平家物語 巻第一  総かな版(元和九年本)
「ぎをんしやうじや」(『ぎをんしやうじや』)S0101 P51ぎをんしやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひびきあり。しやらさうじゆのはなのいろ、じやうしやひつすゐのことわりをあらはす。おごれるものひさしからず、ただはるのよのゆめのごとし。たけきひともつひにはほろびぬ。ひとへにかぜのまへのちりにおなじ。とほくいてうをとぶらふに、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしゆい、たうのろくさん、これらはみなきうしゆせんくわうのまつりごとにもしたがはず、たのしみをきはめ、いさめをもおもひいれず、てんがのみだれんことをもさとらずして、みんかんのうれふるところをしらざりしかば、ひさしからずして、ばうじにしものどもなり。ちかくほんてうをうかがふに、しようへいのまさかど、てんぎやうのすみとも、かうわのぎしん、へいぢのしんらい、これらはおごれることもたけきこころも、みなとりどりなりしかども、まぢかくはろくはらのにふだうさきのだいじやうだいじんたひらのあそんきよもりこうとまうししひとのありさま、つたへうけたまはるこそ、こころもことばもおよばれね。そのせんぞをたづぬれば、くわんむてんわうだいごのわうじ、いつぽんしきぶきやうかづらはらのしんわうくだいのP52こういん、さぬきのかみまさもりがそん、ぎやうぶきやうただもりのあそんのちやくなんなり。かのしんわうのみこたかみのわうむくわんむゐにしてうせたまひぬ。そのおんこたかもちのわうのとき、はじめてたひらのしやうをたまはつて、かづさのすけになりたまひしよりこのかた、たちまちにわうしをいでてじんしんにつらなる。そのこちんじゆふのしやうぐんよしもち、のちにはくにかとあらたむ。くにかよりまさもりにいたるまでろくだいは、しよこくのじゆりやうたりしかども、てんじやうのせんせきをばいまだゆるされず。
「てんじやうのやみうち」(『てんじやうのやみうち』)S0102しかるにただもり、いまだびぜんのかみたりしとき、とばのゐんのごぐわん、とくぢやうじゆゐんをざうしんして、さんじふさんげんのみだうをたて、いつせんいつたいのおんほとけをすゑたてまつらる。くやうはてんじようぐわんねんさんぐわつじふさんにちなり。けんじやうにはけつこくをたまふべきよしおほせくだされける。をりふしたじまのくにのあきたりけるをぞくだされける。しやうくわうなほぎよかんのあまりに、うちのしようでんをゆるさる。ただもりさんじふろくにてはじめてしようでんす。くものうへびとこれをそねみいきどほり、おなじきとしのじふいちぐわつにじふさんにち、ごせつとよのあかりのせちゑのよ、ただもりをやみうちにせんとぞぎせられける。ただもり、このよしをつたへきいて、「われいうひつのみにあらず、ぶようのいへにむまれて、いまふりよのはぢにあはんこと、P53いへのため、みのためこころうかるべし。せんずるところ、みをまつたうしてきみにつかへたてまつれといふほんもんあり」とて、かねてよういをいたす。さんだいのはじめより、おほきなるさやまきをよういし、そくたいのしたにしどけなげにさしほらし、ひのほのぐらきかたにむかつて、やはらこのかたなをぬきいだいて、びんにひきあてられたりけるが、よそよりは、こほりなどのやうにぞみえける。しよにんめをすましけり。またただもりのらうどう、もとはいちもんたりしたひらのむくのすけさだみつがまご、しんのさぶらうだいふいへふさがこに、さひやうゑのじよういへさだといふものあり。うすあをのかりぎぬのしたに、もよぎをどしのはらまきをき、つるぶくろつけたるたちわきばさんで、てんじやうのこにはにかしこまつてぞさぶらひける。くわんじゆいげ、あやしみをなして、「うつほばしらよりうち、すずのつなのへんに、ほういのもののさぶらふはなにものぞ。らうぜきなり。とうとうまかりいでよ」と、ろくゐをもつていはせられたりければ、いへさだかしこまつてまうしけるは、「さうでんのしゆびぜんのかうのとののこんややみうちにせられたまふべきよしうけたまはつて、そのならんやうをみんとて、かくてさぶらふなり。えこそいづまじ」とて、またかしこまつてぞさぶらひける。これらをよしなしとやおもはれけん、そのよのやみうちなかりけり。
ただもりまたごぜんのめしにまはれけるに、ひとびとひやうしをかへて、「いせへいじはすがめなりけり」とぞはやされける。かけまくもかたじけなく、このひとびとはかしはばらのてんわうのおんすゑとはまうしながら、なかごろはみやこのすまひもうとうとしく、ぢげにのみふるまひなつて、P54いせのくににぢうこくふかかりしかば、そのくにのうつはものにことよせて、いせへいじとぞはやされける。そのうへただもりのめのすがまれたりけるゆゑにこそ、かやうにははやされけるなれ。ただもりいかにすべきやうもなくして、ぎよいうもいまだをはらざるさきに、ごぜんをまかりいでらるるとて、ししんでんのごごにして、ひとびとのみられけるところにて、よこだへさされたりけるこしのかたなをば、とのもづかさにあづけおきてぞいでられける。いへさだ、まちうけたてまつて、「さていかがさふらひつるやらん」とまうしければ、かうともいはまほしうはおもはれけれども、まさしういひつるほどならば、やがててんじやうまでもきりのぼらんずるもののつらだましひにてあるあひだ、「べつのことなし」とぞこたへられける。ごせつには、「しろうすやう、こぜんじのかみ、まきあげのふで、ともゑかいたるふでのぢく」なんど、いふ、さまざまかやうにおもしろきことをのみこそうたひまはるるに、なかごろださいのごんのそつすゑなかのきやうといふひとありけり。あまりにいろのくろかりければ、ときのひと、こくそつとぞまうしける。このひといまだくらんどのとうなりしとき、ごぜんのめしにまはれけるに、ひとびとひやうしをかへて、「あなくろくろ、くろきとうかな。いかなるひとのうるしぬりけん」とぞはやされける。またくわざんのゐんのさきのだいじやうだいじんただまさこう、いまだじつさいなりしとき、ちちちうなごんただむねのきやうにおくれたまひて、みなしごにておはしけるを、こなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやう、そのときはいまだはりまのかみにておはしけるが、むこにとつて、はなやかにもてなされしかば、これもごせつには、「はりまよねはとくさか、むくのはか、ひとのきらをP55みがくは」とぞはやされける。「しやうこにはかやうのことどもおほかりしかども、こといでこず。まつだいいかがあらんずらん、おぼつかなしとぞひとびとまうしあはれける。
あんのごとくごせつはてにしかば、ゐんぢうのくぎやうてんじやうびと、いちどうにうつたへまうされけるは、「それゆうけんをたいしてくえんにれつし、ひやうぢやうをたまはつてきうちうをしゆつにふするは、みなこれきやくしきのれいをまもる、りんめいよしあるせんぎなり。しかるをただもりのあそん、あるひはねんらいのらうじうとかうして、ほういのつはものをてんじやうのこにはにめしおき、あるひはこしのかたなをよこだへさいて、せちゑのざにつらなる。りやうでうきたいいまだきかざるらうぜきなり。ことすでにちようでふせり。ざいくわもつとものがれがたし。はやくてんじやうのみふだをけづつて、けつくわんちやうにんおこなはるべきか」と、しよきやういちどうにうつたへまうされければ、しやうくわうおほきにおどろかせたまひて、ただもりをごぜんへめしておんたづねあり。ちんじまうされけるは、「まづらうじうこにはにしこうのよし、まつたくかくごつかまつらず。ただしきんじつひとびとあひたくまるるむね、しさいあるかのあひだ、ねんらいのけにん、ことをつたへきくかによつて、そのはぢをたすけんがために、ただもりにはしらせずして,ひそかにさんこうのでう、ちからおよばざるしだいなり。もしとがあるべくは、かのみをめししんずべきか。つぎにかたなのことは、とのもづかさにあづけおきさふらひをはんぬ。これをめしいだされ、かたなのじつぷによつて、とがのさうおこなはるべきか」とまうされたりければ、このぎもつともしかるべしとて、いそぎかのかたなをめしいだいてえいらんあるに、うへはさやまきのくろうぬつたりけるが、なかはきがたなにぎんぱくをぞおいたりける。「たうざのちじよくをのがれんがP56ために、かたなをたいするよしあらはすといへども、ごにちのそしようをぞんぢして、きがたなをたいしけるよういのほどこそしんべうなれ。きうせんにたづさはらんほどのもののはかりごとには、もつともかうこそあらまほしけれ。かねてはまたらうじうこにはにしこうのこと、かつうはぶしのらうどうのならひなり。ただもりがとがにはあらず」とて、かへつてえいかんにあづかつしうへは、あへてざいくわのさたはなかりけり。
「すずき」(『すずき』)S0103そのこどもはみなしよゑのすけになる。しようでんせしに、てんじやうのまじはりをひときらふにおよばず。あるときただもり、びぜんのくによりのぼられたりけるに、とばのゐん「あかしのうらはいかに」とおほせければただもりかしこまつて、
ありあけのつきもあかしのうらかぜになみばかりこそよるとみえしか W001
とまうされたりければ、ゐんおほきにぎよかんあつて、やがてこのうたをば、きんえふしふにぞいれられける。ただもり、またせんとうにさいあいのにようばうをもつてよなよなかよはれけるが、あるよおはしたりけるに、かのにようばうのつぼねに、つまにつきいだしたるあふぎをとりわすれて、いでられたりければ、P57かたへのにようばうたち、「これはいづくよりのつきかげぞや、いでどころおぼつかなし」など、わらひあはれければ、かのにようばう、
くもゐよりただもりきたるつきなればおぼろげにてはいはじとぞおもふ W002
とよみたりければ、いとどあさからずぞおもはれける。さつまのかみただのりのははこれなり。にるをともとかやのふぜいにて、ただもりのすいたりければ、かのにようばうもいうなりけり。
かくてただもり、ぎやうぶきやうになつて、にんぺいさんねんしやうぐわつじふごにち、としごじふはちにてうせたまひしかば、きよもりちやくなんたるによつて、そのあとをつぎ、はうげんぐわんねんしちぐわつに、うぢのさふ、よをみだりたまひしとき、みかたにてさきをかけたりければ、けんじやうおこなはれけり。もとはあきのかみたりしが、はりまのかみにうつつて、おなじきさんねんにだざいのだいにになる。またへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、のぶよりよしともがむほんのときも、みかたにてぞくとをうちたひらげたりしかば、くんこうひとつにあらず、おんしやうこれおもかるべしとて、つぎのとしじやうざんみにじよせられ、うちつづきさいしやう、ゑふのかみ、けんびゐしのべつたう、ちうなごん、だいなごんにへあがつて、あまつさへしようじやうのくらゐにいたる。さうをへずして、ないだいじんよりだいじやうだいじんじゆいちゐにいたり、だいしやうにはあらねども、ひやうぢやうをたまはつてずゐじんをめしぐす。ぎつしやれんじやのせんじをかうぶつて、のりながらきうちうをしゆつにふす。ひとへにしつせいのしんのごとし。「だいじやうだいじんはいちじんにしはんとして、しかいにぎけいせり。くにををさめみちをろんじ、いんやうをやはらげをさむ。そのひとにあらずは、すなはちかけよといへり。そくけつのくわんともなづけられたり。P58そのひとならではけがすべきくわんならねども、このにふだうしやうこくはいつてんしかいをたなごころのうちににぎりたまふうへは、しさいにおよばず。そもそもへいけかやうにはんじやうせられけることは、ひとへにくまのごんげんのごりしやうとぞきこえし。そのゆゑは、きよもりいまだあきのかみたりしとき、いせのくにあののつより、ふねにてくまのへまゐられけるに、おほきなるすずきのふねへをどりいつたりければ、せんだちまうしけるは、「むかし、しうのぶわうのふねにこそ、はくぎよはをどりいつたるなれ。いかさまにもこれはごんげんのごりしやうとおぼえさふらふ。まゐるべし」とまうしければ、さしもじつかいをたもつて、しやうじんけつさいのみちなれども、みづからてうびしてわがみくひ、いへのこらうどうどもにもくはせらる。そのゆゑにやきちじのみうちつづいて、わがみだいじやうだいじんにいたり、しそんのくわんども、りようのくもにのぼるよりはなほすみやかなり。くだいのせんじようをこえたまふこそめでたけれ。
「かぶろ」(『かぶろ』)S0104かくてきよもりこう、にんあんさんねんじふいちぐわつじふいちにち、としごじふいちにてやまひにをかされ、ぞんめいのためにとて、すなはちしゆつけにふだうす。ほふみやうをばじやうかいとこそつきたまへ。そのゆゑにや、しゆくびやうP59たちどころにいえててんめいをまつたうす。しゆつけののちも、えいえうはなほつきずとぞみえし。おのづからひとのしたがひつきたてまつることは、ふくかぜのくさきをなびかすごとく、よのあふげることも、ふるあめのこくどをうるほすにおなじ。ろくはらどののごいつけのきんだちとだにいへば、くわそくもえいゆうも、たれかたをならべ、おもてをむかふものなし。またにふだうしやうこくのこじうと、へいだいなごんときただのきやうののたまひけるは、「このいちもんにあらざらんものは、みなにんぴにんたるべし」とぞのたまひける。さればいかなるひとも、このいちもんにむすぼれんとぞしける。ゑぼしのためやうよりはじめて、えもんのかきやうにいたるまで、なにごともろくはらやうとだにいひてしかば、いつてんしかいのひとみなこれをまなぶ。いかなるけんわうけんしゆのおんまつりごと、せつしやうくわんばくのごせいばいにも、よにあまされたるほどのいたづらものなどの、かたはらによりあひて、なにとなうそしりかたぶけまうすことはつねのならひなれども、このぜんもんよざかりのほどは、いささかゆるがせにまうすものなし。そのゆゑはにふだうしやうこくのはかりごとに、じふしごろくのわらべをさんびやくにんすぐつて、かみをかぶろにきりまはし、あかきひたたれをきせて、めしつかはれけるが、きやうぢうにみちみちてわうばんしけり。おのづからへいけのおんこと、あしざまにまうすものあれば、いちにんききいださぬほどこそありけれ、よたうにふれまはし、かのいへにらんにふし、しざいざふぐをつゐふくし、そのやつをからめて、ろくはらどのへゐてまゐる。さればめにみ、こころにしるといへども、ことばにあらはしてまうすものなし。ろくはらどののかぶろとだにいへば、みちをすぐるむまくるまも、みなよぎてぞP60とほしける。きんもんをしゆつにふすといへども、しやうみやうをたづねらるるにおよばず。けいしのちやうり、これがためにめをそばむとみえたり。
「わがみのえいぐわ」(『わがみのえいぐわ』)S0105わがみのえいぐわをきはむるのみならず、いちもんともにはんじやうして、ちやくししげもり、ないだいじんのさだいしやう、じなんむねもり、ちうなごんのうだいしやう、さんなんとももり、さんみのちうじやう、ちやくそんこれもり、しゐのせうしやう、すべていちもんのくぎやうじふろくにん、てんじやうびとさんじふよにん、しよこくのじゆりやう、ゑふ、しよし、つがふろくじふよにんなり。よにはまたひとなくぞみえられける。むかしならのみかどのおんとき、じんきごねん、てうかにちうゑのだいしやうをはじめおかる。だいどうしねんにちうゑをこんゑとあらためられしよりこのかた、きやうだいさうにあひならぶこと、わづかにさんしかどなり。もんどくてんわうのおんときは、ひだんによしふさ、うだいじんのさだいしやう、みぎによしあふ、だいなごんのうだいしやう、これはかんゐんのさだいじんふゆつぎのおんこなり。しゆしやくゐんのぎようには、ひだりにさねより、をののみやどの、みぎにもろすけ、くでうどの、ていじんこうのおんこなり。ごれんぜいゐんのおんときは、ひだりにのりみち、おほにでうどの、みぎによりむね、ほりかはどの、みだうのくわんばくのおんこなり。にでうのゐんのぎようには、ひだりにもとふさ、まつどの、みぎにかねざね、つきのわどの、ほつしやうじどののおんこなり。これみなせふろくのP61しんのごしそく、はんじんにとつてはそのれいなし。てんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんにて、きんじき、ざつぱうをゆり、りようらきんしうをみにまとひ、だいじんのだいしやうになつてきやうだいさうにあひならぶこと、まつだいとはいひながら、ふしぎなりしことどもなり。そのほか、おんむすめはちにんおはしき。みなとりどりにさいはひたまへり。いちにんはさくらまちのちうなごんしげのりのきやうのきたのかたにておはすべかりしが、はつさいのとしおんやくそくばかりにて、へいぢのみだれいご、ひきちがへられて、くわざんのゐんのさだいじんどののみだいばんどころにならせたまひて、きんだちあまたましましけり。そもそもこのしげのりのきやうをさくらまちのちうなごんとまうしけることは、すぐれてこころすきたまへるひとにて、つねはよしののやまをこひつつ、ちやうにさくらをうゑならべ、そのうちにやをたててすみたまひしかば、くるとしのはるごとに、みるひと、さくらまちとぞまうしける。さくらはさいてしちかにちにちるを、なごりををしみ、あまてるおんがみにいのりまうされければにや、さんしちにちまでなごりありけり。きみもけんわうにてましませば、しんもしんとくをかかやかし、はなもこころありければ、はつかのよはひをたもちけり。
いちにんはきさきにたたせたまふ。にじふににてわうじごたんじやうあつて、くわうたいしにたち、くらゐにつかせたまひしかば、ゐんがうかうぶらせたまひて、けんれいもんゐんとぞまうしける。にふだうしやうこくのおんむすめなるうへ、てんがのこくもにてましませば、とかうまうすにおよばれず。いちにんはろくでうのせつしやうどののきたのまんどころにならせたまふ。これはたかくらのゐんございゐのおんとき、おんははしろとて、じゆんさんごうのせんじをかうぶらせたまひて、しらかはどのとて、おもきひとにてぞましましける。P62いちにんはふげんじどののきたのまんどころにならせたまふ。いちにんはれんぜいのだいなごんりうばうのきやうのきたのかた、いちにんはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうにあひぐしたまへり。またあきのくにいつくしまのないしがはらにいちにん、これはごしらかはのほふわうへまゐらせたまひて、ひとへににようごのやうでぞましましける。そのほかくでうのゐんのざふしときはがはらにいちにん、これはくわざんのゐんどののじやうらふにようばうにて、らふのおんかたとぞまうしける。につぽんあきつしまはわづかにろくじふろくかこく、へいけちぎやうのくにさんじふよかこく、すでにはんごくにこえたり。そのほかしやうえん、でんばく、いくらといふかずをしらず。きらじうまんして、たうしやうはなのごとし。けんきくんじゆして、もんぜんいちをなす。やうしうのこがね、けいしうのたま、ごきんのあや、しよつかうのにしき、しつちんまんぽう、ひとつとしてかけたることなし。かたうぶかくのもとゐ、ぎよりようしやくばのもてあそびもの、おそらくは、ていけつもせんとうも、これにはすぎじとぞみえし。
「ぎわう」(『ぎわう』)S0106だいじやうのにふだうは、かやうにてんがをたなごころのうちににぎりたまひしうへは、よのそしりをもはばからず、ひとのあざけりをもかへりみず、ふしぎのことをのみしたまへり。たとへば、そのころきやうぢうにきこえたるしらびやうしのじやうず、ぎわう、ぎによとておととひあり。とぢといふP63しらびやうしがむすめなり。しかるにあねのぎわうを、にふだうしやうこくちようあいしたまふうへ、いもとのぎによをも、よのひともてなすことなのめならず。ははとぢにもよきやつくつてとらせ、まいぐわつにひやくこくひやくくわんをおくられたりければ、けないふつきしてたのしいことなのめならず。そもそもわがてうにしらびやうしのはじまりけることは、むかしとばのゐんのぎように、しまのせんざい、わかのまへ、かれらににんがまひいだしたりけるなり。はじめはすゐかんにたてゑぼし、しろざやまきをさいてまひければをとこまひとぞまうしける。しかるをなかごろよりゑぼしかたなをのけられて、すゐかんばかりもちひたり。さてこそしらびやうしとはなづけけれ。きやうぢうのしらびやうしども、ぎわうがさいはひのめでたきやうをきいて、うらやむものもあり、そねむものもあり。うらやむものどもは、「あなめでたのぎわうごぜんのさいはひや。おなじあそびめとならば、たれもみなあのやうでこそありたけれ。いかさまにもぎといふもじをなについて、かくはめでたきやらん。いざやわれらもついてみん」とて、あるひはぎいち、ぎにとつき、あるひはぎふく、ぎとくなどつくものもありけり。そねむものどもは、「なんでふなにより、もじにはよるべき。さいはひはただぜんぜのむまれつきでこそあんなれ」とて、つかぬものもおほかりけり。かくてさんねんといふに、またしらびやうしのじやうず、いちにんいできたり。かがのくにのものなり。なをばほとけとぞまうしける。としじふろくとぞきこえし。きやうぢうのじやうげこれをみて、むかしよりおほくのしらびやうしはみしかども、かかるまひのじやうずはいまだみずとて、よのひともてなすP64ことなのめならず。
あるときほとけごぜんまうしけるは、「われてんがにもてあそばるるといへども、たうじめでたうさかえさせたまふへいけだいじやうのにふだうどのへ、めされぬことこそほいなけれ。あそびもののならひ、なにかくるしかるべき。すゐさんしてみん」とて、あるときにしはちでうどのへぞさんじたる。ひとごぜんにまゐつて、「たうじみやこにきこえさふらふほとけごぜんがまゐつてさふらふ」とまうしければ、にふだうしやうこくおほきにいかつて、「なんでふ、さやうのあそびものは、ひとのめしにてこそまゐるものなれ、さうなうすゐさんするやうやある。そのうへ、かみともいへ、ほとけともいへ、ぎわうがあらんずるところへはかなふまじきぞ。とうとうまかりいでよ」とぞのたまひける。ほとけごぜんは、すげなういはれたてまつて、すでにいでんとしけるを、ぎわうにふだうどのにまうしけるは、「あそびもののすゐさんは、つねのならひでこそさぶらへ。そのうへとしもいまだをさなうさぶらふなるが、たまたまおもひたつてまゐつてさぶらふを、すげなうおほせられて、かへさせたまはんこそふびんなれ。いかばかりはづかしう、かたはらいたくもさぶらふらん。わがたてしみちなれば、ひとのうへともおぼえず。たとひまひをごらんじ、うたをこそきこしめさずとも、ただりをまげて、めしかへいてごたいめんばかりさぶらひて、かへさせたまはば、ありがたきおんなさけでこそさぶらはんずれ」とまうしければ、にふだうしやうこく、「いでいでさらば、わごぜがあまりにいふことなるに、たいめんしてかへさん」とて、おつかひをたてて、めされけり。ほとけごぜんは、すげなういはれたてまつて、くるまにのつてすでにいでんとP65しけるが、めされてかへりまゐりたり。にふだうやがていであひたいめんしたまひて、「いかにほとけ、けふのげんざんはあるまじかりつれども、ぎわうがなにとおもふやらん、あまりにまうしすすむるあひだ、かやうにげんざんはしつ。げんざんするうへではいかでかこゑをもきかであるべき。まづいまやうひとつうたへかし」とのたまへば、ほとけごぜん、「うけたまはりさぶらふ」とて、いまやうひとつぞうたうたる。
きみをはじめてみるときはちよもへぬべしひめこまつ
おまへのいけなるかめをかにつるこそむれゐてあそぶめれ
と、おしかへしおしかへし、さんべんうたひすましたりければ、けんもんのひとびと、みなじぼくをおどろかす。にふだうもおもしろきことにおもひたまひて、「さてわごぜは、いまやうはじやうずにてありけるや。このぢやうではまひもさだめてよからん。いちばんみばや、つづみうちめせ」とてめされけり。うたせていちばんまうたりけり。ほとけごぜんは、かみすがたよりはじめて、みめかたちよにすぐれ、こゑよくふしもじやうずなりければ、なじかはまひはそんずべき。こころもおよばずまひすましたりければ、にふだうしやうこくまひにめでたまひて、ほとけにこころをうつされけり。ほとけごぜん、「こはなにごとにてさぶらふぞや。もとよりわらははすゐさんのものにて、すでにいだされまゐらせしを、ぎわうごぜんのまうしじやうによつてこそ、めしかへされてもさぶらふ。はやはやいとまたまはつて、いださせおはしませ」とまうしければ、にふだうしやうこく、「すべてそのぎかなふまじ。ただしぎわうがあるにP66よつて、さやうにはばかるか。そのぎならばぎわうをこそいださめ」とのたまへば、ほとけごぜん、「これまたいかでさるおんことさぶらふべき。ともにめしおかれんだに、はづかしうさぶらふべきに、ぎわうごぜんをいださせたまひて、わらはをいちにんめしおかれなば、ぎわうごぜんのおもひたまはんこころのうち、いかばかりはづかしう、かたはらいたくもさぶらふべき。おのづからのちまでもわすれたまはぬおんことならば、めされてまたはまゐるとも、けふはいとまをたまはらん」とぞまうしける。にふだう、「そのぎならば、ぎわうとうとうまかりいでよ」と、おつかひかさねてさんどまでこそたてられけれ。ぎわうはもとよりおもひまうけたるみちなれども、さすがきのふけふとはおもひもよらず。にふだうしやうこく、いかにもかなふまじきよし、しきりにのたまふあひだ、はきのごひ、ちりひろはせ、いづべきにこそさだめけれ。いちじゆのかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶだに、わかれはかなしきならひぞかし。いはんやこれはみとせがあひだすみなれしところなれば、なごりもをしくかなしくて、かひなきなみだぞすすみける。さてしもあるべきことならねば、ぎわういまはかうとていでけるが、なからんあとのわすれがたみにもとやおもひけん、しやうじになくなくいつしゆのうたをぞかきつけける。
もえいづるもかるるもおなじのべのくさいづれかあきにあはではつべき W003
さてくるまにのつてしゆくしよへかへり、しやうじのうちにたふれふし、ただなくよりほかのことぞなき。ははやいもとこれをみて、いかにやいかにととひけれども、ぎわうとかうのへんじにもP67およばず、ぐしたるをんなにたづねてこそ、さることありともしつてげれ。さるほどにまいぐわつおくられけるひやくこくひやくくわんをもおしとめられて、いまはほとけごぜんのゆかりのものどもぞ、はじめてたのしみさかえける。きやうぢうのじやうげ、このよしをつたへきいて、「まことやぎわうこそ、にしはちでうどのよりいとまたまはつていだされたんなれ。いざやげんざんしてあそばん」とて、あるひはふみをつかはすものもあり、あるひはししやをたつるひともありけれども、ぎわう、いまさらまたひとにたいめんして、あそびたはむるべきにもあらねばとて、ふみをだにとりいるることもなく、ましてつかひをあひしらふまでもなかりけり。ぎわうこれにつけても、いとどかなしくて、かひなきなみだぞこぼれける。かくてことしもくれぬ。あくるはるにもなりしかば、にふだうしやうこく、ぎわうがもとへししやをたてて、「いかにぎわう、そののちはなにごとかある。ほとけごぜんがあまりにつれづれげにみゆるに、まゐつていまやうをもうたひ、まひなどをもまうて、ほとけなぐさめよ」とぞのたまひける。ぎわうとかうのおんぺんじにもおよばず、なみだをおさへてふしにけり。にふだうかさねて、「なにとてぎわうは、ともかうもへんじをばまうさぬぞ。まゐるまじきか。まゐるまじくは、そのやうをまうせ。じやうかいもはからふむねあり」とぞのたまひける。ははとぢこれをきくにかなしくて、なくなくけうくんしけるは、「なにとてぎわうはともかうもおんぺんじをばまうさで、かやうにしかられまゐらせんよりは」といへば、ぎわうなみだをおさへてまうしけるは、「まゐらんとおもふみちならばこそ、やがてまゐるべしともまうすべけれ。P68なかなかまゐらざらんものゆゑに、なにとおんぺんじをばまうすべしともおぼえず。このたびめさんにまゐらずは、はからふむねありとおほせらるるは、さだめてみやこのほかへいださるるか、さらずはいのちをめさるるか、これふたつにはよもすぎじ。たとひみやこをいださるるとも、なげくべきみちにあらず。またいのちをめさるるともをしかるべきわがみかは。いちどうきものにおもはれまゐらせて、ふたたびおもてをむかふべしともおぼえず」とて、なほおんぺんじにもおよばざりしかば、ははとぢなくなくまたけうくんしけるは、「あめがしたにすまんには、ともかうもにふだうどののおほせをば、そむくまじきことにてあるぞ。そのうへわごぜは、をとこをんなのえん、しゆくせ、いまにはじめぬことぞかし。せんねんまんねんとはちぎれども、やがてわかるるなかもあり。あからさまとはおもへども、ながらへはつることもあり。よにさだめなきものは、をとこをんなのならひなり。いはんやわごぜは、このみとせがあひだおもはれまゐらせたれば、ありがたきおんなさけでこそさぶらへ。このたびめさんにまゐらねばとて、いのちをめさるるまではよもあらじ。さだめてみやこのほかへぞいだされんずらん。たとひみやこをいださるるとも、わごぜたちはとしいまだわかければ、いかならんいはきのはざまにても、すごさんことやすかるべし。わがみはとしおいよはひおとろへたれば、ならはぬひなのすまひを、かねておもふこそかなしけれ。ただわれをばみやこのうちにてすみはてさせよ。それぞこんじやうごしやうのけうやうにてあらんずるぞ」といへば、ぎわうまゐらじとおもひさだめしみちなれども、ははのめいをそむかじとて、なくなくまたいでたちける、P69こころのうちこそむざんなれ。
ぎわうひとりまゐらんことの、あまりにこころうしとて、いもとのぎによをもあひぐしけり。そのほかしらびやうしににん、そうじてしにん、ひとつくるまにとりのつて、にしはちでうどのへぞさんじたる。ひごろめされつるところへはいれられずして、はるかにさがりたるところに、ざしきしつらうてぞおかれける。ぎわう、「こはさればなにごとぞや。わがみにあやまつことはなけれども、いだされまゐらするだにあるに、あまつさへざしきをだにさげらるることのくちをしさよ。いかにせん」とおもふを、ひとにしらせじと、おさふるそでのひまよりも、あまりてなみだぞこぼれける。ほとけごぜんこれをみて、あまりにあはれにおぼえければ、にふだうどのにまうしけるは、「あれはいかに、ぎわうとこそみまゐらせさぶらへ。ひごろめされぬところにてもさぶらはばこそ。これへめされさぶらへかし。さらずはわらはにいとまをたべ。いでまゐらせん」とまうしけれども、にふだういかにもかなふまじきとのたまふあひだ、ちからおよばでいでざりけり。にふだうやがていであひたいめんしたまひて、「いかにぎわう、そののちはなにごとかある。ほとけごぜんがあまりにつれづれげにみゆるに、いまやうをもうたひ、まひなんどをもまうて、ほとけなぐさめよ」とぞのたまひける。ぎわう、まゐるほどでは、ともかくもにふだうどののおほせをば、そむくまじきものをとおもひ、ながるるなみだをおさへつつ、いまやうひとつぞうたうたる。P70
ほとけもむかしはぼんぶなりわれらもつひにはほとけなり
いづれもぶつしやうぐせるみをへだつるのみこそかなしけれ
と、なくなくにへんうたうたりければ、そのざになみゐたまへるへいけいちもんのくぎやうてんじやうびと、しよだいぶ、さぶらひにいたるまで、みなかんるゐをぞもよほされける。にふだうもげにもとおもひたまひて、「ときにとつてはしんべうにもまうしたり。さてはまひもみたけれども、けふはまぎるることいできたり。こののちはめさずともつねにまゐりて、いまやうをもうたひ、まひなどをもまうて、ほとけなぐさめよ」とぞのたまひける。ぎわうとかうのおんぺんじにもおよばず、なみだをおさへていでにけり。ぎわう、「まゐらじとおもひさだめしみちなれども、ははのめいをそむかじと、つらきみちにおもむいて、ふたたびうきはぢをみつることのくちをしさよ。かくてこのよにあるならば、またもうきめにあはんずらん。いまはただみをなげんとおもふなり」といへば、いもうとのぎによこれをきいて、「あねみをなげば、われもともにみをなげん」といふ。ははとぢこれをきくにかなしくて、なくなくまたかさねてけうくんしけるは、「さやうのことあるべしともしらずして、けうくんしてまゐらせつることのうらめしさよ。まことにわごぜのうらむるもことわりなり。ただしわごぜがみをなげば、いもうとのぎによもともにみをなげんといふ。わかきむすめどもをさきだてて、としおいよはひおとろへたるはは、いのちいきてもなににかはせんなれば、われもともにみをなげんずるなり。いまだしごもきたらぬははに、みをなげさせんずることは、ごぎやくざいにてやP71あらんずらん。このよはかりのやどりなれば、はぢてもはぢてもなにならず。ただながきよのやみこそこころうけれ。こんじやうでものをおもはするだにあるに、ごしやうでさへあくだうへおもむかんずることのかなしさよ」と、さめざめとかきくどきければ、ぎわうなみだをはらはらとながいて、「げにもさやうにさぶらはば、ごぎやくざいうたがひなし。いつたんうきはぢをみつることのくちをしさにこそ、みをなげんとはまうしたれ。ささぶらはばじがいをばおもひとどまりさぶらひぬ。かくてみやこにあるならば、またもうきめをみんずらん。いまはただみやこのほかへいでん」とて、ぎわうにじふいちにてあまになり、さがのおくなるやまざとに、しばのいほりをひきむすび、ねんぶつしてぞゐたりける。いもうとのぎによこれをきいて、「あねみをなげば、われもともにみをなげんとこそちぎりしか。ましてさやうによをいとはんに、たれかおとるべき」とて、じふくにてさまをかへ、あねといつしよにこもりゐて、ひとへにごせをぞねがひける。ははとぢこれをきいて、「わかきむすめどもだに、さまをかふるよのなかに、としおいよはひおとろへたるはは、しらがをつけてもなににかはせん」とて、しじふごにてかみをそり、ふたりのむすめもろともに、いつかうせんじゆにねんぶつして、ごせをねがふぞあはれなる。かくてはるすぎなつたけぬ。あきのはつかぜふきぬれば、ほしあひのそらをながめつつ、あまのとわたるかぢのはに、おもふことかくころなれや。ゆふひのかげのにしのやまのはにかくるるをみても、ひのいりたまふところは、さいはうじやうどにてこそあんなれ。いつかわれらもかしこにP72むまれて、ものもおもはですごさんずらんと、すぎにしかたのうきことどもおもひつづけて、ただつきせぬものはなみだなり。
たそかれどきもすぎぬれば、たけのあみどをとぢふさぎ、ともしびかすかにかきたてて、おやこさんにんもろともにねんぶつしてゐたるところに、たけのあみどを、ほとほととうちたたくものいできたり。そのときあまどもきもをけし、「あはれ、これは、いふかひなきわれらがねんぶつしてゐたるをさまたげんとて、まえんのきたるにてぞあるらん。ひるだにもひともとひこぬやまざとの、しばのいほりのうちなれば、よふけてたれかはたづぬべき。わづかにたけのあみどなれば、あけずともおしやぶらんことやすかるべし。いまはただなかなかあけていれんとおもふなり。それになさけをかけずして、いのちをうしなふものならば、としごろたのみたてまつるみだのほんぐわんをつよくしんじて、ひまなくみやうがうをとなへたてまつるべし。こゑをたづねてむかへたまふなるしやうじゆのらいかうにてましませば、などかいんぜふなかるべき。あひかまへてねんぶつおこたりたまふな」とたがひにこころをいましめて、てにてをとりくみ、たけのあみどをあけたれば、まえんにてはなかりけり。ほとけごぜんぞいできたる。ぎわう、「あれはいかに、ほとけごぜんとみまゐらするは。ゆめかやうつつか」といひければ、ほとけごぜんなみだをおさへて、「かやうのことまうせば、すべてことあたらしうはさぶらへども、まうさずはまたおもひしらぬみともなりぬべければ、はじめよりして、こまごまとありのままにまうすなり。もとよりわらははすゐさんのものにて、すでにいだされまゐらせしを、P73わごぜのまうしじやうによつてこそ、めしかへされてもさぶらふに、をんなのみのいふかひなきこと、わがみをこころにまかせずして、わごぜをいださせまゐらせて、わらはがおしとどめられぬること、いまにはづかしうかたはらいたくこそさぶらへ。わごぜのいでられたまひしをみしにつけても、いつかまたわがみのうへならんとおもひゐたれば、うれしとはさらにおもはず。しやうじにまた、『いづれかあきにあはではつべき』とかきおきたまひしふでのあと、げにもとおもひさぶらひしぞや。いつぞやまたわごぜのめされまゐらせて、いまやうをうたひたまひしにも、おもひしられてこそさぶらへ。そののちはざいしよをいづくともしらざりしに、このほどきけば、かやうにさまをかへ、ひとつところにねんぶつしておはしつるよし、あまりにうらやましくて、つねはいとまをまうししかども、にふだうどのさらにおんもちひましまさず。つくづくものをあんずるに、しやばのえいぐわはゆめのゆめ、たのしみさかえてなにかせん。にんじんはうけがたく、ぶつけうにはあひがたし。このたびないりにしづみなば、たしやうくわうごふをばへだつとも、うかびあがらんことかたかるべし。らうせうふぢやうのさかひなれば、としのわかきをたのむべきにあらず。いづるいきのいるをもまつべからず。かげろふいなづまよりもなほはかなし。いつたんのえいぐわにほこつて、ごせをしらざらんことのかなしさに、けさまぎれいでて、かくなつてこそまゐりたれ」とて、かづいたるきぬをうちのけたるをみれば、あまになつてぞいできたる。「かやうにさまをかへてまゐりたるうへは、ひごろのとがをばゆるしたまへ。ゆるさんとだにのたまはば、もろともにねんぶつして、ひとつはちすのP74みとならん。それにもなほこころゆかずは、これよりいづちへもまよひゆき、いかならんこけのむしろ、まつがねにもたふれふし、いのちのあらんかぎりはねんぶつして、わうじやうのそくわいをとげんとおもふなり」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとかきくどきければ、ぎわうなみだをおさへて、「わごぜのそれほどまでおもひたまはんとはゆめにもしらず、うきよのなかのさがなれば、みのうきとこそおもひしに、ともすればわごぜのことのみうらめしくて、こんじやうもごしやうも、なまじひにしそんじたるここちにてありつるに、かやうにさまをかへておはしつるうへは、ひごろのとがは、つゆちりほどものこらず、いまはわうじやううたがひなし。このたびそくわいをとげんこそ、なによりもまたうれしけれ。わらはがあまになりしをだに、よにありがたきことのやうに、ひともいひ、わがみもおもひさぶらひしぞや。それはよをうらみ、みをなげいたれば、さまをかふるもことわりなり。わごぜはうらみもなくなげきもなし。ことしはわづかじふしちにこそなりしひとの、それほどまでゑどをいとひ、じやうどをねがはんと、ふかくおもひいりたまふこそ、まことのだいだうしんとはおぼえさぶらひしか。うれしかりけるぜんぢしきかな。いざもろともにねがはん」とて、しにんいつしよにこもりゐて、あさゆふぶつぜんにむかひ、はなかうをそなへて、たねんなくねがひけるが、ちそくこそありけれ、みなわうじやうのそくわいをとげけるとぞきこえし。さればかのごしらかはのほふわうのちやうがうだうのくわこちやうにも、ぎわう、ぎによ、ほとけ、とぢらがそんりやうと、しにんいつしよにいれられたり。ありがたかりしことどもなり。P75
「にだいのきさき」(『にだいのきさき』)S0107むかしよりいまにいたるまで、げんぺいりやうしてうかにめしつかはれて、わうくわにしたがはず、おのづからてうけんをかろんずるものには、たがひにいましめをくはへしかば、よのみだれはなかりしに、ほうげんにためよしきられ、へいぢによしともちうせられてのちは、すゑずゑのげんじどもあるひはながされ、あるひはうしなはれて、いまはへいけのいちるゐのみはんじやうして、かしらをさしいだすものなし。いかならんすゑのよまでも、なにごとかあらんとぞみえし。されどもとばのゐんごあんがののちは、ひやうがくうちつづいて、しざい、るけい、けつくわん、ちやうにん、つねにおこなはれて、かいだいもしづかならず、せけんもいまだらくきよせず。なかんづくえいりやく、おうほうのころよりして、ゐんのきんじゆしやをば、うちよりおんいましめあり、うちのきんじゆしやをばゐんよりいましめらるるあひだ、じやうげおそれをののいて、やすいこころもせず、ただしんえんにのぞんで、はくひようをふむにおなじ。しゆしやうしやうくわうふしのおんあひだに、なにごとのおんへだてかあるなれども、おもひのほかのことどもおほかりけり。これもよげうきにおよんで、ひとけうあくをさきとするゆゑなり。しゆしやう、ゐんのおほせをつねはまうしかへさせおはしましけるなかに、ひとじぼくをおどろかし、よもつておほきにかたぶけまうすことありけり。ここんゑのゐんのきさき、たいくわうたいこうぐうとまうししは、P76おほひのみかどのうだいじんきんよしこうのおんむすめなり。せんていにおくれたてまつらせたまひてのちは、ここのへのほか、このゑかはらのごしよにぞうつりすませたまひける。さきのきさいのみやにて、かすかなるおんありさまにてわたらせたまひしが、えいりやくのころほひは、おんとしにじふにさんにもやならせましましけん、おんさかりもすこしすぎさせおはしますほどなり。されども、てんがだいいちのびじんのきこえましましければ、しゆしやういろにのみそめるおんこころにて、ひそかにかうりよくしにぜうじて、ぐわいきうにひきもとめしむるにおよんで、このおほみやのごしよへ、ひそかにごえんしよあり。おほみやあへてきこしめしもいれず。さればひたすらはやほにあらはれて、きさきごじゆだいあるべきよし、うだいじんげにせんじをくださる。このことてんがにおいてことなるしようじなれば、くぎやうせんぎあつて、おのおのいけんをいふ。「まづいてうのせんじようをとぶらふに、しんだんのそくてんくわうごうは、たうのたいそうのきさき、かうそうくわうていのけいぼなり。たいそうほうぎよののち、かうそうのきさきにたちたまふことあり。それはいてうのせんぎたるうへ、べつだんのことなり。しかれどもわがてうには、じんむてんわうよりこのかたにんわうしちじふよだいにいたるまで、いまだにだいのきさきにたたせたまふれいをきかず」としよきやういちどうにうつたへまうされたりければ、しやうくわうもしかるべからざるよし、こしらへまうさせたまへども、しゆしやうおほせなりけるは、「てんしにぶもなし。われじふぜんのかいこうによつて、いまばんじようのほうゐをたもつ。これほどのことなどかえいりよにまかせざるべき」とて、やがてごじゆだいのひ、せんげせられけるうへは、しやうくわうもちからおよばせたまはず。P77
おほみやかくときこしめされけるより、おんなみだにしづませおはします。せんていにおくれまゐらせにしきうじゆのあきのはじめ、おなじのばらのつゆともきえ、いへをもいでよをものがれたりせば、いまかかるうきみみをばきかざらましとぞ、おんなげきありける。ちちのおとどこしらへまうさせたまひけるは、「よにしたがはざるをもつてきやうじんとすとみえたり。すでにぜうめいをくださる。しさいをまうすにところなし。ただすみやかにまゐらせたまふべきなり。もしわうじごたんじやうありて、きみもこくもといはれ、ぐらうもぐわいそとあふがるべきずゐさうにてもやさふらふらん。これひとへにぐらうをたすけさせましますごかうかうのおんいたりなるべし」と、やうやうにこしらへまうさせたまへども、おんぺんじもなかりけり。おほみやそのころなにとなきおんてならひのついでに、
うきふしにしづみもやらでかはたけのよにためしなきなをやながさむ W004
よにはいかにしてもれけるやらん、あはれにやさしきためしにぞひとびとまうしあはれける。すでにごじゆだいのひにもなりしかば、ちちのおとど、ぐぶのかんだちめ、しゆつしやのぎしきなど、こころことにだしたてまゐらつさせたまひけり。おほみやものうきおんいでたちなれば、とみにもたてまつらず、はるかによふけ、さよもなかばになりてのち、おんくるまにたすけのせられさせたまひけり。ごじゆだいののちは、れいけいでんにぞましましける。さればひたすらあさまつりごとをすすめまうさせたまふおんさまなり。かのししんでんのくわうきよには、げんじやうのしやうじをたてられたり。P78いいん、ていごりん、ぐせいなん、たいこうばう、ろくりせんせい、りせき、しば、てなが、あしなが、むまがたのしやうじ、おにのま、りしやうぐんがすがたをさながらうつせるしやうじもあり。をはりのかみをののたうふうが、しつくわいげんじやうのしやうじとかけるも、ことわりとぞみえし。かのせいりやうでんのぐわとのみしやうじには、むかしかなをかがかきたりしゑんざんのありあけのつきもありとかや。こゐんのいまだえうしゆにてましませしそのかみ、なにとなきおんてまさぐりのついでに、かきくもらかさせたまひたりしが、ありしながらにすこしもたがはせたまはぬをごらんじて、せんていのむかしもやおんこひしうおぼしめされけん、
おもひきやうきみながらにめぐりきておなじくもゐのつきをみむとは W005
そのあひだのおんなからひ、いひしらずあはれにやさしきおんことなり。
「がくうちろん」(『がくうちろん』)S0108さるほどに、えいまんぐわんねんのはるのころより、しゆしやうごふよのおんことときこえさせたまひしが、おなじきなつのはじめにもなりしかば、ことのほかにおもらせたまふ。これによつて、おほくらのたいふいきのかねもりがむすめのはらに、こんじやういちのみやのにさいにならせたまふがましましけるを、たいしにたてまゐらさせたまふべしときこえしほどに、おなじきろくぐわつにじふごにち、にはかにP79しんわうのせんじかうぶらせたまふ。やがてそのよじゆぜんありしかば、てんがなにとなうあわてたるさまなりけり。そのときのいうしよくのひとびとまうしあはれけるは、まづほんてうに、とうたいのれいをたづぬるに、せいわてんわうくさいにして、もんどくてんわうのおんゆづりをうけさせたまふ。それはかのしうくたんのせいわうにかはり、なんめんにして、いちじつばんきのまつりごとををさめたまひしになぞらへて、ぐわいそちうじんこう、えうしゆをふちしたまへり。これぞせつしやうのはじめなる。とばのゐんごさい、こんゑのゐんさんざいにてせんそあり。かれをこそ、いつしかなれとまうししに、これはにさいにならせたまふ。せんれいなし。ものさわがしともおろかなり。さるほどに、おなじきしちぐわつにじふしちにち、しやうくわうつひにほうぎよなりぬ。おんとしにじふさん。つぼめるはなのちれるがごとし。たまのすだれ、にしきのちやうのうち、みなおんなみだにむせばせおはします。やがてそのよ、かうりうじのうしとら、れんだいののおく、ふなをかやまにをさめたてまつる。ごさうそうのよ、えんりやくこうぶくりやうじのだいしゆ、がくうちろんといふことをしいだして、たがひにらうぜきにおよぶ。
いつてんのきみほうぎよなつてのち、ごむしよへわたしたてまつるときのさほふは、なんぼくにきやうのだいしゆ、ことごとくぐぶして、ごむしよのめぐりに、わがてらでらのがくをうつことありけり。まづしやうむてんわうのごぐわん、あらそふべきてらなければ、とうだいじのがくをうつ。つぎにたんかいこうのごぐわんとてこうぶくじのがくをうつ。ほくきやうには、こうぶくじにむかへて、えんりやくじのがくをうつ。つぎにてんむてんわうのごぐわん、けうだいくわしやう、ちしようだいしのさうさうとてをんじやうじのがくをうつ。しかるを、さんもんのだいしゆ、いかがおもひけん、せんれいをそむいて、とうだいじのつぎ、こうぶくじのP80うへに、えんりやくじのがくをうつあひだ、なんとのだいしゆ、とやせまし、かうやせましと、せんぎするところに、ここにこうぶくじのさいこんだうじゆ、くわんおんばう、せいしばうとて、きこえたるだいあくそうににんありけり。くわんおんばうはくろいとをどしのはらまきに、しらえのなぎなた、くきみじかにとり、せいしばうはもよぎをどしのよろひき、こくしつのおほだちもつて、ににんつとはしりいで、えんりやくじのがくをきつておとし、さんざんにうちわり、「うれしやみづ、なるはたきのみづ、ひはてるとも、たえずとうたへ」とはやしつつ、なんとのしゆとのなかへぞいりにける。
「きよみづえんしやう」(『きよみづでらえんしやう』)S0109さんもんのだいしゆ、らうぜきをいたさばてむかひすべきところに、こころぶかうねらふかたもやありけん、ひとことばもいださず。みかどかくれさせたまひてのちは、こころなきさうもくまでも、みなうれへたるいろにこそあるべきに、このさうどうのあさましさにたかきもいやしきも、きもたましひをうしなつて、しはうへみなたいさんす。おなじきにじふくにちのうまのこくばかり、さんもんのだいしゆおびたたしうげらくすときこえしかば、ぶし、けんびゐし、にしざかもとにゆきむかつてふせぎけれども、ことともせず、おしやぶつてらんにふす。またなにもののまうしいだしたりけるやらん、「いちゐん、さんもんのだいしゆにおほせて、へいけつゐたうせらるべし」ときこえしかば、ぐんびやうだいりにP81さんじてしはうのぢんどうをかためてけいごす。へいじのいちるゐみなろくはらにはせあつまる。いちゐんもいそぎろくはらへごかうなる。きよもりこうそのーときはいまだだいなごんのうだいしやうにておはしけるが、おほきにおそれさわがれけり。こまつどの、「なにによつて、ただいまさるおんことさふらふべき」としづめまうされけれども、つはものどもさわぎののしることおびたたし。されどもさんもんのだいしゆろくはらへはよせずして、そぞろなるせいすゐじにおしよせて、ぶつかくそうばういちうものこさずみなやきはらふ。これはさんぬるごさうそうのよのくわいけいのはぢをきよめんがためとぞきこえし。せいすゐじはこうぶくじのまつじたるによつてなり。せいすゐじやけたりけるあした、「くわんおんくわけうへんじやうちはいかに」と、ふだにかいて、だいもんのまへにぞたてたりける。つぎのひまた、「りやくこふふしぎちからおよばず」と、かへしのふだをぞうつたりける。しゆとかへりのぼりければ、いちゐんもいそぎろくはらよりくわんぎよなる。しげもりのきやうばかりぞ、おんおくりにはまゐられける。ちちのきやうはまゐられず。なほようじんのためかとぞみえし。
しげもりのきやう、おんおくりよりかへられたりければ、ちちのだいなごんのたまひけるは、「さてもいちゐんのごかうこそおほきにおそれおぼゆれ。かねてもおぼしめしより、おほせらるるむねのあればこそ、かうはきこゆらめ。それにもなほうちとけたまふまじ」とのたまへば、しげもりのきやうまうされけるは、「このことゆめゆめおんけしきにも、おんことばにもいださせたまふべからず。ひとにこころつけがほに、なかなかあしきおんことなり。これにつけても、よくよくえいりよにそむかせたまはで、ひとのためにおんなさけをほどこさせましまさば、しんめいさんぽうかごP82あるべし。さらんにとつては、おんみのおそれさふらふまじ」とてたたれければ、「しげもりのきやうはゆゆしうおほやうなるものかな」とぞ、ちちのきやうものたまひける。いちゐんくわんぎよののち、ごぜんにうとからぬきんじゆしやたち、あまたさぶらはれけるに、「さてもふしぎのことをまうしいだしたるものかな。つゆもおぼしめしよらぬものを」とおほせければ、ゐんぢうのきりものにさいくわうほふしといふものあり。をりふしごぜんちかうさぶらひけるが、すすみいでて、「てんにくちなし、にんをもつていはせよとまうす。へいけもつてのほかにくわぶんにさふらふあひだ、てんのおんぱからひにや」とぞまうしける。ひとびと、「このことよしなし。かべにみみあり。おそろしおそろし」とぞ、おのおのささやきあはれける。
(『とうぐうだち』)S0110さるほどに、そのとしはりやうあんなりければ、ごけいだいじやうゑもおこなはれず。けんしゆんもんゐん、そのーときはいまだひがしのおんかたとまうしける。そのおんはらに、いちゐんのみやのごさいにならせたまふのましましけるを、たいしにたてまゐらさせたまふべしときこえしほどに、おなじきじふにんぐわつにじふしにち、にはかにしんわうのせんじかうぶらせたまふ。あくればかいげんありて、にんあんとかうす。おなじきとしのじふぐわつやうかのひ、きよねんしんわうのせんじかうぶらせたまひしわうじ、とうさんでうにてとうぐうにたたせたまふ。とうぐうはおんをぢろくさい、しゆしやうはおんをひさんざい、いづれもぜうもくにあひかなはず。ただしくわんわにねんに、いちでうのゐんしちさいにてごそくゐあり。さんでうのゐんじふいつさいにてとうぐうにたたせたまふ。せんれいなきにしもあらず。しゆしやうはにさいにておんゆづりをうけさせたまひて、わづかごさいとまうししにんぐわつじふくにちに、おんくらゐをすべりて、しんゐんとぞまうしける。P83いまだおんげんぶくもなくして、だいじやうてんわうのそんがうあり。かんかほんてう、これやはじめならん。にんあんさんねんさんぐわつはつかのひ、しんていだいこくでんにしてごそくゐあり。このきみのくらゐにつかせたまひぬるは、いよいよへいけのえいぐわとぞみえし。こくもけんしゆんもんゐんとまうすは、にふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどののおんいもうとなり。またへいだいなごんときただのきやうとまうすも、このにようゐんのおんせうとなるうへ、うちのごぐわいせきなり。ないげにつけてしつけんのしんとぞみえし。そのころのじよゐじもくとまうすも、ひとへにこのときただのきやうのままなりけり。やうきひがさいはひしとき、やうこくちうがさかえしがごとし。よのおぼえ、ときのきらめでたかりき。にふだうしやうこくてんがのだいせうじをのたまひあはせられければ、ときのひと、へいくわんばくとぞまうしける。
「てんがののりあひ」(『てんがののりあひ』)S0111さるほどにかおうぐわんねんしちぐわつじふろくにち、いちゐんごしゆつけあり。ごしゆつけののちも、ばんきのまつりごとをしろしめされければ、ゐん、うち、わくかたなし。ゐんぢうにちかうめしつかはれけるくぎやうてんじやうびと、じやうげのほくめんにいたるまで、くわんゐほうろく、みなみにあまるばかりなり。されどもひとのこころのならひにて、なほあきたらで、「あつぱれ、そのひとのうせたらば、P84そのくにはあきなん。そのひとのほろびたらば、そのくわんにはなりなん」など、うとからぬどちは、よりあひよりあひ、ささやきけり。いちゐんもないないおほせなりけるは、「むかしよりだいだいのてうてきをたひらげたるものおほしといへども、いまだかやうのことはなし。さだもりひでさとがまさかどをうち、らいぎがさだたふむねたふをほろぼし、ぎかがたけひらいへひらをせめたりしにも、けんじやうおこなはれしこと、わづかじゆりやうにはすぎざりき。いまきよもりが、かくこころのままにふるまふことこそしかるべからね。これもよすゑになつて、わうぼふのつきぬるゆゑなり」とはおほせなりけれども、ついでなければおんいましめもなし。へいけもまたべつしててうかをうらみたてまつらるることもなかりしに、よのみだれそめけるこんぼんは、いんじかおうにねんじふぐわつじふろくにちに、こまつどののじなん、しんーざんみのちうじやうすけもり、そのときはいまだゑちぜんのかみとて、しやうねんじふさんになられけるが、ゆきははだれにふつたりけり。かれののけしき、まことにおもしろかりければ、わかきさぶらひどもさんじつきばかりめしぐして、れんだいのや、むらさきの、うこんのばばにうちいでてたかどもあまたすゑさせ、うづらひばりをおつたておつたて、ひねもすにかりくらし、はくぼにおよんでろくはらへこそかへられけれ。
そのときのごせつろくはまつどのにてぞましましける。ひがしのとうゐんのごしよより、ごさんだいありけり。いうはうもんよりじゆぎよあるべきにて、ひがしのとうゐんをみなみへ、おほひのみかどをにしへぎよしゆつなるに、すけもりあそん、おほひのみかどゐのくまにて、てんがのぎよしゆつにはなつきにまゐりあふ。おんとものひとども、「なにものぞ、らうぜきなり。ぎよしゆつなるに、のりものよりおりさふらへおりP85さふらへ」といらでけれども、あまりにほこりいさみ、よをよともせざりけるうへ、めしぐしたるさぶらひどもも、みなにじふよりうちのわかものどもなれば、れいぎこつぽふわきまへたるものいちにんもなし。てんがのぎよしゆつともいはず、いつせつげばのれいぎにもおよばず、ただかけやぶつてとほらんとするあひだ、くらさはくらし、つやつやだいじやうのにふだうのまごともしらず、またせうせうはしつたれども、そらしらずして、すけもりのあそんをはじめとして、さぶらひどもみなむまよりとつてひきおろし、すこぶるちじよくにおよびけり。すけもりあそん、はふはふろくはらへかへりおはして、おほぢのしやうこくぜんもんにこのよしうつたへまうされければ、にふだうおほきにいかつて、「たとひてんがなりとも、じやうかいがあたりをばはばかりたまふべきに、さうなうあのおさなきものにちじよくをあたへられけるこそゐこんのしだいなれ。かかることよりして、ひとにはあざむかるるぞ。このことてんがにおもひしらせたてまつらでは、えこそあるまじけれ。いかにもしてうらみたてまつらばや」とのたまへば、しげもりのきやうまうされけるは、「これはすこしもくるしうさふらふまじ。よりまさ、みつもとなどまうすげんじどもにあざけられてもさふらはんは、まことにいちもんのちじよくにてもさふらふべし。しげもりがこどもとてさうらはんずるものが、とののぎよしゆつにまゐりあうて、のりものよりおりさふらはぬことこそかへすがへすもびろうにさふらへ」とて、そのときことにあうたるさぶらひども、みなめしよせて、「じこんいごなんぢらよくよくこころうべし。あやまつててんがへぶれいのよしをまうさばやとおもへ」とてこそかへされけれ。P86
そののちにふだう、こまつどのにはかうとものたまひもあはせずして、かたゐなかのさぶらひの、きはめてこはらかなるがにふだうのおほせよりほか、よにまたおそろしきことなしとおもふものども、なんば、せのををはじめとして、つがふろくじふよにんめしよせて、「らいにじふいちにち、てんがぎよしゆつあるべかんなり。いづくにてもまちうけたてまつり、せんぐみずゐじんどもがもとどりきつて、すけもりがはぢすすげ」とこそのたまひけれ。つはものどもかしこまりうけたまはつてまかりいづ。てんがこれをばゆめにもしろしめされず、しゆしやうみやうねんおんげんぶく、ごかくわんはいくわんのおんさだめのために、しばらくごちよくろにあるべきにて、つねのぎよしゆつよりはひきつくろはせたまひて、こんどはたいけんもんよりじゆぎよあるべきにて、なかのみかどをにしへぎよしゆつなるにゐのくまほりかはのへんにて、ろくはらのつはものども、ひたかぶとさんびやくよき、まちうけたてまつり、てんがをなかにとりこめまゐらせて、ぜんごよりいちどに、ときをどつとぞつくりける。せんぐみずゐじんどもが、けふをはれとしやうぞいたるを、あそこにおつかけ、ここにおつつめ、さんざんにりようりやくして、いちいちにみなもとどりをきる。ずゐじんじふにんのうち、みぎのふしやうたけもとがもとどりをもきられてげり。そのなかにとうくらんどのたいふたかのりがもとどりをきるとて、「これはなんぢがもとどりとおもふべからず、しゆのもとどりとおもふべし」と、いひふくめてぞきつてげる。そののちはおんくるまのうちへも、ゆみのはずつきいれなどして、すだれかなぐりおとし、おうしのむながいしりがいきりはなち、かくさんざんにしちらして、よろこびのときをつくり、ろくはらへかへりまゐりたれば、にふだう、「しんべうなり」とぞのたまひける。P87
されどもおんくるまぞひには、いなばのさいづかひ、とばのくにひさまるといふをのこ、げらふなれども、さかざかしきものにて、おんくるまをしつらひ、のせたてまつて、なかのみかどのごしよへくわんぎよなしたてまつる。そくたいのおんそでにておんなみだをおさへさせたまひつつ、くわんぎよのぎしきのあさましさ、まうすもなかなかおろかなり。たいしよくくわん、たんかいこうのおんことはあげてまうすにおよばず、ちうじんこう、せうぜんこうよりこのかた、せつしやうくわんばくのかかるおんめにあはせたまふこと、いまだうけたまはりおよばず。これこそへいけのあくぎやうのはじめなれ。こまつどのこのよしをききたまひて、おほきにおそれさわがれけり。そのーときゆきむかうたるさぶらひども、みなかんだうせらる。「たとひにふだういかなるふしぎをげぢしたまふといふとも、などしげもりにゆめばかりしらせざりけるぞ。およそはすけもりきくわいなり。せんだんはふたばよりかうばしとこそみえたれ。すでにじふにさんにならんずるものが、いまはれいぎをぞんぢしてこそふるまふべきに、かやうのびろうをげんじて、にふだうのあくみやうをたつ。ふけうのいたり、なんぢひとりにありけり」とて、しばらくいせのくにへおひくださる。されば、このだいしやうをば、きみもしんもぎよかんありけるとぞきこえし。P88
「ししのたに」(『ししのたに』)S0112これによつて、しゆしやうおんげんぶくのおんさだめ、そのひはのびさせたまひて、おなじきにじふごにち、ゐんのてんじやうにてぞおんげんぶくのおんさだめはありける。せつしやうどのさてもわたらせたまふべきならねば、おなじきじふにんぐわつここのかのひ、かねせんじをかうぶらせたまひて、おなじきじふしにちだいじやうだいじんにあがらせたまふ。やがておなじきじふしちにち、よろこびまうしのありしかども、よのなかはなほにがにがしうぞみえし。さるほどにことしもくれぬ。かおうもみとせになりにけり。しやうぐわついつかのひ、しゆしやうおんげんぶくあつて、おなじきじふさんにち、てうきんのぎやうがうありけり。ほふわうにようゐんまちうけまゐらさせたまひて、うひかうぶりのおんよそほひ、いかばかりらうたくおぼしめされけん。にふだうしやうこくのおんむすめ、にようごにまゐらせたまふ。おんとしじふごさい、ほふわうおんいうじのぎなり。めうおんゐんどの、そのころはいまだないだいじんのさだいしやうにてましましけるが、だいしやうをじしまうさせたまふことありけり。ときにとくだいじのだいなごんじつていのきやう、そのじんにあひあたりたまふ。またくわざんのゐんのちうなごんかねまさのきやうもしよまうあり。そのほかこなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやうのさんなん、しんだいなごんなりちかのきやうもひらにまうさる。このだいなごんはゐんのごきしよくよかりければ、P89さまざまのいのりをはじめらる。まづやはたにひやくにんのそうをこめて、しんどくのだいはんにやをしちにちよませられたりけるさいちうに、かはらのだいみやうじんのおんまへなるたちばなのきへ、をとこやまのかたより、やまばとみつとびきたつて、くひあひてぞしににける。はとははちまんだいぼさつのだいいちのししやなり。みやてらにかかるふしぎなしとて、ときのけんぎやう、きやうせいほふいんこのよしだいりへそうもんしたりければ、これただごとにあらず、みうらあるべしとて、じんぎくわんにしてみうらあり。おもきおんつつしみとうらなひまうす。ただしこれはきみのおんつつしみにはあらず、しんかのつつしみとぞまうしける。それにだいなごんおそれをもいたされず、ひるはひとめのしげければ、よなよなほかうにて、なかのみかどからすまるのしゆくしよより、かものかみのやしろへ、ななよつづけてまゐられけり。ななよにまんずるよ、しゆくしよにげかうして、くるしさにすこしまどろみたりけるゆめに、かものかみのやしろへまゐりたるとおぼしくて、ごほうでんのみとおしひらき、ゆゆしうけだかげなるおんこゑにて、
さくらばなかものかはかぜうらむなよちるをばえこそとどめざりけれ W006
だいなごんこれになほおそれをもいたされず、かものかみのやしろに、ごほうでんのおんうしろなる、すぎのほらにだんをたて、あるひじりをこめて、だぎにのほふをひやくにちおこなはせられけるに、あるときにはかにそらかきくもり、いかづちおびたたしうなつて、かのおほすぎにおちかかり、らいくわもえあがつて、きうちうすでにあやふくみえけるを、みやうどどもわしりあつまりて、これをうちけす。さてかのげほふおこなひけるひじりをつゐしゆつせんとす。「われたうしやにひやくにちさんろうのこころざしあつて、P90けふはしちじふごにちになる。まつたくいづまじ」とてはたらかず。このよしをしやけよりだいりへそうもんまうしたりければ、ただほふにまかせよと、せんじをくださる。そのーときじんにんしらづゑをもつてかのひじりがうなじをしらげて、いちでうのおほちより、みなみへおつこしてげり。しんはひれいをうけずとまうすに、このだいなごん、ひぶんのだいしやうをいのりまうされければにや、かかるふしぎもいできにけり。そのころのじよゐぢもくとまうすは、ゐん、うちのおんぱからひにもあらず、せつしやうくわんばくのごせいばいにもおよばず、ただいつかうへいけのままにてありければ、とくだいじ、くわざんのゐんもなりたまはず、にふだうしやうこくのちやくなんこまつどの、そのーときはいまだだいなごんのうだいしやうにてましましけるが、ひだんにうつりて、じなんむねもり、ちうなごんにておはせしが、すはいのじやうらふをてうをつして、みぎにくははられけるこそ、まうすはかりもなかりしか。なかにもとくだいじどのは、いちのだいなごんにて、くわそくえいゆう、さいかくいうちやう、けちやくにてましましけるが、へいけのじなんむねもりのきやうに、かかいこえられたまひぬるこそゐこんのしだいなれ。さだめてごしゆつけなどもやあらんずらん」と、ひとびとささやきあはれけれども、とくだいじどのはしばらくよのならんやうをみんとて、だいなごんをじしてろうきよとぞきこえし。しんだいなごんなりちかのきやうののたまひけるは、「とくだいじ、くわざんのゐんにこえられたらんはいかがせん。へいけのじなんむねもりのきやうにかかいこえられぬるこそ、ゐこんのしだいなれ。いかにもしてへいけをほろぼし、ほんまうをとげん」とのたまひけるこそおそろしけれ。ちちのきやうは、このよはひでは、わづかP91ちうなごんまでこそいたられしか。そのばつしにて、くらゐじやうにゐ、くわんだいなごんにへあがつて、、たいこくあまたたまはつて、しそく、しよじう、てうおんにほこれり。なにのふそくあつてかかかるこころつかれけん、ひとへにてんまのしよゐとぞみえし。へいぢにもゑちごのちうじやうとて、のぶよりのきやうにどうしんのあひだ、そのーときすでにちうせらるべかりしを、こまつどののやうやうにまうして、くびをつぎたまへり。しかるにそのおんをわすれて、ぐわいじんもなきところに、ひやうぐをととのへ、ぐんびやうをかたらひおき、あさゆふはただいくさかつせんのいとなみのほかは、またたじなしとぞみえたりける。ひんがしやまししのたにといふところは、うしろみゐでらにつづいて、ゆゆしきじやうくわくにてぞありける。それにしゆんくわんそうづのさんざうあり。かれにつねはよりあひよりあひ、へいけほろぼすべきはかりごとをぞめぐらしける。あるよ、ほふわうもごかうなる。こせうなごんにふだうしんせいのしそく、じやうけんほふいんもおんともつかまつらる。そのよのしゆえんに、このよしをおほせあはせられたりければ、ほふいん、「あなあさまし。ひとあまたうけたまはりさふらひぬ。ただいまもれきこえて、てんがのおんだいじにおよびさふらひなんず」とまうされければ、だいなごんけしきかはつて、さつとたたれけるが、ごぜんにたてられたりけるへいじを、かりぎぬのそでにかけてひきたふされたりけるを、ほふわうえいらんあつて、「あれはいかに」とおほせければ、だいなごんたちかへつて、「へいじたふれさふらひぬ」とぞまうされける。ほふわうもゑつぼにいらせおはしまし、「ものどもまゐつてさるがくつかまつれ」とおほせければ、へいはうぐわんやすよりつとまゐつて、「P92あああまりにへいじのおほうさふらふに、もてゑひてさふらふ」とまうす。しゆんくわんそうづ、「さてそれをば、いかがつかまつるべきやらん」。さいくわうほふし、「ただくびをとるにはしかじ」とて、へいじのくびをとつてぞいりにける。ほふいん、あまりのあさましさに、つやつやものもまうされず。かへすがへすもおそろしかりしことどもなり。さてよりきのともがらたれたれぞ。あふみのちうじやうにふだうれんじやう、ぞくみやうなりまさ、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、やましろのかみもとかぬ、しきぶのたいふまさつな、へいはうぐわんやすより、そうはうぐわんのぶふさ、しんへいはうぐわんすけゆき、ぶしにはただのくらんどゆきつなをはじめとして、ほくめんのものどもおほくよりきしてげり。
「うがはかつせん」(『しゆんくわんのさた うがはいくさ』)S0113そもそもこのほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづとまうすは、きやうごくのげんだいなごんがしゆんのきやうのまご、きでらのほふいんくわんがにはこなりけり。そぶだいなごんは、さしてゆみやとるいへにはあらねども、あまりにはらあしきひとにて、さんでうのぼうもんきやうごくのしゆくしよのまへをば、ひとをもやすくとほされず、つねはちうもんにたたずみ、はをくひしばり、いかつてこそおはしけれ。かかるおそろしきひとのまごなればにや、このしゆんくわんも、そうなれども、こころもたけく、おごれるひとにて、よしなきむほんにもくみしてげるにこそ。しんだいなごんなりちかのきやう、P93ただのくらんどゆきつなをめして、「こんどごへんをば、いつぱうのたいしやうにたのむなり。このことしおほせつるものならば、くにをもしやうをもしよまうによるべし。まづゆぶくろのれうに」とて、しろぬのごじつたんおくられたり。あんげんさんねんさんぐわついつかのひ、めうおんゐんどの、だいじやうだいじんにてんじたまへるかはりに、こまつどの、げんだいなごんさだふさのきやうをこえて、ないだいじんになりたまふ。やがてだいきやうおこなはる。だいじんのだいしやうめでたかりき。そんじやにはおほひのみかどのうだいじんつねむねこうとぞきこえし。いちのかみこそせんどなれども、ちちうぢのあくさふのごれい、そのおそれあり。ほくめんはしやうこにはなかりけり。しらかはのゐんのおんとき、はじめおかれてよりこのかた、ゑふどもあまたさふらひけり。ためとし、もりしげ、わらはよりいまいぬまる、せんじゆまるとて、これらはさうなききりものにてぞありける。とばのゐんのおんときも、すゑより、すゑのりふしともに、てうかにめしつかはれてありしが、つねはてんそうするをりもありなんどきこえしかども、これらはみなみのほどをふるまうてこそありしか。このときのほくめんのともがらは、もつてのほかにくわぶんにて、くぎやうてんじやうびとをもことともせず、げほくめんよりしやうほくめんにあがり、しやうほくめんよりてんじやうのまじはりをゆるさるるものもおほかりけり。かくのみおこなはるるあひだ、おごれるこころどもつきて、よしなきむほんにもくみしてげるにこそ。
なかにもこせうなごんにふだうしんせいのもとにめしつかはれけるもろみつ、なりかげといふものあり。もろみつはあはのくにのざいちやう、なりかげはきやうのもの、じゆつこんいやしきげらふなり。こんでいわらは、もしはかくごしやなどにてもやP94ありけん、さかざかしかりしによつて、つねはゐんへもめしつかはれけるが、もろみつはさゑもんのじよう、なりかげはうゑもんのじようとて、ににんいちどにゆきへのじようになりぬ。ひととせしんせいことにあひしとき、ににんともにしゆつけして、さゑもんにふだうさいくわう、うゑもんにふだうさいけいとて、これらはしゆつけののちも、ゐんのみくらあづかりにてぞさふらひける。かのさいくわうがこにもろたかといふものあり。これもさうなききりものにて、けんびゐし、ごゐのじやうまでへあがりて、あまつさへあんげんぐわんねんじふにんぐわつにじふくにち、つゐなのぢもくに、かがのかみにぞなされける。こくむをおこなふあひだ、ひほふひれいをちやうぎやうし、じんじやぶつじ、けんもんせいけのしやうりやうをもつたうして、さんざんのことどもにてぞありける。たとひせうこうがあとをへだつといふとも、をんびんのまつりごとをおこなふべかりしに、かくこころのままにふるまふあひだ、おなじきにねんのなつのころ、こくしもろたかがおとと、こんどうはんぐわんもろつねをかがのもくだいにふせらる。もくだいげちやくのはじめ、こくふのへんにうがはといふやまでらあり。をりふしじそうどもがゆをわかいてあびけるを、らんにふしておひあげ、わがみあび、ざふにんばらおろし、むまあらはせなどしけり。じそういかりをなして、「むかしよりこのところは、くにがたのもののにふぶすることなし。せんれいにまかせて、すみやかににふぶのあふばうとどめよや」とぞまうしける。「もくだいおほきにいかつて、「せんせんのもくだいは、ふかくでこそいやしまれたれ。たうもくだいにおいては、すべてそのぎあるまじ。ただほふにまかせよ」といふほどこそありけれ、じそうどもはくにがたのものをつゐしゆつせんとす。くにがたのものどもは、ついでをもつてらんにふせんと、うちあひ、P95はりあひしけるほどに、もくだいもろつねがひざうしけるむまのあしをぞうちをりける。そののちはたがひにきうせんひやうぢやうをたいして、いあひ、きりあひ、すこくたたかふ。よにいりければ、もくだいかなはじとやおもひけんひきしりぞく。そののちたうごくのざいちやうらいつせんよにん、もよほしあつめて、うがはにおしよせ、ばうじやいちうものこさずみなやきはらふ。うがはといふは、はくさんのまつじなり。このことうつたへんとて、すすむらうそうたれたれぞ。ちしやく、がくみやう、ほうだいばう、しやうち、がくおん、とさのあざりぞすすみける。しらやまさんじやはちゐんのだいしゆ、ことごとくおこりあひ、つがふそのせいにせんよにん、おなじきしちぐわつここのかのひのくれがたに、もくだいもろつねがたちちかうこそおしよせたれ。けふはひくれぬ。あすのいくさとさだめて、そのひはよせでゆらへたり。つゆふきむすぶあきかぜは、いむけのそでをひるがへし、くもゐをてらすいなづまは、かぶとのほしをかがやかす。もくだいかなはじとやおもひけん、よにげにしてきやうへのぼる。あくるうのこくにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。じやうのうちにはおともせず。ひとをいれてみせければ、「みなおちてさふらふ」とまうす。だいしゆちからおよばでひきしりぞく。さらばさんもんへうつたへんとて、はくさんちうぐうのしんよ、かざりたてまつて、ひえいさんへふりあげたてまつる。おなじきはちぐわつじふににちのうまのこくばかり、はくさんちうぐうのしんよ、すでにひえいさんひがしざかもとにつかせたまふとまうすほどこそありけれ、ほくこくのかたより、いかづちおびたたしくなつて、みやこをさしてなりのぼり、はくせつくだつてちをうづみ、さんじやうらくちうおしなべて、ときはのやまのこずゑまで、みなしろたへにぞなりにける。
(『ぐわんだて』)S0114だいしゆしんよをば、まらうとのみやへいれP96たてまつる。まらうととまうすは、はくさんめうりごんげんにておはします。まうせばふしのおんなかなり。まづさたのじやうふはしらず、しやうぜんのおんよろこび、ただこのことにあり。うらしまがこのしつせのまごにあへりしにもすぎ、たいないのもののりやうぜんのちちをみしにもこえたり。さんぜんのしゆとくびすをつぎ、しちしやのじんにんそでをつらねて、じじこくこくのほつせきねん、ごんごだうだんのことどもにてぞさふらひける。さるほどにさんもんのだいしゆ、こくしかがのかみもろたかをるざいにしよせられ、もくだいこんどうはんぐわんもろつねをきんごくせらるべきよし、そうもんどどにおよぶといへども、ごさいきよなかりければ、しかるべきくぎやうてんじやうびとは、「あはれとくしてごさいだんあるべきものを。むかしよりさんもんのそしようはたにことなり。おほくらのきやうためふさ、ださいのごんのそつすゑなかのきやうは、さしもてうかにちようしんたりしかども、さんもんのそしようによつてるざいせられたまひにき。いはんやもろたかなどはことのかずにてやはあるべき、しさいにやおよぶべき」とまうしあはれけれども、たいしんはろくをおもんじていさめず、せうしんはつみにおそれてまうさず」といふことなれば、おのおのくちをとぢたまへり。P97
「ぐわんだて」かもがはのみづ、すごろくのさい、やまぼふし、これぞわがおんこころにかなはぬもの」と、しらかはのゐんもおほせなりけるとかや。とばのゐんのおんときも、ゑちぜんのへいせんじをさんもんへよせられけることは、たうざんをごきゑあさからざるによつてなり。「ひをもつてりとす」とせんげせられてこそ、ゐんぜんをばくだされけれ。さればがうぞつきやうばうのきやうのまうされしは、「さんもんのだいしゆ、ひよしのしんよをぢんどうへふりたてまつて、そしようをいたさば、きみはいかがおんぱからひさうらふべき」とまうされければ、「ほふわう、「げにもさんもんのそしようはもだしがたし」とぞおほせける。いんじかほうにねんさんぐわつふつかのひ、みののかみみなもとのよしつなのあそん、たうごくしんりふのしやうをたふすあひだ、やまのくぢうしやゑんおうをせつがいす。これによつてひよしのしやし、えんりやくじのじくわん、つがふさんじふよにん、まうしぶみをささげてぢんどうへさんじたるを、ごにでうのくわんばくどの、やまとげんじなかづかさのごんのせふよりはるにおほせて、これをふせがせらるるによりはるがらうどう、やをはなつ。やにはにゐころさるるものはちにん、きずをかうぶるものじふよにん、しやし、しよし、しはうへみなにげさりぬ。これによつてさんもんのじやうかうら、しさいをそうもんのために、おびたたしうげらくすとP98きこえしかば、ぶし、けんびゐし、にしざかもとにゆきむかつて、みなおつかへす。
さるほどにさんもんには、ごさいだんちちのあひだ、ひよしのしんよをこんぽんちうだうへふりあげたてまつり、そのおんまへにてしんどくのだいはんにやをしちにちよみて、ごにでうのくわんばくどのをじゆそしたてまつる。けちぐわんのだうしには、ちういんほふいん、そのーときはいまだちういんぐぶとまうししが、かうざにのぼりかねうちならし、けいびやくのことばにいはく、「われらがなたねのふたばよりおほしたてたまひしかみたち、ごにでうのくわんばくどのに、かぶらやひとつはなちあてたまへ。だいはちわうじごんげん」とたからかにこそきせいしたりけれ。そのよやがてふしぎのことありけり。はちわうじのごてんより、かぶらやのこゑいでて、わうじやうをさしてなりてゆくとぞ、ひとのゆめにはみえたりける。そのあしたくわんばくどののごしよのみかうしをあげけるに、ただいまやまよりとつてきたるやうに、つゆにぬれたるしきみひとえだ、たつたりけるこそふしぎなれ。やがてそのよより、ごにでうのくわんばくどの、さんわうのおんとがめとて、おもきおんやまふをうけさせたまひて、うちふさせたまひしかば、ははうへおほとののきたのまんどころ、おほきにおんなげきあつて、おんさまをやつし、いやしきげらふのまねをして、ひよしのやしろへまゐらせたまひて、しちにちしちやがあひだいのりまうさせおはします。まづあらはれてのごりふぐわんには、しばでんがくひやくばん、ひやくばんのひとつもの、けいば、やぶさめ、すまふ、おのおのひやくばん、ひやくざのにんわうかう、ひやくざのやくしかう、いつちやくしゆはんのやくしひやくたい、とうじんのやくしいつたい、ならびにしやか、あみだのぞう、おのおのざうりふくやうせられけり。またごしんぢうにみつのごりふぐわんあり。おんこころのうちのおんことなれば、P99ひとこれをば、いかでかしりたてまつるべきに、それになによりもまたふしぎなりけることには、しちやにまんずるよ、はちわうじのおんやしろにいくらもありけるまゐりうどどものなかに、みちのくより、はるばるとのぼつたりけるわらはみこ、やはんばかりににはかにたえいりけり。はるかにかきいだしていのりければ、やがてたつてまひかなづ。ひときどくのおもひをなしてこれをみる。はんじばかりまうてのち、さんわうおりさせたまひて、やうやうのごたくせんこそおそろしけれ。「しゆじやうらたしかにうけたまはれ。おほとののきたのまんどころ、けふしちにち、わがおんまへにこもらせたまひたり。ごりふぐわんみつあり。まづひとつには、こんどてんがのじゆみやうをたすけさせおはしませ。さもさふらはば、おほみやのしたどのにさぶらふもろもろのかたはうどにまじはつて、いつせんにちがあひだ、てうせきみやづかひまうさんとなり。おほとののきたのまんどころにて、よをよともおぼしめさで、すごさせたまふおんこころにも、こをおもふみちにまよひぬれば、いぶせきことをもわすられて、あさましげなるかたはうどにまじはつて、いつせんにちがあひだ、あさゆふみやづかひまうさんとおほせらるるこそ、まことにあはれにおぼしめせ。ふたつにはおほみやのはしどのより、はちわうじのおんやしろまで、くわいらうつくつてまゐらせんとなり。さんぜんにんのだいしゆ、ふるにもてるにも、しやさんのとき、いたはしうおぼゆるに、くわいらうつくられたらんは、いかにめでたからん。みつにははちわうじのおんやしろにて、ほつけもんだふかうまいにちたいてんなくおこなはすべしとなり。このごりふぐわんどもは、いづれもおろかならねども、せめてはかみふたつは、さなくともありなん。ほつけもんだふかうこそ、いちぢやうあらまほしうはおぼしめせ。P100ただし、こんどのそしようは、むげにやすかりぬべきことにてありつるを、ごさいきよなくして、じんにん、みやじいころされ、しゆとおほくきずをかうぶつて、なくなくまゐりてうつたへまうすが、あまりにこころうければ、いかならんよにわするべしともおぼしめさず。そのうへかれらにあたるところのやは、すなはちわくわうすゐじやくのおんはだへにたつたるなり。まことそらごとはこれをみよ」とて、かたぬぎたるをみれば、ひだりのわきのした、おほきなるかはらけのくちほど、うげのいてぞありける。「これがあまりにこころうければ、いかにまうすともしぢうのことはかなふまじ。ほつけもんだふかういちぢやうあるべくは、みとせがいのちをのべてたてまつらん。それをふそくにおぼしめさばちからおよばず」とて、さんわうあがらせたまひけり。ははうへこのごりふぐわんのおんこと、ひとにもかたらせたまはねば、たれもらしぬらんと、すこしもうたがふかたもましまさず。おんこころのうちのことどもを、ありのままにごたくせんありければ、いよいよしんかんにそうて、ことにたつとくおぼしめし、「たとひいちにちへんしとさぶらふとも、ありがたうこそさぶらふべきに、ましてみとせがいのちをのべてたまはらんとおほせらるるこそ、まことにありがたうはさぶらへ」とて、おんなみだをおさへておんげかうありけり。そののちきのくににてんがのりやう、たなかのしやうといふところを、えいたいはちわうじへきしんせらる。さればいまのよにいたるまで、はちわうじのおんやしろにて、ほつけもんだふかう、まいにちたいてんなしとぞうけたまはる。かかりしほどに、ごにでうのくわんばくどのおんやまふかるませたまひて、もとのごとくにならせたまふ。じやうげよろこびあはれしほどに、みとせのすぐるはゆめなれや、えいちやうにねんになりにけり。P101ろくぐわつにじふいちにち、またごにでうのくわんばくどの、おんぐしのきはにあしきおんかさいでさせたまひて、うちふさせたまひしが、おなじきにじふしちにち、おんとしさんじふはちにて、つひにかくれさせたまひぬ。おんこころのたけさ、りのつよさ、さしもゆゆしうおはせしかども、まめやかにことのきふにもなりぬれば、おんいのちををしませたまひけり。まことにをしかるべし。しじふにだにみたせたまはで、おほとのにさきだたせたまふこそかなしけれ。かならずちちをさきだつべしといふことはなけれども、しやうじのおきてにしたがふならひ、まんどくゑんまんのせそん、じふぢくきやうのだいじたちも、ちからおよばせたまはぬしだいなり。じひぐそくのさんわう、りもつのはうべんにてましませば、おんとがめなかるべしともおぼえず。
「みこしぶり」(『みこしぶり』)S0115さるほどにさんもんには、こくしかがのかみもろたかをるざいにしよせられ、もくだいこんどうはんぐわんもろつねをきんごくせらるべきよし、そうもんどどにおよぶといへども、ごさいきよなかりければ、ひよしのさいれいをうちとどめて、あんげんさんねんしんぐわつじふさんにちのたつのいつてんに、じふぜんじごんげん、まらうど、はちわうじ、さんじやのしんよをかざりたてまつて、ぢんどうへふりあげたてまつる。さがりまつ、きれづつみ、かものかはら、ただす、うめただ、やなぎはら、とうぼくゐんのへんに、じんにん、みやじ、しらだいしゆ、P102せんだうみちみちて、いくらといふかずをしらず。しんよはいちでうをにしへいらせたまふに、ごじんぼうてんにかかやいて、にちぐわつちにおちたまふかとおどろかる。これによつてげんぺいりやうけのたいしやうぐんにおほせて、しはうのぢんどうをかためて、だいしゆふせぐべきよしおほせくださる。へいけにはこまつのないだいじんのさだいしやうしげもりこう、そのせいさんぜんよきにて、おほみやおもてのやうめい、たいけん、いうはう、みつのもんをかためたまふ。おととむねもり、とももり、しげひら、をぢよりもり、のりもり、つねもりなどは、にしみなみのもんをかためたまふ。げんじにはたいだいしゆごのげんざんみよりまさ、らうどうにはわたなべのはぶく、さづくをさきとして、そのせいわづかにさんびやくよき、きたのもん、ぬひどののぢんをかためたまふ。ところはひろし、せいはすくなし、まばらにこそみえたりけれ。だいしゆぶせいたるによつて、きたのもん、ぬひどののぢんよりしんよをいれたてまつらんとするに、よりまさのきやうさるひとにて、いそぎむまよりとんでおり、かぶとをぬぎ、てうづうがひして、しんよをはいしたてまつらる。つはものどももみなかくのごとし。よりまさのきやうより、だいしゆのなかへししやをたてて、いひおくらるるむねあり。そのつかひはわたなべのちやうじつとなふとぞきこえし。となふそのひのしやうぞくには、きちんのひたたれに、こざくらをきにかへしたるよろひきて、しやくどうづくりのたちをはき、にじふしさいたるしらはのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいで、たかひもにかけ、しんよのおんまへにかしこまつて、「しばらくしづまられさふらへ。げんざんみどのより、しゆとのおんなかへげんざんみどののまうせとざふらふ」とて、「こんどさんもんのごそしよう、りうんのでうもちろんにさふらふ。ごさいだんちちこそ、よそにてもゐこんにおぼえさうらへ。しんよいれたてまつらんP103こと、しさいにおよびさふらはず。ただしよりまさぶせいにさふらふ。あけていれたてまつるぢんよりいらせたまひなば、さんもんのだいしゆは、めだりがほしけりなど、きやうわらんべのまうさんこと、ごにちのなんにやさふらはんずらん。あけていれたてまつれば、せんじをそむくににたり。またふせぎたてまつらんとすれば、ねんらいいわう、さんわうにかうべをかたぶけてさふらふみが、けふよりのち、ながくゆみやのみちにわかれさふらひなんず。かれといひ、これといひ、かたがたなんぢのやうにおぼえさふらふ。ひんがしのぢんどうをばこまつどののおほぜいにてかためられてさふらふ。そのぢんよりいらせたまふべうもやさふらふらん」と、いひおくりたりければ、となふがかくいふにふせがれて、じんにん、みやじ、しばらくゆらへたり。わかだいしゆ、あくそうどもは、「なんでふそのぎあるべき。ただこのぢんよりしんよをいれたてまつれや」といふやからおほかりけれども、ここにらうそうのなかに、さんたふいちのせんぎしやときこえしつのりつしやがううん、すすみいでてまうしけるは、「このぎもつともさいはれたり。われらしんよをさきだてまゐらせて、そしようをいたさば、おほぜいのなかをうちやぶりてこそ、こうたいのきこえもあらんずれ。なかんづくこのよりまさのきやうは、ろくそんわうよりこのかた、げんじちやくちやくのしやうとう、ゆみやをとつても、いまだそのふかくをきかず。およそはぶげいにもかぎらず、かだうにもまたすぐれたるをのこなり。ひととせこんゑのゐんございゐのおんとき、たうざのごくわいのありしに、『しんざんのはな』といふだいをいだされたりけるに、ひとびとみなよみわづらはれたりしを、このよりまさのきやう、P104
みやまぎのそのこずゑともみえざりしさくらははなにあらはれにけり W007
といふめいかつかまつてぎよかんにあづかるほどのやさおのこに、いかんがときにのぞんでなさけなうちじよくをばあたふべき。ただしんよかきかへしたてまつれや」と、せんぎしたりければ、すせんにんのだいしゆ、せんぢんよりごぢんまで、みなもつとももつともとぞどうじける。さてしんよかきかへしたてまつり、ひんがしのぢんどう、たいけんもんよりいれたてまつらんとしけるに、らうぜきたちまちにいできて、ぶしどもさんざんにいたてまつる。じふぜんじのみこしにも、やどもあまたいたてけり。じんにん、みやじいころされ、しゆとおほくきずをかうぶつて、をめきさけぶこゑはぼんでんまでもきこえ、けんらうぢじんもおどろきたまふらんとぞおぼえける。だいしゆしんよをばぢんどうにふりすてたてまつり、なくなくほんざんへぞかへりのぼりける。
「だいりえんしやう」(『だいりえんしやう』)S0116ゆふべにおよんでくらんどのさせうべんかねみつにおほせて、ゐんのてんじやうにて、にはかにくぎやうせんぎありけり。さんぬるほうあんしねんしんぐわつにしんよじゆらくのときは、ざすにおほせて、せきさんのやしろへいれたてまつらる。またほうえんしねんしちぐわつにしんよじゆらくのときは、ぎをんのべつたうにおほせて、ぎをんのやしろへいれたてまつらる。こんどもほうえんのれいたるべしとて、ぎをんのべつたうごんのだいそうづちようけんにP105おほせ、へいしよくにおよんでぎをんのやしろへいれたてまつらる。しんよにたつところのやをば、じんにんしてこれをぬかせらる。むかしよりさんもんのだいしゆ、しんよをぢんどうへふりたてまつることは、さんぬるえいきうよりこのかた、ぢしようまではろくかどなり。されどもまいどにぶしにおほせてふせがせらるるに、しんよいたてまつることは、これはじめとぞうけたまはる。「れいしんいかりをなせば、さいがいちまたにみつといへり。おそろしおそろし」とぞおのおののたまひあはれける。おなじきじふしにちのやはんばかり、さんもんのだいしゆ、またおびたたしうげらくするときこえしかば、しゆしやうはやちうにえうよにめして、ゐんのごしよほふぢうじどのへぎやうがうなる。ちうぐう、みやみやは、おんくるまにたてまつりて、たしよへぎやうげいありけり。くわんばくどのをはじめたてまつて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、われもわれもとぐぶせらる。こまつのおとどは、なほしにやおうてぐぶせらる。ちやくしごんのすけぜうしやうこれもりは、そくたいにひらやなぐひおうてぞまゐられける。およそきんちうのじやうげ、きやうぢうのきせん、さわぎののしることおびたたし。されどもさんもんには、しんよにやたち、じんにんみやじいころされ、しゆとおほくきずをかうぶりたりしかば、おほみやにのみやいげ、かうだう、ちうだう、すべてしよだう、いちうものこさずみなやきはらつて、さんやにまじはるべきよし、さんぜんいちどうにせんぎす。これによつてだいしゆのまうすところ、ほふわうおんぱからひあるべしときこえしほどに、さんもんのじやうかうら、しさいをしゆとにふれんとて、とうざんすときこえしかば、だいしゆにしざかもとにおりくだつて、みなおつかへす。へいだいなごんときただのきやう、P106そのときはいまださゑもんのかみにておはしけるが、しやうけいにたつ。だいかうだうのにはにさんたふくわいがふして、「しやうけいをとつてひつぱり、しやかぶりをうちおとし、そのみをからめて、みづうみにしづめよ」などぞまうしける。すでにかうとみえしとき、ときただのきやう、だいしゆのなかへししやをたてて、「しばらくしづまられさふらへ。しゆとのおんなかへまうすべきことのさふらふ」とて、ふところよりこすずりたたうがみとりいだし、ひとふでかいてだいしゆのなかへおくらる。これをひらいてみるに、「しゆとのらんあくをいたすは、まえんのしよぎやうなり。めいわうのせいしをくはふるは、ぜんぜいのかごなり」とこそかかれたれ。これをみて、だいしゆひつぱるにもおよばず、みなもつとももつともとどうじて、たにだににおり、ばうばうへぞいりにける。いつしいつくをもつて、さんたふさんぜんのいきどほりをやすめ、こうしのはぢをものがれたまひけんときただのきやうこそゆゆしけれ。さんもんのだいしゆは、はつかうのみだりがはしきばかりかとおもひぬれば、ことわりをもぞんぢしけりとぞ、ひとびとかんじあはれける。おなじきはつかのひ、くわざんのゐんごんぢうなごんただちかのきやうをしやうけいにて、こくしかがのかみもろたかをけつくわんせられて、おはりのゐどたへながさる。おととこんどうはんぐわんもろつねをばきんごくせらる。またさんぬるじふさんにちしんよいたてまつしぶしろくにんごくぢやうせらる。これらはみなこまつどののさぶらひなり。おなじきにじふはちにちのよのいぬのこくばかり、ひぐちとみのこうぢよりひいできたつて、きやうぢうおほくやけにけり。をりふしたつみのかぜはげしくふきければ、おほきなるしやりんのごとくなるP107ほのほが、さんぢやうごちやうをへだてて、いぬゐのかたへすぢかへにとびこえとびこえやけゆけば、おそろしなどもおろかなり。あるひはぐへいしんわうのちぐさどの、あるひはきたののてんじんのこうばいどの、きついつせいのはひまつどの、おにどの、たかまつどの、かもゐどの、とうさんでう、ふゆつぎのおとどのかんゐんどの、せうぜんこうのほりかはどの、これをはじめて、むかしいまのめいしよさんじふよかしよ、くぎやうのいへだにもじふろくかしよまでやけにけり。そのほかてんじやうびと、しよだいぶのいへいへはしるすにおよばず。はてはたいだいにふきつけて、しゆしやくもんよりはじめて、おうでんもん、くわいしやうもん、だいこくでん、ぶらくゐん、しよしはつしやう、あいたんどころ、いちじがうちに、みなくわいじんのちとぞなりにける。いへいへのにつき、だいだいのもんじよ、しつちんまんぽうさながらちりはひとなりぬ。そのあひだのつひえいかばかりぞ。ひとのやけしぬることすひやくにん、ぎうばのたぐひかずをしらず。これただごとにあらず。さんわうのおんとがめとて、ひえいさんより、おほきなるさるどもが、にさんぜんおりくだり、てんでにまつびをともいて、きやうぢうをやくとぞ、ひとのゆめにはみえたりける。だいこくでんはせいわてんわうのぎよう、ぢやうくわんじふはちねんにはじめてやけたりければ、おなじきじふくねんしやうぐわつみつかのひ、やうぜいのゐんのごそくゐはぶらくゐんにてぞありける。ぐわんきやうぐわんねんしんぐわつここのかのひ、ことはじめあつて、おなじきにねんじふぐわつやうかのひぞつくりいだされたりける。ごれんぜいのゐんのぎよう、てんきごねんにんぐわつにじふろくにち、またやけにけり。ぢりやくしねんはちぐわつじふしにちに、ことはじめありしかども、いまだつくりもいだされずして、ごれんぜいのゐんほうぎよなりぬ。ごさんでうのゐんのぎよう、えんきうしねんしんぐわつじふごにちにつくりいだされて、ぶんじんしをたてまつり、P108れいじんがくをそうして、せんかうなしたてまつる。いまはよすゑになつて、くにのちからもみなおとろへたれば、そののちはつひにつくられず。P109

平家物語 巻第二  総かな版(元和九年本)
「ざすながし」(『ざすながし』)S0201ぢしようぐわんねんごぐわついつかのひ、てんだいざすめいうんだいそうじやう、くじやうをちやうじせらるるうへ、くらんどをおつかひにて、によいりんのごほんぞんをめしかへいて、ごぢそうをかいえきせらる。すなはちしちやうのつかひをつけて、こんどしんよだいりへふりたてまつししゆとのちやうぼんをめされけり。かがのくににざすのごばうりやうあり。こくしもろたかこれをちやうはいのあひだ、そのしゆくいによつて、だいしゆをかたらひそしようをいたさる。すでにてうかのおんだいじにおよぶべきよし、さいくわうほふしふしがざんそうによつて、ほふわうおほきにげきりんありけり。ことにぢうくわにおこなはるべしときこゆ。めいうんはゐんのごきしよくあしかりければ、いんやくをかへしたてまつて、ざすをじしまうされけり。おなじきじふいちにち、とばのゐんのしちのみやかくくわいほつしんわう、てんだいざすにならせたまふ。これはしやうれんゐんのだいそうじやうぎやうげんのおんでしなり。あくるじふににち、せんざすしよしよくをもつしゆせらるるP110うへ、けんびゐしににんをつけて、ゐにふたをし、ひにみづをかけて、すゐくわのせめにおこなはるべきよしきこゆ。これによつて、だいしゆなほさんらくすときこえしかば、きやうぢうまたさわぎあへり。
おなじきじふはちにちだいじやうだいじんいげのくぎやうじふさんにんさんだいして、ぢんのざにつき、さきのざすざいくわのことぎぢやうあり。はちでうのちうなごんながかたのきやう、そのときはいまださだいべんのさいしやうにて、ばつざにさぶらはれけるが、すすみいでてまうされけるは、「ほつけのかんじやうにまかせて、しざいいつとうをげんじて、をんるせらるべしとはみえてさふらへども、せんざすめいうんだいそうじやうはけんみつけんがくして、じやうぎやうぢりつのうへ、だいじようめうきやうをくげにさづけたてまつり、ぼさつじやうかいをほふわうにたもたせたてまつる。おんきやうのし、おんかいのし、ぢうくわにおこなはれんことは、みやうのせうらんはかりがたし。げんぞくをんるをなだめらるべきか」と、はばかるところもなうまうされたりければ、たうざのくぎやう、みなながかたのぎにどうずとまうしあはれけれども、ほふわうおんいきどほりふかかりければ、なほをんるにさだめらる。だいじやうのにふだうもこのことまうさんとて、ゐんざんせられたりけれども、ほふわうおんかぜのけとて、ごぜんへもめされたまはねば、ほいなげにてたいしゆつせらる。そうをつみするならひとて、どえんをめしかへし、げんぞくせさせたてまつり、だいなごんのたいふふじゐのまつえだといふぞくみやうをこそつけられけれ。このめいうんとまうすは、かけまくもかたじけなく、むらかみのてんわうだいしちのわうじ、ぐへいしんわうよりろくだいのおんすゑ、こがのだいなごんあきみちのきやうのおんこなり。まことにぶさうのせきとく、てんがP111だいいちのかうそうにておはしければ、きみもしんもたつとみたまひて、てんわうじ、ろくしようじのべつたうをもかけたまへり。されどもをんやうのかみあべのやすちかがまうしけるは、「さばかりのちしやの、めいうんとなのりたまふこそこころえね。うへにはじつげつのひかりをならべ、したにくもあり」とぞなんじける。にんあんぐわんねんにんぐわつはつかのひ、てんだいざすにならせたまふ。おなじきさんぐわつじふごにちごはいだうあり。ちうだうのほうざうをひらかれけるに、しゆじゆのちようほうどものなかに、はういつしやくのはこあり。しろいぬのにてつつまれたり。いつしやうふぼんのざす、かのはこをあけてみたまふに、わうしにかけるふみいつくわんあり。でんげうだいし、みらいのざすのみやうじを、かねてしるしおかれたり。わがなのあるところまではみて、それよりおくをばみたまはず、もとのごとくまきかへしておかるるならひなり。さればこのそうじやうも、さこそはおはしけめ。かかるたつときひとなれども、ぜんぜのしゆくごふをばまぬかれたまはず、あはれなりしことどもなり。おなじきにじふいちにち、はいしよいづのくにとさだめらる。ひとびとやうやうにまうされけれども、さいくわうほふしふしがざんそうによつて、かやうにはおこなはれけるなり。けふやがてみやこのうちをおひいださるべしとて、おつたてのくわんにん、しらかはのごばうにゆきむかつておひたてまつる。そうじやうなくなくごばうをいでつつ、あはたぐちのほとり、いつさいきやうのべつしよへいらせおはします。さんもんには、せんずるところ、われらがかたきは、さいくわうほふしふしにすぎたるものなしとて、かれらふしがみやうじをかいて、こんぽんちうだうにおはしますじふにじんじやうのうち、こんぴらだいじやうのP112ひだんのみあしのしたにふませたてまつり、「じふにじんじやう、しちせんやしや、じこくをめぐらさず、さいくわうほふしふしがいのちをめしとりたまへや」と、をめきさけんでしゆそしけるこそ、きくもおそろしけれ。
おなじきにじふさんにちいつさいきやうのべつしよより、はいしよへおもむきたまひけり。さばかりのほふむのだいそうじやうほどのひとのおつたてのうつしがさきにけたてられて、けふをかぎりにみやこをいでて、せきのひがしへおもむかれけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。おほつのうちでのはまにもなりぬれば、もんじゆろうののきばのしろじろとしてみえけるを、ふためともみたまはず、そでをかほにおしあててなみだにむせびたまひけり。さんもんにはしゆくらうせきとくおほしといへども、ちようけんほふいん、そのときはいまだそうづにておはしけるが、あまりになごりををしみたてまつり、あはづまでおくりまゐらせて、それよりいとまこうてかへられけるに、そうじやうこころざしのせつなることをかんじて、ねんらいこしんぢうにひせられたりし、いつしんさんぐわんのけつみやくさうじようをさづけらる。このほうはしやくそんのふぞく、はらないこくのめみやうびく、なんてんぢくのりうじゆぼさつよりしだいにさうでんしきたれるを、けふのなさけにさづけらる。さすがわがてうはそくさんへんぢのさかひ、じよくせまつだいとはいひながら、ちようけんこれをふぞくして、ほふえのたもとをしぼりつつ、みやこへかへりのぼられけん、こころのうちこそたつとけれ。
さるほどにさんもんにはだいしゆおこつてせんぎす。「そもそもぎしんくわしやうよりこのかた、てんだいざすはじまつて、ごじふごだいにいたるまで、いまだるざいのれいをきかず。つらつらことのこころをあんずるに、P113えんりやくのころほひ、くわうていはていとをたて、だいしはたうざんによぢのぼりて、しめいのけうぼふをこのところにひろめたまひしよりこのかた、ごしやうのによにんあとたえて、さんぜんのじやうりよきよをしめたり。みねにはいちじようどくじゆとしふりて、ふもとにはしちしやのれいげんひあらたなり。かのぐわつしのりやうぜんは、わうじやうのとうぼく、だいしやうのいうくつなり。このじちゐきのえいがくもていとのきもんにそばだちてごこくのれいちなり。だいだいのけんわうちしん、このところにだんぢやうをしむ。まつだいならんがらんに、いかでかたうざんにきずをばつくべき。こはこころうし」とて、をめきさけぶといふほどこそありけれ、まんざんのだいしゆ、のこりとどまるものもなく、みなひがしざかもとへおりくだる。(『いちぎやうあじやりのさた』)S0202じふぜんじごんげんのおんまへにて、だいしゆまたせんぎす。「そもそもわれらあはづへゆきむかつて、くわんじゆをばうばひとどめたてまつるべし。ただしおつたてのうつし、りやうそうしあるなれば、さうなうとりえたてまつらんことありがたし。いまはさんわうだいしのおんちからのほか、またたのみたてまつるかたなし。まことにべつのしさいなく、とりえたてまつるべくは、ここにてまづひとつのずゐさうをみせしめたまへ」と、らうそうどもかんたんをくだいてきねんしけり。ここにむどうじぼふしじようゑんりつしがめしつかひけるつるまるといふわらはあり。しやうねんじふはつさいになりけるが、しんじんをくるしめ、ごたいにあせをながいて、にはかにくるひいでたり。「われじふぜんじごんげんのりゐさせたまへり。まつだいといふとも、いかでかわがやまのくわんじゆをば、たこくへはうつさるべき。しやうじやうせせにこころうし。さらんにとつては、われこのふもとにあとをとどめてもなににかはせん」とて、さうのそでをかほにおしあてて、さめざめとなきければ、P114だいしゆこれをあやしみて、「まことにじふぜんじごんげんのごたくせんにておはしまさば、われらしるしをまゐらせん。
いちいちにもとのぬしにかへしたまへ」とて、らうそうどもしごひやくにん、てんでにもつたるじゆずどもを、じふぜんじごんげんのおほゆかのうへへぞなげあげたる。かのものぐるひはしりまはり、ひろひあつめてすこしもたがへず、いちいちにみなもとのぬしにぞくばりける。だいしゆしんめいのれいげんあらたなることのたつとさに、みなたなごころをあはせてずゐきのかんるゐをぞもよほしける。「そのぎならば、ゆきむかつてうばひとどめたてまつれや」といふほどこそありけれ、うんかのごとくにはつかうす。あるひはしがからさきのはまぢにあゆみつづけるだいしゆもあり。あるひはやまだやばせのこしやうにふねおしいだすしゆともあり。これをみてさしもきびしげなりつるおつたてのうつし、りやうそうし、ちりぢりにみなにげさりぬ。だいしゆこくぶんじへまゐりむかふ。せんざすおほきにおどろかせたまひて、「およそちよくかんのものは、つきひのひかりにだにあたらずとこそうけたまはれ。いかにいはんや、じこくをめぐらさず、いそぎおひくださるべしと、ゐんぜんせんじのなりたるに、すこしもやすらふべからず。しゆととうとうかへりのぼりたまふべし」と、はしちかくゐいでてのたまひけるは、「さんだいくわいもんのいへをいでて、しめいいうけいのまどにいつしよりこのかた、ひろくゑんじうのけうぼふをがくして、けんみつりやうしうをまなびき。ただわがやまのこうりうをのみおもへり。またこくかをいのりたてまつることもおろそかならず。しゆとをはぐくむこころざしもふかかりき。りやうじよさんしやうさだめてせうらんしたまふらん。みにあやまつことなし。むじつのつみによつて、をんるのぢうくわをかうむれば、よをもひとをもかみをもほとけをも、P115うらみたてまつるかたなし。まことにはるばるとこれまでとぶらひきたりたまふしゆとのはうしこそ、しやうじやうせせにもほうじつくしがたけれ」とて、かうぞめのおんころものそでをしぼりもあへさせたまはねば、だいしゆもみなよろひのそでをぞぬらしける。すでにおんこしさしよせて、「とうとうめさるべうさふらへ」とまうしければ、せんざすのたまひけるは、「むかしこそさんぜんのしゆとのくわんじゆたりしか。いまはかかるるにんのみとなつて、いかでかやんごとなきしゆがくしや、ちゑふかきだいしゆたちにかきささげられてはのぼるべき。たとひのぼるべきなりとも、わらんづなどいふものをしばりはいて、おなじやうにあゆみつづいてこそのぼらめ」とて、のりたまはず。
ここにさいたふのぢうりよ、かいじやうばうのあじやりいうけいといふあくそうあり。たけしちしやくばかりありけるが、くろかはをどしのよろひの、おほあらめにかねまぜたるを、くさずりながにきなし、かぶとをばぬいで、ほふしばらにもたせつつ、しらえのなぎなたつゑにつき、だいしゆのなかをおしわけおしわけ、せんざすのおんまへにまゐり、だいのまなこをみいからかし、せんざすをしばしにらまへたてまつて、「そのおんこころでこそ、かかるおんめにもあはせたまひさふらへ。とうとうめさるべうさふらふ」とまうしければ、せんざすおそろしさに、いそぎのりたまふ。だいしゆとりえたてまつることのうれしさに、いやしきほふしばらにはあらず、やんごとなきしゆがくしやどもがかきささげたてまつてのぼるほどに、ひとはかはれどもいうけいはかはらず、さきごしかいて、こしのながえも、なぎなたのえも、くだけよととるままに、さしもさがしきひがしざか、へいぢをゆくがごとくなり。P116
だいかうだうのにはに、おんこしかきすゑて、だいしゆまたせんぎす。「そもそもわれらあはづにゆきむかつて、くわんじゆをばうばひとどめたてまつりぬ。ただしちよくかんをかうむりてをんるせられたまふひとを、くわんじゆにもちひまうさんこと、いかがあるべかるらん」とひやうぢやうす。かいじやうばうのあじやりいうけい、またさきのごとくすすみいでてせんぎしけるは、「それわがやまはにつぽんぶさうのれいち、ちんごこくかのだうぢやう、さんわうのごゐくわうさかんにして、ぶつぽふわうぼふごかくなり。さればしゆとのいしゆにいたるまでならびなく、いやしきほふしばらまでも、よもつてかろしめず。いはんやちゑかうきにして、さんぜんのしゆとのくわんじゆたり。とくぎやうおもうしていつさんのわじやうたり。つみなくしてつみをかうむりたまふこと、さんじやうらくちうのいきどほり、こうぶくをんじやうのあざけりにあらずや。このときわれらけんみつのあるじをうしなつて、すはいのがくりよ、ながくけいせつのつとめおこたらんこと、こころうかるべし。せんずるところ、いうけいちやうぼんにしようぜられ、きんごくるざいにもおよび、かうべのはねられんこと、こんじやうのめんぼく、めいどのおもひでなるべし」とて、さうがんよりなみだをはらはらとながしければ、すせんにんのだいしゆも、みなもつとももつともとぞどうじける。それよりしてこそ、いうけいをばいかめばうとはいはれけれ。そのでしゑけいりつしをば、ときのひとこいかめばうとぞまうしける。P117
「いちぎやうあじやり」だいしゆせんざすをば、とうだふのみなみだに、めうくわうばうにいれたてまつる。ときのわうざいをば、ごんげのひともまぬかれたまはざりけるにや。むかしたうのいちぎやうあじやりは、げんそうくわうていのごぢそうにておはしけるが、げんそうのきさきやうきひになをたちたまへり。むかしもいまも、だいこくもせうこくも、ひとのくちのさがなさは、あとかたもなきことなりしかども、そのうたがひによつて、くわらこくへながされさせたまふ。くだんのくにへはみつのみちあり。りんちだうとてごかうみち、いうちだうとてざふにんのかよふみち、あんけつだうとてぢうくわのものをつかはすみちなり。されば、かのいちぎやうあじやりはだいぼんのひとなればとて、あんけつだうへぞつかはされける。しちにちしちやがあひだ、つきひのひかりもみずしてゆくところなり。みやうみやうとしてひともなく、かうほにせんどまよひ、しんしんとしてやまふかし。ただかんこくにとりのひとこゑばかりにて、こけのぬれぎぬほしあへず、むじつのつみによつて、をんるのぢうくわをかうむりたまふことを、てんだうあはれみたまひて、くえうのかたちをげんじつつ、いちぎやうあじやりをまもりたまふ。ときにいちぎやうみぎのゆびをくひきり、ひだんのたもとにくえうのかたちをうつされけり。わかんりやうてうに、しんごんのほんぞんたるくえうのまんだらこれなり。P118
「さいくわうがきられ」(『さいくわうがきられ』)S0203さるほどにさんもんのだいしゆ、せんざすとりとどめたてまつたること、ほふわうきこしめして、いとどやすからずおぼしめしけるところに、さいくわうほふしまうしけるは、「むかしよりさんもんのだいしゆは、はつかうのみだりがはしきうつたへつかまつること、いまにはじめずとはまうしながら、こんどはもつてのほかにくわぶんにさふらふ。よくよくおんぱからひさふらふべし。これらをおんいましめさふらはずは、こののちはよがよでもさふらふまじ」とぞまうしける。ただいまわがみのほろびうせんずることをもかへりみず、さんわうだいしのしんりよにもはばからず、かやうにまうしてしんきんをなやましたてまつる。ざんしんはくにをみだるといへり。まことなるかな。さうらんしげからんとすれども、あきのかぜこれをやぶり、わうじやあきらかならんとすれども、ざんしんこれをくらうすとも、かやうのことをやまうすべき。しんだいなごんなりちかのきやういげきんじゆのひとびとにおほせて、ほふわうやませめらるべしときこえしかば、さんもんのだいしゆは、さのみわうぢにはらまれて、ぜうめいをたいかんせんもおそれなりとて、ないないゐんぜんにしたがひたてまつるしゆともありなどきこえしかば、せんざすはとうだふのみなみだに、めうくわうばうにおはしけるが、だいしゆふたごころありとききたまひて、「またいかなるうきめにかあふべきやらん」と、こころぼそげにぞのたまひける。されどもP119るざいのさたはなかりけり。さるほどにしんだいなごんは、さんもんのさうどうによつて、わたくしのしゆくいをばしばらくおさへられけり。そもないぎしたくはさまざまなりしかども、ぎせいばかりで、このむほんかなふべしともみえざりければ、さしもたのまれたりつるただのくらんどゆきつな、このことむやくなりとおもふこころやつきにけん、ゆぶくろのれうにとておくられたりけるぬのどもをば、ひたたれ、かたびらにたちぬはせ、いへのこ、らうどうどもにきせつつ、めうちしばだたいてゐたりけるが、つらつらへいけのはんじやうするありさまをみるに、たうじたやすうかたぶけがたし。もしこのこともれぬるほどならば、ゆきつなまづうしなはれなんず。たにんのくちよりもれぬさきにかへりちうして、いのちいかうどおもふこころぞつきにける。
おなじきにじふくにちのさよふけがたに、にふだうしやうこくのにしはちでうのていにまゐつて、「ゆきつなこそまうすべきことあつて、これまでまゐつてさふらへ」と、あんないをいひいれたりければ、にふだう、「つねにもまゐらぬもののさんじたるはなにごとぞ、あれきけ」とて、しゆめのはんぐわんもりくにをいだされたり。「まつたくひとづてにはまうすまじきことなり」といふあひだ、にふだう、さらばとて、みづからちうもんのらうにぞいでられたる。「よははるかにふけぬらんに、いかにただいまなにごとぞ」とのたまへば、「ひるはひとめのしげうさふらふあひだ、よにまぎれてまゐつてさふらふ。このほどゐんぢうのひとびとのひやうぐをととのへ、ぐんびやうもよほされしことをば、なにとかきこしめされてさふらふやらん」。にふだう、「いさとよ、それはほふわうのやませめらるべきP120ごけつこうとこそきけ」と、いとこともなげにぞのたまひける。ゆきつなちかうよりこごゑになつて、「そのぎではさふらはず。いつかうたうけのおんうへとこそうけたまはりさふらへ」。にふだう、「さてそれをばほふわうもしろしめされたるか」。「しさいにやおよびさふらふ。しつじのべつたうなりちかのきやうのぐんびやうもよほされさふらひしにも、ゐんぜんとてこそめされしか。やすよりがとまうして、しゆんくわんがかくまうして、さいくわうがとふるまうて」など、ありのままにはさしすぎていひちらし、わがみはいとままうすとていでければ、そのときにふだうおほごゑをもつてさぶらひどもよびののしりたまふことおびたたし。ゆきつななまじひなることまうしいでて、しようにんにやひかれんずらんとおそろしさに、ひともおはぬにとりばかまし、おほのにひをはなちたるここちして、いそぎもんぐわいへぞにげいでける。そののちにふだう、ちくごのかみさだよしをめして、「たうけかたぶけうどするむほんのともがらこそ、きやうぢうにみちみちたんなれ。いそぎいちもんのひとびとにもふれまうせ。さぶらひどももよほせ」とのたまへば、はせまはつてひろうす。うだいしやうむねもり、さんみのちうじやうとももり、とうのちうじやうしげひら、さまのかみゆきもりいげのいちもんのひとびと、かつちうきうせんをたいしてさしつどふ。そのほかさぶらひどももうんかのごとくにはせあつまつて、そのよのうちににふだうしやうこくのにしはちでうのていには、つはものろくしちせんきもあるらんとぞみえし。
あくればろくぐわつひとひのひなり。いまだくらかりけるに、にふだうしやうこくあべのすけなりをめして、「ゐんのごしよへまゐり、だいぜんのだいぶのぶなりをよびいだいて、きつとまうさんずることはよな、P121しんだいなごんなりちかのきやういげ、きんじゆのひとびと、このいちもんほろぼしててんがみだらんとするむほんのくはだてあり。いちいちにからめとつて、たづねさたつかまつりさふらふべし。それをばきみもしろしめさるまじうさふらふとまうすべし」とぞのたまひける。すけなりいそぎゐんのごしよにはせまゐり、のぶなりをまねいてこのことまうすに、いろをうしなふ。やがておんまへへまゐりてこのよしかくとそうもんまうしければ、ほふわう「ああはや、これらがないないはかりしことのもれきこえけるにこそ。さるにても、こはなにごとぞ」とばかりおほせられて、ふんみやうのおんぺんじもなかりけり。すけなりいそぎはしりかへつて、このよしかくとまうしければ、にふだう、「さればこそゆきつなはまことをまうしたれ。ゆきつなこのことつげしらせずは、じやうかいあんをんにてやはあるべき」とて、ちくごのかみさだよし、ひだのかみかげいへをめして、たうけかたむけうどするむほんのともがら、いちいちにからめとるべきよしげぢせらる。よつてにひやくよき、さんびやくよき、あそこここにおしよせおしよせからめとる。にふだうしやうこくまづざつしきをもつて、なかのみかどからすまるのしんだいなごんのしゆくしよへ、「きつとたちよりたまへ。まうしあはすべきことのさふらふ」と、のたまひつかはされければ、だいなごんわがみのうへとはつゆしらず、あはれ、これはほふわうのやませめらるべきごけつこうのあるを、まうしなだめられんずるにこそ。おんいきどほりふかげなり。いかにもかなふまじきものを」とて、ないきよげなるほういたをやかにきなし、あざやかなるくるまにのり、さぶらひさんしにんめしぐして、ざつしきうしかひにいたるまで、つねよりもなほひきつくろはれたり。そもさいごとはP122のちにこそおもひしられけれ。
にしはちでうちかうなつてみたまへば、しごちやうにぐんびやうどもみちみちたり。「あなおびたたし、こはなにごとなるらんと、むねうちさわがれけれども、もんぜんにてくるまよりおり、もんのうちへさしいつてみたまへば、うちにもつはものどもひまはざまもなうぞなみゐたる。ちうもんのくちにはおそろしげなるものども、あまたまちうけたてまつり、だいなごんをとつてひつぱり、「いましむべうさふらふやらん」とまうしければ、にふだうれんちうよりみいだしたまひて、「あるべうもなし」とのたまへば、さぶらひどもじふしごにん、ぜんごさうにたちかこみ、だいなごんのてをとつて、えんのうへへひきあげたてまつり、ひとまなるところにおしこめたてまつてげり。だいなごんはゆめのここちして、つやつやものもおぼえたまはず。ともにありつるさぶらひども、おほぜいにおしへだてられて、ちりぢりになりぬ。ざふしきうしかひいろをうしなひ、うしくるまをすてて、みなにげさりぬ。さるほどに、あふみちうじやうにふだうれんじやう、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、やましろのかみもとかぬ、しきぶのたいふまさつな、へいはうぐわんやすより、そうはうぐわんのぶふさ、しんへいはうぐわんすけゆきも、とらはれてこそいできたれ。さいくわうほふしこのよしをきいて、わがみのうへとやおもひけん、むちをうつていそぎゐんのごしよへまゐる。ろくはらのつはものども、みちにてゆきあひ、「にしはちでうどのよりめさるるぞ。きつとまゐれ」といひければ、「これはそうすべきことあつて、ゐんのごしよへまゐる。やがてこそかへりまゐらめ」といひければ、「につくいにふだうめが、なにごとをかP123そうすべかんなるぞ」とて、しやむまよりとつてひきおとし、ちうにくくつてにしはちでうどのへさげてまゐる。ひのはじめよりごんげんよりきのものなりければ、ことにつよういましめて、おんつぼのうちにぞひつすゑたる。にふだうしやうこくおほゆかにたつて、しばしにらまへ、「あなにくや、たうけかたぶけうどするむほんのやつがなれるすがたよ。しやつここへひきよせよ」とて、えんのきはへひきよせさせ、ものはきながら、しやつらをむずむずとぞふまれける。「もとよりおのれらがやうなるげらふのはてを、きみのめしつかはせたまひて、なさるまじきくわんしよくをなしたび、ふしともにくわぶんのふるまひをするとみしにあはせて、あやまたぬてんだいざするざいにまうしおこなひ、あまつさへたうけかたぶけうどするむほんのともがらにくみしてげるなり。ありのままにまうせ」とこそのたまひけれ。
さいくわうもとよりすぐれたるだいかうのものなりければ、ちともいろもへんぜず、わろびれたるけしきもなく、ゐなほり、あざわらつてまうしけるは、「ゐんぢうにちかうめしつかはるるみなれば、しつじのべつたうなりちかのきやうのぐんびやうもよほされさふらふことにも、くみせずとはまうすべきやうなし。それはくみしたり。ただし、みみにあたることをものたまふものかな。たにんのまへはしらず、さいくわうがきかんずるところにては、さやうのことをば、えこそのたまふまじけれ。そもそもごへんは、こぎやうぶきやうただもりのちやくしにておはせしが、じふしごまではしゆつしもしたまはず。こなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやうのへんにたちいりたまひしをば、きやうわらんべはれいのたかへいだとこそいひしか。しかるをほうえんのころ、かいぞくのちやうぼんさんじふよにんからめしんぜられたりしP124けんじやうにしほんしてしゐのひやうゑのすけとまうししをだに、ひとみなくわぶんとこそまうしあはれしか。てんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんにて、いまだいじやうだいじんまでなりあがつたるやくわぶんなるらん。もとよりさぶらひほどのものの、じゆりやうけんびゐしにいたること、せんれい、ほうれいなきにしもあらず。なじかはくわぶんなるべき」と、はばかるところもなういひちらしたりければ、にふだうしやうこくあまりにはらをすゑかねて、しばしはものをものたまはず。ややあつてにふだうのたまひけるは、「しやつがくびさうなうきるな。よくよくきうもんしてことのしさいをたづねとひ、そののちかはらへひきいだいて、かうべをはねよ」とぞのたまひける。まつうらのたらうしげとしうけたまはつて、てあしをはさみ、さまざまにしていためとふ。さいくわうもとよりあらそはざりけるうへ、がうもんはきびしかりけり。はくじやうしごまいにきせられて、そののちくちをさけとて、くちをさかれ、ごでうにしのしゆしやかにして、つひにきられにけり。ちやくしかがのかみもろたかはけつくわんぜられて、をはりのゐどたへながされたりしを、おなじきくにのぢうにんをぐまのぐんじこれすゑにおほせてうたせらる。じなんこんどうはんぐわんもろつねをば、ごくよりひきいだいて、ちうせらる。そのおととさゑもんのじようもろひら、らうどうさんにんをもおなじうかうべをはねられけり。これらはみないふかひなきもののひいでて、いろふまじきことをのみいろひ、あやまたぬてんだいざするざいにまうしおこなひ、くわはうやつきにけん、さんわうだいしのしんばつみやうばつをたちどころにかうむつて、かかるうきめにあへりけり。P125
「こげうくん」(『こげうくん』)S0204しんだいなごんはひとまなるところにおしこめられて、あせみづになりつつ、「あはれこれはひごろのあらましごとの、もれきこえけるにこそ。たれもらしぬらん。さだめてほくめんのともがらのなかにぞあるらん」なんど、おもはじことなうあんじつづけておはしけるところに、うしろよりあしおとのたからかにしければ、すはただいまわがいのちうしなはんとて、もののふどものまゐるにこそとおもはれければ、さはなくして、にふだういたじきたからかにふみならし、だいなごんのおはしけるうしろのしやうじを、さつとひきあけていでられたり。そけんのころものみじからかなるに、しろきおほくちふみくくみ、ひじりづかのかたなおしくつろげてさすままに、もつてのほかにいかれるけしきにて、だいなごんをしばしにらまへて、「そもそもごへんは、へいぢにもすでにちうせらるべかりしを、だいふがみにかへてまうしうけ、くびをつぎたてまつしはいかに。しかるにそのおんをわすれて、なんのゐこんあつてか、たうけかたぶけうどはしたまふなるぞ。おんをしるをもつてひととはいふぞ。おんをしらざるをばちくしやうとこそいへ。されどもたうけのうんめいいまだつきざるによつて、これまではむかへたんなり。ひごろのあらましのしだい、ぢきにうけたまはらん」とのたまへば、だいなごん、「まつたくさることさふらはず。いかさまにもP126ひとのざんげんにてぞさふらふらん。よくよくおんたづねさふらふべし」とまうされければ、にふだういはせもはてず、「ひとやある、ひとやある」とめされければ、さだよしつとまゐりたり。「
さいくわうめがはくじやうとつてまゐれ」とのたまへば、もつてまゐりたり。にふだうこれをとつて、おしかへしおしかへしにさんべんたからかによみきかせ、「あなにくや、このうへをばなにとかちんずべかんなるぞ」とて、だいなごんのかほにさつとなげかけ、しやうじをちやうどひきたてていでられけるが、なほはらをすゑかねて、つねとほかねやすとめす。なんばのじらう、せのをのたらうまゐりたり。「あのをのことつて、にはへひきおとせ」とのたまへども、これらさうなうもしたてまつらず、「こまつどののごきしよく、いかがさふらはんずるやらん」とまうしければ、にふだう、「よしよし、おのれらは、だいふがめいをおもんじて、にふだうがおほせをばかるうしけるござんなれ。このうへはちからおよばず」とのたまへば、これらあしかりなんとやおもひけん、たちあがり、だいなごんのさうのてをとつて、にはへひきおとしたてまつる。そのときにふだうここちよげにて、「とつてふせてをめかせよ」とぞのたまひける。ににんのものども、だいなごんのさうのみみにくちをあてて、「いかさまにもおんこゑのいづべうさふらふ」と、ささやいてひきふせたてまつれば、ふたこゑみこゑぞをめかれける。そのてい、めいどにて、しやばせかいのざいにんを、あるひはごふのはかりにかけ、あるひはじやうはりのかがみにひきむけて、つみのきやうぢうにまかせつつ、あはうらせつがかしやくすらんも、これにはすぎじとぞみえし。P127せうはんとらはれとらはれて、かんはうにらぎすされたり。てうそりくをうけ、しうぎつみせらる。たとへば、せうが、はんくわい、かんしん、はうゑつ、これらはみなかうそのちうしんたりしかども、せうじんのざんによつて、くわはいのはぢをうくとも、かやうのことをやまうすべき。しんだいなごんは、わがみのかくなるにつけても、しそくたんばのせうしやうなりつねいげ、をさなきものどものいかなるうきめにかあふらんと、おもひやるにもおぼつかなし。さばかりあつきろくぐわつに、しやうぞくをだにもくつろげられず、あつさもたへがたければ、むねもせきあぐるここちして、あせもなみだもあらそひてぞながれける。さりともこまつどのはおぼしめしはなたじものをとはおもはれけれども、たれしてまうすべしともおぼえたまはず。
こまつのおとどは、れいのぜんあくにさわぎたまはぬひとにておはしければ、はるかにひたけてのち、ちやくしごんのすけぜうしやうこれもりを、くるまのしりにのせつつ、ゑふしごにん、ずゐじんにさんにんめしぐして、ぐんびやうどもをばいちにんもぐせられず、まことにおほやうげにておはしたれば、にふだうをはじめたてまつて、いちもんのひとびと、みなおもはずげにぞみたまひける。おとどちうもんのくちにて、おんくるまよりおりたまふところへ、さだよしつとまゐつて、「などこれほどのおんだいじに、ぐんびやうをばいちにんもめしぐせられさふらはぬやらん」とまうしければ、おとど、「だいじとはてんがのことをこそいへ。かやうのわたくしごとを、だいじといふやうやある」とのたまへば、ひやうぢやうをたいしたりけるつはものども、みなそぞろいてぞみえたりける。そののちおとど、だいなごんをばいづくにおきたてまつたるやらんと、ここかしこをひきあけひきあけP128みたまふに、あるしやうじのうへに、くもでゆうたるところあり。ここやらんとてあけられたれば、だいなごんおはしけり。なみだにむせびうつぶして、めもみあげたまはず。「いかにや」とのたまへば、そのときみつけたてまつて、うれしげにおもはれたるけしき、ぢごくにてざいにんどもが、ぢざうぼさつをみたてまつるらんも、かくやとおぼえてあはれなり。「なにごとにてさふらふやらん。けさよりかかるうきめにあひさふらふ。さてわたらせたまへば、さりともとこそふかうたのみたてまつてさふらへ。へいぢにもすでにちうせらるべかりしを、ごおんをもつてくびをつがれまゐらせ、あまつさへじやうにゐのだいなごんまでへあがつて、としすでにしじふにあまりさふらふごおんこそ、しやうじやうせせにもはうじつくしがたうさふらへども、こんどもまたかひなきいのちをたすけさせおはしませ。さだにもさふらはば、しゆつけにふだうつかまつり、いかならんかたやまざとにもこもりゐて、ひとすぢにごせぼだいのつとめをいとなみさふらはん」とぞまうされける。
おとど、「ささふらへばとて、おんいのちうしなひたてまつるまでのことはよもさふらはじ。たとひささふらふとも、しげもりかうてさふらへば、おんいのちにはかはりまゐらせさふらふべし。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とて、ちちのぜんもんのおんまへにおはして、「あのだいなごんうしなはれんことは、よくよくごしゆゐさふらふべし。そのゆゑはせんぞしゆりのだいぶあきすゑ、しらかはのゐんにめしつかはれまゐらせしよりこのかた、いへにそのれいなきじやうにゐのだいなごんにへあがつて、あまつさへたうじ、きみぶさうのおんいとほしみ、かうべをはねられんことしかるべうもさふらはず(す)。ただみやこのほかへいだされたらんに、P129ことたりさふらひなんず。
きたののてんじんは、しへいのおとどのざんそうにて、うきなをさいかいのなみにながし、にしのみやのだいじんは、ただのまんぢうのざんげんによつて、うらみをせんやうのくもによす。おのおのむじつなりしかども、るざいせられたまひにき。これみなえんぎのせいだい、あんわのみかどのおんひがこととぞまうしつたへたる。しやうこなほかくのごとし。いはんやまつだいにおいてをや。けんわうなほおんあやまりあり、いはんやぼんにんにおいてをや。すでにめしおかれぬるうへは、いそぎうしなはれずとも、なにのおそれかさふらふべき。けいのうたがはしきをばかろんぜよ、こうのうたがはしきをばおもんぜよとこそみえてさふらへ。ことあたらしきまうしごとにてさふらへども、しげもりかのだいなごんがいもうとにあひぐしてさふらふ。これもりまたむこなり。かやうにしたしうまかりなつてさふらへば、まうすとやおぼしめされさふらふらん。いつかうそのぎではさふらはず。ただきみのため、くにのため、よのため、いへのためのことをおもつてまうしさふらふ。ひととせこせうなごんにふだうしんせいがしつけんのときにあひあたつて、わがてうにはさがのくわうていのおんとき、うひやうゑのかみふぢはらのなかなりをちうせられてよりこのかた、ほうげんまでは、きみにじふごだいのあひだ、おこなはれざりししざいを、はじめてとりおこなひ、うぢのあくさふのしがいをほりおこいて、じつけんせられたりしことなんどまでは、あまりなるおんまつりごととこそぞんじさふらへ。さればいにしへのひとも、しざいをおこなへば、かいだいにむほんのともがらたえずとこそまうしつたへてさふらへ。このことばについて、なかにねんあつて、へいぢにまたよみだれて、しんせいがうづまれたりしをほりおこし、かうべをはねておほぢをわたされさふらひき。ほうげんにまうしおこなひしことの、いくほどもなくて、はやP130みのうへにむくはれにきとおもへば、おそろしうこそさふらへ。これはさせるてうてきにてもさふらはず、かたがたおそれあるべし。ごえいぐわのこるところなければ、おぼしめさるることはあるまじけれども、ししそんぞんまで、はんじやうこそあらまほしうはさふらへ。さればふそのぜんあくは、かならずしそんにおよぶとこそみえてさふらへ。しやくぜんのいへにはよけいあり、せきあくのかどにはよあうとどまるとこそみえてさふらへ。いかさまにもこんやかうべをはねられんことは、しかるべうもさふらはず」とまうされたりければ、にふだうげにもとやおもはれけん、しざいをばおもひとどまりたまひけり。そののちおとどちうもんにいでて、さぶらひどもにのたまひけるは、「おほせなればとて、あのだいなごんうしなはんこと、さうなうあるべからず。にふだうはらのたちのままに、ものさわがしきことしたまひて、のちにはかならずくやみたまふべし。ひがごとしてわれうらむな」とのたまへば、ひやうぢやうをたいしたりけるつはものども、みなしたをふるつておそれをののく。「さてもけさつねとほかねやすが、あのだいなごんになさけなうあたりたてまつたることこそ、かへすがへすもきくわいなれ。などしげもりがかへりきかんずるところをば、はばからざりけるぞ。かたゐなかのさぶらひは、みなかかるぞとよ」とのたまへば、なんばもせのをも、ともにおそれいつたりけり。おとどはかやうにのたまひて、こまつどのへぞかへられける。
さるほどにだいなごんのさむらひども、いそぎなかのみかどからすまるのしゆくしよにかへりまゐつて、このよしかくとまうしければ、きたのかたいげのにようばうたち、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。「せうしやうどのをP131はじめまゐらせて、をさなきひとびとも、みなとられさせたまふべきよしうけたまはりてさふらへ。いそぎいづかたへもしのばせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、きたのかた、「いまはこれほどになつて、のこりとどまるみとても、あんをんにてなににかはせんなれば、ただおなじひとよのつゆともきえんことこそほいなれ。さてもけさをかぎりとしらざりつることのかなしさよ」とて、ひきかづいてぞふしたまふ。すでにぶしどものちかづくよしきこえしかば、かくてはぢがましう、うたてきめをみんも、さすがなればとて、とをになりたまふによし、はつさいのなんし、ひとつくるまにとりのつて、いづちをさすともなくやりいだす。さてしもあるべきことならねば、おほみやをのぼりに、きたやまのへんうんりんゐんへぞおはしける。そのへんなるそうばうにおろしおきたてまつり、おくりのものどもは、みみのすてがたさに、みないとままうしてかへりにけり。いまはいとけなきひとびとばかりのこりゐて、またこととふひともなくしておはしけるきたのかたのこころのうち、おしはかられてあはれなり。くれゆくかげをみたまふにつけても、だいなごんのつゆのいのち、このゆふべをかぎりなりと、おもひやるにもきえぬべし。しゆくしよにはにようばうさぶらひおほかりけれども、ものをだにとりしたためず、かどをだにおしもたてず。むまやにはむまどもおほくなみたちたれども、くさかふものいちにんもなし。よあくればむまくるまかどにたちなみ、ひんかくざにつらなつて、あそびたはぶれまひをどり、よをよともしたまはず。ちかきあたりのものどもは、ものをだにたかくいはず、おぢおそれてこそきのふまでもありしに、よのまにかはるありさま、じやうしやひつすゐのP132ことわりはめのまへにこそあらはれたれ。「たのしみつきてかなしみきたる」とかかれたる、かうしやうこうのふでのあと、いまこそおもひしられけれ。
「せうしやうこひうけ」(『せうしやうこひうけ』)S0205たんばのせうしやうなりつねは、そのよしもゐんのごしよほふぢうじどのにうへぶしして、いまだいでられざりけるに、だいなごんのさぶらひども、いそぎゐんのごしよにはせまゐり、せうしやうどのをよびいだしたてまつり、このよしかくとまうしければ、せうしやう、「これほどのこと、などやさいしやうのもとより、いままでつげしらせざるらん」とのたまひもはてぬに、さいしやうどのよりとておつかひあり。このさいしやうとまうすは、にふだうしやうこくのおんおとと、しゆくしよはろくはらのそうもんのわきにおはしければ、かどわきのさいしやうとぞまうしける。たんばのせうしやうにはしうとなり。「なにごとにてさふらふやらん。けさにしはちでうのていより、きつとぐしたてまつれとさふらふ」と、のたまひつかはされたりければ、せうしやうこのことこころえて、きんじゆのにようばうたちをよびいだしまゐらせて、「ゆふべなにとなうものさわがしうさふらひしを、れいのやまぼふしのくだるかなんど、よそにおもひてさふらへば、はやなりつねがみのうへにまかりなつてさふらひけるぞや。ゆふさりだいなごんきらるべうさふらふなれば、なりつねとてもどうざいにてぞさふらはんずらん。いまいちどごぜんへさんじて、P133きみをもみまゐらせたくさふらへども、かかるみにまかりなつてさふらへば、はばかりぞんじさふらふ」とまうされたりければ、にようばうたちいそぎごぜんへまゐつて、このよしそうもんせられたりければ、ほふわうけさのぜんもんのつかひにはやおんこころえあつて、「これらがないないはかりしことのもれきこえけるにこそ。さるにてもいまいちどこれへ」とごきしよくありければ、せうしやうごぜんへまゐられたり。ほふわうおんなみだをながさせたまひて、おほせくださるるむねもなく、せうしやうもまたなみだにむせんで、まうしあげらるることもなし。ややあつてせうしやうごぜんをまかりいでられけるに、ほふわううしろをはるかにごらんじおくつて、「ただまつだいこそこころうけれ。これがかぎりにてまたもごらんぜぬこともやあらんずらん」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。せうしやうごぜんをまかりいでられけるに、ゐんぢうのひとびと、つぼねのにようばうたちにいたるまで、なごりををしみ、たもとにすがり、なみだをながし、そでをぬらさぬはなかりけり。
しうとのさいしやうのもとへいでられたれば、きたのかたはちかうさんすべきひとにておはしけるが、けさよりこのなげきをうちそへて、すでにいのちもきえいるここちぞせられける。せうしやうごしよをまかりいでられけるより、ながるるなみだつきせぬに、いまきたのかたのありさまをみたまひて、いとどせんかたなげにぞみえられける。せうしやうのめのとにろくでうといふをんなあり。「われおんちにまゐりはじめさぶらひて、きみをちのなかよりいだきあげたてまつり、おほしたてまゐらせしよりこのかた、つきひのかさなるにしたがつて、わがみのとしのゆくをばなげかずして、P134ひとへにきみのおとなしうならせたまふことをのみよろこび、あからさまとはおもへども、ことしはにじふいちねん、かたときもはなれまゐらせさぶらはず。ゐんうちへまゐらせたまひて、おそういでさせたまふだに、こころぐるしうおもひまゐらせさぶらひつるに、つひにいかなるうきめにかあはせたまふべきやらん」とてなく。せうしやう、「いたうななげいそ。さてさいしやうおはすれば、さりともいのちばかりをば、こひうけたまはんずるものを」と、やうやうになぐさめのたまへども、ろくでうひとめもはぢず、なきもだえけり。さるほどににしはちでうどのよりつかひしきなみにありしかば、さいしやう、「いまはただいでむかつてこそ、ともかうもならめ」とていでられければ、せうしやうもさいしやうのくるまのしりにのつてぞいでられける。ほうげんへいぢよりこのかた、へいけのひとびとは、たのしみさかえのみあつて、うれへなげきはなかりしに、このさいしやうばかりこそ、よしなきむこゆゑに、かかるなげきをばせられけれ。にしはちでうちかうなつて、まづあんないをまうされたりければ、せうしやうをばもんのうちへはいれらるべからずとのたまふあひだ、そのへんなるさぶらひのもとにおろしおき、さいしやうばかりぞ、もんのうちへはまゐられける。いつしかせうしやうをば、ぶしどもしはうをうちかこんで、きびしうしゆごしたてまつる。せうしやうのさしもたのもしうおもはれつるさいしやうどのにははなれたまひぬ。せうしやうのこころのうち、さこそはたよりなかりけめ。
さいしやうちうもんにゐたまひたれども、にふだういでもあはれず。ややあつてさいしやう、げんだいふのはんぐわんすゑさだをもつてまうされけるは、「のりもりこそよしなきものにしたしうなつて、かへすがへすP135くやしみさふらへども、かひもさふらはず。あひぐせさせてさふらふものの、このほどなやむことのさふらふなるが、けさよりこのなげきをうちそへて、すでにいのちもたえさふらひなんず。のりもりかうてさふらへば、なじかはひがごとせさせさふらふべき。せうしやうをばしばらくのりもりにあづけさせおはしませ」とまうされければ、すゑさだまゐつてこのよしをまうす。にふだう、「あはれれいのさいしやうがものにこころえぬよ」とて、とみにへんじもしたまはず。ややあつてにふだうのたまひけるは、「しんだいなごんなりちかのきやういげきんじゆのひとびと、このいちもんほろぼしててんがみだらんとするくはだてあり。すでにこのせうしやうはかのだいなごんがちやくしなり。うとうもなれ、したしうもなれ、えこそまうしゆるすまじけれ。もしこのむほんとげなましかば、ごへんとてもおだしうてやはおはすべきといふべし」とのたまへば、すゑさだかへりまゐつて、さいしやうどのにこのよしをまうす。さいしやうよにもほいなげにて、かさねてまうされけるは、「ほうげんへいぢよりこのかた、どどのかつせんにも、おんいのちにはかはりまゐらせんとこそぞんじさふらひしか。こののちもあらきかぜをば、まづふせぎまゐらせさふらふべし。たとひのりもりこそとしおいてさふらふとも、わかきこどもあまたさふらへば、いつぱうのおんかためにも、などかならではさふらふべき。それにしばらくせうしやうをあづからうどまうすに、おんゆるされなきは、いつかうのりもりをふたごころあるものとおぼしめされさふらふにこそ。それほどまでうしろめたうおもはれまゐらせては、よにあつてもなににかはしさふらふべきなれば、みのいとまをたまはつて、しゆつけにふだうつかまつり、かうや、こがはにもこもりゐて、ひとすぢにごせぼだいのつとめをいとなみさふらはん。P136
よしなきうきよのまじはりなり。よにあればこそのぞみもあれ、のぞみのかなはねばこそうらみもあれ。しかじうきよをいとひ、まことのみちにいりなんには」とぞのたまひける。すゑさだまゐりて、「さいしやうどのははやおぼしめしきつてさふらふぞ。ともかくもよきやうにおんぱからひさふらへ」とまうしければ、にふだう、「いやいやしゆつけにふだうまではあまりにけしからず。そのぎならば、せうしやうをばしばらくのりもりにあづくるといふべし」とぞのたまひける。すゑさだかへりまゐつて、さいしやうどのにこのよしをまうす。さいしやう、「あはれひとのこをばもつまじかりけるものかな。わがこのえんにむすぼほれざらんには、これほどまでこころをばくだかじものを」とていでられけり。せうしやうまちうけたてまつて、「さていかがさふらひつるやらん」とまうされければ、「にふだうあまりにいかつて、のりもりにはつひにたいめんもしたまはず、いかにもかなふまじきよしをしきりにのたまふあひだ、しゆつけにふだうまでまうしたればにやらん、そのぎならば、ごへんをばしばらくのりもりにあづくるとのたまひつれども、それもしじうはよかるべしともおぼえず」とのたまへば、せうしやう、「さてはなりつねはごおんをもつてしばしのいのちののびさふらはんずるにこそ。それにつきさふらうては、ちちでさふらふだいなごんがことをば、なにとかきこしめされてさふらふやらん」。さいしやう、「いさとよ、ごへんのことをこそ、やうやうにまうしたれ。それまでのことはおもひもよらざりつれ」とのたまへば、そのときせうしやうなみだをはらはらとながいて、「いのちのをしうさふらふも、ちちをいまいちどみばやとおもふためなり。ゆふさりだいなごんきられP137さふらはんにおいては、なりつねいのちいきてもなににかはしさふらふべきなれば、ただいつしよでいかにもなるやうにまうしてたばせたまふべうもやさふらふらん」とまうされければ、さいしやうよにもくるしげにて、「いさとよ、ごへんのことをこそやうやうにまうしたれ。それまでのことはおもひもよらざりつれども、けさうちのおとどのやうやうにまうさせたまひつれば、それもしばしはよきやうにこそきけ」とのたまへば、せうしやうききもあへたまはず、なくなくてをあはせてぞよろこばれける。こならざらんものが、たれかただいまわがみのうへをさしおいて、これほどまではよろこぶべき。まことのちぎりはおやこのなかにぞありける。こをばひとのもつべかりけるものかなと、やがておもひぞかへされける。さてけさのごとく、どうじやしてかへられたれば、しゆくしよにはにようばうさぶらひさしつどひて、しにたるひとのいきかへりたるここちして、みなよろこびなきをぞせられける。
「けうくん」(『けうくんじやう』)S0206だいじやうのにふだうは、かやうにひとびとあまたいましめおいても、なほこころゆかずやおもはれけん、すでにあかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのはらまきのしろかなものうつたるむないたせめ、せんねんあきのかみたりしとき、じんばいのついでにれいむをかうむつて、いつくしまのだいみやうじんよりうつつにたまはられたりける、P138しろかねのひるまきしたるこなぎなた、つねのまくらをはなたずたてられたりしをわきにはさみ、ちうもんのらうにぞいでられたる。おほかたそのきしよくゆゆしうぞみえし。「さだよし」とめす。ちくごのかみさだよしは、むくらんぢのひたたれに、ひをどしのよろひきておんまへにかしこまつてぞさふらひける。にふだうのたまひけるは、「いかにさだよし、このこといかがおもふぞ。ほうげんにへいうまのすけをはじめとして、いちもんなかばすぎて、しんゐんのみかたにまゐりにき。いちのみやのおんことは、こぎやうぶきやうのとののやうくんにてましまししかば、かたがたみはなちまゐらせがたかりしかども、こゐんのごゆゐかいにまかせて、みかたにてさきをかけたりき。これひとつのほうこう。つぎにへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、のぶよりよしともがむほんのとき、ゐんうちをとりたてまつて、たいだいにたてごもり、てんがくらやみとなつたりしにも、にふだうずゐぶんみをすてて、きようとをおひおとし、つねむねこれかたをめしいましめしにいたるまで、きみのおんために、すでにいのちをうしなはんとすることどどにおよぶ。さればひとなにとまうすとも、いかでかこのいちもんをば、しちだいまではおぼしめしすてさせたまふべき。それになりちかといふむようのいたづらもの、さいくわうとまうすげせんのふたうじんがまうすことに、きみのつかせたまひて、ややもすれば、このいちもんほろぼさるべきよしのごけつこうこそしかるべからね。こののちもざんそうするものあらば、たうけつゐたうのゐんぜんをくだされつとおぼゆるぞ。てうてきとなつてのちは、いかにくゆともえきあるまじ。しばらくよをしづめんほど、ほふわうをばとばのきたどのへうつしまゐらするか、しからずはこれへまれ、ごかうをなしまゐらせんとおもふはいかに。そのぎならば、さだめてP139ほくめんのものどもがなかより、やをもひとついんずらん。そのよういせよとさぶらひどもにふるべし。おほかたはにふだうゐんがたのほうこうおもひきつたり。むまにくらおかせよ。きせながとりいだせ」とこそのたまひけれ。
しゆめのはんぐわんもりくに、いそぎこまつどのへはせまゐつて、「よははやかうざふらふ」とまうしければ、おとどききもあへたまはず、「ああはやなりちかのきやうのかうべのはねられたんな」とのたまへば、「そのぎにてはさふらはねども、にふだうどののおんきせながをめされさふらふうへは、さぶらひどももみなうつたつて、ただいまゐんのごしよほふぢうじどのへよせんとこそいでたちさふらひつれ。しばらくよをしづめんほど、ほふわうをばとばのきたどのへうつしまゐらするか、しからずはこれへまれ、ごかうをなしまゐらせうどはさふらへども、ないないはちんぜいのかたへながしまゐらせんとこそぎせられさふらひつれ」とまうしければ、おとど、なにによつて、ただいまさるおんことのおはすべきとはおもはれけれども、けさのぜんもんのきしよく、さるものぐるはしきこともやおはすらんとて、いそぎくるまをとばせて、にしはちでうどのへぞおはしたる。もんぜんにてくるまよりおり、もんのうちへさしいつてみたまふに、にふだうはらまきをきたまふうへ、いちもんのけいしやううんかくすじふにん、おのおのいろいろのひたたれに、おもひおもひのよろひきて、ちうもんのらうににぎやうにちやくせられたり。そのほかしよこくのじゆりやう、ゑふ、しよしなどはえんにゐこぼれ、にはにもひしとなみゐたり。はたざをどもひきそばめひきそばめ、むまのはるびをかため、かぶとのををしめ、ただいまみなうつーたたんずるけしきどもなるに、こまつどのゑぼしなほしに、P140だいもんのさしぬきのそばとつて、ざやめきいりたまへば、ことのほかにぞみえられける。
にふだうふしめになつて、あはれれいのだいふが、よをへうするやうにふるまふものかな。おほきにいさめばやとはおもはれけれども、さすがこながらも、うちにはごかいをたもつて、じひをさきとし、ほかにはごじやうをみだらず、れいぎをただしうしたまふひとなれば、あのすがたにはらまきをきてむかはんこと、さすがおもばゆう、はづかしうやおもはれけん、しやうじをすこしひきたてて、はらまきのうへに、そけんのころもをあわてぎにきたまひたりけるが、むないたのかなものの、すこしはづれてみえけるを、かくさうど、しきりにころものむねをひきちがへひきちがへぞしたまひける。おとどはしやていむねもりのきやうのざしやうにつきたまふ。にふだうのたまひいださるることもなく、おとどもまたまうしあげらるるむねもなし。ややあつてにふだうのたまひけるは、「あのなりちかのきやうがむほんは、ことのかずにもさふらはず、いつかうほふわうのごけつこうにてさふらひけるぞや。しばらくよをしづめんほど、ほふわうをばとばのきたどのへうつしまゐらするか、しからずはこれへまれ、ごかうをなしまゐらせんとおもふはいかに」とのたまへば、おとどききもあへたまはず、はらはらとぞなかれける。にふだう、「さていかにやいかに」とあきれたまへば、ややあつておとどなみだをおさへて、「このおほせうけたまはりさふらふに、ごうんははやすゑになりぬとおぼえさふらふ。ひとのうんめいのかたぶかんとては、かならずあくじをおもひたちさふらふなり。またおんありさまをみまゐらせさふらふに、さらにうつつともおぼえさふらはず。さすがわがてうは、へんぢそくさんのさかひとはまうしながら、てんせうだいじんのごしそん、P141くにのあるじとして、あまのこやねのみことのおんすゑ、てうのまつりごとをつかさどらせたまひしよりこのかた、だいじやうだいじんのくわんにいたるひとのかつちうをよろふこと、れいぎをそむくにあらずや。なかんずくごしゆつけのおんみなり。それさんぜのしよぶつ、げだつどうさうのほふえをぬぎすてて、たちまちにかつちうをよろひ、きうせんをたいしましまさんこと、うちにははかいむざんのつみをまねくのみならず、ほかにはじんぎれいちしんのほふにもそむきさふらひなんず。かたがたおそれあるまうしごとにてさふらへども、こころのそこにしいしゆをのこすべきにもさふらはず。
まづよにしおんさふらふ。てんちのおん、こくわうのおん、ぶものおん、しゆじやうのおんこれなり。そのなかにもつともおもきはてうおんなり。ふてんのした、わうぢにあらずといふことなし。さればかのえいせんのみづにみみをあらひ、しゆやうざんにわらびををりしけんじんも、ちよくめいそむきがたきれいぎをばぞんぢすとこそうけたまはれ。いかにいはんや、せんぞにもいまだきかざつしだいじやうだいじんをきはめさせたまふ。いはゆるしげもりがむざいぐあんのみをもつて、れんぷくわいもんのくらゐにいたる。しかのみならずこくぐんなかばはいちもんのしよりやうとなつて、でんをんことごとくいつけのしんじたり。これきたいのてうおんにあらずや。いまこれらのばくたいのごおんをおぼしめしわすれさせたまひて、みだりがはしくほふわうをかたぶけまゐらさせたまはんこと、てんせうだいじん、しやうはちまんぐうのしんりよにもそむかせたまひさふらひなんず。それにつぽんはしんこくなり。しんはひれいをうけたまふべからずしかればきみのおぼしめしたたせたまふところ、だうりなかばなきにあらず。なかにもこのいちもんはだいだいのてうてきをたひらげて、しかいのげきらうをしづむることは、ぶさうのちうなれども、そのしやうにほこることは、P142ばうじやくぶじんともまうしつべし。しやうとくたいしじふしちかでうのごけんぼふに、『ひとみなこころあり。こころおのおのしふあり。かれをぜし、われをひし、われをぜし、かれをひす。ぜひのことわり、たれかよくさだむべき。あひともにけんぐなり。たまきのごとくしてはしなし。ここをもつて、たとひひといかるといふとも、かへつてわがとがをおそれよ』とこそみえてさふらへ。しかれどもたうけのうんめいいまだつきざるによつて、ごむほんすでにあらはれさせたまひさふらひぬ。そのうへおほせあはせらるるなりちかのきやうを、めしおかれぬるうへは、たとひきみいかなるふしぎをおぼしめしたたせたまふとも、なんのおそれかさふらふべき。しよたうのざいくわおこなはれぬるうへは、しりぞいてことのよしをちんじまうさせたまひて、きみのおんためには、いよいよほうこうのちうきんをつくし、たみのためには、ますますぶいくのあいれんをいたさせたまはば、しんめいのかごにあづかつて、ぶつだのみやうりよにそむくべからず。しんめいぶつだかんおうあらば、きみもおぼしめしなほすこと、などかさふらはざるべき。きみとしんとをくらぶるに、しんそわくかたなし。だうりとひがごとをならべんに、いかでかだうりにつかざるべき」。
「ほうくわ」(『ほうくわのさた』)S0207「これはもつともきみのおんことわりにてさふらへば、かなはざらんまでも、ゐんぢうをしゆごしまゐらせP143さふらふべし。そのゆゑは、しげもりはじめじよしやくより、いまだいじんのだいしやうにいたるまで、しかしながらきみのごおんならずといふことなし。このおんのおもきことをおもへば、せんくわばんくわのたまにもこえ、そのおんのふかきいろをあんずるに、いちじふさいじふのくれなゐにもなほすぎたらん。しからばゐんぢうへまゐりこもりさふらふべし。そのぎにてさふらはば、しげもりがみにかはり、いのちにかはらんとちぎりたるさぶらひどもせうせうさふらふらん。これらをめしぐしてゐんのごしよほふぢうじどのをしゆごしまゐらせさふらはば、さすがもつてのほかのおんだいじでこそさふらはんずらめ。かなしきかな、きみのおんためにほうこうのちうをいたさんとすれば、めいろはちまんのいただきよりもなほたかきちちのおんたちまちにわすれんとす。いたましきかな、ふけうのつみをのがれんとすれば、きみのおんためにはすでにふちうのぎやくしんともなりぬべし。しんだいこれきはまれり。ぜひいかにもわきまへがたし。まうしうくるしよせんは、ただしげもりがくびをめされさふらへ。そのゆゑは、ゐんざんのおんともをもつかまつるべからず。またゐんぢうをもしゆごしまゐらすべからず。さればかのせうがはたいこうかたへにこえたるによつて、くわんたいしやうこくにいたり、けんをたいしくつをはきながら、てんじやうへのぼることをゆるされしかども、えいりよにそむくことありしかば、かうそおもういましめて、ふかうつみせられにき。かやうのせんじようをおもへば、ふつきといひ、えいぐわといひ、てうおんとまうし、ちようじよくといひ、かたがたきはめさせたまひぬれば、ごうんのつきんことかたかるべきにあらず。ふつきのいへにはろくゐちようでふせり。ふたたびみなるきは、そのねかならずいたむとみえてさふらふ。こころぼそうこそさふらへ。いつまでかP144いのちいきて、みだれんよをもみさふらふべき。ただまつだいにしやうをうけて、かかるうきめにあひさふらふしげもりがくわはうのほどこそつたなうさふらへ。ただいまもさぶらひいちにんにおほせつけられ、おんつぼのうちへひきいだされて、しげもりがかうべのはねられんずることは、いとやすいほどのおんことでこそさふらはんずらめ。これをおのおのききたまへ」とて、なほしのそでもしぼるばかりに、かきくどき、さめざめとなきたまへば、そのざになみゐたまへるへいけいちもんのひとびと、みなそでをぞぬらされける。
にふだう、たのみきつたるだいふは、かやうにのたまふ。よにもちからなげにて、「いやいやそれまでのことはおもひもよりさうず。あくたうどものまうすことに、きみのつかせたまひて、いかなるひがごとなどもや、いでこんずらんとおもふばかりでこそさふらへ」。おとど、「たとひいかなるひがごといできさふらへばとて、きみをばなにとかしまゐらさせたまふべき」とて、ついたつてちうもんにいで、さぶらひどもにのたまひけるは、「ただいまこれにてまうしつることどもをば、なんぢらはよくうけたまはらずや。けさよりこれにさふらうて、かやうのことどもをもまうししづめんとはぞんじつれども、あまりにひたさわぎにみえつるあひだ、まづかへりつるなり。ゐんざんのおんともにおいては、しげもりがかうべのはねられたらんをみてつかまつれ。さらばひとまゐれ」とて、こまつどのへぞかへられける。そののちおとどしゆめのはんぐわんもりくにをめして、「しげもりこそけさべつしててんがのだいじをききいだしたんなれ。われをわれとおもはんずるものどもは、もののぐしていそぎまゐれともよほせ」とP145のたまへば、はせまはつてひろうす。おぼろげにてはさわぎたまはぬひとの、かやうのひろうのあるは、まことにべちのしさいのあるにこそとて、われもわれもとはせまゐる。よど、はつかし、うぢ、をかのや、ひの、くわんじゆじ、だいご、をぐるす、むめづ、かつら、おはら、しづはら、せれふのさとにあぶれゐたるつはものども、あるひはよろひきて、いまだかぶとをきぬもあり、あるひはやおうていまだゆみをもたぬもあり。かたあぶみふむやふまずにて、あわてさわいではせまゐる。
こまつどのにさわぐことありときこえしかば、にしはちでうにすせんきありけるつはものども、にふだうにはかうともまうしもいれず、ざやめきつれて、みなこまつどのへぞはせたりける。きうせんにたづさはるほどのものは、いちにんものこらず。ちくごのかみさだよしがただいちにんさふらひけるをごぜんへめして、「だいふはなにとおもひて、これらをばみなかやうによびとるやらん。けさこれにていひつるやうに、じやうかいがもとへうつてなどもやむけんずらん」とのたまへば、さだよしなみだをはらはらとながいて、「ひともひとにこそよらせたまひさふらへ。いかでかただいまさるおんことさふらふべき。けさこれにてまうさせたまひつるおんことどもをば、はやみなごこうくわいぞさふらふらん」とまうしければ、にふだう、いやいやだいふになかたがうては、あしかりなんとやおもはれけん、ほふわうむかへまゐらせんとおもはれけるこころもやはらぎ、いそぎはらまきぬぎおき、そけんのころもにけさうちかけて、いとこころにもおこらぬねんじゆしてこそおはしけれ。そののちこまつどのには、もりくにうけたまはつて、ちやくたうつけけり。はせさんじたるさぶらひども、P146いちまんよきとぞしるしける。ちやくたうひけんののち、おとどちうもんにいでて、さぶらひどもにのたまひけるは、「ひごろのけいやくをたがへずして、みなかやうにまゐりたるこそしんべうなれ。いこくにさるためしあり。しうのいうわう、はうじといへるさいあいのきさきをもちたまへり。てんがだいいちのびじんなり。されどもいうわうのおんこころにかなはざりけることには、はうじゑみをふくまずとて、すべてわらふことしたまはず、いこくのならひに、てんがにひやうらんのおこるときは、しよしよにひをあげ、たいこをうつて、つはものをめすはかりごとあり。これをほうくわとなづく。あるときてんがにひやうがくおこつて、しよしよにほうくわをあげたりければ、きさきこれをごらんじて、『あなおびたたし、ひもあれほどまでおほかりけりな』とて、そのときはじめてわらひたまへり。ひとたびゑめばもものこびありけり。いうわうこれをうれしきことにしたまひて、そのこととなく、つねはほうくわをあげたまふ。しよこうきたるにあたなし、あたなければすなはちかへりさんぬ。かやうにすることどどにおよべば、つはものもまゐらず。あるときりんごくよりきようぞくおこつて、いうわうのみやこをせめけるに、ほうくわをあぐれども、れいのきさきのひにならつて、つはものもまゐらず。そのときみやこかたぶいて、いうわうつひにほろびにけり。さてかのきさき、やかんとなつてはしりうせけるぞおそろしき。かやうのことのあるときは、じこんいご、これよりめさんには、みなかくのごとくまゐるべし。しげもりけさべつしててんがのだいじをききいだしてめしつるなり。されどもこのことききなほしつつ、ひがごとにてありけり。さらばとうかへれ」とて、さぶらひどもみなかへされけり。まことにさせることをもききいだされざりけれども、P147けさちちをいさめまうされけることばにしたがつて、わがみにせいのつくか、つかぬかのほどをもしり、またふしいくさをせんとにはあらねども、かうしてにふだうたいしやうこくのむほんのこころも、やはらぎたまふかとのはかりごととぞきこえし。きみきみたらずといへども、しんもつてしんたらずんばあるべからず。ちちちちたらずといへども、こもつてこたらずんばあるべからず。きみのためにはちうあつて、ちちのためにはかうあれと、ぶんせんわうののたまひけるにたがはず。きみもこのよしきこしめして、「いまにはじめぬことなれども、だいふがこころのうちこそはづかしけれ。あたをばおんをもつてはうぜられたり」とぞおほせける。「くわはうこそめでたうて、いまだいじんのだいしやうにいたらめ。ようぎたいはいひとにすぐれ、さいちさいかくさへよにこえたるべきやは」とぞ、ときのひとびとかんじあはれける。くににいさむるしんあれば、そのくにかならずやすく、いへにいさむるこあれば、そのいへかならずただしといへり。しやうだいにもまつだいにも、ありがたかりしだいじんなり。
「しんだいなごんのながされ」(『だいなごんるざい』)S0208さるほどにろくぐわつふつかのひ、しんだいなごんなりちかのきやうをば、くぎやうのざにいだしたてまつて、おんものまゐらせけれどもむねせきふさがつて、おはしをだにもたてられず。あづかりのぶしP148なんばのじらうつねとほ、おんくるまをよせて、「とうとう」とまうしければ、だいなごんこころならずぞのりたまふ。あはれいかにもして、いまいちどこまつどのにみえたてまつらばやとはおもはれけれども、それもかなはず。みまはせば、ぐんびやうども、ぜんごさうにうちかこんで、わがかたさまのものはいちにんもなし。たとひぢうくわをかうぶつて、ゑんごくへゆくものも、ひといちにんみにそへざるべきことやあると、くるまのうちにてかきくどかれければ、しゆごのぶしどもも、みなよろひのそでをぞぬらしける。にしのしゆしやかをみなみへゆけば、おほうちやまをもいまはよそにぞみたまひける。としごろみなれたてまつりしざふしきうしかひにいたるまで、みななみだをながしそでをぬらさぬはなかりけり。ましてみやこにのこりとどまりたまふきたのかた、をさなきひとびとのこころのうち、おしはかられてあはれなり。とばどのをすぎたまふにも、このごしよへごかうなりしには、いちどもおんともにははづれざりしものをとて、わがさんざう、すはまどのとてありしをも、よそにみてこそとほられけれ。とばのみなみのもんいでて、ふねおそしとぞいそがせける。だいなごん、「おなじくうしなはるべくは、みやこちかきこのへんにてもあれかし」とのたまひけるこそ、せめてのことなれ。ちかうそひたてまつたるぶしを、「たそ」ととひたまへば、「あづかりのぶしなんばのじらうつねとほ」となのりまうす。「もしこのへんにわがかたさまのものやある、いちにんたづねてまゐらせよ。ふねにのらぬさきにいひおくべきことあり」とのたまへば、つねとほそのへんをはしりまはつてたづねけれども、われこそだいなごんどののおんかたとP149まうすもの、いちにんもなし。
そのときだいなごんなみだをはらはらとながいて、「さりともわがよにありしときは、したがひつきたりしものども、いちにせんにんもありつらんに、いまはよそにてだにこのありさまをみおくるもののなかりけるかなしさよ」とて、なかれければ、たけきもののふどもも、みなよろひのそでをぞぬらしける。ただみにそふものとては、つきせぬなみだばかりなり。くまのまうで、てんわうじまうでなどには、ふたつがはらのみつむねにつくつたるふねにのり、つぎのふねにさんじつそうこぎつづけてこそありしに、いまはけしかるかきすゑやかたぶねにおおまくひかせ、みもなれぬつはものどもにぐせられて、けふをかぎりにみやこをいでて、なみぢはるかにおもむかれけん、こころのうち、おしはかられてあはれなり。しんだいなごんは、しざいにおこなはるべかりしひとの、るざいになだめられけることは、ひとへにこまつどののやうやうにまうされけるによつてなり。そのひはつのくにだいもつのうらにぞつきたまふ。あくるみつかのひ、だいもつのうらへはきやうよりおつかひありとて、ひしめきけり。だいなごんそこにてうしなへとにやとききたまへば、さはなくして、びぜんのこじまへながすべしとのおつかひなり。またこまつどのよりおんふみあり。「あはれいかにもして、みやこちかきかたやまざとにもおきたてまつらばやと、さしもまうしつることのかなはざりけることこそよにあるかひもさふらはね。さりながらもおんいのちばかりをば、こひうけたてまつてさふらふぞ。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とて、なんばがもとへも、「よくよくみやづかへP150たてまつれ。あひかまへて、おんこころにばしたがふな」などのたまひつかはし、たびのよそほひ、こまごまとさたし、おくられたり。しんだいなごんはさしもかたじけなうおぼしめされつるきみにも、はなれまゐらせ、つかのまもさりがたうおもはれけるきたのかた、をさなきひとびとにも、みなわかれはてて、こはいづちへとてゆくらん。ふたたびこきやうにかへつて、さいしをあひみんこともありがたし。ひととせさんもんのそしようによつて、すでにながされしをも、きみをしませたまひて、にしのしちでうよりめしかへされぬ。さればこれはきみのおんいましめにもあらず、こはいかにしつることどもぞや」と、てんにあふぎちにふして、なきかなしめどもかひぞなき。あけければ、ふねおしいだいてくだりたまふにみちすがらただなみだにのみむせんで、ながらふべしとはおぼえねども、さすがつゆのいのちはきえやらず、あとのしらなみへだつれば、みやこはしだいにとほざかり、ひかずやうやうかさなれば、ゑんごくはすでにちかづきぬ。びぜんのこじまにこぎよせて、たみのいへのあさましげなるしばのいほりにいれたてまつる。しまのならひ、うしろはやま、まえはうみ、いそのまつかぜなみのおと、いづれもあはれはつきせず。
「あこやのまつ」(『あこやのまつ』)S0209およそしんだいなごんいちにんにもかぎらず、いましめをかうむるともがらおほかりき。あふみのちうじやうにふだうれんじやうP151さどのくに、やましろのかみもとかぬはうきのくに、しきぶのたいふまさつなはりまのくに、そうはうぐわんのぶふさあはのくに、しんへいはうぐわんすけゆきはみまさかのくにとぞきこえし。をりふしにふだうしやうこくは、ふくはらのべつげふにおはしけるが、おなじきはつかのひ、つのさゑもんもりずみをししやにて、かどわきどののもとへ、「それにあづけおきたてまつたるたんばのせうしやうを、いそぎこれへたべ。ぞんずるむねあり」とのたまひつかはされたりければ、さいしやう、「さらばただありしとき、ともかうもなりたりせば、いかにかせん。ふたたびものをおもはせんずることのかなしさよ」とて、いそぎふくはらへくだりたまふべきよしのたまへば、せうしやうなくなくいでたたれけり。きたのかたいげのにようばうたちは、「かなはざらんものゆゑに、なほもさいしやうのよきやうにまうさせたまへかし」となげかれければ、さいしやう、「ぞんずるほどのことをばまうしつ。いまはよをすてんよりほか、またなにごとをかまうすべき。たとひいづくのうらにもおはせよ、わがいのちのあらんかぎりは、とぶらひたてまつるべし」とぞのたまひける。せうしやうはことしみつになりたまふをさなきひとのおはしけれども、ひごろはわかきひとにて、きんだちなどのことをばさしもこまやかにもおはせざりしかども、いまはのときにもなりぬれば、さすがなつかしうやおもはれけん、「をさなきものをいまいちどみばや」とのたまへば、めのといだいてまゐりたり。せうしやうひざのうへにおき、かみかきなで、なみだをはらはらとながいて、「あはれなんぢしちさいにならば、をとこになして、きみへまゐらせんとこそおもひしに、されどもいまはいふかひなし。P152もしふしぎにいのちいきて、おひたちたらば、ほふしになつて、わがのちのよをよくとぶらへよ」とぞのたまひける。いまだいとけなきおんこころに、なにごとをかききわきたまふべきなれども、うちうなづきたまへば、せうしやうをはじめたてまつて、ははうへめのとのにようばう、そのざにいくらもなみゐたまへるひとびと、こころあるもこころなきも、みなそでをぞぬらされける。
ふくはらのおつかひ、こんやとばまでいでさせたまふべきよしをまうす。せうしやう、「いくほどものびざらんものゆゑに、こよひばかりはみやこのうちにてあかさばや」とのたまへども、いかにもかなふまじきよしを、しきりにまうしければ、ちからおよばず、そのよとばへぞいでられける。さいしやうあまりのものうさに、こんどはのりもぐしたまはず、せうしやうばかりぞのりたまふ。おなじきにじふににちせうしやうふくはらへくだりつきたまふ。にふだうしやうこく、びつちうのくにのぢうにんせのをのたらうかねやすにおほせて、びつちうのくにへぞながされける。かねやすはさいしやうのかへりききたまはんずるところをおそれて、いたうきびしうもあたりたてまつらず、みちすがらもやうやうにいたはりまゐらせけれども、せうしやうすこしもなぐさみたまふこともなく、よるひるただほとけのみなをのみとなへて、ひとへにちちのことをぞいのられける。さるほどにしんだいなごんなりちかのきやうは、びぜんのこじまにおはしけるを、これはなほふなつきちかうて、あしかりなんとて、ぢへわたしたてまつり、びぜんびつちうのさかひ、にはせのがう、きびのなかやま、ありきのべつしよといふやまでらにおきたてまつる。それよりせうしやうのおはしけるびつちうのせのをと、ありきのべつしよのあひだは、わづかごじつちやうにたらぬところなれば、せうしやうさすがP153そなたのかぜもなつかしうやおもはれけん、あるときかねやすをめして、「これよりちちだいなごんどののおんわたりあんなるありきのべつしよとかやへはいかほどあるぞ」ととひたまへば、かねやすすぐにしらせたてまつては、あしかりなんとやおもひけん、「かたみちじふにさんにちさふらふ」とまうしければ、そのときせうしやうなみだをはらはらとながいて、「につぽんはむかしさんじふさんかこくにてありしを、なかごろろくじふろくかこくにはわけられたんなり。さいふびぜんびつちうびんごも、もとはいつこくにてありけるなり。またあづまにきこゆるではみちのくにも、むかしはろくじふろくぐんがいつこくなりしを、じふにぐんさきわかつてのち、ではのくにとはたてられたんなり。さればさねかたのちうじやうあうしうへながされしとき、たうごくのめいしよ、あこやのまつをみんとて、くにのうちをたづねまはるに、もとめかねてすでにむなしうかへらんとしけるが、みちにてあるらうをうにゆきあひたり。ちうじやう、『ややごへんはふるいひととこそみれ。たうごくのめいしよ、あこやのまつといふところやしつたる』ととふに、『まつたくくにのうちにはさふらはず、ではのくににぞさふらふらん』とまうしければ、『さてはなんぢもしらざりけり。いまはよすゑになつて、くにのめいしよをも、はやみなよびうしなひけるにこそ』とて、すでにすぎんとしたまへば、らうをうちうじやうのそでをひかへて、『あはれきみは、
みちのくのあこやのまつにこがくれていづべきつきのいでもやらぬか W008
といふうたのこころをもつて、たうごくのめいしよ、あこやのまつとはおんたづねさふらふか。それはむかしりやうこくがいつこくなりしとき、よみはんべりしうたなり。じふにぐんさきわかつてのちは、ではのくににぞP154さふらふらん』とまうしければ、さらばとてさねかたのちうじやうも、ではのくににこえてこそ、あこやのまつをばみてげれ。つくしのださいふよりみやこへ、はらかのつかひののぼるこそ、かちぢじふごにちとはさだめたなれ。すでにじふにさんにちとまうすは、これよりほとんどちんぜいへげかうござんなれ。とほしといふとも、びぜんびつちうびんごのあひだは、りやうさんにちにはよもすぎじ。ちかいをとほうまうすは、ちちだいなごんどののおんわたりあんなるところを、なりつねにしらせじとてこそまうすらめ」とて、そののちはこひしけれどもとひたまはず。
「しんだいなごんのしきよ」(『だいなごんのしきよ』)S0210さるほどにほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、たんばのせうしやうなりつね、へいはうぐわんやすより、これさんにんをば、さつまがたきかいがしまへぞながされける。かのしまへはみやこをいでて、はるばるとおほくのなみぢをしのいでゆくところなり。おぼろげにてはふねもかよはず、しまにはひとまれなりけり。おのづからひとはあれども、いしやうなければ、このどのひとにもにず、いふことばをもききしらず。みにはしきりにけおひつつ、いろくろうしてうしのごとし。をとこはゑぼしもきず、をんなはかみもさげざりけり。しよくするものもなければ、つねにただせつしやうをのみさきとす。しづがやまだをかへさねば、べいこくのるゐもなく、そののくはをとらざれば、P155けんばくのたぐひもなかりけり。しまのうちにはたかきやまあり。とこしなへにひもゆ。いわうといふものみちみてり。かるがゆゑにこそいわうがしまとはなづけたれ。いかづちつねに、なりあがり、なりくだり、ふもとにはあめしげし。いちにちへんしひとのいのちのたえてあるべきやうもなし。しんだいなごんはすこしくつろぐこともやとおもはれけるが、しそくたんばのせうしやうなりつねいげさんにん、さつまがたきかいがしまへながされぬときいて、いまはなにをかごすべきとて、しゆつけのこころざしのさふらふよしを、たよりにつけて、こまつどのへまうされたりければ、ほふわうへうかがひまうして、ごめんありけり。えいぐわのたもとをひきかへて、うきよをよそにすみぞめのそでにぞやつれたまひける。さるほどにだいなごんのきたのかたは、みやこのきたやまうんりんゐんのへんにしのうでおはしけるが、さらぬだに、すみなれぬところはものうきに、いとどしのばれければ、すぎゆくつきひをあかしかね、くらしわづらふさまなりけり。しゆくしよにはにようばうさぶらひおほかりけれども、あるひはよをおそれ、あるひはひとめをつつむほどに、とひとぶらふものいちにんもなし。されどもそのなかにげんざゑもんのじようのぶとしといふさぶらひいちにん、なさけあるものにて、つねはとぶらひたてまつる。あるとききたのかた、のぶとしをめして、「まことやこれには、びぜんのこじまにおはしけるが、このほどきけば、ありきのべつしよとかやにおはすなり。あはれいかにもして、はかなきふでのあとをもたてまつり、おんかへりごとをもいまいちどみばやとおもふはいかに」とのたまへば、のぶとしなみだをはらはらとながいて、「われえうせうのときより、おんあはれみをかうぶつてめしつかはれ、P156かたときもはなれまゐらせさふらはず。
めされまゐらせしおんこゑのみみにとどまり、いさめられまゐらせしおんことばのきもにめいじて、わするることもさふらはず。さいこくへおんくだりさふらひしときも、おんともつかまつるべうさふらひしかども、ろくはらよりゆるされなければ、ちからおよびさふらはず。たとひこんどはいかなるうきめにもあひさふらへ、おんふみたまはつてまゐりさふらはん」とまうしければ、きたのかたなのめならずによろこび、やがてかいてぞたうでげる。わかぎみひめぎみもめんめんにおんふみあり。のぶとしこのおんふみどもをたまはつて、はるばるとびぜんのくにありきのべつしよへたづねくだり、まづあづかりのぶしなんばのじらうつねとほに、あんないをいひいれたりければ、つねとほこころざしのほどをかんじて、やがておんげんざんにいれてげり。だいなごんにふだうどのは、ただいましもみやこのことをのみのたまひいだして、なげきしづんでおはしけるところに、「きやうよりのぶとしがまゐつてさふらふ」とまうしければ、だいなごんおきあがつて、「いかにやいかに、ゆめかやうつつか、これへこれへ」とぞのたまひける。のぶとしおんそばちかうまゐつて、おんありさまをみたてまつるに、まづおんすまひどころのものうさは、さることなり。すみぞめのおんそでをみたてまつるに、めもくれこころもきえはてて、なみだもさらにとどまらず。ややあつてなみだをおさへて、きたのかたのおほせかうぶつししだい、こまごまとかたりまうす。そののちおんふみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまふに、みづぐきのあとはなみだにかきくれて、そこはかとはみえねども、をさなきひとびとのあまりにこひかなしみたまふありさま、わがみもつきせぬものおもひに、たへしのぶべうもなしなどかかれたれば、ひごろのこひしさはことのかずならずとぞかなしみたまひける。P157
かくてしごにちもすぎしかば、のぶとし、「これにさふらひて、ごさいごのおんありさまをもみまゐらせん」とまうしければ、あづかりのぶし、いかにもかなふまじきよしをまうすあひだ、だいなごん、「いくほどものびざらんものゆゑにただとうかへれ」とこそのたまひけれ。「われはちかううしなはれんとおぼゆるぞ。このよになきものときかば、わがのちのよをよくとぶらへよ」とぞのたまひける。おんぺんじかいてたうだりければ、のぶとしこれをたまはつて、「またこそまゐりさふらはめ」とて、いとままうしていでければ、「なんぢがまたこんたびをまちつくべしともおぼえぬぞ。あまりになごりをしうおぼゆるに、しばししばし」とのたまひて、たびたびよびぞかへされける。さてしもあるべきことならねば、のぶとしなみだをおさへつつ、みやこへかへりのぼりけり。きたのかたに、おんぺんじとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまへば、はやおんさまかへさせたまひたりとおぼしくて、おんふみのおくにおんぐしのひとふさありけるを、ふためともみたまはず、かたみこそいまはなかなかあだなれとて、ひきかづいてぞふしたまふ。わかぎみひめぎみも、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。さるほどにおなじきはちぐわつじふくにち、だいなごんにふだうどのをば、びぜんびつちうのさかひ、にはせのがう、きびのなかやま、ありきのべつしよにてぞつひにうしなひたてまつる。そのさいごのありさまやうやうにぞきこえける。はじめはさけにどくをいれてまゐらせけれども、かなはざりければ、にぢやうばかりありけるきしのしたにひしをうゑて、つきおとしたてまつれば、ひしにつらぬかつてぞうせられける。むげにうたてきことどもなり。ためしすくなうぞきこえし。P158
きたのかたこのよしをつたへききたまひて、「あはれいかにもして、かはらぬすがたを、いまいちどみもし、みえばやとおもひてこそ、けふまでさまをばかへざりつれ。いまはなににかはせん」とて、ぼだいゐんといふてらにおはして、おんさまをかへ、かたのごとくのぶつじいとなみたまふぞあはれなる。このきたのかたとまうすは、やましろのかみあつかたのむすめ、ごしらかはのほふわうのおんおもひびと、ならびなきびじんにておはしけるを、このだいなごんありがたきごちようあいのひとにて、くだしたまはられたりけるとかや。わかぎみひめぎみも、めんめんにはなをたをり、あかのみづをむすんで、ちちのごせをとぶらひたまふぞあはれなる。かくてときうつりことさつて、よのかはりゆくありまさは、ただてんにんのごすゐにことならず。
「とくだいじのいつくしままうで」(『とくだいじのさた』)S0211ここにとくだいじのだいなごんじつていのきやうは、へいけのじなんむねもりのきやうにだいしやうをこえられて、しばらくよのならんやうをみんとて、だいなごんをじしてろうきよしておはしけるが、しゆつけせんとのたまへば、みうちのじやうげみななげきかなしびあへりけり。そのなかにとうくらんどのたいふしげかぬといふしよだいぶあり。しよじにこころえたるひとにてありけるが、あるつきのよ、とくだいじどのただいちにん、なんめんのみかうしあげさせ、つきにうそぶいておはしけるところへ、とうくらんどまゐりたり。P159「たそ」ととひたまへば、「しげかぬざふらふ」。「よははるかにふけぬらんに、いかにただいまなにごとぞ」とのたまへば、「こんやはつきさえ、よろづこころのすむままにまゐつてさふらふ」とまうす。とくだいじどの、「しんべうにもまゐりたり。まことにこよひはなにとやらんこころぼそうて、よにとぜんなるに」とぞのたまひける。さてむかしいまのものがたりどもしたまひてのち、だいなごんのたまひけるは、「つらつらへいけのはんじやうするありさまをみるに、ちやくししげもり、じなんむねもり、さうのだいしやうなり。やがてさんなんとももり、ちやくそんこれもりもあるぞかし。かれもこれもしだいにならば、たけのひとびとは、いつだいしやうにあたりつくべしともおぼえず。さればつひのことなり、しゆつけせん」とぞのたまひける。とうくらんどなみだをはらはらとながいて、「きみのごしゆつけさふらはば、みうちのじやうげみなまどひものとなりさふらひなんず。しげかぬこそ、このごろめづらしきことをあんじいだしてさふらへ。たとへばあきのいつくしまをば、へいけなのめならずあがめうやまはれさふらふ。これへおんまゐりさふらへかし。かのやしろにはないしとて、いうなるまひひめあまたさふらふなれば、めづらしくおもひまゐらせて、もてなしまゐらせさふらはんずらん。なにごとのごきせいやらんとたづねまうしさふらはば、ありのままにおほせさふらふべし。さておんげかうのとき、むねとのないしいちりやうにん、みやこまでめしぐせさせたまひてさふらはば、さだめてにしはちでうのていへぞまゐりさふらはんずらん。にふだうなにごとぞとたづねまうされさふらはば、ありのままにぞまうしさふらはんずらん。にふだうはきはめてものめでしたまふひとなれば、しかるべきはからひもあんぬとおぼえさふらふ」とまうしければ、とくだいじどの、「P160
これこそおもひよらざりつれ。さらばやがてまゐらん」とてにはかにしやうじんはじめつつ、いつくしまへぞまゐられける。げにもいうなるまひひめどもおほかりけり。「
そもそもたうしやへは、われらがしうの、へいけのきんだちたちこそ、おんまゐりさぶらふに、これこそめづらしきおんまゐりにてさぶらへ」とて、むねとのないしじふよにん、よるひるつきそひまゐらせて、やうやうにもてなしたてまつる。さてないしども、「なにごとのごきせいやらん」とたづねさふらへば、「だいしやうをひとにこえられて、そのいのりのためなり」とぞのたまひける。いちしちにちごさんろうあつて、かぐらをそうし、ふうぞく、さいばらうたはる。そのあひだにぶがくもさんかどまでありけり。さておんげかうのとき、むねとのないしじふよにん、ふねおしたてて、ひとひぢおくりたてまつる。とくだいじどの、「あまりになごりをしきに、いまひとひぢ、いまふつかぢ」とのたまひて、みやこまでめしぐせさせたまひ、とくだいじのていへいれさせおはしまし、やうやうにもてなし、さまざまのひきでものたうでかへされけり。ないしども、「はるばるこれまでのぼりたらんずるに、いかでかわれらがしうの、へいけへまゐらであるべきか」とて、にしはちでうどのへぞさんじたる。にふだうやがていであひたいめんしたまひて、「いかにないしどもは、ただいまなにごとのれつさんぞや」とのたまへば、「とくだいじどののいつくしまへおんまゐりさぶらふほどに、われらがふねをしたてて、ひとひぢおくりまゐらせて、それよりいとままうしければ、とくだいじどの、さりとてはなごりをしきに、いまひとひぢ、いまふつかぢとおほせられて、これまでめしぐせられてさふらふ」とまうす。にふだう、「とくだいじはP161なにごとのきせいに、いつくしまへはまゐられけるやらん」ととひたまへば、「だいしやうをひとにこえられて、そのいのりのためとこそおほせはんべりつれ」とまうしければ、そのときにふだうおほきにうちうなづいて、「わうじやうにさしもあらたなるれいぶつれいしやのいくらもましますをさしおいて、じやうかいがあがめたてまつるいつくしまへはるばるとまゐられけるこそいとほしけれ。それほどまでせつならんうへは」とて、ちやくししげもりないだいじんのさだいしやうにておはしけるをじせさせたてまつり、じなんむねもりだいなごんのうだいしやうにておはしけるをこえさせて、とくだいじをさだいしやうにぞなされける。あはれかしこきはからひかな。しんだいなごんも、かやうのはかりごとをばしたまはで、よしなきむほんおこして、わがみもしそんも、ほろびぬるこそうたてけれ。
「さんもんめつばう」(『さんもんめつばう だうじゆかつせん』)S0212さるほどに、ほふわうはみゐでらのこうけんそうじやうをごしはんとして、しんごんのひほふをでんじゆせさせおはします。だいにちきやう、こんがうちやうきやう、そしつぢきやう、このさんぶのひきやうをうけさせたまひて、くぐわつよつかのひ、みゐでらにてごくわんぢやうあるべきよしきこゆ。さんもんのだいしゆいきどほりまうしけるは、「むかしよりごくわんぢやうおんじゆかい、みなたうざんにしてとげさせたまふことせんぎなり。P162なかんづくさんわうのけだうは、じゆかいくわんぢやうのためなり。しかるをいまみゐでらにてとげさせおはしまさば、てらをいつかうやきはらふべし」とぞまうしける。ほふわう、「これむやくなり」とて、おんけぎやうばかりごけつぐわんあつて、ごくわんぢやうをばおぼしめしとどまらせたまひけり。されどもごほんいなればとて、こうけんそうじやうをめしぐしつつ、てんわうじへごかうなつて、ごちくわうゐんをたて、かめゐのみづをごびやうのちすゐとさだめ、ぶつぽふさいしよのれいちにてぞ、でんぽふくわんぢやうをばとげさせおはします。さんもんのさうどうをしづめられんがために、みゐでらにてごくわんぢやうはなかりしかども、さんもんにはだうじゆがくしやう、ふくわいのこといできて、かつせんどどにおよぶ。まいどにがくりようちおとさる。さんもんのめつばう、てうかのおんだいじとぞみえし。だうじゆといふは、がくしやうのしよじうなりけるわらんべの、ほふしになりたるや、もしはちうげんぼふしばらにてもやありけん。ひととせこんがうじゆゐんのざす、かくじんごんそうじやうぢさんのとき、さんたふにけつばんして、げしゆとかうしてほとけにはなまゐらせしものどもなり。しかるをきんねんぎやうにんとて、だいしゆをもことともせず、かくどどのいくさにうちかちぬ。だうじゆらししゆのめいをそむいて、すでにむほんをくはだつ、すみやかにちうばつせらるべきよし、だいしゆくげへそうもんし、ぶけにふれうつたふ。これによつてにふだうしやうこくゐんぜんをうけたまはつて、きのくにのぢうにん、ゆあさのごんのかみむねしげいげ、きないのつはものにせんよにん、だいしゆにさしそへて、だうじゆをせめらる。だうじゆひごろはとうやうばうにありけるが、これをきいて、あふみのくにさんがのしやうにげかうして、すたのせいをそつしてまたとうざんし、さういざかにP163じやうくわくをかまへてたてこもる。おなじきくぐわつはつかのひのたつのいつてんに、だいしゆさんぜんにん、くわんぐんにせんよにん、つがふそのせいごせんよにん、さういざかにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。じやうのうちよりいしゆみはづしかけたりければ、だいしゆくわんぐんかずをつくしてうたれにけり。だいしゆはくわんぐんをさきだてんとす、くわんぐんはまただいしゆをさきだてんとあらそふほどに、こころごころになつて、はかばかしうもたたかはず。だうじゆにかたらふあくたうといふは、しよこくのせつたうがうたうさんぞくかいぞくらなり。よくしんしじやうにして、ししやうふちのやつばらなりければ、われいちにんとおもひきつてたたかふほどに、こんどもまたがくしやういくさにまけにけり。
(『さんもんめつばう』)S0213そののちはさんもんいよいよあれはてて、じふにぜんじゆのほかは、しぢうのそうりよまれなり。たにだにのかうえんまめつして、だうだうのぎやうぼふもたいてんす。しゆがくのまどをとぢ、ざぜんのゆかをむなしうせり。しけうごじのはるのはなもにほはず、さんだいそくぜのあきのつきもくもれり。さんびやくよさいのほふとうをかかぐるひともなく、ろくじふだんのかうのけぶりもたえやしにけん。だうじやたかくそびえて、さんぢうのかまへをせいかんのうちにさしはさみ、とうりやうはるかにひいでて、しめんのたるきをはくぶのあひだにかけたりき。されどもいまはくぶつをみねのあらしにまかせ、きんようをこうれきにうるほし、よるのつきともしびをかかげて、のきのひまよりもり、あかつきのつゆたまをたれて、れんざのよそほひをそふとかや。それまつだいのぞくにいたつては、さんごくのぶつぽふもしだいにすゐびせり。とほくてんぢくにぶつせきをとぶらふに、むかしほとけののりをときたまひしちくりんしやうじや、ぎつこどくをんも、このごろはこらうやかんのP164すみかとなつて、いしずゑのみやのこるらん。はくろちにはみづたえて、くさのみふかくしげれり。たいぼんげじようのそとばもこけのみむしてかたぶきぬ。しんだんにもてんだいさん、ごだいさん、はくばじ、ぎよくせんじも、いまはぢうりよなきさまにあれはてて、だいせうじようのほふもんも、はこのそこにやくちぬらん。わがてうにもなんとのしちだいじあれはてて、はつしうくしうもあとたえ、あたごたかをも、むかしはだうたふのきをならべたりしかども、いちやのうちにあれはてて、てんぐのすみかとなりはてぬ。さればにや、さしもやんごとなかりつるてんだいのぶつぽふも、ぢしようのいまにおよんで、ほろびはてぬるにや。こころあるひとのなげきかなしまぬはなかりけり。なにもののしわざにてやありけん、りさんしけるそうのばうのはしらに、いつしゆのうたをぞかきつけたる。
いのりこしわがたつそまのひきかへてひとなきみねとあれやはてなむ W009
これはむかしでんげうだいし、たうざんさうさうのはじめ、あのくたらさんみやくさんぼだいのほとけたちにいのりまうさせたまひしことを、いまおもひいでてよみたりけるにや。いとやさしうぞきこえし。やうかはやくしのひなれども、なむととなふるこゑもせず、うづきはすゐじやくのつきなれども、へいはくをささぐるひともなく、あけのたまがきかみさびて、しめなはのみやのこるらん。P165
「ぜんくわうじえんしやう」(『ぜんくわうじえんしやう』)S0214そのころしなののくにぜんくわうじえんしやうのことありけり。かのによらいは、むかしちうてんぢくしやゑこくに、ごしゆのあくびやうおこつて、じんそうおほくほろびしとき、ぐわつかいちやうじやがちせいによつて、りゆうぐうじやうよりえんぶだごんをえて、ほとけ、もくれんちやうじや、こころをひとつにして、いあらはしたまへるいつちやくしゆはんのみだのさんぞん、さんごくぶさうのれいざうなり。ぶつめつどののち、てんぢくにとどまらせたまふことごひやくよさい、されどもぶつぽふとうぜんのことわりにて、はくさいこくにうつらせたまひて、いつせんざいののち、はくさいのみかどせいめいわう、わがてうのみかどきんめいてんわうのぎようにおよびて、かのくによりこのくにへうつらせたまひて、つのくになんばのうらにして、せいざうをおくらせおはします。つねにこんじきのひかりをはなたせたまふ。これによつてねんがうをばこんくわうとかうす。おなじきさんねんさんぐわつじやうじゆんに、しなののくにのぢうにんおほみのほんだよしみつ、みやこへのぼり、によらいにあひたてまつり、やがていざなひまゐらせてくだりけるが、ひるはよしみつによらいをおひたてまつり、よるはよしみつによらいにおはれたてまつて、しなののくにへくだり、みのちのこほりにあんぢしたてまつしよりこのかた、せいざうはごひやくはちじふよさい、されどもえんしやうはこれはじめとぞうけたまはる。わうぼふつきんとては、ぶつぽふまづばうずといへり。さればにや、さしもやんごとなかりつるれいじP166れいさんのおほくほろびうせぬることは、わうぼふのすゑになりぬるぜんべうやらんとぞひとまうしける。
「やすよりのつと」(『やすよりのつと』)S0215さるほどにきかいがしまのるにんども、つゆのいのちくさばのすゑにかかつて、をしむべしとにはあらねども、たんばのせうしやうのしうとへいさいしやうのりもりのりやう、ひぜんのくにかせのしやうより、いしよくをつねにおくられたりければ、それにてぞしゆんくわんもやすよりもいのちいきてはすごしける。なかにもやすよりはながされしとき、すはうのむろづみにてしゆつけしてげり。ほふみやうをばしやうせうとこそついたりけれ。しゆつけはもとよりのぞみなりければ、
つひにかくそむきはてけるよのなかをとくすてざりしことぞくやしき W010
たんばのせうしやうとやすよりにふだうは、もとよりくまのしんじんのひとびとにておはしければ、「いかにもしてこのしまのうちに、さんじよごんげんをくわんじやうしたてまつて、きらくのことをいのらばや」といふに、てんぜいこのしゆんくわんは、ふしんだいいちのひとにて、これをもちひず、ににんはおなじこころにて、もしくまのににたるところもやあると、しまのうちをたづねまはるに、あるひはりんたうのたへなるあり、こうきんしうのよそほひしなじなに、あるひはうんれいのあやしきあり、へきらりようのいろひとつにP167あらず。
やまのけしき、きのこだちにいたるまで、ほかよりもなほすぐれたり。みなみをのぞめば、かいまんまんとして、くものなみけむりのなみふかく、きたをかへりみれば、またさんがくのががたるより、はくせきのりうすゐみなぎりおちたり。たきのおとことにすさまじく、まつかぜかみさびたるすまひ、ひれうごんげんのおはしますなちのおやまにさもにたりけり。さてこそやがて、そこをばなちのおやまとはなづけけれ。このみねはしんぐう、かれはほんぐう、これはそんじやうそのわうじ、かのわうじなど、わうじわうじのなをまうして、やすよりにふだうせんだちにて、たんばのせうしやうあひぐしつつ、ひごとにくまのまうでのまねをして、きらくのことをぞいのりける。「なむごんげんこんがうどうじ、ねがはくはあはれみをたれさせおはしまし、われらをいまいちどこきやうへかへしいれさせたまひて、さいしをもみせしめたまへ」とぞいのりける。ひかずつもつて、たちかふべきじやうえもなければ、あさのころもをみにまとひ、さはべのみづをこりにかいては、いはだがはのきよきながれとおもひやり、たかきところにあがつては、ほつしんもんとぞくわんじける。
やすよりにふだうは、まゐるたびごとに、さんじよごんげんのおんまへにてのつとをまうすに、ごへいがみもなければ、はなをたをつてささげつつ、「ゐあたれるさいし、ぢしようぐわんねんひのとのとり、つきのならびはとつきふたつき、ひのかずさんびやくごじふよかにち、きちにちりやうしんをえらんで、かけまくもかたじけなくにつぽんだいいちだいりやうげん、ゆやさんじよごんげん、ひれうだいさつたのけうりやう、うづのひろまへにして、しんじんのだいせしゆ、うりんふぢはらのなりつね、ならびにしやみしやうせう、いつしんしやうじやうのまことをいたし、さんごふP168さうおうのこころざしをぬきんでて、つつしんでもつてうやまつてまうす。それしようじやうだいぼさつは、さいどくかいのけうしゆ、さんじんゑんまんのかくわうなり。あるひはとうばうじやうるりいわうのしゆ、しゆびやうしつぢよのによらいなり。あるひはなんぱうふだらくのうげのしゆ、にふぢうげんもんのだいじ、にやくわうじはしやばせかいのほんじゆ、せむいしやのだいじ、ちやうじやうのぶつめんをげんじて、しゆじやうのしよぐわんをみてしめたまへり。これによつて、かみいちじんよりしもばんみんにいたるまで、あるひはげんぜあんをんのため、あるひはごしやうぜんしよのために、あしたにはじやうすゐをむすんでぼんなうのあかをすすぎ、ゆふべにはしんざんにむかつてほうがうをとなふるに、かんおうおこたることなし。ががたるみねのたかきをば、しんとくのたかきにたとへ、けんけんたるたにのふかきをば、ぐぜいのふかきになぞらへて、くもをわきてのぼり、つゆをしのいでくだる。ここにりやくのちをたのまずんば、いかでかあゆみをけんなんのみちにはこばん。ごんげんのとくをあふがずんば、なんぞかならずしもいうゑんのさかひにましまさんや。よつてしようじやうごんげん、ひれうだいさつた、おのおのしやうれんじひのまなじりをあひならべ、さをしかのおんみみをふりたてて、われらがむにのたんぜいをちけんして、いちいちのこんしをなふじゆしたまへ。しかればすなはち、むすぶはやたまのりやうじよごんげん、きにしたがつて、あるひはうえんのしゆじやうをみちびき、あるひはむえんのぐんるゐをすくはんがために、しつぽうしやうごんのすみかをすてて、はちまんしせんのひかりをやはらげ、ろくだうさんうのちりにどうじたまへり。かるがゆゑにぢやうごふやくのうてん、ぐぢやうじゆ、とくぢやうじゆのらいはいそでをつらね、へいはくれいてんをささぐることひまなし。にんにくのころもをかさね、かくだうのはなをささげて、じんでんのゆかをうごかし、しんじんのみづをすまして、りしやうのいけをたたへたり。しんめいなふじゆしたまはば、P169しよぐわんなんぞじやうじゆせざらん。あふぎねがはくは、じふにしよごんげん、おのおのりしやうのつばさをならべ、はるかにくかいのそらにかけり、させんのうれへをやすめて、すみやかにきらくのほんくわいをとげしめたまへ。さいはい」とぞやすよりのつとをばまうしける。
「そとばながし」(『そとばながし』)S0216さるほどにににんのひとびと、つねはさんじよごんげんのおんまへにまゐり、つやするをりもありけり。あるよににんまゐつて、よもすがらいまやううたひ、まひなんどまひて、あかつきがたくるしさに、ちつとうちまどろみたりつるゆめに、おきよりしろいほかけたるこぶねをいつそう、みぎはへこぎよせ、ふねのうちよりくれなゐのはかまきたりけるにようばうたち、にさんじふにんなぎさにあがり、つづみをうち、こゑをととのへて、
よろづのほとけのぐわんよりもせんじゆのちかひぞたのもしき
かれたるくさきもたちまちにはなさきみなるとこそきけ
とおしかへしおしかへしさんべんうたひすまして、かきけすやうにぞうせにける。やすよりにふだうゆめさめてのち、きいのおもひをなしつつ、「いかさまにもこれはりうじんのけげんとおぼえさふらふ。くまのさんじよごんげんのうちに、にしのごぜんとまうしたてまつるは、ほんぢせんじゆくわんおんにておはします。P170りうじんはすなはちせんじゆのにじふはちぶしゆのそのひとつにておはしませば、もつてごなふじゆこそたのもしけれ」。あるよまたににんまゐつてつやしたりけるゆめに、おきよりもふきくるかぜに、このはをふたつ、ににんがたもとにふきかけたり。なんとなうこれをとつてみければ、みくまののなぎのはにてぞありける。かのふたつのなぎのはに、いつしゆのうたをむしぐひにこそしたりけれ。
ちはやぶるかみにいのりのしげければなどかみやこへかへらざるべき W011
やすよりにふだうは、あまりにこきやうのこひしきままに、せめてのはかりごとにや、せんぼんのそとばをつくり、あじのぼんじ、ねんがうつきひ、けみやうじつみやう、にしゆのうたをぞかきつけける。
さつまがたおきのこじまにわれありとおやにはつげよやへのしほかぜW012
おもひやれしばしとおもふたびだにもなほふるさとはこひしきものを W013
これをうらにもつていでて、「なむきみやうちやうらい、ぼんでんたいしやく、しだいてんわう、けんらうぢじん、わうじやうのちんじゆしよだいみやうじん、べつしてはくまののごんげん、あきのいつくしまのだいみやうじん、せめてはいつぽんなりとも、みやこへつたへてたべ」とて、おきつしらなみの、よせてはかへすたびごとに、そとばをうみにぞうかべける。そとばはつくりいだすにしたがつて、うみにいれければ、ひかずつもれば、そとばのかずもつもりけり。そのものおもふこころやたよりのかぜともなりたりけん、またしんめいぶつだもやおくらせたまひたりけん、せんぼんのそとばのなかに、いつぽんあきのくにいつくしまのだいみやうじんのおまへのなぎさにうちあげたり。P171
ここにやすよりにふだうがゆかりありけるそうの、もししかるべきたよりもあらば、かのしまへわたつて、そのゆくへをもたづねんとて、さいこくしゆぎやうにいでたりけるが、まづいつくしまへぞまゐりける。ここにみやうどとおぼしくて、かりぎぬしやうぞくなるぞくいちにんいできたり。このそうなんとなうものがたりをしけるほどに、「それしんめいは、わくわうどうぢんのりしやう、さまざまなりとはまうせども、なかにもこのおんかみは、いかなるいんえんをもつて、かいまんのうろくづにえんをばむすばせたまふらん」ととひたてまつれば、みやうどこたへていはく、「それはよな、しやかつらりうわうのだいさんのひめみや、たいざうかいのすゐじやくなり」。このしまへごやうがうありしはじめより、さいどりしやうのいまにいたるまで、じんじんきどくのことどもをぞかたりける。さればにや、はつしやのごてんいらかをならべ、やしろはわだづみのほとりなれば、しほのみちひにつきぞすむ。しほみちくれば、おほどりゐ、あけのたまがき、るりのごとし。しほひきぬれば、なつのよなれども、おまへのしらすにしもぞおく。このそういよいよたつとくおもひ、しづかにほつせまゐらせてゐたりけるが、やうやうひくれつきさしいでて、しほのみちくるに、おきよりそこはかとなくゆられよりけるもくづどものなかに、そとばのかたのみえけるを、なんとなうこれをとつてみければ、「さつまがたおきのこじまにわれあり」と、かきながせることのはなり。もじをばゑりいれきざみつけたりければ、なみにもあらはれず、あざあざとしてこそみえたりけれ。
このそうふしぎのおもひをなし、おひのかたにさして、みやこへかへりのぼり、やすよりにふだうがP172らうぼのにこう、さいしどもの、いちでうのきた、むらさきのといふところにしのびつつかくれゐたりけるに、これをみせたりければ、「さらば、このそとばが、もろこしのかたへもゆられゆかずして、なにしにこれまでつたへきて、いまさらものをおもはすらん」とぞかなしみける。はるかのえいぶんにおよんで、ほふわうこれをえいらんあつて、「あなむざん、このものどもがいのちのいまだいきてあるにこそ」とて、おんなみだをながさせたまふぞかたじけなき。これをこまつのおとどのもとへつかはされたりければ、ちちのぜんもんにみせたてまつらる。かきのもとのひとまるは、しまがくれゆくふねをおもひ、やまべのあかひとは、あしべのたづをながめたまふ。すみよしのみやうじんは、かたそぎのおもひをなし、みわのみやうじんは、すぎたてるかどをさす。むかしすさのをのみこと、さんじふいちじのやまとうたをよみはじめたまひしよりこのかた、もろもろのしんめいぶつだも、かのえいぎんをもつて、はくせんばんたんのおもひをのべたまふ。
「そぶ」にふだうもいはきならねば、さすがあはれげにこそのたまひけれ。(『そぶ』)S0217にふだうかくあはれみたまふうへは、きやうぢうのじやうげ、おいたるもわかきも、きかいがしまのるにんのうたとて、くちずさまぬはなかりけり。せんぼんまでつくりいだせるそとばなれば、さこそはちひさうもありけめ、P173さつまがたよりはるばるとみやこまでつたはりけるこそふしぎなれ。あまりにおもふことには、むかしもかくしるしありけるにや。いにしへかんわう、ここくをせめたまひしとき、はじめはりせうけいをたいしやうぐんにて、さんじふまんぎをむけらる。かんのたたかひよわくして、ここくのいくさかちにけり。あまつさへたいしやうぐんりせうけい、こわうのためにいけどらる。つぎにそぶをたいしやうぐんにて、ごじふまんぎをむけらる。こんどもまたかんのたたかひよわくして、ここくのいくさかちにけり。つはものろくせんよにんいけどりにせらる。そのなかにそぶをはじめとして、むねとのつはものろつぴやくさんじふよにん、すぐりいだいて、いちいちにかたあしをきつておつぱなたる。すなはちしぬるものもあり、ほどへてしするものもあり。そのなかにそぶはいちにんしなざりけり。かたあしをばきられながら、やまにのぼつてはこのみをひろひ、さとにいでてはねぜりをつみ、あきはたづらのおちぼひろひなんどしてぞ、つゆのいのちをばすごしける。たにいくらもありけるかりども、そぶにみなれておそれざりければ、これらはみなわがこきやうへかよふものぞかしとなつかしくて、おもふことひとふでかいて、「あひかまへてこれかんわうにえさせよ」といひふくめて、かりのつばさにむすびつけてぞはなちける。
かひがひしくもたのものかり、あきはかならずこしぢよりみやこへかよふものなるに、かんのせうていしやうりんゑんにぎよいうありしに、ゆうざれのそらうすくもり、なにとなくものあはれなりけるをりふし、ひとつらのかりとびわたる。そのなかよりがんひとつとびさがつて、おのがつばさにむすびつけたるP174たまづさを、くひきつてぞおとしける。くわんにんこれをとつて、みかどへまゐらせたりければ、ひらいてえいらんあるに、「むかしはがんくつのほらにこめられてさんしゆんのしうたんをおくり、いまはくわうでんのうねにすてられて、こてきのいつそくとなれり。たとひかばねはこのちにちらすといふとも、たましひはふたたびくんべんにつかへん」とぞかいたりける。それよりしてこそ、ふみをばがんしよともいひ、がんさつともまたなづけけれ。「あなむざん、そぶがほまれのあとなりけり。このものどもがいのちのいまだいきてあるにこそ」とて、りくわうといふしやうぐんにおほせて、ひやくまんぎをむけらる。こんどはかんのたたかひつよくして、ここくのいくさやぶれにけり。みかたたたかひかちぬときこえしかば、そぶはくわうやのなかよりはひいでて、「これこそいにしへのそぶよ」となのる。かたあしはきられながら、じふくねんのせいざうをおくりむかへ、こしにかかれてきうりへぞかへりける。そぶはじふろくのとし、ここくへむけられしとき、みかどよりくだしたまはつたりけるはたをば、まいてみをはなたずもちたりしを、いまとりいだいて、みかどのごげんざんにいれたりければ、きみもしんもかんたんなのめならず。そぶはきみのおんためにたいこうならびなかりしかば、だいこくあまたたまはつて、そのうへ、てんしよくこくといふつかさをぞくだされける。あまつさへりせうけいは、ここくにとどまつてつひにかへらず。いかにもしてかんてうへかへらんとのみなげきけれども、こわうゆるさねばちからおよばず。かんわうこれをばゆめにもしりたまはず、りせうけいはきみのおんために、すでにふちうなるものなりとて、むなしくなれるにしんがかばねをほりおこしてうたせらる。P175そのほかろくしんをみなつみせらる。りせうけいこのよしをつたへきいて、うらみふかうぞなりにける。さりながらもなほこきやうをこひつつ、まつたくふちうなきよしを、いつくわんのしよにつくつて、みかどへまゐらせたりければ、かんわうこれをえいらんあつて、「さてはふちうなかりけり。ふびんなることござんなれ」とて、ふぼがかばねをほりおこしてうたせられたりけることをぞ、かへつてくやしみたまひける。かんかのそぶは、しよをかりのつばさにつけてきうりへおくり、ほんてうのやすよりは、なみのたよりにうたをこきやうへつたふ。かれはいつぴつのすさみ、これはにしゆのうた、かれはじやうだい、これはまつだい、ここくきかいがしま、さかひをへだてて、よよはかはれども、ふぜいはおなじふぜい、ありがたかりしことどもなり。P176

平家物語 巻第三  総かな版(元和九年本)
「ゆるしぶみ」(『ゆるしぶみ』)S0301ぢしようにねんしやうぐわつひとひのひ、ゐんのごしよにははいらいおこなはれて、よつかのひてうきんのぎやうがうありけり。なにごともれいにかはりたることはなけれども、こぞのなつしんだいなごんなりちかのきやういげ、きんじゆのひとびとおほくながしうしなはれしこと、ほふわうおんいきどほりいまだやまざれば、よのまつりごとをもよろづものうくおぼしめして、おんこころよからぬことどもにてぞさふらひける。だいじやうのにふだうも、ただのくらんどゆきつながつげしらせたてまつてのちは、きみをもおんうしろめたきことにおもひたてまつり、うへにはことなきやうなれども、したにはようじんして、にがわらひてのみぞさふらはれける。なぬかのひ、せいせいとうばうにいづ。しいうきともまうす。またせききともまうす。じふはちにちひかりをます。にふだうしやうこくのおんむすめ、けんれいもんゐん、そのときはいまだちうぐうときこえさせたまひしが、ごなうとて、くものうへ、あめがしたのなげきにてぞさふらひける。しよじにみどきやうはじまり、しよしやへくわんぺいしをP177たてらる。おんやうじゆつをきはめ、いけくすりをつくし、だいほふひほふひとつとしてのこるところなうしゆせられけり。されどもごなうただにもわたらせたまはず、ごくわいにんとぞきこえし。しゆしやうはこんねんじふはち、ちうぐうはにじふににならせたまふ。しかれどもいまだわうじもひめみやもいできさせたまはず。もしわうじにてましまさば、いかにめでたからんと、へいけのひとびと、ただいまわうじたんじやうあるやうにまうして、いさみよろこびあはれけり。たけのひとびとも、「へいじのはんじやうをりをえたり。わうじごたんじやううたがひなし」とぞまうしあはれける。ごくわいにんさだまらせたまひしかば、にふだうしやうこく、うげんのかうそうきそうにおほせて、だいほふひほふをしゆし、しやうしゆくぶつぼさつにつけて、わうじごたんじやうとのみきせいせらる。ろくぐわつひとひのひ、ちうぐうごちやくたいありけり。にんわじのおむろしゆかくほつしんわう、いそぎごさんだいあつて、くじやくきやうのほふをもつておんかじあり。てんだいざすかくくわいほつしんわう、てらのちやうりゑんけいほつしんわうもおなじくまゐらせたまひて、へんじやうなんしのほふをしゆせられけり。
かかりしほどに、ちうぐうはつきのかさなるにしたがつて、おんみをくるしうせさせたまふ。ひとたびゑめばもものこびありけんかんのりふじん、せうやうでんのやまふのゆかもかくやとおぼえ、たうのやうきひ、りくわいつしはるのあめをおび、ふようのかぜにしをれつつ、ぢよらうくわのつゆおもげなるより、なほいたはしきおんさまなり。かかるごなうのをりふしにあはせて、こはきおんもののけども、あまたとりいりたてまつる。よりまし、みやうわうのばくにかけて、れいあらはれたり。ことにはさぬきのゐんのごれい、うぢのあくさふのごおくねん、しんだいなごんなりちかのきやうのしりやう、さいくわうほふしがあくりやう、P178きかいがしまのるにんどものしやうりやうなんどぞまうしける。これによつて、しやうりやうをも、しりやうをも、なだめらるべしとて、まづさぬきのゐんごつゐがうあつてしゆとくてんわうとかうし、うぢのあくさふ、ぞうくわんぞうゐおこなはれて、だいじやうだいじんじやういちゐをおくらる。ちよくしはせうないきこれもととぞきこえし。くだんのむしよは、やまとのくにそふのかんのこほりかはかみのむら、はんにやののごさんまいなり。ほうげんのあきほりおこいてすてられしのちは、しがいみちのほとりのつちとなつて、としどしにただはるのくさのみしげれり。いまちよくしたづねきてせんみやうをよみければ、ばうこんそんりやういかにうれしとおぼしけん。さればさはらのはいたいしをば、しゆだうてんわうとかうし、ゐがみのないしんわうをば、くわうこうのしきゐにふくす。これみなをんりやうをなだめられしはかりごととぞきこえし。をんりやうは、むかしもかくおそろしかりしことどもなり。れんぜいゐんのおんものぐるはしうましまし、くわざんのほふわうの、じふぜんのていゐをすべらせたまひしは、もとかたのみんぶきやうがれいなり。またさんでうのゐんのおんめもごらんぜられざりしは、くわんざんくぶがれいとかや。かどわきのさいしやう、かやうのことどもをつたへききたまひて、こまつどのにまうされけるは、「こんどちうぐうごさんのおんいのり、さまざまにさふらふなり。なにとまうすとも、ひじやうのしやにすぎたるほどのことあるべしともおぼえさふらはず。なかにもきかいがしまのるにんどもを、めしかへされたらんほどのくどくぜんこん、なにごとかさふらふべき」とまうされたりければ、ちちのぜんもんのおんまへにおはして、「あのたんばのせうしやうがことを、かどわきのさいしやうあまりになげきまうすがふびんにさふらふ。ことさらちうぐうごなうのおんこと、うけたまはりおよぶごとくんば、なりちかのきやうがしりやうなどきこえてP179さふらふ。だいなごんがしりやうをなだめんとおぼしめさんにつけては、いきてさふらふせうしやうを、めしこそかへされさふらはめ。ひとのおもひをやめさせたまはば、おぼしめすこともかなひ、ひとのねがひをかなへさせましまさば、ごぐわんもすなはちじやうじゆして、ごさんへいあんわうじごたんじやうあつて、かもんのえいぐわいよいよさかんにさふらふべし」などまうされければ、にふだうしやうこく、ひごろよりことのほかにやはらいで、「さてしゆんくわんややすよりぼふしがことはいかに」とのたまへば、「それもおなじうはめしこそかへされさふらはめ。もしいちにんものこされたらんは、なかなかざいごふたるべうさふらふ」とまうされたりければ、にふだうしやうこく、「やすよりぼふしがことはさることなれども、しゆんくわんはずゐぶんにふだうがこうじゆをもつて、ひととなつたるものぞかし。それにところしもこそおほけれ、ひがしやまししのたに、わがさんざうによりあひて、きくわいのふるまひどもがありけんなれば、しゆんくわんがことはおもひもよらず」とぞのたまひける。おとどかへつてをぢのさいしやうをよびたてまつて、「せうしやうはすでにしやめんあるべきでさふらふぞ。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とまうされたりければ、さいしやうききもあへたまはず、なくなくてをあはせてぞよろこばれける。「くだりさふらひしときも、これほどのこと、などやまうしうけざらんとおもひたりげにて、のりものをみさふらふたびごとになみだをながしさふらひしが、ふびんにさふらふ」とぞまうされける。こまつどの、「まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。こはたれとてもかなしければ、よくよくまうしさふらはん」とていりたまひぬ。さるほどにきかいがしまのるにんどもの、めしかへさるべきことさだまりしかば、にふだうしやうこくのP180ゆるしぶみかいてぞたうでげる。おつかひすでにみやこをたつ。さいしやうあまりのうれしさに、おつかひにわたくしのつかひをそへてくだされける。よるをひるにしいそぎくだれとありしかども、こころにまかせぬかいろなれば、なみかぜをしのいでゆくほどに、みやこをば(は)しちぐわつげじゆんにいでたれども、ながつきはつかごろにぞ、きかいがしまにはつきにける。
「あしずり」(『あしずり』)S0302おつかひはたんざゑもんのじようもとやすといふものなり。いそぎふねよりあがり、「これにみやこよりながされたまひたりしへいはんぐわんやすよりにふだう、たんばのせうしやうどのやおはす」と、こゑごゑにぞたづねける。ににんのひとびとは、れいのくまのまうでしてなかりけり。しゆんくわんいちにんありけるが、これをきいて、あまりにおもへばゆめやらん、またてんまはじゆんの、わがこころをたぶらかさんとていふやらん、うつつともさらにおぼえぬものかなとて、あわてふためき、はしるともなく、たふるるともなく、いそぎおつかひのまへにゆきむかつて、「これこそながされたるしゆんくわんよ」となのりたまへば、ざつしきがくびにかけさせたるふぶくろより、にふだうしやうこくのゆるしぶみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまふに、「ぢうくわはをんるにめんず。はやくきらくのP181おもひをなすべし。こんどちうぐうごさんのおんいのりによつて、ひじやうのしやおこなはる。しかるあひだきかいがしまのるにん、せうしやうなりつね、やすよりぼふししやめん」とばかりかかれて、しゆんくわんといふもじはなし。らいしにぞあるらんとて、らいしをみるにもみえず。おくよりはしへよみ、はしよりおくへよみけれども、ににんとばかりかかれて、さんにんとはかかれず。さるほどにせうしやうややすよりぼふしもいできたり、せうしやうのとつてみるにも、やすよりぼふしがよみけるにも、ににんとばかりかかれて、さんにんとはかかれざりけり。ゆめにこそかかることはあれ、ゆめかとおもひなさんとすればうつつなり、うつつかとおもへばまたゆめのごとし。そのうへににんのひとびとのもとへは、みやこよりことづてたるふみどもいくらもありけれども、しゆんくわんそうづのもとへは、こととふふみひとつもなし。さればわがゆかりのものどもは、みなみやこのうちにあとをとどめずなりにけるよと、おもひやるにもおぼつかなし。「そもそもわれらさんにんはおなじつみ、はいしよもおなじところなり。いかなればしやめんのとき、ににんはめしかへされて、いちにんここにのこすべき。へいけのおもひわすれかや、しゆひつのあやまりか、こはいかにしつることどもぞや」と、てんにあふぎちにふして、なきかなしめどもかひぞなき。そうづせうしやうのたもとにすがり、「しゆんくわんがかやうになるといふも、ごへんのちち、こだいなごんどのの、よしなきむほんのゆゑなり。さればよそのこととおもひたまふべからず。ゆるされなければ、みやこまでこそかなはずとも、せめてはこのふねにのせてくこくのぢまでつけてたべ。おのおののこれにおはしつるほどこそ、はるはつばくらめ、あきはたのものかりのP182おとづるるやうに、おのづからこきやうのことをもつたへききつれ。いまよりのちは、なにとしてかきくべき」とて、もだえこがれたまひけり。せうしやう、「まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。われらがめしかへさるるうれしさも、さることにてはさふらへども、おんありさまをみたてまつるに、さらにゆくべきそらもおぼえさふらはず。このふねにうちのせたてまつて、のぼりたうはさふらへども、みやこのおつかひ、いかにもかなふまじきよしをしきりにまうす。そのうへゆるされもなきに、さんにんながらしまのうちをいでたりなどきこえさふらはば、なかなかあしうさふらひなんず。なりつねまづまかりのぼつて、ひとびとにもよくよくまうしあはせ、にふだうしやうこくのきしよくをもうかがひ、むかひにひとをたてまつらん。そのほどはひごろおはしつるやうにおもひなしてまちたまへ。いのちはいかにもたいせつのことなれば、たとひこのせにこそもれさせたまふとも、つひにはなどかしやめんなくてさふらふべき」と、やうやうになぐさめのたまへども、そうづたへしのぶべうもみえたまはず。さるほどにふねいださんとしければ、そうづふねにのつてはおりつ、おりてはのつつ、あらましごとをぞしたまひける。せうしやうのかたみにはよるのふすま、やすよりにふだうがかたみには、いちぶのほけきやうをぞとどめける。すでにともづなといて、ふねおしいだせば、そうづつなにとりつき、こしになり、わきになり、たけのたつまでは、ひかれていづ。たけもおよばずなりければ、そうづふねにとりつき、「さていかにおのおのしゆんくわんをばつひにすてはてたまふか。ひごろのなさけもいまはなにならず。ゆるされなければみやこまでこそかなはずとも、P183せめてはこのふねにのせてくこくのちまで」と、くどかれけれども、みやこのおつかひ、「いかにもかなひさふらふまじ」とて、とりつきたまひつるてをひきのけて、ふねをばつひにこぎいだす。そうづせんかたなさに、なぎさにあがりたふれふし、をさなきもののめのとやははなどをしたふやうに、あしずりをして、「これのせてゆけ、ぐしてゆけ」とのたまひて、をめきさけびたまへども、こぎゆくふねのならひにて、あとはしらなみばかりなり。いまだとほからぬふねなれども、なみだにくれてみえざりければ、そうづたかきところにはしりあがり、おきのかたをぞまねきける。かのまつらさよひめがもろこしぶねをしたひつつひれふりけんも、これにはすぎじとぞみえし。さるほどにふねもこぎかくれ、ひもくるれども、そうづあやしのふしどへもかへらず、なみにあしうちあらはせ、つゆにしをれて、そのよはそこにぞあかしける。さりともせうしやうはなさけふかきひとなれば、よきやうにまうすこともやと、たのみをかけて、そのせにみをもなげざりしこころのうちこそはかなけれ。むかしさうりそくりが、かいがんさんへはなたれたりけんかなしみも、いまこそおもひしられけれ。P184
「ごさんのまき」(『ごさん』)S0303さるほどにににんのひとびとは、きかいがしまをいでて、ひぜんのくにかせのしやうにぞつきたまふ。さいしやうきやうよりひとをくだして、「としのうちはなみかぜもはげしう、みちのあひだもおぼつかなうさふらへば、はるになつてのぼられさふらへ」とありしかば、せうしやうかせのしやうにてとしをくらす。さるほどにおなじきじふいちぐわつじふににちのとらのこくより、ちうぐうごさんのけましますとて、きやうぢうろくはらひしめきあへり。ごさんじよはろくはらいけどのにてありければ、ほふわうもごかうなる。くわんばくどのをはじめたてまつてだいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、すべてよにひととかぞへられ、くわんかかいにのぞみをかけ、しよたいしよしよくをたいするほどのひとの、いちにんももるるはなかりけり。せんれいもにようごきさきごさんのときにのぞんでだいしやありき。だいぢにねんくぐわつひとひのひ、たいけんもんゐんごさんのとき、だいしやおこなはるることありけり。こんどもそのれいとて、ひじやうのだいしやおこなはれて、ぢうくわのともがらおほくゆるされけるなかに、このしゆんくわんそうづいちにん、しやめんなかりけることこそうたてけれ。ごさんへいあん、わうじごたんじやうましまさば、やはたひらの、おほはらのなんどへぎやうげいあるべきよし、ごりふぐわんあり。せんげんほふいんうけたまはつて、これをけいびやくすP185。しんじやはだいじんぐうをはじめたてまつて、にじふよかしよ、ぶつじはとうだいじこうぶくじいげじふろくかしよへみじゆきやうあり。みじゆきやうのおつかひは、みやのさぶらひのなかに、うくわんのともがらこれをつとむ。ひやうもんのかりぎぬにたいけんしたるものどもが、いろいろのみじゆぎやうもつ、ぎよけんぎよいをもちつづいて、ひがしのたいよりなんていをわたつて、にしのちうもんにいづ。めでたかりしけんぶつなり。
こまつのおとどは、れいのぜんあくにつきてさわぎたまはぬひとにておはしければ、はるかにほどへてのち、ちやくしごんのすけせうしやうこれもりいげのきんだちのくるまどもやりつづけさせ、いろいろのぎよいしじふりやう、ぎんけんななつ、ひろぶたにおかせ、おむまじふにひきひかせてまゐらせらる。これは、くわんこうにじやうとうもんゐんごさんのとき、みだうどののおむままゐらせられしそのれいとぞきこえし。おとどはちうぐうのおんせうとにておはしけるうへ、とりわきふしのおんちぎりなれば、おむままゐらせたまふもことわりなり。またごでうのだいなごんくにつなのきやうも、おむまにひきまゐらせらる。「こころざしのいたりか、とくのあまりか」とぞひとまうしける。なほいせよりはじめたてまつて、あきのいつくしまにいたるまで、しちじふよかしよへじんめをたてらる。だいりにもれうのおむまにしでつけて、すうじつぴきひつたてたり。にんわじのおむろしゆかくほつしんわうはくじやくきやうのほふ、てんだいざすかくくわいほつしんわうはしちぶつやくしのほふ、てらのちやうりゑんけいほつしんわうはこんがうどうじのほふ、そのほかごだいこくうざう、ろくくわんおん、いちじきんりん、ごだんのほふ、ろくじかりん、はちじもんじゆ、ふげんえんめいにいたるまで、のこるところなうしゆせられけり。ごまのけぶりごしよぢうにみちて、れいのこゑP186くもをひびかし、しゆほふのこゑみのけよだつて、いかなるおんもののけなりとも、なにおもてをむかふべしともみえざりけり。なほぶつしよのほふいんにおほせて、ごしんとうじんのやくしならびにごだいそんのざうをつくりはじめらる。かかりしかども、ちうぐうはひまなくしきらせたまふばかりにて、ごさんもとみになりやらず。にふだうしやうこく、にゐどの、むねにてをおいて、「こはいかがせん、いかにせん」とぞあきれたまふ。ひとのものまうしけれども、「ただともかうも、よきやうによきやうに」とばかりぞのたまひける。「あはれじやうかい、いくさのぢんならば、さりともこれほどまではおくせじものを」とぞ、のちにはのたまひける。
おんげんじやには、ばうかくしやううんりやうそうじやう、しゆんげうほふいん、がうぜんじつせんりやうそうづ、おのおのそうがのくどもあげ、ほんじほんざんのさんぽう、ねんらいしよぢのほんぞんたち、せめふせせめふせもまれければ、まことにさこそはとおぼえてたつとかりけるなかに、をりふしほふわうは、いまぐまのへ、ごかうなるべきにて、おんしやうじんのついでなりけるが、きんちやうちかくござあつて、せんじゆきやうをうちあげうちあげあそばされけるにぞ、いまひときはことかはつて、さしもをどりくるひけるおんよりましどもがばくも、しばらくうちしづめけり。ほふわうおほせなりけるは、「たとひいかなるおんもののけなりとも、このおいぼふしがかくてさふらはんには、いかでかちかづきたてまつるべき。なかんずくいまあらはるるところのをんりやうはみなわがてうおんをもつてひととなりたるものぞかし。たとひはうしやのこころをこそぞんぜずとも、いかでかあにしやうげをなすべきやP187。すみやかにまかりしりぞきさふらへ」とて、「によにんしやうさんしがたからんときにのぞんで、じやましやしやうし、くしのびがたからんにも、こころをいたしてだいひじゆをしようじゆせば、きしんたいさんして、あんらくにしやうぜん」とあそばいて、みなずゐしやうのおんずずをおしもませたまへば、ごさんへいあんのみならず、わうじにてこそましましけれ。ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、そのときはいまだちうぐうのすけにておはしけるが、ぎよれんのうちよりつといでて、「ごさんへいあん、わうじごたんじやうさふらふぞ」とたからかにまうされたりければ、ほふわうをはじめまゐらせて、くわんばくまつどの、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、おのおののじよじゆ、おんやうのかみ、てんやくのかみ、すはいのおんげんじや、すべてたうしやうたうか、いちどうにあつとよろこびあはれけるこゑは、もんぐわいまでもどよみて、しばしはしづまりもやらざりけり。にふだうしやうこくうれしさのあまりに、こゑをあげてぞなかれける。よろこびなきとは、これをいふべきにや。こまつのおとどは、いそぎちうぐうのおんかたへまゐらさせたまひて、きんせんくじふくもん、わうじのおんまくらにおいて、「てんをもつてはちちとし、ちをもつてはははとさだめたまふべし。おんいのちははうしとうばうさくがよはひをたもち、おんこころにはてんせうだいじんいりかはらせたまへ」とてくはのゆみよもぎのやをもつて、てんちしはうをいさせらる。P188
「くぎやうそろへ」(『くぎやうぞろへ』)S0304おんちにはさきのうだいしやうむねもりのきやうのきたのかたとさだめられたりしかども、さんぬるしちぐわつになんざんをしてうせたまひしかば、へいだいなごんときただのきやうのきたのかたぞ、おんちにはまゐらせたまふ。のちにはそつのすけどのとぞひとまうしける。ほふわうやがてくわんぎよあり。もんぜんにおんくるまをたてられたり。にふだうしやうこくうれしさのあまりに、こがねいつせんりやう、ふじのわたにせんりやう、ほふわうへしんじやうせらる。「これまたしかるべからず」とぞひとまうしける。こんどのごさんにしようしあまたあり。まづほふわうのおんげんじや、つぎにきさきごさんのとき、ごてんのむねよりこしきをまろばかすことありけり。わうじごたんじやうにはみなみへおとし、くわうによたんじやうにはきたへおとすを、これはきたへおとされたりければ、いかにとさわぎ、とりあげ、おとしなほされたりけれども、なほあしきことにぞひとまうしける。をかしかりしは、にふだうしやうこくのあきれざま、めでたかりしはこまつのおとどのふるまひ、ほいなかりしは、さきのうだいしやうむねもりのきやうの、さいあいのきたのかたにおくれたまひて、だいなごんだいしやうりやうしよくをじして、ろうきよせられしこと、きやうだいともにしゆつしあらば、いかにめでたからん。P189つぎにしちにんのおんやうじまゐつて、せんどのおはらひつかまつる。そのなかにかもんのかみときはるといふらうしやあり。しよじうなどもぼくせうなりけるが、あまりにひとおほくまゐりつどひ、たかんなをこみ、たうまちくゐのごとし。「やくにんぞ、あけられさふらへ」とて、おほぜいのなかをおしわけおしわけまゐるほどに、いかがはしたりけん、みぎのくつをふみぬかれて、そこにてちつとたちやすらふが、あまつさへかぶりをさへつきおとされて、さばかりのみぎりに、そくたいただしきらうしやが、もとどりはなしてねりいでたりければ、わかきくぎやうてんじやうびとはこらへずして、いちどにどつとぞわらはれける。おんやうじなどいふは、へんばいとてあしをもあだにふまずとこそうけたまはれ。そのほかふしぎどものありけるを、そのときはなにともおぼえざりけれども、のちにはおもひあはすることどもはおほかりけり。
ごさんによつてろくはらへまゐらせたまふひとびと、くわんばくまつどの、だいじやうだいじんめうおんゐん、さだいじんおほひのみかど、うだいじんつきのわどの、ないだいじんこまつどの、さだいしやうじつてい、げんだいなごんさだふさ、さんでうのだいなごんさねふさ、ごでうのだいなごんくにつな、とうだいなごんさねくに、あぜつしすけかた、なかのみかどのちうなごんむねいへ、くわざんのゐんのちうなごんかねまさ、げんぢうなごんがらい、ごんぢうなごんさねつな、とうちうなごんすけなが、いけのちうなごんよりもり、さゑもんのかみときただ、べつたうただちか、ひだんのさいしやうのちうじやうさねいへ、みぎのさいしやうのちうじやうさねむね、しんざいしやうのちうじやうみちちか、へいざいしやうのりもり、ろくかくのさいしやういへみち、ほりかはのさいしやうよりさだ、さだいべんのさいしやうながかた、うだいべんのさんみとしつね、さひやうゑのかみしげのり、うひやうゑのかみみつよし、くわうだいこうくうのだいぶともかた、さきやうのだいぶながのり、だざいのだいにちかのぶ、しんざんみさねきよ、いじやうさんじふさんにん、P190うだいべんのほかはちよくいなり。ふさんのひとびとには、くわざんのゐんのさきのだいじやうだいじんただまさこう、おほみやのだいなごんたかすゑのきやういげじふよにん、ごにちにほういちやくして、にふだうしやうこくのにしはちでうのていへまゐりむかはれけるとぞきこえし。
「だいたふこんりふ」(『だいたふこんりふ』)S0305みしほのけちぐわんにはけんじやうどもおこなはる。にんわじのおむろはとうじしゆざうせらるべきなり。ごしちにちのみしほ、たいげんのほふならびにくわんぢやう、こうぎやうせらるべきよしおほせくださる。おんでしゑんりやうほふげん、ほふいんになさる。ざすのみやは、にほんならびにぎつしやのせんじをまうさせたまふを、おむろささへまうさせたまふによつて、おんでしかくせいそうづ、ほふいんになさる。そのほかのけんじやうどもまうきよにいとまあらずとぞきこえし。ひかずへにければ、ちうぐうはろくはらよりだいりへかへりまゐらせたまふ。にふだうしやうこくのおんむすめ、きさきにたたせたまふうへは、あはれとくして、このおんはらにわうじごたんじやうあれかし、くらゐにつけたてまつて、ふうふともにぐわいそぶ、ぐわいそぼとあふがれんとねがはれけるが、あがめたてまつるいつくしまへまうさんとて、つきまうでをはじめて、いのりまうされければにや、ちうぐうやがてごくわいにんありて、ごさんへいあんわうじごたんじやうましましけるこそめでたけれ。P191そもそもへいけあきのいつくしまを、しんじはじめられけることをいかにといふに、きよもりこういまだあきのかみたりしとき、あきのくにをもつて、かうやのだいたふしゆりせられけるに、わたなべのゑんどうろくらうよりかたをざつしやうにつけられて、ろくねんにしゆりをはりぬ。しゆりをはつてのち、きよもりかうやへのぼり、だいたふをがみ、おくのゐんへまゐられけるに、いづくよりきたるともなく、らうそうのはくはつなるが、まゆにはしもをたれ、ひたひになみをたたみ、かせづゑのふたまたなるにすがつて、いできたまへり。このそうなにとなうものがたりをしけるほどに、「それわがやまは、むかしよりみつしうをひかへてたいてんなし。てんがにまたもさふらはず。だいたふすでにしゆりをはりさふらひたり。それにつきさふらうては、ゑちぜんのけひのみやとあきのいつくしまは、りやうがいのすゐじやくにてさふらふが、けひのみやはさかえたれども、いつくしまはなきがごとくにあれはててさふらふ。あはれおなじうは、このついでにそうもんして、しゆりせさせたまへかし。さだにもさふらはば、くわんかかいはかたをならぶるひと、てんがにまたもあるまじきぞ」とてたたれけり。
このらうそうのゐたまへるところに、いきやうすなはちくんじたり。ひとをつけてみせらるるに、さんぢやうばかりはみえたまひて、そののちはかきけすやうにうせたまひぬ。これただびとにあらず、だいしにてましましけりと、いよいよたつとくおぼえて、しやばせかいのおもひでにとて、かうやのこんだうにまんだらをかかれけるが、さいまんだらをば、じやうみやうほふいんといふゑしにかかせらる。とうまんだらをば、きよもりかかんとて、じひつにかかれけるが、はちえふのちうぞんのほうくわんをば、いかがおもはれけん、わがかうべのちをいだいてかかれけるとぞP192きこえし。そののちみやこへのぼりゐんざんして、このよしをそうもんせられたりければ、きみもしんもぎよかんありけり。なほにんをのべられて、いつくしまをもしゆりせらる。とりゐをたてかへ、やしろやしろをつくりかへ、ひやくはちじつけんのくわいらうをぞつくられける。しゆりをはつてのち、きよもりいつくしまへまゐり、つやせられたりけるゆめに、ごほうでんのみとおしひらき、びんづらゆうたるてんどうのいでて、「われはこれだいみやうじんのおつかひなり。なんぢこのけんをもつて、てうかのおんかためたるべし」とて、しろがねのひるまきしたるこなぎなたをたまはるといふゆめをみて、さめてのちみたまへば、うつつにまくらがみにぞたつたりける。さてだいみやうじんごたくせんありけり。「なんぢしれりやわすれりや。あるひじりをもつていはせしことはいかに。ただしあくぎやうあらば、しそんまではかなふまじきぞ」とて、だいみやうじんあがらせたまひけり。ありがたかりしことどもなり。
「らいがう」(『らいがう』)S0306しらかはのゐんございゐのとき、きやうごくのおほとののおんむすめ、きさきにたちたまふことありけり。けんしのちうぐうとて、ごさいあいありしかば、しゆじやうこのきさきのおんはらに、わうじたんじやうあらまほしうおぼしめして、そのころみゐでらに、うげんのそうときこゆる、らいがうあじやりをめして、「なんぢ、P193このきさきのおんはらに、わうじたんじやういのりまうせ。ぐわんじやうじゆせば、しよまうはこふによるべし」とおほせくださる。らいがうかしこまりうけたまはつて、みゐでらにかへり、かんたんをくだいていのりければ、ちうぐうやがてごくわいにんあつて、しようほうぐわんねんじふにんぐわつじふろくにち、ごさんへいあん、わうじごたんじやうありけり。しゆじやうなのめならずぎよかんあつて、らいがうあじやりをだいりへめして、「さてなんぢがしよまうはいかに」とおほせければ、みゐでらにかいだんこんりふのよしをそうもんす。「いつかいそうじやうなどのことをもまうさんずるかとこそおぼしめしつるにこれこそぞんじのほかのしよまうなれ。およそわうじたんじやうあつて、そをつがしめんも、かいだいぶじをおぼしめすおんゆゑなり。いまなんぢがしよまうをたつせば、さんもんいきどほつて、せじやうもしづかなるべからず。りやうもんともにかつせんせば、てんだいのぶつぽふほろびなんず」とて、きこしめしもいれざりけり。らいがう、「こはくちをしきことにこそあんなれ」とて、いそぎみゐでらにはしりかへつて、ひじににせんとす。しゆじやう、おほきにおどろかせたまひて、がうそつきやうばうのきやう、そのときはいまだみまさかのかみときこえしをめして、「なんじはらいがうにしだんのちぎりあんなれば、ゆいてこしらへてみよ」とおほせければ、かしこまりうけたまはつて、いそぎみゐでらにゆきむかひ、らいがうあじやりがしゆくばうにゆいて、ちよくぢやうのおもむきおほせふくめんとすれば、もつてのほかにふすぼつたるぢぶつだうにたてこもり、おそろしげなるこゑして、「てんしにはたはぶれのことばなし。りんげんあせのごとしとこそうけたまはつてさふらへ。これほどのしよまうかなはざらんにおいては、わがいのりいだしたてまつたるP194わうじなれば、とりたてまつてまだうへこそゆかんずらめ」とて、つひにたいめんもせざりけり。みまさかのかみかへりまゐりて、このよしそうもんせられければ、しゆしやうおんなげきなのめならず。らいがうつひにひじににしににけり。さるほどにわうじごなうつかせたまひて、うちふさせたまひしかば、さまざまおんいのりどもありけれども、かなふべしともみえさせたまはず。はくはつなるらうそうの、しやくぢやうをもつて、つねはわうじのおんまくらにたたずむと、ひとのゆめにもみえ、うつつにもまたたちけり。おそろしなどもおろかなり。
しようりやくぐわんねんはちぐわつむゆかのひ、わうじおんとししさいにてつひにかくれさせたまひぬ。あつぶんのしんわうこれなり。しゆしやうなのめならずおんなげきあつて、そのころまたさんもんにうげんのそうときこえしさいきやうのざすりやうしんだいそうじやう、そのときはいまだゑんゆうばうのそうづときこえしを、だいりへめして、「こはいかに」とおほせければ、「いつもかやうのごぐわんは、わがやまのちからでこそじやうじゆすることではさふらへ。さればくでうのうしようじやうもろすけこうも、じゑだいそうじやうにおんちぎりまうさせたまひてこそ、れんぜいゐんのわうじ、ごたんじやうはさふらひしか。やすいほどのおんことざふらふ」とて、さんもんにかへつて、ひやくにちかんたんをくだいていのられければ、ちうぐうやがてひやくにちのうちにごくわいにんあつて、しようりやくさんねんしちぐわつここのかのひ、ごさんへいあん、わうじごたんじやうありけり。ほりかはのてんわうこれなり。をんりやうはかくむかしもおそろしかりしことどもなり。こんどさしもめでたきごさんに、ひじやうのたいしやおこなはれたりといへども、このしゆんくわんそうづいちにん、しやめんなかりけるこそうたてけれ。P195おなじきじふにんぐわつやうかのひ、わうじとうぐうにたたせたまふ。ふにはこまつのないだいじん、だいぶにはいけのちうなごんよりもりのきやうとぞきこえし。さるほどにことしもくれて、ぢしようもみとせになりにけり。
「せうしやうみやこがへり」(『せうしやうみやこがへり』)S0307しやうぐわつげじゆんにたんばのせうしやうなりつね、へいはんぐわんやすよりにふだうににんのひとびとは、ひぜんのくにかせのしやうをたつて、みやこへとはいそがれけれども、よかんもいまだはげしう、かいじやうもいたくあれければ、うらづたひしまづたひして、きさらぎとをかごろにぞ、びぜんのこじまにはつきたまふ。それよりちちだいなごんのおんわたりあんなるありきのべつしよとかやにたづねいつてみたまへば、たけのはしら、ふりたるしやうじなどに、かきおきたまひつるふでのすさびをみたまひて、「あはれひとのかたみには、しゆせきにすぎたるものぞなき。かきおきたまはずは、いかでかこれをみるべき」とて、やすよりにふだうとににん、よみてはなき、なきてはよむ。「あんげんさんねんしちぐわつはつかしゆつけ、おなじきにじふろくにちのぶとしげかう」ともかかれたり。さてこそげんざゑもんのじようのぶとしがまゐりたるをもしられけれ。そばなるかべには、「さんぞんらいかうたよりあり、くほんわうじやううたがひなし」ともかかれたり。このかたみをP196みたまひてこそ、さすがごんぐじやうどののぞみもおはしけりと、かぎりなきなげきのなかにも、いささかたのもしげにはのたまひけれ。
そのはかをたづねてみたまへば、まつのひとむらあるなかに、かひがひしうだんをついたることもなく、つちのすこしたかきところにむかひ、せうしやうそでかきあはせ、いきたるひとにものをまうすやうに、なくなくかきくどいてまうされけるは「とほきおんまもりとならせおはしましたることをば、しまにてもかすかにつたへうけたまはつてさふらひしかども、こころにまかせぬうきみなれば、いそぎまゐることもさふらはず。なりつねかのしまへながされてのちのたよりなさ、いちにちへんしのいのちもありがたうこそさふらひしかども、さすがつゆのいのちはきえやらで、このふたとせをおくつて、いまめしかへさるるうれしさも、さることにてはさふらへども、ちちだいなごんどののまさしうこのよにわたらせたまはんを、みまゐらせてもさふらはばこそ、さすがいのちのながきかひもさふらはめ。これまではいそがれつれども、けふよりのちはいそぐべしともおぼえず」とて、かきくどいてぞなかれける。まことにぞんじやうのときならば、だいなごんにふだうどのこそ、いかにとものたまふべきに、しやうをへだてたるならひほど、うらめしかりけることはなし。こけのしたにはたれかこたふべき、ただあらしにさわぐまつのひびきばかりなり。
そのよはやすよりにふだうとににん、はかのめぐりをぎやうだうし、あけければあたらしうだんつき、くぎぬきせさせ、まへにかりやつくり、しちにちしちやがあひだねんぶつまうし、きやうかいて、けちぐわんにはおほきなるそとばをたて、「くわこしやうりやう、しゆつりしやうじ、しようだいぼだい」とかいて、P197ねんがうつきひのしたには、「かうしなりつね」とかかれたれば、しづやまがつのこころなきも、こにすぎたるたからなしとて、そでをぬらさぬはなかりけり。としさりとしきたれども、わすれがたきはぶいくのむかしのおん、ゆめのごとくまぼろしのごとし。つきがたきはれんぼのいまのなみだなり。さんぜじつぱうのぶつだのしやうじゆもあはれみたまひ、ばうこんそんりやうも、いかにうれしとおぼしけん。「いましばらくさふらひて、ねんぶつのこうをもつむべうさふらへども、みやこにまつひとどものこころもとなうさふらふらん。またこそまゐりさふらはめ」とて、まうじやにいとままうしつつ、なくなくそこをぞたたれける。くさのかげにてもなごりをしうやおもはれけん。
おなじきさんぐわつじふろくにち、せうしやうとばへあかうぞつきたまふ。こだいなごんどののさんざう、すはまどのとてとばにあり。それにたちよりみたまへば、すみあらしてとしへにければ、ついぢはあれどもおほひもなく、もんはあれどもとびらもなし。にはにたちいりみたまへば、じんせきたえてこけふかし。いけのほとりをみまはせば、あきのやまのはるかぜに、しらなみしきりにをりかけて、しゑんはくおうせうえうす。きようぜしひとのこひしさに、ただつきせぬものはなみだなり。いへはあれども、らんもんやぶれて、しとみ、やりどもたえてなし。「ここにはだいなごんどのの、とこそおはせしか。このつまどをば、かうこそいでいりたまひしか。あのきをば、みづからこそうゑたまひしか」なんどいうて、ことのはにつけても、ただちちのことをのみこひしげにこそのたまひけれ。やよひなかのむゆかなれば、はなはいまだなごりあり。やうばいたうりのこずゑこそ、をりしりがほにいろいろなれ。むかしのあるじはなけれども、はるをわすれぬはななれや。P198せうしやうはなのもとにたちよりて、
たうりものいはずはるいくばくかくれぬるえんかあとなしむかしたれかすんじ
ふるさとのはなのものいふよなりせばいかにむかしのことをとはまし W014
このふるきしいかをくちずさみたまへば、やすよりにふだうも、をりふしあはれにおぼえて、すみぞめのそでをぞぬらしける。くるるほどとはまたれけれども、あまりになごりをしくて、よふくるまでこそおはしけれ。ふけゆくままには、あれたるやどのならひとて、ふるきのきのいたまより、もるつきかげぞくまもなき。けいろうのやまあけなんとすれども、いへぢはさらにいそがれず。さてしもあるべきことならねば、むかひにのりものどもつかはしてまつらんもこころなしとて、せうしやうなくなくすはまどのをいでつつ、みやこへかへりのぼられける。ひとびとのこころのうち、さこそはうれしうも、またあはれにもありけめ。やすよりにふだうがむかひにも、のりものはありけれども、いまさらなごりのをしきにとて、それにはのらず、せうしやうのくるまのしりにのつて、しちでうかはらまではゆく。それよりゆきわかれけるが、なほゆきもやらざりけり。はなのもとのはんじつのかく、つきのまへのいちやのとも、りよじんがひとむらさめのすぎゆくに、いちじゆのかげにたちよりて、わかるるなごりもをしきぞかし。いはんやこれは、うかりししまのすまひ、ふねのうち、なみのうへ、いちごふしよかんのみなれば、ぜんぜのはうえんもあさからずやおもはれけん。P199
せうしやうのははうへ、りやうぜんにおはしけるが、きのふよりさいしやうのしゆくしよにおはしてまたれけり。せうしやうのたちいりたまふすがたを、ただひとめみたまひて、「いのちあれば」とばかりにて、ひきかづいてぞふしたまふ。きたのかたは、さしもうつくしうはなやかにおはせしかども、つきせぬものおもひにやせくろみて、そのひとともみえたまはず。ろくでうがくろかりしかみもしろくなりたり。せうしやうのながされしとき、さんざいでわかれたまひしをさなきひとも、いまはおとなしうなつて、かみゆふほどなり。そのそばにみつばかんなるをさなきひとのおはしけるを、せうしやう、「あれはいかに」とのたまへば、ろくでう、「これこそ」とばかりまうして、なみだをながしけるにこそ、さてはわがながされしとき、こころぐるしげなるありさまどもをみおきしが、ことゆゑなうそだちけるよと、おもひいでてもかなしかりけり。せうしやうはもとのごとくゐんへまゐらせたまひて、さいしやうのちうじやうまであがりたまふ。やすよりにふだうは、ひがしやまさうりんじに、わがさんざうのありければ、それにおちついて、まづかうぞおもひつづけける。
ふるさとののきのいたまにこけむしておもひしほどはもらぬつきかな W015
やがてそこにろうきよして、うかりしむかしをおもひやり、ほうぶつしふといふものがたりをかきけるとぞきこえし。P200
「ありわうがしまくだり」(『ありわう』)S0308さるほどにきかいがしまのるにんども、ににんはめしかへされてみやこへのぼりぬ。いまいちにんのこされて、うかりししまのしまもりとなりにけるこそうたてけれ。そうづのをさなうよりふびんにして、めしつかはれけるわらはあり。なをばありわうとぞまうしける。きかいがしまのるにんども、けふすでにみやこへいるときこえしかば、ありわうとばまでゆきむかつてみけれども、わがしゆはみえたまはず。「いかに」ととへば、「それはなほつみふかしとて、いちにんしまにのこされぬ」ときいて、こころうしなどもおろかなり。つねはろくはらへんにただずみてききけれども、いつしやめんあるべしとも、ききいださざりければ、そうづのおんむすめのしのうでおはしけるところへまゐつて、「このせにももれさせたまひて、おんのぼりもさふらはず。いまはいかにもしてかのしまへわたつて、おんゆくへをもたづねまゐらせばやとぞんじさふらふ。おんふみたまはつてまゐりさふらはん」とまうしければ、ひめごぜん、なのめならずによろこび、やがてかいてぞたうでげる。いとまをこふとも、よもゆるさじとて、ちちにもははにもしらせず、もろこしぶねのともづなは、うづきさつきにとくなれば、なつごろもたつをおそくやおもひけん、やよひのすゑにみやこをたつて、おほくのなみじをしのぎつつ、さつまがたへぞくだりける。P201
さつまよりかのしまへわたるふなつにて、ありわうをひとあやしめ、きたるものをはぎとりなどしけれども、すこしもこうくわいせず、ひめごぜんのおんふみばかりぞ、ひとにみせじと、もとゆひのなかにはかくしける。さてあきんどぶねにのつて、くだんのしまへわたつてみるに、みやこにてかすかにつたへききしは、ことのかずならず。たもなし。はたけもなし。さともなし。むらもなし。おのづからひとはあれども、いふことばをもききしらず。ありわうしまのものにゆきむかつて、「ものまうさう」といへば、「なにごと」とこたふ。「これにみやこよりながされさせたまひたるほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづとまうすひとの、おんゆくすゑやしつたる」ととふに、ほつしようじとも、しゆぎやうとも、しつたらばこそへんじはせめ、ただかしらをふつてしらぬといふ。そのなかにあるものがこころえて、「いさとよ、さやうのひとは、さんにんこれにありしが、ににんはめしかへされてみやこへのぼりぬ。いまいちにんのこされて、あそこここよとまよひありきしが、そののちはゆくへをもしらず」とぞいひける。やまのかたのおぼつかなさに、はるかにわきいり、みねによぢ、たににくだれども、はくうんあとをうづんで、ゆききのみちもさだかならず。せいらんゆめをやぶつては、そのおもかげもみえざりけり。やまにてはつひにたづねもあはず。うみのほとりについてたづぬるに、さとうにいんをきざむかもめ、おきのしらすにすだくはまちどりのほかは、あととふものもなかりけり。
あるあしたいそのかたより、かげろふなんどのごとくにやせおとろへたるもの、よろぼひいできたり。P202もとはほふしにてありけりとおぼえて、かみはそらさまにおひあがり、よろづのもくづとりつけて、おどろをいただいたるがごとし。つぎめあらはれてかはゆたひ、みにきたるものは、きぬ、ぬののわきもみえず。かたてにはあらめをもち、かたてにはうををもらうてもち、あゆむやうにはしけれども、はかもゆかず、よろよろとしてぞいできたる。みやこにておほくのこつがいにんはみしかども、かかるものはいまだみず。「しよあしゆらとう、こざいだいかいへん」とて、しゆらのさんあくししゆは、しんざんだいかいのほとりにありと、ほとけのときおきたまひたれば、しらず、われがきだうなどへまよひきたるかとぞおぼえたる。はやかれもこれもしだいにあゆみちかづく。もしかやうのものにても、わがしゆのおんゆくへやしつたると、「ものまうさう」といへば、「なにごと」とこたふ。「これにみやこよりながされたまひたりしほつしようじのしゆぎやう、しゆんくわんそうづとまうすひとやまします」ととふに、わらはこそみわすれたれども、そうづはいかでかわすれたまふべきなれば、「これこそそよ」とのたまひもあへず、てにもてるものをなげすてて、すなごのうへにぞたふれふす。さてこそわがしゆのおんゆくへとはしりてげれ。そうづやがてきえいりたまふを、ありわうひざのうへにかきのせたてまつり、「おほくのなみぢをしのぎつつ、はるばるとこれまでたづねまゐつたるかひもなく、いかにやがてうきめをばみせんとは、せさせたまひさふらふぞ」と、さめざめとかきくどきければ、そうづすこしひとごこちいでき、たすけおこされ、「まことになんじおほくのなみぢをしのぎつつ、はるばるとP203これまでまゐつたるこそしんべうなれ。ただあけてもくれても、みやこのことをのみおもひゐたれば、こひしきものどものおもかげを、ゆめにみるをりもあり、またまぼろしにたつときもあり。みもいたうつかれよわつてのちは、ゆめもうつつもおもひわかず。いまなんぢがきたれるをも、ただゆめとのみこそおぼゆれ。もしこのことのゆめなりせば、さめてののちはいかがせん」。ありわう、「こはうつつにてさふらふなり。さてもこのおんありさまにて、いままでおんいのちののびさせたまひたるこそ、ふしぎにはおぼえさふらへ」とまうしければ、「いさとよ、これはこぞせうしやうやはんぐわんにふだうがむかひのとき、そのせにみをもなぐべかりしを、よしなきせうしやうの、『いまいちど、みやこのおとづれをもまてかし』などなぐさめおきしを、おろかにもしやとたのみつつ、ながらへんとはせしかども、このしまには、ひとのくひものもたえてなきところなれば、みにちからのありしほどは、やまにのぼつていわうといふものをとり、くこくよりかよふあきんどにあひ、くひものにかへなどせしかども、ひにそひてよわりゆけば、いまはさやうのわざもせず。かやうにひののどかなるときは、いそにいでて、あみうどつりうどにてをすり、ひざをかがめて、うををもらひ、しほひのときはかひをひろひ、あらめをとり、いそのこけにつゆのいのちをかけてこそ、うきながらけふまではながらへたれ。さらではうきよをわたるよすがをば、いかにしつらんとかおもふらん」。そうづ、「これにてなにごとをもいはばやとはおもへども、いざわがいへへ」とのたまへば、ありわう、あのおんありさまにても、いへをもちたまへるふしぎさよとおもひ、そうづをかたにP204ひつかけまゐらせ、をしへにしたがつてゆくほどに、まつのひとむらあるなかに、よりたけをはしらとし、あしをゆひ、けたはりにわたし、うへにもしたにも、まつのはをひしととりかけたれば、あめかぜたまるべうもみえず。ありわう、「あなあさまし。もとはほつしようじのじむしきにて、はちじふよかしよのしやうむをつかさどりたまひしかば、むねかどひらかどのうちに、しごひやくにんのしよじうーけんぞくにゐねうせられておはせしひとの、まのあたりかかるうきめにあはせたまふことのふしぎさよ。ごふにさまざまあり、じゆんげん、じゆんしやう、じゆんごごふといへり。そうづいちごがあひだ、みにもちふるところ、みなだいがらんのじもつぶつもつならずといふことなし。さればかのしんぜむざんのつみによつて、こんじやうにてはやかんぜられけりとぞみえたりける」。
(『そうづしきよ』)S0309そうづ、こはうつつにてありけりとおもひさだめて、「こぞせうしやうやはんぐわんにふだうむかひのときも、これらがふみといふこともなし。いままたなんぢがたよりにも、かくともいはざりけりな」とのたまへば、ありわうなみだにむせび、うつぶして、しばしはおんぺんじにもおよばず。ややあつておきあ(お)がり、なみだをおさへてまうしけるは、「きみのにしはちでうへいでさせたまひしのち、くわんにんまゐつて、しざいざふぐをつゐふくし、みうちのものどもからめとり、ごむほんのしだいをたづねとひ、みなうしなひはてさふらひき。きたのかたはをさなきひとをかくしかねまゐらさせたまひて、くらまのおくにしのうでおんわたりさふらひしにも、このわらはばかりこそ、ときどきまゐつておんみやづかへつかまつりさふらふなり。いづれもおんなげきのおろかなるかたはさふらはねども、なかにもをさなきひとは、あまりにこひまゐらさせたまひて、まゐりさふらふたびごとには、『いかにありわうよ、われきかいがしまとかやへP205ぐしてまゐれ』とのたまひて、むつからせたまひしが、すぎさふらひしきさらぎに、もがさとまうすことに、うせさせおはしましさふらひぬ。きたのかたはそのおんなげきとまうし、またこれのおんこととまうし、ひとかたならぬおんものおもひにおぼしめししづませたまひて、うちふさせたまひしが、さんぬるさんぐわつふつかのひ、つひにはかなくならせたまひてさふらひぬ。いまはひめごぜんばかりこそ、ならのをばごぜんのおんもとにしのうでおはしける、それよりおんふみたまはつてまゐつてさふらふ」とて、とりいだいてたてまつる。そうづこれをあけてみたまへば、ありわうがまうすにたがはずかかれたり。おくには、「などやさんにんながされてましますひとの、ににんはめしかへされてさぶらふに、なにとていちにんのこされて、いままでおんのぼりもさぶらはぬぞ。あはれたかきもいやしきも、をんなのみほどいふかひなきことはさぶらはず。をとこのみにてもさぶらはば、わたらせたまふしまへも、などかたづねまゐらでさぶらふべき。このわらはをおんともにて、いそぎのぼらせたまへ」とぞかかれたる。「これみよ、ありわうよ。このこがふみのかきやうのはかなさよ。おのれをともにて、いそぎのぼれとかいたることのうらめしさよ。しゆんくわんがこころにまかせたるうきみならば、いかでかこのしまにてみとせのはるあきをばおくるべき。ことしはじふにになるとおぼゆるが、これほどにはかなうては、いかでかひとにもまみえ、みやづかへをもして、みをもたすくべきか」とてなかれけるにぞ、ひとのおやのこころはやみにあらねども、こをおもふみちにまよふとは、いまこそおもひしられけれ。P206「
このしまへながされてのちは、こよみもなければ、つきひのたつをもしらず。ただおのづからはなのちり、はのおつるをみては、みとせのはるあきをわきまへ、せみのこゑばくしうをおくればなつとおもひ、ゆきのつもるをふゆとしる。びやくぐわつこくぐわつのかはりゆくをみては、さんじふにちをわきまへ、ゆびををつてかぞふれば、ことしはむつになるとおぼゆるをさなきものも、はやさきだちけるござんなれ。にしはちでうへいでしとき、このこがゆかんとしたひしを、やがてかへらうずるぞとなぐさめおきしが、ただいまのやうにおぼゆるぞや。それをかぎりとだにもおもはましかば、いましばらくもなどかみざらん。おやとなりことなり、ふうふのえんをむすぶも、みなこのよひとつにかぎらぬちぎりぞかし。いまはひめがことばかりこそこころぐるしけれども、それはいきみなれば、なげきながらもすごさんずらん。さのみながらへて、おのれにうきめをみせんも、わがみながらつれなかるべし」とて、おのづからしよくじをとどめ、ひとへにみだのみやうがうをとなへ、りんじうしやうねんをぞいのられける。ありわうわたつてにじふさんにちとまうすに、そうづいほりのうちにて、つひにをはりたまひぬ。としさんじふしちとぞきこえし。ありわうむなしきすがたにとりつきたてまつり、てんにあふぎちにふし、こころのゆくほどなきあきて、「やがてごせのおんともつかまつるべうさふらへども、このよにはひめごぜんばかりこそわたらせたまひさふらへ。ごせとぶらひまゐらすべきひともさふらはず。しばしながらへてごぼだいをとぶらひまゐらすべし」とて、ふしどをあらためず、いほりをきりかけ、まつのかれえだ、あしのかればをひしととりかけて、もしほのけぶりとなしたてまつり、だびことをへぬれば、はくこつをP207ひろひくびにかけ、またあきんどぶねのたよりにて、くこくのぢにぞつきにける。それよりそうづのおんむすめの、しのうでおはしけるおんもとにまゐつて、ありしやうをはじめよりこまごまとかたりまうす。「なかなかふみをごらんじてこそ、いとどおんおもひはまさらせたまひてさふらひしか。くだんのしまには、すずりもかみもなければ、おんぺんじにもおよばず。おぼしめされつるおんことどもは、さながらむなしうてやみさふらひぬ。いまはしやうじやうせせをおくり、たしやうくわうごふをばへだてたまふとも、いかでかおんこゑをもきき、おんすがたをもみまゐらさせたまふべき。ただいかにもして、ごぼだいをとぶらひまゐらさせたまへ」とまうしければ、ひめごぜんききもあへたまはず、ふしまろびてぞなかれける。やがてじふにのとしあまになり、ならのほつけじにおこなひすまして、ぶものごせをとぶらひたまふぞあはれなる。ありわうはしゆんくわんそうづのゆゐこつをくびにかけ、かうやへのぼり、おくのゐんにをさめつつ、れんげだににてほふしになり、しよこくしちだうしゆげふして、しゆのごせをぞとぶらひける。かやうにひとびとのおもひなげきのつもりぬる、へいけのすゑこそおそろしけれ。
「つじかぜ」(『つじかぜ』)S0310さるほどにおなじきごぐわつじふににちのうまのこくばかり、きやうちうにつじかぜおびたたしうふいて、じんをくP208おほくてんだうす。かぜはなかのみかどきやうごくよりおこつて、ひつじさるのかたへふいてゆくに、むねかどひらかどふきぬいて、しごちやうじつちやうばかりふきもてゆき、けた、なげし、はしらなどは、こくうにさんざいし、ひはだ、ふきいたのるゐ、ふゆのこのはのかぜにみだるるがごとし。おびたたしうなりどよむおとは、かのじごくのごふふうなりとも、これにはすぎじとぞみえし。ただしやをくのはそんずるのみならず、いのちをうしなふものもおほし。ぎうばのたぐひ、かずをしらずうちころさる。これただごとにあらず、みうらあるべしとて、じんぎくわんにしてみうらあり。「いまひやくにちのうちに、ろくをおもんずるだいじんのつつしみ、べつしてはてんがのだいじ、ぶつぽふわうぼふともにかたぶき、ならびにひやうがくさうぞくすべし」とぞ、じんぎくわん、おんやうりやうともにうらなひたてまつる。
「いしもんだふ」(『いしもんだふ』)S0311おなじきなつのころ、こまつのおとどは、かやうのことどもに、よろづこころぼそくやおもはれけん、そのころくまのさんけいのことありけり。ほんぐうしようじやうでんのおんまへにて、しづかにほつせまゐらせて、よもすがらけいびやくせられけるは、「しんぷにふだうしやうこくのていをみるに、あくぎやくぶだうにして、ややもすればきみをなやましたてまつる。そのふるまひをみるに、いちごのえいぐわなほあやふし。しげもりちやうしとして、しきりにいさめをいたすといへども、みふせうのあひだ、かれもつてふくようせず。P209しえふれんぞくして、しんをあらはしなをあげんことかたし。このときにあたつて、しげもりいやしうもおもへり。なまじひにれつして、よにふちんせんこと、あへてりやうしんかうしのほふにあらず。しかじ、なをのがれみをしりぞいて、こんじやうのめいばうをなげすてて、らいせのぼだいをもとめんに。ただしぼんぶはくぢ、ぜひにまどへるがゆゑに、こころざしをなほほしいままにせず、なむごんげんこんがうどうじ。ねがはくは、しそんはんえいたえずして、つかへててうていにまじはるべくば、にふだうのあくしんをやはらげて、てんがのあんぜんをえせしめたまへ。えいえうまたいちごをかぎつて、こうこんはぢにおよぶべくば、しげもりがうんめいをつづめて、らいせのくりんをたすけたまへ。りやうかのぐぐわんひとへにみやうじよをあふぐ」と、かんたんをくだいてきねんせられければ、とうろうのひのやうなるものの、おとどのおんみよりいでて、ばつときゆるがごとくしてうせにけり。ひとあまたみたてまつりけれども、おそれてこれをまうさず。おとどげかうのとき、いはだがはをわたられけるに、ちやくしごんのすけぜうしやうこれもりいげのきんだち、じやうえのしたにうすいろのきぬをきて、なつのことなれば、なにとなうみづにたはぶれたまふほどに、じやうえのぬれてきぬにうつりたるが、ひとへにいろのごとくにみえけるを、ちくごのかみさだよしこれをみとがめて、「なにとやらんあのおんじやうえの、よにいまはしげにみえさせましましさふらふ。いそぎめしかへらるべうもやさふらふらん」とまうしければ、おとど、「さてはわがしよぐわんすでにじやうじゆしにけり。あへてそのじやうえあらたむべからず」とて、いはだがはよりくまのへ、べつしてよろこびのほうへいをぞたてられける。ひとあやしとおもへども、なほそのこころをばP210えしめたまはず。しかるにこのきんだち、ほどなくやがて、まことのいろをきたまひけるこそふしぎなれ。そののちおとどげかうのとき、いくばくのひかずをへずして、やまひつきたまひぬ。ごんげんすでにごなふじゆあるにこそとて、れうぢをもしたまはず。ましてきたうをもいたされず。
そのころそうてうよりすぐれたるめいいわたつて、ほんてうにやすらふことありけり。をりふしにふだうしやうこくは、ふくはらのべつげふにおはしけるが、ゑつちうのぜんじもりとしをししやにて、こまつどのへのたまひつかはされけるは、「しよらういよいよだいじなるよし、そのきこえあり。かねてはまたそうてうよりすぐれたるめいいわたれり。をりふしこれをよろこびとす。よつてかれをめししやうじて、いれうをくはへしめたまへ」とのたまひつかはされたりければ、おとどたすけおこされ、もりとしをおんまへへめしてたいめんあり。「まづいれうのこと、かしこまつてうけたまはりさふらひぬとまうすべし。ただしなんぢもよくうけたまはれ。えんぎのみかどは、さばかんのけんわうにてわたらせたまひしかども、いこくのさうにんを、みやこのうちへいれられたりしことをば、まつだいまでもけんわうのおんあやまり、ほんてうのはぢとこそみえたれ。いはんやしげもりほどのぼんにんが、いこくのいしをわうじやうへいれんこと、まつたくくにのはぢにあらずや。かんのかうそは、さんじやくのけんをひつさげて、てんがををさめしに、わいなんのげいふをうちしとき、りうしにあたつてきずをかうぶる。きさきりよたいこう、りやういをむかへてみせしむるに、いのいはく、このきずぢしつべし。ただしごじつこんのきんをあたへばぢせんといふ。かうそのたまはく、われまもりつよかつしほどは、おほくのP211たたかひにあうてきずをかうぶりしかども、そのいたみなし。うんすでにつきぬ。めいはすなはちてんにあり、へんじやくといふともなんのえきかあらん。しかればまたかねををしむににたりとて、ごじつこんのきんをいしにあたへながら、つひにぢせざりき。せんげんみみにあり、いまもつてかんじんす。しげもりいやしくもきうけいにれつしさんたいにのぼる。そのうんめいをはかるに、もつててんしんにあり。なんぞてんしんをさつせずして、おろかにいれうをいたはしうせんや。しよらうもしぢやうごふたらば、いれうをくはふるともえきなからんか。またひごふたらば、れうぢをくはへずとも、たすかることをうべし。かのぎばがいじゆつおよばずして、だいかくせそん、めつどをばつだいがのほとりにとなふ。これすなはちぢやうごふのやまひ、いやさざることをしめさんがためなり。ぢするはぶつたいなり。れうするはぎばなり。
ぢやうごふもしいれうにかかはるべうさふらはば、あにしやくそんにふめつあらんや。ぢやうごふなほぢするにたへざるむねあきらけし。しかればしげもりがみ、ぶつたいにあらず、めいいまたぎばにおよぶべからず、たとひしぶのしよをかんがみて、ひやくれうにちやうずといふとも、いかでかうだいのゑしんをぐれうせん。たとひまたごきやうのせつにつまびらかにして、しゆびやうをいやすといふとも、あにぜんぜのごふびやうをぢせんや。もしかのいじゆつによつてぞんめいせば、ほんてうのいだうなきににたり。いじゆつかうげんなくば、めんえつしよせんなし。なかんづくほんてうていしんのげさうをもつて、いてうふいうのらいかくにまみえんこと、かつうはくにのはぢ、かつうはみちのりようちなり。たとひしげもりめいはばうずといふとも、いかでかくにのはぢをおもふこころをぞんぜざらん。このよしをまうせ」とこそのたまひけれ。P212
もりとしなくなくふくはらへはせくだり、このよしをまうしければ、にふだうしやうこく、「くにのはぢをおもふだいじん、しやうこにいまだきかず。ましてまつだいにあるべしともおぼえず。につぽんにさうおうせぬだいじんなれば、いかさまにもこんどうせられなんず」とて、いそぎみやこへのぼられけり。しちぐわつにじふはちにち、こまつどのしゆつけしたまひぬ。ほふみやうはじやうれんとこそつきたまへ。やがてはちぐわつひとひのひ、りんじうしやうねんにぢうしてうせたまひぬ。おんとししじふさん。よはさかりとこそみえつるに、あはれなりしことどもなり。にふだうしやうこくの、さしもよこがみをやられしにも、このひとのおはして、やうやうになだめのたまひつればこそ、よはけふまでもおだしかりつれ。こののちてんがにいかばかりのことかいでこんずらんとて、じやうげみななげきあへり。またさきのうだいしやうむねもりのきやうのかたざまのひとびと、よはただいまだいしやうどのへまゐりなんずとて、いさみよろこびあはれけり。ひとのおやのこをおもふならひは、おろかなるが、さきだつだにもかなしきぞかし。いはんやこれはたうけのとうりやう、たうせいのけんじんにてましませば、おんあいのわかれ、いへのすゐび、かなしんでもなほあまりあり。さればよにはりやうしんをうしなへることをなげき、いへにはぶりやくのすたれぬることをかなしむ。およそはこのおとど、ぶんしやううるはしうして、こころにちうをそんじ、さいげいすぐれて、ことばにとくをかねたまへり。P213
「むもんのさた」(『むもん』)S0312てんぜいこのおとどは、ふしんだいいちのひとにて、みらいのことをもかねてさとりたまひけるにや、さんぬるしんぐわつなぬかのよのゆめに、みたまひたりけることこそふしぎなれ。たとへばあるはまぢを、はるばるとあゆみゆきたまふほどに、かたはらにおほきなるとりゐのありけるを、おとどゆめのうちに、「あれはいかなるおんとりゐやらん」ととひたまへば、「かすがだいみやうじんのおんとりゐなり」とぞまうしける。ひとくんじゆしたり。そのなかよりおほきなるほふしのかうべを、たちのさきにつらぬき、たかくさしあげたるを、おとど、「なにもののくびぞ」とのたまへば、「へいけだいじやうにふだうどのの、あくぎやうてうくわしたまへるによつて、たうしやだいみやうじんのめしとらせたまひてさふらふ」とまうすとおぼえてゆめさめぬ。たうけはほうげんへいぢよりこのかた、どどのてうてきをたひらげ、けんじやうみにあまり、ていそ、だいじやうだいじんにいたり、いちぞくのしようじんろくじふよにん、にじふよねんのこのかた、くわんかかいてんがにかたをならぶるひともなかりつるに、さてはにふだうのあくぎやうてうくわしたまへるによつて、たうけのうんめいのすゑになるにこそとおぼしめして、おんなみだをながさせたまふ。をりふしつまどをほとほととうちたたくものいできたり。おとど、「なにものぞ、あれきけ」とP214のたまへば、「せのをのたらうかねやすが、こんやあまりにふしぎのことをみさふらうて、まうしあげんがために、よのあくるがおそうおぼえてまゐつてさふらふ。おんまへのひとをはるかにのけられさふらへ」とて、ひとをのけてたいめんありけり。おとどのごらんぜられけるゆめに、すこしもたがはず、つぶさにかたりまうしたりければ、さてこそかねやすは、しんにもつうじたるものかなとぞ、おとどもかんじたまひける。
そのあしたちやくしごんのすけぜうしやうこれもり、ゐんへまゐらんとていでたたれけるを、おとどよびたてまつて、「ひとのおやのかやうのことまうすは、をこがましけれども、ごへんはひとのこにはすぐれてみえたまへり。あれせうしやうにさけすすめよ」とのたまへば、ちくごのかみさだよしおんしやくにまゐる。これをばせうしやうにこそたぶべけれども、おやよりさきにはよもたまはらじとて、おとどさんどくんで、そののちせうしやうどのにぞさされける。せうしやうまたさんどうけたまふとき、「あれせうしやうにひきでものせよ」とのたまへば、かしこまりうけたまはつて、あかぢのにしきのふくろにいれたるおんたちもつてまゐつたり。せうしやう、これはたうけにつたはるこがらすといふたちやらんと、うれしげにみたまへば、さはなくして、だいじんさうのときもちふるむもんのたちなり。そのときせうしやうもつてのほかにきしよくかはつてみえたまへば、おとどなみだをはらはらとながいて、「それはさだよしがひがごとにはあらず。だいじんさうのときはいてともするむもんといふたちなり。ひごろはにふだうどのいかにもなりたまはば、しげもりはいてともせんとこそぞんぜしか。いまはしげもり、にふだうどのにさきだちたてまつらんずれば、ごへんにたぶなり」とぞのたまひける。P215せうしやうとかうのへんじにもおよびたまはず、なみだをおさへてしゆくしよにかへり、そのひはしゆつしもしたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。そののちおとどくまのへまゐりげかうして、いくばくのひかずをへずして、やまひついてうせたまひけるにこそ、げにもとおもひしられけれ。
「とうろう」(『とうろのさた』)S0313すべてこのおとどは、めつざいしやうぜんのこころざしふかうおはしければ、たうらいのふちんをなげき、ろくはちぐぜいのぐわんになぞらへて、ひがしやまのふもとに、しじふはちけんのしやうじやをたて、いつけんにひとつづつ、しじふはちのとうろうをかけられたりければ、くぼんのうてなめのまへにかがやき、くわうえうらんけいをみがいて、じやうどのみぎりにのぞみぬるがごとし。まいげつじふしにちじふごにちをてんじて、だいねんぶつありしかば、たうけたけのひとびとのもとより、みめよくわかうさかんなつしにようばうをしやうじて、いつけんにろくにんづつ、にひやくはちじふはちにんのじしゆとさだめて、かのりやうにちがあひだは、いつしんふらんのしようみやうのこゑおこたらず。まことにらいかういんぜふのひぐわんも、このところにやうがうをたれ、せつしゆふしやのひかりも、このおとどをてらしたまふかとぞおぼえたる。じふごにちのにつちうをけちぐわんとして、だいねんぶつありけり。おとどぎやうだうのなかにまじはつて、さいはうにむかひてをP216あはせ、「なむあんやうせかいのけうしゆ、みだぜんぜい、さんがいろくだうのしゆじやうを、あまねくさいどしたまへ」と、ゑかうほつぐわんしたまへば、みるひとじひしんをおこし、きくものかんるゐをぞもよほしける。それよりしてこそ、このおとどをとうろうのだいじんとはまうしけれ。
「かねわたし」(『かねわたし』)S0314おとどまたいかなるぜんごんをもして、ごせとぶらはればやとおもはれけるが、わがてうにはいかなるだいぜんごんをしおいたりとも、しそんあひつづいて、しげもりがごせとぶらはんことありがたし。たこくにいかなるぜんごんをもして、ごせとぶらはれんとて、あんげんのはるのころ、ちんぜいよりめうでんといふせんどうをめしのぼせ、ひとをはるかにのけてたいめんあり。こがねをさんぜんごひやくりやうめしよせて、「なんぢはきこゆるだいしやうじきのものなれば」とて、「ごひやくりやうをばなんぢにえさす。さんぜんりやうをばそうてうへわたし、いつせんりやうをばいわうさんのそうにひき、にせんりやうをばみかどへまゐらせて、でんだいをいわうさんへまうしよせて、しげもりがごせとぶらはすべし」とぞのたまひける。めうでんこれをたまはつて、ばんりのえんらうをしのぎつつ、だいそうこくへぞわたりける。いわうさんのはうぢやう、ぶつせうぜんじとくくわうにあひたてまつて、このよしまうしければ、ずゐきかんたんして、P217やがてせんりやうをば、いわうさんのそうにひき、にせんりやうをばみかどへまゐらせて、こまつどののまうされつるやうを、つぶさにそうもんせられければ、みかどおほきにかんじおぼしめして、ごひやくちやうのでんだいを、いわうさんへぞよせられける。さればにつぽんのだいじん、たひらのあそんしげもりこうのごしやうぜんしよといのること、いまにありとぞうけたまはる。(『ほふいんもんだふ』)S0315にふだうしやうこく、こまつどのにはおくれたまひぬ。よろづこころぼそくやおもはれけん、ふくはらへはせくだり、へいもんしてこそおはしけれ。
「ほふいんもんだふ」おなじきじふいちぐわつなぬかのよのいぬのこくばかり、だいぢおびたたしううごいてややひさし。おんやうのかみあべのたいしん、いそぎだいりへはせまゐり、「こんどのぢしん、せんもんのさすところ、そのつつしみかろからずさふらふ。たうだうさんきやうのなかに、こんききやうのせつをみさふらふに、としをえてはとしをいでず、つきをえてはつきをいでず、ひをえてはひをいでず、もつてのほかにくわきふにさふらふ」とて、なみだをはらはらとながしければ、てんそうのひともいろをうしなひ、きみもえいりよをおどろかせおはします。わかきくぎやうてんじやうびとは、「けしからぬやすちかがなきやうかな。ただいまなにごとのあるべきか」とて、いちどにどつとぞわらひあはれける。されどもこのP218やすちかは、せいめいごだいのべうえいをうけて、てんもんはえんげんをきはめ、すゐでうたなごころをさすがごとし。いちじもたがはざりければ、さすのみことぞまうしける。いかづちのおちかかりたりしかども、らいくわのためにかりぎぬのそではやけながら、そのみはつつがもなかりけり。じやうだいにもまつだいにもありがたかりしやすちかなり。おなじきじふしにち、にふだうしやうこくいかがはおもひなられたりけん、すせんぎのぐんびやうをたなびいて、みやこへかへりいりたまふよしきこえしかば、きやうぢうなにとききわけたることはなけれども、じやうげさわぎあへり。またなにもののまうしいだしたりけるやらん。にふだうしやこくてうかをうらみたてまつるべしといふひろうをなす。くわんばくどのも、ないないきこしめさるるむねもやありけん、いそぎごさんだいあつて、「こんどにふだうのじゆらくは、ひとへにもとふさほろぼすべきよしのけつこうにてさふらへ。つひにいかなるうきめにかあひさふらはんずらん」と、そうせさせたまへば、しゆしやうきこしめして、「そこにいかなるめにもあはんは、ひとへにわがあふにてこそあらんずらめ」とて、りようがんよりおんなみだをながさせたまふぞかたじけなき。まことにてんがのおんまつりごとは、しゆしやうせふろくのおんぱからひにてこそあるに、これはいかにしつることどもぞや。てんせうだいじん、かすがだいみやうじんのしんりよのほどもはかりがたし。
おなじきじふごにち、にふだうしやうこくてうかをうらみたてまつるべきこと、ひつぢやうときこえしかば、ほふわうおほきにおどろかせたまひて、こせうなごんしんせいのしそくじやうけんほふいんをおつかひにて、にふだうしやうこくのもとへつかはさる。おほせくだされけるは、「きんねんてうていしづかならずして、ひとのこころもととのほらず。P219せけんもいまだらくきよせぬさまになりゆくことを、そうべつにつけてなげきおぼしめせども、さてそこにあれば、ばんじはたのみおぼしめされてこそあるに、たとひてんがをしづむるまでこそなからめ、あまつさへがうがうなるていにて、てうかをうらみたてまつるべしときこしめすはなにごとぞ」とおほせくださる。ほふいんちよくぢやうをうけたまはつて、にしはちでうのていにゆきむかふ。にふだうたいめんもしたまはず、あしたよりゆうべにおよぶまでまたれけれども、ぶいんなりければ、さればこそとむやくにおもひ、げんたいふのはんぐわんすゑさだをもつて、ちよくぢやうのおもむきいひいれさせ、「いとままうして」とていでられければ、そのときにふだう、「ほふいんよべ」とていでられたり。よびかへして、「ややほふいんのおんばう、じやうかいがまうすところはひがごとか。まずだいふがみまかりぬること、たうけのうんめいをはかるにもつて、にふだうずゐぶんひるゐをおさへてこそまかりすぎさふらひしか。ごへんのこころにもすゐさつしたまへ。ほうげんいごは、らんげきうちつづいて、きみやすいこころもましまさざりしに、にふだうはただおほかたをとりおこなふばかりでこそさふらへ。だいふこそてをおろしみをくだいて、どどのげきりんをばしづめまゐらせさふらひしか。そのほかりんじのおんだいじ、てうせきのせいむ、だいふほどのこうしんは、ありがたうこそさふらへ。ここをもつていにしへをあんずるに、たうのたいそうは、ぎちようにおくれて、かなしみのあまりに、むかしのいんそうはゆめのうちにりやうひつをえ、いまのちんはさめてののちけんしんをうしなふといふひのもんをみづからかいて、べうにたててだにこそかなしみたまひけるなれ。わがてうにも、まぢかうみさふらひしことぞかし。あきよりのみんぶきやうがせいきよしたりしをば、こゐんことにおんなげきあつて、P220やはたのぎやうがうえんいんあつて、ぎよいうなかりき。すべてしんかのそつするをば、だいだいのみかど、みなおんなげきあることでこそさふらへ。それにだいふがちういんに、やはたのごかうあつてぎよいうありき。おんなげきのいろ、いちじもこれをみず。たとひだいふがちうをこそおぼしめしわすれさせたまふとも、などかにふだうがかなしみをば、おんあはれみなくてはさふらふべき。たとひにふだうがかなしみをこそおんあはれみなくとも、などかだいふがちうをばおぼしめしわすれさせたまふべき。ふしともにえいりよにそむきまうすこと、いまにおいてめんぼくをうしなふ。これひとつ。つぎにゑちぜんのくにをば、ししそんぞんまでごへんかいあるまじきよしおんやくそくさふらひて、くだしたまひてさふらひしかども、だいふにおくれてのち、やがてめしかへされさふらふは、なんのくわたいにてさふらふやらん。これひとつ。つぎにちうなごんけつのさふらひしとき、にゐのちうじやうしきりにしよまうさふらひしを、にふだうずゐぶんとりまうししかども、つひにごしよういんなくして、くわんばくのそくをなさるることはいかに。たとひにふだういかなるひきよまうしおこなふとも、いちどはなどかきこしめしいれではさふらふべき。ゐかいといひ、けちやくといひ、りうんさうにおよばざることを、ひきちがへさせたまふおんことは、あまりにほいなきおんぱからひとこそぞんじさふらへ。これひとつ。つぎにしんだいなごんなりちかのきやういげ、きんじふのひとびと、ししのたにによりあひて、むほんをくはだてしことも、まつたくわたくしのけいりやくにはあらず、しかしながらきみごきよようあるによつてなり。ことあたらしきまうしごとにてさふらへども、このいちもんをばしちだいまでは、いかでかおぼしめしすてさせたまふべきに、それににふだうしちじゆんにおよんで、よめいいくばくならぬP221いちごのうちにだに、ややもすればほろぼさるべきよしのごけつこうざふらふ。まうしさふらはんや、しそんあひつづいて、てうかにめしつかはれんこともありがたうこそさふらへ。およそおいてこにおくるるは、こぼくのえだなきにことならず。いまはほどなきうきよに、さのみこころをつひやしてもなににかはせんなれば、いかでもありなんとおもひなつてこそさふらへ」とて、かつうはふくりふし、かつうはらくるゐしたまへば、ほふいんおそろしうも、またあはれにもおぼえて、あせみづにこそなられけれ。
そのときはいかなるひとも、いちごんのへんじにはおよびがたきことぞかし。そのうへわがみもきんじゆのじんにて、ししのたにによりあひしことを、まさしうみきかれしかば、ただいまもそのにんじゆとてめしやこめられんずらんとおもはれければ、りようのひげをなで、とらのををふむここちはせられけれども、ほふいんもさるおそろしきひとにて、ちつともさわがずまうされけるは、「まことにどどのごほうこうあさからずさふらふ。いつたんうらみまうさせましますむね、そのいはれさふらふ。ただしくわんゐといひ、ほうろくといひ、おんみにとつてはことごとくまんぞくす。さればこうのばくたいなることをも、きみつねにぎよかんあるでこそさふらへ。しかるにきんしんことをみだり、きみごきよようありなどまうすことは、ぼうしんのきようがいにてぞさふらはんずらん。およそみみをしんじてめをうたがふは、ぞくのつねのへいなり。せうじんのふげんをおもくして、てうおんのたにことなるに、いまさらまたきみをかたぶけまゐらさせ たまはんこと、みやうけんにつけて、そのおそれすくなからずさふらふ。およそてんしんはさうさうとしてはかりがたし。えいりよさだめてそのぎでぞさふらはんずらん。P222しもとしてかみにさかふることは、あにじんしんのれいたらんや。よくよくごしゆゐさふらふべし。せんずるところ、このおもむきをこそひろうつかまつりさふらはめ」とてたたれければ、そのざになみゐたまへるひとびと、「あなおそろし。にふだうのあれほどいかりたまふに、ちつともさわがず、へんじうちしてたたれけるよ」とて、ほふいんをほめぬひとこそなかりけれ。
「だいじんるざい」(『だいじんるざい』)S0316ほふいんかへりまゐつて、このよしそうもんせられければ、ほふわうもだうりしごくして、かさねておほせくださるるむねもなし。おなじきじふろくにち、にふだうしやうこくこのひごろおもひたちたまへることなれば、くわんばくどのをはじめたてまつりて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかくしじふさんにんがくわんしよくをとどめて、おひこめたてまつらる。なかにもくわんばくどのをば、だざいのそつにうつして、ちんぜいへとぞきこえし。「かからんよには、とてもかくてもありなん」とて、とばのへん、ふるかはといふところにてごしゆつけあり。おんとしさんじふご。「れいぎよくしろしめして、くもりなきかがみにておはしつるひとを」とて、よのをしみたてまつることなのめならず。をんるのひとの、みちにてしゆつけしたるをば、やくそくのくにへはつかはさぬことにてあるあひだ、はじめはひうがのくにとP223さだめられたりしかども、これはごしゆつけのあひだ、びぜんのこふのへん、いばさまといふところにぞおきたてまつる。だいじんるざいのれいは、さだいじんそがのあかえ、うだいじんとよなり、さだいじんうをな、うだいじんすがはら、かけまくもかたじけなくいまのきたののてんじんのおんことなり。さだいじんかうめいこう、ないだいじんふぢはらのいしうこうにいたるまで、そのれいすでにろくにん、されどもせつしやうくわんばくるざいのれいはこれはじめとぞうけたまはる。こなかどののおんこ、にゐのちうじやうもとみちは、にふだうのむこにておはしければ、だいじんくわんばくになしたてまつらる。さんぬるゑんゆうゐんのぎよう、てんろくさんねんじふいちぐわつひとひのひ、いちでうのせつしやうけんとくこううせたまひしかば、おんおととほりかはのくわんばくちうぎこう、そのときはいまだじゆにゐのちうなごんにておはしき。そのおんおととほふこうゐんのおほにふだうかねいへこう、そのころはだいなごんのうだいしやうにてましましければ、ちうぎこうはおんおととにかかいこえられさせたまひたりしかども、いままたこえかへして、ないだいじんじやうにゐして、ないらんのせんじかうぶらせたまひしをこそ、ひとみなじぼくをおどろかしたるごしようじんとはまうしあはれしか。これはそれにはなほてうくわせり。ひさんぎにゐのちうじやうより、だいちうなごんをへずして、だいじんせつしやうになること、これはじめ。ふげんじどののおんことなり。しやうけいさいしやう、だいげき、たいふのしにいたるまで、みなあきれたるさまにてぞさふらはれける。
だいじやうだいじんもろながは、つかさをとどめて、あづまのかたへながされたまふ。さんぬるほうげんにはちちP224あくひだんのおほいどののえんざによつて、きやうだいしにんるざいせられたまひにき。おんあにうだいしやうかねなが、おんおととひだんのちうじやうたかなが、はんちやうぜんじさんにんは、きらくをまたずして、はいしよにてつひにうせたまひぬ。これはとさのはたにてここのかへりのはるあきをおくりむかへ、ちやうぐわんにねんはちぐわつにめしかへされて、ほんゐにふくし、つぎのとしじやうにゐして、にんあんぐわんねんじふぐわつに、さきのちうなごんよりごんだいなごんにあがりたまふ。をりふしだいなごんあかざりければ、かずのほかにぞくははられける。だいなごんろくにんになること、これはじめ。またさきのちうなごんよりごんだいなごんにあがることも、ごやましなのだいじんみもりこう、うぢのだいなんごんりうこくのきやうのほかは、これはじめとぞうけたまはる。くわんげんのみちにたつし、さいげいすぐれておはしければ、しだいのしようじんとどこほらず、だいじやうだいじんまできはめさせたまひて、またいかなるつみのむくいにや、かさねてながされたまふらん。ほうげんのむかしは、なんかいとさへうつされ、ぢしようのいまは、またとうくわんをはりのくにとかや。もとよりつみなくしてはいしよのつきをみんといふことをば、こころあるきはのひとのねがふことなれば、おとどあへてことともしたまはず。かのたうのたいしのひんかくはくらくてん、しんやうのえのほとりにやすらひけん、そのいにしへをおもひやり、なるみがたしほぢはるかにゑんけんして、つねはらうげつをのぞみ、うらかぜにうそぶき、びはをだんじ、わかをえいじて、なほざりがてらに、つきひをおくりたまひけり。あるときたうごくだいさんのみやあつたのみやうじんにさんけいありて、そのよしんめいほふらくのために、びはひきらうえいしたまふに、ところもとよりむちのさかひなれば、なさけをしれるものなし。いふらうそんぢよ、P225ぎよじんやそう、かうべをうなだれ、みみをそばだつといへども、さらにせいだくをわかつて、りよりつをしることなし。されどもこはきんをだんぜしかば、ぎよりんをどりほとばしり、ぐこううたをはつせしかば、りやうぢんうごきうごく。もののめうをきはむるときには、しぜんにかんをもよほすことわりなれば、しよにんみのけよだつて、まんざきいのおもひをなす。やうやうしんかうにおよんで、ふがうでうのうちには、はなふんぷくのきをふくみ、りうせんのきよくのあひだには、つきせいめいのひかりをあらそふ。「ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ、きやうげんきぎよのあやまりをもつて」といふらうえいをして、ひきよくをひきたまひしかば、しんめいかんおうにたへずして、ほうでんおほきにしんどうす。「へいけのあくぎやうなかりせば、いまこのずゐさうをばいかでかをがむべき」とて、おとどかんるゐをぞながされける。あぜつのだいなごんすけかたのきやう、しそくうこんゑのせうしやうけんさぬきのかみみなもとのすけとき、ふたつのくわんをとどめらる。さんぎくわうだいこうぐうのごんのだいぶけんうひやうゑのかみふぢはらのみつよし、おほくらきやううきやうのだいぶけんいよのかみたかしなのやすつね、くらんどのさせうべんけんちうぐうのごんのだいしんふぢはらのもとちか、さんくわんともにとどめらる。なかにもあぜつのだいなごんすけかたのきやう、しそくうこんゑのせうしやう、まごのうせうしやうまさかた、これさんにんをば、けふやがてみやこのうちをおひいださるべしとて、しやうけいにはとうだいなごんさねくに、はかせのはうぐわんなかはらののりさだにおほせて、そのひやがてみやこのうちをおひいださる。だいなんごんのたまひけるは、「さんがいひろしといへども、ごしやくのみおきどころなし。いつしやうほどなしといへども、いちにちくらしがたし」とて、やちうにここのへのうちをまぎれいでて、やへたつくものほかへぞP226おもむかれける。かのおほえやまや、いくののみちにかかりつつ、はじめはたんばのくにむらくもといふところに、しばしはやすらひたまひしが、それよりつひにはたづねいだされて、しなののくにとぞきこえし。
「ゆきたかのさた」(『ゆきたかのさた』)S0317さきのくわんばくまつどののさぶらひに、がうたいふのはうぐわんとほなりといふものあり。これもへいけにこころよからざりけるが、ろくはらよりからめとらるべしときこえしほどに、しそくがうざゑもんのじよういへなりあひぐして、みなみをさしておちゆきけるが、いなりやまにうちあがり、むまよりおりて、おやこいひあはせけるは、「これよりとうごくへおちくだり、るにんさきのうひやうゑのすけよりともをたのまばやとはおもへども、それもたうじはちよくかんのみにて、わがみひとつをだにかなひがたうおはすなり。そのほかにつぽんごくに、へいけのしやうゑんならぬところやある。とてものがれざらんものゆゑに、ねんらいすみなれたるところを、ひとにみせんもはぢがまし。これよりとつてかへし、ろくはらよりめしつかひあらば、たちにひかけやきあげ、はらかききつてしなんにはしかじ」とて、またかはらざかのしゆくしよへとつてかへす。あんのごとくげんだいふのはうぐわんすゑさだ、つのはうぐわんもりずみ、ひたかぶとさんびやくよき、かはらざかのしゆくしよへおしよせて、P227ときをどつとぞつくりける。がうたいふのはうぐわん、えんにたちいでだいおんじやうをあげて、「いかにおのおのろくはらでは、このやうをまうさせたまへ」とて、たちにひかけ、やきあげ、ふしともにはらかききつて、ほのほのなかにてやけしにぬ。そもそもかやうにひとのほろびそんずることをいかにといふに、さきのおほとののおんこさんみのちうじやうどのと、たうじくわんばくにならせたまふにゐのちうじやうどのと、ちうなごんごさうろんゆゑとぞきこえし。さらばくわんばくどのごいつしよばかりこそ、いかなるおんめにもあはせたまふべきに、しじふさんにんのひとびとの、ことにあふべきやは。およそはこれにもかぎるまじかんなれども、にふだうしやうこくのこころにてんまいりかはつて、よろづはらをすゑかねたまふよしきこえしかば、きやうぢうまたさわぎあへり。こぞさぬきのゐんごつゐがうありて、しゆとくてんわうとかうし、うぢのあくさふ、ぞうくわんぞうゐおこなはれたりといへども、せけんはなほもしづかならず。
そのころさきのさせうべんゆきたかときこえしは、こなかやまのちうなごんあきときのきやうのちやうなんなり。にでうのゐんのおんときは、べんくわんにくははつて、さしもゆゆしうおはせしが、このじふよねんはくわんをもとどめられて、なつふゆのころもがへにもおよばず、てうぼのざんもまれなり。あるかなきかのていにておはしけるを、にふだうしやうこくししやをもつて、「きつとたちよりたまへ。まうしあはすべきことあり」と、のたまひつかはされたりければ、ゆきたか、「このじふよねんはくわんをもとどめられて、よろづなにごとにもまじはらざりつるものを。いかさまにもざんげんして、うしなはんとするもののあるにこそ」とて、おほきにおそれさわがれけり。きたのかたいげにようばうたち、P228こゑごゑにをめきさけびたまひけり。さるほどににしはちでうどのより、つかひしきなみにありしかば、ゆきたか、「いでむかつてこそ、ともかくもならめ」とて、ひとにくるまかつていでられたれば、おもふにはにず、にふだうやがていであひたいめんありて、「ごへんのちちのきやうは、にふだうだいせうじをまうしあはせしひとなり。そのしそくにておはすれば、ごへんとてもまつたくおろそかにおもひたてまつらず。ねんらいろうきよのこともいたはしうはおぼゆれども、ほふわうのごせいむのうへはちからおよばず。いまはしゆつししたまへ。くわんどのことも、まうしさたつかまつりさふらはん。さらばとうかへられよ」とてかへされたれば、しゆくしよにはにようばうさぶらひさしつどひて、しにたるひとのいきかへりたるここちして、よろこびなきをぞせられける。そののちげんたいふのはんぐわんすゑさだをもつて、ちぎやうしたまふべきしやうゑんじやうども、あまたなしつかはし、まづさこそおはすらんとて、ひやつぴきひやくりやうに、よねをつんでぞおくられける。しゆつしのれうにとて、ざふしきうしかひうしぐるまにいたるまで、きよげにさたしおくられければ、ゆきたかてのまひ、あしのふみどをもおぼえたまはず、こはゆめやらんとぞおどろかれける。おなじきじふしちにち、ごゐのじちうにふせられて、もとのごとくさせうべんになしかへさる。こんねんごじふいち、いまさらわかやぎたまひけり。ただへんしのえいぐわとぞみえし。P229
「ほふわうごせんかう」(『ほふわうながされ』)S0318おなじきはつかのひ、ほふぢうじどのをば、ぐんびやうしめんをうちかこんで、へいぢにのぶよりのきやうがさんでうどのをしたりしやうに、ごしよにひをかけ、ひとをばみなやきほろぼすべきよしきこえしかば、つぼねのにようぼう、あやしのめのわらはにいたるまで、ものをだにうちかづかずして、われさきにわれさきにとぞにげいでける。さきのうだいしやうむねもりのきやうおんくるまをよせて、「とうとう」とまうされたりければ、ほふわうえいりよをおどろかせおはしまし、「なりちかしゆんくわんらがやうに、とほきくに、はるかのしまへもうつしやられんずるにこそ。さらにおんとがあるべしともおぼしめさず。しゆしやうさてわたらせたまへば、せいむのこうじゆするばかりなり。それもさらずは、じごんいご、さらでもあれかし」とおほせければ、むねもりのきやうなみだをはらはらとながいて、「いかにただいま、さるおんことさふらふべき。しばらくよをしづめんほど、とばのきたどのへごかうをなしまゐらせよと、ちちのぜんもんまうしさふらふ」とまうされたりければ、「さらばなんぢやがておんともつかまつれ」とおほせけれども、ちちのぜんもんのきしよくにおそれをなして、おんともにはまゐられず。「これにつけても、あにのだいふには、ことのほかにおとりたるものかな。ひととせもかかるおんめにあふべかりしを、だいふがみにかへてP230せいしとどめてこそ、けふまでもおんこころやすかりつれ。いまはいさむるもののなきとて、かうはするやらん。ゆくすゑとてもたのもしからずおぼしめす」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。さておんくるまにめされけり。くぎやうてんじやうびと、いちにんもぐぶせられず、ほくめんのげらふと、さてはこんぎやうといふおんりきしやばかりぞまゐりける。おんくるまのしりには、あまぜいちにんまゐられけり。このあまぜとまうすは、やがてほふわうのおんちのひと、きのにゐのおんことなり。しちでうをにしへ、しゆしやかをみなみへごかうなしたてまつる。「あはやほふわうのながされさせおはしますぞや」とて、こころなきあやしのしづのを、しづのめにいたるまで、みななみだをながし、そでをぬらさぬはなかりけり。「さんぬるなぬかのよのおほぢしんも、かかるべかりけるぜんべうにて、じふろくらくしやのそこまでもこたへ、けんらうぢじん(じしん)のおどろきさわぎたまふらんもことわりかな」とぞひとまうしける。さてとばどのへごかうなつてのち、ごぜんにひといちにんもさふらはず。なにとしてかまぎれいりたりけん、だいぜんのだいぶのぶなりがただいちにんさふらひけるを、ごぜんへめして、「われはちかううしなはれんずるとおぼしめすぞ。おんぎやうずゐをめさばやとおぼしめすはいかに」とおほせければ、さらぬだにのぶなりは、けさよりきもたましひもみにそはず、あきれたるさまにてさふらひけるが、このおほせうけたまはることのかたじけなさに、かりぎぬのたまだすきあげ、かまにみづくみいれ、こしばがきこぼち、おほゆかのつかばしらわりなどして、かたのごとくのおんゆしいだいてたてまつる。P231
またじやうけんほふいん、にふだうしやうこくのにしはちでうのていへゆきむかつて、「ゆふべほふわうのとばどのへごかうなつてさふらふなるに、ごぜんにひといちにんもさふらはぬよしうけたまはつて、あまりにあさましくおぼえさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。じやうけんばかりおんゆるされをかうぶつて、まゐりさふらはばや」とまうされければ、にふだうしやうこくいかがおもはれけん。「おんぼうはいつかうことあやまつまじきひとなり。とうとう」とてゆるされけり。ほふいんなのめならずによろこび、いそぎとばどのへまゐり、もんぜんにてくるまよりおり、もんのうちへさしいりたまふに、をりふしほふわうはおんきやううちあげうちあげあそばされけるおんこゑの、ことにすごうぞきこえさせおはします。ほふいんの、つとまゐられたれば、あそばされけるおんきやうに、おんなみだのはらはらとかからせたまふをみまゐらせて、ほふいんあまりのかなしさに、きうたいのそでをかほにおしあてて、なくなくごぜんへぞまゐられける。ごぜんにはあまぜばかりぞさふらはれける。「ややほふいんのおんばう、きみはきのふのあした、ほふぢうじどのにて、ぐごきこしめしてのちは、ゆふべもけさもきこしめさず。ながきよすがらぎよしんもならず、おんいのちもすでにあやふうこそみえさせおはしませ」とまうされければ、ほふいんなみだをおさへてまうされけるは、「なにごともかぎりあることでこそさふらへ。へいけよをとつてにじふよねん、されどもあくぎやうほふにすぎて、すでにほろびさふらひなんず。さればてんせうだいじん、しやうはちまんぐうも、きみをばいかでかおぼしめしはなたせたまふべき。なかにもきみのおんたのみましますひよしさんわうしちしや、いちじようしゆごのおんちかひいまだあらたまらずは、かのほつけはちぢくにP232たちかけつてこそ、きみをばまもりまゐらさせたまふらめ。さればせいむはきみのおんよとなり、きようとはみづのあわときえうせさふらひなんず」とまうされければ、ほふわうこのことばにすこしなぐさませおはします。しゆしやうはくわんばくながされたまひ、しんかのおほくほろびそんずることをのみこそ、おんなげきありつるに、いままたほふわうのとばどのへごかうなりぬるよしきこしめして、つやつやぐごもきこしめさず、ごなうとてつねはよるのおとどにのみいらせおはします。ごぜんにさぶらはせたまふにようばうたち、きさいのみやをはじめまゐらせて、いかなるべしともおぼしめさず。ほふわうのとばどのへごかうなつてのち、だいりにはりんじのごじんじとて、せいりやうでんのいしばひのだんにして、しゆしやうよごとにいせだいじんぐうをぞごはいありける。これはいつかうほふわうおんいのりのためとぞきこえし。にでうのゐんは、さばかりのけんわうにてわたらせたまひしかども、てんしにぶもなしとて、つねはゐんのおほせをまうしかへさせおはしましければにや、けいていのきみにてもましまさず。さればおんゆづりをうけさせたまひたりしろくでうのゐんも、あんげんにねんしちぐわつじふしにち、おんとしじふさんにて、つひにかくれさせたまひぬ。あさましかりしことどもなり。P233
「せいなんのりきう」(『せいなんのりきゆう』)S0319はくかうのなかには、かうかうをもつてさきとす。めいわうはかうをもつててんがををさむといへり。さればたうげうはおいおとろへたるははをたつとび、ぐしゆんはかたくななるちちをうやまふとみえたり。かのけんわうせいしゆのせんきをおはせましましけん、えいりよのほどこそめでたけれ。そのころだいりよりとばどのへ、ひそかにごしよありけり。「かからんよには、くもゐにあとをとどめても、なににかはしさふらふべきなれば、くわんぺいのむかしをもとぶらひ、くわざんのいにしへをもたづねて、さんりんるらうのぎやうじやともなりぬべうこそさふらへ」とあそばされたりければ、ほふわうのおんぺんじに、「さなおぼしめされさふらひそ。さてわたらせたまへばこそ、ひとつのたのみにてもさふらへ。あとなくおぼしめしならせたまひなんのちは、なにのたのみかさふらふべき。ただともかうも、ぐらうがならんやうを、ごらんじはてさせたまふべうもやさふらふらん」と、あそばされたりければ、しゆしやうこのおんぺんじをりようがんにおしあてさせたまひて、おんなみだせきあへさせたまはず。きみはふね、しんはみづ、みづよくふねをうかべ、みづまたふねをくつがへし、しんよくきみをたもち、しんまたきみをくつがへす。ほうげんへいぢのころは、にふだうしやうこく、きみをたもちたてまつるといへども、あんげんぢしようのいまはまた、きみをなみしたてまつる。ししよのP234もんにたがはず。
おほみやのだいしやうこく、さんでうのないだいじん、はむろのだいなごん、なかやまのちうなごんもうせられぬ。いまふるきひととては、せいらい、しんぱんばかりなり。このひとびとも、かからんよには、てうにつかへみをたて、だいちうなごんをへてもなににかはせんとて、いまださかんなつしひとびとの、いへをいでよをのがれ、みんぶきやうにふだうしんぱんは、をはらのしもにともなひ、さいしやうにふだうせいらいは、かうやのきりにまじはつて、いつかうごせぼだいのほかは、またたじなしとぞきこえし。むかしもしやうざんのくもにかくれ、えいせんのつきにこころをすますひともありけんなれば、これあにはくらんせいけつにして、よをのがれたるにあらずや。なかにもかうやにおはしけるさいしやうにふだうせいらい、このよしをつたへききたまひて、「あはれこころとくもよをばのがれたるものかな。かくてきくもおなじことなれども、まのあたりたちまじはつてきかましかば、いかばかりこころうからん。ほうげんへいぢのみだれをこそ、あさましとおもひつるに、よすゑになれば、かかるふしぎもいできにけり。こののちてんがにいかばかりのことかいでこんずらん。くもをわきてものぼり、やまをへだててもいりなばや」とぞのたまひける。げにこころあらんほどのひとの、あとをとどむべきよともおぼえず。
おなじきにじふいちにち、てんだいざすかくくわいほつしんわう、しきりにごじたいありしかば、さきのざすめいうんだいそうじやう、くわんちやくしたまふ。にふだうしやうこく、かくさんざんにしちらされたりしかども、ちうぐうとまうすもおんむすめ、くわんばくどのもまたむこなりければ、よろづこころやすくやおもはれけん、せいむはP235いつかうしゆしやうのおんぱからひたるべしとて、ふくはらへぞくだられける。おなじきにじふさんにち、さきのうだいしやうむねもりのきやういそぎさんだいして、このよしそうもんせられたりければ、しゆしやう、「ほふわうのゆづりましましたるよならばこそ。ただしつぺいにいひあはせて、むねもりともかうもよきやうにあひはからへ」とて、きこしめしもいれざりけり。ほふわうはせいなんのりきうにして、ふゆもなかばすごさせたまへば、やさんのあらしのおとのみはげしくて、かんていのつきぞさやけき。にはにはゆきふりつもれども、あとふみつくるひともなく、いけにはつららとぢかさねて、むれゐしとりもみえざりけり。おほでらのかねのこゑ、ゐあいじのききをおどろかし、にしやまのゆきのいろ、かうろほうののぞみをもよほす。よるしもにさむけききぬたのひびき、かすかにおんまくらにつたひ、あかつきこほりをきしるくるまのあと、はるかのもんぜんによこたはれり。ちまたをすぐるかうじんせいばのいそがはしげなるけしき、うきよをわたるありさまも、おぼしめししられてあはれなり。きうもんをまもるばんいの、よるひるけいゑいをつとむるも、「さきのよのいかなるちぎりにて、いまえんをむすぶらん」と、おほせなりけるぞかたじけなき。およそものにふれことにしたがつて、おんこころをいためしめずといふことなし。さるままには、かのをりをりのごいうらん、ところどころのごさんけい、おんがのめでたかりしことども、おぼしめしつづけて、くわいきうのおんなみだおさへがたし。としさりとしきたつて、ぢしようもしねんになりにけり。P236

平家物語 巻第四  総かな版(元和九年本)
「いつくしまごかう」(『いつくしまごかう』)S0401P236ぢしようしねんしやうぐわつひとひのひ、とばどのには、しやうこくもゆるさず、ほふわうもおそれさせましましければ、ぐわんにちぐわんざんのあひだ、さんにふつかまつるひともなし。されどもそのなかにこせうなごんにふだうしんせいのしそく、さくらまちのちうなごんしげのりのきやう、そのおととさきやうのだいぶながのりばかりぞ、ゆるされてはまゐられける。おなじきはつかのひ、とうぐうおんはかまぎ、ならびにおんまなはじめとて、めでたきことどもありしかども、ほふわうはとばどのにて、おんみみのよそにぞきこしめす。にんぐわつにじふいちにち、しゆしやうことなるおんつつがもわたらせたまはざりしを、おしおろしたてまつて、とうぐうせんそあり。これもにふだうしやうこく、よろづおもふさまなるがいたすところなり。ときよくなりぬとてひしめきあへり。しんし、ほうけん、ないしどころわたしたてまつる。かんだちめぢんにあつまつて、ふるきことどもせんれいにまかせておこなひしに、さだいじんどのぢんにいでて、おんくらゐゆづりのことどもおほせしをきいて、P237こころあるひとびとのなみだをながし、こころをいたましめずといふことなし。われとおんくらゐをまうけのきみにゆづりたてまつり、はこやのやまのうちも、しづかになどおぼしめすさきざきだにも、あはれはおほきならひぞかし。いはんやこれは、おんこころならずおしおろされさせましましけんおんこころのうち、まうすもなかなかおろかなり。つたはれるおんたからものどもしなじな、つかさづかさうけとつて、しんていのくわうきよごでうだいりへわたしたてまつる。かんゐんどのには、ひのかげかすかに、けいじんのこゑもとどまり、たきぐちのもんじやくもたえにしかば、ふるきひとびとは、かかるめでたきいはひのなかにも、いまさらあはれにおぼえて、なみだをながしそでをぬらさぬはなかりけり。しんていこんねんさんざい、あはれいつしかなるじやうゐかなとぞ、ひとびとささやきあはれける。
へいだいなごんときただのきやうは、うちのおんめのと、そつのすけのをつとたるによつて、「こんどのじやうゐいつしかなりと、たれかかたぶけまうすべき。いこくには、しうのせいわうさんざい、しんのぼくていにさい、わがてうには、こんゑのゐんさんざい、ろくでうのゐんにさい、これみなきやうほうのなかにつつまれて、いたいをただしうせざりしかども、あるひはせつしやうおうてくらゐにつき、あるひはぼこういだいててうにのぞむとみえたり。ごかんのかうしやうくわうていは、むまれてひやくにちといふにせんそあり。てんしくらゐをふむせんじよう、わかんかくのごとし」とまうされければ、そのときのいうしよくのひとびと、「あなおそろし、ものなまうされそ。さればそれらはよきれいどもかや」とぞつぶやきあはれける。とうぐうせんそありしかば、にふだうしやうこくふうふともに、ぐわいそぶ、ぐわいそぼとて、じゆんさんごうのP238せんじをかうぶり、ねんぐわんねんじやくをたまはつて、じやうにちのものをめしつかひ、ゑかきはなつけたるものどもいでいつて、ひとへにゐんぐうのごとくにてぞありける。しゆつけのひとのじゆんさんごうのせんじをかうぶることは、ほふこうゐんのおほにふだうどのかねいへこうのほかは、これはじめとぞうけたまはる。おなじきさんぐわつじやうじゆんに、じやうくわうあきのいつくしまへごかうなるべしときこえけり。ていわうくらゐをすべらせたまひて、しよしやのごかうはじめには、やはた、かも、かすがへこそごかうはなるべきに、はるばるとあきのくにまでのごかうはいかにと、ひとふしんをなす。あるひとのまうしけるは、「しらかはのゐんはくまのへごかう、ごしらかははひよしのやしろへごかうなる。さればしんぬ、えいりよにありとまうすことを」。ごしんぢうにふかきごりふぐわんあり。そのうへこのいつくしまをば、へいけなのめならずにあがめうやまひまうされけるあひだ、うへにはへいけにごどうしん、したにはほふわうのいつとなくとばどのにおしこめられてわたらせたまへば、にふだうしやうこくのこころもやはらぎたまふかとの、ごきねんのためとぞきこえし。さんもんのだいしゆいきどほりまうしけるは、「しゆしやうおんくらゐをすべつて、しよしやのごかうはじめには、やはた、かも、かすがへごかうならずは、わがやまのさんわうへこそごかうはなるべきに、はるばるとあきのくにまでのごかうは、いつのならひぞや。そのぎならばしんよふりくだしたてまつて、ごかうをとどめたてまつれ」とぞまうしける。これによつてしばらくごえんいんありけり。にふだうしやうこくやうやうになだめのたまへば、さんもんのだいしゆしづまりぬ。
おなじきじふしちにち、しやうくわういつくしまごかうのおんかどでとて、にふだうしやうこくのきたのかたにゐどののP239しゆくしよ、はちでうおほみやへごかうなる。そのよやがていつくしまのごじんじはじめらる。てんがよりからのおんくるま、うつしのむまなどまゐらせらる。あくるじふはちにち、にふだうしやうこくのていへいらせおはします。そのひのくれがたに、さきのうだいしやうむねもりのきやうをめして、「みやうにちいつくしまごかうのおんついでに、とばどのへまゐつて、ほふわうのおんげんざんにいらばやとおぼしめすは、しやうこくぜんもんにしらせずしては、あしかりなんや」とおほせければ、むねもりのきやう、「なんでふことかさふらふべき」とそうせられたりければ、「さらばなんぢこよひとばどのへまゐりて、そのやうをまうせかし」とおほせければ、かしこまりうけたまはつて、いそぎとばどのへまゐつて、このよしそうもんせられければ、ほふわうはあまりにおぼしめすおんことにて、こはゆめやらんとぞおほせける。あくるじふくにち、おほみやのだいなごんたかすゑのきやう、いまだよふかうまゐつて、ごかうもよほされけり。このひごろきこえさせたまひつるいつくしまごかうをば、にしはちでうのていよりすでにとげさせおはします。やよひもなかばすぎぬれど、かすみにくもるありあけのつきはなほおぼろなり。こしぢをさしてかへるかりの、くもゐにおとづれゆくも、をりふしあはれにおぼしめす。いまだよのうちにとばどのへごかうなる。もんぜんにておんくるまよりおりさせおはしまし、もんのうちへさしいらせたまふに、ひとまれにしてこぐらく、ものさびしげなるおんすまひ、まづあはれにぞおぼしめす。はるすでにくれなんとす。なつこだちにもなりにけり。こずゑのはないろおとろへて、みやのうぐひすこゑおいたり。きよねんのしやうぐわつむゆか、てうきんのためにほふぢうじどのへぎやうがうありしには、P240がくやにらんじやうをそうし、しよきやうれつにたつて、しよゑぢんをひき、ゐんじのくぎやうまゐりむかつて、まんもんをひらき、かもんれうえんだうをしき、ただしかりしぎしき、いちじもなし。けふはただゆめとのみぞおぼしめす。さくらまちのちうなごんしげのりのきやうまゐつて、ごきしよくまうされたりければ、ほふわうははやしんでんのはしがくしのまへごかうなつて、まちまゐらさせたまひけり。しやうくわうはこんねんにじふ、あけがたのつきのひかりにはえさせたまひて、ぎよくたいもいとどうつくしうぞみえさせましましける。おんぼぎこけんしゆんもんゐんに、いたくにまゐらさせたまひたりしかば、ほふわうはまづこによゐんのおんことおぼしめしいでて、おんなみだせきあへさせたまはず。りやうゐんのござ、ちかくしつらはれたり。ごもんだふはひとうけたまはるにおよばず。ごぜんにはあまぜばかりぞさぶらはれける。ややひさしくおんものがたりせさせおはしまし、はるかにひたけてのち、おんいとままうさせたまひて、とばのくさづよりおんふねにぞめされける。しやうくわうはほふわうのりきうのこてい、いうかんせきばくのおんすまひ、おんこころぐるしうごらんじおかせたまへば、ほふわうはまたしやうくわうのりよはくかうきうのなみのうへ、ふねのうちのおんありさま、おぼつかなくぞおぼしめされける。まことにそうべう、やはた、かもなどをさしおかせたまひて、はるばるとあきのくにまでのごかうをば、しんめいもなどかごなふじゆなかるべき。ごぐわんじやうじゆうたがひなしとぞみえたりける。P241
「くわんぎよ」(『くわんぎよ』)S0402おなじきにじふろくにち、しやうくわういつくしまへごさんちやく。にふだうしやうこくのさいあいのないしがしゆくしよ、くわうきよになる。なかふつかおんとうりうあつて、きやうゑぶがくおこなはる。けちぐわんのだうしには、こうけんそうじやう、かうざにのぼりかねうちならし、へうびやくのことばにいはく、「ここのへのみやこをいでさせたまひ、やへのしほぢをわきもつて、はるばるとこれまでまゐらせたまひたる、おんこころざしのかたじけなさよ」とたからかにまうされたりければ、きみもしんもみなかんるゐをぞ、もよほされける。おほみや、まらうどをはじめまゐらせて、やしろやしろところどころへみなごかうなる。おほみやよりごちやうばかり、やまをまはらせたまひて、たきのみやへまゐらせたまふ。こうけんそうじやうはいでんのはしらにかきつけられけるとかや。
くもゐよりおちくるたきのしらいとにちぎりをむすぶことぞうれしき W016
かんぬしさいきのかげひろかかい、じゆじやうのごゐ、こくしふぢはらのありつな、しなあげられてじゆげのしほん、ならびにゐんのてんじやうをゆるさる。ざすそんえい、ほふげんになさる。しんりよもうごき、にふだうしやうこくのこころもやはらぎたまひぬらんとぞみえし。おなじきにじふくにちおんふねかざつてくわんぎよなる。をりふしなみかぜはげしかりければ、おんふねこぎもどさせ、P242そのひはいつくしまのうち、ありのうらといふところにとどまらせたまふ。しやうくわう、「だいみやうじんのおんなごりをしみに、うたつかまつれひとびと」とおほせければ、たかふさのせうしやう、
たちかへるなごりもありのうらなればかみもめぐみをかくるしらなみ W017
やはんばかりにかぜしづまつて、かいじやうもおだしかりければ、おんふねこぎいださせ、そのひはびんごのくにしきなのとまりにつかせたまふ。このところはさんぬるおうほうのころほひ、いちゐんごかうのとき、こくしふぢはらのためなりがつくつたりけるごしよのありけるを、にふだうしやうこくおんまうけにしつらはれたりしかども、しやうくわうそれへはごかうもならず、「けふはうづきひとひ、ころもがへといふことのあるぞかし」とて、おのおのみやこのことをのたまひいだし、ながめやりたまふほどに、きしにいろふかきふぢのまつのえだにさきかかりけるを、しやうくわうえいらんあつて、「あのはなをりにつかはせ」とおほせければ、おほみやのだいなごんたかすゑのきやううけたまはつて、さししやうなかはらのやすさだがはしぶねにのつて、をりふしごぜんをこぎとほりけるをめして、をりにつかはす。ふぢのはなをまつのえだにつけながら、をりてまゐらせたりければ、こころばせありなどおほせられて、ぎよかんありけり。「このはなにてうたつかまつれ。おのおの」とおほせければ、たかすゑのだいなごん、
ちとせへむきみがよはひにふぢなみのまつのえだにもかかりぬるかな W018
ふつかのひは、びぜんのこじまのとまりにつかせたまふ。いつかのひてんはれて、かいじやうものどけかりければ、ごしよのおんふねをはじめまゐらせて、ひとびとのふねどもみなこぎいだす。くものP243なみ、けぶりのなみをわきしのがせたまひて、そのひははりまのくにやまたのうらにつかせたまふ。それよりおんこしにめして、ふくはらへいらせおはします。むゆかのひは、おんとうりうあつて、ふくはらのところどころをみなれきらんある。いけのちうなごんよりもりのきやうのさんざう、あらたまでごらんぜらる。あくるなぬかのひ、ふくはらをたたせたまふとて、にふだうのいへのしやうおこなはる。にふだうしやうこくのやうじ、たんばのかみきよくにじやうげのしゐ、おなじうにふだうのまご、ゑちぜんのせうしやうはしゐのじゆじやうとぞきこえし。そのひてらゐにつかせたまふ。やうかのひおんむかひのくぎやうてんじやうびと、とばのくさづまでみなまゐられけり。くわんぎよのときは、とばどのへはごかうもならず、すぐににふだうしやうこくのにしはちでうのていへぞいらせおはします。おなじきにじふににち、しんていのごそくゐあり。だいこくでんにておこなはるべかりしかども、ひととせえんしやうののちはいまだつくりもいだされず。だいこくでんなからんうへは、だいじやうぐわんのちやうにておこなはるべきかと、くぎやうせんぎありしかば、くでうどのまうさせたまひけるは、「だいじやうぐわんのちやうは、ぼんにんのいへにとらば、くもんじよていのところなり。だいこくでんなからんうへは、ししんでんにてこそ、ごそくゐはあるべけれ」とまうさせたまへば、ししんでんにてぞ、ごそくゐはありける。いんじかうほうしねんじふいちぐわつじふいちにち、れんぜいゐんのごそくゐ、ししんでんにてありしは、しゆしやうごじやけによつて、だいこくでんへのぎやうがうかなはざりしおんゆゑなり。ごさんでうのゐんのえんきうのかれいにまかせて、だいじやうぐわんのちやうにておこなはるべきものをと、ひとびとまうしあはれけれども、そのときのくでうどののおんぱからひのうへは、さうにおよばず。とうぐうP244せんそありしかば、ちうぐうはこうきでんよりじじゆでんへうつつて、やがてたかみくらへまゐらせたまふ。へいけのひとびとみなしゆつしせられけるなかに、こまつどののきんだちたちは、こぞおとどこうぜられにしかば、いろにてろうきよせられけり。
「げんじそろへ」(『げんじぞろへ』)S0403くらんどのさゑもんのごんのすけさだなが、こんどのごそくゐにゐらんなく、めでたきやうを、こうしじふまいばかりにかいて、にふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどのへまゐらせたりければ、ゑみをふくんでぞよろこばれける。かやうにはなやかに、めでたきことどもありしかども、せけんはなほにがにがしうぞみえし。そのころいちゐんだいにのわうじ、もちひとのしんわうとまうししは、おんははかがのだいなごんすゑなりのきやうのおんむすめなり。さんでうたかくらにましましければ、たかくらのみやとぞまうしける。いんじえいまんぐわんねんじふいちぐわつじふごにちのあかつき、おんとしじふごにて、しのびつつ、こんゑかはらのおほみやのごしよにて、ひそかにおんげんぶくありけり。おんしゆせきうつくしうあそばし、おんさいかくもすぐれてましましければ、たいしにもたち、くらゐにもつかせたまふべかりしかども、こけんしゆんもんゐんのおんそねみによつて、おしこめられさせたまひけり。はなのもとのはるのあそびには、P245しがうをふるつててづからごさくをかき、つきのまへのあきのえんには、ぎよくてきをふいて、みづからがいんをあやつりたまふ。かくしてあかしくらさせたまふほどに、ぢしようしねんには、おんとしさんじふにぞならせましましける。そのころこのゑかはらにさぶらはれけるげんざんみにふだうよりまさ、あるよひそかにこのみやのごしよにまゐりて、まうされけることこそおそろしけれ。たとへば、「きみはてんせうだいじんしじふはつせのしやうとう、じんむてんわうよりしちじふはちだいにあたらせたまふ。しかればたいしにもたち、くらゐにもつかせたまふべかりしひとの、さんじふまでみやにてわたらせたまふおんことをば、おんこころうしとはおぼしめされさふらはずや。はやはやごむほんおこさせたまひて、へいけをほろぼし、ほふわうのいつとなく、とばどのにおしこめられてわたらせたまふおんいきどほりをも、やすめまゐらせ、きみもくらゐにつかせたまふべし。これひとへにごかうかうのおんいたりにてこそさふらはんずれ。もしおぼしめしたたせたまひて、りやうじをくだされたまふものならば、よろこびをなしてはせまゐらんずるげんじどもこそ、くにぐににおほうさふらへ」とてまうしつづく。「まづきやうとにはではのぜんじみつのぶがこども、いがのかみみつもと、ではのはんぐわんみつなが、ではのくらんどみつしげ、ではのくわんじやみつよし、くまのにはころくでうのはうぐわんためよしがばつしじふらうよしもりとてかくれてさふらふ。つのくににはただのくらんどゆきつなこそさふらへども、これはしんだいなごんなりちかのきやうのむほんのとき、どうしんしながらかへりちうしたるふたうじんにてさふらへば、まうすにおよばず。さりながらそのおととただのじらうともざね、てしまのくわんじやたかより、おほたのたらうよりもと。かはちのくにには、いしかはのこほりをちぎやうしけるP246むさしのごんのかみにふだうよしもと、しそくいしかはのはんぐわんだいよしかぬ。やまとのくにには、うののしちらうちかはるがこども、たらうありはる、じらうきよはる、さぶらうなりはる、しらうよしはる。あふみのくにには、やまもと、かしはぎ、にしごり。みのをはりには、やまだのじらうしげひろ、かうべのたらうしげなほ、いづみのたらうしげみつ、うらののしらうしげとほ、あじきのじらうしげより、そのこのたらうしげすけ、きだのさぶらうしげなが、かいでんのはうぐわんだいしげくに、やしまのせんじやうしげたか、そのこのたらうしげゆき。かひのくにには、へんみのくわんじやよしきよ、そのこのたらうきよみつ、たけだのたらうのぶよし、かがみのじらうとほみつ、おなじきこじらうながきよ、いちでうのじらうただより、いたがきのさぶらうかねのぶ、へんみのひやうゑありよし、たけだのごらうのぶみつ、やすだのさぶらうよしさだ。しなののくにには、おほうちたらうこれよし、をかだのくわんじやちかよし、ひらがのくわんじやもりよし、そのこのしらうよしのぶ、こたてはきのせんじやうよしかたがじなん、きそのくわんじやよしなか。いづのくににはるにんさきのうひやうゑのすけよりとも。ひたちのくにには、しだのさぶらうせんじやうよしのり、さたけのくわんじやまさよし、そのこのたらうただよし、さぶらうよしむね、しらうたかよし、ごらうよしすゑ、みちのくににはこさまのかみよしともがばつし、くらうくわんじやよしつね、これみなろくそんわうのごべうえい、ただのしんぼちまんぢうがこういんなり。てうてきをたひらげしゆくまうをとぐることは、げんぺいいづれしようれつなかりしかども、いまはうんでいまじはりをへだてて、しゆじうのれいにもなほおとれり。くにはこくしにしたがひ、しやうはあづかつしよにめしつかはれ、くじざふじにかりたてられて、やすいこころもしさふらはず。つらつらたうせいのていをみさふらふに、うへにはしたがうたるやうなれども、ないないはいつかうへいけをそねまぬものやさふらふ。きみもしおぼしめしたたせたまひて、りやうじをたうづるほどならば、くにぐにのげんじども、よをひについではせのぼり、P247へいけをほろぼさんことは、じじつをめぐらすべからず。そのぎにてさふらはば、にふだうもとしこそよつてさふらへども、わかきこどもあまたさふらへば、ひきぐしてまゐりさふらふべし」とぞまうしける。
みやはこのこといかがあらんずらんと、おぼしめしわづらはせたまひて、しばしはごしよういんもなかりけるが、ここにあこまるだいなごんむねみちのきやうのまご、びんごのぜんじすゑみちがこに、せうなごんこれながとまうししは、すぐれたるさうにんのじやうずにてありければ、ときのひと、さうせうなごんとぞまうしける。そのひとこのみやをみまゐらせて、「くらゐにつかせたまふべきおんさうまします。あひかまへててんがのこと、おぼしめしすつな」とまうされけるをりふし、このさんみにふだうも、かやうにすすめまうされければ、さてはしかるべきてんせうだいじんのおんつげやらんとて、ひしひしとおぼしめしたたせたまひけり。まづしんぐうのじふらうよしもりをめして、くらんどになさる。ゆきいへとかいみやうして、りやうじのおつかひにとうごくへこそくだされけれ。しんぐわつにじふはちにちみやこをたつて、あふみのくによりはじめて、みのをはりのげんじどもに、しだいにふれてくだるほどに、ごぐわつとをかには、いづのほうでうひるがこじまについて、るにんさきのうひやうゑのすけどのに、りやうじをとりいだいてたてまつる。しだのさぶらうせんじやうよしのりは、あになればたばんとて、しだのうきしまへくだる。きそのくわんじやよしなかは、をひなればとらせんとて、せんだうへこそおもむきけれ。ここにくまののべつたうたんぞうは、へいけぢうおんのみなりしが、なにとしてかききいだしけんP248、「しんぐうのじふらうよしもりこそ、たかくらのみやのりやうじたまはつて、すでにむほんをおこすなれ。なちしんぐうのものどもは、さだめてげんじのかたうどをぞせんずらん。たんぞうはへいけのごおんをあめやまにかうぶりたれば、いかでかそむきたてまつるべき。やひとついかけて、そののちみやこへしさいをまうさん」とて、ひたかぶといつせんよにん、しんぐうのみなとへはつかうす。しんぐうにはとりゐのほふげん、たかばうのほふげん、さぶらひにはうゐ、すずき、みづや、かめのかふ、なちにはしゆぎやうほふげんいげ、つがふそのせいいつせんごひやくよにん、ときつくりやあはせして、げんじのかたにはとこそいれ、へいけのかたにはかくこそいれと、たがひにやさけびのこゑのたいてんもなく、かぶらのなりやむひまもなく、みつかがほどこそたたかうたれ。されどもおぼえのほふげんたんぞうは、いへのこらうどうおほくうたせ、わがみておひ、からきいのちいきつつ、なくなくほんぐうへこそかへりのぼりけれ。
「いたちのさた」(『いたちのさた』)S0404さるほどにほふわうは、なりちかしゆんくわんらがやうに、とほきくにはるかのしまへも、うつしぞやりまゐらせんずるにこそと、おぼしめされけれども、さはなくして、とばどのにてぢしようもしねんにおくらせおはします。おなじきごぐわつじふににちのうまのこくばかり、とばどのには、いたちおびたたしうはしりさわぐ。ほふわうおんうらかたあそばいて、あふみのかみなかかぬ、そのときはいまだつるくらんどにてP249さふらひけるを、ごぜんへめして、「これもつてあべのやすちかがもとへゆき、きつとかんがへさせて、かんじやうをとつてまゐれ」とぞおほせける。なかかぬこれをたまはつて、あべのやすちかがもとへゆく。をりふししゆくしよにはなかりけり。しらかはなるところへといひければ、それへたづねゆきて、ちよくぢやうのおもむきおほすれば、やすちかやがてかんじやうをこそまゐらせけれ。なかかぬこれをとつてとばどのへはせまゐり、もんよりいらんとすれば、しゆごのぶしどもゆるさず。あんないはしつたり、ついぢをこえ、おほゆかのしたをはうて、ごぜんのきりいたより、やすちかがかんじやうをこそまゐらせけれ。ほふわうこれをひらいてえいらんあるに、「いまみつかがうちのおんよろこび、ならびにおんなげき」とぞかんがへまうしたる。ほふわう、「このおんありさまにても、おんよろこびはしかるべし。またいかなるおんめにかあふべきやらん」とぞおほせける。おなじきじふさんにちさきのうだいしやうむねもりのきやう、ちちのおんまへにおはして、ほふわうのおんことをたりふしまうされければ、にふだうしやうこくやうやうにおもひなほつて、ほふわうをばとばどのをいだしたてまつり、みやこへくわんぎよなしたてまつり、はちでうからすまるのびふくもんゐんのごしよへいれたてまつる。いまみつかがうちのおんよろこびとは、やすちかこれをぞまうしける。かかりけるところに、くまののべつたうたんぞう、ひきやくをもつて、たかくらのみやのごむほんのよしを、みやこへまうしたりければ、さきのうだいしやうむねもりのきやうおほきにさわいで、をりふしにふだうしやうこくは、ふくはらのべつげふにおはしけるにこのよしまうされたりければ、にふだうしやうこくおほきにいかつて、「そのぎならばたかくらのみやをP250からめとつて、とさのはたへうつすべし」とぞのたまひける。しやうけいにはさんでうのだいなごんさねふさ、しきじにはとうのべんみつまさとぞきこえし。ぶしにはげんだいふのはうぐわんかねつな、ではのはうぐわんみつなが、ひたかぶとさんびやくよき、みやのごしよへぞむかひける。このげんだいふのはうぐわんとまうすは、さんみにふだうのじなんなり。しかるをこのにんじゆにいれられけることは、たかくらのみやのごむほんを、さんみにふだうすすめまうされたりといふことを、へいけいまだしらざりけるによつてなり。
「のぶつらかつせん」(『のぶつら』)S0405さるほどに、みやはさつきじふごやのくもまのつきをながめさせたまひて、なんのゆくへもおぼしめしよらざりけるに、さんみにふだうのししやとて、ふみもちていそがはしげにいできたる。みやのおんめのとご、ろくでうのすけのたいふむねのぶ、これをとつてごぜんへまゐり、ひらいてみるに、「きみのごむほんすでにあらはれさせたまひて、とさのはたへうつしまゐらすべしとて、くわんにんどもがべつたうせんをうけたまはつて、おむかひにまゐりさふらふ。いそぎごしよをいでさせたまひて、みゐでらへいらせおはしませ。にふだうもやがてまゐりさふらはん」とぞかかれたる。みやはこのこといかがせんと、おぼしめしわづらはせたまふところに、みやのさぶらひにちやうひやうゑのじようはせべののぶつらとP251いふものあり。をりふしごぜんちかうさふらひけるが、すすみいでてまうしけるは、「ただなんのやうもさふらふまじ。にようばうしやうぞくにいでたたせたまひて、おちさせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、このぎもつともしかるべしとて、おんぐしをみだり、かさねたるぎよいに、いちめがさをぞめされける。ろくでうのすけのたいふむねのぶ、からかさもちておんともつかまつる。つるまるといふわらは、ふくろにものいれていただいたり。たとへばせいしがぢよをむかへてゆくやうにいでたたせたまひて、たかくらをきたへおちさせたまふに、おほきなるみぞのありけるを、いとものがるうこえさせたまへば、みちゆきびとがたちとどまつて、「はしたなのにようばうのみぞのこえやうや」とて、あやしげにみまゐらせければ、いとどあしばやにぞすぎさせおはします。
ごしよのおんるすには、ちやうひやうゑのじようはせべののぶつらをぞおかれける。にようばうたちのせうせうおはしけるをば、かしこここへたちしのばせて、みぐるしきものあらば、とりしたためんとてみるほどに、さしもみやのごひざうありけるこえだときこえしおんふえを、つねのごしよのおんまくらに、とりわすれさせたまひたるをぞ、たちかへつてもとらまほしうやおぼしめされけん。のぶつらこれをみつけて、「あなあさまし。さしもきみのごひざうのおんふえを」とまうして、いまごちやうがうちにておつついてまゐらせたり。みやなのめならずぎよかんあつて、「われしなば、このふえをば、ごくわんにいれよ」とぞおほせける。「やがておんともつかまつれ」とおほせければ、のぶつらまうしけるは、「ただいまあのごしよへ、くわんにんどもがおむかひにP252まゐりさふらふなるに、ひといちにんもさふらはざらんは、むげにくちをしくぞんじさふらふ。そのうへあのごしよに、のぶつらがさふらふとまうすことをば、じやうげみなしつたることでこそさふらへ。こんやさふらはざらんは、それもそのよはにげたりなどいはれんこと、くちをしうさふらふべし。ゆみやとるみは、かりにもなこそをしうさふらへ。くわんにんどもにしばらくあひしらひ、いつぱううちやぶつて、やがてまゐりさふらはん」とて、ただいちにんとつてかへす。のぶつらがそのよのしやうぞくには、うすあをのかりぎぬのしたに、もよぎにほひのはらまきをきて、ゑふのたちをぞはいたりける。さんでうおもてのそうもんをも、たかくらおもてのこもんをも、ともにひらいてまちかけたり。
あんのごとくげんだいふのはうぐわんかねつな、ではのはうぐわんみつなが、つがふそのせいさんびやくよき、じふごにちのねのこくに、みやのごしよへぞおしよせたる。げんだいふのはうぐわんは、ぞんずるむねありとおぼえて、はるかのもんぐわいにひかへたり。ではのはうぐわんみつながは、のりながらもんのうちへうちいれ、にはにひかへ、だいおんじやうをあげて、「みやのごむほんすでにあらはれさせたまひて、とさのはたへうつしまゐらせんがために、くわんにんどもがべつたうせんをうけたまはつて、ただいまおんむかひにまゐりてさふらふ。とうとうおんいでさふらへ」とまうしければ、のぶつらおほゆかにたつて、「たうじはごしよでもさふらはず、おんものま[う]ででさふらふぞ。なにごとぞ、ことのしさいをまうされよ」といひければ、ではのはうぐわん、「なんでふこのごしよならでは、いづくへかわたらせたまふべかんなるぞ。そのぎならば、しもべどもまゐつてさがしたてまつれ」とぞまうしける。のぶつらかさねてP253、「ものもおぼえぬくわんにんどもがまうしやうかな。むまにのりながら、もんのうちへまゐるだにもきくわいなるにあまつさへしもべどもまゐつてさがしたてまつれとは、いかでかまうすぞ。ちやうひやうゑのじようはせべののぶつらがさふらふぞ。ちかうよつてあやまちすな」とぞいひける。ちやうのしもべのなかに、かなたけといふだいぢからのかうのもの、うちもののさやをはづし、のぶつらにめをかけて、おほゆかのうへへとびのぼる。これをみてどうれいども、じふしごにんぞつづいたる。のぶつらこれをみて、かりぎぬのおびひもひつきつてすつるままに、ゑふのたちなれども、みをばこころえてつくらせたるをぬきあはせて、さんざんにこそふるまうたれ。かたきはおほだち、おほなぎなたでふるまへども、のぶつらがゑふのたちにきりたてられて、あらしにこのはのちるやうに、にはへさつとぞおりたりける。
さつきじふごやのくもまのつきの、あらはれいでてあかかりけるに、かたきはぶあんないなり、のぶつらはあんないしやにてありければ、あそこのめんらうにおつかけては、はたときり、ここのつまりにおつつめては、ちやうどきる。「いかにせんじのおつかひをば、かうはするぞ」といひければ、「せんじとはなんぞ」とて、たちゆがめばをどりのき、おしなほし、ふみなほし、やにはによきものどもじふしごにんぞきりふせたる。そののちたちのきつさきさんずんばかりうちをつてすててげり。はらをきらんとこしをさぐれども、さやまきおちてなかりければ、ちからおよばず。おほてをひろげて、たかくらおもてのこもんより、をどりいでんとするところに、おほなぎなたもちたるをとこいちにんよりあうたり。のぶつらなぎなたにのらんとP254とんでかかるが、のりそんじて、ももをぬひざまにつらぬかれ、こころはたけくおもへども、おほぜいのなかにとりこめられて、いけどりにこそせられけれ。そののちごしよぢうにみだれいつてさがせども、みやはわたらせたまはず。のぶつらばかりからめて、ろくはらへゐてまゐる。さきのうだいしやうむねもりのきやうおほゆかにたつて、のぶつらをおほにはにひつすゑさせ、「まことにわをのこは、せんじのおつかひとなのるを、せんじとはなんぞとてきつたりけるか。そのうへ、ちやうのしもべども、おほくにんじやうせつがいしたんなれば、よくよくきうもんして、ことのしさいをたづねとひ、そののちかはらにひきいだいてかうべをはねよ」とぞのたまひける。
のぶつらもとよりすぐれたるだいかうのものなりければ、ゐなほりあざわらつてまうしけるは、「このほどあのごしよを、よなよなもののうかがひさふらふを、なんでふことのあるべきとおもひあなどつて、ようじんもつかまつらぬところに、やはんばかりによろうたるものどもが、にさんびやくきうちいつてさふらふを、なにものぞとたづねてさふらへば、せんじのおつかひとまうす。たうじはしよこくのせつたうがうだう、さんぞくかいぞくなどまうすやつばらが、あるひはきんだちのいらせたまひたるぞ、あるひはせんじのおつかひなどなのりまうすと、かねがねうけたまはつてさふらふほどに、せんじとはなんぞとて、きつたるざふらふ。およそのぶつら、もののぐをもおもふさまにつかまつり、かねよきたちをももつてさふらはんには、ただいまのくわんにんどもをば、よもいちにんもあんをんではかへしさふらはじ。そのうへ、みやのございしよは、いづくにわたらせたまひさふらふやらん、しりまゐらせぬざふらふ。たとひP255しりまゐらせてさふらふとも、さぶらひほんのものの、いちどまうさじとおもひきりてんことを、きうもんにおよんでまうすべきやうなし」とて、そののちはものもまうさず。いくらもなみゐたりけるへいけのさぶらひども、「あつぱれかうのものや。これらをこそいちにんたうぜんのつはものともいふべけれ」と、くちぐちにまうしければ、そのなかにあるひとのまうしけるは、「あれがかうみやうはいまにはじめぬことぞかし。せんねんところにありしとき、おほばんじゆのものどものとどめかねたりしがうだうろくにんに、ただいちにんおつかかり、にでうほりかはなるところにて、しにんきりふせ、ににんいけどつて、そのときなされたりしさひやうゑのじようぞかし。あつたらをのこのきられんずることのむざんさよ」とをしみあへりければ、にふだうしやうこくいかがおもはれけん、「さらば、なきつそ」とて、はうきのひのへぞながされける。へいけほろびげんじのよになつて、とうごくへくだり、かぢはらへいざうかげときについて、ことのこんげんいちいちにまうしたりければ、かまくらどの、「しんべうなり」とかんじたまひて、のとのくににごおんかうぶりけるとぞきこえし。
「たかくらのみやをんじやうじへじゆぎよ」(『きをほ』)S0406さるほどに、みやはたかくらをきたへ、こんゑをひがしへ、かもがはをわたらせたまひて、によいやまへP256いらせおはします。むかしきよみばらのてんわう、おほとものわうじにおそはれさせたまひて、よしのやまへいらせたまひけるにこそ、をとめのすがたをばからせたまひけるなれ。いまこのみやのおんありさまも、それにはすこしもたがはせたまふべからず。しらぬやまぢを、よもすがらはるばるとわけいらせたまふに、いつならはしのおんことなれば、おんあしよりいづるちは、いさごをそめてくれなゐのごとし。なつぐさのしげみがなかのつゆけさも、さこそはところせうおぼしめされけめ。かくしてあかつきがたにみゐでらへいらせおはします。「かひなきいのちのをしさに、しゆとをたのんでじゆぎよあり」とおほせければ、だいしゆおほきにかしこまりよろこんで、ほふりんゐんにごしよをしつらひ、かたのごとくのぐごしいだいてたてまつる。
「きほふ」あくるじふろくにち、たかくらのみやのごむほんおこさせたまひて、みゐでらへおちさせたまふぞやとまうすほどこそありけれ、きやうぢうのさうどうなのめならず。そもそもこのげんざんみにふだうよりまさは、としごろひごろもあればこそありけめ、こんねんいかなるこころにて、むほんをばおこされけるぞといふに、へいけのじなんむねもりのきやうの、ふしぎのことをのみしたまひけるによつてなり。さればひとのよにあればとて、すずろにいふまじきことをいひ、すまじきP257ことをするは、よくよくしりよあるべきことなり。たとへばそのころさんみにふだうのちやくしいづのかみなかつなのもとに、くぢうにきこえたるめいばあり。かげなるむまのならびなきいちもつ、のりはしり、こころむけ、よにあるべしともおぼえず。なをばこのしたとぞいはれける。むねもりのきやうししやをたてて、「きこえさふらふめいばをたまはつて、みさふらはばや」とのたまひつかはされたりければ、いづのかみのへんじには、「さるむまをもつてさふらひしを、このほどあまりにのりつからかしてさふらふほどに、しばらくいたはらせんがために、でんしやへつかはしてさふらふ」とまうされければ、「さらんにはちからおよばず」とて、そののちはさたなかりけるが、おほくなみゐたりけるへいけのさぶらひども、「あつぱれそのむまはをととひもさふらひし。きのふもみえてさふらふ。けさもにはのりしさふらひつる」など、くちぐちにまうしければ、「さてはをしむござんなれ。にくし。こへ」とて、さぶらひしてはせさせ、ふみなどして、ひとときがうちにごろくどしちはちどなどこはれければ、さんみにふだうこれをきき、いづのかみにむかつてのたまひけるは、「たとひこがねをもつてまろめたるむまなりとも、それほどひとのこはうずるに、をしむべきやうやある。そのむますみやかにろくはらへつかはせ」とこそのたまひけれ。いづのかみちからおよばず、いつしゆのうたをかきそへて、ろくはらへつかはさる。
こひしくはきてもみよかしみにそふるかげをばいかがはなちやるべき W021
むねもりのきやう、まづうたのへんじをばしたまはで、「あつぱれむまや、むまはまことによいむまでありけり。P258されどもあまりにをしみつるがにくきに、ぬしがなのりをかなやきにせよ」とて、なかつなといふかなやきをして、むまやにこそたてられけれ。まらうときたつて、「きこえさふらふめいばをみさふらはばや」とまうしければ、「そのなかつなめにくらおけ、ひきいだせ、のれ、うて、はれ」なんどぞのたまひける。いづのかみこのよしをつたへききたまひて、「みにかへておもふむまなれども、けんゐについてとらるるさへあるに、あまつさへてんがのわらはれぐさとならんずることこそやすからね」とおほきにいきどほられければ、さんみにふだうのたまひけるは、「なんでふことのあるべきとおもひあなどつて、へいけのひとどもが、かやうのしれごとをするにこそあんなれ。そのぎならば、いのちいきてもなににかはせん。びんぎをうかがふにこそあらめ」とのたまへども、わたくしにはおもひもたたれず、たかくらのみやをすすめまうされけるとぞ、のちにはきこえし。これにつけても、てんがのひと、こまつのおとどのことをぞしのびまうしける。あるときおとどさんだいのついでに、ちうぐうのおんかたへまゐらせたまふに、はつしやくばかりありけるくちなはの、おとどのさしぬきのひだんのりんをはひまはりけるを、しげもりさわがば、にようばうたちもさわぎ、ちうぐうもおどろかせたまひなんずとおぼしめし、ひだんのてにてををおさへ、みぎのてにてかしらをとつて、なほしのそでのなかへひきいれ、ちつともさわがず、ついたつて、「ろくゐやさふらふ、ろくゐやさふらふ」とめされければ、いづのかみなかつな、そのときはいまだゑふのくらんどにてさふらはれけるが、「なかつな」となのつてまゐられたるに、このくちなはをたぶ。たまはつてゆばどのをP259へて、てんじやうのこにはにいでつつ、みくらのことねりをまねいて、「これたまはれ」といはれければ、おほきにかしらをふつてにげさりぬ。いづのかみちからおよばず、わがらうどうのきほふをめしてこれをたぶ。たまはつてすててげり。そのあしたこまつどのより、よいむまにくらおいて、いづのかみのもとへつかはすとて、「さてもきのふのふるまひこそ、いうにやさしうさふらひつれ。これはのりいちのむまでさふらふぞ。ゆふべにおよんで、ぢんげよりけいせいのもとへかよはれんときもちひらるべし」とてつかはさる。いづのかみ、だいじんのおんぺんじなれば、「おむまかしこまつてたまはりさふらひぬ。さてもきのふのおんふるまひは、げんじやうらくにこそにてさふらひしか」とぞまうされける。いかなればこまつどのは、かやうにいうなるためしもおはせしぞかし。このむねもりのきやうは、さこそなからめ、ひとのをしむむまこひとつて、あまつさへてんがのだいじにおよびぬるこそうたてけれ。さるほどにおなじきじふろくにちのよにいつて、げんざんみにふだうよりまさ、ちやくしいづのかみなかつな、じなんげんだいぶのはうぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかいへ、そのこくらんどたらうなかみついげ、ひたかぶとさんびやくよき、たちにひかけやきあげて、みゐでらへこそまゐられけれ。ここにさんみにふだうのとしごろのさぶらひに、わたなべのげんざうきほふのたきぐちといふものあり。はせおくれてとどまりたりけるを、ろくはらへめして、「などなんぢは、さうでんのしゆ、さんみにふだうがともをばせで、とどまつたるぞ」とのたまへば、きほふかしこまつてまうしけるは、「ひごろはしぜんのこともさふらはば、まつさきかけて、いのちをたてまつらうどこそぞんぜしか。こんどはいかがP260さふらひつるやらん。かうともしらせられざりつるあひだ、とどまつてさふらふ」とまうす。むねもりのきやう、「これにもまたけんざんのものぞかし。せんどこうえいをぞんじて、たうけについてほうこうーせうとやおもふ。またてうてきよりまさぼふしにどうしんーせんとやおもふ。ありのままにまうせとこそのたまひけれ。きほふなみだをはらはらとながいて、「たとひさうでんのよしみさふらふとも、いかんかてうてきとなれるひとに、どうしんをばつかまつりさふらふべき。ただてんちうにほうこういたさうずるざふらふ」とまうしければ、だいしやう、「さらばほうこうーせよ。よりまさぼふしがしけんおんには、ちつともおとるまじきぞ」とていりたまひぬ。あしたよりゆふべにおよぶまで、「きほふはあるか」。「ざふらふ」。「あるか」。「ざふらふ」とてしこうーす。ひもやうやうくれければ、だいしやういでられたり。きほふかしこまつてまうしけるは、「まことやさんみにふだうは、みゐでらにときこえさふらふ。さだめてようちなんどもやむけられさふらはんずらん。さんみにふだうのいちるゐ、わたなべたうさてはみゐでらぼふしにてぞさふらはんずらん。こころにくうもさふらはず、まかりむかつてえりうちなどもつかまつるべき。さるむまをもつてさふらひしを、このほどしたしいやつめにぬすまれてさふらふ。おんむまいつぴきくだしあづかりさふらはばや」とまうしければ、だいしやう、「もつともさるべし」とて、しらあしげなるむまの、なんれうとてひざうーせられたりけるに、よいくらおいてきほふにたぶ。たまはつてしゆくしよにかへり、「はやひのくれよかし。みゐでらへはせーまゐり、にふだうどののまつさきかけてうちじにーせん」とぞまうしける。ひもやうやうくれければ、さいしどもをば、かしこここにたちしのばせて、みゐでらへとP261いでたちける、こころのうちこそむざんなれ。ひやうもんのかりぎぬのきくとぢおほきらかにしたるに、ぢうだいのきせなが、ひをどしのよろひきて、ほしじろかぶとのををしめ、いかものづくりのたちをはき、にじふしさいたるおほなかぐろのやおひ、たきぐちのこつぽふわすれじとや、たかのはではいだりけるまとやひとてぞさしそへたる。しげどうのゆみもつて、なんれうにうちのり、のりかへいつきうちぐし、とねりをとこにもつだてわきばさませ、やかたにひかけやきあげて、みゐでらへこそはせたりけれ。ろくはらにはきほふがやかたよりひいできたりとてひしめきけり。むねもりのきやういそぎいでて、「きほふはあるか」。「さふらはず」とまうす。「すはきやつめをてのびにして、たばかられぬるは。あれおつかけてうて」とのたまへども、きほふはすぐれたるだいぢからのかうのもの、やつぎばやのてききにてありければ、「にじふしさいたるやでは、まづにじふしにんはいころされなんず。おとなせそ」とて、すすむものこそなかりけれ。ただいましもみゐでらには、わたなべたうよりあひて、きほふがさたありけり。「いかにもしてこのきほふたきぐちをば、めしーぐせられさふらはんずるものを」と、くちぐちにまうされければ、さんみにふだう、きほふがこころをよくしつてのたまひけるは、「むげにそのものとらへからめられはせじ。にふだうにこころざしふかきものなれば、みよ、ただいままゐらうずるぞ」とのたまひもはてぬに、きほふつとまゐりたり。「さればこそ」とぞのたまひける。きほふかしこまつてまうしけるは、「いづのかうのとののこのしたがかはりに、ろくはらのなんれうをこそとつてまゐつてP262さふらへ。まゐらせさふらはん」とてたてまつる。いづのかみなのめならずよろこびたまひて、やがてをがみをきり、かなやきをして、そのよろくはらへつかはさる。やはんばかりにもんのうちへおひいれたりければ、むまやにいつて、むまどもとくひあひければ、そのときとねりおどろきあひ、「なんれうがまゐつてさふらふ」とまうす。むねもりのきやういそぎいでてみたまふに、むかしはなんれう、いまは、「たひらのむねもりにふだう」といふかなやきをこそしたりけれ。だいしやう、「につくいきほふめをきつてすつべかりけるものを。てのびにしてたばかられぬることこそやすからね。こんどみゐでらへよせたらんずるひとびとは、いかにもしてきほふめをいけどりにせよ。のこぎりでくびきらん」と、をどりあがりをどりあがりいかられけれども、なんれうがをがみもおひず、かなやきもまたうせざりけり。
「さんもんへのてふじやう」(『さんもんへのてうじやう』)S0407さるほどに、みゐでらには、かひかねならいて、だいしゆせんぎす。「そもそもきんじつせじやうのていをあんずるに、ぶつぽふのすゐび、わうぼふのらうろう、まさにこのときにあたれり。こんどにふだうのばうあくをいましめずば、いづれのひをかごすべき。みやここにじゆぎよのおんこと、しやうはちまんぐうのゑご、しんらだいみやうじんのみやうじよにあらずや。てんじゆちるゐもやうがうをたれ、ぶつりきじんりきもがうぶくをくはへP263ましますこと、などかなからん。なかんづくほくれいはゑんじういちみのがくぢ、なんとは、げらふとくどのかいぢやうなり。てつそうのところになどかくみせざるべき」と、いちみどうしんにせんぎして、やまへもならへもてふじやうをこそつかはしけれ。まづさんもんへのじやうにいはく、「をんじやうじてつす、えんりやくじのが。ことにがふりよくをいたして、たうじのはめつをたすけられんとおもふじやう。みぎにふだうじやうかい、ほしいままにぶつぽふをはめつし、わうぼふをみだらんとほつす。しうたんきはまりなきところに、こんげつじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじ、ふりよのなんをのがれんために、ひそかににふじせしめたまふ。ここにゐんぜんとかうして、いだしたてまつるべきよし、しきりにせめありといへども、いだしたてまつるにあたはず。よつてくわんぐんをはなちつかはすべきむね、そのきこえあり。たうじのはめつ、まさにこのときにあたれり。しよしゆなんぞしうたんせざらんや。なかんづくえんりやくをんじやうりやうじは、もんぜきふたつにあひわかるといへども、がくするところは、これゑんどんいちみのけうもんにおなじ。たとへばとりのさうのつばさのごとく、またくるまのふたつのわににたり。いつぱうかけんにおいては、いかでかそのなげきなからんや。ていればことにがふりよくをいたして、たうじのはめつをたすけられば、はやくねんらいのゐこんをわすれ、ぢうせんのむかしにふくせん。しゆとのせんぎかくのごとし。よつててふそうくだんのごとし。ぢしようしねんごぐわつじふはちにち、だいしゆら」とぞかいたりける。P264
「なんとへのてふじやう」(『なんとてうじやう』)S0408さんもんのだいしゆ、このじやうをひけんして、「こはいかに、たうざんのまつじでありながら、とりのさうのつばさのごとく、またくるまのふたつのわににたりと、おさへてかくでう、これもつてきくわいなり」とて、へんてふにもおよばず。そのうへにふだうしやうこく、てんだいざすめいうんだいそうじやうに、しゆとをしづめらるべきよしのたまひければ、ざすいそぎとうざんして、だいしゆをしづめたまふ。かかりしほどに、みやのおんかたへは、ふぢやうのよしをぞまうしける。またにふだうしやうこくのはかりごとに、あふみごめにまんごく、ほくこくのおりのべぎぬさんぜんびき、わうらいのためにさんもんへよせらる。これをたにだにみねみねへひかれけるに、にはかのことにてありければ、いちにんしてあまたとるだいしゆもあり、またてをむなしうして、ひとつもとらぬしゆともあり。なにもののしわざにやありけん、らくしよをぞしたりける。
やまぼふしおりのべごろもうすくしてはぢをばえこそかくさざりけれ W022
またきぬにもあたらぬだいしゆのよみたりけるにや、
おりのべをひときれもえぬわれらさへうすはぢをかくかずにいるかな W023
またなんとへのじやうにいはく、「をんじやうじてつす、こうぶくじのが。ことにがふりよくをいたして、たうじのP265はめつをたすけられんとこふじやう。みぎぶつぽふのしゆしようなることは、わうぼふをまもらんがため、わうぼふまたちやうきうなること、すなはちぶつぽふによる。ここににふだうさきのだいじやうだいじんたひらのあそんきよもりこう、ほふみやうじやうかい、ほしいままにこくゐをひそかにし、てうせいをみだり、ないにつけげにつけ、うらみをなし、なげきをなすあひだ、こんぐわつじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじふりよのなんをのがれんがために、にはかににふじせしめたまふ。ここにゐんぜんとかうしていだしたてまつるべきむね、しきりにせめありといへども、しゆといつかうをしみたてまつて、いだしたてまつるにあたはず。よつてかのぜんもん、ぶしをたうじへいれんとす。ぶつぽふといひ、わうぼふといひ、いちじにまさにはめつせんとす。むかしたうのゑしやうてんし、ぐんびやうをもつてぶつぽふをほろぼさしめしとき、しやうりやうぜんのしゆ、かつせんをいたして、これをふせぐ。わうけんなほかくのごとし。いかにいはんやむほんはちぎやくのともがらにおいてをや。たれのひとかきやうせいすべきぞや。なかんづくなんきやうはれいなくして、つみなきちやうじやをはいるせらる。このときにあらずんば、いづれのひかくわいけいをとげん。ねがはくはしゆと、うちにはぶつぽふのはめつをたすけ、ほかにはあくぎやくのはんるゐをしりぞけば、どうしんのいたり、ほんぐわいにたんぬべし。しゆとのせんぎかくのごとく、よつててつそうくだんのごとし。ぢしようしねんごぐわつじふはちにち、だいしゆら」とぞかいたりける。P266
「なんとへんてふ」なんとのだいしゆこのじやうをひけんして、いちみどうしんにせんぎして、やがてへんてふをこそおくりけれ。そのへんてふにいはく、「こうぶくじてつす、をんじやうじのが。らいてふいつしにのせられたり。みぎにふだうじやうかいがために、きじのぶつぽふをほろぼさんとするよしのことてつす。ぎよくせんぎよくくわりやうかのしうぎをたつといへども、きんしやうきんく、おなじういちだいのけうもんよりいでたり。なんきやうほくきやうともにもつてによらいのでしたり。じじたじ、たがひにでうだつがましやうをぶくすべし。そもそもきよもりにふだうはへいじのさうかう、ぶけのぢんがいなり。そぶまさもり、くらんどごゐのいへにつかへて、しよこくじゆりやうのむちをとる。おほくらきやうためふさ、かしうししのいにしへ、けんびしよにふし、しゆりのだいぶあきすゑ、はりまのたいしゆたりしむかし、むまやのべつたうしきににんず。しかるをしんぶただもり、しようでんをゆるされしとき、とひのらうせう、みなほうこのかきんををしみ、ないげのえいかう、おのおのばだいのじんもんになく。ただもりせいうんのつばさをかいつくろふといへども、よのたみなほはくをくのたねをかろんず。なををしむせいし、そのいへにのぞむことなし。しかればすなはちさんぬるへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、だ[い]じやうてんわういつせんのこうをかんじて、ふじのしやうをさづけたまひしよりこのかた、たかくしやうこくにのぼつて、かねてひやうぢやうをたまはる。なんしあるひはたいかいをかたじけなうし、あるひはうりんにP267つらなり、によしあるひはちうぐうしきにそなはり、あるひはじゆんごうのせんをかうぶる。くんていそし、みなきよくろにあゆみ、そのまごかのをひ、ことごとくちくふをさく。しかのみならずきうしうをとうりやうし、はくしをしんだいして、ぬびみなぼくじうとなす。いちまうこころにたがへば、わうこうといへどもこれをとらへ、へんげんみみにさかふれば、くぎやうといへどもこれをからむ。これによつて、あるひはいつたんのしんみやうをのべんがため、あるひはへんしのりようじよくをのがれんとおもつて、ばんじようのせいしゆ、なほめんてんのこびをなし、ぢうだいのかくん、かへつてしつかうのれいをいたす。だいだいさうでんのけりやうをうばふといへども、しやうさいもおそれてしたをまき、みやみやさうじようのしやうゑんをとるといへども、けんゐにはばかつてものいふことなし。かつにのるあまり、きよねんのふゆじふいちぐわつ、だ[い]じやうくわうのすみかをつゐふくして、はくりくこうのみをおしながす。ほんぎやくのはなはだしきこと、まことにこきんにたえたり。そのときわれら、すべからくぞくしゆにゆきむかつて、そのつみをとふべしといへども、あるひはしんりよにあひはばかり、あるひはりんげんとしようずるによつて、うつたうをおさへて、くわういんをおくるあひだ、かさねてぐんびやうをおこして、いちゐんだいにのしんわうぐうをうちかこむところに、はちまんさんじよ、かすがだいみやうじん、ひそかにやうがうをたれ、せんひつをささげたてまつり、きじにおくりつけて、しんらのとぼそにあづけたてまつる。わうぼふつきざるむねあきらけし。よつてきじしんみやうをすててしゆごしたてまつるでう、がんじきのたぐひ、たれかずゐきせざらん。このときわれらゑんゐきにあつて、そのなさけをかんずるところに、きよもりこう、なほきようきをおこして、きじにいらんとするよし、ほのかにつたへうけたまはるによつて、かねてよういをいたす。じふはちにちたつのいつてんにだいしゆをおこし、しよじにてつそうし、まつじにP268げぢして、ぐんしをえてのち、あんないをたつせんとするところに、せいてうとびきたつてはうかんをなげたり。すうじつのうつねんいちじにげさんす。かのたうかしやうりやういつさんのひつしゆ、なほぶそうのくわんびやうをかへす。いはんやわこくなんぼくりやうもんのしゆと、なんぞぼうしんのじやるゐをはらはざらん。よくりやうゑんさうのぢんをかためて、よろしくわれらがしんぱつのつげをまつべし。じやうをさつしてぎたいをなすことなかれ。もつててつす。くだんのごとし。ぢしようしねんごぐわつにじふいちにち、だいしゆら」とぞかいたりける。
「だいしゆそろへ」(『ながのせんぎ』)S0409てらにはみやいらせたまひてのち、おほぜきこぜきほりきつて、だいしゆまたせんぎす。「そもそもさんもんはこころがはりしつ。なんとはいまだまゐらず。このことのびてはあしかりなん。いざやこんやろくはらにおしよせて、ようちにせん。そのぎならば、らうせうふたてにあひわかつて、まづらうそうどもは、によいがみねよりからめでへむかふべし。あしがるどもをさきだてて、しらかはのざいけにひをかけやきあげば、ざいきやうにん、ろくはらのぶしども、あはやこといできたりとて、はせむかはんずらん。そのときいはさか、さくらもとのへんに、しばしささへてふせぎたたかはんまに、おほてはまつざかより、いづのかみをたいしやうぐんとして、わかだいしゆあくそうどもは、ろくはらにP269おしよせ、かざうへにひをかけやきあげ、ひともみもうでせめんに、などかだいじやうにふだうやきいだいて、うたざるべき」とぞせんぎしたりける。ここにへいけのいのりしける、いちによばうのあじやりしんかいは、でしどうじゆくすじふにんひきぐし、せんぎのにはにすすみいでてまうしけるは、「かやうにまうせば、へいけのかたうどとやおぼしめされさふらふらん。いつかうそのぎにてはさふらはず。たとひささふらふとも、いかがしゆとのぎをもおもひ、わがてらのなをもをしまでは、さふらふべき。むかしはげんぺいさうにあらそひて、てうかのおんかためたりしかども、ちかごろはげんじのうんかたぶき、へいけよをとつてにじふよねん、てんがになびかぬくさきもさふらはず。さればないないのたちのありさまも、こぜいにてはたやすうかなひがたし。よくよくはかりごとをめぐらし、せいをもよほし、ごにちによせらるべうもやさふらふらん」と、ほどをのばさんがために、ながながとこそせんぎしたりけれ。ここにじようゑんばうのあじやりきやうしうは、ころものしたにもよぎにほひのはらまきをき、おほきなるうちがたなまへだれにさしほらし、しらえのなぎなたつゑにつき、せんぎのにはにすすみいでて、「しようこをほかにひくべからず。まづわがてらのほんぐわん、てんむてんわう、いまだとうぐうのおんとき、おほとものわうじにおそはれさせたまひて、よしののおくをいでさせたまひて、やまとのくにうだのこほりをすぎさせたまふには、そのせいわづかにじふしちき、されどもいがいせにうちこえ、みのをはりのぐんびやうをもつて、おほとものわうじをほろぼして、つひにくらゐにつかせたまひき。きうてうふところにいる。じんりんこれをあはれむといふほんもんあり。じよはしらず、きやうしうがもんとにおいては、こんやP270ろくはらにおしよせてうちじにせよや」とぞせんぎしける。ゑんまんゐんのたいふげんかくすすみいでて、「せんぎはしおほし。ただよのふくるに。いそげや、すすめ」とぞまうしける。
(『だいしゆそろへ』)S0410まづからめでにむかふらうそうどものたいしやうぐんには、げんざんみにふだうよりまさ、じようゑんばうのあじやりきやうしう、りつじやうばうのあじやりにちいん、そつのほふいんぜんち、ぜんちがでしぎはう、ぜんやうをさきとして、つがふそのせいいつせんにん、てんでにたいまつもつて、によいがみねへぞむかひける。おほてのたいしやうぐんには、ちやくしいづのかみなかつな、じなんげんだいふのはうぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかいへ、そのこくらんどたらうなかみつ。だいしゆにはゑんまんゐんのたいふげんかく、りつじやうばうのいがのきみ、ほふりんゐんのおにさど、じやうきゐんのあらとさ、これらはちからのつよさ、ゆみやうちものとつては、いかなるおににもかみにもあはうどいふ、いちにんたうぜんのつはものなり。びやうどうゐんには、いなばのりつしやくわうだいぶ、すみのろくらうばう、しまのあじやり、つつゐぼふしに、きやうのあじやり、あくせうなごん、きたのゐんには、こんくわうゐんのろくてんぐ、しきぶたいふ、のと、かが、さど、びんごらなり。まつゐのひご、しようなんゐんのちくご、がやのちくぜん、おほやのしゆんちやう、ごちゐんのたぢま、きやうしうがばうにん、ろくじふにんのうち、かがくわうじよう、ぎやうぶしゆんしう、ほふしばらには、いちらいほふしにしかざりき。だうじゆには、つつゐのじやうめうめいしう、をぐらのそんぐわつ、そんえい、じけい、らくぢう、かなこぶしのげんやう、ぶしにはわたなべのはぶくはりまのじらうさづくさつまのひやうゑ、ちやうじつとなふ、きほふのたきぐち、あたふのうまのじよう、つづくのげんた、きよし、すすむをさきとして、つがふそのせいいつせんごひやくよにん、みゐでらをこそうつたちけれ。P271てらにはみやいらせたまひてのち、おほぜきこぜきほりきり、かいだてかき、さかもぎひきたりければ、ほりにはしわたし、さかもぎとりのけなどしけるほどに、じこくおしうつつて、せきぢのにはとりなきあへり。いづのかみ、「ここにてとりないては、ろくはらへは、はくちうにこそよせんずれ。いかがせん」とのたまへば、ゑんまんゐんのたいふげんかく、またさきのごとくにすすみいでて、「むかししんのせうわう、まうしやうくんをめしいましめられたりしに、きさきのおんたすけによつて、つはものさんぜんにんをひきぐして、にげまぬかれけるが、ほどなくかんこくくわんにいたりぬ。いこくのならひに、にはとりのなかぬかぎりは、せきのとをひらくことなし。かのまうしやうくんがさんぜんのかくのなかに、てんかつといふつはものあり。にはとりのなくまねをゆゆしうしければ、けいめいともいはれけり。かのけいめい、たかきところにはしりあがり、にはとりのなくまねをゆゆしうしたりければ、せきぢのにはとりききつたへて、みななきあへり。そのときせきもり、とりのそらねにばかされて、せきのとをあけてぞとほしける。さればこれもかたきのはかりごとにやなかすらん。ただよせよや」とぞまうしける。かかりしほどに、さつきのみじかよなれば、ほのぼのとぞあけにける。いづのかみのたまひけるは、「ようちにこそさりともとおもひつれ、ひるいくさにはいかにもかなふまじ。あれよびかへせや」とて、おほてはまつざかよりとつてかへし、からめではによいがみねよりひつかへす。わかだいしゆあくそうども、「これはいちによばうがながせんぎにこそ、よはあけたれ。そのばうきれ」とて、おしよせてばうをさんざんにきる。ふせぐところのでしどうじゆく、みなうたれにけり。P272わがみておひ、はふはふろくはらへまゐつて、このよしうつたへまうしけれども、ろくはらにはぐんびやうすまんぎはせあつまつて、ちつともさわぐけしきもしたまはず。さるほどにみやは、さんもんはこころがはりしつ、なんとはいまだまゐらず。このてらばかりでは、いかにもかなふべからずとて、おなじきにじふさんにちのあかつきがたに、みゐでらをいでさせたまひて、なんとへおちさせおはします。このみやはせみをれ、こえだとて、かんちくのふえをふたつもちたまへり。なかにもせみをれは、むかしとばのゐんのおんとき、そうてうのみかどへ、しやきんをおほくまゐらつさせたまひたりしかば、へんぱうとおぼしくて、いきたるせみのごとくに、ふしのつきたるふえたけを、ひとよまゐらつさせたまひけり。これほどのちようほうを、いかんかさうなうゑらせらるべきとて、みゐでらのだいしんのそうじやうかくそうにおほせ、だんじやうにたて、しちにちかぢして、ゑらせたまへるおんふえなり。あるときたかまつのちうなごんさねひらのきやうまゐつて、このおんふえをふかれけるに、よのつねのふえのやうにおもひわすれて、ひざよりしもにおかれたりければ、ふえやとがめけん、そのときせみをれにけり。さてこそせみをれとはめされけれ。このみやふえのおんきりやうたるによつて、ごさうでんありけるとかや。されどもいまをかぎりとやおぼしめされけん、こんだうのみろくにこめまゐらさせたまひけり。りうげのあかつき、ちぐのおんためかとおぼしくて、あはれなりしことどもなり。さるほどにみやは、らうそうどもにはみないとまたうで、とどめさせおはします。しかるべきわかだいしゆあくそうどもはまゐりけり。さんみにふだうのいちるゐ、わたなべたう、みゐでらのだいしゆひきぐして、P273そのせいいつせんごひやくよにんとぞきこえし。じようゑんばうのあじやりきやうしうははとのつゑにすがり、みやのおんまへにまゐり、さうがんよりなみだをはらはらとながいてまうしけるは、「いづくまでもおんともつかまつるべうさふらひしかども、としすでにはちじゆんにたけて、ぎやうぶいかにもかなひがたくさふらへば、でしでさふらふぎやうぶばうしゆんしうをまゐらせさふらはん。これはひととせへいぢのかつせんのとき、こさまのかみよしともがてにさふらうて、ろくでうかはらでうちじにつかまつりさふらひし、さがみのくにのぢうにん、やまのうちのすどうぎやうぶのじようとしみちがこにてさふらひしを、いささかゆかりさふらふによつて、あとふところにておほしたてて、こころのそこまでも、よくしつてさふらへば、いづくまでもめしぐせられさふらへ」とて、なみだをおさへてとどまりぬ。みやもあはれにおぼしめして、「いつのよしみにかくはまうすらん」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。
「はしかつせん」(『はしがつせん』)S0411さるほどに、みやはうぢとてらとのあひだにて、ろくどまでおんらくばありけり。これはさんぬるよ、ぎよしんならざりしゆゑなりとて、うぢばしさんげんひきはづし、びやうどうゐんにいれたてまつり、しばらくごきうそくありけり。ろくはらには、「すはやみやこそ、なんとへおちさせたまふなれ。おつかけてうちたてまつれや」とて、たいしやうぐんには、さひやうゑのかみとももり、P274とうのちうじやうしげひら、さつまのかみただのり、さむらひだいしやうには、かづさのかみただきよ、そのこかづさのたらうはうぐわんただつな、ひだのかみかげいへ、そのこひだのたらうはうぐわんかげたか、たかはしのはうぐわんながつな、かはちのはうぐわんひでくに、むさしのさぶらうざゑもんありくに、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうひやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよをさきとして、つがふそのせいにまんはつせんよき、こはたやまうちこえて、うぢばしのつめにぞおしよせたる。かたきびやうどうゐんにとみてげれば、ときをつくることさんかどなり。みやのおんかたにも、おなじうときのこゑをぞあはせたる。せんぢんが、「はしをひいたるぞ、あやまちすな。はしをひいたるぞ、あやまちすな」とどよみけれども、ごぢんはこれをききつけず、われさきにわれさきにとすすむほどに、せんぢんにひやくよきおしおとされ、みづにおぼれてうせにけり。さるほどに、はしのりやうばうのつめにうつたつてやあはせす。みやのおんかたより、おほやのしゆんちやう、ごちゐんのたぢま、わたなべのはぶく、さづく、つづくのげんたがいけるやぞ、たてもたまらず、よろひもかけずとほりけり。げんざんみにふだうよりまさは、けふをさいごとやおもはれけん、ちやうけんのよろひびたたれに、しながはをどしのよろひきて、わざとかぶとをばきたまはず。ちやくしいづのかみなかつなは、あかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひなり。ゆみをつようひかんがために、これもかぶとをばきざりけり。
ここにごちゐんのたぢま、おほなぎなたのさやをはづいて、ただいちにんはしのうへにぞすすんだる。へいけのかたにはこれをみて、「ただいとれやいとれ」とて、さしつめひきつめ、P275さんざんにいけれども、たぢますこしもさわがず、あがるやをばついくぐり、さがるやをばをどりこえ、むかつてくるをばなぎなたにてきつておとす。かたきもみかたもけんぶつす。それよりしてこそやぎりのたぢまとはいはれけれ。まただうじゆのなかに、つつゐのじやうめうめいしうは、かちのひたたれに、くろかはをどしのよろひきて、ごまいかぶとのををしめ、こくしつのたちをはき、にじふしさいたるくろぼろのやおひ、ぬりごめどうのゆみに、このむしらえのおほなぎなたとりそへて、これもただいちにんはしのうへにぞすすんだる。だいおんじやうをあげて、「とほからんものはおとにもきけ。ちかからんひとはめにもみたまへ。みゐでらにはかくれなし、だうじゆのなかにつつゐのじやうめうめいしうとて、いちにんたうぜんのつはものぞや。われとおもはんひとびとは、よりあへやげんざんせん」とて、にじふしさいたるやを、さしつめひきつめさんざんにいる。やにはにかたきじふににんいころし、じふいちにんにておうせたれば、えびらにひとつぞのこつたる。そののち、ゆみをばからとなげすてて、えびらもといてすててげり。つらぬきぬいではだしになり、はしのゆきげたを、さらさらとはしりける。ひとはおそれてわたらねども、じやうめうばうがここちには、いちでうにでうのおほちとこそふるまうたれ。なぎなたにてむかふかたきごにんなぎふせ、ろくにんにあたるかたきにあうて、なぎなたなかよりうちをつてすててげり。そののち、たちをぬいてたたかふに、かたきはおほぜいなり、くもで、かくなは、じふもんじ、とんばうかへり、みづくるま、はつぱうすかさずきつたりけり。むかふかたきはちにんきりふせ、くにんにあたるかたきがかぶとのはちにあまりにつよううちあてて、めぬきのもとよりちやうどをれ、P276くつとぬけて、かはへざつぶとぞいりにける。たのむところはこしがたな、しなんとのみぞくるひける。
ここにじようゑんばうのあじやりきやうしうがめしつかひけるいちらいほふしといふだいぢからのかうのもの、じやうめうばうがうしろにつづいてたたかひけるが、ゆきげたはせばし、そばとほるべきやうはなし。じやうめうばうがかぶとのしころにてをおいて、「あしうさふらふ、じやうめうばう」とて、かたをづんどをどりこえてぞたたかひける。いちらいほふしうちじにしてげり。じやうめうばうははふはふかへつて、びやうどうゐんのもんのまへなるしばのうへにもののぐぬぎすて、よろひにたつたるやめをかぞへたればろくじふさん、うらかくやごしよ、されどもいたでならねば、ところどころにきうぢし、かしらからげ、じやうえき、ゆみきりをりつゑにつき、ひらあしだはき、あみだぶまうして、ならのかたへぞまかりける。そののちはじやうめうばうがわたつたるをてほんとして、みゐでらのだいしゆ、さんみにふだうのいちるゐ、わたなべたう、われさきにとはしりつづきはしりつづき、はしのゆきげたをこそわたりけれ。あるひはぶんどりしてかへるものもあり、あるひはいたでおうてはらかききり、かはへとびいるものもあり、はしのうへのいくさ、ひいづるほどにぞみえたりける。へいけのかたのさぶらひだいしやうかづさのかみただきよ、たいしやうぐんのおんまへにまゐり、「あれごらんさふらへ。はしのうへのたたかひ、ていたうさふらふ。いまはかはをわたすべきにてさふらふが、をりふしさみだれのころ、みづまさつてさふらへば、わたさばむまひとおほくほろびさふらひなん。よど、いもあらひへやむかふべき。またかはちぢへやまはるべき。いかがせん」とまうしければ、しもづけのくにのぢうにん、あしかがのまたたらうただつな、P277しやうねんじふしちさいにてありけるが、すすみいでてまうしけるは、「よど、いもあらひ、かはちぢへは、てんぢくしんだんのぶしをめして、むけられさふらはんずるか、それもわれらこそうけたまはつてむかひさふらはんずれ。めにかけたるかたきをうたずして、みやをなんとへいれまゐらせなば、よしのとづがはのせいどもはせあつまつて、いよいよおんだいじでこそさふらはんずらめ。むさしとかうづけのさかひに、とねがはとまうすだいがさふらふ。ちちぶ、あしかが、なかたがうて、つねはかつせんをつかまつりさふらひしに、おほてはながゐのわたり、からめではこがすぎのわたりよりよせさふらひしにここに、かうづけのくにのぢうにん、につたのにふだう、あしかがにかたらはれて、すぎのわたりよりよせんとて、まうけたりけるふねどもを、ちちぶがかたよりみなわられて、まうしけるは、『ただいまここをわたさずは、ながきゆみやのきずなるべし。みづにおぼれてもしなばしね、いざわたさう』とて、むまいかだをつくつて、わたせばこそわたしけめ。ばんどうむしやのならひ、かたきをめにかけ、かはをへだてたるいくさに、ふちせきらふやうやある。このかはのふかさはやさ、とねがはにいくほどのおとりまさりはよもあらじ。つづけやとのばら」とて、まつさきにこそうちいれたれ。つづくひとびと、おほご、おほむろ、ふかず、やまがみ、なはのたらう、さぬきのひろつなしらうだいふ、をのでらのぜんじたらう、へやこのしらう、らうどうにはうぶかたのじらう、きりふのろくらう、たなかのそうだをはじめとして、さんびやくよきぞつづきける。あしかがだいおんじやうをあげて、「よわきむまをばしたてにたてよ。つよきむまをばうはてになせ。むまのあしのおよばうほどは、たづなをくれてあゆませよ。P278はずまば、かいくつておよがせよ。さがらうものをばゆみのはずにとりつかせよ。てにてをとりくみ、かたをならべてわたすべし。むまのかしらしづまばひきあげよ。いたうひいてひつかづくな。くらつぼによくのりさだまつて、あぶみをつようふめ。みづしとまば、さんづのうへにのりかかれ。かはなかにてゆみひくな。かたきいるともあひびきすな。つねにしころをかたぶけよ。いたうかたぶけててへんいさすな。むまにはよわう、みづにはつようあたるべし。かねにわたいておしおとさるな。みづにしなうてわたせやわたせ」とおきてて、さんびやくよきいつきもながさず、むかひのきしへざつとぞうちあげたる。
「みやのごさいご」(『みやのごさいご』)S0412あしかががそのひのしやうぞくには、くちばのあやのひたたれに、あかがはをどしのよろひきて、たかづのうつたるかぶとのををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみもちて、れんぜんあしげなるむまに、かしはぎにみみづくうつたるきんぷくりんのくらおいてぞのつたりける。あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「むかしてうてきまさかどをほろぼして、けんじやうかうぶつて、なをこうだいにあげたりしたはらとうだひでさとにじふだいのこういん、しもづけのくにのぢうにん、あしかがのたらうとしつながこ、またたらうただつな、しやうねんじふしちさいにまかりなる。P279かやうにむくわんむゐなるものの、みやにむかひまゐらせてゆみをひきやをはなつことはてんのおそれすくなからずさふらへども、ただしゆみもやも、みやうがのほどもへいけのおんうへにこそとどまりさふらはめ。さんみにふだうどののおんかたに、われとおもはんひとびとは、よりあへやげんざんせん」とて、びやうどうゐんのもんのうちへ、せめいりせめいりたたかひけり。たいしやうぐんさひやうゑのかみとももり、これをみたまひて、「わたせやわたせ」とげぢしたまへば、にまんはつせんよき、みなうちいれてわたす。さばかりはやきうぢがはも、むまやひとにせかれて、みづはかみにぞたたへたる。ざふにんばらは、むまのしたてにとりつきとりつきわたるほどに、ひざよりうへをぬらさぬものもおほかりけり。おのづからはづるるみづにはなにもたまらずながれたり。ここにいがいせりやうごくのくわんびやうら、むまいかだおしやぶられて、ろくぴやくよきこそながれたれ。もよぎ、ひをどし、あかをどし、いろいろのよろひの、うきぬしづみぬゆられけるは、かみなみやまのもみぢばのみねのあらしにさそはれて、たつたがはのあきのくれ、ゐせきにかかりて、ながれもあへぬにことならず。そのなかにひをどしのよろひきたるむしやさんにん、あじろにながれかかりて、うきぬしづみぬゆられけるを、いづのかみみたまひて、かくぞえいじたまひける。
いせむしやはみなひをどしのよろひきてうぢのあじろにかかりぬるかな W024
これらはみないせのくにのぢうにんなり。くろだのごへいしらう、ひののじふらふ、おとべのやしちといふものなり。なかにもひののじふらうはふるつはものにてありければ、ゆみのはず、いはのはざまにねぢたてて、かきあがり、ににんのものどもをひきあげて、たすけけるとぞきこえし。P280おほぜいみなわたつて、びやうどうゐんのもんのうちへ、せめいりせめいりたたかひけり。このまぎれにみやをばなんとへさきだたせまゐらせ、さんみにふだうのいちるゐ、わたなべたう、みゐでらのだいしゆ、のこりとどまつてふせぎやいけり。げんざんみにふだうは、しちじふにあまつていくさして、ゆんでのひざぐちをいさせ、いたでなれば、こころしづかにじがいせんとて、びやうどうゐんのもんのうちへひきしりぞくところに、かたきおそひかかれば、じなんげんだいふのはうぐわんかねつなは、こんぢのにしきのひたたれにからあやをどしのよろひきて、しらつきげなるむまに、きんぷくりんのくらおいてのりたまひたりけるが、ちちをのばさんがために、かへしあはせかへしあはせふせぎたたかふ。かずさのたらうはうぐわんがいけるやに、げんだいふのはうぐわん、うちかぶとをいさせてひるむところに、かづさのかみがわらは、じらうまるといふだいぢからのかうのもの、もよぎにほひのよろひき、さんまいかぶとのををしめ、うちもののさやをはづいて、げんだいふのはうぐわんにおしーならべて、むずとくんでどうどおつ。げんだいふのはうぐわんは、だいぢからにておはしければ、じらうまるをとつておさへてくびをかき、たちあがらんとするところにへいけのつはものども、じふしごきおちかさなつて、つひにかねつなをうちてげり。いづのかみなかつなもさんざんにたたかひ、いたであまたおうて、びやうどうゐんのつりどのにてじがいしてげり。そのくびをばしもかうべのとうざぶらうきよちかとつて、おほゆかのしたへぞなげいれたる。ろくでうのくらんどなかいへ、そのこくらんどたらうなかみつも、さんざんにたたかひ、いつしよでうちじにしてげり。このなかいへとまうすは、こたてはきせんじやうよしかたがちやくしなり。しかるをちちうたれてのち、みなしごにてありしを、さんみにふだうやうじにして、ふびんにしたまひしかば、ひごろのけいやくをたがへじとや、P281いつしよでしににけるこそむざんなれ。さんみにふだう、わたなべのちやうじつとなふをめして、「わがくびうて」とのたまへば、しうのいけくびうたんずることのかなしさに、「つかまつともぞんじさふらはず。おんじがいさふらはば、そののちこそたまはりさふらはめ」とまうしければ、げにもとやおもはれけん、にしにむかひてをあはせ、かうじやうにじふねんとなへたまひて、さいごのことばぞあはれなる。
うもれぎのはなさくこともなかりしにみのなるはてぞかなしかりける W025
これをさいごのことばにて、たちのさきをはらにつきたて、うつぶさまにつらぬかつてぞうせられける。そのときにうたよむべうはなかりしかども、わかうよりあながちにすいたるみちなれば、さいごのときもわすれたまはず。そのくびをばちやうじつとなふがとつて、いしにくくりあはせ、うぢがはのふかきところにしづめてげり。へいけのさぶらひども、いかにもしてきほふたきぐちをばいけどりにせばやとうかがひけれども、きほふもさきにこころえてさんざんにたたかひ、いたであまたおひ、はらかききつてしににける。ゑんまんゐんのたいふげんかくは、いまはみやもはるかにのびさせたまひぬらんとやおもひけん、おほだちおほなぎなたさうにもつて、かたきのなかをわつていで、うぢがはへとんでいり、もののぐひとつもすてず、みづのそこをくぐつて、むかひのきしにぞつきにける。たかきところにはしりあがり、だいおんじやうをあげて、「いかにへいけのきんだち、これまではおんだいじか、よう」といひすてて、みゐでらへこそかへりけれ。P282ひだのかみかげいへは、ふるつはものにてありければ、このまぎれにみやはさだめてなんとへやおちさせたまふらんとて、ひたかぶとしごひやくき、むちあぶみをあはせておつかけたてまつる。あんのごとくみやはさんじつきばかりでおちさせたまふところを、くわうみやうせんのとりゐのまへにておつつきたてまつりあめのふるやうにいたてまつりければ、いづれがやとはしらねども、やひとつきたつて、みやのひだりのおんそばはらにたちければ、おむまよりおちさせたまひて、おんくびとられさせたまひけり。おんともまうしたるおにさど、あらとさ、くわうだいぶ、ぎやうぶしゆんしうも、いのちをばいつのためにかをしむべきとて、さんざんにたたかひ、いつしよでうちじにーしてげり。そのなかにめのとごのろくでうのすけのたいふむねのぶは、にひのがいけへとんでいり、うきぐさかほにとりおほひ、ふるひゐたれば、かたきはまへをぞうちとほりぬ。ややあつてかたきしごひやくき、ざざめいてかへりけるなかに、じやうえきたるしにんのくびもなきを、しとみのもとよりかきいだいたるをみれば、みやにてぞおはしましける。「われしなばごくわんにいれよ」とおほせられしこえだときこえしおんふえをも、いまだおんこしにぞささせましましける。はしりいでて、とりつきたてまつらばやとおもへども、おそろしければそれもかなはず。かたきみなとほつてのち、いけよりあがり、ぬれたるものどもしぼりきて、なくなくみやこへのぼつたりけるを、にくまぬものこそなかりけれ。さるほどになんとのだいしゆしちせんよにん、かぶとのををしめ、みやのおんむかひにまゐりけるが、せんぢんはこづにすすみ、ごぢんはいまだこうぶくじのなんだいもんにぞゆらへたる。みやははやくわうみやうせんのP283とりゐのまへにて、うたれさせたまひぬときこえしかば、だいしゆちからおよばず、なみだをおさへてとどまりぬ。いまごじつちやうばかりまちつけさせたまはで、うたれさせたまひける、みやのごうんのほどこそうたてけれ。
「わかみやごしゆつけ」(『わかみやしゆつけ』)S0413へいけのひとびと、みやならびにさんみにふだうのいちるゐ、わたなべたう、みゐでらのだいしゆ、つがふごひやくよにんがくびきつて、たちなぎなたのさきにつらぬき、たかくさしあげ、ゆふべにおよんでろくはらへかへりいらる。つはものどもいさみののしることおびたたし。なかにもさんみにふだうのくびをば、ちやうじつとなふがうぢがはのふかきところにしづめてげれば、みえざりけり。こどものくびをば、あそこここよりみなたづねいだされたり。なかにもみやのおんくびをば、つねにまゐりかよふひともなかりしかば、たれみしりまゐらせたるひともなし。てんやくのかみさだなりこそ、せんねんごれうぢのためにめされしかば、それぞみしりまゐらせたるにこそとてめされけれども、げんしよらうとてまゐらず。またろくはらより、つねはみやのめされまゐらせけるにようばうとて、たづねいだされたり。おんこあまたうみまゐらせなどして、さしもおんちぎりあさからざりしかば、なじかはみそんじたてまつるべき。ただひとめみまゐらせて、そでをかほにおしあててなみだをP284ながしけるにぞ、やがてみやのおんくびとはしつてげる。このみやは、はらばらにおんこのみやたち、あまたおはしましけり。はちでうのにようゐんにさぶらはれけるいよのかみもりのりがむすめ、さんみのつぼねとまうしけるにようばうのはらに、しちさいのわかみや、ごさいのひめみやおはしましけり。にふだうしやうこくのおとと、いけのちうなごんよりもりのきやうをもつて、はちでうのにようゐんへまうされけるは、「ひめみやのおんことはまうすにおよばず。わかみやをば、とういだしまゐらさせたまへ」とまうされたりければ、にようゐんのおんぺんじに、「かかるきこえのありしあかつき、おちのひとなんどがこころをさなうぐしたてまつてうせにけるにや、まつたくこのごしよにはわたらせたまはず」とぞおほせける。よりもりのきやうかへりまゐつて、このよしかくとまうされければ、「なんでふそのごしよならでは、いづくへかわたらせたまふべかんなるぞ。そのぎならば、ぶしどもまゐりてさがしたてまつれ」とぞのたまひける。このちうなごんは、にようゐんのおんめのと、さいしやうどのとまうすにようばうにあひぐして、つねはまゐりかよはれければ、ひごろはなつかしうこそおぼしめしつるに、このみやのおんことまうしにまゐられたれば、いつしかうとましうぞおぼしめされける。わかみや、にようゐんにまうさせたまひけるは、「これほどのおんだいじにおよびさふらふうへ、つひにはのがれさふらふまじ。はやはやいださせおはしませ」とまうさせたまひければ、にようゐんおんなみだをながさせたまひて、「ひとのななつやつは、いまだなにごとをもききわかぬほどぞかし。それにおんみゆゑ、かかるだいじのいできたるを、かたはらいたくおぼして、かやうにおほせらるることよ。よしなかりけるひとを、P285このろくしちねんてならして、けふはかかるうきめをみるよ」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。よりもりのきやう、わかみやのおんことかさねてまうしにまゐられたれば、にようゐんちからおよばせたまはず、つひにいだしまゐらさせたまひけり。おんははさんみのつぼね、いまをかぎりのおんわかれなれば、さこそはおんなごりをしうもおぼしめされけめ。さてしもあるべきことならねば、なくなくぎよいきせまゐらせ、おんぐしかきなでて、いだしまゐらさせたまふも、ただゆめとのみぞおもはれける。にようゐんをはじめまゐらせて、つぼねのにようばう、めのわらはにいたるまで、なみだをながしそでをぬらさぬはなかりけり。よりもりのきやう、わかみやうけとりまゐらせ、おんくるまにのせたてまつりて、ろくはらへわたしたてまつる。さきのうだいしやうむねもりのきやう、このみやをみまゐらせて、ちちのぜんもんのおんまへにおはして、「ぜんせのことにやさふらふらん、わかみやをただひとめみまゐらせてさふらへば、あまりにおんいたはしうおもひまゐらせさふらふ。なにかくるしうさふらふべき、このみやのおんいのちをば、まげてむねもりにたびさふらへかし」とまうされければ、にふだういかがおもはれけん、「さらばとうごしゆつけをせさせたてまつれ」とぞのたまひける。むねもりのきやうはちでうのにようゐんへ、このよしまうされたりければ、にようゐん、「なんのやうもあるべからず、ただとうとう」とて、ごしゆつけーせさせたてまつらる。しやくしにさだまらせたまひしかば、ほふしになしまゐらせて、にんなじのおむろのおんでしになしまゐらさせたまひけり。のちにはとうじのいちのちやうじや、やすゐのみやのだいそうじやうだうそんとまうししは、このみやのおんことなり。P286
(『とうぜうのさた』)S0414ならにもまたごいつしよおはしけるを、おんめのとさぬきのかみしげひでがごしゆつけせさせたてまつり、ぐしたてまつりて、ほくこくへおちくだりたりしを、きそよしなかしやうらくのとき、しうにしまゐらせんとて、げんぞくせさせたてまつり、ぐそくしたてまつりて、みやこへのぼりたりければ、きそがみやともまうし、またげんぞくのみやともまうす。のちにはさがのへん、のよりにましましければ、のよりのみやともまうしき。むかしとうじようといつしさうにんあり。うぢどの、にでうどのをば、きみさんだいのくわんばく、ともにおんとしはちじふとまうしたりしもたがはず、そつのうちのおとどをるざいのさうましますとまうしたりしもたがはず。またしやうとくたいしの、しゆじゆんてんわうをわうしのさうましますとまうさせたまひたりしが、むまこのだいじんにころされさせたまひぬ。かならずさうにんとしもあらねども、しやうこにはかくこそめでたかりしか。これはいつかうさうせうなごんがふかくにはあらずやとぞひとまうしける。なかごろげんめいしんわう、ぐへいしんわうとまうししは、ぜんちうしよわう、ごちうしよわうとて、ともにけんわうせいしゆのわうじにてわたらせたまひしかども、つひにくらゐにはつかせたまはず。されどもいつかはごむほんおこさせたまひたりき。またごさんでうのゐんだいさんのわうじ、すけひとのしんわうとまうししは、おんさいかくすぐれておはしましければ、しらかはのゐんいまだとうぐうのおんとき、おんくらゐののちは、このみやをくらゐにつけまゐらさせたまへと、ごさんでうのゐん、ごゆゐぜうありしかども、しらかはのゐんいかがおぼしめされけん、つひにくらゐにはつけまゐらさせたまはず。せめてのおんことにや、P287すけひとのしんわうのおんこのみやに、げんじのしやうをさづけまゐらさせたまひて、むゐよりいちどにさんみにじよして、やがてちうじやうになしまゐらせて、さんみのちうじやうとぞまうしける。いつせのげんじ、むゐよりさんみすることは、さがのくわうていのおんこ、やうぜいゐんのだいなごんさだむのきやうのほかは、これはじめとぞうけたまはる。はなぞののさだいじんありひとこうのおんことなり。さればこんどのたかくらのみやのごむほんによつて、てうぶくのほふうけたまはつておこなはれけるかうそうたちに、けんじやうどもおこなはる。さきのうだいしやうむねもりのきやうのしそく、じじうきよむねさんみにじよして、さんみのじじうとぞまうしける。こんねんじふにさい、ちちのきやうはこのよはひでは、わづかひやうゑのすけまでこそいたられしか。たちまちにかんだちめにあがりたまふこと、いちのひとのきんだちのほかは、これはじめとぞうけたまはる。さるほどにみなもとのもちひとならびにさんみにふだうよりまさふし、つゐたうのしやうとぞききがきにはありける。まさしいだ[い]じやうほふわうのわうじを、いたてまつるだにあるに、あまつさへぼんにんになしたてまつるぞあさましき。みなもとのもちひととは、このたかくらのみやのおんことなり。
「ぬえ」(『ぬえ』)S0415そもそもこのげんざんみにふだうよりまさは、つのかみらいくわうにごだい、みかはのかみよりつながまご、ひやうごのかみなかまさがP288こなりけり。ほうげんのかつせんのときも、みかたにてさきをかけたりしかども、させるしやうにもあづからず。またへいぢのげきらんにも、すでにしんるゐをすててさんじたりしかども、おんしやうこれおろそかなりき。たいだいしゆごにて、としひさしうありしかども、しようでんをばゆるされず。としたけよはひかたぶいてのち、じゆつくわいのわかいつしゆよみてこそ、しようでんをばしたりけれ。
ひとしれぬおほうちやまのやまもりはこがくれてのみつきをみるかな W026
これによつてしようでんゆるされ、じやうげのしゐにてしばらくありしが、なほさんみをこころにかけつつ、
のぼるべきたよりなきみはこのもとにしゐをひろひてよをわたるかな W027
さてこそさんみはしたりけれ。やがてしゆつけして、げんざんみにふだうよりまさとて、こんねんはしちじふごにぞなられける。このひといちごのかうみやうとおぼしきことはおほきがなかにも、ことにはにんぺいのころほひ、こんゑのゐんございゐのおんとき、しゆしやうよなよなおびえさせたまふことありけり。うげんのかうそうきそうにおほせて、だいほふひほふをしゆせられけれどもそのしるしなし。ごなうはうしのこくばかりのことなるに、とうさんでうのもりのかたより、くろくもひとむらたちきたつて、ごてんのうへにおほへば、かならずおびえさせたまひけり。これによつてくぎやうせんぎありけり。さんぬるくわんぢのころほひ、ほりかはのゐんございゐのおんとき、しゆしやうしかのごとくおびえたまぎらせたまひけり。そのときのP289しやうぐんよしいへのあそん、なんでんのおほゆかにさふらはれけるが、ごなうのこくげんにおよんで、めいげんすることさんどののち、かうじやうにさきのみちのくにのかみみなもとのよしいへとなのりたりければ、きくひとみのけよだつて、ごなうかならずおこたらせたまひけり。しかればすなはちせんれいにまかせて、ぶしにおほせてけいごあるべしとて、げんぺいりやうかのつはもののなかをえらませられけるに、このよりまさをぞえらびいだされたりける。そのときはいまだひやうごのかみにてさふらはれけるが、まうされけるは、「むかしよりてうかにぶしをおかるることは、ぎやくほんのものをしりぞけ、ゐちよくのともがらをほろぼさんがためなり。めにもみえぬへんげのものつかまつれとおほせくださるること、いまだうけたまはりおよばず」とまうしながら、ちよくせんなれば、めしにおうじてさんだいす。よりまさたのみきつたるらうどう、とほたふみのくにのぢうにん、ゐのはやたに、ほろのかざぎりはいだりけるやおはせて、ただいちにんぞぐしたりける。わがみはふたへのかりぎぬに、やまどりのををもつてはいだりけるとがりやふたすぢ、しげどうのゆみにとりそへて、なんでんのおほゆかにしこうす。よりまさやふたつたばさみけることは、がらいのきやう、そのときはいまださせうべんにておはしけるが、へんげのものつかまつらんずるじんは、よりまさぞさふらふらんとえらびまうされたるあひだ、いちのやにてへんげのものいそんずるほどならば、にのやには、がらいのべんのしやくびのほねをいんとなり。あんのごとくひごろひとのまうすにたがはず、ごなうのこくげんにおよんで、とうさんでうのもりのかたより、くろくもひとむらたちきたつて、ごてんのうへにたなびいたり。よりまさきつとみあげたれば、P290くものなかにあやしきもののすがたあり。いそんずるほどならば、よにあるべしともおぼえず。さりながらやとつてつがひ、なむはちまんだいぼさつとこころのうちにきねんして、よつぴいて、ひようどはなつ。てごたへしてはたとあたる。「えたりや、おう」と、やさけびをこそしてんげれ。ゐのはやたつとより、おつるところをとつておさへ、つかもこぶしもとほれとほれと、つづけさまにここのかたなぞさいたりける。そのときじやうげてんでにひをとぼして、これをごらんじみたまふに、かしらはさる、むくろはたぬき、をはくちなば、てあしはとらのごとくにて、なくこゑぬえにぞにたりける。おそろしなどもおろかなり。しゆしやうぎよかんのあまりにししわうとまうすぎよけんをくださる。うぢのさだいじんどのこれをたまはりついで、よりまさにたばんとて、ごぜんのきざはしをなからばかりおりさせたまふをりふし、ころはうづきとをかあまりのことなれば、くもゐにくわつこうふたこゑみこゑおとづれてとほりければ、さだいじんどの、
ほととぎすなをもくもゐにあぐるかな
とおほせられかけたりければ、よりまさみぎのひざをつき、ひだりのそでをひろげて、つきをすこしそばめにかけつつ、
ゆみはりつきのいるにまかせて W028
とつかまつり、ぎよけんをたまはりてまかりいづ。このよりまさのきやうはぶげいにもかぎらず、かだうにもまたすぐれたりとぞ、ときのひとびとかんじあはれける。さてかのへんげのものをば、うつほぶねにP291いれてながされけるとぞきこえし。またおうほうのころほひ、にでうのゐんございゐのおんとき、ぬえといふけてう、きんちうにないて、しばしばしんきんをなやましたてまつることありけり。しかればせんれいにまかせて、よりまさをぞめされける。ころはさつきはつかあまり、まだよひのことなるに、ぬえただひとこゑおとづれて、ふたこゑともなかざりけり。めざすともしらぬやみではあり、すがたかたちもみえざりければ、やつぼをいづくともさだめがたし。よりまさがはかりごとに、まづおほかぶらとつてつがひ、ぬえのこゑしたりけるだいりのうへへぞいあげたる。ぬえ、かぶらのおとにおどろいて、こくうにしばしぞひひめいたる。つぎにこかぶらとつてつがひ、ひいふつといきつて、ぬえとならべてまへにぞおとしたる。きんちうざざめきわたつて、よりまさにぎよいをかづけさせおはします。こんどはおほひのみかどのうだいじんきんよしこうのたまはりついで、よりまさにかづけさせたまふとて、「むかしのやういうは、くものほかのかりをいき。いまのよりまさは、あめのうちのぬえをいたり」とぞかんぜられける。
さつきやみなをあらはせるこよひかな
とおほせられかけたりければ、よりまさ、
たそかれどきもすぎぬとおもふに W029
とつかまつり、ぎよいをかたにかけてまかりいづ。そののちいづのくにたまはり、しそくなかつなじゆりやうになし、わがみさんみして、たんばのごかのしやう、わかさのとうみやがはをちぎやうして、さておはすべかりしP292ひとの、よしなきむほんおこいて、みやをもうしなひまゐらせ、わがみもしそんもほろびぬるこそうたてけれ。
「みゐでらえんしやう」(『みゐでらえんしやう』)S0416ひごろはさんもんのだいしゆこそ、はつかうのみだりがはしきうつたへつかまつるに、こんどはいかがおもひけん、をんびんをぞんじておともせず。しかるをなんとみゐでらどうじんして、あるひはみやうけとりまゐらせ、あるひはおんむかひにまゐるでう、これもつててうてきなり。しからばならをも、てらをもせめらるべしときこえしが、まづみゐでらをせめらるべしとて、おなじきごぐわつにじふしちにち、たいしやうぐんにはさひやうゑのかみとももり、ふくしやうぐんにはさつまのかみただのり、つがふそのせいいちまんよき、をんじやうじへはつかうす。てらにもだいしゆいつせんにん、かぶとのををしめ、かいだてかき、さかもぎひいて、まちかけたり。うのこくよりやあはせして、いちにちたたかひくらし、よにいりければ、だいしゆいげほふしばらにいたるまで、さんびやくよにんうたれぬ。よいくさになつて、くらさはくらし、くわんぐんじちうにせめいりて、ひをはなつ。やくるところ、ほんがくゐん、じやうきゐん、しんによゐん、けをんゐん、だいほうゐん、しやうりうゐん、ふげんだう、けうだいくわしやうのほんばう、ならびにほんぞうとう、はちけんしめんのだいかうだう、しゆろう、きやうざう、くわんぢやうだう、ごほふぜんじんのしやだん、いまぐまののごほうでん、すべてP293だうじやたふべうろくぴやくさんじふしちう、おほつのざいけいつせんはつぴやくごじふさんう、ならびにちしようのわたしたまへるいつさいきやうしちせんよくわん、ぶつざうにせんよたい、たちまちにけぶりとなるこそかなしけれ。しよてんごめうのたのしみも、このときながくつき、りうじんさんねつのくるしみも、いよいよさかんなるらんとぞみえし。
それみゐでらは、あふみのぎだいりやうがわたくしのてらたりしを、てんむてんわうによせたてまつりて、ごぐわんとなす。ほんぶつもかのみかどのごほんぞん、しかるをしやうじんのみろくときこえたまひしけうだいくわしやう、ひやくろくじふねんおこなうて、だいしにふぞくしたまへり。としたてんじやう、まにほうでんよりあまくだり、はるかにりうげげしやうのあかつきをまたせたまふとこそききつるに、こはいかにしつることどもぞや。だいしこのところをでんぽふくわんぢやうのれいせきとして、ゐけすゐのみつをむすびたまひしゆゑにこそ、みゐでらとはなづけたれ。かかるめでたきせいぜきなれども、いまはなにならず。けんみつしゆゆにほろびて、がらんさらにあともなし。さんみつだうぢやうもなければ、れいのこゑもきこえず。いちげのはなもなければ、あかのおともせざりけり。しゆくらうせきとくのめいしは、ぎやうがくにおこたり、じゆほふさうじようのでしは、またきやうげうにわかれんだり。てらのちやうりゑんけいほつしんわうは、てんわうじのべつたうをもとどめられさせたまふ。そのほかそうがうじふさんにん、けつくわんせられて、みなけんびゐしにあづけらる。だうじゆはつつゐのじやうめうめいしうにいたるまで、さんじふよにんながされけり。「かかるてんがのみだれ、こくどのさわぎ、ただごとともおぼえず、へいけのよのすゑになりぬるぜんべうやらん」とぞひとまうしける。P294

「わがみのえいぐわ」
わがみのえいぐわをきはむるのみならず、いちもんともにはんじやうして、ちやくししげもり、ないだいじんのさだいしやう、じなんむねもり、ちうなごんのうだいしやう、さんなんとももり、さんみのちうじやう、ちやくそんこれもり、しゐのせうしやう、すべていちもんのくぎやうじふろくにん、てんじやうびとさんじふよにん、しよこくのじゆりやう、ゑふ、しよし、つがふろくじふよにんなり。よにはまたひとなくぞみえられける。むかしならのみかどのおんとき、じんきごねん、てうかにちうゑのだいしやうをはじめおかる。だいどうしねんにちうゑをこんゑとあらためられしよりこのかた、きやうだいさうにあひならぶこと、わづかにさんしかどなり。もんどくてんわうのおんときは、ひだんによしふさ、うだいじんのさだいしやう、みぎによしあふ、だいなごんのうだいしやう、これはかんゐんのさだいじんふゆつぎのおんこなり。しゆしやくゐんのぎようには、ひだりにさねより、をののみやどの、みぎにもろすけ、くでうどの、ていじんこうのおんこなり。ごれんぜいゐんのおんときは、ひだりにのりみち、おほにでうどの、みぎによりむね、ほりかはどの、みだうのくわんぱくのおんこなり。にでうのゐんのぎようには、ひだりにもとふさ、まつどの、みぎにかねざね、つきのわどの、ほつしやうじどののおんこなり。これみなせふろくのしんのごしそく、はんじんにとつてはそのれいなし。てんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんにて、きんじき、ざつぱうをゆり、りようらきんしうをみにまとひ、だいじんのだいしやうになつてきやうだいさうにあひならぶこと、まつだいとはいひながら、ふしぎなりしことどもなり。そのほか、おんむすめはちにんおはしき。みなとりどりにさいはひたまへり。いちにんはさくらまちのちうなごんしげのりのきやうのきたのかたにておはすべかりしが、はつさいのとしおんやくそくばかりにて、へいぢのみだれいご、ひきちがへられて、くわざんのゐんのさだいじんどののみだいばんどころにならせたまひて、きんだちあまたましましけり。そもそもこのしげのりのきやうをさくらまちのちうなごんとまうしけることは、すぐれてこころすきたまへるひとにて、つねはよしののやまをこひつつ、ちやうにさくらをうゑならべ、そのうちにやをたててすみたまひしかば、くるとしのはるごとに、みるひと、さくらまちとぞまうしける。さくらはさいてしちかにちにちるを、なごりををしみ、あまてるおんがみにいのりまうされければにや、さんしちにちまでなごりありけり。きみもけんわうにてましませば、しんもしんとくをかかやかし、はなもこころありければ、はつかのよはひをたもちけり。いちにんはきさきにたたせたまふ。にじふににてわうじごたんじやうあつて、くわうたいしにたち、くらゐにつかせたまひしかば、ゐんがうかうぶらせたまひて、けんれいもんゐんとぞまうしける。にふだうしやうこくのおんむすめなるうへ、てんがのこくもにてましませば、とかうまうすにおよばれず。いちにんはろくでうのせつしやうどののきたのまんどころにならせたまふ。これはたかくらのゐんございゐのおんとき、おんははしろとて、じゆんさんごうのせんじをかうぶらせたまひて、しらかはどのとて、おもきひとにてぞましましける。いちにんはふげんじどののきたのまんどころにならせたまふ。いちにんはれんぜいのだいなごんりうばうのきやうのきたのかた、いちにんはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうにあひぐしたまへり。またあきのくにいつくしまのないしがはらにいちにん、これはごしらかはのほふわうへまゐらせたまひて、ひとへににようごのやうでぞましましける。そのほかくでうのゐんのざふしときはがはらにいちにん、これはくわざんのゐんどののじやうらふにようばうにて、らふのおんかたとぞまうしける。につぽんあきつしまはわづかにろくじふろくかこく、へいけちぎやうのくにさんじふよかこく、すでにはんごくにこえたり。そのほかしやうえん、でんばく、いくらといふかずをしらず。きらじうまんして、たうしやうはなのごとし。けんきくんじゆして、もんぜんいちをなす。やうしうのこがね、けいしうのたま、ごきんのあや、しよつかうのにしき、しつちんまんぽう、ひとつとしてかけたることなし。かたうぶかくのもとゐ、ぎよりようしやくばのもてあそびもの、おそらくは、ていけつもせんとうも、これにはすぎじとぞみえし。

平家物語 巻第五  総かな版(元和九年本)
「みやこうつり」(『みやこうつり』)S0501ぢしようしねんろくぐわつみつかのひ、ふくはらへごかうなるべしときこゆ。このひごろみやこうつりあるべしときこえしかども、たちまちにきんみやうのほどとは、おもはざりしものをとて、きやうぢうのじやうげさわぎあへり。みつかとさだめられたりしかども、あまつさへいまいちにちひきあげられて、ふつかになりぬ。ふつかのうのこくに、ぎやうがうのみこしをよせたりければ、しゆしやうはこんねんさんざい、いまだいとけなうましましければ、なにごころもなうぞめされける。しゆしやうをさなうわたらせたまふときのごとうよには、ぼこうこそまゐらせたまふに、これはそのぎなし。おんめのとそつのすけどのばかりこそ、ひとつおんこしにはまゐられけれ。ちうぐう、いちゐん、しやうくわうもごかうなる。せつしやうどのをはじめたてまつて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、われもわれもとぐぶせらる。へいけにはだいじやうのにふだうをはじめまゐらせて、いちもんのひとびとみなまゐられけり。あくるみつかのひ、ふくはらへいらせおはします。にふだうしやうこくのおとと、いけのちうなごんよりもりのきやうのP295さんざう、くわうきよになる。おなじきよつかのひ、よりもり、いへのしやうとてじやうにゐしたまふ。くでうどののおんこ、うだいしやうよしみちのきやう、かかいこえられさせたまひけり。せふろくのしんのごしそく、はんじんのじなんにかかいこえられさせたまふこと、これはじめとぞうけたまはる。にふだうしやうこくやうやうおもひなほつて、ほふわうをばとばのきたどのをいだしまゐらせて、みやこへくわんぎよなしたてまつられたりしが、たかくらのみやのごむほんによつて、おほきにいきどほり、またふくはらへごかうなしたてまつり、しめんにはたいたして、くちひとつあきたるうちに、さんげんのいたやをつくつて、おしこめたてまつる。しゆごのぶしには、はらだのたいふたねなほばかりぞさふらひける。たやすうひとのまゐりかよふべきやうもなければ、わらんべなどは、ろうのごしよとぞまうしける。きくもいまいましう、あさましかりしことどもなり。ほふわう、「いまはよのまつりごとをしろしめさばやとは、つゆもおぼしめしよらず。ただやまやまてらでらしゆぎやうして、おんこころのままになぐさまばや」とぞおほせける。「へいけのあくぎやうにおいては、ことごとくきはまりぬ。さんぬるあんげんよりこのかた、おほくのだいじんくぎやう、あるひはながしあるひはうしなひ、くわんばくながしたてまつて、わがむこをくわんばくになし、ほふわうをせいなんのりきうにおしこめたてまつり、あまつさへだいにのわうじたかくらのみやうちたてまつて、いまのこるところのみやこうつりなれば、かやうにしたまふにや」とぞひとまうしける。
みやこうつりはこれせんじようなきにあらず。じんむてんわうとまうすは、ぢじんごだいのてい、ひこなぎさたけうがやふきあはせずのみことだいしのわうじ、おんはははたまよりひめ、かいじんのむすめなり。かみのよじふにだいのP296あとをうけ、にんだいはくわうのていそなり。かのとのとりのとし、ひうがのくにみやざきのこほりにして、くわうわうのほうそをつぎ、ごじふくねんといひしつちのとひつじのとしじふぐわつにとうせいして、とよあしはらなかつくににとどまり、このころやまとのくにとなづけたる、うねびのやまをてんじて、ていとをたて、かしはらのちをきりはらつて、きうしつをつくりたまへり。これをかしはらのみやとなづけたり。それよりこのかた、だいだいのていわう、みやこをたこくたしよへうつさるること、さんじふどにあまり、しじふどにおよべり。じんむてんわうよりけいかうてんわうまでじふにだいは、やまとのくにこほりごほりにみやこをたてて、たこくへはつひにうつされず。しかるをせいむてんわうぐわんねんに、あふみのくににうつつて、しがのこほりにみやこをたつ。ちうあいてんわうにねんに、ながとのくににうつつて、とよらのこほりにみやこをたつ。そのくにかのみやこにして、みかどかくれさせたまひしかば、きさきじんぐうくわうこう、おんよをうけとらせたまひ、によたいとして、きかい、かうらい、けいたんまでせめしたがへさせたまひけり。いこくのいくさをしづめさせたまひて、きてうののち、ちくぜんのくにみかさのこほりにしてわうじごたんじやう、やがてそのところをば、うみのみやとぞまうしける。かけまくもかたじけなくやはたのおんことこれなり。くらゐにつかせたまひては、おうじんてんわうとぞまうしける。そののちじんぐうくわうこうは、やまとのくににうつつて、いはれわかざくらのみやにおはします。おうじんてんわうは、おなじきくにかるしまあかりのみやにすませたまふ。にんとくてんわうぐわんねんに、つのくになんぱにうつつて、たかつのみやにおはします。りちうてんわうにねんに、またやまとのくににうつつて、とをちのこほりにみやこをたつ。はんせいてんわうぐわんねんに、かはちのくににうつつて、しばがきのみやにすませたまふ。いんぎようてんわうしじふにねんに、またやまとのくににうつつて、とぶとりのP297あすかのみやにおはします。ゆうりやくてんわうにじふいちねんに、おなじきくにはつせあさくらにみやゐしたまふ。けいたいてんわうごねんに、やましろのくにつづきにうつつてじふにねん、そののちおとぐんにみやゐしたまふ。せんくわてんわうぐわんねんに、またやまとのくににうつつて、ひのくまのいるののみやにすませたまふ。かうとくてんわうたいくわぐわんねんに、つのくにながらにうつつて、とよざきのみやにおはします。さいめいてんわうにねんに、またやまとのくににうつつて、をかもとのみやにすませたまふ。てんぢてんわうろくねんに、あふみのくににうつつて、おほつのみやにおはします。てんむてんわうぐわんねんに、なほやまとのくににかへつて、をかもとのみなみのみやにすませたまふ。これをきよみばらのみかどとまうしき。ぢどうもんむにだいのせいてうは、ふぢはらのみやにおはします。げんめいてんわうよりくわうにんてんわうまでしちだいは、ならのみやこにすませたまふ。
しかるをくわんむてんわうのぎよう、えんりやくさんねんじふぐわつみつかのひ、ならのきやうかすがのさとより、やましろのくにながをかにうつつて、じふねんといつししやうぐわつに、だいなごんふぢはらのをぐるまる、さんぎさだいべんきのこさみ、たいそうづげんけいらをつかはして、たうごくかどののこほりうだのむらをみせらるるに、りやうにんともにそうしていはく、「このちのていをみさふらふに、さしやうりう、うびやくこ、ぜんしゆじやく、ごげんむ、しじんさうおうのちなり。もつともていとをさだむるにたれり」とまうす。これによつておたぎのこほりにおはしますかものだいみやうじんに、このよしをつげまうさせたまひて、えんりやくじふさんねんじふいちぐわつにじふいちにち、ながをかのきやうよりこのきやうへうつされて、ていわうはさんじふにだい、せいざうはさんびやくはちじふよさいのしゆんじうをおくりむかふ。それよりこのかただいだいのみかど、くにぐにところどころへ、おほくのみやこをうつされしかども、かくのごときのしようちはなしと、くわんむてんわうことにしつしP298おぼしめして、だいじんくぎやう、しよこくのさいじんらにおほせて、ちやうきうなるべきさうとて、つちにてはつしやくのにんぎやうをつくり、くろがねのよろひかぶとをきせ、おなじうくろがねのゆみやをもたせて、まつだいといふとも、このきやうをたこくへうつすことあらば、しゆごじんとならんとちかひつつ、ひがしやまのみねに、にしむきにたててぞうづまれける。さればてんがにこといでこんとては、このつかかならずめいどうす。しやうぐんがつかとていまにあり。なかんづくこのきやうをば、へいあんじやうとなづけて、たひらやすきみやことかけり。もつともへいけのあがむべきみやこぞかし。くわんむてんわうとまうすは、へいけのなうそにておはします。せんぞのきみのさしもしつしおぼしめしつるみやこを、させるゆゑなうして、たこくたしよへうつされけるこそあさましけれ。ひととせさがのくわうていのおんとき、へいぜいのせんてい、ないしのかみのすすめによつて、すでにこのきやうをたこくへうつさんとせさせたまひしかども、だいじんくぎやうしよこくのにんみんそむきまうししかば、うつされずしてやみにき。いつてんのきみばんじようのあるじさへ、うつしえたまはぬみやこを、にふだうしやうこくじんしんのみとして、うつされけるぞあさましき。きうとはあはれめでたかりつるみやこぞかし。わうじやうしゆごのちんじゆは、しはうにひかりをやはらげ、れいげんしゆしようのてらでらは、じやうげにいらかをならべたり。ひやくしやうばんみんわづらひなく、ごきしちだうもたよりあり。されどもいまはつじつじをほりきつて、くるまなどのたやすうゆきかふこともなく、たまさかにゆくひとは、こぐるまにのり、みちをへてこそとほりけれ。のきをあらそひしひとのすまひ、ひをへつつあれゆく。いへいへはかもがは、かつらがはにこぼちいれ、いかだにくみうかべP299、しざいざふぐふねにつみ、ふくはらへとてはこびくだす。ただなりに、はなのみやこ、ゐなかになるこそかなしけれ。なにもののしわざにやありけん、ふるきみやこのだいりのはしらに、にしゆのうたをぞかきつけける。
ももとせをよかへりまでにすぎきにしおたぎのさとのあれやはてなむ W030
さきいづるはなのみやこをふりすててかぜふくはらのすゑぞあやふき W031

「しんと」おなじきろくぐわつここのかのひ、しんとのことはじめあるべしとて、しやうけいにはとくだいじのさだいしやうじつていのきやう、つちみかどのさいしやうのちうじやうとうしんのきやう、ぶぎやうのべんには、さきのさせうべんゆきたか、おほくのくわんにんどもめしぐして、たうごくわだのまつばら、にしののをてんじて、くでうのちをわられけるに、いちでうよりしも、ごでうまではそのところありて、それよりしもはなかりけり。ぎやうじくわんかへりまゐつて、このよしをそうもんす。さらばはりまのいなみのか、なほつのくにのこやのかなんど、くぎやうせんぎありしかども、ことゆくべしともみえざりけり。きうとはすでにうかれぬ。しんとはいまだことゆかず。ありとしあるひとは、みなみをうきくものおもひをなし、もとこのところにすむものは、ちをうしなつてうれへ、いまうつるひとびとは、どぼくのP300わづらひをのみなげきあへり。すべてただゆめのやうなつしことどもなり。つちみかどのさいしやうのちうじやうとうしんのきやうのまうされけるは、「いこくにはさんでうのくわうろをひらいて、じふじのとうもんをたつとみえたり。いはんやごでうまであらんみやこに、などかだいりをたてざるべき。かつがつまづさとだいりつくらるべし」とくぎやうせんぎあつて、ごでうのだいなごんくにつなのきやう、りんじにすはうのくにをたまはつて、ざうしんせらるべきよし、にふだうしやうこくはからひまうされけり。このくにつなのきやうとまうすは、ならびなきだいふくちやうじやにておはしければ、だいりつくりいだされんこと、さうにおよばねども、いかんがくにのつひえ、たみのわづらひなかるべき。まことにさしあたつたるてんがのだいじ、だいじやうゑなどのおこなはるべきをさしおいて、かかるよのみだれに、せんと、ざうだいり、すこしもさうおうせず。「いにしへのかしこきみよには、すなはちだいりにかやをふき、のきをだにもととのへず、けぶりのとぼしきをみたまふときには、かぎりあるみつぎものをもゆるされき。これすなはちたみをめぐみ、くにをたすけたまふによつてなり。そしやうくわのたいをたててれいみんあらけ、しんあはうのてんをおこいては、てんがみだるといへり。ばうしきらず、さいてんけづらず、しうしやかざらず、いふくあやなかりけるよもありけんものを。さればたうのたいそうのりさんきうをつくつて、たみのつひえをやはばからせたまひけん、つひにりんかうなくして、かはらにまつおひ、かきにつたしげつて、やみにけるにはさうゐかな」とぞひとまうしける。P301
「つきみ」(『つきみ』)S0502ろくぐわつここのかのひ、しんとのことはじめ、はちぐわつとをかのひしやうとう、じふいちぐわつじふさんにちせんかうとさだめらる。ふるきみやこはあれゆけど、いまのみやこははんじやうす。あさましかりつるなつもくれて、あきにもすでになりにけり。あきもやうやうなかばになりゆけば、ふくはらのしんとにましましけるひとびと、めいしよのつきをみんとて、あるひはげんじのだいしやうのむかしのあとをしのびつつ、すまよりあかしのうらづたひ、あはぢのせとをおしわたり、ゑじまがいそのつきをみる。あるひはしらら、ふきあげ、わかのうら、すみよし、なには、たかさご、をのへのつきのあけぼのを、ながめてかへるひともあり。きうとにのこるひとびとは、ふしみ、ひろさはのつきをみる。なかにもとくだいじのさだいしやうじつていのきやうは、ふるきみやこのつきをこひつつ、はちぐわつとをかあまりに、ふくはらよりぞのぼりたまふ。なにごともみなかはりはてて、まれにのこるいへは、もんぜんくさふかくして、ていじやうつゆしげし。よもぎがそま、あさぢがはら、とりのふしどとあれはてて、むしのこゑごゑうらみつつ、くわうぎくしらんののべとぞなりにける。いまこきやうのなごりとては、こんゑかはらのおほみやばかりぞましましける。だいしやうそのごしよへまゐり、まづずゐじんをもつて、そうもんをたたかせらるれば、うちよりをんなのこゑにて、「たそや、よもぎふのつゆうちはらふひともなきところに」とP302とがむれば、「これはふくはらよりだいしやうどののおんのぼりざふらふ」とまうす。「ささぶらはば、そうもんはぢやうのさされてさぶらふぞ。ひがしのこもんよりいらせたまへ」とまうしければ、だいしやう、さらばとて、ひがしのこもんよりぞまゐられける。おほみやは、おんつれづれに、むかしをやおぼしめしいでさせたまひけん、なんめんのみかうしあけさせ、おんびはあそばされけるところへ、だいしやうつとまゐられたれば、しばらくおんびはをさしおかせたまひて、「ゆめかやうつつか、これへこれへ」とぞおほせける。げんじのうぢのまきには、うばそくのみやのおんむすめ、あきのなごりををしみつつ、びはをしらべてよもすがらこころをすましたまひしに、ありあけのつきのいでけるを、なほたへずやおぼしけん、ばちにてまねきたまひけんも、いまこそおぼしめししられけれ。まつよひのこじじうとまうすにようばうも、このごしよにぞさふらはれける。そもそもこのにようばうをまつよひとめされけることは、あるときごぜんより、「まつよひ、かへるあした、いづれかあはれはまされる」とおほせければ、かのにようばう、
まつよひのふけゆくかねのこゑきけばかへるあしたのとりはものかは W032
とまうしたりけるゆゑにこそ、まつよひとはめされけれ。だいしやうこのにようばうをよびいでて、むかしいまのものがたりどもしたまひてのち、さよもやうやうふけゆけば、ふるきみやこのあれゆくを、いまやうにこそうたはれけれ。
ふるきみやこをきてみればあさぢがはらとぞあれにけるP303
つきのひかりはくまなくてあきかぜのみぞみにはしむ
と、おしかへしおしかへしさんべんうたひすまされたりければ、おほみやをはじめたてまつて、ごしよぢうのにようばうたち、みなそでをぞぬらされける。さるほどによもやうやうあけゆけば、だいしやういとままうしつつ、ふくはらへぞかへられける。ともにさふらふくらんどをめして、「じじうがなにとおもふやらん、あまりになごりをしげにみえつるに、なんぢかへつて、ともかうもいうてこよ」とのたまへば、くらんどはしりかへり、かしこまつて、「これはだいしやうどののまうせとざふらふ」とて、
ものかはときみがいひけむとりのねのけさしもなどかかなしかるらむ W033
にようばうとりあへず、
またばこそふけゆくかねもつらからめかへるあしたのとりのねぞうき W034
くらんどはしりかへつて、このよしまうしたりければ、「さてこそなんぢをばつかはしたれ」とて、だいしやうおほきにかんぜられけり。それよりしてこそ、ものかはのくらんどとはめされけれ。P304
「もつけ」(『もつけのさた』)S0503へいけみやこをふくはらへうつされてのちは、ゆめみもあしう、つねはこころさわぎのみして、へんげのものどもおほかりけり。あるよにふだうのふしたまひたりけるところに、ひとまにはばかるほどのもののおもてのいできたつてのぞきたてまつる。にふだうちつともさわがず、はつたとにらまへておはしければ、ただきえにきえうせぬ。をかのごしよとまうすは、あたらしうつくられたりければ、しかるべきたいぼくなんどもなかりけるに、あるよおほぎのたふるるおとして、ひとならばにさんぜんにんがこゑして、こくうにどつとわらふおとしけり。いかさまにもこれはてんぐのしよゐといふさたにて、ひるごじふにん、よるひやくにんのばんしゆをそろへ、ひきめのばんとなづけて、ひきめをいさせられけるに、てんぐのあるかたへむかつていたるとおぼしきときは、おともせず。またないかたへむかつていたるときは、どつとわらひなんどしけり。またあるあしたにふだうしやうこくちやうだいよりいでて、つまどをおしひらき、つぼのうちをみたまへば、しにんのしやれかうべどもが、いくらといふかずをしらず、つぼのうちにみちみちて、うへなるはしたになり、したなるはうへになり、なかなるははしへころびいで、はしなるはなかへころびいり、ころびあひ、ころびのき、からめきあへり。にふだうしやうこく、「ひとやあるひとやある」とP305めされけれども、をりふしひともまゐらず。かくしておほくのどくろどもが、ひとつにかたまりあひ、つぼのうちに、はばかるほどになつて、たかさはじふしごぢやうもあるらんとおぼゆるやまのごとくになりにけり。かのひとつのおほがしらに、いきたるひとのめのやうに、だいのまなこがせんまんいできて、にふだうしやうこくをきつとにらまへ、しばしはまだたきもせず。にふだうちつともさわがず、ちやうどにらまへてたたれたりければ、つゆしもなどのひにあたつてきゆるやうに、あとかたもなくなりにけり。
またにふだうしやうこく、いちのおんむまやにたてて、とねりあまたつけて、あさゆふなでかはれけるむまのをに、ねずみいちやのうちにすをくひこをぞうんだりける。これただごとにあらず、みうらあるべしとてじんぎくわんにして、みうらあり。おもきおんつつしみとうらなひまうす。このむまは、さがみのくにのぢうにん、おほばのさぶらうかげちかが、とうはつかこくいちのむまとて、にふだうだいしやうこくにまゐらせたりけるとかや。くろきむまのひたひのすこししろかりければ、なをばもちづきとぞいはれける。おんやうのかみあべのやすちかたまはつてげり。むかしてんぢてんわうのぎように、れうのおむまのをに、ねずみいちやのうちにすをくひ、こをうんだりけるには、いこくのきようぞくほうきしたりとぞ、につぽんぎにはみえたりける。またげんぢうなごんがらいのきやうのもとに、めしつかはれけるせいしがみたりけるゆめも、おそろしかりけり。たとへばたいだいのじんぎくわんとおぼしきところに、そくたいただしきじやうらふの、あまたよりあひたまひて、ぎぢやうのやうなることのありしに、ばつざなるじやうらふの、へいけのかたうどしP306たまふとおぼしきを、そのなかよりしておつたてらる。はるかのざじやうにけだかげなるおんしゆくらうのましましけるが、「このひごろへいけのあづかりたてまつるせつたうをばめしかへいて、いづのくにのるにんさきのうひやうゑのすけよりともにたばうずるなり」とおほせければ、そのそばになほおんしゆくらうのましましけるが、「そののちはわがまごにもたびさふらへ」とぞおほせける。せいしゆめのうちに、あるらうをうに、しだいにこれをとひたてまつる。「ばつざなるじやうらふの、へいけのかたうどしたまふとおぼしきは、いつくしまのだいみやうじん、せつたうをよりともにたばうとおほせらるるは、はちまんだいぼさつ、そののちわがまごにもたべとおほせけるは、かすがのだいみやうじん、かうまうすおきなは、たけうちのみやうじん」とこたへたまふといふゆめをみて、さめてのち、ひとにこれをかたるほどに、にふだうしやうこくもれききたまひて、がらいのきやうのもとへししやをたてて、「それにゆめみのせいしのさふらふなるをたまはつて、くはしうたづねさふらはばや」とのたまひて、つかはされたりければ、かのゆめみたりけるせいし、あしかりなんとやおもひけん、やがてちくでんしてげり。そののちがらいのきやう、にふだうしやうこくのていにゆいて、「まつたくさることさふらはず」と、ちんじまうされたりければ、そののちはさたもなかりけり。それにまたなによりふしぎなりけることには、きよもりいまだあきのかみたりしとき、じんぱいのついでにれいむをかうぶつて、いつくしまだいみやうじんよりうつつにたまはられたりけるしろがねのひるまきしたるこなぎなた、つねのまくらをはなたずたてられたりしが、あるよにはかにうせにけるこそふしぎなれ。へいけひごろはてうかのおんかためにて、てんがをしゆごせしかども、いまはちよくめいにもP307そむきぬれば、せつたうをもめしかへさるるにや、こころぼそくぞきこえし。
「おほばがはやむま」なかにもかうやにおはしけるさいしやうにふだうせいらい、このことどもをつたへきいて、「あははやへいけのよはやうやうすゑになりぬるは。いつくしまのだいみやうじんの、へいけのかたうどしたまふといふも、そのいはれあり。ただしこのいつくしまのだいみやうじんは、しやかつらりうわうのだいさんのひめみやなれば、ぢよじんとこそうけたまはれ。はちまんだいぼさつのせつたうをよりともにたばうとおほせられつるもことわりなり。かすがだいみやうじんのそののちはわがまごにもたびさふらへとおほせられけるこそこころえね。それもへいけほろび、げんじのよつきなんのち、たいしよくくわんのおんすゑ、しつぺいけのきんだちたちのてんがのしやうぐんになりたまふべきかなんどのたまひける。をりふしあるそうのきたりけるがまうしけるは、「それしんめいは、わくわうすゐじやくのはうべん、まちまちにましませば、あるときはぢよじんともなり、またあるときはぞくたいともげんじたまへり。まことにこのいつくしまのだいみやうじんは、さんみやうろくつうのれいしんにてましませば、ぞくたいとげんじたまはんこともかたかるべきにあらずや」とぞまうしける。うきよをいとひ、まことのみちにいりたまへば、ひとへにごせぼだいのほかは、またたじあるまじきことなれども、ぜんせいをきいてはかんじ、うれへをP308きいてはなげく、これみなにんげんのならひなり。
(『はやむま』)S0504さるほどにおなじきくぐわつふつかのひ、さがみのくにのぢうにん、おほばのさぶらうかげちか、ふくはらへはやむまをもつてまうしけるは、「さんぬるはちぐわつじふしちにち、いづのくにのるにんさきのひやうゑのすけよりとも、しうとほうでうしらうときまさをかたらうて、いづのくにのもくだい、いづみのはんぐわんかねたかを、やまきがたちにてようちにうちさふらひぬ。そののちとひ、つちや、をかざきをはじめとしてさんびやくよき、いしばしやまにたてこもつてさふらふところを、かげちかみかたにこころざしをぞんずるものども、いつせんよきをいんぞつして、おしよせてさんざんにせめさふらへば、ひやうゑのすけわづかしちはつきにうちなされ、おほわらはにたたかひなつて、とひのすぎやまへにげこもりさふらひぬ。はたけやまごひやくよきで、みかたをつかまつる。みうらのおほすけがこども、さんびやくよきでげんじがたをして、ゆゐこつぼのうらでせめたたかふ。はたけやまいくさにまけてむさしのくにへひきしりぞく。そののちはたけやまがいちぞく、かはごえ、いなげ、をやまだ、えど、かさい、そうじてななたうのつはものども、ことごとくおこりあひ、つがふそのせいにせんよき、みうらきぬがさのじやうにおしよせて、いちにちいちやせめさふらひしほどに、おほすけうたれさふらひぬ。こどもはみなくりばまのうらよりふねにのつて、あはかづさへわたりぬとこそ、ひとまうしけれ。P309
「てうてきぞろへ」へいけのひとびと、みやこうつりのことも、はやきようさめぬ。わかきくぎやうてんじやうびとは、「あはれとくして、ことのいでこよかし。われさきにうつてにむかはう」などいふぞはかなき。はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげ、うつのみやのさゑもんともつな、これらはおほばんやくにて、をりふしざいきやうしたりけるが、はたけやままうしけるは、「したしうなつてさふらふなれば、ほうでうはしりさふらはず。じよのともがらは、よもてうてきのかたうどはつかまつりさふらはじ。ただいまきこしめしなほさんずるものを」とまうしければ、「げにも」とまうすひともあり、「いやいやただいまおんだいじにおよびさふらひなんず」とささやくひともありけるとかや。にふだうしやうこくのいかられけるさまなのめならず、「そもかのよりともは、さんぬるへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、ちちよしともがむほんによつて、すでにちうせらるべかりしを、こいけのぜんにのあながちになげきのたまふあひだ、るざいにはなだめられたんなり。しかるにそのおんをわすれて、たうけにむかつてゆみをひき、やをはなつにこそあんなれ。そのぎならば、しんめいもさんぽうも、いかでかゆるしたまふべき。ただいまてんのせめかうぶらんずるよりともかな」とぞのたまひける。
(『てうてきぞろへ』)S0505そもそもわがてうにてうてきのはじまりけることは、むかしやまといはれひこのみことのぎようしねん、きしうP310なぐさのこほりたかをのむらに、ひとつのちちうあり。みみじかくてあしながくして、ちからひとにすぐれたり。にんみんおほくそんがいせしかば、くわんぐんはつかうして、せんじをよみかけ、かづらのあみをむすんで、つひにこれをおほひころす。それよりこのかた、やしんをさしはさんで、てうゐをほろぼさんとするともがら、おほいしのやままる、おほやまのわうじ、やまだのいしかは、もりやのだいじん、そがのいるか、おほとものまとりぶんやのみやだ、きついつせい、ひかみのかはつぎ、いよのしんわう、ださいのせうにふぢはらのひろつぎ、ゑみのおしかつ、さはらのたいし、ゐがみのくわうこう、ふぢはらのなかなり、たひらのまさかど、ふぢはらのすみとも、あべのさだたふむねたふさきのつしまのかみみなもとのよしちか、あくさふ、あくゑもんのかみにいたるまで、そのれいすでににじふよにん、されどもいちにんとして、そくわいをとぐるものなし。みなかばねをさんやにさらし、かうべをごくもんにかけらる。このよこそわうゐもむげにかろけれ。むかしはせんじをむかつてよみければ、かれたるくさきもたちまちにはなさきみなり、とぶとりもしたがひき。ちかごろのことぞかし。えんぎのみかどしんぜんゑんへぎやうがうなつて、いけのみぎはにさぎのゐたりけるを、ろくゐをめして、「あのさぎとつてまゐれ」とおほせければ、いかんがとらるべきとはおもへども、りんげんなればあゆみむかふ。さぎはねづくろひしてたたんとす。「せんじぞ」とおほすれば、ひらんでとびさらず。すなはちこれをとつてまゐらせたりければ、「なんぢがせんじにしたがひてまゐりたるこそしんべうなれ。やがてごゐになせ」とて、さぎをごゐにぞなされける。けふよりのち、さぎのなかのわうたるべしといふおんふだを、みづからあそばいて、くびにつけてぞはなたせP311たまふ。まつたくこれはさぎのおんれうにはあらず、ただわうゐのほどをしろしめさんがためなり。
「かんやうきう」(『かんやうきう』)S0506またいこくにせんじようをとぶらふに、えんのたいしたん、しんのしくわうていにとらはれて、いましめをかうぶることじふにねん、あるときえんたんなみだをながいて、「われこきやうにらうぼあり。いとまをたまはつて、いまいちどかれをみん」とぞなげきける。しくわうていあざわらつて、「なんぢにいとまたばんこと、むまにつのおひ、からすのかしらのしろくならんをまつべきなり」とぞのたまひける。えんたんてんにあふぎちにふして、「ねがはくはむまにつのおひ、からすのかしらをしろくなしたべ。ほんごくへかへつていまいちどははをみん」とぞいのりける。かのめうおんぼさつは、りやうぜんじやうどにけいして、ふけうのともがらをいましめ、くじがんくわいは、しなしんだんにいでて、ちうかうのみちをはじめたまふ。みやうけんのさんぽう、かうかうのこころざしをあはれみたまふことなれば、むまにつのおひてきうちうにきたり、からすのかしらしろくなつて、ていぜんのきにすめりけり。しくわうてい、うとうばかくのへんにおどろき、りんげんかへらざることをふかくしんじて、たいしたんをなだめつつ、ほんごくへこそかへされけれ。しくわうなほくやしみたまひて、しんのくにとえんのさかひにそこくといふくにあり。おほいなるかはP312ながれたり。かのかはにわたせるはしを、そこくのはしといへり。しくわうさきにくわんぐんをつかはして、えんたんがわたらんとき、かはなかのはしをふまば、おつるやうにしたためて、わたされたりければ、なじかはよかるべき。まんなかにておちいりぬ。されどもみづにはちつともおぼれず、へいちをゆくがごとくにて、むかひのきしにぞつきにける。えんたんこはいかにとおもひて、うしろをかへりみたりければ、かめどもがいくらといふかずをしらず、みづのうへにうかれきて、かふをならべてそのうへをとほしける。これもかうかうのこころざしを、みやうけんのあはれみたまふによつてなり。
えんたんなほうらみをふくんで、しくわうていにしたがはず。しくわうくわんぐんをつかはして、えんたんをほろぼさんとす。えんたんおほきにおそれをののいて、けいかといふつはものをかたらうてだいじんになす。けいかまたでんくわうせんせいといふつはものをかたらふに、せんせいまうしけるは、「きみはこのみがわかうさかんなつしことをしろしめして、かくはたのみおほせらるるか。きりんはせんりをとぶといへども、おいぬればどばにもおとれり。このみはとしおいて、いかにもかなひさふらふまじ。せんずるところ、よきつはものをかたらつてこそまゐらせめ」とまうしければ、けいか、「あなかしこ、このことひろうすな」といふ。せんせいきいて、「このこともれぬるものならば、われまづさきにうたがはれなんず。ひとにうたがはれぬるにすぎたるはぢこそなけれ」とて、けいかがもんぜんなるすもものきにかしらをつきあて、うちくだいてぞしににける。P313またはんよきといふつはものあり。これはしんのくにのものなりしが、しくわうのために、おやをぢきやうだいほろぼされて、えんのくにににげこもりぬ。しくわうしかいにせんじをなしくだし、えんのさしづならびにはんよきがかうべをもつてまゐりたらんずるものには、ごひやくこんのきんをあたへんとひろうせらる。けいか、はんよきがもとにゆいて、「われきく、なんぢがかうべごひやくこんのきんにほうぜられたんなり。なんぢがかうべわれにかせ。とつてしくわうていにたてまつらん。よろこびてえいらんをへられんとき、つるぎをぬいてむねをささんはやすかりなん」といひければ、はんよきをどりあがりをどりあがり、おほいきついてまうしけるは、「われおやをぢきやうだいを、しくわうていにほろぼされて、よるひるこれをおもふに、こつずゐにとほつてしのびがたし。まことにしくわうていうつべからんにおいては、わがかうべあたへんこと、ちりあくたよりもやすし」とて、みづからかうべをきつてぞしににける。またしんぶやうといふつはものあり。これもしんのくにのものなりしが、じふさんのとしかたきをうつて、えんのくにへにげこもりぬ。かれがゑんでむかふときは、みどりごもいだかれ、またいかつてむかふときは、だいのをとこもぜつじゆす。ならびなきつはものなり。けいかかれをかたらつて、しんのみやこのあんないしやにぐしてゆくに、あるかたやまざとにしゆくしたりけるよ、そのへんちかきさとにくわんげんをするをきいて、てうしをもつてほんいのことをうらなふに、かたきのかたはみづなり、わがかたはひなり。はくこうひをつらぬいてとほらず。「わがほんいとげんことありがたし」とぞまうしける。P314
さるほどにてんもあけぬ。されどもかへるべきみちにあらねば、しんのみやこかんやうきうにいたりぬ。えんのさしづならびにはんよきがかうべ、もつてまゐりたるよしをそうもんす。しんかをもつてうけとらんとしたまへば、「まつたくひとづてにはまゐらせじ。ぢきにたてまつらん」とそうするあひだ、さらばとてせちゑのぎをととのへて、えんのつかひをめされけり。かんやうきうは、みやこのめぐり、いちまんはつせんさんびやくはちじふりにつもれり。だいりをばちよりさんりたかくつきあげて、そのうへにぞたてられたる。ちやうせいでんあり。ふらうもんあり。こがねをもつてひをつくり、しろがねをもつてつきをつくれり。しんじゆのいさご、るりのいさご、こがねのいさごをしきみてり。しはうにはくろがねのついぢを、たかさしじふぢやうにつきあげて、てんのうへにもおなじうくろがねのあみをぞはつたりける。これはめいどのつかひをいれじとなり。あきはたのものかり、はるはこしぢへかへるにも、ひぎやうじざいのさはりありとて、ついぢにはがんもんとなづけて、くろがねのもんをあけてぞとほされける。そのなかにあはうでんとて、しくわうのつねはぎやうがうなつて、せいだうおこなはせたまふてんあり。とうざいへくちやう、なんぼくへごちやう、たかさはさんじふろくぢやうなり。うへをばるりのかはらをもつてふき、したにはこんごんをみがけり。おほゆかのしたには、ごぢやうのはたぼこをたてたれども、なほおよばぬほどなり。けいかはえんのさしづをもち、しんぶやうははんよきがかうべをもつて、たまのきざはしをなからばかりのぼりあがりけるが、あまりにだいりのおびたたしきをみて、しんぶやうわなわなとふるひければ、しんかこれをあやしんで、「けいじんをばきみのかたはらにおかず。くんしはけいじんにちかづかず。P315ちかづけばすなはちしをかろんずるみちなり」といへり。けいかたちかへつて、「ぶやうまつたくむほんのこころなし。ただでんじやのいやしきにのみならつて、かかるくわうきよになれざるがゆゑに、こころめいわくす」といひければ、そのときしんかみなしづまりぬ。よつてわうにちかづきたてまつり、えんのさしづならびにはんよきがかうべをげんざんにいるるところに、さしづのいつたるひつのそこに、こほりのやうなるつるぎのありけるを、しくわうていごらんじて、やがてにげんとしたまへば、けいかおんそでをむずとひかへたてまつり、つるぎをむねにさしあてたり。いまはかうとぞみえたりける。すまんのぐんりよは、ていじやうにそでをつらぬといへども、すくはんとするにちからなし。ただこのきみぎやくしんにをかされさせたまはんことをのみ、なげきかなしみあへりけり。しくわうてい、「われにざんじのいとまをえさせよ。きさきのことのねを、いまいちどきかん」とのたまへば、けいかしばしはをかしもたてまつらず。しくわうていはさんぜんにんのきさきをもちたまへり。そのなかにくわやうぶにんとて、ならびなきことのじやうずおはしき。およそこのきさきのことのねをきけば、たけきもののふのいかれるこころもやはらぎ、とぶとりもちにおち、くさきもゆるぐばかりなり。いはんやいまをかぎりのえいぶんにそなへんと、なくなくひきたまへば、さこそはおもしろかりけめ。けいかかうべをうなだれ、みみをそばだてて、ほとんどぼうしんのこころもたゆみにけり。そのとききさきはじめてさらにいつきよくをそうす。「しちせきのへいふうはたかくとも、をどらばなどかこえざらん。いちでうのらこくはつよくとも、ひかばなどかたえざらん」とぞひきたまふ。P316けいかはこれをききしらず。しくわうていはききしりて、おんそでをひつきつて、しちしやくのびやうぶををどりこえ、あかがねのはしらのかげへにげかくれさせたまひけり。そのときけいかいかつて、つるぎをなげかけたてまつる。をりふしごぜんにばんのいしのさふらひけるが、つるぎにくすりのふくろをなげあはせたり。つるぎくすりのふくろをかけられながら、くちろくしやくのあかがねのはしらを、なからまでこそきつたりけれ。けいかまたつるぎももたざれば、つづいてもなげず。わうたちかへつて、おんつるぎをめしよせて、けいかをやつざきにこそしたまひけれ。しんぶやうもうたれぬ。やがてくわんぐんをつかはして、えんたんをもほろぼさる。さうてんゆるしたまはねば、はくこうひをつらぬいてとほらず。しんのしくわうはのがれて、えんたんつひにほろびにけり。さればいまのよりともも、さこそはあらんずらめと、しきだいまうすひとびともありけるとかや。
「もんがくのあらぎやう」(『もんがくのあらぎやう』)S0507しかるにかのよりともは、さんぬるへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、ちちさまのかみよしともがむほんによつて、すでにちうせらるべかりしを、こいけのぜんにのあながちになげきのたまふによつて、しやうねんじふしさいとまうししえいりやくぐわんねんさんぐわつはつかのひ、いづのほうでうひるがこじまへながされて、にじふよねんのしゆんしうをおくりむかふ。ねんらいもあればこそありけめ、ことしいかなるこころにて、P317むほんをばおこされけるぞといふに、たかをのもんがくしやうにんのすすめまうされけるによつてなり。そもそもこのもんがくとまうすは、わたなべのゑんどうさこんのしやうげんもちとほがこに、ゑんどうむしやもりとほとて、じやうせいもんゐんのしゆなり。しかるをじふくのとし、だうしんおこし、もとどりきり、しゆぎやうにいでんとしけるが、しゆぎやうといふは、いかほどのだいじやらん、ためいてみんとて、ろくぐわつのひのくさもゆるがずてつたるに、あるかたやまざとのやぶのなかへはひり、はだかになり、あふのけにふす。あぶぞ、かぞはちありなどいふどくちうどもが、みにひしととりついて、さしくひなどしけれども、ちつともみをもはたらかさず。なぬかまではおきもあがらず、やうかといふにおきあがりて、「しゆぎやうといふは、これほどのだいじやらん」とひとにとへば、「それほどならんには、いかでかいのちもいくべき」といふあひだ、「さてはあんぺいござんなれ」とて、やがてしゆぎやうにこそいでにけれ。くまのへまゐり、なちごもりせんとしけるが、まづぎやうのこころみに、きこゆるたきにしばらくうたれてみんとて、たきもとへこそまゐりけれ。ころはじふにんぐわつとをかあまりのことなれば、ゆきふりつもり、つららいて、たにのをがはもおともせず。みねのあらしふきこほり、たきのしらいとたるひとなつて、みなしろたへにおしなべて、よものこずゑもみえわかず。しかるにもんがくたきつぼにおりひたり、くびきはつかつて、じくのしゆをみてけるが、にさんにちこそありけれ、しごにちにもなりしかば、もんがくこらへずしてうきあがりぬ。すせんぢやうみなぎりおつるP318たきなれば、なじかはたまるべき、ざつとおしおとされ、かたなのはのごとくに、さしもきびしきいはかどのなかを、うきぬしづみぬ、ごろくちやうこそながれけれ。ときにうつくしきどうじいちにんきたつて、もんがくがてをとつてひきあげたまふ。ひときどくのおもひをなして、ひをたきあぶりなどしければ、ぢやうごふならぬいのちではあり、もんがくほどなくいきいでぬ。だいのまなこをみいからかし、だいおんじやうをあげて、「われこのたきにさんしちにちうたれて、じくのさんらくしやをみてうとおもふだいぐわんあり。けふはわづかごにちにこそなれ。いまだなぬかだにもすぎざるに、なにものがこれまではとつてきたれるぞ」といひければ、きくひとみのけよだつてものいはず。またたきつぼにかへりたつてぞうたれける。だいににちとまうすに、はちにんのどうじきたつて、もんがくがさうのてをとつて、ひきあげんとしたまへば、さんざんにつかみあうてあがらず。だいさんにちとまうすに、つひにはかなくなりぬ。ときにたきつぼをけがさじとやびんづらゆうたるてんどうににん、たきのうへよりおりくだらせたまひて、よにあたたかにかうばしきおんてをもつて、もんがくがちやうじやうよりはじめて、てあしのつまさき、たなうらにいたるまで、なでくださせたまへば、もんがくゆめのここちしていきいでぬ。「そもそもいかなるひとにてましませば、かくはあはれみたまふやらん」ととひたてまつれば、どうじこたへていはく、「われはこれだいしやうふどうみやうわうのおつかひに、こんがら、せいたかといふにどうじなり。もんがくむじやうのぐわんをおこし、ゆうみやうのぎやうをくはだつ。ゆいてちからをあはせよと、みやうわうのちよくによつてきたれるなり」とぞこたへたまふ。もんがくこゑをいからかいて、「さてみやうわうはP319いづくにましますぞ」。「とそつてんに」とこたへて、くもゐはるかにあがりたまひぬ。もんがくたなごころをあはせて、さてはわがぎやうをば、だいしやうふどうみやうわうまでも、しろしめされたるにこそと、いよいよたのもしうおもひ、なほたきつぼにかへりたつてぞうたれける。そののちはまことにめでたきずゐさうどもおほかりければ、ふきくるかぜもみにしまず、おちくるみづもゆのごとし。かくてさんしちにちのだいぐわんつひにとげしかば、なちにせんにちこもりけり。おほみねさんど、かつらぎにど、かうや、こがは、きんぶうせん、はくさん、たてやま、ふじのだけ、いづ、はこね、しなののとがくし、ではのはぐろ、そうじてにつぽんごくのこるところなうおこなひまはり、さすがなほふるさとやこひしかりけん、みやこへかへりのぼつたりければ、およそとぶとりをもいのりおとすほどの、やいばのげんじやとぞきこえし。
「くわんじんちやう」(『くわんじんちやう』)S0508そののちもんがくは、たかをといふやまのおくに、おこなひすましてぞ、ゐたりける。かのたかをにじんごじといふやまでらあり。これはむかししようとくてんわうのおんとき、わけのきよまろがたてたりしがらんなり。ひさしくしうざうなかりしかば、はるはかすみにたちこめて、あきはきりにまじはり、とびらはかぜにたふれて、らくえふのしたにくち、いらかはうろにをかされて、ぶつだんさらにあらはなり。P320ぢうぢのそうもなければ、まれにさしいるものとては、ただつきひのひかりばかりなり。もんがくいかにもして、このてらをしうざうせんとおもふだいぐわんおこし、くわんじんちやうをささげて、じつぱうだんなをすすめありくほどに、あるときゐんのごしよほふぢうじどのへぞさんじたる。ごほうがあるべきよしをそうもんす。ぎよいうのをりふしにて、きこしめしもいれざりければ、もんがくはもとよりふてきだいいちのあらひじりではあり、ごぜんのことなきやうをばしらずして、ただひとのまうしいれぬぞとこころえて、ぜひなくおつぼのうちへやぶりいり、だいおんじやうをあげて、「だいじだいひのきみにてまします。これほどのことなどかきこしめしいれざるべき」とて、くわんじんちやうをひきひろげて、たからかにこそようだりけれ。「
しやみもんがくうやまつてまうす。ことにはきせんだうぞくのじよじやうをかうぶつて、たかをさんのれいちにいちゐんをこんりふし、にせあんらくのだいりをごんぎやうせんとこふくわんじんのじやう。それおもんみれば、しんによくわうだいなり。しやうぶつのけみやうをたつといへども、ほつしやうずゐまうのくもあつくおほつて、じふにいんえんのみねにたなびきしよりこのかた、ほんうしんれんのつきのひかりかすかにして、いまださんどくしまんのたいきよにあらはれず。かなしきかな、ぶつにちはやくぼつして、しやうじるてんのちまたみやうみやうたり。ただいろにふけり、さけにふける。たれかきやうざうてうゑんのまどひをしやせん。いたづらにひとをばうじほふをばうず。これあにえんらごくそつのせめをまぬかれんや。ここにもんがく、たまたまぞくぢんをうちはらつて、ほふえをかざるといへども、あくぎやうなほこころにたくましうして、にちやにつくり、ぜんべうまたみみにさかつててうぼにすたる。いたましきかな、ふたたびさんづのくわきやうにかへつて、ながくししやうのくりんをめぐらんP321ことを。このゆゑにむにのけんしやうせんまんじく、ぢくぢくにぶつしゆのいんをあかし、ずゐえんしじやうのほふ、ひとつとしてぼだいのひがんにいたらずといふことなし。かるがゆゑにもんがく、むじやうのくわんもんになみだをおとし、じやうげのしんぞくをすすめて、じやうぼんれんだいにえんをむすび、とうめうがくわうのれいぢやうをたてんとなり。それたかをはやまうづたかうしてじゆぶぜんのこずゑをへうし、たにしづかにしてしやうざんとうのこけをしけり。がんせんむせんでぬのをひき、れいゑんさけんでえだにあそぶ。にんりとほうしてけんぢんなし。しせきことなうしてしんじんのみあり。ちけいすぐれたり。もつともぶつてんをあがむべし。ほうがすこしきなり。たれかじよじやうせざらん。ほのかにきくじゆしやゐぶつたふ、くどくたちまちにぶついんをかんず。いはんやいつしはんせんのほうざいにおいてをや。ねがはくはこんりふじやうじゆして、きんけつほうれき、ごぐわんゑんまん、ないしとひゑんきん、りみんしそ、げうしゆんぶゐのくわをうたひ、ちんえふさいかいのゑみをひらかん。ことにはまたしやうりやういうぎ、ぜんごだいせう、すみやかにいちぶつしんもんのうてなにいたり、かならずさんじんまんどくのつきをもてあそばん。よつてくわんじんしゆぎやうのおもむき、けだしもつてかくのごとし。ぢしようさんねんさんぐわつのひもんがく」とこそよみあげたれ。
「もんがくながされ」(『もんがくながされ』)S0509をりふしごぜんには、めうおんゐんのだいじやうのおほいどの、おんびはあそばし、らうえいめでたうせさせP322おはします。あぜちのだいなごんすけかたのきやう、わごんかきならし、しそくうまのかみすけとき、ふうぞくさいばらうたはる。しゐのじじうもりさだひやうしとつて、いまやうとりどりうたはれけり。ゐんぢうざざめきわたつて、まことにおもしろかりければ、ほふわうもつけうたせさせおはします。それにもんがくがだいおんじやういできて、てうしもたがひ、ひやうしもみなみだれにけり。「ぎよいうのをりふしであるに、なにものぞ。らうぜきなり。そくびつけ」とおほせくださるるほどこそありけれ、ゐんぢうのはやりをのものども、われさきにわれさきにとすすみいでけるなかに、すけゆきはうぐわんといふものすすみいでて、「ぎよいうのをりふしであるに、なにものぞ。らうぜきなり。とうとうまかりいでよ」といひければ、もんがく、「たかをのじんごじへ、しやうをいつしよよせられざらんかぎりは、まつたくいづまじ」とてはたらかず。よつてそくびをつかうとすれば、くわんじんちやうをとりなほし、すけゆきはうぐわんがゑぼしを、はたとうつてうちおとし、こぶしをつよくにぎり、むねをばくとついて、うしろへのけにつきたふす。すけゆきはうぐわんはゑぼしうちおとされて、おめおめとおほゆかのうへへぞにげのぼる。そののちもんがくふところよりむまのをでつかまいたりけるかたなの、こほりのやうなるをぬきもつて、よりこんものをつかうとこそまちかけたれ。ひだりのてにはくわんじんちやう、みぎのてにはかたなをもつてはせまはるあひだ、おもひもまうけぬにはかごとではあり、さうのてにかたなをもつたるやうにぞみえたりける。くぎやうもてんじやうびとも、こはいかにとさわがれて、ぎよいうもすでにあれにけり。ゐんぢうのさうどうなのめならず。
ここにしなののくにのぢうにん、あんどうむしやみぎむね、そのときのたうしよくのむしやどころにてありけるが、「P323なにごとぞ」とてたちをぬいてはしりいでたり。もんがくよろこんでとんでかかる。あんどうむしや、きつてはあしかりなんとやおもひけん、たちのむねをとりなほし、もんがくがかたなもつたるみぎのかひなをしたたかにうつ。うたれてちつとひるむところに、「えたりや、をう」と、たちをすててぞくんだりける。もんがくしたにふしながら、あんどうむしやがみぎのかひなをしたたかにつく。つかれながらぞしめたりける。たがひにおとらぬだいぢから、うへになりしたになり、ころびあひけるところを、じやうげよつて、かしこがほに、もんがくがはたらくところのぢやうをがうしてげり。そののちもんぐわいへひきいだいて、ちやうのしもべにたぶ。たまはつてひつぱる。ひつぱられてたちながら、ごしよのかたをにらまへ、だいおんじやうをあげて、「たとひほうがをこそしたまはざらめ、あまつさへもんがくにこれほどまで、からきめをみせたまひつれば、ただいまおもひしらせまうさんずるものを。さんがいはみなくわたくなり、わうぐうといふとも、いかでかそのなんをばのがるべき。たとひじふぜんのていゐにほこつたうといふとも、くわうせんのたびにいでなんのちは、ごづめづのせめをば、まぬかれたまはじものを」と、をどりあがりをどりあがりぞまうしける。「このほふしきくわいなり。きんごくせよ」とてきんごくせらる。すけゆきはうぐわんはゑぼしうちおとされたるはぢがましさにしばしはしゆつしもせざりけり。あんどうむしやはもんがくくんだるけんじやうに、いちらふをへずして、たうざにうまのじようにぞなされける。そのころびふくもんゐんかくれさせたまひて、たいしやありしかば、もんがくほどなくゆるされけり。P324しばらくはいづくにてもおこなふべかりしを、またくわんじんちやうをささげて、じつぱうだんなをすすめありきけるが、さらばただもなくして、「あはれこのよのなかは、ただいまみだれて、きみもしんもともにほろびうせんずるものを」など、かやうにおそろしきことをのみまうしありくあひだ、「このほふしみやこにおいてはかなふまじ。をんるせよ」とて、いづのくにへぞながされける。
げんざんみにふだうのちやくしいづのかみなかつな、そのときのたうしよくにてあるあひだ、そのさたとして、とうかいだうよりふねにてくださるべしとて、いづのくにへゐてまかるに、はうべんりやうさんにんをぞつけられたる。これらがまうしけるは、「ちやうのしもべのならひ、かやうのことについてこそ、おのづからのえこもさふらへ。いかにひじりのおんばうは、しりうどはもちたまはぬか。をんごくへながされたまふに、とさんらうれうごときのものをもこひたまへかし」といひければ、「もんがくは、さやうのえうじいふべきとくいはなし。さりながらひがしやまのへんにこそとくいはあれ。いでさらばふみをやらう」といひければ、けしかるかみをえさせたり。もんがくおほきにいかつて、「かやうのかみにものかくやうなし」とてなげかへす。さらばとて、こうしをたづねてえさせたり。もんがくわらつて、「このほふしはものをえかかぬぞ。おのれらかけ」とてかかするやう、「もんがくこそたかをのじんごじざうりふくやうのために、くわんじんちやうをささげて、じつぱうだんなをすすめありきけるが、かかるきみのよにしもあうて、ほうがをこそしたまはざらめ、あまつさへをんるせられて、いづのくにへまかりP325さふらふ。ゑんろのあひだでさふらへば、とさんらうれうごときのものもたいせつにさふらふ。このつかひにたべ」といふ。いふままにかいて、「さてたれどのへとかきさふらふべきやらん」。「きよみづのくわんおんばうへとかけ」といふ。「それはちやうのしもべをあざむくにこそ」といひければ、「いつかうあざむくにはあらず。さりとては、もんがくは、きよみづのくわんおんをこそ、ふかうたのみたてまつたれ。さらではたれにかはようじをもいふべき」とぞまうしける。さるほどにいせのくにあののつよりふねにてくだりけるが、とほたふみのくにてんりうなだにて、にはかにおほかぜふきおほなみたつて、すでにこのふねをうちかへさんとす。すゐしゆかんどりども、いかにもしてたすからんとしけれども、かなふべしともみえざりければ、あるひはくわんおんのみやうがうをとなへ、あるひはさいごのじふねんにおよぶ。されどももんがくはちつともさわがず、ふなそこにたかいびきかいてぞふしたりける。すでにかうとみえしとき、かつぱとおきあがり、ふなばたにたつて、おきのかたをにらまへ、だいおんじやうをあげて、「りうわうやあるりうわうやある」とぞようだりける。「なにとてかやうにだいぐわんおこしたるひじりがのつたるふねをば、あやまたうとはするぞ。ただいまてんのせめかうぶらんずるりうじんどもかな」とぞいひける。そのゆゑにや、なみかぜほどなくしづまりて、いづのくににぞつきにける。もんがくきやうをいでけるひよりして、こころのうちにきせいすることありけり。われみやこにかへつて、たかをのじんごじざうりふくやうすべくんば、しぬべからず。このぐわんむなしかるべくんば、みちにてしぬべしとて、きやうよりいづへつきけるまで、をりふしじゆんぷうなかりければ、うらづたひしまづたひして、さんじふいちにちがあひだは、P326いつかうだんじきにてぞありける。されどもきりよくすこしもおとろへず、ふなぞこにおこなひうちしてぞゐたりける。まことにただびとともおぼえぬことどもおほかりけり。
「いづゐんぜん」(『ふくはらゐんぜん』)S0510そののちもんがくをば、たうごくのぢうにんこんどうしらうくにたかにおほせて、なごやがおくにぞすまはせける。さるほどにひやうゑのすけどのおはしけるひるがこじまもほどちかし。もんがくつねはまゐり、おんものがたりどもまうしけるとぞきこえし。あるときもんがく、ひやうゑのすけどのにまうしけるは、「へいけにはこまつのおほいどのこそ、こころもかうに、はかりごともすぐれておはせしか。へいけのうんめいのすゑになるやらん、こぞのはちぐわつこうぜられぬ。いまはげんぺいのなかに、ごへんほどてんがのしやうぐんのさうもつたるひとはなし。はやはやむほんおこさせたまひて、につぽんこくしたがへたまへ」といひければ、ひやうゑのすけどの、「それおもひもよらず。われはこいけのぜんににたすけられたてまつたれば、そのおんをはうぜんがために、まいにちほけきやういちぶてんどくしたてまつるよりほかは、またたじなし」とぞのたまひける。もんがくかさねて、「てんのあたふるをとらざれば、かへつてそのとがをうく。ときいたりたるをおこなはざれば、かへつてそのあうをうくといふほんもんあり。かやうにまうせば、ごへんのおんこころをかなびかんとて、まうすとやおぼしめされP327さふらふらん。そのぎではさふらはず。まづごへんのために、こころざしのふかいやうをみたまへ」とて、ふところよりしろいぬのにてつつんだるどくろをひとつとりいだす。ひやうゑのすけどの、「あれはいかに」とのたまへば、「これこそごへんのちち、こさまのかうのとののかうべよ。へいぢののちは、ごくしやのまへのこけのしたにうづもれて、ごせとぶらふひともなかりしを、もんがくぞんずるむねありて、ごくもりにこひ、くびにかけ、やまやまてらでらしゆぎやうして、このにじふよねんがあひだとぶらひたてまつたれば、いまはさだめていちごふもうかびたまひぬらん。さればこかうのとののおんためには、さしもほうこうのものにてさふらふぞかし」とまうされければ、ひやうゑのすけどの、いちぢやうとはおぼえねども、ちちのかうべときくなつかしさに、まづなみだをぞながされける。ややありてひやうゑのすけどの、なみだをおさへてのたまひけるは、「そもそもよりともちよくかんをゆりずしては、いかでかむほんをばおこすべき」とのたまへば、もんがく、「それやすいほどのことなり。やがてのぼつてまうしゆるしたてまつらん」。ひやうゑのすけどのあざわらうて、「わがみもちよくかんのみにてありながら、ひとのことまうさうどのたまふひじりのおんばうのあてがひやうこそ、おほきにまことしからね」とのたまへば、もんがくおほきにいかつて、「わがみのとがをゆりうどまうさばこそひがごとならめ、わどののことまうさうに、なじかはひがごとならん。これよりいまのみやこふくはらのしんとへのぼらうに、みつかにすぐまじ。ゐんぜんうかがふに、いちにちのとうりうぞあらんずらん。つがふなぬかやうかにはすぐまじ」とて、つきいでぬ。
ひじりなごやにかへりて、でしどもには、ひとにしのうで、いづのおやまになぬかさんろうのP328こころざしありとていでにけり。げにもみつかといふには、ふくはらのしんとにのぼりついて、さきのうひやうゑのかみみつよしのきやうのもとに、いささかゆかりありければ、それにたづねゆいて、「いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけよりとも、ちよくかんをゆるされて、ゐんぜんをだにかうぶりさふらはば、はつかこくのけにんどももよほしあつめて、へいけをほろぼし、てんがをしづめんとこそまうしさふらへ」。みつよしのきやう、「いさとよ、わがみもたうじはさんくわんともにとどめられて、こころぐるしきをりふしなり。ほふわうもおしこめられてわたらせたまへば、いかがあらんずらん。さりながらもうかがうてこそみめ」とて、このよしひそかにそうもんせられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、やがてゐんぜんをぞくだされける。もんがくよろこんでくびにかけ、またみつかといふには、いづのくにへくだりつく。ひやうゑのすけどの、ひじりのおんばうのなまじひなることまうしいだして、よりともまたいかなるうきめにあはんずらんと、おもはじことなう、あんじつづけておはしける。やうかといふうまのこくに、くだりついて、「くはゐんぜんよ」とてたてまつる。ひやうゑのすけどの、ゐんぜんときくかたじけなさに、あたらしきゑぼしじやうえをき、てうづうがひをして、ゐんぜんをさんどはいしてひらかれけり。「しきりのとしよりこのかた、へいじわうくわをべつじよして、せいだうにはばかることなし。ぶつぽふをはめつし、わうぼふをみだらんとす。それわがくにはしんこくなり。そうべうあひならんで、しんとくこれあらたなり。かるがゆゑにてうていかいきののち、すせんよさいのあひだ、ていゐをかたぶけ、こくかをあやぶめんとするもの、みなもつてはいぼくせずといふことなし。しかればすなはちかつうはしんたうのめいじよにまかせ、P329かつうはちよくせんのしいしゆをまもつて、はやくへいじのいちるゐをほろぼして、てうかのをんできをしりぞけよ。ふだいさうでんのへいりやくをつぎ、るゐそほうこうのちうきんをぬきんでて、みをたていへをおこすべし。ていればゐんぜんかくのごとく、よつてしつたつくだんのごとし。ぢしようしねんしちぐわつじふしにち、さきのうひやうゑのかみみつよしがうけたまはつて、きんじやう、さきのひやうゑのすけどのへ」とぞかかれたる。このゐんぜんをばにしきのふくろにいれて、いしばしやまのかつせんのときも、ひやうゑのすけどのくびにかけられけるとぞきこえし。
「ふじがは」(『ふじがは』)S0511さるほどにうひやうゑのすけどの、むほんのよししきりにふうぶんありしかば、ふくはらにはくぎやうせんぎあつて、いまいちにちもせいのつかぬさきに、いそぎうつてをくださるべしとて、たいしやうぐんにはこまつのごんのすけぜうしやうこれもり、ふくしやうぐんにはさつまのかみただのり、さぶらひだいしやうにはかづさのかみただきよをさきとして、つがふそのせいさんまんよき、くぐわつじふはちにちにしんとをたつて、あくるじふくにちにはきうとにつき、やがておなじきはつかのひ、とうごくへこそおもむかれけれ。たいしやうぐんこまつのごんのすけぜうしやうこれもりは、しやうねんにじふさん、ようぎたいはい、ゑにかくとも、ふでもおよびがたし。ぢうだいのきせなが、からかはといふよろひをば、からとにいれてかかせらる。P330みちうちには、あかぢのにしきのひたたれに、もよぎにほひのよろひきて、れんぜんあしげなるむまに、きんぷくりんのくらをおいてのりたまへり。ふくしやうぐんさつまのかみただのりは、こんぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひきて、くろきむまのふとうたくましきに、いかけぢのくらをおいてのりたまへり。むまくら、よろひかぶと、ゆみや、たち、かたなにいたるまで、てりかかやくほどにいでたたれたれば、めづらしかりしけんぶつなり。なかにもふくしやうぐんさつまのかみただのりは、あるみやばらのにようばうのもとへかよはれけるが、あるよおはしたりけるに、このにようばうのつぼねに、やんごとなきにようばうまらうときたつて、さよもやうやうふけゆくまでかへりたまはず。ただのりのきばにたたずんで、あふぎをあらくつかはれければ、かのにようばう、「のもせにすだくむしのねよ」と、いうにくちずさみたまへば、あふぎをやがてつかひやみてぞかへられける。そののちおはしたるよ、「いつぞや、なにとてあふぎをばつかひやみしぞや」ととはれければ、「いさ、かしがましなどきこえはんべりしほどに、さてこそあふぎをばつかひやみてはさふらひしか」とぞまうされける。そののち、このにようばう、さつまのかみのもとへ、こそでをひとかさねつかはすとて、せんりのなごりのをしさに、いつしゆのうたをかきそへておくられける。
あづまぢのくさばをわけむそでよりもたたぬたもとのつゆぞこぼるる W035
さつまのかみのへんじに、
わかれぢをなにかなげかむこえてゆくせきもむかしのあととおもへば W036 P331せきもむかしのあととよめることは、せんぞたひらのしやうぐんさだもり、たはらとうだひでさと、まさかどつゐたうのために、あづまへげかうしたりしことを、いまおもひいでてよみたりけるにや、いとやさしうぞきこえし。むかしはてうてきをたひらげに、ぐわいとへむかふしやうぐんは、まづさんだいしてせつたうをたまはる。しんぎなんでんにしゆつぎよして、こんゑかいかにぢんをひき、ないべんげべんのくぎやうさんれつして、ちうぎのせちゑをおこなはる。たいしやうぐんふくしやうぐん、おのおのれいぎをただしうして、これをたまはる。しようへいてんぎやうのじようせきも、としひさしうなつて、なぞらへがたしとて、こんどはさぬきのかみたひらのまさもりが、さきのつしまのかみみなもとのよしちかつゐたうのために、いづものくにへげかうせしれいとて、すずばかりたまはつて、かはのふくろにいれて、ざつしきがくびにかけさせてぞくだられける。いにしへてうてきをたひらげんとて、みやこをいづるしやうぐんは、みつのぞんぢあり。せつたうをたまはるひいへをわすれ、いへをいづるとてさいしをわすれ、せんぢやうにしてかたきにたたかふときみをわする。さればいまのへいじのたいしやうぐんこれもりただのりも、さだめてさやうのことどもをば、ぞんぢせられたりけん、あはれなりしことどもなり。
おのおのくぢうのみやこをたつて、せんりのとうかいへおもむかれける。たひらかにかへりのぼらんことも、まことにあやふきありさまどもにて、あるひはのばらのつゆにやどをかり、あるひはたかねのこけにたびねをし、やまをこえかはをかさね、ひかずふれば、じふぐわつじふろくにちには、するがのくにきよみがせきにぞつきたまふ。みやこをばさんまんよきでいでたれども、ろしのつはものつきそひて、しちまんよきとぞP332きこえし。せんぢんはかんばら、ふじがはにすすみ、ごぢんはいまだてごし、うつのやにささへたり。たいしやうぐんごんのすけぜうしやうこれもり、さぶらひだいしやうかづさのかみただきよをめして、「これもりがぞんぢには、あしがらのやまうちこえ、ひろみへいでていくさをせん」とはやられけれども、かづさのかみまうしけるは、「ふくはらをおんたちさふらひしとき、にふだうどののおほせには、いくさをばただきよにまかせさせたまへとこそおほせさふらひつれ。いづするがのせいのまゐるべきだに、いまだいつきもみえさふらはず。みかたのおんせいしちまんよきとはまうせども、くにぐにのかりむしや、むまもひともみなつかれはててさふらふ。とうごくはくさもきも、みなひやうゑのすけにしたがひついてさふらふなれば、なんじふまんぎかさふらふらん。ただふじがはをまへにあてて、みかたのおんせいをまたせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、ちからおよばでゆらへたり。さるほどにひやうゑのすけよりともかまくらをたつて、あしがらのやまうちこえ、きせがはにこそつきたまへ。かひしなののげんじども、はせきたつてひとつになる。するがのくにうきしまがはらにてせいぞろへあり。つがふそのせいにじふまんぎとぞしるいたる。ひたちげんじさたけのしらうがざつしきの、ふみもつてきやうへのぼりけるを、へいけのさぶらひだいしやうかづさのかみただきよ、このふみをうばひとつてみるに、にようばうのもとへのふみなり。くるしかるまじとて、とらせてげり。さて、「げんじがせいは、いかほどあるぞ」ととひければ、「げらふはしごひやくせんまでこそ、もののかずをばしつてさふらへ。それよりうへをばしりまゐらせぬざふらふ。おほいやらう、すくないやらう、およそなぬかやうかがあひだは、はたとつづいて、のもやまもうみもかはも、みなむしやでP333さふらふ。きのふきせがはにて、ひとのまうしさふらひつるは、げんじのおんせいにじふまんぎとこそまうしさふらひつれ」とまうしければ、かづさのかみ、「あなこころうや。たいしやうぐんのおんこころののびさせたまひたるほど、くちをしかりけることはなし。いまいちにちもさきにうつてをくださせたまひたらば、おおばきやうだい、はたけやまがいちぞく、などかまゐらでさふらふべき。これらだにまゐりさふらはば、いづするがのせいはみなしたがひつくべかりつるものを」と、こうくわいすれどもかひぞなき。たいしやうぐんごんのすけぜうしやうこれもり、とうごくのあんないしやとて、ながゐのさいとうべつたうさねもりをめして、「なんぢほどのつよゆみせいびやう、はつかこくにはいかほどあるぞ」ととひたまへば、さいとうべつたうあざわらつて、「ささふらへば、きみはさねもりをおほやとおぼしめされさふらふにこそ。わづかじふさんぞくをこそつかまつりさふらへ。さねもりほどいさふらふものは、はつかこくにはいくらもさふらふ。おほやとまうすぢやうのものの、じふごそくにおとつてひくはさふらはず。ゆみのつよさも、したたかなるもののごろくにんしてはりさふらふ。かやうのせいびやうどもがいさふらへば、よろひのにさんりやうはたやすうかけずいとほしさふらふ。だいみやうとまうすぢやうのものの、ごひやくきにおとつてもつはさふらはず。むまにのつておつるみちをしらず、あくしよをはすれどむまをたふさず。いくさはまたおやもうたれよ、こもうたれよ、しぬればのりこえのりこえたたかふざふらふ。さいこくのいくさとまうすは、すべてそのぎさふらはず。おやうたれぬればひきしりぞき、ぶつじけうやうし、いみあけてよせ、こうたれぬれば、そのうれへなげきとて、よせさふらはず。ひやうらうまいつきぬれば、P334はるはたつくり、あきかりをさめてよせ、なつはあつしといとひ、ふゆはさむしときらひさふらふ。とうごくのいくさとまうすは、すべてそのぎさふらはず。そのうへかひしなののげんじら、あんないはしつたり、ふじのすそより、からめでにやまはりさふらはんずらん。かやうにまうせば、たいしやうぐんのおんこころをおくせさせまゐらせんとて、まうすとやおぼしめされさふらふらん。そのぎではさふらはず。ただしいくさはせいのたせうにはよりさふらはず。たいしやうぐんのはかりごとによるとこそまうしつたへてさふらへ」とまうしければ、これをきくつはものども、みなふるひわななきあへりけり。
さるほどにおなじきにじふしにちのうのこくに、ふじがはにて、げんぺいのやあはせとぞさだめける。にじふさんにちのよにいつて、へいけのつはものども、げんじのぢんをみわたせば、いづするがのにんみんひやくしやうらが、いくさにおそれて、あるひはのにいりやまにかくれ、あるひはふねにとりのつて、うみかはにうかびたるが、いとなみのひのみえけるを、「あなおびたたしのげんじのぢんのとほびのおほさよ。げにものもやまもうみもかはも、みなむしやでありけり。いかがせん」とぞあきれける。そのよのやはんばかり、ふじのぬまにいくらもありけるみづとりどもが、なににかはおどろきたりけん、いちどにばつとたちけるはおとの、いかづちおほかぜなどのやうにきこえければ、へいけのつはものども、「あはやげんじのおほぜいのむかうたるは。きのふさいとうべつたうがまうしつるやうに、かひしなののげんじら、ふじのすそより、からめでへやまはりさふらふらん。かたきなんじふまんぎかあるらん。とりこめられてはかなふまじ。ここをばおちて、P335をはりがはすのまたをふせげや」とて、とるものもとりあへず、われさきにわれさきにとぞおちゆきける。あまりにあわてさわいで、ゆみとるものはやをしらず、やとるものはゆみをしらず、わがむまにはひとのり、ひとのむまにはわれのり、つないだるむまにのつてはすれば、くひをめぐることかぎりなし。そのへんちかきしゆくじゆくより、いうくんいうぢよどもめしあつめ、あそびさかもりけるが、あるひはかしらけわられ、あるひはこしふみをられて、をめきさけぶことおびたたし。おなじきにじふしにちのうのこくに、げんじにじふまんき、ふじがはにおしよせて、てんもひびきだいぢもゆるぐばかりに、ときをぞさんかどつくりける。
(『ごせつのさた』)S0512へいけのかたには、しづまりかへつておともせず。ひとをいれてみせければ、「みなおちてさふらふ」とまうす。あるひはかたきのわすれたるよろひとつてまゐるものもあり、あるひはへいけのすておいたるおほまくとつてかへるものもあり。「およそへいけのぢんには、はいだにもかけりさふらはず」とまうす。ひやうゑのすけ、いそぎむまよりおり、かぶとをぬぎ、てうづうがひをして、わうじやうのかたをふしをがみ、「これはまつたくよりともがわたくしのかうみやうにはあらず、ひとへにはちまんだいぼさつのおんぱからひなり」とぞのたまひける。やがて、うつとるところなればとて、するがのくにをば、いちでうのじらうただより、とほたふみのくにをば、やすだのさぶらうよしさだにあづけらる。なほもつづいてせむべかりしかども、うしろもさすがおぼつかなしとて、するがのくによりかまくらへぞかへられける。かいだうしゆくじゆくのいうくんいうぢよども、「あないまいましのうつてのたいしやうぐんや。いくさにはみにげをだにあさましきことにするに、P336へいけのひとびとはききにげしたまへり」とぞわらひける。さるほどにらくしよどもおほかりけり。みやこのたいしやうぐんをばむねもりといひ、うつてのだいしやうをば、ごんのすけといふあひだ、へいけをひらやによみなして、
ひらやなるむねもりいかにさわぐらむはしらとたのむすけをおとして W037
ふじがはのせぜのいはこすみづよりもはやくもおつるいせへいじかな W038
またかづさのかみただきよが、ふじがはによろひすてたりけるをもよめり。
ふじがはによろひはすてつすみぞめのころもただきよのちのよのため W039
ただきよはにげのむまにぞのりてげるかづさしりがひかけてかひなし W040

「ごせつのさた」おなじきじふいちぐわつやうかのひ、たいしやうぐんごんのすけぜうしやうこれもり、ふくはらへかへりのぼりたまふ。にふだうしやうこくおほきにいかりて、「これもりをばきかいがしまへながすべし。ただきよをばしざいにおこなふべし」とぞのたまひける。これによつておなじきここのかのひ、へいけのさぶらひ、らうせうすひやくにんさんくわいして、ただきよがしざいのこと、いかがあるべからんとひやうぢやうす。しゆめのはうぐわんもりくにすすみいでて、「このただきよをひごろふかくじんとはぞんじさふらはず。あれがじふはちのとしとP337おぼえさふらふ。とばどののほうざうに、ごきないいちのあくたうににん、にげこもりたりしを、よつてからめうとまうすものいちにんもさふらはざりしに、このただきよただいちにん、はくちうについぢをこえ、はねいつて、いちにんをばうちとり、いちにんをばからめとつて、なをこうだいにあげたりしものぞかし。こんどのふかくは、ただごとともおぼえさふらはず。これにつけても、よくよくひやうらんのおんつつしみさふらふべし」とぞまうしける。おなじきとをかのひ、ぢもくおこなはれて、ごんのすけぜうしやうこれもり、うこんゑのちうじやうにあがりたまふ。こんどばんどうへうつてにむかはれたりとはまうせども、させるしいだしたることもさふらはず。これはさればなんのけんじやうぞやとぞ、ひとびとささやきあはれける。むかしへいしやうぐんさだもり、たはらとうだひでさと、まさかどをつゐたうのために、あづまへげかうしたりしかども、てうてきたやすうほろびがたかりしかば、かさねてうつてをくださるべしと、くぎやうせんぎあつて、うぢのみんぶきやうただふん、きよはらのしげふぢ、ぐんけんといふつかさをたまはりてくだるほどに、するがのくにきよみがせきにしゆくしたりけるよ、かのしげふぢ、まんまんたるかいじやうをゑんけんして、「ぎよしうのひのかげはさむうしてなみをやき、えきろのすずのこゑはよるやまをすぐ」といふからうたを、たからかにくちずさみたまへば、ただふんいうにおぼえて、かんるゐをぞながされける。さるほどにまさかどをば、さだもりひでさとがつひにうちとつて、そのかうべをもたせてのぼるほどに、するがのくにきよみがせきにてゆきあうたり。それよりぜんごのたいしやうぐんうちつれてしやうらくす。さだもりひでさとにけんじやうおこなはれけり。ときにただふんしげふぢにもけんじやうあるべきかと、くぎやうせんぎありしかば、P338
くでうのいうしようじやうもろすけこう、「こんどばんどうへうつてむかうたりといへども、てうてきたやすうほろびがたかりしところに、このひとびとちよくぢやうをうけたまはりて、せきのひがしへおもむきしとき、てうてきすでにほろびたり。さればただふんしげふぢにも、などかけんじやうなかるべき」とまうさせたまへども、そのときのしつぺいをののみやどの、「うたがはしきをばなすことなかれと、らいきのもんにさふらへば」とて、つひになさせたまはず。ただふんこれをくちをしきことにおもうて、をののみやどののおんすゑをば、やつこにみなさん、くでうどののおんすゑは、いつのよまでもしゆごじんとならんとちかひつつ、つひにひじににこそはしににけれ。さればくでうどののおんすゑは、めでたうさかえさせたまへども、をののみやどののおんすゑには、しかるべきひともましまさず、いまはたえはてたまひけるにこそ。おなじきじふいちにち、にふだうしやうこくのしなん、とうのちうじやうしげひら、さこんゑのごんのちうじやうにあがりたまふ。おなじきじふさんにち、ふくはらには、だいりつくりいだされて、しゆしやうごせんかうありけり。だいじやうゑおこなはるべかりしかども、だいじやうゑはじふぐわつのすゑ、とうかにみゆきしてごけいあり。たいだいのきたののに、さいぢやうじよをつくりて、じんぷくじんぐうをととのふ。だいこくでんのまへ、れうびだうのだんかに、くわいりふでんをたてて、おゆをめす。おなじきだんのならびに、だいじやうぐうをつくつて、しんぜんをそなふ。しんえんあり、ぎよいうあり、だいこくでんにてたいれいあり、せいしよだうにてみかぐらあり、ぶらくゐんにてえんくわいあり。しかるをこのふくはらのしんとには、だいこくでんもなければ、たいれいおこなはるべきやうもなく、せいしよだうもなければ、みかぐらそうすべきところもP339なし。ぶらくゐんもなければ、えんくわいもおこなはれず。こんねんはただしんじやうゑ、ごせつばかりであるべきよし、くぎやうせんぎあつて、なほしんじやうのまつりをば、きうとのじんぎくわんにてぞとげられける。ごせつはこれきよみはらのそのかみ、よしののみやにして、つきしろくさえ、かぜはげしかりしよ、おんこころをすまして、きんをひきたまひしかば、しんによあまくだつて、いつたびそでをひるがへす。これぞごせつのはじめなる。
「みやこがへり」(『みやこがへり』)S0513こんどのみやこうつりをば、きみもしんもなのめならずおんなげきありけり。やまならをはじめて、しよじしよしやにいたるまで、しかるべからざるよしうつたへまうしたりければ、さしもよこがみをやられしだいじやうのにふだうどの、「さらばみやこがへりあるべし」とて、おなじきじふにんぐわつふつかのひ、にはかにみやこがへりありけり。しんとはきたはやまやまにそびえてたかく、みなみはうみちかくしてくだれり。なみのおとつねにかまびすしく、しほかぜはげしきところなり。さればしんゐん、いつとなくごなうのみしげかりければ、これによつていそぎふくはらをいでさせおはします。ちうぐう、いちゐん、しやうくわうもごかうなる。せつしやうどのをはじめたてまつりて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、われもわれもとぐぶせらる。へいけにはだいじやうのにふだうをはじめたてまつりて、いちもんのP340ひとびとみなのぼられけり。さしもこころうかりつるしんとに、たれかかたときものこるべき。われさきにわれさきにとぞのぼられける。さんぬるろくぐわつより、やどもせうせうこぼちくだし、かたのごとくとりたてられしかども、いままたものぐるはしう、にはかにみやこがへりありければ、なんのさたにもおよばず、みなうちすてうちすてのぼられけり。りやうゐんはろくはらいけどのへごかうなる。ぎやうがうはごでうだいりとぞきこえし。おのおののしゆくしよもなければ、やはた、かも、さが、うづまさ、にしやま、ひがしやまのかたほとりについて、あるひはみだうのくわいらう、あるひはやしろのほうでんなどに、しかるべきひともたちやどつてましましける。そもそもこんどのみやこうつりのほんいをいかにといふに、きうとはやまならちかくして、いささかのことにも、ひよしのしんよ、かすがのじんぼくなどいひてみだりがはし。しんとはやまへだたりえかさなつて、ほどもさすがとほければ、さやうのこともたやすかるまじとて、にふだうしやうこくはからひまうされけるとかや。おなじきにじふさんにち、あふみげんじのそむきしをせめんとて、たいしやうぐんにはさひやうゑのかみとももり、さつまのかみただのり、つがふそのせいさんまんよき、あふみのくにへはつかうす。やまもと、かしはぎ、にしごりなどいふあぶれげんじどもせめおとし、それよりやがてみのをはりへぞこえられける。P341
「ならえんしやう」(『ならえんしやう』)S0514みやこにはまた、「なんとみゐでらどうしんして、あるひはみやうけとりまゐらせ、あるひはおんむかひにまゐるでう、これもつててうてきなり。しからばならをもせめらるべし」ときこえしかば、だいしゆおほきにほうきす。くわんばくどのより、「ぞんぢのむねあらば、いくたびもそうもんにこそおよばめ」とて、うくわんのべつたうただなりをくだされたりけるを、だいしゆおこつて、「のりものよりとつてひきおとせ、もとどりきれ」とひしめくあひだ、ただなりいろをうしなひてにげのぼる。つぎにうゑもんのかみちかまさをくだされたりけれども、これをも、「もとどりきれ」とひしめきければ、とるものもとりあへず、いそぎみやこへのぼられけり。そのときはくわんがくゐんのざつしきににんがもとどりきられてけり。なんとにはまたおほきなるぎつちやうのたまをつくりて、これこそにふだうしやうこくのかうべとなづけて、「うて、ふめ」などぞまうしける。「ことばのもらしやすきは、わざはひをまねくなかだちなり。ことばのつつしまざるは、やぶれをとるみちなり」といへり。かけまくもかたじけなく、このにふだうしやうこくは、たうぎんのぐわいそにておはします。それをかやうにまうしけるなんとのだいしゆ、およそはてんまのしよゐとぞみえし。にふだうしやうこく、かつがつまづなんとのらうぜきをしづめんとて、せのをのたらうかねやすを、やまとのくにのP342けんびしよにふせらる。かねやすごひやくよきではせむかふ。「あひかまへて、しゆとはらうぜきをいたすとも、なんぢらはいたすべからず。もののぐなせそ、きうせんなたいせそ」とてつかはされたりけるを、なんとのだいしゆ、かかるないぎをばしらずして、かねやすがよせいろくじふよにんからめとつて、いちいちにくびをきつて、さるさはのいけのはたにぞかけならべたりける。にふだうしやうこくおほきにいかりて、「さらばなんとをもせめよや」とて、たいしやうぐんには、とうのちうじやうしげひら、ちうぐうのすけみちもり、つがふそのせいしまんよき、なんとへはつかうす。なんとにもらうせうきらはずしちせんよにん、かぶとのををしめ、ならざか、はんにやじ、にかしよのみちをほりきつて、かいだてかき、さかもぎひいてまちかけたり。へいけしまんよきをふたてにわかつて、ならざか、はんにやじ、にかしよのじやうくわくにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。だいしゆはかちだちうちものなり。くわんぐんはむまにてかけまはしかけまはしせめければ、だいしゆかずをつくしてうたれにけり。うのこくよりやあはせして、いちにちたたかひくらし、よにいりければ、ならざか、はんにやじ、にかしよのじやうくわくともにやぶれぬ。おちゆくしゆとのなかに、さかのしらうやうがくといふあくそうあり。これはちからのつよさ、ゆみやうちものとつては、しちだいじじふごだいじにもすぐれたり。もよぎをどしのよろひに、くろいとをどしのはらまきにりやうかさねてぞきたりける。ばうしかぶとにごまいかぶとのををしめ、ちのはのごとくにそつたるしらえのおほなぎなた、こくしつのおほだち、さうのてにもつままに、どうしゆくじふよにんぜんごさうにたて、てんがいのもんよりうつていでたり。これぞしばらくささへたる。おほくのくわんびやうらむまのあしながれて、おほくほろびにけり。P343されどもくわんぐんはおほぜいにて、いれかへいれかへせめければ、やうがくがふせぐところのどうじゆくみなうたれにけり。やうがくこころはたけうおもへども、うしろあばらになりしかば、ちからおよばず、ただいちにんみなみをさしてぞおちゆきける。よいくさになつて、たいしやうぐんとうのちうじやうしげひら、はんにやじのもんのまへにうつたつて、くらさはくらし、「ひをいだせ」とのたまへば、はりまのくにのぢうにん、ふくゐのしやうのげし、じらうたいふともかたといふもの、たてをわりたいまつにして、ざいけにひをぞかけたりける。ころはじふにんぐわつにじふはちにちのよの、いぬのこくばかりのことなれば、をりふしかぜははげしし、ほもとはひとつなりけれども、ふきまよふかぜに、おほくのがらんにふきかけたり。およそはぢをもおもひ、なをもをしむほどのものは、ならざかにてうちじにし、はんにやじにしてうたれにけり。ぎやうぶにかなへるものは、よしのとつかはのかたへぞおちゆきける。あゆみもえぬらうそうや、じんじやうなるしゆがくしや、ちごどもをんなわらんべは、もしやたすかると、だいぶつでんのにかいのうへ、やましなでらのうちへ、われさきにとぞにげいりける。だいぶつでんのにかいのうへには、せんよにんのぼりあがり、かたきのつづくをのぼせじとて、はしをひきてげり。みやうくわはまさしうおしかけたり。をめきさけぶこゑ、せうねつ、だいせうねつ、むげんあび、ほのほのそこのざいにんも、これにはすぎじとぞみえし。
こうぶくじはたんかいこうのごぐわん、とうじるゐだいのてらなり。とうこんだうにおはしますぶつぽふさいしよのしやかのざう、さいこんだうにおはしますじねんゆじゆつのくわんぜおん、るりをならべししめんのP344らう、しゆたんをまじへしにかいのろう、くりんそらにかがやきしにきのたふ、たちまちにけぶりとなるこそかなしけれ。とうだいじはじやうざいふめつ、じつぱうじやくくわうのしやうじんのおんほとけとおぼしめしなぞらへて、しやうむくわうてい、てづからみづからみがきたてたまひしこんどうじふろくぢやうのるしやなぶつ、うしつたかくあらはれて、はんでんのくもにかくれ、びやくがうあらたにをがまれさせたまへるまんぐわつのそんようも、みぐしはやけおちてだいぢにあり、ごしんはわきあひてやまのごとし。はちまんしせんのさうがうは、あきのつきはやくごぢうのくもにかくれ、しじふいちぢのえうらくは、よるのほしむなしうじふあくのかぜにただよひ、けぶりはちうてんにみちみちて、ほのほはこくうにひまもなし。まのあたりみたてまつるものはさらにまなこをあてず、かすかにつたへきくひとは、きもたましひをうしなへり。ほつさうさんろんのほふもんしやうげう、すべていつくわんものこらず。わがてうはまうすにおよばず、てんぢくしんだんにもこれほどのほふめつあるべしともおぼえず。うでんだいわうのしまごんをみがき、びしゆかつまがしやくせんだんをきざみしも、わづかにとうじんのおんほとけなり。いはんやこれはなんえんぶだいのうちには、ゆゐいつぶさうのおんほとけ、ながくきうそんのごあるべしともおもはざりしに、いまどくえんのちりにまじはつて、ひさしくかなしみをのこしたまへり。ぼんじやくしわう、りうじんはちぶ、みやうくわんみやうしうも、おどろきさわぎたまふらんとぞみえし。ほつさうおうごのしゆんにちだいみやうじん、いかなることをかおぼしけん、さればかすがののつゆもいろかはり、みかさやまのあらしのおともうらむるさまにぞきこえける。ほのほのなかにてやけしぬるにんじゆをかぞへたれば、だいぶつでんのにかいのうへにはいつせんしちひやくよにん、やましなでらにははつぴやくよにん、あるみだうにはごひやくよにん、あるみだうにはさんびやくよにん、つぶさにしるいたりければ、P345さんぜんごひやくよにんなり。せんぢやうにしてうたるるだいしゆせんよにん、せうせうははんにやじのもんにきりかけさせ、せうせうはくびどももつてみやこへのぼられけり。あくるにじふくにち、とうのちうじやうしげひら、なんとほろぼしてほくきやうへかへりいらる。およそはにふだうしやうこくばかりこそ、いきどほりはれてよろこばれけれ。ちうぐう、いちゐん、しやうくわうは、「たとひあくそうをこそほろぼさめ、おほくのがらんをはめつすべきやは」とぞおんなげきありける。ひごろはしゆとのくびおほぢをわたいて、ごくもんのきにかけらるべしと、くぎやうせんぎありしかども、とうだいじこうぶくじのほろびぬるあさましさに、なんのさたにもおよばず。ここやかしこのみぞやほりにぞすておきける。しやうむくわうていのしんぴつのごきもんにも、「わがてらこうぶくせば、てんがもこうぶくすべし。わがてらすゐびせば、てんがもすゐびすべし」とぞあそばされたる。さればてんがのすゐびせんこと、うたがひなしとぞみえたりける。あさましかりつるとしもくれて、ぢしようもごねんになりにけり。P346

平家物語 巻第六  総かな版(元和九年本)
「しんゐんほうぎよ」(『しんいんほうぎよ』)S0601ぢしようごねんしやうぐわつひとひのひ、だいりには、とうごくのひやうがく、なんとのくわさいによつて、てうはいとどめられて、しゆしやうしゆつぎよもなし。もののねもふきならさず、ぶがくもそうせず、よしののくずもまゐらず、とうじのくぎやういちにんもさんぜられず。これはうぢでらぜうしつによつてなり。ふつかのひてんじやうのえんすゐもなく、なんにようちひそめて、きんちういまいましうぞみえし。ならびにぶつぽふわうぼふともにつきぬることぞあさましき。ほふわうおほせなりけるは、「しだいのていわう、おもへばこなり、まごなり。いかなればばんきのせいむをとどめられて、むなしうとしつきをおくるらん」とぞおんなげきありける。おなじきいつかのひ、なんとのそうがうらけつくわんぜられて、くじやうをちやうじし、しよしよくをもつしうせらる。さればかたのやうにても、ごさいゑはあるべきものをと、そうみやうのさたありしに、なんとのそうがうらは、みなけつくわんぜられぬ。ほくきやうのそうがうをもつておこなはるべきかと、くぎやうせんぎありしかども、P347さればとて、いまさらなんとをもすてはてさせたまふべきならねば、さんろんじうのがくしやう、じやうほふいかうがしのびつつ、くわんじゆじにかくれゐたりけるをめしいだいて、ごさいゑかたのごとくとげおこなはる。しゆとはみな、おいたるも、わかきも、あるひはいころされあるひはきりころされて、けぶりのうちをいでず、ほのほにむせんでほろびにしかば、わづかにのこるともがらは、さんりんにまじはつて、あとをとどむるものいちにんもなし。なかにもこうぶくじのべつたうけりんゐんのそうじやうやうえんは、ぶつざうきやうくわんのけぶりとたちのぼらせたまふをみまゐらせ、あなあさましとて、むねうちさわがれけるよりやまひついて、つひにうせたまひぬ。このやうえんはいうにやさしきひとにておはしけり。あるときほととぎすのなくをきいて、
きくたびにめづらしければほととぎすいつもはつねのここちこそすれ W041
といふうたをようでこそ、はつねのそうじやうとはいはれたまひけれ。しやうくわうは、をとどしほふわうのとばどのにおしこめられてわたらせたまひしおんこと、こぞたかくらのみやのうたれさせたまひしおんありさま、さしもたやすからぬてんがのだいじ、みやこうつりなどまうすことに、ごなうつかせたまひて、おんわづらはしうきこえさせたまひしが、いままたとうだいじこうぶくじのほろびぬるよしきこしめして、ごなういとどおもらせおはします。ほふわうなのめならずおんなげきありしほどに、おなじきじふしにちろくはらいけどのにて、しんゐんつひにほうぎよなりぬ。ぎようじふにねん、とくせいせんばんたん、ししよじんぎのすたれぬるみちをおこし、りせいあんらくのたえたるP348あとをつぎたまふ。さんみやうろくつうのらかんもまぬかれたまはず、げんじゆつへんげのごんじやものがれぬみちなれば、うゐむじやうのならひとはいひながら、ことわりすぎてぞおぼえける。やがてそのよ、ひがしやまのふもと、せいがんじへうつしたてまつり、ゆふべのけぶりにたぐへつつ、はるのかすみとのぼらせたまひぬ。ちようけんほふいん、ごさうそうにまゐりあはんとて、いそぎやまよりくだられけるが、はやみちにてけぶりとたちのぼらせたまふをみまゐらせて、なくなくかうぞえいじたまひける。
つねにみしきみがみゆきをけふとへばかへらぬたびときくぞかなしき W042
またあるにようばうの、みかどかくれさせたまひぬとうけたまはつて、なくなくおもひつづけけり。
くものうへにゆくすゑとほくみしつきのひかりきえぬときくぞかなしき W043
おんとしにじふいち、うちにはじつかいをたもつてじひをさきとし、ほかにはごじやうをみだらせたまはず、れいぎをただしうせさせおはします。まつだいのけんわうにておはしければ、よのをしみたてまつること、つきひのひかりをうしなへるがごとし。かやうにひとのねがひもかなはず、たみのくわはうもつたなき、ただにんげんのさかひこそかなしけれ。
「こうえふ」(『こうやう』)S0602たかくらのゐんございゐのおんとき、ひとのしたがひつきたてまつることは、おそらくはえんぎてんりやくのみかどとP349まうすとも、これにはいかでまさらせたまふべきとぞ、ひとまうしける。おほかたはけんわうのなをあげ、じんとくのかうをほどこさせおはしますことも、きみごせいじんののち、せいだくをわかたせたまひてのうへのおんことでこそあるに、むげにこのきみは、いまだえうしゆのおんときより、せいをにうわにうけさせおはします。さんぬるしようあんのころほひは、おんとしじつさいばかりにもやならせおはしましけん、あまりにこうえふをあいせさせたまひて、きたのぢんにこやまをつかせ、はじかへでの、まことにいろうつくしうもみぢたるをうゑさせ、もみぢのやまとなづけて、ひねもすにえいらんあるに、なほあきたらせたまはず。しかるをあるよのわきはしたなうふいて、こうえふみなふきちらし、らくえふすこぶるらうぜきなり。とのもりのとものみやづこ、あさぎよめすとて、これをことごとくはきすててげり。のこれるえだ、ちれるこのはをばかきあつめて、かぜすさまじかりけるあしたなれば、ぬひどののぢんにて、さけあたためてたべけるたきぎにこそしてげれ。ぶぎやうのくらんど、ぎやうがうよりさきにと、いそぎゆいてみるに、あとかたなし。「いかに」ととへば、しかじかとこたふ。「あなあさまし。さしもきみのしつしおぼしめされつるこうえふを、かやうにしつることよ。しらず、なんぢらきんごくるざいにもおよび、わがみもいかなるげきりんにかあづからんずらん」と、おもはじことなうあんじつづけてゐたりけるところに、しゆしやういとどしくよるのおとどをいでさせもあへず、かしこへぎやうがうなつて、もみぢをえいらんあるに、なかりければ、いかにとおんたづねありけり。くらんどなにとそうすべきむねもなし。ありのままにP350そうもんす。てんきことにおんこころよげにうちゑませたまひて、「りんかんにさけをあたためてこうえふをたくといふしのこころをば、さればそれらにはたれがをしへけるぞや。やさしうもつかまつたるものかな」とて、かへつてえいかんにあづかつしうへは、あへてちよくかんなかりけり。またあんげんのころほひ、おんかたたがひのぎやうがうのありしに、さらでだにけいじんあかつきをとなふこゑ、めいわうのねぶりをおどろかすほどにもなりしかば、いつもおんねざめがちにて、つやつやぎよしんもならざりけり。いはんやさゆるしもよのはげしきには、えんぎのせいたい、こくどのたみどもが、いかにさむかるらんとて、よるのおとどにしてぎよいをぬがせたまひけることなどまでも、おぼしめしいでて、わがていとくのいたらぬことをぞおんなげきありける。ややしんかうにおよんで、ほどとほくひとのさけぶこゑしけり。ぐぶのひとびとはききもつけられず。しゆしやうはきこしめして、「ただいまさけぶはなにものぞ。あれみてまゐれ」とおほせければ、うへぶししたるてんじやうびと、じやうにちのものにおほせてたづぬれば、あるつじにあやしのめのわらはの、ながもちのふたさげたるが、なくにてぞありける。「いかに」ととへば、「しうのにようばうの、ゐんのごしよにさぶらはせたまふが、このほどやうやうにしてしたてられたりつるきぬをもつてまゐるほどに、ただいまおとこのにさんにんまうできて、うばひとつてまかりぬるぞや。いまはおんしやうぞくがあらばこそ、ごしよにもさぶらはせたまはめ。またはかばかしうたちやどらせたまふべき。したしきおんかたもましまさず。これをおもひつづくるになくなり」とぞいひける。さてかのめのわらはをぐしてまゐり、このよしそうもんしたりければ、しゆしやうきこしめしてP351、「あなむざん、なにもののしわざにてかあるらん」とて、りようがんよりおんなみだをながさせたまふぞかたじけなき。「げうのよのたみは、げうのこころのすなほなるをもつてこころとするゆゑに、みなすなほなり。いまのよのたみは、ちんがこころをもつてこころとするゆゑに、かだましきものてうにあつてつみををかす。これわがはぢにあらずや」とぞおほせける。「さるにてもとられつらんきぬは、なにいろぞ」とおほせければ、しかじかのいろとそうす。けんれいもんゐん、そのときは、いまだちうぐうにてわたらせたまふときなり。そのおんかたへ、「さやうのいろしたるぎよいやさふらふ」とおんたづねありければ、さきのよりはるかにいろうつくしきがまゐりたるを、くだんのめのわらはにぞたまはせける。「いまだよふかし。またさるめにもぞあふ」とて、じやうにちのものをあまたつけて、しうのにようばうのつぼねまで、おくらせましましけるぞかたじけなき。されば、あやしのしづのを、しづのめにいたるまで、ただこのきみせんしうばんぜいのはうさんをぞいのりたてまつる。
「あふひのまへ」(『あふひのまへ』)S0603それになによりもまたあはれなりしことには、ちうぐうのおんかたにさぶらはれけるにようばうのめしつかひけるしやうとう、おもはざるほか、りようがんにしせきすることありけり。ただよのつねあからさまにてもなくして、まめやかにおんこころざしふかかりければ、しうのにようばうもめしつかはず、かへつてしうのごとくにぞP352、いつきもてなしける。『そのかみえうえいにいへることあり、をとこをうんでもきくわんすることなかれ、ぢよをうんでもひさんすることなかれ。なんはこれこうにだもほうぜられず、ぢよはひたり』とて、きさきにたつといへり。めでたかりけるさいはひかな。「このひとにようごきさきとももてなされ、こくもせんゐんともあふがれなんず」とて、そのなを、あふひのまへとまうしければ、ないないはあふひのにようごなどぞささやきあはれける。しゆしやうはこれをきこしめして、そののちはめさざりけり。これはおんこころざしのつきぬるにはあらず、ただよのそしりをはばからせたまふによつてなり。さればおんながめがちにて、つやつやぐごもきこしめさず、ごなうとてつねはよるのおとどにのみいらせおはします。そのときのくわんばくまつどの、このよしをうけたまはつて、「しゆしやうおんこころのつきぬることこそおはすなれ。まうしなぐさめまゐらせん」とて、いそぎごさんだいあつて、「さやうにえいりよにかからせましまさんにおいては、なんでふことかさふらふべき。くだんのにようばうめされまゐらすべしとおぼえさふらふ。しなたづねらるるにおよばず、もとふさやがていうしにつかまつりさふらはん」とそうせさせたまへば、しゆしやうおほせなりけるは、「いさとよ、そこにはからひまうすもさることなれども、くらゐをすべつてのちは、ままさるためしもあるなり。まさしうざいゐのとき、さやうのことはこうたいのそしりなるべし」とて、きこしめしもいれざりければ、くわんばくどのちからおよばせたまはず、おんなみだをおさへて、ごたいしゆつありけり。そののちしゆしやう、みどんのうすやうの、にほひことにふかかりけるに、ふるきことなれども、おぼしめしいでてP353、かうぞあそばされける。
しのぶれどいろにいでにけりわがこひはものやおもふとひとのとふまで W044
れんぜいのせうしやうたかふさ、これをたまはりついで、くだんのあふひのまへにたばせたれば、これをとつてふところにいれ、かほうちあかめ、れいならぬここちいできたりとて、さとへかへり、うちふすことごろくにちして、つひにはかなくなりにけり。きみがいちじつのおんのために、せふがはくねんのみをあやまつとも、かやうのことをやまうすべき。「むかしたうのたいそうの、ていじんきがむすめをげんくわんでんにいれんとせさせたまひしを、ぎちよう、かのむすめすでにりくしにやくせりといさめまうしたりければ、てんにいれらるることをとどめられたりしには、すこしもたがはせたまはぬ、いまのきみのおんこころばせかな」とぞ、ひとまうしける。
「こがう」(『こがう』)S0604しゆしやうはれんぼのおんなみだにおぼしめししづませたまひたるを、まうしなぐさめまゐらせんとて、ちうぐうのおかたより、こがうのとのとまうすにようばうをまゐらせらる。そもこのにようばうとまうすは、さくらまちのちうなごんしげのりのきやうのおんむすめ、きんちういちのびじん、ならびなきことのじやうずにてぞましましける。れんぜいのだいなごんりうはうのきやう、いまだせうしやうなりしとき、みそめたりしにようばうなり。はじめはP354うたをよみ、ふみをばつくされけれども、たまづさのかずのみつもりて、なびくけしきもなかりしが、さすがなさけによわるこころにや、つひにはなびきたまひけり。されどもいまはきみへめされまゐらせて、せんかたもなくかなしくて、あかぬわかれのなみだにや、そでしほたれて、ほしあへず。せうしやういかにもして、こがうのとのをいまいちどみたてまつることもやと、そのこととなくつねはさんだいせられけり。こがうのとののおはしけるつぼねのへん、かなたこなたへ、たたずみありきたまひけれども、こがうのとの、われきみへめされまゐらせぬるうへは、せうしやういかにまうすとも、ことばをもかはすべからずとて、つてのなさけをだにもかけられず。せうしやうもしやと、いつしゆのうたをようで、こがうのとののましましけるつぼねのみすのうちへぞなげいれける。
おもひかねこころはそらにみちのくのちかのしほがまちかきかひなし W045
こがうのとの、やがてへんじもせまほしうはおもはれけれども、きみのおんため、おんうしろめたしとやおもはれけん、てにだにとつてもみたまはず、やがてしやうとうにとらせて、つぼのうちへぞなげいださる。せうしやうなさけなううらめしけれども、さすがひともこそみれと、そらおそろしくて、いそぎとつてふところにひきいれていでられけるが、なほたちかへり、
たまづさをいまはてにだにとらじとやさこそこころにおもひすつとも W046
いまはこのよにてあひみんこともかたければ、いきてゐて、とにかくにひとをこひしとおもはんより、ただしなんとのみぞねがはれける。P355
にふだうしやうこく、このよしをつたへききたまひて、「ちうぐうとまうすもおんむすめ、れんぜいのせうしやうもまたむこなり。こがうのとのに、ふたりのむこをとられては、よのなかよかるまじ。いかにもして、こがうのとのをめしいだいてうしなはん」とぞのたまひける。こがうのとの、このよしをききたまひて、わがみのうへはとにもかくにもなりなん、きみのおんためおんこころぐるしとおもはれければ、あるよだいりをばまぎれいでて、ゆくへもしらずぞうせられける。しゆしやうおんなげきなのめならず、ひるはよるのおとどにのみいらせたまひて、おんなみだにしづませおはします。よるはなんでんにしゆつぎよなつて、つきのひかりをごらんじてぞ、なぐさませましましける。にふだうしやうこくこのよしをうけたまはつて、「さてはきみは、こがうゆゑにおぼしめししづませたまひたんなり。さらんにとつては」とて、おんかいしやくのにようばうたちをもまゐらせられず、さんだいしたまふひとびともそねまれければ、にふだうのけんゐにはばかつて、まゐりかよふしんかもなし。なんにようちひそめて、きんちういまいましうぞみえし。ころははちぐわつとをかあまりのことなれば、さしもくまなきそらなれども、しゆしやうはおんなみだにくもらせたまひて、つきのひかりもおぼろにぞごらんぜられける。ややしんかうにおよんで、「ひとやあるひとやある」とめされけれども、おいらへまうすものもなし。ややあつて、だんじやうのだいひつなかくに、そのよしもおとのゐにまゐりて、はるかにとほうさふらひけるが、「なかくに」とおいらへまうす。「なんぢちかうまゐれ。おほせくださるべきむねあり」とおほせければ、なにごとやらんとおもひ、ごぜんちかうぞさんじたる。「なんぢもしこがうがゆくへやしつたる」とおほせければP356、「いかでかしりまゐらせさふらふべき」とまうす。「まことやこがうは、さがのへん、かたをりどとかやしたるうちにありと、まうすもののあるぞとよ。あるじがなをばしらずとも、たづねてまゐらせてんや」とおほせければ、なかくに、「あるじがなをしりさふらはでは、いかでかたづねあひまゐらせさふらふべき」とまうしければ、しゆしやう、げにもとて、おんなみだせきあへさせましまさず。
なかくにつくづくものをあんずるに、まことやこがうのとのは、ことひきたまひしぞかし。このつきのあかさに、きみのおんことおもひいでまゐらせて、ことひきたまはぬことはよもあらじ。だいりにてことひきたまひしとき、なかくにふえのやくにめされまゐらせしかば、そのことのねは、いづくにてもききしらんずるものを。さがのざいけいくほどかあらん、うちまはつてたづねんに、などかききいださであるべきとおもひ、「ささふらはば、あるじがなはしらずさふらふとも、たづねまゐらせさふらふべし。たとひたづねあひまゐらせてさふらふとも、ごしよなどさふらはずは、うはのそらとやおぼしめされさふらはんずらん。ごしよをたまはつて、まゐりさふらはん」とまうしければ、しゆしやう、げにもとて、やがてごしよあそばいてぞくだされける。「れうのおむまにのりてゆけ」とおほせければ、なかくにれうのおむまたまはつて、めいげつにむちをあげ、にしをさしてぞあゆませける。をしかなくこのやまざととえいじけん、さがのあたりのあきのころ、さこそはあはれにもおぼえけめ。かたをりどしたるやをみつけては、このうちにもやおはすらんと、ひかへひかへききけれども、ことひくところはなかりけり。P357みだうなどへもまゐりたまへることもやと、しやかだうをはじめて、だうだうみまはれども、こがうのとのににたるにようばうだにもなかりけり。むなしうかへりまゐりたらんは、まゐらざらんより、なかなかあしかるべし。これよりいづちへも、まよひゆかばやとはおもへども、いづくかわうぢならぬ、みをかくすべきやどもなし。いかがせんとあんじわづらふ。まことやほふりんはほどちかければ、つきのひかりにさそはれて、まゐりたまへることもやと、そなたへむいてぞあくがれける。
かめやまのあたりちかく、まつのひとむらあるかたに、かすかにことぞきこえける。みねのあらしかまつかぜか、たづぬるひとのことのねか、おぼつかなくはおもへども、こまをはやめてゆくほどに、かたをりどしたるうちに、ことをぞひきすまされたる。ひかへてこれをききければ、すこしもまがふべうもなく、こがうのとののつまおとなり。がくはなにぞとききければ、をつとをおもうてこふとよむ、さうぶれんといふがくなりけり。なかくに、さればこそ、きみのおんことおもひいでまゐらせて、がくこそおほけれ、このがくをひきたまふことのやさしさよとおもひ、こしよりやうでうぬきいだし、ちつとならいて、かどをほとほととたたけば、ことをばやがてひきやみたまひぬ。「これはだいりよりなかくにがおつかひにまゐりてさふらふ。あけさせたまへ」とて、たたけどもたたけども、とがむるものもなかりけり。ややありて、うちよりひとのいづるおとしけり。うれしうおもひてまつところに、ぢやうをはづし、かどをほそめにあけ、いたいけしたるこにようばうの、かほばかりさしいだいて、「これはP358さやうにだいりよりおつかひなどたまはるべきところでもさぶらはず。もしかどたがへにてぞさぶらふらん」といひければ、なかくに、へんじせばかどたてられ、ぢやうさされなんずとやおもひけん、ぜひなくおしあけてぞいりにける。つまどのきはなるえんにゐて、「なんとてかやうのところにおんわたりさふらふやらん。きみはおんゆゑにおぼしめししづませたまひて、おんいのちもすでにあやふくこそみえさせましましさふらへ。かやうにまうさば、うはのそらとやおぼしめされさふらふらん。ごしよをたまはつてまゐりてさふらふ」とてとりいだいてたてまつる。ありつるにようばうとりついで、こがうのとのにぞまゐらせける。これをあけてみたまふに、まことにきみのごしよにてぞありける。やがておんぺんじかいてひきむすび、にようばうのしやうぞくひとかさねそへてぞいだされたる。なかくに、「おんぺんじのうへは、とかうまうすにおよびさふらはねども、べつのおつかひにてもさふらはばこそ。ぢきのおんぺんじうけたまはらでは、いかでかかへりまゐりさふらふべき」とまうしければ、こがうのとの、げにもとやおもはれけん、みづからへんじしたまひけり。「そこにもききたまひつらんやうに、にふだうあまりにおそろしきことをのみまうすとききしがあさましさに、あるよひそかにしのびつつ、だいりをばまぎれいでて、いまはかかるところのすまひなれば、ことひくこともなかりしが、あすよりおはらのおくへおもひたつことのさぶらへば、あるじのにようばう、こよひばかりのなごりををしみ、いまはよもふけぬ、たちきくひともあらじなどすすむるあひだ、さぞなむかしのなごりもさすがゆかしくて、てなれしことをひくほどに、やすうもききいだされけりな」とて、おんなみだせきあへたまはねば、なかくにもそぞろにP359そでをぞしぼりける。ややあつて、なかくになみだをおさへてまうしけるは、「あすよりおはらのおくへおぼしめしたつこととさふらふは、さだめておんさまなどもやかへさせたまひさふらはんずらん。しかるべうもさふらはず。さてきみをばなにとか、しまゐらせたまふべき。ゆめゆめかなひさふらふまじ。あひかまへてこのにようばういだしまゐらすな」とて、ともにめしぐしたるめぶ、きじちやうなどとどめおき、そのやをしゆごせさせ、わがみはれうのおむまにうちのつて、だいりへかへりまゐつたれば、よはほのぼのとぞあけにける。なかくに、やがてれうのおむまつながせ、にようばうのしやうぞくをば、はねむまのしやうじにうちかけて、いまはさだめてぎよしんもなりつらん、たれしてかまうすべきとおもひ、なんでんをさしてまゐるほどに、しゆしやうはいまだゆうべのござにぞましましける。「みなみにかけりきたにむかふ、かんうんをあきのかりにつけがたし。ひがしにいでにしにながる、ただせんばうをあかつきのつきによす」と、おんこころほそげにうちながめさせたまふところに、なかくにつとまゐりつつ、こがうのとののおんぺんじをこそまゐらせけれ。しゆしやうなのめならずにぎよかんあつて、「さらばなんぢやがてゆふさりぐしてまゐれ」とぞおほせける。なかくに、にふだうしやうこくのかへりききたまはんところはおそろしけれども、これまたちよくぢやうなれば、ひとにくるまかつて、さがへゆきむかふ。こがうのとのまゐるまじきよしのたまへども、やうやうにこしらへたてまつりて、くるまにのせたてまつりて、だいりへまゐりたりければ、かすかなるところにしのばせて、よなよなめされまゐらせけるほどに、ひめみやごいつしよいできさせたまひけり。ばうもんのによゐんとはこのみやのおんことなり。P360
にふだうしやうこく、「こがうがうせたりといふは、あとかたもなきそらごとなり。いかにもしてうしなはん」とのたまひけるが、なにとしてかはたばかりいだされたりけん、こがうのとのをとらへつつ、あまになしてぞおつぱなたる。としにじふさん。しゆつけはもとよりのぞみなりけれども、こころならずあまになされ、こきすみぞめにやつれはて、さがのおくにぞすまれける。むげにうたてきことどもなり。しゆしやうはかやうのことどもにごなうつかせたまひて、つひにかくれさせたまひけるとかや。ほふわううちつづき、おんなげきのみぞしげかりける。さんぬるえいまんには、だいいちのみこにでうのゐんほうぎよなりぬ。あんげんにねんのしちぐわつには、おんまごろくでうのゐんかくれさせたまひぬ。てんにすまばひよくのとり、ちにあらばれんりのえだとならんと、あまのがはのほしをさして、さしもおんちぎりあさからざりしけんしゆんもんゐん、あきのきりにをかされて、あしたのつゆときえさせたまひぬ。としつきはへだたれども、きのふけふのおんわかれのやうにおぼしめして、おんなみだもいまだつきせざるに、ぢしようしねんのごぐわつには、だいにのわうじたかくらのみやうたれさせたまひぬ。げんぜごしやうたのみおぼしめされつるしんゐんさへ、さきだたせたまひぬれば、とにかくに、かこつかたなきおんなみだのみぞしげかりける。「かなしみのいたつてかなしきは、おいてのち、こにおくれたるよりもかなしきはなし。うらみのいたつてうらめしきは、わかうしておやにさきだつよりも、うらめしきはなし」と、かのあさつなのしやうこうの、しそくすみあきらにおくれて、かきたりけるふでのあと、いまこそおぼしめししられけれ。かのいちじようめうでんのP361ごどくじゆも、おこたらせたまはず、さんみつぎやうぼふのごくんじゆも、こうつもらせおはします。てんがりやうあんになりしかば、おほみやびともおしなべて、はなのたもとややつれけん。
「めぐらしぶみ」(『めぐらしぶみ』)S0605にふだうしやうこく、かやうにいたくなさけなうあたりたてまつられたりけることを、さすがそらおそろしうやおもはれけん、ほふわうなぐさめまゐらせんとて、あきのいつくしまのないしがはらのひめぎみの、しやうねんじふはちになりたまふをぞ、ほふわうへはまゐらせらる。たうけたけのくぎやうおほくぐぶして、ひとへににようごまゐりのごとくにてぞありける。しやうくわうかくれさせたまひて、わづかにしちにちだにすぎざるに、しかるべからずとぞ、ひとびとささやきあはれける。さるほどにそのころしなののくにに、きそのじらうよしなかといふげんじありときこえけり。かれはこたてはきせんじやうよしかたがじなんなり。しかるをちちよしかたは、さんぬるきうじゆにねんはちぐわつじふににち、かまくらのあくげんだよしひらがためにちうせられぬ。そのときはいまだにさいなりしを、ははかかへて、なくなくしなのへくだり、きそのちうざうかねとほがもとにゆいて、「これいかにもしてそだてて、ひとになして、われにみせよ」といひければ、かねとほかひがひしううけとつてやういくす。やうやうちやうだいするままに、ようぎたいはいひとにすぐれ、こころもならびなくかうなりけり。P362ちからのつよさ、ゆみやうちものとつては、すべてしやうこのたむら、としひと、よごしやうぐん、ちらい、ほうしやう、せんぞらいくわう、ぎかのあつそんといふとも、これにはいかでかまさるべきとぞひとまうしける。
じふさんでげんぶくしたりしにも、まづやはたへまゐり、つやして、「わがしだいのそぶぎかのあつそんは、このおんがみのおんことなして、なをはちまんたらうよしいへとかうしき。かつうはそのあとをおふべしとて、ごほうぜんにてもとどりとりあげ、きそのじらうよしなかとこそつけたりけれ。つねはめのとのちうざうにぐせられて、みやこへのぼり、へいけのふるまひありさまどもをも、よくよくみうかがひけり。きそあるときめのとのかなとほをようで、「そもそもひやうゑのすけよりともは、とうはつかこくをうちしたがへて、とうかいだうよりせめのぼり、へいけをおひおとさんとすなり。よしなかもとうせんほくろくりやうだうをしたがへて、いまいちにちもさきにへいけをほろぼして、たとへばにつぽんごくにふたりのしやうぐんとあふがれんとおもふはいかに」とのたまへば、かねとほおほきにかしこまりよろこんで、「そのれうにこそ、きみをばこのにじふよねんまでやういくしたてまつてさふらへ。かやうにおほせらるるこそ、はちまんどののおんすゑともおぼえさせましませ」とて、やがてむほんをくはだつ。「まづめぐらしぶみさふらふべし」とて、しなののくにには、ねのゐのこやたしげののゆきちかをかたらふに、そむくことなし。これをはじめてしなのいつこくのつはものども、みなしたがひつきにけり。かうづけのくにには、たごのこほりのつはものども、ちちよしかたがよしみによつて、これもしたがひつきにけり。へいけのすゑにP363なりぬるをりをえて、げんじねんらいのそくわいをとげんとす。
「ひきやくたうらい」(『ひきやくたうらい』)S0606きそといふところは、しなのにとつてもみなみのはし、みのざかひなれば、みやこもむげにほどちかし。へいけのひとびと、「とうごくのそむくだにあるに、ほくこくさへこはいかに」とて、おほきにおそれさわがれけり。にふだうしやうこくのたまひけるは、「たとひしなのいつこくのものどもこそ、きそにしたがひつくといふとも、ゑちごのくにには、よごしやうぐんのばつえふ、じやうのたらうすけなが、おなじきしらうすけもち、これらはきやうだいともにたぜいのものなり。おほせくだしたらんに、やすううつてまゐらせてんず」とのたまへば、「げにも」とまうすひともあり、「いやいや、ただいまおんだいじにおよびなんず」と、ささやくひとびともありけるとかや。にんぐわつひとひのひ、ぢもくおこなはれて、ゑちごのくにのぢうにん、じやうのたらうすけなが、ゑちごのかみににんず。これはきそつゐたうせらるべきはかりごととぞきこえし。おなじきなぬかのひ、だいじんくぎやう、いへいへにして、そんじようだらにならびにふどうみやうわうかきくやうせらる。これはひやうらんつつしみのためとぞきこえし。おなじきここのかのひ、かはちのくにのいしかはのこほりにきよぢうしけるむさしのごんのかみにふだうよしもと、しそくいしかはのはんぐわんだいよしかぬ、これもへいけをそむいて、よりともにこころをかよはしてP364、とうごくへおちくだるべしなどきこえしかば、へいけやがてうつてをつかはす。たいしやうぐんにはげんだいふのはうぐわんすゑさだ、つのはうぐわんもりずみ、つがふそのせいさんぜんよきで、かはちのくにへはつかうす。じやうのうちには、よしもとぼつしをはじめとして、わづかひやくきばかりにはすぎざりけり。うのこくよりやあはせして、ひとひたたかひくらし、よにいりければ、よしもとぼつしうちじにす。しそくいしかはのはんぐわんだいよしかぬは、いたでおうていけどりにこそせられけれ。おなじきじふいちにち、よしもとぼつしがかうべ、みやこへいつておほぢをわたさる。りやうあんにぞくしゆをわたさるること、ほりかはのゐんほうぎよのとき、さきのつしまのかみみなもとのよしちかがかうべをわたされし、そのれいとぞきこえし。
あくるじふににち、ちんぜいよりひきやくたうらい、うさのだいぐうじきんみちがまうしけるは、ちんぜいのものども、をがたのさぶらうこれよしをはじめとして、うすき、へつぎ、まつらたうにいたるまで、いつかうへいけをそむいて、げんじにどうしんのよしまうしたりければ、へいけのひとびと、「とうごくほくこくのそむくだにあるに、さいこくさへこはいかに」とて、てをうつてあさみあはれけり。おなじきじふろくにち、いよのくによりひきやくたうらい、こぞのふゆのころより、いよのくにのぢうにん、かはののしらうみちきよ、いつかうへいけをそむいて、げんじにどうしんのあひだ、びんごのくにのぢうにん、ぬかのにふだうさいじやくは、へいけにこころざしふかかりければ、そのせいさんぜんよきでいよのくにへおしわたり、だうぜんだうごのさかひなるたかなほのじやうにおしよせて、さんざんにせめければ、かはののしらうみちきようちじにす。しそくかはののしらうみちのぶは、あきのくにのぢうにん、ぬたのじらうはははかたのをぢなりければ、それへこえてありあはず、ちちをうたせてやすからずおもひけるが、いかにもしてP365さいじやくをうつとらんとぞうかがひける。ぬかのにふだうさいじやくは、しこくのらうぜきをしづめて、こんねんしやうぐわつじふごにち、びんごのともへおしわたり、いうくんいうぢよどもめしあつめて、あそびたはぶれ、さかもりけるところへ、かはののしらうみちのぶ、おもひきつたるものども、ひやくよにんあひかたらつて、ばつとおしよす。さいじやくがかたにもさんびやくよにんありけれども、にはかごとにてありければ、おもひまうけず、あわてふためきけるが、たてあふものをばいふせきりふせ、まづさいじやくをいけどつて、いよのくにへおしわたり、ちちがうたれたるたかなほのじやうまでさげもてゆき、のこぎりにてくびをきつたりともきこゆ。またはつつけにしたりともきこえけり。(『にうだうしきよ』)S0607そののちはしこくのものども、かはののしらうにしたがひつく。またきのくにのぢうにん、くまののべつたうたんぞうは、へいけぢうおんのみなりしが、たちまちにこころがはりして、げんじにどうしんのよしきこえしかば、へいけのひとびと、とうごくほくこくのそむくだにあるに、なんかいさいかいかくのごとし。いてきのほうきみみをおどろかし、げきらんのせんべうしきりにそうす。しいたちまちにおこれり。よすでにうせなんとすることは、かならずへいけのいちもんにあらねども、こころあるひとびとの、なげきかなしまぬはなかりけり。P366
「にふだうせいきよ」おなじきにじふさんにち、ゐんのてんじやうにて、にはかにくぎやうせんぎあり。さきのうだいしやうむねもりのきやうのまうされけるは、こんどばんどうへうつてはむかうたりといへども、させるしいだしたることもなし。こんどはむねもりたいしやうぐんをうけたまはつて、とうごくほくこくのきようとらをつゐたうすべきよしまうされければ、しよきやうしきだいして、「むねもりのきやうのまうしじやう、ゆゆしうさふらひなんず」とぞまうされける。ほふわうおほきにぎよかんありけり。くぎやうてんじやうびとも、ぶくわんにそなはり、すこしもきうせんにたづさはらんほどのひとびとは、むねもりをたいしやうぐんとして、とうごくほくこくのきようとらを、つゐたうすべきよしおほせくださる。おなじきにじふしちにちかどでして、すでにうつたたんとしたまひけるやはんばかりより、にふだうしやうこくゐれいのここちとて、とどまりたまひぬ。あくるにじふはちにち、ぢうびやうをうけたまへりときこえしかば、きやうぢうろくはらひしめきあへり。「すはしつるは」。「さみつることよ」とぞささやきける。にふだうしやうこくやまひつきたまへるひよりして、ゆみづものどへいれられず、みのうちのあつきことは、ひをたくがごとし。ふしたまへるところ、しごけんがうちへいるものは、あつさたへがたし。ただのたまふこととては、「あたあた」とばかりなり。まことにただごとともP367みえたまはず。あまりのたへがたさにや、ひえいさんよりせんじゆゐのみづをくみくだし、いしのふねにたたへ、それにおりてひえたまへば、みづおびたたしうわきあがつて、ほどなくゆにぞなりにける。もしやとかけひのみづをまかすれば、いしやくろがねなどのやけたるやうに、みづほとばしつてよりつかず。おのづからあたるみづは、ほむらとなつてもえければ、こくえんてんちうにみちみちて、ほのほうづまいてぞあがりける。これやむかしほふざうそうづといひしひと、えんわうのしやうにおもむいて、ははのしやうじよをたづねしに、えんわうあはれみたまひて、ごくそつをあひそへて、せうねつぢごくへつかはさる。くろがねのもんのうちへさしいつてみれば、りうしやうなどのごとくに、ほのほそらにうちのぼり、たひやくゆじゆんにおよびけんも、これにはすぎじとぞおぼえける。またにふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどのの、ゆめにみたまひけることこそおそろしけれ。たとへばみやうくわのおびたたしうもえたるくるまの、ぬしもなきを、もんのうちへやりいれたるをみれば、くるまのぜんごにたつたるものは、あるひはうしのおもてのやうなるものもあり、あるひはむまのやうなるものもあり。くるまのまへには、むといふもじばかりあらはれたる、くろがねのふだをぞうつたりけり。にゐどのゆめのうちに、「これはいづくよりいづちへ」ととひたまへば、「へいけだいじやうのにふだうどののあくぎやうてうくわしたまへるによつて、えんまわうぐうよりのおんむかひのおんくるまなり」とまうす。「さてあのふだはいかに」ととひたまへば、「なんえんぶだいこんどうじふろくぢやうのるしやなぶつ、やきほろぼしたまへるつみによつて、むげんのそこにしづめたまふべきよし、えんまのちやうにておんさたありしが、むげんのむをばかかれたれども、いまだけんのP368じをばかかれぬなり」とぞまうしける。にゐどのゆめさめてのち、あせみづになりつつ、これをひとにかたりたまへば、きくひとみなみのけよだちけり。れいぶつれいしやへこんごんしつぱうをなげ、むまくらよろひかぶとゆみやたちかたなにいたるまで、とりいではこびいだして、いのりまうされけれども、かなふべしともみえたまはず。ただなんによのきんだち、あとまくらにさしつどひて、なげきかなしみたまひけり。うるふにんぐわつふつかのひ、にゐどのあつさたへがたけれども、にふだうしやうこくのおんまくらによつて、「おんありさまみたてまつるに、ひにそへてたのみすくなうこそみえさせおはしませ。もののすこしもおぼえさせたまふとき、おぼしめすことあらば、おほせおかれよ」とぞのたまひける。にふだうしやうこく、ひごろはさしもゆゆしうおはせしかども、いまはのときにもなりしかば、よにもくるしげにて、いきのしたにてのたまひけるは、「たうけはほうげんへいぢよりこのかた、どどのてうてきをたひらげ、けんじやうみにあまり、かたじけなくもいつてんのきみのごぐわいせきとして、しようじやうのくらゐにいたり、えいぐわすでにしそんにのこす。こんじやうののぞみは、いちじもおもひおくことなし。ただおもひおくこととては、ひやうゑのすけよりともがかうべをみざりつることこそ、なによりもまたほいなけれ。われいかにもなりなんのち、ぶつじけうやうをもすべからず、だうたふをもたつべからず。いそぎうつてをくだし、よりともがかうべをはねて、わがはかのまへにかくべし。それぞこんじやうごしやうのけうやうにてあらんずるぞ」とのたまひけるこそ、いとどつみふかうはきこえし。もしやたすかると、いたにみづをおきて、ふしまろびたまへども、たすかるここちもしP369たまはず。おなじきしにちのひ、もんぜつびやくちして、つひにあづちじににぞしたまひける。むまくるまのはせちがふおとは、てんもひびきだいぢもゆるぐばかりなり。いつてんのきみ、ばんじようのあるじの、いかなるおんことましますとも、これにはいかでかまさるべき。こんねんはろくじふしにぞなられける。おいじにといふべきにはあらねども、しゆくうんたちまちにつきぬれば、だいほふひほふのかうげんもなく、しんめいぶつだのゐくわうもきえ、しよてんもおうごしたまはず。いはんやぼんりよにおいてをや。みにかはりいのちにかはらんと、ちうをぞんぜしすまんのぐんりよは、たうしやうたうかになみゐたれども、これはめにもみえず、ちからにもかかはらぬむじやうのせつきをば、ざんじもたたかひかへさず、またかへりこぬしでのやま、みつせがは、くわうせんちううのたびのそらに、ただいつしよこそおもむかれけれ。されどもひごろつくりおかれしざいごふばかりこそ、ごくそつとなつてむかひにもきたりけめ。あはれなりしことどもなり。さてしもあるべきことならねば、おなじきなぬかのひ、おたぎにてけぶりになしたてまつり、こつをばゑんじつほふげんくびにかけ、つのくにへくだり、きやうのしまにぞをさめける。さしもにつぽんいつしうになをあげ、ゐをふるひしひとなれども、みはひとときのけぶりとなつて、みやこのそらへたちのぼり、かばねはしばしやすらひて、はまのまさごにたはぶれつつ、むなしきつちとぞなりたまふ。P370
「きやうのしま」(『つきしま』)S0608さうそうのよ、ふしぎのことありけり。たまをのべ、きんぎんをちりばめて、つくられたりけるにしはちでうどの、そのよにはかにやけにけり。ひとのいへのやくることは、つねのならひなれども、なにもののしわざにやありけん、はうくわとぞきこえし。またろくはらのみなみにあたつて、ひとならばにさんじふにんばかりがこゑして、「うれしやみづ、なるはたきのみづ」といふひやうしをいだいて、まひをどり、どつとわらふこゑしけり。さんぬるしやうぐわつには、しやうくわうかくれさせたまひて、てんがりやうあんになりぬ。わづかいちりやうぐわつをへだてて、にふだうしやうこくこうぜられぬ。こころなきあやしのものも、いかがうれへざるべき。いかさまこれはてんぐのしよゐといふさたにて、へいけのはやりをのつはものどもひやくよにん、わらふこゑについてこれをたづぬるに、ゐんのごしよほふぢうじどのには、このさんかねんはゐんもわたらせたまはず。ごしよあづかりびぜんのぜんじもとむねといふものあり。かのもとむねがあひしつたるものども、さけをもつてきたりあつまり、のみけるが、「かかるをりふしにおとなせそ」とてのみけるが、しだいにのみゑひて、かやうにはまひをどりけるなり。ろくはらのつはものどもこれをききつけ、ばつとおしよせ、さけにゑひどもにさんじふにんからめとつて、ろくはらへゐてまゐり、つぼのうちにP371ひつすゑさせ、さきのうだいしやうむねもりのきやう、おほゆかにたつて、ことのしさいをたづねききたまひて、「げにもさやうにのみゑひたらんずるものを、さうなくきるべきやうなし」とて、みなかへされけり。じやうげひとのうせぬるあとには、あさゆふにかねうちならし、れいじせんぼふすることは、つねのならひなれども、このぜんもんこうぜられてのちは、いささかくぶつせそうのいとなみといふこともなし。あさゆふただいくさかつせんのいとなみのほかは、またたじなしとぞみえし。
およそはさいごのしよらうのありさまどもこそ、うたてけれども、まことには、ただびとともおぼえぬことどもおほかりけり。ひよしのやしろへまゐりたまひしにも、たうけたけのくぎやうおほくぐぶして、「せふろくのしんのかすがのごさんけい、うぢいりなどまうすとも、これにはいかでかまさるべき」とぞひとまうしける。なによりもまたふくはらのきやうのしまついて、じやうげわうらいのふねの、いまのよにいたるまで、わづらひなきこそめでたけれ。かのしまは、さんぬるおうほうぐわんねんにんぐわつじやうじゆんに、つきはじめられたりけるが、おなじきはちぐわつふつかのひ、にはかにおほかぜふきおほなみたつて、みなゆりうしなひてき。おなじきさんねんさんぐわつげじゆんに、あはのみんぶしげよしをぶぎやうにてつかれけるに、ひとばしらたてらるべきなんど、くぎやうせんぎありしかども、それはなかなかざいごふなるべしとて、いしのおもてにいつさいきやうをかいて、つかれたりけるゆゑにこそ、きやうのしまとはなづけけれ。P372
「じしんばう」(『じしんばう』)S0609あるひとのまうしけるは、きよもりこうはただびとにはあらず。じゑそうじやうのけしんなり。そのゆゑは、つのくにせいちようじのひじり、じしんばうそんゑとまうししは、もとはえいざんのがくりよ、たねんほつけのぢしやなり。しかるをだうしんおこしりさんして、このてらにすみけるを、ひとみなきえしけり。さんぬるじようあんにねんじふにんぐわつにじふににちのよにいつて、そんゑじやうぢうのぶつぜんにいたり、けふそくによりかかつて、ほけきやうよみたてまつりけるところに、ゆめともなくうつつともなく、じやうえにたてゑぼしきて、わらんづはばきしたるをとこににん、たてぶみをもつてきたり。そんゑゆめのうちに、「あれはいづくよりぞ」ととひたまへば、「えんまわうぐうよりせんじのさふらふ」とてそんゑにわたす。そんゑこれをひらいてみるに、「なんえんぶだいだいにつぽんごくつのくにせいちようじのひじり、じしんばうそんゑ、らいにじふろくにちえんまらじやうだいこくでんにして、じふまんぶのほけきやうあり。じふまんごくよりじふまんにんのそうをくやうし、ほつけてんどくせらるべきなり。そんゑもそのにんずたるうへ、いそぎさんきんせらるべし。えんわうせんよつてくつしやうくだんのごとし。じようあんにねんじふにんぐわつにじふににち、えんまのちやう」とぞかかれたる。そんゑいなみまうすにおよばねば、やがてりやうじようのうけぶみをたてまつるとおぼえて、ゆめさめぬ。これをゐんじゆのくわうやうばうにP373かたりたりければ、きくひとみのけよだちけり。そののちはひとへにしきよのおもひをなして、くちにはぶつみやうをとなへ、こころにいんぜふのひぐわんをねんず。おなじきにじふごにちのよにいつて、またじやうぢうのぶつぜんにまゐり、れいのごとくねんじゆどくきやうす。ねのこくばかり、ねぶりせつなるがゆゑに、ぢうばうにかへつてうちふす。うしのこくばかり、またさきのごとくにをとこににんきたつて、とうとうとすすむるあひだ、そんゑさんけいいたさんとすれば、えはつさらになし。えんわうせんをじせんとすれば、はなはだそのおそれあり。このおもひをなすところに、ほふえじねんにみにまとつてかたにかかり、てんよりこがねのはちくだる。ににんのじゆぞう、ににんのどうじ、じふにんのげそう、しつぽうのだいしや、じばうのまへにげんず。そんゑよろこんでくるまにのり、せいほくにむかつてそらをかけるとおぼえて、ほどなくえんまわうぐうにいたりぬ。
わうぐうのていをみるに、ぐわいくわくくわうくわうとして、そのうちべうべうたり。そのなかにしつぽうしよじやうのだいこくでんあり。かうくわうこんじきにして、さらにぼんぶのまなこにおよびがたし。そのひのほふゑをはつてのち、よそうらみなかへりさんぬ。そんゑはだいこくでんのなんぱうのちうもんにたつて、はるかのだいこくでんをみわたせば、みやうくわんみやうじゆ、みなえんまほふわうのおんまへにかしこまる。ありがたきさんけいなり。このついでにごしやうのざいしやうをたづねまうさんとおもつてあゆみむかふ。そのあひだにににんのじゆそうはこをもち、ににんのどうじかいをさし、じふにんのげそうれつをひいて、やうやうあゆみちかづくとき、えんまほふわう、みやうくわんみやうじゆ、ことごとくおりむかふ。やくわうぼさつ、ゆうぜぼさつ、ににんのじゆそうにへんじ、たもんぢこく、ににんのどうじにげんず。じふらせつによ、じふにんのげそうにP374へんじて、ずゐちくきふじしたまへり。えんわうとつてのたまはく、「よそうらみなかへりさんぬ。おんばういちにんきたることいかん」。そんゑこたへまうされけるは、「われえうせうより、ほつけてんどくまいにちおこたらずといへども、ごしやうのざいしやうをいまだしらず、たづねまうさんがためなり」。えんわうおほせけるは、「わうじやうふわうじやうはひとのしんふしんにありとうんぬん。それほつけはさんぜのしよぶつのしゆつせのほんくわい、しゆじやうじやうぶつのぢきだうなり。いちねんしんげのくどくは、ごはらみつのぎやうにもこえ、ごじふてんでんのずゐきのくどくは、はちじつかねんのふせにもすぐれたり。さればなんぢかのくりきによつて、とそつのないゐんにしやうずべし」とぞおほせける。えんわうまたみやうくわんにちよくしておほせけるは、「このひとのいちごのぎやう、さぜんのふばこにあり。とりいだいてけたのひもんみせたてまつれ」とおほせければ、みやうくわんかしこまりうけたまはつて、なんぱうのほうざうにゆいて、かのひとつのふばこをとつてまゐり、すなはちふたをひらいてよみきかす。いちごがあひだおもひとおもひ、せしとせしことの、ひとつとしてあらはれずといふことなし。そんゑひたんていきふして、「ただねがはくは、しゆつりしやうじのはうほふををしへ、しようだいぼだいのぢきだうをしめしたまへ」となくなくまうされければ、えんわうあいみんけうげして、しゆじゆのげをじゆす。
さいしわうゐざいけんぞくしこむいちらいさうしん
じやうずゐごふきけいばくがじゆくけうくわんむへんざい
このげをじゆしをはつて、そんゑにふぞくす。そんゑなのめならずによろこび、「なんえんぶだいだいにつぽんごくに、P375へいだいしやうこくとまうすひとこそ、つのくにわだのみさきをてんじて、しめんじふよちやうにやをたて、けふのじふまんぞうゑのごとく、おほくのぢきやうじやをくつしやうじて、ばうばうにいちめんにざにつけ、ねんじゆどくきやう、ていねいにごんぎやういたされさふらふ」とまうす。えんわうずゐきかんたんしたまひて、「くだんのにふだうはただびとにはあらず、まことにはじゑそうじやうのけしんなり。そのゆゑは、てんだいのぶつぽふごぢのために、かりににつぽんにさいたんするゆゑに、われかのひとをにちにちにさんどらいするもんあり。くだんのにふだうにえさすべし」とて、
きやうらいじゑだいそうじやうてんだいぶつぽふおうごしや
じげんさいしよしやうぐんしんあくごふしゆじやうどうりやく
このもんをよみをはつて、そんゑにまたふぞくす。そんゑよろこびのなみだをながいて、なんぱうのちうもんをいづるとき、じふよにんのじゆそうら、くるまのぜんごをしゆごし、とうなんにむかつてそらをかけり、ほどなくかへりきたるかとおぼえて、ゆめのここちしていきいでぬ。そののちみやこへのぼり、にふだうしやうこくのにしはちでうのていにゆいて、このよしまうしたりければ、にふだうしやうこくなのめならずによろこび、やうやうにもてなし、さまざまのひきでものたうで、そのときのけんじやうには、りつしになされけるとぞきこえし。それよりしてこそ、きよもりこうをば、じゑそうじやうのけしんとは、ひとみなしりてげり。ぢきやうしやうにんは、こうぼふだいしのさいたん、しらかはのゐんはまたぢきやうしやうにんのけしんなり。このきみはくどくのはやしをなし、ぜんごんのとくをかさねさせおはします。まつだいにもきよもりこう、じゑそうじやうのけしんにて、あくごふもぜんごんもともにP376こうをつんで、よのためひとのために、じたのりやくをなすとみえたり。かのだつたとしやくそんの、どうしゆじやうのりやくにことならず。
「ぎをんにようご」(『ぎをんにようご』)S0610またふるいひとのまうしけるは、きよもりこうはただびとにはあらず。まことにはしらかはのゐんのおんこなり。そのゆゑはさんぬるえいきうのころほひ、ぎをんにようごとて、さいはひじんおはしき。くだんのにようばうのすまひどころは、ひがしやまのふもと、ぎをんのほとりにてぞありける。しらかはのゐんつねはかしこへごかうなる。あるときてんじやうびといちりやうにん、ほくめんせうせうめしぐして、しのびのごかうありしに、ころはさつきはつかあまり、まだよひのことなるに、さみだれさへかきくれて、よろづものいぶせかりけるをりふし、くだんのにようばうのしゆくしよちかうみだうあり。みだうのかたほとりより、ひかりものこそいできたれ。かしらはしろがねのはりをみがきたてたるやうにきらめき、かたてにはつちのやうなるものをもち、かたてにはひかるものをぞもつたりける。これぞまことのおにとおぼゆる。てにもてるものは、きこゆるうちでのこづちなるべし。いかがせんとて、きみもしんもおほきにさわがせおはします。そのときただもり、ほくめんのげらふにて、ぐぶせられたりけるを、ごぜんへP377めして、「このなかにはなんぢぞあるらん。あのものいもころし、きりもとどめなんや」とおほせければ、かしこまりうけたまはつてあゆみむかふ。ただもりないないおもひけるは、このものさしてたけきものとはみえず、おもふにきつねたぬきのしわざにてぞあるらん。これをいもころし、きりもとどめたらんは、むげにねんなからまし。おなじくはいけどりにせんとおもうて、あゆみむかふ。とばかりあつてはさつとはひかり、とばかりあつてはさつとはひかり、にさんどしけるを、ただもりはしりよつてむずとくむ。くまれて、「こはいかに」とさわぐ。へんげのものにてはなかりけり。ひとにてぞさふらひける。そのときじやうげてんでにひをともいて、これをごらんじみたまふに、ろくじふばかりのほふしなり。たとへばみだうのじようじぼふしにてありけるが、ほとけにみあかしをまゐらせんとて、かたてにはてがめといふものにあぶらをいれてもち、かたてにはかはらけにひをいれてぞもつたりける。あめはいにいてふる。ぬれじとて、こむぎのわらをひきむすんでかづいたりけるが、かはらけのひにかがやいて、ひとへにしろがねのはりのごとくにはみえけるなり。ことのていいちいちしだいにあらはれぬ。「これをいもころし、きりもとどめたらんは、いかにねんなからまし。ただもりがふるまひこそまことにしりよふかけれ。ゆみやとりはやさしかりけるものかな」とて、さしもごさいあいときこえしぎをんにようごを、ただもりにこそくだされけれ。このにようごはらみたまへり。「うめらんこ、によしならばちんがこにせん。なんしならば、ただもりとりて、ゆみやとりにしたてよ」とぞおほせける。すなはちなんをうめり。ことにふれてはひろうせざりけれども、P378ないないはもてなしけり。
このこといかにもしてそうせばやとおもはれけれども、しかるべきびんぎもなかりけるが、あるときしらかはのゐん、くまのへごかうなる。きのくにいとがさかといふところに、おんこしかきすゑさせ、しばらくごきうそくありけり。そのときただもり、やぶにいくらもありけるぬかごを、そでにもりいれ、ごぜんへまゐりかしこまつて、
いもがこははふほどにこそなりにけれ
とまうされたりければ、ゐんやがておんこころえあつて、
ただもりとりてやしなひにせよ W047
とぞつけさせましましける。さてこそわがことはもてなされけれ。このわかぎみ、あまりによなきをしたまひしかば、ゐんきこしめして、いつしゆのごえいをあそばいてぞくだされける。
よなきすとただもりたてよすゑのよにきよくさかふることもこそあれ W048
それよりしてこそきよもりとはなのられけれ。じふにのとしげんぶくしてひやうゑのすけになり、じふはちのとししほんして、しゐのひやうゑのすけとまうせしを、しさいぞんぢせぬひとは、「くわぞくのひとこそかうは」とまうされければ、とばのゐんはしろしめして、「きよもりがくわぞくはひとにおとらじ」とこそおほせけれ。むかしもてんぢてんわう、はらみたまへるにようごをたいしよくくわんにたまふとて、「このにようごのうめらんP379こ、によしならばちんがこにせん、なんしならばしんがこにせよ」とおほせけるに、すなはちなんをうめり。たふのみねのほんぐわんぢやうゑくわしやうこれなり。しやうだいにもかかるためしありければ、まつだいにもきよもりこう、まことにはしらかはのゐんのわうじとして、さしもたやすからぬてんがのだいじ、みやこうつりなどいふことをも、おもひたたれけるにこそ。
「すのまたかつせん」おなじきはつかのひ、ごでうのだいなごんくにつなのきやうもうせたまひぬ。にふだうしやうこくとさしもちぎりふかうおはせしが、どうにちにやまひついて、おなじつきうせたまひけるこそふしぎなれ。おなじきにじふににち、さきのうだいしやうむねもりのきやうゐんざんして、ゐんのごしよをほふぢうじどのへごかうなしたてまつるべきよしそうせらる。かのごしよはさんぬるおうほうぐわんねんしんぐわつじふごにちにつくりいだされて、いまびよし、いまぐまの、まぢかうくわんじやうしたてまつり、せんずゐこだちにいたるまで、おぼしめすままなりしが、へいけのあくぎやうによつて、このにさんかねんは、ゐんもわたらせたまはず。ごしよのはゑしたるをしゆりして、ごかうなしまゐらすべきよし、そうもんせられたりければ、ほふわう、「なんのやうもあるべからず。ただとうとう」とてごかうなる。まづP380こけんしゆんもんゐんのおはしけるおんかたをごらんずれば、きしのまつ、みぎはのやなぎ、としへにけりとおぼしくて、こだかくなれり。たいえきのふよう、びあうのやなぎ、これにむかふにいかんがなんだすすまざらん。かのなんだいせいきうのむかしのあと、いまこそおぼしめししられけれ。さんぐわつひとひのひ、なんとのそうがうら、みなゆるされてほんぐわんにふくす。まつじしやうゑんいつしよもさうゐあるべからざるよしおほせくださる。おなじきみつかのひ、だいぶつでんことはじめあり。ことはじめのぶぎやうには、さきのさせうべんゆきたかぞまゐられける。このゆきたか、せんねんやはたへまゐり、つやせられたりけるゆめに、ごはうでんのみとおしひらき、びんづらゆうたるてんどうのいでて、「これはだいぼさつのおつかひなり。だいぶつでんことはじめのぶぎやうのときは、これをもつべし」とて、しやくをたまはるといふゆめをみて、さめてのちみたまへば、うつつにまくらがみにぞさふらひける。あなふしぎ、たうじなにごとあつてか、だいぶつでんことはじめのぶぎやうにはまゐるべしとおもはれけれども、ごれいむなれば、くわいちうしてしゆくしよにかへり、ふかうをさめておかれけるが、へいけのあくぎやうによつて、なんとえんしやうのあひだ、おほくのべんのなかに、このゆきたかえらびいだされて、だいぶつでんことはじめのぶぎやうにまゐられけるしゆくえんのほどこそめでたけれ。
おなじきとをかのひ、みののくにのもくだい、はやむまをもつてみやこへまうしけるは、げんじすでにをはりのくにまでせめのぼり、みちをふさいで、ひとをいつかうとほさぬよしまうしたりければ、へいけやがてうつてをさしむけらる。たいしやうぐんには、さひやうゑのかみとももり、さちうじやうきよつね、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじうただふさ、さぶらひだいしやうには、ゑつちうのじらうひやうゑもりつぎ、かづさのごらうひやうゑただみつ、P381あくしちびやうゑかげきよをさきとして、つがふそのせいさんまんよき、をはりのくにへはつかうす。にふだうしやうこくこうぜられて、わづかにごじゆんをだにみたざるに、さこそみだれたるよといひながら、あさましかりしことどもなり。げんじのかたには、じふらうくらんどゆきいへ、ひやうゑのすけのおとときやうのきみぎゑん、つがふそのせいろくせんよき、をはりがはをへだてて、げんぺいりやうばうにぢんをとる。おなじきじふろくにちのよにいつて、げんじろくせんよきかはをわたいて、へいけさんまんよきがせいのなかへかけいり、とらのこくよりやあはせして、よのあくるまでたたかふに、へいけのかたにはちつともさわがず。「かたきはかはをわたいたれば、むまもののぐもみなぬれたるぞ。それをしるしにうてや」とて、げんじをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。ひやうゑのすけのおとときやうのきみぎゑん、ふかいりしてうたれにけり。じふらうくらんどゆきいへさんざんにたたかひ、いへのこらうどうおほくいさせ、ちからおよばで、かはよりひがしへひきしりぞく。へいけやがてかはをわたいて、おちゆくげんじを、おふものいにいてゆくに、あそこここにてかへしあはせて、ふせぎたたかふといへども、たぜいにぶぜい、かなふべしともみえざりけり。「すゐえきをうしろにすることなかれとこそいふに、こんどのげんじのはかりごとはおろかなり」とぞひとまうしける。じふらうくらんどゆきいへはひきしりぞき、みかはのくににうちこえて、やはぎがはのはしをひき、かいだてかいてまちかけたり。へいけやがてつづいてせめたまへば、そこをもつひにせめおとされぬ。なほもつづいてせめたまはば、みかはとほたふみのせいは、たやすうつくべかりしを、たいしやうぐんさひやうゑのかみとももり、P382いたはりありとて、みかはのくによりみやこへかへりのぼられけり。こんどもわづかにいちぢんをこそやぶられたれども、ざんたうをせめざれば、させるしいだしたることなきがごとし。へいけはきよきよねんこまつのおとどこうぜられぬ。こんねんまたにふだうしやうこくうせたまひぬ。うんめいのすゑになることあらはなりしかば、ねんらいおんこのともがらのほかは、したがひつくものなかりけり。とうごくはくさもきも、みなげんじにぞなびきける。
「しはがれごゑ」(『しはがれごゑ』)S0611さるほどにゑちごのくにのぢうにん、じやうのたらうすけなが、ゑちごのかみににんぜらる。てうおんのかたじけなさに、きそつゐたうのためにとて、そのせいさんまんよきで、しなののくにへはつかうす。ろくぐわつじふごにちにかどでして、すでにうつたたんとしけるやはんばかり、にはかにそらかきくもり、いかづちおびたたしうなつて、おほあめくだり、てんはれてのち、こくうにしはがれたるこゑをもつて、「なんえんぶだいこんどうじふろくぢやうのるしやなぶつやきほろぼしたてまつたるへいけのかたうどするものここにあり。よつてめしとれや」と、みこゑさけんでぞとほりける。じやうのたらうをはじめとして、これをきくつはものども、みなみのけよだちけり。らうどうども、「これほどおそろしきてんのおんつげのさふらふに、P383ただりをまげてとまらせたまへ」といひけれども、「ゆみやとるみの、それによるべからず」とて、じやうをいでて、わづかにじふよちやうぞゆきたりける。またくろくもひとむらたちきたつて、すけなががうへにおほふとみえしが、たちまちにみすくみこころほれて、らくばしてけり。こしにかかれてたちへかへり、うちふすことみときばかりあつて、つひにしににけり。ひきやくをもつてみやこへこのよしまうしたりければ、へいけのひとびと、おほきにおそれさわがれけり。おなじきしちぐわつじふしにちかいげんあつて、やうわとかうす。そのひぢもくおこなはれて、ちくごのかみさだよし、ひごのかみになつて、ちくぜんひごりやうごくをたまはつて、ちんぜいのむほんたひらげに、そのせいさんぜんよきで、ちんぜいへはつかうす。またそのひひじやうのしやおこなはれて、さんぬるぢしようさんねんにながされたまひしひとびと、みなみやこへめしかへさる。にふだうまつどのてんが、びぜんのくによりのぼらせたまふ。めうおんゐんのだいじやうのおほいどの、をはりのくによりごしやうらく、あぜちのだいなごんすけかたのきやうは、しなののくによりきらくとぞきこえし。
おなじきにじふはちにち、めうおんゐんどのごゐんざん、さんぬるちやうくわんのきらくには、ごぜんのすのこにして、がわうおん、げんじやうらくをひきたまひしが、やうわのいまのききやうには、せんとうにしてしうふうらくをぞあそばされける。いづれもいづれもふぜいをりをおぼしめしよらせたまひける、おこころばせこそめでたけれ。あぜちのだいなごんすけかたのきやうも、そのひおなじうゐんざんせらる。ほふわうえいらんあつて、「いかにやいかに、このころはならはぬひなのすまひして、えいきよくなども、いまはさだめてあとかたあらじとこそおぼしめせども、まづいまやうひとつあれかし」とP384おほせければ、だいなごんひやうしとつて、「しなのにあんなるきそぢがは」といふいまやうを、これはまさしうみきかれたりしかば、「しなのにありしきそぢがは」とうたはれけるこそ、ときにとつてのかうみやうなれ。
「よこたかはらかつせん」(『よこたがはらのかつせん』)S0612はちぐわつなぬかのひ、くわんのちやうにしてだいにんわうゑおこなはる。これはまさかどつゐたうのれいとぞきこえし。くぐわつひとひのひ、すみともつゐたうのれいとて、いせだいじんぐうへくろがねのよろひかぶとをまゐらせらる。ちよくしはさいしゆじんぎのごんのたいふおほなかとみのさだたか、みやこをたつて、あふみのくにかふがのうまやよりやまひついて、おなじきみつかのひ、いせのりきうにしてつひにしにぬ。またてうぶくのために、ごだんのほふうけたまはつておこなひけるこうざんぜのだいあじやり、だいぎやうじのひがんじよにして、ねじににしにぬ。しんめいもさんぱうも、ごなふじゆなしといふこといちじるし。まただいげんのほふうけたまはつておこなひける、あんじやうじのじつげんあじやりが、おんくわんじゆをまゐらせたるを、ひけんせられければ、へいじてうぶくのよしをちうしんしけるこそおそろしけれ。「こはいかに」とおほせければ、「てうてきてうぶくせよとおほせくださる。つらつらたうせいのていをみさふらふに、へいけもつぱらてうてきとみえたり。よつてかれをてうぶくす。なんのとがやさふらふべき」とぞまうしける。P385このほふしきくわいなり、しざいかるざいかとさたありしかども、だいせうじのそうげきにうちまぎれて、なんのさたにもおよばず。へいけほろびげんじのよになつて、かまくらへくだり、このよしかくとまうしければ、かまくらどのかんじたまひて、そのけんじやうにそうじやうになされけるとぞきこえし。おなじきじふにんぐわつにじふしにち、ちうぐうゐんがうかうぶらせたまひて、けんれいもんゐんとぞまうしける。しゆじやういまだえうしゆのおんとき、ぼこうのゐんがう、これはじめとぞうけたまはる。さるほどにことしもくれてやうわもにねんになりにけり。せちゑいげつねのごとし。にんぐわつにじふいちにち、たいはくばうせいををかす。てんもんえうろくにいはく、「たいはくばうせいををかせば、しいおこる」といへり。また、「しやうぐんちよくめいをうけたまはつて、くにのさかひをいづ」ともみえたり。さんぐわつとをかのひ、ぢもくおこなはれて、へいけのひとびとたいりやくくわんかかいしたまふ。しんぐわつじふごにち、さきのごんせうそうづけんしん、ひよしのやしろにして、によほふにほけきやういちまんぶてんどくいたさるることありけり。ごけちえんのためにとてほふわうもごかうなる。なにもののまうしいだしたりけるやらん、いちゐんさんもんのだいしゆにおほせて、へいけつゐたうせらるべしときこえしかば、ぐんびやうだいりへさんじて、しはうのぢんどうをけいごす。へいじのいちるゐ、みなろくはらへはせあつまる。ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、そのせいさんぜんよきで、ひよしのやしろへさんかうす。さんもんにまたきこえけるは、へいけやませめんとて、とうざんすときこえしかば、だいしゆひがしざかもとへおりくだつて、こはいかにとせんぎす。ほふわうもえいりよをおどろかさせおはします。くぎやうてんじやうびともいろをP386うしなひ、ほくめんのともがらどものなかには、あまりにあわてさわいで、わうずゐつくものおほかりけり。さんじやうらくちうのさうどうなのめならず。さるほどにしげひらのきやう、あなふのへんにて、ほふわうむかひとりまゐらせて、みやこへくわんぎよなしたてまつる。「いちゐんさんもんのだいしゆにおほせて、へいけつゐたうせらるべしといふことも、へいけまたやませめんといふことも、あとかたなきそらごとなり。ただてんまのよくあれたるにこそ」とぞひとまうしける。ほふわうおほせなりけるは、「かくのみあらんには、こののちはおんものまうでなどまうすおんことも、おんこころにはまかすまじきことやらん」とぞおほせける。おなじきはつかのひ、にじふにしやへくわんぺいしをたてらる。これはききんしつえきによつてなり。おなじきごぐわつにじふしにちにかいげんあつて、じゆえいとかうす。そのひぢもくおこなはれて、ゑちごのくにのぢうにんじやうのしらうすけもち、ゑちごのかみににんず。あにすけながせいきよのあひだ、ふきつなりとて、しきりにじしまうしけれども、ちよくめいなればちからおよばず。これによつてすけもちをながもちとかいみやうす。
さるほどにくぐわつふつかのひ、ゑちごのくにのぢうにん、じやうのしらうながもち、きそつゐたうのためにとて、ゑちご、では、あひづしぐんのつはものどもをいんぞつして、つがふそのせいしまんよき、しなののくにへはつかうす。おなじきここのかのひ、たうごくよこたがはらにぢんをとる。きそはよだのじやうにありけるが、さんぜんよきでじやうをいでてはせむかふ。ここにしなのげんじ、ゐのうへのくらうみつもりがはかりごとに、さんぜんよきをななてにわかち、にはかにあかはたななながれつくつて、てんでにさしあげ、あそこのみね、ここのほらよりよせければ、ゑちごのせいどもこれをみて、「あはやこのP387くににもみかたのありけるは。ちからつきぬ」とていさみよろこぶところに、しだいにちかうなりければ、あひづをさだめて、ななてがひとつになり、あかはたどもきりすてさせ、かねてよういしたりけるしらはたを、ざつとさしあげて、ときをどつとつくりければ、ゑちごのせいどもこれをみて、「こはたばかられにけり。かたきなんじふまんぎかあるらん、とりこめられてはかなふまじ」とて、あわてふためきけるが、あるひはかはへおつぱめられ、あるひはあくしよへおひおとされて、たすかるものはすくなう、うたるるものぞおほかりける。じやうのしらうがむねとたのみきつたるゑちごのやまのたらう、あひづのじようたんばうなどいふいちにんたうぜんのつはものども、そこにてみなうつとられぬ。じやうのしらう、わがみておひ、からきいのちをいきつつ、かはについてゑちごのくににひきしりぞく。ひきやくをもつてみやこへこのよしをまうしたりけれども、へいけのひとびとこれをことともしたまはず。おなじきじふろくにち、さきのうだいしやうむねもりのきやう、だいなごんにくわんぢやくして、じふぐわつみつかのひ、ないだいじんになりたまふ。おなじきなぬか、よろこびまうしのありしに、くぎやうにはくわざんのゐんちうなごんをはじめたてまつて、じふににんこしようしてやりつづけらる。くらんどのとうちかむねいげ、てんじやうびとじふろくにんぜんくす。ちうなごんしにん、さんみのちうじやうもさんにんまでおはしき。とうごくほくこくのげんじら、はちのごとくにおこりあひ、ただいまみやこへみだれいるよしきこえしかども、へいけのひとびとは、かぜのふくやらん、なみのたつやらんをもしりたまはず。かやうにはなやかなりしことども、なかなかいふかひなうぞみえし。P388さるほどにことしもくれて、じゆえいもにねんになりにけり。せちゑいげつねのごとし。しやうぐわついつかのひ、てうきんのぎやうがうありけり。これはとばのゐんろくさいにて、てうきんのぎやうがうありし、そのれいとぞきこえし。にんぐわつにじふいちにち、むねもりこうじゆいちゐしたまふ。やがてそのひないだいじんをばじやうへうせらる。これはひやうらんつつしみのためとぞきこえし。なんとほくれいのだいしゆ、ゆやきんぽうせんのそうと、いせだいじんぐうのさいしゆじんぐわんにいたるまで、いつかうへいけをそむいて、げんじにこころをかよはしけり。しかいにせんじをなしくだし、しよこくへゐんぜんをつかはせども、ゐんぜんせんじをも、みなへいけのげぢとのみこころえて、したがひつくものなかりけり。

平家物語 巻第七  総かな版(元和九年本)
「ほくこくげかう」(『しみづのくわんじや』)S0701 P13じゆえいにねんさんぐわつじやうじゆんに、きそのくわんじやよしなか、ひやうゑのすけよりとも、ふくわいのことありときこえけり。さるほどにかまくらのさきのひやうゑのすけよりとも、きそつゐたうのためにとて、そのせいじふまんよきで、しなののくにへはつかうす。きそはそのころよだのじやうにありけるが、そのせいさんぜんよきで、しろをいでて、しなのとゑちごのさかひなるくまさかやまにぢんをとる。ひやうゑのすけもおなじきくにのうち、ぜんくわうじにこそつきたまへ。きそ、めのとごのいまゐのしらうかねひらをししやにて、ひやうゑのすけのもとへつかはす。「そもそもごへんはとうはつかこくをうちしたがへて、とうかいだうよりせめのぼり、へいけをおひおとさんとはしたまふなり。よしなかもとうせんほくろくりやうだうをうちしたがへて、ほくろくだうよりせめのぼり、いまいちにちもさきにへいけをほろぼさんとすることでこそあるに、いかなるしさいあつてか、ごへんとよしなか、なかをたがうて、へいけにわらはれんとはおもふべき。ただしをぢのじふらうくらんどどのこそ、ごへんをうらみたてまつることありとて、よしなかがP14もとへおはしつるを、よしなかさへ、すげなうあひしらひもてなしまうさんこと、いかんぞやさふらへば、これまではうちつれまうしたり。よしなかにおいてはまつたくいしゆおもひたてまつらず」とのたまひつかはされたりければ、ひやうゑのすけのへんじに、「いまこそさやうにのたまへども、まさしうよりともうつべきよしのむほんのくはたてありと、つげしらするものあり。ただしそれにはよるべからず」とて、とひ、かぢはらをさきとして、すまんぎのぐんびやうをさしむけらるるよしきこえしかば、きそしんじついしゆなきよしをあらはさんがために、ちやくしにしみづのくわんじやよししげとて、しやうねんじふいつさいになりけるこくわんじやに、うみの、もちづき、すは、ふぢさはなどいふ、いちにんたうぜんのつはものをあひそへて、ひやうゑのすけのもとへつかはす。ひやうゑのすけ、「このうへはまことにいしゆなかりけり。よりともいまだせいじんのこをもたず。よしよし、さらばこにしまうさん」とて、しみづのくわんじやをあひぐして、かまくらへこそかへられけれ。
(『ほつこくげかう』)S0702さるほどにきそよしなかは、とうせんほくろくりやうだうをうちしたがへて、すでにみやこへみだれいるよしきこえけり。へいけはこぞのふゆのころより、「みやうねんはむまのくさがひについて、いくさあるべし」とひろうせられたりければ、せんをんせんやう、なんかいさいかいのつはものども、うんかのごとくにはせあつまる。とうせんだうはあふみ、みの、ひだのつはものはまゐりたれども、とうかいだうはとほたふみよりひんがしのつはものはいちにんもまゐらず、にしはみなまゐりたり。ほくろくだうはわかさよりきたのつはものはいちにんもまゐらず。へいけのひとびと、まづきそよしなかをうつてのち、ひやうゑのすけよりともをうつべきよしのくぎやうせんぎありて、ほくこくへうつてをさしむけらる。たいしやうぐんには、こまつのさんみのちうじやうこれもりP15、ゑちぜんのさんみみちもり、ふくしやうぐんには、さつまのかみただのり、くわうごぐうのすけつねまさ、あはぢのかみきよふさ、みかはのかみとものり、さぶらひだいしやうには、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのたいふのはうぐわんただつな、ひだのたいふのはうぐわんかげたか、かはちのはうぐわんひでくに、たかはしのはうぐわんながつな、むさしのさぶらうざゑもんありくにをさきとして、いじやうたいしやうぐんろくにん、しかるべきさぶらひさんびやくしじふよにん、つがふそのせいじふまんよき、しんぐわつじふしちにちのたつのいつてんにみやこをたつて、ほくこくへこそおもむかれけれ。かたみちをたまはつてげれば、あふさかのせきよりはじめて、ろしにもつてあふけんもんせいけのしやうぜいくわんもつをもおそれず、いちいちにみなうばひとる。しが、からさき、みつかはじり、まの、たかしま、しほつ、かひづのみちのほとりを、しだいにつゐふくしてとほりければ、にんみんこらへずして、さんやにみなでうさんす。
「ちくぶしままうで」(『ちくぶしままふで』)S0703たいしやうぐんこれもり、みちもりはすすみたまへども、ふくしやうぐんただのり、つねまさ、きよふさ、とものりなどは、いまだあふみのくにしほつ、かひづにひかへたまへり。なかにもくわうごぐうのすけつねまさは、えうせうのときより、しいかくわんげんのみちにちやうじたまへるひとにておはしければ、かかるみだれのなかにもこころをすまし、あるあした、みづうみのはたにうちいで、はるかのおきなるしまをみわたいて、ともにさふらふP16とうびやうゑのじようありのりをめして、「あれはいかなるしまぞ」ととひたまへば、「あれこそきこえさふらふちくぶしまにてさふらへ」とまうしければ、つねまさ、「さることあり。いざやまゐらん」とて、とうびやうゑのじようありのり、あんゑもんのじようもりのりいげ、さぶらひろくにんめしぐして、こぶねにのり、ちくぶしまへぞまゐられける。ころはうづきなかのやうかのことなれば、みどりにみゆるこずゑには、はるのなさけをのこすかとうたがはれ、かんこくのあうぜつのこゑおいて、はつねゆかしきほととぎす、をりしりがほにつげわたり、まつにふぢなみさきかかつて、まことにおもしろかりければ、つねまさいそぎふねよりおり、きしにあがつて、このしまのけしきをみたまふに、こころもことばもおよばれず。かのしんくわう、かんぶ、あるひはどうなんくわぢよをつかはし、あるひははうしをしてふしのくすりをもとめしむ。「ほうらいをみずは、いなやかへらじ」といひて、いたづらにふねのうちにておい、てんすゐばうばうとして、もとむることをえざりけん、ほうらいどうのありさまも、これにはすぎじとぞみえし。あるきやうのもんにいはく、「えんぶだいのうちにみづうみあり。そのなかにこんりんざいよりおひいでたるすゐしやうりんのやまあり。てんによすむところ」といへり。すなはちこのしまのおんことなりとて、つねまさ、みやうじんのおんまへについゐたまへり。「それだいべんくどくてんは、わうごのによらい、ほつしんのだいじなり。めうおんべんざいにてんのなは、かくべつなりとはまうせども、ほんぢいつたいにして、しゆじやうをさいどしたまへり。いちどさんけいのともがらは、しよぐわんじやうじゆゑんまんすとうけたまはれば、たのもしうこそさふらへ」とて。しづかにほつせまゐらせてゐたまへば、やうやうひくれ、ゐまちのつきさしいでて、P17かいじやうもてりわたり、しやだんもいよいよかかやいて、まことにおもしろかりければ、じやうぢうのそう、「これはきこゆるおんことなり」とて、おんびはをたてまつる。つねまさこれをとつてひきたまふに、しやうげん、せきしやうのひきよくには、みやのうちもすみわたり、まことにおもしろかりければ、みやうじんもかんおうにたへずやおぼしけん、つねまさのそでのうへにびやくりうげんじてみえたまへり。つねまさあまりのかたじけなさに、しばらくおんびはをさしおかせたまひて、かうぞおもひつづけらる。
ちはやぶるかみにいのりのかなへばやしるくもいろのあらはれにけり W049
めのまへにててうのをんできをたひらげ、きようとをしりぞけんことうたがひなしとよろこんで、またふねにのり、ちくぶしまをぞいでられける。ありがたかりしことどもなり。
「ひうちかつせん」(『ひうちがつせん』)S0704さるほどにきそよしなかは、みづからはしなのにありながら、ゑちぜんのくにひうちがじやうをぞかまへける。かのじやうくわくにこもるせい、へいせんじのちやうりさいめいゐぎし、とがしのにふだうぶつせい、いなづのしんすけ、さいとうだ、はやしのろくらうみつあきら、いしぐろ、みやざき、つちだ、たけべ、にふぜん、さみをはじめとして、ろくせんよきこそこもりけれ。ところもとよりくつきやうのじやうくわく、ばんじやくそばだちめぐつて、しはうにみねをつらねたり。やまをうしろにし、やまをまへにあつ。じやうくわくのまへには、のうみがは、P18しんだうがはとてながれたり。かのふたつのかはのおちあひに、たいせきをかさねあげ、おほぎをきつて、さかもぎにひき、しがらみをおびたたしうかきあげたれば、とうざいのやまのねに、みづせきこうで、みづうみにむかへるがごとし。かげなんざんをひたし、あをくしてくわうやうたり。なみせいじつをしづめて、くれなゐにしていんりんたり。かのむねつちのそこには、こんごんのいさごをしき、こんめいちのなぎさには、とくせいのふねをうかべたり。わがてうのひうちがじやうのつきいけは、つつみをつき、みづをにごして、ひとのこころをたぶらかす。ふねなくしては、たやすうわたすべきやうなかりければ、へいけのおほぜい、むかひのやまにしゆくして、いたづらにひかずをぞおくりける。かのじやうくわくにこもつたるへいせんじのちやうりさいめいゐぎし、へいけにこころざしふかかりければ、やまのねをまはり、せうそくをかき、ひきめにいれ、へいじのぢんへぞいいれたる。つはものどもこれをとつて、たいしやうぐんのおんまへにまゐり、ひらいてみるに、「このかはとまうすは、わうごのふちにあらず。いつたんやまがはをせきとめ、みづをにごしてひとのこころをたぶらかす。よにいつてあしがるどもをつかはして、しがらみをきりおとさせられなば、みづはほどなくおつべし。いそぎわたさせたまへ。ここはむまのあしだちよきところにてさふらふ。うしろやをばつかまつらん。かうまうすものは、へいせんじのちやうりさいめいゐぎしがまうしじやう」とぞかいたりける。へいけなのめならずによろこび、よにいり、あしがるどもをつかはして、しがらみをきりおとさせられたりければ、まことのやまがはではあり、みづはほどなくおちにけり。へいけしばしのちちにもおよばず、ざつとわたす。じやうのうちにもろくせんよき、ふせぎたたかふといへども、たぜいにぶぜい、P19かなふべしともみえざりけり。へいせんじのちやうりさいめいゐぎしは、へいけについてちうをいたす。とがしのにふだうぶつせい、いなづのしんすけ、さいとうだ、はやしのろくらうみつあきら、かなはじとやおもひけん、かがのくにへひきしりぞき、しらやまかはちにぢんをとる。へいけやがてかがのくににうちこえ、とがし、はやしがじやうくわくにかしよやきはらふ。なにおもてをむかふべしともみえざりけり。くにぐにしゆくじゆくよりひきやくをもつて、このよしみやこへまうしたりければ、おほいとのをはじめたてまつりて、いちもんのひとびといさみよろこびあはれけり。おなじきごぐわつやうかのひ、へいけはかがのくにしのはらについて、おほてからめでふたてにわかつ。おほてのたいしやうぐんには、こまつのさんみのちうじやうこれもり、ゑちぜんのさんみみちもり、さぶらひだいしやうにはゑつちうのじらうびやうゑもりつぎをはじめとして、つがふそのせいしちまんよき、かがゑつちうのさかひなるとなみやまへぞむかはれける。からめでのたいしやうぐんには、さつまのかみただのり、くわうごぐうのすけつねまさ、あはぢのかみきよふさ、みかはのかみとものり、さぶらひだいしやうにはむさしのさぶらうざゑもんありくにをさきとして、つがふそのせいさんまんよき、のとゑつちうのさかひなるしほのやまへぞむかはれける。きそはそのころゑちごのこふにありけるが、これをきいて、ごまんよきでこふをたつて、となみやまへはせむかふ。よしなかがいくさのきちれいなればとて、ごまんよきをななてにわかつ。まづをぢのじふらうくらんどゆきいへ、いちまんよきでしほのやまへぞむかひける。ひぐちのじらうかねみつ、おちあひのごらうかねゆき、しちせんよきで、きたぐろさかへさしつかはす。にしな、たかなし、やまだのじらう、しちせんよき、みなみぐろさかへつかはしけり。いちまんよきはとなみやまのすそ、まつながのやなぎはら、ぐみのきんばやしにひきかくす。いまゐのしらうかねひらP20、ろくせんよき、わしのせをうちわたり、ひのみやばやしにぢんをとる。きそわがみいちまんよきで、をやべのわたりをして、となみやまのきたのはづれ、はにふにぢんをぞとつたりける。
「きそのぐわんじよ」(『ぐわんじよ』)S0705きそどののたまひけるは、「へいけはおほぜいであんなれば、いくさはさだめてかけあひのいくさにてぞあらんずらん。かけあひのいくさといふは、せいのたせうによることなれば、おほぜいかさにかけてとりこめられてはかなふべからず。まづはかりごとにしらはたさんじふながれさきだてて、くろさかのうへにうつたてたらば、へいけこれをみて、あはやげんじのせんぢんのむかうたるは。なんじふまんきかあるらん。とりこめられてはかなふまじ。このやまはしはうがんぜきなれば、からめでよもまはらじ。しばらくおりゐてむまやすめんとて、となみやまにぞおりゐんずらん。そのときよしなかしばらくあひしらふていにもてなして、ひをまちくらしよにいつて、へいけのおほぜい、うしろのくりからがたにへおひおとさん」とて、まづしらはたさんじふながれ、くろさかのうへにうつたてたれば、あんのごとくへいけこれをみて、「あはやげんじのおほぜいのむかうたるは。とりこめられてはかなふまじ。ここはむまのくさがひ、すゐびんともによげなり。しばらくおりゐてむまやすめん」とて、となみやまのやまなか、さるのばばといふところにぞおりゐたる。きそはP21はにふにぢんとつて、しはうをきつとみまはせば、なつやまのみねのみどりのこのまより、あけのたまがきほのみえて、かたそぎづくりのやしろあり。まへにはとりゐぞたつたりける。きそどの、くにのあんないしやをめして、「あれをばいづくとまうすぞ。いかなるかみをあがめたてまつたるぞ」とのたまへば、「あれこそはちまんにてわたらせたまひさふらへ。ところもやがてやはたのごりやうでさふらふ」とまうす。きそどのなのめならずによろこび、てかきにぐせられたりける、だいぶばうかくめいをめして、「よしなかこそなにとなうよするとおもひたれば、さいはひにいまやはたのごはうぜんにちかづきたてまつて、かつせんをすでにとげんとすれ。さらんにとつては、かつうはこうたいのため、かつうはたうじのきたうのために、ぐわんじよをひとふでかいてまゐらせうどおもふはいかに」とのたまへば、かくめい、「このぎもつともしかるべうさふらふ」とて、むまよりおりてかかんとす。かくめいがそのひのていたらく、かちのひたたれにくろいとをどしのよろひきて、こくしつのたちをはき、にじふしさいたるくろぼろのやおひ、ぬりごめどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいでたかひもにかけ、えびらのはうだてよりこすずり、たたうがみとりいだし、きそどののおんまへにかしこまつてぐわんじよをかく。あつぱれぶんぶにだうのたつしやかなとぞみえたりける。このかくめいとまうすは、もとはじゆけのものなり。くらんどみちひろとて、くわんがくゐんにぞさふらひける。しゆつけののちは、さいじようばうしんぎうとぞなのりける。つねはなんとへもかよひけり。ひととせたかくらのみや、をんじやうじへじゆぎよのとき、やま、ならへてふじやうをつかはされけるに、なんとのだいしゆいかがおもひけん、そのへんてふをば、このしんぎうにぞかかせける。「そもそもきよもりにふだうは、P22へいじのさうかう、ぶけのぢんがい」とぞかいたりける。にふだうおほきにいかつて、「なんでふそのしんぎうめが、じやうかいほどのものを、へいじのぬかかす、ぶけのちりあくたとかくべきやうこそきくわいなれ。いそぎそのほふしからめとつて、しざいにおこなへ」とのたまふあひだ、これによつてなんとにはこらへずして、ほくこくへおちくだり、きそどののてかきして、だいぶばうかくめいとなのる。そのぐわんじよにいはく、「きみやうちやうらい、はちまんだいぼさつは、じちゐきてうていのほんじゆ、るゐせいめいくんのなうそたり。はうそをまもらんがため、さうせいをりせんがために、さんじんのきんようをあらはし、さんじよのけんびをおしひらきたまへり。ここにしきりのとしよりこのかた、へいしやうこくといふものあつて、しかいをくわんりやうし、ばんみんをなうらんせしむ。これすでにぶつぽふのあた、わうぼふのかたきなり。よしなかいやしくもきうばのいへにむまれて、わづかにききうのちりをつぐ。かのばうあくをあんずるに、しりよをかへりみるにあたはず。うんをてんたうにまかせて、みをこくかになぐ。こころみにぎへいをおこしてきようきをしりぞけんとほつす。しかるにとうせんりやうかぢんをあはすといへども、しそついまだいつちのいさみをえざるあひだ、まちまちのこころおそれたるところに、いまいちぢんはたをあぐ。せんぢやうにしてたちまちにさんじよわくわうのしやだんをはいす。きかんのじゆんじゆくあきらかなり。きようとちうりくうたがひなし。くわんぎなんだこぼれて、かつがうきもにそむ。なかんづくぞうそぶさきのみちのくにのかみぎかのあそん、みをそうべうのしぞくにきふして、なをはちまんたらうよしいへとかうせしよりこのかた、そのもんえふたるもの、ききやうせずといふことなし。よしなかそのこういんとして、かうべをかたぶけてとしひさし。いまこのP23たいこうをおこすこと、たとへばえいじのかひをもつてきよかいをはかり、たうらうがをのをいからかいてりうしやにむかふがごとし。しかりといへどもくにのため、きみのためにしてこれをおこす。まつたくみのため、いへのためにしてこれをおこさず。こころざしのいたり、しんかんそらにあり。たのもしきかな、よろこばしきかな。ふしてねがはくは、みやうけんゐをくはへ、れいしんちからをあはせて、かつことをいつしにけつし、あたをしはうへしりぞけたまへ。しかればすなはちたんきみやうりよにかなひ、げんかんかごをなすべくば、まづひとつのずゐさうをみせしめたまへ。じゆえいにねんごぐわつじふいちにち、みなもとのよしなかうやまつてまうす」とかいて、わがみをはじめて、じふさんきがうはやのかぶらをぬき、ぐわんじよにとりそへて、だいぼさつのごほうでんにぞをさめける。たのもしきかな、はちまんだいぼさつ、しんじつのこころざしふたつなきをや、はるかにせうらんしたまひけん、くものなかより、やまばとみつとびきたつて、げんじのしらはたのうへにへんぱんす。むかしじんぐうくわうごうしんらをせめさせたまひしとき、みかたのたたかひよわく、いこくのいくさこはくして、すでにかうとみえしとき、くわうごうてんにごきせいありしかば、くものうちよりれいきうみつとびきたつて、みかたのたてのおもてにあらはれて、いこくのいくさやぶれにけり。またこのひとびとのせんぞらいぎのあそん、あうしうのえびすさだたふむねたふをせめたまひしとき、みかたのたたかひよはく、きようぞくのいくさこはくして、すでにかうとみえしかば、らいぎのあそんかたきのぢんにむかつて、「これはまつたくわたくしのひにあらず。しんくわなり」とてひをはなつ。かぜたちまちにいぞくのかたへふきおほひ、くりやかはのじやうやけおちぬ。そのときいくさやぶれてさだたふむねたふほろびにけり。きそどのかやうのP24せんじようをおもひいでて、いそぎむまよりおり、かぶとをぬぎ、てうづうがひをして、いまこのれいきうをはいしたまひける、こころのうちこそたのもしけれ。
「くりからおとし」(『くりからをとし』)S0706さるほどにげんぺいりやうばうぢんをあはす。ぢんのあはひ、わづかさんちやうばかりによせあはせたり。げんじもすすまず、へいけもすすまず。ややありてげんじのかたより、せいびやうをすぐつて、じふごき、たてのおもてにすすませ、じふごきがうはやのかぶらを、ただいちどにへいじのぢんへぞいいれたる。へいけもじふごきをいだいて、じふごのかぶらをいかへさす。げんじさんじつきをいだいて、さんじふのかぶらをいさすれば、へいけもさんじつきをいだいて、さんじふのかぶらをいかへさす。げんじごじつきをいだせば、へいけもごじつきをいだし、ひやくきをいだせば、ひやくきをいだす。りやうばうひやくきづつぢんのおもてにすすませ、たがひにしようぶをせんとはやりけるを、げんじのかたよりせいして、わざとしようぶをばせさせず。かやうにあひしらひ、ひをまちくらし、よにいつて、へいけのおほぜいを、うしろのくりからがたにへおひおとさんとたばかりけるを、へいけこれをばゆめにもしらず、ともにあひしらひ、ひをまちくらすこそはかなけれ。さるほどにきたみなみよりまはるからめでのせいいちまんよき、くりからのだうのへんにまはりあひ、P25えびらのはうだてうちたたき、ときをどつとぞつくりける。おのおのうしろをかへりみたまへば、しらはたくものごとくにさしあげたり。「このやまはしはうがんぜきであるなれば、からめでよもまはらじとこそおもひつるに、こはいかに」とぞさわがれける。さるほどにおほてよりきそどのいちまんよき、ときのこゑをあはせたまふ。となみやまのすそ、まつながのやなぎはら、ぐみのきんばやしにひきかくしたりけるいちまんよき、ひのみやばやしにひかへたるいまゐのしらうろくせんよきも、おなじうときのこゑをぞあはせける。ぜんごしまんよきがをめくこゑに、やまもかはも、ただいちどにくづるるとこそきこえけれ。さるほどにしだいにくらうはなる、ぜんごよりかたきはせめきたる、「きたなしや、かへせやかへせや」といふやからおほかりけれども、おほぜいのかたぶきたつたるは、さうなうとつてかへすことのかたければ、へいけのおほぜいうしろのくりからがたにへ、われさきにとぞおちゆきける。さきにおとしたるもののみえねば、「このたにのそこにも、みちのあるにこそ」とて、おやおとせばこもおとし、あにがおとせばおとともおとし、しゆおとせばいへのこらうどうもつづきけり。むまにはひと、ひとにはむま、おちかさなりおちかさなり、さばかりふかきたにひとつを、へいけのせいしちまんよきでぞうめたりける。がんせんちをながし、しがいをかをなせり。さればこのたにのほとりには、やのあな、かたなのきずのこつて、いまにありとぞうけたまはる。へいけのかたのさぶらひだいしやう、かづさのたいふのはうぐわんただつな、ひだのたいふのはうぐわんかげたか、かはちのはうぐわんひでくにも、このたにのそこにうづもれてぞうせにける。またびつちうのくにのぢうにん、せのをのたらうかねやすは、きこゆるつはものにてありけれども、うんやつきにけん、かがのくにのぢうにん、くらみつのじらうなりずみがてにP26かかつて、いけどりにこそせられけれ。またゑちぜんのくにひうちがじやうにてかへりちうしたりけるへいせんじのちやうりさいめいゐぎしも、とらはれていできたる。きそどの、「そのほふしはあまりににくきに、まづきれ」とてきらせらる。たいしやうぐんこれもりみちもり、けうにしてかがのくにへひきしりぞく。しちまんよきがなかより、わづかににせんよきこそのがれたれ。おなじきじふににち、おくのひでひらがもとより、きそどのへりようていにひきたてまつる。いつぴきはしらつきげ、いつぴきはれんぜんあしげなり。やがてこのむまにかがみくらおいて、はくさんのやしろへじんめにたてらる。きそどの「いまはおもふことなし」とておはしけるが、「ただしをぢのじふらうくらんどどののしほのたたかひこそおぼつかなけれ。いざやゆいてみん」とて、しまんよきがなかより、むまやひとをすぐつて、にまんよきではせむかふ。ここにひみのみなとをわたらんとしたまひけるが、をりふししほみちて、ふかさあささをしらざりければ、きそどのまづはかりごとに、くらおきむまじつぴきばかりおひいれられたりければ、くらづめひたるほどにて、さうゐなくむかひのきしにぞつきにける。きそどのこれをみたまひて、「あさかりけるぞ、わたせや」とて、にまんよきざつとわたいてみたまへば、あんのごとくじふらうくらんどどのは、さんざんにかけなされ、ひきしりぞき、じんばのいきやすむるところに、あらてのげんじにまんよき、へいけさんまんよきがなかへかけいり、もみにもうで、ひいづるほどにぞせめたりける。たいしやうぐんみかはのかみとものりうたれたまひぬ。これはにふだうしやうこくのばつしなり。そのほかつはものおほくほろびにけり。へいけそこをもおひおとされて、かがのくにへひきしりぞく。きそどのはしほのやまうちこえて、P27のとのこだなか、しんわうのつかのまへにぞぢんをとる。
「しのはらかつせん」(『しのはらがつせん』)S0707きそどのやがてそこにてしよしやへじんりやうをよせらる。ただのやはたへはてふやのしやう、すがふのやしろへはのみのしやう、けひのやしろへははんばらのしやう、はくさんのやしろへはよこえ、みやまるにかしよのしやうをきしんす。へいせんじへはふぢしましちがうをぞよせられける。さんぬるぢしようしねんはちぐわついしばしやまのかつせんのとき、ひやうゑのすけどのいたてまつりしぶしども、みなにげのぼつて、へいけのみかたにぞさふらひける。むねとのひとびとには、ながゐのさいとうべつたうさねもり、うきすのさぶらうしげちか、またののごらうかげひさ、いとうのくらうすけうぢ、ましものしらうしげなほなり。これらはみないくさのあらんほどしばらくやすまんとて、ひごとによりあひよりあひ、じゆんしゆをしてぞなぐさみける。まづながゐのさいとうべつたうがもとによりあひたりけるひ、さねもりまうしけるは、「つらつらたうせいのていをみさふらふに、げんじのかたはいよいよつよく、へいけのおんかたはまけいろにみえさせたまひてさふらふ。いざおのおのきそどのへまゐらう」どいひければ、みな、「さんなう」とぞどうじける。つぎのひ、またうきすのさぶらうがもとによりあひたりけるとき、さいとうべつたう、「さてもきのふさねもりがまうししことはいかに、おのおの」といひければ、そのなかにP28またののごらうかげひさ、すすみいでてまうしけるは、「さすがわれらは、とうごくではひとにしられて、なあるものでこそあれ。きちについて、あなたへまゐりこなたへまゐらんことは、みぐるしかるべし。ひとびとのおんこころどもをばしりまゐらせぬざふらふ。かげひさにおいては、こんどへいけのおんかたで、うちじにせんとおもひきつてさふらふぞ」といひければ、さいとうべつたうあざわらつて、「まことにはおのおののおんこころどもを、かなびかんとてこそまうしたれ。さねもりもこんどほくこくにて、うちじにせんとおもひきつてさふらへば、ふたたびいのちいきて、みやこへはかへるまじきよし、おほいとのへもまうしあげ、ひとびとにもそのやうをまうしおきさふらふ」といひければ、みなまたこのぎにぞどうじける。そのやくそくをたがへじとや、たうざにありけるにじふよにんのさぶらひどもも、こんどほくこくにていつしよにしににけるこそむざんなれ。へいけはかがのくにしのはらにひきしりぞいて、じんばのいきをぞやすめける。おなじきごぐわつはつかのひ、きそどのごまんよき、しのはらへぞむかはれける。きそどののかたより、いまゐのしらうかねひら、まづごひやくよきにてはせむかふ。へいけのかたには、はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげ、うつのみやのさゑもんともつな、これらはおほばんやくにて、をりふしざいきやうしたりけるを、おほいとの、「なんぢらはふるいものなり。いくさのやうをもおきてよ」とて、こんどほくこくへむけられたり。かれらきやうだいさんびやくよきでうちむかふ。はたけやま、いまゐ、はじめはごきじつきづついだしあはせて、しようぶをせさせけるが、のちにはりやうばうみだれあうてぞたたかひける。おなじきにじふいちにちのうまのこく、くさもゆるがずてらすひに、げんぺいのつはものども、われおとらじとたたかへば、P29へんしんよりあせいでて、みづをながすにことならず。いまゐがかたにも、つはものおほくほろびにけり。はたけやま、いえへのこらうどうおほくうたせ、ちからおよばでひきしりぞく。つぎにへいけのかたより、たかはしのはうぐわんながつな、ごひやくよきではせむかふ。きそどののかたより、ひぐちのじらうかねみつ、おちあひのごらうかねゆき、さんびやくよきでうちむかふ。げんぺいのつはものども、しばしささへてふせぎたたかふ。されどもたかはしがかたのせいは、くにぐにのかりむしやなりければ、いつきもおちあはず、われさきにとぞおちゆきける。たかはしこころはたけうおもへども、うしろあばらになりければ、ちからおよばずただいつき、みなみをさしてぞおちゆきける。ここにゑつちうのくにのぢうにん、にふぜんのこたらうゆきしげ、よいかたきとめをかけ、むちあぶみをあはせてはせきたり、おしならべてむずとくむ。たかはし、にふぜんをつかうで、くらのまへわにおしつけ、ちつともはたらかさず、「さてわぎみはなにものぞ。なのれ、きかう」どいひければ、「ゑつちうのくにのぢうにん、にふぜんのこたらうゆきしげ、しやうねんじふはつさい」とぞなのつたる。たかはしなみだをはらはらとながいて、「あなむざん、こぞおくれたるながつながこもあらば、ことしはじふはつさいぞかし。わぎみねぢきつてすつべけれども、さらばたすけん」とてゆるしけり。たかはしのはうぐわんはみかたのせいまたんとて、むまよりおりていきつぎゐたり。にふぜんもやすみゐたりけるが、あつぱれよきかたき、われをばたすけたれども、いかにもしてうたばやとおもひゐたるところに、たかはしこれをばゆめにもしらず、うちとけてものがたりをぞしゐたる。にふぜんはきこゆるはやわざのをのこにてありければ、たかはしがみぬひまに、かたなをP30ぬき、たちあがり、たかはしのはうぐわんがうちかぶとをしたたかにさす。さされてひるむところに、にふぜんがらうどう、おくればせにさんきはせきたつておちあひたり。たかはしこころはたけうおもへども、かたきはあまたあり、てはおうつ。うんやつきにけん、そこにてつひにうたれぬ。つぎにへいけのかたより、むさしのさぶらうざゑもんありくに、さんびやくよきでをめいてかく。きそどののかたより、にしな、たかなし、やまだのじらう、ごひやくよきでうちむかふ。これもしばしささへてふせぎたたかふ。されどもありくには、あまりにふかいりしてたたかひけるが、むまをもいさせ、かちだちになり、かぶとをもうちおとされ、おほわらはになつて、やだねみなつきければ、うちものぬいてたたかひけるが、やななつやついたてられ、かたきのかたにらまへ、たちじににこそしににけれ。たいしやうかやうになるうへは、そのせいみなおちぞゆく。
「さねもりさいご」(『さねもり』)S0708おちゆくせいのなかに、むさしのくにのぢうにん、ながゐのさいとうべつたうさねもりは、ぞんずるむねありければ、あかぢのにしきのひたたれに、もよぎをどしのよろひきて、くはがたうつたるかぶとのををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみもつて、れんぜんあしげなるP31むまに、きんぷくりんのくらをおいてのつたりけるが、みかたのせいはおちゆけども、ただいつきかへしあはせかへしあはせふせぎたたかふ。きそどののかたより、てづかのたらうすすみいでて、「あなやさし、いかなるひとにてわたらせたまへば、みかたのおんせいは、みなおちゆきさふらふに、ただいつきのこらせたまひたるこそいうにおぼえさふらへ。なのらせたまへ」とことばをかけければ、「まづかういふわどのはたそ」。「しなののくにのぢうにん、てづかのたらうかなざしのみつもり」とこそなのつたれ。さいとうべつたう、「さてはたがひによきかたき、ただしわどのをさぐるにはあらず。ぞんずるむねがあれば、なのることはあるまじいぞ。よれ、くまう、てづか」とて、はせならぶるところに、てづかがらうどう、しゆをうたせじとなかにへだたり、さいとうべつたうにおしならべてむずとくむ。さいとうべつたう、「あつぱれおのれは、につぽんいちのかうのものとくんでうずよなうれ」とて、わがのつたりけるくらのまへわにおしつけて、ちつともはたらかさず、くびかききつてすててげる。てづかのたらう、らうどうがうたるるをみて、ゆんでにまはりあひ、よろひのくさずりひきあげて、ふたかたなさし、よわるところをくんでふす。さいとうべつたうこころはたけうおもへども、いくさにはしつかれぬ、てはおうつ、そのうへおいむしやではあり、てづかがしたにぞなりにける。てづかのたらう、はせきたるらうどうにくびとらせ、きそどののおんまへにまゐりかしこまつて、「みつもりこそきいのくせものとくんで、うつてまゐつてさふらへ。さぶらひかとみさふらへば、にしきのひたたれをきてさふらふ。またたいしやうぐんかとみさふらへば、つづくせいもさふらはず。なのれなのれとせめさふらひつれども、つひになのりさふらはず。P32こゑはばんどうごゑにてさふらひつる」とまうしければ、きそどの、「あつぱれこれは、さいとうべつたうにてあるござんなれ。それならんには、よしなかがかうづけへこえたりしとき、をさなめにみしかば、しらがのかすをなつしぞかし。いまははやしちじふにもあまり、はくはつにこそなりぬらんに、びんひげのくろいこそあやしけれ。ひぐちのじらうかねみつは、としごろなれあそんで、みしりたるらん。ひぐちめせ」とて、めされけり。ひぐちのじらうただひとめみて、「あなむざん、さいとうべつたうにてさふらひけり」とて、なみだをながす。きそどの、「それならんには、はやしちじふにもあまり、はくはつにこそなりぬらんに、びんひげのくろいはいかに」とのたまへば、ややあつてひぐちのじらう、なみだをおさへてまうしけるは、「ささふらへば、そのやうをまうしあげんとつかまつりさふらふが、あまりにあはれにおぼえさふらうて、まづふかくのなみだのこぼれさふらひけるぞや。さればゆみやとりは、いささかのところにても、おもひでのことばをば、かねてつかひおくべきことにてさふらひけるぞや。さいとうべつたう、つねはかねみつにあうて、ものがたりしさふらひしは、『ろくじふにあまつて、いくさのぢんへむかはんときは、びんひげをくろうそめて、わかやがうとおもふなり。そのゆゑはわかどのばらにあらそうて、さきをかけんもおとなげなし。またおいむしやとて、ひとのあなどられんもくちをしかるべし』とまうしさふらひしが、まことにそめてさふらひけるぞや。あらはせてごらんさふらへ」とまうしければ、きそどのさもあるらんとて、あらはせてごらんずれば、はくはつにこそなりにけれ。またさいとうべつたう、にしきのひたたれをきけることも、さいごのいとままうしにおほいとのへまゐつて、P33「かうまうせば、さねもりがみひとつにてはさふらはねども、せんねんばんどうへまかりくだりさふらひしとき、みづとりのはおとにおどろき、やひとつをだにいずして、するがのかんばらよりにげのぼつてさふらひしこと、おいののちのちじよく、ただこのことにさふらふ。こんどほくこくへまかりくだりさふらはば、さだめてうちじにつかまつりさふらふべし。さねもりもとはゑちぜんのくにのものにてさふらひしが、きんねんごりやうにつけられて、むさしのくにながゐにきよぢうつかまつりさふらひき。ことのたとへのさふらふぞかし。こきやうへはにしきをきてかへるとまうすことのさふらへば、なにかくるしうさふらふべき。にしきのひたたれをごめんさふらへかし」とまうしければ、おほいとの、「やさしうもまうしたりけるものかな」とて、にしきのひたたれをごめんありけるとぞきこえし。むかしのしゆばいしんは、にしきのたもとをくわいけいざんにひるがへし、いまのさいとうべつたうさねもりは、そのなをほくこくのちまたにあぐとかや。くちもせぬむなしきなのみとどめおいて、かばねはこしぢのすゑのちりとなるこそあはれなれ。さんぬるしんぐわつじふしちにち、へいけじふまんよきにて、みやこをいでしことがらは、なにおもてをむかふべしともみえざりしに、いまごぐわつげじゆんに、みやこへかへりのぼるには、そのせいわづかににまんよき、「ながれをつくしてすなどるときは、おほくのうををうるといへども、めいねんにうをなし。はやしをやいてかるときは、おほくのけだものをうるといへども、めいねんにけだものなし。のちをぞんじて、せうせうはのこさるべかりけるものを」と、まうすひとびともありけるとかや。P34
「げんばう」(『げんばう』)S0709かづさのかみただきよ、ひだのかみかげいへは、をととしにふだうしやうこくこうぜられしとき、ににんともにしゆつけしてありけるが、こんどほくこくにて、こどもみなうたれぬときいて、そのおもひのつもりにや、つひになげきじににぞしににける。これをはじめて、おやはこにおくれ、めはをつとにわかれて、なげきかなしむことかぎりなし。およそきやうぢうには、いへいへにもんこをとぢて、あさゆふかねうちならし、こゑごゑにねんぶつまうし、をめきさけぶことおびたたし。またゑんごくきんごくもかくのごとし。ろくぐわつひとひのひ、さいしゆじんぎのごんのたいふおほなかとみのちかとしを、てんじやうのしもぐちへめされて、こんどひやうがくしづまらば、いせだいじんぐうへぎやうがうあるべきよしおほせくださる。だいじんぐうはむかしたかまのはらよりあまくだらせたまひて、すゐにんてんわうのぎよう、にじふごねんさんぐわつに、やまとのくにかさぬひのさとより、いせのくにわたらひのこほりいすずのかはかみ、したついはねにおほみやばしらをふとしきたてて、あがめそめたてまつしよりこのかた、につぽんろくじふよしう、さんぜんしちひやくごじふよしやの、だいせうのじんぎみやうだうのなかにはぶさうなり。されどもよよのみかど、つひにりんかうはなかりしに、ならのみかどのおんとき、さだいじんふひとうのまご、さんぎしきぶきやううがふのこ、うこんゑのせうしやうけんだざいのせうに、P35ふぢはらのひろつぎといふひとありけり。てんぴやうじふごねんじふぐわつに、ひぜんのくにまつらのこほりにして、すまんのぐんびやうをそつして、こくかをすでにあやぶめんとす。そのときおほののあづまうどをたいしやうぐんとして、ひろつぎつゐたうせられしとき、みかどおんいのりのために、いせだいじんぐうへはじめてぎやうがうありし、そのれいとぞきこえし。かのひろつぎはひぜんのまつらより、みやこへいちにちにおりのぼるむまをぞもつたりける。さればつゐたうせられしとき、みかたのつはものども、おちうせうたれしかば、くだんのむまにうちのり、ただいつきかいちうへはせいりけるとぞきこえし。そのばうれいあれて、つねはおそろしきことどもおほかりけり。てんぴやうじふはちねんろくぐわつじふはちにち、ちくぜんのくにみかさのこほり、だざいふのくわんぜおんじくやうぜられしだうしには、げんばうそうじやうとぞきこえし。かうざにのぼりかねうちならすとき、にはかにそらかきくもり、いかづちおびたたしうなつて、かのそうじやうのうへにおちかかり、そのかうべをとつて、くものなかへぞいりにける。これはひろつぎてうぶくせられし、そのゆゑとぞきこえし。このそうじやうは、きびのだいじんにつたうのとき、あひともなつてわたり、ほつさうしうわたしたりしひとなり。たうじんがげんばうといふなをわらつて、「げんばうとはかへつてほろぶといふこゑあり。いかさまにもこのひときてうののち、なんにあふべきひとなり」とさうしたりけるとかや。おなじきじふくねんろくぐわつじふはちにち、しやれかうべにげんばうといふめいをかいて、こうぶくじのにはにおとし、ひとならばにさんびやくにんばかりがこゑして、こくうにどつとわらふおとしけり。こうぶくじはほつさうしうのてらたるによつてなり。そのでしどもこれをとつてつかにつき、そのうちにをさめて、づはかとP36なづけていまにあり。これによつてひろつぎがばうれいをあがめられて、ひぜんのくにまつらのいまのかがみのみやとかうす。さがのくわうていのおんとき、へいぜいのせんてい、ないしのかみのすすめによつて、すでによをみだらんとせさせたまひしとき、みかどおんいのりのために、だいさんのくわうぢよいうちないしんわうをかものさいゐんにたてまゐらさせたまふ。これぞさいゐんのはじめなる。しゆしやくゐんのおんときも、すみともつゐたうのれいとて、やはたにてりんじのみかぐらあり。こんどもそのれいたるべしとて、さまざまのおんいのりどもありけり。
「きそさんもんてふじやう」(『きそさんもんてうじやう』)S0710さるほどにきそよしなかはゑちぜんのこふについて、いへのこらうどうめしあつめてひやうぢやうす。「そもそもよしなか、あふみのくにをへてこそ、みやこへはのぼるべきに、れいのさんぞうどもの、ふせぐこともやあらんずらん。かけやぶつてとほらんことはやすけれども、たうじはへいけこそ、ぶつぽふともいはず、てらをほろぼしそうをうしなひ、あくぎやうをばいたすなれ。それをしゆごのためにしやうらくせんずるよしなかが、へいけとひとつなればとて、さんもんのしゆとにむかつてかつせんせんこと、すこしもたがはぬにのまひなるべし。これこそさすがやすだいじよ。いかがせん」とのたまへば、てかきにぐせられたりけるだいぶばうかくめい、すすみいでてまうしけるはP37、「さんもんのだいしゆはさんぜんにんさふらふなるが、かならずいちみどうしんなることはさふらはず。あるひはへいけにどうしんせんとまうすしゆともさふらふらん。あるひはげんじにつかんとまうすだいしゆもさふらふらん。せんずるところ、てふじやうをつかはしてごらんさふらへ。へんてふにこそ、そのやうはみえさふらはんずらめ」とまうしければ、きそどの、「このぎもつともしかるべし。さらばかけ」とて、かくめいにてふじやうをかかせて、さんもんへおくらる。そのじやうにいはく、「よしなかつらつらへいけのあくぎやくをみるに、ほうげんへいぢよりこのかた、ながくじんしんのれいをうしなふ。しかりといへども、きせんてをつかね、しそあしをいただく。ほしいままにていゐをしんだいし、あくまでこくぐんをりよりやうす。だうりひりをろんぜず、けんもんせいけをつゐふくし、うざいむざいをいはず、けいしやうししんをそんまうす。そのしざいをうばひとつて、ことごとくらうじうにあたへ、かのしやうゑんをもつしゆして、みだりがはしくしそんにはぶく。なかんづくさんぬるぢしようさんねんじふいちぐわつ、ほふわうをせいなんのりきうにうつしたてまつり、はくりくをかいせいのぜつゐきにながしたてまつる。しゆそものいはず、だうろめをもつてす。しかのみならずおなじきしねんごぐわつ、にのみやのしゆがくをかこみたてまつり、きうちようのこうぢんをおどろかさしむ。ここにていしひぶんのがいをのがれんがために、ひそかにをんじやうじへじゆぎよのとき、よしなかせんにちにりやうじをたまはるによつて、むちをあげんとほつするところに、をんできちまたにみちて、よさんみちをうしなふ。きんけいのげんじなほさんこうせず。いはんやゑんけいにおいてをや。しかるにをんじやうはぶんげんなきによつて、なんとへおもむかしめたまふあひだ、うぢばしにしてかつせんす。たいしやうさんみにふだうよりまさふし、いのちをかろんじぎをおもんじて、いつせんのP38こうをはげますといへども、たぜいのせめをまぬかれず。けいがいをこがんのこけにさらし、せいめいをちやうかのなみにながす。りやうじのおもむききもにめいじ、どうるゐのかなしみたましひをけす。これによつてとうごくほくこくのげんじら、おのおのさんらくをくはだてて、へいけをほろぼさんとほつす。よしなかいんじとしのあき、しゆくいをたつせんがために、はたをあげけんをとつて、しんしうをいでしひ、ゑちごのくにのぢうにん、じやうのしらうながもち、すまんのぐんびやうをそつしてはつかうせしむるあひだ、たうごくよこたがはらにしてかつせんす。よしなかわづかにさんぜんよきをもつて、かのすまんのつはものをやぶりをはんぬ。ふうぶんひろきにおよんで、へいじのたいしやうじふまんのぐんしをそつして、ほくろくにはつかうす。ゑつしう、かしう、となみ、くろさか、しほさか、しのはらいげのじやうくわくにして、すかどかつせんす。はかりごとをゐあくのうちにめぐらして、かつことをしせきのもとにえたり。しかるにうてばかならずふし、せむればかならずくだる。あきのかぜのばせををやぶるにことならず。ふゆのしものくんいうをからすにあひおなじ。これひとへにしんめいぶつだのたすけなり。さらによしなかがぶりやくにあらず。へいじはいぼくのうへは、さんらくをくはだつるなり。いまえいがくのふもとをすぎて、らくやうのちまたにいるべし。このときにあたつて、ひそかにぎたいあり。そもそもてんだいのしゆとは、へいじにどうしんか、げんじによりきか。もしかのあくとをたすけらるべくは、しゆとにむかつてかつせんすべし。もしかつせんをいたさば、えいがくのめつばうくびすをめぐらすべからず。かなしいかな、へいじしんきんをなやまし、ぶつぽふをほろぼすあひだ、あくぎやくをしづめんがために、ぎへいをおこすところに、たちまちにさんぜんのしゆとにむかつて、ふりよのかつせんをいたさんことを。いたましきかな、いわうさんわうにP39はばかりたてまつて、かうていにちりうせしめば、てうていくわんたいのしんとして、ながくぶりやくかきんのそしりをのこさんことを。しんだいにまどつて、かねてあんないをけいするところなり。こひねがはくはてんだいのしゆと、かみのためほとけのためくにのためきみのために、げんじにどうしんして、きようとをちうし、こうくわによくせん。こんたんのいたりにたへず。よしなかきようくわうつつしんでまうす。じゆえいにねんろくぐわつとをかのひ、みなもとのよしなかしんじやう。ゑくわうばうのりつしのおんばうへ」とぞかかれたる。
「さんもんへんてふ」(『へんでう』)S0711さんもんのだいしゆこのじやうをひけんして、あんのごとくあるひはへいけにどうしんせんといふしゆともあり、あるひはげんじにつかんといふだいしゆもあり、おもひおもひこころこころ、いぎまちまちなり。らうそうどものせんぎしけるは、われらもつぱらきんりんせいしゆてんちやうちきうといのりたてまつる。なかにもへいけはたうだいのごぐわいせき、さんもんにおいてことにききやうをいたす。しかりといへどもあくぎやうほふにすぎて、ばんにんこれをそむき、くにぐにへうつてをつかはすといへども、かへつていぞくのためにほろぼさる。げんじはきんねんよりこのかた、どどのいくさにうちかつて、うんめいすでにひらけんとす。なんぞたうざんひとりしゆくうんつきぬるへいけにどうしんして、うんめいひらくるげんじをそむかんや。すべからくへいじちぐのぎをひるがへして、げんじがふりよくのむねにぢうすべきよし、さんぜんいちどうにP40せんぎして、へんてふをこそおくりけれ。きそどの、またいへのこらうどうめしあつめて、かくめいにこのへんてふをひらかせらる。「ろくぐわつとをかのひのてふじやう、おなじきじふろくにちたうらい、ひえつのところに、すうじつのうつねんいつしにげさんす。およそへいけのあくぎやくるゐねんにおよんで、てうていのさうどうやむことなし。ことじんこうにあり、ゐしつするにあたはず。それえいがくにいたつては、ていととうぼくのじんしとして、こくかせいひつのせいきをいたす。しかりといへども、いつてんひさしくかのえうげきにをかされて、しかいとこしなへにそのあんせんをえず。けんみつのほふりんなきがごとし。おうごのしんゐしばしばすたる。ここにきかたまたまるゐだいぶびのいへにむまれて、さいはひにたうじせいせんのじんたり。あらかじめきぼうをめぐらしてぎへいをおこし、たちまちにばんしのめいをわすれて、いつせんのこうをたつ。そのらういまだりやうねんをすぎざるに、そのなすでにしかいにながる。わがやまのしゆと、かつがつもつてしようえつす。こくかのため、るゐかのため、ぶこうをかんじぶりやくをかんず。かくのごとくならば、さんじやうのせいきむなしからざることをよろこび、かいだいのゑごおこたりなきことをしんぬ。じじたじ、じやうぢうのぶつぽふ、ほんしやまつしやさいてんのしんめい、ふたたびけうぼふのさかえんことをよろこび、すきやうのふるきにふくせんことをずゐきしたまふらん。しゆとらがしんぢうただけんさつをたれよ。しかればすなはちみやうにはじふにじんじやう、かたじけなくいわうぜんぜいのししやとして、きようとつゐたうのようしにあひくははり、けんにはまたさんぜんのしゆと、しばらくしゆがくさんぎやうのきんせつをやめて、あくりよぢばつのくわんぐんをたすけしめん。しくわんじふじようのぽんぷうは、かんりよをわてうのほかにはらひ、ゆがさんみつのP41ほふうは、しぞくをげうねんのむかしにかへさん。しゆとのせんぎかくのごとし。つらつらこれをさつせよ。じゆえいにねんしちぐわつふつかのひ、だいしゆら」とぞかいたりける。
「へいけさんもんへのれんじよ」(『へいけさんもんへのれんじよ』)S0712へいけこれをばゆめにもしりたまはず、「こうぶくをんじやうりやうじは、うつぷんをふくめるをりふしなれば、かたらふともよもなびかじ。たうけはさんもんにおいて、いまだあたをむすばず。さんもんまたたうけのためにふちうをぞんぜず。せんずるところ、さんわうだいしにきせいまうして、さんぜんのしゆとをかたらはばや」とて、いちもんのくぎやうじふにん、どうしんれんじよのぐわんじよをかいて、さんもんへおくらる。そのぐわんじよにいはく、「うやまつてまうす。えんりやくじをもつてうぢてらにじゆんじ、ひよしのやしろをもつてうぢやしろとして、いつかうてんだいのぶつぽふをあふぐべきこと。みぎたうけいちぞくのともがら、ことにきせいすることあり。しいしゆいかんとなれば、えいざんはこれくわんむてんわうのぎよう、でんげうだいしにつたうきてうののち、ゑんどんのけうぼふをこのところにひろめ、しやなのだいかいをそのうちにつたへてよりこのかた、もつぱらぶつぽふはんじやうのれいくつとして、ひさしくちんごこくかのだうぢやうにそなふ。まさにいまいづのくにのるにん、みなもとのよりとも、みのとがをくいず、かへつててうけんをあざける。しかのみならずかんぼうにP42くみしてどうしんをいたすげんじら、よしなかゆきいへいげ、たうをむすんでかずあり。りんけいゑんけいすこくをしやうりやうし、とぎとこうばんもつをあふりやうす。これによつてあるひはるゐだいくんこうのあとをおひ、あるひはたうじきうばのげいにまかせて、すみやかにぞくとをちうし、きようたうをがうぶくすべきよし、いやしくもちよくめいをふくんで、しきりにせいばつをくはだつ。ここにぎよりんかくよくのぢん、くわんぐんりをえず、せいばうてんげきのゐ、ぎやくるゐかつにのるににたり。もししんめいぶつだのかびにあらずは、いかでかはんぎやくのきようらんをしづめん。いかにいはんや、しんらがなうそ、おもへばかたじけなく、ほんぐわんのよえいといつつべし。いよいよそうちようすべし。いよいよくぎやうすべし。じごんいごさんもんによろこびあらば、いちもんのよろこびとし、しやけにいきどほりあらば、いつけのいきどほりとして、おのおのしそんにつたへてながくしつだせじ。とうじはかすがのやしろこうぶくじをもつて、うぢやしろうぢてらとして、ひさしくほつさうだいじようのしうにきす。へいじはひよしのやしろえんりやくじをもつてうぢやしろうぢてらとして、まのあたりゑんじつとんごのけうにちぐせん。かれはむかしのゆゐせきなり。いへのためえいかうをおもふ。これはいまのせいきなり。きみのためつゐばつをこふ。あふぎねがはくは、さんわうしちしや、わうじけんぞく、ごほふしやうじゆ、とうざいまんざん、じふにじようぐわん、いわうぜんぜい、につくわうぐわつくわう、むにのたんぜいをてらして、ゆゐいつのけんおうをたれたまへ。しかればすなはちじやぼうぎやくしんのぞく、おのおのてをくんもんにつかね、ほんぎやくざんがいのともがら、かうべをけいとにつたへん。よつていちもんのくぎやうら、いくどうおんにらいをなして、きせいくだんのごとし。じゆざんみぎやうけんゑちぜんのかみたひらのあそんみちもり、じゆざんみぎやうけんうこんゑのちうじやうたひらのあそんすけもり、じやうざんみぎやううこんゑのちうじやうけんいよのかみたひらのあそんこれもり、P43じやうざんみぎやうさこんゑのごんのちうぢやうけんはりまのかみたひらのあそんしげひら、じやうざんみぎやうゑもんのかみけんあふみとほたふみのかみたひらのあそんきよむね、さんぎじやうざんみくわうだいこうぐうのごんのだいぶけんしゆりのだいぶかがゑつちうのかみたひらのあそんつねもり、じゆにゐぎやうちうなごんせいいたいしやうぐんけんさひやうゑのかみたひらのあそんとももり、じゆにゐぎやうごんぢうなごんけんひぜんのかみたひらのあそんのりもり、じやうにゐぎやうごんだいなごんけんみちではあぜつしたひらのあそんよりもり、じゆいちゐさきのないだいじんたひらのあそんむねもり。じゆえいにねんしちぐわついつかのひ、うやまつてまうす」とぞかかれたる。くわんじゆこれをあはれみたまひて、さうなうしゆとにひろうもしたまはず、じふぜんじごんげんのしやだんにこめ、さんにちかぢして、そののちしゆとにひろうせらる。はじめはありともみえざりけるぐわんじよのうはまきに、うたこそいつしゆいできたれ。
たひらかにはなさくやどもとしふればにしへかたぶくつきとこそみれ W050
さんわうだいしこれをあはれみたまひて、さんぜんのしゆとちからをあはせよとなり。されどもとしごろひごろのふるまひしんりよにもたがひ、じんばうにもそむきぬれば、いのれどもかなはず、かたらへどもなびかざりけり。だいしゆもまことにさこそはと、ことのていをばあはれみけれども、げんじがふりよくのへんてふをおくりぬるうへは、いままたかろがろしく、そのぎをひるがへすにおよばねば、これをきよようするしゆともなし。P44
「しゆしやうのみやこおち」(『しゆしやうのみやこおち』)S0713おなじきしちぐわつじふしにち、ひごのかみさだよし、ちんぜいのむほんたひらげて、きくち、はらだ、まつらたうさんぜんよきをめしぐしてしやうらくす。ちんぜいのむほんをば、わづかにたひらげたれども、とうごくほくこくのいくさは、いかにもしづまらず。おなじきにじふににちのやはんばかり、ろくはらのへんおびたたしうさうどうす。むまにくらおき、はるびしめ、ものどもとうざいなんぼくへはこびかくす。ただいまかたきのうちいつたるさまなりけり。あけてのちきこえしは、みのげんじに、さどのゑもんのじようしげさだといふものあり。さんぬるほうげんのかつせんのとき、ちんぜいのはちらうためともがゐんがたのいくさにまけて、おちうとなつたりしを、からめていだしたりしけんじやうに、もとはひやうゑのじようたりしが、そのときうゑもんのじようになりぬ。これによつていちもんにはあたまれて、このころへいけをへつらひけるが、そのよろくはらにはせまゐり、「きそすでにほくこくよりごまんよきでせめのぼり、てんだいさん、ひがしざかもとにみちみちてさふらふ。らうどうにたてのろくらうちかただ、てかきにだいぶばうかくめい、ろくせんよきてんだいさんにきほひのぼり、さんぜんのしゆとどうしんして、ただいまみやこへみだれいる」よしまうしければ、へいけのひとびとおほきにさわいで、はうばうへうつてをさしむけらる。たいしやうぐんにはしんぢうなごんとももりのきやう、ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、さんぜんよきでまづやましなにP45しゆくせらる。ゑちぜんのさんみみちもり、のとのかみのりつね、にせんよきでうぢばしをかためらる。さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、いつせんよきでよどぢをしゆごせられけり。げんじのかたにはじふらうくらんどゆきいへ、すせんぎでうぢばしをわたつてみやこへいる。みちのくにのしんはうぐわんよしやすがこ、やたのはんぐわんだいよしきよ、おほえやまをへてしやうらくすともまうしあへり。またつのくにかはちのげんじらどうしんして、おなじうみやこへみだれいるよしまうしければ、へいけのひとびと、「このうへはちからおよばず、ただいつしよでいかにもなりたまへ」とて、はうばうへむけられたりけるうつてども、みなみやこへよびかへされけり。ていとみやうりのち、にはとりないてやすきことなし。をさまれるよだにもかくのごとし。いはんやみだれたるよにおいてをや。よしのやまのおくのおくへもいりなばやとはおぼしめされけれども、しよこくしちだうことごとくそむきぬ。いづくのうらかおだしかるべき。さんがいむあん、いうによくわたくとして、によらいのきんげん、いちじようのめうもんなれば、なじかはすこしもたがふべき。おなじきにじふしにちのさよふけがたに、さきのないだいじんむねもりこう、けんれいもんゐんのわたらせたまふろくはらいけどのにまゐつてまうされけるは、「きそすでにほくこくよりごまんよきでせめのぼり、ひえいさんひがしざかもとにみちみちてさふらふ。らうどうにたてのろくらうちかただ、てかきにだいぶばうかくめい、ろくせんよきてんだいさんへきほひのぼり、さんぜんのしゆとひきぐして、ただいまみやこへみだれいるよしきこえさふらふ。ひとびとはただみやこのうちにて、いかにもならんとまうしあはれけれども、まのあたりにようゐん、にゐどのに、うきめをみせまゐらせんことのくちをしくさふらへば、ゐんをもうちをもP46とりたてまつて、さいこくのかたへごかうぎやうがうをも、なしまゐらせばやとおもひなつてこそさふらへ」とまうされければ、にようゐん、「いまはただともかうも、そこのはからひでこそあらんずらめ」とて、ぎよいのおんたもとにあまるおんなみだ、せきあへさせたまはねば、おほいとのもなほしのそでしぼるばかりにぞみえられける。
さるほどにほふわうをばへいけとりたてまつて、さいこくのかたへおちゆくべしなどまうすことを、ないないきこしめすむねもやありけん、そのよのやはんばかり、あぜつしだいなごんすけかたのきやうのしそく、むまのかみすけときばかりをおんともにて、ひそかにごしよをいでさせたまひて、おんゆくへもしらずぞごかうなる。ひとこれをしらざりけり。へいけのさぶらひにきちないざゑもんのじようすゑやすといふものあり。さかざかしきをのこにて、ゐんにもめしつかはれけるが、そのよしもおとのゐにまゐつて、はるかにとほうさふらひけるが、つねのごしよのおんかたざま、よにものさわがしう、にようばうたちしのびねになきなどしたまへり。なにごとなるらんとききければ、「にはかにほふわうのみえさせましまさぬは、いづかたへのごかうやらん」とまうすこゑにきくほどに、あなあさましとて、いそぎろくはらへはせまゐり、このよしまうしたりければ、おほいとの、「さだめてひがごとでぞあるらん」とはのたまひながら、いそぎまゐつてみまゐらさせたまふに、げにもほふわうわたらせましまさず。ごぜんにさぶらはせたまふにようばうたち、にゐどのたんごどのいげいちにんもはたらきたまはず。「いかにや」ととひまゐらさせたまへども、「われこそほふわうのおんゆくへしりまゐらせたり」とまうさるるにようばうたち、いちにんもおはせざりければ、P47おほいとのもちからおよばせたまはず、なくなくろくはらへぞかへられける。さるほどに、ほふわうみやこのうちにわたらせたまはずとまうすほどこそありけれ、きやうぢうのさうどうなのめならず。いはんやへいけのひとびとのあわてさわがれけるありさまは、いへいへにかたきのうちいつたりとも、かぎりあれば、これにはすぎじとぞみえし。へいけひごろはゐんをもうちをもとりたてまつて、さいこくのかたへごかうぎやうがうをもなしまゐらせんとしたくせられたりしかども、かくうちすてさせたまひぬれば、たのむこのもとにあめのたまらぬここちぞせられける。「せめてはぎやうがうばかりをもなしまゐらせよや」とて、あくるうのこくにぎやうがうのみこしをよせたりければ、しゆしやうはこんねんろくさい、いまだ、いとけなうましましければ、なにごころなくぞめされける。ごどうよには、おんぼぎけんれいもんゐんまゐらせたまふ。「しんし、ほうけん、ないしどころ、いんやく、ときのふだ、げんじやう、すずかなどをもとりぐせよ」と、へいだいなごんときただのきやうげぢせられたりけれども、あまりにあわてさわいで、とりおとすものぞおほかりける。ひのござのぎよけんなどをも、とりわすれさせたまひけり。やがてこのときただのきやう、くらのかみのぶもと、さぬきのちうじやうときざね、ふしさんにん、いくわんにてぐぶせらる。こんゑつかさ、みつなのすけ、かつちうきうせんをたいして、ぎやうがうのおんともつかまつる。しちでうをにしへ、しゆしやかをみなみへぎやうがうなる。あくればしちぐわつにじふごにちなり。かんてんすでにひらけて、くもとうれいにたなびき、あけがたのつきしろくさえて、けいめいまたいそがはし。ゆめにだにかかることはみず。ひととせみやこうつりとて、P48にはかにあわたたしかりしは、かかるべかりけるぜんべうとも、いまこそおもひしられけれ。せつしやうどのもぎやうがうにぐぶして、ぎよしゆつありけるが、しちでうおほみやにて、びんづらゆうたるどうじの、おんくるまのまへを、つとはしりとほるをごらんずれば、かのどうじのひだんのたもとに、はるのひといふもじぞあらはれたる。はるのひとかいては、かすがとよめば、ほつさうおうごのかすがだいみやうじん、たいしよくくわんのおんすゑをまもりたまふにこそと、たのもしうおぼしめすところに、くだんのどうじのこゑとおぼしくて、
いかにせむふぢのすゑばのかれゆくをただはるのひにまかせたらなむ W051
ともにさふらふしんどうさゑもんのじようたかなほをめして、「このよのなかのありさまをごらんずるに、ぎやうがうはなれどもごかうはならず。ゆくすゑたのもしからずおぼしめすはいかに」とおほせければ、おんうしかひにめをきつとみあはせたり。やがてこころえて、おんくるまをやりかへし、おほみやをのぼりに、とぶがごとくにつかまつり、きたやまのへん、ちそくゐんへぞいらせたまひける。
「これもりのみやこおち」(『これもりのみやこおち』)S0714ゑつちうのじらうびやうゑ、たちわきばさみ、せつしやうどののおんとどまりあるをおしとどめまゐらせんと、しきりにすすみけれども、ひとびとにせいせられて、ちからおよばでとどまりぬ。P49
なかにもこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうは、ひごろよりおもひまうけたまへることなれども、さしあたつてはかなしかりけり。このきたのかたとまうすは、こなかのみかどのしんだいなごんなりちかのきやうのむすめ、ちちにもははにもおくれたまひて、みなしごにておはせしかども、たうがんつゆにほころび、こうふんまなこにこびをなし、りうはつかぜにみだるるよそほひ、またひとあるべしともみえたまはず。ろくだいごぜんとて、しやうねんとをになりたまふわかぎみ、そのいもとはつさいのひめぎみおはしけり。このひとびともめんめんにおくれじとしたひたまへば、さんみのちうじやうのたまひけるは、「われはひごろまうししやうに、いちもんにぐせられて、さいこくのかたへおちゆくなり。いづくまでもぐそくしたてまつるべけれども、みちにもかたきまつなれば、こころやすくとほらんことありがたし。たとひわれうたれたりとききたまふとも、さまなどかへたまふことは、ゆめゆめあるべからず。そのゆゑは、いかならんひとにも、みもしみえて、あのをさなきものどもをも、はぐくみたまへ。なさけをかくべきひとも、などかなくてさふらふべき」と、やうやうになぐさめのたまへども、きたのかたとかうのへんじをもしたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。ちうじやうすでにうつたたんとしたまへば、きたのかたたもとにすがり、「みやこにはちちもなし、ははもなし。すてられたてまつてのち、またたれにかはみゆべきに、いかならんひとにもみえよなどうけたまはるこそうらめしけれ。ぜんぜのちぎりありければ、ひとこそあはれみたまふとも、またひとごとにしもやなさけをかくべき。いづくまでもともなひたてまつり、おなじのばらのつゆともきえ、ひとつそこのみくづともならんとこそちぎりしに、さればさよのねざめのむつごとは、みないつはりになりにけり。P50せめてはみひとつならばいかがせん。すてられたてまつるみのうさを、おもひしつてもとどまりなん。をさなきものどもをば、たれにみゆづり、いかにせよとかおぼしめす。うらめしうもとどめたまふものかな」とて、かつうはうらみかつうはしたひたまへば、さんみのちうじやう、「まことにひとはじふさん、われはじふごより、みそめたてまつたれば、ひのなかみづのそこへも、ともにいりともにしづみ、かぎりあるわかれぢまでも、おくれさきだたじとこそおもひしか。けふはかくものうきありさまどもにて、いくさのぢんへおもむけば、ぐそくしたてまつて、ゆくすゑもしらぬたびのそらにて、うきめをみせまゐらせんも、わがみながらうたてかるべし。そのうへこんどはよういもさふらはず、いづくのうらにもこころやすうおちつきたらば、それよりむかひにひとをこそまゐらせめ」とて、おもひきつてぞたたれける。ちうもんのらうにいでて、よろひとつてき、むまひきよせさせ、すでにのらんとしたまへば、わかぎみひめぎみはしりいでて、ちちのよろひのそで、くさずりにとりつき、「これはされば、いづちへとてわたらせたまひさふらふやらん。われもまゐらん、われもゆかん」としたひなきたまへば、うきよのきづなとおぼえて、さんみのちうじやう、いとどせんかたなげにぞみえられける。おんおととしんざんみのちうじやうすけもり、ひだんのちうじやうきよつね、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじうただふさ、びつちうのかみもろもり、きやうだいごき、むまにのりながら、もんのうちへうちいれ、にはにひかへ、だいおんじやうをあげて、「ぎやうがうははるかにのびさせたまひぬらんに、いかにやいままでのちさんざふらふ」と、こゑごゑにまうされければ、さんみのちうじやうむまにうちのつていでられけるが、またP51ひつかへし、えんのきはにうちよせ、ゆみのはずにてみすをざつとかきあげて、「これごらんさふらへ。をさなきものどもがあまりにしたひさふらふを、とかうこしらへおかんとつかまつるほどに、ぞんのほかのちさんざふらふ」とのたまひもあへず、はらはらとなきたまへば、にはにひかへたまへるひとびとも、みなよろひのそでをぞぬらされける。ここにさんみのちうじやうのとしごろのさぶらひに、さいとうご、さいとうろくとて、あにはじふく、おととはじふしちになるさぶらひあり。さんみのちうじやうのおむまのさうのみづつきにとりついて、いづくまでもおんともつかまつりさふらはんとまうしければ、さんみのちうじやうのたまひけるは、「なんぢらがちちながゐのさいとうべつたうさねもりが、ほくこくへくだりしとき、ともせうどいひしを、ぞんずるむねがあるぞとて、なんぢらをとどめおき、つひにほくこくにてうちじにしたりしは、ふるきものにて、かかるべかりけることを、かねてさとつたりけるにこそ。あのろくだいをとどめてゆくに、こころやすうふちすべきもののなきぞ。ただりをまげてとどまれかし」とのたまへば、ににんのものどもちからおよばず、なみだをおさへてとどまりぬ。きたのかたは、「としごろひごろ、かくなさけなきひととこそ、かけてはおもはざりしか」とて、ひきかづいてぞふしたまふ。わかぎみひめぎみにようばうたちは、みすのほかまでまろびいで、こゑをはかりにをめきさけびたまひけり。そのこゑごゑみみのそこにとどまつて、さればさいかいのたつなみのうへ、ふくかぜのおとまでも、きくやうにこそおもはれけれ。へいけみやこをおちゆくに、ろくはら、いけどの、こまつどの、はちでう、にしはちでういげ、ひとびとのいへいへ、にじふよかしよ、そのほかつぎつぎのともがらのしゆくしよじゆくしよ、きやうしらかは、しごまんげんがP52ざいけにひをかけて、いちどにみなやきはらふ。
「せいしゆりんかう」(『せいしゆりんかう』)S0715あるひはせいしゆりんかうのちなり。ほうけつむなしくいしずゑをのこし、らんよただあとをとどむ。あるひはこうひいうえんのみぎりなり。せうばうのあらしこゑかなしみ、えきていのつゆいろうれふ。さうきやうすゐちやうのもとゐ、よくりんてうしよのたち、くわいきよくのざ、えんらんのすみか、たじつのけいえいをむなしうして、へんしのくわいしんとなりはてぬ。いはんやらうじうのほうひつにおいてをや。いはんやざふにんのをくしやにおいてをや。よえんのおよぶところ、ざいざいしよしよすじつちやうなり。きやうごたちまちにほろびて、こそたいのつゆけいきよくにうつり、ぼうしんすでにおとろへて、かんやうきうのけぶり、へいけいをかくしけんも、かくやとぞおぼえける。ひごろはかんこくじかうのさがしきをかたうせしかども、ほくてきのためにこれをやぶられ、いまはこうかけいゐのふかきをたのみしかども、とういのためにこれをとられたり。あにはかりきや、たちまちにれいぎのきやうをせめいだされて、なくなくむちのさかひにみをよせんと。きのふはくものうへにてあめをくだすしんりようたりき。けふはいちぐらのほとりにみづをうしなふこぎよのごとし。くわふくみちをおなじうし、じやうすゐたなごころをかへす。いまめのまへにあり。たれかこれをかなしまざらん。ほうげんのむかしははるのはなとさかえしかども、じゆえいのいまはまたあきのもみぢとおちはてぬ。P53はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげ、うつのみやのさゑもんともつな、これらはさんぬるぢしようよりじゆえいまで、めしこめられてありしが、そのときすでにきらるべかりしを、しんぢうなごんとももりのきやうのいけんにまうされけるは、「かれらひやくにんせんにんがくびをきらせたまひてさふらふとも、ごうんつきさせたまひなば、おんよをたもたせたまはんことありがたし。こきやうにさふらふさいししよじうら、いかばかりなげきかなしみさふらふらん。ただりをまげてくださせたまへ。もしうんめいひらけて、みやこへかへりのぼらせたまふこともさふらはば、ありがたきおんなさけでこそさふらはんずれ」とまうされければ、おほいとの、「さらばとうくだれ」とこそのたまひけれ。これらかうべをかたぶけたなごころをあはせて、「いづくまでもおんともつかまつりさふらはん」とまうしければ、おほいとの、「なんぢらがたましひはみなとうごくにこそあるべきに、ぬけがらばかりさいこくへめしぐすべきやうなし。ただとうくだれ」とこそのたまひけれ。これらもにじふよねんのしゆなりければ、わかれのなみだおさへがたし。
「ただのりのみやこおち」(『ただのりのみやこおち』)S0716さつまのかみただのりは、いづくよりかかへられたりけん。さぶらひごきわらはいちにん、わがみともにひたかぶとしちきとつてかへし、ごでうのさんみしゆんぜいのきやうのもとにおはしてみたまへば、もんこをP54とぢてひらかず。「ただのり」となのりたまへば、おちうとかへりきたれりとて、そのうちさわぎあへり。さつまのかみいそぎむまよりとんでおり、みづからたからかにまうされけるは、「これはさんみどのにまうすべきことあつて、ただのりがまゐつてさふらふ。たとひかどをばあけられずとも、このきはまでたちよりたまへ。まうすべきことのさふらふ」とまうされたりければ、しゆんぜいのきやう、「そのひとならばくるしかるまじ。あけていれまうせ」とて、もんをあけてたいめんありけり。ことのていなにとなうものあはれなり。さつまのかみまうされけるは、「せんねんまうしうけたまはつてよりのちは、ゆめゆめそりやくをぞんぜずとはまうしながら、このにさんかねんは、きやうとのさわぎ、くにぐにのみだれいでき、あまつさへたうけのみのうへにまかりなつてさふらへば、つねにまゐりよることもさふらはず。きみすでにていとをいでさせたまひぬ。いちもんのうんめいけふはやつきはてさふらふ。それにつきさふらひては、せんじふのおんさたあるべきよしうけたまはつてさふらひしほどに、しやうがいのめんぼくに、いつしゆなりともごおんをかうむらうどぞんじさふらひつるに、かかるよのみだれいできて、そのさたなくさふらふでう、ただいつしんのなげきとぞんずるざふらふ。こののちよしづまつて、せんじふのおんさたさふらはば、これにさふらふまきもののなかに、さりぬべきうたさふらはば、いつしゆなりともごおんをかうむつて、くさのかげにてもうれしとぞんじさふらはば、とほきおんまもりとこそなりまゐらせさふらはんずれ」とて、ひごろよみおかれたるうたどものなかに、しうかとおぼしきを、ひやくよしゆかきあつめられたりけるまきものを、いまはとてうつたたれけるとき、これをとつてもたれたりけるを、よろひのひきあはせよりP55とりいでて、しゆんぜいのきやうにたてまつらる。さんみこれをひらいてみたまひて、「かかるわすれがたみどもをたまはりさふらふうへは、ゆめゆめそりやくをぞんずまじうさふらふ。さてもただいまのおんわたりこそ、なさけもふかう、あはれもことにすぐれて、かんるゐおさへがたうこそさふらへ」とのたまへば、さつまのかみ、「かばねをのやまにさらさばさらせ、うきなをさいかいのなみにながさばながせ、いまはうきよにおもひおくことなし。さらばいとままうして」とて、むまにうちのりかぶとのををしめて、にしをさしてぞあゆませたまふ。さんみうしろをはるかにみおくつてたたれたれば、ただのりのこゑとおぼしくて、「せんどほどとほし、おもひをがんざんのゆふべのくもにはす」と、たからかにくちずさみたまへば、しゆんぜいのきやうも、いとどあはれにおぼえて、なみだをおさへていりたまひぬ。そののちよしづまつて、せんざいしふをせんぜられけるに、ただのりのありしありさま、いひおきしことのは、いまさらおもひいでてあはれなりけり。くだんのまきもののなかに、さりぬべきうたいくらもありけれども、そのみちよくかんのひとなれば、みやうじをばあらはされず、こきやうのはなといふだいにて、よまれたりけるうたいつしゆぞ、よみびとしらずといれられたる。
さざなみやしがのみやこはあれにしをむかしながらのやまざくらかな W052
そのみてうてきとなりぬるうへは、しさいにおよばずといひながら、うらめしかりしことどもなり。P56
「つねまさのみやこおち」(『つねまさのみやこおち』)S0717しゆりのだいぶつねもりのちやくし、くわうごぐうのすけつねまさは、えうせうのときより、にんわじのおむろのごしよに、とうぎやうにてさぶらはれしかば、かかるそうげきのなかにも、きみのおんなごりきつとおもひいでまゐらせ、さぶらひごろくきめしぐして、にんわじどのへはせまゐり、いそぎむまよりとんでおり、もんをたたかせまうしいれられけるは、「きみすでにていとをいでさせたまひさふらひぬ。いちもんのうんめいけふすでにつきはてさふらひぬ。うきよにおもひおくこととては、ただきみのおんなごりばかりなり。はつさいのとしこのごしよへまゐりはじめさふらひて、じふさんでげんぶくつかまつりさふらひしまでは、いささかあひいたはることのさふらはんよりほかは、あからさまにごぜんをたちさることもさふらはず。けふすでにさいかいせんりのなみぢにおもむきさふらへば、またいづれのひいづれのとき、かならずたちかへるべしともおぼえぬことこそくちをしうさふらへ。いまいちどごぜんへまゐつて、きみをもみまゐらせたうぞんじさふらへども、かつちうをよろひきうせんをたいして、あらぬさまなるよそほひにまかりなつてさふらへば、はばかりぞんじさふらふ」とまうされければ、おむろあはれにおぼしめして、「ただそのすがたをあらためずしてまゐれ」とこそおほせけれ。つねまさそのひは、むらさきぢのにしきのひたたれに、もよぎにほひのよろひきて、ながぶくりんのたちをはき、P57にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいでたかひもにかけ、ごぜんのおつぼにかしこまる。おむろやがてぎよしゆつあつて、みすたかくあげさせ、「これへこれへ」とめされければ、つねまさおほゆかへこそまゐられけれ。ともにさぶらふとうびやうゑのじようありのりをめす。あかぢのにしきのふくろにいれたりけるおんびはをもつてまゐりたり。つねまさこれをとりついで、ごぜんにさしおき、まうされけるは、「せんねんくだしあづかつてさふらひし、せいざんもたせてまゐつてさふらふ。なごりはつきずぞんじさふらへども、さしものわがてうのちようほうを、でんじやのちりになさんことのくちをしうさふらへば、まゐらせおくざふらふ。もしふしぎにうんめいひらけて、みやこへたちかへることもさふらはば、そのときこそかさねてくだしあづかりさふらはめ」とまうされたりければ、おむろあはれにおぼしめして、いつしゆのぎよえいをあそばいてぞくだされける。
あかずしてわかるるきみがなごりをばのちのかたみにつつみてぞおく W053
つねまさおんすずりくだされて、
くれたけのかけひのみづはかはれどもなほすみあかぬみやのうちかな W054
さてつねまさごぜんをまかりいでられけるに、すはいのとうぎやう、しゆつせしや、ばうくわん、さぶらひそうにいたるまで、つねまさのなごりををしみ、たもとにすがりなみだをながし、そでをぬらさぬはなかりけり。なかにもえうせうのとき、こじでおはせしだいなごんのほふいんぎやうけいとまうししは、はむろのだいなごんくわうらいのきやうのおんこなり。あまりになごりををしみまゐらせて、かつらがはのはたまでうちおくり、P58それよりいとまこうてかへられけるが、ほふいんなくなくかうぞおもひつづけたまふ。
あはれなりおいきわかきもやまざくらおくれさきだちはなはのこらじ W055
つねまさのへんじに、
たびごろもよなよなそでをかたしきておもへばわれはとほくゆきなむ W056
さてまいてもたせられたりけるあかはた、ざつとさしあげたれば、あそこここにひかへひかへまちたてまつるさぶらひども、あはやとてはせあつまり、そのせいひやくきばかりむちをあげ、こまをはやめて、ほどなくぎやうがうにおつつきたてまつらる。
「せいざんのさた」(『せいざんのさた』)S0718このつねまさじふしちのとし、うさのちよくしをうけたまはつてくだられけるに、そのときせいざんをたまはつて、うさへまゐり、ごてんにむかひたてまつて、ひきよくをひきたまひしかば、とものみやびとおしなべて、りよくいのそでをぞしぼりける。こころなきやつこまでも、いつききなれたることはなけれども、むらさめとはまがはじな。めでたかりしことどもなり。かのせいざんとまうすおんびはは、むかしにんみやうてんわうのぎよう、かしやうさんねんさんぐわつに、かもんのかみていびん、とたうのとき、たいたうのびはのはかせれんせふぶにあひ、さんきよくをつたへてきてうせしに、P59そのときけんじやう、ししまる、せいざん、さんめんのびはをさうでんしてわたりけるが、りうじんやをしみたまひけん、なみかぜあらくたちければ、ししまるをばかいていにしづめぬ。いまにめんのびはをわたいて、わがてうのみかどのおんたからとす。むらかみのせいたいおうわのころほひ、さんごやちうのしんげつのいろしろくさえ、りやうふうさつさつたりしよなかばに、みかどせいりやうでんにして、けんじやうをぞあそばされける。ときにかげのごとくなるもの、ごぜんにさんじて、いうにけだかきこゑをもつて、しやうがをめでたうつかまつる。みかどしばらくおんびはをさしおかせたまひて、「そもそもなんぢはいかなるものぞ。いづくよりきたれるぞ」とおほせければ、こたへまうしていはく、「これはむかしていびんにさんきよくをつたへさふらひし、たいたうのびはのはかせ、れんせふぶとまうすものにてさふらふが、さんきよくのなかに、ひきよくをいつきよくのこせるつみによつて、まだうにちんりんつかまつる。いまきみのおんばちおと、たへにきこえはんべるあひだ、さんにふつかまつるところなり。ねがはくはこのきよくをきみにさづけまゐらせて、ぶつくわぼだいをしようずべき」よしまうして、ごぜんにたてられたりけるせいざんをとり、てんじゆをねぢて、このきよくをきみにさづけたてまつる。さんきよくのなかにしやうげんせきしやうこれなり。そののちはきみもしんも、おそれさせたまひて、あそばしひくことも、せさせたまはざりしを、にんわじのおむろのごしよへ、まゐらさせたまひたりしを、このつねまささいあいのとうぎやうたるによつて、くだしたまはられたりけるとかや。かふはしとうのかふ、なつやまのみねのみどりのこのまより、ありあけのつきのいでけるを、ばちめんにかかれたりけるゆゑにこそ、せいざんとはなづけけれ。けんじやうにもあひおとらぬきたいのめいぶつなり。P60
「いちもんのみやこおち」(『いちもんのみやこおち』)S0719いけのだいなごんよりもりのきやうも、いけどのにひかけていでられたるが、とばのみなみのもんにて、わすれたることありとて、よろひにつけたるあかじるしどもかなぐりすてさせ、そのせいさんびやくよき、みやこへかへりのぼられけり。ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、ゆみわきばさみ、おほいとののおんまへにはせまゐり、いそぎむまよりとんでおり、かしこまつて、「あれごらんさふらへ。いけどのおんとどまりによつて、おほくのさぶらひどもとどまりさふらふが、きくわいにおぼえさふらふ。いけどのまではそのおそれもさふらへば、さぶらひどもにやひとついかけさふらはばや」とまうしければ、おほいとの、「いまこれほどのありさまどもを、みはてぬほどのふたうじんは、さなくともありなん」とのたまへば、ちからおよばでいざりけり。「さてこまつどののきんだちはいかに」とのたまへば、「いまだごいつしよもみえさせたまひさふらはず」とまうす。おほいとの、「みやこをいでて、いまいちにちだにすぎざるに、はやひとびとのこころどものかはりゆくうたてさよ」とぞのたまひける。しんぢうなごんとももりのきやう、「ゆくすゑとてもたのもしからず。ただみやこのうちにていかにもならせたまへと、さしもまうしつるものを」とて、おほいとののおんかたを、よにもうらめしげにぞみたまひける。P61そもそもいけどののおんとどまりをいかにといふに、ひやうゑのすけよりとも、つねはなさけをかけたてまつて、「まつたくおんかたをばおろかにおもひたてまつらず、ひとへにこいけどののおんわたりとこそぞんじさふらへ。はちまんだいぼさつもごせうばつさふらへ」など、たびたびせいじやうをもつてまうされけり。へいけつゐたうのうつてのつかひののぼるごとに、「あひかまへていけどののさぶらひにむかつてゆみひくな」なんど、ことにふれてはうじんせられたりければ、「いちもんのへいけはうんつきて、みやこをおちぬ。いまはひやうゑのすけにこそたすけられんずれ」とて、おちとどまられたりけるとぞきこえし。はちでうのにようゐんは、みやこをばいくさにおそれさせたまひて、にんわじのときはどのにしのうでましましけるところへまゐりこもられけり。このよりもりのきやうとまうすは、にようゐんのおんめのとさいしやうどのとまうすにようばうに、あひぐせられたりけるによつてなり。「しぜんのこともさふらはば、よりもりたすけさせおはしませ」とまうされければ、にようゐん、「いまはよがよであらばこそ」と、よにたのもしげもなうぞおほせける。およそはひやうゑのすけばかりこそ、はうじんをぞんずといへども、じよのげんじらはいかがあらんずらん。なまじひにいちもんにはひきわかれて、おちとどまりぬ。なみにもいそにもつかぬここちぞせられける。さるほどにこまつどののきんだちきやうだいろくにん、つがふそのせいいつせんよき、よどのむつだがはらにて、ぎやうがうにおつつきたてまつらる。おほいとのなのめならずうれしげにて、「いかにやいままでのちさんざふらふ」とのたまへば、さんみのちうじやう、「をさなきものどもがあまりにしたひさふらふを、とかうこしらへおかんとつかまつるほどに、ぞんのほかのちさん」とまうされければ、おほいとの、P62「などろくだいどのをばめしぐせられさふらはぬぞ。こころつよくもとどめたまふものかな」とのたまへば、さんみのちうじやう、「ゆくすゑとてもたのもしうもさふらはず」とて、とふにつらさのなみだをながされけるこそかなしけれ。おちゆくへいけはたれたれぞ。さきのないだいじんむねもりこう、へいだいなごんときただ、へいぢうなんごんのりもり、しんぢうなごんとももり、しゆりのだいぶつねもり、ゑもんのかみきよむね、ほんざんみのちうじやうしげひら、こまつのさんみのちうじやうこれもり、おなじきしんざんみのちうじやうすけもり、ゑちぜんのさんみみちもり、てんじやうびとには、くらのかみのぶもと、さぬきのちうじやうときざね、ひだんのちうじやうきよつね、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじうただふさ、くわうごぐうのすけつねまさ、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、むさしのかみともあきら、のとのかみのりつね、びつちうのかみもろもり、をはりのかみきよさだ、あはぢのかみきよふさ、わかさのかみつねとし、くらんどのたいふなりもり、つねもりのおとごたいふあつもり、ひやうぶのせふまさあきら、そうにはにゐのそうづせんしん、ほつしようじのしゆぎやうのうゑん、ちうなごんのりつしちうくわい、きやうじゆばうのあじやりいうゑん、ぶしにはじゆりやう、けんびゐし、ゑふ、しよしのじようひやくろくじふにん、つがふそのせいしちせんよき、これはこのさんかねんがあひだ、とうごくほくこくどどのいくさにうちもらされて、わづかにのこるところなり。へいだいなごんときただのきやう、やまざきせきどのゐんにたまのみこしをかきすゑさせ、をとこやまのかたふしをがみ、「なむきみやうちやうらいはちまんだいぼさつ、ねがはくはきみをはじめまゐらせて、われらをいまいちどこきやうへかへしいれさせたまへ」といのられけるこそかなしけれ。おのおのうしろをかへりみたまへば、かすめるそらのここちして、けぶりのみこころぼそうぞたちのぼる。P63へいぢうなごんのりもり、
はかなしなぬしはくもゐにへだつればやどはけぶりとたちのぼるかな W057
しゆりのだいぶつねもり、
ふるさとをやけのがはらとかへりみてすゑもけぶりのなみぢをぞ W058
ゆくまことにこきやうをば、いつぺんのえんぢんにへだてつつ、せんどばんりのうんろにおもむかれけん、こころのうちおしはかられてあはれなり。ひごのかみさだよしは、かはじりにげんじまつときいて、けちらさんとて、そのせいごひやくよきではつかうしたりけるが、ひがごとなればとてとつてかへしてのぼるほどに、うどののへんにてぎやうがうにまゐりあひ、いそぎむまよりとんでおり、おほいとののおんまへにまゐりかしこまつて、「あなこころうや、こはいづちへとてわたらせたまひさふらふやらん。さいこくへくだらせたまひたらば、おちうととて、あそこここにてうちもらされて、うきなをながさせましまさんこと、くちをしうさふらふべし。ただみやこのうちにて、いかにもならせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、おほいとの、「さだよしはいまだしらぬか。きそすでにほくこくよりごまんよきでせめのぼり、ひえいさんひがしざかもとにみちみちたり。ほふわうもすぎしやはんに、うせさせたまひぬ。ひとびとはみやこのうちにていかにもならんとまうしあはれけれども、まのあたりにようゐん、にゐどのにうきめをみせまゐらせんも、わがみながらくちをしければ、せめてぎやうがうばかりをもなしたてまつり、おのおのをもひきぐして、さいこくのかたへP64おちくだり、ひとまづもとおもふぞかし」とのたまへば、「ささふらはば、さだよしはみのいとまをたまはつて、みやこのうちにていかにもなりさふらはん」とて、めしぐしたりけるごひやくよきのせいをば、こまつどののきんだちたちにつけまゐらせ、てぜいさんじつきばかりみやこへとつてかへす。へいけのよたうのみやこにのこりとどまつたるをうたんとて、さだよしがかへりいるよしきこえしかば、いけのだいなごんはよりもりがみのうへでぞあらんずらんと、おほきにおそれさわがれけり。されどもさだよしは、にしはちでうのやけあとにおほまくひかせ、いちやしゆくしたりけれども、かへりいらせたまふへいけのきんだちいちにんもおはせざりければ、さすがよのありさまこころぼそくやおもひけん、げんじのこまのひづめにかけさせじとて、こまつどののおんはかほらせ、ごこつにむかひたてまつて、なくなくまうしけるは、「あなあさまし、ごいちもんのおんはてごらんさふらへ。しやうあるものはかならずめつす。たのしみつきてかなしみきたるといふことをば、むかしよりかきおきたることにてさふらへども、まのあたりかかるうきことさふらはず。きみはかかるべかりけることを、かねてさとらせたまひて、ぶつしんさんぽうにごきせいあつて、おんよをはやうせさせましましけることこそ、ありがたうさふらへ。いかにもしてそのとき、さだよしもごせのおんともつかまつるべうさふらひしものを、かひなきいのちながらへて、けふはかかるうきめにあひさふらふことこそ、くちをしうさふらへ。しごのときは、かならずいちぶつどへむかへさせたまへ」となくなくはるかにかきくどき、こつをばかうやへおくり、あたりのつちをばかもがはへながさせ、P65ゆくすゑたのもしからずやおもひけん、しゆとうしろあはせに、とうごくのかたへぞおちゆきける。さだよしはせんねんうつのみやをまうしあづかつて、そのときなさけありしかば、こんどもまたうつのみやをたのうでくだつたりければ、そのよしみにやはうじんしけるとぞきこえし。
(『ふくはらおち』)S0720へいけはこまつのさんみちうじやうこれもりのきやうのほかは、おほいとのいげ、さいしをぐせられけれども、つぎざまのひとびとは、さのみひきしろふにもおよばねば、こうくわいそのごをしらず、みなうちすててぞおちゆきける。ひとはいづれのひいづれのとき、かならずたちかへるべしと、そのごをさだめおくだにも、わかれはかなしきならひぞかし。いはんやこれはけふをさいご、ただいまかぎりのことなれば、ゆくもとまるも、たがひにそでをぞしぼりける。さうでんふだいのよしみ、としごろひごろのぢうおん、いかでかわするべきなれば、おいたるもわかきも、みなあとをのみかへりみて、さきへはすすみもやらざりけり。あるひはいそべのなみまくら、やへのしほぢにひをくらし、あるひはとほきをわけ、はげしきをしのいで、こまにむちうつひともあり。ふねにさをさすものもあり、おもひおもひこころごころにぞおちゆきける。
「ふくはらおち」へいけはふくはらのきうりについて、おほいとの、しかるべきさぶらひらうせうすひやくにんめしてのたまひけるはP66、「しやくぜんのよけいいへにつき、せきあくのよあうみにおよぶがゆゑに、しんめいにもはなたれたてまつり、きみにもすてられまゐらせて、ていとをいでてりよはくにただよふうへは、なんのたのみかあるべきなれども、いちじゆのかげにやどるも、ぜんぜのちぎりあさからず。おなじながれをむすぶも、たしやうのえんなほふかし。いはんやなんぢらは、いつたんしたがひつくもんきやくにあらず、るゐそさうでんのけにんなり。あるひはきんしんのよしみ、たにことなるもあり。あるひはぢうだいはうおんこれふかきもあり。かもんはんじやうのいにしへは、そのおんぱによつてわたくしをかへりみき。なんぞいまそのはうおんをむくはざらんや。しかればじふぜんていわう、さんじゆのしんぎをたいしてわたらせたまへば、いかならんののすゑ、やまのおくまでも、ぎやうがうのおんともまうして、いかにもならんとはおもはずや」とのたまへば、らうせうみななみだをおさへて、「あやしのとりけだものも、おんをはうじとくをむくふこころはさふらふなり。いはんやじんりんのみとして、いかでかそのことわりをぞんぢつかまつらではさふらふべき。なかんづくきうせんばじやうにたづさはるならひ、ふたごころあるをもつてはぢとす。そのうへこのにじふよねんがあひだ、さいしをはぐくみ、しよじうをかへりみさふらふことも、しかしながらきみのごおんならずといふことなし。しかればにつぽんのほか、しんら、はくさい、かうらい、けいたん、くものはてうみのはてまでも、ぎやうがうのおんともつかまつり、いかにもなりさふらはん」と、いくどうおんにまうしたりければ、ひとびとみなたのもしげにぞみたまひける。さるほどにへいけはふくはらのきうりにして、いちやをぞあかされける。をりふしあきのつきはしものゆみはりなり。しんこうくうやしづかにして、たびねのとこのくさまくら、つゆもなみだにあらそひて、ただもののみぞP67かなしき。いつかへるべしともおぼえねば、こにふだうしやうこくのつくりおきたまへるふくはらのところどころをみたまふに、はるははなみのをかのごしよ、あきはつきみのはまのごしよ、いづみどの、まつかげどの、ばばどの、にかいのさじきどの、ゆきみのごしよ、かやのごしよ、ひとびとのたちども、ごでうのだいなごんくにつなのきやうのうけたまはつてざうしんせられしさとだいり、をしのかはら、たまのいしだたみ、いづれもいづれも、みとせがほどにあれはて、きうたいみちをふさぎ、あきのくさかどをとづ。かはらにまつおひかきにつたしげれり。だいかたぶいてこけむせり。まつかぜのみやかよふらん。すだれたえねやあらはなり。つきかげのみぞさしいりける。あけぬればふくはらのだいりにひをかけて、しゆしやうをはじめまゐらせて、ひとびとみなおんふねにめす。みやこをいでしほどこそなけれども、これもなごりはをしかりけり。あまのたくものゆふけぶり、をのへのしかのあかつきのこゑ、なぎさなぎさによするなみのおと、そでにやどかるつきのかげ、ちぐさにすだくしつしゆつのきりぎりす、すべてめにみ、みみにふるることの、ひとつとしてあはれをもよほし、こころをいたましめずといふことなし。きのふはとうくわんのふもとにくつばみをならべて、じふまんよき、けふはさいかいのなみのうへに、ともづなをといてしちせんよにん、うんかいちんちんとして、せいでんすでにくれなんとす。こたうにせきぶへだてて、つきかいしやうにうかべり。きよくほのなみをわけ、しほにひかれてゆくふねは、はんでんのくもにさかのぼる。ひかずふれば、みやこはさんせんほどをへだてて、くもゐのよそにぞなりにける。はるばるきぬとおもへども、ただつきせぬものはなみだなり。なみのうへにしろきとりのむれゐるをみたまひては、かれならん、P68ありはらのなにがしの、すみだがはにてこととひけん、なもむつまじきみやこどりかなとあはれなり。じゆえいにねんしちぐわつにじふごにちに、へいけみやこをおちはてぬ。P69

平家物語 巻第八  総かな版(元和九年本)
「さんもんごかう」(『さんもんごかう』)S0801じゆえいにねんしちぐわつにじふしにちのやはんばかり、ほふわうはあぜつしだいなごんすけかたのきやうのしそく、むまのかみすけときばかりをおんともにて、ひそかにごしよをいでさせたまひて、くらまのおくへごかうなる。じそうども、「これはなほみやこちかうてあしうさふらひなん」とまうしければ、さらばとて、ささのみね、やくわうざかなどいふさがしきけんなんをしのがせたまひて、よかはのげだつだにじやくぢやうばうへいらせおはします。だいしゆおこつて、「とうだふへこそごかうはなるべけれ」とまうしければ、とうだふのみなみだにゑんゆうばうごしよになる。かかりしかば、しゆともぶしも、みなゑんゆうばうをしゆごしたてまつる。ほふわうはせんとうをいでててんだいさんへ、しゆしやうはほうけつをさつてさいかいへ、せつしやうどのはよしののおくとかや。にようゐんみやみやは、やはた、かも、さが、うづまさ、にしやま、ひがしやまのかたほとりについて、にげかくれさせたまひけり。へいけはおちぬれど、げんじはいまだいりかはらず、すでにこのきやうはぬしなきさととぞなりにける。かいひやくよりP70このかた、かかることあるべしともおぼえず。しやうとくたいしのみらいきにも、けふのことこそゆかしけれ。さるほどにほふわうてんだいさんにわたらせたまふときこえしかば、おんむかひにはせまゐらせたまふひとびと、そのころのにふだうどのとは、さきのくわんばくまつどの、たうとのとはこんゑどの、だいじやうだいじん、さうのだいじん、ないだいじん、だいなごん、ちうなごん、さいしやう、さんみしゐごゐのてんじやうひと、すべてよにひととかぞへられ、くわんかかいにのぞみをかけ、しよたいしよしよくをたいするほどのひとの、いちにんももるるはなかりけり。ゑんゆうばうには、あまりにひとおほくまゐりつどひて、たうしやうたうか、もんげもんない、ひまはざまもなうぞみちみちたる。さんもんはんじやう、もんぜきのめんぼくとこそみえたりけれ。おなじきにじふはちにち、ほふわうみやこへくわんぎよなる。きそごまんよきでしゆごしたてまつる。あふみげんじやまもとのくわんじやよしたか、しらはたさいてせんぢんにぐぶす。このにじふよねんみざりつるしらはたの、けふはじめてみやこへいる、めづらしかりしけんぶつなり。じふらうくらんどゆきいへ、すせんぎでうぢばしをわたいてみやこへいる。みちのくにのしんはうぐわんよしやすがこ、やだのはんぐわんだいよしきよ、おほえやまをへて、しやうらくす。またつのくにかはちのげんじらどうしんして、おなじうみやこへみだれいる。およそきやうぢうにはげんじのせいみちみちたり。かでのこうぢのちうなごんつねふさのきやう、けんびゐしのべつたうさゑもんのかみさねいへりやうにん、ゐんのてんじやうのすのこにさふらひて、よしなかゆきいへをめす。きそそのひのしやうぞくには、あかぢのにしきのひたたれにP71、からあやをどしのよろひきて、いかものづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいでたかひもにかけ、ひざまづいてぞさふらひける。じふらうくらんどゆきいへは、こんぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひきて、こくしつのたちをはき、にじふしさいたるおほなかぐろのやおひ、ぬりごめどうのゆみわきにはさみ、これもかぶとをぬいでたかひもにかけ、かしこまつてぞさふらひける。さきのないだいじんむねもりこうをはじめとして、へいけのいちぞくみなつゐたうすべきよしおほせくださる。りやうにんていしやうにかしこまりうけたまはつてまかりいづ。おのおのしゆくしよなきよしをそうもんす。きそはだいぜんのだいぶなりただがしゆくしよ、ろくでうにしのとうゐんをくださる。じふらうくらんどゆきいへは、ほふぢうじどののみなみどのとまうすかやのごしよをぞたまはりける。
しゆしやうはぐわいせきのへいけにとらはれさせたまひて、さいかいのなみのうへにただよはせたまふことを、ほふわうなのめならずおんなげきあつて、しゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつるべきよし、さいこくへおほせくだされけれども、へいけもちひたてまつらず。たかくらのゐんのわうじは、しゆしやうのほかさんじよおはしましき。なかにもにのみやをば、まうけのきみにしたてまつらんとて、へいけとりたてまつて、さいこくへおちくだりぬ。さんしはみやこにましましけり。はちぐわついつか、ほふわうこのみやたちむかへよせまゐらさせたまひて、まづさんのみやのごさいにならせましましけるを、ほふわう、「あれはいかに」とおほせければ、ほふわうをみまゐらさせたまひて、おほきにむつからせたまふあひだ、「とうとう」とていだしまゐらさせたまひけり。そののちしのみやのしさいにならせましましけるを、ほふわう、「あれはいかに」とP72おほせければ、やがてほふわうのおんひざのうへにまゐらさせたまひて、なのめならずなつかしげにてぞましましける。ほふわうおんなみだをながさせたまひて、「げにもすぞろならんものの、このおいぼふしをみて、いかでかなつかしげにはおもふべき。これぞまことのわがおんまごにておはします。こゐんのをさなおひにすこしもたがはせたまはぬものかな。これほどのわすれがたみを、いままでごらんぜられざりつることよ」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。じやうどじのにゐどの、そのときはいまだたんごどのとてごぜんにさぶらはれけるが、「さておんくらゐはこのみやにてこそわたらせたまひさぶらはめなう」とまうされたりければ、ほふわう、「しさいにや」とぞおほせける。ないないみうらのありしにも、「しのみやくらゐにつかせたまはば、はくわうまでもにつぽんごくのおんあるじたるべし」とぞかんがへまうしけり。おんぼぎはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうのおんむすめなり。ちうぐうのおんかたにみやづかへたまひしを、しゆしやうつねはめされまゐらせけるほどに、みやあまたいできまゐらさせたまひけり。こののぶたかのきやうは、おんむすめおほくおはしましければ、いづれにてもにようごきさきにたてまゐらせたくおもはれけるが、ひとのいへにしろいにはとりをせんかひつれば、そのいへにかならずきさきのいできたるといふことのあればとて、にはとりのしろきをせんそろへてかはれたりけるゆゑにや、このおんむすめわうじあまたうみまゐらさせたまひけり。のぶたかのきやうもないないうれしくおもはれけれども、あるひはへいけにもおそれをなし、あるひはちうぐうをはばかりたてまつて、もてなしたてまつることもなかりしを、にふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどの、「よしよしくるしかるまじ。P73われそだてまゐらせて、まうけのきみにしたてまつらん」とて、おんめのとあまたつけてもてなしまゐらさせたまひけり。なかにもしのみやは、にゐどののおんせうと、ほつしようじのしゆぎやうのうゑんほふいんのやしなひぎみにてぞましましける。しかるをほふいんへいけにぐせられて、みやをもにようばうをもきやうとにすておき、さいかいへおちくだられたりけるが、ほふいんさいこくよりひとをのぼせ、「みやいざなひまゐらせていそぎくだりたまへ」とまうしあげられたりければ、きたのかたなのめならずによろこび、みやいざなひまゐらせて、にしのしちでうまでいでられたりけるを、にようばうのせうときのかみのりみつ、「これはもののついてくるひたまふか。このみやのごうんは、ただいまひらけさせたまはんずるものを」とて、とりとどめたてまつりたりけるつぎのひぞ、ほふわうよりおんむかひのおんくるまはまゐりたりけるとかや。なにごともしかるべきこととはまうしながら、きのかみのりみつは、しのみやのおんためには、さしもほうこうのひととぞみえし。されどもそのちうをもおぼしめしよらざりけるにや、むなしうとしつきをおくりけるが、あるときのりみつ、もしやとにしゆのうたをよみて、きんちうにらくしよをぞしたりける。
ひとこえはおもひいでてなけほととぎすおいそのもりのよはのむかしを W059
このうちもなほうらやましやまがらのみのほどかくすゆふがほのやど W060
しゆしやうこのよしきこしめして、「これほどのことをいままでおぼしめしよらざりけるこそ、かへすがへすもおろかなれ」とて、やがててうおんかうむつて、じやうざんみにじよせられけるとぞきこえし。P74
「なとら」(『なとら』)S0802おなじきとをかのひ、きそさまのかみになつて、ゑちごのくにをたまはる。そのうへあさひのしやうぐんといふゐんぜんをぞくだされける。じふらうくらんど、びんごのかみになりて、びんごのくにをたまはる。きそ、ゑちごをきらへば、いよをたぶ。じふらうくらんど、びんごをきらへば、びぜんをたまはる。そのほかげんじじふよにん、じゆりやう、けんびゐし、ゆぎへのじよう、ひやうゑのじようにぞなされける。おなじきじふろくにち、さきのないだいじんむねもりこういげ、へいけのいちぞくひやくろくじふにんがくわんしよくをとどめて、てんじやうのみふだをけづらる。そのなかにへいだいなごんときただのきやう、くらのかみのぶもと、さぬきのちうじやうときざね、ふしさんにんをばけづられず。そのゆゑはしゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつれと、ときただのきやうのもとへ、たびたびおほせくだされけるによつてなり。あくるじふしちにち、へいけはちくぜんのくにみかさのこほりださいふにこそつきたまへ。きくちのじらうたかなほは、みやこよりへいけのおんともにさふらひけるが、「おほづやまのせきあけてまゐらせん」とて、ひごのくににうちこえ、おのれがじやうにひきこもつて、めせどもめせどもまゐらず。そのほかきうしうにたうのものども、みなまゐるべきよしのおんりやうじやうをばまうしながら、いちにんもまゐらず。たうじはP75いはどのしよきやうおほくらのたねなほばかりぞさふらひける。おなじきじふはちにち、へいけあんらくじにまゐり、よもすがらうたよみれんがして、みやづかへたまひしに、なかにもほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、
すみなれしふるきみやこのこひしさはかみもむかしにおもひしるらむ W061
ひとびとまことにあはれにおぼえて、みなそでをぞぬらされける。おなじきはつかのひ、みやこにはほふわうのせんみやうにて、しのみや、かんゐんどのにてくらゐにつかせたまふ。せつしやうはもとのせつしやう、こんゑどのかはらせたまはず。とうやくらんどなしおいて、ひとびとみなたいしゆつせられけり。さんのみやのおんめのとなきかなしみこうくわいすれどもかひぞなき。てんにふたつのひなし、くににふたりのわうなしとはまうせども、へいけのあくぎやうによつてこそ、きやうゐなかにふたりのわうはましましけれ。むかしもんどくてんわう、てんあんにねんはちぐわつにじふさんにちかくれさせたまひぬ。おんこのみやたちあまたおんくらゐにのぞみをかけてましましければ、ないないおんいのりどもありけり。いちのみここれたかのしんわうをば、こばらのわうじともまうしき。わうしやのざいりやうをおんこころにかけ、しかいのあんきはたなごころのうちにてらし、はくわうのりらんはおんこころにかけたまへり。さればけんせいのなをも、とらせましましぬべききみなりとみえたまへり。にのみやこれひとのしんわうは、そのころのしつぺいちうじんこうのおんむすめ、そめどののきさきのおんはらなり。いちもんのくぎやうれつしてもてなしたてまつらせたまひしかば、これもまたさしおきがたきおんことなり。かれはしゆぶんけいていのきりやうあり、これはばんきふさのしんしやうあり。かれもこれもいたはしくて、いずれもおぼしめしP76わづらはれき。いちのみここれたかのしんわうげのおんいのりには、かきのもとのきそうじやうしんぜいとて、とうじのいちのちやうじや、こうぼふだいしのおんでしなり。にのみやこれひとのしんわうげのおんいのりには、ぐわいそちうじんこうのごぢそう、ひえいさんのゑりやうくわしやうぞうけたまはられける。いづれもおとらぬかうそうたちなり。とみにことゆきがたうやあらんずらんと、ひとびとないないささやきあはれけり。あんのごとくみかどかくれさせたまひしかば、くぎやうせんぎありけり。「そもそもしんらがおもんぱかりをもつて、えらんでくらゐにつけたてまつらんこと、ようしやわたくしあるににたり。ばんじんくちびるをかへすべし。しらずけいばすまふのせちをとげ、そのうんをしり、しゆうによつて、はうそさづけたてまつるべし」とぎぢやうをはんぬ。
さるほどにおなじきくぐわつふつかのひ、ににんのみやたち、うこんのばばへぎやうげいありけり。ここにわうこうけいしやうたまのくつばみをならべ、はなのたもとをよそほひ、くものごとくにかさなり、ほしのごとくにつらなりたまへり。これきたいのしようし、てんがのさかんなるみもの、ひごろこころをよせたてまつりしげつけいうんかく、りやうばうにひきわかつて、てをにぎりこころをくだきたまへり。おんいのりのかうそうたち、いづれかそりやくあらんや。しんぜいそうじやうはとうじにだんをたて、ゑりやうくわしやうはたいだいのしんごんゐんにだんをたてていのられけるが、ゑりやうはうせたりといふひろうをなさば、しんぜいそうじやうすこしたゆむこころもやおはすらんとて、「ゑりやうはうせたり」といふひろうをなして、かんたんをくだいていのられけり。すでにじふばんのけいばはじまる。はじめしばんはいちのみここれたかのしんわうげかたせたまふ。のちろくばんはP77
にのみやこれひとのしんわうげかたせたまふ。やがてすまふのせちあるべしとて、いちのみここれたかのしんわうげよりは、なとらのうひやうゑのかみとて、およそろくじふにんがちからあらはしたるゆゆしきひとをいだされたり。にのみやこれひとのしんわうげよりは、よしをのせうしやうとて、せいちひさうたへにして、かたてにあふべしともみえぬひと、ごむさうのおんつげありとて、まうしうけてぞいでられける。さるほどに、なとらよしをよりあひて、ひしひしとつまどりしてのきにけり。しばらくありて、なとらつとより、よしををとつてささげ、にぢやうばかりぞなげあげたる。ただなほつてたふれず。よしをまたつとより、なとらをとつてふせんとす。されどもなとらはだいのをのこ、かさにまはる。よしをなほあぶなうみえければ、おぼぎそめどののきさきより、おつかひくしのはのごとくに、しげうはしりかさなつて、「みかたすでにまけいろにみゆ、いかがせん」とおほせければ、ゑりやうくわしやうは、だいゐとくのほふをおこなはれけるが、「こはこころうきことなり」とて、とくこをもつてかうべをつきやぶり、なづきをくたし、にうにわして、ごまにたき、くろけぶりをたてて、ひともみもまれたりければ、よしをすまふにかちにけり。にのみやくらゐにつかせたまふ。せいわのみかどこれなり。のちにはみづのをのてんわうともまうしき。それよりしてさんもんには、いささかのことにも、「ゑりやうなづきをくだけば、じていくらゐにつき、そんいちけんをふつしかば、くわんしやうなふじゆしたまふ」ともつたへたり。これのみやほふりきにてもありけん、そのほかはみなてんせうだいじんのおんぱからひなりとぞ、みえたりける。P78
「うさぎやうがう」へいけはつくしにてこのよしをつたへききたまひて、「あはれさんのみやをも、しのみやをも、ぐしたてまつりておちくだるべきものを」とまうしあはれければ、へいだいなごんときただのきやう、「さらんにはたかくらのみやのおんこのみやを、おんめのとさぬきのかみしげひでが、ごしゆつけせさせたてまつり、ぐしたてまつてほくこくへおちくだりたりしを、きそよしなかしやうらくのとき、しゆにしまゐらせんとて、げんぞくせさせたてまつり、ぐしたてまつりて、みやこへのぼりたるをぞ、くらゐにはつけまゐらせんずらん」とのたまへば、ひとびと、「いかでかげんぞくのみやをば、くらゐにつけたてまつるべき」とまうされければ、ときただのきやう、「さもさうず。げんぞくのこくわうのためし、いこくにはそのれいもやあるらん。わがてうには、まづてんむてんわういまだとうぐうのおんとき、おほとものわうじにおそはれさせたまひて、びんぱつをそり、よしののおくへにげこもらせたまひたりしが、おほとものわうじをほろぼして、つひにくらゐにつかせたまひき。またかうけんてんわうとまうせしも、だいぼだいしんをおこさせたまひて、おんかざりをおろし、みなをほふきにとまうせしかども、ふたたびくらゐにつかせたまひて、しようとくてんわうとまうししぞかし。いはんやきそがしゆにしまゐらせたるげんぞくのみやなれば、しさいにおよぶべき」とぞのたまひける。P79おなじきくぐわつみつかのひ、いせへくぎやうのちよくしをたてらる。ちよくしはさんぎながのりとぞきこえし。だいじやうほふわういせへくぎやうのちよくしをたてらるることは、しゆしやく、しらかは、とばさんだいのじようせきありとはまうせども、これはみなごしゆつけいぜんなり。ごしゆつけいごのれい、これはじめとぞうけたまはる。
(『をだまき』)S0803へいけはつくしにみやこをさだめ、だいりつくらるべしと、くぎやうせんぎありしかども、みやこもいまださだまらず。しゆしやうはそのころいはどのしよきやうおほくらのたねなほがしゆくしよにぞましましける。ひとびとのいへいへは、のなかたなかなりければ、あさのころもはうたねども、とをちのさとともいつつべし。だいりはやまのなかなれば、かのきのまるどのも、かくやありけんと、なかなかいうなるかたもありけり。まづうさのみやへぎやうがうなる。だいぐうじきんみちがしゆくしよくわうきよになる。しやとうはげつけいうんかくのきよしよになる。くわいらうはごゐろくゐのくわんにん、ていしやうにはしこくちんぜいのつはものども、かつちうきうせんをたいして、うんかのごとくなみゐたり。ふりにしあけのたまがき、ふたたびかざるとぞみえし。しちにちさんろうのあかつき、おほいとののおんために、むさうのつげぞありける。ごほうでんのみとおしひらき、ゆゆしう、けだかげなるおんこゑにて、
よのなかのうさにはかみもなきものをなにいのるらむこころづくしに W062
おほいとのうちおどろき、むねうちさわぎ、あさましさに、
さりともとおもふこころもむしのねもよわりはてぬるあきのくれかな W063
といふふるうたを、こころぼそげにぞくちずさみたまひける。さてださいふへくわんかうなる。P80さるほどにくぐわつもとをかあまりになりぬ。をぎのはむけのゆふあらし、ひとりまるねのとこのうへ、かたしくそでも、しをれつつ、ふけゆくあきのあはれさは、いづくもとはいひながら、たびのそらこそしのびがたけれ。くぐわつじふさんやは、なをえたるつきなれども、そのよはみやこをおもひいづるなみだに、われからくもりて、さやかならず。きうちようのくものうへ、ひさかたのつきにおもひをのべしゆふべも、いまのやうにおぼえて、さつまのかみただのり、
つきをみしこぞのこよひのとものみやみやこにわれをおもひいづらむ W064
しゆりのだいぶつねもり、
こひしとよこぞのこよひのよもすがらちぎりしひとのおもひいでられて W065
くわうごぐうのすけつねまさ、
わきてこしのべのつゆともきえずしておもはぬさとのつきをみるかな W066
「をだまき」ぶんごのくには、ぎやうぶきやうざんみよりすけのきやうのくになりけり。しそくよりつねのあそんをだいくわんにおかれたりけるが、きやうよりよりつねのもとへししやをたてて、へいけはすでにしんめいにもはなたれたてまつり、きみにもすてられまゐらせて、ていとをいでて、なみのうへにただよふおちうととなれり。P81しかるをきうしうにたうのものどもがうけとつて、もてあつかふらんことこそしかるべからね。たうごくにおいては、いつかうしたがふべからず。とうほくこくといちみどうしんして、くこくのうちをおひいだしたてまつるべきよし、のたまひつかはされたりければ、これををがたのさぶらうこれよしにげぢす。かのこれよしとまうすは、おそろしきもののすゑにてぞさふらひける。たとへば、むかしぶんごのくにあるかたやまざとにをんなありき。あるひとのひとりむすめ、をつともなかりけるがもとへ、をとこよなよなかよふほどに、としつきもへだたれば、みもただならずなりぬ。ははこれをあやしんで、「なんぢがもとへかよふものは、いかなるものぞ」ととひければ、「くるをばみれども、かへるをしらず」とぞいひける。「さらばあさがへりせんとき、しるしをつけてつないでみよ」とぞをしへける。むすめははのをしへにしたがひて、あさがへりしけるをとこの、みづいろのかりぎぬをきたりけるくびかみにはりをさし、しづのをだまきといふものをつけて、へてゆくかたをつないでみれば、ぶんごのくににとつてもひうがのさかひ、うばだけといふだけのすそ、おほきなるいはやのうちへぞつなぎいれたる。をんないはやのくちにたたずんでききければ、おほきなるこゑしてにえびけり。をんなまうしけるは、「おんすがたをみまゐらせんがために、わらはこそこれまでまゐつてさぶらへ」といひければ、いはやのうちよりこたへていはく、「われはこれひとのすがたにはあらず。なんぢわがすがたをみては、きもたましひもみにそふまじきぞ。はらめるところのこは、なんしなるべし。ゆみやうちものとつては、きうしうにたうにかたをならぶるものあるまじきぞ」とぞをしへける。P82をんなかさねて、「たとひいかなるすがたにてもあらばあれ、ひごろのよしみいかでかわするべきなれば、たがひのすがたをいまいちど、みもしみえられん」といひければ、さらばとて、いはやのうちより、ふしだけはごろくしやく、あとまくらべはじふしごぢやうもあるらんとおぼゆるだいじやにて、どうえうしてぞはひいでたる。をんなきもたましひもみにそはず、めしぐしたるじふよにんのしよじうども、をめきさけんでにげさりぬ。くびかみにさすとおもひしはりは、だいじやののどぶえにぞたつたりける。をんなかへりてほどなくさんをしたりければ、なんしにてぞありける。ははかたのおほぢ、そだててみんとてそだてたれば、いまだじつさいにもみたざるに、せいおほきうかほながかりけり。しちさいにてげんぶくせさせ、ははかたのおほぢを、だいたいふといふあひだ、これをばだいたとこそつけたりけれ。なつもふゆもてあしにひまなくあかがりわれたりければ、あかがりだいたともいはれけり。かのこれよしは、くだんのだいたにはごだいのそんなり。かかるおそろしきもののすゑなればにや、こくしのおほせをゐんぜんとかうして、きうしうにたうにめぐらしぶみをしたりければ、しかるべきものどもも、これよしにみなしたがひつく。くだんのだいじやは、ひうがのくににあがめられさせたまふ、たかちをのみやうじんのしんたいなりとぞうけたまはる。P83
「ださいふおち」(『ださいふおち』)S0804さるほどにへいけは、つくしにみやこをさだめ、だいりつくらるべしと、くぎやうせんぎありしかども、これよしがむほんによつて、それもかなはず。しんぢうなごんとももりのきやうのいけんにまうされけるは、「かのをがたのさぶらうは、こまつどののごけにんなり。しかればきんだちごいつしよむかはせたまひて、こしらへてごらんぜらるべうもやさふらふらん」とまうされければ、「このぎもつともしかるべし」とて、しんざんみのちうじやうすけもり、そのせいごひやくよき、ぶんごのくににうちこえ、やうやうにこしらへのたまへども、これよししたがひたてまつらず。あまつさへ、「きんだちをも、これにてとりこめまゐらすべうさふらへども、だいじのなかのせうじなしとて、とりこめまゐらせずは、なにほどのことかさふらふべき。ただださいふへかへらせたまひて、ごいつしよでいかにもならせたまへ」とて、おつかへしたてまつる。そののちこれよしがじなん、のじりのじらうこれむらをししやにて、ださいふへまうしけるは、「へいけこそぢうおんのきみにてましましさふらへば、かぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、かうにんにまゐるべくさふらへども、いちゐんのおほせには、すみやかにくこくのうちをおひいだしたてまつるべきよしさふらふ」とまうしおくつたりければ、へいだいなごんときただのきやう、ひをくくりのはかま、いとくずのひたたれ、P84たてゑぼしにて、これむらにいでむかひてのたまひけるは、「それわがきみはてんそんしじふくせのしやうとう、じんむてんわうよりにんわうはちじふいちだいにあたらせたまふ。さればてんせうだいじんしやうはちまんぐうも、わがきみをこそまもりまゐらさせたまふらめ。なかんづくたうけは、ほうげんへいぢよりこのかた、どどのげきらんをしづめて、きうしうのものどもをば、みなうちさまへこそめされしか。しかるにそのおんをわすれて、とうごくほくこくのきようとら、よりともよしなからにかたらはれて、しおほせたらばくにをあづけん、しやうをたばんとまうすを、まこととおもひて、そのはなぶんごがげぢにしたがふらんことこそしかるべからね」とぞのたまひける。ぶんごのこくしぎやうぶきやうざんみよりすけのきやうは、きわめてはなのおほきなりければ、かやうにはのたまひけるなれ。これむらかへつてちちにこのよしつげたりければ、「こはいかに、むかしはむかし、いまはいま、そのぎならば、くこくのうちをおひいだしたてまつれや」とて、せいそろゆるときこえしかば、げんたいふのはうぐわんすゑさだ、つのはうぐわんもりずみ、「きやうこうはうばいのためきくわいにさふらふ。めしとりさふらはん」とて、そのせいさんぜんよきで、ちくごのくににうちこえ、たかののほんじやうにはつかうして、いちにちいちやせめたたかふ。されどもこれよしがかたのせい、うんかのごとくにかさなれば、ちからおよばでひきしりぞく。へいけは、をがたのさぶらうこれよしが、さんまんよきのせいにて、すでによすときこえしかば、とるものもとりあへず、ださいふをこそおちたまへ。さしもたのもしかりつるてんまんてんじんのしめのあたりを、こころぼそくもたちわかれ、かよちやうもなければ、そうくわほうれんは、ただなをのみP85ききて、しゆしやうえうよにめされけり。こくもをはじめまゐらせて、やんごとなきにようばうたちは、はかまのすそをたかくとり、おほいとのいげのけいしやううんかくは、さしぬきのそばをたかくはさみ、かちはだしでみづきのとをいでて、われさきにわれさきにと、はこざきのつへこそおちたまへ。をりふしくだるあめしやぢくのごとし。ふくかぜいさごをあぐとかや。おつるなみだふるあめ、わきていづれもみえざりけり。すみよし、はこざき、かしひ、むなかたふしをがみ、しゆしやうただきうとのくわんかうとのみぞいのられける。たるみやま、うづらばまなどいふさがしきけんなんをしのがせたまひて、べうべうたるへいさへぞおもむかれける。いつならはしのおんことなれば、おんあしよりいづるちはいさごをそめ、くれなゐのはかまはいろをまし、しろきはかまはすそぐれなゐにぞなりにける。かのげんざうさんざうのりうさそうれいをしのがれたりけんかなしみも、これにはいかでかまさるべき。それはぐほふのためなれば、じたのりやくもありけん、これはとうせんのみちなれば、らいせのくるしみ、かつおもふこそかなしけれ。
はらたのたいふたねなほは、にせんよきで、きやうよりへいけのおんともにまゐる。やまがのひやうどうじひでとほ、すせんぎでへいけのおんむかひにまゐりけるが、たねなほひでとほ、もつてのほかにふわなりければ、たねなほはあしかりなんとて、みちよりひつかへす。それよりあしやのつといふところを、すぎさせたまふにも、「これはみやこよりわれらがふくはらへかよひしとき、あさゆふみなれしさとのななれば」とて、いづれのさとよりもなつかしく、いまさらあはれをぞもよほされける。しんら、はくさい、かうらい、けいたん、くものはてうみのはてまでも、おちゆかばやとはおもはれけれども、P86なみかぜむかうてかなはねばちからおよばず、ひやうどうじひでとほにぐせられて、やまがのじやうにぞこもりたまふ。やまがへもまたかたきよすときこえしかば、とるものもとりあへず、へいけこぶねどもにとりのつて、よもすがらぶぜんのくにやなぎがうらへぞわたられける。ここにみやこをさだめて、だいりつくらるべしと、くぎやうせんぎありしかども、ぶんげんなければそれもかなはず。またながとよりげんじよすときこえしかば、とるものもとりあへず、あまをぶねにめして、うみにぞうかびたまひける。かんなづきのころほひ、こまつどののさんなん、ひだんのちうじやうきよつねは、なにごともふかうおもひいれたまへるひとにておはしけるが、あるつきのよ、ふなばたにたちいでて、やうでうねとりらうえいして、あそばれけるが、みやこをばげんじのためにせめおとされ、ちんぜいをばこれよしがためにおひいだされ、あみにかかれるうをのごとし。いづちへゆかばのがるべきかは。ながらへはつべきみにもあらずとて、しづかにきやうよみねんぶつして、うみにぞしづみたまひける。なんによなきかなしめどもかひぞなき。ながとのくにはしんぢうなごんとももりのきやうのくになりけり。もくだいはきのぎやうぶのたいふみちすけといふものなり。へいけあまをぶねにめしたるよしうけたまはつて、おほぶねひやくよそうてんじてまゐらせたりければ、へいけこれにのりうつり、しこくへぞわたられける。あはのみんぶしげよしがさたとして、さぬきのくにやしまのいそにかたのやうなるいたやのだいりや、ごしよをぞつくらせける。そのほどはあやしのみんをくをくわうきよとするにおよばねば、ふねをごしよとぞさだめける。おほいとのP87いげのけいしやううんかくは、あまのとまやにひをくらし、ふねのうちにてよをあかす。りようどうげきしゆをかいちうにうかべ、なみのうへのかうきうは、しづかなるときなし。つきをひたせるうしほのふかきうれへにしづみ、しもをおほへるあしのはのもろきいのちをあやぶむ。すさきにさわぐちどりのこゑは、あかつきうらみをまし、そはゐにかかるかぢのおとは、よはにこころをいたましむ。はくろのゑんしようにむれゐるをみては、げんじのはたをあぐるかとうたがはる。やがんのれうかいになくをきいては、つはものどものよもすがらふねをこぐかとおどろかる。せいらんはだへををかしては、すゐたいこうがんのいろやうやうおとろへ、さうはまなこうげて、ぐわいとばうきやうのなんだおさへがたし。すゐちやうこうけいにかはれるは、はにふのこやのあしすだれ、くんろのけぶりにことなる、あまのもしほびたくいやしきにつけても、にようばうたちは、つきせぬものおもひに、くれなゐのなみだせきあへたまはねば、みどりのまゆずみみだれつつ、そのひとともみえたまはず。
「せいいしやうぐんのゐんぜん」(『せいいしやうぐんのゐんぜん』)S0805さるほどにかまくらのさきのうひやうゑのすけよりとも、ぶようのめいよちやうじたまへるによつて、ゐながらせいいしやうぐんのゐんぜんをくださる。おつかひはさししやうなかはらのやすさだとぞきこえし。じふぐわつよつかのひくわんとうへげちやく。ひやうゑのすけどののたまひけるは、「そもそもよりともぶようのめいよちやうぜるによつて、P88ゐながらせいいしやうぐんのゐんぜんをかうぶる。さればわたくしにてはいかでかうけとりたてまつるべき。わかみやのはいでんにして、うけとりたてまつるべし」とて、わかみやへこそまゐりむかはれけれ。はちまんはつるがをかにたたせたまふ。ちけいいはしみづにたがはず。くわいらうあり、ろうもんあり、つくりみちじふよちやうをみくだしたり。そもそもゐんぜんをば、たれしてかうけとりたてまつるべきとひやうぢやうあり。みうらのすけよしずみして、うけとりたてまつるべし。そのゆゑははつかこくにきこえたるゆみやとり、みうらのへいたらうためつぎがばつえふなり。ちちおほすけもきみのためにいのちをすてしつはものなれば、かのぎめいがくわうせんのめいあんをてらさんがためとぞきこえし。ゐんぜんのおつかひやすさだは、いへのこににん、らうどうじふにんぐしたり。みうらのすけも、いへのこににん、らうどうじふにんぐしたりけり。ににんのいへのこは、わだのさぶらうむねざね、ひきのとうしらうよしかずなり。らうどうじふにんをば、だいみやうじふにんして、ひとりづつにはかにしたてられたり。みうらのすけ、そのひは、かちんのひたたれに、くろいとをどしのよろひきて、こくしつのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいでたかひもにかけ、こしをかがめてゐんぜんをうけとりたてまつらんとす。さししやうまうしけるは、「ただいまゐんぜんうけとりたてまつらんとするはたれびとぞ。なのりたまへ」といひければ、ひやうゑのすけのすけのじにやおそれけん、みうらのすけとはなのらずして、ほんみやうみうらのあらじらうよしずみとこそなのつたれ。ゐんぜんをばらんばこにいれられたり。ひやうゑのすけどのにたてまつる。ややあつてらんばこをばかへされけり。おもかりければ、やすさだこれをひらいてみるに、しやきんP89ひやくりやういれられたり。わかみやのはいでんにして、やすさだにさけをすすめらる。さいゐんのじくわんはいぜんす。ごゐいちにんやくそうをつとむ。むまさんびきひかる。いつぴきにくらおいたり。みやのさぶらひかののくどういちらふすけつねこれをひく。ふるきかややをしつらうて、やすさだをいれらる。あつわたのきぬにりやう、こそでとかさね、ながもちにいれてまうけたり。こんあゐずり、しろぬのせんだんをつめり。はいばんゆたかにしてびれいなり。つぎのひひやうゑのすけのたちにむかふ。うちとにさぶらひあり。ともにじふろくけんまでありけり。とさぶらひには、いへのこ(原本いへこの)らうどうかたをならべ、ひざをくんでなみゐたり。うちさぶらひには、いちもんのげんじしやうざして、ばつざにははつかこくのだいみやうせうみやうゐながれたり。げんじのしやうざには、やすさだをすゑらる。ややあつてしんでんにむかふ。うへにはかうらいべりのたたみをしき、ひろびさしにはむらさきべりのたたみをしいて、やすさだをすゑらる。みすたかくまきあげさせて、ひやうゑのすけどのいでられたり。そのひはほういにたてゑぼしなり。かほおほきにしてせいひきかりけり。ようばういうびにしてげんぎよぶんみやうなり。まづしさいをいちじのべたり。「そもそもへいけよりともがゐせいにおそれて、みやこをおつ。そのあとにきそよしなか、じふらうくらんどらがうちいつて、わがかうみやうがほに、くわんかかいをおもふさまにつかまつり、あまつさへくにをきらひまうすでうきくわいなり。またおくのひでひらがみちのくにのかみになり、さたけのくわんじやがひたちのかみになつて、これもよりともがげぢにしたがはず。かれらをもいそぎつゐたうすべきよしのゐんぜん、たまはるべき」よしをまうさる。やすさだ、「やがてこれにてみやうぶをもまゐらせたうはさふらへども、たうじはおつかひのみでさふらへば、P90まかりのぼつて、やがてしたためてこそまゐらせめ。おととでさふらふしのたいふしげよしも、このぎをまうしさふらふ」とまうしければ、ひやうゑのすけどのあざわらうて、「たうじよりともがみとして、おのおののみやうぶおもひもよらず。さりながらもいたされば、さこそぞんぜめ」とぞのたまひける。やすさだやがてこんにちしやうらくのよしをまうす。けふばかりはとうりうあるべしとてとどめらる。つぎのひまたひやうゑのすけのたちへむかふ。もよぎのいとをどしのはらまきいちりやう、しろうつくつたるたちひとふり、しげどうのゆみにのやそへてたぶ。むまじふさんびきひかる。さんびきにくらおいたり。じふににんのいへのこらうどうどもにも、ひたたれ、こそで、おほぐち、むま、もののぐにおよべり。むまだにもさんびやくひきまでありけり。かまくらいでのしゆくよりも、あふみのくにかがみのしゆくにいたるまで、しゆくじゆくにじつこくづつのよねをおかれたりければ、たくさんなるによつて、せぎやうにひきけるとぞきこえし。
「ねこま」(『ねこま』)S0806やすさだみやこへのぼりゐんざんして、おつぼのうちにかしこまつて、くわんとうのやうをつぶさにそうもんまうしたりければ、ほふわうおほきにぎよかんありけり。くぎやうもてんじやうびとも、ゑつぼにいらせおはしまし、P91いかなればひやうゑのすけは、かうこそゆゆしうおはせしか。たうじみやこのしゆごしてさふらはれけるきそよしなかは、にもにずあしかりけり。いろしろうみめはよいをのこにてありけれども、たちゐのふるまひのぶこつさ、ものいひたることばつづきのかたくななることかぎりなし。ことわりなるかな、にさいよりさんじふにあまるまで、しなののくにきそといふかたやまざとにすみなれておはしければ、なじかはよかるべき。そのころねこまのちうなごんみつたかのきやうといふひとありけり。きそにのたまひあはすべきことあつて、おはしたりけるを、らうどうども、「ねこまどののいらせたまひてさふらふ」といひければ、きそおほきにわらうて、「ねこはひとにたいめんするか」とぞいひける。「これはねこまのちうなごんどのとて、くぎやうにてわたらせたまひさふらふ」といひければ、さらばとてたいめんす。きそ、ねこまどのとはえいはで、「ねこどののけどきに、まればれわいたに、ものよそへ」とぞいひける。ちうなごんどの、「いかでかただいまさるおんことのおはすべき」とのたまへども、きそ、なにをもあたらしきものをば、ぶえんといふぞとこころえて、「ぶえんのひらたけここにあり。とうとう」といそがす。ねのゐのこやたはいぜんす。ゐなかがふしのきはめておほきに、くぼかりけるに、はんうづたかうよそひ、ごさいさんじゆして、ひらたけのしるにてまゐらせたり。きそがまへにも、おなじていにてすゑたりけり。きそはしとつてしよくす。ちうなごんはあまりにがふしのいぶせさに、めさざりければ、きそ、「きたなうなおもひたまひそ。それはよしなかがしやうじんがふしでさふらふぞ。とうとう」とすすむるあひだ、ちうなごんどの、P92めさでもさすがあしかりなんとやおもはれけん、はしとつてめすよしして、さしおかれたりければ、きそおほきにわらつて、「ねこどのはせうじきにておはすよ。きこゆるねこおろししたまひたり。かいたまへかいたまへや」とぞせめたりける。ちうなごんどのは、かやうのことに、よろづきようさめて、のたまひあはすべきことども、ひとことばもいひいださず、いそぎかへられけり。そののちよしなかゐんざんしけるが、くわんかかいしたるもののひたたれにてしゆつしせんこと、あるべうもなしとて、にはかにほういとり、しやうぞく、かぶりぎは、そでのかかり、さしぬきのりんにいたるまで、かたくななることかぎりなし。よろひとつてき、やかきおひ、ゆみおしはり、かぶとのををしめ、むまにうちのつたるには、にもにずあしかりけり。されどもくるまにこがみのんぬ。うしかひはやしまのおほいとののうしかひなり。うしくるまもそなりけり。いちもつなるうしの、すゑかうたるを、かどいづるとて、ひとずばえあてたらうに、なじかはよかるべき。うしはとんでいづれば、きそはくるまのうちにて、あふのきにたふれぬ。てふのはねをひろげたるやうに、さうのそでをひろげ、てをあがいて、おきんおきんとしけれども、なじかはおきらるべき。きそ、うしかひとはえいはで、「やれこうしこでいよ、やれこうしこでいよ」といひければ、くるまをやれといふぞとこころえて、ごろくちやうこそあがかせけれ。いまゐのしらうむちあぶみをあはせておつつき、「なにとておんくるまをば、かやうにはつかまつるぞ」といひければ、「あまりにおうしのはながこはうさふらうて」とぞのべたりける。うしかひ、P93きそになかなほりせんとやおもひけん、「それにさふらふてがたとまうすものに、とりつかせたまへ」といひければ、きそてがたにむずとつかみついて、「あつぱれしたくや、うしこでいがはからひか、とののやうか」とぞとうたりける。さてゐんのごしよへまゐり、もんぜんにてくるまかけはづさせ、うしろよりおりんとしければ、きやうのもののざつしきにめしつかはれけるが、「くるまにはめされさふらふときこそ、うしろよりはめされさふらへ。おりさせたまふときは、まへよりこそおりさせたまふべけれ」といひければ、きそ、「いかでかくるまならんがらに、なんでふすどほりをばすべき」とて、つひにうしろよりぞおりてげる。そのほかをかしきことどもおほかりけれども、おそれてこれをまうさず。うしかひはつひにきられにけり。
「みづしまがつせん」(『みづしまがつせん』)S0807さるほどにへいけは、さぬきのやしまにありながら、せんやうだうはつかこく、なんかいだうろくかこく、つがふじふしかこくをぞうつとりける。きそやすからぬことなりとて、やがてうつてをむけらる。たいしやうぐんにはみちのくにのしんはうぐわんよしやすがこ、やたのはんぐわんだいよしきよ、さぶらひだいしやうには、しなののくにのぢうにんうみののやへいしらうゆきひろをさきとして、つがふそのせいしちせんよき、せんやうだうへP94はつかうす。びつちうのくにみづしまのとにふねをうかべて、やしまへすでによせんとす。うるふじふぐわつひとひのひ、みづしまがとにこぶねいつそういできたり。あまぶね、つりぶねかとみるところに、さはなくして、へいけのかたよりのてふのつかひのふねなりけり。げんじのかたのつはものども、これをみて、ほしあげたりけるごひやくよそうのふねどもを、みなわれさきにわれさきにとぞおろしける。へいけはせんよそうでぞよせたりける。たいしやうぐんにはしんぢうなごんとももりのきやう、ふくしやうぐんにはのとのかみのりつねなりけり。のとどのだいおんじやうをあげて、「いかにしこくのものども、ほくこくのやつばらにいけどりにせられんをば、こころうしとはおもはずや。みかたのふねをばくめや」とて、せんよそうのともづな、へづなをくみあはせ、なかにもやひをいれ、あゆみのいたをひきわたしひきわたしわたいたれば、ふねのうちはへいへいたり。ときつくり、やあはせして、とほきをばいておとし、ちかきをばたちできる。あるひはくまでにかけてひきおとさるるものもあり。あるひはひつくみさしちがへて、うみへとびいるものもあり。いづれひまありともみえざりけり。げんじのかたの、さぶらひだいしやううみののやへいしらうゆきひろうたれぬ。これをみてやたのはんぐわんだいよしきよ、やすからぬことなりとて、しゆじうしちにんこぶねにのり、まつさきにすすんでたたかひけるが、ふねふみしづめてうせにけり。へいけはふねにむまをたてたりければ、ふねどものりかたぶけのりかたぶけ、むまどもおひおろしおひおろし、ふねにひきつけひきつけおよがす。むまのあしだち、くらづめひたるほどにもなりしかば、ひたひたとうちのつて、のとどのごひやくよき、をめいてさきをかけたまへば、げんじのかたにはたいしやうぐんはうたれぬ、われP95さきにとぞおちゆきける。へいけはこんどみづしまのいくさにかつてこそ、くわいけいのはぢをばきよめけれ。
「せのをさいご」(『せのをさいご』)S0808きそのさまのかみ、このよしをきいて、やすからぬことなりとて、そのせいいちまんよきで、びつちうのくにへはせくだる。ここにへいけのみかたにさふらひける、びつちうのくにのぢうにん、せのをのたらうかねやすは、きこゆるつはものにてありけれども、さんぬるごぐわつほくこくのたたかひのとき、うんやつきにけん、かがのくにのぢうにん、くらみつのじらうなりずみがてにかかつて、いけどりにこそせられけれ。そのときすでにきらるべかりしを、きそどの、「あつたらをのこをさうなうきるべきにあらず」とて、おととさぶらうなりうぢにあづけられてぞさふらひける。ひとあひこころざま、まことにいうなりければ、くらみつもねんごろにもてなしけり。そしけいがここくにとらはれ、りせうけいがかんてうへかへらざりしがごとし。とほくいこくにつけることも、むかしのひとのかなしめりしがところなりといへり。おしかはのたまき、かものばく、もつてふううをふせぎ、なまぐさきしし、らくのつくりみづ、もつてきかつにあつ。よるはいぬることなく、ひるはひねもすにつかへて、きをきりくさをからずといふばかりにしたがひつつ、いかにもしてかたきをうかがひうつて、いまいちどきうしゆをP96みばやと、おもひたちけるかねやすが、こころのうちこそおそろしけれ。あるときせのをのたらう、くらみつのさぶらうにいひけるは、「さんぬるごぐわつよりかひなきいのちをたすけられまゐらせてさふらへば、たれをたれとかおもひまゐらせさふらふべき。こんどごかつせんさふらはば、いのちをばまづきそどのにたてまつらん。それにつきさふらひては、せんねんかねやすがちぎやうしさふらひしびつちうのせのをといふところは、むまのくさがひよきところにてさふらふ。ごへんまうしてたまはらせさふらへ。あんないしやせん」といひければ、くらみつのさぶらう、きそどのに、このよしをまうす。きそどの、「さてはふびんのことをもまうすござんなれ。まことにはなんぢまづくだつて、むまのくさなどをもかまへさせよ」とぞのたまひける。くらみつのさぶらうかしこまりうけたまはつて、てぜいさんじつきばかり、せのをのたらうをあひぐして、びつちうのくにへはせくだる。せのをがちやくしこたらうむねやすは、へいけのみかたにさふらひけるが、ちちがきそどのよりいとまたまはつてくだるときいて、としごろのらうどうどももよほしあつめて、そのせいひやくきばかりで、ちちがむかひにのぼりけるが、はりまのこふでゆきあうたり。それよりうちつれてくだるほどに、びぜんのくにみついしのしゆくにとどまつたりけるよ、せのをがあひしつたるものども、さけをもたせてきたりあつまり、よもすがらさかもりしけるが、くらみつがせいさんじつきばかりをしひふせて、おこしもたてず、くらみつのさぶらうをはじめとして、いちいちにみなさしころしてげる。びぜんのくにはじふらうくらんどのくになりけり。そのだいくわんのこふにありけるをも、やがておしよせてうちてげり。せのをのたらうまうしけるは、「かねやすこそきそどのよりいとまたまはつて、これまでまかりくだつたれ。P97へいけにおんこころざしおもひまゐらせんひとびとは、こんどきそどののくだりたまふに、やひとついかけたてまつれや」とひろうしたりければ、びぜん、びつちう、びんごさんかこくのつはものども、しかるべきむまもののぐ、しよじうなどをば、へいけのおんかたへまゐらせて、やすみゐたりけるらうしやども、せのをにもよほされて、あるひはかきのひたたれにつめひもし、あるひはぬののこそでにあづまをりし、やぶれはらまきつづりき、やまうつぼ、たかえびらにやどもせうせうさし、かきおひかきおひ、つがふそのせいにせんよにん、せのをがたちへはせあつまる。びぜんのくにふくりうじなはて、ささのせまりをじやうくわくにかまへて、くちにぢやうふかさにぢやうにほりをほり、かいだてかき、たかやぐらし、さかもぎひいてまちかけたり。じふらうくらんどのだいくわん、せのをにうたれて、そのげにんのにげてきやうへのぼるが、はりまとびぜんのさかひなるふなさかやまにて、きそどのにゆきあひたてまつり、このよしかくとまうしければ、きそどの、「にくからんせのをめを、きつてすつべかりつるものを、てのびにしてたばかられぬることこそやすからね」とこうくわいせられければ、いまゐのしらう、まうしけるは、「きやつがつらだましひ、ただものとはみえさふらはず。ちたびきらうとまうしさふらひしも、ここざふらふぞかし。さりながらなにほどのことかさふらふべき。かねひらまづまかりむかつて、みさふらはん」とて、そのせいさんぜんよきで、びぜんのくにへはせくだる。びぜんのくにふくりうじなはては、はたばりゆんづゑひとつゑばかりにて、とほさはさいこくみちのいちりなり。さうはふかたにて、むまのあしもおよばねば、さんぜんよきがこころはさきにすすめども、ちからおよばず、むましだいにぞあゆませける。P98
いまゐのしらうおしよせてみければ、せのをのたらうは、いそぎたかやぐらにはしりあがり、だいおんじやうをあげて、「さんぬるごぐわつより、かひなきいのちをたすけられまゐらせてさふらふ、おのおののはうしには、これをこそよういつかまつてさふらへ」とて、にじふしさいたるやを、さしつめひきつめ、さんざんにいる。いまゐのしらう、みやざきさぶらう、うみの、もちづき、すは、ふぢさはなどいふいちにんたうぜんのつはものども、これをことともせず、かぶとのしころをかたぶけ、いころさるるじんばをば、とりいれひきいれほりをうめ、あるひはさうのふかたにうちいれて、むまのくさわき、むながいづくし、ふとはらにたつところをもことともせず、むらめかいておしよせ、あるひはたにふけをもきらはず、かけいりかけいりをめきさけんでせめいりければ、せのをがかたのつはものども、たすかるものはすくなく、うたるるものぞおほかりける。よにいつて、せのをがたのみきつたるささのせまりのじやうくわくをやぶられて、かなはじとやおもひけん、ひきしりぞく。びつちうのくにいたくらがはのはたに、かいだてかいてまちかけたり。いまゐのしらうやがてつづいてせめければ、せのをがかたのつはものども、やまうつぼ、たかえびらに、やだねのあるほどこそふせぎけれ、やだねみなつきければ、ちからおよばず、われさきにとぞおちゆきける。せのをのたらうただしゆじうさんきにうちなされ、いたくらがはのはたについて、みどろやまのかたへおちぞゆく。さんぬるごぐわつほくこくにて、せのをいけどりにしたりけるくらみつのじらうなりずみは、おととのさぶらうなりうぢをうたせて、やすからずやおもひけん、こんどもまたせのをめにおいては、いけどりにせんとて、ただいつきぐんにぬけておうてゆく。あはひいつちやうばかりにおつつき、「あれはP99いかに、せのをとこそみれ。まさなうもかたきにうしろをみするものかな。かへせやかへせ」とことばをかけければ、せのをのたらうは、いたくらがはをにしへわたすが、かはなかにひかへてまちかけたり。くらみつのじらう、むちあぶみをあはせておつつき、おしならべむずとくんで、どうどおつ。たがひにおとらぬだいぢからではあり、うへになりしたになり、ころびあひけるが、かはぎしにふちのありけるにころびいりぬ。くらみつはぶすゐれん、せのをはくつきやうのすゐれんにてありければ、みづのそこにてくらみつがこしのかたなをぬき、よろひのくさずりひきあげて、つかもこぶしもとほれとほれと、みかたなさいてくびをとる。せのをのたらう、わがむまをばのりそんじたりければ、くらみつがむまにうちのつておちてゆく。ちやくしのこたらうむねやすは、としはにじふになりけれども、あまりにふとつて、いつちやうともえはしらず。これをみすてて、せのをはにじふよちやうぞのびたりける。せのをのたらう、らうどうにいひけるは、「ひごろはせんばんのかたきにあうていくさするには、しはうはれておぼゆるが、けふはこたらうむねやすをすててゆけばにやらん、いつかうさきがくらうてみえぬなり。こんどのいくさにいのちいきて、ふたたびへいけのおんかたへまゐりたりとも、かねやすはろくじふにあまつて、いくほどいかうどおもうて、ただひとりあるこをすてて、これまでのがれまゐりたるらんなど、どうれいどもにいはれんことこそくちをしけれ」といひければ、らうどう、「ささふらへばこそ、ただごいつしよでいかにもならせたまへとまうしつるは、ここざふらふぞかし。かへさせたまへ」とて、またとつてかへす。あんのごとくこたらうむねやすは、あしかんばかりにはれてふせりゐたるところへ、せのをのたらうとつてかへし、P100いそぎむまよりとんでおり、こたらうがてをとつて、「なんぢといつしよでいかにもならんとおもふために、これまでかへりたるはいかに」といひければ、こたらうなみだをはらはらとながいて、「たとひこのみこそぶきりやうにさふらへば、ここにてじがいをつかまつりさふらふとも、われゆゑおんいのちをさへうしなひまゐらせんこと、ごぎやくざいにやさふらはんずらん。ただとうとうのびさせたまへ」といひけれども、おもひきつてんうへはとて、やすみゐたりけるところに、またあらてのげんじごじつきばかりでいできたる。せのをのたらう、いのこしたるやすぢのやを、さしつめひきつめさんざんにいる。ししやうはしらず、やにはにかたきはちきいおとし、そののちたちをぬいて、まづこたらうがくびふつとうちおとし、かたきのなかへかけいり、たてさま、よこさま、くもで、じふもんじにかけまはり、さんざんにたたかひ、かたきあまたうつとつて、そこにてうちじにしてげり。らうどうもしゆにちつともおとらずたたかひけるが、いたでおうていけどりにこそせられけれ。なかいちにちあつて、やがてしににけり。かれらしゆじうさんにんがくびをば、びつちうのくにさぎがもりにぞかけたりける。きそどの、「あはれかうのものや。これらがいのちをたすけてみで」とぞのたまひける。P101
「むろやまかつせん」(『むろやま』)S0809さるほどにきそはびつちうのくにまんじゆのしやうにてせいぞろへして、やしまへすでによせんとす。そのあひだみやこのるすにおかれたりけるひぐちのじらうかねみつ、さいこくへししやをたてまつて、「とののわたらせたまはぬまに、じふらうくらんどどのこそ、ゐんのきりびとして、やうやうにざんそうせられさふらふなれ。さいこくのいくさをばしばらくさしおかせたまひて、いそぎのぼらせたまへ」といひければ、きそ、さらばとて、よをひについではせのぼる。じふらうくらんどゆきいへは、きそになかたがうてあしかりなんとやおもはれけん、そのせいごひやくよきで、たんばぢにかかつて、はりまのくにへおちくだる。きそはつのくにをへてみやこへいる。へいけはきそうたんとて、たいしやうぐんにはしんぢうなごんとももりのきやう、ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、さぶらひだいしやうには、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよ、いがのへいないざゑもんいへながをさきとして、つがふそのせいにまんよき、はりまのくににおしわたり、むろやまにぢんをぞとつたりける。じふらうくらんどゆきいへは、へいけといくさして、きそになかなほりせんとやおもひけん、そのせいごひやくよき、むろやまへこそかかられけれ。へいけはぢんをいつつにはる。まづいがのへいないざゑもんいへなが、にせんよきでいちぢんをかたむ。ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、P102にせんよきでにぢんをかたむ。かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよ、さんぜんよきでさんぢんをかたむ。ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、さんぜんよきでしぢんをかためたまふ。しんぢうなごんとももりのきやう、いちまんよきでごぢんにひかへたまへり。まづいちぢんいがのへいないざゑもんいへなが、しばらくあひしらふていにもてなして、なかをあけてぞとほしける。にぢんゑつちうのじらうびやうゑ、これもあけてぞとほしける。さんぢんかづさのごらうびやうゑ、あくしちびやうゑ、ともにあけてぞとほしける。しぢんほんざんみのちうじやうしげひらのきやうも、おなじうあけてぞいれられける。せんぢんよりごぢんまで、かねてやくそくしたりければ、げんじをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。じふらうくらんどゆきいへ、こはたばかられにけりとやおもはれけん、おもてもふらず、いのちもをしまず、ここをさいごとせめたたかふ。しんぢうなごんのむねとたのまれたりけるきしちゑもん、きはちゑもん、きくらうなどいふいちにんたうぜんのつはものども、みなそこにてじふらうくらんどにうつとられぬ。かくしてごひやくよきのせいども、わづかさんじつきばかりにうちなされ、うんかのごとくなるかたきのなかをわつていづれども、わがみはてもおはず、にじふしちきたいりやくてをひ、はりまのくにたかさごよりふねにのつて、いづみのくにふけひのうらへおしわたり、それよりかはちのくにながののじやうにたてごもる。へいけはむろやまみづしまにかどのいくさにかつてこそ、いよいよせいはつきにけれ。P103
「つづみはうぐわん」(『つづみはうぐわん』)S0810およそきやうぢうにはげんじのせいみちみちて、ざいざいしよしよにいりどりおほし。かも、やはたのごりやうともいはず、あをたをかりてまぐさにし、ひとのくらをうちあけてものをとり、ろしにもつてあふものをうばひとる。「へいけのみやこにおはせしほどは、ろくはらどのとて、ただおほかたおそろしかりしばかりなり。いしやうをはぎとるまではなかりしものを。へいけにげんじかへおとりしたり」とぞひとまうしける。ほふわうよりきそのさまのかみのもとへ、「らうぜきしづめよ」とおほせくださる。おつかひはいきのかみともちかがこに、いきのはうぐわんともやすといふものなり。てんがにきこえたるつづみのじやうずにてありければ、ときのひとつづみはうぐわんとぞまうしける。きそたいめんして、まづゐんのおんぺんじをばまうさで、「そもそもわどのをつづみはうぐわんといふは、よろづのひとにうたれたうたか、はられたうたか」とぞとうたりける。ともやすへんじにおよばず、いそぎかへりまゐつて、「よしなかをこのものにてさふらふ。はやくつゐたうせさせたまへ。ただいまてうてきとなりさふらひなんず」とまうしければ、ほふわうやがておぼしめしたたせたまひけり。さらばしかるべきぶしにもおほせつけられずして、やまのざす、てらのちやうりにおほせられて、やま、みゐでらのあくそうどもをぞP104めされける。くぎやうてんじやうびとのめされけるせいといふは、むかへつぶて、いんぢ、いふかひなきつじくわんじやばら、さてはこつじきほふしばらなり。またしなのげんじむらかみのさぶらうはんぐわんだい、これもきそをそむいてほふわうへぞまゐりける。きそのさまのかみ、ゐんのごきしよくあしうなるときこえしかば、はじめはきそにしたがうたるごきないのものども、みなきそをそむいて、ゐんがたへまゐる。いまゐのしらうまうしけるは、「これこそもつてのほかのおんだいじにてさふらへ。さればとてじふぜんのきみにむかひまゐらせて、いかでごかつせんさふらふべき。ただかぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、かうにんにまゐらせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、きそおほきにいかつて、「われしなのをいでしより、をみ、あひだのかつせんよりはじめて、ほくこくにては、となみ、くろさか、しほさか、しのはら、さいこくにては、ふくりうじなはて、ささのせまり、いたくらがじやうをせめしかども、いちどもかたきにうしろをみせず。たとひじふぜんのきみにてわたらせたまふとも、かぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、かうにんにはえこそまゐるまじけれ」。
「ほふぢうじかつせん」811「たとへばみやこのしゆごしてあらんずるものが、むまいつぴきづつかうてのらざるべきか。P105いくらもあるたどもからせてまぐさにせんを、あながちにほふわうのとがめたまふべきやうやある。ひやうらうまいつきぬれば、くわんじやばらどもが、にしやまひがしやまのかたほとりについて、ときどきいりどりせんは、なじかはくるしかるべき。だいじんいげ、みやみやのごしよへまゐらばこそ、ひがごとならめ。いかさまこれはつづみはうぐわんがきようがいとおぼゆるぞ。そのつづみめうちやぶつてすてよ。こんどはよしなかがさいごのいくさにてあらんずるぞ。かつうはひやうゑのすけよりともがかへりきかんずるところもあり。いくさようせよ、ものども」とてうちいでけり。ほくこくのものども、はじめはごまんよきときこえしが、みなおちくだつて、わづかろくしちせんきぞありける。よしなかがいくさのきちれいなればとて、ななてにわかち、まづひぐちのじらうかねみつ、にせんよきでいまぐまののかたより、からめでにさしつかはす。のこるむては、おのおのがゐたらんずるでうりこうぢよりみなうつたつて、ろくでうかはらでひとつになれと、あひづをさだめてうつたちけり。みかたのかさじるしには、まつのはをぞつけたりける。いくさはじふいちぐわつじふくにちのあしたなり。ゐんのごしよほふぢうじどのにも、ぐんびやうにまんよにんまゐりこもりたるよしきこえけり。きそ、ほふぢうじどののにしのもんへおしよせてみければ、つづみはうぐわんともやすは、いくさのぎやうじうけたまはつて、ごしよのにしのついがきのうへへのぼりあがつてたつたりけるが、あかぢのにしきのひたたれに、かぶとばかりぞきたりける。かぶとにはしてんをかいてぞおしたりける。かたてにはほこをもち、かたてにはこんがうれいをもつて、うちふりうちふり、ときどきはまふをりもありけり。くぎやうてんじやうびとは、「ふぜいなし。ともやすにはてんぐついたり」とぞP106わらはれける。ともやすだいおんじやうをあげて、「むかしはせんじをむかつてよみければ、かれたるくさきもたちまちにはなさきみなり、とぶとりもちにおち、あくきあくじんもしたがひき。まつだいげうきなればとて、いかでかじふぜんのきみにむかひまゐらせて、ゆみをひきやをばはなつべき。はなたんやは、かへつてなんぢらがみにたつべし。ぬかんたちは、かへつてみをきるべし」など、ののしつたりければ、きそ、「さないはせそ」とて、ときをどつとつくりける。さるほどにひぐちのじらうかねみつにせんよき、いまぐまののかたより、おなじうときのこゑをぞあはせける。いまゐのしらうかねひら、かぶらのなかにひをいれて、ほふぢうじどののごしよのむねにいたてたりければ、をりふしかぜははげしし、みやうくわはてんにもえあがつて、ほのほはこくうにみちみてり。くろけぶりおしかけければ、いくさのぎやうじともやすは、ひとよりさきにおちにけり。ぎやうじがおつるうへはとて、にまんよにんのつはものども、われさきにとぞおちゆきける。あまりにあわてさわいで、ゆみとるものはやをしらず、やとるものはゆみをしらず。あるひはなぎなたさかさまについてわがあしつきつらぬくものもあり、あるひはゆみのはずものにかけて、えはづさですててにぐるものもあり。しちでうがすゑをば、つのくにげんじのかためたりけるが、ゐんのごしよより、「おちうとあらば、よういしてみなうちころせ」と、げぢせられたりければ、ざいぢのものども、やねゐにたてをつきならべ、おそへのいしをとりあつめて、まちゐたるところに、つのくにげんじのおちけるを、「あはやおちうと」とて、いしをひろひかけ、さんざんにP107うちければ、「ゐんがたであるぞ、あやまちすな」といひけれども、「さないはせそ。ゐんぜんであるに、ただうちころせうちころせ」とてうつほどに、あるひはかしらうちわられ、あるひはこしうちをられて、むまよりおち、はふはふにぐるものもあり、あるひはうちころさるるものもおほかりけり。はちでうがすゑをば、さんそうどものかためたりけるが、はぢあるものはうちじにし、つれなきものはおちてゆく。ここにもんどのかみちかなりは、うすあをのかりぎぬのしたに、もよぎをどしのはらまきをき、しろつきげなるむまにのつて、かはらをのぼりにおちけるを、いまゐのしらうかねひら、おつかかり、よつぴいて、しやくびのほねを、ひようつばといて、むまよりさかさまにいおとす。せいだいげきよりなりがこなりけり。みやうぎやうだうのはかせ、かつちうをよろふことこれはじめとぞうけたまはる。あふみのちうじやうためきよ、ゑちぜんのせうしやうのぶゆき、はうきのかみみつつな、しそくはうきのはうぐわんみつつねも、いおとされてくびとられぬ。またきそをそむいて、ゐんへまゐりたるしなのげんじむらかみのさぶらうはんぐわんだいもうたれぬ。あぜつのだいなごんすけかたのきやうのまご、うせうしやうまさかたも、よろひたてゑぼしで、いくさのぢんへいでられたりけるが、ひぐちのじらうかねみつがてにかかつて、いけどりにこそせられけれ。てんだいざすめいうんだいそうじやう、てらのちやうりゑんけいほつしんわうも、ごしよにまゐりこもらせたまひたりけるが、くろけぶりすでにおしかけければ、おむまにめして、いそぎいでさせたまひけるを、ぶしどもさんざんにいたてまつる。めいうんだいそうじやう、ゑんけいほつしんわうも、おむまよりいおとされて、おんくびとられさせたまひけり。P108ほふわうはおんこしにめして、たしよへごかうなる。ぶしどもさんざんにいたてまつる。ぶんごのせうしやうむねなが、むくらんぢのひたたれに、をりゑぼしでぐぶせられたりけるが、「これはゐんにてわたらせたまふぞ。あやまちつかまつるな」とまうされたりければ、ぶしどもみなむまよりおりてかしこまる。「なにものぞ」とおんたづねありければ、「しなののくにのぢうにんやしまのしらうゆきしげ」となのりまうす。やがておんこしにてかけまゐらせて、ごでうだいりへいれたてまつて、きびしうしゆごしたてまつる。ぶんごのこくしぎやうぶきやうざんみよりすけのきやうも、ごしよにまゐりこもられたりけるが、くろけぶりすでにおしかけければ、いそぎかはらへにげいでられけるが、ぶしのしもべどもに、いしやうみなはぎとられて、まつぱだかにてたたれたり。ころはじふいちぐわつじふくにちのあしたなれば、かはらのかぜさこそははげしかりけめ。さんみのせうとゑちぜんのほつけうしやういがちうげんぼふしのありけるが、いくさみんとていでたりけるが、さんみのはだかにてたたれたるをみつけて、「あなあさまし」とて、いそぎはしりよる。このほふしはしろきこそでふたつにころもをぞきたりける。さらばこそでをもぬいできせたてまつれかし。ころもをぬいでなげかけたり。みじかきころもうつほにかぶつて、おびもせず、うしろのてい、さこそはみぐるしかりけめ。さらばいそぎもあゆみもたまはで、びやくえなるほふしをともにぐしておはしけるが、あそこここにたちやすらひ、「あれなるはたがいへぞ。ここなるはなにもののしゆくしよ」なんどとひたまへば、みるひとてをたたいてわらひあへりけり。P109しゆしやうはおふねにめして、いけにうかばせたまひたりけるに、ぶしどもしきりにやまゐらせければ、しちでうのじじうのぶきよ、きのかみのりみつ、おふねにさふらはれけるが、「これはうちにてわたらせたまふぞや。あやまちつかまつるな」とまうされければ、ぶしどもみなむまよりおりてかしこまる。やがてかんゐんどのへぎやうがうなしたてまつる。ぎやうがうのぎしきのあさましさ、まうすもなかなかおろかなり。
(『ほふぢゆうじかつせん』)S0811げんくらんどなかかぬは、そのせいごじつきばかりで、ほふぢうじどののにしのもんをかためてふせぐところに、あふみげんじやまもとのくわんじやよしたか、むちあぶみをあはせてはせきたり、「いかにおのおのはたれをかばはんとて、いくさをばしたまふぞ。ごかうもぎやうがうも、たしよへなりぬとこそうけたまはれ」といひければ、さらばとておほぜいのなかにかけいり、さんざんにたたかへば、しゆじうはつきにうちなさる。はつきがなかに、かはちのくさかたうに、かがばうといふほふしむしやあり。つきげなるむまの、くちのこはきにぞのつたりける。「このむまはあまりにくちがつようて、のりたまつつべしともぞんじさふらはず」といひければ、げんくらんど、「さらばこのむまにのりかへよ」とて、くりげなるむまのしたをしろいにのりかへて、ねのゐのこやたがにひやくよきばかりでひかへたる、かはらざかのせいのなかへかけいり、さんざんにたたかひ、そこにてはつきがごきうたれぬ。かがばうはわがむまのひあいなりとて、しゆのむまにのりかへたりけれども、うんやつきにけん、そこにてつひにうたれにけり。ここにげんくらんどのいへのこに、じらうくらんどなかよりといふものあり。くりげなるむまの、したをP110しろいがかけいでたるをみつけて、げにんをよび、「ここなるむまは、げんくらんどのむまとみるはひがごとか」。「さんざふらふ」とまうす。「さてどのぢんへやかけいりたるとみつる」。「かはらざかのせいのなかへこそいらせたまひつるなれ。おむまもやがてあのせいのなかよりいできてさふらふ」とまうしければ、じらうくらんど、なみだをはらはらとながいて、「あなむざん、はやうたれたまひたり。えうせうちくばのむかしより、しなばいつしよでしなんとこそちぎりしに、いまはところどころにふさんことこそかなしけれ」とて、さいしのもとへさいごのありさまいひつかはし、ただいつきかはらざかのせいのなかへかけいり、あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「あつみのしんわうにはちだいのこういん、しなののかみなかしげがこに、じらうくらんどなかよりとて、しやうねんにじふしちにまかりなる。われとおもはんひとびとは、よりあへやげんざんせん」とて、たてさま、よこさま、くもで、じふもんじにかけわりかけまはりたたかひけるが、かたきあまたうつとつて、つひにうちじにしてげり。げんくらんどこれをばしりたまはず、あにのかはちのかみなかのぶうちぐして、しゆじうさんきみなみをさしておちゆきけるが、せつしやうどののみやこをばいくさにおそれさせたまひて、うぢへぎよしゆつありけるに、こはたやまにておつつきたてまつり、むまよりおりてかしこまる。「なにものぞ」とおんたづねありければ、「なかのぶ、なかかぬ」となのりまうす。「とうごくほくこくのきようとらかなんどおぼしめしたれば」とて、ぎよかんあり。「やがてなんぢらもおんともにさふらへ」とおほせければ、うけたまはつて、うぢのふけどのまでおくりまゐらせて、それよりこのひとびとは、かはちのくにへぞおちゆきける。P111あくるはつかのひ、きそのさまのかみよしなかろくでうかはらにうつたつて、きのふきるところのくびども、みなかけならべてしるいたれば、ろつぴやくさんじふよにんなり。そのなかにてんだいざすめいうんだいそうじやう、てらのちやうりゑんけいほつしんわうのおんくびもかからせたまひたり。これをみるひと、なみだをながさずといふことなし。きそのさまのかみ、つがふそのせいしちせんよき、むまのかしらいちめんにひんがしむけて、てんもひびきだいぢもゆるぐばかりに、ときをぞさんかどつくりける。きやうぢうまたさわぎあへり。ただしこれはよろこびのときとぞきこえし。さるほどにこせうなごんにふだうしんせいのしそく、さいしやうながのり、ほふわうのわたらせたまふごでうだいりへまゐつて、もんよりいらんとすれば、しゆごのぶしどもゆるさず。あんないはしつたり。あるせうをくにたちいり、にはかにかみそりおろし、すみぞめのころもはかまきて、「このうへはなにかくるしかるべき、あけていれよ」とのたまへば、そのときゆるしたてまつる。なくなくごぜんへまゐつて、こんどうたれたまふひとびとのこと、いちいちにまうしたりければ、ほふわう、「めいうんはひごふのしにすべきものと、つゆもおぼしめしよらざりしものを。こんどはただわがいかにもなるべかりつるおんいのちにかはりたるにこそ」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。おなじきにじふさんにち、さんでうのちうなごんともかたのきやういげ、しじふくにんがくわんしよくをとどめて、おひこめたてまつる。へいけのときはしじふさんにんをこそとどめられしか。これはすでにしじふくにんなれば、へいけのあくぎやうには、なほてうくわせり。まつどののひめぎみとりたてまつて、くわんばくどののP112むこにおしなる。
そのひまたきそのさまのかみ、いへのこらうどうめしあつめて、ひやうぢやうす。「そもそもよしなかいつてんのきみにむかひまゐらせて、いくさにはうちかちぬ。しゆしやうにやならまし、ほふわうにやなるべき。ほふわうにならうどおもへども、ほふしにならんも、をかしかるべし。しゆしやうにならうどおもへども、わらはにならんもしかるべからず。よしよしさらばくわんばくにならう」といひければ、てかきにぐせられたりけるだいぶばうかくめいすすみいでて、「くわんばくには、たいしよくくわんのおんすゑ、しつぺいけのきんだちたちこそならせたまへ。とのはげんじにてわたらせたまへば、それこそかなひさふらふまじ」とぞまうしける。さらばとて、ゐんのおんむまやのべつたうにおしなつて、たんばのくにをぞちぎやうしける。ゐんのごしゆつけあればほふわうとまうし、しゆしやうのいまだおんげんぶくなきほどは、ごとうぎやうにてましましけるを、しらざりけるこそうたてけれ。さるほどにかまくらのさきのひやうゑのすけよりとも、きそがらうぜきしづめんとて、のりよりよしつねにろくまんよきをあひそへて、さしのぼせられけるが、みやこにはいくさいできて、ごしよだいりみなやきはらひ、てんがくらやみとなつたるよしきこえしかば、さうなうのぼつていくさすべきやうもなしとて、をはりのくにあつたのへんなるところにぞましましける。ほくめんにさふらひけるくないはうぐわんきんとも、とうないはうぐわんときなり、このことうつたへんとて、をはりのくにへはせくだり、このよしかくとまうしければ、のりよりよしつね、「これはきんとものくわんとうへくだらるべきでさふらふぞ。そのゆゑはしさいをぞんぜぬつかひは、かへしてとはるるとき、ふしんののこるに」とぞのたまひける。こんどのP113いくさにしよじうみなおちうせうたれにしかば、しそくくないどころきんもちとて、しやうねんじふごさいになりけるをあひぐしてぞくだりける。よをひについでかまくらへはせくだり、このよしうつたへまうされければ、かまくらどの、「これはつづみはうぐわんがふしぎのことまうしいでて、きみをもなやましたてまつり、おほくのかうそうきそうをもうしなひけることこそ、かへすがへすもきくわいなれ。これらをめしつかはせたまはば、こののちもてんがのさうどうたゆまじうさふらふ」とまうされければ、ともやすこのことちんぜんとて、よをひについでかまくらへはせくだり、かぢはらへいざうかげときについて、さまざまにちんじまうしけれども、かまくらどの、「しやつにめなかけそ。あひしらひなせそ」とのたまへば、ひごとにひやうゑのすけのたちへむかふ。つひにめんぼくなくして、またみやこへかへりのぼり、からきいのちいきつつ、いなりのへんなるところに、かすかなるていにてすまひけるとぞきこえし。きそさいこくへししやをたてて、いそぎのぼらせたまへ、ひとつになつてくわんとうへはせくだり、ひやうゑのすけうつべきよし、いひつかはしたりければ、おほいとのをはじめたてまつて、いちもんのひとびとはみなよろこばれけれども、しんぢうなごんとももりのきやうのいけんにまうされけるは、「たとひよすゑになつてさふらへばとて、きそなんどにかたらはれて、いかでかみやこへのぼらせたまふべき。じふぜんていわう、さんじゆのしんきをたいして、わたらせたまへば、かぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、これへかうにんにまゐれとまうさせたまふべうもやさふらふらん」とまうされければ、おほいとのそのやうをおんぺんじありしかども、きそもちひたてまつらず。P114にふだうのまつどのてんが、きそをめして、きよもりこうはあくぎやうにんたりしかども、きたいのぜんごんをしおいたればにや、よをばおだしうにじふよねんまでたもちたんなり。あくぎやうばかりにてよををさむることはなきものを、させるゆゑなうておしこめたてまつたるひとびとのくわんどども、みなゆるすべきよしおほせければ、ひたすらあらえびすのやうなれども、したがひたてまつて、おしこめたてまつたるひとびとのくわんどども、みなゆるしたてまつる。まつどののおんこもろいへこう、そのときはいまだじゆにゐのちうなごんにてましましけるを、きそがはからひにて、だいじんせつしやうになしたてまつる。をりふしだいじんあかざりければ、とくだいじどの、そのころはないだいじんのさだいしやうにてましましけるを、かりたてまつて、だいじんせつしやうになしたてまつる。いつしかひとのくちなれば、しんせつしやうどのをばかるのだいじんとぞまうしける。おなじきじふにんぐわつとをかのひ、ほふわうをばごでうだいりをいだしたてまつて、だいぜんのだいぶなりただが、しゆくしよ、ろくでうにしのとうゐんへごかうなしたてまつる。おなじきじふさんにち、さいまつのみしほはじめらる。そのひぢもくおこなはれて、きそがはからひにて、ひとびとのくわんかかい、おもふさまになしおきてげり。へいけはさいこくに、ひやうゑのすけはとうごくに、きそはみやこにはりおこなふ。ぜんかんごかんのあひだ、わうもうがよをうつとつて、じふはちねんをさめたりしがごとし。しはうのせきぜきみなとぢたれば、おほやけのみつぎものをもたてまつらず、わたくしのねんぐものぼらねば、きやうぢうのじやうげ、ただせうすゐのうをにことならず。あぶなながらにとしくれて、じゆえいもみとせになりにけり。P115

平家物語 巻第九  総かな版(元和九年本)
「こでうはい」(『いけずきのさた』)S0901じゆえいさんねんしやうぐわつひとひのひ、ゐんのごしよはだいぜんのだいぶなりただがしゆくしよ、ろくでうにしのとうゐんなりければ、ごしよのていしかるべからずとて、ゐんのはいらいもおこなはれず。ゐんのはいらいなかりければ、だいりのこでうはいもおこなはれず。へいけはさぬきのくにやしまのいそにおくりむかへて、としのはじめなれども、ぐわんにちぐわんざんのぎしきことよろしからず。しゆしやうわたらせたまへども、せちゑもおこなはれず、しはうはいもなし。はらかもそうせず、よしののくずもまゐらず。「よみだれたりしかども、みやこにてはさすがかくはなかりしものを」とぞ、おのおののたまひあはれける。せいやうのはるもきたり、うらふくかぜもやはらかに、ひかげものどかになりゆけど、ただへいけのひとびとは、いつもこほりにとぢこめられたるここちして、かんくてうにことならず。とうがんせいがんのやなぎちそくをまじへ、なんしほくしのうめ、かいらくすでにことにして、はなのあしたつきのよ、しいかくわんげん、まり、こゆみ、あふぎあはせ、P116ゑあはせ、くさづくし、むしづくし、さまざまきようありしことどもおもひいで、かたりつづけて、ながきひをくらしかねたまふぞあはれなる。
「うぢがは」おなじきしやうぐわつじふいちにち、きそのさまのかみよしなかゐんざんして、へいけつゐたうのために、さいこくへはつかうすべきよしをそうもんす。おなじきじふさんにち、すでにかどいですときこえしかば、かまくらのさきのひやうゑのすけよりとも、きそがらうぜきしづめんとて、のりよりよしつねをさきとして、すまんぎのぐんびやうをさしのぼせられけるが、すでにみののくに、いせのくににもつくときこえしかば、きそおほきにおどろき、うぢせたのはしをひいて、ぐんびやうどもをもわかちつかはす。をりふしせいこそなかりけれ。まづせたのはしへは、おほてなればとて、いまゐのしらうかねひら、はつぴやくよきにてさしつかはす。うぢばしへは、にしな、たかなし、やまだのじらう、ごひやくよきでつかはしけり。いもあらひへは、をぢのしだのさぶらうせんじやうよしのり、さんびやくよきでむかひけり。さるほどにとうごくよりせめのぼるおほてのたいしやうぐんには、かまのおんざうしのりより、からめでのたいしやうぐんには、くらうおんざうしよしつね、むねとのだいみやうさんじふよにん、つがふそのせいろくまんよきとぞきこえし。そのころかまくらどのには、いけずき、するすみとて、きこゆるめいばありけり。いけずきをばP117かぢはらげんだかげすゑしきりにしよまうまうしけれども、「これはしぜんのことのあらんとき、よりともがもののぐしてのるべきむまなりこれもおとらぬめいばぞ」とて、かぢはらにはするすみをこそたうでげれ。そののちあふみのくにのぢうにん、ささきしらうのおんいとままうしにまゐられたるに、かまくらどのいかがおぼしめされけん。「しよまうのものはいくらもありけれども、そのむねぞんぢせよ」とて、いけずきをばささきにたぶ。ささきかしこまつてまうしけるは、「こんどこのおむまにて、うぢがはのまつさきわたしさふらふべし。もししにたりときこしめされさふらはば、ひとにさきをせられてげりと、おぼしめされさふらふべし。いまだいきたりときこしめされさふらはば、さだめてせんぢんをば、たかつなぞしつらんものをと、おぼしめされさふらへ」とて、おんまへをまかりたつ。さんくわいしたるだいみやうせうみやう、「あつぱれくわうりやうのまうしやうかな」とぞ、ひとびとささやきあはれける。おのおのかまくらをたつて、あしがらをへてゆくもあり、はこねにかかるせいもあり、おもひおもひにのぼるほどに、するがのくにうきしまがはらにて、かぢはらげんだかげすゑ、たかきところにうちあがり、しばらくひかへて、おほくのむまどもをみけるに、おもひおもひのくらおかせ、いろいろのしりがいかけ、あるひはのりくちにひかせ、あるひはもろくちにひかせ、いくせんまんといふかずをしらず、ひきとほしひきとほししけるなかにも、かげすゑがたまはつたるするすみにまさるむまこそなかりけれと、うれしうおもひてみるところに、ここにいけずきとおぼしきむまこそいつきいできたれ。きんぶくりんのくらおかせ、こぶさのしりがいかけ、しろぐつわはげ、しろあわかませて、とねりあまたP118ついたりけれども、なほひきもためず、をどらせてこそいできたれ。かぢはらうちよつて、「これはたがおむまぞ」。「ささきどののおむまざふらふ」とまうす。「ささきはさぶらうどのかしらうどのか」。「しらうどののおむまざふらふ」とてひきとほす。かぢはら、「やすからぬことなり。おなじやうにめしつかはるるかげすゑを、ささきにおぼしめしかへられけることこそ、ゐこんのしだいなれ。こんどみやこへのぼり、きそどののみうちに、してんわうときこゆるいまゐ、ひぐち、たて、ねのゐとくんでしぬるか、しからずは、さいこくへむかつて、いちにんたうぜんときこゆるへいけのさぶらひどもといくさして、しなんとこそおもひしに、このごきしよくでは、それもせんなし。せんずるところ、ここにてささきをまちうけ、ひつくみ、さしちがへよきさぶらひににんしんで、かまくらどのにそんとらせたてまつらん」と、つぶやいてこそまちかけたれ。ささきなにごころもなうあゆませていできたり。かぢはらおしならべてやくむ、むかうざまにあてやおとすべきとおもひけるが、まづことばをぞかけける。「いかにささきどのは、いけずきたまはらせたまひてのぼらせたまふな」といひければ、ささき、あつぱれ、このじんも、ないないしよまうまうしつるとききしものをとおもひ、「ささふらへば、こんどこのおんだいじにまかりのぼりさふらふが、さだめてうぢせたのはしをやひきたるらん。のつてかはをわたすべきむまはなし。いけずきをまうさばやとはぞんじつれども、ごへんのまうさせたまふだに、おんゆるされなきとうけたまはつて、ましてたかつななどがまうすとも、よもたまはらじとおもひ、ごにちにいかなるごかんだうもあらばあれとぞんじつつ、あかつきたたんとてのよ、とねりにP119こころをあはせて、さしもごひざうのいけずきを、ぬすみすまして、のぼりさうはいかに、かぢはらどの」といひければ、かぢはらこのことばにはらがゐて、「ねつたい、さらばかげすゑもぬすむべかりけるものを」とて、どつとわらうてぞのきにける。
(『うぢがはのせんぢん』)S0902ささきしらうのたまはられたりけるおむまは、くろくりげなるむまの、きはめてふとうたくましきが、むまをもひとをも、あたりをはらつてくひければ、いけずきとはつけられたり。やきのむまとぞきこえし。かぢはらがたまはつたりけるおむまも、きはめてふとうたくましきが、まことにくろかりければ、するすみとはつけられたりいづれもおとらぬめいばなり。さるほどにとうごくよりせめのぼるおほてからめでのぐんびやう、をはりのくによりふたてにわかつてせめのぼる。おほてのたいしやうぐんには、かまのおんざうしのりより、あひともなふひとびと、たけだのたらう、かがみのじらう、いちでうのじらう、いたがきのさぶらう、いなげのさぶらう、はんがへのしらう、くまがへのじらう、ゐのまたのこへいろくをさきとして、つがふそのせいさんまんごせんよき、あふみのくにのぢしのはらにぞぢんをとる。からめでのたいしやうぐんには、くらうおんざうしよしつね、おなじくともなふひとびと、やすだのさぶらう、おほうちのたらう、はたけやまのしやうじじらう、かぢはらげんだ、ささきしらう、かすやのとうだ、しぶやのむまのじよう、ひらやまのむしやどころをさきとしてつがふそのせいにまんごせんよき、いがのくにをへて、うぢばしのつめにぞおしよせたる。うぢもせたもはしをひき、みづのそこにはらんぐひうつておほづなはり、さかもぎつないでながしかけたり。ころはむつきはつかあまりのことなれば、ひらのたかね、しがのやま、むかしながらのゆきもきえ、P120たにだにのこほりうちとけて、みづはをりふしまさりたり。はくらうおびたたしうみなぎりおち、せまくらおほきにたきなつて、さかまくみづもはやかりけり。よはすでにほのぼのとあけゆけど、かはぎりふかくたちこめて、むまのけも、よろひのけもさだかならず。たいしやうぐんくらうおんざうし、かはのはたにうちいで、みづのおもてをみわたいて、ひとびとのこころをみんとやおもはれけん、「よどいもあらひへやむかふべき、またかはちぢへやまはるべき。みづのおちあしをやまつべき、いかがせん」とのたまふところに、ここにむさしのくにのぢうにんはたけやまのしやうじじらうしげただ、しやうねんにじふいちになりけるがすすみいでて、「このかはのごさたは、かまくらにてもよくよくさふらひしぞかし。かねてもしろしめされぬうみかはの、にはかにいできてもさふらはばこそ。あふみのみづうみのすゑなれば、まつともまつともみづひまじ。はしをばまたたれかわたいてまゐらすべき。さんぬるじしようのかつせんに、あしかがのまたたらうただつなが、しやうねんじふしちさいにてわたしけるも、おにがみにてはよもあらじ。しげただまづせぶみつかまつらん」とて、たんのたうをむねとして、ごひやくよきひしひしとくつばみをならぶるところに、ここにびやうどうゐんのうしとら、たちばなのこじまがさきより、むしやにきひつかけひつかけいできたり。いつきはかぢはらげんだかげすゑ、いつきはささきしらうたかつななり。ひとめにはなにともみえざりけれども、ないないさきにこころをかけたるらん、かぢはらはささきにいつたんばかりぞすすんだる。ささき、「いかにかぢはらどの、このかははさいこくいちのたいがぞや。はるびののびてみえさうぞ。しめたまへ」といひければ、かぢはらさもあるらんとやおもひけん、たづなをむまのゆがみにすて、さうのあぶみをP121ふみすかし、はるびをといてぞしめたりける。ささき、そのまに、そこをつとはせぬいて、かはへざつとぞうちいれたる。かぢはらたばかられぬとやおもひけん、やがてつづいてうちいれたり。かぢはら、「いかにささきどの、かうみやうせうとてふかくしたまふな。みづのそこにはおほづなあるらん、こころえたまへ」といひければ、ささきさもあるらんとやおもひけん、たちをぬいて、むまのあしにかかりけるおほづなどもをふつふつとうちきりうちきり、うぢがははやしといへども、いけずきといふよいちのむまにはのつたりけり。いちもんじにざつとわたいて、むかふのきしにぞうちあげたる。かぢはらがのつたりけるするすみはかはなかよりのためがたにおしながされ、はるかのしもよりうちあげたり。そののちささきあぶみふんばり、だいおんじやうをあげて「うだのてんわうにくだいのこういん、あふみのくにのぢうにん、ささきさぶらうひでよしがしなん、ささきしらうたかつな、うぢがはのせんぢんぞや」とぞなのつたる。はたけやまごひやくよきうちいれてわたす。むかひのきしよりやまだのじらうがはなつやに、はたけやまむまのひたひをのぶかにいさせ、はぬれば、ゆんづゑをついておりたつたり。いはなみかぶとのてさきへざつとおしかけけれども、はたけやまこれをことともせず、みづのそこをくぐつて、むかひのきしにぞつきにける。うちあがらんとするところに、うしろよりものこそむずとひかへたれ。「たそ」ととへば、「しげちか」とこたふ。「おほぐしか」。「さんざふらふ」。おほぐしのじらうは、はたけやまがためには、ゑぼしごにてぞさふらひける。「あまりにみづがはやうて、むまをばかはなかよりP122おしながされさふらひぬ。ちからおよばでこれまでつきまゐつてさふらふ」といひければ、はたけやま、「いつもわどのばらがやうなるものは、しげただにこそたすけられんずれ」といふまま、おほぐしをつかんできしのうへへぞなげあげたる。なげあげられて、ただなほり、たちをぬいてひたひにあて、だいおんじやうをあげて、「むさしのくにのぢうにん、おほぐしのじらうしげちか、うぢがはのかちだちのせんぢんぞや」とぞなのつたる。かたきもみかたもこれをきいて、いちどにどつとぞわらひける。そののちはたけやまのりがへにのつて、をめいてかく。ここにぎよりようのひたたれに、ひをどしのよろひきて、れんぜんあしげなるむまに、きんぷくりんのくらをおいて、のつたりけるむしやいつき、まつさきにすすんだるを、はたけやま、「ここにかくるはいかなるものぞ、なのれや」といひければ、「これはきそどののいへのこに、ながせのはんぐわんだいしげつな」となのる。はたけやま、けふのいくさがみいははんとて、おしならべてむずとくんでひきおとし、わがのつたりけるくらのまへわにおしつけ、ちつともはたらかさず、くびねぢきつて、ほんだのじらうがくらのとつつけにこそつけさせけれ。これをはじめて、うぢばしかためたりけるつはものども、しばしささへてふせぎたたかふといへども、とうごくのおほぜいみなわたいてせめければ、ちからおよばず、こはたやま、ふしみをさしてぞおちゆきける。せたをばいなげのさぶらうしげなりがはからひにて、たなかみのぐごのせをこそわたしけれ。P123
「かはらがつせん」(『かはらがつせん』)S0903いくさやぶれにければ、くらうおんざうしよしつね、ひきやくをもつてかまくらどのへ、かつせんのしだいをくはしうしるいてまうされけり。かまくらどの、まづおつかひに、「ささきはいかに」とおんたづねありければ、「うぢがはのまつさきざふらふ」とまうす。さてにつきをひらいてみたまへば、「うぢがはのせんぢん、ささきしらうたかつな、にぢん、かぢはらげんだかげすゑ」とぞかかれたる。うぢせたやぶれぬときこえしかば、きそはさいごのいとままうさんとて、ゐんのごしよろくでうどのへはせまゐる。きそもんぜんまでまゐりたりしかども、さしてそうすべきむねもなくして、とつてかへし、ろくでうたかくらなるところに、はじめてみそめたりけるにようばうのありければ、そこにうちよつて、さいごのなごりをしまんとて、とみにいでもやらざりけり。ここにいままゐりしたりけるゑちごのちうだいへみつといふものあり。「おんかたきすでにかはらまでせめいつてさふらふに、なんとてさやうにうちとけてはわたらせたまひさふらふやらん。ただいまいぬじにせさせたまひさふらひなんず。とうとうおんいでさふらへ」とまうしけれども、なほいでもやらざりければ、「ささふらはば、いへみつはまづさきだちまゐらせて、しでのやまにてこそまちまゐらせさふらはめ」とて、はらかききつてぞしににける。きそ、「これはP124われをすすむるじがいにこそ」とて、やがてうつたちたまひけり。ここにかうづけのくにのぢうにん、なはのたらうひろずみをさきとして、そのせいひやくきばかりにはすぎざりけり。ろうでうかはらにうちいでてみれば、とうごくのせいとおぼしくて、まづさんじつきばかりでいできたる。そのなかよりむしやにきさきにすすんだり。いつきはしほのやのごらうこれひろ、いつきはてしがはらのごさぶらうありなほなり。しほのやがまうしけるは、「ごぢんのせいをやまつべき」。またてしがはらがまうしけるは、「いちぢんやぶれぬればざんたうまつたからず。ただかけよや」とて、をめいてかく。きそはけふをさいごとたたかへば、とうごくのおほぜい、きそをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。たいしやうぐんくらうおんざうしよしつね、いくさをばぐんびやうどもにせさせ、わがみは、ゐんのごしよのおぼつかなきに、しゆごしたてまつらんとて、ひたかぶとごろくき、ゐんのごしよろくでうどのへはせまゐる。ごしよには、だいぜんのだいぶなりただ、ごしよのひんがしのついがきのうへにのぼりあがつて、わななくわななくみわたせば、ぶしごろくきのけかぶとにたたかひなつて、いむけのそではるかぜにふきなびかさせ、しらはたざつとさしあげ、くろけぶりけたててはせまゐる。なりただ、「あなあさまし、きそがまたまゐりさふらふ」とまうしければ、ゐんぢうのくぎやうてんじやうびと、かたへのにようばうたちにいたるまで、こんどぞよのうせはてとて、てをにぎり、たてぬぐわんもましまさず。なりただかさねてそうもんしけるは、「けふはじめてみやこへいるとうごくのぶしとおぼえさふらふ。いかさまにもみなかさじるしがかはつてさふらふ」とまうしもはてぬに、たいしやうぐんくらうおんざうしよしつね、もんぜんにてむまよりP125
おり、もんをたたかせ、だいおんじやうをあげて、「かまくらのさきのひやうゑのすけよりともがおとと、くらうよしつねこそ、うぢのてをせめやぶつて、このごしよしゆごのためにはせまゐつてさふらへ。あけていれさせたまへ」とまうされたりければ、なりただあまりのうれしさに、いそぎついがきのうへよりをどりおるるとて、こしをつきそんじたりけれども、いたさはうれしさにまぎれておぼえず、はふはふごしよへまゐつて、このよしそうもんしたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、もんをあけさせてぞいれられける。よしつねそのひのしやうぞくには、あかぢのにしきのひたたれに、むらさきすそごのよろひきて、くはがたうつたるかぶとのををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみのとりうちのもとを、かみをひろさいつすんばかりにきつて、ひだりまきにまいたる。これぞけふのたいしやうぐんのしるしとはみえし。ほふわう、ちうもんのれんじよりえいらんあつて、「ゆゆしげなるものどもかな。みななのらせよ」とおほせければ、まづたいしやうぐんくらうよしつね、つぎにやすだのさぶらうよしさだ、はたけやまのしやうじじらうしげただ、かぢはらげんだかげすゑ、ささきしらうたかつな、しぶやのむまのじようしげすけとぞなのつたれ。よしつねぐしてぶしはろくにん、よろひはいろいろかはつたりけれども、つらだましひことがら、いづれもおとらず。なりただおほせうけたまはつて、よしつねをおほゆかのきはへめして、かつせんのしだいをくはしうおんたづねあり。よしつねかしこまつてまうされけるは、「かまくらのさきのひやうゑのすけよりとも、きそがらうぜきしづめんとて、のりよりよしつねをさきとして、つがふろくまんよきをさしのぼせさふらふが、のりよりはせたよりまゐりさふらへども、いまだいつきもみえさふらはず。P126よしつねはうぢのてをせめやぶつて、このごしよしゆごのためにはせさんじてさふらへ。きそはかはらをのぼりにおちさふらひつるを、ぐんびやうどもをもつておはせさふらひつるが、いまはさだめてうつとりさふらひなんず」と、いとこともなげにぞまうされける。ほふわうおほきにぎよかんあつて、「またきそがよたうなどまゐつて、らうぜきもぞつかまつる。なんぢはこのごしよよくよくしゆごつかまつれ」とおほせければ、かしこまりうけたまはつて、しはうのもんをかためてまつほどに、つはものどもはせあつまつて、ほどなくいちまんよきばかりになりにけり。きそはしぜんのことあらば、ほふわうとりたてまつて、さいこくへおちくだり、へいけとひとつにならんとて、りきしやにじふにんそろへてもつたりけれども、ごしよにはまたくらうよしつねまゐつて、きびしうしゆごしたてまつるときいて、いまはかなはじとやおもひけん、かはらをのぼりにおちゆきけるが、ろくでうかはらとさんでうかはらのあひだにて、すでにうつとられんとすることどどにおよぶ。きそなみだをながいて、「かくあるべしともごしたりせば、いまゐをせたへはやらざらまし。えうせうちくばのむかしより、しなばいつしよでしなんとこそちぎりしか。いまはところどころでうたれんことこそかなしけれ。さりながら、いまいちどいまゐがゆくへをきかん」とて、かはらをのぼりにかくるほどに、ろくでうかはらとさんでうかはらのあひだにて、かたきおそひかかれば、とつてかへしとつてかへし、きそわづかなるこぜいにて、うんかのごとくなるかたきのおほぜいを、ごろくどまでおひかへし、かもかはざつとうちわたり、あはたぐち、まつざかにもかかりけり。きよねんしなのをいでしには、ごまんよきときこえしが、けふしのみやがはらをP127すぐるには、しゆじうしちきになりにけり。ましてちううのたびのそら、おもひやられてあはれなり。
「きそさいご」(『きそのさいご』)S0904きそはしなのをいでしより、ともゑ、やまぶきとてににんのびぢよをぐせられたり。やまぶきはいたはりあつてみやこにとどまりぬ。なかにもともゑはいろしろうかみながく、ようがんまことにびれいなり。くつきやうのあらむまのりの、あくしよおとし、ゆみやうちものとつては、いかなるおににもかみにもあふといふ、いちにんたうぜんのつはものなり。さればいくさといふときは、さねよきよろひきせ、つよゆみ、おほだちもたせて、いつぱうのたいしやうにむけられけるに、どどのかうみやう、かたをならぶるものなし。さればこんどもおほくのものおちうせ、うたれけるなかに、しちきがうちまでも、ともゑはうたれざりけり。きそはながさかをへて、たんばぢへともきこゆ。りうげごえにかかつて、またほくこくへともきこえけり。かかりしかども、いまゐがゆくへのおぼつかなさに、とつてかへして、せたのかたへぞおちゆきたまふ。いまゐのしらうかねひらも、はつびやくよきにてせたをかためたりけるが、ごじつきばかりにうちなされ、はたをばまかせてもたせつつ、しゆのゆくへのおぼつかなさにP128、みやこのかたへのぼるほどに、おほつのうちでのはまにて、きそどのにゆきあひたてまつる。なかいつちやうばかりより、たがひにそれとみしつて、しゆじうこまをはやめてよりあひたり。きそどの、いまゐがてをとつてのたまひけるは、「よしなかろくでうかはらにて、いかにもなるべかりしかども、なんぢがゆくへのおぼつかなさに、おほくのかたきにうしろをみせて、これまでのがれたるはいかに」とのたまへば、いまゐのしらう、「ごぢやうまことにかたじけなうさふらふ。かねひらもせたにてうちじにつかまつるべうさふらひしかども、おんゆくへのおぼつかなさに、これまでのがれまゐつてさふらふ」とまうしければ、きそどの、「さてはちぎりはいまだくちせざりけり。よしなかがせい、さんりんにはせちつて、このへんにもひかへたるらんぞ。なんぢがはたあげさせよ」とのたまへば、まいてもたせたるいまゐがはたさしあげたり。これをみつけて、きやうよりおつるせいともなく、またせたよりまゐるものともなく、はせあつまつて、ほどなくさんびやくきばかりになりたまひぬ。きそどのなのめならずによろこびて、「このせいにてはさいごのいくさ、ひといくさなどかせざるべき。あれにしぐらうてみゆるは、たがてやらん」。「かひのいちでうのじらうどののおんてとこそうけたまはつてさふらへ」。「せいいかほどあるらん」。「ろくせんよきときこえさふらふ」。「さてはたがひによいかたき、おなじうしぬるとも、おほぜいのなかへかけいり、よいかたきにあうてこそうちじにをもせめ」とて、まつさきにぞすすみたまふ。きそどのそのひのしやうぞくには、あかぢのにしきのひたたれに、からあやをどしのよろひきて、いかものづくりのたちをはき、くはがたうつたるかぶとのををしめ、にじふしさいたるいしうちのやの、P129そのひのいくさにいて、せうせうのこつたるを、かしらだかにおひなし、しげどうのゆみのまんなかとつて、きこゆるきそのおにあしげといふむまに、きんぷくりんのくらをおいてのつたりけるが、あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「ひごろはききけんものを、きそのくわんじや、いまはみるらん、さまのかみけんいよのかみあさひのしやうぐんみなもとのよしなかぞや。かひのいちでうのじらうとこそきけ。よしなかうつて、ひやうゑのすけにみせよや」とてをめいてかく。いちでうのじらうこれをきいて、「ただいまなのるは、たいしやうぐんぞや。あますなものども、もらすなわかたう、うてや」とて、おほぜいのなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。きそさんびやくよき、ろくせんよきがなかへかけいり、たてさまよこさま、くもでじふもんじにかけわつて、うしろへつといでたれば、ごじつきばかりになりけり。そこをやぶつてゆくほどに、とひのじらうさねひら、にせんよきでささへたり。そこをもやぶつてゆくほどに、あそこにてはしごひやくき、ここにてはにさんびやくき、ひやくしごじつき、ひやくきばかりがなかを、かけわりかけわりゆくほどに、しゆじうごきにぞなりにける。ごきがうちまでも、ともゑはうたれざりけり。きそどのともゑをめして、「おのれはをんななれば、これよりとうとういづちへもおちゆけ。よしなかはうちじにをせんずるなり。もしひとでにかからずは、じがいをせんずれば、よしなかがさいごのいくさに、をんなをぐしたりなどいはれんこと、くちをしかるべし」とのたまへども、なほおちもゆかざりけるが、あまりにつよういはれたてまつて、「あつぱれよからうかたきのいでこよかし。きそどのにさいごのいくさしてみせたてまつらん」とて、P130
ひかへてかたきをまつところに、ここにむさしのくにのぢうにん、おんだのはちらうもろしげといふだいぢからのかうのもの、さんじつきばかりでいできたる。ともゑそのなかへわつていり、まづおんだのはちらうにおしならべ、むずとくんでひきおとし、わがのつたりけるくらのまへわにおしつけて、ちつともはたらかさず、くびねぢきつてすててんげり。そののちもののぐぬぎすて、とうごくのかたへぞおちゆきける。てづかのたらううちじにす。てづかのべつたうおちにけり。きそどのいまゐのしらうただしゆじうにきになつてのたまひけるは、「ひごろはなにともおぼえぬよろひが、けふはおもうなつたるぞや」とのたまへば、いまゐのしらうまうしけるは、「おんみもいまだつかれさせたまひさふらはず、おむまもよわりさふらはず。なにによつていちりやうのおんきせながを、にはかにおもうはおぼしめされさふらふべき。それはみかたにつづくせいがさふらはねば、おくびやうでこそさはおぼしめしさふらふらめ。かねひらいつきをば、よのむしやせんぎとおぼしめしさふらふべし。ここにいのこしたるやななつやつさふらへば、しばらくふせぎやつかまつりさふらはん。あれにみえさふらふは、あはづのまつばらとまうしさふらふ。きみはあのまつのなかへいらせたまひて、しづかにごじがいさふらへ」とて、うつてゆくほどに、またあらてのむしやごじつきばかりでいできたる。「かねひらはこのおんかたきしばらくふせぎまゐらせさふらふべし。きみはあのまつのなかへいらせたまへ」とまうしければ、よしなか、「ろくでうかはらにて、いかにもなるべかりしかども、なんぢといつしよでいかにもならんためにこそ、おほくのかたきにうしろをみせて、これまでのがれたんなれ。ところどころでうたれんより、いつしよでこそうちじにをもせめ」とて、むまのはなをならべてP131、すでにかけんとしたまへば、いまゐのしらう、いそぎむまよりとんでおり、しゆのむまのみづつきにとりつき、なみだをはらはらとながいて、「ゆみやとりは、としごろひごろいかなるかうみやうさふらへども、さいごにふかくしぬれば、ながききずにてさふらふなり。おんみもつかれさせたまひさふらひぬ。おむまもよわつてさふらふ。いふかひなきひとのらうどうにくみおとされて、うたれさせたまひさふらひなば、さしもにつぽんごくにおにがみときこえさせたまひつるきそどのをば、なにがしがらうどうのてにかけて、うちたてまつたりなんぞまうされんこと、くちをしかるべし。ただりをまげて、あのまつのなかへいらせたまへ」とまうしければ、きそどの、さらばとて、ただいつきあはづのまつばらへぞかけたまふ。いまゐのしらうとつてかへし、ごじつきばかりがせいのなかへかけいり、あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「とほからんものはおとにもきけ、ちかからんひとはめにもみたまへ。きそどののめのとごに、いまゐのしらうかねひらとて、しやうねんさんじふさんにまかりなる。さるものありとは、かまくらどのまでもしろしめされたるらんぞ。かねひらうつてひやうゑのすけどののおんげんざんにいれよや」とて、いのこしたるやすぢのやを、さしつめひきつめさんざんにいる。ししやうはしらず、やにはにかたきはちきいおとし、そののちたちをぬいてきつてまはるに、おもてをあはするものぞなき。ただ、「いとれやいとれ」とて、さしつめひきつめ、さんざんにいけれども、よろひよければうらかかず、あきまをいねばてもおはず。きそどのはただいつき、あはづのまつばらへかけたまふ。ころはしやうぐわつにじふいちにち、いりあひばかりのP132ことなるに、うすごほりははつたりけり。ふかたありともしらずして、むまをざつとうちいれたれば、むまのかしらもみえざりけり。あふれどもあふれども、うてどもうてどもはたらかず。かかりしかどもいまゐがゆくへのおぼつかなさに、ふりあふのぎたまふところを、さがみのくにのぢうにん、みうらのいしだのじらうためひさおつかかり、よつぴいてひやうどはなつ。きそどのうちかぶとをいさせ、いたでなれば、かぶとのまつかふをむまのかしらにおしあててうつぶしたまふところを、いしだがらうどうににんおちあひて、すでにおんくびをばたまはりけり。やがてくびをばたちのさきにつらぬき、たかくさしあげ、だいおんじやうをあげて、「このひごろにつぽんこくにおにがみときこえさせたまひつるきそどのをば、みうらのいしだのじらうためひさが、うちたてまつるぞや」となのりければ、いまゐのしらうはいくさしけるが、これをきいて、「いまはたれをかばはんとて、いくさをばすべき。これみたまへ、とうごくのとのばら、につぽんいちのかうのもののじがいするてほんよ」とて、たちのきつさきをくちにふくみ、むまよりさかさまにとびおち、つらぬかつてぞうせにける。
「ひぐちのきられ」(『ひぐちのきられ』)S0905いまゐがあにのひぐちのじらうかねみつは、じふらうくらんどうたんとて、そのせいごひやくよきで、かはちのくにP133ながののじやうへこえたりけるが、そこにてはうちもらしぬ。きのくになぐさにありときいて、やがてつづいてよせたりけるが、みやこにいくさありときいて、とつてかへしてのぼるほどに、よどのおほわたりのはしにて、いまゐがげにんにゆきあうたり。「これはされば、いづちへとてわたらせたまひさふらふやらん。みやこにはいくさいできて、きみうたれさせたまひさふらひぬ。いまゐどのもおんじがいさふらふ」といひければ、ひぐちのじらう、なみだをはらはらとながいて、「これききたまへとのばら、きみにおんこころざしおもひまゐらせんひとびとは、これよりとうとういづちへもおちゆき、いかならんこつじきづだのぎやうをもして、きみのごぼだいをとぶらひまゐらさせたまへ。かねみつはみやこへのぼりうちじにして、めいどにても、きみのおんげんざんにいり、いまゐをもいまいちどみばやとおもふためなり」とて、うつてゆくほどに、ごひやくよきのせいども、あそこここにひかへひかへおちゆくほどに、とばのみなみのもんをすぐるには、そのせいわづかににじふよきにぞなりにける。ひぐちのじらう、けふすでにみやこへいるときこえしかば、たうもかうけも、しちでうしゆしやか、つくりみち、よつづかへはせむかふ。ひぐちがてに、ちののたらうみつひろといふものあり。よつづかにいくらもありけるせいのなかへかけいり、あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげ、「このせいのなかに、かひのいちでうのじらうどのおんてのひとやまします」ととひければ、「いちでうのじらうがてでないは、いくさをばせぬか。たれにもあへかし」とて、どつとわらふ。わらはれてなのりけるは、「かうまうすものは、しなののくにすはのかみのみやのぢうにん、ちののたいふみついへがP134こに、ちののたらうみつひろといふものなり。かならずいちでうのじらうどののおんてのひとをたづぬるにはあらず。おととのしちらうそれにあり。こどもににんしなののくににおいたるが、あつぱれわがちちは、ようてやしんだるらん、あしうてやしんだるらんと、なげかんずるところに、おととのしちらうがまへにてうちじにして、こどもにたしかにきかせんとおもふためなり。かたきをばきらふまじ」とて、あれにはせあひ、これにはせあひ、むしやさんききつておとし、しにんにあたるかたきにおしならべ、むずとくんでどうどおち、さしちがへてぞしににける。ひぐちのじらうはこだまたうにむすぼほれたりければ、こだまのひとどもよりあひて、「そもそもゆみやとりの、われもひともひろなかへいるといふは、しぜんのときひとまづのいきをもつぎ、しばしのいのちをもいかうどおもふためなり。さればひぐちがわれらにむすぼほれけんも、さこそありけめ。いのちばかりをたすけん」とて、ひぐちがもとへししやをたてて、「きそどののみうちに、いまゐ、ひぐち、たて、ねのゐときこえさせたまひてさふらへども、きそどのうたれさせたまひさふらひぬ。いまゐどのもおんじがいさふらふうへは、なにかくるしうさふらふべき。われらがなかへかうにんになりたまへ。こんどのくんこうのしやうにまうしかへて、おんいのちばかりをば、たすけたてまつらん」といひおくつたりければ、ひぐちのじらうはきこゆるつはものなりしかども、うんやつきにけん、おめおめとこだまたうのなかへ、かうにんにこそなりにけれ。たいしやうぐんのりよりよしつねにこのよしをまうす。ゐんへうかがひまうされたりければ、ゐんぢうのくぎやうてんじやうびと、P135
つぼねのにようばう、めのわらはにいたるまで、「きそがほふぢうじどのへよせて、ごしよにひをかけやきほろぼし、おほくのかうそうきそうをうしなひたりしには、あそこにもここにも、いまゐ、ひぐちといふこゑのみこそありしか。これらをたすけられんは、むげにくちをしかるべし」と、くちぐちにまうされたりければ、かなはずして、またしざいにぞさだめられける。おなじきにじふににち、しんせつしやうどのとどめられさせたまひて、もとのせつしやうくわんちやくしたまふ。わづかろくじふにちのうちにかへられさせたまひぬれば、いまだみはてぬゆめのごとし。むかしあはたのくわんばくはよろこびまうしののち、ただしちかにちだにありしぞかし。これはろくじふにちとはまうせども、そのあひだにせちゑもぢもくもおこなはれぬれば、おもひでなきにあらず。おなじきにじふしにち、きそのさまのかみ、よたうごにんがくびみやこへいつて、おほぢをわたさる。ひぐちのじらうはかうにんたりしが、しきりにくびのともせんとまうしければ、さらばとてあゐずりのひたたれ、たてゑぼしにてぞわたされける。あくるにじふごにち、ひぐちのじらうつひにきられにけり。のりよりよしつね、さまざまにまうされけれども、いまゐ、ひぐち、たて、ねのゐとて、きそがしてんわうのそのいつなれば、これらをたすけられんは、やうこのうれへあるべしと、ことにさたあつてきられけるとぞきこえし。つてにきく、こらうのくにおとろへて、しよこうはちのごとくにおこつしとき、はいこうさきにかんやうきうへいるといへども、かううがのちにきたらんことをおそれて、さいはびじんをもをかさず、きんぎんしゆぎよくをもかすめず、いたづらにかんこくのせきをまもつて、ぜんぜんにかたきをほろぼして、てんがをぢするP136ことをえたりき。さればいまのきそのさまのかみも、まづみやこへいるといへども、よりとものあそんのめいにしたがはましかば、かのはいこうがはかりごとにはおとらざらまし。さるほどにへいけはこぞのふゆのころより、さぬきのくにやしまのいそをいでて、つのくになにはがたにおしわたり、にしはいちのたにをじやうくわくにかまへ、ひんがしはいくたのもりをおほてのきどぐちとぞさだめける。そのあひだふくはら、ひやうご、いたやど、すまにこもるせい、せんやうだうはつかこく、なんかいだうろくかこく、つがふじふしかこくをうちしたがへて、めさるるところのぐんびやう、じふまんよきとぞきこえし。いちのたにはきたはやま、みなみはうみ、くちはせばくておくひろし。きしたかくしてびやうぶをたてたるにことならず。きたのやまぎはより、みなみのうみのとほあさまで、たいせきをかさねあげ、おほぎをきつてさかもぎにひき、ふかきところにはおほふねどもをそばだてて、かいだてにかき、じやうのおもてのたかやぐらには、しこくちんぜいのつはものども、かつちうきうせんをたいして、うんかのごとくになみゐたり。やぐらのまへには、くらおきむまども、とへはたへにひつたてたり。つねにたいこをうつてらんじやうす。いつちやうのゆみのいきほひは、はんげつむねのまへにかかり、さんじやくのけんのひかりは、あきのしもこしのあひだによこだへたり。たかきところにはあかはたおほくうつたてたれば、はるかぜにふかれて、てんにひるがへるは、ただくわえんのもえあがるにことならず。P137
「ろくかどかつせん」(『ろくかどのいくさ』)S0906さるほどにへいけいちのたにへわたりたまひてのちは、しこくのものどもいつかうしたがひたてまつらず、なかにもあはさぬきのざいちやうら、みなへいけをそむいて、げんじにこころをかよはしけるが、さすがきのふけふまで、へいけにしたがひたてまつたるみの、けふはじめてげんじへまゐりたりとも、よももちひたまはじ。へいけにやひとついかけたてまつて、それをおもてにしてまゐらんとて、かどわきのへいぢうなごんのりもり、ゑちぜんのさんみみちもり、のとのかみのりつねふしさんにん、びぜんのくにしもつゐにましますときいて、ひやうせんじふよそうでぞよせたりける。のとどのおほきにいかつて、「きのふけふまで、われらがむまのくさきつたるやつばらが、いつしかちぎりをへんずるにこそあんなれ。そのぎならば、いちにんももらさずうてや」とて、こぶねどもおしうかべておはれければ、しこくのものども、ひとめばかりにやひとついて、のかんとこそおもひしに、のとどのにあまりにていたうせめられたてまつて、かなはじとやおもひけん、とほまけにしてひきしりぞき、あはぢのくにふくらのとまりにつきにけり。そのくににげんじににんありときこえけり。ころくでうのはんぐわんためよしがばつし、かものくわんじやよしつぎ、あはぢのくわんじやよしひさときこえしを、たいしやうにたのうで、じやうくわくをかまへてまつところに、のとどのおしよせて、さんざんにせめたまへば、P138
かものくわんじやうちじにす。あはぢのくわんじやはいたでおうて、いけどりにこそせられけれ。のこりとどまつてふせぎやいけるものども、にひやくさんじふよにんがくびきりかけさせ、うつてのけうみやうしるいて、ふくはらへこそまゐらせられけれ。それよりかどわきどのは、いちのたにへぞまゐられける。しそくたちは、いよのかはののしらうがめせどもまゐらぬをせめんとて、しこくへぞわたられける。あにゑちぜんのさんみみちもりのきやうは、あはのくにはなぞののじやうにぞつきたまふ。おととのとのかみのりつねは、さぬきのやしまにつきたまふよしきこえしかば、いよのくにのぢうにん、かはののしらうみちのぶは、あきのくにのぢうにん、ぬたのじらうはははかたのをぢなりければ、ひとつにならんとて、あきのくにへおしわたる。のとどのこのよしをききたまひて、やしまをたつておはれけるが、そのひはびんごのくにみのしまといふところについて、つぎのひぬたのじやうへぞよせられける。ぬたのじらう、かはののしらうひとつになつて、じやうくわくをかまへてまつところに、のとどのやがておしよせて、さんざんにせめたまへば、ぬたのじらうかなはじとやおもひけん、かぶとをぬぎゆみのつるをはづいてかうにんにまゐる。かはのはなほもしたがはず、そのせいごひやくよきありけるが、ごじつきばかりにうちなされ、じやうをおちてゆくところに、ここにのとどののさぶらひに、へいはちびやうゑためかずといふもの、にひやくきばかりがなかにとりこめられ、しゆじうしちきにうちなされ、たすけぶねにのらんとて、ほそみちにかかつてみぎはのかたへおちゆくところを、へいはちびやうゑがしそく、さぬきのしちらうよしのり、くつきやうのゆみのじやうずなりければ、おつかかり、よつびいて、しちきをごきいおとす。しゆじうにきにぞなりにける。かはのがみにかへておもひけるらうどうに、さぬきのしちらうP139おしならべ、むずとくんで、どうどおち、とつておさへて、くびをかかんとするところに、かはののしらうとつてかへし、わがらうどうのうへなるさぬきのしちらうがくびかききつてふかたへなげいれ、だいおんじやうをあげて、「いよのくにのぢうにん、かはののしらうをちのみちのぶ、しやうねんにじふいち、いくさをばかうこそすれ。われとおもはんひとびとは、よつてとどめよや」となのりすてて、らうどうをかたにひつかけ、そこをばなつくにげのび、いよのくにへおしわたる。のとどのかはのをばうちもらされたりけれども、ぬたのじらうがかうにんたるをめしぐして、いちのたにへぞまゐられける。またあはのくにのぢうにん、あまのろくらうただかげ、これもへいけをそむいて、げんじにこころをかよはしけるが、おほぶねにそうにひやうらうまいつみ、もののぐいれ、みやこをさしてのぼりけるを、のとどのふくはらにて、このよしをききたまひて、こぶねどもおしうかべておはれければ、にしのみやのおきにて、かへしあはせてふせぎたたかふ。のとどの、「あますな、もらすな」とて、さんざんにせめたまへば、あまのろくらうかなはじとやおもひけん、いづみのくにふけひのうらにたてこもる。またきのくにのぢうにん、そのべのひやうゑただやす、これもへいけにこころよからざりけるが、あまのろくらうがのとどのにていたうせめられたてまつて、いづみのくにふけひのうらにありときいて、そのせいひやくきばかりで、いづみのくにへうちこえて、あまのろくらう、そのべのひやうゑひとつになつて、じやうくわくをかまへてまつところに、のとどのやがておしよせて、さんざんにせめたまへば、あまのろくらう、そのべのひやうゑかなはじとやおもひけん、みがらはにげてきやうへのぼる。のこりとどまつて、ふせぎやP140いけるつはものども、ひやくさんじふよにんがくびきつて、ふくはらへこそまゐられけれ。またぶんごのくにのぢうにん、うすきのじらうこれたか、をがたのさぶらうこれよし、いよのくにのぢうにん、かはののしらうみちのぶひとつになつて、つがふそのせいにせんよにん、こぶねどもにとりのつて、びぜんのくにへおしわたり、いまぎのじやうにたてごもる。のとどの、ふくはらにて、このよしをききたまひて、やすからぬことなりとて、そのせいさんぜんよきで、びぜんのくににはせくだり、いまぎのじやうをせめたまふ。のとどの、きやつばらはこはいおんかたきでさふらふ。かさねてせいをたまはるべきよしまうされたりければ、ふくはらよりすまんぎのぐんびやうをさしむけらるるよしきこえしかば、じやうのうちのつはものども、てのきはたたかひ、ぶんどりかうみやうしきはめて、かたきはたぜいなり、みかたはこぜいなりければ、「とりこめられてはかなふまじ。ここをばおちて、しばしのいきをつげや」とて、うすきのじらうこれたか、をがたのさぶらうこれよしは、ぶんごのくにへおしわたり、かはのはいよへぞわたりける。のとどの、いまはせむべきかたきなしとて、ふくはらへこそまゐられけれ。おほいとのいげのげつけいうんかくよりあひたまひて、のとどののまいどのかうみやうをぞ、かんじあはれける。
「みくさせいぞろへ」(『みくさせいぞろへ』)S0907おなじきしやうぐわつにじふくにち、のりよりよしつねゐんざんして、へいけつゐたうのために、さいこくへはつかうすべきP141よしをそうもんす。ほんてうには、じんだいよりつたはれるおんたからみつあり。しんし、ほうけん、ないしどころこれなり。ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつるべきよしおほせくださる。りやうにんていしやうにかしこまりうけたまはつてまかりいづ。にんぐわつよつかのひ、ふくはらにはこにふだうさうこくのきにちとて、ぶつじかたのごとくとげおこなはる。あさゆふのいくさだちに、すぎゆくつきひはしらねども、こぞはことしにめぐりきて、うかりしはるにもなりにけり。よのよにてあらましかば、いかなるきりふたふばのくはだて、くぶつせそうのいとなみも、あるべかりしかども、ただなんによのきんだちたちさしつどひて、なげきかなしみあはれけり。ふくはらには、このついでにぢもくおこなはれて、そうもぞくもみなつかさなされけり。なかにもかどわきのへいぢうなごんのりもりのきやうをば、じやうにゐのだいなごんにあがりたまふべきよし、おほいとのよりのたまひつかはされたりければ、のりもりのきやう、
けふまでもあればあるかのわがみかはゆめのうちにもゆめをみるかな W067
とおんぺんじまうさせたまひて、つひにだいなごんにはなりたまはず。だいげきなかはらのもろなほがこ、すはうのすけもろずみだいげきになる。ひやうぶのせうまさあき、ごゐのくらんどになされて、くらんどのせうとぞめされける。むかしまさかどとうはつかこくをうちしたがへて、しもふさのくにさうまのこほりにみやこをたて、わがみをへいしんわうとしようじて、ひやくくわんをなしたりしには、こよみのはかせぞなかりける。これはそれにはにるべからず。しゆしやうきうとをこそいでさせたまふといへども、さんじゆのしんきをたいして、ばんじようのくらゐにそなはりたまへば、じよゐぢもくおこなはれんもひがごとにはあらず。P142へいじすでにふくはらまで、せめのぼつたるよしきこえしかば、ふるさとにのこりとどまりたまふひとびと、みないさみよろこびあはれけり。なかにもにゐのそうづせんしんは、かぢゐのみやのとしごろのごどうじゆくにておはしければ、かぜのたよりにもまうされけり。みやよりもまたおんふみあり。「たびのそらのよそほひ、おんこころぐるしけれども、みやこもいまだしづまらず」など、こまごまとあそばいて、おくにはいつしゆのうたぞありける。
ひとしれずそなたをしのぶこころをばかたぶくつきにたぐへてぞやる W068
そうづこれをかほにおしあてて、かなしみのなみだせきあへず。さるほどにこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうは、としへだたりひかさなるにしたがつて、ふるさとにとどめおきたまへるきたのかた、をさなきひとびとのことをのみなげきかなしみたまひけり。あきんどのたよりに、ふみなどのかよふにも、きたのかたのみやこのおんすまひ、こころぐるしうききたまひて、さらばこれへむかへまゐらせて、いつしよでいかにもならばやとはおもはれけれども、わがみこそあらめ、おんためいたはしくてなど、おぼしめししづんで、あかしくらしたまふにぞ、せめてのおんこころざしのふかさのほどはあらはれにける。にんぐわつよつかのひ、げんじふくはらをせむべかりしかども、こにふだうしやうこくのきにちときいて、ぶつじとげさせんがために、そのひはよせず。いつかはにしふさがり、むゆかはだうこにち、なぬかのひのうのこくに、いちのたにのひんがしにしのきどぐちにて、げんぺいやあはせとぞさだめける。P143
されどもよつかはきちにちなればとて、おほてからめでのぐんびやう、ふたてにわかつてせめくだる。おほてのたいしやうぐんには、かまのおんざうしのりより、あひともなふひとびと、たけだのたらうのぶよし、かがみのじらうとほみつ、おなじきこじらうながきよ、やまなのじらうのりよし、おなじきさぶらうよしゆき、さぶらひだいしやうには、かぢはらへいざうかげとき、ちやくしのげんだかげすゑ、じなんへいじかげたか、おなじきさぶらうかげいへ、いなげのさぶらうしげなり、はんがへのしらうしげとも、おなじきごらうゆきしげ、をやまのこしらうともまさ、なかぬまのごらうむねまさ、ゆふきのしちらうともみつ、さぬきのしらうだいふひろつな、をのでらのぜんじたらうみちつな、そがのたらうすけのぶ、なかむらのたらうときつね、えどのしらうしげはる、たまのゐのしらうすけかげ、おほかはづのたらうひろゆき、しやうのさぶらうただいへ、おなじきしらうたかいへ、しやうだいのはちらうゆきひら、くげのじらうしげみつ、かはらのたらうたかなほ、おなじきじらうもりなほ、ふぢたのさぶらうだいふゆきやすをさきとして、つがふそのせいごまんよき、にんぐわつよつかのひのたつのいつてんにみやこをたつて、そのひのさるとりのこくには、つのくにこやのにぢんをぞとつたりける。からめでのたいしやうぐんには、くらうおんざうしよしつね、おなじうともなふひとびと、やすだのさぶらうよしさだ、おほうちのたらうこれよし、むらかみのはんぐわんだいやすくに、たしろのくわんじやのぶつな、さぶらひだいしやうには、とひのじらうさねひら、しそくのやたらうとほひら、みうらのすけよしずみ、しそくのへいろくよしむら、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おなじきながののさぶらうしげきよ、さはらのじふらうよしつら、わだのこたらうよしもり、おなじきじらうよしもち、さぶらうむねざね、ささきしらうたかつな、おなじきごらうよしきよ、くまがへのじらうなほざね、しそくのこじらうなほいへ、P144ひらやまのむしやどころすゑしげ、あまののじらうなほつね、こがはのじらうすけよし、はらのさぶらうきよます、たたらのごらうよしはる、そのこのたらうみつよし、わたりやなぎのやごらうきよただ、べつぷのこたらうきよしげ、かねこのじふらういへただ、おなじきよいちちかのり、げんぱちひろつな、かたをかのたらうつねはる、いせのさぶらうよしもり、あうしうのさとうさぶらうつぎのぶ、おなじきしらうただのぶ、えだのげんざう、くまゐのたらう、むさしばうべんけい、これらをさきとして、つがふそのせいいちまんよき、おなじひのおなじときにみやこをたつて、たんばぢにかかり、ふつかぢをひとひにうつて、たんばとはりまのさかひなるみくさのやまのひんがしのやまぐち、おのばらにぢんをぞとつたりける。
「みくさかつせん」(『みくさがつせん』)S0908へいけのかたのたいしやうぐんには、こまつのしんざんみのちうじやうすけもり、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじうただふさ、びつちうのかみもろもり、さぶらひだいしやうには、いがのへいないびやうゑきよいへ、えみのじらうもりかたをさきとして、そのせいさんぜんよきで、みくさのやまのにしのやまぐちにおしよせてぢんをとる。そのよのいぬのこくばかりに、たいしやうぐんくらうおんざうしよしつね、さぶらひだいしやうとひのじらうさねひらをめして、「へいけはこれよりさんりへだてて、みくさのやまのにしのやまぐちに、おほぜいでひかへたり。ようちにやすべき、またあすのいくさか」とのたまへば、たしろのくわんじやすすみいでて、P145「へいけのせいはさんぜんよき、みかたのおんせいはいちまんよき、はるかのりにさふらふ。あすのいくさとのべられさふらひなば、へいけにせいつきさふらひなんず。ようちよかんぬとおぼえさふらふ」とまうされければ、とひのじらう、「いしうもまうさせたまふたしろどのかな。たれもかうこそまうしたうさふらひつれ。ようちよかんぬとおぼえさふらふ」とまうしければ、つはものども、「くらさはくらし、いかがせん」とくちぐちにまうしければ、おんざうし、「れいのおほだいまつはいかに」とのたまへば、とひのじらう、「さることさふらふ」とて、をのばらのざいけにひをぞかけたりける。これをはじめて、のにもやまにも、くさにもきにもひをかけたれば、ひるにはちつともおとらずして、さんりのやまをぞこえゆきける。このたしろのくわんじやとまうすは、ちちはいづのくにのさきのこくし、ちうなごんためつなのばつえふなり。はははかののすけもちみつがむすめをおもうてまうけたりしを、ははかたのそぶにあづけて、ゆみやとりにはしたてたんなり。ぞくしやうをたづぬれば、ごさんでうのゐんのだいさんのわうじ、すけひとのしんわうにごだいのそんなり。ぞくしやうもよきうへ、ゆみやをとつてもよかりけり。へいけのかたには、そのよ、ようちにせんずるをばゆめにもしらず、「いくさはさだめてあすのいくさにてぞあらんずらん。いくさにもねぶたいはだいじのものぞ。よくねていくさせよものども」とて、せんぢんはおのづからようじんしけれども、ごぢんのつはものどもは、あるひはかぶとをまくらにし、あるひはよろひのそでえびらなどをまくらとして、ぜんごもしらずぞふしたりける。そのよのやはんばかり、げんじいちまんよき、みくさのやまのにしのやまぐちにおしよせて、ときをどうとぞP146つくりける。へいけのかたには、あまりにあわてさわいで、ゆみとるものはやをしらず、やをとるものはゆみをしらず、あわてふためきけるが、むまにあてられじとやおもひけん、みななかをあけてぞとほしける。げんじはおちゆくへいけを、あそこにおつかけ、ここにおつつめ、さんざんにせめければ、やにはにごひやくよにんうたれぬ。ておふものどもおほかりけり。たいしやうぐんしんざんみのちうじやうすけもり、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじうただふさ、みくさのてをやぶられて、めんぼくなうやおもはれけん、はりまのたかさごよりふねにのつて、さぬきのやしまへわたりたまひぬ。びつちうのかみもろもりばかりこそ、なにとしてかはもれさせたまひたりけん、へいないびやうゑ、えみのじらうをめしぐして、いちのたにへぞまゐられける。
「らうば」(『らうば』)S0909おほいとの、あきのむまのすけよしゆきをししやにて、ひとびとのもとへのたまひつかはされけるは、「くらうよしつねこそ、みくさのてをせめやぶつて、すでにみだれいるよしきこえさふらふ。やまのてがだいじでさふらへば、おのおのむかはれさふらひなんや」とのたまひつかはされたりければ、みなじしまうされけり。のとどののもとへも、「たびたびのことではさふらへども、こんどもまたごへんむかはれさふらひなんや」とのたまひつかはされたりければ、のとどののへんじに、「いくさはさやうにP147かりすなどりなどのやうに、あしだちのよからうかたへはむかはう、あしからんかたへはむかはじなどさふらはんには、いくさにかつことはよもさふらはじ。いくたびでもさふらへ、こはからんかたへは、のりつねうけたまはつて、まかりむかひさふらふべし。いつぱううちやぶつてまゐらせさふらはん。おんこころやすうおぼしめされさふらふべし」とまうされたりければ、おほいとのなのめならずによろこびたまひて、ゑつちうのせんじもりとしをさきとして、いちまんよき、のとどのにぞつけられける。あにゑちぜんのさんみみちもりのきやうをあひぐして、やまのてへぞむかはれける。このやまのてとまうすは、いちのたにのうしろ、ひよどりごえのふもとなり。みちもりのきやう、のとどののかりやへ、きたのかたむかへよせたまひて、さいごのなごりをしまれけり。のとどのおほきにいかつて、「このてはだいじのかたとて、のりつねむけられさふらふが、まことにこはうさふらふなり。ただいまもうへのやまよりかたきおとすほどならば、とるものもとりあへさふらふまじ。たとひゆみをばもつたりとも、やをはげずはあしかるべし。たとひやをばはげたりとも、ひかずはなほもあしかるべし。ましてさやうにうちとけてわたらせたまひては、なんのようにあはせたまふべき」といさめられて、みちもりのきやうげにもとやおもはれけん、いそぎもののぐして、ひとをばかへしたまひけり。いつかのひのくれがたに、げんじこやのをたつて、やうやういくたのもりへせめちかづく。すずめのまつばら、みかげのまつ、こやののかたをみわたせば、げんじてんでにぢんをとつて、とほびをたく。ふけゆくままにながむれば、やまのはいづるつきのごとし。へいけもとほびたけやとて、P148いくたのもりにもかたのごとくぞたいたりける。あけゆくままにみわたせば、はれたるそらのほしのごとし。これやむかしかはべのほたるとえいじたまひけんも、いまこそおもひしられけれ。かやうにげんじは、あそこにぢんとつてはむまやすめ、ここにぢんとつてはむまかひなどしけるほどにいそがず。へいけのかたには、いまやよす、いまやよするとあひまつて、やすいこころもせざりけり。おなじきむゆかのひのあけぼのに、たいしやうぐんくらうおんざうしよしつね、いちまんよきをふたてにわけて、とひのじらうさねひらに、しちせんよきをさしそへて、いちのたにのにしのきどぐちへさしつかはす。わがみはさんぜんよきで、いちのたにのうしろ、ひよどりごえをおとさんとて、たんばぢよりからめでへこそむかはれけれ。つはものども、「これはきこゆるあくしよにてあんなり。おなじうしぬるとも、かたきにあうてこそしにたけれ。あくしよにおちてはしにたからず。あつぱれこのやまのあんないしややある」とくちぐちにまうしければ、ここにむさしのくにのぢうにん、ひらやまのむしやどころすすみいでて、「すゑしげこそこのやまのあんないよくぞんぢつかまつてさふらへ」とまうしければ、おんざうし、「わとのはとうごくそだちのものの、けふはじめてみるさいこくのやまのあんないしや、おほきにまことしからず」とのたまへば、すゑしげかさねてまうしけるは、「こはごぢやうともおぼえさふらはぬものかな。よしのはつせのはなをば、みねどもかじんがしり、かたきのこもつたるじやうのうしろのあんないをば、かうのむしやがしりさふらふ」とぞまうしける。これまたばうじやくぶじんにぞきこえし。P149
またむさしのくにのぢうにん、べつぷのこたらうきよしげとて、しやうねんじふはつさいになりけるが、すすみいでてまうしけるは、「ちちにてさふらひしよししげぼふしがをしへさふらひしは、たとへばやまごえのかりをせよ、またはかたきにもおそはれよ、しんざんにまよひたらんずるときは、らうばにたづなむすんでうちかけ、さきにおつたててゆけ、かならずみちへいでうずるぞとこそをしへさふらひしか」とまうしければ、おんざうし、「やさしうもまうしたるものかな。ゆきはのばらをうづめども、おいたるむまぞみちはしるといふためしあり」とて、しらあしげなるらうばに、かがみぐらおき、しろぐつわはげ、たづなむすんでうちかけ、さきにおつたてて、いまだしらぬしんざんへこそいりたまへ。ころはきさらぎはじめのことなれば、みねのゆきむらぎえて、はなかとみゆるところもあり、たにのうぐひすおとづれて、かすみにまよふところもあり。のぼればはくせつかうかうとしてそびえ、くだればせいざんががとしてきしたかし。まつのゆきだにきえやらで、こけのほそみちかすかなり。あらしにたぐふをりをりは、ばいくわともまたうたがはれ、とうざいにむちをあげ、こまをはやめてゆくほどに、やまぢにひくれぬれば、みなおりゐてぢんをとる。ここにむさしばうべんけい、あるらうおういちにんぐしてまゐりたり。おんざうし、「あれはいかに」とのたまへば、「これはこのやまのれふしでさふらふ」とまうしければ、「さてはあんないよくしつたるらん」。「いかでかぞんぢつかまつらではさふらふべき」。おんざうし、「さぞあるらん。これよりへいけのじやうくわくいちのたにへおとさうとおもふはいかに」。「ゆめゆめかなひさふらふまじ。およそさんじふぢやうのたに、じふごぢやうのいはさきなどをば、たやすうひとのかよふべきやうもP150さふらはず。そのうへ、じやうのうちには、おとしあなをもほり、ひしをもうゑてまちまゐらせさふらふらん。ましておむまなどはおもひもよりさふらはず」とまうしければ、おんざうし、「さてさやうのところは、ししはかよふか」。「ししはかよひさふらふ。せけんだにあたたかになりさふらへば、くさのふかきにふさんとて、はりまのししはたんばへこえ、せけんだにさむくなりさふらへば、ゆきのあさりにはまんとて、たんばのししははりまのいなみのへこえさふらふ」とぞまうしける。おんざうし、「さてはばばござんなれ。ししのかよはんずるところを、むまのかよはざるべきやうやある。さらばやがてなんぢあんないしやせよ」とのたまへば、「このみはとしおいて、いかにもかなひさふらふまじ」とまうす。「さてなんぢにこはないか」。「さふらふ」とて、くまわうとてしやうねんじふはつさいになりけるせうくわんをたてまつる。おんざうし、やがてもとどりとりあげさせたまひて、ちちをばわしのをのしやうじたけひさといふあひだ、これをばわしのをのさぶらうよしひさとなのらせて、いちのたにのさきうちせさせ、あんないしやにこそぐせられけれ。へいけほろび、げんじのよになつてのち、かまくらどのとなかたがうて、あうしうへくだりうたれたまひしとき、わしのをのさぶらうよしひさとなのつて、いつしよでしににけるつはものなり。P151
「いちにのかけ」(『いちにのかけ』)S0910むゆかのやはんばかりまでは、くまがへ、ひらやまからめでにぞさふらひける。くまがへ、しそくのこじらうをようでいひけるは、「このてはあくしよであんなれば、たれさきといふこともあるまじきぞ。いざうれ、とひがうけたまはつてむかうたるにしのてへよせて、いちのたにのまつさきかけう」どいひければ、こじらう、「このぎもつともしかるべうさふらふ。たれもかくこそまうしたうさふらひつれ。さらばとうよせさせたまへ」とまうす。くまがへ、「まことやひらやまもこのてにあるぞかし。うちごみのいくさこのまぬものなれば、ひらやまがやうみてまゐれ」とて、げにんをみせにつかはす。あんのごとくひらやまは、くまがへよりさきにいでたつて、「ひとをばしるべからず、すゑしげにおいてはひとひきもひくまじいものを、ひくまじいものを」と、ひとりごとをぞしゐたる。げにんがむまをかふとて、「につくいむまのながぐらひかな」とてうちければ、ひらやま、「さうなせそ。そのむまのなごりもこよひばかりぞ」とてうつたちけり。げにんわしりかへつて、しゆにこのよしつげければ、さらばこそとて、これもやがてうつたちけり。くまがへがそのよのしやうぞくには、かちのひたたれに、あかがはをどしのよろひきて、くれなゐのほろをかけ、P152ごんだくりげといふきこゆるめいばにぞのつたりける。しそくのこじらうなほいへは、おもだかをひとしほすつたるひたたれに、ふしなはめのよろひきて、せいろうといふしらつきげなるむまにぞのつたりける。はたさしはきぢんのひたたれに、こざくらをきにかへいたるよろひきて、きかはらげなるむまにぞのつたりける。しゆじうさんきうちつれ、おとさんずるたにをばゆんでになし、めてへあゆませゆくほどに、としごろひともかよはぬたゐのはたといふふるみちをへて、いちのたにのなみうちぎはへぞうちいでける。いちのたにちかうしほやといふところあり。いまだよふかかりければ、とひのじらうさねひら、しちせんよきでひかへたり。くまがへよにまぎれて、なみうちぎはより、そこをばつとはせとほり、いちのたにのにしのきどぐちにぞおしよせたる。そのときもいまだよふかかりければ、じやうのうちにはしづまりかへつておともせず。くまがへ、しそくのこじらうにいひけるは、「このてはあくしよであんなれば、われもわれもとさきにこころをかけたるものどもおほかるらん。すでによせたれども、よのあくるをあひまつて、このへんにもひかへたるらんぞ。こころせばうなほざねいちにんとおもふべからず。いざなのらん」とて、かいだてのきはにあゆませより、あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「むさしのくにのぢうにんくまがへのじらうなほざね、しそくのこじらうなほいへ、いちのたにのせんぢんぞや」とぞなのつたる。じやうのうちにはこれをきいて、「よしよしおとなせそ。かたきのむまのあしつからかさせよ。やだねをいつくさせよ」とて、あひしらふものこそなかりけれ。ややあつてうしろよりむしやこそにきつづいたれ。「たそ」ととへば、「すゑしげ」とこたふ。「P153とふはたそ」。「なほざねぞかし」。「いかにくまがへどのはいつよりぞ」。「よひより」とこそこたへけれ。「すゑしげもやがてつづいてよすべかりつるを、なりだごらうにたばかられて、いままではちちしたりつるなり。なりだがしなばいつしよでしなんとちぎりしあひだ、うちつれてよせつれば、『いたうひらやまどのさきがけばやりなしたまひそ。いくさのさきをかくるといふは、みかたのせいをうしろにおいて、さきをかけたればこそ、かうみやうふかくをもひとにしらるれ。あのおほぜいのなかへただいつき、かけいつてうたれたらんは、なんのせんにかあふべき』といふあひだ、げにもとおもひ、こざかのありつるをうちのぼせ、くだ(原本かな無し)りさまにむまのかしらをひきたてて、みかたのせいをまつところに、なりだもつづいていできたり、うちならべていくさのやうをもいひあはせんずるかとおもひたれば、さはなくして、すゑしげがかたをばすげなげにみなしつつ、そばをつとはせとほるあひだ、あつぱれこのものすゑしげたばかつて、さきかくるよとおもひ、ごろくたんばかりすすんだるを、あれがむまはわがむまよりよわげなるものをとめをかけ、ひとむちうつておつつき、『いかになりだどのは、まさなうもすゑしげほどのものを、たばかりたまふものかな』といひかけ、うちすててよせつれば、いまははるかにさがりぬらん。よもうしろかげをばみたらじ」とこそかたりけれ。さるほどにしののめやうやうあけゆけば、くまがへひらやま、かれこれごきでぞひかへたる。くまがへはさきになのつたりけれども、ひらやまがきくまへにて、またなのらんとやおもひけん、かいだてのきはへあゆませより、あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「そもそもP154いぜんなのつつるむさしのくにのぢうにんくまがへのじらうなほざね、しそくのこじらうなほいへ、いちのたにのせんぢんぞや」とぞなのつたる。じやうのうちにはこれをきいて、「いざよもすがらなのるくまがへおやこをひつさげてこん」とて、すすむへいけのさぶらひたれたれぞ。ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよ、ごとうないさだつねをさきとして、むねとのつはものにじふよき、きどをひらいてかけいでたり。ここにひらやまはしげめゆひのひたたれに、ひをどしのよろひきて、ふたつひきりやうのほろをかけ、めかすげといふきこゆるめいばにぞのつたりける。はたさしはくろかはをどしのよろひに、かぶとゐくびにきなしつつ、さびつきげなるむまにぞのつたりける。「ほうげんへいぢにかどのいくさに、さきがけてかくみやうしたるむさしのくにのぢうにん、ひらやまのむしやどころすゑしげ」となのつてをめいてかく。くまがへかくればひらやまつづき、ひらやまかくればくまがへつづき、たがひにわれおとらじと、いれかへいれかへ、なのりかへなのりかへ、もみにもうで、ひいづるほどにぞせめたりける。へいけのさぶらひども、くまがへひらやまにあまりにていたうせめられて、かなはじとやおもひけん、じやうのうちへざつとひいて、かたきをとざまになしてぞふせぎける。くまがへはむまのふとばらいさせ、はぬれば、ゆんづゑついておりたつたり。しそくのこじらうなほいへも、しやうねんじふろくさいとなのつて、まつさきかけてたたかひけるが、ゆんでのかひなをいさせ、これもむまよりおり、ちちとならんでぞたつたりける。くまがへ、「いかにこじらうはておうたるか」。「さんざふらふ」。「よろひづきをつねにせよ。うらかかすな。しころをかたぶけよ、うちかぶといさすな」とこそP155をしへけれ。くまがへはよろひにたつたるやどもかなぐりすて、じやうのうちをにらまへ、だいおんじやうをあげて、「こぞのふゆ、かまくらをたちしよりこのかた、いのちをばひやうゑのすけどのにたてまつり、かばねをいちのたにのみぎはにさらさんと、おもひきつたるなほざねぞかし。さんぬるむろやまみづしまにかどのいくさにうちかつて、かうみやうしたりとなのるなる、ゑつちうのじらうびやうゑ、かづさのごらうびやゑ、あくしちびやうゑはないか。のとどのはおはせぬか。かうみやうふかくもかたきによつてこそすれ。ひとごとにはえせじものを。ただくまがへおやこにおちあへや、くめやくめ」とぞののしつたる。じやうのうちにはこれをきいて、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、このむしやうぞくなれば、こむらごのひたたれに、あかをどしのよろひきて、くはがたうつたるかぶとのををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、れんぜんあしげなるむまに、きんぷくりんのくらをおいてのつたりけるが、くまがへおやこをめにかけてあゆませよる。くまがへおやこもなかをわられじと、あひもすかさずたちならび、たちをぬいてひたひにあて、うしろへはひとひきもひかず、いよいよまへへぞすすんだる。ゑつちうのじらうびやうゑこれをみて、かなはじとやおもひけん、とつてかへす。くまがへ、「あれはいかに、ゑつちうのじらうびやうゑとこそみれ。かたきにはどこをきらはうぞ。おしならべてくめやくめ」といひけれども、じらうびやうゑ、「さもさうず」とてひつかへす。かづさのあくしちびやうゑこれをみて、「きたないとのばらのふるまひかな。しやくまんずるものを。おちあはぬことはよもあらじ」とて、P156すでにかけいでくまんとしければ、じらうびやうゑ、あくしちびやうゑがよろひのそでをひかへて、「きみのおんだいじこれにかぎるべからず。あるべうもなし」とせいせられて、ちからおよばでくまざりけり。そののちくまがへはのりがへにのつてをめいてかく。ひらやまもくまがへおやこがたたかふまに、むまのいきやすめ、これもおなじうつづいたり。へいけのかたにはこれをみて、ただいとれやいとれとて、さしつめひきつめ、さんざんにいけれども、かたきはこぜいなり、みかたはおほぜいなりければ、せいにまぎれてやにもあたらず。「ただおしならべてくめやくめ」とげぢしけれども、へいけのかたのむまはかふはまれなり、のりしげし。ふねにひさしうたてたりければ、みなゑりきつたるやうなりけり。くまがへひらやまがのつたるむまは、かひにかうたるだいのむまどもなり。ひとあてあてば、みなけたふされぬべきあひだ、さすがおしならべてくむむしやいつきもなかりけり。ここにひらやまは、みにかへておもひけるはたさしをうたせて、やすからずやおもひけん、じやうのうちへかけいり、やがてそのかたきがくびとつてぞいでたりける。くまがへおやこも、ぶんどりあまたしてげり。くまがへはさきによせたれども、きどをひらかねばかけいらず。ひらやまはのちによせたれども、きどをあけたればかけいりぬ。さてこそくまがへひらやまが、いちにのかけをばあらそひけれ。P157
「にどのかけ」(『にどのかけ』)S0911さるほどになりだごらうもいできたる。とひのじらうさねひらしちせんよき、いろいろのはたさしあげ、をめきさけんでせめたたかふ。おほていくたのもりをば、げんじごまんよきでかためたりけるが、そのせいのなかに、むさしのくにのぢうにん、かはらたらう、かはらじらうとておとといあり。かはらたらう、おととのじらうをようでいひけるは、「だいみやうはわれとてをおろさねども、けにんのかうみやうをもつてめいよす。われらはみづからてをおろさではかなひがたし。かたきをまへにおきながら、やひとつをだにいずしてまちゐたれば、あまりにこころもとなきに、たかなほはじやうのうちへまぎれいつて、ひとやいんとおもふなり。さればせんまんがいつも、いきてかへらんことありがたし。なんぢはのこりとどまつて、のちのしようにんにたて」といひければ、おととのじらう、なみだをはらはらとながいて、「ただきやうだいににんあるものが、あにをうたせて、おととがあとにのこりとどまつたればとて、いくほどのえいぐわをかたもつべき。ところどころでうたれんより、いつしよでこそうちじにをもせめ」とて、げにんどもよびよせ、さいしのもとへ、さいごのありさまいひつかはし、むまにはのらでげげをはき、ゆんづゑをついて、いくたのもりのさかもぎをのぼりこえて、じやうのうちへぞいつたりける。ほしあかりによろひのけさだかならず。かはらたらうだいおんじやうをP158あげて、「むさしのくにのぢうにん、かはらたらうきさいちのたかなほ、おなじきじらうもりなほ、いくたのもりのせんぢんぞや」とぞなのつたる。じやうのうちにはこれをきいて、「あつぱれとうごくのぶしほどおそろしかりけるものはなし。このおほぜいのなかへ、ただきやうだいににんかけいつたらば、なにほどのことをかしいだすべき。ただおいてあいせよや」とて、うたんといふものこそなかりけれ。かはらきやうだい、くつきやうのゆみのじやうずなりければ、さしつめひきつめさんざんにいる。じやうのうちにはこれをみて、「いまはこのものあいしにくし。うてや」といふほどこそありけめ、さいこくにきこえたるつよゆみせいびやう、びつちうのくにのぢうにん、まなべのしらう、まなべのごらうとておとといあり。あにのしらうをばいちのたににおかれたり。おととのごらうはいくたのもりにありけるが、これをみて、よつぴき、しばしたもつてひやうどいる。かはらのたらうがよろひのむないたを、うしろへつといぬかれて、ゆんづゑにすがりすくむところを、おととのじらうはしりより、あにをかたにひつかけて、いくたのもりのさかもぎのぼりこえんとするところを、まなべがにのやに、おととのじらうがよろひのくさずりのはづれをいさせて、おなじまくらにふしにけり。まなべがげにんおちあはせて、かはらきやうだいがくびをとる。たいしやうぐんしんぢうなごんとももりのきやうのおんげんざんにいれたりければ、「あつぱれかうのものや、これらをこそ、いちにんたうぜんのよきつはものどもともいふべけれ。あつたらものどもがいのちをたすけてみで」とぞのたまひける。そののちかはらがげにんはしりちつて、「かはらどのきやうだいこそ、ただいまじやうのうちへまつさきかけて、P159うたれさせたまひぬるは」とよばはつたりければ、かぢはらへいざうこれをきいて、「これはしのたうのとのばらのふかくでこそ、かはらきやうだいをばうたせたれ。ときよくなりぬるぞ、よせよや」とて、かぢはらごひやくよき、いくたのもりのさかもぎをとりのけさせて、じやうのうちへをめいてかく。じなんへいじあまりにさきをかけうどすすむあひだ、ちちへいざうししやをたてて、「ごぢんのせいのつづかざらんに、さきがけたらんずるものには、けんじやうあるまじきよし、たいしやうぐんよりのおほせぞ」といひおくつたりければ、へいじしばらくひかへて、「
もののふのとりつたへたるあづさゆみひいてはひとのかへすものかは W069
とまうさせたまへや」とて、をめいてかく。かぢはらこれをみて、「へいじうたすなものども、かげたかうたすなつづけや」とて、ちちのへいざう、あにのげんだ、おなじきさぶらうつづいたり。かぢはらごひやくよきの、おほぜいのなかへかけいり、たてさま、よこさま、くもで、じふもんじにかけわつて、ざつとひいていでたれば、ちやくしのげんだはみえざりけり。かぢはららうどうどもに、「げんだはいかに」ととひければ、「あまりにふかいりして、うたれさせたまひてさふらふやらん。はるかにみえさせたまひさふらはず」とまうしければ、かぢはらなみだをはらはらとながいて、「いくさのさきをかけうどおもふもこどもがため、げんだうたせて、かげときいのちいきてもなににかはせんなれば、かへせや」とて、またとつてかへす。そののちかぢはらあぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「むかしはちまんどののごさんねんのおんたたかひに、ではのくにせんぶくかなざはのじやうをせめたまひしとき、しやうねんじふろくさいとなのつて、まつさきP160かけ、ゆんでのまなこをかぶとのはちつけのいたにいつけられながら、そのやをぬかで、たうのやをいかへし、かたきいおとし、けんじやうかうぶり、なをこうだいにあげたりしかまくらのごんごらうかげまさに、ごだいのばつえふ、かぢはらへいざうかげときとて、とうごくにきこえたるいちにんたうぜんのつはものぞや。われとおもはんひとびとは、よりあへやげんざんせん」とて、をめいてかく。じやうのうちにはこれをきいて、「ただいまなのるはとうごくにきこえたるつはものぞや。あますな、もらすな、うてや」とて、かぢはらをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。かぢはらまづわがみのうへをばしらずして、げんだはいづくにあるやらんと、かけわりかけまはりたづぬるほどに、あんのごとく、げんだは、むまをもいさせかちだちになり、かぶとをもうちおとされ、おほわらはにたたかひなつて、にぢやうばかりありけるきしをうしろにあて、らうどうににんさうにたて、うちものぬいて、かたきごにんがなかにとりこめられて、おもてもふらずいのちもをしまず、ここをさいごとせめたたかふ。かぢはらこれをみて、げんだはいまだうたれざりけりとうれしうおもひ、いそぎむまよりとんでおり、「いかにげんだ、かげときここにあり。おなじうしぬるとも、かたきにうしろをみすな」とて、おやこしてごにんのかたきをさんにんうつとり、ににんにておはせて、「ゆみやとりは、かくるもひくもをりにこそよれ。いざうれげんだ」とて、かいぐしてぞいでたりける。かぢはらがにどのかけとはこれなり。P161
「さかおとし」(『さかおとし』)S0912これをはじめて、みうら、かまくら、ちちぶ、あしかが、たうには、ゐのまた、こだま、のゐよ、よこやま、にしたう、つづきたう、そうじて、しのたうのつはものども、げんぺいたがひにみだれあひ、をめきさけぶこゑはやまをひびかし、はせちがふるむまのおとはいかづちのごとく、いちがふるやはあめのふるにことならず。あるひはうすでおうてたたかふものもあり、あるひはひつくみさしちがへてしぬるもあり、あるひはとつておさへてくびをかくもあり、かかるるもあり、いづれひまありともみえざりけり。かかりしかども、げんじおほてばかりでは、いかにもかなふべしともみえざりしに、なぬかのひのあけぼのに、たいしやうぐんくらうおんざうしよしつね、そのせいさんぜんよき、ひよどりごえにうちあがつて、じんばのいきやすめておはしけるが、そのせいにやおどろきたりけん、をじかふたつめじかひとつ、へいけのじやうくわくいちのたにへぞおちたりける。へいけのかたのつはものどもこれをみて、「たとひさとちかからんししだにも、われらにおそれてやまふかうこそいるべきに、ただいまのししのおちやうこそあやしけれ。いかさまにも、これはうへのやまよりかたきおとすにこそ」とて、おほきにさわぐところに、ここにいよのくにのぢうにん、たけちのむしやどころきよのりすすみいでてP162、「たとひなにものにてもあらばあれ、かたきのかたよりいできたらんずるものを、とほすべきやうなし」とて、をじかふたついとどめて、めじかをばいいでぞとほしける。ゑつちうのせんじこれをみて、「せんないとのばらのししのいやうかな。ただいまのやひとすぢでは、かたきじふにんをばふせがんずるものを。つみつくりにやだうなに」とぞせいしける。さるほどにたいしやうぐんくらうおんざうしよしつね、へいけのじやうくわくはるかにみくだしておはしけるが、むまどもおといてみんとて、せうせうおとされけり。あるひはちうにてころんでおち、あるひはあしうちをつてしぬるもあり。されどもそのなかに、くらおきむまさんびき、さうゐなくおちついて、ゑつちうのせんじがやかたのまへに、みぶるひしてこそたつたりけれ。おんざうし、「むまはぬしぬしがこころえておとさんには、いたうはそんずまじかりけるぞ。くはおとせ、よしつねをてほんにせよ」とて、まづさんじつきばかり、まつさきかけておとされければ、さんぜんよきのつはものども、みなつづいておとす。そこしもこいしまじりのまさごなりければ、ながれおとしににちやうばかりざつとおといて、だんなるところにひかへたり。それよりしももみくだせば、だいばんじやくのこけむしたるが、つるべおろしにじふしごぢやうぞくだつたる。それよりさきへはすすむべきともみえず。またうしろへとつてかへすべきやうもなかりしかば、つはものども、ここぞさいごとまうして、あきれてひかへたるところに、みうらのさはらのじふらうよしつら、すすみいでてまうしけるは、「われらがかたでは、とりひとつたつてだにも、あさゆふかやうのところをばはせありけ。これはみうらのかたのばばぞ」とて、まつさきかけておとしければ、おほぜいみなつづいてP163おとす。ごぢんにおとすもののあぶみのはなは、せんぢんのよろひかぶとにさはるほどなり。あまりのいぶせさに、めをふさいでおとしける。えいえいごゑをしのびにして、むまにちからをつけておとす。おほかたひとのしわざとはみえず、ただきじんのしよゐとぞみえし。おとしもはてぬに、ときをどつとぞつくりける。さんぜんよきがこゑなれども、やまびここたへてじふまんよきとぞきこえける。むらかみのはんぐわんだいやすくにがてよりひをいだいて、へいけのやかたかりやを、へんしのけぶりとやきはらふ。くろけぶりすでにおしかけければ、へいけのつはものども、もしやたすかると、まへなるうみへぞおほくはしりいりける。なぎさにはたすけぶねどもいくらもありけれども、ふねいつそうにはよろうたるものどもが、しごひやくにん、せんにんばかりこみのつたらうに、なじかはよかるべき。なぎさよりさんちやうばかりこぎいでて、めのまへにておほぶねさんぞうしづみにけり。そののちは、よきむしやをばのするとも、ざふにんばらをばのすべからずとて、たちなぎなたにてうちはらひけり。かくすることとはしりながら、かたきにあうてはしなずして、のせじとするふねにとりつきつかみつき、あるひはひぢうちきられ、あるひはうでうちおとされて、いちのたにのみぎはに、あけになつてぞなみふしたる。さるほどにおほてにもはまのてにも、むさしさがみのわかとのばら、おもてもふらずいのちもをしまず、ここをさいごとせめたたかふ。のとどのはどどのいくさに、いちどもふかくしたまはぬひとの、こんどはいかがおもはれけん、うすずみといふむまにうちのつて、にしをさしてぞおちたまふ。はりまのたかさごより、おふねにめして、P164さぬきのやしまへわたりたまひぬ。
「もりとしさいご」(『ゑつちゆうのせんじさいご』)S0913しんぢうなごんとももりのきやうは、いくたのもりのたいしやうぐんにておはしけるが、ひんがしにむかつてたたかひたまふところに、やまのそばよりよせけるこだまたうのなかより、ししやをたてて、「きみはひととせむさしのこくしにてわたらせたまへば、そのよしみをもつて、こだまのものどもがなかよりまうしさふらふ。いまだおんうしろをばごらんぜられさふらはぬやらん」とまうしければ、しんぢうなごんいげのひとびと、うしろをかへりみたまへば、くろけぶりおしかけたり。「あはや、にしのてはやぶれにけるは」といふほどこそありけれ、とるものもとりあへず、われさきにとぞおちゆきける。ゑつちうのせんじもりとしは、やまのてのさぶらひだいしやうにてましましけるが、いまはおつともかなはじとやおもひけん、ひかへてかたきをまつところに、ゐのまたのこべいろくのりつな、よきかたきとめをかけ、むちあぶみをあはせてはせきたり、おしならべてむずとくんでどうどおつ。ゐのまたははつかこくにきこえたるしたたかものなり。かのつののいちにのくさかりをば、たやすくひきさきけるとぞきこえし。ゑつちうのせんじも、ひとめにはにさんじふにんがちからあらはすといへども、ないないはP165ろくしちじふにんしてあげおろすふねを、ただいちにんしておしあげおしおろすほどのだいぢからなり。さればゐのまたをとつておさへてはたらかさず、ゐのまたしたにふしながら、かたなをぬかうどすれども、ゆびのまたはだかつて、かたなのつかをにぎるにもおよばず、ものをいはうどすれども、あまりにつようおさへられてこゑもいでず。されどもゐのまたはだいかうのものにてありければ、しばしのいきをやすめて、「かたきのくびをとるといふは、われもなのつてきかせ、かたきにもなのらせて、くびとつたればこそたいこうなれ。なもしらぬくびとつて、なににかはしたまふべき」といひければ、ゑつちうのせんじげにもとやおもひけん、「もとはへいけのいちもんたりしが、みふせうなるによつて、たうじはさぶらひになされたるゑつちうのせんじもりとしといふものなり。わぎみはなにものぞ。なのれ、きかう」どいひければ、「むさしのくにのぢうにん、ゐのまたのこべいろくのりつなといふものなり。ただいまわがいのちたすけさせおはしませ。さだにもさふらはば、ごへんのいちもん、なんじふにんもおはせよ、こんどのくんこうのしやうにまうしかへて、おんいのちばかりをばたすけたてまつらん」といひければ、ゑつちうのせんじおほきにいかつて、「もりとしみふせうなれども、さすがへいけのいちもんなり。もりとしげんじをたのまうどもおもひもよらず。げんじまたもりとしにたのまれうども、よもおもひたまはじ。にくいきみがまうしやうかな」とて、すでにくびをかかんとしければ、「まさなうざふらふ。かうにんのくびかくやうやある」といひければ、「さらばたすけん」とてゆるしけり。まへはかただのはたけのやうなるが、うしろはみづたのごみふかかりけるくろのうへに、ふたりながらP166こしうちかけて、いきつぎゐたり。ややあつて、ひをどしのよろひきて、つきげなるむまに、きんぷくりんのくらおいてのつたりけるむしやいつき、むちあぶみをあはせてはせきたる。ゑつちうのせんじあやしげにみければ、「あれはゐのまたにしたしうさふらふひとみのしらうでさふらふが、のりつながあるをみて、まうでくるとおぼえさふらふ。くるしうもさふらはぬ」といひながら、あれがちかづくほどならば、しやくまんずるものを、おちあはぬことはよもあらじとおもひてまつところに、あはひいつたんばかりにはせきたる。ゑつちうのせんじ、はじめはふたりのかたきをひとめづつみけるが、しだいにちかづくかたきをはたとまぼつて、のりつなをみぬひまに、ゐのまたちからあしをふんでたちあがり、こぶしをつよくにぎり、ゑつちうのせんじがよろひのむないたを、ばくとついて、うしろへのけにつきたふす。おきあがらんとするところを、ゐのまたうへにのりかかり、ゑつちうのせんじがこしのかたなをぬき、よろひのくさずりひきあげて、つかもこぶしもとほれとほれと、みかたなさいてくびをとる。さるほどにひとみのしらうもいできたり。かやうのときはろんずることもありとて、やがてくびをばたちのさきにつらぬき、たかくさしあげ、だいおんじやうをあげて、「このひごろへいけのおんかたにおにかみときこえつるゑつちうのせんじもりとしをば、むさしのくにのぢうにん、ゐのまたのこべいろくのりつながうつたるぞや」となのつて、そのひのかうみやうのいちのふでにぞつきにける。P167
「ただのりさいご」(『ただのりのさいご』)S0914さつまのかみただのりは、にしのてのたいしやうぐんにておはしけるが、そのひのしやうぞくには、こんぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひきて、くろきむまのふとうたくましきに、いかけぢのくらおいてのりたまひたりけるが、そのせいひやくきばかりがなかにうちかこまれて、いとさわがず、ひかへひかへおちたまふところに、ここにむさしのくにのぢうにん、をかべのろくやたただずみ、よきかたきとめをかけ、むちあぶみをあはせておつかけたてまつり、「あれはいかに、よきたいしやうぐんとこそみまゐらせてさふらへ。まさなうもかたきにうしろをみせたまふものかな。かへさせたまへ」とことばをかけければ、「これはみかたぞ」とて、ふりあふのぎたまふうちかぶとをみいれたれば、かねぐろなり。「あつぱれみかたに、かねつけたるものはなきものを。いかさまにもこれはへいけのきんだちにてこそおはすらめ」とて、おしならべてむずとくむ。これをみてひやくきばかりのつはものども、みなくにぐにのかりむしやなりければ、いつきもおちあはず、われさきにとぞおちゆきける。さつまのかみはきこゆるくまのそだちのだいぢから、くつきやうのはやわざにておはしければ、ろくやたをつかうで、「につくいやつが、みかたぞといはばいはせよかし」とて、ろくやたをとつてひきよせ、むまのうへにてふたかたな、おちつくところでひとかたなP168、みかたなまでこそつかれけれ。ふたかたなはよろひのうへなればとほらず、ひとかたなはうちかぶとへつきいれられたりけれども、うすでなればしなざりけるを、とつておさへて、くびをかかんとしたまふところに、ろくやたがわらは、おくればせにはせきたつて、いそぎむまよりとんでおり、うちがたなをぬいて、さつまのかみのみぎのかひなを、ひぢのもとよりふつとうちおとす。さつまのかみいまはかうとやおもはれけん。「しばしのけ、さいごのじふねんとなへん」とて、ろくやたをつかうで、ゆんだけばかりぞなげのけらる。そののちにしにむかひ、「くわうみやうへんぜうじつぱうせかい、ねんぶつしゆじやうせつしゆふしや」とのたまひもはてねば、ろくやたうしろよりより、さつまのかみのくびをとる。よいくびうちたてまつたりとはおもへども、なをばたれともしらざりけるが、えびらにゆひつけられたるふみをとつてみければ、りよしゆくのはなといふだいにて、うたをぞいつしゆよまれたる。
ゆきくれてこのしたかげをやどとせばはなやこよひのあるじならまし W070
ただのりとかかれたりけるゆゑにこそ、さつまのかみとはしりてげれ。やがてくびをばたちのさきにつらぬき、たかくさしあげ、だいおんじやうをあげて、「このひごろにつぽんごくにおにかみときこえさせたまひたるさつまのかみどのをば、むさしのくにのぢうにん、をかべのろくやたただずみがうちたてまつたるぞや」と、なのつたりければ、かたきもみかたもこれをきいて、「あないとほし、ぶげいにもかだうにもすぐれて、よきたいしやうぐんにておはしつるひとを」とて、みなよろひのそでをぞぬらしける。P169
「しげひらいけどり」(『しげひらいけどり』)S0915ほんざんみのちうぢやうしげひらのきやうは、いくたのもりのふくしやうぐんにておはしけるが、そのひのしやうぞくには、かちにしろうきなるいとをもつて、いはにむらちどりぬうたるひたたれに、むらさきすそごのよろひきて、くはがたうつたるかぶとのををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみもつて、どうじかげといふ、きこゆるめいばに、きんぷくりんのくらおいてのりたまへり。めのとごのごとうびやうゑもりながは、しげめゆひのひたたれに、ひをどしのよろひきて、さんみのちうじやうのさしもひざうせられたる、よめなしつきげにぞのせられたる。しゆじうにきたすけぶねにのらんとて、なぎさのかたへおちたまふところに、しやうのしらうたかいへ、かぢはらげんだかげすゑ、よきかたきとめをかけ、むちあぶみをあはせておつかけたてまつる。なぎさにはたすけぶねどもおほかりけれども、うしろよりかたきはおつかけたり。のるべきひまもなかりければ、みなとがは、かるもがはをもうちわたり、はすのいけをめてにみて、こまのはやしをゆんでになし、いたやど、すまをもうちすぎて、にしをさしてぞおちたまふ。さんみのちうじやうは、どうじかげといふきこゆるめいばにのりたまへり。もりふせたるむまども、たやすうおつつくべしともみえざりければ、かぢはら、もしやと、とほやによつぴいてひやうどはなつ。さんみのちうじやうのP170むまのさんづをのぶかにいさせてよわるところに、めのとごのごとうびやうゑもりなが、わがむまめされなんとやおもひけん、むちをうつてぞにげたりける。さんみのちうじやう、「いかにもりなが、われをばすてていづくへゆくぞ。ひごろはさはちぎらざりしものを」とのたまへども、そらきかずして、よろひにつけたるあかじるしどもかなぐりすてて、ただにげにこそにげたりけれ。さんみのちうじやう、むまはよわる、うみへざつとうちいれたまふ。みをなげんとしたまへども、そこしもとほあさにて、しづむべきやうもなかりければ、はらをきらんとしたまふところに、しやうのしらうたかいへ、むちあぶみをあはせてはせきたり、いそぎむまよりとんでおり、「まさなうざふらふ。いづくまでもおんともつかまつりさふらはんずるものを」とて、わがのつたりけるむまにかきのせたてまつり、くらのまへわにしめつけたてまつて、わがみはのりがへにのつて、みかたのぢんへぞいりにける。めのとごのもりながは、そこをばなつくにげのびて、のちにはくまのぼふしに、をなかのほつけうをたのうでゐたりけるが、ほつけうしんでののち、ごけのにこうのそしようのために、みやこへのぼるにともしてのぼつたりければ、さんみのちうじやうのめのとごにて、じやうげおほくはみしられたり。「あなにくや、ごとうびやうゑもりながが、さんみのちうじやうのさしもふびんにしたまひつるに、いつしよでいかにもならずして、おもひもよらぬごけのにこうのともしてのぼつたるよ」とて、みなつまはじきをぞしける。もりながもさすがはづかしうやおもはれけん、あふぎをかほにかざしけるとぞきこえし。P171
「あつもり」(『あつもりのさいご』)S0916さるほどにいちのたにのいくさやぶれにしかば、むさしのくにのぢうにん、くまがへのじらうなほざね、へいけのきんだちのたすけぶねにのらんとて、みぎはのかたへやおちゆきたまふらん、あつぱれよきたいしやうぐんにくまばやとおもひ、ほそみちにかかつてみぎはのかたへあゆまするところに、ここにねりぬきにつるぬうたるひたたれに、もよぎにほひのよろひきて、くはがたうつたるかぶとのををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみもち、れんぜんあしげなるむまに、きんぷくりんのくらおいてのつたりけるものいつき、おきなるふねをめにかけ、うみへざつとうちいれ、ごろくたんばかりぞおよがせける。くまがへ、「あれはいかに、よきたいしやうぐんとこそみまゐらせてさふらへ。まさなうもかたきにうしろをみせたまふものかな。かへさせたまへかへさせたまへ」と、あふぎをあげてまねきければ、まねかれてとつてかへし、みぎはにうちあがらんとしたまふところに、くまがへなみうちぎはにておしならべ、むずとくんで、どうどおち、とつておさへてくびをかかんとて、かぶとをおしあふのけてみたりければ、うすげしやうしてかねぐろなり。わがこのこじらうがよはひほどして、じふろくしちばかんなるが、ようがんまことにびれいなり。「そもそもいかなるひとにてわたらせたまひさふらふやらん。なのらせたまへ。たすけまゐらせん」とP172まうしければ、「まづかういふわとのはたそ」。「ものそのかずにてはさふらはねども、むさしのくにのぢうにん、くまがへのじらうなほざね」となのりまうす。「さてはなんぢがためにはよいかたきぞ。なのらずともくびをとつてひとにとへ。みしらうずるぞ」とぞのたまひける。くまがへ、「あつぱれたいしやうぐんや。このひといちにんうちたてまつたりとも、まくべきいくさにかつべきやうなし。またたすけたてまつたりとも、かちいくさにまくることもよもあらじ。けさいちのたににて、わがこのこじらうがうすでおうたるをだにも、なほざねはこころぐるしくおもふに、このとの(のちち)、うたれたまひぬとききたまひて、さこそはなげきかなしみたまはんずらめ。たすけまゐらせん」とて、うしろをかへりみたりければ、とひ、かぢはらごじつきばかりでいできたる。くまがへなみだをはらはらとながいて、「あれごらんさふらへ。いかにもしてたすけまゐらせんとはぞんじさふらへども、みかたのぐんびやううんかのごとくにみちみちて、よものがしまゐらせさふらはじ。あはれおなじうは、なほざねがてにかけたてまつて、のちのおんけうやうをもつかまつりさふらはん」とまうしければ、「ただなにさまにも、とうとうくびをとれ」とぞのたまひける。くまがへあまりにいとほしくて、いづくにかたなをたつべしともおぼえず、めもくれこころもきえはてて、ぜんごふかくにおぼえけれども、さてしもあるべきことならねば、なくなくくびをぞかいてげる。「あはれゆみやとるみほどくちをしかりけることはなし。ぶげいのいへにうまれずは、なにしにただいまかかるうきめをばみるべき。なさけなうもうちたてまつたるものかな」と、そでをかほにおしあてて、さめざめとぞなきゐたる。くびをつつまんとてP173、よろひひたたれをといてみければ、にしきのふくろにいれられたりけるふえをぞこしにさされたる。「あないとほし、このあかつきじやうのうちにて、くわんげんしたまひつるは、このひとびとにておはしけり。たうじみかたにとうごくのせい、なんまんぎかあるらめども、いくさのぢんにふえもつひとはよもあらじ。じやうらふはなほもやさしかりけるものを」とて、これをとつてたいしやうぐんのおんげんざんにいれたりければ、みるひとなみだをながしけり。のちにきけば、しゆりのだいぶつねもりのおとご、たいふあつもりとて、しやうねんじふしちにぞなられける。それよりしてこそ、くまがへがほつしんのこころはいできにけれ。くだんのふえは、おほぢただもり、ふえのじやうずにて、とばのゐんよりくだしたまはられたりしを、つねもりさうでんせられたりしを、あつもりふえのきりやうたるによつて、もたれたりけるとかや。なをばさえだとぞまうしける。きやうげんきぎよのことわりといひながら、つひにさんぶつじようのいんとなるこそあはれなれ。
「はまいくさ」(『ともあきらのさいご』)S0917かどわきどののばつし、くらんどのたいふなりもりは、ひたちのくにのぢうにん、ひぢやのごらうしげゆきとくんでうたれたまひぬ。くわうごぐうのすけつねまさは、むさしのくにのぢうにん、かはごえのこたらうしげふさがてにとりこめP174たてまつて、つひにうちたてまつる。をはりのかみきよさだ、あはぢのかみきよふさ、わかさのかみつねとし、さんぎつれてかたきのなかへわつていり、さんざんにたたかひ、ぶんどりあまたして、いつしよでうちじにしてげり。しんぢうなごんとももりのきやうは、いくたのもりのたいしやうぐんにておはしけるが、そのせいみなおちうせうたれにしかば、おんこむさしのかみともあきら、さぶらひにけんもつたらうよりかた、しゆじうさんぎみぎはのかたへおちたまふところに、ここにこだまたうとおぼしくて、うちはのはたさしたるものどもがじつきばかり、むちあぶみをあはせておしかけたてまつる。けんもつたらうは、くつきやうのゆみのじやうずなりければ、とつてかへし、まづまつさきにすすんだるはたさしがくびのほねを、ひやうつばといて、むまよりさかさまにいおとす。そのなかのたいしやうとおぼしきもの、しんぢうなごんにくみたてまつらんとてはせならぶるところに、おんこむさしのかみともあきら、ちちをうたせじと、なかにへだたり、おしならべ、むずとくんで、どうどおち、とつておさへてくびをかき、たちあがらんとしたまふところに、かたきがわらはおちあはせて、むさしのかみのくびをとる。けんもつたらうおちかさなり、むさしのかみうちたてまつたりけるかたきのわらはをもうちてげり。そののちやだねのあるほどいつくし、うちものぬいてたたかひけるが、ゆんでのひざぐちをしたたかにいさせ、たちもあがらでゐながらうちじにしてげり。このまぎれにしんぢうなごんとももりのきやうは、そこをつとにげのびて、くつきやうのいきながきめいばにはのりたまひぬ。うみのおもてにじふよちやうおよがせて、おほいとののおんふねへぞまゐられける。P175ふねにはひとおほくとりのつて、むまたつべきやうもなかりければ、むまをばなぎさへおつかへさる。あはのみんぶしげよし、「おむまかたきのものになりさふらひなんず。いころしさふらはん」とて、かたてやはげていでければ、しんぢうなごん、「たとひなんのものにもならばなれ、ただいまわがいのちたすけたらんずるものを。あるべうもなし」とのたまへば、ちからおよばでいざりけり。このむま、ぬしのわかれををしみつつ、しばしはふねをはなれもやらず、おきのかたへおよぎけるが、しだいにとほくなりければ、むなしきなぎさへおよぎかへり、あしたつほどにもなりしかば、なほふねのかたをかへりみて、にさんどまでこそいななきけれ。そののちくがにあがつてやすみゐたりけるを、かはごえのこたらうしげふさ、とつてゐんへまゐらせたり。もともこのむまゐんのごひざうにて、いちのみむまやにたてられたりしを、ひととせむねもりこうないだいじんになつて、よろこびまうしのありしとき、くだしたまはられたりしを、おととちうなごんにあづけられたりしかば、あまりにひざうして、このむまのいのりのためにとて、まいぐわつついたちごとに、たいざんぶくんをぞまつられける。そのゆゑにやむまのいきもながう、しゆのいのちをもたすけけるこそめでたけれ。このむまもとはしなののくにゐのうへだちにてありければ、ゐのうへぐろとぞめされける。こんどはかはごえがとつてゐんへまゐらせたりければ、かはごえぐろとぞめされける。そののちしんぢうなごんとももりのきやう、おほいとののおんまへにおはして、なみだをながいてまうされけるは、「むさしのかみにもおくれさふらひぬ。けんもつたらうをもうたせさふらひぬ。いまはこころぼそうこそP176まかりなつてさふらへ。さればこはあつて、おやをうたせじと、かたきにくむをみながら、いかなるおやなれば、このうたるるをたすけずして、これまでのがれまゐつてさふらふやらん。あはれひとのうへならば、いかばかりもどかしうさふらふべきに、わがみのうへになりさふらへば、よういのちはをしいものにてさふらひけりと、いまこそおもひしられてさふらへ。ひとびとのおぼしめさんおんこころのうちどもこそ、はづかしうさふらへ」とて、よろひのそでをかほにおしあてて、さめざめとなかれければ、おほいとの、「まことにむさしのかみのちちのいのちにかはられけるこそありがたけれ。てもきき、こころもかうにして、よきたいしやうぐんにておはしつるひとを。あのきよむねとどうねんにて、ことしはじふろくな」とて、おんこゑもんのかみのおはしけるかたをみたまひて、なみだぐみたまへば、そのざにいくらもなみゐたまへるひとびと、こころあるもこころなきも、みなよろひのそでをぞぬらされける。
「おちあし」(『おちあし』)S0918こまつどののばつしびつちうのかみもろもりは、しゆじうしちにんこぶねにのりおちたまふところに、ここにしんぢうなごんとももりのきやうのさぶらひに、せいゑもんきんながといふもの、むちあぶみをあはせてはせきたり、「あれはいかに、びつちうのかうとののおんふねとこそみまゐらせてさふらへ。まゐりさふらはん」とまうしければP177、ふねをなぎさへさしよせたり。だいのをとこのよろひきながら、むまよりふねへかはととびのらうに、なじかはよかるべき。ふねはちひさし、くるりとふみかへしてげり。びつちうのかみ、うきぬしづみぬしたまふところに、はたけやまがらうどう、ほんだのじらうちかつね、しゆじうじふしごき、むちあぶみをあはせてはせきたり、いそぎむまよりとんでおり、びつちうのかみをくまでにかけてひきあげたてまつり、つひにおんくびをぞかいてげる。しやうねんじふしさいとぞきこえし。ゑちぜんのさんみみちもりのきやうは、やまのてのたいしやうぐんにておはしけるが、そのせいみなおちうせうたれ、おほぜいにおしへだてられて、おととのとのかみにはおくれたまひぬ。こころしづかにじがいせんとて、ひんがしにむかつておちゆきたまふところに、あふみのくにのぢうにん、ささきのきむらのさぶらうなりつな、むさしのくにのぢうにん、たまのゐのしらうすけかげ、かれこれしちきがなかにとりこめまゐらせて、つひにうちたてまつてげり。そのときまでは、さぶらひいちにんつきたてまつたりけれども、これもさいごのときはおちあはず。およそとうざいのきどぐち、ときうつるほどにもなりしかば、げんぺいかずをつくしてうたれにけり。やぐらのまへ、さかもぎのしたには、じんばのししむらやまのごとし。いちのたにをざさはら、みどんのいろをひきかへて、うすくれなゐにぞなりにける。いちのたに、いくたのもり、やまのそば、うみのみぎはに、いられきられてしぬるはしらず、げんじのかたにきりかけらるるくびども、にせんよにんなり。こんどいちのたににてうたれさせたまへるむねとのひとびとには、まづゑちぜんのさんみみちもり、おととくらんどのたいふなりもり、さつまのかみただのり、むさしのかみともあきら、びつちうのかみもろもり、をはりのかみきよさだ、P178あはぢのかみきよふさ、つねもりのちやくしくわうごぐうのすけつねまさ、おととわかさのかみつねとし、そのおととたいふあつもり、いじやうじふにんとぞきこえし。いくさやぶれにければ、しゆしやうをはじめまゐらせて、ひとびとみなおふねにめして、いでさせたまふこそかなしけれ。しほにひかれかぜにしたがつて、きのぢへおもむくふねもあり、あしやのおきにこぎいでて、なみにゆらるるふねもあり。あるひはすまよりあかしのうらづたひ、とまりさだめぬかぢまくら、かたしくそでもしをれつつ、おぼろにかすむはるのつき、こころをくだかぬひとぞなき。あるひはあはぢのせとをおしわたり、ゑじまがいそにただよへば、なみぢはるかになきわたり、ともまよはせるさよちどり、これもわがみのたぐひかな。ゆくすゑいまだいづくとも、おもひさだめぬかとおぼしくて、いちのたにのおきにやすらふふねもあり。かやうにうらうらしまじまにただよへば、たがひのししやうもしりがたし。くにをしたがふることもじふしかこく、せいのつくこともじふまんよき、みやこへちかづくこともわづかにいちにちのみちなれば、こんどはさりともとたのもしうこそおもはれつるに、いちのたにをもせめおとされて、いとどこころぼそうぞなられける。
「こざいしやう」(『こざいしやうみなげ』)S0919ゑちぜんのさんみみちもりのきやうのさぶらひに、くんだたきぐちときかずといふものあり。いそぎきたのかたのおふねにP179まゐつてまうしけるは、「きみはけさみなとがはのしもにて、かたきしちきがなかにとりこめまゐらせて、つひにうたれさせたまひてさふらひぬ。なかにもことにてをおろいてうちたてまつたりしは、あふみのくにのぢうにん、ささきのきむらのさぶらうなりつな、むさしのくにのぢうにん、たまのゐのしらうすけかげとぞ、なのりまゐらせてさふらひつれ。ときかずもいつしよでうちじにつかまつり、さいごのおんともつかまつるべうさふらひつれども、かねてよりおほせさふらひしは、みちもりいかになるとも、なんぢはいのちをすつべからず。いかにもしてながらへて、おんゆくへをもたづねまゐらせよと、おほせさふらひしほどに、かひなきいのちばかりいきて、つれなうこそこれまでまゐつてさふらへ」とまうしければ、きたのかた、とかうのへんじにもおよびたまはず。ひきかづいてぞふしたまふ。いちぢやううたれたまひぬとはききたまへども、もしひがごとにてもやあるらん、いきてかへらるることもやと、にさんにちは、あからさまにいでたるひとを、まつここちしておはしけるが、しごにちもすぎしかば、もしやのたのみもよわりはてて、いとどこころぼそくぞなられける。ただいちにんつきたてまつりたりけるめのとのにようばうも、おなじまくらにふししづみにけり。かくとききたまひしなぬかのひのくれほどより、じふさんにちのよまでは、おきもあがりたまはず。あくればじふしにち、やしまへおしわたるよひうちすぐるまでは、ふしたまひたりけるが、ふけゆくままに、ふねのうちしづまりければ、めのとのにようばうにのたまひけるは、「けさまでは、さんみうたれにしとはききしかども、まことともおもはでありつるが、このP180くれほどより、げにさもあらんとおもひさだめてあるぞとよ。そのゆゑは、みなひとごとに、みなとがはとやらんにて、さんみうたれにしとはいひしかども、そののち、いきてあうたりといふものいちにんもなし。あすうちいでんとてのよ、あからさまなるところにて、ゆきあひたりしかば、いつよりもこころぼそげにうちなげいて、『みやうにちのいくさには、かならずうたれんとおぼゆるはとよ。われいかにもなりなんのち、ひとはいかがはしたまふべき』などいひしかども、いくさはいつものことなれば、いちぢやうさるべしともおもはでありつることこそかなしけれ。それをかぎりとだにおもはましかば、などのちのよとちぎらざりけんと、おもふさへこそかなしけれ。ただならずなりたることをも、ひごろはかくしていはざりしかども、あまりにこころぶかうおもはれじとて、いひいだしたりしかば、なのめならずうれしげにて、『みちもりさんじふになるまで、こといふものもなかりつるに、あはれおなじうはなんしにてもあれかし。うきよのわすれがたみにもとおもひおくばかりなり。さていくつきにかなるらん、ここちはいかがあるらん。いつとなきなみのうへ、ふねのうちのすまひなれば、しづかにみみとならんとき、いかがはしたまふべき』などいひしは、はかなかりけるかねごとかな。まことやらん、をんなはさやうのとき、とをにここのつはかならずしぬるなれば、はぢがましう、うたてきめをみて、むなしうならんもこころうし。しずかにみみとなつてのち、をさなきものをそだてて、なきひとのかたみにもみばやとはおもへども、それをみんたびごとには、むかしのひとのみこひしくて、おもひのかずはまさるとも、なぐさむことはよもあらじP181。つひにはのがるまじきみちなり。もしふしぎにこのよをしのびすごすとも、こころにまかせぬよのならひは、おもはぬほかのふしぎもあるぞとよ。それもおもへばこころうし。まどろめばゆめにみえ、さむればおもかげにたつぞとよ。いきてゐて、とにかくにひとをこひしとおもはんより、みづのそこへもいらばやと、おもひさだめてあるぞとよ。そこにいちにんとどまつて、なげかんずることこそこころぐるしけれども、わらはがしやうぞくのあるをばとつて、いかならんそうにもたてまつり、なきひとのごぼだいをもとぶらひまゐらせ、わらはがごしやうをもたすけたまへ。かきおきたるふみをばみやこへつたへてたべ」など、こまごまとのたまへば、めのとのにようばう、なみだをおさへて、「いとけなきこをもふりすて、おいたるおやをもとどめおき、はるばるとこれまでつきまゐらせてさぶらふこころざしをば、いかばかりとかおぼしめされさぶらふらん。こんどいちのたににてうたれさせたまふごいつけのきんだちたちのきたのかたのおんなげき、いづれかおろかにおぼしめされさぶらふべき。かならずひとつはちすへとおぼしめされさぶらふとも、しやうかはらせたまひなんのち、ろくだうししやうのあひだにて、いづれのみちへかおもむかせたまはんずらん。ゆきあはせたまはんこともふぢやうなれば、おんみをなげてもよしなきおんことなり。しづかにみみとならせたまひて、いかならんいはきのはざまにても、をさなきひとをそだてまゐらせ、おんさまをかへ、ほとけのみなをとなへて、なきひとのごぼだいをとぶらひまゐらせたまへかし。そのうへみやこのおんことをば、たれみつぎまゐらせよとて、かやうにはおほせられさぶらふやらん。うらめしうもうけたまはりさぶらふものかな」とて、さめざめとかきくどきければ、きたのかたP182、このことあしうもしらせなんとやおもはれけん、「これはこころにかはつても、おしはかりたまふべし。おほかたのよのうらめしさ、ひとのわかれのかなしさにも、みをなげんなどいふは、つねのならひなり。されどもさやうのことは、ありがたきためしぞかし。まことにおもひたつことあらば、そこにしらせずしてはあるまじきぞ。いまはよもふけぬ。いざやねん」とのたまへば、めのとのにようばう、このしごにちはゆみづをだに、はかばかしうごらんじいれさせたまはぬひとの、かやうにこまごまとおほせらるるは、まことにおぼしめしたつこともやとかなしうて、「およそはみやこのおんことも、さるおんことにてさぶらへども、げにおぼしめしたつことならば、わらはをもちひろのそこまでも、ひきこそぐせさせたまはめ。おくれまゐらせなんのち、さらにかたときながらふべしともおぼえぬものかな」とまうして、おんそばにありながら、ちとうちまどろみたりけるひまに、きたのかたやはらふなばたへおきいでたまひて、まんまんたるかいしやうなれば、いづちをにしとはしらねども、つきのいるさのやまのはを、そなたのそらとやおぼしけん、しづかにねんぶつしたまへば、おきのしらすになくちどり、あまのとわたるかぢのおと、をりからあはれやまさりけん、しのびごゑにねんぶつひやくぺんばかりとなへさせたまひつつ、「なむさいはうごくらくせかいのけうじゆ、みだによらい、ほんぐわんあやまたず、あかでわかれしいもせのなからひ、かならずひとつはちすに」と、なくなくはるかにかきくどき、なむととなふるこゑともに、うみにぞしづみたまひける。いちのたによりやしまへおしわたらんとての、やはんばかりのことなりければ、ふねのうちしづまつてP183、ひとこれをしらざりけり。そのなかにかんどりのいちにんねざりけるが、このよしをみたてまつて、「あれはいかに。あのおんふねより、にようばうのうみへいらせたまひぬるは」とよばはつたりければ、めのとのにようばううちおどろき、そばをさぐれどもおはせざりければ、ただ「あれよあれよ」とぞあきれける。ひとあまたおりて、とりあげたてまつらんとしけれども、さらぬだに、はるのよは、ならひにかすむものなれば、よものむらくもうかれきて、かづけどもかづけども、つきおぼろにてみえたまはず。はるかにほどへてのち、とりあげたてまつりたりけれども、はやこのよになきひととなりたまひぬ。しろきはかまに、ねりぬきのふたつぎぬをきたまへり。かみもはかまもしほたれて、とりあげけれどもかひぞなき。めのとのにようばう、てにてをとりくみ、かほにかほをおしあてて、「などやこれほどにおぼしめしたつことならば、わらはをもちひろのそこまでも、ひきこそぐせさせたまふべけれ。うらめしうもただいちにんとどめさせたまふものかな。さるにても、いまいちどものおほせられて、わらはにきかさせたまへ」とて、もだえこがれけれども、はやこのよになきひととなりたまひぬるうへは、いちごんのへんじにもおよびたまはず。わづかにかよひつるいきも、はやたてはてぬ。さるほどにはるのよのつきも、くもゐにかたぶき、かすめるそらもあけゆけば、なごりはつきせずおもへども、さてしもあるべきことならねば、うきもやあがりたまふと、こさんみどののきせながのいちりやうのこつたるを、ひきまとひたてまつり、つひにうみにぞしづめける。めのとのにようばうP184、こんどはおくれたてまつらじと、つづいてうみにいらんとしけるを、ひとびととりとどめければ、ちからおよばず。せめてのこころのあられずさにや、てづからかみをはさみおろし、こさんみどののおんおとと、ちうなごんのりつし、ちうくわいにそらせたてまつり、なくなくかいをたもつて、しゆのごせをぞとぶらひける。むかしよりをとこにおくるるたぐひおほしといへども、さまをかふるはつねのならひ、みをなぐるまではありがたきためしなり。さればちうしんはじくんにつかへず、ていぢよはじふにまみえずとも、かやうのことをやまうすべき。このにようばうとまうすは、とうのぎやうぶきやうのりかたのむすめ、きんちういちのびじん、なをばこざいしやうどのとぞまうしける。じやうせいもんゐんのにようばうなり。このにようばうじふろくとまうししあんげんのはるのころ、によゐんほつしようじへはなみのごかうのありしに、みちもりのきやう、そのころは、いまだちうぐうのすけにてぐぶせられたりけるが、みそめたりしにようばうなり。はじめはうたをよみ、ふみをつくされけれども、たまづさのかずのみつもつて、とりいれたまふこともなし。すでにみとせになりしかば、みちもりのきやう、いまをかぎりのふみをかいて、こざいしやうどののもとへつかはす。あまつさへとりつたへけるにようばうにだにあはずして、つかひむなしうかへりけるみちにて、をりふしこざいしやうどのは、さとよりごしよへぞまゐられける。つかひむなしうかへりまゐらんことのほいなさに、そばをつとはしりとほるやうにて、こざいしやうどのののりたまへるくるまのすだれのうちへ、みちもりのきやうのふみをぞなげいれたる。とものものどもにとひたまへば、「しらず」とまうす。さてかのふみをあけてみたまへば、みちもりのきやうのふみなりけり。くるまにおくべきやうもなし。おほぢにP185すてんもさすがにて、はかまのこしにはさみつつ、ごしよへぞまゐりたまひける。さてみやづかへたまひしほどに、ところしもこそおほけれ、ごぜんにふみをおとされたり。にようゐんこれをとらせおはしまし、いそぎぎよいのたもとにひきかくさせたまひて、「めづらしきものをこそもとめたれ。このぬしはたれなるらん」とおほせければ、ごしよぢうのにようばうたち、よろづのかみほとけにかけて、「しらず」とのみぞまうしける。そのなかにこざいしやうどのばかりかほうちあかめて、つやつやものもまうされず。にようゐんも、ないないみちもりのきやうのまうすとはしろしめされたりければ、さてこのふみをあけてごらんずれば、きろのけぶりのにほひことにふかきに、ふでのたてどもよのつねならず。「あまりにひとのこころづよきも、いまはなかなかうれしくて」など、こまごまとかいて、おくにはいつしゆのうたぞありける。
わがこひはほそたにがはのまろきばしふみかへされてぬるるそでかな W071
にようゐん、「これはあはぬをうらみたるふみや。あまりひとのこころづよきも、なかなかいまはあたとなんなるものを。なかごろをののこまちとて、みめかたちうつくしう、なさけのみちありがたかりしかば、みるひときくもの、きもたましひをいたましめずといふことなし。されどもこころづよきなをやとりたりけん、はてにはひとのおもひのつもりとて、かぜをふせぐたよりもなく、あめをもらさぬわざもなし。やどにくもらぬつきほしは、なみだにうかび、のべのわかな、さはのねぜりをつみてこそ、つゆのいのちをばすごしけれ」。にようゐん、「これはいかにもへんじあるべきことぞ」とて、おんすずりめしよせて、かたじけなくもみづからおんぺんじあそばされけり。P186
ただたのめほそたにがはのまろきばしふみかへしてはおちざらめやは W072
むねのうちのおもひは、ふじのけぶりにあらはれ、そでのうへのなみだは、きよみがせきのなみなれや。みめはさいはひのはななれば、さんみこのにようばうをたまはつて、たがひのこころざしあさからず。さればさいかいのなみのうへ、ふねのうちまでもひきぐして、つひにおなじみちへぞおもむかれける。かどわきのちうなごんは、ちやくしゑちぜんのさんみ、ばつしなりもりにもおくれたまひぬ。いまたのみたまへるひととては、のとのかみのりつね、そうにはちうなごんのりつしちうくわいばかりなり。こさんみどののかたみとも、このにようばうをこそみたまふべきに、それさへかやうになりたまへば、いとどこころぼそうぞなられける。P187

平家物語 巻第十  総かな版(元和九年本)
「くびわたし」(『くびわたし』)S1001P187じゆえいさんねんにんぐわつなぬかのひ、つのくにいちのたににてうたれたまひしへいじのくびども、じふににちにみやこへいる。へいけにむすぼれたりしひとびとは、こんどわがかたざまに、いかなるうきことをかきき、いかなるうきめをか、みんずらんと、なげきあひかなしみあはれけり。なかにもだいかくじにかくれゐたまへるこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのきたのかたは、いとどおぼつかなうおもはれけるに、こんどいちのたににて、いちもんのひとびとのこりすくなにうちなされ、いまはさんみのちうじやうといふくぎやういちにん、いけどりにせられてのぼるなりとききたまひて、このひとはなれたまはじものをとて、もだえこがれたまひけり。あるにようばうのだいかくじにまゐつてまうしけるは、「さんみのちうじやうどのとは、これのおんことにてはさぶらはず、ほんざんみのちうじやうどののおんことなり」とまうしければ、さてはくびどものなかにこそあるらめとて、なほこころやすうもおもひたまはず。P188おなじきじふさんにち、たいふのはうぐわんなかよりいげのけんびゐしども、ろくでうかはらにいでむかつて、へいじのくびどもうけとり、ひんがしのとうゐんをきたへわたいて、ごくもんのきにかけらるべきよし、のりよりよしつねそうもんす。ほふわう、このこといかがあらんずらんと、おぼしめしわづらはせたまひて、だいじやうだいじん、さうのだいじん、ないだいじん、ほりかはのだいなごんただちかのきやうにおほせあはせらる。ごにんのくぎやうまうされけるは、「むかしよりけいしやうのくらゐにいたるひとのくび、おほちをわたさるることせんれいなし。なかにもこのともがらは、せんていのおんときよりせきりのしんとして、ひさしくてうかにつかうまつる。はんらいぎけいがまうしじやう、あながちにごきよようあるべからず」とまうされければ、わたさるまじきにさだめられたりしかども、のりよりよしつねかさねてそうもうしけるは、「ほうげんのむかしをおもへば、そぶためよしがあた、へいぢのいにしへをあんずるに、ちちよしともがかたきなり。さればきみのおんいきどほりをやすめたてまつり、ちちのはぢをきよめんがために、いのちをすてててうてきをほろぼす。こんどへいじのくびおほちをわたされざらんにおいては、じこんいごなんのいさみあつてかきようとをしりぞけんや」と、しきりにうつたへまうされければ、ほふわうちからおよばせたまはず、つひにわたされけり。みるひといくせんばんといふかずをしらず。ていけつにそでをつらねしいにしへは、おぢおそるるともがらおほかりき。ちまたにかうべをわたさるるいまは、またあはれみかなしまずといふことなし。なかにもだいかくじにかくれゐたまへる、こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのわかぎみ、ろくだいごぜんにつきたてまつたりけるさいとうご、さいとうろく、あまりのおぼつかなさに、さまをやつしてみければ、P189おんくびどもは、みなみしりたてまつりたれども、さんみのちうじやうどののおんくびはみえたまはず。されどもあまりのかなしさに、つつむにたへぬなみだのみしげかりければ、よそのひとめもおそろしくて、いそぎだいかくじへぞかへりまゐりける。きたのかた、「さていかにやいかに」ととひたまへば、「ひとびとのおんくびどもは、みなみしりたてまつたれども、さんみのちうじやうどののおんくびは、みえさせたまひさふらはず。ごきやうだいのおんなかには、びつちうのかうのとののおんくびばかりこそ、みえさせたまひさふらひつれ。そのほかは、そんぢやうそのくび、そのおんくび」とまうしければ、きたのかた、「それもひとのうへとはおぼえず」とて、ひきかづいてぞふしたまふ。ややあつて、さいとうごなみだをおさへてまうしけるは、「このいちりやうねんはかくれゐさふらひて、ひとにもいたうみしられさふらはねば、いましばらくさふらひて、みまゐらせたうぞんじさふらひつれども、よにあんないくはしうしりたるもののまうしさふらひしは、『こんどのかつせんに、こまつどののきんだちたちは、あはせたまはず。そのゆゑは、はりまとたんばのさかひなる、みくさのてをかためさせたまひさふらひけるが、くらうよしつねにやぶられて、しんざんみのちうじやうどの、おなじきせうしやうどの、たんごのじじうどのは、はりまのたかさごよりおんふねにめして、さぬきのやしまへわたらせたまひさふらひぬ。なにとしてかははなれさせたまひてさふらひけるやらん、そのなかにびつちうのかうのとのばかりこそ、こんどいちのたににてうたれさせたまひてさふらへ』とかたりまうしさふらひしほどに、さてさんみのちうじやうどののおんことは、いかにととひさふらひつれば、『それはいくさいぜんより、P190だいじのおんいたはりとて、さぬきのやしまへわたらせたまひて、このたびはむかはせたまはず』と、まうすものにこそあうてさふらひつれ」と、こまごまとかたりまうしたりければ、きたのかた、「それもわれらがことをこころぐるしうおもひたまひて、あさゆふなげかせたまふが、やまふとなつたるにこそ。かぜのふくひは、けふもやふねにのりたまふらんときもをけし、いくさといふときは、ただいまもやうたれたまひぬらんとこころをつくす。ましてさやうのおんいたはりなんどをば、たれかこころやすうあつかひたてまつるべき。それをくはしうきかばや」とのたまへば、わかぎみひめぎめも、「などなにのおんいたはりとはとはざりけるぞ」とのたまひけるこそあはれなれ。さんみのちうじやうも、かよふこころなれば、さてもみやこには、いかにこころもとなうおもふらん。たとひくびどものなかにこそなくとも、やにあたつてもしに、みづにおぼれてうせぬらん、いままでこのよにあるものとは、よもおもひたまはじ。つゆのいのちのきえやらで、いまだうきよにながらへたるを、しらせたてまつらんとて、つかひをいちにんしたてて、のぼせられけるが、みつのふみをぞかかれける。まづきたのかたへのおんふみには、「みやこにはかたきみちみちて、おんみひとつのおきどころだにあらじに、をさなきものどもひきぐして、いかにかなしうおはすらん。これへむかへまゐらせて、ひとつところにていかにもならばやとはおもへども、わがみこそあらめ、おんためいたはしくて」なんど、こまごまとかいて、おくにはいつしゆのうたぞありける。P191
いづくともしらぬあふせのもしほぐさかきおくあとをかたみともみよ W073
さてをさなきひとびとのおんもとへは、「つれづれをばなにとしてかはなぐさむらん。やがてこれへむかへとらうずるぞ」と、ことばもかはらずかいてのぼせらる。つかひみやこへのぼり、きたのかたにおんふみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまひて、いとどおもひやまさられけん、ひきかづいてぞふしたまふ。かくてしごにちもすぎしかば、つかひ、「おんぺんじたまはつて、かへりまゐりさふらはん」とまうしければ、きたのかたなくなくおんぺんじかきたまふ。わかぎみひめぎみも、めんめんにふでをそめて、「さてちちごぜんへのおんぺんじをば、なにとかきまうすべきやらん」ととひたまへば、きたのかた、「ただともかくも、わごぜたちがおもはうずるやうをまうすべし」とぞのたまひける。「などやいままではむかへさせたまひさふらはぬぞ。あまりにおんこひしうおもひまゐらせさふらふに、とくむかへさせたまへ」と、おなじことばにぞかかれたる。つかひおんふみたまはつて、やしまへかへりまゐつて、さんみのちうじやうどのに、おんぺんじとりいだいてたてまつる。まづをさなきひとびとのおんぺんじをみたまひて、さんみのちうじやうどのに、おんぺんじとりいだいてたてまつる。まづをさなきひとびとのおんぺんじをみたまひて、いとどせんかたなげにぞみえられける。「そもそもこれよりゑどをいとふにいさみなし。えんぶあいしふのつなつよければ、じやうどをねがはんもものうし。ただこれよりやまづたひにみやこへのぼり、こひしきものどもをも、いまいちどみもしみえてのち、じがいをせんにはしかじ」とぞ、なくなくかたりたまひける。P192
「だいりにようばう」(『だいりにようばう』)S1002おなじきじふしにち、いけどりほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、みやこへいつておほちをわたさる。こばちえふのくるまのぜんごのすだれをあげ、さうのものみをひらく。とひのじらうさねひらは、むくらんぢのひたたれにこぐそくばかりして、ずゐびやうさんじふよきひきぐして、くるまのぜんごをうちかこんでしゆごしたてまつる。きやうぢうのじやうげこれをみて、「あないとほし。いくらもましますきんだちのなかに、このひといちにんかやうになりたまふことよ。にふだうどのにもにゐどのにも、おぼえのおんこにてましませば、いちもんのひとびともおもきことにして、ゐんうちへまゐらせたまひしにも、おいたるもわかきも、ところをおきてもてなしたてまつらせたまひしぞかし。いままたかやうになりたまふことは、いかさまにもならをやきたまへるがらんのばち」といひあへり。ろくでうをひんがしへかはらまでわたいて、それよりかへつて、こなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやうのみだう、はちでうほりかはなるところにすゑたてまつて、きびしうしゆごしたてまつる。ゐんのごしよよりおつかひあり。くらんどのさゑもんのごんのすけさだなが、はちでうほりかはへぞむかひける。せきいにけんしやくをぞたいしたりける。さんみのちうじやうは、こんむらごのひたたれに、をりゑぼしひきたてておはします。ひごろはなにともおもはれざりしさだながを、いまはめいどにてざいにんどもが、P193みやうくわんにあへるここちぞせられける。おほせくだされけるは、「やしまへかへりたくば、いちもんのかたへいひおくつて、さんじゆのしんきをみやこへかへしいれたてまつれ。しからばやしまへかへさるべし」とのごきしよくなり。さんみのちうじやうまうされけるは、「さしもにわがてうのちようほう、さんじゆのしんきを、しげひらいちにんにかへまゐらせんとは、だいふいげいちもんのものどもが、よもまうしさふらはじ。によしやうでさふらへば、もしぼぎのにほんなんどもや、さもまうしさふらはんずらん。さりながらも、ゐながらゐんぜんをかへしたてまつらんことは、そのおそれもさふらへば、すみやかにまうしおくつてこそみさふらはめ」とぞまうされける。ゐんぜんのおつかひは、おつぼのめしつぎはなかた、さんみのちうじやうのつかひは、へいざうざゑもんしげくにといふものなり。おほいとの、へいだいなごんへは、ゐんぜんのおもむきをまうさる。にゐどのへはおんふみこまごまとかいてまゐらせらる。わたくしのふみをばゆるされなければ、ひとびとのもとへはことばにてことづてらる。きたのかただいなごんのすけどのへも、ことばにてまうされけり。「たびのそらにても、ひとはわれになぐさみ、われはひとになぐさみしものを、ひきわかれてのち、いかにかなしうおはすらん。ちぎりはくちせぬものとまうせば、のちのよにはかならずむまれあひたてまつるべし」と、なくなくことづてたまへば、しげくにもまことにあはれにおぼえて、なみだをおさへてたちにけり。ここにさんみのちうじやうのとしごろのさぶらひに、むくむまのじようともときといふものあり。はちでうのにようゐんにけんざんのものにてさふらひけるが、とひのじらうさねひらがもとにゆいて、「これはねんらいさんみのちうじやうどのにP194めしつかはれさふらひし、それがしとまうすものにてさふらふが、けふおほちでみまゐらせさふらへば、めもあてられず、あまりにおんいたはしうおもひまゐらせさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。ともときばかりはおんゆるされをかうぶつて、いまいちどちかづきまゐつて、はかなきむかしがたりをもまうして、なぐさめたてまつらばやとぞんじさふらふ。ゆみやをとるみにてもさふらはねば、いくさかつせんのおんともつかまつたることもさふらはず。あさゆふただおまへにしこうせしばかりでさふらひき。それもなほおぼつかなうおぼしめされさふらはば、こしのかたなをめしおかれて、まげておんゆるされをかうぶりさふらはばや」とまうしければ、とひのじらう、なさけあるものにて、「まことにごいつしんは、なにかくるしうさふらふべき。さりながらも」とて、こしのかたなをこひとつてぞいれてげる。むまのじようなのめならずよろこび、いそぎまゐつておんありさまをみたてまつるに、まことにふかうおもひいれたまへるとおぼしくて、おんすがたもいたくしをれかへつておはしけるを、みまゐらするに、ともときなみだもさらにおさへがたし。ちうじやうもゆめにゆめみるここちして、とかうのことをものたまはず。ややあつて、むかしいまのものがたりどもしたまひてのち、「さてもなんぢしてものいひしひとは、いまだだいりにとやきく」。「さこそうけたまはりさふらへ」。ちうじやう、「われさいこくへくだりしとき、ふみをもやらず、いひおくこともなかりしかば、よよのちぎりは、みないつはりになりにけるよと、おもふらんこそはづかしけれ。ふみをやらばやとおもふはいかに。たづねてゆきてんや」とのたまへば、ともとき、「やすいほどのおんことざふらふ」とまうす。ちうじやうなのめならずよろこび、やがてかいてぞたうでげる。P195
ともときこれをたまはつて、まかりいでんとしければ、しゆごのぶしども、「いかなるおんふみにてかさふらふらん。みまゐらせさふらはん」とまうしければ、ちうじやう、「みせよ」とのたまへば、みせてげり。くるしかるまじとて、とらせてげり。ともときこれをとつて、いそぎだいりへまゐり、ひるはひとめのしげければ、そのへんちかきせうをくにたちより、ひをまちくらし、たそがれどきにまぎれいつて、くだんのにようばうのつぼねのしもぐちへんにたたずんでききければ、このにようばうのこゑとおぼしくて、「あないとほし。いくらもましますきんだちのなかに、このひといちにんかやうになりたまふことよ。ひとはみなならをやきたるがらんのばちといひあへり。ちうじやうもさぞいひし。わがこころにおこつてはやかねども、あくたうおほかりしかば、てんでにひをはなつて、おほくのだうたふをやきほろぼす。すゑのつゆもとのしづくのためしあれば、わがみひとつのざいごふにこそならんずらめといひしが、げにさとおぼゆるぞや」とてなかれければ、ともとき、これにもかくなげきたまふことのいとほしさよとおもひ、「ものまうさう」どいへば、「なにごと」とこたふ。「これにほんざんみのちうじやうどのよりのおんふみのさふらふ」とまうしたりければ、ひごろははぢてみえたまはぬひとの、「いづらやいづら」とてはしりいで、てづからこのふみをとつてみたまふに、さいこくにていけどりにせられたりしありさま、けふあすをもしらぬみのゆくへなど、こまごまとかいて、おくにはいつしゆのうたぞありける。
なみだがはうきなをながすみなりともいまひとたびのあふせともがな W074 
P196にようばうこのふみをかほにおしあてて、とかうのことをものたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。かくてじこくはるかにおしうつりければ、ともとき、「おんぺんじたまはつて、かへりまゐりさふらはん」とまうしければ、にようばうなくなくおんぺんじかきたまへり。こころぐるしういぶせくて、このふたとせをおくつたりしありさま、こまごまとかいて、
きみゆゑにわれもうきなをながすともそこのみくづとともになりなむ W075
ともときこれをたまはつて、かへりまゐりたりければ、しゆごのぶしども、また、「いかなるおんふみにてかさふらふらん。みまゐらせん」とまうしければ、みせてげり。「くるしうさふらふまじ」とてたてまつる。ちうじやうこれをみたまひて、いとどおんものおもひやまさられけん、ややあつて、とひのじらうさねひらをめしてのたまひけるは、「さてもこのほどおのおののなさけふかうはうじんせられつるこそ、ありがたううれしけれ。いまいちどはうおんかうぶりたきことあり。われはいちにんのこなければ、うきよにおもひおくことなし。としごろちぎつたりしによばうに、いまいちどたいめんして、ごしやうのことをもいひおかばやとおもふはいかに」とのたまへば、とひのじらうなさけあるものにて、「まことににようばうなどのおんことは、なにかくるしうさふらふべき。とうとう」とてゆるしたてまつる。ちうじやうなのめならずよろこび、ひとにくるまかつてつかはされたりければ、にようばうとりあへず、いそぎのつてぞおはしける。えんにくるまやりよせ、このよしかくとまうしたりければ、ちうじやうくるまよせまでいでむかひ、「ぶしどものみまゐらせさふらふに、おりさせたまふべからず」とて、くるまのすだれをうちかづき、てにてをとりくみ、P197
かほにかほをおしあてて、しばしはとかうのことをものたまはず、ただなくよりほかのことぞなき。ややあつて、ちうじやうなみだをおさへてのたまひけるは、「さいこくへくだりさふらひしときも、いまいちどおんげんざんにいりたかりしかども、おほかたのよのものさわがしさ、まうしおくるべきたよりもなくして、まかりくだりさふらひき。そののちおんふみをもたてまつり、おんかへりことをもみまゐらせたうさふらひつれども、たびのそらのものうさ、あさゆふのいくさだちにひまなくて、むなしうまかりすぎさふらひき。こんどいちのたににていかにもなるべかりしみの、いきながらとらはれて、ふたたびみやこへまかりのぼりさふらふも、おんげんざんにいるべきとのことにてさふらふぞや」とて、またなみだをおさへてぞふしたまふ。たがひのこころのうち、おしはかられてあはれなり。かくてさよもやうやうふけゆけば、しゆごのぶしども、「このほどはおほちのらうぜきもぞさふらふに、とうとう」とまうしければ、ちうじやうちからおよびたまはず、やがてかへしたまふ。くるまやりいだせば、ちうじやうにようばうのそでをひかへて、
あふこともつゆのいのちももろともにこよひばかりやかぎりなるらむ W076
にようばうとりあへず、
かぎりとてたちわかるればつゆのみのきみよりさきにきえぬべきかな W077
さてにようばうはだいりへまゐりたまひぬ。そののちはしゆごのぶしどもゆるさねば、ときどきただおんふみばかりぞかよひける。このにようばうとまうすは、みんぶきやうにふだうしんぱんのむすめなり。みめかたちよにすぐれ、なさけふかきひとなれば、ちうじやうなんとへわたされて、きられたまひぬときこえしかば、P198やがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはて、かのごせぼだいをとぶらひたまふぞあはれなる。
「やしまゐんぜん」(『やしまゐんぜん』)S1003ひかずふれば、ゐんぜんのおつかひ、おつぼのめしつぎはなかた、おなじきにじふはちにちさぬきのくにやしまのいそにくだりついて、ゐんぜんをとりいだいてたてまつる。おほいとのいげのけいしやううんかくよりあひたまひて、このゐんぜんをひらかれけり。「いちじんせいたい、ほつけつのきうきんをいでて、しよしうにかうし、さんじゆのしんき、なんかいしこくにうづもれてすねんをふ、もつともてうかのなげき、ばうこくのもとゐなり。そもそもかのしげひらのきやうは、とうだいじぜうしつのぎやくしんなり。すべからくよりとものあつそんまうしうくるむねにまかせて、しざいにおこなはるべしといへども、ひとりしんぞくにわかれて、すでにいけどりとなる。ろうてうくもをこふるおもひ、はるかにせんりのなんかいにうかび、きがんともをうしなふこころ、さだめてきうちようのちうとにとうぜんか。しかればすなはちさんじゆのしんき、みやこへかへしいれたてまつらんにおいては、かのきやうをくわんいうせらるべきなり。ていればゐんぜんかくのごとく、よつてしつたつくだんのごとし。じゆえいさんねんにんぐわつじふしにち、だいぜんのだいぶなりただがうけたまはり、きんじやう、さきのへいだいなごんどのへ」とぞかかれたる。P199
「うけぶみ」(『うけぶみ』)S1004おほいとの、へいだいなごんのもとへ、ゐんぜんのおもむきをまうされけり。にゐどの、ちうじやうのふみをあけてみたまふに、「しげひらをこんじやうでいまいちどごらんぜんとおぼしめされさふらはば、さんじゆのしんきのおんことを、よきやうにまうさせたまひて、みやこへかへしいれさせたまへ。さらずはおんめにかかるべしともぞんじさふらはず」とぞかかれたる。にゐどの、このふみをかほにおしあてて、ひとびとのおはしけるうしろのしやうじをひきあけて、おほいとののおんまへにたふれふし、しばしはものをものたまはず。ややあつておきあがり、なみだをおさへてのたまひけるは、「これみたまへ、むねもり、きやうよりちうじやうがいひおこしつることのむざんさよ。げにもこころのうちにいかばかりのことをかおもふらん。ただわれにおもひゆるして、さんじゆのしんきのおんことを、よきやうにまうして、みやこへかへしいれたてまつらせたまへ」とのたまへば、おほいとのまうさせたまひけるは、「むねもりもさこそはぞんじさふらへども、さしもにわがてうのちようほうさんじゆのしんきを、しげひらいちにんにかへまゐらせんこと、かつうはよのためしかるべからず。かつうはよりともがかへりきかんずるところも、いふかひなうさふらふ。そのうへ、ていわうのおんよをたもたせたまふおんことも、ひとへにこのないしどころのわたらせたまふおんゆゑなり。さてよのこども、したしきひとびとをば、P200ちうじやういちにんにおぼしめしかへさせたまふべきか。このかなしいといふことも、ことにこそよりさふらへ。ゆめゆめかなひさふらふまじ」とのたまへば、にゐどの、よにもほいなげにて、かさねてのたまひけるは、「われこにふだうしやうこくにおくれてのちは、いちにちへんしいのちいきて、よにあるべしとはおもはざりしかども、しゆしやうのいつとなく、さいかいのなみのうへに、ただよはせたまふおんこころぐるしさ、ふたたびよにあらせたてまつらんがために、うきながらけふまでもながらへたれ。ちうじやういちのたににて、いけどりにせられぬとききしのちは、いとどむねせきて、ゆみづものどへいれられず。ちうじやうこのよになきものときかば、われもおなじみちにおもむかんとおもふなり。ふたたびものをおもはせぬさきに、ただわれをうしなへや」とて、をめきさけびたまへば、まことにさこそはといたはしくて、みなふしめにぞなられける。しんぢうなごんとももりのきやうのいけんにまうされけるは、「さしもにわがてうのちようほう、さんじゆのしんきをみやこへかえしいれたてまつたりとも、しげひらかへしたまはらんことありがたし。ただそのやうをおそれなく、おんうけぶみにまうさせたまふべうもやさふらふらん」とまうされければ、このぎもつともしかるべしとて、おほいとのおんうけぶみをまうさる。にゐどのはなみだにくれて、ふでのたてどもおぼえたまはねども、こころざしをしるべに、なくなくおんかへりことかきたまへり。きたのかただいなごんのすけどのは、とかうのことをものたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。そののちへいだいなごんときただのきやう、ゐんぜんのおつかひ、おつぼのめしつぎはなかたをめして、「なんぢほふわうのおつかひとして、おほくのなみぢをしのいで、はるばるとこれまでくだつたるしるしに、なんぢいちごがあひだのP201おもひでひとつあるべし」とて、はなかたがつらに、なみかたといふやいじるしをぞせられける。みやこへかへりのぼつたりければ、ほふわうえいらんあつて、「なんぢははなかたか」。「さんざふらふ」。「よしよし、さらばなみかたともめせかし」とて、わらはせおはします。そののちうけぶみをぞひらかれける。「こんぐわつじふしにちのゐんぜん、おなじきにじふはちにち、さぬきのくにやしまのいそにたうらい、つつしんでもつてうけたまはるところくだんのごとし。ただしこれについてかれをあんずるに、みちもりのきやういげ、たうけすはい、せつしういちのたににてすでにちうせられをはんぬ。なんぞしげひらいちにんがくわんいうをよろこぶべきや。それわがきみは、こたかくらのゐんのおんゆづりをうけさせたまひて、ございゐすでにしかねん、まつりごとげうしゆんのこふうをとぶらふところに、とういほくてき、たうをむすびぐんをなしてじゆらくのあひだ、かつうはえうていぼこうのおんなげきもつともふかく、かつうはぐわいせききんしんのいきどほりあさからざるによつて、しばらくくこくにかうす。くわんかうなからんにおいては、さんじゆのしんきいかでかぎよくたいをはなちたてまつるべきや。それしんはきみをもつてこころとし、きみはしんをもつてたいとす。きみやすければすなはちしんやすく、しんやすければすなはちくにやすし。きみかみにうれふればしんしもにたのしまず。しんぢうにうれへあれば、たいぐわいによろこびなし。なうそへいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかどをつゐたうせしよりこのかた、とうはつかこくをしづめて、ししそんぞんにつたへて、てうてきのぼうしんをちうばつして、だいだいせぜにいたるまで、てうかのせいうんをまぼりたてまつる。しかればすなはちこばうふだいじやうだいじん、ほうげんへいぢりやうどのげきらんのとき、ちよくめいをおもんじてわたくしのめいをかろんず。これP202ひとへにきみのためにして、まつたくみのためにせず。なかんづく、かのよりともは、さんぬるへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、ちちさまのかみよしともがむほんによつて、すでにちうばつせらるべきよし、しきりにおほせくださるるといへども、こにふだうたいしやうこく、じひのあまり、まうしなだめられしところなり。しかるにむかしのこうおんをわすれて、はういをぞんぜず、たちまちにらうるゐのみをもつて、みだりにほうきのらんをなす。しぐのはなはだしきことまうしてあまりあり。はやくしんめいのてんばつをまねき、ひそかにはいせきのそんめつをごするものか。それじつげつはいちもつのために、そのあきらかなることをくらうせず。めいわうはいちにんがために、そのほふをまげず。いちあくをもつてそのぜんをすてず、せうかをもつてそのこうをおほふことなかれ。かつうはたうけすだいのほうこう、かつうはばうぶすどのちうせつ、おぼしめしわすれずは、きみかたじけなくもしこくのごかうあるべきか。ときにしんらゐんぜんをうけたまはつて、ふたたびきうとにかへつて、くわいけいのはぢをきよめん。もししからずは、きかい、かうらい、てんぢく、しんだんにいたるべし。かなしきかな、にんわうはちじふいちだいのぎようにあたつて、わがてうかみよのれいほう、つひにむなしくいこくのたからとなさんか。よろしくこれらのおもむきをもつて、しかるべきやうにもらしそうもんせしめたまへ。むねもりとんじゆ、つつしんでまうす。じゆえいさんねんにんぐわつにじふはちにち、じゆいちゐさきのないだいじんたひらのあそんむねもりがうけぶみ」とこそかかれたれ。P203
「かいもん」(『かいもん』)S1005さんみのちうじやう、このよしをききたまひて、さこそはあらんずれ、いかにいちもんのひとびとのわるうおもはれけんと、こうくわいせられけれどもかひぞなき。げにもしげひらいちにんををしみて、さしもにわがてうのちようほう、さんじゆのしんきをかへしたまふらんともおぼえねば、このおんうけぶみのおもむきは、かねてよりおもひまうけられたりしかども、いまださうをまうされざりつるほどは、なにとなうこころもとなうおもはれけるに、うけぶみすでにたうらいして、くわんとうへくだらるべきにさだまりしかば、さんみのちうじやう、みやこのなごりも、いまさらをしうやおもはれけん、とひのじらうさねひらをめして、「しゆつけせばやとおもふはいかに」とのたまへば、このよしをくらうおんざうしへまうす。ゐんのごしよへそうもんせられたりければ、ほふわう、「よりともにみせてのちこそ、ともかうもはからはめ。ただいまはいかでかゆるすべき」とおほせければ、このよしをちうじやうどのにまうす。「さらばねんらいちぎつたるひじりに、いまいちどたいめんして、ごしやうのことをもまうしだんぜばやとおもふはいかに」とのたまへば、とひのじらう、「ひじりをばたれとまうしさふらふやらん」。「くろだにのほふねんばうといふひとなり」。「さてはくるしうさふらふまじ、とうとう」とてゆるしたてまつる。P204さんみのちうじやうなのめならずによろこび、やがてひじりをしやうじたてまつて、なくなくまうされけるは、「こんどさいこくにていかにもなるべかりしみの、いきながらとらはれて、まかりのぼりさふらふは、ふたたびしやうにんのおんげんざんにいるべきにてさふらひけり。さてもしげひらがごしやういかがつかまつりさふらふべき。みのみにてさふらひしほどは、しゆつしにまぎれ、せいむにほだされ、けうまんのこころのみふかうして、たうらいのしようちんをかへりみず。いはんやうんつきよみだれて、みやこをいでしのちは、ここにたたかひかしこにあらそひ、ひとをほろぼしみをたすからんとおもふあくしんのみさへぎつて、ぜんしんはかつておこらず。なかんづくなんとえんしやうのことは、わうめいとまうしぶめいといひ、きみにつかへよにしたがふほふのがれがたうして、しゆとのあくぎやうをしづめんがためにまかりむかつてさふらへば、ふりよにがらんのめつばうにおよびぬることは、ちからおよばざるしだいなり。されどもときのたいしやうぐんにてさふらひしあひだ、せめいちじんにきすとかやまうしさふらふなれば、しげひらいちにんがざいごふにこそなりさふらひぬらめとおぼえさふらふ。いままたかれこれはぢをさらすも、しかしながらそのむくいとのみこそおもひしられてさふらへ。いまはかみをそり、こつじきづだのぎやうをもして、ひとへにぶつだうしゆぎやうしたくさふらへども、かかるみにまかりなつてさふらへば、こころにこころをもまかせさふらはず。いかなるぎやうをしゆしても、いちごふたすかるべしともおぼえぬことこそくちをしうさふらへ。つらつらいつしやうのけぎやうをあんずるに、ざいごふはしゆみよりもたかく、ぜんごんはみぢんばかりもたくはへなし。かくていのちむなしうをはりさふらひなば、くわけつたうのくくわ、あへてうたがひなし。ねがはくは、しやうにんじひをおこし、あはれみをたれたまひて、かかるP205あくにんのたすかりぬべきほうぼふさふらはば、しめしたまへ」とまうされければ、しやうにんなみだにむせびうつぶして、しばしはとかうのことものたまはず。
ややあつてしやうにんのたまひけるは、「まことにうけがたきにんじんをうけながら、むなしくさんづにかへりましまさんこと、かなしんでもなほあまりあり。しかるにいまゑどをいとひ、じやうどをねがはんとおぼしめさば、あくしんをすててぜんしんをおこしましまさんにおいては、さんぜのしよぶつもさだめてずゐきしたまふらん。それしゆつりのみちまちまちなりとはまうせども、まつぽふぢよくらんのきには、しようみやうをもつてすぐれたりとす。こころざしをくほんにわかち、ぎやうをろくじにつづめて、いかなるぐちあんどんのものもとなふるにたよりあり。つみふかければとて、ひげしたまふべからず。じふあくごぎやくゑしんすればわうじやうをとぐ。くどくすくなければとて、のぞみをたつべからず。いちねんじふねんのこころをいたせばらいかうす。せんしやうみやうがうしさいはうとしやくして、もつぱらみやうがうをしようずれば、さいはうにいたり、ねんねんしようみやうじやうざんげとのたまひて、ねんねんにみだをとなふれば、ざんげするなりとぞをしへける。りけんそくぜみだがうをたのめば、まえんちかづかず。いつしやうしようねんざいかいぢよとねんずれば、つみみなのぞけりとみえたり。じやうどしうのしごくは、おのおのりやくをぞんじて、たいりやくこれをかんじんとす。ただしわうじやうのとくふは、しんじんのいうぶによるべし。ただこのをしへをふかくしんじて、ぎやうぢうざぐわ、じしよしよえんをきらはず、さんげふしゐぎにおいて、しんねんくしようをわすれたまはずは、ひつみやうをごとして、このくゐきのかいをいでて、かのごくらくじやうどのふたいのどにわうじやうしたまはんこと、なんのうたがひかあらんや」とP206けうげしたまへば、さんみのちうじやうなのめならずよろこび、「ねがはくは、このついでにかいをたもたばやとはぞんじさふらへども、しゆつけつかまつらではかなひさふらふまじや」とまうされたりければ、しやうにん、「しゆつけせぬひとも、かいをたもつことはつねのならひなり」とて、ひたひにかみそりをあて、そるまねをして、じつかいをさづけらる。ちうじやうずゐきのなみだをながいて、これをうけたもちたまふ。しやうにんもよろづものあはれにおぼえて、かきくらすここちして、なくなくかいをぞとかれける。おんふせとおぼしくて、ひごろおはしてあそばれけるさぶらひのもとにあづけおかれたりけるおんすずりを、ともときしてめしよせて、しやうにんにたてまつり、「これをばひとにたびさふらはで、つねにおんめのかからんずるところにおかれさふらひて、それがしがものぞかしとごらんぜられんたびごとには、おんねんぶつさふらふべし。またおんひまには、きやうをもいつくわんごゑかうさふらはば、しかるべうさふらふ」とまうされければ、しやうにんとかうのへんじにもおよびたまはず、これをとつてふところにいれ、すみぞめのそでをかほにおしあて、なくなくくろだにへぞかへられける。くだんのすずりは、しんぷにふだうしやうこく、そうてうのみかどへ、しやきんをおほくまゐらさせたまひたりしかば、へんぱうとおぼしくて、につぽんわだのへいたいしやうこくのもとへとて、おくられたりけるとかや。なをばまつかげとぞまうしける。P207
「かいだうくだり」(『かいだうくだり』)S1006さるほどにほんざんみのちうじやうしげひらのきやうをば、かまくらのさきのひやうゑのすけよりとも、しきりにまうされければ、さらばくださるべしとて、とひのじらうさねひらがてより、くらうおんざうしのしゆくしよへわたしたてまつる。おなじきさんぐわつとをかのひ、かぢはらへいざうかげときにぐせられて、くわんとうへこそくだられけれ。さいこくにていかにもなるべかりしひとの、いきながらとらはれて、みやこへのぼりたまふだにくちをしきに、いまさらまたせきのひんがしへおもむかれんこころのうち、おしはかられてあはれなり。しのみやがはらになりぬれば、ここはむかしえんぎだいしのわうじせみまるの、せきのあらしにこころをすまし、びはをひきたまひしに、はくがのさんみといつしひと、かぜのふくひもふかぬひも、あめのふるよもふらぬよも、みとせがあひだあゆみをはこび、たちききて、かのさんきよくをつたへけん、わらやのとこのいにしへも、おもひやられてあはれなり。あふさかやまうちこえて、せたのからはし、こまもとどろとふみならし、ひばりあがれるのぢのさと、しがのうらなみはるかけて、かすみにくもるかがみやま、ひらのたかねをきたにして、いぶきのだけもちかづきぬ。こころをとむとしなけれども、あれてなかなかやさしきは、ふはのせきやのいたびさし、いかにP208なるみのしほひがた、なみだにそではしをれつつ、かのありはらのなにがしの、からごろもきつつなれにしとながめけん、みかはのくにのやつはしにもなりぬれば、くもでにものをとあはれなり。はまなのはしをわたりたまへば、まつのこずゑにかぜさえて、いりえにさわぐなみのおと、さらでもたびはものうきに、こころをつくすゆふまぐれ、いけだのしゆくにもつきたまひぬ。かのしゆくのちやうじやゆやがむすめ、じじうがもとに、そのよはさんみしゆくせられけり。じじう、さんみのちうじやうどのをみたてまつて、「ひごろはつてにだにおぼしめしよりたまはぬひとの、けふはかかるところへいらせたまふことのふしぎさよ」とて、いつしゆのうたをたてまつる。
たびのそらはにふのこやのいぶせさにふるさといかにこひしかるらむ W078
ちうじやうのへんじに、
ふるさともこひしくもなしたびのそらみやこもつひのすみかならねば W079
ややあつて、ちうじやう、かぢはらをめして、「さてもただいまのうたのぬしは、いかなるものぞ。やさしうもつかまつたるものかな」とのたまへば、かげときかしこまつてまうしけるは、「きみはいまだしろしめされさふらはずや。あれこそやしまのおほいとのの、いまだたうごくのかみにてわたらせたまひしとき、めされまゐらせて、ごさいあいさふらひしに、らうぼをこれにとどめおき、つねはいとまをまうししかども、たまはらざりければ、ころはやよひのはじめにてもやさふらひけん、
いかにせむみやこのはるもをしけれどなれしあづまのはなやちるらむ W080
とP209いふめいかつかまつり、いとまをたまはつてまかりくだりさふらひし、かいだういちのめいじんにてさふらふ」とぞまうしける。みやこをいでてひかずふれば、やよひもなかばすぎ、はるもすでにくれなんとす。ゑんざんのはなはのこんのゆきかとみえて、うらうらしまじまかすみわたり、こしかたゆくすゑのことどもをおもひつづけたまふにも、「こはさればいかなるしゆくごふのうたてさぞ」とのたまひて、ただつきせぬものはなみだなり。おんこのいちにんもおはせぬことを、ははのにゐどのもなげき、きたのかただいなごんのすけどのも、ほいなきことにしたまひて、よろづのかみほとけにかけていのりまうされけれども、そのしるしなし。「かしこうぞなかりける。こだにもあらましかば、いかばかりおもふことあらむ」とのたまひけるこそせめてのことなれ。さやのなかやまにかかりたまふにも、またこゆべしともおぼえねば、いとどあはれのかずそひて、たもとぞいたくぬれまさる。うつのやまべのつたのみち、こころぼそくもうちこえて、てごしをすぎてゆけば、きたにとほざかつて、ゆきしろきやまあり。とへばかひのしらねといふ。そのときさんみのちうじやうおつるなみだをおさへつつ、
をしからぬいのちなれどもけふまでにつれなきかひのしらねをもみつ W081
きよみがせきうちこえて、ふじのすそのになりぬれば、きたにはせいざんががとして、まつふくかぜさくさくたり。みなみにはさうかいまんまんとして、きしうつなみもぼうぼうたり。「こひせばやせぬべし、こひせずもありけり」と、みやうじんのうたひはじめたまひけん、あしがらのやまうちこえて、P210こゆるぎのもり、まりこがは、こいそ、おほいそのうらうら、やつまと、とがみがはら、みこしがさきをもうちすぎて、いそがぬたびとはおもへども、ひかずやうやうかさなれば、かまくらへこそいりたまへ。
「せんじゆ」(『せんじゆのまへ』)S1007さるほどにひやうゑのすけどの、さんみのちうじやうどのにたいめんあつてまうされけるは、「そもそもよりとも、きみのおんいきどほりをやすめたてまつり、ちちのはぢをきよめんとおもひたちしうへは、へいけをほろぼさんこと、あんのうちにぞんぜしかども、まさしうかやうにおんめにかかるべしとは、かけてはぞんじさふらはず。このぢやうでは、やしまのおほいとののげんざんにもいりぬべしとおぼえさふらふ。さてもなんとえんしやうのことは、こにふだうしやうこくのごせいばいにてさふらひけるか、またときにとつてのおんぱからひか、もつてのほかのざいごふでこそさふらふめれ」とまうされければ、さんみのちうじやうのたまひけるは、「まづなんとえんしやうのことは、こにふだうしやうこくのせいばいにもあらず、またしげひらがわたくしのほつきにてもさふらはず。しゆとのあくぎやうをしづめんがために、まかりむかつてさふらひしほどに、ふりよにがらんのめつぼうにおよびさふらひぬることは、ちからおよばざるしだいなり。ことあたらしきまうしごとにてさふらへども、むかしはげんぺいさうにあらそひて、てうかのおんかためたりしかども、P211ちかごろはげんじのうんかたぶきたつしこと、ひとみなぞんぢのむねなり。なかんづくたうけはほうげんへいぢよりこのかた、どどのてうてきをたひらげ、けんじやうみにあまり、かたじけなくもいつてんのきみのごぐわいせきとして、ていそだいじやうだいじんにいたり、いちぞくのしようじんろくじふよにん、にじふよねんがこのかたは、くわんかかいてんがにかたをならぶるものもさふらはず。それにつきさふらひては、ていわうのおんかたきうつたるものは、しちだいまでてうおんつきずとまうすことは、きはめたるひがごとにてぞさふらひける。そのゆゑは、まのあたりこにふだうしやうこくは、きみのおんためにいのちをうしなはんとすることどどにおよぶ。されどもそのみいちだいのさいはひにて、しそんかやうになるべきやは。うんつきよみだれて、みやこをいでしのちは、かばねをさんやにさらし、うきなをさいかいのなみにながさばやとこそぞんぜしに、いきながらとらはれて、これまでくだるべしとは、ゆめゆめぞんじさふらはず。ただぜんぜのしゆくごふこそくちをしうさふらへ。ただしいんたうはかたいにとらはれ、ぶんわうはいうりにとらはるといふもんあり。しやうこなほかくのごとし。いはんやまつだいにおいてをや。ゆみやとるみの、かたきのてにわたつて、いのちをうしなはんこと、まつたくはぢにてはぢならず。ただはうおんには、とくとくかうべをはねらるべし」とて、そののちはものをものたまはず。かぢはらこれをうけたまはつて、「あつぱれたいしやうぐんや」とてなみだをながす。さぶらひどももみなそでをぞぬらしける。ひやうゑのすけどのもまことにあはれにおもはれければ、「そもそもへいけを、よりともがわたくしのかたきとは、ゆめゆめおもひたてまつらず。ただていわうのおほせこそおもうさふらへ。さりながらもなんとをほろぼされたるP212がらんのかたきなれば、だいしゆさだめてまうすむねもやあらんずらん」とて、いづのくにのぢうにん、かののすけむねもちにぞあづけられける。そのてい、めいどにてしやばせかいのざいにんを、なぬかなぬかにじふわうのてへわたさるらんも、かくやとおぼえてあはれなり。されどもかののすけは、なさけあるものにて、いたうきびしうもあたりたてまつらず、やうやうにいたはりまゐらせ、あまつさへゆどのしつらひなんどして、おんゆひかせたてまつる。ちうじやうみちすがらのあせいぶせかりければ、みをきよめてうしなはれんにこそとおもひて、まちたまふところに、ややあつて、としのよはひにじふばかんなるにようばうの、いろしろうきよげにて、かみのかかりまことにうつくしきが、めゆひのかたびらに、そめつけのゆまきして、ゆどののとおしあけてまゐりたり。そのあとに、じふしごばかんなるめのわらはの、かみはあこめだけなりけるが、こむらごのかたびらきて、はんざふたらひにくしいれてもつてまゐりたり。このにようばうかいしやくにて、ややひさしうおゆひかせたてまつり、かみあらひなんどして、いとままうしていでけるが、「をとこなんどはことなうもぞおぼしめす。をんなはなかなかくるしかるまじとて、かまくらどのよりまゐらせられてさぶらふ。なにごともおぼしめすことあらば、うけたまはつてまうせとこそ、ひやうゑのすけどのはおほせさぶらひつれ」。ちうじやう、「いまはかかるみとなつて、なにごとをかおもふべき。ただおもふこととては、しゆつけぞしたき」とのたまへば、かのにようばうかへりまゐつて、ひやうゑのすけどのにこのよしをまうす。ひやうゑのすけどの、「それおもひもよらず。わたくしのかたきならばこそ。てうてきとしてあづかりたてまつたれば、かなふまじ」とぞのたまひける。かのをんなまゐつて、さんみのちうじやうどのにこのよしをP213まうし、いとままうしていでければ、ちうじやう、しゆごのぶしにのたまひけるは、「さてもただいまのにようばうは、いうなりつるものかな。なをばなにといふやらん」ととひたまへば、かののすけまうしけるは、「あれはてごしのちやうじやがむすめでさふらふが、みめかたち、こころざま、いうにわりなきものとて、このにさんかねんは、すけどのにめしおかれてさふらふ。なをばせんじゆのまへとまうしさふらふ」とぞまうしける。
そのゆふべあめすこしふつて、よろづものさびしげなるをりふし、くだんのにようばう、びはこともたせてまゐりたり。かののすけも、いへのこらうどうじふよにんひきぐして、ちうじやうどののおんまへちかうさふらひけるが、しゆをすすめたてまつる。せんじゆのまへしやくをとる。ちうじやうすこしうけて、いときようなげにておはしければ、かののすけまうしけるは、「かつきこしめされてもやさふらふらん。むねもちは、もといづのくにのものにてさふらへば、かまくらではたびにてさふらへども、こころのおよばんほどはほうこうつかまつりさふらふべし。なにごともおぼしめすことあらば、うけたまはつてまうせと、ひやうゑのすけどのおほせさふらふ。それなにごとにてもまうして、しゆをすすめたてまつりたまへ」といひければ、せんじゆのまへ、しやくをさしおき、「らきのちよういたる、なさけなきことをきふにねたむ」といふらうえいを、いちりやうへんしたりければ、さんみのちうじやう、「このらうえいをせんひとをば、きたののてんじん、まいにちさんどかけつて、まぼらんとちかはせたまふとなり。されどもしげひらは、こんじやうにては、はやすてられたてまつたるみなれば、じよいんしてもなにかせん。ただしざいしやうかるみぬべきことならば、したがふべし」とのたまへば、せんじゆのまへやがて、「じふあくといへどもP214
なほいんぜふす」といふらうえいをして、「ごくらくねがはんひとは、みなみだのみやうがうをとなふべし」といふいまやうを、しごへんうたひすましたりければ、そのときちうじやうさかづきをかたぶけらる。せんじゆのまへたまはつてかののすけにさす。むねもちがのむときに、ことをぞひきすましたる。さんみのちうじやう、「ふつうにはこのがくをば、ごしやうらくといへども、いましげひらがためには、ごしやうらくとこそくわんずべけれ。やがてわうじやうのきふをひかん」とたはぶれ、びはをとり、てんじゆをねぢて、わうじやうのきふをぞひかれける。かくてよもやうやうふけ、よろづこころのすむままに、「あなおもはずや、あづまにもかかるいうなるひとのありけるよ。それなにごとにてもいまひとこゑ」とのたまへば、せんじゆのまへかさねて、「いちじゆのかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶも、みなこれぜんぜのちぎり」といふしらびやうしを、まことにおもしろうかぞへたりければ、さんみのちうじやうも、「ともしびくらうしては、すかうぐしがなんだ」といふらうえいをぞせられける。たとへばこのらうえいのこころは、むかしもろこしにかんのかうそとそのかううとくらゐをあらそひ、かつせんすることしちじふにど、たたかひごとにかううかちぬ。されどもつひには、かううたたかひまけてほろびしとき、すゐといふむまのいちにちにせんりをとぶにのつて、ぐしといふきさきとともに、にげさらんとしたまへば、むまいかがおもひけん、あしをととのへてはたらかず。かううなみだをながいて、わがゐせいすでにすたれたり。かたきのおそふはことのかずならず。ただこのきさきにわかれんことをのみ、なげきかなしみたまひけり。ともしびくらうなりしかば、ぐしこころぼそさになみだをながす。ふけゆくままには、ぐんびやうしめんにときをつくる。このこころをきつしやうこうのしにつくれるを、P215さんみのちうじやういまおもひいで、くちずさびたまふにや、いとやさしうぞきこえし。さるほどによもあけければ、かののすけいとままうしてまかりいづ。せんじゆのまへもかへりけり。そのあしたひやうゑのすけどのは、ぢぶつだうにほけきやうようでおはしけるところへ、せんじゆのまへかへりまゐりたり。ひやうゑのすけどのうちゑみたまひて、「さてもゆふべちうじんをば、おもしろうもしつるものかな」とのたまへば、さいゐんのじくわんちかよし、おんまへにものかいてさふらひけるが、「なにごとにてさふらふやらん」とまうしければ、すけどののたまひけるは、「へいけのひとびとは、このにさんかねんは、いくさかつせんのいとなみのほかは、またたじあるまじきとこそおもひしに、さてもさんみのちうじやうのびはのばちおと、らうえいのくちずさび、よもすがらたちききつるに、いうにやさしきひとにておはしけり」とのたまへば、ちかよしまうしけるは、「たれもゆふべうけたまはりたくさふらひしかども、をりふしあひいたはることのさふらひて、うけたまはらずさふらふ。こののちはつねにたちききさふらふべし。へいけはだいだいかじんさいじんたちにてわたらせたまひさふらふ。せんねんあのひとびとを、はなにたとへてさふらひしには、このさんみのちうじやうどのをば、ぼたんのはなにたとへてさふらひしか」とぞまうしける。さんみのちうじやうのびはのばちおと、らうえいのくちずさみ、ひやうゑのすけどの、のちまでもありがたきことにぞのたまひける。そののちちうじやうなんとへわたされて、きられたまひぬときこえしかば、せんじゆのまへは、なかなかものおもひのたねとやなりにけん、やがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはてて、しなののくにぜんくわうじにおこなひすまして、かのごせぼだいを、とぶらひけるぞあはれなる。P216
「よこぶえ」(『よこぶえ』)S1008さるほどにこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうは、みがらはやしまにありながら、こころはみやこへかよはれけり。ふるさとにとどめおきたまひしきたのかたをさなきひとびとのおもかげのみ、みにひしとたちそひて、わするるひまもなかりければ、あるにかひなきわがみかなとて、じゆえいさんねんさんぐわつじふごにちのあかつき、しのびつつやしまのたちをばまぎれいで、よさうびやうゑしげかげ、いしどうまるといふわらは、ふねにこころえたればとて、たけさとといふとねり、これさんにんをめしぐして、あはのくにゆふきのうらよりふねにのり、なるとのおきをこぎすぎて、きのぢへおもむきたまひけり。わか、ふきあげ、そとほりひめのかみとあらはれたまへるたまつしまのみやうじん、にちぜんこくけんのおまへをすぎて、きのみなとにこそつきたまへ。それよりやまづたひにみやこへのぼり、こひしきものどもをも、いまいちどみもし、みえばやとはおもはれけれども、をぢほんざんみのちうじやうどののいけどりにせられて、きやうかまくらはぢをさらさせたまふだにもくちをしきに、このみさへとらはれて、ちちのかばねにちをあやさんこともこころうしとて、ちたびこころはすすめども、こころにこころをからかひて、かうやのおやまへまゐりたまふ。かうやにとしごろしりたまへるひじりあり。さんでうのさいとうざゑもんもちよりがこに、さいとうたきぐちときよりとて、P217もとはこまつどののさぶらひたりしが、じふさんのとしほんじよへまゐりたり。けんれいもんゐんのざふしよこぶえといふをんなあり。たきぐちこれにさいあいす。ちちこのよしをつたへきいて、「よにあらんもののむこごにもなし、しゆつしなんどをも、こころやすうせさせんとおもひゐたれば、よしなきものをおもひそめて」など、あながちにいさめければ、たきぐちまうしけるは、「せいわうぼといつしひとも、むかしはあつていまはなし。とうばうさくとききしものも、なをのみききてめにはみず。らうせうふぢやうのさかひは、ただせきくわのひかりにことならず。たとひひとぢやうみやうといへども、しちじふはちじふをばすぎず。そのうちにみのさかんなることは、わづかににじふよねんなり。ゆめまぼろしのよのなかに、みにくきものを、かたときもみてなにかせん。おもはしきものをみんとすれば、ちちのめいをそむくににたり。これぜんぢしきなり。しかじ、うきよをいとひ、まことのみちにいりなん」とて、じふくのとしもとどりきつて、さがのわうじやうゐんにおこなひすましてぞゐたりける。
よこぶえこのよしをつたへきいて、われをこそすてめ、さまをさへかへけんことのうらめしさよ。たとひよをばそむくとも、などかはかくとしらせざらん。ひとこそこころづよくとも、たづねてうらみんとおもひつつ、あるくれがたにみやこをいでて、さがのかたへぞあくがれける。ころはきさらぎとをかあまりのことなれば、うめづのさとのはるかぜに、よそのにほひもなつかしく、おほゐがはのつきかげも、かすみにこめておぼろなり。ひとかたならぬあはれさも、たれゆゑとこそおもひけめ。わうじやうゐんとはききつれども、さだかにいづれのばうともしらざれば、P218ここにやすらひかしこにたたずみ、たづねかぬるぞむざんなる。すみあらしたるそうばうに、ねんじゆのこゑしけるを、たきぐちにふだうがこゑとききすまして、「おんさまのかはりておはすらんをも、みもしみえまゐらせんがために、わらはこそこれまでまゐつてさぶらへ」と、ぐしたるをんなにいはせければ、たきぐちにふだう、むねうちさわぎ、あさましさに、しやうじのひまよりのぞきてみれば、すそはつゆ、そではなみだにうちしをれつつ、すこしおもやせたるかほばせ、まことにたづねかねたるありさま、いかなるだいだうしんじやも、こころよわうなりぬべし。たきぐちにふだう、ひとをいだいて、「まつたくこれにはさるひとなし。もしかどたがへにてもやさふらふらん」と、いはせたりければ、よこぶえなさけなううらめしけれども、ちからおよばず、なみだをおさへてかへりけり。そののちたきぐちにふだう、どうしゆくのそうにかたりけるは、これもよにしづかにて、ねんぶつのしやうげはさふらはねども、あかでわかれしをんなに、このすまひをみえてさふらへば、たとひいちどはこころづよくとも、またもしたふことあらば、こころもはたらきさふらひなんず。いとままうす」とて、さがをばいでてかうやへのぼり、しやうじやうしんゐんにおこなひすましてぞゐたりける。よこぶえもやがてさまをかへぬるよしきこえしかば、たきぐちにふだう、いつしゆのうたをぞおくりける。
そるまではうらみしかどもあづさゆみまことのみちにいるぞうれしき W082
よこぶえがへんじに、
そるとてもなにかうらみむあづさゆみひきとどむべきこころならねば W083 
P219そののちよこぶえは、ならのほつけじにありけるが、そのおもひのつもりにや、いくほどなくて、つひにはかなくなりにけり。たきぐちにふだうこのよしをつたへきいて、いよいよふかうおこなひすましてゐたりければ、ちちもふけうをゆるしけり。したしきものどももみなもちひて、かうやのひじりとぞまうしける。さんみのちうじやう、このひじりにたづねあひてみたまふに、みやこにありしときは、ほういにたてゑぼし、えもんをつくろひ、びんをなで、はなやかなりしをのこなり。しゆつけののちは、けふはじめてみたまふに、いまださんじふにもならざるが、らうそうすがたにやせおとろへ、こきすみぞめにおなじけさ、かうのけぶりにしみかをり、さかしげにおもひいつたるだうしんじや、うらやましうやおもはれけん。かのしんのしちげん、かんのしかうがすみけん、しやうざん、ちくりんのありさまも、これにはすぎじとぞみえし。
「かうやのまき」(『かうやのまき』)S1009たきぐちにふだう、さんみのちうじやうをみたてまつり、「こはうつつともおぼえさふらはぬものかな。さてもやしまをば、なにとしてかはのがれさせたまひてさふらふやらん」とまうしければ、さんみのちうじやう、「さればとよ、みやこをばひとなみなみにいでて、さいこくへおちくだりたりしかども、P220ふるさとにとどめおきたりしをさなきものどもがおもかげのみ、みにひしとたちそひて、わするるひまもなかりしかば、そのものおもふこころや、いはぬにしるくやみえけん、おほいとのもにゐどのも、このひとはいけのだいなごんのやうに、よりともにこころをかよはして、ふたごころありなんとおもひへだてたまふあひだ、いとどこころもとどまらで、これまであくがれいでたんなり。これにてしゆつけして、ひのなかみづのそこへも、いりなばやとはおもへども、ただしくまのへまゐりたきしゆくぐわんあり」とのたまへば、たきぐちにふだうまうしけるは、「ゆめまぼろしのよのなかは、とてもかくてもさふらひなんず。ただながきよのやみこそこころうかるべうさふらへ」とぞまうしける。やがてこのたきぐちにふだうをせんだちにて、だうたふじゆんれいして、おくのゐんへぞまゐられける。かうやさんはていせいをさつてじはくり、きやうりをはなれてむにんじやう、せいらんこずゑをならしては、せきじつのかげしづかなり。はちえふのみね、やつのたに、まことにこころもすみぬべし。はなのいろはりんぶのそこにほころび、れいのおとはをのへのくもにひびけり。かはらにまつおひかきにこけむして、せいざうひさしくおぼえたり。むかしえんぎのみかどのおんとき、ごむさうのおんつげあつて、ひはだいろのぎよいをまゐらさせたまふに、ちよくしちうなごんすけずみのきやう、はんにやじのそうじやうくわんげんをあひぐして、このおやまにのぼり、みめうのとびらをおしひらき、おんころもをきせたてまつらんとしけるに、きりあつうへだたつて、だいしをがまれさせたまはず。ときにくわんげんふかくしうるゐして、「われひものたいないをいでて、ししやうのしつにいつしよりこのかた、いまだきんかいをぼんぜず、さればなどかP221をがみたてまつらざるべき」とて、ごたいをちになげ、ほつろていきふしたまへば、やうやうきりはれて、つきのいづるがごとくに、だいしをがまれさせたまひけり。そのときくわんげんずゐきのなみだをながいて、おんころもをきせたてまつり、おんぐしのながうおひのびさせたまひたるをも、そりたてまつるぞありがたき。ちよくしとそうじやうはをがみたまへども、そうじやうのおんでし、いしやまのないくしゆんいう、そのときはいまだとうぎやうにてぐぶせられたりしが、だいしををがみたてまつらずして、ふかうなげきしづんでおはしけるを、そうじやうてをとつて、だいしのおんひざにおしあてられたりければ、そのていちごがあひだ、かうばしかりけるとかや。そのうつりがは、いしやまのしやうげうにのこつて、いまにありとぞうけたまはる。だいし、みかどのおんぺんじにまうさせたまひけるは、「われむかしさつたにあひて、まのあたりことごとくいんみやうをつたふ。むびのせいぐわんをおこして、へんりのいゐきにはんべり。ちうやにばんみんをあはれんで、ふげんのひぐわんにぢうせり。にくしんにさんまいをしようじて、じしのげしやうをまつ」とぞまうさせたまひける。かのまかかせふのけいそくのほらにこもつて、しづのはるのかぜをこしたまふらんも、かくやとぞおぼえける。ごにふぢやうは、しようわにねんさんぐわつにじふいちにち、とらのいつてんのことなれば、すぎにしかたはさんびやくよさい、ゆくすゑもなほごじふろくおくしちせんまんざいののち、じそんのしゆつせ、さんゑのあかつきをまたせたまふらんこそひさしけれ。P222
「これもりのしゆつけ」(『これもりのしゆつけ』)S1010「これもりがみのいつとなく、せつせんのとりのなくらんやうに、けふよあすよとおもふことを」とて、なみだぐみたまふぞあはれなる。しほかぜにくろみ、つきせぬものおもひにやせおとろへて、そのひととはみえたまはねども、なほよのひとにはすぐれたまへり。そのよはたきぐちにふだうがあんじつにかへつて、むかしいまのものがたりどもしたまひけり。ふけゆくままに、ひじりがぎやうぎをみたまへば、しごくじんじんのゆかのうへには、しんりのたまをみがくらんとみえて、ごやじんでうのかねのこゑには、しやうじのねぶりをさますらんともおぼえたり。のがれぬべくは、かくてもあらまほしうやおもはれけん。あけければ、とうぜんゐんのちかくしやうにんとまうすひじりをしやうじたてまつて、しゆつけせんとしたまひけるが、よさうびやうゑしげかげ、いしどうまるをめしてのたまひけるは、「これもりこそひとしれぬおもひをみにそへながら、みちせばうのがれがたきみなれば、いかにもなるといふとも、なんぢらはいのちをすつべからず。このごろはよにあるひとこそおほけれ。われいかにもなりなんのち、いそぎみやこへのぼつて、おのおのがみをもたすけ、かつうはさいしをもはぐくみ、かつうはこれもりがごせをもとぶらへかし」とのたまへば、ににんのものども、なみだにむせびうつぶして、しばしはとかうのP223おんぺんじにもおよばず。ややあつて、しげかげなみだをおさへてまうしけるは、「しげかげがちちよさうざゑもんかげやすは、へいじのげきらんのとき、ことののおんともにさふらひて、にでうほりかはのへんにて、かまだびやうゑとくんで、あくげんだにうたれさふらひぬ。しげかげもなじかはおとりさふらふべきなれども、そのときはいまだにさいになりさふらへば、すこしもおぼえさふらはず。ははにはしちさいにておくれさふらひぬ。なさけをかくべきしたしきもの、いちにんもさふらはざりしに、こおほいとの、おんあはれみさふらひて、あれはわがいのちにかはりたりしもののこなればとて、あさゆふおんまへにて、そだてられまゐらせて、しやうねんここのつとまうししとき、きみのおんげんぶくさふらひしよ、かたじけなくもかしらをとりあげられまゐらせて、『もりのじはいへのじなれば、ごだいにつく。しげのじをばまつわうに』とおほせられて、しげかげとはめされまゐらせけるなり。そのうへわらはなをまつわうとまうしけることも、うまれていみごじふにちとまうすに、ちちがいだいてまゐりたりしかば、『このいへをこまつといへば、いはうてつくるなり』とおほせられて、まつわうとはつけられまゐらせてさふらひけるなり。ちちがようてしにけるも、わがみのみやうがとおぼえさふらふ。ずゐぶんどうれいどもにも、ほうじんせられてこそまかりすぎさふらひしか。さればごりんじうのおんときも、このよのなかのことをば、おぼしめしすてて、いちじもおほせられざりしに、しげかげをおんまへへめして、『あなむざん、なんぢはしげもりをちちがかたみとおもひ、しげもりはなんぢをかげやすがかたみとおもひてこそすごしつれ。こんどのぢもくにゆきへのじようになして、ちちかげやすをよびしやうに、めさばやとこそおぼしめしつるに、むなしうなるこそP224かなしけれ。
あひかまへてせうしやうどののおんこころにばしたがひまゐらすな』とこそおほせさふらひしか。ひごろはしぜんのこともさふらはば、まづまつさきにいのちをたてまつらうどこそぞんじさふらひしに、みすてまゐらせておつべきものとおぼしめされさふらふおんこころのうちこそはづかしうさふらへ。『このごろはよにあるひとこそおほけれ』と、おほせをかうむりさふらふは、たうじのごとくんば、みなげんじのらうどうどもこそさふらふらめ。きみのかみにもほとけにもならせたまひなんのち、たのしみさかえさふらふとも、せんねんのよはひをふるべきか。たとひまんねんをたもちさふらふとも、つひにはをはりのなかるべきかは。これにすぎたるぜんぢしき、なにごとかさふらふべき」とて、てづからもとどりきつて、たきぐちにふだうにぞそらせける。いしどうまるもこれをみて、もとゆひぎはよりかみをきる。これもやつよりつきまゐらせて、しげかげにもおとらず、ふびんにしたまひしかば、おなじうたきぐちにふだうにぞそられける。これらがさきだつてかやうになるをみたまふにつけても、いとどこころぼそうぞなられける。「あはれいかにもして、かはらぬすがたをいまいちど、こひしきものどもにみえてのち、かくならばおもふことあらじ」とのたまひけるこそせめてのことなれ。さてしもあるべきことならねば、「るてんさんがいちう、おんあいふのうだん、きおんにふむゐ、しんじつはうおんじや」とさんべんとなへたまひて、つひにそりおろさせたまひてげり。さんみのちうじやうとよさうびやうゑは、どうねんにてことしはにじふしちさいなり。いしどうまるはじふはちにぞなりにける。ややあつてとねりたけさとをめして、「あなかしこ、なんぢはこれよりみやこへはのぼるべからずP225。そのゆゑはつひにはかくれあるまじけれども、まさしうこのありさまをきいては、やがてさまをもかへんずらんとおぼゆるぞ。ただこれよりやしまへまゐつて、ひとびとにまうさんずることはよな。『かつごらんじさふらひしやうに、おほかたのせけんもものうく、あぢきなさもよろづかずそひておぼえしほどに、ひとびとにかくともしらせまゐらせずして、かやうにまかりなりさふらひぬることは、さいこくにてひだんのちうじやううせさふらひぬ。いちのたににてびつちうのかみうたれさふらひぬ。これもりさへかやうになりさふらへば、いかにおのおののたよりなうおぼしめされさふらはんずらんと、それのみこそこころぐるしうさふらへ。そもそもからかはといふよろひ、こがらすといふたちは、へいしやうぐんさだもりよりこのかた、たうけにつたへて、これもりまではちやくちやくくだいにあひあたる。こののちもしうんめいひらけて、みやこへかへりのぼらせたまふこともさふらはば、ろくだいにたぶべし』とまうすべし」とぞのたまひける。たけさとなみだにむせびうつぶして、しばしはとかうのおんぺんじにもおよばず。ややあつてなみだをおさへてまうしけるは、「いづくまでもおんともまうし、さいごのおんありさまをもみまゐらせてのちこそ、やしまへもまゐらめ」とまうしければ、さらばとてめしぐせらる。ぜんぢしきのためにとて、たきぐちにふだうをもぐせられけり。かうやをばやまぶししゆぎやうじやのやうにいでたつて、おなじきくにのうち、さんどうへこそいでられけれ。ふじしろのわうじをはじめたてまつて、わうじわうじをふしをがみ、まゐりたまふほどに、せんりのはまのきた、いはしろのわうじのおんまへにて、かりしやうぞくなるもの、しちはつきがほどゆきあひたてまつる。「すでにからめとらんずるにこそ。はらをきらん」とおのおのこしのかたなにてをかけたまふところにP226、さはなくして、むまよりおり、ちかづきたてまつたりけれども、すこしもあやまつべきけしきもなく、ふかうかしこまつてとほりぬ。このへんにもみしりまゐらせたるもののあるにこそ、たれなるらんとはづかしくて、いとどあしばやにぞさしたまふ。これはたうごくのぢうにん、ゆあさのごんのかみむねしげがこ、ゆあさのしちらうびやうゑむねみつといふものなり。らうどうども、「あれはいかに」ととひければ、「あれこそこまつのおほいとののおんちやくし、さんみのちうじやうどのよ。そもそもやしまをば、なにとしてかはのがれさせたまひたりけるやらん。はやおんさまかへさせたまひたり。よさうびやうゑ、いしどうまるもおなじうしゆつけして、おんともにぞまゐりける。ちかづきまゐつて、おんげんざんにもいりたかりつれども、おんはばかりもぞおぼしめすとてとほりぬ。あなあはれなりけるおんことかな」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとなきければ、らうどうどももみなかりぎぬのそでをぞぬらしける。
「くまのさんけい」(『くまのさんけい』)S1011やうやうさしたまふほどに、いはだがはにもつきたまひぬ。このかはのながれをいちどもわたるものは、あくごふぼんなうむしのざいしやうきゆなるものをと、たのもしうぞおぼしめす。ほんぐうしようじやうでんのごぜんにて、しづかにほつせまゐらせて、よもすがらおやまのていをながめたまふに、こころもことばもP227およばれず。だいひおうごのかすみは、ゆやさんにたなびき、れいげんぶさうのしんめいは、おとなしがはにあとをたる。いちじようしゆぎやうのきしには、かんおうのつきくまもなく、ろくこんざんげのにはには、まうざうのつゆもむすばず。いづれもいづれもたのもしからずといふことなし。よふけひとしづまつてのち、けいびやくしたまひけるは、ちちのおとどのこのおんまへにて、いのちをめしてごせをたすけさせたまへと、いのりまうさせたまひしおんことなどまでも、おぼしめしいでてあはれなり。「なかにもたうざんごんげんは、ほんぢあみだによらいにておはします。せつしゆふしやのほんぐわんあやまたず、じやうどへみちびきたまへ」と、いのりまうされける。なかにもふるさとにとどめおきたまひしさいしあんをんにと、いのられけるこそかなしけれ。うきよをいとひ、まことのみちにいりたまへども、まうじふはなほつきずとおぼえて、あはれなりしことどもなり。あけければ、ほんぐうよりふねにのり、しんぐうへぞまゐられける。かんのくらををがみたまふに、がんしようたかくそびえて、あらしまうざうのゆめをやぶり、りうすゐきよくながれて、なみぢんあいのあかをすすぐらんともおぼえたり。あすかのやしろふしをがみ、さののまつばらさしすぎて、なちのおやまにまゐりたまふ。さんぢうにみなぎりおつるたきのみづ、すせんぢやうまでよぢのぼり、くわんおんのれいざうは、いはのうへにあらはれて、ふだらくせんともいつつべし。かすみのそこにはほつけどくじゆのこゑきこゆ。りやうじゆせんともまうしつべし。そもそもごんげんたうざんにあとをたれさせましましてよりこのかた、わがてうのきせんじやうげ、あゆみをはこび、かうべをかたぶけ、たなごころをあはせて、りしやうにあづからずといふことなし。そうりよさればいらかをならべ、だうぞくそでをつらねたり。くわんわのなつのころ、くわざんのほふわうP228、じふぜんのていゐをすべらせたまひて、くほんのじやうせつをおこなはせたまひけんごあんじつのきうせきには、むかしをしのぶとおぼしくて、おいきのさくらぞさきにける。いくらもなみゐたりけるなちごもりのそうどものなかに、このさんみのちうじやうどのを、みやこにてよくみしりまゐらせたるとおぼしくて、どうぎやうのそうにかたりけるは、「これなるしゆぎやうじやをたれやらんとおもひゐたれば、あなこともおろかや、こまつのおほいとののおんちやくし、さんみのちうじやうどのにてましますなり。あのとののいまだしゐのせうしやうなりしあんげんのはるのころ、ゐんのごしよほふぢうじどのにて、ごじふのおんがのありしに、ちちこまつどのは、ないだいじんのさだいしやうにておはします。をぢむねもりのきやうは、だいなごんのうだいしやうにて、かいかにちやくざせられき。そのほかさんみのちうじやうとももり、とうのちうじやうしげひらいげ、いちもんのくぎやうでんじやうびと、けふをはれとときめき、かいしろにたちたまひしなかより、このさんみのちうじやうどの、さくらのはなをかざいて、せいがいはをまうていでられたりしかば、つゆにこびたるはなのおんすがた、かぜにひるがへるまひのそで、ちをてらしてんもかかやくばかりなり。にようゐんよりくわんばくどのをおつかひにて、ぎよいをかけられしかば、ちちのおとどざをたち、これをたまはつて、みぎのかたにかけ、ゐんをはいしたてまつりたまふ。めんぼくたぐひすくなうぞみえし。かたへのてんじやうびとも、いかばかりうらやましうやおもはれけん。だいりのにようばうたちのなかには、みやまぎのなかのやうばいとこそおぼゆれなんど、いはれたまひしひとぞかし。ただいまだいじんのだいしやうをまちかけたまへるひととこそみたてまつりしに、けふはかくやつれはてたまへるおんありさま、かねてはおもひよらざりしをや。うつればかはるよのP229ならひとはいひながら、あはれなりけるおんことかな」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとなきければ、なちごもりのそうどもも、みなうちごろものそでをぞしぼりける。
「これもりのじゆすゐ」(『これもりのじゆすい』)S1012みつのおやまのさんけい、ことゆゑなうとげたまひしかば、はまのみやとまうしたてまつるわうじのおんまへより、いちえふのふねにさをさして、ばんりのさうかいにうかびたまふ。はるかのおきにやまなりのしまといふところありき。ちうじやうそれにふねこぎよせさせ、きしにあがり、おほきなるまつのきをけづりて、なくなくめいせきをぞかきつけられける。「そぶだいじやうだいじんたひらのあそんきよもりこう、ほふみやうじやうかい、しんぷこまつのないだいじんのさだいしやうしげもりこう、ほふみやうじやうれん、さんみのちうじやうこれもり、ほふみやうじやうゑん、としにじふしちさい、じゆえいさんねんさんぐわつにじふはちにち、なちのおきにてじゆすゐす」とかきつけて、またふねにのり、おきへぞこぎいでたまひける。おもひきりぬるみちなれども、いまはのときにもなりぬれば、さすがこころぼそうかなしからずといふことなし。ころはさんぐわつにじふはちにちのことなれば、かいろはるかにかすみわたり、あはれをもよほすたぐひかな。ただおほかたのはるだにも、くれゆくそらはものうきに、いはんやこれはけふをさいご、ただいまかぎりのことなれば、さこそはこころぼそかりけめ。おきのつりぶねのなみにきえいるやうにおぼゆるがP230、さすがしづみもはてぬをみたまふにつけても、おんみのうへとやおもはれけん。おのがひとつらひきつれて、いまはとかへるかりがねの、こしぢをさしてなきゆくも、こきやうへことづてせまほしく、そぶがここくのうらみまで、おもひのこせるくまもなし。「こはさればなにごとぞや。なほまうじふのつきぬにこそ」とおもひかへし、にしにむかひてをあはせ、ねんぶつしたまふこころのうちにも、「さてもみやこには、いまをかぎりとはいかでかしるべきなれば、かぜのたよりのおとづれをも、いまやいまやとこそまたんずらめ」とおもはれければ、がつしやうをみだり、ねんぶつをとどめ、ひじりにむかつてのたまひけるは、「あはれひとのみに、さいしといふものをば、もつまじかりけるものかな。こんじやうにてものをおもはするのみならず、ごせぼだいのさまたげとなりぬることこそくちをしけれ。ただいまもおもひいでたるぞや。かやうのことをしんぢうにのこせば、あまりにつみふかかんなるあひだ、ざんげするなり」とぞのたまひける。ひじりもあはれにおもひけれども、われさへこころよわうては、かなはじとやおもひけん、なみだおしのごひ、さらぬていにもてなし、「あはれたかきもいやしきも、おんあいのみちは、おもひきられぬことにてさふらへば、まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。なかにもふさいは、いちやのまくらをならぶるも、ごひやくしやうのしゆくえんとうけたまはれば、ぜんぜのちぎりあさからずさふらふ。しやうじやひつめつ、ゑしやぢやうりは、うきよのならひにてさふらふなり。すゑのつゆもとのしづくのためしあれば、たとひちそくのふどうありといふとも、おくれさきだつおんわかれ、つひになくてしもやP231さふらふべき。
かのりさんきうのあきのゆふべのちぎりも、つひにはこころをくだくはしとなり、かんせんでんのしやうぜんのおんも、をはりなきにしもあらず。しようしばいせいしやうがいのうらみあり。とうがくじふぢなほしやうじのおきてにしたがふ。たとひきみちやうせいのたのしみにほこりたまふとも、このおんうらみはつひになくてしもやさふらふべき。たとひまたひやくねんのよはひをたもたせたまふとも、このおんわかれは、いつもただおなじこととおぼしめさるべし。だいろくてんのまわうといふげだうは、よくかいのろくてんをみなわがものとりやうじて、なかにもこのかいのしゆじやうの、しやうじにはなるることををしみ、あるひはめとなり、あるひはをつととなつて、これをさまたげんとするに、さんぜのしよぶつは、いつさいしゆじやうをいつしのごとくにおぼしめして、かのごくらくじやうどのふたいのどにすすめいれんとしたまふに、さいしはむしくわうごふよりこのかた、しやうじにりんゑするきづななるがゆゑに、ほとけはおもういましめたまふなり。さればとておんこころよわうおぼしめすべからず。げんじのせんぞ、いよのにふだうらいぎは、ちよくめいによつて、あうしうのえびすあべのさだたふむねたふをせめたまひしとき、じふにねんがあひだにひとのくびをきること、いちまんろくせんよにんなり。そのほかさんやのけだもの、がうがのうろくづ、そのいのちをたつこと、いくせんまんといふかずをしらず。されどもしうえんのとき、いちねんのぼだいしんをおこせしによつて、わうじやうのそくわいをとげたりとこそうけたまはれ。なかんづくごしゆつけのくどくばくたいなれば、ぜんぜのざいしやうはみなほろびたまひぬらん。もしひとあつてしつぱうのたふをたてんこと、たかささんじふさんてんにいたるといふとも、いちにちのしゆつけのくどくにはおよぶべからず。またひとあつてひやくせんざいがあひだ、ひやくらかんをくやうじたらんずるよりも、いちにちのしゆつけのくどくにはP232およばずとこそとかれたれ。つみふかかりしらいぎも、こころたけきがゆゑに、わうじやうをとぐ。まうしさふらはんや、きみはさせるおんざいごふもましまさざらんに、などかじやうどへまゐらせたまはではさふらふべき。そのうへたうざんごんげんは、ほんぢあみだによらいにておはします。はじめむさんあくしゆのぐわんより、をはりとくさんぽふにんのぐわんにいたるまで、いちいちのせいぐわん、しゆじやうけどのぐわんならずといふことなし。なかにもだいじふはちのぐわんに、『せつがとくぶつ、じつばうしゆじやう、ししんしんげう、よくしやうがこく、ないしじふねん、にやくふしやうじや、ふしゆしやうがく』ととかれたれば、いちねんじふねんのたのみあり。ただこのをしへをふかくしんじて、ゆめゆめうたがひをなすべからず。むにのこんねんをいたして、もしはいつぺんも、もしはじつぺんもとなへたまふものならば、みだによらい、ろくじふまんおくなゆたがうがしやのおんみをつづめ、ぢやうろくはつしやくのおんかたちにて、くわんおんせいし、むしゆのしやうじゆ、けぶつぼさつ、ひやくぢうせんぢうにゐねうし、ぎがくかやうじて、ただいまごくらくのとうもんをいでて、らいかうしたまはんずれば、おんみこそさうかいのそこにしづむとおぼしめさるとも、しうんのうへにのぼりたまふべし。じやうぶつとくだつして、さとりをひらきたまひなば、しやばのこきやうにたちかへつて、さいしをみちびきたまはんこと、げんらいゑこくどにんでん、すこしもあやまちたまふべからず」とて、しきりにかねうちならし、ねんぶつをすすめたてまつれば、ちうじやうもしかるべきぜんぢしきとおぼしめし、たちまちにまうねんをひるがへし、にしにむかひてをあはせ、かうじやうにねんぶつひやくぺんばかりとなへたまひて、なむととなふるこゑともに、うみにぞとびいりたまひける。よさうびやうゑ、いしどうまるも、おなじうみなをとなへつつ、つづいてうみにぞしづみける。P233
「みつかへいじ」(『みつかへいじ』)S1013とねりたけさとも、つづいてうみにいらんとしけるを、ひじりとりとどめ、なくなくけうくんしけるは、「いかにうたてくも、きみのごゆゐごんをば、たがへまゐらせんとはするぞ。げらふこそなほもうたてけれ。いまはいかにもしてながらへて、ごぼだいをとぶらひまゐらせよ」といひければ、「おくれたてまつたるかなしさに、のちのおんけうやうのこともおぼえず」とて、ふなぞこにたふれふし、をめきさけびしありさまは、むかししつだたいしのだんどくせんへいらせたまひしとき、しやのくとねりが、こんでいこまをたまはつて、わうぐうにかへりしかなしびも、これにはすぎじとぞみえし。うきもやあがりたまふと、しばしはふねをおしまはしてみけれども、さんにんともにふかくしづんでみえたまはず。いつしかきやうよみねんぶつして、ゑかうしけるこそあはれなれ。さるほどにせきやうにしにかたぶいて、かいじやうもくらくなりければ、なごりはつきせずおもへども、さてしもあるべきことならねば、むなしきふねをこぎかへる。とわたるふねのかいのしづく、ひじりがそでよりつたふなみだ、わきていづれもみえざりけり。ひじりはかうやへかへりのぼり、たけさとはなくなくやしまへまゐりけり。おんおととしんざんみのちうじやうどのに、おんふみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまひて、P234「あなこころうや。わがおもひたてまつるほど、ひとはおもひたまはざりけることよ。さらばひきぐして、いつしよにもしづみはてたまはで、ところどころにふさんことこそかなしけれ。おほいとのもにゐどのも、よりともにこころをかよはして、みやこへこそおはしたるらめとて、われらにもこころをおきたまひしに、さてはなちのおきにて、おんみをなげてましましけるござんなれ。さておんことばにておほせられしことはなきか」とのたまへば、「おんことばでまうせとおほせさふらひしは、かつごらんじさふらひしやうに、おほかたのせけんもものうく、あぢきなさもよろづかずそひて、おぼえさせましましさふらふほどに、ひとびとにもしらせまゐらせずして、かやうにならせたまふおんことは、さいこくにてひだんのちうじやうどのうせさせたまひさふらひぬ。いちのたににてびつちうのかうのとのうたれさせましましさふらひぬ。おんみさへかやうにならせましましさふらへば、いかにおのおののたよりなうおぼしめされさふらふらんと、ただこれのみこそおんこころぐるしうおほせられさふらひつれ」。からかは、こがらすのことまでも、こまごまとかたりまうしたりければ、しんざんみのちうじやうどの、「いまはわがみとてもながらふべしともおぼえぬものを」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとぞなかれける。こさんみどのにいたくにまゐらさせたまひたりしかば、これをみるさぶらひどもも、さしつどひてそでをぞぬらしける。おほいとのもにゐどのも、「このひとはいけのだいなごんのやうに、よりともにこころをかよはして、みやこへこそおはしたるらめなど、おもひゐたれば、さはおはせざりしか」とて、いまさらまたもだえこがれたまひけり。P235しんぐわつひとひのひ、かいげんあつてげんりやくとかうす。そのひぢもくおこなはれて、かまくらのさきのひやうゑのすけよりとも、じやうげのしゐしたまふ。もとはじゆげのごゐにておはせしが、たちまちにごかいをこえたまふこそめでたけれ。おなじきみつかのひ、しゆとくゐんをかみとあがめたてまつらるべしとて、むかしごかつせんありしおほひのみかどがすゑに、やしろをたててみやうつしあり。これはゐんのおんさたにて、だいりにはしろしめされずとぞきこえし。ごぐわつよつかのひ、いけのだいなごんよりもりのきやうくわんとうへげかう。ひやうゑのすけどのつねはなさけをかけたてまつて、「おんかたをばまつたくおろかにおもひたてまつらず、ひとへにこあまごぜんのわたらせたまふとこそぞんじさふらへ。はちまんだいぼさつもごしやうばつさふらへ」なんど、たびたびせいじやうをもつてまうされけり。およそはひやうゑのすけばかりこそ、かうはおもはれけれども、じよのげんじらは、いかがあらんずらんと、おぼつかなうおもはれけるに、かまくらよりししやをたてまつて、「いそぎくだりたまへ。こあまごぜんをみたてまつるとぞんじて、とくげんざんにいりさふらはん」とまうされたりければ、だいなごんくだりたまひけり。
ここにやへいびやうゑむねきよといふさぶらひあり。さうでんせんいちのものなりしが、あひぐしてもくだらず。「さていかにや」とのたまへば、「きみこそかくてわたらせたまひさふらへども、ごいつけのきんだちたちの、さいかいのなみのうへにただよはせたまふおんことが、こころぐるしくさふらひて、いまだあんどしてもおぼえさふらはねば、こころすこしおとしすゑて、おつさまにこそまゐりさふらはめ」とぞまうしける。だいなごん、はづかしう、かたはらいたくおぼしめして、「まことにいちもんにひきわかれてP236、おちとどまつしことをば、わがみながらいみじとはおもはねども、さすがいのちもをしう、みもすてがたければ、なまじひにとどまりにき。このうへはくだらざるべきにもあらず。はるかのたびにおもむくに、いかでかみおくらざるべき。うけずおもはば、おちとどまつしとき、などさはいはざりしぞ。たいせうじいつかうなんぢにこそいひあはせしか」とのたまへば、むねきよゐなほりかしこまつてまうしけるは、「あはれたかきもいやしきも、ひとのみにいのちほどをしいものやはさふらふ。さればよをばすつれども、みをばすてずとこそまうしつたへてさふらふなれ。おんとどまりをあしとにはぞんじさふらはず。ひやうゑのすけも、かひなきいのちをたすけられまゐらせてさふらへばこそ、けふはかかるさいはひにもあひさふらへ。るざいせられさふらひしとき、こあまごぜんのおほせにて、あふみのくにしのはらのしゆくまで、うちおくつたりしことなど、いまにわすれずとさふらふなれば、おんともにまかりくだつてさふらはば、さだめてひきでものきやうおうなどしさふらはんずらん。それにつけても、さいかいのなみのうへに、ただよはせたまふごいつけのきんだちたち、またはどうれいどものかへりきかんずるところも、いふかひなうおぼえさふらふ。はるかのたびにおもむかせたまふおんことは、まことにおぼつかなうおもひまゐらせさふらへども、かたきをもせめにおんくだりさふらはば、まづいちぢんにこそさふらふべけれども、これはまゐらずとも、さらにおんことかけさふらふまじ。ひやうゑのすけどのたづねまうされさふらはば、をりふしあひいたはることあつてと、おほせられさふらふべし」とて、なみだをおさへてとどまりぬ。これをきくさぶらひども、みなそでをぞぬらしける。だいなごん、にがにがしう、かたはらいたくおもはれけれども、このうへはくだらざるべきにもP237あらずとて、やがてたちたまひぬ。おなじきじふろくにち、いけのだいなごんよりもりのきやうくわんとうへげちやく。ひやうゑのすけどのいそぎたいめんをしたまひて、まづ、「むねきよはいかに」ととはれければ、「をりふしあひいたはることあつて」とのたまへば、「いかになにをいたはりさふらふやらん。なほいしゆをぞんじさふらふにこそ。せんねんあのむねきよがもとにあづけおかれさふらひしとき、ことにふれてなさけふかうさふらひしかば、あはれおんともにまかりくだりさふらへかし。とくげんざんにいらんとこひしうぞんじてさふらへば、うらめしうもくだりさふらはぬものかな」とて、ちぎやうすべきしやうゑんじやうどもあまたなしまうけ、さまざまのひきでものをたばんと、よういせられたりければ、とうごくのだいみやうせうみやう、われもわれもとひきでものをよういしてまつところに、くだらざりければ、じやうげほいなきことどもにてぞありける。ろくぐわつここのかのひ、いけのだいなごんよりもりのきやうみやこへかへりのぼりたまふ。ひやうゑのすけどの、「いましばらくはかくてもおはせよかし」とのたまへども、だいなごん、みやこにおぼつかなうおもふらんとて、やがてたちたまひぬ。ちぎやうしたまふべきしやうゑんしりやう、いつしよもさうゐあるべからず、ならびにだいなごんになしかへさるべきよし、ほふわうへまうさる。くらおきむまさんじつぴき、はだかむまさんじつぴき、ながもちさんじふえだに、こがね、まきぎぬ、そめものふぜいのものをいれてたてまつらる。ひやうゑのすけどのかやうにしたまふうへは、とうごくのだいみやうせうみやう、われもわれもとひきでものをたてまつらる。むまだにもさんびやつぴきまでありけり。いけのだいなごんよりもりのきやうは、いのちいきたまふのみならず、P238かたがたとくついてみやこへかへりのぼられけり。おなじきじふはちにち、ひごのかみさだよしがをぢ、ひらたのにふだうさだつぐをさきとして、いがいせりやうこくのくわんびやうら、あふみのくにへうつていでたりければ、げんじのばつえふらはつかうして、かつせんをいたす。おなじきはつかのひ、いがいせりやうこくのくわんびやうら、しばしもたまらずせめおとさる。へいけさうでんのけにんにて、むかしのよしみをわすれぬことはあはれなれども、おもひたつこそおほけなけれ。みつかへいじとはこれなり。
「ふぢと」さるほどにこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのきたのかたは、かぜのたよりのおとづれも、たえてひさしくなりければ、つきにいちどなんどは、かならずおとづるるものをとおもひてまたれけれども、はるすぎなつにもなりぬ。「さんみのちうじやう、いまはやしまにもおはせぬものを」なんどまうすものありとききたまひて、きたのかたあまりのおぼつかなさに、とかうしてつかひをいちにんしたてて、やしまへつかはされたりけれども、つかひやがてたちもかへらず。なつたけあきにもなりぬ。しちぐわつのすゑにかのつかひかへりまゐりたり。きたのかた、「さていかにや」ととひたまへば、「すぎさふらひしさんぐわつじふごにちのあかつき、よさうびやうゑしげかげ、いしどうまるばかりP239おんともにて、さぬきのやしまのたちをばおんいであつて、かうやのおやまへまゐらせたまひて、ごしゆつけせさせおはしまし、そののちくまのへまゐらせたまひて、なちのおきにて、おんみをなげてましましさふらふとこそ、おんともまうしたりしとねりたけさとは、まうしさふらひつれ」とまうしければ、きたのかた、「さればこそ、あやしとおもひたれば」とて、ひきかづいてぞふしたまふ。わかぎみひめぎみも、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。わかぎみのめのとのにようばう、なみだをおさへてまうしけるは、「これはいまさらなげかせたまふべからず。ほんざんみのちうじやうどののやうに、いきながらとらはれて、きやうかまくらはぢをさらさせたまひなば、いかばかりこころううさぶらふべきに、これはかうやのおやまへまゐらせたまひて、ごしゆつけせさせおはしまし、そののちくまのへまゐらせたまひて、ごせのおんことよくよくまうさせたまひて、なちのおきとかやにて、おんみをなげましましさぶらふことこそ、なげきのなかのおんよろこびにてはさぶらへ。いまはいかにもしておんさまをかへ、ほとけのみなをとなへさせたまひて、なきひとのごぼだいをとぶらひまゐらさせたまへかし」とまうしければ、きたのかたやがてさまをかへ、かのごせぼだいをとぶらひたまふぞあはれなる。
(『ふじと』)S1014かまくらどのこのよしをつたへききたまひて、「あはれへだてなううちむかひてもおはしたらば、さりともいのちばかりをばたすけたてまつてまし。そのゆゑはこいけのぜんにのつかひとして、よりともるざいになだめられけることは、ひとへにかのだいふのはうおんなり。そのなごりにておはすれば、しそくたちをもまつたくおろそかにおもひたてまつらず。ましてさやうにしゆつけなどせられなんP240うへは、しさいにやおよぶべき」とぞのたまひける。さるほどにへいけさぬきのやしまへわたりたまひてのちは、とうごくよりあらてのぐんびやうすまんぎ、みやこについて、せめくだるともきこゆ。またちんぜいより、うすき、へつぎ、まつらたうどうしんして、おしわたるともきこえけり。かれをききこれをきくにも、ただみみをおどろかし、きもたましひをけすよりほかのことぞなき。にようゐん、きたのまんどころ、にゐどのいげのにようばうたちよりあひたまひて、こんどわがかたざまに、いかなるうきことをかきき、いかなるうきめをかみんずらんと、なげきあひかなしびあはれけり。こんどいちのたににて、いちもんのくぎやうてんじやうびと、たいりやくうたれ、むねとのさぶらひ、なかばすぎてほろびにしかば、いまはちからつきはてて、あはのみんぶしげよしがきやうだい、しこくのものどもかたらつて、さりともとまうしけるをぞ、たかきやまふかきうみともたのみたまひける。さるほどにしちぐわつにじふごにちにもなりぬ。にようばうたちはさしつどひて、「こぞのけふはみやこをいでしぞかし。ほどなくめぐりきにけり」とて、にはかにあわただしう、あさましかりしことどものたまひいでて、なきぬわらひぬぞしたまひける。おなじきにじふはちにち、みやこにはしんていのごそくゐありけり。しんし、ほうけん、ないしどころもなくしてごそくゐのれい、にんわうはちじふにだい、これはじめとぞうけたまはる。おなじきはちぐわつむゆかのひ、ぢもくおこなはれて、たいしやうぐんかまのくわんじやのりより、みかはのかみになる。くらうくわんじやよしつね、さゑもんのじようになる。すなはちつかひのせんじをかうむつて、くらうはうぐわんとぞまうしける。P241さるほどにをぎのうはかぜも、やうやうみにしみ、はぎのしたつゆも、いよいよしげく、うらむるむしのこゑごゑ、いなばうちそよぎ、このはかつちるけしき、ものおもはざらんだに、ふけゆくあきのたびのそらは、かなしかるべし。ましてへいけのひとびとのこころのうち、おしはかられてあはれなり。むかしはここのへのくものうへにて、はるのはなをもてあそび、いまはやしまのうらにして、あきのつきにかなしぶ。およそさやけきつきをえいじても、みやこのこよひいかなるらんとおもひやり、なみだをながしこころをすましてぞ、あかしくらさせたまひける。さまのかみゆきもり、
きみすめばここもくもゐのつきなれどなほこひしきはみやこなりけり W084
さるほどにおなじきくぐわつじふににち、たいしやうぐんみかはのかみのりより、へいけつゐたうのためにとて、さいこくへはつかうす。あひともなふひとびと、あしかがのくらんどよしかぬ、ほうでうのこしらうよしとき、さいゐんのじくわんちかよし、さぶらひだいしやうには、とひのじらうさねひら、しそくのやたらうとほひら、みうらのすけよしずみ、しそくのへいろくよしむら、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おなじきながののさぶらうしげきよ、さはらのじふらうよしつら、わだのこたらうよしもり、ささきのさぶらうもりつな、つちやのさぶらうむねとほ、あまののとうないとほかげ、ひきのとうないともむね、おなじきとうしらうよしかず、はつたのしらうむしやともいへ、あんざいのさぶらうあきます、おほごのさぶらうさねひで、ちうでうのとうじいへなが、いつぽんばうしやうげん、とさばうしやうしゆん、これらをさきとして、つがふそのせいさんまんよき、みやこをたつてはりまのむろにぞつきにける。へいけのかたのたいしやうぐんには、こまつのしんざんみのちうじやうすけもり、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじうただふさ、さぶらひだいしやうには、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよをP242さきとして、ごひやくよそうのひやうせんにのりつれてこぎきたり、びぜんのこじまにつくときこえしかば、げんじやがてむろをたつて、これもびぜんのくににしかはじり、ふぢとにぢんをぞとつたりける。
さるほどにげんぺいりやうばうぢんをあはす。ぢんのあはひ、うみのおもて、わづかにじふごちやうばかりをぞへだてたる。げんじこころはたけうおもへども、ふねなかりければちからおよばず、いたづらにひかずをぞおくりける。おなじきにじふごにちのたつのこくばかりに、へいけのかたのはやりをのつはものども、こぶねにのつてこぎいだし、あふぎをあげて、「げんじここをわたせや」とぞまねきける。げんじのかたのつはものども、「いかがせん」といふところに、あふみのくにのぢうにん、ささきのさぶらうもりつな、にじふごにちのよにいつて、うらのをとこをいちにんかたらひ、ひたたれ、こそで、おほくち、しろざやまきなんどをとらせ、すかしおほせて、「このうみにむまにてわたしぬべきところやある」ととひければ、をとこまうしけるは、「うらのものどもいくらもさふらへども、あんないしつたるはまれにさふらふ。しらぬものこそおほうさふらへ。このをとこはあんないよくぞんじてさふらふ。たとへばかはのせのやうなるところのさふらふが、つきがしらにはひんがしにさふらふ。つきずゑにはにしにさふらふ。くだんのせのあはひ、うみのおもて、じつちやうばかりもさふらふらん。これはおむまなどにては、たやすうわたさせたまふべし」とまうしければ、ささき、「いざさらば、わたいてみん」とて、かのをとことににんまぎれいでて、はだかになり、くだんのかはのせのやうなるところをわたつてみるに、げにもいたうふかうはなかりけり。ひざ、こし、かたにたつところもあり、びんのぬるるところもP243あり、ふかきところをおよいで、あさきところにおよぎつく。をとこまうしけるは、「これよりみなみは、きたよりはるかにあさうさふらふ。かたきやさきをそろへてまちまゐらせさふらふところに、はだかにてはいかにもかなはせたまひさふらふまじ。ただこれよりかへらせたまへ」といひければ、ささき、げにもとてかへりけるが、「げらふは、どこともなきものにて、またひとにもかたらはれて、あんないもやをしへんずらん。わればかりこそしらめ」とて、かのをとこをさしころし、くびかききつてぞすててげる。あくるにじふろくにちのたつのこくばかり、またへいけのかたのはやりをのつはものども、こぶねにのつてこぎいだし、あふぎをあげて、「ここをわたせ」とぞまねいたる。ここにあふみのくにのぢうにん、ささきのさぶらうもりつな、かねてあんないはしつたり、しげめゆひのひたたれに、ひをどしのよろひきて、れんぜんあしげなるむまに、きんぷくりんのくらをおいてのつたりけるが、いへのこらうどうともにしちき、うちいれてわたす。たいしやうぐんみかはのかみのりより、これをみたまひて、「あれせいせよ、とどめよ」とのたまへば、とひのじらうさねひら、むちあぶみをあはせておつつき、「いかにささきどのは、もののついてくるひたまふか。たいしやうぐんよりのおんゆるされもなきに、とどまりたまへ」といひけれども、ささきみみにもききいれず、わたしければ、とひのじらうもせいしかねて、ともにつれてぞわたしける。むまのくさわき、むながいづくし、ふとばらにたつところもあり、くらつぼこすところもあり、ふかきところをおよがせて、あさきところにうちあがる。たいしやうぐんこれをみたまひて、「ささきにたばかられぬるは。あさかりけるぞ、わたせやわたせ」とP244げぢしたまへば、さんまんよきのつはものども、みなうちいれてわたす。へいけのかたにはこれをみて、ふねどもおしうかべおしうかべ、やさきをそろへて、さしつめひきつめさんざんにいけれども、げんじのかたのつはものども、これをことともせず、かぶとのしころをかたぶけ、くまで、ないがまをもつて、かたきのふねをひきよせひきよせをめきさけんでたたかふ。ひとひたたかひくらし、よにいりければ、へいけのふねはおきにうかび、げんじはこじまのぢにうちあがつて、じんばのいきをぞやすめける。あけければ、へいけはさぬきのやしまへこぎしりぞく。げんじこころはたけうおもへども、ふねなかりければ、やがてつづいてもせめず。「むかしよりむまにてかはをわたすつはものおほしといへども、むまにてうみをわたすこと、てんぢくしんだんはしらず、わがてうにはきたいのためしなり」とて、びぜんのこじまをささきにたぶ。かまくらどののみげうしよにものせられたり。
「だいじやうゑのさた」おなじきにじふはちにち、みやこにはまたぢもくおこなはれて、くらうはうぐわんよしつね、ごゐのじようになされて、くらうたいふのはうぐわんとぞまうしける。さるほどにじふぐわつにもなりぬ。やしまにはうらふくかぜもはげしく、いそうつなみもたかかりければ、つはものもせめきたらず、しやうかくのゆきかふもP245まれにして、みやこのつてもきかまほしく、そらかきくもり、あられうちちり、いとどきえいるここちぞせられける。みやこにはだいじやうゑあるべしとて、じふぐわつみつかのひ、しんていのごけいのぎやうがうありけり。ないべんをばとくだいじどのつとめらる。をととしせんていのごけいのぎやうがうには、へいけのないだいじんむねもりこうつとめらる。せつげのあくやについて、まへにりようのはたたててゐたまひたりしけしき、かぶりぎは、そでのかかり、うへのはかまのすそまでも、ことにすぐれてみえたまへり。そのほかさんみのちうじやうとももり、とうのちうじやうしげひらいげ、こんゑづかさ、みつなにさふらはれしには、またたちならぶかたもなかりしぞかし。けふはくらうたいふのはうぐわんよしつね、せんぢんにぐぶす。これはきそなどにはにず、もつてのほかにきやうなれたりしかども、へいけのなかのえりくづよりもなほおとれり。おなじきじふはちにち、だいじやうゑかたのごとくとげおこなはる。さんぬるぢしよう、やうわのころよりして、しよこくしちだうのにんみんひやくしやうら、あるひはへいけのためになやまされ、あるひはげんじのためにほろぼさる。いへかまどをすててさんりんにまじはり、はるはとうさくのおもひをわすれ、あきはせいじゆのいとなみにもおよばず。いかにしてかやうのたいれいなどおこなはるべきなれども、さてしもあるべきことならねば、かたのごとくぞとげられける。たいしやうぐんみかはのかみのりより、やがてつづいてせめたまはば、へいけはたやすうほろぶべかりしに、むろ、たかさごにやすらひ、いうくんいうぢよどもめしあつめ、あそびたはぶれてのみ、つきひをおくりたまひけり。とうごくのだいみやうせうみやうおほしといへども、たいしやうぐんのげぢにしたがふことなればP246、ちからおよばず。ただくにのつひえ、たみのわづらひのみあつて、ことしもすでにくれにけり。P247
(『こうやごこう』)S1015

平家物語 巻第十一  総かな版(元和九年本)
「さかろ」(『さかろ』)S1101げんりやくにねんしやうぐわつとをかのひ、くらうたいふのはうぐわんよしつねゐんざんして、おほくらのきやうやすつねのあそんをもつて、そうもんせられけるは、「へいけはしんめいにもはなたれたてまつり、きみにもすてられまゐらせて、ていとをいでてなみのうへにただよふおちうととなれり。しかるをこのさんがねんがあひだ、せめおとさずして、おほくのくにぐにをふさげられぬることこそくちをしうさふらへ。こんどよしつねにおいては、きかい、かうらい、けいたん、くものはて、うみのはてまでも、へいけをほろぼさざらんかぎりは、わうじやうへかへるべからざる」よし、そうもんせられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、あひかまへてよをひについで、しようぶをけつすべきよしおほせくださる。はうぐわんしゆくしよにかへつて、とうごくのさぶらひどもにむかつてのたまひけるは、「こんどよしつねこそゐんぜんをうけたまはり、かまくらどののおんだいくわんとして、へいけつゐたうのために、さいこくへはつかうすなれ。くがはこまのひづめのかよはんをかぎり、うみはろかいのたたんところまで、せめゆくべし。それにP248すこしもしさいをぞんぜんひとびとは、これよりとうとうかまくらへくだるべし」とぞのたまひける。さるほどにやしまには、ひまゆくこまのあしはやくして、しやうぐわつもたち、にんぐわつにもなりぬ。はるのくさくれて、あきのかぜにおどろき、あきのかぜやんで、またはるのくさにもなれり。おくりむかへて、すでにみとせになりにけり。へいけさぬきのやしまへわたりたまひてのちも、とうごくよりあらてのぐんびやうすまんぎ、みやこについてせめくだるともきこゆ。またちんぜいより、うすき、へつき、まつらたうどうしんして、おしわたるともきこえけり。かれをききこれをきくにも、ただみみをおどろかし、きもたましひをけすよりほかのことぞなき。にようゐん、きたのまんどころ、にゐどのいげのにようばうたちさしつどひたまひて、こんどわがかたざまに、いかなるうきことをきき、いかなるうきめをかみんずらんと、なげきあひかなしみあはれけり。なかにもしんぢうなごんとももりのきやうののたまひけるは、「とうごくほつこくのきようとらも、ずゐぶんぢうおんをかうぶつたりしかども、たちまちにおんをわすれ、ちぎりをへんじて、よりともよしなからにしたがひき。ましてさいこくとても、さこそはあらんずらめとおもひしかば、ただみやこのうちにて、いかにもならせたまへと、さしもまうしつるものを。わがみひとつのことならねば、こころよわうあこがれいでて、けふはかかるうきめをみるくちをしさよ」とぞのたまひける。まことにことわりとおぼえてあはれなり。さるほどににんぐわつみつかのひ、くらうたいふのはうぐわんよしつね、みやこをたつて、つのくにわたなべ、ふくしまP249りやうしよにてふなぞろへし、やしまへすでによせんとす。あにのみかはのかみのりよりも、どうにちにみやこをたつて、これもつのくにかんざきにて、ひやうせんそろへて、せんやうだうへおもむかんとす。おなじきとをかのひ、いせ、いはしみづへくわんぺいしをたてらる。しゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつるべきよし、じんぎくわんのくわんにん、もろもろのしやし、ほんぐう、ほんじやにてきせいまうすべきむねおほせくださる。おなじきじふろくにち、わたなべ、ふくしまりやうしよにて、そろへたりけるふねどもの、ともづなすでにとかんとす。をりふしきたかぜきををつて、はげしうふいたりければ、ふねどもみなうちそんぜられていだすにおよばず。しゆりのために、そのひはとどまりぬ。
さるほどにわたなべにはとうごくのだいみやうせうみやうよりあひて、「そもそもわれらふないくさのやうはいまだてうれんせず。いかがせん」とひやうぢやうす。かぢはらすすみいでて、「こんどのふねには、さかろをたてさふらはばや」とまうす。はうぐわん、「さかろとはなんぞ」。かぢはら、「むまはかけんとおもへばかけ、ひかんとおもへばひき、ゆんでへもめてへもまはしやすうさふらふが、ふねはさやうのとき、きつとおしまはすがだいじでさふらへば、ともへにろをたてちがへ、わいかぢをいれて、どなたへもまはしやすいやうにしさふらはばや」とまうしければ、はうぐわん、「まづかどでのあしさよ。いくさにはひとひきもひかじとおもふだに、あはひあしければひくはつねのならひなり。ましてさやうににげまうけせんに、なじかはよかるべき。とのばらのふねには、さかろをもかへさまろをも、ひやくちやうせんぢやうもたてたまへ。よしつねはただもとのろでP250さふらはん」とのたまへば、かぢはらかさねて、「よきたいしやうぐんとまうすは、かくべきところをもかけ、ひくべきところをもひき、みをまつたうして、かたきをほろぼすをもつて、よきたいしやうとはしたるざふらふ。さやうにかたおもむきなるをば、ゐのししむしやとて、よきにはせず」とまうす。はうぐわん、「ゐのししかのししはしらず、いくさはただひらぜめにせめて、かつたるぞここちはよき」とのたまへば、とうごくのだいみやうせうみやう、かぢはらにおそれて、たかくはわらはねども、めひきはなひき、ききめきあへり。そのひはうぐわんとかぢはらと、すでにどしいくさせんとす。されどもいくさはなかりけり。はうぐわん、「ふねどものしゆりして、あたらしうなつたるに、おのおのいつしゆいつぺいして、いはひたまへ、とのばら」とて、いとなむていにもてなし、ふねにひやうらうまいつみ、もののぐいれ、むまどもたてさせ、「ふねとうつかまつれ」とのたまへば、すゐしゆかんどりども、「これはじゆんぷうにてはさふらへども、ふつうにはすこしすぎてさふらふ。おきはさぞふいてさふらふらん」とまうしければ、はうぐわんおほきにいかつて、「かいしやうにいでうかうだるとき、かぜこはければとてとどまるべきか。のやまのすゑにてしに、うみかはにおぼれてうするも、みなこれぜんぜのしゆくごふなり。むかひかぜにわたらんといはばこそ、よしつねがひがごとならめ。じゆんぷうなるが、ふつうにすこしすぎたればとて、これほどのおんだいじに、ふねつかまつらじとは、いかでかまうすぞ。ふねとうつかまつれ。つかまつらずは、しやつばらいちいちにいころせ、ものども」とぞげぢしたまひける。「うけたまはつてさふらふ」とて、いせのさぶらうよしもり、あうしうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶ、おなじきしらうびやうゑただのぶP251、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふ、いちにんたうぜんのつはものども、「ごぢやうであるぞ、ふねとうつかまつれ。つかまつらずは、おのればらいちいちにいころさん」とて、かたてやはげて、はせまはるあひだ、すゐしゆかんどりども、「ここにていころされんもおなじこと、かぜこはくば、おきにてはせじににもしねや、ものども」とて、にひやくよそうがなかよりも、ただごそういでてぞはしりける。ごそうのふねとまうすは、まづはうぐわんのふね、つぎにたしろのくわんじやのふね、ごとうびやうゑふし、かねこきやうだい、よどのがうないただとしとて、ふなぶぎやうののつたるふねなりけり。のこりのふねは、かぢはらにおそるるか、かぜにおづるかしていでざりけり。はうぐわん、「ひとのいでねばとて、とどまるべきにあらず。つねのときはかたきもおそれて、ようじんすらん。かかるおほかぜおほなみに、おもひもよらぬところへよせてこそ、おもふかたきをばうたんずれ」とぞのたまひける。はうぐわん、「おのおののふねにかがりなともいそ。ひかずおほうみえば、かたきもおそれてようじんしてんずぞ。よしつねがふねをほんぶねとして、ともへのかがりをまぼれ」とて、よもすがらわたるほどに、みつかにわたるところを、ただみときばかりにぞはしりける。にんぐわつじふろくにちのうしのこくに、つのくにわたなべ、ふくしまをいでて、あくるうのこくには、あはのぢへこそふきつけけれ。P252
「かつうらかつせん」(『かつうら つけたり おほざかごえ』)S1102あけければ、なぎさにはあかはたせうせうひらめいたり。はうぐわん、「すはわれらがまうけをばしたりけるぞ。なぎさちかうなつて、むまどもおひおろさんとせば、かたきのまとになつていられなんず。なぎさちかうならぬさきに、ふねどものりかたぶけのりかたぶけ、むまどもおひおろしおひおろし、ふねにひきつけひきつけおよがせよ。むまのあしたち、くらづめひたるほどにもならば、ひたひたとうちのつて、かけよ、ものども」とぞげぢしたまひける。ごそうのふねには、ひやうらうまいつみ、もののぐいれたりければ、むまかずごじふよひきぞたてたりける。あんのごとくなぎさちかうなりしかば、ふねどものりかたぶけのりかたぶけ、むまどもおひおろしおひおろし、ふねにひきつけひきつけおよがす。むまのあしたち、くらづめひたるほどにもなりしかば、ひたひたとうちのつて、はうぐわんごじふよき、をめいてさきをかけたまへば、なぎさにひかへたりけるひやくきばかりのつはものども、しばしもたまらず、にちやうばかりざつとひいてひかへたり。はうぐわんなぎさにあがり、じんばのいきやすめておはしけるが、いせのさぶらうよしもりをめして、「あのせいのなかに、さりぬべきものあらば、いちにんぐしてまゐれ。たづぬべきことあり」とP253のたまへば、よしもりかしこまりうけたまはつて、ひやくきばかりのせいのなかへ、ただいつきかけいつて、なんとかいひたりけん、としのよはひしじふばかんなるをのこの、くろかはをどしのよろひきたるを、かぶとをぬがせ、ゆみのつるはづさせ、かうにんにぐしてまゐりたり。はうぐわん、「あれはなにものぞ」とのたまへば、「たうごくのぢうにんばんざいのこんどうろくちかいへ」となのりまうす。はうぐわん、「たとひなにいへにてもあらばあれ、しやつにめはなすな。もののぐなぬがせそ。やがてやしまへのあんないしやにぐせんずるぞ。にげてゆかばいころせ、ものども」とぞげぢしたまひける。はうぐわんちかいへをめして、「ここをばいづくといふぞ」ととひたまへば、「かつうらとまうしさふらふ」。はうぐわんわらつて、「しきだいな」とのたまへば、「いちぢやうかつうらざふらふ。げらふのまうしやすきままに、かつらとはまうせども、もじにはかつうらとかいてさふらふ」とまうしければ、はうぐわんなのめならずによろこびたまひて、「あれききたまへとのばら、いくさしにむかふよしつねが、かつうらにつくめでたさよ。もしこのへんにへいけのうしろやいつべきじんはたれかある」とのたまへば、「あはのみんぶしげよしがおとと、さくらばのすけよしとほとてさふらふ」とまうす。「いざさらばけちらしてとほらん」とて、こんどうろくがせいのひやくきばかりがなかより、むまやひとをすぐつて、さんじつきばかり、わがせいにこそぐせられけれ。よしとほがじやうにおしよせてみたまへば、さんばうはぬま、いつぽうはほりなり。ほりのかたよりおしよせて、ときをどつとぞつくりける。じやうのうちのつはものども、「ただいとれやいとれ」とて、さしつめひきつめさんざんにいけれども、げんじのつはものどもこれをことともせず、ほりをこえ、かぶとのしころをかたぶけて、をめきさけんでP254せめければ、よしとほかなはじとやおもひけん、いへのこらうどうどもにふせぎやいさせ、わがみはくつきやうのむまをもつたりければ、それにうちのり、けうにしておちにけり。のこりとどまつてふせぎやいけるつはものども、にじふよにんがくびきりかけさせ、いくさがみにまつり、よろこびのときをつくり、「かどでよし」とぞよろこばれける。
「おほさかごえ」はうぐわんまたばんざいのこんどうろくちかいへをめして、「やしまにはへいけのせいいかほどあるぞ」ととひたまへば、「せんぎにはよもすぎさふらはじ」とまうす。はうぐわん、「などすくないぞ」。「かやうにしこくのうらうらしまじまに、ごじつきひやくきづつさしおかれてさふらふ。そのうへあはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんのりよしは、いよのかはののしらうが、めせどもまゐらぬをせめんとて、さんぜんよきで、いよへこえてさふらふ」とまうす。はうぐわん、「さてはよきひまござんなれ。これよりやしまへは、いかほどあるぞ」とのたまへば、「ふつかぢでさふらふ」とまうす。「いざさらばかたきのきかぬさきによせん」とて、はせつひかへつ、かけつあゆませつ、あはとさぬきのさかひなる、おほさかごえといふやまを、よもすがらこそこえられけれ。そのよのやはんばかりに、たてぶみもつたるをとこいちにん、はうぐわんにゆきつれたり。よるのことではP255あり、かたきとはゆめにもしらず、みかたのつはものどものやしまへまゐるとやおもひけん、うちとけてものがたりをぞしける。はうぐわん、「われもやしまにまゐるが、あんないをしらぬぞ。じんじよせよ」とのたまへば、「このをとこはたびたびまゐつて、あんないよくぞんじてさふらふ」とまうす。はうぐわん、「さてそのふみは、いづくよりいづかたへまゐらせらるるぞ」とのたまへば、「これはきやうよりにようばうの、やしまのおほいとのへまゐらせられさふらふ」。「さてなにごとにや」ととひたまへば、「べつのしさいでは、よもさふらはじ。げんじすでによどがはじりにいでうかうでさふらへば、さだめてそれをこそつげまうされさふらふらめ」とまうしければ、はうぐわん、「げにさぞあるらん。そのふみうばへ」とて、もつたるふみをうばひとらせ、「しやつからめよ。つみつくりにくびなきつそ」とて、やまなかのきにしばりつけさせてこそとほられけれ。はうぐわんさてかのふみをあけてみたまへば、まことににようばうのふみとおぼしくて、「くらうはすすどきをのこなれば、いかなるおほかぜおほなみをもきらひさぶらはで、よせさぶらふらんとおぼえさぶらふ。あひかまへておんせいどもちらさせたまはで、よくよくようじんせさせたまへ」とぞかかれたる。はうぐわん、「これはよしつねに、てんのあたへたまふふみや。かまくらどのにみせまうさん」とて、ふかうをさめてぞおかれける。あくるじふはちにちのとらのこくに、さぬきのくにひけたといふところにおちついて、じんばのいきをぞやすめける。それよりしろとり、にふのや、うちすぎうちすぎ、やしまのじやうへぞよせたまふ。はうぐわんまたちかいへをめして、「これよりやしまへのたちは、いかやうなるぞ」ととひたまへばP256、「しろしめされねばこそ。むげにあさまにさふらふ。しほのひてさふらふときは、くがとしまとのあひだは、むまのふとばらもつかりさふらはず」とまうす。「かたきのきかぬさきに、さらばとうよせよや」とて、たかまつのざいけにひをかけて、やしまのじやうへぞよせられける。
さるほどにやしまには、あはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんのりよしは、いよのかはののしらうが、めせどもまゐらぬをせめんとて、さんぜんよきで、いよへこえたりしが、かはのをばうちもらしぬ。いへのこらうどうひやくごじふにんがくびきつて、やしまのだいりへまゐらせたるを、「だいりにて、ぞくしゆのじつけんしかるべからず」とて、おほいとののおんしゆくしよにて、くびどものじつけんしておはしけるところに、ものども、「たかまつのざいけよりひいできたり」とて、ひしめきけり。「ひるでさふらへば、てあやまちにては、よもさふらはじ。いかさまにも、かたきのよせてひをかけたるとおぼえさふらふ。さだめておほぜいでぞさふらふらん。とりこめられてはかなひさふらふまじ。とうとうめさるべくさふらふ」とて、そうもんのまへのみぎはに、いくらもつけならべたるふねどもに、われもわれもとあわてのりたまふ。ごしよのおんふねには、にようゐん、きたのまんどころ、にゐどのいげのにようばうたちめされけり。おほいとのふしは、ひとつふねにぞのりたまふ。そのほかのひとびとは、おもひおもひにとりのつて、あるひはいつちやうばかり、あるひはしちはつたんごろくたんなど、こぎいだしたるところに、げんじのつはものども、ひたかぶとしちはちじつき、そうもんのまへのなぎさに、つつとぞうちいでたる。しほひがたの、をりふししほひるさかりなりければ、むまのからすがしら、むながいづくし、ふとばらにたつところもあり、それよりあさきところもありP257。けあぐるしほのかすみとともに、しぐらうだるなかより、しらはたざつとさしあげたれば、へいけはうんつきて、おほぜいとこそみてげれ。はうぐわんかたきにこぜいとみえじとて、ごろつき、しちはつき、じつきばかり、うちむれうちむれいできたり。
(『つぎのぶさいご』)S1103はうぐわんそのひのしやうぞくには、あかぢのにしきのひたたれに、むらさきすそごのよろひきて、くはがたうつたるかぶとのををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみのまんなかとり、おきのかたをにらまへ、だいおんじやうをあげて、「いちゐんのおんつかひ、けんびゐしごゐのじようみなもとのよしつね」となのる。つぎになのるは、いづのくにのぢうにん、たしろのくわんじやのぶつな、つづいてなのるは、むさしのくにのぢうにん、かねこのじふらういへただ、おなじきよいちちかのり、いせのさぶらうよしもりとぞなのつたる。つづいてなのるは、ごとうびやうゑさねもと、しそくしんびやうゑのじようもときよ、あうしうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶ、おなじきしらうびやうゑただのぶ、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふいちにんたうぜんのつはものども、こゑごゑになのつてはせきたる。へいけのかたには、これをみて、「あれいとれや、いとれ」とて、あるひはとほやにいるふねもあり、あるひはさしやにいるふねもあり。げんじのかたのつはものども、これをことともせず、ゆんでになしては、いてとほり、めてになしては、いてとほる。あげおいたるふねどものかげを、むまやすめどころとして、をめきさけんでせめたたかふ。P258
「つぎのぶさいご」なかにもごとうびやうゑさねもとは、ふるづはものにてありければ、いそのいくさをばせず、まづだいりへみだれいり、てんでにひをはなつて、へんしのけぶりとやきはらふ。おほいとの、さぶらひどもに、「げんじがせいはいかほどあるぞ」ととひたまへば、「しちはちじつきにはよもすぎさふらはじ」。「あなこころうや、かみのすぢをひとすぢづつ、わけてとるとも、このせいにはたるまじかりつるものを。なかにもとりこめてうたずして、あわててふねにのつて、だいりをやかせぬることこそくちをしけれ。のとどのはおはせぬか、くがにあがつて、ひといくさしたまへかし」とのたまへば、「うけたまはりさふらふ」とて、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎをさきとして、つがふごひやくよにん、こぶねにのり、やきはらひたるそうもんのまへのみぎはにおしよせてぢんをとる。はうぐわんもはちじふよき、やごろによせてひかへたり。へいけのかたより、ゑつちうのじらうびやうゑ、ふねのやかたにすすみいで、だいおんじやうをあげて、「そもそもいぜんなのりたまひつるとはききつれども、かいじやうはるかにへだたつて、そのけみやうじつみやうぶんみやうならず。けふのげんじのたいしやうぐんは、たれびとにてましますぞ。なのりたまへ」といひければ、いせのさぶらうすすみいでて、「あなこともおろかや、せいわてんわうにじふだいのP259こういん、かまくらどののおんおとと、たいふのはうぐわんどのぞかし」。もりつぎきいて、「さることあり。さんぬるへいぢのかつせんに、ちちうたれてみなしごにてありしが、くらまのちごして、のちにはこがねあきんどのしよじうとなり、らうれうせおうて、おくのかたへおちくだりし、そのこくわんじやめがことか」とぞいひける。よしもりあゆませよつて、「したのやはらかなるままに、きみのおんことなまうしそ。さいふわひとどもこそ、ほつこくとなみやまのいくさにうちまけ、からきいのちいきつつ、ほくろくだうにさまよひ、こつじきしてのばつたりし、そのひとか」とぞいひける。もりつぎかさねて、「きみのごおんにあきみちて、なんのふそくあつてか、こつじきをばすべき。さいふわひとどもこそ、いせのくにすずかやまにてやまだちし、さいしをもはぐくみ、わがみもしよじうも、すぎけるとはききしか」といひければ、かねこのじふらうすすみいでて、「せんないとのばらのざふごんかな。われもひともそらごといひつけ、ざふごんせんに、たれかはおとるべき。こぞのはる、つのくにいちのたににて、むさしさがみのわかとのばらの、てなみのほどをばみてんものを」といふところに、おととのよいち、そばにありけるが、いはせもはてず、じふにそくみつぶせとつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。じらうびやうゑがよろひのむないたに、うらかくほどにぞたつたりける。さてこそたがひのことばだたかひはやみにけれ。
のとどの、「ふないくさはやうあるものぞ」とて、よろひびたたれをばきたまはず、からまきぞめのこそでに、からあやをどしのよろひきて、いかものづくりのたちをはき、にじふしさいたる、たかうすべうのやおひ、しげどうのゆみをもちたまへり。わうじやういちのつよゆみせいびやうなりければ、のとどののP260やさきにまはるもの、いちにんもいおとされずといふことなし。なかにもげんじのたいしやうぐん、くらうよしつねを、ただひとやにいおとさんと、ねらはれけれども、げんじのかたにもこころえて、いせのさぶらうよしもり、あうしうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶ、おなじきしらうびやうゑただのぶ、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふ、いちにんたうぜんのつはものども、むまのかしらをいちめんにたてならべて、たいしやうぐんのやおもてにはせふさがりければ、のとどのもちからおよびたまはず。のとどの、「そこのきさふらへ、やおもてのざふにんばら」とて、さしつめひきつめさんざんにいたまへば、やにはによろひむしやじつきばかりいおとさる。なかにもまつさきにすすんだるあうしうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶは、ゆんでのかたよりめてのわきへ、つといぬかれて、しばしもたまらず、むまよりさかさまにどうどおつ。のとどののわらはに、きくわうまるといふだいぢからのかうのもの、もよぎをどしのはらまきに、さんまいかぶとのををしめ、うちもののさやをはづいて、つぎのぶがくびをとらんと、とんでかかるを、ただのぶそばにありけるが、あにがくびをとらせじと、よつぴいてひやうどはなつ。きくわうまるがくさずりのはづれを、あなたへ、つといぬかれて、いぬゐにたふれぬ。のとどのこれをみたまひて、ひだんのてにはゆみをもちながら、みぎのてにて、きくわうまるをつかんで、ふねへからりとなげいれたまふ。かたきにくびはとられねども、いたでなればしににけり。このわらはとまうすは、もとはゑちぜんのさんみみちもりのきやうのわらはなり。しかるをさんみうたれたまひてのち、おととのとどのにぞつかはれける。しやうねんじふはつさいとぞきこえし。のとどのこのわらはをうたせて、あまりにあはれにおもはれければ、そののちはいくさをもしたまはず。P261はうぐわんは、つぎのぶをぢんのうしろへかきいれさせ、いそぎむまよりとんでおり、てをとつて、「いかがおぼゆる、さぶらうびやうゑ」とのたまへば、「いまはかうにこそさふらへ」。「このよにおもひおくことはなきか」とのたまへば、「べつになにごとをかおもひおきさふらふべき。さはさふらへども、きみのおんよにわたらせたまふをみまゐらせずして、しにさふらふこそこころにかかりさふらへ。ささふらはでは、ゆみやとりは、かたきのやにあたつてしぬること、もとよりごするところでこそさふらへ。なかんづくげんぺいのごかつせんに、あうしうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶといひけんもの、さぬきのくにやしまのいそにて、しゆのおんいのちにかはりて、うたれたりなど、まつだいまでのものがたりに、まうされんこそ、こんじやうのめんばく、めいどのおもひでにてさふらへ」とて、ただよわりにぞよわりける。はうぐわんはたけきもののふなれども、あまりにあはれにおもひたまひて、よろひのそでをかほにおしあてて、さめざめとぞなかれける。「もしこのへんにたつときそうやある」とて、たずねいださせ、「ておひのただいましにさふらふに、いちにちぎやうかいてとぶらひたまへ」とて、くろきむまのふとうたくましきに、よいくらおいて、かのそうにぞたびにける。このむまは、はうぐわんごゐのじようになられしとき、これをもごゐになして、たいふぐろとよばれしむまなり。いちのたにのうしろ、ひよどりごえをも、このむまにてぞおとされける。おととただのぶをはじめとして、これをみるさぶらひども、みななみだをながして、「このきみのおんために、いのちをうしなはんことは、まつたくつゆちりほどもをしからず」とぞまうしける。P262
「なすのよいち」(『なすのよいち』)S1104さるほどにあはさぬきにへいけをそむいて、げんじをまちけるつはものども、あそこのみね、ここのほらより、じふしごきにじつき、うちつれうちつれはせきたるほどに、はうぐわんほどなくさんびやくよきになりたまひぬ。「けふはひくれぬ、しようぶをけつすべからず」とて、げんぺいたがひにひきしりぞくところに、おきよりじんじやうにかざつたるこぶねいつそう、みぎはへむいてこぎよせ、なぎさよりしちはつたんばかりにもなりしかば、ふねをよこさまになす。「あれはいかに」とみるところに、ふねのうちよりとしのよはひじふはつくばかんなるにようばうの、やなぎのいつつぎぬに、くれなゐのはかまきたるが、みなぐれなゐのあふぎの、ひいだしたるを、ふねのせがいにはさみたて、くがへむいてぞまねきける。はうぐわんごとうびやうゑさねもとをめして、「あれはいかに」とのたまへば、「いよとにこそさふらふらめ。ただしたいしやうぐんのやおもてにすすんで、けいせいをごらんぜられんところを、てだれにねらうていおとせとのはかりごととこそぞんじさふらへ。さりながらあふぎをば、いさせらるべうもやさふらふらん」とまうしければ、はうぐわん、「みかたにいつべきじんは、たれかある」ととひたまへば、「てだれどもおほうさふらふなかに、しもづけのくにのぢうにん、なすのたらうすけたかがこに、よいちむねたかこそ、こひやうではさふらへども、てはきいてさふらふ」とまうす。はうぐわんP263、「しようこがあるか」。「さんざふらふ。かけどりなどをあらそうて、みつにふたつは、かならずいおとしさふらふ」とまうしければ、はうぐわん、「さらば、よいちよべ」とてめされけり。よいちそのころは、いまだはたちばかんのをのこなり。かちに、あかぢのにしきをもつて、おほくびはたそでいろへたるひたたれに、もよぎをどしのよろひきて、あしじろのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、うすぎりふに、たかのはわりあはせて、はひだりける、ぬためのかぶらをぞさしそへたる。しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいでたかひもにかけ、はうぐわんのおんまへにかしこまる。はうぐわん、「いかによいち、あのあふぎのまんなかいて、かたきにけんぶつせさせよかし」とのたまへば、よいち、「つかまつともぞんじさふらはず。これをいそんずるものならば、ながきみかたのおんゆみやのきずにてさふらふべし。いちぢやうつかまつらうずるじんに、おほせつけらるべうもやさふらふらん」とまうしければ、はうぐわんおほきにいかつて、「こんどかまくらをたつて、さいこくへむかはんずるものどもは、みなよしつねがげぢをそむくべからず。それにすこしもしさいをぞんぜんひとびとは、これよりとうとうかまくらへかへらるべし」とぞのたまひける。よいちかさねてじせば、あしかりなんとやおもひけん、「ささふらはば、はづれんをばぞんじさふらはず、ごぢやうでさふらへば、つかまつてこそみさふらはめ」とて、おんまへをまかりたち、くろきむまのふとうたくましきに、まろぼやすつたるきんぷくりんのくらおいてのつたりけるが、ゆみとりなほし、たづなかいくつて、みぎはへむいてぞあゆませける。みかたのつはものども、よいちがうしろをはるかにみおくつて、「このわかもの、いちぢやうつかまつらうずると、おぼえさふらふ」とP264まうしければ、はうぐわんもたのもしげにぞみたまひける。やごろすこしとほかりければ、うみのなかいつたんばかりうちいれたりけれども、なほあふぎのあはひは、しちたんばかりもあるらんとこそみえたりけれ。ころはにんぐわつじふはちにちとりのこくばかんのことなるに、をりふしきたかぜはげしうふきければ、いそうつなみもたかかりけり。ふねはゆりあげゆりすゑただよへば、あふぎもくしにさだまらず、ひらめいたり。おきにはへいけふねをいちめんにならべてけんぶつす。くがにはげんじくつばみをならべてこれをみる。いづれもいづれもはれならずといふことなし。よいちめをふさいで、「なむはちまんだいぼさつ、べつしてはわがくにのしんめい、につくわうのごんげん、うつのみや、なすのゆぜんだいみやうじん、ねがはくは、あのあふぎのまんなかいさせてたばせたまへ。これをいそんずるものならば、ゆみきりをりじがいして、ひとにふたたびおもてをむかふべからず。いまいちどほんごくへかへさんとおぼしめさば、このやはづさせたまふな」と、こころのうちにきねんして、めをみひらいたれば、かぜもすこしふきよわつて、あふぎもいよげにこそなつたりけれ。よいちかぶらをとつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。こひやうといふでう、じふにそくみつぶせ、ゆみはつよし、かぶらはうらひびくほどにながなりして、あやまたずあふぎのかなめぎは、いつすんばかりおいて、ひいふつとぞいきつたる。かぶらはうみへいりければ、あふぎはそらへぞあがりける。はるかぜにひともみふたもみもまれて、うみへさつとぞちつたりける。みなぐれなゐのあふぎの、ゆふひのかかやくに、しらなみのうへにただよひ、うきぬしづみぬゆられけるを、おきにはへいけふなばたをたたいてかんじたり。P265くがにはげんじえびらをたたいて、どよめきけり。
「ゆみながし」(『ゆみながし』)S1105あまりのおもしろさに、かんにたへずやおもひけん、ふねのうちより、としのよはひごじふばかんなるをのこの、くろかはをどしのよろひきたるが、しらえのなぎなたつゑにつき、あふぎたてたるところにたつて、まひすましたり。いせのさぶらうよしもり、よいちがうしろにあゆませよつて、「ごぢやうであるぞ。これをもまたつかまつれ」といひければ、よいちこんどはなかざしとつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。まひすましたるをのこの、まつただなかを、ひやうつばといて、ふなぞこへまつさかさまにいたふす。「ああいたり」といふものもあり、「いやいやなさけなし」といふものもおほかりけり。へいけのかたには、しづまりかへつておともせず、げんじはまたえびらをたたいて、どよめきけり。へいけこれをほいなしとやおもひけん、ゆみもつていちにん、たてついていちにん、なぎなたもつていちにん、むしやさんにんなぎさにあがり、「げんじここをよせよや」とぞまねきける。はうぐわん、「やすからぬことなり。むまづよならんわかたうども、はせよせてけちらせ」とのたまへば、むさしのくにのぢうにん、みをのやのじふらう、おなじきしらう、おなじきとうじち、かうづけのくにのぢうにん、にふのしらうP266、しなののくにのぢうにん、きそのちうじ、ごきつれて、をめいてかく。まづたてのかげより、ぬりのにくろぼろはいだるだいのやをもつて、まつさきにすすんだる、みをのやのじふらうが、むまのひだんのむながいづくしを、はずのかくるるほどにぞいこうだる。びやうぶをかへすやうに、むまはどうどたふるれば、ぬしはゆんでのあしをこえ、めてのかたへおりたつて、やがてたちをぞぬいたりける。またたてのかげより、おほなぎなたうちふつてかかりければ、みをのやのじふらう、こだちおほなぎなたにかなはじとやおもひけん、かいふいてにげければ、やがてつづいておつかけたり。なぎなたにてながんずるかとみるところに、さはなくして、なぎなたをばゆんでのわきにかいはさみ、めてのてをさしのべて、みをのやのじふらうがかぶとのしころをつかまうどす。つかまれじとにぐる。さんどつかみはづいて、しどのたび、むずとつかむ。しばしぞたまつてみえし。はちつけのいたより、ふつとひつきつてぞにげたりける。のこりしきは、むまををしうでかけず、けんぶつしてぞゐたりける。みをのやのじふらうは、みかたのむまのかげににげいつて、いきつぎゐたり。かたきはおうてもこず。そののちかぶとのしころをば、なぎなたのさきにつらぬき、たかくさしあげ、だいおんじやうをあげて、「とほからんものはおとにもきけ、ちかくはめにもみたまへ。これこそきやうわらんべのよぶなる、かづさのあくしちびやうゑかげきよよ」となのりすてて、みかたのたてのかげへぞのきにける。
へいけこれにすこしここちをなほいて、「あくしちびやうゑうたすな、ものども、かげきようたすな、つづけや」とて、にひやくよにんなぎさにあがり、たてをめんどりばにつきならべ、「げんじここをP267よせよや」とぞまねいたる。はうぐわんやすからぬことなりとて、たしろのくわんじやをまへにたて、ごとうびやうゑふし、かねこきやうだいをゆんでめてになし、いせのさぶらうをうしろとして、はうぐわんはちじふよきをめいてさきをかけたまへば、へいけのかたには、むまにのつたるせいはすくなし、たいりやくかちむしやなりければ、むまにあてられじとやおもひけん、しばしもたまらずひきしりぞき、みなふねにぞのりにける。たてはさんをちらしたるやうに、さんざんにけちらさる。げんじかつにのつて、むまのふとばらつかるほどに、うちいれうちいれせめたたかふ。ふねのうちよりくまでないがまをもつて、はうぐわんのかぶとのしころに、からりからりとうちかけうちかけ、にさんどしけれどもみかたのつはものども、たちなぎなたのさきにて、うちはらひうちはらひせめたたかふ。されどもいかがはしたまひたりけん、はうぐわんゆみをとりおとされぬ。うつぶし、むちをもつてかきよせ、とらんとらんとしたまへば、みかたのつはものども、「ただすてさせたまへすてさせたまへ」とまうしけれども、つひにとつて、わらうてぞかへられける。おとなどもは、みなつまはじきをして、「たとひせんびきまんびきに、かへさせたまふべきおんだらしなりとまうすとも、いかでかおんいのちには、かへさせたまふべきか」とまうしければ、はうぐわん、「ゆみのをしさにも、とらばこそ。よしつねがゆみといはば、ににんしてもはり、もしはさんにんしてもはり、をぢためともなどがゆみのやうならば、わざともおといてとらすべし。わうじやくたるゆみを、かたきのとりもつて、これこそげんじのたいしやうぐん、くらうよしつねがゆみよなど、てうろうぜられんがくちをしさに、いのちにかへてとつたるぞかし」とのたまへば、みなまたこれをぞP268かんじける。いちにちたたかひくらしよにいりければ、へいけのふねはおきにうかび、げんじはくがにうちあがつて、むれたかまつのなかなるのやまに、ぢんをぞとつたりける。げんじのつはものどもは、このみつかがあひだはねざりけり。をととひつのくにわたなべ、ふくしまをいづるとて、おほかぜおほなみにゆられて、まどろまず、きのふあはのくにかつうらについていくさし、よもすがらなかやまこえ、けふまたいちにちたたかひくらしたりければ、ひともむまもみなつかれはてて、あるひはかぶとをまくらにし、あるひはよろひのそで、えびらなどをまくらとして、ぜんごもしらずぞふしにける。されどもそのなかに、はうぐわんといせのさぶらうはねざりけり。はうぐわんはたかきところにうちあがつて、かたきやよすととほみしたまふ。いせのさぶらうは、くぼきところにかくれゐて、かたきよせば、まづむまのふとばらいんとてまちかけたり。へいけのかたには、のとどのをたいしやうぐんとして、そのよようちにせんと、したくせられたりけれども、ゑつちうのじらうびやうゑと、えみのじらうが、せんぢんをあらそふほどに、そのよもむなしくあけにけり。よせたりせば、げんじなじかはたまるべき、よせざりけるこそ、せめてのうんのきはめなれ。P269
「しどかつせん」(『しどかつせん』)S1106あけければ、へいけはたうごくしどのうらへこぎしりぞく。はうぐわんはちじふよき、しどへおうてぞかかられける。へいけこれをみて、「げんじはこぜいなりけるぞ。なかにとりこめてうてや」とて、せんよにんなぎさにあがり、げんじをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。さるほどにやしまにのこりとどまつたるにひやくよきのせいども、おくればせにはせきたる。へいけこれをみて、「あはやげんじのおほぜいのつづいたるは。なんじふまんぎがあるらん、とりこめられてはかなふべからず」とてひきしりぞき、みなふねにぞのりにける。しほにひかれ、かぜにまかせて、いづちをさすともなく、ゆられゆくこそかなしけれ。しこくをばくらうたいふのはうぐわんせめおとされぬ。くこくへはいれられず、ただちううのしゆじやうとぞみえし。はうぐわんはしどのうらにおりゐて、くびどものじつけんしておはしけるが、いせのさぶらうよしもりをめして、「あはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんのりよし、いよのかはののしらうが、めせどもまゐらぬをせめんとて、そのせいさんぜんよきで、いよへこえたりけるが、かはのをばうちもらしぬ。いへのこらうどうひやくごじふにんがくびきつて、やしまのだいりへまゐらせたるがP270、けふこれへつくときく。なんぢゆきむかつて、こしらへてみよ」とのたまへば、よしもりかしこまりうけたまはつて、しらはたひとながれたまはつてさすままに、てぜいじふろくき、みなしらしやうぞくにいでたつて、はせむかふ。
さるほどにいせのさぶらう、でんないざゑもんゆきあうたり。あはひいつちやうばかりをへだてて、たがひにあかはたしらはたうつたてたり。よしもり、のりよしがもとへししやをたてて、「かつきこしめされてもやさふらふらん、かまくらどののおんおとと、くらうたいふのはうぐわんどのこそ、へいけつゐたうのゐんぜんをうけたまはつて、さいこくへむかはせたまひてさふらふ。そのみうちに、いせのさぶらうよしもりとまうすものにてさふらふが、いくさかつせんのれうでさふらはねば、もののぐをもしさふらはず、きうせんをもたいしさふらはず。たいしやうにまうすべきことあつて、これまでまかりむかつてさふらふぞ。あけていれさせたまへ」といひおくつたりければ、さんぜんよきのつはものども、みななかをあけてぞとほしける。いせのさぶらう、でんないざゑもんにうちならべていひけるは、「かつききたまひてもさふらふらん。かまくらどののおんおとと、くらうたいふのはうぐわんどのこそ、へいけつゐたうのために、これまでむかはせたまひてさふらふが、をととひあはのくにかつうらについて、ごへんのをぢ、さくらばのすけどのうつとり、きのふやしまについていくさし、ごしよだいりみなやきはらひ、しゆしやうはうみへいらせたまひぬ。おほいとのふしをば、いけどりにしまゐらせてさふらふ。のとどのもおんじがい、そのほかのひとびとは、あるひは、おんじがい、あるひはうみへいらせたまふ。よたうのせうせうのこつたるをば、けさしどのうらにてみなうつとりさふらひぬ。ごへんのちちあはのみんぶどのは、かうにんにまゐらせたまひてさふらふを、P271よしもりがあづかりたてまつてさふらふが、『あなむざん、でんないざゑもんのりよしが、これをばゆめにもしらずして、あすはいくさしてうたれんずることのむざんさよ』と、よもすがらなげきたまふがいたはしさに、つげしらせまゐらせんがために、これまでまかりむかつてさふらふぞ。いまはいくさしてうたれたまはんとも、またかぶとをぬぎゆみのつるをはづし、かうにんにまゐつて、ちちをいまいちどみたまはんとも、ともかうもごへんのおんぱからひぞ」といひければ、でんないざゑもん、「かつきくことにすこしもたがはず」とて、かぶとをぬぎゆみのつるをはづして、かうにんにまゐる。たいしやうかやうになるうへは、さんぜんよきのつはものどもも、みなかくのごとし。よしもりがわづかじふろくきにぐせられて、おめおめとかうにんにこそなりにけれ。よしもりでんないざゑもんをあひぐして、はうぐわんのおんまへにかしこまつて、このよしかくとまうしければ、「よしもりがはかりごと、いまにはじめぬことなれども、しんべうにもつかまつたるものかな」とて、やがてでんないざゑもんをば、もののぐめされて、いせのさぶらうにあづけらる。「さてあのつはものどもはいかに」とのたまへば、「ゑんごくのものどもは、たれをたれとかおもひまゐらせさふらふべき。ただよのらんをしづめて、くにをしろしめされんを、しゆにしまゐらせん」とまうしければ、はうぐわん、「このぎもつともしかるべし」とて、さんぜんよきのつはものどもを、みなわがせいにぞぐせられける。さるほどにわたなべふくしまりやうしよに、のこりとどまつたりけるにひやくよそうのふねども、かぢはらをさきとして、おなじきにじふににちのたつのいつてんに、やしまのいそにぞつきにける。「しこくをばP272くらうはうぐわんせめおとされぬ。いまはなんのようにかあふべき。むゆかのしやうぶ、ゑにあはぬはな、いさかひはててのちぎりきかな」とぞわらはれける。はうぐわんやしまへわたりたまひてのち、すみよしのかんぬしつもりのながもり、みやこへのぼりゐんざんして、「さんぬるじふろくにちのうしのこくばかり、たうしやのだいさんのじんでんより、かぶらやのこゑいでて、にしをさしてまかりさふらひぬ」と、そうもんせられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、ぎよけんいげ、しゆじゆのじんぼうを、ながもりしてすみよしのだいみやうじんへまゐらせらる。むかしじんぐうくわうごう、しんらをせめさせたまひしとき、いせだいじんぐうより、にじんのあらみさきをさしそへさせたまひけり。にじんおんふねのともへにたつて、しんらをやすうせめしたがへさせたまひけり。いこくのいくさをしづめさせたまひて、きてうののち、いちじんはつのくにすみよしのこほりに、とどまらせおはします。すみよしだいみやうじんこれなり。いまいちじんは、しなののくにすはのこほりにあとをたる。すはのだいみやうじんのおんことなり。「むかしのせいばつのことを、おぼしめしわすれさせたまはで、いまもてうのをんできを、ほろぼしたまふべきにや」と、きみもしんもたのもしうぞおぼしめされける。
「だんのうらかつせん」(『とりあわせ だんのうらかつせん』)S1107さるほどにはうぐわんやしまのいくさにうちかつて、すはうのぢへおしわたり、あにのみかはのかみとひとつにP273なる。へいけはながとのくにひくしまにつくときこえしかば、げんじもおなじくにのうち、おひつにつくこそふしぎなれ。ここにきのくにのぢうにん、くまののべつたうたんぞうは、へいけぢうおんのみなりしが、たちまちにこころがはりして、へいけへやまゐらん、げんじへやまゐらんとおもひけるが、まづたなべのいまぐまのにしちにちさんろうし、みかぐらをそうして、ごんげんへきせいまうしければ、「ただしらはたにつけ」とのごたくせんありしかども、なほうたがひをなしまゐらせて、しろきにはとりななつ、あかきにはとりななつ、これをもつてごんげんのおんまへにて、しようぶをせさせけるに、あかきにはとりひとつもかたず、みなまけてぞにげにける。さてこそげんじへまゐらんとはおもひさだめけれ。さるほどにいちもんのものどもあひもよほし、つがふそのせいにせんよにん、にひやくよそうのひやうせんにとりのり、にやくわうじのおんしやうだいを、ふねにのせまゐらせ、はたのよこがみには、こんがうどうじをかきたてまつて、だんのうらへよするをみて、げんじもへいけもともにはいしたてまつる。されどもこのふねげんじのかたへつきければ、へいけきようさめてぞみえられける。またいよのくにのぢうにん、かはののしらうみちのぶも、ひやくごじつそうのたいせんに、のりつれてこぎきたり、これもおなじうげんじのかたへつきければ、へいけいとどきようさめてぞおもはれける。げんじのせいはかさなれば、へいけのせいはおちぞゆく。げんじのふねはさんぜんよそう、へいけのふねはせんよそう、たうせんせうせうあひまじれり。げんりやくにねんさんぐわつにじふしにちのうのこくに、ぶぜんのくにたのうら、もんじのせき、ながとのくにだんのうら、あかまがせきにて、げんぺいのやあはせとぞさだめける。そのひはうぐわんとかぢはらと、すでにどしいくさせんとP274す。かぢはらすすみいでて、「けふのせんぢんをば、かげときにたびさふらへかし」。はうぐわん、「よしつねがなくばこそ」とのたまへば、かぢはら、「まさなうさふらふ。とのはたいしやうぐんにてましましさふらふものを」とまうしければ、はうぐわん、「それおもひもよらず、かまくらどのこそたいしやうぐんよ。よしつねはいくさぶぎやうをうけたまはつたるみなれば、ただわどのばらとおなじことよ」とぞのたまひける。かぢはら、せんぢんをしよまうしかねて、「てんぜいこのとのは、さぶらひのしゆにはなりがたし」とぞつぶやきける。はうぐわん、「わどのはにつぽんいちのをこのものかな」とて、たちのつかにてをかけたまへば、かぢはら、「こはいかに、かまくらどのよりほか、べつにしゆをばもちたてまつらぬものを」とて、これもおなじうたちのつかにてをぞかけける。ちちがけしきをみて、ちやくしのげんだかげすゑ、じなんへいじかげたか、おなじきさぶらうかげいへ、おやこしゆじうじふしごにん、うちもののさやをはづいて、ちちといつしよによりあうたり。はうぐわんのけしきをみたてまつて、いせのさぶらうよしもり、あうしうのさとうしらうびやうゑただのぶ、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふ、いちにんたうぜんのつはものども、かぢはらをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。されどもはうぐわんには、みうらのすけとりつきたてまつり、かぢはらには、とひのじらうつかみついて、りやうにんてをすつてまうしけるは、「これほどのおんだいじをまへにかかへながら、どしいくさしたまひなば、へいけにせいつきさふらひなんず。かつうはかまくらどののかへりきこしめされんずるところも、をんびんならず」とまうしければ、はうぐわんしづまりたまひぬ。かぢはらすすむにおよばず。それよりして、かぢはらはうぐわんをにくみそめたてまつて、ざんげんしてつひにP275うしなひたてまつたりとぞ、のちにはきこえし。さるほどにげんぺいりやうばうぢんをあはす。ぢんのあはひ、うみのおもてわづかにさんじふよちやうをぞへだてたる。もんじ、あかま、だんのうらは、たぎりておつるしほなれば、へいけのふねはこころならず、しほにむかつておしおとさる。げんじのふねはおのづから、しほにおうてぞいできたる。おきはしほのはやければ、みぎはについて、かぢはらかたきのふねのゆきちがふを、くまでにかけてひきよせ、のりうつりのりうつり、おやこしゆじうじふしごにん、うちもののさやをはづいて、ともへにさんざんにないでまはり、ぶんどりあまたして、そのひのかうみやうのいちのふでにぞつきにける。
「とほや」さるほどにげんぺいりやうばうぢんをあはせて、ときをつくる。かみはぼんでんまでもきこえ、しもはけんらうぢじんも、おどろきたまふらんとぞおぼえたる。ときのこゑもしづまりしかば、しんぢうなごんとももりのきやう、ふねのやかたにすすみいで、だいおんじやうをあげて、「てんぢくしんだんにも、につぽんわがてうにも、ならびなきめいしやうゆうしといへども、うんめいつきぬればちからおよばず。されどもなこそをしけれ。とうごくのものどもによわげみすな。いつのためにかいのちをばをしむべき。いくさようせよ、ものども、ただこれのみぞおもふことよ」とのたまへば、ひだのさぶらうざゑもんかげつねP276、おんまへにさふらひけるが、「これうけたまはれ、さぶらひども」とぞげぢしける。かづさのあくしちびやうゑすすみいでて、「そればんどうむしやは、むまのうへにてこそ、くちはききさふらふとも、ふないくさをばいつてうれんしさふらふべき。たとへばうをのきにのぼつたるでこそさふらはんずらめ。いちいちにとつて、うみにつけなんものを」とぞまうしける。ゑつちうのじらうびやうゑすすみいでて、「おなじうはたいしやうのげんくらうとくみたまへ。くらうはせいのちひさきをのこの、いろのしろかんなるが、むかばのすこしさしいでて、ことにしるかんなるぞ。ただしよろひひたたれをつねにきかふなれば、きつとみわけがたかんなり」とぞまうしける。あくしちびやうゑかさねて、「なんでふそのこくわんじやめ、たとひこころこそたけくとも、なにほどのことかあるべき。しやかたわきにはさんで、うみにいれなんものを」とぞまうしける。しんぢうなごんとももりのきやうは、かやうにげぢしたまひてのち、こぶねにのり、おほいとののおんまへにおはしてまうされけるは、「みかたのつはものども、けふはようみえさふらふ。ただしあはのみんぶしげよしばかりこそ、こころがはりしたるとおぼえさふらへ。かうべをはねさふらはばや」とまうされければ、おほいとの、「さしもほうこうのものであるに、みえたることもなくして、いかでかかうべをばはねらるべき。しげよしめせ」とてめされけり。しげよしそのひのしやうぞくには、むくらんぢのひたたれに、あらひがはのよろひきて、おんまへにかしこまつてぞさふらひける。おほいとの、「いかにしげよしは、こころがはりしたるか。けふはわるうみゆるぞ。しこくのものどもに、いくさようせよとげぢせよ。おくしたんな」とのたまへば、「なんでふおくしさふらふべき」とてP277、おんまへをまかりたつ。しんぢうなごんは、たちのつかくだけよとにぎるままに、「あつぱれしげよしめがくびうちおとさばや」と、おほいとののおんかたを、しきりにみまゐらさせたまへども、おんゆるされなければ、ちからおよびたまはず。さるほどにへいけはせんよそうをみてにつくる。まづやまがのひやうどうじひでとほ、ごひやくよそうでせんぢんにこぎむかふ。まつうらたうさんびやくよそうで、にぢんにつづく。へいけのきんだちたち、にひやくよそうでさんぢんにつづきたまへり。なかにもやまがのひやうどうじひでとほは、くこくいちのつよゆみせいびやうなりければ、われほどこそなけれども、ふつうざまのせいびやうごひやくにんすぐつて、ふねぶねのともへにたて、かたをいちめんにならべて、ごひやくのやをいちどにはなつ。げんじのかたにもさんぜんよそうのふねなりければ、せいのかずさこそはおほかりけめども、あそこここよりいけるほどに、いづくにせいびやうありともみえざりけり。なかにもたいしやうぐんげんくらうよしつねは、まつさきにすすんでたたかひけるが、たてもよろひもこらへずして、さんざんにいしらまさる。へいけ、みかたかちぬとて、しきりにせめつづみをうつて、をめきさけんでせめたたかふ。
(『とほや』)S1108げんじのかたには、わだのこたらうよしもり、ふねにはのらずむまにうちのり、あぶみのはなふみそらし。へいけのせいのなかを、さしつめひきつめさんざんにいる。もとよりせいびやうのてききにてありければ、さんちやうがうちのものをば、はづさず、つよういけり。なかにもことにとほういたるとおぼしきやを、「そのやたまはらん」とぞまねきける。しんぢうなごんとももりのきやう、このやをぬかせてみたまへば、しらのにつるのもとじろ、こうのはわりあはせてはいだるやの、じふさんぞくみつぶせありけるにP278、くつまきよりいつそくばかりおいて、わだのこたらうたひらのよしもりと、うるしにてぞかきつけたる。へいけのかたにもせいびやうおほしといへども、さすがとほやいるじんやなかりけん。ややあつていよのくにのぢうにん、にゐのきしらうちかきよ、このやをたまはつていかへす。これもさんちやうよを、つといわたいて、わだがうしろいつたんばかりにひかへたる、みうらのいしざこんのたらうが、ゆんでのかひなに、したたかにこそたつたりけれ。みうらのひとどもよりあひて、「あなにくや、わだのこたらうが、われほどのせいびやうなしとこころえて、はぢかきぬるをかしさよ」とわらひければ、よしもり、やすからぬことなりとて、こんどはこぶねにのつてこぎいだし、へいけのせいのなかを、さしつめひきつめさんざんにいければ、ものどもおほくておひいころさる。ややあつておきのかたより、はうぐわんののりたまひたるふねに、しらののおほやをひとついたて、これもわだがやうに、「そのやたまはらん」とまねきけり。はうぐわんこのやをぬかせてみたまへば、しらのにやまどりのををもつてはいだるやの、じふしそくみつぶせありけるに、くつまきよりいつそくばかりおいて、いよのくにのぢうにん、にゐのきしらうちかきよと、うるしにてぞかきつけたる。はうぐわん、ごとうびやうゑさねもとをめして、「みかたにこのやいつべきじんはたれかある」とのたまへば、「かひげんじに、あさりのよいちどのこそ、せいびやうのてききにてさふらへ」とまうしければ、はうぐわん、「さらばよいちよべ」とてめされけり。あさりのよいちいできたり。はうぐわん、「いかによいち、このやただいまおきよりいてさふらふが、そのやたまはらんとP279まねきさふらふ。ごへんいられさふらひなんや」とのたまへば、「たまはつてみさふらはん」とて、とつてつまよつて、「これはのがよわうさふらふ。やづかもすこしみじかうさふらへば、おなじうはよしなりがぐそくにてつかまつりさふらはん」とて、ぬりのにくろぼろはいだるだいのやの、わがおほでにおしにぎつて、じふごそくみつぶせありけるを、ぬりごめどうのゆみの、くしやくばかりありけるに、とつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。これもしちやうよを、つといわたいて、おほふねのへにたつたる、にゐのきしらうちかきよが、まつただなかを、ひやうつばといて、ふなぞこへまつさかさまにいおとす。もとよりこのあさりのよいちは、せいびやうのてききにて、にちやうがうちをわしるしかをばはづさず、つよういけるとぞきこえし。そののちはげんぺいのつはものども、たがひにおもてもふらず、いのちもをしまずせめたたかふ。されどもへいけのおんかたには、じふぜんていわう、さんじゆのしんきをたいしてわたらせたまへば、げんじいかがあらんずらんと、あやふうおもふところに、しばしはしらくもかとおぼしくて、こくうにただよひけるが、くもにてはなかりけり。ぬしもなきしらはたひとながれまひさがつて、げんじのふねのへに、さをづけのをの、さはるほどにぞみえたりける。P280
「せんていのごじゆすゐ」はうぐわん、「これははちまんだいぼさつのげんじたまへるにこそ」とよろこんで、かぶとをぬぎ、てうづうがひして、これをはいしたてまつりたまふ。つはものどももみなかくのごとし。またおきよりいるかといふうを、いちにせんはうで、へいけのふねのかたへぞむかひける。おほいとの、こばかせはるのぶをめして、「いるかはつねにおほけれども、いまだかやうのことなし。きつとかんがへまうせ」とのたまへば、「このいるかはみかへりさふらはば、げんじほろびさふらひなんず。はみとほりさふらはば、みかたのおんいくさあやふうおぼえさふらふ」とまうしもはてぬに、へいけのふねのしたを、すぐにはうでぞとほりける。よのなかはいまはかうとぞみえし。あはのみんぶしげよしは、このさんがねんがあひだ、へいけについてちうをいたしたりしかども、しそくでんないざゑもんのりよしを、いけどりにせられて、いまはかなはじとやおもひけん、たちまちにこころがはりして、げんじとひとつになりにけり。しんぢうなごんとももりのきやう、「あつぱれしげよしめを、きつてすつべかりつるものを」と、こうくわいせられけれどもかひぞなき。へいけのかたのはかりごとには、よきむしやをばひやうせんにのせ、ざふにんばらをばたうせんにのせて、げんじこころにくさに、たうせんをせめば、なかにとりこめてうたんと、したくせられたりしかどもP281、しげよしがかへりちうのうへは、たうせんにはめもかけず、たいしやうぐんのやつしのりたまへるひやうせんをぞせめたりける。そののちはしこくちんぜいのつはものども、みなへいけをそむいて、げんじにつく。いままでしたがひつきたりしかども、きみにむかつてゆみをひき、しゆにたいしてたちをぬく。かしこのきしにつかんとすれば、なみたかうしてかなひがたし。ここのみぎはによらんとすれば、かたきやさきをそろへてまちかけたり。げんぺいのくにあらそひ、けふをかぎりとぞみえたりける。
(『せんていみなげ』)S1109さるほどにげんじのつはものども、へいけのふねにのりうつりければ、すゐしゆかんどりども、あるひはいころされ、あるひはきりころされて、ふねをなほすにおよばず、ふなぞこにみなたふれふしにけり。しんぢうなごんとももりのきやう、こぶねにのつて、いそぎごしよのおんふねへまゐらせたまひて、「よのなかはいまはかうとおぼえさふらふ。みぐるしきものをば、みなうみへいれて、ふねのさうぢめされさふらへ」とて、はいたり、のごうたり、ちりひろひ、ともへにはしりまはつて、てづからさうじしたまひけり。にようばうたち、「ややちうなごんどの、いくさのやうはいかにやいかに」ととひたまへば、「ただいまめづらしきあづまをとこをこそ、ごらんぜられさふらはんずらめ」とて、からからとわらはれければ、「なんでふただいまのたはぶれぞや」とて、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。にゐどのは、ひごろよりおもひまうけたまへることなれば、にぶいろのふたつぎぬうちかづき、ねりばかまのそばたかくとり、しんしをわきにはさみ、ほうけんをこしにさし、しゆしやうをいだきまゐらせて、P282「われはをんななりとも、かたきのてにはかかるまじ。しゆしやうのおんともにまゐるなり。おんこころざしおもひたまはんひとびとは、いそぎつづきたまへや」とて、しづしづとふなばたへぞあゆみいでられける。しゆしやうことしは、はつさいにぞならせおはします。おんとしのほどより、はるかにねびさせたまひて、おんかたちいつくしう、あたりもてりかかやくばかりなり。おんぐしくろうゆらゆらと、おんせなかすぎさせたまひけり。しゆしやうあきれたるおんありさまにて、「そもそもあまぜ、われをばいづちへぐしてゆかんとはするぞ」とおほせければ、にゐどの、いとけなききみにむかひまゐらせ、なみだをはらはらとながいて、「きみはいまだしろしめされさふらはずや。ぜんぜのじふぜんかいぎやうのおんちからによつて、いまばんじようのあるじとはうまれさせたまへども、あくえんにひかれて、ごうんすでにつきさせたまひさぶらひぬ。まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐうにおんいとままうさせおはしまし、そののちにしにむかはせたまひて、さいはうじやうどのらいかうにあづからんとちかはせおはしまして、おんねんぶつさぶらふべし。このくにはそくさんへんどとまうして、ものうきさかひにてさぶらふ。あのなみのしたにこそ、ごくらくじやうどとて、めでたきみやこのさぶらふ。それへぐしまゐらせさぶらふぞ」と、さまざまになぐさめまゐらせしかば、やまばといろのぎよいにびんづらゆはせたまひて、おんなみだにおぼれ、ちひさううつくしきおんてをあはせ、まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐう、しやうはちまんぐうに、おんいとままうさせおはしまし、そののちにしにむかはせたまひて、おんねんぶつありしかば、にゐどのやがていだきまゐらせて、「なみのそこにもみやこのさぶらふぞ」となぐさめまゐらせて、ちひろのそこにぞしづみたまふ。かなしきかな、むじやうのはるのかぜ、P283たちまちにはなのおんすがたをちらし、いたましきかな、ぶんだんのあらきなみ、ぎよくたいをしづめたてまつる。てんをばちやうせいとなづけて、ながきすみかとさだめ、もんをばふらうとかうして、おいせぬとざしとはかきたれども、いまだじつさいのうちにして、そこのみくずとならせおはします。じふぜんていゐのおんくわはう、まうすもなかなかおろかなり。うんしやうのりようくだつて、かいていのうをとなりたまふ。だいぼんかうだいのかくのうへ、しやくだいきけんのみやのうち、いにしへはくわいもんきよくろのあひだに、きうぞくをなびかし、いまはふねのうちなみのしたにて、おんみをいつしにほろぼしたまふこそかなしけれ。
「のとどのさいご」(『のとどのさいご』)S1110にようゐんはこのありさまをみまゐらせたまひて、いまはかうとやおぼしめされけん、おんすずり、おんやきいし、さうのおんふところにいれて、うみにいらせたまふを、わたなべのげんごむまのじようむつる、こぶねをつとこぎよせて、おんぐしをくまでにかけてひきあげたてまつる。だいなごんのすけのつぼね、「あなあさまし、それはにようゐんにてわたらせたまふぞ。あやまちつかまつるな」とまうされたりければ、はうぐわんにまうして、いそぎごしよのおんふねへうつしたてまつる。さてだいなごんのすけのつぼねは、ないしどころのおんからうとをとつて、うみにいらんとしたまひけるが、はかまのすそをP284ふなばたにいつけられて、けまとひたふれたまひけるを、ぶしどもとりとどめたてまつる。そののちおんからうとのぢやうをねぢきつて、おんふたをすでにひらかんとす。たちまちにめくれはなぢたる。へいだいなごんときただのきやうは、いけどりにせられておはしけるが、「あれはいかに、ないしどころにてわたらせたまふぞ。ぼんぶはみたてまつらぬことぞ」とのたまへば、つはものどもしたをふつておそれをののく。そののちはうぐわんときただのきやうにまうしあはせて、もとのごとくからげをさめたてまつらる。さるほどに、かどわきのへいぢうなごんのりもり、しゆりのだいぶつねもり、きやうだいてにてをとりくみ、よろひのうへにいかりをおうて、うみにぞしづみたまひける。こまつのしんざんみのちうじやうすけもり、おなじきせうしやうありもり、いとこのさまのかみゆきもりも、てにてをとりくみ、これもよろひのうへにいかりをおうて、いつしよにうみにぞいりたまふ。ひとびとはかやうにしたまへども、おほいとのふしは、さもしたまはず、ふなばたにたち、しはうみめぐらしておはしければ、へいけのさぶらひども、あまりのこころうさに、そばをつとわしりとほるやうにて、まづおほいとのをうみへがばとつきいれたてまつる。これをみてゑもんのかみ、やがてつづいてとびいりたまひぬ。ひとびとは、よろひのうへに、おもきものをおうたりいだいたりして、いればこそしづめ、このひとおやこは、さもしたまはず。なまじひにすゐれんのじやうずにておはしければ、おほいとのは、ゑもんのかみしづまば、われもしづまん、たすからば、われもともにたすからんとおもひ、たがひにめをみかはして、かなたこなたへおよぎありきたまひけるを、いせのさぶらうよしもり、こぶねをつとこぎよせてP285、まづゑもんのかみを、くまでにかけてひきあげたてまつる。おほいとの、いとどしづみもやりたまはざりしを、いつしよにとりあげたてまつてげり。めのとごのひだのさぶらうざゑもんかげつね、このよしをみたてまつて、「わがきみとりたてまつるはなにものぞ」とて、こぶねにのり、よしもりがふねにおしならべてのりうつり、たちをぬいてうつてかかる。よしもりあぶなうみえけるところに、よしもりがわらは、しゆをうたせじと、なかにへだたり、さぶらうざゑもんにうつてかかる。さぶらうざゑもんがうつたちに、よしもりがわらは、かぶとのまつかううちわられて、にのたちにくびうちおとさる。よしもりはなほあぶなうみえけるを、となりのふねより、ほりのやたらうちかつね、よつぴいてひやうどはなつ。さぶらうざゑもん、うちかぶとをいさせてひるむところに、ほりのやたらう、よしもりがふねにのりうつり、さぶらうざゑもんにくんでふす。ほりがらうどうやがてつづいてのりうつり、さぶらうざゑもんがこしのかたなをぬき、よろひのくさずりひきあげて、つかもこぶしも、とほれとほれとみかたなさいて、くびをとる。おほいとのは、めのとごがめのまへにて、かやうになるをみたまひて、いかばかりのことをかおもはれけん。
およそのとどののやさきにまはるものこそなかりけれ。のりつねはけふをさいごとやおもはれけん、あかぢのにしきのひたたれに、からあやをどしのよろひきて、くはがたうつたるかぶとのををしめ、いかものづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみもつて、さしつめひきつめ、さんざんにいたまへば、ものどもおほくておひいころさる。やだねみなつきければ、こくしつのおほたち、しらえのおほなぎなた、さうにもつて、さんざんにないでまはりたまふ。P286しんぢうなごんとももりのきやう、のとどののもとへししやをたてて、「いたうつみなつくりたまひそ。さりとてはよきかたきかは」とのたまへば、のとどの、「さてはたいしやうにくめござんなれ」とて、うちものくきみじかにとり、ともへにさんざんにないでまはりたまふ。されどもはうぐわんをみしりたまはねば、もののぐのよきむしやをば、はうぐわんかとめをかけてとんでかかる。はうぐわんもないないおもてにたつやうにはしたまへども、とかうちがへて、のとどのにはくまれず。されどもいかがはしたまひたりけん、はうぐわんのふねにのりあたり、「あはや」とめをかけて、とんでかかる。はうぐわんかなはじとやおもはれけん、なぎなたをばゆんでのわきにかいはさみ、みかたのふねの、にぢやうばかりのきたりけるに、ゆらりととびのりたまひぬ。のとどのはやわざやおとられたりけん、つづいてもとびたまはず。のとどのいまはかうとやおもはれけん、たちなぎなたをもうみへなげいれ、かぶともぬいですてられけり。よろひのそで、くさずりをもかなぐりすて、どうばかりきておほわらはになり、おほてをひろげて、ふねのやかたにたちいで、だいおんじやうをあげて、「げんじのかたにわれとおもはんものあらば、よつてのりつねくんでいけどりにせよ。かまくらへくだり、ひやうゑのすけにものひとことばいはんとおもふなり。よれやよれ」とのたまへども、よるものいちにんもなかりけり。ここにとさのくにのぢうにん、あきのがうをちぎやうしけるあきのだいりやうさねやすがこに、あきのたらうさねみつとて、およそにさんじふにんがちからあらはしたるだいぢからのかうのもの、われにちつともおとらぬらうどういちにんぐしたりけり。おととのじらうも、ふつうにはすぐれたるつはものなり。かれらP287さんにんよりあひて、「たとひのとどの、こころこそかうにおはすとも、なにほどのことかあるべき。たけじふぢやうのおになりとも、われらさんにんがつかみついたらんに、などかしたがへざるべき」とて、こぶねにのり、のとどののふねにおしならべてのりうつり、たちのきつさきをととのへて、いちめんにうつてかかる。のとどのこれをみたまひて、まづまつさきにすすんだる、あきのたらうがらうどうに、すそをあはせて、うみへどうどけいれたまふ。つづいてかかるあきのたらうをば、ゆんでのわきにかいはさみ、おととのじらうをば、めてのわきにとつてはさみ、ひとしめしめて、「いざうれおのれら、しでのやまのともせよ」とて、しやうねんにじふろくにて、うみへつつとぞいりたまふ。
「ないしどころのみやこいり」(『ないしどころのみやこいり』)S1111しんぢうなごんとももりのきやうは、「みるべきほどのことをばみつ、いまはただじがいをせん」とて、めのとごのいがのへいないざゑもんいへながをめして、「ひごろのけいやくをばたがへまじきか」とのたまへば、「さることさふらふ」とて、ちうなごんどのにも、よろひにりやうきせたてまつり、わがみもにりやうきて、てにてをとりくみ、いつしよにうみにぞいりたまふ。これをみて、たうざにありける、にじふよにんのさぶらひども、つづいてうみにぞしづみける。されどもそのなかに、ゑつちうのじらうびやうゑP288、かづさのごらうびやうゑ、あくしちびやうゑ、ひだのしらうびやうゑなどは、なにとしてかはのがれたりけん、そこをもつひにおちにけり。かいしやうにはあかはた、あかじるしども、きりすてかなぐりすてたりければ、たつたがはのもみぢばを、あらしのふきちらしたるにことならず。みぎはによするしらなみは、うすぐれなゐにぞなりにける。ぬしもなきむなしきふねどもは、しほにひかれかぜにしたがひて、いづちをさすともなく、ゆられてゆくこそかなしけれ。いけどりには、さきのないだいじんむねもりこう、へいだいなごんときただ、ゑもんのかみきよむね、くらのかみのぶもと、さぬきのちうじやうときざね、おほいとののはつさいのわかぎみ、ひやうぶのせふまさあきら、そうにはにゐのそうづせんしん、ほつしようじのしゆぎやうのうゑん、ちうなごんのりつしちうくわい、きやうじゆばうのあじやりゆうゑん、さぶらひにはげんだいふのはうぐわんすゑさだ、つのはうぐわんもりずみ、とうないさゑもんのじようのぶやす、きちないさゑもんのじようすゑやす、あはのみんぶしげよしふし、いじやうさんじふはちにんなり。きくちのじらうたかなほ、はらだのたいふたねなほは、いくさいぜんよりかぶとをぬぎ、ゆみのつるをはづいて、かうにんにまゐる。にようばうたちには、にようゐん、きたのまんどころ、らふのおんかた、だいなごんのすけどの、そつのすけどの、ぢぶきやうのつぼねいげ、いじやうしじふさんにんとぞきこえし。げんりやくにねんのはるのくれ、いかなるとしつきにて、いちじんかいていにしづみ、ひやくくわんはしやうにうかぶらん。こくもくわんぢよは、とういせいじゆのてにしたがひ、しんかけいしやうは、すまんのぐんりよにとらはれて、きうりへかへりたまひしに、あるひはしゆばいしんがにしきをきざることをなげき、あるひはわうぜうくんがここくにおもむきしうらみも、これにはすぎじとぞみえし。
しんぐわつみつかのひ、くらうたいふのはうぐわんよしつね、げんはちひろつなをもつて、ゐんのごしよへそうもんせられけるはP289、「さんぬるさんぐわつにじふしにちのうのこくに、ぶぜんのくにたのうら、もんじがせき、ながとのくにだんのうら、あかまがせきにて、へいけをことごとくせめほろぼし、ないしどころ、しるしのおんはこ、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつるべき」よし、そうもんせられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、ひろつなをおつぼのうちへめして、かつせんのしだいをくはしうおんたづねあつて、ぎよかんのあまりに、ひろつなをたうざにさひやうゑにぞなされける。おなじきいつかのひ、ほくめんにさふらふとうはうぐわんのぶもりをめして、「ないしどころ、しるしのおんはこ、いちぢやうかへりいらせたまふか、みてまゐれ」とて、さいこくへつかはさる。のぶもりやがてゐんのおむまたまはつて、しゆくしよへもかへらず、むちをあげ、にしをさしてぞはせくだる。さるほどにくらうたいふのはうぐわんよしつね、へいじなんによのいけどりども、あひぐしてのぼられけるが、おなじきじふしにちはりまのくにあかしのうらにぞつかれける。なをえたるうらなれば、ふけゆくままにつきすみのぼり、あきのそらにもおとらず。にようばうたちは、さしつどひて、「ひととせこれをとほりしには、かかるべしとはおもはざりしものを」とて、しのびねになきぞあはれける。そつのすけどの、つくづくつきをながめたまひて、いとおもひのこせることもおはせざりければ、なみだにとこもうくばかりにて、かうぞおもひつづけらる。
ながむればぬるるたもとにやどりけりつきよくもゐのものがたりせよ W085
ぢぶきやうのつぼね、
くものへにみしにかはらぬつきかげのすむにつけてもものぞかなしき W086 
P290だいなごんのすけのつぼね、
わがみこそあかしのうらにたびねせめおなじなみにもやどるつきかな W087
はうぐわんはたけきもののふなれども、さこそおのおのの、むかしこひしう、ものがなしうもやおはすらんと、みにしみてあはれにぞおもはれける。おなじきにじふごにち、ないしどころ、しるしのおんはこ、とばにつかせたまふときこえしかば、だいりよりおんむかひにまゐらせたまふひとびと、かでのこうぢのちうなごんつねふさのきやう、けんびゐしのべつたうさゑもんのかみさねいへ、たかくらのさいしやうのちうじやうやすみち、ごんのうちうべんかねただ、えなみのちうじやうきんとき、たぢまのせうしやうのりよし、ぶしにはいづのくらんどのたいふよりかぬ、いしかはのはんぐわんだいよしかぬ、さゑもんのじようありつなとぞきこえし。そのよのねのこくに、ないしどころ、しるしのおんはこ、だいじやうぐわんのちやうにいらせおはします。ほうけんはうせにけり。しんしはかいしやうにうかびたるを、かたをかのたらうつねはるがとりあげたてまつたりけるとかや。
(『けん』)S1112
「いちもんおほぢわたされ」(『いちもんおほちわたし』)S1113さるほどににのみやかへりいらせたまふときこえしかば、ほふわうよりおんむかひのおんくるまをまゐらせらる。おんこころならず、ぐわいせきのへいけにとらはれさせたまひて、さいかいのなみのうへにただよはせP291たまふおんことを、おんぼぎもおんめのとぢみやうゐんのさいしやうも、なのめならずおんなげきありしに、いままちうけまゐらせたまひて、いかばかりらうたくおぼしめされけん。おなじきにじふろくにち、へいじのいけどりども、とばについて、やがてそのひみやこへいつておほぢをわたさる。こはちえふのくるまの、ぜんごのすだれをあげ、さうのものみをひらく。おほいとのはじやうえをきたまへり。ひごろはさしもいろしろうきよげにおはせしかども、しほかぜにやせくろみて、そのひとともみえたまはず。されどもしはうをみめぐらして、いとおもひいれたまへるけしきもおはせざりけり。おんこゑもんのかみきよむねは、しろきひたたれにて、ちちのおんくるまのしりにぞまゐられける。なみだにむせびうつぶして、めもみあげたまはず、まことにふかうおもひいれたまへるけしきなり。へいだいなごんときただのきやうのくるまも、おなじうやりつづけられたり。さぬきのちうじやうときざねも、どうしやにわたさるべかりしかども、げんじよらうとてわたされず。くらのかみのぶもとは、きずをかうむつたりしかば、かんだうよりいりにけり。これをみんとて、ゑんごくきんごく、やまやまてらでら、きやうぢうのじやうげおいたるもわかきも、おほくきたりあつまつて、とばのみなみのもん、つくりみち、よつづかまで、はたとつづいて、いくせんまんといふかずをしらず。ひとはかへりみることをえず、くるまはわをめぐらすことあたはず。さんぬるぢしようやうわのききん、とうごくさいこくのいくさに、ひとだねおほくほろびうせたりといへども、なほのこりはおほかりけりとぞみえし。みやこをいでてなかいちねん、むげにまぢかきほどなれば、めでたかりしこともわすられず。さしもおそれをののきしひとの、けふのありさま、ゆめうつつともわきかねたり。P292こころなきあやしのしづのをしづのめにいたるまで、みななみだをながし、そでをぬらさぬはなかりけり。ましてなれちかづきたりしひとびとのこころのうち、おしはかられてあはれなり。ねんらいぢうおんをかうむつて、ふそのときよりしこうせしともがらの、さすがみのすてがたさに、おほくはげんじにつきたりしかども、むかしのよしみたちまちにわするべきにもあらねば、さこそはかなしうもおもひけめ。みなそでをかほにおしあてて、めをみあげぬものもおほかりけり。おほいとののうしかひは、きそがゐんざんのとき、くるまやりそんじてきられたりしじらうまるがおとと、さぶらうまるにてぞありける。さいこくにては、かりをのこになつたりけるが、とばにてはうぐわんにまうしけるは、「とねりうしかひなどまうすものは、いやしきげらふのはてにて、こころあるべきではさふらはねども、ねんらいめしつかはれまゐらせさふらひしおんこころざしあさからずさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。おんゆるされをかうむつて、おほいとののごさいごのおんくるまを、いまいちどつかまつりさふらはばや」とまうしければ、はうぐわんなさけあるひとにて、「もつともさるべし。とうとう」とてゆるされけり。さぶらうまるなのめならずによろこび、じんじやうにしやうぞくき、ふところよりやりなはとりいだいてつけかへ、なみだにくれて、ゆくさきはみえねども、うしのゆくにまかせつつ、なくなくやつてぞまかりける。ほふわうはろくでうひんがしのとうゐんに、おんくるまをたててえいらんある。ぐぶのくぎやうてんじやうびとのくるまどもも、おなじうたてならべられたり。さしもおんみちかうめしつかはせたまひしかば、ほふわうもおんこころよわう、いまさらあはれにぞおぼしめされける。「ひごろはいかなるひとも、あのひとびとのP293めにもみえ、ことばのすゑにもかからばやとこそおもひしに、けふかやうにみなすべしとは、たれかおもひよりしぞや」とて、じやうげそでをぞぬらされける。ひととせむねもりこうないだいじんになつて、よろこびまうしのありしとき、くぎやうにはくわざんのゐんのちうなごんかねまさのきやうをはじめたてまつて、じふににんこしようしてやりつづけらる。くらんどのかみちかむねいげのてんじやうびとじふろくにんせんぐす。ちうなごんしにん、さんみのちうじやうもさんにんまでおはしき。くぎやうもてんじやうびとも、けふをはれとときめきたまへり。そのときこのときただのきやう、ごぜんへめされまゐらせて、やうやうにもてなされ、しゆじゆのひきでものたまはつて、いでられたまひしは、めでたかりしぎしきぞかし。けふはげつけいうんかくいちにんもしたがはず。おなじうだんのうらにていけどりにせられたりしにじふよにんのさぶらひどもも、みなしろきひたたれにて、くらのまへわにしめつけてぞわたされける。ろくでうをひんがしへかはらまでわたいて、それよりかへつて、はうぐわんのしゆくしよ、ろくでうほりかはなるところにすゑたてまつて、きびしうしゆごしたてまつる。おほいとのはおんものまゐらせけれども、むねせきふさがつて、おはしをだにもたてられず。よるになれども、しやうぞくをだにもくつろげたまはず。そでかたしいてふしたまひたりけるが、おんこゑもんのかみに、おんじやうえのそでをうちきせたまへるを、しゆごのぶしどもみたてまつて、「あはれたかきもいやしきもおんあいのみちほどかなしかりけることはなし。おんじやうえのそでをうちきせたまひたればとて、なにほどのことかおはすべき。せめてのおんこころざしのふかさかな」とて、みなよろひのそでをぞぬらしける。P294
(『かがみ』)S1114
「へいだいなごんのふみのさた」(『ふみのさた』)S1115へいだいなごんときただのきやうふしも、はうぐわんのしゆくしよちかうぞおはしける。よのなかはかくなるうへは、とてもかうてもとこそおもはるべきに、だいなごんいのちをしうやおもはれけん、しそくさぬきのちうじやうときざねをまねいて、「ちらすまじきふみどもいちがふ、はうぐわんにとられてあるぞとよ。これをかまくらのげんにゐにみせなば、ひともおほくほろび、わがみもいのちたすかるまじ。いかがせん」とのたまへば、ちうじやうまうされけるは、「くらうはたけきもののふなれども、にようばうなどのうつたへなげくことをば、いかなるだいじをも、もてはなれずとこそうけたまはつてさふらへ。ひめぎみたちあまたましましさふらへば、いづれにてもごいつしよみせさせおはしまし、したしうならせたまひてのち、おほせいださるべうもやさふらふらん」とまうされたりければ、そのときだいなごん、なみだをはらはらとながいて、「さりともわれよにありしときは、むすめどもをば、にようごきさきにたてんとこそおもひしか。なみなみのひとにみせんとは、つゆもおもはざりしものを」とてなかれければ、ちうじやう、「いまはさやうのこと、ゆめゆめおぼしめしよらせたまふべからず、たうぷくのひめぎみの、しやうねんじふしちになりたまふを」とまうされけれども、だいなごん、それをばなほいとほしきことにおぼしてP295、さきのはらのひめぎみの、しやうねんにじふいちになりたまふをぞ、はうぐわんにはみせられける。これはとしこそすこしおとなしけれども、みめすがたよにすぐれ、こころざまいうにおはしければ、はうぐわんも、よにありがたきことにおもひたまひて、さきのうへの、かはごえのたらうしげふさがむすめもありけれども、それをばべつのところにうつしたてまつて、ざしきしつらうてぞおかれける。さてにようばう、かのふみのことをのたまひいだされたりければ、はうぐわんあまつさへふうをだにとかずして、いそぎだいなごんのもとへつかはさる。なのめならずよろこびて、やがてやいてぞすてられける。いかなるふみどもにてかありけん、おぼつかなうぞみえし。へいけほろび、いつしかくにぐにしづまつて、ひとのかよひもわづらひなく、みやこもおだしかりければ、よにはただ、「はうぐわんほどのひとぞなき。かまくらのげんにゐ、なにごとをかしいだしたる。よはいつかうはうぐわんのままにてあらばや」なんどいふことを、げんにゐもれききたまひて、「こはいかに、よりともがよくはからひて、つはものどもをさしのぼせたればこそ、へいけはたやすうほろびたれ。くらうばかりしては、いかでかよをばしづむべき。ひとのかくいふにおごつて、いつしかよをわがままにすることでこそあれ。ひとこそおほけれ、へいだいなごんのむこにおしなつて、だいなごんもてあつかふらんもうけられず。またよにもはばからず、だいなごんのむこどりいはれなし。さだめてこれへくだつても、くわぶんのふるまひをせんずらん」とぞのたまひける。P296
「ふくしやうきられ」(『ふくしやうきられ』)S1116げんりやくにねんごぐわつむゆかのひ、くらうたいふのはうぐわんよしつね、おほいとのふしぐそくしたてまつて、くわんとうへくだらるべきにさだまりしかば、おほいとのはうぐわんのもとへししやをたてて、「みやうにちくわんとうへげかうのよしそのきこえさふらふ。それにつきさふらひては、いけどりのうちに、はつさいのわらはとつけられまゐらせてさふらふは、いまだうきよにさふらふやらん。たまはつていまいちどみさふらはばや」とのたまひつかはされたりければ、はうぐわんのへんじに、「たれとてもおんあいのみちは、おもひきられぬことにてさふらへば、まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ」とて、かはごえのこたらうしげふさがもとにあづけおきたてまつたりけるわかぎみを、いそぎおほいとののもとへぐそくしたてまつるべきよし、のたまひつかはされたりければ、かはごえ、ひとにくるまかつて、のせたてまつる。ににんのにようばうどもも、ともにのつてぞいでにける。わかぎみはちちをはるかにみまゐらせたまはねば、よにもなつかしげにてぞおはしける。おほいとの、わかぎみをみたまひて、「いかにふくしやう、これへ」とのたまへば、いそぎちちのおんひざのうへへぞまゐられける。おほいとの、わかぎみのかみかきなで、なみだをはらはらとながいて、「これききたまへ、おのおの、このこはははもなきものにてあるぞとよ。このこがははは、これをP297うむとて、さんをばたひらかにしたりしかども、やがてうちふしなやみしが、つひにはかなくなるぞとよ。『こののちいかなるひとのはらに、きんだちをまうけたまふとも、これをばおぼしめしすてずして、わらはがかたみにごらんぜよ。さしはなつてめのとなどのもとへもつかはすな』といひしことのふびんさよ。てうてきをたひらげんとき、あのゑもんのかみには、たいしやうぐんをせさせ、これにはふくしやうぐんをせさせんずればとて、なをふくしやうとつけたりしかば、なのめならずうれしげにて、いまをかぎりのときまでも、なをよびなどしてあいせしが、なぬかといふに、つひにはかなくなつてあるぞとよ。このこをみるたびごとには、そのことがわすれがたくおぼゆるぞや」とてなかれければ、しゆごのぶしどもも、みなよろひのそでをぞぬらしける。ゑもんのかみもなきたまへば、めのともそでをぞしぼりける。ややあつておほいとの、「いかにふくしやう、はやとうかへれ」とのたまへども、わかぎみかへりたまはず。ゑもんのかみこれをみたまひて、あまりにあはれにおもはれければ、「ふくしやうこよひはとうかへれ。ただいままらうとのこうずるに。あしたはいそぎまゐれ」とのたまへども、ちちのおんじやうえのそでにひしととりついて、「いなや、かへらじ」とこそなかれけれ。かくてはるかにほどふれば、ひもやうやうくれかかりぬ。さてしもあるべきことならねば、めのとのにようばう、いだきとつて、つひにくるまにのせたてまつる。ににんのにようばうどもも、ともにのつてぞいでにける。
おほいとの、わかぎみのおんうしろを、はるかにごらんじおくつて、「ひごろのこひしさはことのかずならず」とぞP298かなしみたまひける。このこはははのゆゐごんのむざんさに、さしはなつてめのとなどのもとへもつかはさず、あさゆふおんまへにてそだてたまふ。さんざいでうひかうぶりして、よしむねとぞなのらせける。やうやうおひたちたまふほどに、みめすがたよにすぐれ、こころざまいうにおはしければ、おほいとのも、いとしううれしきことにおぼして、さればさいかいのなみのうへ、ふねのうちまでもひきぐして、かたときもはなれたまはず。しかるをいくさやぶれてのちは、けふぞたがひにみたまひける。しげふさ、はうぐわんにまうしけるは、「そもそもわかぎみをばなにとおんぱからひさふらふやらん」とまうしければ、「かまくらまでぐそくしたてまつるにおよばず。なんぢこれにてともかうもあひはからへ」とのたまへば、しげふさしゆくしよにかへつて、ににんのにようばうどもにいひけるは、「おほいとのはあすくわんとうへげかうさふらふ。しげふさもおんともにまかりくだりさふらふあひだ、わかぎみをばきやうとにとどめおき、をがたのさぶらうこれよしがてへわたしまゐらせさふらふべし。とうとうめされさふらへ」とて、おんくるまをよせたりければ、わかぎみはまたさきのやうに、ちちのおんもとへかと、うれしげにおぼしたるこそいとほしけれ。ににんのにようばうも、ひとつくるまにのつてぞいでにける。ろくでうをひんがしへ、かはらまでやつてゆく。めのとのにようばう、「あはれこれはあやしきものかな」と、きもたましひをけしておもふところに、ややあつてつはものどもごろくじつきがほど、かはらなかへうつていでたり。やがてくるまをやりとどめ、「わかぎみおりさせたまへ」とて、しきがはしいてすゑたてまつる。わかぎみあきれたるおんありさまにて、「そもそもわれをばいづちへぐしてゆかんとはP299するぞ」とのたまへば、ににんのにようばうども、とかうのおんぺんじにもおよばず、こゑをはかりにをめきさけぶ。しげふさがらうどう、たちをひきそばめ、ひだんのかたよりわかぎみのおんうしろにたちまはり、すでにきりたてまつらんとしけるを、わかぎみみつけたまひて、いくほどのがるべきことのやうに、いそぎめのとのふところのうちへぞにげいらせたまひける。ににんのにようばうども、わかぎみをいだきたてまつて、「ただわれわれをうしなひたまへ」とて、てんにあふぎちにふして、なきかなしめどもかひぞなき。ややあつてしげふさ、なみだをおさへてまうしけるは、「いまはいかにもかなはせたまふべからず」とて、いそぎめのとのふところのうちより、わかぎみひきいだしまゐらせ、こしのかたなにておしふせて、つひにくびをぞかいてげる。くびをばはうぐわんにみせんとてとつてゆく。ににんのにようばうども、かちはだしにておつつき、「なにかくるしうさぶらふべき。おんくびをばたまはつて、おんけうやうしまゐらせさぶらはん」とまうしければ、はうぐわんなさけあるひとにて、「もつともさるべし。とうとう」とてたびにけり。ににんのにようばうども、なのめならずによろこび、これをとつてふところにひきいれて、なくなくきやうのかたへかへるとぞみえし。そののちごろくにちして、かつらがはににようばうににんみをなげたりといふことありけり。いちにんをさなきひとのくびをふところにいれて、しづみたりしは、このわかぎみのめのとのにようばうにてぞありける。いまいちにんむくろをいだいてしづみたりしは、かいしやくのにようばうなり。めのとがおもひきるは、せめていかがせん、かいしやくのにようばうさへ、みをなげけるこそあはれなれ。P300
「こしごえ」(『こしごえ』)S1117げんりやくにねんごぐわつなぬかのひ、くらうたいふのはうぐわんよしつね、おほいとのふしぐそくしたてまつて、すでにみやこをたちたまふ。あはだぐちにもかかりたまへば、おほうちやまはくもゐのよそにへだたりぬ。せきのしみづをみたまひて、おほいとのなくなくえいじたまひけり。
みやこをばけふをかぎりのせきみづにまたあふさかのかげやうつさん W089
みちすがらもこころぼそげにおはしければ、はうぐわんなさけあるひとにて、やうやうになぐさめたてまつりたまふ。おほいとの、「あはれいかにもして、こんどのいのちをたすけてたべ」とぞのたまひける。はうぐわん、「ささふらへばとて、おんいのちうしなひたてまつるまでは、よもさふらはじ。たとひささふらふとも、よしつねかうてさふらへば、こんどのくんこうのしやうにまうしかへて、おんいのちばかりをばたすけたてまつらん。さりながらも、とほきくに、はるかのしまへもうつしぞやりまゐらせんずらん」とまうされたりければ、おほいとの、「たとひえぞがちしまなりとも、いのちだにあらば」とのたまひけるこそくちをしけれ。ひかずふれば、おなじきにじふさんにち、はうぐわんかまくらへくだりつきたまふべきよしきこえしかば、かぢはらへいざうかげとき、はうぐわんにさきだつて、かまくらどのへまうしけるは、「いまはにつぽんごくのこるP301ところもなう、したがひつきたてまつてさふらふ。さはさふらへども、おんおととくらうたいふのはうぐわんどのこそ、つひのおんかたきとはみえさせたまひてさふらへ。そのゆゑはいちをもつてまんをさつすとて、『いちのたにをうへのやまよりおとさずは、とうざいのきどぐちやぶれがたし。さればいけどりをも、しにどりをも、まづよしつねにこそみすべきに、もののようにもあひたまはぬかばどののげんざんにいるべきやうやある。ほんざんみのちうじやうどのを、いそぎこれへたびさふらへ。たばずは、よしつねまゐつてたまはらん』とて、すでにこといでこんとしさふらひしをも、かげときがよくはからひて、とひにこころをあはせて、ほんざんみのちうじやうどのを、とひのじらうさねひらがもとにあづけおきたてまつてのちこそ、よはしづまつてさふらへ」とまうしければ、かまくらどのおほきにうちうなづいて、「くらうがけふこれへいるなる。おのおのよういしたまへ」とのたまへば、だいみやうせうみやうはせあつまつて、かまくらどのはほどなくすせんぎにこそなりたまへ。かまくらどのは、ぐんびやうななへやへにすゑおき、わがみはそのうちにおはしながら、「くらうはすすどきをのこなれば、このたたみのしたよりもはひいでんずるものなり。されどもよりともは、せらるまじ」とぞのたまひける。かねあらひざはにせきすゑて、おほいとのふしうけとりたてまつて、それよりはうぐわんをばこしごえへおひかへさる。はうぐわん、「こはさればなにごとぞや。こぞのはる、きそよしなかをつゐたうせしよりこのかた、ことしのはる、へいけをことごとくほろぼしはてて、ないしどころ、しるしのおんはこ、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつり、あまつさへたいしやうぐんおほいとのふしいけどりにして、これまでくだりたらんにはP302たとひいかなるふしぎありとも、いちどはなどかたいめんなからん。およそくこくのそうづゐぶしにもふせられ、せんおん、せんやう、なんかいだう、いづれなりともあづけられ、いつぱうのおんかためにもなされんずるかとこそおもひたれば、さはなくして、わづかにいよのくにばかりちぎやうすべきよしのたまひて、かまくらぢうへだにいれられずして、こしごえへおひのぼせられしことはいかに。およそにつぽんこくぢうをしづむることは、よしなかよしつねがしわざにあらずや。たとへばおなじちちがこにて、さきにうまるるをあにとし、のちにうまるるをおとととするばかりなり。てんがをしらんに、たれかはしらざらん。しやするところをしらず」とつぶやかれけれどもかひぞなき。はうぐわんなくなくいつつうのじやうをかいて、ひろもとのもとへつかはさる。
そのじやうにいはく、「みなもとよしつねおそれながらまうしあげさふらふいしゆは、おんだいくわんのそのひとつにえらばれ、ちよくせんのおんつかひとして、てうてきをたひらげ、くわいけいのちじよくをすすぐ。くんしやうおこなはるべきところに、おもひのほかにここうのざんげんによつて、ばくたいのくんこうをもだせらる。よしつねをかすことなうしてとがをかうぶる。こうあつてあやまりなしといへども、ごかんきをかうぶるのあひだ、むなしくこうるゐにしづむ。ざんしやのじつぷをただされず、かまくらぢうへだにいれられざるあひだ、そいをのぶるにあたはず。いたづらにすじつをおくる。このときにあたつて、ながくおんがんをはいしたてまつらず。こつにくどうはうのぎすでにたえ、しゆくうんきはめてむなしきににたるか。はたまたぜんぜのごふいんをかんずるか。かなしきかな、このでう、こばうぶそんりやうさいたんしたまはずんば、たれのP303ひとかぐいのひたんをまうしひらかん。いづれのひとかあいれんをたれんや。ことあたらしきまうしでう、じゆつくわいににたりといへども、よしつねしんだいはつぷをふぼにうけ、いくばくのじせつをへずして、こかうのとのごたかいのあひだ、みなしごとなつてははのふところのうちにいだかれて、やまとのくにうだのこほりにおもむきしよりこのかた、いちにちへんしあんどのおもひにぢうせず、かひなきいのちはそんすといへども、きやうとのけいぐわいなんぢのあひだ、みをざいざいしよしよにかくし、へんどゑんごくをすみかとして、どみんひやくしやうらにぶくじせらる。しかれどもかうけいたちまちにじゆんじゆくして、へいけのいちぞくつゐたうのために、しやうらくせしむるてあはせに、まづきそよしなかをちうりくののち、へいけをせめかたぶけんがために、あるときはががたるがんぜきに、しゆんめにむちうつて、かたきのためにいのちをほろぼさんことをかへりみず、あるときはまんまんたるだいかいに、ふうはのなんをしのぎ、みをかいていにしづめんことをいたまずして、かばねをけいげいのあぎとにかく。しかのみならずかつちうをまくらとし、きうせんをげふとするほんい、しかしながらばうこんのいきどほりをやすめたてまつり、ねんらいのしゆくばうをとげんとほつするほかはたじなし。あまつさへよしつねごゐのじようにふにんのでう、たうけのちようじよくなにごとかこれにしかん。しかりといへども、いまうれへふかくなげきせつなり。ぶつしんのおんたすけにあらずよりほかは、いかでかしうそをたつせん。これによつてしよじしよしやのごわうはういんのうらをもつて、まつたくやしんをさしはさまざるむね、につぽんごくちうのだいせうのじんぎみやうだうをしやうじおどろかしたてまつて、すつうのきしやうもんをかきしんずといへども、なほもつてごいうめんなし。それわがくにはしんこくなり。しんはひれいをうけたまふべからず。たのむところたにあらず。ひとへにきでんくわうだいのじひをP304あふぎ、べんぎをうかがひ、かうぶんにたつせしめ、ひけいをめぐらして、あやまりなきむねをいうぜられ、はうめんにあづからば、しやくぜんのよけいかもんにおよび、えいぐわながくしそんにつたへ、よつてねんらいのしうびをひらき、いちごのあんねいをえん。しよしにつくさず。しかしながらせいりやくせしめさふらひをはんぬ。よしつねきようくわうつつしんでまうす。げんりやくにねんろくぐわついつかのひ、みなもとのよしつねしんじやう、いなばのかうのとのへ」とぞかかれたる。
「おほいとのちうばつ」(『おほいとのきられ』)S1118さるほどにかまくらどの、おほいとのにたいめんある。おはしけるところ、にはをひとつへだてて、むかひなるやにすゑたてまつり、すだれのうちよりみいだしたまひて、ひきのとうしらうよしかずをもつてまうされけれるは、「そもそもへいけをよりともがわたくしのかたきとは、ゆめゆめおもひたてまつらず。そのゆゑはこにふだうしやうこくのおんゆるされさふらはずは、よりともいかでかたすかるべき。さてこそにじふよねんまでまかりすぎさふらひしか。されどもてうてきとならせたまひてのちは、いそぎつゐたうすべきよしのゐんぜんをたまはつてさふらへば、さのみわうぢにはらまれて、ぜうめいをそむくべきにもあらねば、これへむかへたてまつたり。さりながらもかやうにおんげんざんにいりさふらひぬることこそ、かへすがへすもほんいにさふらへ」とぞまうされける。よしかずこのことまうさんとてP305、おほいとののおんまへへまゐつたりければ、ゐなほりかしこまりたまふぞくちをしき。しよこくのだいみやうせうみやうおほうなみゐたりけるなかに、きやうのものいくらもあり、またへいけのけにんたつしものもあり。みなつまはじきをして、「あないとほし。あのおんこころでこそ、かかるおんめにもあはせたまへ。ゐなほりかしこまりたまひたればとて、いまさらおんいのちのたすかりたまふべきか。さいこくにていかにもなりたまふべきひとの、いきながらとらはれて、これまでくだりたまふもことわりかな」といひければ、「げにも」とまうすひともあり、またなみだをながすものもおほかりけり。そのなかにあるひとのまうしけるは、「まうこしんざんにあるときは、すなはちはくじうふるひおづ。かんせいのうちにあるときは、すなはちををふつてじきをもとむとて、たけきとらのしんざんにあるときは、もものけだものおぢおそるといへども、とつておりのなかにこめられてのちは、ををふつてひとにむかふらんやうに、いかにたけきたいしやうぐんも、うんつきかくなつてのちは、こころかはるならひなれば、このおほいとのも、さこそおはすにや」と、まうすひとびともありけるとかや。はうぐわんやうやうにちんじまうされけれども、かげときがざんげんのうへは、かまくらどのさらにもちひたまはず。おほいとのふしぐしたてまつて、いそぎのぼりたまふべきよしのたまふあひだ、ろくぐわつここのかのひ、またおほいとのふしうけとりたてまつて、みやこへかへりのぼられけり。おほいとのは、かやうにいちにちもひかずののぶることを、うれしきことにおぼしけるこそいとほしけれ。みちすがらも、「ここにてやここにてや」とおもはれけれども、くにぐにしゆくじゆくうちすぎうちすぎとほりぬP306。をはりのくにうつみといふところあり。「これはひととせこさまのかみよしともがちうせられしところなれば、ここにてぞいちぢやうきられつらん」とおもはれけれども、そこをもつひにすぎしかば、「さてはわがいのちのたすからんずるにこそ」と、おぼしけるこそはかなけれ。ゑもんのかみは、さはおもひたまはず、「かやうにあつきころなれば、くびのそんぜぬやうにはからひて、みやこちかうなつてこそきられんずらめ」とおもはれけれども、ちちのあまりになげきたまふがいたはしさに、さはまうされず、ひとへにねんぶつをのみぞすすめまうされける。
おなじきにじふさんにち、あふみのくにしのはらのしゆくにつきたまふ。きのふまではふしひとつところにおはせしかども、けさよりひきわかつて、べつのところにすゑたてまつる。はうぐわんなさけあるひとにて、みつかぢよりひとをさきだてて、ぜんぢしきのためにとて、おほはらのほんしやうばうたんがうとまうすひじりをしやうじくだされたり。おほいとの、ぜんぢしきのひじりにむかつてのたまひけるは、「さてもゑもんのかみは、いづくにさふらふやらん。たとひかうべをこそはねらるるとも、むくろはひとつむしろにふさんとこそおもひしに、いきながらわかれぬることこそかなしけれ。このじふしちねんがあひだ、いちにちへんしもはなれず、こんどさいこくにて、いかにもなるべかりしのみの、いきながらとらはれて、きやうかまくらはぢをさらすも、ひとへにあのゑもんのかみゆゑなり」とてなかれければ、ひじりもあはれにおもはれけれども、われさへこころよわうては、かなはじとやおもはれけん、なみだおしのごひ、さらぬていにもてなし、「あはれたかきもいやしきも、おんあいのP307みちは、おもひきられぬことにてさふらへば、まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。しやうをうけさせたまひてよりこのかた、たのしみさかえむかしもたぐひさふらはず。いつてんのきみのごぐわいせきとしてしようじやうのくらゐにいたらせたまへば、こんじやうのごえいぐわ、いちじものこるところましまさず。いままたかかるおんめにあひたまふおんことも、ぜんぜのしゆくごふなれば、よをもひとをもかみをもほとけをも、うらみおぼしめすべからず。だいぼんわうぐうのじんぜんぢやうのたのしみ、おもへばほどなし。いはんやでんくわうてうろのげかいのいのちにおいてをや。たうりてんのおくせんざい、ただゆめのごとし。さんじふくねんをすぎさせたまひけんも、わづかにいつしのあひだなり。たれかなめたりしふらうふしのくすり、たれかたもちたりけんとうぶせいぼがいのち、しんのしくわうのおごりをきはめたまひしも、つひにはりさんのつかにうづもれ、かんのぶていのいのちををしみたまひけんも、むなしくとりようのこけにくちにき。しやうあるものはかならずめつす。しやくそんいまだせんだんのけぶりをまぬかれたまはず。たのしみつきてかなしみきたる。てんにんなほごすゐのひにあへりとこそうけたまはれ。さればほとけは、『がしんじくう、ざいふくむしゆ、くわんじんむしん、ほふふぢうほふ』とて、ぜんもあくもくうなりとくわんずるが、まさしうほとけのおんこころにあひかなふことにてさふらふなり。いかなればみだによらいは、ごこふがあひだしゆゐして、おこしがたきぐわんをおこしましますに、いかなるわれらなれば、おくおくまんごふがあひだ、しやうじにりんゑして、たからのやまにいつて、てをむなしうせんこと、うらみのなかのうらみ、おろかなるがなかの、くちをしきことにてはさふらはずや。いまはゆめゆめよねんをおぼしめすべからず」とて、かいたもたせたてまつり、しきりにねんぶつをすすめたてまつればP308、おほいとのも、しかるべきぜんぢしきとおぼしめし、たちまちにまうねんをひるがへし、にしにむかひてをあはせ、かうじやうにねんぶつしたまふところに、きつむまのじようきんなが、たちをひきそばめ、ひだんのかたよりおほいとののおんうしろにたちまはり、すでにきりたてまつらんとしければ、おほいとのねんぶつをとどめて、「ゑもんのかみもすでにか」とのたまひけるこそあはれなれ。きんながうしろへよるかとみえしかば、くびはまへへぞおちにける。ぜんぢしきのひじりもなみだにむせび、たけきもののふどもも、みなそでをぞぬらしける。このきんながとまうすは、へいけさうでんのけにんにて、なかんづくしんぢうなごんとももりのきやうのもとに、あさゆふしこうのさぶらひなり。「さこそよをへつらふならひとはいひながら、むげになさけなかりけるものかな」とぞ、ひとみなざんぎしける。ゑもんのかみにも、またさきのごとくかいたもたせたてまつり、ねんぶつすすめまうされけり。ゑもんのかみ、ぜんぢしきのひじりにむかつてのたまひけるは、「さてもちちのごさいごは、いかがましましさふらひつるやらん」とのたまへば、「めでたうましましさふらひつる。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とまうされければ、ゑもんのかみ、「いまはうきよにおもひおくことなし。さらばきれ」とて、くびをのべてぞきらせらる。こんどはほりのやたらうちかつねきりてんげり。むくろをばきんなががさたとして、ふしひとつあなにぞうづみける。これはおほいとのの、あまりにつみふかうのたまひけるによつてなり。おなじきにじふしにち、おほいとのふしのくび、みやこへいる。けんびゐしども、さんでうかはらにいでむかつて、これをうけとり、さんでうをにしへ、ひんがしのとうゐんをきたへわたして、ごくもんのひだんのP309あふちのきにぞかけられける。むかしよりさんみいじやうのひとのくび、おほぢをわたさるること、いこくにはそのれいもやあるらん、わがてうにはいまだせんじようをきかず。へいぢにものぶよりのきやうは、さばかりのあくぎやうにんたりしかば、かうべをばはねられたれども、おほぢをばわたされず、へいけにとつてぞわたされける。さいこくよりのぼつては、いきてろくでうをひんがしへわたされ、とうごくよりかへつては、しんでさんでうをにしへわたさる。いきてのはぢ、ししてのはぢ、いづれもおとらざりけり。P310

平家物語 巻第十二  総かな版(元和九年本)
「しげひらのきられ」(『しげひらのきられ』)S1119さるほどにほんざんみのちうじやうしげひらのきやうをば、かののすけむねもちにあづけられて、こぞよりいづのくににおはしけるが、なんとのだいしゆしきりにまうしければ、さらばつかはさるべしとて、げんざんみにふだうのまご、いづのくらんどのたいふよりかぬにおほせて、つひにならへぞわたされける。こんどはみやこのうちへはいれられず、おほつよりやましなどほりに、だいごぢをへてゆけば、ひのはちかかりけり。このきたのかたとまうすは、とりかひのちうなごんこれざねのむすめ、ごでうのだいなごんくにつなのやうじ、せんていのおんめのと、だいなごんのすけのつぼねとぞまうしける。ちうじやういちのたににて、いけどりにせられたまひてのちは、せんていにつきまゐらせてましましけるが、だんのうらにてうみにしづみたまひしかば、もののふのあらけなきにとらはれて、きうりにかへり、あねのだいぶさんみにどうしゆくして、ひのといふところにぞましましける。さんみのちうじやうのつゆのいのち、くさばのすゑにかかつて、いまだきえやりたまはぬとききたまひて、あはれいかにもして、かはらぬP311すがたを、いまいちどみもし、みえばやとはおもはれけれども、それもかなはねば、ただなくよりほかのなぐさみなくて、あかしくらしたまひけり。さんみのちうじやう、しゆごのぶしどもにのたまひけるは、「さてもこのほど、おのおののなさけふかう、はうじんせられけることこそ、ありがたううれしけれ。おなじうはさいごにいまいちど、はうおんかうぶりたきことあり。われはいちにんのこなければ、うきよにおもひおくことなし。としごろちぎつたりしにようばうの、ひのといふところにありときく。いまいちどたいめんして、ごしやうのことをもいひおかばやとおもふはいかに」とのたまへば、ぶしどももいはきならねば、みななみだをながいて、「まことににようばうなどのおんことは、なにかくるしうさふらふべき。とうとう」とてゆるしたてまつる。さんみのちうじやう、なのめならずよろこび、「これにだいなごんのすけのつぼねのおんわたりさふらふか。ほんざんみのちうじやうどのの、ただいまならへおんとほりさふらふが、たちながらおんげんざんにいらんとさふらふ」と、ひとをいれていはせられたりければ、きたのかた、「いづらやいづら」とて、はしりいでてみたまへば、あゐずりのひたたれに、をりゑぼしきたるをとこの、やせくろみたるが、えんによりゐたるぞ、そなりける。きたのかたみすのきはちかくいでて、「いかにやいかに、ゆめかやうつつか。これへいらせたまへ」とのたまひけるおんこゑを、ききたまふにつけても、たださきだつものはなみだなり。だいなごんのすけどのは、めもくれこころもきえはてて、しばしはものものたまはず。さんみのちうじやうみすうちかづき、なくなくのたまひけるは、「こぞのP312はるつのくにいちのたににて、いかにもなるべかりしみの、せめてのつみのむくいにや、いきながらとらはれて、きやうかまくらはぢをさらすのみならず、はてはなんとのだいしゆのてへわたされて、きらるべしとてまかりさふらふ。あはれいかにもして、かはらぬすがたをいまいちど、みもしみえたてまつらばやとこそおもひつるに、いまはうきよにおもひおくことなし。これにてかしらをそり、かたみにかみをもまゐらせたうさふらへども、かかるみにまかりなつてさふらへば、こころにこころをもまかせず」とて、ひたひのかみをかきわけ、くちのおよぶところをすこしくひきつて、「これをかたみにごらんぜよ」とてたてまつりたまへば、きたのかた、ひごろおぼつかなうおぼしけるより、いまひとしほおもひのいろやまさられけん、ひきかづいてぞふしたまふ。ややあつて、きたのかたなみだをおさへてのたまひけるは、「にゐどの、ゑちぜんのさんみのうへのやうに、みづのそこにもしづむべかりしかども、まさしうこのよにおはせぬひとともきかざりしかば、かはらぬすがたをいまいちど、みもしみえばやとおもひてこそ、うきながらけふまでもながらへたれ。いままでながらへつるは、もしやとおもふたのみもありつるものを、さてはけふをかぎりにておはすらんことよ」とて、むかしいまのことどものたまひかはすにつけても、ただつきせぬものはなみだなり。
きたのかた、「あまりにおんすがたのしをれてさぶらふに、たてまつりかへよ」とて、あはせのこそでにじやうえをそへていだされたり。ちうじやうこれをきかへつつ、もときたまひたるしやうぞくをば、「これをもかたみにごらんぜよ」とてたてまつりたまへば、きたのかた、「それもさるおんことにてはP313さぶらへども、はかなきふでのあとこそ、のちのよまでのかたみにてさぶらへ」とて、おんすずりをいだされたり。ちうじやうなくなくいつしゆのうたをぞかきたまふ。
せきかねてなみだのかかるからごろものちのかたみにぬぎぞかへぬる W090
きたのかたのへんじに、
ぬぎかふるころももいまはなにかせむけふをかぎりのかたみとおもへば W091「
ちぎりあらば、のちのよにはかならずむまれあひたてまつるべし。ひとつはちすにといのりたまへ。ひもたけぬ。ならへもとほうさふらへば、ぶしどものまつらんもこころなし」とて、いでられければ、きたのかた、ちうじやうのたもとにすがり、「いかにやしばし」とてひきとどめたまへば、ちうじやう、「こころのうちをばただおしはかりたまふべし。されどもつひにはながらへはつべきみにもあらず」とて、おもひきつてぞたたれける。まことにこのよにてあひみんことも、これぞかぎりとおもはれければ、いまいちどたちかへりたくはおもはれけれども、こころよわうてはかなはじとて、おもひきつてぞいでられける。きたのかたはみすのほかまでまろびいで、をめきさけびたまひけるおんこゑの、かどのほかまではるかにきこえければ、ちうじやうなみだにくれて、ゆくさきもみえねば、こまをもさらにはやめたまはず。なかなかなりけるげんざんかなと、いまはくやしうぞおもはれける。きたのかたやがてはしりもいでておはしぬべうはおもはれけれど、それもさすがなればとて、ひきかづいてぞふしたまふ。さるほどになんとのだいしゆ、さんみのちうじやううけとりたてまつて、いかがすべきとせんぎす。「そもそもP314このしげひらのきやうはだいぼんのあくにんたるうへ、さんぜんごけいのうちにももれ、しゆいんかんくわのだうりごくじやうせり。ぶつてきほつてきのぎやくしんなれば、すべからくとうだいじこうぶくじりやうじのおほがきをめぐらして、ほりくびにやすべき、またのこぎりにてやきるべき」とせんぎす。らうそうどものせんぎしけるは、「それもそうとのほふにはをんびんならず。ただぶしにたうで、こつのへんにてきらすべし」とて、つひにぶしのてへぞかへされける。ぶしこれをうけとつて、こつがはのはたにて、すでにきりたてまつらんとしけるに、すせんにんのだいしゆ、しゆごのぶし、みるひといくせんまんといふかずをしらず。
ここにさんみのちうじやうのとしごろのさぶらひに、むくむまのじようともときといふものあり。はちでうのにようゐんにけんざんにてさふらひけるが、ごさいごをみたてまつらんとて、むちをうつてぞはせたりける。すでにきりたてまつらんとしけるところにはせついて、いそぎむまよりとんでおり、せんまんひとのたちかこうだるなかを、おしわけおしわけ、さんみのちうじやうのおんそばちかうまゐつて、「ともときこそごさいごをみたてまつらんとて、まゐつてさふらへ」とまうしければ、ちうじやう、「こころざしのほどまことにしんべうなり。いかにともとき、あまりにつみふかうおぼゆるに、さいごにほとけををがみたてまつて、きらればやとおもふはいかに」とのたまへば、ともとき、「やすいほどのおんことざふらふ」とて、しゆごのぶしにまうしあはせて、そのへんちかきさとより、ほとけをいつたいむかへたてまつてまゐりたり。さいはひにあみだにてぞましましける。かはらのいさごのうへにすゑたてまつり、ともときがかりぎねのそでのくくりをといて、ほとけのみてにかけ、ちうじやうにひかへさせたてまつる。ちうじやうこれをP315ひかへつつ、ほとけにむかひたてまつてまうされけるは、「つたへきく、でうだつがさんぎやくをつくり、はちまんざうのしやうげうを、やきほろぼしたてまつたりしも、つひにはてんわうによらいのきべつにあづかり、しよさのざいごふまことにふかしといへども、しやうげうにちぐせしぎやくえんくちずして、かへつてとくだうのいんとなる。いましげひらがぎやくざいををかすこと、まつたくぐいのほつきにあらず。ただよのことわりをぞんずるばかりなり。しやうをうくるもの、たれかわうめいをべつじよせん。いのちをたもつもの、たれかちちのめいをそむかん、かれとまうしこれといひ、じするにところなし。りひぶつだのせうらんにあり。さればざいはうたちどころにむくい、うんめいすでにただいまをかぎりとす。こうくわいせんばん、かなしんでもなほあまりあり。ただしさんばうのきやうがいは、じひしんをもつてこころとするゆゑに、さいどのりやうえんまちまちなり。ゆゐゑんげうい、ぎやくそくぜじゆん、このもんきもにめいず。いちねんみだぶつ、そくめつむりやうざい、ねがはくはぎやくえんをもつてじゆんえんとし、ただいまのさいごのねんぶつによつて、くほんたくしやうをとぐべし」とて、くびをのべてぞうたせらる。ひごろのあくぎやうはさることなれども、ただいまのおんありさまをみたてまつるに、すせんにんのだいしゆも、しゆごのぶしどもも、みなよろひのそでをぞぬらしける。くびをばはんにやじのもんのまへに、くぎづけにこそしたりけれ。これはさんぬるぢしようのかつせんのとき、ここにうつたつて、がらんをやきほろぼしたまひたりしゆゑとぞきこえし。きたのかたこのよしをききたまひて、たとひかうべをこそはねらるるとも、むくろはさだめてすておいてぞあるらん。とりよせてけうやうせんとて、こしをむかひにつかはされたりければ、P316げにもむくろはかはらにすておきてぞありける。これをとつてこしにいれ、ひのへかいてぞかへりける。きのふまでは、さしもゆゆしげにおはせしかども、かやうにあつきころなれば、いつしかあらぬさまにぞなられける。これをまちうけてみたまひけるきたのかたのこころのうち、おしはかられてあはれなり。くびをば、だいぶつのひじり、しゆんじようばうにかくとのたまへば、だいしゆにこひうけて、やがてひのへぞおくられける。さてしもあるべきことならねば、そのへんちかきほふかいじといふやまでらにいれたてまつり、くびもむくろもけぶりになし、こつをばかうやへおくり、はかをばひのにぞせられける。きたのかたやがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはてて、かのごせぼだいをとぶらひたまふぞあはれなる。
「だいぢしん」(『だいぢしん』)S1201さるほどにへいけほろび、げんじのよになつてのち、くにはこくしにしたがひ、しやうはりやうけのままなりけり。じやうげあんどしておぼえしほどに、おなじきしちぐわつここのかのひのむまのこくばかり、だいぢおびたたしううごいてややひさし。せきけんのうち、しらかはのほとり、ろくしようじみなやぶれくづる。くぢうのたふも、うへろくぢうふりおとし、とくぢやうじゆゐんのさんじふさんげんのみだうも、じふしちけんまでゆりたふす。P317くわうきよをはじめて、ざいざいしよしよのじんじやぶつかく、あやしのみんをく、さながらみなやぶれくづる。くづるるおとは、いかづちのごとく、あがるちりはけぶりのごとし。てんくらうしてひのひかりもみえず、らうせうともにたましひをうしなひ、てうしゆことごとくこころをつくす。またゑんごくきんごくもかくのごとし。やまくづれてかはをうづみ、うみただよひてはまをひたす。なぎさこぐふねはなみにゆられ、くがゆくこまはあしのたてどをうしなへり。だいぢさけてみづわきいで、ばんじやくわれてたにへまろぶ。こうずゐみなぎりきたらば、をかにのぼつてもなどかたすからざらん。みやうくわもえきたらば、かわをへだてても、しばしはさんぬべし。とりにあらざれば、そらをもかけりがたく、りうにあらざれば、くもにもまたのぼりがたし。ただかなしかりしはだいぢしんなり。しらかは、ろくはら、きやうぢうに、うちうづまれてしぬるもの、いくらといふかずをしらず。しだいしゆのなかに、すゐくわふううはつねにがいをなせども、だいぢにおいてことなるへんをなさず。こんどぞよのうせはてとて、じやうげやりどしやうじをたてて、てんのなりちのうごくたびごとには、こゑごゑにねんぶつまうし、をめきさけぶことおびたたし。ろくしちじふ、はつくじふのものども、「よのめつするなどいふことは、つねのならひなれども、さすがきのふけふとはおもはざりしものを」といひければ、わらんべどもはこれをきいて、なきかなしむことかぎりなし。ほふわうはいまぐまのへごかうなつて、おんはなまゐらさせたまふをりふし、かかるだいぢしんあつて、しよくゑいできにければ、いそぎおんこしにめして、ろくでうどのへくわんぎよなる。ぐぶのくぎやうてんじやうびと、みちすがら、いかばかりのこころをかくだかれけん。ほふわうはなんていにあくやをP318たててぞおはします。しゆしやうはほうれんにめして、いけのみぎはへぎやうがうなる。ちうぐう、みやみやは、あるひはおんこしにめし、あるひはおんくるまにたてまつて、たしよへぎやうげいありけり。てんもんはかせいそぎだいりへはせまゐつて、ゆふさりゐねのこくには、だいぢかならずうちかへすべきよしまうしければ、おそろしなどもおろかなり。むかしもんどくてんわうのぎよう、さいかうさんねんさんぐわつやうかのだいぢしんには、とうだいじのほとけのみぐしをゆりおとしたりけるとかや。またてんぎやうにねんしんぐわつふつかのだいぢしんには、しゆしやうごてんをさつて、じやうねいでんのまへにごぢやうのあくやをたてて、おはしましけるとぞうけたまはる。それはじやうだいなればいかがありけん。こののちはかかることあるべしともおぼえず。じふぜんていわうていとをいでさせたまひて、おんみをかいていにしづめ、だいじんくぎやうとらはれて、きうりにかへり、あるひはかうべをはねておほちをわたされ、あるひはさいしにわかれてをんるせらる。へいけのをんりやうによつて、よのうすべきよしまうしければ、こころあるひとのなげきかなしまぬはなかりけり。
「こんかきのさた」(『こんがきのさた』)S1202おなじきはちぐわつにじふににち、たかをのもんがくしやうにん、こさまのかみよしとものうるはしきかうべとて、P319たづねいだしてくびにかけ、かまだびやうゑがくびをば、でしがくびにかけさせ、くわんとうへぞくだられける。さんぬるぢしようしねんしちぐわつに、むほんをすすめまうさんがために、ひじり、そぞろなるどくろをひとつとりいだし、しろいぬのにつつんで、「これこそこさまのかみよしとものかうべよ」とて、たてまつられたりければ、やがてむほんをおこし、ほどなくよをうつとつて、いつかうちちのかうべとしんぜられけるところに、いままたたづねいだしてぞくだられける。これはよしとものねんらいふびんにしてめしつかはれけるこんかきのをとこ、へいぢののちは、ごくしやのまへなるこけのしたにうづもれて、ごせとぶらふひともなかりしを、ときのたいりにつけてまうしうけ、ひやうゑのすけどのは、いまこそるにんでおはすとも、すゑたのもしきひとなり。またよにいでてたづねたまふこともやと、ひがしやまゑんがくじといふところに、ふかうをさめておきたりしを、もんがくたづねいだしてくびにかけ、かのこんかきのをとこともに、あひぐしてぞくだられける。ひじりけふすでにかまくらへいるときこえしかば、げんにゐ、かたせがはのはたまでむかひにぞいでたまふ。それよりいろのすがたにいでたつて、かまくらへかへりいらる。ひじりをばおほゆかにたて、わがみはにはにたつて、なくなくちちのかうべをうけとりたまふぞあはれなる。これをみたてまつるだいみやうせうみやう、みなそでをぞぬらされける。せきがんのさがしきをきりはらつて、あらたなるだうぢやうをつくり、いつかうちちのおんためとくやうじて、しようぢやうじゆゐんとかうせらる。くげにもかやうのことどもをきこしめして、こさまのかみよしとものはかへ、ないだいじんじやうにゐをおくらる。ちよくしはさせうべんかねただとぞきこえし。よりとものきやう、ぶようのめいよちやうじたまへるによつて、P320みをたていへをおこすのみならず、ばうぶそんりやうまでぞうくわんぞうゐにおよびぬるこそありがたけれ。
「へいだいなごんのながされ」(『へいだいなごんながされ』)S1203くぐわつにじふさんにち、へいけのよたうの、みやこのうちにのこりとどまつたるを、みなくにぐにへつかはさるべきよし、かまくらよりくげへまうされたりければ、さらばつかはさるべしとて、へいだいなごんときただのきやうのとのくに、くらのかみのぶもとさどのくに、さぬきのちうじやうときざねあきのくに、ひやうぶのせふまさあきらおきのくに、にゐのそうづせんしんあはのくに、ほつしようじのしゆぎやうのうゑんかづさのくに、きやうじゆばうのあじやりゆうゑんびんごのくに、ちうなごんのりつしちうくわいはむさしのくにとぞきこえし。あるひはさいかいのなみのうへ、あるひはとうくわんのくものはて、せんどいづくをごせず。こうくわいそのごをわきまへず、わかれのなみだをおさへつつ、めんめんにおもむかれけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。なかにもへいだいなごんときただのきやうは、けんれいもんゐんのわたらせたまふよしだにまゐつてまうされけるは、「おんいとままうさんがために、くわんにんどもにしばしのいとまこうてまゐつてさふらふ。ときただこそせめおもうして、けふすでにはいしよへおもむきさふらへ。おなじみやこのうちにさふらひて、おんあたりのおんことどもをも、うけたまはらまほしうぞんじさふらひしに、かかるみにまかりなつてさふらへば、いまよりP321のち、またいかなるおんありさまどもにてか、わたらせたまひさふらはんずらんと、おもひおきまゐらせさふらふにこそ、さらにゆくべきそらもおぼえまじうさふらへ」と、なくなくまうされければ、にようゐん、「げにもむかしのなごりとては、そこばかりこそおはしつるに、いまはなさけをかけとひとぶらふひとも、たれかあるべき」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。そもそもこのときただのきやうとまうすは、ではのせんじとものぶがまご、ぞうさだいじんときのぶこうのこなりけり。こけんしゆんもんゐんのおんせうと、たかくらのしやうくわうのごぐわいせき、またにふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどのも、あねにておはしければ、けんぐわんけんじよくおもひのごとくこころのままなり。さればじやうにゐのだいなごんにもほどなくへあがつて、けんびゐしのべつたうにも、さんかどまでなりたまへり。このひとのちやうむのときは、しよこくのせつたうがうだう、さんぞくかいぞくなどをば、やうもなくからめとつて、いちいちにひぢのもとより、ふつふつとうちきりうちきりおつぱなたる。さればひと、あくべつたうとぞまうしける。しゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかえしいれたてまつるべきよしのゐんぜんのおつかひ、おつぼのめしつぎはなかたがつらに、なみかたといふやいじるしをせられけるも、ひとへにこのときただのきやうのしわざなり。こけんしゆんもんゐんのおんなごりにておはしければ、ほふわうもおんかたみにごらんぜまほしうはおぼしめされけれども、かやうのあくぎやうによつて、おんいきどほりあさからず。はうぐわんもまたしたしうなられたりければ、やうやうにまうされけれども、かなはずしてつひにながされたまひけり。しそくのじじうときいへとて、しやうねんじふろくになりたまふは、これはるざいにはもれて、P322をぢのさいしやうときみつのきやうのもとにおはしけるが、きのふよりだいなごんのしゆくしよにおはして、ははうへそつのすけどもともに、だいなごんのたもとにすがり、いまをかぎりのなごりをぞをしまれける。だいなごん、「つひにすまじきわかれかは」と、こころづようはのたまへども、さこそはこころぼそかりけめ。としたけよはひかたぶいて、さしもむつまじかりけるさいしにも、みなわかれはてて、すみなれしみやこをば、くもゐのよそにかへりみて、いにしへはなにのみききしこしぢのたびにおもむいて、はるばるとくだりたまふに、「かれはしがからさき、これはまののいりえ、かたたのうら」とまうしければ、だいなごんなくなくえいじたまひけり。
かへりこんことはかたたにひくあみのめにもたまらぬわがなみだかな W092
きのふはさいかいのなみのうへにただよひて、をんぞうゑくのうらみを、へんしうのうちにつみ、けふはほつこくのゆきのしたにうづもれて、あいべつりくのかなしみを、こきやうのくもにかさねたり。
「とさばうきられ」(『とさぼうきられ』)S1204さるほどにはうぐわんには、かまくらどのよりだいみやうじふにんつけられたりけるが、ないないごふしんをかうぶりたまふときこえしかば、こころをあはせて、いちにんづつみなくだりはてにけり。きやうだいなるうへ、ことにふしのちぎりをして、いちのたに、だんのうらにいたるまで、へいけをせめほろぼし、P323ないしどころ、しるしのおんはこ、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつり、いつてんをしづめしかいをすます。くんじやうおこなはるべきところに、なにのしさいあつてか、かかるきこえのありけんと、かみいちじんよりしもばんみんにいたるまで、ひとみなふしんをなす。そのゆゑは、このはるつのくにわたなべにて、さかろたてうたてじのろんをして、おほきにあざむかれしことを、かぢはらゐこんにおもひ、つねはざんげんして、つひにうしなひけるとぞ、のちにはきこえし。かまくらどの、はうぐわんにせいのつかぬまに、いまいちにちもさきにうつてをのぼせたうはおもはれけれども、だいみやうどもさしのぼせば、うぢせたのはしをもひき、きやうとのさわぎともなつて、なかなかあしかりなんず。いかがせんとおもはれけるが、ここにとさばうしやうしゆんをめして、「わそうのぼつて、ものまうでするやうで、たばかつてうて」とのたまへば、とさばうかしこまりうけたまはつて、しゆくしよへもかへらず、すぐにきやうへぞのぼりける。くぐわつにじふくにちに、とさばうみやこへのぼつたりけれども、つぎのひまではうぐわんどのへはさんぜず。はうぐわん、とさばうがのぼつたるよしをきこしめして、むさしばうべんけいをもつてめされければ、やがてつれてぞまゐつたる。はうぐわん、「いかにとさばう、かまくらどのよりおんふみはなきか」とのたまへば、「べつのおんこともさふらはぬあひだ、おんふみをばまゐらせられずさふらふ。おんことばでまうせとおほせさふらひつるは、『たうじみやこにべつのしさいのさふらはぬは、さてわたらせたまふおんゆゑなり。あひかまへてよくよくしゆごせさせたまへとまうせ』とこそおほせさふらひつれ」とまうしければ、はうぐわん、「よもさはあらじ。よしつねうちにのぼつたるおんつかひなり。だいみやうどもP324さしのぼせば、うぢせたのはしをもひき、きやうとのさわぎともなつて、なかなかあしかりなんず。わそうのぼつてものまうでするやうで、たばかつてうてとおほせつけられたんな」とのたまへば、とさばうおほきにおどろき、「なにによつてか、ただいまさるおんことのさふらふべき。これはいささかしゆくぐわんのしさいさふらひて、くまのさんけいのために、まかりのぼつてさふらふ」とまうしければ、そのときはうぐわん、「かげときがざんげんによつて、かまくらぢうへだにいれられずして、おひのぼせられしことはいかに」。とさばう、「そのおんことはいかがましましさふらふやらん、しりまゐらせぬざふらふ。しやうしゆんにおいては、まつたくおんぱらくろおもひたてまつらぬざふらふ」。いつかうふちうなきよしのきしやうもんを、かきしんずべきよしをまうす。はうぐわん、「とてもかくても、かまくらどのによしとおもはれたてまつたるみならばこそ」とて、もつてのほかにけしきあしげにみえたまへば、とさばう、いつたんのがいをのがれんがために、ゐながらしちまいのきしやうをかき、あるひはやいてのみ、あるひはやしろのほうでんにこめなどして、ゆりてかへり、おほばんじゆのものどももよほしあつめて、そのよやがてよせんとす。
はうぐわんはいそのぜんじといふしらびやうしがむすめ、しづかといふをんなをちようあいせられけり。しづかかたはらをへんしもたちさることなし。しづかまうしけるは、「おほちはみなむしやでさぶらふなる。みうちよりもよほしのなからんに、これほどまでおほばんじゆのものどもが、さわぐべきことやさぶらふべき。いかさまにも、これはひるのきしやうぼふしがしわざとおぼえさぶらふ。ひとをつかはしてみせさぶらはばや」とて、ろくはらのこにふだうしやうこくのめしつかはれけるかぶろを、さんしにんめしつかはれけるを、P325ににんみせにつはかす。ほどふるまでかへらず。をんなはなかなかくるしかるまじとて、はしたものをいちにんみせにつかはす。やがてはしりかへつて、「かぶろとおぼしきものは、ふたりながらとさばうがかどのまへに、きりふせられてさぶらふ。かどのまへには、くらおきむまども、ひつたてひつたて、おほまくのうちには、ものども、よろひき、かぶとのををしめ、やかきおひ、ゆみおしはり、ただいまよせんといでたちさぶらふ。すこしもものまうでのけしきとはみえさぶらはず」とまうしければ、はうぐわん、さればこそとて、たちとつていでたまへば、しづか、きせながとつてなげかけたてまつる。たかひもばかりしていでたまへば、むまにくらおいて、ちうもんのくちにひつたてたり。はうぐわんこれにうちのり、「かどあけよ」とてあけさせ、いまやいまやとまちたまふところに、やはんばかりに、とさばうひたかぶとしごじつき、そうもんのまへにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。はうぐわんあぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「ようちにも、またひるいくさにも、よしつねたやすううつべきものは、につぽんごくにはおぼえぬものを」とて、はせまはりたまへば、むまにあてられじとやおもひけん、みななかをあけてぞとほしける。さるほどにいせのさぶらうよしもり、あうしうのさとうしらうびやうゑただのぶ、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふ、いちにんたうぜんのつはものども、みうちにようちいつたりとて、あそこのしゆくしよ、ここのやかたよりはせきたるほどに、はうぐわんほどなくろくしちじつきになりたまひぬ。とさばう、こころはたけうよせたれども、たすかるものはすくなう、うたるるものぞおほかりける。P326とさばうかなはじとやおもひけん、けうにしてくらまのおくへひきしりぞく。くらまははうぐわんのこさんなりければ、かのほふしからめとつて、つぎのひはうぐわんどのへつかはす。そうじやうがたにといふところに、かくれゐたりけるとかや。とさばうそのひのしやうぞくには、かちのひたたれに、くろかはをどしのよろひきて、しゆつちやうどきんをぞきたりける。はうぐわんえんにたつて、とさばうをおほにはにひきすゑさせ、「いかにとさばう、きしやうには、はやくも、うてたるぞかし」とのたまへば、「さんざふらふ。あることにかいてさふらへば、うててさふらふ」とまうす。はうぐわんなみだをはらはらとながいて、「しゆくんのめいをおもんじて、わたくしのめいをかろんず。こころざしのほどまことにしんべうなり。わそういのちをしくば、たすけてかまくらへかへしつかはさんはいかに」とのたまへば、とさばうゐなほりかしこまつて、「こはくちをしきことをものたまふものかな。たすからうどまうさば、とのはたすけたまふべきか。かまくらどのの、ほふしなれども、おのれぞねらはんずるものをと、おほせをかうむつしよりこのかた、いのちをばひやうゑのすけどのにたてまつりぬ。なじかはふたたびとりかへしたてまつるべき。ただはうおんにはとくとくかうべをはねられさふらへ」とまうしければ、さらばとて、やがてろくでうかはらへひきいだいてぞきりてんげる。ほめぬひとこそなかりけれ。P327
「はうぐわんのみやこおち」(『はうぐわんのみやこおち』)S1205ここにあだちのしんざぶらうといふざつしきあり。「きやつはげらふなれども、さかざかしきものにてさふらふ。めしつかはれさふらへ」とて、かまくらどのよりはうぐわんにつけられたりけるとかや。これは、ないないくらうがふるまひをみて、われにしらせよとなり。とさばうがきらるるをみて、よをひについではせくだり、このよしかくとまうしければ、かまくらどのおほきにおどろき、しやていみかはのかみのりよりに、うつてにのぼりたまふべきよしのたまへば、しきりにじしまうされけれども、いかにもかなふまじきよしを、かさねてのたまふあひだ、ちからおよばずいそぎもののぐして、おんいとままうしにまゐられたりければ、かまくらどの、「わとのもまたくらうがふるまひしたまふなよ」とのたまひけるおんことばにおそれて、しゆくしよにかへり、いそぎもののぐぬぎおき、きやうのぼりをばおもひとどまりたまひぬ。まつたくふちうなきよしのきしやうもんを、いちにちにじふまいづつ、ひるはかき、よるはおつぼのうちにてよみあげよみあげ、ひやくにちにせんまいのきしやうをかいてまゐらせられたりけれども、かなはずして、のりよりつひにうたれたまひけり。つぎにほうでうのしらうときまさに、ろくまんよきをさしそへて、うつてにのぼせらるるよしきこえしかば、はうぐわん、うぢせたのはしをもひき、ふせがばやとおもはれけるが、ここにをがたのさぶらうこれよしは、P328へいけをくこくのうちへもいれずして、おひいだすほどのたせいのものなり。「われにたのまれよ」とのたまへば、「ささふらはば、みうちにさふらふきくちのじらうたかなほは、ねんらいのかたきでさふらふあひだ、たまはつてきつてのち、たのまれたてまつらん」とまうしければ、はうぐわんさうなうたうでげり。やがてろくでうかはらへひきいだいてぞきりてげる。そののちこれよしりやうじやうす。おなじきじふいちぐわつふつかのひ、くらうたいふのはうぐわんゐんざんして、おほくらきやうやすつねのあそんをもつて、そうもんせられけるは、「よりとも、らうどうどもがざんげんによつて、よしつねうたんとつかまつりさふらふ。うぢせたのはしをもひき、ふせがばやとはぞんじさふらへども、きやうとのさわぎともなつて、なかなかあしうさふらひなんず。ひとまづちんぜいのかたへも、おちゆかばやとぞんじさふらふ。あはれゐんのちやうのおんくだしぶみをたまはつて、まかりくだりさふらはばや」とまうされたりければ、ほふわう、このこといかがあらんずらんと、おぼしめしわづらはせたまひて、しよきやうにおほせあはせらる。しやきやうまうされけるは、「よしつねみやこにさふらひなば、とうごくのおほぜいみだれいつて、きやうとのさうどうたえまじうさふらふ。しばらくちんぜいのかたへも、おちゆきさふらはば、そのおそれあるまじうさふらふ」とまうされたりければ、さらばとて、ちんぜいのものども、をがたのさぶらうこれよしをはじめとして、うすき、へつぎ、まつらたうにいたるまで、みなよしつねが、げぢにしたがふべきよしの、ゐんのちやうのおんくだしぶみをたまはつて、あくるみつかのうのこくに、みやこにいささかのわづらひもなさず、なみかぜをもたてずして、そのせいごひやくよきでぞくだられける。P329
ここにつのくにげんじ、おほだのたらうよりもと、このよしをきいて、かまくらどのとなかたがうてくだりたまふひとを、さうなうわがもんのまへをとほしなば、かまくらどののかへりきこしめされんずるところもあり、やひとついかけたてまつらんとて、てぜいろくじふよき、かはらづといふところにおつついてせめたたかふ。はうぐわん、「そのぎならば、いちにんももらさずうてや」とて、ごひやくよきとつてかへし、おほだのたらうろくじふよきをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。おほだのたらうよりもと、いへのこらうどうおほくうたせ、わがみておひ、むまのふとばらいさせ、ちからおよばでひきしりぞく。のこりとどまつてふせぎやいけるつはものども、にじふよにんがくびきりかけさせ、いくさがみにまつり、よろこびのときをつくり、かどでよしとぞよろこばれける。そのひは、つのくにだいもつのうらにぞつきたまふ。あくるよつかのひ、だいもつのうらよりふねにてくだられけるが、をりふしにしのかぜはげしうふきければ、はうぐわんののりたまへるふねは、すみよしのうらへうちあげられて、それよりよしのやまへぞこもられける。よしのぼふしにせめられて、ならへおつ。ならぼふしにせめられて、またみやこへかへりのぼり、ほつこくにかかつて、つひにおくへぞくだられける。はうぐわんのみやこよりぐせられたりけるじふよにんのにようばうたちをば、みなすみよしのうらにすておかれたりければ、ここやかしこのまつのした、いさごのうへにたふれふし、あるひははかまふみしだき、あるひはそでかたしいてなきゐたりけるを、すみよしのじんぐわん、これをあはれんで、のりものどもをしたてて、P330みなきやうへぞおくりける。はうぐわんのむねとたのまれたりけるをがたのさぶらうこれよし、しだのさぶらうせんじやうよしのり、びぜんのかみゆきいへらがのつたるふねどもも、ここかしこのうらうらしまじまにうちあげられて、たがひにそのゆくへをもしらざりけり。にしのかぜたちまちにはげしうふきけるは、へいけのをんりやうとぞきこえし。おなじきなぬかのひ、ほうでうのしらうときまさ、ろくまんよきをあひぐしてしやうらくす。あくるやうかのひゐんざんして、「いよのかみみなもとのよしつね、ならびにびぜんのかみゆきいへ、しだのさぶらうせんじやうよしのり、みなつゐたうすべきよしのゐんぜんたまはるべきよし、よりともまうしさふらふ」とまうしければ、ほふわうやがてゐんぜんをぞくだされける。さんぬるふつかのひは、よしつねまうしうくるむねにまかせて、よりともそむくべきよしのゐんのちやうのおんくだしぶみをなされ、おなじきやうかのひは、よりとものきやうのまうしじやうによつて、よしつねうつべきよしのゐんぜんをくださる。あしたにかはりゆふべにへんず。ただせけんのふぢやうこそかなしけれ。
「よしだだいなごんのさた」(『よしだのだいなごんのさた』)S1206さるほどにかまくらのさきのひやうゑのすけよりとも、につぽんごくのそうづゐふくしをたまはつて、たんべつにひやうらうまいあておこなふべきよし、くげへまうされたりければ、ほふわうおほせなりけるは、「むかしよりP331てうてきをたひらげたるものには、はんごくをたまはるといふこと、むりやうぎきやうにみえたり。されどもさやうのことはありがたきためしなり。これはよりともがくわぶんのまうしじやうかな」とて、しよきやうにおほせあはせられたりければ、くぎやうせんぎあつて、「よりとものきやうのまうさるるところ、だうりなかばなり」と、しよきやういちどうにまうされたりければ、ほふわうもちからおよばせたまはず、やがておんゆるされありけり。しよこくにしゆごをおきかへ、しやうゑんにぢとうをふせらる。かかりしかば、いちまうばかりもかくるべきやうぞなかりける。かまくらどのかやうのことをば、くげにもひとおほしといへども、よしだのだいなごんつねふさのきやうをもつてまうされけり。このだいなごんは、うるはしきひとときこえたまへり。そのゆゑは、へいけにむすぼほれたりしひとびとも、げんじのよのつよりしのち、あるひはふみをつかはし、あるひはししやをたてて、さまざまにへつらはれたりけれども、このだいなごんは、さもしたまはず。されば、へいけのとき、ほふわうをせいなんのりきうにおしこめたてまつて、ごゐんのべつたうをおかれけるにも、はちでうのちうなごんながかたのきやう、このだいなごん、ににんをぞふせられける。ごんのうちうべんみつふさのあそんのこなりけり。しかるをじふにのとし、ちちのあそんうせたまひしかば、みなしごにておはせしかども、しだいのしようじんとどこほらず、さんじのけんえうをけんたいして、せきらうのくわんじゆをへ、さんぎ、だいべん、ださいのそつ、ちうなごん、だいなごんにへあがつて、ひとをばこえたまへども、ひとにはこえられたまはず。さればひとのぜんあくは、きりふくろをとほすとてかくれなし。ありがたかりしだいなごんなり。P332
「ろくだい」(『ろくだい』)S1207さるほどにほうでうのしらうときまさは、かまくらどののおんだいくわんに、みやこのしゆごしてさふらはれけるが、「へいけのしそんといはんひと、なんしにおいていちにんももらさず、たづねいだしたらんともがらには、しよまうはこふによるべし」とひろうせらる。きやうぢうのじやうげ、あんないはしつたり、けんじやうかうむらんとて、たづねもとむるこそうたてけれ。かかりしかば、いくらもたづねいだされたり。げらふのこなれども、いろしろうみめよきをば、「あれはなんのちうじやうどののわかぎみ、かのせうしやうどののきんだち」などいふあひだ、ちちははなげきかなしめども、「あれはめのとがまうしさふらふ、これはかいしやくのにようばうが」なんどまうして、むげにをさなきをば、みづにいれ、つちにうづみ、すこしおとなしきをば、おしころし、さしころす。ははのかなしみめのとがなげき、たとへんかたぞなかりける。ほうでうもしそんさすがひろければ、これをいみじとはおもはねども、よにしたがふならひなればちからおよばず。なかにもこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのわかぎみ、ろくだいごぜんとて、としもすこしおとなしうまします。そのうへへいけのちやくちやくにしておはしければ、いかにもしてとりたてまつてうしなはんとて、てをわけてたづねけれども、もとめかねて、すでにむなしうくだらんとP333しけるところに、あるにようばうのろくはらにまゐつてまうしけるは、「これよりにし、へんぜうじのおく、だいかくじとまうすやまでらのきた、しやうぶだにとまうすところにこそ、こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのきたのかた、わかぎみ、ひめぎみ、しのうでましますなれ」といひければ、ほうでううれしきことをもききぬとおもひ、かしこへひとをつかはして、そのへんをうかがはせけるほどに、あるばうににようばうたちあまた、をさなきひとびと、ゆゆしうしのうだるていにてすまはれたり。まがきのひまよりのぞいてみれば、しろいえのこのにはへはしりいでたるをとらんとて、よにうつくしきわかぎみの、つづいていでたまひけるを、めのとのにようばうとおぼしくて、「あなあさまし。ひともこそみまゐらせさぶらへ」とて、いそぎひきいれたてまつる。これぞいちぢやうそにてましますらんとおもひ、いそぎはしりかへつて、このよしまうしければ、つぎのひ、ほうでう、しやうぶだにをうちかこみ、ひとをいれてまうされけるは、「こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのわかぎみ、ろくだいごぜんのこれにましますよしうけたまはつて、かまくらどののおんだいくわんとして、ほうでうのしらうときまさが、おんむかひにまゐつてさふらふ。とうとういだしまゐらさせたまへ」とまうされければ、ははうへゆめのここちして、つやつやものをもおぼえたまはず。さいとうご、さいとうろく、そのへんをはしりまはつてうかがひけれども、ぶしどもしはうをうちかこんで、いづかたよりいだしまゐらすべしともおぼえず。ははうへはわかぎみをかかへたてまつて、「ただわれをうしなへや」とて、をめきさけびたまひけり。めのとのにようばうも、おんまへにたふれふし、こゑもをしまずをめきさけぶ。ひごろはものをだにたかくいはず、しのびつつかくれゐたりしかども、いまはいへのうちにありとあるものの、P334こゑをととのへてなきかなしむ。ほうでうもいはきならねば、さすがあはれげにおぼえて、なみだをおさへ、つくづくとぞまたれける。ややあつて、またひとをいれてまうされけるは、「よもいまだしづまりさふらはねば、しどけなきおんこともぞさふらはんずらん。ときまさがおんむかひにまゐつてさふらふ。べつのしさいはさふらふまじ。とうとういだしまゐらさせたまへ」とまうされければ、わかぎみ、ははうへにまうさせたまひけるは、「つひにのがるまじうさふらふうへ、はやはやいださせおはしませ。ぶしどものうちいつてさがすほどならば、なかなかうたてげなるおんありさまどもを、みえさせたまひさふらはんずらん。たとひまかりてさふらふとも、しばしもあらば、ほうでうとかやにいとまこうて、かへりまゐりさふらはん。いたうななげかせたまひさふらひそ」と、なぐさめたまふこそいとほしけれ。さてしもあるべきことならねば、ははうへは、わかぎみになくなくおんものきせまゐらせ、おんぐしかきなでて、すでにいだしまゐらせんとしたまひけるが、くろきのずずのちひさううつくしきをとりいだいて、「あひかまへて、これにて、いかにもならんまで、ねんぶつまうしてごくらくへまゐれよ」とてぞたてまつらる。わかぎみこれをとらせたまひて、「ははうへにはけふすでにわかれまゐらせさふらひぬ。いまはいかにもして、ちちのましますところへこそまゐりたけれ」とのたまへば、いもうとのひめぎみの、しやうねんとをになりたまひけるが、「われもまゐらん」とて、つづいていでたまひけるを、めのとのにようばうとりとどめたてまつる。ろくだいごぜん、ことしはじふにになりたまへども、よのひとのじふしごよりもおとなしく、みめすがたうつくしう、P335こころざまいうにおはしければ、かたきによわげをみえじとて、おさふるそでのひまよりも、あまりてなみだぞこぼれける。さておんこしにめされたまふ。ぶしどもうちかこんでいでにけり。さいとうご、さいとうろくも、おんこしのさうについてぞまゐりける。ほうでう、のりがへどもをおろいて、むまにのれといへどものらず。だいかくじよりろくはらまで、かちはだしでぞまゐりたる。ははうへ、めのとのにようばう、てんにあふぎちにふして、もだえこがれたまひけり。ははうへ、めのとのにようばうにのたまひけるは、「このひごろ、へいけのこどもとりあつめて、みづにいれ、つちにうづみ、あるひはおしころし、さしころし、さまざまにしてうしなふよしきこゆなれば、わがこをば、なにとしてかうしなはんずらん。としもすこしおとなしければ、さだめてくびをこそきらんずらめ。ひとのこは、めのとなんどのもとにつかはして、ときどきみることもあり。それだにも、おんあいのみちはかなしきならひぞかし。いはんやこれは、うみおとしてよりこのかた、ひとひかたときもみをはなたず、ひとももたぬこをもちたるやうにおもひ、あさゆふふたりのなかにてそだてしものを、たのみをかけしひとに、あかでわかれてのちは、ふたりをうらうへにおいてこそなぐさみしに、いまははやひとりはあれども、ひとりはなし。けふよりのちはいかがせん。このみとせがあひだ、よるひるきもたましひをけして、おもひまうけたることなれども、さすがきのふけふとはおもひもよらず、ひごろははせのくわんおんを、さりともとこそたのみたてまつりしに、つひにとられぬることのかなしさよ。ただいまもやうしなひつらん」とかきくどき、そでをかほにおしあてて、さめざめとぞなかれける。よるになれども、むねせきあぐるP336ここちして、つゆもまどろみたまはざりしが、ややあつてめのとのにようばうにのたまひけるは、「ただいまちとうちまどろみたりつるゆめに、このこがしろいむまにのつてきたりつるが、『あまりにおんこひしうおもひまゐらせさふらふほどに、しばしのいとまこうてまゐつてさふらふ』とて、そばについゐて、なにとやらんよにうらめしげにてありつるが、いくほどなくて、うちおどろかされ、そばをさぐれどもひともなし。ゆめだにもしばしもあらで、やがてさめぬることのかなしさよ」とぞ、なくなくかたりたまひける。さるほどにながきよを、いとどあかしかね、なみだにとこもうくばかりなり。かぎりあれば、けいじんあかつきをとなへて、よもあけぬ。さいとうろくかへりまゐつたり。ははうへ、「さていかにや」ととひたまへば、「いままではべちのおんこともさふらはず。これにおんふみのさふらふ」とて、とりいだいてたてまつる。これをあけてみたまふに、「いままではべちのしさいもさふらはず。さこそおんこころもとなうおぼしめされさふらふらん。いつしかたれたれもおんこひしうこそおもひまゐらせさふらへ」と、おとなしやかにかきたまへり。ははうへこれをかほにおしあてて、とかうのことものたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。かくてじこくはるかにおしうつりければ、さいとうろく、「ときのほどもおぼつかなうさふらふ。おんぺんじたまはつてかへりまゐりさふらはん」とまうしければ、ははうへなくなくおんぺんじかいてぞたうでげる。さいとうろくいとままうしていでにけり。めのとのにようばう、せめてのこころのあられずさにや、だいかくじをばまぎれいでて、そのP337へんをあしにまかせてなきあるくほどに、あるひとのまうしけるは、「これよりおく、たかをといふやまでらのひじり、もんがくばうとまうすひとこそ、かまくらどののゆゆしきだいじのひとにおもはれまゐらせてましましけるが、じやうらふのこをでしにせんとて、ほしがらるるなれ」といひければ、めのとのにようばう、うれしきことをもききぬとおもひ、すぐにたかをへたづねいり、ひじりにむかひまゐらせて、なくなくまうしけるは、「ちのなかよりいだきあげたてまつり、おほしたてまゐらせて、ことしはじふにになりたまひつるわかぎみを、きのふぶしにとられてさぶらふなり。おんいのちをこひうけて、おんでしにせさせたまひなんや」とて、ひじりのおんまへにたふれふし、こゑもをしまずをめきさけぶ。まことにせんかたなげにぞみえたりける。ひじりもむざんにおもひて、ことのしさいをとひたまふ。ややあつておきあがり、なみだをおさへてまうしけるは、「こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのきたのかたに、おんしたしうましますひとのわかぎみを、やしなひまゐらせてさぶらひつるを、もしちうじやうどののきんだちとや、ひとのまうしてさぶらふらん、きのふぶしにとられてさぶらふなり」とぞかたりける。ひじり、「さてそのぶしをばたれといふやらん」。「ほうでうのしらうときまさとこそなのりまうしさぶらひつれ」。ひじり、「いでさらばたづねてみん」とて、つきいでぬ。めのとのにようばう、このことばをたのむべきにはあらねども、きのふぶしにとられてよりこのかた、あまりにおもふはかりもなかりつるに、ひじりのかくのたまへば、すこしこころをとりのべて、いそぎだいかくじへぞまゐりける。ははうへ、「さてわごぜは、みをなげにいでぬるやらん。われもいかなるふちかはへも、みをP338なげばやなどおもひたれば」とて、ことのしさいをとひたまふ。めのとのにようばう、ひじりのまうされつるさまを、こまごまとかたりまうしたりければ、「あはれ、そのひじりのおんばうの、このこをこひうけて、いまひとたびわれにみせよかし」とて、うれしさにも、ただつきせぬものはなみだなり。そののちひじりろくはらにいでて、ことのしさいをとひたまふ。ほうでうまうされけるは、「かまくらどののおほせには、へいけのしそんといはんひと、なんしにおいて、いちにんももらさずたづねいだして、うしなふべし。なかにもこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのしそく、ろくだいごぜんとて、としもすこしおとなしうまします。そのうへへいけのちやくちやくなり。こなかのみかどしんだいなごんなりちかのきやうのむすめのはらにありときく。いかにもしてとりたてまつて、うしなひまゐらせよと、おほせをかうむつしあひだ、すゑずゑのきんだちたちをば、せうせうとりたてまつてはさふらへども、このわかぎみのざいしよを、いづくともしりまゐらせずして、すでにむなしうくだらんとつかまつるところに、おもはざるほか、をととひききいだしまゐらせて、きのふこれまでむかへたてまつてさふらへども、あまりにうつくしうましましさふらふほどに、いまだともかうも、したてまつらでおきたてまつてさふらふ」とまうされければ、ひじり、「いでさらば、みまゐらせん」とて、わかぎみのわたらせたまふところにまゐつてみたまへば、ふたへおりもののひたたれに、くろきのずずてにぬきいれておはします。かみのかかり、すがたことがら、まことにあてにうつくしく、このよのひとともみえたまはず。こよひうちとけてまどろみたまはぬかとおぼしくて、すこしおもやせたまふをP339みまゐらするにつけても、いとどらうたくぞおもはれける。わかぎみひじりをみたまひて、いかがおぼしけん、なみだぐみたまへば、ひじりもすぞろにすみぞめのそでをぞぬらされける。すゑのよにはいかなるをんできとなりたまふといふとも、これをばいかでかうしなひたてまつるべきとおもはれければ、ほうでうにむかつてのたまひけるは、「ぜんぜのことにやさふらふらん、このわかぎみをみまゐらせさふらへば、あまりにいとほしうおもひまゐらせさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。はつかのいのちをのべてたべ。かまくらへくだつて、まうしゆるいてたてまつらん。そのゆゑは、ひじりかまくらどのをよにあらせたてまつらんとて、ゐんぜんうかがひにきやうへのぼるが、あんないもしらぬふじがはのすそに、よるわたりかかつて、すでにおしながされんとしたりしこと、またたかしやまにてひつぱぎにあひ、からきいのちばかりいきつつ、ふくはらのろうのごしよにまゐつて、ゐんぜんまうしいだいてたてまつしときのおんやくそくには、たとひいかなるだいじをもまうせ、ひじりがまうさんずることどもをば、よりともいちごがあひだは、かなへんとこそのたまひしか。そのほかたびたびのほうこうをば、かつみたまひしことぞかし。ことあたらしうはじめてまうすべきにあらず。ちぎりをおもんじていのちをかろんず。かまくらどのにじゆりやうがみつきたまはずは、よもわすれたまはじ」とて、やがてそのあかつきぞたたれける。さいとうご、さいとうろく、ひじりをしやうじんのほとけのごとくにおもうて、てをあはせてなみだをながす。これらまただいかくじにまゐつて、このよしまうしければ、ははうへいかばかりかうれしうおもはれけん。されどもかまくらのはからひなれば、いかがあらんずらんとおもはれけれども、はつかのいのちののびたまふにぞ、ははうへ、めのとのにようばう、P340すこしこころをとりのべて、ひとへにはせのくわんおんのおんたすけなればにやと、たのもしうぞおもはれける。かくしてあかしくらさせたまふほどに、はつかのすぐるはゆめなれや、ひじりもいまだみえたまはず。これはさればなにとしつることどもぞやと、なかなかこころぐるしくて、いまさらまたもだえこがれたまひけり。ほうでうも、「ひじりのはつかとまうされしやくそくのひかずもすぎぬ。いまはかまくらどのおんゆるされなきにこそあんなれ。さのみざいきやうして、としをくらすべきにあらず。いまはくだらん」とてひしめきけり。さいとうご、さいとうろくもてをにぎり、きもたましひをけしておもへども、ひじりもいまだみえたまはず、つかいものをだにものぼせねば、おもふはかりぞなかりける。これらまただいかくじにまゐり、「ひじりもいまだみえたまはず。ほうでうもあかつきげかうつかまつりさふらふ」とて、なみだをはらはらとながしければ、ははうへ、ひじりのさしもたのもしげにまうしてくだりぬるのちは、ははうへ、めのとのにようばう、すこしこころもとりのべて、ひとへにくわんおんのおんたすけなりと、たのもしうおもはれつるに、このあかつきにもなりしかば、ははうへ、めのとのにようばうのこころのうち、さこそはたよりなかりけめ。ははうへ、めのとのにようばうにのたまひけるは、「あはれおとなしやかならんずるものが『みちにてひじりにゆきあはんところまで、このこをぐせよ』といへかし。もしこひうけてのぼらんに、さきにきられたらんずるこころうさをば、いかがせん。さてやがてうしなひげなりつるか」ととひたまへば、「このあかつきのほどとこそみえさせましましさふらへ。そのゆゑは、このほどおとのゐP341つかまつりさふらひつるほうでうのいへのこらうどうどもも、よになごりをしげにて、あるひはねんぶつまうすものもさふらふ、あるひはなみだをながすものもさふらふ」とまうす。ははうへ、「さてこのこがありさまはなにとあるぞ」ととひたまへば、「ひとのみまゐらせさふらふときは、さらぬていにもてないて、おんずずをくらせましましさふらふ。またひとのみまゐらせさふらはぬときは、かたはらにむかはせたまひて、おんそでをおんかほにおしあてて、なみだにむせばせたまひさふらふ」とまうす。ははうへ、「さぞあるらめ。としこそをさなけれども、こころすこしおとなしやかなるものなり。しばしもあらば、ほうでうとかやにいとまこうて、かへりまゐらんとはいひつれども、けふすでにはつかにあまるに、あれへもゆかず、これへもみえず。またいづれのひいづれのとき、かならずあひみるべしともおぼえず。こよひかぎりのいのちとおもうて、さこそはこころぼそかりけめ。さてなんぢらはいかがははからふやらん」とのたまへば、「これはいづくまでもおんともつかまつり、いかにもならせましまさば、ごこつをとりたてまつり、かうやのおやまにをさめたてまつり、しゆつけにふだうつかまつり、ごぼだいをとぶらひまゐらせんとこそぞんじさふらへ」とて、なみだにむせしづんでぞふしにける。かくてじこくはるかにおしうつりければ、ははうへ、「ときのほどもおぼつかなし、さらばとうかへれ」とのたまへば、ににんのものどもなくなくいとままうしてまかりいづ。さるほどにおなじきじふにんぐわつじふしちにちのあかつき、ほうでうのしらうときまさ、わかぎみぐしたてまつて、すでにみやこをたちにけり。さいとうご、さいとうろくも、おんこしのさうについてぞまゐりける。ほうでうP342のりかへどもおろいて、「むまにのれ」といへどものらず。「さいごのおんともでさふらへば、くるしうもさふらはず」とて、ちのなみだをながいて、かちはだしでぞくだりける。わかぎみは、さしもはなれがたうおぼしけるははうへ、めのとのにようばうにもわかれはてて、すみなれしみやこをば、くもゐのよそにかへりみて、けふをかぎりのあづまぢにおもむいて、はるばるとくだられけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。こまをはやむるぶしあれば、わがくびきらんかときもをけし、ものいひかはすものあれば、すはいまやとこころをつくす。しのみやがはらとおもへども、せきやまをもうちすぎて、おほつのうらにもなりにけり。あはづのはらかとうかがへば、けふもはやくれにけり。くにぐにしゆくじゆくうちすぎうちすぎくだりたまふほどに、するがのくににもなりしかば、わかぎみのつゆのおんいのち、けふをかぎりとぞみえし。
せんぼんのまつばらといふところに、おんこしかきすゑさせ、「わかぎみおりさせたまへ」とて、しきがはしいてすゑたてまつる。ほうでういそぎむまよりとんでおり、わかぎみのおんそばちかうまゐつてまうされけるは、「もしみちにてひじりにやゆきあひさふらふと、これまでぐそくしたてまつてさふらへども、やまのあなたまでは、かまくらどののごしんぢうもはかりがたうさふらへば、あふみのくににてうしなひまゐらせたるよし、ひろうつかまつりさふらはん。いちごふしよかんのおんみなれば、たれまうすとも、よもかなはせたまひさふらはじ」とまうされければ、わかぎみ、とかうのへんじにもおよびたまはず。さいとうご、さいとうろくをめしてのたまひけるは、「あなかしこ、なんぢらみやこへのぼり、われみちにてきられたりなどまうすべからず。そのゆゑは、つひにはかくれあるまじけれども、P343まさしうこのありさまをききたまひて、なげきかなしみたまはば、ごせのさはりともならんずるぞ。かまくらまでおくりつけてのぼつたるよしまうすべし」とのたまへば、ににんのものども、なみだをはらはらとながす。ややあつてさいとうごなみだをおさへてまうしけるは、「きみのかみにもほとけにもならせたまひなんのち、いのちいきてふたたびみやこへかへりのぼるべしともぞんじさふらはず」とて、またなみだをおさへてふしにけり。わかぎみいまはかうとみえしとき、みぐしのかたにかかりけるを、ちひさううつくしきおんてをもつて、まへへかきこさせたまふを、しゆごのぶしどもみまゐらせて、「あないとほし、いまだおんこころのましますぞや」とて、みなよろひのそでをぞぬらしける。そののちわかぎみ、にしにむかつててをあはせ、かうじやうにじふねんとなへさせたまひつつ、くびをのべてぞまたれける。かののくどうざうちかとし、きりてにえらまれ、たちをひきそばめ、ひだんのかたよりわかぎみのおんうしろにたちまはり、すでにきらんとしけるが、めもくれこころもきえはてて、いづくにかたなをうちつくべしともおぼえず、ぜんごふかくにおぼえければ、「つかまつともぞんじさふらはず。たにんにおほせつけられさふらへ」とて、たちをすててぞのきにける。「さらばあれきれ、これきれ」とて、きりてをえらぶところに、ここにすみぞめのころもきたりけるそういちにん、つきげなるむまにのつて、むちをうつてぞはせたりける。そのへんのものども、「あないとほし、あのまつばらのなかにて、よにうつくしきわかぎみを、ほうでうどののただいまきりたてまつらるぞや」とて、ものども、ひしひしとはしりあつまりければ、このそうこころもとなさに、P344むちをあげてまねきけるが、なほもおぼつかなさに、きたるかさをぬいで、さしあげてぞまねきける。ほうでう、しさいありとてまつところに、このそうほどなくはせきたり、いそぎむまよりとんでおり、「わかぎみこひうけたてまつたり。かまくらどののみげうしよこれにあり」とてとりいだす。ほうでうこれをひらいてみるに、「まことや、こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのしそく、ろくだいごぜんたづねいだされてさふらふ。しかるをたかをのひじりもんがくばうの、しばしこひうけうどさふらふ。うたがひをなさずあづけらるべし。ほうでうのしらうどのへ、よりとも」とあそばいて、ごはんあり。ほうでうおしかへしおしかへし、にさんべんようで、「しんべうしんべう」とて、さしおかれければ、さいとうご、さいとうろくはいふにおよばず、ほうでうのいへのこらうどうどもも、みなよろこびのなみだをぞながしける。
「はせろくだい」(『はせろくだい』)S1208さるほどにもんがくばうもいできたり、「わかぎみこひうけたてまつたり」とて、きしよくまことにゆゆしげなり。「このわかぎみのちち、さんみのちうじやうどのは、どどのいくさのたいしやうぐんにておはしければ、たれまうすともいかにもかなふまじきよしのたまふあひだ、ひじりがこころをやぶらせたまひては、P345いかでかみやうがのほどもおはすべきなんど、さまざまあつこうまうしつれども、なほもかなふまじきよしのたまひて、なすののかりにいでたまひしあひだ、あまつさへもんがくもかりばのともして、やうやうにまうしてこひうけたてまつたり。いかにおそうおぼしつらんな」とのたまへば、ほうでうまうされけるは、「ひじりのはつかとおほせられし、やくそくのひかずもすぎぬ。いまはかまくらどのおんゆるされもなきぞとこころえて、ぐしたてまつてくだりさふらふほどに、かしこうぞ、ただいまここにてあやまちつかまつるらんに」とて、くらおいてひかせられたりけるのりがへどもに、さいとうご、さいとうろくをのせてのぼせらる。わがみもはるかにうちおくり、「いましばらくもおんともまうすべうさふらへども、これはかまくらにさしてひろうつかまつるべきだいじどもあまたさふらふ」とて、それよりうちわかれてぞくだられける。まことになさけふかかりけり。さるほどにたかをのもんがくしやうにん、わかぎみうけとりたてまつて、よをひについでのぼるほどに、をはりのくにあつたのへんにて、ことしもすでにくれぬ。あくるしやうぐわついつかのよにいつて、みやこへのぼり、にでうゐのくまなるところに、もんがくばうのしゆくしよのありけるに、まづそれにおちついて、わかぎみしばらくやすめたてまつり、やはんばかりにだいかくじへいれたてまつり、もんをたたけども、ひとなければおともせず。わかぎみのかひたまひたりけるしろいえのこの、ついぢのくづれよりはしりいでて、ををふつてむかひけるに、わかぎみ、「ははうへはいづくにましますぞ」とのたまひけるこそいとほしけれ。さいとうご、さいとうろく、あんないはしつたり、ついぢをこえ、もんをあけていれたてまつる。ちかうひとのすんだるところともみえず。わかぎみ、「P346ひとめもはぢず、いのちのをしうさふらふも、ははうへをいまいちどみばやとおもふためなり。いまはいきてもなににかはせん」とて、もだえこがれたまひけり。そのよはそこにてまちあかし、あけてのち、きんりのひとにたづぬれば、「としのうちはだいぶつまうでときこえさせたまひし。しやうぐわつのほどは、はせでらにおんこもりとこそうけたまはりさふらへ」とまうしければ、さいとうろくいそぎはせへくだり、ははうへにこのよしかくとまうしければ、ははうへとるものもとりあへず、いそぎみやこへのぼり、だいかくじへぞおはしたる。ははうへ、わかぎみをただひとめみたまひて、「いかにろくだいごぜん、これはゆめかやうつつか。はやはやしゆつけしたまへ」とのたまへども、もんがくをしみたてまつて、ごしゆつけをばせさせたてまつらず。すぐにたかをへむかへとつて、かすかなるははうへをもはぐくみけるとぞきこえし。くわんおんのだいじだいひは、つみあるをもつみなきをも、たすけたまふことなれば、じやうだいにはかかるためしもやあるらん。ありがたかりしことどもなり。
「ろくだいきられ」(『ろくだいきられ』)S1209さるほどにろくだいごぜん、やうやうおひたちたまふほどに、じふしごにもなりたまへば、いとどみめかたちうつくしく、あたりもてりかかやくばかりなり。ははうへこれをみたまひて、「よのよにてP347あらましかば、たうじはこんゑづかさにてあらんずるものを」とのたまひけるこそあまりのことなれ。かまくらどの、びんぎごとに、たかをのひじりのもとへ、「さてもあづけたてまつしこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのしそく、ろくだいごぜんは、いかやうのひとにてさふらふやらん。むかしよりともをさうしたまひしやうに、てうのをんできをもたひらげ、ちちのはぢをもきよむべきほどのじんやらん」とまうされければ、もんがくばうのへんじに、「これはいつかうそこもなきふかくじんにてさふらふぞ。おんこころやすくおぼしめされさふらへ」とまうされけれども、かまくらどのなほもこころゆかずげにて、「むほんおこさば、やがてかたうどすべきひじりのおんばうなり。さりながらもよりともいちごがあひだは、たれかかたむくべき、しそんのすゑはしらず」とのたまひけるこそおそろしけれ。ははうへこのよしをききたまひて、「いかにやろくだいごぜん、はやはやしゆつけしたまへ」とありしかば、しやうねんじふろくとまうししぶんぢごねんのはるのころ、さしもうつくしきおんぐしを、かたのまはりにはさみおろし、かきのころも、かきのはかま、おひなどよういして、やがてしゆぎやうにこそいでられけれ。さいとうご、さいとうろくも、おなじさまにいでたつて、おんともにぞまゐりける。まづかうやへのぼり、ぜんぢしきしたまひけるたきぐちにふだうにたづねあひ、ごしゆつけのさま、ごりんじうのありさま、くはしうたづねとひ、かつうはそのあともなつかしとて、くまのへこそまゐられけれ。はまのみやとまうしたてまつるわうじのおんまへより、ちちのわたりたまひたりしやまなりのしまみわたいて、わたらまほしくはおもはれけれども、なみかぜむかうてかなはねば、ちからおよびたまはず、ながめやりP348たまふに、わがちちはいづくにかしづみたまひけんと、おきよりよするしらなみにも、とはまほしうぞおもはれける。はまのまさごもちちのごこつやらんとなつかしくて、なみだにそではしをれつつ、しほくむあまのころもならねど、かはくまなくぞみえられける。なぎさにいちやとうりうし、よもすがらきやうよみねんぶつして、ゆびのさきにてはまのまさごにほとけのすがたをかきあらはし、あけければ、そうをしやうじ、さぜんのくどくさながらしやうりやうにとゑかうして、みやこへかへりのぼられけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。そのころのしゆしやうは、ごとばのゐんにてましましけるが、ぎよいうをのみむねとせさせおはします。せいだうはいつかうきやうのつぼねのままなりければ、ひとのうれへなげきもやまず。ごわうけんかくをこのみしかば、てんがにきずをかうむるともがらたえず、そわうさいえうをあいせしかば、きうちうにうゑてしするをんなおほかりき。かみのこのむことに、しもはしたがふならひなれば、よのあやふきありさまをみては、こころあるひとのなげきかなしまぬはなかりけり。なかにもにのみやとまうすは、せいだうをもつぱらとせさせたまひて、おんがくもんおこたらせたまはねば、もんがくはおそろしきひじりにて、いろふまじきことをのみいろひたまへり。いかにもして、このきみをくらゐにつけたてまつらばやとおもはれけれども、よりとものきやうのおはしけるほどは、おもひもたたれず。かくてけんきうじふねんしやうぐわつじふさんにち、よりとものきやうとしごじふさんにてうせたまひしかば、もんがくやがてむほんをおこされけるが、たちまちにもれきこえて、もんがくばうのしゆくしよにでうゐのくまなるところに、くわんにんどもあまたつけられて、はちじふにあまつてからめとられて、つひにおきのくにへぞP349ながされける。もんがくきやうをいづるとて、「これほどにおいのなみにたつて、けふあすをしらぬみを、たとひちよくかんなればとて、みやこのかたほとりにもおかずして、はるばるとおきのくにまでながされけるぎつちやうくわじやこそやすからね。いかさまにもわがながさるるくにへ、むかへとらんずるものを」と、をどりあがりをどりあがりぞまうしける。このきみはあまりにぎつちやうのたまをあいせさせたまふあひだ、もんがくかやうにはあつこうまうしけるなり。そののちじようきうにごむほんおこさせたまひて、くにこそおほけれ、はるばるとおきのくにまでうつされさせましましける、しゆくえんのほどこそふしぎなれ。そのくににてもんがくがばうれいあれて、おそろしきことどもおほかりけり。つねはごぜんへもまゐり、おんものがたりどもまうしけるとぞきこえし。さるほどにろくだいごぜんは、さんみのぜんじとて、たかをのおくにおこなひすましておはしけるを、かまくらどの、「さるひとのこなり、さるもののでしなり。たとひかしらをばそりたまふとも、こころをばよもそりたまはじ」とて、めしとつてうしなふべきよし、かまくらどのよりくげへそうもんまうされたりければ、やがてあんはうぐわんすけかぬにおほせてめしとつて、つひにくわんとうへぞくだされける。するがのくにのぢうにん、をかべのごんのかみやすつなにおほせて、さがみのくにたごえがはのはたにて、つひにきられにけり。じふにのとしより、さんじふにあまるまでたもちけるは、ひとへにはせのくわんおんのごりしやうとぞきこえし。さんみのぜんじきられてのち、へいけのしそんはながくたえにけり。P350

平家物語 灌頂卷(くわんぢやうのまき) 総かな版(元和九年本)
「にようゐんごしゆつけ」(『にようゐんしゆつけ』)S1301けんれいもんゐんは、ひんがしやまのふもと、よしだのへんなるところにぞ、たちいらせたまひける。ちうなごんのほふいんきやうゑとまうすならぼふしのぼうなりけり。すみあらしてとしひさしうなりければ、にはにはくさふかく、のきにはしのぶしげれり。すだれたえねやあらはにて、あめかぜたまるべうもなし。はなはいろいろにほへども、あるじとたのむひともなく、つきはよなよなさしいれども、ながめてあかすぬしもなし。むかしはたまのうてなをみがき、にしきのちやうにまとはれて、あかしくらさせたまひしが、いまはありとしあるひとにも、みなわかれはてて、あさましげなるくちばうに、いらせたまひけんおんこころのうち、おしはかられてあはれなり。うをのくがにあがれるがごとく、とりのすをはなれたるがごとし。さるままには、うかりしなみのうへ、ふねのうちのおんすまひも、いまはこひしうぞおぼしめされける。さうはみちとほし、おもひをさいかいせんりのくもによす。はくをくこけふかくして、なんだとうざんいつていのつきにおつ。かなしともいふはかりなし。P351かくてにようゐんは、ぶんぢぐわんねんごぐわつひとひのひ、おんぐしおろさせたまひけり。おんかいのしには、ちやうらくじのあしようばうのしやうにんいんせいとぞきこえし。おんふせには、せんていのおんなほしなり。すでにいまはのときまでも、めされたりければ、そのおんうつりがもいまだうせず、おんかたみにごらんぜんとて、さいこくよりはるばるとみやこまで、もたせたまひたりしかば、いかならんよまでも、おんみをはなたじとこそおぼしめされけれども、おんふせになりぬべきもののなきうへ、かつうはかのおんぼだいのためにもとて、なくなくとりいださせおはします。しやうにんこれをたまはつて、なにとそうすべきむねもなくして、すみぞめのそでをかほにおしあててなくなくごしよをぞまかりいでられける。くだんのぎよいをば、はたに、ぬうて、ちやうらくじのぶつぜんにかけられけるとぞきこえし。にようゐんはじふごにて、にようごのせんじをかうぶり、じふろくにてこうひのくらゐにそなはり、くんわうのかたはらにさぶらはせたまひて、あしたにはあさまつりごとをすすめ、よるはよをもつぱらにしたまへり。にじふににてわうじごたんじやうあつて、くわうたいしにたち、くらゐにつかせたまひしかば、ゐんがうかうぶらせたまひて、けんれいもんゐんとぞまうしける。にふだうしやうこくのおんむすめなるうへ、てんしのこくもにてましませば、よのおもうしたてまつることなのめならず。ことしはにじふくにぞならせましましける。たうりのおんよそほひなほこまやかに、ふようのおんかたちもいまだおとろへさせたまはねども、ひすゐのおんかんざしつけても、なににかは、せさせたまふべきなれば、つひにおんさまをかへさせたまひてげり。うきよをいとひ、まことのみちにいらせたまへども、おんなげきはさらにつきせず。P352ひとびといまはかくとてうみにしづみしありさま、せんてい、にゐどののおんおもかげ、ひしとおんみにそひて、いかならんよに、わするべしともおぼしめさねば、つゆのおんいのちの、なにしにいままでながらへて、かかるうきめをみるらんとて、おんなみだせきあへさせたまはず。さつきのみじかよなれども、あかしかねさせたまひつつ、おのづからうちまどろませたまはねば、むかしのことをばゆめにだにもごらんぜず。かべにそむけるのこんのともしびのかげかすかに、よもすがらまどうつくらきあめのおとぞさびしかりける。しやうやうじんがしやうやうきうにとぢられたりけんかなしみも、これにはすぎじとぞみえし。むかしをしのぶつまとなれとてや、もとのあるじのうつしうゑおきたりけん、はなたちばなのかぜなつかしく、のきちかくかをりけるに、やまほととぎすのふたこゑみこゑおとづれてとほりければ、にようゐん、ふるきことなれども、おぼしめしいでて、おんすずりのふたにかうぞあそばされける。
ほととぎすはなたちばなのかをとめてなくはむかしのひとぞこひしき W093
にようばうたちは、にゐどの、ゑちぜんのさんみのうへのやうに、さのみたけうみづのそこにもしづみたまはねば、もののふのあらけなきにとらはれて、きうりにかへり、おいたるもわかきも、あるひはさまをかへ、あるひはかたちをやつし、あるにもあらぬありさまどもにて、おもひもかけぬたにのそこ、いはのはざまにてぞ、あかしくらさせたまひける。すまひしやどは、みなけぶりとたちのぼりにしかば、むなしきあとのみのこつて、しげきのべとなりつつ、みなれしひとのとひくるもなし。せんかよりかへつて、しちせのまごにあひけんも、かくやとおぼえてあはれなり。P353
「をはらへのじゆぎよ」さんぬるしちぐわつここのかのひのおほぢしんに、ついぢもくづれ、あれたるごしよもかたぶきやぶれて、いとどすませたまふべきおんたよりもなし。りよくいのかんし、きうもんをまもるだにもなし。こころのままにあれたるまがきは、しげきのべよりもつゆけく、をりしりがほに、いつしかむしのこゑごゑうらむるもあはれなり。さるままには、よもやうやうながくなれば、いとどおんねざめがちにて、あかしかねさせたまひけり。つきせぬおんものおもひに、あきのあはれさへうちそひて、いとどしのびがたうぞおぼしめされける。なにごともみなかはりはてぬるうきよなれば、おのづからなさけをかけたてまつるべき、むかしのくさのゆかりもみなかれはてて、たれはぐくみたてまつるべしともおぼえず。(『おほはらいり』)S1302されどもれんぜいのだいなごんたかふさのきやうのきたのかた、しちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうのきたのかたより、しのびつつ、つねはこととひまうされけり。にようゐん、「そのむかし、あのひとどものはぐくみにてあるべしとは、つゆもおぼしめしよらざりしものを」とて、おんなみだをながさせたまひければ、つきまゐらせたるにようばうたちも、みなそでをぞぬらされける。P354このおんすまひも、なほみやこちかくて、たまぼこのみちゆきびとの、ひとめもしげければ、つゆのおんいのちのかぜをまたんほど、うきこときかぬふかきやまの、おくのおくへも、いりなばやとはおぼしめされけれども、さるべきたよりもましまさず。あるにようばうのよしだにまゐつてまうしけるは、「これよりきた、をはらやまのおく、じやくくわうゐんとまうすところこそ、しづかにさぶらへ」とぞまうしける。にようゐん、「やまざとはもののさびしきことこそあんなれども、よのうきよりはすみよかんなるものを」とて、おぼしめしたたせたまひけり。おんこしなどをば、のぶたかたかふさのきたのかたより、おんさたありけるとかや。ぶんぢぐわんねんながつきのすゑに、かのじやくくわうゐんへいらせおはします。みちすがらも、よものこずゑのいろいろなるを、ごらんじすぎさせたまふほどに、やまかげなればにや、ひもやうやうくれかかりぬ。のでらのかねのいりあひのこゑすごく、わくるくさばのつゆしげみ、いとどおんそでぬれまさり、あらしはげしく、このはみだりがはし。そらかきくもり、いつしかうちしぐれつつ、しかのねかすかにおとづれて、むしのうらみもたえだえなり。とにかくにとりあつめたるおんこころぼそさ、たとへやるべきかたもなし。うらづたひしまづたひせしかども、さすがかくはなかりしものをと、おぼしめすこそかなしけれ。いはにこけむして、さびたるところなれば、すままほしくぞおぼしめす。つゆむすぶにはのをぎはらしもがれて、まがきのきくのかれがれに、うつろふいろをごらんじても、おんみのうへとやおぼしけん。ほとけのおんまへにまゐらせたまひて、「てんししやうりやう、じやうどうしやうがく、いちもんばうこん、とんしようぼだい」といのりまうさせP355たまひけり。いつのよにもわすれがたきは、せんていのおんおもかげ、ひしとおんみにそひて、いかならんよにも、わするべしともおぼしめさず。さてじやくくわうゐんのかたはらに、はうぢやうなるおんあんじつをむすんで、ひとまをばぶつしよにさだめ、ひとまをばごしんじよにしつらひ、ちうやてうせきのおんつとめ、ぢやうじふだんのおんねんぶつ、おこたることなくして、つきひをおくらせたまひけり。かくてかみなづきなかのいつかのくれがたに、にはにちりしくならのはを、ものふみならしてきこえければ、にようゐん、「よをいとふところに、なにもののとひくるやらん。あれみよや。しのぶべきものならば、いそぎしのばん」とてみせらるるに、をじかのとほるにてぞありける。にようゐん、「さていかにやいかにや」とおほせければ、だいなごんのすけのつぼねなみだをおさへて、
いはねふみたれかはとはんならのはのそよぐはしかのわたるなりけり W094
にようゐんこのうたあまりにあはれにおぼしめして、まどのこしやうじにあそばしとどめさせおはします。かかるおんつれづれのなかにも、おぼしめしなぞらふことどもは、つらきなかにもあまたあり。のきにならべるうゑきをば、しちぢうほうじゆとかたどれり。いはまにつもるみづをば、はつくどくすゐとおぼしめす。むじやうははるのはな、かぜにしたがつてちりやすく、うがいはあきのつき、くもにともなつてかくれやすし。せうやうでんにはなをもてあそんじあしたには、かぜきたつてにほひをちらし、ちやうしうきうにP356つきをえいぜしゆふべには、くもおほうてひかりをかくす。むかしはぎよくろうきんでんに、にしきのしとねをしき、たへなりしおんすまひなりしかども、いまはしばひきむすぶくさのいほ、よそのたもともしをれけり。
「をはらごかう」(『おほはらごかう』)S1303かかりしほどにほふわうは、ぶんぢにねんのはるのころ、けんれいもんゐんのをはらのかんきよのおんすまひ、ごらんぜまほしうおぼしめされけれども、きさらぎやよひのほどは、あらしはげしうよかんもいまだつきず。みねのしらゆききえやらで、たにのつららもうちとけず。かくてはるすぎなつきたつて、きたまつりもすぎしかば、ほふわうよをこめて、をはらのおくへごかうなる。しのびのごかうなりけれども、ぐぶのひとびとには、とくだいじ、くわざんのゐん、つちみかどいげ、くぎやうろくにん、てんじやうびとはちにん、ほくめんせうせうさぶらひけり。くらまどほりのごかうなりければ、かのきよはらのふかやぶがふだらくじ、をののくわうだいこうぐうのきうせきえいらんあつて、それよりおんこしにぞめされける。とほやまにかかるしらくもは、ちりにしはなのかたみなり。あをばにみゆるこずゑには、はるのなごりぞをしまるる。ころはうづきはつかあまりのことなれば、なつくさのしげみがすゑをわきいらせたまふに、はじめたるごかうなれば、ごらんじなれたるかたもなく、じんせきたえたるP357ほどもおぼしめししられてあはれなり。にしのやまのふもとに、いちうのみだうあり。すなはちじやくくわうゐんこれなり。ふるうつくりなせるせんずゐこだち、よしあるさまのところなり。いらかやぶれてはきりふだんのかうをたき、とぼそおちてはつきじやうぢうのともしびをかかぐとも、かやうのところをやまうすべき。にはのわかぐさしげりあひ、あをやぎいとをみだりつつ、いけのうきぐさなみにただよひ、にしきをさらすかとあやまたる。なかじまのまつにかかれるふぢなみの、うらむらさきにさけるいろ、あをばまじりのおそざくら、はつはなよりもめづらしく、きしのやまぶきさきみだれ、やへたつくものたえまより、やまほととぎすのひとこゑも、きみのみゆきをまちがほなり。ほふわうこれをえいらんあつて、かうぞあそばされける。
いけみづにみぎはのさくらちりしきてなみのはなこそさかりなりけれ W095
ふりにけるいはのたえまより、おちくるみづのおとさへ、ゆゑびよしあるところなり。りよくらのかき、すゐたいのやま、ゑにかくともふでもおよびがたし。さてにようゐんのおんあんじつをえいらんあるに、のきにはつた、あさがほはひかかり、しのぶまじりのわすれぐさ、へうたんしばしばむなし、くさがんゑんがちまたにしげし、れいでうふかくさせり、あめげんけんがとぼそをうるほすともいつつべし。すぎのふきめも、まばらにて、しぐれもしももおくつゆも、もるつきかげにあらそひて、たまるべしともみえざりけり。うしろはやま、まへはのべ、いざさをざさにかぜさわぎ、よにたたぬみのならひとて、うきふししげきたけばしら、みやこのかたのことづては、まどほにゆへるませがきや、わづかにこととふものとては、みねにこづたふさるのこゑ、しづがつまぎのをののP358おと、これらがおとづれならでは、まさきのかづら、あをつづら、くるひとまれなるところなり。
ほふわう、「ひとやある、ひとやある」とめされけれども、おんいらへまうすものもなし。ややあつておいおとろへたるあまいちにんまゐりたり。「にようゐんはいづくへごかうなりぬるぞ」とおほせければ、「このうへのやまへはなつみにいらせたまひてさぶらふ」とまうす。「さこそよをいとふおんならひといひながら、さやうのことにつかへたてまつるべきひともなきにや、おんいたはしうこそ」とおほせければ、このあままうしけるは、「ごかいじふぜんのおんくわはうつきさせたまふによつて、いまかかるおんめをごらんぜられさぶらふにこそ。しやしんのぎやうに、なじかはおんみををしませたまひさぶらふべき。いんぐわきやうには、『よくちくわこいん、けんごげんざいくわ、よくちみらいくわ、けんごげんざいいん』ととかれたり。くわこみらいのいんぐわを、かねてさとらせたまひなば、つやつやおんなげきあるべからず。むかししつだたいしは、じふくにてがやじやうをいで、だんどくせんのふもとにて、このはをつらねてはだへをかくし、みねにのぼつてたきぎをとり、たににくだりてみづをむすび、なんぎやうくぎやうのこうによつてこそ、つひにじやうとうしやうがくしたまひき」とぞまうしける。このあまのありさまをごらんずれば、みにはきぬぬののわきもみえぬものを、むすびあつめてぞきたりける。あのありさまにても、かやうのことまうすふしぎさよとおぼしめして、「そもそもなんぢはいかなるものぞ」とおほせければ、このあまさめざめとないて、しばしは、おんぺんじにもおよばず。ややあつてなみだをおさへて、「まうすにつけてはばかりおぼえさぶらへども、こせうなごんにふだうしんせいがむすめ、あはのないしとまうすものにてさぶらふなり。P359はははきのにゐ、さしもおんいとほしみふかうこそさぶらひしに、ごらんじわすれさせたまふにつけても、みのおとろへぬるほどおもひしられて、いまさらせんかたなうこそさぶらへ」とて、そでをかほにおしあてて、しのびあへぬさま、めもあてられず。ほふわう、「げにもなんぢは、あはのないしにてあるござんなれ。ごらんじわすれさせたまふぞかし。なにごとにつけても、ただゆめとのみこそおぼしめせ」とて、おんなみだせきあへさせたまはねば、ぐぶのくぎやうてんじやうびとも、ふしぎのことまうすあまかなとおもひたれば、ことわりにてまうしけりとぞ、おのおのかんじあはれける。
さてかなたこなたをえいらんあるに、にはのちぐさつゆおもく、まがきにたふれかかりつつ、そとものをだもみづこえて、しぎたつひまもみえわかず。さてにようゐんのおんあんじつへいらせおはしまし、しやうじをひきあけてえいらんあるに、ひとまにはらいかうのさんぞんおはします。ちうぞんのみてには、ごしきのいとをかけられたり。ひだんにふげんのゑざう、みぎにぜんだうくわしやう、ならびにせんていのみえいをかけ、はちぢくのめうもん、くでふのごしよもおかれたり。らんじやのにほひにひきかへて、かうのけぶりぞたちのぼる。かのじやうみやうこじの、はうぢやうのしつのうちに、さんまんにせんのゆかをならべ、じつぱうのしよぶつをしやうじたまひけんも、かくやとぞおぼえける。しやうじにはしよきやうのえうもんども、しきしにかいてところどころにおされたり。そのなかにおほえのさだもとぼつしが、せいりやうぜんにしてえいじたりけん、「せいがはるかにきこゆこうんのうへ、しやうじゆらいかうすらくじつのまへ」ともかかれたり。すこしひきのけて、にようゐんのぎよせいとおぼしくて、P360
おもひきやみやまのおくにすまひしてくもゐのつきをよそにみんとは W096
さてかたはらをえいらんあるに、ぎよしんじよとおぼしくて、たけのおんさをに、あさのおんころも、かみのふすまなんどかけられたり。さしもほんてうかんどのたへなるたぐひかずをつくし、りようらきんしうのよそほひも、さながらゆめにぞなりにける。ほふわうおんなみだをながさせたまへば、ぐぶのくぎやうてんじやうびとも、まのあたりみたてまつりしことども、いまのやうにおぼえて、みなそでをぞしぼられける。ややあつてうへのやまより、こきすみぞめのころもきたりけるあまににん、いはのかけぢをつたひつつ、おりわづらひたるさまなりける。ほふわう、「あれはいかなるものぞ」とおほせければ、らうになみだをおさへて、「はながたみひぢにかけ、いはつつじとりぐして、もたせたまひてさぶらふは、にようゐんにてわたらせたまひさぶらふ。つまぎにわらびをりそへてもちたるは、とりかひのちうなごんこれざねがむすめ、ごでうのだいなごんくにつなのやうじ、せんていのおんめのと、だいなごんのすけのつぼね」とまうしもあへずなきけり。ほふわうおんなみだをながさせたまへば、ぐぶのくぎやうてんじやうびとも、みなそでをぞぬらされける。にようゐんは、よをいとふおんならひといひながら、いまかかるありさまをみえまゐらせんずらんはづかしさよ、きえもうせばやとおぼしめせどもかひぞなき。よひよひごとのあかのみづ、むすぶたもともしをるるに、あかつきおきのそでのうへ、やまぢのつゆもしげくして、しぼりやかねさせたまひけん。やまへもかへらせたまはず、またおんあんじつへもいらせおはしまさず、P361あきれてたたせましましたるところに、ないしのあままゐりつつ、はながたみをばたまはりけり。
「ろくだう」(『ろくだうのさた』)S1304「よをいとふおんならひ、なにかくるしうさぶらふべき。はやはやおんげんざんあつて、くわんぎよなしまゐらさせさぶらへ」とまうしければ、にようゐんおんなみだをおさへて、おんあんじつにいらせおはします。「いちねんのまどのまへには、せつしゆのくわうみやうをごし、じふねんのしばのとぼそには、しやうじゆのらいかうをこそまちつるに、おもひのほかのごかうかな」とて、おんげんざんありけり。ほふわうこのおんありさまをえいらんあつて、おほせなりけるは、「ひさうのはちまんごふ、なほひつめつのうれへにあひ、よくかいのろくてん、いまだごすゐのかなしみをまぬかれず。きけんじやうのしようめうのらく、ちうげんぜんのかうだいのかく、ゆめのうちのくわはう、またまぼろしのあひだのたのしみ、すでにるてんむぐうなり。しやりんのめぐるがごとし。てんにんのごすゐのかなしみ、にんげんにもさふらひけるものかな。さるにてもたれかこととひまゐらせ(さふらふ)。なにごとにつけても、さこそいにしへをのみこそおぼしめしいづらめ」とおほせければ、にようゐん、「いづかたよりもおとづるることもさぶらはず。のぶたかたかふさのきやうのきたのかたより、たえだえまうしおくることこそさぶらへ。そのむかしあのひとどものP362はぐくみにてあるべしとは、つゆもおぼしめしよらざりしものを」とて、おんなみだをながさせたまへば、つきまゐらせたるにようばうたちも、みなそでをぞぬらされける。ややあつてにようゐんなみだをおさへてまうさせたまひけるは、「いまかかるみになりさぶらふことは、いつたんのなげきまうすにおよびさぶらはねども、ごしやうぼだいのためには、よろこびとおぼえさぶらふなり。たちまちにしやかのゆゐていにつらなり、かたじけなくもみだのほんぐわんにじようじて、ごしやうさんじゆうのくるしみをのがれ、さんじにろくこんをきよめて、ひとすぢにくほんのじやうせつをねがひ、もつぱらいちもんのぼだいをいのり、つねにはしやうじゆのらいかうをごす。いつのよにもわすれがたきは、せんていのおんおもかげ、わすれんとすれどもわすられず、しのばんとすれどもしのばれず。ただおんあいのみちほど、かなしかりけることはなし。さればかのごぼだいのために、あさゆふのつとめおこたることさぶらはず。これもしかるべきぜんぢしきとおぼえさぶらふ」とまうさせたまへば、ほふわうおほせなりけるは、「それわがくにはそくさんへんどなりといへども、かたじけなくもじふぜんのよくんにこたへ、ばんじようのあるじとなり、ずゐぶんひとつとしてこころにかなはずといふことなし。なかんづくぶつぽふるふのよにむまれて、ぶつだうしゆぎやうのこころざしあれば、ごしやうぜんしようたがひあるまじきことなれば、にんげんのあだなるならひ、いまさらおどろくべきにはさふらはねども、おんありさまみまゐらせさふらふに、せんかたなうこそさふらへ」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。
にようゐんかさねてまうさせたまひけるは、「わがみへいしやうこくのむすめとして、てんしのこくもとなりしかば、いつてんしかいはみなたなごころのままなりき。さればはいらいのはるのはじめより、いろいろのP363ころもがへ、ぶつみやうのとしのくれ、せふろくいげのだいじんくぎやうにもてなされしありさまは、ろくよくしぜんのくものうへにて、はちまんのしよてんにゐねうせられさぶらふらんやうに、ひやくくわんことごとくあふがぬものやさぶらひし。せいりやうししんのゆかのうへ、たまのすだれのうちにもてなされ、はるはなんでんのさくらにこころをとめて、ひをくらし、きうかさんぷくのあつきひは、いづみをむすんでこころをなぐさみ、あきはくものうへのつきを、ひとりみんことをゆるされず。けんとうそせつのさむきよは、つまをかさねてあたたかにす。ちやうせいふらうのじゆつをねがひ、ほうらいふしのくすりをたづねても、ただひさしからんことをおもへり。あけてもくれても、たのしみさかえさぶらひしこと、てんじやうのくわはうも、これにはすぎじとこそおぼえさぶらひしか。さてもじゆえいのあきのはじめ、きそよしなかとかやにおそれて、いちもんのひとびと、すみなれしみやこをば、くもゐのよそにかへりみて、ふるさとをやけのがはらとうちながめ、いにしへはなをのみききし、すまよりあかしのうらづたひ、さすがあはれにおぼえて、ひるはまんまんたるたいかいに、なみぢをわけてそでをぬらし、よるはすざきのちどりとともになきあかす。うらうらしまじま、よしあるところをみしかども、ふるさとのことはわすられず。かくてよるかたなかりしは、ごすゐひつめつのかなしみとこそおぼえさぶらひしか。およそにんげんのことは、あいべつりく、をんぞうゑく、しくはつく、ともにひとつとして、わがみにしられて、のこるところもさぶらはず。さてもちくぜんのくにださいふとかやについて、すこしこころをのべしかば、これよしとかやにくこくのうちをもおひいだされ、さんやひろしといへども、たちよりやすむべきところもなし。おなじあきのくれにもなりしかば、むかしはここのへのくものうへにてみしつきを、やへのP364しほぢにながめつつ、あかしくらしさぶらひしほどに、かみなづきのころほひ、きよつねのちうじやうが、『みやこをばげんじがためにせめおとされ、ちんぜいをばこれよしがためにおひいださる。あみにかかれるうをのごとし。いづくへゆかばのがるべきかは。ながらへはつべきみにもあらず』とて、うみにしづみさぶらひし。これぞうきことのはじめにてはさぶらひしか。なみのうへにてひをくらし、ふねのうちにてよをあかす。みつぎものもなければ、ぐごをそなふることもなく、たまたまぐごをそなへんとすれども、みづなければまゐらず。たいかいにうかむといへども、うしほなればのむことなし。これまたがきだうのくるしみとこそおぼえさぶらひしか。かくてむろやまみづしまにかどのいくさにかちしかば、いちもんのひとびと、すこしいろなほつてみえさぶらひしかば、つのくにいちのたにとかやに、じやうくわくをかまへ、おのおのなほしそくたいをひきかへて、くろがねをのべてみにまとひ、あけてもくれても、いくさよばひのこゑのたゆることもなかりしは、しゆらのとうじやう、たいしやくのあらそひも、これにはすぎじとこそおぼえさぶらひしか。いちのたにをせめおとされてのち、おやはこにおくれ、めはをつとにわかる。おきにつりするふねをば、かたきのふねかときもをけし、とほきまつにしろきさぎのむれゐるをみては、げんじのはたかとこころをつくす。かくてもんじあかまだんのうらのいくさ、すでにけふをかぎりとみえしかば、にゐのあまなくなくまうしさぶらひしは、『このよのなかのありさま、いまはかうとおぼゆるなり。こんどのいくさに、をのこのいのちのいきのこらんことは、せんまんがひとつもありがたし。たとひまたとほきゆかりは、おのづからいきのこることありといふとも、わらはがごしやうとぶらはんこともありがたし。むかしよりをんなはころさぬP365ならひなれば、いかにもしてながらへて、しゆしやうのおんぼだいをとぶらひ、われらがごしやうをもたすけたまへ』とまうしさぶらひしを、ゆめのここちしておぼえさぶらひしほどに、かぜたちまちにふき、ふうんあつくたなびき、つはものどものこころをまどはし、てんうんつきて、ひとのちからにもおよびがたし。すでにかうとみえしかば、にゐのあませんていをいだきまゐらせて、ふなばたにいでしとき、あきれたるおんありさまにて、『そもそもあまぜ、われをばいづちへぐしてゆかんとするぞ』とおほせければ、にゐのあま、なみだをはらはらとながいて、いとけなききみにむかひまゐらせて、『きみはいまだしろしめされさぶらはずや。ぜんぜのじふぜんかいぎやうのおんちからによつて、いまばんじようのあるじとはむまれさせたまへども、あくえんにひかれて、ごうんすでにつきさせたまひさぶらひぬ。まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐうふしをがませおはしまし、そののちさいはうじやうどのらいかうにあづからんと、ちかはせおはしまして、おんねんぶつさぶらふべし。このくにはそくさんへんどとまうして、こころうきさかひにてさぶらふ。あのなみのそこにこそ、ごくらくじやうどとまうして、めでたきみやこのさぶらふ。それへぐしまゐらせさぶらふぞ』と、やうやうになぐさめまゐらせしかば、やまばといろのぎよいにびんづらゆはせたまひて、おんなみだにおぼれ、ちひさううつくしきおんてをあはせ、まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐうにおんいとままうさせたまひ、そののちにしにむかはせたまひて、おんねんぶつありしかば、にゐのあませんていをいだきまゐらせて、うみにしづみしありさま、めもくれ、こころもきえはてて、わすれんとすれどもわすられず。しのばんとすれどもしのばれず。かくていきのこりたるものどもの、をめきさけびしありさまは、けうくわん、P366だいけうくわん、むげんあび、ほのほのそこのざいにんも、これにはすぎじとこそおぼえさぶらひしか。さてもののふどものあらけなきにとらはれて、のぼりさぶらひしほどに、はりまのくにあかしのうらとかやについて、ちとまどろみたりしゆめに、むかしのだいりにははるかにまさりたるところに、せんていをはじめまゐらせて、いちもんのげつけいうんかく、おのおのゆゆしげなるれいぎどもにてなみゐたり。みやこをいでてのち、いまだかかるところをみず。『ここをばいづくといふぞ』ととひさぶらひしかば、にゐのあまこたへまうしさぶらひしは、『りうぐうじやうとまうすところなり』。『さてはめでたきところかな。このくににくはなきやらん』ととひさぶらひつれば、『りうちくきやうにみえてさぶらふ。ごせよくよくとぶらはせたまへ』とまうすとおぼえてゆめさめぬ。そののちはいよいよきやうよみねんぶつして、かのおんぼだいをとぶらひたてまつる。これひとへにろくだうにたがはじとこそおぼえさぶらへ」とまうさせたまへば、ほふわうおほせなりけるは、「いこくのげんざうさんざうは、さとりのまへにろくだうをみき。わがてうのにちざうしやうにんは、ざわうごんげんのおんちからによつて、ろくだうをみたりとこそうけたまはれ。まのあたりごらんぜられけるこそ、ありがたうさふらへ」とぞおほせける。P367
「ごわうじやう」(『にようゐんしきよ』)S1305さるほどにじやくくわうゐんのかねのこゑ、けふもくれぬとうちしられ、せきやうにしにかたぶけば、おんなごりはつきせずおぼしめされけれども、おんなみだをおさへて、くわんぎよならせたまひけり。にようゐんはいつしかむかしをやおぼしめしいださせたまひけん、しのびあへぬおんなみだに、そでのしがらみせきあへさせたまはず。おんうしろをはるかにごらんじおくつて、くわんぎよもやうやうのびさせたまへば、おんあんじつにいらせたまひて、ほとけのおんまへにむかはせたまひて、「てんししやうりやう、じやうとうしやうがく、いちもんばうこん、とんしようぼだい」と、いのりまうさせたまひけり。むかしはまづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐう、しやうはちまんぐうふしをがませおはしまし、「てんしはうさんせんしうばんぜい」とこそいのりまうさせたまひしに、いまはひきかへて、にしにむかはせたまひて、「くわこしやうりやう、かならずいちぶつどへ」と、いのらせたまふこそかなしけれ。にようゐんはいつしかむかしこひしうもやおぼしめされけん。おんあんじつのおんしやうじに、かうぞあそばされける。
このごろはいつならひてかわがこころおほみやびとのこひしかるらん W097
いにしへもゆめになりにしことなればしばのあみどもひさしからじな W098 
P368またごかうのおんともにさぶらはれける、とくだいじのさだいしやうさねさだこう、おんあんじつのはしらに、かきつけられけるとかや。
いにしへはつきにたとへしきみなれどそのひかりなきみやまべのさと W099
にようゐんはこしかたゆくすゑの、うれしう、つらかりしことども、おぼしめしつづけて、おんなみだにむせばせたまふをりふし、やまほととぎすのふたこゑみこゑおとづれてとほりければ、にようゐん、
いざさらばなみだくらべんほととぎすわれもうきよにねをのみぞなく W100
そもそもだんのうらにて、いけどりにせられたりけるにじふよにんのひとびと、あるひはかうべをはねておほちをわたされ、あるひはさいしにわかれてをんるせらる。いけのだいなごんのほかは、いちにんもいのちをいけてみやこにおかず。しじふよにんのにようばうたちのおんことは、なんのさたにもおよばず。しんるゐにしたがひ、しよえんについてぞましましける。しのぶおもひはつきせねども、さてこそなげきながらもすごされけれ。かみはたまのすだれのうちまでも、かぜしづかなるいへもなく、しもはしづがふせやのうちまでも、ちりをさまれるやどもなし。まくらをならべしいもせも、くもゐのよそにぞなりはつる。やしなひたてしおやこも、ゆきかたしらずわかれけり。これはにふだうしやうこく、かみはいちじんをもおそれず、しもはばんみんをもかへりみず、しざいるけい、げくわんちやうにん、おもふさまにつねにおこなはれしがいたすところなり。さればふそのぜんあくは、かならずしそんにおよぶといふことはうたがひなしとぞみえける。かくてにようゐんはむなしうとしつきをおくらせたまふほどに、れいならぬおんここちいできさせたまひて、P369うちふさせたまひしが、ひごろよりおぼしめしまうけたるおんことなれば、ほとけのみてにかけられたりける、ごしきのいとをひかへつつ、「なむさいはうごくらくせかいのけうしゆ、みだによらい、ほんぐわんあやまちたまはずは、かならずいんぜふしたまへ」とて、おんねんぶつありしかば、だいなごんのすけのつぼね、あはのないし、さうにさぶらひて、いまをかぎりのおんなごりのをしさに、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。おんねんぶつのおんこゑ、やうやうよわらせましましければ、にしにしうんたなびき、いぎやうしつにみちて、おんがくそらにきこゆ。かぎりあるおんことなれば、けんきうにねんにんぐわつちうじゆんに、いちごつひにをはらせたまひけり。ににんのにようばうたちは、きさいのみやのおんくらゐよりつきまゐらせて、かたときもはなれまゐらせずしてさぶらはれしかば、わかれぢのおんときも、やるかたなくぞおもはれける。このにようばうたちは、むかしのくさのゆかりも、みなかれはてて、よるかたもなきみなれども、をりをりのおんぶつじ、いとなみたまふぞあはれなる。このひとびとも、つひにはりうによがしやうがくのあとをおひ、ゐだいけぶにんのごとくに、みなわうじやうのそくわいをとげけるとぞきこえし。



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