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◎〔むかしがたり〕第九
 (七三)あしたづ S0901 
いまの世のことは、人にぞとひたてまつるべきを、よしなきこと申しつゞけ侍るになんなどいへば、さらばむかしがたりも、猶いかなる事かきゝ給ひし。かたり給へといふに、おのづから見きゝ侍りしことも、ことのつゞきにこそ、おもひいで侍れ。かつはきゝ給へりしことも、たしかにもおぼえ侍らず。つたへうけ給はりしことも、おもひ出るにしたがひて、申し侍りなん。かたちこそ人の御らんじ所なくとも、いにしへのかゞみとは、などかなり侍らざらむとて、むかし清和のみかどの御とき、かた<”おほくおはしけるなかに、ひとりのみやす所の、太上法皇かくれさせ給へりけるとき、御經供養して、ほとけのみち、とぶらひたてまつられけるに、みのりかきたまへりける、しきしのいろの、ゆふべのそらのうす雲などのやうに、すみぞめなりければ人々あやしくおもひけるに、むかし給はりたまへりける、御ふみどもをしきしにすぎて、みのりのれうしに、なされたりけるなりけり。それよりぞ、おほくしきしの經は、よにつたはれりけるとなん。かきとゞめられたるふみなども侍らんものを、たちばなのうぢ、贈中納言ときこえ侍りし、宰相の日記にぞ、この事は
かゝれたるときこえ侍りし。
村上の御時、枇杷の大納言延光、蔵人頭にて御おぼえにおはしけるに、すこし御けしきたがひたることもおはせで、すぎ給ひけるに、心よからぬ御けしきのみえければあやしくおそれおぼして、こもりゐ給へりけるほどに、めしありければいそぎまゐりておはしけるに、としごろはおろかならず、たのみてすぐしつるに、くちをしきことは、藤原雅村といふ学生の、つくりたるふみのいとほしみあるべかりけるをば、など蔵人になるべきよしをば、そうせざりけるぞ。いとたのむかひなくとおほせられければことわり申す限りなくて、やがておほせくだされけるに、みくらのことねり、家をたづねてかねて、かよふ所ありときゝて、その所にいたりて、蔵人になりたるよしつげゝれば、そのいへあるじのむすめのをとこ、所の雜色なりけるが、蔵人にのぞみかけゝるをりふしにて、わがなりぬるとよろこびて、禄など饗應せむれうに、にはかにしたしきゆかりどもよびて、いとなみけるほどに、ことねり、雜色どのにはおはせず。秀才殿のならせ給へるなりといひければあやしくなりて、いへあるじいかなることぞとたづねけるに、ざうしきがめの、あねかおとうとかなる女房のまかなひなどしけるを、この秀才しのびてかよひ
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つゝ、つぼねにすみわたりけるを、かゝる人こそおはすれと、いへの女どもいひければよもそれは蔵人になるべきものにはあらじ。ひがことならむといひければ、ことねり、その人なりといひければ雜色もいへあるじも、はぢがましくなりて、かゝるものかよふより、かゝることはいでくるぞとて、よのうちに、そのつぼねのしのびづまを、おひ出だしてけり。そのことをいかでかくものうへまできこしめしつゞけゝむ。いとをしきことかな。さてはいでつかうまつらんに、よそひのしかるべきもかなひがたくやあらんとて、くらつかさにおほせられて、くらのかみとゝのへて、さま<”のあまのは衣たまはりてぞまゐりつかへける。そのつくりたる詩は、釈尊とかに、つるこゝのつのさはになく。といふ題の序を、かきたりけるとぞ。ことばをばえおぼえず。その心は、めぐりかけらんことを、よもぎがしまにのぞめば、かすみのそで、いまだあはず。ひく人やあると、あさぢがやまにおもへば、しものうはげ、いたづらにおいにたりといふ心なり。又むらかみのみかど、かの大納言に、われなからんよに、わすれず、思いださんずらむやなど、のたまはせければいかでかつゆわすれまゐらせ侍らんと、こたへ申されけるを、をりふしにはおもひいだすとも、いかでかつねにはわすれざらむとおほせられければ、御ぶくをぬぎ侍らで、
このよをおくり侍らんずれば、かはらぬたもとの色に侍らば、わすれまいらすまじきつまには侍べきとそうし給ふ。まことにその契りにたがはず、おはしければのちのみかどの御時も、色ながらことにしたがひ給ひけるを御らんじて、御涙もおさへあへず、かなしませ給ひけるとぞ。かの大納言の夢に、先帝をみたてまつりて、つくり給へる詩、きこえ侍りき。夢のうちに、もしゆめのうちのことをしらましかば、たとひこの生をおくるとも、はやくはさめざらまし。とぞおぼえ侍。夢としりせばさめざらましを、といふ哥のおなじ心なるべし。
 (七四)祈る験 S0902 
圓融院の御ときにや。横川の慈恵大僧正まゐり給へりけるに、真言のおこなひの時、行者の本尊になることは、あるべきさまをすることにや。又まことに、ほとけになることにてあるかと、とはせ給ひければその印をむすびて、真言をとなへ侍らんには、いかでかならぬやうは侍らんと、こたへ申し給ひければ五壇の御修法に、みかどあはせ給ひて、御らんじけるに、阿闍梨の印をむすびて、定にいりたるとはみゆれども、もとのすがたにてこそはあれと、おほせられければまことに本尊になりて侍を、御さはりものぞこら
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せたまひ、御くどくも、かさならせおはしましなば、御らんぜさせ給ふこともおはしましなんど申し給ひけるに、たび<かさなりて、御覧じければ大僧正不動尊のかたち、本尊とおなじやうになりて、けしやきしてゐたまひたりけるに、ひろさはの僧正も又降三世になりたまひたりけるが、ほどなくれいの人になり、又ほとけになりなどし給ひけり。いま三人は、もとのさまにて、ほとけにもならず。かく御らんじて後に、大師まゐり給へりけるに、まことにたふとき事ををがみつることの、よにありがたきとおほせられて、寛朝こそいとほしかりつれ。心のみだれつるにや。ほどなくすがたのもとのやうになりかへりつると、おほせられければ、大師の申したまひけるは、寛朝なればまかりなるにこそ侍れとぞゝうし給ひける。
禅林寺の僧正ときこえ給ひけるが、宇治のおほきおとゞにやおはしけん。時の関白殿のもとに、消息たてまつりて、法蔵のやぶれて侍る、修理して給はらむと侍りければ、家のつかさなにのかみなどいふ、うけ給はりて、しもけいしなどいふものつぎかみぐして、僧正の坊にまうでゝ、とのより法蔵修理つかまつらんとて、やぶれたる所々、しるしになむまゐりたると申しければ僧正よびよせ給ひて、いかにかくふかくには
おはするぞ。おほやけの御うしろみも、かくてはいかゞし給ふと申せと、侍りければかへりまゐりて、しるしにまうで侍つれ共、いづくなる法蔵とも侍らず。いかに心えぬやうには侍ぞ。おほやけの御うしろみも、いかやうにか、御さた候ふらんなど、おもひかけず、心えぬ御返事なむ、の給はせつると申しければ、こはいかに。さはいかにすべきぞなど、おほせられければとしおいたる女房のあれば御はらのそこなはせ給へるを、みのりのくらとは侍るものをと申しければさもいはれたること、さもあらんとて、まなの御あはせどもとゝのへて、たてまつり給へりければ材木給はりて、やぶれたる法蔵つくろひ侍りぬとぞ、きこえ給ひける。このころの人ならば、関白殿に申さずとも、かくして給ふこと、僧ゐしなどいふものに、心あはせて、とゝのへさせらるべけれども、かく申され侍りとかや。かの僧正大二条殿のかぎりにおはしましけるに、まゐり給ひて、圍碁うたせ給へと申したまひければいかにあさましき事など侍りけれど、あながちに侍りければやうぞあらむとて、ごばんとりよせ、かきおこされたまひて、うたせ給ひけるほどに、御はらのふくれへらせ給ひて、一番がほどに、れいざまにならせ給へりける、いとありがたき験者に侍り
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けり。経などよみ、いのり申すなどせさせ給はんだに、かたときのほどに、めでたく侍べきに、ごうちてやめ申させ給ひけんも、たゞ人にはおはせざるべし。
むかし勘解由長官なりける宰相の、まだ下臈におはしけるとき、おやの豊前守にて、つくしにくだりけるともにまかりたりけるに、そのちゝくにゝてわづらひてうせにけるを、その子のちゝのために、泰山府君のまつりといふ事を、法のごとくにまつりのそなへどもとゝのへて、いのりこひたりければそのおやいきかへりて、かたられ侍りけるは、炎魔の廰にまゐりたりつるに、いひしらぬそなへをたてまつりけるによりて、かへしつかはすべきさだめありつるに、その中に、おやの輔通をばかへしつかはして、そのかはりに、子の有國をばめすべき也。そのゆゑは、みちのものにもあらで、たはやすくこのまつりをおこなふとがあるべしとさだめありつるを、ある人の申されつるは、孝養の心ざしあるうへに、とをきくにゝみちの人のしかるべきもなければおもきつみにもあらず。有國めさるまじとなんおぼゆると申さるゝ人ありつるによりて、みな人いはれありとて、おやこともにゆるされぬるとなんはべりけるとぞ。そのながれの人の、ざえもくらゐも、たかくおはせし人のかたられ侍りける。
一条院の御ときなどにや侍りけん。六位の史をへて、かうぶり給はれるが、あがためしに、心たかくはりまのくにのつかさのぞみければこと人をなされけるに、たび<すみをすりてかきつけらるれども、おほかたもじのかゝれざりければいかゞすべきとさだめられけるに、はりまの國のぞむ申ぶみを、みなとりあつめて、かゝるべきさだめありて、えらひすてたる申ぶみどもをも、おほつかの中よりもとめいでゝ、みなかゝれけるに、かの史太夫相尹とかいふが名の、あざやかにかゝれたりけるとなむ。齋信民部卿の宰相におはしけるとかや。その座にてみ給ひければちひさき手して、ふでのさきをうけて、かゝせぬとぞみ給ひける。聖天供をしていのりけるしるしになむありける。その供は、勧修僧正とかの、せられけるとかや。たしかにもおぼえ侍らず。かくきゝ侍りしを、又人の申ししは、一条院の御時、長徳四年八月廿五日、外記の巡にて佐伯公行といふものこそ、はりまのかみにはなりたれ。かの國の書生とかにてもとありけるとかや。相尹といふものは、なりたることもみえずと申す人もありきとなむ。
 (七五)唐歌 S0903 
一條院は御心ばへも、御のうも、すぐれておはしましけるうへに、しかるべきにや侍りけん。
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かんだちめ、殿上人、みち<のはかせ、たけきものゝふまでよにありがたき人のみおほく侍りけるころになん、おはしましける。つねは春風秋月のをりふしにつけつゝ、はなのこずゑをわたり、池の水にうかぶをすぐさず、もてあそばせたまひけるに、御をぢの中務宮、はじめてそのむしろにまゐり給へりけるに、ならはせたまはぬ御ありさまに、御かうぶりのひたひも、つむる心ちせさせ給ふ。御おびも御したうづも、いぶせくのみおぼえさせ給ひけるに、御あそびはじまりて、藤民部卿四条大納言、源大納言、侍従大納言などいふ人たち、周の文王のくるまのみぎにのせたるなどいふ詩の序、以言ときこえしはかせのつくりたる、詠じ給ひけるにぞ御この御かうぶりも、御よそひも、くつろぐやうにおぼえさせ給ひて、おもしろくすずしくおぼえさせたまひける。かの村上の中務宮、ふみつくらせ給ふみちなど、すぐれておはしましければ齋名以言などいふはかせ、つねにまゐりて、ふみつくらせ給ふ。御ともになむありける。大内記保胤とて、なかにすぐれたるはかせ、御師にて、文はならはせ給ひける。そのやすたねはこれらがふみつくる。えたるところ得ぬ所のありさま、とはせ給ひければこたへ申しけることこそ、からのことのはゝしらぬことなれど、おもしろくきこえ侍りしか。いづれも<、とり<”に侍るをたとひにて
申し侍らんとて、齋名がふみつくり侍さまは、月のさえたるに、なかばふりたるひはだぶきの家の、みすところ<”はづれたるうちに、女のしやうのことひきすましたるやうになん侍。以言詩は、すなこしろくちらしたるにはのうへに、さくらの花ちりしきたるに、陵王のまひたるになんにてぞ侍。匡衡がやうは、ものゝふのあけのかはして、ひをどしとかはしたるきて、えならぬこまのあしときにのりて、あふさかのせきをこゆるけしきなりとぞ申しける。さて宮そこはいかゞとおほせられければすでにびりやうげにのり侍りにたりとぞ、申し侍りけるとなむ。
かの齋信の藤民部卿、たかつかさどのゝ屏風の詩、えらびたてまつられけるに、日野の三位の詩おほくいりたりけるを、義忠といひし、贈宰将の難じて、いろのいと、ことばつゞりて、春風にまかせたりといへる、いとゝいふ文字、平聲にあらず。ひがことなりと申すときゝて、民部卿文集の詩の句の、うるはしきことばゝいろのいとをつゞれりといへるをかんがへてたてまつられたりければ宇治のおほきおとゞ、むづからせ給ひて、いかにかゝるひがなんをば申しけるぞとて、勘當せさせ給ひて、あくるとしまでゆるさせ給はざりければ義忠の三位女房につけてたてまつりける、
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@ あをやぎの色のいとにや結びてしうれへはとけではるぞくれぬる W126
とぞきゝ侍りし。よればほどけでとかけるもあり。いづれかまことにて侍らん。
むかしの御つぼねのおやにておはせし越後守の、あがためしに淡路になりていとからくおぼして、女房につけて、そうし給ひけるふみに、昔学の寒夜に、紅涙襟をうるほし、除目の春朝蒼天まなこにあり。とかき給へりけるを、一条のみかど御らんじて、よるのおとゞにいらせ給ひて、ひきかづきてふさせ給ひけるを、御堂殿まゐらせ給ひて、いかにかくはとゝはせ給ひければ女房の為時がたてまつりて侍つるふみを御らんじて御とのごもらせ給へるよし申しければいとふびんなることかなとて、國盛といひしをめして、越前になしたびたるをかへしたてまつるよしのふみかきて、たてまつれとて、為時を越前になさせ給へりしにぞみかどの御心ゆかせ給ひて、こまうどゝ、ふみつくりかはさせんと、おぼしめしつる御けしきありけるにあはせて、こしにくだりて、から人とふみつくりかはされける。
@ 去國三年孤舘月帰程万里片帆風 W127
@ 畫鼓雷奔天不雨綵旗雲聳地生風 W128
などぞきこえ侍りし。
 (七六)まことの道 S0904 
大内記のひじりは、やんごとなきはかせにてふみつくるみちたぐひすくなくて、よにつかへけれど、心はひとへに、ほとけのみちにふかくそみて、あはれびの心のみありければ大内記にて、しるすべきことありて、もよほされてうちにまゐれりけるに、左衛門の陣などのかたにや。女のなきてたてるがありけるを、なにごとのあれば、かくはなくぞととひければあるじのつかひにて、いしのおびを人にかりてもてまかりつるが、みちにおとして侍れば、あるじにも、おもくいましめられんずらむ。さばかりのものをうしなひつる、あさましくかなしくて、かへる空もなければおもひやるかたもなくて、それをなき侍るなりと申しければ心のうちおしはかるに、まことにさぞかなしからんとて、わがさしたるおびをときて、とらせたりければもとのおびにはあらねども、むなしくうしなひて、申すかたなからんよりも、おのづからつみもよろしくや侍とて、これをもてまからんずるうれしさと、てをすりて、とりてまかりにけり。さてかたすみにおびもなくて、かくれゐたりけるほどに、ことはじまりければおそし<ともよほされて、みくらのことねりとかゞ、帯をかりてぞ公事はつとめられ
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侍りける。池亭の記とてかゝれたるふみにも、身は朝にありて、心は隠にありとぞ侍るなる、中務の宮の、ものならひ給ひけるにも、ふみすこしをしへたてまつりては、目をとぢて、ほとけをねんじたてまつりてぞおこたらずつとめ給ひける。かくてとしをわたりけるほどに、としたけてぞかしらおろして、よかはにのぼりて法文ならひ給ひけるに、増賀ひじりの、まだよかはにすみたまひけるほどにて、止観の明静なること、前代にいまだきかずと、よみ給ひける、この入道、たゞなきになきければひじりかくやはいつしかなくべきとて、こぶしをにぎりて、うちたまひければわれも人も、ことにがりて、たちにけり。又ほどへて、さてもやは侍るべき。かのふみうけたてまつりはべらんと申しければ又さきのごとくになきければまたはしたなく、さいなみければのちのことばもえきかですぐるほどに、又こりずまに、御けしきとり給ひければ又さらによみ給ふにも、おなじやうにいとゞなきをりければこそ、ひじりもなみだこぼして、まことにふかきみのりのたふとくおぼゆるにこそとて、あはれがりて、そのふみしづかにさづけたまひけれ。さてやんごとなく侍りければ、御堂の入道殿も、御戒などうけさせ給ひて、ひじりみまかりにけるときは、御諷誦などせさせ給ひて、さらしぬのもゝむら給ひける、うけぶみ
には、参河のひじりたてまつりて、秀句などかきとゞめ給ふなり。
  昔隋煬帝の智者にほうぜし千僧ひとつをあまし、今左丞相の寂公とぶらふさらし布もゝちにみてり
とぞかゝれはべりける。そのみかはのひじりも、はかせにおはして、大江のうぢの、かんだちめの子に、おはしけるが、みかはのかみになりて、くにへくだり給ひけるに、たぐひなくおぼえける女を、ぐしておはしけるほどに、女みまかりにければ、かなしびのあまりにとりすつることもせで、なりまかるさまをみて、心をおこしてやがてかしらおろして、みやこにのぼりて物などこひありきけるに、もとのめにてありける女、われをすてたりしむくいに、かゝれとこそ思ひしに、かくみなしたることなど申しければ御とくに仏になりなんことゝて手をすりてよろこびけると、つたへかたり侍る。さて内記のひじりを師にし給ひて、ひんがし山の、如意寺におはし、よかはにのぼりても、源信僧都などに、ふかきみのりのこゝろくみしり給ひて、惟仲の平中納言の北白川にて六十巻かうじ給ひけるには、覚運僧都まだ内供におはしけるとき、講師せさせ給へり。このみかはの入道は讀師とかやにてこそは、法花經の心ときあらはせるふみも、點じ
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したゝめて、そこばくの聴衆どもゐなみて、おの<よみしたゝめられ侍りけり。かくてのちにぞ山三井寺の僧たちも、やすらかによみつたへ給ふなる。つひにからくにゝおはしても、いひしらぬことゞもおはしければ大師の御名え給ひて、円通大師とこそきこえ給ふめれ。かくれ給ひけるに、仏むかへ給ひ、楽のおときこえければそれにも詩つくり、哥よみなどし給ひたるも、もろこしよりおくりはべりける。
@ 笙謌はるかにきこゆ孤雲のうへ、聖衆来迎す落日のまへ、
とつくり給へり。哥は、
@ 雲のうへにはるかにがくのおとす也人やきくらんひが聞かもし W129
とよみたまへりけるとぞきこえ侍りし。
又少納言統理ときこえし人、としごろも世をそむく心やありけむ。月のくまなく侍りけるに、心をすまして、山ふかくたづねいらん心ざしのせちにもよほしければまづ家に、ゆするまうけよ。いでんといひて、かしらあらひて、けづりほしなどしけるを、めなりける女も心えて、さめ<”となきをりけれど、かたみにとかくいふことはなくて、あくる日うるはしきよそひして、一の人の御もとにまうでゝ、山里にまかりこもるべきよしの、
いとま申しけれど、人も申しつがざりけるを、しひ申しければきゝ給ひて、少納言こなたへとて、いであひ給ひて、御ずゞたびて、のちのよはたのむぞなど侍りければずゞをばをさめて、はいしたてまつりて、増賀ひじりのむろにいたりて、かしらおろしたりけれど、つとめおこなふこともなくて、もの思ひたるすがたなりければひじりさる心にてはしたなく侍りければうみ侍べき月にあたりける女の侍ることの、思ひすて侍れど、いぶせく思ひたまへてなどいふを、ひじりみやこにいそぎいでゝ、その家におはしたりければえうみやらで、なやみけるを、ひじりいのり給ひて、うませなどして、人にまめなるものなどこひ給ひて、くるまにつみて、うぶやしなひまでし給ひけり。そのむねまさに、三条院より、哥の御かへし給はりける、
@ 忘られず思ひ出でつゝやま人をしかこひしくぞわれもながむる W130
と侍りけるに、なみだのごひはべりければ春宮より、哥たまはりたらんは、仏にやはなるべきと、ひじりはぢしめ給ひけるとかや。たてまつりたる哥も、あはれにきこえ侍りき。
@ きみに人なれなゝらひそ奥山にいりての後も侘しかりける W131
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とぞよみてたてまつりける。
公經とかきこえしてかき、ことよろしきくにのつかさになりたらば、寺などもつくらんとおもひしを、河内といふ、あやしき國になりたればかひなし。ふる寺などをこそは、修理せめと思て、見ありきけるに、あるふる寺の、仏のざのしたに、ふみのみえけるをひらきてみければ沙門公經とかきたるふみに、こんよにこの国のつかさになりて、この寺修理せんといふ願たてたるふみ見てぞしかるべきちぎりなりけりといひける。かきたるもじのさまなども、にたるてになんありける。ふしみのすりのかみのやうに、おなじ昔の名をつける成るべし。
大外記定俊といひしが、越中のかみになりて侍りけるに、国のものは、思ふさまにえけれども、國の人のないがしろにおもへるを、あやしみ思て、ねたりける夜のゆめに、むかしこのくにゝ、めくらきひじりの持經者にて有りけるが、むまれて、かくはなりたるぞ。人のあなづらはしく思へるは昔のなごりなるべし。そのひじり、さきのよにかのくにのうしなりける時、法花經一部をおひて、山でらにのぼりたりしゆゑに、持經者になれりしが、このたびはくにのかみとなりて、いろのくろきもそのなごりなりとぞみたり
ける。むかしのなごりにや。すゑには法師になりて、え文のかたにこもりゐて、おこなひけるとぞきこえ侍りし。そのこにて、信俊ときこえしも、身はよにつかへながら、仏の道をのみいとなみて、老いのゝちには、かしらおろしなどして、かぎりの時にのぞみては、みづから肥後入道往したりと、いひあはんずらむなど申して、たふとくてうせにけるに、かうばしきにほひありけるなど、きこえ侍りき。
 (七七)賢き道々 S0905 
常陸介實宗ときこえし人、くすしにたづぬべきことありて、雅忠がもとにゆけりけるに、しばしとて、障子のほかにすゑたりけるに、まらうどきやうようしけるあひだに、かどよりいりくるやまひ人を、かねてかほけしきをみて、これはそのやまひをとひにくるものなりといひて、たづぬればまことにしかありけり。そのなかに、みぐるしきこともあり。をかしきこともありて、えいひやらねば、みな心えたりなどいひて、つくろふべきやうなどいひつゝ、あへしらへやりけるに、まらうとは有行なりけり。いへあるじさかづきとりたるを、とくそのみきめせ。たゝいまゆゝしきなゐのふらんずれば、うちこぼしてんずといふに、さしもやはとやおもひけん。いそがぬほどに、なゐおびたゝしくふりて、はたと
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ひとしきさけを、うちこぼしてけり。あさましきことどもきゝたりとぞ、かたりける。
中比笙のふえの師にて、市佑時光ときこえしが、いづれの御時にか。うちよりめしけるに、おなじやうに老いたるものとふたりごうちて、哥うたふやうによりあはせて、おほかたきゝもいれず、御かへりも申さゞりければ御つかひあざけりて、かへりまゐりて、かくなん侍るとうれへ申しければいましめはなくて、おほせられけるは、いとあはれなることかな。しやうかしすまして、よろづわすれたるにこそあんなれ。みかどのくらゐこそ、くちをしけれ、さるめでたきことを、ゆきてもえきかぬとぞ、のたまはせける。用光といひしひちりきの師と、ふたり裹頭楽をさうかにしけるとぞ、のちにきこえける、そのもちみつが、すまひのつかひにゝしのくにへくだりけるに、きいの國のほどにてや。おきつしらなみたちきて、こゝにて、いのちもたえぬべくみえければ、からかぶりうるはしくして、やかたのうへに出てをりけるに、しらなみのふねこぎよせければその時もちみつひちりきとりいだして、うらみたるこゑに、えならずふきすましたりければしらなみども、おの<かなしびの心おこりて、かづけものをさへして、こぎはなれてさりにけりとなん。さほどのことわりもなきものゝふさへ、なさけかくばかりふきゝかせけんもありがたく、
又むかしのしらなみは、なほかゝるなさけなんありける。
いとやさしくきこえ侍りしことは、いづれの御時にかはべりけん。なかごろのきさき上東門院、陽明門院などにやおはしけん。ちかきよのみかどの御とき、めづらしくうちにいらせ給へりける時、月のあかく侍りける夜、むかしはかやうにはべる夜は、殿上人あそびなどこそうちわたりはし侍りしか。さやうなることも侍らぬこそ、くちをしくなど申させ給ひければいとはづかしくおぼしめしけるほどに、月の夜めでたきに、りん<としてこほりしきといふうた、いとはなやかなる聲して、うたひけるが、なべてなくきこえけるに、又いといたくしみたる聲のたふときにて、無量義經の微啼まづおちて、などいふところをうちいでゝよまれ侍りけるが、いづれも<とり<”に、めでたくきこえければむかしもかばかりのことこそ、えきゝ侍らざりしか。いというなるものどもこそ侍りけれど、申させ給ひけるにこそ、御あせもかわかせ給ひて、御心もひろごらせたまひにけれときゝ侍りし。後冷泉院の御時、上東門院などいらせ給へりけるにや。又その人々は伊家の弁、敦家の中相などにやおはしけんとぞ、人は申し侍りし。ひがことにや。
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又能因法師、月あかく侍りける夜、いたゐにむかひて、ひさしのふきいた、所々とりのけさせて、月やどしてみ侍りけるに、かどたゝくおとし侍りければ女ごゑにて、とひ侍りけるに、うちより勅使のわたらせ給へるなりとめぶといふものゝまうしければかどひらきていづみのもとに、御つかひの蔵人いれ侍りけるに、おほせごとになん。月のうたのすぐれたるは、いづれかあるとおほせはべりつれば、にはかに馬つかさの御馬めして、いそぎたいめんするよしなど、たれにか有りけん。そのときの蔵人の申し侍りければ、
@ 月よゝしよゝしと人につげやらばこてふにゝたりまたずしもあらず W132
といふうたをなむ申しけるが、おなじ御ときのことにや侍りけん。たしかにもきゝ侍らざりき。