連番,巻,丁数,表裏,行,龍谷大学本 本文
1558, 下,0,0,0,徒然草下 ▼第百三十七段
1558,下,1,表,1,花は盛(さか)りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは。雨に
1559,下,1,表,2,対(むか)ひて月を恋(こ)ひ、垂(た)れこめて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、
1560,下,1,表,3,なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢(こずえ)、散り
1561,下,1,表,4,萎(しを)れたる庭などこそ、見所(みどころ)は多けれ。歌の詞
1562,下,1,表,5,書(ことばがき)にも、「花見(はなみ)にまかりけるに、早く散り過ぎに
1563,下,1,表,6,ければ」とも、「障(さは)る事ありてまからで」など書けるは、「花
1564,下,1,表,7,を見て」と言へるに劣(おと)れる事かは。花の散り、月
1565,下,1,表,8,の傾(かたぶ)くを慕(した)ふ習(なら)ひはさる事なれど、殊(こと)にかた
1566,下,1,表,9,くななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所(みどころ)な
1567,下,1,表,10,し」などは言ふめる。万(よろづ)の事、始め・終りこそ
1568,下,1,裏,1,をかしけれ。男女(をとこおんな)の情(なさけ)も、ひとへに逢(あ)ひ見るをば言ふものかは。
1569,下,1,裏,2,逢はで止(や)みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長
1570,下,1,裏,3,き夜を独(ひと)り明し、遠き雲井(くもゐ)を思ひやり、浅
1571,下,1,裏,4,茅(あさぢ)が宿に昔を偲(しの)ぶこそ、色好(いろこの)むとは言はめ。望月(もちづき)の
1572,下,1,裏,5,隈なきを千里(ちさと)の外(ほか)まで眺(なが)めたるよりも、暁(あかつき)
1573,下,1,裏,6,近くなりて待ち出でたるが、いと心(こころ)深(ぶか)う青みたる
1574,下,1,裏,7,やうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木(こ)の間(ま)の
1575,下,1,裏,8,影、うちしぐれたる村雲隠(むらぐもがく)れのほど、又(また)なくあはれなり。
1576,下,1,裏,9,椎柴(しひしば)・白樫(しらかし)などの、濡(ぬ)れたるやうなる葉の上にきら
1577,下,1,裏,10,めきたるこそ、身に沁(し)みて、心(こころ)あらん友もがなと、都恋(みやここひ)
1578,下,2,表,1,しう覚ゆれ。すべて、月・花は、さのみ目にて見るもの
1579,下,2,表,2,かは。春は家に立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)のうちな
1580,下,2,表,3,がらも思へるこそ、〔いと〕たのもしうをかしけれ。よき人は、ひ
1581,下,2,表,4,とへに好(す)けるさまにも見えず、興(きよう)ずるさまも等閑(なほざり)
1582,下,2,表,5,なり。片田舎(かたゐなか)の人こそ、色こく、万はもて興(きよう)
1583,下,2,表,6,ずれ。花の本(もと)には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせず
1584,下,2,表,7,まもりて、酒飲み、連歌(れんが)して、果(はて)は、大きなる枝、心(こころ)なく
1585,下,2,表,8,折り取りぬ。泉(いづみ)にては手足さし浸(ひた)し、雪には下(お)り
1586,下,2,表,9,立ちて跡(あと)つけなど、万の物、よそながら見ること
1587,下,2,表,10,なし。さやうの人の祭見しさま、いと珍(めづ)らかなりき。
1588,下,2,裏,1,「見る事(こと)いと遅し。そのほどは桟敷(さじき)不用(ふよう)なり」とて、
1589,下,2,裏,2,奥なる屋(や)に、酒飲み、物食ひ、碁・双六など遊びて、
1590,下,2,裏,3,桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」と言ふ時
1591,下,2,裏,4,に、おのおの肝潰(きもつぶ)るゝやうに争(あらそ)ひ走り上
1592,下,2,裏,5,りて、落ちぬべきまで簾(すだれ)張り出でて、押し合ひ
1593,下,2,裏,6,つゝ、一事(ひとこと)も見洩(もら)さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と
1594,下,2,裏,7,物毎(ものごと)に言ひて、渡り過ぎぬれば、「又(また)渡らんほど」とて
1595,下,2,裏,8,下りぬ。たゞ、物をのみ見んとするなるべし。都の
1596,下,2,裏,9,人のゆゝしげなるは、睡(ねぶ)りて、いとも見ず。若く
1597,下,2,裏,10,末々(すえずえ)なるは、宮仕(づか)へに立ち居(ゐ)、人の後(うしろ)に
1598,下,3,表,1,侍ふは、様(さま)あしくも及びかゝらず、わりなく見ん
1599,下,3,表,2,とする人もなし。何となく葵(あふひ)懸け渡して
1600,下,3,表,3,なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する
1601,下,3,表,4,車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれ
1602,下,3,表,5,ば、牛飼(うしかひ)・下部(しもべ)などの見知れるもあり。をかしくも、きら
1603,下,3,表,6,きらしくも、さまざまに行(ゆ)き交(か)ふ、見るもつれづれ
1604,下,3,表,7,ならず。暮るゝほどには、立て並(なら)べつる車ども、所(ところ)せく
1605,下,3,表,8,並(な)みゐたる人も、いづかたへか行き帰らん、程(ほど)なく稀(まれ)
1606,下,3,表,9,に成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、
1607,下,3,表,10,簾(すだれ)・畳(たたみ)も取り払ひ、目の前にさびしげに
1608,下,3,裏,1,なりゆくこそ、世の例(ためし)も思ひ知られて、あはれなれ。
1609,下,3,裏,2,大路(おほち)見たるこそ、祭見たるにてはあれ。かの桟
1610,下,3,裏,3,敷(さじき)の所をこゝら行(ゆ)き交ふ人の、見知れるがあまた
1611,下,3,裏,4,あるにて、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この
1612,下,3,裏,5,人皆失(う)せなん後(のち)、我が身死ぬべきに定まりたり
1613,下,3,裏,6,とも、ほどなく待(ま)ちつけぬべし。大きなる器(うつはもの)に
1614,下,3,裏,7,水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴(しただ)ること少(すくな)
1615,下,3,裏,8,しといふとも、怠(おこた)る間なく洩(も)りゆかば、やがて尽き
1616,下,3,裏,9,ぬべし。都の中(うち)に多き人、死なざる日はあるべからず。一日
1617,下,3,裏,10,に一人・二人のみならんや。鳥部野(とりべの)・舟岡(ふなをか)、さらぬ野(の)
1618,下,4,表,1,山(やま)にも、送る数多かる日はあれども、送らぬ日は
1619,下,4,表,2,なし。されば、棺(ひつぎ)を鬻(ひさ)く者、作りてうち置く
1620,下,4,表,3,ほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ
1621,下,4,表,4,懸けぬは死期(しご)なり。今日(けふ)まで遁(のが)れ来にけるは、ありがたき
1622,下,4,表,5,不思議なり。暫(しば)しも世をのどかに思ひなんや。継子
1623,下,4,表,6,立(ままこだて)といふものを双六(すぐろく)の石にて作りて、立て並べ
1624,下,4,表,7,たるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、数へ
1625,下,4,表,8,当てて一つを取りぬれば、その外は遁(のが)れぬと見れど、
1626,下,4,表,9,又々(またまた)数ふれば、彼是間抜(かれこれまぬ)き行くほどに、いづれも
1627,下,4,表,10,遁(のが)れざるに似たり。兵(つはもの)の、軍(いくさ)に出づるは、死に近き
1628,下,4,裏,1,ことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背
1629,下,4,裏,2,ける草の庵(いほり)には、閑(しづ)かに水石(すゐせき)を翫(もてあそ)びて、これを
1630,下,4,裏,3,余所(よそ)に聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、
1631,下,4,裏,4,無常の敵競(かたききほ)ひ来(きた)らざらんや。その、死に
1632,下,4,裏,5,臨(のぞ)める事、軍(いくさ)の陣(ぢん)に進めるに同じ。▼第百三十八段
1633,下,4,裏,6,「祭過ぎぬれば、後(のち)の葵(あふひ)不用(ふよう)なり」とて、或人の、御簾(みす)
1634,下,4,裏,7,なるを皆取らせられ侍りしが、色(いろ)もなく覚え〔侍り〕しを、よ
1635,下,4,裏,8,き人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひし
1636,下,4,裏,9,かど、周防内侍(すはうのないし)が、かくれどもかひなき物はもろとも
1637,下,4,裏,10,にみすの葵の枯葉(かれは)なりけりと詠(よ)めるも、母屋(もや)の御
1638,下,5,表,1,簾(みす)に葵の懸(かか)りたる枯葉を詠めるよし、家(いへ)の集(しふ)に
1639,下,5,表,2,も書けり。古き歌の詞書(ことがき)に、「枯れたる葵にさ
1640,下,5,表,3,して遣(つか)はしける」とも侍り。枕草子にも、「来(こ)しかた
1641,下,5,表,4,恋(こひ)しき事、書きたる葵」と書けるこそ、いみじくなつ
1642,下,5,表,5,かしう思ひ寄りたれ。鴨長明が四季物語(しきのものがたり)
1643,下,5,表,6,にも、「玉垂(たまだれ)に後(のち)の葵は留(とま)りけり」とぞ書ける。己(おの)
1644,下,5,表,7,れと枯(か)るだにこそあるを、名残(なごり)なく、いかゞ取り捨つべ
1645,下,5,表,8,き。御帳(みちやう)に懸(かか)れる薬玉(くすだま)も、九月九日(ながつきここのか)、菊に取り替へら
1646,下,5,表,9,るゝといへば、菖蒲(しやうぶ)は菊の折(をり)までもあるべきにこそ。
1647,下,5,表,10,枇杷皇太后宮(びはのくわうたいこうくう)かくれ給ひて後(のち)、古き御帳の
1648,下,5,裏,1,内(うち)に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、
1649,下,5,裏,2,「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨(べん)の乳母(めのと)の言へる返
1650,下,5,裏,3,事(かへりこと)に、「あやめの草(くさ)はありながら」とも、江侍従(ごうじじう)が詠みし
1651,下,5,裏,4,ぞかし。▼第百三十九段
1652,下,5,裏,5,家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふ)もよし。花は、一
1653,下,5,裏,6,重(ひとへ)なる、よし。八重桜(やへざくら)は、奈良の都にのみありけるを、
1654,下,5,裏,7,この比(ごろ)ぞ、世には多く成り侍るなる。吉野の花、左近(さこん)の
1655,下,5,裏,8,桜、皆、一重(ひとへ)にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)の
1656,下,5,裏,9,ものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。
1657,下,5,裏,10,遅桜(おそざくら)、又(また)すさまじ。虫の附(つ)きたるもむつかし。梅は、白
1658,下,6,表,1,き・薄紅梅(うすこうばい)。一重なるが疾(と)く咲きたるも、重(かさ)なり
1659,下,6,表,2,たる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、
1660,下,6,表,3,桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧(けお)されて、枝に萎(しぼ)
1661,下,6,表,4,みつきたる、心(こころ)うし。「一重なるが、まづ咲きて、散り
1662,下,6,表,5,たるは、心(こころ)疾く、をかし」とて、京極入道中納言(きやうごくのにふだうちゆうなごん)は、なほ、一重梅
1663,下,6,表,6,をなん、都(みやこ)近く植ゑられたりける。京極の屋(や)の南
1664,下,6,表,7,向きに、今も二本(ふたもと)侍るめり。柳、又(また)をかし。卯月(うづき)ばかりの
1665,下,6,表,8,若楓(わかかへで)、すべて、万(よろづ)の花・紅葉(もみぢ)にもまさりて
1666,下,6,表,9,めでたきものなり。橘(たちばな)・桂(かつら)、いづれも、木はもの
1667,下,6,表,10,古(ふ)り、大きなる、よし。草は、山吹(やまぶき)・藤(ふぢ)・杜若(かきつばた)・撫子(なでしこ)。
1668,下,6,裏,1,池には、蓮(はちす)。秋の草は、荻(をぎ)・薄(すすき)・桔梗(きちかう)・萩(はぎ)・女郎花(をみなへし)・
1669,下,6,裏,2,藤袴(ふぢばかま)・紫苑(しをに)・吾木香(われもかう)・刈萱(かるかや)・竜胆(りんだう)・菊。黄菊(きぎく)
1670,下,6,裏,3,も。蔦(つた)・葛(くず)・朝顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、墻(かき)に
1671,下,6,裏,4,繁(しげ)からぬ、よし。この外(ほか)の、世に稀(まれ)なるもの、唐めきたる名
1672,下,6,裏,5,の聞きにくゝ、花も見馴(な)れぬなど、いとなつかしからず。大方(おほかた)、
1673,下,6,裏,6,何(なに)も珍(めづ)らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興(きよう)ずる
1674,下,6,裏,7,物なり。さやうのもの、なくてありなん。▼第百四十段
1675,下,6,裏,8,身(み)死して財(たから)残る事は、智者(ちしや)のせざる処(ところ)なり。よからぬ
1676,下,6,裏,9,物蓄(たくは)へ置きたるもつたなく、よき物は、心(こころ)を止(と)め
1677,下,6,裏,10,けんといとはかなし。こちたく多かる、まして口惜(くちを)し。
1678,下,7,表,1,「我こそ得(え)め」など言ふ者どもありて、跡(あと)に争ひたる、様(さま)あ
1679,下,7,表,2,し。後(のち)は誰(たれ)にと志(こころざ)す物あらば、生けらんうちにぞ譲(ゆづ)る
1680,下,7,表,3,べき。朝夕(あさゆふ)なくて叶(かな)はざらん物こそあらめ、その外(ほか)は、
1681,下,7,表,4,何も持たでぞあらまほしき。▼第百四十一段
1682,下,7,表,5,悲田院尭蓮(ひでんゐんのげうれん)上人は、俗姓(ぞくしやう)は三浦(みうら)の某(なにがし)と
1683,下,7,表,6,かや、双(さう)なき武者(むしや)なり。故郷(ふるさと)の人(きた)の来て、物語(ものがたり)
1684,下,7,表,7,すとて、「吾妻(あづま)の人(ひと)こそ、言ひつる事は頼(たの)まるれ、都
1685,下,7,表,8,の人は、ことうけのみよくて、実(まこと)なし」と言ひしを、
1686,下,7,表,9,聖、「それはさこそおぼすらめど、己れは都に久しく住み
1687,下,7,表,10,て、馴(な)れて見侍るに、人の心(こころ)劣(おと)れりとは思ひ侍らず。
1688,下,7,裏,1,なべて、心(こころ)柔(やはら)かに、情(なさけ)ある故に、人の言ふ
1689,下,7,裏,2,ほどの事、けやけく否(いな)び難(がた)くて、万(よろづ)え言ひ放(はな)た
1690,下,7,裏,3,ず、心(こころ)弱くことうけしつ。偽(いつは)りせんとは思はねど、
1691,下,7,裏,4,乏(とも)しく、叶(かな)はぬ人のみあれば、自(おのづか)ら、本意(ほんい)通(とほ)らぬ
1692,下,7,裏,5,事多かるべし。吾妻人(あづまうど)は、我が方(かた)なれど、げには、心(こころ)
1693,下,7,裏,6,の色なく、情(なさけ)おくれ、偏(ひとへ)にすぐよかなるものな
1694,下,7,裏,7,れば、始めより否(いな)と言ひて止みぬ。賑(にぎ)はひ、豊(ゆた)かな
1695,下,7,裏,8,れば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、
1696,下,7,裏,9,この聖、声うち歪(ゆが)み、荒々(あらあら)しくて、聖教(しやうげう)の細や
1697,下,7,裏,10,かなる理(ことわり)いと辨(わきま)へずもやと思ひしに、この人(ひと)
1698,下,8,表,1,詞(ことば)の後(のち)、心(こころ)にくゝ成りて、多かる中(なか)に寺をも住持(ぢゆうぢ)せ
1699,下,8,表,2,らるゝは、かく柔(やはら)ぎたる所ありて、その益(やく)もあるに
1700,下,8,表,3,こそと覚え侍りし。▼第百四十二段
1701,下,8,表,4,心(こころ)なしと見ゆる者も、よき一言(ひとこと)はいふものなり。ある
1702,下,8,表,5,荒夷(あらえびす)の恐しげなるが、かたへにあひて、「御子(おこ)
1703,下,8,表,6,はおはすや」と問ひしに、「一人(ひとり)も持ち侍らず」と答へし
1704,下,8,表,7,かば、「さては、もののあはれも知り給はじ。情(なさけ)なき
1705,下,8,表,8,御心(みこころ)にぞものし給ふらん、いと恐し。子故(ゆゑ)にこそ、〔万の〕
1706,下,8,表,9,あはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべ
1707,下,8,表,10,き事なり。恩愛(おんない)の道ならでは、かゝる者の心(こころ)に、慈悲(じひ)
1708,下,8,裏,1,ありなんや。孝養(けうやう)の心(こころ)なき者も、子持ちてこそ、親の
1709,下,8,裏,2,志(こころざし)は思ひ知るなれ。すみやかに世を思ひ捨てたる〔人の、万に
1710,下,8,裏,3,するすみなるが〕ままに、なべて、ほだし多かる人の、万に諂(へつら)ひ、
1711,下,8,裏,4,望み深きを見て、無下(むげ)に思ひくたすは、僻事(ひがこと)
1712,下,8,裏,5,なり。その人の心(こころ)に成りて思へば、まことに、かなしからん親
1713,下,8,裏,6,のため、妻子(さいし)のためには、恥(はぢ)をも忘れ、盗(ぬす)みもしつべ
1714,下,8,裏,7,き事なり。されば、盗人(ぬすびと)を縛(いまし)め、僻事をのみ罪
1715,下,8,裏,8,せんよりは、世の人の饑(う)ゑず、寒からぬやうに、世をば行(おこな)は
1716,下,8,裏,9,まほしきなり。人、恒(つね)の産(さん)なき時は、恒の心(こころ)なし。人、
1717,下,8,裏,10,窮(きは)まりて盗みす。世治(をさま)らずして、凍餒(とうたい)の苦
1718,下,9,表,1,しびあらば、科(とが)の者絶(た)ゆべからず。人を苦しめ、法(ほふ)を犯
1719,下,9,表,2,さしめて、それを罪(つみ)なはん事、不便(ふびん)のわざなり。さて、
1720,下,9,表,3,いかにして人を恵(めぐ)むべきとならば、上(かみ)の奢(おご)り、費(つひや)す
1721,下,9,表,4,所を止(や)め、民を撫(な)で、農を勧めば、下(しも)に利あらん事、疑
1722,下,9,表,5,ひあるべからず。衣食尋常(いしよくよのつね)なる上(うへ)に僻事せん人をぞ、
1723,下,9,表,6,真(まこと)の盗人とは言ふべき。▼第百四十三段
1724,下,9,表,7,人の終焉(しゆうえん)の有様(ありさま)のいみじかりし事など、人の
1725,下,9,表,8,語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば
1726,下,9,表,9,心(こころ)にくかるべきを、愚(おろ)かなる人は、あやしく、異(こと)なる相(さう)
1727,下,9,表,10,を語りつけ、言ひし言葉も振舞(ふるまひ)も、己れが好
1728,下,9,裏,1,む方(かた)に誉めなすこそ、その人の日来(ひごろ)の本意(ほんい)にもあらず
1729,下,9,裏,2,やと覚ゆれ。この大事(だいじ)は、権者(ごんじや)の人も定(さだ)むべからず。博学(はくがく)の
1730,下,9,裏,3,士も測(はか)るべからず。己れ違(たが)ふ所なくは、人の見聞くには
1731,下,9,裏,4,よるべからず。▼第百四十四段
1732,下,9,裏,5,栂尾(とがのを)の上人(しやうにん)、道を過ぎ給ひけるに、河(かは)にて馬洗ふ男、
1733,下,9,裏,6,「あしあし」と言ひければ、上人立ち止(どま)りて、「あな尊(たふと)
1734,下,9,裏,7,や。宿執開発(しゆくしふかいほつ)の人かな。阿字(あじ)阿字と唱(とな)ふるぞや。如何(いか)なる
1735,下,9,裏,8,人の御馬(おんうま)ぞ。余りに尊(たふと)く覚(おぼ)ゆるは」と尋ね給ひければ、
1736,下,9,裏,9,「府生殿(ふしやうどの)の御馬に候ふ」と答へけり。「こはめでたき事かな。
1737,下,9,裏,10,阿字本不生(あじほんふしやう)にこそあんなれ。うれしき結縁(けちえん)をもしつる
1738,下,10,表,1,かな」とて、感涙(かんるゐ)を拭(のご)はれけるとぞ。▼第百四十五段
1739,下,10,表,2,御随身(みずゐじん)秦(はだの)重能【*重躬】(しげみ)、北面の下野(しもつけの)入道(にふだう)信願(しんぐわん)を、「落馬(らくば)の相(さう)ある
1740,下,10,表,3,人なり。よくよく慎み給へ」と言ひけるを、いと真(まこと)し
1741,下,10,表,4,からず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長(ちやう)じ
1742,下,10,表,5,ける一言(ひとこと)、神の如しと人思へり。さて、「如何(いか)なる相ぞ」と人の
1743,下,10,表,6,問ひければ、「極(きは)めて桃尻(ももじり)にして、沛艾(はいがい)の馬を好みし
1744,下,10,表,7,かば、この相を負(おほ)せ侍りき。何時(いつ)かは申し誤りたる」とぞ言ひ
1745,下,10,表,8,ける。▼第百四十六段
1746,下,10,表,9,明雲座主(めいうんざす)、相者(さうじや)にあひ給ひて、「己れ、もし兵杖(ひやうぢやう)の難(なん)
1747,下,10,表,10,やある」と尋ね給ひければ、相人(さうにん)、「まことに、その相
1748,下,10,裏,1,おはします」と申す。「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷
1749,下,10,裏,2,害(しやうがい)の恐れおはしますまじき御身(おんみ)にて、仮(かり)にも、
1750,下,10,裏,3,かく思(おぼ)し寄りて、尋ね給ふ、これ、既(すで)に、その危(あやぶ)みの兆(きざし)
1751,下,10,裏,4,なり」と申しけり。果(はた)して、矢に当りて失せ
1752,下,10,裏,5,給ひけり。▼第百四十七段
1753,下,10,裏,6,灸治(きうぢ)、あまた所に成りぬれば、神事(じんじ)に穢(けが)れありと
1754,下,10,裏,7,いふ事、近くの人の言ひ出(いだ)せるなり。格式等(きやくしきとう)にも見
1755,下,10,裏,8,えずとぞ。▼第百四十八段
1756,下,10,裏,9,四十以後(しじふいご)の人、身に灸(きふ)を加(くは)へて、三里(さんり)を焼かざれば、上
1757,下,10,裏,10,気(じやうき)の事あり。必ず灸すべし。▼第百四十九段 鹿茸(ろくじよう)を鼻に当てて
1758,下,11,表,1,嗅(か)ぐべからず。小(ちひ)さき虫ありて、鼻より入(い)りて、脳を
1759,下,11,表,2,食(は)むと言へり。▼第百五十段
1760,下,11,表,3,能(のう)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に
1761,下,11,表,4,知られじ。うちうちよく習ひ得(え)て、さし出でたらんこそ、〔いと〕
1762,下,11,表,5,心(こころ)にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸(いちげい)も習ひ
1763,下,11,表,6,得(う)ることなし。未(いま)だ堅固(けんご)かたほなるより、上手(じやうず)の中に
1764,下,11,表,7,交りて、毀(そし)り笑はるゝにも恥(は)ぢず、つれなく
1765,下,11,表,8,過ぎて嗜(たしな)む人、天性(てんぜい)、その骨(こつ)なけれども、道(みち)
1766,下,11,表,9,になづまず、濫(みだ)りにせずして、年を送れば、堪
1767,下,11,表,10,能(かんのう)の嗜まざるよりは、終(つひ)に上手の位(くらゐ)に至り、
1768,下,11,裏,1,徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得(う)る事なり。
1769,下,11,裏,2,天下(てんか)のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞(きこ)えも
1770,下,11,裏,3,あり、無下(むげ)の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟
1771,下,11,裏,4,正(おきてただ)しく、これを重くして、放埒(はうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)
1772,下,11,裏,5,にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道変(しよだうかは)るべからず。▼第百五十一段
1773,下,11,裏,6,或(ある)人(ひと)の云はく、年五十(ごじふ)になるまで上手に至らざらん芸(げい)
1774,下,11,裏,7,をば捨つべきなり。励(はげ)み習ふべき行末(ゆくすゑ)もなし。老
1775,下,11,裏,8,人(らうじん)の事をば、人もえ笑はず。衆(しゆ)に交りたるも、あ
1776,下,11,裏,9,いなく、見ぐるし。大方(おほかた)、万(よろづ)のしわざは止(や)めて、暇(いとま)
1777,下,11,裏,10,あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に携(たづさ)
1778,下,12,表,1,はりて生涯を暮(くら)すは、下愚(かぐ)の人なり。ゆかしく覚(おぼ)えん
1779,下,12,表,2,事は、学び訊(き)くとも、その趣(おもむき)を知りなば、おぼつ
1780,下,12,表,3,かなからずして止(や)むべし。もとより、望むことなくして
1781,下,12,表,4,うらやまざらんは、第一〔の事〕なり。▼第百五十二段
1782,下,12,表,5,西大寺静然上人(さいだいじのじやうねん)、腰屈(かが)まり、眉(まゆ)白く、まことに徳
1783,下,12,表,6,たけたる有様(ありさま)にて、内裏(だいり)へ参られたりけるを、西園
1784,下,12,表,7,寺内大臣殿(さいをんじのないだいじんどの)、「あな尊(たふと)の気色(けしき)や」とて、信仰(しんがう)の気
1785,下,12,表,8,色(きそく)ありければ、資朝卿(すけとものきやう)、これを見て、「年の寄(よ)りたる
1786,下,12,表,9,に候(さうら)ふ」と申されけり。後日(ごにち)に、尨犬(むくいぬ)のあさましく老(お)いさら
1787,下,12,表,10,ぼひて、毛(け)剥(は)げたるを曳(ひ)かせて、「この気色(けしき)尊(たふと)く見え
1788,下,12,裏,1,て候ふ」とて、内府(だいふ)へ参らせられたりけるとぞ。▼第百五十三段
1789,下,12,裏,2,為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう)、召し捕(と)られて、武士どもうち囲(かこ)み
1790,下,12,裏,3,て、六波羅(ろくはら)へ率(ゐ)て行(ゆ)きければ、資朝卿(すけとものきやう)、一条わたりにて
1791,下,12,裏,4,これを見て、「あな羨(うらや)まし。世にあらん思い出、かく
1792,下,12,裏,5,こそあらまほしけれ」とぞ言はれける。▼第百五十四段
1793,下,12,裏,6,この人、東寺(とうじ)の門に雨宿(あまやど)りせられたりけるに、かたは者
1794,下,12,裏,7,どもの集(あつま)りゐたるが、手も足も捩(ね)ぢ歪(ゆが)み、うち
1795,下,12,裏,8,反(かへ)りて、いづくも不具(ふぐ)に異様(ことやう)なるを見て、とりどり
1796,下,12,裏,9,に類(たぐひ)なき曲物(くせもの)なり、尤(もつと)も愛するに足(た)れり
1797,下,12,裏,10,と思ひて、守(まぼ)り給ひけるほどに、やがてその興(きよう)尽(つ)きて、
1798,下,13,表,1,見にくゝ、いぶせく覚(おぼ)えければ、たゞ素直(すなほ)に珍(めづ)らし
1799,下,13,表,2,からぬ物には如(し)かずと思ひて、帰りて後(のち)、この間、植木を好
1800,下,13,表,3,みて、異様(ことやう)に曲折(きよくせつ)あるを求めて、目を喜(よろこ)ばしめ
1801,下,13,表,4,つるは、かのかたはを愛するなりけりと、興(きよう)なく覚え
1802,下,13,表,5,ければ、鉢に植ゑられける木ども、皆焼き捨てられにけ
1803,下,13,表,6,り。さもありぬべき事なり。▼第百五十五段
1804,下,13,表,7,世に従(したが)はん人は、先(ま)づ、機嫌(きげん)を知るべし。序悪(ついであ)しき事
1805,下,13,表,8,は、人の耳にも逆(さか)ひ、心(こころ)にも違(たが)ひて、その事成らず。
1806,下,13,表,9,さやうの折節(をりふし)を心得(こころう)べきなり。但(ただ)し、病(やまひ)を受け、子を生
1807,下,13,表,10,み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事
1808,下,13,裏,1,なし。生(しやう)・住(ぢゆう)・異(い)・滅(めつ)の移り変る、実(まこと)の大事は、猛(たけ)き
1809,下,13,裏,2,河(かは)の漲(みなぎり)り流るゝが如し。暫(しば)しも滞(とどこほ)らず、
1810,下,13,裏,3,直(ただ)ちに行(おこな)ひゆくものなり。されば、真俗(しんぞく)につけて、
1811,下,13,裏,4,必ず果(はた)し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべか
1812,下,13,裏,5,らず。とかくのもよひなく、足を踏み止(とど)むまじき
1813,下,13,裏,6,事なり。春暮れて後(のち)、夏になり、夏果てて、秋の来るに
1814,下,13,裏,7,はあらず。春はやがて夏の気(き)を催(もよほ)し、夏より既に
1815,下,13,裏,8,秋は通(かよ)ひ、秋は即(すなは)ち寒くなり、十月は小春(こはる)の天気(てんき)、草
1816,下,13,裏,9,も青くなり、梅も蕾(つぼ)みぬ。木(こ)の葉(は)の落つるも、先(ま)づ落
1817,下,13,裏,10,ちて芽(め)ぐむにはあらず、下(した)より萌(きざ)しつはるに堪(た)へず
1818,下,14,表,1,して落つるなり。迎(むか)ふ気(き)、下に設けたる故に、待ち
1819,下,14,表,2,とる序甚(はなは)だ速し。生・老(らう)・病(びやう)・死(し)の移り来(きた)る事、
1820,下,14,表,3,又(また)、これに過ぎたり。四季は、なほ、定(さだ)まれる序あり。死期(しご)
1821,下,14,表,4,は序(ついで)を待たず。死は、前よりしも来(きた)らず。かねて
1822,下,14,表,5,後(うしろ)に迫る。人皆死(し)ある事を知りて、待つことしかも
1823,下,14,表,6,急(きふ)ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟(ひがた)は遥(はる)か
1824,下,14,表,7,なれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満つが如し。▼第百五十六段
1825,下,14,表,8,大臣(だいじん)の大饗(だいきよう)は、さるべき所を申(まう)し請(う)けて行ふ、常(つね)の事
1826,下,14,表,9,なり。宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどの)は、東(とう)三条殿(さんでうどの)にて行はる。内裏(だいり)
1827,下,14,表,10,にてありけるを、申されけるによりて、他所(たしよ)へ行幸(ぎやうがう)ありけり。
1828,下,14,裏,1,させる事の寄(よ)せなけれども、女院(にようゐん)の御所など借り申す、故実(こしつ)
1829,下,14,裏,2,なりとぞ。▼第百五十七段
1830,下,14,裏,3,筆を取れば物書かれ、楽器(がくき)を取れば音(ね)を立てんと
1831,下,14,裏,4,思ふ。盃(さかづき)を取れば酒を思ひ、賽(さい)を取れば攤(だ)打たん
1832,下,14,裏,5,事を思ふ。心(こころ)は、必ず、事(こと)に触れて来る。仮にも、
1833,下,14,裏,6,不善(ふぜん)の戯(たわぶ)れをなすべからず。あからさまに聖教(しやうげう)の一
1834,下,14,裏,7,句(いつく)を見れば、何となく、前後(ぜんご)の文(もん)も見ゆ。卒爾(そつじ)にし
1835,下,14,裏,8,て多年(たねん)の非を改むる事もあり。仮に、今、この
1836,下,14,裏,9,文を披(ひろ)げざらましかば、この事を知らんや。これ則ち、触るゝ所
1837,下,14,裏,10,の益(やく)なり。心(こころ)更(さら)に起らずとも、仏前(ぶつぜん)にありて、数珠(じゆず)を
1838,下,15,表,1,取り、経(きやう)を取らば、怠るうちにも善業自(ぜんごふおのづか)ら
1839,下,15,表,2,修せられ、散乱(さんらん)の心(こころ)ながら縄床(じようしやう)に座(ざ)せば、覚えずし
1840,下,15,表,3,て禅定成(ぜんぢやうな)るべし。事(じ)・理(り)もとより二つならず。外相(げさう)も
1841,下,15,表,4,し背かざれば、内証(ないしよう)必ず熟す。強ひて不信と
1842,下,15,表,5,言ふべからず。仰(あふ)ぎてこれを尊(たふと)むべし。▼第百五十八段
1843,下,15,表,6,「盃(さかづき)の底捨つる事、いかゞ心得たる」と、或(ある)人尋ねさせ給ひし
1844,下,15,表,7,に、「凝当(ぎやうだう)と申し侍るは、底に凝(こ)りたるを捨つるにや候ふらん」と申し
1845,下,15,表,8,侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ぎよだう)なり。流れを残して、口の
1846,下,15,表,9,付(つ)きたる所を滌(すす)ぐなり」と仰(おほ)せられし。▼第百五十九段
1847,下,15,表,10,「にな結(むす)びと言ふは、糸を結び重(かさ)ねたるが、蜷(みな)といひ貝
1848,下,15,裏,1,に似たれば言ふ」と、或やんごとなき人の仰せられき。
1849,下,15,裏,2,「みな」といふは誤(あやまり)なり。▼第百六十段
1850,下,15,裏,3,門(もん)に額(がく)〔懸(か)くるを〕「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路(かでのこうぢの)二品禅門(にほんぜんもん)は、
1851,下,15,裏,4,「額懸くる」とのたまひき。「見物(けんぶつ)の桟敷(さじき)打つ」も、よからぬにや。
1852,下,15,裏,5,「平張(ひらばり)打つ」などは、常の事なり。「桟敷構(かま)ふる」などなり。
1853,下,15,裏,6,「護摩(ごま)焚(た)く」と言ふも、わろし。「修(しゆ)する」「護摩(ごま)する」などなり。
1854,下,15,裏,7,「行法(ぎやうぼふ)も、法(ほふ)の字清(す)みて言ふは、わろし。濁(にご)りて言ふ」と、
1855,下,15,裏,8,清閑寺僧正(せいがんじのそうじやう)仰(おほ)せられき。常に言ふ事に、かゝる事
1856,下,15,裏,9,のみ多し。▼第百六十一段
1857,下,15,裏,10,花の盛(さか)りは、冬至(とうじ)より百五十日とも、時正(じしやう)の後(のち)、七日(なぬか)とも言
1858,下,16,表,1,へど、立春(りつしゆん)より七十(しちじふ)五日(ごにち)、大様違(おほやうたが)はず。▼第百六十二段
1859,下,16,表,2,遍照寺(へんぜうじ)の承仕法師(じようじほふし)、池の鳥を日来(ひごろ)飼ひつけて、堂(だう)の
1860,下,16,表,3,内まで餌(ゑ)を撒(ま)きて、戸一つ開けたれば、数も知らず
1861,下,16,表,4,入(い)り籠(こも)りける後(のち)、己れも入りて、たて籠(こ)めて、捕(とら)へつゝ
1862,下,16,表,5,殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞(きこ)えける
1863,下,16,表,6,を、草刈(か)る童(わらは)聞きて、人に告げたりければ、村の男(をのこ)
1864,下,16,表,7,どもおこりて、入りて見るに、大雁(おほかり)どもふためき合へる
1865,下,16,表,8,中(なか)に、法師交(まじ)りて、打ち伏せ、捩(ね)ぢ殺しければ、
1866,下,16,表,9,この法師を捕(とら)へて、所(ところ)より使庁(しちやう)へ出(いだ)したりけり。
1867,下,16,表,10,殺す所の鳥を頸(くび)に懸(か)けさせて、禁獄(きんごく)せられに
1868,下,16,裏,1,けり。基俊(もととし)の大納言、別当(べつたう)の時に〔なん〕侍りける。▼第百三十三段
1869,下,16,裏,2,太衝(たいしよう)の「太(たい)」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽(おんやう)の輩(ともがら)、相論(さうろん)
1870,下,16,裏,3,の事ありけり。盛親入道(もりちかにふだう)申し侍りしは、「吉平(よしひら)が自筆
1871,下,16,裏,4,の占文(せんもん)の裏に書かれたる御記(ぎよき)、近衛関白殿(このゑのくわんばくどの)にあり。
1872,下,16,裏,5,点打ちたるを書きたり」と申しき。▼第百六十四段
1873,下,16,裏,6,世の人相逢(あひあ)ふ時、暫(しばら)くも黙止(もだ)する事なし。必ず
1874,下,16,裏,7,言葉あり。その事を聞くに、多くは無益(むやく)の談(だん)なり。
1875,下,16,裏,8,世間(せけん)の浮説(ふせつ)、人の是非(ぜひ)、自他(じた)のため、失(しつ)多く、得(とく)少
1876,下,16,裏,9,し。これを語る時、互(たが)ひの心(こころ)に、無益(むやく)の事なり
1877,下,16,裏,10,といふ事を知らず。▼第百六十五段
1878,下,17,表,1,吾妻(あづま)の人、都の人に交(まじは)り、都の人の、吾妻に
1879,下,17,表,2,行きて身を立て、又(また)、本寺(ほんじ)・本山を離れぬる、顕密(けんみつ)の
1880,下,17,表,3,僧、すべて、我が俗(ぞく)にあらずして人に交れる、見ぐる
1881,下,17,表,4,し。▼第百六十六段
1882,下,17,表,5,人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏(ゆきぼとけ)を
1883,下,17,表,6,作りて、そのために金銀・珠玉(しゆぎよく)の飾りを営(いとな)み、
1884,下,17,表,7,堂(だう)を建てんとするに似たり。その構(かま)へを待ちて、よく
1885,下,17,表,8,安置(あんぢ)してんや。人の命(いのち)ありと見るほども、下(した)より消
1886,下,17,表,9,ゆる〔こと〕雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ
1887,下,17,表,10,多し。▼第百六十七段
1888,下,17,裏,1,一道(いちだう)に携(たづさ)はる人、あらぬ道の筵(むしろ)に臨みて、「あはれ、
1889,下,17,裏,2,我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と
1890,下,17,裏,3,言ひ、心(こころ)にも思へる事、常のことなれど、よに悪(わろ)
1891,下,17,裏,4,く覚ゆるなり。知らぬ道の羨(うらや)ましく覚(おぼ)えば、「〔あな羨まし。〕
1892,下,17,裏,5,などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智(ち)を取り
1893,下,17,裏,6,出だして人に争ふは、角(つの)ある物の、角を傾(かたぶ)け、
1894,下,17,裏,7,牙(きば)ある物、牙を咬み出だす類(たぐひ)なり。人としては、
1895,下,17,裏,8,善に伐(ほこ)らず、物と争はざるを徳とす。他に勝る
1896,下,17,裏,9,ことのあるは、大きなる失(しつ)なり。品(しな)の高きにても、才芸
1897,下,17,裏,10,のすぐれたるにても、先祖(せんぞ)の誉(ほまれ)にても、人に勝れりと
1898,下,18,表,1,思へる人は、たとひ言葉に出でて〔こそ〕言はねども、内心(ないしん)にそこばく
1899,下,18,表,2,の咎(とが)あり。慎(つつし)みて、これを忘るべし。痴(をこ)にも見え、
1900,下,18,表,3,人にも言ひ消(け)たれ、禍(わざわひ)をも招くは、〔たゞ、〕この慢心(まんしん)なり。
1901,下,18,表,4,一道にもまことに長(ちやう)じぬる人は、自(みづか)ら、明らかに〔その〕
1902,下,18,表,5,是非(ぜひ)を知る故に、志(こころざし)常に満たらずして、〔終(つい)に、〕物に伐
1903,下,18,表,6,る事なし。▼第百六十八段
1904,下,18,表,7,年老(お)いたる人も、一事(いちじ)すぐれたる才能(さいのう)ありて、「この人の
1905,下,18,表,8,後(のち)には、誰にか〔問はん〕」など言はるゝは、老(おい)の方人(かたうど)にて、生(い)ける
1906,下,18,表,9,も徒(いたづ)らならず。さあれど、それも廃(すた)れたる所の
1907,下,18,表,10,なきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙(つたな)く見ゆ。「今は
1908,下,18,裏,1,忘れにけり」と言ひてありなん。大方、知りたりとも、
1909,下,18,裏,2,すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと
1910,下,18,裏,3,聞え、〔おのづから〕誤りもありぬべし。「さだかにも辨(わきま)
1911,下,18,裏,4,へ知らず」など言ひたるは、〔なほ、〕まことの、道の主(あるじ)とも
1912,下,18,裏,5,覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔(がほ)に、おとなし
1913,下,18,裏,6,く、もてきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあ
1914,下,18,裏,7,らず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。▼第百六十九段
1915,下,18,裏,8,「何事(なにごと)の式(しき)といふ事は、後嵯峨(のちのさが)の御代(みよ)までは言はざ
1916,下,18,裏,9,りけるを、近きほどより言ふ詞(ことば)なり」と〔人の〕申し侍りしに、
1917,下,18,裏,10,建礼門院(けんれいもんゐん)の右京大夫(うきやうのだいぶ)、後鳥羽院(ごとばのゐん)御位(おほんくらゐ)の比、又(また)内裏住(うちず)み
1918,下,19,表,1,しける事を言ふに、「世の式(しき)も変(かは)りたる事はなきに」と
1919,下,19,表,2,書きたり。▼第百七十段
1920,下,19,表,3,さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。
1921,下,19,表,4,用ありて行きたりとも、その事果てなば、疾(と)く帰る
1922,下,19,表,5,べし。久しく居たる、いとむつかし。人と向(むか)ひたれば、詞(ことば)
1923,下,19,表,6,多く、身もくたびれ、心(こころ)も閑(しづ)かならず、万の
1924,下,19,表,7,事障(さは)りて時を移す、互ひのためいと益(やく)なし。厭(いと)
1925,下,19,表,8,はしげに言はんもわろし。心(こころ)づきなき事あらん折は、
1926,下,19,表,9,なかなか、その由(よし)をも言ひてん。同じ心(こころ)に向はまほしく
1927,下,19,表,10,思はん人の、つれづれにて、「今暫(しば)し。今日(けふ)は心(こころ)閑(しづ)かに」
1928,下,19,裏,1,など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍(げんせき)が青き眼(まなこ)、
1929,下,19,裏,2,誰にもあるべきことなり。そのこととなきに、人の来て、
1930,下,19,裏,3,のどかに物語して帰りぬる、〔いと〕よし。〔又(また)、〕文(ふみ)も、「久しく
1931,下,19,裏,4,聞(きこ)えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれ
1932,下,19,裏,5,し。▼第百七十一段
1933,下,19,裏,6,貝(かひ)を覆(おほ)ふ人の、我が前なるをば措(お)きて、余所(よそ)を見渡
1934,下,19,裏,7,し、人の袖(そで)のかげ、膝の下まで目を配(くば)る間に、前
1935,下,19,裏,8,なるを人に覆(おほ)はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわり
1936,下,19,裏,9,なく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、
1937,下,19,裏,10,多く覆ふなり。碁盤(ごばん)の隅に石を立てて弾
1938,下,20,表,1,くに、向ひなる石を目守(まぼ)りて弾くは、当らず、我が
1939,下,20,表,2,手許(てもと)をよく見て、こゝなる聖目(ひじりめ)を直(すぐ)に弾け
1940,下,20,表,3,ば、立てたる石、必ず当る。万の事、外(ほか)に向きて
1941,下,20,表,4,求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。清献公(せいけんこう)
1942,下,20,表,5,が言葉に、「好事(かうじ)を行(ぎやう)じて、前程(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。
1943,下,20,表,6,世を保(たも)たん道も、かくや侍らん。内(うち)を慎まずし
1944,下,20,表,7,て、〔軽(かろ)く、ほしきまゝにして、〕濫(みだ)りなれば、遠き国必ず叛(そむ)く時、初めて謀(はかりこと)
1945,下,20,表,8,を求む。「風に当り、湿(しぼ)に臥(ふ)して、病を神
1946,下,20,表,9,霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが
1947,下,20,表,10,如し。目の前なる人の愁(うれへ)を止(や)め、恵みを施し、道を
1948,下,20,裏,1,正しくせば、その化(くわ)遠く流れん事を知らざるなり。
1949,下,20,裏,2,禹(う)の行きて三苗(さんべう)を征(せい)せしも、師(いくさ)を班(かへ)して徳を
1950,下,20,裏,3,敷(し)くには及(し)かざりき。▼第百七十二段
1951,下,20,裏,4,若き時は、血気(けつき)内に余り、心(こころ)物(もの)に動きて、情欲(じやうよく)多
1952,下,20,裏,5,し。身を危(あやぶ)めて、砕け易(やす)き事、珠(たま)を走ら
1953,下,20,裏,6,しむるに似たり。華麗(かれい)を好みて宝を費(つひや)し、これを
1954,下,20,裏,7,捨てて苔(こけ)の袂(たもと)に窶(やつ)れ、勇(いさ)める心(こころ)盛(さか)りにして、物と
1955,下,20,裏,8,争ひ、心(こころ)に恥(は)ぢ羨(うらや)み、好む所日々(ひび)に定まらず、
1956,下,20,裏,9,色に耽(ふけ)り、情(なさけ)にめで、行(おこな)ひに潔(いさぎよ)くして、〔百年(ももとせ)の身を誤り、〕命
1957,下,20,裏,10,を失へる例(ためし)願はしく〔して〕、身の全(まつた)く、久しか
1958,下,21,表,1,らん事をば思はず、好ける方に心(こころ)ひきて、永き世
1959,下,21,表,2,語(よがた)りともなるは、〔身を誤つ事は、〕若き時のしわざなり。老いぬる人は、
1960,下,21,表,3,精神衰へ、淡(あは)く疎(おろそ)かにして、感じ動く所
1961,下,21,表,4,なし。心(こころ)自(おのづか)ら静かなれば、無益(むやく)のわざを為さず、身
1962,下,21,表,5,を助け愁(うれへ)なく、人の煩(わづら)ひなからん事を思ふ。老い
1963,下,21,表,6,て、智の、若きにまされる事、若くして、かたち
1964,下,21,表,7,の、老いたるにまされるが如し。▼第百七十三段
1965,下,21,表,8,小野小町(をののこまち)が事、極(きは)めて定かならず。衰へたる
1966,下,21,表,9,様は、「玉造(たまつくり)」と言ふ文(ふみ)に見えたり。この文、清行(きよゆき)書けりと
1967,下,21,表,10,いふ説あれど、高野大師(かうやのだいし)の御作(ごさく)の目録に入れり。大
1968,下,21,裏,1,師は承和(じようわ)の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、
1969,下,21,裏,2,その後の事にや。なほおぼつかなし。▼第百七十四段
1970,下,21,裏,3,小鷹(こたか)によき犬、大鷹(おほたか)に使ひぬれば、小鷹にわろく
1971,下,21,裏,4,なるといふ。大(だい)に附き小(せう)を捨つる理(ことわり)、まことにしかなり。
1972,下,21,裏,5,人事(にんじ)多かる中に、道を楽(たの)しむより気味(きみ)深き
1973,下,21,裏,6,はなし。これ、実(まこと)の大事なり。一度、道を聞きて、これを
1974,下,21,裏,7,志さん人、いづれのわざか廃(すた)れざらん、何をか営
1975,下,21,裏,8,まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心(こころ)に
1976,下,21,裏,9,劣らんや。▼第百七十五段
1977,下,21,裏,10,世には、心得ぬ事多きなり。〔ともある毎(ごと)には、まづ、〕何事にも酒を勧
1978,下,22,表,1,めて、強(し)ひ飲ませたるを興(きよう)とする事、如何(いか)なる故とも心(こころ)
1979,下,22,表,2,得ず。飲む人の、顔いと堪へ難(がた)げに眉(まゆ)を顰(ひそ)め、人目を測
1980,下,22,表,3,りて捨てんとし、逃げんとするを、捉(とら)へて引き止め
1981,下,22,表,4,て、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽(たちま)ちに
1982,下,22,表,5,狂人となりてをこがましく、息災(そくさい)なる人も、目の
1983,下,22,表,6,前に大事の病者となりて、前後も知らず倒(たふ)れ
1984,下,22,表,7,伏す。祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。明くる日
1985,下,22,表,8,まで頭(かしら)痛く、物食はれず、によひ臥(ふ)し、生(しやう)を隔てたる
1986,下,22,表,9,やうにして、昨日の事覚えず、公(おほやけ)・私(わたくし)
1987,下,22,表,10,の大事を欠きて、煩(わづら)ひとなる。人をしてかゝる
1988,下,22,裏,1,目を見する事、慈悲(じひ)もなく、礼儀を背けり。かく辛(から)
1989,下,22,裏,2,き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の
1990,下,22,裏,3,国にかゝる習(なら)ひあるなりと、これらになき事にて
1991,下,22,裏,4,伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべ
1992,下,22,裏,5,し。人の上(うへ)にて見たる〔だに、〕ことに心(こころ)憂し。思ひ入れ
1993,下,22,裏,6,たるさまに、心(こころ)にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひ
1994,下,22,裏,7,のゝしり、詞(ことば)多く、烏帽子(えぼし)歪(ゆが)み、紐外(ひもはづ)し、脛(はぎ)
1995,下,22,裏,8,高く掲げて、用意なき気色、日来(ひごろ)の人とも
1996,下,22,裏,9,覚えず。女は、額髪(ひたひがみ)晴れらかに掻(か)きやり、まばゆか
1997,下,22,裏,10,らず、顔うちさゝげてうち笑ひ、盃(さかづき)持てる手に取り
1998,下,23,表,1,付き、よからぬ人は、肴(さかな)取りて、口にさし当て、自
1999,下,23,表,2,らも食ひたる、様あし。声の限り出して、おのお
2000,下,23,表,3,の歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒
2001,下,23,表,4,く穢(きたな)き身(ぬ)を肩抜ぎて、目も当てられず
2002,下,23,表,5,すぢりたるを、興(きよう)じ見る人さへうとましく、憎し。
2003,下,23,表,6,或(ある)は又(また)、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞
2004,下,23,表,7,かせ、或は酔ひ泣きし、下(しも)ざまの人は、罵(の)り合(あ)ひ、争(いさか)ひ
2005,下,23,表,8,て、あさましく、恐ろしく、恥ぢがましく、心(こころ)憂き事
2006,下,23,表,9,のみありて、果(はて)は、許さぬ物ども押し取りて、縁(えん)
2007,下,23,表,10,より落ち、馬(うま)・車(くるま)より落ちて、過(あやまち)しつ。物にも
2008,下,23,裏,1,乗らぬ際(きは)は、大路(おほち)をよろぼひ行きて、築地(ついぢ)・門(かど)の下
2009,下,23,裏,2,などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年(とし)
2010,下,23,裏,3,老い、袈裟(けさ)掛けたる法師の、小童の肩を押(おさ)へて、
2011,下,23,裏,4,聞えぬ事ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。
2012,下,23,裏,5,かゝる事をしても、この世も後の世も益(やく)あるべきわざな
2013,下,23,裏,6,らば、いかゞはせん、この世には過ち多く、財(たから)を失
2014,下,23,裏,7,ひ、病(やまひ)をまうく。百薬(ひやくやく)の長とはいへど、万の病
2015,下,23,裏,8,は酒よりこそ起れ。憂(う)き忘るといへども、酔ひたる
2016,下,23,裏,9,人ぞ、過ぎにし憂(う)さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、
2017,下,23,裏,10,人の智恵を失ひ、善根(ぜんごん)を焼くこと火の如くし
2018,下,24,表,1,て、悪を増し、万の戒(かい)を破りて、地獄に堕(お)つべし。「酒
2019,下,24,表,2,をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者
2020,下,24,表,3,に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。
2021,下,24,表,4,かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折(をり)も
2022,下,24,表,5,あるべし。月の夜、雪の朝(あした)、花の本(もと)にても、心(こころ)長閑(のどか)に
2023,下,24,表,6,物語して、盃出(いだ)したる、万の興(きよう)を添ふるわざなり。
2024,下,24,表,7,つれづれなる日、思ひの外に友の入(い)り来て、とり行(おこな)ひ
2025,下,24,表,8,たるも、心(こころ)慰(なぐさ)む。馴れ馴れしからぬあたりの御
2026,下,24,表,9,簾(みす)の中(うち)より、御果物・御酒(みき)など、よきやうなる気(け)はひ
2027,下,24,表,10,してさし出されたる、いとよし。冬、狭(せば)き所にて、火
2028,下,24,裏,1,にて物煎(い)りなどして、隔てなきどちさし向ひ
2029,下,24,裏,2,て、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋(かりや)、野山など
2030,下,24,裏,3,にて、「御肴(みさかな)何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたる
2031,下,24,裏,4,も、をかし。いたう痛む人の、強(し)ひられて少し飲
2032,下,24,裏,5,みたる、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。
2033,下,24,裏,6,上少し」などのたまはせたるも、うれし。近づか
2034,下,24,裏,7,まほしき人の、上戸(じやうご)にて、ひしひしと馴れぬるも、又(また)
2035,下,24,裏,8,うれし。さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者
2036,下,24,裏,9,なり。酔ひくたびれて朝寝(あさい)したる所を、主(あるじ)の引き開け
2037,下,24,裏,10,たるに、惑(まど)ひて、惚(ほ)れたる顔ながら、細き髻(もとどり)差
2038,下,25,表,1,し出して、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひ
2039,下,25,表,2,て逃ぐる、掻取姿(かいとりすがた)の後手(うしろで)、毛生ひたる細
2040,下,25,表,3,脛(ほそはぎ)のほど、をかしく、つきづきし。▼第百七十六段
2041,下,25,表,4,黒戸(くろど)は、小松御門(こまつのみかど)、位(くらゐ)に即(つ)かせ給ひて、昔、たゞ人に
2042,下,25,表,5,おはしましし時、まさな事(ごと)せさせ給ひしを忘れ
2043,下,25,表,6,給はず、常に営ませ給ひける所なり。御薪(みかまぎ)に
2044,下,25,表,7,煤(すす)けたれば、黒戸と言ふとぞ。▼第百七十七段
2045,下,25,表,8,鎌倉中書王(かまくらのちゆうしよわう)にて御鞠(おんまり)ありけるに、雨降りて後、
2046,下,25,表,9,未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと〔沙汰(さた)〕ありけるに、
2047,下,25,表,10,佐々木(ささきの)隠岐(おきの)入道(にふだう)、鋸(のこぎり)屑(くづ)を車に積(つ)ませて、〔多く〕
2048,下,25,裏,1,奉(たてまつ)りたりければ、一庭(ひとには)に敷かれて、泥土(でいと)の煩(わづら)ひな
2049,下,25,裏,2,かりけり。「取りあつめけん用意、有難し」と、人感じ合へり
2050,下,25,裏,3,けり。この事を或者(あるもの)の語り出でたりしに、吉田(よしだの)中納言(ちゆうなごん)の、
2051,下,25,裏,4,「乾き砂子(すなご)の用意やはなかりける」とのたまひたり
2052,下,25,裏,5,し、恥(はづ)かしかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤(いや)
2053,下,25,裏,6,しく、異様(ことやう)の事なり。庭の儀(ぎ)を奉行(ぶぎやう)する人、乾き
2054,下,25,裏,7,砂子を設(まう)くる、故実(こしつ)なりとぞ。▼第百七十八段
2055,下,25,裏,8,或所の侍(さぶらひ)ども、内侍所(ないしどころ)の御神楽(みかぐら)を見て、人に
2056,下,25,裏,9,語るとて、「宝剣(ほうけん)をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを
2057,下,25,裏,10,聞きて、内なる女房の中に、「別殿(べつでん)の行幸(ぎやうがう)には、昼御座(ひのござ)
2058,下,26,表,1,の御剣(ぎよけん)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心(こころ)
2059,下,26,表,2,にくかりき。その人、古き典侍(ないしのすけ)なりけるとぞ。▼第百七十九段
2060,下,26,表,3,入宋(につそう)の沙門(しやもん)、道眼(だうげん)上人、一切経(いつさいきやう)を持来(ぢらい)して、六波羅(ろくはら)の
2061,下,26,表,4,あたり、やけ野といふ所に安置(あんぢ)して、殊(こと)に首楞厳経(しゆれうごんきやう)
2062,下,26,表,5,を講(かう)じて、那蘭陀寺(ならんだじ)と号(かう)す。その聖の申されしは、
2063,下,26,表,6,那蘭陀寺は、大門(だいもん)北向きなりと、江帥(がうぞつ)の説として言ひ伝え
2064,下,26,表,7,たれど、西域伝(さいゐきでん)・法顕伝(ほつけんでん)などにも見えず、更(さら)に所見(しよけん)
2065,下,26,表,8,なし。江帥如何なる才学(さいがく)にて申されけん、おぼつかなし。
2066,下,26,表,9,唐土(たうど)の西明寺(さいみやうじ)は、北向き勿論(もちろん)なり」と申しき。▼第百八十段
2067,下,26,表,10,さぎちやうは、正月(むつき)打ちたる毬杖(ぎちやう)を、真言(しんごん)院より神泉
2068,下,26,裏,1,苑(しんぜんゑん)へ出(いだ)して、焼き上(あ)ぐるなり。「法成就(ほふじやうじゆ)の池こそ」と囃(はや)
2069,下,26,裏,2,すは、神泉苑の池をいふなり。▼第百八十一段
2070,下,26,裏,3,「『降れ降れ粉雪(こゆき)、たんばの粉雪』といふ事、米搗(よねつ)き
2071,下,26,裏,4,篩(ふる)ひたるに似たれば、粉雪といふ。『たんまれ粉雪』
2072,下,26,裏,5,と言ふべきを、誤りて『たんばの』と言ふなり。『垣や木の
2073,下,26,裏,6,股(また)に』と謡(うた)ふべし」と、或物(あるもの)知り申しき。昔より
2074,下,26,裏,7,言ひたる事にや。鳥羽院幼(をさな)くおはしまして、雪の
2075,下,26,裏,8,降るにかく仰(おほ)せられける由(よし)、讃岐典侍(さぬきのすけ)が日記に書きたり。▼第百八十二段
2076,下,26,裏,9,四条(しでう)大納言隆親卿(たかちかのきやう)、乾鮭(からざけ)と言ふものを供御(ぐご)に参らせられ
2077,下,26,裏,10,たりけるを、「かくあやしき物、参る様(やう)あらじ」と人
2078,下,27,表,1,申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚(うお)、参らぬ事にてあ
2079,下,27,表,2,らんにこそあれ、鮭(さけ)の白乾(しらぼ)し、何条事(なでふごと)かあらん。鮎(あゆ)の
2080,下,27,表,3,白乾しは参らぬかは」と申されけり。▼第百八十三段
2081,下,27,表,4,人觝(つ)く牛をば角を截(き)り、人喰(く)ふ馬をば耳を截りて、
2082,下,27,表,5,その標(しるし)とす。標を附(つ)けずして人を傷(やぶ)らせぬる
2083,下,27,表,6,は、主(ぬし)の咎(とが)なり。人喰ふ犬をば養(やしな)ひ飼ふべからず。これ
2084,下,27,表,7,皆、咎あり。律(りつ)の禁(いましめ)なり。▼第百八十四段
2085,下,27,表,8,相模守時頼(さがみのかみときより)の母(はわ)は、松下禅尼(まつのしたのぜんに)とぞ申しける。守(かみ)を入れ申
2086,下,27,表,9,さるゝ事ありけるに、煤(すす)けたる明(あかり)り障子の破れば
2087,下,27,表,10,かりを、禅尼、手づから、小刀(こがたな)して切り廻(まは)しつゝ張られければ、
2088,下,27,裏,1,兄(せうと)の城介義景(じやうのすけよしかげ)、その日のけいめいして候(さうら)ひけるが、「給はりて、
2089,下,27,裏,2,某男(なにがしをのこ)に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者
2090,下,27,裏,3,に候ふ」と申されければ、「その男、尼(あま)が細工によも勝(まさ)り
2091,下,27,裏,4,候はじ」とて、なほ、一間(ひとま)づゝ張られけるを、義景、「皆を張り
2092,下,27,裏,5,替へ候はんは、遥(はる)かにたやすく候ふべし。斑(まだ)らに〔候ふ〕も見苦
2093,下,27,裏,6,しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後(のち)は、さはさはと張り
2094,下,27,裏,7,替へんと思へども、今日(けふ)ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物
2095,下,27,裏,8,は破れたる所ばかり修理(しゆり)して用(もち)ゆる事ぞと、若き
2096,下,27,裏,9,人に見習はせて、心(こころ)づけんためなり」と申されける、いと
2097,下,27,裏,10,有難(ありがた)かりけり。世を治(をさ)むる道、倹約を本(もと)とす。女性(によしやう)なれども、
2098,下,28,表,1,聖人の心(こころ)に通(かよ)へり。天下を保つほどの人を子
2099,下,28,表,2,にて持たれけるは、まことに、たゞ人(びと)にはあらざりける
2100,下,28,表,3,とぞ。▼第百八十五段
2101,下,28,表,4,城陸奥守泰盛(じやうのむつのかみやすもり)は、双(さう)なき馬乗りなりけり。馬
2102,下,28,表,5,を引き出(いだ)させけるに、足を揃(そろ)へて閾(しきみ)をゆら
2103,下,28,表,6,りと越(こ)ゆるを見て、「これは勇(いさ)める馬なり」とて、鞍(くら)を置き
2104,下,28,表,7,換(か)へさせけり。又(また)、足を伸(の)べて閾に蹴当(けあ)てぬれば、「これは
2105,下,28,表,8,鈍(にぶ)くして、過(あやま)ちあるべし」とて、乗らざりけり。道を知
2106,下,28,表,9,らざらん人、かばかり恐れんや。▼第百八十六段
2107,下,28,表,10,吉田(よしだ)と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎(うまごと)にこはものなり。
2108,下,28,裏,1,人の力争(あらそ)ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先(ま)づ
2109,下,28,裏,2,よく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡(くつわ)・
2110,下,28,裏,3,鞍(くら)の具(ぐ)に危(あやふ)き事やあると見て、心(こころ)に懸(かか)る事
2111,下,28,裏,4,あらば、その馬を馳(は)すべからず。この用意を忘れざるを馬
2112,下,28,裏,5,乗りと申すなり。これ、秘蔵(ひさう)の事なり」と申しき。▼第百八十七段
2113,下,28,裏,6,万(よろづ)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の
2114,下,28,裏,7,非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝(まさ)る事は、弛(たゆ)み
2115,下,28,裏,8,なく慎(つつし)みて軽々(かろがろ)しくせぬと、偏(ひと)へに自由(じいう)なる
2116,下,28,裏,9,との等(ひと)しからぬなり。芸能(げいのう)・所作(しよさ)のみにあらず、大方(おほかた)の
2117,下,28,裏,10,振舞(ふるまひ)・心遣(こころづか)ひも、愚(おろ)かにして慎めるは、得(とく)の本(もと)なり。
2118,下,29,表,1,巧(たく)みにして欲しきまゝなるは、失(しつ)の本なり。▼第百八十八段
2119,下,29,表,2,或者(あるもの)、子を法師(ほふし)になして、「学問して因果(いんぐわ)の理(ことわり)をも
2120,下,29,表,3,知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、
2121,下,29,表,4,教(をしへ)のまゝに、説経師(せつきやうし)にならんために、先づ、馬を乗り習ひ
2122,下,29,表,5,けり。輿(こし)・車(くるま)は持たず。〔身の、〕導師に請(しやう)ぜられん時、馬など迎へに
2123,下,29,表,6,おこせたらんに、桃尻(ももじり)にて落ちなんは、心憂(こころう)かるべしと思ひ
2124,下,29,表,7,けり。次に、仏事(ぶつじ)の後(のち)、酒など勧むる事あらんに、法師
2125,下,29,表,8,の無下(むげ)に能なきは、檀那(だんな)すさまじく思ふべしとて、
2126,下,29,表,9,早歌(さうか)といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境(さかひ)
2127,下,29,表,10,に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜(たしな)みける
2128,下,29,裏,1,ほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。この法師の
2129,下,29,裏,2,みにもあらず、世間(せけん)の人、なべて、この事あり。若きほどは、
2130,下,29,裏,3,諸事(しよじ)につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも
2131,下,29,裏,4,附き、学問をもせんと、行末(ゆくすゑ)久しくあらます事ども
2132,下,29,裏,5,心(こころ)に懸(か)けながら、世を長閑(のどか)に思ひて打ち怠りつゝ、
2133,下,29,裏,6,先(ま)づ、差し当りたる、目の前の事に〔のみ〕紛(まぎ)れて、月日
2134,下,29,裏,7,を送れば、事々(ことごと)成す事なくして、身は老いぬ。終(つひ)に、物
2135,下,29,裏,8,の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔(く)ゆれ
2136,下,29,裏,9,ども〔取り〕返さるゝ齢(よはひ)ならねば、走りて坂を下る輪の
2137,下,29,裏,10,如くに衰(おとろ)へ行く。されば、一生の内(うち)、むねとあらまほ
2138,下,30,表,1,しからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、
2139,下,30,表,2,第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事(いちじ)を励
2140,下,30,表,3,むべし。一日の中(うち)、一時(いちじ)の中にも、数多(あまた)の事の来
2141,下,30,表,4,らん中に、少しも益(やく)の勝らん事を営みて、その
2142,下,30,表,5,外(ほか)をば打ち捨てて、大事(だいじ)を急ぐべきなり。何方(いづかた)をも
2143,下,30,表,6,捨てじと心(こころ)に取り持ちては、一事も成すべからず。例へば、
2144,下,30,表,7,碁を打つ人の、一手(ひとて)も徒(いたづ)らにせず、人に先立(さきだ)ちて、
2145,下,30,表,8,小(せう)を捨て大(だい)に就(つ)くが如し。それにとりて、三つの石を捨て
2146,下,30,表,9,て、十(とを)の石に就くことは易(やす)し。十を捨てて、十一に就くことは
2147,下,30,表,10,難(かた)し。一つなりとも勝(まさ)らん方へこそ就くべきを、十まで
2148,下,30,裏,1,成りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には
2149,下,30,裏,2,換(か)へ難(がた)し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心(こころ)に、
2150,下,30,裏,3,かれをも得(え)ず、これをも失ふべき〔道〕なり。京に住む人、急
2151,下,30,裏,4,ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、
2152,下,30,裏,5,西山に行きてその益(やく)勝るべき〔事〕を思ひ得たらば、門(かど)
2153,下,30,裏,6,より帰りて西山へ行くべきなり。「此所(ここ)まで来(き)つれば、〔この事をば先づ言ひてん。日を指(さ)さぬ事なれば、〕西
2154,下,30,裏,7,山の用は帰りて又(また)こそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時(いちじ)の
2155,下,30,裏,8,懈怠(けだい)、即(すなは)ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。一事を必ず
2156,下,30,裏,9,成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷(いた)むべからず、人
2157,下,30,裏,10,の嘲(あざけ)りをも恥づべからず。万事(ばんじ)に換へずしては、一(いつ)の大
2158,下,31,表,1,事(だいじ)成るべからず。人の数多(あまた)ありける中にて、或者(あるもの)、「ます
2159,下,31,表,2,ほの薄(すすき)、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺(わたのべ)なる
2160,下,31,表,3,聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮(とうれん)法師、その
2161,下,31,表,4,座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑(みの)・笠(かさ)やある。貸し
2162,下,31,表,5,給へ。〔かの薄の事習ひに、〕渡辺の聖のがり〔尋(たづ)ね〕罷(まか)らん」と言ひけるを、「余(あま)
2163,下,31,表,6,りに物騒がし。雨止(や)みてこそ」と人の言ひければ、
2164,下,31,表,7,「無下(むげ)の事を仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ
2165,下,31,表,8,間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね
2166,下,31,表,9,聞きてんや」とて、走り〔出で〕て行きつゝ、習ひ侍りにけりと
2167,下,31,表,10,申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難(ありがた)く覚ゆれ。「敏(と)き時は、
2168,下,31,裏,1,則ち功(こう)あり」とぞ、論語(ろんご)と云ふ文(ふみ)にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひ
2169,下,31,裏,2,けるやうに、一大事の因縁(いんねん)をぞ思ふべかりける。▼第百八十九段
2170,下,31,裏,3,今日(けふ)はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先(ま)づ出で来
2171,下,31,裏,4,て紛(まぎ)れ暮し、待つ人は障(さは)り〔あり〕て、頼めぬ人は来たり。
2172,下,31,裏,5,頼みたる方の事は違(たが)ひて、思ひ寄らぬ道
2173,下,31,裏,6,ばかりは叶(かな)ひぬ。煩(わづら)はしかりつる事はことなくて、
2174,下,31,裏,7,易(やす)かるべき事はいと心(こころ)苦し。日々(ひび)に過ぎ行くさま、
2175,下,31,裏,8,予(かね)て思ひつるには似ず。一年(ひととせ)の中(うち)もかくの如
2176,下,31,裏,9,し。一生の間(あひだ)も又しかなり。予(かね)てのあらまし、皆違
2177,下,31,裏,10,ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれ
2178,下,32,表,1,ば、いよいよ、物は定め難し。不定(ふしやう)と心得ぬる
2179,下,32,表,2,のみ、実(まこと)にて違はず。▼第百九十段
2180,下,32,表,3,妻(め)といふものこそ、男(をのこ)は持つまじきものなれ。「いつ
2181,下,32,表,4,も独(ひと)り住(ず)みにて」など聞くこそ、心(こころ)にくけれ、「誰(たれ)がし
2182,下,32,表,5,が婿(むこ)に成りぬ」とも、又(また)、「如何なる女(をんな)を取り据ゑて、相(あひ)住
2183,下,32,表,6,む」など聞きつれば、無下(むげ)に心(こころ)劣りせらるゝわざなり。殊(こと)
2184,下,32,表,7,なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添(そ)ひ
2185,下,32,表,8,ゐたらめと、苟(いや)しくも推(お)し測(はか)られて、よき女
2186,下,32,表,9,ならば、らうたくしてぞ、あが仏(ほとけ)と守りゐたらむ。たと
2187,下,32,表,10,へば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内(うち)
2188,下,32,裏,1,行(おこな)ひ治めたる女、いと口惜(くちを)し。子など出(い)で来て、
2189,下,32,裏,2,かしづき愛したる、心(こころ)憂(う)し。男なくなりて後、
2190,下,32,裏,3,尼(あま)になりて年寄りたるありさま、亡(な)き跡まであさ
2191,下,32,裏,4,まし。いかなる女なりとも、明暮添(あけくれそ)ひ見んに、いと心(こころ)
2192,下,32,裏,5,づきなく、憎(にく)かりなん。女のためも、半空(なかぞら)にこそなら
2193,下,32,裏,6,め。よそながら時々通ひ住(す)まんこそ、年月経(へ)ても
2194,下,32,裏,7,絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに来て、泊(とま)り居(ゐ)
2195,下,32,裏,8,などせんは、珍らしかりぬべし。▼第百九十一段
2196,下,32,裏,9,「夜(よ)に入りて、物の映(は)えなし」といふ人、いと口をし。万の
2197,下,32,裏,10,ものの綺羅(きら)・飾(かざ)り・色ふしも、夜(よる)のみこそめでたけ
2198,下,33,表,1,れ。昼は、ことめき、およすけたる姿(すがた)にてもありなん。
2199,下,33,表,2,夜は、きらゝかに、花やかなる装束(しやうぞく)、いとよし。人の気
2200,下,33,表,3,色(けしき)も、夜の火影(ほかげ)ぞ、よきはよく、物言ひたる声も、
2201,下,33,表,4,暗くて聞きたる、用意ある、心(こころ)にくし。匂(にほ)ひも、ものの
2202,下,33,表,5,音(ね)も、たゞ、夜ぞひときはめでたき。さして殊(こと)なる事
2203,下,33,表,6,なき夜、うち更(ふ)けて参れる人の、清げなるさま
2204,下,33,表,7,したる、いとよし。若きどち、心(こころ)止(とど)めて見る人は、
2205,下,33,表,8,時をも分(わ)かぬものならば、殊に、うち解(と)けぬべき折
2206,下,33,表,9,節(をりふし)ぞ、褻(け)・晴(はれ)なくひきつくろはまほしき。よき
2207,下,33,表,10,男(をとこ)の、日暮(ぐ)れてゆするし、女(をんな)も、夜更くる程に、す
2208,下,33,裏,1,べりつゝ、鏡(かがみ)取りて、顔などつくろひ出づるこそ、をかしけれ。▼第百九十二段
2209,下,33,裏,2,神(かみ)・仏(ほとけ)にも、人の詣(まう)でぬ日、夜(よる)参りたる、
2210,下,33,裏,3,よし。▼第百九十三段
2211,下,33,裏,4,くらき人の、人を測(はか)りて、その智(ち)を知れりと
2212,下,33,裏,5,思はん、さらに当(あた)るべからず。拙(つたな)き人の、碁(ご)打つ
2213,下,33,裏,6,事ばかりにさとく、巧(たく)みなる、賢(かしこ)き人の、この
2214,下,33,裏,7,芸におろかなるを見て、己(おの)れが智に及ばずと
2215,下,33,裏,8,定めて、万(よろづ)の道の匠(たくみ)、我が道を人の知らざるを
2216,下,33,裏,9,見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤
2217,下,33,裏,10,りなるべし。文字(もんじ)の法師、暗証(あんしよう)の禅師(ぜんじ)、互(たが)ひに
2218,下,34,表,1,測りて、己れに如(し)かずと思へる、共に当(あた)らず。
2219,下,34,表,2,己れが境界(きやうがい)にあらざるものをば、争(あらそ)ふべからず、
2220,下,34,表,3,是非すべからず。▼第百九十四段
2221,下,34,表,4,達人(たつじん)の、人を見る眼(まなこ)は、少しも誤(あやま)る
2222,下,34,表,5,所あるべからず。例へば、或人、世に虚言(そらごと)を構(かま)へ出(いだ)し
2223,下,34,表,6,て、人を謀(はか)る事あらんに、素直(すなほ)に、実(まこと)と思ひて、
2224,下,34,表,7,言ふまゝに謀らるゝ人あり。余りに〔深く〕信を起(おこ)して、
2225,下,34,表,8,なほ煩(わづら)はしく、虚言を心得添(こころえそ)ふる人あり。又(また)、何(なに)と
2226,下,34,表,9,しても思はで、心(こころ)をつけぬ人あり。又(また)、いさゝかのおぼつか
2227,下,34,表,10,なく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあら
2228,下,34,裏,1,で、案じゐたる人あり。又(また)、実(まこと)しくは覚えねども、
2229,下,34,裏,2,人の言ふ事なれば、さもあらんとて止(や)みぬる人もあり。又(また)、
2230,下,34,裏,3,さまざまに推(すゐ)し、心得たるよしして、賢げにうち
2231,下,34,裏,4,うなづき、ほう笑(ゑ)みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。又(また)、
2232,下,34,裏,5,推し出(いだ)して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤
2233,下,34,裏,6,りもこそあれと怪しむ人あり。又(また)、「異(こと)なるやうも
2234,下,34,裏,7,なかりけり」と、手を拍(う)ちて笑ふ人あり。又(また)、心得たれども、
2235,下,34,裏,8,知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事もなし、
2236,下,34,裏,9,知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。又(また)、この虚言の
2237,下,34,裏,10,本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、
2238,下,35,表,1,構(かま)へ出したる人と同じ心(こころ)になりて、力を合(あ)はする
2239,下,35,表,2,人あり。愚者(ぐしや)の中(うち)の戯(たはぶ)れだに、知りたる人の上
2240,下,35,表,3,にては、このさまざまの得たる所、詞(ことば)にても、顔にても、
2241,下,35,表,4,隠れなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、
2242,下,35,表,5,惑(まど)へる我等を見んこと、掌(たなごころ)の上(うへ)の物を
2243,下,35,表,6,見んが如し。〔但(ただ)し、〕かやうの推し測りにて、仏法(ぶつぽふ)まで
2244,下,35,表,7,をなずらへ言ふべきにはあらず。▼第百九十五段
2245,下,35,表,8,或(ある)人(ひと)、久我縄手(こがなはて)を通(とほ)りけるに、小袖(こそで)に大口(おほくち)着た
2246,下,35,表,9,る人、木造(もくざう)の地蔵を田の中の水におし浸し
2247,下,35,表,10,て、懇(ねんごろ)に洗ひけり。心得難(こころえがた)く見るほどに、狩
2248,下,35,裏,1,衣(かりぎぬ)の男二三人(ふたりみたり)出で来て、「こゝにおはしまし
2249,下,35,裏,2,けり」とて、〔この人を〕具(ぐ)して去(い)にけり。久我内大臣(こがのないだいじん)殿にてぞお
2250,下,35,裏,3,はしける。尋常(よのつね)におはしましける時は、神妙(しんべう)に、
2251,下,35,裏,4,やんごとなき人にておはしけり。▼第百九十六段
2252,下,35,裏,5,東大寺・神輿(しんよ)、東寺の若宮(わかみや)より帰座(きざ)の時、源氏の
2253,下,35,裏,6,公卿(くぎやう)参られけるに、この殿(との)、大将(だいしやう)にて先を追はれ
2254,下,35,裏,7,けるを、土御門相国(つちみかどのしやうこく)、「社頭(しやとう)にて、警蹕(けいひつ)いかゞ侍るべからん」と申
2255,下,35,裏,8,されければ、「随身(ずゐじん)の振舞は、兵杖(ひやうぢやう)の家が知る事に
2256,下,35,裏,9,候」とばかり答へ給ひけり。さて、後に仰せられけるは、
2257,下,35,裏,10,「この相国(しやうこく)、北山抄(ほくざんせう)を見て、西宮(せいきう)の説をこそ知られざりけれ。
2258,下,36,表,1,眷属(けんぞく)の悪鬼(あくき)・悪神を恐るゝ故に、神社にて、殊(こと)に先
2259,下,36,表,2,を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。▼第百九十七段
2260,下,36,表,3,諸寺(しよじ)の僧のみにあらず、定額(ぢやうがく)の女孺(によじゆ)といふ事、延喜
2261,下,36,表,4,式(えんぎしき)に見えたり。すべて、数(かず)定まりたる公人(くにん)の通号(つうがう)
2262,下,36,表,5,にこそ。▼第百九十八段
2263,下,36,表,6,揚名介(やうめいのすけ)に限らず、揚名目(やうめいのさくわん)といふものもあり。
2264,下,36,表,7,政治要略(せいじえうりやく)にあり。▼第百九十九段
2265,下,36,表,8,横川行宣法印(よかはのぎやうせんほふいん)が申し侍りしは、「唐土(たうど)は呂(りよ)の国なり。律(りつ)
2266,下,36,表,9,の音(おん)なし。和国(わこく)は、単律(たんりつ)の国にて、呂の音なし」と
2267,下,36,表,10,申しき。▼第二百段
2268,下,36,裏,1,呉竹(くれたけ)は葉(は)細く、河竹(かはたけ)は葉広し。御溝(みかは)に近き
2269,下,36,裏,2,は河竹、仁寿殿(じじゆうでん)の方(かた)に寄りて植ゑられたるは呉
2270,下,36,裏,3,竹なり。▼第二百一段
2271,下,36,裏,4,退凡(たいぼん)・下乗(げじよう)の卒都婆(そとば)は、外(そと)なるは下乗、内なるは退
2272,下,36,裏,5,凡なり。▼第二百二段
2273,下,36,裏,6,十月(じふぐわつ)を神無月(かみなづき)と言ひて、神事(じんじ)に憚(はばかり)有るべきよしは、記
2274,下,36,裏,7,したる物もなし。本文(もとふみ)見えず。但し、当月(たうげつ)、諸社(しよしや)の祭
2275,下,36,裏,8,なき故に、この名あるか。この月、万の神達、太神宮(だいじんぐう)
2276,下,36,裏,9,へ集り給ふなると言ふ説あれども、〔その本説(ほんぜつ)なし。〕さる事ならば、伊勢(いせ)
2277,下,36,裏,10,には殊(こと)に祭月(さいげつ)とすべきに、その例もなし。〔十月、諸社の行幸(ぎやうがう)、その例も多し。但し、多くは不吉の例なり。〕▼第二百三段
2278,下,37,表,1,勅勘(ちよくかん)の所に靫(ゆき)懸くる作法(さほふ)、今は絶えて、知れる人なし。
2279,下,37,表,2,主上(しゆしやう)の御悩(ごなう)、大方、世中(よのなか)騒がしき時は、五条の天神に
2280,下,37,表,3,靫を懸けらる。鞍馬(くらま)に靫の明神(みやうじん)といふも、靫懸け
2281,下,37,表,4,られたる神なり。看督長(かどのをさ)の負(お)ひたる靫をその家に懸け
2282,下,37,表,5,られぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、符
2283,下,37,表,6,を著(つ)くることになりにたり。▼第二百四段 犯人(ぼんにん)を笞(しもと)にて打つ時は、
2284,下,37,表,7,拷器(がうき)に寄せて結ひ附くるなり。拷器の様(やう)も、寄
2285,下,37,表,8,する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。▼第二百五段
2286,下,37,表,9,比叡山(ひえのやま)に、大師勧請(だいしくわんじやう)の起請(きしやう)といふ事は、慈恵僧正(じゑそうじやう)書き
2287,下,37,表,10,始め給ひけるなり。起請文といふ事、法曹(はうさう)には
2288,下,37,裏,1,その沙汰なし。古(いにしへ)の聖代、すべて、起請文につきて
2289,下,37,裏,2,行はるゝ政(まつりごと)はなきを、近代、この事流布(るふ)したるなり。
2290,下,37,裏,3,又(また)、法令(はふりやう)には、水火に穢(けが)れを立てず。入物(いれもの)に穢れある
2291,下,37,裏,4,べし。▼第二百六段
2292,下,37,裏,5,徳大寺(とくだいじの)右大臣殿(うだいじんどの)、検非違使(けんびゐし)の別当(べつたう)の時、中門にて
2293,下,37,裏,6,庁(ちやう)の評定(ひやうじやう)行はれける程(ほど)に、官人章兼(くわんにんあきかね)が牛放
2294,下,37,裏,7,れて、庁屋(ちようや)の内へ入りて、大理(だいり)の座(ざ)の浜床(はまのゆか)の上
2295,下,37,裏,8,に登りて、にれうちかみて臥したりける。重き怪異(けい)
2296,下,37,裏,9,なりとて、牛を陰陽師(おんやうじ)の許(もと)へ遣すべきよし、各々(おのおの)
2297,下,37,裏,10,申しけるを、父の相国(しやうこく)聞き給ひて、「牛に分別(ふんべつ)なし。足あれ
2298,下,38,表,1,ば、いづくへか登らん。■弱(わうじやく)の官人、たまたま出仕(しゆつし)の
2299,下,38,表,2,微牛(びぎう)を取らるべきとかなし」とて、牛をば主に返
2300,下,38,表,3,して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて
2301,下,38,表,4,凶事(きやうじ)なかりけるとなん。「怪しみを見て怪しま
2302,下,38,表,5,ざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。▼第二百七段
2303,下,38,表,6,亀山殿(かめやまどの)建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇(くちなは)、
2304,下,38,表,7,数も知らず凝(こ)り集りたる塚ありけり。「この所の
2305,下,38,表,8,神なり」と言ひて、事の由(よし)を申しければ、「いかゞあるべき」
2306,下,38,表,9,と勅問(ちよくもん)ありけるに、「古くよりこの地を占(し)めたる物ならば、
2307,下,38,表,10,さうなく掘り捨てられ難し」と皆人(みなひと)申されけるに、この
2308,下,38,裏,1,大臣(おとど)、一人、「王土(わうど)にをらん虫、皇居(くわうきよ)を建てられんに、
2309,下,38,裏,2,何の祟(たた)りをかなすべき。鬼神(きしん)はよこしまなし。咎(とが)
2310,下,38,裏,3,むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、
2311,下,38,裏,4,塚を崩(くづ)して、蛇を大井河に流してんげり。
2312,下,38,裏,5,さらに祟りなかりけり。▼第二百八段
2313,下,38,裏,6,経文(きやうもん)などの紐(ひも)を結ふに、上下(かみしも)よりたすきに交(ちが)
2314,下,38,裏,7,へて、二筋(ふたすぢ)の中よりわなの頭(かしら)を横様(よこさま)に
2315,下,38,裏,8,引き出(いだ)す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院(けごんゐんの)
2316,下,38,裏,9,弘舜(こうしゆん)僧正、解(と)きて直されけり。「〔これは、この比様(ごろやう)の事なり。いとにくし。うるはしくは、〕たゞ、くるくると
2317,下,38,裏,10,巻きて、上より下へ、わなの先を挟(さしはさ)むべし」
2318,下,39,表,1,と申されけり。古き人にて、かやうの事知れる
2319,下,39,表,2,人になん侍りける。▼第二百九段
2320,下,39,表,3,人の田を論ずる者、訴(うつた)へに負けて、ねたさに、「その田
2321,下,39,表,4,を刈(か)りて取れ」とて、人を遣(つかは)しけるに、先(ま)づ、道すがら
2322,下,39,表,5,の田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所に
2323,下,39,表,6,あらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その
2324,下,39,表,7,所とても刈るべき理なけれども、僻事(ひがこと)せんとて
2325,下,39,表,8,罷(まか)る者なれば、いづくをか刈らざらん」と言ひける。
2326,下,39,表,9,理、いとをかしかりけり。▼第二百十段
2327,下,39,表,10,「喚子鳥(よぶこどり)は春のもの〔なり〕」とばかり言ひて、如何(いか)なる鳥ともさだかに
2328,下,39,裏,1,記せる物なし。或真言(あるしんごん)書の中に、喚子鳥
2329,下,39,裏,2,鳴く時、招魂(せうこん)の法をば行ふ次第(しだい)あり。これは鵺(ぬえ)なり。
2330,下,39,裏,3,万葉の長歌(ながうた)に、「霞(かすみ)立つ、長き春日(はるひ)の」など続け
2331,下,39,裏,4,たり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通(かよ)いて聞(きこ)ゆ。▼第二百十一段
2332,下,39,裏,5,万(よろづ)の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼
2333,下,39,裏,6,む故に、恨み、怒(いか)る事あり。勢(いきほ)ひありとて、
2334,下,39,裏,7,頼むべからず。こはき者先(ま)づ滅ぶ。財(たから)多しとて、
2335,下,39,裏,8,頼むべからず。時の間(ま)に失ひ易し。才(ざえ)ありと
2336,下,39,裏,9,て、頼むべからず。孔子も時に遇(あ)はず。徳ありとて、
2337,下,39,裏,10,頼むべからず。顔回(ぐわんかい)も不幸なりき。君(きみ)の寵(ちよう)をも頼
2338,下,40,表,1,むべからず。誅(ちう)を受くる事速(すみや)かなり。奴(やつこ)従へりとて、
2339,下,40,表,2,頼むべからず。背(そむ)き走る事あり。人の志(こころざし)
2340,下,40,表,3,をも頼むべからず。必ず変(へん)ず。約(やく)をも頼むべからず。信(しん)
2341,下,40,表,4,ある事少し。身をも人をも頼まざれば、是(ぜ)なる時
2342,下,40,表,5,は喜び、非(ひ)なる時は恨みんず。左右(さう)広ければ、障(さは)
2343,下,40,表,6,らず、前後遠(ぜんごとほ)ければ、塞(ふさ)がらず。狭(せば)き時は拉(ひし)げ
2344,下,40,表,7,砕(くだ)く。心(こころ)を用ゐる事少(すこ)しきにして厳(きび)しき
2345,下,40,表,8,時は、物に逆(さか)ひ、争ひて破る。緩(ゆる)くして柔(やはら)かなる
2346,下,40,表,9,時は、一毛(いちまう)も損せず。人は天地の霊なり。天地は限る
2347,下,40,表,10,所なし。人の性(しやう)、何ぞ異(こと)ならん。寛大(くわんだい)にして極まら
2348,下,40,裏,1,ざる時は、喜怒(きど)これに障らずして、物のために煩(わづら)はず。▼第二百十二段
2349,下,40,裏,2,秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても
2350,下,40,裏,3,月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん〔人〕は、無下(むげ)に心(こころ)
2351,下,40,裏,4,うかるべき事なり。▼第二百十三段
2352,下,40,裏,5,御前(ごぜん)の火炉(くわろ)に火を置く時、火箸(ひばし)にて挟(はさ)む事なし。
2353,下,40,裏,6,土器(かはらけ)より直(ただ)ちに移すべし。されば、転(ころ)び落ちぬ
2354,下,40,裏,7,やうに心得て、炭を積(つ)むべきなり。八幡(やはた)の御幸(ごかう)に、
2355,下,40,裏,8,供奉(ぐぶ)の人、浄衣(じやうえ)を着て、手にて炭をさゝれければ、
2356,下,40,裏,9,或有職(あるいうしよく)の人、「白き物を着たる日、火箸を用ゐる、
2357,下,40,裏,10,苦しからず」と申されけり。▼第二百十四段
2358,下,41,表,1,想夫恋(さうふれん)といふ楽(がく)は、女(をんな)、男(をとこ)を恋(こ)ふる故の名にはあ
2359,下,41,表,2,らず、本(もと)は相府蓮(さうふれん)、文字(もんじ)の通へるなり。晋(しん)の王倹(わうけん)、
2360,下,41,表,3,大臣(だいじん)として、家に蓮(はちす)を植ゑて愛せし時の楽
2361,下,41,表,4,なり。これより、大臣を蓮府(れんぷ)といふ。廻忽(くわいこつ)も廻鶻(くわいこつ)なり。
2362,下,41,表,5,廻鶻国とて、夷(えびす)のこはき国あり。その夷、漢(かん)に伏(ふく)して
2363,下,41,表,6,後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。▼第二百十五段
2364,下,41,表,7,平宣時朝臣(たひらののぶときあつそん)、老(おい)の後、昔語(むかしがたり)に、「最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、
2365,下,41,表,8,或宵(あるよひ)の間(ま)に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しな
2366,下,41,表,9,がら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、又(また)、使(つかひ)来て、
2367,下,41,表,10,『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様(ことやう)なりとも、
2368,下,41,裏,1,疾(と)く』とありしかば、萎(な)えたる直垂、うちうちのまゝ
2369,下,41,裏,2,にて罷(まか)りたりしに、銚子(てうし)に土器(かはらけ)取り添(そ)へて
2370,下,41,裏,3,持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしけれ
2371,下,41,裏,4,ば、申しつるなり。肴(さかな)こそなけれ、人は静まりぬ
2372,下,41,裏,5,らん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め
2373,下,41,裏,6,給へ』とありしかば、紙燭(しそく)さして、隈々(くまぐま)を求めし
2374,下,41,裏,7,程に、台所の棚に、小土器に味噌(みそ)の少
2375,下,41,裏,8,し附きたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候ふ』
2376,下,41,裏,9,と申ししかば、『事(こと)足りなん』とて、心(こころ)よく数献(すこん)に及びて、
2377,下,41,裏,10,興(きよう)に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか」と申
2378,下,42,表,1,されき。▼第二百十六段
2379,下,42,表,2,最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、鶴岡(つるがをか)の社参(しやさん)の次(ついで)に、足利左馬
2380,下,42,表,3,入道(あしかがのさまのすけの)の許(もと)へ、先づ使(つかひ)を遣して、立ち入られたりける
2381,下,42,表,4,に、あるじまうけられ〔たり〕ける様(やう)、一献(いつこん)に打ち鮑(あはび)、二献(にこん)
2382,下,42,表,5,に海老、三献(さんこん)にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭
2383,下,42,表,6,主夫婦、隆辨(りゆうべん)僧正、主方(あるじかた)の人にて座(ざ)せられ
2384,下,42,表,7,けり。さて、「年毎に給はる足利の染物(そめもの)、
2385,下,42,表,8,心(こころ)もとなく候ふ」と申されければ、「用意して候
2386,下,42,表,9,ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女
2387,下,42,表,10,房どもに小袖(こそで)に調(せう)ぜさせて、後に遣されけり。その
2388,下,42,裏,1,時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍り
2389,下,42,裏,2,しなり。▼第二百十七段
2390,下,42,裏,3,或大福長者(あるだいふくちやうじや)の云はく、「人は、万(よろづ)をさしおきて、ひた
2391,下,42,裏,4,ふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生ける
2392,下,42,裏,5,かひなし。富(と)めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、
2393,下,42,裏,6,すべからく、先づ、その心遣(こころづか)ひを修行すべし。その心
2394,下,42,裏,7,と云ふは、他の事にあらず。人間常住(じやうぢゆう)の思ひに住
2395,下,42,裏,8,して、仮にも無常を観(くわん)ずる事なかれ。これ、第一の
2396,下,42,裏,9,用心なり。次に、万事の用を叶(かな)ふべからず。人の世
2397,下,42,裏,10,にある、自他につけて所願(しよぐわん)無量(むりやう)なり。ほしいままに
2398,下,43,表,1,随(したが)つて志を遂げんと思はば、百万の銭ありと
2399,下,43,表,2,いふとも、暫(しばら)くも住すべからず。所願(しよぐわん)は止む時なし。財(たから)は
2400,下,43,表,3,尽くる期(ご)あり。限りある財をもちて、限りなき願ひに随
2401,下,43,表,4,ふ事、得(う)べからず。所願(しよぐわん)心(こころ)に萌(きざ)す事あらば、我
2402,下,43,表,5,を滅すべき悪念来(あくねんきた)れりと固く慎(つつし)み
2403,下,43,表,6,恐れて、小要(せうえう)をも為すべからず。次に、銭を奴(やつこ)の如
2404,下,43,表,7,くして使ひ用ゆる物と知らば、永く貧苦(ひんく)
2405,下,43,表,8,を免(まぬか)るべからず。君の如く、神の如く畏(おそ)れ
2406,下,43,表,9,尊みて、従へ用ゆる事なかれ。次に、恥(はぢ)に
2407,下,43,表,10,臨むといふとも、怒り恨むる事なかれ。次に、正直(しやうぢき)にし
2408,下,43,裏,1,て、約(やく)を固くすべし。この義を守(まも)りて利を求
2409,下,43,裏,2,めん人は、富(とみ)の来たれる事、火の燥(かわ)けるに就(つ)き、
2410,下,43,裏,3,水の下(くだ)れるに随ふが如くなるべし。銭積(つも)
2411,下,43,裏,4,りて尽きざる時は、宴飲(えんいん)・声色(せいしよく)を事(こと)とせず、居所(きよしよ)
2412,下,43,裏,5,を飾らず、所願(しよぐわん)を成(じやう)ぜざれども、心(こころ)とこしなへに安
2413,下,43,裏,6,く、楽し」と申しき。そもそも、人は、所願(しよぐわん)を成ぜんがため
2414,下,43,裏,7,に、財(ざい)を求む。銭を財とする事は、願ひを叶ふる
2415,下,43,裏,8,故なり。所願(しよぐわん)あれども叶へず、銭あれども用ゐ
2416,下,43,裏,9,ざらんは、全く貧者(ひんじや)と同じ。何をか楽しびと
2417,下,43,裏,10,せん。この掟(おきて)は、たゞ、人間の望みを断ちて、貧を憂(うれ)
2418,下,44,表,1,ふべからずと聞えたり。欲を成(な)して楽しびと
2419,下,44,表,2,せんよりは、如(し)かじ、欲なからんには。癰(よう)・疽(そ)を病む者、
2420,下,44,表,3,水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには
2421,下,44,表,4,如かじ。こゝに至りては、貧福(ひんぷく)分(わ)く所なし。究
2422,下,44,表,5,竟(くきやう)は理即(りそく)に等し。大欲(たいよく)は無欲に似たり。▼第二百十八段
2423,下,44,表,6,狐(きつね)は人に食ひつくものなり。堀川(ほりかは)殿にて、舎人(とねり)が寝
2424,下,44,表,7,たる足を狐に食はる。仁和寺(にんなじ)にて、夜(よる)、本寺(ほんじ)の前を
2425,下,44,表,8,通る下法師(しもぼふし)に、狐三(み)つ飛びかゝりて食ひつき
2426,下,44,表,9,ければ、刀(かたな)を抜きてこれを防ぐ間、狐二疋(ひき)を突く。
2427,下,44,表,10,一つは突き殺しぬ。二つは逃げぬ。法師は、数多所(あまたところ)食
2428,下,44,裏,1,はれながら、事故(ことゆゑ)もなくなりにけり。▼第二百十九段
2429,下,44,裏,2,四条黄門(しでうのくわうもん)命ぜられて云はく、「竜秋(たつあき)、道にとりては、やんごと
2430,下,44,裏,3,なき者なり。先日(せんじつ)来りて云はく、『短慮(たんりよ)の至り、極めて
2431,下,44,裏,4,荒涼(くわうりやう)の事なれども、横笛(よこぶえ)の五(ご)の穴は、聊(いささ)かいぶか
2432,下,44,裏,5,しき所の侍るかと、ひそかにこれを存(ぞん)ず。その故は、
2433,下,44,裏,6,干(かん)の穴は平調(ひやうでう)、五の穴は下無調(しもむでう)なり。その間に、勝絶調(しようぜつでう)を
2434,下,44,裏,7,隔てたり。上(じやう)〔の穴〕、双調(さうでう)。次に、鳧鐘調(ふしようでう)を置きて、夕(さく)の穴、黄
2435,下,44,裏,8,鐘調(わうじきでう)なり。その次に鸞鏡調(らんけいでう)を置きて、中(ちゆう)の穴、盤渉調(ばんしきでう)、
2436,下,44,裏,9,中と六とのあはひに、神仙調(しんせんでう)あり。かやうに、間々(まま)に皆
2437,下,44,裏,10,一律(いちりつ)をぬすめるに、五の穴のみ、上の間に調子を持た
2438,下,45,表,1,ずして、しかも、間(ま)を配る事等(ひと)しき故に、その
2439,下,45,表,2,声不便(ふびん)なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。
2440,下,45,表,3,のけあへぬ時は、物に合はず。次に得(う)る人難(かた)し』と申し
2441,下,45,表,4,き。料簡(れうけん)の至り、まことに興(きよう)あり。先達(せんだち)、後生(こうせい)を畏(おそ)
2442,下,45,表,5,ると云ふ〔こと〕、この事なり」と侍りき。他日(たじつ)に、景茂(かげもち)が申し侍りしは、「笙(しやう)
2443,下,45,表,6,は調べおほせて、持ちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛(ふえ)は、
2444,下,45,表,7,吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、
2445,下,45,表,8,穴毎(ごと)に、口伝(くでん)の上に性骨(しやうこつ)を加へて、心(こころ)を入(い)るゝこと、五
2446,下,45,表,9,の穴のみに限らず。偏(ひとへ)に、のくとばかりも定むべか
2447,下,45,表,10,らず。あしく吹けば、いづれの穴も心(こころ)よからず。上手は
2448,下,45,裏,1,いづれをも吹き合はす。呂律(りよりつ)の、物に適(かな)はざるは、人の咎(とが)なり。
2449,下,45,裏,2,器(うつはもの)の失(しつ)にあらず」と申しき。▼第二百二十段
2450,下,45,裏,3,「何事も、辺土(へんど)は賤しく、かたくななれども、天王寺(てんわうじ)
2451,下,45,裏,4,の舞楽(ぶがく)のみ都(みやこ)に恥ぢず」と云ふ。天王寺の伶人(れいじん)の
2452,下,45,裏,5,申し侍りしは、「当寺(たうじ)の楽(がく)は、よく図(づ)を調べ合はせて、ものの
2453,下,45,裏,6,音(ね)のめでたく調(ととのほ)り侍る事、外(ほか)よりもすぐれた
2454,下,45,裏,7,る。故に、太子(たいし)の御時(おんとき)の図、今に侍るを博士(はかせ)とす。
2455,下,45,裏,8,いはゆる六時(ろくじ)堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調(わうじきでう)の最
2456,下,45,裏,9,中(もなか)なり。寒(かん)・暑(しよ)に随(したが)ひて上(あが)り・下(さが)るべき故に、
2457,下,45,裏,10,二月涅槃会(にぐわつねはんゑ)より聖霊会(しやうりやうゑ)までの中間(ちゆうげん)を指南(しなん)
2458,下,46,表,1,とす。秘蔵(ひさう)の事なり。この一調子(いつてうし)をもちて、いづれ
2459,下,46,表,2,の声をも調へ侍るなり」と申しき。凡(およ)そ、鐘の声は黄
2460,下,46,表,3,鐘調なるべし。これ、無常の調子、祇園精舎(ぎをんしやうじや)の無
2461,下,46,表,4,常院(むじやういん)の声なり。西園寺(さいをんじ)の鐘、黄鐘調に鋳(い)らる
2462,下,46,表,5,べしとて、数多度(あまたたび)鋳かへられけれども、叶(かな)はざりける
2463,下,46,表,6,を、遠国(をんごく)より尋ね出されけり。法金剛院(ほふこんがうゐん)の鐘
2464,下,46,表,7,の声、又(また)黄鐘調なり。▼第二百二十一段
2465,下,46,表,8,「建治(けんぢ)・弘安(こうあん)の比は、祭(まつり)の日の放見(はうけん)附物(つけもの)に、異
2466,下,46,表,9,様(ことやう)なる紺の布四五反(しごたん)にて馬を作りて、尾(を)・
2467,下,46,表,10,髪には燈心(とうじみ)をして、蜘蛛(くも)の網(い)書(か)きたる水
2468,下,46,裏,1,干(すゐかん)に附(つ)けて、歌の心(こころ)など言ひて渡りし事、常
2469,下,46,裏,2,に見及(みおよ)び侍りしなども、興(きよう)ありてしたる心地(ここち)にて
2470,下,46,裏,3,こそ侍りしか」と、老いたる道志(だうし)どもの、今日(けふ)も語り侍る
2471,下,46,裏,4,なり。この比は、附物(つけもの)、年を送りて、過差(くわさ)殊(こと)の外(ほか)に
2472,下,46,裏,5,なりて、万(よろづ)の重き物を多しく附けて、左右(さう)の
2473,下,46,裏,6,袖(そで)を人に持たせ、手(て)づからは鉾(ほこ)をだに持たず、息
2474,下,46,裏,7,づき、苦しむ有様、いと見苦し。▼第二百二十二段
2475,下,46,裏,8,竹谷(たけだにの)乗願房(じようぐわんばう)、東三乗院(とうさんでうのゐん)へ参られたりけるに、
2476,下,46,裏,9,「亡者(まうじや)の追善(つゐぜん)には、何事か勝利(しようり)多き」と尋(たづ)ね
2477,下,46,裏,10,させ給ひければ、「光明真言(くわうみやうしんごん)・宝篋印陀羅尼(ほうけういんだらに)」と
2478,萬,,,1,申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏(ねんぶつ)に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ」と
2479,萬,,,2,申しければ、「我(わ)が宗(しゆう)なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名(しようみやう)を追福(ぶく)に修(しゆ)して巨益(こやく)あるべしと説ける経文を
2480,萬,,,3,見及ばねば、何に見えたるぞと重(かさ)ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経(ほんぎよう)の確かなるにつきて、この
2481,萬,,,4,真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。▼第二百二十三段 鶴(たづ)の大臣殿(おほいとの)は、童名(わらはな)、たづ君(ぎみ)なり。鶴を飼ひ給ひける故にと申すは、
2482,萬,,,5,僻事(ひがこと)なり。▼第二百二十四段 陰陽師有宗入道(おんやうじありむねにふだう)、鎌倉より上(のぼ)りて、尋(たづ)ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに
2483,萬,,,6,広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植(う)うる事を努(つと)む。細道(ほそみち)一つ残して、(みな)皆、
2484,萬,,,7,畠(はたけ)に作り給へ」と諌(いさ)め侍りき。まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、益(やく)なき事なり。食ふ物・
2485,萬,,,8,薬種(やくしゆ)など植ゑ置くべし。▼第二百二十五段 多久資(おほのひさすけ)が申しけるは、通憲入道(みちのりにふだう)、舞(まひ)の手の中(なか)に興(きよう)ある事どもを選びて、磯(いそ)の禅師(ぜんじ)と
2486,萬,,,9,いひける女に教へて舞はせけり。白き水干(すゐかん)に、鞘巻(さうまき)を差させ、烏帽子(えぼし)を引き入れたりければ、男舞(をとこまひ)とぞ
2487,萬,,,10,言ひける。禅師が娘(むすめ)、静(しづか)と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍子(しらびやうし)の根元(こんげん)なり。仏神(ぶつじん)の本縁(ほんえん)を歌ふ。その後、源光行(みつゆき)、
2488,萬,,,11,多くの事を作れり。御鳥羽院の御作(ごさく)もあり、亀菊(かめぎく)に教へさせ給ひけるとぞ。▼第二百二十六段 後鳥羽院(ごとばのゐん)の御時(おんとき)、信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)、
2489,萬,,,12,稽古(けいこ)の誉(ほまれ)ありけるが、楽府(がふ)の御論議(みろんぎ)の番(ばん)に召されて、七徳(しちとく)の舞(まい)を二つ忘れたりければ、五徳(ごとく)の冠者(くわんじや)と異名(いみやう)を
2490,萬,,,13,附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世(とんぜい)したりけるを、慈鎮和尚(ぢちんくわしやう)、一芸(いちげい)ある者をば、下部(しもべ)までも召し置きて、
2491,萬,,,14,不便(ふびん)にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持(ふち)し給ひけり。この行長入道、平家物語(へいけのものがたり)を作りて、生仏(しやうぶつ)といひける
2492,萬,,,15,盲目(まうもく)に教へて語らせけり。さて、山門(さんもん)の事を殊にゆゝしく書けり。九郎判官(くらうはんぐわん)の事は委(くは)しく知りて
2493,萬,,,16,書き載せたり。蒲冠者(かばのくわんじや)の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記(しる)し洩らせり。武士の事、弓馬(きうば)の
2494,萬,,,17,業(わざ)は、生仏、東国(とうごく)の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生(うま)れつきの声を、今の琵琶(びは)法師は
2495,萬,,,18,学びたるなり。▼第二百二十七段 六時礼讃(ろくじらいさん)は、法然上人(ほふねんしやうにん)の弟子、安楽(あんらく)といひける僧、経
2496,下,47,表,1,文(きやうもん)を集めて作りて、勤(つと)めにしけり。その後、太秦善観房(うづまさのぜんくわんぼう)と
2497,下,47,表,2,いふ僧、節博士(ふしはかせ)を定めて、声明(しやうみやう)に
2498,下,47,表,3,なせり。一心(いつしん)念仏の最初なり。御嵯峨院(ごさがの)の御代(みよ)より
2499,下,47,表,4,始まれり。法事讃(ほふじさん)も、同じく、善観房始め
2500,下,47,表,5,たるなり。▼第二百二十八段
2501,下,47,表,6,千本の釈迦念仏(しやかねんぶつ)は、文永(ぶんえい)の比、如輪(によりん)上人、これを始め
2502,下,47,表,7,られけり。▼第二百二十九段
2503,下,47,表,8,よき細工(さいく)は、少し鈍き刀(かたな)を使ふと言ふ。妙
2504,下,47,表,9,観(めうくわん)が刀はいたく立たず。▼第二百三十段
2505,下,47,表,10,五条内裏(ごでうのだいり)には、妖物(ばけもの)ありけり。藤大納言殿語(とうのだいなごんどの)
2506,下,47,裏,1,られ侍りしは、殿上人(てんじやうびと)ども、黒戸(くろど)にて碁を打ちける
2507,下,47,裏,2,に、御簾(みす)を掲げて見るものあり。「誰(た)そ」と見向き
2508,下,47,裏,3,たれば、狐、人のやうについゐて、さし覗(のぞ)きた
2509,下,47,裏,4,るを、「あれ〔狐〕よ」とどよまれて、惑(まど)ひ逃げにけり。
2510,下,47,裏,5,未練(みれん)の狐、化け損じたりけるにこそ。▼第二百三十一段
2511,下,47,裏,6,園(その)の別当入道(べつたうにふだう)は、さうなき庖丁者(ほうちやうじや)なり。或
2512,下,47,裏,7,人の許(もと)にて、いみじき鯉(こひ)を出だしたりければ、
2513,下,47,裏,8,皆人(みなひと)、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たや
2514,下,47,裏,9,すくうち出でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、
2515,下,47,裏,10,さる人にて、「この程(ほど)、百日(ひやくにち)の鯉を切り侍るを、今日(けふ)欠(か)き
2516,下,48,表,1,侍るべきにあらず。枉(ま)げて申し請(う)けん」とて切られた
2517,下,48,表,2,りける、いみじくつきづきしく、興(きよう)ありて人ども思
2518,下,48,表,3,へりけると、或人、北山太政入道(きたやまのだいじやうにふだう)殿に語り申され〔たり〕け
2519,下,48,表,4,れば、「かやうの事、己(おの)れは〔よに〕うるさく覚ゆるなり。『切りぬ
2520,下,48,表,5,べき人なくは、給(た)べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。
2521,下,48,表,6,何条(なでう)、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく
2522,下,48,表,7,覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。大方(おほかた)に、
2523,下,48,表,8,振舞(ふるま)ひて興(きよう)あるよりも、興(きよう)なくてやすらかなるが、勝
2524,下,48,表,9,りたる事〔なり〕。客人(まれびと)の饗応(きやうおう)なども、ついでをかし
2525,下,48,表,10,きやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、
2526,下,48,裏,1,その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取ら
2527,下,48,裏,2,せたるも、ついでなくて、「これを奉(たてまつ)らん」と云ひたる、まこ
2528,下,48,裏,3,との志なり。惜しむ由(よし)して乞(こ)はれんと思ひ、
2529,下,48,裏,4,勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。▼第二百三十二段
2530,下,48,裏,5,すべて、人は、無智(むち)・無能(むのう)なるべきものなり。或(あるひと)人の子
2531,下,48,裏,6,の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言(ものい)ふとて、
2532,下,48,裏,7,史書(ししよ)の文(もん)を引きたりし、賢(さか)しくは聞えしかども、
2533,下,48,裏,8,尊者(そんじや)の前にてはさらずともと覚えしなり。〔又(また)、〕
2534,下,48,裏,9,或人の許(もと)にて、琵琶法師(びはほふし)の物語を聞かんとて琵
2535,下,48,裏,10,琶を取り寄(よ)せたるに、柱(ぢゆう)の一つ落ちたりしかば、「作り
2536,下,49,表,1,て附(つ)けよ」と言ふに、ある男の中(なか)に、悪しからずと見ゆるが、
2537,下,49,表,2,「古き柄杓(ひさく)の柄(え)ありや」など言ふを見れば、爪(つめ)を生(お)ほし
2538,下,49,表,3,たり。琵琶など弾くにこそ。盲法師(めくらほふし)の琵琶、その
2539,下,49,表,4,沙汰(さた)にも及ばぬことなり。道に心得たる由(よし)にやと、
2540,下,49,表,5,かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木(ひものぎ)とかやいひ
2541,下,49,表,6,て、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。若き人
2542,下,49,表,7,は、少(すこ)しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。▼第二百三十三段 万(よろづ)
2543,下,49,表,8,の咎(とが)あらじと思はば、何事(なにごと)にもまことありて、人を
2544,下,49,表,9,分(わ)かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女(なんによ)・
2545,下,49,表,10,老少(らうせう)、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたち
2546,下,49,裏,1,よき人の、言(こと)うるはしきは、忘れ難(がた)く、思ひつかるゝものなり。
2547,下,49,裏,2,万の咎は、馴れたるさまに上手(じやうず)めき、所得(ところえ)たる
2548,下,49,裏,3,気色(けしき)して、人をないがしろにするにあり。▼第二百三十四段
2549,下,49,裏,4,人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝ
2550,下,49,裏,5,に言はんはをこがましとにや、心(こころ)惑(まど)はすやうに返
2551,下,49,裏,6,事(かへりこと)したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだ
2552,下,49,裏,7,かにやと思ひてや問ふらん。又(また)、まことに知らぬ人も、など
2553,下,49,裏,8,かなからん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく
2554,下,49,裏,9,聞えなまし。人は未(いま)だ聞き及ばぬ事を、我が知りたる
2555,下,49,裏,10,まゝに、「さても、その人の事のあさましさ」などばかり
2556,下,50,表,1,言ひ遣(や)りたれば、「如何(いか)なる事のあるにか」と、押し返し問ひに
2557,下,50,表,2,遣るこそ、心(こころ)づきなけれ。世に古(ふ)りぬる事をも、おのづから
2558,下,50,表,3,聞き洩(もら)すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ
2559,下,50,表,4,遣りたらん、悪(あ)しかるべきことかは。かやうの事は、物馴(ものな)
2560,下,50,表,5,れぬ人のある事なり。▼第二百三十五段
2561,下,50,表,6,主(ぬし)ある家には、すゞろなる人、心(こころ)のまゝに入り来(く)る事
2562,下,50,表,7,なし。主なき所には、道行人濫(みちゆきびとみだ)りに
2563,下,50,表,8,立ち入り、狐・梟(ふくろふ)やうの物も、人気(ひとげ)に塞(せ)かれねば、所
2564,下,50,表,9,得顔(ところえがほ)に入(い)り棲(す)み、木霊(こたま)など云ふ、けしからぬ形も現(あら)
2565,下,50,表,10,はるゝものなり。又(また)、鏡(かがみ)には、色(いろ)・像(かたち)なき故に、万の
2566,下,50,裏,1,影来(かげきた)りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざ
2567,下,50,裏,2,らまし。虚空(こくう)よく物を容(い)る。我等(われら)が心(こころ)に念々(ねんねん)の
2568,下,50,裏,3,ほしきまゝに来り浮(うか)ぶも、心(こころ)といふものなきにや
2569,下,50,裏,4,あらん。心(こころ)に主(ぬし)あらましかば、胸の中(うち)に、若干(そこばく)の
2570,下,50,裏,5,事は入り来ら〔ざら〕まし。▼第二百三十六段
2571,下,50,裏,6,丹波(たんば)に出雲(いづも)と云ふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、めでたく造
2572,下,50,裏,7,れり。しだの某(なにがし)とかやしる所なれば、秋の比、
2573,下,50,裏,8,聖海(しやうかい)上人、その他も人数多(ひとあまた)誘ひて、「いざ給(たま)へ、出雲拝(をが)
2574,下,50,裏,9,みに。かいもちひ召(め)させん」とて具(ぐ)しもて行きたるに、各々(おのおの)
2575,下,50,裏,10,拝みて、ゆゝしく信(しん)起したり。御前(おまへ)なる獅子(しし)・狛
2576,下,51,表,1,犬(こまいぬ)、背きて、後(うしろ)さまに立ちたりければ、上人、いみ
2577,下,51,表,2,じく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様(やう)、いと
2578,下,51,表,3,めづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿
2579,下,51,表,4,原(とのばら)、殊勝(しゆしやう)の事は御覧(ごらん)じ止(と)めずや。無下(むげ)なり」と言へば、
2580,下,51,表,5,各々怪(あや)しみて、「まことに他(た)に異(こと)なりける」、「都(みやこ)
2581,下,51,表,6,のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとな
2582,下,51,表,7,しく、物知りぬべき顔したる神官(じんぐわん)を呼びて、「この社(みやしろ)
2583,下,51,表,8,の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ち
2584,下,51,表,9,と承(うけたまは)らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき
2585,下,51,表,10,童(わらべ)どもの仕りける、奇怪(きくわい)に候う事なり」とて、さし
2586,下,51,裏,1,寄りて、据(す)ゑ直し〔て、往(い)に〕ければ、上人の感涙(かんるゐ)いたづらになりに
2587,下,51,裏,2,けり。▼第二百三十七段
2588,下,51,裏,3,柳筥(やないばこ)に据(す)うる物は、縦様(たてさま)・横様(よこさま)、物による
2589,下,51,裏,4,べきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木(き)の間(あはひ)
2590,下,51,裏,5,より紙ひねりを通(とほ)して、結(ゆ)い附(つ)く。硯(すずり)も、縦様
2591,下,51,裏,6,に置きたる、筆転(ころ)ばず、よし」と、三条右大臣殿(さんでうのうだいじん)
2592,下,51,裏,7,仰せられし。勘解由小路(かでのこうぢ)の家の能書(のうじよ)の人々は、仮にも
2593,下,51,裏,8,縦様に置かるゝ事なし。必ず、横様に据ゑら
2594,下,51,裏,9,れ侍りにき。▼第二百三十八段
2595,下,51,裏,10,御随身(みずゐじん)近友(ちかとも)が自讃(じさん)とて、七箇条(しちかでう)書き止(とど)めたる事あり。
2596,下,52,表,1,皆(みな)、馬芸(ばげい)、させることなき事どもなり。その例(ためし)を
2597,下,52,表,2,思ひて、自賛の事七つあり。
2598,下,52,表,3,一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院(さいしやうくわうゐんへん)の辺
2599,下,52,表,4,にて、男(をのこ)の、馬を走(はし)らしむるを見て、「今一度(ひとたび)馬を
2600,下,52,表,5,馳(は)するものならば、馬倒(たふ)れて、落つべし。暫(しば)し見給へ」と
2601,下,52,表,6,て立ち止(どま)りたるに、又(また)、馬を馳す。止(とど)むる所にて、馬を
2602,下,52,表,7,引き倒して後、乗る人、泥土(でいと)の中に転(ころ)び入る。その詞(ことば)の誤
2603,下,52,表,8,らざる事を人皆感ず。
2604,下,52,表,9,一、当代未(たうだいいま)だ坊(ぼう)におはしましし比(ころ)、万里小路殿御所(までのこうぢどのごしよ)なり
2605,下,52,表,10,しに、堀川(ほりかはの)大納言殿伺候(しこう)し給ひし御曹子(みざうし)へ用ありて
2606,下,52,裏,1,参りたりしに、論語(ろんご)の四・五〔・六〕の巻(まき)をくりひろげ給ひて、
2607,下,52,裏,2,「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪(あけうば)ふことを悪(にく)む』と云ふ
2608,下,52,裏,3,文(もん)を御覧ぜられたき事ありて、御本(ごほん)を御覧ずれども、
2609,下,52,裏,4,御覧じ出(いだ)さぬなり。『なほよく引き見よ』と仰(おほ)せ事にて、求むる
2610,下,52,裏,5,なり」と仰せらるゝに、「九(く)の巻のそこそこの程(ほど)に侍る」
2611,下,52,裏,6,と申したりしかば、「あな嬉(うれ)し」とて、もて参らせ給ひき。かほ
2612,下,52,裏,7,どの事は、児(ちご)どもも常(つね)の事なれども、昔の人はいさゝかの
2613,下,52,裏,8,事をもいみじく自賛(じさん)したるなり。御鳥羽(ごとば)院の、御
2614,下,52,裏,9,歌(みうた)に、「袖(そで)と袂(たもと)と、一首の中(うち)に悪(あ)しかりなんや」と、定家卿(ていかのきやう)に
2615,下,52,裏,10,尋(たづ)ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄
2616,下,53,表,1,穂(ずすきほ)に出(い)でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事(なにごと)か候ふ
2617,下,53,表,2,べき」と申されたる事も、「時に当(あた)りて本歌(ほんか)を
2618,下,53,表,3,覚悟(かくご)す。道の冥加(みやうが)なり、高運(こううん)なり」と、ことことしく
2619,下,53,表,4,記(しる)し置かれ侍るなり。九条相国伊通公(くでうのしやうこくこれみち)の款状(くわじやう)にも、殊(こと)
2620,下,53,表,5,なる事なき題目(だいもく)をも書き載せて、自賛せられたり。
2621,下,53,表,6,一、常在光院(じやうざいくわうゐん)の撞(つ)き鐘(がね)の銘(めい)は、在兼卿(ありかねのきやう)の草(さう)〔なり〕。行房朝臣(ゆきふさのあそん)の
2622,下,53,表,7,清書(せいじよ)なり、鋳型(いかた)に模(うつ)せんとせしに、奉行(ぶぎやう)の入道(にふだう)、かの
2623,下,53,表,8,草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外(ほか)に夕(ゆふべ)を送れば、
2624,下,53,表,9,声百里(はくり)に聞(きこ)ゆ」と云ふ句あり。「陽唐(やうたう)韻(ゐん)と見ゆるに、
2625,下,53,表,10,百里誤(あやま)りか」と申したりしを、「よく見せ奉(たてまつ)りける。
2626,下,53,裏,1,己(おの)れが高名(かうみやう)なり」とて、筆者(ひつしや)の許(もと)へ言ひ遣(や)りたるに、
2627,下,53,裏,2,「誤り侍りけり。数行(すかう)と直(なほ)さるべし」と返事(かへりこと)侍りき。
2628,下,53,裏,3,数行も如何(いか)なるべきにか。若(も)し数歩(すほ)の心(こころ)か。おぼつかなし。〔数行なほ不審。数は四五也。鐘四五歩不幾也。たゞ遠く聞ゆる心也。〕
2629,下,53,裏,4,一、人あまた伴(ともな)ひて、三塔巡礼(さんたふじゆんれい)の事侍りしに、横
2630,下,53,裏,5,川(よかは)の常行道(じやうぎやうだう)の中、竜華院(りようげゐん)と書ける、古き額(がく)あり。
2631,下,53,裏,6,「佐理(さり)・行成(かうぜい)の間(あひだ)疑ひありて、未(いま)だ決(けつ)せずと申し
2632,下,53,裏,7,伝へたり」と、堂僧(だうそう)ことことしく申し侍りしを、「行成(かうぜい)ならば、
2633,下,53,裏,8,裏書(うらがき)あるべし。佐理(さり)ならば、裏書(うらがき)あるべからず」と言ひた
2634,下,53,裏,9,りしに、裏は塵積(ちりつも)り、虫の巣(す)にていぶせげなるを、よく
2635,下,53,裏,10,掃(は)き拭(のご)ひて、各々(おのおの)見侍りしに、行成(かうぜい)位爵【*位署】(ゐじよ)・名字(みやうじ)・
2636,下,54,表,1,年号(ねんがう)、さだかに見え侍りしかば、人皆(みな)興(きよう)に入(い)る。
2637,下,54,表,2,一、那蘭陀寺(ならんだじ)にて、道眼聖談義(だうげんひじりだんぎ)せしに、八災(はつさい)と云ふ
2638,下,54,表,3,事を忘れて、「誰か覚え給ふ」と言ひしに、所
2639,下,54,表,4,化(しよけ)皆(みな)覚えざりしに、局(つぼね)〔の内(うち)〕より、「これこれ
2640,下,54,表,5,にや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍り。
2641,下,54,表,6,一、賢助僧正(けんじよそうじよう)伴(ともな)ひて、加持香水(かぢこうずゐ)を見侍りしに、未
2642,下,54,表,7,だ果てぬ程(ほど)に、僧正帰り出で侍りしに、陳(ぢん)の外(と)まで
2643,下,54,表,8,僧正(そうじよう)見えず。法師どもを返して求めさするに、「同
2644,下,54,表,9,じ様(さま)なる大衆(だいしゆ)多くて、え求め逢(あ)はず」と言ひて、
2645,下,54,表,10,いと久(ひさ)しく出でざりしを、「あなわびし。それ、求めておはせ
2646,下,54,裏,1,よ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具(ぐ)して出でぬ。
2647,下,54,裏,2,一、二月十五日(きさらぎじふごにち)、月明(つきあか)き夜(よ)、うち更(ふ)けて、千本の寺に
2648,下,54,裏,3,詣(まう)でて、後(うしろ)より入りて、独(ひと)り顔深く隠(かく)して
2649,下,54,裏,4,聴聞(ちやうもん)し侍(はんべ)りしに、優(いう)なる女の、姿・匂(にほ)ひ、人より殊(こと)〔なる〕
2650,下,54,裏,5,が、分(わ)け入りて、膝(ひざ)に居(ゐ)かゝれば、匂ひなども移る
2651,下,54,裏,6,ばかりなれば、便(びん)あしと思ひて、摩(す)り退(の)きたるに、なほ
2652,下,54,裏,7,居寄(ゐよ)りて、同じ様(さま)なれば、立ちぬ。その後(のち)、ある御所様(ごしよさま)
2653,下,54,裏,8,の古き女房(にようばう)の、うしろごと言はれしついでに、「無下(むげ)に
2654,下,54,裏,9,(いろ)色なき人におはしけりと、見おとし奉(たてまつ)る事なんありし。
2655,下,54,裏,10,情(なさけ)なしと恨(うら)み奉る人なんある」とのたまひ出したるに、
2656,下,55,表,1,「更(さら)にこそ心得(こころえ)侍れね」と申して止(や)みぬ。この事、後に聞き侍り
2657,下,55,表,2,しは、かの聴聞の夜、御局(みつぼね)の内より、人の御覧じ
2658,下,55,表,3,知りて、候(さうら)ふ女房を作り立てて出し給ひて、
2659,下,55,表,4,「便(びん)よくは、言葉などかけんものぞ。その有様(ありさま)参
2660,下,55,表,5,りて申せ。いと興(きよう)あらん」とて、謀(はか)り給ひけるとぞ。▼第二百三十九段
2661,下,55,表,6,八月十五日(はつきじふごにち)・九月十三日(ながづきじふさんにち)は、婁宿(ろうしゆく)なり。この宿、清明(せいめい)なる
2662,下,55,表,7,故に、月を翫(もてあそ)ぶに良夜(りやうや)とす。▼第二百四十段
2663,下,55,表,8,しのぶの浦(うら)の蜑(あま)の見る目も所(ところ)せく、くらぶの山も
2664,下,55,表,9,守(も)る人繁(しげ)からんに、わりなく通(かよ)はん心(こころ)の色(いろ)こそ、浅
2665,下,55,表,10,からず、あはれと思ふ、節々(ふしぶし)の忘れ難(がた)き事も
2666,下,55,裏,1,多からめ、親・はらから許(ゆる)して、ひたふるに迎(むか)へ据(す)ゑたら
2667,下,55,裏,2,ん、いとまばゆかりぬべし。世にありわぶる女の、似げなき
2668,下,55,裏,3,老法師(おいぼふし)、あやしの吾妻人(あづまうど)なりとも、賑(にぎ)はゝしき
2669,下,55,裏,4,につきて、「誘(さそ)う水あらば」など云ふを、仲人(なかうど)、何方(いづかた)も心(こころ)
2670,下,55,裏,5,にくき様(さま)に言ひなして、〔知られず、〕知らぬ人を迎(むか)へもて来(き)た
2671,下,55,裏,6,らんあいなさよ。何事(なにごと)をか打ち出(い)づる言(こと)の葉(は)にせん。年
2672,下,55,裏,7,月(としつき)のつらさをも、「分(わ)け来(こ)し葉山(はやま)の」なども相語(あひかた)らはん
2673,下,55,裏,8,こそ、尽(つ)きせぬ言(こと)の葉(は)にてあらめ。すべて、余所(よそ)の人取りまか
2674,下,55,裏,9,なひたらん、うたて心(こころ)づきなき事、多かるべし。よき
2675,下,55,裏,10,女ならんにつけても、品下(しなくだ)り、見にくゝ、年(とし)も長(た)
2676,下,56,表,1,けなん男は、かくあやしき身(み)のために、あたら身を
2677,下,56,表,2,いたづらになさんやはと、人も心劣(こころおと)りせられ、我が身は、向(むか)ひ
2678,下,56,表,3,ゐたらんも、影恥(かげはづ)かしく覚えなん。いとこそあいな
2679,下,56,表,4,からめ。
2680,下,56,表,5,梅の花かうばしき夜(よ)の朧月夜(おぼろづきよ)に佇(たたず)み、御
2681,下,56,表,6,垣(みかき)が原(はら)の露分(つゆわ)け出でん有明(ありあけ)の空も、我(わ)が身(み)の様(さま)
2682,下,56,表,7,に偲(しの)ばるべくもなからん人は、たゞ、色好(この)まざ
2683,下,56,表,8,らんには如(し)かじ。▼第二百四十一段
2684,下,56,表,9,望月(もちづき)の円(まど)かなる事は、暫(しばら)くも住(ぢゆう)せず、やがて
2685,下,56,表,10,欠(か)けぬ。心(こころ)止(と)めぬ人は、一夜(ひとよ)の中(うち)にさまで変る
2686,下,56,裏,1,様(さま)の見えぬにやあらん。病(やまひ)の重(おも)るも、住する隙(ひま)
2687,下,56,裏,2,なくして、死期(しご)既に近し。されども、未(いま)だ病
2688,下,56,裏,3,急(きふ)ならず、死に赴(おもむ)かざる程は、常住平生(じやうぢゆうへいぜい)の念に
2689,下,56,裏,4,習ひて、生(しやう)の中に多くの事を成(じやう)じて後(のち)、閑(しづ)かに
2690,下,56,裏,5,道を修(しゆ)せんと思ふ程に、病を受けて死門(しもん)に臨む
2691,下,56,裏,6,時、所願(しよぐわん)一事(しよぐわんいちじ)も成せず。言ふかひなくて、年月(としつき)の懈怠(けだい)
2692,下,56,裏,7,を悔(く)いて、この度(たび)、若(も)し立ち直りて命(いのち)を全(まつた)く
2693,下,56,裏,8,せば、夜(よ)を日(ひ)に継ぎて、この事、かの事、怠(おこた)らず成(じやう)
2694,下,56,裏,9,じてんと願ひを起すらめど、やがて重(おも)りぬれば、我(われ)
2695,下,56,裏,10,にもあらず取り乱して果てぬ。この類(たぐい)のみこそ
2696,下,57,表,1,あらん。この事、先(ま)づ、人々、急ぎ心(こころ)に置くべし。所願(しよぐわん)を成じて後(のち)、
2697,下,57,表,2,暇(いとま)ありて道に向(むか)はんとせば、所願(しよぐわん)尽(つ)くべからず。如幻(によげん)の
2698,下,57,表,3,生(しやう)の中(うち)に、何事(なにごと)をかなさん。すべて、所願(しよぐわん)皆妄想(みなまうざう)なり。
2699,下,57,表,4,所願(しよぐわん)心(こころ)に来たらば、妄信迷乱(まうしんめいらん)すと知りて、一事(いちじ)をも
2700,下,57,表,5,なすべからず。直(ぢき)に万事(ばんじ)を放下(はうげ)して道に向(むか)ふ時、
2701,下,57,表,6,障りなく、所作(しよさ)なくて、心身(しんじん)永く閑(しづ)かなり。▼第二百四十二段
2702,下,57,表,7,とこしなへに違順(ゐじゆん)に使はるゝ事は、ひとへに苦楽(らく)の
2703,下,57,表,8,ためなり。楽(らく)と言ふは、好(この)み愛(あい)する事なり。これを求
2704,下,57,表,9,むること、止(や)む時なし。楽欲(げうよく)する所、一つには名(な)なり。名に
2705,下,57,表,10,二種(にしゆ)あり。行跡(かうせき)と才芸(さいげい)との誉(ほまれ)なり。二つには色欲(しきよく)、三つ
2706,下,57,裏,1,には味(あぢは)ひなり。万(よろづ)の願ひ、この三つには如(し)かず。これ、顛倒(てんだう)の
2707,下,57,裏,2,想(さう)より起りて、若干(そこばく)の煩(わづら)ひあり。求め
2708,下,57,裏,3,ざらんにには如(し)かじ。 ▼第二百四十三段
2709,下,57,裏,4,八(や)つになりし年、父に問ひて云はく、「仏(ほとけ)は如何(いか)なるものに
2710,下,57,裏,5,か候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成(な)りたる
2711,下,57,裏,6,なり」と。又(また)問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」
2712,下,57,裏,7,と。父又(また)、「仏の教(をしへ)によりて成るなり」と答ふ。又(また)
2713,下,57,裏,8,問ふ、「教へ候ひける仏には、何が教へ候ひける」と。又(また)答ふ、
2714,下,57,裏,9,「それも〔又(また)、〕先の仏の教によりて成り給ふなり」。
2715,下,57,裏,10,又(また)問ふ、「その教へ始め候ひける、〔第一の〕仏は、如何なる仏にか
2716,下,58,表,1,と候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧(わ)きけん」
2717,下,58,表,2,と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、〔え〕答へずなり侍りつ」と、
2718,下,58,表,3,諸人(しよにん)に語(かた)りて興(きよう)じき。