『明治畸人伝』の宮武外骨評
菊池眞一
阪井弁著『明治畸人伝』(明治36年5月28日)に、
宮武外骨(滑稽家)
として、外骨評が出ている。
以下、引用。
宮武外骨
俗悪の世偽善の時、真に正義の士篤行の君子あれば、必ず変物愚物と呼び做され、故意に奇矯を衒ひ、虚名を売る者と呼ばる、人の世に処すること亦難し、然れ共気骨ある者は決して沈黙して其拙を守ることを為さず、進で天下と奮闘す、而かも滑稽の機才ある者は希れなり、我れこれを天下に通観して、宮武外骨一人を獲たり
外骨幼名は亀之助、亀は肉を内にし骨を外にする者、因て外骨と改む、讃岐の人家稍富む、幼より気を負ひ、人後に付随するを喜ばず、人の意表に出づることを好む、二十歳の頃私かに五百金を懐にして漫遊の途に上る、当時自転車新に舶来し、人の視目を惹く、外骨之れを視て大に珍奇なりとし、百方捜索三百金を投じて之れを神戸の外人より購ひ、練習旬日、遂に東海道自転車旅行を企て東都に来たり、友人の家に寓す、友人亦呑気者共に約して、婦人の顋を撫すること百人に至ツて止まんと、時陽春三月百花爛発、向島上野人出尤多し、外骨友人と自転車に乗じ、日に向島に至り、婦人の顋を撫でゝ去る、数日にして九十九人に達す、一日復た向島に至り一人の婦人に逢ふ嬋妍たる尤物、外骨乃ち馳せて其顋を撫す、何ぞ図らん其婦の良人傍らに在り、直ちに外骨を捉らへ拳骨乱下自転車も亦滅茶滅茶に破壊せらる、外骨痛苦を忍び破れ自転車を引摺りて帰る、其無邪気なること斯の如く、宛然たる八笑人中の人物なり、已にして東都に卜居し滑稽雑誌『頓智』を発刊し好評嘖々たり、明治二十二年憲法発布式の時、憲法を諷刺せんとし、『頓智』の附録画に骸骨の憲法発布式を図す、事忌諱に触れ、遂に牢獄に錮せらる、而かも固より不敬の意あるに非らず、蓋し法の刻なるに失す、外骨獄中にあるも亦憂とせず、其課役活版の校正係たりしを以つて、私かに『鉄窓志林』発刊の旨を印刷し、これを囚人中文筆ある者に配布し、其投書を萃め、自ら主筆となり志林を刊行して楽むこと数月にして露はれ遂に其発行停止を命ぜらる、獄中新聞を発刊する事甚だ奇なるに非らずや、以つて外骨の人と為りを知るに足らん、後ち久しく韜晦して台湾に至り養鶏事業に従ふ、もと外骨の長技に非らず、悉く資産を失ふ、明治卅年の頃七十五銭を懐にして、再び大阪に出で遂に金主を得て『滑稽新聞』を発行す、蓋し大阪の地ユスリ新聞詐偽売薬多く、市民悉くこれを苦む、外骨即ち謇諤の筆を振ひ、先づユスリ新聞記者を筆誅す、市民大に喜ぶ、次いで押売新聞を筆誅し、又本願寺法主の淫行を訐き諷刺画を挿入す、法官これを風俗壊乱罪に問ひ、屡々罰金を課せらる、外骨以て意と為さず、進んでユスリ刑事を筆誅し、官吏侮辱罪に問はれ、社員拘禁せらるゝに至りしも、幸に無罪の判決を獲たり今や、ユスリ新聞の毒天下に靡蔓す、而して其の弊を抂むるに力ある者、亦外骨の志を多とせざるを得ず、外骨文を行る極めて遅々、一枚の原稿も亦六時間を費やすと云ふ、而かも其滑稽の才に至ては尋常滑稽家の企及する所に非らず、夙に平賀源内の人と為りを慕ふ、自ら其九星の七赤男、源内と其性を同じうするを喜び、明治源内と号し又小野村夫と云ふ讃岐小野村の産なればなり、九星信仰の奇癖ありて頗る滑稽を演ず、然れ共其人物謹厳小悪と雖も自ら行はず、故に自称して小心狭量過激の人物なりとす、其赤誠世を憂ふ者当代浮薄の人士中に見るべからざる事なり、近く社員の無罪放免となるや、大に祝宴を開き、知名の市民を招く、外骨以下の社員悉く海老茶袴を着け接待す、人其奇想に感ずと云ふ、外骨の筆作中、其『日本滑稽大辞林』の如き尤も見るべき者なり、今其一章を示さん
ねの部
ねこ 淫売芸妓
ねる ふらんねる、綿ねる、抱いてねる
ねー 東京人の語尾、又無いとの意
ねた 横道事を云ふ奴
ねべ 下賤の無意発作
ねぼけ 眼はキヨロキヨロ
ねかす 金を寝かす、小児を寝かす
ねぶる 甜(ナメ)る
ねだる ユスリ
ねんね おやすみ
ねごと 夢中の発言
ねざま 見ともないかあるか
ねごみ 抜身をさげて
ねつい ヒツコイこと
ねびき 落籍、又減価
ねざけ 飲んで寝る
ねつけ お伴
ねとる 他の情男を、又財産を
ねらふ 猫が鼠を、詐偽師が田舎者を
ねぎる チト高い様ぢやなー
ねぎま 葱に鮪の汁
ねぶと 梅毒の一種
ねこばゝ 拾ひ物は己の物
ねんぶつ 後生大事や金欲しや
ねーさん 此方向かんせ
ねめつけ 親爺に「られる」
ねたふり 狸寝入
ねこそげ 悉皆
ねだやし 根を無くする
れころぶ 何かの縁で
ねんあき 主のお側へ行ける時
れてまて 果報は
ねいぶつ 売薬詐偽師野に茂平
ねがへり 破約
れぢこむ 理屈を並べる為め
ねとぼけ 隣りの部屋へ行つてコソコソ
ねりもの 山車、膏薬
ねんねこ 寝たら念仏
ねぶたい 御遠慮なくおやすみなさい
ねなまし 吉原娼妓が客に云ふ言葉
ねとまる 隣の家に怪しい男が
ねこかぶり 狐の様な狡猾者
ねづみなき 嬉れしいと見える
ねりかへし 新作小説、富山の売薬
ねんのため それは御叮嚀に
ねいりばな 一向存じませんでした
ねせうべん 翌朝布団を背負ひます
ねずのばん 用心堅固
ねかしもの 売残り品
ねぢけもの 曲り根性
ねみゝにみづ 驚くべし
ねものがたり 末は夫婦の約束など
ねぎりこぎり 吝ん坊の買物
ねこにこばん 鼠は白銅
ねむけさまし 滑稽新聞
ねぼけやらう 間抜者を云ふ
ねこなぜごゑ 軽薄なお世辞
ねまきのまゝ で表へ飛出し
ねほりはほり 聞き質し
ねどひはどひ ウルサイ
ねみだれがみ 風俗壊乱の姿
ねばりづよい 根気のある人
ねかしつける 小児や泥酔者を
ねこにやんにやん 鼠はちうちう
ねんがねんぢう 酒計飲んでゐる
ねやのむつごと お安くない
ねずみさんよう 子が子を生む
ねんぐおさめる 悪者が懲役に行くこと
ねこにかみぶくろ 後じさり
ねくびちよんぎる 可哀想に
ねんだいきにのる 空前絶後の珍事
ねにふしとらになき 昔の規則
ねずみをとるねこはつめをかくす 悪者の温顔
ねツから面白いのはありません
其滑稽の才見るべくして中に諷刺あり、筆誅あり其外骨の真面目悉く
此一章中に現はる、外骨侠気あり気骨あり、毫も権力金力の前に屈せず
然れ共広き世界中唯一の感服者あり、これ他なし外骨夫人と為す、夫人
も亦偉女子なる哉
(阪井弁著『明治畸人伝』明治36年5月28日)
2016年3月20日公開
et8jj5@bma.biglobe.ne.jp
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