P135
◎〔すべらぎの下〕第三
(廿)男山 S0301
とばのみかど位の御ときより、まゐりたまへりしきさきは、御子たちあまたうみたてまつりて、くらゐおりさせ給ひしかば、女院と申しておはしましき。法皇のやしなひたてまつりて、はたもてかしづき給ひしに、法皇おはしまさでのち、宇治のきさきまゐり給ひて、御かた<”いとましげなれども、院にはいづかたにも、うときやうにてのみ、おはしましゝに、しのびてまゐり給へる御かたおはしまして、やゝあさまつりごともおこたらせ給ふさまにて、夜がれさせ給ふ事なかるべし。いとやむ事なききはにはあらねど、中納言にて御おやはおはしけるに、母きたのかたは、源氏のほりかわのおとゞのむすめにおはしけるうへに、たぐひなくかしづきゝこえて、たゞ人にはえゆるさじと、もてあつかはれけるほどに、中納言かくれ侍りにけるのち、院にもとよりおぼしめしつゝやすぐし給ひけん。かのちゝの御いみなどすぎけるまゝに、しのびて御せうそこ有りて、かくれつゝまゐり給ひけるほどに、日にそへてたぐひなき御心ざしにて、ときめき給ふほどに、
たゞならぬ事さへおはしければ、御いのりおどろ<しきまでかた<”せさせ給ふほどに、女宮うみたてまつらせ給へれば、めづらしきをば、よろこびながら、男におはしまさぬをぞ、くちおしうおぼしめしたるに、又うみたてまつり給へるも、おなじさまなるは、まめやかにくちおしうおぼしめしたれど、さすがいかゞはせんにて、おはしますなるべし。あね宮をば、宇治のきさき、御子おはしまさぬにあはせて、おほきおとゞの御心とゞむとにや。このみやにむかへ申させたまひて、やしなひ申させ給ふ。のちにむまれさせ給へるをば、院にみづからやしなひたてまつり給ふ。御母ぎさき、しばしはあの御かたなど申して、おはしましし程に、三位のくらゐそへさせ給ひて、この御事をのみたぐひなき御もてなしなれば、よの人ならびなくみたてまつれるに、又たゞならぬ事おはしませば、このたびさへ、うちつゞかせ給はんも、くちをしきうへに、おぼしめしはからふ事やあらん。をとこ宮うみたてまつり給ふべき御いのり、いひしらずいとなませ給ふ。いはし水に般若會などいひて、山三井寺などの、やんごとなきちゑふかき僧どもまいりゐて、日ごろ法文のそこをきはめて、おこなはせ給ふ。帥中納言といふ人、御うしろみにて、みやこの事も大事なれど、かの宮に日ごろこもりて御かはりにや。日ごとに、
P136
そくたいにて御かうもよほし、おこなはれけるを、われも<とみのりときて、いのり申しけるなかに、忠春とかきこえしが、鼇海の西にはうみのみや、御産平安たのみあり。鳳城の南にはをとこ山、皇子誕生うたがひなし。と申したりけるとなんきゝ侍りし。ならの濟円といひし僧都、さきの日、この心をしたりけるに、めでたしなどきこえけるを、山に忠春巳講ときこえしが、のちの日、かやうにむすびなしていひける。とり<”にえもいはずなん、きこえ侍りける。はての日は、かんだちめひきつれまゐりて、御ふせとり、御かぐらなどせらる。かんだちめ歌もふえも、おの<心をつくして、清暑堂のやうなり。かやうにいひしらぬ御いのりども有りける程に、保延五年にや侍りけん。つちのとのひつじのとし五月十八日、よになくけうらなる玉のをのこ宮、うまれさせ給ひぬれば、院のうちさらなり。世の中もうごくまで、よろこびあへるさま、いはんかたなし。ひつじの時ばかりなれば、御いのりの僧、御前にまゐりゐたるに、おの<御むまひき、女房のよそひなどたまはす。仁和寺の法親王、山の座主など僧かう給はり、さま<”の賞ども有りて、まかで給ひぬ。御うぶやしなひ七夜など関白殿よりはじめてまゐり給ひて、御あそびどもあり。御ゆどのみなみおもてにしつらひて、つるうち五位六位しらがさねにたちならべる。
男宮におはしませば、文よみ式部大輔左中弁などいふはかせ、大外記とかいふもの、みやう經はかせとて、つるばみのころも、あけのころも、袖をつらねて、うちかはりつゝ、日ごとによむけしき、いはんかたなくめでたし。皇子の御いのりはじめてせさせ給ひ、なゝせの御はらへに、弁ゆげいのすけ、五位の蔵人など時にあへる七人、御ころもはことりてたつほど、おぼろげのかんだちめなども、あふべくもなかりけり。御めのとには、二条の関白の御子に、宰相中将といひし人のむすめ、くらのかみをとこにてあれば、えらばれてやしなひ奉るなるべし。日にそへて、めづらかなるちごの、御かたちなるにつけても、いかでかすがやかに、みこの宮にも、くらゐにもとおぼせども、きさきばらに、みこたちあまたおはしますを、さしこゆべきならねば、おもほしめしわづらふほどに、たうだいの御子になし奉り給ふ事いできて、みな月の廿六日、皇子内へいらせ給ふ。御ともにかんだちめ、殿上人えらびて、つねのみゆきにも心こと也。宮このうち、車もさりあへず、みるもの所もなき程になんはべりける。うちへいらせ給ふに、てぐるまの宣旨など、蔵人おほせつゝ、すでにまゐらせ給ひて、中宮を御母にて、まだ御子もうませ給はねば、めづらしくやしなひ申させたまふ。きさきのおやにては、関白殿おはしませば、
P137
皇子のおほぢにて、かた<”、みかどもきさきも、御子おはしまさぬに、院も御心ゆかせ給ひて、いと心よき事いできて、いつしか八月十七日、春宮にたゝせ給ふ。昭陽舎に御しつらひありて、わたらせ給ふ。大夫には堀川の大納言なり給ふ。御母のをぢにおはして、ことにえらばせ給へる也。御母女御のせんじかぶり給ふ。ねがひの御まゝなる。をのこ宮のうれしさも、いふばかりなきうへに、御みめも御心ばへも、いとうつくしう、この世のものにもあらず。さかしくおとなしくて、ひの御ざにことあるごとに、大夫のいだきまゐらせ給へるにも、なきなどし給はず。ゐさせ給ふほどには、御しとねのうへに、ひとりゐさせ給ひて、おとなのやうにおはしませば、かひ<”しくみたてまつる人も、よろこびの涙おさへがたかりけり。かくて同七年十二月七日、御とし三にて、位ゆづり申させ給ふ。ちかくは五などにてぞ、つかせ給へども、心もとなさにや。すがやかにゐさせ給ひぬ。御母女御殿、皇后宮にたゝせ給ふ。御とし廿五にや。御即位大嘗會など、心ことに世もなびきてなん。みえ侍りける。おとなにならせ給ふまゝに、御有さましかるべきさきのよの御ちぎりとみえ給へり。摂政殿の御おとゝの左のおとゞ、女御たてまつらせ給ひて、皇后宮にたち給ひぬ。なをたらずやおぼしめすらむ、院より
御さたせさせ給ひて、大宮の大納言のむすめ、関白殿の御子とて、きたの政所の、御せうとのむすめなれば、御子にし奉り給ふ。御かた<”はなはなと、いどみがほなるべし。とのゝあにおとうとの御なか、よくもおはしまさねば、宮もいとゞへだておほかるに、関白殿は、うちのひとつにて、ひとへに中宮のみのぼらせ給ひて、皇后宮の御かたをば、うとくおはしましける。かくてとしふるほどに御母ぎさき院号ありて、女院とておはしませば、院のきさきの女院、三人おはします。うちにはきさきふたりたち給ひて、いとかた<”、おほくおはすころなるべし。
(廿一)虫の音 S0302
此みかど御みめも、御心ばへもいとなつかしくおはしましけるに、すゑになりて、御めを御らんぜざりければ、かた<”御いのりも御くすりもしかるべきにやかひなくて、すゑざまには、としのはじめの行幸なども、せさせ給はずなりにけり。摂政殿たぐひなくおもひたてまつらせ給ふ。みかどもおろかならず、思ひかはさせ給ひて、殿の御おとうとにこめられさせ給ひて、藤氏の長者なども、のかせ給ひたるを、をさなき御心になげかせ給ふ。とのもみかどのれいならぬ御事を、なげかせ給ふほどに、十七にやおはしまし
P138
けん。はつ秋のすゑに、日ごろれいならぬ事おはしまして、かくれさせ給ひぬれば、世の中はやみにまどへる心ちしあへるなるべし。さりとてあるべきにあらねば、鳥羽院には、つぎのみかどさだめさせ給ふに、まことにや侍りけん。女院の御事のいたはしさにや。姫宮を女帝にやあるべきなどさへはからはせ給ふ。又仁和寺のわか宮をなどさだめさせ給ひけれど、ことわりなくて、ひとひは過て、世の中おぼしめしうらみたる御ありさまなるべし。たゞおはしまさんだにをしかるべきを、哥をもをさなくおはしますほどに、すぐれてよませ給ひ、法文のかたも、しかるべくてや、おはしましけむ。心にしめて、經などをもくんによませ給ひて、それにつけても、廿八品の御うたなどよませ給ふ。おなじ哥と申せども、このころのうちあからさまにもあらず、むかしの上手などのやうに、よませ給ひける、おほくよませ給ひけるなかに、よを心ぼそくや、おぼしめしけむ。
@ むしのねのよわるのみかは過る秋ををしむ我身ぞまづきえぬべき W033
などよませ給へりける、いとあはれにかなしく、又からはぎなどいふことを、かくしだいにて、
@ つらからばきしべの松のなみをいたみねにあらはれてなかんとぞおもふ W034
などおほくきゝ侍りしかども、おぼえ侍らず。位におはします事、十四年なりき。御わざの夜さねしげといひしが、むかし蔵人にて侍りける、おもひいでゝよめる。
@ おもひきやむしのねしげきあさぢふに君をみすてゝ帰るべしとは W035
殿の御子の、大僧正ときこえ給ふ、みかどのうゑさせ給へりけるきくを見給ひて、
@ よはひをば君にゆづらで白菊のひとりおくれてつゆけかるらん W036
とよまれ侍りけるこそ、あはれに聞え侍りしか。肥前のごとて侍りけるが、みかどおはしまさでのち、むかし思ひいでけるに、しのばしき事、おほくおぼえければほしあひのころ、ないし土佐が、かのみかどの御事のかなしみにたへで、かしらおろして、こもりゐ侍りけるもとに、いひつかはしける、
@ 天の川ほしあひの空はかはらねどなれし雲ゐの秋ぞ恋しき W037
とよめりけるこそ、いとなさけおほくきゝはべりしか。このみかどの御母は、贈左大臣長實中納言のむすめ也。得子皇后宮ときこえ給ふ。美福門院と申しき。この御ありさま、さきに申し侍りぬ。かつはちかき世の事なれば、たれもきかせ給ひけん。されどもことの
P139
つゞきに申し侍るになん。猶あさましくおはしましゝ、御すぐせぞかし。御おやもおはせずなりにしかば、いかゞなりたまはんずらむとみえたまひしに、しのびてまゐりはじめたまひて、御子たちうみたてまつり給ひ、女御きさき、みかどの御はゝにおはしますのみにあらず、ゆくすゑまでの御ありさま申すもおろかなり。はじめかやう院のやしなひ申させ給ひしは、叡子内親王ときこえ給ひしは、うせさせ給ひにき。そのつぎのひめ宮はワ子内親王八条院と申すなるべし。院にやがてやしなひ申させ給ひて、あさゆふの御なぐさめなるべし。をさなくて物などうつくしうおほせられて、わか宮は、春宮になりたり。われは春宮のあねに成りたりなど、おほせられければ、院はさるつかさやはあるべきなど、けうじ申させ給ひけるなどぞ、聞え侍りし。この宮、保延三年ひのとのみのとしにうまれさせ給ひて、保元二年六月御ぐしおろさせ給ふ。御とし廿一とぞきこえさせ給ひし。應保元年十二月に、院号きこえさせ給ふ。二条のみかどの御母とて、后にもたゝせ給はねども、女院と申すなるべし。小一条院の春宮より院と申ししやうなるべし。このゑのみかどうまれさせ給ひてのち、永治元年十一月にや侍りけん。かのとのとりのとし、又ひめ宮、六条殿にてうみたてまつり給へりし、二条のみかど、
春宮ときこえさせ給ひし時、保元々年のころ、みやす所ときこえさせ給ひて、みかど位につかせ給ひしかば、平治元年十二月廿六日、中宮ときこえさせ給ひしに、永暦元年八月十九日、御なやみとて、御ぐしおろさせ給ふ。御とし廿とぞきこえさせ給ひし。いとたぐひなく侍りき。應保二年二月十三日、院号ありて、たか松の院と申す。この宮々の御母、國母にておはしましゝ程に、このゑのみかど、崩れさせ給ひて、なげかせ給ひしに、つぎのとし鳥羽院うせさせ給ひし時は、きたおもてに候ふと候ふ、下臈どもかきたてゝ、院のおはしまさざらんには、たしかに女院に候へとて、わたされ侍りけり。女院は法皇の御やまひのむしろに、御ぐしおろさせ給へりき。みたきのひじりとかきこえしは御戒の師ときこえ侍りし、よろづおもほしすてたる御有さまにやあらん。鳥羽などをも、よろづ女院の御まゝとのみ、さたしおかせ給へれど、のちの世の事を、おもほしおきてさせ給ふうへに、心かしこく何事にものがれさせ給へりき。姫宮たち、御母おはしましゝをり、みな御ぐしおろさせ給ひてしこそ、いとあはれにきこえ給ひしか。むかしの仏のやたりの王子、十六の沙弥などの御有さまなるべし。なかにも、たうじのきさきの宮にて、仏のみちにいらせ給ふ、よにたぐひなし。このよを
P140
つよくおぼしめしとりて、わが御身もひめ宮たちをもすゝめなし奉りて、つとめさせ給ふほどに、わづらはせおはします御事ありて、應保元年十一月廿三日に、かくれさせおはしましにき。むらさきの雲たちてゐながら、うせさせおはしにけるとぞ、うけ給はりし。かねて高野の御山にしのびて、御だうたてさせ給ひて、それにぞ御しやりをば、おくりまゐらせ給ひけるとなむ。かの御ともには、さもあるべき人々、おの<御さはりありて、贈左大臣の末の子ときみちの備後守とかきこえし、のちには法師になられたりけるに、年ごろもちぎりおかせ給へりけるとて、その人ばかりぞ、くびにかけまゐらせて、たゞ一人まゐられければ、わかさのかみにて、たかのぶと申して、むげにとしわかき人、をさなくより、なれつかうまつりて、御なごりのしのびがたさに、ことにのぞみて、したひまゐりけるに、御山へいらせ給ふ日、雪いたくふりければよみ侍りける、
@ たれか又けふのみゆきをおくりおかんわれさへかくて思ひきえなば W038
(廿二)大内わたり S0303
すぎたるかたの事はとをきもちかきも、みおよびきゝおよぶ程の事申しはべりぬるを、いまのよの事は、はゞかりおほかるうへに、たれかはおぼつかなくおぼされん。しかはあれども、
事のつゞきなれば、申し侍るになん。たうじの一院は、鳥羽院の第四のみこ、御はゝ待賢門院、大治二年ひのとのひつじの年、うみ奉り給へりしにや、おはしますらん。おほくの宮たちの御中に、あめのした、つたへたもたせ給ふ、いとやん事なき御さかえ也。保延三年十二月御ふみはじめに、式部大輔敦光といひしはかせ、御しとくにはまゐると、うけたまはりしに、かんだちめ殿上人まゐりて、詩などたてまつられける。ちかくはさる事もきこえ侍らぬに、この御文はじめにしも、しか侍りけん。よき例にこそ、せられ侍らんずらめ。同五年十二月廿日、御元服せさせ給ひしは、十三の御としにこそ、おはしましけめ。久寿二年七月廿五日、位につかせたまふ。御とし廿九におはしましき。院のおほせごとにて、内大臣とて、徳大寺のおとゞおはせし、ぐし奉りて、まづ高松殿にわたり給ふ。夜に入りて、かんだちめ引つれてまゐり給ひて、このゑのだいりへ、わたらせおはします。十月廿六日御即位ありて、春宮たゝせ給ふ。大嘗会など有りて、としもかはりぬれば、院の姫宮東宮の女御にまゐり給ふ。高松の院と申す御事也。前の斎院とていまの上西門院のおはしましゝを、御母にしたてまつらせ給ふと承し。はゝぎさき美福門院おはしませば、べちの御はゝなくても、おはしましぬべけれど、
P141
いますこし、ねんごろなる御心にや侍りけん。五月の末に故院の御なやみまさらせ給ひて、七月にうせさせ給ひしほとより、世の中にさま<”申す事どもいできて、物さはがしくきこえしほどに、まことに、いひしらぬいくさの事いできて、みかどの御かた、かたせ給ひしかば、賞どもおこなはせ給ひき。そのほどの事、申しつくすべくも侍らぬうへに、みな人しらせ給ひたらん。よををさめさせ給ふ事、むかしにはぢず、記録所とて後三条院の例にて、かみは左大将公教、弁三人、より人などいふもの、あまたおかれはべりて、世の中をしたゝめさせ給ふ。つぎのとしも、りやうあんにて、三月にぞつかさめしなどせさせ給ふ。十月におほうちつくり出だしてわたらせ給ふ。殿舎ども門々などのがくは、関白殿かゝせ給ふ。宮つくりたるくにのつかさなど七十二人とか、位給はりなどして、なかごろ、かばかりのまつりごとなきを、千世にひとたびすめる水なるべしとぞ、おもひあへる。うへは、清凉殿、ふぢつぼかけておはします。女房、弘徽殿、登華殿などにつぼねたび、皇后宮は、こうきでんにおはします。女房それも、とうくわてんのつゞきに、つぼねして候ふ。中宮は、承香殿におはします。その女房、麗景殿につぼねあり。うちのおとゞの奉り給へる女御は、むめつぼにおはす。その女房、襲芳舎につぼね給はりき。神なりのつぼ
なるべし。春宮はきりつぼにおはします。女房はその北舎につぼねしつゝ候ふ。とうぐのみやす所は、なしつぼなれば女房そのきたにつぼね給はり。関白殿は宣耀殿を御とのゐどころとせさせ給へり。ちかき世には、さとだいりにてのみ有りしかば、かやうの御すまひもなきに、いとなまめかしう、めづらかなるべし。ゆみやなどいふ物、あらはにもちたるものやは有りし。ものにいれかくしてぞ、おほぢをもありきける。宮このおほぢをも、かゞみのごとくみがきたてゝ、つゆきたなげなる所もなかりけり。よのすゑともなく、かくをさまれるよの中、いとめでたかるべし。
(廿三)内宴 S0304
かくてとしもかはりぬれば、てうきんの行幸、びふく門院にせさせ給ふ。まことの御子におはしまさねども、このゑのみかどおはしまさぬよにも、國母になぞらへられておはします。いとかしこき御さかえ也。又春宮ぎやうけいありて、姫宮の御母にて、はいし奉り給ふ。このひめ宮と申すは、八条院と申すなるべし。廿日ないえんおこなはせ給ふ。もゝとせあまりたえたる事を、おこなはせ給ふ。よにめでたし。題は春生聖化中とかやぞきゝ侍りし。関白殿など、かんだちめ七人、詩つくりてまゐり給へる。あをいろのころも、春の御あそびに
P142
あひて、めづらかなる色なるべし舞姫十人、れうき殿にて、袖ふるけしき、から女をみる心ちなり。ことしは、にはかにて、まことの女はかなはねば、わらはをぞ、仁和寺の法親王奉り給ひける。ふみをば仁寿殿にてぞかうぜられける。尺八といひて、吹たえたるふえ、このたびはじめてふきいだしたりと、うけ給はりしこそ、いとめづらしき事なれ。六月すまうのせちおこなはせ給ふ。これも久しくたえて、としごろおこなはれぬ事也。十七ばんなん有りける。ふるき事どもの、あらまほしきを、かくおこなはせ給ふ。ありがたき事也。かつはきみの御すぐせもかしこくおはしますうへに、少納言みちのりといひし人、のちは法師になりたりしが、鳥羽院にもあさゆふつかうまつり、この御時には、ひとへに世の中をとりおこなひて、ふるきあとをもおこし、あたらしきまつりごとをもすみやかにはからひおこなひけるとぞきゝ侍る。このみかど、御めのとはすりのかみもとたかのむすめ、大蔵卿もろたかのむすめなど、二三人とおはしけれど、あるはまかりいで、あるはかくれなどして、きのごとて、御ちの人ときこえしが、をとこにて、かの少納言みちのりのこあまたうみなどして、今は御めのとにて、やそしまのつかひなど、せられければ、ならぶ人もなきにこそ
@ すべらぎのちよのみかげにかくれずばけふ住吉の松をみましや W039
などよまれはべりけるときこえ侍りし。まことにかひ<”しき人におはすべし。かの少納言、からの文をもひろくまなび、やまと心もかしこかりけるにや。天文などいふ事をさへならひて、ざえある人になん侍りける。よはひさまでふるき人にてもはべらざりしに、今のよにも、いかにめでたくはべらまし。御めのとは、代々もなきにはあらぬを、このゑのすけなど、かりそめにもあらで、四位の少将中将なるに、さま<”のくにのつかさなどかけて、あまりに侍りけるにや。はねあるものはまへのあしなく、つのあるものは、かみのはなき事にて侍るを、またみちの人ならぬ、天文などのおそれある事にや。よろづめでたく侍りしに、をしくも侍るかな。かくて保元三年八月十六日、くらゐ東宮にゆづり申させ給ふ。位におはします事三年なりき。おりゐのみかどにて、御心のまゝによをまつりごたんと、おもほしめすなるべし。さき<”の御門くらゐにつかせ給ひゐんなど申せども、わがまゝにせさせ給ふ事は、ありがたきに、ならぶ人もおはしまさず。八まきのみのりをうかべさせ給ひて、さま<”つとめおこなはせ給ふなれば、むかしのちぎりにおはしますなるべし。せんたいの千手観音のみだうたてさせ給ひて、天竜八部衆など、いきてはたらかすといふばかりこそは侍るなれ。鳥羽院の千たいの観音
P143
だにこそ、ありがたく聞え侍りしに、千手のみだうこそ、おぼろげの事ともきこえ侍らね。くまのをさへうつして宮こに作らせ給へらんこそ、とをくまゐらぬ人のためも、いかにめづらしく侍らん。ひえなどをも、いはひすゑたてまつらせ給へらん、神仏の御事、かた<”おこしたてまつらせ給へる、かしこき御心ざしなるべし。御くまのまうで、年ごとにせさせ給ひ、ひえの山、かうやなどきこえ侍り。しかるべき御ちぎり成るべし。いまは御ぐしおろして、ほふわうと申すなれば、いかばかりたふとくおはしますらん。御子たちも、おの<みちにとりて、ざえおはします事、きこえさせ給へるこそ、たれもしらせ給へる事なれば、なにとかは、さのみ申し侍べきな。されども事のつゞきを、申し侍りつるなり。
(廿四)をとめの姿 S0305
二条のみかどと申すは、この院の一のみこにおはしましき。このをさなくおはします新院の御おやにおはします。その御はゝ左大臣有仁のおとゞの御むすめ、まことの御おやは、つねざねの大納言におはす。このみかど、東宮にたゝせ給ひて、保元三年八月十一日、位につかせ給ひき。御とし十六とぞ、うけ給はりし。十二月廿日御即位ありて、
としもかへりにしかば、正月三日、てうきんのみゆきとて、院へ行幸せさせたまふ。廿一日、ことしも内宴ありて、かんだちめ七人、四位五位十一人、ふみつくりてまゐるときこえ侍りき。序は永範の式部大輔ぞかゝると、うけたまはりし、題は花下哥舞をもよほすとかや。法性寺のおとゞ奉りたまへりとぞきこえ侍りし。舞姫ことしはうるはしき女まひにて、日ごろよりならはされけるとぞ、聞え侍りし。みちのりのだいとく、楽のみちをさへこのみしりて、さもありぬべき女どもならはしつゝ、かみのやしろなどにもまゐりてまひあへりときゝ侍りしに、ゆかしく見ばやと思ひはべりしかど、おいのくちをしき事は、心にもえまかせ侍らで、さるところどもにえまゐりあはで、みはべらざりき。この御なかには、さだめて御覧ぜさせ給ひけんかし。かの入道ことにあひ、よにあさましき事どもいでまうできてぞ内宴もたゞふたとせばかりにて、おこなはれぬ事になりて侍るにこそ。そのことのとがにやはべらん。猶もあらまほしき事なれどかつはしたつる人もかたく、久しくたえたる事をおこなはれて、世のさわぎもいできにしかば、時におはぬ事とてはべらぬにや。春のはじめに詩つくりて、かんだちめよりしもざま、たてまつる事、かしこき御時、もはらあるべき事也。さることもはべらば、なほいみじかる
P144
べし。二月廿四日、きさきたち給ひき。鳥羽院の姫宮にて、高松院、東宮の御時より女御におはしましゝ。中宮にたち給ひて、もとの中宮は院のきさき、公能右大臣の御むすめ、皇后宮にあがり給ふ。ことしぞ大嘗會ときこえ侍る。御かた<”さぶらひあはせ給へりしも、みなまかりいでさせ給ひにき。此の御時は、いまだ御かた<”も、おはしまさぬほどなれば、上は清凉殿ばかりに、つねのやうにおはしまして、藤つぼには、中宮ぞおはしましける。とのゝ御とのゐ所は、猶せんえうでんなり。いづくもひろらかにて、いとめでたくきこえ侍りしに、そのとしのしはすに、あさましきみだれ、宮このうちにいできにしかば、世もかはりたるやうにて、少納言の大とくもはかなくなり、めでたくきこえしかんだちめ、近衛のすけなどきこえし子ども、あるはながされ、あるは法しになりなどして、いとあさましきころ也。のぶよりのゑものかみと申ししは、かの大徳がなかあしくて、かゝるあさましきを、しいだせるなりけり。御おぼえの人にて、いかなるつかさもならんと思ふに、入道いさむるをいぶせく思て、いくさをおこしたりけるを、大とこさとりて、ゆくかたしらずなりにけるに、かのみかきもりも、そのむくひに、おもはぬかばねになむなりにける。いとあさましとも、ことばもおよばぬ事なるべし。
(廿五)ひなの別れ S0306
かのみちのりの大とこのゆかり、うら<にながされたる、みなめしかへして、世みなしづまりて、うちの御まつりごとのまゝなりしに、みかどの御はゝかた、又御めのとなどいひて、大納言經宗、別當惟方などいふ人ふたり、世をなびかせりし程に、院の御ため、御心にたがひて、あまりの事どもやありけん。ふたりながらうちに候ひける夜、あさましき事どもありて、おもひたゞしきさまにきこえけるを、法性寺のおほきおとゞの、せちに申やはらげ給ひて、おの<ながされにき。このころはめしかへされて、大臣の大将までなり給へるとこそ、うけたまはれ。さまであやまたずおはしけるにや。宰相はうきめみたりとて、かしらおろされにけり。それもかへりのぼりて、おはするとかや。鳥羽院うせさせ給ひしほどに、世のみだれいできてより、かた<”ながされ給ひし人、たび<にそのかずおはしき。はじめのたび、さぬきの院の御ゆかり、おほいどのがたなど、廿四五人ばかりやおはしけん。よとせばかりありて、かの衛門督とかやきこえし人のみだれに、少納言の大とこの子ども八九人ばかりうら<へときこえ侍りき。事なほりしかば、その人々はめしかへして、又のとしの春、もろなかの源中納言とかや、
P145
衛門督におなじ心なるとて、あづまのかたへおはすときゝ侍りき。しか有りし程に、そのころかの大納言宰相とふたり、阿波國ながとのかたなどにおはしき。そのとしの六月にやありけん。いづものかみ光保、その子光宗などいひし源氏のむさなりし人、つくしへつかはして、はてはいかになりにけるとかや。その人のむすめとかや、いもうとゝかやなる人の、鳥羽院にときめく人にて、いとほしみのあまりにや。二条院、東宮とておはしましゝ御めのとにて、くらゐにつかせ給ひにしかば、内侍のすけなどきこえき。そのゆかりにて、ときにあへりしに、内の御かた人どもの、かく事にあへりしかばにや、又源氏どもの、しかるべくうせんとてにやありけん。又さばかりの少納言うづまれたるもとめいでたるにやよりけん。かくぞなりにし。かやうにて、いまはなに事かはとおぼえしに、かくおはしますべかりけるを、そのをりも又いかゞうたがはせ給ひけん。皇子の御かた人とおぼしき人、つかさのきなどして、又ながさせ給へりき。おほかた六七年のほどに、三十余人ちり<”におはせし、あさましく侍りき。かろきにしたがひて、やう<めしかへされしに、惟方いつとなくおはせしかば、かしこより宮こへ、女房につけてときこえし、
@ このせにもしづむときけば涙川ながれしよりもぬるゝ袖哉 W040
とぞよまれ侍りける。このあにゝ、大納言光頼ときこえ給ひし、四十余にてかしらおろして、かつらのさとにこそこもりゐ給ふなれ。それはかやうの事に、かゝり給ふ事なく、何事もよき人ときゝたてまつりし、いとあはれにありがたき御心なるべし。又左兵衛督しげのりときこえし、きの二位のはらにて、そのをりは、はりまの中将、おとうとのみのゝ少将などきこえし、衛門督のみだれに、ちり<”におはせし時、中将しもつけへおはして、かしこにてよみ給ひける、
@ わがためにありける物を下つけやむろの八嶋にたえぬ思ひは W041
とかや。ひが事どもや侍らん。
(廿六)花園の匂ひ S0307
このみかどの御はゝ、うみおきたてまつり給ひて、うせ給ひにしより、鳥羽の女院やしなひたてまつり給ひて、をさなくおはしましゝほどに、仁和寺におはしまして、五の宮の御弟子にて、倶舎頌など、さとくよませ給ひて、ぢく<”よみつくさせ給ひて、その心ときあらはせるふみどもをさへ、つたへうけさせ給ひて、ちゑふかくおはしまし
P146
けり。院位につかせ給ひしかば、當今の一の宮にておはしますうへに、びふく門院の御やしなひごにて、このゑのみかどの御かはりともおぼしめして、この宮に位をもゆづらせ給ひつらんと、はからはせ給ひければ、宮こへかへり出させ給ひて、みこの宮、たからのくらゐなど、つたへさせ給へりき。すゑの世の賢王におはしますとこそ、うけ給はりしか。御心ばへもふかくおはしまし、うごかしがたくなんおはしましける。廿三におはしましゝ御とし、御やまひおもくて、わか宮にゆづり申させ給ひて、いくばくもおはしまさゞりき。よき人は、ときよにもおはせ給はで、久しくもおはしまさゞりけるにや。末の世、いとくちをしく、みかどの御くらゐは、かぎりある事なれど、あまりよをとくうけとりておはしましけるにや。又太上天皇てうにのぞませ給ふつねの事なるに、御心にもかなはせ給はず、よのみだれなほさせ給ふほどゝいひながら、あまりにはべりけるにや。よくおはしましゝみかどとて、よもをしみたてまつるときこえ侍り。二条院とぞ申すなる。ふるき后の御名なれど、をとこ女かはらせ給へれば、まがはせ給ふまじきなるべし。されどおなじ御名はふるくも侍らぬにや。このみかどの御母は大納言經實の御むすめ、その御はゝ、春宮大夫公実の御むすめなり。その大納言の中の君は、花ぞのゝ左のおとゞの
北のかたなれば、あねの姫君を子にして、院のいま宮とておはしましゝに、たてまつられたりし也。このみかど、うみおきたてまつりてうせ給ひにき。后の位おくられ給ひて、贈皇大后宮懿子と申すなるべし。御おやの按察大納言も、おほきおとゞ、おほきひとつのくらゐおくられ給へるとなむうけ給はる。さる事やあらんともしらで、うせ給ひにしかども、やんごとなき位そへられ給へり。御すゑのかざりなるべし。はかなくて、きえさせ給ひにし露の御いのちも、后おくられ給へば、いきてなり給へるもむかしがたりになりぬれば、のこり給ふ御名は、おなじ事なるべし。かのゆづられておはしましゝみかどは、新院と申して、まだをさなくて、太上天皇とておはします也。二条院の御子、ふたりおはしますなる御中に、第二のみこにおはしますなるべし。御母こと<”にきこえさせ給ひき。このみかどの御はゝ、徳大寺の左大臣の御むすめと申すめりしも、うるはしき女御などに、まゐり給へるにはあらで、忍びてはつかにまゐり給へるなるべし。さればたしかにもえうけ給はり侍らず。みかどたづねいで奉りてのち、中宮やしなひ奉り給ひて、母后におはしますなる。永万元年六月廿五日、位につかせ給ふ。御とし二、よをたもたせ給ふ事三年にやおはしますらむ。一院おぼしめしおきつる事にて、東宮に位をゆづり奉り
P147
給ひて、をさなくおはしますに、太上天皇と申すも、いとやんごとなし。御年二にて、位につかせ給ふ事、これやはじめておはしますらん。このゑのみかどは、三にてはじめてつかせ給ふと申ししも、はじめたる事とこそうけたまはりしか。おほくはいつゝなどにてぞつかせ給ふ。からくにゝは、一なる例もおはしましけりとかきこえき。このみかどの御母、いまの中宮育子と申して、法性寺の入道、前のおほきおとゞの御むすめにおはします。さきのかうづけのかみ源のあきとしのむすめの御はらとなん。みかどのまことの御母の事は、さきに申し侍りぬ。この中宮、二条のみかどおはしまさねども、いまのこくもとて、なほうちにおはしませば、むかしにかはれる事なくなむ、おはしましけん。りんじのまつりの四位の陪従に、きよすけときこゆる人、もよほしいだされて、まゐられたりけるに、せんだいの御ときはくものうへ人なりけれど、このよには、まだ殿上もせねば、たちやすらひて、北のぢんのかたにめぐりて、きさきのみやのおはします、ごたちのつぼねまちなどみるに、又殿上のかたざまへまゐりて、はるかに見わたしなどしけるにも、むかしにかはりたる事もなく、なれならひたりし人どものみえければ、きさきの御かたの人に、物など申しけるついでに、ひあふぎの、かたつまををりてかきつけて、ごたちの中に申しいれさせける、
@ むかしみし雲のかけはしかはらねど我身一のとだえ也けり W042
いとやさしく侍る事ときこえ侍りき。
(廿七)二葉の松 S0308
さて後一条院の御ときよりちかきやうに侍れど、十代にみよあまらせ給ひにけり。今は當今の御事、申すもはゞかりおほく侍れど、つゞきにおはしませば、事あたらしくはべれど、申すになむ。當代は一院の御子、御母は皇后宮滋子ときこえさせ給ふ。贈左大臣平時信のおとゞの御むすめ也。みかど應保元年かのとのみのとしむまれさせ給ひて、仁安元年十月十日春宮にたゝせ給ふ。御とし五、みかどよりも、二年あにゝておはします。あに春宮は三条院のれいなるべし。同三年二月十九日、位につかせ給ふ。御としやつにおはします。おなじみかど申せども、よの中へだてある事もなく、一院あめのしたしろしめし、御母ぎさき、さかりにおはしませば、いとめでたき御さかえなるべし。しかあれば、ふたばの松のちよのはじめ、いとめでたくつたへうけたまはり侍りき。御母ぎさきこのみかどうみ奉り給ひて、五六年ばかりにや。女御ときこえさせ給ひて、仁安三年と申ししやよひのころ、皇大后宮にたゝせ給へり。いまは女院と申すとぞ。
P148
いとめでたき御さかえにおはします。おほくの、女御きさきおはしますに、みかどうみ奉り給ふべかりける御すぐせ、申すもおろかなり。さきのみかどの御時も、この御世にも、御さんの御いのりとのみきこえて、まことにはあらぬ事のみきこえ給ひしに、いとありがたくきこえさせ給ふ。代々のみかどの御母、ふぢなみの御ながれにおはしますに、ほりかはの御門の御はゝぎさきも、関白の御むすめになりて、女御にまゐり給へれども、まことには源氏におはしませば、ひきかへたるやうにきこえさせ給ひしに、いま又たひらのうぢの國母、かくさかえさせ給ふうへに、おなじうぢの、かんだちめ、殿上人、このゑづかさなど、おほくきこえ給ふ。このうぢの、しかるべくさかえ給ふときのいたれるなるべし。たひらのうぢのはじめは、ひとつにおはしましけれど、にきの家と、よのかためにおはするすぢとは、久しくかはりて、かた<”きこえ給ふを、いづかたもおなじ御よに、みかどきさきおなじ氏にさかえさせ給ふめる。平野は、あまたのいへのうぢ神にておはすなれど、御名もとりわきて、この神かきのさかえ給ふときなるべし。このきさきの御はゝ、あきよりの民部卿の御むすめにおはしますなるべし。だいごのみかどの御はゝかたのいへにておはしますのみにあらず。きみにつかへ奉り給ふいへ、かた<”しかるべく、かさなり給へるなるべし。いまのよの事はゆかしくはべるを、
えうけたまはらで、おぼつかなき事おほくはべり。
校定 今鏡読本 上終