桜痴の北陸御巡幸

                        

菊池眞一

『書物往来』第十七冊(大正15年3月18日)に
飯島花月の「北陸御巡幸の歌」という一文がある。
これは福地桜痴の「北陸御巡幸」を紹介したもの。
東京日日新聞に掲載されたという。原典参照は後にして、とりあえず、花月の文章を紹介する。



北陸御巡幸の歌
             飯島花月

 (桜痴遺文)
福地桜痴居士の遺文に「北陸御巡幸」といふものがある。明治十一年八月三十日聖駕東京を発し、東山北陸東海諸道を巡幸せられ、同十一月九日東京に還幸あらせられた道の記の韵文で、東京日日新聞の社説欄に載せられ、其の当時可なり世間に喧伝したものである。
この種類の韻文を乱譜と称する由其頃の人に聞いたが、出典は詳でない。その淵源は遠く平家物語や源平盛衰記に発し、太平記なる「俊基朝臣関東下り」「上杉畠山北国落ち」「大塔宮熊野落ち」等雄麗の傑作を出し、後世未だ之に較ぶ可きものあるを聞かぬ。されど足利時代の宴曲郢曲謡ひまたは小説の道行文のうちで、是等に摸倣した作の見る可きものが少からずある。従つて江戸時代の浄瑠璃又は紀行文などで之に倣つたものも多いが、概ね優孟の衣冠たるを免れない。
維新前後に彼の「俊基関東上り」が志士の間に愛吟せらるゝや、新に久坂通武の「七郷落ち」、平野国臣の「月照九州下り」などが出て、慷慨激切の詞章や、凄絶悲壮の吟声やで、当時の士気を鼓舞したことが少なくなかつた。其後信夫恕軒の「大石良雄関東下り」が出来た。近士太平記の東下りの文を改竄したものだが、翁が常に自賛された如く、頗る佳作だが、処々太平記を踏襲した嫌が無いでも無い。其の他東箏歌や琵琶歌などに往々乱譜として朗吟すべき「城山おろし」や、「王政復古」の如きものも有つたが、桜痴居士の此作を態々朗吟させる為に作つたものでは無いが、遉に佳什である。往々語調が晦渋に陥つた点もあるのは、多くの沿道の駅名を洩さじど聯ねたから、自然已むを得ぬものが有つたらう。兎に角居士盛時に於ける得意の作と見られる。今明治天皇の聖徳を追懐し奉ると共に、居士の彩毫を偲ぶべく全文を採収する。一には近年斯ういふ様な韻文の作あるを聞かぬから、温故の資料に成らうとも思ふからである。


頃は葉月の初めなれば  まだ板橋に霜おかねども
秋の柳の千筋には    既に旅情を綰ねたり
蕨浦和を打過ぎて    氷川の社を見たまへば
御沼の池の名残てふ   祠の池の水清く
影すみまさるこゝちして 上尾桶川鴻の巣や
御幸の恩に隈なきを   熊谷男久下乙女
悦び合ひておがみつゝ  めぐみも深谷本庄は
旅寝の日数の浅くとも  はや上毛と岩鼻や
並木の道も倉賀野の   厩橋高崎烏川
こゝで名におふ古への  佐野の渡りの名所ぞと
聞けば船橋夜をかけて  月にぞ渡る旅人の
歌さへ思ひやられつゝ  板鼻安中大坂の
坂はけはしくあらねども 雨ふりまさる山路には
御軍寄する松蔭も    なきはいづこぞ松井田や
碓氷の川に水篶刈る   信濃の境に入りたまへば
深山の楓もみぢして   秋のあはれを増すさまは
吾嬬者邪とのたまひし  倭建尊の御名残ぞ
思ひ出されて浅間の山の夕煙 とし経て消ゆる時ありとも
いかで忘れん大君の   叡慮ぞ深き科野川
小諸上田や丹波島    御世は千歳に長野ぞと
諏訪の社を遥拝し    打つ柏手や柏原の
関川くれば越路なる   頸城の山跡見坂
高田潟町柏崎      青雲のたなびく日すら小雨ふる
弥彦山の山風に     車のきしり遅くとも
みゆきの道ははかどりて 新潟新発田三条や
長岡の町みそなはし   又もや浜辺の道伝ひ
行方も長き長浜に    人の疲れを糸魚川
親知らず子知らずと   昔よりいひ伝ふ
海と陸との境川     富山高岡打こして
金沢小松大聖寺     九岡福井武生敦賀
三越加賀の要所とも   斯くも隈なく国見して
近江の国に入りたまひ  塩津長浜鳥居本
琵琶のみづうみさゝ波や 滋賀の都を見たまひて
平安城の大内に     著御ありしは十月の
十五日にてぞありける  斯くて又
程なく西京をたゝせたまひ 又もみゆきに逢坂の
山越えはてゝ大津の里  野路の篠原行く人も
とまらぬ程に荒れまさる 玉川の跡埋もれて
我身時雨はふりはてぬ  老蘇の森となりぬとも
君が御代をば守山と   神の誓ひの尊くも
けふの御幸は後の世の  君の鏡と鏡山
うつしとゞめん鳥居本  番場醒ヶ井柏原
近江と美濃の堺なる   寝物語の里すぎて
不破の闇の戸朽ちはてつ 鎖さぬ御代に逢墓や
大垣の市岐阜の町    加納の里も打過ぎて
はや尾張路や一の宮   清洲名古屋愛知潟
汐干にけらし加多の浦  秋の日いどゞ短くて
日も夕暮に鳴海の浜   三河の国の八橋は
蜘蛛手に夜るの霜おきて 矢矧の川に長居せそ
我れ岡崎に人や待つ   夜はほのぼのと赤坂は
浜名の橋の名のみにて  一筋遠き浜松の
つれなき色も秋はなほ  波と風との声淋しく
見附袋井日坂や     さやの中山なかなかに
旅寝の床に風さえて   夢結ばれぬ神無月
大井の水を打渡り    静岡の里田子の浦
富士の高嶺は麓より   晴れてぞ見ゆる小春の空に
叡慮を慰めたまひつゝ  沼津三島や玉くしげ
箱根の山の峯こえて   待つに月日は小綯綾や
鴫立沢の夕暮は     げに哀れとやおぼしけむ
戸塚程ヶ谷すぎたまひ  神奈川駅より汽車に召され
東京に還御あらせ玉ひしは 十一月九月の御事なりき
げに有難き事にぞある



2016年1月18日公開

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