P407曾我物語巻第十二
@〔虎(とら)、箱根にて暇乞(いとまごひ)して、行(ゆ)き別(わか)れし事(こと)〕S1201N169
然(さ)る程(ほど)に、大磯(おほいそ)の虎(とら)は、十郎(じふらう)祐成(すけなり)討(う)ち死(じ)にの由(よし)を聞(き)きて、如何(いか)なる淵(ふち)河(かは)にも入(い)らばやと思(おも)ひけれども、なき人の菩提(ぼだい)のつとにも成(な)るまじければ、偏(ひとへ)に浮(う)き世(よ)を背(そむ)きはてて、彼(か)の人(ひと)の後世(ごせ)弔(とぶら)はんと思(おも)ひ立(た)ち、袈裟(けさ)、衣など調(ととの)へて、箱根山に上り、百ケ日の仏事(ぶつじ)のついでに、泣(な)く泣(な)く翡翠(ひすい)のかんざしをそり落(お)とし、五戒(ごかい)を保(たも)ちけり。さしも、美(うつく)しかりつる花の袂(たもと)を引(ひ)きかへて、墨(すみ)の衣(ころも)にやつしはてける、志(こころざし)の程(ほど)こそ、類(たぐひ)少(すく)なき情(なさけ)なれ。母(はは)、是(これ)を見(み)て、「我(われ)も、同(おな)じ墨(すみ)の袂(たもと)に成(な)りて、彼(かれ)等(ら)が菩提(ぼだい)をも弔(とぶら)ふべし、今(いま)、此(こ)のつくも髪(がみ)を付(つ)けても、何(なに)にかはせん」とぞ歎(なげ)き悲(かな)しまれける。別当(べつたう)、様々(さまざま)に教訓(けうくん)して、申(まう)し止(とど)められける。母(はは)御前(ごぜん)力(ちから)無(な)く、五郎(ごらう)が遺跡(ゆいせき)なれば、名残(なごり)惜(を)しくは思(おも)へども、此処(ここ)にて、日を送(おく)るべき事(こと)ならねば、別当(べつたう)に暇(いとま)をこひ、帰(かへ)るとて、虎(とら)御前(ごぜん)に申(まう)されけるは、「曾我(そが)へいざさせ給(たま)へ、十郎(じふらう)が形見(かたみ)P408に見(み)参(まゐ)らせ候(さうら)はん」と言(い)はれければ、虎(とら)、「もつとも御供(おんとも)申(まう)し候(さうら)ひて、形見(かたみ)にも見(み)え参(まゐ)らせたくは候(さうら)へ共(ども)、是(これ)より善光寺(ぜんくわうじ)への志(こころざし)候(さうら)ふ。下向(げかう)にこそ参(まゐ)り候(さうら)はめ」とて、行(ゆ)き別(わか)れぬ。
@〔井出(ゐで)の屋形(やかた)の跡(あと)見(み)し事(こと)〕S1202N170
虎(とら)は、只(ただ)一人、十郎の空(むな)しくなりし富士(ふじ)の裾(すそ)、井出(ゐで)の屋形(やかた)の跡(あと)を志(こころざ)して、箱根(はこね)を後(うし)ろになして行(ゆ)く程(ほど)に、其(そ)の日も、やうやう暮(く)れぬれば、三嶋の拝殿(はいでん)に通夜(つや)申(まう)し、明(あ)くれば、三嶋を出(い)でて、車(くるま)返(かへ)しに立(た)ちやすらひ、千本の松原、心(こころ)細(ぼそ)く歩(あゆ)み過(す)ぎ、浮島原(うきしまがはら)にも出(い)でぬ。南は、蒼海(さうかい)漫々(まんまん)として、田子(たご)の浦波(うらなみ)滔々(たうたう)たり。北は、松山(まつやま)高々(かうかう)として、裾野(すその)の嵐(あらし)颯々(さつさつ)たり。未(いま)だ旅(たび)なれぬ事(こと)なれば、彼処(かしこ)を何処(いづく)とも知(し)らねども、志(こころざし)をしるべにて、やうやう歩(あゆ)み行(ゆ)く程(ほど)に、井出(ゐで)の里に近付(ちかづ)きぬ。虎(とら)は、里(さと)の翁(おきな)にあひて、問(と)ひけるは、「過(す)ぎにし夏の頃(ころ)、鎌倉(かまくら)殿(どの)の御狩(みかり)の時(とき)、親(おや)の敵(かたき)打(う)ちて、同(おな)じく打(う)たれし曾我(そが)の人々(ひとびと)の跡(あと)や知(し)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふ。教(をし)へさせ給(たま)へ」と言(い)ひければ、此(こ)の翁(おきな)、心(こころ)有(あ)る者(もの)にて、虎(とら)が顔(かほ)を、つくづくと見(み)て、「もし御縁(ゆかり)にて渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふか。いたはしき御有様(おんありさま)かな、人をもつれさせ給(たま)ひ候(さうら)はず、只(ただ)一人、是(これ)まで御(おん)尋(たづ)ね候(さうら)ふP409事(こと)、なほざりの御志(おんこころざし)とも覚(おぼ)えず。もし十郎(じふらう)殿(どの)、御志(こころざし)深(ふか)く渡(わた)らせ給(たま)ひし、大磯(おほいそ)の虎御前(とらごぜん)にて御座(おは)しまし候(さうら)ふか。有(あ)りの儘(まま)に承(うけたまは)り候(さうら)はば、教(をし)へ参(まゐ)らせん」と言(い)ひければ、虎(とら)は、是(これ)を聞(き)き、別(わか)れの涙(なみだ)、未(いま)だかわかぬに、又(また)打(う)ち添(そ)へて、賎(しづ)の男(を)が情(なさけ)の言葉(ことば)に、愁(うれ)への色(いろ)現(あらは)れて、問(と)ふにつらさの涙(なみだ)、忍(しの)びも敢(あ)へぬ気色(けしき)を見(み)て、翁(おきな)、然(さ)ればこそと思(おも)ひて、共(とも)に袖(そで)をぞ絞(しぼ)りける。「然(さ)らば、いざさせ給(たま)へ」とて、北へ六七町(ちやう)、遙(はる)かに野(の)を分(わ)け行(ゆ)けば、なき人のはてにける草葉(くさば)の露(つゆ)かとなつかしく、「洲蘆(しうろ)の夜(よ)の雨、他郷(たきやう)の涙(なみだ)、岸柳(がんりう)の秋の風の、遠塞(ゑんさい)の情(こころ)」とかやも思(おも)ひ出(い)でられて、何処(いづく)とも無(な)く行(ゆ)く程(ほど)に、日も夕暮(ゆふぐれ)の峰(みね)の嵐(あらし)、心(こころ)細(ぼそ)くぞ聞(き)こえける。翁(おきな)、或(あ)る方(かた)を爪(つま)ざして、「あれこそ、出(い)での屋形(やかた)の跡(あと)にて候(さうら)へ。あの辺(へん)こそ、工藤(くどう)左衛門(さゑもん)殿(どの)打(う)たれさせ給(たま)ひ候(さうら)ふ所(ところ)にて候(さうら)へ。又(また)、彼処(かしこ)は、十郎(じふらう)殿(どの)の打(う)たれさせ給(たま)ひ候(さうら)ふ所(ところ)、此処(ここ)は、五郎(ごらう)殿(どの)御生害(しやうがい)の所(ところ)、扨(さて)又(また)、あれに見(み)え候(さうら)ふ松(まつ)の下(もと)こそ、二人の死骸(しがい)を隠(かく)し参(まゐ)らせたる所候(さうら)ふよ」と、懇(ねんご)ろに教(をし)へければ、虎(とら)、涙(なみだ)を抑(おさ)へ、かつうは嬉(うれ)しく、かつうは悲(かな)しくて、只(ただ)泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)き。彼(か)の一むら松(まつ)の下(もと)に立(た)ち寄(よ)り見(み)れば、実(げ)にも、うづもれて覚(おぼ)え候(さうら)ふ土(つち)の、少(すこ)し高(たか)く見(み)えければ、過(す)ぎにし五月の末(すゑ)の事(こと)なれば、花薄(すすき)、蓬(よもぎ)、葎(むぐら)おひ茂(しげ)り、其(そ)の跡(あと)だにも見(み)えざりけれども、なき人の縁(ゆかり)と聞(き)くからに、なつかしく覚(おぼ)えて、塚(つか)の辺(ほとり)に伏(ふ)しまろび、我(われ)も同(おな)じP410苔(こけ)の下(した)にうづもれなば、今更(いまさら)斯(か)かる思(おも)ひはせざらまし、黄泉(くわうせん)、如何(いか)なる住(す)み処(か)なれば、行(ゆ)きて二度(ふたたび)帰(かへ)らざると、伏(ふ)し鎮(しづ)みける有様(ありさま)、例(たと)へん方(かた)こそ無(な)かりけれ。翁(おきな)も、心(こころ)有(あ)る者(もの)なれば、共(とも)に涙(なみだ)をぞ流(なが)しける。諸(もろ)共(とも)にかくては適(かな)はじとや思(おも)ひけん、「御(おん)歎(なげ)き候(さうら)ふとも、其(そ)の甲斐(かひ)有(あ)るまじく候(さうら)ふ。夜(よ)になれば、此(こ)の所(ところ)には、狼(おほかめ)と申(まう)す物(もの)、道(みち)行(ゆ)く人を悩(なや)まし候(さうら)ふ。御(おん)止(とど)まり候(さうら)ひて、適(かな)ふまじく候(さうら)ふ。是(これ)より御(おん)帰(かへ)り候(さうら)ひて、今宵(こよひ)は、賎(しづ)が伏屋(ふせや)なりとも、御(おん)止(とど)まり候(さうら)ひて、一夜(いちや)をあかさせ給(たま)ひ候(さうら)へ。旅(たび)は、何(なに)か苦(くる)しく候(さうら)ふべき」と申(まう)しければ、「嬉(うれ)しくも宣(のたま)ふ物(もの)かな。此(こ)の辺(あたり)、懇(ねんご)ろに教(をし)へ給(たま)ふに、宿まで思(おも)ひ寄(よ)り給(たま)ふ事(こと)の嬉(うれ)しさよ。然様(さやう)に恐(おそ)ろしき者(もの)の候(さうら)ひて、身(み)を捨(す)てても、何(なに)にかはすベき」とて塚(つか)の辺(ほとり)にて念仏(ねんぶつ)申(まう)し、「過去(くわこ)幽霊(いうれい)、成仏(じやうぶつ)得脱(とくだつ)」と回向(ゑかう)すれば、十郎の魂霊(こんれい)も、如何(いか)計(ばかり)嬉(うれ)しと思(おぼ)すらんと、思(おも)ひ遣(や)られて、哀(あは)れ也(なり)。虎(とら)、涙(なみだ)の隙(ひま)より、かくぞ連(つら)ねける。
露(つゆ)とのみ消(き)えにし跡(あと)をきて見(み)れば尾花(おばな)が末(すゑ)に秋風ぞ吹(ふ)く W039
浮(う)き世(よ)ぞと思(おも)ひ染(そ)めにし墨衣(すみごろも)今(いま)又(また)露の何(なに)と置(お)くらん W040
かくて、井出(ゐで)の辺(ほとり)を行(ゆ)き別(わか)れ、其(そ)の夜(よ)は、翁(おきな)の所(ところ)に止(とど)まり、明(あ)けぬれば、野原の露(つゆ)にしをれつつ、足(あし)に任(まか)せて行(ゆ)く程(ほど)に、富士の煙(けぶり)を見(み)ても、つらき思(おも)ひにたぐへつつ、其処(そこ)とも知(し)らぬ道(みち)の辺(べ)の、草むらごとの虫(むし)までも、鳴(な)く音(ね)を添(そ)へて、哀(あは)れなり。P411実(げ)に、只(ただ)だにも、秋(あき)の思(おも)ひは悲(かな)しきに、やつしはてぬる旅衣(たびごろも)、いとどつらさを重(かさ)ねつつ、たどり行(ゆ)く程(ほど)に、手越(てごし)の宿(しゆく)にぞつきにける。
@〔手越(てごし)の少将(せうしやう)にあひし事(こと)〕S1203N171
さて、或(あ)る小家(こいへ)に立(た)ち寄(よ)りて、主(あるじ)のをうなをやとひて、少将(せうしやう)御前(ごぜん)を呼(よ)び出(い)だして、「旅人(たびびと)の、是(これ)にて、申(まう)すべき事(こと)の候(さうら)ふと申(まう)し給(たま)へ」と言(い)ひければ、「安(やす)き御事(こと)」とて、呼(よ)び出(い)だして来(き)たる。少将(せうしやう)は、虎(とら)が変(か)はれる姿(すがた)を見(み)て、言(い)ひ出(い)づべき言(こと)の葉(は)も無(な)くて、只(ただ)涙(なみだ)をぞ流(なが)しける。やや有(あ)りて、虎(とら)、泣(な)く泣(な)く申(まう)しけるは、「彼(か)の祐成(すけなり)に相(あひ)なれて、既(すで)に三年(みとせ)になり候(さうら)ふ。宿縁(しゆくえん)深(ふか)き故(ゆゑ)にや、又(また)余(よ)の人を見(み)んと思(おも)はざりつるなり。此(こ)の人失(う)せ給(たま)ひぬると聞(き)きし時は、同(おな)じ苔(こけ)の下(した)に、うづもればやと思(おも)ひしかども、つれなき命、ながらへて候(さうら)ふぞや。然(さ)れば、世(よ)を渡(わた)る遊(あそ)び者(もの)の習(なら)ひは、心(こころ)に任(まか)せぬ事(こと)も侍(はんべ)るべしと思(おも)ひて、百ケ日の仏事(ぶつじ)のついでに、箱根にて、髪(かみ)を下(お)ろして、只(ただ)一人(ひとり)迷(まよ)ひ出(い)で、富士野(ふじの)裾野(すその)の井手の辺(ほとり)にて、其(そ)の跡(あと)ばかりなりとも見(み)え、憂(う)かりし心(こころ)をも慰(なぐさ)みて、ついでに、此(こ)の辺(あたり)近(ちか)く御座(おは)しければ、見参(げんざん)に入(い)り、物語(ものがたり)をも申(まう)し、此(こ)の姿(すがた)をも見(み)え参(まゐ)らせむと思(おも)ひて、是(これ)まで来(き)たりて候(さうら)ふ」と語(かた)りければ、P412少将(せうしやう)も、涙(なみだ)を抑(おさ)へて、「げにげに、如何(いか)ばかり御(おん)歎(なげ)き」と思(おも)ひ遣(や)られて、泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)き。少将(せうしやう)言(い)ひけるは、「過(す)ぎにし夏の頃(ころ)、工藤(くどう)左衛門(さゑもん)に呼(よ)ばれて、酒(さけ)のみし時(とき)、十郎(じふらう)殿(どの)をも呼(よ)び入(い)れ参(まゐ)らせしかば、始(はじ)めて見参(げんざん)に入(い)りしなり。工藤(くどう)左衛門(さゑもん)の悪口(あつこう)に、此(こ)の殿(との)の思(おも)ひ切(き)り給(たま)へる色(いろ)現(あらは)れ見(み)えて、只今(ただいま)事(こと)出(い)で来(き)ぬべしと、座敷(ざしき)もすさまじく候(さうら)ひしに、何(なに)と思(おも)はれけん、酒(さけ)のみ、押(お)し鎮(しづ)めて立(た)たれし事(こと)、只今(ただいま)の心地(ここち)して、哀(あは)れに候(さうら)ふぞや。立(た)ち出(い)で、かくと申(まう)したく候(さうら)ひしかども、御身(おんみ)と親(した)しき事(こと)、人に知(し)られんも、憚(はばか)り有(あ)りしかば、さてのみ過(す)ぎしなり。其(そ)の夜、祐経(すけつね)の宿直(とのゐ)の事(こと)、乳母(めのと)の童(わらは)にて、知(し)らせ参(まゐ)らせ候(さうら)ひし事(こと)、不思議(ふしぎ)に覚(おぼ)え候(さうら)ふ。仮令(たとへ)一夜(いちや)の妻(つま)なりとも、互(たが)ひに情(なさけ)を思(おも)ふべきに、如何(いか)なる事(こと)にや、如何(いか)にもして、打(う)たせ参(まゐ)らせんと思(おも)ひし事(こと)、只(ただ)偏(ひとへ)に御身(おんみ)故(ゆゑ)ぞかし」と語(かた)りければ、虎(とら)は、此(こ)の事(こと)を始(はじ)めて聞(き)き、十郎(じふらう)殿(どの)最後の時(とき)、斯(か)かる教(をし)へを如何(いか)ばかり嬉(うれ)しく思(おも)ひ給(たま)ひけん、此(こ)の告(つ)げ無(な)かりせば、如何(いか)でか本意(ほんい)を遂(と)げさせ給(たま)ふべきと、いよいよ涙(なみだ)にむせびける。
@〔少将(せうしやう)出家(しゆつけ)の事(こと)〕S1204N172
又(また)、少将(せうしやう)申(まう)しけるは、「生死(しやうじ)無常(むじやう)のはかなき事(こと)、人の言(い)はねども、現(あらは)れ候(さうら)ふぞや。P413然(さ)らぬだに、人は、五障(ごしやう)三従(さんじゆう)の罪(つみ)深(ふか)しと申(まう)すに、同(おな)じ女人と言(い)ひながら、我(われ)等(ら)は、罪(つみ)深(ふか)き身(み)なり。其(そ)の故(ゆゑ)は、只(ただ)一生(いつしやう)、人をたぶらかさんと思(おも)ふ計(ばかり)なれば、心(こころ)を行(ゆ)ききの人に掛(か)け、身(み)を上下(じやうげ)の輩(ともがら)に任(まか)す、日も西山(せいざん)に傾(かたぶ)けば、夢(ゆめ)の内(うち)のかりなる姿(すがた)を飾(かざ)り、月東嶺(とうれい)に出(い)でぬれば、誰(たれ)とも知(し)らぬ人をまつ。夜(よ)ごとに変(か)はる移(うつ)り香(が)、身(み)に止(とど)めて、心(こころ)を悩(なや)まし、朝(あさ)な朝(あさ)なの手枕(たまくら)の露(つゆ)に、名残(なごり)を惜(を)しみつつ、胸(むね)をのみ焦(こ)がす事(こと)、返(かへ)す返(がへ)すも、口惜(くちを)しき憂(う)き身(み)なり。此(こ)の世(よ)は、遂(つひ)の住(す)み処(か)にあらず、草葉(くさば)に結(むす)ぶ露よりも危(あや)ふく、水(みづ)に宿(やど)れる月よりもはかなし。折節(をりふし)、此(こ)の人々(ひとびと)の事(こと)を承(うけたまは)り、御身(おんみ)の姿(すがた)を見(み)て、いよいよ浮(う)き世(よ)に心(こころ)も止(とど)まらず。咋日(きのふ)は、曾我(そが)の里に花やかなりし姿(すがた)、今日(けふ)は、富士野(ふじの)の露(つゆ)と消(き)ゆ。「朝(あした)に紅顔(こうがん)有(あ)つて、世路(せいろ)に誇(ほこ)れ共(ども)、暮(ゆふべ)には白骨(はつこつ)と成(な)りて、郊原(かうげん)にくちぬ」とは、言(い)ふも理(ことわり)也(なり)。然(さ)れば、万事(ばんじ)無益(むやく)なり。御身(おんみ)は、十郎(じふらう)善知識(ぜんぢしき)として、浮(う)き世(よ)を背(そむ)く。我(われ)は又(また)、御身(おんみ)の姿(すがた)を善知識(ぜんぢしき)として、衣を墨(すみ)に染(そ)めんと思(おも)ひ候(さうら)ふ」とて、やがて、翡翠(ひすい)のかんざしを切(き)り、花の袂(たもと)を脱(ぬ)ぎかへて、濃(こ)き墨染(すみぞめ)にあらためつつ、年二十七と申(まう)すに、駿河(するが)の国(くに)手越(てごし)の宿(しゆく)を立(た)ち出(い)でにける。世(よ)を捨(す)つる身(み)と言(い)ひながら、心(こころ)強(づよ)く、住(す)みなれし故郷(ふるさと)を立(た)ち離(はな)れけん心(こころ)の内(うち)、誠(まこと)にやさしく哀(あは)れなり。P414
@〔虎(とら)と少将(せうしやう)、法然(ほふねん)にあひし事(こと)〕S1205N173
然(さ)る程(ほど)に、二人打(う)ちつれ、麻衣(あさごろも)、紙(かみ)の衾(ふすま)を肩(かた)に掛(か)けて、諸国(しよこく)を修行(しゆぎやう)し、信濃(しなの)の国(くに)の善光寺(ぜんくわうじ)に、一両年(いちりやうねん)の程(ほど)、他念(たねん)をまじへず、念仏(ねんぶつ)申(まう)し、過去(くわこ)聖霊(しやうりやう)、頓証(とんしよう)菩提(ぼだい)と祈(いの)り、又(また)都(みやこ)に上(のぼ)り、法然(ほふねん)上人(しやうにん)にあひ奉(たてまつ)り、念仏(ねんぶつ)の法門(ほふもん)を承(うけたまは)り、
@〔虎(とら)、大磯(おほいそ)に取(と)り籠(こも)りし事(こと)〕S1206N174
其(そ)れより又(また)、山々寺々拝(をが)みめぐりけるが、虎(とら)、さすがに古里(ふるさと)や恋(こひ)しかりけん、又(また)、十郎の有(あ)りし辺(ほとり)やなつかしく思(おも)ひけん、大磯(おほいそ)に帰(かへ)り、高麗寺(かうらいじ)の山の奥(おく)に入(い)り、柴(しば)の庵(いほり)に閉(と)ぢ籠(こも)り、一向(いつかう)専修(せんじゆ)の行(ぎやう)を致(いた)して、九品(くほん)往生(わうじやう)ののぞみ怠(おこた)らず、二人の尼(あま)、一庵(ひとついほり)に床(ゆか)を並(なら)べ、行(おこな)ひすましてぞ候(さうら)ひける。
@〔二宮(にのみや)の姉(あね)、大磯(おほいそ)へ尋(たづ)ね行(ゆ)きし事(こと)〕S1207N175
さて、曾我(そが)の母(はは)御前(ごぜん)は、一日(いちにち)片時(へんし)も、世(よ)にながらへべき心地(ここち)は無(な)けれ共(ども)、力(ちから)及(およ)ばP415ぬ浮(う)き世(よ)の習(なら)ひなれ、思(おも)はずに年月(としつき)をぞ送(おく)りける。人の子(こ)の、同(おな)じ齢(よはひ)なるを見(み)ても、二人が面影(おもかげ)身(み)に添(そ)ひて悲(かな)しく、人の病(やまひ)にて死(し)するをも、彼(かれ)等(ら)がせめてかくあらば、取(と)り扱(あつか)ひし物(もの)をとも言(い)ふべきに、仮初(かりそめ)に立(た)ち出(い)でて、二度(ふたたび)帰(かへ)らぬ別(わか)れこそ、神(かみ)ならぬ身(み)のつらさなれ。余(あま)りの恋(こひ)しさの折々(をりをり)は、常(つね)に二宮(にのみや)の姉(あね)を呼(よ)び、憂(う)き事(こと)共(ども)を語(かた)り合(あ)はせて、泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)し。つながぬ月日(つきひ)なれば、第三年も送(おく)り、七年(ねん)にあたる程(ほど)に、五月二十八日、二宮(にのみや)の姉(あね)を呼(よ)び、言(い)ひけるは、「今日(けふ)は、此(こ)の者(もの)が七年忌(ねんき)にあたり候(さうら)へば、追善(ついぜん)を営(いとな)み、弔(とぶら)ひ侍(はべ)るなり。さても、十郎(じふらう)が契(ちぎ)り深(ふか)かりし大磯(おほいそ)の虎(とら)、百ケ日の仏事(ぶつじ)のついでに、箱根にて尼(あま)に成(な)り、御山より行(ゆ)き別(わか)れしが、善光寺(ぜんくわうじ)に、一両年(いちりやうねん)籠(こも)り、其(そ)の後、諸国(しよこく)を修行(しゆぎやう)して、当時(たうじ)は、大磯(おほいそ)に帰(かへ)り、高麗寺(かうらいじ)の山の奥(おく)に、行(おこな)ひすまして候(さうら)ふ也(なり)。いざさせ給(たま)へ、虎(とら)が住(す)所(どころ)見(み)ん」と言(い)ひければ、「童(わらは)も、さこそ思(おも)ひ候(さうら)ふに、御供(おんとも)申(まう)さん」とて、二人、曾我(そが)の里を立(た)ち出(い)でて、中村(なかむら)を通(とほ)り、山彦山(やまひこやま)を打(う)ち越(こ)えて、高麗寺(かうらいじ)の奥(おく)に尋(たづ)ね入(い)り、夏草(なつくさ)のしげみが末(すゑ)を分(わ)け行(ゆ)く程(ほど)に、袖は涙(なみだ)、裾(すそ)は露(つゆ)にしをれつつ、彼(か)の辺(あたり)なる里の翁(おきな)に問(と)ひけるは、「虎(とら)御前(ごぜん)と申(まう)せし人の、尼(あま)に成(な)りて住(す)み給(たま)ふ所(ところ)は、何処(いづく)にて候(さうら)ふやらん」と問(と)ひければ、「あれに見(み)え候(さうら)ふ山の奥(おく)に、森(もり)の候(さうら)ふ所(ところ)こそ、彼(か)の人の草庵(さうあん)にて候(さうら)へ」と教(をし)へければ、嬉(うれ)しく分(わ)け入(い)り見(み)れば、誠(まこと)にかすかなる住(す)まひにて、垣(かき)には蔦(つた)・朝顔(あさがほ)はひかかり、軒(のき)にP416は荵(しのぶ)まじりの忘(わす)れ草、露(つゆ)深(ふか)く、物思(おも)ふ袖(そで)にことならず。庭(には)には蓬(よもぎ)おひ茂(しげ)り、鹿(しか)のふしどかとぞ見(み)えし。瓢箪(へうたん)しばしば空(むな)し、草(くさ)顔淵(がんゑん)が巷(ちまた)にしげし、藜■(れいでう)深(ふか)くとざせり、雨(あめ)原憲(げんけん)が枢(とぼそ)をうるほすとも見(み)えたり。誠(まこと)に心(こころ)細(ぼそ)く、人の住(す)み処(か)とも見(み)えず。
@〔虎(とら)出(い)で合(あ)ひ、呼(よ)び入(い)れし事(こと)〕S1208N176
やや久(ひさ)しく立(た)ちめぐり、此方(こなた)彼方(かなた)を見(み)ければ、内(うち)にかすかなる声(こゑ)にて、日中の礼讚(らいさん)もはてぬと思(おぼ)しくて、念仏(ねんぶつ)忍(しの)び忍(しの)びに、心(こころ)細(ぼそ)く申(まう)しけるを聞(き)き、尊(たつと)く覚(おぼ)え、戸(と)を叩(たた)き、「物申(まう)さん」と言(い)へば、虎(とら)立(た)ち出(い)でて、「誰(た)そ」と答(こた)ふるを見(み)れば、未(いま)だ三十にもならざるが、殊(こと)の外(ほか)にやせ衰(おとろ)へ、いつしかおいの姿(すがた)に打(う)ち見(み)えて、濃(こ)き墨染(すみぞめ)の衣に、同(おな)じ色の袈娑(けさ)を掛(か)け、青(さを)なる数珠(じゆず)に、紫(むらさき)の蓮華(れんげ)取(と)り具(ぐ)して、香(かう)の煙(けぶり)にしみ帰(かへ)り、かしこくも思(おも)ひ入(い)りたる其(そ)の姿(すがた)、竹林(ちくりん)の七賢(けん)、商山(しやうざん)に入(い)りし四皓(しかう)も、是(これ)には如何(いか)で勝(まさ)るべきと、羨(うらや)ましくぞ覚(おぼ)えける。此(こ)の人々(ひとびと)を只(ただ)一目(ひとめ)見(み)て、夢(ゆめ)の心地(ここち)して、「あら珍(めづら)しと、御(おん)渡(わた)り候(さうら)ふや。更(さら)に現(うつつ)共(とも)覚(おぼ)えず候(さうら)ふ。先(ま)づ内(うち)へ入(い)らせ給(たま)へ」とて、二間(ま)なる道場(だうぢやう)を打(う)ち払(はら)ひ、「是(これ)へ」と請(しやう)じ入(い)れつつ、なき人P417の母(はは)や姉(あね)ぞと見(み)るよりも、流(なが)るる涙(なみだ)抑(おさ)へ難(がた)し。母(はは)も姉(あね)も、泣(な)く泣(な)く庵室(あんじつ)の体(てい)を見(み)まはせば、三間(げん)に作(つく)りたるを、二間(けん)をば道場(だうぢやう)にこしらへ、阿弥陀の三尊(ぞん)を東向(む)きに掛(か)け奉(たてまつ)り、浄土(じやうど)の三部経(ぶきやう)、往生要集(わうじやうえうしふ)、八軸(ぢく)の一乗(いちじよう)妙典(めうでん)も、机(つくえ)の上(うへ)に置(お)かれたり。又(また)、傍(かたはら)に、古今(こきん)、万葉(まんえふ)、伊勢物語(いせものがたり)、狂言(きやうげん)綺語(きぎよ)の草子(さうし)共(ども)、取(と)り散(ち)らされたり。仏の御前(おんまへ)に、六時(じ)に花香(かう)あざやかにそなへ、二人の位牌(ゐはい)の前(まへ)にも、花香(かう)同(おな)じくそなへたり。二宮(にのみや)の姉(あね)言(い)ひけるは、「あら有(あ)り難(がた)の御志(おんこころざし)の程(ほど)や。是(これ)を忘(わす)るまじき事(こと)と思(おも)ひ給(たま)ひて、二人の位牌(ゐはい)を安置(あんぢ)し、弔(とぶら)ひ給(たま)ふ事(こと)よ。偕老(かいらう)の契(ちぎ)り浅(あさ)からずと申(まう)すも、今こそ思(おも)ひ知(し)られて候(さうら)へ。但(ただ)し、是(これ)に十郎(じふらう)殿(どの)ばかりをこそ弔(とぶら)ひ給(たま)ふべきに、五郎(ごらう)殿(どの)まで弔(とぶら)ひ給(たま)ふ事(こと)の有(あ)り難(がた)さよ。童(わらは)は、現在(げんざい)の兄弟(きやうだい)にて候(さうら)へども、是(これ)程(ほど)までは思(おも)ひ寄(よ)らず、いずれも前世(ぜんぜ)の宿執(しゆくじう)にて、善知識(ぜんぢしき)となり給(たま)ひぬ」と言(い)ひもはてず、涙(なみだ)を流(なが)しければ、母(はは)も少将(せうしやう)も、声(こゑ)立(た)つる計(ばかり)にぞ悲(かな)しみける。やや有(あ)りて、母(はは)言(い)ひけるは、「十郎(じふらう)が事(こと)、忘(わす)れる事(こと)も候(さうら)はねば、常(つね)にも参(まゐ)り見(み)奉(たてまつ)りたく候(さうら)ひしかども、心(こころ)にも任(まか)せぬ女(をんな)の身(み)なれば、人の心(こころ)をも憚(はばか)るなどとせし程(ほど)に、今まで斯(か)かる御(おん)住(す)まひをも見(み)参(まゐ)らせず候(さうら)ふ。彼(か)の者(もの)共(ども)が七年(ねん)の追善(ついぜん)、曾我(そが)にて取(と)り営(いとな)み、又(また)、御有様(おんありさま)をも見(み)参(まゐ)らせたく候(さうら)ひて、是(これ)なる女房(にようばう)を誘(さそ)ひ、是(これ)まで来(き)たりて候(さうら)ふぞや。又(また)、親子(しんし)恩愛(おんあい)のいたつて切(せつ)なる事(こと)、人の申(まう)し習(なら)はすをも、我(わ)が身(み)の上(うへ)P418かと思(おも)はれ候(さうら)ふ。年月(としつき)やうやう過(す)ぐれども、忘(わす)るる事(こと)も候(さうら)はず。然(さ)れば、様(さま)をかへんと思(おも)ふも、おさない者(もの)共(ども)捨(す)て難(がた)くて、思(おも)ひも切(き)らず候(さうら)ふ。是(これ)と申(まう)すも、志(こころざし)のいたつて切(せつ)ならざるかと、我(わ)が身(み)ながらも、うたてく覚(おぼ)え候(さうら)ふ。御身(おんみ)も、さして久(ひさ)しき契(ちぎ)りにても坐(ま)しまさず。其(そ)の上(うへ)、所領(しよりやう)持(も)ちて、頼(たよ)り有(あ)る事(こと)ならねば、思(おも)ひ出(で)がましき事(こと)も無(な)し。只(ただ)偏(ひとへ)に前世(ぜんぜ)の宿執(しゆくじう)に引(ひ)かれて、互(たが)ひに善知識(ぜんぢしき)になり給(たま)ひぬと、余(あま)りに尊(たつと)く、哀(あは)れに覚(おぼ)えて、我(われ)等(ら)までも、一蓮(ひとつはちす)の縁(えん)を結(むす)ばばやと思(おも)ひ候(さうら)ふ也(なり)。凡(およ)そ、人間の八苦(く)、天上(てんじやう)の五衰(ごすい)、今に始(はじ)めぬ事(こと)にて候(さうら)へ共(ども)、前業(ぜんごふ)のつたなき身(み)なれば、無常(むじやう)の理(ことわり)にも驚(おどろ)かず、つれなく浮(う)き世(よ)にながらへ候(さうら)ふ。我(わ)が身(み)ながらも、あさましく候(さうら)ふ。然(しか)るに、五障(ごしやう)三従(さんじゆう)の身(み)ながらも、幸(さいは)ひに仏法(ぶつぽふ)流布(るふ)の世(よ)に生(う)まれて、出離(しゆつり)生死(しやうじ)の道(みち)を求(もと)むべく候(さうら)へども、女人の愚(おろ)かさは、其(そ)れも適(かな)はず候(さうら)ふ。面々(めんめん)は、此(こ)の程(ほど)思(おも)ひ取(と)り給(たま)ふ事(こと)なれば、後生(ごしやう)の助(たす)かるべき事(こと)をも知(し)らせ給(たま)ひて候(さうら)ふらん。哀(あは)れ、語(かた)らせ給(たま)へかし。適(かな)はぬまでも、心(こころ)に懸(か)けて見(み)候(さうら)はん」と言(い)ひければ、虎(とら)、涙(なみだ)を止(とど)めて申(まう)しけるは、「誠(まこと)に是(これ)まで御(おん)入(い)り、夢(ゆめ)の心地(ここち)して、御志(こころざし)、有(あ)り難(がた)く思(おも)ひ参(まゐ)らせ候(さうら)ふ。斯(か)かる身(み)と成(な)りはてぬるも、しかしながら、十郎(じふらう)殿(どの)故(ゆゑ)と思(おも)ひ奉(たてまつ)れば、時(とき)の間(ま)も、忘(わす)るる事(こと)も侍(はんべ)らず。此(こ)の世(よ)は不定(ふぢやう)の境(さかひ)、其(そ)れは愛別離苦(あいべつりく)の悲(かな)しみを翻(ひるがへ)して、菩提(ぼだい)の彼岸(ひがん)に至(いた)る事(こと)もやと、聖教(しやうげう)の要文(えうもん)共(ども)、P419少々(せうせう)尋(たづ)ね求(もと)め、然(しか)るべき善知識(ぜんぢしき)にもあひ奉(たてまつ)るかと、諸国(しよこく)を修行(しゆぎやう)し、都に上(のぼ)り、法然(ほふねん)上人(しやうにん)にあひ奉(たてまつ)り、念仏(ねんぶつ)一行(かう)を受(う)け、一筋(ひとすぢ)に浄土(じやうど)を願(ねが)ひ候(さうら)ふなり。あの尼(あま)御前(ごぜん)は、我(わ)が姉(あね)にて坐(ま)しまし候(さうら)ふ。自(みづか)らをうらやみて、同(おな)じともに様をかへ、一庵(ひとついほり)に閉(と)ぢ籠(こも)り、行(おこな)ひ候(さうら)ふなり。今(いま)思(おも)ひ候(さうら)へば、此(こ)の人は、発心(はつしん)の便(たよ)りなりけりと、嬉(うれ)しく覚(おぼ)え候(さうら)ふ。其(そ)の上(うへ)、我(われ)等(ら)、不思議(ふしぎ)に釈尊(しやくそん)の遺弟(ゆいてい)に連(つら)なりて、比丘尼(びくに)の名(な)を汚(けが)す、忝(かたじけな)くも、本願(ほんぐわん)の勝妙(しようめう)を頼(たの)み、三時(じ)に六根(こん)を清(きよ)め、一心(いつしん)に生死(しやうじ)を離(はな)れん事(こと)を願(ねが)ひ候(さうら)ふ。本願(ほんぐわん)如何(いか)でか誤(あやま)り給(たま)ふべきと、疑(うたが)ひの心(こころ)も候(さうら)はず。五郎(ごらう)殿も、同(おな)じ煙(けぶり)と消(き)え給(たま)ひしかば、二人共(とも)に、成仏(じやうぶつ)得脱(とくだつ)と弔(とぶら)ひ奉(たてまつ)らん為(ため)に、二人の位牌(ゐはい)を安置(あんぢ)して候(さうら)ふなり。諸法(しよほふ)従縁起(じゆうえんぎ)とて、何事(なにごと)も縁(えん)に引(ひ)かれ候(さうら)ふなれば、二人共(とも)に、順縁(じゆんえん)逆縁(ぎやくえん)に、得道(とくだう)の縁(えん)とならん事(こと)、疑(うたが)ひ有(あ)るべからず。凡(およ)そ、分段(ぶんだん)輪廻(りんゑ)の郷(さと)に生(う)まれて、必(かなら)ず死滅(しめつ)の恨(うら)みをえ、妄想(まうさう)如幻(によげん)の家(いへ)に来(き)ては、遂(つひ)に別離(べつり)の悲(かな)しみ有(あ)り。出(い)づる息(いき)の、入(い)る息(いき)を待(ま)たぬ世(よ)の中に生(う)まれ、剰(あまつさ)へ、あひ難(がた)き仏教(ぶつきやう)にあひながら、此(こ)の度(たび)、空(むな)しく過(す)ぐる事(こと)、宝(たから)の山に入(い)りて、手を空(むな)しくするなるべし。急(いそ)ぐべし急(いそ)ぐべし、頭燃(づねん)払(はら)ふ如(ごと)くと見(み)えて候(さうら)へば、相(あひ)構(かま)へ相(あひ)構(かま)へ、仏道に御心(おんこころ)を懸(か)け、浄土(じやうど)へ参(まゐ)らんと思(おぼ)し召(め)すべきなり」と申(まう)しければ、母(はは)も、二宮(にのみや)の姉(あね)も、渇仰(かつがう)肝(きも)に銘(めい)じて、随喜(ずいき)の涙(なみだ)を流(なが)して、申(まう)しけるは、「世路(せいろ)に交(まじ)はるP420習(なら)ひ、世(よ)の中の営(いとな)みに心(こころ)を懸(か)け、二度(ふたたび)三途(さんづ)の故郷(こきやう)に帰(かへ)り、如何(いか)なる苦患(くげん)をかうけ候(さうら)はんずらんと、予(かね)て悲(かな)しく候(さうら)ふ。然(さ)れば、尊(たつと)きにもあひ奉(たてまつ)り、女人の得道(とくだう)すべき法門(ほふもん)、聞(き)かまほしく候(さうら)へ共(ども)、然(しか)るべき縁(えん)無(な)ければ、とかく過(す)ぎ行(ゆ)き候(さうら)ふ所(ところ)に、今(いま)の法門(ほふもん)を承(うけたまは)り候(さうら)へば、尊(たつと)く思(おも)ひ奉(たてまつ)り候(さうら)ふ。念仏(ねんぶつ)申(まう)すとて、人なみなみに唱(とな)へ申(まう)せども、何(なに)と心(こころ)を持(も)ち、如何様(いかやう)なる趣(おもむき)にて、往生(わうじやう)すべく候(さうら)ふや、かつて思(おも)ひ分(わ)けたる事(こと)も候(さうら)はず。同(おな)じくは、ついでに、詳(くは)しく承(うけたまは)り候(さうら)はば、如何(いか)ばかり嬉(うれ)しく候(さうら)ひなん」と言(い)ひけれ。
@〔少将(せうしやう)法門(ほふもん)の事(こと)〕S1209N177
虎(とら)、少将(せうしやう)の方(かた)を見(み)遣(や)り、少(すこ)し打(う)ち笑(わら)ひ、「あにこそ、念仏(ねんぶつ)の法門(ほふもん)共(ども)知(し)らせ給(たま)ひて候(さうら)へ。申(まう)して聞(き)かせ参(まゐ)らせ給(たま)へ」と申(まう)しければ、「童(わらは)も、詳(くは)しき事(こと)は知(し)り参(まゐ)らせず候(さうら)ふ。一年(ひととせ)、都(みやこ)にて、法然(ほふねん)上人(しやうにん)仰(おほ)せしは、「抑(そもそも)、生死(しやうじ)の根源(こんげん)を尋(たづ)ね候(さうら)へば、只(ただ)一念(いちねん)の妄執(まうしう)にかどはされて、由(よし)無(な)く法性(ほつしやう)の都(みやこ)を迷(まよ)ひ出(い)でて、三界(さんがい)六道に生(う)まれ、衆生(しゆじやう)とはなれり。然(さ)れば、地獄(ぢこく)の八寒(かん)八熱(ねつ)の苦(くる)しみ、餓鬼(がき)の饑饉(ききん)の愁(うれ)へ、畜生(ちくしやう)残害(ざんがい)の思(おも)ひ、其(そ)の外(ほか)、天上(てんじやう)の五衰(ごすい)、人間(にんげん)の八苦(く)、一(ひと)つとして受(う)けずと言(い)ふ事(こと)無(な)く、上は有頂点(うちやうてん)P421を限(かぎ)り、下(しも)は阿鼻(あび)を際(きは)として、出(い)づる期(ご)は無(な)きが故(ゆゑ)に、流転(るてん)の衆生(しゆじやう)とは申(まう)すなり。然(しか)りと雖(いへど)も、宿善(しゆくぜん)や催(もよほ)しけん、今(いま)人間に生(う)まれぬ。内に、本有(ほんう)の仏性(ぶつしやう)有(あ)り、外(ほか)に、諸仏(しよぶつ)の悲願(ひぐわん)有(あ)り。人木石(ぼくせき)にあらず、発心(ほつしん)せば、などか成仏(じやうぶつ)得脱(とくだつ)無(な)からん。其(そ)れについて、修行(しゆぎやう)まちまちなりと雖(いへど)も、我(われ)等(ら)が如(ごと)きの衆生(しゆじやう)は、諸教(しよけう)の徳(とく)に適(かな)ひ難(がた)し。先(ま)づ、法然(ほふねん)房(ばう)が如(ごと)くは、七千(せん)余巻(よくわん)の経蔵(きやうざう)に入(い)りて、つらつら出離(しゆつり)の要義(えうぎ)を案(あん)ずるに、顕(けん)に付(つ)け密(みつ)に付(つ)け、開悟(かいご)安(やす)からず、事(こと)と言(い)ひ理(り)と言(い)ひ、修行(しゆぎやう)成就(じやうじゆ)し難(がた)し。一実(いちじつ)円融(ゑんゆう)の窓(まど)の前(まへ)には、即是(そくぜ)の妙観(めうくわん)に疲(つか)れ、三密同体(さんみつどうたい)の床(ゆか)の上(うへ)には、又(また)現世(げんぜ)の証入(しようにふ)現(あらは)し難(がた)し。然(しか)る間(あひだ)、涯分(がいぶん)を計(はか)りて、浄土(じやうど)を願(ねが)ひ、他力(たりき)を頼(たの)み、名号(みやうがう)を唱(とな)ふ。誠(まこと)に、浄土(じやうど)の経文(けうもん)は、直至(ぢきし)道場(だうぢやう)の目足(もくぞく)なり。有智(うち)無智(むち)、誰(たれ)の人(ひと)か帰(き)せざらんや。既(すで)に正像(しやうざう)早(はや)くくれて、戒定慧(かいぢやうゑ)の三学(がく)は名(な)のみ残(のこ)りて、有教無人(うけうむにん)、有名無実(うみやうむしつ)なり。殊(こと)に女人は、五障(ごしやう)三従(さんじゆう)とて、障(さは)り有(あ)る身(み)なれば、即身(そくしん)成仏(じやうぶつ)は、先(ま)づ置(お)きぬ、聞法(もんぼふ)結縁(けちえん)の為(ため)に、霊仏(れいぶつ)霊社(れいしや)にまうづるさへ、踏(ふ)まざる霊地(れいち)有(あ)り、拝(はい)せざる仏像(ぶつざう)有(あ)り。天台山(てんだいさん)は、桓武(くわんむ)の起願(きぐわん)、伝教(でんげう)の建立(こんりう)なり。一乗(いちじよう)の峰(みね)高(たか)うして、真如(しんによ)の月ほがらかなりと雖(いへど)も、五障(ごしやう)の闇(やみ)をてらす事(こと)無(な)し。高野山(かうやさん)は、嵯峨(さがの)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)、弘法(こうぼふ)大師(だいし)の地(ち)を示(しめ)し、八葉(はちえふ)の峰(みね)、八の谷(たに)、冷々(れいれい)として、水(みづ)いさぎよしと雖(いへど)も、三従(さんじゆう)の垢(あか)をばすすがず。其(そ)の外(ほか)、金峰(きんぷ)の雲の上(うへ)、醍醐(だいご)霞(かすみ)の底(そこ)、深(ふか)し、白山(しらやま)、書写(しよしや)のP422寺、斯様(かやう)の所々(ところどころ)には、女人(によにん)近付(ちかづ)く事(こと)も無(な)し。然(さ)れば、或(あ)る経(きやう)の文(もん)には、『三世の諸仏(しよぶつ)眼(まなこ)は、大地(だいぢ)に落(お)ちてくつとも、女人成仏(じやうぶつ)する事(こと)無(な)し』と言(い)へり。又(また)、或(あ)る経(きやう)の文(もん)には、『女人は、地獄(ぢごく)の使(つか)ひなり、よく仏(ほとけ)の種(たね)をたつ。外(ほか)の面(かほ)は、菩薩(ぼさつ)に似(に)たれども、内の心(こころ)は、夜叉(やしや)の如(ごと)し』と言(い)へり。然(さ)れば、内典(ないでん)・外典(げでん)に嫌(きら)はれたる所(ところ)に、弥陀(みだ)如来(によらい)、『極重(ごくぢゆう)悪人(あくにん)、無他(むた)方便(はうべん)』と誓(ちか)ひ給(たま)ひて、別(べつ)に又(また)、女人成仏(じやうぶつ)の願(ぐわん)有(あ)り。か程(ほど)に、懇(ねんご)ろに哀(あは)れみ給(たま)ふ事(こと)を、信(しん)ぜず行(ぎやう)ぜずして、又(また)三途(さんづ)に帰(かへ)らん事(こと)、例(たと)へば、耆婆(ぎば)が万病(まんびやう)をばいやす薬(くすり)、諸々(もろもろ)の薬(くすり)、何両(なんりやう)合(あ)はせたりと知(し)らざれども、服(ぶく)すれば、即(すなは)ちいゆ。病(やまひ)極(きは)めて重(おも)き者(もの)の、薬(くすり)ばかりにてはと疑(うたが)ひて、服(ぶく)せずは、耆婆(ぎば)が医術(いじゆつ)も、扁鵲(へんじやく)が医方(いはう)も、益(えき)有(あ)るべからず。其(そ)の如(ごと)く、煩悩(ぼんなう)悪業(あくごふ)は、極(きは)めて重(おも)し。此(こ)の名号(みやうがう)にては如何(いかが)と疑(うたが)ひて、信(しん)ぜず行(ぎやう)ぜざらんは、弥陀(みだ)本願(ほんぐわん)も、釈迦(しやか)の説教(せつきやう)も、空(むな)しかるべし。抑(そもそも)、薬(くすり)をえて、服(ぶく)せずして死せんの事(こと)、崑崙山(こんろんさん)に行(ゆ)きて、玉(たま)を取(と)らずして帰(かへ)り、栴檀(せんだん)の林(はやし)に入(い)りて、梢(こずゑ)を待(ま)たずしてはてなば、後悔(こうくわい)するとも、由(よし)無(な)し。其(そ)の上(うへ)、五劫(ごこふ)思惟(しゆい)、兆載(てうさい)永劫(えいごふ)の万善(まんぜん)万行(ぎやう)、諸波羅蜜(しよはらみつ)の功徳(くどく)を三字(じ)にをさめ給(たま)へり。然(さ)れば、『阿字(あじ)十方(じつぱう)三世仏、弥字(みじ)一切(いつさい)諸菩薩(しよぼさつ)、陀字(だじ)八万(はちまん)諸聖教(しよしやうげう)』と言(い)ふ時(とき)は、八万(はちまん)教法(けうぼふ)、諸仏(しよぶつ)菩薩(ぼさつ)も、名号(みやうがう)たひないの功徳(くどく)となれり。然(さ)れば、天台(てんだい)には、法報(ほつほう)王(わう)の三身(さんじん)、空仮中(くうげちゆう)の三諦(さんだい)なりと釈(しやく)し坐(ま)しまし候(さうら)ふ。森羅万象(しんらまんざう)、山河(せんが)大地(だいぢ)、弥陀(みだ)P423に漏(も)れたる事(こと)無(な)し。是(これ)に依(よ)りて、只(ただ)もつぱら弥陀(みだ)を以(もつ)て、法門(ほふもん)の主(あるじ)とすと釈(しやく)し給(たま)へり。正依(じやうゑ)の経(きやう)には、『いとくたり大りそくせんしやうくとく』ととき、傍依(はうゑ)の経(きやう)には、『一万三千仏(ぶつ)を高(たか)さ十丈(ぢやう)に金(こがね)を以(もつ)て十度作(つく)り、供養(くやう)せんより、一返(ぺん)の名号(みやうがう)はすぐれたり』と言(い)へり。善知識(ぜんぢしき)の教(をし)へを深(ふか)く信(しん)じて、『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』と唱(とな)ふれば、三祇(ぎ)百大劫(ごふ)の修行(しゆぎやう)をも越(こ)え、塵沙(ぢんじや)無明(むみやう)の惑(わく)をも断(だん)ぜず、致使凡夫念即生(ちしぼんぶねんそくしやう)、不断煩悩得涅槃(ふだんぼんなうとくねはん)とて、終焉(しゆうえん)の時(とき)は、一さんいの心(こころ)を変化(へんげ)して、観音(くわんおん)・勢至(せいし)、無数(むしゆ)の聖衆(しやうじゆ)、化仏菩薩(けぶつぼさつ)、踊躍(ゆやく)歓喜(くわんぎ)して、須臾(しゆゆ)の間(あひだ)に、無為(むゐ)の報土(ほうど)へ参(まゐ)りなば、無辺(むへん)の菩薩(ぼさつ)を同学(どうがく)とし、上界(じやうかい)の如来(によらい)を師(し)として、宝池(ほうち)に遊(あそ)び、樹下(じゆげ)に行(ゆ)きて、鸚鵡(あふむ)・舎利(しやり)・迦陵頻伽(かれうびんが)の声を聞(き)き、苦(く)・空(くう)・無常(むじやう)・無我(むが)の四徳(とく)、波羅蜜(はらみつ)の悟(さと)りを開(ひら)き給(たま)ひなば、過去(くわこ)の恩(おん)、所生(しよしやう)所生(しよしやう)の父母(ぶも)、妻子(さいし)眷属(けんぞく)、有縁(うえん)の衆生(しゆじやう)を導(みちび)かん為(ため)に、洞然(とうねん)猛火(みやうくわ)の焔(ほのほ)に交(まじ)はり、紅蓮(ぐれん)大紅蓮(ぐれん)の氷(こほり)に入(い)り給(たま)ふ共(とも)、解脱(げだつ)の袂(たもと)は安楽(あんらく)として、済度(さいど)利生(りしやう)し給(たま)ふべし。但(ただ)し、往生(わうじやう)の定(ぢやう)不定(ふぢやう)は、信心(しんじん)の有無(うむ)によるべし。努々(ゆめゆめ)疑(うたが)ふ事(こと)無(な)かれ」と宣(のたま)ふを、我々は聴聞(ちやうもん)申(まう)して候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、母(はは)、感涙(かんるい)を抑(おさ)へて、言(い)ひけるは、「今の法門(ほふもん)、聴聞(ちやうもん)申(まう)し候(さうら)へば、信心(しんじん)肝(きも)に銘(めい)じて、有(あ)り難(がた)く候(さうら)ふ。今より後は、方々(かたがた)の御弟子(でし)にて候(さうら)ふべし」とて、三度(さんど)伏(ふ)し拝(をが)み、P424
@〔母(はは)、二宮(にのみや)行(ゆ)き別(わか)れし事(こと)〕S1210N178
然(さ)る程(ほど)に、日もやうやう傾(かたぶ)きて、高麗寺(かうらいじ)の入相(あひ)も聞(き)こゆれば、名残(なごり)尽(つ)きせず思(おも)へども、各々(おのおの)立(た)ち出(い)でて、二宮(にのみや)の里(さと)へとてこそ帰(かへ)りけれ。虎(とら)、少将(せうしやう)は門送(かどおく)りして、後(うし)ろのかくるる程見(み)送(おく)り、涙(なみだ)と共(とも)に、庵室(あんじつ)に帰(かへ)り、初夜(しよや)の礼讚(らいさん)始(はじ)めて、念仏(ねんぶつ)心(こころ)細(ぼそ)くぞ申(まう)しける。其(そ)の後、人々(ひとびと)の行方(ゆくへ)を聞(き)けば、各々(おのおの)宿所(しゆくしよ)に帰(かへ)り、聞(き)きつる法門(ほふもん)の如(ごと)く、造次顛沛(さうしてんぱい)、一心(いつしん)不乱(ふらん)に念仏(ねんぶつ)す。昔(むかし)は、夫婦(ふうふ)偕老(かいらう)の別(わか)れをしたひ、今(いま)は、兄弟(きやうだい)のかく成(な)り行(ゆ)く事(こと)の思(おも)ひや積(つ)もりけん、老病(らうびやう)と言(い)ひ、歎(なげ)きと言(い)ひ、六十の暮方(くれがた)に、念仏(ねんぶつ)申(まう)して、遂(つひ)に往生(わうじやう)しけるとぞ聞(き)こえける。扨(さて)、二人の尼(あま)御前(ごぜん)、或(あ)る夜(よ)の夢(ゆめ)に、十郎(じふらう)、五郎(ごらう)打(う)ちつれ来(き)たり、頭(かうべ)には、玉(たま)の冠(かぶり)をき、身(み)には、瓔珞(やうらく)を飾(かざ)り、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)として、各々(おのおの)を伏(ふ)し拝(をが)み、申(まう)しけるは、「此(こ)の間(あひだ)、念仏(ねんぶつ)申(まう)し、経(きやう)読(よ)み、懇(ねんご)ろに弔(とぶら)ひ給(たま)ふ故(ゆゑ)に、兜率(とそつ)の内院(ないゐん)にまうづ。是(これ)、しかしながら、夫婦(ふうふ)偕老(かいらう)の契(ちぎ)り深(ふか)きに依(よ)りて、無為(むい)心じつの解脱(げだつ)の因(いん)と成(な)る。其(そ)の恩徳(おんどく)、億々(おくおく)万劫(まんごふ)にも報(ほう)じ難(がた)し」とて、虚空(こくう)へ飛(と)びさりぬ。虎(とら)、夢(ゆめ)さめて、只(ただ)現(うつつ)の心地(ここち)して、思(おも)ひけるは、「五重(ごぢゆう)の闇(やみ)はれ、三明(みやう)の月ほがらかに坐(ま)します大聖(だいしやう)釈尊(しやくそん)さへ、耶輸陀羅女(やしゆだらによ)の別(わか)れを思(おぼ)し召(め)す。況(いはん)や我(われ)等(ら)、此(こ)の年月(としつき)恋(こひ)しと思(おも)ふ所(ところ)に、まのあたり兄弟(きやうだい)を夢(ゆめ)に見(み)て、昔恋(こひ)しくなりP425ぬ。然(さ)れば、夜(よる)の猿(さる)は、傾(かたぶ)く月にさけび、秋の虫(むし)は、枯(か)れ行(ゆ)く草に悲(かな)しむとかや。鳥獣(けだもの)までも、愛別離苦(あいべつりく)を悲(かな)しむと見(み)えたり。然(しか)れば、此(こ)の道は、迷(まよ)はば、共(とも)に悪道(だう)の輪廻(りんゑ)絶(た)ち難(がた)し、悟(さと)らば、皆(みな)成等(じやうどう)菩提(ぼだい)因縁(いんえん)なりぬべし。偕老(かいらう)同穴(とうけつ)の契(ちぎ)り、誠(まこと)あらば、九品(くほん)蓮台(れんだい)の上(うへ)にては、もとの契(ちぎ)りを失(うしな)はず、一蓮(ひとつはちす)に座(ざ)を並(なら)べ、解脱(げだつ)の袂(たもと)を絞(しぼ)るべし」とて、少将(せうしやう)も共(とも)に、涙(なみだ)をぞ流(なが)しける。扨(さて)、彼(か)の二人の尼(あま)、志(こころざし)浅(あさ)からず、虎(とら)、峰(みね)に上りて、花をつめば、少将(せうしやう)、谷(たに)に下(くだ)りて、水を結(むす)び、一人、花をそなふれば、一人は、香(かう)をたき、共(とも)に一仏(いちぶつ)浄土(じやうど)の縁(えん)を結(むす)ぶ。谷(たに)の水(みづ)、峰(みね)の嵐(あらし)、発心(ほつしん)の媒(なかだち)と成(な)り、花の色、鳥(とり)の声(こゑ)、自(おの)づから観念(くわんねん)の頼(たよ)りと成(な)る。つくづく思(おも)へば、はつふつ転変(てんべん)の理(ことわり)、四相(しさう)遷流(せんる)の習(なら)ひ、三界(さんがい)より下界(げかひ)に至(いた)るまで、一(ひと)つとして逃(のが)るべきやう無(な)し。日月天にめぐりて、有為(うゐ)を旦暮(たんぼ)に現(あらは)し、寒暑(かんしよ)時(とき)を違(たが)へずして、無常(むじやう)を昼夜(ちうや)につくす。然(さ)れば、漢(かん)の高祖(かうそ)の三尺(さんじやく)の剣(つるぎ)も、遂(つひ)に他(た)の宝(たから)と成(な)り、秦(しん)の始皇(しくわう)のはりの都も、自(おの)づから荊棘(けいきよく)の野辺(のべ)と成(な)る。彼(かれ)を思(おも)ひ、是(これ)を見(み)るにも、只(ただ)偏(ひとへ)に浮(う)き世(よ)を逃(のが)れ、誠(まこと)の道に入(い)るべき物(もの)をや。かかりし程(ほど)に、二人の尼、行業(ぎやうごふ)積(つ)もり、七旬(しつしゆん)の齢(よはひ)たけ、五月の末(すゑ)つ方(かた)、少病(せうびやう)少悩(せうなう)にして、西(にし)に向(む)かひ、肩(かた)を並(なら)べ、膝(ひざ)を組(く)み、端座合掌(たんざがつしやう)して、念仏(ねんぶつ)百返(ぺん)唱(とな)へて、一心(いつしん)不乱(ふらん)にして、音楽(おんがく)雲に聞(き)こえ、異香(いきやう)薫(くん)じて、聖衆(しやうじゆ)来迎(らいかう)し給(たま)ひて、ねむるが如(ごと)く、往生(わうじやう)の素懐(そくわい)を遂(と)げにけり。P426高(たか)きも賎(いや)しきも、老少(らうせう)不定(ふぢやう)の世(よ)の習(なら)ひ、誰か無常(むじやう)を逃(のが)るべき。富宝(とみたから)も、遂(つひ)に夢(ゆめ)の内(うち)の楽(たの)しみなり。殊(こと)に女人は、罪(つみ)深(ふか)き事(こと)なれば、念仏(ねんぶつ)に過(す)ぎたる事(こと)有(あ)るべからず。斯様(かやう)の物語(ものがたり)を見(み)聞(き)かん人々(ひとびと)は、狂言(きやうげん)綺語(きぎよ)の縁(えん)に依(よ)り、あらき心(こころ)を翻(ひるがへ)し、誠(まこと)の道(みち)に趣(おもむ)き、菩提(ぼだい)を求(もと)むる頼(たよ)りとなすべし。其(そ)の心(こころ)も無(な)からん人は、斯(か)かる事(こと)を聞(き)きても、何(なに)にかはせん。よくよく耳(みみ)に止(とど)め、心(こころ)に染(そ)めて、無(な)き世(よ)の苦(くる)しみを逃(のが)れ、西方(さいはう)浄土(じやうど)に生(う)まるべし。P427