連番,巻,丁数,表裏,行,龍谷大学本 本文
0,上,0,0,0,徒然草上 ▼序段
1,上,1,表,1,つれづれなるまゝに、日くらし、硯(すずり)にむかひて、
2,上,1,表,2,心(こころ)に移りゆくよしなし事(ごと)を、そこはかと
3,上,1,表,3,なく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 ▼第一段
4,上,1,表,4,いでや、この世に生れては、願はしかるべき
5,上,1,表,5,事こそ多(おほ)かめれ。御門(みかど)の御位(おほんくらゐ)は、いとも
6,上,1,表,6,かしこし。竹の園生(そのふ)の、末葉(すゑば)まで人間の
7,上,1,表,7,種(たね)ならぬぞ、やんごとなき。一の人の御有様は
8,上,1,表,8,さらなり、たゞ人(びと)も、舎人(とねり)など賜はるきはは、
9,上,1,表,9,ゆゝしと見ゆ。その子・うまごまでは、はふれ
10,上,1,表,10,にたれど、なほなまめかし。それより下(しも)つかたは、
11,上,1,裏,1,ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なると、みづから
12,上,1,裏,2,はいみじと思ふらめど、いとくちをし。
13,上,1,裏,3,法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には
14,上,1,裏,4,木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言(せいせうなごん)が書け
15,上,1,裏,5,るも、げにさることぞかし。勢(いきほひ)まうに、のゝしり
16,上,1,裏,6,たるにつけても、いみじとは見えず、増賀聖(そうがひじり)の
17,上,1,裏,7,言ひけんやうに、名聞(みようもん)ぐるしく、仏の御教(おほんをしへ)に
18,上,1,裏,8,たがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人(よすてびと)は、
19,上,1,裏,9,なかなかあらまほしきかたもありなん。
20,上,2,裏,10,人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほ
21,上,2,表,1,しかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎやう)
22,上,2,表,2,ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(むか)はま
23,上,2,表,3,ほしけれ。めでたしと見る人の、心(こころ)劣りせらるゝ
24,上,2,表,4,本性見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かた
25,上,2,表,5,ちこそ生れつきたらめ、心(こころ)は、などか、賢き
26,上,2,表,6,より賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心(こころ)ざまよ
27,上,2,表,7,き人も、才(ざえ)なく成りぬれば、品(しな)下り、顔憎
28,上,2,表,8,さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさる
29,上,2,表,9,るこそ、本意なきわざなれ。ありたき事は、ま
30,上,2,表,10,ことしき文(ふみ)の道、作文(さくもん)・和歌(わか)・管絃(くわんげん)の道。又(また)、有職(いうしよく)に
31,上,2,裏,1,公事(くじ)の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。
32,上,2,裏,2,手など拙(つたな)からず走り書き、声をかしくて
33,上,2,裏,3,拍子とり、いたましうするものから、下戸(げこ)ならぬ
34,上,2,裏,4,こそ、男(をのこ)はよけれ。▼第二段
35,上,2,裏,5,いにしへのひじりの御代(みよ)の政(まつりごと)をも忘れ、民の愁(うれへ)、
36,上,2,裏,6,国のそこなはるゝも知らず、万(よろづ)にきよら
37,上,2,裏,7,を尽していみじと思ひ、所せきさましたる
38,上,2,裏,8,人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。「衣冠(いくわん)より
39,上,2,裏,9,馬・車〔にいたる〕まで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を
40,上,2,裏,10,求むる事なかれ」とこそ、九条(くでう)殿の遺誡(ゆいかい)にも侍(はんべ)
41,上,3,表,1,れ。順徳院の、禁中(きんちゆう)の事ども書かせ給へるにも、「おほ
42,上,3,表,2,やけの奉(たてまつ)り物は、おろそかなるをもッてよしとす」
43,上,3,表,3,とこそ侍れ。▼第三段
44,上,3,表,4,万(よろづ)にいみじくとも、色好(この)みならざらん男
45,上,3,表,5,は、いとさうざうしく、玉の色の当(そこ)なき心地(ここち)ぞ
46,上,3,表,6,すべき。露霜(つゆしも)にしほたれて、所定めずまどひ
47,上,3,表,7,歩(あり)き、親の諫(いさ)め、世の謗(そし)りをつゝむに心(こころ)
48,上,3,表,8,の暇(いとま)なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、
49,上,3,表,9,独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかし
50,上,3,表,10,けれ。さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女に
51,上,3,裏,1,たやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべき
52,上,3,裏,2,わざなれ。▼第四段
53,上,3,裏,3,後の世(よ)の事、心(こころ)に忘れず、仏の道うとからぬ、
54,上,3,裏,4,心(こころ)にくし。▼第五段
55,上,3,裏,5,不幸(ふかう)に憂(うれへ)に沈める人の、頭(かしら)おろし
56,上,3,裏,6,などふつゝかに思ひとりたるにはあらで、〔あるかなきかに、門(かど)さしこめて、待つこともなく〕明(あか)し
57,上,3,裏,7,暮したる、さるかたにあらまほし。顕基(あきもと)の中納言(ちゆうなごん)
58,上,3,裏,8,の言ひけん、配所(はいしよ)の月、罪なくて見ん事、さも覚
59,上,3,裏,9,えぬべし。▼第六段
60,上,3,裏,10,わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざら
61,上,4,表,1,んにも、子といふものなくてありなん。前中書王(さきのちゆうしよわう)・九
62,上,4,表,2,条太政大臣(くでうのおほきおとど)・花園(はなぞのの)左大臣、みな、族(ぞう)たらん事を
63,上,4,表,3,願ひ給へり。染殿大臣(そめどののおとど)も、「子孫おはせぬぞ
64,上,4,表,4,よく侍(はんべ)る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、
65,上,4,表,5,世継の翁(おきな)の物語には言へる。聖徳太子の、御
66,上,4,表,6,墓(みはか)をかねて築(つ)かせ給ふ時も、「こゝを切れ。かしこ
67,上,4,表,7,を断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとか
68,上,4,表,8,や。▼第七段
69,上,4,表,9,あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山(とりべやま)の煙(けぶり)
70,上,4,表,10,立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにものの
71,上,4,裏,1,あはれもな〔か〕らん。世は定めなきこそいみじけれ。命
72,上,4,裏,2,あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふ
73,上,4,裏,3,の夕べを待ち、夏の蝉の春秋(はるあき)を知らぬもあるぞかし。
74,上,4,裏,4,つくづくと一年(ひととせ)を暮すほども、こよなうのどけ
75,上,4,裏,5,しや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも、一夜(ひとよ)
76,上,4,裏,6,の夢の心地(ここち)こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿
77,上,4,裏,7,を待ち得て、何かはせん。命長ければ恥(はぢ)多し。
78,上,4,裏,8,長くとも、四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、めや
79,上,4,裏,9,すかるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心(こころ)も
80,上,4,裏,10,なく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの日に子
81,上,5,表,1,孫を愛して、さかゆく末(すゑ)を見んまでの命を
82,上,5,表,2,あらまし、ひたすら世を貪る心(こころ)のみ深く、ものの
83,上,5,表,3,あはれも知らずなりゆきなん、あさましき。▼第八段
84,上,5,表,4,世の人の心(こころ)惑はす事、色欲(いろよく)には如(し)かず。人の心(こころ)は
85,上,5,表,5,愚かなるものかな。匂(にほ)ひなどは仮のものなるに、しば
86,上,5,表,6,らく衣裳(いしやう)に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂(にほ)
87,上,5,表,7,ひには、必ず心(こころ)ときめきするものなり。九米(くめ)の
88,上,5,表,8,仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通(つう)を
89,上,5,表,9,失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよ
90,上,5,表,10,らに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあ
91,上,5,裏,1,らんかし。▼第九段
92,上,5,裏,2,女は、髪のめでたからんこそ、人の目(め)立(た)つべかんめれ、
93,上,5,裏,3,人のほど・心(こころ)ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、
94,上,5,裏,4,物越しにも知らるれ。ことにふれて、うちあるさ
95,上,5,裏,5,まにも人の心(こころ)を惑はし、すべて、女の、うちとけ
96,上,5,裏,6,たる寝(ゐ)もねず、身を惜(を)しとも思ひたらず、堪(た)ゆべ
97,上,5,裏,7,くもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を
98,上,5,裏,8,思ふがゆゑなり。まことに、愛著(あいぢやく)の道、その根深く、
99,上,5,裏,9,源(みなもと)遠し。六塵(ろくぢん)の楽欲(げうよく)多しといへども、みな
100,上,5,裏,10,厭離(おんり)しつべし。その中に、たゞ、かのひとつの惑(まど)ひ
101,上,6,表,1,の止(や)めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智(ち)あるも、
102,上,6,表,2,愚かなるも、変る所なしと見ゆる。されば、女の髪
103,上,6,表,3,すぢを縒(よ)れる綱(つな)には、大象(だいざう)もよく繋(つな)がれ、女の
104,上,6,表,4,はける足駄(あしだ)にて作れる笛には、秋の鹿必
105,上,6,表,5,ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒(いまし)めて、
106,上,6,表,6,恐るべく、慎むべきは、この惑(まど)ひなり。▼第十段
107,上,6,表,7,家居(いへゐ)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の
108,上,6,表,8,宿りとは思へど、興(きよう)あるものなれ。よき人の、のどや
109,上,6,表,9,かに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きは
110,上,6,表,10,しみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きらゝか
111,上,6,裏,1,ならねど、木立(こだち)もの古(ふ)りて、わざとならねども
112,上,6,裏,2,庭の草も心(こころ)あるさまに、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)のたより
113,上,6,裏,3,をかしく、〔うちある〕調度(てうど)も昔覚えてやすらかなるこそ、
114,上,6,裏,4,心(こころ)にくしと見ゆれ。多くの工(たくみ)の、心(こころ)を尽(つく)
115,上,6,裏,5,してみがきたて、唐(から)の、大和(やまと)の、めづらしく、
116,上,6,裏,6,えならぬ調度ども並べ置き、前栽(せんざい)の草木ま
117,上,6,裏,7,で心(こころ)のままならず作りなせるは、見る目も苦し
118,上,6,裏,8,く、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。又(また)、時の
119,上,6,裏,9,間(ま)の烟(けぶり)ともなりなんとぞ、うち見るより思
120,上,6,裏,10,はるゝ。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはから
121,上,7,表,1,るれ。後徳大寺大臣(ごとくだいじのおとど)の、寝殿(しんでん)に、鳶(とび)ゐさせじ
122,上,7,表,2,とて綱(つな)を張られたりけるを、西行が見て、「鳶
123,上,7,表,3,のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心(みこころ)
124,上,7,表,4,さばかりにこそ」とて、その後(のち)〔は〕参らざりけると聞き
125,上,7,表,5,侍るに、綾小路宮(あやのこうぢのみや)の、おはします小坂(こさか)殿の棟(むね)に、
126,上,7,表,6,いつぞや綱(つな)を引かれたりしかば、かの例(ためし)思ひ
127,上,7,表,7,出でられ侍りしに、「まことや、鳥(とり)の群れゐて池
128,上,7,表,8,の蛙をとりければ、御覧(ごらん)じかなしませ給ひて
129,上,7,表,9,なん」と人の語りしこそ、さてはいみじくとこそ
130,上,7,表,10,覚えしか。後徳大寺にも、いかなる故(ゆゑ)か侍りけん。▼第十一段
131,上,7,裏,1,神無月(かみなづき)のころ、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里に
132,上,7,裏,2,尋ね入(い)る事侍りしに、遥かなる苔(こけ)の細道を踏み分け
133,上,7,裏,3,て、心(こころ)ぼそく住みなしたる庵(いほり)あり。木の葉に埋(うづ)もれ
134,上,7,裏,4,たる懸樋(かけひ)の雫(しづく)ならで、つゆおとなふものなし。閼
135,上,7,裏,5,伽棚(あかだな)に菊・紅葉(もみぢ)など折り散らしたるは、さすがに、
136,上,7,裏,6,住む人のあればなるべし。かくてもあられける
137,上,7,裏,7,よとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子(かうじ)の木
138,上,7,裏,8,の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲
139,上,7,裏,9,ひたりしこそ、少しことさめて、この木な
140,上,7,裏,10,からましかばと覚えしか。▼第十二段
141,上,8,表,1,同じ心(こころ)ならん人としめやかに物語して、を
142,上,8,表,2,かしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰(なぐさ)
143,上,8,表,3,まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじ
144,上,8,表,4,けれど、つゆ違(たが)はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとり
145,上,8,表,5,ある心地(ここち)やせん。たがひに言はんほどの事をば、「げに」と
146,上,8,表,6,聞くかひあるものから、いさゝか違(たが)ふ所もあらん人こそ、
147,上,8,表,7,「我はさやは思ふ」など争ひ憎(にく)み、「さるから、さぞ」ともうち
148,上,8,表,8,語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、
149,上,8,表,9,少し、かこつ方(かた)も我と等しからざらん人は、
150,上,8,表,10,大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめ
151,上,8,裏,1,やかの心(こころ)の友には、はるかに隔(へだ)たる所のありぬべ
152,上,8,裏,2,きぞ、わびしきや。▼第十三段
153,上,8,裏,3,ひとり、燈(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ
154,上,8,裏,4,世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
155,上,8,裏,5,文は、文選(もんぜん)のあはれなる巻々(まきまき)、白氏文集(はくしのもんじふ)、老子(らうし)のことば、
156,上,8,裏,6,南華(なんくわ)の篇(へん)。この国の博士(はかせ)どもの書ける物も、いに
157,上,8,裏,7,しへのは、あはれなることのみ多かり。▼第十四段
158,上,8,裏,8,和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山が
159,上,8,裏,9,つのしわざも、言ひ出(い)でつればおもしろく、おそろし
160,上,8,裏,10,き猪(ゐのしし)も、「ふす猪(ゐ)の床(とこ)」と言へば、やさしくなりぬ。
161,上,9,表,1,この比(ごろ)の歌は、一ふしをかしく言ひかなへりと見
162,上,9,表,2,ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことば
163,上,9,表,3,の外(ほか)に、あはれに、けしき覚ゆるはなし。貫之(つらゆき)が、「糸
164,上,9,表,4,による物ならなくに」といへるは、古今集(こきんしふ)の中の歌
165,上,9,表,5,屑(うたくづ)とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬ
166,上,9,表,6,べきことがらとは見えず。その比の歌には、姿・ことば、この
167,上,9,表,7,たぐひのみ多し。この歌に限りてかく言ひ
168,上,9,表,8,たてられたるも、知り難(がた)し。源氏物語に
169,上,9,表,9,は、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ
170,上,9,表,10,峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まこと
171,上,9,裏,1,に、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。され
172,上,9,裏,2,ば、この歌も、衆議判(しゆぎはん)の時、よろしきよし沙汰(さた)ありて、
173,上,9,裏,3,後にも、ことさらに感じ、仰(おほ)せ下されけるよし、家長(いへなが)が
174,上,9,裏,4,日記には書けり。歌の道のみいにしへに変らぬなど
175,上,9,裏,5,いふ事もあれど、いさや。今も詠(よ)みあへる同じ詞(ことば)・
176,上,9,裏,6,歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、
177,上,9,裏,7,やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深
178,上,9,裏,8,く見ゆ。梁塵秘抄(りやうじんひせう)の郢曲(えいきよく)の言葉こそ、又(また)、あはれなる
179,上,9,裏,9,事は多かんめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨て
180,上,9,裏,10,たることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。▼第十五段
181,上,10,表,1,いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる
182,上,10,表,2,心地(ここち)すれ。そのわたり、こゝ・かしこ見ありき、ゐなか
183,上,10,表,3,びたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多
184,上,10,表,4,かめる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの〔事〕、
185,上,10,表,5,便宜(びんぎ)に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。さやう
186,上,10,表,6,の所にてこそ、万(よろづ)に心(こころ)づかひせられ。持てる調度(てうど)
187,上,10,表,7,までも、よきはよく、能(のう)ある人、かたちよき人も、常
188,上,10,表,8,よりはをかしとこそ見ゆれ。寺・社(やしろ)などに忍びて
189,上,10,表,9,籠(こも)りたるもをかし。▼第十六段
190,上,10,表,10,神楽(かぐら)こそ、なまめかしく、おもしろけれ。おほかた、もの
191,上,10,裏,1,の音(ね)には、笛・篳篥(ひちりき)。常に聞きたきは、琵琶(びは)・和琴(わごん)。▼第十七段
192,上,10,裏,2,山寺にかきこもりて、仏に仕(つか)うまつるこそ、つれづれも
193,上,10,裏,3,なく、心(こころ)の濁りも清まる心(こころ)地すれ。▼第十八段
194,上,10,裏,4,人は、己(おの)れをつゞまやかにし、奢(おご)りを退(しりぞ)けて、
195,上,10,裏,5,財(たから)を持たず、世を掘(ほ)らざらんぞ、いみじかるべき。昔
196,上,10,裏,6,より、賢き人の富めるは稀(まれ)なり。唐土(もろこし)
197,上,10,裏,7,に許由(きよいう)といひつる人は、さらに、身にしたがへる貯(たくは)へ
198,上,10,裏,8,もなくて、水をも手して捧(ささ)げて飲みけるを見て、
199,上,10,裏,9,なりひさこといふ物を人の得させたりければ、
200,上,10,裏,10,ある時、木の枝(えだ)に懸(か)けたりけるに、風に吹かれて
201,上,11,表,1,鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。又(また)、手に
202,上,11,表,2,掬(むす)びてぞ水も飲みける。いかばかり、心(こころ)のうちの
203,上,11,表,3,涼しかりけん。孫晨(そんしん)は、冬月に衾(ふすま)なくて、
204,上,11,表,4,藁(わら)一束(ひとつか)ありけるを、夕べにはこれに臥(ふ)して、朝(あした)には
205,上,11,表,5,収(をさ)めけり。唐土の人は、これをいみじと思へ
206,上,11,表,6,ばこそ、記(しる)し止(とど)めて世にも伝へけめ、これ
207,上,11,表,7,らの人は、語りも伝ふべからず。▼第十九段
208,上,11,表,8,折節(をりふし)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。「ものの
209,上,11,表,9,あはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それも
210,上,11,表,10,さるものにて、今一きは心(こころ)も浮き立つものは、春の
211,上,11,裏,1,けしきにこそ〔あんめれ〕。鳥の声などもことの外(ほか)に春め
212,上,11,裏,2,きて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)の草萌(も)え出(い)づるころより、
213,上,11,裏,3,やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしき
214,上,11,裏,4,だつほどこそあれ、折(をり)しも、雨風(あまかぜ)うちつづきて、心(こころ)
215,上,11,裏,5,あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、
216,上,11,裏,6,万(よろず)に、ただ、心(こころ)をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばな)
217,上,11,裏,7,は名にこそ負(お)へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古(いにしへ)の
218,上,11,裏,8,事も、立ちかへり恋(こひ)しう思ひ出でらるゝ。山吹(やまぶき)の
219,上,11,裏,9,清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、
220,上,11,裏,10,思ひ捨てがたきこと多し。「灌仏(くわんぶつ)の比(ころ)、祭(まつり)の
221,上,12,表,1,比(ころ)、若葉の、梢(こずゑ)涼しげに茂りゆくほどこそ、世の
222,上,12,表,2,あはれさも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられ
223,上,12,表,3,しこそ、げにさるものなれ。五月(さつき)、菖蒲(あやめ)ふく比、早
224,上,12,表,4,苗(さなへ)とる比、水鶏(くひな)の叩(たた)くなど、心(こころ)ぼそからぬかは。六
225,上,12,表,5,月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔(ゆうがほ)の白く見えて、
226,上,12,表,6,蚊遣火(かやりび)ふすぶるも、あはれなり。六月祓(みなづきばらへ)、又(また)をかし。
227,上,12,表,7,七夕(たなばた)祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(よさむ)に
228,上,12,表,8,なるほど、雁(かり)鳴きてくる比、萩(はぎ)の下葉(したば)色づく
229,上,12,表,9,ほど、早稲田(わさだ)刈り干すなど、とり集めたる事は、秋
230,上,12,表,10,のみぞ多かる。又(また)、野分(のわき)の朝(あした)こそをかしけれ。言ひ
231,上,12,裏,1,つゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと
232,上,12,裏,2,古(ふ)りにたれど、同じ事、又(また)、いまさらに言はじとにもあ
233,上,12,裏,3,らず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、
234,上,12,裏,4,筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かき
235,上,12,裏,5,破(や)り捨(す)つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。さ
236,上,12,裏,6,て、冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣(おと)るまじ
237,上,12,裏,7,けれ。汀(みぎは)の草に紅葉(もみぢ)の散り止(とどま)りて、霜
238,上,12,裏,8,いと[* 底本:いた]白うおける朝(あした)、遣水(やりみづ)より烟(けぶり)の
239,上,12,裏,9,立つこそをかしけれ。年の暮れ果(は)てて、人ごとに
240,上,12,裏,10,急ぎあへるころぞ、又(また)なくあはれなる。すさまじき
241,上,13,表,1,ものにて見る人もなき月の寒けく澄める、廿
242,上,13,表,2,日(はつか)余りの空こそ、心(こころ)ぼそきものなれ。御仏名(おぶつみやう)、荷
243,上,13,表,3,前(のさき)の使(つかひ)立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事(くじ)
244,上,13,表,4,ども繁(しげ)く、春の急ぎにとり重ねて催(もよほ)
245,上,13,表,5,し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺(つゐな)より四
246,上,13,表,6,方拝(しほうはい)に続くこそ面白(おもしろ)けれ。晦日(つごもり)の夜(よ)、い
247,上,13,表,7,たう闇(くら)きに、松〔ども〕ともして、夜半(よなか)過ぐるまで、人の、
248,上,13,表,8,門(かど)叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことこと
249,上,13,表,9,しくのゝしりて、足を空に惑(まど)ふる、暁(あかつき)
250,上,13,表,10,がたより、さすが音なくなりぬるこそ、年の名残も
251,上,13,裏,1,心(こころ)ぼそけれ。亡(な)き人のくる夜とて魂(たま)祭るわざ
252,上,13,裏,2,は、このごろ都にはなきを、東(あづま)のかたには、なほする事
253,上,13,裏,3,にてありしこそ、あはれなりしか。かくて明けゆく空の
254,上,13,裏,4,けしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひき
255,上,13,裏,5,かへめづらしき心地(ここち)ぞする。大路(おほち)のさま、松立て
256,上,13,裏,6,わたして、はなやかにうれしげなるこそ、又(また)あはれ
257,上,13,裏,7,なれ。▼第二十段
258,上,13,裏,8,某(なにがし)とかやいひし世捨人(よすてびと)の、「この世のほだし
259,上,13,裏,9,持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」
260,上,13,裏,10,と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。▼第二十一段
261,上,14,表,1,万(よろづ)のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。
262,上,14,表,2,ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひし
263,上,14,表,3,に、又(また)ひとり、「露(つゆ)こそあはれなれ」と争ひし
264,上,14,表,4,こそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざら
265,上,14,表,5,ん。月・花はさらなり、風のみこそ、人に心(こころ)はつくめれ。
266,上,14,表,6,岩に砕けて清く流るゝ水のけし
267,上,14,表,7,きこそ、時をも分かずめでたけれ)。「■(げん)・湘(しやう)、日夜(にちや)、東(ひんがし)
268,上,14,表,8,流れ去る。愁人(しうじん)のために止まることしばらく時もせず」
269,上,14,表,9,といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。■
270,上,14,表,10,康(けいかう)も、「山沢(さんたく)に遊びて、魚鳥(ぎよてう)を見れば、心(こころ)楽し
271,上,14,裏,1,ぶ」と言へり。人遠く、水草(みづくさ)清き所にさまよひ
272,上,14,裏,2,ありきたるばかり、心(こころ)慰む〔こと〕はあらじ。▼第二十二段
273,上,14,裏,3,何事も、古き世のみぞ慕(した)はしき。今様(いまやう)は、
274,上,14,裏,4,無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。かの木(き)の
275,上,14,裏,5,道の匠(たくみ)の造れる、うつくしき器物(うつはもの)も、
276,上,14,裏,6,古代の姿こそをかしと見ゆれ。文(ふみ)の詞(ことば)などぞ、
277,上,14,裏,7,昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口
278,上,14,裏,8,をしうこそなりもてゆくなれ。古(いにしへ)は、「車もた
279,上,14,裏,9,げよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様(いまやう)の人は、
280,上,14,裏,10,「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮(とのもれう)の人数立(にんじゆだ)
281,上,15,表,1,て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝
282,上,15,表,2,講(さいしやうかう)の御聴聞所(みちやうもんじよ)なるをば「御講(ごかう)の廬(ろ)」とこそ言ふを、
283,上,15,表,3,「講廬(かうろ)」と言ふ。いと口をしとぞ、古き人は仰せ
284,上,15,表,4,られし。▼第二十三段
285,上,15,表,5,衰(おとろ)へたる末(すゑ)の世とはいへど、なほ、九重(ここのへ)の神(かみ)さび
286,上,15,表,6,たる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。露
287,上,15,表,7,台(ろだい)・朝餉(あさがれひ)・南殿(なんでん)・何門(なにもん)などは、いみじとも聞ゆべし。
288,上,15,表,8,あやしの所にもありぬべき小蔀(こじとみ)・小板敷(こいたじき)・高遣
289,上,15,表,9,戸(たかやりど)なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣(ぢん)に夜(よ)の設(まうけ)
290,上,15,表,10,せよ」など言ふこそいみじけれ。夜の御殿(おとど)のをば、「かい
291,上,15,裏,1,ともしとうよ」など言ふ、又(また)めでたし。上卿(しやうけい)の、陣
292,上,15,裏,2,にて事、行(おこな)へるさまはさらなり、諸司(しよし)の下人(しもうど)
293,上,15,裏,3,どもの、したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒
294,上,15,裏,4,き夜もすがら、こゝ・かしこに睡(ねぶ)り居たるこそをか
295,上,15,裏,5,しけれ。「内侍所(ないしどころ)の御鈴(みすず)の音は、めでたく、優(いう)なるもの
296,上,15,裏,6,なり」とぞ、徳大寺(とくだいじ)の太政大臣(おほきおとど)は仰(おほ)せられける。▼第二十四段
297,上,15,裏,7,斎宮(さいぐう)の、野宮(ののみや)におはしますありさまこそ、やさ
298,上,15,裏,8,しく、面白き事の限りとは覚えしか。
299,上,15,裏,9,「経(きやう)」「仏(ほとけ)」など忌(い)みて、「なかご」「染紙(そめがみ)」など言ふなるもをか
300,上,15,裏,10,し。すべて、神の社(やしろ)こそ、捨て難く、なまめかしき
301,上,16,表,1,ものなれや。もの古(ふ)りたる森のけしきもたゞならぬ
302,上,16,表,2,に、玉垣(たまがき)しわたして、榊(さかき)に木綿(ゆふ)懸(か)けたるなど、
303,上,16,表,3,いみじからぬかは。殊(こと)にをかしきは、
304,上,16,表,4,伊勢・賀茂(かも)・春日(かすが)・平野・住吉(すみよし)・三輪(みわ)・
305,上,16,表,5,貴布禰(きぶね)・吉田・大原野(おほはらの)・松尾(まつのを)・梅宮(うめのみや)。▼第二十五段
306,上,16,表,6,飛鳥川(あすかがは)の淵瀬(ふちせ)常(つね)ならぬ世にしあれば、時移り、
307,上,16,表,7,事去り、楽しび、悲しみ行きかひて、はなやか
308,上,16,表,8,なりしあたりも人住まぬ野(の)らとなり、〔変らぬ〕住(すみ)し
309,上,16,表,9,人は、改(あらた)まりぬ。桃李(たうり)もの言はねば、誰(たれ)とともに
310,上,16,表,10,昔を語らん。〔まして、〕見ぬ古(いにしへ)のやんごとなかりけん
311,上,16,裏,1,跡のみぞ、いとはかなき。京極殿(きやうごくどの)・法成寺(ほふじやうじ)など見るこそ、
312,上,16,裏,2,志(こころざし)留まり、事変じにけるさまはあ
313,上,16,裏,3,はれなれ。御堂(みだう)殿の作り磨(みが)かせ給ひて、庄
314,上,16,裏,4,園(しやうゑん)多く寄せられ、我(わ)が御族(おほんぞう)のみ、御門(みかど)の御後
315,上,16,裏,5,見(おほんうしろみ)、世の固めにて、行末(ゆくすゑ)までとおぼしおきし
316,上,16,裏,6,時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼし
317,上,16,裏,7,てんや。大門(だいもん)・金堂(こんだう)などは近くまでありしかど、正和(しやうわ)
318,上,16,裏,8,の比(ころ)、南の門(もん)は焼けぬ。金堂は、その後、倒(たふ)れ伏し
319,上,16,裏,9,たるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿
320,上,16,裏,10,院(むりやうじゆゐん)ばかりぞ、その形(かた)とて残りたる。丈六(ぢやうろく)の仏、九体(くたい)、
321,上,17,表,1,いと尊(たふと)くて並びおはします。行成(かうぜいの)大納言の
322,上,17,表,2,額(がく)、兼行(かねゆき)が書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞ
323,上,17,表,3,あはれなる。法華堂(ほつけだう)なども、未(いま)だ侍るめり。これも
324,上,17,表,4,又(また)、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所
325,上,17,表,5,々は、おのづから、〔あやしき〕礎(いしずゑ)ばかり残るもあ
326,上,17,表,6,れど、さだかに知れる人もなし。されば、万に、
327,上,17,表,7,見ざらん世までを思ひ掟(おき)てんこそ、はかなかる
328,上,17,表,8,べけれ。▼第二十六段
329,上,17,表,9,風も吹きあへずうつろふ、人の心(こころ)の花に、馴れにし
330,上,17,表,10,年月(としつき)を思へば、あはれと聞きし言(こと)の葉(は)ごとに忘れ
331,上,17,裏,1,ぬものから、我が世の外(ほか)になりゆくならひこそ、亡(な)き
332,上,17,裏,2,人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
333,上,17,裏,3,されば、白き糸の染(そ)まんことを悲しび、路(みち)のちまたの
334,上,17,裏,4,分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川
335,上,17,裏,5,院(ほりかはのゐん)の百首の歌の中に、
336,上,17,裏,6,昔見し妹(いも)が墻根(かきね)は荒れにけりつななまじりの
337,上,17,裏,7,菫(すみれ)のみしてさびしきけしき、さる事
338,上,17,裏,8,侍りけん。▼第二十七段
339,上,17,裏,9,御国譲(みくにゆづ)りの節会(せちゑ)行はれて、剣・璽(じ)・内侍所(ないいしどころ)
340,上,17,裏,10,渡し奉らるるほどこそ、限りなう心(こころ)ぼそけれ。
341,上,18,表,1,新院(しんゐん)の、おりゐさせ給ひての春、詠(よ)ませ給ひける
342,上,18,表,2,とかや。
343,上,18,表,3,殿守(とのもり)のとものみやつこよそにして掃(はら)はぬ
344,上,18,表,4,庭に花ぞ散りしく今の世のこと繁(しげ)きに
345,上,18,表,5,まぎれて、院には参る人もなきぞさびしげ
346,上,18,表,6,なる。かゝる折(をり)にぞ、人の心(こころ)もあらはれぬべき。▼第二十八段
347,上,18,表,7,諒闇(りやうあん)の年ばかり、あはれなることはあらじ。倚廬(いろ)の
348,上,18,表,8,御所(ごしよ)のさまなど、板敷(いたじき)を下げ、葦(あし)の御簾(みす)を
349,上,18,表,9,掛けて、〔布の帽額(もかう)あらあらしく、〕御調度(みてうど)も〔おろそかに、〕いとあらあらしく皆人(みなひと)の装
350,上,18,表,10,束(しやうぞく)・太刀(たち)・平緒(ひらお)まで、異様(ことやう)なるぞゆゆしき。▼第二十九段
351,上,18,裏,1,静かに思へば、万(よろづ)に、過ぎにしかたの恋しさのみ
352,上,18,裏,2,ぞせんかたなき。人静まりて後、長き夜の
353,上,18,裏,3,すさびに、何となき具足とりしたゝめ、残し置かじ
354,上,18,裏,4,と思ひ、反古(ほうご)など破(や)り棄(す)つる中に、亡き人の手
355,上,18,裏,5,習(てなら)ひ、絵かきすさびたる、見出(い)でたるこそ、たゞ、その
356,上,18,裏,6,折(をり)の心地(ここち)すれ。このごろある人の文(ふみ)だに、久しく
357,上,18,裏,7,なりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれ
358,上,18,裏,8,なるぞかし。手馴(てな)れし具足なども、心(こころ)も
359,上,18,裏,9,なくて、変らず、久しき、いとかなし。▼第三十段
360,上,18,裏,10,人の亡き跡(あと)ばかり、悲しきはなし。中陰(ちゆういん)のほど、山
361,上,19,表,1,里などに移ろひて、便(びん)あしく、狭(せば)き所にあ
362,上,19,表,2,またあひ居(ゐ)て、後のわざども営(いとな)み合へる、
363,上,19,表,3,心(こころ)あわたゝし。日数(ひかず)の速く過ぐるほどに、もの
364,上,19,表,4,にぞ似ぬ。果(は)ての日は、いと情(なさけ)なう、たがひに
365,上,19,表,5,言ふ事もなく、我賢(かしこ)げに物ひきしたゝ
366,上,19,表,6,め、ちりぢりに行(ゆ)きあかれぬ。もとの住みかに立ち
367,上,19,表,7,帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしか
368,上,19,表,8,のことは、あなかしこ、跡のため忌(い)むなることぞ」など
369,上,19,表,9,言へるこそ、かばかりの中に何かは、人の心(こころ)はなほうたて
370,上,19,表,10,覚ゆれ。年月経(としつきへ)ても、つゆ忘るゝにはあらねど、
371,上,19,裏,1,去る者は日々に疎(うと)しと言へることなれば、さはいへど、
372,上,19,裏,2,その際(きは)ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、
373,上,19,裏,3,うちも笑ひぬ。骸(から)は気(け)うとき山の中にをさめて、
374,上,19,裏,4,さるべき日ばかり詣(まう)でつゝ見れば、ほどなく、卒
375,上,19,裏,5,都婆(そとば)も苔(こけ)むし、木の葉降(ふ)り埋(うづ)みて、夕べの嵐、夜
376,上,19,裏,6,の月〔のみ〕ぞ、こととふよすがなりける。思ひ出でて偲(しの)ぶ〔人あらん〕
377,上,19,裏,7,ほどこそあらめ、そも又(また)ほどなく失(う)せて、聞き伝ふるばかり
378,上,19,裏,8,の末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも
379,上,19,裏,9,絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々(としどし)
380,上,19,裏,10,の春の草のみぞ、心(こころ)あらん人はあはれと見るべきを、
381,上,20,表,1,果ては、嵐に咽(むせ)びし松も千年(ちとせ)を待たで薪(たきぎ)に
382,上,20,表,2,摧(くだ)かれ、古き墳(つか)は犂(す)かれて田となりぬ。その形(かた)
383,上,20,表,3,だになくなりぬるぞ悲しき。▼第三十一段
384,上,20,表,4,雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべ
385,上,20,表,5,き事ありて、文(ふみ)をやるとて、雪のこと何とも言はざり
386,上,20,表,6,し返事(かへりこと)に、「この雪いかゞ見ると一筆(ひとふで)のせたまはぬ
387,上,20,表,7,ほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ事、聞き入(い)るべき
388,上,20,表,8,かは。返(かへ)す返(がへ)す口をしき御心(みこころ)なり」と言ひたり
389,上,20,表,9,しこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかり
390,上,20,表,10,のことも忘れがたし。▼第三十二段
391,上,20,裏,1,九月廿日(ながつきはつか)の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで
392,上,20,裏,2,月見ありく事侍りしに、思(おぼ)し出(い)づる所ありて、案
393,上,20,裏,3,内せさせて、入(い)り給ひぬ。荒れたる庭の露しげき
394,上,20,裏,4,に、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫(かを)りて、〔忍びたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて〕出(い)で
395,上,20,裏,5,給ひぬれど、なほ、事ざまの優(いう)に覚えて、物の隠
396,上,20,裏,6,れよりしばし見ゐたるに、妻戸(つまど)をいま少
397,上,20,裏,7,し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけ
398,上,20,裏,8,こもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人
399,上,20,裏,9,ありとは、いかでか知らん。かやうの事、ただ、朝夕(あさゆふ)の心(こころ)
400,上,20,裏,10,づかひによるべし。その人、ほどなく失(う)せにけりと聞き
401,上,21,表,1,侍りし。▼第三十三段
402,上,21,表,2,今の内裏(だいり)作り出(いだ)されて、有職(いうしよく)の人々に見せ
403,上,21,表,3,られけるに、いづくも難(なん)なしとて、既(すで)に遷幸(せんかう)の
404,上,21,表,4,日近く成りけるに、玄輝門院(げんきもんゐん)御覧じて、「閑
405,上,21,表,5,院殿(かんゐんどの)の櫛形(くしがた)の穴は、丸(まろ)く、縁もなくてぞ
406,上,21,表,6,ありし」と仰せられける、いみじかりける。これは、葉(えふ)の
407,上,21,表,7,入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりに成り
408,上,21,表,8,て、なほされにけり。▼第三十四段
409,上,21,表,9,甲香(かひかう)は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの
410,上,21,表,10,細長にして〔さし〕出でたる貝の蓋なり。武蔵国
411,上,21,裏,1,金沢(かねさは)といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと
412,上,21,裏,2,申し侍る」とぞ言ひし。▼第三十五段
413,上,21,裏,3,手のわろき人の、はばからず、文(ふみ)書き散(ち)らすは、よし。
414,上,21,裏,4,見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。▼第三十六段
415,上,21,裏,5,「久しくおとづれぬ比(ころ)、いかばかり恨(うら)むらんと、我が
416,上,21,裏,6,怠(おこた)り思ひ知られて、詞(ことば)なき心地(ここち)する
417,上,21,裏,7,に、女の方(かた)より、『仕丁(じちやう)やある。ひとり』など言ひおこ
418,上,21,裏,8,せたるこそ、ありがたく、うれしけれ。さる心(こころ)ざま
419,上,21,裏,9,したる人ぞよき」と人の申し侍(はんべ)りし、さもあるべき
420,上,21,裏,10,事なり。▼第三十七段
421,上,22,表,1,朝夕(あさゆふ)、隔(へだ)てなく馴れたる人の、ともある時、我に心(こころ)
422,上,22,表,2,おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更(いまさら)、かく
423,上,22,表,3,やは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにし
424,上,22,表,4,く、よき人かなと覚ゆる。疎(うと)き人の、うちとけ
425,上,22,表,5,たる事など言ひたる、又(また)、よしと思ひつきぬべ
426,上,22,表,6,し。▼第三十八段
427,上,22,表,7,名利(みやうり)に使はれて、閑(しづ)かなる暇(いとま)なく、一生を苦
428,上,22,表,8,しむるこそ、愚かなれ。財(たから)多ければ、身を守る
429,上,22,表,9,にまどし。害を賈(か)ひ、累(わづらひ)ひを招く媒(なかだち)
430,上,22,表,10,なり。身の後には、金(こがね)をして北斗(ほくと)を支(ささ)ふとも、人
431,上,22,裏,1,のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよ
432,上,22,裏,2,ろこばしむるたのみ、又(また)あぢきなし。大きなる車、肥
433,上,22,裏,3,えたる馬、金玉(きんぎよく)の飾りも、心(こころ)あらん人は、うたて、愚
434,上,22,裏,4,かなりとぞ見るべき。金(こがね)は山に棄(す)て、玉(たま)は淵(ふち)に
435,上,22,裏,5,投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
436,上,22,裏,6,埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほ
437,上,22,裏,7,しかるべけれ。位(くらゐ)高く、やんごとなき。人をし
438,上,22,裏,8,も、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたな
439,上,22,裏,9,き人も、家に生れ、時に逢(あ)へば、高き位に昇
440,上,22,裏,10,り、奢(おごり)を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、
441,上,23,表,1,まづしく賎しくて〔位に居り、時に逢はずして〕やみぬる、又(また)多し。偏(ひとへ)
442,上,23,表,2,に高き〔官(つかさ)・〕位を望むも、次に愚かなり。智恵
443,上,23,表,3,と心(こころ)とこそ、世にすぐれたる誉(ほまれ)も残さまほしきを、
444,上,23,表,4,つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、
445,上,23,表,5,誉(ほ)むる人、毀(そし)る人、共に世に止(とど)まらず。伝へて
446,上,23,表,6,聞かん人、又々(またまた)すみやかに去るべし。誰(たれ)をか恥(は)ぢ、誰にか
447,上,23,表,7,知られん事を願はん。誉は又(また)毀りの本(もと)なり。
448,上,23,表,8,身の後(のち)の名、残りて、さらに益(えき)なし。これを願ふも、次に
449,上,23,表,9,愚かなり。但(ただ)し、強(し)ひて智(ち)を求め、賢(けん)を願ふ人
450,上,23,表,10,のために言はば、智恵(ちえ)出でては偽(いつは)りあり。才能(さいのう)は煩
451,上,23,裏,1,悩(ぼんなう)の増長(ぞうちやう)せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの
452,上,23,裏,2,智にあらず。いかなるをか智といふべき。可(か)・不可(ふか)は一条(いちでう)
453,上,23,裏,3,なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、
454,上,23,裏,4,徳もなく、功(こう)もなく、名もなし。誰か知り、誰か
455,上,23,裏,5,伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。
456,上,23,裏,6,本(もと)より、賢愚(けんぐ)・得失(とくしつ)の境(さかひ)にをらざればなり。
457,上,23,裏,7,迷ひの心(こころ)をもちて名利の要(えう)を求むるに、
458,上,23,裏,8,かくの如し。万事は皆(みな)非(ひ)なり。言ふに足らず、
459,上,23,裏,9,願ふに足らず。▼第三十九段
460,上,23,裏,10,或(ある)人(ひと)、法然(ほふねん)上人に、「念仏の時、睡(ねぶり)にをかされて、行(ぎやう)
461,上,24,表,1,怠り侍る事、いかゞして、この障(さは)りを止(や)め侍らん」と
462,上,24,表,2,申しければ、「目の醒(さ)めたらんほど、念仏し給へ」と答へ
463,上,24,表,3,られたりける、いと尊(たふと)かりけり。又(また)、「往生(わうじやう)は、一定(いちじやう)
464,上,24,表,4,と思へば一定、不定(ふじやう)と思へば不定なり」と言はれ
465,上,24,表,5,けり。これも尊し。又(また)、「疑ひながらも、念仏す
466,上,24,表,6,れば、往生す」とも言はれたり。これも又(また)尊し。▼第四十段
467,上,24,表,7,因幡国(いなばのくに)に、何(なに)の入道(にふだう)とかやいふ者の娘、かた
468,上,24,表,8,ちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、
469,上,24,表,9,この娘、たゞ、栗(くり)をのみ食ひて、更に、米(よね)の類(たぐひ)
470,上,24,表,10,を食はざりければ、「かゝる異様(ことやう)の者、人に
471,上,24,裏,1,見ゆべきにあらず」とて、親許(ゆる)さざりけり。▼第四十一段
472,上,24,裏,2,五月五日(さつきいつか)、賀茂(かも)の競(くら)べ馬を見侍りしに、車の前
473,上,24,裏,3,に雑人(ざふにん)立ち隔(へだ)てて見えざりしかば、おのおの
474,上,24,裏,4,下(お)りて、埒(らち)のきはに寄りたれど、殊(こと)に人多
475,上,24,裏,5,く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。かかる
476,上,24,裏,6,折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の、登り
477,上,24,裏,7,て、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、
478,上,24,裏,8,いたう睡(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目を醒(さ)ます事、
479,上,24,裏,9,度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、
480,上,24,裏,10,「世のしれ物かな。かく危(あやふ)き枝の上にて、安
481,上,25,表,1,き心(こころ)ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心(こころ)に
482,上,25,表,2,ふと思ひしまゝに、「我等が生死(しやうじ)の到来、ただ今に
483,上,25,表,3,もやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚か
484,上,25,表,4,なる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる
485,上,25,表,5,人ども、「まことにさにこそ候(さうら)ひけれ。尤(もつと)も愚かに候ふ」と
486,上,25,表,6,言ひて、皆、後を見返りて、「こゝに入らせ給へ」とて、
487,上,25,表,7,所を去りて、呼び入れ侍りにき。かほどの理(ことわり)、誰
488,上,25,表,8,かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひか
489,上,25,表,9,けぬ心地(ここち)して、胸に当りけるにや。人、木石(ぼくせき)
490,上,25,表,10,ならねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあら
491,上,25,裏,1,ず。▼第四十二段
492,上,25,裏,2,唐橋中将(からはしのちゆうじやう)といふ人の子に、行雅僧都(ぎやうがのそうづ)とて、
493,上,25,裏,3,教相(けうさう)の人の師(し)する僧ありけり。気(け)の上る病
494,上,25,裏,4,ありて、年のやうやう闌(た)くる程に、鼻の中
495,上,25,裏,5,ふさがりて、息も出で難(がた)かりければ、さまざま
496,上,25,裏,6,つくろひけれども、わづらはしくなりて、目・眉・
497,上,25,裏,7,額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物
498,上,25,裏,8,も見えず、二の舞(まひ)の面(おもて)のやうに見えけるが、
499,上,25,裏,9,たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂(いただき)
500,上,25,裏,10,の方(かた)につき、額のほど鼻になりなどして、
501,上,26,表,1,後(のち)は、坊(ぼう)の内の人にも見えず籠(こも)りゐて、年
502,上,26,表,2,久しくありて、なほわづらはしくなりて、死にに
503,上,26,表,3,けり。かゝる病もある事にこそありけれ。▼第四十三段
504,上,26,表,4,春の暮つかた、のどやかに艶(えん)なる空に、賎(いや)し
505,上,26,表,5,からぬ家の、奥深く、木立(こだち)もの古(ふ)りて、庭に
506,上,26,表,6,散り萎(しを)れたる花、見過(みすぐ)しがたきを、さし入(い)り
507,上,26,表,7,て見れば、南面(みなみおもて)の格子皆おろしてさび
508,上,26,表,8,しげなるに、東(ひがし)に向きて妻戸(つまど)のよきほどに
509,上,26,表,9,あきたる、御簾(みす)の破れより見れば、かたち清(きよ)
510,上,26,表,10,げなる男の、年廿(はたち)ばかりにて、うちとけた
511,上,26,裏,1,れど、心(こころ)にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に文(ふみ)
512,上,26,裏,2,をくりひろげて見ゐたり。いかなる人なりけん、
513,上,26,裏,3,尋ね聞かまほし。▼第四十四段
514,上,26,裏,4,あやしの竹の編戸(あみど)の内より、いと若き
515,上,26,裏,5,男(をとこ)の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる
516,上,26,裏,6,狩衣(かりぎぬ)に濃き指貫(さしぬき)、いとゆゑづきたるさまにて、
517,上,26,裏,7,さゝやかなる童(わらは)ひとりを具(ぐ)して、遥(はるか)かなる田
518,上,26,裏,8,の中の細道を、稲葉(いなば)の露にそぼちつゝ分け
519,上,26,裏,9,行くほどに、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと
520,上,26,裏,10,聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん方知
521,上,27,表,1,らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止(や)み
522,上,27,表,2,て、山のきはに惣門(そうもん)ある内に入(い)りぬ。榻(しぢ)に立てたる
523,上,27,表,3,車の見ゆるも、都よりは目止(とま)る心地(ここち)して、下
524,上,27,表,4,人(しもうど)に問へば、「しかしかの宮のおはします比にて、
525,上,27,表,5,御仏事(ごぶつじ)など候ふにや」と言ふ。御堂(みだう)の方(かた)に法
526,上,27,表,6,師ども参りたり。夜寒(よさむ)の風に誘はれ
527,上,27,表,7,くるそらだきものの匂ひも、身に沁(し)む心地(ここち)
528,上,27,表,8,す。寝殿より御堂の廊(らう)に通ふ女房の追
529,上,27,表,9,風用意(おひかぜようい)など、人目なき山里ともいはず、〔心(こころ)遣(づか)ひしたり。〕心(こころ)の
530,上,27,表,10,まゝに茂れる秋の野(の)らは、置き余る露に
531,上,27,裏,1,埋もれて、虫の音(ね)かごとがましく、遣水(やりみづ)の音
532,上,27,裏,2,のどやかなり。都の空よりは雲の往来(ゆきき)も速
533,上,27,裏,3,き心地(ここち)して、月の晴(は)れ曇(くも)る事定め
534,上,27,裏,4,難し。▼第四十五段
535,上,27,裏,5,公世(きんよ)の二位のせうとに、良覚僧正(りやうがくそうじやう)と聞えし
536,上,27,裏,6,は、極めて腹あしき人なりけり。坊(ぼう)の傍(かたはら)
537,上,27,裏,7,に、大きなる榎(えのき)のありければ、人、「榎(えのき)の僧正」と
538,上,27,裏,8,言ひける。この名然(しか)るべからずとて、かの木を伐(き)られに
539,上,27,裏,9,けり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひ
540,上,27,裏,10,けり。いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨て
541,上,28,表,1,たり。その跡大きなる堀にてありければ、「堀(ほりいけの)池僧正」
542,上,28,表,2,とぞ言ひける。▼第四十六段
543,上,28,表,3,柳原(やなぎはら)の辺(へん)に、強盗(ごうだうの)法印と号(かう)する僧ありけり。
544,上,28,表,4,度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけける
545,上,28,表,5,とぞ。▼第四十七段
546,上,28,表,6,或(ある)人(ひと)、清水(きよみづ)へ参りけるに、老いたる尼の行き連れ
547,上,28,表,7,たりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行き
548,上,28,表,8,ければ、「尼御前(あまごぜ)、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれ
549,上,28,表,9,ども、応(いら)へもせず、なほ言ひ止(や)まざりけるを、度々
550,上,28,表,10,問はれて、うち腹立ちて「やゝ。鼻(はな)ひたる時、
551,上,28,裏,1,かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養
552,上,28,裏,2,君(やしなひぎみ)の、比叡山(ひえのやま)に児(ちご)にておはしますが、たゞ今
553,上,28,裏,3,もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」
554,上,28,裏,4,と言ひけり。有り難き志(こころざし)なりけん
555,上,28,裏,5,かし。▼第四十八段
556,上,28,裏,6,光親卿(みちつかのきやう)、院の最勝講奉行(さいしようかうぶぎよう)してさぶらひけるを、御
557,上,28,裏,7,前(おんまへ)へ召されて、供御(くご)を出だされて食はせら
558,上,28,裏,8,れけり。さて、食ひ散らしたる衝重(ついがさね)を御簾(みす)の
559,上,28,裏,9,内(うち)へさし入れて、罷(まか)り出でにけり。女房、「あな汚(きた)
560,上,28,裏,10,な。誰にとれとてか」など申し合(あ)はれければ、「有
561,上,29,表,1,職(いうしよく)の振舞、やんごとなき事なり」と、返
562,上,29,表,2,々(かへすがえす)感ぜさせ給ひけるとぞ。▼第四十九段
563,上,29,表,3,老来(おいきた)りて、始めて道を行(ぎやう)ぜんと待つことな
564,上,29,表,4,かれ。古き塚(つか)は、多くはこれ少年(せうねん)の人なり。
565,上,29,表,5,はからざるに病を受けて、忽(たちま)ちにこの世を
566,上,29,表,6,去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方(かた)の誤(あやま)
567,上,29,表,7,れる事は知らるれ。誤りといふは、他(た)
568,上,29,表,8,の事にあらず、速(すみや)かにすつべき事を〔緩(ゆる)くし、緩くすべき事を〕急
569,上,29,表,9,がで、過ぎにし事の悔(くや)しきなり。その時
570,上,29,表,10,悔(く)ゆとも、かひあらんや。人は、たゞ、無常の、身に
571,上,29,裏,1,迫りぬる事を心(こころ)にひしとかけて、束の
572,上,29,裏,2,間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁(にご)
573,上,29,裏,3,りも薄く、仏道を勤(つと)むる心(こころ)もまめや
574,上,29,裏,4,かならざらん。「昔ありける聖(ひじり)は、人来りて自
575,上,29,裏,5,他(じた)の要事(えうじ)を言ふ時、答へて云はく、「今、火急(くわきふ)
576,上,29,裏,6,の事ありて、既(すで)に朝夕(てうせき)に逼(せま)れり」とて、耳
577,上,29,裏,7,をふたぎて念仏して、つひに往生(わうじやう)を遂(と)げたり」と、
578,上,29,裏,8,禅林(ぜんりん)の十因(じふいん)に侍り。心戒(しんかい)といひける聖は、余り
579,上,29,裏,9,に、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについ
580,上,29,裏,10,ゐることだになく、常はうづくまりてのみぞ
581,上,30,表,1,ありける。▼第五十段
582,上,30,表,2,応長(おうちやう)の比、伊勢国(いせのくに)より、女の鬼に成りたるをゐて
583,上,30,表,3,上(のぼ)りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごと
584,上,30,表,4,に、京(きやう)・白川(しらかは)の人、鬼見(おにみ)にとて出(い)で惑(まど)ふ。「昨日は西
585,上,30,表,5,園寺(さいをんじ)に参(まゐ)りたりし」、「今日は院(ゐん)へ参るべし」、「たゞ今
586,上,30,表,6,はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人も
587,上,30,表,7,なく、虚言(そらごと)と云う人もなし。上下(じやうげ)、ただ鬼の事のみ
588,上,30,表,8,言ひ止(や)まず。その比、東山(ひがしやま)より安居院辺(あぐゐへん)へ罷(まか)り侍りし
589,上,30,表,9,に、四条(しでう)よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条
590,上,30,表,10,室町(むろまち)に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川(いまでがは)の辺(へん)より
591,上,30,裏,1,見やれば、院の御桟敷(おんさじき)のあたり、更に通り得べう
592,上,30,裏,2,もあらず、立ちこみたり。はやく、跡なき事には
593,上,30,裏,3,あらざんめりとて、人を遣(や)りて見するに、おほかた、逢(あ)へる者
594,上,30,裏,4,なし。暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果(はて)は闘諍(とうじやう)
595,上,30,裏,5,起りて、あさましきことどもありけり。その比、おしなべて、
596,上,30,裏,6,二三日(ふつかみか)、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼の
597,上,30,裏,7,虚言(そらごと)は、このしるしを示すなりけりと言ふ
598,上,30,裏,8,人も侍りし。▼第五十一段
599,上,30,裏,9,亀山殿(かめやまどの)の池(いけ)に大井川の水をまかせられんと
600,上,30,裏,10,て、大井の土民(どみん)に仰せて、水車(みづぐるま)を作らせられ
601,上,31,表,1,けり。多くの銭(あし)をたまはりて、数日(すじつ)に営み
602,上,31,表,2,出だして、掛けたりけるに、大方廻(おほかためぐ)らざりけ
603,上,31,表,3,れば、とかく直しけれども、終(つひ)に廻らで、いた
604,上,31,表,4,づらに立てりけり。さて、宇治の里人(さとびと)を召して、
605,上,31,表,5,こしらへさせられければ、やすらかに結(ゆ)ひて参ら
606,上,31,表,6,せたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入る
607,上,31,表,7,ゝ事めでたかりけり。万に、その道を
608,上,31,表,8,知れる者は、やんごとなきものなり。▼第五十二段
609,上,31,表,9,仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで石清水(いはしみづ)を拝(をが)
610,上,31,表,10,まざりければ、心(こころ)うく覚えて、ある時思ひ立ち
611,上,31,裏,1,て、たゞひとり、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺・高良(かうら)
612,上,31,裏,2,などを見て、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かた
613,上,31,裏,3,への人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。
614,上,31,裏,4,聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そ
615,上,31,裏,5,も、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かあり
616,上,31,裏,6,けん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほんい)なれと
617,上,31,裏,7,思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。少しの
618,上,31,裏,8,ことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり。▼第五十三段
619,上,31,裏,9,これも仁和寺の法師、童(わらは)の法師にならんとする
620,上,31,裏,10,名残(なごり)とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔(ゑ)ひて
621,上,32,表,1,興(きよう)に入る余りに、傍(かたはら)なる足鼎(あしがなへ)を取りて、
622,上,32,表,2,頭(かしら)に被(かづ)きたれば、詰(つま)るやうにするを、鼻をおし
623,上,32,表,3,平(ひら)めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座(まんざ)
624,上,32,表,4,興(きよう)に入る事限りなし。しばしかなでて後、抜かん
625,上,32,表,5,とするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞは
626,上,32,表,6,せんと惑(まど)ひけり。とかくすれば、頚(くび)の廻(まは)り欠
627,上,32,表,7,けて、血垂(た)り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつま
628,上,32,表,8,りければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響
629,上,32,表,9,きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやう
630,上,32,表,10,なくて、三足(みつあし)なる角の上に帷子(かたびら)をうち掛けて、
631,上,32,裏,1,手をひき、杖をつかせて、京なる医師(くすし)のがり
632,上,32,裏,2,率(ゐ)て行(ゆ)きけり、道すがら、人の怪しみ見る事
633,上,32,裏,3,限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひ
634,上,32,裏,4,ゐたりけんありさまこそ異様(ことやう)なりけめ。物を
635,上,32,裏,5,言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝる
636,上,32,裏,6,ことは、文(ふみ)にも見えず、伝へたる教へもなし」と
637,上,32,裏,7,言へば、又(また)、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母(はわ)
638,上,32,裏,8,など、枕上(がみ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞く
639,上,32,裏,9,らんとも覚えず。かゝるほどに、ある者の言ふやう、
640,上,32,裏,10,「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりは
641,上,33,表,1,などか生きざらん。たゞ、力を立てて引き〔に引き〕給へ」とて、藁(わら)
642,上,33,表,2,のしべを廻りにさし入れ、かねを隔てて、頚もち
643,上,33,表,3,ぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜
644,上,33,表,4,けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐた
645,上,33,表,5,りけり。▼第五十四段
646,上,33,表,6,御室(おむろ)にいみじき児(ちご)のありけるを、いかで誘ひ出(いだ)
647,上,33,表,7,して遊ばんと企(たく)む法師どもありて、能(のう)ある
648,上,33,表,8,あそび法師どもなどかたらひて、風流の破子(わりご)や
649,上,33,表,9,うの物、懇(ねんごろ)にいとなみ出でて、箱風情(はこふぜい)の物に
650,上,33,表,10,したゝめ入れ、双(ならび)の岡の便(びん)よき所に埋(うづ)み置き
651,上,33,裏,1,て、紅葉(もみぢ)散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、
652,上,33,裏,2,御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。うれ
653,上,33,裏,3,しと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる
654,上,33,裏,4,苔(こけ)のむしろに並(な)み居て、「いたうこそ困(こう)じにた
655,上,33,裏,5,れ」、「あはれ、紅葉(もみじ)を焼(た)かん人もがな」、「験(げん)あらん僧
656,上,33,裏,6,達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋み
657,上,33,裏,7,つる木(こ)の下(もと)に向きて、数珠(じゆず)おし摩(す)り、印(いん)こと
658,上,33,裏,8,ことしく結びなど、いらなくふるまひて、木の
659,上,33,裏,9,葉をかきのけたれど、つやつや物見えず。所
660,上,33,裏,10,の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあ
661,上,34,表,1,されども、なかりけり。埋(うづ)みける人を見置きて、
662,上,34,表,2,御所へ参りたる間に盗めるなりけり。法師
663,上,34,表,3,ども、言(こと)の葉なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立ち
664,上,34,表,4,て帰りけり。あまりに興(きよう)あらんとする事は、必ず
665,上,34,表,5,あいなきものなり。▼第五十五段
666,上,34,表,6,家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いか
667,上,34,表,7,なる所にも住まる。暑(あつ)き比(ころ)わろき住居(すまひ)は、堪へ
668,上,34,表,8,難き事なり。深き水は、涼(すず)しき気なし。
669,上,34,表,9,浅くて流れたる、遥(はる)かに涼し。〔細かなる〕物を見る
670,上,34,表,10,に、遣戸(やりど)は、蔀(しとみ)の間より明し。天井の高きは、
671,上,34,裏,1,冬寒く、燈(ともしび)暗し。造作(ざうさく)は、用なき所を
672,上,34,裏,2,作りたる、見たるも面白く、万(よろづ)の用にも
673,上,34,裏,3,立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。▼第五十六段
674,上,34,裏,4,久しく隔(へだた)りて逢ひたる人の、我が方にあり
675,上,34,裏,5,つる事、数々に残りなく語り続くるこそ、
676,上,34,裏,6,あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程(ほど)経て見
677,上,34,裏,7,るは、恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち
678,上,34,裏,8,出でても、興(きよう)ありつる事とて、息も継ぎあへず語
679,上,34,裏,9,り興(きよう)ずるぞかし。よき人の物語するは、人あ
680,上,34,裏,10,またあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も
681,上,35,表,1,聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまた
682,上,35,表,2,の中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、
683,上,35,表,3,皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をか
684,上,35,表,4,しき事を言ひてもいたく興(きよう)ぜぬと、興(きよう)なき事
685,上,35,表,5,を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計(はか)られ
686,上,35,表,6,ぬべき。人の身ざまのよし・あし、才(ざえ)ある人はその事と
687,上,35,表,7,定め合へるに、己(おの)が身をひきかけて言ひ出(い)でたる、
688,上,35,表,8,いとわびし。▼第五十七段
689,上,35,表,9,人の語り出でたる歌物語の、歌のわろき
690,上,35,表,10,こそ、本意(ほい)なけれ。少しその道知らん人は、いみじと
691,上,35,裏,1,思ひては語らじ。すべて、いとも知らぬ道の物語
692,上,35,裏,2,したる、かたはらいたく、聞きにくし。▼第五十八段
693,上,35,裏,3,「道心(だうしん)あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に
694,上,35,裏,4,交はるとも、後世(ごせ)を願はんに難かるべきかは」と言ふ
695,上,35,裏,5,は、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、
696,上,35,裏,6,必ず、生死を出でんと思はんに、何の興(きよう)ありて
697,上,35,裏,7,か、朝夕君(あさゆうきみ)に仕へ、家を顧(かへり)みる営みのいまさら
698,上,35,裏,8,あらん。心(こころ)は縁(えん)にひかれて移るものなれば、閑(しづ)か
699,上,35,裏,9,ならでは、道は行(ぎやう)じ難し。その器(うつはもの)、昔の人に
700,上,35,裏,10,及ばず、山林に入りても、餓(うゑ)を助け、嵐を防(ふせ)
701,上,36,表,1,くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、
702,上,36,表,2,世を貪(むさぼ)るに似たる事も、たよりにふれば、など
703,上,36,表,3,かなからん。さればとて、「背(そむ)けるかひなし。さばかりならば、
704,上,36,表,4,なじかは捨てし」など言はんは、無下(むげ)の事なり。さす
705,上,36,表,5,がに、一度(ひとたび)、道に入りて世を厭(いと)はん人、たとひ望(のぞみ)あり
706,上,36,表,6,とも、勢(いきほひ)ある人の貪欲(とんよく)多きに似るべからず。
707,上,36,表,7,紙の衾(ふすま)、麻の衣(ころも)、一鉢(ひとはち)のまうけ、藜(あかぎ)の羹(あつもの)、
708,上,36,表,8,いくばくか人の費(つひ)えをなさん。求むる所は
709,上,36,表,9,やすく、その心(こころ)はやく足りぬべし。かたちに恥づる
710,上,36,表,10,所もあれば、〔さはいへど、〕悪には疎く、善には近づく事のみ
711,上,36,裏,1,ぞ多き。人と生れたらんしるしには、いかにもし
712,上,36,裏,2,て世を遁(のが)れんことこそ、あらまほしけれ。偏(ひと)へに貪
713,上,36,裏,3,る事をつとめて、菩提(ぼだい)に趣(おもむ)かざらんは、万の
714,上,36,裏,4,畜類に変る所あるまじくや。▼第五十九段
715,上,36,裏,5,大事(だいじ)を思ひ立たん人は、去り難く、心(こころ)にかゝらん事
716,上,36,裏,6,の本意(ほんい)を遂げずして、さながらすべきなり。「しばし。
717,上,36,裏,7,この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰(さた)しおきて」、
718,上,36,裏,8,「しかしかの事、人の嘲(あざけり)りやあらん。行末難(ゆくすゑなん)
719,上,36,裏,9,なくしたゝめまうけて」、「年来(としごろ)もあればこそあれ、
720,上,36,裏,10,その事待たん、程あらじ。物騒(さわ)がしからぬやう
721,上,37,表,1,に」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、
722,上,37,表,2,事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。
723,上,37,表,3,おほやう、人を見るに、少し心(こころ)あるきはは、皆、この
724,上,37,表,4,あらましにてぞ一期(いちご)は過ぐめる。近き火などに逃ぐ
725,上,37,表,5,る人は、「しばし」とかや言ふ。身を助けんとすれば、
726,上,37,表,6,恥(はぢ)をも顧みず、財(たから)をも捨てて遁(のが)れ去るぞかし。
727,上,37,表,7,命は人を待つものかは。無常の来る事は、水火(すゐくわ)
728,上,37,表,8,の攻むるよりも速(すみや)かに、遁れ難きものを、
729,上,37,表,9,その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情(なさけ)、
730,上,37,表,10,捨て難しとて捨てざらんや。▼第六十段
731,上,37,裏,1,真乗院(しんじようゐん)に、盛親僧都(じやうしんそうづ)とて、やんごとなき智者
732,上,37,裏,2,ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多
733,上,37,裏,3,く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢(はち)にうづ
734,上,37,裏,4,たかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひながら、
735,上,37,裏,5,文をも読みけり。患(わづら)ふ事あるには、七日(なぬか)・二七日(ふたなぬか)
736,上,37,裏,6,など、療治(れうぢ)とて籠り居て、思ふやうに、よき
737,上,37,裏,7,芋頭を選びて、ことに多く食ひて、万
738,上,37,裏,8,の病を癒しけり。人に食はする事なし。
739,上,37,裏,9,たゞひとりのみぞ食ひける。極めて貧しかり
740,上,37,裏,10,けるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊(ぼう)ひとつ
741,上,38,表,1,とを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこ
742,上,38,表,2,れ三万疋(びき)を芋頭の銭(あし)と定めて、京
743,上,38,表,3,なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、
744,上,38,表,4,芋頭を乏(とも)しからず召しけるほどに、又(また)、他
745,上,38,表,5,用(ことよう)に用ふることなくて、その銭(あし)皆に成りて
746,上,38,表,6,けり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、
747,上,38,表,7,かく計(はか)らひける、まことに有り難き道心者(じや)な
748,上,38,表,8,り」とぞ、人申しける。この僧都、或(ある)法師を見て、し
749,上,38,表,9,ろうるりといふ名をつけたりける。「とは何物ぞ」
750,上,38,表,10,と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若し
751,上,38,裏,1,あらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。
752,上,38,裏,2,この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書(のうじよ)・学
753,上,38,裏,3,匠(がくしよう)・辯舌(べんぜつ)、人にすぐれて、宗の法燈(ほふとう)なれば、寺
754,上,38,裏,4,中(じちゆう)に重く思はれたりけれども、世を軽(かろ)
755,上,38,裏,5,く思ひたる曲者(くせもの)にて、万自由(じいう)にて、
756,上,38,裏,6,大方、人に従ふといふ事なし。出仕(しゆつし)して
757,上,38,裏,7,饗膳(きやうぜん)などにつく時も、皆人の前据(す)ゑわたすを
758,上,38,裏,8,待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち
759,上,38,裏,9,食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行き
760,上,38,裏,10,けり。斎(とき)・非時(ひじ)も、人に等しく定めて食はず。我が
761,上,39,表,1,食ひたき時、夜中にも暁(あかつき)にも食ひて、睡(ねぶ)
762,上,39,表,2,たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あ
763,上,39,表,3,れども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜(いくよ)も
764,上,39,表,4,寝(ね)ず、心(こころ)を澄(す)ましてうそぶきありきなど、尋常(よのつね)
765,上,39,表,5,ならぬさまなれども、人に厭(いと)はれず、万許
766,上,39,表,6,されけり。徳の至れりけるにや。▼第六十一段
767,上,39,表,7,御産(ごさん)の時、甑(こしき)落す事は、定まれる事にあらず。
768,上,39,表,8,御胞衣(おんえな)とゞこほらせ給ふ時のまじなひなり。とゞこ
769,上,39,表,9,ほらせ給はねば、この事なし。下ざまより事起りて、させる本
770,上,39,表,10,説(ほんぜつ)なし。大原の里の甑を召すなり。古き
771,上,39,裏,1,宝蔵(ほうざう)の絵に、賎(いや)しき人の子産みたる所に、甑
772,上,39,裏,2,落したるを書きたり。▼第六十二段
773,上,39,裏,3,延政門院(えんせいもんゐん)、いとけなくおはしましける時、院へ参る
774,上,39,裏,4,人に、御言(おんこと)つて〔とて〕申させ給ひける御歌、
775,上,39,裏,5,ふたつ文字(もじ)、牛の角(つの)文字、直(す)ぐな文字、歪(ゆが)み文字
776,上,39,裏,6,とぞ君は覚(おぼ)ゆる恋しく思ひ参らせ給ふと
777,上,39,裏,7,なり。▼第六十三段
778,上,39,裏,8,後七日(ごしちにち)の阿闍梨(あざり)、武者(むしや)を集むる事、いつとかや、盗人(ぬすびと)
779,上,39,裏,9,にあひにけるより、宿直人(とのゐびと)とて、かくことことしく
780,上,39,裏,10,なりにけり。一年(ひととせ)の相(さう)は、この修中(しゆぢゆう)のありさまにこそ
781,上,40,表,1,見ゆなれ、兵(つはもの)を用ゐん事、穏かならぬことなり。▼第六十四段
782,上,40,表,2,「車の五緒(いつつを)は、必ず人によらず、程につけて、極(きは)
783,上,40,表,3,むる官(つかさ)・位(くらゐ)に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或
784,上,40,表,4,人仰せられし。▼第六十五段
785,上,40,表,5,この比(ごろ)の冠(かむり)は、昔よりははるかに高くなりたる
786,上,40,表,6,なり。古代の冠桶(かむりをけ)を持ちたる人は、はたを継(つ)ぎて、
787,上,40,表,7,今用(もち)ゆるなり。▼第六十六段
788,上,40,表,8,岡本関白殿(をかもとのくわんぱくどの)、〔盛りなる〕紅梅(こうばい)の枝に、鳥一双(いつそう)を添(そ)へて、この枝
789,上,40,表,9,に付けて参らすべきよし、御鷹飼(おんたかがひ)、下毛野武
790,上,40,表,10,勝(しもつけののたけかつ)に仰せられ〔たり〕けるに、「花に鳥付くる術(すべ)、知り候はず。
791,上,40,裏,1,一枝(ひとえだ)に二つ付くる事も、存(ぞん)じ候はず」と申しければ、〔膳部(ぜんぶ)に尋ねられ、〕人々に
792,上,40,裏,2,問はせ給ひて、又(また)、武勝に、「さらば、己(おの)れが思はんやう
793,上,40,裏,3,に付けて参らせよ」と仰せられたりければ、花もな
794,上,40,裏,4,き梅の枝に、一つを付けて参らせけり。武勝が申し
795,上,40,裏,5,侍りしは、「柴の〔枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。五葉(ごえふ)などにも付く。〕枝の長さ七尺(しちしやく)、或(あるひ)は六尺(ろくしやく)、返(かへ)し刀五分(がたなごぶ)に切る。
796,上,40,裏,6,枝の半(なかば)に鳥を付く。踏まする枝、付くる枝あり。しゞら藤
797,上,40,裏,7,の割らぬにて、二所(ふたところ)付くべし。藤の先は、ひうち羽(ば)の長(たけ)
798,上,40,裏,8,に比べて切りて、牛の角のやうに撓(たわ)むべし。
799,上,40,裏,9,初雪の朝(あした)、枝を肩にかけて、中門(ちゆうもん)より振舞
800,上,40,裏,10,ひて参る。大砌(おほみぎり)の石を伝ひて、雪に跡をつけ
801,上,41,表,1,ず、あまおほひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御
802,上,41,表,2,所の高欄(かうらん)に寄せ掛く。禄(ろく)を出ださるれば、肩に掛けて、
803,上,41,表,3,拝(はい)して退(しりぞ)く。初雪といへども、沓(くつ)のはなの隠れぬほど
804,上,41,表,4,の雪には、参らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹は
805,上,41,表,5,よわ腰を取る事なれば、御鷹(おんたか)の取りたるよしなる
806,上,41,表,6,べし」と申しき。花に鳥付けずとは、いかなる故にありけん。
807,上,41,表,7,長月(ながづき)ばかりに、梅の作り枝に雉(きじ)を付けて、「君がために
808,上,41,表,8,折る花は時しも分(わ)かぬ」と言へる事、伊勢物語に見え
809,上,41,表,9,たり。造り花は苦しからぬにや。▼第六十七段
810,上,41,表,10,賀茂(かも)の岩本(いはもと)・橋本(はしもと)は、業平(なりひら)・実方(さねかた)なり。人の
811,上,41,裏,1,常に言ひ粉(まが)へ侍れば、一年(ひととせ)参りたりしに、老い
812,上,41,裏,2,たる宮司(みやづかさ)の過ぎしを呼び止(とど)めて、尋(たず)ね侍りしに、「実
813,上,41,裏,3,方は、御手洗(みたらし)に影の映りたる所と侍れば、橋本や、
814,上,41,裏,4,なほ水の近ければと覚え侍る。吉水(よしみづ)の和尚(くわしやう)、
815,上,41,裏,5,月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人は
816,上,41,裏,6,こゝにありはらと詠み給ひけるは、岩本の社(やしろ)ぞと承(うけたまは)り
817,上,41,裏,7,置き侍れど、己(おの)れらよりは、なかなか、御存知などもこ
818,上,41,裏,8,そ候はめ」と、いとやうやうしく言ひたりしこそ、
819,上,41,裏,9,いみじく覚えしか。今出川院近衛(いまでがはゐんのこのゑ)とて、集(しふ)どもに
820,上,41,裏,10,あまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠み
821,上,42,表,1,て、かの二つの社の御前(みまへ)の水にて書きて、手向(たむ)けられ
822,上,42,表,2,けり。まことにやんごとなき誉(ほまれ)れありて、人の口にある
823,上,42,表,3,歌多し。作文(さくもん)・詞序(しじよ)など、いみじく書く人なり。▼第六十八段
824,上,42,表,4,筑紫(つくし)に、なにがしの押領使(あふりやうし)などいふやうなる者の
825,上,42,表,5,ありけるが、土大根(つちおほね)を万にいみじき薬とて、
826,上,42,表,6,朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久(ひさ)しく
827,上,42,表,7,なりぬ。或時(あるとき)、館(たち)の内に人もなかりける隙(ひま)をはかりて、
828,上,42,表,8,敵襲(かたきおそ)ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵(つはもの)二人
829,上,42,表,9,出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してんげり。
830,上,42,表,10,いと不思議に覚えて、「日比(ひごろ)こゝにものし給ふとも見
831,上,42,裏,1,ぬ人々の、かく戦ひ給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、
832,上,42,裏,2,「年来(としごろ)頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」
833,上,42,裏,3,と言ひて、失(う)せにけり。深く信(しん)を致(いた)しぬれば、かゝる徳
834,上,42,裏,4,もありけるにこそ。▼第六十九段
835,上,42,裏,5,書写(しよしや)の上人(しやうにん)は、法華読誦(ほつけどくじゆ)の功(こう)積りて、六根
836,上,42,裏,6,浄(ろくこんじやう)にかなへる人なりけり。旅の仮屋(かりや)に立ち入られけ
837,上,42,裏,7,るに、豆の殻を焚(た)きて豆を煮ける音のつぶつぶ
838,上,42,裏,8,と鳴るを聞きければ、「疎(うと)からぬ己れらしも、恨めし
839,上,42,裏,9,く、我をばいりて、辛(から)き目を見するものかな」と言ひ
840,上,42,裏,10,けり。焚(た)く豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心(こころ)より
841,上,43,表,1,することか。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力
842,上,43,表,2,なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞え
843,上,43,表,3,ける。▼第七十段
844,上,43,表,4,元応(げんおう)の清暑堂(せいしよだう)の御遊(ぎよいう)に、玄上(げんじやう)は失せにし比、菊亭
845,上,43,表,5,大臣(きくていのおとど)、牧馬(ぼくば)を弾(たん)じ給ひけるに、座に著(つ)きて、先(ま)づ
846,上,43,表,6,柱(ぢゆう)を探られ〔たり〕ければ、一つ落ちにけり。御懐(おんふところ)に
847,上,43,表,7,そくひを持ち給へるにて付けられにければ、神供(じんぐ)の
848,上,43,表,8,参る程によく干(ひ)て、事故(ことゆゑ)なかりけり。いかなる意
849,上,43,表,9,趣(いしゆ)かありけん。物見ける衣被(きぬかづき)の、寄りて、放
850,上,43,表,10,ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。▼第七十一段
851,上,43,裏,1,名を聞くより、やがて、面影(おもかげ)は推(お)し測(はか)らるゝ心地(ここち)
852,上,43,裏,2,するを、見る時は、又(また)、かねて思へるまゝの顔したる人
853,上,43,裏,3,こそなけれ、昔物語(むかしものがたり)を聞きても、この比(ごろ)の人の
854,上,43,裏,4,家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、〔今〕見る〔人の〕中に
855,上,43,裏,5,思ひよそへらるゝ、誰もかく覚ゆるにや。又(また)、如何なる折
856,上,43,裏,6,ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心(こころ)の中(うち)
857,上,43,裏,7,も、かゝる事のいつぞやありしはと覚えて、いつとは思ひ
858,上,43,裏,8,出でねども、まさしくありし心地(ここち)のするは、我ばかりかく
859,上,43,裏,9,思ふにや。▼第七十二段
860,上,43,裏,10,賤(いや)しげなる物、居(ゐ)たるあたりに調度(てうど)の多
861,上,44,表,1,き。硯(すずり)に筆の多き。持仏堂(じぶつだう)に仏の多
862,上,44,表,2,き。前栽(せんざい)に〔石・〕草木の多き。家の内に子孫(こうまご)の多
863,上,44,表,3,き。人にあひて詞(ことば)の多き。願文(ぐわんもん)に作善(さぜん)多く書き
864,上,44,表,4,載せたる。多くて見苦しからぬもの、文車(ふぐるま)の文(ふみ)。塵
865,上,44,表,5,塚(ちりづか)の塵。▼第七十三段
866,上,44,表,6,世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多く
867,上,44,表,7,は皆虚言(そらごと)なり。あるにも過ぎて人は物を言ひなす
868,上,44,表,8,に、まして、年月(としつき)過ぎ、境(さかひ)も隔(へだた)りぬれば、言ひ
869,上,44,表,9,たきまゝに語りなして、筆にも書き止(とど)めぬれば、
870,上,44,表,10,やがて定まりぬ。道々の物の上手(じやうず)のいみじき
871,上,44,裏,1,事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の
872,上,44,裏,2,如くに言へども、道知れる人は、さらに、信をも起さず。音
873,上,44,裏,3,に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。かつ
874,上,44,裏,4,あらはるゝをも顧(かへり)みず、口に任(まか)せて言ひ散らす
875,上,44,裏,5,は、やがて、浮きたることと聞(きこ)ゆ。又(また)、我もまこと
876,上,44,裏,6,しからずは思ひながら、人の言ひしまゝに、鼻の
877,上,44,裏,7,ほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。
878,上,44,裏,8,げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよ
879,上,44,裏,9,しして、さりながら、つまづま合はせて語る
880,上,44,裏,10,虚言は、恐しき事なり。我がため面目
881,上,45,表,1,あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず。
882,上,45,表,2,皆人の興(きよう)ずる虚言は、ひとり、「さもなかりしものを」
883,上,45,表,3,と言はんも詮(せん)なくて聞きゐたる程に、証人にさへ
884,上,45,表,4,なされて、いとゞ定まりぬべし。とにもかくにも、虚
885,上,45,表,5,言多き世なり。たゞ、常にある、珍らしからぬ
886,上,45,表,6,事のまゝに心得たらん、万違ふべからず。
887,上,45,表,7,下(しも)ざまの人の物語するは、耳驚く事
888,上,45,表,8,のみあり。よき人は怪しき事を語らず。
889,上,45,表,9,かくは言へど、仏神(ぶつじん)の奇特(きどく)、権者(ごんじや)の伝記、さのみ信
890,上,45,表,10,ぜざるべきにもあらず。これは、世俗(せぞく)の虚言を懇(ねんごろ)に
891,上,45,裏,1,信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも
892,上,45,裏,2,詮なければ、大方は、まことしくあひしらひて、偏(ひとへ)
893,上,45,裏,3,に信ぜず、又(また)、疑ひ嘲るべからず〔となり〕。▼第七十四段
894,上,45,裏,4,蟻(あり)の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北
895,上,45,裏,5,に走(わし)る人、貴(たふと)きあり、賤(いや)しきあり。老いたるあり、
896,上,45,裏,6,若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕(ゆふべ)に寝(い)ねて、
897,上,45,裏,7,朝(あした)に起く。いとなむ所何事ぞ。生を貪(むさぼり)
898,上,45,裏,8,り、利を求めて、止む時なし。身を養ひて、何
899,上,45,裏,9,事をか待つ。期(ご)する処(ところ)、たゞ、老と死とにあり。その来
900,上,45,裏,10,る事速かにして、念々(ねんねん)の間に止まらず。これを
901,上,46,表,1,待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを
902,上,46,表,2,恐れず。名利(みやうり)に溺(おぼ)れて、先途(せんど)の近き事を
903,上,46,表,3,顧みねばなり。愚かなる人は、又(また)、これを悲しぶ。
904,上,46,表,4,常住(じやうぢゆう)ならんことを思ひて、変化(へんげ)の理(ことはり)を
905,上,46,表,5,知らねばなり。▼第七十五段
906,上,46,表,6,つれづれわぶる人は、いかなる心(こころ)ならん。まぎるゝ方
907,上,46,表,7,なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。世に従へば、
908,上,46,表,8,心(こころ)、外(ほか)の塵(ちり)に奪はれて惑(まど)ひ易く、人に交
909,上,46,表,9,れば、言葉、よその聞きに随(したが)ひて、さながら、心(こころ)にあ
910,上,46,表,10,らず。人に戯(たはぶ)れ、物に争ひて、一度(ひとたび)は恨み、
911,上,46,裏,1,一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別(ふんべつ)みだ
912,上,46,裏,2,りに起りて、得失(とくしつ)止む時なし。惑(まど)ひの上に酔(ゑ)へり。
913,上,46,裏,3,酔ひの中に夢をなす。走(わし)りて急がはしく、ほれて
914,上,46,裏,4,忘れたる事、人皆かくの如し。未(いま)だ、まことの道を知
915,上,46,裏,5,らずとも、縁(えん)を離れて身を閑かにし、事にあづからず
916,上,46,裏,6,して心(こころ)を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべ
917,上,46,裏,7,けれ。「生活・人事(にんじ)・伎能(ぎのう)・学問等の諸縁(しよえん)を止めよ」と
918,上,46,裏,8,こそ、摩訶止観(まかしくわん)にも侍れ。▼第七十六段
919,上,46,裏,9,世の覚え花(はな)やかなるあたりに、嘆きも喜び
920,上,46,裏,10,もありて、人多く行きとぶらふ中に、聖法
921,上,47,表,1,師(ひじりぼうし)の交じりて、言ひ入れ、たゝずみたるこそ、さらずともと
922,上,47,表,2,見ゆれ。さるべき故ありとも、法師は人にうとくて
923,上,47,表,3,ありなん。▼第七十七段
924,上,47,表,4,世中(よのなか)に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる
925,上,47,表,5,事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り
926,上,47,表,6,聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほと
927,上,47,表,7,りなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が事と尋ね聞き、
928,上,47,表,8,いかでかばかり知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。▼第七十八段
929,上,47,表,9,今様(いまやう)の事どもの珍しきを、言ひ広め、もて
930,上,47,表,10,なすこそ、又(また)うけられね。世にこと古りたるまで知ら
931,上,47,裏,1,ぬ人は、心(こころ)にくし。いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひ
932,上,47,裏,2,つけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片端(かたはし)
933,上,47,裏,3,言ひ交し、目見合(めみあ)はせ、笑ひなどして、心(こころ)知らぬ
934,上,47,裏,4,人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ず
935,上,47,裏,5,ある事なり。▼第七十九段
936,上,47,裏,6,何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる
937,上,47,裏,7,事とて、さのみしたり顔にやは言ふ。片田舎(かたゐなか)よ
938,上,47,裏,8,りさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよし
939,上,47,裏,9,のさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたも
940,上,47,裏,10,あれど、自らもいみじと思へる気色、かたくな
941,上,48,表,1,なり。よくわきまへたる道には、必ず口重
942,上,48,表,2,く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。▼第八十段
943,上,48,表,3,人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法
944,上,48,表,4,師は、兵(つはもの)の道を立て、夷(えびす)は、弓ひく術(すべ)知らず、〔仏法(ぶつぽふ)知りたる気色(きそく)し、〕連
945,上,48,表,5,歌(れんが)し、管絃(くわんげん)を嗜(たしな)み合へり。されど、おろかなる己(おの)
946,上,48,表,6,れが道よりは、なほ、人に思ひ侮(あなづ)られぬべし。
947,上,48,表,7,法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)・上(かみ)ざままで、
948,上,48,表,8,おしなべて、武(ぶ)を好む人多かり。百度(ももたび)戦
949,上,48,表,9,ひて百度勝つとも、未(いま)だ、武勇(ぶゆう)の名を定め
950,上,48,表,10,難し。その故は、運に乗じて敵を砕く時、勇者
951,上,48,裏,1,にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮(きはま)りて、つひ
952,上,48,裏,2,に敵に降(くだ)らず、死をやすくして〔後(のち)、〕初めて名を
953,上,48,裏,3,顕(あら)はすべき道なり。生けらんほどは、武に誇(ほこ)るべ
954,上,48,裏,4,からず。人倫(じんりん)に遠く、禽獣(きんじう)に近き振舞(ふるまひ)、その
955,上,48,裏,5,家にあらずは、好みて益(やく)なきことなり。▼第八十一段
956,上,48,裏,6,屏風(びやうぶ)・障子(しやうじ)などの、絵も文字もかたくななる筆
957,上,48,裏,7,様(ふでやう)して書きたるが、見にくきよりも、宿(やど)の主(あるじ)の
958,上,48,裏,8,つたなく覚ゆるなり。大方、持てる調度(てうど)にても、心(こころ)
959,上,48,裏,9,劣りせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を
960,上,48,裏,10,持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品(しな)なく、み[* 「み」衍字]
961,上,49,表,1,見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なき
962,上,49,表,2,ことどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。古
963,上,49,表,3,めかしきやうにて、いたくことことしからず、つひえ
964,上,49,表,4,もなくて、物がらのよきがよきなり。▼第八十二段
965,上,49,表,5,「羅(うすもの)の表紙(へうし)は、疾(と)く損ずるがわびしき」と人
966,上,49,表,6,の言ひしに、頓阿(とんな)が、「羅は上下(かみしも)はつれ、螺鈿(らでん)の
967,上,49,表,7,軸(ぢく)は貝落ちて後(のち)こそ、いみじけれ」と申し侍りしこ
968,上,49,表,8,そ、心(こころ)まさりて覚えしか。一部もある草子・巻
969,上,49,表,9,物などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へば、
970,上,49,表,10,弘融(こうゆう)僧都(そうづ)が、「物を必ず一具に調へんとする
971,上,49,裏,1,は、つたなき者のする事なり。不具(ふぐ)なるこそ
972,上,49,裏,2,よけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。「すべて、
973,上,49,裏,3,何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残
974,上,49,裏,4,したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわ
975,上,49,裏,5,ざなり。内裏(だいり)造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す
976,上,49,裏,6,事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢(せんけん)の作れる内外(ないげ)の
977,上,49,裏,7,文(ふみ)にも、章段(しやうだん)の欠(か)けたる事のみこそ侍れ。▼第八十三段
978,上,49,裏,8,竹林院入道左大臣殿(ちくりんゐんのにふだうさだいじんどの)、太政大臣に上(あが)り給はんに、何の
979,上,49,裏,9,滞(とどこほ)りかおはせんなれども、「珍しげなし。一上(いちのかみ)
980,上,49,裏,10,にて止(や)みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣(とうゐんのさだいじん)、
981,上,50,表,1,この事を甘心(かんしん)し給ひて、相国(しやうこく)の望みおはせざりけり。
982,上,50,表,2,「亢竜(かうりよう)の悔(くい)あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては
983,上,50,表,3,欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の
984,上,50,表,4,詰まりたるは、破れに近き道なり。▼第八十四段
985,上,50,表,5,法顕三蔵(ほつけんさんざう)の、天竺(てんぢく)に渡りて、故郷(ふるさと)の扇(あふぎ)を見ては
986,上,50,表,6,悲しび、病に臥(ふ)しては漢の食(じき)を願ひ〔給ひ〕ける〔事〕を
987,上,50,表,7,聞きて、「さばかりの〔人の、〕無下(むげ)にこそ心(こころ)弱き気色(けしき)を
988,上,50,表,8,人の国にて見え給ひにけれ」と人の言ひしに、
989,上,50,表,9,弘融僧都(こうゆうそうづ)、「優(いう)に情ある三蔵かな」と言ひたり
990,上,50,表,10,しこそ、法師のやうにもあらず、心(こころ)にくゝ覚え
991,上,50,裏,1,しか。▼第八十五段
992,上,50,裏,2,人の心(こころ)すなほならねば、偽(いつは)りなきにしもあら
993,上,50,裏,3,ず。されども、おのづから、正直(しやうぢき)の人、などかなからん。己(おの)
994,上,50,裏,4,れすなほならねど、人の賢(けん)を見て羨(うらや)むは、尋
995,上,50,裏,5,常(よのつね)なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる
996,上,50,裏,6,人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んが
997,上,50,裏,7,ために、少(すこ)しの利を受けず、偽(いつは)り飾りて名
998,上,50,裏,8,を立てんとす」と謗(そし)る。己れが心(こころ)に違(たが)へるによりて
999,上,50,裏,9,この嘲(あざけ)りをなすにて知りぬ、この人は、下愚(かぐ)の性(せい)移
1000,上,50,裏,10,るべからず、偽(いつは)つて利(り)をも辞(じ)すべからず、仮りにも賢を
1001,上,51,表,1,学ぶべからず。狂人の真似(まね)とて大路(おほち)を走らば、即ち狂
1002,上,51,表,2,人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
1003,上,51,表,3,驥(き)を学ぶは驥の類(たぐ)ひ、舜(しゆん)を学ぶは舜の
1004,上,51,表,4,徒(ともがら)なり。偽(いつは)りても賢を学ばんは、賢といふべし。▼第八十六段
1005,上,51,表,5,惟継(これつぐの)中納言(ちゆうなごん)は、風月(ふげつ)の才(ざえ)に富める人なり。一生精進(いつしやうしやうじん)に
1006,上,51,表,6,て、読経(どつきやう)うちして、寺法師(てらぼふし)の円伊僧正(ゑんいんそうじやう)と同宿して
1007,上,51,表,7,侍りけるに、文保(ぶんぽう)に三井寺(みゐでら)焼かれし時、坊主にあひて、「御
1008,上,51,表,8,坊(ごぼう)は寺法師とこそ申しつれ〔ど〕、寺はなければ、今よりは
1009,上,51,表,9,法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句(しうく)なりけり。▼第八十七段
1010,上,51,表,10,下部(しもべ)に酒飲まする事は、心(こころ)すべきことなり。宇治(うぢ)に住み侍りける
1011,上,51,裏,1,をのこ、〔京に、〕具覚房(ぐかくぼう)とて、なまめきたる遁世(とんぜい)の僧を、
1012,上,51,裏,2,こじうとなりければ、常に申し睦(むつ)びけり。或時(あるとき)、
1013,上,51,裏,3,迎へに馬を遣(つかは)したりければ、「遥(はる)かなるほどなり。
1014,上,51,裏,4,口(くち)づきのをのこに、先(ま)づ一度せさせよ」とて、酒を
1015,上,51,裏,5,出だしたれば、酒受け酒受け、よゝと飲みぬ。太刀(たち)うち佩(は)
1016,上,51,裏,6,きてかひがひしげなれば、頼(たの)もしく覚えて、召(め)し
1017,上,51,裏,7,具(ぐ)して行くほどに、木幡(こはだ)のほどにて、奈良法師(ならぼふし)の、
1018,上,51,裏,8,兵士(ひやうじ)あまた具(ぐ)して逢ひたるに、この男〔立ち〕向ひて、「日暮れ
1019,上,51,裏,9,にたる山中(さんちゆう)に、怪しきぞ。止(とま)り候へ」と言ひて、太刀
1020,上,51,裏,10,を引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなど
1021,上,52,表,1,しけるを、具覚房、手を摺(す)りて、「現(うつ)し心(こころ)なく酔(ゑ)ひたる者
1022,上,52,表,2,に候ふ。まげて許し給はん」と言ひければ、おのおの嘲(あざけ)りて
1023,上,52,表,3,過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「御房(ごばう)は口惜しき事し
1024,上,52,表,4,給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名(かうみやう)仕らん
1025,上,52,表,5,とするを、抜ける太刀空(むな)しくなし給へること」と怒りて、
1026,上,52,表,6,ひた斬りに斬り落としつ。さて、「山だちあり」とのゝしりけ
1027,上,52,表,7,れば、里人(さとびと)おこりて出であへば、「我こそ山だちよ」と言ひて、
1028,上,52,表,8,走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手
1029,上,52,表,9,負(てお)ほせ、打ち伏せて縛(しば)りけり。馬は血つきて、宇治大路(うぢのおほち)
1030,上,52,表,10,の家に走り入りたるに、〔あさましくて、〕をのこどもあまた走らかし
1031,上,52,裏,1,たれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、
1032,上,52,裏,2,求め出でて、舁(か)きもて来つ。辛き命(いのち)生きたれど、腰
1033,上,52,裏,3,斬り損(そん)ぜられて、かたはに成りにけり。▼第八十八段
1034,上,52,裏,4,或者(あるもの)、小野道風(をののたうふう)が書ける和漢朗詠集(わかんらうえいしふ)とて持ちたり
1035,上,52,裏,5,けるを、ある人、「御相伝(ごさうでん)、浮ける事には侍らじなれども、
1036,上,52,裏,6,四条(しでうの)大納言撰(せん)ぜられたる物〔を〕、道風書かん事、時代や違(たが)
1037,上,52,裏,7,ひ侍らん。覚束(おぼつか)なくこそ」と言ひければ、「さ候(さうら)へばこそ、
1038,上,52,裏,8,世にあり難(がた)き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵(ひさう)
1039,上,52,裏,9,しけり。▼第八十九段
1040,上,52,裏,10,「奥山に、猫(ねこ)またといふものありて、人を食(くら)ふなる」と人
1041,上,53,表,1,の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上(へあが)りて、
1042,上,53,表,2,猫またに成りて、人とる事はあんなるものを」と言ふことの
1043,上,53,表,3,ありけるを、何阿弥陀仏(なにあみだぶつ)とかや、連歌(れんが)しける法師の、行願
1044,上,53,表,4,寺(ぎやうぐわんじ)〔の〕辺にありけるが聞きて、独り歩(あり)かん身は心(こころ)すべき
1045,上,53,表,5,ことにこそと思ひける比(ころ)しも、或所にて夜更(よふ)くるまで
1046,上,53,表,6,連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川(こがは)の端(はた)にて、音(おと)に聞きし
1047,上,53,表,7,猫また、あやまたず、足許(あしもと)へふと寄り〔来(き)〕て、やがてかきつ
1048,上,53,表,8,くまゝに、頚(くび)のほどを食はんとす。肝心(きもごころ)も失せて、
1049,上,53,表,9,防(ふせ)かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転
1050,上,53,表,10,び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家
1051,上,53,裏,1,々より、松どもともして走り寄りて見れば、この
1052,上,53,裏,2,わたりに見知れる僧なり。「こは如何(いか)に」とて、川の中
1053,上,53,裏,3,より抱(いだ)き起したれば、連歌の賭物(かけもの)取りて、
1054,上,53,裏,4,扇(あふぎ)・小箱(こばこ)など懐(ふところ)に持ちたりけるも、水に入りぬ。
1055,上,53,裏,5,希有(けう)にして助かりたるさまにて、這(は)ふ這ふ家に
1056,上,53,裏,6,入りにけり。飼ひける犬の、暗けれど、主(ぬし)を知りて、飛び付き
1057,上,53,裏,7,たりけるとぞ。▼第九十段
1058,上,53,裏,8,大納言法印(ほふいん)の召使(めしつか)ひし乙鶴丸(おとづるまる)、やすら殿といふ
1059,上,53,裏,9,者を知りて、常に行(ゆ)き通(かよ)ひしに、或時出でて
1060,上,53,裏,10,帰り来たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「や
1061,上,54,表,1,すら殿のがり罷(まか)りて候ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男か
1062,上,54,表,2,法師か」と又(また)問はれて、袖掻(そでか)き合せて、「いかゞ候ふらん。頭(かしら)をば
1063,上,54,表,3,見ず候ふ」と答へ申しき。などか、頭(かしら)ばかりの見えざりけん。▼第九十一段
1064,上,54,表,4,赤舌日(しやくぜちにち)といふ事、陰陽道(おんやうだう)には沙汰(さた)なき事なり。
1065,上,54,表,5,昔の人、これを忌(い)まず。この比、何者(なにもの)の言ひ出でて忌み始
1066,上,54,表,6,めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひ
1067,上,54,表,7,たりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は
1068,上,54,表,8,失(うしな)ひつ、企(くはた)ちたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日(きちにち)
1069,上,54,表,9,を撰びてなしたるわざの末とほらぬを数(かぞ)へて見んも、
1070,上,54,表,10,又(また)等しかるべし。〔その故は、〕無常変易(むじやうへんえき)の境(さかひ)、ありと見る
1071,上,54,裏,1,ものも存ぜず。始めある事も終りなし。志(こころざし)は遂
1072,上,54,裏,2,げず。望みは絶えず。人の心(こころ)不定(ふじやう)なり。物皆幻化(ものみなげんげ)なり。
1073,上,54,裏,3,何事か暫(しばら)くも住(ぢゆう)する。この理(ことわり)を知らざるなり。「吉日(きちにち)
1074,上,54,裏,4,に悪をなすに、必ず凶なり。悪日(あくにち)に善を行ふ〔に〕、
1075,上,54,裏,5,必ず吉なり」と言へり。吉凶(きつきよう)は、人によりて、日によら
1076,上,54,裏,6,ず。▼第九十二段
1077,上,54,裏,7,或(ある)人(ひと)、弓射(い)る事を習ふに、諸矢(もろや)をたばさみて
1078,上,54,裏,8,的に向(むか)ふ。師の云はく、「初心(しよしん)の人、二つ〔の〕矢を持つ事
1079,上,54,裏,9,なかれ。後(のち)の矢を頼(たの)みて、始めの矢に等閑(なほざり)の
1080,上,54,裏,10,心(こころ)あり。毎度(まいど)、たゞ、得失(とくしつ)なく、この一矢(ひとや)に定(さだ)むべしと思へ」
1081,上,55,表,1,と云ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと
1082,上,55,表,2,思はんや。懈怠(けだい)の心(こころ)、みづから知らずといへども、師これを
1083,上,55,表,3,知る。この戒(いまし)め、万事(ばんじ)にわたるべし。道(みち)を学(がく)する人、
1084,上,55,表,4,夕(ゆうべ)には朝(あした)あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思
1085,上,55,表,5,ひて、重ねて懇(ねんごろ)に修(しゆ)せんことを期(ご)す。況(いは)んや、一刹
1086,上,55,表,6,那(せつな)の内において、懈怠の心(こころ)ある事を知らんや。何ぞ、
1087,上,55,表,7,たゞ今の一念において、〔直(ただ)ちに〕する事の甚(はなは)だ難(かた)き。▼第九十三段
1088,上,55,表,8,「牛を売る者あり。買ふ人、明日(あす)、その値(あたひ)をやりて、
1089,上,55,表,9,牛を取らんといふ。夜(よ)の間(ま)に牛死ぬ。買はんとする
1090,上,55,表,10,人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。
1091,上,55,裏,1,これを聞きて、かたはらなる者〔の〕云はく、「牛の主(ぬし)、
1092,上,55,裏,2,まことに損ありといへども、又(また)、大きなる利あり。その故は、生(しやう)
1093,上,55,裏,3,あるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既に
1094,上,55,裏,4,しかなり。人、又(また)同じ。はからざるに牛は死し、はか
1095,上,55,裏,5,らざるに主は存ぜり。一日の命、万金(まんきん)よりも重
1096,上,55,裏,6,し。牛の値、鵝毛(がまう)よりも軽(かろ)し。万金を
1097,上,55,裏,7,得て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と
1098,上,55,裏,8,言ふに、皆人(みなひと)嘲りて、「その理は、牛の主に限る
1099,上,55,裏,9,べからず」と言ふ。又(また)云はく、「されば、人、死を憎まば、生(しやう)
1100,上,55,裏,10,を愛すべし。存命(ぞんめい)の喜び、日々に楽し
1101,上,56,表,1,まざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いた
1102,上,56,表,2,づがはしく外(ほか)の楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、
1103,上,56,表,3,危(あやふ)く他の財を貪るに、志(こころざし)満つ事なし。
1104,上,56,表,4,行ける間生を楽しまずして、死に臨(のぞ)んで死
1105,上,56,表,5,を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しま
1106,上,56,表,6,ざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざる
1107,上,56,表,7,にはあらず、死の近き事を忘るゝなり。もし又(また)、
1108,上,56,表,8,生死(しやうじ)の相(そう)にあづからずは、実(まこと)の理を得たりといふべ
1109,上,56,表,9,し」と言ふに、人、いよいよ嘲る。▼第九十四段
1110,上,56,表,10,常磐井相国(ときはゐのしやうこく)、出仕(しゆつし)し給ひけるに、勅書(ちよくしよ)を持ちたる
1111,上,56,裏,1,北面(ほくめん)あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相国、後に、「北面
1112,上,56,裏,2,某(なにがし)は、勅書を持ちながら下馬(げば)し侍りし者なり。
1113,上,56,裏,3,かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき」と申され
1114,上,56,裏,4,ければ、北面を放たれにけり。勅書を、馬の
1115,上,56,裏,5,上ながら、捧(ささ)げて見せ奉るべし、下るべからず〔とぞ〕。▼第九十五段
1116,上,56,裏,6,「箱(はこ)のくりかたに緒(を)を付くる事、いづかたに付くべきぞ」と、ある
1117,上,56,裏,7,有職(いうしよく)の人に尋ね〔申し〕侍りしかば、「軸(ぢく)に付け、表紙に付くる
1118,上,56,裏,8,事、両説(りやうせつ)なれば、いづれも難(なん)なし。文(ふみ)の箱は、多く〔は〕右に
1119,上,56,裏,9,付く。手箱(てばこ)〔に〕は、軸に付くるも常の事なり」と仰せられ
1120,上,56,裏,10,き。▼第九十六段
1121,上,57,表,1,めなもみといふ草あり。くちばみに螫(さ)されたる人、かの草
1122,上,57,表,2,を揉(も)みて付けぬれば、即ち癒(い)ゆとなん。見知りて
1123,上,57,表,3,置くべし。▼第九十七段
1124,上,57,表,4,その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知ら
1125,上,57,表,5,ずあり。身に蝨(しらみ)あり。家に鼠(ねずみ)あり。国に賊(ぞく)あり。〔小人(せうじん)に財(ざい)あり。〕
1126,上,57,表,6,君子(くんし)に仁義(じんぎ)あり。僧に法(ほふ)あり。▼第九十八段
1127,上,57,表,7,尊(たふと)きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言
1128,上,57,表,8,芳談(いちごんはうだん)とかや名づけて侍る草子(さうし)を見侍りしに、心(こころ)に
1129,上,57,表,9,合ひて覚えし事ども。
1130,上,57,表,10,一しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、
1131,上,57,裏,1,せぬはよきなり。
1132,上,57,裏,2,一後世(ごせ)を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじ
1133,上,57,裏,3,きことなり。持経(ぢきやう)・本尊(ほんぞん)に至るまで、よき物を持つ
1134,上,57,裏,4,まじき事なり。
1135,上,57,裏,5,一遁世者(とんぜいじや)は、なきにことかけぬやうを計(はから)ひて
1136,上,57,裏,6,過ぐる、最上のやうにてあるなり。
1137,上,57,裏,7,一上臈(じやうらふ)は下臈(げらふ)に成り、智者(ちしや)は愚者(ぐしや)に成り、徳人(とくにん)は
1138,上,57,裏,8,貧(ひん)に成り、能ある人は無能に成りぬべきなり。
1139,上,57,裏,9,一仏道を願ふといふは、別の事なし。暇(いとま)ある身に
1140,上,57,裏,10,なりて、世の事を心(こころ)にかけぬを、第一の道とす。〔この外もありし事ども、覚えず。〕▼第九十九段
1141,上,58,表,1,堀川相国(ほりかはのしやうこく)は、美男(びなん)のたのしき人にて、そのことと
1142,上,58,表,2,なく愚者(ぐしや)を好み給ひけり。御子(おんこ)基俊卿(もととし)を大理(だいり)に
1143,上,58,表,3,なして、庁務(ちやうむ)行はれけるに、庁屋(ちようや)の唐櫃(からひつ)
1144,上,58,表,4,見苦しとて、めでたく作り改めらるべき
1145,上,58,表,5,由(よし)仰せられけるに、この唐櫃は、上古(しやうこ)より伝はりて、
1146,上,58,表,6,その始めを知らず、数百年(すひやくねん)を経たり。累代(るゐたい)の公物(くもつ)、
1147,上,58,表,7,弊(へい)たるをもちて規模とす。たやすく改められ
1148,上,58,表,8,難き由、故実(こしつ)の諸官等申しければ、その事止み
1149,上,58,表,9,にけり。▼第百段
1150,上,58,表,10,久我相国(こがのしやうこく)は、殿上(てんじやう)にて水を召(め)しけるに、主殿司(とのもづかさ)、土器(かはらけ)
1151,上,58,裏,1,を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりして
1152,上,58,裏,2,ぞ召しける。▼第百一段
1153,上,58,裏,3,或(ある)人(ひと)、任大臣(にんだいじんの)節会(せちゑ)の内辨(ないべん)を勤められけるに、内
1154,上,58,裏,4,記(ないき)の持ちたる宣命(せんみやう)を取らずして、堂上(たうしやう)せられにけり。
1155,上,58,裏,5,極まりなき失(しつ)なれども、立ち帰り取るべきにもあ
1156,上,58,裏,6,らず、思ひわづらはれけるに、六位内記(ろくゐのないき)康綱(やすつな)、衣
1157,上,58,裏,7,被(きぬかづ)きの女房をかたらひて、かの宣命を持たせ
1158,上,58,裏,8,て、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。▼第百二段
1159,上,58,裏,9,平(たひらの)大納言光忠(みつただ)入道(にふだう)、追儺(つゐな)の上卿(しやうけい)を勤められけるに、
1160,上,58,裏,10,洞院(とうゐんの)右大臣殿に次第(しだい)を申し請(う)けられければ、「又五郎
1161,上,59,表,1,男(またごらうをのこ)を師とするより外(ほか)の才覚(さいかく)候はじ」とぞのたまひ
1162,上,59,表,2,ける。かの又五郎は、老いたる衛士(ゑじ)の、公事(くじ)によく慣れたる
1163,上,59,表,3,者にてぞありける。近衛(このゑ)殿著陣(ちやくぢん)し給ひける時、
1164,上,59,表,4,軾(ひざつき)を忘れて、外記(げき)を召されければ、火たき〔て〕候ひける
1165,上,59,表,5,が、「先づ、軾を召さるべくや候ふらん」と忍びやかに呟(つぶや)
1166,上,59,表,6,きける、いとをかしかりけり。▼第百三段
1167,上,59,表,7,大覚寺殿(だいかくじどの)にて、近習(きんじゆ)の人ども、なぞなぞを作りて
1168,上,59,表,8,解かれける処へ、医師忠守(くすしただもり)参りたりけるに、侍従(じじゆう)
1169,上,59,表,9,大納言公明卿(きんあきらのきやう)、「我が朝(てう)の者とも見えぬ忠守かな」と、
1170,上,59,表,10,なぞなぞにせられけるを、「唐瓶子(からへいじ)」と解きて笑ひ
1171,上,59,裏,1,合はれければ、腹立ちて退(まか)り出(い)でにけり。▼第百四段
1172,上,59,裏,2,荒れたる宿の、人目(ひとめ)なきに、女の、憚(はばか)る事ある比(ころ)にて、つ
1173,上,59,裏,3,れづれと籠(こも)り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、
1174,上,59,裏,4,夕月夜(ゆふづくよ)のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはし
1175,上,59,裏,5,たるに、犬のことことしくとがむれば、下衆女(げすをんな)の、出で
1176,上,59,裏,6,て、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。
1177,上,59,裏,7,心(こころ)ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心(こころ)ぐるし。
1178,上,59,裏,8,あやしき板敷(いたじき)に暫(しば)し立ち給へるを、もてし
1179,上,59,裏,9,づめたるけはひの、若(わか)やかなるして、「こなた」へと言ふ人
1180,上,59,裏,10,あれば、たてあけ所狭(ところせ)げなる遣戸(やりど)よりぞ入り給ひぬ
1181,上,60,表,1,る。内(うち)のさま、いたくすさまじからず。心(こころ)にくう、火はあなたに
1182,上,60,表,2,ほのかなれど、もののきらなど見えて、俄(には)かにしもあら
1183,上,60,表,3,ぬ匂ひいとなつかしく住みなしたり。「門(かど)よくさしてよ。
1184,上,60,表,4,雨もぞ降る、御車(みくるま)は門の下に、御供(おとも)の人はそこそこに」
1185,上,60,表,5,と言へば、「今宵(こよひ)ぞ安き寝(い)は寝(ぬ)べかんめる」とうちさゝめく
1186,上,60,表,6,も、忍びたれど、程なければ、ほの聞(きこ)ゆ。さて、このほど
1187,上,60,表,7,の事ども細やかに聞え給ふに、夜深(よぶか)き鳥も
1188,上,60,表,8,鳴きぬ。来(こ)し方・行末(ゆくすゑ)かけてまめやかなる御(おん)物
1189,上,60,表,9,語に、この度(たび)は鳥も花やかなる声にうちしき
1190,上,60,表,10,れば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき
1191,上,60,裏,1,所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙(ひま)白く
1192,上,60,裏,2,なれば、忘れ難き事など言ひて立ち出(い)で給ふに、梢(こずゑ)も
1193,上,60,裏,3,庭もめづらしく青み渡りたる卯月(うづき)ばかりの曙(あけぼの)、
1194,上,60,裏,4,艶(えん)にをかしかりしを思(おぼ)し出でて、桂の木の大き
1195,上,60,裏,5,なるが隠るゝまで、今も見送られ給ふとぞ。▼第百五段
1196,上,60,裏,6,北の屋蔭(やかげ)に消え残りたる雪の、いたう凍(こほ)りたる
1197,上,60,裏,7,に、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめき
1198,上,60,裏,8,て、有明(ありあけ)の月、さやかなれども、隈なくはあらぬに、人
1199,上,60,裏,9,離れなる御堂(みだう)の廊(らう)に、なみなみにあらずと見ゆる
1200,上,60,裏,10,男(をとこ)、女(をんな)となげしに尻かけて、物語するさまこそ、
1201,上,61,表,1,何事にかあらん、尽(つ)きさまじけれ。かぶし・かたちなどいと
1202,上,61,表,2,よしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫(かほ)りたるこそ、
1203,上,61,表,3,をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、をか
1204,上,61,表,4,し。▼第百六段
1205,上,61,表,5,高野証空上人(かうやのしようくうしやうにん)、京へ上りけるに、細道(ほそみち)にて、馬
1206,上,61,表,6,に乗りたる女の、行(ゆ)きあひたりけるが、口曳(ひ)きける男、
1207,上,61,表,7,あしく曳きて、聖(ひじり)の馬を堀へ落してんげり。聖、
1208,上,61,表,8,いと腹悪(はらあ)しく〔とがめて、〕「こは希有(けう)の狼藉(らうぜき)かな。四部(しぶ)の弟子はよな、
1209,上,61,表,9,比丘(びく)よりも比丘尼(びくに)に劣り、比丘尼より優婆塞(うばそく)は劣り、優婆
1210,上,61,表,10,塞よりも優婆夷(うばい)は劣れり。かくの如くの優婆夷
1211,上,61,裏,1,などの身にて、比丘を堀へ蹴入(けい)れさする、未曾有(みぞう)の悪行(あくぎやう)
1212,上,61,裏,2,なり」と言ひければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝや
1213,上,61,裏,3,らん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、
1214,上,61,裏,4,「何と言ふぞ、非修非学(ひしゆひがく)の男」とあらゝかに言ひて、極
1215,上,61,裏,5,まりなき放言(はうごん)しつと思ひける気色(けしき)にて、馬
1216,上,61,裏,6,をひき返して逃げられにけり。尊(たふと)かりける
1217,上,61,裏,7,いさかひなるべし。▼第百七段
1218,上,61,裏,8,「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどに
1219,上,61,裏,9,する男はありがたきものぞ」とて、亀山(かめやまの)院の御時、しれたる
1220,上,61,裏,10,女房ども、若き男達(おのこたち)の参らるる毎に、「郭公(ほととぎす)や聞き
1221,上,62,表,1,給へる」と問ひて心見(こころみ)られけるに、某(なにがし)の大納言とかや
1222,上,62,表,2,は、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川(ほりかはの)
1223,上,62,表,3,内大臣殿は、「岩倉(いはくら)にて聞きて候ひしやらん」と仰せられた
1224,上,62,表,4,りけるを、「これは難(なん)なし。数ならぬ身は、むつかし」など定め
1225,上,62,表,5,合はれけり。すべて、男(おのこ)をば、女に笑はれぬやうにお
1226,上,62,表,6,ほしたつべしとぞ。「浄土寺前(じやうどじのさきの)関白殿は、幼(をさな)くて、安
1227,上,62,表,7,喜門院(あんきもんゐん)のよく教へ参らさせ給ひける故に、御詞(おんことば)など
1228,上,62,表,8,のよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの)左大臣殿は、
1229,上,62,表,9,「あやしの下女(しもをんな)の身奉るも、いと恥づかしく、
1230,上,62,表,10,心(こころ)づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なり
1231,上,62,裏,1,せば、衣文(えもん)も冠(かむり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。かく
1232,上,62,裏,2,人に恥ぢらるゝ女、如何(いか)ばかりいみじきものぞと思ふに、女
1233,上,62,裏,3,の性(しやう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相(さう)深く、貪欲甚(とんよくはなは)だしく、物
1234,上,62,裏,4,の理(ことわり)を知らず。たゞ、迷ひの方に心(こころ)も速く移り、
1235,上,62,裏,5,詞(ことば)も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。
1236,上,62,裏,6,用意あるかと見れば、又(また)、あさましき事まで問はず
1237,上,62,裏,7,語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男
1238,上,62,裏,8,の智恵にもまさりたるかと思へば、その事の、跡(あと)より
1239,上,62,裏,9,顕(あら)はるゝを知らず。すなほならずして拙(つたな)きものは、
1240,上,62,裏,10,女なり。その心(こころ)に随(したが)ひてよく思はれん事は、
1241,上,63,表,1,心憂(こころう)かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢
1242,上,63,表,2,女(けんじよ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷ひ
1243,上,63,表,3,を主(あるじ)としてかれに随ふ時、やさしくも、面
1244,上,63,表,4,白くも覚(おぼ)ゆべき事なり。▼第百八段
1245,上,63,表,5,寸陰惜(すんいんを)しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚
1246,上,63,表,6,かにして怠る人のために言はば、一銭軽(いつせんかろ)しと言へ
1247,上,63,表,7,ども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人と
1248,上,63,表,8,なす。されば、商人(あきびと)の、一銭を惜しむ心(こころ)、懇(ねんごろ)なり。
1249,上,63,表,9,刹那(せつな)覚えずといへども、これを運びて止まざれば、
1250,上,63,表,10,命を終(を)ふる期(ご)、忽(たちま)ちに至る。されば、道人(だうにん)は、遠く
1251,上,63,裏,1,日月(にちぐわつ)を惜しむべからず。たゞ今の一念(いちねん)、空(むな)しく過ぐる事を惜しむ
1252,上,63,裏,2,べし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失
1253,上,63,裏,3,はるべしと告げ知らせたらんに、今日(けふ)の暮るゝ間、何事を
1254,上,63,裏,4,か頼み、何事をか営まん。我等(われら)が生ける今日の日、何
1255,上,63,裏,5,ぞ、その時節(じせつ)に異ならん。一日のうちに、飲食(おんじき)・便利(べんり)・睡眠(すゐめん)・
1256,上,63,裏,6,言語(ごんご)・行歩(ぎやうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。
1257,上,63,裏,7,その余りの暇幾(いとまいく)ばくならぬうちに、無益(むやく)の事を
1258,上,63,裏,8,なし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆゐ)して時を
1259,上,63,裏,9,移すのみならず、日を消(せう)し、月を亘(わた)りて、一生を送る、
1260,上,63,裏,10,尤(もつと)も愚かなり。謝霊運(しやれいうん)は、法華(ほつけ)の筆受(ひつじゆ)なりしかども、
1261,上,64,表,1,心(こころ)、常(つね)に風雲(ふううん)の思(おもひ)を観(くわん)ぜしかば、恵遠(ゑをん)、白蓮(びやくれん)の
1262,上,64,表,2,交(まじは)りを許さざりき。暫(しばら)くもこれなき時は、死人に
1263,上,64,表,3,同じ。光陰(くわういん)何のために惜しむとならば、内(うち)に思慮ふ
1264,上,64,表,4,かく、外(ほか)に政(まつりごと)なくして、止む人は止み、修(しゆ)せん
1265,上,64,表,5,人は修せよとなり。▼第百九段
1266,上,64,表,6,高名(かうみやう)の木登りといひし男(をのこ)、人を掟(おき)て、高き
1267,上,64,表,7,木に登(のぼ)せて、梢(こずゑ)を切らせしに、いと危(あやふ)く見えし
1268,上,64,表,8,ほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長(のきたけ)ばかりに成りて、
1269,上,64,表,9,「あやまちすな。心(こころ)して降りよ」と言葉をかけ侍(はんべ)りしを、「かばかり
1270,上,64,表,10,になりては、飛び降るるとも降りなん。如何(いか)にかく言ふぞ」と
1271,上,64,裏,1,申し侍りしかば、「その事に候(さうら)ふ。目くるめき、枝危き時は、己
1272,上,64,裏,2,れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成り
1273,上,64,裏,3,て、必ず仕(つかまつ)る事に候ふ」と言ふ。あやしき下臈(げらふ)なれども、
1274,上,64,裏,4,聖人の戒(いまし)めにかなへり。鞠(まり)も、難(かた)き所を蹴(け)出し
1275,上,64,裏,5,て後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。▼第百十段
1276,上,64,裏,6,双六(すごろく)の上手(じやうず)といひし人に、その行(てだて)を問ひ侍りしかば、「勝
1277,上,64,裏,7,たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手
1278,上,64,裏,8,か疾(と)く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目(ひとめ)
1279,上,64,裏,9,なりともおそく負けぬべき手につくべし」と言ふ。道を知
1280,上,64,裏,10,れる教(をしへ)、身を治(をさ)め、国を保(たも)たん道も、又(また)しかなり。▼第百十一段
1281,上,65,表,1,「囲碁(ゐご)・双六(すぐろく)好みて明かし暮らす人は、四重(しぢゆう)・五逆(ごぎやく)にもま
1282,上,65,表,2,さりたる悪事とぞ〔思ふ」と、〕或ひじりの申しし事、耳に止(とど)
1283,上,65,表,3,まりて、いみじく覚え侍り。▼第百十二段
1284,上,65,表,4,明日は遠き国へ赴(おもむ)くべしと聞かん人に、心(こころ)閑(しづ)かに
1285,上,65,表,5,なすべからんわざをば、人の言ひかけてんや。俄(には)かの大事を
1286,上,65,表,6,も営み、切(せつ)に歎(なげ)く事もある人は、他の事を
1287,上,65,表,7,聞き入れず、人の愁(うれ)へ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと
1288,上,65,表,8,恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌(た)け、病にも
1289,上,65,表,9,まつはれ、況(いは)んや世をも遁(のが)れたらん人、又(また)、これに同
1290,上,65,表,10,じかるべし。人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。
1291,上,65,裏,1,世俗(せぞく)の黙(もく)し難きに随つて、これを必ずとせば、願ひも
1292,上,65,裏,2,多く、身も苦しく、心(こころ)の暇(いとま)もなく、一生は、雑事(ざふじ)の小
1293,上,65,裏,3,節(せうせつ)にまつはれて、空しく暮れなん。日暮れ、塗(みち)遠し。
1294,上,65,裏,4,吾が生既に蹉蛇(さだ)たり。諸縁(しよえん)を放下(はうげ)すべき時なり。信をも
1295,上,65,裏,5,守らじ。礼儀をも思はじ。この心(こころ)をも得ざらん人は、
1296,上,65,裏,6,物狂ひとも言へ、うつつなし、情(なさけ)なしとも思ひ、毀(そし)るとも苦
1297,上,65,裏,7,しまじ。誉むるとも聞き入れじ。▼第百十三段
1298,上,65,裏,8,四十(よそぢ)にも余りぬる人の、色めきたる方(かた)、おのづから
1299,上,65,裏,9,忍びてあらんは、いかゞせん、言(こと)に打ち出でて、男・女の
1300,上,65,裏,10,事、人の上(うへ)をも言ひ戯(たはぶ)るゝこそ、にげなく、見苦し
1301,上,66,表,1,けれ。大方、聞きにくゝ、見苦し〔き〕事、老人(おいびと)の、若き人
1302,上,66,表,2,に交りて、興(きやう)あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身に
1303,上,66,表,3,て、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。貧し
1304,上,66,表,4,き所に、酒宴好み、客人(まらうと)に饗応(あるじ)せんときき
1305,上,66,表,5,めきたる。▼第百十四段
1306,上,66,表,6,今出川(いまでがは)の大殿(おほいとの)、嵯峨(さが)へおはしけるに、有栖川(ありすがは)の
1307,上,66,表,7,わたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)、御牛(おんうし)を
1308,上,66,表,8,追うたりければ、あがき水、前板(まへいた)までさゝとかゝりける
1309,上,66,表,9,を、為則(ためのり)、御車(みくるま)のしりに候ひけるが、「希有(けう)の童(わらは)かな。か
1310,上,66,表,10,ゝる所にて御牛(おんうし)をば追ふものか」と言ひたりければ、
1311,上,66,裏,1,大殿、御気色(みけしき)悪(あ)しくなりて、「おのれ、車やらん事、
1312,上,66,裏,2,賽王にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、
1313,上,66,裏,3,御車に頭(かしら)を打ち当てられにけり。この高名(かうみやう)の賽
1314,上,66,裏,4,王丸は、太秦(うづまさ)の男、料(れう)の御牛飼(おんうしかひ)ぞかし。この太秦
1315,上,66,裏,5,殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、
1316,上,66,裏,6,一人ははふいう、一人はおとうしと付けられけり。▼第百十五段
1317,上,66,裏,7,宿河原(しゆくがはら)といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品(くほん)
1318,上,66,裏,8,の念仏を申しけるに、外(ほか)より入り来たるぼろぼろの、「〔もし、〕この御中(おんなか)
1319,上,66,裏,9,に、いろをし房(ばう)と申すぼろやおはします」と尋ねければ、
1320,上,66,裏,10,その中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰(た)そ」と答
1321,上,67,表,1,ふれば、「しら梵字(ぼんじ)と申す者なり。己れが師、なにがし
1322,上,67,表,2,と申しし人、東国(とうごく)にて、いろをしと申すぼろに殺されけ
1323,上,67,表,3,りと承(うけたまは)りしかば、その人に逢ひ奉(たてまつ)りて、恨み申さばやと
1324,上,67,表,4,思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ね
1325,上,67,表,5,おはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、
1326,上,67,表,6,道場(だうぢやう)を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あな
1327,上,67,表,7,かしこ、わきざしたち、いづ方(かた)をもみつぎ給ふな。あま
1328,上,67,表,8,たのわづらひにならば、仏事(ぶつじ)の妨(さまた)げに侍るべし」と言ひ定めて、
1329,上,67,表,9,二人、河原へ出であひて、心(こころ)行くばかりに貫(つらぬ)き合ひて、共に
1330,上,67,表,10,死ににけり。ぼろぼろといふもの、昔はなかりける
1331,上,67,裏,1,にや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、
1332,上,67,裏,2,その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執(がしふ)深
1333,上,67,裏,3,く、仏道を願ふに似て闘諍(とうじやう)を事(こと)とす。放逸(はういつ)・無慙(むざん)
1334,上,67,裏,4,の有様なれども、死を軽(かろ)くして、少しもなづ
1335,上,67,裏,5,まざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝ
1336,上,67,裏,6,に書き付け侍るなり。▼第百十六段
1337,上,67,裏,7,寺院の号(がう)、さらぬ万(よろづ)の物にも、名を付くる事、昔の人
1338,上,67,裏,8,は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けたる
1339,上,67,裏,9,なり。この比(ころ)は、深く案じ、才覚(さいかく)をあらはさんとしたるやう
1340,上,67,裏,10,に聞ゆるは、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を
1341,上,68,表,1,付かんとす、益(えき)なき事なり。何事も、珍しき事を
1342,上,68,表,2,求め、異説(いせつ)を好むは、浅才(せんざい)の人の必ずある事なりとぞ。▼第百十七段
1343,上,68,表,3,友とするに悪(わろ)き者、七つあり。一つには、多く、やんごとなき
1344,上,68,表,4,人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、
1345,上,68,表,5,酒を好む人。五つには、たけく、勇(いさ)める兵(つはもの)。六つには、虚言(そらごと)
1346,上,68,表,6,する人。七つには、欲深き人。よき友、三つあり。一つには、物くるゝ
1347,上,68,表,7,友。二つには医師(くすし)。三つには、智恵ある友。▼第百十八段
1348,上,68,表,8,鯉(こひ)の羹(あつもの)を食ひたる日は、鬢(びん)そゝけずとなん。膠(にかは)にも
1349,上,68,表,9,作るものなれば、粘りたるものにこそ。鯉ばかりこそ、御前(ごぜん)に
1350,上,68,表,10,ても切らるゝものなれば、やんごとなき魚(うを)なり。鳥には雉(きじ)、
1351,上,68,裏,1,さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿(みゆどの)の上に懸(かか)り
1352,上,68,裏,2,たるも苦しからず。その外は、心(こころ)うき事なり。中宮の御方(おんかた)
1353,上,68,裏,3,の御湯殿の上の黒み棚(だな)に雁(かり)の見えつるを、北山(きたやまの)入道
1354,上,68,裏,4,殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御文(おんふみ)にて、「かやうの
1355,上,68,裏,5,もの、さながら、その姿にて御棚(みたな)にゐて候ひし事、見
1356,上,68,裏,6,慣はず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさふらはぬ
1357,上,68,裏,7,故にこそ」と申されたりけり。▼第百十九段
1358,上,68,裏,8,鎌倉の海に、鰹(かつを)と言ふ魚は、かの境(さか)ひには、さうなき
1359,上,68,裏,9,ものにて、この比(ごろ)もてなすものなり。それも、鎌倉の
1360,上,68,裏,10,年寄(としより)の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世まで
1361,上,69,表,1,は、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭(かしら)
1362,上,69,表,2,は、下部(しもべ)も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。か
1363,上,69,表,3,やうの物、世の末(すゑ)になれば、上(かみ)ざままでも入りたつわざ
1364,上,69,表,4,にこそ侍れ。▼第百二十段
1365,上,69,表,5,唐(から)の物は、薬(くすり)の外は、〔みな〕なくとも事欠くまじ。書(ふみ)ども
1366,上,69,表,6,は、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。唐
1367,上,69,表,7,土舟(もろこしぶね)の、たやすからぬ道に、無用(むよう)の物どものみ
1368,上,69,表,8,取り積みて、所狭(ところせ)く渡しもて来る、いと愚かなり。
1369,上,69,表,9,「遠き物を宝とせず」とも、又(また)、「得難(えがた)き貨(たから)を貴(たふと)
1370,上,69,表,10,まず」ともと、文(ふみ)にも侍るとかや。▼第百二十一段
1371,上,69,裏,1,養ひ飼ふものには、馬・牛。繋(つな)ぎ苦しむるこそいた
1372,上,69,裏,2,ましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかゞはせん。犬は、
1373,上,69,裏,3,守り防(ふせ)くつとめ人にもまさりたれば、必ずある
1374,上,69,裏,4,べし。〔されど、〕家毎(いへごと)にあるものなれば、殊更(ことさら)〔に〕求め飼はずともあり
1375,上,69,裏,5,なん。その外の鳥・獣(けだもの)、すべて用なきものなり。
1376,上,69,裏,6,走る獣(けだもの)は、檻(をり)にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅(つばさ)
1377,上,69,裏,7,を切り、籠(こ)に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁(うれへ)、止(や)む
1378,上,69,裏,8,時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、
1379,上,69,裏,9,心(こころ)あらん人、これを楽しまんや。生(しよう)を苦しめて目
1380,上,69,裏,10,を喜ばしむるは、桀(けつ)・紂(ちう)が心(こころ)なり。王子(わうし)猷(いう)が鳥を愛せし、
1381,上,70,表,1,林に楽しぶを見て、逍遙(せうえう)の友としき。捕へ
1382,上,70,表,2,苦しめたるにはあらず。凡(およ)そ、「珍らしき禽(とり)、あやしき獣、
1383,上,70,表,3,国に育(やしな)はず」とこそ、文(ふみ)にも侍るなれ。▼第百二十二段
1384,上,70,表,4,人の才能(さいのう)は、文(ふみ)明らかにして、聖(ひじり)の教(をしへ)を知れるを第一
1385,上,70,表,5,とす。次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これ
1386,上,70,表,6,を習ふべし。学問に便(たよ)りあらんためなり。次に、医
1387,上,70,表,7,術を習ふべし。身を養ひ、人を助け、忠孝の務(つとめ)
1388,上,70,表,8,も、医にあらずはあるべからず。次に、弓射(ゆみい)、馬に乗る事、
1389,上,70,表,9,六芸(りくげい)に出(い)だせり。必ずこれをうかゞふべし。文(ぶん)・武(ぶ)・医(い)の道、
1390,上,70,表,10,まことに、欠けてはあるべからず。これを学ばん人をば、いた
1391,上,70,裏,1,づらなる人といふべからず。次に、食(しよく)は、人の天なり。よく味(あじ)はひを
1392,上,70,裏,2,調(ととの)へ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工(さいく)、
1393,上,70,裏,3,万(よろづ)に要(えう)多し。この外の事ども、多能(たのう)は君子の恥
1394,上,70,裏,4,づる処なり。詩歌(しいか)に巧(たく)みに、糸竹(しちく)に妙(たえ)なるは幽玄(いうげん)の
1395,上,70,裏,5,道、君臣(くんしん)これを重くすといへども、今の世には、これを
1396,上,70,裏,6,もちて世を治むる事、漸(やうや)くおろかになるに似(に)たり。金(こがね)はすぐ
1397,上,70,裏,7,れたれども、鉄(くろがね)の益(やく)多きに及(し)かざるが如
1398,上,70,裏,8,し。▼第百二十三段
1399,上,70,裏,9,無益(むやく)のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事(ひがこと)
1400,上,70,裏,10,する人とも言ふべし。国のため、君のため、止むことを得ず
1401,上,71,表,1,して為すべき事多し。その余りの暇(いとま)、幾(いく)ばく
1402,上,71,表,2,ならず。思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、
1403,上,71,表,3,第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居(ゐ)る所なり。人間の
1404,上,71,表,4,大事、この三つには過ぎず。饑(う)ゑず、寒からず、雨風(あまかぜ)に侵されず
1405,上,71,表,5,して、閑(しず)かに過(すぐ)すを楽しびとす。たゞし、人皆病(やまい)あり。
1406,上,71,表,6,病に冒されぬれば、その愁(うれへ)忍び難し。医療(いれう)を
1407,上,71,表,7,忘るべからず。薬を加へて、四(よ)つの事、求め得ざるを
1408,上,71,表,8,貧しとす。この四つ、欠けざるを富(と)めりとす。この四つの外を求
1409,上,71,表,9,め営むを奢(おご)りとす。四つの事倹約(けんやく)ならば、誰(たれ)の人か足
1410,上,71,表,10,らずとせん。▼第百二十四段
1411,上,71,裏,1,是法(ぜほふ)法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学生(がくしやう)を立てず、たゞ、
1412,上,71,裏,2,明暮(あけくれ)念仏して、安らかに世を過(すぐ)す有様、いとあらま
1413,上,71,裏,3,ほし。▼第百二十五段
1414,上,71,裏,4,人におくれて、四十九日(しじふくにち)の仏事(ぶつじ)に、或(ある)聖を請(しやう)じ侍り
1415,上,71,裏,5,しに、説法(せつぽふ)いみじくて、皆人涙を流しけり。
1416,上,71,裏,6,導師(だうし)帰りて後、聴聞(ちやうもん)の人ども、「いつよりも、殊(こと)に今日(けふ)は尊(たふと)
1417,上,71,裏,7,く覚え侍りつる」と感じ合へり。返事(かへりこと)に、或者の云(い)はく、
1418,上,71,裏,8,「何とも候(さうら)へ、あれほど唐(から)の狗(いぬ)に似候(にさうら)ひなん上は」と言ひたり
1419,上,71,裏,9,しに、あはれもさめて、をかしかりけり。さる、導師の讃(ほ)
1420,上,71,裏,10,めやうやはあるべき。又(また)、「人に酒を勧(すす)むるとて、己れ先(ま)づ
1421,上,72,表,1,たべて、人に強(し)ひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんと
1422,上,72,表,2,するに似たる事なり。二方(ふたかた)に刃(は)つくものなれば、もた
1423,上,72,表,3,ぐる時、先づ我が頭(かしら)を斬る故に、人をばえ斬らぬなり。己れ
1424,上,72,表,4,先づ酔(ゑ)ひて臥(ふ)しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り
1425,上,72,表,5,試みたりけるにや。いとをかし〔かりき〕。▼第百二十六段
1426,上,72,表,6,「ばくちの、負極(まけきは)まりて、残りなく打ち入れんと
1427,上,72,表,7,せんにあひては、打つべからず。立ち返り、続けて勝つべき時の
1428,上,72,表,8,至れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふ
1429,上,72,表,9,なり」と、或者(あるもの)申しき。▼第百二十七段
1430,上,72,表,10,改めて益(やく)なき事は、改めぬをよしとするなり。改めて益なき事は、改めぬを力(よりどころ)とするなり。(正徹本)改めて益なき事は、改めぬを心(こころ)とするなり。(常縁本)▼第百二十八段
1431,上,72,裏,1,雅房(まさふさの)大納言は、才(ざえ)賢く、よき人にて、大将にもなさ
1432,上,72,裏,2,ばやと思(おぼ)しける比、院の近習(きんじゆ)なる人、「たゞ今、あさまし
1433,上,72,裏,3,き事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひ
1434,上,72,裏,4,けるに、「雅房卿、鷹(たか)に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り
1435,上,72,裏,5,侍りつるを、中墻(なかがき)の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、
1436,上,72,裏,6,憎く思(おぼ)しめして、日来(ひごろ)の御気色(みけしき)も違(たが)ひ、昇進(しやうじん)もし
1437,上,72,裏,7,給はざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは
1438,上,72,裏,8,思はずなれども、犬の足は跡なき事なり。虚言(そらごと)は不便(ふびん)な
1439,上,72,裏,9,れども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君
1440,上,72,裏,10,の御心(みこころ)は、いと尊き事なり。大方(おほかた)、生ける物を
1441,上,73,表,1,殺し、傷(いた)め、闘(たたか)はしめて、遊び楽しまん人は、
1442,上,73,表,2,畜生残害(ちくしやうさんがい)の類(たぐい)なり。万の鳥獣(とりけだもの)、小さき虫
1443,上,73,表,3,までも、心(こころ)をとめて有様(ありさま)を見るに、子を思ひ、親を
1444,上,73,表,4,なつかしくし、夫婦を伴(ともな)ひ、嫉(ねた)み、怒り、欲の
1445,上,73,表,5,多き身を愛し、命(いのち)を惜しめること、偏(ひと)へに愚痴(ぐち)なる
1446,上,73,表,6,故に、人よりもまさりて甚(はなは)だし。〔彼に〕苦しびを与
1447,上,73,表,7,へ、命を奪(うば)はん事、いかでかいたましからざらん。すべて、
1448,上,73,表,8,一切(いつさい)の有情(うじやう)を見て、慈悲(じひ)の心(こころ)なからんは、人倫(じんりん)にあらず。▼第百二十九段
1449,上,73,表,9,顔回(ぐわんかい)は、志(こころざし)、人に労(らう)を施(ほどこ)さじとなり。すべて、〔人を苦しめ、〕物を虐(しへた)
1450,上,73,表,10,ぐる事、賤しき民の志をも奪ふべからず。又(また)、
1451,上,73,裏,1,いとけなき子を賺(すか)し、威(おど)し、言ひ恥(はづ)かしめて、興(きよう)ずる事
1452,上,73,裏,2,あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、
1453,上,73,裏,3,幼き心(こころ)には、身に沁(し)みて、恐ろしく、恥かしく、あさ
1454,上,73,裏,4,ましき思ひ、まことに切(せつ)なるべし。これを悩まして
1455,上,73,裏,5,興(きよう)とする事、慈愛(じあい)の心(こころ)にあらず。おとなしき人の、喜び、
1456,上,73,裏,6,怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄(こまう)なれども、誰(たれ)か実有(じつう)
1457,上,73,裏,7,の相(さう)に著(ぢやく)せざる。身をやぶるよりも、心(こころ)を傷(いた)ましむるは、
1458,上,73,裏,8,人を害(そこな)ふ事なほ甚(はなは)だし。病を受くる事も、多くは
1459,上,73,裏,9,心(こころ)より受くるなり。外より来る病は少し。薬を
1460,上,73,裏,10,飲みて汗を求むるには、験(しるし)なきことあれども、一旦
1461,上,74,表,1,恥ぢ、恐るゝことあれば、必ず汗を流す。心(こころ)のしわ
1462,上,74,表,2,ざなりといふことを知るべし。凌雲(りやううん)の額(がく)を書きて
1463,上,74,表,3,白頭(はくとう)の人と成りし例(ためし)、なきにあらず。▼第百三十段
1464,上,74,表,4,物に争はず、己れを枉(ま)げて人に従ひ、我が身を後(のち)
1465,上,74,表,5,にして、人を先にするには及(し)かず。
1466,上,74,表,6,万(よろづ)の遊びにも、勝負(かちまけ)を好む人は、勝ちて興(きよう)あらんため
1467,上,74,表,7,なり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、
1468,上,74,表,8,負けて興(きよう)なく覚(おぼ)ゆべき事、又(また)知られたり。我負け
1469,上,74,表,9,て人を喜ばしめんと思はば、更(さら)に遊びの興(きよう)
1470,上,74,表,10,なかるべし。人(ほい)に本意なく思はせて我が心(こころ)を慰
1471,上,74,裏,1,めん事、徳に背(そむ)けり。睦(むつま)しき中に戯(たはぶ)る
1472,上,74,裏,2,ゝも、人に計(はか)り欺(あざむ)きて、己れが智(ち)のまさりたる事
1473,上,74,裏,3,を興(きよう)とす。これ又(また)、礼にあらず。されば、始め興宴(きようえん)
1474,上,74,裏,4,より起りて、長き恨みを結ぶ類(たぐい)多し。
1475,上,74,裏,5,これみな、争ひを好む失(しつ)なり。人にかたん事を
1476,上,74,裏,6,思はば、たゞ学問して、その智を人に増さらんと思
1477,上,74,裏,7,ふべし。道を学ぶとならば、善に伐(ほこ)らず、輩(ともがら)に
1478,上,74,裏,8,争ふべからずといふ事を知るべき故なり。大きなる
1479,上,74,裏,9,職をも辞し、利をも捨つるは、たゞ、学問の力なり。▼第百三十一段
1480,上,74,裏,10,貧しき物は、財(たから)をもッて礼とし、老いたる者は、
1481,上,75,表,1,力をもッて礼とす。己(おの)が分(ぶん)を知りて、及ばざる時は
1482,上,75,表,2,速(すみや)かに止(や)むを、智といふべし。許さざらんは、人の誤
1483,上,75,表,3,りなり。分を知らずして強(し)ひて励むは、己れ
1484,上,75,表,4,が誤りなり。貧しくして分を知らざれば盗(ぬす)
1485,上,75,表,5,みす。〔力〕衰へて分を知らざれば病(やまひ)を受く。▼第百三十二段
1486,上,75,表,6,鳥羽(とば)の作道(つくりみち)は、鳥羽殿建てられて後の号(な)に
1487,上,75,表,7,はあらず。昔よりの名なり。元良親王(もとよしのしんのう)、元日(ぐわんにち)奏賀(そうが)の
1488,上,75,表,8,声、甚だ殊勝(しゆしよう)にして、大極殿(だいこくでん)より鳥羽の作道ま
1489,上,75,表,9,で聞えけるよし、李部(りほう)王(わう)の記に侍るとかや。▼第百三十三段
1490,上,75,表,10,夜の御殿(おとど)は、東御枕(みまくら)なり。大方(おほかた)、東を枕として陽
1491,上,75,裏,1,気(やうき)を受くべき故に、孔子も東首(ひがしくび)し給へり。寝
1492,上,75,裏,2,殿(しんでん)のしつらひ、或(あるひ)は南枕、常(つね)の事なり。白河院(しらかはの)は、北
1493,上,75,裏,3,首(ほくしゆ)に御寝(ぎよしん)なりき。「北は忌(い)む事なり。又(また)、伊勢(いせ)は南なり。
1494,上,75,裏,4,太神宮(だいじんぐう)の御方(おんかた)を御跡(おんあと)にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申し
1495,上,75,裏,5,けり。たゞし、太神宮の遥拝(えうはい)は、巽(たうみ)に向はせ給ふ。南には
1496,上,75,裏,6,あらず。▼第百三十四段
1497,上,75,裏,7,高倉(たかくらの)院の法華(ほつけ)堂の三昧僧(ざんまいそう)、なにがしの律師(りつし)と
1498,上,75,裏,8,かやいふもの、或時(あるとき)、鏡を取りて、顔をつくづくと見
1499,上,75,裏,9,て、我がかたちの見にくゝ、あさましき事余りに心(こころ)う
1500,上,75,裏,10,く覚えて、鏡さへうとましき心地(ここち)しければ、その
1501,上,76,表,1,後(のち)、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更に、人に
1502,上,76,表,2,交はる事なし。御堂(みだう)のつとめばかりにあひて、籠(こも)り居
1503,上,76,表,3,たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。賢げなる
1504,上,76,表,4,人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。
1505,上,76,表,5,我を知らずして、外(ほか)を知るといふ理(ことわり)あるべからず。
1506,上,76,表,6,されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。かたち
1507,上,76,表,7,醜(みにく)けれども知らず。〔心(こころ)の愚かなるをも知らず、芸の拙(つたな)きをも知らず、〕身の数ならぬをも知らず、〔年の〕
1508,上,76,表,8,老いぬるをも知らず、病の冒(をか)すをも知らず、死の
1509,上,76,表,9,近き事をも知らず。行(おこな)ふ道の至らざるをも知らず。
1510,上,76,表,10,身の上の非を知らねば、まして、外の譏(そし)りを知らず。
1511,上,76,裏,1,但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の
1512,上,76,裏,2,事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに
1513,上,76,裏,3,似(に)たりとぞ言はまし。かたちを改め、齢(よはひ)を若く
1514,上,76,裏,4,せよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、やがて退(しりぞ)
1515,上,76,裏,5,かざる。老いぬと知らば、何ぞ、閑(しづ)かに居て、身を安く
1516,上,76,裏,6,せざる。行(おこな)ひおろかなりと知らば、何ぞ、茲(これ)を思ふこ
1517,上,76,裏,7,と茲にあらざる。すべて、人に愛楽(あいげう)せられずして
1518,上,76,裏,8,衆(しゆ)に交(まじ)はるは恥(はぢ)なり。かたち見にくゝ、心(こころ)おくれ
1519,上,76,裏,9,にして出(い)で仕へ、無智(むち)にして大才(たいさい)に交はり、不
1520,上,76,裏,10,堪(ふかん)の芸をもちて堪能(かんのう)の座に列(つらな)り、雪の頭(かしら)
1521,上,77,表,1,を頂きて盛りなる人に並び、況(いは)んや、及ば
1522,上,77,表,2,ざる事を望み、叶(かな)はぬ事を憂(うれ)へ、来(きた)らざること
1523,上,77,表,3,を待ち、人に恐れ、人に媚(こ)ぶるは、人の与(あた)ふる恥に
1524,上,77,表,4,あらず、貪(むさぼ)る心(こころ)に引かれて、自(みづか)ら身を恥かし
1525,上,77,表,5,むるなり。貪る事の止まざる事は、命を終(を)ふる
1526,上,77,表,6,大事(だいじ)、今こゝに来れりと、確(たし)かに知らざれ
1527,上,77,表,7,ばなり。▼第百三十五段
1528,上,77,表,8,資季(すけすゑの)大納言入道と〔かや〕聞(きこ)えける人、具氏宰相中将(ともうぢさいしやうちゆうじやう)に
1529,上,77,表,9,あひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事(なにごと)なりとも
1530,上,77,表,10,答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ侍らん」と
1531,上,77,裏,1,と[* 「と」衍字]申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はか
1532,上,77,裏,2,ばかしき事は、片端(かたはし)も学(まね)び知り侍らねば、
1533,上,77,裏,3,尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、おぼ
1534,上,77,裏,4,つかなき事をこそ問ひ奉(たてまつ)らめ」と申されけり。「まして、
1535,上,77,裏,5,こゝもとの浅(あさ)き事は、何事なりとも明(あき)らめ申さん」
1536,上,77,裏,6,と言はれければ、近習(きんじゆ)の人々、女房なども、「興(きやう)あるあら
1537,上,77,裏,7,がひなり。同じくは、御前(ごぜん)にて争はるべし。負け
1538,上,77,裏,8,たらん人は、供御(ぐご)をまうけらるべし」と定めて、御
1539,上,77,裏,9,前にて召し合はせられたりけるに、具氏、「幼(をさな)くて
1540,上,77,裏,10,より聞き習ひ侍れど、その心(こころ)を知らぬこと侍り。『む
1541,上,78,表,1,まのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、く
1542,上,78,表,2,れんどう』と申す事は、如何(いか)なる心(こころ)にか侍らん。承(うけたまは)らん」と
1543,上,78,表,3,申されけるに、大納言入道、はたと詰(つま)りて、「これはそゞ
1544,上,78,表,4,ろごとなれば、言ふにも足(た)らず」と言はれけるを、「本(もと)より
1545,上,78,表,5,深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉(たてまつ)らんと定
1546,上,78,表,6,め申しつ」と申されければ、大納言入道、負(まけ)になりて、
1547,上,78,表,7,所課(しよくわ)いかめしくせられたりけるとぞ。▼第百三十六段
1548,上,78,表,8,医師篤成(くすしあつしげ)、故法皇(こほふわう)の御前(ごぜん)に候ひて、供御(ぐご)
1549,上,78,表,9,の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字(もんじ)も
1550,上,78,表,10,功能(くのう)も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草(ほんざう)に御覧(ごらん)じ
1551,上,78,裏,1,合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申し
1552,上,78,裏,2,ける時しも、六条故内府(ろくでうのこだいふ)参り給ひて、「有房(ありふさ)、つ
1553,上,78,裏,3,いでに物(もの)習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、
1554,上,78,裏,4,いづれの偏(へん)にか侍らん」と問はれたりけるに、「土
1555,上,78,裏,5,偏(どへん)に候ふ」と申したりければ、「才(ざえ)の程(ほど)、既にあらはれ
1556,上,78,裏,6,にたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と
1557,上,78,裏,7,申されけるに、どよみに成りて、罷(まか)り出でにけり。徒然草下▼第百三十七段
1558,下,1,表,1,花は盛(さか)りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは。雨に
1559,下,1,表,2,対(むか)ひて月を恋(こ)ひ、垂(た)れこめて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、
1560,下,1,表,3,なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢(こずえ)、散り
1561,下,1,表,4,萎(しを)れたる庭などこそ、見所(みどころ)は多けれ。歌の詞
1562,下,1,表,5,書(ことばがき)にも、「花見(はなみ)にまかりけるに、早く散り過ぎに
1563,下,1,表,6,ければ」とも、「障(さは)る事ありてまからで」など書けるは、「花
1564,下,1,表,7,を見て」と言へるに劣(おと)れる事かは。花の散り、月
1565,下,1,表,8,の傾(かたぶ)くを慕(した)ふ習(なら)ひはさる事なれど、殊(こと)にかた
1566,下,1,表,9,くななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所(みどころ)な
1567,下,1,表,10,し」などは言ふめる。万(よろづ)の事、始め・終りこそ
1568,下,1,裏,1,をかしけれ。男女(をとこおんな)の情(なさけ)も、ひとへに逢(あ)ひ見るをば言ふものかは。
1569,下,1,裏,2,逢はで止(や)みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長
1570,下,1,裏,3,き夜を独(ひと)り明し、遠き雲井(くもゐ)を思ひやり、浅
1571,下,1,裏,4,茅(あさぢ)が宿に昔を偲(しの)ぶこそ、色好(いろこの)むとは言はめ。望月(もちづき)の
1572,下,1,裏,5,隈なきを千里(ちさと)の外(ほか)まで眺(なが)めたるよりも、暁(あかつき)
1573,下,1,裏,6,近くなりて待ち出でたるが、いと心(こころ)深(ぶか)う青みたる
1574,下,1,裏,7,やうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木(こ)の間(ま)の
1575,下,1,裏,8,影、うちしぐれたる村雲隠(むらぐもがく)れのほど、又(また)なくあはれなり。
1576,下,1,裏,9,椎柴(しひしば)・白樫(しらかし)などの、濡(ぬ)れたるやうなる葉の上にきら
1577,下,1,裏,10,めきたるこそ、身に沁(し)みて、心(こころ)あらん友もがなと、都恋(みやここひ)
1578,下,2,表,1,しう覚ゆれ。すべて、月・花は、さのみ目にて見るもの
1579,下,2,表,2,かは。春は家に立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)のうちな
1580,下,2,表,3,がらも思へるこそ、〔いと〕たのもしうをかしけれ。よき人は、ひ
1581,下,2,表,4,とへに好(す)けるさまにも見えず、興(きよう)ずるさまも等閑(なほざり)
1582,下,2,表,5,なり。片田舎(かたゐなか)の人こそ、色こく、万はもて興(きよう)
1583,下,2,表,6,ずれ。花の本(もと)には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせず
1584,下,2,表,7,まもりて、酒飲み、連歌(れんが)して、果(はて)は、大きなる枝、心(こころ)なく
1585,下,2,表,8,折り取りぬ。泉(いづみ)にては手足さし浸(ひた)し、雪には下(お)り
1586,下,2,表,9,立ちて跡(あと)つけなど、万の物、よそながら見ること
1587,下,2,表,10,なし。さやうの人の祭見しさま、いと珍(めづ)らかなりき。
1588,下,2,裏,1,「見る事(こと)いと遅し。そのほどは桟敷(さじき)不用(ふよう)なり」とて、
1589,下,2,裏,2,奥なる屋(や)に、酒飲み、物食ひ、碁・双六など遊びて、
1590,下,2,裏,3,桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」と言ふ時
1591,下,2,裏,4,に、おのおの肝潰(きもつぶ)るゝやうに争(あらそ)ひ走り上
1592,下,2,裏,5,りて、落ちぬべきまで簾(すだれ)張り出でて、押し合ひ
1593,下,2,裏,6,つゝ、一事(ひとこと)も見洩(もら)さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と
1594,下,2,裏,7,物毎(ものごと)に言ひて、渡り過ぎぬれば、「又(また)渡らんほど」とて
1595,下,2,裏,8,下りぬ。たゞ、物をのみ見んとするなるべし。都の
1596,下,2,裏,9,人のゆゝしげなるは、睡(ねぶ)りて、いとも見ず。若く
1597,下,2,裏,10,末々(すえずえ)なるは、宮仕(づか)へに立ち居(ゐ)、人の後(うしろ)に
1598,下,3,表,1,侍ふは、様(さま)あしくも及びかゝらず、わりなく見ん
1599,下,3,表,2,とする人もなし。何となく葵(あふひ)懸け渡して
1600,下,3,表,3,なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する
1601,下,3,表,4,車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれ
1602,下,3,表,5,ば、牛飼(うしかひ)・下部(しもべ)などの見知れるもあり。をかしくも、きら
1603,下,3,表,6,きらしくも、さまざまに行(ゆ)き交(か)ふ、見るもつれづれ
1604,下,3,表,7,ならず。暮るゝほどには、立て並(なら)べつる車ども、所(ところ)せく
1605,下,3,表,8,並(な)みゐたる人も、いづかたへか行き帰らん、程(ほど)なく稀(まれ)
1606,下,3,表,9,に成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、
1607,下,3,表,10,簾(すだれ)・畳(たたみ)も取り払ひ、目の前にさびしげに
1608,下,3,裏,1,なりゆくこそ、世の例(ためし)も思ひ知られて、あはれなれ。
1609,下,3,裏,2,大路(おほち)見たるこそ、祭見たるにてはあれ。かの桟
1610,下,3,裏,3,敷(さじき)の所をこゝら行(ゆ)き交ふ人の、見知れるがあまた
1611,下,3,裏,4,あるにて、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この
1612,下,3,裏,5,人皆失(う)せなん後(のち)、我が身死ぬべきに定まりたり
1613,下,3,裏,6,とも、ほどなく待(ま)ちつけぬべし。大きなる器(うつはもの)に
1614,下,3,裏,7,水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴(しただ)ること少(すくな)
1615,下,3,裏,8,しといふとも、怠(おこた)る間なく洩(も)りゆかば、やがて尽き
1616,下,3,裏,9,ぬべし。都の中(うち)に多き人、死なざる日はあるべからず。一日
1617,下,3,裏,10,に一人・二人のみならんや。鳥部野(とりべの)・舟岡(ふなをか)、さらぬ野(の)
1618,下,4,表,1,山(やま)にも、送る数多かる日はあれども、送らぬ日は
1619,下,4,表,2,なし。されば、棺(ひつぎ)を鬻(ひさ)く者、作りてうち置く
1620,下,4,表,3,ほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ
1621,下,4,表,4,懸けぬは死期(しご)なり。今日(けふ)まで遁(のが)れ来にけるは、ありがたき
1622,下,4,表,5,不思議なり。暫(しば)しも世をのどかに思ひなんや。継子
1623,下,4,表,6,立(ままこだて)といふものを双六(すぐろく)の石にて作りて、立て並べ
1624,下,4,表,7,たるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、数へ
1625,下,4,表,8,当てて一つを取りぬれば、その外は遁(のが)れぬと見れど、
1626,下,4,表,9,又々(またまた)数ふれば、彼是間抜(かれこれまぬ)き行くほどに、いづれも
1627,下,4,表,10,遁(のが)れざるに似たり。兵(つはもの)の、軍(いくさ)に出づるは、死に近き
1628,下,4,裏,1,ことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背
1629,下,4,裏,2,ける草の庵(いほり)には、閑(しづ)かに水石(すゐせき)を翫(もてあそ)びて、これを
1630,下,4,裏,3,余所(よそ)に聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、
1631,下,4,裏,4,無常の敵競(かたききほ)ひ来(きた)らざらんや。その、死に
1632,下,4,裏,5,臨(のぞ)める事、軍(いくさ)の陣(ぢん)に進めるに同じ。▼第百三十八段
1633,下,4,裏,6,「祭過ぎぬれば、後(のち)の葵(あふひ)不用(ふよう)なり」とて、或人の、御簾(みす)
1634,下,4,裏,7,なるを皆取らせられ侍りしが、色(いろ)もなく覚え〔侍り〕しを、よ
1635,下,4,裏,8,き人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひし
1636,下,4,裏,9,かど、周防内侍(すはうのないし)が、かくれどもかひなき物はもろとも
1637,下,4,裏,10,にみすの葵の枯葉(かれは)なりけりと詠(よ)めるも、母屋(もや)の御
1638,下,5,表,1,簾(みす)に葵の懸(かか)りたる枯葉を詠めるよし、家(いへ)の集(しふ)に
1639,下,5,表,2,も書けり。古き歌の詞書(ことがき)に、「枯れたる葵にさ
1640,下,5,表,3,して遣(つか)はしける」とも侍り。枕草子にも、「来(こ)しかた
1641,下,5,表,4,恋(こひ)しき事、書きたる葵」と書けるこそ、いみじくなつ
1642,下,5,表,5,かしう思ひ寄りたれ。鴨長明が四季物語(しきのものがたり)
1643,下,5,表,6,にも、「玉垂(たまだれ)に後(のち)の葵は留(とま)りけり」とぞ書ける。己(おの)
1644,下,5,表,7,れと枯(か)るだにこそあるを、名残(なごり)なく、いかゞ取り捨つべ
1645,下,5,表,8,き。御帳(みちやう)に懸(かか)れる薬玉(くすだま)も、九月九日(ながつきここのか)、菊に取り替へら
1646,下,5,表,9,るゝといへば、菖蒲(しやうぶ)は菊の折(をり)までもあるべきにこそ。
1647,下,5,表,10,枇杷皇太后宮(びはのくわうたいこうくう)かくれ給ひて後(のち)、古き御帳の
1648,下,5,裏,1,内(うち)に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、
1649,下,5,裏,2,「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨(べん)の乳母(めのと)の言へる返
1650,下,5,裏,3,事(かへりこと)に、「あやめの草(くさ)はありながら」とも、江侍従(ごうじじう)が詠みし
1651,下,5,裏,4,ぞかし。▼第百三十九段
1652,下,5,裏,5,家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふ)もよし。花は、一
1653,下,5,裏,6,重(ひとへ)なる、よし。八重桜(やへざくら)は、奈良の都にのみありけるを、
1654,下,5,裏,7,この比(ごろ)ぞ、世には多く成り侍るなる。吉野の花、左近(さこん)の
1655,下,5,裏,8,桜、皆、一重(ひとへ)にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)の
1656,下,5,裏,9,ものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。
1657,下,5,裏,10,遅桜(おそざくら)、又(また)すさまじ。虫の附(つ)きたるもむつかし。梅は、白
1658,下,6,表,1,き・薄紅梅(うすこうばい)。一重なるが疾(と)く咲きたるも、重(かさ)なり
1659,下,6,表,2,たる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、
1660,下,6,表,3,桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧(けお)されて、枝に萎(しぼ)
1661,下,6,表,4,みつきたる、心(こころ)うし。「一重なるが、まづ咲きて、散り
1662,下,6,表,5,たるは、心(こころ)疾く、をかし」とて、京極入道中納言(きやうごくのにふだうちゆうなごん)は、なほ、一重梅
1663,下,6,表,6,をなん、都(みやこ)近く植ゑられたりける。京極の屋(や)の南
1664,下,6,表,7,向きに、今も二本(ふたもと)侍るめり。柳、又(また)をかし。卯月(うづき)ばかりの
1665,下,6,表,8,若楓(わかかへで)、すべて、万(よろづ)の花・紅葉(もみぢ)にもまさりて
1666,下,6,表,9,めでたきものなり。橘(たちばな)・桂(かつら)、いづれも、木はもの
1667,下,6,表,10,古(ふ)り、大きなる、よし。草は、山吹(やまぶき)・藤(ふぢ)・杜若(かきつばた)・撫子(なでしこ)。
1668,下,6,裏,1,池には、蓮(はちす)。秋の草は、荻(をぎ)・薄(すすき)・桔梗(きちかう)・萩(はぎ)・女郎花(をみなへし)・
1669,下,6,裏,2,藤袴(ふぢばかま)・紫苑(しをに)・吾木香(われもかう)・刈萱(かるかや)・竜胆(りんだう)・菊。黄菊(きぎく)
1670,下,6,裏,3,も。蔦(つた)・葛(くず)・朝顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、墻(かき)に
1671,下,6,裏,4,繁(しげ)からぬ、よし。この外(ほか)の、世に稀(まれ)なるもの、唐めきたる名
1672,下,6,裏,5,の聞きにくゝ、花も見馴(な)れぬなど、いとなつかしからず。大方(おほかた)、
1673,下,6,裏,6,何(なに)も珍(めづ)らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興(きよう)ずる
1674,下,6,裏,7,物なり。さやうのもの、なくてありなん。▼第百四十段
1675,下,6,裏,8,身(み)死して財(たから)残る事は、智者(ちしや)のせざる処(ところ)なり。よからぬ
1676,下,6,裏,9,物蓄(たくは)へ置きたるもつたなく、よき物は、心(こころ)を止(と)め
1677,下,6,裏,10,けんといとはかなし。こちたく多かる、まして口惜(くちを)し。
1678,下,7,表,1,「我こそ得(え)め」など言ふ者どもありて、跡(あと)に争ひたる、様(さま)あ
1679,下,7,表,2,し。後(のち)は誰(たれ)にと志(こころざ)す物あらば、生けらんうちにぞ譲(ゆづ)る
1680,下,7,表,3,べき。朝夕(あさゆふ)なくて叶(かな)はざらん物こそあらめ、その外(ほか)は、
1681,下,7,表,4,何も持たでぞあらまほしき。▼第百四十一段
1682,下,7,表,5,悲田院尭蓮(ひでんゐんのげうれん)上人は、俗姓(ぞくしやう)は三浦(みうら)の某(なにがし)と
1683,下,7,表,6,かや、双(さう)なき武者(むしや)なり。故郷(ふるさと)の人(きた)の来て、物語(ものがたり)
1684,下,7,表,7,すとて、「吾妻(あづま)の人(ひと)こそ、言ひつる事は頼(たの)まるれ、都
1685,下,7,表,8,の人は、ことうけのみよくて、実(まこと)なし」と言ひしを、
1686,下,7,表,9,聖、「それはさこそおぼすらめど、己れは都に久しく住み
1687,下,7,表,10,て、馴(な)れて見侍るに、人の心(こころ)劣(おと)れりとは思ひ侍らず。
1688,下,7,裏,1,なべて、心(こころ)柔(やはら)かに、情(なさけ)ある故に、人の言ふ
1689,下,7,裏,2,ほどの事、けやけく否(いな)び難(がた)くて、万(よろづ)え言ひ放(はな)た
1690,下,7,裏,3,ず、心(こころ)弱くことうけしつ。偽(いつは)りせんとは思はねど、
1691,下,7,裏,4,乏(とも)しく、叶(かな)はぬ人のみあれば、自(おのづか)ら、本意(ほんい)通(とほ)らぬ
1692,下,7,裏,5,事多かるべし。吾妻人(あづまうど)は、我が方(かた)なれど、げには、心(こころ)
1693,下,7,裏,6,の色なく、情(なさけ)おくれ、偏(ひとへ)にすぐよかなるものな
1694,下,7,裏,7,れば、始めより否(いな)と言ひて止みぬ。賑(にぎ)はひ、豊(ゆた)かな
1695,下,7,裏,8,れば、人には頼まるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ、
1696,下,7,裏,9,この聖、声うち歪(ゆが)み、荒々(あらあら)しくて、聖教(しやうげう)の細や
1697,下,7,裏,10,かなる理(ことわり)いと辨(わきま)へずもやと思ひしに、この人(ひと)
1698,下,8,表,1,詞(ことば)の後(のち)、心(こころ)にくゝ成りて、多かる中(なか)に寺をも住持(ぢゆうぢ)せ
1699,下,8,表,2,らるゝは、かく柔(やはら)ぎたる所ありて、その益(やく)もあるに
1700,下,8,表,3,こそと覚え侍りし。▼第百四十二段
1701,下,8,表,4,心(こころ)なしと見ゆる者も、よき一言(ひとこと)はいふものなり。ある
1702,下,8,表,5,荒夷(あらえびす)の恐しげなるが、かたへにあひて、「御子(おこ)
1703,下,8,表,6,はおはすや」と問ひしに、「一人(ひとり)も持ち侍らず」と答へし
1704,下,8,表,7,かば、「さては、もののあはれも知り給はじ。情(なさけ)なき
1705,下,8,表,8,御心(みこころ)にぞものし給ふらん、いと恐し。子故(ゆゑ)にこそ、〔万の〕
1706,下,8,表,9,あはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべ
1707,下,8,表,10,き事なり。恩愛(おんない)の道ならでは、かゝる者の心(こころ)に、慈悲(じひ)
1708,下,8,裏,1,ありなんや。孝養(けうやう)の心(こころ)なき者も、子持ちてこそ、親の
1709,下,8,裏,2,志(こころざし)は思ひ知るなれ。すみやかに世を思ひ捨てたる〔人の、万に
1710,下,8,裏,3,するすみなるが〕ままに、なべて、ほだし多かる人の、万に諂(へつら)ひ、
1711,下,8,裏,4,望み深きを見て、無下(むげ)に思ひくたすは、僻事(ひがこと)
1712,下,8,裏,5,なり。その人の心(こころ)に成りて思へば、まことに、かなしからん親
1713,下,8,裏,6,のため、妻子(さいし)のためには、恥(はぢ)をも忘れ、盗(ぬす)みもしつべ
1714,下,8,裏,7,き事なり。されば、盗人(ぬすびと)を縛(いまし)め、僻事をのみ罪
1715,下,8,裏,8,せんよりは、世の人の饑(う)ゑず、寒からぬやうに、世をば行(おこな)は
1716,下,8,裏,9,まほしきなり。人、恒(つね)の産(さん)なき時は、恒の心(こころ)なし。人、
1717,下,8,裏,10,窮(きは)まりて盗みす。世治(をさま)らずして、凍餒(とうたい)の苦
1718,下,9,表,1,しびあらば、科(とが)の者絶(た)ゆべからず。人を苦しめ、法(ほふ)を犯
1719,下,9,表,2,さしめて、それを罪(つみ)なはん事、不便(ふびん)のわざなり。さて、
1720,下,9,表,3,いかにして人を恵(めぐ)むべきとならば、上(かみ)の奢(おご)り、費(つひや)す
1721,下,9,表,4,所を止(や)め、民を撫(な)で、農を勧めば、下(しも)に利あらん事、疑
1722,下,9,表,5,ひあるべからず。衣食尋常(いしよくよのつね)なる上(うへ)に僻事せん人をぞ、
1723,下,9,表,6,真(まこと)の盗人とは言ふべき。▼第百四十三段
1724,下,9,表,7,人の終焉(しゆうえん)の有様(ありさま)のいみじかりし事など、人の
1725,下,9,表,8,語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば
1726,下,9,表,9,心(こころ)にくかるべきを、愚(おろ)かなる人は、あやしく、異(こと)なる相(さう)
1727,下,9,表,10,を語りつけ、言ひし言葉も振舞(ふるまひ)も、己れが好
1728,下,9,裏,1,む方(かた)に誉めなすこそ、その人の日来(ひごろ)の本意(ほんい)にもあらず
1729,下,9,裏,2,やと覚ゆれ。この大事(だいじ)は、権者(ごんじや)の人も定(さだ)むべからず。博学(はくがく)の
1730,下,9,裏,3,士も測(はか)るべからず。己れ違(たが)ふ所なくは、人の見聞くには
1731,下,9,裏,4,よるべからず。▼第百四十四段
1732,下,9,裏,5,栂尾(とがのを)の上人(しやうにん)、道を過ぎ給ひけるに、河(かは)にて馬洗ふ男、
1733,下,9,裏,6,「あしあし」と言ひければ、上人立ち止(どま)りて、「あな尊(たふと)
1734,下,9,裏,7,や。宿執開発(しゆくしふかいほつ)の人かな。阿字(あじ)阿字と唱(とな)ふるぞや。如何(いか)なる
1735,下,9,裏,8,人の御馬(おんうま)ぞ。余りに尊(たふと)く覚(おぼ)ゆるは」と尋ね給ひければ、
1736,下,9,裏,9,「府生殿(ふしやうどの)の御馬に候ふ」と答へけり。「こはめでたき事かな。
1737,下,9,裏,10,阿字本不生(あじほんふしやう)にこそあんなれ。うれしき結縁(けちえん)をもしつる
1738,下,10,表,1,かな」とて、感涙(かんるゐ)を拭(のご)はれけるとぞ。▼第百四十五段
1739,下,10,表,2,御随身(みずゐじん)秦(はだの)重能【*重躬】(しげみ)、北面の下野(しもつけの)入道(にふだう)信願(しんぐわん)を、「落馬(らくば)の相(さう)ある
1740,下,10,表,3,人なり。よくよく慎み給へ」と言ひけるを、いと真(まこと)し
1741,下,10,表,4,からず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長(ちやう)じ
1742,下,10,表,5,ける一言(ひとこと)、神の如しと人思へり。さて、「如何(いか)なる相ぞ」と人の
1743,下,10,表,6,問ひければ、「極(きは)めて桃尻(ももじり)にして、沛艾(はいがい)の馬を好みし
1744,下,10,表,7,かば、この相を負(おほ)せ侍りき。何時(いつ)かは申し誤りたる」とぞ言ひ
1745,下,10,表,8,ける。▼第百四十六段
1746,下,10,表,9,明雲座主(めいうんざす)、相者(さうじや)にあひ給ひて、「己れ、もし兵杖(ひやうぢやう)の難(なん)
1747,下,10,表,10,やある」と尋ね給ひければ、相人(さうにん)、「まことに、その相
1748,下,10,裏,1,おはします」と申す。「如何なる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷
1749,下,10,裏,2,害(しやうがい)の恐れおはしますまじき御身(おんみ)にて、仮(かり)にも、
1750,下,10,裏,3,かく思(おぼ)し寄りて、尋ね給ふ、これ、既(すで)に、その危(あやぶ)みの兆(きざし)
1751,下,10,裏,4,なり」と申しけり。果(はた)して、矢に当りて失せ
1752,下,10,裏,5,給ひけり。▼第百四十七段
1753,下,10,裏,6,灸治(きうぢ)、あまた所に成りぬれば、神事(じんじ)に穢(けが)れありと
1754,下,10,裏,7,いふ事、近くの人の言ひ出(いだ)せるなり。格式等(きやくしきとう)にも見
1755,下,10,裏,8,えずとぞ。▼第百四十八段
1756,下,10,裏,9,四十以後(しじふいご)の人、身に灸(きふ)を加(くは)へて、三里(さんり)を焼かざれば、上
1757,下,10,裏,10,気(じやうき)の事あり。必ず灸すべし。▼第百四十九段 鹿茸(ろくじよう)を鼻に当てて
1758,下,11,表,1,嗅(か)ぐべからず。小(ちひ)さき虫ありて、鼻より入(い)りて、脳を
1759,下,11,表,2,食(は)むと言へり。▼第百五十段
1760,下,11,表,3,能(のう)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に
1761,下,11,表,4,知られじ。うちうちよく習ひ得(え)て、さし出でたらんこそ、〔いと〕
1762,下,11,表,5,心(こころ)にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸(いちげい)も習ひ
1763,下,11,表,6,得(う)ることなし。未(いま)だ堅固(けんご)かたほなるより、上手(じやうず)の中に
1764,下,11,表,7,交りて、毀(そし)り笑はるゝにも恥(は)ぢず、つれなく
1765,下,11,表,8,過ぎて嗜(たしな)む人、天性(てんぜい)、その骨(こつ)なけれども、道(みち)
1766,下,11,表,9,になづまず、濫(みだ)りにせずして、年を送れば、堪
1767,下,11,表,10,能(かんのう)の嗜まざるよりは、終(つひ)に上手の位(くらゐ)に至り、
1768,下,11,裏,1,徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得(う)る事なり。
1769,下,11,裏,2,天下(てんか)のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞(きこ)えも
1770,下,11,裏,3,あり、無下(むげ)の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟
1771,下,11,裏,4,正(おきてただ)しく、これを重くして、放埒(はうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)
1772,下,11,裏,5,にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道変(しよだうかは)るべからず。▼第百五十一段
1773,下,11,裏,6,或(ある)人(ひと)の云はく、年五十(ごじふ)になるまで上手に至らざらん芸(げい)
1774,下,11,裏,7,をば捨つべきなり。励(はげ)み習ふべき行末(ゆくすゑ)もなし。老
1775,下,11,裏,8,人(らうじん)の事をば、人もえ笑はず。衆(しゆ)に交りたるも、あ
1776,下,11,裏,9,いなく、見ぐるし。大方(おほかた)、万(よろづ)のしわざは止(や)めて、暇(いとま)
1777,下,11,裏,10,あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に携(たづさ)
1778,下,12,表,1,はりて生涯を暮(くら)すは、下愚(かぐ)の人なり。ゆかしく覚(おぼ)えん
1779,下,12,表,2,事は、学び訊(き)くとも、その趣(おもむき)を知りなば、おぼつ
1780,下,12,表,3,かなからずして止(や)むべし。もとより、望むことなくして
1781,下,12,表,4,うらやまざらんは、第一〔の事〕なり。▼第百五十二段
1782,下,12,表,5,西大寺静然上人(さいだいじのじやうねん)、腰屈(かが)まり、眉(まゆ)白く、まことに徳
1783,下,12,表,6,たけたる有様(ありさま)にて、内裏(だいり)へ参られたりけるを、西園
1784,下,12,表,7,寺内大臣殿(さいをんじのないだいじんどの)、「あな尊(たふと)の気色(けしき)や」とて、信仰(しんがう)の気
1785,下,12,表,8,色(きそく)ありければ、資朝卿(すけとものきやう)、これを見て、「年の寄(よ)りたる
1786,下,12,表,9,に候(さうら)ふ」と申されけり。後日(ごにち)に、尨犬(むくいぬ)のあさましく老(お)いさら
1787,下,12,表,10,ぼひて、毛(け)剥(は)げたるを曳(ひ)かせて、「この気色(けしき)尊(たふと)く見え
1788,下,12,裏,1,て候ふ」とて、内府(だいふ)へ参らせられたりけるとぞ。▼第百五十三段
1789,下,12,裏,2,為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう)、召し捕(と)られて、武士どもうち囲(かこ)み
1790,下,12,裏,3,て、六波羅(ろくはら)へ率(ゐ)て行(ゆ)きければ、資朝卿(すけとものきやう)、一条わたりにて
1791,下,12,裏,4,これを見て、「あな羨(うらや)まし。世にあらん思い出、かく
1792,下,12,裏,5,こそあらまほしけれ」とぞ言はれける。▼第百五十四段
1793,下,12,裏,6,この人、東寺(とうじ)の門に雨宿(あまやど)りせられたりけるに、かたは者
1794,下,12,裏,7,どもの集(あつま)りゐたるが、手も足も捩(ね)ぢ歪(ゆが)み、うち
1795,下,12,裏,8,反(かへ)りて、いづくも不具(ふぐ)に異様(ことやう)なるを見て、とりどり
1796,下,12,裏,9,に類(たぐひ)なき曲物(くせもの)なり、尤(もつと)も愛するに足(た)れり
1797,下,12,裏,10,と思ひて、守(まぼ)り給ひけるほどに、やがてその興(きよう)尽(つ)きて、
1798,下,13,表,1,見にくゝ、いぶせく覚(おぼ)えければ、たゞ素直(すなほ)に珍(めづ)らし
1799,下,13,表,2,からぬ物には如(し)かずと思ひて、帰りて後(のち)、この間、植木を好
1800,下,13,表,3,みて、異様(ことやう)に曲折(きよくせつ)あるを求めて、目を喜(よろこ)ばしめ
1801,下,13,表,4,つるは、かのかたはを愛するなりけりと、興(きよう)なく覚え
1802,下,13,表,5,ければ、鉢に植ゑられける木ども、皆焼き捨てられにけ
1803,下,13,表,6,り。さもありぬべき事なり。▼第百五十五段
1804,下,13,表,7,世に従(したが)はん人は、先(ま)づ、機嫌(きげん)を知るべし。序悪(ついであ)しき事
1805,下,13,表,8,は、人の耳にも逆(さか)ひ、心(こころ)にも違(たが)ひて、その事成らず。
1806,下,13,表,9,さやうの折節(をりふし)を心得(こころう)べきなり。但(ただ)し、病(やまひ)を受け、子を生
1807,下,13,表,10,み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事
1808,下,13,裏,1,なし。生(しやう)・住(ぢゆう)・異(い)・滅(めつ)の移り変る、実(まこと)の大事は、猛(たけ)き
1809,下,13,裏,2,河(かは)の漲(みなぎり)り流るゝが如し。暫(しば)しも滞(とどこほ)らず、
1810,下,13,裏,3,直(ただ)ちに行(おこな)ひゆくものなり。されば、真俗(しんぞく)につけて、
1811,下,13,裏,4,必ず果(はた)し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべか
1812,下,13,裏,5,らず。とかくのもよひなく、足を踏み止(とど)むまじき
1813,下,13,裏,6,事なり。春暮れて後(のち)、夏になり、夏果てて、秋の来るに
1814,下,13,裏,7,はあらず。春はやがて夏の気(き)を催(もよほ)し、夏より既に
1815,下,13,裏,8,秋は通(かよ)ひ、秋は即(すなは)ち寒くなり、十月は小春(こはる)の天気(てんき)、草
1816,下,13,裏,9,も青くなり、梅も蕾(つぼ)みぬ。木(こ)の葉(は)の落つるも、先(ま)づ落
1817,下,13,裏,10,ちて芽(め)ぐむにはあらず、下(した)より萌(きざ)しつはるに堪(た)へず
1818,下,14,表,1,して落つるなり。迎(むか)ふ気(き)、下に設けたる故に、待ち
1819,下,14,表,2,とる序甚(はなは)だ速し。生・老(らう)・病(びやう)・死(し)の移り来(きた)る事、
1820,下,14,表,3,又(また)、これに過ぎたり。四季は、なほ、定(さだ)まれる序あり。死期(しご)
1821,下,14,表,4,は序(ついで)を待たず。死は、前よりしも来(きた)らず。かねて
1822,下,14,表,5,後(うしろ)に迫る。人皆死(し)ある事を知りて、待つことしかも
1823,下,14,表,6,急(きふ)ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟(ひがた)は遥(はる)か
1824,下,14,表,7,なれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満つが如し。▼第百五十六段
1825,下,14,表,8,大臣(だいじん)の大饗(だいきよう)は、さるべき所を申(まう)し請(う)けて行ふ、常(つね)の事
1826,下,14,表,9,なり。宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどの)は、東(とう)三条殿(さんでうどの)にて行はる。内裏(だいり)
1827,下,14,表,10,にてありけるを、申されけるによりて、他所(たしよ)へ行幸(ぎやうがう)ありけり。
1828,下,14,裏,1,させる事の寄(よ)せなけれども、女院(にようゐん)の御所など借り申す、故実(こしつ)
1829,下,14,裏,2,なりとぞ。▼第百五十七段
1830,下,14,裏,3,筆を取れば物書かれ、楽器(がくき)を取れば音(ね)を立てんと
1831,下,14,裏,4,思ふ。盃(さかづき)を取れば酒を思ひ、賽(さい)を取れば攤(だ)打たん
1832,下,14,裏,5,事を思ふ。心(こころ)は、必ず、事(こと)に触れて来る。仮にも、
1833,下,14,裏,6,不善(ふぜん)の戯(たわぶ)れをなすべからず。あからさまに聖教(しやうげう)の一
1834,下,14,裏,7,句(いつく)を見れば、何となく、前後(ぜんご)の文(もん)も見ゆ。卒爾(そつじ)にし
1835,下,14,裏,8,て多年(たねん)の非を改むる事もあり。仮に、今、この
1836,下,14,裏,9,文を披(ひろ)げざらましかば、この事を知らんや。これ則ち、触るゝ所
1837,下,14,裏,10,の益(やく)なり。心(こころ)更(さら)に起らずとも、仏前(ぶつぜん)にありて、数珠(じゆず)を
1838,下,15,表,1,取り、経(きやう)を取らば、怠るうちにも善業自(ぜんごふおのづか)ら
1839,下,15,表,2,修せられ、散乱(さんらん)の心(こころ)ながら縄床(じようしやう)に座(ざ)せば、覚えずし
1840,下,15,表,3,て禅定成(ぜんぢやうな)るべし。事(じ)・理(り)もとより二つならず。外相(げさう)も
1841,下,15,表,4,し背かざれば、内証(ないしよう)必ず熟す。強ひて不信と
1842,下,15,表,5,言ふべからず。仰(あふ)ぎてこれを尊(たふと)むべし。▼第百五十八段
1843,下,15,表,6,「盃(さかづき)の底捨つる事、いかゞ心得たる」と、或(ある)人尋ねさせ給ひし
1844,下,15,表,7,に、「凝当(ぎやうだう)と申し侍るは、底に凝(こ)りたるを捨つるにや候ふらん」と申し
1845,下,15,表,8,侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ぎよだう)なり。流れを残して、口の
1846,下,15,表,9,付(つ)きたる所を滌(すす)ぐなり」と仰(おほ)せられし。▼第百五十九段
1847,下,15,表,10,「にな結(むす)びと言ふは、糸を結び重(かさ)ねたるが、蜷(みな)といひ貝
1848,下,15,裏,1,に似たれば言ふ」と、或やんごとなき人の仰せられき。
1849,下,15,裏,2,「みな」といふは誤(あやまり)なり。▼第百六十段
1850,下,15,裏,3,門(もん)に額(がく)〔懸(か)くるを〕「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路(かでのこうぢの)二品禅門(にほんぜんもん)は、
1851,下,15,裏,4,「額懸くる」とのたまひき。「見物(けんぶつ)の桟敷(さじき)打つ」も、よからぬにや。
1852,下,15,裏,5,「平張(ひらばり)打つ」などは、常の事なり。「桟敷構(かま)ふる」などなり。
1853,下,15,裏,6,「護摩(ごま)焚(た)く」と言ふも、わろし。「修(しゆ)する」「護摩(ごま)する」などなり。
1854,下,15,裏,7,「行法(ぎやうぼふ)も、法(ほふ)の字清(す)みて言ふは、わろし。濁(にご)りて言ふ」と、
1855,下,15,裏,8,清閑寺僧正(せいがんじのそうじやう)仰(おほ)せられき。常に言ふ事に、かゝる事
1856,下,15,裏,9,のみ多し。▼第百六十一段
1857,下,15,裏,10,花の盛(さか)りは、冬至(とうじ)より百五十日とも、時正(じしやう)の後(のち)、七日(なぬか)とも言
1858,下,16,表,1,へど、立春(りつしゆん)より七十(しちじふ)五日(ごにち)、大様違(おほやうたが)はず。▼第百六十二段
1859,下,16,表,2,遍照寺(へんぜうじ)の承仕法師(じようじほふし)、池の鳥を日来(ひごろ)飼ひつけて、堂(だう)の
1860,下,16,表,3,内まで餌(ゑ)を撒(ま)きて、戸一つ開けたれば、数も知らず
1861,下,16,表,4,入(い)り籠(こも)りける後(のち)、己れも入りて、たて籠(こ)めて、捕(とら)へつゝ
1862,下,16,表,5,殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞(きこ)えける
1863,下,16,表,6,を、草刈(か)る童(わらは)聞きて、人に告げたりければ、村の男(をのこ)
1864,下,16,表,7,どもおこりて、入りて見るに、大雁(おほかり)どもふためき合へる
1865,下,16,表,8,中(なか)に、法師交(まじ)りて、打ち伏せ、捩(ね)ぢ殺しければ、
1866,下,16,表,9,この法師を捕(とら)へて、所(ところ)より使庁(しちやう)へ出(いだ)したりけり。
1867,下,16,表,10,殺す所の鳥を頸(くび)に懸(か)けさせて、禁獄(きんごく)せられに
1868,下,16,裏,1,けり。基俊(もととし)の大納言、別当(べつたう)の時に〔なん〕侍りける。▼第百三十三段
1869,下,16,裏,2,太衝(たいしよう)の「太(たい)」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽(おんやう)の輩(ともがら)、相論(さうろん)
1870,下,16,裏,3,の事ありけり。盛親入道(もりちかにふだう)申し侍りしは、「吉平(よしひら)が自筆
1871,下,16,裏,4,の占文(せんもん)の裏に書かれたる御記(ぎよき)、近衛関白殿(このゑのくわんばくどの)にあり。
1872,下,16,裏,5,点打ちたるを書きたり」と申しき。▼第百六十四段
1873,下,16,裏,6,世の人相逢(あひあ)ふ時、暫(しばら)くも黙止(もだ)する事なし。必ず
1874,下,16,裏,7,言葉あり。その事を聞くに、多くは無益(むやく)の談(だん)なり。
1875,下,16,裏,8,世間(せけん)の浮説(ふせつ)、人の是非(ぜひ)、自他(じた)のため、失(しつ)多く、得(とく)少
1876,下,16,裏,9,し。これを語る時、互(たが)ひの心(こころ)に、無益(むやく)の事なり
1877,下,16,裏,10,といふ事を知らず。▼第百六十五段
1878,下,17,表,1,吾妻(あづま)の人、都の人に交(まじは)り、都の人の、吾妻に
1879,下,17,表,2,行きて身を立て、又(また)、本寺(ほんじ)・本山を離れぬる、顕密(けんみつ)の
1880,下,17,表,3,僧、すべて、我が俗(ぞく)にあらずして人に交れる、見ぐる
1881,下,17,表,4,し。▼第百六十六段
1882,下,17,表,5,人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏(ゆきぼとけ)を
1883,下,17,表,6,作りて、そのために金銀・珠玉(しゆぎよく)の飾りを営(いとな)み、
1884,下,17,表,7,堂(だう)を建てんとするに似たり。その構(かま)へを待ちて、よく
1885,下,17,表,8,安置(あんぢ)してんや。人の命(いのち)ありと見るほども、下(した)より消
1886,下,17,表,9,ゆる〔こと〕雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ
1887,下,17,表,10,多し。▼第百六十七段
1888,下,17,裏,1,一道(いちだう)に携(たづさ)はる人、あらぬ道の筵(むしろ)に臨みて、「あはれ、
1889,下,17,裏,2,我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と
1890,下,17,裏,3,言ひ、心(こころ)にも思へる事、常のことなれど、よに悪(わろ)
1891,下,17,裏,4,く覚ゆるなり。知らぬ道の羨(うらや)ましく覚(おぼ)えば、「〔あな羨まし。〕
1892,下,17,裏,5,などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智(ち)を取り
1893,下,17,裏,6,出だして人に争ふは、角(つの)ある物の、角を傾(かたぶ)け、
1894,下,17,裏,7,牙(きば)ある物、牙を咬み出だす類(たぐひ)なり。人としては、
1895,下,17,裏,8,善に伐(ほこ)らず、物と争はざるを徳とす。他に勝る
1896,下,17,裏,9,ことのあるは、大きなる失(しつ)なり。品(しな)の高きにても、才芸
1897,下,17,裏,10,のすぐれたるにても、先祖(せんぞ)の誉(ほまれ)にても、人に勝れりと
1898,下,18,表,1,思へる人は、たとひ言葉に出でて〔こそ〕言はねども、内心(ないしん)にそこばく
1899,下,18,表,2,の咎(とが)あり。慎(つつし)みて、これを忘るべし。痴(をこ)にも見え、
1900,下,18,表,3,人にも言ひ消(け)たれ、禍(わざわひ)をも招くは、〔たゞ、〕この慢心(まんしん)なり。
1901,下,18,表,4,一道にもまことに長(ちやう)じぬる人は、自(みづか)ら、明らかに〔その〕
1902,下,18,表,5,是非(ぜひ)を知る故に、志(こころざし)常に満たらずして、〔終(つい)に、〕物に伐
1903,下,18,表,6,る事なし。▼第百六十八段
1904,下,18,表,7,年老(お)いたる人も、一事(いちじ)すぐれたる才能(さいのう)ありて、「この人の
1905,下,18,表,8,後(のち)には、誰にか〔問はん〕」など言はるゝは、老(おい)の方人(かたうど)にて、生(い)ける
1906,下,18,表,9,も徒(いたづ)らならず。さあれど、それも廃(すた)れたる所の
1907,下,18,表,10,なきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙(つたな)く見ゆ。「今は
1908,下,18,裏,1,忘れにけり」と言ひてありなん。大方、知りたりとも、
1909,下,18,裏,2,すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと
1910,下,18,裏,3,聞え、〔おのづから〕誤りもありぬべし。「さだかにも辨(わきま)
1911,下,18,裏,4,へ知らず」など言ひたるは、〔なほ、〕まことの、道の主(あるじ)とも
1912,下,18,裏,5,覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔(がほ)に、おとなし
1913,下,18,裏,6,く、もてきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあ
1914,下,18,裏,7,らず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。▼第百六十九段
1915,下,18,裏,8,「何事(なにごと)の式(しき)といふ事は、後嵯峨(のちのさが)の御代(みよ)までは言はざ
1916,下,18,裏,9,りけるを、近きほどより言ふ詞(ことば)なり」と〔人の〕申し侍りしに、
1917,下,18,裏,10,建礼門院(けんれいもんゐん)の右京大夫(うきやうのだいぶ)、後鳥羽院(ごとばのゐん)御位(おほんくらゐ)の比、又(また)内裏住(うちず)み
1918,下,19,表,1,しける事を言ふに、「世の式(しき)も変(かは)りたる事はなきに」と
1919,下,19,表,2,書きたり。▼第百七十段
1920,下,19,表,3,さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。
1921,下,19,表,4,用ありて行きたりとも、その事果てなば、疾(と)く帰る
1922,下,19,表,5,べし。久しく居たる、いとむつかし。人と向(むか)ひたれば、詞(ことば)
1923,下,19,表,6,多く、身もくたびれ、心(こころ)も閑(しづ)かならず、万の
1924,下,19,表,7,事障(さは)りて時を移す、互ひのためいと益(やく)なし。厭(いと)
1925,下,19,表,8,はしげに言はんもわろし。心(こころ)づきなき事あらん折は、
1926,下,19,表,9,なかなか、その由(よし)をも言ひてん。同じ心(こころ)に向はまほしく
1927,下,19,表,10,思はん人の、つれづれにて、「今暫(しば)し。今日(けふ)は心(こころ)閑(しづ)かに」
1928,下,19,裏,1,など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍(げんせき)が青き眼(まなこ)、
1929,下,19,裏,2,誰にもあるべきことなり。そのこととなきに、人の来て、
1930,下,19,裏,3,のどかに物語して帰りぬる、〔いと〕よし。〔又(また)、〕文(ふみ)も、「久しく
1931,下,19,裏,4,聞(きこ)えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれ
1932,下,19,裏,5,し。▼第百七十一段
1933,下,19,裏,6,貝(かひ)を覆(おほ)ふ人の、我が前なるをば措(お)きて、余所(よそ)を見渡
1934,下,19,裏,7,し、人の袖(そで)のかげ、膝の下まで目を配(くば)る間に、前
1935,下,19,裏,8,なるを人に覆(おほ)はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわり
1936,下,19,裏,9,なく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、
1937,下,19,裏,10,多く覆ふなり。碁盤(ごばん)の隅に石を立てて弾
1938,下,20,表,1,くに、向ひなる石を目守(まぼ)りて弾くは、当らず、我が
1939,下,20,表,2,手許(てもと)をよく見て、こゝなる聖目(ひじりめ)を直(すぐ)に弾け
1940,下,20,表,3,ば、立てたる石、必ず当る。万の事、外(ほか)に向きて
1941,下,20,表,4,求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。清献公(せいけんこう)
1942,下,20,表,5,が言葉に、「好事(かうじ)を行(ぎやう)じて、前程(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。
1943,下,20,表,6,世を保(たも)たん道も、かくや侍らん。内(うち)を慎まずし
1944,下,20,表,7,て、〔軽(かろ)く、ほしきまゝにして、〕濫(みだ)りなれば、遠き国必ず叛(そむ)く時、初めて謀(はかりこと)
1945,下,20,表,8,を求む。「風に当り、湿(しぼ)に臥(ふ)して、病を神
1946,下,20,表,9,霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるが
1947,下,20,表,10,如し。目の前なる人の愁(うれへ)を止(や)め、恵みを施し、道を
1948,下,20,裏,1,正しくせば、その化(くわ)遠く流れん事を知らざるなり。
1949,下,20,裏,2,禹(う)の行きて三苗(さんべう)を征(せい)せしも、師(いくさ)を班(かへ)して徳を
1950,下,20,裏,3,敷(し)くには及(し)かざりき。▼第百七十二段
1951,下,20,裏,4,若き時は、血気(けつき)内に余り、心(こころ)物(もの)に動きて、情欲(じやうよく)多
1952,下,20,裏,5,し。身を危(あやぶ)めて、砕け易(やす)き事、珠(たま)を走ら
1953,下,20,裏,6,しむるに似たり。華麗(かれい)を好みて宝を費(つひや)し、これを
1954,下,20,裏,7,捨てて苔(こけ)の袂(たもと)に窶(やつ)れ、勇(いさ)める心(こころ)盛(さか)りにして、物と
1955,下,20,裏,8,争ひ、心(こころ)に恥(は)ぢ羨(うらや)み、好む所日々(ひび)に定まらず、
1956,下,20,裏,9,色に耽(ふけ)り、情(なさけ)にめで、行(おこな)ひに潔(いさぎよ)くして、〔百年(ももとせ)の身を誤り、〕命
1957,下,20,裏,10,を失へる例(ためし)願はしく〔して〕、身の全(まつた)く、久しか
1958,下,21,表,1,らん事をば思はず、好ける方に心(こころ)ひきて、永き世
1959,下,21,表,2,語(よがた)りともなるは、〔身を誤つ事は、〕若き時のしわざなり。老いぬる人は、
1960,下,21,表,3,精神衰へ、淡(あは)く疎(おろそ)かにして、感じ動く所
1961,下,21,表,4,なし。心(こころ)自(おのづか)ら静かなれば、無益(むやく)のわざを為さず、身
1962,下,21,表,5,を助け愁(うれへ)なく、人の煩(わづら)ひなからん事を思ふ。老い
1963,下,21,表,6,て、智の、若きにまされる事、若くして、かたち
1964,下,21,表,7,の、老いたるにまされるが如し。▼第百七十三段
1965,下,21,表,8,小野小町(をののこまち)が事、極(きは)めて定かならず。衰へたる
1966,下,21,表,9,様は、「玉造(たまつくり)」と言ふ文(ふみ)に見えたり。この文、清行(きよゆき)書けりと
1967,下,21,表,10,いふ説あれど、高野大師(かうやのだいし)の御作(ごさく)の目録に入れり。大
1968,下,21,裏,1,師は承和(じようわ)の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、
1969,下,21,裏,2,その後の事にや。なほおぼつかなし。▼第百七十四段
1970,下,21,裏,3,小鷹(こたか)によき犬、大鷹(おほたか)に使ひぬれば、小鷹にわろく
1971,下,21,裏,4,なるといふ。大(だい)に附き小(せう)を捨つる理(ことわり)、まことにしかなり。
1972,下,21,裏,5,人事(にんじ)多かる中に、道を楽(たの)しむより気味(きみ)深き
1973,下,21,裏,6,はなし。これ、実(まこと)の大事なり。一度、道を聞きて、これを
1974,下,21,裏,7,志さん人、いづれのわざか廃(すた)れざらん、何をか営
1975,下,21,裏,8,まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心(こころ)に
1976,下,21,裏,9,劣らんや。▼第百七十五段
1977,下,21,裏,10,世には、心得ぬ事多きなり。〔ともある毎(ごと)には、まづ、〕何事にも酒を勧
1978,下,22,表,1,めて、強(し)ひ飲ませたるを興(きよう)とする事、如何(いか)なる故とも心(こころ)
1979,下,22,表,2,得ず。飲む人の、顔いと堪へ難(がた)げに眉(まゆ)を顰(ひそ)め、人目を測
1980,下,22,表,3,りて捨てんとし、逃げんとするを、捉(とら)へて引き止め
1981,下,22,表,4,て、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽(たちま)ちに
1982,下,22,表,5,狂人となりてをこがましく、息災(そくさい)なる人も、目の
1983,下,22,表,6,前に大事の病者となりて、前後も知らず倒(たふ)れ
1984,下,22,表,7,伏す。祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。明くる日
1985,下,22,表,8,まで頭(かしら)痛く、物食はれず、によひ臥(ふ)し、生(しやう)を隔てたる
1986,下,22,表,9,やうにして、昨日の事覚えず、公(おほやけ)・私(わたくし)
1987,下,22,表,10,の大事を欠きて、煩(わづら)ひとなる。人をしてかゝる
1988,下,22,裏,1,目を見する事、慈悲(じひ)もなく、礼儀を背けり。かく辛(から)
1989,下,22,裏,2,き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の
1990,下,22,裏,3,国にかゝる習(なら)ひあるなりと、これらになき事にて
1991,下,22,裏,4,伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべ
1992,下,22,裏,5,し。人の上(うへ)にて見たる〔だに、〕ことに心(こころ)憂し。思ひ入れ
1993,下,22,裏,6,たるさまに、心(こころ)にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひ
1994,下,22,裏,7,のゝしり、詞(ことば)多く、烏帽子(えぼし)歪(ゆが)み、紐外(ひもはづ)し、脛(はぎ)
1995,下,22,裏,8,高く掲げて、用意なき気色、日来(ひごろ)の人とも
1996,下,22,裏,9,覚えず。女は、額髪(ひたひがみ)晴れらかに掻(か)きやり、まばゆか
1997,下,22,裏,10,らず、顔うちさゝげてうち笑ひ、盃(さかづき)持てる手に取り
1998,下,23,表,1,付き、よからぬ人は、肴(さかな)取りて、口にさし当て、自
1999,下,23,表,2,らも食ひたる、様あし。声の限り出して、おのお
2000,下,23,表,3,の歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒
2001,下,23,表,4,く穢(きたな)き身(ぬ)を肩抜ぎて、目も当てられず
2002,下,23,表,5,すぢりたるを、興(きよう)じ見る人さへうとましく、憎し。
2003,下,23,表,6,或(ある)は又(また)、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞
2004,下,23,表,7,かせ、或は酔ひ泣きし、下(しも)ざまの人は、罵(の)り合(あ)ひ、争(いさか)ひ
2005,下,23,表,8,て、あさましく、恐ろしく、恥ぢがましく、心(こころ)憂き事
2006,下,23,表,9,のみありて、果(はて)は、許さぬ物ども押し取りて、縁(えん)
2007,下,23,表,10,より落ち、馬(うま)・車(くるま)より落ちて、過(あやまち)しつ。物にも
2008,下,23,裏,1,乗らぬ際(きは)は、大路(おほち)をよろぼひ行きて、築地(ついぢ)・門(かど)の下
2009,下,23,裏,2,などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年(とし)
2010,下,23,裏,3,老い、袈裟(けさ)掛けたる法師の、小童の肩を押(おさ)へて、
2011,下,23,裏,4,聞えぬ事ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。
2012,下,23,裏,5,かゝる事をしても、この世も後の世も益(やく)あるべきわざな
2013,下,23,裏,6,らば、いかゞはせん、この世には過ち多く、財(たから)を失
2014,下,23,裏,7,ひ、病(やまひ)をまうく。百薬(ひやくやく)の長とはいへど、万の病
2015,下,23,裏,8,は酒よりこそ起れ。憂(う)き忘るといへども、酔ひたる
2016,下,23,裏,9,人ぞ、過ぎにし憂(う)さをも思ひ出でて泣くめる。後の世は、
2017,下,23,裏,10,人の智恵を失ひ、善根(ぜんごん)を焼くこと火の如くし
2018,下,24,表,1,て、悪を増し、万の戒(かい)を破りて、地獄に堕(お)つべし。「酒
2019,下,24,表,2,をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者
2020,下,24,表,3,に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。
2021,下,24,表,4,かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折(をり)も
2022,下,24,表,5,あるべし。月の夜、雪の朝(あした)、花の本(もと)にても、心(こころ)長閑(のどか)に
2023,下,24,表,6,物語して、盃出(いだ)したる、万の興(きよう)を添ふるわざなり。
2024,下,24,表,7,つれづれなる日、思ひの外に友の入(い)り来て、とり行(おこな)ひ
2025,下,24,表,8,たるも、心(こころ)慰(なぐさ)む。馴れ馴れしからぬあたりの御
2026,下,24,表,9,簾(みす)の中(うち)より、御果物・御酒(みき)など、よきやうなる気(け)はひ
2027,下,24,表,10,してさし出されたる、いとよし。冬、狭(せば)き所にて、火
2028,下,24,裏,1,にて物煎(い)りなどして、隔てなきどちさし向ひ
2029,下,24,裏,2,て、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋(かりや)、野山など
2030,下,24,裏,3,にて、「御肴(みさかな)何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたる
2031,下,24,裏,4,も、をかし。いたう痛む人の、強(し)ひられて少し飲
2032,下,24,裏,5,みたる、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。
2033,下,24,裏,6,上少し」などのたまはせたるも、うれし。近づか
2034,下,24,裏,7,まほしき人の、上戸(じやうご)にて、ひしひしと馴れぬるも、又(また)
2035,下,24,裏,8,うれし。さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるゝ者
2036,下,24,裏,9,なり。酔ひくたびれて朝寝(あさい)したる所を、主(あるじ)の引き開け
2037,下,24,裏,10,たるに、惑(まど)ひて、惚(ほ)れたる顔ながら、細き髻(もとどり)差
2038,下,25,表,1,し出して、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひ
2039,下,25,表,2,て逃ぐる、掻取姿(かいとりすがた)の後手(うしろで)、毛生ひたる細
2040,下,25,表,3,脛(ほそはぎ)のほど、をかしく、つきづきし。▼第百七十六段
2041,下,25,表,4,黒戸(くろど)は、小松御門(こまつのみかど)、位(くらゐ)に即(つ)かせ給ひて、昔、たゞ人に
2042,下,25,表,5,おはしましし時、まさな事(ごと)せさせ給ひしを忘れ
2043,下,25,表,6,給はず、常に営ませ給ひける所なり。御薪(みかまぎ)に
2044,下,25,表,7,煤(すす)けたれば、黒戸と言ふとぞ。▼第百七十七段
2045,下,25,表,8,鎌倉中書王(かまくらのちゆうしよわう)にて御鞠(おんまり)ありけるに、雨降りて後、
2046,下,25,表,9,未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと〔沙汰(さた)〕ありけるに、
2047,下,25,表,10,佐々木(ささきの)隠岐(おきの)入道(にふだう)、鋸(のこぎり)屑(くづ)を車に積(つ)ませて、〔多く〕
2048,下,25,裏,1,奉(たてまつ)りたりければ、一庭(ひとには)に敷かれて、泥土(でいと)の煩(わづら)ひな
2049,下,25,裏,2,かりけり。「取りあつめけん用意、有難し」と、人感じ合へり
2050,下,25,裏,3,けり。この事を或者(あるもの)の語り出でたりしに、吉田(よしだの)中納言(ちゆうなごん)の、
2051,下,25,裏,4,「乾き砂子(すなご)の用意やはなかりける」とのたまひたり
2052,下,25,裏,5,し、恥(はづ)かしかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤(いや)
2053,下,25,裏,6,しく、異様(ことやう)の事なり。庭の儀(ぎ)を奉行(ぶぎやう)する人、乾き
2054,下,25,裏,7,砂子を設(まう)くる、故実(こしつ)なりとぞ。▼第百七十八段
2055,下,25,裏,8,或所の侍(さぶらひ)ども、内侍所(ないしどころ)の御神楽(みかぐら)を見て、人に
2056,下,25,裏,9,語るとて、「宝剣(ほうけん)をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを
2057,下,25,裏,10,聞きて、内なる女房の中に、「別殿(べつでん)の行幸(ぎやうがう)には、昼御座(ひのござ)
2058,下,26,表,1,の御剣(ぎよけん)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心(こころ)
2059,下,26,表,2,にくかりき。その人、古き典侍(ないしのすけ)なりけるとぞ。▼第百七十九段
2060,下,26,表,3,入宋(につそう)の沙門(しやもん)、道眼(だうげん)上人、一切経(いつさいきやう)を持来(ぢらい)して、六波羅(ろくはら)の
2061,下,26,表,4,あたり、やけ野といふ所に安置(あんぢ)して、殊(こと)に首楞厳経(しゆれうごんきやう)
2062,下,26,表,5,を講(かう)じて、那蘭陀寺(ならんだじ)と号(かう)す。その聖の申されしは、
2063,下,26,表,6,那蘭陀寺は、大門(だいもん)北向きなりと、江帥(がうぞつ)の説として言ひ伝え
2064,下,26,表,7,たれど、西域伝(さいゐきでん)・法顕伝(ほつけんでん)などにも見えず、更(さら)に所見(しよけん)
2065,下,26,表,8,なし。江帥如何なる才学(さいがく)にて申されけん、おぼつかなし。
2066,下,26,表,9,唐土(たうど)の西明寺(さいみやうじ)は、北向き勿論(もちろん)なり」と申しき。▼第百八十段
2067,下,26,表,10,さぎちやうは、正月(むつき)打ちたる毬杖(ぎちやう)を、真言(しんごん)院より神泉
2068,下,26,裏,1,苑(しんぜんゑん)へ出(いだ)して、焼き上(あ)ぐるなり。「法成就(ほふじやうじゆ)の池こそ」と囃(はや)
2069,下,26,裏,2,すは、神泉苑の池をいふなり。▼第百八十一段
2070,下,26,裏,3,「『降れ降れ粉雪(こゆき)、たんばの粉雪』といふ事、米搗(よねつ)き
2071,下,26,裏,4,篩(ふる)ひたるに似たれば、粉雪といふ。『たんまれ粉雪』
2072,下,26,裏,5,と言ふべきを、誤りて『たんばの』と言ふなり。『垣や木の
2073,下,26,裏,6,股(また)に』と謡(うた)ふべし」と、或物(あるもの)知り申しき。昔より
2074,下,26,裏,7,言ひたる事にや。鳥羽院幼(をさな)くおはしまして、雪の
2075,下,26,裏,8,降るにかく仰(おほ)せられける由(よし)、讃岐典侍(さぬきのすけ)が日記に書きたり。▼第百八十二段
2076,下,26,裏,9,四条(しでう)大納言隆親卿(たかちかのきやう)、乾鮭(からざけ)と言ふものを供御(ぐご)に参らせられ
2077,下,26,裏,10,たりけるを、「かくあやしき物、参る様(やう)あらじ」と人
2078,下,27,表,1,申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚(うお)、参らぬ事にてあ
2079,下,27,表,2,らんにこそあれ、鮭(さけ)の白乾(しらぼ)し、何条事(なでふごと)かあらん。鮎(あゆ)の
2080,下,27,表,3,白乾しは参らぬかは」と申されけり。▼第百八十三段
2081,下,27,表,4,人觝(つ)く牛をば角を截(き)り、人喰(く)ふ馬をば耳を截りて、
2082,下,27,表,5,その標(しるし)とす。標を附(つ)けずして人を傷(やぶ)らせぬる
2083,下,27,表,6,は、主(ぬし)の咎(とが)なり。人喰ふ犬をば養(やしな)ひ飼ふべからず。これ
2084,下,27,表,7,皆、咎あり。律(りつ)の禁(いましめ)なり。▼第百八十四段
2085,下,27,表,8,相模守時頼(さがみのかみときより)の母(はわ)は、松下禅尼(まつのしたのぜんに)とぞ申しける。守(かみ)を入れ申
2086,下,27,表,9,さるゝ事ありけるに、煤(すす)けたる明(あかり)り障子の破れば
2087,下,27,表,10,かりを、禅尼、手づから、小刀(こがたな)して切り廻(まは)しつゝ張られければ、
2088,下,27,裏,1,兄(せうと)の城介義景(じやうのすけよしかげ)、その日のけいめいして候(さうら)ひけるが、「給はりて、
2089,下,27,裏,2,某男(なにがしをのこ)に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者
2090,下,27,裏,3,に候ふ」と申されければ、「その男、尼(あま)が細工によも勝(まさ)り
2091,下,27,裏,4,候はじ」とて、なほ、一間(ひとま)づゝ張られけるを、義景、「皆を張り
2092,下,27,裏,5,替へ候はんは、遥(はる)かにたやすく候ふべし。斑(まだ)らに〔候ふ〕も見苦
2093,下,27,裏,6,しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後(のち)は、さはさはと張り
2094,下,27,裏,7,替へんと思へども、今日(けふ)ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物
2095,下,27,裏,8,は破れたる所ばかり修理(しゆり)して用(もち)ゆる事ぞと、若き
2096,下,27,裏,9,人に見習はせて、心(こころ)づけんためなり」と申されける、いと
2097,下,27,裏,10,有難(ありがた)かりけり。世を治(をさ)むる道、倹約を本(もと)とす。女性(によしやう)なれども、
2098,下,28,表,1,聖人の心(こころ)に通(かよ)へり。天下を保つほどの人を子
2099,下,28,表,2,にて持たれけるは、まことに、たゞ人(びと)にはあらざりける
2100,下,28,表,3,とぞ。▼第百八十五段
2101,下,28,表,4,城陸奥守泰盛(じやうのむつのかみやすもり)は、双(さう)なき馬乗りなりけり。馬
2102,下,28,表,5,を引き出(いだ)させけるに、足を揃(そろ)へて閾(しきみ)をゆら
2103,下,28,表,6,りと越(こ)ゆるを見て、「これは勇(いさ)める馬なり」とて、鞍(くら)を置き
2104,下,28,表,7,換(か)へさせけり。又(また)、足を伸(の)べて閾に蹴当(けあ)てぬれば、「これは
2105,下,28,表,8,鈍(にぶ)くして、過(あやま)ちあるべし」とて、乗らざりけり。道を知
2106,下,28,表,9,らざらん人、かばかり恐れんや。▼第百八十六段
2107,下,28,表,10,吉田(よしだ)と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎(うまごと)にこはものなり。
2108,下,28,裏,1,人の力争(あらそ)ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先(ま)づ
2109,下,28,裏,2,よく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡(くつわ)・
2110,下,28,裏,3,鞍(くら)の具(ぐ)に危(あやふ)き事やあると見て、心(こころ)に懸(かか)る事
2111,下,28,裏,4,あらば、その馬を馳(は)すべからず。この用意を忘れざるを馬
2112,下,28,裏,5,乗りと申すなり。これ、秘蔵(ひさう)の事なり」と申しき。▼第百八十七段
2113,下,28,裏,6,万(よろづ)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の
2114,下,28,裏,7,非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝(まさ)る事は、弛(たゆ)み
2115,下,28,裏,8,なく慎(つつし)みて軽々(かろがろ)しくせぬと、偏(ひと)へに自由(じいう)なる
2116,下,28,裏,9,との等(ひと)しからぬなり。芸能(げいのう)・所作(しよさ)のみにあらず、大方(おほかた)の
2117,下,28,裏,10,振舞(ふるまひ)・心遣(こころづか)ひも、愚(おろ)かにして慎めるは、得(とく)の本(もと)なり。
2118,下,29,表,1,巧(たく)みにして欲しきまゝなるは、失(しつ)の本なり。▼第百八十八段
2119,下,29,表,2,或者(あるもの)、子を法師(ほふし)になして、「学問して因果(いんぐわ)の理(ことわり)をも
2120,下,29,表,3,知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、
2121,下,29,表,4,教(をしへ)のまゝに、説経師(せつきやうし)にならんために、先づ、馬を乗り習ひ
2122,下,29,表,5,けり。輿(こし)・車(くるま)は持たず。〔身の、〕導師に請(しやう)ぜられん時、馬など迎へに
2123,下,29,表,6,おこせたらんに、桃尻(ももじり)にて落ちなんは、心憂(こころう)かるべしと思ひ
2124,下,29,表,7,けり。次に、仏事(ぶつじ)の後(のち)、酒など勧むる事あらんに、法師
2125,下,29,表,8,の無下(むげ)に能なきは、檀那(だんな)すさまじく思ふべしとて、
2126,下,29,表,9,早歌(さうか)といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境(さかひ)
2127,下,29,表,10,に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜(たしな)みける
2128,下,29,裏,1,ほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。この法師の
2129,下,29,裏,2,みにもあらず、世間(せけん)の人、なべて、この事あり。若きほどは、
2130,下,29,裏,3,諸事(しよじ)につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも
2131,下,29,裏,4,附き、学問をもせんと、行末(ゆくすゑ)久しくあらます事ども
2132,下,29,裏,5,心(こころ)に懸(か)けながら、世を長閑(のどか)に思ひて打ち怠りつゝ、
2133,下,29,裏,6,先(ま)づ、差し当りたる、目の前の事に〔のみ〕紛(まぎ)れて、月日
2134,下,29,裏,7,を送れば、事々(ことごと)成す事なくして、身は老いぬ。終(つひ)に、物
2135,下,29,裏,8,の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔(く)ゆれ
2136,下,29,裏,9,ども〔取り〕返さるゝ齢(よはひ)ならねば、走りて坂を下る輪の
2137,下,29,裏,10,如くに衰(おとろ)へ行く。されば、一生の内(うち)、むねとあらまほ
2138,下,30,表,1,しからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、
2139,下,30,表,2,第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事(いちじ)を励
2140,下,30,表,3,むべし。一日の中(うち)、一時(いちじ)の中にも、数多(あまた)の事の来
2141,下,30,表,4,らん中に、少しも益(やく)の勝らん事を営みて、その
2142,下,30,表,5,外(ほか)をば打ち捨てて、大事(だいじ)を急ぐべきなり。何方(いづかた)をも
2143,下,30,表,6,捨てじと心(こころ)に取り持ちては、一事も成すべからず。例へば、
2144,下,30,表,7,碁を打つ人の、一手(ひとて)も徒(いたづ)らにせず、人に先立(さきだ)ちて、
2145,下,30,表,8,小(せう)を捨て大(だい)に就(つ)くが如し。それにとりて、三つの石を捨て
2146,下,30,表,9,て、十(とを)の石に就くことは易(やす)し。十を捨てて、十一に就くことは
2147,下,30,表,10,難(かた)し。一つなりとも勝(まさ)らん方へこそ就くべきを、十まで
2148,下,30,裏,1,成りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には
2149,下,30,裏,2,換(か)へ難(がた)し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心(こころ)に、
2150,下,30,裏,3,かれをも得(え)ず、これをも失ふべき〔道〕なり。京に住む人、急
2151,下,30,裏,4,ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、
2152,下,30,裏,5,西山に行きてその益(やく)勝るべき〔事〕を思ひ得たらば、門(かど)
2153,下,30,裏,6,より帰りて西山へ行くべきなり。「此所(ここ)まで来(き)つれば、〔この事をば先づ言ひてん。日を指(さ)さぬ事なれば、〕西
2154,下,30,裏,7,山の用は帰りて又(また)こそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時(いちじ)の
2155,下,30,裏,8,懈怠(けだい)、即(すなは)ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。一事を必ず
2156,下,30,裏,9,成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷(いた)むべからず、人
2157,下,30,裏,10,の嘲(あざけ)りをも恥づべからず。万事(ばんじ)に換へずしては、一(いつ)の大
2158,下,31,表,1,事(だいじ)成るべからず。人の数多(あまた)ありける中にて、或者(あるもの)、「ます
2159,下,31,表,2,ほの薄(すすき)、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺(わたのべ)なる
2160,下,31,表,3,聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮(とうれん)法師、その
2161,下,31,表,4,座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑(みの)・笠(かさ)やある。貸し
2162,下,31,表,5,給へ。〔かの薄の事習ひに、〕渡辺の聖のがり〔尋(たづ)ね〕罷(まか)らん」と言ひけるを、「余(あま)
2163,下,31,表,6,りに物騒がし。雨止(や)みてこそ」と人の言ひければ、
2164,下,31,表,7,「無下(むげ)の事を仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ
2165,下,31,表,8,間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね
2166,下,31,表,9,聞きてんや」とて、走り〔出で〕て行きつゝ、習ひ侍りにけりと
2167,下,31,表,10,申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難(ありがた)く覚ゆれ。「敏(と)き時は、
2168,下,31,裏,1,則ち功(こう)あり」とぞ、論語(ろんご)と云ふ文(ふみ)にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひ
2169,下,31,裏,2,けるやうに、一大事の因縁(いんねん)をぞ思ふべかりける。▼第百八十九段
2170,下,31,裏,3,今日(けふ)はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先(ま)づ出で来
2171,下,31,裏,4,て紛(まぎ)れ暮し、待つ人は障(さは)り〔あり〕て、頼めぬ人は来たり。
2172,下,31,裏,5,頼みたる方の事は違(たが)ひて、思ひ寄らぬ道
2173,下,31,裏,6,ばかりは叶(かな)ひぬ。煩(わづら)はしかりつる事はことなくて、
2174,下,31,裏,7,易(やす)かるべき事はいと心(こころ)苦し。日々(ひび)に過ぎ行くさま、
2175,下,31,裏,8,予(かね)て思ひつるには似ず。一年(ひととせ)の中(うち)もかくの如
2176,下,31,裏,9,し。一生の間(あひだ)も又しかなり。予(かね)てのあらまし、皆違
2177,下,31,裏,10,ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれ
2178,下,32,表,1,ば、いよいよ、物は定め難し。不定(ふしやう)と心得ぬる
2179,下,32,表,2,のみ、実(まこと)にて違はず。▼第百九十段
2180,下,32,表,3,妻(め)といふものこそ、男(をのこ)は持つまじきものなれ。「いつ
2181,下,32,表,4,も独(ひと)り住(ず)みにて」など聞くこそ、心(こころ)にくけれ、「誰(たれ)がし
2182,下,32,表,5,が婿(むこ)に成りぬ」とも、又(また)、「如何なる女(をんな)を取り据ゑて、相(あひ)住
2183,下,32,表,6,む」など聞きつれば、無下(むげ)に心(こころ)劣りせらるゝわざなり。殊(こと)
2184,下,32,表,7,なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添(そ)ひ
2185,下,32,表,8,ゐたらめと、苟(いや)しくも推(お)し測(はか)られて、よき女
2186,下,32,表,9,ならば、らうたくしてぞ、あが仏(ほとけ)と守りゐたらむ。たと
2187,下,32,表,10,へば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内(うち)
2188,下,32,裏,1,行(おこな)ひ治めたる女、いと口惜(くちを)し。子など出(い)で来て、
2189,下,32,裏,2,かしづき愛したる、心(こころ)憂(う)し。男なくなりて後、
2190,下,32,裏,3,尼(あま)になりて年寄りたるありさま、亡(な)き跡まであさ
2191,下,32,裏,4,まし。いかなる女なりとも、明暮添(あけくれそ)ひ見んに、いと心(こころ)
2192,下,32,裏,5,づきなく、憎(にく)かりなん。女のためも、半空(なかぞら)にこそなら
2193,下,32,裏,6,め。よそながら時々通ひ住(す)まんこそ、年月経(へ)ても
2194,下,32,裏,7,絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに来て、泊(とま)り居(ゐ)
2195,下,32,裏,8,などせんは、珍らしかりぬべし。▼第百九十一段
2196,下,32,裏,9,「夜(よ)に入りて、物の映(は)えなし」といふ人、いと口をし。万の
2197,下,32,裏,10,ものの綺羅(きら)・飾(かざ)り・色ふしも、夜(よる)のみこそめでたけ
2198,下,33,表,1,れ。昼は、ことめき、およすけたる姿(すがた)にてもありなん。
2199,下,33,表,2,夜は、きらゝかに、花やかなる装束(しやうぞく)、いとよし。人の気
2200,下,33,表,3,色(けしき)も、夜の火影(ほかげ)ぞ、よきはよく、物言ひたる声も、
2201,下,33,表,4,暗くて聞きたる、用意ある、心(こころ)にくし。匂(にほ)ひも、ものの
2202,下,33,表,5,音(ね)も、たゞ、夜ぞひときはめでたき。さして殊(こと)なる事
2203,下,33,表,6,なき夜、うち更(ふ)けて参れる人の、清げなるさま
2204,下,33,表,7,したる、いとよし。若きどち、心(こころ)止(とど)めて見る人は、
2205,下,33,表,8,時をも分(わ)かぬものならば、殊に、うち解(と)けぬべき折
2206,下,33,表,9,節(をりふし)ぞ、褻(け)・晴(はれ)なくひきつくろはまほしき。よき
2207,下,33,表,10,男(をとこ)の、日暮(ぐ)れてゆするし、女(をんな)も、夜更くる程に、す
2208,下,33,裏,1,べりつゝ、鏡(かがみ)取りて、顔などつくろひ出づるこそ、をかしけれ。▼第百九十二段
2209,下,33,裏,2,神(かみ)・仏(ほとけ)にも、人の詣(まう)でぬ日、夜(よる)参りたる、
2210,下,33,裏,3,よし。▼第百九十三段
2211,下,33,裏,4,くらき人の、人を測(はか)りて、その智(ち)を知れりと
2212,下,33,裏,5,思はん、さらに当(あた)るべからず。拙(つたな)き人の、碁(ご)打つ
2213,下,33,裏,6,事ばかりにさとく、巧(たく)みなる、賢(かしこ)き人の、この
2214,下,33,裏,7,芸におろかなるを見て、己(おの)れが智に及ばずと
2215,下,33,裏,8,定めて、万(よろづ)の道の匠(たくみ)、我が道を人の知らざるを
2216,下,33,裏,9,見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤
2217,下,33,裏,10,りなるべし。文字(もんじ)の法師、暗証(あんしよう)の禅師(ぜんじ)、互(たが)ひに
2218,下,34,表,1,測りて、己れに如(し)かずと思へる、共に当(あた)らず。
2219,下,34,表,2,己れが境界(きやうがい)にあらざるものをば、争(あらそ)ふべからず、
2220,下,34,表,3,是非すべからず。▼第百九十四段
2221,下,34,表,4,達人(たつじん)の、人を見る眼(まなこ)は、少しも誤(あやま)る
2222,下,34,表,5,所あるべからず。例へば、或人、世に虚言(そらごと)を構(かま)へ出(いだ)し
2223,下,34,表,6,て、人を謀(はか)る事あらんに、素直(すなほ)に、実(まこと)と思ひて、
2224,下,34,表,7,言ふまゝに謀らるゝ人あり。余りに〔深く〕信を起(おこ)して、
2225,下,34,表,8,なほ煩(わづら)はしく、虚言を心得添(こころえそ)ふる人あり。又(また)、何(なに)と
2226,下,34,表,9,しても思はで、心(こころ)をつけぬ人あり。又(また)、いさゝかのおぼつか
2227,下,34,表,10,なく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあら
2228,下,34,裏,1,で、案じゐたる人あり。又(また)、実(まこと)しくは覚えねども、
2229,下,34,裏,2,人の言ふ事なれば、さもあらんとて止(や)みぬる人もあり。又(また)、
2230,下,34,裏,3,さまざまに推(すゐ)し、心得たるよしして、賢げにうち
2231,下,34,裏,4,うなづき、ほう笑(ゑ)みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。又(また)、
2232,下,34,裏,5,推し出(いだ)して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤
2233,下,34,裏,6,りもこそあれと怪しむ人あり。又(また)、「異(こと)なるやうも
2234,下,34,裏,7,なかりけり」と、手を拍(う)ちて笑ふ人あり。又(また)、心得たれども、
2235,下,34,裏,8,知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事もなし、
2236,下,34,裏,9,知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。又(また)、この虚言の
2237,下,34,裏,10,本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、
2238,下,35,表,1,構(かま)へ出したる人と同じ心(こころ)になりて、力を合(あ)はする
2239,下,35,表,2,人あり。愚者(ぐしや)の中(うち)の戯(たはぶ)れだに、知りたる人の上
2240,下,35,表,3,にては、このさまざまの得たる所、詞(ことば)にても、顔にても、
2241,下,35,表,4,隠れなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、
2242,下,35,表,5,惑(まど)へる我等を見んこと、掌(たなごころ)の上(うへ)の物を
2243,下,35,表,6,見んが如し。〔但(ただ)し、〕かやうの推し測りにて、仏法(ぶつぽふ)まで
2244,下,35,表,7,をなずらへ言ふべきにはあらず。▼第百九十五段
2245,下,35,表,8,或(ある)人(ひと)、久我縄手(こがなはて)を通(とほ)りけるに、小袖(こそで)に大口(おほくち)着た
2246,下,35,表,9,る人、木造(もくざう)の地蔵を田の中の水におし浸し
2247,下,35,表,10,て、懇(ねんごろ)に洗ひけり。心得難(こころえがた)く見るほどに、狩
2248,下,35,裏,1,衣(かりぎぬ)の男二三人(ふたりみたり)出で来て、「こゝにおはしまし
2249,下,35,裏,2,けり」とて、〔この人を〕具(ぐ)して去(い)にけり。久我内大臣(こがのないだいじん)殿にてぞお
2250,下,35,裏,3,はしける。尋常(よのつね)におはしましける時は、神妙(しんべう)に、
2251,下,35,裏,4,やんごとなき人にておはしけり。▼第百九十六段
2252,下,35,裏,5,東大寺・神輿(しんよ)、東寺の若宮(わかみや)より帰座(きざ)の時、源氏の
2253,下,35,裏,6,公卿(くぎやう)参られけるに、この殿(との)、大将(だいしやう)にて先を追はれ
2254,下,35,裏,7,けるを、土御門相国(つちみかどのしやうこく)、「社頭(しやとう)にて、警蹕(けいひつ)いかゞ侍るべからん」と申
2255,下,35,裏,8,されければ、「随身(ずゐじん)の振舞は、兵杖(ひやうぢやう)の家が知る事に
2256,下,35,裏,9,候」とばかり答へ給ひけり。さて、後に仰せられけるは、
2257,下,35,裏,10,「この相国(しやうこく)、北山抄(ほくざんせう)を見て、西宮(せいきう)の説をこそ知られざりけれ。
2258,下,36,表,1,眷属(けんぞく)の悪鬼(あくき)・悪神を恐るゝ故に、神社にて、殊(こと)に先
2259,下,36,表,2,を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。▼第百九十七段
2260,下,36,表,3,諸寺(しよじ)の僧のみにあらず、定額(ぢやうがく)の女孺(によじゆ)といふ事、延喜
2261,下,36,表,4,式(えんぎしき)に見えたり。すべて、数(かず)定まりたる公人(くにん)の通号(つうがう)
2262,下,36,表,5,にこそ。▼第百九十八段
2263,下,36,表,6,揚名介(やうめいのすけ)に限らず、揚名目(やうめいのさくわん)といふものもあり。
2264,下,36,表,7,政治要略(せいじえうりやく)にあり。▼第百九十九段
2265,下,36,表,8,横川行宣法印(よかはのぎやうせんほふいん)が申し侍りしは、「唐土(たうど)は呂(りよ)の国なり。律(りつ)
2266,下,36,表,9,の音(おん)なし。和国(わこく)は、単律(たんりつ)の国にて、呂の音なし」と
2267,下,36,表,10,申しき。▼第二百段
2268,下,36,裏,1,呉竹(くれたけ)は葉(は)細く、河竹(かはたけ)は葉広し。御溝(みかは)に近き
2269,下,36,裏,2,は河竹、仁寿殿(じじゆうでん)の方(かた)に寄りて植ゑられたるは呉
2270,下,36,裏,3,竹なり。▼第二百一段
2271,下,36,裏,4,退凡(たいぼん)・下乗(げじよう)の卒都婆(そとば)は、外(そと)なるは下乗、内なるは退
2272,下,36,裏,5,凡なり。▼第二百二段
2273,下,36,裏,6,十月(じふぐわつ)を神無月(かみなづき)と言ひて、神事(じんじ)に憚(はばかり)有るべきよしは、記
2274,下,36,裏,7,したる物もなし。本文(もとふみ)見えず。但し、当月(たうげつ)、諸社(しよしや)の祭
2275,下,36,裏,8,なき故に、この名あるか。この月、万の神達、太神宮(だいじんぐう)
2276,下,36,裏,9,へ集り給ふなると言ふ説あれども、〔その本説(ほんぜつ)なし。〕さる事ならば、伊勢(いせ)
2277,下,36,裏,10,には殊(こと)に祭月(さいげつ)とすべきに、その例もなし。〔十月、諸社の行幸(ぎやうがう)、その例も多し。但し、多くは不吉の例なり。〕▼第二百三段
2278,下,37,表,1,勅勘(ちよくかん)の所に靫(ゆき)懸くる作法(さほふ)、今は絶えて、知れる人なし。
2279,下,37,表,2,主上(しゆしやう)の御悩(ごなう)、大方、世中(よのなか)騒がしき時は、五条の天神に
2280,下,37,表,3,靫を懸けらる。鞍馬(くらま)に靫の明神(みやうじん)といふも、靫懸け
2281,下,37,表,4,られたる神なり。看督長(かどのをさ)の負(お)ひたる靫をその家に懸け
2282,下,37,表,5,られぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、符
2283,下,37,表,6,を著(つ)くることになりにたり。▼第二百四段 犯人(ぼんにん)を笞(しもと)にて打つ時は、
2284,下,37,表,7,拷器(がうき)に寄せて結ひ附くるなり。拷器の様(やう)も、寄
2285,下,37,表,8,する作法も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。▼第二百五段
2286,下,37,表,9,比叡山(ひえのやま)に、大師勧請(だいしくわんじやう)の起請(きしやう)といふ事は、慈恵僧正(じゑそうじやう)書き
2287,下,37,表,10,始め給ひけるなり。起請文といふ事、法曹(はうさう)には
2288,下,37,裏,1,その沙汰なし。古(いにしへ)の聖代、すべて、起請文につきて
2289,下,37,裏,2,行はるゝ政(まつりごと)はなきを、近代、この事流布(るふ)したるなり。
2290,下,37,裏,3,又(また)、法令(はふりやう)には、水火に穢(けが)れを立てず。入物(いれもの)に穢れある
2291,下,37,裏,4,べし。▼第二百六段
2292,下,37,裏,5,徳大寺(とくだいじの)右大臣殿(うだいじんどの)、検非違使(けんびゐし)の別当(べつたう)の時、中門にて
2293,下,37,裏,6,庁(ちやう)の評定(ひやうじやう)行はれける程(ほど)に、官人章兼(くわんにんあきかね)が牛放
2294,下,37,裏,7,れて、庁屋(ちようや)の内へ入りて、大理(だいり)の座(ざ)の浜床(はまのゆか)の上
2295,下,37,裏,8,に登りて、にれうちかみて臥したりける。重き怪異(けい)
2296,下,37,裏,9,なりとて、牛を陰陽師(おんやうじ)の許(もと)へ遣すべきよし、各々(おのおの)
2297,下,37,裏,10,申しけるを、父の相国(しやうこく)聞き給ひて、「牛に分別(ふんべつ)なし。足あれ
2298,下,38,表,1,ば、いづくへか登らん。■弱(わうじやく)の官人、たまたま出仕(しゆつし)の
2299,下,38,表,2,微牛(びぎう)を取らるべきとかなし」とて、牛をば主に返
2300,下,38,表,3,して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて
2301,下,38,表,4,凶事(きやうじ)なかりけるとなん。「怪しみを見て怪しま
2302,下,38,表,5,ざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。▼第二百七段
2303,下,38,表,6,亀山殿(かめやまどの)建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇(くちなは)、
2304,下,38,表,7,数も知らず凝(こ)り集りたる塚ありけり。「この所の
2305,下,38,表,8,神なり」と言ひて、事の由(よし)を申しければ、「いかゞあるべき」
2306,下,38,表,9,と勅問(ちよくもん)ありけるに、「古くよりこの地を占(し)めたる物ならば、
2307,下,38,表,10,さうなく掘り捨てられ難し」と皆人(みなひと)申されけるに、この
2308,下,38,裏,1,大臣(おとど)、一人、「王土(わうど)にをらん虫、皇居(くわうきよ)を建てられんに、
2309,下,38,裏,2,何の祟(たた)りをかなすべき。鬼神(きしん)はよこしまなし。咎(とが)
2310,下,38,裏,3,むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、
2311,下,38,裏,4,塚を崩(くづ)して、蛇を大井河に流してんげり。
2312,下,38,裏,5,さらに祟りなかりけり。▼第二百八段
2313,下,38,裏,6,経文(きやうもん)などの紐(ひも)を結ふに、上下(かみしも)よりたすきに交(ちが)
2314,下,38,裏,7,へて、二筋(ふたすぢ)の中よりわなの頭(かしら)を横様(よこさま)に
2315,下,38,裏,8,引き出(いだ)す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院(けごんゐんの)
2316,下,38,裏,9,弘舜(こうしゆん)僧正、解(と)きて直されけり。「〔これは、この比様(ごろやう)の事なり。いとにくし。うるはしくは、〕たゞ、くるくると
2317,下,38,裏,10,巻きて、上より下へ、わなの先を挟(さしはさ)むべし」
2318,下,39,表,1,と申されけり。古き人にて、かやうの事知れる
2319,下,39,表,2,人になん侍りける。▼第二百九段
2320,下,39,表,3,人の田を論ずる者、訴(うつた)へに負けて、ねたさに、「その田
2321,下,39,表,4,を刈(か)りて取れ」とて、人を遣(つかは)しけるに、先(ま)づ、道すがら
2322,下,39,表,5,の田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所に
2323,下,39,表,6,あらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その
2324,下,39,表,7,所とても刈るべき理なけれども、僻事(ひがこと)せんとて
2325,下,39,表,8,罷(まか)る者なれば、いづくをか刈らざらん」と言ひける。
2326,下,39,表,9,理、いとをかしかりけり。▼第二百十段
2327,下,39,表,10,「喚子鳥(よぶこどり)は春のもの〔なり〕」とばかり言ひて、如何(いか)なる鳥ともさだかに
2328,下,39,裏,1,記せる物なし。或真言(あるしんごん)書の中に、喚子鳥
2329,下,39,裏,2,鳴く時、招魂(せうこん)の法をば行ふ次第(しだい)あり。これは鵺(ぬえ)なり。
2330,下,39,裏,3,万葉の長歌(ながうた)に、「霞(かすみ)立つ、長き春日(はるひ)の」など続け
2331,下,39,裏,4,たり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通(かよ)いて聞(きこ)ゆ。▼第二百十一段
2332,下,39,裏,5,万(よろづ)の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼
2333,下,39,裏,6,む故に、恨み、怒(いか)る事あり。勢(いきほ)ひありとて、
2334,下,39,裏,7,頼むべからず。こはき者先(ま)づ滅ぶ。財(たから)多しとて、
2335,下,39,裏,8,頼むべからず。時の間(ま)に失ひ易し。才(ざえ)ありと
2336,下,39,裏,9,て、頼むべからず。孔子も時に遇(あ)はず。徳ありとて、
2337,下,39,裏,10,頼むべからず。顔回(ぐわんかい)も不幸なりき。君(きみ)の寵(ちよう)をも頼
2338,下,40,表,1,むべからず。誅(ちう)を受くる事速(すみや)かなり。奴(やつこ)従へりとて、
2339,下,40,表,2,頼むべからず。背(そむ)き走る事あり。人の志(こころざし)
2340,下,40,表,3,をも頼むべからず。必ず変(へん)ず。約(やく)をも頼むべからず。信(しん)
2341,下,40,表,4,ある事少し。身をも人をも頼まざれば、是(ぜ)なる時
2342,下,40,表,5,は喜び、非(ひ)なる時は恨みんず。左右(さう)広ければ、障(さは)
2343,下,40,表,6,らず、前後遠(ぜんごとほ)ければ、塞(ふさ)がらず。狭(せば)き時は拉(ひし)げ
2344,下,40,表,7,砕(くだ)く。心(こころ)を用ゐる事少(すこ)しきにして厳(きび)しき
2345,下,40,表,8,時は、物に逆(さか)ひ、争ひて破る。緩(ゆる)くして柔(やはら)かなる
2346,下,40,表,9,時は、一毛(いちまう)も損せず。人は天地の霊なり。天地は限る
2347,下,40,表,10,所なし。人の性(しやう)、何ぞ異(こと)ならん。寛大(くわんだい)にして極まら
2348,下,40,裏,1,ざる時は、喜怒(きど)これに障らずして、物のために煩(わづら)はず。▼第二百十二段
2349,下,40,裏,2,秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても
2350,下,40,裏,3,月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん〔人〕は、無下(むげ)に心(こころ)
2351,下,40,裏,4,うかるべき事なり。▼第二百十三段
2352,下,40,裏,5,御前(ごぜん)の火炉(くわろ)に火を置く時、火箸(ひばし)にて挟(はさ)む事なし。
2353,下,40,裏,6,土器(かはらけ)より直(ただ)ちに移すべし。されば、転(ころ)び落ちぬ
2354,下,40,裏,7,やうに心得て、炭を積(つ)むべきなり。八幡(やはた)の御幸(ごかう)に、
2355,下,40,裏,8,供奉(ぐぶ)の人、浄衣(じやうえ)を着て、手にて炭をさゝれければ、
2356,下,40,裏,9,或有職(あるいうしよく)の人、「白き物を着たる日、火箸を用ゐる、
2357,下,40,裏,10,苦しからず」と申されけり。▼第二百十四段
2358,下,41,表,1,想夫恋(さうふれん)といふ楽(がく)は、女(をんな)、男(をとこ)を恋(こ)ふる故の名にはあ
2359,下,41,表,2,らず、本(もと)は相府蓮(さうふれん)、文字(もんじ)の通へるなり。晋(しん)の王倹(わうけん)、
2360,下,41,表,3,大臣(だいじん)として、家に蓮(はちす)を植ゑて愛せし時の楽
2361,下,41,表,4,なり。これより、大臣を蓮府(れんぷ)といふ。廻忽(くわいこつ)も廻鶻(くわいこつ)なり。
2362,下,41,表,5,廻鶻国とて、夷(えびす)のこはき国あり。その夷、漢(かん)に伏(ふく)して
2363,下,41,表,6,後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。▼第二百十五段
2364,下,41,表,7,平宣時朝臣(たひらののぶときあつそん)、老(おい)の後、昔語(むかしがたり)に、「最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、
2365,下,41,表,8,或宵(あるよひ)の間(ま)に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しな
2366,下,41,表,9,がら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、又(また)、使(つかひ)来て、
2367,下,41,表,10,『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様(ことやう)なりとも、
2368,下,41,裏,1,疾(と)く』とありしかば、萎(な)えたる直垂、うちうちのまゝ
2369,下,41,裏,2,にて罷(まか)りたりしに、銚子(てうし)に土器(かはらけ)取り添(そ)へて
2370,下,41,裏,3,持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしけれ
2371,下,41,裏,4,ば、申しつるなり。肴(さかな)こそなけれ、人は静まりぬ
2372,下,41,裏,5,らん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め
2373,下,41,裏,6,給へ』とありしかば、紙燭(しそく)さして、隈々(くまぐま)を求めし
2374,下,41,裏,7,程に、台所の棚に、小土器に味噌(みそ)の少
2375,下,41,裏,8,し附きたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候ふ』
2376,下,41,裏,9,と申ししかば、『事(こと)足りなん』とて、心(こころ)よく数献(すこん)に及びて、
2377,下,41,裏,10,興(きよう)に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか」と申
2378,下,42,表,1,されき。▼第二百十六段
2379,下,42,表,2,最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、鶴岡(つるがをか)の社参(しやさん)の次(ついで)に、足利左馬
2380,下,42,表,3,入道(あしかがのさまのすけの)の許(もと)へ、先づ使(つかひ)を遣して、立ち入られたりける
2381,下,42,表,4,に、あるじまうけられ〔たり〕ける様(やう)、一献(いつこん)に打ち鮑(あはび)、二献(にこん)
2382,下,42,表,5,に海老、三献(さんこん)にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭
2383,下,42,表,6,主夫婦、隆辨(りゆうべん)僧正、主方(あるじかた)の人にて座(ざ)せられ
2384,下,42,表,7,けり。さて、「年毎に給はる足利の染物(そめもの)、
2385,下,42,表,8,心(こころ)もとなく候ふ」と申されければ、「用意して候
2386,下,42,表,9,ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女
2387,下,42,表,10,房どもに小袖(こそで)に調(せう)ぜさせて、後に遣されけり。その
2388,下,42,裏,1,時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍り
2389,下,42,裏,2,しなり。▼第二百十七段
2390,下,42,裏,3,或大福長者(あるだいふくちやうじや)の云はく、「人は、万(よろづ)をさしおきて、ひた
2391,下,42,裏,4,ふるに徳をつくべきなり。貧しくては、生ける
2392,下,42,裏,5,かひなし。富(と)めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、
2393,下,42,裏,6,すべからく、先づ、その心遣(こころづか)ひを修行すべし。その心
2394,下,42,裏,7,と云ふは、他の事にあらず。人間常住(じやうぢゆう)の思ひに住
2395,下,42,裏,8,して、仮にも無常を観(くわん)ずる事なかれ。これ、第一の
2396,下,42,裏,9,用心なり。次に、万事の用を叶(かな)ふべからず。人の世
2397,下,42,裏,10,にある、自他につけて所願(しよぐわん)無量(むりやう)なり。ほしいままに
2398,下,43,表,1,随(したが)つて志を遂げんと思はば、百万の銭ありと
2399,下,43,表,2,いふとも、暫(しばら)くも住すべからず。所願(しよぐわん)は止む時なし。財(たから)は
2400,下,43,表,3,尽くる期(ご)あり。限りある財をもちて、限りなき願ひに随
2401,下,43,表,4,ふ事、得(う)べからず。所願(しよぐわん)心(こころ)に萌(きざ)す事あらば、我
2402,下,43,表,5,を滅すべき悪念来(あくねんきた)れりと固く慎(つつし)み
2403,下,43,表,6,恐れて、小要(せうえう)をも為すべからず。次に、銭を奴(やつこ)の如
2404,下,43,表,7,くして使ひ用ゆる物と知らば、永く貧苦(ひんく)
2405,下,43,表,8,を免(まぬか)るべからず。君の如く、神の如く畏(おそ)れ
2406,下,43,表,9,尊みて、従へ用ゆる事なかれ。次に、恥(はぢ)に
2407,下,43,表,10,臨むといふとも、怒り恨むる事なかれ。次に、正直(しやうぢき)にし
2408,下,43,裏,1,て、約(やく)を固くすべし。この義を守(まも)りて利を求
2409,下,43,裏,2,めん人は、富(とみ)の来たれる事、火の燥(かわ)けるに就(つ)き、
2410,下,43,裏,3,水の下(くだ)れるに随ふが如くなるべし。銭積(つも)
2411,下,43,裏,4,りて尽きざる時は、宴飲(えんいん)・声色(せいしよく)を事(こと)とせず、居所(きよしよ)
2412,下,43,裏,5,を飾らず、所願(しよぐわん)を成(じやう)ぜざれども、心(こころ)とこしなへに安
2413,下,43,裏,6,く、楽し」と申しき。そもそも、人は、所願(しよぐわん)を成ぜんがため
2414,下,43,裏,7,に、財(ざい)を求む。銭を財とする事は、願ひを叶ふる
2415,下,43,裏,8,故なり。所願(しよぐわん)あれども叶へず、銭あれども用ゐ
2416,下,43,裏,9,ざらんは、全く貧者(ひんじや)と同じ。何をか楽しびと
2417,下,43,裏,10,せん。この掟(おきて)は、たゞ、人間の望みを断ちて、貧を憂(うれ)
2418,下,44,表,1,ふべからずと聞えたり。欲を成(な)して楽しびと
2419,下,44,表,2,せんよりは、如(し)かじ、欲なからんには。癰(よう)・疽(そ)を病む者、
2420,下,44,表,3,水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには
2421,下,44,表,4,如かじ。こゝに至りては、貧福(ひんぷく)分(わ)く所なし。究
2422,下,44,表,5,竟(くきやう)は理即(りそく)に等し。大欲(たいよく)は無欲に似たり。▼第二百十八段
2423,下,44,表,6,狐(きつね)は人に食ひつくものなり。堀川(ほりかは)殿にて、舎人(とねり)が寝
2424,下,44,表,7,たる足を狐に食はる。仁和寺(にんなじ)にて、夜(よる)、本寺(ほんじ)の前を
2425,下,44,表,8,通る下法師(しもぼふし)に、狐三(み)つ飛びかゝりて食ひつき
2426,下,44,表,9,ければ、刀(かたな)を抜きてこれを防ぐ間、狐二疋(ひき)を突く。
2427,下,44,表,10,一つは突き殺しぬ。二つは逃げぬ。法師は、数多所(あまたところ)食
2428,下,44,裏,1,はれながら、事故(ことゆゑ)もなくなりにけり。▼第二百十九段
2429,下,44,裏,2,四条黄門(しでうのくわうもん)命ぜられて云はく、「竜秋(たつあき)、道にとりては、やんごと
2430,下,44,裏,3,なき者なり。先日(せんじつ)来りて云はく、『短慮(たんりよ)の至り、極めて
2431,下,44,裏,4,荒涼(くわうりやう)の事なれども、横笛(よこぶえ)の五(ご)の穴は、聊(いささ)かいぶか
2432,下,44,裏,5,しき所の侍るかと、ひそかにこれを存(ぞん)ず。その故は、
2433,下,44,裏,6,干(かん)の穴は平調(ひやうでう)、五の穴は下無調(しもむでう)なり。その間に、勝絶調(しようぜつでう)を
2434,下,44,裏,7,隔てたり。上(じやう)〔の穴〕、双調(さうでう)。次に、鳧鐘調(ふしようでう)を置きて、夕(さく)の穴、黄
2435,下,44,裏,8,鐘調(わうじきでう)なり。その次に鸞鏡調(らんけいでう)を置きて、中(ちゆう)の穴、盤渉調(ばんしきでう)、
2436,下,44,裏,9,中と六とのあはひに、神仙調(しんせんでう)あり。かやうに、間々(まま)に皆
2437,下,44,裏,10,一律(いちりつ)をぬすめるに、五の穴のみ、上の間に調子を持た
2438,下,45,表,1,ずして、しかも、間(ま)を配る事等(ひと)しき故に、その
2439,下,45,表,2,声不便(ふびん)なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。
2440,下,45,表,3,のけあへぬ時は、物に合はず。次に得(う)る人難(かた)し』と申し
2441,下,45,表,4,き。料簡(れうけん)の至り、まことに興(きよう)あり。先達(せんだち)、後生(こうせい)を畏(おそ)
2442,下,45,表,5,ると云ふ〔こと〕、この事なり」と侍りき。他日(たじつ)に、景茂(かげもち)が申し侍りしは、「笙(しやう)
2443,下,45,表,6,は調べおほせて、持ちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛(ふえ)は、
2444,下,45,表,7,吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、
2445,下,45,表,8,穴毎(ごと)に、口伝(くでん)の上に性骨(しやうこつ)を加へて、心(こころ)を入(い)るゝこと、五
2446,下,45,表,9,の穴のみに限らず。偏(ひとへ)に、のくとばかりも定むべか
2447,下,45,表,10,らず。あしく吹けば、いづれの穴も心(こころ)よからず。上手は
2448,下,45,裏,1,いづれをも吹き合はす。呂律(りよりつ)の、物に適(かな)はざるは、人の咎(とが)なり。
2449,下,45,裏,2,器(うつはもの)の失(しつ)にあらず」と申しき。▼第二百二十段
2450,下,45,裏,3,「何事も、辺土(へんど)は賤しく、かたくななれども、天王寺(てんわうじ)
2451,下,45,裏,4,の舞楽(ぶがく)のみ都(みやこ)に恥ぢず」と云ふ。天王寺の伶人(れいじん)の
2452,下,45,裏,5,申し侍りしは、「当寺(たうじ)の楽(がく)は、よく図(づ)を調べ合はせて、ものの
2453,下,45,裏,6,音(ね)のめでたく調(ととのほ)り侍る事、外(ほか)よりもすぐれた
2454,下,45,裏,7,る。故に、太子(たいし)の御時(おんとき)の図、今に侍るを博士(はかせ)とす。
2455,下,45,裏,8,いはゆる六時(ろくじ)堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調(わうじきでう)の最
2456,下,45,裏,9,中(もなか)なり。寒(かん)・暑(しよ)に随(したが)ひて上(あが)り・下(さが)るべき故に、
2457,下,45,裏,10,二月涅槃会(にぐわつねはんゑ)より聖霊会(しやうりやうゑ)までの中間(ちゆうげん)を指南(しなん)
2458,下,46,表,1,とす。秘蔵(ひさう)の事なり。この一調子(いつてうし)をもちて、いづれ
2459,下,46,表,2,の声をも調へ侍るなり」と申しき。凡(およ)そ、鐘の声は黄
2460,下,46,表,3,鐘調なるべし。これ、無常の調子、祇園精舎(ぎをんしやうじや)の無
2461,下,46,表,4,常院(むじやういん)の声なり。西園寺(さいをんじ)の鐘、黄鐘調に鋳(い)らる
2462,下,46,表,5,べしとて、数多度(あまたたび)鋳かへられけれども、叶(かな)はざりける
2463,下,46,表,6,を、遠国(をんごく)より尋ね出されけり。法金剛院(ほふこんがうゐん)の鐘
2464,下,46,表,7,の声、又(また)黄鐘調なり。▼第二百二十一段
2465,下,46,表,8,「建治(けんぢ)・弘安(こうあん)の比は、祭(まつり)の日の放見(はうけん)附物(つけもの)に、異
2466,下,46,表,9,様(ことやう)なる紺の布四五反(しごたん)にて馬を作りて、尾(を)・
2467,下,46,表,10,髪には燈心(とうじみ)をして、蜘蛛(くも)の網(い)書(か)きたる水
2468,下,46,裏,1,干(すゐかん)に附(つ)けて、歌の心(こころ)など言ひて渡りし事、常
2469,下,46,裏,2,に見及(みおよ)び侍りしなども、興(きよう)ありてしたる心地(ここち)にて
2470,下,46,裏,3,こそ侍りしか」と、老いたる道志(だうし)どもの、今日(けふ)も語り侍る
2471,下,46,裏,4,なり。この比は、附物(つけもの)、年を送りて、過差(くわさ)殊(こと)の外(ほか)に
2472,下,46,裏,5,なりて、万(よろづ)の重き物を多しく附けて、左右(さう)の
2473,下,46,裏,6,袖(そで)を人に持たせ、手(て)づからは鉾(ほこ)をだに持たず、息
2474,下,46,裏,7,づき、苦しむ有様、いと見苦し。▼第二百二十二段
2475,下,46,裏,8,竹谷(たけだにの)乗願房(じようぐわんばう)、東三乗院(とうさんでうのゐん)へ参られたりけるに、
2476,下,46,裏,9,「亡者(まうじや)の追善(つゐぜん)には、何事か勝利(しようり)多き」と尋(たづ)ね
2477,下,46,裏,10,させ給ひければ、「光明真言(くわうみやうしんごん)・宝篋印陀羅尼(ほうけういんだらに)」と
2478,萬,,,1,申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏(ねんぶつ)に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ」と
2479,萬,,,2,申しければ、「我(わ)が宗(しゆう)なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名(しようみやう)を追福(ぶく)に修(しゆ)して巨益(こやく)あるべしと説ける経文を
2480,萬,,,3,見及ばねば、何に見えたるぞと重(かさ)ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経(ほんぎよう)の確かなるにつきて、この
2481,萬,,,4,真言・陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。▼第二百二十三段 鶴(たづ)の大臣殿(おほいとの)は、童名(わらはな)、たづ君(ぎみ)なり。鶴を飼ひ給ひける故にと申すは、
2482,萬,,,5,僻事(ひがこと)なり。▼第二百二十四段 陰陽師有宗入道(おんやうじありむねにふだう)、鎌倉より上(のぼ)りて、尋(たづ)ねまうで来りしが、先づさし入りて、「この庭のいたすらに
2483,萬,,,6,広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、植(う)うる事を努(つと)む。細道(ほそみち)一つ残して、(みな)皆、
2484,萬,,,7,畠(はたけ)に作り給へ」と諌(いさ)め侍りき。まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、益(やく)なき事なり。食ふ物・
2485,萬,,,8,薬種(やくしゆ)など植ゑ置くべし。▼第二百二十五段 多久資(おほのひさすけ)が申しけるは、通憲入道(みちのりにふだう)、舞(まひ)の手の中(なか)に興(きよう)ある事どもを選びて、磯(いそ)の禅師(ぜんじ)と
2486,萬,,,9,いひける女に教へて舞はせけり。白き水干(すゐかん)に、鞘巻(さうまき)を差させ、烏帽子(えぼし)を引き入れたりければ、男舞(をとこまひ)とぞ
2487,萬,,,10,言ひける。禅師が娘(むすめ)、静(しづか)と言ひける、この芸を継げり。これ、白拍子(しらびやうし)の根元(こんげん)なり。仏神(ぶつじん)の本縁(ほんえん)を歌ふ。その後、源光行(みつゆき)、
2488,萬,,,11,多くの事を作れり。御鳥羽院の御作(ごさく)もあり、亀菊(かめぎく)に教へさせ給ひけるとぞ。▼第二百二十六段 後鳥羽院(ごとばのゐん)の御時(おんとき)、信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)、
2489,萬,,,12,稽古(けいこ)の誉(ほまれ)ありけるが、楽府(がふ)の御論議(みろんぎ)の番(ばん)に召されて、七徳(しちとく)の舞(まい)を二つ忘れたりければ、五徳(ごとく)の冠者(くわんじや)と異名(いみやう)を
2490,萬,,,13,附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世(とんぜい)したりけるを、慈鎮和尚(ぢちんくわしやう)、一芸(いちげい)ある者をば、下部(しもべ)までも召し置きて、
2491,萬,,,14,不便(ふびん)にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持(ふち)し給ひけり。この行長入道、平家物語(へいけのものがたり)を作りて、生仏(しやうぶつ)といひける
2492,萬,,,15,盲目(まうもく)に教へて語らせけり。さて、山門(さんもん)の事を殊にゆゝしく書けり。九郎判官(くらうはんぐわん)の事は委(くは)しく知りて
2493,萬,,,16,書き載せたり。蒲冠者(かばのくわんじや)の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記(しる)し洩らせり。武士の事、弓馬(きうば)の
2494,萬,,,17,業(わざ)は、生仏、東国(とうごく)の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生(うま)れつきの声を、今の琵琶(びは)法師は
2495,萬,,,18,学びたるなり。▼第二百二十七段 六時礼讃(ろくじらいさん)は、法然上人(ほふねんしやうにん)の弟子、安楽(あんらく)といひける僧、経
2496,下,47,表,1,文(きやうもん)を集めて作りて、勤(つと)めにしけり。その後、太秦善観房(うづまさのぜんくわんぼう)と
2497,下,47,表,2,いふ僧、節博士(ふしはかせ)を定めて、声明(しやうみやう)に
2498,下,47,表,3,なせり。一心(いつしん)念仏の最初なり。御嵯峨院(ごさがの)の御代(みよ)より
2499,下,47,表,4,始まれり。法事讃(ほふじさん)も、同じく、善観房始め
2500,下,47,表,5,たるなり。▼第二百二十八段
2501,下,47,表,6,千本の釈迦念仏(しやかねんぶつ)は、文永(ぶんえい)の比、如輪(によりん)上人、これを始め
2502,下,47,表,7,られけり。▼第二百二十九段
2503,下,47,表,8,よき細工(さいく)は、少し鈍き刀(かたな)を使ふと言ふ。妙
2504,下,47,表,9,観(めうくわん)が刀はいたく立たず。▼第二百三十段
2505,下,47,表,10,五条内裏(ごでうのだいり)には、妖物(ばけもの)ありけり。藤大納言殿語(とうのだいなごんどの)
2506,下,47,裏,1,られ侍りしは、殿上人(てんじやうびと)ども、黒戸(くろど)にて碁を打ちける
2507,下,47,裏,2,に、御簾(みす)を掲げて見るものあり。「誰(た)そ」と見向き
2508,下,47,裏,3,たれば、狐、人のやうについゐて、さし覗(のぞ)きた
2509,下,47,裏,4,るを、「あれ〔狐〕よ」とどよまれて、惑(まど)ひ逃げにけり。
2510,下,47,裏,5,未練(みれん)の狐、化け損じたりけるにこそ。▼第二百三十一段
2511,下,47,裏,6,園(その)の別当入道(べつたうにふだう)は、さうなき庖丁者(ほうちやうじや)なり。或
2512,下,47,裏,7,人の許(もと)にて、いみじき鯉(こひ)を出だしたりければ、
2513,下,47,裏,8,皆人(みなひと)、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たや
2514,下,47,裏,9,すくうち出でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、
2515,下,47,裏,10,さる人にて、「この程(ほど)、百日(ひやくにち)の鯉を切り侍るを、今日(けふ)欠(か)き
2516,下,48,表,1,侍るべきにあらず。枉(ま)げて申し請(う)けん」とて切られた
2517,下,48,表,2,りける、いみじくつきづきしく、興(きよう)ありて人ども思
2518,下,48,表,3,へりけると、或人、北山太政入道(きたやまのだいじやうにふだう)殿に語り申され〔たり〕け
2519,下,48,表,4,れば、「かやうの事、己(おの)れは〔よに〕うるさく覚ゆるなり。『切りぬ
2520,下,48,表,5,べき人なくは、給(た)べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。
2521,下,48,表,6,何条(なでう)、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく
2522,下,48,表,7,覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。大方(おほかた)に、
2523,下,48,表,8,振舞(ふるま)ひて興(きよう)あるよりも、興(きよう)なくてやすらかなるが、勝
2524,下,48,表,9,りたる事〔なり〕。客人(まれびと)の饗応(きやうおう)なども、ついでをかし
2525,下,48,表,10,きやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、
2526,下,48,裏,1,その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取ら
2527,下,48,裏,2,せたるも、ついでなくて、「これを奉(たてまつ)らん」と云ひたる、まこ
2528,下,48,裏,3,との志なり。惜しむ由(よし)して乞(こ)はれんと思ひ、
2529,下,48,裏,4,勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。▼第二百三十二段
2530,下,48,裏,5,すべて、人は、無智(むち)・無能(むのう)なるべきものなり。或(あるひと)人の子
2531,下,48,裏,6,の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言(ものい)ふとて、
2532,下,48,裏,7,史書(ししよ)の文(もん)を引きたりし、賢(さか)しくは聞えしかども、
2533,下,48,裏,8,尊者(そんじや)の前にてはさらずともと覚えしなり。〔又(また)、〕
2534,下,48,裏,9,或人の許(もと)にて、琵琶法師(びはほふし)の物語を聞かんとて琵
2535,下,48,裏,10,琶を取り寄(よ)せたるに、柱(ぢゆう)の一つ落ちたりしかば、「作り
2536,下,49,表,1,て附(つ)けよ」と言ふに、ある男の中(なか)に、悪しからずと見ゆるが、
2537,下,49,表,2,「古き柄杓(ひさく)の柄(え)ありや」など言ふを見れば、爪(つめ)を生(お)ほし
2538,下,49,表,3,たり。琵琶など弾くにこそ。盲法師(めくらほふし)の琵琶、その
2539,下,49,表,4,沙汰(さた)にも及ばぬことなり。道に心得たる由(よし)にやと、
2540,下,49,表,5,かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木(ひものぎ)とかやいひ
2541,下,49,表,6,て、よからぬ物に」とぞ或人仰せられし。若き人
2542,下,49,表,7,は、少(すこ)しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。▼第二百三十三段 万(よろづ)
2543,下,49,表,8,の咎(とが)あらじと思はば、何事(なにごと)にもまことありて、人を
2544,下,49,表,9,分(わ)かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女(なんによ)・
2545,下,49,表,10,老少(らうせう)、皆、さる人こそよけれども、殊に、若く、かたち
2546,下,49,裏,1,よき人の、言(こと)うるはしきは、忘れ難(がた)く、思ひつかるゝものなり。
2547,下,49,裏,2,万の咎は、馴れたるさまに上手(じやうず)めき、所得(ところえ)たる
2548,下,49,裏,3,気色(けしき)して、人をないがしろにするにあり。▼第二百三十四段
2549,下,49,裏,4,人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのまゝ
2550,下,49,裏,5,に言はんはをこがましとにや、心(こころ)惑(まど)はすやうに返
2551,下,49,裏,6,事(かへりこと)したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだ
2552,下,49,裏,7,かにやと思ひてや問ふらん。又(また)、まことに知らぬ人も、など
2553,下,49,裏,8,かなからん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく
2554,下,49,裏,9,聞えなまし。人は未(いま)だ聞き及ばぬ事を、我が知りたる
2555,下,49,裏,10,まゝに、「さても、その人の事のあさましさ」などばかり
2556,下,50,表,1,言ひ遣(や)りたれば、「如何(いか)なる事のあるにか」と、押し返し問ひに
2557,下,50,表,2,遣るこそ、心(こころ)づきなけれ。世に古(ふ)りぬる事をも、おのづから
2558,下,50,表,3,聞き洩(もら)すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げ
2559,下,50,表,4,遣りたらん、悪(あ)しかるべきことかは。かやうの事は、物馴(ものな)
2560,下,50,表,5,れぬ人のある事なり。▼第二百三十五段
2561,下,50,表,6,主(ぬし)ある家には、すゞろなる人、心(こころ)のまゝに入り来(く)る事
2562,下,50,表,7,なし。主なき所には、道行人濫(みちゆきびとみだ)りに
2563,下,50,表,8,立ち入り、狐・梟(ふくろふ)やうの物も、人気(ひとげ)に塞(せ)かれねば、所
2564,下,50,表,9,得顔(ところえがほ)に入(い)り棲(す)み、木霊(こたま)など云ふ、けしからぬ形も現(あら)
2565,下,50,表,10,はるゝものなり。又(また)、鏡(かがみ)には、色(いろ)・像(かたち)なき故に、万の
2566,下,50,裏,1,影来(かげきた)りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざ
2567,下,50,裏,2,らまし。虚空(こくう)よく物を容(い)る。我等(われら)が心(こころ)に念々(ねんねん)の
2568,下,50,裏,3,ほしきまゝに来り浮(うか)ぶも、心(こころ)といふものなきにや
2569,下,50,裏,4,あらん。心(こころ)に主(ぬし)あらましかば、胸の中(うち)に、若干(そこばく)の
2570,下,50,裏,5,事は入り来ら〔ざら〕まし。▼第二百三十六段
2571,下,50,裏,6,丹波(たんば)に出雲(いづも)と云ふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、めでたく造
2572,下,50,裏,7,れり。しだの某(なにがし)とかやしる所なれば、秋の比、
2573,下,50,裏,8,聖海(しやうかい)上人、その他も人数多(ひとあまた)誘ひて、「いざ給(たま)へ、出雲拝(をが)
2574,下,50,裏,9,みに。かいもちひ召(め)させん」とて具(ぐ)しもて行きたるに、各々(おのおの)
2575,下,50,裏,10,拝みて、ゆゝしく信(しん)起したり。御前(おまへ)なる獅子(しし)・狛
2576,下,51,表,1,犬(こまいぬ)、背きて、後(うしろ)さまに立ちたりければ、上人、いみ
2577,下,51,表,2,じく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様(やう)、いと
2578,下,51,表,3,めづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿
2579,下,51,表,4,原(とのばら)、殊勝(しゆしやう)の事は御覧(ごらん)じ止(と)めずや。無下(むげ)なり」と言へば、
2580,下,51,表,5,各々怪(あや)しみて、「まことに他(た)に異(こと)なりける」、「都(みやこ)
2581,下,51,表,6,のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとな
2582,下,51,表,7,しく、物知りぬべき顔したる神官(じんぐわん)を呼びて、「この社(みやしろ)
2583,下,51,表,8,の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ち
2584,下,51,表,9,と承(うけたまは)らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき
2585,下,51,表,10,童(わらべ)どもの仕りける、奇怪(きくわい)に候う事なり」とて、さし
2586,下,51,裏,1,寄りて、据(す)ゑ直し〔て、往(い)に〕ければ、上人の感涙(かんるゐ)いたづらになりに
2587,下,51,裏,2,けり。▼第二百三十七段
2588,下,51,裏,3,柳筥(やないばこ)に据(す)うる物は、縦様(たてさま)・横様(よこさま)、物による
2589,下,51,裏,4,べきにや。「巻物などは、縦様に置きて、木(き)の間(あはひ)
2590,下,51,裏,5,より紙ひねりを通(とほ)して、結(ゆ)い附(つ)く。硯(すずり)も、縦様
2591,下,51,裏,6,に置きたる、筆転(ころ)ばず、よし」と、三条右大臣殿(さんでうのうだいじん)
2592,下,51,裏,7,仰せられし。勘解由小路(かでのこうぢ)の家の能書(のうじよ)の人々は、仮にも
2593,下,51,裏,8,縦様に置かるゝ事なし。必ず、横様に据ゑら
2594,下,51,裏,9,れ侍りにき。▼第二百三十八段
2595,下,51,裏,10,御随身(みずゐじん)近友(ちかとも)が自讃(じさん)とて、七箇条(しちかでう)書き止(とど)めたる事あり。
2596,下,52,表,1,皆(みな)、馬芸(ばげい)、させることなき事どもなり。その例(ためし)を
2597,下,52,表,2,思ひて、自賛の事七つあり。
2598,下,52,表,3,一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院(さいしやうくわうゐんへん)の辺
2599,下,52,表,4,にて、男(をのこ)の、馬を走(はし)らしむるを見て、「今一度(ひとたび)馬を
2600,下,52,表,5,馳(は)するものならば、馬倒(たふ)れて、落つべし。暫(しば)し見給へ」と
2601,下,52,表,6,て立ち止(どま)りたるに、又(また)、馬を馳す。止(とど)むる所にて、馬を
2602,下,52,表,7,引き倒して後、乗る人、泥土(でいと)の中に転(ころ)び入る。その詞(ことば)の誤
2603,下,52,表,8,らざる事を人皆感ず。
2604,下,52,表,9,一、当代未(たうだいいま)だ坊(ぼう)におはしましし比(ころ)、万里小路殿御所(までのこうぢどのごしよ)なり
2605,下,52,表,10,しに、堀川(ほりかはの)大納言殿伺候(しこう)し給ひし御曹子(みざうし)へ用ありて
2606,下,52,裏,1,参りたりしに、論語(ろんご)の四・五〔・六〕の巻(まき)をくりひろげ給ひて、
2607,下,52,裏,2,「たゞ今、御所にて、『紫の、朱奪(あけうば)ふことを悪(にく)む』と云ふ
2608,下,52,裏,3,文(もん)を御覧ぜられたき事ありて、御本(ごほん)を御覧ずれども、
2609,下,52,裏,4,御覧じ出(いだ)さぬなり。『なほよく引き見よ』と仰(おほ)せ事にて、求むる
2610,下,52,裏,5,なり」と仰せらるゝに、「九(く)の巻のそこそこの程(ほど)に侍る」
2611,下,52,裏,6,と申したりしかば、「あな嬉(うれ)し」とて、もて参らせ給ひき。かほ
2612,下,52,裏,7,どの事は、児(ちご)どもも常(つね)の事なれども、昔の人はいさゝかの
2613,下,52,裏,8,事をもいみじく自賛(じさん)したるなり。御鳥羽(ごとば)院の、御
2614,下,52,裏,9,歌(みうた)に、「袖(そで)と袂(たもと)と、一首の中(うち)に悪(あ)しかりなんや」と、定家卿(ていかのきやう)に
2615,下,52,裏,10,尋(たづ)ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄
2616,下,53,表,1,穂(ずすきほ)に出(い)でて招く袖と見ゆらん』と侍れば、何事(なにごと)か候ふ
2617,下,53,表,2,べき」と申されたる事も、「時に当(あた)りて本歌(ほんか)を
2618,下,53,表,3,覚悟(かくご)す。道の冥加(みやうが)なり、高運(こううん)なり」と、ことことしく
2619,下,53,表,4,記(しる)し置かれ侍るなり。九条相国伊通公(くでうのしやうこくこれみち)の款状(くわじやう)にも、殊(こと)
2620,下,53,表,5,なる事なき題目(だいもく)をも書き載せて、自賛せられたり。
2621,下,53,表,6,一、常在光院(じやうざいくわうゐん)の撞(つ)き鐘(がね)の銘(めい)は、在兼卿(ありかねのきやう)の草(さう)〔なり〕。行房朝臣(ゆきふさのあそん)の
2622,下,53,表,7,清書(せいじよ)なり、鋳型(いかた)に模(うつ)せんとせしに、奉行(ぶぎやう)の入道(にふだう)、かの
2623,下,53,表,8,草を取り出でて見せ侍りしに、「花の外(ほか)に夕(ゆふべ)を送れば、
2624,下,53,表,9,声百里(はくり)に聞(きこ)ゆ」と云ふ句あり。「陽唐(やうたう)韻(ゐん)と見ゆるに、
2625,下,53,表,10,百里誤(あやま)りか」と申したりしを、「よく見せ奉(たてまつ)りける。
2626,下,53,裏,1,己(おの)れが高名(かうみやう)なり」とて、筆者(ひつしや)の許(もと)へ言ひ遣(や)りたるに、
2627,下,53,裏,2,「誤り侍りけり。数行(すかう)と直(なほ)さるべし」と返事(かへりこと)侍りき。
2628,下,53,裏,3,数行も如何(いか)なるべきにか。若(も)し数歩(すほ)の心(こころ)か。おぼつかなし。〔数行なほ不審。数は四五也。鐘四五歩不幾也。たゞ遠く聞ゆる心也。〕
2629,下,53,裏,4,一、人あまた伴(ともな)ひて、三塔巡礼(さんたふじゆんれい)の事侍りしに、横
2630,下,53,裏,5,川(よかは)の常行道(じやうぎやうだう)の中、竜華院(りようげゐん)と書ける、古き額(がく)あり。
2631,下,53,裏,6,「佐理(さり)・行成(かうぜい)の間(あひだ)疑ひありて、未(いま)だ決(けつ)せずと申し
2632,下,53,裏,7,伝へたり」と、堂僧(だうそう)ことことしく申し侍りしを、「行成(かうぜい)ならば、
2633,下,53,裏,8,裏書(うらがき)あるべし。佐理(さり)ならば、裏書(うらがき)あるべからず」と言ひた
2634,下,53,裏,9,りしに、裏は塵積(ちりつも)り、虫の巣(す)にていぶせげなるを、よく
2635,下,53,裏,10,掃(は)き拭(のご)ひて、各々(おのおの)見侍りしに、行成(かうぜい)位爵【*位署】(ゐじよ)・名字(みやうじ)・
2636,下,54,表,1,年号(ねんがう)、さだかに見え侍りしかば、人皆(みな)興(きよう)に入(い)る。
2637,下,54,表,2,一、那蘭陀寺(ならんだじ)にて、道眼聖談義(だうげんひじりだんぎ)せしに、八災(はつさい)と云ふ
2638,下,54,表,3,事を忘れて、「誰か覚え給ふ」と言ひしに、所
2639,下,54,表,4,化(しよけ)皆(みな)覚えざりしに、局(つぼね)〔の内(うち)〕より、「これこれ
2640,下,54,表,5,にや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍り。
2641,下,54,表,6,一、賢助僧正(けんじよそうじよう)伴(ともな)ひて、加持香水(かぢこうずゐ)を見侍りしに、未
2642,下,54,表,7,だ果てぬ程(ほど)に、僧正帰り出で侍りしに、陳(ぢん)の外(と)まで
2643,下,54,表,8,僧正(そうじよう)見えず。法師どもを返して求めさするに、「同
2644,下,54,表,9,じ様(さま)なる大衆(だいしゆ)多くて、え求め逢(あ)はず」と言ひて、
2645,下,54,表,10,いと久(ひさ)しく出でざりしを、「あなわびし。それ、求めておはせ
2646,下,54,裏,1,よ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具(ぐ)して出でぬ。
2647,下,54,裏,2,一、二月十五日(きさらぎじふごにち)、月明(つきあか)き夜(よ)、うち更(ふ)けて、千本の寺に
2648,下,54,裏,3,詣(まう)でて、後(うしろ)より入りて、独(ひと)り顔深く隠(かく)して
2649,下,54,裏,4,聴聞(ちやうもん)し侍(はんべ)りしに、優(いう)なる女の、姿・匂(にほ)ひ、人より殊(こと)〔なる〕
2650,下,54,裏,5,が、分(わ)け入りて、膝(ひざ)に居(ゐ)かゝれば、匂ひなども移る
2651,下,54,裏,6,ばかりなれば、便(びん)あしと思ひて、摩(す)り退(の)きたるに、なほ
2652,下,54,裏,7,居寄(ゐよ)りて、同じ様(さま)なれば、立ちぬ。その後(のち)、ある御所様(ごしよさま)
2653,下,54,裏,8,の古き女房(にようばう)の、うしろごと言はれしついでに、「無下(むげ)に
2654,下,54,裏,9,(いろ)色なき人におはしけりと、見おとし奉(たてまつ)る事なんありし。
2655,下,54,裏,10,情(なさけ)なしと恨(うら)み奉る人なんある」とのたまひ出したるに、
2656,下,55,表,1,「更(さら)にこそ心得(こころえ)侍れね」と申して止(や)みぬ。この事、後に聞き侍り
2657,下,55,表,2,しは、かの聴聞の夜、御局(みつぼね)の内より、人の御覧じ
2658,下,55,表,3,知りて、候(さうら)ふ女房を作り立てて出し給ひて、
2659,下,55,表,4,「便(びん)よくは、言葉などかけんものぞ。その有様(ありさま)参
2660,下,55,表,5,りて申せ。いと興(きよう)あらん」とて、謀(はか)り給ひけるとぞ。▼第二百三十九段
2661,下,55,表,6,八月十五日(はつきじふごにち)・九月十三日(ながづきじふさんにち)は、婁宿(ろうしゆく)なり。この宿、清明(せいめい)なる
2662,下,55,表,7,故に、月を翫(もてあそ)ぶに良夜(りやうや)とす。▼第二百四十段
2663,下,55,表,8,しのぶの浦(うら)の蜑(あま)の見る目も所(ところ)せく、くらぶの山も
2664,下,55,表,9,守(も)る人繁(しげ)からんに、わりなく通(かよ)はん心(こころ)の色(いろ)こそ、浅
2665,下,55,表,10,からず、あはれと思ふ、節々(ふしぶし)の忘れ難(がた)き事も
2666,下,55,裏,1,多からめ、親・はらから許(ゆる)して、ひたふるに迎(むか)へ据(す)ゑたら
2667,下,55,裏,2,ん、いとまばゆかりぬべし。世にありわぶる女の、似げなき
2668,下,55,裏,3,老法師(おいぼふし)、あやしの吾妻人(あづまうど)なりとも、賑(にぎ)はゝしき
2669,下,55,裏,4,につきて、「誘(さそ)う水あらば」など云ふを、仲人(なかうど)、何方(いづかた)も心(こころ)
2670,下,55,裏,5,にくき様(さま)に言ひなして、〔知られず、〕知らぬ人を迎(むか)へもて来(き)た
2671,下,55,裏,6,らんあいなさよ。何事(なにごと)をか打ち出(い)づる言(こと)の葉(は)にせん。年
2672,下,55,裏,7,月(としつき)のつらさをも、「分(わ)け来(こ)し葉山(はやま)の」なども相語(あひかた)らはん
2673,下,55,裏,8,こそ、尽(つ)きせぬ言(こと)の葉(は)にてあらめ。すべて、余所(よそ)の人取りまか
2674,下,55,裏,9,なひたらん、うたて心(こころ)づきなき事、多かるべし。よき
2675,下,55,裏,10,女ならんにつけても、品下(しなくだ)り、見にくゝ、年(とし)も長(た)
2676,下,56,表,1,けなん男は、かくあやしき身(み)のために、あたら身を
2677,下,56,表,2,いたづらになさんやはと、人も心劣(こころおと)りせられ、我が身は、向(むか)ひ
2678,下,56,表,3,ゐたらんも、影恥(かげはづ)かしく覚えなん。いとこそあいな
2679,下,56,表,4,からめ。
2680,下,56,表,5,梅の花かうばしき夜(よ)の朧月夜(おぼろづきよ)に佇(たたず)み、御
2681,下,56,表,6,垣(みかき)が原(はら)の露分(つゆわ)け出でん有明(ありあけ)の空も、我(わ)が身(み)の様(さま)
2682,下,56,表,7,に偲(しの)ばるべくもなからん人は、たゞ、色好(この)まざ
2683,下,56,表,8,らんには如(し)かじ。▼第二百四十一段
2684,下,56,表,9,望月(もちづき)の円(まど)かなる事は、暫(しばら)くも住(ぢゆう)せず、やがて
2685,下,56,表,10,欠(か)けぬ。心(こころ)止(と)めぬ人は、一夜(ひとよ)の中(うち)にさまで変る
2686,下,56,裏,1,様(さま)の見えぬにやあらん。病(やまひ)の重(おも)るも、住する隙(ひま)
2687,下,56,裏,2,なくして、死期(しご)既に近し。されども、未(いま)だ病
2688,下,56,裏,3,急(きふ)ならず、死に赴(おもむ)かざる程は、常住平生(じやうぢゆうへいぜい)の念に
2689,下,56,裏,4,習ひて、生(しやう)の中に多くの事を成(じやう)じて後(のち)、閑(しづ)かに
2690,下,56,裏,5,道を修(しゆ)せんと思ふ程に、病を受けて死門(しもん)に臨む
2691,下,56,裏,6,時、所願(しよぐわん)一事(しよぐわんいちじ)も成せず。言ふかひなくて、年月(としつき)の懈怠(けだい)
2692,下,56,裏,7,を悔(く)いて、この度(たび)、若(も)し立ち直りて命(いのち)を全(まつた)く
2693,下,56,裏,8,せば、夜(よ)を日(ひ)に継ぎて、この事、かの事、怠(おこた)らず成(じやう)
2694,下,56,裏,9,じてんと願ひを起すらめど、やがて重(おも)りぬれば、我(われ)
2695,下,56,裏,10,にもあらず取り乱して果てぬ。この類(たぐい)のみこそ
2696,下,57,表,1,あらん。この事、先(ま)づ、人々、急ぎ心(こころ)に置くべし。所願(しよぐわん)を成じて後(のち)、
2697,下,57,表,2,暇(いとま)ありて道に向(むか)はんとせば、所願(しよぐわん)尽(つ)くべからず。如幻(によげん)の
2698,下,57,表,3,生(しやう)の中(うち)に、何事(なにごと)をかなさん。すべて、所願(しよぐわん)皆妄想(みなまうざう)なり。
2699,下,57,表,4,所願(しよぐわん)心(こころ)に来たらば、妄信迷乱(まうしんめいらん)すと知りて、一事(いちじ)をも
2700,下,57,表,5,なすべからず。直(ぢき)に万事(ばんじ)を放下(はうげ)して道に向(むか)ふ時、
2701,下,57,表,6,障りなく、所作(しよさ)なくて、心身(しんじん)永く閑(しづ)かなり。▼第二百四十二段
2702,下,57,表,7,とこしなへに違順(ゐじゆん)に使はるゝ事は、ひとへに苦楽(らく)の
2703,下,57,表,8,ためなり。楽(らく)と言ふは、好(この)み愛(あい)する事なり。これを求
2704,下,57,表,9,むること、止(や)む時なし。楽欲(げうよく)する所、一つには名(な)なり。名に
2705,下,57,表,10,二種(にしゆ)あり。行跡(かうせき)と才芸(さいげい)との誉(ほまれ)なり。二つには色欲(しきよく)、三つ
2706,下,57,裏,1,には味(あぢは)ひなり。万(よろづ)の願ひ、この三つには如(し)かず。これ、顛倒(てんだう)の
2707,下,57,裏,2,想(さう)より起りて、若干(そこばく)の煩(わづら)ひあり。求め
2708,下,57,裏,3,ざらんにには如(し)かじ。 ▼第二百四十三段
2709,下,57,裏,4,八(や)つになりし年、父に問ひて云はく、「仏(ほとけ)は如何(いか)なるものに
2710,下,57,裏,5,か候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成(な)りたる
2711,下,57,裏,6,なり」と。又(また)問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」
2712,下,57,裏,7,と。父又(また)、「仏の教(をしへ)によりて成るなり」と答ふ。又(また)
2713,下,57,裏,8,問ふ、「教へ候ひける仏には、何が教へ候ひける」と。又(また)答ふ、
2714,下,57,裏,9,「それも〔又(また)、〕先の仏の教によりて成り給ふなり」。
2715,下,57,裏,10,又(また)問ふ、「その教へ始め候ひける、〔第一の〕仏は、如何なる仏にか
2716,下,58,表,1,と候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧(わ)きけん」
2717,下,58,表,2,と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、〔え〕答へずなり侍りつ」と、
2718,下,58,表,3,諸人(しよにん)に語(かた)りて興(きよう)じき。