P388曾我物語巻第十一

 @〔虎(とら)が曾我(そが)へ来(き)たる事(こと)〕S1101N157
 抑(そもそも)、建久(けんきう)四年(しねん)長月(ながつき)上旬(じやうじゆん)の頃(ころ)、つながぬ月日(つきひ)も移(うつ)り来(き)て、昨日(きのふ)今日(けふ)とは思(おも)へ共(ども)、憂(う)き夏も過(す)ぎ、秋も漸々(やうやう)立(た)ちぬれば、賓鴈書(ひんがんしよ)を掛(か)けて、上林(しやうりん)の霜(しも)にとぶ、貞女(ていぢよ)何処(いづく)んにか有(あ)る、くはんしよ衣を打(う)ちて、良人(りやうじん)未(いま)だ帰(かへ)らざる所(ところ)に、せんき尼(あま)一人、濃(こ)き墨染(すみぞめ)の衣(ころも)に、同(おな)じ色(いろ)の袈裟(けさ)を掛(か)けて、葦毛(あしげ)なる馬に、貝鞍(かひくら)おき、引(ひ)かせて来(き)けり。何者(なにもの)ぞと見(み)れば、十郎(じふらう)が通(かよ)ひし大磯(おほいそ)の虎(とら)也(なり)。彼(かれ)等(ら)が母(はは)のもとに行(ゆ)き、間近(まぢか)き所(ところ)に立(た)ち入(い)り、使(つか)ひして言(い)ひけるは、「此(こ)の人々(ひとびと)の百ケ日の孝養(けうやう)、大磯(おほいそ)にても、形(かた)の如(ごと)く営(いとな)むべけれ共(ども)、箱根の御山にて有(あ)るべしと承(うけたまは)り候(さうら)へば、此(こ)の仏事(ぶつじ)をも聴聞(ちやうもん)申(まう)し、我(わ)が身(み)の営(いとな)みをも、其(そ)の次(つぎ)にして、一しゆの諷誦(ふじゆ)をも捧(ささ)げばやと思(おも)ひ、参(まゐ)り候(さうら)ふ」と言(い)ひければ、母(はは)聞(き)きて、「嬉(うれ)しくも思(おも)ひ寄(よ)り御座(おは)します物(もの)かな。十郎(じふらう)有(あ)りし方(かた)へ入(い)らせ給(たま)へ。やがて見参(げんざん)に入(い)るべし」と、あれたる住(す)み処(か)の扉(とぼそ)をあけて、P389呼(よ)び入(い)りにけり。虎(とら)は、十郎(じふらう)が住(す)み所(どころ)へ立(た)ち入(い)り見(み)れば、いつしか庭(には)の通(かよ)ひ路(ぢ)に草茂(しげ)り、跡(あと)踏(ふ)み付(つ)くる人も無(な)し。塵(ちり)のみ積(つ)もる床(ゆか)の上(うへ)、打(う)ち払(はら)ひたる気色(けしき)も見(み)えず。今はの別(わか)れの暁(あかつき)まで、見(み)なれし所(ところ)なれば、変(か)はる事(こと)は無(な)けれども、主(ぬし)は無(な)し。思(おも)ひしより、過(す)ぎ方(かた)のゆかしく、我(わ)が身(み)はもとの身(み)なれども、心(こころ)は有(あ)りし心(こころ)ならず。月やあらぬ、春や昔のかこち草、古(ふる)き名残(なごり)の尽(つ)きせねば、泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)き。まろび入(い)りたる其(そ)の儘(まま)にて、しばしはおきも居(ゐ)ざりけり。枕(まくら)も袖(そで)もうくばかり、立(た)ち添(そ)ふ物(もの)は面影(おもかげ)の、其(そ)れとばかりの情(なさけ)にて、涙(なみだ)も更(さら)に止(とど)まらず。やや暫(しばら)く有(あ)りて、母(はは)出(い)で合(あ)ひけり。虎(とら)を一目(ひとめ)見(み)しより、何(なに)と物(もの)をば言(い)はで、袖(そで)を顔(かほ)に押(お)し当(あ)てて、さめざめと泣(な)きけり。虎(とら)も、母(はは)を見(み)付(つ)けて、有(あ)りし顔(かほ)ばせの残(のこ)り止(とど)まる心地(ここち)して、打(う)ち傾(かたぶ)き、声(こゑ)も惜(を)しまず泣(な)き居(ゐ)たり。夫(おつと)の歎(なげ)き、子(こ)の別(わか)れ、さこそは悲(かな)しかりけめ、推(お)し量(はか)られて、哀(あは)れ也(なり)。母(はは)、涙(なみだ)を抑(おさ)へて言(い)ひけるは、「かく有(あ)るべしと思(おも)ひなば、十郎(じふらう)が有(あ)りし時(とき)、恥(は)づかしながら、見(み)奉(たてまつ)るべかりし物(もの)を、身(み)の貧(ひん)なるに依(よ)り、親(した)しむべきにもうとし、語(かた)らふべきにも、さもあらで、万(よろづ)思(おも)ふ様(やう)にも候(さうら)はで、打(う)ち過(す)ぎし事(こと)の悔(くや)しさよ。十郎(じふらう)、浅(あさ)からず思(おも)ひ奉(たてまつ)りし事(こと)なれば、只(ただ)十郎(じふらう)に向(む)かふ心地(ここち)して、なつかしく思(おも)ふ」と、泣(な)く泣(な)く語(かた)りければ、虎(とら)も又(また)、「身(み)の数(かず)ならぬに依(よ)りて、御見参(ごげんざん)申(まう)さず」とて、是(これ)も涙(なみだ)を流(なが)しけり。「形見(かたみ)とてP390残(のこ)し置(お)かれし馬・鞍(くら)、見(み)る度(たび)ごとに、目もくれ、仏(ほとけ)の御名を唱(とな)ふる障(さは)りとなり候(さうら)へば、なき人の御(おん)為(ため)も然(しか)るべからず。此(こ)の度(たび)の御仏事(ぶつじ)の御布施(ふせ)に思(おも)ひ定(さだ)めて候(さうら)ふ」と、言(い)ひもはてず、打(う)ち傾(かたぶ)きけり。「仰(おほ)せの如(ごと)く、形見(かたみ)は由(よし)無(な)き物(もの)にて、是(これ)等(ら)が狩場(かりば)より返(かへ)したる小袖(こそで)を見(み)る度(たび)に、殊(こと)に心(こころ)乱(みだ)れ候(さうら)ふぞや。是(これ)も、此(こ)の度の御布施(ふせ)に思(おも)ひ向(む)けて候(さうら)ふ。御身(おんみ)は、十郎(じふらう)が事(こと)ばかりこそ歎(なげ)き給(たま)へ。童(わらは)ほど罪(つみ)深(ふか)き者(もの)は候(さうら)はじ。河津(かはづ)殿(どの)におくれたりし時(とき)、一日(いちにち)片時(へんし)の命(いのち)もながらへ難(がた)かりしに、つれなき身(み)のながらへ、百日の内に、数多(あまた)の子(こ)におくれたり。如何(いか)ばかりとか思(おぼ)し召(め)す。殊(こと)に彼(かれ)等(ら)二人は、身(み)をはなさで、左右(さう)の膝(ひざ)にすゑ育(そだ)て、父(ちち)の形見(かたみ)と思(おも)へば、憂(う)き時(とき)も、彼(かれ)等(ら)にこそは慰(なぐさ)みしか。今より後(のち)は、誰(たれ)を見(み)、何(なに)に心(こころ)の慰(なぐさ)むべき。箱王(はこわう)は、法師(ほふし)にならざりしを、仮初(かりそめ)に「不孝(ふけう)」と言(い)ひし其(そ)の儘(まま)、「許(ゆる)せ」と言(い)ふ人も無(な)し。身(み)の貧(ひん)なるに、何(なに)と無(な)く打(う)ち過(す)ぎ、月日(つきひ)を送(おく)り、年頃(としごろ)添(そ)はざりし、今更(いまさら)悔(くや)しく候(さうら)ふぞとよ。打(う)ち出(い)でし時(とき)、兄がつれて来(き)たり、限(かぎ)りと思(おも)ひてや、「許(ゆる)せ」と申(まう)せしに、「然(さ)らば」と言(い)ひし言(こと)の葉(は)を、嬉(うれ)しげなりし顔(かほ)ばせの、現(あらは)れたりし無慙(むざん)さよ。親(おや)ならず、子(こ)ならずは、おいたる童(わらは)が言葉(ことば)の末(すゑ)、誰か重(おも)く思(おも)ふべきと、頼(たの)もしく思(おも)ひて、つくづくと罷(まか)りしに、盃(さかづき)取(と)り上(あ)げ、傾(かたぶ)く程(ほど)、涙うかみて候(さうら)ひしを、不孝(ふけう)を許(ゆる)す嬉(うれ)しさの涙(なみだ)と思(おも)ひて候(さうら)へば、P391斯様(かやう)に成(な)るべきとて、限(かぎ)りの涙(なみだ)にて候(さうら)ひけるを、凡夫(ぼんぶ)の身(み)の悲(かな)しさは、夢(ゆめ)にも知(し)らで、なつかしかりける顔(かほ)ばせ、何(なに)しに年月(としつき)不孝(ふけう)しけんと、過(す)ぎにし方(かた)まで悔(くや)しきに、せめて三日打(う)ち添(そ)はで、帰(かへ)れとばかりのあらましを、如何(いか)に哀(あは)れに思(おも)ひけん。いつの世(よ)にか相(あひ)見(み)て、憂(う)きを語(かた)りてまし」とて、又(また)打(う)ち伏(ふ)して泣(な)きけり。虎(とら)も、涙(なみだ)にむせびつつ、しばしは物(もの)をも言(い)はざりけり。互(たが)ひの心(こころ)の内、さこそと思(おも)ひ遣(や)られたり。「是(これ)なる御経(きやう)は、彼(かれ)等(ら)が最後(さいご)に富士野より送(おく)りたる文(ふみ)の裏(うら)にかき奉(たてまつ)りて候(さうら)ふ。此(こ)の文を読(よ)まんとすれば、文字(もじ)も見(み)えず。近(ちか)く居(ゐ)寄(よ)りて読(よ)み給(たま)へ。聞(き)き候(さうら)はん」とて差(さ)し出(い)だす。十郎(じふらう)が文(ふみ)と聞(き)けば、なつかしくて、読(よ)まんとすれば、目(め)もくれ、いつを其処(そこ)とも見(み)えわかず、只(ただ)胸(むね)にあてて、泣(な)くばかりにてぞ有(あ)りし。流(なが)れをたつる習(なら)ひ、か程(ほど)の志(こころざし)有(あ)るべしとは思(おも)はざりしを、やさしくも見(み)ゆる也(なり)けりと思(おも)ふに、涙(なみだ)ぞまさりける。「今宵(こよひ)は、是(これ)に止(とど)まりて、心(こころ)静(しづ)かに物語(ものがたり)申(まう)すべきを、箱根(はこね)への用意(ようい)させ候(さうら)ふべし。暁(あかつき)に出(い)で候(さうら)ふべし。聞(き)き給(たま)ひぬるや、是(これ)等(ら)が孝養(けうやう)せよとて、君(きみ)よりは所領(しよりやう)賜(たま)はり候(さうら)ふ。世(よ)には、敵(かたき)打(う)つ者(もの)こそ多(おほ)く候(さうら)ふなれども、心様(こころざま)人にすぐるるに依(よ)り、斯様(かやう)の御恩(ごおん)に預(あづ)かり候(さうら)ふ。如何(いか)に言(い)ふ甲斐(かひ)無(な)しとも、彼(かれ)等(ら)が安穏(あんをん)ならんこそ、嬉(うれ)しくも」とて、「是(これ)や昔(むかし)、上東門院(しやうとうもんゐん)の御時(とき)、和泉(いづみ)式部(しきぶ)が、娘(むすめ)小式部(しきぶ)の内侍(ないし)におくれて、悲(かな)しみけるに、君(きみ)、哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)して、母(はは)が心(こころ)を慰(なぐさ)めんとP392思(おぼ)し召(め)し、衣を下(くだ)されしに、和泉(いづみ)式部(しきぶ)、
諸(もろ)共(とも)に苔(こけ)の下(した)にもくちずしてうづもれぬ名(な)を聞(き)くぞ悲(かな)しき W036
斯様(かやう)に詠(よ)みたりし事(こと)まで思(おも)ひ知(し)られて、忝(かたじけな)く覚(おぼ)え候(さうら)ふぞや。其(そ)れにつき候(さうら)ひては、此(こ)の度(たび)仏事(ぶつじ)、心(こころ)の及(およ)び、営(いとな)むべきにて候(さうら)ふ。此(こ)の辺(ほとり)には、さりぬべき導師(だうし)も候(さうら)はねば、別当(べつたう)を導師(だうし)に定(さだ)め参(まゐ)りて候(さうら)ふ。五郎(ごらう)が事(こと)忘(わす)れず、御(おん)歎(なげ)き候(さうら)へば、一入(ひとしほ)懇(ねんご)ろなるべし。暁(あかつき)は、伴(ともな)ひ奉(たてまつ)るべし」とて、帰(かへ)りにけり。虎(とら)は、母(はは)が後姿(うしろすがた)を見(み)送(おく)り、十郎(じふらう)が装(よそほ)ひ思(おも)ひ出(い)でられて、是(これ)も名残(なごり)は惜(を)しかりけり。然(さ)らぬだに、秋の夕は寂(さび)しきに、一人(ひとり)ふせ屋の軒(のき)の月、涙(なみだ)にくもる折(をり)からや、折(をり)知(し)り顔(がほ)の鹿(しか)の声、枕に弱(よわ)る蟋蟀(きりぎりす)、軒端(のきば)の荻(おぎ)を吹(ふ)く風に、古里(ふるさと)思(おも)ひ知(し)られつつ、時(とき)しも長(なが)き夜(よ)もすがら、明(あ)かし兼(か)ねたる思(おも)ひねの、あふ夢(ゆめ)だにも無(な)ければや、形(かた)しく閨(ねや)の枕(まくら)に置(お)き添(そ)ふ露の重(かさ)なれば、現(うつつ)の床(ゆか)もうくばかり、明(あ)け方(がた)の雁(かり)がねの友(とも)を語(かた)らひ泣(な)く声(こゑ)も、羨(うらや)ましくぞ思(おも)ひ遣(や)る。余所(よそ)の砧(きぬた)を聞(き)くからに、身(み)にしむ風のいとどしく、鐘(かね)聞(き)く空(そら)に明(あ)けにけり。
 @〔母(はは)と虎(とら)、箱根(はこね)へ上(のぼ)りし事(こと)〕S1102N160
P393 あれぬる宿(やど)とは思(おも)へ共(ども)、枕(まくら)並(なら)べし睦言(むつごと)の、出(い)でぬる別(わか)れ路(ぢ)は、今も打(う)ち添(そ)ふ心地(ここち)して、おきもせず、ねもせで、物(もの)を思(おも)ひ居(ゐ)たる所(ところ)に、馬に鞍(くら)おきひつ立(た)つる、使(つか)ひは来(き)たり木幡山(こはたやま)、君(きみ)を思(おも)へば心(こころ)から、上(うは)の空(そら)にや籠(こも)るらん。母(はは)も立(た)ち出(い)でて、急(いそ)ぐと言(い)へば、打(う)ち出(い)でぬ。自(おの)づから成(な)る道(みち)の辺(ほとり)、我(わ)が方(かた)遠(とほ)く成(な)り行(ゆ)けば、其処(そこ)とも知(し)らぬ鞠子河(まりこがは)、け上(あ)げて波や渡(わた)るらん。湯坂峠(ゆざかのたうげ)を上(のぼ)るにも、別(わか)れし人、此(こ)の道を、かくこそ通(かよ)ひなれしと、思(おも)ひ遣(や)らるる梓弓(あづさゆみ)、矢立(やたて)の杉(すぎ)を見(み)上(あ)げつつ、其(そ)の人々(ひとびと)の射(い)ける矢(や)も、此(こ)の木の枝(えだ)に有(あ)るらんと、梢(こずゑ)の風(かぜ)もなつかしく、山路(やまぢ)はるばる行(ゆ)く程(ほど)に、箱根(はこね)の坊(ばう)につきけり。やがて、別当(べつたう)出(い)で合(あ)ひ給(たま)ひて、「さても、御(おん)歎(なげ)きの日数(ひかず)の、哀(あは)れにて」と仰(おほ)せられければ、此(こ)の人々(ひとびと)にも、仏事(ぶつじ)の本意(ほんい)を申(まう)しけり。別当(べつたう)、虎(とら)を見(み)給(たま)ひて、「何処(いづく)よりの客人(きやくじん)にや」と問(と)ひければ、母(はは)、有(あ)りの儘(まま)に語(かた)り奉(たてまつ)る。別当(べつたう)も、有(あ)り難(がた)き志(こころざし)とて、墨染(すみぞめ)の袖を濡(ぬ)らし給(たま)ふ。やや有(あ)りて、別当(べつたう)、涙(なみだ)を止(とど)めて、仰(おほ)せられけるは、「法師(ほふし)が思(おも)ひとて、方々(かたがた)に劣(おと)り奉(たてまつ)らず。さかりなる子(こ)を先(さき)に立(た)つる親(おや)、わかうして夫(おつと)におくるる妻(つま)、世(よ)の常(つね)多(おほ)しと申(まう)し候(さうら)へ共(ども)、師(し)に先(さき)立(だ)つ弟子(でし)は、稀(まれ)なり。其(そ)れも先規(せんぎ)無(な)きにあらず。遠(とほ)く震旦(しんだん)を思(おも)へば、顔回(がんくわい)は、貫首(くわんじゆ)の弟子(でし)にて、才智(さいち)並(なら)ぶ人無(な)かりしかども、二十五歳(さい)にて、先(さき)立(だ)ち給(たま)ふ。我(わ)が朝(てう)の慈覚(じかく)大師(だいし)の御弟子、大師(だいし)に先(さき)立(だ)ち奉(たてまつ)る。西方院(さいはうゐん)の座主(ざす)院源(ゐんげん)僧正(そうじやう)は、りやうゐんP394大徳(とく)におくれ給(たま)ふ。斯様(かやう)の事(こと)を思(おも)ひ出(い)だせば、愚僧(ぐそう)一人が歎(なげ)き也(なり)。げにげに曠劫(くわうごふ)をへても、相(あひ)見(み)ん事(こと)有(あ)るまじき別(わか)れの道(みち)、歎(なげ)き給(たま)ふも、理(ことわり)なり。歎(なげ)くべし歎(なげ)くべし」とて、御涙(おんなみだ)をはらはらと流(なが)し給(たま)ふ。「思(おも)へば、誰も劣(おと)るべきにはあらね共(ども)、大磯(おほいそ)の客人(きやくじん)の御志(おんこころざし)こそ、誠(まこと)有(あ)り難(がた)くこそ候(さうら)へ。相(あひ)構(かま)へて、深(ふか)く歎(なげ)き給(たま)ふべからず。是(これ)を誠の善知識(ぜんちしき)として、他念(たねん)無(な)く菩提心(ぼだいしん)を起(お)こし給(たま)へ。一念(いちねん)の随喜(ずいき)だにも、莫大(ばくだい)にて候(さうら)ふぞかし。斯様(かやう)に思(おも)ひ切(き)り、誠(まこと)の道(みち)に入(い)り給(たま)ひ候(さうら)はば、余念(よねん)無(な)く行(ぎやう)じ給(たま)ひ候(さうら)へよ。仏も六年、仙人(せんにん)に給仕(きうじ)きやうしてこそ、法花をば授(さづ)かり給(たま)ひし。構(かま)へて、悪念(あくねん)を捨(す)て給(たま)ふべし。人々(ひとびと)を打(う)ちける人を恨(うら)めしと思(おも)ひ給(たま)はば、瞋恚(しんい)の妄執(まうしう)と成(な)りて、輪廻(りんゑ)の業(ごふ)つくべからず。あながち、手(て)を下(お)ろして殺(ころ)し、行(ゆ)きて盗(ぬす)まざれども、思(おも)へば、其(そ)の科(とが)ををかすにて候(さうら)ふぞ。構(かま)へて構(かま)へて、殺生(せつしやう)を心(こころ)にのぞき給(たま)ふべし。然(さ)れば、第一(だいいち)の戒(かい)にて候(さうら)ふぞ。女(をんな)は、殊(こと)に執情(しうじやう)深(ふか)きに依(よ)りて、三途(さんづ)の業(ごふ)つきず候(さうら)ふぞや。聞(き)き給(たま)へ。
 @〔鬼の子(こ)取(と)らるる事(こと)〕S1103N161
 昔(むかし)、天竺(てんぢく)に、鬼子母(きしも)という鬼有(あ)り。大阿修羅王(あしゆらわう)が妻(つま)なり。五百人の子(こ)を持(も)ち、是(これ)をP395養(やしな)はんとて、物(もの)の命をたつ事(こと)、恒河沙(がうがしや)の如(ごと)し。殊(こと)に親(おや)の愛(あい)する子(こ)を好(この)み、取(と)りくふ罪(つみ)つくし難(がた)し。仏(ほとけ)、是(これ)を悲(かな)しみ思(おぼ)し召(め)し、如何(いかが)して此(こ)の殺生(せつしやう)を止(とど)めんとて、智慧(ちゑ)第一(だいいち)の迦葉(かせう)尊者(そんじや)に告(つ)げ給(たま)ふ。迦葉(かせう)、仏(ほとけ)に申(まう)させ給(たま)ひけるは、「彼(かれ)が五百人持(も)ちて候(さうら)ふ子(こ)の中に、殊(こと)に自愛(じあい)を御(おん)隠(かく)し候(さうら)ひて、御覧(ごらん)ぜられ候(さうら)へ」と、御申(まう)し有(あ)りければ、「然(しか)るべし」とて、五百人の乙(おと)子取(と)り、御鉢(はち)の下(した)に隠(かく)し給(たま)ふ。父母の鬼(おに)、是(これ)を尋(たづ)ねけり。神通(じんづう)自在(じざい)の物(もの)なりければ、上(かみ)は非想(ひさう)非非想天(ひひさうてん)、六欲天(よくてん)の雲(くも)の上、下(した)は九山(せん)、八海(かい)、竜宮(りゆうぐう)、奈落(ならく)の底(そこ)までも、くもり無(な)く尋(たづ)ねけれども、無(な)かりけり。鬼共(ども)、力(ちから)を失(うしな)ひ、大地(だいぢ)に伏(ふ)しまろび、泣(な)き悲(かな)しみけるぞ、愚(おろ)かなる。思(おも)ひの余(あま)りに、仏(ほとけ)に参(まゐ)り申(まう)しけるは、「我、五百人の子(こ)を持(も)ちて候(さうら)ふ、其(そ)の中(なか)にも、乙(おと)子(ご)こそ、殊(こと)に不便(ふびん)に候(さうら)ひしを、物(もの)に取(と)られ失(うしな)ひて候(さうら)ふ。余(あま)りに悲(かな)しみ候(さうら)ひて、至(いた)らぬ隈(くま)も無(な)く、尋(たづ)ねて候(さうら)へども、我(われ)等(ら)が神通(じんづう)にては、尋(たづ)ね出(い)だすベしとも覚(おぼ)えず。然(しか)るべくは、御慈悲(じひ)を以(もつ)て、教(をし)へさせ給(たま)ひ候(さうら)へ」とて、黄(き)なる涙(なみだ)を流(なが)しけり。其(そ)の時(とき)、仏宣(のたま)はく、「さて、子(こ)を失(うしな)ひて尋(たづ)ぬるは、悲(かな)しき物(もの)か」「申(まう)すにや及(およ)び候(さうら)はず。是(これ)だにも出(い)で来(き)候(さうら)はば、我(われ)等(ら)二人は、如何(いか)になり候(さうら)ふとも、余(あま)りにかはゆく候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、「然様(さやう)に、子(こ)は悲(かな)しく、無慙(むざん)なる者(もの)ぞとよ。汝(なんぢ)、五百人の子(こ)を養(やしな)はんが為(ため)に、者(もの)の命(いのち)を殺(ころ)す事(こと)、いか程(ほど)とか思(おも)ふ。其(そ)の殺(ころ)さP396るる者(もの)の中に、親(おや)も有(あ)り、子(こ)も有(あ)り、兄弟(きやうだい)親類(しんるい)、いか程(ほど)の歎(なげ)きとか思(おも)ふ。思(おも)ひ知(し)れりや、汝(なんぢ)今、只(ただ)一人失(うしな)ひてだにも、斯様(かやう)に悲(かな)しむにや。まして、他人(たにん)如何(いかが)」と、示(しめ)し給(たま)ひければ、鬼共(ども)、首(かうべ)をうなだれ、涕泣(ていきゆう)して、先非(せんぴ)をくいけり。「如何(いか)に汝(なんぢ)等(ら)、猶(なほ)しも者(もの)の命(いのち)をやたつべき。止(とど)まるならば、有(あ)り所(どころ)知(し)らせん」と仰(おほ)せられければ、鬼(おに)、大(おほ)きに喜(よろこ)び、「今より後(のち)は、更(さら)に殺生(せつしやう)すまじくて候(さうら)ふ。失(うしな)ひし子(こ)の有(あ)り所(どころ)教(をし)へ給(たま)へ」と、たひはう申(まう)しけり。「然(さ)らば、かたく約束(やくそく)有(あ)りて、殺生(せつしやう)止(とど)めよ」と仰(おほ)せられければ、鬼(おに)、重(かさ)ねて申(まう)す様(やう)、「肉食(にくじき)をたやしては、我(われ)等(ら)身命(しんみやう)助(たす)かり難(がた)し。御慈悲(じひ)の方便(はうべん)に預(あづ)からん」と申(まう)す。仏(ほとけ)、御思案(しあん)有(あ)りて、「然(さ)らば、一切(いつさい)衆生(しゆじやう)の用(もち)ひる飯(はん)の上(うへ)を、少(すこ)し生飯(さば)取(と)り、汝(なんぢ)等(ら)に与(あた)ふべし。其(そ)れにて命を継(つ)ぎ候(さうら)へ」と、仏勅(ぶつちよく)有(あ)りければ、鬼(おに)承(うけたまは)り、「我(われ)等(ら)は、悪業(あくごふ)煩悩(ぼんなう)にて、身(み)をまろめたり。仮令(たとひ)仏説(ぶつせつ)の如(ごと)く、頂戴(ちやうだい)申(まう)すと言(い)ふとも、肉食(にくじき)を止(とど)めては、命(いのち)あらじ」と申(まう)しければ、「然(さ)らば、一口(ひとくち)の飯(はん)に、人(ひと)の肉(にく)をすりぬりて与(あた)ふべし」と、御約束(ごやくそく)有(あ)りけり。今(いま)に至(いた)りて、生飯(さば)とて、飯(いひ)の上(うへ)を少(すこ)し取(と)り、掌(たなごころ)にあてておく事(こと)は、此(こ)のいはれにてぞ有(あ)りける。斯様(かやう)に、かたく御誓約(せいやく)有(あ)りて、御鉢(はち)の下より、子鬼を取(と)り出(い)だし給(たま)ひけり。此(こ)の時(とき)、鬼(おに)申(まう)しけるは、「我(われ)等(ら)、神通(じんづう)を越(こ)えたりと思(おも)へ共(ども)、仏(ほとけ)の方便(はうべん)に及(およ)び難(がた)し。まして、後世(ごせ)こそ恐(おそ)ろしけれ」とて、即(すなは)ち、御弟子と成(な)り、P397仏果(ぶつくわ)をえるとかや。剰(あまつさ)へ、法華(ほつけ)守護神(しゆごじん)と成(な)り、法花経を擁護(おうご)せんと誓(ちか)ひ給(たま)ふ。抑(そもそも)此(こ)の鬼子母(きしも)は、形(かたち)世(よ)に越(こ)えければ、帝釈(たいしやく)、是(これ)を奪(うば)ひ取(と)り給(たま)ひぬ。阿修羅王(あしゆらわう)、大(おほ)きに怒(いか)り、瞋恚(しんゐ)の猛火(みやうくわ)をはなち、既(すで)に須弥(しゆみ)の半腹(はんぷく)まで攻(せ)め上(のぼ)り、戦(たたか)ふ事(こと)、恒河沙(ごうがしや)のをふるとも、作(つく)る事(こと)無(な)し。其(そ)の時(とき)、帝釈(たいしやく)は、善法堂(ぜんぽふだう)に立(た)て籠(こも)り、仁王経(にんわうぎやう)を講(かう)じ給(たま)ひつつ、四しゆ五わうの印(いん)を結(むす)び給(たま)ふ。時に、虚空(こくう)より、磐石(ばんじやく)雨の如(ごと)くに降(ふ)り下(くだ)り、修羅(しゆら)の大敵を粉灰(こはひ)に打(う)ち砕(くだ)き、然(さ)れども、業因(ごふいん)つきざれば、又よみ帰(かへ)り、大苦(く)を受(う)けたりと伝(つた)へたり。然(しか)れども、鬼子母(きしも)は、仏弟子となりしかば、苦悩(くなう)をはなるるのみならず、法花の守護神(しゆごじん)となり給(たま)ふ。斯様(かやう)に鬼神だにも、随喜(ずいき)すれば、かくの如(ごと)し。
 @〔箱根にて仏事(ぶつじ)の事(こと)〕S1104N162
 ましてや、人の身(み)として願(ねが)はんに、何(なに)の疑(うたが)ひ候(さうら)ふべき。既(すで)に斯様(かやう)の法者(ほふしや)と成(な)り給(たま)へば、身(み)の為(ため)、他(た)の為(ため)、未来(みらい)永々(えいえい)有(あ)り難(がた)き御事(おんこと)なり。法師(ほふし)とて、御導師(だうし)に成(な)るべき身(み)にあらねども、有(あ)り合(あ)ひ、如何(いか)でか空(むな)しかるらん。其(そ)の上(うへ)、五郎(ごらう)は、寵愛(ちようあい)なじみにて、御(おん)思(おも)ひ、共(とも)に劣(おと)らねば、一入(ひとしほ)弔(とぶら)ひ奉(たてまつ)るべし。誰か、P398僧(そう)達(たち)を請(しやう)じ申(まう)せ。持仏堂(ぢぶつだう)の荘厳(しやうごん)せよ。客殿(きやくでん)の塵(ちり)取(と)れ」と、様々(さまざま)下知(げぢ)し給(たま)ひけり。虎(とら)は、別当(べつたう)の教化(けうけ)を聞(き)き、身(み)ながらも嬉(うれ)しくぞ思(おも)ひける。其(そ)の後、数(かず)の僧(そう)達(たち)集(あつ)まり給(たま)ふ。御経(きやう)多(おほ)しと雖(いへど)も、殊(こと)にすぐれたる一乗(いちじよう)妙典(みやうでん)八巻(くわん)、同音(どうおん)に読誦(どくじゆ)し給(たま)ふ。五十展転(てんでん)の功力(くりき)だにも有(あ)り難(がた)し。受持(じゆぢ)読誦(どくじゆ)の結縁(けちえん)頼(たの)もしかりけり。御経(きやう)やうやうはてしかば、別当(べつたう)高座(かうざ)に上(のぼ)り、彼(かれ)等(ら)が追善(ついぜん)の鐘(かね)打(う)ちならし、施主(せしゆ)の志(こころざし)を計(はか)り給(たま)へば、先(ま)づ、御涙(なみだ)にむせびつつ、説法(せつぽふ)の御声(おんこゑ)も出(い)だし給(たま)はず。やや有(あ)りて、別当(べつたう)涙(なみだ)を抑(おさ)へ、花房(はなぶさ)を捧(ささ)げ、「其(そ)れ、生死(しやうじ)の道は殊(こと)にして、をつれをいづれの方(はう)にか通(つう)ぜん。分段(ぶんだん)境(さかひ)を隔(へだ)つ、はいきをいつの時(とき)にか期(ご)せん。二十三年(にじふさんねん)の夢(ゆめ)、暁(あかつき)の月と空(そら)に隠(かく)れぬ。千万端(たん)の愁(うれ)へ、夕(ゆふべ)の嵐(あらし)、一人(ひとり)吟(ぎん)じて、雲と成(な)り、雨と成(な)り、哀憐(あいれん)の涙(なみだ)、かわく事(こと)無(な)し。朝(あした)を向(む)かへ、夕(ゆふべ)を送(おく)りて、懐旧(くわいきう)の腸(はらわた)絶(た)えなんとす。所作(しよさく)未(いま)だやまざるに、百日の忌景(きけい)、既(すで)にみてり。悲(かな)しみ至(いた)りて悲(かな)しきは、おいて子(こ)におくれ、恨(うら)みの殊(こと)に恨(うら)めしきは、さかんにして夫(おつと)におくるる程(ほど)の愁(うれ)へ無(な)し。老少(らうせう)不定(ふぢやう)を知(し)ると雖(いへど)も、猶(なほ)、前後(ぜんご)の相違(さうゐ)に迷(まよ)ふ事(こと)、歎(なげ)けども適(かな)はず、惜(を)しめ共(ども)験(しるし)無(な)し。然(さ)れば、仏も愛別離苦(あいべつりく)ととき給(たま)ふ。一生(いつしやう)は夢(ゆめ)の如(ごと)し、誰か百年の齢(よはひ)を保(たも)たん。万事(ばんじ)は皆(みな)空(むな)し、いづれか常住(じやうぢゆう)の思(おも)ひをなさん。命(いのち)は、水(みづ)の上(うへ)の泡(あは)の如(ごと)し。魂(たましひ)は、籠(こ)の内の鳥、開(ひら)くを待(ま)ちて、然(さ)るに同(おな)じ。きゆるものP399は、二度(ふたたび)見(み)えず、然(さ)る者(もの)は、重(かさ)ねて来(き)たらず。恨(うら)めしきかなや、釈迦(しやか)大士(し)の慇懃(おんごん)の教化(けうけ)忘(わす)れ、悲(かな)しきかなや、閻魔(えんま)法王(ほふわう)の呵責(かせき)の言葉(ことば)を聞(き)く。名利(みやうり)は、身(み)を助(たす)くと雖(いへど)も、未(いま)だ北■(ほくばう)の屍(かばね)を養(やしな)はず。恩愛(おんあい)の心(こころ)悩(なや)ませども、誰黄泉(くわうせん)の攻(せ)めをまぬかれん。是(これ)に依(よ)つて馳走(ちそう)す、所得(しよどく)幾何(いくばく)の利(り)ぞや。是(これ)が為(ため)に追求(ついぐ)す、所作(しよさ)多罪(たざい)也(なり)。暫(しばら)く目(め)をふさぎて、往事(わうし)を思(おも)ふに、きゆふ皆(みな)空(むな)し。指(ゆび)ををりて、薨人(こうじん)をかぞふれば、親疎(しんそ)多(おほ)く隠(かく)れぬ。時移(うつ)り、事(こと)さりて、今(いま)何(なん)ぞ渺茫(べうばう)たらんや。人(ひと)止(とど)めて、我(われ)行(ゆ)き、誰(たれ)か又(また)しやうしやせん、三界(さんがい)無安(むあん)、猶如(ゆによ)火宅(くわたく)と見(み)れば、王宮(わうくう)も、これ夢(ゆめ)なり。天子(てんし)と言(い)ふも、四苦(しく)の身(み)なり。況(いはん)や、下劣(れつ)貧賎(ひんせん)の輩(ともがら)、などか其(そ)の罪(つみ)かろかるべき。死(し)に苦(くる)しみをまし、業(ごふ)に悲(かな)しみを添(そ)ふべし。思(おも)ひ取(と)らぬぞ、愚(おろ)かなる。「まさに今(いま)こんかく塵(ちり)深(ふか)くして、竹簡(ちくかん)幾何(いくばく)の千巻(せんくわん)ぞ。苔■(たいれう)雲静(しづ)かにして、松風(せうふう)只(ただ)一声(ひとこゑ)、てんちうくわせつ、相(あひ)伝(つた)ふるに、主(あるじ)を失(うしな)ふ。七月半(なか)ばの盂蘭(うら)盆、のぞむ所(ところ)、誰(たれ)にかあらん」と、泣(な)く泣(な)く当座(たうざ)にぞ書(か)きける。誠(まこと)理(ことわり)きはまりけり。然(さ)れば、親(おや)の子(こ)を思(おも)ふ志(こころざし)の深(ふか)き事(こと)、父(ちち)の恩(おん)を須弥(しゆみ)に例(たと)へ、母(はは)の恩(おん)を大海(だいかい)に同(おな)じと言(い)へり。もし我(われ)一劫(ごふ)の間(あひだ)とく共(とも)、父母(ふぼ)の恩(おん)、作(つく)る事(こと)無(な)しと見(み)えたり。胎内(たいない)に宿(やど)り、身(み)を苦(くる)しめ、心(こころ)をつくし、月を重(かさ)ね、日を送(おく)り、生(う)まるる時(とき)は、桑(くわ)の弓(ゆみ)・蓬(よもぎ)の矢(や)を以(もつ)て、天地四方(しはう)を射(い)、身体(しんてい)髪膚(はつぷ)を父母(ぶも)に受(う)け、敢(あ)へてそこなひ破(やぶ)らP400ざるを、孝(かう)の始(はじ)めとす、襁褓(きやうほう)の嚢(ふくろ)に包(つつ)まれしより、今(いま)に至(いた)るまで、昼夜(ちうや)に安(やす)き事(こと)無(な)し。人の親(おや)の習(なら)ひ、我(わ)が身(み)の衰(おとろ)へをば知(し)らずして、子(こ)の成人(せいじん)を願(ねが)ひしぞかし。此(こ)の恩(おん)を捨(す)て、未(いま)ださかりにもみちずして、母(はは)に先(さき)立(だ)ちぬ。然(さ)れば、孝経(けうぎやう)に曰(いは)く、「君(きみ)は尊(たつと)くして親(した)しからず、母(はは)は親(した)しくして尊(たつと)からず、尊親(そんしん)共(とも)に是(これ)をかねたるは、父一人(ひとり)なり」と雖(いへど)も、四の恩(おん)の中(なか)には、二親(しん)なれば、母(はは)の歎(なげ)きも切(せつ)なれども、あたる所(ところ)を恥(は)ぢ、父(ちち)の敵に身(み)を捨(す)て、各々(おのおの)命を失(うしな)ふ。人の親(おや)の子(こ)を思(おも)ふ闇(やみ)に迷(まよ)ふ道(みち)、愚(おろ)かなる子(こ)もいとしほしく、かたはなるも悲(かな)しきに、此(こ)の人々(ひとびと)は、弓馬(きゆうば)の家(いへ)に生(う)まれ、武略(ぶりやく)共(とも)にかしこし。後代(こうたい)に止(とど)む事(こと)、遠(とほ)きも近(ちか)きも、知(し)らぬ人無(な)し。同(おな)じ兄弟(きやうだい)と雖(いへど)も、中の悪(あ)しきも有(あ)るぞかし。此(こ)の殿(との)原(ばら)は、幼少(えうせう)竹馬(ちくば)の昔(むかし)より、なれむつぶる事(こと)、類(たぐひ)無(な)し。浄蔵(じやうざう)・浄眼(じやうげん)の古(いにしへ)にも恥(は)ぢず、早離(さうり)・速離(そくり)の昔(むかし)にも似(に)たり。遂(つひ)に富士の裾野(すその)にして、同(おな)じ草葉(くさば)の露と消(き)え給(たま)へり。彼(か)の一条(いちでう)摂政(せつしやう)謙徳公(けんとくこう)の二人の御子、前少(ぜんしやう)、後少将(ごせうしやう)とて御座(おは)しける、朝夕(あしたゆふべ)に失(う)せ給(たま)へり。斯(か)かる例(ためし)もあれば、生死(しやうじ)無常(むじやう)の理(ことわり)、始(はじ)めて驚(おどろ)くべきにあらず。今、開眼(かいげん)供養(くやう)の御経(きやう)、人々(ひとびと)の手跡(しゆせき)の裏(うら)也(なり)。斯様(かやう)に書(か)き置(お)きしを、余所(よそ)にて見(み)るだにも悲(かな)しきに、まして御身(おんみ)にあて、御心中(しんちゆう)、さぞ思(おぼ)し召(め)すらめ。是(これ)は、親子(おやこ)の別(わか)れの事(こと)、兄弟(きやうだい)の契(ちぎ)りのわり無(な)きを、一言(ごん)述(の)べて候(さうら)ふ。又(また)、夫(おつと)に別(わか)るる歎(なげ)き、今(いま)一入(ひとしほ)色(いろ)深(ふか)きP401事(こと)なり。虚弓(こきう)止(とど)まりて、閨(ねや)に寄(よ)せ立(た)つ、上弦(しやうげん)の月、空(そら)に暮(く)れぬ。三年のなじみ、忽(たちま)ちつき、孤枕(こしん)床(ゆか)に上(のぼ)りて、虞氏(ぐし)が古(いにしへ)にあらねども、数行(すかう)が涙(なみだ)、袂(たもと)をうるほすらん。しやう蘭(らん)のにほひ、そらだき物(もの)とぞなりにける。宵暁(よひあかつき)の鐘(かね)の声、枕(まくら)を並(なら)べし音(おと)には似(に)ず、おきゐに見(み)れば、なれ来(こ)し人はよも添(そ)はじ。山の端(は)出(い)づる月影(かげ)を、心(こころ)苦(ぐる)しく待(ま)ち得(え)ても、見(み)し面影(おもかげ)にはことなれば、是(これ)ぞ、慰(なぐさ)み給(たま)ふ事(こと)あらじ。誠(まこと)、夫婦(ふうふ)の別(わか)れ、忍(しの)び難(がた)けれども、昔(むかし)今も、力(ちから)に及(およ)ばざる道なれば、思(おも)ひ慰(なぐさ)み給(たま)ふべし。彼(か)の唐(たう)の玄宗(げんそう)の楊貴妃(やうきひ)も、はつかに事(こと)を蓬莱宮(ほうらいきゆう)の波に伝(つた)ふらん、穆公(ぼつこう)の弄玉(ろうぎよく)をおもんぜしも、徒(いたづ)らに鳳凰台(ほうわうだい)の月によす。彼(かれ)を思(おも)ひ、是(これ)を思(おも)ふに付(つ)けても、昔を今(いま)になずらへて、一仏(いちぶつ)浄土(じやうど)の縁(えん)を結(むす)び、願(ねが)はくは、九品(くほん)往生(わうじやう)ののぞみを遂(と)げ、七世の父母(ぶも)、六親(りくしん)眷属(けんぞく)成仏(じやうぶつ)」と、回向(ゑかう)の鐘(かね)をならし、別当(べつたう)高座(かうざ)を下(お)り給(たま)ふとて、
定(さだ)め無(な)き浮(う)き世(よ)といとど思(おも)ひしに問(と)はるべき身(み)の問(と)ふに付(つ)けても W037
と詠(えい)じ給(たま)ひければ、聴聞(ちやうもん)の貴賎(きせん)、哀(あは)れを催(もよほ)し、袖を絞(しぼ)らぬは無(な)かりけり。供養(くやう)もやうやう過(す)ぎしかば、僧(そう)達(たち)も、皆々(みなみな)帰(かへ)り給(たま)ひぬ。やや暫(しばら)く有(あ)りて、「急(いそ)ぎ下(くだ)り度(たく)候(さうら)へ共(ども)、たまたま上りて候(さうら)へば、五郎(ごらう)が幼(をさな)くて住(す)み候(さうら)ひし方(かた)を見(み)候(さうら)はん」と申(まう)されければ、別当(べつたう)宣(のたま)ひけるは、「男(をとこ)に成(な)りて後、其(そ)の形見(かたみ)と思(おも)へば、P402人をも置(お)かず、わざと破(やぶ)れをも修理(しゆり)せず、昔(むかし)に少(すこ)しも違(たが)はず候(さうら)ふ。いざさせ給(たま)へ。墓所(はかどころ)をもつきて候(さうら)へば、御覧(ごらん)ぜよ」とて、つれて行(ゆ)き、立(た)ち寄(よ)り見(み)給(たま)へば、墓(はか)の上に草おひけるを、別当(べうたう)見(み)給(たま)ひて、「君見(み)ずや、北■(ほくばう)の暮(ゆふべ)の雨、でうでうたる青塚(せいちよ)の色(いろ)を。また見(み)ずや、とうはうの秋の風(かぜ)、歴々(れきれき)たる白楊(はくやう)の声(こゑ)を」と、古(ふる)き詩(し)を思(おも)ひ出(い)で給(たま)ふ。是(これ)は、もとの住(す)み処(か)と宣(のたま)へば、軒(のき)の荵(しのぶ)は、紅葉(もみぢ)して、思(おも)ひの色を現(あらは)せり。歎(なげ)きは、いつも尽(つ)きせねば、しげる甲斐(かひ)無(な)き忘(わす)れ草、其(そ)の名(な)計(ばかり)は、由(よし)ぞ無(な)き。長月(ながつき)上旬(じやうじゆん)の事(こと)なれば、よもの紅葉(もみぢ)の色は、袖の涙(なみだ)を染(そ)むるかと見(み)え、世(よ)に古里(ふるさと)は苦(くる)しきに、安(やす)くも過(す)ぐる初(はつ)時雨(しぐれ)、羨(うらや)ましくぞ覚(おぼ)えけり。壁(かべ)に書(か)きたる筆のすさみを見(み)れば、
出(い)でていなば心(こころ)かろしと言(い)ひやせん身(み)の有様(ありさま)を人(ひと)の知(し)らねば W038
と言(い)ふ古歌(ふるうた)の端(はし)を、「箱王(はこわう)丸(まる)」とぞ書(か)きたりける。師匠(ししやう)に暇(いとま)をもこはず、人にも行方(ゆきがた)を知(し)らせず、只(ただ)一人出(い)づる事(こと)、思(おも)ひ寄(よ)りて語(かた)り、幼(をさな)かりし面影(おもかげ)、只今(ただいま)の心(こころ)して、由(よし)無(な)き所(ところ)へ来(き)たりけると、絶(た)え焦(こ)がれければ、胸(むね)を焦(こ)がす焔(ほのほ)は、咸陽宮(かんやうきゆう)の夕(ゆふべ)の煙(けぶり)にことならず。袂(たもと)に落(お)つる涙(なみだ)の、竜門原上(りゆうもんげんしやう)の草葉(くさば)を染(そ)むる、おもての涙(なみだ)とも言(い)ひつべし。名残(なごり)は尽(つ)きすまじ。さてしも有(あ)るべきにあらざれば、泣(な)く泣(な)く母(はは)は、曾我(そが)に下(くだ)り、虎(とら)は、大磯(おほいそ)に帰(かへ)らんとす。別当(べつたう)も五郎(ごらう)に別(わか)るる心(こころ)して、「扨(さて)も、此(こ)の度(たび)の御仏事(ぶつじ)、有(あ)り難(がた)くこそ候(さうら)へ。過去(くわこ)幽霊(いうれい)、定(さだ)めて正覚(しやうがく)なり給(たま)ふべし。又(また)、大磯(おほいそ)の客人(きやくじん)の御志(こころざし)P403こそ、世(よ)にすぐれては候(さうら)へ。構(かま)へて構(かま)へて、怠(おこた)らず弔(とぶら)ひ給(たま)へ」と仰(おほ)せられければ、虎(とら)も、涙(なみだ)を抑(おさ)へて、「仏事(ぶつじ)と承(うけたまは)り候(さうら)へば、誠(まこと)に恥(は)ぢ入(い)る心(こころ)し、あかぬ別(わか)れの道(みち)、いつかは怠(おこた)り候(さうら)はん」と申(まう)しければ、「数多(あまた)の宝(たから)をつまんより、誠(まこと)の志(こころざし)にはしかずと承(うけたまは)る。
 @〔貧女(ひんぢよ)が一燈(とう)の事(こと)〕S1105N165
 其(そ)の古(いにしへ)を思(おも)ふに、天竺(てんぢく)の阿闍世王(あじやせわう)は、常々(つねづね)仏(ほとけ)を請(しやう)じ奉(たてまつ)り、数(かず)の宝(たから)を捧(ささ)げ給(たま)ふ。或(あ)る時(とき)、仏の御(おん)帰(かへ)り、夜(よ)に入(い)りければ、王宮(わうくう)より、祇園精舎(ぎをんしやうじや)まで、十方(じつぱう)国土(こくど)の油(あぶら)を集(あつ)めて、万燈(まんどう)をともし給(たま)ひけり。此処(ここ)に、貧(ひん)なる女(をんな)有(あ)り、如何(いか)にもして、此(こ)の燈明(とうみやう)の数(かず)に入(い)らばやと思(おも)ひけれども、朝夕(あさゆふ)の営(いとな)みだにも無(な)き貧女(ひんぢよ)なれば、一燈(とう)の力(ちから)も無(な)し。涙(なみだ)を流(なが)し、如何(いか)にもと方便(はうべん)すれども、適(かな)はで、東西(とうざい)に馳走(ちそう)し、自(みづか)ら髪(かみ)を切(き)り、銭(ぜに)二文(もん)にぞうりたりけり。是(これ)にてもやと思(おも)ひければ、油(あぶら)を彼(か)の銭(ぜに)にてかひ、わぶわぶ一燈(とう)ともして、くどきけるは、「我、前業(ぜんごふ)如何(いか)なりければ、百千燈(とう)をだにともす人の有(あ)るに、一燈(とう)をだにともし兼(か)ねたる、憂(う)き身(み)の程(ほど)の恨(うら)めしさよ」とて、彼(か)の燈明(とうみやう)の下に泣(な)き伏(ふ)しけり。此(こ)の志(こころざし)を現(あらは)さん為(ため)にや、折節(をりふし)、山風(かぜ)あらくふきて、数の燈明(とうみやう)P404を一度(いちど)にふき消(け)しけり。然(さ)れば、貧女(ひんぢよ)が一燈(とう)ばかりは消(き)えず。目連(もくれん)、不思議(ふしぎ)に思(おぼ)し召(め)し、袈裟(けさ)にて仰(あふ)がせ給(たま)ひけれども、消(き)えざりけり。其(そ)の時(とき)、目連(もくれん)、仏に問(と)ひ給(たま)ふ、「多(おほ)くの燈明(とうみやう)の消(き)ゆる中(なか)に、如何(いか)なれば、一燈(とう)消(き)えざる」と申(まう)させ給(たま)へば、仏(ほとけ)宣(のたま)はく、「阿闍世王(あじやせわう)が万燈(まんどう)の光(ひかり)、愚(おろ)かにはあらね共(ども)、貧女(ひんぢよ)が志(こころざし)の深(ふか)き事(こと)を現(あらは)さむが為(ため)に、万燈は消(き)えて、一燈(とう)は残り」と示(しめ)し給(たま)ふ。然(さ)ればにや、此(こ)の貧女(ひんぢよ)成仏(じやうぶつ)して、須弥(しゆみ)燈光(とうくわう)如来(によらい)と申(まう)すは、此(こ)の貧女(ひんぢよ)の事(こと)なり。「長者(ちやうじや)の万燈(まんどう)より、貧女(ひんぢよ)が一燈(とう)」と申(まう)し伝(つた)へたるは、此(こ)の事(こと)也(なり)。御志(こころざし)をはげまし候(さうら)へ。返(かへ)す返(がへ)す」と仰(おほ)せられければ、虎(とら)も、母(はは)諸(もろ)共(とも)に、深(ふか)き追善(ついぜん)し、諸仏(しよぶつ)哀(あは)れみ給(たま)ふらんと嬉(うれ)しくて、各々(おのおの)暇(いとま)申(まう)して、帰(かへ)りにけり。母(はは)申(まう)しけるは、「今より後は、常々(つねづね)来(き)たり、我(わら)はを御覧(ごらん)候(さうら)へ。自(みづか)らも又(また)、十郎(じふらう)が名残(なごり)に見(み)奉(たてまつ)りなん。暫(しばら)く曾我(そが)に坐(ま)しまして、慰(なぐさ)み給(たま)へ」などと語(かた)りて行(ゆ)きけるが、虎(とら)申(まう)しけるは、「嬉(うれ)しくは承(うけたまは)り候(さうら)へ共(ども)、此(こ)の人々(ひとびと)の御(おん)為(ため)に、毎日(まいにち)法花経六部あて六人して、第三年まで六部(ぶ)の志(こころざし)候(さうら)ふ。我(わら)は無(な)くては、無沙汰(ぶさた)有(あ)るべし。詳(くは)しく申(まう)し付(つ)けて参(まゐ)るべし」と申(まう)しければ、母(はは)は、「誠の御志(おんこころざし)、有(あ)り難(がた)くこそ候(さうら)へ。構(かま)へて構(かま)へて、絶(た)えず問(と)ひ問(と)はれ参(まゐ)らすベし」とて、泣(な)く泣(な)く打(う)ち別(わか)れにけり。実(げ)にや、有為(うゐ)転変(てんべん)の世(よ)の習(なら)ひ、花は根(ね)に帰(かへ)り、鳥は、古巣(ふるす)に入(い)り、日月天(てん)に傾(かたぶ)き、松柏(せうはく)の青(あを)き色(いろ)も、遂(つひ)には五衰(ごすい)の時(とき)有(あ)り、蜉蝣(ふゆう)のあだなる形(かたち)、芭蕉(ばせう)風に破(やぶ)るる例(ためし)、P405歎(なげ)きても余(あま)り有(あ)り、悲(かな)しみてもたへず。只(ただ)一筋(ひとすぢ)に仏道を願(ねが)ふ時(とき)は、草木国土(こくど)悉皆(しつかひ)成仏(じやうぶつ)とぞ見(み)えける。さても、大将(たいしやう)殿(どの)御出(おいで)に依(よ)り、富士の裾野(すその)の御屋形(やかた)、甍(いらか)を並(なら)べ、軒(のき)を知(し)りて、数(かず)有(あ)りしかども、御狩(みかり)過(す)ぎしかば、一宇(いちう)も残(のこ)らず、元(もと)の野原になりにけり。然(さ)れども、残(のこ)る者(もの)とては、兄弟(きやうだい)の瞋恚(しんゐ)執心(しうしん)、或(あ)る時は、「十郎(じふらう)祐成」と名乗(なの)り、或(あ)る時は、「五郎(ごらう)時致(ときむね)」と呼(よ)ばはり、昼夜(ちうや)戦(たたか)ふ音(おと)絶(た)えず。思(おも)はず通(とほ)り合(あ)はする者(もの)、此(こ)の装(よそほ)ひを聞(き)き、忽(たちま)ちに死する者(もの)も有(あ)り、やうやういきたる者(もの)は、狂人(きやうじん)と成(な)りて、兄弟(きやうだい)の言葉(ことば)を移(うつ)し、「苦悩(くなう)離(はな)れ難(がた)し」と歎(なげ)くのみなり。君聞(き)こし召(め)されて、不便(ふびん)なりとて、ようぎやう上人(しやうにん)とて、めでたき法者(ほふしや)を請(しやう)じ、「如何(いかが)せん」と仰(おほ)せられければ、
 @〔菅丞相(かんせうじやう)の事(こと)〕S1106N166
 上人(しやうにん)聞(き)こし召(め)し、「昔も、然(さ)る例(ためし)こそ多(おほ)く候(さうら)へ。忝(かたじけな)くも、菅丞相(かんせうじやう)の昔(むかし)、讒言(ざんげん)の瞋恚(しんい)、くはういとなり給(たま)ひて、都(みやこ)を傾(かたぶ)け給(たま)ひけるを、天台(てんだい)の座主(ざす)、一字(じ)千金(きん)の力(ちから)を以(もつ)て、やうやうなだめ奉(たてまつ)り、神(かみ)といはひ奉(たてまつ)る、威光(いくわう)あらたに坐(ま)します、天満大自在天神、此(こ)の御事(おんこと)なり。其(そ)の外(ほか)、怒(いか)りをなして、神と崇(あが)められP406給(たま)ふ御事(こと)、承平(しようへい)の将門(まさかど)、弘二(こうにん)の仲成(なかなり)此(こ)の方(かた)、其(そ)の数(かず)多(おほ)し。此(こ)の人々(ひとびと)をも、神にいははれ候(さうら)へ」と仰(おほ)せられければ、
 @〔兄弟(きやうだい)、神(かみ)にいははるる事(こと)〕S1107N167
 「然(しか)るべし」とて、即(すなは)ち勝名(しようめい)荒人宮(くわうじんぐう)と崇(あが)め奉(たてまつ)り、やがて富士(ふじ)の裾野(すその)に、まつかぜと言(い)ふ所(ところ)を、長(なが)く御寄進(きしん)有(あ)りけり。よつて、彼(か)の上人(しやうにん)を開山(かいさん)として、寺僧(じそう)を定(さだ)め、禰宜(ねぎ)・神主(かんぬし)をすゑ、五月二十八日には、殊(こと)に読経(どつきやう)、神楽(かぐら)、色々(いろいろ)の奉幣(ほうへい)を捧(ささ)ぐる事(こと)、今に絶(た)えず。其(そ)れよりして、彼(か)の所(ところ)の戦(たたか)ひ絶(た)えて、仏果(ぶつくわ)を証(しよう)する由(よし)、神人(じんにん)の夢(ゆめ)に見(み)えけり。あらたに尊(たつと)し共(とも)、言(い)ふ計(はか)り無(な)し。然(さ)れば、今(いま)に至(いた)るまでも、敵(かたき)打(う)たんと思(おも)ふ者(もの)は、此(こ)の神(かみ)に参(まゐ)り、祈誓(きせい)すれば、思(おも)ひの儘(まま)なりとて、遠国(をんごく)・近国(きんごく)の輩(ともがら)、歩(あゆ)みを運(はこ)びけり。上下(じやうげ)万民(ばんみん)、仰(あふ)がぬは無(な)かりけり。