこえられたまひて、そのおんなげきにごろうきよさぶらひけるが、ごしゆつけありて、ごしやうぼだいのおんつとめせむとおぼしめしたちてさぶらひけるが、『まことや、いつくしまの大明神こそ現弁もあらたにわたらせ給なれ。このこときせいしてかなはずは、御出家あるべき』にて、おんまうでさぶらひて、ごさんろうのあひだ、御心いうにわりなくわたらせ給ふ。内侍共にもいろいろのおんひきでものたびて、おんなさけふかくわたらせ給ふ程に、おんなごりおしみまゐらせて、ひとひおくりまゐらせてさぶらへば、いまひとひいまひとひとておくりまゐらせさぶらひつる程に、京まで参てさぶらふ。のぼる程にては、いかでか又げんざんにいらざるべきとて、参てさぶらふ」と申ければ、入道殿、「いちぢやうか」、内侍達、「さむざうらふ」と申ければ、「いとほしいとほし。さてはいつくしまへおんまうでありけるごさむなれ。じやうかい、
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だいみやうじん権現をふかくそうきやうし奉る。いかでかごんげんのごゐくわうをばうしなひ奉るべき。重盛だいしやうにあげよ」とて、大将へおしあげて、徳大寺殿を左大将になし奉る。
廿二 さてしんだいなごんなりちかのきやうおもはれけるは、「とののちゆうじやうどの、徳大寺殿、くわさんのゐんにこえられたらばいかがせむ、平家のじなんにこえられぬるこそゐこんなれ。いかにもして平家をほろぼして、ほんまうとげむ」ともふおもふ心つきにけるこそ、おほけなけれ。ちちのきやうは中納言までこそいたりしに、そのこにてくらゐじやうにゐ、くわんだいなごん、としわづかに四十四、だいこくあまたたまはりて、かちゆうたのしく、しそくしよじゆうにいたるまでてうおんにあきみちて、なにのふそくありてか、今かかるこころのつきにけむ。是もてん
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まのいたす所也。のぶよりのきやうの有様をまのあたりみしひとぞかし。そのときこまつのおとどのおんをかうぶりて、くびをつがれし人にあらずや。うとき人もいらぬ所にてひやうぐをととのへあつめ、しかるべきものをかたらひて、このいとなみよりほかはたじなかりけり。ひがしやまにししのたにといふところは、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんがりやう也。くだんのところは、うしろはみゐでらにつづきて、よきじやうなりとて、「かしこにじやうくわくをかまへて、平家をうちてひきこもらむ」とぞしたくしける。ただのくらんどゆきつな、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわん、あふみのにふだうれんじやうぞくみやうなりまさ、やましろのかみもとかぬ、しきぶのたいふまさつな、へいはんぐわんやすより、そうはんぐわんのぶふさ、しんぺいはんぐわんすけゆき、さゑもんのにふだうらをはじめとして、ほくめんのげらふあまたどういしたりけり。平家をほろぼす
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べきよりきの人々、新大納言をはじめとして、つねによりあひよりあひだんぎしけり。法皇も時々いらせたまひて、きこしめしいれさせ給。まいどしゆんくわんがさたにて、おんまうけていねいにしてもてなしまゐらせて、ごえんねんある時もありけり。あるとき、かの人々俊寛がばうによりあひて、ひねもすにしゆえんしてあそびけるに、さかもりなかばになりてよろづきようありけるに、ただのくらんどがまへにさかづきながれとどまりたり。新大納言、せいしいちにんまねきよせてささやきければ、程なくきよげなるながぴついちがふ、えんのうえにかきすへたり。じんじやうなるしろぬの五十たんとりいだして、やがてただの蔵人がまへにおかせて、大納言めかけて、「ひごろだんぎしまうしつる事、たいしやうにはいつかうごへんをたのみたてまつる。そのゆぶくろのれうにまゐらす。
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今いちどさうらはばや」といひたりければ、ゆきつなかしこまりて、ぬのにてうちかけておしのけければ、郎等よりてとりてけり。そのころじやうけんほふいんと申ける人は、こせうなごんにふだうしんせいがしそくなり。ばんじおもひしりてふるまふひとにてありければ、へいしやうこくもことにもちゐて、よのなかのことども時々いひあはせられけり。法皇のおんけしきもよくて、れんげわうゐんのしゆぎやうにもなされなどして、てんがのおんまつりごとつねにおほせあはせられけるに、「さてもこのことはいかがあるべき」と、法皇おほせのありければ、「この事ゆめゆめあるべからずとおぼえ候。今は人おほくうけたまはりさうらひぬ。いかがし候べき。只今てんがのだいじいできさうらひなむず。わがきみはてんせうだいじん七十二代、だいじやうほふわうのそんがうにてござさうらふといへども、わうぽふのよすゑになり、きよもりまたてうか
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にさかり也。それとまうすは君のごおんならずといふ事なし。しかるにてうてきをたひらぐる事たびたびなり。さればなにをもつて、清盛をばうしなはせ給候べき」と、はばかるところなくまうされければ、なりちかのきやうけしきかはりてたたれけるが、ごぜんなるへいじをかりぎぬのそでにかけてたふしたりけるを、法皇、「あれはいかに」とおほせありければ、「とりあへずへいじすでにたふれて候」と、まうされたりければ、法皇おんえつぼにいらせをはしまして、「やすよりまゐりてたうべんつかまつれ」とおほせありしかば、やすよりがのうなれば、ついたちて、「およそちかごろはへいじがあまりおほく候て、もてえひて候」と申たりければ、なりちかのきやう、「さてそれをばいかがすべき」とまうさる。やすより、「それをばくびをとるにはしかず」とて、へいじのくびをとりていりにけり。法皇もきようにいらせ給て、ちやく
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ざの人々もえみまげてぞわらはれける。じやうけんほふいんばかりぞ、あさましとおもひて、ものものたまはず、こゑをもいだされざりける。かのやすよりはあはのくにのぢゆうにんにて、しなさしもなき者なりけれども、しよだうにこころえたる者にて、君にちかくめしつかはれまゐらせて、けんびゐしごゐのじようまでなりにけり。ばつざにさうらひけるをめしいだされけるも、時にとりてはめんぼくとぞみえし。つちのあなをほりていふなる事だにももるといへり。ましてさほどのざせきなれば、なじかはかくれあるべき。そらをそろしくぞおぼゆる。かのしゆんくわんはこでらのほふいんくわんがこ、きやうごくのだいなごんまさとしがまごなり。さしてゆみやとるいへにあらねども、かの大納言ゆゆしく心のたけくはらあしき人にておはしましければ、きやうごくのいへのまへをば人をもたやすくとをさず、つねにはをくひし
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ばりて、いかりておはしましければ、人、「はぐひの大納言」とぞ申ける。かかりし人のまごなればにや、この俊寛もそうなれども、心たけくおごれる人にて、かやうの事にもくみせられたりけるにや。なかんづく、このしゆんくわんそうづとなりちかのきやうとことさらにしたしくむつびける事は、新大納言のうちに、まつ、つるとて二人のびぢよありけり。俊寛、かの二人をおもひてかよひける程に、つるは今すこしようばうはまさりたり、まつはすこしおとりたれども、心ざまわりなかりければ、まつにうつりてしそく一人まうけたりけるゆゑに、大納言もへだてなくうちたのみかたらひけるあひだ、よりきしたりける也。三月五日、ぢもくに内大臣もろながこう、大政大臣にてんじ給へるかはりに、左大将重盛、大納言さだふさのきやうをこえて、内大臣になられにけ
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り。ゐんのさんでうどのにてだいきやう行はる。こんゑのだいしやうになりたまひし上は、しさいにおよばねども、又うぢの左大臣のごれい、はばかりあり。又大政入道心もとなげにいはれければ、「由なし」と、おほせられけるとかや。
廿三 ごでうの中納言くにつなのきやう、大納言にならる。とし五十六、いちの中納言にておはしましけれども、第二にてなかのみかどの中納言むねいへのきやう、第三にてくわさんのゐんのちゆうなごんかねまさのきやう、このひとびとのなりたまふべかりけるをとどめて、くにつなのきやうのなられける事は、大政入道、ばんじおもふさまなるゆゑ也。このくにつなのきやうは中納言かねすけのきやうのはちだいのばつえふ、しきぶのたいふもりつながまご、さきのうまのすけなりつながこなり。しかるにさんだいはくらんどにだにもならず、じゆりやう、しよしのすけなどにてありけるが、しんじのざつしきとてこんゑのゐんのおん
とき、ちかく
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めしつかはれけるが、さんぬるきうあん四年正月七日、いへをおこしてくらんどのとうになりにけり。そののちしだいになりあがりて、ちゆうぐうのすけなどまではほつしやうじどのごすいきよにてありし程に、ほつしやうどのかくれさせたまひてのち、大政入道にとりいりて、さまざまにみやづかひける上、ひごとになににてもいつすをたてまつられければ、「しよせん、げんぜのとくい、この人にすぎたる人あるまじ」とて、しそくいちにん入道のこにして、つねくにとまうしつけてじじゆうになされぬ。三位の中将しげひらをむこになしてけり。のちには中将、うちのおんめのとになられたりければ、そのきたのかたをばははしろとて、だいなごんのてんしとぞ申ける。〔ほくめんは〕しやうこにはなかりけり。しらかはのゐんのおんときはじめておかれて、ゑふどもあまたさうらひけり。なかにもためとし、もりしげ、わらはより、せんじゆまる、いまいぬまるなどとて、きりものにて
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ありけり。千手丸はもとはみうらの者也。のちはするがのかみになさる。今犬丸はすはうのくにのぢゆうにん、のちはひごのかみとぞ申ける。とばのゐんのおんときも、すゑのり、すゑよりふしちかくめしつかはれて、てんそうするおりもありときこえしかども、みなみの程をばふるまひてこそありしに、このおんときのほくめんのものどもはことのほかにくわぶんして、くぎやう、てんじやうびとをも物ともせず、れいぎもなかりけり。げほくめんよりじやうほくめんにうつり、上北面より又てんじやうをゆるさるるものもありけり。かくのみあるあひだにおごれる心ありき。かのすゑのりと申はげんざゑもんのたいふやすすゑがしそく、かはちのかみこれなり。すゑよりはすゑのりがこ也。たいふのじようといふも、是也。そのなかにこせうなごんのにふだうのもとにもろみつ、なりかげといふ者ありけり。こでい人わらは、もしはかくごしやにて、けしある
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ものどもなりけれども、さかざかしかりけるあひだ、院のおんめにかかりてめしつかはれけり。もろみつはさゑもんのじよう、なりかげはうゑもんのじように、二人いちどになりたりけり。少納言の入道の事にあひし時、ににんともに出家して、おのおのなのりの一字をかへず、さゑもんの入道はさいくわう、うゑもんの入道はさいきやうとぞいひける。二人ながらみくらのあづかりにてめしつかはれけり。西光がこ、もろたかもきりものにてありければ、けんびゐしごゐのじようまでなりにけり。
廿四 あんげん二年十一月廿九日、かがのかみににんじて、こくむをおこなふあひだ、さまざまのひれいひほふちやうぎやうせしあまり、じんじや、ぶつじ、けんもんのしやうりやうをもたふし、さんざんのことどもにてぞありける。たとひせうこうがあとをつたふとも、をんびん
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のまつりごとをこそおこなふべかりしに、よろづ心のままにふるまひしゆゑにや。おなじき三年八月に、しらやまのまつじにうかはといふやまでらにいでゆあり。かのゆやにもくだいがむまをひきいれてゆあらひしけるを、てらのこぼふしばら、「わうごよりこのところにむまのゆあらひのれいなし。いかでかかかるらうぜきあるべき」とて、しらやまのちゆうぐう、はちゐんさんじやのそうちやうりちしやく、かくめいらをちやうぼんとして、もくだいのひさうの馬のををきりてけり。もくだい是をおほきにいかりて、すなはちかのうかはへおしよせて、ばうじやいちうものこさず、やきはらひにけり。うかはしらやまはちゐんのだいしゆ、こんたいばうたいしやうぐんとして、五百騎にてかがのこくふへおひかかる。つゆふきむすぶあきかぜはよろひのそでをひるがへし、くもゐをてらすいなづまはかぶとのほしをかかやかす。かくてかうだうにたてごもり、
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ちやうへつかひをたてたれば、目代ひがことしつとやおもひけむ、ちやうにはしばしもたまらずしてにげのぼりにけり。うかはのだいしゆどもちからおよばずしてせんぎしけるは、「しよせんほんざんのまつじなり。ほんざんへうつたへまうすべし。もしこのそしようかなはずは、われらながくしやうどにかへるべからず。」「もつとももつとも」とて、じんずいをのみいちどうして、しんよをやがてふりあげたてまつるあひだ、あんげん三年二月五日うかはをたちて、ぐわんじやうじにつき給ふ。おんとものたいしゆ一千余人也。願成寺よりおなじき六日、ほとけがはら、かなつるぎのみやへいり給ふ。ここにおいていちりやうにちとうりうす。
廿五 おなじきここのかのひ、るすどころよりてふじやうあり。ししやにはくすのきじらうたいふのりつぎ、たんだの二郎大夫ただとしら也。かのてふじやうにいはく、るすどころのてふ、しらやまのみやのしゆとのが
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はやくしゆとのさんらくをちやうじせられんとほつすることてふす、しんよをふりたてまつりて、しゆとさんらくをくはたてて、そしようをいたさしむ。ことのおもむきおもからざることなきにあらず。これによつてざいちやうただとしをさしつかはして、しさいをたづねまうすをところに、いしゐのほつけううつたへまうさんがために、さんらくせしめむとへんたふありとうんうん。このでうあにしかるべからず。いかでかせうじによつて、おほかみをうごかしたてまつるべきをや。もしくにのさたとしてさいきよしたるべきそしようかてへれば、げじやうをたまはりてまうしあぐべきなり。こふや、じやうをさつしてもつててふす。
安元三年二月九日 さんゐのあつそん
さんゐのあつそん
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さんゐのあつそん
もくだいみなもとのあつそんざいはん
とぞかきたりける。これによつて、しゆとのへんてふにいはく、しらやまちゆうぐうのだいしゆまんどころへんてふところのがらいてふいつしにのせおくらるる、しんよごしやうらくのことてふす、こんげつここのかのてふ、どうにちたうらいす。じやうによつてしさいをあんずるに、しんめいわがふしまします。しかるにきちにちをてんぢやうして、たびぢにしんぱつす。つぎにじんりきをもつてこれをせいばいすべからず。みやうりよあにこれをおそれざらんや。よつてごにちをもつててふへんのじやうにまかするしさいのじやうくだんのごとし。
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あんげん三年二月九日 ちゆうぐうのだいしゆら
廿六 おなじきとをかのひ、ほとけがはらをいでてすいづへさしたまふ。同日またるすどころよりつかひ二人あり。さいしよのたいふなりさだ、きつじらうのたいふのりつぎら、のしろやまにて大衆のごぢんにくだんのつかひおひつきたり。すなはちらくばしぬればむまのあしをれたり。是をみてしゆといよいよしんりきをとる。同十一日にににんのつかひすいづにたうらいす。あへてへんてふなし。ことばをもつてししやしんよをとどめたてまつるといへども、事ともせずしやうらくす。そのときのくわんじゆはろくでうのだいなごんみなもとのあきみちのおんこ、こがのだいじやうだいじんのおんまご、めいうんそうじやうにておはす。もんぜきのだいしゆ三十余にん
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をさしくだし、つるがのなかやまにてしんよをとどめたてまつる。つるがのつ、かねがさきのくわんおんだうへいれたてまつりて、しゆごしけり。
廿七 しらやまのしゆとら、さんもんへてふじやうをつかはす。そのじやうにいはく、きんじやうえんりやくじごじてふしらやまのしんよをさんじやうにあげたてまつりもくだいもろつねのざいくわをさいきよせられむとほつすることみぎ、しさいをごんじやうせしむといへども、いまにさいほうをかうぶらざるあひだ、しんよごじゆらくのところ、よくりうのでう、これいつさんのだいそなり。つらつらことのこころをあんずるに、しらやまはしきぢありといへども、これしかしながらさんぜんのしやうぐなり。めんでんありといへども、たうにんいうめいむじつ
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なり。これによつて、ぶつじんのことだんぜつけんぜんなり。よつてたうねんのはつかう、さんじつかう、おなじくもつてだんぜつす。わがやまは、これだいひごんげん、わくわうどうぢんのそいさうらふ。ちかごろかたじけなくもむかひはいするやからまたもつてだんぜつす。このときにあたりてふかきなげきせつなり。しかれば、しんよをふりたてまつり、ぐんさんをくはたつるところなり。ながくきやうこうのさかえをわすれ、ごしやくのこうしよう、いたづらにくわうこんのつとめをひびかす。たれかみやうだうのとくをあきらかにせむ。じんりんにありてめいちのようふかきなり。なんぞまつたくしやうらいのきつきようをあらはさざらむや。ごんげんのごじげんこれあり。しかればすなはちせいはふにかかはらずして、すでにつるがのつにつかしむ。ごじてふのじやうにまかせて、しんよしやうらくのぎをとどめむ。ごさいほうをまつべきじやう、くだんのごとし。
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あんげん三年二月廿日 しゆとら
とぞかきたりける。
廿八 同廿一日、せんたうらこのじやうをとりてかへりのぼるあひだ、さいきよをあひまつところに、かさねてししやきたりていはく、「しやうらくせられたりといふとも、ごさいきよあるべからず。そのゆゑは、ゐんのみくまのまうでなり。おんげかうののち、しやうらくせらるべし」とて、かのしんよをうばひとりたてまつり、かねがさきのくわんおんだうにいれたてまつりて、だいしゆ、みやじ、せんたうら、是をしゆごしたてまつる。しらやまのしゆと、ひそかにしんよをぬすみとりたてまつりて、つるがのなかやまみちへはかからで、あづまぢにかかり、いるのやまをこえ、やながせをとほり、あふみのくにかふだのはまにつく。それよりふねにみこしをかきのせ奉て、ひがしざかもとへいれたてまつらむとほつす。をりふしたつみのかぜはげしくふきて、かいしやうしづかならずして、こまつがはまへふきよせられ
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たまひけり。それよりひがしざかもとへしんよをふりあげたてまつる。さんもんの衆徒、さんたふくわいがふしてせんぎしけるは、「まつしやのしんよおろそからならず、ほんじやのごんげんのごとし。まつじのそういやしからず、ほんざんのたいしゆにおなじ。いかでか訴訟をききいれざるべき」といちどうにせんぎして、ひよしのやしろにはしらやまをばまらうとといはひたてまつりたれば、はやまつのしんよをばまらうとのみやにやすめたてまつりて、さんもんのだいしゆら、ゐんのくまのまうでのごきらくをぞあひまちける。
廿九 さるほどにゐんおんげかうあり。しらやまのしゆとら、「そしようかくのごとし。げにこのこともだしがたくさうらふや。しからば、もろたかをるざいにおこなはれ、もろつねをきんごくせらるべき」よし、そうもんせしに、ごさいきよおそかりしかば、大政大臣、さうのだいじんいげ、さもしかるべきくぎやうたちは、「あはれ、とくごさいきよあるべき
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ものを。山門の訴訟は昔よりたにことなる事也。おほくらのきやうためふさ、ださいのごんのそつすゑなかはてうかのちようしんなりしかども、大衆の訴訟によつてるざいせられにき。ましてもろたかなどが事はもののかずならず。しさいにやおよぶべき」と、ないないはまうされけれども、ことばにあらはれてそうもんのひとなし。たいしんはろくをおもんじてまうされず、せうしんはつみをおそれていさめずといふことなれば、おのおのくちをとぢ給へり。そのときのげんにんのくぎやうには、かねざね、もろながをはじめとして、さだふさ、たかひでにいたるまで、みをわすれていさめ奉り、ちからをつくしてくにをたすくべき人々にてをはしける上、ぶゐをかかやかしててんがをしづめし入道のしそく重盛など、しくやのきんらうをつつみてをはせしに、かれといひ、これといひ、もろ
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たかひとりにはばかりて、心にかたぶけながらことばにはいさめまうされざりける事、君につかふるほふ、あにそれしかるべけむや。「せんしやのくつがへるをたすけずは、こうしやのまはるをあにたのまんや」とこそ、せうがをばたいそうはおほせられけれ。おそらくは君もくらくおぼえさせ給べきにあらず、しんもはばかりあひ給べき人々にやをはせし。いかにいはむや、くんしんの国にをいてふや、けんせいのまつりごとひがまむにをいてふや。「かもがはのみづ、すごろくのさい、やまほふし、これぞわがこころにかなはぬもの」と、しらかはのゐんはおほせありけるとかや。さればとばのゐんのおんとき、へいせんじをもつてをんじやうじにつけらるべきよし、そのきこえあり。さんもんのしゆとたちまちにさうどうしてそうじやうをささげ申す。そのじやうにいはく、
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卅 えんりやくじのしゆとらのげ、ゐんのちやうさいをこふことまげておんじゆつをたれ、おうとくのじてふにまかせて、しらやまへいせんじをもつて、ながくたうざんのまつじたらむとこふじやうみぎつつしみてあんないをかんがふるに、さんぬるおうとくぐわんねん、しらやまのそうら、かのへいせんじをもつて、たうざんのまつじにきしんず。ときに、ざすりやうしん、よせぶみのむねにまかせて、じてふをなしてかのやまにつけをはんぬ。しかしてよりこのかた、そうりよのそしようなきによつて、しゆとのさたにおよばず。しかるあひだ、いんじはる、かのやまのぢゆうそうらきたりて、たうざんにうつたへていはく、「これえんりやくじのまつじなり。おうとくのじてふ、もつともしようげんにたれりと」うんうん。かくしゆう
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かのべつたうのしきにまかせて、ひほふらんぎやうひをおひてばいぞうし、うれひをつみてまくらとす。けつくたうざんをもつて、をんじやうじのまつじとなさむとほつすとてへり。たうざんもとよりほんじなきにあらず。なかんづくひよしのまらうとのみやは、しらやまのごんげんなり。すいしやくかのしんしよをはかるにおいて、さだめてそのゆゑあらむか。えいりよたちまちにへんず。きみのふめいにあらず、しんのふちよくにあらず。わがやまのぶつぽふ、まさにもつてほろぶるきざしなり。うれひてあまりあり。さうてんをあふぎてなみだをおさふ。かなしみていかがせむ。ちゆうたんにきうしてたましひをけす。しゆともしちよくめいにくわいゐせば、せんぞうのくじやうにおうずべからず。しゆともしてうゐをいるかせにせば、うれひをいだきていつさんのさうどうをとどむべからず。さいほうのところ、なんぞぎやうしやくなからむや。のぞみこふ、まげて
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おんじゆつをたれ、しらやまへいせんじをもつて、もとのごとくてんだいのまつじたるべきよし、さいきよせられば、まさにじやうぎやうさんぜんのしうぎんをなぐさめて、いよいよせんゐんすひやくのかれいをいのりたてまつらむ。よつてろくじやうつつしみてげす。
きうあん三年しぐわつ び
とぞかきたりける。このまうしじやうによつて、くぎやうせんぎありて、さんもんにつけらるべき、ゐんぜんをくだされていはく、ゐんぜんをかうぶりていはく、しゆとのさうどう、せいしにかかはらず、ことらんそたり。これによつて、かつはけうあくのともがらをふせかんがため、かつはほうきのたぐひをとどめんがため、せんれいにまかせて、
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ぶしをまうけらるるところなり。しかるにようじほこきをつて、しいうをけつせんとほつするよし、らくちゆうにをうかし、さんじやうにふうぶんす。すでにえいりよにあらずに。よつてぶしすなはちぐんをといて、ほんごくにかへしつかはしをはんぬ。いかにいはむや、こんどくじやうといひじんじといひ、ただ、ちよくめいをもつぱらにしてごんぎやうせしむるよし、ひちんのむねえいんでんのうちにいかでかあいれんなからんや。よつてそうじやうかくしゆういはく、「かのしらやまへいせんじをもつてえんりやくじのまつじたるべきよし、せんげせらるべし。ただしじこんいご、まつじしやうゑんのことによつて、ひだうのうつたへをいたすべからず。」このでうにおいては、ほとほとしよしゆうのひばうをまねくか。いつさんのかきんをのこすににたり。しかるにおんきえのそうあさからずして、つゐにひをもつてりとして、さいきよせらるるところなり。おのおのくわんぎのたなごころをあはせて、ひやくにじふねんのさんをいのりたてまつるべきよし、おほせつかはすべき
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ものなり。せんによつて、しやうけいくだんのごとし。
きうあん三年四月廿七日 みんぶきやううけたまはり
とぞかきたりける。昔がうのちゆうなごんまさふさのまうされけるやうに、「しんよをぢんとうへふりたてまつりてうつたへまうさむ時は、君いかがおんぱからひあるべき」とまうされたりけるには、「げにもだしがたき事なり」とこそおほせられけれ。
卅一 ほりかはのゐんのぎよう、さんぬるかほうぐわんねんきのえのいぬ、よりよしが なん、みののかみみなもとのよしつなのあつそん、たうごくのしんりふのしやうをてんだうするあひだ、やまのくぢゆうしやゑんおうをせつがいす。これによつて、さんもんのいきどほりふかくして、同十月廿四日、このことをうつたへ
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申さむとて、じくわんじんぐわんをさきとして、大衆げらくする由、ふうぶんありしかば、ぶしをかはらへさしつかはしてふせかせらる。しかるにじくわんら三十余人まうしぶみをささげて、おしやぶりてぢんとうへさんじやうせむとしけるを、もろみちごにでうのくわんぱくどの、ちゆうぐうのだいぶもろただがまうしじやうによつて、おんさぶらひやまとげんじなかづかさのじようよりはるをめして、「ただほふにまかせてあたるべきなり」とおほせられければ、よりはるうけたまはりてふせきけるに、なほおほうちへいらむとするあひだ、よりはるがらうどうさんざんにいる。きずをかうぶるじんにん六人、しぬる者二人、しやじ、しよしら、しはうににげうせぬ。まことにさんわうのしんきんいかばかりかおぼしめすらむとぞみえける。中にもはちわうじのねぎともざねにやたてたりけるこそあさましけれ。大衆ふんまんのあまり、おなじき廿五日しんよをちゆうだうへふりあげたてまつり、
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ねぎをばはちわうじのはいでんにかきいれて、じやうしん、ぢやうがく二人をもつてくわんぱくどのをしゆそし奉る。そのけいびやくのことばにいはく、「われらがなたねのふたばよりおおしたてたまふ、ななのやしろのかみたち、さうしかのみみふりたててきき給へ。むしものにあひてこしがらふで、さんわうのじんにんみやじいころしたまひつる、しやうじやうせせにくちをし。ねがはくははちわうじごんげん、ごにでうのくわんぱくどのへかぶらやひとつはなちあてたまへ。だいはちわうじごんげん」と、たからかにこそきせいしけれ。そのころのせつぽふ、へうびやくはしうくをもつてさきとす。しんじやうのだうしはちゆういんそうづとぞきこえし。がうのちゆうなごんまさふさ申されけるは、「もろただがまうしじやう、甚だしんめいのちじよくにおよぶ。あはれ、ばうこくのもとゐかな。うぢどののおんとき、だいしゆのちやうぼんとて、らいじゆ、りやうゑんらをながさる
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べきにてありしに、さんわうのごたくせんいちしるかりければ、すなはちざいめいをなだめられて、さまざまにおんおこたりを申させたまひしぞかし。さればこの事いかがあらんずらむ」と、うたがひまうされけり。さても不思議なりしには、はちわうじのごてんよりかぶらやのこゑいでて、わうじやうをさしてなりてゆくとぞ、人のゆめにはみえたりける。そのあしたくわんぱくどののごしよのみかうしをあげたりければ、只今やまよりとりてきたるやうに、つゆにぬれたるしきみひとえだたちたりけるこそおそろしけれ。やがて後にでうのくわんぱくどの、さんわうのおんとがめとておもきおんいたはりをうけさせ給ふ。ははうへ、おほとののきたのまんどころ、なのめならずおんなげきありて、おんさまをやつしつつ、いやしきげらふのまねをして
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ひよしのやしろにごさんろうありて、なぬかななよがあひだいのり申させ給けり。まづあらはれてのおんいのりには、ひやくばんのしばでんがく、百番のひとつもの、けいば、やぶさめ、すまふ、おのおの百番、ひやくざのにんわうかう、百座のやくしかう、いつちやくしゆはんのやくしひやくたい、とうじんのやくしいつたい、ならびにしやかあみだのざう、おのおのざうりふくやうせられけり。またごしんぢゆうにあまたのごりふぐわんあり。おんこころのうちのことなれば、いかでかしりたてまつるべき。それに不思議なりし事は、はちわうじのおんやしろにいくらもなみゐたるまいりうどのなかに、みちのくによりはるばるとのぼりたりけるわらはみこ、やはんばかりににはかにたえいりけり。はるかにかきいだしていのりければ、ほどなくいきいでて、たちてまひかなづ。人きどくのおもひを
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なして是をみる。はんじばかりまひてのち、さんわうおりさせたまひて、やうやうのごたくせんこそおそろしけれ。「しゆじやうらたしかにうけたまはれ。われゑんしゆうのけうぽふをまもらんが為に、はるかにじつぽうけわうのどをすてて、ゑあくじゆうまんのちりにまじはり、じふぢゑんまんのひかりをやはらげて、このやまのふもとにとしひさし。きもんのきようがいをふせかんとては、あらしはげしきみねにてひをくらし、くわうていのほうそをまもらん為には、ゆきふかきたににてよるをあかす。そもそもぼんぷはしるやいなや、関白のきたのまんどころ、わがおんまへになぬかこもらせたまひて、ごりふぐわんさまざまなり。まづだいいちのぐわんには、『こんどてんがのじゆみやうたすけてたべ。さもさぶらはば、はちわうじのやしろよりこのみぎりまでくわいらうつくりて、しゆとのさんじやの時、うろのなんを
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ふせくべしと」。このぐわんまことにありがたし。されどもわがやまのそうりよ、みつの山のさんろうの間、さうせつうろにうたるるをもつて、ぎやうじやのこうをあはれみて、わくわうどうぢんのけちえんとして、此所をしめてわれにちかづく者をあはれまんとなり。第二には、『三千人の衆徒にまいとしのふゆこそでひとつきせん』とのぐわん、これまたおぼしめしうけられず。そのゆゑは、きうかさんぷくのあつきにはあせをのごひて、ひねもすにさんだいそくぜのはなぶさをたむけ、けんとうそせつのさむきにもみをわすれて、よもすがらしくわんみやうじやうのつきをもてあそぶをもつて、しぢゆうのそうりよのぎやうとせり。第三には、『みづからいちごのあひだ、つきのさはりをのぞきて、都のすまゐをすてて、みやごもりにまじはりてみやづかひ申さむ』となり。このぐわんことにいとほし。しかりといへども、おほとののきたのまんどころほどの人
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を、みやごもりの者にならべ奉らむ事かなふまじ。だいしのぐわんには、『おんむすめごにんのひめぎみ、いづれもわうじやういちのびぢよなり。かれをもつてしばでんがくせさせてみせまゐらせん』とのおんこころざしせつなれども、摂政関白のおんむすめたち、いかがさやうのふるまひをばせさせたてまつるべき。第五には、『はちわうじのおんやしろにてまいにちたいてんなく、ほつけもんだふかうおこなふべし』となり。これらのごぐわんども、いづれもおろそかならねども、ほつけもんだふかうは誠にあらまほしくこそおぼしめせ。こんどの訴訟は、むげにやすかりぬべき事を、ごさいきよなくして、もろみち、よりはるにおほせて、われを馬のひづめにけさするのみならず、じんにん、みやじいころされ、人おほくきずをかうぶりて、なくなくまいりて、わがごぜんにてうつたへまうすことが心
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うければ、いかならむすゑのよまでもわするべしともおぼしめさず。かれらにたつところのやは、しかしながらわくわうすいしやくのおんはだへにたちたるなり。まこととそらごととは是をみよ」とて、かたぬぎたるをみれば、左のわきのした、おほきなるかはらけのくちほどうげのきたるこそ、きどくなれ。「これがあまりに心うければ、いかに申ともしじゆうのことはかなふまじ。いちぢやうほつけもんだふかうおこなはすべくは、みとせが命をのべ奉らむ。それをふそくにおもひたまはばちからおよばず」とて、さんわうあがらせ給けり。ははうへひとにかたらせ給はねば、たれもらしつらむとうたがはせ給ふかたもなかりしに、おんこころのうちの事ども、ありのままにごたくせんありしかば、いとどしんかんにそみて、たつとくぞおぼえける。
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なくなくまうさせ給けるは、「たとひひとひかたときながらへさぶらふとも、ありがたうこそさぶらふべきに、ましてみとせが命をのべてたまはらむ事、しかるべうさぶらう」とて、ひよしのやしろをおんくだりありて、都へいらせ給けり。やがててんがのごりやう、きいのくにたなかのしやうといふところ、えいたいきしんせられけり。されば今のよにいたるまで、ほつけもんだふかう、まいにちたいてんなしとぞうけたまはる。かかりし程にごにでうのくわんぱくどの、おんやまひかるませたまひて、もとのごとくにならせたまふ。じやうげよろこびあはれしほどに、みとせのすぐるはゆめなれや、えいちやう二年になりにけり。六月廿一日、またごにでうのくわんぱくどの、さんわうのおんとがめとて、おんぐしのきはにあしきおんかさいできさせたまひて、うちふ
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させたまひしが、おなじき廿七日、おんとし三十八にて、つゐにかくれさせ給へり。おんこころのたけさ、りのつよさ、さしもゆゆしくをはせしかども、まめやかにいまはの時にもなりしかば、おんいのちををしませ給ける也。誠にをしかるべきおんよはひなり。四十にだにみたせ給はで、おほとのにさきだちまいらせさせたまふこそかなしけれ。かならずしもちちをさきだつべしといふことはなけれども、しやうじのをきてにしがたふならひ、まんとくゑんまんのせそん、じふぢくつきやうのだいしたちもちからおよばせ給はず。じひぐそくのさんわう、りもつのはうべんなれば、おんとがめなかるべしともおぼえず。かのよしつなも程なくじがいして、いちるいみなほろびけり。もろただも程なくうせにけり。昔も今もさんわうのごゐくわうはおそるべき事とぞまうしつたへたる。
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そうじてだいだいのみかど、ほくれいをそうちようせらるること、たさんにこゆ。ぶつぽふ、わうぼふたがひにこれをまもれば、いちじよう、ばんじよう共にさかり也。されば山門の訴訟は只しゆとのなげき、山王ひとりのおんいきどほりにもかぎるべからず。べつしては国家のおんだいじ、そうじてはてんがのうれひなり。しんこくにすみて、かみよをつぎ、かみをあがめ給ふ事、てうかのとくせいなれば、さんわうにかたさりおはしても、などかごさいきよなきとぞ、人かたぶき申ける。誠にぶつぽふ、わうぼふはごがくのごとし。ひとつもかけてはあるべからず。ほふあればくにしづかなり。仏法もしほろびなば、王法なんぞまつたからむ。山門もしめつばうせば、ゑんしゆうなにかそんすべきや。よまつぼふにうつりてすでに二百よさい、とうじやうけんごの時にあたれり。にんま、てんまのちからつよくして人の心をさまらず。およそえいさんのぢぎやうのすがたをみるに、ししのふせるににたりとぞ承はる。
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人のこころのぢゆうしよににたること、みづのうつはものにしたがふがごとしといへり。きよをたかきみねにしめてとこしなへにけはしきさかをのぼりくだれば、衆徒の心たけくして、けうまんをさきとす。さればむかしまさかど、宣旨をかうぶりて、おんつかひにえいさんにのぼりけるが、おほだけといふ所にてきやうぢゆうをみおろすに、わづかにてににぎるばかりにておぼえければ、すなはちむほんの心つきにけり。あからさまのとうざんなほしかなり。いかにいはむやたんぼのきやうりやくにおいてをや。そもそも延暦寺と申は、でんげうだいしさうさうのみぎり、くわんむてんわうのごぐわんなり。つたへきく、伝教大師おんとし十九とまうす、えんりやくしねんしちぐわつのころ、えいさんによぢのぼり給て、がらんをこんりふしぶつぽふをひろめむとて、ほんぞんをつくりたてまつらんがために、さんちゆうにいりたまひて、「りやくしゆじやうのぶつざうとなるべきれいぼくやをはする」と、声をあげてさけびたまひけるに、こくうざうのをの北
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なる林の中に、「ここにあり」とぞこたへける。かのれいぼくをきりて、だいし、てづからみづからやしくによらいのぎやうざうをぞきざみあらはし給ける。ひとたびけづりては、「あまねくぢやうやのやみをてらし給へ」と、けづるたびにらいはいし給へば、おんかしらよりはじめて、めんざうあらはれおはす。おんむねのほどにもなりしかば、大師らいし給ふごとに、れいざうかしらをたれてうなづき給ふ。其時しゆじやうさいどをばことうけしたまひぬ。「あなかしこ一人ももらしたまふな」とて、ざうひつし給にけり。たけ五尺五寸のみなこんじきのりふざう也。同七年に本堂をつくりて、あんぢしたてまつり給へり。じかくだいし、かのぶつざうと常に物語し給けるとかや。さうおうくわしやうばかりぞ御声をばきき給ける。おなじき十三年、ながをかのきやうよりへいあんじやうにうつりてくわうきよを
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さだめられけるに、きもんの方にあたりてたかきみねあり。「かのみねにがらんをたてば、みやこのきようがいあるべからずと」、みかどおぼしめして、でんげうだいしにおほせあはせられければ、「わがてらをきみにたてまつるべし」とて、ほんぶつやくしによらいはごそくさいの御ため、もつともさうおうし給へり。ざうりふのしだいなどこまかく申させ給ければ、てんわうおほきにえいかんありて、大師とふかくしだんのちぎりをむすび給て、ごぐわんじとさだめられにけり。みかどあまりにたうざんをしふしおぼしめして、おんことばのつまにも、「わがやま」とぞおほせありける。さればちかごろも山門を「わがやま」と申は、かのおんことばの末とかや。大師は、「わがたつそま」とものたまへり。えいりよにたぐへるが故に、「ひえいさん」ともなづく。又、「えいがく」ともいふなるべし。てうばうよそにすぐれて、しはうとほくはれたるが故に、
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「しめいさん」ともなづくとかや。又てんだいしゆうのてらなるが故に、「てんだいさん」ともなづけたり。たいていもろこしの天台山ににたりといへり。さても天台宗はなんがく、天台ともにりやうぜんのちやうじゆとして、しんだんにいでたまひて、仏法をひろめたまひしより、ししさうじようせり。しんだんこくにがんじんわじやうといひし人、げんぎ、もんぐ、しくわんのさんだいぶをもちてほんてうへわたりしに、きこんたへざりしかば、いしのむろにをさめてひろうせざりしを、伝教大師しよしゆうのけうさうをうかがひ給ふに、天台のほふもんにこころづきたまひければ、わがやまにるふし給て、諸宗のめいとくをくつして、かいかうのろんぎをだんぜられけるに、りくつなほきはまらずおもはれければ、おなじき廿三年四月におんとし三十八にしてにつたうす。まづかの
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せいしゆにそうして、天台のゆいせきをじゆんれいし給けるに、ひとつのほうざうあり。てんだいだいし、にふめつのあしたより今にいたるまで、かぎなくしてひらく人なし。だいしのきもんにいはく、「われめつごにとうごくよりしやうにんきたりて、このほうざうをばひらくべしと」うんうん。伝教大師是を聞給て、ふところよりかぎをとりいだし、「是は本朝にてがらんこんりふのためちをひきし時、つちの中よりほりいだしたりしを、やうあるべしとおもひて、昼夜にみをはなたずたもちたり。もしこのかぎやあひたる。こころみにあけてみむ」とのたまひて、くだんのかぎをさしあはせ給へば、あたかもふけいのごとくして、宝蔵ひらきにけり。せいしゆにこのよしをそうし申ければ、ぜんぜのしゆくえんあさからざることをえいかんありて、かのこざうにをさむるところのしやうざい、ことごとく大師に
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わたしたてまつりたまへり。すなはちだいし是をしやうらいし給て、わがやまにぞをさめられける。今のごきやうざうとまうすは是也。でんげうだいしじやうぎの道具、しやうあんだいしのわたし給へるしやうげうとう、皆かのきやうざうにをさまれり。このなかに「天台のいちのはこ」となづけて、いつしやうふぼんの人一人してみることにて、たやすくひらくざすまれなり。かのとたうの時、たうすいくわしやう、かうまんざすにあひてけうさうをでんぢし、じゆんげうあざりにこんたいりやうぶのひほふをでんじゆして、おなじき廿四年六月にきてうし給へり。けんみつのあうぎをきはめられしかば、いつてんぎやうそうししかいきぶくす。さんせんのちやうがうを制作して、せんしうのほうそをいのり、ろくきのたふばをろくしうにわかちすゑたてまつりて、ばんしゆんのあんねいをきせいし給ふ。
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さればにや、てんがをさまりてこくぐんゆたかなりき。次にじやうぎやうだうのあみだは、じかくだいしきてうの時、かいしやうにじげんして、光をはなち、声をあげて、いんじやうをとなへたまひしそんざうを、大師むかへたてまつり、あんぢし給へる、じねんゆじゆつの仏也。かの大師、よかはのすぎのほらにてみとせのあひだおこなひて、書写し給へるによほふきやう、わがてうのうせいむせいのかみたち、昼夜にけつばんして、守護したまふとかや。むどうじのほんぞんは、さうおうくわしやう、しやうじんのふどうををがみたてまつらんとちかひて、きたのかたへむかひてあこがれおはしける処に、もんじゆのけしんなるらうをうにをしへられて、かつらがはの第三のたきにいたりつつ、たんぜいのまことをいたし、きせいせられければ、しやうじんのふどうしゆつげんし給へり。くわしやうずいきの涙をながしつつ、「又と
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そつてんにいたりて、しやうじんのみろくをはいせさせ給へ」ときねんせられければ、御肩にのせつつ、ほどなくとそつのないゐんにのぼり給て、げんしんにみろくぼさつをはいしたてまつり給ける、しやうじんのふどうそんこれなり。このほか、だいごんのすいしやく、そのかずおほし。かうそうのぎやうとくあらたなるもおほかりき。かのゑりやうなづきをくだき、そんゑつるぎをふりしかうげん、たれびとか肩をならべんや。そうじてさいたふよかはのだいしせんとくのざうりふ、りしやうけちえんのほんぞん、かずをしらず。そのれいげんはんたなり。これみな、ぶつにちせうらんをへうじし、せいてうあんをんのきずいにあらずや。誠にてんがぶさうのりやうぜん、ちんごこくかのだうじやうなり。くわんむてんわうのちよくぐわんなれば、よよのけんわうせいしゆ、皆わがやまをあがめ給ひ、しよゐんしよだう、ちよくぐわんにあらずといふことなし。だうたふのぎやう
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ぼふ、いまにたえず。せいざうしひやくよくわい、くんじゆいくばくかつもるらむ。法はこれいちじようさんみつのめうほふ、ぶつぽふのげんていにあらずや。人はしくわんしやなのぎやう、ぼさつのだいかいをたもてり。なかんづく、ひよしさんわうしちしや、わうじやうしゆごのちんしやうとして、きもんのかたにあとをたれ給へり。このひよしのさんわうと申は、きんめいてんわうのおんとき、みわのみやうじんとあらはれて、やまとのくににぢゆうし給き。てんちてんわうのおんとき、大和国よりこのみぎりへうつりたまひて、たうざんのさうさうにさきだちたまふことひやくよさい、のちにいちじようゑんしゆうをひろめらるべき事をかんがみたまひけるにや、あるいはなんかいのおもてにごしきのなみたちけるが、「いつさいしゆじやうしつうぶつしやう」ととなへける。そのみのりの声をたづねてこのみぎりへはうつりおはしたりともまうしき。はじめはおほつのひがしのうらにげんじおはして、
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それよりにしのうらにうつらせたまひて、たなかのとこよがふねにめして、からさきのことの御たち、うしまろがもとへいらせ給にけり。牛丸、ただひとにあらずとおもひて、あらこもをしきてすゑたてまつりて、とこよにあはのごはんをまゐらせたりければ、とこよにたくし給けるは、「なんぢ、わがうぢひととなりて、まいねんしゆつしの時、あはのごはんをぐごにそなふべし」とぞのたまひける。今のおほつのじんにんは、かのとこよがばつえふ也。其時の儀式になぞらへて、うづきの御祭の時、必ずあはのみごくをたてまつるとかや。さてうしまろが船にのりたまへば、「いづちへわたらせおはしますやらむ」と、あやしみみたてまつるほどに、かのていぜんのたいぼくのこずゑにぞげんぜさせ給ける。牛丸、不思議のずいさうをはいして、きいのおもひをなす処に、「是より
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さいほくにしようちあり。なんぢ、わがうぢひととして、くさをむすびたらむをしるしにてほうでんをつくりたてまつるべし」と、しめし給へり。牛丸、「さてみなをばなにとかうしたてまつるべきぞ」と申ければ、「たてにさんてんをたて、よこにいつてんをひき、よこに三点をひきて、たてに一点をたつべし」とをしへ給へり。すなはち、さんわうといふもんじなり。牛丸、しんめいのをしへにまかせて、西北のかたへたづねゆきてみるに、ふうゆひ結べる所あり。是をしるしとしてほうでんをざうしんし、たいぼくのうへにあらはれたまひたりしおんかたちをうつしたてまつりて、いははれ給へり。今のおほみやとまうすはこれなり。しかしてよりこのかた、大小のじんぎ、ねんねんさいさいにあとをたれたまひて、かれもこれもけんぞくとなりたまへり。にのみやは、くるそんぶつの時より、しんめいとあらはれたまひにけり。はじめしゆぜんのきた、よかはの
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さいなんに、だいひえいといふ山の中におはしけるが、東南のふもとにいぢゆうし給けるに、今のおほみやきたり給ければ、そのところをさらせたまひて、じゆげんのにしのしきぢにいぢゆうし給へり。ぢしゆごんげんじふぜんじとまうすは、てんせうだいじんのみこなり。そうじてじちゐきのぢしゆにてぞわたらせ給ける。かのさんしやうはでんげうだいしにちぎりをむすびて、わがやまのぶつぽふおうごのちんじゆとして、がくとをはぐくみゑんしゆうをまもらんとちかひ給て、さんしやうともにしゆつけじゆかいせさせおはし、おなじくほふがうをさづけられ給へり。もろこしのてんだいさんの麓にもさんわうすいしやくしおはすといへり。でんげうは天台のけしんなれば、ごんじやのぎもあひたまひけるやらむと、たつとくぞおぼゆる。すみよしのみやうじんはぢしゆごだいのそんなり。はじめはあくじんとして、いつぴやくいちじふのじや、
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じんにともなひて、ぶつぽふをしんじたまはざりけるに、でんげうだいし、かのおんやしろにまうでて、にんわうぎやうをかうどくせられければ、「じやしんをあらため、ぶつぽふのだいだんなとなりて、ゑんどんのをしへをまもらん」とちかはせたまひて、おほみやにいぢゆうせさせ給へり。ひがしのちくりんこれなり。かのごたくせんにいはく、「てんぎやうねんぢゆうにきようどをちゆうせしには、われたいしやうとして、さんわうはふくしやうぐんなりき。かうへいのくわんぐんにはさんわうたいしやう、われ副将軍たりき。およそわがてうの大将として、いぞくをせいばつする事、既に七ヶ度なり。さんわうはとこしなへにいちじようのほふみにばうまんし給へるが故に、せいりきわれにすぐれ給へり」とぞ、しめし給ける。はちまんのわかみやも伝教大師にちぎりをむすび給て、わがしゆうをまもらんとておほみやにおはす。にしのちくりんこれなり。
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卅二 あんげん二年六月十二日にたかまつのにようゐんかくれさせたまひにけり。おんとし三十三。是はとばのゐんのだいろくのひめみや、にでうのゐんのきさきにておはしき。えいまんぐわんねんにおんとし二十二にてごしゆつけありき。おほかたの御心ざまわりなき人にて、をしみ奉けり。
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卅三 おなじき七月八日、けんしゆんもんゐんかくれさせたまひぬ。おんとし三十五。是はぞうさだいじんときのぶのおんむすめなり。ほふわうのにようごにて、たうだいのおぼぎなり。せんねんふれいの時、ごぐわんをはたさむとて、おんかちにてみくまのさんけいありけり。四十日にほんぐうへまゐりつかせたまひて、ごんげんほふらくのために、こいんじゆといふまひをまはせてましましけるに、にはかにおほあめふりけれども、舞をとどめず、ぬれぬれ舞ければ、せんじをかへす舞なれば、ごんげんめでさせたまひけるにや、たちまちにてんはれて、さまざまのれいずいども有けり。さておんげかう有て、いくほどをへずして、いんじはるのころよりごしんちゆうくるしくして、よのなかをあぢきなくおぼしめして、いんじ六月十日ゐんがうごじたいあり。こんてうに御出家、ゆふべに
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むじやうの道におもむきたまふ。いんうちのおんなげき、いづれもおろかならず。てんがりやうあんのせんじをくださる。そのごけうやうの為に、殺生禁断(せつしやうきんだん)といふ事をおこなはれける。をりふし、はうきのそうづげんそん、あふみのくにおほしかのしやうをめされてなげきけるが、おんなげきやうやくごをすぎて、ひとびとおんめさまし申ける時、げんそんたちて、「殺生禁断(せつしやうきんだん)とは」といふまひをいたす事、三度ありき。ゐんのおんまへちかく参て、「おほじかはとられぬ」と申てはしりいりぬ。院えつぼにいらせましまして、かのおほしかのしやうをかへしたまはりにけり。
卅四 おなじき廿七日、ろくでうのゐんほうぎよなる。おんとし十三。こにでうのゐんのおんちやくしぞかし。おんとしごさいにてだいじやうてんわうのそんがうありしかども、
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いまだごげんぷくもなくてほうぎよなりぬるこそあはれなれ。かやうにうちつづきてんがになげきのみおほく、人の心のさだまらざる事は、ひとへに平家の一門のみさかえて、いつてんしかいをたなごころににぎりて、せんれいにたがへるまつりごとをまうしおこなへる故とぞ、ないないは申あひける。
卅五 すいこてんわうのぎよう、しやうとくたいしじふしちかでうのけんぽふをつくりたまひて、よのふでうなる事をあらはしたまひしかども、おほかたのきんばかりにて、たうだいのおんわづらひにあらざりき。もんどくてんわうのぎよう、ふひとのおとどりつり
やうをえらびたまひき。おのおのじつくわんのしよをつくりてましまししかども、是をさしおきてひがまれしかばおこなはれざりき。そののちひやくよねんをへて、じゆんわのみかどのぎようにこそよみだれすぐならざりしかば、はふれいをさきとしてよを
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をさめたまひてしひやくよさい、それよりこのかた、よはひをおくりておとろへ、人は時々にしたがひてひがめり。へいぢのげきらんの時までは、げんぺいりやうじ、かたをならべて、たがひにてうてきをしづめられき。このりやうじ、わうくわにしたがひ奉るかとみえし程に、平治いご、源氏ほろびて、平家おごりておそるるかたなし。大政入道、てんがのまつりごとをしゆぎやうして、ひぎひれいをおもんじしかば、いかでかしんりよのめぐみしかるべき。せいむをとりおこなはむひは、わがこころふでうにしてはあるべからず。かみしづまりてしもみだれぬといへり。みただしくしてかげかがむ事なしとこそまうすめれ。されば、「人のわづらひをいたすべからず」とぞ人申ける。
卅六 ぢしようぐわんねんひのとのとり四月十四日、おんまつりにて有べかりけるを、だいしゆうちとどめて、おなじき十三日たつのこくに、しゆとひよししちしやのみこし、おなじくはちわうじ、
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まらうと、じふぜんじとうのさんじや、やまいつしやのしんよをぢんとうへふりくだしたり。もろたかをるざいせらるべきよしうつたへまうさんとて、にしざかもと、さがりまつ、きれづつみ、かものかはら、ただす、むめただ、とうぼくゐん、ほふじやうじのへん、じんにん、みやじじゆうまんして、声をあげてをめきさけぶ。きやうしらかはのきせんじやうげあつまりきたりて、これをはいしたてまつる。それにつきて、ぎをんに一社、きやうごくに二社、きたのに二社、つがふ十一社のしんよをぢんとうへふりたてまつる。そのときのくわうきよはさとだいり、かんゐんどのにて有けるに、既にしんよをにでうからすまるむろまちのへんにちかづきおはす。そのときへいじのたいしやうはこまつのないだいじんしげもりこう、にはかのことなりければ、なほしにあこめさしはさみて、こがねづくりのたちはきて、れんぜんあしげの馬のふとくたくましきに、き
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ぷくりんのくらおきてぞのられける。いがいせりやうごくのわかたうども三千余騎あひぐせられたり。ひがしおもてのさゑもんのぢんをかためたり。源氏のたいしやう、ひやうごのかみよりまさは、けつもんじやのかりぎぬに紫のさしぬきしやうくくりて、ひをどしのよろひに、きりふのやにしげどうの弓のまなかとりて、二尺九寸のいかものづくりのたちはきて、えぼしのへりひききりて、おしいれてきるままに、かげなる馬にしろぷくりんのくらおきてのりたりけり。つづくのげんだ、さづく、はぶく、きをふ、となふをはじめとして、いちにんたうぜんのはやりをのわかたう三百余人あひぐして、北の陣をかためたり。しんよかのもんよりいりたまふべきよしきこえければ、頼政馬よりおりてかぶとをぬぐ。たいしやうぐんかくすれば、いへのこらうどうも又かくのごとし。
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大衆是をみて、やうあらむとて、しばらくしんよをかきとどめたてまつる。頼政がらうどう、わたなべのきほふのたきぐちをめして、大衆の中へ使者にたつ。きほふはしやうねん三十四、たけ七尺ばかりなる男のしろくきよげなるが、かちんのよろひひたたれに、こざくらをきにかへしたるおほあらめのよろひの、すそかなものうちたるに、へうのかはのしりざやのたちはきて、くろつばのそやのつのはずいれたるにじふしさしたる、かしらだかにおひなして、ぬりごめどうの弓のにぎりぶとなるに、おほなぎなた、かちはしりにもたせて、ゆんでのわきにあひぐしたり。かげなる馬のふとくたくましきに、くろぐらおきてぞのりたりける。しんよちかづかせ給ければ、馬よりとびおりて、かぶとをぬぎ左肩にかけ、
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弓とりなほし、みこしの前にひざまづきて申けるは、「この北の陣をばみなもとのひやうごのかみよりまさのかためてさうらふが、だいしゆのおんなかへ申せとさうらふは、『昔はげんぺいりやうかさうにならびてすこしもしようれつさうらはざりしが、源氏にをいてはほうげんへいぢのころより皆たえうせて、たいりやくなきがごとし。ろくそんわうのばつえふとては頼政ばかりこそ候へ。さんわうのみこしぢんとうへいらせおはしさうらふべき由、そのきこえさうらふあひだ、くげことにさわぎおどろきおはして、源平のぐんびやうしはうをかたむべきよし、せんじをくだされさうらふ。わうどにはらまれながら、ちよくめいをたいかんせむもそのおそれさうらひて、なましひにこのもんをかためてさうらふ。またこんどさんもんのごそしよう、りうんのでう、もちろんに候。ごせいだんちちこそ、よそにてもゐこんに候へ。そのうへ、頼政
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もとよりしんめいにかうべをかたぶけたてまつりたるみにて候へば、わざとこのもんよりこそいれ奉るべうさうらふあひだ、もんをこそあけて候へ。ただしじこんいごにおいては、ながく弓矢のみちこそはなれはてさうらはんずれ。しんゐにおそれたてまつりてみこしをいれ奉り候はば、りんげんをかろんずるとがあり。せんじをおもんじてしんよをふせきたてまつらば、みやうのせうらんはかりがたし。しんだいここにきはまれり。かつうはまたこまつの内大臣いげのくわんびやう、おほぜいにてかためて候もんもんをばやぶりたまはで、頼政わづかなるぶせいの所をごらんじていらせおはしぬる物ならば、山の大衆はめだりいんぢをしけりなど、人の申候はん事も、山のおんなをれにてや候はんずらむ。かつうはことにおどろおどろしくてんちやうをおどろかし奉んとおぼしめ、
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され候はば、ひがしおもてのさゑもんの陣はこまつの内大臣三千余騎にてかためて候。たせいのもんをうちやぶりていらせおはしさうらはば、いよいよしんゐの程もあらはれて、大衆のおんゐもいまひときみにてさうらひぬべければ、しんよをばさゑもんの陣へまはしいれたてまつらるべうもや候らむ。しよせんかく申候はん上をなほやぶりたまはばちからおよばずさうらふ。こうたいのなをしく候へば、いのちをばさんわうだいしに奉り、かばねをばしんよの前にてさらしし候べしと申せ』と候。御使はわたなべたうに、みだのげんしちつながばつえふ、きほふのたきぐちと申者にて候」とて、いむけのそでひきつくろひて、かしこまりてぞ候ける。大衆是をききて、「なんでふべちのしさいにやおよぶべき。只やぶれ」といふ者もあり。又
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しばらくせんぎせられよや」といふ者もあり。そのなかに、さいたふのほふしにつのりつしやがううんと申ける、さんたふいちのいひぐち、だいあくそうなりけるが、もえぎのいとをどしのはらまき、ころものしたにき、たちわきにはさみ、すすみいでて申けるは、「今頼政がでうでうまうしたつるところ、そのいはれなきにあらず。しんよをさきだてたてまつりて、しゆとそしようせらるるならば、ぜんあくおほてをうちやぶりてこそ、こうたいのなもいみじからめ。かつうはまた頼政はろくそんわうよりこのかた、ゆみやのげいにたづさはりて、いまだそのふかくをきかず。ぶげいにおいては、たうしよくたるものをいかがはせむ。しかのみならず、ふうげつのたつしや、わかんのさいじんにて、よにきこゆるめいじんぞかし。ひととせこゐんのおんとき、とばどのにてなかのとののごくわいに、『みやまのはな』といふだいをれんちゆうより
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いだされたりけるを、たうざの事にて有ければ、さちゆうじやうありふさなどきこえしかじんもよみわづらひたりしを、頼政めしぬかれて、すなはちつかまつりたり。みやまぎのそのこずゑともわかざりしにさくらははなにあらはれにけりとよみて、えいかんにあづかりしぞかし。ゆみやとりてもならぶ方なし。かだうのかたにもやさしきをのこにて、さんわうにかうべをかたぶけまゐらせたる者のかためたるもんよりは、いかでかなさけなくやぶりていれたてまつるべき。頼政がまうしうくるむねにまかせて、ひがしおもてのさゑもんのぢんへしんよをかきなほしまゐらせよや」といひければ、「もつとももつとも」と一同して、さゑもんの陣へかきたてまつる。ごじんぼうあさひにかかやきて、日月のひかりちにおちたまへ
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るかとうたがはる。やがてしんよをすすめたてまつりて、さゑもんの陣へぞおしいりける。かんゐんどのへしんよをふりたてまつること、これはじめなり。ぐんびやう、馬のくつばみをならべて、だいしゆしんよをさきとしておしいらむとする間、心よりほかのらうぜきいできたりて、武士のはなつや、じふぜんじのみこしにたつ。じんにん一人、みやじ一人、やにあたりてしぬ。そのほかきずをかうぶる者おほし。かかる間、だいしゆじんにんのをめきさけぶ声、ぼんでんまでもおよぶらむと、をびたたしくぞきこえける。きせんじやうげことごとくみのけいよだつ。大衆しんよをぢんとうにすておきたてまつりて、なくなくほんざんへかへりのぼりにけり。
卅七 かのがううん、訴訟ありてごしらかはのゐんへ参たりけるに、をりふし法皇なんでんにしゆつぎよあり。あるてんじやうびとをもつて、「なにものぞ」とおんたづねあ
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りけるに、「さんぞうつのりつしやがううんと申者にて候」とそうす。「さては山門にきこゆるせんぎしやごさむなれ。おのれがさんもんのかうだうのにはにてせんぎすらむやうに只今申せ。訴訟あらばただちにごせいだんあるべき」よし、おほせくださる。がううんかうべをちにかたぶけて、「山門のせんぎとまうしさうらふは、ことなる事にて候。まづわうのまひをまひさうらふには、おもてがたのしたにてはなをしかむる事の候なるぢやうに、さんたふのせんぎのやうは、だいかうだうのにはに三千人のだいしゆくわいがふして、やぶれたるけさにてかしらをつつみて、にふだうづゑとて、にさんじやくばかりさうらふつゑをめんめんにつきて、みちしばのつゆうちはらひて、ちひさきいしをひとつづつもちさうらひて、そのいしにこしをかけゐならびて候へば、どうじゆくなれどもたがひにみしら
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ぬやうにて候。『まんざんのだいしゆたちめぐられ候へや』とて、訴訟のおもむきをせんぎつかまつりさうらふに、しかるべきをば『もつとももつとも』とどうじ候。しかるべからざるをば『いはれなし』と申候。わがやまのさだまれるほふに候。ちよくぢやうにて候へばとて、ひたかしらにてはいかでかせんぎつかまつりさうらふべき」と申たりければ、法皇きようにいらせおはして、「さらばとくいでたちて参てせんぎつかまつれ」とおほせくださる。がううんちよくぢやうをかうぶりて、どうじゆくじふよにんにかしら
つつませて、しもべのものどもにはひたたれこばかまなどをもつてぞ、かしらをばつつませける。いじやうじふにさんにんばかりひきぐして、御前のあめうちのいしにしりかけて、がううんおのれが訴訟のおもむき、事のはじめよりひととき申たりければ、どうじゆくどもかねてぎしたる
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事なれば、いちどうに「もつとももつとも」とまうしたり。法皇きようにいらせおはして、ごちよくさいたうざにかうぶりたりしがううんとぞきこえし。くらんどのさせうべん、おほせをうけたまはりて、せんれいをではのかみもろなほにたづねらる。「ほうあんしねんみづのとのう七月しんよじゆらくの時は、ざすにおほせてしんよをほんざんへおくりたてまつらる。またほうえんしねんつちのえのむまごじゆらくの時は、ぎをんのべつたうにおほせて、しんよをぎをんのやしろへおくりたてまつる」とかんがへまうしければ、てんじやうにてにはかにくぎやうせんぎありて、「今度はほうえんのれいたるべし」とて、しんよをぎをんのやしろへわたしたてまつるべきよし、しよきやういちどうにまうされければ、ひつじのこくにおよびてかのやしろのべつたう、ごんのだいそうづちようけんをめし、しんよをむかへたてまつるべきよし、おほせくださる。ちようけんまうされけるは、「てんがぶ
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さうのすいしやく、ちんごゑんしゆうのれいしんなり。はくちうにぢんくわいのなかにけたてまゐらせて、たうしやへいれたてまつること、しやうじやうせせくちをしかるべし。わうぼふはこれぶつぽふのかごをもつてこくどをたもち給ふにあらずや。さればむかしにんみやうてんわうのぎよう、こうにんくねん、しよこくききんし、えきれいちまたにおこりて、しにんだうろにみつ。そのときのみかどたみをはぐくみ給ふおんこころざしふかくして、しよじしよさんにおほせて、是をいのらせ給けれども、さらにそのしるしなし。みかどいよいよなげきおぼしめして、えいさんの衆徒におほせて、是をいのるべきよしせんげせらる。さんたふくわいがふして、『このおんいのりいかがあるべかるらむ。昔よりあめをいのりひをいのる事はありしかども、ききんえきれい、たちどころにいのりとどまるれい、いまだうけたまはりおよばず。さればとてじしまうさば、わう
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めいをそむくににたり。しんだいここにきはまれり』といふしゆともあり。又、『仏法のゐげんおろそかならず。ききんなりとも、などかわがやまのいわうさんわうのおんちからにてしりぞきたまはざるべきなれば、ごこくりみんのはうぽふ、きようがいせうぢよのきたうには、にんわうぎやうにすぐべからず』とて、三千人の衆徒、いくどうおんにたんぜいをいたして、こんぽんちゆうだう、だいかうだう、もんじゆろうにして、七ヶ日の間、十四万七千よざのにんわうぎやうをかうどくしたてまつる。くやうはぢしゆじふぜんじのしやだんにてとげられにけり。ころはうづきなかばの事にや、ききんをんびやうにせめられて、おやしぬる者はこなげきにしづみ、こにおくれたるはおやけがれけるによつて、いがきにのぞむ人もなし。ここをもつて、だうしせつぽふのはてがたに、『うづきは
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すいしやくのえんぐわつなれども、へいはくをささぐる人もなし。八日はやくしのえんにちなれども、なむととなふるこゑもせず。あけのたまがきかむさびて、ひくしめなはのあともなし』と申たりければ、衆徒あはれをもよほしつつ、一度にかんるいをながして、ころものそでをぞぬらしける。そのよみかどのごむさうに、『ひえいさんよりてんどうににんきやうへくだりて、あをきおにとあかきおにとのおほくありけるを、びやくほつにてうちはらひければ、きじんどもみなみをさしてとびゆきぬ』とごらんじて、『ほんざんのきせいすでにかんおうして、びやうなんもなほりぬ』とおぼしめす。れいずい有ければ、みかど御夢のしだいをおんじひつにあそばして、ぎよかんのゐんぜんをしゆとの中へくだされたりけるとぞうけたまはる。すなはちこくどをだやかにし
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て、たみのけぶりもにぎはひて、あさなゆふなのけぶりたえせざりければ、みかどふるきうたをつねにえいぜさせたまひけるとかや。たかきやにのぼりてみればけぶりたつたみのかまどはにぎはひにけりかかるめでたくやむごとなきおんがみを、はくちうにざふにんにまじへたてまつりてうごかしたてまつらんこと、こころうかるべし」とまうして、ひすでにくれ、へいしよくにおよびて、たうしやのじんにんみやじまゐりて、みこしをぎをんのやしろへいれたてまつる。およそしんよじゆらくのこと、そのれいをかんがふるに、えいきうぐわんねんよりこのかたすでに六かど也。武士をめしてふせかるることもたびたびなり。しかれどもまさしくしんよをいたてまつること、せんれいなし。今度じふぜんじのみこしにやをいたつること、あさましといふもおろかなり。「人をうらむるかみをうらむれば、くににさいがいおこる」といへり。「只
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てんがのだいじいできなむ」とこそおそれあひけれ。
卅八 十四日に大衆かさねてくだるべきよしきこえければ、よなかにしゆしやうえうよにめして、ほふぢゆうじどのへぎやうがうなる。ないだいじんしげもりいげ、ぐぶのひとびとひじやうのけいごにて、なほしにやおひてぐぶせらる。させうしやうまさかた、けつてきそくたいをき、ひらやなぐひおひてぐぶせらる。内大臣のずいひやうぜんごにうちかこみて、ちゆうぐうは御車にてぎやうけいあり。きんちゆうのじやうげあわてさわぎ、きやうぢゆうのきせんはしりまどへり。くわんぱくいげ、だいじんしよきやう、てんじやうのじしん、みなはせまゐりけり。「さいほうちちの上、しんよにやたち、じんにんみやじやにあたりてしす。衆徒おほくきずをかうぶる上は、今は山門のめつばう、このときなり」とて、おほみやにのみやいげのしちしや、かうだう、ちゆうだう、しよだう、
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いちうものこさずやきはらひて、さんやにまじはるべきよし、三千人いちどうにせんぎすときこえければ、さんもんのじやうかうをめして、しゆとのまうすところごせいばいあるべきよし、おほせくださる。十五日、そうがうらちよくせんをうけたまはりて、しさいを衆徒にあひふれんとてとうざんするところに、しゆとらなほいきどほりをなしておひかへす。そうがうらいろをうしなひてにげくだる。
卅九 院より、「衆徒をなだめられむがために、大衆のうつそをたつすべきよし、ちよくしとして、とうざんすべしと」、おほせくだされけれども、くぎやうの中にもてんじやうびとの中にも、「われしやうけいにたたん」とまうすひとなし。皆じしまうしけるあひだ、へいだいなごんときただ、そのときはさゑもんのかみにてをはしけるを、とうざんすべきよし、おほせくだされければ、ときただしんぢゆうには、「えきなきことかな」とおもはれけれども、「きみの
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おほせそむきがたきうへ、おほくの人の中におぼしめしいりておほせくださるること、めんぼく」とぞんじて、ことにきらめきていでたちたまへり。さぶらひ一人、花ををりてしやうぞくす。ざつしき四人、たうじきにてよろづきよげにてとうざんして、だいかうだうのにはにたたれたり。さんたふの大衆、はちのごとくおこりあひて、ゐんゐんたにだによりおめきさけびてくんじゆするありさま、おびたたしなどはなのめならず。ときただのきやう、いろをうしなひたましひをけして、うちあきれてたたれたりけるに、しゆとら時忠をみて、いよいよいきどほりて、「なにゆゑに時忠とうざんすべきぞや。かへすがへすきくわいなり。既にさんわうだいしのおんかたきなり。すみやかにだいしゆのなかへひきいれて、しやかぶりをうちおとし、あしてをひつぱり、もとどりきりて、みづうみにさかさまにはめよ」と、こゑごゑにののしりけるを
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ききて、ともにありつるさぶらひもざつしきも、いづちかゆきぬらむ、皆にげうせぬ。時忠あやふくおもはれけれども、もとよりさるひとにて、みだれの中のめんぼくとやおもはれけむ、さわがぬていにてのたまひけるは、「しゆとのまうさるるところ、もつともそのいはれあり。ただしひとをそんずるは君のおんなげきたるべき。ひれいをうつたへまうさるるあひだ、ごさいきよちちする事はこくかのほふなり。されども今ごせいばいあるべきよし、おほせくださるるうへは、衆徒あながちにいきどほりをなされんや」とて、ふところよりこすずりをとりいだして、しよしをめしよせてみづをいれさせ、たたうがみをおしひらきて、いつくをかきて、だいしゆのなかへなげいだされたり。そのことばにいはく、「しゆとのらんあくをいたすは、まえんのしよぎやうか。めいわうのせいしをくはふるは、ぜんぜいのかごなり」とぞかかれたりける。
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しよしこのいつぴつをささげて、さしもどどめく大衆のまへごとにひろうす。ある大衆是をみて、「おもしろくもかかれたるいつぴつかな」とて、はらはらとぞなきける。大衆めんめんに、「げんにおもしろくかきたり」とかんじあひて、時忠をひつぱるにおよばず、しずまりにけり。大衆しづまりてのち、山門の訴訟たつすべきよしのせんじをぞひろうせられける。そのときこそ共なりつるものどもも、事がらよげにみえければ、ここかしこよりいできたりて、しゆうをもてなし奉けれ。時忠いつしいつくをもつて、さんたふさんぜんの衆徒のいきどほりをやすめ、ここうをのがれけるこそありがたけれ。さんじやうらくちゆうの人々、かんじあへる事かぎりなし。「山門の衆徒ははつかうのかまびすしきばかりかとこそぞんじつれ。ことわりをもしりたりけるにこそ。いかでかごせいばい
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なかるべき」など、おのおのまうしあひけり。さてときただのきやう、院のごしよへまゐられたりければ、「さても衆徒のしよぎやうはいかに」と、とりあへずおんたづねありけり。時忠、「おほかたともかくもまうすにおよばずさうらふ。たださんわうだいしのたすけさせ給たるとばかりぞんじて、はふはふにげくだりて候。いそぎごさいほうあるべくさうらふ」とそうもんせられければ、このうへは法皇ちからおよばせ給はずして、廿日、かがのかみふぢはらのもろたかげくわんして、をはりのくにへはいるせらるべきよし、せんげせらる。そのじやうにいはく、じゆごゐのじやうかがのかみふぢはらのあつそんもろたか、くわんをときくらゐををはりのくににおふこと。しきじのかみうちゆうべんけんさひやうゑのかみみつよしのあつそんおほす。しやうけいべつたうただまさおほす。うせうべんふぢはらのみつまさ、さだいしをつきのすみもとにおほせて
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くわんぶをつくらしむ。さんぎたひらのよりさだのきやう、せうなごんふぢはらのまさもとら、おんまつりごとごいんくわんぷ。またおほせていはく、けんびゐしうゑもんのさくわんなかはらのしげなり、はやくはいしよへおひつかはすべしてへれば、こんげつじふさんにち、えいさんのしゆと、ひよしのやしろへんしよをささげ、ちよくせいをかろんぜしめ、ぢんちゆうにみだれいらしむるによつて、けいごのともがら、きようたうをあひふせきしあひだ、そのやあやまりてしんよにあたること、はからずといへども、なんぞそのとがをおこなはざる。よろしくけんびゐしにおほせて、たひらのとしいへ、おなじくいへかぬ、ふぢはらのみちひさ、おなじくなりなほ、おなじくみつかげ、たつかひとしゆきらをめして、きんごくせしめたまはるべきものなり。かがのかみもろたかるざい、ならびにしんよをいたてまつるくわんびやうどもろくにんきんごくのこと、こんにちすでに
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せんげしをはんぬ。くだんのあひだのことにつうこれをつかはす。このむねをもつて、さんじやうにひろうせしめたまふべきよし、さうらふところなり。きようきようきんげん。四月廿日 ごんのちゆうなごんふぢはらのみつよししつたうのほふげんごばうへとぞかかれたりける。おつてがきにいはく、きんごくのくわんびやうらがけふみやう、さんじやうにさだめてふしんせしむるか。よつてないないくはしくしりつきのけふみやうをあひたづね、いつつうあひそへられさうらふところなり。きんごくにんら、たひらのとしいへあざなはへいじ、これはさつまのにふだういへすゑがまご、なかづかさのじよういへすけがこ。おなじくいへかぬあざなはへいご、こちくぜんのにふだういへさだがまご、へいないたらういへ
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つぐがこ。ふぢはらのみちひさあざなはかとうだ、おなじくなりなほあざなはさうじふらう、うまのじようなりたかがこ。おなじくみつかげあざなはしんじらう、さきのさゑもんのじようただきよがこ。たつかひとしゆき、なんばのごらうとうなり。かやうにこそはしるされけれ。もくだいもろつねをばびぜんのこくふへながされにけり。
四十 廿八日ゐのときばかりに、ひぐちのとみのこうぢよりひいできたる。をりふしたつみのかぜはげしくふきて、きやうぢゆうおほくやけにけり。つひにはだいりにふきつけて、しゆしやくもんよりはじめて、おうでんもん、くわいしやうもん、だいこくでん、ぶらくゐん、しよしはつしやう、だいがくれう、しんごんゐん、くわんがくゐん、こくさうゐん、ふゆつぎの
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おとどのかんゐんどの、これたかのみこのをののみや、くわんしようじやうのこうばいどの、むめどの、ももどの、よしあきらのおとどのたかまつどの、ぐへいしんわうのあきをこのみしちくさどの、さんだいのみかどのたんじやうし給しきやうごくどの、ちゆうじんこうのそめどの、せいわのゐんの、ていじんこうのこいちでうのゐん、やまぶきさきしこにでうのゐん、せうぜんこうのほりかはどの、かやのごてん、かうやうゐん、くわんぺいのほふわうのていじのゐん、えいらいのさんゐのやまのゐどの、しうんたちしきんたふの大納言のしでうのみや、しんぜんゑんのとうさんでう、おにどの、まつどの、はとのゐどの、たちばなのいつせい、ごでうのきさきのとうごでう、とほるのおとどのかはらのゐん、かやうのめいしよ三十
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よかしよ、くぎやうのいへだにも十六かしよ、やけにけり。ましててんじやうびと、しよだいぶのいへはかずをしらず、ちをはらひてやけにけり。ひぐちとみのこうぢよりすぢかへにいぬゐのかたをさして、くるまのわばかりなるほむらとびゆきければ、おそろしといふもおろかなり。これただことにあらず。ひとへにえいさんより、さるおほくまつにひをつけて、きやうぢゆうをやくとぞ、人のゆめにみえたりける。だいこくでんはせいわてんわうのおんとき、ぢやうぐわん十八年四月九日はじめてやけたりければ、おなじき十九年正月九日、やうぜいのゐんのおんくらゐはぶらくゐんにてぞありける。
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ぐわんきやう元年四月廿一日ことはじめありて、同三年十月八日にぞざうひつせられける。ごれんぜいのゐんのぎよう、てんき五年四月廿一日に又やけにけり。ぢりやくしねん八月二日ことはじめありて、どうねん十月十日むねあげありけれども、ざうひつせられずして、ごれんぜいのゐんはかくれさせたまひぬ。ごさんでうのゐんのぎよう、えんきう四年十月十日つくりいだして、ぎやうがうありつつえんくわいおこなはる。ぶんじんしをけんじ、がくにんがくをそうす。このだいりはしゐのせうなごんにふだうしんせいちよくせんをうけたまはり、くにのつひえもなくたみのわづらひもなくして、いちりやうねんの
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間にざうひつして、ぎやうがうなしたてまつりしだいり也。今はよの末になりて、くにのちからおとろへて、又つくりいださむ事もかたくやあらんずらむと、なげきあへり。
平家物語第一本
延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語 二(第一末)
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一 てんだいざすめいうんそうじやうくじやうをとどめらるること
二 しちのみやてんだいざすにふしたまふこと
三 めいうんそうじやうるざいにさだまる事
四 明雲僧正いづのくにへながさるること
五 さんもんのだいしゆざすをとりかへしたてまつること
六 いちぎやうあじやりるざいのこと
七 ただのくらんどゆきつなちゆうげんの事
八 だいじやうにふだうぐんびやうもよほしあつめらるること
九 大政入道ゐんのごしよへつかひをまゐらする事
十 しんだいなごんめしとること
十一 さいくわうほふしをからめとること
十二 新大納言をいため奉る事
十三 しげもりだいなごんのしざいをまうしなだめたまふこと
十四 なりちかのきやうのきたのかたのたちしのびたまふこと
十五 なりちかのきやうしりよなきこと
十六 たんばのせうしやうなりつねにしはつでうへめさるること
十七 へいざいしやうたんばのせうしやうをまうしうけたまふこと
十八 しげもりちちにけうくんのこと
十九 重盛ぐんびやうをあつめらるることつけたりしうのいうわうのこと
廿 さいくわうくびきらるること
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廿一 成親るざいのこと付鳥羽殿にて御遊事成親備前国へつく事
廿二 むほんの人々めしきんぜらるること
廿三 もろたかをはりのくににてちゆうせらるること
廿四 たんばの少将ふくはらへめしくださるること
廿五 かるのだいじんのこと
廿六 しきぶのたいふまさつなのこと
廿七 成親卿しゆつけのこと付かの北方備前へ使を被遣事
廿八 なりつねやすよりしゆんくわんらいわうのしまへながさるること
廿九 康頼いわうのしまにくまのをいはひたてまつること
卅 康頼ほんぐうにてさいもんよむこと
卅一 康頼がうた都へつたはる事
卅二 かんわうのつかひにそぶをここくへつかはさるること
卅三 もとやすがせいすいじにこもること付康頼が夢の事
卅四 成親卿うしなはれたまふこと
卅五 成親卿のきたのかたきんだちらしゆつけのこと
卅六 さぬきのゐんのおんこと
卅七 さいぎやうさぬきのゐんのむしよにまうづる事
卅八 うぢのあくさふぞうくわんとうの事
卅九 さんでうのゐんのおんこと
四十 けいせいとうばうにいづる事
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平家物語第一末
一 五月いつかのひ、てんだいざすめいうんそうじやう、くじやうをとどめらる。くらんどをつかはしてによいりんのごほんぞんをめしかへし、ごぢそうをかいえきせらる。すなはちちやうのつかひをつけて、こんどしんよをささげたてまつりてぢんとうへまゐりたるだいしゆのちやうぼんをめさる。かがのくににざすのごばうりやうあり。もろたかこれをちやうはいのあひだ、そのしゆくいによつてもんとの大衆をかたらひて、そしようをいだす。すでにてうかのおんだいじにおよぶよし、さいくわうほふしふしざんそうのあひだ、ほふわうおほきにげきりんあつて、ことにぢゆうくわにおこなふべきよしおぼしめしけり。めいうんはかやうに法皇のごきしよくあしかりければ、いんやくをかへし奉りて、
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ざすをじしまうされけり。
(二) 十一日、しちのみや、天台ざすにならせ給。とばのゐんのだいしちのみや、こしやうれんゐんのだいそうじやう、かうげんのおんでしなり。
(三) 十二日、さきのざすしよしよくをとどめらるるうへ、けんびゐしににんをつけてすいくわのせめにおよぶ。このことによりて、大衆又そうじやうをささげていきどほりまうす。なほさんらくすべきよしきこえければ、だいりならびにほふぢゆうじどのにぐんびやうをめしあつめらる。きやうぢゆうのきせんさわぎあへり。大臣、くぎやうはせまゐる。廿日、さきのざすざいくわのことせんぎあるべしとて、大政大臣いげ、くぎやう十三人さんだいしてぢんのざにつきてさだめまうさる。はつでうのちゆうなごんながかたのきやう、そのときはうだいべんのさいしやうにておわしけるが、まうされ
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けるは、「ほつけのかんがへまうすにまかせて、しざいいつとうをげんじて、をんるせらるべしといへども、めいうんそうじやうはけんみつけんがくしてじやうぎやうぢりつなり。かいしゆひかりあきらかにして、いつてんのしたにかかやき、ぢやうすいながれふかくして、しかいのうへにすめり。さんみつのけうぼふみなもとをきはめて、はるかにけいくわはふせんのこふうをあふぎ、ごびやうのちすいそこをはらひて、とほくふくうむゐのせいりうをくむ。ちゑかうきにしていつさんのくわんじゆたり、とくぎやうぶさうにしてさんぜんのくわしやうたり。そのうへめいわうせいしゆにはいちじようほつけのしはんたり。だいじやうほふわうにはゑんとんじゆかいのくわしやうたり。ごきやうごかいのしぢゆうくわにおこなはるること、みやうのせうらんはかりがたし。げんぞくをんるのぎをいうせられば、てんがたいへんのもとゐたるべきか」と、はばかるところなくまうされければ、だいじやうだいじんもろながこうよりはじめて、じふさん
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にんのくぎやうおのおの、「ながかたさだめまうさるるぎにどうず」とまうされけれども、法皇のおんいきどほりふかかりければ、なほるざいにさだまりにけり。大政入道もこの事まうしとどめむとてまゐられたりけれども、おんかぜのけとおほせられて、ごぜんへもめされざりければ、いきどほりふかくしていでられにけり。
(四) 廿一日、さきのざすめいうんそうじやうをば、そうのるざいせらるるれいとて、とえんをめしかへされて、だいなごんんのたいふふぢゐのまつえだといふぞくみやうをつけて、いづのくにへながさるべきよし、せんげせらる。皆人かたぶけまうしけれども、さいくわうほふしがむしつのざんそうによりて、かくおこなはれけり。そのときいかなる者かよみたりけん、ふだにかきてたてたりけり。
まつえだはみなさかもぎにきりはててやまにはざすにすべきものなし K014
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(五) しゆと是をききて、西光法師ふしがみやうじをかきつつ、こんぽんちゆうだうにおはしますじふにじんのとらがみにあたり給へる、こんぴらだいしやうのおんあしのしたにふませ奉て、「じふにじんじやう、しちせんやしや、じこくをめぐらさず、さいくわうもろたかふしがひとつのたましひをめしとりたまへ」と、しゆそしけるこそ、きくもおそろしけれ。」こよひ都をいだしたてまつれ」と、院宣きびしくて、おひたてのけんびゐし、しらかはのごばうに参て、そのよしを申ければ、廿三日、しらかはのごばうをいでさせ給て、いづのくにのはいしよへおもむき給ふおんありさまこそかなしけれ。きのふまでは三千人のくわんじゆとあふがれて、よはうごしにこそのりたまひつるに、あやしげなるてんまに、ゆひぐらといふ物をおきてのせ奉る。いつくしげ
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なる御手に、みなずいしやうのごねんじゆをもち給へるを、なはたづなにとりぐしてまへわにうつぶしいれて、みなれたまひしおんでし一人もつきたてまつらず、もんとの大衆もみおくり奉らず。くわんにんどものさきにおひたてられて、せきよりひがしにおもむき給ふ御心の内、ちゆううのたびとぞおぼしめしける。夢に夢みるここちして、ながるる涙におんめくれ、ゆくさきもみへ給はず。是をみたてまつるじやうげのしよにん、涙をながさぬはなかりけり。ひも既にくれにければ、あはたぐちのへん、いつさいきやうのべつしよといふところに、しばしやすらひ給ふ。よをまちあかして、つぎのひのむまのときばかりに、あはづのこくぶんじのだうにたちいりて、しばらくやすみ給ふ。これによつてまんざんのだいしゆ、一人ものこりとどまらずひがしざかもとへくだりつつ、じふぜんじの
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おんまへにしゆゑしてせんぎしけるは、「そもそもわがやまは、ぶつにちせうりんのち、ほつすいかうりうのみぎりなり。ゆゑにきうがくのかうさい、くびすをつぎて、てんだいさんぐわんのつきをもてあそび、こうしんのしやうそ、りんめうをなして、しけうごんじつのたまをみがく。ぐわつしくもはるかにして、じゆれいのしていをさいてんのむかしにへだつといへどもじちゐきひかりあきらかにして、まつたくがわうのだいほふをとうぜんのいまにえたり。りやうぜんのはつまんかたちをかへて、さんぜんよにんのがくとにのつとり、ぢじゆうのじふかい、すがたをやつしてとうざいりようごんのぶんくわんをささぐ。ぶつにちひかりをやはらげて、しめいのみねにいちじようののりをひろめ、かくげつちりにおなじくして、たいれいのふもとにはつさうのきをととのふ。まことにじちゐきぶじのれいさん、てんがぶさうのしようちなり。またざすのくわしやうとは、ぶつけうのあうしをきはめて、かうゐのすうはんにのぼり、いつさんのくわんじゆとあふがれて、さん
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ぜんのとうりやうたり。りやうがいさんぶはばんれんのかがみ、だいにちへんぜうのひほふにくもりなく、いちじようごりつはしんえんのみづ、ぶつしゆほふかいのしようもんになみしづかなり。ゐふうとほくあふぎてこずゑをなびかし、じうんあつくおほひてまんざんうるほひをうく。しくわんのまどにひぢをくたして、たねんなんがくてんだいのみなもとをたづね、ゆがのだんにこころをすまして、すさいりゆうちりゆうみやうのながれをくむ。くわんじゆといひ、さんじやうといひ、たれか是をかろしめむ。なかんづく、でんげう、じかく、ちしようさんだいのおんことはまうすにおよばず。ぎしんくわしやうよりこのかた五十五だい、いまだてんだいざするざいのれいをきかず。まつだいといへどもいかでかわがやまにきずをばつくべき。せんずるところ三千の大衆、みをわがやまのくわんじゆにかへ奉り、いのちをばいわうさんわうにまゐらす。あはづへまかりむかひて、くわんじゆをとりとどめたてまつるべし。ただしおつたてのくわんにん、りやう
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そうしあむなればとりえたてまつらむ事かたし。さんわうだいしのおんちからよりほかたのむかたなし。ことゆゑなくとりえたてまつるべくは、只今しるしみせ給へ」と、三千人の衆徒いちどうにかんたんをくだきてきねんす。ややひさしくありて、一人のものつきくるひいでて、しばらくくるひをどる。ごたいよりあせをながして申けるは、「よは末なれどもじつげついまだちにおちず。くにはいやしけれどもれいじんひかりをかかやかす。ここにくわんじゆめいうんは、わがやまのほふとう、三千のえこたり。しかるをつみなくしてたこくにうつされむ事、いつさんのかきん、しやうじやうせせにこころうかるべし。さらむにとりては、われこのやまのふもとにあとをとどめても、なにかはせむ。ほんどへこそかへらむずらめ」とて、そでをかほにをしあてて、さめざめとなきければ、大衆是をあやしみて、「まことにさんわうのごたくせんならば、われらがねんじゆを
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たてまつりたらむをすこしもたがへずもとのぬしぬしへかへしたまふべし」とて、衆徒らねんじゆをどうじにほうぜんへなげたりければ、ものつき是をことごとくひろひあつめて、もとのぬしぬしへいちいちにくばりわたしてけり。誠にわがやまのしちしやごんげんのれいげんのあらたにおわしますかたじけなさに、大衆涙をながしつつ、「さらばとうとうむかへ奉れや」とて、あるいはべうべうたるしがからさきのはまぢにこまにむちうつ衆徒もあり。あるいはまんまんたるやまだやばせのこしやうに、ふねにさをさす大衆もあり。ひがしざかもとよりあはづへつづきて、こくぶんじのだうにおわしましけるざすをとりとどめ奉りければ、きびしげなりつるおつたてのくわんにんもみへず、りやうそうしもいづちかゆきぬらむ、うせにけり。座主はおほきにおそれたまひて、「ちよくかんの者は
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つきひのひかりにだにもあたらずとこそ申せ。じこくをめぐらさずおひくださるべきよしせんげせらるるに、しばらくもやすらふべからず。衆徒とくとくかへりのぼりたまへ」とて、はしぢかくゐいでて宣けるは、「さんたいくわいもんのいへをいでて、しめいけいきよくのまどにいりしよりこのかた、ひろくゑんしゆうのけうぼふをがくして、ただわがやまのこうりゆうをのみおもひ、こくかをいのり奉る事もおろそかならず。もんとをはぐくむこころざしもふかかりき。みにあやまつ事なし。りやうじよさんしやうさだめてせうらんしたまふらむ。むしつのざんそうによりてをんるのぢゆうくわをかうぶる、これぜんぜのしゆくごふにてこそはあらめとおもへば、よをも人をもかみをもほとけをも、さらにうらみ奉る事なし。是までとぶらひきたり給へる衆徒のはうじんこそまうしつくしが
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たけれ」とて、涙にむせび給ふ。かうぞめのおんそでもしぼるばかりなり。是をみ奉て、そこばくの大衆もみな涙をながす。やがておんこしよせてのせたてまつらむとしければ、「昔こそ三千人のくわんじゆたりしかども、今はかかるさまになりたれば、いかでかやむごとなきしゆがくしや、ちゑふかきだいとくたちにはかかげささげられて、わがやまへはかへりのぼるべき。わらうづなむどいふ物はきて、おなじさまにあゆみつづきてこそのぼりさうらはめ」とて、のり給はざりければ、かかるらんげきの中なれども、よろづものあはれなりけるに、さいたふのにしだににかいじやうばうのあじやりいうけいとて、さんたふにきこへたるあくそうありけり。さんまいかぶとをゐくびにきなし、くろかはをどしのおほあらめのくさずりながなるに、三尺五
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寸のおほなぎなたのちのはのごとくなるをつき、「大衆のおんなかにまうしさうらわむ」とて、さしこへさしこへわけゆきて、ざすのおんまへに参りて、かぶとをぬきて、やぶの方へがはとなげいれければ、しもべのほふしばらとりてけり。なぎなたわきにはさみ、ひざをかがめて申けるは、「かやうに御心よわくわたらせたまふによりて、いつさんにきずをもつけさせたまひ、こころうきめをもごらんぜられ候ぞかし。くわんじゆは三千人の衆徒にかはりてるざいのせんじをかうぶりたまふに、三千人のしゆとは、貫首にかはり奉りて命をうしなふとも、なにのうれひかあらむ。とくとくおんこしに奉り候べし」と申て、座主のおんてをむずととりて、おんこしにかきのせ奉りければ、座主わななくわななくのりたまひぬ。やがていうけいこしのせん
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ぢんをかく。ごぢんはわかきだいしゆ、ぎやうにんなむどかき奉る。あはづよりとりのとぶがごとくしてとうざんするに、いうけいあじやりは一度もかわらざりけり。なぎなたのえもこしのながえも、くだくばかりぞみへたりける。ごぢんこらへずしておのおのかはりけり。さしもさがしきひがしざかをへいぢをあゆむにことならず、だいかうだうのにはにかきすへ奉る。あはづへくだらぬ、ぎやうぶにかなわぬらうそうどもは、「このこといかやうにあるべきぞや。ひごろはいつさんのくわんじゆとあふぎたてまつりつれども、今はちよくかんをかうぶりたまひてをんるせらるる人を、よこどりにとりとどむる事、しじゆういかがあるべかるらむ」なむどぎするともがらもありければ、いうけいすこしもはばからず、あふぎひらきつかひて、胸をしあけ、むないたきらめかして申けるは、
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「わがやまはこれにつぽんぶさうのれいち、ちんごこくかのだうぢやうなり。さんわうのごゐくわういよいよさかりにして、ぶつぽふわうぽふごかくなり。しゆとのいしゆもよさんにこえ、いやしきこぼふしばらにいたるまで、よもつてなほかろしめず。いかにいはむやめいうんそうじやうはちゑかうきにしていつさんのくわしやうたり。とくぎやうぶさうにして三千のくわんじゆたり。しかるを今つみなくしてつみをかうぶり給事、これしかしながらさんじやうらくちゆうのいきどほり、こうぶくをんじやうのあざけりか。かなしきかな。このときにあたりて、けんみつのあるじをうしなひて、しくわんのまどにまへにはけいせつのつとめすたれ、さんみつのだんのうへにごまのけぶりのたえむこと、こころうきことにあらずや。誠にちゆうとにしてとどめたてまつるゐちよくのざいくわのがれがたくは、しよせん、いうけいこん
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どさんたふのちやうぼんにさされて、きんごくるざいせられ、かうべをはねらるること、まつたくいたみぞんずべからず。かつうはこんじやうのめんぼく、めいどのおもひでたるべし」とかうしやうにののしりて、さうがんより涙をながしければ、まんざんのしゆと是をききて、おいたるもわかきも、みなころもの袖をしぼりつつ、「もつとももつとも」といちどうす。やがて座主をかき奉りて、とうだふのみなみだにめうくわうばうへいれ奉る。それよりいうけいをば、いみやうには、いかめばうとなづけたり。そのでし、けいかいりつしをばこいかめそのでしてきけいびぜんのちゆうきをばまごいかめと申けるとかや。
六 ときのわうざいはごんげの人ものがれざりけるにや、たいたうのいちぎやうあじやりは、げんそうくわうていの時、むしつのうたがひによりてつみをかうぶることあり
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けり。そのゆゑはげんそうのきさきにやうきひといふ人おわしき。もとよりせんぢよなりければ、ほうらいきゆうへかへりたまふべきときもちかくなりにけり。おんせうとのやうこくちゆうをめして宣けるは、「ぶつぜんぶつごのちゆうげんにうまれて、しやくそんじしのきべつにもれ、ぎやうぢゆうざぐわのまうねんにしづみて、しやうじるてんのごふいんをむすぶ。さんがいところひろけれども、みなこれうゐむじやうのさかひ、ししやうかたちおほけれども、またこれしやうじやひつめつのたぐひなり。これによつて、じふりきむゐのそん、じやくめつをさうりんのあらしにまかせ、ろくてんじやうめうのたのしみ、たいもつをごすいのつゆにかなしむ。ゑしやぢやうりのことわり、とうたいのけぶりにみえ、らうせうふぢやうのならひ、なんもんのかぜにきこゆ。みかどにわかれたてまつるべきときのちかづきたるやらむ、このほどはむなさわぎうちして、はかなきゆめのみみへ
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て、つねに心のすむぞとよ」と宣ければ、「なんぶふぢやうのすまい、しよそんのめうたいをたのみたてまつり、そくさいえんじゆのもとゐ、ぼさつじやうかいにしくはなし。かのいちぎやうは、かいしゆをみがきてひかりをまし、しらをおりていろあざやかなり。かれをめししやうじてさんまやかいをうけさせ給べし」と申ければ、いちぎやうをめしてだうぢやうをかざる。ささぐるところは、さんやしきのはな、ぶつぜんにそなへていろあざやかなり。そなふるところは、さうもくひやくくわのかう、だうぢやうにくんじてにほひかんばし。しかれども、みかどのおんゆるされなからむにはたやすくかいをさづけたてまつりがたきむねを申さる。そのとききひののたまはく、「くわしやうはぼさつのぎやうをたてて、いつさいしゆじやうをみちびきたまふなるに、なんぞわがみひとりにかぎりて、かいをさづけたまはざるべきや」とうらみたまひければ、さらばとて、なぬかななよ、ぼさつ
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じやうかいをさづけたてまつらる。そのころ、あんろくさんといひける大臣、かんしんをさしはさみて、やうこくちゆうをうしなひて、国のまつりごとをとらばやと思心ふかくして、ついでをもとめけるをりふし、この事をもれききて、ひそかにくわうていに申けるは、「きさきすでにみかどにふたごころおわしまして、やうこくちゆうに御心をあはせて、いちぎやうにちかづきたまふことあむなり。きみうちとけたまふべからず」と。みかど是をきこしめして、「きひわれに志あさからず。いちぎやうまたきそうなり。なにゆゑにか只今さることあるべき」とおもひたまひけれども、じつぷをしりたまはむが為に、やうきひのまことのすがたをすこしもたがへずゑにかきて、たてまつるべき由をいちぎやうにおほせらる。一行たいたういちのにせゑのじやうずにておわしければ、かかるはかりことありともしりたまはず、ふでをつくしてきひのかたちをうつしてまゐらせらるる程に、いかがしたり
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けむ、ふでをとりはづして、きひのほぞの程にあたりて、すみをつけてけり。「きひのはだへにはははくそといふ物のありけるとかや。かきなをさばや」とはおもはれけれども、みかどをそしとせめたまひければたてまつりぬ。みかどこれをみたまひて、「あんろくさんはまことをいひけり。一行、きひにちかづかずはいかでかはだへなるははくそをばしるべき」とて、すなはちいちぎやうをくわらこくといふくにへながさる。くだんのくにはふるきわうぐうなりければ、かのくにへくだるみちみつあり。ひとつのみちをばりんちだうといふ。このみちはごかうのみちなり。ひとつのみちをばいうちだうとなづく。きせんじやうげをきらはずゆきかよふみち也。いまひとつのみちをばあんけつだうとなづけたり。ぼんくわの者いできぬれば、ながしつかはすみちなり。このみちはしたにみづたんたんとしてきはぞなく、上にはじつげつせいしゆくの光もみへ給はず。
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なぬかななよそらをみずしてゆくみちなりければ、みやうみやうとしててんくらく、ぎやうぶにせんどのみちみへず。しんしんとして人もなく、かんこくのとりのひとこゑもなく、さこそは心細くかなしくおもひたまひけめ。おもひやられてあはれなり。いちぎやうむしつによりてをんるのつみをかうぶる事をてんたうあはれみたまひて、くえうのかたちをげんじてまもりたまふ。一行ずいきのあまりに、みぎのゆびをくひきりて、ひだりのさんえのたもとに、くえうのかたちをうつしとどめたまひにけり。くわらのづとて、わがてうまでもよにるふする、くえうのまんだらとまうすは、すなはちこれなり。いちぎやうあじやりとまうすはりゆうみやうぼさつよりはろくだい、りゆうちあざりよりは五代、こんがうちさんざうよりはしだい、ふくうさんざうよりは三代、ぜんむゐさんざうのおんでし也。
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「ひとをきるやいばはくちよりいで、これをきる。ひとをころすたねは、みよりいで、これをうう」といふほんもんにたがはず。だいしゆせんざすをとりとどめたてまつるよし、法皇きこしめして、いとどやすからずおぼしめされける上に、さいくわうにふだうないないまうしけるは、「昔より山門の大衆、みだりがはしきそしようつかまつる事は今にはじめねども、いまだこれほどのらうぜきうけたまはりおよばず。こんどゆるにごさたあらば、よはよにてもあるべからず。よくよくおんいましめあるべし」とぞ申ける。みの只今にめつせむずる事をもかへりみず、さんわうのしんりよにもはばからず、かやうにのみ申て、いとどしんきんをなやまし奉る、あさましきことなりけり。「ざんしんはくにをみだりとふはいへをやぶると」みへたり。「そうらんしげからむとほつすれども、しうふうこれをやぶる。わうしやあきらかならむとほつすれども、ざんしんこれをかくす」ともいへり。まことなるかな。このことをぶけにおほせ
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られけれども、すすまざりければ、新大納言いげのきんじゆのともがら、ぶしをあつめて山をせめらるべき由さたありけり。物にもおぼへぬわかき人々、ほくめんのげらふなむどはきようある事におもひて、いさみあへり。すこしも物の心をもわきまへたる人は、「ただいまだいじいできなむず。こはこころうきわざかな」となげきあへり。またないない大衆をもこしらへ、おほせのありければ、ゐんぜんのどどくだるもかたじけなければ、わうどにはらまれながら、じやうめいをたいかんせむもおそれありければ、おもひかへしなびきたてまつる衆徒も有けり。ざすはめうくわうばうにおはしましけるが、だいしゆふたごころありとききたまひぬれば、なにとなりなむずるみやらむとぞおぼしめされける。
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七 なりちかのきやうは山門のさうどうによつて、わたくしのしゆくいをばおさへられけり。そもないぎしたくはさまざまなりけれども、ぎせいばかりにてそのことかなふべしともみへざりけり。そのなかにただのくらんどゆきつなさしもちぎりふかくたのまれたりけるが、このことむやくなりとおもふこころつきにけり。さてゆぶくろのれうに新大納言よりえたりける五十たんのぬのども、ひたたれこばかまにたちぬひて、いへのこらうどうにきせつつ、めうちしばたたきてゐたりけるが、思けるは、「つらつら平家のはんじやうするありさまをみるに、たうじたやすくかたぶけがたし。大納言のかたらはれたるつはものいくほどなし。よしなきことによりきしてけり。もしこのこともれぬる物ならば、ちゆうせられ
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む事うたがひなし。かひなきいのちこそたいせつなれ。たにんのくちよりもれぬさきにかへりちゆうして、いのちいきなむ」とおもひて、五月廿九日、ようちふけてだいじやうにふだうのもとへゆきむかひて、「ゆきつなこそまうすべきことあつて参て候へ」と申ければ、「つねにもまゐらぬ者のただいまよなかにきたるこそこころえね。何事ぞ。きけ」とて、へいごんのかみもりとほがこ、しゆめのはんぐわんもりくにをいだされたり。「人づてにまうすべきことにあらず。ぢきにげんざんにいりて申べし」と申ければ、入道、うまのかみしげひらあひぐして、ちゆうもんのらうにいであひて、入道宣けるは、「ろくぐわつぶれいとてひもとかせ給へ。入道もびやくえに候」とて、しろかたびらにしろきおほくちふみくくみて、すずしのこそでうちかけて、左のてにうちがたなひつさげ
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て、かまうちはつかはる。「このよはまうにふけぬらむ。いかに何事におわしたるにか」。ゆきつなちかぢかとさしよりて、こごゑになりてささやき申けるは、「いとしのびてまうすべきことさうらひて、ひるはひとめのつつましさに、わざとよるにまぎれてまゐりてさうらふ。ゐんぢゆうの人々ひやうぐをととのへ、ぐんびやうをめしあつめらるる事をば、しろしめされて候やらむ」と申ければ、「いさ、それは山の大衆をせめらるべしとこそうけたまはれ」と、いと事もなげにのたまひければ、「そのぎにては候はず」とて、ひごろつきごろ、新大納言をはじめとして、しゆんくわんがししのたにのさんざうにてよりあひよりあひないぎしたくしける事、「それはとこそまうしさうらひしか、かくこそ申候しか」と、人のよきこといひたるをば
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わがまうしたりしといひ、わがあつこうしたりしをば人のまうしたるにかたりなし、五十たんのぬのの事をばいつたんもいひいださず、ありのままにはさしすぎて、やうやうさまざまの事どもとりつけてくはしく申ければ、入道おほきにおどろきて宣けるは、「ほうげんへいぢよりこのかた、君のおんために命をすつる事すでにたびたびなり。人々いかに申とも、きみ君にてわたらせ給はば、いかでか入道をばししそんぞんまでもすてさせ給べき。おそれながら君もくやしくこそわたらせ給はむずらめ。そもそもこのことは院はいちぢやうしろしめされたるか」と宣ければ、「しさいにやおよびさうらふ。大納言のぐんびやうもよほされさうらひしも、院宣とてこそもよほされさうらひしか」。そのほかもさまざまの事共いひちらして、「いとままうして」
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とてかへりにけり。入道おほごゑにてさぶらひどもをよびて、ののしりしかられけるけしき、もんぐわいまできこへければ、ゆきつなたしかなるしようにんにもぞたつとて、あなおそろしとて、のにひをつけたるここちして、人もをはぬにとりばかまをして、いそぎはせかへりぬ。
八 入道さだよしをめして、「むほんのものどものあんなるぞ。さぶらひどもきとめしあつめよ。いつかの人々にもおのおのふれ申せ」と宣ければ、めんめんに使をはしらかしてこのよしを申に、およそいづれもいづれもさわぎあひて、われさきにとはせあつまる。うだいしやうむねもり、さんゐのちゆうじやうとももり、うまのかみしげひらをはじめとして、人々、さぶらひ、らうどう、おのおのかつちうをよろひ、きゆうせんをたいしてはせつどふ。そのせいうんかのごとし。
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よなかに五千よきになりにけり。
九 六月ひとひのひ、いまだほのぐらき程に、入道のけんびゐしあべのすけなりをめして、「ゐんのごしよへまゐりてだいぜんのだいぶのぶなりをよびいだして申さむやうはよな、『きんじゆにさうらふものどものほしいままにてうおんにほこるあまりに、よをみだらむとつかまつるよしうけたまはりさうらへばたづねさたつかまつるべし』と申せ」とて、まゐらする。すけなりいそぎ院の御所へ参て、のぶなりをよびいだしてこのよしをまうしければ、のぶなりいろをうしなひて、ごぜんにさんじてそうもんしけれども、ふんみやうのおんぺんじなかりけり。「この事こそえ御心得なけれ。こは何事ぞ」とばかりおほせあり。すけなりいそぎはせかへりてこのよしを申ければ、入道、「よもおんぺんじあらじ。なにとかはおほせあるべき。
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はや君もしらせ給たりけり。ゆきつなはまことをいひけり」とて、いかられけり。
十 そののちざつしきをもつて、「しんだいなごんのもとにゆきて、『まうしあはせたてまつるべきことあり。いそぎわたらせ給へ』と申べし」とのたまひければ、つかひはしりつきてこのやうを申す。大納言、「あはれ、是はれいの山の大衆の事を院へ申さむずるにや。このことはゆゆしくおんいきどほりふかげなり。かなふまじき物を」など思て、わがみの上とはつゆしり給はで、いそぎいでられけるこそはかなけれ。はちえふの車のあざやかなるに、さきはしり三人、さぶらひ三四人めしぐして、うへきよげなるほういたをやかにきなして、ざつしき、うしかひにいたるまで、つねのしゆつしよりはすこしひきつくろひたるていにて
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ぞいでられける。それもさいごのあり
きとはのちにこそおもひあはせたまひけめとあはれなり。入道のをわするにしはつでうちかくやりよせて、そのほどをみ給へば、しごちやうにぐんびやうじゆうまんせり。「あなをびたたし。いかなる事ぞ」とむねうち騒ぎて、車よりおり給たれば、もんのうちにもつはもの所もなくたちこみて、只今事のいでたるていなり。ちゆうもんのとにおそろしげなる者二人たちむかひて、大納言のさうのてをとりてひつぱりて、うつぶさまになげふせて、「いましめ奉べきか」と申。入道殿、「きのふまではゐんのごしよ、わたくしどころにてもかたをならべしけいしやう也。今こそかたきとはならむからに」と、いかれる心にもかはゆくや思はれけむ、「しからずとも」とて、つといりたまひぬ。
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そののち、つはもの十よにんきたりてぜんごさうにたちかこみ、てんにもあげずちにもつけず、なかにひきくくつて、上へひきのぼせ奉り、ひとまなる所にをしこめつ。大納言ゆめのここちして、あきれて物も宣はず。是をみて、ともにありつるしよだいぶ、さぶらひも、ざつしき、うつかひわらはも、うし、くるまをすててしはうへにげうせぬ。大納言は六月のさしもあつきころ、ひとまなる所にこめられて、しやうぞくもくつろげずおはしければ、あつさたへがたし。涙もあせもあらそひてぞながれける。「わがひごろのあらましごとのきこへにけるにこそ。いかなる者のもらしつらむ。ほくめんのともがらの中にぞあらむ。こまつのおとどはみへ給はぬやらむ。さりともおもひはなち給はじ物を」とおもはれけれ
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ども、たれしてのたまふべしともなければ、涙をこぼし、あせをながしてぞおはしける。
十一 そののち、入道、ちくごのかみいへさだ、ひだのかみかげいへをめして、「むほんのともがらのそのかずあり。ほくめんのものどもひとりももらさずからめとるべき」よしげぢし給ければ、あるいは一二百き、あるいは二三百き、おしよせおしよせみなからめとりて、いましめおきけり。そのなかにさゑもんのにふだうさいくわう、こんぽんよりきの者なりければ、「かまへてからめにがすな」とて、まつらのたらうしげとしがうけたまはりにて、はうべんをつけてうかがひける程に、ゐんのごしよにて人々の事にあひけることどもききて、人の上ともおぼへずあさましと思て、あからさまにわたくしのしゆくしよにいでて、すなはち又御所へ参けるに、
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もののぐしたるぶし七八人ばかりさきにたちたり。うしろの方にも十よにんありとみて、このよのならひなれば、武士にはめもみかけず、あしばやにあゆみけるを、さきにまちかけたる武士、「はつでうのにふだうどのより、『きとたちよりたまへ。いそぎまうしあはすべきことあり』とおほせられさうらふ」といひければ、さいくわうすこしせきめんして、にがわらひて、「くじにつけて申べき事候。やがて参り候べし」といひて、あゆみすぎんとするに、うしろにきつる武士、「やは、にふだうほどの者の何事をかは君にまうすべき。よのだいじひきいだして、われも人もわづらひあり。物ないはせそ」とて、うちふせてなはつけて、武士十よにんが中におひたててゆきて、八条にて、「かく」とまうしいれたりければ、もんよりうちへもいれら
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れず。すなはちしげとしがうけたまはりにて事のおこりをたづねられければ、はじめはおほきにあらがひ申て、わがみにあやまらぬよしをちんじければ、入道おほきにはらをたてて、らんけいにかけてうちせためてとひければ、あることなきことおちにけり。はくじやうかかせてはんせさせて入道に奉る。入道是をみ給て、「さいくわうとりて参れ」と宣ければ、しげとしがいへのこらうどう、そらにもつけずちにもつけず、ちゆうにさげて参たり。やがてめんだうのまがきの前にひきすへたり。入道は、ちやうけんのひたたれに、くろいとをどしのはらまきに、こがねづくりのたち、かもめじりにはきなして、上うらなしふみちぎりて、すのこのへんにたたれたり。そのけしきやくなげにぞみへられける。さて西光をにらまへて
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宣けるは、「いかにおのれほどのやつは入道をばかたぶけむとはするぞ。もとよりげらふのくわぶんしつるはかかるぞとよ。あれ程のやつぱらをめしあげて、なさるまじきくわんしよくをなしたびてめしつかはせたまふあひだ、をやこともにくわぶんのふるまひするものかなとみしにあはせて、つみもおはせぬてんだいざすざんし奉て、をんるにまうしおこなひて、てんがのだいじひきいだして、あまつさへこのことにこんげんよりきの者とききおきたり。そのしさいつぶさに申せ」と宣ければ、西光もとよりさるげの者なりければ、すこしもいろもへんぜず、わるびれたるけしきもなくて、あざわらひて、「いでしりうごとせむ」とて申けるは、「ゐんぢゆうにめしつかはるるみにて候へば、しつしのべつたう、新大納言殿のゐんぜんとてもよほされ
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さうらひし事に、くみせずとは、いかでか申候べき。くみしてさうらひき。ただしみみにとどまるおんことばをもつかはせたまふものかな。たにんの前はしらず、西光が前にては、くわぶんのおんことばをば、えこそつかはせ給まじけれ。みざりし事か、殿はこぎやうぶきやうのとののちやくしにてわたらせ給しかども、十四五さいまではじよしやくをだにもし給はず、かぶりをだにもたまはらせ給はで、けいぼのいけのにこうのあはれみて、とうぢゆうなごんいへなりのきやうのもとへ時々申よりたまひし時は、『あは、ろくはらのふかすみのたかへいだのとほるは』とこそきやうわらはべはゆびをさしてまうししか。そののち、こきやうのとの、かいぞくのちやうぼん卅よにんからめいだされたりしくんこうのしやうに、いんじほうえんのころかとよ、おんとし十七か八
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かの程にてしゐして、しゐのひやうゑのすけになりたまひたりしをこそ、ゆゆしきことかなと、よもつてかたぶき申しか。おなじきわうそんといひながら、すだいひさしくなりくだりて、てんじやうのまじはりをだにもきらはれて、やみうちにせられむとしたまひし人のこにて、いまかたじけなくもそくけつのくわんをうばひとりて、大政大臣になりあがりて、あまつさへ天下をわがままに思給へり。是をこそくわぶんとは申べけれ。さぶらひほんの者のじゆりやう、けんびゐし、ゆげひのじようになる事ははうれいなきにあらず。なにかは過分なるべき。入道こそくわぶんよ。入道こそくわぶんよ」と、ゐたけだかになりて、ことばもたばわずさんざんに申ければ、入道あまりにいかりて物も宣はず。しばらくありて、「西光めさうなくくびきるな。よくよく
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さひなめ」とのたまひければ、重俊が郎等つとよりて、ふときしもとを以て七十五度のがうじんをくはへたり。西光心はたけかりけれども、もとよりもんぞんせられたる上、しもとみにしみてじゆつなかりければ、のこりなくおちにけり。はくじやう四五枚にきせられたり。ややひさしくありて、うちのかたより人のあしおとたからかにしてきたりければ、大納言はただいまうしなわれなむずるやらむと、きもこころをけしてゐられたりけるに、入道、大納言のおはしけるうしろのしやうじをあららかにさつとあけられたり。そけんのころものみじからかなるに、しろきおほくちふみくくみて、ひじりづかの刀ををしくつろげて、おほきにいかれるけしきにて、大納言をにらまへて
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宣けるは、「やや大納言殿。ひととせ、へいぢのげきらんのとき、のぶより、よしともらにごどうしんあつて、てうてきとなり給たりし時、ゑちごのちゆうじやうとて、しまずりのひたたれ、こばかまきて、をりえぼしひきたてて、ろくはらのむまやの前にひきすへられておわせしかば、つみにさだまりてすでにちゆうせられたまふべきにておはせしを、だいふとかくしてまうしなだめたりしかば、『しちだいまでのまもりのかみとならむ』と、てをあはせてなくなくのたまひし事はわすれたまひたるな。人はみめかたちのなだらかなるをば人とはまうさぬぞ。おんをしるをもつて人とは申ぞ。わどののやうなる者をこそ、人のかはをきたるちくしやうとはいへ。さればなんのくわたいによりて、たうけを
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ほろぼすべきよしのごけつこうありけるやらむ。されどもびうんのつきざるによりて、このことあらはれてむかへまうしたり。ひごろのごけつこうのしだい、只今ぢきに承候べし」とのたまひければ、大納言涙をながして、「れんしんにとりてはまつたくあやまりたる事なく候。人のざんげんにてぞ候らん。くはしくおんたづねあるべく候」と宣ければ、入道いはせもはてず、「さいくわうほふしがはくじやうまひらせよ」と宣へば、もちて参たり。入道ひきひろげて、くりかへしたからかににへんまでよまれたり。なりちかのきやうをはじめとして、しゆんくわんがししのたにのばうにて平家をほろぼすべきけつこうのしだい、法皇のごかう、やすよりがたふへん、いちじとしてもるる所なし。四五枚にしるされたり。「是はいかに。このうへは
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はちんにやおよぶべき。これはどこをあらがふぞ。あらにくや」とて、はくじやうを大納言になげかけて、しやうじをはたとたててかへりたまひけるが、なほはらをすへかね給て、
十二 「つねとほ、かねやすはなきか」と宣ければ、つねとほ、かねやす、すゑさだ、もりくに、もりとしなむど参りたりければ、「たがげぢにて、あの大納言をばしやうじの内へはのぼせけるぞ。あれつぼにひきおろしてとりてふせて、したたかにさいなみて、おめかせよ」と宣ければ、つねとほいげのつはものどもつとよりて、大納言をにはにひきおとす。そのなかにすゑさだはもとよりなさけある者にて、大納言をとりてをさへて、ひだりてにて大納言のくびをつよく
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とるやうにして、さすがにつよくとらず、みぎてにて大納言のむねををすやうにして、つよくをさず。すゑさだがくちを大納言のみみにさしあてて、「入道のきかせたまひさうらふやうに、只おんこゑをたててをめかせ給へ」とささやきければ、大納言声をあげてふたこゑみこゑをめかれけるを、入道きき給て、「只をしころせやをしころせや」とぞ宣ける。そのありさまめもあてられず。ぢごくにてごくそつあはうらせつのじやうはりのかがみにざいにんをひきむけて、ぜんぜにつくりし所のごふによりて、かしやくのつゑをくはへ、ごふのはかりにかけてきやうぢゆうをただして、「いにんのあくをつくりいにんのくほうをうくるにあらず。じごふじとくくわしゆじやうみなかくのごとし」といひて、けいばつをおこなふ
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らむもかくやとおぼえてむざん也。「せうはん、とらはれとらはれて、かんはう、にらぎすされたり。てうそ、りくをうけ、しうぎ、つみせらる。そのよ、めいをたすけ、こうをたつるし、かぎ、あぶのともがら、みなまことにめいせいのさいなり。しやうしやうのそなへをいだけり。しかるに、せうじんのざんをうけて、ならびにくわはいのうれへをうく」といへり。せうが、はんくわひ、かむしん、はうえつ、みなかうそのこうしんたりしかども、かくのみこそありけれ。「たうてうにもかぎらず、わがてうにもほうげんへいぢのころはあさましかりし事共もありしぞかし。新大納言一人にもかぎるまじ。こはいかがはせむずる」と、ひとなげきあへり。かくしてすゑさだのきにけり。大納言はんしはんしやうにぞみへられける。内大臣こののちいとひさしくありて、えぼしひたたれにて、
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しそくの少将、車のしりにのせて、ゑふ四五人、ずいじん二三人ばかりめしぐして、それらもみなほういにて、もののぐしたる者一人もぐせずして、のどやかにてをはしたり。入道をはじめ奉りて、人々思はずに思給へり。「いかに、これほどのだいじのいできたるに」と人々宣ければ、「何事かはあるべき」と宣けるにこそ、人々みなしらけにけれ。ひやうぐをたいしたる者、そぞろきてぞありける。だいふ、「さるにても大納言をばなにとしてけるやらん。今の程にはしざいるざいにはよもおよばれじ」とおぼしめして、みまはし給へば、さぶらひのしやうじのかみに、おほきなるきをもつて、くもでをゆひちがへたるひとまなる所あり。ひごろかかる所ありとも思はぬに、にはかにいでき
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たりければ、「あはれここに大納言をばこめたるよな」とおぼして、只今こそとほるよし、きとをとなはれたりければ、あんのごとく大納言くもでのあひよりだいふをみつけて、ぢごくにてぢざうぼさつをみ奉りたらむも、是にはすぎじとうれしくて、「是はいかなる事にて候ぞ。あやまりたる事も候はぬ物を。さておはしませば、さりともとこそ思奉て候へ」とて、はらはらとなきたまふもむざんなり。大臣は、「人のざんげんにてぞ候らむ。おんいのちばかりはまうしうけばやとこそ思給へども、それもいかが候はんずらむ」と、たのもしげなく宣へば、「心うし。へいぢのらんの時、うせぬべかりしに、ごおんをかうぶりて、命をいけられ奉て、じやうにゐのだいな
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ごんにいたり、としすでによそぢあまりになりはべりぬ。しやうじやうせせにほうじつくし奉りがたくこそ思給へ。このたびのいのちばかりをおなじくはいけさせ給へ。かしらをそりてかうや、こかはにもこもりて、ひとすぢにごせのつとめをせむ」とのたまふもあはれなり。「しげもりかくて候へば、さりともとおぼしめすべし。おんいのちにもかはり奉るべし」とてたたれければ、かくのたまふにつけてもただかひなき涙のみぞながれける。「少将もめしやとられぬらむ。のこりとどまるあとのありさまもいかなるらむ。をさなきものどももおぼつかなし」。わがみの御事はさることにて、是をおぼしつづくるに、むねせきあげて、あつさもたへがたきに、くるるをまたで、命もたえぬべくぞおぼしける。うちのおとどのおはしつる程はいささかなぐさむここちもしつるに、いとことばずくなにて
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かへりたまひてのちは、今すこし物もおそろしくかなしくぞおぼされける。
(十三) おほいとの、入道の前におわしたりければ、入道のたまひけるは、「大納言のむほんの事はきかれたるか」。「さんざうらふ。みなうけたまはりて候」。「さていかやうなるつみにおこなはるべきにて候やらむ。事もおろかかや、只今きらむずる物を」と宣ければ、おとど宣けるは、「さてはふびんのことこそさうらふなれ。大納言をうしなはん事はよくよくおんぱからひさうらふべし。ろくでうのしゆりのだいぶあきすゑのきやう、しらかはのゐんにめしつかはれ奉りしよりこのかた、いへひさしくなりて、すでにくらゐじやうにゐ、くわんだいなごんまでのぼりて、たうじも君のおんいとをしみの者なるを、たちまちにかうべをはねられん事、いかがあるべかるらむ。さることいかでか候べき。都のほかへいだされ
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たらむにことたりさうらひなん。かくはきこしめせども、もしひがことにてもさうらはば、いよいよふびんの事に候はずや。きたののてんじんはしへいのおとどのざんそうによつて、えんぎのみかどにながされ奉り、にしのみやのだいじんはただのしんぼちがざんげんによつて、あんわのみかどにながされたまひき。おのおのむしつなりけれども、るざいせられたまひにき。これみなえんぎのせいしゆ、あんわのみかどのおんひがこととこそまうしつたへたれ。しやうこなほかくのごとし。いはむやまつだいをや。けんわうなほおんあやまりあり。いはむやぼんぶをや。くはしくおんたづねもあるべし、よくよくごしゆいもあるべし。物さはがしき事は、こうくわいさきにたたずとこそ申せ。すでにかくめしおかれぬる上は、いそぎうしなはれずとてもなんのくるしみかあるべき。『つみのうたがはしきをばこれ
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かろんぜよ。こうのうたがはしきをばこれおもんぜよ』とこそまうしつたへてさうらへ。いかさまにもこよひかうべをきらむ事はしかるべからず」と宣ければ、入道なほ心ゆかず、へんじもし給はざりければ、内大臣かさねてまうされけるは、「まうすむねごしよういんなくは、まづ一人におほせつけてまづ重盛がくびをめさるべくさうらふ。そののちおんこころにまかせてふるまひおわしまし候へ。重盛かの大納言のいもうとにあひぐして候。これもりまた大納言のむこなり。かやうにしたしくまかりなりて候へばとて、まうすとやおぼしめされ候らん。いかにもそのぎにては候はず。よのためたみのためきみのためいへのためをぞんじてまうしさうらふなり。ひととせほうげんのげきらんのとき、こせうなごんのにふだうしんせい、たまたましつけんの時にあひあたり、ほんてうにたえてひさしくなりにししざいをまうしおこなひて、
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さふのしがいをじつけんせられし事なむどは、あまりなるおんまつりごととこそおぼえさうらひしか。こじんのまうされさうらひしは、『しざいをおこなはれば、むほんのともがらたゆべからず』と。このことばはたしてなかにねんありて、へいぢにこといでて、しんせいがうづまれたりしをほりをこして、かうべをきりてわたしき。ほうげんにおこなひし事たちまちにむくいて、みの上にむかわりにけりとおもひあはせられて、おそろしくこそさうらひしか。是はさせるてうてきにもあらず。かたがたおそれあるべし。おんみのごえいぐわのこるところなければ、今はおぼしめしのこす御事なけれども、ししそんぞんまでもはんじやうこそあらまほしけれ。『せきぜんのいへにはよけいあり。せきあくのかどにはよあうとどまる』とこそ承れ。しうのぶんわうはたいこうばうにめいぜられて、
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しじよこをおそれ、たうのたいそうはちやううんこをきりてのち、ごふくのそうをもちゐらる。又、『ぜんをおこなへばすなはちちようをやすめてこれをほうず。あくをおこなへばすなはちちようをとがめてこれにしたがふ』なむども申たり。又、『よををさむる事はことをならすがごとし。たいげんきふなる時は、せうげんたえできる』とこそ、てんりやくのみかどもおほせられさうらひけれ」なむど、こまごまとこしらへまうされければ、げにもとやおもはれけむ、こよひきるべき事は思なだめて、そのひはくれにけり。内大臣はかくこしらへをきてかへり給けるが、なほこころやすからずおぼえて、さもしかるべきさぶらひどもをめして宣けるは、「おほせなればとて、重盛にいひあはせずして、さうなく大納言をうしなふことあるべからず。はらのたちたまふままにものさはがし[*この一字不要]しき事あらば、こうくわいさきにたつまじ。ひがこと
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しいだして重盛うらむな」といましめられければ、ぶしどもしたをふりておそれあへり。「つねとほ、かねやすなむどが大納言になさけなくあたりたりける事、かへすがへすきくはい也。されば重盛がかへりきかむ所をばいかでかはばからざるべき。ただきよ、かげいへていの者ならば、たとひ入道殿いかにおほせらるとも、かくはよもあらじ。かたゐなかの者はかかるぞとよ」と宣ければ、なんばのじらう、せのをのたらうもおそれいりたりけり。
十四 さて大納言のともしたりける者共はしりかへりて、「大納言殿ははつでうどのにめしこめられたまひぬ。ゆふさりうしなひたてまつるべしとて、くるるをまつと承りつる」と、ありつるありさまをなくなく申ければ、きたのかたよりはじめて、
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なんによ声をあげてをめきさけぶ。さこそかなしかりけめ。ことわりおしはからる。ゆめかやゆめかやとおもへども、うつつにてぞありける。「いかにかくてはわたらせたまふぞ。かなはざらむまでもたちしのばせ給へ。少将殿をはじめたてまつりて、きんだちまでめされさせ給べしとこそ承りつれ」と、涙もかきあへず申あひければ、「これほどの事になりて、のこりとどまるみどもあんをんにても、なむのかひかはあるべき。いかにも只ひとところにてともかくもならむこそほんいなれ。けさをかぎりと思はざりける事のかなしさよ」とて、ふしまろびてなき給ふ。「すでにつはものきたりなむ」と人申ければ、かくてはぢがましくあらむ事も、さすがなるべければ、「ひとまどなり
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ともたちしのびたまはん」とていで給ふ。しりかしらともなきをさなきひとども、とりのせて、いづくをさしてゆくともなく、やりいだしつ。うしかひ、「これはいづちへつかまつるべきにて候やらん」と申ければ、「きたやまのかたへ」と車のうちより宣へば、おほみやをのぼりに、きたやまのうんりんゐんのへんまでをはしにけり。そのへんなるそうばうにおろしすへ奉りて、おくりのものどももみみのすてがたければ、おのおのいとま申てかへりにけり。今はかひなきをさなきひとびとばかりとどまりゐて、たのもしきひとひとりもなくておはしけむ北方の御心のうち、おしはかられていとほし。ひのくれゆくかげをみたまふにつけても、大納言のつゆの命、こよひをかぎるなりとおもひやられてきえいる
ここちぞせられける。にようばう、さぶらひどももかちはだしにてはぢ
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をもしらずまどひいでにけり。かちゆうのみぐるしき物をとりしたたむるにもおよばず。かどはとびらをひらくとも、おしたつるまたものもなし。馬はむまやにたてれども、くさかひなづる人もなし。よあくればしやばかどにたちて、ひんかくざにつらなれり。あそびたはぶれまひ躍り、よをよとも思はず。きんりんの人は物をだにもたかくいはず、もんぜんをすぐる者もおぢおそれてこそ、きのふまでもありつるに、よのまにかはりゆくありさま、じやうしやひつすいのことわり、めの前にこそあらはれけれ。よもやうやくふけければ、大納言は只今うしなはるべしとききたまひければ、「命のあらん事もいまばかりなり。たれにかこのよに思をく事いひをかん。北方をさなきものどももいかがなりぬらん。あはれ、ことづけを今一度せばや。しなむ
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事はちからおよばぬ事なれども、是が心にかかるこそよみぢのさはりなれ」とおぼしつづけて、さめざめとなき給もことわりなり。こよひばかりの命なれば、「今や今や」とまつほどに、よもあけがたになりにけり。「大納言殿はこよひとこそききつるに、いかに今まではさたなきやらん。もしおんいのちのたすかり給はんずるにや」とて、武士どももよろこびあへり。
(十五) おほかたこの大納言は、おおけなくしりよなき心したる人にて、人のききとがめぬべき事をもかへりみ給はず、つねにたはぶれにがき人にて、はかなきことどもをものたまひすごす事もありけり。ごしらかはのゐんのきんじゆしや、ばうもんのちゆうなごんちかのぶといふ人をはしき。ちちうきやうのだいぶのぶすけのあつそん、むさしのかみたりし時、かのくにへくだられたりしにもうけられたり
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けるこなり。げんぶくしてじよしやくしたまひたりければ、ばんどうたいふとぞ申ける。院にさうらひ給ければ、ひやうゑのすけになりにけり。又ばんどうのひやうゑのすけなむど申けるを、ゆゆしくほいなき事に思いれられたりける程に、新大納言、法皇のごぜんにさうらはれける時、たはぶれにや、「ちかのぶ、ばんどうに何事どもかある」とまうされたりければ、とりもあへず、「なはめのいろかはこそおほく候へ」とへんたふせられたりければ、なりちかのきやう、かほげしきすこしかはりて、又物も宣はざりけり。人々あまたさうらはれけり。あぜちのにふだうすけかたも候はれけり。のちに宣けるは、「ひやうゑのすけはゆゆしくへんたふしたりつるものかな。ことのほかにこそにがりたりつれ」とまうされけるとかや。
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へいぢのげきらんの時、この大納言の事にあはれし事をまうされたりけり。
延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
十六 しんだいなごんのちやくし、たんばのせうしやうなりつね、とし廿一になりたまふは、ゐんのごしよにうへぶしして、いまだまかりいでられぬ程なりけるに、大納言のおんもとなりつるさぶらひ一人、ゐんのごしよへはせ参て申けるは、「大納言殿は、けさにしはつでうどのにめしこめられさせたまひぬ。こよひうしなひたてまつるべきよしきこへ候。きんだちも皆めされ給べしとこそうけたまはりつれ」と申ければ、「こはいかに」とあきれ給て、物もおぼへ給はず。「さりともさいしやうのもとよりは、かくと申されんずらん」とおもひたまひしほどに、さいしやうのもとよりつかひあり。「ぐし奉てきたれと八条よりまうされたり。と
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くとくわたりたまへ」。こはいかなる事にや、あさましともをろかなり。少将はきんじゆにておはしけるひやうゑのすけといふ女房をたづねいだして、「かかるしようしこそさうらふなれ。よべよりせけん物さはがしとうけたまはれば、れいのやまのだいしゆのくだるやらんなむど、よそに思て候へば、みの上にてさうらうひけり。ごぜんへも参候て、今一度君をもみまゐらせ候べきに、今はかかるみにて候へば、はばかりぞんじさうらひてまかりいでさうらひぬと、ひろうせさせ給へ」とのたまひもあへずなき給ふ。ひごろなれ給つる女房たちあまたいできたりて、あさましがりてなきあへり。「なりつね八才にてげんざんにまかりいりてよりは、よるひるさうらひて、しよらうなむどの候はぬかぎりは、ひとひもごしよへ参らぬ事
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もさうらはざりつ。君のおんいとをしみかたじけなくて、てうぼにりようがんにしせきし奉て、てうおんにのみあきみちて、あかしくらし候つるに、いかなるめをみるべきにて候やらん、大納言もこよひしざいにおこなはるべしとうけたまはりさうらふ。ちちのさやうにまかりなりさうらひなん上は、なりつねがみもどうざいにこそおこなはれさうらはんずらめ」といひつづけて、かりぎぬのそでもしぼるばかりなり。よそのたもともしぼりあへず。兵衛佐ごぜんに参てこのよしをまうされければ、法皇もおほきにおどろかせたまひて、「これらがないないはかりし事もれにけるよな」とおぼしめすもあさましし。「けさしやうこくのつかひありつるに、こといでぬとはおぼしめしつ。さるにてもこれへ」とごきしよくありければ、「よはおそろしけれども今一度君をもみ奉らん」とおもはれければ、ごぜんへまゐられたりけ
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れども、君もおほせやりたるかたもなし。りようがんより御涙をながさせ給ふ。少将もまうしのべたるかたもなし。そでをかほにをしあててまかりいでられぬ。又もんまではるかにみおくりて、ごしよぢゆうの女房たち、かぎりのなごりををしみ、しぼらぬたもともなかりけり。法皇もうしろをはるかにみおくらせ給て、御涙をのごはせ給て、「又ごらんぜぬ事もや」とおぼしめすぞかたじけなき。「まつだいこそうたてく心うけれ。あながちにかくしもやあるべき」とぞおほせられける。ちかくめしつかへける人々も、「さらに人の上とおもふべきにあらず。いかなる事かあらむずらん」と、やすき心なし。少将はさいしやうのもとへおはしたれば、このことききつるより、少将の北方は、あきれまどひて物もおぼへず、いとほしきていにてぞおはしける。ちかくさんし
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給べき人にて、なにとなくひごろもなやみ給つるに、かかるあさましき事をききたまへば、いとどふししづみたまふもことわりなり。少将はけさよりながるるなみだつきせぬに、北方のけしきをみたまふに、いとどせむかたなくぞおぼさる。「せめてはこのひとみをみとならむをみをきて、いかにもならばや」とおもはれけるも、せめての事とおぼえていとほし。ろくでうとてとしごろつきたてまつりたるめのとの女房ありけり。このことをきくより、ふしまろび、もだへこがるる事なのめならず。少将のそでにとりつきて、「いかにやいかに。君のちの中にをはしまししをとりあげまひらせて、あらひあげ奉て、いとほしかなしとおもひそめ奉りしより、ふゆのさむきあしたには、しとねをあたためてすへ奉り、なつのあつきよは、すずしき所にふせ奉て、あけてもくれてもこの御事よりほか、又い
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となむ事なし。わがとしのつもるをばしらず、人となり給はん事をのみ思て、よのあくるをもひのくるるをもこころもとなくて、廿一年をおくりををしたて奉て、ゐんうちへ参りたまひても、おそくもいでたまへばおぼつかなくこひしくのみ思奉りつるに、こはいづくへおはしますべきぞや。すてられ奉て、いちにちへんしもいきて有べしとこそおぼへね」と、くどきたててなくにも、「さこそおもふらめ」とおぼせば、少将涙をおさへて、「いたくなおもひそ。わがみあやまらねば、さりともとこそ思へ。さいしやうさておはすれば、いのちばかりはなどかまうしうけられざるべき」と、なぐさめ給へども、ひとめもしらずなきもだうるもむざん也。八条よりとて使あり。
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「おそし」とあれば、「いかさまにも参りむかひてこそは、ともかくも申さめ」とて、宰相いで給へば、車にのりぐして、少将もいでたまひぬ。なきひとをとりいだすやうにみおくりてなきあへり。ほうげんへいぢよりこのかたは、平家の人々はたのしみさかえはあれども、うれへなげきはなかりつるに、かどわきの宰相こそ、よしなかりけるむこゆゑに、かかるなげきをせられけるこそふびんなれ。
十七 八条ちかくやりよせてみれば、そのしごちやうに武士じゅうまんして、いくせんまんといふかずをしらず。いとどおそろしなむどはいふはかりなし。少将は是をみ給につけても、大納言の御事おぼすぞかなしき。宰相、車をばもんぐわいにとどめて、あんないを申給へば、「少将をばうちへはいれ
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たまふべからず」と有ければ、そのへんちかきさぶらひのいへにをろしおきて、宰相うちへいりたまひぬ。みもしらぬつはものあまたきたりて、ゐめぐりてまもり申す。少将はたのみたりつる宰相はいりたまひぬ、いとど心ぼそくかなし。宰相いりてみ給へば、おほかたうちのありさま、武士どものひそめきあへるさま、誠にをびたたし。「のりもりこそまゐりて候へ。げんざんにいらん」とのたまひけれども、入道いであひ給はざりければ、すゑさだをよびて宰相まうされけるは、「よしなき者にしたしくなりて、かへすがへすくやしく候へども、かひも候はず。なりつねにあひぐしてさうらふもの、いたくもだへこがれさうらふが、おんあいのみち、ちからおよばざる事にて、むざんにおぼえさうらふ。ちかくさんすべき者にて候が、いかに候やらん。ひ
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ごろなやみ候つるが、このなげきうちそひさうらひなば、みみともならぬさきに、命もたえさうらひなんず。たすけばやと思候て、おそれながらかくまうしいれさうらふ。なりつねばかりをばまうしあづかりさうらはばや。のりもりかくて候へば、いかでかひがことせさせ候べき。おぼつかなくおぼしめさるべからず」と、なくなく申給。すゑさだこのよしを入道に申ければ、よに心えずげにて、とみにへんじも宣はず。宰相ちゆうもんにて、いかにいかにとまち給ふ。ややひさしくありて、入道宣けるは、「なりちかのきやう、このいちもんをほろぼして、てんがをみだらんとするくはたて有けり。しかれどもいつかのうんつきぬによつて、この事あらはれたり。少将は既にかの大納言のちやくし也。したしくをはすとても、えこそなだめ申まじけれ。かのくはたてとげましかば、それごへんとても
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をだくしてやおわすべき。いかにおんみの上のだいじをばかくは宣ぞ。むこもこもみにまさるべきかは」と、すこしもゆるぎなく宣へば、季貞かへりいでて、このよしを申ければ、宰相おほきにほいなげに思給て、おしかへし宣けるは、「かやうにおほせらるる上をかさねてまうすは、そのおそれふかけれども、心のうちに思はんほどの事をのこさむもくちをしければまうすぞ。季貞今一度よくよく申せよ。さんぬるほうげん、へいぢりやうどのかつせんにも、みをすてておん命にかはり奉らんとこそ思しか。是よりのちなりとも、荒き風をばまづふせかむとこそ思給へ。のりもりこそ今はとしまかりよりてさうらへども、わかきものどもあまた候へば、おんだいじもあらむ時は、などかいつぱうのおんかためとも
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ならで候べき。それに教盛がたのみ奉りたる程は、つやつやおぼしめされ候はざり
けり。成経をしらばくまかりあづからむと申を、おぼつかなくおぼしめして、おんゆるされのなからむは、既にふたごころある者とおぼしめすにこそ。是程にうしろめたなき物におもはれたてまつりて、よに有てはいかにかはすべき。よにあらば又いかばかりの事かは有べき。今は只、みのいとまをたまはりて、出家入道して、かたやまでらにもこもりゐて、ごしやうぼだいのつとめをつかまつるべし。よしなきうきよのまじはり也。よにあればこそのぞみもあれ。のぞみのかなはねばこそうらみもあれ。しかじ、只よをのがれてまことのみちにいらんには」と宣へば、季貞、にがにがしき事かなと思て、この由をくはしく入道に申ければ、「物に心えぬ人かな」とて、又へんじも宣はず。季貞申けるは、「宰相どのは
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おぼしめしきりたるおんけしきにて渡らせたまひさうらふめり。よくよくおんぱからひあるべくや候らん」と申ければ、その時入道宣けるは、「まづごしゆつけあるべしとおほせられさうらふなるこそ、おどろきぞんじ候へ。おほかたは、是程にうらみられまゐらせ候べしとこそぞんじ候はねども、それほどのおほせにおよばむ上は少将をばしばらくごしゆくしよにをかれ候べし」と、しぶしぶにありければ、宰相よろこびていでたまひにけり。少将はなにとなくたのもしげに思て、「いかに」ととひたまふもあはれ也。宰相おもはれけるは、「あなむざんやな。わがみにかへてまうさざらむにはかなふまじかりつる者の命ぞかし。人のこをあまたもつ事はむやくの事かな。わがこのえんにむすぼをれざらんには、人の上の事にこそみるべき者の事を、みの上になして、きもこころをけすこそよしな
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けれ」とおぼされければ、「いさとよ。入道殿のいきどほりなのめならずふかげにて、のりもりにはたいめんもし給はず。かなふまじき由たびたびのたまひつれども、季貞をもつて、『出家入道をもせむ』とまで申たりつればやらん、『しばらくしゆくしよにをきたまへ』とばかりのたまひつれども、しじゆうよかるべしともおぼへず」と宣ければ、少将申されけるは、「なりつねごおんにてひとひの命ものび候けるにこそ。ひとひとてもをろかのぎにて候はず。たすかり候はん事こそしかるべく候へ。是につけさうらひても、大納言のゆくへ、いかがきこしめされ候つる」とのたまへば、宰相、「いさとよ。御事をこそとかく申候つれ。大納言殿の御事までは心もおよばず」と宣ければ、げにもことわりかなとおもへども、「大納言こ
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よひうしなはれ候はば、ごおんにて成経けふばかりいのちいきても、なににかはし候べき。しでのやまをももろともにこへ、かたときもをくれじとこそぞんじさうらへ。おなじごおんにて候はば、大納言のいかにもなりさうらはん所にて、ともかくもまかりなりさうらはばや。おなじくはさやうにまうしおこなはせおわしますべくや候らん」とて、さめざめとなかければ、宰相また心くるしげにて、「まことやらん、大納言の事をば、うちのをとどどのとかくまうされければ、こよひはのび給ぬるやらんとこそ、ほのききつれ。心やすく思給べし」と宣ければ、少将そのときてをあはせてよろこばれけり。「せめてこよひばかりなりとものび給へかし」とて、よろこばれけるをみ給けるにこそ、宰相又、「むざんやな。こならざらん者は、只今たれかは是
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程に、わがみの上をさしをいて、おぼつかなくも思ひ、のびたるをききて、みにしみてうれしく思べき。まことのおもひはふしのこころざしにこそとどめてけれ。こをば人のもつべかりける物を」とぞ、やがておもひかへされける。さて宰相は少将をぐしてかへり給ひければ、宰相のしゆくしよには、少将のいで給つるよりも、北方をはじめとして、ははうへ、めのとの六条ふししづみて、「いかなることをかきかむずらん」と、きもこころをまどはしておぼしめしける程に、「宰相かへり給」といひければ、いとどむねせきあげて、「うちすてておわするにこそ。いまだ命もおわせば、いかにいよいよ心ぼそくおぼすらむ」と、かなしく思はれけるに、「少将どのもかへらせ給」と、さきに人はしりむかひてつげ申たりければ、くるまよせにいでむかひて、まことかやとて、又声をととのへてなきあひ給へり。まことに宰
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相、少将のりぐして、かへり給へり。のちはしらず、かへりをはしたれば、しにたる人のそせいしたるやうにおぼえて、よろこびなきどもしあはれけり。この宰相の宿所は、かどわきとて、六波羅のそうもんのうちなれば、ほどへだたらず。入道たうじははつでうにおわしけれども、よもなほつつましくて、かどさししとみのかみばかりあけてぞおはしける。
十八 にふだうはかやうに人々あまたいましめをかれたりけれども、なほこころやすからずおもはれければ、「ぜんあく法皇をまづむかへとり奉て、このはつでうにおしこめまひらせて、いづちへもごかうなし奉らむ」とおもふこころ、つかれにけり。あかぢのにしきのひたたれに、しろがなものうちたるくろいとをどしのはらまきのむないたせめて、そのかみあきのかみにてじんばいせられけ
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る時、いつくしまのやしろよりれいむをかうぶりてまうけられたりける、しろかねのひるまきしたるひさうのてぼこの、常にまくらをはなたざりける、左わきにはさみて、ちゆうもんのらうにつといでてたたれたり。そのけしきゆゆしくぞみへられける。ひごのかみさだよしは、もくらんぢのひたたれに、ひをどしのよろひきて、おんまへにひざまづいて候。入道のたまひけるは、「さだよし、このこといかが思ふ。入道がぞんずるはひがことか。ひととせほうげんのげきらんの時、うまのすけをはじめとして、したしきものどもはなかばすぎてさぬきのゐんのみかたへ参りにき。いちのみやのおんことは、こきやうのとののやうくんにてわたらせたまひしかば、かたがたおもひはなちたてまつりがたかりしかども、こゐんのごゆいかいにまかせて、みかたにてさきをかけたりき。これいちのほうこうなりき。つぎにへい
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ぢのげきらんの時、のぶより、よしともがふるまひ、入道命ををしみてはかなふまじかりしを、命をすててきようどをおひおとして、てんがをしづむ。そののちつねむねこれかたをいましめしにいたるまで、君のおんために命をすてむとする事たびたびなり。たとひ人いかにまうすとも、入道がしそんをばいかでかすてさせ給べき。されば入道が事をいるかせにしまうさむ者をば、君ももつともおんいましめも有べきに、いましめらるるまでこそなからめ、大納言がざんにつかせ給て、なさけなく一門ついたうせらるべきよしのゐんぢゆうのごけつこうこそ、ゐこんのしだいなれ。このことゆきつなつげしらせずは、あらはるべしや。あらはれずは、入道あんをんにて有べしや。なほもほくめんのげらふどもがいさめまうす事なむどあらば、たうけついたうのゐんぜんくだされ
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ぬとおぼゆるぞ。てうてきとなりなむのちは、くやむにえき有まじ。よをしづめん程、せんとうをとばのきたどのへうつし奉るか、しからずはごかうをこれへなしたてまつらばやとおもふなり。そのぎならば、ほくめんのものどもの中に、やをもひとすぢいいだす者もありぬとおぼゆるぞ。さぶらひどもにそのよういせよとふるべし。おほかたは入道、ゐんがたのみやづかへおもひきりたり。きせながどもとりいだせ。馬にくらをかせよ」とぞげぢせられける。とばどのへのごかうとはきこへけれども、ないないは法皇をさいこくのかたへながしまゐらすべき由をぞぎせられける。しゆめのはんぐわんもりくに、このけしきをみたてまつりて、こまつどのにはせまゐりて、おほいとのに申けるは、「よは今はかうとみへ候。入道殿、既におんきせながをめされ候。さぶらひどもみなうつたちさうらふ。ほふぢゆうじどのへよせられ候。とばどのへのご
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かうとこそきこへ候へども、ないないは、さいこくのかたへごかうなるべきにて候やらんとこそ、うけたまはり候つれ。いかにこのごしよへは今までおんつかひは候はぬやらん」と、いきもつきあへず申ければ、ないだいじんおほきにさわがれけり。「いかでかさしもの事はあるべきとは思へども、けさの入道殿のおんけしき、さるものぐるはしき事もあらん」と、おぼされければ、だいふいそぎはせきたりたまふ。そのときもおなじくかつちうをよろうにおよばず。はちえふのめしぐるまのけしかるに、しそくのこれもり車のしりにのせて、ぢゆうだいつたはりたるからかはといふよろひ、こがらすといふたち、車のうちにないないよういしてもたれたり。ひきさがりてくらおきむまひかせたり。ゑふ四五人、ずいじん二三人めしぐして、しんかうにおよびて、けさのていにて、えぼ
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しなほしにておはしたりけり。にし八条にさしいりてみられければ、たかとうだい、さぶらひちゆうもんのつぼつぼにかきたてて、いちもんのけいしやううんかくすじふにん、おのおのおもひおもひのよろひひたたれに、色々のよろひきて、ちゆうもんのらうににぎやうにちやくざせられたり。ゑふ、しよし、しよこくのじゆりやうなむどはえんにゐこぼれて、つぼにもひしとなみゐたり。はたざをどもひきそばめ、馬のはるびをしめて、かぶとをひざの上におきて、只今かけいでむずるていとみへけるに、ないだいじんなほしにて、だいもんのさしぬきのそばとりて、ざやめきいられけり。ことのほかにこそみへられけれ。入道これをはるかにみつけて、すこしふしめにこそなられけれ。「れいのだいふが入道をへうするやうにふるまふは」とて、心えずげにおもはれたり。内大臣
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いささかもはばかるけしきなく、ゆらゆらとあゆみよつて、ちゆうもんのらうにつかれたり。弟のうだいしやうむねもりのきやうよりかみなるいちざに、むずとつかれたり。だいふしはうをみまはして、「いしげにさうおんけしきどもかな」とて、へしぐちせられけり。ひやうぢやうをたいしたる人々も、皆そぞろきてぞみへられける。きやくでんをみ給へば、大政入道のていそうじてきやうきやうなり。あかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのはらまききて、ひだりのかたにはくろいとをどしのよろひに、しらほしのかぶとかさねておかれたり。右のかたにはしろかねのひるまきしたるなぎなたたてて、ゐんのごしよか、しんかのもとへか、只今うちいりげなるけしきなりけるが、入道は是をみたまひて、こながらも、うちにはごかいをたもちてじひをさきとし、ほかにはごじやうを
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みだらず、れいぎをただしくし給ふしんなりければ、はらまきをきてあひむかはん事のおもはゆくやおもはれけん、しやうじをすこしひきたてて、はらまきの上にそけんのころもをひきかけて、むないたのかなもののはづれてきらめきてみへけるをかくさむと、しきりにころものむねをひきちがへひきちがへぞせられける。内大臣このけしきをみたまひて、「あなくちをし。入道殿にはよくてんぐつきたりけり」と、うとましくぞおもはれける。入道のたまひけるは、「そもそもこのあひだの事をさいくわうほふしにくはしくあひたづねさうらへば、なりちかのきやうふしがむほんのくはたてはしえふにてさうらひけるぞ。しんじつには法皇のごえいりよよりおぼしめしたたせたまふおんことにてさうらひけり。おほかたはちかごろよりいとしもなききんじゆしやどもが、をりにふれ時にしがたひて、さまざまの
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事をすすめまうすなるあひだ、ごきやうきやうの君にてわたらせ給ふ。いちじやうてんがのわづらひ、たうけのだいじひきいださせたまひぬとおぼゆる時に、法皇を是へむかへまひらせて、かたほとりにおひこめまひらせむとぞんずる事を、まうしあはせ奉らむとて、たびたびつかひをつかはしつる也」と宣へば、だいふ、「かしこまりてうけたまはりさうらひぬ」とばかりにて、さうがんより涙をはらはらとおとし給ふ。入道あさましとおぼして、「こはいかに」と宣へば、だいふしばらく物も宣はず。ややひさしくありて、なほしの袖にて涙をのごひはなうちかみ宣けるは、「なにかの事はしりさうらはず。まづおんすがたを見まひらせさうらふこそ、すこしもうつつともおぼへ候はね。さすがわがてうは、へんぢそくさんのさかひとまうしながら、てんせうだいじんのごしそん、国の
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あるじとして、あまつこやねのおんすゑ、てうのまつりごとをつかさどりたまひしよりこのかた、だいじやうだいじんの位にのぼるひと、かつちうをよろふ事、たやすかるべしともおぼえさうらはず。かたがたおんはばかりあるべくさうらふものを。なかんづくごしゆつけのおんみなり。それさんぜしよぶつ、げだつどうさうのほふえをぬぎすてて、たちまちにかつちうをたいしましまさん事、既にうちにははかいむざんのつみをまねきたまふのみにあらず、ほかには又じんぎれいちしんのほふにもそむきさうらひぬらんとこそおぼえさらへ。よくよくごえいぐわつきてみよのすゑになりて候とおぼえさうらふあひだ、あまりにかなしくおぼえさうらひて、ふかくのなみだのさきだち候ぞや。かたがたおそれあるまうしごとにて候へども、しばらく御心をしづめさせおわしまして、重盛が申候はん事をつぶさにきこしめされ候べし。かつうはさいごのまうしじやうなり。こころのそこにぞんぜん程のしいしゆを
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のこすべきにさうらはず。まづよにしおんとまうすことは、しよきやうのせつさうふどうにして、ないげのぞんぢ、おのおのべつなりといへども、しばらくしんぢくわんぎやうのだいはちのまきによらば、いちにはてんちのおん、ににはこくわうのおん、三はしちやうのおん、四にはしゆじやうのおん、これなり。これをしるをもつてじんりんとし、しらざるをもつてきちくとす。その中にもつともおもきはてうおんなり。ふてんのした、わうどにあらずといふことなし。しゆつとのひん、わうしんにあらずといふことなし。されば、かのえいせんのみづにみみをあらひ、しゆやうざんにわらびををりけるけんじんも、ちよくめいのそむきがたきれいぎをばぞんじてこそさうらふなれ。かたじけなくもごせんぞ、くわんむてんわうのごべうえい、かづらはらのしんわうのごこういんと申ながら、なかごろよりむげにくわんどもうちくだりて、わづかにげこくのじゆりやうをだにもゆるされでこそ候けるに、こぎやうぶきやうのとの、びぜんのくにこくむのとき、とばのゐんのごぐわん、
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とくぢやうじゆゐんをざうしんのけんじやうによつて、いへにひさしくたえたりしうちのしようでんをゆるされける時は、ばんにんくちびるをひるがへしけるとこそうけたまはりつたへて候へ。いかにいはむや、おんみ既にせんぞにもいまだはいにんのあとをきかざりし、大政大臣の位をきはめさせ給。おんすゑまただいじんのだいしやうにいたれり。いはゆる重盛なんどがふさいぐあんのみをもつて、れんぷくわいもんの位にいたる。しかのみならず、こくぐんなかばはいちもんのしよりやうなり。でんゑんことごとくかもんのしんじたり。これきたいのてうおんにあらずや。いまこれらのばくたいのてうおんをわすれて、君をかたぶけまゐらせましまさむ事、てんせうだいじん、しやうはちまんぐう、じつげつせいしゆく、けんらうぢじんまでもおんゆるされやさうらふべき。『君をそむく者は、ちかくは百日、とほくは三年をいでず』とこそまうしつたへたれ。もしまたゐんぜんにてむほんのおんくはたてありともひがことともぞんじさうらはず。つらつらしやうこをおもひさうらふに、なうそへいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかど
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をうちたりしも、けんじやうをおこなはれさうらひし事、じゆりやうにはすぎざりき。いよのにふだうよりよしがさだたふ、むねたふをちゆうりくし、むつのかみよしいへが、いへひらをほろぼしたりしも、いつかはしようじやうの位にのぼり、ふしのしやうにあづかりたりし。しかるをこのいちもんだいだいてうてきをついたうして、しかいのげきらうをしづむる事はぶさうのちゆうなれども、めんめんのおんしやうにおいては、ばうじやくぶじんともまうしつべし。されば、しやうとくたいしの十七かでうのけんぼふには、『ひとみなこころあり。こころおのおのしゆあり。かれをぜすればわれをひし、われをぜすればかれをひす。ぜひのり、たれかよくさだむべき。あひともにけんぐなり。たまきのごとくしてはしなし。ここをもつて、かのひといかるといふとも、かへりてわがとがをおそれよ』とこそ候へ。これによつて、きみことのついでをもつて、きくわいなりとおぼしめさん事は、もつともことわりにてこそ候へ。しかれどもごうんつきざるかによつて、このことすでにあらはれて、おほせあはせられさうらふひとびと、かやうにめしおかれ
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さうらひぬ。たとひ又君いかなる事をおぼしめしたちさうらふとも、しばらくなんのおそれかはをはしますべき。大納言いげのともがらに、しよたうのざいくわおこなはれさうらひなん上は、しろぞきて事のよしをちんじ申させたまひて、君のおんためにはいよいよほうこうのちゆうせつをつくし、たみの為にはますますぶいくのあいれんをいたさせ給はば、しんめいぶつだのおうごあさからず。みやうしゆぜんじんのかごしきりにして、君のおんまつりごとひきかへてすなをになるならば、げきしんたちまちにめつばうし、きようどすなはちたいさんして、しかいなみしづかにはちえんあらしをさまらん事、たなごこころをかへさんよりもなほすみやかなるべし。みだりがはしく法皇をかたぶけまゐらせましまさん事、しかるべしともおぼへさうらはず。『ふめいをもつてわうめいをじせず、わうめいをもつてふめいをじす。かじをもつてわうじをじせず、わうじをもつてかじをじす』ともはべり。またきみとしんとをなぞらふるに、しんそをわかず君につかへ奉るは、ちゆうしんのほふなり。だうりとひがこととをなぞらへんに、いかでか
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だうりにつかざらん。ここにおいては、君のおんだうりにてさうらへば、重盛にをきては、ごゐんざんのおんともをばつかまつるべしともぞんじさうらはず。かなはざらむまでも、ゐんぢゆうを守護し奉らばやとこそぞんじさうらへ。重盛、はじめろくゐにじよせしより、いまさんこうのすゑにつらなるまで、てうおんをかうぶる事、みにをひてすこぶるくわぶんなり。そのおもき事をろんずれば、せんくわばんくわのたまにもこえ、そのふかきいろをあんずるに、いちじふさいじふのくれなゐにもすぎたるらん。しかれば重盛君のみかたへまゐりさうらはば、いのちにかはりみにかはらんと、ちぎりふかきはぢあるさぶらひ、二百よにんはあひしたがへてさうらふ。このものどもはよもすてさうらはじ。とほくれいをばもとむるにおよばず、まさしくごらんじみさうらひし事ぞかし。ほうげんのげきらんのとき、くわんぱくどのはだいりにさうらはせましまし、おととのさだいじんどのはしんゐんのみかたにさうらひたまふに、
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むつのはんぐわんためよしはしんゐんのみかたへ参り、しそくしもつけのかみよしともはだいりにさうらひてかつせんす。つはものいくさごとをへてのち、おほひどのはせんぢやうのけぶりのそこになりにしかば、さふはながれやにあたりて命をうしなひ、しんゐんはさんしうへはいるせられさせたまひぬ。そののちたいしやうぐんためよしはしゆつけにふだうして、よしともをたのみあらはれ、てをあはせてきたりしかば、くんこうのしやうをまゐらせあげて、ちちが命をひらに申ししかども、まさしく君をい奉るつみ、のがれがたきによつて、しざいにさだまりしを、ひとでにかけじとて、義朝がしゆしやくのおほちにひきいだして、くびをきりさうらひしをこそ、おなじちよくめいのそむきがたさとまうしながら、あくぎやくぶたうのいたり、くちをしきことかなとこそ、きのふまでもみききさうらひしに、けふは重盛がみの上になりぬとこそおぼえさうらへ。『きみうちかたせたまひさうらはば、かのほうげんの
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れいにまかせて、重盛ごぎやくざいのいちぶをかしさうらひぬ』とおぼえさうらふこそ、かねてこころうくおぼえ候へ。かなしきかな、君のおんためにちゆうをいたさむとすれば、めいろはちまんのいただきなほくだれる、ちちのごおんをたちまちにわすれなんとす。いたましきかな、ふけうのつみをのがれんとすれば、さうかいばんりのそこなほあさき、君のおんためにふちゆうのぎやくしんとなりぬべし。これとまうし、かれといひ、おもふにむやくの事にて候。只まつだいにしやうをうけて、かかるうきめをみる、重盛がくわほうの程こそくちをしくさうらへ。されば、まうしうくるところなほごしよういんなくして、ごゐんざんあるべきにてさうらはば、まづ重盛がかうべをめされさうらふべし。しよせんゐんぢゆうをも守護すべからず。又おんともをもつかまつるべからず。まうしうくるところは、只くびをめさるべきにあり。いまおぼしめしあはせさせおはしましさうらへ。ごうんはいちぢやうすゑになりて候とおぼえさうらふ。人のうんの末にのぞむ時、かやうのはかりことはおもひ
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たつことにてさうらふなるぞ。らうしのかきをかれて候ことばこそおもひあはせられ候へ。『こうめいかなひとげて、みをしりぞきくらゐをのがれずは、すなはちがいにあふ』といへり。かのくんせうがはたいこうをたつる事、はうばいにこえたるによつて、くわんたいしやうこくにいたり、けんをたいしくつをはきながら、てんじやうにのぼる事をゆるされたりき。しかれどもえいりよにそむくことありしかば、かうそおもくいましめて、ていいにおろされてつみせらる。ろんごと申すふみには、『くににみちなきときは、とみかつたつときははぢなり』といふもんあり。かやうのせんじようをおもひあはせさうらふにも、ごふうきといひ、ごえいぐわといひ、てうおんといひ、ちようじよくといひ、ひとかたならずきはめましまして、としひさしくなりぬれば、ごうんのつきんとてもかたかるべきにあらず。『ふうきのいへ、ろくゐちようでふするは、なほしさいじつのきのごとし。そのねかならずいたむ』ともいへり。心ぼそくこそおぼえさうらへ。いつまでかいのちいきて、みだれぬ
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よをもみ候べき。只とくとくかうべをはねられ候べし。さぶらひ一人におほせて、ただいまおつぼにひきいださせたまひて、かうべをはねられむ事、よにやすき事にてこそ候はんずれば、是はとのばらいかがおもひたまふ」とて、なほしのふところよりたたうがみとりいだして、はなうちかみ、さめざめとなくなく宣ふ。一門の人々よりはじめて、さぶらひどもにいたるまで、みなよろひの袖をぞぬらされける。「いかにおんもちいなくとも、かなはざらんまでも、おのおのかやうの事をばまうさるべきにてこそ候に、いさめ申さるるまでこそ候はずとも、まづくみしがましくおんもののぐかためられさうらふこと、かつうはきやうきやういていのものぐるはしきありさま、おんふるまひどもかな。かくてはよを
たもち、ししそんぞんはんじやうして、かもんのえいぐわ、すゑたのみなくこそおぼえ候へ」と宣ければ、弟のうだいしやう、せきめんしてすくみかへりて、あせみづになられけり。
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ことのほかにわろくぞみえられける。入道もさすがいはきならねば、だうりにつまりてへんじもし給はず。すがたのはづかしさに、しやうじのおくへすべりいりてをはしけるが、だいふの既にたちたまひけるをみて、しらけぬていに、「あはれ、ききたるとののくちかな。わどのもせつぽふし給ふ。しばらくおはせよかし。入道もせつぽふしてきかせ申さむ」とぞ宣ける。内大臣はちゆうもんのらうにたちいでて、さもしかるべきさぶらひどもにあひて宣けるは、「重盛が申つる事はおのおのきかずや。さればゐんざんのおんともにおいては、重盛がくびのきられんをみてのち、つかまつるべしとおぼゆるはいかに。けさよりこれにさうらひて、かなはざらんまでもいさめまうさばやとぞんじつれども、これらがていあまりにひたあはてにみへつる時に、かへりたりつる也。今ははばかるところあるべからず。かうべをめさる
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べしと申つれば、そのむねをこそぞんぜめ。ただしいまださもおほせられぬはいかなるべきやらん。さらば人参れ」とて、こまつどのへぞかへられける。
十九 ないだいじんかへりはてられければ、もりくにをつかひにて、「重盛べつしててんがのだいじをききいだしたる事あり。われをわれと思はんものどもは、いそぎもののぐして参るべし。これにて重盛にこころざしのありなしはみるべし」ともよほされければ、これをききて、「おぼろけの事にはさはぎ給はぬ人の、かかるおほせのあるは」とて、さぶらひども、入道には「かく」とだにもまうさで、われさきにとぞはせまゐりける。よあけにければ、らくちゆうのほか、しらかは、にしのきやう、とば、はつかし、だいご、をぐるす、くわんじゆじ、をはら、しづはら、せれうのさとにあぶれゐたりける、さぶらひ、らうどう、ふるにふだうまでも、しだいにききつたへききつたへして、あるいは馬にのるも
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あり、のらぬもあり、あるいはよろひきていまだかぶとをきぬ者もあり、あるいはゆみもちてやおはぬ者もあり、あるいはやをおひてゆみをとらぬ者もあり、かやうにわれおとらじとはせあつまりにければ、にしはつでうにはあをにようばう、ふるにこう、おのづからふでとりなんどぞせうせうのこりたりける。きゆうばにたづさはる程の者は一人もなかりけり。入道のたまひけるは、「だいふはなにとおもひてこれらをばよびとるやらん」とて、よにこころえずげにて、はらまきぬぎおきて、そけんのころもにけさうちかけて、えんぎやうだうして、心もおこらぬねんじゆして、うそうちふきて、「だいふになかたがひてもよきだいじや」とぞおもはれける。こまつどのにはもりくにがうけたまはりにて、さぶらひのちやくたうつけけり。さぶらひ三千よにん、郎等、のりがへともなく、およそのせい二万七千八百よきとぞしるしける。ないだいじんはちやくたうひけんののち、さぶらひどもにたい
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めんしてのたまひけるは、「ひごろのけいやくをたがへず、かやうにはせまゐりあひたるこそかへすがへすしんべうなれ。重盛ふしぎの事をききいだしたりつる程に、にはかにかくはもよほしたりつるなり。されどもそのことききなをしつ。ひがことにて有けり。とくとくまかりかへられよ。じこんいごもこれよりもよほさんにはまゐるべし。かへすがへすほんいなり」とて皆かへされけるが、又宣けるは、「是に事なければとて、のちにちさん有べからず。いこくにもさるためし有けり。昔もろこしにしうのいうわうといふみかどおはしけり。きさきをばほうじとぞ申ける。このきさきしやうをうけたまひてよりこのかた、わらひ給はず。みかどこのきさきをちようあいし給けるあまりに、いかにしてえませ奉らんと、しゆじゆのわざをしたまひけれども、ついに
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えみ給はず。あるときてんがにこといでて、ほうくわをあげ、ときをつくりて、かつちうをよろへるむしや、くじやうにじゆうまんせり。これをみたまひてきさきはじめてえみ給へり。ほうくわとはだいこくのならひ、都にさわぐこといできぬれば、しよこくへつはものをめさむとては、ほうくわとうろとなづけてくわりんをとばすじゆつをしてわうじやうのしはうのたかきみねみねにとぼしてしよこくのつはものをめすなり。又はとうてんりんともなづけたり。このほうくわいできぬれば、都にこといできたむなりとて、国々のつはもの、みやこへはせまゐる。これをとぶひともなづけたるにや。そののち常にきさきをえませ奉らむとて、ほうくわをあげ、時のこゑをつくりしかば、しよこくのくわんぐんはせまゐりたりけれども、かかるはかりことなりければ、おのおのほんごくへかへりにけり。とうざんへゆくくわんぐんはせんりのみちにこまをはやめ、さいこくへおもむくせむだらはやへのしほぢをしのぎけり。なんぼくの国々も又かくのごとし。
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あるとき、えびすのいくさよせて、いうわうをほろぼさんとしけるに、さきざきのごとくほうくわをあげ、時の声をあはせしかども、しよこくのくわんびやうら、れいのきさきえませ奉らんれうにてぞあらんとて、一人もまひらざりければ、いうわうたちまちにほろびたまひてけり。ほうじをばえびすのいくさとりてかへりぬ。それよりびじんをばけいせいとぞなづけたる。『みやこをかたぶく』といふよみあり。このよみをばそのかみはいましめられけれども、たうせい都にはなほけいせいとぞよばれける。かのきさき、のちにはをみつあるきつねになりて、ふるきつかへにげさりにけり。きつねの女にばけて、人の心をたぶらかすといふ事は、ほんせつある事にや。おもひあはすべし」とぞ宣ける。内大臣まことにはさせる事もききいだされざりけれども、ちちの入道をいさめまうされつることばにしたがひて、わがみにせいのつくか、つかぬかの程をもしり、かつうは又
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ちちといくさをせむとにはあらず、ちちのむほんの心をやおもひなだめたまはむとのはかりことなるべし。内大臣のぞんぢのむね、ぶんせんこうの宣けるにたがはず。君の為にはちゆうあり、ちちの為にはかうあり。あはれ、ゆゆしかりける人かな。法皇この事をきこしめして、「今にはじめぬ事なれども、重盛が心のうちこそはづかしけれ。『あたをばおんをもつてほうぜよ』といふもんあり。まろははやあたをばおんにてほうぜられにけり」とおほせありけるとぞきこへし。
廿 さゑもんのにふだうさいくわうをば、そのよまつらのたらうしげとしにおほせて、しゆしやくのおほちにひきいだしてかうべをはねらる。郎等三人おなじくきられにけり。さいくわうはさんゐのちゆうじやうとももりのめのと、きいのじらうびやうゑためのりがしうとなりければ、とももり、二位殿につきたてまつりて、たりふしまうされけり。ためのりも、「ひとでにかけさうらはん
よりも、
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まうしあづかりさうらひて、いましめさうらはん」と、さいさん申けれども、つひにかなはず、きられにければ、さんゐのちゆうじやうもためのりもよをうらみて、さばかりのさうどうなりけれども、さしもいでたまはざりけり。
廿一 二日、なりちかのきやうをば、よやうやくあくる程に、くぎやうのざにいだし奉て、物まひらせたりけれども、胸もせきのどもふさがりて、いささかもめされず。やがておつたてのくわんにん参てくるまをさしよせ、「とくとく」と申ければ、心ならずのりたまひぬ。御車のすだれをさかさまにかけて、うしろさまにのせたてまつりて、もんぐわいへおひいだす。まづくわちやう一人つとよりて、車よりひきおとし奉て、はふりのしもとを三度あて奉る。次にかどのをさ一人よりて、せつがいのかたなとて、ふたかなたつくまねをし奉る。次にやましろのはんぐわんすゑすけ、せんみやうをふくめ奉る。かかる
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事は人の上にてもいまだごらんじ給はじ。ましておんみの上にはいつかはならひ給べきと、御心のうち、おしはかられてあはれ也。もんぐわいよりはぐんびやうすひやくき、車のぜんごにうちかこみて、わがかたさまの者は一人もなし。いかなるところへゆくやらんも、しらする人もなし。「内大臣にいまいちどあひまうさで」とをぼしけれども、それもかなはず。みにそへる物はつきせぬ涙ばかりなり。しゆしやくを南へゆきければ、おほうちやまをかへりみても、おぼしいづる事おほかりけるなかにも、かくぞ思つづけられける。
ごくらくと思ふくもゐをふりすててならくのそこへいらんかなしさ K015
とばどのをすぎたまへば、としごろつかへ奉りしとねり、うしかひどもなみいつつ、涙をながすめり。「よその者だにもかくこそあるに、まして都にのこりとどまる者
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どもいかばかりかなしかるらん。われよに有し時、したがひつきたりし者一二千人も有けんに、一人だにもみにそふ者もなくて、けふをかぎりて都をいづるこそかなしけれ。おもきつみをかうぶりて遠き国へゆく者も、ひとひとりぐせぬ事やはある」なんど、さまざまにひとりごとをのたまひて、声もをしまずなき給へば、車のしりさきにちかきつはものは、よろひの袖をぞぬらしける。とばどのをすぎたまへば、「このごしよへごかうのなりしには、いちどもはづれざりし物を」なんどおぼして、わがうちの前をとほり給へば、よそもみいらですぎ給も哀也。なんもんをいでぬればかはばたにて、「おんふねのしやうぞくとく」といそがす。「こはいづくへやらむ。うしなはるべくは只この程にてもあれかし」とおぼすも、せめてのかなしさのあまりにや。ちかくうちたる武士を、「是はたそ」ととひ給へば、「つねとほ」となのりけり。
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なんばのじらうといふ者なりけり。「もしこのほどにわがゆかりの者や
あるとたづねてむや。ふねにのらぬさきにいひおくべき事のあるぞ」と宣ければ、「そのへんちかきあたりをうちまはりてたづねけれども、こたふる者なし」と申ければ、「よにおそれをなしたるにこそ。なじかはゆかりの者なかるべき。命にもかはらむといひちぎりし者、一二百人も有けむ物を。よそにてもわがありさまをみむとおもふもののなきこそくちをしけれ」とて、涙をながし給へば、たけきもののふなれども、あはれとぞ思ける。大納言おんふねにのり給て、鳥羽殿をみわたして、守護のぶしにかたり給けるは、「さんぬるえいまんのころ、法皇あの鳥羽殿へごかうあつて、ひねもすにぎよいうありき。しでうのだいじやうだいじんもろなが、おんびはのやくをつとめらる。げんせうしやうまさかた、おんふえのやくにさんぜらる。はむろの中納言とし
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かた、ひちりきのやくに参り給ゐ、やうばいのさんゐあきちか、しやうのふえをつかまつり、もりさだ、ゆきざね、うちものをつとめらる。かかりしかば、きゆうちゆうすみわたり、くんじゆのしよにん、かんるいをもよほしき。てうしばんしきでうにて、ばんしうらくのひきよくをそうせられしに、五六のでふになつしかば、てんじやうの上にびはのおと、ほのかにきこゆ。げんげんえんよくとしてこゑごゑのおもひあり。かんくわんたるあうぎよははなのもとになめらかに、いうえつたるせんりうはこほりのしたになづめり。さうさうたるたいげんはむらさめとぞおぼへし。せつせつたるせうげんはひぎよににたりしかば、ちやくざの人々はおのおのいろをうしなふ。君はすこしもさわがせ給はず。なりちか、その時しゐのせうしやうにてばつざにしこうしたりしをめされて、いかなる人ぞとたづねまうすべきよしおほせくだされしかば、成親かしこまりて、天井にむかひて、『君はいかなる人にて
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わたらせ給ぞ』と、院宣のおもむきを申たりしかば、『われはすみよしのへんに候じよう也』とこたへて、やがてびはのおともせず、こたふる人もうせたりき。すみよしのだいみやうじんのごやうがう有けるにや。しよにんみのけいよだちけるほどに、いけのみぎはにあかきおにのあをきほうをかきて、あふぎを三本むすびたてたり。ぎよいうのがくにめで給て、住吉の大明神のかけらせ給けるにこそ。それよりしてぞ、すはまどのをばすみよしどのとも申ける。かのもろながこうのびはは、しんりよにもさうおうのしようしおほかりける中に、あるとしてんがかんばつのあひだ、しよじしよさんのじやうぎやうぢりつのそうらにおほせて、あめのおんいのり有けれども、つゆだにもをかずして、人々ふかくし給たりけるに、この大政大臣、ひよしのやしろにさんろうせられてきせいあり。しゆじゆのひきよくをひきたまひたりければ、
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たちまちにそらかきくもり、こくどにあめくだりて、てんがぶねうなりき。又げんせうしやうまさかたのふきける笛は、もみぢといふめいぶつ也。かの笛はむかしすみよしの大明神、もみぢのころ、おほゐがはにごかうして、ぎよいう有けるに、もみぢおもしろくありけるにまじはりて、そらよりふりけるをとらせおわしまして、くわんぎよののち、おんみをはなたれずして、ごひさう有て、もたせ給たりけるほどに、だいりしゆごしてくわんぎよなるとて、おとさせ給たりけるを、かのまさかたのせんぞに、いちでうのさだいじんまさちかこうと申人、もとめてけり。あるときまさちかこう夢にしめしていはく、『この笛はわれしかしかしてまうけたりしを、だいりにておとしたりき。ひさうの物也。われにかへせ』とおほせられければ、正親こう申やう、『もとめえてのちは、これにすぎたるたから
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なしとぞんじさうらふときに、まゐらすまじく候。それにきくわいにおぼしめされさうらはば、命をめせ』と申たりければ、『さらばその笛のかはりに、なんぢがしよぢのたうほんの法花経をまゐらすべし』とおほせられければ、又申やう、『笛はこんじやういつたんのもてあそび物、経はたうらいせせのしえんにて候へば、笛をこそまゐらせ候はめ』と申けるを、明神あはれとおぼしめして、経をも笛をもめされざりき。さてみをはなたず、いよいよほうぶつと思てもちたりけるほどに、だいりぜうまうの時、いかがしたりけむ、おとしてうしなひてけり。ただことにあらず。もしは明神のめしかへされけるにや。そののちまうけられたりける笛の、すこしもたがはざりければ、是をももみぢとなづく。今の笛はのちのもみぢにてぞ有ける。かやうにありがたき人々おはしましければ、明神のごやうがうもことわりにこそ
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おぼえしか。かかりし時も人こそおほかりしかども、なりちかこそめしぬかれて君のおんつかひをばしたりしか。せう、ちやく、きん、くうご、びは、ねう、どうばち、そのなはまちまちなれども、ちゆうだうのはうべんなりければ、皆是ほんうのめうり也。そうじていきとしいける者、いづれかこゑをはなれたる。りこうきよがんのさへづり、りようぎんぎよやくのなきまでも、あるいはげんのみなもと、あるいはくわんのおこり也。声ととのをりぬれば、君のみちすなほなり。さればてんしもがくをもちひ給て、ががくのれうをおかれて、てうていのぎしきにそなへらる。しゆんそにかへるみよなれば、あんらくのこゑぞめでたき。あまたのてうのなかにもふがうでうこそすぐれたれ。今のばんしきでうをばびはにはふがうでうといふ。さればめうおんだいしもさんまいのびはをとり、しとくのかたちをそなへて、左のみてのいんざうにふかきゆゑありとかや。
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そもそもばんしうらくはきたいのひきよく、がくけのめうてうなる故に、しんめいもここにかうりんし、ぶつだも是になふじゆす。故にすなはちそのみちをおもんじて、たやすく是をあらはさず。しだいさうじようをとぶらへば、にちざうしやうにんとたうのとき、しやうがをもつてほんてうにかへりてぞ、くわんげんにはうつされし。みだ四十八ぐわんのしやうごんにもぼさつ是をもてあそび、たうり三十三天のけらくにも、しやくだい是をまひかなづ。まことにきたいのがく也。さてもいまてうてきにあらずして、はいしよへむかふこそかなしけれ。すみよしのだいみやうじんたすけさせ給へ」とて、声もをしまずなき給へば、つねとほをはじめとして、おほくのぶしどもよろひの袖をぞぬらしける。くまのまうで、てんわうじまうでなむどには、ふたつがはらのみつむねにつくりたるふねに、つぎのふね二三十そうつきてこそ有しに、是はけしかるかきすへやかたのふねに、おほまくひきまわして、わがかたさまの
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者は一人もなくて、みもしらぬつはものにのりぐして、いづちともしらずをはしけむ心のうち、さこそはかなしかりけめ。こよひはだいもつといふ所につき給へり。しんだいなごん、しざいをなだめられて、るざいにさだまりにけりときこへければ、さもしかるべき人々よろこびあはれけり。是はだいふの入道にあながちにまうされたりける故とぞきこへし。「くににかんしんあれば、そのくにかならずやすし。いへにかんしあれば、そのいへかならずただし」といへり。誠なるかなや。この大納言、さいしやうかちゆうじやうかの程にて、いこくよりきたりたりけるさうにんにあひたまひたりければ、「くわんはじやうにゐのだいなごんにのぼりたまふべし。ただしごくにいるさうのをはするこそいとほしけれ」とさうしたりけるとかや。今おもひあはせられてふしぎ也。又中納言にてをはしける時、をはりのくのをしり給けるに、いんじ
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かおう元年のふゆのころ、もくだいうゑもんのじようまさとも、をはりのくにへくだるとてくひぜがはにとどまりたりけるに、さんもんのりやう、みののくにひらののしやうのぢゆうにんと、こといだす事ありけり。ひらののしやうの住人、くずをうりけるに、かのまさともがしゆくにてあたひのかうげをろんじけるに、のちにはくずにすみをつけたりけるをとがめけるほどに、たがひにいひあがりて、じんにんをにんじやうしたりけるゆゑとぞきこへし。これによつて、ひらののしやうのじんにん山門にうつたへければ、どうねん十二月廿四日、だいしゆおこりて、ひよしのしんよをぢんとうへささげてさんず。ふせかせられけれどもかなはず。こんゑのもんよりいりて、けんれいもんの前にしんよをならべすへ奉りて、なりちかのきやうをるざいせられ、もくだいまさともをきんごくせらるべきよしうつたへまうしければ、成親卿びつちゆうのくにへながされ、もくだいまさともをごくしやへいれらる
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べき由をせんげせらる。大納言既ににしのしゆしやくなる所までいだされたりける程に、おなじき廿八日、めしかへさるときこへしかば、大衆なりちかのきやうをおびたたしくしゆそすときこへしかども、おなじき廿九日、ほんゐにふくして、やがて中納言になりかへり給。おなじき二年正月五日、うゑもんのかみをけんじて、けんびゐしのべつたうにならる。そののちもめでたく時めきさかえ給て、さんぬるしようあん二年七月廿一日、じゆにゐしたまひし時も、すけかた、かねまさをこえたまひて、すけかたはよき人、をとなにてをはしき、かねまさはせいれいの人なりしに、こえられたまふもふびんなりし事也。これはさんでうどのざうしんのしやうなり。おんわたましのひなりけり。おなじき三年四月十三日、またじやうにゐし給ふ。今度はなかのみかどのちゆうなごんむねいへのきやうこえられ給ふ。きよきよねん、しようあん
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元年十一月廿八日、だいにのちゆうなごんをこえて、さゑもんのかみ、けんびゐしのべつたう、ごんだいなごんにあがり給ふ。かやうにさかえられければ、人あざけりて、「山門の大衆にはのろはるべかりける物を」とぞ申ける。されどもそのつもりにや、今かかるめをみ給ふぞおそろしき。しんめいのばつも人のしゆそも、ときもありおそきもあり、ふどうの事なり。三日、いまだくれず、京よりおんつかひありとて、ひしめくめり。既にうしなへとにやとききたまへば、びぜんのくにへといひてふねをいだすべきよしののしる。うちのおとどのもとよりおんふみあり。「みやこちかきやまざとなむどにおき奉らんと、さいさんまうしつれども、かなはぬ事こそよにあるかひも候はね。是につけてもよのなかあぢきなく候へば、おやにさきだちてごしやうをたすけたまへとこそ。てんたうにはいのりまうし候へ。心にかなう命ならば、おんみに
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もかはらまほしく思候へども、かなはず。おんいのちばかりはまうしうけて候ふ。おんこころながくおぼしめしさうらへ。ほどへば、入道ききなをさるる事もやとこそ、おもひたまひ候へ」とて、たびのごよういこまごまとととのへて奉り給へり。なんばのじらうがもとへもおんふみあり。「あなかしこをろかにあたり奉るな。みやづかへよくよくすべし。おろかにあたり申てわれうらむな」とぞおほせられたりける。「さばかりふびんにおぼしめされたりつる君をもはなれ奉り給て、をさなきものどもをふりすてて、いづちとてゆくらん。今一度都へかへりて、さいしをみん事ありがたし。ひととせ山のだいしゆのうつたへにて、ひよしのしちしやのみこしをふり奉りて、すでにてうかのおんだいじになりて、をびたたしかりしだにも、にししつでうにごかにちこそありしか。それもやがておんゆるされありき。是は君のおんいましめにもあらず。大衆の
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うつたへにてもなし。こはいかにしつる事ぞや」と、てんにあふぎちにふして、をめきさけびたまへどもかひなし。よもあけぬれば船をさしいだす。みちすがらも只涙にのみ咽(むせび)給て、はかばかしくゆみづをだにものどへいれ給はねば、ながらふべしともおもひたまはねども、さすがつゆのいのちもきへはて給はず。ひかずふるままには、都のみこひしく、あとの事のみぞおぼつかなく思給ける程に、びぜんこじまといふ所におちつきたまへり。たみの家のあやしげなるしばのあみどのうちへぞいりたまひにける。うしろには山、前はいそなれば、まつにこたふるあらしのおと、いはにくだくるなみの声、うらにともよぶはまちどり、しほぢをさわたるかもめどり、たまたまさしいるものとては、都にてながめしつきのひかりばかりぞ、おもがはりもせずすみわたりける。しんだいなごんふしにもかぎらず、いましめらるる
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人あまたありき。
廿二 あふみのにふだうれんじやうをばとひのじらうさねひらあづかりてひたちのくにへつかはす。しんぺいはんぐわんすけゆきをばげんだいふのはんぐわんすゑさだあづかりてさどのくにへつかはす。やましろのかみもとかぬをばしんのじらうむねまさあづかりてよどのしゆくしよにいましめおく。へいはんぐわんやすより、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづをば、びつちゆうのくにのぢゆうにんせのをのたらうかねやすあづかりてふくはらにめしおかる。たんばのせうしやうなりつねをばしうとのへいざいしやうにあづけらる。
廿三 さいくわうがちやくし、さきのかがのかみもろたか、おなじくおととさゑもんのじようもろちか、そのおととうゑもんのじようもろひらら、ついたうすべきよし、大政入道げぢしたまひければ、武士をはりのくにのはいしよ、ゐどたへくだりて、かはがりをはじめて、いうくんをめしあつめて
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さかもりして、もろたかををびきいだして、かうべをはぬべき由をしたくしたりける程に、いつか、師高がははのもとよりつかひをくだして申けるは、「入道殿、八条殿よりめしとられたまひぬ。さりとも院の御所よりたづねおんさたあらんずらむとまちたまひし程に、やがてそのゆふべにうたれたまひぬ。をはりのきんだちとてもたすかりたまふべからず。いそぎくだりて夢みせ奉れと宣つる」といひければ、師高、ゐどたをばにげいでて、たうごくかのといふ所にしのびてゐたりけるを、をぐまのぐんじこれながききつけて、よせてからめむとしけるに、師高なかりければ、つはものどもかへらんとしける所に、だんじにてかみのあかをのごひてすてたる有けり。是をみつけてあやしみて、なほよくよくあなぐりもとめける程に、たみのいへにはつしといふ所あり、それにかくれて師高がゐたりけるをもとめいだして、からめむとしければ、
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じがいしてけり。郎等にこんぺいしらうなにがしとかや申ける者一人つけたりけるも、おなじく自害してけり。もろたかがくびをばをぐまのぐんじとりて、六波羅へたてまつる。そのかばねをば、師高が思けるなるみのしゆくのきみ、てづからみづからやきはぶつて、とりをさめけるぞむざんなる。さいくわうふしきりものにて、よをよとも思はず、人を人ともせざりしあまりにや、さしもやむごとなくをはする人の、あやまち給はぬをさへ、さまざまざんそうし奉りければ、さんわう大師のしんばつみやうばつたちどころにかうぶりて、じこくをめぐらさずかかるめにあへり。「さみつる事よさみつる事よ」とぞ、人々申あへりし。おほかたは女とげらふとはさかざかしきやうなれども、しりよなき者也。西光もげらふのはてなりしが、さばかりの君にめしつかはれまひらせて、くわほうや
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つきたりけむ、てんがのだいじひきいだして、わがみもかくなりぬ。あさましかりける事共也。
廿四 はつかのひ、福原より大政入道、へいざいしやうのもとへ、「たんばのせうしやうこれへわたし給へ。あひはからひていづちへもつかはすべし。みやこのうちにてはなほあしかるべし」とのたまひたりければ、さいしやうあきれて、「こはいかなる事にか。人をば一度にこそころせ、二度にころすことやはある。ひかずもへだたれば、さりともとこそおもひつれ。さらば中々ありし時ともかくもなりたらば、ふたたび物は思はざらまし。をしむともかなふまじ」とおもはれければ、「とくとく」と宣て、少将もろともにいでたまふ。「今日までもかく有つるこそ不思議なれ」と少将宣ければ、きたのかたもめのとのろくでうもおもひまうけたる事なれども、いまさらに
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又もだへこがる。「なほもさいしやうの申給へかし」とぞおもひあへる。「ぞんずる所はくはしくまうしてき。そのうへかやうに宣はむはちからおよばず。今はよをすつるよりほかはなにとか申べき」とぞ、宰相は宣ける。「さりともおんいのちのうしなはるる程の事は、よもとぞおぼゆる。いづくのうらにをはすともとぶらひたてまつらむずる事なれば、たのもしくおもひたまへ」とのたまひけるもあはれなり。少将はことし四歳になりたまふなんしをもちたまへり。わかき人にて、ひごろはきんだちのゆくへなむどこまかにのたまふこともなかりけれども、そもおんあいのみちのかなしさは、いまはのときになりぬれば、さすが心にやかかられけむ、「をさなきもの今一度みむ」とて、よびよせられたり。わかぎみ少将をみたまひて、いとうれしげにてとりつきたれば、少将かみをかきなでて、「七歳にならばをとこになして、ごしよへまゐら
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せむとこそおもひしかども、今はそのこといふかひなし。かしらかたくおひたちたらば、法師になりてわがごせをとぶらへよ」と、をとなに物をいふやうに、涙もかきあへず宣へば、わかぎみなにとききはき給はざるらめども、ちちのおんかほをみあげたまひて、うちうなづきたまふぞいとほしき。是をみて、北方も六条もふしまろびて、声もをしまずをめきさけびければ、若君あさましげにぞをぼしける。こよひはとばまでとて、いそぎ給。宰相はいでたちたまひたりけれども、よのうらめしければとて、このたびはともなひ給はぬにつけても、いよいよ心ぼそくぞ思はれける。廿二日、少将ふくはらにおはしつきたれば、せのをのたらうあづかりて、やがてかれがしゆくしよにすへ奉る。わがかたさまの人は一人もつかざりけり。せのを、宰相のかへりきき給はん事を思ける
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にや、さまざまにいたはり、志あるやうにふるまひけれども、なぐさむかたもなし。さるにつけてもかなしみはつきせず。ほとけのみなをのみとなへて、よるひるなくよりほかの事なし。びつちゆうのくにせのをといふ所へながすべしときこえければ、せうしやううちあんじて、「だいなごんどのはびぜんのくにへときこゆ。そのあたりちかきにや。あひみたてまつるべきにはなけれども、あたりの風もなつかしかりなむ」とのたまひけるぞあはれなる。せめてはそなたとだにしらんとて、せのをのたらうに、「わがながされてあらむずるせのをとかやより、大納言のおはするびぜんのくにのこじまへは、いかほどのみちにて有らむ」ととはれければ、かたみちわづかにかいしやう三里のみちをかくして、「十三日」とぞ申ける。少将これをききておもはれけるは、「につぽん
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あきつしまは昔は三十三かこくにて有けるを、のちにはんごくづつにわけて、六十六かこくとす。さればわづかのこじまぞかし。なかにもせんやうだうにさほどのだいこくありとはきかぬ物を。さいふよりはらかのつかひのねんねんにまゐりしをききしも、はつかあまりなむどこそききしか。びぜんびつちゆうりやうごくのあひだいかにとほくとも、二三日にはよもすぎじ。これはわがちちのおはしどころをちかしときくものならば、ふみなむどやかよはんずらむとて、しらせじとていふよ」とこころえたまひてければ、そののちはゆかしけれどもとひたまはず。あはれなりし事也。
廿五 昔かるのだいじんと申す人をはしき。けんたうしにして、いこくにわたりておわしけるを、いかなる事か有けん、物いはぬ薬をくはせて、
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ごたいに絵を書て、ひたひにとうがひをうちて、とうだいきとなづけて、ひをともすよしきこえければ、そのおんこにひつのさいしやうと申す人、ばんりのなみをしのぎ、たしうのくもをたづねてみ給ければ、とうき涙をながして、てのゆびをくひきりて、かくぞかき給ける。
われはこれにつぽんくわけいのかく なんぢはすなはちどうせいいつたくのひと
ちちとなりことなるぜんぜのちぎり やまをへだてうみをへだててれんせいねんごろなり
としをへてなみだをながすほうかうのやど ひをおひておもひをはすらんきくのしたしみ
かたちはやぶれてたしうにとうきとなる いかでかきうりにかへりてこのみをすてむ K016
とかきたり。是をみ給けむ宰相のしんぢゆういかばかりなりけむ。つひにみかどにまうしうけてきてうして、そのよろこびにやまとのくにかるのてらをこん
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りふすとみえたり。かれはちちをたすけつればけうやうの第一也。是はそのせん
もなけれども、おやこの中のあはれさは、只大納言の事をのみかなしみて、あけくれなきあかし給けり。
廿六 しきぶのたいふまさつなははりまのあかしへながされたりけるが、ぞうゐじといふやくしのれいちにひやくにちさんろうして、みやこがへりの事をかんたんをくだきていのりまうしける程に、百日にまんじけるよの夢のうちに、
きのふまでいはまをとぢしやまがはのいつしかたたくたにのしたみづ K017
と、みちやうのうちよりえいぜさせ給とみて、うちおどろきてきけば、みだうのつまどをたたくおとしけり。たれなるらんときくほどに、京にてめしつかひしせいしなりけり。「いかに」ととへば、「大政入道殿のおんゆるされのふみ」とて、もちてきたれりけり。うれしな
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むどはいふはかりなくて、やがてほんぞんにいとま申ていでにけり。ありがたかりけるごりしやうなり。
廿七 廿三日、大納言はすこしくつろぐ事もやあるとおぼしけれども、いとどおもくのみなりて、少将も福原へめしくださるときこへければ、すがたをやつさで、つれなくつきひをすごさむもおそれあり。「何事をまつぞ。なほよにあらむとおもふか」と、人の思はんもはづかしければ、「出家のこころざしあり」と、内大臣のもとへまうしあはせられたりけるへんじに、「さもし給へかし」とのたまひたりければ、出家したまひにけり。大納言のきたのかたのきたやまのすまひ、又おしはかるべし。すみなれぬやまざとは、さらぬだに物うかるべし。いとしのびてすまひければ、すぎゆくつきひもくらしかね、あかしわづらふさまなり。にようばうさぶらひどももそのかずおほかりしかども、みのすてがたければ、
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よをおそれひとめをつつむ程に、ききとふものもなかりけり。げんないざゑもんのぶとしといふさぶらひありけり。よろづなさけありけるをとこにて、ときどきこととひたてまつる。あるくれがたにたづねまゐりたりければ、北方すだれのきはちかくめしてのたまひけるは、「あはれ、とのはびぜんこじまとかやへながされ給たりけるが、すぎぬるころより、ありきのべつしよといふ所におわしますとばかりはききしかども、よのつつましければ、是よりひとひとりをもくだしたる事もなし。いきてやおはすらん、しにてやおわすらむ、そのゆくへもしらず。いまだいのちいきておわせば、さすがこのあたりの事をもいかばかりかはきかまほしくおぼさるらん。のぶとしいかなるありさまをもして、たづねまゐりなむや。ふみひとつをもつかはして、へんじをもまちみるならば、かぎりなき心のうち、すこしなぐさむ事もやとおもふは、いかがすべき」と宣ければ、のぶとし涙をおさへて
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申けるは、「誠にとしごろちかくめしつかはれ奉しみにてさうらひしかば、かぎりのおんともをもつかまつるべくこそさうらひしかども、おんくだりのおんありさま、ひとひとりもつきまゐらせ候べきやうなしと承候しかば、ちからおよばず。まかりとどまりさうらひて、あけてもくれても、君の御事よりほかは何事をかは思候べき。めされさうらひしおんこゑもみみにとどまり、いさめられまゐられせしおんことばもきもにめいじて、わすれられ候はず。いまこのおほせをうけたまはる上は、みはいかになりさうらうふとてもまかりくだり候べし。おんふみをたまはりてたづねまゐらむ」と申ければ、北方おほきによろこびたまひて、ふみこまかにかきてたびてけり。わかぎみ、ひめぎみもめんめんに、ちちのもとへのおんことづてとて、かきてたびてけり。のぶとし是をとりてこじまへたづねくだりて、あづかりまもり奉るぶしにあひて、「大納言殿のおんゆくへのおぼつかなさに、今一度み奉らんとて、としごろのせいしにのぶとしとまうすもの、はるばるとたづね
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まゐらせて参て候」と申たりければ、武士どもあはれとやおもひけん、ゆるしてけり。まゐりてみ奉れば、つちをかべにぬりまはして、あやしげなるしばのいほりのうちなり。わらのつかなみといふ物の上に、わづかにむしろいちまいしきてぞすへ奉りたりける。おんすまひの心うさもさる事にて、おんさまさへかはりにけり。すみぞめの袖をみ奉るにつけても、めもくれ心もきえはてにけり。大納言も、いまさらにかなしみのいろをましたまふ。「おほくのものどものなかに、なにとしてたづねきたりけるぞ」とのたまひもあへず、こぼるる涙も哀也。のぶとしなくなく北方のおほせらるるしだいこまかに申て、おんふみとりいだしてまひらせけり。大納言の入道是をみたまひて、涙にくれつつ、みづくきのあと、そこはかともみへわかねども、若君姫君のこひかなしみ給ふありさまわがおんみも又つきひをすごすべきやうもなく、心ぼそく
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かすかなるおんありさまをかきつづけ給へるをみ給ては、ひごろおぼつかなかりつるよりもけに、いとどもだへこがれ給ふ。げにことわりとおぼえて哀也。のぶとし二三日はさうらひけるが、なくなく申けるは、「かくてもつきはてまひらせて、おんありさまをもみはてまゐらせさうらはばやとぞんじさうらへども、都も又みゆづりまゐらせさうらふかたも候はざりつる上、つみふかくおんぺんじを今一度ごらんぜばやと、おぼしめされてさうらひつるに、むなしく程をへさうらはば、あともなくしるしもなくやおぼしめされさうらはむずらんと、こころぐるしくおもひやりまゐらせさうらふ。このたびはおんぺんじをたまはりて、ぢさんつかまつりさうらひて、又こそはやがてまかりくだりさうらはめ」と申ければ、大納言はよになごりをしげにはおもひたまひながら、「誠にさるべし。とくとくかへりのぼれ。ただしなんぢが今こむたびをまちつくべきここちもせぬぞ。いかにもな
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りぬときかば、のちのよをこそとぶらはめ」とて、へんじこまかにかきたまひて、おんぐしの有けるをひきつつみて、「かつうはこれをかたみともごらんぜよ。ながらへてしも、よもききはてられ奉らじ。こむよをこそは」と、こころぼそくかきつけたまひて、信俊にたびてけり。
ゆきやらむ事のなければ黒かみをかたみにぞやるみてもなぐさめ K018
とかきとどめ給へり。若君姫君のおんぺんじどももあり。のぶとし是をもちてかへりのぼりけるが、いでもやられず。大納言もさしてのたまふべき事はみなつきにけれども、したはしさのあまりに、たびたび是をめしかへす。たがひの心のうち、さこそは有けめとおしはからる。さても有べきならねば、のぶとし都へのぼりにけり。きたやまへさんじて、北方におんぺんじ奉りたりければ、北方は、「あなめづらし。い
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かにいかに。さればいまだおんいのちはいきておわしましけるな」とて、いそぎおんぺんじをひきひろげてみたまふに、おんぐしのくろぐろとして有けるを、ただひとめぞみたまひける。「このひとはさまかへられにけり」とばかりにて、又物ものたまはず。やがてひきかづきてふしたまひぬ。おんうつりがもいまだつきざりければ、さしむかひ奉りたるやうにはおぼされけれども、おんぬしはただおもかげばかりなり。若君姫君も、「いづら、ちちごぜんのおんぐしは」とて、めんめんにとりわたしてなきたまふもむざんなり。
かたみこそ今はあたなれこれなくはかばかり物はおもはざらまし K019
とぞ、えいじ給ける。大政入道このことをききたまひて宣けるは、「たがゆるしにてのぶとしはくだり、大納言はもとどりをばきりけるぞ。かやうの事
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をこそじいうの事とはいへ。ながしおきたらばさてもあらで、不思議なり」とて、こまつのおとどにはかくし給て、つねとほがもとへ、「大納言いそぎうしなふべし」とぞ、ないない宣たりける。たんばのせうしやうをば福原へめしとりて、せのをのたらうがあづかりて、びつちゆうのくにへつかはしけるを、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、へいはんぐわんやすよりをさつまのくにきかいのしまへつかはしけるに、この少将をぐしてつかはしけり。康頼はもとより出家の志ありける上、るざいのぎになりければ、ないない小松殿につき奉りて、人して小松殿のもとへふみをかきてつかはしけり。そのじやうにいはく、すでにあかつきは、はいしよにおもむくべきよしうけたまはりさうらふ。それくえんをいとふは、もつともしゆつりしやうじのをはり、さいなんにあふことは、なげきのなかのよろこびなるをや。じやうえんにかたぶくは、またわうじやうごくらく
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のいん、にんじんをうけたるは、よろこびのなかのよろこびなり。そもそも出家はむかしよりほんまうなり。いはむやさせんのいまにおいてをや。ねがはくはとちゆうのかいがんのまつのしたにはべりて、さつたのぐけうかしらのしもをはらはんとほつす。それいかん。よつてせいくわうせいきようきんげん。
きんじやうこまつのないだいじんどのごいうか へいはんぐわんやすよりがじやうとぞ、かきたりける。小松殿のおんぺんじには。
すみぞめのころものいろときくからによそのたもともしぼりかねつつ K020
やさしのおんぺんじやとて、やすよりなくなくさつまのくにへぞおもむきける。つのくにこまのはやしといふ所にてかみをそりてけり。かいのしにはしやうおんばうあじやりと申けるらうそう也。りやうそうししきりにいそぎける間、こころしづかにせつかいなむどもちやうもんせず、かたのごとくさんきかいのみやうじばかりをうけて、ほふ
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みやうしやうせうとぞ申ける。もえぎのうらつけたるうすかうのひたたれをぬぎをきて、こきすみぞめのころものいろ、おつる涙にしぼりあへず。さていでさまに、かくぞくちずさみける。
つひにかくそむきはてぬるよのなかをとくすてざりし事ぞくやしき K021
このはんぐわんにふだうのしそくに、さゑもんのじようもとやすとて、ことにおやを思ふこころざしふかき者有けり。しのびつつ只一人つきめぐりて、りやうそうしにあんないをへて、こまのはやしまでもんそうしたりけり。なくなくちちにむかひて申けるは、「なかなか只つひのおんわかれとだにおもひまゐらせば、ひとすぢにおもひさだむるかたもさうらひなむ。いきながらかくわかれまゐらするおんゆくすゑのをぼつかなさ、いちにちへんしもいかにしておもひしのぶべしともぞんぜずさうらふ。さだめてさこそおぼしめし候
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らめ。しままでこそ候はずとも、いまひとひもおんともまうすべく候に、よをおそれ候程に、かやうにまかりとどまりさうらふなり。たのみまゐらせたるちちのかやうにならせ給候はん上は、必ずしもみをまつたくすべきにて候はねども、人の心をそむきさうらひては、なかなかおんためあしくさうらひぬとおぼえ候へば、いとままうしてまかりかへらむ」とて、かきもあへず、さめざめとぞなきける。判官入道、基康が袖をひかへて、「人のみにはあいしとて、おなじこなれどもことにこころざしふかき子あり。なんぢは入道があいしにて、きやうほうの時よりせいじんの今にいたるまで、おんあいの志しいまだつきず。ひとひもみざる時はれんぼのじやうとこめづらし。とをかはつかおくりたりとても、かへらむわかれがかなしからざるべきか。人々のごらんずるもはづかし。よそめもみぐるし。うれしくこれまでおくりたり。
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はやはやかへり給へ」とて、各袖をしぼりつつ、父は南にむかひてゆけば、こは都のかたへぞゆきける。おもひきりてはゆけども、なほもなごりやをしかりけむ、ちかき程は互にみかへりつつ、父はこのかたをみかへり、こは父のかたをかへりみける処に、父ことばをばいださず、てあげてこをまねきけり。基康いそぎうちかへりたりければ、父涙をながし、ややひさしく有て申けるは、「こころえさすべき事の有つるを、あまりのおもひのふかさに、まうさざりつるなり。しやうせうがぼぎのにこうの八十いうよになりたまふが、れんだいのの東にむらさきのといふ所に、くさのいほりむすびておはするぞかしな。念仏申て、ごせぼだいのつとめよりほかはたねんなくして、あしたのつゆ、ゆふべの風をまたず、あさがほのひかげをまたざるごとくして、けふあすともしり給はぬ人の、只一人たのみ給へるが、
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たけごろひとしきこの、いつかへるべしともしらず、とほきしまの人もかよはぬ所へながされぬとききたまふものならば、又うちたのむかたもなき所にのこりとどまり給て、なきかなしみ給はん事、おんあいのならひ、さこそ思給はむずらめ。さればさんりんにまじはりて、そぞろになきかなしみ給はむほどに、さいごのじふねんにもおよばずして、ひごろのぎやうごふをむなしくなし給はん事のかなしさよ。さればかくとも申さず、いとまをもこひ奉り、今一度みもし、みへもし奉りたかりつれども、み奉る程にてはしのぶともかなふまじ。思ふ心いろにあらはれてとひ給はば、又なにとかくしとぐべきならねば、いかにもしてしらせ奉らじと思て、いでつる事の心にかかりておぼゆるぞ。なんぢもいかにもして、かくしとげぬべくは、しらせ奉
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るなよ。なんぢかへりなば、むらさきのに参て申べき事はよな、『人にざんげんせられて、大政入道殿よりごふしんをかうぶりてさうらふあひだ、しばらくさうりんじにろうきよし候也。をりをうかがひてまうしひらき候はんずれば、だいじはよも候はじ。おんこころぐるしくおぼしめすべからず。さてもおんわうじやうのあんじんは、さきざき申をきて候しかば、ゆめまぼろしとおぼしめして、只ねてもさめてもむゐのじやうどに心をかけましまし、らいかうのうてなにあなうらをふみ給べし。けつぢやうわうじやうすべき人には、りんじゆうには必ずきやうがいあいと申まえんきたりて、あるいはおやとへんじ、ふうふしようあいのかたちともへんじ、あるいはしつちんまんぼうともへんじて、しやばに心をとどむる事の候也。さればおやをみばや、こをみばやと思ふ心をば、まえんのしよゐとおぼしめして、只いつかうにさい
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はうに心をかけさせ給べし。もしなほしも康頼をこひしとおぼしめされむ時は、ひととせかきしるしてまゐらせ候し、往生のしきをごらん候べく候』と、よくよくこころえて申べし」とて、袖もしぼるばかりなり。「このむらさきのと申は、れんだいのの東にさうさうたるこまつばらあり。昔念仏のぎやうじやはべりき。常にむらさきのくものたなびきけるによつて、むらさきのとなづけたり。いまもぐぐわんわうじやうの人おほくいほりをむすびてすみけり。康頼入道が母、わかくしてをつとにはおくれてにけり。ひとへに往生をもとむる志ふかくして、れんだいののへん、紫野のまつのこがくれにいほりをむすびて、くどくちのながれに心をすましてぞはべりける。をさなくしてはにしんにをくれ、せいじんしてはをつとにおくれき。又三人のこあり。二人はによしにて、はなやかにうつくしかりし
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かども、むじやうの風にさそはれて、ほくばうのつゆときえにけり。らうせうふぢやうのさかひなれば、はじめて驚べきにはあらねども、おんあいべつりのなげきには、ぼんしやうおなじく袖をしぼるならひにて、このあまうへくわいきうの涙かはくまもなし。
むらさきのくさのいほりにむすぶつゆのかはくまもなき袖の上かな K022
とよみて、たのむ所は康頼ばかりこそ有つるに、これかくなつてふたたびあふごをしらず。をんるのみとききなば、てうぼのぎやうもうちすてられて、往生のさはりとならむ事こそかなしけれ。あひかまへてかくし奉べし。なんぢ入道を哀れと思はば、ゆきの中にたかんなをもとむる志をはげまして、紫野へ常にまゐり、入道がもつごをとぶらふとおもひなして、紫野にてじやうずい
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きふじをも申べし。この事よりほかにはだいじと思ふなげきなし」とて、てをあはせてぞなきける。もとやす申けるは、「おんかたみとて、只一人のこりとどまらせ給ふそぼの御事なれば、おほせをかうぶりはべらずとも、いかでかそりやく候べき。もつともこのごゆいごん、きもにめいじてわすれがたくさうらふ。まかりかへりさうらひなば、やがてじやうずいきふじ申べし」とて、おのおのゆきわかれにけり。基康みちすがらおつる涙にめもくれて、つきひの光もなきがごとし。「うゐむじやうのさかひは、父にもをくれ母にもおくれて、おくりをさめてかへる事は常のならひなれども、いかなるしゆくほうにて、基康はいきたる父をおくりすててかへらむ」と、ひとりごとにくどきつつ、ながるる涙、みちしばのつゆはらひもあへず。「みちにてもしうしなはれ給はば、しにかばね
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をもたれかかくすべき。いきながらしまにすてられ給はば、いへもなくしていかがすべき。うゑてやしにたまはむずらん。こごへてやうせたまはむずらん。しもゆきふらばいかがせむ。あられふるよのいははざま、しほかぜはげしきつゆのいのちのきへむ事、しだいはひびにをとろへて、けふやあすやとまち給はん事の心うさ。只一度にわかれなましかば、これほどにちくさになげきはよもあらじ」とおもひつづけて、馬にまかせてかへりのぼりけり。
廿八 さてもなりつねいげの人々、よの常のるざいだにもかなしかるべし、ましてこのしまの有様つたへききては、おのおのもだへこがれけるこそむざんなれ。みちすがらのたびのそら、さこそはあはれをもよほしけめと、をしはかられてむざんなり。
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せんどにまなこをさきだつれば、とくゆかむ事をかなしみ、きうりに心をかよはすれば、はやくかへらん事をのみおもひき。あるいはかいへんすいえきのはるかなるみぎりには、さうはべうべうとしてうらみの心めんめんたり。あるいはさんくわんけいこくのくらきみちには、がんろががとして、かなしみの涙たいたりたり。さらぬだにたびのうきねはかなしきに、しんやのつきのあきらかなるに、ゆふつげどりかすかにおとづれて、いうしざんげつにゆけむかんこくの有様おもひいでられて、かなしからずといふ事なし。やうやくひかずへにければ、さつまのくににもつきにけり。是よりかのきかいのしまへはひなみをまちてわたらむとす。きかいのしまはいみやうなり。そうみやうをばいわうのしまとぞ申ける。くちいつしま、おくななしまとて、しまのかず十二あむなるうち、くちいつしまは昔よりにつぽんに
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しがたふしまなり。おくななしまとまうすは、いまだこのどの人のわたりたる事なし。くちいつしまの中にいわうのいづるしまじまをば、いわうのしまとなづけたり。さてじゆんぷう有ければかのしまへおしつけて、くちいつしまがうち、少将をばみつのせまりのきたのいわうのしま、やすよりをばあこしきのしま、しゆんくわんをばしらいしのしまにぞすておきける。かのしまにははくろおほくしていししろし。みづのながれにいたるまで、なみしろくしていさぎよし。かかりければにや、しらいしのしまとなづけたり。せめてひとつしまにすておきたらば、なぐさむかたも有べきに、はるかなるはなれじまどもにすておきければ、かなしなむどはおろかなり。されども、のちにはしゆんくわんもやすよりもとかくして、少将の有けるいわうのしまへたどりつきて、たがひにちの涙をながしけり。かのしまはしまのまはりさいこくにじふりの
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しま也。そのちかんぢにして、でんばくもなければべいこくもなし。おのづからなぎさにうちよせられたるあらめなむどをとりて、わづかに命をつぐばかりなり。しまのなかにたかきやまあり。みねにはひもへふもとにはあめふりて、いかづちなることひまなければ、たましひをけすよりほかの事なし。めいどにつづきたむなれば、じつげつせいしゆくの下なりといへども、かんしよことわりにもすぎたり。さつまがたよりはるばるとうみをわたりてゆくみちなれば、おぼろけにては人のかよふこともなし。おのづからある者もこのよの人にはにず、いろくろくてうしのごとし。みにはけながくおひたり。けんぷのたぐひなければ、きたる物もなし。をとことおぼしき者は、きのかはをはぎて、はねかづらといふ物をし、たふさぎにかきこしにまきたれば、なんによのかたちもみ
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へわかず。かみはそらさまへおひあがりて、てんばやしやにことならず。いふことばをもさだかにきこへず。ひとへにおにのごとし。何事につけても、いちにちへんしいのちいくべきやうもなかりければ、こころうくかなしき事かぎりなし。かかる所へながしつかはされたれば、少将は、「ただなかなかくびをきられたらばいかがはせむ。いきながらうきめをみる事のこころうさ、このよひとつの事にあらじ」とぞおもはれける。かやうにこころうきところへはなたれたるおのおのがみのかなしさはさる事にて、ふるさとにのこりとどまるふぼさいし、このありさまをつたへききて、もだへこがるらむ心のうち、思やられてむざんなり。人のおもひのつもるこそおそろしけれ。「かのうみまんまんとして、風かうかうたる、くものなみ、煙のなみにむせびたる、ほうらい、はうぢやう、えいしうのみつのしんざんには、ふしのくすりもあむなれば、末もたのみある
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べし。このさつまがた、しらいし、あこしき、いわうのしまには、何事にかはなぐさむべき」とおもひやられて哀なり。まなこにさえぎる物とては、山のみねにもえあがるほのを、みみにみつる物とては、百千万のいかづちのおと、いきながらぢごくへおちたるここちして、きくにつけても只みのけばかりぞいよだちける。少将、はんぐわんにふだうは、おもひにもしづみはてず、常にはうらうらしまじまをみまはして、都のかたをもながめやる。そうづはあまりにかなしみにつかれて、いはのはざまにしづみゐたり。なぐさむ事とては、常にひとところにさしつどひて、つきせぬ昔物語をのみぞしける。さればとてひとつきにもさすがきえうせぬみなれば、このはをかきあつめ、もくづをひろひて、かたのやうなるいほりをむすびてぞあかしくらしける。さ
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れども、少将のしうとへいざいしやうのりやう、ひぜんのくにかせのしやうといふ所あり。かしこよりをりふしにつけて、かたのごとくのいしよくをとぶらはれければ、やすよりもしゆんくわんもそれにかかりてぞひをおくりける。このひとびとつゆのいのちきえやらぬををしむべしとにはなけれども、あさなゆふなをとぶらふべき人、一人もしたがひつかぬみどもなれば、いつならはねども、たきぎをひろはむとてやまぢにまよふ時もあり、みづをむすばむとてさはべにつかるるをりもあり。さこそたよりなくかなしかりけめ。おしはかられてむざんなり。やすよりにふだうはひにそへて、都のこひしさもなのめならず。なかにも母の事をおもひやるに、いとどせむかたなし。「ながされし時もかくとしらせまほしかりしかども、ききてはおいのなみに
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なげかん事のいたはしさに、おもひながらつげざりしかば、今一度みもしみへざりしに、わがありさまつたへききては、今までながらへてあらん事も有がたし」なむど、こしかたゆくすゑの事までもつくづくと思つづけられて、ただなくよりほかの事ぞなかりける。
(廿九) 判官入道は、そのかみくまのごんげんをしんじ奉り、さんじふさんどさんけいのこころざし有けるが、今十五度をはたさずしてこの嶋へながされたり。しゆくぐわんをはたさぬ事をくちをしく思はれけり。みはよくてうていのつきにあそむで、心はひとへにぶつけうのたまをみがく。えいさんてんだいのほふれいにのぼりては、じつかいごぐのはなをもてあそび、かうやみつけうのだうぢやうにのぞみては、さんみつゆがのともしびをかかぐ。いはむやげてん
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にをいては、きうけいさんしの光にくもりなく、五百よくわんのどくしよのはな、ていじゆのえだにさきたり。しいかくわんげんに心をすまして、ふうげつぶんだうめいめいたり。かかるめいじんちとくの人たりといへども、にんげんのはちくいまだぬかれず。くわこのしゆくいんはづかしく、こんじやうのなげき、やるせをしらず。「そもそもにんじんをうくる事は、ごかいのなかのしゆいん也。ごかいにいかなるあやまり有てか、これ程のだいくなんにあへるらむ」と、ふしんことにすくなからず。げんぽうとやせむ、しゆくほうとやせむ、ふかくのなみだつきかねたり。たんばのせうしやう宣けるは、「誠にしゆくぜんいみじくおはしければこそ、うんしやうのつきに隣をしめ、ほうけつの花をもてあそび、しようもんの風にたはぶれて、ほつすいのながれをもくみたまひけめ。そのうへくまのさんけいだにも
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十よどとうけたまはりき。ごりしやうこそなからめ。かかるなげきのちりとならせたまひぬる事、ぶつじんのごかごうたがひまことにおほし」。やすよりにふだう、「まことにおほせのごとくのゆやさんにかしらをかたぶけ奉るこころざしふかくして、卅三ど参べきしゆくぐわんをみてず、三度のごかうに三度ながらのぞみまうしてぐぶつかまつりし事も、ないしんは只宿願のどすうとぞんじさうらひき。私のさんけい十五度也。あはせて十八度。今十五度まゐりさうらはでこのなんにあへる事、こんじやうのまうねん、しんめいのごりしやうむなしきににたり」とて、ゐこんのなみだかきあへず。ほつしようじのしゆぎやう、これをききて、「少将殿もごさんけい候けるやらむ」ととへば、少将、「なりつねはいまだ一度もまゐりさうらはず」と宣へば、そうづ、
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「しゆんくわんもいまだ参候はず。さればかみのなだてにては候へども、どどのさんけいむなしくして、一度も参らざるともがらにどうざいどうしよのみとならせ給事、なんのしるしか候べき。おんうらみもつともことわりなり」と宣へば、康頼入道申けるは、「しかも卅三どの宿願はごしやうぼだいとはぞんぜず候。只しかしながらこんじやうのえいぐわ、そくさいえんめいとぞんじさうらひき。みはひんだうのみにて、心はだいけうまんの心也。しかるあひだ、仏法をきくとまうすも、只みやうもんのため、げてんをまなぶると申も、もし人のごしとくにもやめされ、さいじんのきこえあらば、くわんゐかかいやすすむとのみおもひはべりし故也。しかりといへどもしとくにもめされず、くわんしやくにもすすまず。ほうこうのちゆうをぬきんづといへども、ふしのしやうにもあづか
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らず。事にふれをりにしたがひては、うらみのみおほくして、心にこころよきことひとつもなし。これによつて、いつかうにしんめいをたのみ奉りて、えいぐわをひらき候はむとて、卅三どのだいぐわんをもおこし、十八度のさんけいをもとげで候き。いかにごんげんのにくしとおぼしめしけん。こうくわいさきにたたず」とて、しばらくあんじて申けるは、「たいげんのはくきよい、もんじふ七十巻を二部かきて、一部をばはつたふゐんのほうざうにをさめ、一部をばなんぜんゐんのせんぶつだうにおくりたてまつりて、そののちくだんのもんじふのはこよりくわうみやうをげんずる事たびたび也。りやうゐんのじそうあやしみをなして、もんじふのはこをあけてみるところに、第六十のくわんにほつぐわんのもんあり。そのいちいちの文字よりあらはるる所のくわうみやうなり。そのもんと申は、
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らうえいのぶつじのしに、『ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ、きやうげんきぎよのあやまりをもつて、ひるがへしてたうらいせせ、さんぶつじようのいん、てんほふりんのえんとせむ』とはこれなり。このほつぐわんの心は、こんじやうせぞくのごふ、きやうげんきぎよのあやまりなれども、ひるがへしてたうらいにはほとけをさんだんしほふりんをてんじて、しゆじやうさいどのみたらんと、がいけさんげしたるほつぐわんなり。ゆゑにさんげはよくめつざいのほふなれば、しやうじのぢやうやにまどふべからずといふへうじに、ほつぐわんのもんよりくわうみやうかくやくたり。さればしやうせうもけふより昔のあんじんをひるがへして、いつかうにごしやうぼだいのぎやうごふにゑかうしはべるべし」とぞ申ける。さてこの人々のぢゆうしよより南のかたに五十余町をさりて、ひとつのりさん
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あり。ばんがくとぞ申ける。きかいのしまのぢゆうにんら、「あのばんがたけには、えびすさぶらうどのとまうすかみをいはひて、いはどのとなづけたり。このしまにみやうくわにはかにもへいでて、ぢゆうにんさらにたへがたきとき、しゆじゆのくもつをささげてまつりさうらへば、みやうくわもしづまり大風ものどかにふきて、しまの住人をのづからあんどつかまつる」とぞ申ける。少将これをききて、「かかるさればみやうくわのうち、おにのぢゆうしよにもかみと申事のはべるらむよ」と宣へば、康頼入道、「まうすにやおよびさうらふ。えんまわうがいと申は、おにのすみか、みやうくわのうちにてはべるぞかし。それだにもじふわうとも申し、じふじんともなづけて、じつたいのかみ、とこをならべてすみ給へり。ましてこのしまと申はふさうしんこくのるいたうなれば、
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えびす三郎殿もすみ給べし。さてもさてもしやうせうくまのさんけいのしゆくぐわんあんじんこそふじやうにさうらひしかども、十八度は参てはべりき。のこる十五度を、ごしやうぜんしよの為に、いはどのにてはたしさうらはばやとぞんじさうらふ。だいじんもせうじんもくつしやうのみぎりにやうがうし給事にて候へば、ごんげんさだめてごなふじゆ候べし。おのおのはいかがおぼしめす」と申せば、少将はとりあへず、「なりつねもやがてせんだつにしまゐらせてさんけいつかまつるべし」と宣ふ。しゆんくわんはよくよくをかしげに思て、はるかにへんじもせず。ややひさしくありて申けるは、「につぽんはしんこくとまうして、もりやのおとど、じんみやうちやうをしるしたりけるに、かみ一万三千といへり。そのじんみやうちやうのなかに、きかいのしまのいはどのとまうすかみ、いまだみえず。そのうへえびす
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三郎殿と申は、ぶぢよにつきたる、ありさまいふかひなき者とこそみへて候へ。やはやじんじやうはかばかしきりしやうも候はんずる。くまのごんげんだにも十八度のさんけいむなしくて、かかるさいなんにあたりたまひてはべるぞかし。かつうはふるさとにきこえ候はむ事はづかしく候。『ほつしようじのしゆぎやうほどの者の、せめての事かな、えびす三郎をそんちようして、こりをかき、あゆみをはこびけん事よ』と、したしきうときに申されん事、いとけぎたなくおぼえさうらふ。次にごしやうぼだいをば必ずしもしんめいに申さずとても、ねんぶつどきやうせば、なんのふそくか候べき。『かみをかみとしんずれば、じやだうのむくいをうけて、ながくしゆつりのごをしらず』と申たり。『ただほんぢあみだによらいをねんずれば、じふあくごぎやくのまどの前にも
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らいかうし給』とこそ、くわんぎやうにはときてさうらふめれ。そもそもじやうどしゆうの事は俊寛いまだこころえずはべり。只どんごんむちの者の為に、皆心をいつきやうにをく事也。さればはうべんにしてじつぎにはあらず。それぶつぽふのたいかうは、けんげうもみつけうもぼんしやうふにとだんじて、じしんのほかにぶつぽふもなくじんぎもなし。さんがいゆいいつしんとさとれば、よくかいもしきかいもほかにはなく、ぢごくもばうしやうもわがこころよりしやうず。にんぢゆうもてんじやうもわがこころなり。しやうもんもえんがくもぼだいさつたとまうすも、心をはなれてほかにはなし。およそいつさいしゆじやう、しんぞくにたい、しんらのまんぼふ、がしやういつしんのほふにあらずといふ事なし。ずいえんしんによの前には、まよひの心をかみとなづけ、さとる心をほとけとす。めいごもとよりほかになし。じやしやういちによのめうりなるをや。さては禅のほふもん
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こそけうげのべつでんとまうして、ごんごだうだんのめうりにて候へ。いちだいしやうげうにてうくわして、八宗九宗のぜんちやうたり。たうじほつしようじにきやうりつしほんぐうとて、につたうのぜんそうあり。につたうせざりし昔はしんごんてんだいのがくしやうにて、ししゆざんまいのぎやうじや、にふだんくわんぢやうのひじりにてさうらひしが、禅のほふもんにうつりさうらひて、むぎやうだいいちのそうになりて候也。かみをもうやまはず、仏をもうやまはず、こつしやひにんなればとていやしむ事なし。しんごん、てんだい、じやうどしゆうのほふもんをば、うりのかはほふもんといひて、おほきにわらひ候也。ゑのうぜんじのじゆとて、常にくちずさみはべることばには、
ぼだいきなく、みやうきやううてなにあらず。もとよりいちもつなし、なんぞぢんくあらむ。 K023
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とえいじて、ずずけさもかけず。仏にくわかうをもきようせず。ねんぶつも申さず。きやうをもよまず。『いかにざぜんをば、し給はぬぞ』と申せば、おほきにわらひて、『何事ぞ、ざぜんと申事は。しよけうのなかに、しよしんのぎやうじやの修行するほふ也。天台宗にはしくわんのざぜん、しんごんけうにはあじくわんの坐禅、浄土宗にはにつさうくわんの坐禅とうなり。ぜんしゆうとまうすぎやうぼふあるべからず。しやきんよくをでいにうづむともこがねなり。にしきのふくろにつつみたるもこがねなり。禅のほふもんをいつかうにしようぜず。しよしんのぎやうじや、にちやたんぼに坐禅すと云へども、まつたくぜんちやうの位にのぼる事なし。だるまのじゆにいはく、
ざぜんしてほとけをえば、たれかかんしやうをぼくせざらむ。しらなみいくばくかきよき、しやうぜんしゆにきえす。 K024
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とて、だるまは坐禅する事なかりき。
むつのねにむつの花さくをほぞらをはるばるみればわがみなりけり K025
これこそだいざぜんのひじりよ』とて、ごしんしゆにくほしいままにぶくし、けだいむざんのたかまくらうちして、ふしぬをきぬしはべる也。げにゑのうぜんじのじゆのもんは、俊寛もりやうげして覚候。ぼだいきになくは、仏になるといふ事もなし。みやうきやううてなにあらずは、じやうどといふ事も有べからず。もとよりいちもつなきほふなれば、まんぼふみなこくうなり。なんぞぢんくあらむとみれば、けんしぢんじやのざいごふもゆめまぼろしににたり。まさにしるべし、くまのごんげんとまうすも、えびすさぶらうどのとまうすも、まうしんこまうのげんけ、きもうとかくのじようじや」といひて、どうしんどうだうもせず、俊寛
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はひとりとどまりたり。しゆんくわんひとりいはのはざま、まつのこかげにとどまりゐて、しよほふのさうをくわんぜし処に、風にはかにふきて、ぢしんたちまちにきびしくして、いつさんみなどうえうしければ、せきがんくづれてだいかいにいる。そのときぜんもんにふるきうたあり。おもひいだしてえいず。
「きしくづれてうををころす。そのきしいまだくをうけず。かぜおこりてはなをきようす。その風あにじやうぶつせんや。」 K026
とまうしてゐたり。やすよりにふだういはく、「ごほふもんのおもむきは、けごんしゆうのほふかいゆいいつしんかとおぼえさうらふ。さればふへんしんによのめうり、しんまうどうくうのしよだんなり。ことあたらしくなかなかまうすにおよばず。次にぜんのほふもんは、仏つひにくおんにちんじたまはず。ただかせふひとりのしよしようとうけたまはる。いんぐわをはつぶするが故に、ぶつけうにはあらず。仏教にあらざるが故に、げだうのほふもん也。
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ていげのぼんぶ、まつたくもつてしんようにたらず。仏をもうやまはず、かみをもしんぜず、ぜんごんをもしゆせず、あくごふをもはばからずとだんぜば、いちだいしやうげうを皆はめつするだいげだうときこえたり。ゆめゆめけんろにごひろう有べからず。いつさいしゆじやうを皆ぢごくにおとさん事、まつせのだいばだつた、これなるべし。かなしきかな、しやかぜんぜいのゆいていにあらずは、たれかぜんじんごほふのかごをかぶらむや。しやうせうはどんごんむちの者にてさうらふあひだ、しんごんけうにはかぢのそくしんじやうぶつ、じやうどしゆうにはたりきのわうじやう、これをしんじてさうらふなり。これによつてじつぱうの浄土もほかにあり、はちだいぢごくもほかにあり、さんぜしよぶつもほかにまします、さんじよごんげんもほかにましますと、しんじて候へば、いざさせ給へ、少将殿」とて、二人つれて
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いはどのへぞ参りける。かのいはどののぢぎやうをみるに、たにだにみねみねをはるかにわけいりて、じんせきたえてとりのこゑだにもせぬところに、かはながれいでたり。おとなしがはにあひにたり。そのみなかみをたづぬれば、すこしうちはれたる所あり。おほきなるいはやあり。その上にすぎひとむらおひたり。是をばほんぐうとなづけて、くさうちはらひ、しめひきまはしたり。又山をこえて、なぎさちかきすぎむらあり。是をしんぐうとかうす。それよりおくへなほたづねいりてみれば、へきがんたかくそばたちて、はくらうみねよりながれくだりたり。たきのおと、まつの風、かみさびたるけいき、なんざんひりゆうごんげんのわたらせ給ふ、なちのおやまににたりければ、又こけをうちはらひ、しめひきまはして、このいはかどをば、めぢこん
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がう、ごたいわうじとなづけ奉り、かのこのもとをば、いちまんじふまん、ぜんじ、ひじり、ちご、こもりなむどなづけつつかへりにけり。そうづに又「くまのまうでの事はいかに」といひけれども、僧都なほともなはざりければ、「さらばふたりまうでむ」とて、たちかふべきじやうえもなければ、あさのころもをみにまとひて、けがらはしきすがたなれども、さはべのみづをこりにかきて、しやうじんけつさいしてぞまうでける。ふぢのわらうづをだにもはかざれば、ひたすらのはだしにて、人もかよはぬかいがん、とりだにもをとせぬみやまを、なくなくつれておはしけむ心のうちぞあはれなる。てにたらひ、みにこたへたる事とては、いりえのしほ、さはべのみづにかく
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こりばかりなり。あさゆふはなむざんぎさんげろくこんざいしやうとさんげし、心に心をいましめて、わづかにはんにちにゆきかへるみちなれど、おなじところをゆきかへりゆきかへり、しらなみさざなみしのぎつつ、まんまんたるさうかいにただよひ、しほかぜなみまのこりの水、なんどといふかずをしらず。うらぢはまぢをゆくときは、ししのせ、ふぢしろ、かぶらざか、じふでう、たかはら、たきのしりともくわんねんし、せきがんいはほたかくして、せいたいあつくむし、ばんぼくえだをまじへて、きうさうみちをふさげるたにがはもあり。とうがん西岸をわたる時は、いはだがはをおもひいだして、ぼんなうのあかをすすぎ、近つひ、ゆのかは、みつのかは、おもひやられて哀也。すずしきこかげをゆくときは、くほんのとりゐを只今とをるとおもひなし、おほきなるきのもとにたちよりては、じやうぼんじやうしやうのしんぢほつしんもんともくわん
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ねんす。このやまぢ、かいがんの間に、なみまにみゆるいしもあり。しやうわうしやくびやくの石もあり。なんによそうぎやうの石もあり。いはのはざま、こけのむしろ、すぎのむらだち、ときはぎめにかかり、心のおよぶ所をば、つのくにくぼつのわうじよりはじめて、八十余所のわうじわうじとぞふしをがみ給ける。ほうへいみかぐらなむどの事こそかなはずとも、わうじわうじのおんまへにて、なれこまひばかりは、心のおよぶ程につかまつるべしとて、少将はてんぜいぶこつのじんにて、かたのごとくのかゐなざし、康頼入道はらくちゆうぶさうのじやうずなり、まうりやうきじんもとらけて、じひなふじゆをたるらむとぞまひける。少将もまいどにはらはらとぞなき給ける。かくのごとくして、かのほんぐうしようじやうでんのおんまへにまうでつつ、ほんぢあみだによらい
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にておはします、じふあくごぎやくをもすてたまはぬおんちかひあむなれば、ゑんきんにはよるまじ、心のしせいなるをこそ、ごんげんこんがうどうじもあはれとはおぼしめさむずらめと思て、「なむにつぽんだいいちだいれいげんくまのさんじよごんげん、わくわうのめぐみをほどこして、今一度都へかへさせ給へ」と、かんたんをくだきてぞまうされける。やすよりはしそくさゑもんのじようもとやすがしめししらせけるむさうの事なむどおもひいだして、おほえのまさふさがむじやうのふでをぞおもひつづけける。「しやうじのけんろさだめがたし、らうせういづれのときをかごすべき。ばうこんいたづらにさりて、やぐわいのそうべういういうとして、かのかんやうきゆうのけぶりじようじようたり。くもとなりていづれのかたへさりしぞや。思へば皆ゆめのごとくなり」とくわんじて、二人ほんぐうをいでて、しん
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ぐうへつたひて、なちのやまへまうでけり。はるかにはまぢをながむれば、ぜんろべうべうとして、まなこきはまりかつがうのきよ、かいしやうばうばうとして、なみだひぐわんのつきにうかぶ。あげていつしんしようみやうのおんじやうをふうらうのいんきやうに、たしよねうやくのほんぜいをすいげつのかんおうにあふぐ。しんぢゆうにこころすみ、しんじんまことにおこり、はしやうおもひしづかにして、あいしやうあんにもよほす。かねてかのけいきをおもへば、なみだれんれんとしてとどまらず。さえぎりてそのじひをはかれば、こころねんねんにいさみあり。えうちじやくせうのむかしより、せいねんちやうだいのいまにいたるまで、たんぜいをごんげんのほうぜんにぬきんでて、こんしをすいしやくのれいくつにこらす。せいざうおほくかさなれり。きかんなんぞうたがはむ。みつの山のほうへいとげにければ、よろこびのみちになりつつ、きりめのわうじのなぎの
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はを、いなりのすぎにとりかへて、今はくろめにつきぬと思て、げかうし給けり。かくまうづる事、そのとしの八月よりおこたらざるほどに、次の年の九月中旬にもなりにけり。
(卅) あるひふたりともなひてかのほんぐうにまうでて、ほつせをつくづくとたむけ奉りて、「わくわうりやくほんぜいたがはず、われらがごんねんのしんのまことをせうけんしたまひて、清盛入道のむだうのあくしんをやはらげて、必ず都へかへしいれ、ふたたびさいしをあひみせ給へ。すでにさんけい十五度にまんじぬ」と、かんたんをくだひて、一心にたんぜいをぬきんでたり。ことさらにかみのおんなごりをしく、おんまへにてときはぎのえだをみつをりたてて、さんじよごんげんのごやうがうとぞうやまひ給ける。そのおん
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まへにて、「さんじふさんどのけちぐわんなれば、みののうをつかまつり候べし。しやうせうが第一ののうにはいまやうこそさうらひしか」とて、じんぎのくわんのいまやうのうちに、一は、
ほとけのはうべんなりければ、じんぎのゐくわうたのもしや。
たたけば必ずひびきあり、あふげばさだめて花ぞさく。 K027
とうたひて、「これはほんぐうしようじやうでんにまゐらせ候。いまひとつはりやうしよごんげんにゑかうしまゐらせさうらふべし」とて、
しらつゆはつきの光に黄ををるをすばかしあり。
ごんげんふねにさをさして、むかへのきしによするしらなみ。 K028
とぞうたひたりける。「ごんげんふねにさをさして、むかへのきしによするしらなみ」と、いまだうたひもはてぬ時、よもの山にはふかざるに、すずしき
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風にはかにふきいでて、さんじよごんげんのときはぎのえだひつひつとして、どうえうする事ややひさし。しやうせうかんるいをおさへて、一首の歌をぞよみたりける。
かみかぜやいのる誠のきよければ心のくもをふきやはらはむ K029
少将もなくなく。
ながれよるいわうのしまのもしをぐさいつかくまのにめぐみいづべき K030
その時又不思議のずいさういできたる。ころはあきの末つかたの事なれば、たのむのかりのまれなるべきにはなけれども、東のかたよりかりみつとびきたりて、ひとつはにはかにたにのそこへとびいりて、又もみへず。いまふたつはこのひとびとの上よりとりかへして、東のかたへぞとびかへりける。やすよりにふだうこれをみて、
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しらなみやたつたの山をけふこへて花の都にかへるかりがね K031
とよみて、おのおのたちてきがんを七度づつらいはいしたりけり。そのうへ少将は、はんぐわんにふだうをも七度らいし給たりければ、入道、「こはいかに」ととひたてまつるに、少将、「入道殿のおんぱからひにて、十五どのさんけいもとげぬ。かみのごりしやうにてふたたび都にかへらむ事、しかしながら入道殿のごおんなるべし」とてなき給へば、入道も「あなあはれや」とてなく。さて入道、うらのはまゆふごへいにはさみ、山すげといふくさをしでにたれて、きよきいさごをこがねのさんぐとし、おんまへにすすみいでて、左のひざをたて、右のあしをかたしきて、思ふいしゆをつづけつつこれをよむ。そのことばにいはく、
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「きんじやうさいはいさいはい。ゐあたれるねんじは、ぢしようにねんさいしぼじゆつ、つきのならびはとつきふたつき、ひのかずは、さんびやくごじふよかにち、はちぐわつにじふはちにちきび、きちにちりやうしんをえらびさだめて、かけまくもかたじけなくまします、につぽんだいいちだいりやうげん、くまのさんじよごんげん、ならびにわうじけんぞくとうのうづのひろまへに、しんじんのだいせしゆ、うりんふぢはらのなりつね、ならびにしやみしやうせうら、おのおのぢやうゑのたなごころをあはせ、しんじんのらいもくをささげて、かつがうのかしらをかたぶけ、たてまつるくわんねんせいきんのしやきんを。そのこんしのいたり、ほつぐわんのおもむき、ゆへいかにとは、それ、
しんめいはほんぢをあらはしたてまつるとき、ゐくわういよいよぞうしんす。かんおうのひかりげんぢゆうなり。これによつていまかたじけなくさんじよごんげんのほんぢほんぜいをさんだんしたてまつらむとほつするのみ。ひそかにおもひみれば、ほんぐうしようじやうでんは、むかしさんだいらんこくのあるじ、むじやうねんわうとまうししとき、
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ぼだいしんをおこしたまひしよりこのかた、ごこふしゆいのだいぐわんすでにじやうじゆしましまして、いまあんやうじやうどのけうしゆ、らいかういんぜふのめうたい也。ゆゑに、せつしゆふしやのくわうみやうは、よくいちねんしようみやうのぎやうじやをてらし、さいどぐんまうのふないかだは、かならずくほんれんだいのほうちによす。あまつさへくわうだいじひのみづ、あめのごとくそそき、かぜのごとくそよがす。まさにまたすいしやくおうけのさかきのはに、わくわうりもつのかげをやどしたまへりつたへきく、しようじやうでんとなづけたてまつることは、ほんぢしやうりやうのかぜすずしくして、さんぞんらいかうのくもたなびき、ごくぢゆうさいげのみづかわきぬれば、くほんしやうがくのはなあらたなり。ふしゆしやうがくのあきの、ゆふべには、じつこふじやうだうのこのみをむすび、しよぶつしようじやうのあかつきのつきは、いつさいめいぼんのうたがひをしやす。これすなはちしやくそんのきんげんなり。ごんげんこのしようりをしめさむがために、かたじけなくみなをしようじやうだいごんげんとかうすのみ。みやうせんじしやうなり。いづれのしゆじやうかごんげんのほんぜいをうたがひたてまつらむや。ねがはくはごんげんのほんぜいぢゆう
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ぐわんふきよ、しやうせうらがりんじゆうじゆえんのとき、かならずまさにいんぜふのはちすをさかせたまふべしのみ。つぎにしんぐうは、これほんぢとうばうのけうしゆ、じやうるりじやうどのあるじなり。じふにだいぐわんじやうじゆのによらい、しゆびやうしつぢよのぐわんよにこえたまへり。たのもしきかな、いわうぜんぜい、にんげんはちくのうちには、びやうくもつともすぐれたり。いづれのしゆじやうかびやうげんをうけざる。たがいへにかかつがうのかしらをかたぶけざらむや。かなしきかな、しやうせうらがたうじのしんぢゆうのすがた、さらにしんしやうのびやうげんにもすぎたり。ねがはくはわくわうどうぢんのひかり、すみやかにさせんるざいのやみをてらしましまして、まさにこきやうれんぼのむねのやまひをたすけたまふべし。つぎになちひりゆうごんげんは、せんじゆせんげんのれいち、みだのひだりわきのふぞく、だいひせんだいのそんようなり。あふぎねがはくはしやうせうら、つたなくもしゆじやううくのしまにはなたれ、たのみたてまつるところは、さんしようがみやうのごんげんなり。はやくふわうくしやのふねにさをさして、
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まさにふしゆしやうがくのみやこにいんだうしたまふべし。そもそもさんごやちゆうのしんげつのいろは、よくじせんりのほかをてらすといへども、いまだじんでいぢよくがのみづにはやどらず、たとひくさばのつゆのもりのかがみたりといへども、きよくすめるときは、かならずめいげつかげをやどさずといふことなし。これによつて、いまかたじけなくごんげんのほんぜいをすいさつしたてまつるに、くまのさんじよのひかりは、もはらにつぽんきしうのれいち、むろのこほりおとなしのさとに、しやだんいらかをつらね、あけのたまがきにしきをさらすといへども、しやうせうらがくつしやうのみづいさぎよし。わくわうどうぢんのかげ、なんぞここにうかばざらんや。こいねがはくはさんじよごんげん、にやくいちわうじ、いちまんのけんぞく、じふまんのこんがうどうじ、ししよみやうじん、ごたいわうじ、まんざんのごほふてんとう、ぜんじひじりちごこもり、くわんじやうじふごしよひぎやうやしや、はちだいこんがうどうじ、しんぐうあすかかんのくらとうのぶるいけんぞく、きふなんのうちによくせむゐのはうべんをめぐらし、にふだうたいしやうこくのために
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めんぢよじひのこころをおこさしめたまへとなり。もししやうせうらがこんどのしよぐわん、ゑんまんじやうじゆせずは、あへてしんめいのゐくわうをもつて、たれかこれをあふぎたてまつらむ。いちどさんけいのとくすらなほもつてあくしゆをはなる。いかにいはむやさんじふさんどのさんけいにおいてをや。かへすがへすもげんぜあんをんのりやく、ごしやうぜんしよのほつぐわん、じやうじゆゑんまんじやうじゆゑんまん、さいはいさいはい」とぞよみたりける。
(卅一)さいもんよみをはりにければ、いつよりもしんじんきもにめいじ、ごたいにあせいよだちて、ごんげんこんがうどうじのごやうがう、たちまちにあるここちして、やまかぜすごくふきをろし、きぎのこずゑもさだかならず、このはかつちりけるに、ならのはのふたつ、やすよりにふだうがひざにちりかかりたりけるが、むしのくひたるすがたにて、あやしかりければ、入道是をとりてうちかへしうちかへしよくよく
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みるに、もんじのすがたにぞみなひたる。ひとつには「きがんふたつ」とむしくひたり。「あらふしぎの事や」と思て、少将にみせ奉りけるに、「げに不思議のことかな」とてゐたるに、いまひとつをとりてみるに、是も又もじのすがたとみなして、「これごらんさうらへ」とて少将に奉るに、一首の歌にてぞ有ける。
ちはやぶるかみにいのりのしげければなどか都へかへらざるべき K032
康頼入道、「是ごらん候へ」とて、少将に奉りたれば、少将とりてみて、「あら不思議や。今は権現のごりしやうにあづかりて、都へかへらむ事はいちぢやうなり」とて、いよいよきねんせられれけるに、やすより入道申けるは、「入道がいへにはくもだにも
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さがりさうらひぬれば、昔よりかならずよろこびをつかまつり
さうらふが、けさのみちにくものおちかかりて候つる間、ごんげんのごりしやうにて、少将殿のめしかへされさせ給はんついでに、入道も都へかへり候はんずるにやと、思て候つるなり。ただし『きがんふたつ』とよまれて候こそあやしく候へ。いかさまにものこりとどまる人の候はんずるとおぼえさうらふ」とて、涙をながしければ、少将も「誠に」とて、涙をながしてぞげかうせられける。康頼はあやしげなるさうだうのまねかたをつくりて、うらびとしまびとのあつまりたる時は、念仏をすすめてどうおんに申させて、念仏をひやうしにて、らんびやうしをまひけり。あみだの三字のいみじき事をばしらねども、このまひのおもしろさに、是をはやすとて、心
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ならず念仏をぞ申ける。かのさうだうはしまびとどもがよりあひどころにて、今にありとかや。きやうげんきぎよのあやまりをもつて、さいはうろくじのみなをとなふ。ひるがへしてたうらいせせ、さんぶつじようのいん、てんほふりんのえんとするこそあはれなれ。
おもひやれしばしと思ふたびだにもなをふるさとはこひしき物を K033
さつまがたをきのこじまにわれありとおやにはつげよやへのしほかぜ K034
このにしゆのうたのしたに、へいはんぐわんやすよりほふし、「心あらむ人は、是をごらんじては、康頼がふるさとへおくり給へ」とぞ、そとばごとにかきたりける。かきをはりてのちに、てんにあふぎちかひけるは、「ねがはくはうへはぼんでんたいしやくしだいてんわう、したはえんらわうがいけんらうぢじん、べつしては
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につぽんだいいちだいりやうげんくまのしようじやういつしよりやうじよごんげん、いちまんじふまんこんがうどうじ、ひよしさんわういつくしまのだいみやうじん、あはれみをたれおぼしめして、わがかきすつることのは、かならずにつぽんのちへつけさせ給へ」ときねんして、にしかぜのふくたびには、このそとばをやへのしほにぞなげいれける。そのきねんやこたへけむ、そのおもひやなみかぜとなりけむ、まんまんたるかいしやうなれども、おなじながれのすゑなれば、なみにひかれかぜにさそはれて、はるかのひかずをへて、そとばいつぽん、くまのしんぐうのみなとへよりたりけり。うらびととりて、くまののべつたうのもとへもちてゆきたりけれども、みとがむる人もなくてやみにけり。又そとばいつぽん、あきのくにいつくしまのだいみやうじんのおんまへにぞよりたりける。あはれなりける
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事は、やすよりがゆかりなりけるそうの、康頼さいかいのなみにながされぬときこえければ、あまりのむざんさに、なにとなく都をあくがれいでて、さいこくのかたへしゆぎやうしける程に、たよりのかぜもあらば、かのしまへもわたりて、ししやうをもきかばやと思けれども、おぼろけにてはふねも人もかよふことなし。おのづからあきびとなむどのわたるも、「はるかにじゆんぷうをまちてこそわたれ」なむど申ければ、たやすくたづねわたるべきここちもせず。「さなくはいかにもしてそのおとづれをだにもきかばや。ししやうもおぼつかなし。いかがはすべき」なむどおもひわづらひて、あきのくにまではくだりけり。びんぎなりければ、いつくしまのやしろへぞまうでにける。みやうじんのわたらせまします所は、ひるはしほひてしまとなり、よるはしほみちてうみとなる。
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それわくわうどうぢんのりしやうさまざまなりといへども、いかなりけるいんえんにてか、このみやうじんはかいはんのいろくづにえんをむすびたまふらむとおもふもあはれにて、そのひはこのやしろにさうらひけり。そもそもこのおんがみをば平家の入道だいじん、ことにそうきやうし奉りたまふぞかし。されば平家のいきどほりふかき人をかやうに思へば、かみもいかがおぼしめすらむと、しんりよもおそろしくて、又さもとりあへぬ程なれば、ひねもすにほつせをぞ奉りける。「しまへわたらむ事こそかたからめ。康頼がゆくへきかせ給へ」なむどいのりまうしける程に、ひもくれがたになりにければ、つきいでてしほのみちけるに、そこはかともなきもくづどものながれよりける中に、ちひさきそとばのやうなる物のみえければ、「あやしや。なにやらむ」とてとりてみれば、かのにしゆの
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うたをぞかきたりける。これをみて、あはれの事やと思て、よろこびのほつせを奉り、をいのかたにさして、都へもちてのぼりて、康頼が母の、一条よりかみ、むらさきのといふ所に有けるに、とらせたりければ、さいしあつまりて、おのおのあちとりこちとり是をみて、かなしみの涙を流しける程に、しんぐうのみなとによりたりけるそとばも、くまのよりいでけるやまぶしにつきて、おなじひに都へつたはりたりけるこそ不思議なれ。たとひいちぢやうにぢやうのきなりとも、いわうのしまにてまんまんたるうみにいれたらむが、しんら、かうらい、はくさい、けいたんへもゆられゆかで、あきのくに、またしんぐうまでよるべしやは。ましてなぎさにうちよせられたるもづくのなかにまじはりたる、こけらといふ物を
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ひろひあつめて、せんぼんまでつくりたりけるそとばなれば、いかにおほきなりとも、一尺二尺にはよもすぎじ。もんじはえりいり、きざみつけたりければ、なみにもあらはれず。あざあざとして、いわうのしまより都までつたはりけるこそ不思議なれ。あまりにおもふことは、かく程なくかなひけるもあはれなり。康頼みとせの命きへやらで、都へふみをつたへたりとて、このにしゆの歌を都にひろうしければ、かのそとばをめしいだしてえいらんあり。「誠にやすよりぼふしがふみなりけり。すこしもまがふべくもなし。ろめいきえやらでいまだかのしまに有ける事のむざんさよ」とて、法皇りようがんより御涙をながさせ給けるぞかたじけなき。むかしおほえのさだもとがしゆつけののち、かのたいたうこくにして、ぶつしやうこくのあ
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いくだいわうのつくりたまへるはちまんしせんぎの石のたふのうち、につぽんがうしうのせきたふじにいつきとどまる事を、かのしんだんこくにしてかきあらはしたりける事の、はりまのくにぞうゐじとかやへながれよりたりけるためしにも、このありがたさはおとらざりける物をやとあはれなり。
三十二 むかしもろこしにかんのぶていとまうすみかどましましけり。わうじやうしゆごの為に、すまんのせんだらをめされたりけるに、そのごすぎけるに、ここくのてき申けるは、「われらここくのてきと申ながら、けいでんのうねにしやうをうけて、あさゆふきこゆる物とては、りよがんあいゑんのよるの声、うきながらすごきいほりののきばになるる物とては、くわうろくちくのかぜのおと。たまたまけんわうのせいしゆにあひたてまつりて、
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きこくのおもひでなにかせむ。ねがはくは、きみ三千の后をもち給へり、一人をたまはりてこじやうにかへらむ」と申ければ、ぶてい是をきき給て、「いかがすべき」となげきたまふ。「しよせん三千の后のそのかたちをゑにかきて、顔よきをとどめて、あしきをたばむ」とさだまりぬ。わうせうくんと申はあさゆふちようあいはなはだしく、ようがんびれいの人なりき。鏡のかげをたのみてわうごんをおくらざるゆゑに、あらぬかたちにうつされて、ここのへの都をたちはなれ、ばんりのゑつちにおもむきし、わかれのいまだかなしきげんじやうながくとざせり。しばしばこもんのくれのつづみに驚く。ここくいづくむかある。はやくりやうきやうのあかつきの夢をやぶる。らうんたちまちにたえて、たびのおもひつながれず。かんげつやうやくかたぶきて、しうびもひらかざりけ
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れば、ならはぬたびのおくまでも、しぼりかねたる袖の上に、つきせぬ涙ばかりこそ、たもとをしたひけるかな。ゑんざんの緑のまゆずみも、ここくの雪にうづもれ、らんじやの昔のにほひも、ささいの風にあとをけす。ていきやうをはなれてたくきよして、いたづらにこじやうにふせるよは、昔の事を夢にみる。夢になける涙は、らんかんとして色ふかし。ふうえふてきくわの風のおと、さくさくとしてみにしみ、ゑんはきよくかうのつきのかげ、ばうばうとしてこころすむ。ごりようの時よりもてあそび、てなれしびはにたづさひて、なくよりほかの事なし。いへとどまりてはむなしくかんのくわうもんとなり、みはけしていたづらにこのきうこつとならむ事を、あさゆふなげきたまひき。
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みるたびに鏡のかげのつらきかなかからざりせばかからましやは K035
ぶていこのことをやすからず思給て、りれうといふつはものをたいしやうぐんとして、ここくをせめにつかはす。そのせいわづかにして、せんぎにすぎざりけり。りりようここくにゆきて、びりよくをはげましてせめたたかふといへども、ぎよりかくよくのぢん、くわんぐんりすることをえず。くわうきでんせんのいきほひ、げきるいかつにのるににたり。しかるあひだくわんぐんほろびて、つひにてきの為にりりようとらはれて、ここくのわうせんうにつかはる。ぶてい是をきき給て、「としごろはかくは思はざりしかばこそ、大将軍にえらびつかはしつるに、さてはふたごころありける物を。やすからず」とて、りりようが母をせめころし、父がはかをほりて、そのしがいをうつ。是のみならず、
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しんるいきやうだいみなぶていのためにつみせらる。りりよう是をつたへききて、かなしみをのべていはく、「われおもひき。ここくついたうのつかひにえらばれしときは、かのくにをほろぼして君の為にちゆうをいたさむとこそおもひしか。されどもいくさやぶれて、こわうが為にとらはれてつかわるといへども、あさゆふひまをうかがひて、こわうをほろぼして、ひごろのあたをほうぜむとこそおもひしに、今かかるみになりぬる上は」とて、こわうをたのみて年月をおくる。ぶてい是をきき給て、りりようをよび給へどもきたらず。さてもかんわういくさにまけたまひぬる事をやすからずおぼしめして、かんのてんかん元年に、又りしやうぐんといふ者と、そしけいといふつはものとをさしつかはす。そしけいとまうすは今のそぶこれなり。そぶが十六歳になりけるを、うだい
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じんになして、二人をたいしやうぐんとして、又ここくをせめにつかはしけるに、そぶをちかくめしよせて、いくさのはたをたまはるとてぶていのたまひけるは、「このはたをば、なんぢがいのちとともにもつべし。なんぢもしせんぢやうにしてしせば、あひかまへてこのはたをばわがもとへかへすべし」と、せんみやうをふくめられけり。さてそぶここくへゆきててきをせめけれども、こじやうにたたかふいくさ、てきのせいつよくして、くわんぐんまたおとされぬ。大将軍をはじめとして、むねとの者卅よにんいけどられぬ。そぶそのうちなりければ、皆かたあしをぞをられける。すなはちしする者もあり。又二三日、四五日にしする者もあり。あるいはかひなきいのちいきて、としつきをおくる者もあり。こきやうのさいしのこひしき事、にちやたんぼにわすれず。
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へうたんしばしばむなし、くさがんえんがちまたにしげし。れいでうふかくとざせり、あめげんけんがとぼそをうるほしけむも、是にはすぎじとぞおぼえし。かれはわづかにはにふのこやもありければこそ、雨もとぼそをぬらし、くさもちまたにしげかりけめ。これはくさばをひきむすぶ、あやしのしばのやどりもなければ、ただのざはのたなかにはいありきて、はるはくわいをほり、あきはおちぼをひろひてぞ、あけくれはすぐしける。きんじうてうるいのみともとなれりければ、常にはひつじのちちをのみて、あかしくらしけり。秋のたのむのかりも、たこくにとびゆけども、春はゑつちにかへるならひあり。是はいつをごするとしなければ、只なくよりほかの事なし。
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かへるかりへだつるくものなごりまでおなじあとをぞおもひつらねし K036
さてもしやうじむじやうのかなしさは、せつりをもきらはぬやまかぜに、ひのいろうすくなりはてて、おもはぬほかのうきぐもに、ぶていかくれたまひぬ。りゆうろう、ちくゑん、こうきゆう、けいしやう、じしん、うんかく、たれもおもひはふかくさの、つゆよりしげき涙にて、おなじけぶりのうちにもと、もゆるおもひはせつなれど、せうてい位をうけたまひて、そぶをたづねにつかはす。「はやうせにき」といつはりこたへけるあひだ、「いまだありとばかりだに、ふるさとびとにきかればや」とは思へども、けいでんのうねにすむみなれば、かひなくこれにもあはざりけり。をひつじにちちをごして、さいくわむなしくかさなりて、わづかにいけるににたれども、かんのせつをうしなはず。
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ことばのしたには、やみにほねをけすひをおこし、わらひのなかには、ひそかにひとをさすかたなをとぐ。 K037
いかにもしてこわうせんうをほろぼして、こきやうへかへらむと思へども、ちからおよばずすごしけり。てうぼにみなれしかりの、春のそらをむかへて、都のかたへとびゆきけるに、そぶ右のゆびをくひきりて、そのちをもつてかしはのはにひとつのことばをかきて、かりのあしにむすびつけていひけるは、「いちじゆのかげにやどり、いちがのながれをわたる、みなこれぜんぜのちぎりなり。いかにいはむやおのれはかたをならべてとしひさし。いかでかこのうれひをとぶらはざらむ」とて、かりに是をことづけぬ。をりふしみかどしやうりんゑんにごかうして、かすめるよもをうちながめ、ちくさの花をみ給に、かりのひとつらとびきたりて、はるかのくもの上にはつねのきこゆるかとおぼゆるに、ひとつのかりほど
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なくとびくだる。あやしとえいらんをふるに、むすびつけたるふみをくひほどきて、おとしたりけるを、くわんにん是をとりて、せうていにたてまつる。みかどみづからえいらんをへたまふに、そのことばにいはく、「むかしはがんけつのほらにこめられて、いたづらにさんしゆんのしうたんをおくり、いまはけいでんのうねにはなたれて、むなしくこてきのいつそくをきく。たとひみはとどまりてこちにくつとも、たましひはかへりてふたたびかんくんにつかへむ」とぞかきたりける。是をごらんじけるに、みかどかぎりなくあはれとおぼしめして、なげきの御涙をさへがたし。そぶいまだいきて有ける物をとて、えいりつといふかしこきつはものを大将軍として、ひやくまんぎのようじをそつして、ここくをせめ給に、今度はここくやぶられて、せんうも既にうせにけり。えいりつ、
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せうくんをとりかへし、そしけいをたづねえたり。そぶはかたあしはをれたれども、じふくねんのせいざうをへて、ふるさとへかへりのぼりしに、りりようなごりををしみていはく、「わがみとしごろ君のおんためにふたごころなし。なかんづく、ここくついたうの大将軍にえらばれ奉し事、めんぼくのいちなり。しかれどもしゆくうんのしからしむる事にや、みかたのいくさやぶれてここくのわうにとらはれぬ。されどもいかにもしてこわうをほろぼして、かんていのおんためにちゆうをいたさむとこそおもひしに、今ははをつみせられ奉り、父がしがいをほりをこして、うちせため給けむ。ばうこんいかが思けむ。かなしともおろかなり。又しんるいきやうだいにいたるまで、一人ものこらず皆つみせらるる事、なげきのなかのなげき也。故郷を
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へだてて、只いるいをのみみる事のかなしき」とて、りりよう、そぶがもとへごごんのしをおくれり。そのことばにいはく、「てをたづさへてかりやうにのぼる。いうしゆふべいづくんかゆく。じふともにきたにとぶ、いつぷひとりみなみにかける。われをのづからこのやかたにとどまる。しいまこきやうにかへる K039」。これごごんのしのはじめなり。このこころをよめるにや。
おなじえにむれゐるかものあはれにもかへるなみぢをとびをくれぬる K040
そぶ十九年のあひだ、ここくほくかいのへんにすみしかば、ばんりりやうかいのなみのおとをききては、ゐあいじのあかつきのかねになぞらへ、しごだのやまのふゆのこずゑをみては、かうろほうのゆきかとあやまたる。ひくわらくえふのてんべんを見ては、春秋のうつりかはる事をしるといへども、はかせおんやうのじんにもちかづかざれば、日月のかうとをしらず。
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故郷にかへりきうたくにゆきたれば、そぶいんじとしよりききやうの今のとしまで、きうさいうれひのあまりにや、まいとしひとつのふすまをととのへて、さをにならべてかけをけり。こまかに是をかぞふれば、十九にてぞ有ける。是よりしてぞ、そぶさりて十九年とはしりにける。いそぎみかどに参りて、りりようがしを奉る。みかど是をごらんじて、あはれとおぼしけれど、かひもなし。せんていの御時たまはりしはたをふところよりとりいだして、みかたのいくさやぶれて、こわうせんうにとらわれて、けいでんのうねにはなたれて、年月かなしかりつる事、又りりようがしうたんせし事、かきくどきこまかにかたりまうせば、みかどひるいせ
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きあへ給はず。そぶしやうねん十六歳にしてここくへおもむき、卅四にして旧都へかへりたりしに、はくはつのらうをうにてぞ有ける。のちにはてんしよくこくといふ官をたまはつて、君につかへ奉り、つひにしんしやく元年に、年八十余まで有てしににけり。さればにや、是よりしてふみをばがんしよともいひ、がんさつともなづけたり。つかひをばがんしともいへるとかや。又かりのあしにゆひつけたりけるが、たまのやうにまろかりければ、たまづさとも申也。
へだてこし昔の秋にあはましやこしぢのかりのしるべならずは K041
と、源のみつゆきがえいぜしも、ことわりとぞおぼゆる。そぶはここくにいりて、ひんがんにふみをつなげて、ふたたびりんゑんのはなをもてあそび、康頼はこじまにすみて、さうはにうたをながして、
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つひに、こきやうのつきをみる。かれはかんめいのここく、是はわがくにのいわう、彼はもろこしのふうぎにておもひをのぶるしをあやつり、是はほんてうのげんりうにて、心をやしなふ歌をえいず。彼はかりのつばさのひとふでのあと、是はそとばのめいの二首の歌。彼はくもぢをかよひ、是はなみの上をつたふ。彼は十九年のしゆんしうをおくりむかへ、是はさんがねんのゆめぢのねぶりさめたり。りりようはここくにとどまり、しゆんくわんはこじまにくちぬ。しやうこまつだいはかはり、さかひはるかにとほくはへだたれども、おもふこころはひとつにして、あはれはおなじ哀也。
卅三 やすよりがちやくし、へいざゑもんのじようもとやすは、つのくにこまのはやしまで、父がともしてみおくりたりけるが、康頼出家してけれ
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ば、基康なくなくこまのはやしより都へかへりのぼりて、やがてしやうじんけつさいして、百ケ日せいすいじへさんけいす。ほつけきやうのにじふはちほんのそのなかに、しんげほんをまいにちによみたてまつりて、百日が間、きやくやするをりもあり、しくやする時もあり。「ねがはくはだいじだいひのせんじゆせんげん、かれたるきくさも花さきこのみなるべしとおんちかひあむなり。さればこのみをかへずして、ふたたび父にあわせさせ給へ」と、三千三百三十三度のらいはいをまひらせけり。既に八十よにちもつもりけるに、いわうのしまにながされたるはんぐわんにふだうのあるよの夢に、かいしやうをはるかにながめやれば、しろきほかけたる船のおきのかたよりこぎきたるとみる程に、しだいにちかくこぎよするをみれば、わがこの
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さゑもんのじようもとやすそのふねにのりたりけり。そのしらほにもじあり。「めうほふれんげきやうしんげほん」とぞかきたりける。なほしだいにちかくよるをよくよくみれば、船にはあらずして、はくばにぞ基康はのりたりけるとみてうちおどろき、なにとあるまうざうやらむとあやしくて、あせをしのごひて、人にもかたらざりけり。康頼みやこがへりののちにこそ、しそく基康にはじめてかたりける。くわんおんのおんへんげははくばにげんぜさせたまふとかや、ひとへにこれ基康がきねんかんおうして、観音のごりしやうにて都へはかへりのぼりにけり。又こじまにあがめ奉りしごんげんのごほんぢも、観音のほんし、
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みだによらいなり。していあはれをほどこして今都へのぼりぬと、ふしともにかんるいをぞながしける。
三十四 だいなごんのにふだうは、少将もいわうのしまへながされ、そのおととどものをさなくおわするもあんどせず、ここかしこににげかくれたまふなむどききたまひて、いとどこころうくかなしくて、ひにしたがひてはおもひしづみて、みも既によはりてみへ給ける上、いそぎうしなひたてまつるべきよしうけたまはりにければ、あるときつねとほがもとに、大納言入道のかいしやくにつけたりけるちみやうと申けるそう、大納言に申けるは、「是は海中のしまにてさうらふあひだ、なにごとにつけてもすみうく候に、これよりきたに、つねとほがしよりやうちかく候所に、きびのなかやま、ほそたにがはなむど
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申て、なある所候。かのところにありきのべつしよといふ、いたひけしたる山寺の候こそ、せんずいこだちいうなる所にて候へ。それへわたらせ給候へかし。わたしまゐらせ候はん」と申ければ、大納言入道、げにもとおぼして、「ともかくもはからひにこそしたがはめ」と宣ければ、かのやまでらになんばのたらうとしさだがつくりおきたりけるそうばうの有けるをかりて、わたしすへ奉てけり。はじめはとかくいたはり奉るよしにて、同七月十九日に、ばうのうしろにあなをふかくほらせて、あなのそこにひしをうゑて、上にかりばしをわたして、そのうへにつちをはねかけて、としごろふみつけたるみちのやうにこしらへておきたりけるを、
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だいなごんのにふだうしりたまはで、とほりさまにその上をあゆみたまふとて、おちいりたまひたりけるを、よういしたりける事なれば、やがてつちを上にはねかけて、うづみ奉りにけり。かくしけれどもよにひろうしけり。
三十五 きたのかたこのよしをききたまひけむ心のうちこそかなしけれ。「『くわうせんいかなる所ぞ、ひとたびゆきてかへらず。そのうてないづれのかたぞ、ふたたびあふにごなし。ふみをかけてとぶらはむとほつすれば、すなはちそんぼつみちへだてて、ひがんつうぜず、ころもをうちてよせむとほつすれば、しやうじかいことにして、いばいたづらにつかれぬ』といへり。かはらぬすがたを今一度みゆることもやとてこそ、うきみながらかみをつけて有つれども、今はいふにかひなし」とて、みづから
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おんぐしをきりたまひてけり。うんりんゐんとまうして、てらの有けるに、しのびてまゐりたまひてぞ、かいをもたもちたまひける。又そのてらにてぞ、かたのごとくのついぜんなむどもいとなみて、かのぼだいをとぶらひ奉り給ける。わかぎみあかのみづをむすび給ける日は、姫君はしきみをつみ、姫君みづをとりたまふひは、若君はなをたをりなむどして、父のごせをとぶらひ給も哀也。時うつり事しづまりて、たのしみつきかなしみきたる。只てんにんのごすいとぞみへし。されども大納言の妹、内大臣のきたのかたより、をりにふれてさまざまのをくりものありけり。是をみる人涙をながさぬはなし。なきあとまでも内大臣のおんこころざしのふかさこそやさしけれ。なりちかのきやうはわかきより
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しだいのしようじんかかわらず、いへにいまだなかりし大納言にいたり、えいぐわせんぞにこへ給へり。めでたかりし人の、いかなるしゆくごふにて、かかるうきめをみ給て、ふたたび故郷へもかへり給はず、つひにはいしよにてうせたまひにけむ。そのさいごの有様も都にはさまざまにきこえけり。なげきのひかずつもりて、やせおとろへておもひじににしにたまひたりともきこゆ。又さけにどくをいれてすすめ奉りたりともさたし、又をきにこぎいでてうみへいれ奉りたりとも申けり。とかくいひささやきける程に、不思議なりける事は、経遠がさいあいの娘二人あり。七月下旬のころより一度にやまひつきて、はてには
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物にくるひて、たけのなかへはしりいりて、たけのきりくひにたうれかかりて、つらぬかれて、二人ながら一度にしににけり。たちまちにむくいにけるこそおろしけれ。
三十六 廿九日、さぬきのゐんごついがうあり。しゆとくゐんと申す。このゐんと申は、さんぬるほうげんぐわんねんに、あくさふよりながこうのすすめによりて、よをみだりましましし御事也。そのかつせんのにはをにげいでさせおはしまして、にんわじのくわんぺんほふむのごばうへごかうなりたりけるが、さぬきのくにへうつされましますよしをききて、そのころさいぎやうときこへし者、かくぞ思つづけし。
ことのはのなさけたえぬるをりふしにありあふみこそかなしかりけれ K042
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しきしまやたえぬるみちになくなくも君とのみこそあとをしのばめ K043
しんゐんさぬきへおんげかうあり。たうごくのこくしひでゆきのあつそんのさたとして、とばのくさつよりみふねにめし、しはううちつけたるおんやかたのうちに、げつけいうんかくのおんみちかくしたがひ奉る一人もなし。只女房二三人ぞなきかなしみながらつかへ奉りける。おんやかたはひらくこともなければつきひの光もへだたりぬ。みちすがら浦々嶋々よしある所々をもごらんぜず、むなしくすぎさせましませば、御心のなぐさむかたもなし。すまのうらときこしめしては、ゆきひらのちゆうなごんもしをたれつつなげきけむ心のうちをおぼしめしやられ、あはぢしまときこしめしては、むかしおほひの
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はいたいのかのしまにうつされつつ、おもひにたへずうせたまひけむも、今はわがみのおんうへとおぼしめす。ひかずのふるままには都のとほざかりゆくも心ぼそく、いはむやいちのみやのおんことおぼしめしいづるにつけては、いとどきえいるおんここちなり。「なにしに今までながらへてかかる思にむせぶらむ。只みづのあわともきえ、そこのみくづともたぐひなばや」とぞおぼしめす。昔かはべのせうえうのありしには、りうとうげきしゆうのみふねをうかべてにしきのつなをとき、わうこうけいしやうぜんごにゐねうして、しいかくわんげんのきようをもよほしき。今はかひびせんのとまやかたの下にうづもれつつ、なんかいのほかへおもむかせまします、しやうじくかいの有様こそかへすがへす
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もあはれなれ。とほくいてうをかんがふれは、しやういふわうがはここくへかへり、げんそうくわうていはしよくさんにうつされき。ちかくわがてうをたづぬれば、あんかうてんわうはけいしにころされ、すじゆんてんわうはぎやくしんにをかされたまひき。じふぜんの君ばんじようのあるじ、ぜんぜのしゆくごふはちからおよばぬ事ぞかしとおぼしめしなぞらへけるこそ、せめての事とはおぼえしか。されどもつながぬつきひなれば、なくなくさぬきへつきたまひぬ。たうごくしどのこほりなおしまにごしよをたててすへ奉る。かのしまは国のちにはあらずして、うみのおもてをわたることふたときばかりをへだてたり。でんばくもなし、ぢゆうみんもなし。まことにあさましきおんすまひとぞみえし。ながきいちうのやをたててほういつちやうのついがきあり。
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南にもんをひとつたててそとよりじやうをさしたりけり。こくしをはじめとしてあやしのたみにいたるまで、おそれをなして、こととひまゐる人もなし。うらぢをわたるさよちどり、松をはらふ風の音、いそべによするなみの音、くさむらにすだくむしのね、いづれもあはれをもよほし、涙をながさずといふ事なし。ししやほうのあらしおろそかに、くもしちひやくりのほかにをさむ。たきしきてせんらうをすずしく、つきしじつしやくのあまりにすめり。いうしきはまらず。しんこうひとなきところ、しうちやうたえなむとほつす。かんさうにつきのあるときとかや。これより又たうごくのざいちやう、いちのちやうぐわん、やたいうたかとほがだうにうつりたまひたりけるが、のちにはつづみのをかにごしよたててぞわたらせ給ける。かくてとし
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つきをすごさせましますに、おんみには何事もぜんぜの事とおぼしめせども、にようばうたちはなんのかへりみにもおよばず、都をこふる心なのめならず。おつる涙はくれなゐにへんじ、おさふる袖はくちぬばかりなり。是をごらんずるにつけては、なにごともおんこころよわくなりて、あひかまへてまうしなだめらるべきよし、おんひとわろくくわんばくどのへたびたびおほせごとありけれども、へんじにもおよばず。せめての御事におぼしめされけるは、「われてんせうだいじんのべうえいをうけて、てんしのくらゐをふみ、かたじけなくだいじやうてんわうのそんがうをかうぶりて、ふんやうのきよをしめき、はるははるのあそびにしたがひ、あきはあきのきようをもよほし、せうやうのはなをもてあそび、ちやうしうのつきをえいじ、ひさしく
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せんとうのたのしみにほこりて、またおもひでなきにあらず。いかなるつみのむくいにて、はるかのしまにはなたれて、かかるかなしみをふくむらむ。さかひなんぼくにあらざれば、りよがんえんしよのたよりをえがたし。まつりごとおんやうをことならざれば、うとうばかくのへんありがたし。えどのおもひもつともふかし。ばうきやうのおにとこそならむずらめ。てんぢくしんだんよりにつぽんわがてうにいたるまで、位をあらそひ国をろんじて、をぢをひかつせんをいたし、兄弟とうじやうをおこせども、くわほうのしようれつにしたがひて、をぢもまけ、あにもまく。しかりといへどもときうつりことさりて、つみをしやしあたをひるがへすは、わうだうのめぐみ、むへんのなさけなり。さればならのせんてい、ないしのかみのすすめによつてよを
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みだり給しかども、出家せられにしかば、るざいにはおよばざりき。いはむや是はせめらるべきよしきこえしかば、そのなんをのがるるかたもやとふせきしばかりなり。さしもつみふかかるべしともおぼえず。これほどの有様にては、かへりのぼりてもなにかせむ。今はいきても又なんのえきかあらむ」とて、おんぐしもめさず、おんつめをもきらせ給はず。柿のときん、柿のおんころもをめしつつ、おんゆびよりちをあやし、ごぶのだいじようきやうをあそばして、おむろへ申させ給けるは、「かたの如くすみつきに、五部の大乗経を三ケ年間かきたてまつりて候を、かひかねの声もきこえぬ国にすておきたてまつらむ事、うたてく候。このおん
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きやうばかり、都近きはちまんとばのへんにもおきてたばせ給へ」と申させ給ひければ、おむろよりくわんばくどのへ申させ給ふ。関白殿よりだいりへ申させ給ければ、せうなごんにふだうしんせい、「いかでかさる事は候べき」とおほきにいさめまうしければ、おんきやうをだにもゆるし奉る事なかりけり。これによつてしんゐんふかくおぼしめされけるは、「われちよくのせめのがれがたくて、すでにだんざいのほふにふくす。いまにおいてはおんしやをかうぶるべきよし、あながちにのぞみまうすといへども、きよようなきうへは、ふりよのぎやうごふになして、かのあたをむくいむ」とおぼしめして、おんきやうをおんまへにつみおきて、おんしたのさきをくひきらせたまひて、そのちをもつて、ぢくのもとごとにご
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せいじやうをぞあそばしける。「われこの五部の大乗経をさんあくだうになげこめて、このだいぜんごんのちからをもつて、につぽんごくをほろぼすだいまえんとならむ。てんじゆちるい必ずちからをあはせたまへ」とちかはせ給て、かいていにいれさせたまひにけり。おそろしくこそきこへしか。かくてくねんをへて、おんとし四十六とまうししちやうぐわん二年八月廿六日、しどのだうぢやうとまうすやまでらにして、つひにほうぎよなりにけり。やがてしらみねと申所にてやきあげたてまつる。そのけぶりは都へやなびきけむ。「ごこつをばかうやさんへおくれ」とのごゆいごん有けれどもいかが有けむ、そもしらず。おんむしよをばやがてしらみねにぞかまへ奉りける。このきみたうごく
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にてほうぎよなりにしかば、さぬきのゐんとかうし奉りけり。しんゐんのみこしげひとしんわうは、ごしゆつけありてのちは、くわさんのゐんのほふいんげんせいとまうしき。しんゐんほうぎよのこと都へきこえて、おんぶく奉らむとしける時、にふだうのほふしんわうより、「いつよりめされ候ぞ」ととひ申させ給たりければ、みやおんなみだをおさへつつ、かくぞおんぺんじにはありける。
うきながらそのまつやまのかたみにはこよひぞふぢのころもをばきる K044
いちのみやとていつきかしづきたてまつりしに、思はぬほかのおんありさまにならせたまひにしこそかなしけれ。わがおんみながらも、さこそ心うくおぼしめされけめとあはれなり。
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三十七 にんあん三年のふゆのころ、さいぎやうほふし、のちにはだいほふばうゑんゐしやうにんとまうしけるが、しよこくしゆぎやうしけるが、このきみほうぎよの事をききて、四国へわたり、さぬきのまつやまといふ所にて、「これはしんゐんのわたらせたまひし所ぞかし」とおもひいだしたてまつりて、参りたりけれども、そのおんあともみへず。まつのはにゆきふりつつみちをうづみて、人かよひたるあともなし。なほしまよりしどといふ所にうつらせたまひて、三年ひさしくなりにければ、ことわりなり。
よしさらばみちをばうづめつもるゆきさなくは人のかよふべきかは K045
まつやまのなみにながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな K046
とうちえいじて、しらみねのおんはかへたづねまゐりたりけるに、
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あやしのこくじんのはかなむどのやうにて、くさふかくしげれり。是をみ奉るに、涙もさらにおさへがたし。昔はいつてんしかいの君として、なんでんにまつりごとををさめたまひしに、はつげんはつかいのけんしん、ひだりにこうじみぎにしたがひたてまつりき。わうこうけいしやう、くもの如くかすみの如くして、ばんぱうのしたがひ奉る事、くさの風になびくが如くなりき。さればにろくきんでんのあひだには、あさゆふぎよくろうをみがき、ちやうせいせんとうのうちには、りようらきんしうにのみまつはされてこそ、あかしくらしたまひしに、今はやへのむぐらのしたにふしたまひけむ事、かなしともおろかなり。いつたんのわざはひたちまちにおこりつつ、きうちようのくわらくをいでて、千里のほかにうつされて、をはりをゑんけうにつげ給へり。ぜんぜのご
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しゆくごふといひながら、哀なりし事ぞかし。ごぼだうとおぼしくて、はうけんのかまへあれども、しゆりしゆざうもなければ、ゆがみかたぶきて、たうかつはいかかり、いはむやほつけざんまいつとむるぜんりよもなければ、かひかねのこゑもせず。こととひまゐる人もなければ、みちふみつけたるかたもなし。昔はじふぜんばんじようのあるじ、きんちやうをきうちようのつきにかかやかし、今はえどばうきやうのたましひ、ぎよくたいをしらみねのこけにこんず。あしたのつゆにあとをたづね、秋の草なきてなみだをそふ。あらしにむかひてきみをとへば、らうくわいかなしみて、こころをいたましむ。せんぎもみえず、ただあしたのくもゆふべのつきをのみみる。ほふおんもきこえず、またまつのひびきとりのさへづりをのみきく。のきかたぶきてあかつきのかぜなをあやふく、かはらやぶれてゆふべのあめふせき
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がたし。みやもわらやもはてしなければ、かくてもありぬべきよのなかかなと、つくづく昔今の御有様とかく思つづくるに、ふかくの涙ぞおさへがたき。かくぞ思つづけける。
よしやきみ昔のたまのとことてもかからむのちはなににかはせむ K047
さて松の枝にていほりむすびて、なぬかふだんねんぶつまうしてまかりいでけるが、いほりの前なる松に、かくぞかきつけける。
ひさにへてわがのちのよをとへよ松あとしのぶべき人しなければ K048
卅八 八月三日、うぢのさだいじん、またぞうくわんぞうゐの事あり。ちよくしせうなごんこれもと、かのおんむしよへまうでて、せんみやうをささげて、だいじやうだいじんじやういちゐをおくらるるよし、よみあげらる。おんはか
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はやまとのくにそふのかみのこほりかはかみむら、はんにやののごさんまいなり。むかしほうげんのかつせんのとき、ながれやにあたりてうせたまひぬとふうぶんしけれども、まさしくじつぷをきこしめさざりければ、たきぐちもろみつ、すけゆき、よしもり三人をつかはしてじつけんせらる。そのはかをほりをこしたれば、七月のさしもあつきをりふしに、十余日にはなりぬ、なにとてかはそのかたちともみへ給べき。あまりにかはゆき様なりければ、おのおのおもてをそばめてのきにけり。むかしきゆうちゆうをしゆつにふしたまひしには、こうがんしやうこまやかくしくして、春の花いろをはぢ、いきやうかをりなつかしくして、ぎろのけぶりかをりをゆづり、たへなるいきほひなりしかば、おんめにまみへ、おんことばに
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かからむとこそおもひしに、只今の御有様こそくちをしけれ。いろあひへんいして、ほうちやうらんえしたまへり。しせつぶんさんして、のうけつあふれながれたり。あくきやうじゆうまんして、ふじやうしゆつげんせり。あまりかはゆくめもあてられざりければ、かさねてみるにおよばず、このひとびとはかへりにけり。ごふしんののこるところはさることなれども、ふんぼをほりうがち、しがいをじつけんせらるることは、せうなごんにふだうがはからひにしよじしたがはせたまふといひながら、なさけなくこそきこへしか。このむくいにや、しんせいへいぢの最後の有様、すこしもたがはざりき。おそろしかりしことどもなり。昔ほりをこしてすてられたまひにし
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のちは、しがいみちのほとりの土となりて、年々に春の草のみしげれり。いまてうのつかひたづねゆきて、勅命をつたへてむ。ばうこんいかがをぼしけむ、おぼつかなし。おもひのほかなることどもありてせけんもしづかならず。「これただことにあらず。ひとへにをんりやうのいたす所なり」と人々まうされければ、かやうにおこなはれけり。れんぜいのゐんのおんものぐるはしくましまし、くわさんの法皇のおんくらゐをさらせ給ひ、さんでうのゐんのおんめのくらくおはしまししも、もとかたのみんぶきやうのをんりやうのたたりとこそ承れ。
卅九 そもそもさんでうのゐんのおんめもごらんぜられざりけるこそ心うかりけれ。ただひとのみまひらせけるには、おんまなこなむど
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もいときよらかに、いささかもかはらせ給たる事わたらせ給はざりければ、そらごとのやうにぞみへさせたまひける。いせのさいぐうのたたせ給ふに、わかれのくしなげさせたまひては、たがひにごらむじかへる事はいむ事にてあむなるに、このゐんはさしむかはせ給たりけるをみまひらせてこそ、わたらせ給ひけれ。これを人みまひらせてこそ、「さればこそ」と申ける。昔も今もをんりやうはおそろしき事なれば、くわうにんてんわうの第二のみこ、さはらのはいたいしは、しゆだうてんわうとかうし、しやうむてんわうのせふこう、ゐがみのしんわうは、くわうごうのしよくゐにふし給ふ。これみなをんりやうを
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なだめられしはかりことなり。
四十 おなじき十二月廿四日、けいせいとうばうにいづ。「又いかなる事のあらむずるやらむ」とひとおそれあへり。けいせいはごぎやうのき、ごせいのへん、うちにたいへいあり、そとにたいらんありといへり。
平家物語第一末
(花押)
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あつし日
なつのひのいみやうなり。
延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語 三(第二本)
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一 ゐんのごしよにはいらいおこなはるること
二 ほふわうごくわんぢやうのこと
三 てんわうじのぢぎやうめでたきこと
四 さんもんにさうどういできたること
五 けんれいもんゐんごくわいにんのことつけたりなりつねらしやめんのこと
六 山門のがくしやうとだうしゆとかつせんのことつけたりさんもんめつばうのこと
七 しなののぜんくわうじえんしやうのことつけたりかのによらいのこと
八 ちゆうぐうごさんあることつけたりしよそうかぢのこと
九 ごさんのときまゐるにんじゆのことつけたりふさんのにんじゆのこと
十 しよそうにけんじやうおこなはるること
十一 わうじしんわうのせんじかうぶりたまふこと
十二 しらかはのゐんみゐでらのらいがうにわうじをいのらるること
十三 たんばのせうしやうこだいなごんのはかにまうづること
十四 むねもり大納言とだいしやうとをじせらるること
十五 なりつねとばにつくこと
十六 せうしやうはんぐわんにふだうじゆらくのこと
十七 判官入道むらさきのの母のもとへゆくこと
十八 ありわうまるいわうのしまへたづねゆくこと
十九 つじかぜあらくふくこと
廿 こまつどのしにたまふこと
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廿一 小松殿くまのまうでのこと
廿二 小松殿くまのまうでのゆらいのこと
廿三 小松殿だいこくにてぜんをしゆしたまふこと
廿四 だいぢしんのこと
廿五 だいじやうにふだうてうかをうらみたてまつるべきよしのこと
廿六 院より入道のもとへじやうけんほふいんをつかはさるること
廿七 入道けいしやううんかくしじふよにんげくわんのこと
廿八 もろながをはりのくにへながされたまふこと付師長あつたに参給こと
廿九 させうべんゆきたかのこと
卅 ほふわうをとばにおしこめたてまつること
卅一 じやうけんほふいん法皇のおんもとにまゐること
卅二 だいりよりとばどのへごしよあること
卅三 めいうんそうじやうてんだいざすにげんぶのこと
卅四 法皇のおんすみかかすかなる事
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平家物語第二本(一)
ぢしよう二年正月ひとひのひ、院の御所にははいらいおこなわる。よつかのひ、てうきんのぎやうがうありて、れいにかはりたる事はなけれども、きよねんなりちかのきやういげ、きんじゆの人々おほくうしなはれし事、ほふわうおんいきどほりいまだやすまらず、よのおんまつりごともものうくぞおぼしめされける。入道もただのくらんどゆきつなつげしらせてのちは、君をもうしろめたなきおんことにおもひまゐらせて、よのなかうちとけたる事もなし。うへには事なきやうなれども、したには心ようじんして、只にがわらひてぞ有ける。なぬかのひのあかつき、けいせいとうばうにみゆ。十八日に光をます。しいうきととも申す。又せききとも申す。なにごとの有べきやらむと、人おそれをなす。
二 法皇はみゐでらのこうけんそうじやうをごしはんとして、しんごんのひほふをうけさせおわしましけるが、ことしの春、さんぶのひきやうをうけさせたまひて、二月五日には
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をんじやうじにてごくわんぢやうあるべきよしおぼしめしたつときこえし程に、てんだいのだいしゆいきどほり申す。「昔よりして今にいたるまで、ごくわんぢやう、ごじゆかいはみなわがやまにてとげさせおわします事、既にこれせんぎなり。なかんづくさんわうのけだうはじゆかいくわんぢやうのおんためなり。三井寺にてとげさせ給わむ事、しかるべからず」とまうしければ、さまざまにこしらへおほせられけれども、れいの山のだいしゆ、いつせつにゐんぜんをももちゐず。「三井寺にてごくわんぢやうあるべきならば、えんりやくじの大衆はつかうして、をんじやうじをやきはらふべし」とせんぎすときこへければ、かさねてなだめおほせられければ、とどまりにけり。園城寺きやうかうえんりやくじのかいをうくべきよし、うけぶみをいだすべきよし、おほせくだされければ、きたのゐん、なかのゐんはこうけんそうじやうのもんとおほかりければ、ちよくぢやうにしたがふべきよしまうしけるを、みなみのゐん、「いまさらにわがてらにかきんをのこすべからず」とて、いぎをなして
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したがはざりけり。「みなみのゐんよりたうじのそう、てんだいざすにふせらるるとき、じむをすいかうすべし。又ほふじやうじのたんだい、たうじ、おなじくごんしせしむべし。このりやうでうさいきよあらば、ちよくめいにしたがひてえんりやくじのかいをうくべきよし、まうしけり。かれこれのぎ、いづれもなしがたかりければ、ごけぎやうけちぐわんして、ごくわんぢやうはおぼしめしとどまりにけり。そもそもさんぶきやうとまうすはそのかずあまたあり。いちはほつけさんぶ、にはだいにちさんぶ、さんはちんごこくかさんぶ、しはみろくじそんさんぶ、ごはじやうどしんしゆうたりきわうじやうさんぶなり。今法皇のうけさせましますさんぶは、だいにちさんぶ、しんごうけうのえきやう也。そのさんぶとは、いちはだいにちきやう、にはこんがうちやうきやう、さんはそしつぢきやう、これなり。いまこのきやうのたいいをたづぬれば、「にやくうにんしきやう、じゆぢどくじゆしや、そくしんじやうぶつこ、はうだいくわうみやうゑん」ととく。「もし人あつて、このめうでんをじゆぢどくじゆすれば、ぶもしよしやうのえ
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しん、たちまちにだいにちによらいとなりて、胸の間のだいくわうみやうをはなちて、さんがいろくだうのやみをてらす」ととかれたるめうでん也。ごしらかはのほふわう、かたじけなくもくわんぎやうごほんの位に心をかけましまして、ほつけしゆぎやうのだうぢやう、ごしゆほふしのともしびをかかげて、七万八千よぶのてんどく也。しやうこにもいまだうけたまはりおよばず。いかにいはむやまつだいにをいてをや。じふぜんぎよくたいのぎよいのいろ、さんみつごまのだんにすすけて、そくしんぼだいのひじりのみかどとぞみへさせ給ける。かのこうけんそうじやうと申は、法皇のごぐわいせき、けんみつりやうもんのごしとく也。しくわんげんもんのまどの前には、いちじようゑんいうのたまをみがき、さんみつゆがのほうびやうには、とうじさんもんの花ひらけ給へり。かくのごとく、うちにつけほかにつけて、おんきえのおんこころざしふかきによつて、めうでんをもこうけんそうじやうにうけ、ごくわんぢやうをも三井寺にてとおぼしめしたちけるが、山門さうどうしてうちとどめ奉る事、いかばかりかこころうくおぼしめされけむ。
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法皇、「わがてうはこれへんぢそくさんの国也。何事もいかでかだいこくにひとしかるべきなれども、中にもうんでいおよびなかりけるは、りつのほふもん、そうのふるまひにてぞあるらむ。そうしゆのほふは、きそうそくじやうろん、どうにふわがふのうみといへり。わがふのうみにこそいらざらめ、じやうろんをもつぱらにして、さしたるとがもなき三井寺をぜうしつせむとするでう、むだうしんのものどもかな。はわがふそうのをもむき、これまたごぎやくざいのずいいちにあらずや。かたちばかりは出家にして、心はひとへにざいぞくにどうず。ぐどんのやみふかくして、けうまんのはたほこたかし。びくのかたちとなりながら、あひがたきによらいのけうぼふをもしゆぎやうせず、だいにちかくわうのちすいのながれにみをもすすがず。まろがたまたまにふだんくわんぢやうせむとするをさへ、しやうげする事のむざんさよ。たとひまろがことわりをまげたるひほふをもせんげし、もしは山門のしよりやうをべちゐんによすといふとも、わうゐわうゐたらば、たれかこれをそむくべき。いかにいはむやじゆしきくわんぢやうと
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は、じやうぐぼだいの春の花、げけしゆじやうの秋のつき也。ちとくめいしやうこれをさんだんし、きせんなんによこれをずいきす。たとひずいきさんだんのほうびせしむるまでこそなからめ、むじやうふくでんのころもの上にじやけんはういつのよろひをちやくし、ぢやうゑにしゆのたなごころのうちに、ぶつぽふはめつのたいまつをささげて、三井寺をぜうしつせむとせんぎするらむでう、すこしもたがわぬ昔のだいばだつたがばんるい也。さこそまつだいといわむからに、これほどわうゐをかろしむべきやうやある。くちをしきことかな」とて、しんきんしづかならず、げきりんしばしばかたじけなし。「そもそもわうゐはぶつぽふをあがめ、仏法は王位をまもるこそ、あひたがひにたすけて、かうげんもめでたくめいとくもいみじけれ。もしわうゐを王位とせずは、いづれの仏法かわがてうにこうりゆうすべきや。今度さんそうらをんじやうじをぜうしつせむにをいては、てんだいのざすをるざい
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し、山門の大衆をもきんろうせむ」とぞおぼしめす。又かへしておぼしめしけるは、「さんもんのだいしゆ、ないしんこそぐちのやみふかうして、じやうんたちまちにぶつにちのかげををかすといへども、かたちは既にびくのかたち也。いちいちにきんろうせむ事、ざいごふ又なむぞせうめつすべきや。かつうはごでふのほふえをみにまとへり。きえのこころざし、まつたくけんてつししにをとるべからず。かつうはだいししやうりやうのおんぱからひをもまち奉るべし。かつうはいわうさんわうもいかでかすてはてさせたまふべきや」とて、御涙にぞむせばせ給ける。この法皇ははくわう七十七代のみかど、とばのゐんのだいさんのみこ、まさひとてんわうとぞ申しける。ぢてんわづかに三年也。いそぎおんくらゐをすべらせおはしましけるおんこころざしは、「むくわんうちのそうにちかづきて、じんじんの仏法をもちやうもんし、だんしよぎやうぼふのくわかうをもてづからみづからいとなまむ」とおぼしめさるる故なり。そもそもはくわうと申は、てんじんしちだい、ぢじん
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ごだいののち、じんむてんわうよりはじめて、みもすそがはのながれすずしく、りゆうろうほうけつのつきくもりなかりしかども、第廿九代のみかど、せんくわてんわうのおんときまでは、ぶつぽふいまだわがてうにつたはらず、みやうじをすらきくことなかりき。さればそのときまでは、ざいごふをおそるる人もなく、ぜんごんをしゆぎやうする人もなかりき。おやにけうやうをもせず、心にぶつだうをももとめず。ぢりつぢかいのさほふもなく、ねんぶつどきやうのいとなみもなし。しかるに第卅代のみかど、きんめいてんわうのぎよう十三年みづのえのさるのとし十月十日、はくさいこくのせいめいわうより、こんどうのしよかによらい、ならびにきやうろんせうせう、どうばん、かい、ほうびやうとうのぶつぐなむどおくられたりき。ただしぶつざうらいりんししやうげうでんらいすとつたへども、だんぎてんどくするそうぼういまだなかりしかば、さんぼうをもくやうじ、しやうげうをもずいきせず、ただ
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やみのよのにしきにてぞはべりける。第卅二代のみかど、ようめいてんわうとまうす、おんいみなとよひのすめらみことともまうしき。このみかどのおんときよりさんぼうあまねくるふして、だいせうじようのほふもんのひかりてんがにかかやく。それよりこのかた、ぶつぽふしゆぎやうのきせん、そのかずおほしといへども、このほふわうほどのくんじゆれんぎやうのみかどをいまだうけたまはらず。ねにふしとらにおきさせ給ふおんぎやうぼふなれば、うちとけてさらにぎよしんもならず。きんう東にかかやけば、ろくぶてんどくのほつすい、さんじんぶつしやうのたまをみがき、せきじつにしにかたぶけば、くほんじやうしやうのれんだいにさんぞんらいかうの心をはこび給へり。あるときいちりやうくのごぐわんもんをあそばして、つねのござのみしやうじのしきしにかかせたまひたりけるめいくにいはく、
みはしばらくとうどはちくのからたちのもとにゐるといへども、心は常にさいはうくほんのはちすのうへにあそばしむ。
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とぞあそばされたる。またつねのごえいぎんにいはく、
ちしやは秋のしか、なきてやまにいる。ぐじんは夏のむし、とびてひにやくる。 K049
とぞ常にはながめさせたまひける。これはしくわんのぎやうじや、ししゆざんまいのたいいをしやくしたるぜつくとかや。昔より常にこのことながめさせおはしますおんことなれども、今度山門の大衆にごくわんぢやうの事をうちさまされたまひし時より、いかなるふかき山にもとぢこもり、こけふかきほらの中にもいんきよせばやとやおぼしめしけん。御心をすまして、「ちしやは秋のしか」とのみぎよえいありけるとかや。こうぐうもこれをあさましくおぼしめし、うんかくげつけいもきもたましひをうしなひたまひき。すでに時はせいやうごしゆんのころにもなりにけり。三月たうくわのえんとて、たうくわのさかりにひらけたり。せいぼがあとのももとて、もろこしのももをなんていの桜にうゑ
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まじへて、いろいろさまざまにぞ御覧じける。桜のさきにさく時もあり、たうくわさきにさく時もあり。ももさくら一度にさきてにほう時もあり。今年は桜はおそくつぼみて、たうくわはさきにさきたり。されども、「ちしやは秋のしか」とのみながめさせたまひて、たうくわを御覧ずる事もなかりけり。これによつて、くものうへびとさらに一人も花をえいずる人をはせざりけるに、三月三日ゆふぐれに、
はるきたつてはあまねくこれたうくわすいなれば、せんげんをわきまへずしていづれのところにかたづねむ。 K050
とたからかにえいずる人あり。法皇、たれぞやときこしめさるるほどに、やがてせいりやうでんにまゐりてふえふきならしつつ、てうしわうじきでうにねとりすましたり。やがて、みづしのうへなるせんきんといふおんびはをいだきをろしたてまつりて、しやくびやくたうりくわとまうすがくをさんべんばかりぞひきたりける。「ただひととはおぼへず。
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きたいのふしぎかな」とぞ、法皇きこしめされける。しやくびやくたうりくわをさんべんひきてのち、びはをもひかず、しいかをもえいぜず、ふえなどをもふくことなくして、ややひさしく有ければ、「このものはかへりぬるやらむ」とおぼしめして、法皇、「やや、しやくびやくたうりくわはなにものぞ」とおほせありければ、「おんとのゐのばんしゆ」とぞ申たりける。「ばんしゆと申すはたれぞや」ととはせ給へば、「かいほつのげんぺいだいふすみよし」とぞなのり給たりける。「さてはすみよしのだいみやうじんにておはしけるにや」とおぼしめして、いそぎごたいめんあり。夢にもあらず、うつつにもあらず。きたいのふしぎかなとぞおぼしめしける。さてしゆじゆのおんものがたりありける中に、だいみやうじんおほせられけるは、「こよひのたうばんじゆはまつをのだいみやうじんにてさうらへども、いそぎまうすべき事あつて、ひきかへて参て候。きのふのあかつき、さんわうしちしや、でんげうだい
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し、おきながしゆくしよにらいりんして、につぽんごくのきつきようをひやうぢやうしさうらひしに、今度山門のだいしゆ、じやふうことにはなはだしく、しんきんをなやましまひらせさうらひしでう、ぞんぐわいのしだいにて候。ただしむつごころにてはさうらはざりつる也。につぽんのてんまあつまりて山の大衆にいれかわりて、きみのごくわんぢやうをうちとどめまひらせさうらふところなり。されば、大衆のわざはひをばおんゆるされあるべき事にて候也」。時に法皇、「そもそもてんまはにんるいか、ちくるいか、しゆらだうしゆるいか。いかなるごふいんの物にて、仏法をはめつしはべるぞや」。大明神こたへてのたまはく、「いささかつうりきをえたるにんるい也。これについてみつあり。一にはてんま、二ははじゆん、三はまえん也。第一にてんまといふは、もろもろのちしや、がくしやうの、むだうしんにして、けうまんはなはだし。そのむだうしんのちしやのしぬれば、必ずてんまと申おにになり候也。そのぎやうるいはいぬ、みは人にて、さうのてにはねおひたり。ぜんごひやくさいの事をさとる
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つうりきあり。こくうをとぶこと、はやぶさのごとし。ぶつぽふしやなるが故にぢごくにはをちず。むだうしんなるが故にわうじやうをもせず。けうまんとまうすは、ひとにまさらばやと思ふ心也。むだうしんと申は、ぐちのやみにまよひたる者に、ちゑのともしびをさづけばやとも思わず、あまつさへねんぶつまうすものをさまたげて、あざけりなむどする者、必ずしぬればてんぐだうにおつといへり。まさにしるべし、まつせのそうは皆むだうしんにしてけうまんあるが故に、十人に九人は必ず天魔となつて、仏法をはめつすべしとみへたり。はつしゆうのちしやにて天魔となるが故に、これをばてんぐと申なり。じやうどもんのがくしやもみやうりの為にほだされて、こけのほふもんをさへづり、むだうしんにしてずずをくり、まんしんにしてすへんをすれば、天魔のらいかうにあづかりて、きまてんとまうすところにとしひさしといへり。まさにしるべし、まわうは、いつさいしゆじやうのかたちににたり。だいろく
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いしきへんじて魔王となるが故に、魔王のかたちも又いつさいしゆじやうのかたちににたり。されば、あま、法師のけうまんは、てんぐになりたる形も、あまてんぐ、ほふしてんぐにてはべるなり。つらはいぬににたれども、かしらはあま、法師也。さうのてにはねはをいたれども、みにはころもににたる物をきて、かたにはけさににたる物をかけたり。をとこのけうまん、天狗となりぬれば、つらこそいぬににたれども、かしらにはえぼし、かぶりをきたり。ふたつのてにははねをひたれども、みにはすいかんばかま、ひたたれ、かりぎぬなどににたる物をきたり。女のけうまん、てんぐとなりぬれば、狗のかしらにかづらかけて、べに、しろいもののやふなる物をつらにはつけたり。おほまゆつくりて、かねぐろなる天狗もあり。くれなゐのはかまにうすぎぬかづけて、おほぞらをとぶ天狗もあり。第二にはじゆんと申は、天狗のごふすでにつきはててのち、にんじんをうけむとする時、もしはしんざんのみね、もしはしんこくのほら、じんせきたへて千
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里あるところににふぢやうしたる時を、はじゆんとなづけたり。いちまんざいののち、にんじんをうくといへり。第三、魔縁とは、けうまん、むだうしんのもの、しぬれば必ず天狗になれりといへども、いまだその人しせざる時に、人にまさらばやと思ふ心のあるをえんとして、もろもろの天狗あつまるが故に、これをなづけて魔縁とす。されば、けうまんなき人のぶつじには、魔縁なきがゆゑに、天魔きたりてさはりをなすことなし。天魔はせけんにおほしといへども、しやうげをなすべきえんなき人のもとへは、かけりあつまる事、さらになし。されば法皇のごけうまんの御心、たちまちに魔王のきたるべきえんとならせたまひて、六十よしうのてんぐども、山門の大衆にいりかわりて、さしもめでたきぜんけぎやうをもうちさましまひらせて候也。ごけうまんのをこるも誠におんだうりにてこそ候へ。『りやう
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がいのまんだらを、いちやにじにけだいなくおこなはせ給へる事、しじふよだいのみかどの中にましまさざりき。そうの中にもまれにこそあるらめ』とおぼしめさるる御心、すなはち魔縁となれり。『にじふごだんのべつそんのほふ、しよじしよさんのそうしゆも、まろにはいかでかまさるべき』とおぼしめすは、又魔縁也。『さんみつゆがのぎやうぼふ、ごまはちせんのくんじゆ、しやうこのみかどにましまさず。ましてまつだいにはよもおわせじ。ぶつぽふしゆぎやうのちしやたちにもまさらばや』とおぼしめすは、これ魔縁也。くわうみやうしんごん、そんじようだらに、じくのしゆ、ほうけふいん、くわかいしんごん、せんじゆきやう、ごしんけつかいじふはちだう、にんわうはんにや、ごだんのほふ、まろにすぎたるしんごんしもまれにこそあるらめ』とおぼしめしたるは魔縁也。『いはむやにふだんくわんぢやうして、こんがうふゑの光をはなちて、だいにちへんぜうの位にのぼらむ事、めいとくの中にもまれなるべし。てんしていわうの中にも、われぞすぐれた
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るらむ』と、だいけうまんをなさせたまふが故に、だいてんぐどもおほくあつまりて、ごくわんぢやうのむなしくなりさうらひぬる事こそ、あさましくおぼえさうらへ」とぞ申させ給ける。そのときほふわう、「につぽんごくぢゆうに天狗になりたるちしや、いくにんばかりかはべるや」。だいみやうじんののたまはく、「よき法師は皆天狗になり候あひだ、そのかずをまうすにおよばず。だいちのそうはだいてんぐ、せうちのそうはせうてんぐ、いつかうむちのそうの中にもずいぶんのまんしんあり。それらは皆ちくしやうだうにおちてうちはられさうらふ、もろもろのむまうしども、これなり。なかごろわがてうにかきのもとのきそうじやうと申ししかうみやうのちしや、うげんのひじり、はべりき。だいけうまんの心の故に、たちまちに日本第一のだいてんぐとなりてさうらひき。これをあたごの山のたらうばうとはまうしさうらふなり。すべてけうまんの人おほきが故に、ずいぶんのてんぐとなつて、
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ろくじふよしうの山のみねに、あるいは十人ばかり、あるいは百人ばかり、かけりあつまらざるみねはひとつも候はず」。そのときほふわう、「まことにおほせのごとく、まろがぎやうぼふはわうゐの中にも、ぶつぽふしやの中にも、いとまれにこそあるらめとおもひてさうらひつる也。まづりやうがいをそらにおぼえて、まいやにじにくやうぼふし給ふみかど、しやうこにはいまだきかずとおもひはべりき。べつそんのほふ、れいしよをにじふごだんにたてたるていわうも、いまだきかずとおもひはべりき。ねにふし、とらにおくるぎやうぼふ、ていわうの中にはいまだきかずとおもひはべりき。まいにちにほつけきやうろくぶをしんどくによみ奉るこくわうも、わがてうにはいまだきかずとおもひはべりき。いはむやさんぶきやうのぢしや、ひみつくわんぢやうのひじりとなりて、ほんじほんざんのちしやたちにもまさりたりとほめられむとおもふ、まんしんをおこす事たびたびなりき。さては今こそ既にざいごふのくもはれてはおぼえ候へ。まつたく山門の大衆のらうぜきにてははべらざ
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りけり。わがみのけうまん、すなはち天魔のえんとなりて、六十よしうのてんぐども、すにちしやうごんのけぎやうをうちやぶりけるこそ、だうりにてははべりけれ。今はざんぎさんげのかぜすずし。まえんまきやうのくも、いかでかはれざらむや。さては忍びやかにしゆくぐわんをはたしさうらはばやとぞんじ候。おんぱからひさうらへ」とおほせありければ、だいみやうじんののたまはく、「でんげうだいしのまうせとさうらひつるは、えんりやくじとまうすはぐらうがこんりふ、をんじやうじと申はちしようだいしのさうさうなり。かうげんいづれもかろくしておんきえのぶんにあたわず。につぽんごくのれいちにはににてんわうじすぐれたりとおぼえさうらふ。そのゆゑは、しやくとくたいしのごこんりふ、ぶつぽふさいしよのみぎりなり。そのしやうとくたいしはくせくわんおんのおうげん、だいひせんだいの菩薩也。これによつてしんじんそらにもよほして、しようりなんぞすくなからむや。をりしもかのてらににつたうのひじりのきてうして、けいくわ
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はつせんのりうすい、ごちごびやうにいさぎよし。くわんぢやうのだいあじやり、そのうつはものにもつともたりぬべし。ひそかにごかうならせおわしまして、ごにふだんさうらへ」とて、みやうじんたちまちにうせたまひぬ。法皇、おぼしめされけるは、「まんしんをいかにをこさじと思へども、事により折にしたがひて、をこるべき物にて有けり。さしもだいみやうじんのをしへたまひつるまんしんの、今又をこりたるぞや。そのゆゑは、たいたうこくに一百余かのだいしせんとく、そのかずおほしといへども、ゐだてんにたいめんして物語し給けるめいとくは、しゆうなんざんのだうせん律師ばかりなり。わがてうには、にんわう始まつてちんにいたるまで、七十余代のみかど、そのかずおほしといへども、すみよしの大明神にぢきにたいめんして、しゆじゆものがたりしたるみかどは、まろばかりこそ有らめと、けうまんのをこりたるぞや。なむあみだぶなむあみだぶ、このざいしやうせうめつして、たすけさせおわしませ」とぞ、ごきねんありける。法皇
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すでにてんわうじへごかうなりけるとき御手をあはせつついかなるごきねんかおわしけむ、
すみよしのまつふくかぜに雲はれてかめゐの水にやどる月かげ K051
とあそばして、ごかうなりつつ、天王寺のごちくわうゐんにして、かめゐのみづをむすびあげて、ごびやうのちすいとして、ぶつぽふさいしよのれいちにてぞ、でんぼふくわんぢやうのそくわいをとげさせおはしましける。むじやうぼだいのごぐわんすでにじやうじゆして、うだいのおんみも、今はこんがうぶつしの法皇とならせおわしましたる。天魔はいささかなやましまひらせたりけれども、すみよしのだいみやうじんにをしへられましまして、そくしんじやうぶつのぎよくたいとならせおはしましたる、誠にめでたく侍り。ゆゑに、ろくだいむげのはるのはなはこんがうかいのちすいよりひらき、
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ししゆまんだのあきのつきは、たいざうかいのりもんよりいづ。さんみつゆがのかがみのおもては、ごちゑんまんのせいていにうかび、はちえふにくだんのむねのあひだには、さんじふしちそんのくわうゑんかかやけり。同五月廿日、天台の衆徒、しよしをもつてさんぢんせしめてうつたへまうしけるは、「こんどのさいしようかうに延暦寺のそうをめされず。このでうかつてせんぎなし。なにによつてか、たちまちにきえんせらるべきや」とぞ、申たりける。くらんどのうせうべんみつまさ、さんゐんしてそうもんしければ、「さらにおんすておきのぎにあらず。天台の衆徒、じいうのちやうぎやうをもつて、ごぐわんをさまたげたてまつるでう、すこぶるきくわいなるによつて、そのことつみしらせむがためなり」とぞ、おほせくだされける。このおもむきをぞしよしにはおほせふくめける。又延暦寺よりせんしをさしつかはしてをんじやうじにまうしおくりけるは、「さいしようかうはちんごこくかのごぐわんなり。しかるにこんどてんだいしゆうをすてらるるところに、
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園城寺のそうさんきんせらるべきよし、ふうぶんあり。いづれのしゆうをもつてかさんきんせらるるや。たうじはてんだいか、けごんか、さんろんか、ほつさうか。ゐさいにうけたまはりて、ぞんぢつかまつるべし」とぞ申たりける。ここに園城寺の衆徒、さんゐんくわいがふしてせんぎすといへども、なんのへんもへんたふすべしといふぎもさだまらざりければ、只「おつてまうすべし」とばかりぞへんたふしたりける。そもそもだうせんりつしのあひたまひて物語し給ひしゐだてんとまうすは、びしやもんてんわうのたいしなり。だうせんりつし、しゆうなんざんにして、せいやにして、かうろうをたてて、かしこにのぼりておはしけるが、あやまつてかうろうよりおちたまふとき、ちゆうとにして、みしといだきたてまつる者あり。「なにものぞ」ととはれければ、「ゐだてん」とこたへけり。だうせんのたまはく、「いかにしてこれへはきたるぞや」。てんのいはく、「われびしやもんてんわうのおんし
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しやとして、かのめいにしたがひて、ひごろより参りて、常にしゆごしたてまつるなり」とうんうん。だうせんかさねてのたまはく、「そのぎならば、あらはれて常に物語をもし給へかし」といはれければ、「おほせにしたがひて」とて、そののちはていぜんのやなぎにのぼりて、くわうみやうをはなちて、もろもろのせかいこくどの物語を申けり。かのだうせんとゐだてんとの物語をしるせる、いつくわんのでんき、是あり。かんつうでんとなづけたり。道宣いはく、「びしやもんてんわうは、たうじはいづくにおはしますぞ」。てんこたへていはく、「たうじはびさもんてんわうは、げんじやうさんざうのだいはんにややくし給へる処に、かの三蔵を守護の為におはします」とぞ申ける。道宣のいはく「げんじやうははかいのそうなり。われはぢかいの者也。われをこそ守護したまふべきに、われをばゐだてんにあづけて、げんじやうさんざうを守護せらるらむ事は、ぞんぐわいのことなり」とぞじしようしたまひける。げにも道宣のいふが如くに、道宣りつしは二百五十の
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りつぎをまもりて、いちじもかいををかさず。八万のさいぎやうをただしくして、しんくのおもてをあざやかにせり。げんじやう三蔵はらんそう也。とくぎやうはるかにくだれり。しかるに道宣をすて、げんじやうをまもりたまふらむ事、うたがひまことにおほし。つらつら事のしだいをあんずるに、かうそうでんをひらきみるに、いつさいのそうのとくぎやうをしやくせむとして、十のくわをたてたり。「第一にはほんやくのそう、そのこうことにたつとし。第二にはぎげのそう、ぶつぽふるでんのはかりこと、誠にめでたし」。かくのごとくしだいにくわもんをたてて、しやくしをはりて、「第十にはぶつざうきやうろんとうをしゆふくしゆざうのそう也」とつらねたり。かれをもつてこれをあんずるに、げんじやう三蔵といふは、そのみはかいにして、ばう、せい、くわう、きの四人のこをまうくといへども、かうそうでんにたつるところのじつくわの中に、第一のほんやくの三蔵として、はんにやだいじようけうをるてんする事すひやくぢく、このとくを
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かんがみて、びしやもんてんわうのじしんゆきて、守護し給へるかとぞおぼへし。かくて道宣、だいじおんじのちやうらうににんぜられたりけるに、ぢゆうじのそうりよ一千よにん、えはつをたいしてしぢゆうす。だうじやのこうりやうは三百三十三間なり。きんぎんをちりばめてせんけつ也。そののち、ゐだてんそうじてきたる事なし。はるかにほどへだたりてきたれりければ、道宣、ゐだてんにのたまはく、「てんなにゆゑぞひさしくきたらざるや」。てんこたへていはく、「しゆうなんざんにおわせしときは、みはりつぎの為にたつとく、心はぐほふの為にねんごろなりき。ないげともにしやうじやうなりしかば、御心けがるることなかりき。しかるに当寺にぢゆうしたまひてよりのちは、御心をゑにして、せいろのおもひこまやかに、おんみふじやうにして、みやうもんのこころざしふかし。これによつて、びしやもんてんわうそうじてさんずべからざるよし、いましめおほせらるるあひだ、まゐらざりつれども、
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ひごろの御よしみをわすれ奉らずして、びしやもんてんわうのめいをそむきて、ざんじのいとまをまうしてわたくしにまゐりたり」とぞ申ける。しかるにかのゐだてんののたまひけるじおんじにして、しんじんのふじやうにおはしけむ事はいかにと思へば、むかししゆうなんざんにおわせし時は、いつかうげけしゆじやうの心をさきとして、せぞくちそうのおもひもなかりしかば、ないげともにしやうじやうなりき。今このじおんじとまうすは、とくそうくわうていのこんりふとして、たうじやたふべうくわうはくなり。さればしぢゆうのそうりよもおほくして、ぎやうぼふのとこもかずしげし。かのだいがらんのちやうらうとなり給しかば、ぢゆうじのそうをたすけむとて、みづからとせいのはからひをも心にやかけたまひけむ。もししからば、心をゑになりたまひたりとて、守護をくはへ給はざりけるもことわりなりとぞおぼへし。
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三 そもそもしてんわうじと申すは、てんがだいいちのあうく、じんかんぶさうのじやうさつなり。しやうとくたいしさうさうのれいぢやう、くせぼさつりしやうのしようちなり。てらはとなれるしゆしようのめいくに、すなはちごくらくとうもんのちゆうしん、さかひはれいげんのきちにせつす、これわうじやうさいさつのこせきなり。にしにむかへばすなはちげきかいまんまんとして、はつくどくちのてうばう、めのまへにあり。ひがしにかへりみればまたせいすいたうたうとして、さんがいすいまつのむじやう、しんぢゆうにうかぶ。そんなんそんほくにかじのともがら、あふひをちぎりてもつてうがふし、ひがしよりにしよりとひのたぐひ、だうぢやうにまうでて、もつてきうしふす。しかのみならず、てんひていえふのよれんをまはす、ほんぞんにきして、えいりよをかたぶけ、さんげんすいのしうしやをうごかす。だうぢやうにのぞみてまんぐわんをなす。きたる者はたにんのもよほしにあらず。ただぜんごんのしゆくいんにもよほされてきたるところなり。のぞむ者はじしんのおこすにあらず。ひとへにわうじやうのたうえんにおこるによつて
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のぞむところなり。てんがにかうべをかたぶくるもの、みなこれくわんおんぐぜいのじひにおうず。にんぢゆうにこころをつくるもの、たれかまたあらざらんやごくらくりやうかのにんみん。さかひはわうぢにありて、わうぢにみんせず。ぢやうぢゆうのさんぼうをもつてしゆとなすところは、こくぐんにせつして、こくぐんにしたがはず、ごせしわうをもつてりとなす。かいりつをさだむるにはなれば、はういつのものはあとをけづり、じやうどにのぞむみぎりなれば、ふしんのものはきたることなし。くわんおんおうせきのところなれば、すむひとみなじひあり。わうじやうごくらくのちなれば、まうづるひとことごとくねんぶつをぎやうず。これによつて、げんぜにはさんどくしちなんのふしやうをほろぼして、にぐりやうぐわんのしつぢをまんぞくし、たうらいにはさんはいくほんのじやうさつにしやうじて、じやうらくがじやうのめうくわをしようとくせむ。とほくぐわつしのぶつせきをたづね、はるかにしんだんのれいじやうをとぶらへば、によらいせつぽふのぎをんしやうじや、くわいろくのわざはひによつて、かんやうきゆうのけぶりへんぺんたり。げんじやうしゆゑの
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けいとうまじ、りやうとうけいきして、こそだいのつゆじやうじやうたり。かんのめいていのはくばじ、ほふおんをたちてえんらんをのこし、かうそていのじおんじ、ほふりよさりてこらうをすます。またほんてうのしよじしよさんえんしやうのれい、これおほし。しかるにたうじにおいては、ぢよくせにのぞみて、わうしんのきえいよいよあらたに、こうまつにいりて、ほんぞんのりやくまことにさかりなり。じやうぐうのゐくわうひびにかかやき、じたふのこうりゆうさいさいにます。ごせしわうてらをまもれば、しまさんしやうのなんもきたらず。こうきよのしやうりゆうほふをいただけば、ぶつぽふのみづのながれもかわかず。かかるれいちなれば、しめい、みゐにもまさつておぼしめされければ、ことゆゑなくとげさせたまひにけり。これたうじのめんぼくにあらずや。
四 山門のさうどうをしづめむが為に、をんじやうじのごくわんぢやうはとどまりたりけれども、さんじやうにはがくしやうとだうじゆとふわの事有て、しづかならずときこゆ。山門にこといでぬれば、よも
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必ずみだるといへり。またいかなる事のあらむずるやらむと、おそろし。このことはきよねんの春のころ、ぎきやうしらうえいしゆん、ゑつちゆうのくにへげかうして、しやかだうのしゆう、らいじようばうぎけいがたておくじんにんをおさへとりて、ちぎやうして、あとをあふりやうす。ぎけいいかりをなして、つるがのつにくだりあひて、ぎきやうしらうをさんざんにうちちらして、もののぐをはぎとり、はぢにおよべり。えいしゆんやまににげのぼりて、よにいりてはふはふとうざんして、しゆとにうつたへければ、だいしゆおほきにいきどをりて、たちまちにさうどうす。らいじようばうまただうじゆをかたらふあひだ、だうじゆどうしんしてらいじようばうをたすけむとす。
五 けんれいもんゐん、そのころはちゆうぐうとまうししが、春のくれほどより常におんみだりごこちにて、ぐごもはかばかしくまひらず、ぎよしんもうちとけてならざりしかば、なんのさたにもおよばず。そうじてはてんがのさわぎ、べつしては平家のなげきとぞみえし。太政入道、二
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位殿、きもこころをまどはしたまふ、ことわりなり。さればしよじしよさんにみどきやうはじまり、しよぐうしよしやにほうへいしをたてらる。おんやうじゆつをつくし、いけくすりをはこぶ。だいほふひほふのこすところなくしゆせられき。かくていちりやうげつをふるほどに、ごなうただにもあらず、ごくわいにんときこえしかば、平家の人々、ひごろはなげかれけるが、ひきかえて、今はめんめんによろこびあわれけり。ごくわいたいの事さだまりにければ、きそうかうそうにおほせてごさんへいあんをいのり、じつげつせいしゆくにつけてわうじたんじやうをねがふ。しゆしやうことし十八にならせ給ふに、わうじもいまだわたらせおわしまさず。中宮は廿三にぞならせたまひける。わうじ御誕生なむどのあるやうに、あらましごとをぞよろこばれける。「平家のはんじやう、時をえたり。しかればわうじ誕生うたがひなし」と申す人もありけり。かかりし程に、六月廿八日中宮ごちやくたいとぞきこえし。つきひのかさなるにしたがひて、おんみだれなほわづらわしきさまにわたらせ
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給ければ、常にはよるのおとどにのみぞいらせたまひける。すこしおもやせて、またゆげにみへさせたまふぞこころぐるしき。さるにつけても、いとどらうたくぞみへさせたまひける。かのかんのりふじんの、せうやうでんのやまひのとこにふしたりけむも、かくやあるらむ。たうりのあめをおび、ふようのつゆにしほれたるよりも、こころぐるしき御有様なり。かかりしごなうのをりふしにあはせて、しうねきもののけ、たびたびとりつきたてまつる。うげんのそうどもあまためされて、ごしんかぢひまもなし。よりましみやうわうのばくにかけて、さまざまのもののけあらはれたり。そうじてはさぬきのゐんのごをんりやう、べつしてはあくさふのごおくねん、なりちかのきやう、さいくわうほふしがをんりやう、たんばのせうしやうなりつね、はんぐわんにふだうやすより、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんなむどがしやうりやうなむどもうらなひまうしけり。これによつてにふだうしやうこく、しやうりやうしりやうともにかろからず、をどろをどろしくきこえたまひければ、
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「なだめらるべきよしのおんまつりごとあるべし」とはからひまうさる。かどわきのさいしやうは、「いかなるついでもがな。たんばのせうしやうが事、まうしなだめむ」とおもはれけるが、このをりをえて、いそぎこまつのないだいじんのもとへおわして、ごさんのおんいのりにさまざまのじやうさいおこなはるべきよしきこゆ。「いかなる事と申すとも、ひじやうのだいしやにすぎたる事、あるべからず。なかんづく、なりつねめしかへされたらむ程のくどく、ぜんごんはいかでか有べき。大納言がをんりやうをなだめむとおぼしめさむにつけても、いきたるなりつねをこそめしかへされさうらはめ。このことふしまうさじとは思ひ候へども、娘にてさうらふものの、あまりにおもひしづみて、命もあやうくみへ候時に、常にたちよりて、『あながちかくなおもひそ。のりもりさてあれば、さりとも少将をばまうしあづからむずるぞ』と、なぐさめまうしさうらへば、かほをもてあげて、教盛をうちみて、涙をながしてひきかづきて候。教盛ごいちもんのかたはしにてあり。『おやをもつとも、このときは
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さいしやうほどのおやをこそもつべけれ。などか少将一人まうしあづからざるべきぞ』と、ないないうらみまうしさうらふなるが、げにもとおぼえて、いたくむざんにおぼえさうらふ。なりつねが事、しかるべきやうにしふしまうさせ給て、しやめんにまうしおこなはせ給へ」と、なくなくくどきまうされければ、こまつのおとど涙をながして、「このかなしさは重盛もみにつみて候へば、さこそおぼしめされ候らめ。やがて申候べし」とて、八条へわたりたまひて、入道のけしきいたくあしからざりければ、「宰相の成経が事をあながちになげきまうされさうらふこそ、ふびんにおぼえさうらへ。もつともおんぱからひあるべしとおぼえさうらふ。ちゆうぐうごさんのおんいのりに、さだめてひじやうのだいしやおこなわれ候わむずらむ。そのうちにいれさせたまふべく候。宰相のまうされさうらふやうに、誠にたぐひなきおんいのりにてあらむずらむとおぼえ候。おほかたは人のぐわんをみたさせたまひさうらはば、ごぐわんじやうじゆうたがひ
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あるべからず。ごぐわんじやうじゆせばくわうわうごたんじやうありて、かもんのえいぐわいよいよさかりなるべし」と、さいさいにまうしたまへば、入道今度は事のほかにやはらぎて、げにもと思われたりげにて、「さてしゆんくわん、やすよりが事はいかに」。「それらもゆるされてさうらはば、しかるべくこそ候はめ。一人もとどまらむ事は中々ざいごふたるべしとおぼえさうらふ」なむどまうされけれども、「康頼が事はさる事にて、しゆんくわんはかつうはしられたるやうに、ずいぶん入道がこうじゆにて、ほつしようじのじむにも申なしなむどして、人となれる物ぞかし。それに人しれずししのたににじやうをかまへ、事にふれてやすからぬ事をのみいひけるよしをきくが、ことにきくわいにおぼゆるなり」とぞのたまひける。「ちゆうぐうごさんのおんいのりによつてだいしやおこなわるべし」と、大政入道まうしおこなはれければ、すなはちしきじのほうしよをくださる。そのじやうにいはく、
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ちゆうぐうごさんのおんいのりのために、ひじやうのだいしやおこなはるるによつて、さつまのくにいわうのしまのるにん、たんばのせうしやうなりつねならびにへいはんぐわんにふだうやすよりぼふし、ににんきさんすべきじやう、おほせによつてしつたつくだんのごとし。ぢしよう二年しちぐわつぴとぞ、おほせくだされける。宰相これをききたまひて、うれしなむどはなのめならず。少将のきたのかたはなほうつつともおぼへず、ふししづみてぞおわしける。七月十三日、おんつかひくだされければ、へいざいしやうはあまりにうれしくて、わたくしのつかひをさしそへて、「よをひにつぎてくだれ」とてぞつかはされける。それもたやすくゆくべきふなぢならねば、なみかぜあらくて、船の中にてひおくりける程に、九月なかばすぎてぞかのしまにはわたりつきたりける。をりしもそのひはひもうららかにて、少将も康頼もいそにいでて、
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はるばるとしほせのかたをながむれば、まんまんたるかいしやうに、なにとやらむ、はたらく物あり。あやしくて、「やや入道殿、あのをきにまなこにさえぎるもののあるはなにやらむ」と少将のたまへば、康頼入道是をみて、「にをのうきすの、波にただよふにこそ」と申けり。しだいにちかくなるをみれば、舟のすがたにみなしたり。「これはくちしまのうらびとどもが、いわうほりに時々わたる事のあれば、さにこそ」とおもふほどに、いそちかくこぎよする舟の内にいひかよはすことばども、さしもこひしきみやこびとのこゑにききなしつ。少将おもはれけるは、「われらがやうにつみをかぶつて、このしまへはなたるるるにんなむどにこそ」とおもひたまひて、「とくこぎよせよかし。都のことどもたづねむ」とおもはれけれども、まめやかにちかづけば、みぐるしさの有様をみえむ事のはづかしくて、いそをたちのきて、はままつがへのこのもといはのかげにやすらひて、みえがくれにぞまたれける。さる程にふね
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こぎつけて、いそぎをりて、われらがかたへちかづく。しゆんくわんそうづはあまりにくたびれて、只あしたゆふべのかなしさにのみおもひしづみて、しんめいぶつだのみなもとなへ奉らず、あらましのくまのまうでをもせず、常はいはのはざま、こけの下にのみうづもれゐられたりけるが、いかにしてただいまの有様をみたまひけるやらむ、このひとどものおわする前にきたれり。ろくはらのつかひ申けるは、「だいじやうにふだうどののみげうしよ、ならびにへいざいしやうどのの私のおんつかひあひそへられて、都へおんかへりあるべきよしのおんふみもちてくだりて候。たんばのせうしやうどのはいづくにわたらせたまひさうらふやらむ。このみげうしよをまゐらせさうらはばや」と申ければ、是をきき給けむ三人の人々のしんぢゆういかばかりなむけむ。あまりにおもふことなれば、なほ夢やらむとぞ思われける。三人一所になみゐられたり。少将のもとへは、宰相さまざまにおくり給へり。康頼が
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かたへは、つまがかたより事づてあり。俊寛僧都がもとへはひとくだりのふみもなかりければ、その時ぞ、「都にわがゆかりの者一人もあとをとどめずなりにけるよ」と、心えられにける。心うくかなしき事かぎりなし。さて俊寛ほうしよをひらきてみ給へば、「ちゆうぐうごさんのおんいのりのために、ひじやうのだいしやおこなはるるによつて、なりつね、やすより、きさんすべし」とは有けれども、俊寛はもれにけり。僧都是をみて、あきれまどひて、つやつや物もおぼへず。もしひがよみかとて、又みれども、「俊寛」といふ文字はなし。又みれども、「二人」とこそはかかれたれ、「三人」とはかかれず。夢にこそかかる事はみゆれ。夢かと思なさむとすればうつつなり。うつつと思へば又夢の如し。このふみをひろげつまきつ、ちたびももたびをきつとりつして、ふしまろびて、をめきさけびて、かなしみの涙をぞながしける。「三人おなじつみにて、ひとところへはなたれぬ。
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今しやめんの時、二人はゆるされて、俊寛一人もるべしとはおもはぬ物をや」とて、てんにあふぎちにふして、又をめきさけぶ。このしまへながされし時のなげきを今のおもひにくらぶれば、事のかずならざりけり。とどめらるる事をおもふに、いかにすべしともおぼへず。なくなくほうしよをとりて、「是はしゆひつのあやまりなり。さらでは俊寛をこの嶋へながし給へる事を、平家のおぼしめしわすれたるか」とて、又はじめの如くもだへこがれけるこそむざんなれ。二人のよろこび、一人のなげき、悦もなげきも事のきはめとぞみへし。少将、判官入道は、しほかぜのさたにもおよばず、いまひとときもとくこぎいでなむとて、いわうのつといふ所へうつりにけり。僧都あまりのかなしさにふなつまできたりて、二人の人にすこしもめをはなたず、少将の袖にとりつきても涙をながし、判官入道のたもとをひかへてもさけびけり。「としごろひごろはおのおのさておわしつれば、むかしものがたり
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をもして、都のこひしさをも、しまの心うさをも、申なぐさみてこそありつるに、うちすてられ奉りては、いちにちへんしもたへしのぶべきここちもせず。ゆるされなければ、みやこへはなかなかおもひもよらず。ただこの船にのせていでさせ給へ。そこのみくづともなりて、まぎれうせなむ。中々しんら、かうらいとかやのかたへもわたりゆかば、おもひたえてもあるべきに、俊寛一人のこりとどまりて、しまのすもりとならむ事こそかなしけれ」とて、又をめきさけびければ、少将なくなくのたまひけるは、「誠にさこそおぼしめされさうらふらめ。成経がのぼるうれしさはさる事なれども、おんありさまをみおきたてまつるに、さらにゆくべきそらもおぼえず。御心のうち、みなおしはかりてさうらへども、都の御使もかなふまじき由を申す上、三人ふなつをいでにけりときこへむ事もあしかりぬべし。なにとしても、かひなき命こそたいせつの事にて
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候へば、かつうは成経がみのうへにてもおぼしめししられ候へ。まかりくだりさうらひしすなはちは、ともかくもして、命をうしなはばやとこそぞんぜしかども、かひなき命の候へばこそ、かやうにうれしきおとづれをもまちえさうらひぬれば、このたびとどまらせ給てさうらふとも、またおのづからめしかへされさせたまひさうらふおんことも、などかさうらはざるべき。なりつねまかりのぼりさうらひなば、みにつみておもひしりまゐらせて候へば、宰相にもかつうはよきやうにまうしさうらふべし。いかさまにもおんみをなげてもよしなき御事なり。ただいかにもして今一度都のおとづれをもきかむとこそおぼしめされ候はめ。そのほどはひごろおわせしやうにおもひてまたせ給へ」と、かつうはなぐさめかつうはこしらえられければ、僧都へんじにおよばず、少将にめをみあはせて、「俊寛をばすておきたまひなむずるな。ただ俊寛をもぐしてのぼり給へ。ぐしてのぼりたる御とがめあらば、又もながさ
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れ候へかし」なむど、さまざまにくどかれけれども、「これほどにつみふかくてのこしとどめらるる程の人を、ゆるされもなきにぐしのぼりなば、まさるとがにもこそあたれ」とおもはれければ、「誠にさこそおぼしめさるらめ」とばかりにて、少将は、「かたみにも御覧ぜよ」とて、よるのふすまををかれけり。判官入道のわすれがたみには、ほんぞんぢきやうをぞとどめける。「誠の花の春、さくらがりして、しがの山をこへ、よしののおくへたづねいるひとも、皆風にさそわるるならひあれば、ちりぬるのちはこのもとををしみて、岩のまくらによをあかす事もなく、いへぢへいそぎ、つきの秋、めいげつをたづねて、すまあかしへうらづたひする人も、又山のはにかたぶくためしあれば、いりぬるあとをしたひて、あまのとまやにやどりもやらず、すぎこしあとをたづねけり。こひぢにまよふ人だにもわがみにまさる物やある」と、たがひにいひかよはしつつ、少将も入道もいそぐ心をなさけな
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き。みちゆくひとのひとむらさめのこのもと、おなじながれをわたるともだにも、すぎわかるるなごりはなほをしくこそおぼゆるに、まして僧都のこころのうち、おもひやられてむざんなり。さる程にじゆんぷうよかりければ、僧都のもだへこがれけるひまに、やわらともづなをときてこぎいでむとするに、僧都おもひにたへずして、御使にむかひててをすり、「ぐしておわせよや、ぐしておわせよや」とをめかれければ、「人のみにわがみをばかへぬ事にて、ちからおよばず」と、なさけなくこたへければ、僧都あまりのかなしさに、船のともへにはしりまわり、のりてはをり、おりてはのり、あらましをせられけるありさま、めもあてられずぞおぼえける。しだいに船をおしいだせば、僧都ともづなにとりつきて、たけのたつところまではひかれてゆく。そこしもとほあさにて、いちにちやうばかりゆきたりけれども、みちくるしほ、たちかへりてくちへいりければ、ともづなにわきうちかけて、「さて俊寛をばすておきたまひぬるな」とて、又
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声もおしまずよばひたまひけれども、少将もいかにすべしともおぼえず、もろともにぞなかれける。僧都なをも心の有けるやらむ、とかくしてなみにもおぼれず、いそにかへりあがりて、なぎさにひれふして、をさなきもののめのとや母にすてられて、みちをしたふやうに、はまにあしをすりて、「少将殿、判官入道殿や」と、をめきさけびけるは、「父よ母よ」とよぶににたりけり。をめきさけぶ声のはるかに波をわけてきこへければ、誠にさこそおもふらめと、少将も康頼も、ともになみだを流して、つやつやゆくそらもなかりけり。こぎゆくふねのあとのしらなみ、さこそうらやましくおぼされけめ。いまだこぎかくれぬ船なれども、涙にくれてこぎきへぬとみへければ、岩の上にのぼりて船をまねきけるは、まつらさよひめが、もろこしぶねをしたひつつ、ひれふりけるにことならず。よしなき少将のなさけのことばをたのみて、そのせにみをもなげられ
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ざりけるこそ、せめてのつみのむくいとはみえしか。ひすでにくれにけれども、あやしのふしどへもたちかへるべき空もおぼへず。又なぎさにたふれふして、おきのかたをまぼらへつつ、つゆにしほぬれ波にあしうちあらはせて、かしらをたたき胸をうちて、ちの涙をながして、よもすがらなきあかされければ、そでは涙にしほれ、すそは波にぞぬれにける。少将、なさけもふかく、物のあはれをもしりたる人なれば、「かかるむざんなる事こそありしか」なむど申されば、もしくつろぐ事もやと、たのみをかけて、べうべうたるいそをまはりて命をたすけ、まんまんたるうみをまもりて心をなぐさめて、あかしくらしたまひければ、昔、さうり、そくりがなんかいのぜつたうにはなたれたりけむも、是にはすぎじとぞおぼえし。それは兄弟二人ありければ、なぐさむかたも有けむ。この僧都のかなしみは、わきまへやるべきかたもなし。少将は九月なかばすぎてしまを
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こぎいでて、風をしのぎ波をわけ、うらづたひしまづたひして、廿三日といふにはくこくのちへつきにけり。やがて都へのぼらむといそがれけれども、冬にもなりにければ、船のゆきかふ事もなかりける上、へいざいしやうのもとよりかさねてつかひくだりて申けるは、「きよねんよりかのしまにおわして、さだめてみもつかれそんじ、やまひもつきたまひぬらむ。さむき空にはるばるとのぼり給はば、のぼりもつきたまはで、みちにてあやまちもいできなむず。ひぜんのくにかせのしやうといふ所は、あまきのしやうともなづけたり。かのところはのりもりがしよりやうなり。このふゆはかのしやうにおはして、おんみをもいたはりて、みやうしゆんかぜやはらかになつて、のどかにのぼり給へ」といひつかはしたりければ、そのふゆはかのしやうにてゆあみなむどして、たよりの風をぞまたれける。さるほどに、としもすでにくれにけり。
六 八月六日、がくしやう、ぎきやうしらうをたいしやうぐんとして、だうじゆがばうじや十
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三うきりはらひて、そこばくのしざい、ざふもつをついふくして、がくしやう、大納言がをかにじやうくわくをかまへてたてごもる。八日、だうじゆとうざんして、とうやうばうにじやうくわくをかまへて、大納言のをかのじやうにたてごもるところのがくしやうとかつせんす。だうじゆ八人しころをかたぶけて、じやうのきどぐちへせめよせたりけるを、がくしやう、ぎきやうしらうをはじめとして、六人うちいでて、ひとときばかりうちたたかひける程に、八人のだうじゆひきしりぞきけるを、ぎきやう四郎うちしかりて、ながおひをしける程に、かへしあはせてまたうちくむところに、ぎきやう四郎、なぎなたのえをひるまきのもとよりうちをられにけり。こしがなたをぬきてはねてかかりけるが、いかがしたりけむ、くびをうちおとされぬ。たいしやうぐんとたのみたる四郎うたれにける上は、がくしやうやがておちにけり。十日、だうじゆとうやうばうをひきて、あふみのくにさんがしやうにげかうして、こくちゆうのあくたうをかたらひ、あま
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たのせいをいんぞつして、がくしやうをほろぼさむとす。だうじゆにかたらはるる所のあくたうとまうすは、ふるぬすびと、ふるがうだう、さんぞく、かいぞくとうなり。としごろ、たくはへもちたるべいこくふけんのたぐひをほどこしあたへければ、たうごくにもかぎらず、たこくよりもききつたへて、つのくに、かはち、やまと、やましろのぶようのともがら、うんかのごとくにあつまりけりときこえしほどに、九月はつかのひ、だうしゆ、あまたのせいをあひぐしてとうざんして、さういざかにじやうくわくをかまへてたてごもる。がくしやうふじつにおしよせたりけれども、さんざんとうちおとされぬ。やすからぬ事におもひて、あかりをかりけれどもかひなし。だいしゆ、くげにそうもんし、ぶけにふれうつたへけるは、、「だうしゆら、ししゆのめいをそむきてあくぎやうをくはたつるあひだ、しゆといましめをくはふる処に、しよこくのあくとをあひかたらひて、さんもんにはつかうして、かつせんすでにたびたびにおよぶ。がくりよおほくうたれて、ぶつぽふたちまちにうせなむとす。はやくくわんびやうをさしそへられて、ついたうせらるべし」と申ければ、ゐんより大政入道におほせ
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らる。入道のけにん、きいのくにのぢゆうにんゆあさのごんのかみむねしげをたいしやうぐんとして、大衆三千人、くわんびやう二千よき、つがふ五千よきのぐんびやうをさしつかはす。つくしのひと、ならびにいづみ、きいのくに、いが、いせ、つのくに、かはちのかりむしや也。しかるべきものはなかりけり。十月四日、がくしやう、くわんびやうをたまはりて、さういざかのじやうへよす。今度はさりともとおもひけるに、しゆとはくわんびやうをすすめむとす、官兵は衆徒をさきだてむとおもひけり。かくのごとくのあひだ、こころごころにして、はかばかしくせめよする者もなし。だうじゆはしふしんふかく、おもてもふらずたたかひける上に、かたらふところのあくたうら、よくしんしじやうにしてししやうふちなるやつばらの、おのおのわれひとりとたたかひければ、くわんびやうもがくしやうもさんざんにうちおとされて、せんぢやうにてしぬるもの二千よにん、ておひはかずをしらずとぞきこへし。五日、がくしやう一人ものこらずげらくして、あしこここにきしゆくしつつ、
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いきつぎゐたり。かかりける間、さんじやうにはたにだにのかうえんもことごとくだんぜつし、だうだうのぎやうぼふもみなたいてんしぬ。しゆがくの窓をとぢて、ざぜんのとこもむなしくせり。ぎきやうしらう、じんにんがいつしやうをあふりうしてちぎやうすとも、あながちにいかばかりのしよとくかあらむずるに、つるがのなかやまにてはぢをみるのみにあらず、とりかへなき命をうしなひ、さんもんのめつばう、てうかのおんだいじにおよびぬる事こそあさましけれ。人はよくよくしりよあるべき物かなとぞおぼゆる。とんよくは必ずみをはむといへり。ふかくつつしむべし。十一月五日、がくしやう、しやうざくわんげん、ゐぎしさいめいらを大将軍として、だうじゆがたてごもるところのさういざかのじやうへおしよせてせめたたかふ。しかれどもがくしやうよにいりて、おひかへされて、しはうににげうせぬ。がくしやうのかたにうたるる者百よにん、あさましかりし事共也。そののちはさんもんいよいよあれはてて、さいたふのぜんじゆのほかはしぢゆうのそうりよまれなり
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けり。たうざんさうさうよりこのかた、いまだかくのごとくのことなし。よの末は、あくはつよくぜんはよわくなれば、ぎやうにんはつよくして、ちしやのはかりこともかしこかりしは、皆ちりぢりにゆきわかれて、人なき山になりにけり。ちゆうだうのしゆみなうせにけり。さんびやくよさいのほふとう、かかぐる人もなし。ろくじふだんのかうのけぶりもたえやしぬらむ。だうじやたかくそびへて、さんぢゆうのかまへをせいけいの雲にさしはさみ、とうりやうはるかにひいでて、しめんのたるきをはくろのあひだにかけたりき。されども今はくぶつをみねのあらしにまかせ、きんようをむなしきれきにうるをす。よるのつき、ともしびをかかげてのきのひまよりもり、あかつきのつゆ、たまをつらぬいて、れんざのよそほひをそふ。あはれなるかな、がくと、むかしはいわうのじひのむろにすみ、しゆがくをいとなむといへども、いまはようふじゆけふのいへにゐて、ひとへにうれひのなみだにをぼる。すいまいのしはんは者、きうぢやうにたえずしてつかれにのぞみ、えうちのすい
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はつは者、けいせつをもてあそばずしてやみにまよふ。げんぜのぶつぽふすでにめつす。しやうらいのえみやういかがつがむ。かかりければ、ぶつぜんにまうづるそうりよもなし、しやだんにはいするしやじもなし。それまつだいのぞくにいたりては、さんごくの仏法もしだいにもつてすいびせり。とほくてんぢくのぶつせきをとぶらへば、むかし仏のほふときたまひける、わしのおやまも、ちくりんしやうじやも、ぎつこどくをんも、ちゆうこよりはこらうやかんのすみかとなりはてぬ。ぎをんしやうじやの四十九院、なをのみのこしていしずえあり。びやくろちにはみづたえて、くさのみふかくおひしげり、たいぼんげじようのそとばのめいも、きりにくちてかたぶきぬ。しんだんの仏法もおなじくほろびにき。てんだいさん、ごだいさん、さうりんじ、ぎよくせんじも、このごろはぢゆうりよなきさまになりはてて、だいせうじようのほふもんははこのそこにぞくちにける。わがてうのぶつぽふも又おなじ。なんとのしちだいじも皆あれはてて、はつしゆうくしゆうもあとたえぬ。ゆが、ゆいしきのりやう
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ぶのほかはのこれるほふもんもなく、とうだい、こうぶくりやうじのほかはのこれる今はだうじやもなし。あたご、たかをの山も、昔はだうじやのきをきしりたりたりしかども、いちやのうちにあれにしかば、今はてんぐのすみかとなりたり。昔げんじやうさんざう、ぢやうぐわんさんねんのころ、ぶつぽふをひろめむとして、りうさそうれいをしのぎてぶつしやうこくへわたりたまひしに、しゆんしうかんしよいちじふしちねん、じもくけんもん一百三十八かこく、あるいは三百六十余の国々をみまはりたまひしに、だいじようるふの国、わづかに十五かこくぞ有ける。さしもひろきぐわつしのさかひにだにも、ぶつぽふるふの所はありがたかりけるぞかし。それも今はこらうのふしどとなりはてぬ。さればやらむ、やむごとなかりつるてんだいのぶつぽふも、ぢしようの今にあたりてほろびはてぬるにやと、こころあるきわの人、かなしまずといふ事なし。りさんしけるそうの、ちゆうだうのはしらにかきつけけるとかや。
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いのりこしわがたつそまのひきかへて人なきみねとなりやはてなむ K052
でんげうだいしたうざんさうさうの昔、あのくたらさんみやくさんぼだいのほとけたちと、いのりまうさせたまひける事をおもひいだし、よみたりけるにやと、いとうるはしくこそきこへしか。みやのおんでし、ほつしやうじどののおんこ、てんざいざすじゑんだいそうじやう、そのときほふいんにておわしけるが、人しれずこのことをかなしみて、雪のふりたりけるあした、そんゑんあじやりがもとへつかはされける。
いとどしく昔のあとやたえなむとおもふも悲しけさのしらゆき K053
そんゑんあじやりがへんじ。
君がなぞなをあらはれむふる雪の昔のあとはたえはてぬとも K054
だうじゆと申はがくしやうのしよじゆうにて、あしだ、しりきれなむどとるわらはべの、ほふしになりたる、
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ちゆうげんぼふしどもなり。かしあげ、しゆつこしつつ、きりもの、よせもののさたして、とくつき、けさころもきよげになして、ぎやうにんとて、はてにはくがうをつきて、がくしやうをも物ともせず、おほゆやにもさるのときはだうじゆとこそさだめられたりけるに、むまのときよりおりてがくしやうのうしろにゐて、指をさしてわらひければ、かくやは有べきとて、学生ども是をとがめければ、だうじゆ、「われらがなからむ山は山にても有まじ。学生とて、ともすれば、ききもしらず、ろんぎといふはなむぞ、あなをかし」なむどぞいひける。ちかごろ、こんがうじゆゐんのざす、がくしんごんのそうじやうぢさんの時より、さんたふにけつばんして、げしゆとて、仏に花をたてまつりしともがらなり。
七 またさんぬる三月廿四日、しなのぜんくわうじえんしやうのよし、そのきこへあり。このによらいとまうすは、むかしちゆうてんぢくびしやりこくにごしゆのあくびやうおこりて、じんそ多くばうぜしに、
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ぐわつかいちやうじやがきせいによりて、りゆうぐうじやうよりえんぶだんごんをえて、しやくそん、あなんちやうじや、心をひとつにして、うつしあらはし給へりしいつちやくしゆはんのみだのさんぞん、えんぶだいいちのれいざう也。ぶつめつどののち、てんぢくにとどまりまします事ごひやくさい、ぶつぽふとうぜんのことわりにて、はくさいこくへわたりましましていつせんざいののち、きんめいてんわうのぎようにほんてうにわたりましましき。そののちすいこてんわうのぎようにおよびて、しなののくにみづうのこほり、わかをうみのまひとほんだのよしみつ、これをあんぢしたてまつりてよりこのかた五百八十よさい、えんしやうのれい、これぞはじめときこへし。わうぼふかたぶかむときはぶつぽふまづほろぶといへり。さればにや、かやうにさしもやむごとなきれいじれいさんの多くほろびぬるは、王法の末にのぞめるずいさうにやとぞなげきあへる。
八 十一月十二日、とらのときばかりより、ちゆうぐうごさんのけ渡らせおわしますとて、
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てんがののしるめる。きよぐわつ廿七八日のころより、時々そのけわたらせおわしましけれども、とりたてたるおんことはなかりけるほどに、このあかつきよりはひまなくとりしきらせ給へり。平家の一門はまうすにおよばず、くわんばくどのをはじめたてまつりて、くぎやう、てんじやうびとはせまゐらる。法皇はにしおもてのこもんよりごかうなる。ごげんじやにはばうかく、しやううんりやうそうじやう、しゆんげうほふいん、がうぜん、じつぜんりやうそうづ、このうへ法皇もいのりまうさせたまひけるにや。内大臣はぜんあくにつけていとさわがぬ人にて、すこしひたけて、きんだちあまたひきぐして、参り給へり。とどろかにぞみへ給ける。ごんのすけぜうしやうこれもり、させうしやうきよつね、ゑちぜんのせうしやうすけもりなむどやりつづけさせて、御馬十二ひき、おんつるぎ七こし、おんぞ十二両、くわうかいにいれて、あいひぐして参り給へり。きらきらしくぞみへ給ける。にようゐん、きさいのみやの御祈に、時にのぞみて
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だいしやおこなはるること、せんれいなり。かつうはだいぢ二年九月十一日、たいけんもんゐんのごさん法皇御誕生時なり、だいしやおこなはれき。そのれいとてぢゆうくわの者十三人くわんいうせらるる。だいりよりはおんつかひひまなし。うちゆうじやうみちちかのあつそん、さちゆうじやうやすみちのあつそん、させうしやうたかふさのあつそん、うゑもんのごんのすけつねなかのあつそん、くらんどどころのしゆう、たきぐちら二三度づつはせまゐりたまふ。しようりやくぐわんねんにはれうの御馬をたまはりて、これにのる。今度はそのぎなし。てんじやうびとおのおのくるまにて参る。ところのしゆうなむどぞきばにてはありける。はちまん、かも、ひよし、かすが、きたの、ひらの、おほはらのなむどへかうけいあるべきよし、ごぐわんをたてらる。けいびやくはごだんのほふのがうざんぜのだんのだいあじやり、ぜんげんほふいんとぞきこへし。又神社にはいはしみづ、かもをはじめたてまつりて、きたの、ひらの、いなり、ぎをん、いまにしのみや、とうくわうじにいたるまで四十一かしよ、ぶつじにはとうだいじ、こうぶくじ、えんりやく、
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をんじやう、くわうりゆう、ゑんしゆうじにいたるまで、七十四かしよのみどきやうあり。じんめをひかるること、だいじんぐういはしみづをはじめたてまつりて、いつくしまにいたるまで、廿三しや也。ないだいじんの御馬をまゐらせらるることはしかるべし。きさいのみやのおんせうとにておわします上、ふしのおんちぎりなれば、かつうはくわんこうにしやうとうもんゐんごさんの時、みだうのくわんばくじんめを奉らる。そのれいにあひかなへり。「又ごでうのだいなごんくにつなのきやう、じんめをにひきまゐらせらる。しかるべからず」と、人々かたぶきあへり。「こころざしのいたりか、とくのあまりか」とぞ申ける。にんわじのしゆかくほふしんわうはくじやくきやうのみしゆほふ、やまのざすかくくわいほふしんわうはしちぶつやくしのほふ、てらのちやうりゑんけいほふしんわうはこんがうどうじのほふ、このほか、ごだいこくうざう、ろくくわんおん、いちじきんりん、ごだんのほふ、ろくじかりん、はちじもんじゆ、ふげんえんめい、だいしじやうくわうにいたるまで、のこるところもなかりき。
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ぶつしのほふいんめされて、ごとうじんのしちぶつやくし、ならびにごだいそんのざうをつくりはじめらる。みどきやうのぎよけんぎよい、しよじしよしやへたてまつらせたまふ。御使、みやのさぶらひの中にうくわんのともがら、これをつとむ。ひやうもんのかりぎぬにたいけんしたるものどもの、東のたいよりなんていに渡りて、にしのちゆうもんをもちつづきていづ。ゆゆしきみものにてぞ有ける。しやうこく、にゐどのはつやつや物もおぼえたまはず。あまりの事にや、ものまうしければ、ともかくもとて、あきれてぞおわしける。「さりともいくさのぢんならば、かくしもはおくせじ物を」とぞ、のちには入道のたまひける。しんだいなごん、さいくわうほふしていのおんもののけさまざまにまうすむねどもありて、ごさんとみになりやらず。はるかにじこくうつりければ、ごげんじやたち、めんめんかくかくにそうぎやのくどもをあげて、ほんじほんざんのさんぼう、ねんらいしよぢのほんぞん、せめふせたてまつる。おのおのくろけぶりをたててこゑごゑにもみふせらるる
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けしき、心のうちどもおしはかられて、「いづれもいづれも誠にさこそは」とおぼえてたつとき中に、法皇の御声のいでたりけるこそ、いまひときはことかはりて、みなひとみのけいよだちて涙をながしける。をりどくるふよりましのばくどもも少しうちしめりたり。そのとき法皇みちやう近くゐよらせおわしまして、おほせの有けるは、「いかなるあくりやうなりとも、このおいぼふしかくてさうらわむには、いかでかちかづきたてまつるべき。いかにいはむや、あらはるる所のをんりやうども、皆まろがてうおんによりて、人となりしともがらにはあらずや。たとひほうしやの心をこそぞんぜざらめ、あにしやうげをなさむや。そのことしかるべからず。すみやかにまかりしりぞき候へ」とて、によにんうまれがたからんさんのときにのぞみて、じやましやしやうくしのびがたからんにも、こころをいたしてしやうじゆせばだいひじゆを、きじんたいさんしてあんらくにうまれむ」とて、ごねんじゆをさらさらとおしもませおわしましければ、ごさんやすやすとなりにけり。とうのちゆうじやうしげひらのあつそんは、ちゆうぐうのすけにて
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おわしけるが、ぎよれんのうちよりつといでて、「ごさんへいあん、わうじごたんじやう」と、たからかにまうされたりければ、入道、二位殿はあまりのうれしさに、声をあげててをあはせてぞなかれける。なかなかいまいましくぞおぼえし。くわんばくてんが、だいじやうだいじん、さだいじんいげ、くぎやうてんじやうびと、もろもろのみしゆほふのだいあざり、じよしゆ、すはいのごげんじや、おんやうのかみ、てんやくのかみよりはじめて、みちみちのものども、たうしやうたうかの人々、いちだうにあとよろこびける声、どよみにてぞ有ける。しばしはしづまりやらざりけり。内大臣は、「てんをもつてちちとせよ、ちをもつてははとせよ」といはひ奉て、きんせんくじふくもんおんまくらにおきて、やがてをとど、おんほぞのををきりたてまつり給ふ。こけんしゆんもんゐんのおんいもうと、あのおんかたいだき奉らせ給。さゑもんのかみときただのきやうの北方、とうゐんどの、おんめのとにつきまゐらせたまひにけり。ゐごてのぜにいだされたり。べんのゆげのすけがかけ物にて是を
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うつ。是又れいあることにや。法皇はいまぐまののごさんけいあるべきにて、いそぎいでさせ給て、おんくるまをもんぐわいにたてらる。にようごきさきのごさんは常の事なれども、だいじやうほふわうのごげんじやはきたいのれいか。ぜんだいもきかず、こうたいにもありがたかるべし。是はたうだいの后にて渡らせ給へば、法皇のおんこころざしも浅からぬ上に、なほし太政入道をおもくおぼしめさるるゆゑなり。「ただしこのことかろがろしきににたり。しかるべからず」とまうす人々も有き。「およそはかろがろしきおんふるまひをば、こにようゐんうけぬ御事に申させおわしましければ、法皇もはばかりおぼしめしけり。今もにようゐんだにもわたらせ給はましかば、まうしとどめまゐらせたまひなまし」と、事のまぎれに、ふるきにようばうたちささやきあひ給へり。そのうへ、しやきんいつせんりやう、ふじのわたせんりやうを、ごげんじやのろくに、法皇にまゐらせられたりけるこそ、いよいよきいのちんじにてありけれ。
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このおくりぶみを法皇御覧じて、「にふだうげんじやしてもすぎつべきよな」とぞおほせられける。おんやうのかみやすちかいげ、多くまゐりあつまられたりければ、みうらさまざま有けるに、あるいは「ゐねのとき」なむどうらなひまうすもあり、あるいは「わうぢよ」とまうすもありけるに、やすちかのあつそんばかりぞ、「ごさんただいまなり。わうじにてわたらせ給べし」と、うらなひまうしたりける。そのことばいまだをわらざるに、ごさんなりにけり。さすのみこと申けるもことわりなり。こんどのごさんにさまざまのことども有ける中に、めでたかりける事は、だいじやうほふわうのおんかぢ、有がたかりける御事也。むかしそめどののきさきとまうししは、せいわのこくぼにて、いちてんがをなびかし給へりし程に、こんじやうきといふおんもののけにとりこめられて、よのなかの人にもさがなくいわれさせたまふことはべりけり。ちしようだいしの御時にておわしましければ、さまざまにかぢせられけれども、かなはずしてやみたまひにけるに、今の
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法皇のごげんじやにおんもののけのきげんのこと、かへすがへすめでたくぞおぼへし。又さんでうのゐんの、うぢどのよりみちをおんむこにとらむとせさせおわしましけるに、おんやまひつきて、だいじになり給て、げんじやにはしんよそうづ、めいそんあじやり、おんやうじにはかものみつよし、あべのよしひらなむどをめして、こゑをあげてののしりけれども、只よはりによはらせましまして、ひきいらせたまひけるを、みだうのくわんばくみちながこうのおわしまして、「につぽんごくにほつけきやうのこれほどにひろまらせ給ふはわがちから也。このたびわがこの命いけさせ給へ」とて、なみだをながしてじゆりやうほんをいちまいばかりよみたまひければ、おんしうとのともひらしんわう、物のけにあらわれたまひて、「この悲しさはたれも同じ事にてこそあれ。わがこに物を思わせむことの悲しければ、つきたてまつりたれども、ほつけきやうにかたさりたてまつりてかへりはべりぬ」とのたまひて、おんやまひやみにけり。
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かかる事をおもふには、法皇におんもののけのおそれたてまつりけるもことはり也。又思わずなりける事は、太政入道のあきれて物もしりたまはざりける事。いうにやさしかりける事は、こまつのおとどのおんふるまひ。ほいなかりける事は、うだいしやうのろうきよ。しゆつし給はましかば、いかにめでたからまし。あやしかりつる事は、こしきがたを姫宮のごたんじやうのときのやうに、北のおつぼのなかへまろばかして、又とりあげて、南へおとしたりつる事。をかしかりける事は、さきのおんやうのかみあべのときはれがせんどのみはらひつとめけるが、あるところのめんらうにてかぶりをつきをとして有けるが、あまりにあはてて、それをもしらで、そくたいただしくしたる者がはなちもとどりにて、さばかりただしきごぜんへねりいでたりけるけしき。かばかりのだいじの中に、くぎやう、てんじやうびと、北面のともがら、けんぶつのしよ
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しゆう、皆ことごとくはらをきりたまへり。たへずしてかんじよへにげいる人もありけり。九 ごさんのあひだにまゐりたまふ人々、まづはくわんばくまつどの、太政大臣めうおんゐんもろなが、左大臣おほいのみかどどの経宗、右大臣つきのわどのかねざね、右大臣小松殿重盛、さだいしやうさねさだ、げんだいなごんさだふさ、さんでうのだいなごんさねふさ、つちみかどのだいなごんくにつな、なかのみかどのちゆうなごんむねいへ、あんざつしすけかた、くわさんのゐんのちゆうなごんかねまさ、さゑもんのかみときただ、中納言すけなが、べつたうただちか、さひやうゑのかみしげのり、うひやうゑのかみよりもり、げんちゆうなごんまさより、ごんちゆうなごんさねつな、くわうだいこうくうのだいぶともふさ、へいざいしやうのりもり、さのさいしやうのちゆうじやうさねいへ、ろくかくのさいしやうちゆうじやうさねもり、うだいべんながかた、さだいべんとしつね、さきやうのだいぶながのり、ださいのだいにちかのぶ、ぼだいゐんのさんゐのちゆう
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じやうきんひら、しんざんゐのちゆうじやうさねきよ、いじやう三十三人。うだいべんながかたのほかはなほしなり。ふさんのひとびと、さきのだいじやうだいじんただまさ〈 花山院近年しゆつしなし 〉、さきのだいなごんさねなが〈 近年しゆつしせずほういをちやくし、入道宿所にむかはる。 〉、おほみやのだいなごんたかすゑ〈 第一娘、三位中将兼房卿室、さんによつて去七日、ことあり。よつて不吉例とぞんぜらるるゆゑか。 〉、うだいしやうむねもり〈 去七月室家逝去後、出仕せられず。彼所労時、大納言并大将じせらる。 〉、さきのぢぶきやうみつたか、さのさんゐのちゆうじやうかねふさ、うのにゐのちゆうじやうもとみち、くないきやうながのり、しちでうのしゆりのだいぶのぶたか〈 所労 〉、とうぐうのごんのだいぶあさもり〈 所労 〉、しんざんゐたかすけ、さのさんゐのちゆうじやうたかただいじやう十三人、こしやうによつてふさんとぞきこへし。
十 みしゆほふのけちぐわんしてけんじやうおこなはる。にんわじのほふしんわうはくげのごさたにてとうじしゆざうせらるべし。ごしちにちのみしゆほふ、だいげんのほふ、ならびにくわんぢやうこうぎやうせらるべきよし、せんげせらるるうへ、おんでしのほふいんかくじやうをもつてごんのだいそうづににんぜらる。ざ
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すのみやはにほん、ならびにぎつしやのせんじを申させおわしましけるを、にんわじのほふしんわうささへまうさせたまひけるによつて、しばらくおんでしのほふげんゑんりやうをもつてほふいんにじよせらる。このりやうじ、くらんどのとうくわうたいこうくうごんのだいぶみつよしのあつそんうけたまはりて、是をおほす。だいごのしやうぼうそうじやうのよりう、ごんのせうそうづじつけいは、じゆんでいのほふ、ごわうのかぢをつとめて、だいそうづににんず。このほかのけんじやうども、もうきよにいとまあらず。うだいしやうむねもりのきたのかた、おんおびをまゐらせられたりしかば、おんめのとにておわしますべかりしかども、さんぬる七月にうせたまひにしかば、さゑもんのかみときただのきやうのきたのかた、とうゐんどの、おんめのとにさだまりぬ。このきたのかたと申はこなかやまのちゆうなごんあきときのきやうのおんむすめなり。もとはけんしゆんもんゐんにさうらわれき。わうじじゆぜんののちはないしのすけになりたまひて、そつのすけどのとぞ申ける。中宮はひかずへにければ、うちへまゐりたまひぬ。
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十一 十二月八日、わうじしんわうの宣旨をくださる。十五日、わうじくわうたいしにたたせ給ふ。十四日、しんふにはこまつのないだいじん、たいふにはうだいしやうむねもりのきやう、ごんのたいふにはときただのきやうぞなられける。いみじかりしことどもなり。建礼門院きさきにたたせ給ひしかば、いかにもしてわうじたんじやうあつて、位につけ奉り、ぐわいそぶにていよいよ世をてににぎらむと思われければ、入道、二位殿、ひよしのやしろに百日のひまうでをして、いのりまうされけれども、それもしるしなかりけるほどに、さりともなどかわがいのりまうさむにかなわざるべきとて、ことにたのみまゐらせられたる、あきのくにのいちのみや、いつくしまのやしろへつきまうでをはじめていのりまうされけるに、さんかげつが内に中宮ただならずならせたまひて、れいのげんぢゆうの事共有けるとかや。誠によよのこうぐうあまたわたらせおわしましけれども、わうじたんじやうのれい、まれなる事也。きさいばらのわうじはもつともあらまほしき御事なるべし。
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十二 しらかはのゐんのございゐの時、ろくでうの右大臣あきふさのおんむすめを、きやうごくのおほとののいうしにしまひらせさせたまひてじゆだいありしをば、くわうごうぐうけんしの中宮と申しき。そのはらにわうじごたんじやうあらまほしくおぼしめされて、みゐでらのじつざうばうのあじやりらいがうときこえしうげんのそうをめして、わうじたんじやうをいのりまうさせ給ふ。「ごぐわんじやうじゆせばけんじやうはこふによるべし」と、おほせくだされたりければ、頼豪、「かしこまりてうけたまはりぬ」とて、かんたんをくだきてきねんまうしける程に、かひがひしく中宮ごくわいにんあつて、しようほう元年十二月十六日、おぼしめすさまにわうじごたんじやうありしかば、しゆしやうことにえいかんあつて、頼豪をめして、「王子誕生のけんじやうには何事をまうしうけむぞ」とおほせの有ければ、頼豪、「べちのしよまう候わず。みゐでらにかいだんをたてて、ねんらいのほんいをとげさうらわむ」と申ければ、しゆしやうおほせのありけ
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るは、「こはいかに。かかるけんじやうとやおぼしめされし。わがみにいつかいそうじやうをも申べきかなむどこそ、おぼしめされつるに、これわひぶんのしよまうなり。およそは王子誕生あつてそをつがしめむ事も、かいだいぶゐを思ふ故也。今なんぢがしよまうをたつせば、さんもんいきどほりて、せじやうしづかなるべからず。りやうもんのかつせんいできたりて、てんだいのぶつぽふたちまちにほろびてむず」とて、おんゆるされなかりければ、らいがうあくしんにぢゆうしたるけしきにて申けるは、「このことを申さむとてこそ、おいのなみのてうぼかんたんをばくだきさうらひつれ。かなひさうらふまじからむには、今はおもひじにこそさうらふなれ」とて、すいしやうのやうなる涙をはらはらと流して、なくなく三井寺へまかりかへりつつ、やがてぢぶつだうにたてごもりて、おんじきをだんず。しゆしやう是をきこしめしてしんきんやすからず、てうせいをおこたらせたまふにおよべり。おんなげきのあまりに、がうちゆうなごんまさふさのきやう、そのときみまさかのかみと申けるをめして、「らいがうが皇子誕生のけんじやうに、をんじやうじに
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かいだんこんりふの事をのぞみまうすを、おんゆるされなしとて、あくしんをおこしたるよしきこしめす。汝はしだんのちぎりふかかむなり。まかりむかひてこしらへなだめてむや」とおほせければ、やがてだいりより装束を改めず、そくたいただしくして、頼豪がしゆくばうにまかりむかひてみれば、ぢぶつだうのあかりしやうじ、ごまのけぶりにふすぼりて、なにとなくみのけいよだちておぼえけれども、せんじのおもむきをおほせふくめむとて、「かく」といひいれたりけれども、対面もせず。ぢぶつだうにたてごもりて、ねんじゆうちしてありけるが、ややひさしくありて、もつてのほかにふすぼりかへりたるまくのうちよりはいいでて、ぢぶつだうのしやうじをあららかにあけて、さしいでたるをみれば、よはひ九十いうよなる僧の、はくはつ長くおひて、めくぼくぼとおちいりて、かほのしやうたいもみへわかず、誠におそろしげなるけしきにて、しはがれたるこゑにて、「なにごとをかおほせらるべき。『てんしにけろんなし。りんげん
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あせのごとし』とこそうけたまわれ。これほどのしよまうかなひさうらふまじからむにをいては、いのりいだし奉て候わうじにをきては、ぐし奉て、只今まだうへまかりさうらひなむず」とばかりまうして、しやうじをひきたてていりにければ、まさふさのきやうちからおよばずしてかへられにけり。らいがうは七日と申けるに、ぢぶつだうにてつひにひじににしににけり。さしもやはとおぼしめしける程に、わうじ常はなやませ給ければ、いちじようじのおむろなむどいふちしようのもんじん、たつときそうどもをめしてかぢありけれどもかなはず。しようりやく元年八月六日、わうじしさいにてつひにうせさせたまひにけり。あつふんのしんわうこれなり。しゆしやうことになげきおぼしめして、さいきやうのざす、りやうしんだいそうづ、そのときゑんゆうばうのだいそうづとまうして、山門にはやむごとなき人なりけるをめして、このことをなげきおほせられければ、「いつもわがやまのおんちからにてこそ、かやうのごぐわんはじやうじゆする事にて候へ。くでうのうしようじやう、じゑそうじやうにちぎりまうされしによつ
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てこそ、れんぜいのゐんのごたんじやうもありしか。なじかはごぐわんじやうじゆしましまさざるべき」とて、ほんざんへかへりのぼりて、りやうしよさんしやういわうぜんぜいにたねんなくきせいしまうされければ、おなじき三年七月九日、ごさんへいあん、わうじたんじやうありき。ほりかはのゐんのおんことこれなり。これよりざすはふたまのやきよにさうらわれけり。おぼしめすさまに、おうとく三年十一月廿六日、とうぐうにたたせたまひにけり。おんとしはつさい。おなじき十二月廿九日、ごそくゐ。くわんぢ三年正月廿日、おんとし十一歳にてごくはんぶくありき。されどもをそろしきことどもありて、ございゐ廿六年、かじよう二年七月十九日、おんとし廿九にて、法皇にさきだちまひらせて、ほうぎよなりにき。是もらいがうがをんりやうのいたす所とぞきこへし。さてらいがう、「山のささへにてこそわがしゆくぐわんはとげざりしか」とて、おほきなるねずみとなつて、山のしやうげうをくひそんじけるあひだ、「このね
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ずみを神といはふべし」とせんぎありければ、やしろをつくりて神にいはひてのち、かのねずみしづまりにけり。ひがしざかもとにねずみのほくらとまうすはすなはちこれなり。今も山には、おほきなるねずみをば、らいがうねずみとぞ申すなる。頼豪よしなきまうじふにひかれて、たねんのぎやうごふをすてて、ちくしゆのほうをかんじけるこそかなしけれ。よくつつしむべし、よくつつしむべし。かくてそのとしもくれぬ。
十三 ぢしよう三年しやうぐわつぐわんざんのぎしき、いつよりもはなやかにめでたかりき。誠にさこそありけめ。たんばのせうしやうは、正月はつかごろにかせのしやうをたちて、京へのぼり給ふ。都にまつ人も、いかに心もとなくおもふらむとて、いそがれけれども、よかんなをはげしくて、かいしやういたくあれければ、うらづたひしまづたひして、二月十日ごろにびぜんのくにこじまへこぎよせて、いそぎ船よりおりて、こだいなごんにふだうのおわしける所へたづねいりて
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とひたまひければ、こくじんまうしけるは、「はじめはこのしまにわたらせたまひさうらひしが、これはなほあしかりなむとて、是より北、びぜんびつちゆうりやうごくのさかひ、きびのなかやまとまうすところに、ありきのべつしよと申すやまでらのさうらふに、なんばのたらうとしさだと申者の、ふるやにわたらせ給とうけたまはりさうらひしが、はやむかしものがたりにならせたまひにき」と申ければ、少将、さぞかしと、いよいよかなしくおぼして、まづちちだいなごんのおわしける所をたちいりて見給へば、しばのいほり、たけのあみどをひきたてたりける、あさましきやまべなり。いはまをつたふ水の音かそかに、みねふきすさむ嵐はげしきをききたまふにつけても、いかばかりかはおもひにたえず、かなしくおわしけむと、袖もしぼりあへ給はず。それより又ふねにのりて、かのありきのべつしよへたづねいりてみ給へば、是又うたてげなるしづのやなり。かかる所にしばしもおわしける事よと、のちまでもいたわしくて、内にいりてみまはり給へば、
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ふるきしやうじにてならひしたる所やぶれのこりたり。「あはれ、是はこ大納言のかかれたるよ」とうちみたまふに、涙さとうきければ、少将顔に袖をおしあててたちのきて、「やや入道殿、それにかきたる物ごらんぜよ」とすすめ給へば、はんぐわんにふだうちかくよりてみれば、「前にはかいすいじやうじやうとして、つきしんによのひかりをうかべ、うしろにはがんしようしんしんとして、かぜじやうらくのひびきをそうす。さんぞんらいかうのぎたよりあり、くほんわうじやうののぞみたりぬべし。けいべんかまくちてほたるむなしくさりぬ。かんここけふかくしてとりもおどろかず。
かたみとはなに思けむなかなかにそでこそぬるれ水くきのあと K055
六月廿三日出家。おなじき廿七日のぶとしげかう」とぞかかれたりける。「こ入道殿のおんしゆせきとこそみまゐらせ候へ。はやごらんさうらへ」と、入道申されければ、
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少将又たちよりてこまかにみたまふに、誠にたがはず。さてこそげんざゑもんのじようがくだりたりけるよとしりたまひにけれ。信俊が都よりくだりたりける事を、あまりのうれさにや、常にゐられたりける所の西のしやうじに、そのひなみをわすれじとにや、かかれたまひけるとおぼえて、あはれなり。是をみ給けるにこそ、ごんぐじやうどの心もおわしけるにやと、かぎりなきおもひのなかにも、いささか心やすくはおぼしけれ。父のぞんじやうのふでのあと、ことしてのちにみたまひけむ事、あとはちとせもありぬべしとは是やらむとかなしくて、「さておんはかはいづくぞ」ととひたまへば、「このやのうしろのひとむらまつのもと」と申ければ、少将涙をおさへて、くさばをわけてたづねたまへば、つゆも涙もあらそひて、ぬれぬ所もなかりけり。そのしるしとみゆる事もなし。まことにたれかはたつべきなれば、そとばのかたちもみへず。只つちのすこしたかくて、やへのむぐらのひきふたぎ、こけふかく
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しげりたるばかりぞ、そのあとともおぼえける。少将そのまへにつひゐたまふより、袖を顔にをしあてて、涙にむせび給ふ。はんぐわんにふだうも是をみるに、あまりにかなしくて、すみぞめの袖もしぼりあへず。少将ややひさしくありて、涙をのごひて、「さてもびつちゆうのくにへながさるべしとうけたまはりさうらひしかば、渡らせ給ふ国ちかきやらむとうれしくて、あひみたてまつるべきにてはさうらはざりしかども、なにとなくたのもしくうれしくさうらひしにひきたがへて、さつまがたへながされさうらひてのち、かのしまにてこそはかなくならせたまひぬとばかり、とりなむどのおとづれてとほるやうに、かすかにうけたまはりさうらひしか。心のうちのかなしさはただをしはからせ給べし。ばんりのはたうをしのぎて、きかいのしまへながされにしのちは、いちにちへんしたえで有べしともおぼへさうらわざりしかども、遠きまもりとならせ給たりけるやらむ。ろめいきへやらで、みとせをまちくらして、ふたたび都へ帰り、さいしをみむ事はうれしかるべけれども、ながらへてわたらせ
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給わむをみたてまつらばこそ、かひなき命のあるしるしもさうらはめ。是まではいそがれつれども、これよりのちはゆくそらもあるべしともおぼえず」と、いきたる人に物をいふやうに、はかの前にてよもすがらなきたまひて、しげき涙のひまより、「まれに木をみるもかなしきまつかぜをこけの下にやたへずきくらむ」とえいじて、くどき給へども、はるかぜにそよぐまつのひびきばかりにて、ばうこんなればこたふる人もさらになし。としさりとしきたれども、ぶいくのむかしのおんをわすれがたし。ゆめのごとくまぼろしのごとくして、れんぼのいまのなみだをつくしがたし。かたちをもとむともみえず、ただたいていのきうこつをおもひやらる。こゑをたづぬともこたふるものなし。又いたづらにふむぼのまつかぜのみきくこそかなしけれ。「なりつねまゐりたりとききたまわむには、いかなるひの中、水のそこにおわすとも、などかひとことのおんぺんじなかるべき。たとひごふしんをかうぶりたりとも、いきておわしまさむには、そのたのみも有ぬべし。
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しやうをへだつるならひこそかなしけれ」とのたまひて、なくなくきうたいをうちはらひ、はかをつき、父のおんためにとて、みちすがらつくりもたせられたりけるそとばとりよせて、「しやうりやうけつぢやうしやうごくらく」といふもんの下に、「かうしなりつね」とじひつにかきたまふ。そのそとばのもとに、はんぐわんにふだういつしゆあり。
くちはてぬそのなばかりはありきにて昔がたりになりちかのさと K056
さて墓にたててくぎぬきしまわして、「又参らむとおもへども、参らぬ事もこそあれ」とて、墓の前にかりやつくりて、しちにちしちやふだんねんぶつまうして、「くわこしやうりやうじやうとうしやうがくとんしようぼだい」といのりたまふ。草のかげにてもいかにあはれとおもひたまふらむとて、さてもあるべきならねば、なくなくそんりやうにいとままうして、びぜんのくにをもこぎいでたまひにけり。こけのしたにもいかばかりなごりはをしくおぼされけむ。都のやうやくちかづくに
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つけても、あはれはつきせずぞおぼえし。
十四 二月廿六日、むねもりのきやうだいなごんだいしやうをじしまうさる。じやうへうにいはく、「しんむねもりまうす、きよねん十月三日、しんにさづくるに内大臣をもつてす。しんにたまはるにずいじんひやうぢやうをもつてす。かいへうたくますますあふれ、ちちういよいよおもし。しんきく、だいじんはしかいのしうせうなり。めいてつをえらびてにんずべし。あぐ愚のをるべきにあらず。ここをもつていむけいしとにのぼる。こかうをしき、はせいをととのう。かのうしようをつかさどる。すいとをたひらげ、しうぎんをわかつ。ここにすなはちげいさいある者は、まかするにてうじんをもつてすべからず。そうちある者は、せむるにたいせつをもつてすべからず。せうれうのびきんなり、いかでかすいてうのつばさをまなばむ。どたいのかぜうなり、はんかんのひづめをおひがたし。たとひやうせきりむのじゆむらうくとも、いづくんぞきよせむのえうたらむや。たとひじよなむゑむもむが
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ちりをつたふとも、たれかたいかのしといはむ。ふしてねがはくは、へいかこのたびやうのしよくをとぢて、かのせいちの人をもちゐよ。みぎのゑふをほんぶにかへし、しやうきのちゆうきんをいたさしめよ。へいえいのこころたへず。つつしみてもつてはいへういぶんす。しんむねもり。せいくわうせいきようとんしゆきんげん」とぞかかれたりける。今年卅三になりたまふ、ぢゆうやくのつつしみのためとぞきこへし。しかれども十二月二日、むねもりのきやうだいなごんだいしやうりやうくわんのじじやうをかへしたまわる。さんぬる二月にりやうくわんをじしまうしたりしかども、君もおんはばかりをなさせましまして、しんかにもさづけさせ給わず。しんもそのおそれをなしてのぞみまうされず。さんでうのだいなごんさねふさ、くわさんのゐんのちゆうなごんかねまさもあはれとはおもひたまひけれども、ことばをもいだし給はざりけるに、むねもりのきやう、右大将ならびに大納言になりかへりたまひたりければ、人々さればこそとおぼしめしたりけり。
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十五 三月十六日、少将いまだあかくとばにつきたまへり。こよひろくはらのしゆくしよへいそぎゆかばやとおぼしけれども、みとせがあひだ、あまりにやせおとろへたりつる有様を人々にみえん事も、さすがにはづかしくて、さいしやうのもとへふみにて、「是まではとかくしてつきてこそさうらへ。ひるはみぐるしくさうらふに、ふくる程に、ぎつしやたまはるべし」と申されたりければ、宰相のもとには、「少将のぼり給べきころも今は近くなりたるに、いかにおそきやらむ」とこころもとなさに、むろのひやうごに人をおきてぞまたれける。せうしやうどののおんふみとて、とばへつきたまへるよし、せいしきたりて申たりければ、宰相をはじめ奉て、たかきもいやしきもよろこび給へり。福原へめしくだされたまひし時のおんなげきの涙よりも、只今のぼり給ふよしききたまひけるうれさの御涙は、はるかにまさりたり。つぼねつぼねの女房、めのわらはべまでも、少将のおん
ふみをききては、「ひるはいかなぞや。かならずしもふけていらせ給べきや」とて、
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「みとせのあひだもさてこそおわせしに、くるる空もこころもとなくたちさわぎ、なほゆめのここちこそすれや」とて、こころもとなげにぞまうしあひける。しんだいなごんのしゆくしよは、都の内にもかぎらず、かたゐなかにもあまた有ける中に、とばのたなかのさんざう、てうばうよにすぐれて、りんけいすいしよくきようをまし、あはれをもよほすところなりければ、大納言ひさうして、すあまどのとなづけて、すみよしのすみのえをうつしてつくられたり。さんぬるおうほう二年十一月廿一日、ことはじめありて、同三年にざうひつあつて、廿一日とまうししに、法皇のごかうなる。大納言、めんぼくきはまりなしと思われければ、さまざまにもてなしまひらせて、法皇のおんひきでものに、はちえふのおんくるまを、いきたとてひさうせられたるおんうしにかけてまゐらせらる。そのほか、くぎやう、てんじやうびと、じやうほくめん、げほくめん、おんりきしや、とねり、うしかひにいたるまで、いろいろさまざまのひきでもの、いくらといふかずをしらず、
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せられたりければ、しよにんことごとくじぼくをおどろかしけり。そもくれにければ、よもすがらのごしゆえんありけるに、よふけひとしづまりてのち、ひとつのふしぎあり。法皇なんていを御覧じいだして渡らせたまひけるに、ごえんのはしに、よはひ八十いうよなるらうをう、はくはつをいただいて、たてえぼししりひきにきなして、すそはくずのはかまにさげをを、上はけんもんじやのかりぎぬのもつてのほかにすすけたる、たをやかにきて、ひざまづきてつまじやくとりて、かしこまりてゐたり。よの人はかかる人ありとも、みしりたるけしきもなし。法皇おんめをかけさせおはしまして、「あれはいかなる者ぞ」とおんたづねありければ、しわがれたるおいごゑにて、「これはすみよしのあたりにさうらふせうぜうにてさうらふが、君にうつたへまうすべき事さうらひて、おそれをかへりみずすいさんつかまつりて候なり。われ、としごろひさうしてあさゆふあいし候、すみよしに
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すみのえと申すところを、このていにうつされさうらひ候しあひだ、すみのえ、むげにあさまになりて、ないがしろになりはてさうらひなむとぞんじ候て、そのしさいをなげきまうしさうらわむとて、よひよりまゐりて、さうらひつれども、げんざんにいるる人も候はぬあひだ、よまさにあけんとしさうらふほどに、ぢきそうつかまつり候事は、おそれいりて候。せんずるところこのよしをよくよくおほせふくめらるべくや候らむ。かやうにまうしいれさうらわんをもしおんもちゐさうらわずは、常に参りかよひさうらわむずれば、そのうへはおんぱからひ」とて、南をさしてとびさりぬ。法皇、不思議かなとおぼしめされけれども、ごひろうにおよばず。その上ごすいらんの程なりければ、のちにはおぼしめしわすれさせたまひけるにや。大納言常にしゆくして、せんずいこだちおもしろき所なればとて、しやうくわうときどきごかうならせたまひて、さまざまのごいうえん有ければ、すみよしのれいへいなるにや、つぎのとしの夏のころをひ、すみよしの
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だいみやうじんのおんとがめとて、しやうくわう常におんなやみ渡らせおはしましければ、ごぞんめいのために御出家ありけりとぞきこへし。さればなりちかのきやうもかのみやうじんのおんたたりにて、いくほどなくしてびぜんのくにのはいしよへくだられける。そののちはかの所もあれはてて、今はやかんのすみかとぞみへし。すみよしの大明神のりやうぜさせおわしましけるとおぼしくて、ことさらにおそろしくぞおぼへし。さればたんばのせうしやうもみとせのあひだはいしよにおわせしかば、今すこしもいそぎ都へのぼりて、こひしき人々をみもし、又みへばやとは思われけれども、かのたなかのさんざうをば、ちちだいなごんずいぶんひさうして、わたくしにはすあまどのとなづけてつくりおかれたりしてい也とて、少将、かのすあまどのにさしいりてみ給へば、ついぢはあれどもををいなく、かどはあれどもとびらもなし。やかずはところどころのこりたれども、しとみやりどもなし。
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らもんみだれてちにおちて、からかきやぶれてつたしげれり。庭にはみるともおぼへぬちくさのみしげりて、「いとどふかくさのとやなりなむ」とえいぜし事を思ひて、「のとならばうづらとなりてなきをらむ」と、たれかいひけむと、あはれなり。ころはやよひのなかのむゆかの事なれば、春も既にくれなむとす。ひやくてんのみやのうぐひすの声も既においたり。やうばいたうりのいろいろもをりしりがをにさきたれども、えいぜし人も今はなし。やさんせんとうのみづのみなぎりをながむれば、しらなみをりかけて、しゑんはくをうせうえうす。きようぜし人のこひしさに、いとどあはれぞまさりける。なんろうのこむらには嵐のみをとづれて、夢をさます友となり、このまもるつきのそでにやどるも、なごりををしむかとおぼえたり。こずゑの花のおちのこりたりけるも、なほなごりありとみゆるに、などや父のなごりのなかるらむ。さて少将ばうをくへたちいりてみ給へば、「ここはつまどなりしかば、と
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こそいでたまひしか。かしこはやりどなりしかば、かうこそいりたまひしか」と、ひねもすになきくらして、しんでんののき近く、大納言のひさうして、てづからうへられたりしむめのもとにたちよりて、こしをおもひいでてぞえいじ給ける。
たうりものいはずはるいくばくかくれぬ。えんかあとなしむかしたれかすんじ。 K057
人はいさ心もしらずふるさとの花ぞ昔にかわらざりける K058
十六 さるほどに、「さいしやうのもとより、おんむかへにぎつしやまゐりたり」と申ければ、少将、判官入道いそぎどうしやして、ながえをきたへぞむけられける。さてもこぎいでにしいわうのしまの、たへがたく悲しかりける事、そうづのこしすてられてなげきかなしむらむ有様、われらがあらましのくまのまうでのしるしにや、ふたたび都へかへりのぼりぬる事のありがたさなむど、たがひにのたまひかはして、おのおの袖をぞしぼられける。はんぐわんにふだうまうしけ
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るは、「むかしめしつかひしげにん、ひがしやまさうりんじと申す処にさうらひき。いまだながらへてさうらはば、それにくさのいほりむすびて、今はいつかうごしやうぼだいのいとなみよりほかは、たじさうらふまじ。もししんによだう、うんごじなむどへごさんけいのついでには、必ずおんたづねさうらへ。しやうせうもよしづまりさうらひなば、常にはろくはらどのへも参り候べし。このみとせのあひだうかりししまの中にて、あさゆふひとところにてなれまひらせてさうらひしおんなごりこそ、いかならむよまでも、わすれまひらせ候べしともおぼへさうらはね」なむど申て、しちでうひがしのしゆしやくよりおりて、東山へとてぞゆきにける。判官入道はそれより東山へゆきけるが、とりてかへし、きたやまむらさきのの母のしゆくしよへぞまかりける。いちごふしよかんのみなりしかば、ぜんぜのきえんもあさからずこそ、たがひにおもひしられけれ。たんばのせうしやうは六波羅へおわしつきたれば、まづ宰相をはじめ奉て、よろこび給ふ事なのめならず。
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わがすみ給ひしかたへおわしてみ給へば、かけならべたりしみすも、たてならべたりしびやうぶまでも、はたらかず、昔のままなり。めのとの六条がくろかりしかみもしらみてみゆ。「ことはりや。物おもへばひとよの内にしろくなるなれば、ことしみとせがあひだ、わが事をひまなくなげきけるに、みどりなりしかみのしろくなりたるもことわりなり」とぞ思われける。「あしがらのみやうじんのたこくへわたらせたまひて、かへりいらせ給て、つまの明神をごらむじ給へば、しろくきよらかにこえてわたらせ給ひければ、わが御事をば思ひ給はざりけむとおぼしめして、『こひせずもありぬべし。こひせばやせもしぬべし』と、うたがわせ給て、かきけつやふにうせさせ給ひにけり」とつたへききたまふに、今少将、北方をみ奉るに、ものおもひたまひたりとおぼしくて、事のほかにやせをとろへてみへたまふ。「わがこと思ひわすれ給はざ
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りけり」とおもひやられて、「かのあしがらの明神のつまの神には、事のほかにさうゐし給へるものかな」と、いとどあはれにぞおもわれける。又げんじのだいしやうのすまあかしのうらづたひして、都がへりのありしのち、よもぎのもとにわけいりて、
たづねてもわれこそとはめみちもなくふかきよもぎのもとの心を K059
とよみたまひけむ事までも、少将わがみの上に思ひしられてあはれなり。ながされしとき、よつにてわかれにし若君をとなしくなつて、かみをひのび、かたのまわりうちすぎて、ゆふほどになりたり。あさゆふなげきさたする事なれば、なじかはわすれたまふべきなれば、父のいり給ふときき給ふ上、みわすれ給はざりけるにや、いつしかなつかしげにおぼして、少将のおんひざ近くゐより給へり。又みつばかりなるをさなき人の、北方のおんそばによりゐ給へり。少将、「あの人はたそ」ととひたまひければ、北方、「これこそは」とのたま
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ひけるよりほかは、又ものもえのたまわず、うちふしてなかれければ、そのときせうしやう、「わがいわうのしまへながされしとき、心ぐるしくみおきしが、うまれて人となりにけるよ」とぞ心えられける。これをみ、かれをみるにつけても、かなしさのみいとどふかくなりて、なぐさむかたもなかりけり。少将は、「いわうのしまにて、北方のなげきたまふらむ事、めのとのろくでうがかなしむらむ事、をさなき人々のこざかしくなりたるらむとおもひをこせて、心のひまのなかりし」とかたりてなきたまへば、北方は、「いまだみぬいわうのしまとかやも、いかがしてたづねゆかむずると、かなはぬ物ゆへ、あさゆふおもひやり奉りし心のうち、只おぼしめしやらせ給へ」とて、そのよはたがひになきぞあかされける。むかしもろこしにかんのめいていの時、りうしん、げんてうといひし二人の者、えいへい十五年に薬をとらむが為に、二人ながらてんだいさんへのぼりけるが、かへらむとするに
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みちをうしなひて、山の中にまよひしに、たにがはよりさかづきのながれいでしをみつけて、人のすみかのちかきことをこころえて、そのみなかみをたづねつつゆくこと、いくほどをへずして、ひとつのせんかにいれり。ろうかくちようでふとして、さうもくみなはるのけいきなり。しかしてのちにかへらむ事をのぞみしかば、せんにんいでてかへるべきみちををしふ。おのおのいそぎ山をいでて、おのれがさとをかへりみれば、人もすみかもことごとくありしにもあらずなりにけり。あさましくかなしくおぼえて、くはしくゆくへをたづぬれば、「われはむかし山にいりてうせにし人の、そのなごりしちせいのまごなり」とぞこたへける。少将こんどしゆくしよのあれにける有様、このをさなきひとどもの人となり給へるをみられけるこそ、かのせんかよりかへりけむ人のここちして、夢のやうにぞ思われける。少将、いつしかごしよへ参りて、君をもみたてまつらばやとおもはれけれども、おそれをなして、さうなくも参り給はず。法皇も御覧ぜばやとおぼしめされけれども、よにおんはばかりありて、めさるる
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事なかりけり。されどもつひにはめしつかはれて、宰相の中将までなられけるとぞきこへし。
十七 判官入道はしちでうがはらよりいとままうして、きたやまむらさきの、母のしゆくしよへゆきて、ありしすみかをみれば、やどはあれはてて人もなし。あまりのいぶせさに、となりのこやにたちよりて、げすをんなにこのことをとひければ、うちよりたちいでてこたへけるは、「さる人はこれにおわせしが、おんみをんるののちはそのことのみなげきたまひしほどに、こぞのふづきのすゑつかたしやめんときこえしかば、なのめならずよろこびて、いまやいまやとまちたまひしほどに、こぞもむなしくすぎぬ、ことしもすでに三月になるまでみへ給はねば、『嶋にて思ひにきえたまひけるか、道にて又いかなる事にもあひて、うせにけるやらむ』と、そぞろにおんなげきありしが、このつきのはじめつかた、かもに七日のごさんろうありき。おんげかうののちは、このおん思ひのつもりにや、常になやみたまひしが、しだいにやまひもだいじに
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なりて、むかしがたりとなりたまひて、けふいつかになる」とぞ申ける。やすよりこのことをききて、「中々なにしに都へのぼりける。よものかみほとけにも今一度母をみむとこそいのりしに、むなしき御事の悲しさよ」とて、そぞろに袖をぞしぼりける。そこをばなくなくいでて、ひがしやまさうりんじのきうせきにゆきて、つくづくとながめをりて、さよふくるままに、いとど心もすみければ。
ふるさとののきのいたまにこけむして思ひしよりももらぬつきかな K060
十八 しゆくわんそうづはこのひとびとにもすてられ、嶋のすもりとなりはてて、こととふひともなかりければ、いわうのしまにただひとりまどひありきけり。僧都のよにおわせし時、兄弟三人、をさなきよりめしつかふもの、あはたぐちのへんに有けり。たいけいは法師にてほつしようじのいちのあづかりにて有けり。次郎はかめわう、三郎はありわうまるとて、二人ながらだいどうじにてぞ有ける。かめわうまる、そうづのながされたまひし時、よどにおわしける所へたづねゆきて、「最後の
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おんとも、これがかぎりにて候へば、いづくまでも参り候べし」となくなくまうしたりければ、「まことにしゆうじゆうのはうけい、昔も今もあさからず。おほくものどもありしかども、よのなかにおそれてとひきたる者一人もなけれども、うらみとおもふべきにあらず。あまたの中にたづねきたりて、かくいふこころざしの程こそかへすがへすあはれなれ。ただしわれ一人にもかぎらず、たんばのせうしやう、はんぐわんにふだうなむども、人一人もしたがわずなむどこそきけ。みなさつまのくにいわうのしまとかやへ流さるべしときけば、命のあらむ事もかたし。みちの程にてもやはかなくならむずらむ。わがみの事はさてをきつ、都にのこりとどまる女房、をさなきものどものこころぐるしさ、おもふはかりなし。かのものどもにつきて、あさゆふのつゑはしらともなれ。われにつきたらむにつゆをとるまじ。とくとくかへれ」とのたまひける程に、せんじのおんつかひ、ろくはらのつかひ、「なにごとを申すわらはぞ」とあやしみたづねければ、おそろしさのあまりに、かめわうなくなく都へ帰りのぼりにけり。おなじき
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おととありわうまると申す童は、そうづにわかれ奉りてのちは、又みやづかふかたもなくて、あるいはおほはら、しづはら、さが、ほふりんのかたへまどひありきて、みねの花をつみ、たにの水をむすびて、山々寺々の仏に奉て、「わがしゆうに今一度あはせ給へ」と、なくなくいのりまうしけるが、「少将、判官入道、みやこがへりあり」とききて、「わがしゆうのゆくへいかになりたまひぬらむ」とおもふもかなしくて、少将のへんにたづねければ、「おんのぼりまでいわうのしまにそうづごばう渡らせたまひけるとこそうけたまはれ」と人申ければ、「さればいまだしにたまはずおわするにこそ。たれはぐくみ、たれあはれみ奉るらむ」とかなしくおぼえて、ふぼにもしられず、したしきものどもにもかくともいわず、只一人都をいでて、はるばるとまだしらぬさつまがたへぞくだりける。よどがはじりの程より、「いわうのしまへはいづちへまかるぞ」ととひ、足にまかせてぞくだりける。みちすがらあやしの者のあひたるにも、「わがしゆうもかくこそおわすら
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め」と思ひ、あるときはかいしやうにたよりをもとめ、ある時はさんせんにもまよふ時もあり。ひかずやうやうつもりければ、ひやくよにちばかりにかのしまへたどりつきにけり。いそぎ船よりおりてみれば、ひごろ都にてききしにはすぎて、おそろし悲し。たもなくはたけもなし。むらもなくさともなし。山のみねにもへのぼるけぶり、のざはにおちさかるいなづまの音、何事につけても、たえて有べきやうもなし。されどもしゆうのゆくへのかなしさに、おくさまにたづねゆくほどに、しまびととおぼしくてたまたまあへる者は、このどの人にもにず。きのかはをひたひにまきたる者、あかはだかにてたうさぎばかりかきたるが、たけ六七尺もやあるらむとおぼゆる者、二三人あひたりければ、いきながらめいどにたづねゆきたるここちして、いきて故郷へ帰るべしともおぼへず。さりながらも、「このしまにひととせほつしようじのしゆぎやうそうづのごばうとまうすひとの流されておわしまししは、
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いまだおわするか」ととひたりければ、ことわりやほつしようじのしゆぎやうそうづともいかでかしるべきなれば、こたふるにおよばず。かしらをふりて、みづからいふこともききわかず。「しらずしらず」とのみいひすててぞとほりける。さるにてもとおもひて、又あへる者に、「るにんとてありし人わ」とたづねけるに、そのたびは少し心えたりけるやらむ、「いさとよ、さる人みへしが、二人はすぎにしころ、都へとて帰りのぼりき。今一人はいづくともなくまどひありきしが、ゆくえをしらず」とぞこたへける。これをきくにいとどこころうしともおろかなり。もしやとて、はるかに山へぞたづねいりにける。山をこえすぎたれば、べうべうとあるのにいたる。のなかにまつ一本ありけるに、ひも既にくれにければ、こよひはここにあかさむとて、まつのもとへぞたちよりける。まつたかくしては、風たびびとの夢をやぶるとおぼえたり。けいろうの山もあけゆけば、とうこにとりはかへるとも、まなこにさえぎる物もなし。いちじゆのかげにやどるといふはことわりすぎ
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たり。われは都の者也、まつはさつまがた、のなかにあり。こよひこれにあかしつるこそ、いちじゆのかげのちぎりなれ。今はなれなむのち、いつか又かへりこむなれども、かくてあるべきならねば、いへどもこたへぬまつにいとまをこひて、又足にまかせてたづねゆくほどに、なみよせかくるみぎわへぞいでにける。このあひだはうちつづき空かきくらし、はげしかりけるが、けふはひもうららかになみかぜもやはらかなり。しほひがたをいづくをさすともなくはるかにたづねありきけれども、船も人もかよへるけしきも
みへぬあらいそなりければ、さとうにあとをきざむかもめ、おきのしらすにすだくはまちどりのほかは、あとふみつけたるかたちもなし。なほはるかにいそのかたをみわたせば、人か人にあらざるか、かげろうの如くなる者、あゆむやうにはしけれども、ひとところにのみみへけるを、「あやしや、なにやらむ」とおぼへ、おそろしながら、さすがにゆかしかりければ、かつうはものがたりにも
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せむとおもひて、近くよりてみれば、かみはそらさまにたちあがりて、さまざまのちりもくづとりつきたれども、うちはらへるけしきもなかりければ、をどろをいただけるが如し。いしやうは、けんぷともみへわかぬをこしのまはりにゆひあつめて、あらめといふ物をはさみ、さうのてにはなましきうをのちひさきをふたつみつにぎつて、はげうであゆむやうにはしけれども、あまりにちからなげにて、よろよろとして、すなにただひとところにゆるぎたちたる者一人あり。わらはおもひけるは、「かはゆの者の有様や。ひにん、こつがいの中にもいまだかかるさましたる者こそみざりつれ。このしまのひにんにてこそ有らめ。さてもわがしゆうのおんゆくえをたづぬれば、つみふかき御事にて、いきながらがきだうにばしおちたまひたるやらむ。がきじやうのくわほうこそ、かかるさまはしたるなれ」なむど、さまざまにおもふに、いとどかなしくて、かつうはあはれみかつうはさんげす。さるにてももしやしりたるとおもひて、「このしまへ
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三人ながされたまひし人、二人はゆりてのぼり給にき。いまひとり、ほつしようじのしゆぎやうごばうといふそうのおわするは、いづくにおわするぞ」と、かきくどきとひたりければ、そうづこれをみたまふに、「わがみよくおとろへはてにけり。されどもめもくれ心もかわらねば、わがめしつかひしわらはなり。童はしゆうをみわすれたり。しゆうは童はみわすれねば、我こそそなれといひたけれども、くわほうこそつたなく、かかるみにならめ、心さへかわりにけりと、童が思わむもはづかし。中にもなましきうををにぎり、こしにあらめをつけたる事も、あまりにはづかしくかなしくて、只しらぬやうにてすぎゆきなばや」と、ちたびももたび思へども、「このしまにて只のみやこびとのゆきあひたらむそら、うれしさはかぎりなかるべし。ましてこれはとしごろてうぼにめしつかひし童なり。なじかははづかしかるべき」とおもひかへして、てににぎりたるうををいそぎなげすてて、「あれはありわうまるか。いかにしてこれまでたづね
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きたるぞや。われこそしかなれ」となくなくのたまひて、たうれふし、あしずりをしてをめきさけびたまふに、童つやつやみしらざりけれども、「ありわうまるか」とよびたまふに、「さてはわがしゆうなりけり」とおもふより、おなじくたふれふして、こゑをあはせてともになく。二人ながら時をうつして、涙にむせびてたがひに物もいわず。ややひさしくありて、僧都をきあがりて、「さればよ、なにとしてたづねきたれるぞ。このことこそすこしもうつつともおぼえね。あけてもくれても、都の事をのみおもひゐたれば、こひしき者共はおもかげにたつときもあり、まぼろしにみゆる時もあり。みもかくよはりにしのちは、夢もうつつもさだかにおもひわかれず。さればなんぢがきたれるをも、只夢かとのみこそおぼえ、もしまたてんまはじゆんのわがこころをたぶらかさむとて、なんぢがかたちにへんじてきたれるかとまでおぼゆるぞ。もしこのこと夢ならば、さめてののちはいかがせむ」とて、又なかれければ、ありわうまる、「うつつにてさうらふぞ。おんこころやすく
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おぼしめされさうらへ」と申ければ、僧都少しこころおちゐて、童がてをとりくみて、またのたまひけるは、「此嶋はおほくのうみやまへだたりて、くもゐのよそなれば、おぼろけにては人のかよふ事もなし。されば都の事づても有がたし。少将、判官入道ありし程は、昔物語をもしてたがひになぐさみき。少将も入道もめしかへされて、わがみひとりのこりとどまる上は、いちにちへんしもたへてあるべしとは思わざりしが、かひなき命のながらへてありけるは、今一度汝をもみ、汝にもみゆべかりける故にこそありけれ。これほどのみの有様なれば、何事もおぼゆまじけれども、故郷にのこりとどまる者共の事、常におもひいでられて、わするる時、のひまもなければ、我にひとひとりしたがひつきたらば、とはまほしくこそおぼゆれ。心づよくもこのみとせはとはざりつるものかな」とうらみたまへば、童、涙をおさへて申けるは、「ぶもにも
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申さず、したしきものどもにもしらせさうらはで、ただひとり都をまかりいでて、はるかのうみやまをわけすぎ、かかるあさましきはいしよへたづねまいりぬるも、昔のおんすがたを今一度やみ奉るとて、はるばるとたづね参りたれども、今のおんすがたをみまひらせさうらふに、ひごろ都にてゆくへをおもひやりまひらせさうらひつるは、事のかずならざりけり。まのあたりおんありさまをみまひらせ候に、いのちいきておんみやづかへまうすべしともおぼへさうらわず。さればいかなるおんつみのむくひにてわたらせたまひけるぞや。さても都の御有様、こともおろかなる御事とおぼしめされさうらふかや。君のにしはつでうへめしこめられさせたまひしのちは、おんあたりの人々と申者をばとらへからめ、ほだしをうち、ろうひとやにこめられ、かえんをついふくし、やぼねをこぼちとられて、むほんの事をせめとはれ候しかば、あとかたも候はず、みなしよこくしちだうへおちうせさうらひぬ。女房もくらまの
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おくにをさなき人々ぐしまひらせて、しのびて渡らせたまひさうらひしが、あけてもくれてもおんなげきあさからずみへさせたまひし程に、おんなげきのつもりにや、なにとなくなやませたまひて、こぞの冬、つひにうせさせたまひさうらひにき。若君は、『父のわたらせ給所はいづくやらむ。いかなる所としらする人だにあらば、たづねまゐりてみまひらせむ』と、つねにはおほせのさうらひしを、ははごぜん、『あなかしこ、しらすな。しらせたらば、をさなき心にいづちともなくはしりいでたらむほどに、嶋へもたづねゆかず、是へもかへらず、みちにてうせむ事のかなしきに』とおほせのさうらひしかば、しらせまひらする人もさうらはざりしほどに、人のしあひさうらひし、もがさと申す事をわづらわせ給て、すぎにし五月にうせさせたまひにき。姫君ばかりこそいまだわたらせ給へ。ははごぜんにおくれまひらせさせ給て、のちには都のおんすまひもかなひさうらはず。ならのをばごぜんのおんもとにわたらせ給
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候。是へまかりくだりさまにならへ参て、『君のおんゆくえのかなしくおもひまひらせさうらふときに、嶋へたづねまゐり候。おんことづけや候』とまうしいれて候しかば、昔はいかでかただおんこゑをも承り候べきなれども、はし近くゐいでさせたまひて、『あはれ、女のみほど心うかりける物はあらじ。父のこひしさはたとへむかたはなけれどもをのこごのみならねば、かなわぬ事こそくちをしけれ。おほくの人の中に、をのれ一人しもたづねまひらむことのうれしさよ。けふよりのち、ぶつじんにまうでてはわがみのいのりをばまうすまじ。かまへてたひらかに参りつけと、汝がいのりをせむずるぞ。おのづからたひらかに参りつきたらば、是まひらせよ。よのかはりたるあはれさに、ふでのたてどもおぼへさぶらはず。あまりに涙がこぼれてなくなくかきてさぶらへば、もんじのかたちにてもさぶらわじなれば、あそばしにくくこそ渡らせ給わむずらめとまうせ』とこそおほせさうらひしか。『さつまのちにて、あやしきふみやもちたるとさがす』と、人のをど
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しさうらひしをそろしさに、おそれながらもとゆいの中へ、しこめてまゐりて候」とて、とりいだして奉りたりければ、僧都、姫君のふみをとりて、涙をおしのごひてみたまふに、もんじもあざやかにことばもをとなしくかきたり。そのことばにいはく、「そののちたよりすくなくなりはてて、おんゆくえをもしりまひらせさぶらはず。いかなるつみのむくひにて、三人流されさせ給たる人の、二人はゆるされてめしかへされたまふに、おんみひとりのこりとどまらせたまふことのかなしさよ。おんゆかりの人をばとらへからむるとまうししかば、をぢをそれて、今は都には一人もさぶらはず。さればくさのゆかりもかれはててあれば、いとほしと申者も候はず。きんだちもめしとらるべしときこへさぶらひしかば、ははごぜんはくらまのおくとかやにしのびて渡らせたまひしほどに、御事をのみあさゆふなげきまうさせ給しがつもりて、やまひにならせたまひたりしかば、せうとと二人、とかくなぐさめまうしし
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かども、ひにそへておもくのみなりて、つひにはかなくならせたまひさぶらひぬ。ははごぜんにをくれまひらせさぶらふは、われ一人の事ならず。そひはてぬよのうらめしさ、人ごとのならひと思なされさぶらへば、おのづからなぐさむかたもさぶらふ。父にいきながらわかれまひらせて、国々をへだてなみをわけ、さつまがたまではるばるとおもひやりまひらせさぶらふ、心のうちのかなしさ、只をしはからせ給べし。いきてのわかれ、しにてのかなしさ、せうとと二人、ひるはひねもすになきくらし、よるはよもすがらなきあかしさぶらひしほどに、せうとも人のしあひてさぶらひし、もがさといふ物をして、このはるうせさぶらひにき。なげきのほどただをしはからせたまひさぶらへ。こははごぜんの、『われしなば、いかにしてながらへてあらむずらむと思こそかなしけれ。おのづからのたよりには、ならのさとにをばといふ者のあるぞ。いかにもしてたづねゆけ』と、さいごの時におほせさぶらひしかば、たうじはならのをばのおんもとに
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さぶらふなり。などやこのみとせはありともなしともとはせ給はぬぞ。これにつけても女のみこそいまさらにくちをしけれ。をのこごのみなりせば、などかきかいかうらいとかやにおわすとも、たづねまひらざるべき。わらはをばたれにあづけ、いかになれとおぼしめすぞや。こひしともこひし、ゆかしともゆかし。とくとくして、いかにもしてのぼらせ給へ。あなかしこあなかしこ」と、うらがきはしがきまで、うすくこくさまざまにかき給へり。僧都、このふみをむねにあて、顔にあてて、かなしみたまふことかぎりなし。「このしまにはなたれてことしはみとせにこそなれ。姫君も今年は十二になるとこそおぼゆるに、今はをとなしくこそ有べきに、なほをさなかりける物かな。この心ばえにては、いかでか人にもみへ、みやづかへをもして、みをもたすくべき。『とくしてのぼれ』とは何事ぞ。うちまかせたるゐなかくだりとこそおぼへたれ。心にまかせたる道ならば、などか今
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までのぼらざるべき。はかなの者のかきやうや」とて、おんあいのならひのかなしさは、わがみの上をさしおきて、娘の事をいひつづけて、いまさらに又なかれけるこそむざんなれ。わらはこれをみて、「はるかにおもひやり奉りけるは、事のかずならざりけり。中々よしなくくだりにける物かな。かばかりむざんの事こそなけれ」とぞおもひける。そうづまたのたまひけるは、「このしまにのこしすてられにしのちは、かたときたへてあるべしとも思はざりしに、つゆの命きえやらで、けふまでながらへてありつる事こそ、不思議なれ。なんぢ一人をみたるをもつて、都の人を皆みたるここちす。我はかかるざいにんなれば、いふにおよばず。今はとくとくかへりのぼりね。『人一人もつかざりしに、京よりひとわたりてあつかひはべるなり』ときこへなば、まさるとがにもぞあたる」と宣へば、童つまはじきをはたはたとして、「あなうたてのみこころや。それほどのおんみの有様にても、なほよの
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をそろしくおぼしめされさうらふか。又おんいのちのをしくわたらせたまひさうらふか。はたらかせ給へばとて、うるはしき人のおんかたちとおぼしめされさうらふか。ただなましきがいこつのはたらかせたまふにてこそわたらせたまふめれ」と申ければ、僧都これをききたまひて、「こころざしのせつなる汝さへ、このしまにてくちはてむ事のかなしさのあまりにこそ、かくもいへ」と宣へば、童涙をおしのごひて、「ふぼしんるいにもしらせず、命を君に奉り、みをばだいかいにしづめむとおもひきりて、参りさうらひし上は、都にてひとたびすてさうらひぬる命を、嶋にてふたたびおもひかへすにもおよびさうらはず」と申せば、僧都、「いざさらばわがすみかみせむ」とて、童をぐしておわしたり。まつの四五本いはにたうれかかりたるをたよりにて、おのづからうちよせられたるたけのはし、あしをぎていの物をひろひわたりて、よろづのもくづ、このはをとりかけたれば、あめかぜたまるべしともみへず。きやうわらはべのいぬの
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いへとてつくりたるよりも、なほめもあてられず。僧都一人うちへいり給へば、こしよりしもはそとにありければ、童うちへいるにおよばず。「あなうたてや。ふるきうたものがたりにこそ、はにふのこやといふ事はあれ。はにふをもつてしまはしたるいへをば、はにふのこやと申。又は、『はんにふす』とかきては、『はにふのこや』とよまるなり。『半にふす』が『はにふのこや』ならば、是や『はにふのこや』なるらむ」。かたはらなる木にかくぞかきつけられたる。「みせばやなあわれとおもふ人やあると只ひとりすむあしのとまやを K061」と。かきのからなむどにてかきつけられたるにやとをぼしくて、さすがにただよひたるやふにぞかきたりける。昔はだいがらんのじむしよくとして、はちじふよかしよのしやうむつかさどり給へりしかば、きやうごくのごばう、しらかはのごばう、ししのたにのさんざうまで、ちりもつけじとつくりみがかれて、むねかど、ひらかどのうちに、二三百人のしよじゆう、けんぞく
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にいねうせられてこそすごしたまひしか。さればかかるおんすまひにても、このみとせはおわしけるかやと、いまさらにかなしくぞおもひける。ごふにさまざまあり。じゆんげん、じゆんしやう、じゆんご、じゆんふせんごふといへり。そうづいちごのあひだ、みにもちゐる所は、だいがらんのじもつぶつもつにあらずといふことなし。さればかのしんぜむざんのつみにをいては、こんじやうにかんとくせられけるかとおぼえたり。かかるおもひのうちなれども、僧都のれうにとて、くわしていの物、ちりばかりづつもちたりけるをとりいだしてすすめければ、けふくひてあすくうべき物にてもなし、あすくひて又つぎのひくうべきにてもなければ、いそぎてくわざりけり。童がもちて渡る志のせつなればとて、くひけれども、くひわすれてひさしくなれば、きみの程もおぼへざりけり。童、「いかにして、これほどの御有様にては、今までながらへて渡らせ給けるぞ
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やと申せば、「ひととせながされし人のうち、たんばのせうしやうのもとへ、しうとのかどわきの宰相のもとより、一年に二度、船を渡されしなり。春渡すはあきふゆのいしよくのため、秋わたすはかへる年のはるなつのいしよくのためとわたししを、少将心ばへよき人にて、一人のいしやうを、あたらしきをばわれき、ふるきをば二人の者にきせ、一人があひせつをもつては三人のあひせつにあてなむどして、はぐくみし程は、さすが人のかたちにて有つるが、少将、はんぐわんにふだうかへりのぼりてのちは、おのづから事のはのついでにも、『あはれ、いとほし』とこととふひともなければ、かひなき命のをしきままに、みのちからのありし程は、このやまのみねにのぼりていわうといふ物をとりて、くこくのちへかよふあきびとの船のつきたるにとらせて、ひをおくりき。みの力よはりをとろへてのちは、山へのぼるべくもなければ、のざはにいでてはねぜりをつみ、ものうきわらびををりて、さびしさをなぐさむ。はまにいでてはなみにうちよ
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せられたるあらめをひろひ、つりするあまにひざをかがめ、てをあはせてうををこひてしよくじにして、けふまでは命をつぎつるなり。このしまのありさまは、をろをろみもしつらむ。いきてかひなきさまなれども、かかる所にもすめばすまるるならひにてありけるぞ。月のかけ、月のみつをもてひとふたつきとおぼえたり。花のちり、はのおつるをもつてはるあきをしる也。そのうつりかわる有様をかぞふれば、としのみとせをおくりにけり。我はかくよはりつかれたれば、今いくばくをかかぎるべき。おのれさへこのしまにてきへなむ事こそ、いとつみふかけれ」と宣ければ、「これまでたづねまゐる程にては、いくとせをすごしさうらふともそのうらみさうらふまじ。いかにもなりはてさせ給はむずる、最後の御有様をみはてまゐらせ候べし」とて、僧都の前後に有ければ、僧都にをしえられて、山のみねにのぼりていわうをとりて、あきびとの舟のよりたるに是をあきな
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ひ、とかくはぐくみてあかしくらしける程に、「今いくかをかかぎるらむ」と宣けれども、ひごろのつかれたちなをらず、あくる年の正月十日ごろよりやまひつきたまひにけり。童はかたときもたちはなれず、さまざまにくわんびやうして、夏もすぎ秋にもなりて、八月十日ごろにもなりにければ、今はかぎりにぞみへられける。童申けるは、「都へ帰りのぼり給はぬ事、ほいなしなむどおぼしめすべからず。こんじやうをゑどのはてとおぼしめして、御心づよくひとすぢにじやうどをねがひたまへ」と、ぜんぢしきして、ねんぶつすすめ奉りなむどしける程に、同十三日とらのこくに、つひにうせられにけり。わらはただひとりいとなみて、まつのかれえだ、あしのかれはをきりををい、よりくるもくづにつみこめて、たくものけぶりとたぐえてけり。だぜうことをはりにければ、はかなむどかたのごとくして、はくこつをくびにかけて、なくなく都へのぼりけり。こけの下にも都へと、なごりやをしく思わるらむ、び
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ぜんのくにしもつゐといふところよりくだり、あるやまでらにしばらくとうりうして、かしらををろし、すみぞめの袖になりて、ならの姫君のもとへゆく。「嶋にすずりも紙もさうらはざりしかば、おんぺんじにはおよびさうらはず」とて、僧都のゆいごんなむどこまかにかたりければ、姫君てんにあふぎちにふして、をめきさけばれける有様、さこそは悲しかりけめ。「おんしやりをもをがませまゐらせさうらふべくさうらへども、おなじことにて候へば、これよりかうやさんにのぼりて、おくのゐんにをさめ奉り候べし」と申て、やがてかうやへのぼり、ごべうの御前にをさめてけり。そののちてらでらしゆぎやうして、しゆうのごせをぞとぶらひける。しゆうじゆうのはうけい、誠に昔も今もそのよしみあさからぬ事なれども、ありわうまるがこころざしはためしすくなくぞおぼへし。みめかたち心ざままでも、よきわらはにてぞ有ける。姫君は父のりんじゆうのありさまききたまひて、をばのもとをしのびいでて、かうやへもたづねお
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わして、父のこつをさめたる所をもをがみたくおぼしめしけれども、によにんののぼらぬ所なればとて、かうやのふもと、あまののべつしよといふ所にて、さまかへられにけり。のちにはしんごんのぎやうじやとなりて、父のごしやうぼだいをいのりたまひけるこそあはれなれ。わらははしゆぎやうしありきけるが、しゆうのこつもこひしくて、かうやさんへたちかへり、みなみのゐんにれんあみだぶつとまうされて、仏にくわかうを奉り、しゆうのごせをぞとぶらひける。山門の大衆なほしづまらずして、いよいよさうどうすときこへければ、だうしゆらをざいくわにおこなはるべきよし、しよきやうはからひまうされければ、
せんじをくださる。そのじやうにいはく、
ぢしよう三年六月廿五日 せんじさだいじんさせうべん
えいさんのだうしゆら、ちよくせいにはばからず、ざすのせいしにかかはらず、みだりがはしく
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らうるいをなして、いつさんをめつばうせむとほつす。よつてまづくわんぐんをさしつかはして、さんがしやうおよびきぢゆうのところどころをついきやくせしむべし。ただしよかはむどうじとうにこもりすむともがらにおいては、おなじくかのともがらにおほせて、さかもとわうへんのみちをしゆごして、せめおとすべし。かねてはまたらくやうににげかくるるともがらは、よろしくけんびゐしをしてからめまゐらすべし。しよこくににげうつらんにいたりては、さいりにおほせて、そのみをめししんじ、このつぎはうせをはんぬ
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十九 六月十四日、つじかぜをびたたしくふきて、じんをくおほくてんだうす。風はなかのみかど、きやうごくのへんよりおこりて、ひつじさるのかたへふきもてゆくに、むねかどひらかどなむどをふきぬきて、しごちやう、じつちやうもてゆきて、なげすてなむどしける上は、けた、うつばり、なげし、むなぎなむどこくうにさんざいして、あしこここにおちけるに、じんばろくちく多くうちころされにけり。ただしやをくのはそんずるのみにあらず、命をうしなふ者多し。そのほかしざいざふぐ、しつちんまんぽうのちりうせし事、かずをしらず。このこと、ただことにあらずぞみへし。すなはちみうらあり。「百日の内にたいさう、はくいのくわいい、てんしだいじんのおんつつしみなり。なかんづく、ろくをおもんずるおとどのつつしみ、べつしてはてんがのおほきなるふらん、ぶつぽふわうぼふともにほろび、ひやうがくあひつづきて、ききんえきれいのきざす所となり」と、じんぎくわん、おんやうれうともにうらなひまうしけり。
廿 八月一日、こまつのないだいじんしげもりこうこうじたまひぬ。おんとし四十三にぞなられける。
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五十にだにもみち給はず、よはさかりとみへたまひつるに、くちをしかりける事也。「このおとどうせられぬる事は、ひとへに平家の運命つきぬる故也。そのうへよの為、人の為、必ずあしかるべし。入道のさしもよこがみをやぶらるる事をも、このおとどのなをしなだめられつればこそ、よもおだしくてすぎつるに、こはあさましきことかな」とぞなげきあへる。さきのうだいしやうのかたさまのものどもは、「よはだいしやうどのにつたはりなむず」とて、よろこびあへるともがらもあり。
廿一 内大臣、ことしのなつくまのさんけいのことありき。ほんぐうしようじやうでんのおんまへにてけいびやくせられけるは、「ちちしやうこくぜんもん、あくぎやくぶたうにして、ややもすれば君をもなやませ奉る。重盛、ちやうしとしてしきりにいさめをくはふといへども、みふせうにして、かれもつてふくようせず。そのふるまひをみるに、いちごのえいぐわなほ
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あやふし。しえふれんぞくしてしんをあらはしなをあげむ事かたし。この時にあたりて、重盛いやしくも思へり。なましひにへつらひてよとふちんせむ事、あへてりやうしんかうしのほふにあらず。しかじ、只なをのがれみをしりぞきて、こんじやうのめいばうをなげうてて、らいせのぼだいをもとめむには。ただしぼんぶのはくぢ、ぜひにまよへる故に、なほこころざしをほしいままにせず。ねがはくはごんげんこんがうどうじ、しそんのはんえいたえずして、君につかへててうていにまじはるべくは、入道のあくしんをやはらげて、てんがのあんせんをえしめ給へ。もしえいえういちごをかぎりて、こうこんのはぢにおよぶべくは、重盛がこんじやうの運命をちぢめて、らいせのくりんをたすけたまへ。りやうかのぐぐわん、ひとへにみやうじよをあふぐ」と、かんたんをくだきてきねんせられける時、内大臣のおんくびの程より、おほきなるとうろうの光のやうなる物が、はとたちあがつてはきへ、たびたびしけり。おんともびとのかずかずにはみず。ある
さぶらひひとり是をみて、「是はいかなるごせんさうぞや。よきおんことやらむ、あしきおんことやら
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む」とおもひけれども、おそれをなして、人にはかたらざりけり。おとどのうせたまひてのちにこそ、「さる事ありき」とも申けれ。今度のくまのさんけいにごしそく二人ともせられたり。ちやくしこれもり、じなんすけもり、げかうにかかり給ふ。いはだがはにて二人のごしそくたちのじやうえのいろ、ぢゆうぶくにかへりて、かはなみにぞうつりたる。くじのいつぴつをはくらくてんのしやくし給けるは、「かうひめぐみあれば、子孫おほきなるよろこびあり。子孫かうひあれば、てんちかどをひらく」といふ。内大臣の、「よをいとひこんじやうをうちすててごせをたすけさせ給へ」とまうされけるをば、ぶつじんよろこび給て、かねてしめし給ひけるとおぼえたり。げんだいふのはんぐわんすゑさだこれをみとがめて、「きんだちめされさうらふおんじやうえいかにとやらむ。いまわしくみへさせたまひさうらふ。めしかへられ候べし」と申ければ、内大臣是をみたまひて、うちなみだぐみて、「重盛がしよぐわん既に
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じやうじゆしにけるこそあむなれ。あへてそのじやうえ、きかふべからず」とて、べつしてよろこびのほうへいありて、やがてその浄衣にて、くろめまでき給ひけり、さなきだにいはだがはは渡るにあはれをもよほすに、なみに涙をあらそひて、重盛袖をぞしぼり給ふ。人々あやしとは思へども、その心をえざりけり。しかるにほどなくこのきんだちまことのすみぞめのたもとにうつりたまひけるをみたてまつりけるにこそ、さればよとおぼしめししられて、いとあはれにぞおもひあへる。さてげかうののち、六月十三日、おんかたたがへのごかうあり。こまつのないだいじんのちやくし、ごんのすけぜうしやうこれもり、みつなのすけのてんじやうびとにて、ぐぶせらるべきにていでたちたまひたり。内大臣是をみ給て、「わがこながらも人にすぐれてみゆるものかな。されどもしやうじかいのならひなれば、かかるこにもそひはてで、近くはなれなむ事こそかなしけれ。権現のしめしたまひし事、只今にのぞめり。これが最後のはてにてこそあら
むず
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らめ。よくよくみむ」とて、「しばらくこれへいらせ給へ。申べき事あり」とおほせられければ、少将いりたまふ。女房にはいしやくせさせて、さけをすすめ給ふ。さだよしをまねきよせてささやき給ければ、さだよしみうちにいりて、あかぢのにしきの袋につつみたるたちひとふりとりいだす。少将の前にさしおきて、「おんさかなにまゐらせ候。今一度」とすすめ給へば、少将うれしげにおぼして、さんどして袋をあけてみ給へば、だいじんのしにたまひてさうそうする時、そのちやくしにておわする人のはきて、最後のともしたまふなる、むもんのたちといふものなり。少将いまはしげにおぼして、さだよしがかたをうらめしげにみ給ふ。内大臣、「あれは貞能がとりたがひたるにはさうらはず。重盛がこころざしまゐらせてさうらふなり。そのゆゑは、今日しゆつしのぐぶの人々多くさうらふらめども、ごへんほどの人すくなくこそ候らめ。かたはらいたきまうしごとにてさうらへども、わがこにておわしませば
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にやらむ、人にすぐれて、いみじくみへ給ふ。それにとりて、らうせうふぢやうにして、さだめなきうきよのならひ、いのるともかなふまじ。さればいみじとおもひたてまつるごへんにも、そひはてぬ事も有ぬべし。おなじくわかれば、重盛さきだちて、このたちをはき、けうやうをし給へかしと思ふ間、なんのひきでものよりもめでたきたちにてさうらふぞ。おやをさきだつる人のこ、けうやうをいたさむと思ふこころざしふかし。しんめいぶつだもごかごあり。おやのこりとどまりてこをさきだつるは、この為ふけうのつみ深し。さればおいたるわかきさだめなくて、ごへんさきだちたまはば、重盛がのこりとどまりて思はむ事の悲しければ、わがみさきだちて、ごへんにけうやうせられ奉り、ぶつじんさんぼうのごかごにあづかり、いよいよけうやうのこころざし深くおはしませと思ふ間、おんひきでものにまゐらせさうらふなり」とて、うちえみ給ければ、少将は今のやうにおぼへて涙うかび給けれども、この上は子細をまうすにおよばず、あさましながらとりたまひにけり。
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そののちはさしもやとおもひたまひけるに、内大臣におくれたまひて、さうそうのとき、このたちをとりいだしてはき給ひ、最後のおんともし給けるにこそ、ありし時おほせられしことどもおもひつづけて、涙にくれておぼへけれ。おんかたたがへのぎやうがうは六月十三日なり。おなじき七月廿五日に、内大臣のおんくびにあしきかさいでにければ、「これおもひまうけたりつる事なり」とて、れうぢもきせいもし給はず。いつかうごしやうぼだいのつとめよりほかはたじなかりけり。だいじやうにふだう、にゐどのはをりふしふくはらにおわしけるが、このことをききたまひておほきにおどろきて、とるものもとりあへず、京へのぼりたまひて、「なべてのいしなむどのれうぢすまじき事とだいふはおもふらむ」とて、ひごのかみさだよしをつかひにて、だいふのもとへいひつかはされたりけるは、「ごしよらうのよしうけたまはる。いちぢやうならばかへすがへすなげきぞんず。いかにさやうのしゆもつをばいそぎれうぢもせられずさうらふなるぞ。おやにさきだつこをば
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ふけうにおなじとこそ申せ。入道既に六十いうよ也。この有様をばいかでか御覧じはてざるべき。おいたるふぼをのこしおきたまひて、物をおもはせさせ給はむ事は、かつうはつみ深かるべし。ただしをりふしごみやうがとおぼゆる事は、そうてうよりすぐれたるめいいほんてうへわたりて、しのびて京へのぼるなるが、つのくにいまづにつきてさうらふよしを承れば、いそぎめしつかはしさうらひぬ。かのいしとまうすは、いれうのみちにたづさはりて、はるかにしんのうくわだのきうせきをつぎ、ぢほうのげふをつたへて、とほくぎばへんじやくがせんじようをおふ。ゆゑにさんだいのいへにちやうじて、はやくじふぜんのしんじゆつをきはめ、つねにいつてんのきみにつかへて、もつぱらしかいのめいよをほしいままににするものなり。すみやかにたいめんしてことにいれうをくはへしめ給へ」と、いひつかはされたりければ、だいふびやうしやうにふしたまひたりけるが、入道のおんつかひとききたまひておそれられけるにや、いそぎをきあがりて、えぼし、なほしただしくして、さだよしに
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むかひたまひて、へんじにまうされけるは、「いれうの事うけたまはりさうらひぬ。ただし今度のしよらうはかたがたぞんずるむねさうらふあひだ、いれうをくはへずさうらふ。よつていまさらにたいめんつかまつるにおよばず。その故は、むかしかんのかうそ、わいなんのけむふをせめし時、ながれやかうそにあたる。既にいのちかぎりになりたまひければ、りよたいこうといふきさき、りやういをむかへてみせしむるに、いしのいはく、『れうぢしつべし。ただし五百きんのこがねをたまはるべし』とまうす。かうそのたまはく、『ちん三尺のつるぎをひつさげててんがをとる、これてんめいなり。めいはすなはちてんにあり。われかううとかつせんをいたす事、はつかねんの間に七十よかど也。されどもてんめいのあるほどは、一度もきずをかうぶらず。いまてんめいちにおちて、既にきずをかうぶれり。しかればめいいとしてきずをばいやすとも、めいをいやすべからず。へんじやくといふともなんのえきかあらむ。まつたくこがねををしみていふにあらず』とて、すなはち五百きんのこがねをばいしにたまはりながら、きずをば
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なほさずして、つひにうせたまひにけり。せんげんみみにあり、いまもつてかんじんとす。ちかくほんてうにおいては、さんでうのゐんのおんとき、てんやくのかみまさただといふいしありき。いやしがたきやまひをいやし、いきがたき命をいきしかば、時の人、『やくしによらいのけしんか。はたまたぎばがさいたんか』とうたがふ。みは本朝にゐながら、なをたうてうにほどこしけり。そのころいこくのきさき、あくさうをわづらふ事としひさし。時に異国のめいいら、いじゆつをきはめ、れうぢをいたすといへども、かうげんなかりしかば、まさただをわたさるべきよし、異国のてふじやうあり。ほんてうきたいのしようしたるによつて、くぎやうせんぎどどにおよぶ。『およそだいこくのしやうにあづかる事、本朝のちんじ、まさただがめんぼくなり。しかりといへども、とたうはまつたくしかるべからず。それいれうにかうげんなくは、ほんてうのちじよくなり。いれうにとくげんあらば、だいこくのいだう、このときにながくたえぬべし。なかんづくたこくの后しなむ事、本朝のため、何のくるしみか
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有べき』と、そちのみんぶきやうつねのぶのきやうのいけんにさだめ申されければ、もつともとて渡さるまじきになりにけり。そのときがうちゆうなごんまさふさのきやう、ださいのごんのそつにてさいふにしぢゆうのあひだ、せんぎあるによつて、じやうらんにおよばずして、わたくしにへんたふあるべきよし、おほせくだされければ、まさふさてふしにいはく、さうぎよいまだほうちのなみをたつせず、へんじやくあにかくりんのくもにいらんや。とかきて、わたされにけり。およそこのでう、わかんりやうてうのかんたんありけるとかや。ただしむかしにんとくてんわうのだいしのみこ、はんぜいてんわうほうぎよののち、いんぎようてんわういまだわうじにておはしましし時、ひさしくあつききずをなやみたまひけるを、ぐんしんあながちにすすめまうすによつて、ごそくゐありけり。ほんてうのいし、じゆつつきにければ、そののち御使をしんらこくへつかはして、かの国のいしをむかへてごなうをぢせさせお
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はしましけるに、ほどなくいへにければ、ことにこれをしやうせさせましまして、かへしおくられにけり。これすなはち本朝第一のふかく、いてうぶへいのてうろうなり。かのためしをききおよびて、異国よりもてんやくのかみまさただをもわたさるべきよし、あながちにまうしおくられけるときこへしかども、がうちゆうなごんのはからひまうさるるむね、さうなかりければ、わたされずしてやみにけり。しかるにいまいやしくもきうけいにれつし、さんこうにのぼれり。そのうんめいをはかるにもつててんしんにあり。なんぞてんしんをさつせずして、おろかにいれうをいたはしくせんや。いはむやしよらうもしぢやうごふたらば、れうぢをくはふともえきなからむ。しよらうもしひごふならば、ちれうをくはへずともたすかる事をうべし。かのぎばがいじゆつおよばずして、しやくそんねはんをとなへたまひき。これすなはちぢやうごふのやまひをいやさざる事をしめさむがためなり。ぢするはぶつたい也。れうするはぎばなり。ぢやうごふなほいれうにたらざるむね、既にあきらけし。しかれば
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重盛がみ、ぶつたいにあらず。めいいまたぎばにおよぶべからず。たとひしぶのしよをかがみて、はくれうにちやうずといふとも、いかでかうだいのえしんをくれうせむや。たとひごきやうのせつをつまびらかにして、しゆびやうをいやすとも、あにぜんぜのごふびやうをぢせむや。もしまたかのぢじゆつによつてぞんめいせば、本朝のいだうなきににたり。もしまたかうげんなくは、めんえつにしよせんなかるべし。なかんづく、しげもりさんたいのすうはんにきよして、もつぱらばんだいのまつりごとをたすけ、ぎよすいのけいやくをむすびて、まさにてうおんのなみをうく。ほんてうていしんのげさうをもつて、びやうしやうにふしながら、いてうふいうのらいかくにまみえむ事、かつうは国のちじよくなり、かつうはみちのりようち也。たとひ命をばうずるにおよぶとも、いかでか国のはぢをばかへりみざるべき。そのことゆめゆめ有べからず候」とのたまひける上は、入道ちからおよびたまはず。このおとどほうげんへいぢりやうどのかつせんには命をすててふせきたたかひ
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たまひしかども、てんめいのおわする程は、やにもあたらず、つるぎにもかかり給はず。されどもうんめいかぎりあることなれば、八月ひとひのひとらのときに、りんじゆうしやうねんにして、うせ給ひぬるこそあはれなれ。中にもきたのかたのおんなげきつきせずぞおぼえし。このきたのかたとまうすは、かまたりのおとどのまご、さんぎじやうざんゐふささきのだいしやうよりは十一代のばつえふ、さんぎしゆりのだいぶいへやすのきやうのちやくなん、うゑもんのかみいへなりのきやうのおんむすめ、こなかのみかどのしんだいなごんなりちかのきやうのおんいもうとなり。あひすみたまひてのち、としひさし。きんだちあまたおわします。いづれもありつきたまひたれば、心やすき御事にてすごし給けるに、このなげきいつわするべしともおぼへず。さんやのひづめ、がうかいのいろくづは、みなるてんのあひだのぶも、ことごとくしやうじの程のしんぞく也。されども、てんちの間にはふうふのなさけむつまじく、うちうの中にはなんによのこころざし深し。とうきむ之ちぎりはなさけわたりたしやうに、いつちんのかたらひはむつびありなうこうに。しかるに
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ぎよくがんまなこをとぢて、くちにふたたびものいふことなし。しんこんみをさりて、いへにさらにかへることなし。せんえんのしようらは、いつたんのすさみにいろをへんじ、ばんぜいのかうたむはきうせんのながれにそでをくたす。つばめふたつはねをならぶるをみるにつけても、いよいよばうふのかなしみをまし、とりのしいうはやしをかけるをあひみても、つねにながすぐわふのなみだを。かうきうのむかしは、せんしゆんかほをならべて、なんゑんのはなをもてあそび、べつりのいまは、きうやにかばねをうづめて、ほくばうのかすみにまよふ。つれづれのあまりにふんぼにまゐれば、しようふうあふぎてこえひとこゑ、こじんのこゑはおともせず。かなしみかなしむできうをくにかへれば、れいしうしたつてなみだせんかう、いうれいのかたちはみえず。しよくぢよはなほしたなばたのよるをまちては、たのむべしいさむべし。きよがんはまたさんやうのはるをきすれば、みつべしもてあそびつべし。ただしにんがいのしやうは、ひとたびわかれてのち、ふたたびあはず。たいゆれいのむめかすみにしぼみ、きんこくゑんのさくらの
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風にちり、をばすて山のあけぼの、あかしのうらのなみの上だにも、なごりはをしき物ぞかし。ましてとしごろすみなれたまひしおんなごり、おしはかられてあはれなり。
(廿二) そもそもこのおとどのくまのさんけいのゆらいをたづぬれば、ゆめゆゑとぞきこへし。さんぬる三月三日よの夢に、おとどみしまと思はしきれいげんしよへまうでたまへば、まうづれば右、げかうすればひだりてに、ほふしのくびをきりて、くろがねのくさりをもつてしはうへつなぎたり。おとどゆめごころに、「不思議のことかな。かやうのしやうじんのところに、かかるせつしやうなむどはあるまじきかなむどおもひたれば」とおぼしめして、やしろのかたへまうでたまへば、いくわんただしき人々おほくなみゐたまへるにまうでて、「そもそもこれはいかなる人のくびさうらふぞ」ととひたてまつりたまひければ、「これは、みなもとのよりともがこのごぜんにて、せんにちがあひだなげきまうしし事があまりにふびんなれば、なんぢがちちだいじやうにふだうじやうかいがくびをきりてつなぎたぞ」とおほせらるとおぼしめせば、うちおどろきて夢さめぬ。ここにげんだいふのはんぐわんすゑ
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さだ、おんまへちかく参て申けるは、「何事にてさうらふやらむ。かねやすが上にまうしいるべき子細の候とて参て候」と申ければ、おとどききたまひて、「あはれ、せのをはこのゆめをみたるごさむなれ」とおぼしめして、「何事にてあるやらむ」とて、おほくちばかりにてつといでたまへば、せのをおんみみにささやきて、「今かかる夢をみて候」と、だいふの御覧じたる夢にいちじもたがはず申たりければ、さればこそとおぼしめして、「こは不思議かな。されば平家のよははやすゑにのぞめるにこそ。さても命ながらへて、みだりがはしきよをみむ事もくちをしかるべし。今はごせぼだいのいとなみのほかはたじやはあるべき」とて、くまのさんけいの為に、同四月廿八日よりしやうじんはじめて、第五日と申す日、みはげの下に、夢にみられしやうなる法師のなまかうべあり。かうしをたてたれば、いぬくひておくべきやうなし。空よりとりのくひておとすべきはうもな
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し。これすなはちれいいなりとて、今二日のしやうじんをまたずして、同五月二日しんぱつして、ゆやさんごさんけいはありしなり。
(廿三) そうじてこのおとどは、わがてうのしんめいぶつだにざいをなげたまふのみにあらず、いてうの仏法にもきし奉られけり。さんぬるぢしようにねんのはるのころ、ちくぜんのかみさだよしをめしていひあはせられけるは、「重盛ぞんじやうのとき、わがてうにおもひである程のだうたふをもたて、だいぜんをもしゆしおかばやとおもふが、入道のえいぐわいちごの程とみへたり。しかれば一門のえいえうつきて、たうけほろびなむのちは、たちまちにさんやのちりとならむ事の、かねておもひやられて、悲しければ、だいこくにていちぜんをもしゆしおきたらば、重盛たかいののちまでもたいてんあらじとおぼゆる也。さだよしにつたうしてはからひさたつかまつれ」と宣ひける。をりふし、はかたのめうでんと申けるせんどうののぼりたりけるをめして、うちのおとどのしりたまひけるあうしうきせのこほりより、ねん
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ぐにのぼりたるこがねを二千三百両、めうでんにたまはりてのたまひけるは、「このこがねひやくりやうをば汝にあたふ。二千二百両をばたいたうに渡して、二百両をば、しやうじんのおんしやりのおわします、いわうさんのそうとにあたへて、ちやうらうぜんじのうけとりをとりまゐらすべし。のこり二千両をばだいわうにたてまつりて、かのてらへくうでんをよせてたまはるべしとそうせよ」とて、じやうをかきてめうでんにたまはりけり。めうでんこがねをたまはりて、いそぎにつたうして、このよしをだいわうにそうしておくりぶみを奉る。だいわうかのじやうをえいらんあり。そのじやうにいはく、
せにふしたてまつる ねんらいきえのれいざういつぷ
じひつてうしやいちぶじつくわんほつけめうでん
為もいしよくこんしわうごんせんくは
それもつてでし、すなはちぶんだんいわうのせんざに、じちゐきすいせいのくんようをうく。
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ここにやうやくかもんそういうのうてなにむつび、さいれいすでにふり、しやうがいのなげきねんぼをすぐ。すべからくいへをしてばんしやうのすをなげうち、たうてうのこころみをかふべし。とうせんとしをかさねてさうしんをおそひ、ほふえつをさまたぐ。いかりひをかさねてじもす。よがなましひなるむちゆうのゆめ、じやうごのおもひしきりにもよほす。これによつて、あるいはいろにまどひてしんくのしらうをあて、あるいはせいしのたんぜいをつたへむがために、えつがうしよぢのぶつきやうをいわうさんじやうにせにふし、けふちよういつくわのせんきんをいてうのざかになげたてまつる、いかに。ぶみんけんぐにして、ふけむさぼりて、ばくたいのしぞうとぼしきににたり。つひによがしうきよくのぎをさつし、てうそうのそをおこすことなきのみ。このびばうによりて、なはえいたいに、きようたんのおもひはかりはらいめいのかたちにのこさむてへり。でしけいするところくだんのごとし。
ぢしよう三年しぐわつぴ につぽんごくたいしやうぐんたひらのあつそんしげもり
とぞかきたりける。だいわうずいきにたへず、「につぽんのしんかとしてわがくににこころざしのふかきこと
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へし」とて、かのてらのくわこちやうにかきいれ、今にいたるまで、「だいにつぽんごくぶしうてんしゆたひらのしげもりしんざ」と、まいにちによまれたまふなるこそゆゆしけれ。まことのけんしんにておはしつる人の、まつだいにさうおうせで、とくうせたまひぬる事こそ悲しけれ。さても入道のなげきまうすもおろかなり。誠にさこそはおぼしけめ。おやのこをおもふならひ、おろかなるだにも悲し。いはむやたうけのとうりやう、たうせのけんじんにておはせしかば、おんあいのわかれといひ、いへのすいびといひ、かなしみてもあまりあり。されば入道は、「だいふがうせぬるはひとへにうん
めいの末になりぬるにこそ」とて、よろづあぢきなく、いかでも有なむとぞ思ひなられにけり。およそこのおとどぶんしやううるはしくして、心にちゆうをそんし、さいげいただしくして、ことばにとくをかねたり。されば、よにはりやうしんうせぬる事をうれへ、いへにはぶりやくのすたれぬる事をなげく。心あらむ人、たれかさたんせざらむ。「かのたうの
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たいそうぶんくわうていはいてうのけんわうなり。とくごていにこへ、めいさんくわうに同じ。さればたうげうぐしゆん、かのう、いんのたう、しうのぶんぶ、かんのぶんけい也といへども、皆をよばざるところなり」と。またまうさく、「ぎようにじふさんねん、とくのまつりごとせんばんたん、くんしんふしのみち、このときてんがにさかりなり。しかいはちえんのほかまでも、とくくわにきせずといふことなし。おんとし五十三と申す。ぢやうぐわん廿三年五月廿六日、がふふうでんにしてほうじ給ふ。かかるけんくんにておはしませど、てんめいのかぎりある事をさとり給はずして、おんいのちををしみたまひけるにや、てんぢくのぼんそうにあわせたまひて、しきりにれうやうをくはへ給ふ。れいさう、ひせき、しんやくとしてぶくしたまふといへども、じんさんつひにくづれき。みらいにつたはる所、たいそうのいつしつ」とぞまうす。つらつらいてうしやうこのめいわうのえいねんをうけたまはるにも、ほんてうまつだいのりやうしんのかしこさははるかになほすぐれたり。
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(廿四) 十一月七日のさるのこくにはみなみかぜにわかにふきゐで、へきてんたちまちにくもれり。ばんにん皆あやしみをなす処に、しやうぐんづかめいどうする事、いつときの内にさんべん也。ごきしちだうことごとくきもをつぶし、みみをおどろかさずといふ事なし。のちにきこへけるは、しよどのめいどうはらくちゆうきうまんよかに皆きこゆ。第二のめいどうはやまと、やましろ、いづみ、かはち、つのくに、なにはのうらまできこへけり。第三のめいどうは六十六かこくに皆きこへざる所さらになし。むかしよりどどのめいどうそのかずおほしといへども、いつときに三度のめいどう、これぞはじめなりける。「東はあうしうのはて、西はちんぜいくこくまでめいどうしける事もせんれいまれなり」とぞ、ときのひと申ける。おびたたしなども申せばなかなかおろかなり。どうにちのいぬのときにはたつみのかたよりぢしんして、いぬゐのかたへさしてゆく。これもはじめには事もなのめ
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なりけるが、しだいにつよくゆりければ、山はくづれてたにをうめ、きしはやぶれてみづをたたへたり。たうじや、ばうじや、せんずい、こだち、ついぢ、はたいた、くわうきよまで、あんをんなるはひとつもなし。さんやのきぎす、やごゑのとり、きせんじやうげのなんによ皆、「上を下にうちかへさむずるやらん」と心うし。やまがはをつるたきつせに、さをさしわづらふいかだしの、のりもさだめぬここちして、ややひさしくぞゆられける。八日さうたんにおんやうのかみやすちか、ゐんのごしよへはせまゐりて申けるは、「さんぬるよのいぬのときのだいぢしん、せんもんなのめならずおもくみえさうらふ。じぎのいへをいでて、もつぱらいつてんのきみにつかへたてまつり、ふうえふのふみにたづさはりて、さらにきつきようのみちをうらなひしよりこのかた、これほどのしようしさうらはず」とそうしければ、ほふわうおほせの有けるは、「てんべんちえう常の事なり。しかれどもこんどのぢしんあながちにやすちかがさわぎまうすはことなるかんもんのあるか」とおんたづねありければ、やすちかかさねてそうし
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まうしていはく、「たうだうさんききやうのそのひとつ、こんききやうのせつをあんじさうらふに、『年をえて年をいでず、月をえて月をいでず、日をえて日をいでず、時をえて時をいでず』とまうしさうらふに、これは、『日をえてひをいでず』とみえたるせんもんにて候。ぶつぽふわうぼふともにかたぶき、よは只今にうせさうらひなむず。こはいかがつかまつりさうらはむずる。もつてのほかのくわきふにみえさうらふぞや」とまうして、やがてはらはらとなきければ、てんそうの人もあさましくおもひけり。君もえいりよをおどろかしおはします。くげにもゐんぢゆうにもおんいのりどもはじめおこなはれけり。されども君もしんも、さしもやはとおぼしめしけり。わかきてんじやうびとなむどは、「けしからぬおんやうのかみがなきやうかな。さしもなにごとかはあるべき」なむどまうしあわれけるほどに、
(廿五) 十四日、たいしやうこくぜんもん、すせんのぐんびやうをあひぐして福原よりのぼりたまふとて、きやうぢゆうなにととききわきたる事はなけれども、いかなる事のあらむずるやらむとて、たかきも
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いやしきもさわぎける程に、入道てうかをうらみたてまつるべきよし、ひろうをなす。じやうげのばんにん、こはいかにとあきれまどへり。くわんばくどのもないないきこしめさるることやありけむ。ごさんだいあつて、「にふだうしやうこくじゆらくの事は、ひとへにもとふさをほろぼすべきけつこうとうけたまはりさうらふ。いかなるめをかみさうらはむずらむ」とて、よにおんこころぼそげにそうせさせ給へば、しゆしやうももつてのほかにえいりよをおどろかさせおはします。「おとどのいかなるめをもみられむは、ひとへにまろがみのうへにてこそあらめ」とて、御涙ぐませたまふぞかたじけなき。誠にてんがのまつりごとは、しゆしやうせつろくのおんぱからひにてこそあるべきに、たとひそのぎこそなからめ、いかにしつる事共ぞや。てんせうだいじん、かすがのだいみやうじんのしんりよもはかりがたし。
廿六 十五日、入道てうかをうらみたてまつるべきよしひつぢやうときこえければ、法皇、じやうけんほふいんをもつて、おんつかひとして、入道のもとへおほせつかはされけるは、「およそきんねんてうていしづ
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かならずして、人の心ととのほらず。せけんらくきよせぬ有様になりゆくこと、そうべつにつけてなげきおぼしめさるといへども、さてそこにおわすれば、ばんじたのみおぼしめされてこそあるに、てんがをしづむるまでこそなからめ、事にふれてがうがうなるていにて、あまつさへまたまろをうらむべしときこゆるはいかに。こはなにごとぞ。人のちゆうげんか。このでうはなはだをんびんならず。いかやうなる子細にて、さやふにはおもふなるぞ」とおほせつかはさる。ほふいんゐんぜんをうけたまはりてわたられけり。入道いであはれざりければ、入道のさぶらひ、げんだいふのはんぐわんすゑさだをもつて、ゐんぜんのおもむきをいひいれて、おんぺんじをあひまたれけれども、ゆふべにおよぶまでぶいんなりければ、さればこそとむやくにおぼえて、すゑさだをもつてまかりかへりぬるよしをいひいれられたりければ、しそくさひやうゑのかみとももりをもつて、「院宣かしこまりてうけたまはりさうらひぬ。じこんいごは入道にをいては、ゐんぢゆうのみやづかへはおもひとどまりさうらひ
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ぬ」とばかりいわれけるが、さすが入道いかがおもはれけむ、法印のかへられけるをみたまひて、「ややほふいんごばう、まうすべき事あり」とのたまひて、ちゆうもんのらうにいであひてのたまひけるは、「まづこだいふがみまかりさうらひぬる事、ただおんあいのわかれのかなしきのみにあらず、たうけの運命をはかるに、入道ずいぶんにひるいをおさへてまかりすぎ。けふともあすともしらぬおいの波にのぞみて、かかるなげきにあひ候心のうちをば、いかばかりとかはおぼしめされさうらふ。されども、法皇いささかもおぼしめししりたるおんけしきにて候はぬ由、もれうけたまはり候。かつうはごへんの御心にもごすいさつさうらへ。ほうげんいごはらんげきうちつづきて、君やすき御心もおわしまし候はざりしに、入道はただおほかたをとりおこなふばかりにてこそさうらひしか。だいふこそまさしくてをくだし、みをくだきたる者にては候へ。さればばんしにいりていつしやうをえたる事もたびたびなりき。そのほかりんじのおんだいじ、あさ
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ゆふのせいむにいたるまで、君のおんためにちゆうをいたす事、だいふほどのこうしんはありがたくこそ候らめ。ここをもつて昔をおもひあはせさうらふに、かのたうのたいそうはぎちようにをくれて、かなしみのあまりに、『昔のいんそうはりやうひつをゆめのうちにえ今のちんはけんしんをさめてののちにうしなふ』といふ、ひのもんをてづからかきて、べうにたててこそかなしみたまひけれ。びんをきりてくすりにあぶり、きずをすすぎてちをくらふは、くんしんのとく也。まぢかくはまさしくみさうらひし事ぞかし。あきよりのみんぶきやうせいきよしたりしをば、こゐんことにおんなげきあつて、はちまんごかうえんいんし、ぎよいうをとどめられき。たださだのさいしやうけつこくのとき、これもことさらにおんなげきふかかりしかば、たださだつたへうけたまはりて、おいのなみだをもよほしき。すべてしんかのそつする事をば、だいだいの君、みなおんなげきある事にて候ぞかし。さればこそ、『父よりもなつかしながらおそろしく、母よりもむつまじくしておそろしきは、きみと
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しんとのなか』とはまうしさうらへ。それにだいふがちゆういんに、はちまんへごかうあり。ぎよいうありし上、とばどのにてごくわいありき。おんなげきのいろ、いちじもこれをみず。かつうはひとめこそはづかしくさうらひしか。たとひ入道がなげきをあはれませおはしまさずといふとも、などかだいふがちゆうをおぼしめしわするべき。まただいふがちゆうをおぼしめしわするるおんことなりとも、などか入道がなげきをばあはれませおわしまさざるべき。ふしともにえいりよにかなはざりけむ事、今においてはめんぼくをうしなふ、これひとつ。つぎに、中納言のけつのさうらひしに、にゐのちゆうじやうどののごしよまうさうらひしを、入道さいさんとりまうしさうらひしに、ごしよういんなくて、せつしやうどのの御子、三位の中将をなし奉られさうらひし事はいかに。たとひ入道ひきよをまうしおこなひさうらふとも、一度はなどかきこしめしいれられ候はざるべき。まうさむや、けちやくといひ、ゐかいといひ、かたがたりうんさうにおよびさうらはざりしを、ひきかへられまひらせさうらひし事は、
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ずいぶんほいなきおんぱからひかなとこそぞんじさうらひしか、これふたつ。つぎに、ゑちぜんのくにを重盛にたまはりさうらひし時は、ししそんぞんまでとこそごやくそくさうらひしに、しにはつればめしかへされ候事、何のくわたいに候ぞ、これみつ。つぎに、きんじゆの人々、みなもつてこのいちもんをほろぼすべきよしをはからひさうらひけり。これわたくしのはからひにあらず。ごきよようありけるによつてなり。ことあたらしきまうしごとには候へども、たとひいかなるあやまりさうらふとも、いかでかしちだいまではおぼしめしすてられさうらふべき。それに入道すでにしつしゆんにおよびて、よめいいくばくならぬいちごのうちにだにも、ややもすればうしなはれたてまつるべきおんはかりことでさうらふ。まうしさうらはむや、しそんあひつぎて、いちにちへんしめしつかわれむ事かたし。およそはおいてこをうしなふは、こぼくのえだなきにてこそ候へ。だいふにをくるるをもつて、運命の末にのぞめる事、おもひしられさうらひぬ。てんきのおもむきあらはなり。たとひいかやうなる奉公をいたすとも、えいりよにおうぜむ
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事、よもさうらはじ。このうへはいくばくならぬおいのみの心をつひやして、なにとはしさうらふべきなれば、とてもかくてもさうらひなむと、思ひなりてさうらふなり」なむど、かつうはふくりふし、かつうはらくるいして、かきくどきかたられければ、ほふいんあはれにもをそろしくもおぼえて、あせみづになられにけり。「そのときはたれびとなりとも、いちごんのへんじにもおよびがたかりし事ぞかし。そのうへわがみもきんじゆのみ也。なりちかのきやういげはかりしことどもは、まさしくみききし事なれば、わがみもそのにんじゆとやおもひけがさるらむなれば、ただいまもめしこめらるる事もやあらむずらむ」と、しんぢゆうにはとかくあんじつづけられけるに、りようのひげをなで、とらのををふむここちせられけれども、法印もさる人にて、さわがぬていにてこたへられけるは、「誠にどどのごほうこうあさからず、いつたんうらみまうさせおわします、そのいはれさうらふ。ただしくわんゐといひ、ほうろくといひ、おんみにとりてはことごとくまんぞくす。これすでにくんこうの
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ばくたいなる事をかんじおぼしめすゆゑとこそみえてさうらへ。しかるをきんしんことをはかり、きみごきよようありなむどいふことは、ひとへにぼうしんのきようがいとおぼえさうらふ。みみをしんじてめをうたがふはしよくのへいなり。せうじんのふげんをしんじて、てうおんたにことなる君をうらみたてまつりましまさむ事、みやうけんにつけてそのはばかりすくなからず。およそてんしんはさうさうとしてはかりがたし。えいりよさだめてそのよしさうらふらむか。しもとしてかみにさかふらむ事は、あにじんしんのれいたらむや。よくよくごしゆいさうらふべし。ふせうのみにてごへんぽうにおよびさうらふでう、そのおそれすくなからずさうらへども、これはかみにおんあやまりなき事を、あしざまにまうすひとのさうらひけるをちんじひらきて、ごうつねんをしやし候べく候。ぢやうぐわんせいえうのうらがきにまうして候ぞかし。『せんげんすめりといへどもうよくながれをにごす』とて、せんきゆうよりいでたるかは、せんやくなるが故に、かりうをくむもの、いのち必ずちやうめいなり。ただしそのかはのちゆうげんにかくるるやまどり、
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そのながれをあぶる時、水たちまちにへんじてどくとなれり。そのやうに、法皇のめいとくはせんすいたりといへども、とりまうすものかりうをにごして、あしざまに入道殿に申て候とおぼえさうらふ。ゆめゆめおんうらみあるまじき御事にて候也。そのはちまんぐうのごかうはあはれなる御事にてこそさうらひしか。そのゆゑは、『あへなくも重盛におくれぬる事、まろひとりがなげきのみにあらず。しんかけいしやうたれかなげきとせざらむや。きんうにしにてんじて、いつてんにくもくらく、じやふうしきりにたたかつて、しかいしづかならず』とごぢやうさうらひて、にちにちややのおんなげき、今にいまだあさからず。『りんじゆういかがありけむ』とおんたづねさうらひしかば、あるひと、『そのびやうげんはよの常のしよらうにてはさうらはざりき。くまのごんげんにまうしうけてたまはるあくさうにてさうらひけるあひだ、かさのならひ、りんじゆうしやうねんみだれず、にうがつしやうの花うるはしくして、じふねんしようみやうの声たへず、さんぞんらいかうのくもたなびきて、くほんれんだいにわうじやうすとこそみへて
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さうらひしか』とまうしてさうらひしかば、りようがんにおんなみだをながさせたまふのみならず、きゆうちゆうみなそでをしぼられさうらひき。たうじまでもをりにしたがひ事にふれては、おんなげきのいろところせくこそみへさせたまひさうらへ。さて院のおほせには、『それこそなにごとよりもなげきの中のよろこびよ。しんかんにめいじてうらやましき物は、ただわうじやうごくらくのそくわい也。まろもくまのに参詣していのりまうしたけれども、みちの程はるかなり。同じさいはうのみだにておはしませば、はちまんぐうに参詣して申さばやとおぼしめすなり。かつうはだいふのため、まいにちにきねんするねんぶつどきやうのゑかうも、しやうじやうのれいちにしてこそかねをもならさめ』とて、なぬかのごさんろうさうらひき。これすなはちだいふのいうぎのとくだつ、たいしやうこくのごめんぼく、何事かこれにすぎさうらふべき。さればごちゆういんはてさうらひなば、いそぎごゐんざんさうらひて、かしこまりをこそ申させ給はざらめ。ごゐこん
にやおよぶ
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べき。せんたうのみづきよけれどもうよくながれをにごすと申すたとへすこしもたがひさうらはず」とまうされければ、入道たちはらの人のならひ、心まことにあさくして、袖かきあはせてさめざめとぞなきたまひける。「次にりんじのまつりのおんことは、これまたりゆうろうほうけつのごきたうにてはさうらはざりき。そのゆゑは、すぎさうらひしころ、はちまんぐうにくわいいしきりにしめしさうらひけるを、べつたうおほきにをそれて、ごほふをくだしまひらせてさうらひけるに、ごたくせんのさうらひけるは、
『はるかぜに花の都はちりぬべしさかきのえだのかざしなくては K062
きないきんごくやみとなりて、きうみんはくれいさんやにまよふべし』とおほせさうらひけるを、ほふわうおほきにおどろきおぼしめして、もろもろのしんかけいしやうそくさいえんめい、らくちゆうじやうげ、ごきしちだう、こくどあんをん、てんがたいへいのために、さんにちさんがやのごきたうなり。これまたきでんのごきたうにあらずや。こだいふはだいこくまできこへおはしまししけんしん
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なり。されば常には『こくどあんをんにんみんけらく』といのらせたまひし事なれば、くさのかげにても、小松殿さこそよろこびましましけめ。このうへなほなほごふしんさうらはば、はちまんのべつたうにおんたづねさうらふべし。次にゑちぜんのくにをめされさうらひけむ事はいまだうけたまはりおよばずさうらふ。きみもいまだしろしめさざるにや。いそぎそうもんつかまつりて、もししさいさうらはば、おつてまうすべくさうらふ。次ににゐのちゆうじやうどののごしよまうの事は、入道殿のごしそんにても渡らせ給はず、そのうへくわんばくどののおんぱからひをばたれかなげきまうすべき。たとひ又一度はきみのおんあやまりわたらせたまふとも、しんもつてしんたらずとまうすほんもんもさうらふぞかし。せんじさうらふところ只こざかしきまうしじやうにては候へども、おつてごそうもんあるべくさうらふ。今はいとままうして」とてたちたまひにけり。入道たからかに、「院宣の御使也。おのおのみなれいぎつかまつるべし」とのたまひければ、八十よにんさうらひける人々、いちどうに皆にはにおりてもんそうす。ほふいんいとさ
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わがぬていにて、ゆんづゑみつゑばかりあゆみいでて、たちかへり深くけいくつす。ややひさしくたちむかひておはしけるあひだ、「さのみはおそれさうらふ」とて、八十よにん皆えんのきわにたちかへる時、法印あゆみいでられにけり。びびしくぞみへたりける。あるほんもんにいはく、「くんわうくにををさめ、ちゆうしんきみをたすく。ふねよくさををのせ、さをよくふねをやる」といへり。このことおもひあはせられてあはれなり。「じやうけんほふいんちゆうしんとして、よく君をたすけ奉り給ひぬる事にこそしんべうなれ」とて、くちぐちに皆かんじあへり。ひごのかみさだよしこれをみて、「あなおそろししや。入道殿のあれ程にいかりたまひてのたまはむには、われらならば、ゐんのごしよにあること、なきこと、ことよしごと、まうしちらしていでなまし。すこしもさわがぬけいきにて、へんじうちしてたたるることよ」と、すゑさだいげのものども是をききて、「さればこそ、ゐんぢゆうに人々そのかずおほしといへども、そのなかにそうなれども
えらばれて、おんつかひにもたつらめ」と
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とぞおのおのまうしける。ころは十一月じふごやの事也。ほふいんはにしはつでうのなんもんよりいでたまへば、めいげつの光はひがしやまのみね、まつのこのまよりぞいであひたまひける。法印の胸のうちなるぶつしやうのつきは、さんずんのしたのはしにあらはれて、入道殿のしんぢゆうのやみをてらし、ちゆうとうさんごのよはのつきは、ひかりめいめいとして、法印のきしやのぜんごをかかやかす。心のつきもくまもなく、ふけゆくそらのかうげつの光もあきらかなり。法印車にのりてければ、うしかひいそぎ車をやらむとす。法印のたまひけるは、「車しばらくをさへよ。やいんのありきはろしのらうぜきなり。むかへのものどもをまつべし」とて、したすだれかかげたり。明月の光はものみよりぞさしいりける。法印のかほあいあいあとしてきよげなり。きんせうのつきのくまなきに、きうしをおもひいでて、
ゑはずはきんちゆうにいかでかさりえん、ばゐさんのつきまさにさうさうたり。 K063
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たれのひとかれうぐはいにひさしくせいじうし、いづれのところのていしよにあらたにべつりせん。 K064
とえいじはてざるところに、むかへのものどもいできたり。「たれたれまゐりたるぞ」とたづぬれば、こんがうざゑもんとしゆき、りきしひやうゑとしむね、からすぐろなる馬にしろぶくりんのくらおきて、ぎよりようのひたたれの下にいとひをどしのはらまき、つきの光にえいじて、かつぽのたまをみがけるが如し。いちやしや、りゆうやしやとて、だいのわらはのみめよきが、しげめゆひのひたたれにきくとぢして、したはらまきにそやおひたり。じやうげのはずにつのいれたる、しげどうの弓をぞもちたりける。ほふしばらには、こんりき、じやういち、じやうまん、こんどう、たもん、かくいち、やしやもんほふし、げそう七人参たり。これらも皆くろかはをどしのはらまきに、てぼこ、なぎなた、たちなむどさげたり。このじやうけんほふいんは、ないてんげてんのがくしやう、ぜひふんみやうのさいじんなり。ゐんうちのおんけしきは、しよしんかたをならぶる人なし。ばんにんのぎやうそうする事は、しその中には
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たぐひなし。きら誠にしんべうにして、じゆうるい多く人にすぐれたり。めしつかふほどの者はみな、じふにさんさいのこわらはべ、ほふしばらにいたるまでも、のうも
かしこく、ちからもつよかりけり。中にもこんがうざゑもん、りきしひやうゑのじようは、よにきこへたるだいぢからとぞきこへし。さてもほふいんきさんして、太政入道のおんぺんじのやう、くはしくそうせられければ、誠に入道のうらみまうす所いちじとしてひがことなく、だうりしごくしておぼしめされければ、法皇さらにおほせられやりたる御事もなくして、「こはいかがせむずる。なほなほも法印こしらへてみよ」とぞおほせごとありける。
廿七 十六日、入道てうかをうらみたてまつるべきよしきこへけれども、さしもの事やはあるべきとおぼしめされけるほどに、くわんばくどののごしそく、ちゆうなごんもろいへをはじめたてまつりて、だいじやうだいじんもろながこう、あんぜつのだいなごんすけかたいげのけいしやううんかく、じやうげのほく
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めんのともがらにいたるまで、つがふ四十二人、くわんをとどめておひこめらる。そのうち、さんぎくわうごうぐうのごんのだいぶくらんどのとうけんうこんゑのかみ、ふぢはらのみつよしのきやう、おほくらきやううきやうのだいぶいよのかみ、たかはしのやすつねのあつそん、くらんどのさせうべんけんごんのだいしん、ふぢはらのもとちかのあつそん、いじやうさんくわんさんしよくともにとどめらる。あぜちのだいなごんすけかたのきやう、ちゆうなごんのちゆうじやうもろいへのきやう、うこんゑのごんのせうしやうけんさぬきのごんのかみすけときのあつそん、くわうだいこうくうのごんのせうしんけんびつちゆうのかみ、ふぢはらのみつのりのあつそん、いじやうにくわんをとどめらる。そのなかにくわんばくどのをばださいのそつにうつして、つくしへ流し奉られけるこそあさましけれ。「かかるうきよには、とてもかくてもありなむ」とおぼしめしける上、おんいのちさへあやうくきこへければ、とばのふるかはといふところにて、おほはらのほんがくしやうにんをめして、おんぐしをろさせたまひにけり。おんとし三十五、よのなかさかりとこそおぼしめされけれ。「れいぎよくしろしめして、
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くもりなきかがみにてわたらせたまひける物を」と、よのをしみたてまつることなのめならず。出家の上はいつとうをだにもげんぜらるる事なれば、はじめはひうがのくにときこへしかども、しゆつけのひとはもとさだまりたる国へはおもむかぬ事なれば、びぜんのくにゆばさまといふ所にぞとどめ奉りける。大臣るざいのれいをたづぬるに、そがのさだいじんあかえこう、うだいじんとよなりこう、さだいじんかねなこう、すがはらの大臣いまのきたののてんじんの御事也、左大臣かうめいこう、ないだいじんいしうこうにいたるまで、そのれい既に六人なりといへども、ちゆうじんこう、せうぜんこうよりこのかた、せつしやうくわんばくのるざいせられたまふこと、是ぞはじめなりける。こなかどのもとざねこうのおんこ、にゐのちゆうじやうどのもとみちこうとまうすは、今のこんゑのにふだうてんがの御事也。そのとき大政入道のおんむこにておわしけるを、一度にないだいじんくわんばくになし奉るときこゆ。ゑんゆうのゐんのぎよう、てんろく三年十一月一
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日、いちでうのせつしやうこれまさこうけんとくこう、おんとし四十九にてにはかにうせさせたまひたりしかば、おんおととのほりかはのくわんばくかねみちちゆうぎこう、じゆにゐのちゆうなごんにて渡らせたまひけるが、大納言をへずして、おんおととのほごゐんの入道殿、だいなごんのだいしやうにて渡らせ給けるが、さきにこえられさせたまひけるを、こえかへし奉て、ないだいじんじやうにゐにあがらせたまひて、ないらんのせんじをかうぶらせおわしましたりしをこそ、時の人めをおどろかしたるごしようじんとまうししに、これはそれにもなほてうくわせり。ひさんぎにて、にゐのちゆうじやうよりさいしやうだいなごんだいしやうをへずして、だいじんくわんばくになりたまへるれい、これやはじめなるらむ。さればだいげき、たいうのし、しゆひつのさいしやうにいたるまで、皆あきれたるていなり。おほかたたかきもいやしきも、ぜひにまよはぬは一人もなかりけり。きよきよねんの夏、なりちかのきやうふし、しゆんくわんそうづ、ほくめんのげらふどもが事にあひしをこそ、あさましと君もおぼしめし、人もおもひしに、
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是はいまひときはの事なり。されば、「是はなにごとゆゑぞ。おぼつかなし。この関白にならせ給へるにゐの中将殿の、中納言になりたまふべきにてありけるを、さきの関白殿のおんこ、さんゐのちゆうじやうもろいへとて八才になりたまへりしが、そばよりおしちがへてなり〔給〕へる故」とぞ申けれども、「さしもやは有べき。さらば関白殿ばかりこそ、かやうのとがにもあたり給はめ。四十よにんまでの人の、事にあふべしや。いかさまにもやうあるべし」とぞ、まうしあへりける。てんまげだうの、入道のみにいれかはりにけるよとぞみへける。人の夢にみけるは、さぬきのゐんごかうありけるに、おんともにはうぢのさのをとど、ためよしにふだうなどさうらふなり。院の御所へじゆぎよあらむとて、まづためよしをいれられてみせられければ、いそぎまかりいでて、「この御所にはおんおこなひひまなく候也。そのうへ只今もおんぎやうぼふのほどにて候」と申ければ、「さては
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かなはじ」とてくわんぎよあるに、ためよし申けるは、「ささうらはば、清盛がもとへいらせ給へ」と申ければ、それへごかうなりけると、みたりけるとかや。さればにや、君をもあしくおもひまひらせ、しんをもなやまし給らむ。まことにこの夢おもひあはせらるる、入道のしんぢゆう也。ただしおんともにうぢのさのをとどのさうらひたまはむには、太政大臣うきおんめを御覧ぜさせ給べしや。心にいれかわり給はんにも、この御事ばかりをばよきやうにこそ、入道もはからはれむずれ。こればかりぞ心えがたき。人はたかきもいやしきも、しんは有べき事なり。法皇は常にごしやうじんにておんおこなひひまなきによつて、あくまもおそれを奉けり。入道はわかくしてはしんもありて、ほうげんのかつせんの時も、「あさひにむかひてはいくさせじ」とたてられたりけるが、そののちはあまりにてうおんにほこりて、しんもかき給へり。とみてをごらざる者なしといふ事は、この入道のありさまにてぞ有べ
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きと、今こそおもひあはせけれ。およそは人のいたりてさかへて心のままなるも、そのまごたえはてぬべきずいさうなりと心えて、よくよくつつしむべき事なり。あぜちのだいなごんすけかたのきやう、おなじくしそくさせうしやうすけとき、おなじくまごせうしやうまさかた、いじやう三人をばきやうぢゆうをおひいださるべきよし、とうだいなごんさねくにのきやうをしやうけいとして、はかせのはんぐわんなかはらののりさだをめしてせんげせらる。いづくをさだむともなく、都のほかへおはれけるこそかなしけれ。ちゆううのたびとぞおぼえける。くわんにんきたりておひければ、おそろしさのあまりに、物をだにものたまひをかず、まごこひきぐしていそぎいでたまふ。きたのかたよりはじめて、にようばう、さぶらひ、おめきさけぶ事おびたたし。三人涙にくれたまひて、ゆくさきもみへねども、そのよなかにここのへのうちをまぎれいでて、やへたつくものほかへぞおもひたたれける。にししゆしやくより西をさして、おほえやま、いくののみちをへつつ、たんばのくに
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むらくもといふ所にしばらくやすらひ給けるが、のちにはしなののくににおちとどまりたまふとぞきこへし。このきやうはいまやう、らうえいのじやうずにて、院のきんじゆ、たうじのちようしんにておわせしかば、法皇もしよじないげなくおほせあはせられけるあひだ、入道ことにあたまれけるにや。
廿八 だいじやうだいじんはおなじき十七日都をいでたまひて、をはりのくにへながされたまふとぞきこへし。このおとどはさんぬるほうげんぐわんねん七月、ちちうぢのあくさふの事にあひたまひし時、中納言の中将と申て、おんとし十九歳にて、同八月とさのくにへながされたまひたりしが、おんあにのうだいしやうたかながのあつそんは、ききやうをまたず、はいしよにてうせたまひにき。これは九年をへて、ちやうぐわん二年六月廿七日、めしかへされたまひて、おなじき十月十三日、ほんゐに、ふして、えいまんぐわんねん八月十七日、じやうにゐにじよせらる。にんあんぐわんねん十一月五日、さきのちゆうなごんよりごんだいなごんにうつり給ふ。をりふし大納言あかざりければ、かずのほかにぞ
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くははりたまひける。大納言の六人になる事、これよりはじまれり。またさきのちゆうなごんより大納言にうつる事、ごやましなのおとどさんしゆこう、うぢのだいなごんたかくにのほかは、せんれいまれなりとぞきこへし。くわんげんのみちにたつして、さいげいひとにすぐれて、君もしんもおもくし奉りたまひしかば、しだいのしようじんとどこほらず、ほどなく大政大臣にあがらせ給へりしに、「いかなるぜんぜのごしゆくごふにて、又かかるうきめにあひたまふらむ」とぞ申ける。ほうげんの昔はさいかいとさのくににうつり、ぢしようの今はとうくわんをはりのくにへおもむき給ふ。もとよりつみなくしてはいしよのつきをみむといふ事は、こころあるきわの人のねがふ事なれば、おとどあへて事ともし給はず。十六日のあかつきがた、やましなまでいだし奉る。同十七日の朝、あかつきふかくいでたまへば、あふさかやまにつもる雪、よものこずゑもしろくして、ありあけのつきほのかなり。あいゑん空にをとづ
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れて、いうしざんげつにゆきけむかんこくのせき、おもひいでらる。むかしえんぎだいしのみやせみまるの、びはをだんじわかをえいじて、嵐の風をしのぎつつすみたまひけむわらやの、心ぼそくうちすぎて、うちでのはま、あはづのはら、いまだ夜なればみへわかず。そもそもてんちてんわうのぎよう、やまとのくにあすかのをかもとのみやより、たうごくしがのこほりにうつりて、おほつのみやをつくられたりけりときくにも、このほどはくわうきよのあとぞかしとあはれなり。あけぼのの空になりゆけば、せたのからはし渡る程に、みづうみはるかにあらはれて、かのまんぜいしやみがひらの山にゐて、「こぎゆくふね」とながめけむ、あとのしらなみあはれなり。のぢのしゆくにもかかりぬれば、かれのの草における露、ひかげにとけて、たびごろもかはくまもなくしほれつつ、しのはらとうざいへみわたせば、はるかに長きつつみあり。北にはきやうじんすみかをしめ、南にちすい遠くすめり。はるかにむかへの岸の水、くがにはみどり
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深きまつ、はくはの色にうつりつつ、なんざんのかげをひたさねども、あをくしてくわうやうたり。すざきにさわぐをしがもの、あしでをかきけるここちして、都をいづるたびびとのこのしゆくにのみとどまりしが、うちすぐるのみ多くして、いへゐもまれになりゆけり。これをみるにつけても、「かわりゆくよのならひ、あすかのかはのふちせにもかぎらざりき」とあはれなり。かがみのしゆくにもつきぬれば、「むかしおきなのたまひあはせて、『おいやしぬる』とながめしも、このやまの事なりや」と、かりたくは思へども、むさでらにとどまりぬ。まばらなるとこの冬のあらし、夜ふくるままにみにしみて、都にはひきかはりたるここちして、まくらに近きかねのこゑ、あかつきの空におとづれて、かのゐあいじの草のいほりのねざめもかくやとおもひしられ、かまうののはらうちすぐれば、をいそのもりのすぎむらに、よももかすかにかかる雪、あさたつそでにはらひあへず、おとにきこへしさめがひの、
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くらきいはねにいづるみず、みづぎはこほりあつくして、まことにみにしむばかりなり。きうかさんぶくの夏のひも、はんゆうふがだんせつのあふぎ、がんせんにかはるめいしよなれば、けんとうそせつの冬のそら、ぐわつしせつせんのほとりなる、むねつちをみるここちする。かしはばらをもすぎぬれば、みののくにせきやまにかかりぬ。こくせん雪のそこにこゑむせび、れいらんまつのこずゑにしぐれて、ひかげもみへぬうちくだりみち、心ぼそくもこえすぎぬ。ふはのせきやのいたびさし、としへにけりとみおきつつ、くひぜがはにとどまり給ふ。よふけひとしづむれば、しもつきはつかにおよぶころなれど、みなしろたへのはれの空、きよきかはせにうつろひて、てるつきなみもすみわたり、じせんりのほかのこじんの心もおもひやり、旅の空いとどあはれにおもひなし、をはりのくにゐどたのさとにつきたまひぬ。かのたうのたいしのひんかくはくらくてん、げんわ十五年の秋、きうかうぐんのしばに
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させんせられて、しんやうのえのほとりにちちやうしたまひける、古きよしみをおもひやりて、しほひがた、しほぢはるかにとほみして、常はなみのつきをのぞみうらかぜにうそぶきつつ、びはをだんじしいかをえいじて、なほさりにひをおくり給へり。あるよたうごくだいさんのみや、あつたのやしろにさんけいあり。としへたる森のこのまよりもりくる月のさしいりて、あけのたまがき色をそへ、わくわうりもつの庭にひくしさくの風にみだれ、何事につけてもかみさびたるけいきなり。あるひとのいはく、「このみやとまうすはそさのをのみこと、これなり。はじめはいづものくににみやづくりありき。やへたつといふさんじふいちじのえい、このおんときよりはじまれり。けいかうてんわうのぎよう、このみぎりにあとをたれたまへり」といへり。もろなが、しんめいほふらくの為にびはをだんじたまひけるに、ところもとよりむちのぞくなれば、なさけをしれる人まれなり。いうらう、
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そんぢよ、ぎよじん、やそう、かうべをうなだれ耳をそばたつといへども、さらにせいだくをわかちりよりつをしれる事なし。されどもくわはきんをだんぜしかば、ぎよりんをどりほとはしり、ぐこう歌をはつせしかば、りやうちんうごきうごく。物のたへなるをきはむる、しぜんにかんをもよほすことわりにて、まんざ涙をおさふ。そのこゑさうさうせつせつとして、又しやふしやふたり。たいげんせうげんのきんけいのあやつり、たいしゆせうしゆのぎよくばんにをつるにあひにたり。てうだんするすきよくをつくし、やろしんかうにおよびて、「ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ」といふらうえいと、「ふがうでうの中に花ほんふくのかをりをふくみ、りうせんのきよくのあひだに、つきせいめいのひかりあきらかなり」といふらうえいとを、りやうさんべんせられけるに、しんめいかんおうにたへず、ほうでんおほきにしんどうす。しゆうじんみのけいよだちて、きいのおもひをなす。大臣は、「平家のかかるあく
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ぎやうをいたさざらましかば、今このずいさうををがまましやは」と、かつうはかんじかつうはよろこびたまひけり。あるときまたつれづれのあまりに、みやぢやまにわけいらせ給ふ。ころはかむなづきはつかあまりの事なれば、こずゑまばらにしておちばみちをうづみ、はくぶ山をへだてて、鳥のひとこゑかすかなり。山又山をかさぬれば、里をかへりみしとぼそもへだたりぬ。うしろはしようさんががとして、はくせきのりゆうすいみなぎりおつ。すなはちせきしやうにりうせんのたよりをえたるしようちなり。こけせきめんにむして、じやうげんの曲をしらべつべし。いはのうへにからかはのうちしき、しとうのこうのおんびはいちめん、みずいじんありけるを、滝にむけておんひざの上にかきすへ、ばちをとりげんをうちならし給ふ。しげんだんの中にはきゆうしやうだんをむねとし、ごげんだんの中にはぎよくしやうだんをさきとす。かろくをさへゆるくひねりかひて、またかきかへす。はじめはげいしやう
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をなし、のちには、たいげんさうさうとしてごとしむらさめの、せうげんせつせつとしてひぎよににたり。だいいちだいにのげんはさくさくたり。春のうぐひすかんくわんとして、花のもとになめらかなり。だいさんだいしのげんの声はせつせつたり。かんせんいうえつして、こほりのしたに難なづまし。たいしゆせうしゆのぎよくばんにおつるをと、きんけいのあやつり、ほうわうゑんあうのわめいの声をそへずといへども、ことのてい、さんじんかんをたれたまふらむとおぼえたり。さびしきこずゑなれども、そうくわたくぼくはそらにれいろうのひびきを送る。そのとき水のそこよりあをぐろいろのきじんしゆつげんして、ひざびやうしをうちて、おんびはにつけて、うつくしげなる声にてしやうがせり。なにもののしわざなるらむとおぼつかなし。きよくをはれり。だんをはらひばちををさめたまふとき、きじんまうしていはく、「われはこのみづの底に多くとしつきをすごすといへども、いまだかかるめでたきおんことをばうけたまはらず。このおんよろこびには
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今三日の内にごきらくのあらむずるなり」とまうしもはてねば、かきけつやふにうせにけり。すいじんのしよぎやうとはいちしるし。このほどの事をおぼしめしつづくるに、「あくえんはすなはちぜんえんとはこれなりけり」とおぼしめししられけり。そののち第五日とまうししに、きらくのほうしよをくだされき。くわんげんのおんぎよくをきはめ、たうだいまでもめうおんゐんたいしやうこくとまうすは、すなはちこの御事也。「めうおんぼさつのけし給へるにや」とぞ申ける。むらかみのせいしゆ、てんりやくの末のころ、かむなづきのなかば、つきかげさへて風の音しづかに、よふけひとしづまりてせいりやうでんにおはしまして、すいぎうのつののばちにてげんじやうらくのはをしらべさせ給つつ、御心をすまさせ給ひけるに、天より影のごとくにしてとびきたりて、しばらくていしやうに休むきやくあり。せいしゆ是を御覧じて、「何者ぞ」ととひたまふ。「われはこれたいたうのびはのはかせ、れん
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しようぶとまうすものなり。てんにんのくわほうをえて、こくうにひぎやうするみにてさうらふが、ただいまここをまかりすぎさうらふが、御琵琶のばちおとにつきまひらせてまゐりてさうらふなり。いかむとなれば、ていびむにびはのさんきよくをさづけし時、ひとつのひきよくをのこせり。さんきよくとは、だいじやうはくし、やうしんさう、りうせん、たくぼく、これなり。りうせんに又二曲あり。一にはせきしやうりうせん、二にはしやうげんりうせん、是なり。おそらくは君にさづけたてまつらむ」と申ければ、せいしゆことにかんじたまひて、おましをしりぞけておんびはをさしおき給へば、れんせうぶこれをたまはつて、りうせん、たくぼく、やうしんさうのひきよくをぞつくしける。しゆうしやうもとのざしきになをり給ひ、かのきよくをひきたまふに、ばちおとなほすぐれたり。ひきよくつたへたてまつりてのち、こくうにとびあがり、雲をわけてのぼりにけり。ていわうこれをはるかにえいらんあつて、ぎよいの袖をおんかほにおしあてて、かんるいをぞながされける。このおとどききやうののち、ご
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さんだいありて、びはをしらべたまひしかば、げつけいうんかく耳をうなたれ、たうしやうたうかめをすまして、いかなる秘曲をかひきたまはむずらむとおもひゐたるに、よの常のやうなるがわうおん、げんじやうらくをひかれたりけるに、しよにん思はずになりにけり。しかるに「がわうおん、げんじやうらく」とは、「わうおんをよろこびてみやこへ帰りたのしむ」とよめり。きのふはとうくわんのほかにうつされて、物うきすまひなりけれども、けふはほくけつの内につかへて、楽しみさかへ給へば、このきよくをそうし給ふもことわりとぞおぼゆる。このとのを平家ことににくみたてまつりける事は、たいたうよりなんじのもんをつくりてくげへたてまつりたりけり。これをよむひとなかりけるに、このとののよまれたりけり。平家の為にあしかりけるゆゑなり。せんどにもんじみつあり。ひとつには「国」のつくり、□。これをば「王なき国」とよまれけり。ふたつには国のつくりの中に「分」といふじをみつかきたり、■。これをば「くにみだれてかまびすし」とよまれたり。みつは
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しんだいのしんのもんじをふたつならべてかきたり、■。これをば「したためにやらむぞ」とよまれたり。のちのたびには「かちゆうかちゆうちゆうちゆう、くうちゆうしちにちいうひ、かいちゆうしちにちいうひ」。このもんをもこのとのみたまひて、くちびるをのべてわらひてみなよまれたりけれども、うけたまはりける人々こまかにおぼえざりけり。「これは平家のあくぎやうのいこくまできこえて、国の主をはづかしめ奉るもんなるべし」とぞ、のちにはひとまうしける。さゑもんのすけなりふさはいづのくにへ流さる。びつちゆうのかみみつのりはもとどりきられにけり。がうのたいふのはんぐわんとほなり、「くわせらるべき四十二人が内にいりたり」とききて、「今はいかにものがるべきにあらず。まことや、るにんさきのうひやうゑのすけよりともこそ、へいぢのらんげきにちちしもつけのかみちゆうせられ、したしきものどもみなみなうしなわれて、ただひとりきりのこされて、いづのくにひるがしまにながされておわすなれ。かの人は末たのもしき人なり。うちたのみてくだりたらば、もしこのなんをのがるる事も
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や」とおもひて、かはらいたのいへをうちいでて、ふし二人いなりやまにこもりたりけるが、「よくよくおもへば、兵衛佐たうじよにある人にてもなし。さればさうなく入道かんだうのわれらをうけとることもありがたし。又あふさか、ふはのせきをこえすぎむ事もをだしかるべしともおぼえず。そのうへ、平家のけにん国々にじゆうまんせり。ろとうにしていふかひなくからめとられて、いきながら恥をさらさむ事も心うかるべし」とおもひかへして、かはらざかのしゆくしよへうちかへりて、いへにひをさして、ほのほの中へはしりいりて、ふしともにやけしにけり。時にとりてはゆゆしかりけることどもなり。このほかの人々もにげまどひ、あわてさわぎあへり。あさましともいふはかりなし。きよきよねん七月、さぬきのほふわうのごついがう、うぢのあくさふぞうくわんのことありしかども、をんりやうもなほしづまり給はぬやらむ、このよの有様、ひとへにてんまのしよぎやうと
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ぞみへし。「およそこれにかぎるまじ。なほにふだうはらすへかね給へり」とて、のこれる人々をぢあひけるほどに、
廿九 そのころさせうべんゆきたかとまうすひとは、かんゐんの右大臣ふゆつぎよりは十二代、こなかやまのちゆうなごんあきときのきやうのちやうなんにておわせしが、にでうのゐんのみよに近くめしつかはれて、べんになりたまひし時も、うせうべんながかたのあつそんをこえて、さにくはへられにけり。五位のじやうしゐし給へりしに、とうようの人をこえなむどして、ゆゆしかりしが、にでうの院におくれ奉りて、時をうしなへりしかば、にんあんぐわんねん四月六日、くわんをとどめられてろうきよしたまひしより、永くせんどをうしなひて、十五年の春秋を送りつつ、夏秋のかういにも
およばず、てうぼのしよくも心にかなわずして、かなしみの涙を流し、春のそのにはすずりをならして、はなをもつてゆきとしようし、秋のまがきにはふでをそめてきくをかりてほしとかうす。
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いがのにふだうじやくねんがりやうぜんにろうきよして、
春きてもとはれざりけりやまざとを花さきなばとなにおもひけむ K065
とえいじて、ながめゐたりしここちして、あかしくらし給ける程に、十六日さよふくるほどに、だいじやうにふだうどのよりとてつかひあり。ゆきたかさわぎ給へり。人々あはつめり。「我もいかなるべきにか。この十四五年のあひだはなにごとにもあひまじはらねば」とはおぼしけれども、「さるにつけても、むほんなむどによりきするよし、人のざんげんやらむ」と、思わぬ事なくおぼしけり。「むかしむらかみのぎよう、たちばなのなほもとが、『こうしんのくわんくわをのぞめば、まなこくもぢにつかれ、はうじんのえいせきにならべば、をもてでいさにたる』とそうしけむは、せめてなほてうていにつかへ奉り、しようじんのおそき事をこそながきしに、これはなほもとがおもひをはなれてさんごのせいざうを送り、今
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入道にうらまれ奉るべしとは思はねども、たうせいのありさまとがなくしてつみをかうぶれば、いかにとあるべき事やらむ」となげきながら、「いそぎ参るべし」とのたまひたりけれども、うし、くるまもなし、しやうぞくもなし。おぼしわづらひて、おととのさきのさゑもんのすけときみつとまうしけるをはしけり、「かかる事こそあれ」と、おほせおくられたりければ、うし、車、ざつしきのしやうぞくなむどいそぎたてまつり給へりければ、にしはつでうへをののくをののくおわしたれば、入道げんざんしたまひてのたまひけるは、「こちゆうなごんどのしたしくおわしましし上、ことにたのみたてまつりて、だいせうじまうしあはせたてまつりさうらひき。そのおんなごりにておわしませば、おろかにおもひたてまつることなし。ごろうきよとしひさしくなりぬる事なげきぞんじさうらへども、法皇のおんぱからひなればちからおよばずさうらひき。今はごしゆつしあるべく候」とのたまひければ、ゆきたかまうされけるは、「この十四五年があひだはまよひ者になりはてさうらひて、しゆつしのほふみぐるしげなる
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者にて、いかにすべしともぞんぜず候へども、このおほせの上はともどもおんぱからひにしたがひたてまつりさうらふべし」とて、てをあはせ、「今のおほせ、ひとへにかすがのだいみやうじんのおんぱからひとあふぎ奉り候」とていでられぬ。おんとものものども、べつじなしとおもひて、いそぎ帰る。弟のさゑもんのすけのもとへ人をつかはして、「べつじなく只今なむかへりて候」とつげられたり。ゆきたか、入道のいひつるやうをかたり給ければ、きたのかたよりはじめて皆なきわらひしてよろこびけり。こうてうに、げんだいふのはんぐわんすゑさだがこはちえふの車に入道のうしかけて、うしわらはしやうぞくあひぐして、ひやつぴきひやくくわんひやくこくをおくられたりける上、「今日べんになしかへし奉べし」と有ければ、よろこびなむどはいふはかりなし。かちゆうのじやうげ、てのまひ、足のおきどころをしらず。「あまりの事にや。夢かや」とぞおもひける。さて十七日、うせうべんちかむねのあつそん、おひこめられしかば、そのところをうせうべんになしかへして、おなじき十八日、ごゐのくらんどになさるるに、
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今年は五十一になり給へば、いまさらにまたわかやぎたまふもあはれなり。
つひにかく花さく秋になりにけりよよにしほれし庭のあさがほ K066
かくてとしつきをふるほどに、このひとのおんこ、とうだいじのちやうくはん、中納言むねゆきのきやうとまうしし人は、こののち四十三年の春秋をへて、じようきうさんねんのちらんのとき、きやうがたたりしあひだ、そのふによつてくわんとうへめしくだされ、するがのくにうきしまがはらにして、だんとうざいくわのよしをききて、りよしゆくのまくらの柱、かくぞかきつけける。
今日すぐるみをうきしまがはらにてぞつひのみちをばききさだめつる K067
昔はなんやうけんのきくすい、かりうをくみてよはひをのべ、今はとうかいだうのきせがは、せいがんにやどりていのちをうしなふ。とかき給へり。つひにせきにしてうしなはれたまひぬ。今のよまでもあはれなる事にはまうしつたへたり。
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卅 はつかのひ、ゐんのごしよしつでうどのにぐんびやううんかの如くしめんにうちかこみたり。にさんまんぎもや有らむとみゆ。こはなにごとぞと、ごしよぢゆうにさうらひあひたる、くぎやう、でんじやうびと、じやうげのほくめんのともがら、つぼねつぼねの女房までも、さこそあさましくおぼしけめ。しんぢゆうただをしはかるべし。「むかしあくうゑもんのかみがさんでうどのをしたりけるやうに、ひをかけて人をみなやきころさむとする」といふ者もありければ、つぼねの女房、うへわらはなむどはをめきさけびて、かちはだしにて、物をだにもうちかづかず、まどひいでてたふれふためきさわぎあへる事、いふはかりなし。「ひごろのよの有様に、けふのぐんびやうのかこみやう、さにこそ」とはおぼしめしけれども、「さすがにたちまちにこれほどの事あるべし」とも、おぼしめしよらざりけるやらむ、法皇もあきれさせたまひたりけるに、さきのうだいしやうむねもりこうまゐられたりければ、「こは何事ぞ。
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いかなるべきにてあるぞ。遠き国、はるかの嶋へはなたむとするか。さほどつみ深かるべしとはおぼえぬ物を。しゆしやうかくておわしませば、よのまつりごとにこうじゆするばかりにてこそあれ。その事さるべからずは、是よりのちにはてんがの事にいろはでこそあらめ。なんぢさてあれば、おもひはなたじとたのみてあるに、いかにかく心うきめをばみするぞ」とおほせられければ、うだいしやうまうされけるは、「さしものおんことはいかでか候べき。よをしづめさうらわむ程、しばらくとばどのへ渡しまひらすべき由を、入道まうしさうらひつる」とまうせば、「ともかくも」とおほせられければ、おんくるまさしよす。だいしやうやがておんくるまよせにさうらふ。さゑもんのすけとまうしし女房、出家ののちにはあまぜとめされしあまにようばう一人ぞ、おんくるまのしりに参りける。おんもののぐにはおんきやうばこばかりぞ御車にはいれられける。法皇は、「さてはむねもりもまひれかし」とおぼしめしたるおんけしきの、あらはにみへさせ
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たまひければ、「こころぐるしきおんともしてみおきまひらせばや」とは思われけれども、入道のけしきにおそれて参られず。それにつけても法皇は、「兄のだいふには事のほかにおとりたる者かな」とぞおぼしめされける。「ことわりなり。まろはひととせかかるめをみるべかりしを、こだいふがいのちにかへていひとどめたりしによりてこそ、今まではあんをんなりつれ。だいふうせぬる上はいさむる人もなしとて、そのところをえて、はばかるところもなくかやうにするにこそ。ゆくすゑこそさらにたのもしからね」とぞおぼしめしける。くぎやう、てんじやうびとの一人もぐぶするもなし。ほくめんのげらふ二三人とおんりきしやこんぎやうほふしばかりぞ、「君はいづくへわたらせたまふやらむ」とおもひける心うさに、おんくるまのしりに、げらふなれば、かいまぎれてぞまひりける。そのほかの人々は、しつでうどのより皆ちりぢりにうせにけり。御車のぜんごさうには
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三万よきのぐんびやううちかこんで、七条を西へしゆしやくをくだりに渡らせ給へば、きやうぢゆうのきせんじやうげ、しづのをしづのめにいたるまでも、「院の流されさせたまふ」とののしりてみ奉り、たけきもののふも涙を流さぬはなかりけり。とばのきたどのへいらせたまひにければ、ひぜんのかみやすつなと申ける平家のさぶらひ、守護し奉る。法皇のおんすまひ、只おしはかりまひらすべし。さるべき人一人も候はず。あまぜばかりぞ、ゆるされてまひりける。只夢のおんここちして、ちやうじつのおんぎやうぼふ、まいにちのおんつとめ、御心ならずたいてんす。ぐごまひらせたりけれども、御覧じもいれず。さきだつものはただ御涙ばかりなり。もんのないげにはぶしじゆうまんせり。国々よりかりあつめられたるえびすなれば、みなれたる者もなし。つべたましげなるかほけしき、うとましげなるまなこやう、おそろしともおろかなり。だいぜんの
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だいぶなりただがしそく、十六歳にてさひやうゑのじようと申けるが、いかにしてまぎれまゐりたりけるやらむ、さうらひけるをめして、「こよひ、まろはいちぢやううしなわれぬるとおぼゆるなり。いかがせむずる。おゆをめさばやとおぼしめすは、いかに。かなはじや」とおほせありければ、けさよりきもたましひもみにしたがはず、をむばくばかりにて有けるに、このおほせをうけたまはれば、いとどきえいるやうにおぼへて、物もおぼへず、悲しかりけれども、かりぎぬにたまだすきあげて、水をくみいれて、こしばがきをこぼち、おほゆかのつかはしらをわりなむどして、とかくしておゆしいだしたりければ、おんぎやうずいまひりて、なくなくおんおこなひぞ有ける。最後のおんつとめとおぼしめされけるこそかなしけれ。されどもべつじなく夜はあけにけり。さんぬるなぬかのだいぢしんは、かかるあさましき事のあるべかりけるぜんべうなり。「じふろくらくしやの底までもこたへて、けんらう
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ぢじんもきやうどうしたまひける」とぞおぼへし。おんやうのかみやすちかのあつそんはせまゐりて、なくなくそうもんしけるもことわりなりけり。かのやすちかのあつそんは、せいめいごだいのあとをうけて、てんもんのえんげんをきはむ。じやうだいにもなく、たうせいにもならぶ者なし。すいでうたなごころをさすが如し。いちじもたがわず。「さすのみこ」とぞ人申ける。いかづちおちかかりたりけれども、らいくわの為にかりぎぬのそでばかりはやけき、みはすこしもつつがなかりけり。
卅一 廿一日、じやうけんほふいんは、このたびはおんつかひのぎにてはなくて、わたくしにおもひきりたるけしきにて、だいじやうにふだうのもとへゆきむかひて申けるは、「ほふわうとばどのに渡らせたまふが、ひとひとりもつきまひらせぬよしうけたまはりさうらふが、こころぐるしくおぼえさうらふ。しかるべくはおんゆるされをかうぶらむ」と、なくなくまうされければ、ほふいんうるはしき人の事あやまつまじきにてありければ、ゆるされてけり。てをあはせよろこびて、いそぎとばどのへまゐられたりければ、おんきやううち
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たつとくあそばして、ごぜんに人一人もさうらはざりけり。じやうけんほふいんまゐられたりけるをごらんじて、うれしげにおぼしめしてあれば、「いかに」とおほせありもはてず、おんきやうに御涙のはらはらとおちかかりけるをみまひらせて、ほふいんもあまりにかなしくおぼえければ、「いかに」ともえ申さで、ごぜんにうつぶして、声もをしまずなきたまへり。あまぜもおもひいりてふししづみたりけるが、法印の参られたりけるをみてをきあがりつつ、「きのふのあさ、七条殿にてぐごまひりたりしほかは、よべもけさも、おゆをだにも御覧じいれず。長きよすがらぎよしんもならず。おんなげきのみくるしげにわたらせおわしませば、ながらへさせ給わむ事もいかがとおぼゆる心うさよ」とて、さめざめとなきたまひければ、「いかにぐごはまひらぬにか。このことさらになげきとおぼしめすべからず。平家よをわがままにして、既に
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にじふよねんになりぬ。なにごともかぎりある事なれば、えいえうきはまつて、しゆくうんつきなむとする上、てんまかのみにいれかはりてかやうにあくぎやうをくたはつといへども、きみあやまらせたまふことひとつなし。かくて渡らせたまふとも、てんせうだいじん、しやうはちまんぐう、君のとりわけてたのみまひらせ給ふひよしさんわうしちしや、いちじようしゆごのおんちかひたがふことなくして、かのほつけはちぢくにたちかけりてこそ、まもりまひらせおわしましさうらふらめ。しんかにんみんの為には、ますますじんをおこなひ、めぐみをほどこし、せいむにおんわたくしなからじとおぼしめさば、てんがは君のみよになりかへり、あくとは水のあわときえうせむ事ただいまなり」とまうされて、ぐごすすめまひらせらる。おんゆづけすこしまひりたりければ、あまぜもすこしちからつきて、君もいささかなぐさむ御心をはしましけり。このさゑもんのすけとまうすにようばうは、わかくより法皇のおぼぎ、たいけんもんゐんにさうらわれけ
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るが、しないみじき人にてはなかりけれども、心さかざかしうして、いつしやうふぼんの女房にておわしければ、きよき者なりとて、法皇のごえうちのおんときより、近くめしつかわせたまひけり。しんかも君のおんけしきによつて、「あまごぜん」とかしづきよばれけるを、法皇のうやまうじをりやくして、おんかたことに、「あまぜ」とおほせの有けるとかや。かかりければ、とばどのへも只一人つきまひらせられたりけり。しゆしやう高倉院は、しんかの多くほろびうせ、くわんばくどのの事にあわせたまひたるをだにも、なのめならずなげきおぼしめしけるに、まして「法皇のかやうにをしこめられさせおわします」ときこしめされしかば、何事もおぼしめしいらぬさまなり。ひをへつつおぼしめししづみて、ぐごもはかばかしくまひらず、ぎよしんもうちとけてならず。つねはおんここちなやましとて、よるのおとどにいらせおはしませば、きさいのみやをはじめたてまつり、
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ちかくさうらふにようばうたちも、「いかなるべき御事やらむ」と、こころぐるしくぞおもひ奉りける。だいりには、法皇のとばどのにをしこめられさせたまひしひより、ごじんじにて、まいやにせいりやうでんのいしばひのだんにてだいじんぐうをはいしまひらせ給けり。この御事をいのりまうさせおわしましけるにこそ、おなじおやこのおんあひだと申ながら、おんこころざしの深かりけるこそ、あはれにやむごとなけれ。「はくかうのうちにはかうかうをもつてさきとす。めいわうはかうをもつててんがををさむ」といへり。されば、「たうげうはおいおとろへたる母をそんす。ぐしゆんはぐせいなる父をうやまふ」といへり。かんのかうそていゐにつきたまひてのち、ちちたいこうををしえたまひしかば、「てんにふたつの日なし。ちにふたつのあるじなし」とて、いよいよおそれたまひしに、だいじやうてんわうの位をさづけたまひき。これみなかんかのめいわうのおこなひたまふことなり。かのけんわうせいしゆのせんぎをおわせおわしましけむてんしのおんまつりごとこそめでたけれ。にでうのゐんも
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けんわうにてわたらせたまひけるが、おんくらゐにつかせたまひてのちは、「てんしにふぼなし」と常にはおほせられて、法皇のおほせをももちゐまひらせたまはざりしかば、ほいなき事におぼしめしたりしゆゑにや、よをもしろしめす事も程なかりき。さればけいていの君にてもわたらせ給はず。まさしくおんゆづりをうけさせおわしましたりけるみこのろくでうのゐんも、ございゐわづかに三年、五歳にて御位しりぞかせたまひて、だいじやうてんわうのそんがうありしかども、いまだごげんぶくもなくて、おんとし十三才にて、あんげん三年七月廿七日にうせさせたまひにき。ただことならざりしおんことなり。
卅二 だいりよりとばどのへしのびてごしよあり。「よもしづかならず、君もさやうに渡らせ給はむには、かくてくもゐにあとをとどめてもなにかはすべき、かのくわんぺいの昔のあとをたづね、くわさんの古きよしみをたづねて、位をさりいへをいでて、さんりんるらうの
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ぎやうじやともなりさうらはばや」と申させおわしましたつければ、おんぺんじには、「わがみには君のさて渡らせたまふをこそ、たのみにては候へ。さやうにおぼしめしたちなむのち、何のたのみか候べき。ともかくもこのみのなりはてむやうを御覧じはてむとこそ、おぼしめされさうらはめ。ゆめゆめあるべからざるおんことなり。いたくしんきんをなやまし給わむ事、かへりてこころぐるしかるべし。さなおぼしめされさうらひそ」なむど、こまごまなぐさめ申させおわしましければ、しゆしやうごほうしよをりようがんにあてて、御涙にむせびたまふぞかなしき。ゐんうちさへかやうにおんものおもひにむすぼほれさせおわしますぞあさましき。ぢやうぐわんせいえうにいはく、「きみは船なり、しんはみづ。なみををさむれば、船よくうかぶ。みづなみをたたゆれば、船又くつがへさる」といへり。「しんよく君をたもつ。しん又君をくつがへす」。ほうげんへいぢりやうどのかつせんには、にふだうしやうこく君をたもちたてまつるといへども、あんげんぢしようの今は、又君をくつがへし
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たてまつらる。そのことほんもんにさうおうせり。
卅三 十六日、めいうんだいそうじやう、てんだいざすにげんぶし給ふ。しちのみやごじたいありけるによつてなり。入道はかやうにしちらして、「ちゆうぐうだいりにわたらせ給ふ、くわんばくどのわがむこなり。かたがたこころやすかるべし」とやおぼされけむ、「てんがのおんまつりごと、ひとすぢにだいりのおんぱからひたるべし」とまうしすてて、ふくはらへ帰りくだられにけり。むねもりこうさんだいして、このよしをそうもんせられけれども、しゆしやうは、「院のゆづりたまひたるよならばこそ世のまつりごと[セイ]をもしるべき。ただとくしつぺいにまうしあはせて、宗盛はからふべし」とおほせくだされ
て、あへてきこしめしいれられず。あけてもくれても法皇の御事をのみこころぐるしく、いたはしき御事におぼしめされける。
卅四 とばどのにはつきひのかさなるにつけてもおんなげきはをこたらず。法皇は
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せいなんのりきゆうにとぢられて、冬もなかばすぎぬれば、やさんのあらしのこゑいとどはげしく、かんていのつきのかげことにさびしきおんすまひなり。庭には雪ふりつもれども、あとふみつくる人もなし。いけには氷のみとぢかさねて、むれゐる鳥だにもまれなりけり。おほでらのかねの声、ゐあいじのききをおどろかし、しさんの雪の色、かうろほうののぞみをもよほす。しづが下すうぶねのかがりびは御目の前をすぎ、りよかくのゆきかよふくつばみの音、おんみみにこたへてねぶりをさまし奉る。あかつきの水をきしる車の音、はるかにもんぜんによこだはり、夜のしもにさむけききぬたのおと、かすかに枕にかよひけり。ちまたをすぎゆくしよにんのいそがはしげなる事、うきよを渡る有様、おもひやられてあはれなり。「きゆうもんをばんいのよるひるけいゑいをつとむるも、さきのよにいかなるちぎりにていまえんをむすぶらむ」とおぼしめしつづくるもかたじけなし。およそにふれ
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事にしたがひて、おんこころをうごかし、御涙をもよほさずといふ事なし。さるままにはをりをりのごいうらん、ところどころのごさんけい、おんがのぎしきのめでたく、いまやうあはせのきようありしことども、おぼしめしいでられて、くわいきうの御心おさへがたし。かくてことしもくれにけり。
平家物語第二本
(花押)
延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版 4の1
平家物語 四(第二中)
P1647
一 法皇とばどのにてつきひをおくりましますこと
二 とうぐうおんゆづりをうけおはします事
三 きやうぢゆうにせんぷうふくこと
四 しんゐんいつくしまへおんまゐりあるべきこと
五 入道いつくしまをあがめたてまつるゆらいのこと
六 しんゐんいつくしまへごさんけいのこと
七 しんていごそくゐのこと
八 よりまさにふだうのみやにむほんをまうしすすむることつけたりりやうじのこと
九 とばどのにいたちはしりまはること
十 平家のつかひみやのごしよにおしよすること
十一 たかくらのみや都をおちましますこと
十二 たかくらのみやみゐでらにいらせたまふこと
十三 げんざんゐにふだう三井寺へまゐることつけたりきほふのこと
十四 三井寺よりさんもんなんとへてふじやうをおくること
十五 三井寺よりろくはらへよせむとする事
十六 だいじやうにふだうさんもんをかたらふことつけたりらくしよのこと
十七 みやせみをれをみろくにまゐらせたまふこと
十八 みやなんとへおちたまふこと付うぢにてかつせんのこと
十九 げんざんゐにふだうじがいのこと
廿 さだたふがうたよみし事
P1648
廿一 みやちゆうせられたまふこと
廿二 なんとのだいしゆせつしやうどののおんつかひおひかへすこと
廿三 だいしやうのしそくさんゐにじよする事
廿四 たかくらのみやのおんこたちのこと
廿五 さきのちゆうしよわうのこと付げんしんの事
廿六 ごさんでうのゐんのみやのこと
廿七 法皇のみこのこと
廿八 よりまさぬへいる事付さんゐにじよせし事
廿九 げんざんゐ入道むほんのゆらいのこと
卅 みやこうつりのこと
卅一 さねさだのきやうまつよひのこじじゆうにあふこと
卅二 入道とうれんをふちしたまふこと
卅三 入道にかうべどもげんじてみゆる事
卅四 がらいのきやうのさぶらひゆめみる事
卅五 うひやうゑのすけむほんをおこす事
卅六 えんたんのほろびし事
卅七 大政入道ゐんのごしよにまゐりたまふこと
卅八 ひやうゑのすけいづのやまにこもる事
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平家物語第二中
一 ぢしようしねんしやうぐわつにもなりぬ。とばどのにはぐわんざんのあひだ、としさりとしきたれども、しやうこくもゆるさず、ほふわうもおそれさせましましければ、こととひまゐる人もなし。とぢこめられさせたまひたるぞかなしき。とうぢゆうなごんしげのりのきやう、さきやうのだいぶながのり、兄弟二人ぞゆるされて、さんぜられける。ふるく物などおほせあはせられし、おほみやのたいしやうこく、さんでうのないだいじん、あぜちのだいなごん、なかやまのちゆうなごんなどまうしし人々もうせられにき。ふるき人とては、さいしやうなりより、みんぶきやうちかのり、さだいべんのさいしやうとしつねばかりこそおはせしかども、「このよのなかのなりゆくありさまをみるに、とてもかうてもありなむ。てうていにつかへて
P1650
みをたすけ、さんこうきうけいにのぼりてもなにかはせむ」とて、たまたまよあうをまぬかれたまひし人々も、たちまちにいへをいで、よをのがれて、あるいはかうやのくもにまじはり、おほはらのべつしよにきよをしめ、あるいはだいごのかすみにかくれ、にんわじのかんきよにとぢこもりて、いつかうごしやうぼだいのいとなみよりほかはふたごころなく、おこなひすましてぞおはしける。昔しやうざんのしかう、ちくりんのしちけん、これあにはくらんせいてつにして、よをのがれたるにあらずや。中にもしげよりのきやう、このことどもをききつたへては、「あはれ、心とうもよをのがれにけるものかな。かくてきくもおなじことなれども、よにたちまじはりてまのあたりみきかましかば、いかばかりかこころうからまし。ほうげんへいぢのらんをこそあさましとおもひしに、よの末になれば、ますますにのみなりゆくめり。こののちまた
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いかばかりの事かあらんずらん。雲をわけつちをほりても、いりぬべくこそおぼゆれ」とぞのたまひける。よのすゑなれども、ゆゆしかりし人々也。廿八日に、とうぐうのおんはかまぎ、おんまなきこしめすべしなど、花やかなることども、せけんにはののしりけれども、法皇はおんみみのよそにきこしめすぞあはれなる。二 二月十九日にとうぐうおんゆづりをうけさせ給ふ。今年わづかに三歳にぞならせ給ふ。いつしかと人思へり。せんていもことなるおんつつがもをはしまさぬに、をしおろし奉らる。是は大政入道ばんじ思ふさまなるがいたすところなり。らうしきやうにいはく、「へうふうあしたをおへず。しゆうはひをおへず」といへり。へうふうとはときかぜなり。しゆうとは〔あらしの〕あめ也。いふこころは
P1652
「とくするものはちやうずる事あたはず。にはかにするものはひさしきことあたはず」といへり。「このきみとく位につかせたまひて、とく位をやしりぞかせ給はむずらむ」と、人ささやきあへり。そくゐげんぶくのこと、わがてうに二歳三歳のれいなし。よつてがうちゆうなごんにかんかのれいをとはる。中納言せうそくをもつてまうさる。そのじやうにいはく、
「ちよさいになつてもつてまつりごとをきく、しうのせいわうこれなり。たいこういだいてもつててうにのぞむ、しんのぼくていこれなり。せいわう三才にしてくらゐにつき、ぼくてい二才にしてくらゐにつくなり」とうんうん。ここにとしのりかんもんをもつてまうさく、「( )とばのゐんのいはく、せいわうさんさいにしてそくゐげんぶくのよし、がうちゆうなごんまうすでう、きはめたるひがことなり。いつさいしよけんなし。十二
P1653
歳にしてげんぶくなり」とうんうん。やまとのしんじともなり、ないないこのことをききてまうしけるは、「としのり、いつさいさることなしとまうしきるでう、たつときばんくわんのとしよ、しかしながらみつくしてけりとかくごせらる。ただしがうちゆうなごんのまうさるること、やうこそ有らめとさしおくべきか」とうんうん。じやうしひろくといふふみは、がうちゆうなごんのいつぽんのしよなり。よけにこれなし。くだんのしよにせいわう三才にしてそくゐのよし、これあり。としのり、しらざるなりとまうさるる、もつともしかるべし。しきに、「成王をさなくしてきやうほうのなか」とうんうん。これらをみてまうさるるか。成王は三才にして即位、ぼくていは二才にしてそくゐげんぶくなり。ちよさいはしうこうたん也。あるひとだいじやうにふだうのこじうと、へいだいなごんときただのきやうのもとへ
P1654
ゆきむかひて、「京都にこざかしきじんどものあつまりてないないまうしさうらふなるは、『このきみのおんくらゐあまりにはやし。いかがわたらせ給はむずらむ』と、そしりさたつかまつりさうらふなるは」と申ければ、ときただのきやうふくりふしてまうされけるは、「なにしかは、この御位をいつしかなりと、人おもふべき。ひそかにせんぎをうかがひはるかにばうれいをたづぬるに、いこくにはしうのせいわう三才、しんのぼくてい二才、おのおのきやうほうの中につつまれて、いくわんをただしくせざりしかども、あるいはせつしやうおひて位につき、あるいはぼこういだきててうにのぞむといへり。なかんづく、ごかんのかうやうくわうていはうまれてひやくよにちののちにせんそありき。わがてうにはまたこんゑのゐん三才、ろくでうのゐん二才、皆てんしの
P1655
位をつぎ、ばんじようの君とあふがれ給ふ。、せんじようわかんかくのごとし。ひともつてあながちにかたぶけまうすべきやうやはある」とて、へいだいなごんおほきにしかられければ、そのときのいうしよくの人々は、「あなおそろし。ものいはじ。さればそれはよきれいにやはある」とぞ、つぶやきあはれける。とうぐうおんゆづりをうけさせたまひにければ、ぐわいそぶぐわいそぼとて、にふだうふさいともにさんごうになずらふるせんじをかうぶりて、ねんくわんねんしやくをたまはりて、じやうにちの者をめしつかはれければ、ゑかきはなつけたるさぶらひしゆつにふして、ひとへにゐんぐうのごとくにぞ有ける。しゆつけにふだうののちも、えいえうはつきせざりけりとみえたり。出家の人のじゆんさんごうのせんじをかうぶる事は、ほごゐんのおほにふだうどのの
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ごれいなり。「それもいちのひとのごれいなずらへがたくや」とぞ人申ける。かやうに花やかにめでたき事は有けれども、よのなかはをだしからず。三 廿九日さるのこくばかりに、京にせんぷうおほきにふきて、いちでうおほみやよりはじめて東へ十二町、とみのこうぢよりはじめて南へろくちやう、なかのみかどより東へいつちやう、きやうごくをくだりに十二町、四条を西へ八丁、にしのとうゐんわたりにてとどまりぬ。そのあひだにでんしやの門々、ざふにんの家々、ついがき、つつゐをふきたをしふきちらすありさま、このはのごとし。馬、人、牛、車などをふきあげて、おちつくところにてしぬる者多し。「昔も今もためしなき程のもつけ」とぞ人々申あひける。
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四 三月十七日、しんゐん、あきのいちのみや、いつくしまのやしろへごかうなるべきにてありけるが、とうだいじ、こうぶくじ、さんもん、みゐのだいしゆ、京へうちいるべきよしきこえて、きやうぢゆうさわぎければ、ごかうにはかにおぼしめしとどまらせたまひにけり。「ていわうくらゐをさらせをはしましてのち、しよしやのごかうはじめには、はちまん、かも、かすが、ひらのなどへごかうありてこそ、いづれのやしろへも御幸あれ。いかにして西のはてのしまぐににわたらせたまふやしろへ御幸なるやらむ」と、人あやしみ申ければ、またひとまうしけるは、「しらかはのゐんは位をさらせたまひてのち、まづくまのへごかうありき。法皇はひよしへ参らせ給。せんれいかくのごとし。既にしりぬ、えいりよにありといふことを。そのうへご
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しんぢゆうに深きごぐわんあり。又むさうのつげもあり」なむどぞおほせありける。このいつくしまのやしろをばにふだうしやうこくしきりにあがめ奉られけり。かのやしろにないしとてありけるぶぢよまでも、もてなしあいせられけり。五 入道ことにいつくしまをあがめたまひけるゆらいは、とばのゐんのぎよう、あきのかみたりし時、「かのくにをもつてかうやのだいたふをざうしんすべし」と、院よりおほせくだされたりければ、わたなべたうにゑんどうろくよりかたといひけるさぶらひにおほせて、ろくかねんにことをはりてくやうをとげをはんぬ。そのとき、かうべには雪ににたるしらがをいただき、ひたひにはしかいの波をたたみ、まゆにははちじのしもを
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たれ、腰にはあづさの弓をはりて、はとづゑにすがれる、はちじふいうよのらうそうあり。へいざゑもんのじよういへさだをよびいだしてのたまひけるは、「やや、さゑもんどの。ごへんのしゆうのあきのかみどのは、あはれゆゆしきひとかな。このそうげんざんに入ぬ給へ」とのたまひければ、いへさだ、あきのかみにこのよしまうす。きよもり、ただひとにあらずとや思はれけむ、むしろたたみをしかせ、しやうぞくただしくして、いであひてげんざんしたまふ。このらうそうのたまひけるは、「やや、あきのかみどの、このやまのだいたふざうしんの事こそ、かぎりなくうれしけれ。みたまふがごとく、日本ひろしといへども、みつしゆうをひかへてちやうじつのつとめおこたらぬ事は、このやまにすぐるところなきぞ。ただしまたやうのあらんずるは
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いかに。ゑちぜんのくにけひのやしろはこんがうかいのかみなり。ほくろくだうはちくしやうこくにして、あらちのなかやまがちくしやうだうのくちにてあるぞ。さればけひだいぼさつ、これをあはれみたまひて、つるがのつにあとをたれて、『わくわうどうぢんのちからをそへ、われにちぐうせむ者をみちびけ』といふぐわんをたててをはします。そのぐわんすでにじやうじゆして、けひのやしろはさかりにおはします。ごへんのこくむのところ、あきのくにいつくしまのだいみやうじんはたいざうかいのかみなり。さればけひ、いつくしまのやしろはりやうがいの神にておはします。いつくしまのやしろ、既にはゑしをはんぬ。ごへん、にんをまうしのべてざうしんし給へ。ざうしんしつる者ならば、官位、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじきぞ」とのたまへば、清盛、
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「かしこまりて」とおんぺんじ申す。らうそうおほきによろこびて、ころもの袖を顔におしあてて、かんるいをながしてたちたまひぬ。あきのかみ、ただひとにいまさずとみたてまつりて、いへさだをまねきよせて、「この老僧のいりたまはむ所、みおきたてまつりて帰れ。そうにはみえたてまつるべからず」とのたまひければ、いへさだ老僧のおんうしろにつきて、かくれかくれゆくほどに、さんぢやうばかりゆきてのち、老僧たちかへりてのたまひけるは、「ややへいざゑもんどの、なかくれそ。我はわどののみおくりたまふをばしりたるぞ。近くよれ。いふべき事あり」と宣へば、平左衛門ちからおよばずして、参てかしこまりてさうらふところに、老僧のたまひけるは、「ごへんのしゆうのあきどのは、哀れ、いみじきひとかな。いつくしまのやしろざうしんしつる者ならば、
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位、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじ。そもいちごぞよ」とて、かきけつやうにうせたまひぬ。家貞このよしをあきのかみに申せば、清盛、「さてはいちごごさむなれ。子孫あひつぐまじかむなるこそ心うけれ。たうざんにてごしやうぼだいのいのりの為、ぜんごんをしゆせばや」とて、やがてさいまんだら、とうまんだらとて、ふたつのまんだらをかきたてまつる。とうまんだらをば、法皇のめしつかはせたまひけるじやうめう、是をかきたてまつる。さいまんだらをば清盛じひつにかきたてまつるとて、はちえふのくそんをば、わがなづきのちをいだしてかきたてまつり、まんだらだうをつくりてをさめまゐらせけり。そののち京へ帰りのぼりて、だいしの老僧にげんじておほせらるるむね、つぶさにそうもんしければ、「いつくしまのやしろ
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ざうしんすべし」とて、にんをのべられて、ちやうにんのこくむとして、やしろをざうしんし給。三ケ年のうちにひやくにじつけんのくわいらう、ならびにせうじんせうじんのとりゐとりゐをたてならべ、ごせんぐう有けるに、だいみやうじん、ないしにうつりてごたくせん有けるは、「なんぢしれりやいなや、ひととせかうやのこうぼふをもつてつげしめき。わがやしろはゑするあひだ、ざうしんすべきよし、おほせふくめき。かひがひしくざうしんしたる事、かへすがへすしんべうなり。このよろこびにゆふさりつるぎをあたへむずるぞ。てうのおんまもりとなるものは、せつとといふつるぎをたまはる。わがあたへたらむ剣をもつならば、わうのおんまもりとして、つかさくらゐ、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじ。そもいちごぞよ」とて、ごんげん、あがらせたまひにけり。清盛は
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「只おほかたのものつきのことばぞ」と思て、あながちにしんをいたさざりけるに、そのよのやはんばかりに、「いつくしまのだいみやうじんより、しろかねのひるまきしたるこなぎなたをたまはりて、枕にたつる」と夢にみて、うちおどろき、枕をさぐりたまへば、うつつにしろかねのひるまきしたるこなぎなた、枕のかべに有けり。さてこそあきのかみ、大明神のげんべんのあらたなる事をおほせて、しんをとりたまひうやまひたてまつることをこたらず。しそくきやうだいにいたるまで、大臣、だいしやうにあがり、てうおんにあきみち給へり。かかりければ、うへにはごどうしんのよしにて、したには「みやうじんのおんぱからひにて、入道むほんの心もやはらぎやする」とおぼしめして、ごきせいの為に、はちまん、かもよりも先に、いつくしまへ
P1665
まゐらせたまふともいへり。是は法皇のいつとなくうちこめら
れてわたらせたまふおんことを、なげきおぼしめしけるあまりにや。さるほどに山門、南都のだいしゆもしづまりにければ、いつくしまごかうとげさせおはしますべしときこえけり。
六 十八日、かねておぼしめしまうくる事なれども、ひごろはおんことばにもいださせ給はざりけるが、にはかにおぼしめしいづるやうにて、そのよひになりて、さきのうだいしやうをめして、「あすびんぎにてもあれば、とばどのへまゐらばやとおぼしめすはいかに。しやうこくにはしらせずしてはあしかりなむや」とおほせもあへず、おんなみだのうかびければ、だいしやうもあはれにおもひたてまつりて、「なにかはくるしくさうらふべき」
P1666
とまうされければ、よによろこばしげにおぼしめして、「さらばとばどのへそのけしきまうせ」とおほせありければ、だいしやういそぎまうされたり。法皇なのめならずよろこびおぼしめして、「あまりにおもひつる事なれば、夢にみるやらむ」とまでおぼしめされけるぞかなしき。十九日、だいじやうにふだうのにしはつでうのしゆくしよより、いまだよぶかくいでさせ給ひ、やよひのとをかあまりの事なれば、かすみにくもるありあけの月の光もおぼろに、くもぢをさしてきがんのとほざかりゆく声々も、をりからことにあはれなり。おんとものくぎやうには、ごでうのだいなごんくにつな、とうだいなごんさねくにきんのりそく、さきのうだいしやうむねもり、つちみかどのさいしやうのちゆうじやうみちちか、しでうのだいなごんたか
P1667
ふさたかすゑそく、うちゆうべんかねみつすけながそく、くないのせうむねのりのりいへそくとぞきこえし。御船にじつそうときこゆ。とばどのにてはかどよりおりていらせ給。はるのかげすでにくれなむとして、なつこだちにもなりにけり。のこんのはなのいろおとろへて、みやのうぐひすこゑおいたり。こみやの物さびしきけしきなれば、かどをさしいらせたまふより、御涙ぞすすみける。こぞの正月四日、てうきんの為に七条殿へごかうなり〔し〕事おぼしめしいでて、よのなかは只皆夢の如くなりけり。しよゑぢんをひき、しよきやうれつにたち、がくやにらんじやうをそうし、ゐんじのくぎやうさんかうして、まんもんをひらき、かもんれうえんだうをしき、ただしかりしぎしきひとつもなし。しげのりの
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ちゆうなごんまゐりむかひまゐらせて、けしきまうされければ、しやうくわういらせたまひにけり。法皇も上皇も御目を御覧じあはせて、物をばおほすることなし。ただおんなみだにのみむせばせ給ふ。少しさしのきてあまぜ一人さうらひけるも、りやうしよのおんありさまをみたてまつりて、うつぶして涙を流す。ややしばらく有て、法皇おん
なみだをおしのごはせたまひて、「さるにても、これはいかなるごしゆくぐわんありて、はるばるとおぼしめしたつにか」と申させ給ければ、しやうくわう「深くおもひきざすむねさうらふ」とばかり申させ給て、はじめのごとくおんなみだのうかびければ、「あはれ、さればこそわがことをいのりまうさせ給はむとてよ」と、ごとくしん有けるに、いとどかなしくおぼしめして、
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法皇もおんなみだにむせばせ給。ぎよいの袖もおんじやうえの袖も、しぼるばかりにぞみえさせたまひける。むかしいまのおんことども、たがひにまうしかよはせたまふほどに、ひをかさねよをあかすとも、つくすべからず。よろづおんなごりをしくおぼしめして、とみにもたたせ給はず。しやうくわうはごたいめんの御事を、よくよくよろこびまうさせ給ふ。今年ははたちにみたせ給ふ。おんものおもひにつきひをかさねて、少しおもやせてわたらせたまふにつけても、おんかぶりぎはよりはじめて、あてにうつくしく、おんおもかげさやかならぬつきかげにはえて、いときよげなるおんびんぐきほこらかにあいぎやうづきて、おんじやうえの袖さへあさつゆにしほれにけるも、いとど
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らうたく、こにようゐんににまいらせさせたまひたれば、昔のおんおもかげおぼしめしいでられて、あはれにぞおぼしめされける。「今一度みまいらせずして、いかなる事もやとこころうくさうらひつるに」とて、上皇たたせ給へば、法皇はおんなごりつきせずおぼしめしけれども、ひかげもたかくなれば、「しばし」とも申させ給はず。なにとなきやうにもてなさせ給へども、おんなみだのさうがんにうかばせたまひて、御袖もしほれければ、しるくぞみえさせ給ける。人々も皆たもとをかへし、涙をのごはる。上皇は法皇のりきゆうのこてい、いうかんのじやくまくたるおんすまゐを、おんこころぐるしくみおきまいらせ給へば、法皇は
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又上皇のりよはくのかうきゆう、船のうち、なみの上のおんありさまをいたはしく、誠にそうべうのはちまんかもをさしおきたてまつりて、都をたちはなれ、やへのしほぢをしのぎつつ、はるばるとあきのくにまでおぼしめしたちけむおんこころざしのふかさをば、いかでかしんめいのごなふじゆもなからむ。ごぐわんじやうじゆうたがひなしとぞおぼえし。法皇はしづかにたたせたまひて、ちゆうもんのれんじより、おんうしろのかくれさせたまふまで、のぞきまゐらせをはします。しげのり、ながのり二人のきやう、もんまで参りたまひて、おんこしのさうにさうらはれければ、しやうくわうひそかに、「人こそおほくあれ、かやうに近くつかまつりたまふこそほんいなれ。おんいのりはまうすべし」とおほせありければ、おのおのかしこまりて、かり
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ぎぬの袖をしぼりて、きさんせられにけり。なんもんにみふねまうけたりければ、ほどなくうつらせたまひにけり。おんおくりの人々は是より帰りたまひぬ。あきのくにまで参るくぎやうてんじやうびとは、おのおのじやうえにて参りまうけたり。さきのうだいしやうのずいひやう、ことにきよげにいだしたてて、すひやくきにおよべり。廿六日にいつくしまにごさんちやく。いちにちとうりうありて、ほつけゑおこなはる。ぶがくなどありき。けんじやうおこなはれて、かんぬしさへきのかげひろ、あきのこくしふぢはらのありつね、たうしやのべつたうそんえい、皆くわんどもなりにけり。しんりよにもさうおうし、入道の心もやはらぎぬとぞみえし。さてくわんかうなりにけり。四月七日、しんゐんいつく
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しまのくわんぎよのついでに、大政入道のふくはらへいらせたまふ。八日、けんじやうおこなはれて、入道の孫うちゆうじやうすけもり、じゆしゐのじやう、やうじたんばのかみきよくに、じやうごゐのげにじよす。今日やがてふくはらをいでさせをはします。てらえにおんとどまり有て、九日、京へいらせをはします。おんむかへの人々はとばのくさづへぞまゐられける。くぎやうには、うだいじんきんよしこうのおんそく、うのさいしやうちゆうじやうさねもり一人也。かんぬしをはじめておほうちへせんかうありければ、くぎやう皆それへまゐりたまふとて、只一人とぞきこえし。そのほか、てんじやうのじしん五人ぞ参りたりける。いつくしまへまゐりつる人々はふなつにとどまりて、さがりて京へいりたまひにけり。
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七 廿二日、しんていごそくゐあり。ごそくゐはだいこくでんにておこなはるることなれども、きよきよねんやけにしかば、ごさんでうのゐんごそくゐ、ぢりやくしねんのれいにまかせて、くわんちやうにておこなはるべきにて有けるを、うだいじんはからひまうさせたまひけるは、「くわんちやうはぼんにんにとらばくもんじよ也。だいこくでんなからむ上は、ししんでんにて」、ごそくゐあり。「かうほうしねん十一月十一日、れんぜいのゐんのごそくゐ、ししんでんにてありし事は、ごじやけによつて、だいこくでんへごかうかなはざりしゆゑなり。そのれいいかがあるべかるらむ。ただまぢかくは、ごさんでうのゐんのかれいにまかせて、だいじやうくわんちやうにてあるべきものを」とまうさるる人々をはしけれども、右大臣はからひまうさるる
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むね、さうなかりければ、しさいにおよばず。ちゆうぐうこうきでんよりじじうでんへうつらせたまひて、たかみくらへまゐらせたまひけるおんありさま、いふかたなくめでたし。されどもひそかごとにさまざまのさとしども有けるとかや。平家の人々は、むねもりのきやうはごかうぐぶせられぬ。こまつのおとどのきんだちは、しげもりうせたまひにしかば、これもり、すけもり、きよつねなど皆ぢゆうぶくにて、ろうきよし給へり。ほいなかりしことなり。うひやうゑのかみとももりのきやう、くらんどのとうしげひらのあつそんばかりぞ、しゆつしせられたりける。こうてうにくらんどのうゑもんのごんのすけさだなが、きのふのごそくゐの事にゐらんなく、めでたかりしよし、こまごまと四五枚にかきつづ
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けて、二位殿へまゐらせられたりければ、しやうこく、にゐどのはえみをふくみてぞおはしける。八 いちゐんだいにのみこ、もちひとのわうとまうすは、おんはははかがのだいなごんすえなりのきやうのおんむすめとかや、さんでうたかくらのごしよに渡らせたまひければ、たかくらのみやとぞ申ける。さんぬるえいまんぐわんねん十二月六日、おんとし十五とまうししに、くわうだいこうくうのこんゑがはらのごしよにてしのびて、ごげんぶくありしが、おんとしさんじふにならせたまひぬれども、いまだしんわうのせんじをだにもかうぶらせ給はず。おんしゆせきなどうつくしくあそばして、わかんのさいひいでたまへるじんにてをはせしかば、「位にもつき
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ましましたらば、まつだいのけんわうとも申べし」などまうす人々有けれども、このよにはけいしにてうちこめられさせたまひて、花のもとの春のあそびには、しんぴつおろして、てづからぎよせいをかき、月の前の秋のえんには、ぎよくてきをふきて、みづからがいんをあやつり、しいかくわんげんに御心をなぐさめてぞすごさせ給ける。四月十四日、よふけひとしづまりて、げんざんゐにふだうよりまさ、ひそかにまゐりて申けるは、「君はてんせうだいじんしじふはちだいのごべうえい、だいじやうほふわうだいにのわうじなり。たいしにもたち、帝位にもつかせたまふべきに、しんわうのせんじをだにもゆるされ給はで、既に三十にならせたまひぬ。こころうしとはおぼしめさぬか。
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平家栄花既にみに余り、あくぎやうとしひさしくなりて、只今ほろびなむとす。つらつらことのこころをあんずるに、ものさかりにしておとろふ、つきみちてかく。これてんのみちなり。じんじにあらず。ここにきよもりにふだう、ひとへにぶようのゐをふるひて、たちまちにくんしんのれいをわする。ばんじようそんかうのきみをもおそれず、さんたいてうにんのしんにもはばからず。ただあいぞうのこころにまかせて、みだりがはしくだんかつのけいをとる。にくむところはさんぞくをほろぼし、よみするところごしゆうをてらす。おもひをいつしんのしんぷにたくましうす。そしりをばんにんのしんぼつにかく。てんのせめすでにいたり、じんばうはやくそむく。ときをはかりてせいをたつるは、ぶんのみちなり。ひまにのりて、かたきをうつは、へいのじゆつなり。よりまさそのうつはものにあらざるによつて、そのじゆつにまどへりといへども、ぶりやくいへにうけ、へいはふみにつたふ。つらつらりくせんのぎをかへりみて、いまひつしようのほふをあんずるに、おのれにくはへてやむことをえず。これをようへいといふ。あらそひうらみて
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せうなるがゆゑに、かたずして、ふんぬとす。これをふんぺいといふ。とちをりしてくはほうをもとむ。これをたんへいといふ。こくかのたいなるをたのんで、たみのしゆうををごる。これをけうへいといふ。このたぐひみなぎをそむきれいをそむく。かならずやぶれかならずほろぶ。らんをすくひぼうをちゆうす。これをぎへいといふ。このたぐひすでにみちにかなひほふにかなふ。ももたび戦て百び勝つ。かみはてんいにおうじ、しもはちりをう。ぎへいをあげてげきしんをうちて、ほふわうのえいりよをなぐさめたてまつり、ぐんしんのゑんばうをえらばれんこと、もつぱらこのときにあり。ひをふべからず。いそぎりやうじをくだされて、はやくげんじらをめすべし。なかんづくさうこくさうじやうをかんがへたるに、へいたうめつばうすべし。きげんじゆんじゆく、時をえたり。そのゆゑはねんがうぢしようの二字、ともにさんずい也。中にも承の字をみるに、さんずいとかけり。かたのさまにも、宮のおんともまうして、げきとをしりぞけんずる入
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道、又みづのせいなり。入道じやうかい、うだいしやうむねもり、ふしともにひのせいなり。しちすいをもつて、などかりやうくわをけさざるべき」と申ければ、「このことしんしやうのしごく、てんがのちんじなり。ひとへにふげんをしんじて、しりよなきににたれども、いませんせつするところ、すでにへいはふをえて、よくじんりをわきまへり。ぶんぶことことなれども、つうだつのむねおなじ。あざけつてえきなし。昔、びしいんをさりてしうにいる。きやうはくそにそむきてかんにきす。しうぼつたいわうをむかへて、せうていをしりぞけ、くわくくわうかうせんをたつとびて、しやういふをはいす。これみなそんばうのしるしとみて、はいきようのことをみる。いかがせむ」とおぼしめされけるに、入道かさねて申けるは、「このときいかにもおんぱからひなくは、いつをかごせさせたまふべき。とくとくおぼしめしたつべし。つつみすご
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させたまふとも、つひにあんをんにてはてさせ給はむ事ありがたし。もしさやうにもおぼしめしたたば、入道も七十に余りさうらへども、などかはおんともつかまつらざるべき。よろこびをなして参らむずる者こそ多く候へ」とてまうしつづく。「きやうとには、ではのはんぐわんみつのぶがこ、いがのかみみつもと、ではのくらんどみつしげ、げんはんぐわんみつなが、ではのくわんじやみつよし。くまのには、ためよしがこじふらうくらんどよしもり。つのくにには、ただのくらんどゆきつな、ただのじらうともざね、おなじくさぶらうたかより。やまとのくにには、うののしちらうちかはるがこ、うののたらうありはる、おなじくじらうきよはる、おなじくさぶらうよしはる、おなじくしらうなりはる。あふみのくにには、やまもと、かしはぎ、にしごり、ささきがいつ
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たう。みのをはりのりやうごくには、やまだのじらうしげひろ、かはべのたらうしげなほ、おなじくさぶらうしげふさ、いづみのたらうしげみつ、うらののしらうしげとほ、あじきのじらうしげより、そのこたらうしげすけ、おなじくさぶらうしげたか、きだのさぶらうしげなが、かいでんのはんぐわんだいしげくに、やしまのせんじやうただとき、おなじくやしまのとききよ。かひのくにには、へんみのくわんじやよしきよ、おなじくたらうきよみつ、たけたのたらうのぶよし、かがみのじらうとほみつ、やすだのじらうよしさだ、いちでうのじらうただより、いたがきのじらうかねのぶ、たけたびやうゑありよし、おなじくごらうのぶより、をがさはらのじらうながきよ。しなののくにには、をかだのくわんじやちかよしがこ、をかだのたらうしげよし、ひらがのくわんじやもりよし、おなじくたらうよしのぶ、
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たてはきのせんじやうよしかたがこ、きそのくわんじやよしなか。いづのくにには、ひやうゑのすけよりとも。ひたちのくにには、ためよしがこよしともがやうじ、さぶらうせんじやうよしのり、さたけのくわんじやまさよし、おなじくたらうよしすゑ。むつのくにには、よしともがばつし、くらうくわんじやよしつね。これらはみなろくそんわうのべうえい、ただのしんぼちまんぢゆうがこういんなり。だいしゆをもふせき、きようどをもしりぞけ、てうしやうにあづかり、しゆくばうをもとげし事は、げんぺいりやうししようれつなかりしかども、たうじはうんでいのまじはりをへだてて、しゆうじゆうのれいよりもはなはだし。わづかにかひなきいのちをいきたれども、国々のたみひやくしやうとなりて、ところどころにかくれゐたり。国にはもくだいにしたがひ、しやうにはあづかりどころにつかへ、くじざふえきにかりたてられて、
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よるもひるもやすきことなし。いかばかりかはこころうくさうらふらむ。きみおぼしめしたちてりやうじをだにくだされさうらはば、皆夜をひにつぎてうちのぼり、平家をほろぼさむ事、にちこくをめぐらすべからず。平家をほろぼして、法皇のうちこめられておはします御心をもやすめ奉らせたまひなば、かうのいたりにてこそさうらはめ。しんめいも必ずめぐみをたれたまふべし」など、こまごまと申ければ、このこといかがあるべかるらむと、かへすがへすおぼしめされけれども、せうなごんこれながと申ける人は、あこまるのだいなごんむねみちのきやうのまご、びんごのせんじすゑみちのこ也。めでたきさうにんにてをはしければ、時の人、さうせうなごんとぞ申ける。そのひとのこのみやをば、「位につきたまふべきさうをは
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します。てんがのことおぼしめしはなつべからず」とまうししかば、「しかるべき事にてこそ有らめ」とおぼしめして、りやうじをしよこくへおぼしめしたちたまひにけり。かのりやうじにいはく、
「くだすとうせんとうかいほくろくさんだうしよこくのぐんびやうとうのところ
はやくきよもりほふしならびにじゆうるいほんぎやくのともがらをついたうせらるべきこと
みぎさきのいづのかみじやうごゐのげかうみなもとのあつそんなかつな、さいしようしんわうのちよくせんをうけたまはるにいはく、きよもりほふしならびにむねもりら、ゐせいをもつてていわうをほろぼし、きようどをおこしてこくかをほろぼす。ひやくくわんばんみんをなうらんして、ごきしちだうをりやくりやうす。くわうゐんをへいろうし、しんこうをるざいす。かだましくくわんしよくをうばひて、ほしいままにてうしようをぬすむ。
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これによつて、ぶぢよはきゆうしつにとどまらず、ちゆうしんはせんとうにつかへず。或はしゆがくのそうとをいましめ、ごくしやにしうきんし、あるいはえいさんのけんまいをもつて、むほんのらうにあつ。ときにてんちことごとくかなしみ、しんみんみなうれふ。よつていちゐんだいにのみこ、かつうはほふわうのいうきよをやすめたてまつらんがため、かつうはばんみんのあんどをおぼしめすによつて、むかしじやうぐうたいし、もりやのげきしんをはめつせしがごとく、ほんぎやくのいちるいをちゆうして、むかのしかいををさむるなり。しかればすなはち、げんけのともがら、かねてはさんだうしよこくのぶようのやから、よろしくよりきをげんめいにくはへて、ちゆうばつをきよもりにいたすべし。もししゆこうあらんにおいては、ごそくゐののち、あておこなはるべきなりてへれば、せんによつてこれをおこなふ。ぢしようしねんしぐわつぴ いづのかみじやうごゐのげみなもとのあつそん
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きんじやう さきのうひやうゑのすけどの」とぞくさだされける。
しんぐうの十郎をめして、「りやうじをもちてよりともがもとへくだれ」とおほせくだされければ、「ちよくかんのみにて候へば、かなひ候まじ」と申せば、「そのいはれあり」とて、しんぐうのじふらうをくらんどになされて、よしもりとなのりけるをかいみやうして、ゆきいへとなのらせけり。よつてしんぐうのじふらうくらんどゆきいへ、たかくらのみやのりやうじをたまはりて、ぢしようしねん四月廿八日にひそかに都をいでにけり。おなじき五月八日、いづのほうでうへくだりつきて、ひやうゑのすけにみやのりやうじをたてまつる。兵衛佐、この令旨をたまはりて、国々のげんじらにせぎやうせらる。そのじやうにいはく。
さいしようしんわうのちよくめいをかうぶるにいはく、とうせんとうかいほくろくだうのぶようにたへん
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ともがらめしぐして、りやうじをまもりて、よういをらくやうにいたすべしてへれば、きんごくのげんじら、さだめてさんかしたてまつらむか。ほくろくだうのようじらは、せたのへんにさんかうせしめて、しやうらくをあひまちて、らくちゆうにぐぶせらるべきなり。しんわうのおんけしきによつて、しつたつくだんのごとし。
ぢしようしねんごぐわつ ぴ さきのうひやうゑのごんのすけみなもとのあつそん
九 いちゐんは、「なりちかなりつねが如く、とほきくにはるかのしまにもはなちうつされむずるやらむ」とおぼしめしける程に、せいなんのりきゆうにとぢられて、春もすぎ、夏もなかばにたけにけり。五月十二日、法皇常よりも御心すみわたりて、いつものおんつとめながらおんきやうをあそばしければ、はちくわんふげん
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ぼんにかからせたまひける時、いづくよりきたりけるやらむ、いたちおんまへににさんべんばかりはしりまはりて、ぎきめきなきて、法皇を守らへまゐらせてうせにけり。是を御覧ぜらるるに、いよいよおんこころぼそくて、「きんじうてうるいのなかにぜんあくせんべうをしめすもの多し。かれはあくにかたどれるせんさうをしめすけだものなり。このうへにわがみいかなるうきめをみんずらむ。まことにとほきくにはるかのうみへもやはなたれむずらむ。ねがはくはふげんだいし、じふらせつによ、こんじやうごしやうたすけさせ給へ」と、御涙をうかべてごきねんありける程に、とのもんのかみみつとほ、そのときにげんくらんどなかかぬとまうしけるが、余りにおぼつかなくおもひまゐらせて、しのびてとばどのへまゐり
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たりければ、御前には人一人も候はず。なかかぬをめして、「只今かかる事ありつ。いかやうなる事やらむと、やすちかにありのままにかんなぎつかまつりて奏すべし」とごぢやうありて、そのうらかたをたまはりたりければ、なかかぬやがておほせをうけたまはりて、都へはせかへりて、おんやうのかみやすちかに是をいそぎかたりければ、やすちか、せいめいさうでんのしゆじゆのひしよを開て、ぼくぜいして、うちえみたるけしきして申けるは、今さんがにちのうちにおんよろこびとそうもんしたまふべきよしを申けり。なかかぬ、又とばどのへ参て、このよしをそうもんしければ、「いちだうの者はけうまんなきこそうるはしけれ。なにごとのよきことかあるべき。わがこころをなぐさめむとて、かやうにまうすやらむ」と、法皇おぼしめされける程に、おなじき十五日
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に、とばどのよりれいのぐんびやう多くぜんごさうにうちかこみて、はちでうからすまるのごしよへごかうなし奉る。これは、うだいしやうむねもりしきりになげきまうされければにやらむ、入道やうやくおもひなほりて、かやうにかへしいれ奉りけるなり。「ことわりや、このやすちかはせいめいごだいのあとをうけてしかば、ぼくぜいつゆもたがふべからず」とぞおぼしめされける。さんぬる十二日にこのことありて、いくほどもなく、りやうさんにちのあひだにくわんぎよ。まうしてもまうしてもいみじかりけるぼくぜいかな。十 どうにちにたかくらのみやのごむほんの事あらはれおはす。いんじ四月廿八日に、じふらうくらんどゆきいへ、高倉宮の令旨をひそかにたまはりて、いづのくにへくだりてひやうゑのすけに奉り、あんをかきてよしつねにみせむとて、それよりあうしう
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へおもむきけり。ゆきいへはへいぢよりこのかた、くまのにきよぢゆうしければ、しんぐうによりきする者多かりければ、なにとなくそのよういをぞしける。このことよにひろう有ければ、なちのしゆぎやうごんのじしゆしやうじしゆかくごほつけう、らごらほつけう、とりゐのほつけう、かうばうのほつけうら申けるは、「しんぐうのじふらうよしもりこそ、たかくらのみやにかたらはれたてまつりて、平家をうたむとて、げんじどもをもよほさむが為に、とうごくへげかうしけるよしきこゆれ。さやうのあくたうをくまのにこめたりけりと、平家にきこえ奉らむ事、はなはだおそれあり。たうじよしもりこそなけれども、しんぐうをひとやいばや」とて、なちのしゆとをはじめとして、くまののじやうがうらことごとくいでたちけり。是を聞て、新宮の
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しゆとら、いちみどうしんして、じやうくわくをかまへてあひまちけり。ほんぐうのしゆとはおもひおもひにつきにけり。たなべのほつけうをたいしやうぐんとして、なちの衆徒、ならびにしよじやうがうらくわいがふして、二千よきのぐんびやうをそつして、五月十日、新宮のみなとにおしよせて、平家のかたにはかくごをさきとしてせめたたかふ。源氏のかたには、かくごをきれとて、あづさのまゆみのつるたりもなく、みつめのかぶらのならぬまもなく、いちにちいちやぞ戦ひける。なちのしゆとら多くうたれて、きずをかうぶる者そのかずをしらず。ことごとくかけちらされて、おのづからうたれぬ者はただ山へのみぞにげいりける。是をみて新宮のしゆとら申けるは、「源氏と平家とのくにあらそひのいくさはじめに、かみの
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いくさに平家はまけて、源氏はかちぬ」とぞ、いちどうによろこびあへりける。そのころくまののべつたうかくおうほふげんといひける者をば、おほえの法眼とぞ申ける。これはろくでうのはんぐわんためよしが娘の腹にて有ければ、ははかたげんじなりけれども、よにしたがふ事なれば、平家のいのりのしとなりたりける故にや、かくおうほふげんろくはらへ使者をたてて申けるは、「しんぐうのじふらうよしもりこそ、たかくらのみやにかたらはれまゐらせて、むほんおこさむとて、源氏もよほさむが為に、とうごくにくだりてさうらふなれ。しかるあひだ、かのよたうらをせめんとして、君にしられぬみやじとおんかたうどつかまつりて、しんぐうにおしよせて、かつせんすこくつかまつりさうらひぬ。しかるによせて多くうたれて、いくさにまけて、じやうがうならびに
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なちのしゆとら、さんりんにまじはるべきにて、あんどしがたくさうらふ。そのよしいそぎおんたづねさうらへ。しんぐうのしゆとら、よしもりにどういのでう、もちろんの上は、よせいをたまはりて、新宮をせむべき」よしをぞ申ける。にふだうしやうこくこれをききておほきにおどろきて、一門の人々、おのおのあわてさわぎてはせあつまる。いけのちゆうなごんよりもり、ちゆうぐうのすけとももり、くらんどのとうしげひら、ごんすけぜうしやうこれもり、しやていさせうしやうすけもり、うせうしやうきよつね、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、さぶらひにはひだのかみかげいへ、おなじくたいふはんぐわんかげつな、つのはんぐわんもりずみ、かづさのたらうはんぐわんただつな、ゑつちゆうのせんじもりとし、せきより東のさぶらひには、はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげ、うつのみやのやさぶらうともつな、
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たうの者には、なすのごばうざゑもん、これらをはじめとして、平家のけにんじゆうるいら、そのかずをしらずはせあつまりけり。にふだうしやうこく、このひとびとにむかひてのたまひけるは、「あはれ、しんぐうのじふらうめをへいぢにうしなふべかりしを、入道があをだうしんをしてすておきたれば、今かかる事をきくよ。よりともが事は、いけのあまごぜんいかにまうしたまふとも、入道ゆるさずは、いかでかいのちをいくべき。やすからぬことかな」とていかりたまひけり。こうくわいさきにたたずとは、かやうの事をいふにや。かづさのかみただきよ、入道のごぜんにすすみいでて申けるは、「源氏のかたうどはたれにてさうらふやらむ」。「たかくらのみやぞかし」。「ささうらはば、せいのつかぬさきに宮をいけどりまゐらせて、いづれの国へもるざいし奉りさうらはばや」。「もつとも
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しかるべし」とぞのたまひける。たかくらのみやごむほんのおんくはたてありとて、あひかまへていけどりまゐらせて、とさのはたへうつしたてまつるべきよし、ぎぢやうあり。「しやうけいはさんでうのだいなごんさねふさのきやう、しきじはくらんどのうせうべんゆきたか」とぞきこえし。べつたうへいだいなごんときただのきやう、おほせをうけたまはりて、けんびゐしげんだいふのはんぐわんかねつな、ではのはんぐわんみつながをたいしやうぐんとして、かのみやのごしよへぞさしむけられける。ほふわうはとばどのにて、おんみみのよそにきこしめさるれば、「いかがはせむ。これひとのうへのことならず。いまさらにこのおんことをまのあたりみたてまつる事こそはじめて悲しけれ」と、おんなげきの色ひときは深くぞおぼしめされける。
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十七のあさ、だいじやうにふだうのもんの前にふだを書てたてたりけり。「山門のだいしゆ、高倉宮のおんかたらひをえて、平家の一門をついたうの為に、京へうちいらむとす」といふ事也。平家の一門おほきにさはぎて、武士をさんでうきやうごくのへんへはせむかはせたりけれども、ほふしばら一人もみえず、あとかたなきそらごとなり。かかりければ、「宮をさておきたてまつればこそ、かやうにそらごとをもいひいだし、われらもきもをもつぶす事なれ。宮をいけどり奉てるざいし奉りぬるものならば、そのおそれあるべからず。いそぎもちひとのみやをとさのくにへはいるしたてまつるべきよし、りやうしやうにおほせふくめらる。さてもげんだい
P1699
ふのはんぐわんかねつな、ではのはんぐわんみつながら、三千よきのぐんびやうをいんぞつして、さんでうたかくらへ参て、かのごしよをうちまきて、「みやごむほんのよしをうけたまはりて、おんむかへにみつなが、かねつな参て( )候。いそぎろくはらへごかうなるべきにて候」とまうしいる。しかりといへども、さきだちてこのよしきこしめされければ、かねてうせさせたまひにけり。ここにさきのさひやうゑのじようはせべののぶつらとて、てんがだいいちのかうの者、そばひらみずのゐのししむしやあり。としごろおんあるじゐうちして朝夕にさうらひければ、参るべかりけるが、いそぎいでさせおはしましぬれば、ごしよにみぐるしきことなども有らむとて、さがりまゐらせて、みまはらむと
P1700
おもひてとどまりたりけるが、うすあをのひとへ、かりぎぬの戸前あげたるきつつ、三尺五寸のたちわきにはさみてさしいだしつつ、さはがぬていにて、みつながにむかひて申けるは、「このほどは、これはごしよにてはさうらはぬぞ。とくかへりてそのよしをまうさるべし」といひけるは、かねつなが申けるは、「御所はいづくにてさうらふやらむ。参てせんげのおもむきをまうすべし」といひければ、光長が申けるは、「子細にや及ぶ。御所をうちまきてもとめまゐらせよ」とげぢしければ、のぶつらがいはく、「君はわたらせ給はぬといふうへを、かくらうぜきなるやうやはある。物もおぼえぬゐなかけんびゐしかな」といふほどこそあれ、狩衣の
P1701
おびひもひききりつつぬぎすてて、したはらまきをきたりけるが、はかまのそば高くはさみ、おほだちをさとぬくとぞみる程に、光長が前へとびてかかりければ、かねたけといひけるくつきやうのはうべむの有けるが、うちがたなをぬきあはせて中にへだたりければ、それをばうちすてて、御所へみだれのぼりたりけるらうどう十よにんが中へはしりいりて、さんざんにたたかひければ、このはの風にふかれてちるが如く、さと庭へおりぬ。いなづまのごとくに程なしとおもひけれど、七八人ばかりはきずをかうぶりぬ。庭に( )おひちらして、ごひさうのおんふえの、ぎよしんじよのおんまくらがみにおかれたりけるをとりつつ腰に
P1702
さして、こもんよりはしりいでて、「このむかひへ宮のいらせたまひぬるぞ。にがしまゐらすな」とて、かたをりどの有けるをふみあけて、しりへついとほりつつ、なかがきをとびこえてろくかくおもてへいでて、東をさしてゆきけれど、うちとどむる者なかりけり。そうじてこののぶつらは、弓矢をとりて命ををしまず、どどかうみやうしたりし者也。中にもにでうたかくらにてがうだういりて、さんざんにらうぜきをす。ばんしゆとどめかねてあます所を、さんでうばうもんたかくらにてこののぶつらが六人にゆきあひて、四人やにはにきりふせ、二人いけどりにして、そのときのけんじやうに今のさひやうゑのじようになされし者也。さてもかねつな、光長
P1703
はよもすがら御所の内、ならびにきんぺんの家々をあなぐりもとめまゐらせけれども、渡らせ給はず。かねつながちちにふだうがもとへ夢みせたりけるとかや。十一 げんざんゐにふだうのまうしすすめとも平家はしらずして、げんだいふのはんぐわんをしもさしそへられける、ふしぎなり。宮はすこしもおぼしめしよらず、さみだれのはれまの月を御覧じて、御心をすましつつおはしましけるに、「げんざんゐにふだうのもとよりおんふみありとて、つかひあわてたるけしきにてはしりたり」と申ければ、なにごとやらむとて、いそぎ御覧じければ、「君よをみださせたまふべきおんくはたてありとて、
P1704
とりまゐらせにけんびゐしあまたまゐりてさうらふなるぞ。かねつなもそのうちなり。ひとまどなりとも、とくとくたちしのばせ給へ。入道もまゐるべくさうらふ。きやうぢゆうはいづくもあしくさうらひなむ。いかにもしてみゐでらまでだにことゆゑなく渡らせたまひなば、さりとも」と申たり。是を御覧じて、あさましともいふはかりなし。さだいふむねのぶといふひとをめして、「こはいかがせむずる」とおほせありけれども、それもあはてわななくよりほか、たのもしげなし。のぶつらをめしておほせありければ、おんもとどりをみだして、にようばうのうすぎぬをきせまいらせつつ、いちめがさといふものをたてまつらせて、走りいでさせたまひぬ。ごしよぢゆうの人々も
P1705
しりまいらせず。くろまるといふちゆうげん、さだいふむねのぶばかりぞまゐりける。宗信けしかるひたたれこばかまきて、からかさもちたり。黒丸にふくろひとつもたせて、せいしていの者の女むかへてゆくとみえたり。さみだれのころなれば、雲はれて月くまなし。みぞのひろかりけるを、しやくとこえさせたまひたりければ、あひ奉りたりける人の、女房と思へば、「はしたなくもこゆるものかな」とおもひげにて、たちとどまりてあやしげにみまいらせけるこそ、さだいふはいとどひざふるひて、あゆまれざりけれ。昔けいかうてんわうのだいにのみこ、をうすのわうじ、いこくをたひらげにくだり給けるにこそ、をとめのかたちをかりて、ぞく
P1706
の三かはかみのたけるをばほろぼし給たりけれ。などや是は、むかしいまこそことならめ、わがおんみをほろぼし給けむ。ぜんぜのごしゆくごふをさつしたてまつるこそあはれなれ。宮は七八丁ばかりのびさせたまひぬらむとおぼゆる程にぞ、けんびゐしまゐりたりける。さえだといふひさうのおんふえありけり。夜も昼もおんみをはなちたまはざりけるを、忘れさせたまひたりけるを、くちをしきことにおぼしめして、たちも帰らせたまひぬべくおぼしめしけれども、いふにかひなし。それにのぶつらがおひつきまゐらせて、こんゑのひがしのかはらの程にて、「おんふえとりてこそ参たれ」と申ければ、まことかやとて、なのめならずよろこばしげにおぼしめしたりければ、腰よりぬきいだしてまゐらせたりけり。さだいふむねのぶ、
P1707
ろくでうのさいしやういへやすのおんまご、さゑもんのすけむねやすがこ也。「高倉の宮うせさせたまひぬ」といひけるより、ろくはらもきやうぢゆうもはしりさわぎける上に、山のだいしゆ、既にさんでうきやうごくのへんにくだるよしきこえければ、平家の人々、だいしやういげのぐんびやうはせこみて、騒ぎあはるる事なのめならず。されどもひがことにてぞ有ける。てんぐのよくあれにけるとぞおぼえし。高倉の宮と申も、法皇のみこにておはしませば、よそのおんことにあらず。「いつしかやがてかかるあさましきこといでたれば、ただとばどのにしづかにておはしまさで、よしなく都へいでにけるかな」とぞおぼしめす。だいじやうにふだうのちやくし、こまつのないだいじんしげもり、去年八月にうせたまひにしかば、じなん
P1708
さきのうだいしやうむねもりにわくかたなくせけんの事ゆづりて、入道ふくはらへくだりたまひたりしてあはせに、だいしやうふかくして、宮をにがしまいらせたる事、くちをしとぞひとまうしける。十二 十九日、たかくらのみやみゐでらににげこもらせたまふよし、きこえけり。御馬にだにも奉らざりけり。ひといちりやうにんぞおんともにさうらひける。ひがしやまにいらせ給て、よもすがらによいやまをこえさせたまひけり。いつあゆませたまひたるおんあゆみならねば、なつくさのしげみが下のつゆけさ、さこそ所せく、みあしみなそんじて、つかれよはらせたまひつつ、みやまの中を心あてにたどり渡らせ給ければ、白くうつくしきみあしはむばらの為に
P1709
赤くなり、黒くみどりなるおんぐしは、ささがにの糸にまとはれぬ。をりしもほととぎすのひとこゑかすかにきこえければ、御心のうちにかくぞおぼしめしつづけさせたまひける。ほととぎすしらぬやまぢにまよふにはなくぞわがみのしるべなりける K068
むかしてんむてんわう、おほとものわうじにをそはれて、よしののやまへいらせたまひけむも、いまさらにおぼしめしいだされて、あはれにぞおぼしめされける。おんともの人々、御手をひかへ肩にかけまゐらせて、あひかまへてみゐでらへかかぐりつかせたまひて、「われ平家にせめられて、のがれがたかりつるあひだ、かひなき命のをしさに、しゆとをたのみてきたれり。たすけてむや」となくなくおほせられければ、
P1710
しゆとほうきして、かひがひしくごしよしつらひいれまゐらせ、さまざまにいたはり奉る。
十三 廿日、げんざんゐにふだう、おなじくしそくいづのかみなかつな、げんだいふのはんぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかより、そのこくらんどたらうなかみつ、わたなべたうらをあひぐして、よるにいりてこんゑがはらのしゆくしよにひをかけて、みゐでらへは参りにけり。げんだいふのはんぐわんかねつなは、入道のをひをやしなひて、じなんにたてたり。これによつて、むほんのぎは兼綱にはしらせず。このときにこそ兼綱は、「たにんはせざりけり。ちちにふだうのしわざよ」とおもひけれ。わたなべたうの中にきほふのたきぐちは、入道のともにはもれにけり。どうれうどもがまうしけるは、「きほふに
P1711
このことをしらせさうらはで、いかさまわれらはうらみられさうらひぬ」と申。いづのかみのたまひけるは、「よしよしくるしかるまじ。むねもりのしゆくしよちかければ、このこときこえなばあしかりなむ。しらせずとも、競さる者なれば、参らむずらむ」とのたまふ。競はこの事ききて、「うたてくもこの事をばしらせ給はぬものかな。只今参らむ」と思へども、「うだいしやうむねもりのむかひ也。馬よくらよとせむ程に、きこえなばあしかりなむ」とて、やすらふ。宗盛はげにんをよびたまひて、「むかひのしゆくしよにきほふはあるか。みてかへれ」とのたまひければ、ほどなくかへりて「そのけもなくてさうらふなり」とこたふ。「いかになほみよ」とてつかはす。またはしりかへりて、「おなじやうにて候」と申。「競めせ」とてめされけり。たきぐちまゐり
P1712
たりければ、「いかに、さんゐにふだうどのはみゐでらへときくに、おのれはゆかぬか」。「さ(ん)ざうらふ。ひごろはずいぶん人にもこえてこそさうらひつれども、今はかくのこしとどめられぬる上は、おひて参るにおよばず」と申。「さらば我につかへよかし」。きほふ「さうけたまはりぬ」と申。宗盛かねてより、哀れとおもはれけるびんぎに、をりをよろこびて、「競にさけのませよ」とて、さけとりいだして、しゆじゆのひきでものしたり。中にもくろかはをどしのよろひに、ゆみやたちどもひかれたり。そのうへなほ、とほやまとてひさうしたる馬に、くらおきてひかれたり。競「かくてあらばや」とは思へども、「けんじんはじくんにつかへず。ていぢよはりやうふにまみえず」といふ事
P1713
なれば、ひごろのぢゆうおんをわするるにおよばず。宗盛「きほふはあるか」、「さうらふ」とたびたびまうしながら、よふけひとしづまりければ、えたりけるよろひき、かぶとのををしめ、馬にうちのりて、むちをあげて、三井寺へはせまゐる。どうれうどもにあひて、「いかにとのばらはすておきて、しらせ給はざりつるぞ」とうらみければ、おなじことばに申けるは、「『しらせむ』とまうしつれども、かうのとのの『宗盛の宿所の近ければあしかりなむ。競さる者なれば、しらせずとも参らむずらむ』とおほせられつれば、ちからおよばず」と申ければ、競、「さてはうへにもいまだおぼしめしはなたせたまはざりけり」とよろこび、にふだうどの、いづのかみの前にまゐりて、「きほふこそもつてのほかにひがこと
P1714
してさうらへ。だいしやうどののよろひかぶと、むまともに取て参たり」とて、事のしさいかたりまうして、「人のたばぬ物を取たらばこそひがことならめ」と申ければ、入道、伊豆守をはじめとして、じやうげのしよにん、一度にはとわらひけり。
十四 さるほどにしゆとせんぎして、山門ならびに南都へてふじやうをおくる。そのじやうにいはく。
をんじやうじてふす えんりやくじのが
ことにかふりよくをいたしてたうじのぶつぽふはめつをたすけられんとおもふじやう
みぎ、にふだうじやうかい、ほしいままにわうぼふをうしなひ、またぶつぽふをほろぼず。しうたんきはまりなき
P1715
あひだ、さんぬるじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじ、ふりよのなんをのがれむがために、にふじせしめたまふところなり。ここにゐんぜんとかうして、いだしたてまつるべきせめありといへども、こじせしむるところに、くわんぐんをつかはさるべきむね、そのきこえあり。たうじのはめつ、まさにこのときにあたる。えんりやく、をんじやうりやうじは、もんぜきふたつにあひわかるといへども、がくするところはこれゑんどんいちみのけうもんにおなじきなり。たとへばとりのさいうのつばさのごとし。またくるまのふたつのわににたり。いつぱうかけむにおいてはいかでかそのなげきなからむやてへれば、ことにかふりよくをいたし、ぶつぽふのはめつをたすけられば、はやくねんらいのゐこんをわすれて、ぢゆうさんのむかしにふくせん。しゆとのせんぎかくのごとし。よつててふそうくだんのごとし。
P1716
ぢしようしねん五月十七日 せうじしゆほふしせいか
とゐなだいほふしていさん
じしゆだいほふしえいけい
じやうざほつけうしやうにんちゆうせい
をんじやうじてふす こうぶくじのが
ことにかふりよくをかうぶりてたうじのぶつぽふはめつをたすけられむとこふじやう
みぎ、ぶつぽふのしゆしようなることは、わうぼふをまもらむがため、わうぼふまたちやうきうなること
P1717
は、すなはちぶつぽふによるなり。しかるをきやうねんよりこのかた、にふだうさきのだいじやうだいじんたひらのきよもり、ほしいままにこくゐをぬすみて、てうせいをみだり、うちにつけほかにつけ、うらみをなしなげきをなすあひだ、こんぐわつじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじ、たちまちにふりよのなんをまぬかれんがために、にはかににふじせしめたまふ。しかるにゐんぜんとかうして、たうじをいだしたてまつるべきよし、せめありといへども、いだしたてまつるにあたはず。しゆといつかうにこれををしみたてまつる。かのぜんもん、ぶしをたうじにいれむとほつす。わうぼふといひぶつぽふといひ、いちじにまさにはめつせんとほつす。しよしゆなんぞしうたんせざらん。むかしたうのゑしやうてんし、ぐんびやうをもつてぶつぽふをほろぼさしめしとき、しやうりやうせんのしゆ、かつせんをしてこれをふせく。わうけんなほかくのごとし。いかにいはむやむほんはちぎやく
P1718
のともがらにおいてをや。たれびとかけふせいすべきや。なかんづくなんきやうは、れいなくてつみなきちやうじやをはいるせらる。定位田内うごくらむ。こんどにあらずは、いづれのひかくわいけいをとげむ。ねがはくはしゆと、うちにはぶつぽふのはめつをたすけ、ほかにはあくぎやくのはんるいをしりぞけば、どうしんのいたり、ほんくわいにたりぬべし。しゆとのせんぎかくのごとし。よつててふじやうくだんのごとし。
ぢしようしねん 五月十七日
なんとよりのへんてふにいはく、
こうぶくじてふす をんじやうじのが
P1719
らいてふいつしにのせらる。きよもりにふだうじやうかいがために、きじのぶつぽふをほろぼさむとほつするよしのこと。
てふす、こんぐわつにじふにちのてふじやう、おなじきにじふいちにちたうらいす。ひえつのところ、ひきあひまじはる。いかんとならば、たがひにてうだつがましやうをふくすべし。そもそもきよもりにふだうは、へいじのさうかう、ぶけのぢんかいなり。そぶまさもり、くらんどごゐのいへにつかへて、しよこくのじゆりやうのむちをとる。おほくらのきやうためふさ、かしうししのいにしへ、けんびゐどころにふし、しゆりのだいぶあきすへ、はりまのたいしゆたりしむかし、むまやのべつたうしきににんず。しかるをしんぶただもりのあつそんにおよび、しよう
P1720
でんをゆるされしとき、とひのらうせう、みなほうこのかきんををしみ、ないげのえいかう、おのおのばたいのしんもんになく。ただもりせいうんのつばさをかいつくろふといへども、せじんなほはくをくのたねをかろんず。なををしむせいし、そのいへにのぞむことなし。しかるにいんじへいぢぐわんねん、だいじやうてんわういつせんのこうをかんじて、ふしのしやうをさづけたまひしよりこのかた、たかくしやうこくにのぼり、かねてひやうぢやうをたまはる。なんしあるいはたいかいをかたじけなくし、あるいはうりんにつらなる。によしあるいはちゆうぐうしきにそなはり、あるいはじゆんごうのせんをかうぶる。くんていそし、みなきよくろをあゆみ、そのまごかのをひ、ことごとくちくふをさく。しかのみならず、きうしうをとうりやうし、はくしをしんだいして、みなぬびぼくじゆうとす。いちもうこころにたがへば、すなはちわう
P1721
こうといふといへどもこれをとらへ、へんげんみみにさかふれば、またくぎやうといふといへどもこれをからむ。これをもつてもしはいつたんのしんみやうをのべむがため、もしはのがれむとほつしてへんしのりようじよくを、ばんじようのせいしゆ、なほめんてんのこびをなし、ぢゆうだいのかくん、かへりてしつかうのれいをいたす。だいだいさうでんのけりやうをうばふといへども、しやうさいもおそれてしたをまきみやみやさうじようのしやうゑんをとるといへども、けんゐにはばかりてものいふことなし。かつにのるあまり、去年の冬十一月、たいしやうくわうのすみかをついふくし、はくりくこうのみをおしながす。ほんぎやくのはなはだしきこと、まことにここんにたえたり。そのときわれら、すべからくぞくしゆにゆきむかふべく、そのつみをとふべきなり。しかれどもあるいはしんりよをあひはかり、あるいはわうげんとしようするによつて、うつたうをおさへてくわういんをおくるあひだ、
P1722
かさねてぐんびやうををこして、いちゐんだいにのしんわうぐうをうちかこむところに、はちまんさんじよ、かすがごんげん、すみやかにやうがうをたれてせんひつをささげ、きじにおくりつけて、しんらのとぼそにあづけたてまつる。わうぼふつくべからざるよし、あきらけし。したがひてまたきじ、しんみやうをすてて、しゆごしたてまつるでう、がんじきのたぐひ、たれかずいきせざらむ。われらゑんゐきにありて、そのなさけをかんずるところに、きよもりにふだう、なほきようきをおこして、きじにいらんとほつするよし、ほのかにうけたまはりおよぶをもつて、かねてよういをいたす。十七日たつのこくに、だいしゆをおこし、十八日、しよじにてふそうし、まつじにげぢして、ぐんしをえてのち、あんないをたつせむとほつするところに、せいてうとびきたり、はうかんをなげたり。すじつのうつねん、いつしにげさん
す。かの
P1723
たうかしやうりやういつさんのひつすう、なほぶそうのくわんびやうをかへす。いはむやわこくなんぼくりやうもんのしゆと、なんぞぼうしんのじやるいをはらはざらん。よくりやうゑんさうのぢんをかためて、よろしくわれらがしんぱつのつげをまつべしてへれば、しゆうぎかくのごとし。よつててふそうくだんのごとし。じやうをさつしてぎたいをなすことなかれ。もつててふす。
ぢしよう四年五月廿一日
とぞ書きたりける。そのうへ、南都にはしちだいじにてふじやうを送る。まづ東大寺へてふじやうを送る。そのじやうにいはく。
こうぶくじのだいしゆてふす とうだいじのが
P1724
はやくまつじまつしやをかりて、ぐぶせられて、こんみやうのうちにらくやうにはつかうして、をんじやうじのしやうめつをすくはんとほつするじやう
てふす、しよしゆうことなりといへども、みないちだいのしやうげうよりいづ。しよじまちまちなりといへども、おなじくさんぜのぶつざうをあんず。なかんづく、をんじやうじは、みろくによらいじやうぢゆうのれいくつなり。われらはあそうのながれをうけ、じしのけうもんになる。きじは、はつしゆうのけうぼふ、あひならびて、これをがくす。あにかのてらをおくせざらむや。しかるにくわらくのもと、いつしんのあやつりあり。へいぢぐわんねんよりこのかた、しかいはちえんをあふりやうし、はくしりくきゆうをぬびとす。いちもうこころにたがへば、すなはちわうこうといふといへども、もつてこれをとらへ、へん
P1725
げんおもひにそむけば、すなはちしやうけいたりといへども、もつてこれをひしほにす。ここをもつて、さうでんのかくん、かへりてしつかうのれいをなし、ばんじようそんちようのこくわう、ほとんどめんてんのこびをいたす。つひにてうかうしろくのはかりことをめぐらして、いよいよわうぼふをほろぼす。あまつさへふつさひざうのあとをおひ、まさにぶつけをうしなはむとす。すなはちこんみやうのあひだ、をんじやうじをさんがいせむとほつすとうんうん。いまだおこらざるよりさきにあひすくはずは、われらひとり、まつたくなんのせんあらむや。しかればすなはち、ふじつにへいをととのへて、きやうくわにむかはんとほつす。ぶつぽふのこうはい、ただこのことにあり。かつうはぶつじんにきせいし、まぐんをがうぶくすべし。かつうはまつじしやうえんをかりて、ぐぶせられば、よろしくてんちのしんりよにかなひ、なんぼくのぶつぽふをたもつべきのみ。よつてあらあらいうしよをしるして、
P1726
てふそうくだんのごとし。こふやじやうをさつして、ちいんせしむることなかれ。ゆゑにてふす。
ぢしようしねんごぐわつ ぴ こうぶくじのだいしゆら
やくしじとうのてふじやう、たいていとうだいじのてふじやうのごとし。ぢしようしねん五月十七日に、てんが、ださいのそつたかすゑ、さきのだいなごんくにつな、べつたうときただ、しんさいしやうのちゆうじやうみちちか、しんゐんにまゐらる。たかくらのみやのことぎぢやうあり。うちゆうべんかねみつのあつそん、てんがのおほせをうけたまはりて、みげうしよを、こうぶくじのべつたうごんのそうじやうげんえん、ごんのべつたうごんのせうそうづざうしゆんがもとへつかはされけり。をんじやうじのしゆと、みだりがはしくちよくめいをそむく。
P1727
えんりやくじまたどうしんして、てふをおくるよしふうぶんす。さらにどういすべからざるおもむきなり。こんせきまたをんじやうじのそうがうじふにんをめさる。さきのだいそうじやうかくさん、そうじやうばうかく、ごんのそうじやうかくち、さきのごんのそうじやうこうけん、ほふいんじつけい、ごんのだいそうづかうじよう、ごんのせうそうづしんゑん、ほふげんかくけいとぞきこえし。かくさん、じつけいはまゐらざりけり。おのおのほんじにまかりむかひて、たかくらのみやをいだしたてまつるべきよし、しゆとにおほせふくむべきよしをぞ、おほせくだされける。またざすめいうんそうじやうをめされて、さんもんどうしんすべからざるよしを、おほせくだされけり。そのじやうにいはく。
P1728
えんりやく、をんじやうりやうじのきようど、ひごろけいぎあるよし、ふうぶんせしむといへども、さらにしんようなきところに、みゐのそうりよ、すでにちよくかんのひとをまねきよせて、じちゆうににふきよし、けつこうをあつるいたり、たちまちにもつてろけんす。いかでかいちじのかんらんをひかれ、おなじくはつこのざいくわをかうぶるべけむや。かつうはじつぷをたづね、かつうはきんあつをくはふべしてへれば、ゐんぜんによつて、ごんじやうくだんのごとし。
五月十六日 させうべんゆきたか
しんじやうてんだいざすごばう
さんもんには、をんじやうじよりてふじやう送りたりけるには、どうしんしたてまつるべき
P1729
よし、りやうじやうしたりけるあひだ、みや、ちからつきておぼしめされけるに、「山門の衆徒こころがはりするか」など、ないないひろうしければ、「なにとなりなむずるやらむ」と、おんこころぐるしくおぼしめされけり。かさねてまたさんもんへゐんぜんをなしくださる。そのじやうにいはく、
をんじやうじのあくとぼうぎやくのこと
みぎ、ひごろなだめおほせらるといへども、なほしちよくめいをそむく。いまにおいてはついたうしをつかはさるべきなり。いちじのめつばう、なげきおぼしめすといへども、ばんみんのわづらひ、もだすべからざるか。まことにこれまえんのけつこう、なんぞぶつきやうのみやう
P1730
じよをあふがざらむや。まんざんのしゆと、いつこうどうおんにいのりまうさしむべし。かねてはまたのがれさるともがら、さだめてえいさんにむかはんか。ことにようじんをそんして、けいゑいせしむべきよし、さんざんにつげまはさしめたまふべしてへれば、しんゐんのおんけしきによつて。しやうたつくだんのごとし。
五月廿二日 させうべんゆきたか
とぞおほせくだされける。ここに山門のしゆとの中に、ではのあじやりけいくわいとて、さんたふにきこえたるがくしやうあくそうありけるが、申けるは、「そもそもをんじやうじはちしようのこんりふ也。わがやまはでんげうのさうさうなり。しよ
P1731
がくひとつにして、しゆうぎおなじなりといへども、ほんまつきいにして、うんでいまじはりをへだつ。しかるにみゐのしゆとら、ほしいままにひてうのりやうよくにたとへ、おしてぎつしやのにりんにるいするでう、しよぎやうのくはたて、はなはだもつてきくわいなり。きようくわうのおもひをもつて、くぎやうのことばをいたさば、どうしんせしむべし。しからずは、よりきすべからざる」よし、まうしけるとぞきこえし。
十五 三井寺には、「ろくはらにおしよせて、大政入道をようちにせむ」とぞせんぎしける。「もののようにもあはざらむらうそうたちに、たいまつもたせてによいやまへさしのぼせ、あしがろ二百よにんそろへて、しらかはのへんへさしむけて、家々にひをかけさせ、のこらむものどもはいはさか、さくらもとへはせ
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むかひてまたむ程に、しらかはにひかけなば、ぜうまうとて、へいけのぐんびやうどもおほくはひのもとへこそはせむずれ。六波羅にのこりとどまる者はまれなるべし。そのあひだにおしよせて、だいじやうにふだうようちにせむ事いとやすし」とぞはからひける。ここにいちのうばうのあじやりしんかいといふ者あり。としごろ平家のいのりしにて有けるが、だいしゆの中にすすみいでて申けるは、「かく申せば、平家のかたうどをするとおぼしめさるらめども、ひとつはそれにてもさうらふべけれども、またいかでかわがてらのなをもをしみ、衆徒のゐをも思はで侍るべき。たうじ平家のはんじやうするをみるに、ふくかぜの草をなびかし、ふるあめのつちをくだく
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ににたり。とうい、なんばん、せいじゆう、ほくてき、なびきしたがはざる者やある。『たうらうのをのをもつてりふしやをかへし、えいじのかひをもつてきよかいをつくす』とまうすことはあれども、ぐんびやうそのかずこもりゐてさうらふ六波羅をようちにせむ事、いかがあるべかるらむ。いふかひなき事ひきいだしたらば、なんとほくれいのあざけり、よくよくおんぱからひあるべき也」と、夜をふかさむとやおもひけむ、ながせんぎをぞしたりける。じよういんばうのあじやりきやうしうは、ころもの上にうちがたな、まへだりにさしなし、かせづゑにかかり、さしあらはれて申けるは、「れいしようをほかにもとむべからず。わがてらのほんぐわん、てんむてんわう、おほとものわう
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じにをそはれて、よしののやまへこもらせたまひけるに、やまとのくにうだのこほりをすぎさせたまひけるには、上下わづかに七騎のおんせいにてとほらせ給けれども、つひにはいづみ、きいのくにのせいをめしぐして、いが、いせをへて、みのとをはりのせいとをもよほして、みのとあふみとのさかひに、さかひがはといふ所にて、河をへだてておほとものわうじと戦はせたまひしに、河くろちにて流れたり。これよりしてかのかはをくろちがはと申す。つひにおほとものわうじをほろぼし、ふたたびくらゐにつき給ふ。じんりんあはれみをなせば、きゆうてうふところにいるといへり。いかでかおんちからを
あはせ奉らざらむ。よをばしるべからず、きやうしゆうがもん
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とどももらすべからず。だいじやうにふだうようちにしてまゐらせよ」といひもはてねば、ときをつくる。山のてへむかふ老僧には、いちのうばうのあじやりしんかい、じよういんばうのあじやりきやうしゆう、じようなんばうのあじやりかくせい、きやうしうばうのあじやり、武士にはげんざんゐにふだうよりまさをはじめとして、もののようにかなひげもなきらうそう五百よにん、てんでにたいまつもちて、によいがみねへ登る。あしがろ二百余人そろへて、しらかはのかたわらへつかはす。そのほかのあくそうには、しまのあじやりたいふこう、ほふれんばういがこう、すみのろくらうばう、ろくてんぐうにはしきぶ、たいふ、のと、かが、びんご、ゑつちゆう、あらとさ、おにさど、ひをぢやううん、しらうばう、ご
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ぢゆうゐんのたぢま、ゑんまんゐんのたいふ、だいじゆにはつつゐのじやうめうめいしゆん、いちらいほふし、武士にはいづのかみなかつな、げんだいふのはんぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかより、そのこくらんどたらうながみつ、わたなべたうをさきとして、七百五十余人、時をつくりていでたつ。をんじやうじにみやいれまゐらせてのちは、ほりほり、さかもぎ引たれば、堀に橋を渡し、さかもぎのけさせなどせしほどに、さつきのみじかよなれば、やごゑの鳥もなき渡り、しののめしだいにあけぞゆく。いづのかみのたまひけるは、「今はかなはじ。ひけや」とぞいはれけり。ゑんまんゐんのたいふすすみいでて申けるは、「昔もろこしにまうしやうくんといふものありき。こはくのかはぎぬといふ物を
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ひさうしてもてり。しんのせうわうこのことをききたまひて、『なんぢがしよぢのこはくのかはぎぬ、われにえさせよ』と云ければ、わがみには第一の宝とおもひけれども、これををしみてはわれほろびなむずとおもひて、このかはぎぬをせうわうにあたへ奉る。すなはちくわんこにをさめてけり。このかはぎぬをきつれば、いつてんしかいをがんぜんにみ、しつちんまんぼうを、もとめいだす宝なり。されば、まうしやうくん三千人のしよじゆうに、こがねのくつをはかせてあさゆふめしつかひしも、このかはぎぬのゆゑなり。まうしやうくんこのことをやすからずおもひて、ひごとのしよくじをとどめて、かのかはぎぬのをしきことをなげきゐたりけるに、まうしやうくん心ひろくかしこき者にて、さまざまにのうある者をめしつかひけり。あるいは牛馬のほゆるまねをし、犬のほゆるまねをし、
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あるいはにはとりのなくまねをし、ぬすみにちやうぜる者もあり。そのなかにりふていといふ、ぬすみよくする者あり。『こはくのかはぎぬをぬすみいだしてたてまつらむ』といひければ、まうしやうくんおほきによろこびて、りふていをつかはす。ふてい、せうわうのもとに行て、ほうざうをひらきて、かのかはぎぬをぬすみいだして、まうしやうくんに奉る。まうしやうくんこのかはぎぬをえて、『せうわうききたまひなば、われをいましめによせたまはむずらむ。さらばいまだ天のあけざるさきに』とて、ねのこくばかりにしんこくをにげいだしけるに、『かのかんこくくわんとまうすは、にはとりのなかぬさきには、せきどを開く事なし。いかがはせむ』となげきけるに、三千人のかくのなかにけいめいといふもの、たかきのすゑにのぼりて、にはとりのそらねをしたりければ、そのこゑ
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にもよほされて、『せきぢのにはとりなきければ、夜あけにけり』とて、せきもりとをあけければ、まうしやうくんよろこびて、ことゆゑなくとほりにけり。これもかたきのはかりことのよきゆゑなり。今もわれらが心をはからむとて、鳥のそらねにてもや有らむ。只よせよや」とぞ申ける。伊豆守、「いやいやかなふまじ。ひけや」とのたまひければ、ちからおよばずひきしりぞく。これはしんかいめがながせんぎにこそ、夜はふけたれとて、帰りさまにしんかいがばうをきりはらふ。心海がどうじゆくども、命をすててさんざんにふせきたたかふ。よせてもあまたうたれにけり。心海がどうじゆくはちにんうたれけり。心海ここうをのがれて、ろくはらにはせまゐりてこのよしを申す。されどもぐんびやうその
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かずこもりたりければ、すこしも騒ぐ事なし。
十六 だいじやうにふだう、ただきよをめしてのたまひけるは、「なんと、えんりやくじ、みゐでら、ひとつになりなば、よきだいじにてこそあらんずらめ。いかがせむずる」。ただきよ申けるは、「やまほふしをすかしてごらんさうらへかし」。「しかるべし」とて、山のわうらいにあふみよねさんぜんごくよす。げぶみのうちしきに、おりのべぎぬさんぜんびきさしそへて、めいうんそうじやうをかたらひたてまつりて、山門のごばうへなげいる。いつぴきづつの絹にばかされて、ひごろほうきの衆徒へんがいして、宮のおんことをすてたてまつりけるこそかなしけれ。山門のふかく、ただこのときにあり。ならぼふしこれを聞て、じつごけうにつくりてぞわらひけ
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る。そのことばにいはく、
「やまたかきがゆゑにたつとからず、そうあるをもつてたつとしとす。ひとこえたるが故にたつとからず、
はぢあるをもつてたつとしとす。おりのべはいつたんのたから、みめつせざれどもすなはちやぶる。
恥はこればんだいのきず、みをはるまでさらにうせず。玉みがきたつればきずなし。
きずなきを頼政とす。とんよくのものは恥なし。はぢなきをさんぞうとす。
くらのうちのたからはくつることあれども、みの中のよくはくつることなし。せんりやうのこがねをつむといへども、
いちにちの恥にはしかず。しだいひびにおとろへ、さんたふよよにくらし。
あへてしよをよむにともがらなし。がくもんのかたにはあとをけづる。ねぶりをのぞきてようちをこのみ、
うゑをしのびずしてたからをそんず。しにあふといへどもおそれず。でしにむかふといへどもはぢんや。
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しとうの船にのらざれども、かいぞくの道にことわりをう。はつしやうのみありといへども、
じふあくなるがゆゑにがくせず。むゐのみやこにありといへども、はういつのためつかへず。
ただちくしやうにぜんどうなり。すなはちぼくせきにことならず。ふぼには常にきやうはいし、
しゆくんにはさらにちゆうなし。をんじやうみやをうやまへば、しよにんみゐをうやまふ。
さんぞうやくをへんずれば、こくどあまねくこれをにくむ。てんがえいさんをそしり、
ばんにんしめいをかたぶくれば、さんもんことごとくめつしつすること、あたかもさうかのはなのごとし。
みをおりのべにかへて、さいしのあひせつとす。つねにやすきはざいごふなり。
しやうらいのはぢをあらふべし。故にばんだいのさんぞう、まづこのしよをならふべし。
これがくもんのはじめなり。みををふるまでばうしつすることなかれ。
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じつごけういつくわん、これすなはちさんぞうぎやうなり。よつてだらにほんにいはく、おん、やまほふし、はらぐろはらぐろ、よくふかよくふか、はぢなや、そはか」とぞかきたりける。
おなじくならぼふしのよみける。
やまほふしおりのべぎぬのうすくして恥をばえこそかくさざりけれ K069
おなじくこぼふしばらの読みける。
やまほふしみそかひしほかからひしほかへいじのしりにつきてまはるは K070
げんざんゐにふだうかくぞ読みける。
たきぎこるしづがねりそのみじかきがいふことのはの末のあはぬは K071
さんぞうの中に絹にもあたらぬこぞう、このうたどもをききて、かくぞ読みける。
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おりのべを一きれもえぬ我さへにうす恥をかく数にいるかな K072G15
十七 たかくらのみやのごぜんに参て、だいしゆまうしけるは、「さんもんのしゆともこころがはりしさうらひぬ。南都よりもおんむかへにまゐると、けふよ、あすよと申せども、いまだみえ候はず。寺ばかりにてはかなふまじ。いづかたへものびさせおはしますべし」と申す。みやおんこころぼそげにおはします。されどもこんだうにごにふだうあり。このみや、さえだ、せみをれといふひさうのおんふえふたつあり。せみをれをみろくに奉らせ給ふ。このおんふえは、とばのゐんのおんとき、あうしうよりしやきんせんりやう奉りたり。鳥羽院、「是はわがてうのちようほうのみにあらず、だいこくの宝にてもある物を」とて、
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時のしゆしやうへまゐらせたまひたり。もろこしのこくわうおほきによろこばせたまひて、ごへんぽうとおぼしくて、かんちくをいつぽんたてまつる。そのたけのなかに、笛にえらせ給べきよを、ひとよきらせまします。くちの穴とふしとおぼしきところに、しやうじんのせみのやうなるものありけり。せいしゆ、きたいのほうぶつとおぼしめされて、みゐでらのかくいうそうじやうにおほせて、ごまだんの上、いちしちかにちかぢせさせたまひてのち、笛にえられたりけり。てんがだいいちのほうぶつなりける間、おぼろけのぎよいうにはとりいだされず。おんがのありけるに、たかまつのちゆうなごんさねひらのきやうたまはりてふかんとす。ぎよいうのご、いまだおそかりければ、ふつうの笛のごとくおもひなして、ひざのしもにおしかくし
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て、そのごにとりいだしてふかんとすれば、笛とがめおもひて、とりはづして、せみをうちをりたり。それよりしてこそ、このおんふえをば「せみをれ」とはなづけしか。鳥羽院のぎよぶつなりけれども、そのおんまごのおんみとして、つたへもたせたまひたりけるが、「いかならむよまでも、おんみをはなたじ」とおぼしめされけれども、みゐでらをおちさせたまふとて、「こんじやうにてはつたなくしてうせなむず。たうらいにはかならずたすけたまへ」とて、こんだうにおはしますしやうじんのみろくぼさつにたむけ奉て、ならへおちさせたまふべきにさだまりぬ。さえだとまうししおんふえを、最後までおんみをはなたれず。あはれなりし御事也。そののち、あるうんかく、ひよしのやしろへまうでて、やいんにおよびて
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げかうしけるに、三井寺に笛のねのしけるを、しばらくやすらひてたちききければ、こたかくらのみやのせみをれといひし御笛のねにききなして、子細をたづねければ、こんだうのしゆぎやうけいしゆんあじやり、そのころちようあいしけるちごのふえふきをもちたりけるに、ときどきとりいだして、このふえをふかせけり。ゆゆしくもききしりたるひとかな。だいしゆこのよしをききて、「このふえをいるかせにする事、しかるべからず」とて、そのときよりはじめていちのくわしやうの箱にをさめられて、をんじやじのほうぶつのそのいちにて今にあり。十八 廿三日、たかくらのみやは、だいしゆどうしんせば、かくてもをはしますべきに、さんもんこころがはりの上はをんじやうじばかりにては弱ければ、げんざんゐにふだうよりまさ、
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いづのかみなかつな、たいふのはんぐわんかねつな、わたなべたうには、きほふ、つづく、あたふ、てうじつとなう、てらほふしには、ゑんまんゐんのたいふ、おほかが、やぎりのたぢま、つつゐのじやうめうめいしゆんらをはじめとして、三百よきにておちさせ給。うぢと寺とのあひだにて、ろくどまでらくばせさせ給ふ。このほどぎよしんならざりけるゆゑなり。うぢはしさんげんひきて、かいだてにかき、そのあひだ、宮をばびやうどうゐんにいれまゐらせて、ぎよしんなし奉る。平家このことを聞て、ぐんびやうをさしつかはしておひたてまつる。たいしやうぐんには、さひやうゑのかみとももり、くらんどのとうしげひらのあつそん、ごんのすけぜうしやうこれもりのあつそん、こまつのしんせうしやうすけもりのあつそん、ちゆうぐうのすけみちもりのあつそん、させうしやうきよつねのあつそん、
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さまのかみゆきもりのあつそん、みかはのかみとももり、さつまのかみただのり。
さぶらひにはかづさのかみただきよ、おなじくたいふのじようただつな、ひだのかみかげいへ、
おなじくはんぐわんかげたか、かはちのかみやすつな、つのはんぐわんもりつね、
いげ、二万よきとぞきこえし。うぢぢより南都へむかふ宮のおんかた、三百よき也。うぢはしひきて、びやうどうゐんにおんやすみありけるに、「かたきすでにむかひたり」といふほどこそあれ、河のむかひにうんかのせい、ちをうごかせり。びやうどうゐんにかたきありとめがけてければ、河にうちのぞみて時をつくる。さんゐのにふだうも声をあはせたり。平家のかたよりは、われさきにとすすみけり。宮のおんかたよりつつゐのじやうめうめいしゆん、かつのよろひひたたれにひ
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をどしのよろひきて、ごまいかぶとゐくびにきなして、しげどうの弓に、にじふしさしたるたかうすべをのやを、うしろだかにおひなして、三尺五寸のまろまきのたちをかもめじりにはきなして、このむなぎなたつゑにつき、橋の上にたちあがりて申けるは、「ものそのものにさうらはねども、宮のおんかたにつつゐのじやうめうめいしゆんとて、園城寺にはそのかくれなし。平家のおんかたにわれとおぼしめさむ人、すすめや。げんざんせむ」とぞ申ける。へいけのかたより、「明俊はよきかたき、われくまんわれくまん」とて、橋の上へさとあがる。明俊はつよゆみせいびやう、やつぎばやのてききにて有けり。にじふしさしたるやをもつて、廿三騎いふせて、ひとつはのこりて
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やなぐひにあり。このむなぎなたにて十九騎きりふせて、廿騎にあたるたび、かぶとにからりとうちあててをれにければ、河へなげすつるままにたちをぬきて、九騎きりふせて、十騎に当る度、ちやうどうちをれ、河にすつ。たのむところはこしがたな、ひとへにしなむとのみぞくるひける。じやうめうばううたせじとて、ごぢゆうゐんのたぢま、こうがうゐんのろくてんぐ、おにさど、びつちゆう、のと、かが、をぐら、そんぐわつ、そんやう、じぎやう、らくぢゆう、かねこぶしのげんきやうばうら、命ををしまずたたかひけり。はしげたはせばし、そばよりとほるにおよばず。めいしゆんがうしろにたちたりけるいちらいばう、「今はしばらくやすみ給へ、じやうめうばう。いちらいすすむでかつせん
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せむ」と云ければ、明俊「もつともしかるべし」とて、ゆきげたの上にちとひらみたる所を、「ぶれいにさうらふ」とて、一来法師、うさぎばねにぞこえたりける。これをみてかたきもみかたも、「はねたりはねたり、よくこえたり」とぞほめたりける。このいちらいほふしは、普通の人よりはたけひきく、せいちひさし。きもたましひのふとき事、ばんにんにすぐれたり。さればこそ、かつちうをよろひ、きゆうせんひやうぢやうをたいしながら、みをかへりみず、あれほどせばきゆきげたの上にて、だいのほふしをかけもかけず、うさぎばねにはこえたりけれ。たちの影、天にもありちにもあり、いかづちなどのひらめくがごとし。きりおとしきりふせ
P1753
らるる者、そのかずをしらず。じやうげばんにん、めをすましてぞはべりける。めいしゆん、いちらい二人にうたるる者、八十三人也。まことにいちにんたうぜんのつはもりなり。「あたらものどもうたすな。あらてのぐんびやううちよせよやうちよせよや」と、げんざんゐにふだうげぢしければ、わたなべたうには、はぶく、つづく、いたる、さとる、さづく、あたふ、きほふ、となふ、つら、くばる、はやし、きよし、はるかなどをはじめとして、我も我もとこゑごゑにひとつもんじのなどもなのりて、卅余騎馬よりとびおりはしげたをわたしてたたかひけり。めいしゆんはこれらをうしろにしたがへて、いよいよちからつきて、ただきよが三百余騎のせいにむかひて、ししやうふちにぞたたかひける。三百余騎とはみえしかど、めいしゆん、いちらい
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わたなべたう、卅余騎のつはものどもに二百余騎はうたれて、百余騎ばかりはひきしりぞく。そのあひだに明俊は平等院のもんないへ引て休む。たつところのやは七十余、だいじのてはいつところ也。ところどころにきうぢして、かしらからげじやうえきて、ぼうづゑつきたかねんぶつまうして、なんとのかたへぞまかりにける。ゑんまんゐんのたいふきやうしう、やぎりのたぢまみやうぜんといふ者あり。これまたぶようのみち、人にゆるされたる者也。慶秀は、しろきかたびらのわきかきたるに、きなるおほくちをき、もえぎのはらまきにそでつけたり。明禅は、かちんのかたびらにしろきおほくちをき、あらひかはの腹巻に、いむけの袖をぞつけたりける。おのおのなぎなたをとり、し
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ころをかたぶけて、又ゆきげたをわたしけるを、よせむしやどもやぶすまをつくりていければ、いすくめられてわたりえざりけるに、明禅なぎなたをふりあげ、すいしやをまはしければ、や、長刀にたたかれて、しはうにちる。春ののにとんばうの飛ちりたるにことならず。みかたもきように入てぞ、ほめののしりける。橋を引てければ、かたきすせんぎありといへども、わたりえず。みやうぜんらにふせかれて、かつせんときをぞ移しける。やぎりのたぢま、ゑんまんゐんのたいふ、いちらいほふし、これら三人して、はしげたわたるむしやどもをのこりすくなくきりおとしければ、のちのちにはわれわたさむとするつはものなし。びやうどうゐんのまへ、西
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岸の上、橋のつめにうつたちたる宮のおんかたのぐんびやうども、我も我もと扇をあげて、「わたせやわたせや」とまねきて、どつとわらひけり。「それほどおくびやうなるもののたいしやうぐんする事やはある。大政入道殿心おとりし給たり。あれほどふかくなるものどもをかつせんのにはにさしつかはす事、うたてありやうたてありや」と云て、まひかなづる者もあり、おどりはぬる者もあり。かくわらひはづかしむれども、橋渡らむとする者一人もなし。ゑんまんゐんのたいふは、すすみいでてさんざんにたたかひけるが、かたきあまたうちとりて、かはなじとやおもひけむ、河のはたをくだりに、しづしづとおちゆきけるを、かたきおひかかりて、「いかにいかに、
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かへしあはせよやかへしあはせよや。きたなくもうしろをばみするものかな」と申けれどもききいれず、おちてゆく。敵まぢかくせめつけたりければ、たへずして、河の中へとびいりにけり。水の底をくぐりて、むかひの岸にあがりて、「いかに、よきよろひもぬれておもくなりて、おつべしともおぼえぬぞ。よせてうてや、殿原」とまねきけれども、たいしやうにもあらねば、よせてうつにもおよばず、めにもかけず。たいふは、「さらばいとままうしてよ。寺のかたにてげんざんせむ」と申て、しづしづと三井寺の方へぞおちゆきける。平家は橋の中さんげんひきたるをもしらずして、かたきばかりにめをかけて、われさきにと渡りければ、
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どしをしにおされて、せんぢん五百余騎、河におしいれられてながれけり。ひをどしのよろひのうきぬしづみぬながれけるは、かのかむなびやまのもみぢの、みねの嵐にさそはれて、たつたがはの秋のくれなゐ、ゐせきにかかりて流れもやらぬにことならず。さんゐにふだうこれをみて、「よをうぢがはの橋の下さへおちいりぬれば、たへがたし。いはむやめいどのさんづのかはの事こそおもひやらるれ」とて。
おもひやれくらきやみぢのみつせがはせぜのしらなみはらひあへじを K073
いちらいほふし、にはかにみだぐわんりきの船に心をかけて。
宇治河にしづむをみればみだほとけちかひの船ぞいとど恋しき K074
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河におちいりてむしやどもの流るるをみて、さんゐにふだう。
いせむしやは皆ひをどしのよろひきて宇治のあじろにかかるなりけり K075
宮のおんかたに、ほふりんゐんのあらとさ、きやうばんといふ者あり。いみやうにはいかづちばうとぞ申ける。いかづちはさんじふろくちやうをひびかす声あり。このとさも、卅六町のほかにあるものをよびおどろかすだいおんじやうあり。「おほぜいなれば、さだかにはよもきこえじ。きにのぼりてよばはれ」と云ければ、岸の上の松のきにのぼりて、いちごのだいおんじやう、けふをかぎりとぞよばひたりける。「いつさいしゆじやうほふかいゑんりん、かいぜしんみやうゐだいいちじつとて、しやうある者は皆いのちををしむならひ
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なれども、ほうこうちゆうきんをいたすともがらは、さらにもつてしんみやうををしむことあるべからず。いはむや合戦の庭にかたきをめにかけながら、くつばみをおさへて馬にむちうたざるでう、だいおくびやうのいたす所なり。平家のたいしやうぐん心おとりしたりや心おとりしたりや。げんけの一門ならましかば、今は、このかはをわたしてまし。平家はいたづらに栄花をいつてんにひらきて、臆病を宇治河のほとりにあらはす。きんもつかうじきじざいにして、しひやくしびやうはなけれども、いちにんたうぜんのつはものにあひぬれば、臆病ばかりはみにあまりたりけり。やや、平家のきんだち、ききたまへ。これにはげんざんゐにふだうどの、やはずを
P1761
取てまちたまふぞ。げんぺいりやうかの中にえらばれて、ぬえいたまひたりしたいしやうぐんぞや。おくするところもつともだうりなり。ゆゑにいちらいほふしたちをふれば、二万余騎こそひかへたれ。びろうなり。みぐるしみぐるし。おもひきりてはふはふも渡すべし」とぞよばはりたる。さひやうゑのかみとももりこのことをきき、「やすからぬことかな。かやうにわらはれぬる事こそこうたいのちじよくなれ。はしげたを渡ればこそ、ぶせいなるあひだ、いおとさるれ。おほぜいを河に打ひたし、いちみどうしんにして渡せや、ものども」とぞ、げぢせられける。かづさのかみただきよまうしけるは、「このかはのありさまをみるに、たやすく渡すべしともおぼえず。そのうへこの
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ほどはさみだれしげくして、河の水かさまさりたり。このせいをふたてにわけて、ひとてはよど、いもあらひ、かはちぢをまはりて、かたきのさきをきりて、なかにとりこめばや」とまうしければ、とうごくしもつけのくにのぢゆうにん、あしかがのたらうとしつながこに、あしかがのまたたらうただつなといふものあり。あかぢのにしきのひたたれに、ひをどしのよろひに、さんまいかぶとゐくびにきなし、しげどうの弓に、にじふしさしたるきりふのやに、あしじろのたちに、しらあしげの馬に、きぶくりんのくらおきて乗たりけるが、おほくのむしやの中にすすみいでて申けるは、「淀、いもあらひ、かはちぢをば、もろこし、てんぢくの武士がたまはりてよせんずるか。それもわれら
こそせめんずらめ。今
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なからむが、そのときいでくべきにもあらず。むかしちちぶとあしかがとなかたがひて、ちちあしかが、かうづけのくににつたのにふだうをかたらひて、からめでをまはししに、につたの入道、かたきちちぶに船をやぶられて、『船なければとて、これにひかへたらむは、ゆみやとるかひあるまじ。水におぼれてこそしぬともしなめ』とて、とねがはを五百余騎にてさと渡したる事もあるぞかし。さればこのかは、とねがはにはまさりもせじ、おとりもせじ。渡す人なくは、忠綱渡さむ」とてうちいる。続くものどもはたれたれぞ。いへのこには、をのでらのぜんじたらう、さぬきのひろつなしらうだいふ、へやこのしちらうたらう、らうどうには、おほをかのあんごらう、あねこの
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弥五郎、とねのこじらう、おうかたのじらう、あきろの四郎、きりうの六郎、たなかのそうだをはじめとして、三百五十騎にはすぎざりけり。ただつなまうしけるは、「かやうのだいがをわたすには、つよき馬をおもてにたて、よはき馬をしたにたてて、肩をならべてをとりくみて渡すべし。そのなかに馬もよわりて流れむをば、弓のはずをさしいだしてとりつかせよ。あまたがちからをひとつにあはすべし。馬の足のとづかむ程は、たづなをくれてあゆませよ。むまのあしうかば、たづなをすくふておよがせよ。われらわたすとみるならば、かたきやぶすまつくりていんずらむ。いるともてむかひなせそ。いむけの袖をかたきにあてて
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むかひやをふせかせよ。むかひのはたみむとて、うちかぶとのすきまいらるな。さればとてうつぶきすごして、てへんのあないらるな。馬のかしらさがらば、弓のうらはずをなげかけてひきあげよ。つよくひきてひきかづくな。馬よりおちんとせば、わらはすがりにとりつきて、さうづにしととのりさがれ。かねになわたしそ。おしながさるな。すぢかへさまにみづのをにつきて、渡せや渡せや」とて、一騎も流れず、むかひのはたにまいちもんじにさとつく。向のはたにうちあがりて、忠綱はゆんづゑをつき、さうのあぶみふみはり、鎧づきせさせ、もののぐの水ぞくだしける。もんぐわい近くおしよせてまうしけるは、「とほくはおとにもきけ、
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今はまぢかし、めにもみよ。とうごくしもつけのくにのぢゆうにん、あしかがのたらうとしつながこに、あしかがのまたたらうただつな、しやうねん十七歳、どうみやうわうぼふしまるとは、源平しろしめしたる事ぞかし。むくわんむゐの者の、宮にむかひ奉て弓をひきさうらふは、おそれにては候へども、しんもみやうがもだいじやうにふだうのおんうへにて候へば」とて、ざざめかひてぞかけたりける。げんざんゐにふだうよりまさは、ちやうけんのひたたれにくろかはをどしの鎧をきて、かぶとをばきざりけり。馬もわざと黒き馬にぞ乗たりける。なかつな、かねつなをさうにたてて、わたなべたうをぜんごにたてて、今を限りとさんざんにぞたたかひける。宮はそのあひだにのびさせたまひけり。そこばくのおほぜい
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せめかさなりける上、よりまさにふだうやいつくし、ておひて後は、今はかなはじとやおもひけむ、南都のかたへぞおちにける。いづのかみなかつなもうたれぬ。げんだいふのはんぐわんかねつなは、父をのばさむとて、ひきかへしひきかへしたたかひけり。ておひたりければ、むちをあげておちられけり。きなるすずしのひたたれにあかをどしのよろひきて、しらあしげのむまにぞ乗たりける。かづさのたらうはんぐわんただつな、「あれはげんだいふのはんぐわんどのとこそみたてまつりつれ。うたてくもうしろをばみせたまふものかな。返させ給へ」とて、おひかけたりければ、「宮のおんともに参る」とぞ答へける。むげに近くせめよせたりければ、今はかなはじとや
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おもはれけむ、馬の鼻をひきかへして、わがみあひともに十一騎、かたきの中へをめいてかけけるに、一人もくむものなし。さとあけてぞ通しける。じふもんじにかけわりたるを、忠綱がいるや、かねつながうちかぶとにあたりぬ。忠綱がこどねりわらは、じらうまるとて、すぐれたるだいぢからなりけるが、むずとくみておちたりけり。兼綱は下になり、二郎丸は上になりけるを、かねつながらうどうおちあひて、二郎丸が鎧のくさずりをひきあげて、あげさまにさしてけり。さて兼綱は山の中へひきこもりて、鎧ぬぎすて、腹かい切て死にけり。ひだのはんぐわんかげたかがらうどうおひつづいて、
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くびをば取て返りにけり。
十九 げんざんゐにふだうはげんぱちつづくをまねきて申けるは、「みはろくだいのけんくんにつかへて、よはひははつしゆんのすいらうにおよぶ。くわんゐすでにれつそにこえ、ぶりやくとうりんにはぢず。みちのためいへのため、よろこびはありうらみはなし。ひとへにてんがのために、いまぎへいをあぐ。いのちをこのときにほろぼすといへども、なをこうせいにとどむべし。これようじのねがふところ、ぶしやうのさいはひにあらずや。おのおのふせきやいて、しづかに自害せさせよ」とぞ申ける。三位入道は右のひざのふしをいさせたりけるが、こつがはのはたにて高き岸の有けるかくれにて、鎧ぬぎすて馬よりおりつつ、息つぎゐたりけるが、
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ねんぶつひやつぺんばかりとなへて、和歌をぞいつしゆよまれける。
むもれぎの花さく事もなかりしにみのなるはてぞあはれなりける K076
このときなどよむべしとこそおぼえねども、心にこのみし事なれば、かやうの折もせられけるこそ哀なれ。わたなべたうにちやうじつとなふといふ者に、「くびうて」といはれけれども、いけくびをとらむ事さすがにやおぼえけむ、「じがいをせさせ給へかし」と申ければ、たちを腹にさしあてて、うつぶしに伏たりけり。そののちくびかい切て、穴を深くほりてうづみたりけるを、平家のぐんびやうおひかかりて、ここかしこ穴ぐりもとめけるほどに、こつがは
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のはたにして、もとめいだしてとりをはんぬ。宮はぎよしんもならせ給はず、おんのどかわかせ給ければ、水まいりたくおぼしめされけれども、かたきのいくさ多くうしろより参りかさなりければ、おんひまなくてすぎさせ給けり。おんともに参りけるのぶつら、くろまるらに、「ここをばいづくといふぞ」と、おんたづねわたらせましましければ、「これはゐでの里とまうすところにてさうらふなり。またこのかはの事にてさうらふ、やましろのみづなしがはとまうしさうらふは」と申ければ、宮うちうなづかせましまして、かくぞおぼしめしつづけさせ給ひける。
やましろのゐでのわたりにしぐれしてみづなしがはに波やたつらん K077
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と、うちすさませましまして、にえのの池をうちすぎて、なしまのしゆくをも通らせ給ければ、やうやくならのきやうもちかづきて、くわうみやうざんへぞかからせたまひける。廿 昔もかつせんの庭にてかやうの歌のなをあぐる事は多けれども、まのあたりあいしやうをもよほす事はなし。みなもとのよりよしのあつそん、あべのさだたふ、むねたふをせめられし時、あうしうしのぶの乱れに、年をへて、あけぬくれぬとあらそひて、十二年までせめ給ふ。あるとしの冬のあしたに、ちんじゆふをたちて、あきたのじやうへうつりたまふ。雪は深くふりしき、道すがらかつふるままの空なれば、いむけの袖、やなみつくろふこ
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ての上までも、皆しろたへにみえわたる。しらふのたかをてにすへたれば、とぶはかぜに吹むすばるる雪、都にてみなれし花のえんのまひびと、せいりやうでんのせいがいはのたもとにもおとらずこそみえられけれ。たてをのせてかぶととし、たてをうかべていかだとして、きしたかくそばたちたるころもがはのじやうをば、かしらをたれ、はをくひしばりてせめおとし給しに、さだたふ、じやうのうしろよりくづれおちて逃げけるに、いちなんはちまんたらうよしいへのあつそん、ころもがはにおひくだりてせめつけつつ、「やや、きたなくもにげいづるものかな。しばらくひかへよ」とて、
ころものたちはほころびにけり
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といひかけたりければ、さだたふ少しくつばみをひかへ、しころをふりむくる形にて、
年をへしいとの乱れのくるしさに K078
と申たりければ、義家はげたるやをさしはづして、かへられにけり。いうなる事にぞ、そのころは申ける。
廿一 さてもをんじやうじのしゆと、げんざんゐにふだうよりまさら、皆ちりぢりになりて、ひとむれにても宮のおんともにもまゐらず。さひやうゑのじようのぶつら、くろまるばかりぞつきまゐりたりける。信連はあさぎのひたたれ、こばかまに、あらひかはのおほあらめのはらまきにひざのくちたたかせ、さうの
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こてさしつつ、さんまいかぶとゐくびにきなして、しげどうの弓にたかうすべをのやおひ、三尺五寸のたちはきたり。げんざんゐにふだうのひさうの馬、あぶらかげに乗て、「宮のおんともせよ」とてえたりけるにぞ、乗たりける。宮を先にたてまいらせておちけるが、かたきをめいてせめかかりければ、かへしあはせかへしあはせ戦ひけり。くわうみやうざんのとりゐの前にて、ながれやのおんそばはらにたちぬ。馬よりさかさまにぞおちさせたまふ。こはいかがせむずるとおもひあへず、のぶつら馬よりとびおりて、物へまゐらせたれども、いふかひなし。御目も御覧じあけず、物もおほせられず、きえいらせ
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たまひにけり。黒丸と二人して、御馬にかきのせまゐらせむとすれどもかなはず。さるほどにかたきすでにせめかかりにけり。ひだのはんぐわんかげたか、このおんありさまをみまゐらせて、むちをさして、「あれあれ」といへば、らうどうおちあひて、宮のおんくびをかかむとす。のぶつら弓をすてたちを抜て、躍りあがりて、景高がらうどうのかぶとのはちをむずとうつ。うたれて、うつぶしにふしぬ。のぶつらまうしけるは、「ひだのはんぐわんとみるはひがめか。いかでか『君のわたらせ給』と申。信連かくてゐたり。馬にのりながら、事をばをきつるぞ。につぽんだいいちのをこのひとかな」と
P1777
いひければ、「さないはせそ」とて、郎等七八人さとおりあふ。信連少しもさはがず、中へ入て、八方ちとうちまはる。十よにんのものども、みなうちしらまされぬ。ちかづく者なかりけり。「きたなし。よせてくめ。景高、おそろしきか。景高」とてきりまはるに、はせくむ者こそなかりけれ。只とほやにのみいける程に、ひざのふしをかせぎにいぬかれて、かたひざをちにつけて、こしがたなをぬきつつ、腹巻のひきあはせおしきりて、つかぐちまで腹につきたて、宮のおほとのごもりたるおんあとに参てふし、はらわたくりいだして死にけり。宮のおんくびは景高ま
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いりてかきまいらす。このまぎれに黒丸ははしりうせにけり。ぢしよう四年五月廿三日、宇治のかはせに水むせびて、あさぢが原に露きえぬ。こつがはいかなるながれぞや、頼政がたうるい、皆みじか夜の夢に同じ。くわうみやうざんはうらめしきところかな、はんりのきしゆ、長きやみにおもむかせ給ふ。しゆくしふのかぎりある事をおもひやるといへども、運命の程なき色をなげきかなしぶ。南都のだいしゆ、まつぢをもよほし、しやうゑんをかりて、そのせいつがふ三万余人にて、宮のおんむかへに参りけるが、すでにせんぢんはいづみのこつにつき、ごぢん
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はこうぶくじのなんだいもんにいまだありなどきこえければ、宮はたのもしくおぼしめされ、いかにもしてならの大衆におちくははらむとて、駒を早めてうたせましましけるに、いましごじつちやうをへだてましまして、つひにうたれさせたまひぬるこそ悲しけれ。南都の大衆ちさんして、むなしく道より帰りける事をやまほふしききて、興福寺の南大門の前に、ふだをたてたりけるとぞきこえし。
ならぼふしくりこ山とてしぶりきていか物のぐをむきとられけり K079これはやまほふし、宮にごけいやくをまうしてのち、へんがいし
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して、平家にかたらはれける事を、ならぼふし、じつごけうを作り、歌を読てわらひけるをやすからずおもひて、かやうにわらひかへしてけるとぞきえし。そもそももちひとのわうとまうすは、まさしきだいじやうほふわうのみこぞかし。くらゐにつきよをしろしめすとても、かたかるべきにあらず。それまでこそましまさざらめ、かかる御事あるべしやは。いかなりけるぜんぜのごしゆくごふのうたてさぞとおもひたてまつるも、かひなかりしことどもなり。みゐでらのあくそう、ならびによりまさにふだうのいへのこらうどう、いづみのこつのわたりにて皆うたれにけり。さだいふは馬よはくて、宮のおんともにも
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参りつかず。うしろにかたきはせかかりければ、ちからおよばずして、馬をすてて、にえののいけの南のはたの水の中に入て、草にておもてをかくして、わななきふせりければ、ぐんびやうどものけかぶとにて、われさきにとはせゆく。おそろしさ、なのめならず。「宮はさりとも、今はこつがはをばわたりて、ならざかへもかからせたまひぬらむ」とおもひける程に、じやうえきたるしにんのくびもなきを、かきて通りけるをみれば、宮の御むくろ也。おんふえおんこしにさされたり。はやうたれさせたまひにけりとみまゐらせけるに、はひいでて、いだきつきまいらせばやとは思へども、さすがに走りもいでら
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れず。命はよくをしきものかなとぞおぼえける。御笛はごひさうのさえだなり。「『このふえをば、わがしにたらむ時は、必ずひつぎにいれよ』とまでおほせられける」とぞ、佐大夫はのちに人に語りける。佐大夫は夜に入て、いけの中よりはひいでて、はふはふ京へ帰りのぼりにけり。せんかたもなかりけるが、しやうぢぐわんねんにかいみやうして、いがのかみになりて、くにすけとぞなのりける。宮よりはじめたてまつりて、よりまさふし三人、じやうげじふよにんが首をささげて、ぐんびやうら都へかへりいりにけり。ゆゆしくぞみえし。このみやには人のつねに参りつかまつる人もなかりければ、ふんみやうにみしり奉る人なかりけり。「たれか
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みしりたてまつるべき」とたづねられけるに、「てんやくのかみさだなりのあつそんこそ、去年ごなうの時、ごれうぢのためにめされてありしか」とまうすひとありければ、さてはとて、かのひとをめさるべきよし、ひやうぢやうあり。これをききて、てんやくのかみおほきにいたみまうしけるところに、よくよくみしりまゐらするにようばうを、たづねいでられにけり。女房おんくびをみたてまつりてより、ともかうもものはいはで、袖を顔にをしあててふしまろびなきをめきければ、いちじやうのおんくびとぞ人々しられける。このにようばうはとしごろなれちかづきたてまつりて、おんこなどましましければ、おろかならずおぼしめされける人也。女房も、いかにしていまひとめみたてまつらむと思
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はれける、こころざしの深さのあまりに、まゐりてみたてまつりたり。中々よしなかりけることかなとぞおぼえし。おんくびにきずのましまして、まがふべくもなかりけり。せんねんあくさうのいでさせたまひて、御命あやふく、すでにかぎりにおはしましけるを、さだなりのあつそんすぐれたるめいいにてありければ、ちゆうせつをいたし、めでたくつくろひ奉て、御命のつつがましまさざりき。なかなかそのときほうぎよあらば、よの常のならひにてこそあらむずるに、よしなく長らへさせましまして、今かかるわざはひにあはせたまふこと、しかるべきぜんぜのごしゆくごふとぞおぼえし。さてもかのてんやくのかみは、いきがたき御命を
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いけ奉る事、時に取てはぎばへんじやくがごとくに人思へり。
廿二 廿五日、せつしやうどのもとみちより、うくわんのべつたうただなりを南都へつかはしけり。だいしゆのほうきをせいせられけるに、衆徒さんざんにれうれきして、着物をはぎ取ておひくだす。くわんがくゐんのざつしき二人、もとどりをきらる。又うゑもんのごんのすけちかまさをおんひつかひにつかはすところに、こつがはのへんに大衆きむかひければ、色をうしなひてにげのぼられにけり。衆徒のらうぜきなのめならずとぞきこえし。いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけよりともむほんのために、しよじしよさんのそうとにいのりをつけられけるには、寺にはりつじやうばうをもつていのりのしとたのみけり。すなはち
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たのまれて、はちまんにせんにちこもりて、むごんのだいはんにやをよみたてまつりけるに、七百日にまんずる夜、「御ほうでんよりこがねのかぶとをたまはりて、ひやうゑのすけに奉れ」とじげんをかうぶりて、いづのくにへ使者をくだしてこのよしを申けるをりふし、寺にさうどうありときこえければ、寺にくだりてこのことにくみして、うちじにしけり。兵衛佐ききたまひて、いかにあはれとおもひたまひけむ。さればりつじやうばうの為にとて、いがのくににやまだのがうといふところを、をんじやうじへぞよせられける。だいじやうにふだうはただつなをめして、「うぢがはわたしたるけんじやうには、しやうゑん■[*手偏+攵]か、ゆげひのじようか、けんびゐし、じゆりやうか、こふによるべし」とおほせられけ
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れば、忠綱申けるは、「ゆげひのじよう、けんびゐし、じゆりやうにもなりたくもさうらはず。ちちあしかがのたらうとしつなが、かうづけのくにじふでうのこほりのおほすけと、につたのしやうをやしきどころにまうししが、かなひさうらはでやみさうらひにき。おなじくはそれをたまはるべし」とぞ申ける。「やすきことなり」とて、みげうしよかきてたまはりにけり。あしかがが一門のものども十六人、れんばんをもつて申けるは、「うぢがはを渡してさうらふけんじやうを、忠綱一人におこなはれ候事、なげきいり候。かのけんじやうをいちもんのものども十六人にはいぶんせられ候べし。しからずは、君のおんだいじさうらはむ時は、忠綱一人はまゐりさうらふとも、じよの者共はじこんいごまゐりさうらふまじ」と、
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一日に三度申たりければ、みのこくになしたるみげうしよを、さるのこくにめしかへされにけり。くわいじつ、てうぶくのほふおこなひ奉るそうども、けんじやうかうぶりて、くわんどもなられにけり。ごんのせうそうづりやうこうはだいそうづに転じ、ほふげんじつかいはせうそうづにあがる。あじやりしようへんはりつしに任ずとぞきこえし。
廿三 大将の子息、じじゆうきよむね、今年十二になりたまへるが、さんゐして、さんゐのちゆうじやうと申す。にかいのしやうにあづかり給ふあひだ、をぢくらんどのとうにゐ給へるしげひらのきやうよりはじめて、そこばくのひとびとこえられたまひにけり。「むねもりのきやうは、このひとの程にては、ひやうゑのすけにてこそおはせ
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しに、これはかんだちめにいたり給こそ、よをとり給へる人のおんこといひながら、いちはやくおそろしけれ。いちのひとのちやくしなどこそかやうのしようじんはし給へ」と、時の人かたぶきあへり。「ちちさきのうだいしやうのみなもとのもちみつたかくらのみや、ならびによりまさぼふしいげ、ついたうのしやう」とぞききがきには有ける。「わうじにはおはしまさず」といひなして、みなもとのもちみつとかうし奉る。まさしき法皇のみこぞかし。ぼんにんにさへなし奉るこそこころうけれ。頼政はゆゆしくまうししかども、をんごくまではいふにおよばず、きんごくの者もいそぎうちのぼるもなし。かたらひつる山門のだいしゆさへこころがはりしてしかば、いふかひなし。とうじようとまうすさうにんあり。「そちの
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ないだいじんはみちたかのおんここれちかこう、るざいのさうをはします。うぢどの、にでうどの、ふたところながら御命は八十、共に三代のくわんばく」とさうしたてまつりたりしは、たがはざりける者を。このせうなごんも、めでたきさうにんとこそきこえしに、「あしくさうしたてまつりたりける」とぞ人申ける。しやうとくたいしのすじゆんてんわうを、「わうしのさうをはします」と申させ給けるも、むまこのおとどにころされたまふ。あはたのくわんばくれいならずをはしけるに、をののみやうだいじんさねすけをはしたりければ、みすごしにげんざんしたまひて、ひさしくよををさめたまふべきよし、あはたどのおほせられけるに、風のみすをふきあげたりけるに、みたてまつりたまひければ、ただいまうせたまふべき人
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とみたまひけるに、程なくかくれたまひにけり。「みだうのうまのかみあきのぶを、さいゐんのみんぶきやうむこにとりたまへ」と人々申ければ、「只今出家をしてむずる人をばいかが」とまうされける程に、すなはち出家したまひにけり。ろくでうのうだいじん、しらかはゐんを、「おんいのちはかなく渡らせ給べし。とんしのさうをはします」と申されたりけり。又、「あさましきことかな。ちゆうぐうのむげに近くみえさせ給」と、北方になげきまうさせたまひけるも、たがはざりけり。さもしかるべき人は必ず、さうにんにあらざれども、皆かくこそをはすれ。廿四 このみやはおんこもはらばらにあまたをはしましけり。ちりぢりに隠れまどはせ
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たまひき。よをおそれさせ給て、ここかしこにて皆ほふしにならせたまふとぞきこえし。いよのかみあきまさのむすめの、はつでうのゐんにさんゐどのとまうしてさうらひたまひけるに、このみやしのびつつかよはせたまひける。そのおんはらにわかみや、ひめみやをはしましけり。三位殿をばにようゐんことにめしつかはせたまひつつ、へだてなきおんことにてありければ、さりがたくおぼしめしけり。このみやたちをも、にようゐんただみこのごとくにて、おんふすまの下よりおおしたてまつらせ給へり。いとほしく、かなしきおんことにぞおぼしめされける。たかくらの宮、むほんのきこえをはしまして、うせさせたまひぬときこしめしけるより、このみやたちまでもいかにとおぼしめしけるより、おんこころまどひて、ぐ
P1793
ごもまいらず。只御涙のみせきあへず。御母のさんゐどのはきもこころもをはしまさず、あきれてをはしましける程に、いけのちゆうなごんよりもりは、にようゐんのごへんに、うとからぬ人にてをはしけるを、おんつかひにて、たかくらのみやのわかみやのをはしましさうらふなる、いだしたてまつらるべきよし、さきのだいしやう、にようゐんへまうしいれられたりければ、おぼしめしまうけたる御事なれども、いかがおほせらるべきともおぼしめしわかず。ひごろあさゆふつかへたてまつる中納言も、かくまうされて、まゐられたるあひだ、おそろしくおぼしめして、あらぬ人のやうにけうとくおぼしめされけるこそ、せめての御事とおぼえしか。いかなるだいじにおよぶとも、いだしたてまつるべしともおぼしめされ
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ねば、宮をばぎよしんじよの中にかくしおき奉て、いけのちゆうなごんにおほせられけるは、「かかるよのしうしやうのきこえしより、このごしよにはおはしまさず。おんちのひとなどが、こころをさなくみまゐらせて、うせにけるにこそ。いづくともゆくゑもしらず」とおほせられけれども、入道いきどほりふかきことなれば、だいしやうもなほさりならずまうされければ、中納言なさけかけたてまつりがたくて、ぐんびやうどももんもんにすへなどして、はしたなき事がらになりければ、ゐんぢゆうのじやうげ色をうしなひつつ、いとどさはぎあへり。よのよにてあらばこそ、ほふわうへも申させ給はんずれ。こぞの冬よりはうちこめられをはしまして、心うきおん
P1795
ありさまなれば、いとどいかにすべしともおぼしめさず。事の有様かなふまじとや、をさなき御心にもおぼしめされけむ、「これほどのおんだいじにおよびさうらはむ上は、ただいでさせ給へ。まかり候はむ」と、宮申させたまひければ、御母のさんゐどのはことわりなり、にようゐんをはじめたてまつりて、にようばうたち、おいたるもわかきも、声をととのへて泣あひ給へり。にようくわんども、つぼねつぼねのめのわらはべにいたるまで、これを聞て袖をしぼらぬはなかりけり。ことしはやつにならせ給へるに、おとなしやかに申させ給けるこそ、ありがたくあはれなれ。中納言もいはきならねば、うちしめりてさうらはれけるに、だいしやうのおんもとよりつかひしきりにはせ参りて、「いかにいかに」
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とまうされければ、それにしたがひて、中納言もしきりにせめ奉る。「少しさもやときこしめしいづることあり。おんたづねあり」とて、としのほどおなじやうなるをさなきものをむかへよせつつ、たづねいだし奉りたりとて、宮をつゐに渡し奉らる。三位殿もにようゐんも、おくれ奉らら[* 「ら」一つ衍字]じとなげきかなしみ給事なのめならず。なくなくおんぐしかきなで、御顔かいつくろひ、おんなほし奉らせなど、いだし奉らせたまふも、只夢のやうにぞおぼしめされける。いかになりたまひなむずらむとおぼしめされけるぞ悲しき。いけのちゆうなごんみたてまつりては、かりぎぬのそでもしぼるばかりにて、おんくるまのしりに参て、ろくはらへわたしたてまつられにけり。みやいでさせたまひけるのちは、にようゐんも
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御母の三位殿も、おなじまくらにふししづみて、ゆみづをだにもおんのどへもいれられず。「よしなかりける人を、この七八年てならし奉て、かかるものをおもふこそ、かへすがへすもくやしけれ。ななつやつなどいへば、さすがにいまだ何事もおもひわくべき程にもわたらせ給はぬに、われゆゑだいじのいできたることもかたはらいたくおぼしめして、いでさせたまひぬるありがたさの悲しさ」とて、かへすがへすくどかせ給。だいしやうもみたてまつりたまひては、涙をおしのごひ給へば、宮もなにとおぼしめしけるやらむ、うちなみだぐませたまひけるぞ、らうたき。「にようゐんのおんふところよりやしなひたてまつりて、なげきおぼしめさるる心ぐるしさ」など、中納言かきくどきこまごと
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まうされければ、だいしやうも入道になのめならずまうされけるあひだ、ごしらかはのゐんのみこ、にんわじのしゆかくほふしんわうへ渡し奉て、御出家あり。みなをばだうそんと申す。のちはとうだいじのちやうじやにならせたまひけるとかや。院のみこたち皆御出家ありしに、このみやの心とく御出家だにもありせば、よかりなまし。よしなきごげんぶくのありけるこそ、かへすがへすも心うけれ。なほみこはをはしますときこゆ。一人は、たかくらのみやのおんめのとのをつと、さぬきのせんじしげすゑぐしたてまつりて、ほつこくへおちくだりたまへりしをば、きそもてなし奉て、ゑつちゆうのくにみやざきといふ所にごしよをたててすゑ奉りつつ、ごげんぶくありければ、きその
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宮とぞ申ける。又はげんぞくの宮ともまうしけり。G16
廿五 むかしえんぎのみかどの第十六のみこ、げんめいしんわう、むらかみのみかどのだいはちのみこ、ぐへいしんわうとて、二人をはせしをば、さきのちゆうしよわう、ごちゆうしよわうとて、けんわうせいしゆのみこにて、さいちさいげいめでたくわたらせ給しかども、わうゐにつかせたまふことはべちのおんことなれば、さてこそやみたまひしか。されどもむほんをやおこしたまひし。中にもさきのちゆうしよわうと申は、かんさいたへにおはしまししかば、せいむの道にもあきらかにおはしましければ、げんせいをたまはりて、じゆにゐのうだいじんになし奉て、ばんきのまつりごとをたすけ奉りたまひし程に、れんぜいのゐんの
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ぎよう、このきみのいみじくおはします事をねたましくやおもひたまひけむ、時のくわんばくにざんげんせられたまひて、くわんゐとりかへされたまひて、ただもとのみやばらにておはしましけれども、さらにうらみともおもひたまはず。只岩のかけみちとのみいそがれて、じんしんしづかならむ事をのみもとめたまふ。つひにかめやまのほとりにきよをしめていんきよし給ひ、ときうふをつくりて朝夕えいじ給けり。さしもしふしおぼしめし、なをえたる所のけいきなれば、おんかはをたづぬるながれしろくしてばうばうたり。しかいをくみて心をなぐさめ、ばんぜいをよばふやまあをくしてそくそくたり。せんきゆうに入ておいを休む。いはねを通る滝の音、
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みねにはげしき嵐のみぞ、こととふすみかとなりにける。へきじゆにうぐひすのなく春のあしたには、らまくをはらひてぎんじ、こうさんに猿さけぶ秋の夜は、ぎよくしんをそばたてて、しづかにえいず。としさりとしきたれども、ひの光つきのひかりすぎやすきことをうれへ、きのふもくれけふもくれて、心のやみはれがたきことをぞかなしみたまひける。あるゆふぐれにやまかぜあらあらとふきおろして、雲のけしき常よりもまなことどまる空のけいきなり。よのうきときのかくやはものがなしき事も、痛くおぼえたまはず。御心のすむままに、ことをかきならし給ければ、をりふし山おろしにたぐふ物のね、れいよりも
すみのぼりて、
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われから哀れもおさへがたきおんそでの上也。てうし、だいじきてうなりければ、じんわうはぢんらくといふがくをひきたまひける程に、いとおそろしくあさましげなる鬼ひとり、おんまへにひざまづきてききゐたり。こはいかにとおどろきおもひたまひけれども、さらぬやうに御心をおさへて、おんことをひきたまふ。ややひさしくありて、なほさりげなるおんこゑにて、「あれは何者ぞ」ととひたまひければ、おにこたへてまうすやう、「われこれたいたうのぶんし、げんしんとまうしし者にてはべり。ことばの花にふけり、おもひ露にぬれて、春を迎へ秋を送りてはべりし程に、此のよはかなくなりはべりにしかば、きやうげんきぎよの心をとどめたりし
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罪のむくいにや、今かかるあさましきかたちをえたり。わがつくりおきはべりししふども、たうこくにもにつぽんにも、多くくちずさみあひてはべり。そのなかに菊の詩に、
これはなのなかにひとへにきくをあいするにはあらず、このはなひらけつくしてさらにはなのなければなり。 K080
とつくりてはべりしを、人皆『このはなひらけてのち』とえいじはべり。このよをさりぬるみなれども、おもひそみにし事なれば、なほほいなくはべるなり。そのみちをえむ人にしめしたくは思へども、さすがにかくとつぐるまでの人、よにすくなくはべれば、おもひわびてすごしはべりつるに、ただいまかけりはべるが、おんことのねにおどろきて、しばらくさすらひ侍り。君は
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いみじくめでたきさいじんにておはしませば、あひかまへてあひかまへてこのほんいとげさせ給へ。くわんけこのしをじよとして侍るには、『ひらけつくして』と侍り。さればそれはうれしく侍也」と申せば、しんわうきこしめして、「いとやすきことにこそはべるめれ」とて、ひごろなにとなくごふしんにおぼしめされけることども、とはせたまひければ、こまごまにこたへまうして、誠にうれしげにて、涙を流してをあはせて、かきけつやうにうせにけり。さてこそ、げんしんがぶんしやうにそめる色も、親王のしふにひいでたまへる程も、共にあらはれて、せじんききつたへて、かんるいをぞながしける。昔も今もためしあるべしともおぼえぬことども、あまたありけり。そのなかに
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ことに不思議なりける事は、かめやまにすませ給へども、水のなかりけるをほいなきことにおぼしめして、このしんわうまつりいださせ給へり。そのさいもんは『もんずい』にみゆ。これによつて神のかんおうありければ、すなはちひせんわきいでたり。今のおほゐがはとまうすはかの水のながれなるべし。さがのいんくんとまうすはこのみやのおんことなり。御年卅七にして、よをそむきたまふべき事を夢に御覧じて、そのとしになりしかば、みづからいちじようゑんどんのしんもんを書写し、しづかにしやうじむじやうのあいしやうをくわんじたまひて、ただほとけをのみぞ念じ奉り給ける。「きたりてとどまらず、がいろうあしたをはらふつゆあり。さりてかへらず、きんりに
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なしゆふべになぐるはな」とぐわんもんをあそばして、つひにかくれさせ給ぬ。ぜんだいにもいときかず、みらいにも又ありがたく、あはれなりし御事なり。廿六 ごさんでうのゐんのだいさんのわうじ、すけひとのしんわうとておはしましき。めでたきけんじんにてましましければ、「とうぐうおんくらゐののちには、かならずおんおとと、すけひとのしんわうをたいしにたてまいらせたまふべし」と、ごさんでうのゐん、しらかはのほふわうに申させたまひければ、たしかにおんことうけありけり。宮もたうとうぐうごそくゐの後は、わがおんみおんゆづりをうけさせおはしますべきよし、おぼしめされける程に、とうぐうさねひと、えいほうぐわんねん八月十五日、おんとし十一と
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まうししに、をののみやのていよりせうやうしやに移らせたまひて、ごげんぶくありし程に、おうほう二年二月八日、おんとし十五にして、あへなくうせたまひにしかば、ごさんでうのゐんまうしおかせたまひしが如く、さんのみや、たいしにたちたまふべかりしを、そのさたなかりけり。しようほうぐわんねん十一月十二日、しらかはのゐんのいちのみや、あつふんのしんわうごたんじやう。こんじやうきさいばらのだいいちのわうじにておはしまししかば、さうなくたいしにたちたまへりしあひだ、そのさたなくてわたらせたまひしかども、あつふんのしんわう、しようりやくぐわんねん八月六日、おんとししさいにしてうせ給へり。おなじき三年七月九日、ろくでうのうだいじんあきふさこうのおんむすめのおんはらにほりかはのゐんごたんじやう。
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同年十一月三日、しんわうのせんじをくだされたりけれども、たいしにはたち給はず。「これらはさんのみやのおんこと、ごさんでうのゐんのごゆいごんををそれさせ給ゆゑ」とぞ、古き人はまうしはべりし。しかりといへどもおうとく三年十一月廿八日、おんとし八歳にしてゆづりをえさせ給。やがて同日、とうぐうとす。よしひとのわうこれなり。太子にもたち給はず、親王にてぞおんくらゐにつかせ給ける。くわんぢぐわんねん六月二日、やうめいもんゐんにてごげんぶくはありしかども、太子のさたにもおよばず。かうわ五年正月十六日に、とばのゐんごたんじやうありしかば、いつしかそのとしの八月十七日に、太子にたたせたまひにしか
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ば、さんのみやはおぼしめしきりて、にんわじのはなぞのといふところに、ろうきよせさせたまひたりけるに、法皇より、「いかに、いつとなくさやうにてはましますにか。ときどきは京などへもいでさせ給へかし」など、こまごまとおほせられて、くに、しやうゑんなどあまた奉らせたまひたりけるおんぺんじには、「はなありけだものありさんちゆうのとも、うれひなしよろこびなしせじやうのこころ」と、申させたまひたりけり。そうじてしいかくわんげんの道にすぐれてましましければ、人申けるは、中々よにもなく、官もをはせぬ人は、ゐんうちのおんことよりもめづらしくおもひたてまつりて、人参りかよふともがら多かりければ、時の人は、さんのみやのひやくだいふとぞまうしける。かかり
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けれども、ごそくゐさうゐしてければ、さんのみやいかばかりほいなくおぼしめされけめども、よのみだれやはいできたりし。このみやの御子はなぞののさだいじんを、しらかはのゐんのおんまへにてごげんぶくせさせまゐらせて、げんじのしやうをたまはらせたまひて、むゐよりいちどにさんゐしつつ、やがてちゆうじやうになしたてまつられたりけるは、すけひとのしんわうのおんうれひを休め、かつうはごさんでうのゐんのごゆいごんをおそれさせたまひける故とかや。いつせいのげんじ、むゐより三位したまひし事は、さがのてんわうのみこ、やうゐんのだいなごんさだむのきやうのほかは、うけたまはりおよばず。れんぜいのゐんおんくらゐの時、うつつおんこころもなく、ものぐるはしくのみおはしましければ、
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「ながらへててんがをしろしめすこといかが」と思へりけるに、おんおととのそめどののしきぶきやうのみや、にしのみやのさだいじんのおんむこにておはしましけり。よき人にて渡らせ給と人思へり。なかづかさのせうたちばなのとしのぶ、そうれんも、ちはるなどが、「しきぶきやうのみやをとりたてまつりて、とうごくへおもむきて、ぐんびやうをかたらひつつ、位につけたてまつらむ」と、うこんのばばにてよなよなぎしけるを、ただのまんぢゆうこのよしをそうもんしたりければ、にしのみやどのはながされたまひにけり。にしのみやどのはしりたまはざりけるを、としのぶは「はりまのくにたまはらむ」、れんもは「一度にそうじやうにならん」などおもひて、かかる事を思ひたちにけり。まんぢゆうもかたらはれたりけるが、
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つくづくあんずるに、よしなしと思ける上に、西宮にてとしのぶと満仲とすまふをとりたりけるに、としのぶすぐれたりけるだいちからにて有ければ、満仲かうしになげつけられたりけるに、かうしやぶれて、満仲がかほやぶれにけり。満仲いかりて、こしがたなをぬきて、敏延をつかむとす。敏延、かうらんのほこぎをひきはなちて、踊りのきて、「なんぢ、我にちかづかば、汝がかしらはさきにうちやぶりてむ」と云ければ、満仲ちかづかずしてやみにけり。このいしゆありて、敏延をうしなはむが為にまうしたりともいへり。このことをば、こいちでうのさだいじんもろまさのことにまうしさたして、にしのみやのさだいじん
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流して、そのかはりに大臣にはこいちでうのなりたまひたりけるが、いくほどもあらで、程なく声のうするやまひをして、ひとつきあまりありてうせたまひにけり。れんもをば、けんびゐし、がうきによせてせめとひければ、れんも涙を流しつつ、「りやうがいのしよそん、たすけ給へ」と申ければ、がうきもむちつゑもいちじにくだけ破れにけり。しらかはのゐんのみこのぜんしのないしんわうをば、にでうのおほみやとぞまうしける。とばのゐんのくらゐにつかせたまひけるに、おんははしろにてくわうごうぐうとてだいりにわたらせたまひけるおんかたに、えいきうぐわんねん十月のころらくしよありけり。「だいごのしようがくそうづのわらはにせんじゆまるとまうす
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が、人のかたらひによりて、君を犯しまいらせむとて、常に内裏にたたずみありく」と申けり。くわうごうぐうのおんかたより、このらくしよをしらかはのゐんへまゐらせさせたまひたりければ、法皇おほきにおどろかせ給ひつつ、けんびゐしもりしげにおほせて、このせんじゆまるをからめてとはれければ、「だいごのにんくわんあじやりがかたらひ也」と申。彼のにんくわんは、このさんのみやのごぢそうなりけり。あるいはうへわらはのすがたにもてなし、あるいはないしのすけをふるまひて、年々よなよなびんぎをうかがひけれども、かけばくもかたじけなし。なじかはほんいもとぐべき。いまいましともいふはかりなし。もりしげをもつてにんくわんをたづねらる。仁寛しようふくし
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まうしける上は、ほつけにおほせつけてざいめいをかんがふる。ほつけのかんじやうをもつて、くぎやうせんぎあり。つみせつけいにあたれりけれども、しざいいつとうをげんじて、をんるにさだめらる。仁寛をばいづのくにへつかはす。せんじゆまるをばさどのくにへつかはしてけり。さしものぢゆうくわの者をなだめられける事こそ、わうくわとおぼえて、やさしかりける御事なれ。おほくらのきやうためふささんぎして、せんぎのざにさうらはれけるが、「ふぼきやうだいはしざいにおよぶべからず」とまうされければ、しよきやう、もつともしかるべきよしいちどうにまうされて、えんざにおよばざりけり。かのためふさのきやうは、君の為にちゆうあり、人の為にじんをはしけり。されば今、子
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孫のはんじやうしたまふもことわりなり。これをばひしよくのともがら、おほけなき事をおもひくはたてたりけり。今のさんゐにふだうのおもひたたれけむは、これにはにるべき事ならねども、つひにせんどをたつせずして、宮をうしなひ奉り、わがみもほろびぬる事こそ、かへすがへすもあさましけれ。廿七 ろくでうどのとまうすにようばうのおんはらに、法皇のみこのおはしましけるをば、ひやうぶのたいふときゆきのおんむすめ、こけんしゆんもんゐんのおんこにやしなひまいらせて、七才にて、いんじあんげんぐわんねん七月五日、ざすのみやのごばうへいれたてまつりて、しやくしにさだまらせたまひたれども、
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いまだ御出家なかりしが、たかくらのみやかくならせたまひて、おんきんだちまであなぐりもとめられければ、あなおそろしとて、ひなみの善悪にもおよばず、あはてておんぐしそりおろしたてまつりにけり。今年は十二才にぞならせ給ふ。かかるよのみだれなれば、ごじゆかいのさたにもおよばず、しやみにてぞわたらせ給ひける。かぜふけばきやすからぬここちして、よそまでもくるしかりけり。みのためひとのため、よしなきことひきいだしたりけるよりまさかな。廿八 そもそもげんざんゐよりまさとまうすは、つのかみらいくわうに五代、みかはのかみよりつなのまご、ひやうごのかみなかまさがこなり。ほうげんのかつ
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せんにみかたにてさきをかけたりしかども、させるしやうにもあづからず。またへいぢのげきらんにも、しんるいをすててさんじたりしかども、おんしやうこれおろそかなり。おほうちのしゆごにてとしひさしくありしかども、しようでんをも許されず。としたけよはひかたぶきてのち、じゆつくわいの和歌一首読てこそ、昇殿をば許されけれ。
人しれずおほうちやまのやまもりはこがくれてのみ月をみるかな K081
この歌によつて昇殿し、じやうげのしゐにてしばらくありしが、三位を心にかけつつ、
のぼるべきたよりなければこのもとにしゐをひろひてよをわたるかな K082
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さてこそ三位をばしたりけれ。やがて出家して、げんざんゐにふだうよりまさとて、こんねんは七十五にぞなられける。このひとのいちごのかうみやうとおぼしき事には、にんぺいのころをひ、こんゑのゐんございゐの時、しゆしやうよなよなをびへたまぎらせ給ふ事ありけり。しかるべきうげんのかうそうきそうにおほせて、だいほふひほふをしゆせられけれども、そのしるしなし。ごなうはうしのこくばかりにてありけるに、とうさんでうの森のかたよりくろくもひとむらたちきたりて、ごてんのうへにおほへば、しゆしやうかならずをびへさせたまひけり。これによつてくぎやうせんぎあり。「さんぬるくわんぢのころをひ、ほりかはのてん
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わうございゐの時、しかのごとく主上をびへさせ給ふ事あり。そのときのしやうぐん、ぎかのあつそん、なんでんのおほゆかにさうらはれけるが、めいげんする事さんどののち、かうしやうに『さきのむつのかみ、みなもとのよしいへ』と、高らかになのられたりければ、ごなうおこたらせたまひけり。しかれば、せんれいにまかせて、ぶしにおほせてけいごあるべし」とて、げんぺいりやうかの中をえらばせられけるに、このよりまさぞえらびいだされたる。そのときはひやうごのかみとぞまうしける。頼政申されけるは、「昔よりてうかに武士をおかるる事、ぎやくほんのものをしりぞけ、ゐちよくのものをほろぼさんが為也。『めにもみえぬ
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へんげのものつかまつれ』とおほせくださるる事、いまだうけたまはりおよばず」とは申されながら、ちよくせんなれば、めしにおうじてさんだいす。たのみきりたるらうどう、とほたふみの国のぢゆうにんゐのはやたに、ほろのかざきりはいだるやおはせて、只一人ぞぐしたりける。わがみはふたへのかりぎぬに、やまどりのををもつてはいだりけるとがりやふたつ、しげどうの弓にとりぐして、なんでんのおほゆかにしこうす。頼政やをふたすぢたばさみける事は、がらいのきやう、その時はいまださせうべんにてぞをはしけるが、「へんげの者つかまつらんずるじんは頼政ぞさうらふらむ」と申されたるあひだ、「いちのやにへんげの者をいそんじつるもの
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ならば、にのやにはがらいのべんのしやくびの骨をいん」となり。ひごろひとのまうすにたがはず、ごなうはうしのこくばかりにてありけるに、とうさんでうの森のかたより、くろ雲ひとむらたちきたりて、ごてんのうへにたなびきたり。頼政きつとみあげたれば、雲のなかにあやしき物のすがたあり。是をいそんずるものならば、よにあるべしとは思はざりけり。さりながらやとりてつがひ、「なむはちまんだいぼさつ」としんぢゆうにきねんして、よくひきてひやうどはなつ。てごたへして、はたとあたる。「えたり、をう」と、やさけびをこそしたりけれ。おつる
所をゐのはやたつと
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より、とりておさへて、つづけさまにここのかたなぞさしたりける。そののちじやうげてんでにひをともしてみ給へば、かしらは猿、むくろはたぬき、をはくちなは、手足はとら、なく声ぬへにぞにたりける。おそろしなどはおろかなり。しゆしやうぎよかんのあまりに、ししわうといふぎよけんをくださせ給ふ。宇治のさだいじんどの、是をたまはりつぎて、頼政にたばんとて、おんまへのきざはしを、なからばかりおりさせ給ふところに、ころはうづきとをかあまりの事なれば、くも
ゐにほととぎすふたこゑみこゑおとづれてとほりければ、左大臣どの、
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ほととぎすなをもくもゐにあぐるかな
とおほせられかけたりければ、頼政右のひざをつき、左の袖をひろげて、月をすこしそばめにかけつつ、
ゆみはりづきのいるにまかせて K083
とつかまつり、ぎよけんをたまはりてまかりいづ。「およそこのよりまさは、ぶげいにもかぎらず、かだうにもすぐれたり」とぞ、人々かんぜられける。さてそのへんげのものをば、うつほぶねにいれて流されけるとぞきこえし。又おうほうのころをひ、にでうのゐんのございゐの時、ぬえといふけてう、きんちゆうになきて、しばしばしんきんをなや
ま
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したてまつる。しかればせんれいにまかせて、頼政をぞめされける。ころはさつきのはつかあまり、まだよひの事なるに、ぬへただひとこゑおとづれて、ふたこゑともなかざりけり。めざすともしらぬやみにてはあり、すがたかたちもみえわかねば、やつぼをいづくともさだめがたし。頼政はかりことに、まづおほかぶらを取てつがひ、ぬえの声しつるだいりのうへへぞいあげたる。ぬえ、かぶらの声におどろきて、こくうにしばしぞひひめいたる。にのやにこかぶらとりてつがひ、ひふつといきりて、ぬえとかぶらとならべて前にぞおとしたる。きんちゆうざざめきあへり。今度はぎよいをくださ
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せ給ふ。おほひのみかどのうだいじんどのきんよしこう、これをたまはりつぎて、よりまさにかづけさせ給ふとて、「昔のやういうはくものほかのかりをいき。今の頼政はあめのうちのぬえをいたり」とぞ感ぜられける。
さつきやみなをあらはせるこよひかな
とおほせられかけたりければ、
たそかれ時もすぎぬとおもふに K084
とつかまつり、ぎよいをかたにかけてたいしゆつせらる。そのときいづのくにたまはつて、しそくなかつなじゆりやうになし、わがみさんゐし、たんばのごかのしやう、わかさのとうみやがはちぎやうして、さてをはすべ
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かりし人の、よしなきむほんおこして、宮をもうしなひ奉り、わがみもほろび、しそくしよじゆうにいたるまでほろびぬるこそうたてけれ。さてもくだんのばけもの、あまたけだもののかたちありけん、かへすがへす不思議なり。昔かんてうにこくわうましましき。このわうあまりにたのしみほこりて、「わざはひといふもの、いかなる物ならむ。あはれ、みばや」とのたまひけり。だいじん、くぎやう、ちよくせんをうけたまはりて、わざはひといふものをたづねけるに、おほかたなし。あるとき天よりどうじきたりて、そのときの大臣にのたまはく、「是ぞわざはひといふ物なる。そだててみ給へ」とて帰りぬ。取てみれば、ちひさき虫にてぞ有ける。このよしをてい
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わうに奏するに、おほきによろこびたまひて、是をじあいせらる。「何をかくひものとする」とて、いつさいの物をあたふるに、おほかたくはず。あるときあまりにあやしとて、さまざまのいしこがねなどの類をあたへける。そのなかにくろがねをしよくしけり。ひに随ておほきになる事をびたたし。次第に大きになりていぬほどになり、のちにはししなどのやうに成ても、くろがねよりほかにくふ物なかりけり。くろがねもくひつくしてのちには、だいりをはじめとして、人の家のくぎどもをすひぬきてくひけるのちに、くわうきよ、じんをく、ひとつとしてまつたきはなかりけり。誠にてんがのわざはひとぞみえける。このものひにしたがひておほきになること、そのごありげも
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なし。たうじだにもあり、のちはいかがせむとて、くにぐにのえびすどもをめして、これをいさせらるる。およそそのみくろがねなりければ、やたつ事なし。つるぎをもつてきりけれども、きれず。おのれが好む物なれば、剣をも食けるあひだ、はてにはたきぎの中につみこめて、ひをさしつつやくに、七日七夜もえたり。今はうせぬとおもひけるに、ひのなかのより、くろがねをやきたるがいでたりけるほどに、是がよる所は皆やけうせにけり。さんやにまじはるところけぶりになりて、ところどころのひもえ、をびたたしなどはいふはかりなし。しかるあひだ、このくにに人すみがたかりければ、何ともすべきはかりことつきはてて
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ければ、うげんの僧をめしあつめて、さんしちにち、てんどうのほふをおこなはせられけるに、いちしちかにちに当りける日、国のさかひをいでて、すべてそののちはみえず。こくわう、にんみん、よろこびあへる事なのめならず。てんどうかのけだものをがうぶくし給けるにや、たこくにいでてさんちゆうにて死にけり。死てのち、じしやくといふいしになりにけり。いきてこのみける物なれば、死て石となりたれども、なほくろがねをとるものとなりたりけるこそ、おそろしけれ。今のじしやくせん、これなり。しかるにかのけだものこそ、ちくるいななつの姿を持たりけるとうけたまはれ。鼻は象、ひたひと腹とはりよう、くびはしし、せなかはさちほこ、皮は
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へう、をは牛、足は猫にてありけるとかや。いまのよまでもばくとまうして、ゑにかきて人の守りにするは、すなはちこのけだものなり。いまよりまさのきやういるところのばけものも、かのばくほどこそなけれども、不思議なりしいきんなり。廿九 そもそもこんどのむほんをたづねれば、むまゆゑとぞきこえし。さんゐにふだうのちやくしいづのかみなかつな、としごろひさうしたるめいばあり。かげなる馬の、をがみあくまでたくましきが、なをばこのしたとぞまうしける。さきのうだいしやうむねもり、しきりにしよまうせらる。いづのかみ、命にかへてこれををしく思はれければ、「余りにそんじてさうらふときに、
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いたはらむが為に、このほどゐなかへつかはして候。とりよせてまゐらすべくさうらふ」とて、一首の歌をぞおくりける。
ゆかしくはきてもみよかしこのしたのかげをばいかがひきはなつべき K085
よにはついしようしたがる者有て、「その馬はきのふもかはらにて水けさせてさうらひつる物を。けふもにはのりしつるものを」など申ければ、むねもりなほ、「その馬をたまはりてとどめんとにはさうらはず。ただひとめみて、やがてかへしたてまつるべし」とのたまふ。いづのかみ、父の入道にこのよしを申す。入道、「いかにたてまつらぬ。こがねをまろめたる馬なりとも、人のしよまうせられむにをしむべきか。とくとく」とのたまへば、ちからおよばず、かの
P1833
馬をむねもりのもとへつかはす。この馬のなをばこのしたと申ければ、ふみにも「このしたまゐらせさうらふ」とこそかかれけれ。しかりといへども、はじめのたびをしみたるをにくしとや思はれけむ、人のきたればぬしのなをよびつけて、「なかつなめ、とりてつなげ。仲満めにくつばみはげよ。さんざんにのれ。うて」などのたまふ。伊豆守このことをききて、やすからぬ事におもひて、父の入道に申けるは、「心うき事にこそ候へ。さしもをしくおもひさうらひし馬を、宗盛がもとへつかはして候へば、いちもんたもんしゆえんし候けるざしきにて、『そのなかつなまるにくつばみはげてひきいだして、うて、はれ』なむどまうして、さんざんにあつこうつかまつりさうらふなる。人にかく
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いはれても、よにながらへ、人にむかひておもてをならぶべきか。自害をせばや」と申す。誠にこころざしつくしがたし。入道たのみ切たるちやくしをうしなひて、ながらへてなににかはせむなれば、このいしゆを思て、宮をも勧め奉り、むほんをもおこしたりけり。誠にいきどほりをふくむもことわりなり。さればきほふのたきぐちに、宗盛のひかれたりしとほやまをば、をんじやうじにてをがみを切て、「むねもり」といふふだをつけ、京のかたへおひはなつ。きはめていさめる馬なれば、きやうぢゆうをはせありく。人これをみて、「あなあさましし。さんぬるころおほいとののもとに、なかつなといふ馬のありしをこそあさましとおもひ
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しに、今は又むねもりといふ馬のまよひありくこそ不思議なれ。よの末にはかくみにくき事も有ける」とぞ申ける。人は世にあればとて、いふまじき事をばつつしむべきにや。これにつけてもこまつどののおんことをしのび申さぬ人はなかりけり。あるときこまつのだいふ、だいりへまゐりたまひたりけり。やいんにめんだうにて、としごろしりたまひたりける女をひかへて、ものがたりしたまひけるに、いづくよりきたるともおぼえぬに、おほきなるくちなは、だいふの肩にはひかかりたりけるに、少しもおどろきたまはず。にようばうおそれなむずとおもひたまひて、おんみはたらかし[* 「はたかかし」とあり「か」を「ら」と訂正]給はでをはしけるほどに、くちなはさしぬきのももだちへ
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はひいりにけり。そののち「人やさうらふ」とのたまひけれど、人まゐらず。時のおとどにてをはするあひだ、「ろくゐやさうらふ」とめされければ、いづのかみなかつな、六位にて候けるが、まゐりたりけるに、だいふももだちをひきあけて、「これはみえらるるか」とてみせられけるに、「みえさうらふ」と申されければ、「さらばとられよ」とおほせられければ、伊豆守くちなはのかしらを取て、かりぎぬのしたにひきいれて、女にみせずしていでたまひて、「人や候」とのたまひければ、おつぼのめしつぎの参たりけるに、「これとりてすてよ」とて、さしいだし給たりければ、めしつぎ色をうしなひてにげいでにけり。そののち伊豆守のらうどう、わたなべたうにはぶくのじらうと
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いふものまゐりたりけるが、取てすてけり。よくじつにこまつどののおんもとより、じひつにおんふみあそばして、伊豆守のもとへつかはされけるに、「そもそもきのふのおんふるまひ、ひとへにげんじやうらくとこそみえたてまつりさうらひしか。これへ申てこそまゐらすべくさうらへども」とて、黒き馬のふとくたくましきに、しろぶくりんのくらおきて、あつぶさのしりがいかけて、ながぶくりんのたちを錦の袋にいれて、おくられけり。伊豆守のおんぺんじには、「かしこまりて御馬たまはりさうらひぬ。誠に参てたまはるべきところ、おくりたまひさうらふこと、ことにもつておそれいり候。おほせをかうぶりさうらひし時、おほせのごとくげんじやうらくのここちつかまつりてこそぞんじさうらひしか」とぞ、まうされたりける。誠に
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ありがたかりける、こまつどのの御心ばへかな。「あはれ、おんいのちのながらへて、よのまつりごとをたすけましまさんには、いかにせけんもおだやかに、こくどもしづかならまし」と、ばんにんをしみ奉るといへども、かひなし。ひごろはさんもんのしゆとこそ騒ぎおどろおどろしくきこえしに、今度は山にはべつじなくして、なんとの大衆もつてのほかにさうどうしければ、にふだうしやうこくあまりにやすからぬことにおもはれければ、みゐでら、なんとのしゆとのちやうぼんをめしきんぜらるべきよし、そのさたありけり。南都には深くいきどほりて、てんがのおんつかひさんざんにりようりやくして、いよいよあくぎやうをぞいたしける。
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卅 廿九日には、「みやこうつりあるべし」と、ひごろささやきあへりけれども、さしもやはとおもひける程に、「来月みつかのひ、まづふくはらへぎやうがうあるべし」とおほせくだされたりければ、じやうげあきれさはぎあへり。こはいかなる事ぞとて、ぜひにまよへり。さらにうつつともおぼえず。六月ふつかのひ、にはかにだいじやうにふだうのとしごろかよひたまひつるふくはらへ行幸あり。みやこうつりとぞきこえし。ちゆうぐう、いちゐん、しんゐん、せつしやうてんが、くぎやう、てんじやうびと、皆参り給へり。みつかのひとかねてはきこえしが、にはかにひきあげらるるあひだ、ぐぶのじやうげいとどあわてさわぎて、とるものもとりあへず。ていわうのをさなくをはしますには、きさきこそおなじこしには奉るに、これはおんめのとの
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へいだいなごんのきたのかた、そつのすけどのぞ参りたまひける。「これはいまだせんれいなきことなり」とぞ、人々あさみたまひける。みつかのひ、いけのだいなごんよりもりのいへをくわうきよとさだめたてまつりて、しゆしやうをわたしたてまつる。よつかのひ、頼盛は家のしやうをかうぶりて、じやうにゐしたまひて、うのだいじんのおんこ、うだいしやうよしみちこえられ給へり。いちゐんは、しめんははたいたしまはしたる所の、くちひとつあけたるにおはしまして、しゆごの武士きびしくて、たやすく人もまゐらざりけり。とばどのをいでさせましましかば、少しくつろぐやらむとおぼしめししかども、たかくらのみやのおんこといできたりて、又いかにしたるやらむ、かくのみあれば、こころうしとぞおもはれける。「今はただよの
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事もおぼしめしすてて、やまやまてらでらをもしゆぎやうして、かのくわさんのゐんのせさせおはしましけむやうに、おんこころにまかせておはしまさばや」とぞおぼしめされける。そもそもよよのみかどせんとの事、せんじようをたづぬるに、じんむてんわうとまうしたてまつるは、ぢじんごだいのみかど、ひこなぎさたけうがやふきあへずのみことのだいしのわうじ、御母、たまよりひめ、かいじんのえむすめなり。じんだいじふにだいののち、かのとのとりのとし、ひうがのくにみやざきのこほりにて、にんわうはくわうのほうそをつぎたまひて、五十九年つちのとのひつじ十月にとうせいして、とよあしはらのなかつくににうつりつつ、うねびのやまをてんじてていとをたて、
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すきはらのちきりはらひて、きゆうしつをつくり給へり。すなはちこれをかしはらのみやとまうす。このおんときさいしゆを定め、よろづのかみをまつりたてまつる。このくにをあきつしまとなづけしよりこのかた、よよのていわうのおんとき、都をたしよへうつさるること、三十度に余り、四十度に及べり。すいせいてんわうはやまとのくにかづらきのたかをかの宮にまします。あんねいてんわうはかたしほうけなの宮にまします。いとくてんわうはかるのまがりかをの宮にまします。かうせうてんわう、かづらきのかみのこほり、わきのかんいけこころの宮にまします。かんあん天王はむろのあきつしまの宮にまします。かうれいてんわうはくろだのいほどの宮にまします。かうげんてんわうは
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かるのさかひはらの宮にまします。かいくわてんわうはそふのこほりかすがのいざかはの宮にまします。すじんてんわうはしきのみづかきの宮にまします。このおんとき、君のみつぎ物をそなへたてまつり、しよこくに池をほり、船を作りはじめけり。すいにんてんわうは、まきむくたまきの宮にまします。このおんとき、はじめてくわしのたぐひをうゑらるる。たちばなとうこれなり。けいかうてんわうはまきむくひしろの宮にまします。このおんとき、はじめてたけうちのすくねをおとどになしたてまつる。又国々の民のかばねをさだめらる。いじやうじふいちだい七百余年は、みなこれやまとのくにをしめて、たこくへみやこをうつされず。せいむてんわうぐわんねんに、大和国より
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あふみのくににうつりて、しがのこほりに都をたてて、六十余年はたかあなほの宮にまします。ちゆうあいてんわう二年九月に、近江国よりながとのくににうつりて、九年はあなととよらの宮にまします。てんわうかのみやにしてほうぎよなりしかば、きさきじんぐうくわうごう、よをつがせたまひて、いこくのいくさをしづめたまひてのち、ちくぜんのくにみかさのこほりにてわうじごたんじやうあり。かけまくもかしこくはちまんだいぼさつとまうす、このおんことなり。おうじんてんわうと申奉る。神功皇后はなほ大和国にかへりて、とをちのこほりいはれのわかざくらの宮に六十九年まします。おうじんてんわうは、おなじきくにたけちのこほりかる
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しまのとよあかりの宮に四十三年まします。このおんとき、はくさいこくより、絹ぬふ女、色々の物のし、はかせなどを渡す。またきやうでん、よきむまなどを奉る。よしののくずもこのときまゐりはじまれり。にんとくてんわうぐわんねんにつのくになにはにうつつて、たかつのみやにまします。今のてんわうじ、これなり。このおんとき、ひむろはじまれり。又たかをつかひ、かりなどもはじまれり。八十七年。りちゆうてんわう二年に、又やまとのくにに帰て、とをちのこほりいはれのわかざくらの宮にましまして、六年、はんぜいてんわうぐわんねんに、やまとのくによりかはちにうつりて、たぢひのこほりしばかきのみやにまします。六年。きんくゐやうてんわう卅二年に、かはちのくによりやま
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とのくにに帰て、とをあすかのみやにまします。これをなむなづけて、とぶとりのあすかの里とぞまうしける。三年。あんかうてんわうさんねんに、やまとの国より又あふみのくにに帰てのち、あなほの宮にまします。ゆうりやくてんわう廿一年、近江国より大和国へ帰て、はつせのあさくらの宮にまします。せいねい、けんそう、にんけん、ぶれつ、しだいのみかど、おなじきくにいはれのみかくり、ちかつあすかやつりのみや、いそのかみのひろたか、はつせのなみきのよつのみやにましましき。けいたいてんわう五年、やましろつづきのこほりにうつりて、十二年、そののちおとくにのこほりにすみ給て、いはれのたまほの宮にまします。
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あんかんてんわうはおなじきくにまがりのかなはしの宮にまします。せんくわてんわうぐわんねんになほやまとのくににかへりて、ひのくまのいほりののみやにまします。きんめい、びだつ、ようめい、すじゆん、すいこ、じよめい、くわうぎよく、いじやうしちだいのみかどは、しきしま、いはれのをさた、いけのへのなみつき、くらはし、ぬかたべ、をはりだの宮、たむら、たけちのおりもののみや、あすかのかはらのみやにましまして、いじやう八代、せんくわ天皇よりこのかたは、たうごくにましまして、都をたしよへうつされずして百十年、かうとく天皇、たいくわぐわんねんにつのくにながらのきやうにうつりて、とよさきのみやにまします。このおんとき、はじめてねんがう
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あり。たいくわ、はくちとうなり。はつしやうひやくくわんを定め、国々のさかひをあらたむ。もろこしよりもんじよ、ほうぶつ、おほくわたせり。このみかどぶつきやうをうやまひたてまつり、れいしんをかろくし給ふ。ぢやうろくのだゐぶつをくやうじ、二千余人のそうにをもつて、いつさいきやうをてんどくす。そのよ二千余のともしびをきゆうちゆうにともす。そのぎように、ねずみ多くむれつつ、なにはよりやまとのくにへ渡る事あり。「これみやこうつりのせんべうなり」とまうしし程に、そのしるしにやありけむ、はつかねんののち、さいめい天皇二年に、大和国へかへりて、をかもとの宮にまします。九年。てん
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ちてんわうろくねんに、又あふみのくにに帰て、しがのこほりに都をたてて、おほつのみやにまします。このおんとき、しよこくのひやくしやうを定め、たみのけぶりをしるしおく。とうぐうにておはしましし時、ろうこくをつくりたまへり。ないだいじんかまたり、はじめてふぢはらのしやうをたまはる。今のとうじ、このおんすゑなり。五年。てんむてんわうぐわんねんに、又大和国へかへりて、あすかのをかもとのみなみのみやにまします。これをきよみばらの宮とかうす。ゆゑにこのてんわうをきよみばらのみかどとまうしけり。十五年。ぢとう、もんむ、にだいのせいてうは、おなじきくにふぢはらの宮にまします。げんめいてんわうは、わどう二
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年におなじきくにへいぜいの宮にうつり、げんしやうてんわうは、やうらうぐわんねんにひだかへいぜいの宮にうつり、しやうむ、かうけん、あはぢのはいたい、しようどく、くわうにん、ごだいのみかどは、おなじきくにならのきやう、へいぜいのみやにすみたまふ。しかるをくわんむてんわうのぎよう、えんりやくさんねんきのえのね、ならのきやうかすがの里より、やましろのくにつつきのながをかのきやうにうつりて、十年まします。おなじきえんりやく十二年みづのとのとり正月に、だいなごんをぐろまろ、さんぎさだいべんこさみ、だいそうづげんけいらをつかはす。たうごくかどののこほりうだのむらをみせらるるに、三人共に申ていはく、「このちのていたらく、さしやうりゆう、う
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びやくこ、ぜんしゆしやく、ごげんむ、しじんさうおうのちなり。もつともていとをさだめたまはんにかたがたたよりあり」と奏しけるに、おたぎのこほりにおはしますかものだいみやうじんにつげまうされて、同十三年きのえのいぬ十月廿一日かのとのとり、ながをかのきやうよりこのへいあんじやうへうつりたまひしよりこのかた、都をたしよへうつされずして、ていわう三十二代、せいざう三百八十八年のしゆんしうをへたり。昔よりくにぐにところどころに都をたてしかども、かくのごときのしようちはなし。ひがしのかたはよしだのみや、ぎをんてんわう、たつみのかた、いなりのみやうじん、みなみのかた、はちまんだいぼさつ、ひつじさるのかた、まつのをのみやうじん、にしの
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かた、をはらの、いぬゐのかた、きたののてんじん、ひらののみやうじん、きたのかた、かものみやうじん、うしとらのかた、ただすのみや、ひよしのさんわうおはします。このかたをばきさもんのかたとなづけて、これをつつしむ。さればてんぢくわうしやじやうのうしとらのかたにはりやうじゆせんあり。しんだんにはてんだいさんあり。につぽんわうじやうのうしとらにはひえいさんあり。おのおのぶつぽふそうのすみかとして、ちんごこくかのちぎりにて、ぶつぽふはわうぼふを守り、王法は仏法をあがめたてまつる。てんわうことにしふしおぼしめされて、「いかにしてかまつだいまでこのきやうをたしよへうつされざることあるべき」とて、だいじん、くぎやう、しよだうのはかせ、さいじんをめしあつめて、せんぎありけるに、ていとちやう
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きうなるべきやうとて、つちにてはつしやくのにんぎやうをつくりて、くろがねのかつちうをきせ、おなじくきゆうせんをもちて、みかどみづからごやくそくありけるは、「まつだいにこのきやうをたしよへうつし、又よをみだらん者あらば、必ずばつを加へ、たたりをなして、長くこのきやうのしゆごじんとなるべし」とて、ひがしやまのみねににしむきにたててうづまれけり。しやうぐんがつかとて今にあり。おんちかひかぎりあれば、てんがにこといでき、ひやうがくおこらんとては、必ずつげ示して、このつかめいどうすといへり。くわんむてんわうとまうすは、すなはち平家のなうそにておはします。既に先祖のせいしゆのもとゐをひらき、よよのみかど、このちをいでさせおはします事なし。
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しかるをそのおんすゑにて、さしたるいはれなく、都をたしよへうつさるること、ぼんりよにはかりがたし。ひとへにしんりよおぼつかなし。なかんづくこのきやうをばたひらかにやすきじやうとなづけて、「たひらやすし」と書きけり。しかるをさうなくへいきやうをすてらるること、ただことにあらず。又しゆしやうもしやうくわうも、みなかのぐわいそんにておはします。君もいかでかすてさせたまふべき。これひとへに平家のうんつきはてていてきせめのぼりて、平家都にあとをとどめず。さんやにまじはるべきずいさうなり。只今よはうせなむずとなげきあへり。ていわうをおしおろしたてまつりて、わがまごを位につけ奉り、わうじをうちたてまつりてくびをきり、くわんばくを流してわがむこをなし奉り、大臣、公卿、うんかく、じ
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しん、ほくめんのげらふにいたるまで、あるいは流しあるいは殺し、あくぎやうかずをつくして、のこるところは、ただみやこうつりばかりなり。さればかやうにくるふにこそとささやきあへり。さがてんわうのおんとき、だいどう五年、都をたしよへうつさむとせさせたまひしかども、大臣、公卿さわぎそむき申されしかば、うつされずしてやみにき。いつてんのきみ、ばんじようのあるじだにも移しえたまはぬ都を、入道、ぼんにんのみとしておもひくはたてられけるこそおそろしけれ。「たみらうすれば、すなはちうらみおこる。しもなやますれば、すなはちせいそつ」文。これすなはちいぞくおこりて、てうかのだいじいできて、しよにんしづかならざるべきやらむとぞなげきける。しんとぐぶの人の中に、こきやうの家の柱にかきつけける。
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ももとせをよかへりまでにすぎきにしをたぎの里のあれやはてなむ K086
いかなる者かしたりけむ。平家の一門の事をふだに書て、入道の門にたてける。
もりがたうたひらのきやうをにげいでぬうぢたえはつるこれは初めか K087
さきいづる花の都をふりすててかぜふくはらの末ぞあやうき K088
誠にめでたき都ぞかし。わうじやうちんごのやしろ、しはうに光をやはらげ、れいげんしゆしようの寺、じやうげにきよをしめ給へり。ひやくしやうばんみんわづらひなく、ごきしちだうもたよりあり。しかるを是をすてらるる事、しゆごのぶつじん、ひれいをうけたまはじ、しかいのれいみん、いきどほりをなすべし。おそろしおそろしとぞ
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まうしあひける。論語といふふみにいはく、「ひとををかすものはらんばうのうれひあり、かみををかすものはしつえうのわざはひあり」とうんうん。なかんづく、もとのきやうよりこのきやうはせいはうのぶんなり。たいしやうぐんとりにあり、はうがくすでにふさがりぬ。さればかんじやうどもをめされける中に、おんやうはかせあべのすえひろ、かんじやうにいはく、「ほんでうのさすところ、たいしやうぐんのわうさう、をんごんをきらはず、おなじくきひすべし。えんりやく十三年十月廿一日に、ながをかのきやうより、かづののきやうにせんとす。ことしきたのぶんとして、わうさうのかたにあたる。これをさけられず。これふるきによるによつて、はうきをろんぜず。つぎにたいしやうぐんのきんき、なほわうさうにおよばず。えんりやくのかれいにつきて、かのせんと、たいしやうぐんのかたたりといへども、なにかそのはばかりあるべけむや」といへり。これをききて、ある
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人申けるは、「延暦のせんとにはおんかたたがへありといへり。ながくきうとをすてられむにおいては、はうがくのきんきあるべし。いかさまにもおんかたたがへはあるべかりける物を。すゑひろがけいうんじゆせいとのみ奏する心えられず」と、人くちびるをかへしけり。G17九日はしんとことはじめして、しやうかうはさだいしやうさねさだ、さいしやうのうちゆうべんみちちか、ぶぎやうはとうのさちゆうべんつねふさのあつそん、くらんどのさせうべんゆきたかとぞきこえし。十五日にしんとちてんの事、わだのまつばらの西ののにくじやうのちをさだめられけるに、「かのところはたかしほきたらん時、事のわづらひあるべし。そのうへごでうよりしもなかるべし」と申けるは、つちみかどのさいしやうのちゆうじやうみちちかのきやうまうされ
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けるは、「三朝のくわうろをひらきて、十二のむねかどをたつ。いはむやわがてうにはごでうまで有らむ、何のふそくか有らむ」とまうされけれども、ぎやうじのつかさどもちからおよばでかへりにけり。「さらばこやのにてあるべきか、はりまのゐなのにてあるべきか」と、くぎやうせんぎありて、同十六日、たいふのさくわんたかもと、じつけんの為にししやうをつかはす。むまのこくばかりににはかにまたとどめられにけり。これはあきのいちのみや、ある女につきてたくせんしたまひける故とぞきこえし。ちてんの事、ひびにかいてい、ただことにあらず。みやうじんなふじゆし給はずといふこといちしるし。さんぬる十一日の夜、そちのだいなごんたかすゑのきやう、福原にして夢をみられけるは、おほきなるやのとをりたるあり。そのうちにたかすゑざせり。
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ひさしのばうに女房あり。ついがきのそとにはらはらとなく声しきりなり。われこれをとふ、女房こたへていはく、「これこそはみやこうつりよ。だいじんぐうのうけたまはざることにてさぶらふぞ」といへり。すなはちおどろきて、又ねぶり、おなじやうに又みられけり。くぶしてぜんもんにまうされたりけれども、これをしんぜられざりけり。おなじき廿二日、ほつしようじの池のはちす、ひとつくきにふたつの花さきたり。たつのこくにみつけて、かのてらよりそうもんす。ほんてうにはじよめいいごこのことなし。そのしるしむなしからず。まづさとだいりをつくらるべきよし、ぎぢやうありて、ごでうのだいなごんくにつなのきやう、ざうしんせらるべきよし、入道はからひまうされければ、六月廿三日きのえのたつはじめて、八月十日むねあげとぞさだめられける。ろんごにいはく、「そしやうくわのたいにおこりてれいみん
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さんず。しんあはうのてんにおこしててんがみだる」とも文。またていはんにいはく、「ばうしきらず、さいてんけづらず、しうしやかざらず。いふくにあやなかり」けむよもありけむ物を。たうのたいそうはりさんきゆうをつくりて、民のつひえをいたはりて、つひにりんかうなくして、かきにこけむし、かはらにまつおひてやみけむはさうゐかなとぞみえし。さてもこきやうにはつじごとに堀ほり、さかもぎなどひき、車もたやすくとほるべくもなければ、まれにこぐるまなどのとほるも、道をへちてぞゆきける。ほどなくゐなかになりにけるこそ、夢のここちしてあさましけれ。人々の家々は、かもがは、かつらがはよりいかだにくみて福原へ下しつつ、むなしき跡にはあさぢが原、よもぎがそま、鳥のふしどとなりて、虫のねのみぞうらみける。
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たまたま残る家々は、もんぜんくさふかくして、けいきよくみちをうづめ、ていしやうにつゆながれて、ほうかうはやしをなす、ちときんじうのすみか、くわうきくしらんののべとぞなりにける。わづかにのこりとどまりたまへる人とては、くわうだいこうくうのおほみやばかりぞおはしましける。八月十日あまりにもなりにければ、しんとへぐぶの人々は、きこゆるめいしよの月みむとて、おもひおもひにいでられにけり。あるいはひかるげんじの跡をおひ、すまよりあかしへうらづたひ、あるいはあはぢのはいたいのすみたまひしゑしまをたづぬる人もあり。あるいはしらら、ふきあげ、わかのうら、たまつしまへゆくものもあり。あるいはすみのえ、なにはがた、おもひおもひにおもむかれけり。さまのかみゆきもりは、なにはの月をながめて、か
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くぞえいじたまひける。
なにはがたあしふく風に月すめば心をくだくおきつしらなみ K089
卅一 ごとくだいじのさだいしやうしつていのきやうは、こきやうの月をながめんとて、きうとへのぼりたまひけり。おんいもうとのくわうだいこうくうのはつでうのごしよへまゐりたまひて、月さえ、ひとしづまりて、かどを開ていりたまひたれば、きうたいみちなめらかにしうさうかどをとぢ、かはらにまつおひ、かきにつたしげり、わけいるそでも露けく、あるかなきかのこけのみち、さしいるつきかげばかりぞおもがはりもせざりける。八月十五夜のくまなきに、おほみやおんびはをひかせたまひけり。「かのげんじの宇治の巻に、うばそくの宮の御娘、秋のなごりを
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をしみて、びはをだんじたまひしに、ありあけの月の山のはをいでけるを、なほたへずやおぼしけむ、ばちにてまねき給けむも、かくやありけむ」と、そのよをおもひしられけり。
つらきをもうらみぬ我にならふなようきみをしらぬ人もこそあれ K090
とよみたりし、まつよひのこじじゆうをたづねいだして、むかしいまの物語をし給ふ。かの侍従をば、もとはあはのつぼねとぞ申ける。たかくらのゐんのおんくらゐの時、ごなうありて、ぐごもつやつやまいらざりけるに、「歌だにもよみたらば、ぐごはまいりなむ」と、おんあやにくありければ、とりあへず、
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君がよはにまのさとびとかずそひて今もそなふるみつぎものかな K091
と読て、そのときのけんじやうにじじゆうにはなされたりけるとかや。さてもさよふけ月もにしやまにかたぶけば、嵐の音ものすごうして、くさばの露も所せき。露もなみだもあらそひて、すずろにあはれにおもひたまひければ、しつていのきやうおんこころをすまして、腰より「あまの上丸」といふよこぶえをとりいだし、ひやうでうにねとり、こきやうのありさまをいまやうに作り、歌ひ給けり。
古き都をきてみればあさぢがはらとぞなりにける
月の光もさびしくて秋風のみぞみにはしむ K092
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と、にさんべんうたひたまひたりければ、おほみやをはじめたてまつり、にようばうたち、心あるも心なきも、おのおの袖をぞぬらしける。そのよはよもすがら侍従にものがたりをして、「ちよをひとよに」とくちずさみたまふに、いまだべつしよいいのうらみをのべざるに、ごかうのてんになりぬれば、りやうふうさふさふの声に驚て、をきわかれたまひぬ。侍従なごりををしむとおぼしくて、みすのきはにたちやすらひ、おんくるまのうしろをみおくりたてまつりければ、だいしやうおんくるまのしりにのられたりける。くらんどをくだして、「侍従がなごりをしげにてありつる。なにともいひすててかへれ」と有ければ、くらんどとりあへぬ事なれば、いかなるべ〔し〕ともおぼえぬに、をりふし寺々のかねの声、やごゑのとりのねをきく。
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「まことや、このをんなはしらかはのゐんのぎよう、『まつよひとかへるあした』といふだいをたまはりて、
まつよひのふけゆくかねのこゑきけばあかぬわかれの鳥はものかは K093
と読て、『まつよひ』のにじをたまはりて、まつよひのこじじゆうとはよばれしぞかし」と、きとおもひいだされて、
物かはときみがいひけむ鳥のねのけさしもいかにかなしかるらむ K094
じじゆうがへんじに、
またばこそふけゆくかねもつらからめあかぬわかれの鳥のねぞうき K095
といひかはしてかへりまゐる。「いかに」とだいしやうとひたまひければ、「かくつかまつりてさうらふ」とまうしければ、「いしうもつかまつりたり。さればこそなんぢをばつかはしつれ」とて、
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けんじやうにしよりやうをたびてけり。このこと、そのころはやさしき事にぞ申ける。三十二 だいじやうにふだうじやうかいは、福原のをかのごしよにて、ちゆうもんの月をえいじておはしければ、そのころのすてものとうれんほふし、をりふしうらなしをはきて、ちゆうもんの前の月をえいじてとほりければ、入道、
月のあしをもふみみつるかな
といひかけたまひたりければ、とりもあへずとうれんかしこまりて、
おほぞらはてかくばかりはなけれども K096
とぞ申たりける。そもそもこのとうれんをふびんにして、入道のみうちに
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をかれけるゆらいを尋れば、れんがゆゑとぞきこえし。せんねんにふだうくまのさんけいの有けるに、ころはきさらぎはつかあまりの事なれば、とほやまにかすみたなびきて、こしぢに帰るかりがね、くもゐはるかにおとづれ、ほそたにがはの水の色、あゐよりもなほみどりにして、まばらなるいたやにこけむして、かうさびたる里あり。なにとなく心すみければ、入道、さだよしをめして、「このところはいづくぞ」とたづねたまひければ、「あきつの里」と申す。入道とりもあへず、
あきつの里に春ぞきにける
とえいじたまひければ、ちやくししげもり、じなんむねもり、さぶらひにはゑつちゆうのせんじもりとし、
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かづさのかみなどならびゐて、つけんとしけれども、じこくはるかにおしうつりて、入道「いかに、をそしをそし」とのたまひけれども、つけまうすひとなかりけり。ここにくまのがたより三十余とみえけるしゆぎやうしやのげかうしけるが、「このみちのならひ、じやうげ、こつじき、ひにんをきらはずさうらふ」とまうして、
みわたせばきりめの山に霞して K097
とつけたりければ、入道感じたまひて、「いづくの者ぞ」とたづねたまへば、「もとはつくしのあんらくじの者にて候しが、きんねんはあふみのあみだじにすみはべり。とうれんと申」といひければ、入道それよりふちして、しよりやうあまたとらせて、ふびんにし給けり。とりわきだいじの者におもはれけ
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る事は、さんぬるほうげんぐわんねん七月、うぢのさだいじんよりながこうよをみだりたまひし時、あきのかみとてみかたにくんこうありしかば、はりまのかみにうつされて、かのくにへげかうせらる。すなはちたうごくのちんじゆあにのみや、ごじんばいありけるに、ざいちやうにんらぐぶす。ここにかんぬし申けるは、「そもそもたうしやみやうじんのかんおうあらたにして、そうしのつゆにうるをほこと、みづのほうゑんのうつはものにしたがふがごとし。しようぜんのかぜにこふこと、つきのこかいのながれにうかぶににたり。わくわうどうぢんのりもつは、しこんのせいさにあるがごとし。げすけちえんのさいしやうは、ばんさうのしぐれをあふぐににたり。あしたにむなしくまゐりて、ゆふべにみのつててかへる。そうじてこくしをはじめたてまつり、きせんじやうげのしよにん、さんけいにちやにおこたることなし。ここに
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不思議の事あり。しやうこよりいまだつけえざるれんがのしもくあり。こくしじんばいのはじめにまづごはいけんあるは、せんぎなり」と申せば、入道をりふし登蓮をばぐしたまはず。わがみすでにふかくしなむずと思はれければ、にはかにだいじのようをいだして、「こくむにおよばず、きやうとのちようじあるよしききて、はやむまたうらいの事あり。こんどははいにおよばず、やがてげかうしはべりぬれば、そのとき」とて、こくふへ帰り、「さるにてもいかなる連歌にか」とたづねたまひければ、あるしやじの申けるは、
この神のなかあにの宮とは
と申たりければ、いそぎ是を大事と思はれけるにや、
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しやうらくせられけり。やさしかりし事也。ろくはらにつきて、いそぎ登蓮をめしておほせられけるは、「今度ぐそくしたてまつらずして、不覚におよべり」とて、くだんの連歌を語られければ、登蓮うちなげきて、
つくしなるうみのやしろにとはばやな K098
とまうしたり。かさねていそぎげかうし給へり。しやさんしてかのしやだんをひらき拝見して、入道くだんのくをつけたまへり。じんぐわん、国の人々にいたるまで、感ぜずといふことなし。そのことばいまだをはらざるに、ごてんさんどしんどうして、すなはちぶぢよにつきてたくしたま
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へり。「しんべうにつかまつりたり。これあやしの者のくにあらず。わがくにのふうぞくを思ふに、つれづれの余り、しやさんのしよにんの心をなぐさめ、わがうさをも忘れやするとて、みづからいひいだしたりし。しやうこよりいまだつけたる人なし。このよろこびには官位はおもひのままなるべしよ」とて、あがりたまひぬ。さればにや、同三年にださいのだいにになり、へいぢぐわんねん十二月廿七日、うゑもんのかみのぶよりのきやうむほんのとき、又みかたにてぞくとをうちたひらげ、同二年、じやうざんゐして、うちつづきさいしやう、ゑふのかみ、けんびゐしのべつたう、ちゆうなごんになる上、しようじやうの位にいたり、ないだいじんよりさうをへずして、だいじやうだいじんのごくゐに
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昇る。これすなはちとうれんほふしが故とぞおぼえし。三十三 そもそも入道殿かうたけひとしづまりて、月の光もすみのぼり、なをえたるやはんの事なれば、心の内もいさぎよく、「かのかんのかうその三尺のけん、ゐながらてんがをしづめ、ちやうりやうが一巻のしよ、たちどころにしふにのぼること、わがみのえいぐわにかぎりあらば、まさらじ」とおぼえて、月の光くまなければ、よもすがらながめてゐたまへるに、つぼの内に、めひとつつきたる物の、たけいちぢやうにしやくばかりなるもの、あらはれたり。又かたはらに、めはなもなきものの、これに二尺ばかりまさりたる物あり。又めみつあるものの、さんじやくばかりまさりたるあり。かかるものども五六十人並びたてり。
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入道是をみたまひて、「不思議の事かな。なにものなるらむ」と思ひ給へども、すこしもさはがぬていにて、「おのれらはなに物ぞ。あたごひらののてんぐめらごさんめれ。なにとじやうかいをたぶらかすぞ。まかりしりぞきさうらへ」とありければ、かのものどもこゑごゑにまうしけるは、「おそろしおそろし。いつてんの君、ばんじようのあるじだにもはたらかし給はぬ都を、ふくはらへうつすとて、としごろすみなれししゆくしよをみなやぶられて、あさゆふなげきかなしむ事、ごふをふともわするべからず。このほいなさのうらみをば、いかでかみせざるべき」とて、東をさしてとびゆきぬ。これとまうすは、こんどふくはらげかうのこと、いちぢやうたりしかば、しかるべきみだうあまたこぼち
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集め、新都へうつすべきたくみありけれども、だいりごしよなどだにもはかばかしくざうえいなき上は、皆えほりにくちうせぬ。これによつて、たまたま残るだうたふも、しへきは皆こぼたれぬ。あらがみたちのしよぎやうにや、あさましかりしことどもなり。入道なほ月をながめてをはすれば、ちゆうもんのゐ給へる上に、もつてのほかにおほきなる物の踊る音しけり。しばらくありて、つぼのうちへとびおりたり。み給へば、ただいまきりたるかうべのちつきたるが、ふつうのかうべとをばかりあはせたる程なるが、これのみならず、されたるかうべどもあなたこなたよりあつまりて、四五十が程ならびゐたり。めんめんにののしりけるは、「それしよぎやうむじやうは
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によらいのきんげんといひながら、ろくだうししやうにちんりんして、にちやてうぼのあくねんをおこすこと、しかしながらあの入道が故也。なりちかのきやうがびつちゆうのなかやまのこけにくち、しゆんくわんがいわうが嶋の波にながされし事、ぜんごふのしよかんとはしりながら、こころうかりしことどもなり」とめんめんにいひければ、なまかうべ申けるは、「それはされども人を恨み給べきにあらず。少したくみ給たる事共のありけるごさんめれ。ゆきただはてうてきにもあらず、きうとをしふして、しんとへ遅くくだりたりと云とがによつて、たうごくふかやのまつにしのと云所へせめくだされ、ゆゑなくくびをはねらるること、あはれとおぼしめされずや。
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あはれ、げにいつまで、あの入道をうらめしと、くさのかげにてみんずらむ」と云ければ、入道のろのろしく、おどろおどろしくおもひながら、こたへ給けるは、「なんぢら、官位といひ、ほうろくといひ、ずいぶん入道がこうじゆにて人となりしものどもにあらずや。ゆゑなく君をすすめたてまつり、入道が一門をうしなはむとするとが、しよてんぜんじんのおうごをそむくにあらずや。じくわをかへりみず、入道をうらみん事、すべて道理にあらず。すみやかにまかりいでよ」とて、はたとにらまへてをはしければ、さうせつなどのやうにきえうせにけり。月もせいざんにちかづき、鳥もとうりんになきければ、入道ちゆうもんのひとまなる所をこしらへ給へる所にたちいりて、休み
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給はむとし給へば、ひとまにはばかる程のかうべ、めむつありけるが、入道をにらまへてゐたりけり。入道腹をたて、「いかにおのれらは、一度ならず二度ならず、じやうかいをばためみるぞ。一度もなんぢらにはなぶらるまじき物を」とて、さげ給へりけるたちをなからばかりぬきかけ給へば、次第にきえてうせにけり。おそろしかりしことどもなり。いこくにかかるせんじうあり。しんのしくわうのみよにかんやうきゆうをたてて、ぎよう卅九年九月十三夜の月のくまなかりけるに、しゆしやうをはじめたてまつりて、くわいもん、しようじやう、あしやう、くわうもんより、きゆうちゆうの月をもてあそび給しに、あはうでんの上に、はばかる程のおほかうべの、めは十六ぞ有ける。くわん
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ぐんをもつていさせければ、なんていにおりて、鳥のかひごのやうにてきえうせぬ。是はえんたん、しんぶやう、けいか大臣とうのくびといへり。こののちいくほどなくて、六十一日とまうすに、しくわううせたまひぬ。「このれいをおもふには、入道殿の運命、いまいくほどあらじ」とぞささやきける。だいじやうにふだうはふくはらにをはしけるが、つきひはすぎゆけども、せけんはいまだしづまらず。胸にておけるここちして、常に心さはぎうちしてぞ有ける。にゐどのをはじめたてまつり、さまざまのゆめみあしく、けいありければ、じんじやぶつじにいのりぞしきりなる。まことに「かみあれしもこん、いきほひひさしからず。そうしやのあやふき、とんりうのごとし」ともいへり。「このよのありさま、なにとなりはてむずらむ」とぞなげきける。
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卅四 げんぢゆうなごんがらいのきやうの家なりけるさぶらひ、夢にみけるは、「いづくともそのところはたしかにはおぼえず。だいだいりの内、じんぎくわんなどにてありけるやらむ。いくわんただしくしたる人々なみゐたまひたりけるが、ばつざにおはしましける人をよびたてまつりて、いちざにおはしましける人の、ゆゆしくけだかげなるが、のたまひけるは、『ひごろ清盛入道のあづかりたりつるぎよけんをば、めしかへされむずるにや、すみやかにめしかへさるべし。かのぎよけんはかまくらのうひやうゑのすけみなもとのよりともにあづけらるべきなり』とおほせらる。『これははちまんだいぼさつ也』と申。又ざの中の程にて、それももつてのほかにけだかく、しゆくらうなりける人ののたまひけるは、『そののちはわがまごのその御剣をば給はらん
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ずる也』とのたまひけるを、『是をばたそ』ととひければ、『かすがのだいみやうじんにておはします』と申。先にばつざにおはしましける人を、『是はたれびとぞ』とたづぬれば、『だいじやうにふだうのかたうど、あきのいつくしまのみやうじんなり』とぞまうしける。おもふはかりもなく、かかるおそろしき夢こそみたれ」といひたりければ、次第に人々ききつたへて、ひろうしけり。大政入道このことをききたまひて、いきどほりふかくして、くらんどのさせうべんゆきたかにおほせてたづねられければ、がらいのきやうは、「さる事うけたまはらず」とぞまうされける。かの夢みたる者はうせにけり。てうてきをうちにつかはすたいしやうぐんには、せつたうと云ぎよけんをたまはる也。大政入道、ひごろはたいしやうぐんとして朝敵をしりぞけ
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しかども、今はちよくぢやうをそむくによつて、せつたうをもめしかへされけるにや。このゆめをかうやのさいしやうにふだうなりよりつたへききてのたまひけるは、「いつくしまのみやうじんはによたいとこそきけ、ひがことにや。又かすがのだいみやうじん、わがまごたちをばあづからむとおほせられけるも、こころえず。ただしよの末にげんぺいともにしそんつきて、ふぢはらうぢのたいしやうぐんにいづべきにや。いちのひとのおんこなどの、たいしやうぐんとして天下をしづめたまふべきか」とぞのたまひける。深き山にこもりにしのちには、わうじやうごくらくのいとなみのほかは、たねんをはすまじかりしかども、よきまつりごとをききてはよろこび、あしきことをききては歎きたまひけり。よのなりゆかむありさまをかねてのたまひけるは、すこしもたがはざりけり。
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三十五 九月ふつかのひ、とうごくよりはやむまつきてまうしけるは、「いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけみなもとのよりとも、いちゐんのゐんぜん、ならびにたかくらのみやのりやうじありとて、たちまちにむほんをくはたてて、さんぬる八月十七日夜、おなじきくにのぢゆうにん、いづみはんぐわんかねたかがやまきのたちへおしよせて、かねたかをうち、たちにひをかけてやきはらふ。いづのくにのぢゆうにんほうでうのしらうときまさ、とひのじらうさねひらをさきとし、いちるい、いづさがみりやうごくのぢゆうにんら、どうしんよりきして、三百余騎のつはものをそつして、いしばしといふところにたてごもる。これによつて、さがみのくにのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちかをたいしやうぐんとして、おほやまだのさぶらうしげなり、なかをのごんのかみもりひさ、しぶやのしやうじしげくに、あしかがのたらうかげゆき、やまうちのさぶらう
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つねとし、えびなのげんぱちすゑむねら、そうじて平家にこころざしある者三千余人、おなじき廿三日、いしばしといふところにてすこくかつせんして、頼朝さんざんにうちおとされて、わづかに六七騎になりて、ひやうゑのすけはおほわらはになりて、すぎやまへいりぬ。みうらのすけよしずみ、わだのこたらうよしもりら、三百余騎にて頼朝のかたへ参りけるが、兵衛佐おちぬとききて、まるこがはといふところよりひきしりぞきけるを、はたけやまのじらうしげただ、五百余騎にておひかくる程に、おなじき廿四日、さがみのくにかまくら、ゆゐのこつぼといふところにてかつせんして、しげたださんざんにうちおとされぬ」とまうしけり。ごにちにきこえけるは、「おなじき廿六日、かはごえのたらうしげより、なか
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やまのじらうしげざね、えどのたらうしげながら、すせんぎをそつして、みうらへよせたりけり。かづさのごんのかみひろつねはひやうゑのすけにくみして、且しやていかねだのこだいふよりつねをさきだてたりけるが、とかいにちちして、いしばしにはゆきあはず、よしずみらこもりたるみうらきぬがさのさくにくははりけり。しげよりらおしよせ、やあはせばかりはしたりけれども、よしずみらつよく、かつせんをせずしておちにけり」とまうしければ、平家の人々はこれをききたまひて、若き人はきようにいりて、「頼朝か、いでこよかし。あはれ、うつてにむかはばや」などいへども、すこしも物の心をわきまへたる人々は、「あは、だいじいできぬ」とて、さはぎあへり。はたけやまのしやうじしげよし、おほやまだのべつ
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たうありしげ、をりふしざいきやうしたりけるが、まうしけるは、「なにごとかはさうらふべき。あひしたしく候へば、ほうでうのしらうがいちるいばかりこそさうらふらめ。そのほかはたれかつきて、たやすくてうてきとなりさうらふべき」とまうしければ、「げにも」といふ人もあり、「いさとよ、いかがあらむずらむ。だいじにおよびぬ」と云人もあり。よりあひよりあひささやきけり。大政入道のたまひけるは、「昔よしともはのぶよりにかたらはれててうてきとなりしかば、そのこどもひとりもいけらるまじかりしを、よりともが事は、こいけのあまごぜんのさりがたくなげかれまうししにつきて、しざいをまうしなだめて、をんるになしにき。( )ぢゆうおんを忘れてこくかをみだり、わがしそんにむかひて弓をひかんずるは、
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ぶつじんもおんゆるされやあるべき。ただいまてんのせめをかうぶらむずるよりともなり。あやしのてうじうも、おんをほうじとくをむくうとこそきけ。昔のやうほうはすずめをかひてたまきをえ、もうほうは亀をはなちて命をたすかるといへり。わがしそんにむかひては、頼朝いかでかしちだいまで弓をひくべき」とぞのたまひける。それわがてうのてうてきのはじめは、やまといはれびこのぎよう五十九年つちのとのひつじのとし十月、きのくになぐさのこほりきしのしやうたかをのむらに、ひとつのいきんあり。よのつちぐもといふものあり。みみじかく、てあしながくして、ちからじんりんにこえたり。にんみんをそんじ、わうくわにしたがはざりしかば、くわんぐんおほせをうけたまはりて、かしこにゆきむかひて、かづらのあみをむすびて、
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つひにふくさつす。それよりこのかた、やしんをさしはさみててうかをそむくものおほし。いはゆる、おほやまのわうじ、大山、おほとものまとり、もりやのおとど、そがのいるか、やまだのいしかは、うだいじんとよなり、さだいじんながもり、ださいのせうにひろつぐ、ゑみのだいじんおしかつ、ゐがみのくわうごう、ひかみのかはつぎ、さはらのたいし、いよしんわう、ふぢはらのなかなり、たちばなのはやなり、ふんやのみやだ、むさしのごんのかみたひらのまさかど、いよのじようふぢはらのすみとも、あべのよりよし、おなじくしそくてうかいのさぶらうさだたふ、おなじくしやていむねたふ、つしまのかみよしちか、あくさふ、あくうゑもんのかみに
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いたるまで、つがふ三十余人也。されども一人としてそくわいをとげたる者なし。みなかうべをごくもんにかけられ、かばねをさんやにさらす。とうい、なんばん、せいじう、ほくてき、しんら、かうらい、はくさい、けいたんにいたるまで、わがてうをそむく者なし。たうじこそわうゐもむげにかろくましませ、せんじといひければ、かれたる草木もさかへさき、てんをかける鳥、ちを走るけだものも、皆したがひ奉りき。かのしんだんのそくてんくわうごうはぶめい、かうそうのきさきなり。しやうりんえんのはなみの御幸なるべきにてありしに、りんゑんのはなさかずして、そのごをみるにはるかなりければ、くわうごうしんかをつかはして、「はなすべからくれんやにおこすべし、だん
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ぷうのふくをまつことなかれ」と宣旨をくだし給しかば、はないちやのうちにさきて、御幸をとげぬとみえたり。わがてうにもちかごろの事ぞかし。えんぎのみかどのおんとき、いけのみぎはにさぎのゐたりけるを、みかど御覧じて、くらんどをめして、「あのさぎとりて参れ」とおほせありければ、蔵人さぎのゐたる所へあゆみよりければ、さぎはづくろひして、既にたたんとしけるを、「せんじぞ。さぎまかりたつな」といひたりければ、さぎたたずしてとられにけり。やがておんまへへいだきてまゐりたりければ、いそぎはなたれにけり。まつたくさぎのごようにはあらず、わうゐの程をしろ
しめさんがためなり。
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三十六 わがてうにもかぎらず、おんをしらざるもののほろびたるれいをたづぬるに、昔もろこしにそのけいばうがこに、えんのたいしたんといふものあり。しんのしくわうとたたかひけるに、たいしいくさにまけて、しくわうにとらはれぬ。既にろくかねんにもなりにけり。えんたん、八十に余るらうぼをみむとおもふこころざしふかかりければ、始皇にいとまをこふ。始皇、あざけりてのたまはく、「からすのかしらしろくなり、馬につのおひたらん時、なんぢかへらむときとしれ」とのたまひければ、このことばをききて、さてはこころうき事ごさむなれ、わがこひしと思ふ母をみずして、ここにていたづらにしせむ事、いまさらにかなしくおぼえければ、夜はよもすがら昼はひねもすに、天にあふぎちにふして、念じけるしるしに、
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かしらしろきからすとびきたれり。たいしこれをみて、「今はさだめてゆるされんずら
む」とおもひけるに、「馬につのおひたらむ時にゆるすべしとこそいひしか」とて、なほゆるさざりけり。燕丹いかにすべしともおぼえず、かなしみけることばにいはく、「めうおんだいしはぐわつしりやうぜんにまうでて、ふけうのともがらをいましめ、こうし、らうしはたいたうしんだんにあらはれて、ちゆうかうの道をたつ。うへはぼんでんたいしやく、したはけんらうぢじんまでも、けうやうの者をばあはれみたまふなる者を。みやうけんのさんぼうあはれみをたれて、馬につのおひたるいずいを始皇にみせ給へ」と、あけくれおこたらず、ちの涙を流してきせいしけるしるしにや、つのおひたる馬、始皇のなんていにしゆつ
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げんせり。りんげんあせのごとくなれば、うとうばかくのへんにおどろきて、「えんたんはてんたうのかごある者なり」とて、すなはちほんごくへかへしつかはす。しくわうなほやすからずおもひて、たいしほんごくへ帰る道にまづくわんしをつかはして、そけうといふはしにて、えんたんを河におとしいるるやうにかまへてけり。燕丹はかかるしたくありともしらずして、こきやうに帰るうれしさに、なにごころもなくわたりけるに、すなはち河におちいりぬ。されどもてんたうかごしたまひけるにや、へいぢをあゆむがごとくにてあがりにけり。不思議のことかなとおもひて、水をかへりみれば、かめどもおほくあつまりて、こふを並べて燕丹をぞとほしける。さてほんごくへかへり
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たりければ、ふぼしんるいみなきたりあつまりて、よろこびあへり。燕丹、始皇にとらはれて、かなしかりつる事をかたりて、たがひになみだをながしけり。「始皇いきどほりふかくして、いかにもゆるされがたかりしを、しかしかのことどもありて、ゆるされたり」とかたりければ、ははよろこびて、「さては不思議なる事ごさむなれ。いかにしてかかしらしろき烏をあはれむべき」とおもひければ、せめての事にや、くろきからすどもに物をほうずるに、のちには頭白き烏たびたびきたりけるとかや。是は父母のこを思ふこころざしの深くせちなるがゆゑなり。えんたん、すかねんのあひだ、しくわうにいましめおかれたりし事をやすからずおもひて、いかにもしてしくわうていをほろぼさん
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とぞはかりける。このこといかがしてきこえけむ、始皇いかりて、又燕丹をほろぼさむとす。すなはちえんこくへつはものをむかはすべきよしきこえければ、えんこくの人おそれをののきて、かなしみなげくことかぎりなし。たいしこのことをなげきて、よるひるはかりことをめぐらす。そのころはんえきと云ける者は、しんわうの為につみせられて、燕国ににげこもりてゐたりけるを、太子あはれみて、みやちかくおきたり。きくぶと云ける者これをききて、たいしをいさめていはく、「わがくにはもとよりしんこくとかたきとなるくになり。いはむやはんえきをえびすのくにへつかはして、西はしんこくとひとつになり、南はせいそのくににもあひしたしみて、せいをまうけて後、おもひたちたまへ」と申ければ、
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太子こたへていはく、「はんえき、しんわうのなんにあひて、みをわれにまかせたり。たのもしげなくおひすてむこと、なさけなし。さらぬ事をはからへ」といひければ、きくぶまたまうしていはく、「そこくにてんくわうせんじやうといひて、はかりことかしこく、たけくいさめるつはものあり。おほせあはせてきき給へ」と云ければ、太子、てんくわうをまねく。せんじやう、太子のもとへ行きけるに、太子にはにおりむかひ、てんくわうをうちにいれて、ひそかにしくわうをほろぼすべきよしをぎするに、田光まうしていはく、「きりんといふ馬は、若くさかりなる時は一日にせんりをかけれども、としおいおとろへぬれば、どばもこれより先にたつ。君はわがさかりなりし時をききたまひて、かくはのたまふなり。けいかと
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いみじくかしこきつはものなれ。かれをめしてのたまひあはせよ」と云ければ、たいし、「さらばかのけいかをかたらひてえさせよ」とありければ、すなはちりやうじやうして、てんくわうざをたちけるに、太子かどまで送て、「このこと国のだいじなり。ゆめゆめもらす事なかれ」といふ。田光是を聞て、すなはちけいかがもとにゆき、太子のことばをいひつたへければ、けいかいかにも太子のめいにしたがふべきよしを答ふ。そのとき田光がいはく、「われきく、けんじんのよにつかふるならひ、人に疑はるるにすぎたる恥はなし。しかるに太子我をうたがひて、もらすことなかれとのたまひつ。このことよにひろうする物ならば、われ疑はれなむず」とて、かどなるすもものきにかしらをつき
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くだきて、うせにけり。さてけいか、たいしのもとへゆきむかふ。太子せきをさりて、ひざまづきてけいかにかたりていはく、「いまなんぢがきたること、てんわれをあはれむなり。しんわうとんよくの心ふかくして、てんがのちを皆わがちにせむとし、かいだいのしよこうわうをことごとくしたがへむと思へり。りんごく、さならぬ国をも皆うちしたがへぬ。またこのくにをせめむ事、ただいまなり。秦国のたいしやうぐん、たうじぐわいこくへむかへるをりふし也。かかるひまをはかりて、しくわうをねらはむ事かたからじ。ねがはくははからふべし」といひければ、けいか、太子のうやまふ姿にたうて云けるは、「こんど太子のゆるされ給へる事、全く始皇のおんめんにあらず。これしかしながらしんめいのおんたすけなり。さればしんこくをやぶりて、し
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くわうをほろぼさむ事、あへて安し」と答ふ。たいしいよいよけいかをたつとびて、えんこくの大臣になして、ひびにもてなしかしづく。しやば、ざいほう、びぢよにいたるまで、けいかが心にまかせたり。さるほどに秦国の将軍、もろもろの国をやぶりて、燕国のさかひまでちかづきにければ、太子おそれをののきて、けいかをすすめていはく、「しんの兵いすいをわたりなば、汝をたのみてもせんあるまじ。いかがすべき」とありければ、けいかこたへていはく、「われきく、はんえきがかうべをえさせたらむ者には、いちまんかのさと、せんきんのこがねをあたふべしと、しんくわう、しかいに宣旨をくだし給へり。はんえきがかうべと、燕国のさしづとをだにも、しくわうにたてまつる物ならば、始皇よろこびて、必ずわれに
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うちとけなむず。そのときはかりなん」といひければ、またたいしいはく、「はんえきしんこくをにげて、みをわれにまかせたり。うたむ事なさけなし。さならぬはかりことをめぐらせ」とありければ、けいか、太子のかはゆく思へるけしきをみて、すなはちひそかにはんえきにあひていはく、「しんわうなんぢをつみし給へる事、いづれのよにかわするべき。ふぼしんるい、みなしんわうのためにころされたり。汝がかうべを、いちまんかのさと、せんきんのこがねにつのり給へり。いかがすべき」と云ければ、はんえき天に仰ぎ、おほいきをつき、なみだを流して、「われつねにこのことをおもふに、こつずいにとをつてたへがたけれども、いひあはすべきかたなし」と答へければ、けいかまたいはく、「ただひとことにて、燕国のうれひをもやすめ、汝がなげきをも
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むくいん事、いかに」とためらひければ、はんえきおほきによろこぶことかぎりなし。そのときけいかまたいはく、「ねがはくは汝がかうべをかせ。秦王にたてまつらん時、くわうていさだめてよろこびて、われにうちとけたまはむ時、左手にては袖をひかへ、右手にて秦王の胸をささむ事、もつともやすし。しからば君があたをもむくひ、又えんこくのうれひをもとどむべし」といひければ、はんえきをひぢをかがめて、「是こそひごろのぐわんのみちたるなれ。誠に秦王だにもうちたてまつるべきならば、雪のかしらを奉らむ事、みぢんよりなほかろかるべし。かくのたまふこころざしの程こそ、しやうじやうせせにもほうじつくしがたけれ」とて、やがてみづからつるぎをぬきて、くびを切てけいかにあたふ。太子これをききて、はせきたりて
P1904
なきかなしみけれども、ちからおよばず。このうへはそくじにおもひたつべしとて、しくわうをうつべきはかりことをめぐらす。はんえきがかうべを箱にいれて、ふうじこめたり。太子をゆるしたるよろこびに、燕国のさしづ、国々のけんけいをあひぐして、しくわうていに奉る。げぶみ、そのうへ、そうれいのかたちをこがねにていて、さしづの箱にいれぐして、はこの底には、ひつしゆのつるぎとて、一尺八寸なるつるぎの、せんりやうのこがねにてつくりたるをかくしいれて、けいかをいだしたつ。又燕国にしんぶやうといふたけきつはものあり。これももとは秦国のつはものにて有しが、十三にておほくの人を殺して、燕国にこもりたりけり。いかれる時は七尺の
P1905
男もせつしし、わらひてむかへば三歳のえいじもいだかれけり。是をけいかにあひそへてつかはされけり。けいかすでにしんこくにおもむくに、たいしならびにひんかくの心をしる者、いくわんただしくしておくりけり。いすいといふところにて、なごりををしみ、酒を飲けるに、かうぜんりと云者、ほときをうつ。けいかうたをつくりていはく、「かぜせうせうとしていすいさむし[カン]、さうしひとたびさりてまたかへらず」と歌ふ。これふきつのことばなり。きゆうしやうかくちうのごいんのうちには、ちのねをぞしらべたりける。そのとき、ひとみななみだをながしてこくしあへり。又うのねにうつる時、人皆めをいからかし、かしらの髪そらさまへあがりにけり。
P1906
さてけいかくるまにのりて、なごりををしみてわかれさりぬ。つひにうしろをかへりみず。されどもさうてんゆるし給はねば、なじかはほんいをたつすべき。このときはくこうてんにたちわたりて、にちりんの中をつらぬきはてざりけり。太子是をみて、わがほんいとげがたしとぞおもはれける。けいかこれをかんがふるに、「始皇はひのせい、太子はこがねのせい也。なつは、こがねはさうして、ひにわうせり。にちりんはひ也。はくこうはこがねなれば、ひこがねにかつとさうこくせるかたちなり。始皇はいつてんのあるじなれば、にちりんなるべし。太子はせうこくの王なれば、はくこうなるべし。したがひて又日輪の中をつらぬきはてぬこそあやしけれ。いかがあるべかるらむ」と
P1907
おもひけれども、さればとてむなしくかへる
べき道ならねば、けいかしんこくにいたりぬ。せんりやうのこがね、色々のたからをもつて、しんくわうのちようしん、むかといふものにまいないて、しんくわうにまうしていはく、「えんこく誠にだいわうのゐにおそれて、あへて君をそむき奉る事なし。ねがはくはしよこうわうのれつにいりて、みつぎ物をそなへ、わうめいをそむくべからずとて、はんえきが首を切て、燕国のけんけいをたてまつり給へり。ねがはくは大王えいらんをへたまへ」とまうしたりければ、しんくわうおほきによろこびて、せちゑのぎしきをしくわうのだいりかんやうきゆうにととのへて、えんのつかひにまみえたまふ。秦国のくわんぐんら、しはうのぢんをかためたり。くわうきよのあり
P1908
さま、心もことばもおよばれず。みやこのまはりいちまんはつせんさんびやくはちじふりにつもれり。内裏をば、ちよりさんりたかくつきあげて、そのうへにたてたり。ちやうせいでん、ふらうもんあり。こがねをもつてひを作り、しろかねをもつて月を造れり。しんじゆのいさご、るりのいさご、こがねのいさごをしきみてり。しはうには高さ四十里にくろがねのついぢをつき、てんのうへにもおなじく鉄のあみをぞはりたりける。これはめいどのつかひをいれじとなり。秋はたのむのかりの春はこしぢに帰るも、ひぎやうじざいのさはりありとて、ついぢにはがんもんとて、くろがねのもんをあけてぞ通しける。そのなか
P1909
にあはうでんとて、しくわうの、つねはぎやうがうなりて、せいたうおこなはせ給ふてんあり。高さはさんじふろくぢやう、とうざいはくちやう、なんぼくへくちやう、おほゆかのしたはごぢやうのはたほこをたてたるが、なほおよばぬ程なり。うへはるりのかはらをもつてふき、したはきんぎんをみがけり。けいかはえんのさしづをもち、しんぶやうははんえきが首をもちて、玉のきざはしをのぼりけるに、余りに内裏のをびたたしきをみて、秦武陽わなわなとふるひければ、しんかこれをあやしみて、「ぶやうむほんの心あり。けいじんをばきみのかたはらにおかず、くんしはけいじんにちかづかず。
P1910
けいじんにちかづくは、すなはちしをかろんずるみちなり」といへり。けいかかへりて、「ぶやうまつたくむほんのこころなし。そのせきれきをもてあそびてぎよくえんをうかがはざるものは、なんぞりれうのわだかまれるところをしらん。そのへいゆうにならひて、しやうはうをみざるものは、「いまだ英雄の宿る所をしらず」といひければ、くわんぐんみなしづまりにけり。さてたうしやうにいたりて、はんえきがかうべをたてまつらむとするに、くわんしいでむかひて、うけとりて、えいらんあるべきよしおほせければ、けいかまうしけるは、「ひごろしんきんやすからずおぼしめさるるほどの、てうてきのくびを切て参りたらむに、いかでかひとづてにたてまつるべし。えんこくせうこくなりといへども、けいか、武陽共に、かのくに第一のしんかなり。ぢきにたてまつらむ事、何のおそれかあるべきと」そうしたりければ、「まことにひごろの
P1911
しゆくいふかかりつるてうてきなり。けいかがまうすところそのいはれあり」とおぼしめして、しくわうみづからうけとりたまふべきれいぎにて、けいかにちかづき給ふ。かねてはんえきしして、くわいけいの恥をきよめむとはかりしことばは少しもたがはず。さてけいか、かうべをちにつけて、はんえきが首を奉る。始皇是をみたまひて、深く感じ給けり。そののちまたさしづ、けんけいいれたるはこをひらくに、秋の霜、冬のこほりのごとくなるつるぎの光り、はこの底にかかやきてみえければ、始皇おほきにおどろきて、早くとびさらんとし給ふ処に、左手にて、ぎよいの袖をひかへ、右手にてかのつるぎを取て、始皇のおんくびにさしあてて、「まことにはえんのたいし、このごろくねんのあひだいましめおかれ
P1912
たりつるうらみ深し。そのしゆくいをあらはさんが為に、かくははかりつる也」とて、既につるぎをふらんとしければ、始皇涙を流してのたまはく、「われいつてんのあるじとして、ぶわうのなかのだいぶわうなり。昔も今もちんに肩をならぶるていわうなし。されども運命限りあれば、ちからおよばず。ただしりんじゆうのさはりになるまうねんあり。われきうちようの中に、千人のふじんをもてり。そのなかに琴をいみじくひく夫人あり。くわやうふじんとなづく。いまいちどそのきよくてうをききてしせむと思ふ。そのあひだゆるしてむや」とのたまひければ、けいかおもひけるは、「われせうこくの臣下として、だいわうのせんみやうをぢきにかうぶる事、ありがたし。かくとらへ奉り
P1913
ぬるうへはなにごとかはあるべき」とおもひて、少しさしゆるし奉つる。しくわうよろこびたまひて、なんでんにしつせきのへいふうをたて、そのうちに夫人りんかうありて、琴をしらべ給ふ。おほかたこのきさきのひき給へる琴のねには、そらとぶとりもちにおち、武きもののふもいかれる心たひらぎけり。いはむや今を限りのえいぶんに備へ給ふ事なれば、なくなくさまざまのひきよくをそうしたまひけむ。さこそはおもしろかりけめ。けいかみみをそばたて、かうべをたれて、ほとんどひごろのがいしんもたゆみつつ、くわんくわんとしてききゐたりければ、きさきこのけしきをひそかにみたまひてければ、きよくてうをかへて、「しつせきのへいふうはをどらばこえつべし、らこくの
P1914
袖はひかばたへぬべし」といふきよくを、たびたびひきたまひけり。けいか、ぶやうもろともにくわんげんの道うとかりければ、つゆこのきよくをききしらず。しんくわうはごいんにつうじ給へりければ、これをききしりたまひて、「はづかしはづかし。夫人のみなれども武き心あり。われだいわうのみにして、かたきにひかへられて、のがれぬ事こそ心うけれ」とおもひたまひて、がうじやうの心たちまちにおこりて、しつせきのへいふうをうしろさまにとびこえ給ふ。けいかは始皇の逃給ふにおどろきて、つるぎをなげかけたりければ、皇帝、あかがねのはしらの三人していだく程なる、その影へ逃給ふ。みかどにはあたらずして、銅の柱なからばかりきれにけ
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り。しんこくのならひ、ひやうぐたいしたる者のてんじやうに昇らぬほふなれば、すまんのくわんぐんていしやうにありけれども、救はむとするにかひなし。只君のぎやくしんにをかされ給はむ事をぞかなしみける。そのときかぶしといふいしの、じいといふくわんにて、をりふしごぜんに有けるが、くすりのふくろをぎよくたいになげかけたり。くわうていたちかへりて、わがぎよくくわんにさし給へるほうけんをぬきて、けいか、武陽、二人がくちをやつざきにさきて、ていしやうにひきおろしてちゆうせられけり。やがてえんこくへくわんぐんをさしつかはして、えんたんをうち、国をほろぼしてけり。又かうぜんりはけいかと昔しんいうたりし事
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をはばかりて、姿をやつし、せいめいをかへてありけれども、しならひたる事のすてがたくて、ほときをうちけり。ほときと琴のやうなるがくき也。ばちにてそのうへをうつなり。始皇、「ほときをよくうつ者あり」とききたまひて、めされて、つねに筑をうたせてきき給ふに、かうぜんりをみしりたる人有て、「かうぜんり也」と申たりければ、のうのいみじさに、殺すにおよばず。めをつぶして、なほ筑をうたせて近づけ給ければ、ぜんりやすからずおもひて、つるぎをもつて、始皇のをはする所をはからひて、うちたりけり。始
P1917
皇なじかはうたれたまふべき。かえつてぜんりを殺されにき。このことしきにみえたり。論語とまうすふみに、「始皇のひざをうちたり。そのところかさに成て、始皇しし給へり」といへり。昔の恩を忘れて、てうゐをかろんずる者の、たちまちにてんのせめをかうぶりぬ。さればよりともきうおんを忘れて、しゆくまうをたつせむ事、しんめいゆるし給はじと、きうれいをかんがへて、あへて驚く事なかりけり。卅七 よつかのひいぬのときばかり、だいじやうにふだうこしに乗て、ゐんのごしよへ参てまうされけるは、「みなもとのためよし、よしともは、ほふわうのおんかたきにて
P1918
さうらひしを、入道がはかりことにて、かれら二人よりはじめて、おほくのばんるいを皆入道がてにかけて、かうべをはねさうらひき。頼朝とまうしさうらふやつは、がうしうよりたづねいだしてさうらひしを、入道がけいぼ、いけのあまとまうしさうらひし者、かの頼朝をみさうらひて、余りにむざんがりさうらひて、『このくわんじやわれに預けよ。かたきをいけてみよとこそ申せ』と、たりふし申候しかば、『まことに源氏のたねをさのみたつべきにもあらず。そのうへにふだうがわたくしのかたきにもあらず。只君のおほせを重くする故にこそあれ』とぞんじさうらひて、るざいにまうしなだめて、いづのくにへながしつかはしさうらひぬ。そのとき十三と
P1919
うけたはまりさうらひき。かねつけたるこくわんじやの、すずしのひたたれ、こばかまきて候しに、入道事のしさいたづねさうらひしかば、『いかがさうらひけむ。そのことのおこりつやつやしらず』とまうしさうらひしあひだ、まことにもつたなき者にて候へば、よも知候はじと、あをだうしんをなしさうらひて、今は、『あはれは胸をやく』と申たとへのやうに、さだめてきこしめされてもさうらふらむ。かのよりともが、伊豆国にてはかりなきあくじどもを、この八月につかまつりてさうらひしよし、うけたまはり。ついたうのゐんぜんをくださるべき」よしをまうされければ、「なにごとかはあるべき。ほふわうにこそ申さめ」とおほせありければ、入道又まうされけるは、「しゆしやうはいまだをさなくわたらせおはす。
P1920
まさしき御親にわたらせたまふにさしこえたてまつりて、法皇にはなにと申事候べき。そうじて源氏をひきおぼしめされて、入道をにくませたまふとおぼえ候」と、くねり申されければ、しんゐん少しわらはせおはしまして、「ことあたらしくたれをたのみてあるにか。せんげのでうやすし。すみやかにたいしやうぐんをしるしまうせ。たれにおほせつくべきぞ」とごぢやうありければ、「これもり、ただのり、とももりらにおほせつけらるべし」とぞまうしける。G18
卅八 さきのひやうゑのすけよりともは、さんぬるえいりやくぐわんねん、よしともがえんざによつて、いづのくにへるざいせられたりけるが、むさし、さがみ、い
P1921
づ、するがのぶしども、おほくは頼朝がふそぢゆうおんのともがらなり。そのよしみたちまちにわするべきならねば、たうじ平家のおんこの者のほか、頼朝に心をかよはして、いくさをおこさばいのちをすつべきよししめす者、そのかずありければ、頼朝も又心に深くおもひきざす事有て、よのありさまをうかがひてぞ、としつきをおくりける。いづのくにのぢゆうにん、いとうのにふだうすけちかほふしは、ぢゆうだいのけにんなりけれども、平家ぢゆうおんの者にて、たうごくにはそのいきほひ人にすぐれたり。むすめ四人あり。一人はさがみのくにの住人みうらのすけよしあきがなん、よしつらにあひぐしたり。一人はどうこくのぢゆうにんとひのじらうさねひらがなん、
P1922
とほひらにあひぐせり。第三のむすめ、いまだをとこもなかりければ、ひやうゑのすけしのびつつかよひける程に、なんし一人いできにけり。ひやうゑのすけことによろこびてさいあいす。なをばちづるとぞ申ける。三歳と申ける年の春、をさなきものどもあまたひきぐして、めのとにいだかれて、せんざいの花を折てあそびけるを、すけちかほふし、おほばんはてて国にくだりけるをりふし、これをみつけて、「このをさなき者はたれびとぞ」とたづねけれども、めのとこたふる事なくして、にげさりにけり。やがて内へ入て、さいぢよにとひければ、こたへけるは、「きやうのぼりしたまひたるひまに、いつきむすめの、やむごとなきとのして、まうけたまひたるをさなき人なり」
P1923
といひければ、助親法師いかりて、「たれびとぞ」とせめとひければ、かくしはつべき事にもあらざりければ、「ひやうゑのすけなり」とぞまうしける。助親まうしけるは、「あきびと、しゆぎやうしやなどををとこにしたらむは、中々いかがはすべき。げんじのるにんむこにとりたりときこえて、へいけのおんとがめあらむ時は、いかがはすべき」とて、ざつしき三人、らうどう二人におほせつけて、「かのをさなきこをよびいだして、伊豆のまつかはの奥、しらたきの底にふしづけにせよ」と云ければ、をさなき心にも事がらけうとくやおぼえけむ、なきもだへてにげさらんとしけるをとりとどめて、らうどうにあたへけるこそうたてけれ。みめ、事がら
P1924
清らかにて、さすがなめてのものにまがふべくもみえざりければ、ざつしき、らうどうどもいかにとして殺すべしともおぼえず。かなしかりけれども、つよくいなまば、思ふ所あるかとて、中々あしかりなむずれば、なくなくいだきとりて、かのところにてふしづけにしけるこそ悲しけれ。むすめをばよびとりて、たうごくの住人えまのこじらうをぞむこにとりける。ひやうゑのすけこのことどもをききつつ、いかれる心もたけく、歎く心もふかくして、助親法師をうたむと思ふ心、ちたびももたびありけれども、だいじを心にかけながら、その事をとげずして、「いまわたくしのうらみをむくはむとて、みをほろぼし、命
P1925
を失はむ事おろか也。おほきなるうらみあらば、ちひさきうらみをわすれよ」と、おもひなだめてすごしけるに、いとうのくらうすけかぬひそかにひやうゑのすけにまうしけるは、「父の入道、らうきやうの余り、びろうの事をのみふるまひ侍るうへ、あくぎやうをくはたてむとつかまつる。心のおよぶところ、せいしつかまつれども、おもひのほかの事もこそいできはべれ。たちしのばせ給へ」と申ければ、平衛佐は、「うれしくもまうしたり。これとしごろのはうしなり。入道に思ひかけられては、いづくへかはのがるべき。みにあやまつ事なければ、又自害をすべきにもあらず。只めいにまかせてこそはあらめ」とぞこたへられける。やざうぎやうぶなりつな、あだちとうくらうもりながなど
P1926
におほせあはせけるは、「頼朝一人のがれいでむとおもふなり。ここにて助親法師にゆゑなく命をうしなはむ事、いふかひなかるべし。なんぢらかくてあらば、頼朝なしと人しるべからず」とて、おほかげと云馬にのり、おにたけと云とねりばかりをぐして、やはんばかりにぞいでられける。道すがらも、「なむきみやうちやうらいはちまんだいぼさつ、ぎかのあつそんがいうしよをすてられずは、せいいのしやうぐんにいたりて、てうかをまもりじんぎをあがめたてまつるべし。そのうんいたらずは、ばんどうはちかこくのあふりやうしとなるべし。それなほかなふべからずは、いづいつこくがあるじとして、すけちかほふしをめしとりて、そのあたをむくひ侍らむ。いづれも
P1927
しゆくうんつたなくして、しんおんにあづかるべからずは、ほんぢみだにてまします、すみやかにいのちをめして、ごせをたすけ給へ」とぞきせいしまうされける。もりつな、もりながは、兵衛佐のがれいでたまひてのちは、ひとすぢにかたきのうちいらむずるをあひまちて、なをとどむる程のたたかひ、このときにありとおもひける程に、夜もやうやうあけにければ、おのおのもいでさりにけり。そののちほうでうのしらうときまさをあひたのみてすごしたまひけるに、又かれが娘の有けるに、ひそかにかよはれけり。時政京よりくだりけるが、道にてこのことを聞て、おほきに驚て、どうだうしたりける、けんびゐしかねたかをぞむこにとるべきよし、けいやくしてける。国にくだりつきければ、
P1928
しらぬていにもてなして、かのむすめをとりて、兼隆がもとへぞつかはしける。くだんのむすめ、ひやうゑのすけにことにこころざし深かりければ、兼隆が許に行たりけるが、あからさまにたちいづるやうにて、足にまかせて、いづくをさすともなくにげいでて、よもすがら伊豆の山へたづねありきて、兵衛佐のもとへ「かく」とつげたりければ、やがて兵衛佐、伊豆の山へぞこもりにける。このことをときまさかねたかききにければ、おのおのいきどほりけれども、かのやまはだいしゆおほきところにて、ぶゐにも恐れざりければ、さうなくうちいりて、うばひとるにもおよばずしてぞすぎゆきける。さがみのくにのぢゆうにん、ふところじまのへいごんのかみかげよし、このことをききて、
P1929
ひやうゑのすけのもとにはせゆきて、きふじしけり。あるよの夢に、とうくらうもりながみけるは、「兵衛佐、あしがらのやぐらのたちにしりをかけて、左の足にてはそとの浜をふみ、右足にてきかいがしまをふみ、さうの脇より日月いでて、光をならぶ。いほふほふし、こがねのへいじをいだきてすすみいづ。盛綱、しろかねのをしきにこがねのさかづきをすゑて進みよる。盛長てうしを取て、酒をうけて勧めれば、兵衛佐さんどのむ」とみて、夢さめにけり。盛長このゆめの次第を兵衛佐にかたりけるに、かげよし申けるは、「さいじやうのよきゆめなり。せいいしやうぐんとして、てんがををさめ給べし。ひはしゆしやう、月は
P1930
しやうくわうとこそつたへうけたまはれ。今さうのおんわきより光を並べたまふは、これこくしゆなほしやうぐんのいきほひにつつまれ給べし。東はそとの浜、西はきかいがしままできぶくしたてまつるべし。酒はこれいつたんのゑひを勧めて、つひにさめて本心になる。ちかくは三月、とほくは三年の間にゑひの御心さめて、このゆめのつげひとつとしてあひたがふ事あるべからず」とぞ申ける。ほうでうのしらうときまさは、うへにはせけんにおそれて、かねたかをむこにとりたりけれども、ひやうゑのすけの心のいきほひをみてければ、心のうちには深くたのみてけり。兵衛佐も又時政を、賢き者にて、はかりことある者とみてければ、だいじを
P1931
なさんずる事、時政ならではそのひとなしとおもひければ、うへにはうらむる
やうにもてなしけれども、まことにあひそむく心はなかりけり。
平家物語第二中
P1933
おうえい廿七年かのえのね五月十三日 たもんまる
しやほんことのほかわうふくのげんもんじのあやまりこれおほし。
しかりといへどもてんさくにおよばずたいがいこれをうつしをはんぬ。
(花押)
七十三丁
延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語五(第二末)
P2001
たうくわんのうちうたじふろくしゆこれあり。
P2003
一 ひやうゑのすけよりともむほんをおこすゆらいのこと
二 もんがくがだうねんのいうしよのこと
三 いてうとうふのせつぢよのこと
四 文学ゐんのごしよにてことにあふこと
五 文学いづのくにへはいるせらるること
六 文学くまのなちのたきにうたるること
七 文学兵衛佐にあひたてまつる事
八 文学きやうじやうしてゐんぜんをまうしたまはること
九 ささきのものどもすけどののもとへまゐること
十 やまきのはんぐわんかねたかをようちにする事
十一 兵衛佐にせいのつくこと
十二 兵衛佐くにぐにへめぐらしぶみをつかはさるること
十三 いしばしやまのかつせんのこと
十四 こつぼざかのかつせんのこと
十五 きぬがさのじやうのかつせんのこと
十六 兵衛佐あはのくにへおちたまふこと
十七 つちやのさぶらうとこじらうとゆきあふこと
十八 みうらのひとびと兵衛佐にたづねあひたてまつること
十九 かづさのすけひろつねすけどののもとへまゐること
廿 はたけやま兵衛佐どのへまゐる事
P2004
廿一 よりともをついたうすべきよしくわんぷをくださるること
廿二 むかしまさかどをついたうせらるること
廿三 これもりいげとうごくへむかふこと
廿四 しんゐんいつくしまへごかうのことつけたりぐわんもんあそばす事
廿五 だいじやうにふだうゐんにきしやうもんかかせたてまつること
廿六 ほふわうゆめどのへわたらせたまふこと
廿七 平家の人々するがのくによりにげのぼること
廿八 平家の人々きやうへのぼりつくこと
廿九 きやうぢゆうにらくしよする事
卅 平家みゐでらをやきはらふこと
卅一 ゑんけいほふしんわうてんわうじのじむとどめらるること
卅二 をんじやうじのしゆとそうがらげくわんせらるること
卅三 園城寺のあくそうらをすいくわのせめにおよぶこと
卅四 くにつなのきやうだいりをつくりてしゆしやうをわたしてまつること
卅五 だいじやうゑえんいんのことつけたりごせちのゆらいのこと
卅六 さんもんのしゆとみやこがへりのためにそうじやうをささぐること付みやこがへりあること
卅七 いつくしまへほうへいしをたてらるること
卅八 ふくだのくわんじやまれよしをちゆうせらるること
卅九 平家あふみのくにやまもとかしはぎらをせめおとすこと
四十 なんとをやきはらふことつけたりさせうべんゆきたかのこと
P2005
平家物語第二末
一 ひやうゑのすけみなもとのよりともはせいわてんわうじふだいのこういん、ろくでうのはんぐわんためよしがまご、さきのしもつけのかみよしともがさんなん也。きゆうせんるいたいのいへにて、ぶようさんりやくのほまれをほどこす。しかるに、いんじへいぢぐわんねん十二月九日、あくうゑもんのかみのぶよりのきやうむほんをおこししきざみ、よしともかのかたらひにくみせしによりて、しそくよりとも、えいりやく元年三月にいづのくにほうでうのこほりにはいるせられて、いたづらに廿一年のしゆんしうをおくり、むなしく卅三のねんれいをつみて、ひごろとしごろもさてこそすごしつるに、今年いかにしてかかるむほんをおもひくはたてけるぞと、人あやしみをなす。ごにちにきこへけるは、四五月の程はたかくらのみやのせんじをたまはりてもてなされ
たりける
P2006
ほどに、みやうせさせたまひてのち、いちゐんのゐんぜんをくださるること有けり。そのゆゑは、としごろのしゆくいもさる事にて、たかをのもんがくがすすめとぞきこへし。かのもんがくは、ざいぞくの時は、ゑんどううこんのしやうげんもちとほがこに、ゑんどうむしやもりとほとて、しやうさいもんゐんのしゆうなりけるが、十八のとし、だうしんをおこしてもとどりをきりて、もんがくばうとてかうやこかはのやまやまてらでらまどひありきけるが、ひやうゑのすけにあひたてまつりて、すすめ奉りたりけるとぞきこへし。
二 そもそももんがくがだうねんのいうしよをたづぬれば、をんなゆゑとぞきこへし。ざいぞくの時は、わたなべのゑんどうむしやもりとほとて、しやうさいもんゐんのむしやどころにて、ひさしくりようがんにつかへて、いんはのさんゐをほどこし、もつぱらほうけつにじして、しやてうのめいよをふるひ
P2007
き。しかるをこのうちをまかりいでてのち、わたなべのはしくやうのとき、きたいのしようしなりければ、えぐち、かんざき、はしらもと、むかひ、すみよし、てんわうじ、あかし、ふくはら、むろ、たかさご、よどや、かはじり、なにはがた、かなや、かたの、いはしみづ、うどの、やまざき、とばの里、おのおのあゆみをはこびつつ、「霞のうちにたまをかけ、ながらの橋のごとくにて、くちせざれ」とぞいのりける。せつぽふはんじにおよびて、ふたつがわらのふねいつそうぞくだりける。げにん、くわんじやばらに至るまで、さわさわとしてぞみへける。中にあじろごし、にちやうあり。橋よりかみいつたんばかりの西の岸につく。やがてこしに乗てざしきへいる。こしのかなもの、たち、ぐそく、りきしや法師にいたるまで、つきづきしくありけるあひだ、「いづれの座敷へいるやらむ」とみるほどに、やがてならびのつぼへいる。盛遠ぐそくに
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ばかされて、ぬしはいかなる人やらむと、ひたすらのぞきゐたるに、をりふしかはかぜすずしくして、なにわわたりのあしすだれ、しづまりやらずぞあがりける。是よりみれば、まことにいうなる十六七の女にてぞ有ける。青きまゆずみみどりにして、ゑめるかほばせ花ににたり。漢のりふじん、そとほりひめ、かぎりあらば、これにはすぎじとぞみえし。もりとほおもひけるは、「うきみの程もしらなみの、すめばすまるる事なれど、男とならばこれほどの女に枕をならべばや。あはれ、いづくにすきかはとたつるまもなき人やらむ」と、しづごころなくもだへつつ、「あひかまへて返りいらむ所へ、いづくなりともみをかむ」とおもひける程に、ちやうもんのさいちゆうににはかに、「ぜうまう」とののしる。きとみれば、くろけぶりすじつちやうにふきつづいて、じやうげのしよにんさわぎあへり。いづくなるらむとたちいでて、むちを
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うちてはせけるに、けんもんの者多かりければ、ことゆゑなくもみけちぬ。このあひだにほふゑもまたをはんぬ。盛遠またおもひいだして、ありつる人はいかになりつらむと、あさましくいそぎかへりみれば、やかたばかりにて人もなし。なにしにわがみのいでつらむと、ちたびももたびなげけども、くゆるにかひぞなかりける。そのよはなほもゆかしさに、座敷にゐてぞあかしける。あけはなれぬれば、「さてもこのしやうにんはきやうとあまたみ給へる人也。もししりたまひたる事もや」と、いそぎあんじつへわたりて、ものがたりのついでに、「そもそもきのふごせつぽふのさいちゆうに、いかいかの船にしかしかのこしに乗て、それがしが座敷のならびへいりさうらひしは、いかなる人やらむ。きよげにさうらひしものかな」と申ければ、ひじり、「かの人はこさんでうのさへきのとうの娘、たうじはとばのぎやうぶざゑもんがにようばう也。父のてうにつかへしあひだに、かのぎやうぶ
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なむどをば、めざましくこそ思はむずれども、なにもののしわざにか、刑部とつれさせたれども、母のにこうのあるも、いまだ心よからずとこそ申せ」。そのときもりとほおもふやう、「さすがぎやうぶざゑもんがこれほどの女ぐそくせるこそ、心にくけれ。今はかのじんにしたがいて、ほんいをこそとげずとも、こゑをもきき、たまたまかたちをみたりとも、なぐさみなむ」とおもひけるが、「まてまてしばし。わがみゆゆしからねども、しやうさいもんゐんにつかへ奉てとしひさし。そのうへいちもんのものどものめざましくおもふもことわりなり。かの女房の母につかへむ」とて、しゆくしよへもかへらず、やがて三条をさしてぞのぼりける。にしのとうゐんをのぼりに、三条よりは南、にしのとうゐんよりは西にすみあらして、としひさしくなり、ついぢやぶれて、のきまばらなるひはだやあり。これなるらむと思てたちいれば、むなしくしへきのうちをみれば、きうたいふうじて
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ちりをまじへ、やうやくちひさきすまひのあたりをのぞめば、しんさうとぢてつゆをおびたり。をりふしかどに女あり。まねきよせて、「これはこさへきのとうのとののおんいへか。いささかしさいあつて申すぞ。このうちにわれみやづかへをまうさばや。よきやうにげんざんにいれ」て云ければ、女「このよしをまうしてこそみさぶらはめ」とてたちいりぬ。しばらくありて、「たちいりたまへ。うけたまはらむ」といふ。盛遠まづうれしくて、いそぎすすめば、ちゆうもんのつまどを開く人あり。ごじふいうよなるにこう也。「是へ」といへど、男かしこまる。「いかにいかに」とたびかさぬれば、盛遠内へぞ入ける。いへあるじのいはく、「まことにこれにゐむとおほせのあるが、おもひもよらぬことかな。おんけしきをみたてまつるに、尼がはぐくみたてまつるべき人ともみへ給わぬごしんぢゆうの程こそ、かへすがへすもおぼつかなけれ。いづれのへんにつくべしともおぼえず。こばうふがぞんじやうのあひだは、みかひがひしからずといへども、おほやけに
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つかへたてまつりしかば、さやうのこともはべりき。今はらうにのふるやにをき奉ても、なにかせむ。ただしおほせある事を、いなといはば、さだめてごしよぞんにたがふらむ。それも又ほひなし。ともどもそれのおんぱからひ」とぞ宣ひける。盛遠申けるは、「わがみえうせうより、しやうさいもんゐんのむしやどころへて候しが、思わざるほかにかのごしよをまかりいでてのち、ふるさとなればゐなかにすみはべれども、何事も物うくて、都の事のみ心にかかり、『六はらのへんにゐばや』と申せども、『しやうさいもんゐんにめしつかはれて、としひさしくむしやどころふるほどの者をつかわじ』とまうして、ゆるされず。またもとよりの事なれば、くげをこそうかがふべけれども、さもと申じんはわが心にかなわず。おもひわづらひてさうらふが、この御事をあらあらつたへうけたまはりて、御目にもかからばやと、参てさうらふなり」といへば、にこうからからと
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わらひて申けるは、「人々のおそれたてまつりてをき奉らぬ人を、このくちあまがかへりみ奉らむ事こそ、かへすがへすをかしけれ。よしよしそれも苦しからじ。今より尼を親とたのみたまへ。をそれながらことあふぎ奉らむ。故さへきのとうと、あさゆふはぐくみいたわりしをんなごひとりあり。父ぞんじやうのあひだは、いかならむたかふるまひをせさせばやとこそいとなみしに、かのちちうせてのち、思のほかに、とばのぎやうぶざゑもんとかやまうすもの、あひつれてさぶらへば、これにつけてもばうふの事のみ思われて、よろづめざましければ、つやつやまうしかよわさでまかりすぎしほどに、いつぞやばうふが為にかたのごとく仏事をいとなみしに、しやうだうのおんことばに、『はるのはなこずゑをじして、うゐむじやうのなみだをのごひ、あきのははやしにとびて、しやうじやひつめつのくわんをもよほす。さんがいはまぼろしのごとし、たれかじやうぢゆうのおもひをなさむ。ろくだうはゆめににたり、なんぞかくごのつきをたづねざらむ。
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らんぽうの鏡の上にならべるかげも、ばせうのかたちやぶれざるほど、ゑんあうのふすまの内に遊びたはぶるるも、くさのつゆのいのちきえざるあひだ』とさぶらひしをちやうもんして、みにしみことわりにおぼえさぶらひしあひだ、やがてほつしんしゆぎやうをもして、ばうふがごしやうを助け、又わがりんじゆうをも祈らばやとこそおもひしか。それもさてやみぬ。月日のかさなるにしたがひて、このをんなごのことおもひいでられ、又いくほどつれはつまじき事を思ふにも、なにの心もよわりて、ふけうゆるしてさぶらへば、このほどはよろこびて通ふ也。およそはいくほどならぬ夢のよに、心をたてたりとも、なにかせむ。さしもちぎりふかくて、朝夕はばんぜいせんしうとこそいのりしに、さへきのとうにもおくれぬ。としつきはへだつれども、おもひはさらにやすらまらず。ひすいのすだれのまへには、花のえだいにしへをこふるいろをそへ、さんごのとこのしたには、かがみのはこなみだをそむるちりをのこす。ざしてもうれへふしても
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うれふ。むなしくこじんのさるひをおもふ。いづれのあした、いづれのゆふべにかふたたびばうふのかへらむときにあはむ。かなしみざすればてんもくれがたし、なげきふせればよもあけず、かなしみみればますます悲し。はるのやまをへだつるしもの影、歎ききけばいよいよ歎かし。あかつきのまどにさへづるとりのこゑ、いつたんよをそむきしうれへ、すでにしんぢのつきにくらく、ひやくねんかいらうのちぎり、ゆめぢのはなにことならず。かかるおもひをするみにてあれば、このをんなごをもひとところにをき、つれづれならむ時は、みばやみへばやとこそ思へども、かれもせけんのならひにて、今はとばにありつきたるぶんなれば、ふそくなし。よしよし、尼いそぢに余りて、かうしをうみたるにてこそあらむずれ。このいへなむどまうすも、尼いちごののちは、あづけ奉らむ。さてもをわせよかし」といふ。男こののちはよろづ深くとりいりて、あけぬくれぬとすぐしつつ、ひたすら女の事のみ深く心にかかりて、さりともみではは
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てじと心深く思へども、たまたまきたる時は車にて、つまどふかくやりいれば、ゆきもかへりもしのびて、形をだにもみせず。これにつけてもうれふるに、今はすなはちうちふしぬ。あけくれ歎きかなしめば、いへあるじもこれをみて、「いかなる事ぞ」とさわぎつつ、いけじゆつだうをつくしつつ、しんめいぶつだに祈る。しかれどもつゆもしるしぞなかりける。昔ちやうぶんせいと云し人、しのびてそくてんくわうごうにあひ奉りたりけるが、またおもひよるべきやうなかりければ、よるひるこれをなげきけり。ことわりや、このひとははんあんじんにはははかたのめい、しやくきけいには妹にておわしければ、みめかたちもよかりけり。よふけひとしづまりて、琴をひきたまふを聞て、いきたえなむとおもふほどにありけるに、心ならずちかづけられたてまつりて、のちまたまみへたてまつることもなければ、しんぢゆうにはいきたるかしにたるか、夢かうつつともなければ、人しれぬ恋にし
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づみて、いもねられぬに、たまたままどろめば、又やもめがらすのめをさますもなさけなく、まことに忍ぶなかはひとめのみしげければ、苦しきよをおもひわづらひて、まれの玉づさばかりだに、水くきのかへるあとまれなれば、涙にしづむものがなしさに、思わじとすれど、思ひわするる時なくて、常にはかくぞえいじける。「あなにくのびやうじやくのはんやにひとをおどろかす。はくびときやうけいのさんかうにあかつきをとなふ」。さればこの心をみつゆきは。
ひとりぬるやもめがらすはあなにくやまだ夜ぶかきにめをさましつる K099
かのちやうぶんせいは、しのびてもきさきにもあひたてまつり、人目をこそなげきしに、このむしやどころは、せめてみばやとおもへども、かなわぬ事をぞなげきける。かくてつながぬつきひなれば、既にみとせになりにけり。あるときこのにこうびやうしよにきたりていはく、「さてもごへんのおんいたわり、としつきあまたかさなれど、そのしるしもなし。
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かつうはみたまふやうにあけくれは、そのいとなみよりほかはたじなけれども、今はかひなくひにそへてのみよわり給へば、ほひなき事はかぎりなし。ただしいかさまにも、ただならぬ心のおわするとおぼゆるはいかに。若き時のならひなればいかなるゐんぐうのみやばらの人に心をかけ、歎き給とこそおぼゆれ。今は親子のよしみをろかならず。鳥羽のむすめにもをとらずこそおもひたてまつれ。へだてごころなくのたまへ」といへば、盛遠これをききて、としごろはこふる心にせめられて、物をだにもはかばかしくいはざりしが、このことをさとられて、かべにむかひてぞわらひける。にこう「さればこそ」とのたまひて、枕近くたちよりていひけるは、「さてもふかくにおわするものかな。いふかひなくぞをぼしめされさぶらふとも、わがみむかしはしよぐうしよゐんをけいくわいして、かうしよく
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いうえんのかたがた、さりとも多くこそみしりたまふらめ。これほどの事をなげきて、今までしらせずわづらひ給ける事、さばかりのむしやどころともおぼえず。おほかたろくはらのへんなりとも、などかそのこころたすけ奉らであるべき。まことにやすかるべき事也」。盛遠これをききつつ、あわれたよりやと思へども、せめてはよその事ならば、なげきてこそはみへけれども、まことに鳥羽の女房の事なれば、とにもかくにもおもひわづらひて、つやつやへんじぞせざりける。かさねて「いかにいかに」とせめければ、のぶべき方なくて、いはばやと思へども、「よしよしよその事ならば、恥をもすて、歎くべけれども、いかがはもらさむ」とおもひければ、へんじもなくて、いきつぎいたり。かさねてにこうのいはく、「わがみ今はすたれものなれども、昔まうしうけたまはりし人のみこそおわ
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すれ。をんごくまではかなわずとも、らくちゆうにてはいづれのおんかたなりとも、又ろくはらのひとどものひめどもなりとも、『かかるなげきする者あり。たすけ給へ』と申さむに、なじかはかなわで有べき。われ親子のやくそくまうして、既にさんがねんになりぬ。こころざしの程をも今はみへ奉りつらむ。鳥羽のをんなごにも劣らず、こころぐるしくこそ思奉れ。これほど心をかれたてまつりて、どうじゆくむやくなり。あま、ひとならねば、それをだいじとおもひたてまつれとにはあらず。ともどもそれのおんぱからひ」とぞのたまひける。盛遠しんぢゆうにおもひけるは、これほどの時、露ばかりももらさでは、いつをごすべしともなければ、おもてにひをばやけども、しぶしぶにこそ申けれ。「おほせかしこまりてうけたまはりさうらひぬ。さてもひととせ、わたなべのはしくやうの時、せつぽふなかばにおよびて、ふたつがはらの船にあじろごしにちやういりて、橋よりかみいつたんばかり
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の西の岸に、つきたまひし人をうけたまはりさうらひしかば、これへおんまゐりときこへさうらひしが、そのときおんともなひ候し人の、ふかくの心にうちそいて、あさゆふわするる事もなし。そのゆくへはたれびとにておわしけるやらむと、おぼつかなさのあまりに、たづね参てさうらひしかども、今まであらはれずして、むなしくまかりすぎさうらひぬ」と、おめおめとぞかたりける。そのときにこううちわらひていはく、そのはしくやうの時は参てさぶらひし也。さてそのにようばうが心にかかりておぼしめすか。それこそ鳥羽の娘にてさぶらひしか。いとやすしいとやすし」とぞ云ける。「かつうはめんぼくにてこそあらめ。皆よのつねのならひなり。若くさいとうなきあひだは、わがみに思ふ事もあり、人に思わるる事もあり。こさへきのとうとつれしも、このふぜいにてこそありしか。これほどやすき事を、今までこころぐるしくなげきたまひけむ事こそ
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こそ。かへすがへすもふかくなれ。今はおとといのあわいぞかし。たまたまきたる時もげんざんしたまひて、おそれながら尼がつかひしてもとばのへんへもをわしたらば、うへにこそかなわずとも、さる人おわするとは、などかみ奉り、又みえ奉らざるべき。なにかはくるしかるべき。よびてみせ奉らむ」とて、いそぎふみを書て、鳥羽へつかわす。「けさよりゐれいのここちゐできて、せけんもあぢきなし。おいたる、若き、きらわず、しやうじむじやうのならひなれば、いかがあるべかるらむ。きたり給へ。みたてまつらむ」といひつかわす。鳥羽の女房これをみて、あわてさわぎてきたれり。つねのゐどころにいそぎいりてみれば、にこうさきざきよりも心よげにて、うちわらひて、「是へ是へ」とのたまへば、「夢か、幻か。うつつならぬけしきかな」とみれども、まづ近くよりてゐれば、「さこそさわぎたまひ
P2023
つらめ。不思議にをかしき事の侍れば、語てわらひ奉らむとて申てなり」。何事なるらむときくほどに、「まことに女のみとなりては、これほどのめんぼくいかが有べき。しやうさいもんゐんのむしやどころ、この三がねん尼につかはれておわしつるが、わづらひたまふこと余りにだいじにおわせしが、尼も心苦くて、朝夕なげきしかども、つゆそのしるしなし。ことはりにて有けるぞとよ。あまりのこころもとなさに、けふやまひのさまをせめとふに、とりわけへんじもなかりつる程に、事の有様くはしくとへば、人をこふるやまひにて有けるぞとよ。たにんにてもなく、にようばうを心にかけたりけるとおぼゆるぞ。なにかくるしかるべき。おとといのあわひにおわすれば、今までげんざんし給わぬこそうたてけれ。すがたばかりをみえ給へ。人をたすくるはよのつねのならひ也」とくどき給へば、女房あまりの事にて
P2024
つゆその返事もなし。「いかにいかに」とせむれども、おみなへしのつゆ重げなるけしきにて、とかふのことばもなし。にこうまたのたまはく、「おんけしきこそぞんぐわいなれ。それにこそ、今は鳥羽におもひつきて、このくちあまのまうしごとはようもなけれども、親となりことなるもぜんぜのちぎり也。かのひとをこのやぶれやにをき奉ても、すでにみとせになる。只一人おわする女房にも劣らず、いとほしと思ふ也。こどのにをくれてのち、さる女房は鳥羽にこそつねはおわすれ。これにていかにと、をきてたまふこともなし。うちすてられ奉て、何事もたよりなきさまにてこそありしか。しかるにかのひと尼をたのみ給て、きうかさんぶくのえんてんにも、あふぎをもつてとこをあふぎ、けんとうそせつのかんやも、ふすまをいだきて是をあたたむ。かやうにつかわれ給て、こころざしあさからず。尼にはむしやどころにすぎ給へるこ
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なし。それに只今さながらおくれ奉らむ事、しやうがいのうらみなり。めをととなれともいわばこそかたからめ。人の心をたすくるは、せけんのみなならひなり。すがたばかりをもみへよかし。それかなふまじくは、けふよりのちは、ははありともおもひ給べからず。又それにをわするとも思ふまじ」と、かきくどきせめければ、「おほせはそむきがたけれども、このほどもぎやうぶがまうしさぶらふは、『さんでうにはきやくじんおわするなり。かろがろしくかよふべからず。あまごぜんもわれをばさげしめ給ふむこなれば、ありはてむ事もかたし』と、常にまうしさぶらふ。そのうへ女のならひ、ひとりをたのむほか、ほかの心をもてる、今も昔も人の命を失ふわざ也。ことさらにおほせのごとくは、おとといのあはひなり。とにもかふにも、このことなをもうけたまわらじ」と云。にこう又宣けるは、「おほせの如くをととひのあはひにおわすれば、ほんいをとげよともまうさばこそ、今まで
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げんざんし給わぬこそ、わろくおわすれ。たがひにみへ奉なば、なにか苦しかるべき。このひと鳥羽なむどへもこへ給わむ時は、おとといのあはひなれば、たまたまのたいめんをもし給へかし。それをばよもさゑもんもいさかわじ。あらぬふるまひをもし給へともまうさばこそ。まれの対面だにもあらば、この家にさてこそおわせむずれ。たとひ尼いかになりたりとも、をととひの有様にて時々かよい給わんに、なにか苦しかるべき」とさまざまにのたまへば、「さらばげんざんせむ。よび給へ」と、しぶしぶに有ければ、いそぎつかひして、「まうすべき事あり。これへいりたまへ」といわす。もりとほうれしさのあまりに、いそぎはいをきて、おほいきつきてぞきたりける。みとせの間のおもひにやせをとろへたれども、さすがそのひさしさ、しやうさいもんゐんにありしかば、なへやかなるひたたれのこしつき、又へりぬりのえぼしのきわにいたるまで、なま
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めきてぞみへける。是をみて、にこうはまぎれいでたまひぬ。しかるにこのにようばうすこしもはばからず、盛遠をまぼりて、今や物いふとまてども、そのひさしさ、をともせず、うつぶき入てぞ有ける。そのとき女房、「さてもこのみとせの程、是におんわたりとはうけたまはりさぶらへども、常には鳥羽にゐてさぶらへば、今までげんざんしたてまつらぬ事、かへすがへす心のほかにおぼえさぶらふ。すべて心のそらくはさぶらわず。じねんのけだいにてこそさぶらふらめ。今はかやうに対面の上は、なにごとにつけても、こころやすきほとりにこそおもひたてまつりさぶらへ。母にてさぶらふらうこうも、ひたすらたのみたてまつるよしまうしさぶらふ。このほどもおんいたはりのよし申されさぶらひつれども、しんぢゆうに歎きいりてはさぶらひつれども、いまだみへたてまつることもなくて、いかにとまうさむことも、なにとやらむさぶらひつるあひだ、むなしくすぎさぶらひぬ」と、こまごまにいへども、へんじもせず。かさねていはく、「まことにかたわらいたき事を、母のに
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こうの語りまうしつるを、あるべからざるよしまうしさぶらひぬ。女のみには、これにすぎたるめんぼくやはあるべき。いせのいつきのみやは、
きみやこしわれやゆきけむおぼつかなしのぶのみだれかぎりしられず K100
とながめ、にでうのきさきは、
むさしのはけふはなやきそわかくさのつまもこもれり我もこもれり K101
なむどえいじたまひしも、このみちのわざなり。それもさてこそおわせしかど、今はよの末となりて、ふたごころある女にすぎたるなんはなし。さなきだに、ぎやうぶが『めづらしき人もちたてまつりて』と、あさゆふは申す。このこといかがをぼしめす。いかさまにもおんぱからひなくては、のちよかるべしともおぼへず。女のみにてかやうの事を申せば、時のほどに、やがてうとまれ奉らむずれども、まことにこころざしおわせば、
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刑部をいそぎうち給へ。これもぜんぜのちぎりにてこそ有らめ。そののちはいかにもおほせをそむくべからず。母のにこうも、さしもなき者につれたりとて、ふけうの者にてさぶらひしが、ひがしやまのしやうにんのけうけに、このほどはゆりたれども、底のおんこころはうちとけ給わぬふぜい也。これにつけても、いちうのすまいとならむはよくさぶらひなむ」といふ。もりとほをめをめとしてゐたりけるが、このことをききてうちわらひてのち、はんくわいが如くけしきして、「おほせよろこびてうけたまはりさうらひぬ。わがみいみじからずといへども、ぶようの家にうまれて、きゆうせんにたづさわるしたしきもの、三百余人あり。かれらをたいしやうぐんとしては、につぽんのほかなるしんらはくさいなりとも、などかせめではさうらふべき。これほどの事はくわんじやばらにしらするにおよばず。わがみばかりしてなりともいとやすし」。女房又いはく、「さらばいまみつかとまうさむひ、京より鳥羽へきやくじん
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きたるべし。ひのほどしゆえん、夜にいらば、くわんげん、れんが有べし。そののちかへるべし。ぎやうぶさだめてゑはむずらむ。そのようかがひ給へ。刑部がねどころは、しゆえんの家をひとつへだてて、西にあたりたるやなり。常にひがしやまにいづる月をみむと、東にむけてすめり。ひろえんの南のはしをさしいりてみたまはば、つまどのくちにふしたらむをさし給へ。あなかしこみたがへてふかくすな。われははるかのをくにふすべし。あひかまへてもとどりをさぐり給へ。さらばいとままうして。こよひもこれにさぶらひて、何事も申たくは候へども、母のゐれいとて、つかはしたりつる文を、あしくをきて有つる。さだめて刑部みさぶらひなば、いそぎこゆらむとおぼゆ。いかにもおんぱらかひののちは、ともどもおほせにしたがふべし」とて返りぬ。ゑんどうこれを聞ておもふやう、「みとせの間むなしきとこにむかひて
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ひとりふしたれば、秋の夜長し。よながくしてねぶることなし。かうかうとほのかなるのこんのともしびの壁にそむくる影、せうせうとしづかなるやみのあめの窓をうつおとのみ友となり、春のひ遅し。ひおそくしてひとりゐれば、天もくれぬ。のきのうぐひすのひやくてんを、うれひあれば、きくことをいとふ。はりのつばくらめのならびずみをば、ねたましくのみおもひつつ、みとせのほどもすぎしぞかし。いまみつかとちぎりしも、まちくるしく」ぞ思ける。さてもみつかといふひは、もえぎのはらまきに、さうのこて、すねあてばかりに、三尺五寸のおほだちに、ろうさふのこそでをかづきて、やぶれがさにかををかくし、三条を西へ、大宮を南へゆく。たけ七尺に余りたりければ、ゆくもかへるもあやしがりて、みおくらぬ者はなかりけり。いまだひたかかりければ、ごしよのへんにやすらいて、かしこをうかがうに、いひしにたがわず、きやう
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よりきやくじんいりぬ。ひくれぬれば、管絃、連歌ののち、このひといそぎ返りぬ。さてもこのにようばう、こよひをかぎりの事なれば、三条のにこうのわれにおくれて歎き給はむ事、又しなばともにとちぎりふかき刑部が事もかなしくて、ただまなこにさえぎる物とては、つきせぬなみだばかりなり。「さればとて、かくてやむべきにもあらず。いこくにも、かなしき男にかわりて、ごしやうを助けられし女もありしぞかし」とおもひきりて、ゑひたるをとこをいだきて、奥のつぼにふせて、もとどりをみだり、わがたけなるかみをきりをろして、女の姿にぞつくりける。そののちわがかみをとりあげて、もとどりになす。さてぎやうぶがえぼし、たち、刀を、つまどのくちにとりわたして、ひがしまくらにふしにけり。今をかぎりと思ふにも、しのびの涙せきあへず。かんのりふじんにあら
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ざれば、すがたを移してもたれかみむ。たうのやうきひに異なれば、たづねとふべき人もあらじ。只うきめをみむものは、三条の母のらうにばかりとおもふほどに、むかひのやのちゆうもんの程、ぎいりとなりけるが、みれば、はらまきにたちわきにはさみたるおほわらは一人、ひろえんへつとのぼり、わがうへをとびこえて、奥のつぼへぞとほりける。「あなこころうや、いかになりぬる事やらむ。すでにあやまたれぬるやらむ。をきてもとりつかばや」とは思へども、しばらく有様をみるに、女とやみなしてけむ、たちかへりうつぶくかとおもふほどに、女のくびは前のえんへぞおちにける。もりとほ、うちおほせぬとよろこびて、いとままうして返りまゐらむとて、いそぎくびとり、三条かへる。このくびをばあるたの中にふみいれて、三条のやにかへりて、たかねんぶつしてえんぎやうだうす。しばらくありて、かどのとをたたく。
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「たそ」ととへば、「とばより、女房を、ただいまようちいりて、ころし奉りた」と申す。もりとほおもふやう、「げらふのふかくさ、なんでふさる事はあるべきぞ」とおもひて、「いかにものぐるはしきまうしやうぞ。とのの御あやまちか」といふ。ししやいはく、「さわ候わず。いちぢやう女房の御あやまちとこそおほせありつれ」とつまびらかならず。さればこそとて、にこうにこのよしをつぐ。「女房の御あやまちとて、鳥羽よりししやは候へども、よもさる事は候わじ。殿のあやまちにてぞさうらふらむ」といへば、にこうあわてさわぎ給ふ。又かさねてつかひあり。「いかに」ととへば、「女房の御あやまち」。又をしかさねて使者あり。きたるも、又きたるも、人はかわれども、ことばはおなじことばなり。されどもなを盛遠もちひず。「げらふほどふかくのものはあらじ。わがしらざる事ならば、いかにふしんならまし。あわてたるものかな」と、心の内にはかへすがへすもにくがり
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き。尼公にともなひて、盛遠も鳥羽へ行ぬ。みればこのをとこ、くびもなきからだゐだきて、「夢かうつつか。これはいかなりけるあへなさぞ。いづくへわれをすておきて。同じ道へとこそちぎりしに。ぐしてゆけ」とぞなげきける。にこうは、是を一目みてよりは、とかふのことばもなく、ひきかづきてふしたまひぬ。盛遠あさましく思て、いそぎ家をはしりいでて、すてつるくびを尋ぬるに、はづきはつかあまりの月なれど、をりふしおぼろにかすみて、いづくともおぼえず。されども田の中をあまりに求めければ、あるふかたにて求めえたり。水にてふりすすぎてみれば、このにようばうのくびなりけり。いそぎ鳥羽に持て行き、はしりいりて、「おんてきにんぐして参て候。ごらん候へ」とて、ふところより女房のくびをとりいだして、そのみにさしあはせて、「これは盛遠がしよぎやうなり。ひとひこの女房のちぎりたまひしにばかされて、わどののくびを
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かくと思て候へば、かかるふかくをしつる事なれば、わがくびをちきだももきだにもきざみ給へ。あなこころうの有様や。いかなりける事ぞや。是にてきりたまへ」とて、こしがたなをぬきいだして、さゑもんのじようにあたへて、くびをのべてさしいでたり。左衛門尉、このもりとほをみるに、つらきにつけ、うらめしきにつけても、ただひとかたなにさし殺さばやと思けるが、つらつらくりかへし物をあんずるに、「たうたうとして長きかはのみづ、みづなくしてしばしとどまり、しうしうとしてうけるよのひと、ひとなくしてよくひさし。ていしようばんしゆんのさかへ、かんきくせんしうのにほひ、つひにくつるときあり。いかにしぼめるときなからむ。かかるうきよにまじはればこそ、うきめをもみれ」とて、その刀をばなげかへして、「刀はこれにも候」とて、おのれが刀をぬきて、みづから髪を切てけり。盛遠ふりあをぎみてまうしけるは、「いきて物を思わむよりは、只はやきりたまへ。じがいせむとは思へども、おなじくはわどののてにかけ
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給へ。それはよろこびたるべし」とて、しきりにくびをのべたり。さゑもんのじようまうしけるは、「ごへん誠にじやうにたてごもりて、あひたたかはむとする事ならば、もつともうちいりてこそきるべけれども、かくし給わむ上は、たとひ女房いきかへるべしとまうすとも、切奉るべきにあらず。じがいもせんなきことなるべし。それよりは只なき人のごせをとぶらひ、いちぶつじやうどのわうじやうこそ、あらまほしくおぼゆれ。こんじやうごしやうむなしからむ事、やうごふちんりんふかくなるべし。つらつらあんずるに、この女房はくわんおんのすいしやくとして、われらがだうしんをもよほし給ふとくわんずべし」。そのときもりとほたちて、さゑもんのにふだうをかいしとやおもひけむ、しちどらいはいして、髪切てけり。りやうばうにあま、法師になる者、さんじふよにんなり。母もすみぞめのころも、涙の露にしほれつつ、いつかわくべしともみへず。かのをんなせうそくこまごまと書て、てばこにいれて、かたみにとてとどめおきたるをみれば、「いとど女のみは罪ふかき
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事にこそさぶらふなるに、うきみゆえに、おほくの人のうせぬべくさぶらへば、わがみひとつをうしなひさぶらひぬる也。ことさらにつみふかくおぼえさぶらふことは、母にさきだちまひらせて、物を思わせまひらせむきみこそ心うく候へ。あひかまへてごせをよくとぶらひ給べし。仏にだにもなりさぶらひなば、母をもさゑもんのとのをも、などかむかひまひらせさぶらはざるべき。よろづなにごともこまかにまうしおきたく候
へども、おつる涙にみづくきのあともみへずして、くはしからず。かへすがへすみのほどの心うさ、ただをしはからせ給べし」とて、
露ふかきあさぢがはらにまよふみのいとどやみぢにいるぞかなしき K102
母これをみるに、いとどめもくれ心もきへて、もだへこがるるありさま、ためし有べしとも覚へず。「めいどにも共に迷ひ、みやうくわにも共にやけむ事ならば、いかがはせむ。いきてかひなき露のみを、むぐらの宿にとどめをきて、れんぼの
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なみだ、いつかかわかむ。せめての事に、じやうはりの鏡にやうかびてみゆる」とて、うたのかへりごとをよみて、なくなくそのうたのかたはらにぞかきならべたりける。
やみぢにもともにまよはでよもぎふにひとり露けきみをいかにせん K103
とよみて、そののちはてんわうじにまゐりて、「只はや命をめして、じやうどにみちびき給へ。われほとけになりて、なき人のしやうしよをも求めつつ、いちぶつれんだいの上にふたたびゆきあわむ」ときねんすることなのめならず。さる程につぎのとしの十月八日、しやうねん五十五にしてつひにわうじやうのそくわいをとげにけり。ぎやうぶさゑもんのじようは、としごろのししやうしやうじて、髪うるはしくそり、さんじゆじやうかいたもちて、ほふみやうをばとあみだぶとぞ申ける。ざいぞくの時はわたるとなのりければ、出家ののちもわたるのじをぞよびける。こころざしはしやうじのくかいをわたりて、ねはんのひがんにつかむ事を
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くわんじける心ばへ也。ゑんどうむしやうもりとほにふだうは、これももりとほのもりのじをほふみやうとして、じやうあみだぶとぞ申ける。うせにし女のしやりを取て、こうゑんに墓をして、第三年の内までは、ぎやうだうねんぶつしてごせをとぶらふ事、人にすぐれたり。さればにや、墓の上にれんげひらくと夢にみて、くわんぎの涙袖にふれり。そののち盛あみだぶだうしんをこして、かうやにてかいをたもち、くまのにこもり、年をへけり。こんがうはちえふのみねよりはじめて、熊野、きんぷ、てんわうじ、しくわんだいじようれうごんゐん、すべてふさういつしうにをひては、至らぬれいちもなかりけり。十八才より出家して、一十三年之あひだは、ぢさいぢりつのぎやうじや也。春は霞に迷へども、みねにのぼりてたきぎをとり、夏はくさむらしげけれど、しばのとぼそにかうをたき、秋はもみぢにみをよせ
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よせ[* 「よせ」衍字]て、のわきの風に袖をひるがへし、冬はせうさくたるかんこくに、月をやどせる水を結びなむどして、やまぶし、しゆぎやうじやのつとめねんごろなり。しんれいのこゑは谷をひびかし、せうかうのけぶりはみねにきゆ。かのしやうざんのおきなにはあらねども、わらびををりて命をささへ、げんけんがとぼそにはあらねども、ふぢごろもをつづつてはだへをかくせり。さんえいつぱつのほかには、たくはへたるいちざいなく、ざぜんじようしやうの扇ばこには、ほんぞんぢきやうよりほかにもちたる物なし。かんぢごくのくるしみをこんじやうにみて、ごしやうにのがれんとぞちかひける。ちほふうげんの時までも、昔の女の事わすれずして、常にはころものそでをしぼりけるとかや。もしや心をなぐさむるとて、昔の女のかたちをゑにかきて、ほんぞんと共に、くびにかけてみをはなたざりける事こそ
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あはれなれ。かくてざいざいしよしよをしゆぎやうしければ、あるときは東の旅に迷ひて、なりひらがたづねわびしあこやの松に宿をかり、あるときは西の海ちひろの浪にただよひて、光る源氏のあとををひ、すまよりあかしにつたふ時もあり。ひとへにいつしよふぢゆうのぎやうをなして、りやくしゆじやうのつとめをもつぱらにす。せんだいにも少なく、こうたいもありがたきほどの、きひじりにてぞ有ける。かの女のえんにあはずは、いかでかこんどしやうじのおきてをさとるべき。ありがたかるべきぜんぢしきなりとて、いよいよかのごせをぞとぶらひける。じやうあみだぶをあらためて、もんがくとぞよばれける。
(三) とほくいてうをたづぬれば、さきむかしもろこしにをつとを思へる女あり。とうふのせつぢよとこれをいふ。ちやうあんのたいしやうりじんの娘なり。かいらうどうけつとちぎりあさからざりし夫に、
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朝夕うかがふをんできあり。このをとこも、りりよう、ちやうりやうがわざをえて、たやすからざりければ、あるときかたきこのせつぢよをとらへて、「なんぢが夫を我に殺させよ。しからば君にともなひて、しゆんくわめいげつのえいをもなし、さんてうはくせつのきようをもまさむ。それかなふまじくは、すみやかに汝に殺すべし」といふ。せつぢよ是を聞て、「ただかりそめのよがれをだにも歎くに、このこと夢かうつつか。はなのしたのはんにちのきやく、はうしをゆふかぜにのこし、つきのまへのいちやのとも、きんはをげううんにをしむならひにてこそあれ。まして夫となり妻となる、このよひとつの事ならず。たがひにみへそめてのち、おほくのとしつきを送り、朝夕はせんしうばんぜいとこそ、ちぎりふかき男をうしなひて、汝とすまむ事、いかがあるべかるらむとをぼゆ。しかれ、たださらば、なんぢがことばの如く我を失へ」といふ。かたきこれを聞て、「さらば汝が
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親をもおなじく殺すべし。わがみ又親ををつとにかへむ事、よくよくはからへ」と云。せつぢよ是を聞て、親を思ふかなしさに、「さらばわがはかりことにて汝に男をうたせむ。わがをつとろうの上にねたらむを殺せ。夫は東にふすべし。我は西にふさむずるなり。東の枕をほこをもつてさせ。男は安く死なむ」とてゆるされぬ。さて女、今を限りと思ふにも、夫に別れむかなしさに、しのびの涙せきあへず。夫あやしみてくはしくたづぬれども、さらにしらせず。「ただよのなかのありはつまじきをおもふにも、いとどかなしく」とぞいひける。夫あはれと思て、もろともにぞなきける。女こよひをかぎりの事なれば、ひなのすにかへるがごとし、いづれをひがしとしいづれをにしとせむ。こうしのちちをうしなへるににたり、いくるにあらずをはるにあらず。こころをせいさつのあかつきのつきにすますといへども、ふかきうらみをろうしやうのゆふべのくもにのこす。かうたけひとしづまりて、けいじんすでにとなへ、てうしようひびきを送る程になりて、夫を西になし、わがみ
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ひがしまくらにふして、かたきをあひまつところに、男、せつぢよがちぎりしことばにまかせて、東の枕をさす。女ほこを取てわがくびにあて、をつとにかわつてうせぬ。かたき、うちをうせつとてみければ、この女なり。めもくれ心もきへて、夫にかわつて命をうしなへるこころざしの深きを思ふに、あやまちをくゆる歎き、たとふる方なし。かなしさの余りに、節女が夫にむかひて、「すみやかにわがみをいかにもなせ。汝を失わむとて、かかるうきめをみつる」とて、悲しめり。夫これを聞て、「かたきすでにきたるを殺して、いみじかるべきにあらず。只かかるうきよをそむきて、女のぼだいを祈らむ」とて、もとどりをきり、さまをかへてけり。ひつきはへだたれども、しうしやうのはらはたなをあらたなり。じせつは移れども、こひのなみだ
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いまだかわかず。さんせんいづれのかたぞ、せいてうのつばさもいたることあたはず。ちゆういんたが家ぞ、しえんのひづめもはしるによしなし。あにはかりきや、あしたにたはぶれゆふべにたはぶれしはうけいのこころをひるがへして、夜も歎き昼も歎くしうこくのかなしみとなるとは。かなしみてみればかなしみをます、ていしやうの花のぬしをうしなへるいろ。うらみてきけばうらみをます、林中の鳥のきみをしのぶこへ。ぶんだんのことわりをおもはずは、いかでかこのかなしみにたへんや。しやうじのならひをしらずは、あにこのうらみをしのばんや。きたりてとどまらず、きようろうのつゆににたるいのち。さりてかへらず、きんりの花のごとくなるみ。なげきてもよしなしとて、おのおのかのをんなのごしやうをぞいのりける。
くさまくらいかに結びしちぎりにて露の命にをきかわるらむ K104
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四 かくてもんがく、冬のよひからもらしねがうて、しうちやうすんずんにたえやすく、春のてんじつななめにして、きようくわそうそうにのごひがたくして、諸国をるらうしてありきけるが、都へ帰り、めぐりて、たかをのへんにすみけり。だうしんののちにも、心おほきにくせみつつ、ふつうの人にはにざりけり。ここにたかをのじんごじと申すは、さうさうとしふりて、ぶつかくはゑのすがたをみるに、めいげつのほかはさしいる人もなし。ていしやうくさふかくして、こらうやかんのすみかにて、ちとのあそびにきようおほし。とびらは風に倒れて、おちばのしたにくちすたれ、のきばは雨にをかされて、ぶつだんさらにあらはなり。かなしきかな、ぶつぽふそうといふとりだにもおとづれずして、むなしきあとのいしずへは、をどろの為にかくされ、いたましきかな、みやまがくれのほそ
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みちも、つたしげくはひかかり、せうふさうぢよのたもとまでも、露やをくらんとあはれなり。ここにもんがくおもひけるは、「しゆくいんたかうにして、しゆつけにふだうの形をえたり。ぜんごふしよかんにして、ぶつぽふちぐのみとなれり。むえんのだうぎをとぶらふは、ぼさつのしよしうのぎそく也。はゑのだうじやをしゆふくするは、ぶつぽふをさいこうするこんぽんなり。はげみてもなをはげむべきは、しゆふくしゆざうのぜんごん、ぎやうじてもなほぎやうずべきは、りやくけちえんのしらうなり」とおもひけるが、ただしじりきざうえいの事はいかでかかなふべきなれば、ちしきほうがにてじんごじをつくらむといふ、だいせいぐわんをおこしつつ、じつぱうのだんなをすすめありきけるほどに、ゐんのごしよ、ほふぢゆうじどのへまゐりて、ごほうがあるべきよし申けるほどに、をりふしぎよいうの程
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にて、そうしやもごぜんへまいらず、まうしいるる人もなかりければ、ごぜんのぶこつとは思わで、人のうたてきにてこそあれとおもひける故に、てんぜいのふたうの者の、しかもものぐるはしきにてありければ、つねのごしよのおつぼの方へすすみ入て、だいおんじやうをはなちて、「だいじだいひの君にてまします。たかをのじんごじにごほうがさうらへよ」と申けるおほごゑに、てうしもはとぞきようさめにけり。やがて腰よりくわんじんちやうをとりいだし、高らかにぞよみたりける。そのじやうにいはく、
くわんじんそうもんがくうやまひてまうす
ことにきせんだうぞくのじよじやうをかうぶりて、たかをのれいちにいちゐんをこんりふし、にせあんらくのだいりをごんしゆせしめんとこふしさいのじやう
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それしんによくわうだいにして、しやうぶつのけみやうをほどこすといへども、ほつしやうずいえんのくもあつくおほひて、じふにいんえんのみねにたなびきしよりこのかた、ほんうしんれんのつきのひかりかすかにして、いまださんどくしまんのたいきよにあらはれず。かなしきかな、ぶつにちはやくもつして、しやうじるてんのちまたみやうみやうたり。いろにふけりさけにふける、たれかきやうしやうたうゑん[キヤウシヤウタウエン]のまどひをしやせん。いたづらにひとをそしりほふをそしる、あにえんらごくそつのせめをまぬかれんや。ここにもんがく、たまさかぞくぢんをはらひ、ほふえをかざるといへども、あくごふなほこころにたくましくにちやにつくり、ぜんべうまたみみにあざむいててうぼにすたる。いたましきかな、ふたたびさんづのくわけうにかへり、ながくししやうのくりんにまはらんこと。ゆゑにむにのけんぼふせんまんぢく、ぢくぢくにぶつしゆのいんをあかし、ずいえんしじやうのほふ、ひとつとしてぼだいのひがんにいたらずといふことなし。ゆゑにもんがくむじやうのくわんもんになみだをおとして、じやうげしんぞくのけちえんをもよほし、じやうぼんのれんだいにこころをはこびて、とうめうかくわうのれいぢやうをたてんとなり。そもそもたかをは、やまうづたかくして
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じゆぶせんのこずゑをあらはし、たにしづかにしてしやうざんとうのこけをしけり。がんせんにむせんでぬのをひき、れいゑんさけびてえだにあそぶ。じんりとほくしてきやうぢんなく、しせきことむなしくしてしんじんのみあり。ちけいすぐれたり、もつともぶつてんをあがむべし。ほうがすこしきなりとも、たれかじよじやうせざらむや。ほのかにきく、じゆしやゐぶつたふのくどく、たちまちにぶついんをかんず。いかにいはむやいつしはんせんのほうざいにおいてをや。ねがはくはこんりふじやうじゆして、きんけつほうれきごぐわんゑんまんし、ないし、とひゑんきんしんそりみん、げうしゆんぶゐのくわをうたひ、ちんえふさいくわいのゑみをひらかん。いはむやしやうりやういうぎぜんごだいせう、すみやかにいちぶつぼだいのうてなにあそび、かならずさんじんまんどくのつきをもてあそばむ。よつてくわんじんしゆぎやうじやのおもむき、けだしもつてかくのごとし。
ぢしようさんねんさんぐわつ ぴ もんがくけいびやくとぞよみたりける。
そのときのくわんげんにはめうおんゐんのだいじやうだいじんもろながこう、おんびはのやくなり。このひとのおんびはには、くわんかいのてんにんもたびたびあまくだりたまひたりけるじやうずなり。あぜちのだい
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なごんすけかたのきやうは、もみぢといふふえをぞふきたまひける。げんせうしやうまさかたはほうくわんのじやうずなり。ほうくわんとまうすはしやうのふえのことなり。ほうわうのなくこえをききて、れいこうといひけるひと、しやうのふえをばつくりはじめたり。せんじもんとまうすふみに、「めいほうきにあり、はつくにはにはむ」とて、「めいわうのよにはかならずほうわうきたりて、ていぜんのきにすむ」といふほんもんあり。これによつて、このげんせうしやうまさかたつねにまゐりて、つかへたてまつる。けふはめされて、はやくさんじたりけり。すいしやうのくだにわうごんのふくりんおきたるしやうのふえ、わうじきでうにぞしらべたりける。わうじきでうとまうすは、しんのざうよりいづるいきのひびきなり。このざうのねは、ぎやくにおつのねよりたかく、かふのねにあがるあひだ、ひのざうのつちのねにどうず。じゆんにかふのねよりおつのねにさがるときは、はいのざうのこがねのねにどうず。ゆゑにつちのいろをわうとなづく、こがねのいろをじきとなづく。まさにしるべし、つちとこがねとはおんやうのぎにて、なんによさうおうのぎしきなり。ゆゑにほふわうとにようゐんとのおんまへなれば、ゑんまんさうおうのおん
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いのりとて、わうじきでうにしらべたり。またわうじきでうはりよのねなり。これをなづけてきえつの音とす。又はごぎやうの中にはくわど也。ごはうの中にはなんばう也。しやうぢゆういめつのしさうの中にはぢゆうのくらゐ也。ぢゆうの位とは、人のよはひにあつる時は、さんじふいご、しじふいぜんのころ也。さればげんせうしやうも、そのときはさかりすぎてしじふいち也。法皇のおんとしは、もみぢのころに移らせ給たりけれども、いはひ奉りて、なほ夏のけいきにしらべたり。くわさんのちゆうじやうきんたかは、ときどきわごんをかきならして、ふうぞくさいばらをうたいすまし、だいじやうだいじんもろながは、らうえいめでたくせさせ給。すけかたのきやうのしそく、すけときのあつそん、ひやうしをとる。しゐのじじゆうもりさだのあつそん、いまやうとりどりにうたひなむどして、しんかんにめいじておもしろかりければ、しやうじゆもたもとをひるがへし、天人も雲にのりたまふらむとぞ、みのけいよだち
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ておぼえける。さればじやうげかんるいををさへて、ぎよくれんきんちやうれいれいたり。ぎよかんにたへさせ給わずして、法皇も時々はしやうがせさせおわしまし、つけうたなむどあそばして、きようにいらせたまひたりけるに、このもんがくがくわんじんちやうのおんじやうに、てうしもそれ、ひやうしもたがひて、人々皆きようさめにければ、法皇たちまちにげきりんわたらせ給て、「こはなにものぞ。きくわいなり。ほくめんのともがらはなきか。しやそくびつきさうらへ」とおおほせくだされければ、なにごとがな、事にあひてかうみやうせむと思たるものども、そのかずおほかりければ、我も我もとはしりかかる。そのなかにへいはんぐわんすけゆき、さうなくくびをつかむとて、はしりかかりたりけるを、もんがくくわんじんちやうをとりなほして、えぼしをうちおとして、しや胸つきて、のけさまにつきたをしてけり。すけゆきはなちもとどり
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にて、おめおもとおほゆかの上へにげあがる。北面のものども、われもわれもとはしりかかりければ、文学ふところより、しちすんばかりなる刀の、つかに馬のをまきたるが、氷なむどのやうなるを、さらとぬきて、よりこん者をつかむとまちかけたり。たけしちしやくばかりなるだいほふしの、すぐれたるだいぢからのこころたけきが、右手には刀をもちて、左手にはくわんじんちやうをささげてくるひまはりければ、さうのてに刀をもちたるやうにぞみへける。おもひよらぬにはかごとにてはあり、ゐんぢゆうさうどうす。くぎやうてんじやうびと、「こはいかにこはいかに」とたちさわぎたまひければ、ぎよいうのせきもそれにけり。くないはんぐわんきんとも、「からめよといふおんけしきにてあるぞ。すみやかにまかりいでよ」と云けれども、すこしもしひず。「ただいままかりいでては、いづくにてたれにこのことをまうさんぞ。さてあらんずるやふに、いのちをごしよのうちにてうしなふとも、じんごじにしやうをよせられざらむには、いつさいにまかり
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いづまじきものを」とぞしかりける。あんどううまのたいふみぎむねがたうしよくの時、むしやどころにさうらひけるが、たちをとり、はしりむかひたり。もんがくすこしもひるまず、よろこびてかかる所を、右の肩をくびかけて、たちのみねにてつよくうちたりけるに、うたれてちとひるむやふにしける所を、たちをすててくみてふす。もんがくいだかれながら、みぎむねがこがひなをつく。つかれながらしめたりけり。そののちぞ、ものどもかしこがをに、ここかしこよりはしりいでて、てとりあしとり、はたらく所をばかくかくうてどもはれども、すこしもいたまず、なほさんざんのあつこうをはく。もんぐわいへひきいだして、すけゆきがしもべにたびてけり。もんがくひつぱられてたちたるが、ごしよのかたをにらみつめて、「ほうがをこそし給はざらめ、文学にからきめをみせ給つるほうたふは、おもひしらせ申さんずるぞ」と、をどりあがりをどりあがり、
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みこゑまでぞののしりける。資行はえぼしうちおとされて、はぢがましくて、しばらくはしゆつしもせざりけり。みぎむねはぎよかんにあづかりて、べちのこうにをさまりにけり。たうざにいちらふをへずして、うまのかみにめしおほせられけるこそ、ゆみやとるもののめんぼくとみへけれ。もんがくはごくしやにいれられにけり。されどもいつさいこれをだいじともせず。そのころ、しやうさいもんゐんのほうぎよにて、ひじやうのだいしやをおこなはれければ、やがていだされにけり。しばしはひきこもりてあるべけれども、なほもへらず、もとのごとくにすすめありきけり。さらばただもなくて、「このよの中は只今に乱れて、君も臣も皆ほろびなむずるものを」など、さまざまのくわうげんはなちて、いまいましき事をぞいひありきける。むじやうのさんといふものをつくりて、「さんがいはみなくわたくなり。わうぐうもそのなんをのがるべからず。じふぜんのわうゐに
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ほこりたぶとも、くわうせんのたびにいでなふ後は、ごづめづの杖にはさいなまれ給わふずらふは」とて、ゐんのごしよをとざまにはにらみてとをり、かうざまにはにらみてとをりけるあひだ、「なほきくわいなり」といふさたありて、「めしとりてをんるせよ」とて、伊豆の国へぞ流しつかはされける。
五 げんざんゐにふだうのいまだうたれぬ時なりければ、しそくいづのかみなかつな、ゐんぜんをうけたまはりて、らうどうわたなべのはぶくがぐしてくだるべかりけるを、をりふしこくじんこんどうしちくにひらがしやうらくしたりけるに、ぐしてつかはす。「とうかいだうを船にて下るべし」とて、いせのくにへひきいてくだる。はうべんりやうさんにんつけられたりけるが、申けるは、「ちやうのしもべのならひ、かやうの事につけてこそ、おのづからえ
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こもあれ。さやふの事のあればこそ、又はうじんも当り奉る事にてあれ。いかにこれほどの事にあひてくだりたまふに、しかるべきだんをつなどはもち給はぬか。くにのとさん、道のらうれうなむどをもこひ給へかし。かやうの時よりこそ、たがひのこころざしもあらわるれ」なむど云ければ、もんがく、「人はおほくしりたれども、ひがしやまにこ〔そ〕よきとくいは持ちたれ。ふみつかはさむ」と申ければ、これらよろこびて、紙をもとめてえさせたりければ、「かかる紙にてふみ書きたる事おぼえず」とて、なげかへしてけり。すぎはらをたづねてえさす。そのとき人をよびて文をかかす。「もんがく、たかをのじんごじをしゆざうとげむと云だいぐわんをおこして、すすめさうらひつるほどに、きこしめしてもさうらふらむ、かかるあくわうのよにしもうまれあひて、しよぐわんをこそはたさざらめ、あまつさへきんごくせられて、はてにはをんるの罪をかうぶりて、いづのくにへながさる。ゑんろのあひだなり。らうれう
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によほふたいせつに候。このつかひにせうせうたまはりさうらふべし」と、いふがごとくにかきて、「たてぶみのうはがきにはたれへとかくべきぞ」と云ければ、文学おほきにわらひて、「せいすいじのくわんおんばうへとかきたまへ」とぞ申ける。そのときしもべども、「くわんにんどもをあざむくにこそあれ」とて、くちぐちにはらだちければ、文学、「きよみづの観音をこそふかくたのみたれ。さなくてはたれにかはえうじいふべき」とぞまうしける。これにも限らず、文学、なほこのものどもはかりてわらはばやとおもひて、くわんにん多くなみゐたる中にて昼寝をして、そらねごとをぞしたりける。「このほどくわんじんしたりつるようどどもをひとのもとにあづけたりつるは、文学いづへくだりたりとも、その人のとくにもなれかし。さめうじのとりゐのしたにうづめおきたりつるようどどもの、いたづらにくちうせなむずる事よ」とて、ねざめたるけいきをぞしたりける。そのときくわんにんども、うれしき事ききいだし
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たりとおもひて、めをみあはせて、かんじよへたちのきて、「いざさらばほりいだしてみむ」とて、ゆきむかひて、まづ左のとりゐの下をさんじやくばかりほりたりけれども、みへざりけり。「心深き者なれば、浅くはよもうづまじ」とて、いちぢやうばかりほりたりけれども、そうじてなにもなかりけり。「さらば右のとりゐの下にてや有らむ」とて、又堀たりけれども、それもなにもなかりけり。そののちは、「このひじりにたびたびはかられにけり。やすからず」とて、いよいよ深くいましめけれども、文学すこしも痛まず、ことにくわうげんをのみはきけり。さるほどにふねおしいだしてくだりけるに、あるひ、とほうみなるによりて、にはかにおほかぜいできたりて、このふねへうたうせむとす。かこ、かぢとりしばしはろかゐを取て、船をはさみて助けむとしけれども、なみかぜいよいよあれまさりければ、ろかゐをすててふなぞこにたふれふして、こゑをととのへてさけびけり。あるいは観音の
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みやうがうをとなへ、あるいは最後のじふねんにおよぶ。されども文学すこしもさわぎたるけしきなし。既にかうとおぼえける時、文学船のへにたちいでて、をきの方をまもりて、「りやうわうやあるりやうわうやある」とさんどよびて、「いかにこれほどのだいぐわんおこしたる僧の乗たる船をば、あやまたむとはするぞ。ただいまてんのせめをかうぶらむずるりゆうじんどもかな。すいくわらいでんはなきか。とくとくこの風しづめ候へ」と、かうしやうにののしりていりぬ。「れいの又あの入道がものぐるはしさよ」と、しよにんをこがましくききゐたるところに、そのしるしにや有けむ、又じねんにやむべき時にてや有つらむ、すなはちかぜしづまりてけり。そののちはくわんにんら舌をふるひて、いたくなさけなくあたる事もせざりけり。いかさまにもやうありける者にこそ。りやうそうしども文学にとひていはく、「そもそもたうじせけんになるいかづちをこそりゆうわうとしりてさうらふに、そのほかまただいりゆうわうのござさうらふやうにおほせさうらひつるは、いかなる事にてさうらふぞや」。文学
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こたへていはく、「これらになりさうらふやつばらは、大龍王のはき物をだにもえとらぬせうりゆうどもなり。そのはちだいりゆうわうとまうすは、ほつけきやうのどうもんしゆなり。じよほんの中にそのみやうじをあかすに、『なんだりゆうわう、ばつなんだ龍王、しやから龍王、わしゆきつりゆうわう、とくしやかりゆうわう、あなばだつたりゆうわう、まなしりゆうわう、うはつらりゆうわうとう、おのおのにやくかんひやくせんけんぞくとともなり』ととかれたる、これなり。このりゆうわうたちは、おのおのひやくせんのけんぞくをぐして、さうめい三千の底、はちまんしせんぐうのあるじたり。このそらになりてありき候やつばらは、八大龍王のけんぞくのまたじゆうしやの又従者也。そのあるじのはちだいりゆうわうは、もんがくをしゆごせむと申すちかひあり。いはむやせうりゆうらがあんないをしりはべらで、いささかもわづらひをなすでう、あるまじき事にて候也」。りやうそうしかさねてとひていはく、「されば八大龍王は、いかなるこころざしにて、文学ごばうをば守護しまひらせむといふ、ちかひはさうらひけるやらむ」。文学こたへていはく、「むかしぶつざいせの時、八大龍王まゐりて、ほとけのおんためにまうしていはく、『ぶつとくそんかう
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にして、まんとくじざいにましますおんこころに、かなはぬ事やおはします』とまうしし時、仏こたへていはく、『われよくまんとくじざいのみをえたりといへども、心にかなはぬ事にしゆあり。ひとつには、われよにくぢゆうして、法をとき、常にしゆじやうをりやくせばやと思へども、ぶんだんしやうじのならひなれば、百年が内にねはんの雲に隠れむ事、命を心にまかせぬうれひ也。ふたつには、にふねはんののち、もしぜんごんのしゆじやうありといふとも、まわうの為にしやうげせられて、しよぐわんじやうじゆのものあるべからず。そのぜんごんの衆生をたれにあつらふべしとも思わず。これまたおほきなるなげきなり』とのたまひき。時にはちだいりゆうわうざを立て、仏をさんざふして、しやうめんにきたりて、仏のそんがんをせんがうして、さんじゆのだいぐわんをおこしていはく、『ひとつにはわれねがはくは、ぶつにふねはんののち、けうやうほうおんの者を守護すべし。ふたつにはわれねがはくは、仏入ねはんの後、かんりんしゆつけの者を守護すべし。みつにはわれねがはくは、仏入ねはんの
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後、ぶつぽふこうりゆうの者を守護すべし』。このぐわんの心をあんずるに、しかしながらもんがくがみの上にあり。かやうに文学は心そうそうにして、ものぐるはしきやうにははべれども、父にも母にもみなしごにてさうらひしあひだ、親を思ふこころざし、今になをあさからず。つまにおくれて出家入道はすれども、ほんいは只しかうほうおんのだうしんなり。さればはちだいりゆうわうの第一のぐわんにこたへて、しゆごせらるべき文学也。第二のぐわんは、かんりんしゆつけと候へば、十八のとし出家して、今になほさんりんるらうのぎやうにんなり。などか守護し給はざらむや。況や第三のぐわんとは、『ぶつぽふこうりゆうの者をしゆごすべし』とちかひたれば、たうじの文学こそ、仏法興隆のこころざしふかくして、わどのばらにもにくまれ奉れ、八大龍王はあはれみたまふらむ物をや。かかるほふもんしやうげうをさとりたるゆゑに、せうりゆうらなどをば物の数ともぞんぜずさうらふあひだ、『りゆうわうりゆうわう』ともまうし
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はべるなり。さるわどのばらなりとも、親にけうやうする志の深く、入道出家をもしてかんりんにとぢこもり、ぶつぽふこうりゆうをもし給わむには、大龍王にしゆごせられたまふべし。もんがく一人をとちかひたるせいぐわんにはあらず。かまへてとのばら、親のけうやうして、ぶつぽふにこころざしをはこび給べし。こんじやうごしやうのおほきなるさいはひなり。まうしてもまうしても、ほふわうのじやけんこそ、さこそせうこくのあるじと申ながら、けぎたなき人のよくしんかな。だいこくの王はしからず。はかいなれどもびくをうやまひ、むしつなれどもくわんじんにいりたまふ事にてはべるなり。わどのばらもあゐそへて、ぶつぽふそりやくのひとどもとみるぞ。よくよくはからひたまへ。いかに道理をせむれども、もんがくがじやうをしんようし給わぬ事のあさましさに、しんをもとらせたてまつり、法をも悟らせ給へかしとて、はうべんの為に、せうりゆうらをまねきて、ふうはのなんをげんじてさうらひつるぞ。
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さればおのおの皆しんぷくしたまひて、ことのほかにきりてつぎたるれいぎども、誠にあはれにはべるめり。りようのさわぎだにもなのめならず。いかにいわんや、むじやうの風もふき、ごくそつのせめも、きたらむ時には、いさいさしらず。かやうにまうす文学だにもかなふまじ。につぽんのあるじもよもかなひたまわじ。むじやうせそんもにふめつしたまひき。ましてそのほかのいんゐのぼさつ、ていげのぼんぶ、わどのばらまでも、かなふべしともおぼへず。今度文学があくじして、いづのくにへをんるせらるることは、仏のごはうべんとしりたまふべし。いつかうに文学が申さむことばにしたがひて、けふよりのちは、ぶつだうに心をかけて、らいかうのいんぜふをまちたまふべし。いちじゆのかげに宿るも、ぜんぜのちぎりなければかなわず。どうがの水をくむことも、やうごふのえんと伝へ
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たり。いかにいはむや、かくのごときぎやくえんなりといへども、すじつどうぜんのむつびをやしづかにきかるべし。そもそもぶつだうに心をかくるとまうすは、ないしんに常に仏をねんずれば、りんじゆうじゆえんの時にいたりて、さだめてらいかういんぜふし給ふ也。ゆゑにくわんおんせいしあみだによらい、むしゆのしやうじゆをひきぐしたまひて、ぐぜいのふねにさをさして、にじふごうのくかいをわたり、ほうれんだいの上にわうじやうして、ぼだいのひがんにいたり遊ばむ事、たれかはこれをのぞまざらむ。かへすがへすもたのむべし。よくよくねんじたまふべし」と、かしこき父のおろかなるこを教ふるやふに、おなじふねなれば、かたときもたちはなるる事はなし。ふしても教へ、おきてもこしらふ。事にふれ、物にしたがひてぞ、けうくんしける。かやふにをりをりにしたがひて、しゆつりせむえうろをけうかいせられて、はう
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べんの中に、しやうねんにじふさんになりける、ぎやうぶのじよう、かけのあきずみと云ける男、ほつしんしてもとどりをきりて、もんがくが弟子になりにけり。文学これをみて、「誠にほんい也」とて、やがてかいさづけて、ざいぞくのなのりのいちじをとり、わがなのかたなを取て、なをばもんみやうとぞつけたりける。そのほかのものどもは、文学がことばをきくときばかりはだうねんのここちにおもむきけれども、しゆつけとんぜいするまでの事はなかりけり。このもんがくはてんぐの法をじやうじゆしてければ、ほふしをばをとこになし、男をば法師になしけるとかや。文学船に乗ける処にて、天にあふぎてちかひけるは、「われさんぼうのちけんにこたへて、ふたたび都へ帰りて、ほんいのごとくじんごじをざうりふくやうすべくは、ゆみづをのまずとも、げちやくまで命をまつたくすべし。
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わがぐわんじやうじゆすまじきならば、けふよりなぬかが内にいのちをはるべし」とちかひて、おんじきをだんず。くわせけれども、くちのへんへもよせず。卅一日といふに、いづのくににくだりつきにけり。そのあひだゆみづをだにものまず。ましてごこくのたぐひはいふにおよばず。されどもいろかすこしもおとろへず、ぎやううちしてありければ、文学は昔よりさるいかめしき者にて、みのほどあらはしたりし者ぞかし。そのかみだうしんをおこして、もとどりを切て、かうやこかは、山々寺々しゆぎやうしありきけるが、
六 あるときはだしにてごこくをたちてくまのへまゐり、みつのやまのさんけいことゆゑなくとげて、なちの滝に七日だんじきにてうたれむといふ、ふてきのぐわんをおこしけり。ころは十二月の中旬の事なりければ、ごくかんのさいちゆうにて、谷の
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つづらもうちとけず、まつふくかぜもみにしみて、たへがたくかなしきこと、既に二三日もなりければ、ひとつみゐてこほりて、ひげにはたるひと云者さがりて、からからとなる程なりしかども、はだかにて有ければ、こほりつまりて、わづかにいきばかりかよへども、のちにはわづかにかよひつる息もとまりて、すでにこのよにもなき者になりて、なちのたきつぼへぞたふれいりける。滝のおもてにて、もんがくをひたととらへてたてり。又わらは二人きたりて、さうのてとおぼしき所をとらへて、文学がくびよりあしてのつまさきまで、しとしととなでくだしければ、いてこほりたりつるみも皆とけて、もんがくひとごこちつきていきいでにけり。文学息の下にて、「さてもわれをとらへて、なでたまひつる人は、たれにて渡らせたまひつるぞ」ととひければ、「いまだしらずや、われはだいしやうふどうみやうわうのおん
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つかひに、こんがら、せいたかといふ、二人のどうじのきたるぞ。おそるるこころあるべからず。なんぢこのたきにうたれむといふぐわんをおこしたるが、そのぐわんをはたさずしていのちをはるを、みやうわうおんなげきあつて、『このたきけがすな。あの法師よりて助けよ』とおほせられつる間、われらがきたるなり」とて帰り給へば、文学、「不思議の事ごさむなれ。さるにてもいかなる人ぞ。よの末のものがたりにもせむ」とおもひて、たちかへりてみければ、十四五ばかりなる、あかがしらなるどうじ二人、雲をわけてのぼりたまひにけり。もんがくおもひけるは、「これほどにみやうわうのまもりたまわんには、このついでにいまさんしちにちうたれむ」といふぐわんをおこして、すなはち又うたれけり。そののち文学がみには水ひとつもあたらず。まれにもれてあたる水はゆの如し。かかりければ、いくかいくつきうたるとも、いたみとおもふべきにあらずとて、おもひのごとく三七
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日うたれにけり。つひにしゆくぐわんをとげたりし文学なれば、さも有けむとぞ、きくひとみなおそれあひける。
(七) かくていづのくににくだりつきてさいげつをへけるほどに、ほうでうひるがしまのかたはらに、なごやがさきといふところに、なごやでらとて、くわんおんのれいちおはします。もんがくかのところへ行て、しよにんをすすめてさうだうを
いちうつくりて、びしやもんのざうをあんぢして、平家をしゆそしけり。「われゆるされをかうぶらざらむかぎりは、あからさまにも里へいでじ」とちかひて、おこなひすすまし[* 「す」一つ衍字]てぞ侍りける。ぎやうぼふくんじゆのこうつもり、だいひせいぐわんののぞみふかし。昼はひねもすにせんじゆきやうをよみ、夜はよもすがらさんじのぎやうぼふをこたらず。人これをあはれみて、おりおりいしやうなむどを送れ
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ども、うけとる事はまれなり。なにとしてときのれうなむどもあるべしとはおぼへねども、どうじゆくなどもあまたあり。ゆゑにをちこちびとのたびびとは、ろだんのけぶりに心をすまし、いそべのあまのかぢまくら、とうろの光に夢もむすばず。ちどり、しろかもめ、よぶこどり、せんぼふの声にともなひて、ぶつぽふそうともなりぬべし。かいじん、ぎよをうのすなどりも、ずいきのたもとに露をそそき、とうがんせいがんのいろくづは、しんれいのこゑにうかみぬべし。りやうぜんじやうどのしやうじゆも、常にはこれにやうげんし、じゆぶけいそくのほらの内も、おもひやられてあはれなり。かかりければ、いづのくにのもくだいをはじめ、こくちゆうのじやうげしよにん、ことごとくしんがうのかうべをかたぶけて、ずいきのあなうらを運び、きえのおもひをなして、ざいせのたくはへを送る。しかりといへども、文学まつたくせけんをへつらひ、うき
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みを渡らむとする事なかりければ、わづかにしんみやうをつぎて、うゑをのぞくばかりのほかはとどめずして返しけり。まことにそれ文学がなくがぎやうぼふのくりきに、ほうおんしやとくのためならば、あくごふぼんなうもきへはてて、むしのざいしやうたえぬべく、げんぜあんをんのいのりならば、さんさいしちなんをとほくしりぞけて、じゆふくをひさしく心にまかせつべし。きせいもぶついにさうおうし、しよぐわんもわがみにじやうじゆすらむと、たつとかりけるぎやうぎなり。かくのごとくおこなひすまして有ければ、かのみだうにもくだいらがさたとして、さんじふよちやうのめんでんをよせたりけるが、今にあるこそいみじけれ。このだうのそばに又ゆやをたてて、一万人によくす。あるとき、をりえぼしにこんのこそでふたつきて、白きこばかまにあしだはきて、くろうるしののだちわきにかひはさみて、つゑつきたる男一人きたりて、ゆやのさうをみ
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まはす。もんがくはめももてあげず、釜の火たきてゐたり。又たかしこかひつけて、黒ぬりの弓持たるくわんじやひとりきたる。さきにきたりつる人のげにんとおぼしくて、ともにあり。こわらはべども、「ひやうゑのすけどのこそおわしたれ」といひてささやくめり。そのとき、さてはきこゆる人にこそとおもひて、やわら顔をもてあげてみければ、かのひと湯にをりぬ。共にあるをとこきたりて、「や、ごばう、湯のしゆぐわんとかやして、人にあむせまひらせよ」といへば、「かやうのこつじきほふし近く参らむもおそれあり。かひげに湯をくみてたべ。ここにてともかくもしゆぐわんのまねかたせむ」といひければ、いふがごとくにして湯をあびらる。いまだよじんはよらず、ともの男は文学がそばにゐて、ひにあたる。もんがくしのびやかに、「これはながされておわしまするなるひやうゑのすけどのか」ととひければ、男にがわらひて物
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もいわず。文学、「ころぞこの入道がさうでんのしゆうよ」といひける時、男申けるは、「しゆうならばみしりたてまつりたまひたるらむに、事あたらしくとひたまふものかな」と云ければ、文学申けるは、「そよ、このとのをさなくおわしまししほどはみやづかへき。かやうにこつじきほふしになりてのちは、くにぐにまどひありくほどに、まゐりよる事もなし。よにをとなしくなられたり。人はなのりのよかるべきぞ。よりともといふなのよきぞ。たいしやうぐんのさうもおわすめり。君に申て、きせんじやうげあつまるゆやなむどへは、いでたまふらめ。人はおくぢあるこそよけれ。法師とてもかたきにてあらむはかたかるべきか。人にくびばしきられうとて、ふかくの人かな」と云ければ、このをとこ「不思議のひじりのひたごころかな」と思へども、とかくいふにもおよばずして、「あまりざふにんおほくさうらふに、はやあがらせ給へ」と、しゆうをすすめてたつところに、このよしをしゆうに
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ささやきたりけるにや、この男たちかへりて、「里にいでたらむ時には、かならずたづねておわせよ」と、文学が耳にささやきければ、「そよや、殿くだりはてばげんざん
にいらばやとおもひしかども、さすが事しげく、すいさんせむもこちなくてまかりすぎつるに、今日のびんぎに御目にかかりぬる事こそうれしけれ。ひまには必ずまゐるべし。さきに申つるそぞろごと、くちよりほかへもらしたまふな」とぞ云ける。そののちひやうゑのすけははづかしくおぼしければ、かのゆへはおわせず。みそかばかりすぎて、文学さとにいでたりつるついでに、さらぬやうにて兵衛佐のもとへたづねきたりて、すけほつけきやうよみてゐられたる所へ、いれられたりければ、文学てをすりて、「もつともほんいにさうらふ。たつとくさうらふ」とて、さめざめとなく。酒、くわしていの物とりいだしてすすめられてのち、「さてごばう、けふはしづかにゐて、せけんのものがたり
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してあそび給へ。つれづれなるに」とのたまひければ、文学、兵衛佐のひざちかくゐよつて申けるは、「はなはひととき、ひとはひとときとまうすたとへあり。平家はよのすゑになりたりとみゆ。だいじやうにふだうのちやくし、こまつのないだいじんこそ、はかりこともかしこく、心もかうにて、父のあとをもつぐべき人にておわせしか。せうこくにさうおうせぬ人にて、父にさきだちてうせられぬ。そのおととどもあまたあれども、うだいしやうむねもりをはじめとして、いうじやくばうのひとどもにて、一人としてにつぽんごくのたいしやうぐんになりぬべき人のみへぬぞや。とのはさすが末たのもしき人にておわする上、かううんのさうもおわす。たいしやうになりたまふべきさうもあり。さればこまつどのにつぎて、わどのぞ日本国のあるじとなりたまふべき人にておわしける。今は何事かはあるべきぞや。むほんおこして、日本国のたいしやうぐんになり給へ。ふその恥をもきよめ、君のおんいきどほりをもやすめ
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奉り給へ。かつうは、『てんのあたへをとらざれば、かへりてそのとがをうく。こといたりておこなはざれば、かへりてそのわざはひをうく』と云ほんもんあり。もんがくはかくいやしげなれども、くつきやうのさうにんにて、左のまなこはだいしやうふどうみやうわうのおんまなこなり。右のまなこはくじやくみやうわうのおんまなこなり。人のくわほうしりて、につぽんごくをみとほす事は、たなごころをさすが如し。今も末も、すこしもたがはず。いかさまにも殿をばだいくわほうの人とみまうすぞ。とくとくおもひたち給へ。いつをごしたまふべきぞ」と、はばかる所もなく、こまごまと申ければ、すけおもはれけるは、「このひじりは、心深くおそろしき者にて流さるる程の者なれば、かくかたらひよりてもろくあひしたがはば、頼朝がくびを取て、平家にたてまつりて、おのれが罪をのがれむとてはかるやらむ」と、おもはれければ、すけのたまひけるは、「さんぬるえいりやくぐわんねんの春のころより、いけどののあまごぜん
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に命をいけられたてまつりて、たうごくにぢゆうして、すでに廿余年を送りぬ。いけどのおほせらるるむねありしかば、まいにちほつけきやうをにぶよみたてまつりて、いちぶをばいけのあまごぜんのごぼだいにゑかうし奉り、一部をばぶものけうやうにゑかうするほかは、又ふたついとなむ事なし。ちよくかんの者は、ひつきの光にだにもあたらずとこそまうしつたへたれ。いかでかこのみにてさやうの事をばおもひたつべき」と、ことばにはのたまひけれども、しんぢゆうには「なむはちまんだいぼさつ、いづはこねりやうじよごんげん、ねがはくはしんりきをあたへ給へ。たねんのしゆくばうをとげて、かつうはくんしんのおんいきどほりを休め奉り、かつうはばうふがそくわいをとげむ」とこころざしふかければ、「ひろつね、よしあきいげのつはものにちぎりて、ひまをうかがふものを」とおもはれけれども、もんがくにはうちとけざりけり。ややひさしくものがたりして、文学帰りぬ。又四五日ありて、文学きたりければ、すけいであはれたり。「いかに」とのたまへば、
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文学ふところより、白きぬのぶくろのもちならしたるが、中にものいれたるをとりいだしたりければ、すけ、なにやらむとあやしくおもはれけるに、もんがくまうしけるは、「これこそはとのの父のこしもつけどののかうべよ。いんじへいぢのらんの時、さのごくもんのあふちの木にかけられたりしが、ほどへてのちにはめもみかけず、このもとにおちてありしを、これへながさるべしと、かねてききたりし時に、としごろみ奉りたりしほんいもあり、又よはやうある物なれば、おのづから殿にまゐりあふことあらばたてまつらむとて、ごくあづかりのしもべをすかしてこひとりて、ぢきやうとともにくびにかけて、人目にはわがおやのかうべをたくはへたるやうにて、京をながされていでし時、いかにもしてよをとらむひとをだんをつにして、ほんいをとげむとおもひしこころざしの深さをさんぼうにいのりて、声をあぐ。『わがぐわんじやうじゆせよ』とをめきさけびて、物もくわ
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でありしかば、みきくひとは皆、『文学にはてんぐのつきて、物にくるふか』などまうしあいたりき。今はそのぐわんみちぬ。さればにや、とのよにおわして、このほふしをもかへりみ給へ。このれうにこそ、としごろたくわへもちてはべりしか。ねんぶつどきやうの声は、こんばくにきこへて、めつざいの道となられぬらむ」とて、さめざめとなきければ、「『人の心をひきみむれうに、何となくいふか』とおもひたれば、まめやかにこころざしのありける事のあはれさよ。さだめてこのよひとつのことにてはあらじ」とおもはれければ、いちぢやうはしらねども、父のかうべときくより、なつかしくおぼへて、ひたたれの袖をひろげて、なくなくうけとりて、きやうぎの上にならべて、わがみをうちおほひて、「あはれなりけるちぎりかな」とて、涙をぞうかべられける。のちにこそはかりことともしらせけれ、そのときはまこととおもはれければ、おのづからそののちはうちとけられにけり。「又」とちぎりて、文学帰りぬ。さて
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かのかうべを箱にいれて、ぶつぜんにをきて、ひやうゑのすけちかはれけるは、「まことにわがちちのかうべにておわしまさば、よりともにみやうがをさづけ給へ。頼朝よにあらば、すぎにし御恥をもきよめ奉り、ごしやうをもたすけ奉らむ」とて、ぶつきやうにつぎては、花をきようしかうをたきて、くやうぜらる。そののち文学又きたりければ、すけたいめんして、「さてもいかがしてちよくかんをゆりさうらふべき。さなくはなにごともおもひたつべくもなし。いかさまにも道ある事こそ、しじゆうもよかるべけれ。さてもとうくらうもりながをともにて、みしまのやしろへややいつせんにちのひまうでをせしに、一千日にまんぜし夜、つやしたりし夜の夢に、みしまの東のやしろより、なを東へいつちやうばかりへだてて、第三の前に大なるたかきあり。そのわうじの所をなほ東へいつちやうばかりゆきて、又おほきなるははそのきあり。このき二本があひだ
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に、くろがねのつなをはりて、あけのいとをすがりにして、平家の人々の首をかけならべたりしとみたれば、いかなるべき事やらむ」なむど、まめやかにのたまひければ、「そのことあんじたべ。京へのぼりてゐんぜんまうしてたてまつらむ」。「そのみにてやはかかなふべき」。もんがくまうしけるは、「院のきんじゆしやに、さきのうゑもんのかみみつよしのきやうといふひとあり。かのじんにないないゆかりありて、としごろまうしうけたまはることあり。かのじんのもとへひそかにまかりて、このよしをまうすべし。ものぐるはしくいづちともなくうせたるものかなとおぼすな。かやうのにふだうほふしはふるまひやすき上、『さんしちにちのぢやうにいる事あり。そのあひだは人にもたいめんもすまじきよしをひろうせよ』とて、弟子にまうしおきて、いそぎのぼるべし」なむど、さまざまにちぎりていでぬ。やがて京へのぼる。
八 そのときゐんはふくはらのろうのごしよにわたらせたまひけるに、夜にまぎれてみつよしのきやう
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のもとへ行て、人にもしられず、ある女をもつて、ひそかにふみをつかはしたりければ、みつよしのきやうげんざんしたまひて、「さてもさても夢のやうにこそおぼゆれ。いかにいかに」ととはれければ、文学近くさしよりて、「やぶにめ、壁に耳ありといふこと、いとしのびてまうしあはすべき事ありて、わざと人にもしられず、夜にまぎれてまゐりてさうらふなり」といひ、ささやきけるは、「伊豆国にさうらふ、ひやうゑのすけよりともこそ、院のかくて渡らせたまふことをばうけたまはり、なげきて、『ゐんぜんだにもたまはりたらば、とうはつかこくのけにんあひもよほして京へうちのぼりて、君のおんかたき平家をばやすくほろぼして、げきりんをもやすめ奉り、人々のなげきをもしづめてむ物を』とまうしさうらへば、だいみやう、せうみやう一人もしたがわぬ者なし。このやうをひそかにほふわうに申させ給へ」と云ければ、みつよしのきやう、「まことに君もかくうちこめられさせたまひて、よのまつりごとをもしろし
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めさず。我もさんぎ、うひやうゑのかみ、くわうだいこうくうのごんのだいぶ、さんくわんをみなながら平家にとどめられて、心うしとおもひなげきゐたり」とおもはれければ、「いかさまにもひまをうかがひておんけしきをとるべし。かくのたまふもしかるべきことにてこそ有らめ。今二三日のほどはこれにおわせよ」とて、そのよもあけぬ。つぎのあしたみつよしのきやうゐんぜんせらる。ゆふべに帰て、「かのことしかるべきひまなくて、いまだそうせず也」とありけれども、もんがくなほかたすみにかがまりゐたり。つぎのひまゐりたまひて、よふけていでられたり。おんゆるされやありけむ、ゐんぜんを書てたまはりたりけるを、文学たまはりて、くびにかけて、よるひる五ケ日いづのくにへはしりくだりて、ひやうゑのすけにたてまつりたりければ、てあらひ、くちそそいで、ひもさして、ゐんぜんをみたまふに、そのじやうにいはく、
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はやくきよもりにふだうならびにいちるいをついたうすべきこと
みぎかのいちるいは、てうかをいるかせにするのみにあらず、しんゐをうしなひぶつぽふをほろぼし、すでにぶつじんのをんできたり、かつうは、わうぼふのてうてきたり。よつてさきのうひやうゑのすけみなもとのよりともにおほせて、よろしくかのともがらをついたうして、はやくげきりんをやすめたてまつるべきじやう、ゐんぜんによつて、しつぽうくだんのごとし。
ぢしようしねん七月六日 さきのうひやうゑのかみふぢはらのみつよしがうけたまはり
さきのうひやうゑのすけどのへとぞかかれたりける。兵衛佐このゐんぜんをみ給て、なくなく都のかたへむかひて、はちまんだいぼさつををがみたてまつり、たうごくにはいづ、はこねにしよにぐわんをたてて、まづほうでうのしらうにのたまひあはせて、おもひたち給へり。石橋のかつせんの時も、しらはたの上にこのゐんぜんをよこさまにむすびつけられたりけるとぞきこへし。
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おなじくゐんぜんのいほんにいはく。
きやうねんよりこのかた、へいじわうくわをないがしろにして、せいたうにはばかることなく、ぶつぽふをはめつし、てうゐをかたぶけむとほつす。それわがてうはしんこくなり。そうべうあひならびて、しんとくこれあらたなり。ゆゑにてうていかいきののち、すせんよさいのあひだ、ていいうをかたぶけ、こくかをあやぶむるもの、みなもつてはいぼくせずといふことなし。しかればすなはちかつうはしんたうのみやうじよにまかせ、かつうはちよくせんのしいしゆをまもりて、へいじのいちるいをちゆうし、てうかのをんできをしりぞけて、ふだいきゆうせんのへいりやくをつぎ、るいそほうこうのちゆうきんをぬきんでて、みをたていへをおこすべしてへれば、ゐんぜんかくのごとし。よつてしつたつくだんのごとし。
ぢしようしねんしちぐわつ ぴ さきのうひやうゑのかみざいはん
さきのひやうゑのすけどのうんうん
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九 ひやうゑのすけながされたまひてのち、にじふいちねんとまうすに、このゐんぜんをたまはりて、ほうでうのしらうとさまさをまねきよせて、「へいけをついたうすべきよしのゐんぜんをたまはりたるが、たうじ、せいのなきをばいかがはすべき」とのたまへば、ときまさまうしけるは、「とうはつかこくのうちに、たれかきみのごけにんならぬものはさうらふ。かづさのすけはちらうひろつね、へいけのごかんだうにて、そのしそくやましろのごんのかみよしつね、きやうにめしこめられさうらひつるが、このほどにげくだりてようじんしてさうらふとうけたまはる。かづさのすけはちらうひろつね、ちばのすけつねたね、みうらのすけよしあき、このさんにんをかたらはせたまへ。このさんにんだにもしたがひつきまゐらせさうらひなば、とひ、をかざき、ふところじまは、もとよりこころざしおもひたてまつるものどもでさうらへば、まゐりさうらはんずらむ。もしきみをつよくせきまひらせさうらはむずるは、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おなじくいとこいなげのさぶらうしげなり、これら
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がちちはたけやまのしやうじしげよし、おなじくしやていをやまだのべつたうありしげ、兄弟二人、平家につかへて、京に候へば、つよきかたきにてさうらふべし。さがみのくににはかまくらたうおほばのさぶらうかげちか、さんだいさうでんのごけにんにてさうらへども、たうじへいけのだいごおんのものにてさうらふあひだ、きみをそむきたてまつるべきものにてさうらふ。ひろつね、つねたね、よしあき、これらさんにんだにもまゐりさうらひなば、につぽんごくはおんてのしたにおぼしめすべしとまうしければ、そのことばまことあつて、そのべんぜつありければ、よりともふかくしんじてけり。ときまさもしてんをしるときか、はたまたつはものをうるほふか、そのことばひとこととしてたがふことなかりけり。むかししんの、ぶん、ほくていのことばをしんじて、もつてゐをふるつておどろかし、せいのくわん、くわんちゆうのはかりことをもちゐて、もつててんがをただしうせりき。いまよりとも、ときまさと、がつたいをどうしんして、はかりことをほうちやうのうちにめぐらさば、うがふぐんぼうのぞく、てをくんもんにつかね、かつことをてうさいのほかにけつし、
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らうれいほんぎやくのともがら、かうべをきやうとにつたへ、てんがへいていをとげて、かいだいながくいつかいせり。まことなるかな、そのひとをえてすなはちそのくにもつておこり、そのひとをうしなひてすなはちそのくにもつてほろぶ」といへることは。兵衛佐のたまひけるは、「ゐんぜんをたまはりぬるうへは、ひつきをおくるにおよばず。やがてけふあすにもと、いそぎたくはそんずれども、きたる八月十五日いぜんにはいかにもおもひたたじとおもふなり。それはいかにといふに、こんみやうむほんをおこしてかつせんをするならば、しよこくにいははれまします、はちまんだいぼさつのごはうじやうゑのために、さだめてゐらんとなりなむず。しかればかのはうじやうゑいご、しづかにおもひたつべし」とのたまひければ、時政「もつともしかるべし」とて、つきひのすぎゆくをまちたまひけるほどに、八月九日、おほばのさぶらう京より下りたりけるが、ささきのさぶらうひで
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よしをよびて申けるは、「をさだのにふだう、かづさのかみがもとへ、『いづのひやうゑのすけどのを北条四郎、かもんのじよう、ひきたてたてまつりて、むほんをおこさんとしたくつかまつるよしうけたまはる。いそぎめしあげておきのくにへながされ候べし』といふふみをつかはしたりけるを、かづさのかみとりいだして、かげちかにみせさうらひしかば、『かもんのじようはやしにさうらひにき。北条四郎はさもさうらふらむ』とまうしたりしかば、『いかさまにも、大政入道殿の福原よりのぼらせたまひたらむに、みせまいらせむとて、めいかきておきさうらひき。このたびたかくらのみやのみゐでらにひきこもらせたまひてのちは、国々の源氏一人もあらすまじ』とさうらひしかば、よもただには候わじ」とぞかたりける。ひでよしあさましとおもひて、いそぎしゆくしよに帰りて、「かげちかかかる事をこそかたりまうしつれ」と、いづへつげまうさむとしけるに、「三郎はかんだうの者也。二郎は
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いまだすけどののみしりたまわず。たらうゆけ」とて、しもつけのうつのみやに有けるたらうさだつなをよびて、ほうでうに参てまうすべきやうは、「おんふみはおちちる事もぞ候とて、わざと定綱を参らせ候。ひごろないないごだんぎさうらひし事を、かげちかもれききたりげに候ぞ。おぼしめしたたばいそがるべし。さなくはとくしてあうしうへこえさせ給へ。これまではとうくらうばかりをぐしてわたらせ給へ。こどもをつけておくりまうすべし」とて、つかはしけり。十二日、さだつなかへりきたりて、「このことくはしくまうしてさうらひしかば、『よりとももさきだちてききたるなり。めしにつかはさむとおもひつるに、たれしていふべきともおもひわづらひて有つるに、しんべうにきたり。さらばやがてこれにゐるべし』ととどめたまひつれども、『いそぎまかりかへりて、おととどもをもぐし、もののぐをも取てまゐりさうらわむ』とまうししかば、『さらばよしきたらむ。人にもきかれなむず』とのたまひければ、さまざまのちかごと
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をたてさうらひしかば、『さらばとくかへりて、十六日にはかならずきたれ。なんぢらをまちつけて、伊豆のものどもをぐして、かねたかをばうたむずるなり。ただし二郎はしぶやのしやうじがむこにて、こにもおとらずおもひたむなれば、よもくみせじ。三郎ばかりをぐせよ』とさうらひし」と申ければ、じらうつねたか是をききてまうしけるは、「三郎にも四郎にもなつげたまひそ。それらはいかにもおもひきるまじき者也。兵衛佐殿さ程のだいじをおもひたちたまふに、人をばしるべからず、つねたかにをきてはぜんあくまゐるべし」と申ければ、さらばとて、やがてさがみのはだのに有ける三郎もりつながもとへ、ししやをはしらかす。四郎たかつなは、きんねん平家にほうこうして有けるが、兵衛佐むほんのくはたてあるよしきこへければ、うきぐもにむちをあげてとうごくへはせくだりて、たらうがもとにかくれゐたりけるがもとへも、おなじく使
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者をぞつかはしける。つつむとすれども、かげちかこれをつたへききて、「いかがすべき」と、こくちゆうのひとびとにいひあはするよしきこへけり。さる程に佐々木のものども兄弟四人はせあつまりて、夜中にほうでうへ行けるに、二郎つねたかがしうとしぶやのしやうじ、人をはしらかしてつねたかに申けるは、「いかに人をまどはさむとはするぞ。ことひとどもはゆけども、経高ひとりはとどまるべし」といひつかはしたりければ、経高申けるは、「こと人々こそ、恩をもえたれば、だいじともおもふらめ。経高はさせるみえたる恩もなければ、さらに大事とも思わず。かくいふにとどまらずは、さいしをとつていかにもこそはなさむずらめ。おもひきりていづることなれば、まつたく妻子の事心にかからず。さりともすけどのよをとりたまはば、経高が妻子をばたれかはとりはつべき」と、さんざんにへんたふして、うちとほりぬ。
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十 さるほどに十六日にもなりにけり。ひやうゑのすけ、ほうでうのしらうをめしてのたまひけるは、「ひごろつきひのたつをこそまちつれば、こよひ、へいけのけにんたうごくのもくだい、いづみのはんぐわんかねたかがやまきのたちにあむなるを、よせてようちにせむとおもふなり。もしうちそんじたらば、じがいをすべし。うちをほせたらば、やがてかつせんをおもひたつべし。これをもつてよりともがみやうがのうむは、わびとどもがうんふうんをばしるべし。ただし佐々木のものどもが、さしもやくそくしたりしが、いまだみへぬこそほいなけれ」とのたまふ。ときまさまうしけるは、「こよひはたうごくのちんじゆみしまのだいみやうじんのじんじにて、たうごくのうちにゆみやをとることさうらわず。かつうは佐々木のものどもをもまたせたまへ。きちにちにてもさうらふ、あすにて候べし」とていでにけり。さるほどに、ささきのきやうだい十七日ひつじのときばかり、ほうでうへはせつきたりければ、ひやうゑのすけどのは
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あはせのこそでに、あゐずりのこばかまき給て、えぼしをして、ひめぎみのふたつばかりにやをわしけむ、そばにをきておわしけり。これらがきたる事みたまひて、よにうれしげにおぼして、「いかに、つねたかは。しぶやがあさからずおもひたむなれば、よも参らじとおもひつるに、いかにしてきたるぞ」とのたまひければ、「千人のしやうじを、きみひとりにおもひかへまゐらせさうらふべきにさうらわず」とまうしければ、「さほどに思はむ事は、とかくいふにおよばず。頼朝がこのことをおもひたたば、わびとどもがよとはしらぬか」とのたまひければ、「ただいまよをよならぬ事までは思候わず。ただかほどの大事をおぼしめしたたむに、今日参り候わでは、いつをごしさうらふべきと存ずるばかりに候」と申ければ、「頼朝はもとはこえたりしが、このひやくよにちばかり、よるひるこのことをあんずるほどに、やせたるぞ。そもそもけふじふしちにちひのとのとりをきちにちにとりて、このあかつきたうごくのもくだい、
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いづみのはんぐわんたひらのかねたかをちゆうせむとおもひつるに、くちをしくもおのおのきのふみへぬによりて、今日はさてやみぬ。明日はしやうじんのひ也。十九日はひなみあし。廿日までのびば、かへりてかげちかにねらはれぬとおぼゆるなり」とのたまひければ、さだつな申けるは、「十五日にまゐるべきにてさうらひしほどに、三郎四郎をもまちさうらひし上、をりふしこのほどのおほあめおほみづに、思わざるほかにいちにちとうりうして候」と申ければ、「あわれゐこんの事かな。さらばおのおのやすみ給へ」とのたまひければ、さぶらひにいでてやすみけるほどに、ひすでにいりてくらくなりぬ。しばらくありて、「おのおのもののぐしてこれへ」とありければ、やがて物具とりつけてまゐりたりければ、すけのたまひけるは、「これに有ける女を、かねたかがざつしきをとこがめにして有けるが、ただいまこれにきたるなり。このけしきをみてしゆうにかたりなば、いちぢやうねらわれぬべければ、
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かの男をばとらへて置たるぞ。このうへはただとくこよひよりてうつべし」とのたまひければ、十七日のねのこくばかり、ほうでうのしらうときまさ、しそくさぶらうむねとき、おなじくこしらうよしとき、ささきのたらうさだつな、おなじくじらうつねたか、さぶらうもりつな、おなじくしらうたかつないげ、かれこれむまのうへかちともなく、三十余人、四十人ばかりもや有けむ、やまきのたちへぞおしよせける。かどをうちいでければ、とうごくのぢゆうにんかとうじかげかどは、げにんにたちばかりもたせて、ただいつきおんとのゐにとてうちとほりけるが、これらがうちいづるをみて、「いかに、なにごとのあるぞ」とて、やがて打通りて、内へいりにけり。このかげかどは、もとはいせのくにのぢゆうにん、かとうごかげかずが二男、かとうだもとかずがしやてい也。ちちかげかず、かたきにおそれて、いせのくにをにげいでて、いづのくににくだりて、くどうのすけもちみつが聟になりてゐたり
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けり。弓矢の道、兄弟いづれも劣らざりけれども、ことにかげかどはくらきりなきかうの者、そばひらみずのゐのししむしやにて有けるが、いかがおもひけむ、時々兵衛佐にほうこうしけるが、そのよ、兵衛佐のもとにひそめくことありとききて、何事やらむとて、行たりけるなり。さて北条、ささきのものどもは、ひたがはらといふところにうちいでて、北条四郎申けるは、「やまきへわたるつつみのはなに、いづみのはんぐわんがいちのらうどう、ごんのかみかねゆきと云者あり。とのばらはまづそれをよりて打給へ。時政はうちとほりて、おくのはんぐわんをせむべし」とて、あんないしやをつく。さだつなはかの案内者をさきとして、うしろへからめでにまはる。つねたかぞ前よりうちいるる。いまだからめでの廻らぬ先にうちいりて、みければ、もとよりふるつはものにて、まちやうけたりけむ、さしりたりとて、さんざんに
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いる。かたきはひつじさるにむかひ、経高はうしとらにむかふ。月もあかかりければ、たがひのしわざ隠るる事なし。よせあはせてたたかふほどに、経高うすでおひぬ。さるほどに、たかつなうしろよりきくははりたりけるに、やをばぬかせてけり。さて兼行をば、定綱盛綱おしあはせて、打ををせつ。はんぐわんがたちとかねゆきがいへと、あひだごちやうばかりなり。かたきうちををせてのち、やがて奥のやまきのたちへぞはせとほりける。兵衛佐はえんにたたれたりけるが、かげかどがきたるをみたまひて、「をりふししんべうなり。かげかどは頼朝がとぎにさうらふべし」とおかれたり。はるかによふけてのち、「こよひ時政をもつて、かねたかをうちにつかはしつるが、『うちををせたらば、たちにひをかけよ』といひつるが、はるかになれどもひのみへぬは、うちそんじたるやらむ」とひとりごとにのたまひければ、かげかどききあへず、「さてはにつぽんだいいちのおんだいじをおぼしめしたちける
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に、今までかげかどにしらせさせ給はざりける事の心うさよ」といふままに、やがてかぶとのををしめて、つといでけるを、兵衛佐、かげかどをめしかへして、しろかねのひるまきしたるこなぎなたを、てづからとりいだしたまひて、「これにてかねたかが首をつらぬきて参れ」とて、景廉にたぶ。景廉これをたまはりてはせむかふ。かち一人ぐしたりける、兵衛佐よりざつしき一人つけられたりけるに、なぎなたをばもたせて、はんぐわんがたちちかくはせてみれば、北条はいへのこらうどうおほくておひ、むまどもいさせて、しらみてたちたる所に、かげかどきくははりければ、北条いひけるは、「かたきてごわくて、すでに五六度までひきしりぞきたるぞ。佐々木のものどもはかねゆきをばうちて、このたちのうしろへからめでにむかひたるなり」といへば、「したたかならむ者にたてつかせてたべ。ひとあてあててみむ」と申ければ、ほうでうがざつしきをとこ、げんとう
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じといひける者にたてつかせて、馬よりをりて、弓矢は元よりもたざりければ、一人のゆみはりのやみすぢかなぐり取て、たてのかげよりすすみいでて、やおもてに立たるかたき三人、みつのやにてい殺しつ。さて弓をばなげうてて、なぎなたをくきみじかにとりなして、かぶとのしころをかたぶけて、うちはらひて内へつといり、さぶらひをみれば、たかとうだいにひ白くかきたてたり。そのまへにじやうえきたる男の、おほなぎなたのさやはづしてたちむかひけるを、かとうじはしりちがひて、こなぎなたにてゆんでのわきをさして、なげふせたり。やがて内へせめいりてみれば、ひたいつきの前にひををこしたり。又ひ白くかきたてたり。ふしからかみのしやうじたてたりけるをほそめにあけて、たちのおびとり、ごろくすんばかりひきのこして、かたきこれにいりたりとおもひて、みいだしたり。かとうじ、ふたつのなぎなたをもつてしやうじをさし
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あけてみれば、いづみのはんぐわんをば、ぢゆうしよにつきてやまきのはんぐわんとぞ申ける、判官かたひざをたて、たちをひたひにあてて、いらばきらむと思ひたりげにて、まちかけたり。かとうじしころをかたぶけて、いらむとするやうにすれば、判官かたきをいれじと、むずときる所に、うへのかもゐにきりつけて、たちをぬかむとしけるを、ぬかせもはてさせずして、しやくびをさしつらぬきて、なげふせてくびをかくをみて、判官がうしろみの法師、もとはやまほふしにちゆうきと云者にて有けるが、つとよる所をにのかたなにくびをうちおとしつ。さてしゆうじゆうふたりが首を取て、しやうじにひふきつけて、心のすむとしはなけれども、
ほけきやうをいちじもよまぬかとうじがやまきのはてを今みつるかな K105
とうちながめて、つといでて、「かねたかをばかげかどがうちたるぞや」とののしりけり。
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判官がしゆくしよのやけけるを、兵衛佐みたまひて、「兼隆をばいちぢやうかげかどがうちつるとおぼゆるぞ。かどでよし」とよろこび給けるほどに、北条使者をたてて、「兼隆を景廉が討て候なり」とまうしたりければ、兵衛佐「さればこそ」とぞのたまひける。景廉はせんこうをたうじにあぐるのみにあらず、もつぱらめいばうをこうせいにのこせり。
十一 これをはじめとして、いづのくによりひやうゑのすけにあひしたがふともがらは、
ほうでうのしらうときまさ、しそく三郎むねとき、おなじくこしらうよしとき、くどうのすけしげみつ、子息かりののごらうちかみつ、うさのみへいだ、おなじくへいじ、おなじく三郎すけもち、かとうだみつかず、おなじくしやていかとうじかげかど、とうくらうもりなが、あまののとうないとほかげ、おなじく六郎、につたのしらうただつね、ぎしようばうじやうじん、ほりのとうじちかいへ、ささきのたらうさだつな、
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同二郎つねたか、同三郎もりつな、同四郎たかつな、しちらうむしやのぶちか、ちゆうしらうこれしげ、ちゆうはちこれひら、きつじよりむら、さめしまのしらうむねふさ、こんどうしちくにひら、おほみのへいじむねひで、しんどうじとしなが、こちゆうだみついへ、じやうのへいだ、さはのろくらうむねいへ、ふところじまのへいごんのかみかげよし、おなじくしやていとよだのじらうかげとし、つくゐのじらうよしゆき、同八郎よしやす、とひのじらうさねひら、同子息やたらうとほひら、しんかいのあらじらうさねしげ、つちやのさぶらうむねとほ、同小次郎よしきよ、まごやじらうただみつ、をかざきのしらうよしざね、さなだのよいちよしただ、なかむらのたらう、同次郎、いひだのごらう、へいさうたらうためしげ、
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をぬまのしらう、はたけのさぶらうよしくに、まるのごらうのぶとし、あんざいのさぶらうあきますらをあひぐして、八月廿日、さがみのくにとひへこえて、ときまさ、むねとほ、さねひらごときのをとなどもをめして、「さてこのうへはいかがあるべき」とひやうぢやうあり。
十二 さねひら、「まづくにぐにのごけにんのもとへめぐらしぶみのさうらふべきなり」と申ければ、「もつともさるべし」とて、とうくらうもりながをつかひにて、めぐらしぶみをつかはさる。まづさがみのくにのぢゆうにん、はだののうまのじようやすかげをめしけれども、さんぜず。かづさのすけはちらうひろつね、ちばのすけつねたねがもとへ、ゐんぜんのおもむきを、おほせつかはしたりければ、「いきてこのことをうけたまはる、みのさいはひにあらずや。ちゆうをあらわし、なをとどめむこと、このときにあり」。むかしろれん、べんげんしてもつてえんをしりぞけ、はうしよ、たんじしてもつてそを
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そんせりき。もりながすでにしせつをせんじゆつにまつたくして、さんずんのしたをうごかして、深くににんのこころをたぶれければ、つねたねら、ゐせいをきようしゆうにふるひて、はつこくのつはものをくつして、つひにしいのらんををさめけり。それべんしはくにのらうやくなり。ちしやはてうのみやうきやうなりといへり。このことまことなるかなや。しかのみならず、昔のあんえい、ゆうをさいしよにおこし、ていえい、ぎをてうぶにあらわせりき。今のつねたねら、よりとものために、たちまちにきうおんをむくふ。つひにしんこうをたて、ほまれをしはうにあらはし、なをはくたいにふるへり。かやふによろこびぞんじければ、さうなくりやうじやうまうしたりければ、おのおのいそぎはせむかはむとしけれども、わたりあまたあつて、船いかだにわづらひおほかりければ、八月下旬のころをいまでちから及ばず、ちさんす。やまのうちすどうぎやうぶのじようとしみちが孫、すどうたきぐちとしつながこども、たきぐちさぶらう、おなじくしらうを
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めされければ、ややひさしくへんじもせず。もりながを内へだにもいるる事なくして、はるかに程をへだててのちに、盛長にいであひて、おんつかひの返事をばせずして、さんざんのあつこうをぞしける。としむねぎやくじゆんのぶんをしらず。りがいのようをわきまへず。ただきやうだいのかたきをおそれ、たちまちにしんきうのあるじをそむく。口にばうげんをはき、心にじやうしんなし。すこぶるようじのほふにあらず。ひとへにきやうじんのていににたり。四郎申しけるは、「われらが父、ほうげんの乱にろくでうはんぐわんどののおんともを致して合戦し、次にへいぢのいくさにしんみやうをすててふせきたたかひしかば、おやこふたりつひにかたきのためにうたる。しかるうへは、いまひやうゑのすけどののおんともして、命をうしなふべくやはべるらむ」。三郎これをききて、盛長がききをもはばからず、しやていの四郎に申けるは、「わどのは物にくるふな。人
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は、いたりてわびしくなりぬれば、すまじき事をもし、おもひよるまじき事をもおもひよるとは、これていの事をいふなり。そのゆゑは、ひやうゑのすけどののたうじのすんぽふにて、平家にたてあひ奉らむとて、かくのごとくの事をひきいだしたまふことよ。によほふふじの山とたけくらべ、ねこのひたひにつきたる物を、ねずみのねらふににたり。なむあみだぶつなむあみだぶつ」とかうしやうにまうして、おんぺんじにおよばず。さてみうらのすけよしあきがもとへおんふみもちむかひたりければ、をりふしふうきにてふしたりけるが、「兵衛佐殿のつかひあり」とききて、いそぎをきあがりて、えぼしをしいれて、ひたたれうちかけて、盛長にいでむかひて、めぐらしぶみひけんして申けるは、「こさまのかみどののおんすゑは、皆たえはてたまひぬるかとおもひつるに、よしあきがよにそのおんすゑいできたまわむ事、ただいつしんのよろこびなり。しそんみなまゐるべし」とてめしあつめけり。ちやくし
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すぎもとのたらうよしむねは、ちやうぐわんぐわんねんのあきのいくさに、あはのくにながさのじやうをせむとて、だいじのておひて、みうらにかへりて百日にみたざるに、卅九にて死にけり。じなんみうらのべつたうよしずみ、おほたわのさぶらうよしひさ、さはらのじふらうよしつら、まごどもには、わだのこたらうよしもり、おなじく二郎よしもち、同三郎むねざね、たたらのさぶらう、おなじく四郎、さののへいだ、らうどうには、きつご、やとうだ、みうらのとうへい、これらをまへに呼て申けるは、「昔はさんじふさんねんをもつてひとむかしとしけり。今はにじふいちねんをもつてひとむかしとす。廿一年すぎぬれば、淵は瀬となり、瀬は淵になる。平家既ににじふよねんのあひだ、てんがををさむ。今はよの末に成て、あくぎやうひをへてばいぞうす。めつばうのごきたるかとみえたり。そののちはまたげんじのはんじやううたがひなし。おのおの早くいちみどうしんにて、すけどののおんもとにさんずべし。もしみやう
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がおわせずして、うちじにをもし給はば、おのおのまたかうべをひとところにならぶべし。さんぞく、かいぞくをもしたらばこそかきんならめ。すけどの、もしくわほうをはして、よをとり〔たま〕はば、おのれらが中に一人もいきのこりたらむ者、よにあひてはんじやうすべし」と申ければ、おのおのみな「さうにおよばず」とぞ申ける。
十三 さるほどに、北条、佐々木がいちるいをはじめとして、いづさがみりやうごくのぢゆうにんどういよりきするともがら、三百余騎にはすぎざりけり。八月廿三日のゆふべにとひのがうをいでて、はやかはじりといふところにぢんをとる。はやかはたうが申けるは、「これはいくさばにはあしくさうらふべし。ゆもとのかたよりかたき〔山〕をこえてうしろをうちかこみ、なかにとりこめられさうらひなば、一人ものがるべからず」と申ければ、とひのかたへひきしりぞきて、こめかみいしばしと云所にぢんを取て、うへの山の腰にはかいだてをかき、しものだいだうをばきりふさぎて、たて
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ごもる。へいけのかたうど、たうごくのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちか、むさしさがみりやうごくのせいをまねきて、同廿三日のとらうの時に、おそひきたりて、あひしたがふともがらには、おほばのさぶらうかげちか、しやていまたののごらうかげひさ、ながをのしんご、しんろく、やぎしたの五郎、かがはのごらういげのかまくらたう、一人ももれざりけり。このほか、えびなのげんぱちごんのかみひでさだ、しそくをぎののごらう、おなじくひこたらう、えびなのこたらう、かはむらのさぶらう、はらのそうしらう、そがのたらうすけのぶ、しぶやのしやうじしげくに、やまのうちたきぐちさぶらう、おなじくしらう、いなげのさぶらうしげなり、くげのごんのかみなほみつ、しそくくまがえのじらうなほざね、あさまのじらう、ひろせのたらう、をかべのろくやたただずみらをはじめとして、むねとの者三百余騎、いへのこらうどうそうじて三千余騎にて、いしばしのじやうへおしよす。
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みちみち兵衛佐のかたうどの家々、いちいちにやきはらひて、谷をひとつへだて、海をうしろにあててぢんをとる。さるほどにとりのこくにもなりにけり。いなげのさぶらうが云けるは、「けふはひ既にくれぬ。かつせんはあすたるべきか」と。おほばのさぶらうがまうしけるは、「あすならば、ひやうゑのすけどののかたへせいはつきかさなるべし。うしろより又みうらの人々きたるときこゆ。りやうばうをふせかむ事、道せばく、あしだちわろし。ただいますけどのをおひおとして、明日はいつかう三浦の人々としようぶをけつすべし」とて、三千余騎声をととのへてときを作る。兵衛佐のかたよりも時の声をあはせて、かぶらやをいければ、山びここたへて、かたきがたのおほぜいにもおとらずぞきこへける。おほばのさぶらうかげちか、あぶみふみはり、ゆんづゑつき、たちあがりて申けるは、「そもそもきんだいにつぽんごくに光をはなち、肩をならぶる人もなき、平家のみよをかたぶけ奉り、をかし奉らむとけつこう
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するは、たれびとぞや」。ほうでうのしらうときまさあゆませいだしてまうしていはく、「なんぢはしらずや。わが君は、せいわてんわうのだいろくのわうじ、さだずみのしんわうのおんこ、ろくそんわうつねもとよりは七代のこういん、はちまんたらうどのにはおんひこ、ひやうゑのすけどののおはしますなり。かたじけなくだいじやうてんわうのゐんぜんをたまはりて、おんくびにかけ給へり。とうはつかこくのともがら、たれびとかごけにんにあらざるや。馬に乗ながらしさいをまうすでう、はなはだきくわいなり。すみやかにおりて申べし。さておんともには、北条四郎時政をはじめとして、しそくさぶらうむねとき、おなじくしらうよしとき、佐々木がいつたう、とひ、つちやをはじめとして、伊豆相模りやうごくのぢゆうにん、ことごとくまゐりたり」。かげちか又申けるは、「むかしはちまんどののごさんねんのいくさのおんともして、ではのくにかねざはのじやうをせめられし時、十六才にてせんぢんかけて、右目をいさせて、たふのやをいて
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そのかたきを取て、なをこうたいにとどめたりし、かまくらのごんごらうかげまさがばつえふ、おほばのさぶらうかげちかをたいしやうぐんとして、きやうだいしんるいさんぜんよきなり。みかたのせいこそむげにみへ候へ。いかでかてきたいせらるべき」。時政かさねて申けるは、「そもそもかげちかは、かげまさがばつえふとなのりまうすか。さてはしさいはしりたりけり。いかでかさんだいさうでんの君にむかひ奉りて、弓をもひき、やをはなつべき。すみやかにひきてのき候へ」。かげちかまたまうしていはく、「さればしゆうにあらずとは申さず。ただし昔はしゆう、今はかたき。弓矢をとるもとらぬも、おんこそ主よ。たうじは平家のごおん、山よりも高く、海よりも深し。昔をぞんじて、かうにんになるべきにあらず」とぞ申ける。兵衛佐のたまひけるは、「むさしさがみにきこゆるものども、皆あんなり。中にもおほばの三郎とまたののごらうとは、かうみやうのつはものとききおきたり。たれびとにてかくます
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べき」。をかざきのしらうすすみいでて申けるは、「かたき一人にくまぬ者の候か。親のみにて申べきにはさうらわねども、よしざねが子息のしれものくわんじやよしただめこそさうらふらめ」と申ければ、さらばとて、さなだのよいちよしただをめして、「けふのいくさのいちばんつかまつれ」とのたまひければ、よいち「うけたまはりぬ」とて、たちにけり。与一がらうどうさなだのぶんざういへやすをまねきよせて、「さなだへ行て、母にもにようばうにも申せ。『よしただけふのいくさのせんぢんをかくべきよし、ひやうゑのすけどのおほせらるるあひだ、先陣つかまつるべし。いきてふたたびかへるべからず。もし兵衛佐よをうちとりたまはば、二人のこども、すけどのにまゐりて、をかざきとさなだとをつがせて、子共のうしろみして、義忠がごせをとぶらひてたべ』といふべし」と申ければ、「殿を二才の年より今年廿五になりたまふまで、もり奉て、只
今しなむとのたまふ
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をみすてて、帰るべきにあらず。これほどの事をばさぶらうまるしてのたまふべきか」とて、三郎丸をめして、いへやすこのよしをいひふくめてぞつかはしける。よいち十七騎のせいにてあゆませいだして申けるけるは、「みうらのおほすけよしあきがしやてい、みうらのあくしらうよしざねがちやくなん、さなだのよいちよしただ、しやうねんにじふご、源氏のよをとりたまふべきいくさのせんぢんなり。われと思わむともがらはいでてくめ」とて、かけいだしたり。平家のぐんびやう是をききて、「さなだはよきかたきや。いざうれまたの、くみてとらむ」とて、進む者は、ながをのしんご、しんろく、やぎしたの五郎、をぎののごらう、そがの太郎、しぶやのしやうじ、はらの四郎、たきぐち三郎、いなげの三郎、くげのごんのかみ、かさまのさぶらう、ひろせの大郎、をかべのろくやた、くまがえの次郎をはじめとして、むねとのものども七十三騎、われをとらじ
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とをめいてかく。ゆんでは海、めては山、暗さはくらし、雨はゐにいつてふる、道はせばし。心は先にとはやれども、ちからおよばぬみちなれば、むましだいにぞかけたりける。さなだがらうどうぶんざういへやす、あゆませいだして申けるは、「とうはつかこくのとのばら、たれびとか君のごけにんならぬや。あすははづかしからむずるに、やひとつもいぬさきに、かぶとをぬぎてみかたへ参れや」と申ければ、しぶやのしやうじしげくに、「かくまうすはたれびとのことばぞや。家安がまうすにや。あたら詞かな。しゆうにはいわせで、ひとびとしくまたらうどうの」といひければ、家安かさねて申けるは、「人のらうどうは人ならぬか。二人のしゆうにあわず、他人の門へ足ふみいれず。わどのばらこそうつつの人よ。ちちぶのばつえふとて口はきき給へども、いつぱうのたいしやうぐんをもせで、おほばのさぶらうがしりまひしてまどひありくめり。よきひとのきたなきふる
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まひするをぞ人とはいわぬ。やひとすぢ奉らむ」とて、つるのもとじろのくろぬりのじふさんぞくをよくひきていたりければ、かぶとのてさきにたちにけり。そのときかたきもみかたも、いちどうにはとぞわらひける。さるほどに廿三日のたそかれどきにもなりにければ、おほばの三郎、しやていまたのの五郎に申けるは、「またのどの、かまへてさなだにくみ給へ。かげちかもおちあわむずるぞ」。俣野、「余りにくらくて、かたきもみかたもみへわかばこそくみさうらはめ」と云ければ、大庭、「佐奈多はあしげなる馬に乗りたりつるが、かたじろのよろひにすそかなものうちて、白きほろをかけたるぞ。それをしるしにて、かまへてくめ」とぞ申しける。「うけたまはりぬ」とて、俣野すすみいでて申けるは、「そもそも佐奈多の与一がここにありつるが、みへぬは。はやおちにけるやらむ」といへども、佐奈多をともせず。
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かたきをまぢかくあゆませよせ、ありどころをたしかにききをほせて、まがたわらにこたへたり。「さなだのよいちよしただここにあり。かくまうすはたれびとぞ」といふ声につきて、「俣野五郎かげひさなり」といひはつれば、やがておしならべてさしうつぶきてみれば、馬もあしげなる上に、すそかなものきらめきてみへければ、やがてよせあはせてひきくみて、馬よりどうどおちにけり。うへになりしたになり、山のそわをくだりに、だいだうまでさんだんばかりぞころびたる。いまひとかへしも返したらば、海へいりてまし。またのはだいぢからときこへたりけれども、いかがしたりけむ、下になる。うつぶしにさがりがしらにふしたりければ、枕もひきし、あとは高し、をきうをきうとしけれども、佐奈多うへにのりゐたりければ、かなわじとやおもひけむ、「おほばのさぶらうがしやていまたののごらうかげひさ、さなだのよいちにくみたり。つづけ
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やつづけや」と云けれども、家安をはじめとして、らうどうどもみなおしへだてられて、つづく者もなかりければ、俣野がいとこながをのしんごおちあひて、「うへやかたき、したやかたき」ととひければ、与一は敵の声とききなして、「上ぞかげひさ。ながをどのか。あやまちすな」。俣野は下にて、「下ぞかげひさ。長尾殿か。あやまちすな」といふ。「上ぞ」、「下ぞ」といふほどに、かしらはひとところにあり、暗さはくらし、声はひきし、いづれとも聞わかず。「うへぞかげひさ、したさなだ」、「上は佐奈多、下は景尚」とたがひに云。またの、「ふかくの者かな。よろひのかなものをさぐれかし」と云ければ、二人のものどもがよろひのひきあはせをさぐりけるを、さなださぐられて、右の足をもつて、ながをが胸をむずとふむ。しんごふまれてくだりさまに、ゆんだけばかりぞととばしりてたふれにけり。そのあひだに佐奈多かたなをぬきて、
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またのがくびをかくに、きれず。させどもさせどもとをらず。刀をもちあげてくもすきにみれば、さやまきのくりかたかけて、さやながらぬけたり。さやじりをくわへてぬかむとす〔る〕所に、しんごがおととしんろくおちかさなりて、よいちがやなぐひのあわひにひたとのりゐて、かぶとのてへんの穴にてをさしいれて、むずとひきあをのけて、佐奈多がくびをかきければ、水もさわらずきれにけり。やがてまたのをひきをこして、「てやおひたる」ととひければ、「くびこそすこししひておぼゆれ」といふを、さぐればてのぬれければ、かたきが刀をとるに、「みよ」とて右手をみれば、さやじりいつすんばかりくだけたる刀をぞもちたりける。誠につよくさしたりとみへたりけり。そのてをいたみて、またのはいくさもせざりけり。「またのの五郎
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かげひさ、さなだのよいちうちたり」とののしりければ、源氏のかたにはなげきけり、平家の方にはよろこびけり。父のをかざき、ひやうゑのすけに、「よいちくわんじやこそ既にうたれさうらひにけれ」と申ければ、兵衛佐は、「あたらつはものをうたせたるこそくちをしけれ。もし頼朝よにあらば、義忠がけうやうをば頼朝すべし」とて、あわれげに思われたり。岡崎は、「十人のこにこそおくれさうらはめ、君のよに渡らせ給わむ事こそ、ねがはしく候へ」とまうしながら、さすがおんあいの道なれば、よろひの袖をぞぬらしける。ぶんざういへやすは、与一がうたれたる所より、ををひとつへだてて、たたかひけるを、いなげのさぶらう、「しゆうは既にうたれぬ。今はわぎみにげよかし」といひければ、家安まうしけるは、「えうせうよりかけくむ事はならひたれども、にぐる事はいまだしらず。さなだどのうたれたまひぬとききつるより、心こそいよいよ
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たけくおぼゆれ」とて、ぶんどり八人して、うちじにに死にけり。いくさはよもすがらにありけり。あかつきがたになりて、兵衛佐のせい、とひをさしてひきしりぞく。すけもごぢんにひかへて、「あなこころうや。おなじくひくともおもふやひとついておちよや。かへせやかへせや」とのたまひけれども、いつきもかへさず、みなおちぬ。ほりぐちと云所にて、かとうじかげかど、ささきのしらうたかつな、おほたわのさぶらうよしひさ、三騎おちのこりて、十七度までかへしあはせ、さんざんに戦ふ。かたきはすせんありけれども、道もせばくあしだちあしく、一度にもおしよせず。わづかに二三騎づつこそかけたりけれ。このものどもかたき多くうちとりて、やだねつきにければ、おなじく一度にひきしりぞく。さるほどに夜もほのぼのとあけにければ、廿四日のたつのときにうへの山へひかれけるを、をぎののごらうすゑしげ、おなじくしそくひこたらうひでみついげ、兄弟
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五人、兵衛佐のあとめにつきておひかかりて、「このさきにおちたまふはたいしやうぐんとこそみえまうせ。いかに源氏のなをれに、よろひのうしろをばかたきにみせたまふぞ。きたなしや。かへしあはせたまへ」とて、をめいてかく。すけかなわじとや思われけむ、ただ一人かへしあはせて、やひとついられたり。をぎののごらうがゆんでのくさずりに、ぬひさまにぞ立たりける。にのやはくらのまへわにたつ。つぎのやはをぎのが子息ひこたらうが馬の、左のむながひづくしにたちにけり。馬はねてのりたまらず。足をこしてをりたちぬ。伊豆国の住人おほみのへいじ、かへしあはせてすけの前にふさげたり。又むしや一騎はせきたりて、大見が前にひかへて、「むかしものがたりにも、たいしやうぐんのおんたたかひはなき事にて候。只ここをひかせ給へ」と申ければ、「ふせきやいるものなければこそ」とのたまひければ、「相模国の住人、いひだのさぶらうむねよしさうらふ」〔と〕
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まうして、やみすぢいたりけり。そのあひだに兵衛佐はすぎやまへいりたまひにけり。のこりの人々も、みちさがしくて、たやすく山へいるべきやうもなかりければ、たちばかりにてぞ山へはいりにける。伊豆国の住人さはのろくらうむねいへも、ここにてうたれにけり。どうこくのぢゆうにんくどうのすけもちみつは、ふとりおほきなる男にて、山へも登らず、あゆみもやらず、のぶべしともおぼへざりければ、しそくかりののごらうちかみつをまねきよせて、「ひとでにかくな。わがくびうて」と云ければ、ちかみつのくびをきらむ事のかなしさ、父を肩にひきかけて山へ登りけるに、ががたる山なれば、たやすくのぼるべしともおぼへざりければ、とびにものびやらず。かたきはせめちかづきて、既にいけどらるべかりければ、もちみつ腹かひきりて死にけり。茂光が娘に、いづのくにのこくしためつながぐしてまうけたりける、たしろのくわんじやのぶつなこれを
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みて、そぶくどうのすけがくびを切て、しそく狩野五郎にとらせて、山へいりにけり。ほうでうがちやくし、三郎むねときも、いとうのにふだうすけちかほふしにうたれにけり。さてひやうゑのすけは山のみねにのぼりて、ふしきのありけるに、しりうちかけてゐられたりけるに、人々あとをたづねてせうせうきたりたりければ、「おほば、そがなむどは山のあんないしやなれば、さだめて山ふませむずらむ。人おほくては中々あしかりなむ。おのおのこれよりちりぢりになるべし。われもしよにあらば、必ずたづねきたるべし。我も又たづぬべし」とのたまひければ、「われら既ににつぽんごくをかたきにうけて、いづくのかたへまかりさうらふとも、のがるべしともおぼえさうらはず。おなじくはただひとところにてこそは、ぢんくわいにもなりさうらわめ」と申ければ、「よりとも、おもふやうありてこそかくいふに、なほしひておちぬこそあやしけれ。おのおのぞんずるむねのあるか」と、かさねてのたまひければ、このうへはとて、おもひおもひにおちゆきけり。ほうでうのし
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らうときまさ、おなじくしそくよしとき、父子二人はそれよりやまづたひに、かひのくにへぞおもむきける。かとうじかげかどとたしろのくわんじやのぶつなとは、いづみしまのほうでんの内にこもりたりけるが、よほのぼのとあけければ、宝殿をいでておもひおもひにぞ落行ける。かげかどはあにかとうだみつかずにゆきあひて、かひのくにへぞおちにける。残るともがらは、いづ、するが、むさし、さがみの山林へぞにげこもりける。ひやうゑのすけにつきて山に有ける人とては、とひのじらう、おなじく子息やたらう、をひのしんかいのあらじらう、つちやのさぶらう、をかざきのしらう、いじやう五人、げらふには土肥二郎がこどねりをとこしちらうまる、ひやうゑのすけぐしたてまつりて、じやうげ只七騎ぞ有ける。とひが申けるは、「てんきねんぢゆうにこいよのにふだうどの、さだたふをせめたまひし時、わづかに七騎におちなりて、いつたんは山にこもり
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たまひしかども、つひにそのごほんいをとげたまひにけり。けふのおんありさま、すこしもかれにたがわず。もつともきちれいとすべし」とぞまうしける。G21
十四 三浦の人々は、さがみがはのはた、はまのみやの前にぢんをとりて、おのおのまうしけるは、「いしばしのいくさはこのゆふべまではなかりけり。今はひもくれぬ。けうてんののちよりよすべし」とて、ゆらへて有けるほどに、兵衛佐のかたにおほぬまのしらうといふものあり、かたきの中をまぎれいでたりけるが、三浦の人々の陣の前のかはばたにきたりてよばはりけるを、「たそ」ととひければ、「大沼の四郎也。石橋のいくさ既にはじまり、さんざんのことどもあり。そのしだいまゐりてまうさむとすれば、馬にははなれぬ、夜はふけたり、河のふちせもみへわかず。馬をたべ。まゐりて申さむ」と云ければ、いそぎ馬をぞ渡しける。大沼が参て申けるは、「とりのときにいくさはじまりて、只今までひいづる
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程の合戦す。さなだのよいち既にうたれぬ。兵衛佐もうたれ給たるとこそまうしあひてさうらひつれ。まことにのがれ給べきやうもなかりつる上に、てをくだしてたたかひたまひつれば、いちぢやううたれたまひつらむ」とぞ申ける。人々是を聞て、「兵衛佐殿もうたれたまひにけり。たいしやうぐんのたしかにましますときかばこそ、百騎が一騎にならむまでも戦はめ。前にはおほばのさぶらう、いとうのにふだう、うんかのせいにてまちかけたり。うしろにははたけやまのじらう、むさしのたうのものどもひきぐして、五百余騎にてかなえがはのはたに陣を取てあんなり。なかにとりこめられなば一人ものがるまじ。たとひいつぱうをうちやぶりて通りたりとも、てうてきとなりぬる上は、ついにあんをんなるべからず。しかじ、ひとでにかからむよりは、おのおのじがいをすべし」といひければ、よしずみが申けるは、「しばし、とのばらの自害あまりに
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とよ。かやうの時はひがことそらごとも多し。兵衛佐殿もいちぢやううたれてもやをわすらむ、又のがれてもやをわすらむ、そのかばねをみまうさず。とひ、をかざきはいづのくにの人也。まづこのひとびとうたれてのちこそ、たいしやうぐんはうたれ給わむずれ。うみべ近ければ、ふねにのりたまひて、あはかづさのかたへもやこころざしたまひぬらむ。又いしばしはみやまはるかにつづきたれば、それにもこもりてやおわすらむ。いかさまにも兵衛佐殿のおんかうべをもみざらむほどは、自害をせむ事あしかりなむ。さりとも兵衛佐殿くわうりやうにうたれたまわじ者を。たとひしにたまふとも、かたきに物をば思わせ給わむずらむ。いかさまにもおほばにもはたけやまにも、いつぱうにむかひてこそ、うちじに、いじにをもせめ。はたけやまがせい五百余騎とこのせい三百余騎と、おしむかひたらむに、などかはしばしはささへ
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ざるべき。ここをばかけやぶり、みうらにひきこもりたらむに、につぽんごくのせい一度によせたりとも、ひいづるほどのたたかひしてやだねつきば、そのときこそよしずみはじがいをもせむずれ」とて、やがてかぶとのをしめて、やはんばかりにこいそがはらをうちすぎて、なみうちぎはをくだりに、かなえがはのしりへむけてぞあゆませける。わだのこたらうよしもりがしやてい、二郎よしもちは、かうみやうのあらつはもののだいぢからにて、おほやのせいびやうなるが、まうしけるは、「このみちはいつのならひの道ぞや。上のだいだうをばなどうちたまわぬぞ。ただだいだうをうちすぎさまに、はたけやまがぢんをかけやぶりて、つよきむまどもせうせううばひとりてゆかばや」と云ければ、兄のよしもり、「なんでふそぞろごとのたまふとのばらかな」といひければ、よしずみいひけるは、「畠山このほど馬かひたてて休みゐたり。つよきむまとらむとて、かへりてよわきむまばしとられ、馬の足をとは、なみに
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に[* 「に」一つ衍字]まぎれてきこゆまじ。くつばみをならべてとをれ、わかたう」と云ければ、あるいはうつぶきてみづつきをにぎり、あるいはくつわをゆいからげなむどしてぞ、とほりける。あんのごとく畠山二郎ききつけて、めのとのはんざはの六郎なりきよをよびていひけれるは、「只今三浦の人々の通るとおぼゆるぞ。しげただこのひとびとにいしゆなしといへども、かれらはいつかうすけどののかたうどなり。重忠は、ちちしやうじ平家にほうこうして、たうじざいきやうしたり。これをひとやいずして通したらば、おほば、いとうなむどにざんげんせられて、いちぢやう平家のかんだうかうぶりぬとおぼゆるなり。いざおひかかりてひとやいむ」といひければ、なりきよ「もつともしかるべし」とて、馬のはらおびつよくしめておひかくる。三浦の人々はかくともしらで、さがみがはをうちわたり、こしごえ、いなむら、ゆゐのはまなむどうちすぎて、こづぼざかをうちあがれば、夜もやうやく
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あけにけり。こたらうよしもりがいひけるは、「これまではべつじなくきたり。今はなにごとかはあるべき。たとひてきにんおひきたるとも、あしだちあしきところなれば、などかひとささへせざるべき。馬をも休め、わりごなむどをもおこなひ給へかし、とのばら」とて、おのおの馬よりおりゐて、うしろの方を見返りたれば、いなむらがさきにむしや卅騎ばかりうちいでたり。こたらうこれをみて、「ここにきたるむしやはかたきか、またこのぐそくのさがりたるか」といひければ、みうらのとうへいさねみつ、「このぐそくにはさるべき人もさうらわず。じらうどのばかりこそ、鎌倉をのぼりにうたせたまひつれ。あれよりきたりまうすべき者をぼへず」と申ければ、小太郎、「さてはかたきにこそあんなれ」とて、をぢのべつたうただずみにむかひていひけるは、「はたけやますでにおひかかりきたる。殿ははやあづまぢにかかりて、あぶずりくつきやうのこじやうなれば、
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かひだてかかせてまちたまへ。義盛はこれにてひとささへして、もしかなはずは、あぶずりにひきかけて、もろともにたたかふべし」。義澄は、「もつともさるべし」とて、あぶずりへ行けるに、はたけやまのじらう四百余騎にて、あかはたてんをかかやかして、ゆゐのはま、いなせがはのはたにぢんをとる。畠山、らうどう一人めして、「わだのこたらうのもとへ行て、『しげただこそきたりてさうらへ。おのおのにいしゆをおもひ奉るべきにあらねども、ちちしやうじ、をぢをやまだのべつたう、平家のめしによつて、をりふしろくはらにしこうす。重忠が陣の前をぶいんに通し奉りなば、平家のかんだうかうぶらむ事うたがひなし。よつてこれまで参たり。これへやいでさせ給べき。それへや参べき』とまうせ」とてつかはしけり。つかひゆきてこのよしを云ければ、郎等さねみつをよびて、かのつかひにあひぐしてへんたふしけるは、「おんつかひのまうしじやうくはしくうけたまはりさうらふ。おほせもつともそのいはれあり。
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ただししやうじどのとまうすはおほすけのまごむこぞかし。さればぞうそぶにむかひて、いかでかゆみやをとりてむかはるべき。もつともしゆいあるべし」といわせたりければ、重忠かさねていわせけるは、「もとより申つるやうに、すけどののおんことといひ、おのおのの事とまうし、まつたくいしゆをおもひ奉らず。ただちちとをぢとの首をつがむが為に、是まできたるばかりなり。さらばおのおの三浦へかへり給へ。重忠も帰らむ」とて、わよして帰る処に、かやうにもんだふわへいするをもいまだききさだめざるさきに、よしもりがげにん一人、しやていよしもちがもとへはせきたりて、「ゆゐのはまに既にいくさはじまりさうらふ」といひければ、義茂是を聞て、「穴心うや。たらうどのはいかに」と云て、かぶとのををしめて、いぬかけざかをはせこえて、ながへが下にて浜をみおろしたれば、なにとはしらず、ひたかぶと四百騎ばかりうつたちたり。よしもち只八騎にて
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をめいてかく。はたけやまこれをみて、「あれはいかに。わへいのよしはそらごとにて有けり。からめでをまたむとていひけるものを。やすからぬ事かな」とて、やがてかけむとす。さるほどに兄の義盛、こつぼざかにて是をみて、「ここにくだりさまに七八騎ばかりにてはするは二郎よな。和平のしさいもききひらかず、さうなくかくるとおぼゆるなり。せいもすくなし、あしくしてうたれなむず。遠ければ、よぶともきこゆまじ。いざさらば只かけむ」とてかけいだしけり。こたらうよしもり、らうどうさねみつに云けるは、「たてつくいくさはたびたびしたれども、はせくむいくさはこれこそはじめなれ。いかやうにあふべきぞ」と云ければ、さねみつまうしけるは、「今年五十八にまかりなりさうらふ。いくさにあふこと十九度。まことにいくさのせんだつ真光にあるべしとて、いくさにあふは、かたきもゆんで、われもゆんでにあは
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むとするなり。うちとけゆみをひくべからず。あきまを心にかけて、ふりあはせふりあはせして、うちかぶとををしみ、あだやをいじとやをはげながら、やをたばいたまふべし。やひとつはなちては、つぎのやをいそぎうちくわせて、かたきのうちかぶとをおんこころにかけ給へ。むかしやうには馬をいることはせざりけれども、なかごろよりは、まづしや馬のふとばらをいつれば、はねをとされてかちだちになり候。きんだいは、やうもなくおしならべてくみて、中におちぬれば、たち、こしがたなにてしようぶはさうらふなり」とぞ申ける。さるほどに、あぶずりにひきあげて、かいだてかひてまちつるみうらのべつたうよしずみ、すでにかつせんはじまるとみて、こつぼざかををくればせにしておしよす。道せばくて、わづかに二三騎づつをつすがいにはせきたりければ、はるかにつづきてぞみへける。はたけやまのせいこれをみて、「みうらのせいばかりに
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てはあらず。かづさ、しもつふさのひとどももいちみになりにけり。おほぜいにとりこめられてはかなふまじ」とて、をろをろたたかひてひきりしりぞく。三浦の人々いよいよかつにのりて、おひさまにさんざんにいければ、はまのごりやうのおんまへにて、わだのじらうよしもちとさがみのくにのぢゆうにん、つづくのたらうと組ておちぬ。つづくはだいのをとこの人にすぐれてたけ高くほねぶとなり。わだはせいは少しちひさかりけれども、きこゆるこずまふにて、かたきをおほわたしにかけて、えいごゑをいだして、なみうちぎはにまくらをせさせて、うちふせて、むないたの上をふまへて、こしがたなをぬきてくびをかく。これをみて、つづくが郎等おちあひたりけれども、わだたちをぬきて、うちかぶとへうちいれたりければ、ただひとうちにくびをうちおとす。ふたつのくびを前にならべて、石にしりうちかけて、波に足うちすすがせて、息つぎゐたるところに、つづくがしそく、つづくのじらうはせきたりて、わ
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だのじらうをいる。わだの二郎いむけの袖をふりあはせて、しころをかたぶけていひけるは、「父のかたきをばてどりにこそとれ。わぎみがゆんぜいにて、しかもとほやにいるには、よしもちがよろひとをらじ物を。人々にうたれぬさきにおちあへかし。をそろしきか、近くよらぬは。義茂はいくさにしつかれたれば、てむかひはすまじ。くびをばのべてきらせむずるぞ」とはげまされて、つづくのじらうたちをぬきておちあひたり。わだの二郎はかぶとのはちをからとうたせて、立あがりて、いだきふせて、みしとをさへて、こしがたなをぬきて首をきる。みつの首をくらのさうのとつつけにつけて、つづくが首をば片手に持て、かへりきたる。「そのひのかうみやう、わだの二郎にきはまりたり」と、かたきもみかたもののしりけり。はたけやまがかたには、律戸四郎、かはのじらうたいふ、あきをかのしらうらをはじめとして、さんじふよにん
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うたれにけり。ておひは数をしらず。みうらがかたには、たたらの太郎、おなじく二郎と、らうどう二人ぞうたれにける。そのときはたけやま、わがかたのぐんびやううたれて、ひきしりぞくけしきをみて、いひけるは、「ゆみやとるみち、ここにてかへしあはせずは、おのおの長く弓矢をばこつぼざかにてきりすつべし」とて、かたてやをはげて、あゆませいだして申けるは、「おとにもきき、めにもみ給へ。むさしのくにのちちぶのよりう、はたけやまのしやうじしげよしがじなん、しやうじじらうしげただ、わらはなうぢわうまる、しやうねん十七才。いくさにあふことけふぞはじめ。われと思わむ人々はいで給へ」とてかけいでたり。はんざはの六郎はせきたりて、馬のくつばみにとりつきて申けるは、「いのちをすつるもやうにこそより候へ。させるしゆくせのかたき、親の敵にもあらず。かやうのくじにつけたる事に、命をすつる事候わず。もしごいしゆあらば、のちのいくさにて
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あるべし」とてとりとどめければ、ちからおよばず。さがみのほんまのしゆくにひきしりぞく。かのしゆくに兵衛佐のかたうどおほくきよぢゆうしたりければ、そのいへいへにひをかけて、やましたむらまでやきはらふ。三浦の人々は、このいくさのしだいをくはしくおほすけよしあきにかたりければ、「おのおのがふるまひもつともしんべうなり。なかんづくよしもちがかうみやう、さうにおよばず」とて、たちひとふりとりいだして、まごよしもちにとらす。G22
十五 「かたき只今にきたりなむず。いそぎきぬがさのじやうにこもるべし」と云ければ、よしもり申けるは、「きぬがさはくちあまたありて、ぶせいにてはかなひがたかるべし。ぬたのじやうこそ、まはりは皆いしやまにて、いつぱうは海なれば、よきもの百人ばかりだにもさうらはば、いちにまんぎよせたりとも、くるしかるまじき所なれ」と申ければ、おほすけいひけるは、「さかしきくわんじやのいひごとかな。今はにつぽんごくをかたきにてうちじにせむと思わむ
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わむ[* 「わむ」衍字]ずるに、おなじくはめいしよのじやうにてこそしにたけれ。せんぞのきこゆるたちにてうちじにしてけりとこそ、平家にもきかれまうしたけれ」と云ければ、もつともしかるべしとて、きぬがさのじやうにこもりにけり。かづさのすけひろつねがしやてい、かねだのたいふよりつねは、よしあきがむこなりければ、七十余騎にてはせきたりて、おなじきじやうにぞこもりける。このせいあひぐしして、四百余騎におよびければ、じやうちゆうにもくわぶんしたり。おほすけいひけるは、「わかたうよりはじめて、むまやのくわんじやばらにいたるまで、つよゆみのともがらはやぶすまをつくりてさんざんにいるべし。又うつてにかしこからむものどもは、てんでになぎなたを持てふかたにおひはめてうつべし。じやうのにしうらのてをばよしずみふせくべし」とぞげぢしける。かくいふほどに、廿六日たつのこくに、むさしのくにのぢゆうにん、えどのたらう、かはごえのたらう、たうのものには、かねこ、むらやま、またの、〔の〕いよ、やまぐち、こだまたう
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をはじめとして、およそのせい二千余騎にておしよせたり。まづつづくのごらう、父と兄とをこつぼにてうたれたる事を、安からず思けるゆゑに、まさきかけていできたる。したくのごとく、じやうちゆうよりやさきをそろへてこれをいる。いつぱうはいしやま、にはうはふかたなれば、よせむしやうたれにけり。又うちものくわんじやばら、鼻をならべていでむかひてたたかひければ、おもてをむくる者なかりけり。かかりければつづくがたう少しひきしりぞきけるを、かねこのものどもいれかへて、かねこのじふらう、おなじくよいち、きどぐちへせめよせたり。城中よりれいのやさきをそろへていけれども、かねこすこしもしりぞかず。廿一までたちたるやをば、をりかけをりかけしてたたかひけり。そのときじやうちゆうより是を感じて、しゆかうをいちぐ、いへただがもとへおくりていひけるは、「とのばらのいくさのやう、誠におもしろくみへたり。このさけめして、ちから
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つけて、てのきはいくさし給へ」といひおくりければ、金子へんじに申けるは、「さうけたまはりさうらひぬ。よくよくのみて、じやうをば只今におひおとしまうすべし」とて、やがてかぶとの上にもえぎのいとをどしのはらまきをうちかけて、すこしもしひずせめよせければ、おほすけこれをみて、わかものどもにげぢしけるは、「あわれ、いふかひなきものどもかな。あれを、二三十騎馬の鼻をならべてかけいだして、むさしのくにの者の案内もしらぬを、ふかたにおひはめて、わらへかし」とののしりけれども、「いくほどなきせいにてうちいでむことも、中々あしかりなむ」とていでざりければ、おほすけらうらうとして、しかもしよらうのをりふしなりけるが、しろきひたたれになへえぼしをしいれて、馬にかきのせられて、ざつしき二人を馬のさうにつけて、ひざををさへさせて、たちばかりをはきて、かたきの中へうちいでむとしければ、いとこのさののへいだはせ
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きたりて、「すけどのには物のつきたまひたるか。うちいでたまひてはなにのせんかはあるべき」とてひきとどめければ、おほすけ、「おのれらにこそ物のつきたるとはみれ。いくさといふは、あるときはかけいだしてかたきをもおひちらし、あるときはかたきにもをわれてひきしりぞきなむどするこそ、めをもさましておもしろけれ。いつといふこともなく、さうしかまとなむどいるやうにいくさする事、みもならわず」といふままに、むちをあげてさののへいだをぞ打たりける。さるほどにひもくれぬ。いくさおのおのしつかれて、おほすけ、ことのほかに心よわげにみへければ、こまごどもをよびて云けるは、「今はじやうちゆうもつてのほかによわげにみゆ。さればとておのおのさうなくじがいすべからず。兵衛佐殿はくわうりやうにうたれたまふまじき人ぞ。すけどののししやうをききさだめむ程は、かひなきいのちをいきて、しじゆうをみはて奉るべし。いかにもあは、かづさの方へぞ
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おちたまひぬらむ。こよひここをひきて、船にのりてすけどののゆくへをたづねたてまつるべし。よしあきことしすでに七十九才[B 「八十四才」と傍書]にせまれり。そのうへしよらうのみなり。『よしあきいくほどの命ををしみて、じやうのうちをばおちけるぞ』と、ごにちにいわれむ事もくちをしければ、われをばすてておちよ。全くうらみあるべからず。いそぎすけどのにおちくははりたてまつりて、ほんいをとぐべし」といひけれども、さればとてすておくべきにあらねば、こまご、たごしにおほすけをかきのせておちむとすれば、大介おほきにしかりて、こしにものらず。されどもとかくこしらへ、をしのせて、じやうのうちをばおちにけり。むねとのものどもは、くりはまのみさきに有けるふねどもにはいのりはいのり、あはの方へぞおもむきける。おほすけがこしはざつしきどものかきたりけるが、かたき近くせめかかりければ、こしをもすててにげにけり。近くつきつかへける女一人ぞつきたりける。
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かたきがくわんじやばらおひかかりて、おほすけがいしやうをはぎければ、「われはみうらのおほすけといふものなり。かくなせそ」と云けれども、かなはず。直垂もはがれにけり。さるほどに夜もあけにければ、おほすけ、「あわれ、我はよくいひつるものを。じやうちゆうにてこそしなむとおもひつるに、若き者のいふにつきて、いぬじにしてむずる事こそくちをしけれ。さらばおなじくははたけやまがてにかかりてしなばや」と云けれども、えどのたらうはせきたりて、おほすけがくびをばうちてけり。「いかにもをとなのいふことはやうあるべし。もとより大介がいひつるやうに、城中にすてをきたらば、かほどの恥にはおよばざらばし」とぞひとまうしける。ひやうゑのすけは、とひのかぢやがいるといふやまにこもりておわしけるが、みねにてみやりければ、いとうのにふだう、とひにおしよせて、さねひらが家をついふくし、やきはらひけり。さねひら、山のみねよりはるかに
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みおろして、「とひにみつの光あり。第一の光は、はちまんだいぼさつの君をまもりたてまつりたまふおんひかりなり。次の光は、きみごはんじやうあつて、いつてんしかいをかかやかしたまわむずるおんひかりなり。次のちひさきひかりは、さねひらが君のごおんによつてはうくわうせむずる光なり」とて、まひかなでければ、ひとみなわらひけり。
十六 さるほどに、さねひらがめなりける人のもとより、ししやをつかはして云けるは、「三浦の人々は、こつぼざかのいくさには勝て、畠山の人々多くうたれたりけるが、きぬがさのじやうのいくさにうちおとされて、君をたづね奉りて、あはのくにのかたへおもむきにけり。いそぎかのひとびとにおちくははり給べし」と申たりければ、さねひらこのよしを聞て、「さてはうれしき事ごさむなれ」とて、「あひかまへてこよひのうちにあまぶねにめして、安房国へつかせたまひて、かさねてひろつね、たねつねらをもめして、今一度ご
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みやうがのほどをもごらんさうらへ」と申ければ、もつともしかるべしとて、こうらといふところへいでたまひて、あまぶねいつそうにのりて、安房国へぞおもむき給ける。ひやうゑのすけいげの人々、七人ながら皆おほわらはにて、えぼしきたる人もなかりけり。そのうらにじらうたいふといふもののありけるに、「えぼしやある。まゐらせよ」とのたまひければ、二郎大夫さるこらうの者なりければ、かひがひしくえぼしとをかしらまゐらせたりければ、兵衛佐よろこびたまひて、「このけんじやうにはくににてもしやうにても、なんぢがこふによるべし」とぞのたまひける。二郎大夫しゆくしよにかへりて、さいしにむかひてまうしけるは、「えぼしひとつをだにももたぬおちうとにてにげまどふひとの、くわうりやうにもあづかりたりつるくにしやうかな」とまうしてわらひけり。さねひら、「このおんふねとくいだせ」と云ければ、しそくとほひら、「しばらくあひまつことさうらふ」と云ければ、真平、「なに
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ごとをあひまつべきぞや。おのれがしうとのいとうのにふだうをまちえて、君をもわれをもうたせむとするな。をかざきどの、そのやたらうめがくびうちおとしてたべ」と云ければ、岡崎、「さるにてもしゆうと父との事を、しうとの事に思ひかへじな、やたらう」とぞ云ける。やがて船さしいだしたりければ、あんのごとくに、いとうのにふだうさんじふよき、ひたかぶとにて、かたてやはげておひきたる。おひさまにもすひやくきにてせめきたる。「かしこくぞとくおんふねをいだして」とぞ人々いひあひける。
十七 さてほうでうのしらうときまさはかひのくにへおもむき、いちでう、たけた、をがさはら、やすだ、いたがき、そねのぜんじ、なこのくらんど、このひとびとにつげけるをば、ひやうゑのすけはしりたまはで、「このことをかひの人々にしらせばや」とて、「むねとほゆけ」とて、おんふみかきてつかはし
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けり。夜にいりてあしがらやまをこえけるに、せきやの前にひたかくたきたり。人あまたふしたり。つちやのさぶらうあゆみよりて、あしおとたかくし、しわぶきしてののしりけれども、「たそ」ともいわず。つちやの三郎おもひけるは、「ね入たるよしをして、ここをとをして、先に人ををきて、なかにとりこめむとするやらむ」。さればとてかへるべきにもあらずして、はしりとほりければ、誠にね入たりける時にをともせず。さてひとひとりゆきあひたり。あれもをそれてものもいわず、これもをぢておともせず。なかいつたんばかりをへだてて、たがひににらまへて、時をうつすほど立たりけり。つちやの三郎はさるふるつはものにてありければ、声をかへてとひけり。「只今このやまをこえたまふはいかなる人ぞ」といひければ、「かくのたまふは又いかなる人ぞ」。「わどのはたそ」。「わどのはたそ」ととふ程に、たがひに知たる声にききなしつ。「つちやどののましましさうらふか」。「むね
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とほぞかし。こじらうどのか」。「よしはるざうらふ」。土屋はもとよりこなかりければ、兄をかざきのしらうがこを取て、をひながらやうじにして、平家につかへてざいきやうしたりけるが、このことを聞て、よるひるくだりけるが、しかるべきことにや、親にゆきあひにけり。夜中の事なれば、たがひに顔はみず。声ばかりを聞て、てにてを取組て、いひやるかたもなし。只「いかにいかに」とぞいひける。山中へいりて、このもとにゐて、つちやこじらうがまうしけるは、「きやうにてこのことをうけたまはりて、くだりさうらひつるが、けふいつかは馬のりたてて、かちにてくだりさうらふ、げにん一人もおひつかず。このひるきせがはのしゆくにてうけたまはりさうらひつれば、『いしばしのいくさにひやうゑのすけどのもうたれ給ひぬ。土屋、岡崎もうたれたり』とまうしさうらひつれば、『なましひに京をばまかりいでさうらひぬ。波にもいそにもつかぬここちしてさうらひつる
が、さるにても土屋のかたへまかり
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て、いちぢやうをうけたまはりさだめむ』とてくだりさうらひつるが、せきやのほどがおもひやられて、あしうらしてさうらひつるなり」とかたりければ、つちやの三郎おもひけるは、「ゆみやとるもののにくさは、親をうちてはこはよにあり、こを殺しては親よにあるならひなれば、しかもまことの親にてもなし。あれは只今まで平家につかへたり、これは源氏をたのみてあり。くびを取て平家のげんざんにもやいらむとおもふらむ」とおもひければ、ありのままにもいはざりけり。「うたれたる人とては、わどのが兄よいちどの、北条三郎、さはの六郎。くどうのすけはじがいしつ。ひやうゑのすけどのはかひへときくときに、たづねたてまつりておもむくなり。いざさらば、わどのも」とて、かひぐしてつれてゆく。かひのくにへおもむきて、いちでうのじらうがもとにてぞ、ありのままにはかたりける。
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十八 三浦の人々は、しゆうにはわかれぬ、親にはおくれぬ、あまの船流したるここちして、あはのくにのきたのかた、りようがいそにぞつきにける。しばらくやすらふほどに、はるかのをきに、くもゐにきへて、船こそいつそうみへたりけれ。このひとびとまうしけるは、「あれにみゆる船こそあやしけれ。これほどのおほかぜに、あまぶね、つりぶね、あきないぶねなむどにてあらじ。あわれ、ひやうゑのすけどののおんふねにてや有らむ。又かたきの船にてや有らむ」とて、ゆんづるしめして、ようじんしてありけるに、船は次第に近くなる。誠の兵衛佐の御船なりければ、かさじるしをみつけて、三浦の船よりもかさじるしをぞあはせける。なほようじんして、兵衛佐殿はうちいたの下にかくし奉りて、それが上にとのばらなみゐたり。三浦の人々はいつしか心もとなくて、船をぞおしあはせける。船おしあはせて、わだのこたらうまうしけるは、「いかに、すけどのは渡らせたまふ
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か」。をかざきまうしけるは、「われらもしりまゐらせぬ時に、たづねたてまつりてありくなり」とて、きのふ、をととひのいくさの物語をぞはじめける。三浦は「おほすけがいひし事は」とて、語りてなく。岡崎は「よいちがうたれし事は」とて、かたりてなく。兵衛佐はうちいたの下にてこれをききたまひて、「あはれ、よにありて、これらに恩をせばや」とぞ、さまざまにおもはれける。いたくひさしく隠れて、是等にうらみられじとて、「よりともはここにあるは」とて、うちいたの下よりいでたまひたりければ、三浦の人々これをみ奉りて、おのおのよろこびなきどもしあひけり。わだのこたらうがまうしけるは、「父もしね、子孫もしなばしね、只今君をみ奉りつれば、それにすぎたるよろこびなし。今はほんいをとげむ事、うたがひあるべからず。君、今は只さぶらひどもに国々をわかちたまふべし。よしもりにはさぶらひのべつたうをたまはるべし。かづ
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さのかみただきよが、平家より八ケ国のさぶらひの別当をたまはりて、もてなされしが、うらやましくさうらひしに」と申ければ、兵衛佐は、「ところあて余りに早しとよ」とて、わらひたまひけり。そのよは兵衛佐、あはのくに安戸だいみやうじんにさんけいして、せんべんのらいはいをたてまつりて。
みなもとはおなじながれぞいはしみづせきあげ給へ雲のうへまで K106
其夜ごほうでんよりけだかきみこゑにて。
ちひろまで深くたのみていはしみづ只せきあげよ雲の上まで K107
兵衛佐は、使者をかづさのすけ、ちばのすけがもとへつかはして、「おのおのいそぎきたるべし。既にこれほどのだいじをひきいだしつ。このうへは、頼朝をよにあらせむ、よにあらせじは、りやうにんがこころなり。ひろつねをば父とたのむ、たねつねをば母と
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おもふべし」とぞのたまひける。りやうにんともにもとよりりやうじやうしたりしかば、たねつね三千余騎のぐんびやうをそつして、ゆふきのうらにさんくわいして、すなはち兵衛佐殿をあひぐしたてまつりて、しもつふさのこくふにいれ奉りて、もてなし奉りて、たねつねまうしけるは、「このかはのはたにおほまくひやくでふばかりひきちらし、しらはたろくしちじふながれ、うちたてうちたてをかれさうらふべし。これをみむともがら、えど、かさいのともがら、皆さんじやうしさうらわむずらむ」と申ければ、「もつともさるべし」とて、そのぢやうにせられたりけるほどに、あんのごとく、是をみるともがら、皆ことごとくさんじやうす。さるほどに、ほどなく六千余騎になりにけり。
十九 かづさのすけひろつねはこのしだいを聞て、われちさんしぬとおもひて、たうごくの内、いほう、いなん、ちやうなん、ちやうほく、准西、准東、あはぎ、ほりぐち、むさ、やまの
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べのものども、平家のかたうどしてつよるともがらをば、おしよせおしよせ、これをうち、したがふともがらをば、是をあひぐして、一万余騎にてかづさのこくふへさんくわいして、このしさいを申ければ、兵衛佐ききたまひて、さねひらをつかひにてのたまひけるは、「今までちさんのでう、ぞんぐわいなれども、さたの次第もつともしんべうなり。すみやかにごぢんに候べき」よしを、いわせらる。このせいをあひぐして、一万六千余騎になりにけり。ひろつねやかたにかへりて、いへのこらうどうにむかひて申けるは、「この兵衛佐はいちぢやうのたいしやうぐんなり。弘経これほどのたせいをそつしてむかひたらむには、よろこびかんじていそぎいであひて、耳と口とさしあはせて、ささやきごと、ついしようごとなむどをこそ、のたまわむずらむとおもひつるに、さねひらをもつてのたまひたりつる、ひとつにはをほけなく、ひとつにはたいくわいな心也。たれびとにもよもくわうりやうにはか
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られ給わじ。いちぢやうほんいはとげたまわむずらむ。昔まさかどが、八ケ国をうちふさぎて、やがてわうじやうへせめいらむとしけるに、平家の先祖さだもりのあつそん、ちよくせんをうけたまはりてげかうしたりける時、たはらとうだひでさとといふつはもの、たせいにて将門がもとへ行たりけるに、将門余りによろこびて、けづりける髪をもとりあげずして、びやくえなるおほわらはにて、さぬきわらふだをふたつてにもちていでて、ひとつはたはらとうだにしかせ、ひとつはおのれしきてしきて[* 「しきて」衍字]、しゆじゆのきやうおうのことどもをいひければ、ひでさとさるけんしやにて、『このひとのてい、かろきさうなり。わがみをへいしんわうとしようする程の人の、てづからしきものをもつていで、民にしかせつるでう、さかさまなり。につぽんごくのたいしやうぐんとえならじ』とて、やがてするぼひのきにけり。それまでこそなくとも、せめてはおんまへへ近くめさるべかりつる者を」とぞいひける。さて兵
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衛佐は、むさしのくにとしもつふさのくにとのさかひに、すみだがはと云かはのはたにぢんをとる。むさしのくにのぢゆうにんえどのたらう、かさいのさぶらうらがいちるい、かずをふるひてさんじやうす。兵衛佐は、「かれらはきぬがさのじやうにてわれをいたりし者にはあらずや。おほば、はたけやまにどういして、きようしんをさしはさみてまゐりたるか」といわせられたりければ、かのともがらさいさんちんじまうすによりて、いかにもなしたけれども、たうじのせいのほしければ、たいしやうぐんがもののぐばかりをめされて、「ごぢんに候へ」とて、めしぐせらる。又兵衛佐のたまひけるは、「平家のちやくそんこまつのせうしやうこれもりをたいしやうぐんとして、五万余騎にて、かづさのかみただきよをせんぢんにて、さいとうべつたうさねもりをとうごくのあんないしやとして、くだるべきよしふうぶんす。おなじくはかひしなのりやうごく、かたきのかたにならぬさきに、このかはをわたり、あしがらやまをうしろにあて、ふじがは
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を前にあてて、陣をとらむとおもふなり」とありければ、「このぎもつともしかるべし」とぞ、おのおのどうじまうしける。「さらばえどのたらうこのほどのあんないしやなり。うきはしわたしてまゐらすべし」とのたまひければ、江戸は「兵衛佐のごきしよくにいらむ」とおもひければ、ほどなくうきはしをわたしてまゐらせたり。このはしをうちわたして、むさしのくにとしまのかみ、たきのがはのいたばしといふところに陣をとる。そのせい既にじふまんぎに及べり。はつかこくのだいみやう、せうみやう、べつたう、ごんのかみ、しやうじ、たいふなむどいふやうなるいつたうのものども、われをとらじと、あるいは二三十騎、あるいは四五十騎、百騎、めんめんにしらはたをさしてぞはせあつまりける。兵衛佐はまづたうごくろくしよのだいみやうじんにまうでたまひて、うはやをぬいてたてまつらる。
二十 そのとき畠山の二郎、めのとのはんざはのろくらうなりきよをよびていひけるは、
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「たうじのせけんのありさま、いかやうなるべしともおぼへず。ちちしやうじ、をぢをやまだのべつたう、ろくはらにしこうの上は、よそにおもふべきにあらねば、みうらのひとびととひといくさしてき。かつうはぢやうのしさい、みうらの人々にいひおきぬ。今ひやうゑのすけどののはうくわう、はんじやう、ただことともおぼへず。ひらにすいさんせばやとおもふはいかに」といひければ、なりきよまうしけるは、「そのことにさうらふ。このむねを只今まうしあはせ奉らむとぞんじつる也。弓矢をとるならひ、ふしりやうばうにわかるる事はつねのことなり。かつうは又平家は今のしゆう、すけどのはしだいさうでんのきみなり。とかくのぎにおよぶまじ。とくとくごすいさんあるべし。ちちせば、いちぢやうついたうしつかはされぬ」とまうしければ、五百余騎にて、しらはた、しろきゆぶくろをさしてまゐりて、げんざんにいるべきよしをぞ申ける。兵衛佐のたまひけるは、「なんぢが父しげよし、
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をぢありしげ、たうじへいけにつかふ。なかんづく、こつぼにて我をいたりし上、頼朝が旗にただおなじやうなる旗をささせたり。さだめてぞんずるむねのあるか」とのたまひければ、しげただまうしけるは、「まづ小坪のいくさの事は、ぞんぢのむね、三浦の人々にさいさんまうしおきさうらひぬ。そのしだいさだめてひろうさうらふか。まつたくわたくしのいしゆにさうらわず。君のおんことをこつしよする事をも存ぜず。次に旗の事は、ごせんぞはちまんどの、たけひらいへひらをついたうせさせたまひさうらひし時、しげただがしだいのおほぢ、ちちぶのじふらうたけつなしよさんして、このはたをさしておんともつかまつりて、せんぢんをかけて、すなはちかのたけひらをついたうせられにき。ちかくはごしやきやうあくげんだどの、たごのせんじやうどのをおほくらのたちにてせめられし時のいくさに、しげただが父、このはたをさして、そくじにうちおとしさうらひにき。
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源氏のおんため、かたがたぢゆうだいさうでんのおんよろこびなり。よつてそのなをきちれいと申候。君の今につぽんごくをうちとらせおはしさうらふおんとき、きちれいのおんはたさして参りて候。このうへはおんぱからひ」とぞちんじ申ける。兵衛佐、ちば、とひなむどに、「いかがあるべき」ととはれければ、「畠山なごかんだうさうらひそ。畠山だにもうたせたまひぬる物ならば、むさしさがみのものども、ゆめゆめみかたへまゐるまじ。かれらは畠山をこそまもりさうらふらめ」といちどうに申ければ、誠にことわりなりとおもはれければ、畠山にのたまひけるは、「まことにちんじまうすところのでうでう、いはれなきにあらず。さらばわれにつぽんごくをうちたひらげむほどは、いつかうせんぢんをつとむべし。ただしよりともが旗に只おなじきが、まがう事のあるに、なんぢが旗にはこのかはをすべし」とて、あゐがはいちもんをぞくだされける。それより畠山が旗には、こもんのあゐがはをP2168いちもんおしたりけり。中々めづらしくぞみへける。これをききて、武蔵相模のぢゆうにんら、一人ももらさず、皆はせまゐる。おほばのさぶらうこのしだいをききて、かなわじとおもひて、平家のむかへにのぼりけるが、あしがらをこえて、あゐざはのしゆくにつきたりけるが、前にはかひげんじ二万余騎にてするがのくにへこえにけり。兵衛佐のせい、うんかにてせめあつまるときこへければ、中にとりこめられてはかなわじとて、鎧のいちの板、きりおとして、にしよのごんげんにたてまつりて、さがみのくにへひきかへして、をくの山へにげこもりにけり。平家はかやうにないぎするをもしらず。いかさまにも、兵衛佐にせいのつかぬさきに、うつてをくだすべしとて、だいじやうにふだうの孫、こまつのないだいじんのちやくし、これもりとまうししせうしやう、ならびに入道のしやていさつまのかみただのりとて、くまのよりおほしたちて、心たけきじんときこゆるを、えらび
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みせらる。又入道のばつしにてみかはのかみとものりとまうす、この三人をたいしやうぐんとして、さぶらひにはかづさのかみただきよいげ、いとう、さいとう、くわんあるも官なきもすひやくにん、そのせいさんまんよきをむけらる。かのこれもりは、さだもりより九代、まさもりよりは五代、にふだうしやうこくのちやくそん、こまつのないだいじんしげもりのちやくなんなり。平家ちやくちやくのしやうとう也。今きようどらんをなすによりて、たいしやうぐんのえらびに当る、ゆゆしかりし事也。
廿一 十一日、よりともついたうすべきよしせんげせらる。そのくわんぷのせんにいはく、
「さべんくわんくだす とうかいとうせんだうしよこく
はやくいづのくにのるにんみなもとのよりともならびによりきのともがらをついたうすべきこと
みぎだいなごんけんさこんゑのだいしやうふぢはらのさねさだ( )ちよくをうけたまはりてせんす。いづのくにのるにん
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みなもとのよりとも、たちまちにきようたうをあひかたらひて、たうごくりんごくをりよりやくせんとほつす。ほんぎやくのいたりすでにじやうとにたゆ。よろしくついたうせしむべし、うこんゑのごんのせうしやうこれもり、さつまのかみおなじくただのり、参河守同忠度、みかはのかみおなじくとものりら、かねてはまたとうかいとうせんりやうだうのぶようにたふるもの、おなじくこれをついたうすべし。そのなかにくんばつにしゆこうあるともがらは、ふしのしやうをくはふべし。しよこくよろしくしようちすべし。せんによつてこれをおこなふ。
ぢしようしねん九月十六日 さだいしをつきのすくね
くらんどのとうさちゆうべんふぢはらのつねふさがうけたまはり」とかかれたり。G23昔はてうてきをうちたひらげむとて、ぐわいとへむかふたいしやうぐんは、まづさんだいしてせつたうをたまはる。しんぎなんでんにしゆつぎよし、ひやうゑかいかにぢんをひき、ないべん、げべんのくぎやうさんれつして、ちゆうぎのせちゑをおこなわる。たいしやうぐん、ふくしやうぐん、おのおのれい
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ぎをただしくして、これをたまわる。されどもしようへいてんぎやうのせんじようも、としひさしくなりて、なぞらへがたし。今度はほりかはのゐんのおんとき、かじよう二年十二月、いなばのかみまさもりがさきのつしまのかみみなもとのよしちかをついたうの為に、いづものくにへげかうせしれいとぞきこへし。鈴ばかりはたまはりて、かはの袋にいれて、人のくびにかけさせたりけるとかや。
(廿二) しゆしやくゐんのおんとき、しようへいねんぢゆうに、たひらのまさかど、しもつふさのくに相馬郡にぢゆうして、八か国をあふりやうし、みづからへいしんわうとしようして、都へうちのぼりけり。ていゐをかたぶけ奉らむとするむほんのきこへ有ければ、くわらくのさわぎなのめならず。これによつててんだいさんには、そのときのくわんじゆ、ほつしやうばうのだいそうづそんいをはじめ奉りて、えんりやくじのかうだうにて、てんぎやう二年二月に、将門かうぶくの為に、ふどうをあんじ
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ちんごこくかのほふにしゆする。これのみならず、しよじしよしやのそうりよにおほせて、まさかどてうぶくのきせいありけり。平家のせんぞにてさだもり、そのときむくわんにて、じやうへいだと申ける時、つはもののきこえ有て、将門ついたうのせんじをうけたまはる。れいにまかせて、せつたうをたまはりて、すずのそうをして、すまふのせちこれをおこなはるるとき、かたのさう、たいしやうのれいぎふるまひなる。ゆばどのの南のこどよりまかりいでけるに、ふくたいしやうぐんうぢのみんぶきやうただひさ、たいしやうぐんにはたひらのさだもり、ぎやうぶだいふふぢはらのただのぶ、うきやうのすけふぢはらのくにやす、だいけんもつたひらのきよもと、さんゐみなもとのなりくに、さんゐみなもとのつねもとら、とうごくへはつかうす。しもつけのくにのあふりやうしふぢはらのひでさと、国にしてあひともなひけり。さだもりいげあづまぢにうちむかひて、はるばるとくだりける道すがら、たけくやさしきことどもありけり。中にもするがのくにきよみがせきにやどりたり
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けるに、きよはらのしげふぢといふもの、みんぶきやうにともなひて、ぐんけんといふくわんでくだりけるが、「ぎよしうのひの影は寒くしてなみをやく、えきろの鈴の声はよるやまをすぐ」といふたうゐんをえいじたりけるが、折からいうにきこへて、みんぶきやう涙をながしてぞゆきける。てんぎやう三年二月十三日に、さだもりいげのくわんぐん、まさかどがたちへおしよせたり。将門がよせいいまだきたりあつまらず。まづ四千余騎をそつして、しもつふさのくにさしまのこほりきたやまにぢんをとつてあひまつところに、おなじく十四日のひつじさるりやうこくにかつせんをとぐ。ここに将門じゆんぷうをえたり。貞盛かざしもにたちたり。ぼふう枝をならし、ぢらいつちくれを運ぶ。将門がみなみおもてのたて、前を払ふ。貞盛がきたのたて、おもてにふきおほひけれども、貞盛こととせず。りやうぢんみだれあひて、すこく合戦を致す。貞盛が中の陣のつはもの八十余騎、おひなびかさる。将門がきようどら、
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あとめにつきておそひきたる。さだもりいげのくわんびやうら、しんみやうをすててふせきたたかふとき、将門かつちうをちやくし、まだらに乗て、かけいでてささへたり。馬はふうひをわすれたり。人はりらうのじゆつをうしなへり。将門がきようどらふせきたたかふこと、たやすくせめおとしがたかりけるに、てうぶくのきせいむくいて、将門てんばつをかうぶり、かみのかぶらやみにあたりて、つひにちゆうりくせられけり。おなじく四月廿五日に、しもつふさのくにより将門がかうべ、都へたてまつる。おほちを渡して、さのごくもんのきにかけらる。たとへば馬の前のその、のはらにのこり、まなひたの上のうを、かいほにきするが如し。将門なをうしなひ、みをほろぼすこと、むさしのごんのかみおきよ、ひたちのすけふぢはらのはるもちらが、ぼうあくをいたすところなり。とくをむさぼりきみをそむくもの、ほこをふむとらのごとしといへり。将門がばんるいら、あるいはうたれあるいはせんぢやうをにげいでて、国々ににげこもりたり。将門がしやていまさより、ならびに
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ひたちのすけふぢはらのはるもちは、さがみのくににしてうたる。むさしのごんのかみおきよは、かづさのくににしてかうべをはねらる。さかのうへののぶたか、ふぢはらのはるあきは、ひたちのくににしてちゆうりくせらる。このほかのしやていいげ、ばんるいらは命のすてがたさにはみやまににげこもる。妻子をすててさんやにまよふともがら、数をしらず。鳥にあらねども、むなしくしてうのわかれを致し、山にあらずして、いたづらにさんけいのかなしみをいだく。らいでんのひびきはひやくりのうちにはきこゆ。将門、しもつふさとよだのこほりのきようど、むほんのきこへ千里のほかにつうず。いつしやういちごふ、たいかうのざいごふを致し、つひにくわうせんの道にまよふらむ。むざんともおろかなり。ときにけんじやうおこなはる。じやうへいだたりしさだもり、たちまちにへいしやうぐんとおほせくださる。そのときぢんざのさほふ、さだいじんさねよりをののみやどの、うだいじんもろすけくでうどの、このほかくぎやうてんじやうびと、ざれつしたまひたりけるに、くでうどのまうさせ
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給けるは、「たいしやうぐんすすむでおそひきたりて、てうてきをたひらぐる事は、さうに及ばねども、ごぢんにふくしやうぐんのうしろにおそひきたるを、たのもしくおもふによつて、かつせんのおもひもいよいよまうなり。しかるに貞盛一人にけんじやうをおこなはるること、ただひさほいなくやぞんじさうらわむずらむ。大将軍の程のしやうこそさうらわずとも、すこしにをうたるしやうや、忠久におこなはるべくさうらふらむ」と、たびたび申させたまひけれども、をののみやどの、「さのみけんじやうおこなわれさうらわむ事、むげにねんなくさうらふ」なむど申させ給ければ、みんぶきやう、忠久の賞はつひにおこなはれざりけり。忠久たちまちにいかりをなして、だいりをまかりいでられけるに、天もひびき、ちもくづるばかりなるだいおんじやうをあげて、「をののみやどののばつえふ、ながくくでうどののおんすゑのやつことなし給へ」とののしりて、てをはたとうちて、さうのてをにぎり給ける。とをのつめにさんずんばかりに、めにみすみす
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なりて、にぎり通したりければ、みるもをびたたし。くれなゐを絞りたるが如し。やがてしゆくしよにかへりて、おもひじにに死て、あくりやうとぞなりにける。さればにや、はたしてをののみやどののおんすゑは今はたえはてて、おのづからあるひとも数ならず。くでうどののおんすゑは、今までせつしやうたえさせ給わず。小野宮殿の御末は、皆九条殿のやつこにぞなりたまひにける。朝敵をたひらぐるぎしきは、じやうだいはかくこそあんなるに、これもりのうつてのつかひの儀式、せんじようを守らぬににたり。なじかはことおこなふべきとぞ、ときのひとまうしあひたりける。
廿三 これもりいげのうつてのつかひ、九月十七日、ふくはらの新都をいでて、同十八日、こきやうにつく。これよりとうごくへおもむく。かつちう、弓、やなぐひ、むまのくら、らうどうにいたるまで、かかやくばかりぞいでたちたりければ、みるひといくせんまんといふことをしらず。
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ごんのすけぜうしやうこれもりは、あかぢのにしきのひたたれに、おほくび、はたそではこんぢのにしきにていろへたり。もえぎにほひのいとをどしのよろひに、れんぜんあしげの馬の太くたくましきに、いかけぢのきぶくりんのくらおきたり。年廿二、みめかたちすぐれたりければ、ゑにかくとも、筆もおよぶべくもみへず。こころざしあさからざりけるにようばう、ただのりのもとへいひつかはしける。
あづまぢのくさばをわけむそでよりもたたぬたもとぞ露けかりける K108
とまうしたりければ、忠度、
わかれぢをなにかなげかむこへてゆくせきを昔のあとと思へば K109
とかへしたりけり。このひとさだもりがながれなれば、むかしまさかどがうつてのつかひの事をよめるにや。女房のほんかは、おほかたのなごりはさる事にて、へんかは
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いまいましくぞおぼゆる。
(廿四) 同九月廿二日、しんゐんまたいつくしまへごかう。さんぬる三月にもごかうありて、そのしるしにや、いちりやうげつのほどにてんがしづまりたるやうにみへて、ほふわうもとばどのよりしゆつぎよなどありしに、さんぬる五月、たかくらのみやのおんことよりうちつづき、又しづまりもやらず。てんべんしきりにしめし、ちえうつねにあつて、てうていおだしからざりしかば、そうじてはてんがせいひつのごきねん、べつしてはせいていふよのごきたうのためなり。誠に一年ににどのごかうは、しんりよいかでかよろこび給わざるべき。ごぐわんじやうじゆもうたがひなしとぞおぼへし。おんともにはにふだうしやうこく、うだいしやうむねもりこういげ、けいしやううんかく八人とぞきこへし。このたびはそしぼくじのほつけきやうをかきくやうせらる。そのほかおんてづから、こんでいにてだいぼほんをあそばされたり
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けり。くだんのぐわんもんはごしんもんとぞきこへし。そのごぐわんもんにいはく。
けだしきく、ほつしやうのやましづかにして、じふしじふごのつきたかくはれ、ごんげのちふかくして、いちいんいちやうのかぜかたはらにあふぐ。それいつきしまのやしろは、しようみやうふもんのにはなれば、かうげんぶさうのみぎりなり。えうれいのしやだんをめぐるなり。おのづからだいじのたかくそばたてるをあらはし、こかいのしうにおよぶなり。そらにぐぜいのしんたんをあらはす。ふしておもんみれば、はじめはようまいのみをもつて、かたじけなくくわうわうのくらゐをふむ。いましよいうをれいきやうのをしへにもてあそぶ。かんはうをやさんのきよにたのしぶ。しかるをひそかにいつしんのせいぜいをぬきんでて、こたうのいうあいにけいす。ずいりのもとにめいおんをあふぐ。こんねんをこらしてあせをながしぬ。ほうきゆうのうちにれいたくをたる。そのつげのこころにめいずるあり。なかんづくふゐきんしんのごをさすに、もつぱらきかしよしうのこうにあたる。しかるあひだ、へいあたちまちにをかし、いよいよしんゐのむなしからざることをおもふ。へいけいしきりにてんず。なほいじゆつのげんをほどこすことなし。きたうを
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もとむといへども、むろをさんじがたし。しかじ、しんぷのこころざしをぬきんでて、かさねてとそうのぎやうをくはたてむとほつす。ばくばくたるかんらんのもとに、りよはくにふしてゆめをやぶり、せいせいたるびやうのまへに、ゑんろをのぞみてまなこをきはむ。つひにふんゆのみぎりにつきて、うやまひてしやうじやうのむしろをのべて、しよしやしたてまつる、しきしぼくじのめうほふれんげきやういちぶ、かいけつにきやう、はんにやしんぎやう、あみだきやう、おのおのいつくわん。てづからみづからしよしやしたてまつる、こんでいのだいばほんいつくわん。ときに、さうしようさうはくのかげ、ともにぜんりのたねをそへ、うしほほりうしほきたるひびき、そらにぼんばいのこゑにわす。ていしほくけつのくもをじしてはつじつ、りやういくのおほくめぐることなしといへども、さいかいのなみをしのぐことふたたび、ふかくきえんのあさからざることをしる。そもそもあしたにいのるかくひとつにあらず、ゆうべにかへりまうしするものちぢばかりなり。ただしそんきのききやうおほしといへども、ゐんぐうのわうけい、いまだこれをきかず。ぜんぢやうほふわう、はじめてそのぎをのこす。ていしさいしんふかくそのこころざしをめぐらす。かのすうかうさんのつきのまへに、かんぶいまだ
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わくわうのかげをはいせず。ほうらいたうのくものそこに、てんせんむなしくいすいしやくのちりをへだつ。たうしやのごときは、かつてひるいなし。あふぎねがはくはだいみやうじん、ふしてこふいちじようきやう、あらたにたんきをてらして、たちまちにげんおうをあらはし給へ。うやまひてまうす。
ぢしようしねん九月廿八日だいじやうてんわうおんいみなうやまひてまうす
廿五 ごほうへいののち、くわいらうにおんつやあり。はるかに夜ふけて、ごぜんにしこうの人々をば皆のけられて、にふだうならびにむねもりこう参て、ひそかにまうされけるは、「とうごくにひやうらんおこりて候。『源氏にごどうしんあらじ』とごきしやうもんあそばして、入道にたまはりさうらへ。心安く存じて、いよいよみやづかへ申候べし。もしきこしめされさうらわずは、このはなれじまにすておきまゐらせて、まかりかへり候べし」とまうされければ、しやうくわうすこしもさわがせ給わず、うちわらわせ給て、「そのでういと安し。ただしとしごろなに
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ごとかは、入道はからひ申たる事をそむきたる。今はじめてふたごころあるみとおもはるらむこそ、ほいなけれ」とおほせありければ、むねもりこうすずりかみもちてまゐりたり。「さていかにとかくことぞ」とおほせあり。入道のまうすままにあそばしてたまわる。にふだうこれをはいけんして、しやうくわうをはいし奉て、「今こそたのもしく候へ」とて、さきのうだいしやうにみす。「およそめでたくさうらふ」とまうされければ、入道取てふところにいれてたいしゆつす。「人々ごぜんへおんまゐりさうらへ」と、常よりも心よげなるけしきにてまうされける時、くにつなのきやうまゐられたり。かたへの人はつやつやそのこころをえず、余りにおぼつかなかりけるとかや。十月五日くわんかう。今度は福原の新都よりごかうなれば、とうそうのおんわづらひなかりけり。
廿六 十七日、ゆめどのといふところにあたらしきごしよをたてて、ひごろ渡らせたまひけるが、
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さんでうへわたらせたまふべきよし、にふだうしやうこくまうしければ、法皇わたらせ給。みこしにてぞありける。おんともにはさきやうのだいぶながのりさうらわれけり。ろうのごしよとて、いまいましきなある御所をいでさせ給き。よの常の御所へいらせたまふぞめでたき。「これもいつくしまのごかうのしるしにや」とぞおぼしめされける。「入道ことのほかにおもひなほらるるにこそ」とおぼしめさる。
廿七 平家のうつてのつかひ、さんまんよきのくわんぐんをそつして、くにぐにしゆくじゆくにひをへて、せんじをよみかけけれども、ひやうゑのすけのゐせいにおそれて、したがひつくものなかりけり。するがのくにきよみがせきまでくだりたりけれども、くにぐにのともがら一人も従わず。兵衛佐のせいはひにしたがひてはせかさなるときこえければ、たいしやうこれもり、ただのりら、さいとうのべつたうさねもりをめして、あすのかつせんの事をだんぎ
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せられけるついでに、「そもそもよりともがせいの中に、おのれほどのゆんぜいの者いかばかりかある」なむどとはれければ、「さねもりをだにもゆんぜいのものとおぼしめされさうらふか。おくさまには、やづかはじふにさんぞく、じふしごそくをいるもののみこそおほく候へ。弓はににんばりの弓をのみもちあひて候。よろひをにさんりやうなむどかさねて、はぶさまでいぬきさうらうふもの、さねもりおぼへてだにも、七八十人もさうらふらむ。馬ははやばしりのしんだいいちもつなる、くつきやうののりじりどものりおほせて、馬の鼻をならべてかけ候。親もしね、しゆうもしね、こもしね、じゆうしやもしね、それをみあつかわむとする事ゆめゆめ候わず。只しにんの上をものりこへて、かたきにとりつかむとするふてものにて候。いかなるまたらうどうも、一人してつよき馬四五ひきづつのりがへにもたぬ者候わず。きやうむしや、さいこくのものどもは、一人ておひさうらひぬれば、それをかき
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あつかわむとて、七八人はひきしりぞく。馬はばくらうむまののりいで、しごちやうばかりこそかしらもちあげさうらへ、くだりつかれて候わむに、とうごくのあらてのむしやにひとあてあてられさうらひなば、いかでかおもてをむけさうらふべき。ばんどうむしやじふにん、きやうむしや一二百人むけられ候とも、こたふべしともおぼえ候わず。なかんづくに源氏のせいは、二十万余騎ときこへ候。みかたのせいはわづかに三万余騎こそさうらふらめ。おなじほどにさうわらわむだにも、なをしぶがいちにてこそ候へ。かれらは国々のあんないしやどもにて候。おのおのは国のあんないもしりさうらわず。おひたてられさうらひなば、ゆゆしきおんだいじにて候べし。京よりもさばかりまうしさうらひし物を。当時源氏によりきしたる人々のけうみやうあらあらうけたまはりさうらふに、てきたいすべしともおぼえ候わず。『いそぎおんくだりありて、むさし、さがみへいらせたまひて、りやうごくのせいをぐして
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ながゐのわたしにぢんをとりて、かたきをまたせ給へ』と、さいさんまうしさうらひしを、きかせ給わずして、兵衛佐にりやうごくのせいをとられさうらひぬるうへは、今度のいくさはかなひがたくぞ候わむずらむ。かくまうしさうらへばとて、さねもりおちて、いくさをせじと存ずるにては候わず。おそれながら実盛ばかりぞいくさはつかまつり候わむずる。されどもうだいじんどののごおんおもきみにて候へば、きといとまをたまはりて、いまいちどげんざんに入て、いそぎかへりまゐりてうちじにつかまつるべし」とて、せんぎのせいをひきわけて、京へ帰りのぼりにけり。たいしやうぐんききおくして、心よわくはおもはれけれども、「上には、実盛がなき所にてはいくさはせぬか。いざさらば、やがてあしがらやまをうちこえて、はつかこくにていくさをせむ」と、たいしやうたちははやられけるを、ただきよまうしけるは、「八ケ国のつはもの、みなひやうゑのすけにしたがふよしきこへさうらふ。いづ、するがのものども
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まゐるべきだにも、いまだみえさうらわず。おんせいは三万余騎とはまうしさうらへども、事にあひぬべき者、二三百人にはよもすぎさうらわじ。さうなく山をうちこえては、中々あしくさうらふべし。ただふじがはを前にあてて、ふせかせたまひさうらわむに、かなわずは都へかへりのぼらせ給て、せいをめして、又こそおんくだりさうらわめ」と申ければ、「たいしやうぐんのめいをそむく事やはある」といわれけれど、「それもやうによる事にて候。うへ、ふくはらをたたせたまひし時、にふだうどののおほせに、かつせんの次第はただきよがはからひまうさむにしたがはせたまふべきよし、まさしくおほせごとさうらひき。その事きこしめされさうらひなむ者を」とて、すすまざりければ、一人かけいづるにもおよばず、たづなをゆらへ、めをみあはせてかたきをあひまちける程に、十月廿二日、ひやうゑのすけ八ケ国のせいをふるひて、あしがらをこえて、きせがはにぢんをとりて、つはもののかずをしるしけり。さぶらひ、らうどう、
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のりがへあひぐして、馬のうへ、十八万五千余騎とぞしるしける。そのうへかひげんじには、いちでうのじらうただよりをむねととして、二万余騎にて兵衛佐にくははる。平家のせいは富士の麓にひきあがり、ひらばりうちてやすみゐたりけるに、兵衛佐つかひをたててまうされけるは、「親のかたきとうどんげとにあふ事は、そうじてありがたきことにてさうらふに、近くおんくだりさうらふなるこそよろこびぞんじさうらへ。あすはいそぎげんざんにいるべし」といひおくられたり。つかひはざつしきしんせんじやうといふものなり。たうじききせたる者八人ぐしてむかひて、平家の人々の陣にて、次第にこのよしをふれまはりけるに、人々まんまくうちあげてゐられたりけれども、へんじいふ人もなし。「このおんぺんじはいかがし給わむずらむ」とあひまつところに、へんじにおよばず、かのししやをからめて、いちいちにくびをきりてけり。兵衛佐これ
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をききて、「昔も今もてふにつかひのくびをきること、いまだききおよばず。平家すでにうんつきにけり」とのたまひければ、ぐんびやういよいよ兵衛佐にきぶくしたりけり。さるほどに、兵衛佐には、くらうよしつねあうしうよりきくははりければ、すけいよいよちからつきて、よもすがらむかしいまのことどもをかたりて、たがひに涙を流す。すけのたまひけるは、「このにじふよねんがあひだ、なをばききつれども、そのかほをみまうさざりつれば、いかがしてげんざんすべきとおもひたまへつるに、さいぜんにはせきたりたまへば、こかうのとののいきかへりたまへるかとおぼえて、たのもしくおぼえさうらふ。かのかううは、はいこうをもつて、しんをほろぼす事をえたりき。今頼朝じしやうをえたり。何ぞ平家をちゆうばつして、ばうふがほんいをとげざるべき」とのたまひてのち、「そもそもこのかつせんのことをききて、ひでひらはいかが申しし」とたづねられければ、「ゆゆしくかんじまうしさうらふぞ。しんだい
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なごんいげのきんしんをうしなひ、さんでうのみや、げんざんゐにふだうをうたれしをりふし、『ことにはいかにひやうゑのすけどのはきき給わぬやらむ』とたびたびまうしさうらひき。さんぬるしようあんしねんのはるのころより、都をいでてあうしうへまかりくだりてさうらひしに、ひでひら昔のよしみを忘れず、事にふれてあはれみをいたしさうらひき。かくまゐりさうらひつるにも、かつちう、きゆうせん、むまのくら、らうじゆうにいたるまで、しかしながらいだしたてられて候。しからずはいかでからうどう一人をもあひぐしさうらふべき。十余年が程、かれがもとにさうらひし程のこころざし、いかにしてほうじつくすべしともおぼえずさうらふ」とぞ、くらうよしつねまうしける。廿四日、あすはりやうばうやあはせとさだめて、ひもくれにけり。平家のぐんびやう、源氏のかたをみやりたれば、かがりびのみゆる事、のやまといひ、さとむらといひ、うんかはれたる空の星のごとくなり。ひがしみなみきたさんばうはかたきのかたなり。にしいつぱうばかりぞわがかたのせいなり
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ける。源氏のぐんびやう、弓のつるうちし、よろひづきし、どどめきののしりけるこゑに驚て、ふじのぬまにむれゐるみづとりども、はねうちかわし、たちゐする声をびたたしかりけり。これをききて、かたき既によせて、時をつくるかとおもひて、からめでまはらぬさきにと、とるものもとりあえず、平家のぐんびやう、われさきにとまどひおちにけり。よろひはきたれどもかぶとをばとらず、やはおひたれども弓をとらず。あるいは馬いつぴきに二三人づつとりつきて、たが馬といふこともなく、のらむとす。あるいはつなぎたる馬にのりてあをりければ、くるくるとまはる物も有けり。かやうにあわてさわぎて、一人ものこらず、夜中に皆おちにけり。さてよやうやくあかつきがたになりて、源氏のかたより廿万六千余騎、声をととのへて、時をつくること三ケ度也。およそとうはつかこくひびかして、山のかせぎ、かはの
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いろくづにいたるまで、きもをけし、心をまどわさずといふことなし。をびたたしなむどいふもおろかなり。かかりけれども、平家の方には時の声をもあはせず、つやつやをともせざりければ、あやしみをなして、人をつかはしてみせければ、やかた、おほまくをもとらず、よろひ、はらまき、たち、かたな、ゆみや、こぐそくまで、いくらといふこともなくすておきて、ひとひとりもみへざりけり。兵衛佐これをききて、「このこと頼朝がかうみやうに非ず。しかしながらはちまんだいぼさつのおんぱからひなり」とて、わうじやうをふしをがみたまひて、うはやをぬいてぞたてまつりたまひける。かのみづとりの中に、やまばとあまたありけるなむどぞきこへし。そのころかいだうのいうぢよどもがくちずさみに。
ふじがはのせぜのいはこす波よりも早くもおつるいせへいじかな K110
廿八 十五日、とうごくへくだりしこれもりいげのくわんびやうども、けふきうとへいる。昼は
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ひとめにはぢて、よがくれてぞ入ける。三万余騎をそつしてくだりし時は、「昔よりこれほどのおほぜいききもし、みも及ばず。ほうげん、へいぢのひやうがくの時、源氏、へいじ、われもわれもとありしかども、これがじふぶがいちだにも及ばざりき。あなをびたたし。たれかおもてをむくべき。ただいまうちなびかしてむず」とみへし程に、やひとすぢをもいず、かたきのかほをもみず、鳥のはおとにおどろき、兵衛佐のせいおほかるらむとききおくしてにげのぼりたるぞ、むげにうたてき。をりふしざいきやうしたりけるくわんとうのぶしせうせう、これもりに付てくだりたりけるが、をやまのしらうともまさいげ、多く源氏のかたへつきにければ、いよいよせいかさなりにけり。きうとの人々、これを聞て申けるは、「昔より物のしようぶには、みにげと云事いひつたへたりつれども、それだにもうたてきに、是はききにげにこそあむなれ。て
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あはせのうつてのつかひ、やひとつをもいずにげのぼる、穴いまいまし。ゆくすゑもはかばかしかるまじきごさんめれ。いちぢんやぶれぬれば、ざんたうかたからず」とて、きくひとだんしをぞしける。
(廿九) れいの又いかなるあどなし者のしわざにやありけむ、平家をば「ひらや」とよみ、うつてのたいしやうをばごんのすけといひ、都のたいしやうぐんはむねもりといへば、これらをとりあはせて、歌によみたりけり。
ひらやなるむねもりいかにさわぐらむ柱とたのむすけををとして K111
かずさのかみただきよが、ふじがはによろひを忘れたりける事を。
富士川に鎧はすてつすみぞめのころもただきよのちのよのため K112
ただかげはにげの馬にやのりつらむかけぬにおつるかづさしりがひ K113
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ただきよがほんみやうをばただかげといひければ、かくよみたりけるにや。げににげの馬にやのりたりけむ。たうじならぼふしこそ平家にあたをむすびたりしかば、そのしよぎやうにてやありけむ。にふだうしやうこくあまりにくちをしがりて、「ごんのすけぜうしやうをばきかいのしまへながし、ただきよをばくびをきらむ」とぞのたまひける。忠清、「誠にみのとがのがれがたし。いかにちんずともかひあらじ。いかがせまし」とためらいけるが、をりふししゆめのはんぐわんもりくにいげ人ずくなにて、かやうのさたども有ける所へ、忠清をづをづうかがひよりて申けるは、「忠清十八のとしとおぼえ候。とばどのにぬすびとのこもりてさうらひしを、よするものひとりも候わざりしに、ついぢよりのぼりこえて、からめてさうらひしよりこのかた、保元平治のかつせんをはじめとして、だいせうのことにいちども君を離れ
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まいらせ候わず。又ふかくをあらはしたることも候わず。今度とうごくへはじめてまかりくだりて、かかるふかくをつかまつる事、ただこととはおぼえさうらわず。よくよくおんいのりあるべしとおぼえさうらふ」と申ければ、にふだうしやうこくげにもとやおぼしめされけむ、物ものたまわず。ただきよかんだうにおよ
ばざりけり。G24
三十 さんぬる五月、たかくらのみやをふちしたてまつることによりて、みゐでらせめらるべしとさたありければ、だいしゆおこりて、おほつのみなみきたのうらにかひだてをかき、やぐらをかきてふせくべきよし、けつこうす。十一月十七日、とうのちゆうじやうしげひらのあつそんをたいしやうぐんとして、一千余騎のぐんびやうをそつして、みゐでらへはつかうす。しゆとふせきたたかふといへども、なにごとかあるべき、三百余人うたれにけり。のこるところのだいしゆ、こらへずしておちにけり。あるいはぎらうを
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ひきてたかきみねにのぼり、あるいはこれえうちにしてふかきたににいる。かかりければ、しげひらの朝臣てらのうちにうちいりて、次第にこれをやきはらふ。みなみきたなかのさんゐんの内、やくるところのだうじやたふべうじんじやぶつかく、ほんがくゐん、けいそくばう、じやうきゐん、しんによゐん、けいゑんゐん、そんわう、わうだう、ふげんだう、しやうりゆうゐん、だいほうゐん、いまぐまののほうでん、おなじくはいでんとう、ごほふぜんじんのしやだん、けうだいくわしやうのほんばう同御殿影像同本尊等、しゆろうしちう、にかいだいもんこんがうりきしあり、はつけんしめんのだいかうだう、さんぢゆうほうたふいつき、あみだだう、おなじくほうざう、さんわうほうでん、よつあしいちう、しめんのくわいらう、ごりんゐん、じふにけんのだいばう、さんゐんかくべつ、くわんぢやうだうかくいちう。ただしこんだうばかりはやけざりけり。そのほかそうばう六百よう、ざいけせんごひやくよけ、ちをはらひをはんぬ。ぶつざうにせんよたい、
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けんみつりやうしゆうのしやうしよ、だいしの渡し給へるたうほんいつさいきやうしちせんよくわん、たちまちにくわいじんとなりぬ。またやけしぬるところのざふにん、既に千人におよぶとぞきこへし。およそけんみつしゆゆにほろびて、がらんまことにあとなし。さんぼうのだうぢやうもなければ、しんれいのこゑもきかず。いちげのぶつぜんもなければ、あかの声もたえたり。しゆくらううちのめいしやうも、しゆがくをおこたりたり。じゆほふしやうぜうの弟子も、きやうげうにわかれたり。このてらとまうすは、もとはあふみのぎだいりやうとまうすもののわたくしの寺たりしを、てんむてんわうにきしんしたてまつりてよりこのかた、ごぐわんとかうす。もつぱらなんがくてんだいのこふうをまなび、ふかくしやうりゆうげんぼふのけうせきをもてあそぶ。すひやくさいのちすい、この時に永くかわき、だいせうじようのほふりん、この時にたちまちにとどまりぬ。ぶつぽふのけつく、にんぼふのさいごなり。をんごんみなちやうしやす、いはむやじもんのぢゆうりよにおいてをや。
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らうせうこぞりてうひす、いはむやうじやうのしよにんにおいてをや。ほんぶつとまうすはかのてんわうのごほんぞんなりしを、しやうじんのみろくによらいときこへたまひしけうだいくわしやうの、百六十二年のあひだ、ちうやてうせきおこたらずおこなひて、ちしようだいしにふぞくしたまひたりけるみろくとぞきこへし。「としたてんじやうまにほうでんよりあまくだりましまして、はるかにりゆうげげしやうのあしたをまちたまふ」とききつるに、「こはいかになりぬるやらむ。たうじのゑみやうも既につきはてぬるにや」とぞみへし。てんち、てんむ、ぢとうさんだいのみかどの、おんうのはふきゆの水をくみたりけるゆゑに、みゐでらとかうしたり。又はだいし、このところをでんぼふくわんぢやうのれいせきとして、せいくわすいの水をくむこと、じそんさんゑのあしたをまつゆゑに、みゐでらともまうしけり。かくやむごとなきせいぜきなれども、事ともいわず、ゆみ
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やをいれぬる事こそかなしけれ。
卅一 にじふいちにち、をんじやうじのゑんけいほふしんわう、てんわうじのべつたうとどめられたまふ。かのみやとまうすは、ごしらかはのゐんのみこなり。ゐんぜんにいはく、
をんじやうじのあくとら、てうかをゐはいして、たちまちにむほんをくはたつ。さらにもんとのそうがういげ、みなことごとくくじやうをちやうじして、げんにんならびにそうとくをげきやくし、かねてはまた、まつじしやうゑん、およびかのてらのそうらがしりやう、しよこくのさいシにおほせて、はやくしゆこうせしむ。ただしじようにかぎりあるにおいては、こくしのさたとして、じけのしよしにつけて、そのようどにまかせて、ごうれいのぶつじをたいてんせしむることなかれ。むほんゑんけいほふしんわう、よろしくしよたいのてんわうじのけんげうしきをちやうじせしむべし。とぞかかれたりける。
卅二 あくそうには、そうじやうばうかく、ごんのそうじやうかくち、ほふいんごんのだいそうづていけい、
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のうけい、じつけい、かうじよう、ごんのせうそうづしんゑん、がうぜん、けんち、りやうち、けんしゆん、ごんのりつしたうけん、けいち、かくぞう、しようせい、かうち、かうしゆん、いじやうじふしちにん、げんにんげきやく。つぎに、ほふいんこうせい、かうけう、けいじつ、ほふげんしんしよう、たうちよう、けいそん、たうしゆん、べんそう、しようけい、じようち、じついん、へんゑん、へういう、くわんちゆう、ほつけうりやうしゆん、ちゆういう、りやうかく、さきのだいそうじやうかくさん、さきのごんのそうじやうこうけん、さきのごんのせうそうづたうにん、いじやうにじふにん、うへになぞらふ。つぎに、にゑのかうしゑんぜん、しやういう、ちようけん、こういん、いじやうしにん、くじやうをちやうじす。ことにそうがうじふさんにん、くじやうをとどめらる。くわんをめし、しよりやうをもつくわんして、おなじく
卅三 しちやうのつかひをつけて、すいくわのせめて、めいしゆんいげのあくそうをめさる。いちじようゐんのばうかくせうしやうそうじやうをばひだのはんぐわんかげたかのあつそんうけたまはる。
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けいゑんゐんじつけいひたちのほふいんをばかづさのはんぐわんただつなのあつそんうけたまはる。かうじようちゆうなごんほふいんをばはかせのはんぐわんのりさだうけたまはる。のうけいしんによゐんのほふいんをばいづみのはんぐわんなかよりうけたまはる。しんゑんすけのそうづをばげんだいふのはんぐわんうけたまはる。かくちみののそうづをばつのはんぐわんもりずみうけたまはる。しようけいくらんどほつけうをばぎをんのはかせもとやすうけたまはる。こうけんさいしやうそうじやうをばではのはんぐわんみつながうけたまはる。かくさんだいなごんそうじやうをばさいとうはんぐわんともざねうけたまはる。じようちめいわうゐんのそうじやうをばしんさくわんあきもとうけたまはる。じついんうだいじんほふげんをばにんぷしやうつねひろうけたまはる。
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くわんちゆうちゆうなごんほふげんをばのうふしやうかねやすうけたまはる。かうけうおほくらきやうほふいんをもおなじくかねやすうけたまはるとぞきこへし。
卅四 じふいちぐわつにじふににち、ごでうのだいなごんくにつなのきやう、だいりつくりいだして、しゆしやうわたらせたまふ。このだいなごんはだいふくちやうじやなりけるうへに、よのだいじするひとにて、ほどなくきらきらしくつくりいだして、めでたかり
けり。ただしせんかうのぎしきをば、よのつねならずぞきこえし。だいりのまへにふだにかきてたてたりけり。
おもひきやはなのみやこをたちしよりかぜふくはらもあやうかりけり K114
卅五 ことしだいじやうゑおこなはるべきかといふぎぢやうありけれども、そのさたなし。だいじやうゑはじふぐわつのすゑにひがしがはにごかうして、ごけい[ごケヒ]あり。おほうち
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のきたののにさいだんじよをたてて、じんぶくじんぐをととのふ。だいこくでんのまへのりようびだう[レウビだう]のだんじやうに、くわいらうりふでんをたてて、おゆをめす。おなじきだんにだいじやうぐうのしんせんをそなふ。せいしよだうにしてしんえんあり、ぎよいうあり。だいこくでんにてたいれいおこなはる。ぶらくゐんにてえんくわいあり。しかるにこのさとだいりのていだいこくでんもなければ、たいれいおこなふべきところもなし。ぶらくゐんもなければ、えんくわいもおこなふべからず。れいぎおこなはるべき所つやつやなかりければ、しんじやうゑにてごせちばかりおこなはる。しんじやうゑのまつりをば、なほこきやうじんぎくわんにてこれをおこなはる。ごせちとまうすは、むかしきよみばらのみかど、よしののみやにておんこころをすましてことをひかせたまひしかば、しんぢよてんよりあまくだりて、
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をとめごがをとめさびすもからたまををとめさびすもそのからたまを K115
とごせいをうたひ[ウタイ]たまひて、ごどそでをひるがへす。これをごせちのはじめとす。きうとはさんもんなんとほどちかくて、ともすればだいしゆひよしのしんよをふりたてまつりてげらくし、じんにんかすがのしんぼくをささげたてまつりてしやうらくす。かやうのこともうるさし。しんとはやまかさなりえかさなりて、みちとほくほどへだたれば、たやすからじとて、せんとといふことは、だいじやうにふだうはからひいだされたりけれども、しよじしよさんのうつたへ、きせんじやうげのなげきなりけるによつて、
卅六 さんもんのしゆと、さんがどまでそうじやうをささげててんちやうをおどろかしたてまつる。だいさんどのそうじやうにいはく。
えんりやくじのしゆとらせいくわうせいきようきんげん
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ことにてんおんをかうぶりてせんとをちやうじせられむとこふしさいのじやう
みぎつつしみてあんないをかんがふるに、しやくそんゆいけうをもつて、こくわうをふぞくするは、ぶつぽふわうぼふたがひにごぢのゆゑなり。なかんづく、えんりやくねんぢゆうに、くわんむてんわう、でんげうだいし、ふかくちぎりをむすび、せいしゆはすなはちこのみやこをおこして、まのあたりいちじようゑんしゆうをあがめ、だいしはまたたうざんをひらきて、とほくはくわうのごぐわんをそなふ。そののちとししひやくくわいにおよぶまで、ぶつにちひさしくしめいのみねにかかやき、よさんじふだいをすぎて、てんてうおのおのじふぜんのとくをたもちたまふ。じやうだいのくじやう、かくのごとくなるはなきものか。けだしさんろとなりをしめ、かれこれたがひにたすくるがゆゑなり。しかるをいまてうぎたちまちにへんじて、にはかにせんかうあり。これそうじてはしかいのうれへ、べつしてはいつさんのなげきなり。まづさんぞうら、みねのあらししづかなりといへども、くわらくをたのんで、もつてひをおくり、たにのゆきはげしといへどもわうじやうをになつて[ニナツテ]もつてよをつぐ。もしらくやうゑんろをへだてて、わうくわんたやすからずは、あにこさんのつきをじしてへんぴのくもにまじはらざらむや、これひとつ。もん
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とのじやうかうら、おのおのくじやうにしたがひ、とほくきうきよをなげうててのち、とくいんつうじがたく、おんげんたへやすきとき、いちもんのせうがくら、いづくんぞさんもんにとどまらむや、これふたつ。ぢゆうさんのもののていたらく、はるかこきやうをへだつるともがら、ていきやうをかたらひてぶいくをかうぶり、いへわうとにあるたぐひは、きんりんをもつてびんぎとなす。ふもともしくわうやとへんぜば、みねにあにじんせきをとどめむや。かなしきかな、すひやくさいのほふとう、このときにたちまちにきえ、せんまんはいのぜんりよ、このよにまさにほろびなむとす、これみつ。ただしたうじは、ちんごこくかのだうぢやう、ことにいつてんのかためたり。れいげんしゆしようのがらん、またまんざんのうちにひいでたり。ところのまめつ、なんぞかならずしもしゆとのしうたんのみならむ。ほふのめつばう、あにてうかのだいじにあらずや、これよつ。いはむやしちしやごんげんのほうぜんは、こればんにんはいきんのれいぢやうなり。もしわうぐうとほくして、しやだんちかからずは、ずいりのつきのまへに、ほうれんのぞみがたく、そうシのつゆの
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もとに、きうしうながくたえむ。もしさんけいこれおろそかに、れいてつれいにたがはば、ただみやうおうなきのみにあらず、おそらくはまたかみのうらみをのこしたまはんか、これいつつ。およそこのみやこをば、これたやすくすつべからざるしようちなり。むかししやうとくたいしのきもんにいはく、「わうきあらむところに、かならずていせいをたてむ」とうんうん。たいせいとほくかんがみたまふ、たれかこれをこつしよせむ。いはむやしやうりやうびやくこことごとくそなへて、しゆしやくげんむたちまちにまどかなり。てんねんとしてよきところなり。しふせざるべからず、これむつ。かのぐわつしのりやうぜんは、すなはちわうじやうのとうぼくによづ、だいしやうのいうくつなり。じちゐきのえいがくには、またていとのうしとらにそばたつ[ソバタツ]、ごこくのしようちなり。すでにてんぢくのしようけいにおなじくして、ひさしくきもんのきようがいをはらふ。ぢぎやうのきどく、あにをしまざらむや、これななつ。かも、はちまん、かすが、ひらの、おおはらの、まつを、いなり、ぎをん、きたの、くらま、きよみづ、うづまさ、にんわじ、かくのごときじんじやぶつじ、だいしやうあとをたれ、ごんじやちをしめ、ごこくごさん
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のそうべうをたてて、しようてきしようぐんのれいざうをあんず。わうじやうのはつぱうをめぐつて、らくちゆうのばんにんをりす。きせんききやうのわうらい、いちをなす。ぶつじんりしやうのかんおう、かくのごとし。なんぞれいざうのみぎりをさけて、たちまちにむぶつのさかひにおもむかむ[ヲモムカム]や。たとひあらたにしやうじやをたてて、たとひさらにしんめいをしやうずとも、よぢよくらんにおよび、ひとごんげにあらず、だいしやうのかんかう、かならずしもこれあらじか、これやつ。これらのれいぢやうのなかに、あるいはたねんほうしして、けちえんのりやくをかうぶり、じつせきにあゆみをはこびて、しそあいせきのところあり。あるいは、しよかのうぢてらの、ふたいのごんぎやうをしゆし、しいんさうぞくして、おのづからぶつぽふをこうりゆうするところあり。しかるになましひにこうむにしたがひて、うれへながらすて、さる。あにひとのぜんをおさへ、ひじりのおうをとどむるにあらずや、これここのつ。しよじのしゆと、おのおのくじやうにしたがふとき、あしたにはほうこにまゐりて、ゆふべにはれんにやにきす。くじやうとほくうつらば、わうくわんいかん。もしほんじをすてて、もしわうめいをそむかば、とざまかうざまおそれあるに、
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しんだいこれきはまれり、これとを。むかしをおもふに、くにゆたかにたみあつくして、みやこをおこすいたみなし。いまはくにとぼしくたみきはまつて、せんいわづらひあり。これをもつて、あるいはたちまちにしんぞくをわかれて、りよしゆくをくはたつるものあり、あるいはわづかにしたくをやぶれども、うんさいにたへざるものあり。ひたんのこゑ、すでにてんちをうごかす。じんおんのいたりあにこれをかへりみざらむや。もしなほせんとあらばまつりごとしやうじやうのみちにはいして、てんしんにたがはむ、これじふいち。しちだうしよこくのてうぐ、ばんぶつうんじやうのびんぎ、にしにかはあつて、ひがしにつあり。たよりにわづらひなし。もしよそにうつらば、さだめてこうくわいあらむか、これじふに。またたいしやうぐんとりにあり、はうがくすでにふさがる。なんぞおんやうをそむきて、たちまちにとうざいをたがへむ。さんもんのぜんとら、もつぱらぎよくたいのあんをんをおもふ。ぐいのおよぶところ、いかでかかんこ[カムこ]をならさざるこれじふさん。ただしにはかにせんとある、なにごとによるぞ。もしきようどのらんげきによつては、ひやうがくすでにしづかなり、てうていなんぞうごかむ。もしきぶつのくわいいによつては、さんぼうにきしてもつてえうさいをしやすべし、ばんみんをぶしてもつて
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くわうとくをたすく[タスケ]べし。なんぞほんぐうをうごかして、わざとぶつじんゐねうのみぎりをさり、あまつさへゑんかうをくはたてて、かへりてにんみんなうらんのとがをぼんぜむ、これじふし。そもそもくにのをんできをしりぞけ、てうのえうやくをはらふこと、むかしよりこのかた、ひとへにさんもんのいとなみなり。あるいはだいしそしのはくわうをせいごし、あるいはいわうさんわうのいつてんをおうごす。あるいはゑりやうなづきをくだき、あるいはそんいつるぎをふるふ。およそみをすてきみにつかまつること、わがやまにしくはなし。ここんのしようげん、のりてじんこうにあり、いまなんぞせんとありて、このところをほろぼしたまはむとほつするや、これじふご。いはむやげううんしゆんじつのいつてうにかかやき、てんしていえふのばんだいにつたはる、すなはちこれくでうのうしようじやうのぐわんりきなり。あにじゑだいそうじやうのかぢにあらずや。とどのめいせうにいはく、「ちんはこれくでうのうしようじやうのばつえふなり。いかんぞじかくだいしのもんぜきにそむくべからざるとうんうん。いまいはく、「いかんぞせんじようをわすれて、ほんざんのめつばうをかへりみざらむや」。さんぞうのそしよう、かならずしもりにあたらずといへども、ただしよこうのらうをもつて、ひさしくさいきよをかうぶりきたれり。いはむやうつばうにおいては
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ひとりしゆとのうれへのみにあらず、かつうせいてうのおんために、かねてはまたてうみんのためなるをや、これじふろく。しかのみならず、こんどのじにおいては、ことにぐちゆうをぬきんづ。いちもんのをんじやう、あひまねくといへども、あふぎてちよくせんにしたがふ。ばんにんのひばう、りよかうに[リヨカフニ]みつといへども、ふしてごぐわんをいのり。なんぞかたくきんらうをつくし、かへりてこのところをほろぼさむとほつする。こうをはこびばつをかうぶる、あにしかるべけんやてへれば、たとひべちのてんかんなく、ただこのさいきよをかうぶらむとほつするのみ。たうざんのそんばうただこのさうにあるゆゑなり、これじふしち。のぞみこふらくはてんおんふたたびえいりよをめぐらして、くだんのせんとをとどめられば、さんぜんにんのしゆとら、きようくわ[ヰヨウくわ]たちまちにきへ、ひやくせんまんのしゆと、うつすいいよいよひさしからむ。しゆとら、ひたんのいたりにたへず。せいくわうせいきようきんげん。
ぢしようしねんしちぐわつ ぴ だいしゆほふしら
これによつてにじふいちにちに、にはかにみやこがへりあるべしときこへければ、たかきもいやしきもてをすり
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ひたひをつきてよろこびあへり。さんもんのそしようは、むかしもいまも、だいじもせうじも、むなしからざることにこそやむごとなけれ。いかなるひほふひれいなれども、せいたいもめいじもかならずごさいきよあり。これほどのだうりをもつてさいさんかやうにまうさむに、よこがみをやぶるにふだうしやうこくなりとも、いかでかなびかざるべき。にじふににち、しんゐんまづふくはらをしゆつぎよあつて、きうとへごかうなる。おほかたもつねはごふよにうへ、しんとのてい、きゆうしつひしつにして、じやうちくだりうるほへり。あくきやうやくくだりて、ふうはいよいよすさまじ。みやこがへりなくとも、もとよりきうとへくわんかうなるべきにてありければ、しさいにおよばず。にじふろくにちにしゆしやうはごでうだいりへぎやうがうなる。りやうゐんはろくはらのいけどのへくわんかう。へいけのひとびと、だいじやうにふだういげみなかへりのぼらる。ましてたけのひとびとはひとりもとどま
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らず。よにもあり、ひとにもかぞへらるるともがらは、みなうつりたりしかば、いへいへことごとくはこびくだして、このごろくかげつのあひだにざうりふしてしすゑつつ、しざいざふぐをはこびよせたりつるほどに、またものぐるはしくみやこがへりあれば、なにのかへりみにもおよばず、こきやうへかへるうれしさに、とるものもとりあへず、しざいざふぐをはこびかへすにもおよばず、まどひのぼりたれども、いづくにおちつきていかにすべしともおぼへず。いまさらにたびだちて、にしやま、ひがしやま、かも、はちまんなど、かたほとりにつきて、だうのくわいらうや、やしろのはいでんなどにたちとどまりてぞ、しかるべきひとびともおはしあひける。とてもかくても、ひとわづらはしきことよりほかはさせることなし。ひやうゑのすけむほんのことによつて、かさねてせんじをくだされていはく、
いづのくにのるにんみなもとのよりとも、はやくやしんをさしはさみて、たちまちてうゐをかろんじ、にんみんをこふりやくして、しうけんをせうりやくす。
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ことききにいるあひだ、ちゆうばつをくはへむとほつするところに、かひのくにのぢゆうにんみなもとののぶよし、みだりがはしくらいどうをなし、すでにげつしよをおくる。おのおのぎよりかくよくのぢんをむすび、かたがたくわうきでんげきのゐをかかやかす。これによつて、きうきうのともがら、わうわうおこりつのり、ぎやくぼうのはなはだしき、ここんいまだきかず。ただにていさうのぐんりよをくるしむるのみにあらず、かねてはらうにやくのてんさうをやむるあり。さいみんのおろかなる、しゆそのいやしき、ほうがのへいかいをかへりみず、みづからけうあくのくわんいうにしたがふか。これといひかれといひ、せめてあまりあり。よつてそのきようたうをはらはむがために、ついたうしをつかはすところなり。とうかいとうせんほくろくとうのみち、きやうじやくをろんぜず、らうせうをいはず、へうりちからをはげまし、ぎやくぞくをうたしむ。なかんづく、みののくにに、ようぶてんかのもの、きゆうばちやうげいのともがら、おほくそのきこえあり。もつともさいようにたる。ことにかれらにおほせて、そのへんきやうのえうがいをふさぎ、つうくわんのばうぎよにそなへしめ、すなはちいうこくのていしんをはげまして、ばう
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しんのこうせんをいたすべし。かねてはまたへんれつのあひだ、そつごのうち、そのがくわいにあらずして、たとひきようあくにくみすとも、就かこのむねをさつし、あやまちをくいぜんにかへらむ。そつとはみなくわうみんなり。ふてんはことごとくわうどなり。しりんのむね、たれかずいじゆんせざらむ。もしそれえいをとりてたわまず、ことにのぞみてこうをたつるものあらば、そのきんせつをむまのあせにはかり、たまふにふしのきうしやうをもつてす。よろしくかじにふこくし、つまびらかにゐきよくをしらしむべしてへり。
ぢしようしねん十一月八日そちのだいなごんさちゆうべん
とぞせんげせられける。かかりけれどもいつさいせんげのむねにかかわらず、いよいよひにしたがひて、ひやうゑのすけのゐにおそれて、とうかいとうせんとうのしよだうのともがら、みなげんじにしたがひけり。
卅七 十二月一日、ひやうらんのおんいのりに、あきいつくしまへほうへいしをたてらる。たう
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じあふみのくにのきようぞく、みちをふさぐあひだ、だいじんぐうのおんつかひ、しんぱつにあたわざりければ、しばらくじんぎくわんにをさめをかる。うつてのつかひ、むなしくかへりのぼりてのち、とうごく、ほつこくのげんじども、いとどかつにのりて、くにぐにのつはものおほくなびかしつつせいはひびにしたがひてつきにけり。まぢかきあふみのくににもやまもとかしはぎなむどいふあぶれげんじどもさへ、とうごくにこころをかよはして、せきをとぢて、みちをかためて、ひともとほさず
卅八 十二月一日、とさのくにのるにんふくだのくわんじやまれよしをちゆうばつせらる。かのまれよしは、こさまのかみよしともがしなん、よりともにはひとつはらのおととなり。いんじえいりやくぐわんねんにたうごくへながされて、としつきをおくりけるほどに、くわんとうにむほんおこりければ、どういのうたがひによつて、かのくにのぢゆうにんはすいけのじらうきよつねにおほせて、
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うたれけるとぞきこえし。同月、いよのくにのぢゆうにん、かはののたいふをちのみちきよ、げんじにつうじへいけをそむきて、こくちゆうをくわんりやうし、しやうぜい、くわんもつをよくりうするよしきこえければ、ひがしはみののくにまでげんじにうちとられぬ、さいこくさへまたかかれば、へいけおほきにおどろきさわぎて、あはのみんぶしげよし、びんごのくにのぢゆうにんぬかたのにふだうたかのぶほふしにおほせて、これをついたうせらる。みちきよはいかめしくおもひたちたりけれども、ちからをあはするものなかりければ、つひに高信法師がてにかかりてうたれにけり。
卅九 三日、さひやうゑのかみとももり、こまつのせうしやうすけもり、ゑちぜんのさんゐみちもり、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、させうしやうきよつね、ちくぜんのかみさだよしいげのぐんびやう、とうごくへはつかう。そのせい七千余騎にてげかう。やまもと、かしは
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ぎ、ならびにみの、をはりのげんじ、ついたうのためなり。四日、やまもとのくわんじやよしひろ、かしはぎのはんぐわんだいよしかぬをせめおとして、やがてみののくにへこえて、をはりのくにまでうちたひらぐるよしきこえければ、だいじやうにふだうすこしけしきなをりてぞみえられける。
四十 またなんとのだいしゆいかにもしづまりやらず、いよいよさうどうす。くげよりもおんつかひしきなみにくだされて、「さればなにごとをいきどほりまうすぞ。ぞんぢのむねあらば、いくたびもそうもんにこそおよばめ」などおほせくだされければ、「べちのそしようにさうらわず。ただきよもりにふだうにあひてしにさうらわむ」とぞ、ただひとくちに申ける。これもただことにあらず。にふだうしやうこくとまうすは、かたじけなくもたうぎんの御ぐわいそぶぞかし。それをすこしもはばからず、かやうにまうしけるもあさまし。およそ南都の大衆にもてんまのつきに
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けるとぞみへし。
ことばのもれやすきは、せうくわのなかだちなり。ことのつつしまざるは、しゆはいのみちなり。
といへり。ただいま事にあひなむずとぞみへし。そのうへ、さんぬるごぐわつ、たかくらのみやのおんことにより、みゐでらよりてふじやうをつかはしたりしへんてふに、へいじのせんぞのかきんを、筆を尽して書たりし事を、安からぬ事にしやうこくおもはれたりければ、「ぜひあるまじ。いそぎくわんびやうをつかはして、なんとをせむべし」といふさたあり。かつがつとて、びつちゆうのくにせのをのたらうかねやすと云さぶらひを、やまとのくにのけんびゐどころになし、三百余騎のつはものをあひぐせさせてくだしつかはす。しゆといつさいにしひず、いよいよほうきして、かねやすがもとへおしよせて、さんざんにうちちらして、かねやすがいへのこらうじゆう三十六人がくびをきりて、さる
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さはの池のはたにかけたりけり。兼康けうにしてにげのぼる。そののちは南都いよいよさうどうす。又おほきなる法師のかしらをつくりて、「だいじやうにふだうきよもりほふしが首也」とめいをかきて、ぎつちやうの玉のごとくに、あちこちうちけふみけり。入道これをつたへききて、安からぬ事なりとて、しなんとうのちゆうじやうしげひらのあつそんをたいしやうぐんとして、三万余騎のぐんびやうを南都へさしむけられけり。だいしゆこのよしをききて、ならざか、はんにやぢ、ふたつの道をきりふさぎて、ざいざいしよしよにじやうくわくをかまへて、らうせうちゆうねんをきらわず、きゆうせんをたいし、かつちうをよろひてまちかけたり。
十二月廿八日、しげひらのあつそん南都へはつかう。三万余騎をふたてにわけて、ならざか、はんにやぢへむかふ。だいしゆかちだち、うちものにてふせきたたかひけれども、
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三万余騎のぐんぴやう、馬の上にてさんざんにかけたりければ、ふたつのきどぐち、程なくやぶられにけり。そのなかにさかのしらうばうやうがくとて、きこゆるあくそうあり。うちものに取ても、ゆみやとつても、しちだいじ、じふごだいじに肩をならぶる者なし。だいぢからのつよ弓、おほやのやつぎばやのてききにて、さげばりもはづさず、ひやくどいけれどもあだやなかりける、をそろしき者也。そのたけしちしやくばかりなり。かちんのよろひひたたれに、もえぎのいとをどしのはらまきの上に、くろかはをどしのよろひをかさねてきたり。ぼうしかぶとの上にさんまいかぶとをかさねてきたり。三尺五寸のおほだちはきて、二尺九寸のおほなぎなたをぞ持たりける。どうじゆく十二人さうにたて、あしがろのほふしばらさんじふよにんにたてつかせて、てがいもんよりうちいでたりけるのみぞ、しばらくささへたりP2224ける。多くのくわんびやう、馬の足をきられてうたれにけり。されどもおほぜいしこみければ、やうがく一人たけく思ひけれどもかひなし。いたでおひておちにけり。しげひらのあつそんは、ほつけじのとりゐの前にうつたちて、しだいに南都をやきはらふ。ぐんびやうの中に、はりまのくにふくゐのしやうのげし、じらうたいふとしかたといひける者、たてをやぶりてたいまつにして、りやうばうのじやうをはじめとして、じちゆうにうちいりて、かたきのこもりたるだうじや、ばうちゆうにひをかけて、是をやく。恥をも思ひ、なをもをしむ程の者は、ならざかにてうちじに、はんにやじにてうたれにけり。ぎやうぶにかなへるともがらは、よしの、とつかはのかたへおちうせぬ。ぎやうぶにかなわぬらうそう、みもがふごせぬしゆがくしや、ちごども、にようばう、にこうなむどは、やましなでらのてんじやうの上に七八百人が程かくれのぼる。
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だいぶつでんのにかいのこしには一千七百余人にげのぼりにけり。かたきをのぼせじとははしをばひきにけり。しはすのつきのはてにてはあり。風はげしくて、ところ
どころにかかりたる火ひとつにもえあひて、おほくのだうじやにふきうつす。こうぶくじよりはじめて、とうこんだう、さいこんだう、なんゑんだう、しちゑんぢゆうのごたふ、にかいのろうもん、しゆろう、きやうざう、さんめんのそうばう、しめんのくわいらう、ぐわんごうじ、ほつけじ、やくしじまでやけてのち、にしかぜいよいよつよかりければ、だいぶつでんへふきうつす。みやうくわのもえちかづくにしたがひて、にげのぼる所の一千余人のともがら、けうくわん、だいけうくわん、てんをひびかしちをうごかす。なにとてか一人も助かるべき、皆やけしにけり。かのむけんだいじやうのほのほの底にざいにんどもがこがるらむも、これにはすぎじとぞみへし。せんまんのかばねはしちぶつの上にもえかかれり。守護の武士はひやう
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ぢやうにあたりて命をうしなひ、しゆがくのかうそうはみやうくわにまじはりて死にけり。かなしきかな、こうぶくじはたんかいこうのごぐわん、とうじいつかのうぢてらなり。げんみやうてんわうのぎようわどうさんねんかのえのいぬのとし、こんりふせられてよりこのかた、せいしゆくごひやくろくじふよさいに及べり。とうこんだうにおわしますぶつぽふさいしよのしやかのざう、さいこんだうにおわしますじねんゆじゆつのくわんぜおん、るりをならべししめんのらう、したんをまじふるにかいのろう、くりんかかやきしにきのたふ、むなしきけぶりとなりにしこそ悲しけれ。とうだいじはじやうざいふめつ、じつぽうじやくくわうのしやうじんのおんほとけとおぼしめしなぞらへて、しやくそんしよじやうだうのぎしきをあらはし、てんびやうねんぢゆうにしやうむてんわうおぼしめしたちて、たかののてんわう、おほひのてんわう、さんだいのせいしゆみづからしやうじやをこんりふし、ぶつざうをやちうし奉り給ふ。ばらもんそうじやう、りゆう
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そんりつし、らうべんそうじやう、ぎやうきぼさつ、がんじんわじやうとうのぼさつしやうじゆたち、だうししゆぐわんとしてくやうじたまひてよりこのかた、しひやくしちじふよさいになる。こんどうじふろくぢやうのびるしやなぶつ、うしつのそんようをうつししたりしそんざうも、みぐしはやけおちてだいぢにあり。ごしんはわきあひて塚の如し。まのあたりみ奉る者も、めもあてられず。はるかにつたへきくひとも、涙を流さずといふことなし。ゆが、ゆいしきのりやうぶをはじめとして、ほふもんしやうげう一巻ものこらず。わがてうはまうすにおよばず、てんぢくしんだんにもこれほどのほふめつは、いかでかあるべきなれば、ぼんじやくしわう、りゆうじんはちぶ、みやうくわんみやうじゆに至るまで、おどろきさわぎたまひけむとぞおぼえし。ほつさうおうごのかすがのだいみやうじん、いかなる事をかおぼしめすらむ、しんりよの内もはかりがたし。さればかすがのの
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露の色もかはり、みかさやまの嵐のおともうらめるさまにぞみへける。今度やくるところのだうじや、とうだいじには、だいぶつでん、かうだう、こんだう、しめんのくわいらう、さんめんのそうばう、かいだん、そんしようゐん、あんらくゐん、しんごんゐん、やくしだう、とうなんゐん、はちまんぐう、けひのやしろ、けたのやしろ。こうぶくじには、こんだう、かうだう、なんゑんだう、とうこんだう、ごぢゆうのたふ、さいこんだう、ほくゑんだう、しめんのくわいらう、さんめんのそうばう、くわんじざいゐん、にしのゐん、いちじようゐん、だいじようゐん、なかのゐん、しようやうゐん、小院、とうぼくゐん、橋志院、とうさうゐん、くわんぜんゐん、ごだいゐん、きたのかいだん、たうゐん、まつのゐん、でんぼふゐん、しんごんゐん、ゑんじやうゐん、くわうかもんゐんのごたふ、そうぐう、ひとことぬしのやしろ、りゆうざうゐん、すみよしのやしろ、しゆろう、きやうざう、おほゆや〈 ただしかまやけず 〉、ほうざう
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じふしう。このほか大小のしよもん、じぐわいのしよだうはしるすに及ばず。しかるべきところどころは、ゐんのごたふ、ちやうじやのごたふ、しめんのくわいらう、もんろう、いつさいきやうざう、しやうしよのかたぎ、さほどのもやけにけり。このほか、ぼだいゐん、りゆうげゐん、ゑんばうりやうさんう、ぜんぢやうゐん、しんやくしじ、かすがのやしろししよ、わかみやのやしろなむどぞ、わづかに残りたりける。やけしぬる所のざふにん、だいぶつでんにて千七百余人、やましなでらにて五百余人、あるみだうには三百余人、あるみだうには二百余人、ごにちにくはしくかぞふれば、そうじて一万一千四百余人とぞきこへし。いくさのにはにてうたるる所のだいしゆ七百余人がうち、四百余人がくびをば都へのぼす。そのなかににこうの首もせうせうありけるとかや。廿九日、しげひらのあつそんなんとをほろぼして、京へ帰りいらる。にふだうしやうこく一人ぞいきどをりはれてよろこばれける。それも
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りやうだいがらんのやけぬる事をば、しんぢゆうにはあさましくぞおもはれける。いちゐん、しんゐん、せつしやうてんが、だいじん、くぎやうをはじめたてまつりて、すこしもぜんごをわきまへ、物の心ある程の人は、「こはいかにしつる事ぞや。あくそうをこそうしなふとも、さばかりのがらんどもをせうめつすべしや。くちをしき事なり」とぞかなしみあひ給ける。しゆとのくびどもをば、おほちをわたして、ごくもんの木にかけらるべきにてありけるが、とうだいじ、こうぶくじのやけにけるあさましさに、わたすにおよばず、ここかしこのみぞやほりにぞなげすてける。こくさうゐんの南の堀をば、ならのだいしゆの首にてうめたりなむどさたしけり。しやうむてんわうのかきおかせ給けるとうだいじのひもんにいはく、「わがてらこうぶくせば、てんがもこうぶくせむ。わがてらすいびせば、てんがもすいびせむ」とうんうん。今くわいじんとなりぬる上は、こくどの
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めつばううたがひなし。そのうへさんぬる十一月十七日に、しけうごじのはなぶさ、ひとりさかりなるをんじやうのこずへ、みゐもつきぬ。この十二月廿八日に、さんしやうはつしきのかぜ、もつぱらあふぐこうぶくのまど、なんともほろびぬ。はつしゆうのながれことなりといへども、いちによのみなもとこれおなじ。ほんぐわんをたづぬれば、ぎよすいのちぎりこれふかし。ほんぶつをいへば、しやかじそんの眦ひあさからず。せきじつのはうえんこれかうばし、たうせいのちぐまたせつなり。やましなとをんじやうとにうすいのごとし、ほつさうとてんだいときやうだいにおなじ。ここによつて、よろこびあるときはともにこれをよろこび、うれへあるときはおなじくこれをうれふ。やましなは、われらがほんし、しやかぜんぜい、いつけをのこして、いつさいのれいちをけし、をんじやうは、によらい、ふしよのみろくじそん、さんゑをごして、さんうのせいだくをりするみぎりなり。しかるをりやうぐわつのうちにくわいじんとなりぬ。いつてんのなげき、なにごとかこれにすぎむ。いちぶつをかすめいちをくをやく、ざいくわなをおもし。いはむやなん
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とをんじやうすせんのだうたふざいほうにおいてをや。いちもんをそしりいちぶつをばうする、はかいこれふかし。いはむやほつさうてんだいすまんのぶつざうきやうくわんにおいてをや。とほくせんじようをいゐきにたづぬれば、ゑしやうてんしのぼんざいにすぎたり。ちかくあくれいをほんてうにかんがふれば、もりやのおとどのぎやくあくにこえたり。ごくあくのぶんげんはかりがたし、ぎやくしんのしやうらいそれいかむ。そもそもわがてうにちんごこくかのだうぢやうとかうして、あさゆふほしをいただいて、はくわうぶゐのごぐわんをいのりたてまつる、しかのだいじこれあり。さんがじすでにあとなし。たまたま残るえいがくも、ぎやうがくとうらんの事によつてくもにふしぬ。なのみありてしぜんのよのつきにくらく、ゆきにえいずるつとめをなげうてて、腰にさんじやくのあきのしもをよこだふ。かのてらまたなきがごとし。「さすがにほふめつのけふこのごろとは思わざりしを。こはいかなりける事やらむ」と、なげかぬ人も
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なかりけり。ちようけんほふいんの『ほふめつのき』といふふみをかかれたる、そのことばをきくぞ悲しき。やましなのさんめんのそうばうには、ごしきの花ふたたびひらけず。かすがししよのしやだんには、さんみやうのともしび更にかかやくことなし。ぶつざうきやうろんのやくるけぶりには、だいぼんてんわうのまなこたちまちにくらし。だうたふそうばうのもゆる音には、けんらうぢじんの胸をこがすらむとぞおぼえける。G25させうべんゆきたかと申す人、せんねんはちまんへまゐりて、つやせられたりける夜のじげんに、「とうだいじぶぎやうの時はこれをもつべし」とて、しやくをたまはるとみて、うちをどろきみるに、みるにまことにしやくありけり。ふしぎに思て、そのしやくを取てげかうしたまひたりけれども、「たうじなにごとにかはとうだいじつくりかへらるる事あらむずる。いかなる事やらむ」
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と、心のうちにおもひたまひて、としつきを送り給程に、このぜうしつせしのち、だいぶつでんざうえいのさた有ける時、べんくわんの中にかのゆきたかえらばれて、ぶぎやうすべきよしおほせくださる。そのときゆきたかのたまひけるは、「ちよくかんをかうぶらずして、次第にすすみ昇らましかば、今までべんくわんにてはあらざらまし。おほくのとしをへだてて、いまべんくわんになりかへりて、ぶぎやうのべんにあたる。これもぜんぜのけちえん浅からぬにこそ」とよろこびたまひて、はちまんだいぼさつよりたまはりたりししやくとりいだして、だいぶつざうえいのことはじめのひより、もたれたりけるこそありがたけれ。
平家物語第二末
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ときにおうえい廿六年つちのとのゐ三月廿日、だいでんぼふゐんのべつゐんじふりんゐんにおいて、あくひつたりといへども、かたじけなくもおんあつらへによつてこれをしよしやせしめをはんぬ。
ぎやうしきぼう
しゆひつうぢゆう
たもんまる
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(花押)
延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語 六(第三本)
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たうくわんのうちうたじふいつしゆこれあり。
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一 なんとのくわさいによつててうはいおこなはれざること
二 なんとのそうがうらくじやうをとどめらるること
三 しんゐんほうぎよのことつけたりもみぢをあいしたまふこと
四 あをゐといふをんなうちへめさるることつけたりしんゐんたみをあはれみたまふこと
五 こがうのつぼねだいりへめさるること
六 だいじやうにふだうのむすめゐんへまゐらすること
七 きそよしなかせいぢやうすること
八 げんじをはりのくにまでせめのぼること
九 ゆきいへとへいけとみののくににてかつせんのこと
十 むさしのごんのかみよしもとぼふしがくびわたさるること
十一 くこくのものどもへいけをそむくこと
十二 ぬかのにふだうとかはのとかつせんのこと
十三 だいじやうにふだうたかいのことつけたりさまざまのくわいいどもあること
十四 だいじやうにふだうじゑそうじやうのさいたんのこと
十五 しらかはのゐんきしんぢきやうのさいたんのこと
十六 だいじやうにふだうきやうしまつきたまふこと
十七 だいじやうにふだうしらかはのゐんのみこなること
十八 とうかいとうせんへゐんぜんをくださるること
十九 ひでひらすけながらにげんじをついたうすべきよしのこと
廿 ごでうのだいなごんくにつなのきやうしきよのこと
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廿一 ほふわうほふぢゆうじどのへごかうなること
廿二 こうぶくじのじやうらくゑおこなはるること
廿三 じふらうくらんどとへいけとかつせんのこと
廿四 ゆきいへだいじんぐうへぐわんじよをたてまつること
廿五 よりともとたかよしとかつせんのこと
廿六 じやうのしらうときそとかつせんのこと
廿七 じやうのしらうゑちごのくにのこくしににんずること
廿八 ひやうがくのいのりにひほふどもおこなはるること
廿九 だいじんぐうへくろがねのかつちうおくらるること
三十 りやうあんによつてだいじやうゑえんいんのこと
卅一 くわうかもんゐんほうぎよのこと
卅二 かくくわいほふしんわううせたまふこと
卅三 院のごしよにわたましあること
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平家物語第三本
一 ぢしよう五年正月ひとひのひ、あらたまのとしたちかへりたれども、だいりには、とうごくのひやうがく、南都のくわさいによつて、てうはいなし。せちゑばかりはおこなはれたりけれども、しゆしやうぎよしゆつなし。くわんばくいげ、ふぢはらうぢのくぎやう一人もまゐられず。うぢてらぜうしつによつてなり。只平家の人々ばかりをせうせうまゐりてとりおこなはれける。それも物のねもふきならさず、ぶがくもそうせず、よしのくずもまゐらず、はらかもそうせず、かたのごとくの事にてぞ有ける。ふつかのひ、てんじやうのえんすいなし。なんによううちひそまつて、きんちゆうのぎしき物さびしく、てうぎもことごとくすたれ、ぶつぽふわうぼふともにつきにけるかとぞみへし。
二 五日、南都のそうがうらげくわんして、くじやうをとどめ、
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しよしよくをもつしゆせらるべきよし、せんげせらる。きよねんとうだいじ、こうぶくじをはじめとして、だうたふそうあんみなくわいじんとなり、しゆとはわかきもおいたるも、あるいはうたれ、あるいはやきころされにき。たまたまのこるところはさんやにまじはりて、あとをとどむるものなし。そのうへじやうかうさへかやうになりぬれば、南都はしかしながらうせはてにけるにこそ。ただしかたのやうにても、ごさいゑはおこなはるべきにて、そうみやうのさたありけるに、南都のそうはくじやうをとどめらるべきよし、さんぬるいつかのひせんげせらる。さればいつかうてんだいしゆうの人ばかりぞしやうぜらるべきか、ごさいゑをとどめらるべきか、またえんいんせらるべきかのよし、くわんげきにとひて、そのまうしじやうをもつて、しよきやうにたづねらるるところに、ひとへに南都をすてらるべからざるよし、おのおのまうされける間、さんろんじゆうの僧じやうじついかうと申て、くわんじゆじに有ける僧一人しやうじて、かう
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じとしてぞかたのごとくとげられける。べつたうごんのそうじやうやうゑんも南都やけけるをみて、やまひましてうせたまひにけり。このやうゑんは元よりなさけありける人なれば、ほととぎすの泣けるをききたまひて、
きくたびにめづらしければほととぎすいつもはつねのここちこそすれ K116
とよみたまひてこそ、はつねのそうじやうともいわれ給けれ。かやうにぶつぽふわうぼふともにほろびぬるをかなしみて、つひにうせたまひにけり。げにも心あらむ人は、たえてながらうべきにあらず。むかしかの東大寺のみぐし、にはかにだいぢにおちたまへる事あり。てんがだいいちのふしぎなり。みかどおほきに驚かせ給て、をののたかむらをめして、「なんぢはしんたうをえたりと云きこえあり。このことたなごころをさしてかんがへまうせ」といふりんげんのくだされければ、たかむらかしこまりてまうされけるは、「ことしてんがにえきれいおこりて、にんみん命をうしなはむ事、
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ひやくぶがいちにのこるべし」とて、涙をながしてかなしみけり。「しかるにえんぶだいだいいちのだいがらん、かねてもつけをしめし給へるなり」とまうされければ、みかどおほきにおんなげきあつて、時のうげん、こうぼふだいし、じかくだいし、ちしようだいし、さうおうくわしやう、しんぜいそうじやうをめしあつめさせ給て、なんでんにだいだんをたてて、しちかにちはんにやきやうをかうどくせられければ、だいぶつのみぐし夜の程にほんしんにとびあがりて、ゐとくぎぎとして、そんようだうだうたり。これによつててんがのえうさいもてんじ返されたりけるにや、殊につつがもなかりけり。かかるめでたきせいぜきの、しげひらの為にほろぼされて、かみ一人よりはじめたてまつりて、しもばんみんに至るまで、心ある人は、なげきにしづみ、又なき命をうしなひけるこそ悲しけれ。九日、結摩城をせめおとして、きようど三百七十人がくびをきるよし、ひきやくをたてて申送れり。
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三 さるほどに、しんゐんひごろよりおんみだりごこちおこたらずのみわたらせ給けるが、このよのなかの有様をなげきおぼしめしけるにや、ごなういよいよおもらせおはします。かかりしかば何のさたにもおよばず。いちゐんはいかがせむとなげきおぼしめしける程に、十四日、ろくはらのいけどのにてつひにほうぎよなりぬ。おんとしにじふしち、をしかるべきおんいのちなり。しんゐんのごゆいかいにまかせて、こよひすなはちひがしやまのふもと、せいがんじと云やまでらへおくりたてまつる。御共には、かんだちめ五人、たかすゑ、くにつな、さねさだ、みちちか、今一人はみえず、そのほかてんじやうびと十人、せんぐ十人、ぐぶつかまつるとぞきこへし。くにつなのきやうのむすめ、べつたうのさんゐどのをはじめとして、ちかくめしつかはれける女房三人、おんぐしおろしてけり。あしたのかすみにたぐひ、ゆふべのけぶりとのぼりたまひぬ。うちにはごかいをたもちて慈悲をさきとし、ほかにはごじやうをみだらずれいぎを
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ただしくしたまひき。まつだいのけんわうにてわたらせたまひしかば、ばんにんをしみたてまつること、いつしをうしなへるよりはなはだし。さねくにのだいなごん、おんふえををしへ奉りおはしければ、ひとしれずあはれにかなしくぞおもはれける。てんじやうにてかのおんいみなのさたあるにつけても、「たかくらいかなるおほちにてうきなのかたみ残り、ひがしやまいかなるみねにてつひのおんすみかとさだむらむ」とおもふも悲し。おほかたはけんせいのなをあげ、にんとくのおこなひをほどこしおはします事、皆君せいじんののち、せいだくをわかたせおはしての上の事にてこそあるに、このきみはむげにえうちにおはせし時より、せいをにうわにうけさせ給て、ありがたくあはれなりしおんことどもこそ多かりしか。そのなかにさんぬるかおう、しようあんのころ、ございゐのはじめつかたなりしかば、おんとしじつさいばかりにやならせたまひけむ、もみぢをあいせさせおはして、きたのぢんには山を
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つき、もみぢの山となづけて、はじかへでのきなむどの、色うつくしくもみぢたる枝ををりたてて、ひねもすにえいらんありけれども、なほあきだらずおぼしめしけるにや、あるよのわきのはげしかりけるに、このもみぢふきたをして、らくえふすこぶるらうぜきなり。とのもりのとものみやつこ、あさぎよめせむとて、ことごとくこれをはきすてず。のこれるえだちれるこのはかきあつめて、風すさまじかりけるあしたなれば、ぬひどのの陣にて酒をあたためてたべけるたきぎにしてけり。きんじゆのくらんど、ぎやうがうより先に行て山をみるに、もみぢひとえだもなし。事の次第をたづぬるに、しかしかとまうす。くらんどてをうち、驚て、「さしも君のしふしおぼしめしたりつる物をかやうにしつる、あさましき事なり。しらず、なんぢらただいまめぶきちじやうの
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きんごくにもやせられむずらむ。はたまたるざいにもやおこなはれむずらむ」とおほせふくむ。これら誠にげらふの不覚の誤りなれば、ちからおよばず。「いかなるめをかみむずらむ」と、あへなくこうくわいえきなくて候。蔵人もいかやうなるげきりんかあらむずらむと、むねうちさわぎてゐたる処に、おんひるに成ければ、れいのもの、あさまつりごとにもおよび給わず、よるのをとどをいでもあへさせ給わず、いととくかしこへぎやうがうなりて、もみぢをえいらんあるに、ことさらあとかたなし。「いかに」とおんたづねあるに、蔵人そうすべきはうなかりければ、おそるおそるありのままにそうもんす。てんきことに御心よげにうちわらひおはして、「『りんかんにさけをあたためてこうえふをたく、せきしやうにしをていしてりよくたいをはらふ』といふことをば、それにはたが教へたりけるぞや。やさしくつかまつりたりける
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物かな」とて、かへりてえいかんにあづかりける上は、まうすにおよばず、あへてちよくかんなかりけり。かかりしかば、あやしのしづのを、しづのめにいたるまで、ただこのきみのばんぜいせんしうのごほうさんをぞいのりたてまつりける。されども人のねがひもむなしく、民のおもひもかなはざりけるよのならひこそ、悲しけれ。
四 けんれいもんゐんじゆだいのころ、あんげんのはじめのころ、中宮のおんかたにさうらわれける女房のめしつかひけるをんなわらはべの中に、あをゐといひける女を、思わざるほかのことありて、りようがんにしせきする事有て、なにとなきあからさまの事にてもなくて、よなよなこれをめされけり。おんこころざしあさからずみへければ、しゆうの女房もこれをめしつかふことなし。かへりてしゆうのごとくにかしづきけり。このことてんがにきこへしかば、当時のえうえい右云、「をんなをうみてかなしぶことなかれ、をとこをうみて
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よろこぶことなかれ」。またいはく、「男はこうにほうぜず、女はきさきとなる」。「ただいまにようごきさきにもたち、こくぼせんゐんもたちたまひなむず。いみじかりけるさいはひかな」とまうしののしるときこしめされてのちは、またあへてめさるることなし。おんこころざしのつくるにはあらず、只よのそしりをおぼしめさるるなり。されば常にはながめがちにて、よるのをとどにぞいらせたまひける。おほとのこのこときこしめして、「こころぐるしきおんことにこそあれ。まうしなぐさめまゐらせむ」とて、ごさんだいありて、「このやうにえいりよにかからせ給はば、なんでふおんことかさうらふべき。くだんのにようばうめされさうらふべし〔と〕おぼえさうらふ。ぞくしやうたづねらるるにおよばず。ただみちがいうしに候べし」と申させ給ければ、「いさとよ、おとどのまうさるるところもさる事なれども、位をしりぞきてのちは、さる事ありときけども、まさしくざいゐの時、あこめなむど云て、すそも
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なき物きて、あやしきふるまひする程の物、みにちかづく事をきかず。まろがよにはじめむ事は、こうたいのそしりたるべし。しかるべからず」とおほせありければ、ほつしやうじのおほとの、御涙をおさへて、まかりいでさせたまひにけり。そののちなにとなきおんてならひのついでに、こかをあまたかきすさませたまひおはしける中に、緑のうすやうのことににほひふかきに、このうたをぞあそばしける。
しのぶれど色にでにけりわがこひはものやおもふと人のとふまで K117
おんこころしりの蔵人、このおんてならひを取て、かのにようばうにたまはらす。あをゐ是をたまはりて、ふところにひきいれて、「ここちれいならず」とていでぬ。すなはちひきかづきてふしにけり。わづらふこと卅余日あつて、これを胸の上にあてて、つひにはかなく
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なりにけり。いとあはれなりし事なり。入道これをつたへききて、かぎりなくよろこびたまひけり。「さては今はちゆうぐうのおんかたにちかづかせ給らむ」と、常に人にとひけれども、いとどものうさのみまさらせ給へば、ちかづきおはします事もなかりけり。入道きようさめてぞおもはれける。しゆしやう是をきこしめして、御涙にむせびをわします。「きみがいちにちのおんために、わらはがひやくねんのみをあやまつとも、ことばをちせうなるじんかのをんなによせて、つつしみてみをもつてかろがろしくひとをゆるすことなかれ」とこそいましめたれとて、れんぼのおんおもひもさることにて、よのそしりをぞなほ深くなげきおぼしめしける。かのたうのたいそう、ていじんきが娘をげんちうでんにいれむとしたまふ事を、ぎちよう、「かのにようゐんにりくたいやくせり」といましめまうししによつて、てんにいるることをとどめられけむには、なほまされる御心ばせなり。又哀なりし
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事は、おぼぎけんしゆんもんゐんかくれさせたまひたりしかば、なのめならずおんなげきありけり。ていわうおんいとまの程は、あさまつりごとをとどめらるるならひにてありけるが、まつりごととどめらるること、かへりててんがのなげきたるによつて、一人をもつて一月にあて、十二日をもつて十二月にあてて、十二日すぎぬれば、おんぢよぶくある事なれば、そのひかずすぎて、おんぢよぶく有けるに、まゐりあはせたまひける人々も、「ことさらにこの御事、色にもいだされず。なにとなき、そぞろごと」ともまうしまぎらかさせ給ければ、君もさらぬていにもてなさせおはしながら、おんなげきにたへさせ給わぬおんけしき、あはれにぞみへさせたまひける。たかくらのちゆうじやうやすみちのあつそんまゐりて、すでにぎよいめしかへけるに、おんおびあてまひらせけれども、とみにむすびやらせ給わず。おんうしろよりむすびまひらせけるに、あ
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たたかなる御涙の手にかかりたりけるに、やすみちのあつそんられたへられずして、涙を流したまひけり。是をみ奉りけるくぎやうてんじやうびと、おのおの涙をながされけり。かやうになにごとにつけても、深くおぼしめしいりたるおんありさまなりしかば、ばんにんをしみたてまつること、たとへむ方なし。まして法皇のおんなげき、ことわりにもすぎたり。おんあいの道なれば、いづれもおろかならねど、このことはことにおんこころざしふかかりけるが、こにようゐんのおんはらにておはしまししかば、位につきたまひしそのきはまでも、ひとつごしよにて朝夕なじみまひらせおはしましたりしかば、たがひのおんこころざし深かりけるにこそ。きよきよねんの冬、とばどのにこもらせおはしたりしをも、なのめならずおんなげきありて、ごしよなむどたてまつらせたまひたりし事、あまつさへいつくしまごかうあつてくわんぎよののち、いくほどならずしてほう
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ぎよなりぬ。かくのごときおんことおぼしめしいだすもかなし。誠にたつときもいやしきも、をやのこをおもふは、せむ方なきわざぞかし。ましてかかるけんしゆにおくれまひらせおはしますおんこころのうちこそ、おしはかりまひらすれ。されば昔しらかはのほふわうの、ほりかはのゐんにおくれまひらせて、おんなげきありけむもことわりとおぼしめししられけり。かのほりかはのゐんのおんまつりごとをうけたまはるにこそ、この君のおんありさまたがはず、にさせおはしましたりけれ。このきみにさんだいのぞうそぶぞかし。いうにやさしく人のおもひつきまひらするやうなるすぢは、おそろくはえんぎてんりやくのみかども、かくしもおはしまさずやありけんとぞおぼへし。さんぬるえいちやうぐわんねん十二月、あるところへおんかたたがへのぎやうがうなりたりけるに、さらぬだに、けいじんあかつきにとなふるこゑの、めいわうのねぶりをおどろかすほどになりにしかば、いつもおんねざめがちにて、わうげふ
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ほうじがたき事を、とかくおぼしめしつづけけるに、いとどさゆるしもよのてんき、ことにはげはげしかりければ、うちとけてぎよしんもならず。かのえんぎのひじりの、しかいの民のいかにさむかるらむとて、ぎよいをぬがせたまひけむ事おぼしめしいだして、わがていとくのいたらぬ事をなげかしくおぼしめしつつ、御心をひそめかへしておはしけるに、はるかにほどとほく女の声にて叫ぶ声あり。ぐぶの人々はなにとききとがめられざりけるに、君きこしめしとがめて、うへぶししたるくらんどをめして、「ばんの者やさうらふ。只今叫ぶ者は何者ぞ。みて参れといへ」とおほせくださる。くらんどせんじのおもむきをおほせふくむ。ほんじよのしゆういそぎはしりてみれば、よにあやしげなるげすをんなの、つくもがみをさばきてなきゐたり。「こは何者ぞ」ととひければ、「わがみはだいりにおはしますすけどののおん
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かたのしもべなり。わがしゆうことししやうぐわつぐわんにちのあしたの、とうぐうの御物のやくにあたらせ給たる間、そのぎよいしたためむとて、ほふりんじと申所にごしゆくしよのありつるを、人にあきなひて、そのかわりをもつてぎよいをこしらへて、もつて参りつるほどに、あの山のふもとにて、おそろしげなる者二三人いできたりて、ばいとりてはべるなり。今はおんしやうぞくもさぶらひてこそ、ごしよにもさぶらわせたまひさぶらはめ。おんやがさぶらはばこそたちもいでさせ給はめ。ひかずののべてさぶらはばこそ、又もしたてさせたまひさぶらはめ。又かひがひしくたちよらせ給べき、したしきおんかたもさぶらわず。年のくれにはなりぬ。なにとすべきともおぼえず、おもひわづらひけるあひだ、せむかたのなさに、このことをおもひつづくるに、きえもうせなむとおもひさぶらふなり」とて、をめき叫ぶ。はしりかへりてこのよしを奏す。しゆしやうりようがんより御涙をながさせたまひて、「あなむざんや。いかなる
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者のしわざにや有らむ。昔夏(か)のう、をかせる者をつみすとて、涙を流したまひき。しんかのいはく、『をかせる者をつみする、あわれむにたらず』。かうのいはく、『げうのたみは、げうの心をもつて心とするゆゑに、ひとみなすなほなり。今のよの民は、ちんが心をもつて心とする故に、かだましきものあり。罪を犯す、あにかなしまざらむや』となげきたまひき。今又まろが心のすなほならざるゆゑに、かだましきものてうにありて、ほふををかす。これまろが恥也」とて、なげかせおはします。「さてとられつらん絹の色は何色ぞ」と、とはせさせおはす。「しかしか」とまうせば、「しばらくこのをんなかへすべからず」とて、ごしよをあそばして、くらんどに、「にようゐんのおんかたへ持てまひれ」とてたまはりぬ。いそぎはせかへりて、つちみかどひがしのとうゐんにわたらせたまひければ、にようゐんにまひらせたり。「よういのぎよいあらばひとかさねたまはらん」とのおんふみにてぞありける。じふにひとへをとりいだし、蔵人にぞたまはりける。是をたまはり、いそぎ
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帰てこのよしをそうするに、「かのめのわらはにとらせよ」とのおほせなりければ、すなはちぎぢよにぞたびてける。いまだ夜深かりければ、「又もぞさるめにあふ」とて、上はの者で、しゆうの女房のつぼねへおくりつかはしたりけり。わがこしらへたるよりも、事のほかに清らかにうつくしくぞありける。かのにようばうのしんぢゆう、いかばかりかありけむ。おなじころきはめてまづしきところのしゆうはべりけり。しゆうのまじはりすべきにてありけるが、そうじておもひたつべきたよりもなし。「さりとてこのこといとなまでも、衆にまじはらむ事、人ならず、只かかるみにては、よにありてもいかがはせむ。しかじ、しゆつけにふだうしてうせなむ」とぞ、おもひなりにける。さいしの事はさる事にて、なにとなふとしごろなれむつびつるしゆうのなごりせむかたなし。いはむやひごろごしたりつるせんどこうえいをもむなしくして、あさゆふまゐりちかづきつる宮の
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内をふりすてて、さんりんにるらうせむ事、心細しともおろかなり。とてもかくても、人のみに、ひんにすぎてくちをしきことなかりけりとおもひつづくるに、ぜんぜのかいとくのうすさもいまさらにおもひしられて、うちしづまるをりをりは、なくよりほかの事なかりけり。しかるにこの君、きんじゆの人々なむどに、ないないおほせのありけるは、「そつとはみなくわうみんなり。ゑんみんなんぞおろそかならむ。きんみんなんぞしたしからむ。じんをほどこさばやとこそおぼしめせども、ひとつの耳、しかいの事をきかず。くわうていはしそうしもくのしんにまかせ、しゆんていは、はちげんはちがいの臣にまかすなどいへり。されどもとほきことは、さのみそうする人もなければ、おのおのききおよぶことあらば、つげしらせまひらせよ」と、おほせおかれたりければ、あるにようばう、このところのしゆうのなげくことをききおよびて、そうもんしたりければ、
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「あなむざんや」とばかりにて、なにといふおほせもなかりけり。さいきやうのざすりやうしんそうじやう、ごぢそうではべりけるに、おほせありけるは、「りんじにおんいのりあるべし。にちじ、いづれのほふといふことはおつてせんげせらるべし。まづひやうゑのじよう一人めしつけ、こんどのぢもくにまうしなすべし」とおほす。そうじやうちよくめいにまかせて、じやうごうのひとめしつきて、くわんじゆにふる。すなはちなされにけり。そのころのひやうゑのじようのこうは、五百ひきにてありしかば、是をざすのばうにをさめおきて、にちじのせんげをあひまたれけれども、ひかずへければ、りやうしんよきついでに、もしおぼしめしわすれたるかとて、そうせられたりければ、しゆしやうおほせのありけるは、「ゑんきんしんそをろんぜず、民のうれひをばなだめばやとこそおぼしめせども、えいぶんの及ばぬはさだめて多かるらむ。深くめぐみをほどこさばやとおぼしめすなり。しかるにそれがしと云ほんじよのしゆうあり。いへのまづしきによつて、しゆうのまじはりかなひがたきあひだ、既に
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そのみをうしなふべしときこしめせども、『めいしゆわたくしあれば、ひときんせきしゆぎよくをもつてす。わたくしなければ、ひとくわんしよくじげふをもつてす』といふこともあれば、なにかは苦しかるべき。ただしよにひろうせむ事はばかりあり。ただそうじやうたまわすていにもてなすべし。おんいのりはちやうじつのみしゆほふにすぎたる事、あるべからず」とおほせくだされければ、僧正とかくのおんぺんじに及ばず。「何のだいほふひほふも、これにすぎたるおんいのりあるべからず。りやうしんがびりよくをはげましてつとめたらむ御祈、なをひやくぶがいちにおよぶべからず」とて、なくなくたいしゆつす。かのところのしゆうをにしのきやうのばうにめして、ちよくめいのおもむきをつぶさにおほせふくめて、其五百ひきをたまはらせけり。かれがしんぢゆういかばかりなりけむ。又かねだのふしやうときみつと云ふえふきと、いちわべのもちみつと云ひちりきふきとありけり。常によりあひて、ゐごをうちて、りとうらくとしやうがをして、心をすま
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しけり。二人よりあひて、ゐごだにもうちたちぬれば、せけんのこと、こうしにつけて、そうじてききもいれざりけり。あるときだいりよりとびのことありて、ときみつをめしの有けるに、れいの如くいつさいに耳にききいれず。「こはいかに。せんじのおんつかひ、とびの御事のまします」といひけれども、しやうがうちしてきかず。かちゆうのさいししよじゆうまでもおほきに騒ぎ、「いかにいかに」といひけれども、そうじてきかず。せんじの御使あざむきてかへりぬ。このよしありのままにそうもんす。いかばかりのちよくぢやうにてあらむずらむとおもひけるに、「わうゐはくちをしきことかな。かほどのすきものにともなはざりける事よ。あわれ、すいたりける者の心かな」とて、御涙を流して、あへてちよくかんなかりける上は、しさいにおよばず。
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五 そのころ、又ないしのかみのかたにほうこうして、こがうのとのとて、しないしからぬ女房のよはひはたちの数にいらざるが、ようがんびれいにして、いろかたち人にすぐれ、心の色もなさけも深かりけり。さればみるひとおもひをかけ、きくひと、心をなやまさずといふことなし。れんぜいのだいなごんたかふさのきやう、いまだちゆうじやうにておはしけるが、かの女房をみてしより、心を移したまひて、えんしよをつかはしけれども、とりもいれたまわず。さるままにはいとど心もあくがれて、よろづのぶつじんにいのり、あけてもくれてもふししづみ、もだへこがれ給ける程に、おほくのとしつきを送り、あまたの歌をよみつくしなどしければ、なさけによわるならひにて、つひにはなびきにけりとぞきこへし。こころざしふかくして、うれしなど云も中々おろかなり。かかりし程にいくほどなくて、こがうのつぼね、内へめされてまゐりたまひにしかば、たかふさ
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ちからおよばずして、あかぬ別れのかなしさは、たとへむかたもなかりけり。「よしさらばかかるためしはあるぞかし」と、心づよくは思へども、なほこひしさはわすられで、いとどなげきぞ深かりける。「せめておもひの余りには、よそながらみたてまつることもやある。ことばのすへにもやかかる」とて、そのこととなくまいにちにさんだいしたまひて、こがうのとののつぼねのまへ、みすのあたりにちかづきて、あなたこなたへゆきかよひ給へども、ことばのつてにてもかかりおはしまさず、すだれだにもはたらかず。たかふさいよいよかなしくて、いきたるここちもせざりけり。「たとひあひみる事こそかたくとも、などかたへなることばのつてにもとわれざるべき」とうらみつつ、一首の歌を書てひきむすび、おほゆかをすぐるやうにて、みすの内へぞいれ給ふ。
おもひかね心はそらにみちのくのちかのしほがまちかきかひなし K118
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かやうにありけれども、こがうのつぼね、「われだいりにめされてまゐりなむのち、いかでかおんうしろぐらく、かからむふしをみるべき」と、心づよくおもひなして、いそぎとり、つぼの内へぞなげいだし給ける。たかふさはうらめしく心うくて、人もやみるとつつましければ、いそぎとり、かくこそおもひつづけけれ。
玉づさをいまはてにだにとらじとやさこそ心におもひすつとも K119
かやうに口すさびて、なくなくまかりいでにけり。「こんじやうにはあひみむ事もかたければ、今はいきても何かせむ。ぶつじんさんぼう、ねがはくは命をめして、ごしやうを助けさせ給へ」とぞ、あけてもくれてもいのられける。かかる中にも、隆房かくぞよまれける。
こひしなばうかれむ玉よしばしだにわがおもふひとのつまにとどまれ K120
是は、人のたましひのいでてゆくをみ、人じゆもんをして、したがひのつまをむすべば、
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必ずとどまると云事あり。そのことをおもひいだして、かやうによみたまひけるにや。さすがにぢやうごふきたらねば、死する事もなかりけり。さてしゆしやうはこがうのつぼねのおんこころざしふかかりければ、ちゆうぐうをばすさめまひらせて、めさるる事まれなりければ、にふだうたいしやうこくおほきにいかりたまひて、「じやうかいが娘なむどをかやうにすさめさせたまふべき事やある。めさずとも只まひらせよ」とて、おしてはまゐらせなむどせられけり。是をぞしゆしやう御心よからぬ事におぼしめされける。かくていよいよこがうのつぼねはごちようあいいやめづらにして、そうじて中宮をおぼしめさるる事なかりければ、入道いよいよやすからず思て、いかりをなして、「あをゐ死なばさてもなくて、こがうとかやいふものをめさるなるぞ。是を取て尼になせ」とぞのたまひける。こがうのつぼね是を聞て、たちまちにみをいたづらになさむ事よしなしとて、あるくれ程に、君にもしら
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れまひらせず、人一人にもしらせずして、だいりをしのびていでつつ、ゆくへもしらずうせにけり。しゆしやうはゆくへをしろしめさねば、なげきおぼしめして、ぐごもはかばかしくまひらず、ぎよしんもうちとけならず。昼はおんまつりごともなくして、御涙にのみむせばせたまひ、夜はなんでんにしゆつぎよあつて、みづからさへゆくつきにぞ御心をなぐさめおはしける。かのたうのげんそうくわうていの、やうきひをうしなひて、はうじをつかひとしてそのゆくへをたづねしも、ほうらいきゆうにいたりて、ぎよくひといふがくをみてゆくへをたづねけり。ぎよくひのすがたをはうじみて、たへなるかたみを給はり、わうぐうへかへりけり。是ははうじもあらばこそ、そのおんゆくへをきこしめされめ。只あけくれはひとめのみしげきおもひのたえさせ給はねば、いつもつきせぬ事とては御涙ばかり也。かやうにおんなげきの色深かりけるを、入道ねたましく
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あしき事におもひまひらせて、おんかいしやくの女房、びんぢよをもよびとりて、人一人もつけまひらせずして、さんだいし給ふ。しんかけいしやうをもいさめとどめたまひければ、入道のけんゐにおそれをなして、さんだいし給ふ人もなし。あさましといふはかりなし。こまつのだいふおはしまさば、かかる御事はあらましやなむど、てんがの人々いまさらになげきあわれけり。ころははづきとをかあまりの事なれば、月はくまなくさへたれど、御涙にくもりつつ、御袖のみぞしぐれける。さよふくる程に、「人やある人やある」と、たびたびちよくぢやうありければ、げつけいうんかく一人もまゐりたまはねば、おんいらへまうすひともなし。くらんどなかくにと申けるしよだいぶ、只一人参て候けるが、「なかくにさうらふ」と申たりければ、「これへ参れ」とぞおほせける。仲国おんまへへまゐりたりければ、「近く参れ。しのびておほすべきことあり」とおほせあり
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ければ、ちよくぢやうにしたがひて、まぢかくまゐりたりけるに、しゆしやうは、御涙のりようがんにながるるを、おんたもとにおしのごわせ給ひ、さらぬやうにもてなさせたまひて、「ややなかくに、おもひかけぬ事なれども、もしこがうがゆくへばしやしりたる」とぞおほせける。仲国深くかしこまりて、「いかでかしりまひらせさうらふべき。ゆめゆめしりまひらせさうらわず」と申ければ、「まことにいかでかしるべき。せめておもひのあまりにかくはおほせくだしつるなり。まことにはこがうは、さがのへんに、かたをりどとかやしたるやのうちにありとばかり、きかせたる者のあるぞとよ。あるじがなをしらずとも、たづねてまひらせてむや」とおほせありければ、仲国、「そうじてさがとばかりうけたまはりて、たちよりておわせむずるあるじがなをしりさうらわでは、いかでかたづねてまひらせ候べき」と申ければ、「げにも」とて、又御涙にぞむせばせたまひける。仲国みまひらするにかなしくて、つくづくとさがのわたりをおもひやるに、そのころはざいけおほくもなかりけ
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れば、「たとひあるじがなをしらずとも、うちまわりてみむずるに、こがうのとのはことをひきたまひしかば、いかなりとも、このつきのあかさに、君の御事おもひいだしまひらせて、さうひきたまはぬ事はよもあらじ。うちにてひきたまひし時は、なかくにおんふえのやくにめされて参りしかば、さうのねよくききしりたり。いちぢやうたづねいだしまひらせてむ物を」とおもひて、「ささうらはば、もしやとまかりむかひて、たづねまひらせてみさうらはばや。ただしごしよなむどさうらはでは、たづねあひまひらせてさうらふとも、おんうたがひさうらふべし。ごしよをたまはりてまかりむかひてみさうらわむ」と申ければ、しゆしやうよろこばしくおぼしめして、いそぎごしよをあそばして、おほせの有けるは、「ときづかさの御馬に乗てまかりむかへ」とぞおほせける。仲国れうの御馬をたまはり、めいげつにむちをあげて、そこともしらずぞくがれ行。「をしかなくこのやまざと」とえいじける、さがのわたりの秋のくれ、さこそあはれにおぼへけめ。すでに
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さがのへんにはせつきぬ。ざいけごとにみまわれども、あやしき所もなかりけり。中にもかたをりどなるやをみては、もしこれにやおはすらむとて、駒をとどめてたちきけども、琴のねもせざりけるあひだ、片織戸のあるところもなき所も、うちまわりうちまわり、ざいけをつくし、にさんべんまでみまわれども、そうじてさうひく所なし。仲国おもひわづらひて、「こはいかがすべき。内をばたのもしげにまうしてまかりいでぬ。たづぬる人はおはせず。むなしく帰りまゐりたらむは、なかなかこころうかるべければ、これよりいづちへもうせなばや」とまでぞおもひける。もし月のあかければ、みだうなむどにやまゐりておはすらむと思て、だうだうをがみめぐれども、そこにも怪しき人もなし。せめておもひの余りに、「程近ければ、ほふりんのかたさまに参てもやおはすらむ。そなたをたづねむ」と思て、おほゐがはの橋のかたへおもむくに、北のかたにあたりて、
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かめやまのふもと近く、松のひとむらある中より、嵐のおとにたぐへて、さうのねかすかにきこへけれど、さだかにそれとおぼえねば、みねの嵐か、松風か、たづぬる人のさうのねか、いづれなるらむとあやしくて、そなたをさしてゆくほどに、こかげへうちいりぬ。こまをとどめてたちきけば、だいりにて常にうけたまはりし、こがうのとののひきたまひしつまおとなり。仲国むねうちさわぎ、いふはかりなくうれしくて、いそぎ馬よりとびおりて、いかなるがくをひきたまふらむとしづかに聞ければ、「思ふ男をこふ」といふ、さうふれんをぞひかれける。さうのね、空にすみ渡り、くもゐにひびくここちして、みにしみてぞおぼえける。さうのねをしるべにてわけいりたりければ、あれたるやどの人もなく、草のみしげく露深し。秋もなかばの事なれば、こゑごゑすだく虫のねに、琴のねぞまがひける。されば君の御事、深くこひまひらせられけるにやと、誠にあはれにおぼえ
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ければ、腰よりよこぶえをとりいだして、しのびやかにぞつけたりける。こがうのつぼねふえのねをききつけて、あさましともいふはかりなし。いそぎ琴をひきさして、とりをさめたまひてけり。仲国もさうのねきこへずなりければ、笛をもふきさしてけり。さてしもあるべき事ならねば、かねてききつるかたをりどにたちよりて、かどをほとほととうちたたくに、とがむる人もなし。こはいかがすべきと仲国おもひわづらひて、「だいりよりのおんつかひにて候。あけさせ給へ」とかうしやうにまうしけれども、なをこたふる人もなし。ややひさしくありて、内より人のいづるおとしければ、うれしくおもひてまつところに、じやうをはづして、かたをりどほそめにあけて、じふにさんばかりなる女の、ゆまきにはかまきたりけるが、「たそ」とていでたり。「だいりよりの御使」と申ければ、たちかへりこがうのとのにかたる。「よもうちからの御使にはあらじ。平家の知て人を
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つかはしたるごさむめれ」とて、「これはかどたがひにてぞさぶらふらむ。内裏より御使なむど給わるべき所にてもさぶらわず」といわせたりければ、仲国、「かくてもんだふをせば、かどたて、じやうもとざしもかけもぞする。叶はじ」とおもひつつへんじをばせで、かどをむずとをしあけていりにけり。つまどのきはのえんによりて、「これにこがうのとののみつぼねのおんわたりさうらふよし、うちきこしめされさうらひて、じつぷをみてまひらせよの御使に、仲国が参て候なり」と申ければ、なをさきの女にて、「これにはさやうの事もさぶらわず。かどたがひにてぞさぶらふらむ」と、おなじくいわせたりければ、仲国申けるは、「くちをしくもおほせごとさうらふものかな。内にておんさうあそばされさうらひしには、仲国こそ御笛の役にはめされさうらひしか。おんさうのね、よくよくききしりまひらせてさうらふに、よもききしらじなど、思われまひらせさうらひけるこそ、こころうくおぼえさうらへ。只うわ
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の空に申とやおぼしめされさうらふらむ。ごしよの候をげんざんにいれさうらわむ」とて、ごしよをとりいだし、かのをんなしていれたりければ、こがうこれをとりみたまふに、まことの御書なりければ、顔にをしあてて、なくよりほかの事なし。ややひさしくあつて、おんぺんじ書て、女房のしやうぞくひとかさねとりぐしていだされたり。仲国たまはつて申けるは、「御返事給はりさうらひぬる上は、よのおんつかひにてさうらはば、いそぎまかりいづべきにてこそ候へ。仲国ひごろ御笛の役にめされさうらひつるほうこう、いかでかむなしく候べき。しかるべくさうらはば、ぢきにおほせをかうぶりてまかりいでさうらはばや。いかやうなる子細にて、これまではいでさせおはしましさうらひけるやらむ」と申ければ、そのときこがうのつぼねみづから御返事し給けるは、「はじめよりまうしたかりつれども、よのなかのうらめしさ、みのほどのはづかしさに、かくとも申さざりつれども、あながちにうらみたまへば、さりがたくてかやうにまうす
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なり。よにかくれなき事なれば、さだめてそれにもききたまひけむ、入道のかたさまに、やすからぬ事にして、めしいだしてうしなはるべしなむどきこへしかば、こころうくかなしくて、げにもさやうの事あらば、いきながら恥を見むもうたてくて、君にもしられまひらせず、ひとひとりにもしられずして、だいりをまどひいでさぶらひし時は、いかならむふちかはに身をなげて、このよになき者と人にしられむとこそおもひしかども、人にまうしあはせしかば、『ふちかはにいりて死する者は、わがみをがいするとがにより、あくだうにおつる』なむどまうしし事のおそろしさに、今までおもひわづらひて、水の底にもしづまず、つれなくかくてさぶらへば、さだめて君は、たかふさに心をかよはして、かくされたるかなどもやおぼしめしさぶらふらむと、はづかしくこそさぶらひつれ。ただしこれにかくてあらむ事も、只よひばかりなり。あけなばおほはらの奥にたづねいり、今はおもひたつことのありつれば、ひごろは
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さうにてかくる事もなかりつれども、よひばかりのなごりなり、夜もふけぬれば、たれかはききもとがむべきと、はばかる心もなくして、さうをひきつる程に、ききいだされにけり」とて、涙もかきあへず泣給へば、仲国も是を聞て、かりぎぬの袖をぞしぼりける。ややひさしくありて、涙をおさへて申けるは、「をはらへいらせおはしまして、おぼしめしたつといふおんことは、おんさまをかへさせたまふべきにや。さやうにおぼしめしなりなば、うちのおんなげきをばいかがせさせおはしますべき。あるべからぬ御事也。只今おんむかへにまゐりさうらわむずるにて候。是をいでさせたまふべからず。あひかまへていだし奉るな」とて、共にあひぐしたる、めぶ、きちじやうなむどをとどめて、かのしゆくしよを守護せさす。わがみはれうのおんむまにうちのりて、いそぎだいりへかへりまゐりたれば、夜もほのぼのとあけにけり。「今はじゆぎよもなりぬらむ。たれしてかまうすべき」なむどおもひわづらひて、馬をばうこんの
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ぢんにすておきて、給はりたりつる女房のしやうぞくをば、はね馬のしやうじにうちかけて、じじうでんのたてじとみをなんでんのかたへ参り、げんざんの板あららかにふみならし、南殿の方へたちまわれば、しゆしやうのおんこゑにて、なんめんのおほゆかにかたぶく月を御覧じて、「南にかけり北にむかふ、かんうんを秋のかりにつけがたし。ひむがしにいで西にながる、ただせむばうをあかつきのつきにつくす」と、うちながめさせ給ふおんこゑ、けだかくあはれにきこへければ、君はいまだぎよしんもならで渡らせおはしましけりと、うれしくて、いそぎまゐりてみまひらせければ、まかりいでし時のままにて、すこしもおんはたらきもなくて、いまだよひのござにぞ渡らせたまひける。おんたもとの露けさぞそとよりもなをまさりける。げんざんの板が鳴ければ、「たそ」とおんたづねあり。「仲国」と申てかしこまる。「さていかに」ときかまほしげにおほせければ、ごぜんにかしこまりて
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おんぺんじとりいだしまひらせたりければ、しゆしやういそぎ御返事をえいらんあるに、
君ゆへにしらぬやまぢにまよひつつうきねのとこに旅ねをぞする K121
しゆしやうこれをあそばして、とかうのせんじもなかりけり。「さてもいかにしてたづねいだしたりつるぞ」とおほせありければ、「しかしか、さうのねをききいだして、たづね参てさうらひつる」とまうしければ、「いかなるがくをかひきつる」とおんたづねありけるに、「さうふれんをあそばしつる」とまうしければ、「さてはおなじこころにおもひけるにこそ」とて、いとどあはれげにおぼしめしたり。「なんぢぎつしやさたして、ぐしてまゐりてむや」とおほせければ、「かしこまりてうけたまはりぬ」とて、まかりいでにけり。ほどなく、ぎつしや、ざつしき、うしかひ、清げにいでたちて、又さがにゆきむかふ。こがうの局とりのせたてまつりて、夜にまぎれて内裏へまゐりたまひにけり。しゆしやうまちえさせおはしまして、よろこびおぼしめすことなのめならず。
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あひかまへて人目をつつまむと、とうぐうのわきどのへいれまひらせて、深くかくしおかせたまひつつ、よなよなめされけるとかや。かくていくほどなかりけるに、あらはれにける事は、こがうのつぼねだいりをいでたまはざりけるそのさきより、只ならずなりたまひて、よつきばかりになり給へる時、かかる事はいできにけり。めしかへされおはしてのち、ごさんも近くなりければ、ちからおよびたまわず、里へいでたまひにけり。ごさんじよさたし、かいしやくの女房なにくれとたづねさせたまふほどに、入道ききつけたまひにけり。「こがうはうせたりと聞たれば、そのぎはなくて、深くかくしおかれたりけり」とて、いとどいかり給けり。さる程に御産もなりぬ。ひめみやにてぞわたらせたまひける。このみやたんじやうあつて、ひやくかにちすぎて、こがうのとのともにして、せいりやうでんのそとのまにして、月をぞ御覧ぜられける。このこと入道聞て、「いかにもこがうがあらむには、よの
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なかをだしかるべしともおぼえず」とて、人にはおほせつけずして、みづから是をぞうかがひける。せいりやうでんにわたらせ給と聞て、おほゆかあららかにふむで参る。入道と御覧じければ、しゆしやういそぎいらせたまひぬ。こがうのとのはたちさるかたもなくして、きぬひきかづきてふされたり。入道枕にたちて、「なんぢはよにもはばからず、入道にもおそれずして、ちゆうぐうの御心をなやましたてまつるこそ不思議なれ」とてひきいだしつつ、みづからかみをしきりてぞすててける。こがうのつぼね心ならず尼になされて、くちをしともいふはかりなし。「あはれ、さがにておもひたちたりし時、おほはらの奥へもたづねいりて、われとさまをもかへたらば、心にくくてあるべきに、よしなくもふたたびめしかへされて、恥をみつる悲しさよ」となげきたまへども、かひもなし。をしからぬ命なれば、水の底にもいりなむとおもひたち給へども、さきにも人のいひしやうにあくだうにおちむ事、こころうくおぼゆれば、「こんじやうはかりの事、
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いつたんの恥もなにならず。ごしやうはつひのすみかなれば、じやうどをこそ願はめ」とて、つひに大原の奥にわけいりて、しばのいほりを結び、いつかうねんぶつし給けり。露もおこたる事なくあかしくらしたまひしが、よはひ八十にて、ひごろのねんぶつのこうつもり、りんじゆうしやうねんにて、わうじやうのそくわいをとげ給ふ。このこがうのつぼねとまうすは、とうぢゆうなごんしげのりのきやうのおんむすめ、ばうもんのにようゐんのおぼぎなり。しゆしやう、「わればんじようのあるじといひながら、これほどの事、えいりよに任せぬ事こそくちをしけれ。まろがよにはじめて、わうぼふのつきぬる事こそ悲しけれ」と、おんなげきありしよりして、いとど中宮のおんかたへもぎやうがうもならず、深くおぼしめししづませ給けるが、おんやまひとなり、つひにはかなくならせたまひにけりとぞうけたまはりし。じんぷうそつとにかぶらしめ、かくとくほかにあらわる。まことにげうしゆん、うたう、しうのぶんぶ、かんのぶんけいといふとも、かくこそはありけめとぞ
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おぼへし。さればごしらかはのほふわうの、この君におくれまひらせ給てのち、おほせありけるは、「よをこのきみにつがせたてまつりなば、おそらくはえんぎてんりやくのよにもたちかへりなましとこそおもひつるに、かくさきだちたまひぬる事は、只わがみのびうんのつきぬるのみならず、国のすいへい、民のくわほうのつたなきが至す所也」とぞなげかせ給ける。まぢかくこゐんのこんゑのゐんにおくれまひらせたまひたりけむ御有様、たかかた、よしのり少将といへるも、さばかりなりし人のおととい、ひとひにうせたりし、父いちでうせつしやうこれざね、母そのきたのかたのおもひなどよりはじめて、ごにでうのくわんばくもろざねこうにおくれたまひて、きやうごくのせつしやうのおもひなど、かずかずにおぼしめししれり。あさつながすみあきらにおくれて、「かなしみのいたりてかなしきは、おいてこにおくるるよりもかなしきはなし。うらみのことにうらめしきは、をさなくしておやにさきだつよりもうらめしきはなし。らうせうのふぢやうをしるといへども、なほしぜんごのさうゐにまどへり」となくなくかきたりけむも、さこそとおぼしめしし
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られ、かこつかたなき御涙せきあへず。えいまんぐわんねん七月に、第一のみこ、にでうのゐんもうせさせ給にき。第二の御子たかくらのみや、ぢしよう四年五月にうたれさせたまひぬ。げんぜごしやうとたのみたてまつりたまひつる、だいしのみこ新院さへ、かやうにさきだちたまひぬ。今はいとど御心よわくならせ給て、いかなるべしともおぼしめしわかず。らうせうふぢやうはにんげんのならひなれども、ぜんごさうゐは又しやうぜんのおんうらみなを深し。〔ひ〕よくのとり、れんりの枝と天にあふぎ、星をさして、おんちぎりあさからざりしけんしゆんもんゐんも、あんげん二年七月七日、秋風なさけなくして、夜はの露ときえさせたまひしかば、雲のかけはしかきたへて、あまの河のあふせをよそにごらむじて、しやうじやひつめつ、ゑしやぢやうりのことわりをふかくおぼしめしとりて、としつきをへだつれども、きのふけふのおんわかれのやうにおぼしめして、御涙もいまだかわきもあへず。このおんなげきさへうちそい
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ぬるぞまうすはかりなき。ちかくめしつかわれしともがら、むつまじくおぼしめしし人々、あるいは流され、あるいはちゆうせられにき。今はなにごとにかぎよいをもやすめさせ給べき。さるままには、いちじようめうでんのおんどくじゆおこたらず、さんみつぎやうぼふのごくんじゆも積れり。こんじやうのまうねんおぼしめしすてて、只らいせのおんつとめよりほか、たじおわしまさず。中にもしかるべきぜんぢしきかなとぞおぼしめしける。てんがりやうあんになりにしかば、うんしやうびとはなのたもとをひきかへて、ふぢのころもになりにけり。昔くわさんのほふわうのうせさせおはしましたりしに、ひやうぶのみやうぶそのおんかなしみにたへずして、「こぞのはるさくらいろにていそぎしをことしはふぢのころもをぞきる」と、よみたりしも、おもひいでられてあはれなり。こうぶくじのべつたうごんのそうじやうけうえんも、がらんえんしやうのけぶりをみて、やまひつきてほどなくうせられにけり。誠にこころあるひとの、たへてながらうべきよともみへず。
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法皇のごしんぢゆう、まうすもおろかなり。「われじふぜんのよくんにむくいて、ばんじようのほうゐをかたじけなくす。しだいのていわう、思へばこ也、まごなり。いかなればばんきのせいむをとどめられて、としつきを送るらむ」なむど、ひごろおんわづらひのやすむかたなかりける上、新院の御事さへうちそいぬれば、ないげにつけておぼしめし〔し〕づませおはします。にふだうたいしやうこく、このおんありさまつたへききて、いたくなさけなくふるまひたりし事を、おそろしとやおもはれけむ、
六 廿七日、大政入道のおとむすめの、あきいつくしまのないしが腹に、十七になりたまひけるを、院へまゐらせたまひて、じやうらふにようばうあまたぐせさせ、くぎやうてんじやうびとおほくぐぶして、にようゐんまゐりのやうにぞ有ける。かかるにつけても、法皇は、こはなにごとぞと、すさまじくぞおぼしめしける。たかくらのゐんかくれさせたまひてのち、わづかに十四日にこそ
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なるに、いつしかかるべしやはと、きつねめかしくおぼしめしあわれけり。されどのちにはにようごだいにて、ひがしのおんかたとぞ申ける。こゐんの御時も、二人ながら院へまゐらせむとし給けるを、かどわきのさいしやうあるべからざるよしまうされければ、おもひとどまりたまひにけり。女房の中に、とりかひのだいなごんこれざねのむすめおわしけり。おほみやどのとぞ申ける。いちでうのだいなごんのおんむすめをばこんゑどのと申けるも、ゐられけれども、中に大宮殿ぞおんけしきはよかりける。おんせうとのさねやす、これすけ、二人一度に少将になされにけり。ゆゆしくきこへしほどに、さがみのかみなりふさがごけ、しのびて参けるに、姫君いできたまひにけり。二人のじやうらふにようばうもほいなきことにぞおぼしめされける。大宮殿はのちにはへいぢゆうなごんちかむねのきやう時々かよはれけり。きたのかたにもならずして、おもひものこそくちをしけれ。こんゑどのは後はくらうはうぐわんよしつねが
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ひとつばらのおとと、じじゆうよしなりになたたれけるぞ、うたてくきこへし。かのよしなりはうぐわんよにありし程は、むしやだちてゆゆしかりしが、はうぐわんさいこくへおちし時、むらさきのとりぞめのからあやのひたたれに、赤をどしのよろひに、あしげなる馬に乗て、判官のしりに打たりしが、だいもつの浜にてちりぢりとなりける所より、いづみのくにへまどひありきたりけるが、いけどりにてかうづけのくにをばたといふ所へながされて、さんねんありけるとかや。こんゑどのはけがされたるばかりにてほいなかりけり。
七 しなののくにあづさのこほり、きそと云所に、ころくでうのはんぐわんためよしが孫、たてはきのせんじやうよしかたがじなん、きそのくわんじやよしなかと云者、九日、こくちゆうのつはものしたがひつくこと、千余人に及べり。かのよしかた、さんぬるにんぺい三年なつのころより、かうづけのくにたごのこほりにきよぢゆうしたりけるが、ちちぶのじらうたいふしげたかがやうくんになりて、
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むさしのくにひきのこほりへかよひけるほどに、たうごくにもかぎらず、りんごくまでもしたがひけり。かくてとしつきをふるほどに、きうじゆ二年八月十六日、こさまのかみよしともがいちなん、あくげんだよしひらが為に、おほくらのたちにて、よしかたしげたかともにうたれにけり。そのときよしなか二歳なりけるを、母なくなくあひぐして、しなののくににこへて、きそのちゆうざうかねとほといふものにあひて、「これやしなひておきたまへ。よのなかはやうある物ぞかし」なむど、打たのみいひければ、兼遠是をえて、「あないとほし」と云て、きそのやましたと云所でそだてけり。二才より兼遠がふところの中にて人となる。よろづおろかならずぞ有ける。このちごかほかたちあしからず。色白く髪多くして、やうやう七才にもなりにけり。こゆみなむどもてあそぶ有様、まことにすゑたのもし。人これをみて、「このちごのみめのよさよ。弓いたるはしたなさよ。誠のこか、
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やうじか」なむどとひければ、「是はあひしるきみのちちなしごをうみて、兼遠にたびたりしを、ちの中よりとりおきてさうらふが、父母と申者なうて、中々よく候ぞ」とぞこたへける。さて十三と申ける年、をとこになしてけり。打ふるまひ、物なむどいひたる有様、誠にかしこげなり。かくて廿年がほど、かくしおき、やういくす。せいぢやうするほどに、ぶりやくの心たけくして、きゆうせんの道、人にすぎければ、かねとほ、めに語りけるは、「このくわんじやぎみ、をさなきよりてならして、我もことおもひ、かれも親と思て、むつまじげなり。朝夕のめしもの、夏冬のしやうぞくばかりはわびさせず。法師になつて、まことの父母、やしなひたるわれらがごしやうをもとぶらへとおもひしに、心さかざかしかりしかば、故こそ有らめと思て、男になしたり。たがをしうとなけれども、ゆみやとりたる姿のよさよ。又さいくのこつもあり、力もよの人にはすぎたり。馬にもしたた
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かにのり、空をとぶとり、ち走るけだもののやごろなる、いはづす事なし。かちだち、馬の上、まことに天のさづけたるわざなり。さかもりなむどして、人もてなし遊ぶ有様もあしからず。さるべからう人の娘がないひあはせむとおもふ。さすがにそれもおもふやうなる事はなし。さればとて、むげなるわざをばせさせたくもなし。よろづたのもしきわざかな」とほめたりけるほどに、あるときこのくわんじや云けるは、「今はいつをごすべしともあらず。みのさかりなる時、京へのぼりて、くげのげんざんにもいりて、先祖のかたき、平家をうちて、よをとらばや」と云ければ、かねまさうちわらひて、「そのれうにこそわどのをば、これほどまではやういくし奉りつれ」と云てぞわらひける。義仲さまざまのはかりことをめぐらして、平家をひきみむために、しのびて京へのぼる。人にまぎれてよるひるひまをうかがひけれども、平家の運
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のさかりなりければ、ほんいをとげざりけり。義仲ほんごくへ帰りくだりたりけるに、兼雅、「都の物語し給へ」と云ければ、「きやうをわうじやうと云けるもよくぞ申ける。さいはうにたかきみねあり。もしの事あらば、にげこもりたらむに、きと恥にあふまじ。ろくはらはむげのいくさどころ、西風の北風吹たらむ時、ひをかけたらむに、なにものこるまじとこそみへて候へ。何事もみやこあることでさうらふぞ」とぞ云ける。あけくれすぐるほどに、平家このこともれききて、おほきに驚て、ちゆうざうかねまさをめして、「よしなかやしなひおき、むほんをおこし、てんがをみだるべきくはたてあるなり。ふじつになんぢがかうべをはぬべけれども、今度ばかりはなだめらるるぞ。せんずるところいそぎ義仲を召取てまゐらすべき」よし、きしやうをかかせて、兼雅をほんごくへかへしつかはす。兼雅きしやうもんをばかきながら、としごろの養育むなしくならむ事をなげきて、おのれが命のうせむことをばかへりみず、
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きそがよとらむずるはかりことをのみぞ、あけてもくれてもおもひける。そののちはよのきこへをおそれて、たうごくのだいみやう、ねのゐのこやたしげののゆきちかと云者に義仲をさづく。ゆきちかこれをうけとりて、もてなしかしづきけるほどに、こくちゆうにたてまつりて、「きそのおんざうし」とぞ云ける。ちちたごのせんじやうよしかたがやつこで、かうづけのくにのようじ、あしかががいちぞくいげ、皆木曽にしたがひつきにけり。さるほどに、いづのくにのるにんひやうゑのすけ、むほんをおこして、とうはつかこくをくわんりやうするよしきこえければ、義仲も木曽のかけぢを強くかためて、しなののくにをあふりやうす。かのところは、信乃国にとりては、さいなんのかど、みののくにざかひなれば、都も近くほどもとほからずとて、へいけの人々さわぎあへり。「とうかいだうはひやうゑのすけにうちとられぬ。とうせんだう又かかれば、しうしやうするもいはれあり」とぞ、人は申ける。是を聞て平家のさぶらひどもは、
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「なにごとかさうらふべき。ゑちごのくにじやうのたらうすけながきやうだい、たせいのものなり。きそよしなか、信乃国のつはものをかたらふとも、じふぶがいちにもおよぶべからず。只今にうちてたてまつりなむずぞ」と云けれども、「とうごくそむくだにも不思議なるに、ほつこくさへかかれば、これただことにあらず」とぞ申ける。
八 廿八日、とうごくのげんじをはりのくにまでせめのぼるよし、かのくにのもくだいはやむまをたてて申たりければ、ゐのときばかり、ろくはらのへんさわぎあへり。既に都へうちいりたるやうに、ものはこびかくし、とうざいなんぼくへもちさまよふ。馬にくらおき、はらおびをしめければ、きやうぢゆうさわぎて、こはいかがせむずると、じやうげまどひあへり。きないよりのぼる所の武士のらうどうども、ひやうらうまいのさたなく、うゑにのぞむあひだ、じんかにはしりいりて、きものくひものうばひとりければ、一人としてをだしからず。廿九日、うだいしやうむねもりのきやう、きん
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ごくのそうくわんにふせらる。てんびやう三年の例とぞきこへし。
九 じふらうくらんどと云源氏、みののくにがまくらといふところにたてごもりたりけるを、へいけのせいいたいしやうぐんさゑもんのかみとももりのきやう、ちゆうぐうのすけみちもりのあつそん、させうしやうきよつね、さつまのかみただのり、さぶらひにはをはりのかみさだやす、いせのかみかげつないげ、三千余騎にてはせくだりて、うへの山よりひをはなちたりければ、こらへずしておひおとされて、たうごくなかはらといふところに、せんよきのせいにてたてごもりたるとぞきこへし。平家、あふみ、みの、をはりさんがこくのきようど、やまもと、かしはぎ、にしごり、ささきのいちぞくうちしたがへてければ、平家のせい五千余騎になりて、をはりすのまたがはと云所につきぬとぞきこへし。二月なぬかのひ、だいじんいげの家々にて、そんじようだらに、ふどうみやうわうをかきくやうしたてまつるべきよし、せん
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げせらる。ひやうらんのおんいのりとぞ聞へし。そのじやうにいはく。
きやうねんよりこのかた、しよこくしづまらず、さいきしきりにあらわれ、ひやうがくかたがたおこる。そのへうじのしいきをおもふに、ひとへにまえんのいたすところか。ぶつりきをかるにあらずよりは、なにをもつてじんしよをやすんぜむ。よろしくじんじやぶつじしよししよか、およびごきしちだうしよこくにげぢして、ふどうみやうわうのざうのうつし、そんじようだらにのせふしやづしや、たいすうへんすうをあらはし、ただそのちからのかんぷをまかすべし。そのかずのたせうをさだむることなかれ。くやうをによせつにとげて、やくなんをみてうにはらへてへり。
ぢしよう五年二月七日 さちゆうべん
又くげよりてうぶくのほふのために、ぢやうろくのだいゐとくを、ひとひにざうりふくやうし奉るべきよし、だいじやうにふだううけたまはりて、ざうりふせられたりけり。おんだうしにはばう
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かくそうじやうめされけり。すでにくやうぜらるべきにて、ばうかくらいばんにのぼりけるが、まづそうしまうしけるは、「これはたれをてうぶくし候べきやらむ」とそうしければ、たうざのくぎやうてんじやうびとよりはじめて、「こはなにごとぞ。ことあたらしや。べちのしさいのあるか」とぞおぼえたる。「このそうはものぐるはしきものかな」とささやきあひ給へり。院もおぼしめしわづらはせ給て、「只ゐちよくの者をてうぶくすべし」とおほせくだされければ、ばうかくすでにかねうちならして、「あらたにざうりふくやうせられたまへり、ぢやうろくのだいゐとくのざう」といひいだしたりけるに、ぶついもいかがおぼしめしけむ、だいゐとくのざうたちまちにわれたまひにけり。「ゐちよくの者は平家なり。ざうりふのせしゆはにふだうしやうこくなり。まことにみやうりよはかりがたし。まつだいなれども、仏法はいまだつきざりけり」と、たつとく不思議なりしことどもなり。このほか諸寺のみどきやう、諸社のほうへいし、
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だいほふひほふ、のこるところなくおこなはれけれども、そのしるしもなし。「源氏只せめにせめのぼる。なにとしたらば、はかばかしき事のあらむずるか。只人くるしめなり。神はひれいをうけ給わずと云事あり。あやまちは心のほかなれば、さんげすればてんず。平家のふるまひは余りなりつる事なり」と云て、そうりよもかんぬしもいさいさとて、おのおのかしらをぞふりあひける。
十 九日、むさしのごんのかみよしもとぼふしがくび、ならびにおなじくしそくいしかはのはんぐわんだいよしかぬをいけどりにして、けんびゐししちでうがはらにて武士のてよりうけとり、くびをごくもんのきにかけて、いけどりをばきんごくせらる。みるものかずをしらず、しやばえくにじゆうまんしてをびたたし。りやうあんのとし、ぞくしゆおほちをわたさるることまれなり。されどもかうわ二年七月十一日、ほりかはのほふわうほうぎよののち、おなじき三年正
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月廿九日、つしまのかみみなもとのよしちかが首を渡されたりしれいとぞきこへし。かのよしもと、こむつのかみよしいへが孫、ごらうびやうゑのじようよしときがこ、かはちいしかはのこほりのぢゆうにんなり。ひやうゑのすけよりともにどういのあひだ、たちまちにちゆうりくせらるるこそむざんなれ。またとうごくのうつて、うだいしやうむねもり「われくだらむ」とのたまひければ、「ゆゆしくさうらひなむ。君のおんくだりさうらはば、たれかはおもてをむくべき」なむど、じやうげしきだいして、おのおのわれをとらじといでたちて、国々のぐんびやうをめしあつめらる。くぎやうてんじやうびとして、とういほくてきついたうすべきよしのせんじをくだされければ、おのおのくだるべきよしりやうじやうまうさる。
十一 十三日、うさのだいぐうじきんみち、ひきやくをたててまうしけるは、「くこくのぢゆうにんきくちのじらうたかなほ、はらだのしらうたいふたねます、をかたのさぶらうこれよし、うす
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き、へつぎ、まつらたうをはじめとして、あはせてむほんをくはたて、ださいふのげぢにしたがはず」とまうしたりければ、「こはいかなる事ぞ」とて、てを打てあさみけり。とうごくのむほんのかぎりと思て、さいこくをばてむしやなれば、めしあげてかつせんせさせむずるやふにたのみたれば、しようへいのまさかど、てんぎやうのすみともが一度にとうざいにらんげきをこしし事にあひにたりとて、おほきにさわぎ給へり。ひごのかみさだよしが申けるは、「ひがことにてぞさうらふらむ。いかでかしやつばらはわがきみをばそむきまひらせさうらふべき。とうごくほつこくはきんだちにまかせまひらせ候。さいこくはてのしたにおぼえさうらふ。さだよしまかりくだりさうらひてしづめ候べし」と、たのもしげにぞ申ける。
十二 十七日、あふみ、みのりやうごくのきようどがくびども、しつでうがはらで武士のてより
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けんびゐしうけとる。おほちをわたしてごくもんにかく。そのむまのときばかりに、いよのくによりひきやくきたりてまうしけるは、「たうごくのぢゆうにんかはののすけみちきよ、こぞのふゆよりむほんをおこして、たうごくだうごのさかひなるたかなほのじやうにたてごもりたりけるを、びつちゆうのくにのぢゆうにんぬかのにふだうさいじやく、かれをうたむとて、びんごのともより千余騎にてかはのがたちへおしよせて、みちきよをせむ。よるひるここのかのほどたたかひけれども、たがひに勝負をもけつせざりき。ここにさいじやくがをひ、ぬかのしちらうこれしげと云者、じやうの内にせめいりて戦けるところに、いかがしたりけむ、たちをうちひらめける所を、みちきよよきひまと思て、馬のくびより足を越して、『えたり、をう』とて、ぬかのしちらうにひきくみたり。これしげしばらくからかひて、じやうげをあらそひけれども、ちから劣りなりければ、いけどられてじやうないへおしこめらる。うきめにぞあひた
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りける。この処にをりをえて、みちきよがしやてい、ほうでうのさぶらうみちつねといふもの、かつにのりて、じやうないよりしゆうじゆうくつばみをならべてかけいだし、戦ひけり。さいじやくをひをとられてやすからず思ひ、今をかぎりとおもひきりてたたかひけるに、みちつねがらうどうをうちとり、只一人に成て戦けるを、さいじやくたせいの中にとりこめて、通経をてどりにして、さいじやくししやをもつていわせけるは、『城内にもいけどりさうらふらむ。さいじやくまたいけどりをたいせり。とりかへてゆみやにつけてはたがひに勝負をけつすべし』と申たりければ、みちきよまうしけるは、『かたきにいけどらるる程のふかくじんをば、いけてなににかはせむ。只きるにすぎたる事なし』とて、ししやのみるところにて、ぬかのしちらうこれしげをきる。使者帰てこのよし云ければ、『こたふるにきみなし』とて、北条三郎ひきいだしてきらむとする処に、みちつねまうしけるは、『ゆみやとるならひ、いけどらるる事も常のならひ也。
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おなじきやうだいのあひだになさけなきこそくちをしけれ。ひとひのいとまをゆるし給へ。たちのあんないしやなり。てびきしてみちきようちおとすべし。そののちのししやうはにふだうどののはからひなり』と申ければ、さいじやくゆるしてけり。そのよのねのこくばかりに、北条三郎をあんないしやとして、うしろのくちよりおしよせて、時をはとつくりて、竹林に火をかけ、いちじがほどせめければ、じやうないのつはものども、下にはけぶりにむせび、上にはかたきせめければ、こらへずして、とるものもとりあへず、おちにけり。たいしやうぐんかはののすけみちきようたれけり。ちやくしかはののしらうみちのぶは、かはののじやうをおちて、いはみのくにへひきて渡る。ぬたのにふだうは、かはののすけ、おなじくしやていかはののじらうみちいへいげ、しかるべきものどものくび、卅六取て京へのぼせ、わがみはあきのぬたのじやうにぞこもりける。ここに通清がやうじ、いづもばうそうけんといふそうあり。
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これはへいけのただもりがこなり。だいぢからのかうのものなり。いくさいぜんにたぎやうしたりけるが、これをきき、いそぎいよへこえて、舎弟みちのぶにたづねあひて、さいじやくをうかがひけるほどに、さいじやくうんのきわむる事は、さんぬるきさらぎひとひのひ、むろたかさごのいうくんどもめしあつめて、あさうみにてふなあそびしけるほどに、いへのこらうどうども、いそに下りひたりて、さいじやく只一人のこりたりけり。いづもばうさらぬやうにて船にのり、ともづなをしきり、さいじやくをば、ふなばりにしばりつけ、おきをさしてこぎいづる。いへのこらうどうは、しばしは入道のこぐとこころえて、目もかけず。しだいにおきのかたへとほくなりければ、『あれはいかにあれはいかに』とまうせども、又船もなければちからおよばず、ぬけぬけととられにけり。いづもばうは夜に入て、有るなぎさに船をこぎつけて、みちのぶをたづぬる処に、かはののしらうぬたのがうよりおほぜいそつして、をぢ北条三郎うちとりて、ならびに
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おほごのげんざういけどりて、出雲房にゆきあひぬ。二人のかたきをいけどりて、おのおのよろこびて、たかなほのじやうにゐてかへりて、おほごをばはつつけにして、さいじやくをばのこぎりをもつて、なぬかななよにくびをきりてけり。これによつて、当国には、新井、たけちが一族をはじめとして、皆河野にしたがひ候なり。そうじてしこくのぢゆうにんはことごとくとうごくによりきつかまつりたりけり」とまうしたりければ、入道は何事もかきみだりたるここちして、とうごくへうつてをむくれば、ほつこくおこりてせめのぼらむとす。さいこくをしづめむとすれば、わたくしのかつせんあり。又くまののべつたう、たなべのほふいんたんぞういげ、よしの、とつがはのあくたうらまでも、くわらくをそむき、とういにぞくするよしきこゆ。とうごくほつこくすでにそむきぬ。なんかいさいかいしづかならず。げきらんのずいさうしきりにしめし、ひやうがくたちまちに起り、ぶつぽふほろび、またわうぼふなきが如し。わがてう只今うせなむとす。こは心うきわざかなとて、平家の一門
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ならぬ人も、物のこころわきまへたる人はなげきあへり。十七日、さきのうだいしやうむねもり、法皇のごぜんにまゐられたり。常よりも心よげなるけしきして、すくすくと参りてさうらわれければ、法皇にがわらわせ給てごらんぜらる。だいしやうかしこまりて申されけるは、「入道まうしあげよとまうしさうらひつるは、世に有らむとつかまつるは、君のおんみやづかへのためなり。またふたつなきいのちうばはむとつかまつるかたきをば、今もたづねさたつかまつるべく候。それに君もおんかたうどしおぼしめすまじく候。そのほかのことはなにごともてんがのまつりごと、もとの如くおんぱからひあるべくさうらふ」と、まめやかにまうされければ、法皇おほせのありけるは、「しかるべき運命のもよほすやらむ、この二三年なにとなくよのなかあぢきなくて、ごしやうの事よりほかに思われねば、今は世のまつりごとにこうじゆせむとも思わず。只おのおのにこそはからはせめ。さなきだにもこころうきめをみるに、あな
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よしな」とおほせありければ、むねもり又申けるは、「いかにかくはおほせたまふ。はるかに入道は親ながらも、をそろしき者にて候。このことまうしかなへず候はば、『君のおんけしきのあしきか、入道をにくませたまふか』とて、ふくりふしさうらひなむず。只『さきこしめしつ』とおほせさうらへかし」とまうされければ、「さればこそいへ、いかにもはからへとは」とおほせられて、おんきやうをとらせたまひてあそばしければ、宗盛少しけしきかはりて、ごぜんをたたれけり。是をうけたまはる人々ささやきあわれけるは、「なにとなくよのなかそぞろくあひだ、入道さすがおそれたてまつり、かくまうすなるべし。あな事もおろかや、てんがの事は法皇のおんぱからひぞかし。なにとおんぱからひとはまうすぞ」とぞいひあひける。とうごくのげんじむほんのこと、かさねてまうしおくるあひだ、せんじをくださる。
そのことばにいはく。
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いづのくにのるにんみなもとのよりとも、ならびにかひのくにのぢゆうにんおなじくのぶよしら、ひとへにらうれいをくはたて、しきりにうがふをはげます。けいびんのぞくたうをむすび、ぐしゆんのともがらむれをなす。せいばついまだあらはれず、やうやくじゆんげつをおくる。れいみんのうれへ、ときとしてやすまず。よろしくゑちごのくにのぢゆうにんたひらのすけながにおほせて、くだんのともがららをついたうすべし。そのこうかうにしたがひて、しゆしやうをくはふべしてへり。
ぢしよう五年正月十六日 させうべん
つぎのひまたかさねてせんじをくださる。そのことばにいはく。
いづのくにのるにんみなもとのよりともは、ちちよしともざんけいにおこなはるるとき、よりともそのとがをおなじくすべきに、はやくくわんいうのじんによつて、すでにしざいのけいをまぬかる。しかのみならず、そぶためよし、くびをはねらるといへども、とたうのしよりやうといひ、らうじゆうのでんゑんといひ、みななだめおこなはるるは、じんくわのいたりなり。しかるにむなしくりゆうくわうのきうせうをわすれ、みだりがはしくらうれいのしんぼうをたくむ。かひのくにのぢゆうにんみなもとののぶよし
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いげ、くにぐにのげんじみなかふりよくするをもつて、けいびんのぞくたうをむすび、ぐしゆんのともがらむれをなす。ぼうあくのはなはだしきこといまだあらず。これはそれそつとのひん、みなこれわうぢなり。ふてんのした、たれかこうみんにあらずや、わうじもろいことなし。てんちゆうさだめてくははらむ。しかるにせいばついまだあらはれず、じゆんげつやうやくつもる。れいみんのかなしみ、えいりよにいささかなし。よろしくちんじゆふのしやうぐんふぢはらのひでひらにおほせて、かのともがららをついたうせしむべし。でんぶやさうのたぐひなりといふといへども、これをみわすれくにをうれふるしなからんや。しやうぐんのしよくしやうのために、はいしのきんせつをはげまさざらむや。そのくんこうにしたがひて、ふしのしやうをくはふべしてへり。
ぢしよう五年正月十七日 さちゆうべん
おなじき十九日、ないだいじんむねもりをもつて、そうくわんしよくにふせらる。 せんげのじやうにいはく。
そうくわんじやうにゐたひらのあつそんむねもり
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おほす、てんびやうさんねんのれいにまかせて、くだんのひとをもつてかのしよくにふす。よろしくごきないならびにいがいせあふみたんばとうのくにをじゆんさつせしめ、けつとしふしゆうのたうをさぐりとらへ、せいをかりてごふだつし、らうせうをとり、ひんせんをあふりやくするともがら、ながくとうぞくのえうげんをきんだんすべし。
ぢしよう五年正月十九日 させうべんゆきたか
十三 廿七日、さきのうだいしやうむねもり、すせんぎのせいをそつして、関東へくだりたまふべきにていでたちたまひけるほどに、にふだうたいしやうこくれいならぬここちいできたるよし有ければ、「けしからじ」と云人も有けり、又、「としごろもかたときもふれいの事おわせざりつる人の、かやうにおわすれば、たとひうつたちてのちききたまひたりとても、おんかへりあるべし。まして京よりこれを御覧じおきながら、みすてたてまつりてたちたまふべきやうなし」と、めんめんに有ければ、とどまり給にけり。廿八日には、だいじやうにふだうぢゆうびやうをうけたまへりとて、ろくは
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らのへんさわぎあへり。さまざまのいのりどもはじまるときこへしかば、「さみつる事よ」とぞ、たかきもいやしきもささやきつつやきける。やまひつきたまひける日より、水をだにものどへいれたまはず。しんちゆうねつする事、ひのもゆるがごとし。ふし給へるにさんげんがうちへいるもの、あつさたへがたければ、近くあるものまれなり。のたまふ事とては、「あたあた」とばかり也。すこしもただこととおぼへず。にゐどのよりはじめて、きんだち、したしきひとびと、いかにすべしともおぼへず、あきれてぞおわしあひける。さるままには、けんぷ、いとわたのたぐひはいふにおよばず、むまのくら、かつちう、たち、刀、弓、やなぐひ、しろかね、こがね、しつちんまんぼうとりいだして、じんじや、ぶつじにたてまつる。だいほふ、ひほふ、数をつくしてしゆしたてまつる。おんやうじ七人を以て、によほふにたいさんぶくんをまつらせ、のこるところのいのりもなく、至らぬれうぢもなかりけれども、次第に重くなりて、すこしもしるしもなし。しかるべきぢやうごふとぞみへける。入道はこゑいかめしき人にておわしけるが、こゑもわ
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ななき、息もよわく、事のほかによはりて、身のはだへ赤き事は、しゆをさしたる者にことならず。ふきいだす息の末にあたる者は、ほのほにあたるににたり。うるふ二月ふつかのひ、にゐどのあつさたへがたけれども、びやうぶをへだて、枕近くゐよりて、なくなくのたまひけるは、「おんやまひひびにおもくなりて、たのみすくなく見へ給ふ。おんいのりにをいては、心の及ぶ程はつくしさぶらひつれども、そのしるしなし。今は只ひとすぢにごしやうの事を願ひ給へ。又おぼしをく事あらば、のたまひおき給へ」とまうされければ、入道くるしげなるこへにて、いきのしたにのたまひけるは、「われへいぢぐわんねんよりこのかた、てんがを足の下になびかして、みづからかたぶけむとせし者をば、じじつをめぐらさず、たちまちにほろぼしにき。ていそだいじやうだいじんにいたりて、えいぐわ既に子孫に及べり。一人としてそむくものなかりしかば、いつてんしかいに肩をならぶる人やありし。されども死と云事、
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ひとごとにあるをや。われひとりがことならばこそはじめておどろかめ。ただし最後に安からずおもひおくことあり。るにんよりともがくびをみざりつる事こそくちをしけれ。しでのやまを安くこゆべしともおぼえず。入道ししてのち、ほうおんついぜんのいとなみゆめゆめあるべからず。あひかまへてよりともがくびを切て、わがはかの上にかけよ。それをぞ草の影にても、よろこばしくは思わむずる。子息、さぶらひは深くこのむねをぞんじて、頼朝ついたうのこころざしをさきとすべし。ぶつきやうくやうのさたにおよぶべからず」とぞゆいごんしたまひける。だいしやうよりはじめて、ごしそんどもまで、なみゐてききたまひけり。いとど罪深くおそろしくぞおぼゆる。そのひのくれほどに、入道やまひにせめふせられたまひて、せいめいがじゆつ、だうまんがいんをむすびていのりけれどもしるしなし。余りのたへがたさに、ひえいさんせんじゆゐんといふところの水をとりくだして、石の船にいれて、入道それにいりてひやしたまへども、下の水は上にわき、
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上の水は下へわきこぼれけれども、すこしもたすかり給ここちもし給はざりければ、せめての事にや、板に水をくみながして、そのうへにふしまろびてひやし給へども、なほもたすかるここちもし給わず。のちはかたびらを水にひやして、にけんをへだてて、なげかけなげかけしけれども、ほどなくはしばしとなりにけり。かかへをさふる人一人もなし。よそにてはとかくいひののしりけれどもかなわず。後にはひさげに水をいれて胸の上にをきければ、ほどなくゆにぞわきにける。もんぜつびやくちして、七日と申しに、つひにあつちじににしにけり。むまくるまはせちがひ、じやうげさわぎののしり、きやうぢゆうはぢんくわいにけたてられて、くれにてぞありける。きんちゆうせんとうまでもしづかならず。いつてんの君のいかなる事おわしまさむも、これほどはあらじとぞみへし。おびたたしなむどはなのめならず。ことし六十四にぞなりたまひにける。七八十までもあるひともあるぞかし。
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おいじにといふべきにあらざれども、しゆくうんたちまちにつきて、てんのせめのがれざれば、立てぬぐわん、残れるいのりもなかりけれども、ぶつじんも事により、時にしたがふことなれば、そうじてそのしるしなし。すまんぎのぐんびやうありしかども、ごくそつのせめをばたたかふことあたわず。いつかのきんだちもおほくとも、めいどのつかひをばしへたぐるにおよばず。いのちにかわり、身にかわらむとちぎりし者もそこばくありしかども、たれかはひとりとしてしたがひつきし。しでの山をば只一人こそこえたまふらめとあはれなり。つくりおかれしざいごふや身にそふらむ。まかしくわんには、「めいめいとしてひとりゆく、たれかぜひをとぶらはむ。しよいうのざいさん、いたづらにたのいうとなると」あかし、くしやろんには、「さいしやうしてなんぢいませいゐをすぎぬ。ししてつひにまさにえんまわうにちかづくべし。ぜんろにゆかんとほつするに、しらうなし、ちゆうげんにすまんことをもとむるに、しよしなし」と申て、えんまわうのつかひはかうきをもきらわず、たましひをうばうごくそつはけんぐを
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えらぶ事なし。やうきひ、りふじんのたへなりし姿、ごづめづはなさけをのこさず。そとほりひめ、をののこまちが心のやさしかりし、あはうらせつははづる事もなかりき。しんのしくわうのこらうの心ありし、りやうのぶわうのゆうのたけかりし、よりみつ、よりのぶがはかりことのかしこかつしも、めいどのつかひにはかなはざりき。むかしきんぶせんのにちざうしやうにんの、むごんだんじきにしておこなひするあひだ、ひみつゆがのれいをにぎりながら、しにいりたる事はべりけり。地獄にてえんぎのみかどにあひまひらせたる事ありき。「地獄にきたる者、ふたたびえんぶだいに帰る事なしといへども、汝はよみがへるべき者也。わがちち、くわんぺいのほふわうのめいをたがへ、むしつをもつてすがはらのうだいじんをるざいせしつみによりて、地獄におちて、くげんをうく。必ずわがわうじにかたりて、くをすくふべし」と仰有ければ、かしこまりてうけたまはりけるを、
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「めいどは罪なきをもつてあるじとす。しやうにんわれうをうやまふ事なかれ」とおほせられける事こそ悲しけれ。けんわう、せいしゆ、なほ地獄のくげんをまぬかれ給はず。いかにいはむや入道のひごろのふるまひのていにておもふに、ごせのありさま、さこそはおわしますらめとおもひやるこそいとほしけれ。「是はただことにあらず。こんどうじふろくぢやうのるしやなぶつをやきたてまつりたまひたるがらんのばつを、たちどころにかぶり給へるにこそ」と、ときのひとまうしけり。だいじやうにふだううせたまひしのち、てんがに不思議のことどもおうかせり。にふだううせたまはむとて、さきなぬかに当りけるやはんばかりに、入道のつかひたまひける女房、不思議の夢をぞみたりける。たてぶちうちたるはちえふの車の内に、炎をびたたしくもへあがりたり。そのなかに「無」と云もんじをふだに書てたてたりけるを、あおきおにとあかきおにと二人、福原のごしよ、東のよつあしのもんへひきいれければ、にようばうゆめごごちに、「あれはいづくよ
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りぞ」といふ。きじんこたへていはく、「につぽんだいいちのがらん、しやうむてんわうのごぐわん、こんどうじふろくぢやうのるしやなぶつやきたてまつりたる、がらんのみやうばつのがれがたきによつて、だいじやうにふだうとりいれむずる、えんまだいわうのおんつかひ、くわしやをもてきたるなり」と云ければ、女房みるも、みのけいよだちて、おそろしなむどはなのめならず。あさましと思て、女房、「さてあのふだはなにぞ」といへば、「永くむけんたいじやうの底にいれられむずるめしうとなるが故に、『無』と云じをば書たる也。これむけんぢごくのふだなり」とまうすと思ければ、夢さめてけり。こころさわぎひやあせたりて、をそろしなむどはおろかなり。かのにようばうこのゆめみたりけるによつてやまひつきて、にしちにちといふに死にけり。はりまのくにふくゐのしやうのげし、じらうたいふとしかたといふもの、なんとのいくさはてて、都へかへりてさんがにちと云に、ほむら身にせむるやまひつきて死にけるこそおそろしけれ。正月にはたかくらのゐんのおんことかな
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しかりしに、わづかになかひとつきをへだてて、またこのことあり。世の中のむじやう、今に始めぬ事なれども、是はことにあはれなり。七日、ろくはらにてやきあげて、こつをばゑんじつほふいんがくびにかけて、福原へ取てをさめてけり。さてもそのよ、六波羅の南にあたつて、二三十人ばかりがこゑしてまひをどるものありけり。「うれしや水」といふひやうしを取て、をめきさけびて、はやし、ののしり、はとわらひなむどしけり。たかくらのゐんうせさせ給て、てんがりやうあんになりぬ。そのごちゆういんの内に、大政入道うせられぬ。しかもこよひ六波羅でくわさうしけるさいちゆう、かかるこゑのしければ、「いかさまにも人のしわざにあらず。てんぐのしよぎやうでぞ有らむ」とおもひけるほどに、ほふぢゆうじどののごしよのさぶらひ二人、東のつりどのに人をあつめてさかもりをしけるほどに、酒にゑひてまひけり。ゑつちゆうのせんじもりとし、ごしよのさぶらひ、さゑもんのじようもと
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いへにたづねければ、「ごしよのさぶらひ二人がけつこうなり」と申て、かの二人のともがらからめとりて、うだいしやうのもとへあひぐして参る。事のしさいをたづねられければ、「あひしりてさうらふものあまたきたりてさうらひつるに、酒をすすめさうらひつるほどに、にはかにものぐるひのいできて、そぞろにまひさうらひつるなり」と申ければ、「とがにしよするにおよばず」とて、すなはちおひはなたれにけり。「ゑひぐるひとは云ながら、さしもやあるべき。てんぐのつきにけるよ」とぞ人申ける。こうぶくじのひつじのさるのすみ、ひとことぬしのみやうじんとてやしろあり。かのやしろの前におほきなるもくげんじの木あり。かのぜうまうの火、このきのうつろにいりて、けぶりたちけり。だいしゆのさたで、水をくみてたびたびいれけれども、けぶりすこしもたちやまず。水をいれけるたびごとは、煙少したちまさり、このもと近くよるものむせびければ、むつかしとて、そののちさたもせず。ななつきにおよぶまできえざりけり。大政入道しにたまひてのち、かの
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ひきえにけり。これもそのころのものがたりにてぞありける。人のしぬるあとには、あやしの者だにも、ほどほどにしたがひて、てうぼにれいじせんぼふなむどよませて、かねうちならすは常のならひなり。是はくぶつせそうのいとなみにもおよばず、ほうおんついぜんのさたにもあらざりけり。あけてもくれにて、いくさかつせんのいとなみよりほかのたじなかりけり。うたてくこころうかりし事也。「入道一人こそおわせねども、としごろひごろさばかりたくはへをきたりししつちんまんぼうはいづちかゆくべき。たとひいかにゆいごんしたまひたりとも、などかをりをりのぶつじけうやうせられざるべき」と、人だんしをする事なのめならず。つくりみがきたりしはつでうどの、さんぬるむゆかのひやけぬ。人の家のやくることは常の事なれども、をりふしかかるもあさまし。なに者のつけたりけるやらむ、ほうくわとぞきこへし。何者かいひいだしたりけむ、
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「むほんのともがら、はつでうどのに火をさしたり」ときこえければ、きやうぢゆうは地をうちかへしたるが如し。さわぎののしる事をびたたし。じやうげ心をまどわすことひまなし。まことにあらむ事はいかがせむ。かやうにむなしきこと常にさしまじへて、さわぎあへる事の心うさよ。いかになりなむずる世やらむ。天狗もあれ、あくりやうもこはくて、平家の一門、うんつきなむとぞおぼへし。このにふだうの運命やうやくかたぶきたちしころ、家にさまざまのくわいいどもありける中に、不思議の事の有けるは、むまやにたてられたりけるひさうの馬の尾に、ねずみの巣をくひて、子をうみたりけり。とねりあまたつきて、よる昼なでかふ馬の尾に、ひとよの内にすくひ、子をうむ事、かへすがへすありがたくこそきこえしか。入道おほきにおどろきて、おんやうじ七人にうらなはせられければ、おのおの「重きつつしみ」とぞ申ける。これによりて、やうやうのごぐわんたてられけり。其
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馬はおんやうじやすちかぞたまはりける。黒き馬のひたひじろにてぞ有ける。名をばもちづきとぞ申ける。さがみのくにのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちかが、とうはつかこく第一のめいばなりとて、たてまつりたりし馬也。このこと昔も今も不思議にて、ためしあるべしともおぼえぬ事也。昔てんちてんわうぐわんねんみづのえのいぬ四月に、れうのおんむまにねずみのすをくふことありけり。それもおどろきおぼしめして、おんかんなぎなどいのられけるにも、「おんつつしみあさからず」と申けり。さればかのみよにおくぜめなむど云事有て、よのなかしづかならず。そののちいくほどもなくて、天皇もほうぎよなりてけり。このほかさまざまの不思議おほくありけり。福原のしゆくしよの、つねのごしよとなづけられたる坪のうちにうゑそだて、あさゆふあいし給けるごえふの松の、へんしが程にかれにけり。入道のめしつかひけるかぶろの中に、てんぐあまたまじはり
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て、常にでんがくのこゑして、どどめきけり。おほかたさまざまの不思議ども有けり。
十四 そもそも入道最後のやまひの有様はうたてくして、あくにんとこそ思へども、まことにはじゑだいしの御真なりといへり。いかにして慈恵大師の御真としらむといへば、つのくにせいてうじと云所あり。村の人は「きよし寺」ともまうすなり。かのてらのぢゆうりよ、じしんばうそんゑと申けるは、もとえいさんのがくと、たねんほつけのぢしやなりけるが、だうしんをおこし、ぢゆうさんをいとひて、この処にぢゆうして年を送りければ、人皆これをきえしけり。しかるにしようあんにねんみづのえのたつ十二月廿二日ひのえのたつの夜、けうそくによりかかりて、れいのごとくにほつけきやうをよみたてまつりけるほどに、うしのこくばかりに、夢ともなくうつつともなくて、年十四ばかりなる男の、
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じやうえにたてえぼしにて、わらうづはばきしたるが、たてぶみをもつてきたれり。そんゑ、「あれはいづくよりの人ぞ」と問ければ、「えんまわうぐうよりのおんつかひなり。しよじやうさうらふ」とて、そのたてぶみをそんゑにわたす。かのじやうにいはく、くつしやうえんぶだいだいにつぽんごくつのくにせいちようじのそんゑじしんばうみぎ、きたる廿六日のさうたん、えんまらじやうだいこくでんにおいて、じふまんにんのぢきやうじやをもつて、じふまんぶのほつけきやうをてんどくせらるべし。よろしくさんぎんせらるべしてへれば、こくわうのせんによつて、くつしやうくだんのごとし。
しようあん二年みづのえのたつ十二月廿日ひのえのたつうしのときえんまのちやう
とかかれたりけり。尊恵いなびまうすべき事ならねば、りやうじやうのうけぶみを書てうけたまはるとみて、さめにけり。ひとへにしきよのおもひをなして、ゐんじゆくわうやうばうに
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語る。人皆不思議とおもへり。尊恵くちにみだのみやうがうをとなへ、心にいんぜふのひぐわんをねんず。やうやく廿五日のやいんにおよびて、じやうぢゆうのぶつぜんに至り、ねんぶつどくきやうす。既にうのこくにいたりて、ねぶりせつなる故に、かへりてぢゆうばうにうちふす。ここにじやうえの装束の男二人いできたりて、早く参ぜらるべきよしすすむるあひだ、わうせんをじせむとすれば、はなはだその恐れあり。さんけいをくはたてむとすれば、さらにえはつなし。このおもひをなす時、二人のどうじ、二人のげそう、しつぽうのだいしや、おのづからばうの前にげんず。ほふえじねんに身をまとひ、肩にかかる。尊恵おほきによろこびて、そくじに車にのる。しゆそうらさいほくのかたにむかひて空を飛て、えんまらじやうに至る。わうぐうをみるに、かちゆうべうべうとして、その内くわうくわうたり。そのうちにしつぽうしよじやうのだいこくでんあり。かうくわうごんじきにして、ぼんぶののぼる所にあらず。
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そのだいこくでんのしめんにして、おのおのちゆうもんのらうあり。おのおのろうもん高く広くして、皆ことごとく美をつくし、めうをきはめたり。そうじてきゆうでん、ろうかく、くわくの内にじゆうまんして、しようけいすべからず。しかるにかの大極殿の四面のちゆうもんのらうにして、おのおの十人のみやうくわんあり。十万人のぢきやうじやをはいぶんして、おのおの一面に座につかしめをはりて、大極殿の前にして、かうじ、どくし、かうざに登り終てのち、十万人の僧どくきやうをはりて後、みやうくわんかたかたへたちわかれて、みなぢきやうじやの名どころを記しをはりて、二部のくわんじゆをえんまわうに奉る。しんじ終て後、しゆそうかへりさる。しかるあひだ、尊恵南方の中門に立て、はるかにだいこくでんをみるに、みやうくわんみやうしゆ、皆ことごとくえんまほふわうの前にあつまる時、尊恵、「たまたまのさんけいなり。えんま法皇、冥官冥衆にふだんきやうとうをくわんじんせむ」と思て、大
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極殿にいたる。そのあひだ二人のどうじかいをさし、二人のじゆうぞう箱を以て、十人のげそううしろをひきて、やうやくあゆみちかづく時に、えんま法王、冥官冥衆、ことごとくをりむかひて内へいるるに、ぜんごを論ず。尊恵さいさんじたいする時、えんま法皇もんをじゆしていはく、
「もしほつけきやうをもてる者は、そのみはなはだしやうじやうなる事、かのじやうるりの如し。しゆじやうみなきけんす。又きよくあきらかなるかがみの、ことごとくもろもろのしきさうをみるがごとし。ぼさつしやうじんをもちて、皆世のあらゆる所をみる。しかればすなはち、やくわうぼさつ、ゆぜぼさつ、二人のじゆうぞうに変ず。たもんてん、ぢこくてん二人のどうじ、じふらせつによ、十人のげそうにげんじて、ずいちくきふじし給ふ。このゆゑにごばうのじゆうぞうら、まづいりたまふべし」と云々。そのとき尊恵らいりんをわつてのち、えんま法皇とてのたまはく、「よの
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僧は皆ことごとく返りさりぬ。ごばうきたる事なにらぞや」。尊恵こたへていはく、「ごしやうのざいしよをうけたまはらむがためなり」。王のたまわく、「つのくににわうじやうのちいつところあり。せいちようじはそのひとつなり。すなはちこれしよぶつきやうぎやうのち、しやかみろくのげんしよなり。わうじやうふわうじやうは人のしんぷしんにあり」といひうけて後、みやうくわんにちよくしてのたまわく、「このごばうのさぜんのふばこ、ほうざうにあり。とりいだして、いつしやうのうちのじぎやうくわんたのひもんをみせ奉るべし」。冥官これを承て、一人のどうじにちよくす。童子是を承て、すなはちほうざうにゆいて、ひとつのふばこを取てもてまゐる。冥官はこを開きをはりて、まづひとつにはゆづうどくきやうのひもんをみせしむ。くわんじんいご十か年之間、けつしゆ四千一百人が内、しばうのしゆう二百三人、そのなかにわうじやうの人九人あり。けだいのしゆう二千三百十二人なり。かくのごときのにんじゆ年々にげんせうして、当時のかうどく
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ねんぶつの衆、一千五百八十五人也。そうじて十か年の間のどくきやうのぶすう、かんぢやう一百一十万六千七百八十四部、読経二千一百四十万べん。ふたつにはしんどくのほつけきやう三万六千七百五十四部、念仏卅六万七十二へむ、だいはんにやけうしゆほん、さつはんにやほん、なんしんげほん、じゆりやうほん、くどくほん、あんじゆつがふ二万一千二百巻べちのひもんにあり。みつにはそとばのしやきやう十五部おのおの十巻、石の写経十五部各の十巻、そしの写経十八部各の十巻碑文にあり、よつには千日のふだんきやう六千十二部、にちべつのかうきやういちざ別の碑文にあり、五には百部のによほふきやう書写のくわんの内、じぎやう廿五部、くわんた六十三部各の十巻、みしやきやふ十二部之内、をうやしうしやこんどうの経一部碑文にあり、むつには六十巻書写のくわんのうち、既にうつしし四十三巻、宮十七官別の碑文にあり。又せいちようじにしておこす
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所の七種のせいぐわん、一にはえいたいのじやうとう別の碑文にあり、二にはえいたいのふだんきやうにちべつのかういちざならびにちやうがうとう、三にはぶつぜんのみちやうさんげん別の碑文あり、四にはしやかみだみろくさんぶつぎやうざう別の碑文あり、五にはこんどうのあかつきくぜんべちのひもむあり、六には金銅のしやりたふならびにみこし別のひもむあり、七には十種のくくわむの具、金銅のはな、たまのはたとうべちのひもむあり。みやうくわんかくのごとくのじぎやうをさんげし、くわんたをかんぢやうして、もくろくひもんをみせしむるとき、そんゑ取ていはく、「そもそもゆづうどくきやうのしゆう、しよこくにさんざいして、すでに十か年をへたり。いかがそのざいしよをしり、いかがそのけだいしばうをかくのごとく、さんげもくろくし給や」。みやうくわんこたへていはく、「ろくだうしゆじやうのけんみつのしよさ、なにごとかじやうはりの鏡にあらわれざる。もしふしんに及ばば、じやうはりの鏡をみ給べし」とうんうん。尊恵かの鏡をみるに、「あくじは悪事と共に、ぜんじは
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善事と共に、ざいしよみなことごとくあらわる。いちじいじやうかくれあることなし。かのかがみにあらわるるゆゑに、われらがとしごろのしよさしよぎやう、えんま法皇、みやうくわんみやうしゆいかがごらむじけむ」と思て、ひたんていきふす。「ただしねがはくは、えんま法皇、われらをあいみんして、しゆつりしやうじのはうぼふを教へ、しようだいぼだいのぢきだうを示し給へ」。このことばをなす時、えんま法王けうけしてしゆじゆのげをじゆす。時にみやうくわんふでをそめていちいちに是をかく。
さいしわうゐざいけんぞく しきよむいちらいさうしん
じやうずいごふきけばくかい じゆくけうくわんむへんざい
ひによせんだら くちゆうしとしよ ふふこんしぢ にんみやうやくによぜ
しにちいくわ みやうそくすいげん によせうすいぎよ しうがらく
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せかいふらうこ によすいまつはうえん によとうげんおうたう しつしやうおんりしん
ずいちくあくにんしや ぎやくとくむりやうざい げんぜむふくらい ごしやうさんあくしゆ
たんらくどくじゆ ほつけきやうしや めつざいしやうぜん りしよあくしゆ
がきやうやうだい ふだんどくじゆ のうくわんしよくわん かいたうさぶつ
せつによしゆぎやう ほつけきやうしや しゆうしやうごくらく しようだいぼだい
がきやうによせつ けやこんごん やうだいふきふ しよとくくどく
じつぱうしよぶつ かくいせんぜつ たごふせんぜつ ふかきゆうじん
このげをかきをはりて、えんま法王このせいごんをなす。「われいつさいしゆじやうのために、くわんじんのもんを書写す。これをけんもんするたぐひ、たれかほつしんせざらむや。永く文を持て、あまねくきせんをすすめ、広くじやうげをこしらへて、じぐわんを果しとげ、たぐわんをじやうじゆすべし。
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これうえんのいんえんをいんだうし、むえんのしゆじやうをけうけするはうぼふなり」。かくのごとくけうかいしをはりてのち、すなはちこのもんをふぞくす。そんゑ付属をくわんぎし、ゆやくしてこのことばをなす。「につぽんだいじやうにふだうじやうかいと申す人、つのくににわだのみさきをてんぢやうして、しめんじふよちやう、同じむねに家を作り、千人のぢきやうじやをはいぶんして、ばうごとに一面に座につけ、えんまぐうのぎしきのごとく、じふまんそうどくきやうせつぽふ、ていねいにごんぎやうを致すべき」よし申す時に、ずいきかんたんしていはく、「くだんの入道はただひとにあらず。じゑそうじやうのけしん、てんだいのぶつぽふごぢの為に、につぽんにさいたんせる人也。必ずこのもんをもつてかの人にしらすべし」といふ。
きやうらいじゑだいそうじやう てんだいぶつぽふおうごしや
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じげんさいしようしやうぐんしん あくごふしゆじやうどうりやく K122
またのたまはく、「むかし土佐の国ひらやまのしやうにんは、かつらのだいなごんのにふだうなり。しかるにこんじやうにしゆつけにふだう、ほつしんしゆぎやうの故に、ごくらくにわうじやうすべき人なり。しかるにしゆくじきとくほんをうゑたるゆへに、げんぜあんらくにして、ごしやうにはごくらくにうまるべき人也。しかればすなはちかのひとびとにちぐけちえんして、わうじやうごくらくのそくわいをとぐべし」。かくのごとくえんま法王のけうかいをかぶつて、だいこくでんのなんばうのちゆうもんへいづる時、くわんし十人もんぐわいにたちて、車にのせてぜんごに従ふ。すなはちそらを飛て返りきたる。尊恵官使の返りさるをみて、大極殿へふたたび帰りいりしとき、えんま法王、みやうくわんみやうしゆいたり向ひ、内へいりしとき、前後を論ぜしに、えんまわうのじゆしたまひし所の「にやくぢほつけきやう」のもんと、又「によじやうみやうきやうのもんと、ふたつの文をじゆし、心にけうなむ
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さうのおもひをなして、なぬかといひける正月二日ひのえのとらのいぬのときに、よみがへりをはむぬ。尊恵このじやうを以て、大政入道に奉り、えんまわうにまうしつるが如く、つひにしゆくぐわんを果してけり。さてこそきよもりをばじゑそうじやうのさいたんなりと人しりけれ。「ただし清盛ごんじやならば、ごんは必ずじつをひかむが為に世にいづる事也。あくごふを作り、ぶつぽふをほろぼして、じつしやの為に何のせむか有べき」と、人ごとにうたがひおもへるふしんあり。しやくけうの中にこのことはりを釈するに、「ゐのししこがねのやまをする。かぜくらちうをます」といへるほふもんあり。「ゐのししこがねのやまをする」といふは、ゐのししこがねの山をうがてば、こがねあらわれて、やまこんじきの光にあらわる。「風くら虫をます」と云は、せけんに「くら」と云虫あり。風ふけばただようて、あやうくみゆれども、風に当るごとにせいおほきになりまさりて、ちからことにつよくなる。ごんじやのりやくをほどこす事、
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このたとへにことならず。人の為にえきあるべき時には、罪を作りても
りやくをます。ぜんあくともにりやくをなす事、きにしたがひてふどうなり。さればいちだいけうしゆのしやかによらい、ごしゆほふりんを転じて、しゆじやうをりやくしたまひしに、九十五種のげだうのきほひおこりて、によらいのけだうをもちゐずして、利益にかからざりし時、だいばだつたうまれて、九十五種のげだうの長者として、さんあく、じふあくとうのつみを作て、によらいをあらそひたまひき。そのざいごふにむくひて、いきながらげんしんにだいぢわれてむけんぢごくにおちしかば、他のしたがへるげだうども、だいばだつたぢごくにおつるをみて、皆おそれをののき、じやけんの心ををさめて、によらいに従ひ奉る。それよりのちにこそ、しやかのけだうじやうじゆせしめたまひしか。如来のしやうをばぼさつなを是をしらず。ごんじやのけだうをば、ぼんしんはかる所にあらず。てうだつむけんぢごくにおちてのち、しやくそんの御弟子をつかはして、てう
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だつをとぶらひてのたまはく、「むけんぢごくのくるしみは、いくらほどかたへがたき」と問給ければ、てうだつこたへてまうさく、「むけんぢごくの苦みは、第三種のらくにひとしく」とぞ答申ける。このことばをきくには、地獄のほのほの中にても、なをあくしんををさめずして、によらいをあざむき奉るかと思へども、によらいりやうじゆせんにして、ほつけきやうときたまひしには、「いちぶつとくだうはいちじようほつけの力也。このほつけきやうをえし事は、てうだつを師として、せんざいきふじのこうによつて習へり」と、昔のいんえんをときたまひき。さてこそ「てうだつは只の調達にあらず。ごんじやの調達なりけり。地獄の苦みも、只の苦しみにはあらず。くらくふにのむねにたつして、第三種のらくにひとし」とはこたへたりとおもひしられてたつとけれ。されば清盛もごんじやなりければ、調達があくごふにたがわず。ぶつぽふをほろぼしわうぼふをあざける、そのあくごふげんしんにあらわれて、最後にねつびやうをうけ、もつごにしそんをほろぼし、善を
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すすめ、悪をこらすためしにやとおぼへたり。又善悪はいちぐの法なれば、しやくそんとてうだつとおなじきしゆしやうにうまれて、善悪の二流をほどこす。そのやうにきよもりもしらかはのゐんのみこなり。しらかはのゐんは、こうぼふだいしのかうやさんをさいこうせしきしんぢきやうしやうにんのさいたんなり。しやうくわうはくどくのはやしをなし、ぜんごんのとくをかねまします。清盛はくどくもあくごふも共にこうをかさねて、世の為、人の為、りやくをなすとおぼへたり。かのだつたとしやくそんと、おなじきしゆしやうのりやくにことならず。かかる人なりければ、じんぎをうやまひ、仏法をあがめ奉る事も人にすぐれたり。「ひよしのやしろへ参られけるにも、いちの人のかも、かすがなどへおんまうであらむも、これほどの事はあらじ」とぞみへし。てんじやうびと、せんぐも、かんだちめなむどやりつづけなむどしてぞおはしける。ひよしのやしろにては、ぢきやうじやのかぎりえらびて、せんぞうくやうありけり。ありがたく、ゆゆし
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かりし事也。
十五 そもそもしらかはのゐんをきしんぢきやうしやうにんのさいたんとしる事は、しんかけいしやう、せんとうのごいうえんのみぎりにて、しゆじゆのごだんぎありける中に、「たうじてんぢくにしやうじんの如来しゆつせして、せつぽふりしやうし給とききおよばむに、こころざしをすすめあゆみをはこびて、参てちやうもんすべしや」と申さるる人有ければ、だいじんくぎやうめんめんに「皆参ずべし」とまうされけるに、がうちゆうなごんまさふさのきやう、いまだそのころはみまさかのかみにて有けるが、まうされけるは、「人々はおんわたりさうらふとも、まさふさは渡りさうらふまじ」とぞまうされける。そのときげつけいうんかく、おのおのぎしんをなして、「こはいかに。みなひとのわたるべきよしおほせらるる処に、まさふさ一人わたらじとまうさるるは、子細いかに」と云。まさふさかさねてまうしていはく、「ほんてうじちゐきの間ならば、よのつねのと
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かいなれば、安きかたもはべりなむ。てんぢくしんだんのさかひは、りうさそうれいのけんなん、わたりがたくこえがたきみちなり。まづそうれいとまうすやまは、さいほくはせつせんにつづき、とうなんは海中にそびへたり。このやまをさかふて、東をばしんだんといひ、西をばてんぢくとなづけたり。かのやまのていたらく、ぎんかんにのぞみて日をくらし、はくせつをふみて天にのぼる。道のとほさ八百余里、草木もをいず、水もなし。多くけんなんある中に、ことに高くそびへたるみねあり。けいはらさいなとなづけたり。雲のうはぎもぬぎさけて、こけのころももきぬ、山の岩かどをかかへて、三日にこそこえはつれ。このみねにのぼりぬれば、さんぜんせかいのくわうけふは、まなこの前にあきらかなり。いちえんぶだいのをんごんは、足のもとにあつめたり。うしろはりうさといふかはあり。昼はまうふうふきたてて、いさごをとばして雨の如し。夜はえうき走りちりて、火をともすこと星ににたり。しらなみみ
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なぎりおちてきしのいしをうがち、あをぶち水まひてこのはをしづむ。しんえんを渡るといふとも、えうきの害のがれがたし。たとひしよきのふゐをまぬかるといふとも、すいはのへうなんさりがたし。さればげんじやうさんざうもこのさかひにして、六度まで命をうしなひたまひき。しかりといへども、次のじゆしやうの時にこそ、法をば渡し給けれ。まつだいたれかかのこせきを渡るべき。しかるを今てんぢくにあらず、しんだんにあらず、わがてうかうやのおやまに、まのあたりしやうじんのだいしにふぢやうしておわします。かのれいちを未だふまずして、むなしく月日を送る身の、じふまんよりのさんかいを渡りて、りやうじゆせんのけんろにおもむくべしともおぼへず。ほんてうのこうぼふだいし、てんぢくのしやかによらい、共にそくしんじやうぶつのりしよう、まなこの前にげんぜり。むかしさがのくわうてい、だいしをせいりやうでんにしやうじ奉りて、しかのだいじようしゆうのせきとくをあつめて、
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けんみつほふもんのろんだんを致す事あり。ほつさうじゆうにはげんにん、さんろんじゆうにはだうしやう、てんだいしゆうにはゑんちよう、けごんじゆうにはだうおう、おのおのわがしゆうのめでたきよしをたて申す。まづほつさうじゆうのげんにん、『わがしゆうにはさんじのけうをたてて、いちだいのしやうげうをはんず。いはゆるうくうちゆうこれなり。いづれかこれにすぐるべきや』と申す。さんろんじゆうにはだうしやうのいはく、『わがしゆうにはにざうを立てて、いちだいのしやうげうををさむ。いはゆるぼさつざう、しやうもんざう、これなり。いかがこれにまさるべきや』と申す。けごんじゆうのだうおうのいはく、『わがしゆうにはごけうをたてていつさいのぶつけうを教ふ。いはゆる、せうじようけう、しけう、しゆうけう、とんけう、ゑんけう、これなり。いかがこれにまさるべきや』と申す。てんだいしゆうのゑんちようのいはく、『わがしゆうにはしけうごみをたてていつさいの仏教を教ふ。しけうと云はいはゆるざう、つう、べち、ゑん、これなり。ごみといふは、にう、らく、しやう、じゆく、だいご、是なり。いかがこれにはまさるべきや』
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といへり。しんごんじゆうのこうぼふは、そくしんじやうぶつのぎをたてて、『いちだいしやうげう広しといへども、いづれかはこれに及ぶべきや』と申されたり。そのとき、げんにん、ゑんちよう、だうおう、だうしやう、めんめんになんもんをはきて、しんごんのそくしんじやうぶつのむねをうたがひまうされけり。中にもげんにんそうづ、弘法をなんじ奉ることばにいはく、『およそいちだいさんじのけうもんを見るに、皆さんごふじやうぶつのもんのみあつて、そくしんじやうぶつのもんなし。いづれのしやうげうのもんしようによつて、そくしんじやうぶつの義をたてらるるぞや』と。弘法こたへてのたまはく、『なんぢがしやうげうの中には、さんごふじやうぶつのもんのみ有て、そくしんじやうぶつのもんしようなし』。げんにんのいはく、『即身成仏のもんしようあらば、つぶさにいだされて、しゆゑのぎまうをはらさるべし』といへり。弘法もんしようをいだしてのたまはく、『しゆしさんまいしや、げんしようぶつぼだい。ぶもしよしやうじん、そくしようだいかくゐ。ゆいしんごんほふちゆう、そく
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しんじやうぶつこ』。これらをはじめとして、もんしようをひきたまふこと、そのかずはんたなり。げんにんかさねていはく、『もんしようはすでにいだされたり。もんのごとくそくしんじやうぶつをえたる、そのにんしようたれびとぞや』。こうぼふこたへてのたまわく、『そのにんしようは、とほくはだいにちこんがうさつた、近く尋ぬれば、わがみすなはちこれなり』とて、かたじけなくめいじのりようがんにむかひ奉りて、手にみついんを結び、くちにみつごをじゆし、心にくわんねんをこらし、身にぎきをそなへしかば、しやうじんのにくだんたちまちにてんじて、しまわうごんのはだへとなり、出家のいただきの上に、じねんにごぶつのほうくわんをあらはす。くわうみやうさうてんをてらして、にちりんのひかりを奪ひ、てうていはりにかかやいて、じやうどのしやうごんをあらわす。そのときくわうていずいきして、ざをさつてらいをなし、しんりき身をまげて、きやうがくして地にふす。しよしゆうたなごころをあはせ、
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ひやくれうかうべをかたぶく。誠になんとろくしゆうのひん、地にひざまづきて、これをきやうしんし、ほくれいしめいのかく、庭にふしてせつそくす。つひにししゆうきぶくして、もんえふにまじはり、はじめていつてうしんきやうして、だうりうをうく。さんみつごちの水、しかいにみちてぢんくをすすぎ、ろくだいしまんの月、いつてんにかかやきてぢやうやをてらす。そののちもしやうじんふへんして、じそんのしゆつせをまち、ろくじやうかわらずして、きねんのほふおんをきこしめす。このゆゑにげんぜのりしやうもたのみあり。ごしやうのいんだうもうたがひなし。かかるれいちへだにもまゐらずして、いんどけんそのさかひにしのがむといふことは、まことにもつてしかるべからず」と申時、しやうくわうこれをきこしめし、「まことにめでたき事なり。今までこれをおぼしめしよらざりけるこそ、かへすがへすもおろかなれ。かやうの事はえんいんしぬれば、さわる事もあり。やがてみやうてうごかう
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あるべし」とちよくぢやう有ければ、まさふさかさねて申けるは、「みやうてうのごかうも余りにそつじにおぼへ候。しやくそんりやうぜんのせつぽふのみぎりには、十六のだいこくのわうたちみゆきせさせ給ける儀式は、金銀をのべてほうよをつくり、しゆぎよくをつらねてくわんかいをかざり給けり。これすなはちなんとくの思ひをこらし、かつがうのこころざしをつくしたまふさほふなり。されば君のごかうもかれにたがわせ給べからず。かうやさんをばてんぢくりやうじゆせんとくわんじ、しやうじんのだいしはしやかによらいと信ぜさせ給て、ひかずをのべて、ごかうの儀をひきつくろわせ給べくやさうらふらむ」と申ければ、「誠にこのぎしかるべし」とて、ひかずをのべて、しんかけいしやう、金銀しつぽうをもつて、いしやうむまのくらをかざりてぞ、いでたたせ給ひける。是ぞかうやごかうの始めなる。かくてしやうくわう、だいしのべうだうををがまむが為に、とうろをいて
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ごなんぎやうにおもむき、くぎやういげさんくわい。みのこくにせつしやうゐんざん。まづきんすいのをけをけんず。をけの中に金銀をもつてたちばなを作り、かうばしきくだものををさむ。れうていいつぴき、くらを置てこれをまゐらす。せんぐうのやから、左大臣、内大臣、大納言、中納言四人、さんぎ五人、ならびにじしんら、皆かうろにしたがふ。くぎやうだいじんくつばみをならべて、おんくるまの前にあり。せつしやうどのは車にめしてしこうせらる。ごんのそうじやうにんかいほふいん、ごんのだいそうづりゆうみやう、ごんのせうそうづくわんいう、かつうはべうだうのほふえをたすけむが為、かつうはえいりよのごぢをいたさむが為に、おのおのかんだうをへて、共に中花をしす。このさうくわんのともがら、あたかもちをかかやかせり。しやうくわうならぢへかからせたまひて、ごとうざんあり。まづだうたふごじゆんれいあつて、やがておくのゐんに参らせ給。ごんのせうそうづくわんいう、おほせ
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によつてごべうだうの戸を開く。そのときおんながもちをめしよせて、てづからみづからををとかせたまひつつ、中よりとうろをめしいだし、おくのゐんのもとのとうろのたいざにかけさせ、油をいれ、しやうくわうみづからともしびを移させ給て、ぬかをつき、らいをなし、となへさせ給けるは、「なむきみやうちやうらいへんぜうだいし、けふすでににしやうとうみやうのしゆくぐわんまんぞくしをはむぬ」と、おんこゑをあげて申させ給ふ時にこそ、ぐぶの人々じぼくをおどろかし給けれ。ただいまごはいのおんことばに、「にしやうしゆくぐわんのとうみやう」と申させ給けるは、深き心あり。むかしとうじのちやうじやくわんげんそうじやうと、かうやのけんげうむくうりつしと、さうろんをなす事ありて、むくうりつしかうやをりさんし給しかば、ぢゆうりよことごとくたいさんして、くわうはいの地となりにけり。じんせきたへて六十余年、こらうのすみかとなり
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たりしを、えんきうのころ、やまとのくにかづらきのしものさとに、きしんぢきやうしやうにんといふひと有けるがぶものしやうじよを祈り、わがごせをしらむとて、はせでらにまゐりたりけるに、くわんおんのじげんによつて、「きしういとのなんざんにのぞみていのるべし」と有しかば、かうやさんと心得て、すなはちかの山にまうで給ひ、だいしのゆいせきをあらはさむほつぐわんして、高野山にのぞみたまひぬ。およそだいしこのやまをひらきて、だうたふをこんりふしたまひけるさほふは、だいたふとまうすは、なんてんのてつたふをうつして、そのたけじふろくぢやうなり。こんだうはとそつのまにでんをあらはして、まの数しじふくけんなり。じそんゐんよりみえいだうの北に至るまで、百八十ちやうにづきよをわる。たいざうかいのまんだらの百八十そんをあらはしたり。みえいだうよりおくのゐんに至るまで、三十七町にわかてり。こんがうかいのまんだらの三十七尊をあらはせり。だいたふ
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こんだうよりはじめてしよだうしよゐんに至るまで、みなみつごんじやうどのぎしきを移し、けざうかいのさほふをあらはせり。このゆゑにひとたびもこのちをふむ者は、かいげむろのくどくをそなへて、しぢゆうごぎやくのざいしやうをほろぼす。ひとよもかの山に宿る者は、ほんうまんだらかいのゑをひらきて、三十七尊のそんゐにつらなる。しかるにいまぢきやうしやうにんたうざんに臨むとき、百八十町のはりみちも、しゆぼくしげりてまよひやすし。三十七町の奥の道も、むぐらにうづもれてわかちがたし。だいたふくづれてあともなし。こんがうぶじのつゆじやうじやうたり。べうゐんかくれてみへ給わず。おくのゐんのかすみへんぺんたり。しやうにんしんじんをはこぶといへども、せいぜきにまよひてわきまへがたきゆゑに、すなはちらいはいをなして、深くきねんを致す。「なむきみやうちやうらいかうそだいしへんぜうこんがう、ねがわ
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くはれいずいをしめして、たうざんのせうりゆうをいたさしめ給へ」と、涙をながし、こゑをあげてけいびやくせられければ、おくのゐんのこのもとより、れいくわうこくうにそびいて、みねもこずへもかかやけり。しやうにんおほきによろこびて、しげきこかげをきりはらひ、すずのしたみちふみあけて、おくのゐんへぞ参られける。かくてとぼくをはこむでらいだうをつくり、いつきのとうろをかけてひうちを取て、おくのゐんにむかひて、きねんして申さく、「我もしこの山をひらひて、広むるところのみつけうじそんさんゑのあかつきまで、たへずぢやうやをてらすべくは、ただひとうちにつき給へ。このともしみをかかげて、じしのあかつきにさうぞくすべし」と、ほつぐわんきねんをこらしてうちたまひしかば、ただひとうちにひつきにければ、すなはちとうろの中にともせり。今まで
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きへぬともしびは、かのほつぐわんのとうみやうなり。しやうにんともしびをかかげしとき、又ぐわんをなして宣わく、「わがぐわんみらいさいにつきずして、よよにほふとうをかかぐべし。このたびにしやうに生れきて、必ずいまいつきをそなふべし」とほつぐわんし給ふ。これをもつてあんずるに、かのしやうにんのちかひたまひける、にしやうほふとうのぐわんたがわずして、こんどしやうくわうのごえいぐわんをうけたはるに、ぢきやうしやうにんのりぐわんを思ひあわせられて、誠にたつとくぞおぼゆる。「このおんことばをうけたまはるにこそ、昔のぢきやうしやうにんのせいやくにこたへて、今こくわうと生れたまひて、たうざんのほふとうをかかげ給にこそ」と、心有る人は皆かんるいをぞ流されける。そもそもしんぢきやうとまうすは、やまとのくにかづらきのしものこほりの人なりけり。七歳の時父におくれて、ころにしてひんだうなり。ぼぎひとりあつて、いつしをはぐくむ。しかるにいかなるたよりかありけむ、とうだいじの僧にかたらひて、なんとに至る。
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さんじふのじゆ、ひやくのほふりん、ひとたびうけて、ふたたびとはず。誠に将来のほふきなるべき人とみえたり。そののちとしつもりて、十三といふとしの春、なかのみかどのそうづのもとにいぢゆうす。たうりの花の枝をふくめるかほばせなれば、しらんのつゆのはにそふちぎりもなほさりならず。うつはものはすなはちほふきなり。けごんさんろんのほつすいをいる。ねはまたじやうこんなり、ゆがゆいしきのけうもんをひらけり。しかのみならず、しやうりゆうはくばのよりうをつたへ、けいくわこうぼふのはうちよくをとぶらふ。あまつさへまたあきつしまのながれをくみて、しかいさんじふいちじのすうりうをそふ。しきしまのかぜをあふぎ、いづもやへがきのゐふうをくはふ。としえうせうにして、さいのうおいたり。しかるあひだ、なんきやうだいいちのめいじん、ようがんぶさうのすいはつなり。しかるにしちさいのとき父におくれ、十六にして母にわかる。かかるあひだ、ししやうにいとまをこひ、深くけうやうのこころざしをはこびて、しゆつけして、いつかうほつけ
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きやうをよみならひて、ひとへににしんのごしやうぼだいを祈る。これによつて、ほつけをぢする身なればとて、みづからぢきやうばうとかうす。又にしんのぼだいを祈るが故に、じつみやうをきしんといふ。かくのごとく、ぎやうぢゆうざぐわのつとめおこたらずして、六十といひし時、にしんのしやうじよをいのらんがために、はせでらにさんろうす。ごかうのねぶりいくばくならざるに、くわんおんのじげんにいはく、「なんぢほつけどくじゆのこう、すでにつもる。さだめてぶものしやうじよを見むとおもふらむ。これよりさいなんのかた、かうやのれいくつにしてきせいすべし」とうんうん。だいしやうのじげんにおどろきて、かうやさんにのぼり、ふたたびかのやまをおこして、つひにぶものしやうじよをしり、とそつのないゐんにまゐり給へりし人也。
十六 さてもだいじやうにふだうのおほくのだいぜんをしゆせられし中にも、ふくはらのきやうのしまつかれたりし事こそ、人のしわざとはおぼへず、不思議なれ。「かのうみはとまりのなく
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て、風と波とたちあひて、かよへる船のたうれ、のるひとのしぬる事、昔よりたへず。おそろしきわたりなり」と申ければ、入道聞給て、あはのみんぶしげよしにおほせて、はかりことをめぐらして、人をすすめて、いんじしようあん三年みづのとのみのとしつきはじめたりしを、つぎのとし風にうちうしなはれて、石のおもてにいつさいきやうを書て、ふねにいれて、いくらといふこともなく沈められにけり。さてこそこのしまをばきやうのしまとはなづけられけれ。「石は世に多き物なり。船は人のたからなり。さのみ船をつみしづめられむこと、こくかのつひえなり。又さのみきやうをかきまひらせむ事、筆をとるたぐひまれなり。只わうへんの船におほせて、十の石をとりもち、かのところにいるべし。まつだいまでもこのぎをそむくべからずと、せんじをまうしくださるべし」と、しげよしいげはからひまうしければ、「誠にさもありなむ」とて、そのぢやうにさだめられけり。はたよりをきへいちりさんじふろくちやういだしてぞつきとどめたりける。海の深さみそひろ有けるとかや。海のふかさきはなきこと
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なり。これはいくほどならずとて、つきいだしたりけるへうせんのながれたる物などを、風のふきかさねければ、程なく広くなりにけり。おなじくはくがへつづけたらばよかりなむとぞ、やうやくつきつづけける。もよほしなけれども、こころあるひとは土を運び木をうゑければ、さまざまのくさきおひつづきたり。又かのせんじにまかせて、さいこくのじやうげの船ごとに石をいれてをく。さまざまのちからをそへて、次第にひろくなる。こうしの為にかたがたたよりあり。目にみすみすふねどもとまるこいへなむどもいでき、じつげつせいしゆくのひかりめいめいとして、さうかいのてうばうべうべうたり。いへば十余年のかまへなれども、松のおひつきたる有様、いづれもありがたし。今すこし歳月かさなる物ならば、なだかきむろたかさごにもおとるべからず。世をすぐるならひ、いうぢよもにくからず。小船の影にゐて、しこくをみわたせば心細し。いうぢよ二三人きたりて、「こぎゆくふねのあとのしらなみ」と歌ふ。
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あるいはやかたのうちで、「ふねのうちなみのうへ、いつしやうのくわんくわいおなじといへども、わごんゆるくしらべてたんげつにのぞみ、たうろ高くおしてすいえんにいる」などらうえいをす。つづみをならしひやうしをうちて、なごりをしのぐよしをうたふ。いろあるさま、人は笛をふき、糸をひく。この時はふるさとのていのおにがはらの事もわすられて、こくしいげはなかもちの底を払ひ、あきびとげらふはもとでをたをす。のちにはくゆれども、あふにしなれば、ちからなき世のならひなれば、もろこしのだいわうまでもききたまひて、につぽんわだのへいしんわうとかうして、帝王へだにもたてまつりたまはぬきたいのほうぶつどもをわたされけるとかや。
十七 こじんの申けるは、「このひとのくわほうかかりつるこそことわりなれ。まさしきしらかはのゐんのみこぞかし。そのゆゑは、かのゐんのおんとき、ぎをんにようごとまうしけるさいはひびとおわしき。かのにようご、ちゆうぐうにちゆうらふにようばうにて有ける女を、しらかはのゐんしのびめさるることありけり。あるとき
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ただもり、てんじやうのばんつとめてしこうしたりけるに、はるかにさよふけて、てんじやうのくちを人のとをる音のしければ、火のほのぐらき程よりみたりければ、いうなるにようばうにてぞ有ける。忠盛たれとはしらざりけれども、かの女房の袖をなにとなくひかへければ、女のいたくもてはなたぬけしきにて、たちとどまりてかくぞえいじける。
おぼつかなたがそま山の人ぞとよこのくれにひくぬしをしらばや K123
忠盛、こはいかなる事ぞやと、やさしくおぼえて、袖をはづして、
くもまよりただもりきたる月なればおぼろけならでいはじとぞ思ふ K124
とまうして、女の袖をはづしつ。女すなはちごぜんへ参り、このよしをありのままにまうしたりければ、『さてこそ忠盛ごさむなれ』とて、やがて忠盛をめして、『いかにをの
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れは、まろがもとへ参る女をば、てんじやうのくちにてひかへたりけるぞ』とおんたづねありければ、忠盛色をうしなひて、とかくまうすにおよばず、いかなる目をみむずらむと恐れをののきてありけるに、しやうくわううちわらひておほせの有けるは、『このをんないつしゆをしたりけるに、ききあへず、へんじしたりけるこそやさしけれ。さらばとう』とおほせありて、べちのちよくかんなかりければ、そののちぞ心おちゐてまかりいでにける」。これをもれきくひと申けるは、「人は歌をばよむべかりける物かな。このうたよまずは、いかなる目をかみるべき。この歌によつてぎよかんにあづかる。時にとりてきたいのめんぼくなり」。是のみならず、忠盛びぜんのにんはてて、国よりのぼりたりけるに、「あかしの浦の月はいかに」と、院よりおんたづねありけるに、忠盛おんぺんじに、
ありあけの月もあかしのうらかぜに波ばかりこそよるとみへしか K125
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と申たりければ、院ぎよかんありて、きんえふしふにぞいれさせましましける」。しやうくわうおぼしめしけるは、忠盛がしうかこそおもしろけれとて、心をかけたる女、ついでもあらば忠盛にたまはらむと御心にかけて、月日をおくらせおはしけるほどに、さんぬるえいきうのころ、しやうくわうわかきてんじやうびといちりやうにんばかりめしぐして、にはかにかのごしよへごかうなりにけり。さつきのはつかあまりの事なれば、おほかたの空もいぶせきほどの夜、はるかにさみだれさへかきくれて、なにとなくそぞしきおんここちしけるに、つねのごしよのかたにひかるもの有けり。かしらはしろかねの針なむどのやふにきらめきて、右の手にはつちのやうなる物をもち、左の手にはひかるものをささげて、とばかりあつては、さとひかりひかりしけり。ぐぶの人々これをみて、ならはぬ心にさこそおもひあわれけめ。「うたがひなき鬼なむめり。もちたる物はきこゆ
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るうちでのこづちにや。あなおそろしや」とて、をののきてぞさうらわれける。院もけうとくおぼしめす。ただもりほくめんのげらふにさうらひけるをめして、「かのもの、いもとどめ、きりもとどめよ」とおほせありければ、忠盛承て、すこしもはばかる所なくあゆみよりけるが、さしもたけかるべき者とも思わず。「こりていの者にてぞ有らむ。いも殺しきりも殺したらば、ねんなかるべし。てどりにしてげんざんにいれむ」とおもひて、このうすくひかるところをいだかむと、次第にうかがひよる。あんのごとくのさとひかるところをみしとだく。いだかれてこのものさわぐ。はや人で有けり。「なにものぞ」ととへば、「じようじぼふしでさうらふ」と答ふ。火をともさせてごらんずれば、六十ばかりなる法師の、片手にはてがめと云物に油をいれてけり。片手にはかはらけに火を入てもつて、かしらには雨にぬれじとて、こむぎと云物のからをかさのやうにひきゆいて、うちかづきてけり。みだうのじようじが、ごかうなりぬとききて、みあかしまゐら
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せむとて、うしろどのかたより参れるが、「火やきへたる。みむ」とて、火をふりけるなり。それにかづきたる小麦のからきらめきて、針のやうにみえけるなり。「事のやういちいちにあらはれぬ。これをあはてて、いも殺しきりも殺したらましかば、いかにかわゆくふびんならまし。忠盛がつかまつりやうしりよふかし。ゆみやとるものはいうなりけり」とて、そのけんじやうにまかせ、はらめる女を忠盛にたまはりにけり。忠盛是をたまはりて、かしこまりてまかりいでにけり。やうやくつきひかさなる程になんしをうみて、やういくしたててちやくしとす。きよもりすなはちこれなり。このこうみたりける時も、にようごめづらしき事におぼしめして、をさなきちごとくみむとて、さんの内より若き女房どもいだきてあそびけり。このちご昼はおともせで、夜になればよもすがらなきあかしけり。のちにはよその人までもいもねずして、にくみあへり。女房こころ
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ぐるしき事におもひて、人にとらせむとしける夜、にようごの夢に、
夜なきすとただもりたてよこのちごはきよくさかふる事もこそあれ K126
とごらんありければ、このゆゑにや、よなきにはかにとどまりて、ひととなるままに、かたち人にすぐれ、心もかしこかりけり。きよもりとなのる。「清くさかゆる」といふよみあり。かのにようごの夢にすこしもたがわず。不思議なりし事也。かかりければ、ただもりことばにはあらはれてはいはざりしかども、ひとへに是を重くしけり。院もさすがにおぼしめしはなたず。しやうねん十二にてさひやうゑのすけになりて、十一歳のしゐのひやうゑのすけと申けるを、「くわしよくの人なむどこそかくはあれ」なむど人の申ければ、「清盛もくわしよくは人におとらぬ物を」と、とばのゐんもおほせありけるとかや。院もしろしめされたるにや。誠にわういんにておわしければにや、いつてんしかいをたなごころのうちにして、君をもなやまし奉り、臣をもいましめられき。
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しじゆうこそなけれども、せんとまでもしたまひけるやらむ。昔もかかるためしありけり。てんちてんわうのおんときに、はらみたまへるにようごをたいしよくくわんあづかりたまふとて、「このにようごさんなりたらむ子、によしならばちんが子にせむ、なんしならば臣が子とすべし」とおほせられけるに、なんしをうみたまへり。やういくしたてて、たいしよくくわんのおんことす。すなはちたんかいこうこれなり」。またひとのいひけるは、このことひがことにてぞ有らむ。まことにわういんならば、たんかいこうのれいにまかせて、しそんあひつづきてはんじやうすべし。さるまじき人なればこそ、うんめいもひさしからず、しそんもをだしからざるらめ。このことしんようにたらず」とまうすひとも有けるとかや。おなじきむゆかのひ、宗盛院にそうせられけるは、「入道すでにこうじさうらひぬ。てんがのごせいむ、いまはおんぱからひたるべき」よしまうされけるに、院のてんじやうにてひやうらんのことさだめまうさる。
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十八 二月八日、「とうごくへはほんざんゐのちゆうじやうしげひらをたいしやうぐんとしてつかはさるべし。ちんぜいへはさだよしげかうすべし。いよのくにへはめしつぎをくださるべし」とさだまりぬ。そのうへひやうゑのすけよりともいげ、とうごくほつこくのぞくとをついたうすべきよし、とうかいとうせんへゐんのちやうのみくだしぶみをくださる。そのじやうにいはく、
「みぎおほせをうけたまはるにいはく、さきのうひやうゑのすけみなもとのよりとも、いんじえいりやくぐわんねんにつみにしよして、いづのくににはいるせられ、すべからくみのとがをくいて、ながくてうけんにしたがふべきところに、なほしけうあくのこころをいだきて、かたはらにらうれいのはかりことをくはたつ。あるいはこくさいのつかひをべんれうし、あるいはどみんのざいをしんだつす。とうせんとうかいりやうごくのともがら、いが、いせ、ひだ、では、むつのほか、みなそのくわんいうのことばにおもむきて、ことごとくふりやくのなかにしたがふ。これによつて、くわんぐんをさしつかはして、ことにふせきたたかはしむるところに、あふみみのりやうごくのほかは、すなはちをはりみかはいとうのぞくをはいくわす。
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なほもつてかたくまもる。そもそもげんじらはみなことごとくちゆうせらるべきよし、ふうぶんあるによつて、ひとつしやうのひとびと、ともにあくしんをおこすとうんうん。このこともつともきよたんなり。よりまさぼふしにおいては、けんぜんのざいくわによつて、けいばつをくはへらるるところなり。そのほかのげんじ、させるくわたいなし。なにがゆゑにかちゆうせむ。おのおのていいうをまもりて、しんのちゆうをぬきんづべし。じこんいごは、ふせつをしんずることなかれ。かねてはこのしさいをぞんじて、はやくわうくわにきすべしてへれば、おほせをうけたまはりてげぢくだんのごとし。しよこくよろしくしようちすべしせんによつてこれをおこなふ、あへてゐしつすべからず。ゆゑにもつてくだす」とぞかかれたりける。十五日、とうのちゆうじやうしげひら、ごんのすけぜうしやうこれもり、すまんぎのぐんびやうをあひぐして、とうごくへはつかうす。ぜんごのついたうし、みののくににさんくわいして、いちまんぎにおよびべり。「大政入道うせたまひて、けふ十二日にこそなるに、さこそゆいごんならめ、ぶつきやうくやうのさたにもおよばず、かつせんにおもむきたまふことけしからず」とぞ申あひける。
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十九 十九日、ゑちごのじやうのたらうたひらのすけながといふものあり。これはよごしやうぐんこれもちがこういん、おくやまのたらうながいへがまご、じやうのおにくらうすけくにがこなり。こくちゆうにあらそふ者なかりければ、さかひのほかまでもそむかざりけり。またむつのくににふぢはらのひでひらといふものあり。かれはむさしのかみひでさとがばつえふ、しゆりのごんのだいぶつねきよがまご、ごんのたらうきよひらがこなり。ではむつりやうごくをくわんりやうして、かたをならぶる者なかりければ、りんごくまでもなびきにけり。かのふたりにおほせて、よりとも、よしなかをついたうすべきよし、せんじをまうしくださる。去年十二月廿五日ぢもくのききがき、今年二月廿三日たうらい。すけながたうごくのかみににんず。資長てうおんかたじけなきことをよろこびて、よしなかついたうのために、おなじく廿四日あかつきにごせんよきにてうつたつところに、くもの上中にこゑあつて、「につぽんだいいちのだいがらん、しやうむてんわうのご
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ぐわん、とうだいじのるしやな焼たる大政入道のかたうどする者、ただいまめしとらむや」とののしるこゑしけり。これをききける時より、じやうのたらうちゆうぶうにあひ、へんしんすくみ、手もつやつやはたらかねば、思ふ事をじやうにかきをかず、舌すくみてふられねば、おもひのごとくもいひをかず。なんし三人、によし一人有けれども、ひとことのゆいごんにもおよばず、そのひのとりのときばかりに死にけり。おそろしなむどいふはかりなし。おなじきおととじやうのじらうすけもり、のちにはじやうのしらうながしげとかいみやうす。春の程は兄がけうやうして、ほんいをとげむと思けり。ひでひらは、よりとものおととくらうよしつね、さんぬるしようあんぐわんねんの春のころよりあひたのみてきたるをやういくして、さんぬるふゆひやうゑのすけのもとへおくりつかはして、たねんのよしみをむなしくして、いませんじなればとて、かれにてきたいするにおよばずとて、りやうじやうまうさざりけり。
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二十 廿三日にはごでうのだいなごんくにつなのきやううせたまひぬ。だいじやうにふだうとちぎり深く、こころざしあさからざりし人なりし上に、とうのちゆうじやうしげひらのしうとにておわしければ、ことにじんじんなりけり。このくにつなのきやう、こんゑのゐんのおんときは、しんじのざつしきでおわしけるが、にんぺい三年六月六日、しでうだいりぜうまうありけり。しゆしやう、くわんばくのていにぎやうがうなるべきにてありしが、をりふしこんゑづかさ一人もまゐりあわず。おんこしのさたする人なかりければ、なんでんにしゆつぎよありけれども、おぼしめしわかずして、あきれてたたせたまひたりけるに、このくにつなつとまゐりて、「かやうの時はえうよにこそめされさうらふなれ」とて、えうよをかきいだして参りたりければ、しゆしやうたてまつりてしゆつぎよなりぬ。「かくまうすはたそ」とおんたづねありけるに、「しんじのざつしきくにつななり」と申たりければ、げらふなれどもさかざかしき者かなとおぼしめして、ほふ
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ぢゆうじどのごたいめんの時、ぎよかんの余りにおんものがたりありければ、それよりしててんが殊にめしつかひて、ごりやうあまた給はりなどしてさうらわれけるに、おなじきみかどのおんとき、八月十七日、いはしみづのぎやうがありけるに、いかがしたりけむ、にんちやうがよどがはにおちいりて、ぬれねずみのごとくして、かたかたに隠れをりて、みかぐらに参らざりけるに、くにつな、てんがのおんともにさうらひけるが、なにとしてとしてよういしたりけるやらむ、にんちやうがしやうぞくをもたせたりけるをとりいだして、「いとしんべうにはさうらわねども、にんちやうがしやうぞくはさうらふものを」とて、いちぐまゐらせたりければ、にんちやうこれを着て、みかぐらととのひておこなわる。少し遅かりつるよりも、みかぐらのこゑどもすみのぼり、まひの袖もひやうしにあひて、いつよりもおもしろかりけり。物のね身にしみて、おもしろき事は神も人もおなじこころなり。つたへきく、昔あまのいとはとをおしひらかれたまひしかみよの事
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までも、かくやとをしはかられてぞおぼへける。時にとりてはゆゆしきかうみやうしたりけるくにつななり。それのみならず、かやうのぎやうがうの色々のしやうぞくよういして、もちつれさせられたりけり。かやうにおもひかけぬ用意もためしおほかりけり。やがてこの人の先祖、やまかげのちゆうなごんと申人おわしき。ださいのだいににてちんぜいへくだられけるに、道にてけいぼのあやまりのやうにて、二才なりけるけいしを海へおとしいれてけり。うせにける母の、そのかみてんわうじへまゐりけるに、うかひ亀を取て殺さむとしけるを、かのにようばううすぎぬをぬぎて、かのかめを買て、「おもひしれよ」とてはなちてけり。くだんのかめ昔の恩を思知て、こふにのせてうかびいでて、たすけたりける人也。これをによむそうづとぞ申ける。ていわう是を聞給て、是をおもくせさせたまひき。しやうたいぐわんねんのころ、くわんぺいのほふわう、おほゐがはにごかう有けるに、このそうづも
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さうらわれけり。げつけいうんかく袖をつらね、ものすそをならべて、そのかずおほかりける中に、いづみのだいしやうさだくに、いまだわかきてんじやうびとでぐぶせられたりけるが、あらしの山の山をろしはげしかりけるに、えぼしをおほゐがはにふきいれられて、せむかたなくて、袖にてもとどりをおさへておはしけるを、そうづのさんえのふくろよりえぼしをとりいだして、かのだいしやうにたびたりければ、みるひとじぼくをおどろかしたりけり。是も時にとりては、おもひよらざりけるかうみやうなり。又いちでうのゐんのおんとき、びやうどうゐんのそうじやうぎやうそんは、とばのゐんのごぢそうなり。あるときぎよいうの始まりたりけるに、琴をひかれけるてんじやうびと、琴の糸きれてひかざりければ、かのそうじやう、でふしの中よりことををひとすぢとりいだして、わたされたりけるとかや。このひとびとは用意も深く智恵もかしこかりければ、まうすにおよばず。このくにつなはさしもかしこかるべき家に
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てもなきに、どどのかうみやうのみせられけるこそありがたけれ。だいじやうにふだうとせめてこころざしの深きにや、どうにちにやまひつきて、どうぐわつにつひにうせたまひぬ。あはれなりけるちぎりかなとぞ人申ける。
廿一 廿五日、法皇ほふぢゆうじどのへごかうあり。ぢしよう四年の冬の御幸には、武士おんくるまの前後にさうらひて、をびたたしくのみぞありし。これは、くぎやうてんじやうびとあまたぐぶし、うるはしきぎしき、けいひつのこへなども、ことごとしきさまなりければ、いまさらにめづらしくめでたくぞおぼへし。とばどのへごかう有し事、ふくはらへせんとのいまわしき名ありしごしよのおんことまでも、おぼしめしいだされけり。ごしよどものせうせうはゑしたりければ、「しゆりしてわたしたてまつらせむ」と、うだいしやうまうされけれども、「只とくとく」とおほせありて、御幸なりぬ。このごしよはおうほう元年四
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月十三日、おんわたましありてのち、せんずいこだち、かたがたの御しつらいにいたるまで、おぼしめすさまにせさせおはしつつ、いまびえ、いまぐまのをもちかくいはひたてまつらせ給て、としふるままに、この二三年たびだちておはしつれば、御心もうかれ立てわたらせ給へば、いまひとひもとくとおぼしめしけり。中にもこにようゐんのおんかたなむどごらんぜらるるに、みねの松、河の柳、ことのほかにこだかくなりにけるにつけても、かのなんきゆうよりせいだいへうつりたまひけむ昔のあとおぼしめしいだすに、たいえきのふよう、びやうのやなぎ、これにむかひていかにかなみだをたれざる。
廿二 三月ひとひのひ、とうだいじ、こうぶくじのそうがうら、ほんゐにふくし、じりやうとうもとのごとくちぎやうすべきよし、せんげせらる。「このうへはだいゑどもおこなはるべし」とせんぎにて、ごうれいのさんゑおこなはる。十四日しやりゑ、十五日ねはんゑ、つねのごとし。ぶつりき
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つきぬるかとみへつるに、ほふとうの光きへずして、おこなはるるこそめでたけれ。十六日じやうらくゑ也。このゑとまうすは、なんえんぶだいだいいちゑなりといふ。さればにちぽんごくの人のえんまのちやうに参りたむなるには、こうぶくじのじやうらくゑは拝みたりしかど、まづいちばんにえんま大王のとひたまふとまうしつたへたり。さればとばのゐんのとばどのをござうりふありて、このゑをうつしておこなはせ給けるに、おそらくはほんじにはおとりたりといふさたありて、そののちは又もおこなはれざりけり。このてらのしたはりゆうぐうじやうの上にあたりたるゆゑに、がくのひやうしもまひのきよくせつも、ことにすむとかや。さればをはりのくによりあつたのだいみやうじんのけんぶつにわたらせたまふなれば、かなんぶといふまひをまふ。ちゆうもんの前で三尺のこひをきりて、酒をのむやうをまふとかや。かなんぶのはうちやう、ことくらくのさかもりとぞ是をいふなるべし。べつたうのそうじやうりやう
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ゑんのさたとして、がくにんのろくもつ、常よりも、花を折り月をみて、たびかさねられければ、めでたきみものにてぞ有ける。おなじきなぬかのひ、ちんぜいのぎやくぞくら、ついたうすべきよし、ちやうのくだしぶみをなしくださる。「たかなほ、これよしら、ほしいままにしゐをたて、こくむをたいかんし、はじめてきよぢゆうのいつしうをりやうじ、やうやくひりんのばうこくにおよぼす。ことにせいばつせらるべし。ふこくあひともにどうしんかふりよく、かのともがらりやうにんならびにどういのやからをあひふせくべし」とぞのせられける。
ぢしよう五年三月十四日、たかなほのこと、なほほんぎやくのきこえあるによつて、せんじをくださる。そのじやうにいはく、
ひごのくにのぢゆうにんふぢはらのたかなほ、きやうねんよりこのかた、ほしいままにぶゐをふるひ、たちまちにわうくわをそむく。ただほんぢゆうのしうけんのみにあらず、すでにばうこくのきやうどをおよぼす。ひとへにらうれいのこころに
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ぢゆうし、かたがたうがふのむれをなす。しかのみならず、かいろにはくはのぞくとをまうけ、りくぢにりよくりんのたうるいをむすぶ。しやうこうをろんぜず、なうぐをうばひとり、とがいをしよみんにいたし、さんしよくをくこくにくはたつ。とふにおよばむとほつするによつて、こうくわんならびにくにぐにのぐんびやうら、ふせきたたかはしむるところに、たびたびせんとうのよし、ださいふしきりにもつてごんじやうす。よつてたうしをつかはし、せいばつせらるべし。そのあひだ、くわんないちからをはげまし、きんあつせしむべきむね、ゐんのちやうよりさしをもつて、げぢせらるることさきにをはんぬ。しかるにかんらんいよいよまし、そうたういまだよらずとうんうん。ほんぎやくのいたり、せめてあまりあり。よろしくさきのうこんゑのだいしやうたひらのあつそんにおほせて、くわんないしよこくのぐんびやうにはかりて、かのたかなほならびにどういよりきのともがらをついたうせしむべしてへり。
ぢしよう五年四月十四 日さちゆうべん
とぞおほせくだされける。しかりといへども、いつさい宣旨をももちゐず、いよいよぐんぜいをもよほし、じこくた
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こくをかたらひて、平家をほろぼして源氏にくははらむとけつこうするよし、ださいふよりつげまうしけり。
廿三 さても二月七日、東国のおほぜい、さがみのくにかまくらをたつときこゆ。平家騒て、しこくくこくのぶしどもをめしあつめ、とうごくへむけらるべかりける程に、さいこくのせいちちしけるあひだ、げんじのぐんびやうはみのをはりまでせめのぼる。又しなののくにたてはきのせんじやうよしかたが子にきそのくわんじやよしなか、じふらうくらんどゆきいへ二人、ほくろくだうをふさぐときこゆ。かかりしあひだ、平家いとどゆくさきせばくぞおもはれける。さゑもんのすけとももり、とうのちゆうじやうしげひら、ごんのすけぜうしやうこれもりいげのついたうし、さんぬる二月廿八日、みののくにくひぜがはまでくだりたりけるが、げんじのおほぜいをはりまでむかふときこえければ、へいけのぐんびやうすのまたがはのみなみのはたにぢんをとる。そのせい二万余騎。今度は
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平家のぐんびやうもしかるべきつはものなれば、先の駿河のいくさにはよもにじと、さすがにたのもしくぞおもはれける。三月十一日あけぼのに、東のかはらにむしやせんぎばかりはせきたる。すなはち東のはたに陣をとる。これはひやうゑのすけにはをぢ、じふらうくらんどゆきいへなり。又千騎ばかりきたる。是はひやうゑのすけのおとと、とばのきやうのきみゑんぜんといふそうなり。ときはばらの子、くらういつぷくいつしやうの兄也。じふらうくらんどにちからをつけよとて、兵衛佐千騎の勢をつけてさしのぼせたりける也。十郎蔵人がぢんににちやうへだてて陣をとる。平家はにしのはたに二万余騎、源氏は東のかはらに二千余騎、げんぺいかはをへだてて陣を取。あくるうのこくには東西のやあはせときこゆ。ゆきいへとゑんぜんと、たがひに先を心にかけたり。おなじきみのこくばかりに、すみぞめのころもにひがさくびにかけたるこつじきほふし一人、源氏のぢんやにきたりて、きやうを読て物をこひけるを、けご
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見る者にこそあむめれとて、ぜひなくからめてけり。ゆひつけて置たりければ、「こつじきころさせたまふ、あらかなしや。いひたべや」なむど申ければ、「にくし。足はさみてとへ」なむどいひけるを聞て、このほふし縄をひききりて、河へさととびいりて、をよぎてにげけるを、「あは、さればこそ」とて、人あまたおひかけたり。いければ、人の射るをりは、水の底へつといる。いやめば浮きあがる。うきぬしづみぬをよぎける程に、平家の方より、船にたてをついてかはなかにおしあはせて、船に取ていれてもどりにけり。「さればこそ。この法師はげらふとは見へざりつる物を。あはれ、くびを切らで」といひけれども、かなわず。さるほどにしばらく有て、この法師かちんのひたたれにあらひがはの鎧きて、もみえぼしひきいれて、かげなる馬に乗て、かはばたにあゆませいだして、かはごしに申けるは、「人はかうみやうをしてこそいみじけれ。
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にげてなのるはをかしけれども、只今とられて河をこえたりつるは、この法師。かく申は、しゆめのはんぐわんもりくにが孫、ゑつちゆうのせんじもりとしがばつし、あふみのくにいしやまのほふしにあくとさぜんれん」となのりて、いりにけり。きやうのきみは、「平家にけご見へて、いちぢやう渡されなむず。じふらうくらんどに先をかけられては、ひやうゑのすけにおもてをあはすべきか」とおもひければ、あすのやあはせを待けるが、あまりの心もとなさに、人一人めしぐせず、只一人馬に乗て、ぢんのかみよりにちやうばかりあゆみのぼりて、かたきのぢんの前の岸をあゆみのぼりて、からすもりといふところをするりと渡して、かたきの前の岸かげにこそひかへたれ。十郎蔵人、夜のあけぼのに時をつくりて河をわたさむ時、ここより「ゑんぜんけふのたいしやうぐん」と名乗てかけむとおもひて、ひがしへむき、今やよあくるとまちかけたり。平家のかたよりよまはりをせさせけり。かたきよひよりやすすむらむの心なり。平
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家のせいじつきばかり、たいまつ手ごとにとぼして、河ばたにまはりけるに、岸の影に馬をひつたてたりければ、「なに者ぞ」と問。是を聞て、円全少しもさわがず、「みかたの者。馬の足ひやし候」とこたへたり。「みかたならば、かぶとをぬぎてなのれ」と云ければ、馬にひたと乗て、くがへうちあがり、「ひやうゑのすけよりともがおとと、とばのきやうのきみゑんぜんといふものなり」と名乗て、じつきのものどもが中へうちいる。さとあけてぞとほしける。ゑんぜんさんぎうちとりて、二騎にておはせて、のこる五騎にとりこめられてうたれにけり。十郎蔵人これをしらず、きやうのきみにさきすすまれじと思て、使者をつかはして、きやうのきみが陣をみするに、「たいしやうぐんは見へさせ給はず」と申ければ、「さればこそ」とて、十郎蔵人うつたちにけり。せんぎのせいを、八百余騎をば陣におきて、二百余騎あひぐして、ぬき足にあがりて、いなばがはの
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せをあよばせて、河をさとわたして、平家の陣へぞかけいりける。さるほどに夜もあけがたになりければ、平家「かたきのたせいにてようちによせたる」とさわぎける程に、火をいだして見れば、わづかににひやくきばかりなり。「ぶせいにてありける物を」とて、二万余騎さしむかへたり。十郎蔵人たせいの中にかけいりて、時をうつすまでたたかふに、おほぜいにとりこめられて、てとりあしとりとられし程に、二百余騎わづかに二騎にうちなされて、河を東へひきしりぞく。にきのうちいつきはたいしやうぐんとみへたり。あかぢのにしきのひたたれに、こざくらを黄にかへしたるよろひに、かげなる馬にきぶくりんのくらおきてぞ乗たりける。東の河につきて、鎧の水はたはたと打あゆばせゆくを、たいしやうとはみえけれども、平家さうなくをはざりけり。をはりげんじいづみのたらうしげみつ、ひやくきのせいにてきのふよりからめでにむかひたりけるが、
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おほての時のこゑを聞て、平家のおほぜいの中へはせいりたりけり。是もとりこめられて、はんぶんはうたれて、のこりはひきしりぞく。たいしやうぐんいづみのたらうもうたれにけり。じふらうくらんど、すのまたの東にをぐまと云所に陣をとる。平家は二万余騎をいつてにわけたり。いちばんにひだのかみかげいへたいしやうぐんにて、三千余騎にておしよせたり。いしらまされてひきしりぞく。二番かづさのかみただきよ大将軍にて、三千余騎さしむかひたり。これまた射しらまされてひきしりぞく。三番にはゑつちゆうのせんじもりとし、三千余騎にてさしむかひたり。これもしらみて引退く。しばんにはたかはしのはんぐわんたかつな、三千余騎にてむかひたり。是もしらみて引退く。五番にはとうのちゆうじやうしげひら、ごんのすけぜうしやうこれもり、りやうたいしやうぐんにて、八千余騎にていれ
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かへたり。平家二万余騎をいつてにわけて、いれかへいれかへたたかひければ、十郎蔵人、こころばかりはたけく思へども、こらへずして、をぐまをひきしりぞきて、やなぎのつに陣をとる。柳の津をもおひおとされて、あつたへ引退く。熱田にてざいけをこぼちて、かいだてをかまへて、ここでしばらくささへたりけれども、熱田をもおひおとされて、みかはのくにやはぎの東の岸にかいだてをかいてささへたり。平家やがてやはぎおひおとして、河より西にひかへたり。ぬかたのこほりのつはものどもはせきたりて、源氏につきてたたかひけれども、かなふべくもなかりければ、十郎蔵人はかりことをして、ざつしきさんにん旅のていにしやうぞかせて、みのかさもたせて平家のかたへむかわす。「平家いかにととはば、『ひやうゑのすけよりともとうごくよりおほぜい、只今やはぎにつきさうらうひつる時に、いまおちさうらひつる源氏は、そのせいとひとつになりさうらひぬらむ』といへ」
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とて、つかはしけり。あんのごとく平家これらに問けるは、「これにおちつる源氏はいくほどかのびつる」と問ければ、をしへの如くに申ければ、「さてはきこゆる関東のおほぜいにとりこめられて、いかにかせむ」とて、平家とるものもとりあへずひきしりぞく。おなじき廿七日、都へかへりのぼりにけり。十郎蔵人のりがへどもをはせさせて、「みのをはりのものども、平家をひとやをも射ざらむ者、源氏のかたき」と申させたりければ、源氏にこころざしあるものども、平家におひかかりてさんざんにぞ射ける。平家はたふの矢にもおよばず、西をさしてぞはせゆきける。十郎蔵人はいくさいくさにはまけてはせかへり、「すいたくをうしろにする事なかれとこそいふに、河を後にしてたたかふこと、もつともひがことなり。今は源氏のはかりことあしかりけり」とぞまうしあひける。
廿四 さて三河の国府より、いせだいじんぐうへぐわんじよをぞ奉ける。そのぐわんじよにいはく、
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かけまくもかしこきいせのわたらひのいすずのかはのほとりの、しもついはねに、おほみやばしらひろしきたてて、たかあまのはらにちぎたかくあらはれて、申し定め奉る。てんせうくわうたいしんのひろまへに、かしこみかしこみまうしたまへとまうす。じやうろくゐのじやうみなもとのあつそんゆきいへ。いんじぢしようのころ、さいしようしんわうのちよくをかうぶるにいはく、たいしやうこくにふだう、いんじへいぢぐわんねんよりこのかた、ふたうのかうゐにのぼりて、ひやくくわんばんみんをしたがへしむるあひだ、いんじあんげんのとしにもつてつひにさせるちよくぢやうをかうぶらずして、じやうにゐごんだいなごんふぢはらのあつそんなりちか、ならびにおなじくそくなんらををんるにしよし、どういのともがらとしようして、ゐんぢゆうきんじゆのじやうげのしよにん、そのかずそのみをせつがいせしめ、あるいはゑんきんにはいるし、そののちぢしようさんねんのちゆうとうに、ぢもくにかなはずとしようして、くわんばくだいじんをはいるせしめ、させるとがなきちしん、さきのたいしやうこくいげしじふよにんをざいくわにしよし、あるいはこんじやうせいしゆのくらゐをうばひてぼうしんのまごにゆづり、あるいはほんしんてんわうをろうにこめて、すでにりせいをとどむ。
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またいちゐんだいにのわうじとして、くにのうつはものにあたるとしようして、おなじきしねん五月十五日の夜、にはかにとりこめたてまつるべきよしふうぶんして、をんじやうじにたいにふしたまふところに、させうべんゆきたかをもつて、ほしいままにろうせんをかまへて、あるいはてんだいさんにはなちてよりきをせいし、あるいはごこくのつかさにおほせてぐんびやうをあつめて、すでにわうぼふをたち、ぶつぽふをほろぼさむとぎする
ところなり。はやくてんむくわうていのきうぎをたづねて、わうゐをおしとるともがらをうち、じやうぐうたいしのこせきをとぶらひて、ぶつぽふはめつのたぐひをほろぼして、もとのごとくこくせいをいちゐんにまかせたてまつり、しよじのぶつぽふをはんじやうせしめ、しよしやのじんじけだいなく、しやうぼふをもつてくにををさめ、ばんみんをほこらしめて、いつてんをしづめんとばかりなり。ここにゆきいへがせんぞをたづぬれば、むかしあめくにおしひらきたまひしみよのまご、せいわてんわうのわうじ、さだずみのしんわうしちだいのまごなり。ろくそんわうよりしもつかた、ぶきゆうをはげましててうかをまもりたてまつる。かうそぶよりのぶのあつそん、ただつねをからめてふしのしやうを
かうぶる。ぞうそぶより
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よしのあつそん、かうへいろくねんにあうしうのぎやくたうをしづめて、こうたいのきぼとなす。そぶよしいへのあつそんは、くわんぢねんぢゆうにじやうそうをへずといへどもこくかのふちゆうたる、たけひらいへひららをうちて、ゐをとういにふるひ、なをさいらくにあぐ。しんぷためよしは、てんえいにねんにならのだいしゆのはつかうをうちとどめて、わうじやうをちんごす。ほうゐおどろきなくだいじやうてんわうのまつりごといゐきにあまねくして、しかいをたなごころのうちにてらし、はくししんぢゆうにかけたり。わうじなびくことなし。しかるをへいぢぐわんねんより、このうぢのしゆつしをとどめられてのち、にふだうひとへにぶゐをもつて、とじやうのうちにはくわんじをあなづり、らくやうのほかにはぼうせんをはなつ。しかればすなはち、ゆきいへせんだいをとぶらへば、あまてるおほんがみのはじめてやまとのくにのいはとをおしひらきて、あらたにとよあしはらのみづほにらんしやうしたまふ。かのあまくだりたまへるせいていは、かたじけなくゆきいへさんじふくだいのそそうなり。しかるにごすいしやくよりこのかた、ちんごこくかのちかひげんぢゆうにして、みやうゐひまなきところに、にふだうしんりよをおそれず、げきらんをくはたつ。これぐいのいたすところか。はるかにかうゐにのぼることは、
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ひとへにてうおんのいたすところなり。またゆきいへがしんぷためよしのあつそんは、かのたいしやうこくのごとくの、しゐにほこりて、むほんをおこすにあらず。しやうくわうのおほせによつて、しらかはのごしよにまゐりこもりて、かつせんをいたすばかりなり。しかるにいまむほんのともがらとしようして、てうていにつかへざるによつて、さうでんのしよじゆうは、じぼくをふさぎて、ずいじゆんせず、ふだいのしよりやうは、ちぎやうをとどめらる。らうなきによつて、どくしんふせうのゆきいへ、かのにふだうがまんがいちにもおよばざるところなり。しかもにふだうたちまちにむほんをおこすによつて、ゆきいへてうてきをふせがむがために、とうごくにげかうして、よりとものあつそんとあひともに、かつうはげんじのしそんをこしらへ、かつうはさうでんのしよじゆうをもよほして、しやうらくをくはたつるところに、あんのごとくこころにまかせて、とうかいとうせんのしよこく、すでにどういせしめをはんぬ。これかつうはてうゐのたつときがいたすところ、かつうはしんめいのしからしむるところ、はくわうしゆごのちかひ、かんおうせしむるところなり。したがひてまたふうぶんのごときは、だいじんぐうよりかぶらをはなちたまひき。にふだうそのみすでにもつせり。これをみ、これをききて、じやうげのばんにん、
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いはむやきゆうちゆうのうぢひとら、なにびとかれいゐにおそれざる、たれびとかげんけをあふがざらむや。そもそもとうかいしよこくのだいじんぐうのごりやうのこと、せんれいによつてしんえきをわかたしむ。びしんせしむべきよし、げぢをくはふといへども、あるいはへいけにおそれてししやをくださず、あるいはししやをくださしむるに、ほうなふびしんのところもあり。ひとへにじんりやうをばせいしをくはたてず、わづかにひやうらうまいのもよほしばかりなり。はやくちやうじせしむべし。またゐんぐうよりはじめて、しよかしんかのりやうとう、くにぐにしやうしやうのねんぐけつじよのこと、まつたくあやまらざるところなり。あまたのぐんびやう、あるいはげんけといひへいじといひ、あるいはだいみやうまゐりあつまりおもひおもひのあひだ、ふりよのほかになしがたきか。なかんづく、こくぶそんりよのぢゆうにんひやくしやうらのしうたん、おなじくせいしすといへども、おほくそのわづらひあり。ゆきいへおなじくあいたんすくなからず。ぶみんのこころせちなりといへども、いたづらにすげつをおくる。ここにゆきいへわうじやうにきさんして、わうそんをまもりたてまつる。よりともはとうしうのへんかいにおいて、さいらくのてうゐをかかやかす。しんめいたちまちになふじゆをたれて、はやくてんがをしづめたまひて、たとひへいけのきやうだいこつにくなりといふとも、
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こくかをまもらむともがらにおいては、むかへてしんおんをほどこしたまへ。またげんじのしそんるいえふなりといふとも、かへりてふたことばあるものは、たちまちにみやうばつにしよせしめたまふべし。くわうたいじんこのじやうをたひらげただして、ぶゐぶじにしやうらくをとげしめて、すみやかにちんごこくかのゑいくわんをなしたまへ。てんわうてうていのほうゐうごくことなく、げんけのだいせうじゆうるいのこりなく、ことごとくちうやにまもりまもりたてまつりたまへと、かしこみかしこみまうしたまへとまうしつぐじやう。ぢしよう五年五月十九日じやうろくゐみなもとのあつそんゆきいへとぞかかれたりける。
廿五 四月廿日、ひやうゑのすけよりともをちゆうしたてまつるべきよし、ひたちのくにのぢゆうにんさたけのたらうたかよしがもとへ、ゐんのちやうのみくだしぶみをぞまうしくだしたる。そのゆゑはたかよしがちち、さたけのさぶらうまさよし、去年の冬、頼朝がためにちゆうりくのあひだ、さだめてしゆくいふかかるらむ
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ゆらいをたづねて、へいけかのくにのかみにたかよしをもつてまうしにんず。これによつて隆義、頼朝とかつせんをいたしけれども、もののまねとちりぢりとうちおとされて、たかよしあうしうへにげこもりにけり。きよきよねんこまつのだいふこうぜられぬ、ことしまたにふだうしやうこくうせられぬるには、へいけのうんつきぬることあらはれたり。しかればねんらいおんこのともがらのほか、はせつくものさらになし。さるほどに去年、しよこくのかつせん、しよじしよさんのはめつもさる事にて、はるなつのえんかんおびたたしく、あきふゆのおほかぜこうずいうちつづき、わづかにとうさくのつとめをいたすといへども、せいしうのわざ[ワカ]なきがごとし。かかりければてんがききんしておほくがしにおよぶ。かくて今年もくれにき。みやうねんはさりともたちなほることもやとおもひしほどに、ことしまたやくびやうさへうちそひて、きしびやうしするものかずをしらず、しにんいさごのごとし。さればことよろしきさましたる人々、すがたをやつし、さまかへつして、よくてある
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かとすればやまひつきて、うちふすかとすればすなはちしぬ。あしこののきのした、ここのついぢのきは、おほちのちゆうもんの前をいわず、しにんのよこだはりふせる事、さんのみだれたるが如し。されば車なむどもすぐにかよはず、しにんの上をぞやりける。しうきやうじゆうまんして、ゆきかふ人もたやすからず。さるままには人々の家々はかたはしよりこぼちて、いちにいだしたきぎの為に売けり。そのなかにはくやしゆなむどつきたる木の有けるは、すべきかたなきわびびとの、そとばやふるきぶつざうなむどをやぶりて、うりかひしけるとかや。誠にぢよくせらんまんの世といひながら、くちをしかりしことどもなり。六月三日、ほふわうをんじやうじにごかうあり。はつかのひ、やましなでらのこんだうつくりはじめらる。ぎやうじべんくわんなどくだすべきよしきこへけり。
廿六 さるほどに、じやうのしらうながしげ、たうごくにじふしぐん、ではまでもよほして、かたきにせいのかさなるを
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きかせむと、ざふにんまじりにかりあつめて、六万余騎とぞしるしたる。しなのへこえむといでたちけるが、「せんごふかぎりあり、あすをごすべからずと」よばはりて、雲の中へいりにけり。人おほく是をきかざりけれども、ながしげすなはちときをかへずうつたつ。六万余騎をみてにわかつ。ちくまごえには、はまのこへいだたいしやうで、一万余騎をさしつかはす。うゑだごえには、つばりのしやうじたいふむねちかたいしやうにて、一万余騎さしつかはす。おほてには、じやうのしらうながしげたいしやうとして、四万余騎をいんぞつして、ゑちごのこくふにつきにけり。あすしなのへこえむとするところに、せんぢんあらそふはたれたれぞ。かさはらのへいご、をづのへいしらう、とべの三郎、あがつまの六郎、かざまのきつご、いへのこには、たちかはの次郎、しぶかはの三郎、くじの太郎、くわんじやしやうぐん、らうどうには、あひづのじようたんばう、そのこへいしんだいふ、おくやまのごんのかみ、しそくとう
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しんだいふ、ばんどうのべつたう、くろのべつたうら、われもわれもとあらそひければ、じやうのしらう、みかたうちせさせじとて、いづれもいづれもゆるさずして、四万余騎をひきぐして、くまさかをうちこえて、しなののくにちくまがはよこたがはらに陣をとる。きそこれを聞てつはものをめしけるに、しなのかうづけりやうごくよりはせまゐるといへども、そのせいにせんぎにすぎざりけり。たうごくしらとりがはらにぢんをとる。たてのろくらう申けるは、「ちかただはせむかひて、かたきのせい見て参らむ」とて、のりがへいつきあひぐして、しほじりと云所にはせつきてみれば、かたきはよこたがはら、いしかはさまへ火をかけてやきはらふ。是を見てだいほんだうにはせよりて、馬よりおり、はちまんぐうをふしをがみて、「なむきみやうちやうらいはちまんだいぼさつ、今度のかつせんにきそどのかちたまはば、十六人のやをとめ、八人のかぐらをとこ、しよりやうきしんせむ」とぞいのりまうしける。
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ちかただかへりまゐりて、「しかしか」と申ければ、かたきにはちまんやかせぬさきにうてや、ものども」とて、ひきかけひきかけ夜のあけぼのにほんだうにはせつきて、ぐわんじよを八幡にをさめつつうつたちけるに、せんぢんあらそふともがらたれたれぞ。
かうづけには、こずみの六郎、さゐの七郎、せしもの四郎、もものゐの五郎、しなのには、ねづの次郎、おなじく三郎、うんののやへいしらう、こむろの太郎、注同次郎、おなじく三郎、しがの七郎、おなじく八郎、さくらゐの太郎、おなじく次郎、のざはの太郎、うすだの太郎、ひらさはの次郎、ちのの太郎、すはの二郎、てづかのべつたう、てづかのたらうらぞあらそひける。木曽、人々のうらみおわじとて、げぢしけるは、「らうどう、のりがへをばぐすべからず。むねとのものども
かけよ」と云ければ、「このはからひしかるべし」とて、百騎のせいくつばみをならべて、一騎もさがらず、ちくまがは
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さとわたす。かたきの陣を南より北へはたとかけやぶりて、うしろへつと通りぬ。又とりかへして南へかけとほりけり。じやうのしらう、じふもんじにかけやぶられて申けるは、「これほどのこぜいににどまでたやすくやぶられぬるこそ、今度のいくさのいかがあらむずらむ」とあやぶみて、かさはらのへいごをまねきて云けるは、「ぶせいにたやすくかけられてさうらふ。ここかけたまへ」と申ければ、かさはらのへいごまうしけるは、「よりざねことし五十三にまかりなりて候。だいせうのかつせんに廿六度あひぬれども、一度もふかくつかまつらず。ここにかけてげんざんにいれむ」とて、百騎ばかりのせいをあひぐして、かざまをさつと渡りてなのりけるは、「たうごくの人々、あるいはちじんとくいにして、げんざんせぬはすくなし。たこくのとのばらはおとにききたまふらむ。かさはらのよりざねよきかたきぞ。うちとりてきそどののげんざんにいれよや、とのばら」とののしりてかけいづる。これを聞て、たかやまのひとびと三百余
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騎にてかけいで、かさはらがせいの中へかけいりてさんざんにたたかひけり。りやうばうのつはもの、目をすます。しばしこらへて、とうざいへさとひきてぞのきにける。たかやまが三百余騎のせい、五十余騎にせめなさる。かさはらが百騎の勢、五十七騎はうたれて、のこり四十三騎になりにけり。たいしやうぐんの前にて、のけかぶとになりて馬よりおり、「かつせんのやういかが御覧ぜられさうらうひつる」と申ければ、じやうのしらう是を感じて、「ごへんのかうみやう今にはじめぬ事にて候ふ。中々よじんならば、ほむるところいくらもさうらひつ」といわれて、ほむるにまさることばなれば、すずしげにぞおもひたる。木曽が手には、たかやまのものどものこりすくなくうたれて、やすからずおもひてある所に、さゐの七郎五十余騎にて、をめいてちくまがはをかけわたす。ひをどしのよろひに、しらほしのかぶとのををしめて、くれなゐのほろかけて、しらあしげなる馬に、しろぶくりんのくら置て
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乗たりけり。是を見て、じやうのしらうがかたより、とべの三郎十三騎にてあゆみいだしたり。とべはあかがはをどしの鎧にくはがたのかぶとのををしめて、ほろはかけざりけり。れんぜんあしげなる馬に、きぶくりんのくら置てぞ乗たりける。たがひにゆんですがわせて、「しなののくにのぢゆうにん、とべのさぶらういへとし」となのるを、さゐしちらうはたとにらまへて、「さてはわぎみはひろすけにはあたわぬかたきごさむなれ。聞たるらむ物を。しようへいのまさかどうちて名をあげし、たはらとうだひでさとがはちだいのばつえふ、かうづけのくにさゐのしちらうひろすけ」となのりければ、とべの三郎とりあへず、「わぎみは次がなうちぶみよまむとおもひけるものかな。いへとしがしなをばなにとしてきらふぞとよ。これにてなのらずは、とべの三郎はいかほどの者なれば、よこたのいくさにさゐの七郎にきらはれて、なのりかへさであるぞと、人のいわんずるに。わぎみたしかに聞け。とばのゐんの
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おんときほくめんにさうらひし、しもつけのうゑもんのたいふまさひろがちやくし、さゑもんのたいふいへひろとて、ほうげんのかつせんの時、しんゐんのみかたにさうらひてかつせんつかまつりたりし、そのゆゑにあうしうへながされき。そのこにふせのさぶらういへみつ、そのこにとべのさぶらういへとしとて、げんぺいのばつざにつけども
きらわれず。なんぢをこそきらひたけれ。まさなき男のことばかな」といひもはてず、十三騎のくつばみをならべて、五十騎のなかをかけわつて、うしろへつととほりにけり。またとりかへして、たてよこにさんざんにかけたり。佐井七郎おもてをふらずたたかひけり。佐井七郎が五十騎も、十三騎はうたれにけり。とべが十三騎も、しきになりにけり。佐井はかたきをきらひて引かば、人にわらはれなむずとおもひてしりぞかず、とべは敵にきらはれてやすからずおもひて、りやうばうのらうどうどもうたれけれども、たがひに目をかけて、ゆんでとゆんでとにさしむかへて、くまむくまむとしけれども、りやう
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ばうひしめきたたかふ程に、あなたこなたのはたさしもうたれにけり。やみやみとなりて、たいしやうぐんどし組て、おつるをもしらざりけり。とべのさぶらう、かさはらのへいごが手にて、いくさにしつかれたりける上、うすであまたおひたりければ、さゐのしちらうにくびとられぬ。佐井七郎このくび高らかにさしあげて、「富部三郎がくびうちたりや」とてひきしりぞく。富部三郎がらうどうに、きねぶちのこげんだしげみつといふ、ししやうふちのつはものあり。このほどしゆうにかんだうせられて、ゑちごのくにのとももせざりけるが、「今度じやうのしらうにつきておはすなれば、よからむかたき一騎打て、かんだうゆるされむ」とおもひてまちゐたりけるが、いくさありと聞て、いそぎはせきたりて、「とべどのはいづくにぞ」ととひければ、「あれはあそこにただいま佐井七郎とたたかひつるこそ」と教へければ、旗をあげて、をめいてはせいつてみれば、かたきもみかたもしにふしたり。
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はたさしもうたれにけり。わがしゆうの馬ともののぐとしるくて、そこへはせよつて、「かうづけのさゐのしらうどのとこそみたてまつれ。とべどののらうどう、きねぶちのこげんだしげみつとまうすものなり。いくさより先におんつかひにまかりて、たたかひにはづれて候ばや。そのおんぺんじまうさむ。かつうはしゆくんのおんかほをもいまいちど見せ給へ」と申ければ、佐井七郎これを見て、あらての者にくまれては、かなはじとやおもひけむ、みかたへむちをあげてにげけるを、きねぶちいつたんばかりさきだつかたきを、ごたんのうちにをつつめて、おしならべて組て、どうどおちぬ。きねぶちはきこゆるだいぢからにて有ければ、佐井七郎を取ておさへて、くびかきて、しゆうのくびととりならべて、「しげみつこそまゐりて候へ。しやうをへだてたまふとも、こんばくといふたましひのあむなれば、たしかに聞給へ。人のざんげんにつきたまひて、かんだうありしかども、ききなほしたまふことも候わむずらむとまちさうらひつるに、かく見なしまゐらせてさうらふこと
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の悲しさよ。しげみつおんともにこうぜば、おんまへにてこそうたれさうらふべきに、おくれまひらせて候こそくちをしけれ。おんかたきうちて候。しでのやま、さんづのかは、やすくわたりたまへ」とて、ふたつのもとどりむすびあはせつつ、左の手にささげ、右手にはたちをもつて、てんまに打乗てよばいけるは、「かたきもみかたもこれ見給へ。さゐのしちらうにとべのさぶらううたれたまひぬ。富部三郎がらうどうにきねぶちのこげんだしげみつが、しゆうのかたきうちていづるをとどめよ、ものども」と云ければ、佐井七郎がいへのこらうどう、三十騎にておひかけて、中にとりこめてたたかひけれども、物ともせず、けやぶりてうしろへつといでにけり。かたきつづきてせめければ、かへしあはせて戦ふ。かたきあまたうちとりて、ひとでにかからむよりはとや思けむ、大刀をくちにさしくくみて、さかさまに落て、つらぬかれてこそ死にけれ。是を見てをしまぬ人こそなかりけれ。じやうのしらうはおほぜいなりけれ
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ども、みなかりむしやどもにて、てぜいの者はすくなかりけり。木曽はわづかにぶせいなりけれども、あるいは源氏のばつえふ、としごろおもひつきたるらうどうどもなれば、いちみどうしんにて、いれかへいれかへたたかひけり。しなののくにのげんじに、ゐのうへのくらうみつもりとて、いさめるつはものあり。ないない木曽に申けるは、「おほてにおいてはまかせたてまつる。からめでにおいてはまかせたまへ」とあいづをさしたりければ、だいほんだうの前でにはかに赤旗をつくりて、里品党三百余騎を先にたててかけいづるを、木曽これを見てあやしみをなし、「あれはいかに」といへば、「みつもりがひごろのやくそくたがへたてまつるまじ。御覧ぜられ候へ」とて、くまがはのはたをうしとらにむかひて、じやうのしらうがうしろの陣へぞあゆませける。木曽げぢしけるは、「ゐのうへははやかけいでたり。からめで渡しはてて、よしなかわたしあはせてかけむずるぞ。一騎もおくるな、わかたうども」とて、かぶとのををしめてまつところに、城四郎は井上が赤旗をみ
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つけて、からめでにつかはしつる、つばりのしやうじいへちかがせいと心得て、「こなたへなこそ。あらてなり。かたきにむかへ。荒手なり」と、つかひをたててげぢするところに、そらきかずしてくまがはをさとわたし、かたきの陣の前におほきなるほりあり、広さにぢやうばかりなり、みつもりさしくつろげて堀をこす。むかへのはたにとびわたる。つづきて渡る者もあり、堀の底におちいる者もあり。光盛こえはてねば、赤旗かなぐりすてて、しらはたをぞさしあげける。「いよのにふだうよりよしのしやてい、をとはの三郎よりとほが子息、おきのかみみつあきが孫、やてはの次郎ながみつがばつえふ、信乃国住人井上九郎光盛。かたきをばかふこそたばかれ」とて、三百余騎馬の鼻をならべて、北より南へかけとほる。おほては木曽二千余騎にて、南より北へかけとほる。からめでおほてとりかへしとりかへし、ななよりやよりかけければ、城四郎がたせい、しはうへむらくも
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だちにかけられて、たちあふものはうたれにけり、にぐる者はおほやう河にぞはせこみける。馬も人も水におぼれて死にけり。たいしやうぐんじやうのしらうとかさはらのへいごとかへしあはせてたたかひけるが、ながしげこらへかねてゑちごへひきしりぞく。河にながるる馬や人は、くがよりおつる人よりも、みなとへさきにながれいでにけり。かさはらのへいごは山にかかりて、いのちいきて申けるは、「しやうじやうせせにつたへもつたふまじきは、ゑちごむしやのかたうど也。こんどおほぜいにて木曽をばいけどりにしつべかりつる物を。にげぬる事、うんのきはみなり」とて、ではのくにへぞおちにける。きそ、よこたのいくさにきりかくるくびども五百人也。すなはちじやうのしらうがあとめにつき、ゑちごのふにつきたれば、国のものども皆源氏にしたがひにけり。城四郎あんどしがたかりければ、あひづへおちにけり。ほくろくだうしちかこくのつはものども皆木曽につきて、したがふともがらたれたれぞ。ゑちごのくにには、いなづのしんすけ、さいとうだ、
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へいせんじのちやうりさいめいゐぎし、かがのくにには、はやし、とがし、ゐのうへ、つばた、のとのくにには、つちだのものども、ゑつちゆうのくにには、のじり、かはかみ、いしぐろ、みやざき、さみのたらう。これらてふじやうをつかはして、「きそどのこそ、城四郎おひおとして、ゑちごのふにつきて、せめのぼりておはすなれ。いざや、こころざしあるやうにて、めされぬさきに参らむ」といひければ、「しさいなし」とて、うちつづきまゐりければ、木曽よろこびて、しなのむまいつぴきづつぞたびたりける。さてこそ五万余騎にはなりにけれ。「さだめて平家のうつてくだらむずらむ。きやうちかきゑちぜんのくにひうちがじやうをこしらへてこもりさうらへ」とげぢしおきて、わがみは信乃へかへりて、よこたのじやうにぞきよぢゆうしにける。七月十四日にかいげんあり。やうわぐわんねんとぞ申ける。八月みつかのひ、ひごのかみさだよしちんぜいへげかう。ださいのせうにおほくらのたねなほ、むほんのきこえあるによつて、ついたうのためなり。ここのかのひ、くわんちやうにてだいにんわうゑ
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おこなはる。しようへいのまさかどがらんげきの時、ほつしやうじのざすうけたまはりておこなはれしれいとぞきこへし。そのときあさつなのさいしやうぐわんもんを書て、しるしありときこへしかども、今度はさやうのさたもきこへず。
廿七 廿五日、ぢもくにじやうのしらうながしげ、かのくにのかみになさる。おなじくあにじやうのたらうすけなが、さんぬる二月廿五日たかいのあひだ、ながしげこくしゆににんず。あうしうのぢゆうにんふぢはらのひでひら、かのくにのかみにふせらる。りやうごくともにもつてよりともよしなかついたうのためなりとぞ、ききがきにはのせられたりける。ゑちごのくにはきそあふりやうしてながしげをついたうして、こくむにもおよばざりけり。
廿八 廿六日、ちゆうぐうのすけみちもり、のとのかみのりつねいげ、ほつこくげかう。きそをついたうのことは、じやうのたらうすけながにおほせつけられたりけれども、なほくだしつかはす。くわんびやうら、九月
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九日、ゑちごのくににしてげんじとかつせん。へいけつひにうちおとされにけり。かかりければ、廿八日、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、ぐんびやうすせんぎをそつして、越後国へはつかうす。ひやうがくのおんいのりいつぽんならず、さまざまのごぐわんをたてられ、しよしやにじんりやうをよせられ、じんぐわん、じんにん、しよしやのみやづかさ、ほんじやまつしやにておのおのいのりまうすべきよし、ゐんよりめしおほせらる。しよじしよしやのそうがう、しよしやにててうぶくのほふおこなはる。てんだいざすめいうんそうじやう、せつしやうどののおんうけたまはりにて、こんぼんちゆうだうにて、しちぶつやくしのほふおこなはる。をんじやうじのゑんけいほふしんわう、やなぎのさいしやうやすみちのうけたまはりにて、こんだうにてほくとそんじやうわうぼふを
おこなはる。にんわじのしゆかくほふしんわうは、くでうのだいなごんありとほのうけたまはりにて、くじやくきやうのほふおこなはる。このほかのしよそう、ちよくせんをうけたまはりて、ふどう、だいげん、によいりんのほふ、ふげんえんみやう、
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だいしじやうくわうのほふにいたるまで、おのおのかんたんをくだきておこなはれけり。ゐんのごしよにごだんのほふをおこなはる。ちゆうだんのだいあじやりはばうかくさきのだいそうじやう、がうざんぜのだんはしやううんごんのそうじやう、ぐんだりはかくよごんのだいそうじやう、だいゐとくはこうけんさきのだいそうじやう、こんがうやしやはてうけんごんのそうじやうら、めんめんにちゆうきんをいたし、たんぜいをぬきんでて、おこなはる。ぎやくしんいかでかほろびざるとぞひとまうしける。またひよしのやしろにてむほんのともがらてうぶくのために、ごだんのほふをしぎやうしけるに、さんしちにちごんぎやうせられけるほどに、しよしちにちのだいごにちにあたるに、がうざんぜのだいあじやりかくさんほふいん、だいぎやうじのひがんじよにて、にはかにねじににしににけり。しんめいさんぼうごなふじゆなしといふこと、すでにけちえんなり。又朝敵追討のために、おほせをうけたまはりて、じふぐわつやうかのひだいげんのほふをしゆせらる。せんげのじやうにいはく。
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みやうねんさんがふのうんにあたりて、きよしゆんにぐわつのうるふあり。おのおのしるしさきにおこり、そうぞくかたがたおこる。ていでふぐんりよにくるしみ、らうにやくてんにつかる。まことといふかな、きよてきのこうぐわんにあらずは、いかでかいうこくのえいじやうをなぐさめん。よろしくをぐるすでらにおいて、だいげんのしゆほふをしゆせしむべし。あじやりのだいほふしじつげんゆうしゆうこれをおほす。かんじけふよりはじめ、しちかにちやのあひだ、ことにたんぜいをいたさば、かならずげんおうをあらはすべし。そのれうもつ、あじやりのしたくによつて、しよしにつきてこれをうけよてへり。
やうわぐわんねんじふぐわつやうかのひうちゆうべん
おなじきとをかのひ、さゑもんのごんのすけみつながおほせをうけたまはりて、「こうぶくじをんじやうじのそうりよむほんのつみ、けいしうのうちにあり。ひじやうのだん、じんしゆこれをもつぱらにす。すべからくこうめんすべきところに、くだんのともがらおんたうをよくして、ほんじにきしてのち、もしくわいくわのおもひなく、なほし
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やしんをかへずは、よのためてらのため、おのづからこうくわいあらむか。せんごくのまつりごと、しりよすべきよし、ぎそうのひとあり。しかれども、かのてらとう、ふりよのほかにむなしくくわいじんとなる。これによつて、さうてんかはらず、みやうじんのたたりか。もしこのぎによつては、かのてらのそうりよをゆるさずは、しやのほんいにあらざるか。めんぷのあひだ、えいりよいまだけつせず。さだいしやうさねさだのきやうにはからひまうさしむべし」ととはれければ、「むほんのものは、しざいいつとうをげんじ、をんるにしよすべし。しかるにいまくだんのともがら、けいしうのうちにあり。をんるのつみをまぬかれて、こんどしやにあふ。ことにしてんのそうにおどろく。かうさうのうたがひをとどめむがために、こうめんのでう、えいりよのおもむき、とくせいにあひかなふか」とぞまうされける。さるほどにだいほふひほふおこなはれけれども、なほよのなかしづかならず。よつておなじきじふさんにちせんげせらる。そのじやうにいはく。
みなもとのよりとも、おなじくのぶよし、きよねんよりこのかた、ほしいままにおのれがゐをふるひて、みだりがはしくわうけんをそむく。ただとうごくのしうけんをりよりやくするのみにあらず、
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すでにほくろくのどみんをこふりやくせむとほつす。れいげんのぐ、しゆげうのけん、おのおのくわんいうのことばにおもむきて、ことごとくほんぎやくのうちにいる。ほうがのへいかいをかへりみず、いよいよらうれいのかんしんをさしはさむ。これをとぶらふに、ここんかつてひるいなし。よつてゑちぜんのかみたひらのみちもりのあつそん、たぢまのかみおなじくつねまさのあつそんらにおほせて、ほくろくだうのしよこくのぐんびやうをもよほしかりて、かのよりとものぶよしおよびよりきどういのともがらをついたうせしむべしてへり。
やうわ元年十月十三 日さちゆうべん
おなじきひ、ばうかくそうじやうをゐんのごしよへめされて、「ゆやさんのあくとら、きいのくににしてたびたびくわんびやうとかつせん、あまつさへかのやまをめつばうせむとくはたつるよし、そのきこえあり。いそぎとうざんしてあひしづむべき「よし、おほせふくめられけり。とういのうんしやう、なんばんのかちゆう、せいじゆうのはてい、ほくてきのせつせんまでも、へい
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じをそむき、げんじにしたがふ。むかしわうまうせんせいきみんありしかば、しいきほひおこり、まうをぜんだいにきる。しんにくししむらをわけ、ひやくしやうそのしたをきりくひき。よこぞつてへいけをにくみすること、わうまうにことならず。ひとのきするところは、てんのあたふるところなり。ひとのそむくところは、てんのさるところなり」といへり。またてうてきついたうのおほせをうけたまはりて、だいげんのほふおこなはれける、をぐるすでらのじつげんあじやり、ごくわんじゆをまゐらせたりけるに、ひけんせらるるところに、へいけついたうのよししたりけるこそあさましけれ。しさいをたづねらるるところに、まうされけるは、「てうてきてうぶくのよしせんげせらるるあひだ、たうせいのていをみるに、へいけてうてきとみえたり。よつてもつぱらへいけをてうぶくす。なにのとがかあるべき」とぞまうしける。へいけこのこといきどほりて、「このそうるざいにやおこなふべき。いかがすべき」なむどさたありけれども、だいせうじのそうげきにて、な
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にとなくやみにけり。さるほどにへいけほろびてのち、げんじのよとなりにしかば、おほきによろこびてしさいをそうもんす。ほふわうもぎよかんあつて、そのけんじやうにごんのりつしになされにけり。またさんぬる十一日、じんぎくわんにて、しんきやうのれいへいを
にじふにしやにたてらる。
廿九 十四日、くろがねのおんかつちうをだいじんぐうへたてまつらる。むかししようへいのまさかどをついたうのおんいのりに、くろがねのかつちうをたてまつりたりけるが、さんぬるかおうぐわんねん十二月廿一日のえんしやうのとき、やけにけり。こんどもそのれいとぞきこへし。おんつかひはじんぎごんのせうふくおほなかとみのさだたかこれをつとむ。ちちのさいしゆもおなじくげかうす。おなじき十七日、いせのりきゆうゐんにげちやく。さるのときばかりにてんじやうよりいつしやくしごすんばかりなるくちなは、さだたかにおちかかりて、定隆がひだりのそでの内へいりにけり。あやしとおもひ
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て、そでをふりけれどもみへず。ふしぎやとて、さてやみぬ。をりふしひとびとあまたよりあひてさけをのみけるに、なにとなくしてひくれけり。さてそのよ、ねのときばかりにさだたかねいる。すなはちよに苦しげにうめきければ、ちちさいしゆ「いかにいかに」とおどろかしけれども驚かず。すでにいきすくなくきこへければ、ついがきよりほかへかきいだしたりければ、さだたかすなはちしにけり。ちちさいしゆいみになりぬ。さる程にほうしのなかとみ事のかけたりければ、おほみやづかさすけなりがさたにて、さんゐじゆごゐありなをいげさしまゐらせて、次第におんまつりなりにけり。このほかりんじのくわんぺいをたて、げんじついたうのおんいのりありけり。せんみやうに、「らいでんじん、なほさんじふろくりをひびかす。いはむやみなもとのよりとも、につぽんごくをひびかすべきかわ」とかくべかりけるを、「源の頼」とかかれたり。せんみやうのげきうけたまはりてかく例
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なるに、わざとはかきあやまたじ。これしかるべきしつしやくなり。頼の字を
ば「たすく」といふよみあり。「みなもとをたすく」とよまれたり。そうもぞくも、平家のかたうどする者ほろびけるこそおそろしけれ。されば、しんめいもさんぼうもごなふじゆなしと云事けちえんなり。
卅 十一月、ことしりやうあんになりにしかば、だいじやうゑまたおこなはれず。てんむてんわうのおんときよ