露伴「狂歌鶴彦集の序」

                        

菊池眞一


『みなおもしろ』第十巻第一号(大正14年1月25日)9頁に、露伴学人の「狂歌鶴彦集の序」が掲載されている。


   ◎狂歌鶴彦集の序        露伴学人

衣食足りて文芸を飾り邸宅成りて骨董を買ふそれは浮世の月並調にして自由が利いて糟糠の妻を逐ひ身分が上りて牛鍋の友を棄つるともに風雅の道の高点とは申難し和歌の屋の主人はこれに異なり和歌の浦曲に運勢の潮いまだ満たずして蘆間の舟のさはり多き中を乗切らんと艫の早緒のたゆみなく励みつとめし辛苦の昔より天の恵の順風に帆を揚げて五百重浪千重浪を凌ぎ終に蓬莱の港入り玉のいさごの浜うるはしく常磐の松のさかえめでたき境に到りつきて霞のそとに仙鶴の影を仰げる今に至るまで持つて生れた歌ごゝろ心の種子ふくべよりをかしみをこぼし出し言の葉の手尓波を働かせて初は兼題に想を練り当座に才を磨き中比は一寸の間の暇にも五分の香の吟を試み今は則ちをりにふれ事に臨みて忙中の閑をたのしむまことに心からすきたる水晶の璧にいつはりなく後からつけたる附焼刃の地金あやしき風流にはあらず文政元年の版の絵馬屋が狂歌弓張月には既に翁の吟見えて大正十三年の刊の此集には竹馬の友たる原宏平氏の撰に成る其昔なつかしむべく此事よろこふべしと思へるがまゝを記して序となす


原本(国会図書館蔵本)を見ると、
「うるはしく」ではなく「美はしく」、
「霞のそとに」ではなく「霞のそらに」、
「文政元年の版」ではなく「文政元年の板」、
となっている点が異なる。
また、原本序の末尾には、
甲子のとし季秋   露伴学人
とある。
「甲子のとし」とは、大正13(1924)年である。
『鶴彦集』は、大正13年9月24日に発行されている。


『露伴全集』第三十二巻三四八頁には
「和歌濃屋狂歌集序」
として、次のようにある。


和歌濃屋狂歌集序
  ―原宏平撰―

 衣食足りて文芸を事とし、邸宅成りて骨董を買ふ、それは浮世の月並調にして、自由が利いて糟糠の妻を逐ひ、身分が上りて牛鍋の友を棄つるとともに、風雅の道の高点とは申し難し。和歌濃屋の主人はこれに異なり、和歌の浦回に運勢の潮いまだ満たずして、蘆間の舟のさはり多き中を乗切らんと、艫の早緒のたゆみ無く励み勤めし辛苦の昔より、天の恵の順風に帆を揚げて、五百重浪千重浪を凌ぎ、終に蓬莱の港入り、玉のいさごの浜美はしく、常磐の松の緑めでたき境に到りつきて、霞のそらに仙鶴の影を仰げる今に至るまで、持つて生れた歌ごゝろ、心の種子瓢よりをかしみをこぼし出し、言の葉の手爾波に洒落をしげらせて、初は兼題当座に想を錬り才を磨き、中比は一寸の間の暇にも五分の香の吟を試み、今は則ちをりにふれ事に臨みて忙中の閑をたのしむ、誠に心からすきたる水精の璧にいつはり無く、後からつけた附焼刀の地金あやしき風流にはあらず、文政元年の板の絵馬屋が狂歌弓張月には既に翁の吟見えて、大正十三年の刊の此集は竹馬の友たる原宏平氏の撰に成る、其昔なつかしむべく此事よろこぶべしと、思へるがまゝを記して序となす。       (大正十三年九月)


全集解題は次のように記す。

原宏平撰「和歌濃屋狂歌集」は大正十三年九月発行、露伴の序は「芋の葉」に収められ、本全集は幸田家蔵の原稿を用ゐた。


まず、書名だが、『和歌濃屋狂歌集』ではなく、『狂歌鶴彦集』である。露伴の原稿には
和歌濃屋狂歌集序
とあったのかもしれないが、刊行書名は『狂歌鶴彦集』である。
実際の刊行物との違いは、次のとおり。

「文芸を事とし」ではなく、「文芸を飾り」、
「和歌の浦回」ではなく、「和歌の浦曲」、
「励み勤めし」ではなく、「励みつとめし」、
「常磐の松の緑」ではなく、「常磐の松のさかえ」、
「心の種子瓢」ではなく、「心の種子ふくべ」、
「言の葉の手爾波に洒落をしげらせて」ではなく、「言の葉の手爾波を働かせて」、
「初は兼題当座に想を錬り才を磨き」ではなく、「初は兼題に想を練り当座に才を磨き」、
「誠に」ではなく、「まことに」、
「後からつけた」ではなく、「後からつけたる」、

以上の点で異なる。

この書は活版ではなく、露伴の筆跡がそのまま印刷されているので、校正段階で直したものではない。全集の拠った「幸田家蔵の原稿」は、下書きだったのではないか。露伴の下書きには『和歌濃屋狂歌集』とあったのかもしれないが、刊行書名は『狂歌鶴彦集』なので、これを掲げるべきである。


『露伴全集』別巻下・拾遺下の五八二頁には、
初出未詳作品
として、73作品が挙げられているが、その中に
和歌濃屋狂歌集序
がある。
これは、
『狂歌鶴彦集』(大正13年9月24日)
が初出で、
序文自体にはタイトルが付けられていない。
狂歌鶴彦集序
とでもしておくべきか。




2016年1月17日公開
2016年1月25日追補
2016年2月20日追補
2016年3月16日追補

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