猥褻廃語辞彙

自序
過激と猥褻の二点張りと云ふべき予の性格、その予が企画せし官僚政治討伐大正維新建設の民本主義宣伝を妨害され窘迫さるれば、自然の帰着として性的研究の神秘漏洩に傾かざるを得ざるべし、これ本書編纂の理由にして又予の天職発揮なり、若しこれをも押へられんか、予は気のやり所なきにあらずや
  大正八年四月二十日
                          宮武外骨

  例言

一 本書編纂の要旨は考古家の研究資料とするにあれども、兼ねては無知識の教育家輩をして往年女子高等国語読本に四目屋薬の事を出せしが如き失態なからしめんとするにあり
一 予は数年前より猥褻俗語彙の編纂に著手して今は既に総計二千語の多きに達せるが、其中より約三百の廃語を抜記し更に其中より半数だけを精選せり
一 各地方の猥褻方言にして今は廃語に属し居るもあれど、その方言は総て採録せず
一 公刊物の事なれば、露骨に説明すること能はざる所多きを遺憾とす、又房州鍋、鉢巻、松葉鏡、きやたつかへし、見一、木挽の腰、材木わたし、獅子の洞入り、鯖、尺八、腮を抜く、手負鴉等の極端語数十は直伝に譲りて本書には載せず
一 本書は僅に三十部印刷して性的研究家たる予の友人数名に頒布し、その余は文部省を始めとして公私大学及び著名の図書館に寄付す



猥褻廃語辞彙
               宮武外骨著

  【あの部】

天の逆鉾(あめのさかほこ) 伊弉諾尊は天の逆鉾なり、伊弉冉尊は滄海原なり、鉾を降して海をかき探る、鉾の滴りを阿浮曇と号す、父の精なりなど云へる神道俗学者の古説に拠りて、男陰を「天の逆鉾」又は単に「逆鉾」と称し、尚逆鉾の一名に拠りて「天の瓊矛」とも呼べり、阿国歌舞妓の両儀舞の歌に曰く「生れ来し天の逆鉾滴りて人の命は露となりけり」、「海原や鉾の滴りなかりせば、此迷ひある身とは生れじ」
又川柳に曰く「逆鉾の滴りおぎやアおぎやアなり」、『燭夜文庫』陰嚢箴の文中に曰く「山谷の間に隠居す、前に神国伝来天の逆鉾を安置し、後に弘法大師の掘抜井戸をたくばえたり」

上り鯰(あがりなまづ) 昔時、普通にては金銭の尽きたる遊蕩者を上り鯰と云へり、上りとは死の意なり、死せる鯰はヌメリ無し(光沢ある粘液が乾燥するを云ふ)これを猥褻語に転用して老女を上り鯰と云へり

朝参り(あさまゐり) 昔の遊女(高等の花魁は除外とし)にして、青楼の若い者(雇はれ人)と肉体の関係なき者はなかりしと云ふ、いわゆる勤めのウサハラシもあり、或は脅迫に応諾せしもありしならん、其若い者が客の立去りたる後、遊女の閨房に押入るを朝参り又は「朝込」と云へり

揚げ雲雀(あげひばり) 若衆遊びの一曲を云ふ、慶長三年満尾卓友の編述せる男色本『醜道秘伝』に「雲雀が空にあがるがごとき仕様にて……」とあり

吾妻形(あづまがた) 寡婦又は奥女中が張形を使用せしが如く、鰥夫が女陰の代りとして使用せし物を云ふ、薄き鼈甲にて造り、孔口に天鵞絨の切れを張れり、使用法は蒲団を両端より捲きたる中央にこれを挿入するなりと云ふ
陰戸形、又は革形(かはがた)とも云へり、革にても造りしなり、刊本に見えたるは元禄八年の『好色旅枕』にあるを最古とす

赤玉(あかだま) 売女などの云ひし月経の意なり、月経には普通の異名多しといへども、此語にはいさゝか猥褻の傾向あるを以て茲に入る、又「赤犬」とも云へり

鶯命丹(おうめいたん) 寛永版の『人間楽事』を始め近世に至る迄の淫本中に閨中の秘薬として記するもの多し、其薬名には玉鎖丹、如意丹、西馬丹、人馬丹、陰陽丹、壮腎丹、鴛鴦丹、地黄丸、蠟丸、得春湯、遍宮春等数十あり、何れも支那伝来の薬法にして、鶯命丹も亦其中の一薬名なり、斯く其薬名異るといへども、要するに興奮性の刺激剤にして、長命丸、女悦丸に均しきものなり、此淫薬使用の大害論は柳沢淇園の著『ひとりね』に詳なり

青田八反(あおたはつたん) 享保五年の京版西川祐信の著画『絵本美徒和草』に「婦人の産後、俗に青田八反と賞美す」とあり、青田八反に価すべき快味ありとの義なり

扇箱(あふぎばこ) 閨中に於ける男女のある姿態を云ふなり、前記『絵本美徒和草』に出づ、俗にいふ「横ざし」のことにて茲には委細に説明すること能はざる語と知るべし


  【いの部】

活た御用の物(いきたごようのもの) 御用の物とは別項に記するが如く張形を云ふ、其いきたる御用の物とは男陰を云ふなり、元禄九年の刊本『好色小柴垣』の張形屋主人が御殿女中を犯す条に此語あり

一儀(いちぎ) 男女の交会を云ふ、古書には一儀を行ふ、一儀に及ぶなど記せり、又寛永版の『昨日は今日の物語』には「ある者昼一ぎをくわだてんと思ひ……」「ある夫婦者一ぎをするたびに……」とあり
犬(いぬ)たはけ 獣姦の一にして、犬と交接するを云ふ、古くは犬婚と書けり、『恋の栞』には「淫気(たはけ)」と書きて「諺草に曰く、色にふけりて恥も知らずなりゆくをたはけといふ」とあり、上古の法制には斯る獣姦を禁止し、犯す者は厳罰に処せられたり

岩戸(いはと) 女陰を云ふ、天の岩戸に擬せしなり、「腰蓑の注連張る海女の岩戸口」「床暗にして花嫁の岩戸口」など云へる狂句も多し

伊勢麻羅(いせまら)筑紫都毘(つくしつび) 橘成季の『古今著聞集』に「麻羅は伊勢麻羅とて最上の名を得……都毘は筑紫都毘とて第一の物といふなり」とあり、当時(鎌倉時代)の俗諺なりしならんも、如何なる理由ありての戯れ言なるやは未詳
此俗諺につきて山岡明阿弥の『逸著聞集』にをかしき落語あり

鯔の臍(いなのへそ) 女子の子宮口を云ふ、その形状相似たるが故なり、天保の狂句に曰く「赤貝のぐつと奥にはいなの臍」

一深九浅の法(いつしんきうせんのはふ) 寛永版の『人間楽事』に併載せる『黄素妙論』には専ら此事を説き、其後の淫書亦多くこれに倣へり、今茲に此解釈を付することは憚らざるを得ず、要するに深浅法とは支那伝来の卑猥語と知るべし

市松(いちまつ) 男根の異名なり、元禄十一年の刊本『新色五巻書』に此異名を記せり、市松は逸物のモヂリか、又はこの頃男陰を小僧と呼べるより、小僧の市松とも云ひしものならんか

磯(いそ)つび 海底又は海岸の岩礁に付着せる軟体動物にして、俗に磯巾着とも称する菟葵莃を云ふ、其形状及び括約筋を有すること女陰に似たるを以てなり、近世は磯ボヽと称せり、猩々狂斎の明治初年の手書には、房州保田にてイソツビと唱ふる由を記せり、されば今尚古語のまゝ呼べる地方もあらんか

糸口(いとくち) 亀頭の下面、即ち生理学書に所謂「繋帯」を云ふ、『好色旅枕』に「作蔵の糸口……」とあり


  【うの部】

うつほ 外皮を脱出すること能はざる包茎の甚だしきを云ふ、矢を納むる靱に擬して云ふか、鱗なき鱓魚に擬して云ふかは不詳なれども、此語、渓斎英泉の著『枕文庫』にあり

裏門通行(うらもんつうかう) 鶏姦を云ふ、天保改革の際、かげま茶屋を禁止せし事のチヨボクレ文句に「裏門通用の芳町もならぬと、閉口閉口、坊主の種切れ……」とあり、貞享三年の刊本『鹿の巻筆』に、前に命門あり、先は行き止りかと問へば、裏門ありと答へしという落語あり、又『狂歌やまと人物』に「色子をば愛る和尚は暁に帰りてそつと這入る裏門」、川柳に「オヤ此廓に裏門はありんせん」

牛(うし)たはけ馬(うま)たはけ 牛と通じ馬と通づるを云ふ、この獣姦は変態心理学に、所謂錯倒色情の一にして、啻に男子のみならず、狂的の女子にも此醜行あり、前掲「犬たわけ」の項を参照すべし


  【えの部】

猿猴坊(えんこうばう) 女子の経水を云ふなり、略して「えて」とも呼ぶ、猿の尻の赤きに比せしならん、安永頃の落語本『豆談語』に此語出づ、烏亭焉馬が猥褻の戯作に「猿猴坊紅の月成」との号を署せしも此意なり

得手吉(えてきち) 男陰を云ふなり、小僧と唱へ忰と称し息子と呼ぶが如く、自由行動の意に因る擬人法の名称ならんか、また得手物とも云へり


  【おの部】

おそくづの絵(ゑ) 春画を云ふなり、平安朝時代に行はれたる古語なるべし、『古今著聞集』に「上手どものかきて候ふおそくつの絵なんどを御覧も候へ、その物の寸法は分にすぎて大きに書きて候事、いかで実にはさは候ふべき」とあり、これにつきて『嬉遊笑覧』に「おそはたはれたること、くづは屑なるべし、陽物を云ふに似たり」とあり

おにやけ なまめかしき男を「にやけ」者と云ふことは、若衆を「若気」と云ひしより起れりとは、諸書に記す所なれども「おにやけ」と云へば其義大に異るが如し、『昨日は今日の物語』に「おにやけのはりかた」「天下一おにやけ」「おにやけを御用にたて」などあり、肛門と解するの外なし

御事紙(おんことがみ) 『色里三所世帯』に「延紙は吉野より」とあり、其吉野紙、又は簾紙など称する閨房用の紙を云ふ

御香箱(おかうばこ) 上流婦人の陰部を云ふか、文政頃の写本『三陰論』に女陰の異名を列記せる中「その尊きを御香箱といふ」とあり、又『大笑座禅問答』にも「おこうばこ」の語あり、又『末摘花』に「彼岸参りにお香箱」の付句あり

お祭り(おまつり) 男女の交会を云ふ、「お祭りも渡り初めは橋の上」などいへる古き川柳多くあり、これによりて交会を単に「お渡り」とも称せり、淫行を政事と云ひしより転ぜし語か

お茶漬(おちやづけ) 吉原の遊女が他客に惚れ、其狎妓に秘して密かに通ずるを云ふ、本膳の後にアツサリお茶漬を饗すとの意ならんか

御姿(おすがた) 男陰に擬したる張形のことなり、元禄頃御殿女中などの云ひし語なり

お茶碗(おちやわん) 女陰の無毛をいう、土器(かはらけ)と同一の語意なるべし


  【かの部】

勝絵(かちゑ) 春画を云ふ、具足櫃に春画を入れて出軍すれば必ず勝利を得ると云ふより起りし名称なり、東寺の勝絵と云へる宝物は鳥羽僧正の戯筆に成りし滑稽春画の絵巻物なり
此勝絵につきて伊勢貞丈などは排斥の説を唱へたれども、強ち仮托のたはごととのみ見るべからず、男性のみの陣中生活は思想を索漠ならしめ随つて精力が消沈するの弊あり、其際異性の艶姿嬌態を見れば勇気百倍するの利益ありと聞く、されば勝絵の称は妄想にも仮托にもあらずとすべきか、

金勢大明神(かなまらだいみやうじん) 大古以来各地に行はれたる男性的生殖器神の名称なり、金勢を「こんせい」とも云ひ、又「金精」に作るもあり、古くは道祖神、久奈戸の神、幸の神、御杓子様、かりた様など呼べり、男陰の形状を石又は銅鉄にて造り(木刻、土焼、紙張子もあり)之を神社の神体として奉祀し、或は売女屋の神棚に延喜神として祭りしなり、狂句「種々の祈願、金勢神も立ちきれず」「寒夜も素肌神棚の延喜帝」
左帰図も地黄丸も、杖にたらぬほどの者も、此神に祈りては、厚紙の障子を裂くと、笠島の神も同じ誓のよし  正徳五年『艶道通鑑』
成島柳北の著『柳橋新誌』(明治七年出版)芸妓の居家を叙述せる条中に曰く
棚上必安一茎金陽物而繋小縄於其傍柱括紙縛之纍々而下。蓋客所纏頭挿諸帯帰而裸其金括其紙以縛之也。謂如此則能招其伴。其意蓋誇人以能售耳。

から込(こみ) 若衆を御する一法として慶長三年の満尾貞友著『醜道秘伝』に此語の説明あり

貝合せ(かいあはせ) 女性二人が相抱擁して肉情を遂ぐることなり、古くは互ひ形使用の「ともぐい」、近くは「オメ」と称し、「ト一ハ一」と称する破倫の行為を云ふ、狂句に「貝合せばかりしている奥女中」といふあり、又〔奻〕此作字を書きて「貝合せ女二人で向ふなり」など云ふもあり、古来婦女の遊戯たりし貝合せに擬せし也

神田ツ子の左曲り(かんだつこのひだりまがり) 江戸の神田ツ子は陰茎が左に曲れりとの俗説なり、此俗説の起原は未詳なれども、江戸末期の戯作物に此語を多く使用しあり、又狂句にも「神田の祭礼集つた左利き」「神田の芸妓も御座敷へ左褄」など、左曲りをきかせたるあり

兜形(かぶとがた) 張形の一部分の如き物にて張形と同く鼈甲又は水牛の角にて造りし閨中の淫具、所謂「四ツ目屋の七道具」の一種なり、古淫書に曰く「甲形は子を孕まぬための道具なり」
此兜形も張形と同じく支那伝来の物なるべし、日本にて模製するに至りしは明暦の頃ならんか、明治初年盛んにルーデーサツクの輸入ありて此具廃絶せり

かゝひの祭(まつり) 文化十三年の『俳諧恋の栞』に曰く「常陸筑波明神にあり、かゝけ又かゝひといふ、男女参詣して自他の男女互に打混じて暗きに寄合ひ、目なしとちの如くしてとつぐと也」
明治政府の代となりて風紀取締令のため此事廃絶するに至りしと聞く
「かゝひ」とは上古行はれたる男女相会して唱歌せし「かゞひ」の義か、又は相抱擁する「かゝへ」の転か不詳なり、「かゝけ」とは着衣を掻き上げてとつぐの意ならんか

鴨の腹(かものはら) 若き女の陰毛に手を触れての感じを形容せし語、鴨の腹毛の柔かく滑らかにして手さはりよきに比して云ふなり、「手を取つて子に撫でさせる鴨の腹」などいふ川柳もあり(此句は単に触覚味を穿てるなりとの説あり)

生買(かたくひ) 酒食せずして遊女に接するのみの客を云ふ、昔の遊廓にて行はれたる語なり、文化四年の並木五瓶著述『誹諧通言』に曰く「急ぐ客、酒なしに寝るばかりに来る事」

笠伏せ(かさぶせ) 凹凸の態度を云ふなり、文政二年の東里山人著『傾城客問答』に餌差の口上に擬せし戯文あり、「一つ鵯、二つ梟、三つ木兎、四つ夜鷹、夜鷹といふ鳥は、日さへ暮れゝば、あつちの隅ぢやごそごそ、こつちの隅ぢやごそごそ、こいつ差いてくりよと、竿さしのべたが、竿は短し、笠ぶせでやりてくれりよ、テンテレツル、テンツルテン」
此夜鷹とは昔の辻淫売婦を云ふなり、笠ぶせとは、雀を捕ふる一法に笠伏せと称することあるにかけたるなり

皮(かは)つるみ 『宇治拾遺物語』の法師の談中に「かはつるみ」の語あり、後の学者はこれを手淫の事なりと解するに、『北辺随筆』の著者富土谷御杖は之を難じて、厠にてつるむの意、即ち男色の事なりと弁じあれども、「かは」を皮と見て手淫と解する方正当ならん、山岡明阿弥の『逸著聞集』に「せんかたなくてはかはづるみをしてぞ、せめて心をはらしける」とあり、又手柄岡持の狂歌(春窓秘辞に載る所)に「よべ君にへだてらるればあてがきの、皮つるみしてうさをしのびき」とあるも手淫の義とせるなり、伴蒿渓の『閑田次筆』にも「かはつるみは後の書にはきせはぎとも云へり、今千摩といふも、其わざにつきていへり、独淫のことなり」とあり、松岡調の『陰名考』には、「手して男陰の皮を弄するわざを古へはカワツルミと云へり」とあり


  【きの部】

茎袋(きやうたい) 薄き皮にて造りし陰茎の袋を云ふ、今のルーデーサツクの如き物、紐付にて根本に括りつけしなり、文政十年頃の版行と鑑定すべき『閨中女悦笑道具』と題号せる小摺物(四枚)に其図を描きて「革形、茎袋と云、茎袋は薄き唐革にて作り蛮名リユルサツクといふ淫汁を玉門の中へ濡らさぬための具にて懐胎せぬ用意なり」とあり、ルーデーは独逸語の男根なりと聞くに、蛮名リユルサツクとは奇とすべし、其頃、和蘭人の輸入せしものならん、革形の名称は『花紋天の浮橋』にも記せり
ゴム製薄膜のルーデーサツクは明治四五年頃初めて舶来せしなり、明治七年の『東京開化新繁昌記』に、防瘡袋(ルーデーサツク)とあり、又拉第薩克(訳曰防瘡袋)とあり

金の輪(きんのわ) 茲に説明すること能はず、男色に関する猥褻語なり

着せ剝ぎ(きせはぎ) 手淫を云ふ、伴蒿渓の『閑田次筆』に「皮つるみは後の書にはきせはきとも云へり」とあり、又文政頃の写本『三陰論』には「中つ世にてはきせばきといふ」とあり、きせはぎは着せ剝ぎなるべし

菊座(きくざ) 肛門を云ふ、菊の門とも称す、肛門括約の状恰も菊花の形に似たるを以てなり、陰間(男娼)の細見記に『菊の園』と題号せるものあるもこれに因る
狂態俳句「裏門へ回つて菊の根分哉」

行水(ぎようずい) 月経、江戸岡場所の売女が云ひし語なり、寛政頃の版本『部屋三味線』に曰く「御客といふものは内へ帰つて神棚へも手を上げなさるものだから、行水をことわらぬのは、こつちの罪になるねへ」

金魚(きんぎよ) 「金魚だおよしと鱣(うなぎ)を入れさせず」といへる狂句あり、此語義察知すべし
赤玉、赤犬、紅葉、日の丸など云へるのと同様の語原なり


  【くの部】

くなどの神(かみ) 男性の生殖器神を云ふ、『道神考』にくなとは男陰の義なりとあり、鶺鴒をにはくなふりと呼ぶは庭にて陰茎を振る鳥との義なりと聞く
此くな動詞と成りて、くなぐ、くなぎと云へば交接の義、くなげ、くながんなどの活用もあり、『古事談』に「大納言道綱卿の放言して何言を云ふぞ、妻をば人にくながれて……」とあり、讃岐の阿波に接する山間の者が交接することを今尚「チンポする」と云へり、此くなぐと同様男陰を主とせること奇とすべし、松岡調の『陰名考』に「美斗能麻具波比ぞ最も古かりける、それに亜ぎては度都岐、また久那岐と云ふ」とあり

くぼ 女陰の古名にて凹の義なり、「しなたりくぼ」とも云ふ、落くぼ谷くぼなど云へる窪も女陰の名義より出たるなりとの説あり、紫貝を「馬のくぼ貝」と云ふも、此貝の形状が牝馬の陰部に似たるを以てなり
又『新猿楽記』の中に、老女の陰部を「蚫苦本(あはびくぼ)」と書ける由『陰名考』にあり

車(くるま)がかり 数人の男が熟睡せる女を輪姦することなり、川柳に曰く「寝ごひ下女車がゝりを夢のやう」「くやしさに下女五人目へ啖らひつき」

蹴転(けころ)ばし 明和頃より寛政頃まで江戸上野山下の茶屋に居し淫売婦を云ふ、客が足にて蹴転ばし、チヨンの間の遊びをするとの義なり、略して「けころ」とも呼べり、前垂かけにて茶汲女の姿なりし故、享保の頃は「山下の前垂」と称せり

毛雪駄(けせつた) 女陰を云ふ、明和の川柳に「牡丹餅を食ひ毛雪駄をつツかける」「炬燵にて毛雪駄を穿く面白さ」などあり、昔は毛皮のまゝを雪駄に造りしもありたり、其形容の名詞なり
此外、毛靴、毛巾着、毛桃、毛饅頭、毛鞘、など云ふも皆同じ女陰の異名なり
阿波徳島にては「毛風呂」と称し、之を動詞に活用して、交接をけぶる、けぶき、けぶくと唱ふる由

けふくなう 男陰の古名なりと云ふ、未だ考証を得ず


  【この部】

根(こん)とん 男女の陰具を併称せし語ならんか、室町時代の古写本『異疾草子』に、半陰陽を発見せし図画を掲げて、「なかのころ、都に鼓を首にかけて歩く男あり、かたちは男なれども、女のすがたに似たることどもありけり、人これをおぼつかながりて、夜ねいりたるに、ひそかに衣をかきあげて見れば、男女の根とんにありけり、これ二形のものなり」とあり、「根」は男根の略ならんが、「とん」の語は解し難し
又「男女の」の三字を冠せずして、単に「根とん」にては意義をなさゞる語なるや否やも知らず

御用(ごよう)のもの 張形を云ふ、天和二年版の『好色一代男』に「堺町辺に御用の物の細工人の上手ありける」とあり、寛政版の『見た京物語』には「所々小間物店に六寸ばかりの竹の筒へ、御用の物と書いて張り、正面に出してあり、これ宮仕などして、男にあふこと稀なる女の買ふ物のよし」とあり、又元禄の京版『好色日本鹿子』に、張形屋の店の図あり、其店頭の看板に「御用の物品々」と書けり、元禄八年版の『好色旅枕』には、張形の図の上に「是に三名あり、一名は御姿、一名は張形、一名は御養の物」とあり

五指娘(ごしらう) 手淫を云ふ、俗語の「五人組」を漢語体に美化せしものか、若くは支那語の伝来ならん、勝川春章著画の安永版『会度睦裸咲』に此語あり、

金勢大明神(こんせいだいみやうじん) かの部にあり


  【さの部】

作蔵(さくざう) 男陰を云ふ、語原は未詳なり、天和頃より明和頃までの淫書に此語を多く使用せり、『好色一代男』に「振られましたれば、命に構ひのなきやうに、作蔵を切られます契約」、『鹿の巻筆』に「三寸ほど砂に作蔵をつきこみ……」、『好色夢楽坊』に「一本の作蔵」、『色里三所世帯』に「作蔵黙れと息子に意見する如くなるも可笑」、『痿陰隠逸伝』には「号を天礼菟久(てれつく)と称し、また作蔵と異名す」とあり


  【しの部】

しなたりくぼ 女陰の古き和名なり、『日本霊異記』に「経師婬心熾発、鋸於嬢背、挙裳而婚、随𨳯入●、携手倶死」とある、「𨳯」は「まら」、「●」は「しなたりくぼ」と訓すべき字なりと云ふ
「也」は女陰の象形文字なれども、これに門を加へしは我国にて造りし字ならん
「くぼ」の解は別項にあり、「しなたり」とは「したゝり」にて、淫液の滴る凹なりとの説あり

指似(しゞ) 小児の陰茎を云ふ、「しゞ」は「縮み」の意かと説く学者もあり、されど「しゞ」始めは「脧」の漢字を当て、近世に至りては「指似」と書けり、脧は女陰なりと註せるもあり、察するに和名の「しゞ」は、男女陰具の総称たりしが、後に童の陰名に変りしならん
延宝六年版の『恋の息うつし』に曰く「十二三の小姓、しゞを握りすくめて居たる所へ……」、同「若衆もしゝを角の如くにして出しける」
此「しゞ」今は廃語なれども、東北の某地方にては童陰を今尚「しゞこ」と唱ふる由、「こ」は「そゝツこ」と云ふが如き付加語なり、されば「しゞ」の廃語が某地の方言として今尚存するものと見るべし、

七難(しちなん)がそゝの毛(け) 天保十一年版の山崎美成著『三養雑記』に曰く、「本朝国語に、伊豆国箱根権現の什物の中に悉難(しちなん)が揃毛(そゝけ)あり、これ何物と云ふ事を知らず、又下総国豊田郡石下村東弘寺の什物の中にも七難の揃毛と云ふものあり、いろ五色にして長さ四丈有余、いまだ何物の毛なる事を知らず、相伝ふ江州竹生島信州戸隠山にも亦これあり、以て什物とす、往古異婦あり七難と名づく、其人の陰毛なりと、昔は長き物のたとへに引きいでゝ云ひけると見えて、尢草子の長き物の品々にも七なんがそゝ毛とあり、物産家には山婆毛と云ふ物なるよしいへど、其実は如何にぞや……」

春三夏六秋一無冬(しゆんさんかろくしういちむとう) 雀庵の『さへづり草』に、此語は魚の塩加減を云ふなり、即ち春は三分の塩、夏は腐敗し易き故六分の塩、秋は一分、冬は無塩にてよしとの意なりとあれども、古来伝ふるところは男女情交の度数を規定せるものとして、雑多の淫書には区々の解釈を付せり

醤油樽(しやうゆだる) 好色女を云ふ、何時も湿りがちとの意なり

釈伽(しやか) 近衛家の『槐記』に曰く「草木子(唐本)ノ中ニ松茸ノ詩アリ、釈伽見了呵々笑、烹殺許多行脚僧トアリ、釈伽ノ二字解シ難シ、下ノ句ハ松茸ノ形ヲ云ヒタルモノト聞ユ、上ノ釈伽ノ字ヲ詩人ハイカヾ解スルヤ、里言解ノ中ニ方言ニテハ男根ヲ釈伽トイフヨシヲ記セリ、男根ノコトナレバ聞ユカ……」
用をなさゞる男根を「半釈迦」といふこと柳里恭の著『ひとりね』に仏典を引きて記せり、釈迦は男根の義なること明瞭なれども、其語原は未詳なり
但し「半釈伽」の傍訓に「はんだか」とあり

島屋の番頭(しまやのばんとう) 弘化三年の頃なりとか、江戸某町の島屋といへる商家の番頭が、店の小僧に対して破倫の淫行ありしため一家に悶着起れりとの事あり、其事の虚実は不詳なれども、一時市中に喧伝されて俗謡も出来、島屋の番頭というふ語が鶏姦の代名詞となれりと云ふ


  【すの部】

西瓜の棚落ち(すゐくわのたなおち) 多くの男に接せし淫婦のほとを云ふ

裾ツ張り(すそつぱり) 菎蒻本には「淫女」又は「淫婦」と書けり、好色の甚だしき売女を云へり、安永二年版の『口拍子』には、「すそつ張の娘を持ておやぢこまり」とあり、売女ならざる淫奔娘をも裾ツ張りと云ひしならん、川柳に「かけ替の○○○持つてる裾つ張り」といふあり、情夫の多きを裾裏のかけ替を所持するに擬せし句ならんか
馬琴の『夢想兵衛胡蝶物語』に裾ツ張蛇の図画あり、女の招き手を鎌首上げたる蛇の態に描きて、「おいでおいで」と男を招く様を諷せり

裾貧乏(すそびんばう) 日夜の淫行に満足せず、尚その不足を感じつゝある者、即ち色餓鬼を云ふ、裾とは身体下部の義なり

簾(すだれ) 俗に「戸閉」と称する変形女陰に類せしものを云ふ、『枕文庫』に「螺肉の端広くして上よりさがり居るなり」とあり、簾の称これによつて起りしならん

すぢか 女の自遂法の一、すぢかい(傾臥)の略ならん

須磨の浦(すまのうら) 手淫を云ふ、英語にて手淫を「マスターベーション」と云ふにより、スマの裏かへしはマスとなるの義、これは明治四十年ころ東京の女学生間に行はれたるハイカラー的風雅の隠語なりとて、一時世間に喧伝され、「独身は須磨、失恋は華厳なり」、「紫は石山、蝦茶は須磨の浦」、「自堕落や尻打つ波は須磨の浦」などいへる新川柳も多く出来たり

すツぽん 包茎を云ふ、鼈の頭に似たるを以て云ひしなり


  【せの部】

鶺鴒台(せきれいだい) 閨房用具の一種なり、天保頃の『花紋天の浮橋』に「鶺鴒台は閑月庵山暁が戯に工風をもって製する所なり」とあり

節分(せつぶん) 婦女が転びて隠所をあらはに出せしを云ふ、追儺の豆まきに擬せし語なり


  【その部】

淫行観音色薬師(そそりくわんのんいろやくし) 『俚言集覧』に「これ江戸の諺にて白銀町(観音)と茅場町(薬師)をいふとぞ」とあり、此縁日の夜、男女の逢引き多かりしに因る、端唄に曰く「月の八日はお薬師様よ、薬師参りの下向の道で、ちらと見初めし大振袖よ、どふせ今宵はしのばにやならぬ」
「淫行」を「そゝり」と訓することは、平賀源内の著『力婦伝』にもあり、「侠たる彼淫行党(そゝりてあひ)が、大根畠に豆の萌(もやし)がござると唄ひしは、此地開闢の比の口調にして……」

そゝ坊主(ばうず) 宝暦明和の頃、江戸に「そゝ坊主」とて笠に「そゝゝ」と三字書き、女神たる弁天堂の建立勧化を名としたる乞食坊主あり、祭文やうの呪を唱へ、其終りに「そゝゝ」と口早に云ひ、又「如意宝珠そゝゝ」など、女陰にかけたるらしきことを唱へしに因り、当時の俳優芸妓幇間等、これに擬したる猥褻の俗謡を作りてうたふこと流行せり、これより前、浅草観音境内にて講釈の席を開きし志道軒の「マラ坊主」といへる名、評判高かりしより、其対照にとて「そゝ坊主」出でたるならんか
文政版の『傾城客問答』には「そゝ坊主」と題して「そゝそれが嵩じて、わしや弁天様へ、頼みやんす恋中を、そゝそれが嵩じて」とあり

それ吹(ふ)けやれ吹け 天保末年頃より明治初年頃まで各地に於て行はれたる見世物の名称なり、『守貞漫稿』の大阪今宮十日戎の項に「莚囲ひの小屋を作り、中央に床を置き、若き女に紅粉を粧させ、古胡床に腰を掛けさせ……美女を画きし招牌を木戸上にかけ、八文ばかりの木戸銭を取り、女は○を○き○○を顕はし、竹筒を以てこれを吹く時、○を○○に○○、衆人の中之を吹いて笑はざる者には賞を出す、江戸は両国橋東に年中一二場あり……」と記せり、此醜態の見世物を「それ吹けやれ吹け」と称せしは、付添男のかけ声に因りて名づけしなり(尚委細は予の著書『猥褻風俗史』及び『此花』第十九枝に記せり)
嘉永頃大阪にて流行せし大津絵節の文句に「広田に吹け吹け前ひろげ」といへるがあり、広田とは当時今宮村の新開地にて諸種の興行場たりし地名なり、此外に「それ突けやれ突け」と云ふもありたり、そは竹筒を以て吹くにあらず、客に陰茎形の長き棒を持たせて突かせしなり、いづれも明治五年の末頃まで行はれしが、法令にて禁止されたり


  【たの部】

たけり 膃肭獣の陰茎を「たけり」と称し、其陰茎にて製したる腎薬をも「たけり」又は「たけり丸」と呼べり、『艶道情史』に「膃肭臍は腎薬の第一なり、最も奇効あり」と記し、『長枕褥合戦』には「西は九州肥後芋茎、北は松前膃肭臍」とあり、「たけり」とは勢力猛進すとの意なり
『末摘花』に「人間のたけりまである小間物屋」とあるは張形のことを云へるなり

互形(たがひがた) 張形二個を根本にて捩じ合せ、其合せ口の中間に丸き鍔を入れたる物、女二人にて共同に使用するが故「互形」と云ふなり、寛文頃より慶応の末頃まで奥女中などが使用せり、一名「両首」と云へり
近世所謂「卜一ハ一」は此互形の代用物を手拭にて造るなりと聞く

助け舟(たすけぶね) 閨房用淫具の一種たる鎧形を云ふ、老翁が使用すること多きゆえの別名ならん


  【ちの部】

千(ち)ずり百(もゝ)がき 手淫を云ふ、『陰名考』には「千ずり百むき」とあり、また「百(ひやく)むくり」とも云ふ、『三陰論』に「田舎にては百むくりとも、また手○○とも云ふよし」とあり

長命丸(ちやうめいぐわん) 閨房用淫薬の名、丁字、龍脳、胡椒等の刺激剤を調合せしもの、之を男陰に塗付すれば、勢力旺盛となりて容易に萎縮せずとの意にて長命と名づけしなり、古くは万春堂、後には四ツ目屋といへる淫具淫薬屋が公然販売せしものなり、川柳に曰く「長命の薬、寿命の毒と成り」
往年『女子高等読本』に引用されて物議の種と成りたる石川雅望の著『都の手ぶり』の記事中に、「長命とは不死の薬なるべし」とトボケしは長命丸の事なり

地黄丸(ぢわうぐわん) 是も「長命丸」に類する淫薬の名なり、元禄八年版の『好色赤烏帽子』に曰く「いまだ二十に足らぬ男も、六味八味の地黄丸を用ひて、腎水の満つる事を本とし……」

ちよんちよん幕(まく) ちよんの間と云ふに同じ、田舎の俗謡に「山でちよんちよんすりや、樹の根が枕」といふあり、式亭三馬の『辰巳婦言』には「放蕩家の呉王、姑蘇台に西施をして、チヨンチヨン幕の楽みも、かくやあらじ……」とあり、又「ちよんの幕」とも云へり
ちよんの間、『枕文庫』には「早急の間」と書き、『誹諧通言』の吉原語解説の中には「一寸(ちよん)の間、客に約束の内、忍でいろに逢ふ事」とあり、チヨンは和語にあらず、唐の『白行簡賦』に「当忩拠之一廻勝安床之百度」とある「忩(ツオン)」は急匆の意、「拠」はツマムの意、此ツオンを我邦人が聴き伝へてチヨンと訛るに至りしならんと或人云へり

ちうぼう 古書には重宝(ちうばう)と書けり 男陰を云ふ、身体の「中棒」なるべし、「柱棒」と書けるもあり、男陰を「男柱(をばしら)」又は「帆柱」「肉柱」など云ふに基くならんも、柱棒は重言なり、男陰を棒と称することは「肉棒」又「厄介棒」など云ふ例あり

地御(ぢのり) 「本手」とも称す、勝川春章著画の『可男女怡志』の序文中に「地御、曲交、早業の三法」とあり


  【つの部】

角(つの)のふくれ 万葉集(十六)児部女王の嗤る歌に美麗物何所不飽矣坂門等之角乃布久礼爾四具比相爾計六とある角乃布久礼を(契冲法師の説には牛の角鹿の角などのみな下のふくれたればさやうのいやしき貌つきしたらん男に云々、又真淵翁の説には、獣の面のふくれみぐるしきを醜男にたとへたりとあるを)伊吹舎大人は男陰なりといはれたれど他(あたし)古書どもに見へたる事なければ定め難し」と松岡調の『陰名考』にあれども、男陰と解すること適当ならんか
上州の和学者新居守村の著にて明治十八年に公刊せる『気象考』には、此語を「えめる」(女陰)に対して男陰とせり、曰く
「癪持の妻もちていたくさし込みたらば、薬よ医者よのさわぎせず角のふくれをえめるにあはせ抱き起しいだき居て背骨の左右を一二三四五六七八九十と撫おろし見よ下ること妙なりとぞ」

つび 女陰の古名、通鼻、都美、豆非など書けるも皆「つび」なり、陰毛を「つび毛」と云ひ、毛虱を「つび虱」と云ひ、女の瘡毒を「つびかさ」と云へり
「つび」は「窄(つぼみ)」(ほみの約はび)にて、常に狭くつぼみ居る物との義なりといふ、「つびたり」とも称せり
竈を「ヘツつひ」といふは「瓮(へ)のつび」ならんか

つがひ絵(ゑ) 春画を云ふ、「つがい」(番)は継ぎ合ふの約、二者相組み合ふの意なり

強蔵(つよざう)弱蔵(よわざう) 「強蔵」とは精力旺盛の男を云ふ、『好色一代男』を始め、大阪版の淫書に此語多く出づ、『色里三所世帯』には「日本一の強蔵」などあり、此「強蔵」に反する者を「弱蔵」と云へり、『好色一代女』に「男の弱蔵は女の身にしては悲しきものぞかし」とあり、尚此外の淫書にも多く見ゆ

舂屋の日祭遊び(つきやのひまちあそび) 多くの男が○○せる○○を出し居る様を云ふ、搗米屋の休日には多くの杵が仰ぎて並び居るに比せるなり、此語『後言』の小山田与清の条にも出づ

通和散(つうわさん) 黄蜀葵根(ねりぎ)の売薬名なり、其項を見よ

摘草(つみくさ) 遊女が負傷予防又は蓬芒芟理のために春草を摘去することなり、狂句に「売り物は草をむしつて洗ふ鉢」とあるは此事を云ふならん


  【ての部】

てれつく 平賀源内の著『痿陰隠逸伝』に曰く「稚を指似といい、また珍宝と呼、形備りて其名を魔羅と改め、号を天礼菟久と称し、また作蔵と異名す」

手細工(てざいく) 手淫を云ふ、元禄頃の淫書に此語散見す、『好色赤烏帽子』に「男子は八歳より手細工の学に入り」

手銃(てづゝ) 同上、文政二年の『北辺随筆』に此語出づ


  【との部】

とつぎ 「麻具波比」に亜げる古き語にて、交接の意なり(後に婚嫁の義に変ぜり)『日本紀』所載の「交道」を「とつぎのわざ」と訓す、天の浮橋の神話によりて、往古は鶺鴒を「交接教鳥(とつぎをしへどり)」と呼べり

とる 近古の語にて交接の意なり、川柳「女のはとる、若衆のは借りるなり」端唄文句「口説が床の痴話の種、二人してとる人の種」
狂句「とると云ふ晩にとられる恥かしさ」とは婿取りの夜を云ふか、「盗人もあきれてとらぬ持参金」とは醜婦は強姦を免るの意なり
「とる」とは執行の義ならんか

とぼす 同上、「交合」と書きしもあり、『末摘花』には「犯す」と書けり、狂句「とぼさせる招牌、軒に御神灯」「とぼす」の語源不詳なり、或は女陰を「火処」と云へるに因るか


  【なの部】

情所(なさけどころ) 女陰を云ふ、性欲の情を満足せしむる所との意なり、又「情の穴」とも云へり、『松屋筆記』に曰く「女陰を情竇といふは心の奥の情を通ずる穴といふ義なり」
上古は男陰をも云ひしか『古史伝』に曰く「最(いと)古くは男女ともに、此処(陰部)を那佐祁と云ひて甚く隠し、名をさへ避けていはざる処なり」

海鼠形(なまこがた) 閨房用淫具の一種なり、「海鼠の輪」又は「姫泣き輪」とも云へり、鼈甲又は水牛の角にて製す


  【にの部】

日本国が一所になる(につぽんこくがいつしよになる) 絶快の際を云ふ、無我の境に入るとの義ならんか、狂句「日本が一所になって絵図がめちや」

入馬(にふば) 『熟語大辞林』に「人馬、淫事ヲ行ツタコト」とあり、其意義を知らず、支那の故事か、狂句に「馬を入れ、よくねらしてる仕付けの田」といへるがあれど当らず

丹鉾(にぼこ) 男陰の古名なり、丹とは赤きを云ふ


  【ぬの部】

濡尼(ぬれあま)濡後家(ぬれごけ) 男に接触する尼、淫奔の後家を云ふ、交接を「濡」と称することは、俗謡に「春の夕の手枕に、しツぽりと降る軒の雨、濡れて綻ぶ山桜、花が取持つ縁かいな」「さんさ時雨か萱野の雨か、音もせで来て濡れかゝる」などの類句多し、また「濡事」「しめやか」などの語もあり
淫行を「水遊び」とも称す、淫既に水扁なり、しツぽりと濡るゝ淫汁淫液によつて家庭の本位たる生殖を遂ぐるが故に、淫行を「濡」と云ふならんか


  【ねの部】

念仏講(ねんぶつかう) 婦女輪姦を云ふ、「百万遍」とも称せり、順ぐりの意なり、川柳「八、九人頰冠りして下女を待ち」「三人でヂヤンケンをする猿轡」是等を云ふ
「下女夕べ念仏講で往生し」

黄蜀葵根(ねりぎ) 男色用の粘液性塗付薬なり、黄蜀葵「とろゝ葵」の根を乾して粉末にせし物を云ふ、「通和散」とも称せり
『守貞漫稿』には「新妓初めてみづあげの時にもこれを用ゆ」とあり
『痿陰隠逸伝』に曰く「葭町堺町にて走ては、何やら天皇の後胤信濃源氏の嫡流を、無残なる哉、黄蜀葵根と共に葛西の土民の手に渡し……」
鼠(ねずみ)づれ 夜這を云ふ、しのびしのびて通ふの意、『俳諧恋の栞』に曰く「年をへて君をのみこそ鼠つれ、ことはりにやは子をば生ふへき」

猫の水呑む音(ねこのみづのむおと) 「猫が粥を食ふ音」とも云ふ、『若葉梅浮名横櫛』みる杭の松の台詞に曰く「よく聞けば猫の水呑む音でなし、エヽ気がわるい」


  【のの部】

のゝ字を書く(ののじをかく) 尻にてのゝ字を書くとの事なり、名句あれども略す

野放し(のばなし) 褌を著けざる男陰を云ふ、馬を野に放つの意より出でし語なるべし


  【はの部】

はせ 男陰の古名「をはせ」を略して「はせ」と云ひしなり、後には「破前」と書きて語原に違ふ意義を示せり
「おはせ」の項を見よ

はてし 太田南畝の著『俗耳鼓吹』に「薬研堀芸者(歌妓)隠し言葉に房事のことをはてしというもをかし、畢竟是陰」とあり、淫行(或は陰部)を古語にて「はてし」と云ふなるに、それを隠し言葉とするは、笑うべき事なりとの意なるべし
此「はてし」と云ふ語は、尻を「はて」と云ふより起りしならんか

恥隠し(はぢかくし) 腰巻を云ふ、西鶴の『武道伝来記』に「くれないの恥隠し一重の有様」とあり、此頃は未だ腰巻と云はず、湯具、湯巻、ゆもじ、脚布など称せしなり(古くは下裳、二布など称せり)「恥隠し」とは羞恥部を蔽ふの義にて、当時の売女などが云ひし語なるべし、他の書にては見当らず

箱入息子(はこいりむすこ) 張形の異名なり、「箱入男」とも云ふ、常には箱に入れ置くが故、箱入娘に対しての滑稽称呼なり、川柳に「箱入息子秘蔵する長局」と云ふもあり

ばちんせい 八文字屋の枕本(書名失念)に、多くの女を犯せし男の事を記して「ばちんせいがよくつゞいたものだ」とありたり、男陰の義にて「馬珍勢」か

半釈迦(はんだか) 「釈迦」の項を見よ


  【ひの部】

ひなさき 陰核を云ふ、「吉舌」または「雛先」とも書す、「ひなさき」は「火の穴のさき」ならんと大槻如電翁語れり、松岡調翁は「火の門鉾」かと説けり

火消壺(ひけしつぼ) 女陰を云ふ、男の情火を消すつほみとの意ならん、狂句「寝る支度女房注意す火消壺」「お客が帰ると直ぐに出す火消壺」「火の様に起ると壺へ入れて消し」


  【ふの部】

文弥節(ぶんやぶし) 享保頃の岡本文弥が唄ひ初めし文弥節は、其音節が女子閨中の叫快に似たりとて、其淫声を文弥節と云へり、『誹諧通言』に「文弥、閨にて泣女郎の事也」とあり、式亭三馬の戯文に曰く「鳴け聞かう、京の女郎の文弥節、聞きに北野のほとゝぎす程」

船玉様(ふなたまさま) 女陰を云ふ、忠臣蔵の由良之助の台詞にあり、『三陰論』に曰く「船玉様とは大星が洒落」
女陰を船に擬したる語は多くあり、「船玉」とは「船霊」の義なり

二仕(ふたせ) 宝暦頃の大阪版淫書に「下女にして抱てねるを二仕といふなり」とあり、現今行はるゝ東京語の「炊きざわり」又は「小間ざわり」に同じ

フウスルア 淫薬の名なり、和蘭陀伝法の練薬を称せしものにて、長命丸女悦丸の如き刺激剤

筆(ふで)おろし 処女の「水揚」と云ふに均しく、若き男が初めて女に接するを云ふ、大槻如電翁の戯作せる淫書の標題に『筆おろし』といふあり

船饅頭(ふなまんぢう) 港口又は河川に於て船に乗りて淫を売りし女を云ふ、平安朝時代に「流れの君」と呼ばれし江口の君、神崎の君などは後の世に云ふ船饅頭なり
平賀源内の著『風流志道軒伝』に「船饅頭に餡もなく、夜鷹に羽は無けれども、皆それぞれのすぎはい……」、同著『お千代伝』に曰く「牡丹餅は棚にあり、饅頭は船にありといふ」、
「ぼちやぼちやの船饅頭」といふ語もありたり、又遊女を憂き川竹の勤めの身などいふは、流れの君たる船饅頭より起りし語ならん
「船比丘尼」という黒衣の淫売婦も安永頃江戸にありたり 大阪にては船饅頭を「ぴんしよ」と呼べり、米一升にて淫を売りし故「一升」の意なりと云ふ
川柳に「立つことのならぬを舟であきなはせ」といふあり、船饅頭のことなるべし、普通の夜鷹辻君の如く陸上の街路に立ちて客を呼び難きビツコなどが船饅頭に成りしを云ふか


  【への部】

べにうすざん 女陰の上部、すなわち陰阜を云ふ、羅旬語のヴエネリスの転訛なりとの説あり、俗には「土堤」又は「ふくらみ」と称す、「ほがみ」と云ふが古名なるべし

べヽ 古き和語の字書類には「へゝ」(𡲚)又は「べゝ」(屄)とも書けり、今尚少女の陰を「べゝ」と呼べる地方もあり、狂句「田舎児傅べゝを著せろにきよろきよろし」

へき 女陰を云ふ、天明頃より明治前までの江戸版淫書には「開」の字を書きて「へき」と訓せるもの多し


  【ほの部】

ほと 「なりあはざるところ」とは女陰のことなれども、形容詞たるに過ぎず、女陰の名称として最も古きは此「ほと」なり、『古事記』には「美蕃登」とあり、「ほと」とは「火処」にて、火の出る所という意なり、火の門(ひなと)とも言へり、陰核を「ひなさき」と云ふも「火の尖」なり、火とは血(経水)のこと、赤く温きに因る
又「ほと」は「含処」なりとの説もあり、含(ほと)まれる所、即ち物を含みたるが如く膨れし所と云ふ意なり、『陰名考』に「世俗に菩々といふは「蕃登」を訛りていふなり」とあり

ほがみ 陰阜を云ふ、『藐姑射秘言』には「陰上」とあり、ほとの上部の意なり、「外見(ほかみ)」なりといふ説はあれども付会採るに足らず
「べにうすざん」とも云ふこと別項に記せり

帆柱丸(ほばしらぐわん) 淫薬の名なり、江戸両国の四ツ目屋にて販売せり、「長命丸」の項にも記せしがごとく、往年『女子高等国語読本』に引用されて物議の種と成りたる石川雅望の著『都の手ぶり』の記事中に「帆柱とは何やらん、風の薬をいへるなぞなぞにや」とトボケあるは此帆柱丸の事なり


  【まの部】

まくばひ 「みとのまくばひ」の古事の如く、男女の交接を云ふ、『三徳秘録』に曰く「男女のまくばいは天下の達道にして、閨門の化を現はすなり」

まめやか物(もの) 『宇治拾遺物語』の狂惑僧の条中に「衣の前を掻き上げて見すれば、まことにまめやかのはなくて髯ばかりあり……まめやか物を下の袋(陰嚢)へ捻り入れて、飯糊(そくい)にて毛を取付たるにてありける」とあり、「まめやか」とは強健の意なり
また男陰を「ませら」「まうら」とも云へり、「ませら」は「まめやか」に同じか、「まうら」は「まら」の音便か


  【みの部】

みとのまくはひ 『古事記』に諾冉二尊が美斗能麻具波比を為し給へりと云ふ事あり、「美斗」は御所(寝室)にて、「麻」はうまく、「具波比」はくひあひ(交接)の意なりと云ふ

みほと 女陰の古名「ほと」に「御」の敬語を冠して云へるなり、『古事記』に「畝火山の美富登」とあるは、山を人体に擬して山の腹、山の腰など云ふ如く山の陰部なり

道盛の働き(みちもりのはたらき) 八文字屋本の『野白内証鏡』に「道盛の働をうつし、いやおふなしに首尾してしまひ」とあり、『枕絵づくし』に「昔たひらのみちもりは軍の門出に具足を着しながら女をして慰む」とあり、又川柳に「道盛は寝巻の上へ鎧を着」といふあり、此道盛とは平通盛のことにて通盛が好色者なりしによる、即ち道盛の働きとは過度の交接を云ふなり

御戸帳(みとちよう) 女の腰巻を云ふ、奥の院の開帳というも、此御戸帳を開くとの意なり
『お千代伝』に「縮緬の二布は尻くらひ観音の御戸帳」とあり、情歌に「開帳ことはる如来のとびら、今宵は真如の月ぐもり」といふあり、如来とは女陰、月とは経水のことなり


  【むの部】

蒸し返す(むしかへす) 重ねて房事を行ふを云ふ、『華のあり香』には「二会目交(むしかへし)」と書けり


  【めの部】

めぐす 『俚言集覧』に「男女交合することを上総にてはメグスといふ」とあり、除外の方言なれども、「め」の部の廃語絶無に付き、故らに茲に載す


  【もの部】

物(もの)よし 『色道禁秘抄』に曰く「癩疾家ハ男女卜モニ妙陰ニテ平人ニ勝レテ快楽多キ故、昔ヨリ物よしト称スルヨシ」

もゝんぢい 陰毛の多き女陰を云ふ、「子供は恐れてもゝんぢいと云ふ」と『三陰論』にあり、もゝんぢい、もゝんがとも云ひ、被髪の妖怪物なり(南洋にモヽンジイ(獺獣)といふ毛深き獣ありとも云ふ)


  【や行】

やりくり 交接を云ふ、貞享元禄頃の淫書に此語多く出づ、『好色赤烏帽子』に「女をとらかし、日々にやりくりの数を重ね」、『色里三所世帯』に「此事より外に楽しみなしと思ひ入りのやりくり」、『風流呉竹男』に「我国の法師等やりくりを知らず」、『好色貝合』に「今生のやりくりは思ひとゞまり」、『好色変通占』に「門に犬の遣繰あり」、『好色旅枕』に「犬の遣曲」などあり

薬研(やげん) 女陰を云ふ、其形相似たるを以てなり、川柳「不慮な怪我、薬研を外科に鋳かけさせ」


  【ゆの部】

夜馬(ようま) 『末摘花』に「我慢して歩み行き夜馬に乗る気なり」、「夜馬の事は洩らす道の記」とあり、飯盛女を云ふ

四目屋道具(よつめやだうぐ) 淫薬を四目屋薬と称し、淫具を四目屋道具と云へり、張形を始め、兜形、鎧形、吾妻形、互形、琳の玉、助け舟、なまこの輪、肥後芋茎など云ふ物なり


  【ら行】

らやく 男陰が黴毒に罹りしを云ふ、麻羅の疫なるべし、室町時代の医書には「裸疫」と記せる由曾て富士川游氏より聞けり、『昨日は今日の物語』には「らやくをわづらひ、みなみなおちて、やうやうかぶが一寸ほど御座候」とあり、寛永頃までは「らやく」と云ひしなるべし、その後は「かさ」と云へり

らせつ 男根を切断すること、羅切ならん、『和漢遊女容気』には「裸切」とあり、『俳諧恋の栞』に「閹寺、男根を断ちし者なり、今いうらせつなり」とあり、
川柳「阿房宮らせつしたのがはきしなり」「花守に羅切ほしがる道楽寺」


  【りの部】

倫子薬(りんすぐすり) 元禄版の『好色旅枕』に、なまこの輪と共に出せる其図を見るのみ、紙片に膏薬を延べたる物の如し、嬉契紙の類ならんか

悋気の輪(りんきのわ) 女が嫉妬心のために、我愛人を牽制せんとして男陰に箝むる金属製の輪を云ふ、文政天保の頃江戸にて行はれたるか、其図、淫書にあり


  【るの部】

瑠璃光如来(るりくわうによらい) 女陰の異名なり、単に「如来」又は「如来様」とも云ふ


  【れの部】

例(れい)こく 寛政享和の頃、吉原にて流行せし語なり、「例刻」又は「例国」と書けり、「こく」の字解し難し
菎蒻本『松の登妓話』に「此女等兎角亭主の例こくへくらひつきます」とあり、『商内神』には「客、揚屋町の湯にでもへゝつてこよふ、女郎、うちでおへゝりなんしな、客、イヤ生貝を塩でもむよふに例こくをごしごしやつた湯はおそれいりやす」とあり、例の物との意なるべし


  【ろの部】

ろてん 男陰を云ふ、京大阪にて天和頃より寛政頃まで行はれたる語なり、『好色一代男』に契の隔板とて「女楽寝をすれば、ろてんの通ふ程の穴あり……」、貞享の京版『好色貝合』には弱露転の題下に「人なみならぬ露転を持つ」とあり、『風流玉の盃』には「ろてん火の如く成り」とあり、精液を露と云ふより、それを転ずる器として「露転」の字をあてはめしならんか(現今の医家が男陰を注射器と云ふに同じ)語原は船頭及び船乗商人が男陰を「櫓栓」と云ひし転訛なるべし


   【わの部】

わたくし物(もの) 寛永版の『昨日は今日の物語』に「わたくし物をいかにも見事にしたてゝ(勃起させての意)……」とあり、又「ある男朝起きて帯をときながらわたくし物を出して火にあたる……」とあり、京吉田の某が邸内の山に松茸の生るを隠し居るとて、細川幽斎の詠める狂歌「松茸のおゆるを隠す吉田殿、わたくし物と人やいふらん」
「わたくし物」とは公に出せぬ物、即ち隠すべき物と云ふ意の名称なり

笑ひ茶筌(わらひちやせん) 『花紋天の浮橋』に此名称あり、甲形と鎧形とを合せたるが如き物にて、淫具の一なり


  【ゐの部】

居(ゐ)どり 古くはまくばひを、とり、とる、とらん、など云へり、「居」とは坐居のまゝの事なり


  【ゑの部】

ゑめる 女陰のことなり、口を開くをゑむと云ふ(柘榴がゑむ、腫物がゑむの類、笑ふをゑむと云ふも同じ)、「ゑめる」とはゑむる物、即ち女陰を云ふなり
「角のふくれ」の項を見よ

越前(ゑちぜん) 包茎を云ふ、越前家(福井藩)の鎗の袋が包茎に似たりとて云ひ初めしなりと聞く 明和以後の川柳に此語多く出づ、「一国はむくれてるのを笑ふなり」「押さへたは越前なりと湯番いひ」


  【をの部】

をはせ 「男茎」と書きて「をはせ」と訓せり、「をはせ」には二説あり、一は「男柱」の意なりとの説、一は男陰が川魚のハゼに似たるより男のハゼとの説なり
略して「はせ」とも云ひ、後には「破前」と書くこと別項に記せり
『古語拾遺』に稲田の蝗を壌ふ法あり、「以牛肉置溝口作男茎形」の男茎形に「をはせかた」と訓せり

陸濡(をかぬ)らし 俗に云ふ「無駄○○おやし」なり、『好色赤烏帽子』小野小町の事をいへる条に「あまたの人ををかぬらしにしたまひ、すでに床入のだんになりては、上手こかしにしたまひ、御湯具をまくらせたまはず……」とあり

終り初物(をはりはつもの) 産後の婦人を云ふ、狂句に「七十五日目、初物のやうな味」といふもあり

(終)



大正八年五月五日発行
大正十四年二月十日訂正再版     〔禁売買〕
不許複製
  東京市下谷区上野桜木町二十二番地
著述印刷発行者    宮武外骨




猥褻廃語辞彙再版付録

本書は『猥褻と科学』に記載せるが如く発行当月の八日に内務省より頒布禁止の命に接し、尚八月中旬刑事問題としての取調べを受け、結局左の有罪判決を通達されたるものなり、因つて其忌諱に触れたる点を削除して再版に付す


   略式命令
         東京市下谷区上野桜木町二十二番地
                 宮武外骨
                   五十三年
被告人ハ自ラ謄写版ヲ使用シ『猥褻廃語辞彙』ト題スル文書ヲ印刷シテ製本シ其書中「それ吹けやれ吹け」ナル詞ヲ説明スルニ当リ若キ女ニ紅粉ヲ粧ハセ八文バカリノ木戸銭ヲ取リ女ハ裾ヲ開キ陰門ヲ顕ハシ筒ヲ以テ之ヲ吹ク時腰ヲ左右ニフル衆人ノ中之ヲ吹イテ笑ハサル者ニハ賞ヲ出スト記載シ「春屋の日祭遊び」ナル詞ヲ説明スルニ多クノ男カ勃起セル陰茎ヲ出シ居ル様ヲ云フト記載シアルカ如キ一読羞恥ノ念ヲ起サシムヘキ文字ヲ列ラネタル等風俗ヲ壊乱スヘキ書籍三十冊ヲ大正八年六月五日以降京都市上京区高倉通夷川上ル福屋町大槻三八郎外二十三名ニ対シ贈与頒布シタルモノナリ
右ノ所為ハ出版法第二十七条ニ該当ス依テ刑法第十八条刑法施行法第十九条第二十条刑事訴訟法第二百二条を適用シ裁判ヲ為スコト左ノ如シ
  被告人ヲ罰金七拾円ニ処ス
  右罰金不完納ノトキハ七十日間労役所ニ留置ス
  押収品ハ差出人ニ還付ス
被告人ハ此ノ命令送達アリタル日ヨリ七日内ニ正式裁判ノ申立ヲ為スコトヲ得此申立ハ之ヲ抛棄シ又ハ第一審ノ判決アル迄之ヲ取下クルコトヲ得
   大正八年八月二十日
                東京区裁判所
                    判   事   江本清平
                    裁判所書記   伊田晴一




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菊池眞一