西沢爽『日本近代歌謡史』の問題点
――第二十二章『団団誉志此』と都々逸の剽窃盗作 について――

菊池眞一



西沢爽は、『団団誉志此』について、
残念なことに、奥付に「明治十年月日」とあって、十年の何月何日かは判らない。
とし、
この『団団誉志此』にある都々逸が、明らかに剽窃盗作(?)されて、翌十一年頃から『団々珍聞』の紙上に載るのである。
としている。
この章の西沢爽の言説には、問題がある。

①書名の読みの問題
②奥付の読みの問題
③剽窃盗作の誤解
の三点である。

①書名の読みについて述べる。
西沢爽は、奥付に「明治十年月日」とある『団団誉志此』とするが、『団団誉志此』で検索しても、どこにも所在が見当たらない。もちろん、西沢所蔵本が天下の孤本という可能性もなきにしもあらずだが、西沢『近代日本歌謡史』上巻1252頁に掲げられた表紙写真を見ると、関西大学蔵『団々与志此』と同一である。書名の読みも、西沢の『団団誉志此』は誤りで、関西大学の『団々与志此』が正しい。正確には、「団々與志此」と書いてある。
西沢は親切にも掲載の九十六首を翻刻して掲げている(誤読も若干ある)が、関西大学本と同じである。
すなわち、西沢が『団団誉志此』としたのは間違いで、正しくは『団々与志此』である。
また、西沢は、
表題の読みもさきにくどく述べたように「だんだん」「どんどん」で、「まるまる」とはかゝわりのないことが明らかである。
としているが、後述するとおり、『団々与志此』の種本と思われる『珍笑団団都々一 第壱号』の見返しには「まるまる都々一」とあるので、「団団」「団々」は「まるまる」と読むのが正しいと考える。
『団団珍聞』に掲載された狂詩・狂歌・都々逸・川柳の傑作選は『珍々集』として『団団珍聞』発行元の団々社から出版されている。『珍笑団団都々一』の「団団(まるまる)」は、名前だけを借りたもので、『団団珍聞』や団々社とは無関係のものである。

②奥付の読みについて述べる。
西沢爽は、奥付について、
残念なことに、奥付に「明治十年月日」とあって、十年の何月何日かは判らない。
と書いているが、関西大学蔵『団々与志此』の奥付には、
明治十 年 月 日御届
とある。
(甲)「明治十年月日」と、
(乙)「明治十 年 月 日」とでは、大違いである。
(甲)は明治十年の刊行だが、
(乙)は明治十年代の刊行である。
「明治十 年 月 日」という書き方は間々見られる。
『円朝全集』別巻二(平成二十八年六月二十九日)「後記」の「雪月花三遊新話」の項で、山本和明は、
初輯・二編各冊奥付は「編集者 神田区仲町壱丁目六番地篠田久次郎/出版人 浅草区吉野町六拾五番地山村金三郎/明治十二年五月 日御届」と記載。版元・画工を替えた三編では、下の末尾に「御届明治十 年十二月一日 編輯人 神田区仲町十三番地 篠田久次郎/出版人 松島丁一番地 大西庄之助」とあるものの、三編序の日付が十四年一月となっている。
……
後摺りにあたる松延堂大西庄之助版では、この初輯・二編の色摺りに大幅な変更が加えられている。当初には後ろ表紙を松延堂の刊行目録へと変更しただけであったが(初輯のみ架蔵)、のちに初輯下・二編下の本文末尾にある著者・画工の記名箇所に埋め木を施し、「御届明治十三年十二月一日/編輯人 神田仲町十三番地 篠田久次郎/出版人 松島町一番地 大西庄之助」と改変(国文学研究資料館本。平凡社リプリント日本近代文学48に影印)。三編下の末尾に「御届明治十 年十二月一日」とあったのは、本来「十三年」とあるべき処を、刊行遅延のため空けたのだろう。

と記述している。刊行遅延、刊行年曖昧化の為に「十」と「年」の間に空白を入れるということが行なわれた。西沢爽は、この空白を見落としている。「明治十 年」と書いているということは、「明治十一年」か「明治十二年」か、あるいはそれ以降の刊行であろう。


③剽窃盗作の誤解について述べる。
『団々与志此』掲載の都々逸は96首。西沢本と関西大学本とは丁揃えが違うようで順序の異なる所があるが、全96首の本文が合致する。
『珍笑団団都々一 第壱号』(明治十一年十一月二十日御届)の60首は、全て『団々与志此』(96首)に含まれている。『団団都々一第二号』(明治十一年十一月二十六日御届)のうち24首が『団々与志此』に含まれている。
したがって、『団々与志此』は、全96首のうち、84首を『団団都々一 第一号・第二号』に拠っていることになる。
残り12首については典拠が不明だが、別の書物から借用したか、それを改作したものかもしれない。
以上のことから、『団々与志此』は明治十二年に刊行されたものではないかと推測する。


以下、西沢爽の誤りを整理しておく。
①『団団誉志此』という本は存在しない。『団々与志此』が正しい書名である。
②西沢は、「奥付に「明治十年月日」とあって、十年の何月何日かは判らない」としているが、奥付には「明治十 年 月 日」とあって、明治十一年以降の出版であることを示している。上記の考証から、私は明治十二年の出版であろうと推測する。
③西沢は、『団々与志此』の「団団」について、「伏字のための○○ではなく、情歌本として太鼓の擬声語のダンダンあるいはドンドンと読むべきものであろう」としているが、これは間違いである。『団々与志此』の種本と思われる『珍笑団団都々一 第壱号』の見返しには「まるまる都々一」とあるので、「団々」は「まるまる」と読むのが正しい。
④西沢は、「この『団々誉志此』にある都々逸が、明らかに剽窃盗作(?)されて、翌十一年頃から『団々珍聞』の紙上に載るのである」としているが、これも間違いである。『団団珍聞』や『驥尾団子』掲載の都々逸を中心にまとめた『珍笑団団都々一』が明治十一年十一月二十日以降に発行され、これをほとんど丸取りして成立したのが『団々誉志此』ならぬ『団々与志此』である。



2019年12月2日公開
菊池眞一