『書物往来』第三年第二号(通巻第十六冊)(大正15年2月8日)に、
帝国図書館問題
として、図書館問題が綴られている。筆者名の記載がないが、編輯人・石川巌であろうか。
当時の帝国図書館はかなり混んではいるものの、日曜も開館していたようだ。国会図書館は昭和・平成と次第に利用しやすくなっているが、日曜閉館なのが困る。いつか日曜も開館となるのであろうか。
昭和時代は、昼休みに出納が停止した。今は昼でも本が出てくる。これはよいことだ。
また電子書籍形式が増えたので、入館者が減り、混雑しなくなったのもよい。
コピーが1枚25円もするのはけしからん。昭和40年代から25円で変わっていないというのもオカシイ。関西館ではセルフコピーができ、15円で済む。電子書籍のプリントも15円だ。普通のコピーも15円ぐらいにすべきだろう。
以下、引用。



   帝国図書館問題
     (今は特別閲覧室と特許券の手続に就て)

 帝国図書館の満員続きは昨今始まつた事ではない遠く大正の初年若くは明治四十年前後からの現象であつたと記憶してゐる。特に震災後は一層酷い状態であるらしい。四五年前迄は日比谷図書館抔はいつでも這入れたものであつたが、昨今はそれすら大入満員続きであるとの事、国家文教の為め、好学風を為すとは結構なことで、何を措いても図書館万歳を叫ばざるを得ない。
 論より証拠最近東朝『鉄箒欄』の報ずる所に拠れば、

上野でも日比谷でも、入館しやうと思へば門前に一時間以上の番号札を握つて立つことを覚悟せねばならぬ。若し日曜や祭日に行かうものなら、三時間以上は何うしても待つ。筆者は最近の日曜に上野図書舘で午前十一時から午後三時半まで待つて遂に入館出来ずに帰宅した。外国の何処でも見られぬ珍現象である。結局収容力が足らぬためであるから、何とか拡張の方法を執つて貰ひたい。又その拡張の出来る迄応急処置として、待合室を設くる必要がある。其寒空に屋外に立つて数時間を待つことは何といつてもひどい。いつの何時でも屋外に待つてゐる数十人に対して二三のべンチはあゐが、そのあるのは大抵番号呼込の聞えない所で、こんな所に腰かけて待つて居たら永久に入れない。

又別人の同欄投書に

一時間も二時間も待たなければ入れないほどの入館志望者の悉くが図書舘所蔵の図書を閲覧に来るものとは思へない。周囲が騒がしいとか下宿がうるさいとか家庭に来客があるとかで入館するものもあらう。又図書館気分にひたつて勉強するとき自分の書斎においてよりはるかに能率のあがる場合もあらう。かういふ人々にとつては国書を借出す事は必ずしも必要としない。たゞ心静かに読書することが出来ればよいのだ。つまりイスが必要なのだ。国書館所蔵の国書はあつてもなくても差支ないのだ。所が一方研究の都合上どうしても見なければならぬものがある。しかもそれがどこにでもざらにあゐものとちがひ、そこでなければ天下何処にもないといふ様な貴重な資料である場合がある。それがイスだけを必要とする人によつて席を占有せられ、為に入館出来ぬとあつては余憤とか何だかで片付けるわけにはゆかぬ。今の図書館は研究室であり、読書室である。故に現在の図書館をもつと拡張するか読書室のみを市内各地に建築をするか、それぞれの専門の研究所をもつと増すか、要するに今の図書館の欠陥はそこにある。

 両者の言は当事者に取つては、耳に蛸のよつてる位聞き古したよまい言としか思つて居ないかも知れない。いや実際然うでないにしても、世間からは然うとしか思はれない程、左様に憤慨の唾を吐懸けられて居る。古い古い前の田中館長に代つて、今の松本新館長が神輿を据ゑてからでも、モウ四五年は経つて居る。年も若いし頭脳も新しい筈の新館長が、後生大事と御役目に欠点のないやうに、フンベンされることは、吾人も察知し得られない事もないが、人間は百年も二百年も活きられるものではない。人は一代、名は末代、其の職に在るからは、百年河清を待たず、一つ社会の為め、国家の為め、その一身を賭してもその天分の職責を遂行される勇気は出ぬものか。ほんの申訳的、人気取的、客引的に、年一二回の展覧会位でお茶を濁して居るよりか、もツともツと喫緊的な拡張なり改造なりの事業が、焦眉の急に迫つて居る筈だ。図書館の使命がたゞ図書を保管する丈ならば―死蔵する丈ならば―何も申上げることはない。苟くも弘く天下の読書子の為に便宜を与へ文化の進展に資することを第一義としなければ、図書館存在の意義を有たない。随つて社会の為にも国家の為にも偉大の効益を助長する目的は達せられない訳である。貴重な光陰を幾十人の読書子が、毎日々々幾時間も幾時間も空費することは、一年に積つても莫大な損失で、折角入館して読破し得る若干人の利益を相殺して差引ゼロになるばかりだ。それが為に間接社会国家の収穫はフイになつて、知識の不公平―賢不肖の懸隔―が出来る訳で。大に図書館の価値を引下げる。建築に輪奐の美があつても、当事者に立派な人物が居ても、内容に不備不完全の欠陥があつては、尊ぶべき図書館は遂に呪ひの標的となるが当然であらう。こゝで館長閣下が一番その天分の職責を社会国家の為に自覚されて、明日にも御自分で読書子の身になり代り、毎日数時間館外の吹晒しの庭上で、あくびの百なり百五十なりを連発して、その不平不満の気分に陶酔し体験されんことをお勧めしたい。昔の最明寺時頼や水戸の黄門公を引合に出すまでもない、厚い外套にくるまつてさうして暖房ストーブの温気に顔を赤める時間があるなら、一つ館外の立ずくみ連中と出会つて、苦情や悲鳴の百曼陀羅を聴いて顔を赤くする方が、真味で頼もしい訳である。所謂民意上達の本旨にも適ひ御役人冥加にも適ふ訳であらう。
 茲に一例を挙げると、一体閲覧室に普通と特別との差別があるのは、何ういふ理由であるか。読書子に取つては、本来平等であつて、特別だの普通だのといふ差別待遇をされる理由はない筈である。我々は図書その物には確に特別と普通との種別が立てられることに異存はない。それは特別に取扱ふものゝ稀本貴重本のあることは素より承知、それで特別室のあることも御尤もに心得て居る、特別室でなければ閲覧を許されない理由も諒解して居る。処が実際は何うであらう、普通扱ひの図書のみを閲覧する者でも、特別券を買へば特別室を占領して悠々と平凡な雑誌や活版本を見て、一日を消して居る。一方には折角他所で見られない特別扱の図書の閲覧を心懸けて詰懸けた読書子の為には、幾度行つても見得られない悲惨な事実を毎日々々続けられて居る。是は実に見るに忍びぬ痛恨事である。現在の設備では定めし不便でもあらうが、一つ特別室は特別扱の図書のみに限ることにしてはどうであらうか。かくすれば特別室での閲覧者の切上げも早くなり、幾分か閲覧者の交替も数多く出来るだらうし、又普通室の閲覧者も殖えるだらうが、之を取拡げるにしても設備が簡易で済むことで、可燃質の建物でも間に合ふし夏向などは宅地にテント張をしても済むむことであらうと思はれる。
 それから今一つは特許帯出の手続を今少し簡便にするがよい。今の処では市内に土地なり家屋なりを所有する者を保証人にといふ規則があつて、是を実際に行ふには、先づ保証人の署名調印を取り、之を区役所へ持つて行つて証明を受け、それから図書館へ持込むまでには却々の時間と手数を要する。そして是が一年毎に繰返されるので、昨今の市内来住者などには迚も思ひも寄らぬ不便さであゐ。こんなに窮屈な制度を設けずとも、例へば納税高でゞも標準を取つて保証人資格とするか、名誉職なり公職に従事する紳士を保証人とするか位に改正してはどうか。そして五年十年の間何等の欠点もなく貸出を続けて居る者には、信用してその手続を簡略にしたら、大に助かると思ふが、どんなものであらう。現在の貸出法規は図書館開闢以来の旧規を後世大事に守つてゐるものである。愚老の如きは図書館通ひを開始して三十年、特許帯出許可されて約十年其間何等過失はなかつた。大正十三年以来は本誌を毎号献納しろとの御命令をさへ甘んじて受けてゐる。無論図書館所蔵の図書閲覧のお蔭を蒙つてはゐるが、これとて別に一般閲覧者と同様恩義を云々すべき筋はない。。要するにかゝる永年の通覧者には特別待遇法を講じて然るべきだと思ふ。
 それと今一つ、大々至急に改善を願ひたいのは、図書抽出の敏捷ならんことを希望する。試に閲覧申込の書面を提出すると、ボーイが書庫へ持込んだなり、容易に出て来ない。やつと持つて来る時間は大抵早くて三十分を要する、遅ければ一時間もボンヤリ待つて居なければならぬ。仮に館外で三時間を待呆け、中で一時間、都合四時間は誰でも空費する覚悟でなければ、希望の図書には有付けない。(兎もすると実際現存してゐる本でもボーイの未熟の結果見落しをしてゐて、二回目には目的の書籍が現れて来る場合が幾度あつたか知れない。)こんな不便は実際悲鳴を挙げざるを得ない。それも図書の抽出に経験のある者を使へば、熟練の結果は容易に改良せられる筈だ。それに待過の悪いせいか、始終新米ばかりになつて、却々書架の番号をさへ覚え切れない中に出てしまふから、いつも未熟者ばかり詰めて居て、おまけに小人数でやるから、一向進歩の蹟が見えない。如何に経費が足らぬからといつて、こんな事で国家の事業だと澄まして居られるものではない。世界的の大切な文化を掌つて居る連中が如斯因循姑息優柔不断では読書子は困る。社会といふこと、国家といふことを頭に置いて、主張すべき意見は飽くまでも主張して遂行せねばならぬ。図書館拡張の議に就ては天下に後援者はうようよしてゐる。何でも輿論を後楯にして進めば貫徹しないことはない。官僚気質や、奉公人根性では、到底天分の職責を果すことは出来ない。任期の長からんことは能事でない、功績を挙げることに留意したらば、着々と成るべき事業だ。外間から図書館の人を見ると、一向に活気といふものがない。受付は威張ることを役徳と心得職員はお座なりやら胡麻化しを秘訣と心得て居る。茲に活気のないのは、館内の室気が悪いか、館長の臧否が偲ばれる。一つ館長閣下の猛省を祈る。
 如斯に不備不完仝だらけな図書館が我が国唯一の官立図書館である。我が国に於ける回書館事業の微々として振はざるも亦所以ある哉である。
 まだ書けばいくらでも書くことはあるが、せめて主脳である所の館長御自身で堂々と改良の意見でも発表されて、天下の輿論を喚起されては何うか。勿論それが館の為でもあり、一般の読書子の為でもあり、国家の為でもあり、社会の為でもある。引込思案では遂に大成の期は接近せぬであらうことを呈言する。
(『書物往来』第三年第二号。大正15年2月8日)



これに関連して、『書物往来』第三年第三号(通巻第十七冊)(大正15年3月18日)では、痴苦呆郎なる人物が
帝国図書館問題と拙者の感想
という文章を寄せている。
以下、引用。


帝国図書館問題と拙者の感想
               痴苦呆郎

      ◇
 帝国図書綰に対する忌憚なき往来子の議論、誠に面白く拝見。小生も至極同感にて、いつか一度は言つて置きたいと思つた事を、残らずブチまけて頂いたやうな気がして、胸中の痞塞が一時に、発散したやうに思ひました。
 しかし、今は特別閲覧室と特許券の手続に就てといふ前置きがしてあつただけに、あれだけでは勿論問題も議論も尽きては居りません。顕微鏡で見なければ分らぬやうな我々風情にでも、言つて見たい事は、まだ沢山に持ち合せて居るのであります。お取り上げになる、ならないは向ふ様の勝手であると共に、言ふのも随意である筈ときめてかゝれば、誰れに憚るところも莫いわけです。
      ◇
 私が初めて上野の図書館へ通ひ出したのは、今から二十四五年も前の事で、ズイ分古いことです。今のやうな堂々たる建物ではなく、入口が音楽学校と向ひ合せになり、植込みの多い庭を入つて、突き当りの受付を通ると階下が普通閲覧室、二階が確か半分だけ特別閲覧室になつてゐたやうに記憶して居る。この時分からして既に入場難があつて、我等は毎々館外に待ち呆けを喰はされたものです。
 朝、かなり早く出懸けたつもりであつても、館外にはいつも十人二十人と、番号札を持つた御難組がソココヽに聚落を造つて居るといつた有様。それが現今のやうに膨脹しても、同じ状態であるとは驚くの他はありません。我等の商売が、アの様に流行つたらばと思ふことは、毎日です。
      ◇
 ところが驚くことは、待つこと数時間にして漸く呼び込まれて、入つて見ると、案外に空席がある。上等下等を通じていつも多少の空席がある、表には数十人の篤学家が詰めかけてゐるのに、三十分に一人、一時間に一人か二人しか呼び込まないのは、ドウいふ訳か。
 中には席を離れて、食堂にでもいつて居るのであろうと思ふと、決して然うではない本当の空席であつたりするのを見出しては、いつも、係りの人が今少し親切と、同情とがあつたらと思つた事が、一度や二度では莫かつたのです。
 収容力を増すといふ根本の問題にタツチするまでもなく、館内に於ける係りの人達の、頭の改造を計るといふ事が最先、最急要の事では莫らうかと思ふのです。
      ◇
 関西方面へ引越してからも、時々上京する毎に、上野の礼讃だけは欠かさぬといふ信心家の小生は、往来子の謂ゆる館外吹晒しの庭上で、あくびの百なり百五十なりを連発した揚句、痺れをきらして空しく帰つた事もあり、辛と入場はしたが閉館までに時間が少なく、調べやうと思つた事の十分の一をも達し得ずして、出たといふ馬鹿気た御難にも、度々逢ふてゐます。
 此点は何とか、御改良を願ひ度いものだ。小生等のやうに夫れこそ百里を遠しとせずして(勿論ついでではあるが)出懸けるものには、予定を狂はせられる事が屢々あつて、もう上野はコリゴリだといふ引込思案にもならざるを得ぬのであります。
      ◇
 この引込思案が、大きく言へば文化の逆進でせう。苟くも弘く天下の読書子の為に便宜を与へ文化の進展に資することを第一義としなければ、図書館存在の意義を有たない。と往来子が道破せられた事を本として申さば、明かに文化逆進図書館といふ結論になりはしませぬか。
      ◇
 今一つ申し度い事がある。他でも無い、靴を穿いて居ても脱がせられるといつた不便である。
 地上から直ぐさま入場の出来る構造でありながら穴蔵のやうな所ヘー度は必ずもぐらせられる。(註 最近穴蔵の拝観丈は免れた)ズイ分手数のかゝる話である。勿論、多数者の中には、金具をベタベタ打つけた土方靴もあらう、泥だらけの兵隊靴もあらうが、カバーでも掛けたら、読書の妨げになる音もすまいし、リノリウムに傷の今く心配もありますまい。
 一ところ、入口のところで靴の裏をあらためて通したりした事もあつたが、今は十把一束式に、土方靴も紳士靴も取締らるゝ事となつたのは、之れが本当のデモクラ式と云ふかも知れない。
      ◇
 俳人の牧野望東さんが司書として出て居られた頃本文の筆者は盛んにお百度を踏んだものですが、その頃の給仕諸君が大方立派な役人になつて居られ、現在の館童には思ひ遣りがあるとでもいふのか、ドウも図書の抽き出し方が鈍い、親切気が足りないと思はれても、十年一日、更に進歩遷善のあとを認めることがききないのは、既に往来子も痛言せられた通りで入場の度毎に、小生は不愉快な思ひをさせられるのである。
 望東さんは幽門狭窄症で数年前、渋谷の赤十字社病院で手術を受け(小生は手術を受けらるゝ事に反対した一人であつた)クロロフオルムが醒めず了ひになつて、歿せられた。入院する間際に
   入院の日や古暦焚きすてゝ
といふ句を端書のはしに書いて寄越され、更に、手術の日が決定するや
   君が幸借らばやわれも河豚汁
といふ句を寄せられたが、これが計らず永訣の句となり、今では悲しい思出のたねとなつて手許に残つて居ります。牧野さんは司書として理想的の素質を持つた方だと思つてゐました。
      ◇
 上野では毎度、色んなことを感じさせられたり、不愉快な思ひをさせられたり、斯うもしたら好からう、あゝも為たら便利であらうとも思つたりしましたが、結局、我等の力では到底及びもつかない偉大な占有者であるといふ所から、いつも不愉快や不都合を忍び、腹の虫を抑へに圧へて或る程度の恩恵を被むることに、満足して来たわけです。
 併し理屈を言へば、占有者は占有して居るが故に占有を誇り得るのではない、限られたる占有物を無限大に利用し拡充する所に、価値があり、生命があり、特長があるのだと思ひます。唯一部のものにのみ利用せらるゝばかりであり、或は壟断者とでも云ふべきものがあつて其の者の自由に放任して置くやうな占有者であるなら、我等は往来子と共に斯かる図書館の存在を呪ふ他はない。(二月八日稿)




大正8年11月1日発行の『赤』第五号に、宮武外骨は、
驚くべき諸物価暴騰の悪影響
帝国図書館の乱脈
と題する一文を書いている。
以下、引用。


驚くべき諸物価暴騰の悪影響
帝国図書館の乱脈

古来未曾有といへる諸物価暴騰の為め、各方面の人々が深刻骨に徹する生活難に苦んで居ることは顕著な事実であるにも拘らず、政府は之が根本救済策たる物価の調節もやらず、俸給の増加も容易に実行しない為め、其影響は今やあらゆる方面に及んで、従務者の能率を低め、文明機関の渋滞を来して居ることは実に甚だしいものであるが、近頃之に関して聞捨て成らぬ由々しき一大事を聞いた
上野公園にある帝国図書館は、都下の読書子に精神の糧を与ふる国家の重要文明機関であるが、同館に於ける図書出納係の少年給仕等は、殆んど昼夜休み無しの繁劇な職務であるのに、之に対する報酬は僅に日給三四十銭位に過ぎないので、近頃は大抵二ヶ月と続いて辛抱する者は無く、随つて雇へば随つて辞職し、新陳代謝が頗る激甚で、昨今は本の在処も知らない新参者ばかりで図書の出し入れをしてゐる有様であるさうなが、さういふワケで彼等は皆どうせ今日明日には辞職するのだからといふ心得で事務に当つて居るので、誰一人忠実に求覧図書を検出する者は無く、偶々引出したが最期、決して元の函なり棚なりへ番号に合せて納める事をせず、いゝ加減な所へ突込んで置く為め、図書は毎日行衛不明になるばかりである、それも活版本ならば小口から標題が読めるから検索にも多少の便宜もあるが、日本綴の古書に成るとペタペタと縦に置いてある為め、容易に発見することが出来ず、求覧の図書十種中半分は「出て居ます」といふ口実で見る事が出来ない有様である、それで毎日特別室で古書を調べてゐる三四十人の熱心な研究家は一同大コボシで、同館の河合出納係長に対して頻に苦情を持込むが、何せよ図書館は文部省の管属で経費が少ない為め、とても高価な日給を出す事が出来ぬので、気の利いた者は永続せず、別に人を雇つて整理をさせようにも費用の出所がないといふ惨憺たる始末である上に、司書の連中も亦、図書館一流の廉月給では、日々の生活が出来ないので、一同営養不良の為め頭のハツキリした者は無く中には貧の出来心で、前司書朝倉某のやうに、一冊三十円五十円の価ある貴書珍籍を、コツソリ短衣の下へ隠し込んで持出し、それを売つた金を生活費の足しにする者もあるらしいので、復と得難い貴重書は、漸次有耶無耶の中に影を没するばかりで、図書館内部の乱脈は目下実に其絶頂に達して居るさうな、政府の奴等の施政方針が当を得ない為め、精神文明の進歩に斯の如き大なる障礙を与ふるに至つたことは、鼓を鳴らして之を責めなければならぬ所であるが、我輩は之を単に一図書館のみの問題とせず、原内閣全員に対する一大責任問題として絶叫しなければならぬ事だと思ふ