承久記 
下巻 P642

官軍敗北の事 16

さるほどに、よのあけぼのに、むさしのかみやすとき、こたらうひやうゑをつかひとして、ただいままめどわたりさふらふなり、おなじくおんいそぎさふら
ふべしとまをされければ、あしかがすなはちつかひのみるところにて、わたらんとて、あしまがりのくわんじやあひともにわたりけり。
こたらうひやうゑも、このてについてわたりけり。ここにしぶかはの六らうといふもののおちけるを、ひごろのことばにもに
ず、かへせといひて、たいぜいのなかにかけいりけるが、また二どともみざりけり。いけだのさこんとて、したたかものあり。
これもかへしあはせけるが、よしうぢのてに、たらうひやうゑとくみてくびをとらる。すのまたのてにも、これをききてぞわたし
けるに、またたらうさきがけけり。かたきささへやばかりいて、おちてゆく。そのほかわたりわたりをかためたるくわんぐんを、六ぐわつ
六かむまのこくいぜんに、みなおひおとしけり。きやうがた一きものこらず、にしをさしてぞおちゆきける。のやまはやしかはをもきらはず、
たのなかみぞのうちともいはず、うちいれうちいれ、やまもたにも、くわんとうのせいにて、うめてゆく。きやうがたのもの、むしろだとい
ふところに、せうせうひかへてあひまつともがらありけり。三かじりのこたらう、きやうがた一にんがくびをとる。せんゑもんたいの
さこんせんひやうゑ、おのおのかたき一にんづつうつとる。やまだのひやうゑにふだうは、かたき二にんがくびをとる。きやうがたに、をはりのくに
P643
のぢうにん、しもでらのたらうが、てのものおちけるを、おひかけて、きの五らうひやうゑにふだういけどりけり。

重忠支へ戦ふ事 17

きやうがたに、をはりのげんじやまだのじらうは、みかた一にんものこらずおちゆくをみて、あなこころうや、しげただはやひとつ
いてこそ、おちずれとて、くひせがはのにしのはしに、九十よきにてひかへたり。くわんとうかたより、こかしまのきちざ
ゑもんきんなり、五十よきにてむまみやめ、まさきかけてかはばたにうちのぞみたるが、やまだのじらうがはたをみて、いか
がおもひけん、むらくもたつてひかへたるうしろのぢんにあゆませけり。ささの三らう、はたのの五らうよししげ、かちのたん
ない、おなじき六らうなかつかさ、たかえのじらう、やへのへいじらう、いさの三らうゆきまさ、三十きばかりにて、はせきた
るをみて、きんなりかはにうちひたす。にしのはしにうちあげてことばをかく。やまだのじらうしげただとなのつてい
あひけり。やまだがらうどうのひやうゑふし、やまぐちのひやうゑ、あらはたのさこん、こばたのうまのぜう、かはへかけおとされ
て、くがへあがりてかけめぐる。かたきひきてにしのかたへはせゆく。ささの三らうひたひをいぬかれて、わかたうのかた
にかかりてあるく。みちにやすみてやをぬくに、からばかりぬけてねはとまる。わづかに五ぶばかりしりのみえたる
を、いしにてうちゆがめて、くはへてひきけれどもぬけず。かなはしにてひけどもぬけず。ささいかに
もして、はやくぬけとをめきけり。ゆみづるをまがりめにゆひつけて、きのえだにかけて、はねきをもてはねたれば、
ぬけたり。ぬけはつれば、しににけり。しばらくありていきふきいだす。このうへはくにへかへすべし、ただしたいしやう

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のおんめにかくべしとで、かいてかへるをきき、めをみあげて、くちをしきことをするやつばらかな、にしへか
くべし、しなばうぢがはへなげいれよといひければ、ちからなくまたかきのぼる。かちのなかつかさ、はたのの
五らう、やへの五らう、いられてかはらにとどまりけり。のこりはかたきをおひける。たいしやうとみえてつはものどもはせゆくにめ
をかけて、いさの三らうおしならべてくむところに、ふかきほりのありけるを、かたきこえけるとて、むままろびけるに、
いさがむまもつづいてまろびけり。やまだおきなほつて、なんぢはなにものぞ、われはみなもとのしげただなり。いさは、しなのの
くにのぢうにん、いさの三らうゆきまさなりとぞこたへける。さてははぢあるものにこそとて、たちをぬきけるをみ
て、やまだがらうどうに、とうのひやうゑといふものむまよりおり、いさの三らうをきる。三らうしりゐにうちはへられて、
ゐながらたちをもてあはせけり。いさがのりかへのらうどう二にんまかりゐたりけるが、しうのすでにうたる
るをみて、二にんはしりよりければ、かたきたちをとりなほして、うたんとすればにげにけり。またしうをうたん
とよせければ、二にんはしりより、かくのごとくすること三四どなり。そののちうしろよりたいぜいはせきたりにけり。
やまだをば、とうのしんひやうゑむまにかきのせておちてゆく。

相模守いくさの僉議方々手分の事 18

おなじき七か、さがみのかみ、むさしのかみ、のかみのたるゐになか一ひとどまりて、せんだうかいだう二のてを一しよによせあは
せ、ろじのつはものどもはせあつめて、つがふ二十まんきになりにけり。せきがはらといふところにて、かつせんのせんぎ、し

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よしよのてわけあり。むさしのかみまをされけるは、けふはうぢせたのかつせんこそをはりにてあるべくさふらふ、よりよりいくさ
のせんぎも、てわけだいじたるべくさふらふ、するがのぜんじどののはからひにつきたてまつるべくさふらふ、はばからずはかりたまへと
まをされければ、よしむらまをしけるは、たいしやうのごめいによりさふらへば、かたがたゆるしたまへ、ほくろくだうのてにいまだ
みえずさふらふ、せたのおほてには、さがみのかみ、じやうのすけにふだう、ぐごのせにはたけだの五らう、一かのひとびとども、か
ひしなののぐんぜい、よどのてにはよしむらまかりむかふべくさふらふと、さだめまうしけるに、さがみのかみのてに、ほんまのひやうゑた
だいへといふものすすみいでて、するがのかみどののおんはからひ、さうにおよばすさふらへども、さがみのかみどののわかたうに、いく
さなさせそとのおんことおほくさふらふ、むさしのかみどのをせたへむかはせまゐらせて、うぢへはさがみのかみどのをむけまゐらせらる
べくやさふらふらんとぞささへける。いしくもまをすものかなとぞきこえける。するがのぜんじよしむらまをされけるは、
おんまをしはさることにてさふらへども、いくさのうむはところにはよりさふらはず、つはもののこころにはよりさふらへ、またさがみのかみどの
おきまゐらせて、いかでかむさしのかみどのはせたへはむかせたまふべき、かつはわたくしのしんぎにあらず、へいけひやうらん
のてあはせに、きそをつゐたうせられしときも、あにのかばのおんざうしは、おふてせたへ、おんおとうとの九らうおんざうしは、うぢへむか
はせたまひてさふらひき、かのせんきききやうにして、いままでくわんとうめでたくさふらへば、よしむらがわたくしのはからひに
はあらずとぞまをされける。むさしのかみどのいまにはじめぬことながら、このぎにすぐべからずとて、にしちへをがさ
はらのじらう、ちくごのたらうさゑもん、うへだのたらうをはじめとして、かひのげんじ、しなののくにのぢうにんらをさしそへらる。
をがさはらのじらうすすみいでてまをしけるは、みををしむにはさふらはず、せきやまにてむまどもおほくはせころし、またおほゐと

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にて、てのきはのかつせんつかまつりて、むまもひともせめふせてさふらふ、ことにもあはぬひとどもをおかれながら、なが
きよむけられしこと、べちのおんはからひとおぼえさふらふとまをされければ、むさしのかみどののたまひけるは、いたみ
まをさるるところ、もつともそのいはれさふらへども、こころやすくおもひたてまつりてこそ、だいじのてにはむけたてまつれとのたまひけ
れば、ちからおよばず、かさねてじしまをすにおよばずとて、むかはれけり。そのせい一まん五千よきなり。

朝時北陸道より上洛の事 19

さるほどに、しきぶのぜうともときは、さつきつごもりゑちごのこくぶにつきて、うちたちけり。ほくこくのともがら、ことごと
くあひしたがふ。五まんよきにおよべり。きやうかたに、みしなのじらう、みやざきのさゑもん、さきかけてくだりけれ
ども、おめずに、ゐでのさゑもん、いはみのぜんじ、やすはらのさゑもん、いしぐろの三らう、こんどうの四らう、
おなじき五らう、これらをめしけり。まゐらざりけるものゆゑに、ひかずをおくるところに、みやさきといふところをもささへず、
たのはきといふところに、さかもぎをひきけれども、くわんとうのつはものみだれくひのはづれ、うみをおよがせてとほ
りにけり。おなじき八かに、ゑつちうのとなみやまをこえつるところに、きやうがた三千よきを三てにわけて、ささへ
んとしけれども、おふてやまのあなたにぢんをとりて、よをこめていがらしたうをさきとしてやまをこえければ、
みしなみやざき、一いくさもせずしておちにけり。かすやばかりぞうちじにしける。はやしのじらう、いしぐろの三
らう、こんだうの四らう、おなじき五らう、ゆみをはづしてくわんとうがたへまゐる。ほくろくだうのざいざいしよしよのきやうがた、一

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こらへもせずみなおちにけり。せうせうあひたたかふともがらのくびども、みちみちにきりかけて、いづれお
もてをむかふべきやうぞなき。

一院坂本へ御出立の事 20

八かのあかつき、ひでやすたねよしいげ、ごしよへまゐりて、さんぬる六かまめとをはじめてみなおちうせさふらふ、またくひぜ
がはよりほか、はかばかしきいくさしたるところもさふらはずとまをしければ、きみもしんもあわてさわがせたまひき。ただいまみやこ
にかたきうちいれたるやうにひしめきけり。一ゐんはかつせんのならひ、一かたはかならずまくるなり、さればとてや
もいぬことやはある、いまはよはかうにこそ、なまじひのいくさせんよりは、さんもんにうつりて三千にんのたいしゆをたのみ
て、われはあひいろはぬよしを、くわんとうへたいでうせんとぞ、おほせられける。すなはち、えいざんへごかうなる。
おんせい千きばかりありしかども、ようにたつべきもの、一にんもなかりけり。みやこにはきみもしんももののふもみえず、
くわんとうのせいもいまだまゐらず、あきれてゐたるけしきなり。ともゐのたいしやう、しそくさねうじめしぐせらる。二ゐ
のほういんはらまきにたちはきて、よみたればたいしやうのぶしうたんとて、おしならべてめをつけ、たちをぬきか
けてあゆばせけれども、一ゐんおんめもゆるしまさねば、ひきのきひきのきす。ちうなごんたいしやうにつかみつきて、ほう
いんがきしよくは、しろしめしてさふらふか、さいごのごねんぶつさふらふべし、またげんぜをおぼしめさるべしとのたまへば、きんつねもこころ
えたりとのたまへども、わろくぞみえたまひける。ひよしさんわう、こんどばかりたすけさせたまへと、こころのうちにぞきねんしたま

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ひける。ほういんたいしやうにうちならべたまふときは、ちうなごんうちへうちいりたまひけり。ちちにはにずよくぞみえさせ
たまひける。

方々責口御固の事 21

しゆじやうじやうくわうは、にしさかもとかぢゐのみやにいらせたまふ。ざすだいそうじやうせうゑんまゐらせたまひ、ないないおんきしよくもな
くごかうのでう、まつだいのおんそしりをもうけさせたまひぬとおぼえさふらふ、くちをしくもさふらふものかな、ようにもた
つべきあくそうどもは、みをがさきせたへむかひさふらふ、いそぎくわんぎよなりて、うぢせたをささへてごらんさふらへ、さりとも
しんめいもおんたすけさふらはんずらんと、なくなくまをされければ、げにもとおぼしめし、十か四つぢどのへくわんぎよ
なる。みやこにはまたよろこびあへり。いざ一たびささへてごらんあるべしとて、みののりつしやくわんけん三
をさきのたいしやうなり。そのせい一千よき、せたのはしにはやまだのじらう、いとうのさゑもんのじようたいしやうぐんにて、三たう
のたいじゆをさしそへらる。そのせい三千よき、くごのせには、さきの民部のせうしやう、にうだうのとの
かみ、へい九らうはうぐわん、しもふさのぜんじ、ごとうのはうくわん、さいめんのともがらあひそへ二千よき、う
かひのせには、ながせのはうぐわんだい、かはらのはうぐわんだい一千よき、うぢにはささきのちうなごん、かひのさいしやうちうじやう、
うゑもんのすけ、おほうちのしゆりのだいぶ、いせのぜんじきよさだ、こまつのほういん、ささきのやましろのかみ、や
太らうはうぐわん、さいめんのともがら、二まんよき、まきのしまには、あだちのげんさゑもんのぜう、いもあらひに

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は一でうのさいしやうちうじやう、二ゐのほういん、一千よき、よどにはばうもんのだいなごん一千き、ひろせはあののにふだう五百よ
き、つがふおんせい三まん三千きとぞきこえける。十三にちくわんぐんてんでにむかひけり。なんとのたいしゆめされけり。さん
もんのたいしゆをばうぢにさしむかひ、なんとのしゆとをばせたへむかへらるべきよし、けんしつすでにぢぢやうす
るところに、ちさんいかていのことぞやと、せんじかさねてくださる。せんぎしけるは、ぢしよう四ねんにわがてら
へいけのためにほろぼされしを、よりともこれをかなしみて、てらのかたきしげひらのきやうをわたさるるのみならず、くやうのご
にいたるまで、ずゐぶんのこころざしをたうじにいたされき、わたくしのことにおいてはひやうぎにおよばず、くわんとうをみつく
べきことなれども、これはちよくぢやうかたじけなきことなれば、それまではなし、くわんとうをこえんことさだめてぶつい
にもそむくべし、ただいづかたへもまゐらざらんにしかじとて、せたへもむかはざりけり。しかれどもあく
そうのまをしけるは、このたびわれらさしいでざらんこと、さんもんのしゆとののちにいはんことたへがたし、ひごろ
ゆみやたしなむともがらは、せうせうかけいでていくさせばやといひて、たじまのりつし、さぬきのあじやりいげ、
びやうどうゐんのりつしらも五百よにんむかひけり。

勢田にて合戦の事 22

おなじき十二にちさがみのかみ、むさしのかみ十三にちのちにつく。十四かさがみのかみ、せたへよせてみれば、はしいた二けんひきて、
なんとのたいしゆどもばんどうのもののふをまねきけり。うつのみやの四らう、とほやにいる。むさしのくにのぢうにんきたみのたらう、え

P650
との八らう、はやかはのへい三らう、おしよせていしらまかされてのきにけり。むらやまのたらう、ませのさこん、よしみ
の十らう、そのここじらう、わたりのうこん、おなじきまたたらうひやうゑ、よこたのこじらうも、かたきすきもなくいければのき
にけり。なかにもくまがへ、くめ、よしみ、ぶし五にん、はしけたをわたりてよせたりけり。ならほうし二じゆうのかいだて
にひきのく。たいしやうやまだのじらう、つかひをたて、いかにたいしゆむげにこぜいにおはるるぞ、きじんとこそたのみつる
にとぞわらはれける。たいしゆいひけるは、にぐるにあらず、かたきをふかくひきいれて、一にんももらさじとするぞと
いひもあへず、とりのえだをかけるやうに、廿三にんきつてまはる。くまがへたけくおもへども、なぎなたにあひしら
ひかね、うつてにいるばんどうかたうたすなとをめけども、はしけたはせばし、よるものぞなかりける。くまがへはりまのりつしと
くんで、くびをとらんとするところに、はりまがこほつしにききちん、くまがへがくびをとる。くまがへをはじめとして七にんめ
まへにてうたれにけり。よしみの十らう、くめばかりはのがれてけり。よしみが二十四になるを、かたにかけて
かへりけるを、かたきいるをかなはじとやおもひけん、こをかはになげいれて、つづいてとびいりてかはぞこにてもののぐぬ
ぎ、たいしやうのまへにあかはだかにてぞいできたる。くめのうこん、いすくめられてたつたるをみて、ひらゐの三
らう、ながはしの四らう、やおもてをふせぎ、くめをたすけけり。うつのみやの四らう二かぢさがりたるが、せいまち
つけて三千よきになりにけり。二千よきをばちちにつけて、一千よきあひぐしてゆきけるが、かたきにあふぎに
てまねかれて、はらをたちてわづかに五六十き、せたのはしへいできたつて、さんざんにいる。きやうかたよりもあめのふるごとく
にいけり。一千よきおくればせにつきにけり。くまがへのこじらうさゑもんなほいへは、たのみたるおとといられて、しな

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んとぞふるまひける。むまをいさせじとて、やのおよばぬところにひきのけけり。しなののくにのぢうにんふくちの十らうと
かきつけしたるやを三ちやうよいこして、やまだのじらうがいたるところへいわたす。三をがさきかためたる、みつのりつしが
てのものども、ふねにのりてかはなかよりこれをいる。そのなかにほふし二にん、うつのみやにいられてひきしりぞく。これをみ
てさがみのかみへい六びやうゑをつかひとして、いくさはかならずけふにかぎるまじ、やだねなつくさせたまひそとおほせられければ、
そののちはいくさもなかりけり。この一りやうにちは、もとよりふりけるあめ、十三にちひさかりよりしやぢくのごとし。ひとむまぬれ
しをたれ、ざふにんはたらかず。

宇治橋にて合戦の事 23

おなじき十三にち、むさしのかみうぢによせけるが、ひくれければ、たはらにぢんをとる。とりのこくに、するがのかみ、
よどへうちわかるところにて、するがのじらうはよしむらにうちぐせよかしとおもふといひければ、かまくらよりむさしの
かみどのにつきまをしては、ただいまおんともつかまつりさふらひなば、おやこのなかとはまをしながら、むげにこころなきやうにお
ぼえさふらふ、三らうみつむらつきたてまつりさふらへば、こころやすくはおもひたてまつりさふらふといひければ、するがのかみうちうなづいて
さもあることなりとぞまをしける。やすむらは二百よきにてあしかがにつき、やまよりちちにうちわかれ、うぢのいくさのさき
をかけんとやおもひけん、をはりがはにて、あしかがいくさよくしたりければ、やすむらここちあしくおもひけるを、あしかが
どのもこころえて、やすむらにうちつれうちつれあゆませけり。やすむらがらうどうに、さののたらう、をがはのたらう、ながせの三らう、十四

P652
五きうつたつて、あめのふりさふらふに、うぢにおんやどとりて、いれたてまつらんとてゆく。やすむらこころえて、わかたうどもさきに
たちさふらふがおぼつかなくさふらふとて、むさしのかみどのへししやをたててはせゆく。よしうぢもやがてまゐるとてうつたちけ
り。やすむらみちにあふひとに、うぢにいくさやはじまるととひければ、十五六きはしにはせつきて、ただいまいくさにてさふらふ
といひければ、さればこそとてはせてゆく。さきだちたるわかたうどもむまよりおり、するがのじらうたひらのやすむら、う
ぢのせんぢんなりとなのつて、たたかひけるところに、やすむらはせよりてたたかふ。らうとうどもちからついていよいよたたかひけり。あしかが
むさしのぜんじおくればせして、うぢのての一ばんなりとなのりて、やすむらがはたのておなじかしらにうちたててたたかふ。きやうがたはしの
いた二まいひきて、さんもんたいしゆ三千よにん、とへはたへにぐんじゆして、はしのうへにもしたにも、ひやうせん三百よさうなみをう
がつて、三ぱうよりいるあひだ、こらへつべうぞなかりける。するがのじらうむまよりおりたつて三ぱうをいる。をがは
のさゑもんといふらうだう、たいしやうてをくだきたたかふことやさふらふとせいしけるが、やすむらがやにてきのさわぐをみて、さ
らばここいたまへ、あそこあそばせといひけり。くまのほうしこまつのほふいん、五十よきにてきたりけるが、いち
らされてしりぞく。ばんどうがたおほくうたれておひければ、あしかがもするがのじらうもひきしりぞく。びやうどうゐんにこもりけれ
ば、かたきいささかよろこびて、かへつてかはをもわたりぬべくみえたり。よしうぢむさしのかみのもとへししやをたてて、おほて
にまちうけて、みやうにちいくさつかまつらんとぞんじさふらふところに、するがのじらうがわかたうあまたうたせ、ておひかずおほくさふら
ふ、びやうどうゐんにこもりてさふらふが、ぶぜいとみてよせられぬべくおぼえさふらふ、せいをさしそへられべきよしまをさ
れければ、むさしのかみおほきにおどろきて、みやうにちのあひづをたがへ、このいくさをつかまつりそんじぬるにこそ、こんや

P653
まへよりわたされ、うしろよりならほうし、よしのとつかはのものども、ようちにかけんとおぼゆるなり、へいびやうゑこん
やうぢへはせよせ、びやうどうゐんをかたむべきよしふれられけれども、あめはふる、あんないはしらず、いかがむかふ
べき、みやうにちこそぐごのせにまゐりさふらはめと、くちぐちにまをして一きもすすまず。ささきの四らうさゑもんのぶつなばか
りぞ、むかひさふらはんとまをしける。びやうどうゐんには、かたきをすててひきしりぞくにおよばずとて、よしうぢやすむらこらへた
り。むさしのかみつはものどもをもよほし、かねてかたきをこのはうへわたらせて、このひとどもをうたせては、いくさにかち
てもせんなし、やすときここなりとてかけいでたまふをみて、一きもとどまらず、十八萬よきどうじにうつたち
はせゆくに、あめしやぢくばかりなり。つはものどもめをみひらかず、ゆみをとるてもかがまりけり。てんのせめをかうぶるに
こそ、十ぜんていわうにゆみをひくにやと、こころぼそくぞなりにける。びやうどうゐんのかたより、らいでんしきりにして、みの
けよだつばかりなり。たいしやうぐんやすときばかりぞ、すこしもおそるるけしきなく、あつぱれたいしやうやとみえし。びやう
どうゐんにかけいりて、おぼつかなきあひだきたりたりとのたまひければ、あしかがするがのじらうてをあはせてぞよろこびける。きゃう
がたにぶぜいとみえしかば、はたのしんびやうゑにふだうむまもなし。げにんもなく、てづからはたさして、たいしやうのおんまへに、
やまだのじらうすすみいでて、つはものどもせうせうむかへわたし、かたきうちはらひ、びやうどうゐんにぢんをとるならば、ここ
ろざしあるものども、などかみかたにつかざるべきとまをす。それはしかるべしとてげぢすれども、これよし、みつ
さだ、ひろつ、たかしげなど、ひやうゑのにふだうをたのみて、いくさすべきにあらずとてりやうじやうせず。おなじき十四かうの
一てんに、あしかがむさしのぜんじよしうぢ、するがのじらうやすむらとなのつて、またはしづめによせてひきしりぞく。せきのうゑもんにふ

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だう、わかさのひやうゑの四らう、たうたじまの四らう、ふせのなかつかさ、さうまの五らう、かぢのごんじらう、しほやのみんぶ、おなじ
きさゑもん、しんがいのひやうゑ、なかえの四らう、おしよせていふせらる。そのうちにはたのの五らう、めてのまなこいぬか
れて、やをたてながら、たいしやうのおんまへにぞまゐりたる。くひせがはのひたひのきずだにも、しんぺうなるに、まことにあ
りがたし。かまくらのごん五らうさいたんかとほめたまひて、ぐんこうはやすときしようにんなれば、うたがひなしとぞのたまひける。
たかはしのだい九らう、みやでらの三らう、こみたのさこん、すゑなのうまのすけ、たかゐのこ五らう、おほたかのこ五らう、かけい
で、めんめんにておうてかへりけり。しほやのさこんいへともとなのつていづるところに、やまほうしどもさんざんにいる。さ
こんあしをはしげたにいつけられてたちたり。あなくちをしとて、この六らうやおもてにたたかふまに、やをぬかんとす
るにぬけず。たちにてやのたちたるあしを、二つにきりわりて、ひきぬき、かたにひきかけてしりぞきにける
を、ひとびとかんじける。なりたのひやうゑこれもておうてひきしりぞく。やまのそうかくしん、ゑんおん、はしのうへにて、なぎなたふり
まはしてぞ、ふるまひける。あれいよとののしりけり。ゑんおんあしをはしにいつけられて、ぬけざりければ、なぎなたにて
あしくびよりふつとうちきりて、いよいよとりのごとくにかけりてくるひけり。むさしのかみ、あんどうのひやうゑただいへをつかひとして、
はしのうへのいくさやめられさふらへ、かやうならば、ひかずをおくるとも、しようぶあるべからずと、おほせられければ、
まかりむかうて、たいしやうのおほせなりとさけべども、あめはふる、かはおとうちもののおと、一かたならざりければ、ききもいれ
ず、あんどうもみだれいりてぞたたかひける。むさしのかみみたまひて、けつくあんどうもいくさするこさむなれとぞわらひける。へい
六びやうゑといふものを、かさねてつかひにたてられて、わぎみも二のふるまひすなといはれて、てをたたいてせい

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すれども、みみにききいるるものなし。いよいよみだれあひてたたかふ。へい六びやうゑちからおよばずしてかへりけり。びとう
のさこんのしやうげんかげつな、よろひをばぬぎおきて、こぐそくばかりにて、いくさをばたれをまもりてしたまふぞ、はしの
いくさは、おんいましめなり、こののちいくさせんひとは、たいしやうのごめいそむかるるうへは、かたきなり、かうまをすは、び
とうのかげつななりとまをしてかへりければ、そののちしづまりけり。

信綱兼吉宇治河を渡す事 24

むさしのかみ、むつのくにのぢうにんしばたのきち六かねよしをめして、いくさはやめつ、かはをわたさんとおもふぞと、おほせら
れければ、かねよしかしこまりて、うけたまはり、まづせぶみつかまつりてみさふらはんとて、かはをみれば、よるのあめに、
きのふのみづより三じやく五すんましたり。そうじてつねよりも、一じやう三じやくぞまさりける。かねよしいかがおもひけん、けんみを
たまはりて、せぶみをさしつかはさる。かねよしすなはちときさだをともなひ、かたなをくはへてわたりけるが、やすきところもだいじがほに
わたりける。まきのしまにあがりて、あなたをみれば、やすげなくわたるにおよばず、かへりまゐりて、かはをおんわたしあ
るべきこと、さうゐあるべからずとぞまをしける。むさしのかみよろこびたまひて、うちたちたまふ。ささきの四らうさ
ゑもんおもひけるは、このしばたがそそめきまをすこそあやしけれ、このかはのせんぢんせんとする、ござめれ、このかはをば
だいだいわがいへにわたしたるを、こんどひとにわたされんこそくちをしけれ、ただつなこれをしりながら、いきてもなにかせん
と、かねよしうちいでければ、ささきむまにうちのりて、しばたがむまに、わがむまのかしらするほど、あるばせてゆく。あんどう

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のひやうゑのじようただいへも、こころえうちならべ、ささきにつれてうちいづる。四らうさゑもんのぶつな、しばたにここはせ
かとぞとひける。きち六うちわらひて、ごへんこそ、あふみのひとにておはすれば、かはのあんないをばしりたまはめとい
ひければ、のぶつなことわりなり、えうせうより、ばんどうにあつて、このかはあんないしらずとまをせば、そののちかねよしおともせ
ず、こここそとてかはのなかへうちいれ、みづなみたかくして、かねよしがうまためらふところに、ささきは二ゐどのよりたまは
りたる、ばんどう一のめいばに、むちもくだけよとうちて、あふみのくにのぢうにん、ささきのしらうさゑもんみなもとののぶつな、
十九萬きが一ばんかけて、このかはにいのちをすててなをのちのよにとむるとぞ、をめきてうちいだす。かねよしがむまも、これ
につれて、およがせけり。これをみて、あんどうのひやうゑは、うちいれけり。かねよしがむま、かはなかより三だんばかりぞさがり
ける。のぶつなむかひへするするとわたして、うちあげてぞなのりける。かねよしいくほどなくうちあがりてなのる。ささ
きがちやくしたらうしげつな、十五になるは、はだかにてちちがうまのまへにたちて、せぶみしけるが、かたきむかふよりあめのごとく
にいるあひだ、はだかにてかなはずして、とりてかへりけり。

関東の大勢水に溺るる事 25

二ばんにうちいるるともがらは、さののよ一、なかやまの五らう、みそのじらうしけつき、うすゐのたらう、よこみぞの五らうすけ
しげ、あきは三らう、しらゐのたらう、たこのそうない、七きうちあがる。三ばんに、をがさはらの四らう、うつのみやの四
らう、ささきのゑもんたらう、かはのの九らう、たまのゐの四らう、しのみやのうまのぜう、ながえのよ一、おほやまのじらう、

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てつしかはらのじらう、これもささいなくうちあぐる。あんどうのひやうゑ、わたりせにのぞんでみけるが、みかたはおほくわたし
けり。くだりがしらにて、わたりせもとほし。三だんばかりにて、すこしせばみにさしのぞき、ここのせばみわたる
ならば、すぐにてよかりなんと、三十きばかりうちいれけるが、一めもみえずうせにけり。かはのせばきをみて、
あんどうがわたしければ、せんぢんのうするをもしらず、たいぜいうちいれけり。あはうのぎやうぶのぜうさねみつ、しほやの
みんぶいへつな、こんねん八十四、をしからざるいのちかなとて、うちいれけり。一めもみえずうせにけり。せきのさゑもん
にふだう、さしまの四らう、をのでらのなかつかさ、わかさのひやうゑのにふだう、これもまたともみえず。このなかにさしまの四らうむまもつよ
し、しぬまじかりけるを、たてはきのせきにふだう、ゆんでのそでにとりつくとみえしが、二にんながらみえず。四ばんに
ふせのさゑもんじらう、みやまのやとうだ、あきたのじやうの四らう、すはうのぎやうぶの四らう、やまうちのや五らう、たかたのこじらう、
なりたのひやうゑ、かんざきのじらう、しなかはじらう、さうまの三らう、こども三にん、しむらのや三らう、としまのやたらう、ものい
のじらう、しだのこじらう、さのじらう、おなじきこじらう、しぶやのへい三らういげ二千よき、こゑごゑになのつてわたしける
が、一きもみえずうせにけり。五ばんてにすがのこたらう、かすがのたらう、ながえの四らう、いひだのさこんのしやうげん、
しほやの四らう、どひの三らう、しまのへい三らう、おなじき四らうたらう、おなじき五らう、たひらのさこのじらう、つがふ五百
よき、うちいれて、二めともみえず。六ばんにさめじまのこじらう、つしまのさゑもんじらう、おほかはとのこじらう、かね
このよ一、おなじきこたらう、さぬきのさゑもんのたらう、ゆはらの六らう、いひだかの六らう、さいとうのさこん、いまいづみ
の七らう、をかべの六らう、かすやのたらう、いひじまの三らう、ひぜんばう、三百よきもしづみけり。七ばんにをぎののたらう、を

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だのきち六、みやの七らう、をかべのやとうだ、じやうのすけ三らう、いひだのさこん、いひぬまの三らう、さくらゐのじらう、さるざはのじ
らう、かすがのじらう、こ二にん、いしかはの三らう、つがふ八百よきわたしけるも、またもみえずうせにけり。むさしのかみこれ
をみたまひて、やすときがうんすでにつきてけり、ていわうにゆみをひきたてまつるゆゑなり、このうへはいきてもあるべ
からずと、たづなかいくり、はせいらんとしたまふところに、しなののくにのぢうにん、かすがのぎやうぶの三らうさだゆきと
いふもの、こども二にんはさきにながれてしぬ、わがみもうすべかりけるを、ゆみをさしいだしたるに、とりつきてたすかる。
二にんのことをおもひて、なきゐたりけるに、むさしのかみどの、すでにかはにうちいれたまふとみて、あなこころうやとて、
わしりより、くつばみにとりつきて、こはいかなるおんことぞ、みかたのぐんびやう、いまかはにしづむといへども、三千きのうち
そとなり、十が一だにもうせざるに、たいしやういのちをすてたまふことやさふらふべき、ひとこそおほくさふらへども、だいぶ
どのたのむとさふらひつるものを、もしこのたいぜいをおきながら、このだいあくしよにうちいれて、みすみすしなせたまは
んこと、まことにくちをしかりぬべし、いく千萬のせいども、きみしなせたまはば、みなきやうがたにつきさふらひなん、これかへつてふ
かくなり、さこそこころぼそきひとさふらふらめども、きみのおんはたをまぼりてこそさふらふらめと、むまのくちにとりつくをみて、
むさしのかみものども一二千き、まへにはせふさがりてひかへたる。よしときこのことのちにききたまひて、かすがのぎやうぶ、
こども二にんうしなふのみならず、やすときがいのちをつぎたるものなれば、こんどのだい一のほうこうのものなりとて、かうづけのくに
七千よちやうたまはりけり。むさしのかみやすときのしそくこたらうときうぢ、ちちわたさんとするが、ひとにとめらるるとみて、かはに
うちいれんとするを、あはのくにのぢうにん、さくまのたらういへもりなりとなのりて、むまのくつばみにむずととりつき、だい

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りきのものなれば、むまもぬしもうごかず。だいぶどのひとこそおほくさふらへども、みはなしまをすなとおほせたまひしとまをしけれ
ば、たらうどのはらをたて、なんでうさることあるべき、おやのひかへたまふだにくちをしきに、二にんこのかはをわたさずし
ては、ばんどうのものたれをとてわたすべきぞ、にくいやつかなとて、むちをもてさくまがつら、とりつきたるうでをうちたま
ひける。いへもりさかしきとののきしよくふるまひかな、ゆるすまじとて、さしつめたり。いよいよはらをたち、うち
たまへば、いへもりわどののことをおもひたてまつりてこそすれ、さらばいかになりはてたまはむとも、こころよとて、うまのしり
をはたとうつ。なにかはたまるべき、かはにうちいれけり。さくまかひなはうたれて、いたけれども、みすつるにおよ
ばず、つづくぞよとうちいれ、すすみわたしける。まんねんの九らうひでゆき、おなじくまゐりさふらふとて、うちいれ
けり。さがみのくにのぢうにんかがはの三らう、しやうねん十六さいとなのりてうちいるる。むさしのかみこれをみて、たらううたす
な、むさしのかみのとのばらはなきかなきかとのたまへば、一きものこらずうちいれける。廿萬六千よき、こゑごゑになのりて
わたしけり。一きもしづまずむかひのきしにうちあがる。さるほどにするがのじらうやすむらこれをみて、いままでさが
りけるこそくちをしけれとて、をがはのゑもんとりつきてしめしけれども、わたしけるを、やすときししやをた
てて、これにこそさふらへ、これへわたりさふらへとのたまへば、やすむらも一しよにひかへけり。あしかがどのも一ところにおんい
りさふらへとまうされければ、いへのこらうどうはみなかはへうちいれさせて、これもひかへてぞおはしけり。かがはの
三らうむかひにはやつきてかたきにおしならべ、くんでおちにけり。十六さいのものなればしたになる。かがは
がけにん、うへなるかたきのくびをとる。おほかはのじらうあらてなりかけよと、むさしのたらうにいはれて、まさきか

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けてたたかひけり。あまりみだれあひて、かたきもみかたもみえずといひければ、みかたはかはをわたり、たてぬれたる
をしるしにせよと、むさしのたらうにげぢせられて、おちあひおちあひくんだりけり。

宇治の敗るる事 26

きやうがたのたいしやうささきのちうなごんありまさのきやう、かひのさいしやうちうじやうをはじめとして、一きもひかへずおちにけ
る。けいしやうにはうゑもんのすけ、ぶじにはささきたらうゑもんのぜう、ちくごの六らうさゑもんともなほ、かすやの四らう
さゑもん、をぎののじらう、おなじきやじらうさゑもんばかりなり。おさしのたらうちうじやうのかぶとのはちをいはらひ
て、うしろのくひにいたてたり。うすでなればにげのぶ。またきやうがたうゑもんのすけともよし、させるゆみやと
りて、ともいへにちうをいたすべきみにもあらぬが、のぞみまをしてむかひけり。たいぜいにむかひて、とも
としとなのりてかけられば、とりこめてうつてけり。しいだしたることはなけれども、まをししことばひる
がへさずして、うちじにしけるこそあはれなれ。つぎにちくごの六らうさゑもんありなか、かたきのなかをかけわけておちゆ
く。つぎにをぎののじらうおちゆきけるを、しぶえのへい三らうおしならべてくんでおつ。をぎのがくびをとる。
つぎにやじらうさゑもんおちゆきけるを、むつのくにのぢうにんみやぎののこじらうしやうねん十六さいとなのりて、やじらう
さゑもんとくみけるに、やじらうさゑもんがのりかへ、うつてかかり、みやぎのいまはかうとおもひけると
ころに、みかた三百きばかりはせけるが、いかなるものかやとはしらず、みみのねをいぬく。そのあひだ

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にみやぎののじらうさゑもんがくびをとる。をがはのたらうきやうがたよりいできたる。よきかたきとめをかけくまんとする
に、かたきたちをぬいてうつに、めくれてくんでおち、おきあがりてみれば、わがみくんだるかたきのくびはひとと
りてなし。やましろのたらうさゑもんかけめぐるを、ささきの四らうさゑもんがてにとりこめていけどりけり。さ
るほどにばんどうがたのつはものども、ふかくさ、ふしみ、をかのや、くが、だいご、ひの、くわんじゆじ、よしだ、ひがしやま、
きたやま、とうじ、よつつかにはせちらす。あるひは一二萬き、あるひは四五千き、はたのあしをひるがへして、みだ
れはいる。三くぎやう、うへ、きたのまんどころ、にようばう、つぼね、うんかく、あをざぶらひ、くわんぢよ、ゆうぢよ、
こゑをたててをめきさけびたちまよふ。てんちかいびやくよりわうじやうらくちうの、かかることいかでかあるべし。か
のじゆえいのむかし、へいけのみやこをおちしも、これほどはなかりけり。なをもをしみいへをもおもふ、ぢうだいのものどもは、こ
こかしこのたいしやうにさしつかはされて、あるひはうたれあるひはからめらる。そのほかはあをさぶらひ、まちのくわんじやはら、
むかひつぶて、いんぢなどといふものなり。いつむまにものり、いくさしたるすべのしらぬものどもが、
あるひはちよくめいにかりもよほされて、あるひはけんぶつのためにいできたるやからども、ばんどうのつはものにおひせめら
れたるありさま、ただたかのまへのことりのごとし、うちいころしくびをとる。そくばくのばんどうのつはもの、
くびひとつづつ、とらぬものこそなかりけれ。たいしやうぐんむさしのかみ、するがのじらう、あしかがどのは、ふねにておしわた
る。しなののくにのぢうにんうちののじらう、うじはしのきたのざいけにひをかけけり。そのけぶりてんにえいじておびた
だし。よど、いもあらひ、ひろせ、そのほかのわたりわたりにこれをみて、一いくさもせずみなおちにけり。するがのぜんじ、

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もりのにふだう、のやまのさゑもんは、あるひはふねにのり、あるひはいかだをくみておしわたる。よど一くちとうのえうがいをやぶり、とば
のたかはたけにぢんをとる。うぢはしのかはばたにきりかけたるくび七百三十なり。これをじつけんして、むさしのかみち
やくしときうぢありときなどしたしきひとびと、わづかに五十よきにて、ふかくさがはらといふところにぢんをとる。よにい
りてむさしのかみこれをこそと、するがのかみのもとへつかひをたててまをされければ、やすむら二三にんうちぐして、むさしのかみ
のぢんにくははりけり。せた、うぢ、みをがさきおちぬときこえしかば、一にんもいくさするものなく、みなお
ちうせにける。なんとほくれいのたいしゆもおちゆきけり。たうにちのたいしゆたかごゑにねんぶつまをして、あはれなりける
わうほふかなと、たからかにくちずさび、なくなくほんざんにかへりけり。

秀康胤義等都へ帰り入る事 27

きやうがた、のとのかみ、へい九らうはうぐわん、しもふさのぜんじ、せうしやうにふだう、しよしよのいくさにうちまけて、みやこにかへりい
る。やまだのじらうもおなじくきやうへいる。おなじき十五にちうのこく、四つじどのにまゐりてひでやす、たねよし、もりつな、しげただ
こそ、さいごのおんともつかまつりさふらはんとて、まゐりてさふらへとまをしければ、一ゐんいかになるべきみともおぼしめさぬ
ところへ、四にんまゐりたれば、いよいよさわがせたまひて、われはもののふむかはばてをあはせて、いのちばかりをば
こはんとおぼしめせども、なんぢらまゐりこもりて、ふせぎたたかふならば、なかなかあしかりなん、いづかたへもおちゆ
きさふらへ、さしものほうこうむなしくなしつるこそふびんなれども、いまはちからおよばず、ごしよのきんりんにあ

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るべからずとおほせいだされければ、おのおののこころのうちいふもおろかなり。やまだのじらうばかりこそ、さればなにせ
んにまゐりけん、かなはぬものゆゑ、一ぞくもひきつるこそくちをしけれとて、だいおんじやうをあげてもんをたたき、
につほんだい一のふかくじんをしらずして、うきしづみつることのくちをしさよと、ののしりてとほるぞかひもなき。おの
おのいひけるは、二なし、たいぜいにはせあはせてたたかひて、もししなれぬものならば、じがいするほかは、べちのぎ
なしとまをしければ、おのおのこのぎにどうずとて、またとてかへす。四にんのせい三十きばかりなり。へい九らう
はうぐわんまをしけるは、おなじきうぢのおふてにむかふべきを、うぢせた、たいぜいにへだてられては、ざふひやうにこそ
うちあはんずれ、これよりにしとうじはよきじやうかくなり、ここにたてこもりさふらはばや、するがのかみはよどのて
なれば、とうじをとほらんずるに、よきいくさしてしなんとおもふぞといひければ、またこのぎしかるべしとて、
とうじにはせつき、ゐんにはいれず。そうもんのそと、くぎぬきのうちにぢんをとる。たかばたけにひかへたる三
うらのすけ、はやはらのじらうひやうゑのじよう、をひのまたたらう、あまののさゑもん、さかゐのへいじらう、ひやうゑの
じよう、こばたのたらう、おなじきやへい三などきこゆるものども、三百よきをめいてかく。そのなかにはやはらのじらう
ひやうゑ、あまのさゑもん、へい九らうはうぐわんとみて、かんせんしんちつなりければ、ひかへてかからざりける。
ゆみやとるものもれいぎはかくぞあるべきに、はやはらのたらうしさいをばしらず、ちちひかへたるをここちあし
くやおもひけん、なのりておしよせたりけり。たねよしいひけるは、さこそおほやけのいくさといひながら、たらうぶ
れいなるものかな、かげよしもらすなとて、たかゐをはじめとしてなかにとりこめられて、めてのたなかへかけ

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おとされてけり。はせあがらんとするところに、ゆんでめてよりせめければ、むまよりおち、かちになりてぞ
たたかひける。かげよしがをひへいびやうゑ、ちやくしひやうゑのたらう、こみたきやうだいいのちをすてて、かげよしを
うしろにおしなしたたかひけり。かなはずしてたねよしひきかへす。これをはじめとしてくわんとうのせい、一めんにをめいて
かく。つくりみちをわれさきにとおしよせければ、ひでやすもりつなはいかがおもひけん、や一もいずきたをさして
おちゆく。やまだのじらうばかりぞ、ささやせうせういて、それもあとめにつきておちゆきけり。いまはへい九
らうはうぐわんばかりなり。たねよしはとうじをはかどころとさだめければ、じよのものそれはおちもうせよ、一そくもしりぞく
まじとて、いれかへたたかひけり。されどもたいぜいしこみければ、こころはたけくおもへども、なまじひに一きれ
にもしにをはらず、ひがしをさしておちゆきけり。こみたのへい二すけちか、すくやかものなり、たねよしにめをか
けて、おしならべてくまんとしけるが、すけちかかなはじとやおもひけん、たねよしがめのとごうへはたけはせとほり
けるに、くんでおちけり。すけちかがのりかへおちあひてくびをとる。たねよしこれをしらずして、やたらう
ひやうゑただ三四きになりて、ひがしやまをさしておちゆく。じらうひやうゑたかゐのひやうゑのたらう、これもひがしへおちけ
るが、六はらのれんげわうゐんにはせいり、小たけのうちにて二にんねんぶつとなへて、さしちがへてうせにけり。
たねよしはこころざしつるひがしやまにはせいりて、もののぐぬきすててやすみけり。

院宣を泰時に下さるる事 28

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十五にちみのこく、やすときうんかのごとくのせいにて、かみかはらよりうつたち、四つじのゐんのごしよへよすときこえ
けり。一ゐんとうざいをうしなはせたまふ。げつけいうんかくぜんごをわすれて、あわてあわて、せめてのおんことに、ゐんぜんをやすときにつか
はされけり。そのじやうにいはく、
秀康朝臣胤義以下徒党可令追討之由宣下既畢。又停止先宣旨解部輩可還住之由同被宣下。既凡天
下事於干今者雖不及御口入御存知趣畢不仰知畢。就凶徒浮言既及此沙汰後悔不能左右。但天災之
時至歟抑亦悪魔結構歟。誠勿論之次第也。於自今以後先携武勇輩者不可召使。又不稟家好武藝者永
被停止也。如此故自然及御大事由有御覚知者也。悔前非被仰也。御気色如此。仍執達如件。
  六月十五日                      権中納言定高

 武 蔵 守 殿
かくこそあそばされけれ。ゐんぜんをめしつぎにもたせて、やすときにつかはされたり。ことばをもつてはおのおのまをす
べきことあらば、それよりまうさるべし、ごしよちうにやがてまかりむかはんこと、じんみんのなげき、こうひさいぢよのおそれおそ
るることの、あまりにふびんにおぼしめさるるなり、ただまげてそれにさふらへとおほせられければ、やすときむまよりお
り、ゐんのおんつかひにたいめんして、ゐんぜんをひらいてみて、たかきところにまきをさめて、かしこまりてうけたまはりさふらひをは
んぬ、おやにてさふらふよしときかへりうけたまはりて、なにとかまをしさふらはんずらん、まづやすときにあてて、ゐんぜんはいりやうさふらふでう
かたじけなくぞんじさふらふ、このうへにさうなくまゐりさふらはんことも、そのおそれさふらへば、ごしんをしらず、まかりとどまり

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さふらふとて、をぢさがみのかみときふさにまをしあはされければ、さうにおよばずと、六でうのきたみなみにぢんをとりてゐたまひ、
たいぜいみな六はらにうちいれけり。

胤義自害の事 29

たねよしはひがしやまにてじがいせんとおもひけるが、びんぎあしかりければ、うづまさにこどもをかくしおきけるところへ、おちゆき
けるが、さきにはまたたいぜいいれみだるるとまをしければ、これにかくれゐてひをくらし、うづまさにむかはんと、にしやまこ
のしまのやしろのうちにかくれゐて、くるまをばかたはらにたてて、をんなぐるまのよしにて、さうのくるまをぞのせたりける。たね
よしがねんらいのらうどうに、とうの四らうにふだうといふもの、かうやにこもりたるが、いくさをもみぬしのゆくへをもみんと、みやこ
へのぼりけるが、ここをとほるをもりのうちよりみて、いであひたれば、とうの四らうにふだういかにともいはずなみだを
ながす。さてもなにとしてかは、かくてわたらせたまふぞとまをしければ、にしやまにをさなきものどものあるを、一めみて
じがいせんとおもひてゆくに、かたきすでにみだれいるときくあひだ、ここにてひをくらしよにまぎれてゆかんとてやすむなり
といひければ、にふだうかたきさきにこもり、おんあとにまたみちみちたり、いつのひまにきんだちのもとへはつかせたま
ふべき、へいはうぐわんはたうじのいくさはよくしたれども、さいしのことをこころにかけて、をうなぐるまにておちゆくを、くるまよりひき
いだされて、うたれたるといはれさせたまはんこそくちをしくさふらへ、むかしより三うらの一もんにきずやはさふらふ、にふだうち
しきまをすべし、このやしろにてごじがいさふらへかしとまをしければ、たねよしいしくもまをしたるものかなとて、さら

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ばたらうひやうゑまづじがいせよ、こころやすくみおかんといひければ、ちやくしたらうびやうゑ、はら十もんじにかききりてしぬ。
たねよしおひつかんとて、かたみどもをおくり、とうの四らうにふだうは、ふしのくびとりて、するがのかみがもと
へゆきて、ぐんこうのしやうにほこりたまはんことこそおしはかられさふらへ、たびたびのかつせんに、三うらの一けをほ
ろぼしたまふをこそ、ひとくちびるをかへしさふらひしに、たねよし一けをさへほろぼしたまひさふらへば、いよいよひと
のまをさんところこそかへつていたはしくさふらへと、ただいまおもひあはせたまはんずらんとまをせとてはらかききり
くびをばとりて、もりにひかけむくろをばやきにけり。そののちするがのかみのところへゆきて、さいごのありさままをし
ければ、よしむらきやうだいならずば、たれかはくびをおくるべき、よしむらなればとて、よのだうりをしらぬ
にはなけれども、ゆみやをとるならひ、おやこきやうだいたがひにかたきとなること、いまにはじめぬことなりとて、おとと
をひのくび、さうのそでにかかへてなきゐたり。きやうよりたつときそうしやうじたてまつり、ぶつじとりおこなひ、うづまさの
めこよびよせて、いたはりなぐさめけり。

京方の兵誅戮の事 30

やまだのじらうしげただはにしやまにいりて、さはのはたにほんぞんをかけ、ねんぶつしけるところに、あまののさゑもんおしよ
せければ、じがいすべきひまなかりけるに、ちやくしいづのかみしげつきささへつつ、このまにごじがいさふらへといひ
ければ、やまだはじがいしてしにけり。いづのかみはいけどられぬ。ひでやす、おなじきひでずみ、いけどられてきられぬ。しも

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ふさのぜんじもりつなもいけどられて、かすやきたやまにてじがいす。あまのの四らうざゑもんくびをのべてまゐりたり
けれどもきられにけり。やましろのかみごとうのはうぐわんいけどられてきらる。ごとうをばしそくさゑもんもとつなまをしう
けてきりてけり。たにんにきらせてくびをまをしうけてけうやうせよかし、これやほうげんにためよしをよしともきられたりし
におそれず、それはじやうこのことなり、せんぎなかりき、それをこそまつだいまでのそしりなるに、二のまひし
たるもとつなかなと、ばんにんつまはじきをぞしたりける。あふみのにしごりのはうぐわんだい、六はらむさしのかみのまへ
にて、さののこじらうにふだうきやうだいうけたまはる。さぶらひにててとりあしとりしてきられぬ。六でうがはらにてむほんの
ともがらのくびをきるに、つるぎをさすにいとまあらず。するがのたいふのはうぐわんこれのぶ、ゆくへもしらずおちにけり。
二ゐのほういんそんちやうは、よしのとつかはににげこもりて、たうじはからめとられず。せいすゐじのほつしきや
うげつそのほつしでしひだちばうみののばう三にんからめとらる。すでにきらんとするところに、しばらくたすけさせたまへ、
一しゆのぐえいをつかまつりさふらはばやとまをしければ、これほどのひまはたまはるべしとてさしおくに、
ちよくなればいのちはすてつもののふのやそうぢがはのせにはたたねど
このよしむさしのかみに、はやむまをもてまをしたりければ、かんくわいのあまり、ゆるすべしとてゆるされけり。ひとはのう
はあるべきものかな、まつだいといひながらわかのみちもたのみあり、やすときやさしくもゆるされたりと、じやうげ
かんじけり。くまのほうし、たなべのべつたうもきられにけり。

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京都飛脚の人々評定の事 31

むさしのかみくわんとうへはやむまをたつ。かつせんのしだいうちじにておひのけうみやうちうもん、ならびにめしおくところのせうみやう、
きらるるもののふのけうみやう、このほかゐんゐんみやみやのおんこと、げつけいうんかくのざいじやう、きやうとのまつりごとあらためさんもんなんど
のしだいは、やすときがはからひがたし、きやうそくにうけたまはりて、ちしやうしてきさんすべきよしまをしけり。はやむまくわん
とうにつきたりければ、ごんだいぶどの二ゐどの、そのほかだいせうみやうめんめんにはしりいで、いくさはいかにおんよろこびか
なにとかあると、くちぐちにとはれけり。いくさはおんかちさふらふ、三うらのへい九らうはうぐわん、やまだのじらう、のとのかみひでや
すいげみなきられぬ、おんふみさふらふとておほまきものさしあげたり。だいぜんのだいぶにふだうとりあげて、一どうに
あつとぞまをされける。なかにも二ゐどのあまりのことになみだをながし、まづわかみやのだいぼさつをふしをがみまゐらせて、や
がてわかみやへまゐらせたまはりけり。それより三だいしやうぐんのおんはかにまゐらせたまひて、おんよろこびまをしありければ、だいせう
みやうはせあつまつて、おんよろこびどもまうしあへる。そのうちにもこうたれ、おやうたれぬときくひと、よろこびにつ
けなげきにつけて、くわんとうはさざめきののしりあへりけり。ひやうぢやうあるべしとて、だいみやうどもみなまゐりけり。一
ばんのくぢはだいぜんのだいぶにふだうとりたりければ、まをしけるは、ゐんゐんみやみやをばをんごくへながしたてまつるべし、げつけいうん
かくはばんどうへめしくだすべしとひろうして、みちにてみなうしなはるべし、きやうとのまつりごとはともゐのたいしやうどのごさたたる
べし、せつろくをばこのゑどのへ、まゐらせらるべしとぞんじさふらふといけんをいたす。よしときこのぎ一ぶんもさうゐなし、このぎにどうず

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とおほせければ、だいみやうどもしかるべしとぞまをしける。やがてこのごへんじをこそかき一つうあひそへて、よくじつきやう
へはやむまをたてられけり。さるほどにともゐのたいしやうどのに、六はらよりこのよしまをされたりければ、われたう
しやうぐんのぐわいそにあらず、よしときがおやむつぶにあらざれども、しやうろをまぼりて、きみをいさめまをすに
よて、うきめをみしゆゑなり、これもゆめなり、しかしながらさんわうにまをしたりしゆゑなりとて、たいしやうきんつね、ひ
よしをぞあふきたてまつらる。

公卿罪科の事 32

さるほどに、さんぬる廿四か、むさしのかみしづかにゐんざんして、むほんをすすめまをされさふらひつらん、ちやうぽんのうん
かくをめしたまはらんとまをされければ、ゐんいそぎけうみやうをしるしいださせましましけるぞあさましき。ごちう
もんにまかせて、みなみな六はらへからめいだされたまふひとびとには、ばうもんのだいなごんただのぶ、あづかり千ばのすけたねつな、あ
ぜちのだいなごんみつちか、あづかりたけだの五らうのぶみつ、なかのみかどのちうなごんむねゆき、あづかりをやまのさゑ
もんのじようともなが、ささきのちうなごんむねゆき、あづかりをがさはらのじらうながきよ、かひのさいしやうちうじやうのり
もち、あづかりしきぶのじようともとき、一でうのじらうさいしやうちうじやうのぶよし、あづかりとほやまのさゑもんのじようかげ
とも、おのおのれいきくきやうをぢして、ばんどうむしやうのいへにわたりたまふ。そもそも八でうのあまみだいどころとまをせし
は、こかまくらのうだいじんのこうしつにておはしき。ばうもんのだいなごんただのぶのきやうのおんいもうとなりしかば、このむほんのしゆに

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かりいれられて、くわんとうへくだりたまふをしりて、かねてかまくらへおんつかひをたてまつりたまふ。われうだいじんにおくれて、
かのぼだいをとぶらふよりほかたじなし、みつすゑがうたれしあさより、うぢのおつるゆふべまで、をうなのこころの
うたてさは、むかしのよしみこころにかかるきやうだいをもしらず、きみのかたむかせたまふをもわすれて、三だいしやうぐんのあと
のほろびんことをかなしみて、なむ八まんだいぼさつまもらせたまへと、こころのうちにいのりてさふらひし、このことただのぶのきやう
たすけんとて、いつはりまをしさふらはば、だいぼさつのおんこころもはづかしかるべし、かずならぬみのいのりにこたへて、かかる
べしとはおもはねども、こころざしをまをすばかりなり、しかるにじひこころにはうちたえ、しらぬひとをもたすけあは
れむはならひなり、いかにいはんやまさしきあにをたすけざるべき、つみのふかさはさこそさふらふらめども、これ
しかしながらわれにゆるすとおぼしめすべからず、うだいじんどのにゆるしてたてまつるとおもひなして、ただのぶのきやうのいのちをたすけ
させたまへと、ごんだいぶどの二ゐどのへおほせられたりければ、ゆるしたてまつれとて、おんゆるしふみありけるに、八月
ついたちとほたふみのくにはしもとにてあひたりければ、あづかりのぶし千ばのすけたねつな、この二ゐどのよしときのでうをみ
て、ゆるしのぼせたてまつる。あぜちのだいなごんみつちかのきやうこれをききたまひて、ひとしておんよろこびまをされたりけれ
ば、ただのぶのきやうこれもゆめやらんとこそおぼえさふらへと、へんじしたまふもことわりなり。さるほどに八ぐわつ二か
ゑちごのくにへながされたまひぬ。おなじき十か、なかのみかどにふだうさきのちうなんごんむねゆきのきやうは、きくがはにて、昔南陽縣之菊
水汲二下流一延レ齢、今東海道菊川宿二西岸一失レ命とぞかきつけたまふ。おなじき十三にち、するがのくにうきじまがはらに
て、

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けふすぐるみはうきしまがはらにてぞつゆのいのちをきりさだめぬる
おなじき十四かのたつのこくに、あひざはといふところにて、つひにきられたまひぬ。ささきのちうなごんあり
まさのきやうは、をがさはらぐしたてまつりて、かひのくにいなつみのしやうなひこせむらといふところにてきらんとす。二ゐどの
にまをしたるむねあり、そのごへんじこんにちにあらんずれば、いまふたときのいのちをのべたまへとのたまひけるを、ただき
りてけり。一ときばかりありて、ありまさのきやうきりたてまつるなと、二ゐどののごへんじあり。しゆくごふちからなしとはいひな
がら、一ときのあひだをまたずして、きられけるこそあはれなれ。をがさはらも、いまふたときのいのちとてをあはせてこひ
たまふを、きりたるこそなさけなくおぼゆれ。三ばうのしるべもしりがたく、じんばうにもうたてしとぞみえし。一でうの
さいしやうちうじやうのぶよしは、みののくにとほやまにてきりたてまつる。おなじき十八にち、かひのさいしやうちうじやうのりもちは、あしがらやまの
せきのひがしにてじすいせらる。六にんのくぎやうのあとのなげき、いふもなかなかおろかなり。

一院隠岐の國へ流され給ふ事 33

七ぐわつ六か、やすときちやくしよしうぢ、ときふさのちやくしときもり、す千きのぐんぴやうをあひぐし、ゐんのごしよ四つじどのにまゐつて、とばどのに
うつしたてまつるべきよしまをさる。ごしよちうのなんによをめきさけび、たふれまよふにようばうたちを、さきさまにいだしたてまつり
たまふ。ときうぢこれをみて、みくるまのうちもあやしくさふらふとて、ゆみのはずをもて、みすをかきあげたてまつる。ごよういはもつとも
さることなれども、あまりになさけなくぞおぼえし。おんともにおほみやのちうなごんさねうぢ、さいしやうちうじやうのぶなり、さゑもんのじよう

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よしもち、いじやう三にんぞまゐりける。もののふぜんごをかこみ、けふをかぎりのきんけつのおんなごり、おもひやりたてまつるもかたじ
けなし。おなじき八かごしゆつけあるべきよし、六はらよりまをしあぐるに、みぐしおろさせたまふ。のりのおんいみなは
りやうぜんとぞまをしける。だいじやうてんわうのぎよくたい、たちまちにへんじて、むげのしんぼちとならせたまふ。のぶざねのあそん
をめして、おんかたちをにせゑにかかせたまひて、七でうのにようゐんへまゐらせたまひけり。にようゐんごらんじもあへず、おんなみだを
ながさせたまひけり。しゆみやうもんゐんひとつみくるまにて、とばどのへごかうなる。みくるまをおほゆかのきはにさしよせられた
り。一ゐんすだれひかさせたまひて、おんかほばかりさしいださせたまひて、おんてをもてかへらせたまへとあふがせたまふ。み
くるまのうちのおんなげき、まをすもなかなかおろかなり。おなじき十三にち、六はらよりときうぢときもりまゐりて、おきのくにへうつしたてまつ
るべきよしをまをしければ、ごしゆつけのうへは、るざいまではあらじとおぼしめしけるに、とほきしまときこしめされて、とう
ざいをうしなはせたまふぞかたじけなき。せつろくはこのゑどのにてわたらせたまひけり。きみしがらみとなりてとどめさせたまへと、あそ
ばされけるおんふみのおくに、
すみぞめのそでになさけをかけよかしなみだばかりはすてもこそすれ
とあそばされたりければ、せつしやうのおんいほうも、きみのきみにてわたらせたまふときの、ことなりとて、なげきたまひけり。
一ゐんのおんともにはにようばうりやうさんはい、かめぎくどの、ひじりひとり、くすしひとり、ではのぜんじひろふさ、むさしのごんのかみきよのりとぞ
きこえし。さんぬるへいけのみだるるよには、ごしらかはのゐんとばどのにうつらせたまひしをこそ、よのふしぎとはまをしなら
はししに、とほきくにへながされさせたまふ、せんだいにもこえたることどもなり。みなせどのをすぎさせたまふとて、せ

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めてはここにおかればやと、おぼしめさるるもことわりなり。みこころのすむとしもなけれども、おんなみだのひまにかく
ぞおぼしつづけける。
たちこめてせきとはならでみなせがはきりなほはれぬゆくすゑのそら
はりまのあかしのうらにつかせたまふ。ここをばいづくぞとおんたづねありければ、あかしのうらとまをしければ、おとに
きくところにこそとて、
みやこをばやみやみにこそいでしかどけふはあかしのうらにきにけり
かめぎくどの
つきかげはさこそあかしのうらなれどくもゐのあきぞなほもこひしき
かのほうげんのむかし、しんゐんのおんいくさやぶれて、さぬきのくにへうつされさせたまひしも、ここをおんとほりありけるとこそきけ、
おんみのうへとはしらざりしものをとおぼしめす。それはわうゐをろんじ、くらゐをのぞみたまふおんことなり。これはされば
なにごとぞとぞ、おぼしめしける。みまさかとはうきのなかやまをこえさせたまふに、むかひのみねにほそみちあり。いづくへかよふ
みちにやととはせたまふに、ふるきみちにて、いまはひともかよはずとまをしければ、
みやこびとたれふみそめてかよひけむむかひのみちのなつかしきかな
いづものくにおほうらといふところにつかせたまふ。三をがさきといふところより、みやこへたよりありければ、しゆみやうもんゐんにおんせうそく
あり。

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しるらめやうきめを三をのはまちどりしましましぼるそでのけしきを
かくてひかずかさなれば、八ぐわつ五か、おきのくにあまごほりへぞつかせたまふ。これなんごしよとて、いれたてまつる
をごらんずれば、あさましげなるとまふきの、こものてんじやうたけのすのこなり。みづからしやうじのゑなどに、かかるす
まひかきたるをごらんぜしよりほかは、いつかおんめにもかくべき。ただこれはしやうをかへたるよとおぼしめすもか
たじけなし。
われこそはにひじまもりよおきのうみのあらきなみかぜこころしてふけ
みやこに、ていか、かりう、ありいへ、まさつね、さしものかせんたち、このおんうたのありさまをつたへうけたまはりて、ただむねはこがれ、な
きかなしみたまへども、つみにおそれてごへんじをもまをされず。されどもしやう三ゐかりう、びんぎにつけて、おそれおそれおん
うたのごへんじをまをされけり。
ねざめしてきかぬをききてかなしきはあらいそなみのあかつきのこゑ

新院宮々流され給ふ事 34

おなじき廿のひ、しんゐんさどのくにへながされたまふ。おんともには、ていかのきやうのそく、れんぜいちうじやうためいへ、くわざんのゐんせうしやうよし
うぢ、かひのさひやうゑのすけのりつね、じやうほくめんにはとうのさゑもんのだいぶやすみつ、にようばうには、さゑもんのすけどの、そつのすけどの
いげ三にんなり。れんぜいちうじやうはひとつあゆみのおんおくりをもしたまはず。のこる三にんぞまゐられける。くわざんのゐん

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せうしやうは、みちよりしようらうとてかへられけり。ひやうゑのすけは、おもやまふをうけて、ゑちごのくににてとどまりけり。やす
みつばかりぞさふらひける。九でうどのへおんふみあり。おんかたみにぶんこをたてまつるよしありけり。なかにもしつしおぼしめす八くもせうを
も、さふらひたりし。九でうどのへまゐらせられけるおんふみのおくに、
ながらへてたとへばすゑにかへるともうきはこのよのみやこなりけり
のちのびんぎに、九でうどのよりごへんじさせたまふ。
いとへどもながらへてふるよのなかをうきにはいかではるをまつべき
おなじき廿四か、六でうのみや、たじまのくににうつされさせたまふ。かつらがはよりおんこしにうつらせたまふ。おほえやまいくののみちに
かからせたまひて、かのくにへぞつかせたまふ。おなじき廿五にちれんぜいのみや、びぜんのくにとよをかのしやうこじまへうつされさせ
たまふ。とばよりおんふねにめし、このほかぎやうぶきやうのそうじやう、あはのさいしやうちうじやうのぶなり、うだいべんみつとしなどもながされけ
り。ゐんゐんみやみやながされさせたまふ。ひとびとおんあとにのこりとどまりて、たびのおんよそほひいかならんと、おもひやりたてまつるも
おろかなり。うちにもしゆみやうもんゐんのおんことも、かなしければ、一ゐんしんゐんにしへながされたまひ、きたにうつらせたまひぬ。おんあに
さいしやうちうなごんのりもちのあそん、しざいにあたりたまひぬ。しんゐんのおんかたみにせんていわたらせたまへども、おんなぐさみなきが
ごとし。七でうのにようゐんとまをすは、こたかくらのゐんのおんきさき、一ゐんのおんははにてぞましましける。いま一たびほうわうをみまゐら
せばやと、おほせられけるときこしめして、ほうわう、
たらちねのきえやらでまつつゆのみをかぜよりさきにいかでとはまし

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七でうのにようゐんおんかへし、
をぎのははなかなかかぜのたえねかしかよへばこそはつゆもしをるれ
うへつかたのおんなげきたぐひなし。しもにもあはれのみおほかりけり。

弘綱子息斬らるる事 35

おなじき十一にち、ささきのやましろのかみひろつながこ、おむろにありしが、六はらよりたづねいだされて、むかひしに、お
むろごらんじおくりて、
むもれぎのくちはつべきはとどまりてわかぎのはなのちるぞかなしき
やすときみて、ゆうけんのちごなりければ、たすけてまゐらせよとまをされければ、ははこれをききて、七だいむさしの
かみどのましませ、いのちあらんほどはいのりまをすべしと、てをあはせてをがみけるに、みなひと、わがこをたすくるやうにおぼえ
さふらふとよろこびけり。くるまにのりてかへるところに、をぢ四らうざゑもんのぶつな、いそぎはせまゐつて、このちごをおんたすけさふらはば、
さしものほうこうむなしくなして、のぶつなしゆつけしさふらふべしとささへまをしければ、のぶつなはこんどうぢがはのせんぢんなりときの
いもとむこなり、かたがたもつてさしおきがたきじんなれば、五でうどひのこうぢにつかひおひつきて、かかるしさいあるあひだ、
ちからおよばず、やすときをうらむなとてめしかへしけり。このことをききて、のぶつなをにくまぬものはなかりけり。やなぎはらにて、
しやうねん十一さいにてきられけり。ためしなしとぞまをしける。きやうとにもかぎらず、かまくらにもあはれなることおほかりけり。

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胤義子供斬らるる事 36

はうぐわんたねよしがこども、十一九七五三になる五にんあり。やひとのうばのもとに、やしなひおきたるを、ごんだいふ、をがは
の十らうをつかひにたて、みなめされけり。あまもちからおよばず。こんどよのみだれ、ひとへにたねよしがしわざなり、をしみたてまつるに
およばずとて、十一になるひとりをばかくして、おとと九七五三をいだしけるこそふびんなれ。をがはの十らう、、せめてえう
ちなるをこそをしみもしたまはめ、せいじんのものをとどめたまふことしかるべからざるよしせめければ、こあまうへたちい
でて、てをすりていはれけるは、のたまふところはことわりなり、されども五三のものは、しやうじをしらざれば、あきれ
たるがごとし、なまじひに十一までそだて、みめかたちもすぐれたり、ただこのことをしゆごどのへまをしたまへ、
五にんながらきらるるならば、七十になるあま、なにかいのちのをしかるべきといひければ、をがはなさけある
ものにて、ゆるしてけり。四にんのめのとたふれふして、てんにあふぎかなしみける。ほうげんのむかし、ためよしのえうちの
こどもきられけんこと、おもひいだされけり。さてあるまじきことなればくびをかく。

中の院阿波の國へ移り給ふ事 37

うるふ十ぐわつ十か、つちみかどのなかのゐん、とさのくにへうつされさせたまふ。このゐんはこんどおんくみなし、そのうへけんわうにて
わたらせたまひければ、かまくらよりも、なだめたてまつりけるを、われかたじけなくも、ほうわうをはいしよへやりたてまつり

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て、そのことしてくわらくにあらんこと、みやうのせうらんはばかりあり、またなにのえきかあらん、しようげん四ねんのうらみはふか
しといへども、にんかいにしやうをうくることは、ふぼのおんはうじがたし、一たんのうらみによて、ながくふかうのみとならんこと、
つみふかし、さればおなじきとほしまへながされんと、たびたびくわんとうへまをさせたまひければ、をしみたてまつりながら、ちからなく
ながしたてまつりけり。ないないにみなちちをうらみたまひければ、まことのときは、いろはせたまはぬと、ちちのおんつみに、をんごくへ
くだらせたまふぞあはれなる。ちやうしまてのこうぢのごしよへまゐりければ、おんをぢつちみかどのだいなごん、なきなきいだし
たてまつる。おんともにはにようばう四にん、せうしやうまさとも、へいじじうとしひら、さだみち、おんくるまよせられけり。これはおぼしめしたつみちも、
一しほあはれなれば、きやうちうのきせんも、かなしみたてまつることかぎりなし。むろよりおんふねにのせたてまつり、四こくへわたらせ
たまふ。八しまのうらをごらんじて、あんとくてんわうのおんことを、おぼしめしいだしけり。さぬきのまつやま、かすかにみえければ、
かのしゆとくゐんのおんことも、おぼしめしいだしたり。とさへおんつきありけるを、せうこくなり、ごふうまいなんぼのよししゆご
ならびにもくだいまをしければ、あはのくにへうつされさせたまふ。やまぢにかからせたまふをりふし、ゆきふりて、とうざいみえず、まこと
にせんかたなくて、きみもおんなみだにむせばせたまふ。
うきよにはかかれとてこそむまれけめことわりしらぬわがなみだかな
とあそばす。きやうにてめしつかひけるばんじやう、きにのぼりえだをおろして、おんまへにきたりければ、きみもしんも、みこころす
こしつかせたまひて、ばんじやうたいせつのものなりとぞおほせける。おんこしかきせうせうはたらきて、かのくにへつかせたまふ。
うらうらによするさなみにこととはんおきのことこそきかまほしけれ

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そもそもじようきういかなるねんがうぞや、ぎよくたいことごとくせいほくのかぜにぼつし、けいしやうみなとういのほこさきにあたる。てんせうだいじん、しやう
八まんのおんはからひなり。わうほふこのときにかたぶき、とうくわん、てんがをおこなふべきゆいしよにてやありつらん。ごむほんくはだてのはじ
め、おんゆめにくろきいぬ、おんみをとびこゆるとごらんじけるとぞうけたまはる。ゐんのはてさせたまひしかども、四でうの
ゐんのおんすゑたえたりしかば、のちのごさがのゐんに、おんくらゐまゐりて、のちのゐんとまをす。つちみかどのゐんのおんこな
り。おんうらみはありながら、はいしよにむかはせたまひき。このおんこころばせを、しんりよもうけしめたまひけるにや、おん
すゑめでたくして、いまのよにいたるまで、このゐんのおんすゑかたじけなし。じようきう三ねんのあきにこそ、もののあ
はれをとどめけれ。

承久記 終