陸奥宗光の都々逸
菊 池 眞 一
『文芸倶楽部』第四巻第六編(明治三十一年五月十日)所載。
故陸奥伯の俗曲
屠龍搏虎の手、時あつて路傍の花に戯れ柳にもつるゝも、英雄斗大の胆、優に閑日月のあればなるべし。故陸奥宗光伯といへば、満身是れ無叛気の理屈言えのみと思はるれど、英雄もと多情多恨、花月縁あり、烟霞累をなす、伯未だ風雲の機に会せず、京阪に飄零せる時なりとか、大阪の中の島に梅次と名乗る妙齢の歌妓あり、伯の愛顧を受く。或時君は林董小松済治等を連れて某所に来るや、梅次は狂せる如く君に迫り、若し此身を贖ひて自由になしくれずば緑の黒髪を切るべしと云ひしを、君は空嘯きて夫れしきの事に恐さるゝ陸奥ならずと取合はざりしに。梅次はツカツカと立ちて楼を下りやがて手拭を頭にかぶりて出で来る。只見れば欄前の波上に浮ぶ一物あり。緋鹿の子にからまれし島田髷の根元よりブツリと切れて五分玉の珊瑚の簪のさされたるまゝに流るゝにぞ。扨はと思ひて酒の酔ひも醒め果て、そこそこに其場を逃げ出だせしが。君は脆くも岩橋万造なる者を頼みて梅次に詫を入れつゝ其髪の延びるまでの玉代を取らせけるが。此は何か君が言葉質を梅次に取られたるが為めとぞ聞えし。憐れ今ならば新聞紙上の好材料にならましものを。又た君は翁の遺伝によりて俗曲を作るに妙を得たり。住吉三文字茶屋の仲居に末と呼べる美人あり、君は屢ば末の許へ通ひて、
末は袂を絞ると知らで
濡れて見たさの夏の雨
而して左に掲ぐるものゝ如きも、亦流石に其の格調卑しからず、真に黄絹幼婦とも云ふべし。
案じる心のうちから出たか
思ふところに通ふ雲
又た左の俗曲一闋は、当時君が最も得意の作として、大阪新町に流行りしものなりと。咄咄頼山陽、木戸松菊独り其美を前に擅にするを得さるなり。
逢見ての後の心にくらぶれば、思ひぞまさるきのふけふ、一層他人であつたなら、コンナに苦労もあるまいに、これが死ねとか出雲の神は、ホンに仇やらなさけやら、
《2019年7月8日公開》
菊池眞一