「将棋の話」(露伴)


菊池眞一

『東京毎日新聞』昭和4年9月9日に、幸田露伴の「将棋の話」という談話が載せられている。文壇の愛棋家五本の指に入るという露伴。「将棋雑話」「将棋雑考」「将棋のたのしみ」は全集にあるが、この談話は『露伴全集』には掲載されていないようだ。 以下、引用。



将棋の話
  王将は誤り、玉将と呼びます
          文学博士 幸田露伴氏談


日本の将棋の起源は殆ど明瞭でありません。保元の乱の勇将源の為朝と、兵法の議論をしたといふので有名な頼長の文に、陛下の御前で大将棋を指したと書いてありますから、此の自分からあつた様に思ひますが、昔は普通の将棋の他に大将棋、中将棋などがあつて、おもに上流社会に限られた遊びでありました。多分村上天皇の以前(約一千年前)支那と交通の盛な頃、碁や琵琶などゝいつしよに、日本へ渡来したものと思はれます。支那では勝戯又は象棋と書きますが、日本の将棋と其内容が殆ど同じ様ですが、日本のは支那の象戯から脱化したものと見て間違ひはないでせう。
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昔の大将棋の駒には面白い名称のものが沢山ありました。酔象、盲虎、猫刃、〓猪、悪狼、獅子、鳳凰、麒麟などで、総計百三十個の駒でありました。別に日本の坊さんが案出したもので大々象棋といふのがあつたが、之は駒数百九十二枚といふたいへんな大げさなものです。
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(『東京毎日新聞』昭和4年9月9日)


《注記:文中「〓猪」は原文どおりで新聞でもゲタとなっているが、露伴「将棋雑考」によると「嗔」又は「瞋」であろう》



2017年7月9日公開


菊池眞一

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