栄花物語詳解

凡例
使用テキスト: 『栄花物語詳解』和田英松・佐藤球 明治書院、明治32~40
緒言に「世に流布せる古活字本及び、明暦の印本を原本とし」と有り、諸本により校訂した物です。
栄花物語の本文は、(一)古本系統、(二)流布本系統、(三)異本系統の三つに大きく分類されています。
(一)古本系統は更に二種に分けられますが、第一種本の中で鎌倉中期を下らない時期に書写された三条西家本(梅沢記念館蔵)を最善本と見ることが出来ます。第二種本は、陽明文庫本をもって代表される。
(二)流布本系統は更に三種に分けられ、第一種西本願寺本を誤りの少ない最善本と考えられます。第二種本は、底本とした古活字本、明暦二年刊本が属しますが、誤脱が多いです。
(三)異本系統には、富岡家旧蔵甲本・富岡家旧蔵乙本があり、三十巻、すなわち正篇で完結しています。

歌の頭に@を付し、末尾にW+新編国歌大観番号を付しました。巻三の兼澄の歌は、新編国歌大観に無いためW000にしてあります。
参考としまして、岩波古典大系のページを記しました。P+巻数(上=1・下=2)+3桁
各巻の見出しの頭に、S+巻数(2桁)を付しました。
仮名・漢字の表記を一部変えた箇所が有ります。
句読点を追加、修正した個所があります。
脱字等を他本で補った場合は、〔 〕に入れました。主に古本系統第一種本の三条西家本(梅沢記念館蔵)によります。

栄花物語
P1023
栄花物語
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栄花物語巻第一 月の宴
P1027
S01〔栄花物語巻第一〕 月のゑん
世はじまりてのち、このくにのみかど六十よ代にならせ給にけれど、このしだいかきつくすべきにあらず。こちよりてのことをぞしるすべき。よの中に、うだのみかどゝ申〔みかど〕おはしましけり。そのみかど〔の〕御子たちあまたおはしましける中に、一のみこあつきみのしんわうと申けるぞ、くらゐにつかせ給けるこそは、だいごのせいていと申て、よの中〔に〕あめのしためでたきためしにひきたてまつるなれ。くらゐにつかせ給て、卅三年をたもたせ給ひけるに、おほくのにようごたちさぶらひ給ければ、おとこみこ十六人、をんなみこあまたおはしましけり。そのころの太じやう大じんもとつねのおとゞときこえけるは、うだのみかどのおほんとき〔に〕うせ給ける。中なごん長良ときこえけるは、太じやう大じん冬嗣の御太郎にぞおはしける、のち〔に〕は贈太政大臣とぞきこえける、かの御三郎にぞおはしける、そのもとつねのおとゞうせ給て、のちの御謚昭宣公ときこえけり。そのもとつねのおとゞ、おとこぎみ四人おはしけり。太郎はときひらときこえけり。さ大じんまでなり給て、卅九にて〔ぞ〕うせ給にけり。二郎〔は〕仲平ときこえけり。さだいじんまでなり給て、七十一にてうせ給にけり。
P1028
三郎兼平ときこえけり。三位までぞおはしける。四郎たゞひらのおとゞぞ、太政大臣までなり給て、おほくのとしごろすぐさせ給ける。そのもとつねのおとゞの御女のにようごのおほんはらに、だいごのみやたちあまたおはしましける。十一のみこ寛明〔の〕しんわうと申ける、みかどにゐさせ給て十六年おはしましてのちに、おりさせ給ておはしけるをぞ、朱雀院のみかどゝは申ける。そのつぎおなじ〔はらからおなじ〕にようごのおほんはらの十四のみこ、成明のしんわうと申ける、さしつゞきてみかどにゐさせ給にけり。てんけい九年四月十三日にぞゐさせ給ける。朱雀院は御子たちおはしまさゞり〔けり〕。たゞ王女御ときこえける御はらに、えもいはず、うつくしきをんなみこ一所ぞおはしましける。はゝにようごも御子みつにてうせ給にしかば、みかどわれひとゝころこゝろぐるしき物にやしなひたてまつり給ける。いかできさきにすへたてまつらんとおぼしけれど、れいなきことにて、くちおしくてぞすぐさせ給ける。昌子内しんわうとぞきこえさせける。かくていまのうへのおほんこゝろばへ、あらまほしくあるべきかぎりおはしましけり。だいごのせいていよにめでたくおはしましける〔に〕、又このみかど堯の子の堯ならぬやうに、おほかた〔の〕御心ばへ〔の〕ををしう、けだかくかしこう、おはしますものから、御ざえもかぎりなし。わかのかたにもいみじうしませ給へり。よろづになさけあり、ものゝはへおはしまし、そこらのにようご<・みやすどころ、まいりあつまり給へるを、ときあるもときなきも、おほんこゝろざしのほどこよなけれど、いさゝか
P1029
はぢがましげに、いとをしげにもてなしなどもせさせ給はず、なのめになさけ有て、めでたうおぼしめしわたして、なだらかにをきてさせ給へば、このにようご・みやすどころたちのおほんなかも、いとめやすくびんなきこときこえず、くせ<”しからずなどして、御子むまれ給へるは、さるかたにおも<しくもてなさせ給、さらぬはさべうおほんものわすれなどにて、つれ<”におぼしめさるゝ日などは、おまへにめしいでゝご・すぐろくうたせへんをつがせ、いしなどりをせさせて御らんじなどまでぞおはしましければ、みなかたみになさけをかはし、おかしうなんおはしあひける。かくみかどのおほん心のめでたければ、ふくかぜもえだをならさずなどあればにや、はるのはなもにほひのどけく、あきのもみぢもえだにとゞまり、いと心のどかなる御ありさまなり。たゞいまの太じやう大じんにては、もとつねのおとゞのみこ、四郎たゞひらのおとゞ、みかどのおほんをぢにて世をまつりごちておはす。そのおとゞのみこ五人ぞおはしける。太郎はいまのさ大じんにてさねよりときこえて、をのゝみやといふところにすみ給。二郎はう大じんにてもろすけのおとゞ、九でうといふところにすみ給。三郎の御ありさまおぼつかなし。四郎もろうぢときこえける、大なごんまでぞなり給ける。五郎師尹のさ大じんときこえて、こ一でうといふところにすみ給。さればたゞいまはこのおほきおとゞの御子どもやがていとやむごとなきとのばらにて〔おはす。この殿ばら皆各御子どもさま<”にて〕おはするなかに、九でうのもろすけのおとゞ、
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いとたはしくおはして、あまたのきたのかたの御はらに、おとこ十一人、をんな六人ぞおはしける。をのゝみやのさ大じんどのは、おのこぎみ三人ばかりぞおはしける。をんなぎみもおはしけり。一所はみやばらの具にておはす。さしつぎはにようごにておはしけり。つぎ<さま<”にておはす。小一でうの師尹のおとゞ、をのこゞ二人、をんなひとゝころぞおはしける。をのこ子一人ははかなうなり給にけり。かくてにようごたちあまたまいり給へる中に、九でうのもろすけのおとゞのひめぎみ、あるがなかに一のにようごにてさぶらひ給。又いまのみかどの御はらからの、重明のしきぶきやうのみやのおほんむすめ、にようごにておはす。又おなじ御はらからの代明のなかづかさのみや〔の〕御むすめ、麗景殿にようごとてさぶらひ給。又在衡のあぜち大なごんのむすめ、あぜちの御息所とてさぶらひ給。小一でうの師尹のおとゞの御むすめ、いみじううつくしくて宣耀殿のにようごときこえさす。又廣幡の中なごん庶明のおほんむすめ、廣幡のみやすどころとておはす。さてもこのおほんかた<”、みなみこむまれ給へるもあり。みこむまれ給はぬみやすどころたちもあまたさぶらひ給。まこともとかたみんぶきやうのむすめも、まいり給へり。としごろ東宮もかくふたゝびうせ給ぬるに、たうぐうかくゐさせ給はぬに、こゝらさぶらひ給おほんかた<”あやしう、こゝろもとなくみこむまれ給はざりけるほどに、九でうどのゝにようご、ただにもおはしまさで、めでたしとのゝしりしかど、をんなみこにていとほいなきほどに、たいらかにてだにおはしまさで、うせさせ給ぬるに、もとかたのみやすどころ、たゞなら
P1031
ぬことのよし申てまかで給ぬれば、もしをのこみこむまれ給へるものならば、又なうめでたかるべきことに、よの人申おもひたるに、一のみこむまれ給へるものかな。あなめでたいみじとのゝしりたり。うちよりも御はかしよりはじめで、れいのおほんさほうのごとくどもにて、もてなしきこえ給。もとかたの大なごんいみじとおぼしたり。東宮はまだよにおはしまさぬほどなり。なにのゆへにか、わがみことうぐうにゐあやまち給はんと、たのもしくおぼされけり。いみじうよの中にのゝしるほどに、九でうどのゝにようご、たゞにもおはしまさずといふこと、をのづから世にもりきこゆれど、もとかたの大なごん、いでさりともさきのこともありきなど、きゝおもひけり。おほいどのも九でうどのもいとうれしうおぼすほどに、うへは、世はともあれかうもあれ、一のみこのおはするを、うれしくたのもしきことに覚しめすことはりなり。かゝるほどに太じやう大じんどの、月ごろなやましくおぼしたりつるに、てんりやく三年八月十四日うせさせ給ぬ。この三十六年おとゞのくらゐにておはしましけるを、おほんとしことしぞ七十になり給にける。左右のおとゞたちも、いとまためでたくたのもしき御ありさまなり。みかどうとからぬ御なからひにてよろづかた<”のおほんことも、めでたくてすぎもていきて、にようごも御服にて出給ひぬ。宣耀殿のにようごもおなじくぶくにていで給ぬ。こゝろのどかにじひのおほんこゝろひろく、世をたもたせ給へれば、よの人いみじくおしみ申。のちの御謚貞信公と申けり。つぎ<”のおほんありさま、
P1032
あはれにめでたくてすぎもていく。世の中のことをさねよりのさ大じんつかうまつり給。九でうどの二の人にておはすれど、なを一くるしき二とぞ人におもひきこえさせためる。かゝるほどにとしもかへりぬれば、てんりやく四年五月廿四日に、九でうどのゝにようごおとこみこうみたてまつり給つ。うちよりはいつしか御はかしもてまいり、おほかた〔の〕おほんありさまこゝろことにめでたし。よのおぼえことにさはぎのゝしりたり。もとかたの大なごんかくときくに、むねふたがるこゝちして、ものをだにもくはずなりにけり。いといみじくあさましきことをもし、あやまちつべかめるかな、ものおもひつきぬむねをやみつゝ、やまひづきぬるこゝちして、おなじくはいまはいかでとくしなむとのみおもふぞけしからぬXなるや九でうどのには、おほんうぶやのほどのぎしきありさまなど、まねびやらんかたなし。おとゞのおほんこゝろのうち、おもひやるに、さばかりめでたきことありなむや。をのゝみやのおとゞも一のみこよりはこれはうれしくおぼさるべし。みかどのおほんこゝろの中にも、よろづおもひなくあひかなはせ給へるさまに、めでたうおぼされけり。はかなふ御いかなどもすぎもていきてむまれ給て、三月といふに七月廿三日に東宮にたゝせ給ぬ。九でうどのは、〔おほき〕おとゞのうせ給ひにしをかへす<”くちおしくおぼされて、えいみあへずしほたれ給ぬ。一のみこのはゝ、にようごのゆみづをだにまいらで、しづみてぞふし給へる。いみじくゆゝしきまでにぞきこゆる。はかなくてとし月
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もすぎて、このおほんかた<”われも<おとらじまけじとみなたゞならずおはして、みこたちいとあまたいできあつまり給ぬ。あぜちのみやすどころ、おとこ三のみや女三のみやうみたてまつり給つ。又この九でうどのゝにようご、おとこ四五のみやむまれ給ぬ。又宣耀殿にようご、おとこ六八のみやむまれ給へりけれど、六のみやははかなくなり給にけり。八のみやぞたいらかにておはしける。麗景殿のにようご、おとこ七のみや、をんな六のみやむまれ給にけり。しきぶきやうのみやのにようご、をんな四のみやぞうみたてまつり給へりける。廣幡みやすどころ、をんな五のみやむまれ給へり。あぜちのみやすどころ、おとこ九のみやむまれ給などして、又九でうどののにようごをんな七九十のみやなど、あまたさしつゞきむまれさせ給て、なをこの御ありさま、よにすぐれさせ給へり。かくいふほどにおほかたおとこみや九人、をんなみや十人ぞおはしける。このおほんなかにも、廣幡のみやすどころぞあやしう、こゝろごとにこゝろばせあるさまに、みかどおぼしめいたりける。内よりかくなん
@ あふさかもはてはゆきゝのせきもゐずたづねてとひこきなばかへさじ W001
といふうたをおなじやうにかゝせ給ておほんかた<”にたてまつらせ給ひける。この御返事をかたがたさま<”に申させ給ひけるに、廣幡のみやすどころは、たきものをぞまいらせ給たりける。さればこそなをこゝろことにみゆれとおぼしめしけり。いとさこそなくとも、いづれのおほんかたとかや、いみじくしたてゝまいり給へりけるはしも、なこそのせきもあらまほしく
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ぞおぼされける。おほんおぼえもひごろにおとりにけりとぞきこえはべりし。宣耀殿のにようごはいみじう、うつくしげにおはしましければ、みかどもわがわたくしものにぞいみじうおもひきこえ給へりける。御門箏の御ことをぞ、いみじうあそばしける。この宣耀殿のにようごにならはさせ給ければ、いとうつくしうひきとり給へりけるを、にようごの御はらからのなりときのせうしやう、つねにおほんまへにいでつゝ、さりげなうきゝけるほどに、いみじうよくひきとり給へりければ、うへいみじうけうぜさせ給てめしいだしつゝ、をしへさせ給てのち<は御遊のおり<は、まづめしいでゝいみじきじやうずにてぞものし給ける。このとのばらの御こゝろざまども、おなじ御はらからなれど、さま<”心ごゝろにぞおはしける。をのゝみやのおとゞは、哥をいみじくよませ給。すき<”しき物からおくぶかくわづらはしきおほんこゝろにぞおはしける。九でうのおとゞはおいらかにしるしらぬわかずこゝろびろくなどして、月ごろありてまいりたる人をも、たゞいまありつるやうにけにくゝももてなさせ給はずなどして、いとこゝろやすげにおぼしをきてためれば、おほとのゝ人々おほくはこの九でうどのにぞあつまりける。小一でうの師尹のおとゞは、しるしらぬほどのうとさ、むつまじさもおぼしおぼさぬほどのけぢめさやかになどして、くせ<”しうぞおぼしをきてたりける。そのほどさま<”おかしうなんありける。東宮やう<およずけさせ給けるまゝに、
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いみじううつくしうおはしますにつけても、九でうどのゝおほんおぼえいみじうめでたし。又四五のみやさへおはしますぞめでたきや。かゝるほどにてんとく二年七月廿七日にぞ、九でうどのにようごきさきにたゝせ給。ふぢはらの安子と申て、いまは中ぐうときこえさす。中宮大夫にはみかどの御はらからの高明のしんわうときこえさせし、いまは源氏にて例人になりておはするぞなり給にける。つぎ<”のみやづかさもこころことにえらびなさせ給。九でうどの御けしき世にあるかひありてめでたし。をのゝみやのおとゞにようごのおほんことをくちおしく覚したり。をのゝみやのおとゞの御太郎せうしやうにて敦敏とていとおぼえありておはせし一とせうせ給にしぞかし。そのおほんおもひにていみじくこひしのび給けるをあづまのかたより人かのせうしやうのきみにとてむまをたてまつりければ見給ておとどよみたまひける、
@ まだしらぬ人もありけりあづまぢにわれもゆきてぞすむべかりける W002。
このとの大かたうたをこのみ給ければ、いまのみかどこのかたにふかくおはしまして、おり<にはこのおとゞもろともにぞよみかはさせ給ける。むかし高野の女帝のみよ、天平勝寶五年には、左大臣橘卿諸兄諸卿大夫等あつまりて、まんようしうをえらばせ給。だいごのせんていの御時は、こきん廿くわんえりとゝのへさせ給て、よにめでたくせさせ給。たゞいまゝで廿よ年なり。いにしへのいまのふるきあたらしきうたえりとゝのへさせ給て、世にめでたう
P1036
せさせ給。このおほんときには、そのこきんにいらぬうたを、むかしのもいまのもせんぜさせ給て、のちにせんずとて、ごせんしうといふなをつけさせ給て、又廿くはんせんぜさせ給へるぞかし。それにもこのをのゝみやのおとゞのおほんうたおほくいりためり。たゞしこきんには、つらゆきじよいとおかしうつくりて、つかうまつれり。ごせんしうにもさやうにやとおぼしめしけれど、かれはそのときのつらゆき、このかたのじやうずにていにしへをひき、いまをおもひゆくすゑをかねておもしろくつくりたるに、いまはさやうのことにたへたる人なくて、くちおしくおぼしめしけり。このをのゝみやのおとどの二郎〔三郎〕、二所のこりておはしつるを、三郎右衛門督までなり給へりつるもうせ給にければ、いまは二郎よりたゞときこゆるのみぞおはすめる。まだおほんくらゐいとあさし。うへもんのぜうのわかうてかんだちべになり給へりしが、かくてやみ給にしかば、それにをぢてすが<しくもなしあげたてまつり給はで、うへもんのぜうのみこどもあまたおはしける中にも三郎をぞ、おほぢおとゞわがみこにし給て、さねすけとつけ給へりける。あつとしのせうしやうのきみも、おのこゞをんなご、あまたもたまへりけるを、此おほぢおとゞぞよろづに、はぐゝみ給ける。九でうどのゝきさきの御はらからの中のきみは、しげあきらのしきぶきやうのみやのきたのかたにてぞおはしける。をんなぎみ二人うみてかしづき給けり。かくてたうぐうよつにおはしましし年の三月に、もとかた大なごんなくなりにしかば、そのゝち一のみやもにようごも、うちつゞき
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うせ給にしぞかし。そのけにこそはあめれ、たうぐういとうたてきおほんものゝけにて、ともすれば、おほんこゝちあやまりしけり。いと<をしげにおはしますおり<ありけり。さるはおほんかたちうつくしうきよらにおはしますことかぎりなきに、たまにきずつきたらんやうにみえさせ給。たゞいみじきことには、御修法あまた壇にて、よとゝもによろづ〔に〕せさせ給へどしるしなし。いとなべてならぬおほんこゝろざま・かたちなり。おほんけはひ有さま、みこはつきなど、まだちいさくおはします人のおほんけはひともみえきこえずまが<しう〔ゆゆしう〕いとをしげにおはしましけり。これをみかどもきさきも、いみじきことにおぼしめしなげかせ給。やう<おほんげんぶくのほどもちかくならせ給へれば、おほんむすめおはするかんだちべみこたちは、いたうけしきばみまし給へど、かくおはしませば、たゞいまさやうのことおぼしめしかけさせ給はぬに、前朱雀院のをんなみこ、又なきものにおもひかしづききこえさせ給しを、さやうにおぼしめしためるは、きさきにすへたてまつらんの御ほいなるべし。さればそのみやまいらせ給べきにさだめありて、こと人<たゞいまはおぼしとゞまりにけり。しきぶきやうのみやのきたのかたは、うちわたりのさるべきおりふしのおかしきことみには、みやへかならずまいり給けるを、うへはつかに御らんじて、人しれずいかで<と覚しめして、きさきにせちにきこえさせ給ければ、こゝろぐるしうて、しらぬがほにて二三ど
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はたいめせさせたてまつらせ給けるを、うへはつかにあかずのみおぼしめして、つねになを<ときこえさせ給ければ、わざとむかへたてまつり給ひけれど、あまりはえものせさせ給はざりけるほどに、みかどさるべき女ばうをかよはせさせ給て、しのびてまぎれ給つゝ、まいり給。又つくもどころにさるべき御でうどどもまで、こゝろざしせさせ給けることを、をのづからたびたびになりてきさきのみやもりきかせ給て、いとものしき御けしきになりにければ、うへもつゝまじうおぼしめして、かのきたのかたもいとおそろしうおぼしめされて、そのこととゞまりにけり。かのみやのきたのかたは、おほんかたちもこゝろもおかしういまめかしうおはしける。いろめかしうさへおはしければ、かゝることはあるなるべし。みかど人しれずものおもひにおぼししみだる。かゝるほどにきさきのみやも、みかども四のみやをかぎりなきものにおもひきこえさせ給ければ、そのけしきしたがひてよろづのてんじやう人、かんだちべなびきつかうまつりて、もてはやしたてまつり給ほどに、やう<十二三ばかりにおはしませば、おほんげんぶくのことおぼしいそがせ給。おほんむすめもたまへるかんだちべは、いみじうけしきばみきこえ給に、みやの大夫ときこゆる人、源氏のさ大しやうえもいはずかしづき給。ひとりむすめをさやうにとほのめかしきこえ給ければ、みかどもみやもおほんけしきさやうに覚しければ、よろこびてよろづしとゝのへさせ給て、やがてそのよまいり給。れいのみやたちは、わがさとにおはしそむることこそつねのことなれ、これはにようご・
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更衣のやうに、やがてうちにおはしますに、まいらせたてまつり給べきさだめあれば、れいのにようご・更衣のまいりはさることなり。これはいとめづらかにさまかはり、いまめかしうて、おほんげんぶくのよやがてまいり給。みかど・きさきの御よめあつかひのほどいとおかしくなんみえさせ給けり。かゝるほどにしげあきらしきぶきやうのみや、ひごろいたくわづらひ給と〔いふ事〕きこゆれば、九でうどのいかに<とおぼしなげくほどにうせ給にければ、みかど人しれず、いまだにとうれしうおぼしめせど、みやにぞはゞかりきこえさせ給ける。おほんいみなどすぎさせ給て、この四のみやをぞ一ぽんしきぶきやうのみやときこえさすめる。かゝるほどに九でうどのなやましうおぼされて、御かぜなどいひて、おほんゆゝでなどして、くすりきこしめしてすぐさせ給ほどに、まめやかにくるしうせさせ給へば、みやもさとにいでさせ給ぬ。おとこぎみたちあまたおはすれど、まだはかばかしくおとなしきもさすがにおはせず、なかにおとなしきは、中じやうなどにておはするもあり。いかにおはすべきにかと、うちにもいみじうおぼしめしなげきたり。東宮のおほんうしろみも、四・五のみやの御ことも、たゞこのおとゞをたのもしきものにおぼしめしたるに、いかに<とおほやけよりも御修法などをこなはせ給。いとめでたき御さいはひによの人も申おもへり。てんとく四年五月二日しゆつけさせ給て、四日にうせさせ給ぬ。おほんとし五十三。たゞいまかくしもおはしますべきほどにもあらぬに、くちおしうこゝろうく、おしみ申さぬ人なし。世をしり
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給はんにも、いとめでたきおほんこゝろもちゐをと、かへす<”おぼしまどはせ給。みやおはしませばよろづかぎりなくめでたし。一てんがの人いづれかはみやになびきつかうまつらぬがあらん。かくてのちのおほんことゞも、あはれ<ときこえさするほどに、おほんはうじも六月十よ日にせさせ給。いまはとてうちにまいらせ給へとあれば、いとあつきほどすぐしてとおはします。う大じんには故時平のおとゞのみこあきたゞのおとゞなり給ぬ。この左のおとゞのこりて、かくおはする、いとめでたし。東宮のにようごも、みやのおほんものゝけのおそろしければ、さとがちにぞおはしましける。とし月もはかなくすぎもていきて、おかしくめでたき世の有さまどもかきつゞけまほしけれど、なにかはとてなむ。みやたちみなさま<”うつくしういづかたにもおはしますを、うへ左も右もとぞおぼしめさるゝが、うちにもなをみやのおほんかたのみこたちは、いとこゝろことにおぼしめす。九でうどのゝいそぎたるおほんありさま、かへす<”もくちおしういみじきことをぞ、みかどもきさきもおぼしめしたる。よの中なにごとにつけてもかはりゆくを、あはれなることにみかどもおぼしめして、なをいかでとうおりて、こゝろやすきふるまひにてもありにしがなどのみおぼしめしながら、さき<”もくらゐながらうせ給。みかどはのち<のおほんありさまいとところせきものにこそあれと、おなじくはいとめでたうこよなきことぞかしとまで覚しめしつゝぞ、すぐさせ給ける。しきぶきやうのみやも、いまは
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いとようおとなびさせ給ぬれば、さとにおはしまさまほしうおぼしめせど、みかどもきさきもふりがたきものにおぼしきこえさせ給ものから、あやしきことはみかどなどにはいかゞと、見たてまいらせ給ことぞいできにたる。されば五のみやをぞ、さやうにおはしますべきにやとぞ。まだそれはいとおさなうおはします。それにつけてもおとゞのおはせましかばと覚しめすことおほかるべし。麗景殿御方の七宮ぞおかしう、おほんこゝろをきてなどちいさながらおはしますを、はゝにようごの御こゝろばへをしはかられけり。あぜちのみやすどころことにおぼえなかりしかども、みやたちのあまたおはしますにぞかゝり給める。しきぶきやうのみやのにようご、みやさへおはしまさねば、まいり給こといとかたし。さるはいとあてになまめかしうおはするにようごをなど、つねにおもひいでさせ給おり<は、おほんふみぞたえざりける。かゝるほどに、きさきのみや、ひごろたゞにもおはしまさぬを、いかにとおぼしめさるゝに、あやしうなやましうのみ、つねよりもくるしうおぼさるれば、いかなることにかと、わがおほんこゝちにもおぼしめさるれば、七壇の御修法、長日御修法おほやけがた・みやがたとをこなはせ給。ふだんの御読経などをこなはせ給しるしありて、おほんこゝちさはやがせ給などすれば、いとうれしきことにおぼしめせば、又おなじことにくるしうせさせ給ひなどして、月日すぎもていくほどに、さとにいでさせ給を、なを<かくてと申させ給へど、
P1042
それもおそろしきことなりとていでさせ給て、いよ<おほんいのりひまなし。おほくのみやたちのおはしませば、うへいかにとのみしづ心なくおぼしまどふも、げにとのみみえさせ給。うちにはよろづにおほんこゝろをやりおかしきおほんあそびも、このおほんなやみによりおぼしたえていかさまにと覚したれば、をのゝみやおとゞいとおそろしう、なをおほんこゝろをやりておはしましならひて、いたくしづませ給へるを、こゝろぐるしきおほんことなりとて、又おほんいのりなどよろづにつかうまつらせ給。このみやかくておはしませばこそ、よろづととのほりて、かたへのおほんかた<”も、こゝろのどかにもてなされておはすれ。もしともかくもおはしまさば、いかに<みぐるしきことおほからんと人々もいひおもひ、おほんかた<もいみじくおぼしなげくべし。かゝるほどにおほんなやみなをおどろ<しうなりまさらせ給へば、うちにもとにもこのおほんことをおぼしなげくに、うちより御つかひひまもなし。しきぶきやうのみやこのおりさへやとて、やがていでさせ給ひにしかば、うへさま<”にさう<”しく、おぼつかなきことゞもおほくおぼしめす。女宮たちは、なをしばしとてとゞめたてまつらせ給へり。五のみやをも、おほんものゝけおそろしとて、とゞめたてまつらせ給つ。かへす<”いかなるべきおほんこゝちにかとおぼしめさる。みやたちをばさう<”しくおぼしめさるらんにとて、おほんこゝろのいとまなけれど、うへわたらせ給ひて、よろづにこゝろしらひきこえさせ給も、かつはいかゞ
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とおぼしつゞけても、おほんなみだこぼれさせ給へば、よくしのばせ給へど、おほんこゝろさはぎせさせ給。たゞにもあらぬにかくおはしますことを、よろづよりもあやうく大じにおぼしめさるゝに、おほんこゝちひさしうなれば、いとよはくならせ給て、ともすればきえいりぬばかりにおはしますおほんありさまを、うちにはむつまじきにようばうたち、かはり<”にまいりてみたてまつりつつ奏すれば、さま<”みゝかしがましきまでのおほんいのりどもしるしみえず、いといみじきことに覚しまどふ。おほんものゝけどもいとかずおほかるにも、かのもとかた大なごんの霊いみじくおどろ<しく、いみじきけはひにてあへてあらせたてまつるべきけしきなし。東宮をもいみじげに申おもへり。東宮もいかに<とおぼつかなさをおもひやりきこえさせ給。うちよりのおほんつかひ、よるひるわかずしきりてまいりつゞきたり。御はらからのとのばら・きみたちこゝろをまどはし給。かゝるほどにおほかたのおほんこゝちよりも、れいの御ことのけはひさへそひてくるしがらせ給へば、いとゞおほんしつらひし、おほんずきやうなど、そこらのそうのこゑさしあひたるほどに、いみじう、みやはいきだにせさせ給はず、なきやうにておはします。そこらのうちとぬかをつき、をしこりてどよみたるに、みこかい<となき給。あなうれしとおもひて、のちのおほんことゞもをおもひさはぐほどぞいみじき。やとのゝしるほどに、やがてきえいらせ給ひにけり。かくいふことは應和四年四月廿九日、いへばおろかなりや。おもひやるべし。うち
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のみやたちもよべぞいでさせ給へる。このたびのみや、をんなにぞおはしましける。みやたちまだおさなくおはしませば、なにとも覚したるまじけれど、おほかたのひゞきにいみじうなかせ給。しきぶきやうのみやは、ふしまろびなきまどはせ給もことはりに、いみじう内にもきこしめして、すべてなにごともおぼえさせ給はず、御こゑをだにおしませ給はず、ゆゆしきまでみえさせ給おほんありさまなり。東宮もおほんものゝけのこのみやにまいりたれば、れいのおほんこゝちにおはしませば、いといみじうかなしきことにまどはせ給もあはれに、みたてまつる人みななみだとゞめがたし。あはれなりともをろかなり。さてやはとて、いまみやは侍従の命婦かねてもしかおぼしゝことなれば、やがてつかうまつる。あはれ、れいのやうにたいらかにおはしまさましかば、このたびはこゝろことにいかにめでたからましといひつゞけて、とのばら・にようばうたちなきどよみたる、ことはりにいみじきおほんことなりかし。かくてのみやはおはしまさんとて、二日ありてとかくしたてまつらんと覚しをきてたるにも、ぎしきありさま、あはれにかなしういみじきことかぎりなし。うち<にたてまつりつる。いとげのおほんくるまにぞたてまつる。よの中のさるべきてんじやう人・かんだちべなど、まいりをくりたてまつる、のこりすくなくみえたり。よろづよりも、しきぶきやうのみやのおほんくるまのしりにあゆませ給こそ、いといみじうかなしけれ。たてまつり給へりけるものゝさまなどのいみじさよ。香のこし・火のこしなどみなあるわざなりけり。すべておほんとものおとこをんな、いとうるはしき
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さうぞくどものうへに、えもいはぬものどもをぞきたる。おほかたのぎしきありさま、いはんかたなくおどろおどろしう、うちにも東宮にもみなおほんぶくあるべければ、諒闇だちたれど、これはてんじやう人などもうすにびをぞきたる。なつのよもはかなくてあけぬれば、この御はらからのきみたち、そうもぞくもみなうちむれて、こはたへまうで給ほどなど、たれもをそくときといふばかりこそあれ、いときのふけふとはおもはざりつることぞかしと、うちにおぼしめしたるおほんけしきにつけても、なをめでたかりける九でうどのゝおほんゆかりかなとみえさせ給。をしかへしみかどのおはしますに、さきだちたてまつらせ給ぬるも、又いとめでたしやと申すたぐひもおほかりや。五のみやはいつゝむつにおはしませば、御服だになきを、あはれなるおほんありさま、よのつねのことにかはらずすぎもていくなかにも、よろづおどろ<しくこちたきさまはいとことなり。さてはうちはやがて御さうじにて、このほどはすべておほんたはぶれに、にようご・みやすどころ〔の〕御とのゐたえたり。いとさまことに孝じきこえさせ給。かくて御はうじ六月十七日のほどにぞせさせ給へりける。五月のさみだれにも哀にてしほどけくらし、たごのたもとにおとらぬ有さまにて、御はうじ〔に〕すべてつかさ<の人みなゐたち、さるべきおほやけがたざまにしをきてさせ給。かくて御はうじすぎぬれば、そうどもまかでぬ。みやのうちあらぬものにひきかへたり。されどみやたちおはしませば、さるべきてんじやう人・かんだちべたえず、この
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とのばらもさぶらひ給へば、いみじくあはれにかなしくなん。ものゝこゝろしらせ給へるみやたちは、おほんぞのいろなども、いとこまやかなるもあはれなり。おほんめのとのじゞう命婦をはじめとして、小貳命婦・佐命婦など、二三人あつまりてつかうまつる。これはもとのみやのにようばう、みなうちかけたるなりけり。かくいみじうあはれなることを、うちにもまごゝろになげきすぐさせ給ほどに、おとこのおほんこゝろこそなをうきものはあれ、六月つごもりにみかどの覚しめしけるやう、しきぶきやうのみやのきたのかたはひとりおはすらんかしとおぼしいでゝ、御文物せさせ給に、きさきのみやのおほんをとゝの御かた<”、おとこぎみたち、たゞおやとも君ともみやをこそたのみ申つるに、ひをうちけちたるやうなるを、あはれにおぼしまどふ。かくてみやたちうちにまいらせ給に、いまみやもしのびておはしますをあはれにかなしとみたてまつらせ給。いみじうおかしげにめでたうおはします。御いかはさとにてぞきこしめす。おほんぞのいろども、ひたみちにすみぞめなり。みやのきたのかたは、めづらしき御ふみをうれしうおぼしながら、なき御かげにもおぼしめさんこと、おそろしうつゝましうおぼさるるに、そのゝち御ふみしきりにてまいり給へ<とあれど、いかでかはおもひのまゝにはいでたち給はん。いかになど覚しみだるゝほどに、おほんはらからのきみたちに、うへしのびて此ことをの給はせて、それまいらせよとおほせられければ、かゝることのありけるを、みやのけしきにもいださで、としごろおはしましける
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ことゝおぼす。なにゝつけても、いとかなしうおもひいできこえ給。さてかしこまりてまかで給て、はやうまいり給へなどきこえ給へば、あべいことにもあらずおぼしたれば、いまはじめたるおほんことにもあらざなるを、などはづかしげにきこえ給て、このきみたちおなじこころにそゝのかし、さるべきおほんさまにきこえ給。うちよりはくらづかさにおほせられて、さるべきさまのこまかなることゞもあるべし。さばとていでたちまいり給を、おほんはらからのきみたち、さすがにいかにぞやうちおもひ給へるおほんけしきどもゝ、すゞろはしくおぼさるべし。さてまいり給へり登花殿にて御つぼねしたる。それよりとして、御とのゐしきりて、ことおほんかた<”あへてたちいで給はず。こみやのにようばう・みやたちのおほんめのとなど、やすからぬことにおもへり。かゝることのいつしかとあること。たゞいまかくはおはしますべきことかはなど、ことしものろひなどし給ひつらんやうにきこえなすも、いと<かたはらいたし。おほんかたがたには、みやのおほんこゝろのあはれなりしことを、こひしのびきこえ給に、かゝることさへあれば、いとこゝろづきなきことにすげなくそしりそねみ、やすからぬことにきこえ給。まいり給てのち、すべてよるひるふしおきむつれさせ給て、よのまつりごとをしらせ給はぬさまなれば、たゞいまのそしりぐさにはこのおほんことぞありける。わたりなかりしおり、あやにくなりしにやとおぼされつるおほんこゝろざし、いましもいとゞまさりて、いみじうおもひきこえさせ給てのあまり
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には、人のこなどうみ給はざらましかば、きさきにもすゑてましとおぼしめしの給はせて、ないしのかみになさせ給つ。御はらからのきんだちも、しばしこそこゝろづきなしとおぼしの給はせしが、おほんこゝろざしのまことにめでたければ、たけからぬ御ひとすぢをおぼすべし。をのゝみやのおとどなどは、あはれ、よのためしにしたてまつりつるきみのおほんこゝろの、よのすゑによしなきことのいできて、人のそしられのおひ給ことゝ、なげかしげにまし給。おほんかた<”たまさかにぞおほんとのゐもある。登花殿のきみまいり給ては、つとめての御あさい・ひるねなど、あさましきまでよもしらせ給はず御とのごもれば、なにごとのいかなれば、かくよるは、おほんとのごもらぬにかと、けしからぬことをぞ、ちかうつかうまつるおとこをんな申おもひためる。かゝるほどに、あぜちのみやすどころのおほんはらの女三のみや、ことをなんおかしくひき給ときこしめして、みかどいかでそのみやのこときかん。まいらせ給へと、みやすどころにたび<の給はせければ、はゝみやすどころいとうれしく覚して、したてゝまいらせ給へり。うへ、ひるまのつれ<”におぼされけるにわたらせ給て。いづら、みやはときこえ給へば。こなたにときこえ給。こなたにときこえ給へれば、ゐざりいで給へり。十二三ばかりにて、いとうつくしげにけだかきさまし給へり。けぢかきおほんけはひぞあらせまほしき。みかど、いづれもみこのかなしさはわきがたうおぼしめされて、うつくしうみたてまいらせ給に、はゝみやすどころにおぼえ給へりと御らんず
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べし。みやすどころもきよげにおはすれど、ものおい<しく、いかにぞやおはして、すこしこたいなるけはひありさまして、みまほしきけはひやし給はざらん。ひめみやは、まだいとわかくおはすれば、あてやかにおかしくおはするに、おほんことをいとおかしうひき給へば、きゝ給や。これはいかにひき給ぞとの給はすれば、はゝみやすどころ、三尺の木丁をおほん身にそへ給へるを、き丁ながらゐざりより給ほど、なまごゝろづきなく御らんぜらるゝに、ものとなにとみちをまかればきやうをぞ一まき見つけたるを、とりひろげて、こゑをあげてよむものは、仏説のなかの摩訶のはんにやのしんぎやうなりけりとひき給にこそとの給に、せんかたなくあやしうおぼされて、ともかくもの給はせぬほど、いとはづかしげなり。そのおりにあさましうおぼされたりけるおほんけしきの、世がたりになりたるなるべし。かやうなることもさしまじりけり。きさいのみやおはしましゝおり、九のみやなどのおほんたいめんありしなどこそ、いみじうめでたかりしがなど、うへのにようばうたちは、よるひるみやをこひしのびきこえさするさまをおろかならず。おほかたのおほんこゝろざまひろう、まことのおほやけとおはしまし、かたへのおほんかた<”にもいとなさけあり、おとな<しうおはしましゝをぞ、おほんかた<”もこひきこえ給。尚侍のおほんありさまこそ、なをめでたういみじきおほんことなれど、たゞいまあはれなることは、ないしのかみのおほんはらからのたかみつせうしやうときこえつるは、わらは名はまちをさぎみと
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きこえしは、九でうどのゝいみじうおもひきこえ給へりしきみ、中ぐうのおほんことなどもあはれにおぼされて、月のくまもなうすみのぼりて、めでたきを見給ひて、
@ かくばかりへがたく見ゆるよの中にうらやましくもすめる月かな W003。
とよみ給て、そのあかつきにいで給て、ほうしになり給にけり。みかどもいみじうあはれがらせ給。よの人もいみじくおしみきこえさす。多武岑といふところにこもりて、いみじくをこなひておはしけるに、みつ〔よつ〕ばかりのをんなぎみのいと<うつくしきぞおはしける。それぞなを覚しすてざりける。たふのみねまでこひしさはつゞきのぼりければ、はゝぎみの御もとに、それによりてぞをとづれきこえ給ける。かのちごぎみも、びやうぶのゑのおとこをみては、てゝとてぞこひきこえ給ける。これは物がたりにつくりて、よにあるやうにぞきこゆめる。あはれなることに、このことをぞよにはいふ。はかなくとし月もすぎて、みかど世しろしめしてのち、廿年になりぬればおりなばや。しばしこゝろにまかせても、ありにしがなとおぼしの給はすれど、ときのかんだちべたち、さらにゆるしきこえさせ給はざりけり。康保三年八月十五夜、月のえんせさせ給はんとて、せいりやうでんのおほんまへに、みなかたわかちて、せんざいうへさせたまふ。左の頭には、繪所別當蔵人のせうしやう済時とあるは小一でうのもろたゞのおとゞのみこ、いまの宣耀殿のにようごの御せうとなり。右の頭には、つくもどころの別當うこんのせうしやうためみつ、これは九でうどのゝ九郎君
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なり。おとらじまけじといどみかはして、繪所のかたにはすはまをゑにかきて、くさ<”の花おひたるにまさりてかきたり。やりみづ・いはほみなかきて、しろがねをませのかたにして、よろづのむしどもをすませ、大井にせうようしたるかたをかきて、うぶねにひともしたるかたをかきて、むしのかたはらに〔うたはかきたり〕つくもどころのかたに、おもしろきすはまをゑりて、しほみちたるかたをつくりて、いろ<のつくりばなをうへ、まつたけなどをゑりつけて、いとおもしろし。かゝれども、うたはをみなへしにぞつけたる左方、
@ きみがためはなうへそむとつげねどもちよまつむしのねにぞなきぬる W004
右方
@ こゝろしてことしはにほへをみなへしさかぬはなぞと人はみるとも W005。
御遊ありて、かんだちべおほくまいり給て、御ろく様<”なり。これにつけても、みやのおはしましゝおりに、いみじくことのはへありておかしかりしはやと、うへよりはじめたてまつりて、かんだちべたちこひきこえ、めのごひ給。はなてふにつけても、いまはたゞおりなばやとのみぞおぼされける。とき<”につけてかはりゆくほどに、月日もすぎて康保四年になりぬ。月ごろうちにれいならずなやましげにおぼしめして、おほんものわすれなどしげし。いかにとのみおそろしうおぼしめす。御讀経御修法などあまた壇をこなはせ給。かゝれどさらにしるしもなし。れいのもとかたの霊などもまいりて、いみじくのゝしるに、
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なをよのつきぬればこそ、かやうのこともあらめと、こゝろぼそくおぼしめさる。かねてはおりさせ給はまほしくおぼされしかど、いまになりては、さばれ、おなじくは位ながらこそとおぼさるべし。おほんこゝちいとをもければ、をのゝみやのおとゞしのびて奏し給。〔もし〕非常のこともおはしまさば、東宮にはたれをかとおほんけしき給はり給へば、しきぶきやうのみやをとこそおもひしかど、いまにをきてはえゐ給はじ。五のみやをなんしかおもふとおほせらるれば、うけたまはり給ぬ。御惱まことにいみじければ、みやたち・おほんかた<”みななみだをながし給もおろかなり。そのなかにもないしのかみ、あはれに、人わらはれにやと覚しなげくさま、ことはりにいとおしげなり。されどつゐに五月廿五日〔に〕うせ給ぬ。東宮くらゐにつかせ給。あはれにかなしきこと、たとへんかたなし。めでたうてりかゝやきたる月日のおもてに、むらくものにはかにいできて、おほひたるにこそにたれ。又こゝのへのうちのともしびを、かいけちたるやうにもあり。あさましういみじともよのつねなり。こゝらのてんじやう人・かんだちべたちあしてをまどはかしたり。わがきみの御やうなるきみには、いまはあひたてまつりなむや。われもをくれたてまつらじ<と、あしずりをしつゝぞなき給。たうぐうのおほんことまだともかくもなきに、よの人みなこゝろ<”におもひさだめたるもおかし。おとゞはみなしりておはすめるものをと。よろづ御のちのことゞもいといみじ。御さうそうのよは、つかさめしありて百くはんをゝしかへして、この
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みちかのみちとあかちあてさせ給に、つねのつかさめしはよろこびこそありしが、これはみななみだをながすも、げにゆゝしくかなしうなんみえける。いづれのてんじやう人・かんだちべかはのこらんとする、かずをつくしてつかうまつり給。てんじやうには人ただすこしぞとまれる。むらかみといふところにぞおはしまさせける。そのほどのありさまいはんかたなし。なつよもはかなくあけぬれば、みなかへりまいりぬ。いみじげれどもおりゐのみかどのおほんことは、ただ人のやうにこそありけれ。これはいと<めづらかなる見ものにぞ、世人申おもひける。そのゝちつぎ<の御ことゞも、いみじうめでたき御ことゝ申せども、おなじやうにて月日もすぎぬ。みや<おほんかた<”のすみぞめどもあはれにかなし。おなじ諒闇なれど、これはいと<おどろ<しければ、たゞ一てんがの人からすのやうなり。よもやまのしゐしばのこらじと見ゆるも、あはれになん。ことゞも〔も〕みなはてゝ、すこしこゝろのどかになりても、たうぐうのおほんこと有べかめる。しきぶきやうみやわたりには人しれずおとゞの御けしきをまちおぼせど、あへてをとなければ、いかなればにかとおほんむねつぶるべし。源氏のおとゞ、もしさもあらずば、あさましうもくちおしうもあべきかなと、ものおもひにおぼされけり。かゝるほどに、九月一日東宮たち給。五のみやぞたゝせ給ふ。おほんとし九にぞおはしける。みかどのおほんとし十八にぞおはしましける。このみかどたゝせ給おなじ日、にようごもきさきにたゝせ給て中ぐうと申。昌子内親王と
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ぞ申つるかし。朱雀院の御こゝろをきてを、ほいかなはせ給へるもいとめでたし。中宮のだいぶには、さいしやうともなりなり給ぬ。東宮大夫には、中なごん師氏、傅には小一でうのおとゞなり給ぬ。みな九でうどのゝおほんはらからのとのばらにおはすかし。たゞし九でうどのゝ君だちは、まだおほんくらゐどもあさければ、えなり給はぬなるべし。みかどれいのおほんこゝちにおはしますおりは、せんていにいとようにたてまつらせ給へる。おほんかたちこれはいますこしまさらせ給へり。あたらみかどのおほんものゝけ、いみじくおはしますのみぞ、よにこゝろうきことなる。ことしは御禊・大嘗會なくてすぎぬ。かゝるほどに、おなじとしの十二月十三日をのゝみやのおとゞ、太じやう大じんになり給ぬ。源氏の右のおとゞ左になり給ぬ。う大じんには小一でうのおとゞなり給ぬ。源氏のおとゞくらゐはまさり給へれど、あさましくおもひのほかなる世の中をぞ、こゝろうきものにおぼしめさるゝ〔。かかる〕ほどにとしもかへりぬ。ことしはねんがうかはりて、安和元年といふ。正月のつかさめしに、さま<”のよろこびどもありて、九でうどのゝ御太郎伊尹のきみ、大なごんになり給て、いとはなやかなるかんだちべにぞおはする。女君たちあまたおはす。おほひめぎみうちにまいらせ給はんとて、いそがせ給といふことあり。二月にとぞおぼしこゝろざしける。これをきこしめして、中ぐうもさとにしばしいでさせ給。うへのおほんものゝけのおそろしければ、このみやもさとがちにぞおはしましける。二月ついたちににようごまいり給。そのほどのありさまをしはかる
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べし。みかどいとかひありてときめかせ給ほどに、いつしかとたゞにもあらぬおほんけしきにてものし給ぞ、いとゝゆゆしく、ちゝ大なごんむねつぶれておぼされける。おほんいのりをつくし給。みかどもいとうれしきことにおぼしめしたり。みつきになりぬれば、ことのよしそうしていでさせ給ほど、いみじくめでたし。これにつけてもなを九でうどのをぞ、ありがたきおほんさまにきこえさすめる。さてさとにいで給へるほども、うちよりおぼつかなさをおぼしきこえさせ給。中ぐううちにいらせ給へり。中ぐうのおほんかたのありさま、むかしもいまもなをいとおくぶかく、こゝろことにやむごとなくめでたし。こぞはよの中の人すみぞめにてくれにしかば、こぞ御禊・大嘗會などのゝしるめれ。さま<”にめでたきこと、おかしきこと、あはれにかなしきことおほかめり。伊尹大なごん一でうにすみ給へば、一でうどのとぞきこゆる。そのにようご、よの中の大じいそぎどもはてゝ、すこしのどかになりて、みこうみたてまつり給へり。おとこみこにおはすれば、よにめでたきことにおもへり。御うぶやのほどのありさまいへばをろかなり。おほきおとゞをはじめたてまつりてみなまいりこみさはぎたり。七日のよは、くはんがくゐんの衆どもみなまいり、しきぶみんぶのつかさみなまいりこみたり。一てんかをしろしめすべききみのいで給へると、よろこびおがみたてまつる。おほぢの大なごんのおほんけしきいみじうめでたし。九でうどの、このごろ六十にすこしやあまらせたまはましとおぼすにも、おはしまさ
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ぬをかうやうのことにつけても、くちおしくおぼさるべし。七日もすぎ、つぎ<の御いかのおほんありさまいはんかたなし。源氏のおとゞは、しきぶきやうのみやの御ことを、いとゞへだておほかるこゝちせさせ給べし。みやの御おぼえのよになうめでたくめづらかにおはしましゝも、よの中のものがたりに申おもひたるに、さしもおはしまさゞりしことは、みなかくおはしますめり。みかどゝ申ものは、やすげにて、又かたきことにみゆるわざになんありける。しきぶきやうのみやのわらはにおはしましゝおりのみこ日の日、みかど・きさきもろともにゐたゝせ給て、いだし〔たて〕たてまつらせ給しほど、おほんむまをさへめしいでゝ、御まへにて御よそひをかせなどして、たかいぬかひまでのありさまを御らんじいれて、こき殿のはざまよりいでさせ給し。御ともにさこん中じやうしげみつ朝臣・蔵人頭うこん中じやう延光朝臣・しきぶ大輔保光朝臣・中ぐうごん大ぶかねみちあそん・ひやうぶの大輔兼いゑあそんなど、いとおほくおはしきや。その君たち、あるはきさきの御せうとたち、おなじき君たちときこゆれど、えんぎのみこなかづかさのみやのおほんこぞかし。いまはみなおとなになりておはするとのばらぞかし。おかしき御かりさうぞくどもにて、さもおかしかりしかな。ふなをかにてみだれたはぶれ給しこそ、いみじき見ものなりしが、きさいのみやのにようばう、くるまみつよつにのりこぼれて、をほうみのすりもうちいだしたるに、ふなをかのまつのみどりもいろこく、ゆくすゑはるかにめでたかりしことぞやと、かたりつづくるをきくも、いまはおかしうぞ。四のみやみかどがねと
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申おもひしかど、いづらは源氏のおとゞのおほんむこになり給しに、ことたがふとみえしものをやなど、よにある人、あいなきことをぞ、〔くるしげにいひおもふものなめる。みかど〕御ものゝけいとおどろ<しうおはしませば、さるべきてんじやう人・とのばら、たゆまずよるひるさぶらひ給。いとけおそろしくおはしますに、けふおりさせ給。あすおりさせ給とのみ、きゝにくゝ申おもへるに、みかどゝ申ものは、一たびはのどかに、一たびはとくおりさせ給といふことも、かならずあるべきことに申おもへるに、ことしは安和二年とぞいふめるに、くらゐにて三とせにこそはならせ給ぬれば、いかなるべき御ありさまにかとのみみえさせ給へり。かゝるほどに、よの中にいとけしからぬことをぞいひいでたるや。それは、源氏の左のおとゞの、しきぶきやうのみやの御ことを覚して、みかどをかたぶけたてまつらんとおぼしかまふといふこといできて、よにいときゝにくゝのゝしる。いでや、よにさるけしからぬことあらじなど、よ人申おもふほどに、ぶつじんの御ゆるしにや、げに御こゝろの中にもあるまじき御こゝろやありけん、三月廿六日にこのさだいじんどのにけびいしうちかこみて、宣命よみのゝしりて、みかどをかたぶけたてまつらむとかまふるつみによりて、ださいごんのそつになしてながしつかはすといふことをよみのゝしる。いまは御くらゐもなきぢやうなればとて、あじろぐるまにのせたてまつりて、たゞいきにゐてたてまつれば、しきぶきやうのみやの御こゝち、おほかたならんにてだにいみじとおぼさ
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るべきに、まいてわが御ことによりて、いできたることゝおぼすに、せんかたなくおぼされて、われも<といでたちさはがせ給。きたのかたの御むすめ・おとこ君達、いへばをろかなるとのゝうちのありさまなり。おもひやるべし。むかしすがはらのおとゞのながされ給へるをこそ、よのものがたりにきこしめししが、これはあさましういみじきめをみて、あきれまどひて、みなゝきさはぎ給もかなし。おとこ君だちのかぶりなどし給へるも、をくれじ<とまどひ給へるも、あへてよせつけたてまつらず。たゞあるがなかのおとゝにて、わらはなるきみのとのゝ御ふところはなれ給はぬぞ、なきのゝしりてまどひ給へば、ことのよしそうして、さばれ、それはとゆるさせ給を、おなじ御くるまにてだにあらず、むまにてぞおはする。十一二ばかりにぞおはしける。たゞいまよのなかにかなしくいみじきためしなる。人のなくなり給、れいのことなり。これはいとゆゝしうこゝろうし。だいごのみかど、いみじうさかしうかしこくおはしまして、ひじりのみかどゞ〔と〕さへ申しみかどの一のみこ源氏になり給へるぞかし。かゝる御ありさまはよにあさましくかなしうこゝろうきことに、よに申のゝしる。しきぶきやうのみや、ほうしにやなりなましとおぼせど、おさなきみやたちのうつくしうておはします、おほきたのかたのよをいみじきものにおほいたるも、たゞいまはみやひとゝころの御かげにかくれ給へれば、えふりすてさせ給はず。いみじうあはれに、かなしともよのつねなり。すませ給みやのうちも、よろづにおぼしむもれ
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たれば、おまへのいけ・やり水も、みぐさゐむせびて、こゝろもゆかぬさまなり。さま<”にさばかりうへあつめ、つくろはせ給しせんざいうへきどもゝ、こゝろにまかせておひあがり、にはもあさぢがはらになりて、あはれにこゝろぼそし。みやはあはれにいみじとおぼしめしながら、くれやみにてすぐさせ給にも、むかしの御ありさまこひしうかなしうて、御なをしのそでもしぼりあへさせ給はず、いきながら身をかへさせ給へるぞ、あはれにかたじけなき。源氏のおとゞのあるがなかのおとゞのをんなぎみの、いつゝむつばかりにおはするは、おとゞの御はらからの十五のみやの、御むすめもおはせざりければ、むかへとりたてまつり給てひめみやにてかしづきたてまつり給て、やしなひたてまつり給。それにつけても、いとあはれなるものはよなりけり。そちどのはほうしになり給へるとぞきこゆめる。はかなく月日もすぎて、ことかぎりあるにや、みかどおりさせ給とてのゝしる。安和二年八月十三日なり。みかどおりさせ給ぬれば、東宮くらゐにつかせ給ぬ。御年十一なり。東宮におりゐのみかどの御このちごみやゐさせたまひぬ。師貞親王なり。伊尹の大なごんの御さいはひ、いみじくおはします。おりゐのみかどは、れいぜんゐんにぞおはします。さればれいぜんゐんときこえさす。たうぐうの御としふたつなり。おほきおとゞせつしやうのせんじかうぶり給ぬ。師尹のおとゞはさ大じんにておはす。御禊・だいじやうゑなどゝいとちかうなれば、よの人さはぎたちたり。かゝるほどに、小一でうのさ大じんひごろなやみ
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給ける、十月十五日御年五十にてうせ〔させ〕給ぬとのゝしる。宣耀殿女御、おとこきんだちよりはじめて、よろづにおぼしまどふ。いまのせつしやうどのゝ御はらからなれば、御ぶくにならせ給へば、大じやうゑのおりのこと、いとくちをしうおぼせどなどてか。御おとうとなれば、一月の御ぶくこそあらめなど、さだめさせ給も、あはれなるよの中なり。れいのありさま〔の事〕どもありて、はかなくとしもくれぬれば、いまのうへ、わらはにおはしませば、つごもりのついなに、てんじやう人ふりつゞみなどしてまいらせたれば、うへふりけうぜさせ給もおかし。ついたちになりぬれば、天禄元年といふ。めづらしきおほんありさまにそへて、そらのけしきもいとこゝろことなり。小一でうのおとゞのかはりのおとゞには、在衡のおとゞなり給へるを、はかなくなやみ給て、正月廿七日うせ給ぬ。おほんとし七十八。としのはじめに、いとあやしきことなり。さるべきとのばら、御つゝしみあり。う大じんにて伊尹のおとゞおはす。せつしやうどのもあやしうかぜおこりがちにておはしまして、うちにもたはやすくまいり給はず。いかなるにかとおぼしめす。をのゝみやのおとゞ非常のこともおはしまさば、この一でうのおとゞ世はしらせ給べしとて、さるべき人々しのびてまいる。このおほきおとゞの二郎は、たゞいまのさ大しやうにてよりたゞとておはす。せつしやうどのゝ御なやみいとおもくおはしまして、まめやかにくるしうなりもておはしまし、御としなどもおとろへ給へれば、人いかにとぞ申おもへる。御はらからのとのばらはうせもて
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おはしにたるに、かくひさしくよをたもたせ給へるもいとおそろし。よろづ御こゝろのまゝにつゝしませ給。よこぞりてさはげども、人の御いのちはすぢなき事なりければ、五月十八日にうせ給ぬ。のちの御いみな清慎公ときこゆ。さだいしやうよりたゞによをもゆづりきこえ給はで、ありのままにてうせさせ給ぬる御こゝろざまいとありがたし。御とし七十一にぞならせ給ける。あはれにかなしきよのありさまなり。七月十四日もろうぢの大なごんうせ給ぬ。貞信公のみこおとこぎみ四ところおはしける、みなうせ給ぬ。御とし五十五にておはしましける。かゝるほどに五月廿日一でうのおとゞせつしやうのせんじかうぶり給て、一てんがわが御こゝろにおはします。東宮の御おほちみかどの御おぢにて、いと<あるべきかぎりの御おぼえにてすぐさせ給。この御ありさまにつけても、九でうどのゝ御ありさまのみぞなをいとめでたかりける。さ大じんに源氏の兼明ときこゆる、なり給ぬ。これにだいごのみかどの御子におはして、姓えてたゝ人にておはしつるなりけり。御てをえもいはずかき給。道風などいひけるてをこそは、よにめでたきものにいふめれど、これはいとなまめかしうおかしげにかゝせ給へり。右大臣には、をのゝみやのおとゞのみこよりたゞなり給ぬ。かくいふほどに、天禄二年になりにけり。みかど御とし十三にならせ給にければ、おほんげんぶくのことありけり。九でうどのゝ御次郎ぎみとあるは、いまのせつしやうどのゝ御さしつぎなり。かねみちときこゆる。このごろくないきやうときこゆ。その
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御ひめぎみ参らせたてまつり給。せつしやうどのゝひめぎみたちは、まだいとおさなくおはすれば、えまいらせ給はず。いとこゝろもとなくくちおしくおぼさるべし。くないきやうはほりかはなるいゑをいみじくつくりてぞすませ給ける。にようごいとおかしげにおはしければ、うへいとわかき御こゝろなれど、おもひきこえさせ給へる。うちには、ひとつ御はらの女九のみや、せんていいみじうおもひきこえ給へるを、このいまのうへもいみじうおもひかはしきこえさせ給て、一ぽんになしたてまつり給へり。うちのいとさう<”しきにおかしくておはします。女十のみや、この御ときに斎院にゐさせ給にけり。九でうどのゝ御三郎かねいゑの中なごんときこゆる、いみじうかしづきたてゝ、ひめぎみ二ところおはす。たゞいまの東宮はちごにおはします、うちにはほりかはのにようごさぶらひ給、きほひたるやうなりとて、れいぜんゐんにこのひめぎみをまいらせたてまつり給。をしたがへたることによの人申おもへり。せつしやうどのゝにようごときこゆるは、東宮の御はゝにようごにおはす。その御ひとつはらに、をんなみやふたところむまれ給にけり。されど女一のみやはほどなくうせさせ給て、女二のみやぞおはしましける。それはゐんのくらゐにおはしましゝおりならねど、のちにむまれ給へる、いみじううつくしげにひかるやうにておはしましけり。たうぐうかくておはしませば、ときどきこそみたてまつりまいらせ給へ、たゞこのひめみやをよろづのなぐさめにおぼしめしたり。かゝるほどに、かのむらかみのせんていの御おとこ八のみや、宣耀殿のにようごの御はらのみこにおはします、いとうつくしく
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おはしませど、あやしう御こゝろばへぞこゝろえぬさまにおひいで給める。御おぢの済時のきみ、いまはさいしやうにておはするぞ、よろづにあつかひきこえ給て、小一でうのしんでんにおはするに、このさいしやうはびはの大なごん延光のむすめにぞすみ給ける。はゝは中なごんあつたゞのおほんむすめなり。えもいはずうつくしきひめぎみさゝげものにしてかしづき給。かの八のみやは、はゝにようごもうせ給にしかば、この小一でうのさいしやうのみぞ、よろづにあつかひきこえ給に、まだおさなきほどにおはすれど、この八のみやいとわづらはしきほどにおもひきこえ給へれば、ゆゝ〔し〕うてあへてみせたてまつり給はずなりにたり。おさなきほどはうつくしき御心ならで、うたてひが<しくしればみて、またさすがにかやうの御心さへおはするを、いと心づきなしとおぼしけり。さいしやうの御をひのさねかたの侍従も、このさいしやうをおやにしたてまつり給。このひめぎみの御あにゝて、おとこぎみは長命君といひておはす。おばきたのかたとりはなちて、びは殿にてぞやしなひたてまつり給ける。そのきみたちもたゞこのみやをぞもてわらひぐさにしたてまつり給ければ、ともすればうちひそみ給を、いとゞおこがましきことにわらひたてまつり給へるに、にくさはひめぎみをいとめでたきものにみたてまつり給て、つねに参り給けるを、さいしやうむげに心づきなしとおぼしなりにけり。この八のみや十二ばかりにぞなり給にける。この御心ざまの心えぬなげきをぞ、さいしやうはいみじうおぼしたる。さねかた侍従・長命君などあつまりて、むま
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にのりならはせ給へ。のらせ給はぬはいとあやしき事なり。みやたちはさるべきおり<はむまにてこそありかせ給へとて、みまやの御むまめしいでゝ、おまへにてのせたてまつりて、ざゞとみさはげば、おもていとあかくなりて、むまのせなかにひれふし給へば、いみじうわらひのゝしるを、さいしやうかたはらいたしとおぼすに、いだきおろしたてまつれ、おそろしとおぼすらんとの給へば、ざゞとわらひのゝしりていだきおろしたてまつりたれば、むまのかみをひとくちくくみておはするを、さいしやういとわびしとみ給。にようばうたちなどわらひのゝしる。かゝるほどにれいぜんゐんのきさいのみや、みこもおはしまさずつれ<”なるを、この八のみやこにしたてまつりて、かよはしたてまつらんとなんの給はするといふことを、さいしやうつたへきゝ給て、いと<うれしうめでたきことならん。かのみやはたからいとおほくもたせ給へるみやなり。故朱雀院の御たからものはたゞこのみやにのみこそあんなれ。このみやは幸おはするみやなり。たからのわうになり給なんとすとて、よき日してまいりそめさせ給へり。中ぐう、さりとも、かの小一でうのさいしやうをしへたてたらむこゝろのほど、こよなからんとおぼして、むかへたてまつらせ〔給ふ〕。さいしやういみじうしたてゝゐてたてまつり給へれば、みたてまつり給に、御かたちにくげもなし。御ぐしなどいとおかしげにて、よおろばかりにおはします。うつくしき御なをしすがたなりや。やがてよびいれたてまつらせ給て、みなみおもてのひのおましのかたにかしづきすへたてまつらせ給て、御ともの人々
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にかづけもの給ひ、御をくりものなどしてかへしたてまつらせ給。ものなど申させ給けるに、すべて御いらへなくて、たゞ御かほのみあかみければ、かぎりなくあてにおほどかにおはするなめりとおぼしけり。そのゝちとき<”参り給に、なをものゝ給はず。あやしうおぼしめすほどに、きさいのみやなやましうせさせ給ければ、さいしやう、みやの御とぶらひにいだし〔たて〕たてまつらせ給。まいりてはいかゞいふべきとの給はすれば、御なやみのよしうけたまはりてなんとこそは申給はめなど、をしへられてまいり給へれば、れいのよびいれたてまつり給に、ありつることをいとよくの給はすれば、みやなやましうおぼせど、うつくしうおぼしめして、さはのどかに又おはせよなどきこえさせ給。まかで給て、さいしやうに、ありつることいとよくいひつとの給へば、いであなしれがましや、いとこゝろづきなうおぼしていかでいひつとは申給ぞ。それはかたじけなき人をときこえ給へば、をい<さなり<との給ほど、いたはりどころなう心うくみえさせ給をわびしうおぼすほどに、天禄三年になりぬ。ついたちには、かのみや、御さうぞくめでたくしたてゝ、みやへいらせ奉り給。きこえ給〔ふべきことを、この度はわすれてをし〕へたてまつり給はずなりにけり。みやには、八のみやまいらせ給て、御まへにてはいし奉給へば、いと<あはれにうつくしとみ奉らせ給。心ごとに御しとねなどまいり、さるべき女ばうたちなど花やかにさうぞきつゞいてゐて、いらせ給へ
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と申せば、うちふるまひいらせ給ほど、いとうつくしければ、あなうつくしやなど、めできこゆるほどに、しとねにいとうるはしくゐさせ給て、なにごとをきこえ給べきにかと、あつまりてあふぎをさしかくしつゝをしこりて、みなゐなみて、かつはあなはづかしや。小一でうのひめぎみの御かたのいみじからんものをなど、きこえあへるほどに、うちこはづくりて申いで給ことぞかし、いとあやし。御なやみのよしうけ給りてなんまいりつることゝ申給ものか。こぞの御なやみのおりにまいり給へりしに、さいしやうのをしへきこえ給しことを、正月のついたちのはいらいにまいりて申給なりけり。みやの御まへあきれてものもの給はせぬに、女ばうたちなにとなくさもわらふ。よがたりにもしつべきみやの御ことばかなとざゞめき、しのびもあへずわらひのゝしれば、いとはしたなく、かほあかみてゐ給て、いなや、おぢのさいしやうの、こぞの御こゝちのおりまいりしかば、かう申せといひしことを、けふはいへばなど、これがおかしからん。ものわらひいたうしける女ばう達おほかりけるみやかな。やくなし。まいらじと、うちむづかりてまかで給有さま、あさましうおかしうなん。小一でうにおはして、あさましきことこそありつれと語給へば、宰相なにごとにかときこえ給へば、いまはみやにすべてまいらじ。たゞころしにころされよとの給はすれば、いなや、いかにはべりつることぞときこえ給へば、御なやみのよし承てなんまいりつると申つれ
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ば、にようばうの十廿人といでゐて、ほゝとわらふぞや。いとこそはらだゝしかりつれ。さればいそぎ出てきぬとの給へば、との、いとあさましういみじとおぼして、すべてものもの給はず。いなや、ともかくもの給はぬは、まろがあしういひたることか。こぞまいりしに、さ申せとの給しかば、それを忘ず申たるは、いづくのあしきぞとの給を、いみじとおぼしいりためり。



栄花物語詳解巻二


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S02〔栄花物語巻第二〕 花山(くわさん)
かくて一条(いちでう)の摂政(せつしやう)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)例(れい)ならずのみおはしまして、水(みづ)をのみ聞(き)こし召(め)せど、御(おん)年(とし)もまだいと若(わか)うおはしまし、世(よ)を知(し)らせ給(たま)ひても、三年(みとせ)に成りぬれば、さりともと頼(たの)み思(おぼ)さるゝほどに、月(つき)頃(ごろ)にならせ給(たま)ひぬ。内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ふことなども絶(た)えぬ。世(よ)の嘆(なげ)きとしたり。
九月(ながつき)計(ばか)りのほどなり。殿(との)の御とぶらひに御(おん)子(こ)の義孝(よしたか)の少将(せうしやう)の御もとに、人の「御(おん)心地(ここち)いかゞ」ととぶらひ聞(き)こえたれば、少将(せうしやう)いひやり給(たま)ふ、
@夕(ゆふ)まぐれ木(こ)しげき庭(には)をながめつゝ木(こ)の葉(は)とゝもにおつるなみだか W006。
かやうに、いかに<と、ひと家(いへ)思(おぼ)し嘆(なげ)くほどに、天禄(てんろく)三年(さんねん)十一月(じふいちぐわつ)の一日(ついたち)かくれ給(たま)ひぬ。さまざま、女御(にようご)より始(はじ)め奉(たてまつ)り、女君(をんなぎみ)達(たち)、前少将(せうしやう)・後の少将(せうしやう)など聞(き)こゆる、哀(あは)れに思(おぼ)し惑(まど)ふとも世のつねなり。その中にも、後の少将(せうしやう)は幼(をさな)くよりいみじう道心〔に〕おはして、法華経(ほけきやう)を明(あ)け暮(く)れ読み奉(たてまつ)り給(たま)ひて、法師(ほふし)にやなりなましとのみ思(おぼ)さるゝに、桃園(ももぞの)の中納言(ちゆうなごん)保光(やすみつ)と聞(き)こゆるは、故中務卿(なかづかさきやう)の宮代明(よあきら)親王(しんわう)の御(おん)子(こ)におはす、その御(おん)女君(むすめぎみ)に年(とし)頃(ごろ)通(かよ)ひ聞(き)こえ給(たま)ふに、美(うつく)しき男子(をのこご)をぞ産(う)ませ給(たま)へり
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ける。それが見捨てがたきに、万(よろづ)を覚し忍(しの)ぶ〔る〕なりけり。
かくて御忌(いみ)のほど、何事(なにごと)も哀(あは)れにて過ぐさせ給(たま)ひつ。御(おん)法事(ほふじ)などあべいかぎりにて過ぎぬ。今はとて人々まかづるに、義孝(よしたか)の少将(せうしやう)の詠みたまふ、
@今はとてとび別れぬる群鳥(むらどり)の古巣(ふるす)にひとりながむべきかな W007。
修理(しゆり)のかみ惟正(これまさ)かへし、
@はねならぶ鳥となりては契(ちぎ)るとも人わすれずはかれじとぞ思(おも)ふ W008。
摂政(せつしやう)殿(どの)は今年(ことし)ぞ四十九(しじふく)におはしましける。太政(だいじやう)大臣(だいじん)にて失せさせ給(たま)ひれば、後の諱(いみな)を謙徳(けんとく)公(こう)と聞(き)こゆ。かくて摂政(せつしやう)には、又(また)此の大臣(おとど)の御さしつぎの、九条(くでう)殿(どの)の御二郎、内大臣(ないだいじん)兼通(かねみち)の大臣(おとど)なり給(たま)ひぬ。
かゝるほどに、年号(ねんがう)かはりて、天延(てんえん)元年といふ。万(よろづ)にめでたくておはします。女御(にようご)いつしか后(きさき)にと思(おぼ)し急(いそ)ぎたり。始(はじ)めの摂政(せつしやう)殿(どの)の東宮(とうぐう)の御(み)世(よ)のことを、見はて給(たま)はずなりぬることをぞ世(よ)の人も哀(あは)れがり聞(き)こえけり。かくてその年(とし)の七月一日、摂政(せつしやう)殿(どの)の女御(にようご)后(きさき)に居(ゐ)させ給(たま)ひぬ。中宮(ちゆうぐう)と聞(き)こえさす。始(はじ)めの冷泉(れいぜい)の院(ゐん)の中宮(ちゆうぐう)をば皇太后宮(くわうたいこうぐう)と聞(き)こえさす。中宮(ちゆうぐう)の御有様(ありさま)いみじうめでたう、世(よ)はかうぞあらまほしきと見えさせ給(たま)ふ。御門(みかど)一品(いつぽん)の宮の御かた、中宮(ちゆうぐう)の御かたと通(かよ)ひありかせ給(たま)ふ。内わたりすべていまめかし。堀河(ほりかは)殿(どの)とぞ此の摂政(せつしやう)殿(どの)をば聞(き)こえさする。今は関白(くわんばく)殿(どの)とぞ聞(き)こえさすめる。その御男君(をとこぎみ)達(たち)
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四五人おはして、いといまめかしう世(よ)にあひめでたげに思(おぼ)したり。
 九条(くでう)殿(どの)の三郎ぎみは、此の頃(ごろ)東三条(とうさんでう)の右大将(うだいしやう)の大納言(だいなごん)など聞(き)こゆ。れいぜんゐんの女御(にようご)いと時めかせ給(たま)ふを嬉しきことに思(おぼ)し召(め)さるべし。中(なか)ひめぎみの御ことをいかでと思(おぼ)し召(め)すほどに、うへの御けしきありての給(たま)はせければ、いかでと思(おぼ)さるれど、此の関白(くわんばく)どの、もとより此のふたところの御(おん)中(なか)よろしからずのみおはしますに、中宮(ちゆうぐう)かくて候はせ給(たま)へば、つゝまじく思(おぼ)さるゝなるべし。
 かゝるほどに天延(てんえん)二年になりぬ。関白(くわんばく)殿(どの)太政(だいじやう)大臣(だいじん)にならせ給(たま)ひぬ。並ぶ人なき御有様(ありさま)につけても唯九条(くでう)殿(どの)の御ことをのみ世に聞(き)こえさす。をのゝみや殿(どの)の御二郎よりたゞの大臣(おとど)と此の関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)中(なか)いと良くおはしければ万(よろづ)のまつりごと聞(き)こえあはせてぞせさせ給(たま)ひける。今年(ことし)は世(よ)の中(なか)に、もがさといふもの出で来て、よもやまの人、上下やみのゝしるに、おほやけわたくしいといみじきことゝ思(おも)へり。やむごとなき男女、失せ給(たま)ふたぐひおほかりと聞(き)こゆる中(なか)にも前の摂政(せつしやう)殿(どの)の前の少将(せうしやう)・後の少将(せうしやう)、おなじ日うちつづき失せ給(たま)ひて、はゝきたのか哀(あは)れにいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)くことを世(よ)の中(なか)の哀(あは)れなることのためしには、いひのゝしりたり。まねびつくすべくもあらず。
 此の東三条(とうさんでう)どの関白(くわんばく)どのとの御(おん)中(なか)殊にあしきを世の人あやしきことに思(おも)ひ聞(き)こえたり。いかで此の大将(だいしやう)をなくなしてばやとぞ、御心(こころ)にかゝりて大とのは思(おぼ)しけれど、いかでかは東三条(とうさんでう)どのは、
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なをいかでこの中(なか)ひめぎみを内に参(まゐ)らせん。いひもていけばなにのおそろしかるべきぞと覚しとりて、人知れず思(おぼ)し急(いそ)ぎけり。されどそのけしき人に見せ聞かせ給(たま)はず。此の堀河(ほりかは)どのと東三条(とうさんでう)どのとは、只閑院をぞ隔てたりければ、東三条(とうさんでう)に参(まゐ)るむまくるまをば、大とのには「それ参(まゐ)りたり、かれまうづなり」といふことを聞(き)こし召(め)して、それかれこそ追従(ついそう)するものはあなれ」など、くせぐせしうの給(たま)はすれば、いとおそろしきことにて、よるなどぞ忍(しの)びて参(まゐ)る人も有りける。さるべき仏神(ぶつじん)の御もよほしにや、東三条(とうさんでう)どのなをいかでけふあすも、この女君(をんなぎみ)参(まゐ)らせんなど思(おぼ)したつと、をのづから大との聞(き)こし召(め)して、「いとめざましきことなり。中宮(ちゆうぐう)のかくておはしますに、この大納言(だいなごん)のかく思(おも)ひかくるもあさましうこそ。いかに万(よろづ)にわれをのろふらん」などいふことをさへ、常にの給(たま)はせければ、大納言(だいなごん)どのいとわづらはしく思(おぼ)し絶(た)えで、さりともをのづからと思(おぼ)しけり。
はかなく年もかはりぬ。貞元々年丙子(ひのえね)の年(とし)といふ。かのれいぜんゐんの女御(にようご)と聞(き)こゆるは、東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)の御ひめぎみなり。こぞの夏よりたゞにもおはしまさゞりけるを、二三月ばかりにあたらせ給(たま)ひて、その御いのりなどいみじうせさせ給(たま)ふを、大との聞(き)こし召(め)して、「東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)は、ゐんの女御(にようご)おとこ御(み)子(こ)生み給(たま)へ。世(よ)の中(なか)かまへんとこそいふなれ」など、聞(き)きにくきことをさへのたまはせければ、むつかしうわづらはしと思(おぼ)しながら、さりとてまかせ
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聞(き)こえさすべきことならねば、いみじういのりさはがせ給(たま)ひけり。さてやよひばかりに、いとめでたきおとこ御(み)子(こ)むまれ給(たま)へり。ゐんいとものぐるをしき御(おほん)心(こころ)にも例ざまにおはします時は、いとうれしきことに思(おぼ)し召(め)して、万(よろづ)に知りあつかひ聞(き)こえさせ給(たま)ひけり。太政(おほき)大臣(おとど)聞(き)こし召(め)して、「哀(あは)れめでたしや、東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)は、ゐんの二宮え奉(たてまつ)りて思(おも)ひたらむけしき思(おも)ふこそめでたけれ」など、いとをこがましげに思(おぼ)しの(たま)ふを、大将(だいしやう)どのは、「あやしうあやにくなる心(こころ)つい給(たま)へる人にこそ」と、やすからずぞ思(おぼ)しける。
かゝるほどに内(うち)も焼けぬれば、御門(みかど)のおはしますところ見ぐるしとて堀河(ほりかは)どのを、いみじう造りみがき給(たま)ひて、だいりのやうに造りなして、内(うち)いでくるまではおはしまさせんと急(いそ)がせ給(たま)ふなりけり。貞元二年三月廿六日堀河(ほりかは)の院(ゐん)に行幸(ぎやうがう)あるべければ、天下急(いそ)ぎみちたり。その日になりてわたらせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)もやがてその夜移りおはしまして、堀河(ほりかは)の院(ゐん)をいまだいりといひて世にめでたうのゝしりたり。」〔かゝるほどに〕大との思(おぼ)すやう、世(よ)の中(なか)もはかなきにいかでこの右大臣(うだいじん)今すこしなしあげて、わがかはりの職(そく)をもゆづらんと覚したちて、ただいまの左大臣(さだいじん)兼明の大臣(おとど)と聞(き)こゆるは、えんぎの御門(みかど)の御(おほん)十六のみやにおはします、それ御(おほん)心地(ここち)なやましげなりと聞(き)こし召(め)して、もとの御(み)子(こ)になし奉(たてまつ)らせたまひつ。さてさだいじんには、小野宮のよりたゞの大臣(おとど)をなし奉(たてまつ)り給(たま)ひつ。右大臣(うだいじん)にはまさのぶの大納言(だいなごん)
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なり給(たま)ひぬ。
かゝるほどに、堀河(ほりかは)どの御(おほん)心地(ここち)いとなやましう思(おぼ)されて、御心(こころ)のうちに覚しけるやう、「いかでこの東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)、わがいのちも知らず、なきやうにしなして、この左の大臣(おとど)をわがつぎの一の人にてあらせん」と思(おぼ)す心(こころ)ありて、御門(みかど)につねに「この右大将(うだいしやう)かねいゑは、れいぜんゐんの御(み)子(こ)を持ち奉(たてまつ)りて、ともすればこれを<といひ思(おも)ひ、いのりすること」ゝいひつげ給(たま)ひて、御門(みかど)は堀河(ほりかは)の院(ゐん)におはしましければ、「われはなやまし」とて里(さと)におはしますに、わりなくて参(まゐ)らせ給うて、この東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)の不能(ふのう)を奏し給(たま)ひて、「かゝる人は世にありてはおほやけの御ために大事出で来はんべりなん。かやうのことはいましめたるこそよけれ」など奏し給(たま)ひて、貞元二年十月十一日大納言(だいなごん)の大将(だいしやう)をとり奉(たてまつ)り給(たま)ひて、ぢぶきやうになし奉(たてまつ)り給(たま)へり。無官の定になし聞(き)こえまほしけれど、さすがにそのことゝさしたることのなければ、思(おぼ)しあまりてかくまでもなし聞(き)こえ給(たま)へるなりけり。御(おほん)心(こころ)のまゝにだにもあらば、「いみじき筑紫(つくし)九こくまでもと思(おぼ)せど、あやまちなければなりけり。御(おほん)かはりの大将(だいしやう)には、小一条(こいちでう)の大臣(おとど)の御子のなりときの中納言(ちゆうなごん)なり給(たま)ひぬ。
東三条(とうさんでう)のぢぶきやうは御門(かど)とぢてあさましういみじき世(よ)の中(なか)をねたうわりなく思(おぼ)しむせびたり。いゑの子の君達(きんだち)は、出でまじらひ給(たま)はず、世をあさましきものに思(おぼ)されたり。かゝるほどに堀河(ほりかは)どの御(おほん)心地(ここち)いとゞをもりてたのもしげなきよしを世にまうす。さいつころ内に参(まゐ)らせ
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給(たま)ひて、東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)をばなくなし奉(たてまつ)り給(たま)ひてき。今ひとたびとて内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ひて、万(よろづ)を奏しかためて出でさせ給(たま)ひにけり。何事(なにごと)ならんとゆかしけれど、又(また)をとなし。かくて十一月(じふいちぐわつ)四日准三宮のくらゐにならせ給(たま)ひぬ。おなじ月(つき)八日うせ給(たま)ひぬ。御(おほん)年(とし)五十三なり。たゞよし公と御諱(いみな)を聞(き)こゆ。哀(あは)れにいみじ。
かくいくばくもおはしまさゞりけるに、東三条(とうさんでう)の大納言(だいなごん)をあさましう嘆(なげ)かせ奉(たてまつ)り給(たま)ひけるも心(こころ)うし。をのゝみやのよりたゞの大臣(おとど)によをばゆづるべきよし一日そうし給(たま)ひしかば、そのまゝにと御門(みかど)思(おぼ)し召(め)して、おなじ月(つき)の十一日、関白(くわんばく)のせんじかうぶり給(たま)ひて、世(よ)の中(なか)みなうつりぬ。あさましく思(おも)はずなることによに申し思(おも)へり。中宮(ちゆうぐう)万(よろづ)に覚し嘆(なげ)く。ともみつのごん大納言(だいなごん)、あきみつの中納言(ちゆうなごん)など哀(あは)れに思(おぼ)し惑(まど)ふ。東三条(とうさんでう)殿(どの)の院(ゐん)の女御(にようご)は、こぞむまれ給(たま)ひしおとこ御(み)子(こ)に、又(また)今年(ことし)もさしつゞきておなじやうにてむまれたまへるにつけても、なをいと行すゑたのもしげにみえさせ給(たま)ふ。堀河(ほりかは)殿(どの)ののち<のことゞも例(れい)のごとし。
かくて年(とし)もかはりぬ。左の大臣(おとど)の御さまいと<めでたし。おほひめぎみをいかで内(うち)に参(まゐ)らせ奉(たてまつ)らんと思(おぼ)す。はかなくて月日も過ぎてふゆになりぬ。年号(ねんがう)かはりて天元々年といふ。十月二日除目ありて関白(くわんばく)どの、太政(だいじやう)大臣(だいじん)にならせ給(たま)ひぬ。左大臣(さだいじん)にまさのぶの大臣(おとど)なり給(たま)ひぬ。東三条(とうさんでう)殿(どの)のつみもおはせぬを、かくあやしくておはする、心(こころ)得ぬことなれば太政(おほき)大臣(おとど)、たびたびそうし給(たま)ひて、やがてこのたび
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右大臣(うだいじん)になり給(たま)ひぬ。「これはたゞぶつじんのし給(たま)ふ」と思(おぼ)さるべし。
内(うち)には中宮(ちゆうぐう)のおはしませば、たれも<思(おぼ)しはゞかれど、堀河(ほりかは)殿(どの)の御(おほん)心(こころ)をきてのあさましく心(こころ)づきなさに、東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)中宮(ちゆうぐう)にをぢ奉(たてまつ)り給(たま)はず、中(なか)姫君参(ま)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。大殿(おほとの)の、「ひめぎみをこそ、まづ」と思(おぼ)しつれど、堀河(ほりかは)殿(どの)の御(おほん)心(こころ)を思(おぼ)しはゞかるほどに、みぎの大臣(おとど)はつゝまじからず覚したちて、参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ、ことはりにみえたり。参(まゐ)らせ給(たま)へるかひありて、たゞいまはいと時におはします。中宮(ちゆうぐう)をかくつゝましからず、ないがしろにもてなし聞(き)こえ給(たま)ふも、「むかしの御なさけなさを思(おも)ひ給(たま)ふにこそは」とことはりに思(おぼ)さる。東三条(とうさんでう)の女御(にようご)は梅壺(むめつぼ)にすませ給(たま)ふ。御(おほん)有様(ありさま)あいぎやうづき、けぢかく美(うつく)しうおはします。御はらからの君達(きんだち)、この頃(ごろ)ぞつゝましげなふありき給(たま)ふめる。ゐんの女御(にようご)、おとこ御(み)子(こ)、三ところにならせ給(たま)ひぬ。なをいとたのもしげなる御有様(ありさま)なり。
かゝるほどに天元二年になりぬ。梅壺(むめつぼ)いみじうときめかせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)月(つき)頃(ごろ)御(おほん)心地(ここち)あやしうなやましう思(おぼ)し召(め)されて、万(よろづ)みやづかさも、又(また)おほやけよりも、御いのりのことさまざまにいみじけれど、六月二日うせさせ給(たま)ひぬ。あへなうあさましう哀(あは)れにいみじう思(おぼ)し聞(き)こえさせ給(たま)へどかひなし。世(よ)の人例(れい)のくちやすからぬものなれば、「東三条(とうさんでう)殿(どの)の御さいはひのますぞ。梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)后(きさき)にゐ給(たま)ふべきぞ」などいひのゝしる。かくてすまゐもとまりて、よにものさうざうしう思(おも)ふべし。関白(くわんばく)どのは中宮(ちゆうぐう)
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の御ことゞもをおこなひ聞(き)こえ給(たま)ふ。たゞいまのよの御うしろ見にもおはします、堀河(ほりかは)殿(どの)の御心(こころ)をも、さまざま思(おぼ)し召(め)し知り、何事(なにごと)をもあつかはせ給(たま)ふなるべし。ごん大納言(だいなごん)・中納言(ちゆうなごん)などいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)き給(たま)ふ。
かやうにて過ぎもていくに、そのふゆ関白(くわんばく)殿(どの)のひめぎみうちに参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。よの一のところにおはしませば、いみじうめでたきうちに、殿(との)の御(おほん)有様(ありさま)などもおくぶかく心(こころ)にくゝおはします。梅壺(むめつぼ)はおほかたの御(おほん)心(こころ)有様(ありさま)けぢかくおかしくおはしますに、このたびの女御(にようご)はすこし御おぼえのほどやいかにとみえ聞(き)こゆれど、たゞいまの御有様(ありさま)にうへもしたがはせ給(たま)へば、おろかならず思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふなるべし。
いかにしたることにか、かゝるほどに梅壺(むめつぼ)例(れい)ならずなやましげに思(おぼ)したれば、ちゝ大臣(おとど)いかに<とおそろしう〔思(おも)ひ〕聞(き)こえさせ給(たま)へば、たゞにもおはしまさぬなりけり。よもわづらはしければ、一二月は忍(しの)ばせ給(たま)へど、さりとてかくれあべきことならねば、三月にて奏(そう)せさせ給(たま)ふに、御門(みかど)いみじううれしう思(おぼ)し召(め)さるべし。一品(いつぽん)のみやも梅壺(むめつぼ)をば御心(こころ)よせ思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、いとうれしうかひ有様(ありさま)に思(おぼ)し聞(き)こえさせ給(たま)ふ。さとにいでさせ給(たま)はんとするを、うへいとうしろめたうわりなく思(おぼ)し召(め)しながら、さてあるべきことならねば、いでさせ給(たま)ふほどの御有様(ありさま)いへばをろかなり。さべき上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)みなのこるなうつかうまつり給(たま)ふ。世(よ)はみなこの東三条(とうさんでう)殿にとまりぬべきなめりと見え聞(き)こえたり。
 うへも年(とし)頃(ごろ)に
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ならせ給(たま)ひぬれば、いまはをりさせ給(たま)はまほしきに、いかにも<御(み)子(こ)のおはせぬことをいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)くに、おとこ・をんなの御ほどはしらず、たゞならずおはしますを世(よ)にうれしきことに思(おぼ)し召(め)して、さべき御いのりどもかずをつくさせ給(たま)ふ。長日の御修法・御読経などうちがたよりも始(はじ)めさせ給(たま)ひ、すべてかゝらんにはいかでかと見えさせ給(たま)ふ。関白(くわんばく)どのいと世(よ)の中(なか)をむすぼゝれすずろはしく思(おぼ)さるべし。「さはれとありともかゝりともわがあらば、女御(にようご)をば后(きさき)にもすへ奉(たてまつ)りてんと思(おぼ)し召(め)すP01163べし。
はかなくて天元三年(さんねん)かのえたつの年(とし)になりぬ。三四月ばかりにぞ、梅壺(むめつぼ)さやうにおはしますべければ、その御よういどもかぎりなし。くらづかさに御丁より始(はじ)め、しろき御具どもつかうまつる。とのにも又(また)せさせ給(たま)ふ。たゞいま世(よ)にめでたきことのためしになりぬべし。うちよりよるひるわかぬ御つかひひまなし。げにことはりに見えさせ給(たま)ふ。いつしかとのみ思(おぼ)し召(め)すほどに、五月のつごもりより御けしきありて、その月(つき)をたてゝ六月一日とらのときに、えもいはぬおとこ御(み)子(こ)たいらかにいさゝかなやませ給(たま)ふほどもなくむまれさせ給(たま)へり。うちにまづそうせさせ給(たま)へれば、御はかし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふほどぞ、えもいはずめでたき御けしきなりや。七日のほどの御有様(ありさま)思(おも)ひやるべし。東三条(とうさんでう)の御門(みかど)のわたりには、年(とし)頃(ごろ)だにたはやすく人わたらざりつるに、ゐんのみやたちのみところおはしますだに、おろかならぬ殿(との)のうちを、まいで今上一宮のおはしませば、いとことはりにて、
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いづれの人も万(よろづ)に参(まゐ)りさはぐ。御はらからの君達(きんだち)、年(とし)頃(ごろ)の御(おん)心地(ここち)むつかしうむすぼゝれ給(たま)へりける、ひもとき、いみじき御(おん)心地(ここち)どもせさせ給(たま)ふ。
 かゝるほどに、又(また)今年(ことし)だいりやけぬ。門(みかど)かんゐんにわたらせ給(たま)ふ。かんゐんは故堀河(ほりかは)殿(どの)の御りやうにて、ともみつの大納言(だいなごん)ぞ住み給(たま)ひける、ほかにわたり給(たま)ひぬ。かくて関白(くわんばく)殿(どの)の女御(にようご)さぶらはせ給(たま)へど、御(おほん)はらみのけなし。大臣(おとど)いみじうくちおしう覚し嘆(なげ)くべし。御門(みかど)いつしかといみじうゆかしう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へば、「御(み)子(こ)忍(しの)びて参(まゐ)らせ給(たま)へ」とあれど、よの人の御心(こころ)ざまもおそろしうて、すが<しうも思(おぼ)したゝず。今年(ことし)いかなるにかおほかぜ吹き、なゐなどさへゆりて、いとけうとましきことのみあれば、うへはわかみやの御(おほん)さとにおはしますことを、いとゞうしろめたう思(おぼ)しの給(たま)はすれど、さりとてうちのせばきにおはしますべきにあらねば、たゞいかに<とのみよるひるわかぬ御つかひあり。御いかやもゝかなど過ぎさせ給(たま)ひて、いみじう美(うつく)しうおはします。東三条(とうさんでう)に行幸(ぎやうがう)あらまほしう思(おぼ)せど、太政(おほき)大臣(おとど)の御心(こころ)に思(おぼ)しはゞからせ給(たま)ふなるべし。
御門(みかど)の御心(こころ)、いとうるはしうめでたうおはしませど、「をゝしきかたやおはしまさゞらん」とぞ、世(よ)の人申し思(おも)ひたる。東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)は、世(よ)の中(なか)を御心(こころ)のうちにしそして思(おぼ)すべかめれど、なをうちとけぬ様(さま)に御心(こころ)もちゐぞみえさせ給(たま)ふ。御門(みかど)の御心(こころ)つよからず、いかにぞやおはしますを見奉(たてまつ)らせ給(たま)へればなる
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べし。
 かゝるほどに天元四年になりぬ。御門(みかど)御心(こころ)のうちの御ぐはんなどやおはしましけん、かも・ひらのなどに二月に行幸(ぎやうがう)あり。「御(み)子(こ)の御いのりなどにこそ」とは、ことはりにみえさせ給(たま)ふ。御門(みかど)、「いまは御(み)子(こ)もむまれさせ給(たま)へり。いかでおりなん」とのみ思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)のさとがちにおはしますを、やすからぬことにうへ思(おぼ)し召(め)せど、大臣(おとど)、「わが一の人にあらぬを、なにかは」など思(おぼ)し召(め)すなりけり。堀河(ほりかは)の大臣(おとど)おはせしとき、いまの東宮(とうぐう)の御いもうとの女二宮参(まゐ)らせ給(たま)へりしかば、いみじう美(うつく)しう〔と〕もてけうじ給(たま)ひしを、参(まゐ)らせ給(たま)ひてほどもなくうちなどやけにしかば、ひのみやと世(よ)の人申し思(おも)ひたりしほどに、いとはかなううせ給(たま)ひにしになん。
 御門(みかど)、太政(おほき)大臣(おとど)の御心(こころ)にたがはせ給(たま)はじと思(おぼ)し召(め)して、「この女御(にようご)后(きさき)にすへ奉(たてまつ)らん」との給(たま)はすれど、大臣(おとど)なまつゝましうて、「一の御(み)子(こ)むまれ給(たま)へる梅壺(むめつぼ)を置きてこの女御(にようご)のゐ給(たま)はんを、世(よ)の人いかにかはいひ思(おも)ふべからん」と、「人がたきはとらぬこそよけれ」など思(おぼ)しつゝすぐし給(たま)へば、「などてか。梅壺(むめつぼ)はいまはとありともかゝりともかならずの后(きさき)なり。世(よ)もさだめなきに、この女御(にようご)のことをこそ急(いそ)がれめ」と、つねにの給(たま)はすれば、うれしうて人知れず思(おぼ)し急(いそ)ぐほどに、今年(ことし)もたちぬれば、くちおしう思(おぼ)し召(め)す。かゝることゞも漏り聞(き)こえて、右の大臣(おとど)うちに参(まゐ)らせ給(たま)ふことかたし。女御(にようご)の御はらからの君達(きんだち)などもまうでさせ給(たま)はず。女御(にようご)
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も御心(こころ)とけたる御けしきもなければ、一品(いつぽん)のみやは世(よ)にいふことをもりきゝ給(たま)ひて、「さやうに覚したるにこそ」と、世(よ)を心(こころ)づきなく思(おぼ)し聞(き)こえさせ給(たま)ふべし。
はかなく年(とし)もかへりぬ。正月に庚甲(かのえさる)いできたれば東三条(とうさんでう)殿(どの)の院(ゐん)の女御(にようご)の御かたにも、梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)の御かたにも、若(わか)き人々「年(とし)の始(はじ)めの庚甲(かのえさる)なり。せさせ給(たま)へ」と申せば、さばとて御かたがたみなせさせ給(たま)ふ。おとこ君達(きんだち)、この女御(にようご)たちの御はらから三ところぞおはします。「いとけうあることなり。いとよし。こなたかなたと参(まゐ)らんほどに夜も明けなん」などの給(たま)ひて、さまざまのことゞもして御覧(ごらん)ぜさせ給(たま)ふに、うたやなにやと、心(こころ)ばへおかしき御かたがたの有様(ありさま)より始(はじ)め、にようばうたち、碁・すぐろくのほどのいどみもいとおかしくて、「この君達(きんだち)のおはせざらましかば、こよひのねむりさましはなからまじ」など聞(き)こえ思(おも)ひて、たびたびとりも啼きぬ。ゐんの女御(にようご)、あか月(つき)がたに御けうそくにをしかゝりておはしますまゝに、やがて御とのごもりいりにけり。「いまさらに」など人々聞(き)こえさすれど、「からすも啼きぬれば、いまはさばれ、なおどろかし聞(き)こえさせそ」など人々聞(き)こえさするに、はかなきうたども聞(き)こえさせ給(たま)はんとて、このおとこ君達(きんだち)、やゝ、ものけ給(たま)はる。いまさらになにかは御とのごもる。おきさせ給(たま)はん」と聞(き)こえさするに、すべて御いらへもなくおどろかせ給(たま)はねば、よりて「やゝ」と聞(き)こえさせ給(たま)ふに、ことのほかに見えさせ給(たま)へれば、ひきおどろかし
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奉(たてまつ)り給(たま)ふに、やがてひえさせ給(たま)へれば、あさましうて、御となぶらとりよせて見奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、うせさせ給(たま)へるなりけり。
「あなあさましや」とも、いひやらんかたなく思(おぼ)されて、とのにまづ、「かう<のこと候ふ」と申させたまふに、すべてものもおぼえさせ給(たま)はで、惑(まど)ひおはしまして、見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、あさましくいみじければ、かゝへてたゞふしまろび惑(まど)はせ給(たま)ふ。殿(との)のうちどよみてのゝしりたり。さべきそうども召しのゝしり、万(よろづ)の御ずきやうところ<”には知(し)らせ給(たま)へど、つゆかひなくて、かきふせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。しろきあやの御(おほん)衣(ぞ)四つばかりにかうばいの御(おほん)衣(ぞ)ばかり奉(たてまつ)りて、御(おほん)ぐしながく美(うつく)しうて、かひそへてふさせ給(たま)へり。ただ御とのごもりたると見えさせ給(たま)ふ。とのいみじうかなしきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、たゞ思(おも)ひやるべし。みやたちのいと幼(をさな)くおはしますなど〔に〕、万(よろづ)思(おぼ)しつゞけ惑(まど)はせ給(たま)ふ。
れいぜんゐんに聞(き)こし召(め)して、あさましう哀(あは)れに心(こころ)憂きことに思(おぼ)し召(め)す。なをこれもかの御(おほん)ものゝけのしつる」とぞ思(おぼ)されける。万(よろづ)の御とぶらひにつけても、いとゞあやにくに覚し惑(まど)はる。ゆゝしきことゞもなれど、すべてさべうおはしますと見えさせ給(たま)ふも、かなしういみじう思(おぼ)さるれど、さてのみやはとて、のち<の御(おほん)ことゞも、例(れい)のさはうにおはしおきてさせ給(たま)ふにつけても、とのはたゞなみだにおぼれてぞすぐさせ給(たま)ふ。あさましうはかなき世(よ)ともをろかなり。御いみのほどあさましういみじうてすぐさせ給(たま)ふ
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につけても、いまは女御(にようご)の御有様(ありさま)いとゞおそろしう思(おぼ)し召(め)して、女御(にようご)殿(どの)とわかぎみとはほかにわたし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、世(よ)ははかなしといへども、いまだかゝることは見聞(き)こえざりつる御有様(ありさま)なりや、みや<の何事(なにごと)も思(おぼ)したらぬるを、いとゞかなしう思(おぼ)されけり。
かゝるほどに、今年(ことし)は天元五年になりぬ。三月十一日中宮(ちゆうぐう)たち給(たま)はんとて、太政(おほき)大臣(おとど)急(いそ)ぎさはがせ給(たま)ふ。これにつけても右の大臣(おとど)あさましうのみ万(よろづ)聞(き)こし召(め)さるゝほどに、后(きさき)たゝせ給(たま)ひぬ。いへばをろかにめでたし。太政(おほき)大臣(おとど)のし給(たま)ふもことはりなり。御門(みかど)の御(おほん)心(こころ)をきてを、世(よ)〔の〕人もめもあやにあさましきことに申し思(おも)へり。一の御(み)子(こ)おはする女御(にようご)を置きながら、かく御(み)子(こ)もおはせぬ女御(にようご)の后(きさき)にゐ給(たま)ひぬること、やすからぬことに世(よ)〔の〕人なやみ申て、すばらの后(きさき)とぞつけ奉(たてまつ)りたりける。されどかくてゐさせ給(たま)ひぬるのみこそめでたけれ。
東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)、いのちあらばとは覚しながら、なをあかずあさましきことに思(おぼ)し召(め)す。ゐんの女御(にようご)の御(おほん)ことを思(おぼ)し嘆(なげ)くに、又(また)、「この御ことを世(よ)〔の〕人もみ思(おも)ふらんこと」ゝ、べての世(よ)さへめづらかに思(おぼ)し召(め)して、かの堀河(ほりかは)の大臣(おとど)の御しわざはなにゝかはありける、こたみの御門(みかど)の御(おほん)心(こころ)おきては、ゆゝしう心(こころ)憂く思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふもをろかなり。かばかりのひとわらはれにて、世(よ)にあらでもあらばやと覚しながら、「さりともかうでやむやうあらじ。人の有様(ありさま)をば、われこそは見はてめ」と、つよう思(おぼ)して、女御(にようご)
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の御ことののち、いとゞ御かどさしがちにておとこ君達(きんだち)、すべてさべきことゞもにもいでまじらはせ給(たま)はず。うちの御つかひ女御(にようご)殿(どの)に日々に参(まゐ)れど、二三度がなかに御かへりは一度などぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。一品(いつぽん)のみやもいと心(こころ)憂きことに思(おぼ)し申させ給(たま)ひ、
 わかみやの美(うつく)しうおはしますらんも、今年(ことし)は三つにならせ給(たま)へば、あきつかた御(おほん)はかまぎのことあるべう、うちにはつくもどころに御ぐどもせさせ給(たま)ひ、その御ことども思(おぼ)しまうけさせ給(たま)ふべし。ゐんの女御(にようご)の御のちのことゞもし果てさせ給(たま)ひて、つれづれに思(おぼ)さるゝまゝには、たゞこのみやたちの御あつかひをせさせ給(たま)ふ。
このとのは、うへもおはせねば、此の女御(にようご)殿(どの)の御かたにさぶらひつる大輔といふ人をつかひつけさせ給(たま)ひて、いみじう思(おぼ)しときめかし、つかはせ給(たま)ひければ、権の北の方にてめでたし。ゐんの二・三・四のみやの御めのとたち、大弐のめのと・少輔のめのと・みんぶのめのと・ゑもんのめのとなにくれなど、いとおほく候ふに、御めも見たてさせ給(たま)はぬに、たゞこの大輔をいみじきものにぞ思(おぼ)し召(め)したる。
 梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)の御けしきもつゝましう思(おぼ)されて、うちには、わかみやの御(おほん)はかまぎのことを、御心(こころ)のかぎり覚し〔めし〕急(いそ)がせ給(たま)ふもさすがなり。それは女御(にようご)の御(おほん)ためにをろかにおはしますにはあらで、太政(おほき)大臣(おとど)をいとをそろしき物に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふなりけり。
このふゆわかみやの御はかまぎは、東三条(とうさんでう)の院(ゐん)にてあるべう思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ふを、うちには「などてか内(うち)にてこそ〔は〕」と思(おぼ)しの給(たま)はせて、しはす
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ばかりにと急(いそ)ぎたゝせ給(たま)ふ。女御(にようご)も参(まゐ)り給(たま)ひて、三日ばかりさぶらはせ給(たま)ふべし。さていみじう急(いそ)ぎたゝせ給(たま)ひて、その日になりて参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。そのほどのぎしき有様(ありさま)思(おも)ひやるべし。うへこの御(み)子(こ)を見奉(たてまつ)り給(たま)ふが、いみじう美(うつく)しければ、「この女御(にようご)の御ためにをろかなるさまに見えんはつみ得(う)らんかし。かばかり美(うつく)しうめでたくてわがつぎし給(たま)ふべき人を」と思(おぼ)し召め)して、いみじきことゞもをせさせ給(たま)ひ、女御(にようご)をも万(よろづ)に申させ給(たま)へど、心(こころ)とけたる御けしきにもあらぬをくち惜しく思(おぼ)し召(め)す。御はかま奉(たてまつ)りたる御有様(ありさま)いはんかたなく美(うつく)しうおはします。うへのにようばうなど見奉(たてまつ)りて、「うへの御ちごおひただかうぞおはしましゝ」など老いたる人は聞(き)こえさせあへり。
一品(いつぽん)のみやの御かたに、うへわかみやいだき奉(たてまつ)らせ給(たま)ひておはしましたれば、いみじうもてけうじ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。「この御ためにをろかにおはします、いとあしきことなり」など申させ給(たま)へば、「いかで〔か〕をろかに〔は〕はんべらん。をのづからはべるなり」など聞(き)こえさせ給(たま)ふ。さまざまの御をくりものめでたくておはしましぬ。上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)・にようばうなどのさまざまめでたきことゞも、こまかにいみじうせさせ給(たま)ひて、四日といふあかつきに、女御(にようご)もわかみやも出でさせ給(たま)ふ。うへいみじうとゞめ奉(たてまつ)らせ給(たま)へど、「いまこの頃(ごろ)すぐして、心(こころ)のどかに」とていでさせ給(たま)へば、うへいとあかず〔思(おぼ)し召(め)せど、わが御心(こころ)のをこたりと〕思(おぼ)し召(め)さるべし。わかみやの御有様(ありさま)をいとこひしう御心(こころ)にかゝりて思(おぼ)し召(め)す。
 右の大臣(おとど)は、
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ゐんの故女御(にようご)の御はてもこの月(つき)にせさせ給(たま)ふべければ、まづこの御はかまぎのことをせさせ給(たま)へれば、いまはこの廿よ日御はてせさせ給(たま)ふ。哀(あは)れにいみじき御ことをあつかひ果てさせ給(たま)ひつ。
〔哀(あは)れもつきせず思(おぼ)し嘆(なげ)く。このわたりの御ことは、「さばれ、いみじくともいまひとゝせふたとせこそあらめ」と、心(こころ)づよく思(おぼ)し召(め)したり。〕
 かゝるほどに年号(ねんがう)もかはりて、ゑいぐはん元年といふ。正月より始(はじ)め、ことゞも世(よ)のつねにて過ぎもてゆく。そのごとくある折こそあれ、はかなく月日も過ぎもて行くに、わかみやを心(こころ)やすくもあらずもてなし聞(き)こえさせ給(たま)ふを、うちにもいとくるしう思(おぼ)し召(め)すべし。うへ、「いまはいかでおりなん」とのみ〔ぞ〕思(おぼ)さるゝうちに、御もののけもおそろしうしげうをこらせ給(たま)ふにも、・れいぜんゐんはなを例(れい)の御心(こころ)はすくなくて、あさましくてのみすぐさせ給(たま)ふに、はかなくてゑいぐはん二年になりぬ。「今年(ことし)だにかならず」と思(おぼ)し召(め)して、人しれずさるべきやうに思(おぼ)し召(め)さるべし。東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)たはやすく参(まゐ)り給(たま)はぬを、いとあやしうのみ思(おぼ)しわたる。梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)の御もとにも、なをわかみやの御(おほん)いのり心(こころ)ことにせさせ給(たま)ふ。かくてさるべきつかさかうぶりなど、おほくよせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
ときどきのことゞもはかなく過ぎもて行きて、七月、相撲(すまゐ)もちかくなれば、「これをわかみやに見せ奉(たてまつ)らばや」との給(たま)はすれど、大臣(おとど)すこしふさはぬさまにてすごさせ給(たま)ふに、たびたび「大臣(おとど)参(まゐ)らせ給(たま)へ」とうちよりめしあれど、みだりかぜなどさまざまの御(おほん)さはりどもを
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申させ給(たま)ひつゝ参(まゐ)らせ給(たま)はぬを、相撲(すまゐ)ちかくなりて、しきりに「参(まゐ)らせ給(たま)へ」とあれば、参(まゐ)り給(たま)へれば、いとこまやかに御ものがたりありて、「くらゐにつきて今年(ことし)十六年になりぬ。いまゝであべうも思(おも)はざりつれど、月日のかぎりやあらん、かく心(こころ)よりほかにあるを、この月(つき)は相撲(すまゐ)のことあればさはがしかるべければ、来月ばかりにとなん思(おも)ふを、『東宮(とうぐう)くらゐにつき給(たま)ひなば、わかみやをこそは春宮(とうぐう)にはすへめ』と思(おも)ふに、いのりところ<”によくせさせ〔て〕、思(おも)ひのごとくあべくいのらすべし。をろかならぬ心(こころ)のうちを知らで、たれ<も心(こころ)よからぬけしきのある、いとくち惜しきことなり。あまたあるをだに、人は子をば、いみじきものにこそ思(おも)ふなれ。ましていかでかをろかに思(おも)はん」など、万(よろづ)あるべきことどもおほせらるゝうけたまはりて、かしこまりてまかで給(たま)ひて、女御(にようご)殿(どの)にものさざめき申させ給(たま)ひて、御(おほん)となぶら召し寄せてこよみ御覧(ごらん)じて、ところ<”に御(おほん)いのりづかひども立ちさはぐを、かう<との給(たま)はせねど、殿(との)の中(なか)の人々、けしきを見て思(おも)へるさま、いふもをろかにめでたし。このいゑのこの君達(きんだち)、いみじうえもいはぬ御けしきどもなり。さて相撲(すまふ)などにもこの君達(きんだち)参(まゐ)り給(たま)ふ。大臣(おとど)の御(おほん)心(こころ)のうちはればれしうてまじらはせ給(たま)ふ。
かくて八月になりぬれば、廿七日御譲位とてのゝしる。その日になりぬれば、御門(みかど)はおりさせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)はくらゐにつかせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)には梅壺(むめつぼ)のわかみやゐさせ給(たま)ひぬ。いへばをろかにめでたし。世(よ)はかうこそはと見え聞(き)こえたり。
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おりゐの御門(みかど)は、堀河(ほりかは)の院(ゐん)にぞおはしましける。いまの御門(みかど)の御(おん)年(とし)などもおとなびさせ給(たま)ひ、御(おほん)心(こころ)をきてもいみじういろにおはしまして、いつしかとさべき人々の御むすめどもをけしきだちの給(たま)はす。太政(おほき)大臣(おとど)この御世(よ)にもやがて関白(くわんばく)せさせ給(たま)ふ。中(なか)ひめぎみ十月に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。まづほかをはらひ、われ一の人にておはしませば、さはいへど御心(こころ)のまゝに思(おぼ)しをきつるも、あるべきことなりとぞみえたる。
御即位・大嘗会(だいじやうゑ)御はらへやなど、ことゞも過ぎてすこし心(こころ)のどかになるほに、太政(おほき)大臣(おとど)急(いそ)ぎ立ち参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。女御(にようご)の御(おほん)有様(ありさま)つかうまつる人にも七八年にならぬかぎりは見えさせ給(たま)ふことかたければ、とかくの御有様(ありさま)聞(き)こえがたし。まさにわろうおはしまさんやは。かくやむごとなくおはしませば、いといみじうときにしも見えさせ給(たま)はねど、大臣(おとど)、「后(きさき)には、我あらば」と思(おぼ)すべし。
かゝるほどにしきぶきやうのみやのひめぎみ、いみじう美(うつく)しうおはしますといふことを聞(き)こし召(め)して、日々に御ふみあれば、「かばかりの人を引きこめてあるべきにあらず」と覚して急(いそ)ぎたち参(まゐ)らせ給(たま)ふ。故村上のいみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえたまひし四の宮の源帥の御むすめのはらに産(う)ませ給(たま)へば、ひめみやにて御なからひもあてにめでたうて、ひめみやもいと美(うつく)しうおはしますを、あべいかぎりにて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、たゞいまはいといみじう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、かひありてめでたし。たゞいまはかばかりにておはし
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ぬべきを、又(また)、「ともみつの大将(だいしやう)のひめぎみ参(まゐ)らせ給(たま)へ」と、きうにの給(たま)はすれば、「いかゞせまし」と思(おぼ)しやすらふに、「東宮(とうぐう)はちごにおはします。かやうのかたにもと思(おも)はんには、さは参(まゐ)らせ奉(たてまつ)らんのみこそはよからめ。又(また)、このひめぎみをたれかをろかには思(おぼ)さん」などおもほし立ちて、参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。
この大将(だいしやう)どのは、堀河(ほりかは)殿(どの)の三郎、あるがなかにめでたきおぼえおはしき。いまにことに捨てられ給(たま)はず。はゝうへは、九条(くでう)殿(どの)の御むすめ登花殿の内侍(ないし)のかみの御はらに、えんぎの御門(みかど)の御(み)子(こ)の重明のしきぶきやうのみやの御むすめにおはします。そのひめぎみにて、世(よ)におかしげなる御おぼえおはす。えもいはずめでたうおはすなれば、「さりともをろかならんやは」とて、参(まゐ)らせ奉(たてまつ)りたまはんと、思(おぼ)したちて、しはすに参(まゐ)り給(たま)ふ。故堀河(ほりかは)殿(どの)の御(おほん)たからは、この大将(だいしやう)の御(おほん)もとにぞみなわたりにたる。この中宮(ちゆうぐう)の御ものゝぐどもゝ、たゞこのとのをいみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へりければ、それもみなこのとのにぞわたりにける。いみじうめでたくて参(まゐ)らせ給(たま)へる。
このはゝみやにはとのはいまは御(おほん)心(こころ)かはりて、びはの大納言(だいなごん)のぶみつのきたのかたは、故あつたゞごん中納言(ちゆうなごん)の御むすめなり、それに大納言(だいなごん)うせ給(たま)ひてのちはおはし通(かよ)ひて、このうへをばたゞよそ人のやうにておはするに、おとこ君達(きんだち)二人このひめぎみとおはすれば、何事(なにごと)もやむ事なくぞ思(おも)ひ聞(き)こえたまへれど、さやうのことはおなじところにてあつかひ聞(き)こえ給(たま)はんこそよかべけれ、よそ<にはならせ
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給(たま)へるか。かのびはのきたのかたいみじうかしこうものし給(たま)ふ人なり。このうへはちごのやうにおはしければ、「いかに」とのみ世(よ)〔の〕人いひ思(おも)へり。故一条(いちでう)大将(だいしやう)のきたのかたも、此のびはの大納言(だいなごん)の御むすめにおはしければ、いとおとな<しき御(おほん)まゝむすめのほどなどを、世(よ)〔の〕人うち<には聞(き)こゆべかめれど、おほかた大将(だいしやう)の御おぼえのいといみじければ、人もえ聞(き)こえぬなるべし。「御はゝばかり」とぞいはれ給(たま)ひける。
かくて女御(にようご)参(まゐ)らせ給(たま)へれば、御門(みかど)さまあしくときめかし聞(き)こえ給(たま)ふ。ときにおはしつるみやの女御(にようご)、御とのゐ、此の頃(ごろ)はおされ給(たま)へり。みやの女御(にようご)、「いでや」などものむつかしう思(おぼ)し召(め)すほどに、一月ばかりひまなうまうのぼらせ給(たま)ひ、こなたに渡らせ給(たま)ひなどして、こと人おはするやうにもあらずもてなさせ給(たま)ふ。「さは、かうにこそは」と思(おも)ふほどに、年もかへりぬ。
元三日のほどよりして、いまめかしうさはやかなる御まつりごとゞもにて、太政(おほき)大臣(おとど)もなまさまあしう、心(こころ)えぬことに思(おぼ)すべかめれど、世(よ)にしたがふ御心(こころ)にて、さてありすぐし給(たま)ふほどに、かんゐんの大将(だいしやう)殿(どの)の女御(にようご)の御とのゐあやしうかれがれになりて、はては、「のぼらせ給(たま)へ」といふこと思(おも)ひかけずなりぬ。たはぶれの御せうそこだに絶(た)えはてゝ一二月になりゆく。「あさましう、いかにしつることぞ」など、大将(だいしやう)に万(よろづ)に覚し惑(まど)へど、かひなくて、人わらはれにいみじき御(おほん)有様(ありさま)にて、おなじうちにおはします人のやうにもあらずなりはてぬれば、しばしこそ
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あれ、人目もはづかしうて、すべなくてまかで給(たま)ふを、いさゝか御出で入りをだに知(し)らせ給(たま)はずなりぬ。あさましういみじう心(こころ)憂きことには、たゞいま世(よ)にこのことよりほかに申しいふことなし。大将(だいしやう)どのも、「うちへ参(まゐ)ればむねいたし」とて、かきこもりゐ給(たま)ひぬ。世(よ)のためしにもしつべし。「御まゝはゝのきたのかたのいかにし給(たま)ひつるにか」とまで、世(よ)の人申し思(おも)へり。御門(みかど)のわたらせ給(たま)ふうちはしなどに人のいかなるわざをしたりけるにか、われものぼらせ給(たま)はず、うへもわたらせ給(たま)はず、目もあやにめづらかにてまがで給(たま)ひにしかば、そのゝち「さることやありし」といふことゆめになし。なにをかきみなども絶(た)えて参(まゐ)り給(たま)はずなりぬ。世(よ)のためしにもなりぬべし。
かくて又(また)、小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)の御(おほん)むすめ・一条(いちでう)大納言(だいなごん)の御むすめなどに、よるひるわかぬ御ふみもて参(まゐ)れど、小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)は、かんゐんの大将(だいしやう)の女御(にようご)の、おぼつかなからぬほどの御なからひにて、あさましく心(こころ)憂しと思(おぼ)し絶(た)えたれば、いひわづらはせ給(たま)ひぬ。むらかみなどは、十、二十人の女御(にようご)・みやすどころおはせしかど、ときあるもときなきも、なのめになさけありて、けざやかならずもてなさせ給(たま)ひしかばこそありしか、これはいとことのほかなる御(おほん)有様(ありさま)なれば、覚し絶(た)えぬるなるべし。
一条(いちでう)の大納言(だいなごん)は、はゝもおはせぬひめぎみを、我御ふところにておほしたて奉(たてまつ)りたれば、万(よろづ)いとつゝまじき世(よ)の御(おほん)心(こころ)もちゐなれば、つゝまじう思(おぼ)しながら、いまの御門(みかど)の御(おほん)をぢ義懐中納言(ちゆうなごん)は、
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かの一条(いちでう)大納言(だいなごん)のおほいぎみの御をとゝにてものし給(たま)ひければ、それをたよりにて、常に中納言(ちゆうなごん)をせめさせ給(たま)ふなりけり。さてやう<おもほし立つなるべし。なをしきぶきやうのみやの女御(にようご)ぞときめかせ給(たま)ふ。大殿(おほとの)の女御(にようご)始(はじ)めよりなのめにてなか<さまよくおはします。一月に四夜五夜の御とのゐは絶(た)えずおなじやうなり。
かかるほどに、一条(いちでう)の大納言(だいなごん)の御(おほん)ひめぎみしたてゝ参(まゐ)らせ給(たま)ふ。このひめぎみは、をのゝみやの大臣(おとど)清慎公の御太郎あつとしの少将(せうしやう)の御(おほん)むすめのはらに、おとこぎみ・女君(をんなぎみ)とおはしけるなり、手かきのすけまさのひやうぶきやうの御(おほん)いもうとのきみの御はらなりけり。ちゝのとのは九条(くでう)殿(どの)の九郎君、ためみつと聞(き)こゆ。いづれもおとりまさると聞(き)こゆべきにもあらず、たれかは其のけぢめのこよなかりける。いとおどろ<しきまでにて参(まゐ)らせ給(たま)へり。こき殿(どの)にすませ給(たま)ふ。すべてこれはもろ<にまさりていみじうときめき給(たま)へば、大納言(だいなごん)いみじううれしう思(おぼ)して、いとゞ御いのりをせさせ給(たま)ふ。又(また)、「いかに」とも思(おぼ)し嘆(なげ)くべし。いとあまりさまあしき御おぼえにてあまたの月日も過ぎもていけば、かたへの御(おほん)かたがた、「いとさまあしう、かゝることはいまもむかしもさらに聞(き)こえぬことなり。」「ひさしからぬものなり」など、きゝにくゝのろ<しきことゞもおほかり。
かゝるほどにたゞならずならせ給(たま)ひにけり。いといみじう、はかなき御(おほん)くだものもやすくも聞(き)こし召(め)さず。たゞ、「まづ<こき殿に」とのみの給(たま)はすれば、御おぼえめでたけれど、大納言(だいなごん)もかたはらいたき
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まで思(おぼ)しけり。三月にて奏していで給(たま)はんとするに、万(よろづ)にとゞめ聞(き)こえ給(たま)ひて、五月ばかりにてぞ出でさせ給(たま)ふ。万(よろづ)御(おほん)つゝしみも御さとにて心(こころ)やすくと思(おぼ)すに、いまゝでいでさせ給(たま)はざりつるに、かく出でさせ給(たま)ひて、手をわかちて万(よろづ)にせさせ給(たま)ふ。始(はじ)めは御つはりとてものも聞(き)こし召(め)さゞりけるに、月(つき)頃(ごろ)すぐれどおなじやうにつゆもの聞(き)こし召(め)さで、いみじうやせほそらせ給(たま)ふ。いみじきわざに思(おぼ)して、万(よろづ)に手惑(まど)ひ、しのこすことなくいのらせ給(たま)ふに、たちばなひとつも聞(き)こし召(め)しては御(おほん)身にもとゞめず、あさましう哀(あは)れに心(こころ)ぼそげにのみ見えさせ給(たま)へば、ちゝ殿(との)のむねふたがりては、やすからずうち嘆(なげ)きつゝあつかひ聞(き)こえ給(たま)ふ。
うちよりも御修法あまたせさせ給(たま)ふ。くらづかさより万(よろづ)のものをもてはこばせ給(たま)ふ。よるよなかわかぬ御つかひのしげさに殿上人(てんじやうびと)・くらんどもあまりにわびにたり。しばしもとゞこほるをば御簡をけづらせ給(たま)ひ、御かしこまりなどさまざまおどろ<しければ、さても六ゐのくらんどなどはいとよしや、さるべきとのばらの君達(きんだち)などはいと堪えがたきことに思(おも)ふべし。はかなき御くだものなども、かしこにはつゆかひなう聞(き)こし召(め)さねど、「まづまづ」と奉(たてまつ)らせ給(たま)ふを、大納言(だいなごん)、「いと世(よ)づかずや」など、うち嘆(なげ)きつゝすぐし給(たま)ふほどに、せめておぼつかなくこひしく思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひて、「たゞよひのほど」ゝのみの給(たま)はすれど、え思(おぼ)したゝぬに、女御(にようご)もさすがにおぼつかなげに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、大納言(だいなごん)どの、
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たゞひとひふつかと思(おぼ)し立ちて参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。
こき殿に参(まゐ)らせ給(たま)ふとて、御しつらひなどいふことを、かたへの御かたがたのくちよからぬ人々、「ゆゝしういま<しきこと」ゝ聞(き)こゆ。かくて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、哀(あは)れにうれしう思(おぼ)し召(め)して、よるひるやがて、おものにもつかせ給(たま)はで入り臥させ給(たま)へり。「あさましう物ぐるをし」とまでうちのわたりには申しあへり。女御(にようご)は参(まゐ)らせ給(たま)へりし折のやうにもあらず、かくたゞならずならせ給(たま)ひてのちは、うちにおはしましゝ折よりもこよなくほそらせ給(たま)へりしを、まいて此たびはその人と〔も〕見えさせ給(たま)はず、あさましうならせ給(たま)へり。いとざれおかしうおはせし人ともおぼえず、いみじうしめらせ給(たま)ひて、たゞあべいにもあらぬ嘆(なげ)きをのみせさせ給(たま)へば、うへも泣きみわらひみ、なみだにしづませ給(たま)へり。いみじう哀(あは)れにかなしき御ことゞもなり。
さて三日ありて出でさせ給(たま)ひなむとて、御(おほん)むかへの人々・御(おほん)くるまなどあれど、すべて許し聞(き)こえさせ給(たま)はで、「いま一夜<」ととゞめ奉(たてまつ)らせ給(たま)へるほどに、七八日になりぬれば、「御つゝしみもよそよそにてはいとうしろめだし」とて、大納言(だいなごん)いとまめやに奏し給(たま)へば、泣く<御いとま許させ給(たま)ひても、御輦車ひき出でてまかでさせたまふまで、出でゐさせ給(たま)へり。大納言(だいなごん)哀(あは)れにかたじけなふ思(おぼ)されで、わが御めいぼくもめでたくて、さまざま御(おほん)なみだも出でければ、ゆゝしくて忍(しの)びさせ給(たま)ふ。中(なか)<わりなく思(おぼ)されて、うへさへ例(れい)の
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やうにもおはしまさぬを、にようばうなどもいとおしう聞(き)こえさす。一条(いちでう)殿(どの)の女御(にようご)は、月(つき)頃(ごろ)はさてもありつる御(おん)心地(ここち)に、こたみいでさせ給(たま)ひてのちは、すべて御ぐしももたげさせ給(たま)はず、あさましうしづませ給(たま)ひて、たゞときを待つばかりの御有さまなり。大納言(だいなごん)泣く<万(よろづ)に惑(まど)はせ給(たま)へど、かひなくて、はらませ給(たま)ひて、八月といふにうせ給(たま)ひぬ。大納言(だいなごん)殿の御有様(ありさま)、かきつゞけずとも思(おも)ひやるべし。
うちにもたれこめておはしまして、御こゑも惜しませ給(たま)はず、いとさまあしきまでなかせ給(たま)ふ。御(おほん)めのとたちせいし聞(き)こえさすれど、聞(き)こし召しいれず。哀(あは)れにいみじ。一条(いちでう)どのには、さてのみやはとて、例(れい)の作法のことゞもしたゝめ聞(き)こえ給(たま)ふも、あさましう心(こころ)うし。「ゐて出で奉(たてまつ)る折などは、后(きさき)になし奉(たてまつ)りて、御輿にて出だし入れ奉(たてまつ)りて、見奉(たてまつ)らんとこそ思(おも)ひしが、かくやは」と伏しまろび泣かせ給(たま)ふ。うちにはさべき御心(こころ)よせの殿上人(てんじやうびと)・上達部(かんだちめ)のむつまじきかぎりは、皆かの御送りに出だし立てさせ給(たま)ふ。我がよそに聞くことのかなしさを、かへすがへす覚し惑(まど)はせ給(たま)ふ。夜一夜御とのごもらで思(おぼ)しやらせ給(たま)ふ。
大納言(だいなごん)どのは御(おほん)くるまのしりにあゆませ給(たま)ふも、たゞたふれ惑(まど)ひ給(たま)ふさまいみじ。はてはくもきりにてやませ給(たま)ひぬ。うちにもとにも、「あないみじ、かなし」とのみ思(おぼ)し惑(まど)ふほどに、はかなう月日も過ぎもて行きて、さべき御仏経の急(いそ)ぎにつけても御なみだひるまなし。うちにもこの御いみのほどは、絶(た)えていづれの御かたがたもつゆまうのぼらせ給(たま)はず。みや
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の女御(にようご)をばさやうになど聞(き)こえさせ給(たま)ふ折あれど、「御(おほん)心地(ここち)なやまし」などの給(たま)はせつゝ、のぼらせ給(たま)はず。
かく哀(あは)れ<などありしほどに、はかなくくはんわ二年にもなりぬ。世(よ)の中(なか)正月より心(こころ)のどかならず、あやしうものゝさとしなどしげうて、うちにも御(おほん)ものいみがちにておはします。又(また)いかなるころにかあらん、世(よ)の中(なか)の人いみじくだうしん起こして尼法師(ほふし)になりはてぬとのみ聞(き)こゆ。これを御門(みかど)聞(き)こし召して、はかなき世(よ)を覚し嘆(なげ)かせ給たま)ひて、「哀(あは)れこき殿いかにつみふかゝらん。かゝる人はいとつみ重くこそあなれ。いかでかのつみをほろぼさばや」と思(おぼ)しみだるゝことゞも御(おほん)心(こころ)のうちにあるべし。この御心(こころ)のあやしうたうとき折おほく心(こころ)のどかならぬ御けしきを太政(おほき)大臣(おとど)覚し嘆(なげ)き、御(おほん)をぢ〔の〕中納言(ちゆうなごん)も人知れずたゞむねつぶれてのみ思(おぼ)さるべし。説経をつねに花山(くわさん)の厳久あざりをめしつゝせさせ給(たま)ふ。
御(おほん)心(こころ)のうちのだうしんかぎりなくおはします。「妻子珍寶及王位」といふことを、御(おほん)くちのはにかけさせ給(たま)へるも、惟成(これしげ)の弁、いみじうらうたき物につかはせ給(たま)ふも、中納言(ちゆうなごん)もろともに、「この御(おほん)だうしんこそうしろめたけれ。しゆつけにうだうもみな例(れい)のことなれど、これはいかにぞやある御(おほん)心(こころ)ざまのおり<いでくるは、こと<ならじ、たゞれいぜんゐんの御ものゝけのせさせ給(たま)ふなるべし」など嘆(なげ)き申しわたるほどに、なをあやしう例(れい)ならずものゝすゞろはしげにのみおはしますは、中納言(ちゆうなごん)なども御とのゐがちにつかうまつり給(たま)ふほど
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に、くはんわ二年六月廿二日の夜にはかにうせさせ給(たま)ひぬとのゝしる。
内(うち)のそこらの殿上人(てんじやうびと)・上達部(かんだちめ)、あやしのゑじ・じちやうにいたるまで、残るところなく火をともして、到らぬくまなくもとめ奉(たてまつ)るに、ゆめにおはしまさず。太政(おほき)大臣(おとど)より始(はじ)め、しよきやう・殿上人(てんじやうびと)残らず参(まゐ)りあつまりて、つぼ<をさへ見奉(たてまつ)るに、いづこにか〔は〕おはしまさん。あさましういみじうて、一てんがこぞりて、夜のうちにをき<固めさはぎのゝしる。中納言(ちゆうなごん)は守宮神・かしこ所の御(おほん)まへにて伏しまろび給(たま)ひて、「我がたからのきみはいづこにあからめせさせ給(たま)へるぞや」と、伏しまろび泣き給(たま)ふ。
やま<てらでらに手をわかちてもとめ奉(たてまつ)るに、さらにおはしまさず。女御(にようご)たちなみだを流し給(たま)ふ。「あないみじ」と思(おも)ひ嘆(なげ)き給(たま)ふほどに、なつの夜もはかなく明けて、中納言(ちゆうなごん)や惟成(これしげ)の弁など花山(くわさん)にたづね参(まゐ)りにけり。そこに目もつづらかなるこぼうしにてついゐさせ給(たま)へるものか。「あなかなしやいみじや」とそこに伏しまろびて中納言(ちゆうなごん)も法師(ほふし)になり給(たま)ひぬ。惟成(これしげ)の弁(べん)もなり給(たま)ひぬ。あさましうゆゝしう哀(あは)れにかなしとは、これよりほかのことあべきにあらず。かの御ことぐさの「妻子珍寶及王位」も、かく思(おぼ)しとりたるなりけりと見えさせ給(たま)ふ。「さても法師(ほふし)にならせ給(たま)ふはいとよしや。いかで花山(くわさん)までみちを知(し)らせ給(たま)ひて、かちよりおはしましけん」と見奉(たてまつ)るに、あさましうかなしう哀(あは)れにゝしくなん見奉(たてまつ)りける。
かくて廿三日に東宮(とうぐう)位につかせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)
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にはれいぜんゐんの二の宮ゐさせ給(たま)ひぬ。御門(みかど)は御(おほん)年(とし)なゝつにならせ給(たま)ひ、東宮(とうぐう)は十一にぞおはし〔まし〕ける。東宮(とうぐう)もこの東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)の御孫にこそおはしませ。いみじうめでたきことかぎりなし。これ皆あべいことなり。
さても花山(くわさん)の院(ゐん)〔は〕三界(さんがい)の火宅(くわたく)を出でさせ給(たま)ひて、四衢道のなかの露地におはしましあゆませ給(たま)ひつらん御足のうらには千幅輪のもんおはしまして、御(おほん)足の跡には、いろ<の蓮(はちす)ひらけ、御くらゐじやうぼんじやうしやうにのぼらせ給(たま)はんは知らず、この世(よ)にはここのへのみやのうちのともしび消えて、頼(たの)みつかうまつるおとこをんなは暗き世(よ)に惑(まど)ひ、哀(あは)れに悲しくなん。さても中納言(ちゆうなごん)もそひ奉(たてまつ)り給(たま)はず、飯室といふところにやがて籠りゐ給(たま)ひぬ。惟成(これしげ)入道は、ひじりよりもげにめでたくをこなひてあり。花山(くわさん)の院(ゐん)は御受戒、このふゆとぞ思(おぼ)し召(め)しける。あさましきことゞもつぎ<の巻々にあるべし。



栄花物語詳解巻三


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栄花物語詳解 巻二
     和田英松・佐藤球 合著
S03〔栄花物語巻第三〕 さまざまのよろこび
\かくて御門(みかど)・東宮(とうぐう)たゝせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)、六月廿三日に摂政の宣旨かうぶら/せ\給(たま)ふ。准三宮/に/ぞ、内舎人随身二人、左右近衛兵衛などの御随身つかうまつる。右大臣(うだいじん)/に/は、御はらからの一条(いちでう)大納言(だいなごん)と聞(き)こえつる、なり給(たま)ひ/ぬ。七月五日、梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)后(きさき)にたゝせ給(たま)ふ。皇太后宮(くわうたいこうぐう)と聞(き)こえさす。家(いへ)の子(こ)の君達(きんだち)、后(きさき)のひとつ御はら/のは\三所ぞおはする。又(また)御くらゐどもあさけれど、上達部(かんだちめ)/に\なりもておはす。ひとつ御腹の太郎ぎみは、三位の中将(ちゆうじやう)にておはしつる、中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひ/て、やがて此の宮の大夫になり給(たま)ひ/ぬ。二郎ぎみは蔵人の頭にておはしつる、宰相(さいしやう)になり給(たま)ひ/ぬ。三郎ぎみ/は、四位少将(せうしやう)にておはしつる、三位中将(ちゆうじやう)になり給(たま)ひ/ぬ。閑院(かんゐん)の左大将(さだいしやう)は、東宮(とうぐう)大夫になし奉(たてまつ)り給(たま)へり。これにつけてもこと<”/ならず、かのちゝ大臣(おとど)の御心(こころ)ざまを思(おぼ)しいづるなるべし。「世の中にいふたとへのやうに思(おぼ)すにや」/と、あいなうこそはづかしけれ。殿(との)/の御むすめとなのり給(たま)ふ¥人ありけり。殿(との)/の御(おほん)-心地(ここち)にも、「さもや」/と思(おぼ)しける人参(まゐ)り給(たま)ひ/て、宮の宣旨になり給(たま)ひ/ぬ。東宮(とうぐう)
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/に/は、九条(くでう)-殿(どの)の御(おほん)-むすめといはれ給(たま)ふ、又(また)先帝の御時の御息所(みやすどころ)にて\ものし給(たま)ひ/しやがてひとつはらから/の、内侍(ないし)のすけたちになりて、藤内侍(ないし)のすけ、橘内侍(ないし)のすけなどいひ/て、やむごとなくてさぶらひ給(たま)ふ。ごん大納言(だいなごん)といひける人の御(おほん)-むすめなるべし。
東宮(とうぐう)は今年(ことし)十一にならせ給(たま)ひ/に/けれ/ば、この十月に御げんぶく/の\ことあるべきに、大殿(おほとの)/の御(おほん)-むすめ、たいの御かたといふ人の腹におはするをぞ、内侍(ないし)のかみになし奉(たてまつ)り給(たま)ひ/て、やがて御-そひぶし/に/と\覚しをきてさせ給(たま)ひ/て、その御調度ども、夜を昼に急(いそ)がせ給(たま)ふ。たいの御かた、いといろめかしう、世のたはれ人にいひ思(おも)はれ給(たま)へるに、この内侍(ないし)のかんの殿(との)/の御ゆかりに、たゞいまはいといみじうおぼえめでたけれ/ば、世の人、「さば、かうもありぬべきことにこそありけれ」/と\いひ思(おも)ひ/たり。そのおとうとの女君(をんなぎみ)は、この殿(との)/の中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)/の\御女とあれば、宮の御-ぐしげ-殿(どの)/に\なさせ給(たま)ひ/つ。たいの御かたはいとやむごとなき人ならねど、大貳なりける\人/の、むすめ/を\いみじうかしづきめでたうてあらせけるほどに、あまりすき<”しうなりて、いろごのみ/に\なりにけるとなん。この中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)、幸ふかう人にわづらはしとおぼえたる\人/の\くにぐにあまたおさめたりける。かの男子(をのこご)をんなごども\あまたありける、むすめのあるがなかに、いみじうかしづき思(おも)ひ/たりけるを、「男あはせん」/など思(おも)ひけれど、人の心(こころ)の知りがたうあやうかりけれ/ば、たゞ「みやづかへをせさせん」/と思(おも)ひなりて、先帝の御時に、おほやけみやづかへ
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/に\出だし立てたりけれ/ば、女なれど、まなゝどいとよく書き/けれ/ば、内侍(ないし)になさせ給(たま)ひ/て、高内侍(ないし)とぞいひける、この中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)、万(よろづ)にたはれ給(たま)ひ/ける中に、人よりことに志(こころざし)ありて\思(おぼ)されけれ/ば、これをやがてきたのかたにておはしけるほどに、女君(をんなぎみ)-達(たち)三四人、おとこぎみ三人出で来給(たま)ひ/に/けれ/ば、いとゞいみじきものにおぼしながら、なを御たはれはうせざりけれ/ば、この御-子ども/と\いはれ給(たま)ふ\君達(きんだち)あまたになり給(たま)へど、なをこのむかひばら/の/を\いみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へるうちに、はゝきたのかた/の\ざえ/などの、人よりことなりければにや、この殿(との)/のおとこ君たち/も〔女君(をんなぎみ)-達(たち)/も〕\みな、御年のほどよりはいとこよなうぞおはしける。中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)/の、御かたち/も\心(こころ)/も\いとなまめかしう御心(こころ)ざま\いとうるはしうおはす。この中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)の御ほかばら/の\太郎君をば、大千代ぎみ/と\聞(き)こゆるを、摂政-殿(どの)\とりはなち\わ/が\御-子/に\せ/させ給(たま)ひ/て、こ/の-頃(ごろ)中将(ちゆうじやう)など聞(き)こゆるに、むかひばらのあにぎみ/を\こちよぎみとつけ奉(たてまつ)り給(たま)へり。摂政殿の二郎ぎみ\宰相(さいしやう)-殿(どの)は、御かほいろあしう、毛ぶかく、ことのほかに見にくゝおはするに、御心(こころ)ざまいみじうらう<じう\をゝしう、けおそろしきまでわづらはしう\さがなうおはして、中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)をつねにをしへ聞(き)こえ給(たま)ふ\御心(こころ)ざまなる。きたのかたには、くなひきやうなりける\人/の、むすめおほかりける/を/ぞ、ひとりものし給(たま)ひ/ける。くなひきやうは、九条(くでう)-殿(どの)/の御子にておはしける。ことにたはれ給(たま)ふ¥ことなく、万(よろづ)をおぼしもどきたり。
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\きさいのみやの藤内侍(ないし)のすけの腹にぞ、御女一人おはすれど、なにとも思(おぼ)さず。きたのかたの御腹/に、男君たち\あまたおはするに、女君(んなぎみ)のおはせ/ぬ/を\いと口惜しきことにおぼすべし。五郎ぎみ三位中将(ちゆうじやう)にて、御かたちより始(はじ)め、御心(こころ)ざまなど、あに君-たち/を\いかに見奉(たてまつ)りおぼすにかあらん、引きたがへ、さまざまいみじうらう<じう\をゝしう、道心/も\おはし、わ/が\御方に心(こころ)よせある\人/など/を\心(こころ)ことに覚しかへりみ\はぐくませ給(たま)へり。御心(こころ)ざますべてなべてならず、あべきかぎりの御心(こころ)ざまなり。きさいのみや/も、とりわき思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひ/て、わ/が\御(み)-子(こ)と聞(き)こえ給(たま)ひ/て、心(こころ)ことに何事(なにごと)も思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。たゞいま御(おほん)-年\廿/ばかりにおはするに、たはぶれにあだ<しき御心(こころ)なし。それは御心(こころ)のまめやかなるにもあらねど、「人にうらみ/られ/じ、女/に\つらしと思(おも)はせぬやうに、心(こころ)ぐるしかべい\ことこそなけれ」/とおぼし/て、おぼろ-げ/に\おぼす\人/に/ぞ、いみじう忍(しの)び/て\ものなどもの給(たま)ひ/ける。かうやむごとなき御心(こころ)ざまを、をのづからよにもり聞(き)こえて、われも<とけしきだち聞(き)こゆるところ<”\あれ/ど、「今しばし、思(おも)ふ心(こころ)あり」/とて、さらにきゝ入れ給(たま)はねば、大との/も、「あやしう、いかに思(おも)ふにか」/とぞ覚しの給(たま)ひ/ける。
大との/は、ゐんの女御(にようご)/の\御(おほん)-男御子たち三ところを、みな御ふところにふせ奉(たてまつ)り給(たま)へるを、二宮は東宮(とうぐう)/にゐさせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、今は三四の宮/を、いみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるに、ある/が
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\なか/に/も\東宮(とうぐう)と四の宮/と/ぞ、たぐひなきものに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へるも、来年ばかり御元服はとおぼしめす。かくて十月になりぬれ/ば、御禊・大嘗会(だいじやうゑ)とて、世ののしりたり。御門(みかど)なゝつにおはしませば、御こしにはみやもろともに奉(たてまつ)るべけれ/ば、宮の御(おほん)-方の女ばうなど、さまざまいみじう世のゝしりたり。女御代(にようごだい)の御ことなど、すべて\世/の\いみじき大事なり。かくて御禊になりぬれ/ば、東三条(とうさんでう)のきたおもてのついひぢくづして、御(おほん)-さじき\せ/させ給(たま)ひ/て、宮たちも御覧(ご-らん)ず。そのほどのぎしき有様(ありさま)、え/も-いは/ずめでたきに、ひとつ御こしにて宮おはします。宮の女ばうがたのくるま廿、又(また)内(うち)の女ばうのくるま十、女御代(にようごだい)の御くるまなど、そへてえ/も-いは/ぬことゞもは、まねびつくすべくもあらず。つね/の\ことなればをしはかるべし。ことゞもはつるほどに、摂政(せつしやう)-殿(どの)おはします。御随身ども、いはんかたなく\つきづきしきさまにてうち出でたるに、又(また)御前の人々など、やむごとなく\きらゝかなるかぎりをえらせ給(たま)へり。「あなめでた」/と見えさせ給(たま)ふ/に、東三条(とうさんでう)の御さじき/の\御簾/の\かたはしをしあけさせ給(たま)ひ/て、四の宮いろ<の御ぞもに、こき御ぞなどのうへ/に、をりもの〔/の〕御なをしを奉(たてまつ)りて、御簾のかたそばよりさしいでさせ給(たま)ひ/て、「や、大臣(おとど)こそ」/と申させ給(たま)へ/ば、摂政(せつしやう)-殿(どの)あな、まさなど申さ/せ\給(たま)ひ/て、いと美(うつく)しう見奉(たてまつ)らせたまひ/て、うちゑませ給(たま)へるほど、すずろ/に見奉(たてまつ)る人いとゑましう思(おも)ひ奉(たてまつ)るべし。
さてその日も暮れぬれ/ば、大嘗会(だいじやうゑ)/の
P1108
\御急(いそ)ぎぞあるべき。東宮(とうぐう)の御元服十月とありつれど、かやうにさしあひたる御急(いそ)ぎどもにて、十二月ばかりにとおぼしめしたり。はかなう十一月(じふいちぐわつ)にもなりぬれ/ば、大嘗会(だいじやうゑ)/の\ことども急(いそ)ぎたちて、いと世〔/の〕中心(こころ)あはただしう、とばりあげ、なにくれの作法/の\ことゞも\いとさはがしう、おどろ<しうて、五節(ごせつ)/も、今年いまめかしさまさるべし。
かやうにて過ぎもていきて、十二月のついたち頃(ごろ)に、東宮(とうぐう)御元服あり/て、やがて内侍(ないし)のかみ参(まゐ)り給(たま)ふ。麗景殿(れいけいでん)にすませ給(たま)ふ。宮いと若(わか)うおはします。かんの殿は十五ばかりにぞなり給(たま)ふ。大殿(おほとの)/の御(おほん)-むすめ/に\おはしませば、「やがて御てぐるま、女御(にようご)や」/など、あべきかぎり\いともの<しう覚しかしづき奉(たてまつ)り給(たま)ふ/も、たいの御方のさいはいめでたく見えたり。まこと、九条(くでう)-殿(どの)/の十一郎君、宮をぎみ/と\聞(き)こえし人、この頃(ごろ)中納言(ちゆうなごん)にて\東宮(とうぐう)の権大夫にておはす。
はかなく年もかへりぬ。きさいのみや、東三条(とうさんでう)/の-院(ゐん)におはしませ/ば、正月二日行幸(ぎやうがう)あり。いといみじうめでたうて、みやづかさ・殿(との)/の家司など、加階しよろこびしのゝしる。つごもりになりぬれ/ば、つかさめし/に、中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)は大納言(だいなごん)になり給(たま)ひ/ぬ。宰相(さいしやう)-殿(どの)は中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひ/ぬ。ことしは年号かはりて永延元年といふ。二月は例の神わざ-ども\しきり/て、所々のつかひたち、なにくれなどいふほど/に\すぎ/ぬ。三月はいはし水の行幸(ぎやうがう)あるべけれ/ば、いみじう急(いそ)がせ給(たま)ふ。行事、こ/の\ごん中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)せさせ給(たま)ふ。御くらゐまさら
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/せ\給(たま)ふ/べきにやとみえたり。宮例のひとつ御輿にておはしませば、御(おほん)-有様(ありさま)、いとところせきまでよそほし。
かゝる-ほど/に、三位中将(ちゆうじやう)-殿(どの)、土御門(みかど)の源氏の左大臣(さだいじん)-殿(どの)/の\御(おほん)-むすめ\ふた所、むかひばらにいみじくかしづき奉(たてまつ)り/て、きさきがねとおぼし聞(き)こえ給(たま)ふ/を、いかなるたよりにか、この三位どの、このひめ君をいかでと心(こころ)ふかうおもひ聞(き)こえ給(たま)ひ/て、気色(けしき)だち聞(き)こえ給(たま)ひ/けり。されど大臣(おと)\「あな物ぐるをし。ことのほか/や。誰かたゞいまさやうにくちはきゝばみ/たるぬしたち\出だし-入れては見んとする」/とて、ゆめに聞(き)こし召(め)しいれぬを、はゝうへ例の女に\似給(たま)は/ず、いと心(こころ)かしこくかど<しくおはして、「など/て/か、たゞこの君を聟にて見ざらん。ときどき物見などに出でゝ見るに、この君たゞならず見ゆる君なり。たゞわれにまかせ給(たま)へれかし。こ/の\ことあしうやありける」/と聞(き)こえ給(たま)へ/ど、殿、すべて「あ/べい\ことにもあらず」/とおぼい/たり。
この大臣(おとど)/は\はら<”/に\男君達(きんだち)いとあまたさまざまにておはしけり。女君(をんなぎみ)-達(たち)もおはすべし。この御腹/に/は、女君(をんなぎみ)二ところ・男三人なむおはしける。弁や少将(せうしやう)などにておはせ/し、法師(ほふし)になり給(たま)ひ/に/けり。又(また)おはする/も、世の中をいとはかなきものにおぼして、ともすればあくがれ給(たま)ふ/を、いとうしろめたきことに思(おぼ)されけり。
かくてこのはゝうへ、此の\三位殿(どの)/の御こと/を\心(こころ)づき/に\おぼし/て、たゞ急(いそ)ぎに急(いそ)がせ給(たま)ふ/を、殿は心(こころ)にゆか/ず\おぼい/たれど、たゞいま
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\御門(みかど)いと若(わか)うおはします、東宮(とうぐう)も又(また)さやうにおはしませ/ば、内、春宮(とうぐう)/と\おぼし-かくべきにもあらず。又(また)さ/べい\人/など/の、物物しうおぼすさまなる/も\たゞいまおはせ/ず。閑院(かんゐん)の大将(だいしやう)などこそは、きたのかた年老い給(たま)ひ/て、ありなしにて聞(き)こえなどすめれど、かのびはのきたのかたなどのわづらはしくて、このはゝきたのかたきこしめし入れず。たゞこの三位どのを急ぎたち給(たま)ひ/て、聟どり\給(たま)ひ/つ。そのほどの有様(ありさま)、いとわざとがましくやむごとなくもてなし聞(き)こえ給(たま)へれば、摂政(せつしやう)-殿(どの)、「くらゐなどまだ\いと浅き/に、かたはらいたきこと。いかにせん」/とおぼしたり。いとかひあるさまに通(かよ)ひありき給(たま)ひける\ほどなく、さきやうのかみになり給(たま)ひ/ぬ。いとわか<しからぬつかさなれど、「われもさてありしつかさなり」/などの給(たま)はせて、大殿(おほとの)のなし奉(たてまつ)らせ給(たま)へるなりけり。今二所のとのばらの御北の方たち、ことなることなうおもひ聞(き)こえたるに、「この殿/は、いとゞ物清くきらゝかにせさせ給(たま)へり」/と、世の人も殿の人も何事(なにごと)につけても心(こころ)ことにおもひ聞(き)こえたり。
かの花山(くわさん)/の-院(ゐん)は、こぞの冬、山にて御受戒せさせ給(たま)ひ/て、そのゝち熊野に参(まゐ)らせ給(たま)ひ/て、まだ\かへらせたまはざんなり。「いかでかゝる御ありき/を\しならはせ給(たま)ひ/けん」/と、あさましう\哀(あは)れ/にかたじけなかりける御すくせと見えたり。御をぢの入道(にふだう)中納言(ちゆうなごん)/は\たぐひ聞(き)こえ給(たま)は/ず、われは飯室といふ所に住み給(たま)ひ/て、いみじく世の中あらまほしう、出家の本意はかくこそ/と
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\見えて給(たま)へり。この三月/に、御房のまへのむめ/の、いとおもしろうさかりなりけれ/ば、ひとりごち給(たま)へりける、ひさしくありて、世にをのづからもり聞(き)こえたり/し、
@見し人もわすれのみゆくやまざとに心(こころ)ながくもきたる春かな W009。
\惟成(これしげ)/の-弁もいみじうひじりにて、「たゞいまのほとけかな」/と見え聞(き)こえてをこなひけり。
大殿(おほとの)の大納言(だいなごん)-殿(どの)/のおほひめぎみ、こひめぎみいみじくかしづきたてゝ、内、春宮(とうぐう)にとおぼし志(こころざし)たり。この大ちよぎみは、くに<”あまたしりたる人の、山の井といふ所に住む/が、むすめおほかるが、聟になり給(たま)ひ/ぬ。三・四/の-宮をばさらにも聞(き)こえさせ給(たま)はず、大殿(おほとの)、この君をいみじくおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。大納言(だいなごん)-殿(どの)これをばよそ人のやうにおぼして、こちよぎみ/を\「いかで<これとくなしあげん」/とぞおぼしためる。
かの土御門(みかど)-殿(どの)/に/は、少将(せうしやう)にておはしける\君、こ/の-頃(ごろ)又(また)出家し給(たま)へれば、殿、「いとあやしうあさましき事なり。この男(をのこ)どもの、このひめぎみの御うしろみどもをつかうまつらで、かくのみ皆なりはてぬる」/とおぼし嘆(なげ)きて、たづねとり給(たま)ひ/て、「かへり給(たま)へ<」/とせめ聞(き)こえ給(たま)へるも、いとわりなきことなりや。ほかばらの男君たち、なか</にいとさまざまになりはてゝおはしけり。かくてこの殿/に/は、さきやうのかんの殿(との)/のうへ、なやましげにおぼい/たるうちにも例せさせ給(たま)ふ¥ことなどもなかりけれ/ば、大殿(おほとの)も三位どの/も\いみじううれしくおぼされて、御いのりどもさるべういみじく
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\せ/させ給(たま)ふ。きたのかた・大うへ、御心(こころ)のいたるかぎり/の\ことどものこるなうせさせ給(たま)ふ。いとゞ物のはへある御(おほん)-さまなり。
ゐんはいみじうめでたく/ておはします。れいぜんゐんこそ、あさましうおはします\よひなき御有様(ありさま)なれば、このゐんは、いみじうおほくの人靡きてつかうまつれり。かくて永延二年になりぬれ/ば、正月三日ゐんに行幸(ぎやうがう)ありて、宮もおはしませ/ば、いとゞしうものゝぎしき有様(ありさま)まさり/て\心(こころ)ことにめでたし。御門(みかど)の御有様(ありさま)、いみじう美(うつく)しげにおはしますを、ゐんいとかひあり、え/も-いは/ず見奉(たてまつ)ら/せ\給(たま)ふ。御笛をぞ御心(こころ)に入れさせ給(たま)へれば、吹かせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、いみじうもてけうぜさせ給(たま)ふ。ゐんの御方/に/は、御門(みかど)の御をくり物/や\宮の御(おほん)-をくりものやなど、さまざまにせさせ給(たま)へり。上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)の御禄など、すべて目もあやにおもしろくせさせ給(たま)へり。御(おほん)-めのとの内侍(ないし)のすけたちや、なべての命婦、蔵人、宮の御方の女ばう、すべてしものかずにもあらぬ衛士・仕丁まで皆、しなじな/に物給(たま)はせたり。又(また)院司・上達部(かんだちめ)や、さべき人々よろこびせさせ給(たま)へり。
かやうにこそあらまほしけれと見えさせ給(たま)ふ/に/も、れいぜんゐんの御有様(ありさま)を、まづ聞(き)こえさせけり。さておはしますにだに、その御かげにかくれつかうまつりたる\男女/は、たゞ、「くはんをんの衆生化度のため/に\あらはれさせ給(たま)へ/る」/と/ぞ\ましおもひたる。はかなく奉(たてまつ)りたる\御ぞや御ふすまなど/は、奉(たてまつ)るまゝに、やがてわれ/も<とおろし
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\まどひあひて、冬などもいとさむげにておはします/も\いとかたじけなし。この三・四の宮など、たまさかにも参(まゐ)らせ給(たま)ふ折は、いみじうぞめづらかに美(うつく)しみ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。されど御ものゝけのいとおそろしけれ/ば、たはやすくも参(まゐ)らせ奉(たてまつ)らせ給(たま)は/ず。このゐんはかくこそおはしませ/ど、さべき御領の所々、いみじう御(おほん)-宝物おほくさぶらひけれ/ば、たゞこの東宮(とうぐう)やこのみや<にぞ皆得させ給(たま)へりける。
かゝる-ほど/に、このさきやうの大夫-殿(どの)/の\御うへ、けしきだち/て\なやましうおぼしたれば、御読経・御修法の僧ども/を/ば\さるものにて、しるしありと見え聞(き)こえたる僧侶たち\召し集めのゝしる。大とのよりも宮よりも、「いかに<」/とある御せうそこひまなふつゞきたり。さていみじうのゝしりつれど、いとたいらかに殊にいたうも悩ませ給(たま)はで、めでたき女ぎみむまれ給(たま)ひ/ぬ。此の御一家/に/は、始(はじ)めてをんなむまれ\給(たま)ふ/を\かならずきさきがねといみじきことにおぼしたれば、大とのよりも御よろこびたびたび聞(き)こえさせ給(たま)ふ。よろづいとかひある御(おほん)-ならひなり。七日/が\ほどの御(おほん)-有様(ありさま)、書きつゞくるも中</なれ/ば\え/も\まねばず。三日の夜は本家、五日の夜は摂政(せつしやう)-殿(どの)より、七日の夜はきさいの宮よりと、さまざまいみじき御(おほん)-うぶやしなひなり。
いとゞ三位どのはおぼしわくるかたなう、みつもるまじ-げ/にてすぐさせ給(たま)ふ\ほど/に、故村上の先帝の御はらからの十五の宮のひめぎみ、いみじうかしづき給(たま)へるは、源師と聞(き)こえ/し/が\御おとひめぎみをとり
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/て\やしなひ奉(たてまつ)り給(たま)ひ/しなりけり。そのひめぎみをきさいの宮にむかへ奉(たてまつ)り給(たま)ひ/て、宮の御(おほん)-方とて、いみじうやむごとなくもてなし聞(き)こえ給(たま)ふ/を、いづれのとのばら/も\いかで<とおもひ聞(き)こえ給(たま)へ/る\中/に/も、大納言(だいなごん)-殿(どの)/は、例の御心(こころ)の色めきはむつかしきまでおもひ聞(き)こえ給(たま)へれど、宮の御前、さらに<あるまじきことにせいし申させ給(たま)ひ/けるを、このさきやうの大夫どの、その御つぼねの人によくかたらひつき給(たま)ひ/て、さるべきにやおはしけん、むつまじうなり給(たま)ひ/に/けれ/ば、宮/も、「この君はたやすく人に物などいはぬ人なればあら/ん」/と、ゆるし聞(き)こえ給(たま)ひ/て、さべきさまにもてなさせ給(たま)へ/ば、わ/が\御志(こころざし)もおもひ聞(き)こえ給(たま)ふうち、宮の御心(こころ)もちゐもはゞかりおぼされて、をろかならずおぼされつゝありわたり給(たま)ふ。土御門(みかど)の姫君/は、たゞならましよりはとおぼせ/ど、おほかたの御心(こころ)ばえありざまいと心(こころ)のどか/に、おほどか/に\物わかうて、わざと何かとおぼされずなん。
摂政(せつしやう)-殿(どの)は今年六十にならせ給(たま)へ/ば、この春御賀あるべき御用意どもおぼしめしつれど、ことゞもえしあへさせ給(たま)はで、十月にと定めさせ給(たま)へり。はかなう月日も過ぎもていきて、東三条(とうさんでう)/の-院(ゐん)にて御賀あり。御(おほん)-びやうぶの歌ども、いとさまざまにあめれ/ど、物さはがしうて書きとゞめずなりにけり。家(いへ)の子(こ)の君達(きみたち)、皆まひ人にて\いみじう〔めでたし〕。御門(みかど)も行幸(ぎやうがう)せさせ給(たま)ひ、春宮(とうぐう)もおはしまし/て、殿(との)/の家司ども皆よろこびしたる中にも、有国・惟仲/を\大とのいみじき
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\ものにおぼしめしたり。有国は左中弁、惟仲/は\右中弁にて世のおぼえ・才/など/も、人/よりことなる人<にて、をの<このたびも加階していみじうめでたし。
かやうにてこの月もたちぬれ/ば、五節(ごせつ)などを、殿上人(てんじやうびと)はいつしかと心(こころ)もとなく思(おも)ふほど/に、御-即位の年はさるやむごとなき事にて、今年は五節(ごせつ)のみこそは有様(ありさま)けざやか/に\おまへにも御覧(ご-らん)じ、人/も\おもひためるに、四条(しでう)の宮の御五節(ごせつ)、又(また)\左大臣(さだいじん)-殿(どの)のさひやうへのかう時中の君、さては受領ども奉(たてまつ)る。御前の試(こころ)みの〔御覧(ご-らん)の〕夜などは、うへ若うおはしませど、きさいのみやおはしませ/ば、そのふたまの御簾のうちのけはひ、人のしげさなど、せう<のまひびめなど/の、すこしものゝ心(こころ)しりたらんは、やがてたうれぬべうはづかしうて、おもて赤むらんかしと見えたり。なを宮の御五節(ごせつ)はいと心(こころ)ことなり。と/や\かうやととり<”に女ばういひさはぎて、又(また)の日の御覧(ご-らん)/に、わらは・しもづかへなどの様も、いづれも<誰かはかならずしも\人/に\おとらんと思(おも)ふ/が\あらむ、心(こころ)<”おかしうすてがたうおぼしめし定めさせ給(たま)ふ。
五節(ごせつ)もはてぬれ/ば、臨時の祭り、廿日あまりにせさせ給(たま)ふ。試楽もおかしくて過ぎにしを、祭りの日のかへりあそび御前にてある/に、摂政(せつしやう)-殿(どの)を始(はじ)め奉(たてまつ)り/て、さべきとのばら・殿上人(てんじやうびと)\のこるなうさぶらひ\給(たま)ふ。このまひ人の中に、六ゐ二人ある/に、蔵人のさへもんのぜう\うへの判官といふ源兼澄、まひ人にてかはらけとりたるに、摂政(せつしやう)-殿(どの)御覧(ご-らん)じて、「まづいはひの和歌ひとつつかうまつるべし」/と
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\おほせらるゝまゝに、「よひのまに」/と打ち上げ申し/たれば、「けうあり<、おそし<」/ととのばらの給(たま)はするに、「君をし祈り置きつれば」/とそへ申(ま)したり。大とのいみじうけうぜさせ給(たま)ひ/て、「おそし<」/とおほせらるれば、「まだ夜ぶかくもおもほゆるかな」/と申し/たれば、いみじうけうじ誉めさせ給(たま)ひ/て、摂政(せつしやう)-殿(どの)、あこめの御ぞぬぎてたまはす。
世の中は五節(ごせつ)、臨時の祭りだに過ぎぬれ/ば、残りの月日ある心地(ここち)やはする。しはすの十九日になりぬれ/ば、御仏名とて、ぢごくゑの御(おほん)-びやうぶなどとうで/ゝ\しつらふ/も、目\とゞまり哀(あは)れ/なるに、折しも雪いみじうふりけれ/ば、「をくりむかふ」/といひ置きたる/も\げ/に/と\おぼえたるに、殿上人(てんじやうびと)のぼだひごゑ/も\あやにくなるまで聞(き)こえたり。つぎつぎの宮などのものゝしる。つごもりになりぬれ/ば、追儺とのゝしる。うへいと若うおはしませ/ば、ふりつゞみなどして参(まゐ)らするに、君達(きんだち)/も\おかしう思(おも)ふ。
かくて年号(ねんがう)かはり/て、永祚元年といひて、正月にはゐんに行幸(ぎやうがう)あり。ゐんも入道(にふだう)せさせ給(たま)ひ/にしか/ば、円融(ゑんゆう)/の-院(ゐん)にすませ給(たま)へ/ば、そのゐんに行幸(ぎやうがう)あり。例の作法/の\ことゞもにて、院つかさなど、よろこびさまざまにて過ぎもてゆく。かくて大との、十五の宮の住ませ給(たま)ひ/し二条(にでう)/の-院(ゐん)/を\いみじう造らせ給(たま)ひ/て、もとより世におもしろきところを、御心(こころ)/のゆくかぎり造りみがゝせ給(たま)へ/ば、いとゞしう目もをよばぬまでめでたきを御覧(ご-らん)ずるまゝに、御心(こころ)もいとゞいみじうおぼされて、夜を昼に急(いそ)がせ給(たま)ふ。明年/の正月
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/に\大嘗会(だいじやうゑ)あるべうおぼしの給(たま)は/せ/て、急(いそ)がせ給(たま)ふ/なりけり。
九条(くでう)-殿(どの)/の御(おほん)-男君たち\十一人、をんな君たち六所おはしましける\御(おん)-中(なか)/に、きさいの宮、御すゑいまゝで御門(みかど)にておはしますめり。内侍(ないし)のかみ・六の女御(にようご)など聞(き)こえし、御なごりも見え聞(き)こえ給(たま)はぬに、男君たちは太郎一条(いちでう)の摂政と聞(き)こえし、其の御のち殊にはか<”しう/も\見え聞(き)こえ給(たま)はず。花山(くわさん)/の-院(ゐん)もかの御孫におはしますぞかし。それかくておはしますめり。男君達(きんだち)入道中納言(ちゆうなごん)こそは、かくておはしましつるも、あさましうこそ。女ぎみ/も、九の君までおはせし、その御方のみこそは残り給(たま)ふ/めれ。堀河(ほりかは)の左大将(さだいしやう)、たゞいまは昔も今もいとなをやむごとなき御有様(ありさま)なり。ひろはたの中納言(ちゆうなごん)は、ことなる御おぼえも見え給(たま)はず。こと君(きみ)達(たち)、まだいと御くらゐも浅うおはすめり。このたゞいまの大との/は、三郎にこそはおはしましける/に、たゞいまはこの殿(との)こそ\今ゆくすゑはるか-げ/なる御有様(ありさま)に、たのもしう見えさせ給(たま)ふ/めれ。一条(いちでう)の右大臣(うだいじん)-殿(どの)は、九郎にぞおはしける。かくいみじき御(おん)-中(なか)にも、なをすぐれ給(たま)へるは、ことなるわざになん。かやうにこそはおはしまさふめるに、たゞいま〔御(お)-〕くらゐもあるが中/に\いとあさく、御年など/も\よろづの御をとうとにおはすれど、いかなるふしをか見奉(たてまつ)るらん、世の人、この三位どのをやむごとなきもの/に/ぞ、同じ家(いへ)の子(こ)の御(おほん)-中(なか)/に/も\人ごとに申(ま)しおもひたる。
かくてはかなく明(あ)け暮(く)れ/て、六月になりぬれ/ば、暑さを嘆(なげ)くほど/に、三条(さんでう)の太政(おほき)-大臣(おとど)
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\いみじう悩ませ給(たま)ひ/て、廿六日うせ給(たま)ひ/ぬ。この殿/は、故小野宮の大臣(おとど)の二郎よりたゞと聞(き)こえつる大臣(おとど)なり。うせ給(たま)ひ/ぬる/を、「あないみじ」/と、きゝおもひおぼせ/ど\かひなし。中宮(ちゆうぐう)・女御(にようご)〔-殿(どの)〕・ごん中納言(ちゆうなごん)やなど、さまざまいみじうおぼし嘆(なげ)くべし。のちの御諱(いみな)廉義公ときこゆ。哀(あは)れ/なる世なれど、さはいかゞ/は/と/ぞ。はかなう御(おほん)-いみも果てゝ、御法事などいみじうせさせ給(たま)ふ。
七月つごもりには相撲(すまひ)にてをのづから過ぐるを、今年はあるまじきなどぞあめる。さて臨時に除目ありて、摂政(せつしやう)-殿(どの)\太政(だいじやう)-大臣(だいじん)にならせ給(たま)ひ/ぬ。殿(との)/の大納言(だいなごん)-殿(どの)\内大臣(ないだいじん)にならせ給(たま)ひ/ぬ。中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)は大納言(だいなごん)になり給(たま)ひ、三位どのは中納言(ちゆうなごん)にて\右衛門(うゑもん)/の-督(かみ)かけ給(たま)ひ/つ。こちよぎみは、六条(ろくでう)の中づかさの宮と聞(き)こゆるは、村上の先帝の御七の宮におはしましけり、御はゝ麗景殿(れいけいでん)の女御(にようご)の御腹なり。其の女御(にようご)のせうと、\源中納言(ちゆうなごん)しげみつと聞(き)こゆる/が\御聟になり給(たま)ひ/ぬ。御めまうけのほど、あにぎみにこよなうまさり給(たま)ひ/ぬめり。をのゝみやのさねすけの君は宰相(さいしやう)になりて、なを人に心(こころ)にくきものに思(おも)はれ給(たま)へるに、やもめにおはすれば、さべきむすめも給(たま)へるとのばらなど、けしきだち聞(き)こえ給(たま)へ/ど、おぼす心(こころ)あるべし。「いかなることならん」/などゆかしげなり。
かくて三・四の宮の御元服一度にせさせ給(たま)ふ。さて三の宮/を/ば\だんじやうの宮と聞(き)こえさす。四の宮/を/ば\師宮と聞(き)こえさす。しきぶきやう・中づかさきやう・兵部卿(ひやうぶ-きやう)などにては、村上の先帝の御子達の皆おはしませば、かくなし奉(たてまつ)らせ給(たま)へ
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/る/なり/けり。まこと/や、こ/の-頃(ごろ)の斎宮/にて/は、しきぶきやうの宮/の\女御(にようご)の御をとうとの中の宮ぞおはします。御門(みかど)はかはらせ給(たま)へど、さいゐんには同じ村上の十の宮におはします。
かやうにはかなく過ぎもていく。はかなう年暮れて、今年/を/ば\正暦元年といふ。正月五日、内の御元服せさせ給(たま)ふ。さしつゞき世の中急ぎたちたるに、摂政殿、二条(にでう)/の-院(ゐん)にて大饗せさせ給(たま)ふ。作り立てさせ給(たま)へる有様(ありさま)、え/-いは/ずおもしろうめでたけれ/ば、ほいあり、嬉しげにおぼし興ぜさせ給(たま)ふ。一条(いちでう)の右の大臣(おとど)、尊者には参り給(たま)へり。目もはるかにおもしろきゐんの有様(ありさま)/に/ぞ。え/も-いは/ぬひんがしの対(たい)/に/は\内のおほい-殿(どの)\すませ給(たま)へ/ば、やがてひめぎみたちなど\もの御覧(ご-らん)ずれば、こととのばらも御覧(ご-らん)ずべう申させ給(たま)へ/ど、聞(き)こし召し入れず。みや<いと美(うつく)しきこ男どもにておはします。
二月には、内大臣(ないだいじん)-殿(どの)/のおほひめ君\内/へ\参(まゐ)らせ給(たま)ふ\有様(ありさま)、いみじうのゝしらせ給(たま)へり。殿(との)/の有様(ありさま)、きたのかたなどみやづかへ/に\ならひ給(たま)へれば、いたう奥ぶかなることをばいとわろきものに覚して、今めかしうけぢかき御有様(ありさま)なり。ひめぎみ十六ばかりにおはします。やがてその夜のうちに女御(にようご)にならせ給(たま)ひ/ぬ。今は又、こひめぎみのいはけなき御有様(ありさま)/を\心(こころ)もとなうおぼさる。かやう/の\ことにつけても、大納言(だいなごん)-殿(どの)はいとうらやましう\女君(をんなぎみ)のおはせぬことをおぼさるべし。あはたといふところ/に\いみじうおかしき殿をえ/も-いは/ずしたてゝ、そこに通(かよ)は
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/せ\給(たま)ひ/て、御障子のゑ/に/は\名ある所々をかゝせ給(たま)ひ/て、さべき人<に歌よませ給(たま)ふ。世の中のゑ物語は書きあつめさせ給(たま)ふ。女ばう数も知らずあつめ/させ給(たま)ひ/て、ただ\あらましごとをのみいそぎ覚したるも、おかしく見奉(たてまつ)る。
此の男君達(きんだち)の御(おん)-中(なか)のこのかみにおはせし君/を/ば\ふくたりぎみと聞(き)こえし、をとゝしの八月にわづらひて\はかなう失せ給(たま)ひ/に/しか/ば、口惜しき事におぼすべし。いみじうさが-なく/て、世の人にやすくもいひおもはれ給(たま)はざりしか/ば/に/や/と/ぞ、\人/も\聞(き)こえける。内大臣(ないだいじん)殿のむかひばらの三郎君は、たゞいま四位少将(せうしやう)などにておはす。それ/も、ふくたり君などの御やう/に\いとさがなうおはすれど、これはさすがにぞ見え給(たま)ふ、四郎ぎみはまだ小さくおはすれど。法師(ほふし)になし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、小松のそうづといふ人につけ奉(たてまつ)り給(たま)ひ/てなん。はら<”の御君たち、おほちよぎみよりほかに、まだ\ともかくもしたて<まつり給(たま)は/ず。
大とのとしごろやもめにておはしませば、御(おほん)-めしうど/の\内侍(ないし)のすけのおぼえ、年月/に\そへ/て\たゞ権のきたのかたにて、世の中の人みやうぶ-し、さてつかさめしの折/は\たゞ此の局(つぼね)にあつまる。院の女御(にようご)の御(おほん)-方/に\大輔といひし人なり。世の御始(はじ)めごろ、かうてひとゝころおはします\あしきことなりとて、村上の先帝の御女三の宮は、あぜちの御息所(みやすどころ)と聞(き)こえし御腹/に\男三宮・女三宮むまれ給(たま)へ/り/し、その女三宮を、この摂政(せつしやう)-殿(どの)心(こころ)にくゝ\めでたき物におもひ聞(き)こえさせ給(たま)ひ/て、(かよ)ひ聞(き)こえ〔/させ〕給(たま)ひ/しか/ど、すべて殊のほかにて
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\絶(た)え奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/にしか/ば、その宮もこれ/をはづかしきことにおぼし嘆きて失せ給(たま)ひ/に/けり。それもこの内侍(ないし)のすけのさいはひ/の\いみじうありけるなるべし。また円融(ゑんゆう)/の-院(ゐん)/の\御時、中将(ちゆうじやう)の御息所(みやすどころ)などありしか/ば、もとかたのみんぶきやうの孫の君なり。参りたりしかど、おほかた、この内侍(ないし)のすけよりほかには人ありとも、おぼい/たらぬとしごろの御(おほん)-有様(ありさま)なり。三・四の宮の御めのとゞも/も、さる/は\おとらぬさまのかたちなれど、たはぶれに物をだにの給(たま)はせずなんありける。
かゝる-ほど/に、大殿(おほとの)/の御(おほん)-心地(ここち)なやましうおぼしたれば、よろづにおそろしき事におぼしめして、とのばらも宮/も\し-残させ給(たま)ふ¥ことなし。この二条(にでう)/の-院(ゐん)ものゝけ\もとよりいとおそろしうて、これ/が\けさへおそろしう申す/は、さまざまの御(おほん)-ものゝけの中に、かの女三宮の入りまじらはせ給(たま)ふ/も、いみじう哀(あは)れ/なり。「なをところかへさせ給(たま)へ」/と、とのばら申させ給(たま)へど、この二条(にでう)/の-院(ゐん)をなをめでたきものにおぼしめし/て、聞(き)こし召し入れ/させ給(たま)はぬほどに、御なやみいとゞおどろ<しけれ/ば、東三条(とうさんでう)院に渡らせ給(たま)ひ/ぬ。みや<の御まへもいみじうなげかせ給(たま)ふ、摂政(せつしやう)も辞せさせ給(たま)ふべう奏せさせ給(たま)へ/ど、「なをしばし<」/とて過ぐさせ給(たま)ふ\ほど/に、御なやみまことにいとおどろおどろしけれ/ば、五月五日/の\事なればにや、菖蒲(あやめ)のねのかゝらぬ御袂(たもと)なし。太政(だいじやう)-大臣(だいじん)の御くらゐをも、摂政(せつしやう)をも辞せさせ給(たま)ふ。なを\そのほど/は、関白(くわんばく)などや聞(き)こえさすべからんと見えたり。なをいみじうおはしませば、五月八日出家せ
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/させ給(たま)ふ。この日摂政(せつしやう)の宣旨(せんじ)、内大臣(ないだいじん)-殿(どの)かうぶら/せ給(たま)ふ。されどたゞいまはこの御なやみの大事なれば、嬉しとも覚しあへず、「これこそは限りの御ことなれ」/とおぼしさはがせ給(たま)ひ/て、二条(にでう)/の-院(ゐん)をばやがて寺になさせ給(たま)ひ/つ。もしたいらかにもをこたらせ給(たま)はゞ、そこにおはしますべきなり。殿(との)/の内(うち)いみじう覚し惑(まど)ふに、なをさらにをこたらせ給(たま)はず。
摂政(せつしやう)-殿(どの)/の御(おほん)-有様(ありさま)\いみじうかひありてめでたし。きたのかたの御はらからの明順・道順・信順などいひ/て、おほかたいとあまたあり。宣旨(せんじ)/に/は、きたのかたの\御はらから/の\せつつのかみ為基(ためもと)がめなりぬ。きたのかたの御おやもまだ\あり。大殿(おほとの)/の御悩みのかくいみじきを、誰も同じ心(こころ)におもひ念じ聞(き)こえ給(たま)ふ。摂政(せつしやう)-殿(どの)御気色(けしき)給(たま)はりてまづ\この女御(にようご)、きさきにすへ奉(たてまつ)ら/ん/の\さはぎをせさせ給(たま)ふ。われ一の人にならせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、よろづ今は御心(こころ)/のまま/なる世/を、この人々のそゝのかしにより/て、六月一日きさきにたゝせ給(たま)ひ/ぬ。世の人、いとかかる折を過ぐさせ給(たま)はぬをぞ申す/める。中宮(ちゆうぐう)大夫には、右衛門(うゑもん)/の-督(かみ)殿をなし聞(き)こえさせ給(たま)へれど、「こ/は\な/ぞ。あなすさまじ」/とおぼい/て、参り/に/だに参りつき給(たま)はぬほどの御心(こころ)ざまもたけしかし。
かゝる-ほど/に、大殿(おほとの)/の御悩み、よろづかひなくて、七月二日失せさせ給(たま)ひ/ぬ。誰も哀(あは)れ/に悲しき御事/を\おぼし惑(まど)はせ給(たま)ふ¥ことかぎりなし。今年御年六十二にぞならせ給(たま)ひ/ける。七八十まで生き給(たま)へる人もおはすめるに、心(こころ)憂く口惜しきことにおぼし惑(まど)ふ。入道(にふだう)/を
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\せ/させ給(たま)へれば、御諱(いみな)なし。弾正宮・帥宮、哀(あは)れ/に覚しまどはせ給(たま)ふ、ことはりに見えさせ給(たま)ふ。おほちよぎみはこ/の-ごろ\蔵人の頭ばかりにてぞおはするを、今はこちよぎみにおとらんことを、さまざまとりあつめおぼしつゞけ\嘆(なげ)かせ給(たま)ふ/も哀(あは)れ/なり。東三条(とうさんでう)院(ゐん)/の\らう・わだどのを皆\土殿にしつゝ、宮・とのばらおはします。東宮(とうぐう)いみじうおぼしいらせ給(たま)へり。つぎ<の御事-どもあべいかぎりせさせ給(たま)ふ。はかなくてのち<の御有様(ありさま)よろづにあらまほしうめでたう見えさせ給(たま)ふ。
かゝる-ほど/に、もとより心(こころ)よせ、おぼしおもひ聞(き)こえさせたりけれ/ば、有国/は、粟田殿の御方/に\しば<参りなどしけれ/ば、摂政(せつしやう)-殿(どの)、心(こころ)よからぬさまにおぼしの給(たま)はせけり。さるは入道(にふだう)-殿(どの)/の、有国・惟仲/を/ば\ひだり\みぎの御まなことおほせられけるを、「きめられ奉(たてまつ)りぬるにや」/と、いとおしげなり。二条(にでう)/の-院(ゐん)/を/ば\法興院といふに、この御いみのほど、おほくのほとけつくりいで奉(たてまつ)り/て、寝殿(しんでん)/におはしまさせ給(たま)ひ/て、八月十余(よ)日御法事やがて\そこにてせさせ給(たま)ふ。そのほどの事おもひやるべし。此の春の大饗の折の、ひんがしの対(たい)のつまの紅梅のえんにさかりなりしも、こ/の-ごろはこしげく/て\みどころもなし。御誦経、内、東宮(とうぐう)より始(はじ)めて皆せさせ給(たま)へり。かのよろづのあにぎみ、たゞいま三位中将(ちゆうじやう)と聞(き)こゆ。宰相(さいしやう)にだになし聞(き)こえ給(たま)はずなりぬるを、心(こころ)憂くおぼすべし。
はかなう年月も暮れもていきて、正暦二年になりにけり。されど今年/は、宮の御前/も、さべきとのばら
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/も、御服にて行幸(ぎやうがう)もなし。摂政(せつしやう)-殿(どの)/の御まつりごと、たゞいまはことなる御-そしられもなく、おほかたの御心(こころ)ざまなども、いとあてによくぞおはしますに、きたのかた/の\御ちゝぬし二位になさせ給(たま)へ/れ/ば、高二位とぞ世にはいふめる。年老いたる人のざえ\かぎりなき/が、心(こころ)ざまいとなべてならずむくつけく、かしこき人におもはれたり。〔きたのかた/の〕其の男共\ひとつ腹の/は、さべきくに<”のかみどもにたゞなしになさせ給(たま)へり。この人<のいたう世にあひて、をきてつかうまつることをぞ、人やすからず/も/と、やむごとなからぬ御(おほん)-なからひを、心(こころ)ゆか/ず\申し-思(おも)へり。きたのかた\もとより道心いみじうおはして、つねにきやうを読み給(たま)ひ、やま<てらでらの僧どもをたづねとはせ給(たま)へ/ば、哀(あは)れ/にうれしきことに申し-思(おも)へり。
かゝる-ほど/に、円融(ゑんゆう)/の-院(ゐん)の御悩ありて、いみじう世のゝしりたり。折しも今年行幸(ぎやうがう)なかりつるを、おぼつかなくおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ふ\ほど/に、かゝることのおはしませば、行幸(ぎやうがう)けふ明日とおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。さてよき日して行幸(ぎやうがう)あれば、いみじう苦しげにおはします。御門(みかど)今は御かうぶりなどせさせ給(たま)ひ/て、おとなび/させ給(たま)へる/を、返々かひありて見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。さべき御領の所々、さべき御宝物(たからもの)ども/の\かきたて目録(もくろく)せさせ給(たま)へりけるを、それ皆奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御門(みかど)も若うおはしませど、いかに<とおぼし嘆かせ給(たま)ふ。ゐんはた、さらにも聞(き)こえさせず、常の行幸(ぎやうがう)/に\似/ぬ\御(おほん)-有様(ありさま)/も\いみじう哀(あは)れ/にて、
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\かへすがへすおぼし見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御ものゝけもおそろしけれ/ば、「疾くかへらせ給(たま)ひ/ね」とて、かへし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/つ。
さておぼつかなきをいかに<とおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ふ\ほど/に、日ごろありて正暦二年二月十二日に失せさせ給(たま)ひ/ぬ。ここらのとしごろなれつかうまつりつる僧俗(そうぞく)・殿上人(てんじやうびと)・判官代、涙を流しまどひ/たり。いはんかたなし。仁和寺(にわじ)のそうじやうと聞(き)こゆるは、土御門(みかど)の源氏の大臣(おとど)/の\御はらからにおはす。仁和寺(にわじ)/の-御子と聞(き)こえける御子におはす。いみじうおぼしまどふ。かのしやくそんの御にうめつの心地(ここち)して、「大師入滅、我随入滅」/と\〓梵波提/が\いひ/て、水になりて流れけん心地(ここち)する人\いとおほかり。哀(あは)れ/にかなしともをろかなり。内には一日の行幸(ぎやうがう)の御有様(ありさま)\おぼしいでゝこひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。


栄花物語詳解巻四


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S04〔栄花物語巻第四〕 見はてぬ夢
かくて此の円融(ゑんゆう)の院(ゐん)の御さうそう、むらさき野にてせさせ給(たま)ふ。其のほどの御有様(ありさま)おもひやるべし。一とせの御(おん)子(こ)日に、此のわたりのいみじうめでたかりしはやとおぼしいづるも、哀(あは)れに悲しければ、閑院(かんゐん)の左大将(さだいしやう)、
@むらさきの雲のかけてもおもひきや春のかすみになして見んとは W010。
行成ひやうゑのすけいと若けれど。これをきゝて、一条(いちでう)摂政(せつしやう)の御孫のなりふさの少将(せうしやう)の御もとに、
@をくれじと常のみゆきはいそぎしをけぶりにそはぬたびのかなしさ W011。
などあまたあれど、いみじき御事のみおぼえしかば、皆誰かはおぼゆる人のあらん。さてかへらせ給(たま)ひぬ。御いみのほどのことゞも。いみじう哀(あは)れなりき。さべきとのばらこもりさぶらひ給(たま)ふ。そのころさくらのおかしき枝を人にやるとて。さねかた中将(ちゆうじやう)、
@墨染(すみぞめ)のころもうき世の花ざかりおもわすれても折りてげるかな W012。
これもおかしう聞(き)こえき。世の中諒闇にて、ものゝはへなきことゞもおほかり。
花山(くわさん)の院(ゐん)ところ<”あくがれありかせ給(たま)ひて、熊野ゝ道にて、御(おん)心地(ここち)悩ましうおぼされけるに。あまのしほやくを御覧(ごらん)じ
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て、
@旅(たび)の空よはのけぶりとのぼりなばあまのもしほびたくかとや見ん W013。
との給(たま)はせける。旅(たび)のほどにかやうの事おほくいひ集めさせ給(たま)へれど。はか<”しき人し御ともになかりければ、皆忘れにけり。さてありき巡らせ給(たま)ひて、円城寺といふところにおはしまして、さくらのいみじうおもしろきを見めぐらせ給(たま)ひて、ひとりごたせ給(たま)ひける、
@木のもとをすみかとすればをのづから花見る人になりぬべきかな W014
とぞ。哀(あは)れなる御有様(ありさま)も。いみじうかたじけなくなん。
一条(いちでう)の摂政(せつしやう)のうへは。九の御方ともにひんがしのゐんに住ませ給(たま)ひて、此のゐんを「いかで見奉(たてまつ)らん」とおぼしけれど。たゞいまの御有様(ありさま)。さやうに里(さと)などにいでさせ給(たま)ふべうもあらずなん。
円融(ゑんゆう)の院(ゐん)の御法事。三月廿八日に、やがて同じゐんにてせさせ給(たま)ひつ。としごろ殿上人(てんじやうびと)などの御志(こころざし)あるさまのは、なひ<にいと心(こころ)ことの御用意(ようい)あるべし。さてその年のうちに、右の大臣(おとど)太政(だいじやう)大臣(だいじん)になり給(たま)ひぬ。右の大臣には、六条(ろくでう)の大納言(だいなごん)なり給(たま)ひぬ。土御門(みかど)左大臣(さだいじん)の御はらからなりけり。
東宮(とうぐう)の十五六ばかりにおはしましけるに、ある僧のきやうたうとく読みければ、常に夜ゐせさせて世の物語(ものがたり)申しけるつゐでに。小一条(こいちでう)殿(どの)のひめぎみの御事を語り聞(き)こえさせけるに、宮の御みゝとゞまりて思(おぼ)し召(め)して、この僧を夜ごとに召しつゝ。きやうを読ませさせ給(たま)ひて、たゞよるの御物語(ものがたり)
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には、此の小一条(こいちでう)のわたりの御事を、ことぐさにおほせられて、「此の事かならずいひなして給(たま)へ」などいみじう真心におほせられければ、大将(だいしやう)に聞(き)こえければ、「かくてのみやは過ぐさせ給(たま)ふべき。花山(くわさん)の院(ゐん)の御時もかしこう遁れ申(ま)ししか。御門(みかど)のいと若うおはしますにあはせて、内にも中宮(ちゆうぐう)さへおはしませば、いとわづらはし。これは麗景殿(れいけいでん)さぶらひ給(たま)ふめれど、それはあえなん」など覚していそぎ給(たま)ふ。ひめぎみ十九ばかりにおはしますべし。
はかなき御ものゝ具どもは。先帝の御時、此の大将(だいしやう)の御いもうとの宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)、むらかみいみじうおもひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、よろづのものゝ具をし奉(たてまつ)らせ給(たま)へりし御具ども、御ぐしの箱よりはじめ、びやうぶなどまで。いとめでたくて持たせ給(たま)へれば、さやうのことおぼしいとなむべきにもあらず。たゞ御さうぞくめくものばかりをぞ急(いそ)がせ給(たま)ふ。はゝうへはびはの大納言(だいなごん)延光と聞(き)こえしがむすめにおはしければ、御なからひもいと物清げなり。又(また)先帝の、御さうの琴を宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)にもをしへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。此の大将(だいしやう)にもをしへさせ給(たま)ひけるを、此のひめぎみに殿をしへ聞(き)こえ給(たま)へりければ、まさざまに今少しいまめかしさそひて弾かせ給(たま)ふ。いみじうめでたし。今の世には、かやうの事殊に聞(き)こえねど。これはいみじう弾かせ給(たま)ふ。中のきみにはびはをぞならはし聞(き)こえ給(たま)ひける。ひめぎみの御有様(ありさま)、ひとつにもあらずもてなし聞(き)こえ給(たま)へれば、なかのきみのをばをばきたのかた取り放ちてやしなひ聞(き)こえ給(たま)ふにその
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うへのいたう老い給(たま)ひにたれば、よきわかぎみたちにこそはとおもひ聞(き)こえ給(たま)へれど、左大将(さだいしやう)さもおもひ聞(き)こえ給(たま)はぬを、くちをしう小一条(こいちでう)殿におぼいたるべし。
かくていそぎたゝせ給(たま)ひて、十二月のついたちに参(まゐ)らせ給(たま)ふ。むかしおぼしいでゝ、やがて宣耀殿(せんえうでん)にすませ給(たま)ふ。かひありていみじうときめき給(たま)ふ。されば大将(だいしやう)殿わるぎみをば誰の人かをろかにおもひ聞(き)こゆることあらむ」なぞとおぼしの給(たま)ひける。
麗景殿(れいけいでん)いと時にしもおはせねど、たゞおほかた物花やかにけぢかうもてなしたる御方のやうなれば、心(こころ)安きものがたりどころには、殿上人(てんじやうびと)など、かの御方のほそどのをぞしける。此の女御(にようご)の御方をばいと奥ぶかうはづかしきものにいひおもひけり。
御せうと、このごろくらのかみにてぞものし給(たま)ふ。ちゝ大臣(おとど)にも似給(たま)はず。いとおいらかにぞ、人おもひ聞(き)こえたる。長命君とて侍従にておはせしは、出家し給(たま)ひてしをぞ、ちゝとのは、「いとまにこれがありて、かれがなきこそ口惜しけれ。かやうの御まじらひのほどに、いかにかひあらまし」とぞ、つねにおぼし出でける。大将(だいしやう)の御をひのさねかたの中将(ちゆうじやう)。世のすきものにはづかしういひおもはれ給(たま)へる、その君をぞこの女御(にようご)、おほかたのよろづのものゝはへにものし給(たま)ふ。たゞいまは又(また)限りなき御有様(ありさま)にてさぶらはせ給(たま)へば、いとかひありて見えたり。摂政(せつしやう)殿(どの)よろづのあにぎみは、宰相(さいしやう)にておはす。あはたどのは内大臣(ないだいじん)にならせ給(たま)ひぬ。中宮(ちゆうぐう)の大ぶは大納言(だいなごん)にならせ給(たま)ひぬ。おほちよぎみは中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひぬ。こちよぎみは三位中将(ちゆうじやう)にておはし
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つるも、中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひぬ。いつもたださるべき人のみこそはなりあがり給(たま)ふめれ。
しん中納言(ちゆうなごん)のきたのかた。山の井といふ所にすみ給(たま)へば、山の井の中納言(ちゆうなごん)とぞきこゆる。こちよぎみは、かの大納言(だいなごん)殿(どの)のひめぎみ。いみじう美(うつく)しきわかぎみうみ給(たま)へれば、をばきたのかた・摂政(せつしやう)殿(どの)など、いみじきものにもてかしづき給(たま)ふ。まつぎみとぞきこゆめる。とのむかへ聞(き)こえ給(たま)ふては。めのとにもきみにも、さまざまの御をくりものしてかへし聞(き)こえ給(たま)ふ。女ばうどもいつしかと待ちおぼすべし。
かくて月日も過ぎもていきて、正暦三年(さんねん)になりぬ。哀(あは)れにはかなき世になむ。二月には、故院(ゐん)の御はてあるべければ、天下いそぎたり。御はてなどせさせ給(たま)ひつ。世のなかのうすにびなど果てゝ、はなのたもとになりぬるも、いともののはへあるさまなり。摂政(せつしやう)殿(どの)のひめぎみあまたおはすれば、いますこしおよずけ給(たま)はぬをぞ心(こころ)もとなくおぼさる。
中宮(ちゆうぐう)大夫殿は、土御門(つちみかど)のうへも、みやの御かたも、こぞよりたゞならず見えさせ給(たま)へば、左大臣(さだいじん)殿(どの)はさきのやうにいかに<とおぼしいのらせ給(たま)ふ。みやの御かたにもみやおはしまして、さるべき御いのりのことをきて覚したり。
かくて摂政(せつしやう)殿(どの)の法興院(ゐん)のうちにべちに御だうたてさせ給(たま)ひて、積善寺となづけさせ給(たま)ひて、その御だうくやういみじくぞ急(いそ)がせ給(たま)ふ。
一条(いちでう)の太政(おほき)大臣(おとど)は。六月十六日にうせさせ給(たま)ひぬ。のちの御諱(いみな)恒徳公ときこゆ。女御(にようご)の御のちは、ただ法師(ほふし)よりもけにて、世とともに御をなひにてすぐさせ給(たま)ふ。
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法住寺をいみじうめでたくつくらせ給(たま)ひて、明(あ)け暮(く)れそこにこもらせ給(たま)ひてぞをこなはせ給(たま)ふ。哀(あは)れにいみじうぞ。御太郎、松雄君とておはせしおとこにて、此のごろ東宮(とうぐう)権大夫にておはす。いまひとゝころ、中将(ちゆうじやう)ときこゆ。その中将(ちゆうじやう)、この四月のまつりのつかひに出で立ち給(たま)ひしかば、よろづにしたてさせ給(たま)ひて、をしかへして、あやしの御くるまにて御覧(ごらん)じて。つかひのきみわたりはて給(たま)ひにしかば、こと<”は見んともおぼさでかへらせ給(たま)ひにしも、世の人おもひ出でゝかなしがる。
女君(をんなぎみ)達(たち)いま三ところひとつ御はらにおはするを、三の御かたをばしんでんのうへと聞(き)こえて又(また)なふかしづきみえ給(たま)ふ。四五の御かたがたもおはすれど、故女御(にようご)としんでんの御かたとをのみ〔ぞ〕、いみじきものにおもひ聞(き)こえ給(たま)ひける。女子はたゞかたちを思(おも)ふなりとの給(たま)はせけるは、四五の御かたいかにとぞをしはかられける。
御いみのころ、この中将(ちゆうじやう)のもとに、斎院より御とぶらひありける、かくなん、
@いろかはるそでにはつゆのいかならんおもひやるにも消えぞいらるゝ W015。
哀(あは)れなることゞも。御法事やがて法住寺にてあり。一条(いちでう)殿(どの)、いみじうなべてのところのさまならず、いかめしうまうにおぼしをきてたりつれば、ひとゝころうせさせ給(たま)ひぬれば、いとおはしましにくげに荒れもていくも心(こころ)ぐるしう。此のしんでんのうへの御所分にてぞありける。よろづのものたゞこの御領にとぞ、おぼしをきてさせ給(たま)ひける。
かゝるほどに、
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花山(くわさん)の院(ゐん)、ひんがしのゐんの九の御かたにあからさまにおはしましけるほどに、やがてゐんの御めのとのむすめなかつかさといひて、明(あ)け暮(く)れ御覧(ごらん)ぜしなかに、なにともおぼし御覧(ごらん)ぜざりけるが、いかなる御さまにかありけん、これを召して御あしなどうたせさせ給(たま)ひけるほどに、むつまじうならせ給(たま)ひて、覚しうつりて、てらへもかへらせ給(たま)はで、つく<”とひごろをすぐさせ給(たま)ふ。九の御かた、我が見え奉(たてまつ)らせ給(たま)ふをばあるものにて、世にをのづからもりきこゆることを、わりなうかたはらいたくおぼされけり。いまは此のゐんにおはしましつきて、世のまつりごとををきて給(たま)ふ。世にもいと心(こころ)憂きことにおもひ聞(き)こえさす。いゐむろにも、さればこそ、さやうにものぐるおしき御有様(ありさま)、さることおはしましなんとおもひしなりと、心(こころ)におぼさるべし。かやうなる御有様(ありさま)、をのづからかくれなければ、御封などもなくて、いかに<とて、きさいのみや、摂政殿など、きゝいとをしがり奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、受領までこそ得させ給(たま)はざらめ、つかさかうぶり、御封などはあべきことなり。いとかたじけなきことなりとさだめさせ給(たま)ひて、さるべきつかさかうぶり、御封など奉(たてまつ)せ給(たま)へば、いとゞ御さとずみ心(こころ)やすくひたぶるにおぼされて。ひんがしのゐんのきたなるところにおはしましどころつくらせ給(たま)ふ。
かくておはしますも、さすがにあまへいたくやおぼされけん、わが御はらからの弾正のみやをかたらひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、此の九の御かたにむこどり聞(き)こえさせ給(たま)ふ。「あしからぬことなり」とて、みやおはし通(かよ)は
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せ給(たま)ふ。九の御かた、とし月いみじき御道心にて、法華経(ほけきやう)二三千部とよませ給(たま)ひて、たゞ明(あ)け暮(く)れの御をこなひを、なか<にまぎれでやとよろづおぼさるべし。
弾正みやいみじういろめかしうおはしまして、知るしらぬわかぬ御心(こころ)なり。世中のさはがしきころ、よるよなかわかぬ御ありきもいとうしろめたげなり。おはしますところのみすのもかうのやれたれば、みや、「検非違使にあひたるみすのへりかな」との給(たま)はすれば、ゐん「されど弾正にこそあひて侍れ」などの給(たま)はするもおかし。ゐんものゝはへあり、おかしうおはしましゝに、まいていまは「何事(なにごと)もさばれ」とひたぶるにおぼしめしたるも、「はかなき世になどかさは」と見えさせ給(たま)ふ。
かゝるほどに、中づかさがむすめ、わかさのかみすけたゞといひけるが産(う)ませたりけるも召し出でゝつかはせ給(たま)ふほどに、おやこながらたゞならずなりて、けしからぬことゞもありけり。九の御かた、いと心(こころ)憂くあさましくおぼさるべし。哀(あは)れなる御有様(ありさま)なり。
たゞいま世にいみじきことには、きさいのみやなやませ給(たま)ふ。世のたゞいまの大事にのみ思(おも)ふほどに、さき<”の御ものゝけのけしきなどれいのことなり。すべておはしますべきさまならず。内も行幸(ぎやうがう)などせさせ給(たま)ひて、よろづにおぼしまどはせ給(たま)ふ。ともすればよるひるわかず取り入れ<し奉(たてまつ)れば、「今はたゞいかであまになりなん」との給(たま)はするを、とのばらも、しばしはさるまじきことにのみおぼしまうし給(たま)へど、さらにかぎりと見えさせ給(たま)へば、「さば、とてもかくてもおはしまさ
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んのみこそ」とて、ならせ給(たま)ひぬ。あさましういみじきことなれど、たいらかにおはしまさんのほいなるべし。さて世にあることのかぎりしつくさせ給(たま)ひて、又(また)かくもならせ給(たま)へればにや、御なやみもよろしうならせ給(たま)ひぬ。いしやまにとしごとにおはしまさんかぎりは参(まゐ)らせ給(たま)ひ、はせでら、すみよしなどに、みな参(まゐ)らせ給(たま)ふべき御願どもいみじかりければにや、をこたらせ給(たま)ひぬ。内にもうれしき御ことにおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ふともをろかなり。
御としも三十ばかりにおはしまし、いみじうあたらしき御(おほん)さまにて。あさましう口惜しき御ことなれども、おりゐの御門(みかど)になぞらへて女院(にようゐん)と聞(き)こえさす。さて年官年爵得させ給(たま)ふべきなり。としごとのまつりの御つかひもとゞまりて、たゞ陣屋(ぢんや)などもなくて心(こころ)やすきものから、めでたき御(おほん)有様(りさま)なり。女院(にようゐん)の判官代などにかたほなるならずえさせ給(たま)へり。
さてそのとしのうちに、はせでらに参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。御ともには、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、とし若くいみじき、かりぎぬすがたをしたり。おとなとのばらは、なをしにてつかうまつり給(たま)ふ。摂政殿御くるまにてつかうまつらせ給(たま)へり。ゐんはからの御くるまに奉(たてまつ)れり。女ばうぐるまのさきに、あまのくるまをたてさせ給(たま)へり。いみじき見物なり。としごろさぶらへるもさらぬも、あま十人ばかりさぶらふ。みゆきとてわらはにてさぶらひしが、御ともにあまになりにしかば、りばたとつけさせ給(たま)へり。わらはべとしごろつかはせ給(たま)はざりしもいまぞおほく参りあつまりたれば、ほめき・すいき・はなこ・しきみなどさまざまつけさせ給(たま)へり。さて
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参(まゐ)らせ給(たま)ひて、めでたきさまにほとけにもつかうまつらせ給(たま)ひて、僧をもかへりみさせ給(たま)ひて、かへらせ給(たま)ひぬ。かくてことしは二三月ばかりに、すみよしへとおぼしめしける。かやうにてあらまほしき御有様(ありさま)にてすぐさせ給(たま)ふ。
山の井の中納言(ちゆうなごん)にておはするに、こちよぎみ、宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)にておはするを、摂政(せつしやう)殿(どの)やすからずおぼして、ひきこして大納言(だいなごん)になし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。山の井いと心(こころ)憂くおもひ聞(き)こえ給(たま)へり。
かゝるほどに閑院(かんゐん)の大将(だいしやう)いみじうわづらひ給(たま)ひて、大将(だいしやう)辞し給(たま)へれば、あはた殿ならせ給(たま)ひぬ。小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)左になり給(たま)ひて、此の殿右になり給(たま)ひぬ。女院(にようゐん)のきさきにおはしましゝ折、弾正の亮今はみな三位になりてめでたし。
あはた殿(どの)の御むすめ。藤三位のはらの御きみに裳着せさせ奉(たてまつ)らんとのゝしれば、あはたへは心(こころ)よりほかにおぼせど、さべういひ知(し)らせ給(たま)ふ。
かくて摂政(せつしやう)殿(どの)をば、御門(みかど)おとなびさせ給(たま)ひぬれば、関白(くわんばく)殿(どの)と聞(き)こえさす。中ひめぎみ十四五ばかりにならせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)に参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ有様(ありさま)、はな<とめでたし。さて参(まゐ)らせ給(たま)ひぬれば、宣耀殿(せんえうでん)はまかで給(たま)ひぬ。淑景舎にぞすませ給(たま)ふ。何事(なにごと)もたゞかゝやくやうなれば、いはんかたなくめでたし。女御(にようご)の御心(こころ)ざまもはなやかにいまめかしう、ゑましき御(おほん)有様(ありさま)なり。としごろ宣耀殿(せんえうでん)を見奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつる御(おん)心地(ここち)に、これはことにふれていまめかしうおぼさる。女御(にようご)もわざともてなすとおぼさねど、御ぞのかさなりたるすそつき・そでぐちなどぞ、いみじうめでたく御覧(ごらん)ぜられける。何事(なにごと)も女ばう
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のなりなども、人こここらもて参りあつまれば、よしあしを人のきこゆべきにあらず。
三の御かたみなる中にすこし御かたちも心(こころ)ざまもいとわかうおはすれど、「さのみやは」とて、帥宮にあはせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。みやの御志(こころざし)、世の〔御(おん)〕ひゞきわづらはしうおぼされたれば、哀(あは)れなり。わが御志(こころざし)はゆめになし。とのもことはりに、とりわきおぼし見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。されどみなみの院(ゐん)にむかへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひぬれば、あべきかぎりにておはします。四の御かたいと若うおはすれど。内の御ぐしげ殿と聞(き)こえさす。
此の御はらのあるがなかのおとうとのきみは、三位中将(ちゆうじやう)になし聞(き)こえ給(たま)ひつ。六条(ろくでう)の右のおほい殿(どの)。いみじきものにかしづき給(たま)ふひめぎみにむこどり給(たま)ひつ。大臣(おとど)、御としなど老い給(たま)ひにたるに、此の三位中将(ちゆうじやう)の御ことをいみじきことにおぼして、よさりはよなかばかりにおはするにも。われはおほとのごもらでよろづをまいりごち給(たま)ふも、哀(あは)れにいみじき御志(こころざし)を、此の中将(ちゆうじやう)のきみゆめにおぼしたらず、かげまさの大進のむすめをいみじきものにおぼいて、このひめぎみの御ためにいみじうをろかにおはすれば、関白(くわんばく)殿(どの)いとかたはらいたうかたじけなきことにの給(たま)はすれど、おとこの心(こころ)はいふかひなげなり。
かくて一条(いちでう)の太政(おほき)大臣(おとど)の家(いへ)をば女院(にようゐん)らうぜさせ給(たま)ひて、いみじうつくらせ給(たま)ひて、御門(みかど)の後院に思(おぼ)し召(め)すなるべし。大納言(だいなごん)殿(どの)は、土御門(つちみかど)のうへもみやの御かたも、みなおとこぎみをぞ生み奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。殿(との)のわかぎみをば、たづぎみとつけ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ
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ける。みやの御かたをば、ゐんの御前のめのととりわき、よろづにあつかひ知(し)らせ給(たま)ひて、いはぎみとつけ奉(たてまつ)り給(たま)へり。
たちばな三位のはらに関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)子(こ)とて。おとこをんななどおはします。又(また)山の井の御(おん)子(こ)もあり。
かくて宣耀殿(せんえうでん)、月ごろたゞにもおはせずなりにけり。大将(だいしやう)殿(どの)いみじきことにおぼしいのらせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)の御志(こころざし)のかひありて、おもひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。このごろは淑景舎さぶらはせ給(たま)へば、「やがてよき折なり」とおぼしめしけり。麗景殿(れいけいでん)はさとにのみおはしまして、けしからぬ名をのみ取りたまふ。東宮(とうぐう)たゞいまは。人知れずまめやかにやむごとなきかたには宣耀殿(せんえうでん)をおぼしたり。いたはしうわづらはしきかたには淑景舎をおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、わざとも麗景殿(れいけいでん)まではさしもおぼしたたず。
かくてこちよぎみ内大臣(ないだいじん)になり給(たま)ひぬ。御(おほん)とし廿ばかりなり。中宮(ちゆうぐう)大夫殿(どの)いとことのほかにあさましうおぼされて。ことに出でまじらはせ給(たま)はずなりもて行く。
土御門(つちみかど)の大臣(おとど)も、正暦四年七月廿九日に失せさせ給(たま)ひにしかば、大納言(だいなごん)殿(どの)や君達(きんだち)、さしあつまりてあつかひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ、いと哀(あは)れなり。御としも七十ばかりにならせ給(たま)ひぬれば、ことはりの御事なれど。殿(との)のうへいみじくおぼしなげきたり。のち<の御ことゞもあべきかぎりにて過ぎさせ給(たま)ひぬ。大納言(だいなごん)殿(どの)のうへ。たゞにもあらぬ御(おほん)有様(ありさま)を、おほい殿(どの)は「これを見はてゝ」とおぼしつゝぞ、失せさせ給(たま)ひける。
関白(くわんばく)殿(どの)は、入道(にふだう)殿(どの)失せさせ給(たま)ひて二年ばかりありて、
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有国を、みなつかさくらゐもとらせ給(たま)ひて、をひ籠めさせ給(たま)ひてしを、あはたどのも大納言(だいなごん)殿(どの)も、心(こころ)うきことにおぼしの給(たま)はす。惟仲をば左大弁(さだいべん)にていみじうもてなさせ給(たま)へり。その折いみじう哀(あは)れなることにぞ、世の人もおもひたりし。またそのまゝにて、子は丹波守にてありしも取らせ給(たま)へりしかば、あさましう心(こころ)憂し。
はかなく年も暮れて正暦五年といふ。いかなるにかことし世の中さはがしう、春よりわづらふ人<おほく、みちおほぢにもゆゝしきものどもおほかり。かゝる折しも、宣耀殿(せんえうでん)もたゞならず、ことしにあたらせ給(たま)へり。土御門(つちみかど)殿(どの)のうへもかうものせさせ給(たま)へば、世のさはがしきにいかに<とおぼしめすほどに、三月ばかりに土御門(つちみかど)殿(どの)のうへ。いとたいらかに女ぎみむまれ給(たま)ひぬ。おそろしき世にうれしきことにおぼされたり。
五月十日のほどに、宣耀殿(せんえうでん)御けしきありておはします。東宮(とうぐう)より御つかひしきりなり。大将(だいしやう)殿、「いかに<」とおぼしさはぐほどに、かぎりなき男宮むまれ給(たま)へり。大将(だいしやう)殿(どの)よろこび泣きし給(たま)ひて、世にめでたき御有様(ありさま)におぼしをきてたり。あらまほしうめでたくて。七日のほども過ぎぬ。よろづをしはかるべし。御めのと参りあつまる。東宮(とうぐう)はいつしかと、まだ見ぬ人のゆかしくこひしうとぞおもひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
「げにいかでとく御覧(ごらん)ぜさせばや。むかしのみやたちは五七にてこそ御たいめんはありけれ」など祖父大臣(おとど)いとこたいにおぼしのどめ給(たま)へれど。みや<は、たゞ「とく<いらせ給(たま)へ」と急(いそ)がせ給(たま)ふ。
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よろづよりも世の中いとさはがしければ、関白(くわんばく)殿(どの)も女院(にようゐん)も、よろづにおそろしきことをおぼしたり。「ことしにらい年まさるべし」ときこゆれば、いとおそろしくおぼさる。
かくてあはた殿(どの)のきたのかた〔の〕したしき御有様(ありさま)にや、むらかみのせんていの九のみや入道(にふだう)して岩倉にぞおはします。又(また)兵部卿(ひやうぶきやう)のみやと聞(き)こえさする御(おん)子(こ)、おなじはらからにて、三宮と聞(き)こえさせし、それも入道(にふだう)しておなじところにおはします。兵部卿(ひやうぶきやう)のみや、この左のおほい殿(どの)のほかばらのむすめに住み奉(たてまつ)り給(たま)ひて、おとこみやたち二人おはしましけるを、一ところをば此の大納言(だいなごん)殿(どの)の御(おん)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、少将(せうしやう)と聞(き)こえしおはす。いま一ところは。ちいさうより法師(ほふし)になし奉(たてまつ)りて、みやのおはしますおかし所にぞおはしましける。九のみやは、九条(くでう)殿(どの)の御(おん)子(こ)入道(にふだう)の高光少将(せうしやう)多武岑のきみと聞(き)こえし、わらは名はまちをさと聞(き)こえしが御むすめに住み給(たま)へりける。いと美(うつく)しきひめぎみにていでおはしましたりけるを、いと見捨てがたふ覚しけれど、世の中はかなかりければ、おぼし捨てゝげるなりけり。
此のひめぎみ、いみじう美(うつく)しうおはするをあはたどのきこしめして、此のみやをむかへ奉(たてまつ)りて、子にし奉(たてまつ)りてかしづき聞(き)こえ給(たま)ふほどに、さるべき人<をとづれ聞(き)こえ給(たま)ふ人おほかりけれど、聞(き)き入れ給(たま)はぬほどに、故三条(さんでう)の大殿(おほとの)のごん中将(ちゆうじやう)せちに聞(き)こえ給(たま)ふ。はかなき御文がきも人よりはおかしうおぼされければ、おぼし立ちて取り奉(たてまつ)り給(たま)ふ。二条(にでう)殿(どの)のひんがしのたいをいみじうしつらひて、はぢなきほどの女ばう十人・わらは二人・しもづかへ二人して、ある
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べきほどにめやすくしたてゝおはしそめさせ給(たま)ふ。ひめぎみの御(おほん)有様(ありさま)いみじう美(うつく)しければ、いとかひありておもひ聞(き)こえ給(たま)へり。
さてしばしありき給(たま)ひて、なをかゝる有様(ありさま)つゝましとて、四条(しでう)のみやの西(にし)の対(たい)をいみじうしつらひて、むかへ聞(き)こえ給(たま)ひつ。みやも女御(にようご)殿(どの)も、いとうれしき御なからひにおぼして、御たいめんなどあり。いとあらまほしきさまなれば、あはたどのいとおぼすさまに聞(き)こえかはし給(たま)ふ。又(また)一条(いちでう)の太政(おほき)大臣(おとど)の御(おん)子(こ)の中将(ちゆうじやう)をぞ我が子にし給(たま)ひて、此のきたのかたの御おとうとをあはせ奉(たてまつ)り給(たま)ひて、よろづにあつかひ聞(き)こえ給(たま)ふ。
かゝるほどに冬つかたになりて、関白(くわんばく)殿(どの)水(みづ)をのみきこしめして、いみじうほそらせ給(たま)へりといふことありて、内などにもおさ<参(まゐ)らせ給(たま)はず。此の二位の新発意心をまどはして御いのりをし、いみじきことゞもをす。きたのかたおぼしいたらぬことなし。世のさはがしきふゆになりてすこし心(こころ)のどかになりぬれば、世の人もうちたゆみ、うれしと思(おも)ふに、殿(との)の御(おん)心地(ここち)のたゞならぬ事をぞ、世の大事に思(おもふめる。
内大臣(ないだいじん)殿(どの)のまつぎみ、おかしげにておはするに、女君(をんなぎみ)達(たち)もいとうつくしうてむまれ給(たま)へれば、きさきがねとかしづき聞(き)こえ給(たま)ふ。此のとのは、〔御(おん)〕かたちも身のざえも、此の世の上達部(かんだちめ)にはあまり給(たま)へりとまでいはれ給(たま)ふに、ゆゝしきまでおもひ聞(き)こえ給(たま)ふもことはりなりと見えさせ給(たま)ふ。此の御はらからの三郎、法師(ほふし)になして、そうづになし聞(き)こえ給(たま)ふ。其の御おとうとは、中納言(ちゆうなごん)にておはす。山の井は、此のとの
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ゝ御心(こころ)をきて覚し出でゝ、大納言(だいなごん)になし聞(き)こえ給(たま)へり。かくて関白(くわんばく)殿(どの)、水(みづ)きこしめすことやませ給(たま)はで、いとおそろしうてとしも暮れもて行く。東宮(とうぐう)には宣耀殿(せんえうでん)のわかみやゐて入り奉(たてまつ)り給(たま)ひて、いみじうこと御心(こころ)なく、つといだきもてあつかひうつくしみ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
としもかへりぬ。内には中宮(ちゆうぐう)ならびなきさまにておはします。東宮(とうぐう)は淑景舎いかにと見奉(たてまつ)る。かくて長徳元年正月より世の中いとさはがしうなりたちぬれば、のこるべうもおもひたらぬ、いと哀(あは)れなり。女院(にようゐん)には、関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)〔をぞ〕おそろしうおぼすかたはさるものにて、「世の中心(こころ)のどかにしもおぼしをきてずもや」と、さまざまおぼしみだれさせ給(たま)ふ。ことしはまづしも人などは。いといみじう、たゞこのごろのほどに失せ果てぬらんと見ゆ。四ゐ・五ゐなどのなくなるをばさらにもいはず、「いまはかみにあがりぬべし」などいふ。
いとおそろしきことかぎりなきに、三月ばかりになりぬれば、関白(くわんばく)殿(どの)の御なやみもいとたのもしげなくおはしますに、内に夜のほど参(まゐ)らせ給(たま)ひて、「かくてみだり心地(ごこち)いたくあしくさぶらへば、このほどのまつりごとは、内大臣(ないだいじん)をこなふべき宣旨くださせ給(たま)へ」とそうせさせ給(たま)へば、「げに、さば、かうくるしうし給(たま)はんほどは、などかは」とおぼしめして、三月八日のせんじに、「関白(くわんばく)やまひの間殿上をよび百官執行」とあるよしせんじくだりぬれば、内大臣(ないだいじん)殿よろづにまつりごち給(たま)ふ。
かゝるほどに、閑院(かんゐん)の大納言(だいなごん)世の中心地(ここち)〔に〕わづらひて、三月廿日失せ
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給(たま)ひぬ。哀(あは)れにいみじきことなり。
「あすはしらず、いまはかうなめり」と、さべきとのばら、むねはしりおそろしうおぼさるゝに、関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)いとをもし。四月六日出家せさせ給(たま)ふ。哀(あは)れにかなしきことに覚しまどふ。きたのかたやがてあまになり給(たま)ひぬ。さるは内大臣(ないだいじん)殿(どの)、きのふぞずいしんなどさまざま得させ給(たま)へる。かくて「哀(あは)れにいかに<」と殿(との)のうちおぼしまふに、四月十日、入道(にふだう)殿(どの)失せ給(たま)ひぬ。「あないみじ」と世のゝしりたり。
内大臣(ないだいじん)殿の御まつりごとは、殿(との)の御やまひの間とこそせんじあるに、やがてうせ給(たま)ひぬれば、「此のとのいかなることにか」と、世の人、世のはかなきよりもこれを大事にざざめきさはぐ。内大臣(ないだいじん)殿(どの)は、たゞわれのみよろづにまつりごちおぼいたれど、おほかたの世には、はかなうみなうちかたぶきいふ人<おほかり。大殿(おほとの)の御さうそう。賀茂のまつりすぐしてあるべし。そのほどもいと折あしういとをしげなり。かゝる御おもひなれども、あべきことゞもみなおぼしをきて、人のきぬ・はかまのたけのべしゞめせいせさせ給(たま)ふ。「たゞいまはいとかゝらで、知らずがほにても、まづ御いみのほどはすぐさせ給(たま)へかし」と、もどかしう聞(き)こえおもふ人々あるべし。きたのかたの御せうとのなにくれのかみども、「いかなるべきことにか」とおもひあはてたり。二ゐのしんぼち此のいみにもこもらで、さべき僧どもしてさまざまの御いのりどもをこなひて、手をひたいにあてゝよるひるいのりまうす。
「あないみじ」といひおもふほどに、小一条(こいちでう)大将(だいしやう)、
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四月廿七日に失せ給(たま)ひぬ。宣耀殿(せんえうでん)の一のみやもいと幼(をさな)くおはしますを、見置き奉(たてまつ)り給(たま)ふほどいといみじうかなし。
左右の大将(だいしやう)しばしもおはせぬもあしきことにや、中宮(ちゆうぐう)大夫殿、此の御かはりに左大将(さだいしやう)になり給(たま)ひぬ。大殿(おほとの)の御さうそう、まつり過ぎて四月のつごもりにせさせ給(たま)ふべし。小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)もおなじ折なり。哀(あは)れにいみじきことゞもなり。
内大臣(ないだいじん)殿(どの)、世の中あやうくおぼさるゝまゝに、二ゐを「たゆむな<」と責めの給(たま)へば、二ゐえもいはぬ法どもを、われもし、又(また)人してもをこなはせて、「さりともと心(こころ)のどかにおぼせ。何事(なにごと)も人やはする。たゞてんだうこそおこなはせ給(たま)へ」と頼(たの)めきこゆ。
御をぢのとのばら、世の中をやすからずなげき、おぼしざゞめきたるは、あはたどのをおそろしきものにおもひ聞(き)こえたるになん。又(また)女院(にようゐん)の御心(こころ)をきても、あはたどの知(し)らせ給(たま)ふべき御ことゞもありて、其のけはひ得たるにやあるらん。世の人のこりなく参りこむほどに、内大臣(ないだいじん)殿(どの)の御なげきさへありて、さまざまもの覚し嘆(なげ)くほどに、あはたどのゆめ見さはがしうおはしまし、ものゝさとしなどすればにや、御(おん)心地(ここち)も浮きたるさまにおぼされて、御やうじなどに物をとはせ給(たま)ふにも、「よろしからぬさとしなり、ところをかへさせ給(たま)へ」と申すめれば、さるべきところなどおぼしもとめさせ給(たま)へど、又(また)御よろこびなど一口ならずさまざまうらなひ申すを、あやしう心まよひておぼさる。
此の殿(との)のうちにかやうのものゝさとし・御つゝしみあることを、内大臣(ないだいじん)殿(どの聞かせ給(たま)ひて、御いのりいよ<いみじ。「かくたゆむ世なき御いのりの
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しるしにや」と、ものおそろしげに申しおもひたれば、あはた殿四月つごもりにほかへわたらせ給(たま)ふ。それはいづもの前司相如(すけゆき)といひける人の、としごろかうのゝ知(し)らせ給(たま)ふ関白(くわんばく)殿(どの)にも参(まゐ)らで、ただ此のとのをいみじきものに頼(たの)み聞(き)こえさせつるものゝ家なり。中河に左大臣(さだいじん)殿(どの)ちかきところなりけり。ちゝのくらのかみ相信(すけのぶ)のあそんといひける人のつくりて住みける、いけ・やりみづ・やまなどありて、いとおかしうつくり立てゝ、殿(との)の御かたたがへどころといひおもひたりける家(いへ)なりけり。この相如(すけゆき)も、彼のときひらの大臣(おとど)の御(おん)子(こ)のあつたゞの中納言(ちゆうなごん)の御むまごなりければにや、「くらゐなどもあさう、人<しからぬ有様(ありさま)にてあるにや」とぞ、世の人もいひおもひける。さてその家(いへ)にわたらせ給(たま)ひて住ませ給(たま)ふに、さうじどもに手づからゑかきなどして、おかしきさまになんしたりければ、とのなどもけうぜさせ給(たま)ひて、世の人も参り来んに、御(おん)心地(ここち)はなをここにてもれいざまにもおはしまさざりけり。
かくておはしますほどに、五月二日関白(くわんばく)のせんじもて参りたり。折しもここにてかうおはしますを、家(いへ)あるじも世のめでたきことにおもひ、人<もいみじう申しおもへり。世の中のむまくるま、ほかにはあらじかしと見えたり。
内大臣(ないだいじん)殿(どの)には、よろづうちさましたるやうにて、あさましう人わらはれなる御有様(ありさま)をひと殿(との)のうちおもひなげき、かひきとかいふさまにて、「あないみじのわざや。たゞもとの内大臣(ないだいじん)にておはせましかば、いかにめでたからまし。なにのしばしの摂政、あな手づゝ。関白(くわんばく)
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の人わらはれなることを、いづれのちごかはおぼししらざらんと、ことはりにいみじうなん。
かゝるほどに、関白(くわんばく)殿(どの)御(おん)心地(ここち)なをあしうおぼさるれば、御風にてなどおぼして、 朴(ほほ)など参(まゐ)らすれど。さらにをこたらせ給(たま)はず、おきふしやすからずおぼされたり。さるは世の人も、「かくてこれぞあべいこと。いかでかちごにまつりごとをせさせ給(たま)ふやうはあらん」と申しおもへり。大将(だいしやう)殿も今ぞ御心(こころ)ゆくさまにおぼされける。内大臣(ないだいじん)殿(どの)はたゞにも御いみのほどはすぐさせ給(たま)はで。世のまつりごとのめでたきことををこなはせ給(たま)ひ、人のはかまのたけ・かりぎぬのすそまでのべしゞめ給(たま)ひけるを、やすからずおもひけるものどもは、「のべしゞめのいとゞかりしけぞや」とぞ聞(き)こえける。
五月四五日になれば、関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)まめやかに苦しうおぼさるれど、ぬるませ給(たま)ひたれば、えともかうともせさせ給(たま)はず。御読経・御誦経などたゞいまあるべきならず。ことのはじめなればいま<しうおぼされて、せめてつれなふもてなさせ給(たま)ひて、おきふし我が御身一つ苦しげなり。殿(との)の内には、さぶらひにもよるひるもつゆのひまなく、せかいの四位・五ゐ・とのばらまでおはしまし込みさぶらふ。御随身所・こどねり所はさけを飲みのゝしりてうちあげのゝしる。「我がきみの御(おん)心地(ここち)や、かう苦しうおはすらん」ともおもひたらず。左大将(さだいしやう)殿日々におはしましつゝ、あるべきことどもを申しをきてさせ給(たま)ふ。なをいとあさましき御(おん)心地(ここち)のさまを心(こころ)得ず見奉(たてまつ)らせ給(たま)へど、
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まが<しきすぢにはたれも覚しかけず。
かくてこの御(おん)心地(ここち)まさらせ給(たま)ひぬれば、今はとありともかうともとて、ついたち六日の夜中にぞ、二条(にでう)殿(どの)にかへらせ給(たま)ふ。
かゝることゞもかくれなければ、内大臣(ないだいじん)殿(どの)にはおくゆかしうおぼさるゝもことはりになん。殿(との)のうち、今はえつゝみあへずゆすりみちたり。おほかたのさはがしき内にも、かゝる御ことゞものありさだまらぬことさへあれば、うちわたりにもさるべきとのばらさぶらひ給(たま)ひ、たきぐち・たちばきなど番かゝずさぶらふ。
二条(にでう)殿(どの)にはきたのかた、日比たゞにもおはせぬに、「このたびは女君(をんなぎみ)」とゆめにも見え給(たま)ひ、占(うら)にも申しつれば、とのいつしかと待ちおぼしつるに、かくめでたき御ことさへおはしませば、「かならず女君(をんなぎみ)」と待ちおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へるに、かうおはしますを、いかに<と殿(との)のうちゆすりみちたり。女院(にようゐん)よりも御つかひひまなし。大将(だいしやう)殿(どの)はたゞ哀(あは)れにおぼしあつかはせ給(たま)ひて、御誦経によろづのものはこび出でさせ給(たま)ふ。みまやの御むまのこりなく、御くるまうしにいたるまで、御誦経などおほくをきての給(たま)はす。「かくあり<ていかゞ」と、殿(との)のうちの人<ものにぞあたる。
五月八日のつとめて聞(き)けば、六条(ろくでう)の左大臣(さだいじん)・桃園(ももぞの)の源中納言(ちゆうなごん)・清胤僧都といふ人など失せぬとのゝしれば、「あなかま。かゝることはいむわざなり。とのにな聞かせ奉(たてまつ)りそ」と、たれもさかしういひおもへれども、おなじ日のひつじのときばかりにあさましうならせ給(たま)ひぬ。あなまが<し。殿(との)のうちの有様(ありさま)おもひやる
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べし。左大将(さだいしやう)殿はゆめに見なし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、御かほにひとへの〔御(おん)〕そで〔を〕押しあてゝあゆみ出でさせ給(たま)ふほどの心地(ここち)、さらにゆめとのみおぼさる。哀(あは)れにおもほし聞(き)こえさせ給(たま)へりける御(おん)中(なか)なれば、ゆゝしともおぼさずあつかひ聞(き)こえ給(たま)へる、かひなし。おなじ御はらからときこゆべきにもあらず、関白(くわんばく)殿(どの)失せ給(たま)へりしに、御とぶらひだになかりしに、哀(あは)れにたのもしうあつかひ聞(き)こえ給(たま)ひつるかひなきことを。返々とのがたにはおぼし嘆(なげ)く。さいへど殿(との)のとしごろの人々こそあれ、このごろ参りよりつる人々は、やがて出でゝいき果てにけり。関白(くわんばく)のせんじかくふらせ給(たま)ひて、今日七日にぞならせ給(たま)ひける。さき<”のとのばら、やがて世を知(し)らせ給(たま)はぬたぐひはあれど、かゝるゆめはまだ見ずこそありけれ。心(こころ)憂きものになむありける。
彼の内大臣(ないだいじん)殿には、あさましうおこがましかりつる御有様(ありさま)の推しうつりたりしほどを、人わらはれにいみじうねたげなりつるに、「のちは知らず、ほどなふ世を見あはせつるかな」とうれしうて、二ゐの新発意いのりたゆまず、いとゞしう「さりとも<」とおもふべし。「げにさもありぬべき御有様(ありさま)のためしを」とおもふぞ、げにはおほやけばらだたれける。
此のあはた殿(どの)の君達(きんだち)は、はかばかしうおとなび給(たま)へるもなし。いとわかう毛ふくだみてぞ二人おはすめるも、いと哀(あは)れに見え給(たま)ふ。その夜さりやがてあはた殿にゐて奉(たてまつ)りぬ。十一日に御さうそうせさせ給(たま)ふ。かへすがへすあへなういみじう心(こころ)憂し。
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かの中河の家あるじ、人よりも哀(あは)れと覚したる、またかぎりなふうれしとおもひけるに、又(また)かうおはしませば、世を心(こころ)憂くいみじうおもひて、此の御さうそうの夜。志(こころざし)のかぎり火水(みづ)に入りまどひ、あつかひあかし奉(たてまつ)りたれば、心地(ここち)もあしうなりて、家に行きて、「ものをいみじうおもへばにやあらん、心地(ここち)こそいとあしけれ」といへば、むすめどもいとおそろしきことにおもひてなげきけり。
かくて御いみのほど、みなあはたどのにおはすべし。これのみならず、「のこりなくみな人のなるべきにや」と見え聞(き)こえて、あさましきころなり。
彼の家あるじあはたどのにとのゐして、たゞよろづにおもひつゞけて、こひしうおもひ聞(き)こえければ、いも寝られでひとりごちけるか、
@ゆめならで又(また)もあふべききみならば寝られぬいをもなげかざらまし W016。
と詠みたるを、五月十一日より心地(ここち)まことにあしうおぼえたれば、そのつとめてむすめどもの家(いへ)にいきて、「心地(ここち)のあしうおぼえ侍れば、苦しうなるはかならずいくべうもおぼえず侍れば、まで来つるぞ」といひて、「このあはたどのにて一夜いのねられざりしかば、かくなん」と、うたをかたりて、すゞりのしたなるしろきしきしに書き付けて得させたり。かへりて其の日やがて心地(ここち)いみじうわづらふなりけり。家のうちいみじうなげきて、いかに<とよろづにおもふほどに、かぎりになりにける折も、殿(との)の御法事にだにあはずなりぬることをぞ、かへすがへすいひける。さて同じ月の廿九日に失せにけり。家(いへ)のうち
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の人いかゞはおもはざらん。かなしさは同じことなり。ひごろありてむすめの詠みける、
@ゆめ見ずとなげきしきみをほどもなくまた我がゆめに見ぬぞかなしき W017。
失せ給(たま)ひにしとのばらの御法事ども、みなかたはしよりしてげり。
此のあはた殿(どの)の御事ののちより、五月十一日にぞ、左大将(さだいしやう)天下および百官行といふせんじくだりて、今は関白(くわんばく)殿(どの)と聞(き)こえさせて、又(また)ならぶ人なき御有様(ありさま)なり。女院(にようゐん)もむかしより御志(こころざし)取りわき聞(き)こえさせ給(たま)へりしことなれば、「としごろのほいなり」とおぼしめしたり。此の内大臣(ないだいじん)殿は、あはた殿(どの)の〔御(おん)〕有様(ありさま)にならひて、「此のたびもいかゞ」とおぼすぞ、をこなりける。さりともとたのもしうて、「二ゐの御いのりたゆまぬさまなり。世の中さながら押しうつりにたり。内大臣(ないだいじん)殿(どの)世の中をいみじう覚しなげきければ、御をぢどもや二ゐなど、「なにかおぼす。今はたゞ御いのちをおぼせ、たゞ七八日にてやみ給(たま)ふ人はなくやは。いのちだにたもたせ給(たま)はば、何事(なにごと)をか御覧(ごらん)ぜざらん。いであなおこや。おい法師(ほふし)世に侍らんかぎりは」と、たのもしげにきこゆれば、さりともとおぼすべし。
大将(だいしやう)殿は、六月十九日に右大臣(うだいじん)にならせ給(たま)ひぬ。よろづよりも哀(あは)れにいみじきことは、山の井の大納言(だいなごん)ひごろわづらひて、六月十一日に失せ給(たま)ひぬ。御とし廿五なり。たゞいま人に誉められてようおはしけるきみなれば、今の関白(くわんばく)殿(どの)も、此のきみをば「故殿の子にせさせ給(たま)ひしかば、我も取りわきおもはんとしつるものを」とくちおしうおぼされけり。
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すべてあさましう心(こころ)憂きとしの有様(ありさま)なり。これにつけても内大臣(ないだいじん)殿世をおそろしうおぼしなげき給(たま)ふに、女ゐんには、としごろ法華経(ほけきやう)の御読経あるに、又(また)はじめさせ給(たま)ひて、読ませ給(たま)ふ。世の中のさはがしさをいとおそろしきものに覚したり。あはた殿(どの)の御法事六月廿日のほどなり。あはたどのにてせさせ給(たま)ふ。きたのかたやがてあまになり給(たま)ひぬ。「たゞにもあらぬ御身に」と人々きこゆれど、おぼえのまゝになり給(たま)ひぬるも、ことはりに見え給(たま)ふ。
中宮(ちゆうぐう)世の中を哀(あは)れにおぼしなげきて、さとにのみおはします。されど、さてのみやはとて参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。御門(みかど)いと哀(あは)れにおぼしめしたり。春宮(とうぐう)には、宣耀殿(せんえうでん)も淑景舎もいと哀(あは)れにおなじさまなることを、心(こころ)ぐるしうおもひやり聞(き)こえさせ給(たま)ふ。淑景舎のいとほこりかなりし御けしきもいとゆかしうおぼしめすべし。宣耀殿(せんえうでん)の一のみやもいとこひしうおぼえさせ給(たま)へば、なを「参(まゐ)らせ給(たま)へ」とあれど、世のさはがしければ、よろづつゝましうおぼえて、すが<しうも覚したゝず。
世の中の哀(あは)れにはかなきことを、摂津守為頼朝臣といふ人、
@世の中にあらましかばとおもふ人なきがおほくもなりにけるかな W018。
これをきゝて、東宮(とうぐう)の女蔵人小大進君、かへし、
@あるはなくなきはかずそふ世の中に哀(あは)れいつまであらんとすらん W019。
とぞ。
をのゝみやのさねすけ中納言(ちゆうなごん)、式卿宮の御むすめ。花山(くわさん)の院(ゐん)の女御(にようご)に通(かよ)ひ給(たま)ふといふこと出で来
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たれば、一条(いちでう)の道信の中将(ちゆうじやう)さし置かせける。
@うれしさはいかばかりかはおもふらん憂きは身にしむ心地(ここち)こそすれ W020。
われもけさうじ聞(き)こえけるにや。
まこと、彼の追い籠められし有国、此のごろ宰相(さいしやう)までなさせ給(たまへれば、哀(あは)れにうれし。「世はかうこそは」と見おもふほどに、此のごろ大貳三拝書奉(たてまつ)りたれば、有国をなさせ給(たま)へれば、世の中はかうこそはあれと見えたり。御門(みかど)の御めのとの橘三位の、きたのかたにていとまうにてくだりぬ。「これぞあべいこと、故殿(との)のいとらうたきものにせさせ給(たま)ひしを、故関白(くわんばく)殿あさましうしなさせ給(たま)ひてしかば、めやすきこと」ゝ世の人聞(き)こえおもひたり。惟仲はたゞいま左大弁にてゐたり。
かくて冬にもなりぬれば、ひろはたの中納言(ちゆうなごん)ときこゆるは、堀河(ほりかは)殿(どの)の御太郎なり。それとしごろのきたのかたには、むらかみの御門(みかど)のひろはたの御息所(みやすどころ)のはゝの女五宮をぞもち奉(たてまつ)り給(たま)へる。其の御はらに女君(をんなぎみ)ふたところ・おとこ一人ぞおはするを、としごろ「いかでそれは内・東宮(とうぐう)に」とおぼしながら、世の中わづらはしうて、うちにはおぼしかけざりつ。東宮(とうぐう)には淑景舎さぶらはせ給(たま)へば、よろづにはゞかりおぼしつるに、「此の絶(た)え間にこそは」と覚したちて、此のひめぎみうちに参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。けふあすと覚し立つほどに、又(また)たゞいまの侍従の中納言(ちゆうなごん)といふは、九条(くでう)殿(どの)の十一郎公季ときこゆる、これもみやばらのむすめをきたのかたにて、ひめぎみ一人・おとこぎみ二人もてかしづきても給(たま)へりければと、世の中にたれも
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おぼしはゞかりつるを、今の関白(くわんばく)殿(どの)の御むすめあまたおはすめれど、まだいと幼(をさな)くてはしりありき給ふほどなれば、それにおぼしはゞかるべきにあらず。これも内にとおぼし立ちけり。春宮(とうぐう)には淑景舎、内侍(ないし)のかみさぶらひ給(たま)ふ。宣耀殿(せんえうでん)には一のみやの御はゝ女御(にようご)にて、又(また)なき御おもひなれば、同じうはうちにとおぼし立つも、げにと見えたることなり。さてひろはたのひめぎみ参り給(たま)ひて、承香殿に住み給(たま)ふ。世のおぼえ、「いでや、けしうはあらむ。あなこたい」ときこゆめれど、さしもあらず、めやすくもてなしおぼしめしたり。いとかひあることなり。
公季中納言(ちゆうなごん)、「などかおとらむ」とおぼして、さしつゞき参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。弘徽殿にぞ住み給(たま)ふ。これは何事(なにごと)にも今一きはゝ今めかしうさまざまにし奉(たてまつ)ることさらなり。たゞ「女御(にようご)の御(おん)おぼえぞ。これは少しのどやかに見え給(たま)へる。承香殿ぞおもはずにおもはすめる」と、世の人申しためる。内わたりいまめかしうなりぬ。女院(にようゐん)、「たれなりとも、唯(ただ)みこの出で来給(たま)はむかたをこそはおもひ聞(き)こえめ」との給(たま)はす。女御(にようご)の御おぼえ、承香殿はまさり給(たま)ふやうにて、はかなふ月日も過ぎもて行く。
中宮(ちゆうぐう)は、「としごろかゝることやはありつる。ことの一所おはせぬげにこそはあめれ」と、哀(あは)れにのみおぼさる。うちには「人見る折ぞ」といふやうに、今めかしう、何事(なにごと)につけても中宮(ちゆうぐう)をつねにこひしうおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。
かゝるほどに、一条(いちでう)殿(どの)をばいまは女院(にようゐん)こそは知(し)らせ給(たま)へ。彼の殿(との)の女君(をんなぎみ)達(たち)
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はたかづかさなるところにぞ住み給(たま)ふに、内大臣(ないだいじん)殿(どの)しのびつゝおはし通(かよ)ひけり。しんでんのうへとは三君をぞ聞(き)こえける。御(おほん)かたちも心(こころ)もやむごとなふおはすとて、ちゝ大臣(おとど)いみじうかしづき奉(たてまつ)り給(たま)ひき。「女子はかたちをこそ」といふことにてぞ、かしづき聞(き)こえ給(たま)ひける。其のしんでんの御かたに内大臣(ないだいじん)殿(どの)は通(かよ)ひたまひけるになんありける。
かゝるほどに、花山(くわさん)の院(ゐん)此の四君の御もとに御(おほん)ふみなど奉(たてまつ)り給(たま)ふ。けしきだゝせ給(たま)ひけれど、けしからぬことゝて、きゝ入れ給(たま)はざりければ、たびたびおほむみづからおはしましつゝ、今めかしうもてなさせ給(たま)ひけることを、内大臣(ないだいじん)殿(どの)は、「よも四君にはあらじ。此の三君のことならん」と押しはかりおぼいて。我が御はらからの中納言(ちゆうなごん)に、「此のことこそやすからずおぼゆれ。いかゞすべき」と聞(き)こえ給(たま)へば、「いで、たゞをのれにあづけ給(たま)へれと。やすきこと」ゝて、さるべき人二三人具し給(たま)ひて、此のゐんの、たかづかさどのより月いとあかきに御むまにてかへらせ給(たま)ひけるを、「をどし聞(き)こえん」と覚しをきてける物は、ゆみやといふものしてとかくし給(たま)ひければ、御ぞのそでより矢はとをりにけり。さこそいみじうおゝしうおはします院(ゐん)なれど、ことかぎりおはしませば、いかでかはおそろしとおぼさざらん。いとわりなふいみじとおぼしめして、ゐんにかへらせ給(たま)ひて、ものもおぼえさせ給(たま)はでぞおはしましける。
これをおほやけにも、とのにも、いとよう申させ給(たま)ひつべけれど、ことざまのもとよりよからぬことのおこりなれば、はづかしう
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おぼされて、「此のこと散らさじ、後代のはぢなり」と忍(しの)ばせ給(たま)ひけれど、とのにもおほやけにもきこしめしつけて、SSおほかたこのごろの人のくちに入りたることはこれになんありける。「太上天皇は世にめでたきものにおはしませど、此のゐんの御全をきてのおもりかならずおはしませばこそあれ。さはありながら、いと<かたじけなくおそろしき事なれど、此のことかくをとなくてはよもやまじ」と、世の人いひおもひたり。
また太元師法といふことは、たゞおほやのみぞむかしよりをこなはせ給(たま)ひける、たゞ人はいみじきことあれど、をこなひ給(たま)はぬことなりけり。それを此の内大臣(ないだいじん)殿(どの)しのびて此のとしごろをこなはせ給(たま)ふといふことこのごろ聞(き)こえて、これよからぬことの内に入りたなり。又(また)女院(にようゐん)の御(おほん)なやみ。折<いかなることにかとおぼしめし、御ものゝけなどいふことどもあれば、此の内大臣(ないだいじん)殿(どの)を、「なを御心(こころ)をきて心(こころ)幼(をさな)くてはいかゞはあべからん」と、かたぶきもてなやみきこゆる人<おほかるべし。
かくいふほどに、長徳二年になりぬ。二三月ばかりになりぬれば、こぞあさましかりし所々の御はてども、あるは同じ日、あるはつぎの日などうちつゞきてここかしこおぼしいとなみたり。いみじう哀(あは)れになむ。ところ<”に御ぞのいろかはり、あるはうすにびなどにておはするも、哀(あは)れなり。
たゞむ月にぞまつりとのゝしるに、世の人くちやすからず、「まつり果てゝなん花山(くわさん)の院(ゐん)の御ことなどいでくべし」などいふめり。「あなものぐるをし。ぬす人あさりすべしなどこそ
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いふめれ」など、さまざまいひあつかふもいかゞと、いといとをしげになん見えきこゆめる。いかなるべき御ことにかと、心(こころ)ぐるしうこそは侍れ。
このごろ内には、藤三位といふ人の腹にあはた殿(どの)の御むすめおはすれど、殿(との)の、ひめぎみおはせぬをいみじきことにおぼいたりしかど、此の御ことをば、殊に知りあつかはせ給(たま)はざりしに、むげにおとなび給(たま)ふめれば、藤三位おもひ立ちてうちに参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。三位は九条(くでう)殿(どの)の御むすめといはれ給(たま)ふめれば、此のとのばらもやむごとなきものにおぼしたれば、かやうにおぼし立ち参(まゐ)らせ給(たま)ふにも、にくからぬことにて、はかなきことなども左大臣(さだいじん)殿よういし聞(き)こえ給(たま)へり。さて参り給(たま)ひて、くらべやの女御(にようご)とぞ聞(き)こえける。三位は今めかしき御おぼえの者にものし給(たま)ひける。年ごろ惟仲の弁ぞ通(かよ)ひければ、それぞ此の女御(にようご)の御こともよろづにいそぎける。
かう女御(にようご)たち参り給(たま)へれど、いまゝでみやも出でおはしまさぬことを、女院(にようゐん)はいみじうおぼしめしなげかせ給(たま)へり。中宮(ちゆうぐう)のたゞにもおはしまさぬを、さりともとたのもしうおぼしめすを、「なにかはおはしまさん」と、世の人おぼつかなげにぞ申しおもふべかめる。いざや、それも今のことなれば、まことにさやおはしまし果てざらんとも知りがたし。内大臣(ないだいじん)殿(どの)こそはよろづにいのりさはぎ給(たま)ふめれ。あやしうむつかしきことの世に出で来たるのみこそ。いよ<おしとおぼしなげかるれ」。



栄花物語詳解巻五


栄花物語 巻第五
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栄華物語詳解 巻三
           和田英松 佐藤球 合著
S05〔栄花物語巻第五〕 浦々の別
かくて祭(まつり)果(は)てぬれば、世の中にいひざざめきつる事(こと)ども〔の〕あるべきさまに人々いひ定(さだ)めて、恐(おそ)ろしうむつかし。内大臣(ないだいじん)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)殿(どの)もおぼし嘆(なげ)く。とのには、御門(みかど)をさして、御(おほん)物忌(ものいみ)しきりなり。宮(みや)の御まへもたゞにもおはしまさねば、大方(おほかた)御(おん)心地(ここち)さへ惱(なや)ましう苦(くる)しうおぼさるれば、臥(ふ)しがちにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。かかる事(こと)はをのづから漏り聞(き)こゆれば、「あなあさましや。さやうのゆめをも見ば、われいかにせん。いかでただ今日(けふ)明日(あす)身を失(うしな)ふわざもがな」とおぼしなげゝど、いかゞはせさせ給(たま)はん。此のとのばら、「さてもいかなるべきにかあらん。さりとて只今(ただいま)身を投(な)げ、出家(しゆつけ)入道(にふだう)せんも、いとまことにおどろ<しからん事(こと)は逃(のが)るべきにもあらず。ただ仏神ぞともかくもせさせ給(たま)ふべき」とて、ずゞを放(はな)たず、つゆものも聞(き)こし召(め)さで、なげき明(あ)かし思(おも)ひ暮(くら)し給(たま)ふ。
うちには陣に、陸奧(みち)のくにのさきのかみこれのぶ、左衛門(さゑもん)のぜう惟時、肥前前司(ぜんじ)よりみつ、すはう前司(ぜんじ)よりちかなどいふ人々、みなこれ満中・さだもりが子むまごなり。各(おのおの)つはものども〔を〕かず知(し)らず多(おほ)くさぶらふ。東宮(とうぐう)の帶刀(たちはき)や、たきぐちやなどいふものどもよるひるさぶらひて、せきを
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固(かた)めなどしていとうたてあり。世にはおほあなくりといひつぐるもいとゆゝし。「としごろてんべんなどして、ひやうらんなどうらなひ申(ま)しつるは。此の事(こと)にこそありけれ」と、よろづのとのばら・宮(みや)ばらさるべき用意(ようい)せさせ給(たま)ふ。もののかずにもあらぬ里人(さとびと)さへ、よろづにともせばやまに入(い)らんとまうけをし、ゆゝしきころの有様(ありさま)なり」。
北(きた)の方(かた)の御兄人(せうと)の明順・道順の弁などいふ人<、「あな心憂(う)。さば、かうにこそ世はあめれ。いかゞせさせ給(たま)はんずる」など申(ま)し騷(さわ)げど、つゆかひあるべき事(こと)にもあらぬに、殿(との)のうちに曹司してとしごろさぶらひつる人々、「とありともかかりとも、君のなくならせ給(たま)はんまゝにこそは」とも思(おも)はで、よろづをこぼちわらひごほめきののしりて、もて出(い)で運(はこ)び騷(さわ)ぐを見るに、いみじう心(こころ)細(ぼそ)し。されどさなと(せい)し給(たま)ふべきにもあらず。よろづの人の見思(おも)ふらん事(こと)をはづかしういみじうおぼさるゝ程(ほど)に、世のなかのある検非違使(けんびゐし)の限(かぎ)り、此の殿(との)の四方にうち固(かた)め、〔かこみたり。各(おのおの)〕えもいはぬ鬼のやうなる者うちぐして、太刀ほこ取りつつ、立(た)ちこみたる気色(けしき)、みちおほぢの四五丁ばかりの程(ほど)はゆきゝもせず。いとけ恐(おそ)ろしきとののうちの気色(けしき)有様(ありさま)ども、いはんかたなく騷(さわ)がしけれど、しんでんのうちにおはしましある人々おほかれど、人おはするけはひもせず、哀(あは)れに悲(かな)しきに、かかるにこのあやしのものども殿(との)のうちにうちめぐりつゝ、ここかしこを〔ぞ〕見騷(さわ)ぐ〔める〕けはひ、えもいはずゆゝしげなるにも、もののはざまより見出だして、ある限(かぎ)りの人々。むねふたがり心地(ここち)いといみじ。殿(との)
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「今(いま)は逃(のが)れがたき事(こと)にこそはあめれ。いかで此の宮(みや)を出(い)でゝこはたに参(まゐ)りて、近(ちか)うもとをうもつかはさんかたにまかるわざをせむ」とおぼしの給(たま)はするに。此のものども立(た)ちこみたれば、おぼろげのとりけだものならずば出(い)で給(たま)はん事(こと)かたし。「よなかなりともなき御かげにも。今(いま)一度参(まゐ)りてこそは、今(いま)はのわかれにも御覧(ごらん)ぜられめ」と言ひつゞけの給(たま)はするまゝに、えもいはずおほきに、水精の玉ばかりの御(おん)涙(なみだ)つゞきこぼるゝ〔は〕。見奉(たてまつ)る人いかゞは安(やす)からん。はゝ北方・宮(みや)のおまへ・御をぢの人々れいの涙(なみだ)にもあらぬ涙(なみだ)出(い)で来て、此の恐(おそ)ろしげなるものどもの宮(みや)のうちに入りみだれたれば、検非違使(けんびゐし)どもいみじうせいすれど、それにもさはるべき気色(けしき)ならず。」
かかる程(ほど)に、かくみだりがはしきもののなかどもをかきわけ、さるかたに、うるはしくさうぞきたるもの、みなみ面(おもて)に唯(ただ)参(まゐ)りに参(まゐ)る。こはなにしにかと思(おも)ふ程(ほど)に、宣命と言ふもの読むなりけり。聞(き)けば、「太上天皇をころし奉(たてまつ)らんとしたるつみひとつ、御門(みかど)の御はゝぎさきをのろはせ奉(たてまつ)りたるつみひとつ、おほやけよりほかの人いまだをこなはざる太元の法をわたくしにかくしてをこなはせたるつみにより、内大臣(ないだいじん)を筑紫(つくし)の帥(そち)になしてながしつかはす。また中納言(ちゆうなごん)をば出雲権守になしてながしつかはす」と言ふ事(こと)を読みののしるに、宮(みや)のうちの上下。こゑをどよみ泣きたる程(ほど)の有様(ありさま)。此のもん読む人もあはてにたり。検非違使(けんびゐし)どもゝ涙(なみだ)をのごひつつ、哀(あは)れに悲(かな)しうゆゝしう思(おも)ふ。其のわたり〔に〕近(ちか)き人々みなきゝて、かどをばさしたれど、
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此の御こゑにひかれて涙(なみだ)とどめがたし。
さて「今(いま)は出(い)でさせ給(たま)へ。日暮れぬ<」とせめののしり申ど、すべてともかくもいらへする人なし。内にも、かく答へする人なきよしをそうせさすれば、「などて、さるべき事(こと)にもあらず。唯(ただ)よくよくせめよ」とのみしきりに宣旨(せんじ)くだるに、かくてこの日も暮れぬれば、内大臣(ないだいじん)殿(どの)、「故殿こよひぞさそひてゐて出(い)でさせ給(たま)へ」と、おぼしねんぜさせ給(たま)ふ御(おほん)しるしにや、そこらの人さばかり言ひののしりつれど、夜なかばかりにいみじう寝入りたれば、御をぢの明順ばかりと御ともに、人二三人ばかりしてぬすまれ出(い)でさせ給(たま)ふ。御心のうちに〔多くの〕大願をたてさせ給(たま)ふそのしるしにや、事(こと)なく出(い)でさせ給(たま)ひぬ。」〔それより〕こはたに参(まゐ)り給(たま)へるに、月あかけれど、此のごろはいみじうこぐらければ、「その程(ほど)ぞかし」とおぼしはかりおはしまいつるに、かの山(やま)ぢかにてはおりさせ給(たま)ひて、くれ<”と分け入(い)らせ給(たま)ふに、木の間より漏り出(い)でたる月をしるべにて、卒都婆〔や〕くぎ抜きなどいとおほかる中に、これはこぞの此のごろの事(こと)ぞかし。さればすこししろう見ゆれど、其の折から人<あまたものし給(たま)ひしかば、いづれにか」とよろづたづね参(まゐ)り寄らせ給(たま)へり。
そこにて〔は〕よろづを言ひつゞけ、伏しまろび泣かせ給(たま)ふけはひにおどろきて、山(やま)の中のとりけだものもこゑをあはせて鳴(な)きののしる。ものの哀(あは)れを知(し)る、哀(あは)れに悲(かな)しういみじき〔に〕、「おはしましし折、人よりけにめでたき有様(ありさま)にと、おぼしをきてさせ給(たま)ひしかど、みづからの宿世果報(すくせくわほう)の
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ゆゝしく侍りければ、今(いま)はかくて都(みやこ)離(はな)れて知(し)らぬ世界(せかい)にまかりながされて、又(また)かやうに無き御かげにも御覧(ごらん)ぜらるゝやうも侍らじ。みづからをこたり思(おも)ふ給る事侍らねど、さるべき身のつみにてかうあるまじき目を見侍れば、いかでいづちもまからで、こよひのうちに身を失(うしな)ふわざをしてしかなど無き御かげにも御面(おもて)ぶせと、後代の名をながし侍る、いと悲(かな)しき事(こと)なり。たすけさせ給(たま)へ。中納言(ちゆうなごん)もおなじくながしつかはせど、おなじかたにだに侍らず、かたがたにまかりわかるゝ悲(かな)しき事(こと)。又(また)ゆゝしき身をばさるものにて、宮(みや)の御まへ〔の〕月ごろたゞにもおはしまさぬが、かかるいみじき事(こと)により、露御湯(ゆ)をだに聞(き)こし召(め)さで、涙(なみだ)にしづみておはしますを、いみじうゆゝしうかたじけなくはべり。おはします陣のまへは、かさをだに〔こそ〕ぬぎてこそわたり侍れ、かくえもいはぬものどもの、おはしますめぐりに立(た)ちこみて、御簾をも引きかなぐりなどして、あさましうかたじけなく〔悲しく〕ておはしますとも、もしたま<たいらかにおはしまさば。御産の折いかにせさせ給(たま)はんずらん。かひなき身だにゆくゑも知(し)らずまかり〔なり〕ぬれば、なをかの御身離(はな)れさせ給(たま)はず、たいらかにとまもり奉(たてつ)らせ給(たま)ひて、又(また)かけまくもかしこきおほやけの御(おん)心地(ここち)にも。又(また)女院(にようゐん)の御ゆめなどにも、此の事(こと)とがなかるべきさまに思(おも)はせ奉(たてまつ)らせ給(たま)へ」などなく<申させ給(たま)ふまゝに。涙(なみだ)におぼれ給(たま)ふ。聞(き)く人さへ無きところなれば、明順こゑもをしまず泣きたり。」
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やがてそれよりをしかへし、きたのに参(まゐ)り給(たま)ふ程(ほど)のみちいとはるかに、たつみのかたよりいぬゐのさまにおもむかせ給(たま)ふ。参(まゐ)りつかせ給(たま)へば、鳥鳴(な)きぬ。そこにて又(また)鳴(な)く<いみじき事(こと)どもを申しつゞけさせ給(たま)ふに、此のてんじんに御ちかひたてゝ、ざえおはする人にて、申し給(たま)ふ事(こと)限(かぎ)りなし。「宮(みや)人もやおどろく」と、急(いそ)ぎいで給(たま)ふ程(ほど)に、むげにあけぬ。いかにせんと、かしこにいらせ給(たま)はん程(ほど)も騷(さわ)がし。なをこのわたりにとかくくらさせ給(たま)ひて、夕がたとおぼす程(ほど)も、かしこの御有さまども哀(あは)れにうしろめたくおぼせど。なをしばしやすらはんとおぼして、うごんのむまばのわたりにとどこほらせ給(たま)ふ程(ほど)に、宮(みや)にはきのふくれにし事(こと)だにあり。今日(けふ)とく<と宣旨(せんじ)しきりなり。さても中納言(ちゆうなごん)は。ある気色(けしき)しはべり。帥(そち)はすべてさぶらはぬよしをそうせさすれば、あるまじき事(こと)なり。宮(みや)をさるべくかく奉(たてまつ)りて、塗篭(ぬりごめ)をあけて組入(くみれ)のかみなどもみよとある宣旨(せんじ)しきりにそふ。御塗篭(ぬりごめ)あけ侍らん。宮(みや)さりおはしませど。検非違使(けんびゐし)申せば、今(いま)はすぢなしとて、さるべく木丁などたてゝ。あさはかなるさまにておはしまさせて、検非違使(けんびゐし)どものみにもあらず。えもいはぬ人ぐして、この塗篭(ぬりごめ)をわりののしるをとも、あさましうゆゝしく心憂(う)し。さは世の中はかくあるわざにこそありけれと、めもくれ心もまどひて、涙(なみだ)だにいでこず。中納言(ちゆうなごん)もわれにもあらぬさまにて、**薄鈍(うすにび)の御直衣(なほし)・指貫(さしぬき)など着(き)給(たま)ひて、あさましくてゐ給(たま)へれば、人々かしこまり
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て近(ちか)うもえ参(まゐ)りよらぬに、此のてのあやしのものども。入りみだれてしえたる気色(けしき)どもぞあさましういみじきまであけたれども、ゆめにおはせぬよしをそうせさす。出家(しゆつけ)したるにか。さるにても只今(ただいま)は都(みやこ)のうちを離(はな)るべきにあらず。よく<あされ<と宣旨(せんじ)しきりなり。検非違使(けんびゐし)ども、かつはなく<いみじう思(おも)ひながら、まゝにするにおはせねば、いとあさましき事(こと)にて、帥(そち)なしとてそのあたり〔さがす。〕よるひるまもるべきよしの宣旨(せんじ)しきりにあり。かくして今日(けふ)もくれぬ。いとあさましき事(こと)なり。検非違使(けんびゐし)ども事(こと)あやまちたらば、みなとがあるべきよしくにも、その夜よ一夜いもねじと思(おも)ひ騷(さわ)ぐ程(ほど)に、とりのときばかりに、あやしのあじろぐるまのここらの人どもをぢぬさまなるが、二三人ばかりともにて、この宮(みや)をさしてただきにくるに、あやしくなりて、この検非違使(けんびゐし)どものてのあかぎぬなどきたるものども、たゞよりによりて、「なにのくるまぞ。ただ今(いま)かかるところにくるは」とて、ながえにさとつけば、あらずや。殿(との)のこはたに参(まゐ)らせ給(たま)へりしが、今(いま)かへらせ給(たま)ふなりといふをきゝて、このものどもみなさりぬ。御くるま、御門(みかど)のもとにてかきおろして、内大臣(ないだいじん)殿(どの)おりさせ給(たま)ひぬ。検非違使(けんびゐし)どもみなおりて〔土に〕なみゐたり。み奉(たてまつ)れば、御としは只今(ただいま)廿二三ばかりにて、御かたちのとゝのをり。ふとりきよげにて、いろあひまことにめでたし。かのひかるげんじもかくやありけんとみ奉(たてまつ)る。薄鈍(うすにび)の御衣(ぞ)のなよゝかなるみつばかり、おなじ
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いろの御ひとへの御衣(ぞ)、御直衣(なほし)、御指貫(さしぬき)おなじさまなる御身のざえもかたちも此の世の上達部(かんだちめ)にはあまり給(たま)へると聞(き)こゆるぞかし。あたらものを、哀(あは)れに悲(かな)しきわざかなと。見奉(たてまつ)るに涙(なみだ)もとゝめがたうてみな無きぬ。乗りながらも入(い)らせ給(たま)はで、宮(みや)のおはしませば、われひとりはなをかしこまり給(たま)へるも。いと悲(かな)し。さておはしましぬれば、帥(そち)こはたに参(まゐ)らせたりけるが。只今(ただいま)なんかへりて候ふとそうせさすれば、むげに夜に入りぬれば、こよひはよくまもりて、明日(あす)卯のときにとある宣旨(せんじ)有り。されば夜ひとよいもねで立(た)ち明(あ)かしたり。宮(みや)の御まへ、帥(そち)殿(どの)。はゝ北(きた)の方(かた)、ひとつに手を取りかはしてまどはせ給(たま)ふ。
はかなく夜もあけぬれば、今日(けふ)こそは限(かぎ)りとたれも<おぼすに、立(た)ちのかんともおぼさず。御こゑも惜しませ給(たま)はず。いかに<〔と〕、ときなりはべりぬと責めののしるに。宮(みや)御まへ、はゝ北(きた)の方(かた)。つととらへて、さらにゆるし奉(たてまつ)り給(たま)はず。かかるよしをそうせさすれば、几帳ごしに宮(みや)の御まへを引き放(はな)ち奉(たてまつ)れど、宣旨(せんじ)しきれど。検非違使(けんびゐし)どもも人なれば、おはします屋にはえもいはぬものどものぼり立(た)ちて、塗りごめをわりののしるだにいみじきを。又(また)いかでか宮(みや)の御手を引きはなつ事(こと)はあらんと、いと恐(おそ)ろしう思(おも)ひまはして、身のいたづらにまかりなりて後は、いとびんなかるべし。疾く<とせめ申せば、すぢ無くて出(い)でさせ給(たま)ふに、松ぎみいみじうしたひ聞(き)こえさせ給(たま)へば、かしこくかまへてゐてかくし奉(たてまつ)りて、御くるまにかうじ・
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橘、ごきひとつばかりをふくろに入れて、むしろばりのくるまに乗り給(たま)ふ。宮(みや)の御かたをいとかたじけなくおぼど、宮(みや)の御まへ、はゝ北(きた)の方(かた)もつゞき立(た)ち給(たま)へれば、近(ちか)く御くるま寄せて乗らせ給(たま)ふに、はゝ北(きた)の方(かた)やがて御こしを抱(いだ)きてつゞきて乗らせ給(たま)へば、はゝ北(きた)の方(かた)、帥(そち)のそでをつととらへてやがてのらむとはべりとそうせさすれば、いと便なき事(こと)なり。引き放(はな)ちてとあれど、離(はな)れ給(たま)ふべきかた見えず。唯(ただ)山(やま)ざきまでいかん<と唯(ただ)のりに乗り給(たま)へば、いかゞはせん、すぢなくて御くるま引き出だしつ。かくいふは、長徳二年四月廿四日なりけり。
帥(そち)殿(どの)は筑紫(つくし)のかたなりければ、ひつじさるのかたにおはします。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)はいづものかたなれば、たんばのかたのみちよりとて、いぬゐざまにおはする。御くるま引きいづるまゝに。宮(みや)は御はさみして御手づからあまになり給(たま)ひぬとそうすれば、哀(あは)れ、宮(みや)はたゞにもおはしまさゞらんものを。かくもの思(おも)はせ奉(たてまつ)る事(こと)ゝおぼしつゞけて、涙(なみだ)こぼれさせ給(たま)へば、しのびさせ給(たま)ふ。むかしのちやうごんかのものがたりなども、かやうなる事(こと)にやと悲(かな)しうおぼさるる事(こと)限(かぎ)り無し。此のとのばらのおはするを世の人々見るさま。少々のもの見にはまさりたり。見る人涙(なみだ)をながしたり。哀(あは)れに悲(かな)しなどはよろしき事(こと)なりけり。
中納言(ちゆうなごん)殿(どの)はきやう出(い)で果(は)て給(たま)ひて、たんばざかひにて御むまに乗らせ給(たま)ひぬ。御くるまはかへしつかはすとて、としごろつかはせ給(たま)ひけるうしかひわらはに此のうしは。我がかたみ
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に見よとてたべば、わらは伏しまろびて泣くさま。まことにいみじ。御くるまは都(みやこ)にき。御身は知(し)らぬ山(やま)ぢに入(い)らせ給(たま)ふ程(ほど)ぞいみじき。おほえ山(やま)といふところにて、中納言(ちゆうなごん)、宮(みや)に御ふみかかせ給(たま)ふ。心(こころ)まではたいらかにまうで来つきてはべる。かひなき身なりとも今(いま)一たび参(まゐ)りて御覧(ごらん)ぜられてや やみはべりなむと思(おも)ひ給(たま)ふるになん。いみじう悲(かな)しうはべる。御有様(ありさま)ゆかしきなりと哀(あは)れに書き付け給(たま)ひて、
@憂き事(こと)をおほえの山(やま)と知(し)りながらいとど深くもいる我が身哉 W021
となん思(おも)ひ給(たま)へられ侍るなど書き給(たま)へり。宮(みや)には、哀(あは)れに悲(かな)しう萬をおぼしまどはせ給(たま)ひて、ものもおぼえさせ給(たま)はず。ただならぬ御有様(ありさま)にてかくさへならせ給(たま)ひぬる事(こと)ゝ、かへすがへすうちにも女院(にようゐん)にもいみじく聞(き)こし召(め)しおぼす。
そち殿は其の日のうちにやまざきせきどの院(ゐん)といふところにぞとどまり給(たま)へる。此の御ともにはさるべき検非違使(けんびゐし)ども四人ぞつかうまつりたりける。其の手のものどもの、御くるまに付きて参(まゐるぞ哀(あは)れにゆゝしき。中納言(ちゆうなごん)の御ともには。左衛門(さゑもん)の尉延安といふ人は。ながたにのそうづのはらからの検非違使(けんびゐし)なり。それぞつかうまつりたりける。あさましき事(こと)尽きもせず。せき戸の院(ゐん)にて帥(そち)殿(どの)は御(おん)心地(ここち)あしうなりにければ、御ともの検非違使(けんびゐし)ども、かう<そちはみだり心地(ごこち)あしとてためらひさぶらふ。はゝ北(きた)の方(かた)もやがてつととらへて、またこころになんとそうせさすれば、とく<其のそちつくろひやめて、すがやかにくだすべきよし、ならびにはゝ北のかたのすみやかに
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あげ奉(たてまつ)れと宣旨(せんじ)あるに、中納言(ちゆうなごん)、宮(みや)の御有様(ありさま)もおぼしやり、彼のはゝ北(きた)の方(かた)をもおぼしやらせ給(たま)ふに、いみじうて、女院(にようゐん)もうちも。はるかなる御有様(ありさま)を。いとど心ぐるしう思(おぼ)し召(め)して、おほとのにも此の事(こと)よろしかるべくと、ゐんにせちに申させ給(たま)ひて、そち殿(どの)ははりまに、中納言(ちゆうなごん)殿(どの)はたじまにとどまり給(たま)ふべき宣旨(せんじ)くだりぬ。
此の事(こと)を宮(みや)はつかにきかせ給(たま)ひて、いみじう嬉(うれ)しともおろかに思(おぼ)し召(め)さるゝも、哀(あは)れにいみじき御事(こと)なりかし。せき戸の院(ゐん)にてはりまにとどまり給(たま)ふべきになりぬれば、いみじう嬉(うれ)しうおぼされて、御はゝはやう都(みやこ)へかへり給ね。こよなう近(ちか)き程(ほど)にまかりとどまりぬれば、いと嬉(うれ)しうはべり。又(また)あやまちたる事はべらねば。さりとも召しかへさるゝやうもはべりなんなど泣く<聞(き)こえなぐさめさせ給(たま)ひて、あげ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。われははりまへおはす。かたみにとをざからせ給(たま)へば、いみじう悲(かな)しうなども世のつねなり。
さてかへり給(たま)ひて、うへは宮(みや)の御有様(ありさま)のかはらせ給(たま)へるに、又(また)いとどしき御涙(なみだ)さくりもよゝなり。そち殿(どの)ははりまにおはすとて、ここはあかしとなん申すといふを聞こし召してかくなん、
@もの思(おも)ふこころのうちしくらければあかしのうらもかひなかりけり W022。
いでや、もののおぼゆるにやと。我が心にもにくゝおぼさるべし。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)ことかたへおはすらんを。などおなじかたにあらましと。あやにくなる世をこころうくおぼされて、
@しらなみはたてどころもにかさならずあかしもすまもをのがうら< W023。
といふ
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ふるうたをかへさせ給(たま)へるなるべし、
@かたがたにわかるゝ身にもにたるかなあかしもすまもをのがうら< W024。
とぞおぼされける。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)は、たびのやどりのつゆけくおぼされければ、
@さもこそは都(みやこ)のほかにたび寝せめうたてつゆけきくさまくらかな W025。
かくてたじまにおはし着きぬれば、国のかみ公家の御定(さだ)めよりほかにさしすゝみて、つかうまつる事(こと)おほかり。中納言(ちゆうなごん)は心のあいぎやうづき給(たま)へれば、たれもいみじうぞつかうまつりける。おはし着きぬれば、のぶやす都(みやこ)へかへり参(まゐ)るに。いとど心細(ぼそ)げなる御有様(ありさま)の心ぐるしさに。我が子をともにゐていきたりけるともすけといふをとどめて、御心にしたがへるといひ置きて、われはのぼりにけり。はりまにもあるべきさまにしつらひすへ奉(たてまつ)り置きて、御ともの検非違使(けんびゐし)どもかへり参(まゐ)りぬ。いと遥かなりつる程(ほど)の御ともによそ<の人も哀(あは)れに嬉(うれ)しう思(おも)ふめり。まつぎみのこひ聞(き)こえ給ふぞいみじう哀(あは)れなりける。
宮(みや)にはつきもせぬ事(こと)をおぼし嘆(なげ)くに、御腹も高くもていきて、唯(ただ)あらぬ事(こと)のみおぼししらるゝにも悲(かな)しうなん、はりまよりもたじまよりもうちつぎ御つかひしきりて参(まゐ)る。はゝ北(きた)の方(かた)はそのまゝに御(おん)心地(ここち)あしうて、ものも参(まゐ)らでとしごろの御念誦もけだいして、哀(あは)れにくちおしき御有様(ありさま)を。御はらからの清昭あざりなど明(あ)け暮(く)れ聞(き)こゆれど。今(いま)はおぼしなをるべきやうも見えず。しづみ入りておはすれば、いかにと心細(ぼそ)きを、宮(みや)の御前にも
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御かたがたにもおぼし嘆(なげ)く。二ゐ新発はたゆみなき御いのり、さりとも<と思(おも)ふべし。いづこにもそのまゝにみな御ときにて、明(あ)け暮(く)れ仏神をねんじ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。
ここかしこに通(かよ)ふ御ふみのうちの言の葉ども、いづれも哀(あは)れに悲(かな)しきに。此の北(きた)の方(かた)はしづみ入り給(たま)ひて、いとたのもしげなくなりまさらせ給(たま)ふ。唯(ただ)世とゝもの御事(こと)には。とのにたいめんして死なん<とぞねごとにもし給(たま)ふ。そち殿を聞(き)こえ給なるべし。世〔はか〕なければ、かくおぼしつゝ。ともかくもおはせば、いみじき事(こと)など此のぬしたちの聞(き)こゆるに、さりとていかゞはあるべからんとて、九月十日の程(ほど)になりぬれば、宮(みや)の御事(こと)やう<近(ちか)くなりぬるに。たのもしくおぼす人のかくしづみ入り給(たま)へるに、いとど心細(ぼそ)くおぼさるゝ事尽きせずなん。此の御(おん)心地(ここち)の有様(ありさま)、をこたり給(たま)はん事(こと)ありがたげなるに。唯(ただ)あさゆふは、あなこひしよりほかの事(こと)をの給(たま)はゞこそあらめ。これをきゝ給(たま)ふまゝに。たじまにもはりまにもいみじう覚しおこす。はゝ北(きた)の方(かた)うち泣き給(たま)ひて、
@よるのつる都(みやこ)のうちに籠められて子をこひつゝも泣き明かすかな W026。
いかにと人々聞(き)こゆれば、あらずといひまぎらはし給(たま)へり。はりまには、此のうへのこひしとおぼしたらんに、いかで見え奉(たてまつ)るべからん。おやの事(こと)をいみじとて、又(また)身のいたづらになりはてん事(こと)ゝおぼしみだる。たじまにはいみじきおやの御事(こと)ありとも、いかでかまたきゝにくき事(こと)はしいでん。人の思(おも)はんところのやしからんとおぼし絶(た)え
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たり。
淑景舎は、東宮(とうぐう)より御せうそくつねに絶(た)えず。うちにはいみじうおぼせど。世の中におぼしつつみて、唯(ただ)うこんのないじしてぞしのびて御文などはありける。そちの宮(みや)のうへは、今(いま)にあさましき御(おん)心地(ここち)なれば、こころにのみおはす。なをふりがたう、此の御(おん)中(なか)には東宮(とうぐう)のみぞとひ聞(き)こえ給(たま)へる。女院(にようゐん)には、此の宮(みや)のもしおとこ宮(みや)産み奉(たてまつ)り給(たま)へらば、哀(あは)れにもあべいかなどゆくすゑ遥かなる御有様(ありさま)おぼしつゞけさせ給(たま)ふも、うへを限(かぎ)り無く思(おも)ひ聞(き)こえさせ給ふ、御ゆかりにこそはと、ことはり知(し)られ給(たま)ふ。いみじう哀(あは)れにのみつねになげき聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
はかなく秋にもなりぬれば、世の中いとど哀(あは)れに、荻吹くかぜのをとも、とをき程(ほど)のけはひのそよめきにおぼしよそへられけり。はりまよりも日々に人参(まゐ)り通(かよ)ふ。北(きた)の方(かた)の御(おん)心地(ここち)いやまさりなれば、こと<”なし。そち殿今(いま)一度見奉(たてまつ)りて、死なん<といふ事(こと)を、寝ても覚めてもの給(たま)へば、宮(みや)の御まへもいみじう心ぐるしき事(こと)に思(おぼ)し召(め)し、此の御はらからのぬしたちも、いかなるべき事(こと)にかと思(おも)ひまはせど、なをいと恐(おそ)ろし。北(きた)の方(かた)はぜちに泣きこひ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。見きゝ給(たま)へる人々も安(やす)からず思(おも)ひ聞(き)こえたり。はりまにはかくときゝ給(たま)ひて、いかにすべき事(こと)にかあらん。事(こと)の聞(き)こえあらば、我が身こそはいよ<不用のものになりはてゝ。都(みやこ)を見でやみなめなどよろづにおぼしつゞけて、唯(ただ)とにもかくにも御涙(なみだ)のみぞひま無きや。さばれ、この身は
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又(また)いかゞはならんとする。これにまさるやうはとおぼしなりて、おやの限(かぎ)りにおはせんを見奉(たてまつ)りたりとて、きみもいとどつみせさせ給(たま)ふ。かみほとけもにくみ給(たま)はゞ、なをさるべきなめりとこそは思(おも)はめとおぼし立(た)ちて、よるをひるにてのぼり給(たま)ふ。
さて宮(みや)のうちには事(こと)の聞(き)こえあるべければ、彼のにしのきやうに西院といふところに。いみじくしのびてよなかにおはしたれば、うへも宮(みや)もいとしのびてそこにおはしましあひたり。彼の西院も、殿(との)のおはしましゝ折、此の北(きた)の方(かた)のかやうのところをわざとたづねかへりみさせ給(たま)ひしかば、其の折の御心ばへともに思(おも)ひて、もらすまじきところをおぼしよりたりけり。はゝ北(きた)の方(かた)も、宮(みや)の御まへも、御かたがたも、とのも見奉(たてまつ)りかはさせ給(たま)ひて、また今はさいこのたいめんのよろこびの涙(なみだ)も、いとおどろ<しういみじ。うへはかしこく御くるまに乗せ奉(たてまつ)りて、おましながらぞかきおろし奉(たてまつ)りける。いとふかくなりける御(おん)心地(ここち)なりけれど。よろづさかしく泣く<聞(き)こえ給(たま)ひて、今(いま)は心安(やす)く死にもしはべるべきかなと、よろこび聞(き)こえ給ふも、いへばをろかに悲しとも世のつねなりや。
かくて一二日おぼろげならずしのびさせ給(たま)ふに、いかなるもののつみにか、おほやけ・わたくし。帥(そち)殿(どの)のぼり給(たま)へりといふ事(こと)出(い)で来て、宮(みや)をもまぼらせ給ふ。さるべくうたがはしきところをもさがさせ給(たま)ふに、すべてつゆ不思議なければ、よるをひるになしておほやけの御つかひくだりて、おはしおはせずたしかにとて、見せにつかはしたれば、げにおはせざりけり。さるべくうたがはしき所々を
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たづねさせ給(たま)ふに、唯(ただ)西院になんこもりておはするといふ事(こと)聞(き)こえた〔れ〕ば、おほやけにみなさき<”かかる事(こと)ある事(こと)なれど、まだかくわたくしにのぼりくる例(ためし)なし。こ〔れ〕たゞの事(こと)にはあらじ。公家をいかにし奉(たてまつ)らんとする事(こと)をかまへたるぞなど、いみじき事(こと)を推しはからせ給(たま)ふも、ゆゝしう恐(おそ)ろしうて、すべて都(みやこ)の近(ちか)きがする事(こと)なりとて、また<もかくぞあらん。此のたびはまことの筑紫(つくし)へとて、検非違使(けんびゐし)ども送り奉(たてまつ)るべき宣旨(せんじ)しきりにてうちかこみて、とく<といさゝか逃(のが)れ給(たま)ふべくもあらず。そゝのかし聞(き)こゆ。又(また)さらなる御気色(けしき)どもいへばおろかにゆゝし。
こたみの御ともには。はゝ北(きた)の方(かた)の御はらからのつのかみためもとゝいひし人のめにて宣旨(せんじ)とてありしぞ。御くるまに乗りてやがて参(まゐ)る。母北(きた)の方(かた)あきれて、やがてものもおぼえ給(たま)はず。そち殿は、なにかはこれはことはりの事(こと)なれば、さべきにこそはと、思(おぼ)し召(め)して、出(い)でさせ給(たま)ふに、松ぎみはわれも<と泣きさけびののしり給(たま)ふ。げに哀(あは)れに悲(かな)しういみじ。かしこくこしらへとどめ奉(たてまつ)りて、御くるま引きいづる程(ほど)も哀(あは)れに悲し。あさましく心憂く、ゆめのやうなる事(こと)にもあるかなと、尽きもせずおもほしなげかる。宮(みや)の御前の御(おん)心地(ここち)にも、はりまとかはこよなく近(ちか)しときゝつればたのもしかりつるものをと、とありともかかりとも、はゝ北(きた)の方(かた)はおはすべき御有様(ありさま)にもあらざめり。とかくの事(こと)の折に、いかに哀(あは)れに悲(かな)しう心細(ぼそ)うたれかはやともいはんとすらんと、尽き
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もせずおぼさる。
さても此の御事(こと)は、ゑちごのかみ平親信といふ人の子、いとあまたありけるなかに、うまのすけたかよしといひて、うたうたひ、折節倍従などにめさるゝありけり。それが申し出(い)でたりける事(こと)なりければ、おほやけの御ためにうしろ安(やす)き事(こと)申し出(い)でたりとて、かかい給(たま)はせたりければ、よろこびいひにちゝがもとに行きたりければ、ちかのぶの朝臣(あそん)づこにたがもとゝてここには来つるぞ。おほけなくつれなくもあるかなと。かやうの事(こと)われらが程(ほど)の人の子などのいひいづべき事(こと)にあらず。かかる事(こと)はえびす・まちめなどこそいへ。あさましう心憂き事(こと)をいひ出(い)でゝ。人の御むねを焼きこがしなげきをおふ、善き事(こと)なりやとて、いとはしたなくいひののしりければ、あまへて逃(に)げにけり。
世の人此の殿(との)の御有様(ありさま)を。あるはあしうし給(たま)へれば、ことはりといふ人もあり。又(また)すこしものの心知(し)りたるこころばへある人は。かの御身にておはしたるにくからず。はゝの死ぬべきが、われを見て死なむ<といはんを。身はいたづらになるともなどおぼすにこそはあらめ。哀(あは)れなる事(こと)なりや。彼のもとのはりまも今(いま)は過ぎ給(たま)ひぬらんかし。中納言(ちゆうなごん)こそかしこくおはせずなりにけれ。なをたましゐおはすかしなどぞ聞(き)こえける。
はゝ北(きた)の方(かた)、哀(あは)れに悲しき事(こと)をおぼしつゝ、今(いま)は限(かぎ)りになり給(たま)ひにたり。哀(あは)れに悲しとも世のつねなる御有様(ありさま)どもなり。としごろの御念誦いたづらになりぬべき事(こと)を、清昭あざりくち惜しき事(こと)に
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思(おも)ひ聞(き)こゆ。二ゐのしんぼちは、唯(ただ)よるひる御祈共を死ぬばかりしゐて、なをこりずまにさるべき法どもなんをこなひける。東宮(とうぐう)より淑景舎に哀(あは)れにいかにいかにとある御せうそく絶(た)えず。いみじくち惜しうほこりかにおはせし物を。いかにものおぼすらんと、ゆかしう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)よりいかなる御せうそくかありけん。淑景舎より聞(き)こえさせ給(たま)ふ、
@秋ぎりのたえま<を見わたせばたびにたゞよふ人ぞ悲しき W027。
遥かなる御有様(ありさま)をおぼしやらせ給(たま)ひて中宮(ちゆうぐう)
@くものなみけぶりのなみと立(た)ちへだてあひ見ん事(こと)の遥かなるかな W028。
と、ひとりごち給(たま)ひけり。
やう<筑紫(つくし)ぢかにおはしたれば、くに<のむまや<つかひのまうけども。いと真心に泣く<といふばかりにつかうまつりわたす。今(いま)は筑紫(つくし)におはし着くきはに、其の折の大貳は。有国朝臣(あそん)なり。かくときゝて御まうけ。いみじうつかうまつる。哀(あは)れ、故殿(との)の御心の有国をつみも無くをこたる事(こと)もなかりしに、あさましくむくはんにしなさせ給(たま)へりしこそ。世に心憂くいみじと思(おも)ひしかど。有国がはぢははぢがはじにもあらざりけり。哀(あは)れにかたじけなく思(おも)ひかけぬかたにこえおはしましたるかな。おほやけの御をきてよりは、さしましてつかうまつらんとすなどいひつゞけ、よろづにつかうまつるを、人づてにきゝ給(たま)ふもいとはづかしう、なべて世の中
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さへ憂くおぼさる。御せうそこ我が子のはしなりして申させたり。思(おも)ひがけぬかたにおはしましたるに。京の事(こと)もおぼつかなくおどろきながら参(まゐ)りさぶらふべきに。九国の守にてさぶらふ身なれば、さすがに思(おも)ひのさまにえまかりありかぬになん。今(いま)ゝで聞(き)こえぬ。何事(なにごと)も唯(ただ)おほせごとになんしたがひつかうまつるべき。世の中にいのちながくさぶらひけるは、わが殿(との)の御すゑにつかうまつるべきとなん思(おも)ひ給(たま)ふるとて、様々(さまざま)のものどもひつどもにかず知(し)らず参(まゐ)らせたれど。これにつけてもすずろはしくおぼされて、きゝ過(す)ぐさせ給(たま)ふ。其のまゝに唯(ただ)御時にて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。
かくいふ程(ほど)に、かみな月の廿日あまりの程(ほど)に、京には北(きた)の方(かた)失(う)せ給(たま)ひぬ。哀(あは)れに悲(かな)しうおぼしまどはせ給(たま)ふ。二ゐのいのち長さ哀(あは)れに見えたり。されど哀(あは)れむげに老いはてて、たは安(やす)くもうごかねば、唯(ただ)明順・道順・信順などよろづにつかうまつれり。のちの御事(こと)ども例のさまにはあらで、さくらもとゝいふところにてぞ屋づくりておさめ奉(たてまつ)りける。哀(あは)れに悲(かな)しともをろかなり。但馬にはよるをひるにて人参(まゐ)りたれば、泣く<御衣(ぞ)など染めさせ給(たま)ふ。筑紫(つくし)にも人参(まゐ)りしかど、いかでかはとみに参(まゐ)り着くべきにもあらず。のち<の御事(こと)ども皆さべうせさせ給(たま)ふ。筑紫(つくし)の道は今(いま)十余(よ)日といふにぞ参(まゐ)り着きたりける。哀(あは)れさればよ。よくこそ見え奉(たてまつ)りにけれと、今ぞおぼされける。御ぶくなど奉(たてまつ)るとて、
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@その折にきてましものをふぢごろもやがてそれこそわかれなりけれ W029
とぞひとりごち給(たま)ひける。
かくてうへの御事(こと)はあさましうてやませ給(たま)ひぬ。宮(みや)の御産の事(こと)もおぼしなげかれけり。十二月廿日の程(ほど)にさともなやませ給(たま)はで、をんな御子むまれ給(たま)へり。同じうはおとこにおはしまさましかば、いかにたのもしう嬉しからましとおぼすものから、又(また)推しかへしいと嬉(うれ)し。わづらはしき世の中をとぞ思(おぼ)し召(め)されける。内にはけざやかに奏せさせ給(たま)はねど、をのづから女院(にようゐん)に聞(き)こし召(め)しければ、同じう聞(き)こし召(め)しつ。いと<哀(あは)れに、いかにせさせ給(たま)ふらんとおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ふ。女院(にようゐん)よりも様々(さまざま)にこまかに推しはかりとぶらひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。わざとおぼしつゞけさせ給(たま)ふともなかりつれど、仏神の御たすけにやと見えさせ給(たま)ふ。御湯(ゆ)どのにはうちよりのおほせごとにて、うこんの内侍(ないし)ぞ参(まゐ)りたる。いとつゝましう恐(おそ)ろしき世なれども、うへのおほせごとのかしこさに参(まゐ)りたるなりけり。事(こと)の限(かぎ)りあれば、何事(なにごと)もあべいさまは失(う)せねど、故とのなどの御世のはな<”とありしに。かやうの御有様(ありさま)ならましかば、いかばかりかはめでたからまし。それをおぼし出ださせ給(たま)ふにも、ゆゝしうおぼさる。御(おほん)ぞのいろより始(はじ)めて、たれもうたてある御すがたどもに、わか宮(みや)のものあへせさせ給(たま)はず。しろううつくしうおはしませば、うこんの内侍(ないし)あはれ。とく御覧(ごらん)ぜさせ奉(たてまつ)らせばやと聞(き)こえさす。七日が程(ほど)の御事(こと)ども。いかゞなべてなるべき御事(こと)どもかは。
但馬には聞き給(たま)ひて、哀(あは)れに嬉(うれ)しき
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事(こと)かな。げにおとこにおはしまさましかばとおぼせど、いとよし。さらぬだにかかる世の中にいにしへもかやうの事(こと)によりてこそ、多(おほ)く恐(おそ)ろしき事(こと)は出(い)でくれなどいかゞはせんの御心にや。をんなおはしますをぞ心安(やす)き事(こと)におぼしける。たれこまやかにつかうまつるらんと、哀(あは)れに思(おも)ひやり聞(き)こえ給(たま)ふ。筑紫(つくし)にはうへの御事(こと)を、哀(あは)れに悲(かな)しう思(おも)ひやり聞(き)こえ給(たま)ふ。宮(みや)の御事(こと)をも明(あ)け暮(く)れ心にかけおぼしけるに、かくたいらかにおはしますよしを聞(き)こえに人参(まゐ)りたり。
かくてうこんの内侍(ないし)、七日が程(ほど)過ぎてうちに参(まゐ)れば、様々(さまざま)いみじうこまかなる事(こと)どもをせさせ給(たま)へれば、なにをうとしとかかくわづらはしき事(こと)どもをせさせ給(たま)へるならん。唯(ただ)うこんをばむつまじくあなづらはしきかたにてと、うへの思(おぼ)し召(め)してせさせ給(たま)へるかひなく、いかでかかくおどろ<しき御事(こと)どもをば、とはせ給(たま)はむにも奏すべきかた候はずなんなど啓して、かへすがへすかしこまりて、やがてうちへ参(まゐ)りてげれば、うへしのびやかに召して、日ごろの御有様(ありさま)こまやかにとはせ給(たま)ふに、よろづさしましつゝ哀(あは)れに奏すれば、御涙(なみだ)もうかばせ給(たま)ひて、げにさぞあらんかしと思(おぼ)し召(め)しつゞけさせ給(たま)ふ。
わか宮(みや)の御うつくしさなど奏すれば、かれを見ばやな。みこたちは御對面とて、五つや七つなどにてぞむかしはありける。またうちにちごなど入る事(こと)なかりけり。されど今(いま)の世はさもあらざめり。東宮(とうぐう)の宣耀殿(せんえうでん)の宮(みや)などは、つと抱(いだ)きてこそありき給(たま)ふなれ。又(また)たゞにもあらずものし給(たま)ふとか、うらやましく
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思(おも)ふ事(こと)もあれど、あひ見ん事(こと)のいつとなきこそなど哀(あは)れにかたらはせ給(たま)ふ。いみじう様々(さまざま)よろづせさせ給(たま)へるこそ。いとかたじけなくかしこく候へ。えもいはぬさうぞくして給(たま)はせたれど、ついたちにとておさめてさぶらふなど奏すれば、心ばへのおとな<しう哀(あは)れなるかたはたれかまさらんなどいみじう御心ざしあるさまにおほせらる。それにつけても尼(あま)にならせ給(たま)へる事(こと)をくち惜しう参(まゐ)りなどせさせ給(たま)はんにも。世の人のくちわづらはしくおぼさるゝ程(ほど)にぞ。人知(し)れぬ御なげきなりける。
かくてとしもかはりぬれば、ついたちはてうはいなどして、よろづめでたく過ぎもてゆくに、はな都(みやこ)はめでたきに、彼のたびの御有様(ありさま)ども春やむかしのとのみおぼされつゝ、哀(あは)れに年さへへだゝりぬるを、よろづいとおぼつかなく、あまたの霞(かすみ)立(た)ち隔てたる心地(ここち)せさせ給(たま)ひぬ。彼の二条(にでう)の北南と造りつゞけさせ給(たま)ひしは、とのおはしまいし折、かたへは焼けにしかば、今(いま)ひとつにみな住ませ給(たま)ひしを、此の御子(みこ)などもむまれ給(たま)ふべかりしかば、平中納言(ちゆうなごん)惟仲がしるところありけり。それには女院(にようゐん)などおほせられて住ませ給(たま)ひける。
うちにはわか宮(みや)の御うつくしさを、いかに<と女院(にようゐん)も聞(き)こえさせ給(たま)へば、つゝましき世の有様(ありさま)なれば、おぼしたゆたふべし。とのなどやいかゞ思(おぼ)し召(め)さんとおぼすらん。ことはりにこそ。宮(みや)のそのままの御有様(ありさま)におはしまさぬにより、あからさまに
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参(まゐ)り給(たま)はん事(こと)もいかにと思(おぼ)し召(め)すなるべし。つねの御ことぐさのやうにゆかしう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ御有様(ありさま)を、女院(にようゐん)はいと心ぐるしき御事(こと)に思(おぼ)し召(め)せど、さすがにわか宮(みや)の限(かぎ)り参(まゐ)らせ給(たま)ふべきにはあらずかし。わか宮(みや)の御めのとには、きたのの三位とてものし給(たま)ひし人の御むすめなども参(まゐ)りけり。それも九条(くでう)殿(どの)の御(おん)子(こ)といはれ給(たま)ひし人なり。また弁のめのとや少輔(せう)の命婦といふ人、様々(さまざま)さぶらふ。
はかなく夏にもなりぬれば、わか宮(みや)の御有様(ありさま)いとうつくしうおはします。たびの御せうそこも日々にといふばかりなり。哀(あは)れにおぼつかなうのみおぼしみだる。二ゐ此のわか宮(みや)見奉(たてまつ)りにとて夜の程(ほど)参(まゐ)れり。宮(みや)の御まへ哀(あは)れに御覧(ごらん)じてさくりもよゝに泣かせ給(たま)ふ。宮(みや)のいとうつくしうおはしますを、二位ゑみまけうつくしみ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。哀(あは)れにうへの御かはりには、おまへをこそはたのみましてさぶらふまゝに、明(あ)け暮(く)れも見奉(たてまつ)らぬ事(こと)をなん。さてもうちには此の宮(みや)をいとゆかしきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へば、入(い)らせ給(たま)ふべしなどこそは世には申すめるを、いかゞはおぼし定(さだ)めさせ給ふらん。老いの身はさべき人もものをなん聞かせはべらざりけると申し給(たま)へば、こころにもはゝの御かはりにはいかでとこそ思(おも)ひ聞(き)こえさせはべれど、其の事(こと)ゝなくもの騷(さわ)がしきうちに、此の宮(みや)の御あつかひにはかなく明(あ)け暮(く)れてこそ、うちよりも此の宮(みや)を今(いま)ゝでおぼつかなくてあらせ奉(たてまつ)る事(こと)などまめやかにの給(たま)はすめり。女院(にようゐん)も其の御気色(けしき)にしたがはせ給(たま)ふにやあらん。なを
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ゐていり奉(たてまつ)れとこそは、の給(たま)はすめれど、いさよりつゝましうのみおぼえてこそ、いかにせましと思(おも)ひやすらはれ、よろづよりも彼のたびの人々をいかに<と思(おも)ひものするこそ、いみじう哀(あは)れに心憂(う)けれ。さりともいとかくてやむべうはいかでかとのみこそは、うちにもいみじう心ぐるしき事(こと)にの給(たま)はすなれなどの給(たま)はすれば、たびたびゆめに召しかへさるべきさまに見給(たま)ふるに、かく今(いま)ゝで音なくはべるをなん。なをさるべくおぼしたちてうちに参(まゐ)り給(たま)へ。御いのりをいみじうつかうまつりて寝てはべりしゆめにこそ、おとこ宮(みや)は生まれ給(たま)はんと思(おも)ふゆめ見てはべりしかば、此の事(こと)によりてなをとく参(まゐ)り給(たま)へと、そゝのかし啓ぜんと思(おも)ふ給(たま)へりてなん。多(おほ)くは参(まゐ)りはべりつるなり。御文にてはおちちるやうもやと思(おも)ふ給(たま)へてなむなどそゝのかし、泣きみわらひみ夜ひと夜御ものがたりありて、あかつきにはかへり給(たま)ひぬ。
宮(みや)の御まへの御うち参(まゐ)りの事(こと)。そゝのかし啓しつるにぞおぼし立たせ給(たま)へる。明順・道順、よろづにそゝき奉(たてまつ)る。くに<の御封などめしものすれど、ものすがやかにわきまへ申す人もなければ、さるべき御さうなどぞ、きぬ奉(たてまつ)らせんなどあんない申す人ありければ、きぬ召してよろづに急(いそ)がせ給(たま)ふ。宮(みや)おはしますたびなれば、よろづ御けはひことなり。御こしなどはこたいにあるべき事(こと)なれば、御くるまにてぞおぼめしたる。いとどつゝましく宮(みや)おぼしたれど、などてか。なをもろともにと聞(き)こえさせ給(たま)へば、彼の二ゐ
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のそゝのかし聞(き)こえし事(こと)もあれば、さばとてもろともに参(まゐ)らせ給(たま)ふ。人のくち安(やす)かるまじう思(おも)へり。
かくてうちに参(まゐ)らせ給ふ夜は、おほとのさるべき御ぜん参(まゐ)るべきよしおほせらるれば、みな参(まゐ)りたり。殿(との)の御こころ有様(ありさま)のいみじうありがたくおはします事(こと)限(かぎ)りなし。かくて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、女院(にようゐん)いつしかとわか宮(みや)を抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、いとうつくしうおはします。うちゑみて哀(あは)れに見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。いとおかしう肥えさせ給(たま)へり。御ものがたりなにとなくものはなやかにまうさせ給(たま)へば、まづしるものにおぼさるべし。宮(みや)よろづにつゝましき事(こと)を思(おぼ)し召(め)すに、ゐんと御たいめんありて、〔つき〕せぬ御ものがたりを申させ給(たま)ふ程(ほど)に、うへわたらせ給(たま)ひてわか宮(みや)見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。えもいはずうつくしうおはしまして、唯(ただ)わらひにわらひものがたりせさせ給(たま)ふ。うへの御まへ今(いま)ゝで見ざりけるよと思(おぼ)し召(め)すに、まづ御涙(なみだ)もうかばせ給(たま)ふべし。ましておとこにおはしまさましかばとぞ。人知(し)れず思(おぼ)し召(め)されける。さて宮(みや)に御たいめんあるに。御木丁引き寄せていとけ遠(ほ)くもてなし聞(き)こえ給(たま)へる程(ほど)もことはりなれど。御となぶらを遠くとりなして、隔てなきさまにて泣きみわらひみ聞(き)こえさせ給(たま)ふに、いにしへになを立(た)ちかへる御(おん)心地(ここち)のいでくれば、宮(みや)いと<けしからぬ事(こと)なりなどよろづに申させ給(たま)へど、それをも聞(き)こし召(め)しいれぬさまにみだれさせ給(たま)ふ程(ほど)も、かたはらいたげなり。よろづにかたらひ聞(き)こえ給(たま)ひて、あかつきにいでさせ給(たま)ひけれど、なをしばし、宮(みや)みつくまで今(いま)四五日はと申させ給(たま)ひて、職の御曹司にあかつきにわたり給(たま)ひて、
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そこにしばしおはしますべくしつらはせ給(たま)ふ。
うへもよろづに思(おぼ)し召(め)しはゞからせ給(たま)ふ事(こと)多(おほ)くおはしませど、ひたみちに唯(ただ)哀(あは)れにこひしう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひつる程(ほど)なれば、人のそしらんも知(し)らぬさまにもてなし聞(き)こえさせ給(たま)ふも、このかたはすぢなき事(こと)にこそあめれ。宮(みや)の御まへは世のかたはらいたさをさへ、ものなげきにそへて思(おぼ)し召(め)すべし。にようばうたちむかしおぼえて哀(あは)れに思(おも)へり。さてひごろおはしまして、なをいと程(ほど)遠しとて近(ちか)きとのにわたし奉(たてまつ)りて、のぼらせ給(たま)ふ事(こと)はなくて、われおはしまして夜中ばかりまでおはしまして、後夜にぞかへらせ給(たま)ひける。御心ざしむかしにこよなげなり。このごろさぶらひ給ふにようごたちの御おぼえいかなるにかと見えさせ給(たま)ふ。
とく出(い)でさせ給(たま)ふべかりけるを、なをしばし<との給(たま)はせける程(ほど)に、ふた月ばかりおはしますに、御(おん)心地(ここち)あしうおぼされて、れいせさせ給(たま)ふ事(こと)もなければ、いかなるにかと胸つぶれておぼさるべし。うへかくと知(し)り給(たま)ふにも。まづ哀(あは)れなる契(ちぎ)りをおぼし知(し)らせ給(たま)ふ。かへすがへすもかくてあるべかりける御有様(ありさま)を、かくいささかなる事(こと)どもを、世人もきゝにくゝ申し、我が御(おん)心地(ここち)にもよろづにゆめの世とのみおぼしたどらるべし。
但馬にはかかる事(こと)どもを聞(き)き給(たま)ひて、唯(ただ)仏神をのみいのりゐ給(たま)へり。二ゐはいとどしき御祈り安(やす)からんやは。宮(みや)はかくて御(おん)心地(ここち)苦(くる)しうおぼさるれば、せちに聞(き)こえさせ給(たま)ひて出(い)でさせ給(たま)ひぬ。其の程(ほど)弘徽殿・承香殿など参(まゐ)りこみ給(たま)ふ。されど御心ざしの有様(ありさま)こよなげなり。うちよりはよろづ様々(さまざま)
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のおぼつかなさを。御ふみひまなし。大方(おほかた)にてはひまぜなどの御つかひ有り。うこんの内侍(ないし)ぞさりげなくつたへ人にてさぶらひける。二ゐかやうの事(こと)どもを聞(き)きて、いと<嬉(うれ)しう、ゆめのしるしあるべきと思(おも)ひて、いとどしき御いのりたゆまず。筑紫(つくし)にもかかる事(こと)を聞()き給(たま)ひて、よろづにさりともとたのもしくおぼさるべし。
但馬の中納言(ちゆうなごん)殿(どの)は。又(また)そのかみ六条(ろくでう)殿(どの)は絶え給(たま)ひにしかば、伊予のかみ兼資(かねすけ)のぬしのむすめをいみじうおぼいたりしを、いつかとのみ哀(あは)れにこひしうおぼさるべし。帥(そち)殿(どの)は松ぎみをはるかにおぼしおこせつゝ、生(いき)の松原(まつばら)とのみおぼしよそへられけり。哀(あは)れなる御なからひどもなり。月日も過ぎもていきて、宮(みや)の御は〔ら〕もたかくならせ給(たま)へば、哀(あは)れに心細(ぼそ)くおぼされけり。はるかなる御有様(ありさま)どもをわりなき事(こと)に申させ給(たま)ひしかば、御心のうちにもいと心ぐるしき事(こと)に思(おぼ)し召(め)して、つねにゐんにも語り申させ給ふ。
はかなく冬にもなりぬるに、承香殿たゞにもあらぬ御気色(けしき)あれば、ちゝおとどいみじう嬉(うれ)しき事(こと)におぼしまどふ。うへもいみじう嬉(うれ)しうおぼさるべし。ゐんもいづれの御かたにも唯(ただ)おとこみこをだに産み奉(たてまつ)り給(たま)へらばと思(おぼ)し召(め)す程(ほど)に、三月ばかりにて奏して出(い)でさせ給(たま)ふ。其のたびの儀式はいと<心ことなり。にようごも御手車にて、にようばうかちよりあゆみ連れたり。こきでんのほそ殿(どの)のまへをわたらせ給(たま)ふ程(ほど)、ほそ殿(どの)の御簾(みす)を押し出だしつつ。にようばうのこぼれ出(い)でゝみれば、此のにようごの御とものわらはいたうなれたるが、火のいとあかきに此のこきでんのほそ殿を見て、すだれのみはらみだる
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かなどいひていくを、こきでんのにようばう、あなねた、なにしに見つらんなどいひけり。あさましうしたりがほにねたげなり。とまれかうまれかくて出(い)で給(たま)ふ御有様(ありさま)いとうらやましう見えたり。さてまがて給(たま)ひて右のおとどよろづに御いのりし給(たま)ふ。あはた殿(どの)の北(きた)の方(かた)。此の殿(との)の北(きた)の方(かた)にておはす。御くらゐも北(きた)の方(かた)もみなかくなりかはらせ給(たま)へるもいと哀(あは)れなり。堀河(ほりかは)殿(どの)をぞいとよく造りたてゝ今(いま)は渡りすみ給(たま)ひける。此のにようごの御ひとつはらの御せうとども少将(せうしやう)にて人にほめられておはす。
はかなく月日も過ぎぬ。長徳四年になりぬ。わか宮(みや)三つになり給(たま)ひぬ。いかにいとどうつくしう思(おも)ひやり聞(き)こえ給(たま)ふも、いと<こひしうまめやかにおぼしいづる折<おほかるべし。中宮(ちゆうぐう)には三月ばかりにぞ御子むまれ給(たま)ふべき程(ほど)なれば、御つゝしみをよろづにおぼせど、事(こと)に御封などすが<しうわきまへ申す人なし。くらづかさよりれいの様々(さまざま)の御具などもて運(はこ)び、女院(にようゐん)などよりもよろづおぼしはかり聞(き)こえさせ給(たま)へば、それにて何事(なにごと)も急(いそ)がせ給(たま)ふ。そうづのきみもよろづにたのもしうつかうまつり給(たま)ひ、いかに<とおぼし渡る程(ほど)に、御気色(けしき)ありとののしり騷(さわ)ぐに。哀(あは)れにたのもしきかたなし。唯(ただ)此の但馬のかみぞ、よろづたのもしうつかうまつる。
二ゐもかくときゝ奉(たてまつ)りて、ゐながらぬかを突き祈り申す。いみじき御願のしるしにや、いとたいらかにおとこみこむまれ給(たま)ひぬ。おとこにおはしませば、いとどゆゝしきまでおぼされながら、女院(にようゐん)に御せうそこあれば、うへにそうせさせ給(たま)ひて、御はかしもて参(まゐ)る。いと嬉(うれ)しき事(こと)に
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たれも<思(おぼ)し召(め)さる。世の中はかくこそありけれ。のぞめどのぞまれず。逃(のが)るれど逃(のが)れずといふは、げに人のさいはひにこそと、きゝにくきまで世にののしり申す。御湯(ゆ)どのにうこんの内侍(ないし)、れいの参(まゐ)る。こたみはうちより御うぶやしなひあべけれど。なをおぼしはゞかりて、内の御心をくませ給(たま)へるにや、おほとの、七夜の御事(こと)をつかうまつらせ給(たま)ふ。うちにはゐんにも嬉(うれ)しき事(こと)に思(おぼ)し召(め)したり。ゐんよりきぬ・あや、大方(おほかた)さらぬ事(こと)どもいとこまかに聞(き)こえさせ給(たま)へり。
七日の夜は、いま宮(みや)見奉(たてまつ)りに藤(とう)三位を始(はじ)め、さるべき命婦・蔵人たち参(まゐ)る。其の程(ほど)の御用意(ようい)あるべし。二ゐは夢をまさしく見なして、かしらだにかたくおはしまさば。一天のきみにこそおはしますめれ。よく<心ことにかしづき奉(たてまつ)り給(たま)へと、つねに啓せさす。又(また)の日但馬にも筑紫(つくし)にもみな御つかひ奉(たてまつ)りにしかば、但馬にはとくきゝ給(たま)ひて、哀(あは)れに嬉(うれ)しき事(こと)をおぼすべし。いつしか筑紫(つくし)に聞かせ奉(たてまつ)らばやとおぼし嘆(なげ)く。宮(みや)のにようばうよくこそほかざまにおもむかずなりにけれ。わか宮(みや)の御世にあひぬる事(こと)ゝ、世にいみじうめでたく思(おも)ふべし。御湯(ゆ)殿(どの)の鳴絃読書のはかせなど、みな大とのにぞをきて参(まゐ)らせ給(たま)へる。大殿(おほとの)同じきものをいときよらかにもせさせ給(たま)へるかな。すぢはたゆまじき事(こと)にこそあめれとのみぞ、九条(くでう)殿(どの)の御ざうよりほかの事(こと)はありなんやと思(おも)ふものから、其の御(おん)中(なか)にもなを此のひとすぢは心ことなりかしなどぞの給(たま)は
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せける。
かくいふ程(ほど)に、筑紫(つくし)にきゝ給(たま)ひてあさましう嬉(うれ)しうて、ものにぞあたらせ給(たま)ふ。我がほとけの御徳にわれらも召されぬべかめりと、いみじく嬉(うれ)しく思(おぼ)し召(め)されて、此の御事(こと)ののちは唯(ただ)ゆくすゑのあらましかとのみおぼしつゞけられて、御心のうちはおぼさるべし。かかる程(ほど)にいま宮(みや)の御事(こと)のいたはしければ、いとやむごとなくおぼさるゝまゝに、いかで今(いま)はこの御事(こと)のしるしにはたびの人をとのみ思(おぼ)し召(め)して、つねに女院(にようゐん)とうへの御まへとかたらひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、とのにもかやうにまねび聞(き)こえさせ給(たま)へば、げに御子の御しるしはべるらんこそはよからめ。今(いま)はめしにつかはさせ給(たま)へかしなど奏し給(たま)へば、うへいみじう嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)しながら。さばさるべきやうにともかくもとのどやかにおほせらる。
四月にぞ今(いま)は召しかへすよしの宣旨(せんじ)くだりける。それにことしれいのもがさにはあらで、いとあかき瘡(かさ)のこまかなるいできて、老いたるわかき。上下わかずこれをやみののしりて、やがていたづらになるたぐひもあるべし。これをおほやけ・わたくし今(いま)のものなげきにして、しづ心なし。されどこの召しかへしの宣旨(せんじ)くだりぬれば、宮(みや)のおまへ世に嬉(うれ)しき事(こと)におぼさる。夜をひるになしておほやけの御つかひをも知(し)らず。まづ宮(みや)の御つかひども参(まゐ)る。これにつけても、わか宮(みや)の御とくと世の人めでののしる。京には賀茂の祭(まつり)なにくれの事(こと)ども過ぎて、つごもりになりぬ。
筑紫(つくし)には御つかひも宣旨(せんじ)もいまだ参(まゐ)らぬに、但馬にはいとちかければ、御むかへにさるべき人<かずも知(し)らず参(まゐ)りこみ
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たり。それもいでや面目(めんぼく)有る事(こと)にもあらねど、いと<嬉(うれ)しくおぼさる。さて上(のぼ)らせ給(たま)ふ。五月三四日の程(ほど)にぞ京に着き給(たま)へる。兼資(かねすけ)の朝臣(あそん)の家(いへ)に中納言(ちゆうなごん)上(のぼ)り給(たま)へれど、大殿(おほとの)の源中将(ちゆうじやう)おはすとて、此の殿(との)のおはしたるを、てゝはゝさらによからぬ事(こと)に思(おも)ひて、いみじうしのびてぞおはしける。殿(との)の源中将(ちゆうじやう)と聞(き)こゆるは、村上(むらかみ)の御門(みかど)の三宮(みや)、兵部(ひやうぶ)卿(きやう)の宮(みや)、それ入道(にふだう)していはくらにおはしけるが、男子(をのこご)二人おはするが、一ところは法師(ほふし)にて三井寺(みゐでら)におはす。今(いま)ひとゝころは殿(との)のうへの御子(みこ)にしたて参(まゐ)らせ給(たま)ふなりけり。そのこの兼資(かねすけ)が婿(むこ)にておはしけり。されば此の中納言(ちゆうなごん)には、今(いま)ひとりのむすめ親にも知(し)られでかよひ給(たま)ひける。かかる事(こと)さへ出(い)で来ていとどうたておやどもさへいひければ、今(いま)にしのび給(たま)ふなりけり。此の源中将(ちゆうじやう)のはゝは大殿(おほとの)のうへの事(こと)御はらからの御子(みこ)なりければ、御をひにて御(おん)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふなりけり。
五月五日中納言(ちゆうなごん)殿(どの)の給(たま)ひける、
@思(おも)ひきやわかれし程(ほど)のそのころよ都(みやこ)の今日(けふ)にあはんものとは W030。
とありければ女君(をんなぎみ)、
@うきねのみ袂(たもと)にかけしあやめぐさ引きたがへたる今日(けふ)ぞ嬉(うれ)しき W031。
中納言(ちゆうなごん)殿(どの)宮(みや)に参(まゐ)り給(たま)へれば、まづ御よろこびの涙(なみだ)どもせきとどめがたし。哀(あは)れにて悲(かな)しきに。ひめ宮(みや)・わか宮(みや)、様々(さまざま)にうつくしうおはします。見奉(たてまつ)り給(たま)ふにつけても。ゆめのうつゝに
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〔な〕りたる心地(ここち)せさせ給(たま)ふ事(こと)限(かぎ)りなし。いつしか筑紫(つくし)の殿(との)の御事(こと)をとくとおぼさる。御むかへに明順朝臣(あそん)など人々参(まゐ)りにけり。淑景舎・宮(みや)のうへなどあつまらせ給(たま)へり。四の御かたはいま宮(みや)の御うしろみとりわき聞(き)こえさせ給(たま)へれば、あつかひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)よるばかりこそ女君(をんなぎみ)のもとへおはすれ。唯(ただ)〔み〕やにのみおはす。二ゐもこのごろあかゞさにていとふかくにてほと<しく聞(き)こゆれば、哀(あは)れにおぼさる。今(いま)は帥(そち)殿(どの)見奉(たてまつ)りて死なんとぞねがひ聞(き)こゆれど、いかゞ見えたり。
かかる程(ほど)にのこりなくやみののしるに、彼の承香殿のにようご、うみがつきも過ぎ給(たま)ひて、いとあやしく音なければ、よろづにせさせ給(たま)へど、おぼしあまりて、六月ばかりにうづまさに参(まゐ)りて、御修法、やくしきやうのふだんきやうなどよませさせ給(たま)ふ。よろづにせさせ給(たま)ひて、七日も過ぎぬれば、又(また)延べてよろづにいのらせ給(たま)へばにや、御気色(けしき)ありて苦(くる)しうせさせ給(たま)へばとのしづ心なくおぼし騷(さわ)ぎて、まづうちにうこんの内侍(ないし)のもとに、御消息つかはしなどせさせ給(たま)へば、御まへに奏しなどして、いかに<など御つかひ参(まゐ)り、女院(にようゐん)よりいかに<とおぼつかなくなど聞(き)こえさせ給(たま)ふに、この御寺のうちにては、いとふびんなる事(こと)にてこそあらめ。さりとてさとに出(い)でさせ給(たま)はんもいとうしろめたき事(こと)などこの寺の別當なども申し給(たま)ふ程(ほど)に、唯(ただ)事(こと)成りぬべき御気色(けしき)なれば、さばれ、つみはのちに申し思(おも)はんとおぼして、まかせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ程(ほど)に、唯(ただ)ものもおぼえぬ水(みづ)のみさゝとながれいづれば、いとあやしう
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世づかぬ事(こと)に人々見奉(たてまつ)り思(おも)へど、さりともあるやうあらんとのみ騷(さわ)がせ給(たま)ふに、みづつきもせず出(い)で来て、御腹ただしゐれにしゐれて、例の人のはらよりもむげにならせ給(たま)ひぬ。ここらの月比の血のけはひだに出(い)でこで。みづの限(かぎ)りにて御腹のへりぬれば、寺の僧どもあさましういひ思(おも)ふ。
ちゝおとどはなぬかやむといふらんやうにあさましういみじきに、がひきなどいふ事(こと)をせさせ給(たま)ひて、そらをあふぎてゆめ覚めたらん心地(ここち)してゐさせ給(たま)へり。よろづよりもにようごの御(おん)心地(ここち)、あさましうはづかしう、彼のこきでんのほそ殿(どの)の事(こと)などおぼしいでられ、今(いま)はうちわたりといふ事(こと)おぼしかくべくもあらず。うちより御つかひしきりに参(まゐ)るに、奏し遣らせ給(たま)はんかたなし。ちごなどのともかくもおはするは例の事(こと)なり、これはいと事(こと)のほかといふもをろかなり。御寺の僧どもゝかかる事(こと)ははづかしき事(こと)なりけり。されどほとけの御徳にたいらかにおはしますにこそは、いかゞはせんには聞(き)こえける。うちには聞(き)こし召(め)して、ともかくもものもおほせられでこそあらめ。うこんがもの騷(さわ)がしういひて、かくものぐるをしうはからひて、あるまじきわざにこそありけれ。たゞなるにはこよなく劣りてもあるかなとぞ、いとおしう思(おぼ)し召(め)されける。ゐんにもいときゝぐるしうぞ思(おぼ)し召(め)しける。世の中には歌にさへぞ聞(き)こえける。彼のすだれのみいひしわらはは、それにはぢてやがて参(まゐ)らずなりにけり。ほかよりもこえでんこそいみじうおこがましげに人々聞(き)こえければ、彼の出(い)でさせ給(たま)ひし夜の
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御有様(ありさま)は。さばかり面目(めんぼく)ありし事(こと)やはありし。なを世の中こそはあはれなるものはありけれど、何事(なにごと)につけても定(さだ)めなくぞ。
彼の筑紫(つくし)には赤瘡(あかがさ)かしこにもいみじければ。そち殿(どの)急(いそ)ぎたち給(たま)へど、大貳のこのごろ過(す)ぐしてのぼらせ給(たま)へ。道の程(ほど)いと恐(おそ)ろしうはべり。御送りに参(まゐ)らん下人などもいとふびんにはべりと申しければ、げにと思(おぼ)し召(め)して心もとなくおぼしながら。立(た)ちどまらせ給(たま)ひて、世の人少し病みさかりてのぼらせ給(たま)ふ。この程(ほど)に二ゐ、此の瘡(かさ)にて失(う)せにけり。いみじうあはれなる事(こと)どもなり。かくてのぼらせ給(たま)ふも、唯(ただ)わか宮(みや)の御しるしと哀(あは)れに嬉(うれ)しうおぼしつゝ、のぼらせ給ふ。かちよりなれば、今(いま)はおはし着かせ給(たま)ひぬらんとのみ、いつしかとまち聞(き)こえさせ給ふ。
十一月(じふいちぐわつ)にのぼり着かせ給(たま)ふ。彼の致仕の大納言(だいなごん)殿(どの)におはし着かせ給(たま)へる。うへを始(はじ)め奉(たてまつ)り、殿(との)のうちの人<よろこびの涙(なみだ)ゆゝし。殿(との)の有様(ありさま)などむかしにもあらず哀(あは)れに荒(あ)れにけり。うへも何事(なにごと)も聞(き)こえ給(たま)はず。涙(なみだ)におぼれて見奉(たてまつ)り給(たま)ふ。まつぎみのおほきになり給(たま)へるを掻き撫でゝ、とのいみじう泣かせ給(たま)へば、まつぎみもいかにおぼすにか、目をすり給(たま)ふ。いと嬉(うれ)しとおぼしたるも、哀(あは)れにことはりなり。殿、
@淺茅生(あさぢふ)と荒(あ)れにけれどもふるさとの松は木だかくなりにけるかな W32。
又(また)との、
@こしかたの生(いき)の松原(まつばら)いきて来て古(ふる)き都(みやこ)を見るぞ悲(かな)しき W033。
との給(たま)へば、うへ、
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@其のかみの生(いき)の松原(まつばら)いきてみて見ながらあらぬ心地(ここち)せしかな W034
と申し給(たま)ふ。
まづ宮(みや)へ参(まゐ)らんとて急(いそ)ぎ出(い)でさせ給(たま)ふにも、女君(をんなぎみ)涙(なみだ)こぼれさせ給(たま)ふ。宮(みや)のおまへ、ひとへの御衣(ぞ)の袖もしぼるばかりにておはします。何事(なにごと)ものどかになんと申させたまふ。宮(みや)様々(さまざま)いみじくうつくしうおはしますを、一の宮(みや)をまづ抱(いだ)き奉(たてまつ)らまほしげにおぼせど、いま<しうのみもののおぼえはべりてと聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)に、なをいと世は定(さだ)めがたし。たいらかにたれもいのちをたもたせ給(たま)ふのみこそ、世にめでたき事(こと)なりけれとぞ見えさせ給(たま)ふ。故うへの御事(こと)をかへすがへす聞(き)こえさせ給(たま)ひつゝ、たれもいみじう泣かせ給(たま)ふ。よろづにひとつ涙(なみだ)のといふやうにのみ見えさせ給(たま)ふも、哀(あは)れに尽きせずぞ見えさせ給(たま)ふ。そのころよき日して北(きた)の方(かた)の御墓おがみに、帥(そち)殿(どの)・中納言(ちゆうなごん)殿(どの)、もろともにさくらもとに参(まゐ)らせ給(たま)ふ。哀(あは)れに悲(かな)しうおぼされておはせましかばとおぼさるゝにも。御涙(なみだ)におぼゝれ給(たま)ひて、折しも雪いみじう降(ふ)るに、中納言(ちゆうなごん)、
@露ばかりにほひとどめて散りにけるさくらがもとを見るぞ悲(かな)しき W035。
帥(そち)殿(どの)、
@さくらもと降(ふ)るあは雪を花と見て折るにも袖ぞ濡れまさりける W036。
よろづ哀(あは)れに聞(き)こえをきて、泣く<かへらせ給(たま)ふ。いかで今(いま)はそこに御だう建てさせんとぞおぼしをきてける。



栄花物語詳解巻六


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〔栄花物語巻第六〕 耀(かかや)く藤壺(ふぢつぼ)
大(おほ)殿(との)の姫君(ひめぎみ)、十二に成らせ給(たま)へば、年(とし)の内(うち)に御裳着(もぎ)有りて、やがて内(うち)にと思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。万(よろづ)せさせ給(たま)へり。女房(にようばう)の有様(ありさま)共(ども)、彼の初雪(はつゆき)の女御(にようご)殿(どの)に参(まゐ)り込みし人々(ひとびと)よりも、これはめでたし。御(み)几帳(きちやう)御屏風(びやうぶ)より始(はじ)め、なべてならぬ様(さま)なり。さるべき人々(ひとびと)やむごとなき所々(ところどころ)に歌詠ませ給(たま)ふ。うたは主(ぬし)がらなん、おかしさはまさるらんと言(い)ふやうに、大(おほ)殿(との)やがて詠ませ給(たま)ふ。又(また)花山(くわさん)の院(ゐん)詠ませ給(たま)ふ。又(また)四条(しでう)のきんたうの宰相(さいしやう)など詠み給(たま)へり。ふぢ咲きたるところに、
@むらさきの雲とぞ見ゆるふぢの花いかなる宿の驗(しるし)なるらん W037。
又(また)人(ひと)の家(いへ)にちいさき鶴どもかひたるところを花山(くわさん)の院(ゐん)、
@ひなづるをやしなひたてゝまつが枝(え)のかげに住ません事(こと)をしぞ思(おも)ふ W038。
とぞ有る。多(おほ)かれど片端(かたはし)をとて書かず成りぬ。
かくて参(まゐ)らせ給(たま)ふ事(こと)。長保元年十一月(じふいちぐわつ)一日の事(こと)なり。女房(にようばう)四十人(にん)・わらは六人(にん)・しもづかへ六人(にん)なり。いみじく選(え)り整(ととの)へさせ給(たま)へるにやむごとなきをばさらにもいはず。四位(しゐ)・五位(ごゐ)のむすめといへ
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ど、殊(こと)に交(ま)じらひ悪(わろ)くなり。出(い)で立(た)ち清(きよ)げならぬをば、あへてつかうまつらせ給(たま)ふべきにもあらず。ものきらゝかに成り出(い)でよきを選(え)らせ給(たま)へり。さべきわらはなどは、女院(にようゐん)よりなど奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。これはやがて此(こ)の度(たび)のわらはの名ども、内人(うちびと)・院人(ゐんひと)・宮人(みやびと)・殿人(とのびと)などやうつけあつめさせ給(たま)へり。
姫君(ひめぎみ)の御有様(ありさま)さらなる事(こと)なれど御ぐしたけに五六寸ばかりあまらせ給(たま)へり。御かたち聞(き)こえさせん方(かた)なくおかしげにおはします。まだいと幼(をさな)かるべき程(ほど)に、いさゝかいはけたる事(こと)なく、いへば愚かにめでたくおはします。見(み)奉(たてまつ)りつかうまつる人々(ひとびと)も、あまり若(わか)くおはしますをいかにもののはへなくやなど思(おも)ひ聞(き)こえさせしかど、あさましきまで大人(おとな)びさせ給(たま)へり。(よろづ)めづらかなるまでにて参(まゐ)らせ給(たま)ふ。昔(むかし)の人(ひと)の有様(ありさま)を今(いま)聞(き)きあはするには、いとぞものぐるをしう其の折の人(ひと)のきぬすくなう綿うすくて、めでたき折節(をりふし)も出(い)で交(ま)じらひ、内(うち)<にもいかでありへたらんとおぼえたり。此(こ)の頃(ごろ)の人(ひと)はうたてなさけなきまで着重(かさ)ねても、猶(なほ)こそは風(かぜ)などもおこるめれ。さればいにしへの女御(にようご)・后(きさき)の御かたがたなど思(おも)ふやうに、片端(かたはし)にあらずやと見えたり。
かくて参(まゐ)らせ給(たま)へるに、上(うへ)むげにねび、ものの心(こころ)知(し)らせ給(たま)へれば、いとどもののはへも有り。また恥(は)づかしうおはします。中宮(ちゆうぐう)の参(まゐ)らせ給(たま)へりし程(ほど)などは、上(うへ)もいと若(わか)くおはしましゝかば、これはさらなる事(こと)ながら、御(おほん)心(こころ)をきて・御気色(けしき)などすべてすゑの世(よ)の御門(みかど)にはあまらせ給(たま)へりとまでぞ。世(よ)の人(ひと)やむごとなき君(きみ)に
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おはしますと、時の大臣・公卿(くぎやう)も申し聞(き)こえさせける。故関白(くわんばく)殿(どの)の御有様(ありさま)は、いとものはなやかに今(いま)めかしうあいぎやうづきけぢかうぞ有りしかば、中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)は殿上人(てんじやうびと)も細(ほそ)殿(どの)常(つね)にゆかしうあらまほしげにぞ思(おも)ひたりし。弘徽殿(こきでん)・承香殿・くらべやなど参(まゐ)りこませ給ひたり。されどさるべき宮(みや)達(たち)も出(い)でおはしまさで、中宮(ちゆうぐう)のみこそはかく御(み)子(こ)達(たち)あまたおはしますめれ。
此(こ)の御方(かた)藤壺(ふぢつぼ)におはしますに、御しつらひも玉(たま)も少(すこ)し磨(みが)きたるは、ひかりのどかなるやうにも有り、これは照り耀(かかや)きて、女房(にようばう)もせう<の人(ひと)の御前の方(かた)に参(まゐ)りつかうまつるべきやうも見えず。いといみじうあるまじう様(さま)殊(こと)なるまでしつらはせ給(たま)へり。御木丁・御屏風(びやうぶ)の襲(おそひ)までみなまきゑ・らでんをせさせ給(たま)へり。女房(にようばう)は同(おな)じき大海(おほうみ)の摺裳(すりも)・織物(おりもの)のからぎぬなど昔(むかし)より今(いま)に同(おな)じやうなれど、これはいかにしたるとまでぞ見えたる。女御(にようご)のはかなう奉(たてまつ)りたる御衣(ぞ)のいろ・薫(かをり)などぞ世にめでたき例(ためし)にしつべき御宿直(とのゐ)頻(しき)りなり。
よき日(ひ)して御乳母(めのと)共(ども)、命婦(みやうぶ)・蔵人(くらんど)・ぢんの吉上・衛士仕丁まで贈りものを給(たま)はすれば、年(とし)老いたる女官・とじなど世に言(い)ひ知(し)らぬまで御祈(いの)りを申し、祈(いの)り奉(たてまつ)る。御乳母(めのと)達(たち)さへ、絹(きぬ)、綾(あや)織物(おりもの)ゝしやうぞくどもかず多(おほ)く重(かさ)ねさせ給(たま)ひて、ころはこにつゝませ給(たま)ひて、様々(さまざま)のものども添(そ)へさせ給(たま)へり。此(こ)の御方(かた)に召(め)し使(つか)はせ給(たま)はぬ人(ひと)をば、世に忝(かたじけな)くかしこまりをなし、世にすずろはしく言(い)ひ思(おも)へり。たま<召(め)し使(つか)はせ給(たま)ふをば、世に
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めでたくうらやましう思(おも)ひて、さいはひ人(びと)とぞつけたる。只今(ただいま)内(うち)辺(わた)りはな<”とめでたくいみじきに、三条(さんでう)のおほきさいの宮(みや)は此(こ)の朔日(ついたち)の日(ひ)失(う)せさせ給(たま)ひにしかば、それを彼の宮(みや)には哀(あは)れに悲(かな)しきものに思(おも)ふべし。世(よ)の定(さだ)め無さのみぞ、万(よろづ)に思(おも)ひ知(し)られける。
上(うへ)藤壺(ふぢつぼ)に渡(わた)らせ給(たま)へれば、御しつらひ有様(ありさま)さもこそあらめ。女御(にようご)の御有様(ありさま)も哀(あは)れにめでたく見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。姫宮(ひめみや)をかやうに思(おぼ)し奉(たてまつ)らばやと思(おぼ)し召(め)さるべし。事(こと)御かたがたみなねび整(ととの)ほらせ給(たま)ひ、およずけさせ給(たま)へれば、只今(ただいま)此(こ)の御方(かた)をば、我が御姫宮(ひめみや)をかしづき据(す)ゑ奉(たてまつ)らせ給(たま)へらんやうにぞ御覧(ごらん)ぜられける。年(とし)頃(ごろ)の御目うつり、たとしへ無く哀(あは)れにらうたくし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふべし。内(うち)はし渡(わた)らせ給(たま)ふよりして、或る此(こ)の御方(かた)のにほひは、只今(ただいま)あるたきものならねば、もしは何(なに)くれの香(か)の香(か)にこそあなれ、などもかかへず、何(なに)ともなくしみ薫(かをり)渡(わた)らせ給(たま)ひての御うつりがは事(こと)御かたがたにも似ずおぼされけり。はかなき御ぐしのはこ・すゞりのはこの内(うち)よりして、おかしくめづらかなるものどもの有様(ありさま)に御覧(ごらん)じつかせ給(たま)ひて、あくれはまづ渡(わた)らせ給(たま)ひて、御(み)厨子(づし)など御覧(ごらん)ずるに、いづれか御目とどまらぬかあらん。弘高が歌ゑかきたる册子(さうし)に、行成の君(きみ)歌かきたるなどいみじうおかしう御覧(ごらん)ぜらる。あまりもの興(けう)じする程(ほど)に、むげにうつりこと知(し)らぬしれものにこそなりぬべかめれなどおほせられつゝぞ、かへらせ給(たま)ひける。
ひるまなどに御殿(との)ごもりては、あまり幼(をさな)き御有様(ありさま)なれば、参(まゐ)り寄(よ)ればおきなどおぼえて、
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われ恥(は)づかしうぞなど宣(のたま)はする程(ほど)も、只今(ただいま)ぞ廿ばかりにおはしますめる。同(おな)じ御門(みかど)と申しながらも、いかにぞやかたなりに飽かぬところもおはしますものを、此(こ)の上(うへ)は御かたちより始(はじ)め。きよらにあさましきまでぞおはします。おほ御酒(みき)などは少(すこ)し聞(き)こし召(め)しけり。御ふえをえもいはず吹きすまさせ給(たま)へば、候(さぶら)ふ人々ひとびと)もめでたう見(み)奉(たてまつ)る。打(う)ちとけぬ御有様(ありさま)なれば、これ打(う)ち向きて見給(たま)へと申(まう)させ給(たま)へば、女御(にようご)殿(どの)、ふえをばこゑをこそ聞(き)け。見るものかはとて聞かせ給(たま)はねば、さればこそこれや幼(をさな)き人(ひと)。七十のおきなの言(い)ふ事(こと)をかくのたまふよ。あな恥(は)づかしやと戲(たはぶ)れ聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)も、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)、あなめでたや。此(こ)の世(よ)のめでたき事(こと)には、ただ今(いま)の我等が交(ま)じらひをこそせめとぞ、言(い)ひ思(おも)ひける。なにはの事(こと)もならばせ給ふ事(こと)なき御有様(ありさま)におはします。
はかなく年(とし)もかへりぬれば、今年(ことし)は后(きさき)にたゝせ給(たま)ふべしと言(い)ふ事(こと)世には申せば、此(こ)の御前の御事(こと)なるべし。中宮(ちゆうぐう)は宮(みや)<の御事(こと)を思(おぼ)し扱(あつか)ひなどして参(まゐ)らせ給(たま)ふべき事(こと)只今(ただいま)見えさせ給(たま)はず。内(うち)にはいま宮(みや)を今(いま)ゝで見奉(たてまつ)らせ給(たま)はぬ事(こと)を、安(やす)からぬ嘆(なげ)きに思(おぼ)し召(め)したり。帥(そち)殿(どの)は其のままに一千日(にち)の御ときにて、法師(ほふし)恥(は)づかしき御行(おこな)ひにておはします。今(いま)は一宮(みや)かくておはしますを、一天下のともしびと頼(たの)みおぼさるべし。理(ことわり)に見えさせ給(たま)ふ。一宮(みや)の御祈(いの)りをえもいはず思(おぼ)し惑(まど)ふべし。中宮(ちゆうぐう)は明(あ)け暮(く)れ、われ参(まゐ)らずとも宮(みや)かくておはしませば、さりとも今(いま)はと心(こころ)のどかに思(おぼ)し召(め)すべし。女院(にようゐん)にも、
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藤壺(ふぢつぼ)の御方(かた)をもとより殿(との)の御前。女院(にようゐん)にまかせ奉(たてまつ)ると申しそめさせ給(たま)ひしかば、いとやむごとなく恥(は)づかしきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)をば心(こころ)苦(ぐる)しく、いとおしきものにぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。
此(こ)の頃(ごろ)藤壺(ふぢつぼ)の御方(かた)。やへかうばいを織りたる表着(うはぎ)は、みながらあやなり。殿上人(てんじやうびと)などの花折らぬ人(ひと)なく、今(いま)めかしう思(おも)ひたり。唯(ただ)む月に藤壺(ふぢつぼ)まかでさせ給(たま)ふべくて、土御門(つちみかど)殿(どの)いみじうはらひ、いとどすりくはへみがゝせ給(たま)ふ。かくて二月になりぬれば、朔日(ついたち)頃(ごろ)に出(い)でさせ給(たま)ふ。上(うへ)いとあかずさうざうしき御気色(けしき)なれど、あるやうあるべしとぞ、世(よ)人(ひと)申すめる。さて出(い)でさせ給(たま)ひぬ。御をくりの上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)。さう<録どもありてかへり給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に、内(うち)辺(わた)り御(おほん)つれづれにおぼされて、此(こ)のひまにいかで一宮(みや)見(み)奉(たてまつ)らんと思(おぼ)し召(め)せど、万(よろづ)慎(つつ)ましうて、え宣(のたま)はせぬに、殿(との)、此(こ)の頃(ごろ)こそ一の御(み)子(こ)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はめと奏(そう)せさせ給(たま)へば、いと<嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)されて、院(ゐん)にも聞(き)こえさせ給(たま)へば、中宮(ちゆうぐう)参(まゐ)らせ給(たま)ふべき由(よし)度々(たびたび)あれど、慎(つつ)ましうのみ思(おぼ)し召(め)すに、まめやかに院(ゐん)も聞(き)こえさせ給(たま)へば、宮(みや)思(おぼ)したゝせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)などもなどてか、宮(みや)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はんに、いとど御志(こころざし)もまさらせ給(たま)はざらん。疎(おろ)かなるべきやうなしなど定(さだ)めさせ給(たま)ひて、そゝきたちて二月晦日(つごもり)に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。
御こしなどもこと<”しければ、一の宮(みや)参(まゐ)らせ給ふ御むかへにとて、大(おほ)殿(との)の唐(から)の御車(くるま)をぞゐて参(まゐ)れる。それに宮(みや)姫宮(ひめみや)奉(たてまつ)れり。さるべき人々(ひとびと)みな御むかへにかぞへ奉(たてまつ)ら
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せ給(たま)ふ。殿(との)の心様(こころざま)あさましきまでありがたくおはしますを、世にめでたき事(こと)に申すべし。帥(そち)殿(どの)も、我が御心(こころ)のいかなればにかはと思(おも)はずなりける殿(との)の御心(こころ)かな。女御(にようご)参(まゐ)り給(たま)ひて後(のち)は、よもと思(おも)ひつるに、一宮(みや)の御むかへの有様(ありさま)などぞ、誠(まこと)にありがたかりける御心(こころ)なりけり。われらはしもえかくはあらじかしとぞ。内(うち)<には聞(き)こえ給(たま)ひける。さて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、姫宮(ひめみや)美(うつく)しき程(ほど)にならせ給(たま)へるに、又(また)今宮(みや)のえもいはずきらゝかにおはしますに、御門(みかど)御目のごはせ給(たま)ふべし。女一宮(みや)も四つ五ばかりにおはしまして、ものなどいとよう宣(のたま)はす。女院(にようゐん)も良き夜とて、いま宮(みや)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、上(うへ)の御児子(ちご)おいにぞいとよう似奉(たてまつ)らせ給(たま)へる。哀(あは)れに美(うつく)しう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。猶(なほ)やむごとなく捨てがたきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるも、理(ことわり)に見えさせ給(たま)ふ。
さて日頃(ひごろ)おはしませば、殿(との)の御(お)前(まへ)、いま宮(みや)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、抱(いだ)き慈(うつく)しみ奉(たてまつ)らせ給(たま)はざりける事(こと)ゝ、誰(たれ)も御(み)子(こ)の悲(かな)しさは知(し)り給(たま)へる事(こと)なれば、哀(あは)れに見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。上(うへ)の御ふえを取らせ給(たま)へば、いとゆゝしく美(うつく)しう見(み)奉(たてまつ)らせ給(ま)ふ。万(よろづ)心(こころ)のどかに宮(みや)に泣きみ笑(わら)ひみ、唯(ただ)御命(いのち)を知(し)らせ給(たま)はぬ由(よし)をよるひるかたらひ聞(き)こえさせ給(たま)へど、宮(みや)れいの御有様(ありさま)におはしまさず。もの心(こころ)細(ぼそ)げにあはれなる事(こと)をのみぞ申(まう)させ給(たま)ふ。此(こ)の度(たび)は参(まゐ)るに慎(つつ)ましうおぼえはべれど。今(いま)一度(たび)見(み)奉(たてまつ)り。またいま宮(みや)の御有様(ありさま)うしろめたくてかく思(おも)ひたちはべるなど、
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まめやかに哀(あは)れに申(まう)させ給(たま)ふを、上(うへ)、いなや、とかくは宣(のたま)はするぞなど聞(き)こえさせ給(たま)ふを、猶(なほ)ものの心(こころ)細(ぼそ)くのみおぼえはべりなど常(つね)なるまじき御事(こと)共(ども)のみあれば、うたてゆゝしくとおほせらるゝ。身をばともかうも思(おも)ひはべらず。唯(ただ)幼(をさな)き御有様(ありさま)共(ども)のうしろめたさになどいみじう聞(き)こえさせ給(たま)ひけり。
かくて三月に藤壺(ふぢつぼ)后(きさき)にたゝせ給(たま)ふべき宣旨(せんじ)くだりぬ。中宮(ちゆうぐう)と聞(き)こえさす。此(こ)の候(さぶら)はせ給(たま)ふをば皇后宮(くわうごうぐう)と聞(き)こえさす。やがて三月晦日(つごもり)に大饗せさせ給(たま)ひて、又(また)いらせ給ふ。今年(ことし)ぞ十三にならせ給(たま)ひけり。哀(あは)れに若(わか)くめでたき后(きさき)にもおはしますかな。皇后宮(くわうごうぐう)今日(けふ)明日(あす)まかでなんとせさせ給(たま)ふを、せちに猶(なほ)<と聞(き)こえさせ給(たま)ふ。二月に参(まゐ)らせ給(たま)へりしに、朔日(ついたち)頃(ごろ)に里(さと)にて月の御事(こと)ありけるに、三月廿日あまりまでさる事(こと)なかりければ、怪(あや)しくいとどいかに<と心(こころ)細(ぼそ)くおぼさるべし。上(うへ)もいかなればにかおぼつかなげに宣(のたま)はするにも、それを嬉(うれ)しと思(おも)ふべきにもはべらず。今年(ことし)は人(ひと)の慎(つつし)むべき年(とし)にもあり。宿曜などにも心(こころ)細(ぼそ)くのみ言(い)ひてはべれば、猶(なほ)いとこそさらんにつけても心(こころ)細(ぼそ)かるべけれなどぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。
三月晦日(つごもり)に出(い)でさせ給(たま)ふとて、哀(あは)れに悲(かな)しき事(こと)共(ども)を多(おほ)く聞(き)こえさせ給(たま)ひて、御袖も一(ひと)つならずあまたへ濡れさせ給(たま)ふ。かへすがへす此(こ)の月の御事(こと)のさもあらずならせ給(たま)ひぬるを、いでや、さも心(こころ)うかるべきかなと、哀(あは)れにもののみ心(こころ)細(ぼそ)う思(おぼ)しつゞけらるを、ゆゝしうかく思(おも)はじと思(おぼ)しかへせど、
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いとうたてのみおぼさる。其の後(のち)つゆものも聞(き)こし召(め)さで、唯(ただ)よるひる涙(なみだ)に浮(う)きてのみおはしませば、帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)殿(どの)もいみく思(おぼ)し嘆(なげ)きたり。唯(ただ)御祈の事(こと)をのみ急(いそ)がせ給(たま)へど、いさや、世(よ)のなかに少(すこ)し人(ひと)に知(し)られ、人(ひと)がましき名僧(めいそう)などは、此(こ)の辺(わた)りに親(した)しき様(さま)なる事(こと)には煩(わづら)はしき事(こと)に思(おも)ひて、遣(つか)はせ給(たま)へど万(よろづ)に障(さはり)をのみ申しつゝ、たは安(やす)くも参(まゐ)らず。さりとてむげに人(ひと)に知(し)られぬ程(ほど)なるは、くはほうにやあらむ、驗(しるし)などもえ見ぬわざなれば、御祈(いの)り思(おも)ふ様(さま)にもせさせ給(たま)はぬ。くち惜(を)しさ思(おぼ)し嘆(なげ)きたり。賀茂の祭(まつり)なるやとののしるも万(よろづ)よそにのみおぼさるゝもあはれなり。そうづの君(きみ)・清昭あざりばかりぞ、夜居(よゐ)に常(つね)には候(さぶら)ふ。此(こ)の宮(みや)達(たち)の御扱(あつか)ひせさせ給(たま)ひつゝも、かつはわれいつまでとのみ、まづ知(し)るものをおぼさるゝもいみじうぞ。
中宮(ちゆうぐう)は四月晦日(つごもり)にぞ入(い)らせ給(たま)ふ。其の御有様(ありさま)推(お)し量(はか)るべし。御こしの有様(ありさま)より始(はじ)め、何事(なにごと)もあたらしき御有様(ありさま)にて御裳(も)着させ給(たま)ひて、御髮(ぐし)上(あ)げて御こしに奉(たてまつ)る程(ほど)など猶(なほ)さるべき御身にこそおはしましけれ。かく若(わか)くおはします程(ほど)は、らうたげに美(うつく)しげにおはしまさんこそ世(よ)の常(つね)なりけれ、やむごとなさゝへそはせ給(たま)へるめでたし。此(こ)の度(たび)は藤壺(ふぢつぼ)の御しつらひ、大床子たて御帳のまへのこまいぬなども、常(つね)の事(こと)ながら目とどまりたり。若(わか)き人々(ひとびと)いとめでたしとみる。火たきや、土御門(つちみかど)殿(どの)の御(お)前(まへ)にありし、ゑに書きたるやうなりしを、此(こ)の御(お)前(まへ)にてはまた今(いま)少(すこ)し気色(けしき)ことなる
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心地(ここち)するも、打(う)ちつけの目なるべし。此(こ)の度(たび)は女房(にようばう)からぎぬなども、しな<”にわかれてけぢめけざやかなる程(ほど)ぞいとおしげなる。押しなべてありし折は、目とどまりても見えざりし織物(おりもの)のからぎぬどもの、今(いま)見ればもんけざやかに浮きたるもめでたく見え、さしもあらず人(ひと)がらなどは、悪(わろ)からぬも又(また)心(こころ)の限(かぎ)りしたるむもんなどは、いとくち惜(を)しうなん。女官などもないがしろに思(おも)ひふるまひたるなどなか<めやすげなり。
上(うへ)渡(わた)らせ給(たま)ひて御覧(ごらん)じて、さき<”は心(こころ)安(やす)きあそびものに思(おも)ひ聞(き)こえさせしに、此(こ)の度(たび)はいとやむ事なき御有様(ありさま)なれば、忝(かたじけな)さ添(そ)ひてふるまひにくゝこそなりにたれ。さても見(み)奉(たてまつ)りしころと、此(こ)の頃(ごろ)とはこよなくこそおよすけさせ給(たま)ひにけれ。はかなき事(こと)らば、勘當(かんだう)ありぬべき御気色(けしき)にこそと宣(のたま)はすれば、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もいみじう忍(しの)びやかに言(い)ひつゝ笑(わら)ふべし。はかなく五月五日になりぬれば、人々(ひとびと)菖蒲(さうぶ)・楝(あふち)などのからぎぬ・表着(うはぎ)などもおかしう折知(し)りたるやうに、菖蒲(さうぶ)のみへがさねのみ木丁のうすものにて立てわたさせ給(たま)へるに、上(かみ)を見れば御簾(みす)の緑(へり)もいと青(あを)やかなるに、のきの菖蒲(あやめ)も隙(ひま)なく葺(ふ)かれて、心(こころ)殊(こと)にめでたくおかしきに、御くすだま・しやうぶの御輿(こし)などもて参(まゐ)りたるも珍(めづら)しうて、若(わか)き人々(ひとびと)興(けう)ず。
内(うち)には承香殿を人(ひと)知(し)れずおぼつかなく思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、わざとの御つかひには思(おぼ)しかけず。参(まゐ)る人(ひと)もなければ、もとより此(こ)の御心(こころ)よせのうこんの内侍(ないし)になん、御ふみ忍(しの)び通(かよ)はし給(たま)ふ
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と言(い)ふ事(こと)をのづから漏(も)聞(き)こゆれば、殿(との)はともかくも宣(のたま)はせぬに、いとかしこき事(こと)にかしこまり申して、内(うち)へも参(まゐ)らず。されは、殿(との)の御(お)前(まへ)、うこむの内侍(ないし)が参(まゐ)らぬこそ怪(あや)しけれ。己(おのれ)を見じとてかうしたるなめりなど宣(のたま)はせけるしもぞ、なか<なめう思(おぼ)し召(め)しけるなど人々(ひとびと)思(おも)ひける。
皇后宮(くわうごうぐう)にはあさましきまでもののみおぼえ給(たま)ひければ、御おとうとの四の御方(かた)をぞ、いま宮(みや)の御後見(うしろみ)よくつかうまつらせ給(たま)ふべき様(さま)に、打(う)ちなきてぞ宣(のたま)はせける。御櫛笥(くしげ)殿(どの)もゆゝしき事(こと)をと聞(き)こえて、打(う)ち泣きつゝぞ過(す)ぐさせ給(たま)ひける。月日(ひ)もはかなく過ぎもていきて、内(うち)にはいとど皇后宮(くわうごうぐう)の御有様(ありさま)をゆかしく思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひつゝ、おぼつかなからぬ御消息(せうそく)常(つね)にあり。宮(みや)の美(うつく)しうおはします事(こと)限(かぎ)りなし。
かくて七月にもなりぬれば、わりなき暑(あつ)さをばさるものにて、今年(ことし)相撲(すまひ)は東宮(とうぐう)御覧(ごらん)ぜよと思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ひて、御用意(ようい)心(こころ)異(こと)なるべし。七月七日中宮(ちゆうぐう)より院(ゐん)に聞(き)こえさせ給(たま)ふ、
@くれを待つ雲居(くもゐ)の程(ほど)もおぼつかな踏み見まほしき鵲(かささぎ)の橋(はし) W039。
院(ゐん)より御返事、
@鵲(かささぎ)の橋(はし)の絶間(たえま)は雲居(くもゐ)にてゆきあひのそらを猶(なほ)ぞうらやむ W040。
七月十余(よ)日(にち)の程(ほど)になりぬれば、所々(ところどころ)の相撲人(すまひびと)共(ども)参(まゐ)りあつまりて、左右の大将(だいしやう)などの御もとにはこと”なく唯(ただ)これ騷(さわ)ぎをせさせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)御覧(ごらん)ずべき年(とし)なれば、何事(なにごと)もいかでかなど思(おぼ)し騷(さわ)ぐ
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もおかしくなん。月日(ひ)の過ぎ行くまゝに、皇后宮(くわうごうぐう)にはいとどものをのみ思(おぼ)し嘆(なげ)かるべし。



栄花物語詳解巻七


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〔栄花物語巻第七〕 鳥邉野(とりべの)
かくて八月ばかりになれば、皇后宮(くわうごうぐう)にはいと物(もの)心(こころ)細(ぼそ)くおぼされて、明(あ)け暮(く)れは御涙(なみだ)にひぢて、過(す)ぐさせ給(たま)ふ。荻(をぎ)のうはかぜ萩(はぎ)の下露(したつゆ)もいとど御耳(みゝ)にとまりて過(す)ぐさせ給(たま)ふにも、いとど昔(むかし)のみおぼされてながめさせ給(たま)ふ。女院(にようゐん)よりはおぼつかなからず御消息(せうそこ)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。内(うち)よりはたゞにもあらぬ御事(こと)を心(こころ)苦(ぐる)しう思(おぼ)しやらせ給(たま)ひて、内藏寮(くらづかさ)より様々(さまざま)物(もの)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御慎(つつし)みをも、思(おぼ)す様(さま)にもあらず。御修法二壇ばかり、さべき御読経などぞあれど、僧などもまづさべきところのをばかかずつとめつかうまつらんと思(おも)ふ程(ほど)に、此(こ)の宮(みや)の御読経などをば、怪(あや)しのかはりばかりの物(もの)はか<”しからず何(なに)ともなくいをのみぬるにつけても、さもありぬべかりし折にかやうの御有様(ありさま)もあらましかば、いかにかひ<”しからまし。なぞや、今(いま)はたゞねんぶつをひまなくきかばやと思(おぼ)しながら、また此(こ)の僧達(たち)のもてなし有様(ありさま)忙(いそ)がしげさともつみをのみこそはつくるべかめれなどおぼされて、たゞさるべき宮司(みやづかさ)などのをきてにまかせられて過(す)ぐさせ給ふ。
帥(そち)殿(どの)・中納言(ちゆうなごん)殿(どの)
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などの参(まゐ)り給ふばかりに万(よろづ)思(おぼ)しなぐさむれど、たゞ御涙(なみだ)のみこそこぼれさせ給(たま)へれば、うたてゆゝしうおぼされても、姫宮(ひめみや)などの御有様(ありさま)をいかに<とのみ思(おも)ほし見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。常(つね)の御夜は僧都(そうづ)の君(きみ)候(さぶら)ひ給(たま)へり。まして此(こ)の君達(きんだち)おはせざらましかば、いかにいとどいはんかたなからましとのみ思(おも)ほし知(し)る事(こと)多(おほ)かるべし。東宮(とうぐう)には宣耀殿(せんえうでん)の数多(あまた)の宮(みや)達(たち)おはしまして、御なからひいとみづ漏るまじげなれば、淑景舎参(まゐ)り給(たま)ふ事(こと)かたし。内(うち)辺(わた)りには五節(ごせつ)・臨時(りんじ)の祭(まつり)など打(う)ちつゞき。今(いま)めかしければ、それにつけても、昔(むかし)忘(わす)れぬさべき君達(きんだち)など参(まゐ)りつゝ、女房(にようばう)など物語(ものがたり)しつゝ、五節(ごせつ)の所々(ところどころ)の有様(ありさま)など言(い)ひかたるにつけても、清少納言(せうなごん)など出()であひて、せう<の若(わか)き人(ひと)などにもまさりておかしうほこりかなるけはひを猶(なほ)すてがたくおぼえて、二三人(にん)づゝつれてぞ常(つね)に参(まゐ)る。
宮(みや)は此(こ)の月にあたらせ給(たま)ふ。御(おん)心地(ここち)も悩(なや)ましうおぼされて、清昭法橋常(つね)に参(まゐ)り御願たて、戒(かい)など受けさせ給(たま)ひて、あはれなる事(こと)のみ多(おほ)かり。又(また)さべき白き御調度(てうど)など帥(そち)殿(どの)に急(いそ)がせ給(たま)ふにも、今(いま)内(うち)よりもて参(まゐ)りなんなどあれど、心(こころ)にもまうけであるべきならねば、急(いそ)がせ給(たま)ふ。女房(にようばう)にもきぬども給(たま)はせて急(いそ)がせ給(たま)ふをさへ、一人(ひとり)の御心(こころ)には思(おも)ほしまぎるゝ事(こと)なくて、はかなく御手ならひなどにせさせ給(たま)ひつゝ、物(もの)あはれなる事(こと)共(ども)をのみかきつけさせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)そのまゝの御さうじ
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なれば、法師(ほふし)にをとらぬ御有様(ありさま)・行(おこな)ひなかに只今(ただいま)は此(こ)の事(こと)をのみ申(まう)させ給(たま)ふ。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)も里(さと)に出(い)でさせ給(たま)はず、かくてのみ候(さぶら)ひ給(たま)ふ。若宮(わかみや)も姫宮(ひめみや)も御有様(ありさま)の世(よ)に美(うつく)しうおはしますに、何事(なにごと)も思(おも)ほしなぐさみて、我が御命(いのち)共(ども)をこそ知(し)り給(たま)はね。宮(みや)の御有様(ありさま)は何(なに)ゝよりてさあらではあるべきなど思(おぼ)しとりたるにつけても、いみじき物(もの)にかしづき聞(き)こえさせ給(たま)ふ。げに理(ことわり)かなと見えさせ給(たま)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に十二月(じふにぐわつ)になりぬ。宮(みや)の御(おん)心地(ここち)悩(なや)ましうおぼされて、今日(けふ)や<と待(ま)ちおぼさるゝに、今年(ことし)はいみじう慎(つつし)ませ給(たま)ふべき御年(とし)にさへあれば、いかに<と悩(なや)ましげに此(こ)の殿(との)ばら見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、いとど苦(くる)しげにおはします。さるべきはらへ・御読経などひまなし。やむごとなき驗(しるし)ある僧など召(め)しあつめてののしりあひたり。御物(もの)のけなどいとかしがましう言(い)ふ程(ほど)に、長保二年十二月(じふにぐわつ)十五日のよるになりぬ。内(うち)にも聞(き)こし召(め)してければ、いかに<とある御つかひ頻(しき)りなり。斯(か)かる程(ほど)に御(み)子(こ)むまれ給(たま)へり。女(をんな)におはしますを口(くち)惜(を)しけれど、さばれ平(たひら)かにおはしますをまさる事(こと)なく思(おも)ひて、今(いま)は後(のち)の御事(こと)になりぬ。ぬかをつき騷(さわ)ぎ、万(よろづ)に御読経とり出(い)でさせ給(たま)ふに、御湯(ゆ)など参(まゐ)らするに聞(き)こし召(め)し入るゝやうにもあらねば、みな人(ひと)あはて惑(まど)ふをかしこき事(こと)にする程(ほど)に、いとひさしうなりぬれば、猶(なほ)いと<おぼつかなし。御となぶら近(ちか)うもてことて、帥(そち)殿(どの)かほを見(み)奉(たてまつ)り、むげに
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なき御気色(けしき)なり。あさましくてよび探(さぐ)り奉(たてまつ)り給(たま)へば、やがて冷(ひ)えさせ給(たま)ひにけり。
あないみじと惑(まど)ふ程(ほど)に、僧たちさまよひ、猶(なほ)御誦経(じゆぎやう)頻(しき)りにて内(うち)にもとにもいとどぬかを突きののしれど、何(なに)のかひもなくてやませ給(たま)ひぬれば、帥(そち)殿(どの)は抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、こゑも惜(を)しまず泣き給(たま)ふ。さるべきなれど、さのみ言(い)ひてやはとて、若宮(わかみや)をば抱(いだ)き放(はな)ち聞(き)こえさせて、かきふせ奉(たてまつ)りつ。日頃(ひごろ)物(もの)をいと心(こころ)細(ぼそ)しと思(おも)ほし召(め)したりつる御気色(けしき)もいかにと見(み)奉(たてまつ)りつれど、いとかくませば思(おも)ひ聞(き)こえさせたりつる。命(いのち)ながきは、憂き事(こと)にこそありけれとて、いかで御供(とも)に参(まゐ)りなんとのみ、中納言(ちゆうなごん)殿(どの)も帥(そち)殿(どの)もなき給(たま)ふ。姫宮(ひめみや)・若宮(わかみや)などみな事(こと)かたにわたし奉(たてまつ)るにつけても、ゆゝしう心(こころ)うし。此(こ)の殿(との)ばらの御折(をり)に宮(みや)の内(うち)の人(ひと)の涙(なみだ)は尽きはてにしかど、のこり多(おほ)かる物(もの)なりけりと見えたり。
内(うち)にも聞(き)こし召(め)して、あはれいかに物(もの)を思(おぼ)しつらん。げにあるべくもあらず思(おも)ほしたりし御有様(ありさま)をと、哀(あは)れに悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)さる。宮(みや)達(たち)いと幼(をさな)き様(さま)にて、いかにとつきすまじう心(こころ)憂(う)き御事(こと)を思(おぼ)し召(め)すにかひなし。此(こ)の度(たび)むまれ給(たま)はん御(み)子(こ)は、男(をとこ)女(をんな)わかず取(と)り放(はな)ち聞(き)こえさせ給(たま)はんと、かねてより思(おぼ)し召(め)しければ、中将(ちゆうじやう)の命婦(みやうぶ)とて候(さぶら)ふを奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)にも里(さと)に出(い)でて宮(みや)をむかへ奉(たてまつ)らんと思(おも)ふに、正月の朔日(ついたち)の程(ほど)をだに過(す)ぐさ
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んとてなん。あなかしこ、よく真心(まごころ)につかうまつれとて、御消息(せうそく)の料(れう)など給(たま)はせて奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。宮(みや)に参(まゐ)りたれば帥(そち)殿(どの)出(い)であはせ給(たま)ひて、万(よろづ)に言(い)ひつゞけて泣き給(たま)ふ。若宮(わかみや)抱(いだ)き出(い)で奉(たてまつ)りて、哀(あは)れにいみじう、おかしげにて何(なに)とも思(おぼ)したらぬ御気色(けしき)も、いと悲(かな)しくて涙(なみだ)とどまらねど、われは事忌(こといみ)せまほしうて忍(しの)ぶるも苦(くる)し。さて中将(ちゆうじや)の命婦(みやうぶ)万(よろづ)に扱(あつか)ひ聞(き)こえさする程(ほど)もいみじうあはれなり。
上(うへ)は中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)にも渡(わた)らせ給(たま)はず、のぼらせ給(たま)へとあれど、聞(き)こし召(め)しいれでなん、過(す)ぐさせ給(たま)ひける。宮(みや)は御手習(てならひ)をせさせ給(たま)ひて、み丁のひもにむすびつけさせ給(たま)へりけるを、今(いま)ぞ帥(そち)殿(どの)・御かたがたなど取(と)りて見給(たま)ひて、此(こ)の度(たび)は限(かぎ)りの度(たび)ぞ。その後(のち)すべきやうなどかかせ給(たま)へり。いみじうあはれなる御手習(てならひ)共(ども)の、内(うち)辺(わた)りの御覧(ごらん)じ聞(き)こし召(め)すやうなどやと思(おぼ)しけるにやとぞ見ゆる。
@夜もすがら契(ちぎ)りし事(こと)を忘(わす)れずば戀(こ)ひん涙(なみだ)のいろぞゆかしき W041。
又(また)、
@知る人(ひと)もなきわかれぢに今(いま)はとて心(こころ)細(ぼそ)くも急(いそ)ぎたつかな W042。
又(また)、
@煙(けぶり)とも雲(くも)ともならぬ身なりともくさばのつゆをそれとながめよ W043。
など、哀(あは)れなる事(こと)共(ども)多(おほ)くかかせ給(たま)へり。此(こ)の御事(こと)のやうにては、例(れい)の作法(さほふ)にてはあらでと思(おぼ)し召(め)しけるなめりとて、帥(そち)殿(どの)急(いそ)がせ給(たま)ふ。
とりべののみなみのかたに二町
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ばかりさりて、たまやと言(い)ふ物(もの)をつくりてついひぢなどつきて、心(こころ)におはしまさせんとせさせ給(たま)ふ。万(よろづ)いとところせき御よそほしさにおはしませば、事(こと)共(ども)ゝをのづからなべてにあらず。思(おぼ)しをきてさせ給(たま)へり。斯(か)かる事(こと)をも宮(みや)<の何(なに)とも思(おぼ)したらぬ御有様(ありさま)共(ども)ゝいみじう悲(かな)しう見(み)奉(たてまつ)る。宮(みや)は今年(ことし)ぞ廿五にならせ給(たま)ふける。その夜になりぬれば、こがねづくり御いとげの車(くるま)にておはしまさせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)より始(はじ)め、さるべき殿(との)ばらみなつかうまつらせ給(たま)へり。こよひしも雪いみじう降りて、おはしますべき屋もみな降り卯づみたり。おはしまし着きてはらはせ給(たま)ひて、内(うち)の御しつらひあべき事(こと)共(ども)せさせ給(たま)ふ。やがて御車(くるま)をかきおろさせ給(たま)ひて、それながらおはします。今(いま)はまかで給(たま)ふとて、殿(との)ばら、明順(あきのぶ)・道順(みちのぶ)など言(い)ふ人々(ひとびと)も、いみじう泣き惑(まど)ふ。折しも雪、片時(かたとき)におはしどころも見えずなりぬれば、帥(そち)殿(どの)、
@誰(たれ)も皆(みな)消(き)え殘(のこ)るべき身ならねどゆき隱(かく)れぬる君(きみ)ぞ悲(かな)しき W044。
中納言(ちゆうなごん)、
@白雪(しらゆき)の降(ふ)りつむ野邊(のべ)は跡(あと)絶(た)えていづくをはかと君(きみ)をたづねん W045。
僧都(そうづ)の君
@ふるさとにゆみもかへらで君(きみ)ともに同(おな)じ野邊(のべ)にてやがて消えなん W046。
など宣(のたま)ふも、いみじう悲(かな)し。こよひの事(こと)ゑに描かせて人(ひと)にも見せまほしうあはれなり。内(うち)にはこよひぞかしと思(おぼ)し召(め)しやりて、よもすがら御殿(との)ごもらず思(おも)ほしあかさ
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せ給(たま)ひて、御袖のこほりもところせく思(おぼ)し召(め)されて、世(よ)の常(つね)の御有様(ありさま)ならば、かすまんのべもながめさせ給(たま)ふべきを、いかにせんとのみ思(おぼ)し召(め)されて、
@のべまでも心(こころ)ばかりは通(かよ)へどもわがみゆきとも知らずや有(あ)るらん W047。
などぞ思(おぼ)し召(め)し明(あ)かしける。曉(あかつき)にみな人々(ひとびと)かへり給(たま)ひて、宮(みや)には候(さぶら)ふ人々(ひとびと)待(ま)ちむかへたる気色(けしき)いと理(ことわり)に見えたり。おはしましどころ雪のかきたれふるに、打(う)ちかへりみつゝこなたざまにおはせし御(おん)心地(ここち)共(ども)、いと悲(かな)しくおぼされたり。
かくてはるの来る事(こと)も知(し)られ給(たま)はず、あはれよりほかの事(こと)無くて過(す)ぐし給(たま)ふに、世(よ)の中(なか)にはむま車(くるま)のをと繁(しげ)く、さきをひののしるけはひども思(おも)ふ事(こと)なげなるうらやましく、同(おな)じ世ともおぼされず。御忌(いみ)の程(ほど)も過(す)ぎぬれば、院(ゐん)には、今日(けふ)明日(あす)いま宮(みや)むかへ奉(たてまつ)らんとて、三条(さんでう)院(ゐん)に出(い)でさせ給(たま)ふ。事(こと)共(ども)はてなば、姫宮(ひめみや)・一宮などは内(うち)におはしまさせんと思(おぼ)したれど。帥(そち)殿(どの)などはたは安(やす)く見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふまじければ、それをぞ内(うち)にも心(こころ)苦(ぐる)しく思(おぼ)し召(め)されける。女院(にようゐん)にはよき日(ひ)して若宮(わかみや)むかへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)・中納言(ちゆうなごん)殿(どの)など御をくりにと思(おぼ)し召(め)せど、まだいみの内(うち)なる内(うち)にも、万(よろづ)いま<しう慎(つつ)ましうおぼさるゝ程(ほど)に、御むかへにとう三位さるべき女房(にようばう)など、院(ゐん)の殿上人(てんじやうびと)数多(あまた)して御むかへに参(まゐ)れば、渡(わた)らせ給(たま)ふ。これにつけても宮(みや)方(がた)には、哀(あは)れに悲(かな)しき事(こと)尽きずおぼさるべし。出(い)で奉(たてまつ)り給(たま)へれば、院(ゐん)待(ま)ちむかへ
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見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふまゝに、むまれさせ給(たま)ひて卅余(よ)日(にち)にならせ給(たま)へれど、美(うつく)しげに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。斯(か)かる事(こと)共(ども)の思(おも)ひがけぬ御有様(ありさま)を、哀(あは)れにあさましとも言(い)ふは疎(おろ)かに悲(かな)し。宮(みや)には御法事の事(こと)急(いそ)がせ給(たま)ふも、帥(そち)殿(どの)御涙(なみだ)ひまなし。一宮・姫宮(ひめみや)さへ内(うち)におはしまさば、いとどなぐさむ方(かた)なからん事(こと)を思(おも)ひ給(たま)ふべし。
かくて麗景殿(れいけいでん)の内侍(ないし)のかみは東宮(とうぐう)へ参(まゐ)り給(たま)ふ事(こと)ありがたくて、式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)の源中将(ちゆうじやう)忍(しの)びてかよひ給(たま)ふと言(い)ふ事(こと)聞(き)こえて、宮(みや)もかきたえ給(たま)へりし程(ほど)にならせ給(たま)ひにしかば、宮(みや)さすがに哀(あは)れに聞(き)こし召(め)しけり。さくらのおもしろきをながめ給(たま)ひて、たいの御(おほん)方(かた)、
@同(おな)じごとにほふぞつらきさくらばな今年(ことし)のはるはいろかはれかし W048。
などぞ宣(のたま)ひける。
斯(か)かる程(ほど)に大(おほ)殿(との)はすけかたの君(きみ)の家(いへ)におはしますに、いみじう悩(なや)ませ給(たま)ふ。只今(ただいま)の大事に此(こ)の思(おも)ふ御物(もの)のけのいみじきはさる物(もの)にて、わが御(おん)心地(ここち)の物(もの)ぐるをしきまで、世(よ)にありとある事(こと)共(ども)をしつくさせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)里(さと)に出(い)でさせ給(たま)ひなどしていといみじう物(もの)騷(さわ)がし。女院(にようゐん)にもいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。そこらの御願の驗(しるし)にや、仏神の御驗(しるし)のあらはるべきにや、ところかへさせ給(たま)はゞをこたらせ給(たま)ふべきかしとおんやうじども申せば、さるべきところをあはせて給(たま)へば、内侍(ないし)のかみの住(す)み給(たま)ひし土御門(つちみかど)をぞよき方(かた)と申せば、渡(わた)らせ給(たま)ふ。夏(なつ)の事(こと)なれば、さらぬ人(ひと)だにいとたへがたき
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ころなれば、いかに<と見(み)奉(たてまつ)り思(おぼ)す程(ほど)に、いとひさしう悩(なや)み給(たま)ひて、をこたらせ給(たま)ひぬ。いといみじうあさましう思(おも)ひがけぬ事(こと)に、誰(たれ)も嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)す。世(よ)にめでたき御事(こと)なり。
殿(との)の上(うへ)の御はらからの御方(かた)に、みちつな大将(だいしやう)こそは住(す)み奉(たてまつ)り給(たま)ふに、こぞよりたゞにもあらずおはしければ、此(こ)の頃(ごろ)さべき程(ほど)にあたり給(たま)へりけるを、一条(いちでう)殿(どの)はあしかるべし。ほかに渡(わた)らせ給(たま)ふべうおんやうじの申しければ、善き方(かた)とてなかゞはになにがしあざりと言(い)ふ人(ひと)の車(くるま)やどりに渡(わた)らせ給(たま)ひて、むまれ給(たま)ひにたり。男子(をのこご)にて物(もの)し給(たま)へば、嬉(うれ)しう思(おぼ)す程(ほど)に、やがて後(のち)の御事(こと)なくて失(う)せ給(たま)ひぬ。おほ上(うへ)のこりすくなきに、哀(あは)れに思(おぼ)し入たり。殿(との)も哀(あは)れに心(こころ)苦(ぐる)しき事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給ふなかにも、上(うへ)の御はらからの男(をとこ)にて数多(あまた)おはするもうとくのみぞ。これは一(ひと)つ御はらからにて、万(よろづ)をはぐゝみ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。又(また)此(こ)の大将(だいしやう)殿(どの)の御事(こと)をも、殿(との)・上(うへ)もろ心(こころ)に急(いそ)がせ給(たま)ひしに、あへなく心(こころ)憂(う)き事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。大将(だいしやう)殿(どの)も大方(おほかた)のあはれはさる物(もの)にて、御なからひなどのいとめでたう、此(こ)の北(きた)の方(かた)の御ゆかりに世(よ)のおぼえもこよなかりつる。様々(さまざま)に思(おも)ほし嘆(なげ)くも理(ことわり)に見えたり。大将(だいしやう)殿(どの)は此(こ)のちご君(きみ)をつと抱(いだ)きて、彼のかはりと思(おぼ)し扱(あつか)ふにも、やがて其(そ)の御つみの御事(こと)思(おぼ)すにぞ。我がつみのふかきなめる。斯(か)かる事(こと)共(ども)にいかで逃(のが)れて、ひたみちにあみだ仏をねんじ奉(たてまつ)ら
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んと思(おも)ふ物(もの)をと、思(おぼ)し惑(まど)ふ。
さてとかくなし奉(たてまつ)りて、御忌(いみ)の程(ほど)も哀(あは)れに思(おも)ほさる此(こ)の君(きみ)の御扱(あつか)ひにぞ、思(おぼ)しまぎるゝ事(こと)もあべかめる。御乳母(めのと)われも<とのぞむ人(ひと)数多(あまた)あれど、べんの君(きみ)とていやしからぬ、故上(うへ)などもやむごとなき物(もの)にていみじう思(おぼ)したりしかば、其(そ)の御心(こころ)の忘(わす)れがたきに、もし平(たひら)かにてあらば、必(かなら)ずこれを言(い)ひつけにもなどにもの給(たま)はせし御かねごとどもいと忘(わす)れがたくて、やがて其(そ)の君(きみ)万(よろづ)に知(し)り扱(あつか)ひ聞(き)こゆれば、殿(との)の上(うへ)思(おぼ)す様(さま)におぼされたり。かくて今年(ことし)は女院(にようゐん)の御四十賀、公(おほやけ)ざまにせさせ給(たま)ふべければ、はるよりその御調度(てうど)どもせさせ給(たま)ふに、春と思(おぼ)し召(め)ししかど、殿(との)の御(おん)心地(ここち)の例(れい)ならざりしかば、それに障(さは)りて七月にと思(おぼ)し定(さだ)めさせ給(たま)ひけるに、院(ゐん)もまた八講せさせ給(たま)はんとて、これを大事に万(よろづ)思(おぼ)し急(いそ)がせ給ふ。七月にと思(おぼ)し召(め)しけれど、世(よ)の中(なか)物(もの)騷(さわ)がしうおぼされて過(す)ぐさせ給(たま)ふに、例(れい)の九月も御石山(いしやま)まうでなれば、万(よろづ)さしあひ物(もの)騷(さわ)がしくおぼされて、石山(いしやま)まうでの後(のち)にやさきにやと定(さだ)めがたし。
若宮(わかみや)日(ひ)にそへて美(うつく)しうおはしまして、這(は)ひゐざらせ給(たま)ひて御念誦(ねんず)のさまたげにおはしますに、いとわりなきわざかなと、もて扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。誠(まこと)に美(うつく)しういみじと思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、内(うち)にゐて奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、内(うち)もいと美(うつく)しう哀(あは)れに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、抱(いだ)き
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給(たま)ひて渡(わた)らせ給(たま)へば、したひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて泣かせ給(たま)ふ程(ほど)も、いと美(うつく)しう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。院(ゐん)のいまさらに斯(か)かる人(ひと)をあづけさせ給(たま)ひて、心(こころ)とまる事(こと)ゝ申(まう)させ給(たま)へば、さてあしうやはべる。つれ<”に思(おぼ)し召(め)すにかくまぎれはべればと申(まう)させ給(たま)ふまゝに、御涙(なみだ)の浮かばせ給(たま)ふ。
かくてまかでさせ給(たま)ひて九月は石山(いしやま)まうでとて女房(にようばう)達(たち)数多(あまた)急(いそ)ぎののしる。院(ゐん)の御(お)前(まへ)はほとけの御丁のかたびら、石山(いしやま)の僧にほうぶく・かづけ物(もの)など急(いそ)がせ給(たま)ふものから、怪(あや)しう心(こころ)細(ぼそ)うのみおぼさるゝ事(こと)多(おほ)かり。其(そ)の御気色(けしき)を見(み)奉(たてまつ)りて、候ふ人々(ひとびと)もうたてゆゆしきまで思(おも)ひ嘆(なげ)くべし。京出(い)でさせ給(たま)ひてあはたぐち・關山(せきやま)の程(ほど)、鹿(しか)の山(やま)ごえ物(もの)心(こころ)細(ぼそ)う聞(き)こゆ。万(よろづ)哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されて、
@数多(あまた)度(たび)ゆきあふさかのせきみづに今(いま)は限(かぎ)りのかげぞ悲(かな)しき W049。
と宣(のたま)はすれば御車(くるま)に候(さぶら)ひ給(たま)ふ宣旨(せんじ)の君(きみ)、
@年(とし)をへてゆきあふさかの驗(しるし)ありてちとせのかげをせきもとめなん W050
とぞ申し給(たま)ふ。さて参(まゐ)り着かせ給(たま)ひて、御(み)堂(だう)に参(まゐ)らせ給ふより万(よろづ)哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されて、年(とし)頃(ごろ)参(まゐ)り馴れつる御前に、これは限(かぎ)りの度(たび)ぞかしとおぼされて、いみじう悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)さる。
例(れい)のやうに御祈(いの)り・ずほうなどにもあらで、めつざいしやうぜんのためにとて護摩(ごま)をぞ行(おこな)はせ給(たま)ふ。万(よろづ)にあはれなる度(たび)の御祈(いの)りをせさせ給(たま)へ
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ば、御てらの僧どもゝあるまじき事(こと)に、いかにおぼえさせ給(たま)ふにかと怪(あや)しうをぢまうせど、などてか。これこそ参(まゐ)りはての度(たび)、命(いのち)の限(かぎ)りと思(おも)ひ志(こころざ)したるみやづかひの限(かぎ)りなりとて、あや織物(おりもの)のみちやうのかたびら・しろがねの鉢(はち)共(ども)、僧どもに別當より始(はじ)めて、かずをつくしてほうぶくどもくばらせ給(たま)ふ。同(おな)じくぞくやうせさせ給(たま)ひて、みてらの封などくはへさせ給(たま)ひて、御誦経(じゆぎやう)など心(こころ)殊(こと)にせさせ給(たま)へり。又(また)まんどうゑなどせさせ給(たま)ひて、まかでさせ給ふとてもいみじうかせ給(たま)ふ。候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もいと悲(かな)しう見(み)奉(たてまつ)る。御てらのそうども御万歳を祈(いの)り奉(たてまつ)る。出(い)でさせ給(たま)ひて、程(ほど)なく御八講始(はじ)めさせ給(たま)ふ。すべて年(とし)頃(ごろ)の御八講にはすぐれたる程(ほど)推(お)し量(はか)るべし。かうじたち此(こ)の世・後(のち)の世(よ)の御事(こと)めでたうつかうまつる。万(よろづ)を思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。御儀式(ぎしき)有様(ありさま)、聞(き)こえさすれば疎(おろ)かなり。ゆゝしきまであり。殿(との)も其(そ)の気色(けしき)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、万(よろづ)の山々(やまやま)寺々(てらでら)の御祈(いの)りせさせ給(たま)ふ。
かくて十月に御賀あり。土御門(つちみかど)殿(どの)にてせさせ給ふ。行幸(ぎやうがう)などあり。いといみじうめでたし。御屏風(びやうぶ)の哥どもじやうずどもつかうまつれり。多(おほ)かれど同(おな)じ筋(すぢ)の事(こと)は書かず。八月十五夜に男(をとこ)女(をんな)物語(ものがたり)してつまどのもとにゐたるに、べんのすけたゞ、
@あまのはらやどし近(ちか)くは見えね共すみ通(かよ)はせるあきの夜の月 W051。
かぐらしたるところに兼澄(かねずみ)、
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@神山(かみやま)のとるさかきばのもとすゑに群れゐて祈(いの)る君が万(よろづ)代 W052。
などありし。舞人(まひびと)家(いへ)の子(こ)の君達(きんだち)なり。事(こと)共(ども)やう<はつる程(ほど)に、殿(との)の君達(きんだち)二(ふた)所(ところ)はわらはにてまひ給(たま)ひたる。松(まつ)殿(どの)の御はらのいは君は納蘓利舞ひ給(たま)ふ。殿(との)の上(うへ)の御はらのたづ君は龍王舞ひ給(たま)ふ。殿(との)の有様(ありさま)目もはるかにおもしろし。山(やま)の紅葉(もみぢ)かずをつくし、ながしまのまつにかかれるつたのいろを見れば、くれなゐ・すわうの濃きうすき、あをふ黄なるなど様々(さまざま)のいろのきらめきたるさいでなどをつくりたるやうに見ゆるぞ。世(よ)にめでたき。いけの上(うへ)に同(おな)じいろ<様々(さまざま)の紅葉(もみぢ)のにしきうつりて、みづのけざやかに見えていみじうめでたきに、いろ<のにしきのなかより立ち出(い)でたるふねのがく聞くに、すゞろさむくおもしろし。すべてくちもきかねばえ書きもつゞけず、万(よろづ)の今年(ことし)つくさせ給(たま)へり。
中宮(ちゆうぐう)西(にし)の対(たい)におはしまして、院(ゐん)は寝殿(しんでん)におはしませば、上(うへ)もひんがしのみなみ面(おもて)におはします。殿(との)の上(うへ)はひんがしの対(たい)におはしまして、上達部(かんだちめ)などはわだ殿(どの)につき給(たま)へり。諸大夫(しよだいぶ)・殿上人(てんじやうびと)などはあげばりに着きたり。院(ゐん)の女房(にようばう)寝殿(しんでん)のにしみなみのわだ殿(どの)に候(さぶら)ふ。みすのきはなどいみじうめでたし。事(こと)共(ども)はてゝ行幸(ぎやうがう)かへらせ給(たま)ふ。御をくり物(もの)上達部かんだちめ)のろく・殿上人(てんじやうびと)のかづけ物(もの)などみなしつくさせ給(たま)へり。かみな月の日(ひ)もはかなく暮れぬれば、みな事(こと)共(ども)はてゝ。院(ゐん)は三条(さんでう)院(ゐん)に又(また)の日(ひ)ぞかへらせ給(たま)ふ。さき<”の御賀などはいかゞありけん。これはいとめでたし。入道(にふだう)殿(どの)の六十の賀、院(ゐん)のきさいの宮(みや)
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と聞(き)こえさせしときせさせ給(たま)ひしも、いとかくはあらざりきとぞおぼされける。此(こ)の君達(きんだち)の御美(うつく)しさを誰(たれ)も<涙(なみだ)とどめず見(み)奉(たてまつ)る人々(ひとびと)多(おほ)かり。
霜月(しもつき)には五節(ごせつ)をばさる物(もの)にて神事(かみわざ)共(ども)繁(しげ)かべければ、やがて此(こ)の月に内(うち)へ参(まゐ)らせ給(たま)ふ。上(うへ)いみじう嬉(うれ)しとおぼされて、いつしかと渡(わた)らせ給(たま)へり。若宮(わかみや)はいみじう美(うつく)しうおはしませば、こと<”なくこれをもてあそばせ給(たま)へば、戲(たはぶ)れ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。御物語(ものがたり)のつゐでに、怪(あや)しく物(もの)心(こころ)細(ぼそ)くおぼえはべれば、いかなるべきにかとのみ思(おも)ひ給(たま)ふる。今(いま)は命(いのち)も惜(を)しうもおぼえはべらねども、御有様(ありさま)の今(いま)少(すこ)しゆかしうおぼえさせ給(たま)ふこそ飽かぬ事(こと)にはべれなど聞(き)こえさせ給(たま)ひて、いみじう泣かせ給(たま)へば、上(うへ)もせきあへがたくおぼされて、さやうにもおはしまさば、世(よ)にはいかでか片時(かたとき)も侍らんとなん思(おも)ふ給(たま)ふる。円融(ゑんゆう)の院(ゐん)は見(み)奉(たてまつ)りますなどはべりし内(うち)にも、まだ幼(をさな)うはべりし程(ほど)なりしかばこそ、かくて今(いま)ゝでもはべれ。御(お)前(まへ)の御有様(ありさま)を暫(しば)しも見(み)奉(たてまつ)らではとゆゝしう泣かせ給(たま)へば、猶(なほ)只今(ただいま)の事(こと)にはよもはべらじ。怪(あや)しう例(れい)ならず心(こころ)細(ぼそ)うはべるなりとばかり聞(き)こえさせ給(たま)ひて、若宮(わかみや)をもてあそばし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
上(うへ)は御(おん)心地(ここち)にいと物(もの)嘆(なげ)かしう思(おぼ)し召(め)さるれば、やがて中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)へれば、いらせ給(たま)ふより心(こころ)殊(こと)に物(もの)忘(わす)れせらるゝ御有様(ありさま)、かひありて思(おも)ほし召(め)されて、心(こころ)のどかに御物語(ものがたり)などせさせ給(たま)ひて、院(ゐん)の御方(かた)に
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参(まゐ)りたりつれば、いと心(こころ)細(ぼそ)げに宣(のたま)はせつる社、いと物(もの)思(おも)はしくなりはべりぬればなど、いと物(もの)哀(あは)れにの給すれど万(よろづ)恥(は)づかしう慎(つつ)ましうおぼさるれど、院(ゐん)には殿(との)の御(お)前(まへ)の此(こ)の宮(みやの御事(こと)を昔(むかし)より心(こころ)殊(こと)に聞(き)こえつけ奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、げにいかなればにかと心(こころ)騷(さわ)ぎしておぼさるべし。あはれなる事(こと)をもおかしき事(こと)をも万(よろづ)に聞(き)こえをかせ給(たま)ひて、くれにはとくのぼらせ給(たま)へ。明日(あす)明後日(あさて)物忌(ものいみ)にはべり。御方(かた)にはえ参(まゐ)るまじとて渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。此(こ)の程(ほど)を見(み)奉(たてまつ)るに、やさしうめでたき御なからひなり。晦日(つごもり)になりて院(ゐん)は出(い)でさせ給ふ。上(うへ)常(つね)よりもいみじう惜(を)しみ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、夜(よ)更(ふ)くるまでおはしませばはや渡(わた)らせ給(たま)ひね。夜ふけはべりぬ。出(い)ではべりなんと聞(き)こえさせ給(たま)へばいとしげ<”にてかへらせ給(たま)ひぬれば、出(い)でさせ給(たま)ひぬ。霜月(しもつき)になりぬれば、神事(かみわざ)など繁(しげ)きころにて世(よ)の中(なか)もいと騷(さわ)がしうて過(す)ぎもてゆく。師走(しはす)にもなりぬれば、公(おほやけ)わたくしわかぬ世(よ)の急(いそ)ぎにて、ところわかずいとなみたり。
斯(か)かる程(ほど)に女院(にようゐん)物(もの)せさせ給(たま)ひて、悩(なや)ましう思(おぼ)し召(め)したり。殿(との)御心(こころ)を惑(まど)はして思(おぼ)し召(め)し惑(まど)はせ給(たま)ふ。はかなく思(おぼ)し召(め)ししに日頃(ひごろ)になれば、我が御(おん)心地(ここち)にいかなればにかと、心(こころ)細(ぼそ)うおぼさる。内(うち)にも例(れい)ならぬ様(さま)に思(おも)ほし宣(のたま)はせし物(もの)を、いかゞおはしまさんと思(おも)ほし召(め)すより。やがておものなども御覧(ごらん)じ入れさせ給(たま)はず。万(よろづ)に思(おぼ)ししめりたるを、御乳母(めのと)達(たち)
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もいかゞと見(み)奉(たてまつ)る。中宮(ちゆうぐう)若(わか)き御心(こころ)なれど、此(こ)の御事(こと)を様々(さまざま)にいみじうおぼさる。殿(との)今(いま)は医師(くすし)に見せさせ給(たま)ふべきなり。いと恐(おそ)ろしき事(こと)なりと度々(たびたび)聞(き)こえさせ給(たま)へど、医師(くすし)にみすばかりにてはいきてかひあるべきにあらず、心(こころ)づよく宣(のたま)はせて、見せさせ給(たま)はず。御有様(ありさま)を医師(くすし)にかたり聞かすれば、寸白(すばく)におはしますなりとて其(そ)のかたの療治(れうぢ)共(ども)をつかうまつれば、まさるやうにもおはしまさず。
日頃(ひごろ)になりぬればにや汁(しる)などあえさせ給(たま)へれば、誰(たれ)も心(こころ)のどかに思(おも)ほし見(み)奉(たてまつ)るに、たゞ御物(もの)のけどものいと<おどろ<しきに、御ずほう数を尽くし、大方(おほかた)世(よ)にあるかたの事(こと)共(ども)を、内(うち)方(かた)・殿(との)方(がた)・院(ゐん)方(がた)など三方(みかた)にあかれて、万(よろづ)に思(おも)ほし急(いそ)ぎたり。内(うち)にはいかに<と日々に見(み)奉(たてまつ)らまほしう思(おも)ほしたれど、日つゐでなど選(え)らせ給(たま)ひて、日頃(ひごろ)はたゞ過(す)ぎに過(す)ぎもていぬ。御物(もの)のけを四五人(にん)に駆(か)り移(うつ)しつゝ、各(おのおの)僧どもののしりあへるに、此(こ)の三条(さんでう)院(ゐん)の隅(すみ)の神(かみ)の崇(たたり)と言(い)ふ事(こと)さへ出(い)で来て、其(そ)の気色(けしき)いみじうあやにくげなり。恐(おそ)ろしき山にはと言(い)ふらんやうに、いとどしきに斯(か)かる事(こと)さへあれば、ところを替(か)へさせ給(たま)ふべきなめりと言(い)ふ事(こと)出(い)で来て、御うらにもあふところは、惟仲の帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)の知(し)るところに渡(わた)らせ給(たま)ふべきに、御定(さだ)め有(あ)り。やがて其(そ)の日(ひ)行幸(ぎやうがう)あるべし。かく苦(くる)しげにおはしますに、此(こ)の若宮(わかみや)はいみじう騷(さわ)がしうあはてさせ給(たま)ふ
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も、御懐(ふところ)を離(はな)れさせ給(たま)はずむつれ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふを、御乳母(めのと)にこれ抱(いだ)き奉(たてまつ)れと宣(のたま)はず、つく<”とれうぜられ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)の御志(こころざし)、いみじう哀(あは)れにけぢかき程(ほど)に候(さぶら)ふ僧なども涙(なみだ)をながしつゝ候(さぶら)ふ。年(とし)頃(ごろ)哀(あは)れにめでたう人々(ひとびと)をはぐゝませ給(たま)へる御かげにかくれつかうまつりたる人々(ひとびと)。いかにおはしまさんとよりほかの事(こと)なし。誰(たれ)も大願(だいぐわん)をたてゝ涙(なみだ)をのごひて候(さぶら)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に晦日(つごもり)になりぬれば、世(よ)の中(なか)物(もの)騷(さわ)がしういとなむ頃なるに、かうをこたらせ給(たま)はぬを安(やす)き空(そら)なく公(おほやけ)わたくし御嘆(なげ)きなり。かくて行幸(ぎやうがう)あり。今日(けふ)と聞(き)こし召(め)して、いつしかと待(ま)ち聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)に、むまの時ばかりにぞ行幸(ぎやうがう)ある。みこしより降りさせ給(たま)ふ程(ほど)も心(こころ)もとなく思(おぼ)し召(め)されて、いつしかと見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、さばかり苦(くる)しげにおはしますに、若宮(わかみや)御懐(ふところ)も離(はな)れず出(い)で入りせさせ給(たま)ふを、片時(かたとき)の程(ほど)に心(こころ)苦(ぐる)しく見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、中将(ちゆうじやう)の乳母(めのと)を召(め)し出(い)でて。これ抱(いだ)き聞(き)こえよと宣(のたま)はすれば、いなとて御懐(ふところ)に入らせ給(たま)ひぬ。あさましうあらぬ人(ひと)にならせ給(たま)へる御かたち涙(なみだ)とまらず思(おも)ほし召(め)して、今(いま)ゝで見(み)奉(たてまつ)らずはべりける事(こと)のいみじき事(こと)ゝて、せんかたなくいみじう悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)したり。院(ゐん)もともかくも申(う)させ給(たま)ふ事(こと)なくて、たゞつく<”と見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、打(う)ち泣かせ給(たま)へど、御涙(なみだ)の出(い)でさせ給(たま)はぬも、これはゆゝしき事(こと)にこそあなれと見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふにも、いとどせき
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もあへず泣かせ給(たま)ふ。年(とし)頃(ごろ)の行幸(ぎやうがう)の作法(さほふ)に様(さま)ごとにゆゝしうのみおはします御有様(ありさま)聞(き)こえさせん方なし。そこらの女房(にようばう)涙(なみだ)におぼれたり。殿(との)も御(おん)心地(ここち)はさかしう思(おぼ)し召(め)せど、万(よろづ)に悲(かな)しき事(こと)を、御直衣(なほし)のそでもしほどけにて出(い)で入り扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
やがてこよひほかへ渡(わた)らせ給(たま)ふべければ、かしこの御さうぞくの事(こと)など万(よろづ)に宣(のたま)はせても、たゞひとゝころ打(う)ち泣きつゝ出(い)で入りせさせ給(たま)ふ。行幸(ぎやうがう)の御供(とも)の上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、そこらの人々(ひとびと)いみじう悲(かな)しう、いかにおはしまさんとのみ嘆(なげ)き給(たま)ふ。上(うへ)はさらに御こゑも惜(を)しませ給(たま)はず。ちごどもなどのやうにさくりもよゝと泣かせ給(たま)ふ。日(ひ)もはかなく暮れぬれば、殿(との)はやかへらせ給(たま)ひなん。夜さりの御辺(わた)り夜更けはべりなんと、いたうそゝのかし聞(き)こえ給(たま)へば、御門(みかど)哀(あは)れにつみふかく心(こころ)憂(う)き物(もの)は、斯(か)かる身にも有(あ)りけるかな。此(こ)の御有様(ありさま)を見捨て奉(たてまつ)る事(こと)のいみじき事(こと)、言(い)ふかひなき人(ひと)だに、斯(か)かる折斯(か)かるやうはあらじかし。心(こころ)憂(う)かりける身なりや。猶(なほ)渡(わた)らせ給(たま)はんところまでと思(おぼ)し宣(のたま)はすれど、さるべき事(こと)にも候(さぶら)はずとて、猶(なほ)疾くかへらせ給(たま)ふべく奏(そう)せさせ給(たま)へば、院(ゐん)物(もの)は宣(のたま)はせねど、あかでかへらせ給(たま)はん事(こと)を悲(かな)しうおぼされたり。御手をとらへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、御かほのもとに我が御かほをよせて泣かせ給(たま)ふ御有様(ありさま)。そこらの内(うち)との人(ひと)どよみたり。あなゆゝし。いかでかからじと、物(もの)騷(さわ)がしき上達部(かんだちめ)などは
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せいし給(たま)ひながら、又(また)打(う)ちひそみ給(たま)ふ。
かくて此(こ)の若宮(わかみや)はいづこへかと宣(のたま)はすれば、中将(ちゆうじやう)の命婦(みやうぶ)それは此(こ)の宮(みや)達(たち)のおはしますところへとなん。殿(との)は申(まう)させ給(たま)ふと奏(そう)すれば、げにさてぞよからんなど宣(のたま)はする程(ほど)に、夜に入りぬればみこしよせて度々(たびたび)奏(そう)すれば、われにもあらで出(い)でさせ給(たま)ふ程(ほど)の御(おん)心地(ここち)、げに思(おも)ひ遣(や)て聞(き)こえさすべし。限(かぎ)り無き御位(くらゐ)なれど、親子(おやこ)の中の物(もの)悲(がな)しさを、思(おも)ほし知らぬやうにあらばこそあらめ。万(よろづ)理(ことわり)いみじき程(ほど)の御有様(ありさま)ぞ悲(かな)しきや。みこしに乗らせ給(たま)ふ程(ほど)の御気色(けしき)。ゆゝしきまで思(おぼ)し入らせ給(たま)へり。御そでを御かほに押しあてゝおはします程(ほど)、たゞつく<”と流(なが)れ出(い)でさせ給(たま)ふ。殿(との)此(こ)の御送りつかうまつらせ給(たま)ふとて、御乳母(めのと)達(たち)・女房(にようばう)達(たち)、御(お)前(まへ)に候(さぶら)ふべき由(よし)おほせ置かせ給(たま)ひて、参(まゐ)らせ給(たま)ふそらも無く、今(いま)の程(ほど)いかに<とうしろめたうおぼつかなう思(おも)ほし召(め)す。上(うへ)はやがてそのまゝに物(もの)も宣(のたま)はせで、よるのおましに入らせ給(たま)ひて、すべて何事(なにごと)もおぼえさせ給(たま)はで、御つかひのみ頻(しき)りなり。
さて殿(との)かへらせ給(たま)ひて後(のち)。若宮(わかみや)の御乳母(めのと)。さるべき人々(ひとびと)して、姫宮(ひめみや)のおはしますところに送り聞(き)こえさせ給(たま)ふ。院(ゐん)の渡(わた)らせ給(たま)ふをば御車(くるま)舁きおろして、御殿(との)ごもりたるおましながら、殿(との)のおりべ・弾正宮などかき載せ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、やがて殿(との)御車(くるま)には候(さぶら)はせ給(たま)ふ。かしこにも御車(くるま)かきおろして、同(おな)じ様(さま)にておろし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。帥(そち)の宮・弾正宮よるひる扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へば、同(おな)じく
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やがてみなつかうまつらせ給(たま)へり。此(こ)の宮(みや)達(たち)は御をひばかりにおはしませど、内(うち)の御有様(ありさま)にさしつぎて扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へる御志(こころざし)の程(ほど)を思(おも)ほし知(し)りてつかうまつらせ給(たま)ひて、涙(なみだ)におぼれさせ給(たま)へり。ところなどかへさせ給(たま)へればさりともなど頼(たの)もしう思(おぼ)し召(め)す程(ほど)に渡(わた)らせ給(たま)ひて、二三日ありてつゐにむなしくならせ給(たま)ひぬ。殿(との)の御(おん)心地(ここち)たとへ聞(き)こえさせんかたなし。内(うち)にも聞(き)こし召(め)して日頃(ひごろ)もあるにもあらぬ御(おん)心地(ここち)を、すべていとど思(おぼ)しいらせ給(たま)ひてつゆ御ゆをだに聞(き)こし召(め)さで、いといみじうておはします。理(ことわり)の御有様(ありさま)なれば、聞(き)こえさせんかたなし。長保三年(さんねん)十二月(じふにぐわつ)廿二日の事(こと)なり。程(ほど)などもいとどさむくゆきなどもいとたかくふりて、大方(おほかた)の月日(ひ)さへにのこりすくなく、こよみのぢくあらはになりたるも、あはれをましたる程(ほど)の御事(こと)なり。
かくて三日ばかりありてとりべのにぞ御さうそうあるべき。ゆきのいみじきに殿(との)より始(はじ)め奉(たてまつ)り。万(よろづ)の殿上人(てんじやうびと)、いづれかはのこりつかうまつらぬはあらむ。おはします程(ほど)の儀式(ぎしき)有様(ありさま)言(い)ふも疎(おろ)かなり。殿(との)の心(こころ)に入れ扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふに、内(うち)の御志(こころざし)の限(かぎ)り無さあひそひたる程(ほど)は疎(おろ)かなるべき事(こと)かは、さて夜もすがら殿(との)万(よろづ)に扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、曉(あかつき)になれば、みなかへらせ給(たま)ひぬ。雪のいみじきに常(つね)のみゆきにはかくやは有(あ)りしと思(おも)ひ出(い)で聞(き)こえさするにも、そでのこほりひまなし。曉(あかつき)には殿(との)御骨かけさせ給(たま)ひて、こはたへ渡(わた)らせ給(たま)ひて、日(ひ)さし出(い)でて
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かへらせ給(たま)へり。さて程(ほど)もなく御衣(ぞ)の色かはりぬ。内(うち)にも哀(あは)れにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。天下らうあんになりぬ。
はかなくて年(とし)も暮れぬ。睦月(むつき)の朔日(ついたち)ゆゝしなど言(い)ふも事(こと)よろしき折の事(こと)にこそ有(あ)りけれ。いづくも此(こ)の御ひかりにあたりつる限(かぎ)りは皆くれまどひたり。念仏はさらなり。年(とし)頃(ごろ)のふだんの御読経すべてさるべき御事(こと)、御はてまでとをきてさせ給(たま)ふ。内(うち)にはやがて御手づから御きやうかかせ給(たま)ふ。正月七日子日にあたりたれば、ふなをかもかひなき春の気色(けしき)なるに、左衛門(さゑもん)の督(かみ)公任君、院(ゐん)の台盤所(だいばんどころ)にとぞ有(あ)りし、
@たが為に松(まつ)をもひかんうぐひすのはつねかひなき今日(けふ)にもあるかな W053。
とあれど人々(ひとびと)これを御覧(ごらん)じて詠み給(たま)はずなりぬ。御忌(いみ)の程(ほど)もいみじうあはれなる事(こと)共(ども)多(おほ)かり。かくて御法事の程(ほど)にもなりぬれば、花山(くわさん)の慈徳寺にてせさせ給(たま)ふ。二月十余(よ)日(にち)にぞ御法事ありける。其(そ)の程(ほど)の事(こと)共(ども)思(おも)ひ遣(や)るべし。内(うち)の手づから書かせ給(たま)へる御きやうなどそへてくやうぜさせ給(たま)ふ。院源(ゐんげん)僧都(そうづ)かうじつかうまつりたる程(ほど)思(おも)ひ遣(や)るべし。かやうに哀(あは)れにて御忌(いみ)の程(ほど)過(す)ぎぬ。
其(そ)の年(とし)の祭(まつり)いと物(もの)のはへなき事(こと)共(ども)多(おほ)かれど、例(れい)の公(おほやけ)ごとなればとまる〔べき〕にもあらねば、近衛司(このゑづかさ)などこそ見どころもあれ。それもたゝずなどしていとさうざうしげなれ。かくて五六月ばかりになりぬるに、宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)、一の宮(みや)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はでいと久しう
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なりぬるに、其(そ)の後(のち)限(かぎ)り<と見ゆるまでいみじう煩(わづら)はせ給(たま)へば、東宮(とうぐう)御(おん)心地(ここち)を惑(まど)はして覚したり。いじうおはしましつれど、きのふ今日(けふ)をこたらせ給(たま)へり。弾正宮うちはへ御夜ありきの恐(おそ)ろしさを、世(よ)の人(ひと)安(やす)からずあひなき事(こと)なりと、さかしらに聞(き)こえさせつる。今年(ことし)は大方(おほかた)いと騷(さわ)がしういつぞやの心地(ここち)して、みちおほぢのいみじき物(もの)どもを見過(す)ぐしつゝあさましかりつる御夜ありきの驗(しるし)にや、いみじう煩(わづら)はせ給(たま)ひて失(う)せ給(たま)ひぬ。此(こ)の程(ほど)は新中納言(ちゆうなごん)・いづみ式部(しきぶ)などに思(おぼ)しつきて、あさましきまでおはしましつる御心(こころ)ばへを、うき物(もの)に思(おぼ)しつれど、上(うへ)は哀(あは)れに思(おぼ)し嘆(なげ)きて、四十九日(にち)の程(ほど)に尼(あま)になりぬ。もとよりいみじう道心おはして、三二千部のきやうを読みて過(す)ぐさせ給(たま)へれば、世(よ)のはかなさも思(おぼ)し知(し)られて、いとどしき御行(おこな)ひなり。かくて弾正宮失(う)せさせ給(たま)ひぬと言(い)ふ事(こと)、冷泉(れいぜい)の院(ゐん)ほの聞(き)こし召(め)して、世(よ)に失(う)せじ。ようもとめば有(あ)りなん物(もの)をとぞ宣(のたま)はせける。あはれなる親の御有様(ありさま)になん。東宮(とうぐう)もいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)く。帥(そち)の宮もいみじう哀(あは)れに口(くち)惜(を)しき事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)くべし。さるは今年(ことし)ぞ廿五にならせたまひける。花山(くわさん)の院(ゐん)ぞ中にもとりわき何事(なにごと)も扱(あつか)ひ聞(き)こえ給(たま)ひける。
あはれなる世(よ)にいかゞしけん。八月廿余(よ)日(にち)に聞(き)けば、淑景舎の女御(にようご)失(う)せ給(たま)ひぬとののしる。あないみじ。こはいかなる事(こと)にか。さる事(こと)も世(よ)にあらじ。日頃(ひごろ)悩(なや)み給(たま)ふとも聞(き)こえ
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ざりつる物(もの)をなどおぼつかながる人々(ひとびと)多(おほ)かるに、誠(まこと)なりけり。御鼻口(はなくち)より血あえさせ給(たま)ひて、たゞにはかに失(う)せ給(たま)へるなりと言(い)ふ。あさましいみじとは世(よ)の常(つね)なり。世(よ)の中(なか)はかなしと言(い)ふ中にも、めづらかに心(こころ)憂(う)き御有様(ありさま)なり。これを世(よ)の人(ひと)もくち安(やす)からぬ物(もの)なりければ、宣耀殿(せんえうでん)いみじかりつる御(おん)心地(ここち)はをこたり給(たま)ひて、かく思(おも)ひがけぬ御有様(ありさま)をば、宣耀殿(せんえうでん)たゞにもあらずし奉(たてまつ)らせ給(たま)へりければ、かくならせ給(たま)ひぬるとのみきゝにくきまで申せど、御みづからはとかく思(おぼ)しよらせ給(たま)ふべきにもあらず。少納言(せうなごん)の乳母(めのと)などやいかゞありけんなど人々(ひとびと)言(い)ふめれど、とてもかくてもいと若(わか)き御身のかくなりぬる事(こと)を、帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)もよにいみじき事(こと)に覚しなげゝど、東宮(とうぐう)にもわざとふかき御志(こころざし)にもあらざりつれど、いつしか事(こと)共(ども)かなふ折もあらば、さやうにもあらせ奉(たてまつ)り。物(もの)はなやかにあらせ奉(たてまつ)らんと思(おぼ)し召(め)しつるを、哀(あは)れに口(くち)惜(を)しうこひしくぞ思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひける。其(そ)の内(うち)にも御衣(ぞ)の重(かさ)なり・そでぐちなどは人(ひと)見るごとに思(おも)ひ出(い)でらるゝ物(もの)をなど、悲(かな)しう覚し宣(のたま)はせけり。御たいめんなどこそはたは安(やす)からざりつれど、御志(こころざし)は宣耀殿(せんえうでん)の御なづらひには思(おも)ほされける物(もの)をと、かへすがへす哀(あは)れに口(くち)惜(を)しくこそとぞ。



栄花物語詳解巻八


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栄花物語詳解 巻四
     和田英松・佐藤球 合著
〔栄花物語巻第八〕 初花(はつはな) 
殿(との)の若君(わかぎみ)たづぎみ十二ばかりになり給(たま)ふ。今年(ことし)の冬(ふゆ)枇杷(びは)殿(どの)にて御かうぶりせさせ給(たま)ふ。引き入れには閑院(かんゐん)の内大臣(ないだいじん)ぞおはしましける。すべて残(のこ)る人(ひと)なく参(まゐ)りこみ給(たま)へりける。御贈(おく)り物(もの)・引き出で物(もの)など思(おも)ひ遣(や)るべし。さて其(そ)の年(とし)暮れぬれば、又(また)の年(とし)になりぬ。司召(つかさめし)に少将(せうしやう)にならせ給(たま)ひて、二月に春日(かすが)の使(つかひ)に立(た)ち給(たま)ふ。殿(との)の始(はじ)めたる初事(うひごと)におぼされて、いといみじう急(いそ)ぎ立(た)たせ給(たま)ふも理(ことわり)なり。万(よろづ)にかひ<”しき御有様(ありさま)なり。何(なに)となくふくらかにて美(うつく)しうおはすれば、限(かぎ)り無き物(もの)にぞ見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
春日(かすが)の御供(とも)には、世(よ)に少(すこ)しおぼえある四位(しゐ)・五位(ごゐ)・六位(ろくゐ)、残(のこ)り無く参(まゐ)らせ給(たま)ふ。殿(との)は内(うち)にて御(お)前(まへ)にて見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。又(また)みちの程(ほど)御車(くるま)にても見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)、哀(あは)れに見(み)えさせ給(たま)ふ。立(た)たせ給(たま)ひぬる又(また)の日(ひ)、雪のいみじう降りたれば殿(との)の御(お)前(まへ)、
@若菜(わかな)摘(つ)む春日(かすが)の野辺(のべ)に雪降れば心(こころ)づかひを今日(けふ)さへぞやる W054。
御かへし、四条(しでう)大納言(だいなごん)公任、
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@身をつみておぼつかなきは雪やまぬ春日(かすが)の野辺(のべ)の若菜(わかな)なりけり W055。
これ聞(き)こし召(め)して、花山(くわさん)の院(ゐん)、
@我すらに思(おも)ひこそやれ春日野(かすがの)の雪間(ゆきま)をいかで鶴(たづ)の分(わ)くらん W056。
など聞(き)こえさせ給(たま)ふ。又(また)の日(ひ)はいつしかと殿(との)の御まうけいと心(こころ)異(こと)なり。舎人(とねり)どもの思(おも)ひかしづき、いつかと取(と)り見(み)奉(たてまつ)りたる様(さま)に見ゆるも、其(そ)のかたにつけておかしう見ゆ。
内(うち)には宮々(みやみや)の数多(あまた)おはしますを、御門(みかど)なん一宮をば中宮(ちゆうぐう)の御(み)子(こ)に聞(き)こえつけさせ給(たま)ひて、此(こ)の御方(かた)がちにもてなし聞(き)こえさせ給(たま)ふ。一宮・二宮などのいと美(うつく)しうおはしすを、疎(おろ)かならず見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつゝ、昔(むかし)を哀(あは)れに思(おも)ひ出(い)で聞(き)こえさせ給(たま)はぬ時無し。故関白(くわんばく)殿(どの)の四の御方(かた)は、御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)とこそは聞(き)こゆるを、此(こ)の一宮の御事(こと)を故宮(みや)万(よろづ)に聞(き)こえつけさせ給(たま)ひしかば、たゞ此(こ)の宮(みや)の御母代(ははしろ)に万(よろづ)後見(うしろみ)聞(き)こえさせ給(たま)ふとて、上(うへ)なども繁(しげ)う渡(わた)らせ給(たま)ふに、自(おの)づからほの見(み)奉(たてまつ)りなどせさせ給(たま)ひける程(ほど)に、其(そ)の程(ほど)をいかゞありけん。睦(むつ)まじげにおはしますなど言(い)ふ事(こと)、自(おの)づから漏れ聞(き)こえぬ。中宮(ちゆうぐう)は万(よろづ)まだ若(わか)うおはしまして、何事(なにごと)も思(おぼ)し入れぬ御有様(ありさま)なれど、彼の御方(かた)には此(こ)の御事(こと)をいと煩(わづら)はしう慎(つつ)ましげに思(おぼ)ししづむべかめり。帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)殿(どの)もあはれなりける御宿世(すくせ)かなと思(おぼ)して、人(ひと)知れぬ御祈(いの)りなどせさせ給(たま)ふべし。上(うへ)もいとど哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)したるべし。御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)も万(よろづ)
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峯(みね)の朝霧(あさぎり)に又(また)かく思(おぼ)し嘆(なげ)かるべし。
帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)殿(どの)も宮中におはしませば、思(おも)ひのまゝにえ参(まゐ)り給(たま)はず。夜(よる)忍(しの)びて参(まゐ)り給(たま)ひては、人(ひと)にも知(し)られ給(たま)はで、二三日などぞやがて候(さぶら)ひ給(たま)ひける。宮(みや)達(たち)の御有様(ありさま)の様々(さまざま)美(うつく)しうおはしますに、万(よろづ)を思(おぼ)し慰(なぐさ)めつゝぞ過(す)ぐし給(たま)ひける。此(こ)の程(ほど)に上(うへ)渡(わた)らせ給(たま)ふ折などさべきには忍(しの)びて御物語(ものがたり)など宣(のたま)はせ奏(そう)し給(たま)ふべし。中納言(ちゆうなごん)は大(おほ)殿(との)に常(つね)に参(まゐ)り給(たま)ひて、又(また)見(み)え給(たま)はぬ折は、度々(たびたび)呼びまつはし聞(き)こえ給(たま)ひつゝ、にくからぬ物(もの)に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、此(こ)の君(きみ)はにくき心(こころ)やは有(あ)る。帥(そち)殿(どの)のかしこさのあまりの心(こころ)にひかるゝにこそなどぞ思(おも)ほし召(め)しける。宣耀殿(せんえうでん)東宮(とうぐう)には数多(あまた)の宮(みや)達(たち)ひきゐて候(さぶら)はせ給(たま)ふにも、おぼろげならぬ御宿世(すくせ)にやと見(み)えたり。大殿(との)内侍(ないし)の督(かん)の殿(との)必(かなら)ず参(まゐ)らせ給(たま)ふべき様(さま)に、世(よ)の人(ひと)申すめり。されど殿(との)の御心(こころ)をきてのさきざきの殿(との)ばらの御やう、人(ひと)をなきになし給(たま)ふ御心(こころ)のなければ、其の折もなどてかとて参(まゐ)らせ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
中宮(ちゆうぐう)には此(こ)の頃(ごろ)殿(との)の上(うへ)の御はらからにて、くらうのべんと言(い)ひし人(ひと)のむすめいと数多(あまた)ありけるを、中の君(きみ)、帥(そち)殿(どの)の北(きた)の方(かた)の御はらからの則理(のりまさ)にむこどり給(たま)へりしかども、いと思(おも)はずにて絶えにしかば、此(こ)の頃(ごろ)中宮(ちゆうぐう)に参(まゐ)り給(たま)へり。かたち有様(ありさま)いと美(うつく)しう、誠(まこと)におかしげに物(もの)し給(たま)へば、殿(との)の御(お)前(まへ)御目とまりければ、物(もの)など宣(のたま)はせける程(ほど)に、御志(こころざし)有(あ)りておぼさ
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れければ、誠(まこと)しう覚(おぼ)し物(もの)せさせ給(たま)ひけるを、殿(との)の上(うへ)は他人(ことひと)ならねば、思(おぼ)し許(ゆる)してなん。過(す)ぐさせ給(たま)ひける。見る人(ひと)ごとに則理(のりまさ)の君(きみ)は、あさましきめをこそ見ざりけれ。これを疎(おろ)かに思(おも)ひけるよなどぞ言(い)ひ思(おも)ひける。大納言(だいなごん)の君(きみ)とぞつけさせ給(たま)へりける。
かくてあり渡(わた)る程(ほど)に、彼の御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)はたゞにもあらずおはして、御(おん)心地(ここち)なども悩(なや)ましう世とゝもにおぼされければ、其(そ)の御気色(けしき)を上(うへ)もいみじう哀(あは)れにおぼされば内(うち)にもいかに<と思(おぼ)し召(め)しける程(ほど)に、四五月ばかりになりぬれば、かくと聞(き)こえ有(あ)りて奏(そう)せ給(たま)ふ事(こと)こそなけれど、煩(わづら)はしうてまかでさせ給(たま)ふ。上(うへ)もいみじうあはれと思(おぼ)し宣(のたま)はせける程(ほど)に、いたう悩(なや)ましげにおはするを、いかに<と思(おぼ)し召(め)されけり。帥(そち)殿(どの)などはたゞならんよりは御(み)子(こ)むまれ給(たま)はんもあしかるべき事(こと)かはと思(おも)ほして、万(よろづ)に祈(いの)らせ給(たま)ふ。里(さと)にて宮々(みやみや)のおぼつかなさこひしさなどを思(おぼ)しみだるゝに、御(おん)心地(ここち)も誠(まこと)に苦(くる)しうせさせ給(たま)ひて、起臥(おきふし)悩(なや)ませ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)我が御許(もと)に迎(むか)へ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、何事(なにごと)も万(よろづ)につかうまつり給(たま)ひけれど、にはかに御(おん)心地(ここち)おもりて、五六日ありて失(う)せ給(たま)ひぬ。御年(とし)十七八ばかりにやおはしましつらん。
御かたち心(こころ)ざまいみじう美(うつく)しうおかしげにおはしまして、故宮(みや)の御有様(ありさま)にも劣(おと)らず、かいひそめおかしうおはしましつるを、またかうたゞにもおはせでさへと、様々(さまざま)帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)殿(どの)
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も思(おぼ)し嘆(なげ)く事(こと)も疎おろ)かなりや。哀(あは)れに心(こころ)憂(う)し。内(うち)<の悲(かな)しさよりも、よそのきゝみみを恥(は)づかしう憂き事(こと)に思(おも)ほし忍(しの)ぶれど、かく本意(ほい)なき事(こと)に、此(こ)の殿(との)の御有様(ありさま)をまづ人(ひと)は聞(き)こえさすめり。内(うち)には人(ひと)知れず打(う)ちしほれさせ給(たま)ひて、御志(こころざし)有(あ)りて思(おぼ)し召(め)されけりと見るにつけても、いと口(くち)惜(を)しう心(こころ)憂(う)し。はかなく後(のち)<の御事(こと)共(ども)などして、御忌(いみ)などはてゝぞ、帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)殿(どの)も内(うち)に参(まゐ)り給(たま)ひつゝ、宮(みや)達(たち)の御有様(ありさま)をつきず思(おぼ)し見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御櫛笥(くしげ)殿(どの)のおはせぬ事(こと)を、一宮とりわき忍(しの)びこひ聞(き)こえさせ給(たま)ふも、疎(おろ)かならず哀(あは)れに悲(かな)しうのみなん。
かく言(い)ふぼどに、寛弘二年になりぬ。司召(つかさめし)など言(い)ひて、殿(との)の君達(きんだち)、此(こ)の御はらのおとゝぎみ。高松(たかまつ)殿(どの)の御はらいはぎみなど皆御かうぶりし給(たま)ひて、ほど<の御官(つかさ)共(ども)、少将(せうしやう)・兵衛(ひやうゑ)の佐(すけ)など聞(き)こゆるに、春日(かすが)のつかひの少将(せうしやう)は中将(ちゆうじやう)になり給(たま)ひて、今年(ことし)の祭(まつり)のつかひせさせ給(たま)ふ。殿(との)は一条(いちでう)の御ざしきの屋なが<とつくらせ給(たま)ひて、ひはだぶき・かうらんなどいみじうおかしうせさせ給(たま)ひて、此(こ)の年(とし)頃(ごろ)御(ご)禊(けい)より始(はじ)め、祭(まつり)を殿(との)も上(うへ)も渡(わた)らせ給(たま)ひて、御覧(ごらん)ずるに、今年(ことし)はつかひの君(きみ)の御事(こと)を、世(よ)の中(なか)ゆすりて急(いそ)がせ給(たま)ふ。其(そ)の日(ひ)になりぬれば、皆御ざしきに渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。殿(との)はつかひの君(きみ)の御出(い)で立(た)ちの事(こと)御覧(ごらん)じはてゝぞ。御ざしきへはおはします。多(おほ)くの殿(との)ばら・殿上人(てんじやうびと)引き具(ぐ)しておはします。さしもあらぬだに此(こ)のつかひに出(い)で立(た)ち給(たま)ふ君(きみ)だちは、これをいみじき事(こと)におやたちは急(いそ)ぎ
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給(たま)ふわざなれば、まいて万(よろづ)理(ことわり)に見(み)えさせ給(たま)ふ。御供(とも)の侍(さぶらひ)・ざうしき・小(こ)舎人(どねり)・御むまぞひまでしつくさせ給(たま)ふ程(ほど)に、えぞまねばぬや。
今年(ことし)は此(こ)のつかひのひゞきにて、帥(そち)の宮・花山(くわさん)の院(ゐん)などわざと御車(くるま)したてゝ物(もの)を御覧(ごらん)じ、御ざしきのまへ数多(あまた)渡(わた)らせ給(たま)ふ。帥(そち)の宮の御車(くるま)のしりには、いづみを乗せさせ給(たま)へり。花山(くわさん)の院(ゐん)の御車(くるま)はきんのうるしなど言(い)ふやうに塗らせ給(たま)へり。あじろの御車(くるま)をすべてえもいはずつくらせ給(たま)へり。さばかうもすべかりけると見(み)えたり。御供(とも)に大どうじのおほきやかに年(とし)ねびたる。四十人(にん)、中どうじ廿人(にん)、めし次(つぎ)どもはもとのぞくどもつかうまつれり。御車(くるま)のしりに殿上人(てんじやうびと)引きつれて、いろ<様々(さまざま)にて、あかきあふぎをひろめかしつかひて、御ざしきのまへ数多(あまた)度(たび)渡(わた)りあるかせ給(たま)ふ程(ほど)、たゞの年(とし)ならばかからでもと殿(との)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつべけれど、つかひの君(きみ)の御物(もの)のはへに思(おも)ほされて、上達部(かんだちめ)打(う)ちほゝゑみ、殿(との)の御(お)前(まへ)猶(なほ)気色(けしき)おはします院(ゐん)なりかしな。此(こ)の男(をとこ)のづかひにたつとしわれこそ見はやさめと宣(のたま)はすときゝしもしるくゆくりかにも出(い)で給(たま)へるかなと、皆けうじ聞(き)こえ給(たま)ふ。
皆事(こと)共(ども)なりてつかひの君(きみ)何(なに)となうちいさくふくらかに美(うつく)しうて渡(わた)り給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)御涙(なみだ)たゞこぼれにこぼれさせ給(たま)へば、子の悲(かな)しさ知(し)り給(たま)へる殿(との)ばら皆同(おな)じ様(さま)に思(おぼ)ししるべし。世(よ)の中(なか)の宮(みや)・殿(との)ばら・家(いへ)<のめのわらはべを今(いま)の世(よ)の事(こと)ゝしては、物(もの)ぐるをしういくへとも知らぬまできせたる。十廿人(にん)、二三十人(にん)押しこり
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て渡(わた)れば、いづくの人(ひと)ぞと必(かなら)ず召(め)し寄せて御覧(ごらん)じとはせ給(たま)へば、其(そ)の宮(みや)の彼の殿(との)の何(なに)のかみの家(いへ)など申すを、よきをば見けうじ、又(また)さしもなきをば笑(わら)ひなどせさせ給(たま)ふも、様々(さまざま)いとおかしう今(いま)めかしき有様(ありさま)になんありける程(ほど)に、むげに帥(そち)殿(どの)の御位(くらゐ)もなき定(さだ)めにておはするを、いとどおしき事(こと)なりなど殿(との)思(おぼ)していとおしがりて、准大臣の御位(くらゐ)にて御封など得させ給(たま)ふ。中納言(ちゆうなごん)はひとゝせより中納言(ちゆうなごん)にて兵部(ひやうぶ)卿(きやう)とぞ聞(き)こゆめる。世(よ)の人(ひと)はとめ安(やす)き事(こと)によろこび聞(き)こえたり。今年(ことし)の十一月(じふいちぐわつ)に内(うち)焼けぬれば、五節(ごせつ)もえ参(まゐ)るまじうなりぬ。かく内(うち)の繁(しげ)う焼くるを、御門(みかど)いみじき事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)きて、いかで猶(なほ)さもありぬべくば、とくおりなんとのみ思(おぼ)し急(いそ)ぎたり。寛弘三年(さんねん)になりぬ。今年(ことし)は大殿(との)御岳(みたけ)精進(しやうじ)せさせ給(たま)ふべき御年(とし)にて、正月より御ありきなど心(こころ)解けてもなけれど、次(つぎ)<例(れい)の作法(さほふ)にて過(す)ぎもてゆく。今年(ことし)は不用にやなど思(おぼ)し召(め)されて、四五月にもなりぬ。
五月には例(れい)の卅講(かう)など上(かみ)の十五日つとめ行(おこな)はせ給(たま)ひて、下(しも)の十五日あまりには競馬(くらべむま)せさせんとて、土御門(つちみかど)殿(どの)の馬場屋(むまばや)・埒(らち)などいみじうしたてさせ給(たま)ふ。行幸(ぎやうがう)・ぎやうけいなど思(おぼ)し召(め)しつれど、此(こ)の頃(ごろ)雨(あめ)がちにて事(こと)共(ども)えしあふまじき様(さま)なれば、さばたゞならんよりはとて、花山(くわさん)の院(ゐん)をぞ忝(かたじけな)くともおはしまして、馬(むま)の心地(ここち)など御覧(ごらん)ぜんに、
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いかがなど申(まう)させ給(たま)へば、いといみじう物(もの)にはへある心様(こころざま)にて、むげにむもれたりつる心地(ここち)晴れ侍(はべ)りぬべかめり。さば其(そ)の日(ひ)になりてと聞(き)こえさせ給(たま)へれば、院(ゐん)のおはしますべき御用意(ようい)共(ども)有(あ)り。彼の院(ゐん)の御供(とも)の僧ども、殿上人(てんじやうびと)など禄取らせではいかでか。いと忝(かたじけな)からん。又(また)御贈(おく)り物(もの)には何(なに)をがなと思(おぼ)しまうけて、其(そ)の日(ひ)になりぬれば、今日(けふ)の事(こと)には院(ゐん)のおはしますをめでたき事(こと)におぼされて、いみじうもてはやし聞(き)こえさせ給(たま)ふ。院(ゐん)もいと興(けう)ありと思(おぼ)し召(め)したり。さて左右の乱声などの勝負(かちまけ)の程(ほど)もいときゝ苦(ぐる)しうおどろ<しきまであるも、はしたなげなり。
さて其(そ)の事(こと)共(ども)果てぬれば、院(ゐん)かへらせ給(たま)ふ。御贈(おく)り物(もの)などある内(うち)にも世(よ)に珍(めづら)しきつきげの御むまにえもいはぬ御くらなど置かせても、又(また)いみじき御車牛(くるまうし)そへて引き出(い)で奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。院(ゐん)夜に入りてかへらせ給(たま)へば、殿(との)御送りにおはします程(ほど)猶(なほ)院(ゐん)の御有様(ありさま)棄(す)つれど棄(す)てられぬわざとやむごとなく哀(あは)れに見(み)えさせ給(たま)ふ。これを始(はじ)めて殿(との)いと御(おん)中(なか)心(こころ)よげにおはします。
院(ゐん)此(こ)の宮(みや)達(たち)の忍(しの)びがたく哀(あは)れにおぼえ給(たま)へば、中務(なかつかさ)が腹(はら)の一の御(み)子(こ)、むすめの腹(はら)の御(み)子(こ)ふた宮(みや)を殿(との)に申(まう)させ給(たま)ひて、これ冷泉(れいぜい)の院(ゐん)の内(うち)に入れさせ給(たま)へとある御消息(せうそく)度々(たびたび)あれば、殿(との)あはれ、おぼろげに思(おも)ほせばこそかくも宣(のたま)はすらめ。院(ゐん)におはしまさんからに、子の悲(かな)しさをしろしめす
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べからずはこそあらめ。われ苦(くる)しからぬ事(こと)なり。などかあらざらむとてうけ給(たま)はりぬ。今(いま)さらば事(こと)の由よし)奏し候ひてなど申(まう)させ給(たま)ひつ。花山(くわさん)の院(ゐん)は冷泉(れいぜい)の院(ゐん)の一の御(み)子(こ)。只今(ただいま)の東宮(とうぐう)は二宮、故弾正宮は三の御(み)子(こ)、今(いま)の帥(そち)の宮の御(み)子(こ)にぞおはしますかし。されば内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ひて事(こと)の由(よし)奏せさせ給(たま)ひて、よき日して宣旨(せんじ)くださせ給(たま)ふ。親腹(おやばら)の御(み)子(こ)をば五の宮(みや)、むすめばらの御(み)子(こ)をば六(ろく)の宮(みや)とて、各(おのおの)皆なべての宮(みや)達(たち)の得給(たま)ふ程(ほど)の御封どもたまはらせ給(たま)ふ。くに<”に御封どもわかち奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、宣旨(せんじ)くだりぬる由(よし)。殿(との)より院(ゐん)に奏せさせ給(たま)へれば、物(もの)にあたらせ給(たま)ひて、御つかひに何(なに)をも<と取(と)りうづみかつげさせ給(たま)ふ。御つかひかへり参(まゐ)りたれば、殿(との)おはしまいて物(もの)よかりけるまうとかな。いみじう多(おほ)く物(もの)を給(たま)はりたるとぞ笑(わら)はせ給(たま)ひける。
かうやうなる事(こと)共(ども)有(あ)りて過(す)ぎもてゆくに、月日(ひ)もはかなく暮れぬるを、殿(との)口(くち)惜(を)しう御岳(みたけ)精進(しやうじ)を今年(ことし)は始(はじ)めずなりぬる事(こと)ゝ思(おぼ)し召(め)して、されど年(とし)だにかへりなばと思(おぼ)し召(め)されける。三月ばかり花山(くわさん)の院(ゐん)には五六宮をもてはやし聞(き)こえさせ給(たま)ふとて、とりあはせせさせ給(たま)ひて見せ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。親腹(おやばら)の五の宮(みや)をばいみじうあいし思(おぼ)し。むすめばらの六(ろく)の宮(みや)をば殊(こと)の外(ほか)にぞおぼされける。斯(か)かる程(ほど)に世(よ)の中(なか)の京わらはべかたりきゝて、とり<”ののしる人(ひと)のくにまでゆきて、いさかひののしりけり。斯(か)かる今(いま)めく事(こと)共(ども)を、殿(との)聞(き)こし召(め)して、かいひそめて
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おはしますこそよけれ。いでやと思(おぼ)しきゝ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)に、院(ゐん)の内(うち)の有様(ありさま)、をきて給(たま)ふ事(こと)共(ども)、いとおどろ<しういみじ。其(そ)の日(ひ)になりぬれば、左右のがくやつくりて様々(さまざま)の楽・舞など整(ととの)へさせ給(たま)へり。殿(との)の君達(きんだち)おはすべう御消息(せうそく)あれば、皆参(まゐ)り給(たま)ふ。さるべき殿(との)ばらなども参(まゐ)り給(たま)ふて、今(いま)は事(こと)共(ども)なりぬるきはに、此(こ)のとりの左の頻(しき)りに負け、右のみ勝つにむげに、物(もの)はらだゝしう心(こころ)やましうおぼされて、たゞむつかりにむつからせ給(たま)へば、見きゝ給(たま)ふ人々(ひとびと)も心(こころ)の内(うち)おかしう思(おぼ)し見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ひけり。左万(よろづ)におぼえむつかりて、ことなる物(の)のはへなくてそれにけり。いとこそおかしかりけれ。
かくて内(うち)も焼けにしかば、御門(みかど)は一条(いちでう)の院(ゐん)におはしまし。東宮(とうぐう)は枇杷(びは)殿(どの)にぞおはしましける。かくて宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)、女(をんな)二(ふた)所(ところ)男(をとこ)宮(みや)四(よ)所(ところ)にならせ給(たま)ひぬ。此(こ)の頃(ごろ)の斎宮には式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)の御むすめぞ。いと幼(をさな)くて居(ゐ)させ給(たま)ひにしまゝにおはしましける。世(よ)の中(なか)ともすればいと騒(さわ)がしう、人(ひと)死(し)になどす。さるは御門(みかど)の御心(こころ)もいとうるはしくおはしまし。殿(との)の御まつりごともあしうおはしまさねど、世(よ)のすゑになりぬればなめり。年(とし)ごとには世(よ)の中(なか)心地(ここち)おこりて人(ひと)もなくなり、あはれなる事(こと)共(ども)のみ多(おほ)かり。かくて冬(ふゆ)にもなりぬれば五節(ごせつ)・臨時(りんじ)の祭(まつり)をこそ、冬(ふゆ)の公(おほやけ)ごとにすめるも過(す)ぎもてゆきて、寛弘四年になりぬ。はかなうすぐる月日(ひ)につきても哀(あは)れになん。
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正月も朔日(ついたち)より万(よろづ)忙(いそ)がしうて過(す)ぎぬ。二月になりて殿(との)の御(お)前(まへ)御岳(みたけ)精進(しやうじ)始(はじ)めさせ給(たま)はんとするに、四五月にぞさらば参(まゐ)らせ給(たま)ふべき。猶(なほ)秋山(あきやま)なん、よく侍(はべ)るなど人々(ひとびと)申して御精進(しやうじ)延べさせ給(たま)ひて、万(よろづ)慎(つつし)ませ給(たま)ふ。あふぎの中納言(ちゆうなごん)と言(い)ふ人(ひと)の家(いへ)にぞ出(い)でさせ給(たま)ひける。殿(との)かき籠らせ給(たま)へれば、世(よ)の中(なか)いみじうのどかなり。さて籠りおはしませど、世(よ)のまつりごとは猶(なほ)知(し)らせ給(たま)ふ。八月にぞ参(まゐ)らせ給(たま)ひける。万(よろづ)したくし覚(おぼ)し志(こころざ)し参(まゐ)らせ給(たま)ふ程(ほど)も疎(おろ)かならず。推(お)し量(はか)りて知(し)りぬべし。さべき僧ども様々(さまざま)の人々(ひとびと)、多(おほ)くきをひつかうまつる。君達(きんだち)おほう、族(ぞう)広(ひろ)げおはしませば、此(こ)の程(ほど)いかにも恐(おそ)ろしう思(おぼ)しつれど、いと平(たひら)かに参(まゐ)り着かせ給(たま)ひぬ。年(とし)頃(ごろ)の御本意(ほい)はこれよりほかの事(こと)なく思(おぼ)し召(め)さる。これを又(また)世(よ)の公(おほやけ)ごとに思(おも)へり。十二月(じふにぐわつ)にもなりぬれば何事(なにごと)も心(こころ)のあはただしげなる人(ひと)の気色(けしき)を、いつしかうら<とならなんと誰(たれ)も待(ま)ち思(おも)ふ程(ほど)も、あながちに生きたらん身の程(ほど)も知らぬ様(さま)にあはれなり。
寛弘五年になりぬれば、夜の程(ほど)にみねのかすみも立(た)ちかはり、万(よろづ)行末(ゆくすゑ)はるかにのどけき空の気色(けしき)なるに、京極(きやうごく)殿(どの)には督(かん)の殿(との)と聞(き)こえさするは、中姫君(なかひめぎみ)におはします。其(そ)の御方(かた)の女房(にようばう)。小姫君(こひめぎみ)の御方(かた)など、いと様々(さまざま)にいまめげなる有様(ありさま)にて候(さぶら)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)督(かん)の殿(との)の御方(かた)におはしまして見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、十四五ばかりにおはしまして、
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いみじう美(うつく)しげにしつらひすへ奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。いろ<の御衣(ぞ)共(ども)をぞ奉(たてまつ)りてゐさせ給(たま)へる。御ぐしのこうばいの織物(おりもの)の御衣(ぞ)のすそにかからせ給(たま)へる程(ほど)、ひまなうやうじかけたるやうにて、御たけには七八寸ばかりはあまらせ給(たま)へらんかしと見(み)えさせ給(たま)ふ。御かほの薫(かをり)めでたくけだかく、あいぎやうづきておはしますものから、はな<”とにほはせ給(たま)へり。うたてゆゝしきまで見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふ。御(お)前(まへ)には若(わか)き人々(ひとびと)七八人(にん)ばかり候(さぶら)ひて、心地(ここち)よげにほこりかなる気色(けしき)共(ども)なり。
また小姫君(こひめぎみ)は九(ここの)つ十ばかりにていみじう美(うつく)しうひいなのやうにて、こなたかなたまぎれあるかせ給(たま)ふ。美(うつく)し。御衣(ぞ)共(ども)にもへぎのこうちぎを奉(たてまつ)りて、御いろあひなどのよもの此(こ)のはだちのやうにて見(み)えさせ給(たま)ふものから、それは唯(ただ)しろくのみこそあれ。これはにほひさへそはせ給(たま)ひて、少納言(せうなごん)の乳母(めのと)いと美(うつく)しうまもり奉(たてまつ)るにも、よその人目(ひとめ)にあらうらやましと見(み)えたり。おと姫君(ひめぎみ)ふたつみつばかりにておはしませば、殿(との)の御(お)前(まへ)御いただきもちゐさせ給(たま)はんとするに、御さうぞくまだ奉(たてまつ)らねば、暫(しば)しと宣(のたま)はす。此(こ)の御有様(ありさま)共(ども)に御目うつりて、とみも出(い)でさせ給(たま)はず。をそく内(うち)にも参(まゐ)らせ給(たま)ふとて、御つかひ頻(しき)りなり。上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)多(おほ)く参(まゐ)りて、やがて御供(とも)に内(うち)へはと覚(おぼ)したり。
出(い)でさせ給(たま)ふまゝにうるはしき御よそひにて、いと若君(わかぎみ)の御いただきもちゐせさせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)の小式部(こしきぶ)の君(きみ)いとわかやかにてかき抱(いだ)き奉(たてまつ)りて参(まゐ)りむかふ有様(ありさま)、なべてにはあら
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ぬかたちなり。殿(との)の上(うへ)はかう君(きみ)だち数多(あまた)出(い)で給(たま)へれど、只今(ただいま)の御有様(ありさま)廿ばかりに見(み)えさせ給(たま)ふ。さゞやかにおかしげにふくらかに、いみじう美(うつく)しき御様(さま)すがたにおはしまして、御ぐしの筋(すぢ)こまやかにきよらにて、御うちぎのすそばかりにてすゑぞ細(ほそ)らせ給(たま)へる。しろき御衣(ぞ)共(ども)をかずわかぬ程(ほど)に奉(たてまつ)りて、御けうそくに押しかかりておはします程(ほど)、いとめでたう見(み)えさせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)の御有様(ありさま)とり<”に見(み)えさせ給(たま)ふ。御(お)前(まへ)に候ふ人々(ひとびと)もゑましう見(み)奉(たてまつ)るに、したんの御ずずのちゐさやかなるを、わざとならぬ御念誦(ねんず)に、御をびしどけなくかけて御けうそくに押しかかりておはします程(ほど)、いはんかたなく見(み)えさせ給(たま)へば、殿(との)の御(お)前(まへ)若君(わかぎみ)抱(いだ)き奉(たてまつ)る。御乳母(めのと)の君(きみ)を、見よ。彼のはゝの御有様(ありさま)はいかゞ見(み)奉(たてまつ)る。なか<御むすめの君達(きんだち)の御様(さま)にはおとらぬ御有様(ありさま)にこそわかやぎ給(たま)ふべけれ。猶(なほ)御ぐしの有様(ありさま)よといと思(おも)はしげに打(う)ちゑみ、見やり聞(き)こえさせ給(たま)へるもおかしう思(おも)ふ。小姫君(こひめぎみ)のいたうまぎれさせ給(たま)ふを、あなあはただしと制し申(まう)させ給(たま)ふ。かくて殿(との)の御(お)前(まへ)出(い)でさせ給(たま)ふて、むげに日(ひ)たかふこそなりにけれとて急(いそ)がせ給(たま)ひて、やがてここらの殿(との)ばらの御車(くるま)ひきつゞけて内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。
宮(みや)は上(うへ)の御つぼねにおはします。御手習(てならひ)などせさせ給(たま)ふは、うたなどにやとぞ。只今(ただいま)の御年(とし)廿ばかりにこそおはしませど、いと若(わか)うぞおはします。もとよりいとさゞやかにおはしますめり。さらに猶(なほ)いと心(こころ)もとなき
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までさゝやがせ給(たま)へり。御ぐし同(おな)じやうなる事(こと)なれど、えもいはずこまやかにめでたくて、御たけに二尺ばかりあまらせ給(たま)へり。御いろしろくうるはしうほゝづきなどを吹きふくらめてすへたらんやうにぞ見(み)えさせ給(たま)ふ。なべてならぬくれなゐの御衣(ぞ)共(ども)の上(うへ)に、しろきうきもんの御衣(ぞ)をぞ奉(たてまつ)りたる。御手習(てならひ)にそひふさせ給(たま)へり。御ぐしのこぼれかからせ給(たま)へる程(ほど)ぞ、あさましうめでたう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。女房(にようばう)所々(ところどころ)に打(う)ち群れつゝ七八人(にん)づゝをしこりて候(さぶら)ふ。いろ許(ゆる)されたるはさる物(もの)にて、ひらからぎぬ・むもんなど様々(さまざま)おかしう見(み)えたり。いにしへの后(きさき)は、わらは遣(つか)はせ給(たま)はざりけれど今(いま)の世は御このみにて様々(さまざま)遣(つか)はせ給(たま)ふ。やどりぎ・やすらひなど言(い)ふが、ちゐたくはあらぬが、かみながうやうたいおかしげにて、かざみばかりをぞ着せさせ給(たま)へる。上(うへ)の袴(はかま)は着ず。其(そ)のすがた有様(ありさま)ゑに書きたるやうにてなまめかしうおかしげなり。さるべき御物語(ものがたり)など暫(しば)し打(う)ち申(まう)させ給(たま)ひて殿上へ参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。例(れい)の作法(さほふ)のごとくもありて、いと今(いま)めかしうおかし。上(うへ)の御つぼねの有様(ありさま)につけても、京極(きやうごく)殿(どの)の御かたがたまづ思(おも)ひ出(い)で聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
中宮(ちゆうぐう)も怪(あや)しう御(おん)心地(ここち)例(れい)にもあらずなどおはしまして、物(もの)も聞(き)こし召(め)さずなどあれど、おどろ<しうももてなし騒(さわ)がせ給(たま)はねど、思(おぼ)しつゝみて、師走(しはす)も過(す)ぎさせ給(たま)ひにけり。正月にも同(おな)じ事(こと)におぼされて、いとねぶたうなどせさせ給(たま)へば、上(うへ)おはしまして、こぞの師走(しはす)に例(れい)の
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事(こと)もなかりし。此(こ)の月も廿日ばかりにもなりぬるは、ここちも例(れい)ならずと宣(のたま)はすめりとあれば、知らず、たゞならぬ事(こと)なめり。おとどやはゝなどに聞(き)こえんと宣(のたま)はすれば、物(もの)ぐるをしとはぢさせ給(たま)ふに、殿(との)参(まゐ)らせ給(たま)へる折、いなや、物(もの)は知(し)り給(たま)はぬかと申(まう)させ給(たま)へば、宮(みや)わりなく恥(は)づかしげに思(おぼ)し召(め)したり。何事(なにごと)にか候(さぶら)ふらんと奏せさせ給(たま)へば、此(こ)の宮(みや)はここち例(れい)にもあらずとは知(し)り給(たま)はぬか。例(れい)はさらにいなども寝(ね)給(たま)はず、いみじき宿直(とのゐ)人(びと)と見(み)え給(たま)へるに、此(こ)の頃(ごろ)はおぼろげならでなんおどろき給(たま)ふめると宣(のたま)はすれば、殿(との)の怪(あや)しくおも痩せ給(たま)へりとは見(み)奉(たてまつ)り侍(はべ)れど、かくうけ給(たま)ふ事(こと)も候(さぶら)はざりつるに、さばげにたゞならぬ御(おん)心地(ここち)にやとて、大輔(たいふ)命婦(みやうぶ)に忍(しの)びて召(め)しとはせ給(たま)へば、師走(しはす)と霜月(しもつき)とのなかになん。例(れい)の事(こと)は見(み)えさせ給(たま)ひし。此(こ)の月はまだ廿日に候(さぶら)へば、今(いま)暫(しば)し試(こころ)みてこそは、御(お)前(まへ)にも聞(き)こえさせめと思(おも)ふ給(たま)へてなん。すべて物(もの)はしもつゆ聞(き)こし召(め)さず、かう悩(なや)ましげに例(れい)ならずおはします。殿(との)に聞(き)こえさせんと啓(けい)しつれば、いとおどろおどろしうこそは思(おぼ)し騒(さわ)がめ。暫(しば)しな聞(き)こえさせそ。誠(まこと)に悲(かな)しからん折こそとおほせらるればと聞(き)こえさすれば、殿(との)の御(お)前(まへ)何(なに)となく御目に涙(なみだ)のうかせ給(たま)ふにも、御心(こころ)の内(うち)には御岳(みたけ)の御験(しるし)にやと、哀(あは)れに嬉(うれ)しうおぼさるべし。司召(つかさめし)など言(い)ひて、此(こ)の月も立(た)ちぬれば、此(こ)の御事(こと)まことになりはて
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させ給(たま)ひぬ。殿(との)の上(うへ)も其(そ)の日(ひ)きかせ給(たま)ふまゝ参(まゐ)らせ給(たま)ひて、いとどしういたはしうやさしげに扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に二月になりて、花山(くわさん)の院(ゐん)いみじう煩(わづら)はせ給(たま)ふ。いみじうあはれいかにときゝ奉(たてまつ)る程(ほど)に、御瘡(かさ)の熱せさせ給(たま)ふなりけり。哀(あは)れに限(かぎ)りと見ゆる御(おん)心地(ここち)を、医師(くすし)など頼(たの)みすくなく聞(き)こえさす。此(こ)のむすめばら・親腹(おやばら)に数多(あまた)の子たちおはするに、各(おのおの)女(をんな)宮(みや)二人(ふたり)づゝぞおはしける。われ死ぬる物(もの)ならばまづ此(こ)の女(をんな)宮(みや)達(たち)をなん、忌(いみ)の内(うち)に皆とりもてゆくべきと言(い)ふ事(こと)をのみ宣(のたま)はすれば、御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)もむすめも様々(さまざま)に涙(なみだ)ながし給(たま)ふ。親腹(おやばら)のおと宮(みや)をば、其(そ)のはらからのひやうぶの命婦(みやうぶ)にぞむまれ給(たま)ひけるまゝに、これは己(おのれ)が子にせよ。われは知らずと宣(のたま)はせければ、やがてしか思(おも)ひてぞやしなひける。斯(か)かる程(ほど)に院(ゐん)の御(おん)心地(ここち)ふかくになりて、二月八日に失(う)せ給(たま)ひぬ。御年(とし)四十一にぞおはしましける。年(とし)頃(ごろ)馴れつかうまつる僧俗(そうぞく)哀(あは)れに悲(かな)しう惜(を)しみ奉(たてまつ)る事(こと)限(かぎ)り無し。殿(との)などもさすがにいたうおはしましつる院(ゐん)を口(くち)惜(を)しうさうざうしきわざかなとぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。御さうそうの夜、恐(おそ)ろしげなる物(もの)を着るとて命婦(みやうぶ)、
@こぞの春さくらいろにと急(いそ)ぎしを今年(ことし)はふぢのころもをぞ着る W057。
とぞよみける。あはれなる事(こと)共(ども)多(おほ)かり。誠(まこと)に御忌(いみ)の程(ほど)此(こ)のひやうぶ命婦(みやうぶ)のやしなひ宮を放(はな)ち奉(たてまつ)りて、女(をんな)宮(みや)達(たち)は片端(かたはし)より皆失(う)せ給(たま)ひにければ、よき人(ひと)の御心(こころ)はいと恐(おそ)ろしき物(もの)にぞ思(おも)ひ聞(き)こえ
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させける。ひやうぶ命婦(みやうぶ)のをばわれ知らずと宣(のたま)はせければ、思(おぼ)し放(はな)ちてけるなるべしとぞ言(い)ひつゝなき嘆(なげ)きける。
斯(か)かる程(ほど)に三月にも成りぬれば、中宮(ちゆうぐう)の御気色(けしき)奏せさせ給(たま)ふべきを、朔日(ついたち)には御灯の御清(きよ)まりなべければ、それ過(す)ぐして奏せさせ給(たま)ふべきなりけり。殿(との)の御(おん)心地(ここち)世(よ)に知らずめでたう嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)さるゝ事(こと)も疎(おろ)かなり。今(いま)よき日(ひ)して山々(やまやま)寺々(てらでら)に御祈(いの)りどもいみじ。里(さと)へ出(い)でさせ給(たま)ふべきに、四月にととどめ奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、其(そ)の程(ほど)など過(す)ぐせ給(たま)ふ。此(こ)の御事(こと)今(いま)は漏り聞(き)こえぬれば、帥(そち)殿(どの)の御胸つぶれておぼさるべし。世(よ)の人(ひと)ももし男(をとこ)におはしまさば、うたがひなげにこそは申し思(おも)ひためれど、其(そ)の程(ほど)は定(さだ)めなし。されど殿(との)の御さいはひの程(ほど)を見(み)奉(たてまつ)るに、まさに女(をんな)におはしまさんやとて世(よ)の人(ひと)申し騒(さわ)ぎためる。斯(か)かる程(ほど)に内(うち)の女二宮いみじう煩(わづら)はせ給(たま)へば、里(さと)に出(い)でさせ給(たま)ひて、万(よろづ)の御祈(いの)り様々(さまざま)の御修法・御読経。内(うち)にも万(よろづ)にをきてさせ給(たま)ふに、さらにいといみじうおはします由(よし)のみ聞(き)こし召(め)すに、しづごゝろなくいかに<と思(おぼ)しみだれさせ給(たま)ふ。
かくて四月朔日(ついたち)に中宮(ちゆうぐう)出(い)でさせ給(たま)ふ。其(そ)の程(ほど)の御有様(ありさま)いへば疎(おろ)かなり。京極(きやうごく)殿(どの)のいとど行末(ゆくすゑ)頼(たの)もしき松(まつ)の木だちもめでたう思(おぼ)し御覧(ごらん)じ、様々(さまざま)の御祈(いの)りかずを尽くしたり。御修法今(いま)より三壇(だん)をぞ常(つね)の事(こと)にせさせ給(たま)へるに、又(また)ふだんの御読経ども言(い)ひやる方なし。殿(との)の御(お)前(まへ)しづ心(こころ)なう、
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安(やす)きいも大(おほ)殿(との)ごもらず、御岳(みたけ)にも今(いま)は平(たひら)かにとのみ御祈・御願を立(た)て給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に女二宮むげにふかくに限(かぎ)りにておはしましけるに、岩倉(いはくら)の文慶あざり参(まゐ)りて、御すほうつかまつりけるに、あさましうおはしましける御(おん)心地(ここち)、かきさましをこたらせ給(たま)ひぬ。いはん方なく嬉(うれ)しき事(こと)に内(うち)にも思(おぼ)し召(め)して、律師になさせ給(たま)へれば、ほとけの御験(しるし)はかやうにこそとうらやましう思(おも)ふたぐひども多(おほ)かるべし。
かくて四月の祭(まつり)とかりつる年(とし)なれば、廿余(よ)日(にち)の程(ほど)より例の卅講行(おこな)はせ給(たま)ふ。五月五日にぞ五巻の日(ひ)に当たりければ、ことさらめきおかしうてさゝげ物(もの)の用意(ようい)かねてより心(こころ)異(こと)なるべし。御(み)堂(だう)に宮(みや)も渡(わた)りておはしませば、つゞきたるらうまで御簾(みす)いとあをやかにかけわたしたるに、御几帳(きちやう)の裾(すそ)共(ども)かはかぜにすゞしさまさりて、なみのあやもけざやかに見(み)えたるに、五巻のその折なりぬれば、さき<”の年(とし)などこそわざとせさせ給(たま)ひしが、今(いま)は常(つね)の事(こと)になりたれば事(こと)そがせ給(たま)ひつれど、今日(けふ)の御さゝげ物(もの)はおかしうおぼえたれば、事(こと)このましき人々(ひとびと)は自(おの)づからゆへ<しうしたり。それは制あるべき事(こと)ならねばにこそあらめ。きたなげなき六位(ろくゐ)・ぶなどたきぎこり。みづなどもたるおかし。殿(との)ばら・僧俗(そうぞく)あゆみつゞきたるは、様々(さまざま)おかしうめでたう、たうとくなん見(み)えける。苦空無我のこゑにてありける讃嘆のこゑにて、やりみづのをとさへ流(なが)れあひて、万(よろづ)にみのりを説(と)くと聞(き)こえなさる。法華経(ほけきやう)の説(と)かれ
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給(たま)ふ。哀(あは)れに涙(なみだ)とどめがたし。御簾(みす)ぎはのはしらもとそば<などよりわざとならず出(い)でたる袖口(そでぐち)こぼれ出(い)でたるきぬのつまなど菖蒲(さうぶ)・楝(あふち)のか・なでしこ・ふぢなどぞみだるかみにはひまなくふかれたるあやめも事(こと)折に似ずおかしうけだかし。
かねてより聞(き)こえしえだの気色(けしき)も誠(まこと)におかしう見(み)えたるに、ごん中納言(ちゆうなごん)しろがねの菖蒲(さうぶ)にくすだま付け給(たま)へり。若(わか)き人々(ひとびと)は目とどめたり。大方(おほかた)世(よ)の常(つね)のわけさらなど言(い)ふ物(もの)、由(よし)あるえだどもにつけたるもおかし。殿(との)のう〔ち〕有様(ありさま)常(つね)のおかしさにもさるべうとりせさせ給(たま)ふ事(こと)、猶(なほ)ほかには似ずめでたし。かくて宮(みや)の御さゝげ物(もの)は、殿上人(てんじやうびと)共(ども)ぞとりたる。皆わけさらなるべし。諸大夫(しよだいぶ)、たちくだれるきはの上官どもなどまで、なほ<しき人(ひと)のたとひに言(い)ふときのはなをかざす心(こころ)ばへにや。いろ<のうすやうに押しつゝみたる心(こころ)ばへの物(もの)をも持(も)て消(け)たす。さゝげつゝかしづく。御簾(みす)の内(うち)を用意(ようい)したるこそおかしけれ。それまで目とまる人(ひと)もなしかし。内(うち)の御つかひには、式部(しきぶ)の蔵人(くらんど)さだすけ参(まゐ)りて、事(こと)果てゝ御返給(たま)はる。禄は菖蒲襲(さうぶがさね)の織物(おりもの)に濃き袴(はかま)なるべし。よるになりて宮(みや)また御(み)堂(だう)におはします。内侍(ないし)の督(かん)の殿(との)など御物語(ものがたり)なるべし。池のかがりびにみあかしのひかりどもゆきかひ照りまさり、御覧(ごらん)ぜらるゝに、菖蒲(さうぶ)の香も今(いま)めかしうおかしう薫(かを)りたり。暁(あかつき)に御(み)堂(だう)よりつぼね<にまかづる女房(にようばう)達(たち)。廊(らう)・渡(わた)殿(どの)・西(にし)の対(たい)のすのこ・寝殿(しんでん)など渡(わた)りて、上(うへ)の御方(かた)の御読経、宮(みや)の御方(かた)のふだん
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の御読経などのまへ渡(わた)りする程(ほど)も、わたくしにものべまうでゝ。若(わか)き人々(ひとびと)数多(あまた)して人(ひと)はをぢねど我が心(こころ)の限(かぎ)りは人(ひと)めかしうもてなして、みちはらはせなどしてしたりがほにくつすりありくも猶(なほ)物(もの)恥(は)づかしうて、はる<と渡(わた)りあるく程(ほど)こそ、あはれなるわざなめれと思(おも)ひ知(し)るたぐひどもあめるかし。
かくて過(す)ぎもていきて、かうも果てぬれば、心こころ)のどかに思(おぼ)し召(め)され、人々(ひとびと)も思(おも)ふにかくて彼の女二宮はいとあやうくおはしまして、岩倉(いはくら)のりしかうしてやめ奉(たてまつ)りてほとけの御験(しるし)嬉(うれ)しうなりしに、此(こ)の頃(ごろ)にはかに御(おん)心地(ここち)おこらせ給(たま)ひて、此(こ)の度(たび)は程(ほど)もなく重(おも)らせ給(たま)ひて、失(う)せさせ給(たま)ひにけり。今年(ことし)はここのつにぞおはしましける。哀(あは)れに悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)す。大方(おほかた)の惜(を)しさよりも、故女院(にようゐん)のいみじう悲(かな)しき物(もの)に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へりし程(ほど)思(おぼ)しつづけさせ給(たま)ふにぞ、いみじう思(おぼ)し召(め)されける帥(そち)殿(どの)・中納言(ちゆうなごん)殿(どの)などあさましう泪おほうおはしける身どもがなと見(み)え給(たま)ふ。一品宮今(いま)は少(すこ)し物(もの)思(おぼ)し知(し)らせ給(たま)ふ程(ほど)なれば、哀(あは)れにこひしき事(こと)を思(おぼ)し知(し)りたり。猶(なほ)<此(こ)の御(お)前(まへ)達(たち)の御ゆかり残(のこ)りなうならせ給(たま)ふにつけても、いかなりける御事(こと)にかと、返々かたぶき思(おも)ふ人(ひと)のみ多(おほ)かるべし。あさましと言(い)ひての宮(みや)はとて、さべき様(さま)におさめ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふにつけても哀(あは)れに悲(かな)し。中将(ちゆうじやう)命婦(みやうぶ)故院(ゐん)のえり参(まゐ)らせさせ給(たま)ひし程(ほど)など思(おも)ひつゝげ泣く程(ほど)、物(もの)ふるからぬ人(ひと)も涙(なみだ)とどめがたし。
かく
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言(い)ふ程(ほど)にはかなう七月にもなりぬ。中宮(ちゆうぐう)の御気色(けしき)も今(いま)はわざと御腹のけはひなども苦(くる)しげにおはしまし、たは安(やす)からぬ様(さま)におぼされたるも、見(み)奉(たてまつ)る人(ひと)心(こころ)苦(ぐる)しう思(おも)ひ聞(き)こえさす。内(うち)よりは御つかひのみぞ頻(しき)りに参(まゐ)る。猶(なほ)ほかよりは承香殿に御志(こころざし)あるとぞ、自(おの)づから聞(き)こゆれど、すべていづれの御方(かた)も参(まゐ)らせ給(たま)ふ事(こと)いとかたし。一品宮内(うち)におはしませば、たゞ其(そ)の御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)ひてぞ、御心(こころ)も慰(なぐさ)めさせ給(たま)ふ。此(こ)の二宮の御事(こと)をぞかへすがへす思(おぼ)し召(め)しける。秋(あき)の気色(けしき)に入り立(た)つまゝに、土御門(つちみかど)殿(どの)の有様(ありさま)いはん方なくいとおかし。いけの辺(わた)りのこずゑ・やり水のほとりのくさむら各(おのおの)いろづき渡(わた)り、大方(おほかた)のそらの気色(けしき)のおかしきに、ふだんの御読経のこゑ<”あはれまさり、やう<すゞしきかぜのけはひに、例のたえせぬみづのをとなる夜もすがらきゝ通(かよ)はさる。一日まではほこ院(ゐん)の御八講とののしりし程(ほど)に、たなばたの日(ひ)にもあひわかれにけりとぞ。いく其(そ)のひつじのあゆみを過(す)ぐし来ぬらんとのみこそおぼえけれ。
かくて宮(みや)の御事(こと)は九月にこそあたらせ給(たま)へるを、八月にとある御祈(いの)りどもあれど、又(また)それさべきにもあらず。斯(か)かる御事(こと)は月日(ひ)限(かぎ)りあるわざなりと聞(き)こえ給(たま)ふ人々(ひとびと)もあれば、げにも思(おぼ)し召(め)さる。程(ほど)近(ちか)うならせ給(たま)ふまゝに、御祈(いの)りどもかずをつくしたり。五大尊の御すほうを行(おこな)はせ給(たま)ふ。様々(さまざま)其(そ)の法にしたがひてのなり有様(ありさま)共(ども)、さばかうこそはと見(み)えたり。くはんをん院(ゐん)そうじやう、廿人(にん)の伴僧、とり<”
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にて御加持参(まゐ)り給(たま)ふ。むまばのおとど・文殿などまで皆様々(さまざま)にしゐつゝ、それより参(まゐ)りちがひあつまる程(ほど)、御(お)前(まへ)のからはしなどを老いたる僧のかほみにくきが渡(わた)る程(ほど)も、さすがに目たてらるゝものから、猶(なほ)たうとし。ゆへ<しきからはしどもを渡(わた)り、此(こ)の間を分けつゝかへり入る程(ほど)もはるかに見やらるゝ心地(ここち)してあはれなり。心誉阿闍梨は、軍陀利の法なるべし。あかぎぬ着たり。清禅阿闍梨は大威徳をゐやまひてこしをかゞめたり。仁和寺(にわじ)のそうじやうは孔雀経の御ずほうを行(おこな)ひ給(たま)ひ、とく<と参(まゐ)りかはれば、夜も明けはてぬ。様々(さまざま)みゝかしがましうけ恐(おそ)ろしき事(こと)ぞ物(もの)にも似ざりける。心(こころ)よはからん人(ひと)はあやまりぬべき心地(ここち)し胸はしる。
かく言(い)ふ程(ほど)に八月廿余(よ)日(にち)の程(ほど)よりは、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、さるべきは皆宿直(とのゐ)がちにて、はしの上(うへ)・対のすのこ・わだ殿(どの)などにうたゝねをしつゝ明(あ)かす。そこはかとなきわか君達(きんだち)などは読経あらそひ、いまやううたどもこゑをあはせなどしつゝ、ろんじ給(たま)ふもおかしう聞(き)こゆ。ある折は宮(みや)の大夫・左の宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)・左兵衛督(さひやうゑ)の督・美濃の少将(せうしやう)などしてあそび給(たま)ふ。それは誠(まこと)におかしうて、そらざれの何(なに)となきは、まめだちたるもさすがに心(こころ)苦(ぐる)し。此(こ)の頃(ごろ)薫物(たきもの)あはせさせ給(たま)ひつる人々(ひとびと)にくばらせ給(たま)ふ。御(お)前(まへ)にて御火とりども取(と)り出(い)でて、様々(さまざま)のを試(こころ)みさせ給(たま)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に、九月にもなりぬ。なが月の九日もきのふ暮れてちよをこめたるまがきのきくも、行末(ゆくすゑ)はるかに頼(たの)もしき気色(けしき)なるに、よべより御(おん)心地(ここち)悩(なや)ましげに
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おはしまししかば、よなかばかりよりかしがましきまでののしる。十日ほの<”とするに白御帳にうつらせ給(たま)ひ、其(そ)の御しつらひかはる。殿(との)より始(はじ)め奉(たてまつ)り、君達(んだち)四位(しゐ)・五位(ごゐ)たち騒(さわ)ぎて、御几帳(きちやう)のかたびらかけかへ御たゝみなどもて騒(さわ)ぎ参(まゐ)る程(ほど)、いと騒(さわ)がし。日(ひ)ひとひ苦(くる)しげにてくらさせ給(たま)ふ。御物(もの)のけども様々(さまざま)駆(か)り移(うつ)し、あづかり<に加持しののしる。月頃(ごろ)殿(との)の内(うち)にそこら候(さぶら)ひつる僧はさらなり。いはず。山々(やまやま)寺々(てらでら)の僧の少(すこ)しも験(しるし)あり行(おこな)ひすると聞(き)こし召(め)すをば、残(のこ)らずたづね召(め)しあつめたり。内(うち)にはいと<おぼつかなくいかなればかと思(おぼ)し召(め)して、年(とし)頃(ごろ)かやうの事(こと)もなれしりたる女房(にようばう)共(ども)、一車(くるま)にて参(まゐ)れり。御物(もの)のけ各(おのおの)屏風(びやうぶ)をつぼねつゞけんざどもあづかり<にかぢしののしりさけびあひたり。其(そ)の程(ほど)のかしがましさ物(もの)騒(さわ)がしさ、推(お)し量(はか)るべし。こよひもかくて過(す)ぎぬ。
いと怪(あや)しき事(こと)に恐(おそ)ろしう思(おぼ)し召(め)して、いとゆゝしきまで殿(との)の御(お)前(まへ)物(もの)思(おぼ)しつゞけさせたまて、物(もの)のまぎれに涙(なみだ)を打(う)ちのごひ<、つれなくもてなさせ給(たま)ふ。少(すこ)し物(もの)の心(こころ)知(し)りたる大人(おとな)達(たち)は皆泣きあへり。同(おな)じ屋なひとところかへさせ給(たま)ふやうありなど申し出(い)でて、きたのひさしにうつらせ給(たま)ふ。年(とし)頃(ごろ)の大人(おとな)達(たち)皆御(お)前(まへ)近(ちか)く候(さぶら)ふ。今(いま)はいかに<とある限(かぎ)りの人(ひと)心(こころ)を惑(まど)はして、え忍(しの)びあえぬたぐひ多(おほ)かり。ほうしやうじの院源(ゐんげん)僧都(そうづ)御願書よみ。此(こ)の世(よ)にひろまり給(たま)ひし事(こと)などなく<申しつゞけ
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たり。哀(あは)れに悲(かな)しきものから、いみじうたうとくて頼(たの)もし。おんやうじとて世(よ)にある限(かぎ)り召(め)しあつめつゝやを万(よろづ)のかみもみゝ振り立(た)てぬはあらじと見(み)え聞(き)こゆ。御誦経(じゆぎやう)のつかひども立(た)ち騒(さわ)ぎ暮(くら)し、其(そ)の夜も明けぬ。
さて御戒(かい)受(う)けさせ給(たま)ふ程(ほど)などぞいとゆゝしく思(おぼ)し惑(まど)はるゝ。殿(との)の打(う)ちそへて法華経(ほけきやう)念じ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。何事(なにごと)よりも頼(たの)もしくめでたし。いたく騒(さわ)ぎて平(たひら)かにせさせ給(たま)ふ。上下今(いま)一(ひと)つの御事(こと)のまだしきに額(ぬか)づきたる程(ほど)、はた思(おも)ひ遣(や)るべし。平(たひら)かにせさせ給(たま)ひてかきふせ奉(たてまつ)りて後(のち)、殿(との)始(はじ)め奉(たてまつ)りて、そこらの僧俗(そうぞく)哀(あは)れに嬉(うれ)しくめでたき内(うち)に、男(をとこ)にしさへおはしませば、そのよろこびなのめなるべきにあず、めでたしとも疎(おろ)かなり。今(いま)は心(こころ)安(やす)く殿(との)も上(うへ)も御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)ひて、祈(いの)りの人々(ひとびと)おんやうじ・僧などに皆禄給(たま)はせ、其(そ)の程(ほど)は御(お)前(まへ)に年(とし)ふり、斯(か)かる筋(すぢ)の人々(ひとびと)皆候(さぶら)ひて、物(もの)若(わか)き人々(ひとびと)は、け遠(どほ)くて所々(ところどころ)に休(やす)み臥(ふ)したり。
御湯(ゆ)殿(どの)の事(こと)など儀式(ぎしき)いみじう事(こと)整(ととの)へさせ給(たま)ふ。かくて御臍(ほぞ)の緒(を)は、殿(との)の上(うへ)これは罪(つみ)得(う)る事(こと)ゝかねては思(おぼ)し召(め)ししかど、只今(ただいま)の嬉(うれ)しさに何事(なにごと)も皆思(おぼ)し召(め)し忘(わす)れさせ給(たま)へり。御乳つけには有国の宰相(さいしやう)のつま、御門(みかど)の御乳母(めのと)の橘三位参(まゐ)り給(たま)へり。御湯(ゆ)殿(どの)などにも年(とし)頃(ごろ)睦(むつ)まじうつかうまつりなれたる人(ひと)をせさせ給(たま)へり。御湯(ゆ)殿(どの)の儀式(ぎしき)いへば疎(おろ)かにめでたし。誠(まこと)に内(うち)より御剣(はかし)即(すなは)ち
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持(も)て参(まゐ)りたり。御つかひにはよりさだの中将(ちゆうじやう)なり。禄など心(こころ)異(こと)なりつらんを、さるは伊勢のみてぐらづかひもまだかへらざりつれば、内(うち)の御つかひえひたゝけて参(まゐ)らず。女房(にようばう)のしらさうぞくどもと見(み)えたり。つゝみぶくろ・からうづなど持(も)て来(き)騒(さわ)ぐ。
御湯(ゆ)殿(どの)とりのときとぞある。其の儀式(ぎしき)有様(ありさま)。え言(い)ひつゞけず。火ともして、宮(みや)のしもべども、みどりのきぬの上(うへ)にしろきたうじきどもにてみゆ参(まゐ)る。万(よろづ)の物(もの)にしろきおほひどもしたり。宮(みや)の侍(さぶらひ)のおさなかのぶ舁きて、御簾のもとに参(まゐ)る。御(み)厨子(づし)二人(ふたり)うるはしくさうぞきて、とりいれつゝむめて御ほどきにいる。十六(ろく)の御ほとぎなり。女房(にようばう)皆しろきしやうぞくどもなり。御湯(ゆ)殿(どの)のいまきなど皆同(おな)じ事(こと)なり。御湯(ゆ)殿(どの)はさぬきの宰相(さいしやう)の君(きみ)、御むかへ湯は大納言(だいなごん)の君(きみ)なり。宮(みや)は殿(との)抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御はかしこざいしやうの君(きみ)、とらのかしらは、宮(みや)の内侍(ないし)とりて御さきに参(まゐ)る。御弦打(つるうち)五位(ごゐ)十人(にん)。六位(ろくゐ)十人(にん)。御文のはかしには、蔵人(くらんど)弁広業かうらんのもとに立(た)ちて史記のだいのまきをぞ読む。護身にはじやうどでら僧都(そうづ)候(さぶら)ひ給(たま)ふ。雅通の少将(せうしやう)うちまきをしののしりて、僧都(そうづ)に打(う)ちかけてをほゝれ給(たま)ふおかしき。
しらさうぞくどもの様々(さまざま)なるは、たゞすみゑの心地(ここち)していとなまめかし。日頃(ひごろ)われも<とののしりつるしらさうぞくどもを見れば、いろ許(ゆる)されたるも織物(おりもの)のも・からぎぬ同(おな)じうしろきなれば何(なに)とも見(み)えず。許(ゆる)されぬ人(ひと)も少(すこ)し大人(おとな)びたるはいつへのうちぎに織物(おりもの)のむもんなどしろう着たるも、さる方に見(み)えたり。あふぎなどもわざとめきて耀(かかや)かさねど、よしばみかくし
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て心(こころ)ばへある本文など書きたる。なか<いとめ安(やす)し。若(わか)き人々(ひとびと)は縫物(ぬひもの)・螺鈿など袖口(そでぐち)に置口(をきくち)を、銀(しろがね)の左右の糸(いと)して伏組(ふせぐみ)し、万(よろづ)にし騒(さわ)ぎあへり。雪(ゆき)深(ふか)き山を月の明(あか)きに見渡(わた)したるやうなり。まねびやるべき方なし。
三日にならせ給(たま)ふ夜は宮司(みやづかさ)大夫(だいぶ)より始(はじ)めて御産養(うぶやしなひ)つかうまつる。左衛門(さゑもん)のかうは御(お)前(まへ)の物沈のかけばん・しろがねの御さらどもなどくはしくは見ず。源中納言(ちゆうなごん)、藤宰相(さいしやう)・御衣(ぞ)御襁褓(むつき)・ころもばこの折り立(た)て・いれかたびら・つゝみ・おほひしたるつくゑなど同(おな)じしろさなれど、しざま人(ひと)の心(こころ)<”見(み)えてしつくしたり。
五夜は殿(との)の御産養(うぶやしなひ)せさせ給(たま)ふ。十五夜の月くもりなく、秋(あき)深き露のひかりにめでたき折なり。上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)参(まゐ)りたり。ひんがしのたいに、にし向きにとをかみにて着き給(たま)へり。みなみのひさしにきた向きに殿上人(てんじやうびと)の座はにしをかみなり。しろきあやの御屏風(びやうぶ)をもやの御簾にそへて立(た)てわたしたる。月のさやけきに、池のみぎはも近(ちか)うかゞりびどもともされたるに、くはんがく院(ゐん)の衆ども、あゆみて参(まゐ)れり。見参(けざん)の文ども啓(けい)す。禄ども給(たま)はす。こよひの有様(ありさま)、殊(こと)におどろ<しう見ゆ。物(もの)のかずにもあらぬ上達部(かんだちめ)の御供(とも)のをのごども、随身・宮(みや)のしもべなどここかしこにむれみつゝ打(う)ちゑみあへり。あるはそゝかしげに急(いそ)ぎ渡(わた)るもかれが身には何(なに)ばかりのよろこびかあらん。されどあたらしく出(い)で給(たま)へる。ひかりもさやけくて御かげにかくれ奉(たてまつ)るべきなめりと思(おも)ふが、嬉(うれ)しうめでたきなるべし。所々(ところどころ)
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のかかりび・たち明(あ)かし・月の光(ひかり)もいと明(あか)きに殿(との)の内(うち)の人々(ひとびと)は何(なに)ばかりのかずにもあらぬ五位(ごゐ)なども、こし打(う)ちかゞめ世(よ)にあひ顔(がほ)にそこはかとなくゆきちがふも哀(あは)れに見ゆ。若(わか)うさべきひ安(やす)き程(ほど)の女房(にようばう)八人(にん)物(もの)参(まゐ)る。同(おな)じ心(こころ)に髪(かみ)上(あ)げて、皆(みな)白(しろ)き元結(もとゆひ)したり。白(しろ)き御盤(ばん)共(ども)取(と)り続(つゞ)きすまはる。こよひの御まかなひ宮(みや)の内侍(ないし)物(もの)<しうやむごとなきけはひしたり。髪(かみ)上(あ)げたる女房(にようばう)若(わか)き人々(ひとびと)のきたなげなきどもなれば見るかひありておかしうなん。
上達部(かんだちめ)共(ども)殿(どの)を始(はじ)め奉(たてまつ)りてだ打(う)ち給(たま)ふにかみの程(ほど)の論(ろん)きゝにくゝらうがはし。うたなどあり。されど物(もの)騒(さわ)がしさに紛(まぎ)れたる、尋(たづ)ぬれど、しどけなう事(こと)繁(しげ)ければ、え書きつゞけ侍(はべ)らぬ。女房(にようばう)さかづきなどある程(ほど)にいかゞはと思(おも)ひやすらはる。
@珍(めづら)しきひかりさしそふさかづきはもちながらこそちよをめぐらめ W058。
とぞむらさきさゝめき思(おも)ふに、四条(しでう)大納言(だいなごん)簾(す)のもとに居(ゐ)給(たま)へれば、うたよりも言(い)ひ出(い)でん程(ほど)のこはづかひ恥(は)づかしさをぞ思(おも)ふべかめる。かくて事(こと)共(ども)はてゝ。上達部(かんだちめ)には女(をんな)のさうぞくにおほうちきなどそへたり。てん上の四位(しゐ)には、袷(あはせ)の一襲(ひとかさね)・袴(はかま)五位(ごゐ)にはうちぎ一重(かさ)ね六位(ろくゐ)に袴(はかま)・ひとへなり。例(れい)の有様(ありさま)共(ども)なるべし。夜ふくるまで内(うち)にも外(と)にも様々(さまざま)めでたうてあけぬ。十六日には又(また)明日(あす)はいかにとよべのなりどもしかうべき用意(ようい)共(ども)ありけり。其(そ)の夜(よ)は物(もの)のどやかにて、女房(にようばう)達(たち)船(ふね)に乗(の)りて遊(あそ)び、左宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)殿(どの)
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の少将(せうしやう)ぎみなど、乗りまじりてありき給(たま)ふ。様々(さまざま)おかしう心(こころ)ゆく様(さま)の事(こと)共(ども)多(おほ)かり。
又(また)七日の夜は公(おほやけ)の御産養(うぶやしなひ)なり。蔵人(くらんど)少将(せうしやう)道雅を御つかひにて参(まゐ)り給(たま)へり。松(まつ)ぎみなりけり。物(もの)の数(かず)書(か)きたる文(ふみ)、柳筥(やないばこ)に入(い)れて参(まゐ)れり。やがて啓(けい)し給ふ。具し給(たま)ひつる。出納小(こ)舎人(どねり)にいたるまで、ろくども給(たま)はせてぞかへり給(たま)ひける。くはんがく院(ゐん)の衆どもあゆみて参(まゐ)れる。見参(けざん)の文又(また)啓(けい)し、禄ども給(たま)ふべし。こよひの有様(ありさま)一夜(ひとよ)の事(こと)にまさりて、おどろ<しう気色(けしき)ことなり。内(うち)の女房(にようばう)達(たち)皆参(まゐ)る。藤三位を始(はじ)めさべき命婦(みやうぶ)・蔵人(くらんど)、二車(ふたくるま)にてぞ参(まゐ)りたる。ふねの人々(ひとびと)も皆をびえて入りぬ。内(うち)の女房(にようばう)達(たち)に殿(との)あはせ給(たま)ひて、万(よろづ)思(おも)ふ事(こと)なげなる御気色(けしき)のゑみのまゆをひらけさせ給(たま)へれば、見(み)奉(たてまつ)る人々(とびと)げに<と哀(あは)れに見(み)奉(たてまつ)る。贈(おく)り物(もの)どもしな<”に給(たま)ふ。
又(また)日(ひ)の有様(ありさま)今日(けふ)はいと心(こころ)殊(こと)に見(み)えさせ給(たま)ふ。御帳の内(うち)にいとさゞやかに打(う)ちおも痩せて臥させ給(たま)へる。いとど常(つね)よりもあへかに見(み)えさせ給(たま)ふ。大方(おほかた)の事(こと)共(ども)は一夜(ひとよ)の同(おな)じ事(こと)なり。上達部(かんだちめ)の録は御簾のうちより出ださせ給(たま)へば、左右の頭(とう)二人(ふたり)取(と)り次(つ)ぎて、奉(たてまつ)れる。例の女のしやうぞくに、宮(みや)の御衣(ぞ)をぞ添(そ)へたべき。殿上人(てんじやうびと)は常(つね)のごとく公(おほやけ)方のはおほうちきふすまこしさしなど例の公(おほやけ)ざまなるべし。御乳つけの三位には、女のさうぞくに織物(おりもの)のほそなか添(そ)へて、しろがねの衣ばこにてつゝみなども、やがてしろきに又(また)つゝませ給(たま)へる物(もの)など添(そ)へさせ給(たま)ふ。
八日人々(ひとびと)いろ<にさうぞきかへたり。九日の夜は東宮(とうぐう)こん大夫(だいぶ)つかうまつり給(たま)ふ。様(さま)殊(こと)に又(また)し給(たま)へり。こよひ
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は上達部(かんだちめ)御簾の際(きは)に居(ゐ)給(たま)へり。白き御つしひとよろひ参(まゐ)りすへたり。儀式(ぎしき)いと様(さま)殊(こと)に今(いま)めかしう。しろがねの御衣箱、海賦を打(う)ちて、ほうらいなども例の事(こと)なれど、こまやかにおかしきを取(と)り放(はな)ちにはまねび尽くすべき方もおぼえぬこそ悪(わろ)けれ。こよひは御几帳(きちやう)みな例の様(さま)にて人々(ひとびと)濃きうちぎをぞ着たる。珍(めづら)しくなまめきて透きたるからぎぬどもつや<と押しわたして見(み)えたり。
かくて日頃(ひごろ)ふれど猶(なほ)いと慎(つつ)ましげに思(おぼ)し召(め)されて、神無月の十日あまりまでは御丁より出(い)でさせ給(たま)はず。殿(との)、よるひるわかずこなたに渡(わた)らせ給(たま)ひつゝ、宮(みや)を御乳母(めのと)二(ふた)所(ところ)よりかき抱(いだ)き給(たま)ひて、えもいはず思(おぼ)したるもげに<と見(み)え給(たま)ふ。御しとなどにぬれても嬉(うれ)しげにぞおぼされたる。かく言(い)ふ程(ほど)に行幸(ぎやうがう)も近(ちか)うなりぬれば、殿(との)の内(うち)を万(よろづ)につくろひみがゝせ給(たま)ふ。見どころあり見るに、怪(あや)しう法華経(ほけきやう)のおはすらんやうに、おいさかり命(いのち)延(の)ぶらんとおぼゆる殿(との)の有様(ありさま)になん。かくて若宮(わかみや)をおぼつかなうゆかしう内(うち)に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふによりての行幸(ぎやうがう)なれば、さき<”のよりも、殿(との)の御(お)前(まへ)いみじう急(いそ)ぎたち、いつしかとのみ思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふに、安(やす)きいも御殿(との)ごもらず、此(こ)の事(こと)のみ。御心(こころ)にしみおぼさるゝぞ、げにさもありぬべ御事(こと)の有様(ありさま)なるや。かみな月の晦日(つごもり)の事(こと)ゝなん。かくてこたみの料(れう)とて造らせ給(たま)へる船ども寄せて御覧(ごらん)ず。りやうどうげきしゆの生けるかたち、思(おも)ひ遣(や)られてあざやかに
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うるはし。
行幸(ぎやうがう)はとらの時とあれば、夜(よる)より安(やす)くもあらずけさうじ騒(さわ)ぐ。上達部(かんだちめ)の御座は西(にし)の対(たい)なれば、此(こ)の度(たび)はひんがしのたい人々(ひとびと)少(すこ)し心(こころ)のどかに思(おも)ふべし。督(かん)の殿(との)御方(かた)の女房(にようばう)は、此(こ)の女房(にようばう)は此(こ)の御方(かた)よりもまさざまに急(いそ)ぐと聞(き)こゆ。寝殿(しんでん)の御しつらひなど様(さま)かへしつらひなさせ給(たま)ひて、御丁のにしのかたに御椅子立(た)てさせ給(たま)へり。それよりひんがしの方に当たれるきはに、きたみなみのつまに御簾かけわたして、女房(にようばう)ゐたるみなみのはしのもとに、すだれあり。少(すこ)し引きあげて内侍(ないし)二人(ふたり)いづ。かみあげ、うるはしきすがたども、たゞからゑがごとしは、天人(てんにん)のあまくだりたるかと見(み)えたり。弁内侍(ないし)・左衛門(さゑもん)の内侍(ないし)などぞ参(まゐ)れる。とりどり様々(さまざま)なるかたちなり。きぬのにほひいづれもすべてありがたう美(うつく)しう見(み)えたり。近衛(このゑ)の官(つかさ)いと次(つぎ)<しきすがたして、事(こと)共(ども)行(おこな)ふ。とうの中将(ちゆうじやう)よりさだの君(きみ)、御はかしとりて内侍(ないし)に伝(つた)へなどす。
御簾の内(うち)を見わたせば、例の色許(ゆる)されたるは、あをいろあかいろのからぎぬに、ぢずりの裳、表着(うはぎ)は押しわたしてすわうの織物(おりもの)なり。打(う)ち物(もの)共(ども)濃きうすき紅葉(もみぢ)こきまぜたるやうなり。又(また)例の青う黄なるなどまじりたり。色許(ゆる)されぬは、むもん、ひらぎぬなど様々(さまざま)なり。したぎ皆同(おな)じ様(さま)なり。大海(おほうみ)の摺裳(すりも)、みづの色あざやかになどして、これもいとおかしう見ゆ。内(うち)の女房(にようばう)も宮にかけたるは、四五人(にん)参(まゐ)りつどひたり。内侍(ないし)二人(ふたり)、命婦(みやうぶ)二人(ふたり)。御まかなひの人(ひと)一人(ひとり)。おもの参(まゐ)るとて、皆髪あげて、内侍(ないし)の出(い)でつる御簾ぎはより出(い)で入り
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参(まゐ)り。御まかなひ藤三位、あかいろのからぎぬに黄なるからのあやのきぬ、きくのうちぎ表着(うはぎ)なり。ちくぜん・左京なども様々(さまざま)みなしたり。はしらがくれにてまほにも見(み)えず。
殿(との)若宮(わかみや)抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、御(お)前(まへ)にゐて奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御こゑいと若(わか)し。弁の宰相(さいしやう)の君(きみ)御はかしとりて参(まゐ)り給(たま)ふ。母屋のなかの戸のにしに、殿(との)の上(うへ)のおはします方にぞ、若宮(わかみや)はおしまさせ給(たま)ふ。上(うへ)の見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ御(おん)心地(ここち)、思(おも)ひ遣(や)り聞(き)こえさすべし。これにつけても一の御(み)子(こ)のむまれ給(たま)へりし折、とみにも見ず聞(き)かざりしはや。猶(なほ)筋(すぢ)なし。斯(か)かる筋(すぢ)には、たゞ頼(たの)もしう思(おも)ふ人(ひと)のあらむこそかひ<”しうあるべかめれ。いみじき国王の御位(くらゐ)なりとも、後見(うしろみ)もてはやす人(ひと)なからんは、わりなかるべきわざかなとおぼさるゝよりも、行末(ゆくすゑ)までの御有様(ありさま)共(ども)の思(おぼ)しつゞけられて、まづ人(ひと)知れず哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されけり。
宮(みや)と御物語(ものがたり)など万(よろづ)心(こころ)のとがに聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)に、むげに夜に入りぬれば、まんざいらく・たいへいらく・賀殿などまひ、様々(さまざま)に楽のこゑおかしきに、ふえのねもつゞみのをともおもしろきに、まつかぜ吹きすまして、いけのなみもこゑをとなへたり。百歳楽のこゑにあひて若宮(わかみや)の御こゑをきゝて、右大臣(うだいじん)もてはやし聞(き)こえ給(たま)ふ。左衛門(さゑもん)のかう、
右衛門(うゑもん)の督、万歳千秋などそのこゑにてずむじ給(たま)ふ。あるじの大(おほ)殿(との)、さき<”の行幸(ぎやうがう)をなどてめでたしと思(おも)ひ侍(はべ)りけん。斯(か)かる事(こと)もありける物(もの)をと、打(う)ちひそみ給(たま)ふをさしなる事(こと)なりと、
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殿(との)ばら同(おな)じ心(こころ)に御目(め)拭(のご)ひ給(たま)ふ。
かくて殿(との)は入らせ給(たま)ひ、上(うへ)は出(い)でさせ給(たま)ひて、右大臣(うだいじん)を御(お)前(まへ)に召(め)して、ふでとりて書き給(たま)ふ。宮司(みやづかさ)・殿(との)のけいし、さるべき限(かぎ)り加階す。頭弁して案内(あんない)啓せさせ給(たま)ふめり。あたらしき御(み)子(こ)の御よろこびに、氏の上達部(かんだちめ)引き連れて拝し奉(たてまつ)り給(たま)ふ。ふぢうぢなりし。門わかれたるは例にも立(た)ち給(たま)はず。次(つぎ)に別当になり給(たま)へる宮大夫右衛門(うゑもん)の督(かみ)。権大夫中納言(ちゆうなごん)、権亮(すけ)侍従宰相(さいしやう)など加階し給(たま)ひて、みな舞踏す。宮(みや)の御方(かた)に入らせ給(たま)ひて、程(ほど)なきに夜いたう更けぬ。御こし寄すとののしれば、殿(との)も出(い)でさせ給(たま)ひぬ。
又(また)のあしたに内(うち)の御つかひ、朝霧(あさぎり)も晴れぬに参(まゐ)れり。若宮(わかみや)の御こひしさにこそはあらめと推(お)し量(はか)らる。其(そ)の日(ひ)ぞ若宮(わかみや)の御ぐし始(はじ)めて奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。ことさらに行幸(ぎやうがう)の後(のち)とてあるなりけり。やがて其の日(ひ)若宮(わかみや)の家司・御許人(おもとびと)・別当・職事など定(さだ)めさせ給(たま)ふ。日頃(ひごろ)の御しつらひのらうがはしく様(さま)殊(こと)なりつるを、押しかへしうるはしう耀(かかや)かし給(たま)ふ。殿(との)の上(うへ)年(とし)頃(ごろ)心(こころ)もとなうおぼされける御事(こと)の成り給(たま)へるを、思(おぼ)す様(さま)に嬉(うれ)しうて、明(あ)け暮(く)れ参(まゐ)り見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふも、あらまほしき御気色(けしき)なり。
かく言(い)ふ程(ほど)に、御五十日霜月(しもつき)の朔日(ついたち)の日(ひ)になりにければ、例の女房(にようばう)様々(さまざま)心(こころ)<”にしたて参(まゐ)りつどひたる様(さま)。さべき物(もの)あはせのかたわきにこそ似ためれ。御帳のひんがしの方の御座(おまし)の際(きは)に、北(きた)より南(みなみ)の柱(はしら)まで暇(ひま)もなう御几帳(きちやう)を立(た)てわたして、みなみ面(おもて)には御(お)前(まへ)の物(もの)参(まゐ)りすへたり。
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西によりては大宮(おほみや)のをもの、例のぢんのおしきに何(なに)くれどもならんかし。若宮(わかみや)の御(お)前(まへ)の小(ちひ)さき御台六、御さらより始(はじ)め、万(よろづ)美(うつく)しき御はしのたいのすはまなどいとおかし。おほ宮(みや)の御まかなひ、弁宰相(さいしやう)君、女房(にようばう)、皆かみ上げて参(まゐ)りさしたり。若宮(わかみや)の御まかなひ、大納言(だいなごん)の君(きみ)なり。ひんがしの御簾少(すこ)し上げて、弁内侍(ないし)・中務(なかつかさ)命婦(みやうぶ)・大輔(たいふ)命婦(みやうぶ)・中将(ちゆうじやう)君など、さるべき限(かぎ)り取(と)りつゞき参(まゐ)らせ給(たま)ふ。さぬきのかみ大江きよみちがむすめ、左衛門(さゑもん)の佐源為善が女、日頃(ひごろ)参(まゐ)りたりつる、こよひぞ色許(ゆる)されける。
殿(との)の上(うへ)御丁の内(うち)より御(み)子(こ)抱(いだ)き奉(たてまつ)りてゐざり出(い)でさせ給(たま)へり。あかいろのかしの御衣(ぞ)に、ぢずりの御裳うるはしくさうぞきておはしますも、哀(あは)れに忝(かたじけな)し。おほ宮(みや)はえびぞめのいつへの御衣(ぞ)、すわうの御こうぢぎなどをぞ奉(たてまつ)りたる。殿(との)、もちひ参(まゐ)らせ給(たま)ふ。上達部(かんだちめ)すのこに参(まゐ)り給(たま)へり。御座は例のひんがしのたいなりつれど、近(ちか)う参(まゐ)りてゑいみだれたり。右のおとど、内(うち)おとども皆参(まゐ)り給(たま)へり。大(おほ)殿(との)の御方(かた)よりおりびつ物(もの)など、さべきさうしぎみたちとりつゞき参(まゐ)る。かうらんにつゞけすへわたしたり。たち明(あ)かしの心(こころ)もとなければ、四位(しゐ)の少将(せうしやう)やさべき人々(ひとびと)など〔をよびよせて〕、紙燭(しそく)さして御覧(ごらん)じて、内(うち)の台盤所(だいばんどころ)にもて参(まゐ)るべきに、明日(あす)よりは御物(もの)忘(わす)れとて、こよひ皆もて参(まゐ)りぬ。宮(みや)の大夫御簾のもとに参(まゐ)りて、上達部(かんだちめ)御(お)前(まへ)にめさんと啓し給(たま)ふ。聞(き)こし召(め)すとあれば、殿(との)より始(はじ)め奉(たてまつ)りて参(まゐ)り給(たま)ひて、はしらのひんがしのまをかみにて、ひんがしのつま殿(どの)まへまで
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ゐ給(たま)へり。
女房(にようばう)をしこりてかず知らずゐたり。其(そ)の座にあたりて、大納言(だいなごん)の君(きみ)・宰相(さいしやう)の君(きみ)・宮(みや)の内侍(ないし)とゐ給(たま)へるに、右のおとど寄りて、御几帳(きちやう)のほころび引きたちみたれ給(たま)ふを、さしもさせ給(たま)はでもありぬべけれど、それしもぞおかしうおはする。あふぎをとり、戯(たはぶ)れごとのはしたなき多(おほ)かり。大夫かはらけとりてこなたに出(い)で給(たま)へり。三輪の山(やま)もとうたひて、御遊様(さま)かはりたれどいとおもしろし。其(そ)の次(つぎ)のまのはしらもとに、うだいしやう寄りてきぬのつま・袖口(そでぐち)かぞへ給(たま)へる気色(けしき)など人(ひと)よりことなり。さかづきのめぐりくるを、大将(だいしやう)はをぢ給(たま)へど、例の事(こと)なしびにちとせ万代にて過(す)ぎぬ。三位のすけにかはらけ取れなどあるに、侍従宰相(さいしやう)、内大臣(ないだいじん)のおはすれば、しもより出(い)で給(たま)へるを見て、おとどゑひなきし給(たま)ふ。内(うち)なる人(ひと)さへ哀(あは)れに見けり。
け恐(おそ)ろしかるべき世(よ)のけはひなめりと見て、事(こと)はつるまゝに、宰相(さいしやう)君と言(い)ひあはせてかくれなんとするに、ひがし面(おもて)に殿(との)の君達(きんだち)・宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)など入りて騒(さわ)がしければ、二人(ふたり)御木丁のうしろにゐかくれたるを、二人(ふたり)ながらとらへさせ給(たま)へり。うた一(ひと)つつかうまつれと宣(のたま)はするに、いとわびしう恐(おそ)ろしければ、
@いかにいかゞかぞへやるべきやちとせのあまりひさしき君(きみ)がみよをば W059。
あはれつかうまつれるかなとふた度(たび)ばかりずんぜさせ給(たま)ひて、いと疾く宣(のたま)はせける、
@あしたづのよはひしあらば君(きみ)が代はちとせのかずもかぞへとりてん W060。
さばかりゑは
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せ給(たま)へれど、思(おぼ)す事(こと)筋(すぢ)なれば、かくつゞけさせ給(たま)ひつると見(み)えたり。かくて例の作法(さほふ)の禄どもなどありて、いとしどけなげにてよろぼひまかでさせ給(たま)ひぬ。殿(との)の御(お)前(まへ)、宮(みや)をむすめにてもち奉(たてまつ)りたる、まろはぢならず。まろをちゝにてもち奉(たてまつ)りたる、まろはぢならず。まろをちゝにてもち給(たま)へる、宮(みや)悪(わろ)からず。又(また)はゝもいとさいはひあり、よき男(をとこ)も給(たま)へりなど、戯(たはぶ)れ宣(のたま)はするを、上(うへ)はいとかたはらいたしと思(おぼ)して、あなたに渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。
かくて十七日は入らせ給(たま)ふべければ、其(そ)の事(こと)共(ども)女房(にようばう)をしかへし急(いそ)ぎたちたり。其(そ)の夜になりぬれば、例の里(さと)のも皆参(まゐ)りつどひたり。かたへはかみ上げなどしてうるはしきすがたなり。四十余(よ)人(にん)ぞ(さぶら)ひける。いたう更けぬれば、そゝきたちて入らせ給(たま)ひぬ。女房(にようばう)の車(くるま)きしろひもありけれど、例の事(こと)なり。きゝ入れぬ物(もの)なりと宣(のたま)はせて殿(との)は聞(き)こし召(め)しけちつ。御こしには、宣旨(せんじ)右乗り給(たま)ふ。いとげの御車(くるま)には、殿(との)の上(うへ)、少将(せうしやう)の乳母(めのと)、若宮(わかみや)抱(いだ)き奉(たてまつ)りて乗る。次(つぎ)<の事(こと)共(ども)あれど、うるさければ書かずなりぬ。よべの御贈(おく)り物(もの)、けさぞ心(こころ)のどかに御覧(ごらん)ずれば、御ぐしのはこ一よろひたうちの事(こと)共(ども)、見尽くしやらん方なし。御てばこ一よろひ、かたつかたにはしろきしきしつくりたるさうしども、こきん・ごせん・しういなど五まきにつくりつゝ、侍従中納言(ちゆうなごん)行成と延幹とをのをのさうし一(ひと)つに四まきをあてつ書かせ給(たま)へり。かけごのしたには元輔・能宣(よしのぶ)やうのいにしへのうたよみの家(いへ)<の集どもをかきて入れさせ給(たま)へり。
かやうにて日頃(ひごろ)
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も経(へ)ぬる程(ほど)に、五節(ごせつ)廿日参(まゐ)る。侍従宰相(さいしやう)とあるは内大臣(ないだいじん)の子、さねなり宰相(さいしやう)なるべし。まひびめのさうぞく遣(つか)はす。右宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)の五節(ごせつ)に御かづらさうまれたるつゐでに、はこ一よろひに薫物(たきもの)入れて遣(つか)はす。心葉(こころば)梅(むめ)の枝なり。今年(ことし)の五節(ごせつ)いみじういどみかはすなど聞(き)こえあり。ひがしの御(お)前(まへ)にむかひたるたてじとみに、ひまもなく打(う)ちわたしつゝともしたる火のひかりにつれなうあゆみ参(まゐ)る様(さま)共(ども)ゝはしたなけれど、其(そ)のみちにえさらぬ筋(すぢ)共(ども)なればこそと見(み)えたり。業遠朝臣(あそん)のかしづきににしきのからぎぬ着せたりとののしるも、げに様(さま)殊(こと)にさもありぬべかりけりと聞(き)こゆ。あまりきぬあつく着せてたかやかならぬ様(さま)なりと言(い)ふもどきはあれど、それ今(いま)の世(よ)の事(こと)には悪(わろ)からず。右宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)もあるべき限(かぎ)りしたり。ひすまし二人(ふたり)整(ととの)へたるすがたぞまどひたりと人(ひと)ほゝゑみたりし。内(うち)の大臣(おとど)の藤宰相(さいしやう)の、はた今(いま)少(すこ)し今(いま)めかしきはまさりて見ゆ。かしづき十人(にん)。またひさしの御簾おろしてこぼれ出(い)でたるきぬのつまどもしたてがほに思(おも)へる様(さま)共(ども)よりは見どころまさりて、ほかげにおかしう見(み)えたり。又(また)東宮(とうぐう)大夫の五節(ごせつ)に、宮(みや)より薫物(たきもの)遣(つか)はす。おほきやかなるしろがねのはこに入れさせ給(たま)へり。おはりのかみまさひらもいだしたれば、殿(との)の上(うへ)ぞそれは遣(つか)はしける。
其(そ)の夜は御(お)前(まへ)の試(こころ)みなども過(す)ぎて、わらは・しもづかへの御覧(ごらん)いかゞとゆかしきに、例(れい)の時(とき)の程(ほど)になれば皆あゆみつゞき参(まゐ)りいづる程(ほど)、内(うち)にも外(と)にも目(め)をつけ騒(さわ)ぎたり。上(うへ)渡(わた)らせ給(たま)ひて
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御覧(ごらん)ず。若宮(わかみや)おはしませば、うちまきしののしるけはひす。業遠のわらはにあをきしらつるばみのかざみを着せたり。おかしと思(おも)ひたるに、藤宰相(さいしやう)のわらはには、あかいろのかざみを着せ、しもづかへのからぎぬにあをいろを着せたる程(ほど)押しかへしねたげなり。宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)のもいつへのかざみ、おはりはゑびぞめをみへにてぞ着せたる。衵(あこめ)皆(みな)濃(こ)き薄(うす)き心(こころ)<”なり。侍従宰相(さいしやう)の五節(ごせつ)のつぼね。宮(みや)の御(お)前(まへ)たゞ見わたすばかりなり。たてじとみのかみよりすだれのはしも見ゆ。人(ひと)の物(もの)言(い)ふこゑもほのかに聞(き)こゆ。
彼の弘徽殿(こきでん)の女御(にようご)の御方(かた)の女房(にようばう)なん、かしづきにてあると言(い)ふ事(こと)をほのぎゝて、あはれ昔(むかし)ならしけんもゝしぎを物(もの)のそばにゐかくれて見るらん程(ほど)も哀(あは)れに、いさ、いと知らぬがほなるは悪(わろ)し。言(こと)一(ひと)つ言(い)ひやらんなど定(さだ)めて、こよひかひつくろひいづかたなりしぞ。それなど宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)宣(のたま)ふ。源少将(せうしやう)も同(おな)じごとかたり給(たま)ふ。猶(なほ)清(きよ)げなりかしなどあれば、御(お)前(まへ)にあふぎ多(おほ)く候ふ中に、蓬莱つくりたるをば、筥(はこ)の蓋(ふた)にひろかて日(ひ)がけをめぐりてまろめ置(お)きて、其(そ)のなかに螺鈿(らでん)したる櫛(くし)共(ども)を入(い)れて、白(しろ)い物(もの)などさべい様(さま)に入れなして公(おほやけ)ざまにかほ知らぬ人(ひと)して、中納言(ちゆうなごん)君(きみ)の御つぼねより、さきやうの君(きみ)の御(お)前(まへ)にといはせてさし置(お)かせつれば、かれ取(と)り入れよなど言(い)ふは彼の我(わ)が女御(にようご)殿(どの)より給(たま)へるなりと思(おも)ふなりけり。またさ思(おも)はせんとたばかりたる事(こと)なれば、あんにははかられにけり。薫物(たきもの)を立文(たてぶみ)にしてかみに書きたり、
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@多(おほ)かりし豊(とよ)の宮人(みやびと)さし分けてしるき日(ひ)かげをあはれとぞ見し W061。
彼のつぼねにはいみじう恥(は)ぢけり。宰相(さいしやう)もたゞなるよりは心(こころ)苦(ぐる)しう思(おぼ)しけり。小忌(をみ)の夜(よ)は、宰相(さいしやう)の五節(ごせつ)にわらはのかざみ、大人(おとな)のからぎぬに皆(みな)青摺(あをずり)をして、あかひもをなんしたりけると言(い)ふ事(こと)を、後(のち)に斎院(ゐん)に聞(き)こし召(め)しておかしうもと思(おぼ)し召(め)して召(め)したりければ御覧(ごらん)じて、げにいと今(いま)めかしう思(おぼ)し召(め)して、青(あを)き紙(かみ)の端(はし)に袂(たもと)にむすびつけてかへさせ給(たま)へり、
@かみよゝり摺(す)れる衣(ころも)と言(い)ひながらまた重(かさ)ねても珍(めづら)しきかな W062。
かくて臨時(りんじ)の祭(まつり)になりぬ。つかひには殿(との)の権中将(ちゆうじやう)出(い)で給(たま)ふ。其(そ)の日(ひ)は内(うち)の御物忌(ものいみ)なれば、殿(との)も上達部(かんだちめ)も、舞人(まひびと)の君達(きんだち)も皆よひにこもり給(たま)ひて、内(うち)辺(わた)り今(いま)めかしげなる所々(ところどころ)あり。殿(との)の上(うへ)もおはしませば、御乳母(めのと)の命婦(みやうぶ)もおかしき御あそびに、目もつかでつかひの君(きみ)をひとへにまぼり奉(たてまつ)り。かくて此(こ)の臨時(りんじ)の祭(まつり)の日(ひ)。藤宰相(さいしやう)の御随身ありし筥(はこ)の蓋(ふた)を此(こ)の君(きみ)の随身にさしとらせていにけり。ありし筥(はこ)の蓋(ふた)にしろがねの筥(はこ)の蓋(ふた)にかゞみ入れて、沈のくし・白がねのかうがいを入れて、つかひの君(きみ)のびんかき給(たま)ふべき具と思(おぼ)しくてしたり。此(こ)のはこの内(うち)にでいにてあしでを書きたるは有(あ)りしかへしなるべし、
@日(ひ)かげぐさ耀(かかや)く程(ほど)やまがひけんますみのかゞみくもらぬ物(もの)を W063。
師走(しはす)にも
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なれば、残(のこ)りすくなきあはれなり。花蝶(はなてふ)と言(い)ひつる程(ほど)に、年(とし)も暮れぬ。かくて若宮(わかみや)のいと物(もの)あざやかにめでたう、山(やま)の端(は)よりさし出(い)でたる望月(もちづき)などのやうにおはしますを、帥(そち)殿(どの)の辺(わた)りにはむねつぶれいみじうおぼえ給(たま)ひて、人(ひと)知れぬ年(とし)頃(ごろ)の御心(こころ)の内(うち)のあらましごとどもゝ。むげにたがひぬる様(さま)におぼされて、猶(なほ)此(こ)の世(よ)には人(ひと)笑(わら)はれにてやみぬべき身にこそあめれ。あさましうもあるかな。めづらかなる夢(ゆめ)など見てし後(のち)はさりともと頼(たの)もしう、ことなる事(こと)なき人(ひと)の例(ためし)のはて見てはなどこそは言(い)ふなれば、さりともとのみ、其(そ)のまゝにさうじ・いもゐをしつゝあり過(す)ぐし、ひたみちに仏神を頼(たの)み奉(たてまつ)りてこそありつれ。今(いま)はかうにこそあめれと、御心(こころ)の内(うち)の物(もの)嘆(なげ)きにおぼされて、あいなだのみにてのみ世を過(す)ぐさんは、いとおこがましき事(こと)など出(い)できて、いとど生けるかひなき有様(ありさま)にこそあべかめれ。いかゞすべきなど御おぢの明順(あきのぶ)・道順(みちのぶ)などに打(う)ちかたらひ給(たま)へば、げに世(よ)の有様(ありさま)はさのみこそおはしますめれ。さりとて又(また)いかゞはせさせ給(たま)はんとする。たゞ御命(いのち)だに平(たひら)かにておはしまさばとこそは頼(たの)み聞(き)こえさすれなどあはれなる事(こと)共(ども)を打(う)ち泣きつゝ聞(き)こえさすれば殿(との)もかくてつく<”とつみをのみつくりつも、いとあぢきなくこそあべけれ。物(もの)のいんぐは知らぬ身にもあらぬものから、何事(なにごと)を待つにかあらんと思(おも)ふに、いとはかなしや。猶(なほ)今(いま)は出家(しゆつけ)して、
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暫(しば)し行(おこな)ひて後(のち)の世(よ)の頼(たの)みをだにやと思(おも)ふに、ひたみちにおこしたる道心にもあらずなどして、山林にゐてきやうを読み行(おこな)ひをすとも、此(こ)の世(よ)の事(こと)共(ども)を思(おも)ひ忘(わす)るべきやうもなし。さて万(よろづ)に攀縁しつゝせん。念誦(ねんず)・読経はかひはあらんとすらんやはと思(おも)ふに、まだえ思(おも)ひ立(た)たぬなりなど言(い)ひつゞけさせ給(たま)ふ。いみじうあはれなる事(こと)なりかし。中納言(ちゆうなごん)・僧都(そうづ)なども、世を同(おな)じう思(おぼ)しながら、あさはかに中<心(こころ)やすげに見(み)え給(たま)ふ。此(こ)の殿(との)ぞ万(よろづ)に世とゝもに思(おぼ)しみだれたる。世(よ)の憂さなめれば、いとど心(こころ)苦(ぐる)しうなん。
斯(か)かる程(ほど)に年(とし)かへりぬ。寛弘六年になりぬ。世(よ)の有様(ありさま)常(つね)のやうなり。若宮(わかみや)いみじう美(うつく)しうおい出(い)でさせ給(たま)ふを、上(うへ)宮(みや)の御(おん)中(なか)にゐてあそばせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひては、御門(みかど)の宣(のたま)はする猶(なほ)思(おも)へど、昔(むかし)内(うち)に幼(をさな)き子どもをあらせずして、宮(みや)達(たち)のかく美(うつく)しうなどあらんをいつゝなゝつなどにて御たいめんとてののしりけんこそ、今(いま)の世(よ)に万(よろづ)の事(こと)のなかにいとたへがたかりける事(こと)はありけれ。かう見ても見てもあかぬ物(もの)を思(おも)ひ遣(や)りつゝ、明けくらさんはこひしかべいことなりや。此(こ)の一(いち)の宮(みや)をこそいとひさしう見ざりしが有様(ありさま)を人(ひと)づてにきゝて、けしからぬまでゆかしかりし事(こと)など打(う)ちかたらひ聞(き)こえさせ給(たま)ふもいとめでたし。
斯(か)かる程(ほど)に、正月も暮れぬ。宮(みや)其(そ)のまゝに此(こ)の月頃(ごろ)せさせ給(たま)ふ事(こと)なかりしに、十二月(じふにぐわつ)廿日の程(ほど)にぞ唯(ただ)験(しるし)ばかり御覧(ごらん)じたりけるまゝに、
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今年(ことし)かう今(いま)ゝでせさせ給(たま)はねば、猶(なほ)彼の折の御なごりにやと思(おぼ)しもよらぬに、こぞの此(こ)の頃(ごろ)の御(おん)心地(ここち)ぞせさせ給(たま)ひける。いかなりけるにかと思(おぼ)し召(め)す程(ほど)に、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)も又(また)事(こと)のおはしますべきにこそとさゞめき聞(き)こえさすれば、かたへはいつの程(ほど)にかさおはしまさんと言(い)ふもあり。又(また)あるはさやうの物(もの)ぞ。又(また)さしつづき同(おな)じ様(さま)にてはて給(たま)へる事(こと)はさこそはあれ、あり<ていかにめでたからんなど申し思(おも)へり。殿(との)も上(うへ)も皆聞(き)こし召(めして気色(けしき)だち思(おぼ)し召(め)したり。かくは言(い)ふ程(ほど)に三月にもなりぬれば、誠(まこと)にさやうの御気色(けしき)になりはてさせ給(たま)ひぬ。殿(との)の御有様(ありさま)えもいはぬ様(さま)なり。
かく言(い)ふ程(ほど)に、自(おの)づから世(よ)にも漏り聞(き)こえぬ。年(とし)頃(ごろ)の女御(にようご)達(たち)たゞなるよりは物(もの)恥(は)づかしう思(おぼ)し知(し)るべし。右のおとど内(うち)のおとどこは斯(か)かるべき事(こと)かは、われしも同(おな)じ筋(すぢ)にはあらずや。かう殊(こと)の外(ほか)なる恥(は)づかしき宿世(すくせ)なりとおぼさるべし。三月晦日(つごもり)に出(い)でさせ給(たま)ひなむとあれど、御門(みかど)いとあるまじき御事(こと)に聞(き)こえさせ給(たま)へば、暫(しば)しは過(す)ぐさせ給(たま)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に殿(との)の三位殿。左衛門(さゑもん)の督(かみ)にならせ給(たま)ひにけり。中宮(ちゆうぐう)の御祈(いの)りは猶(なほ)里(さと)にてと思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ひて、四月十余(よ)日(にち)程(ほど)に出(い)でさせ給(たま)ふ。内(うち)にはいかにおぼつかなう此(こ)の度(たび)は若宮(わかみや)の御こひしささへ添(そ)ひて、いぶせく思(おぼ)しみだれさせ給(たま)ふ。さて京極(きやうごく)殿(どの)に出(い)でさせ給(たま)へれば内侍(ないし)の督(かん)の殿(との)。若宮(わかみや)をいつしかと待(ま)ちむかへ、
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見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。其(そ)の後(のち)御乳母(めのと)達(たち)はたゞ御乳(ち)参(まゐ)る程(ほど)ばかりにて、たゞ督(かん)の殿(との)抱(いだ)き慈(うつく)しみ奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、御乳母(めのと)達(たち)もいと嬉(うれ)しきに思(おも)ひ聞(き)こえさせたり。中宮(ちゆうぐう)の御祈(いの)りどもさきのごどし。万(よろづ)し残(のこ)させ給(たま)ふ事(こと)なし。いづれのふしかはと思(おぼ)しいづる御有様(ありさま)なりしかば、さき<”の僧ども、同(おな)じ様(さま)の御祈(いの)りにをきてさせ給(たま)へば、其(そ)のまゝにたがはぬ事(こと)共(ども)をつかうまつる。こたみは男(をとこ)女の御有様(ありさま)あながちなるまじけれど、猶(なほ)さしならばせ給(たま)はん程(ほど)のたけさはこよなかるべければ、同(おな)じ様(さま)を思(おぼ)し志(こころざ)すべし。
彼の花山(くわさん)の院(ゐん)の四の御方(かた)は院(ゐん)失(う)せさせ給(たま)ひにしかば、たかづかさ殿(どの)に渡(わた)り給(たま)ひにければ、殿(との)聞(き)こし召(め)して、かれをもがなとは思(おぼ)し召(め)しけれど、思(おぼ)しも立(た)たぬ程(ほど)に殿(との)の上(うへ)ぞ常(つね)にをとなひ聞(き)こえさせ給(たま)ひけれども、いかなるべい事(こと)にか思(おぼ)したちがたかりけり。斯(か)かる程(ほど)に、殿(との)の左衛門(さゑもん)の督(かみ)をさべき人々(ひとびと)いみじう気色(けしき)だち聞(き)こえ給(ま)ふ所々(ところどころ)あれども、まだともかうも思(おぼ)し召(め)し定(さだ)めぬ程(ほど)に、六条(ろくでう)の中務(なかつかさ)の宮(みや)と聞(き)こえさするは、故村上(むらかみ)のせんていの御七の宮(みや)におはします。麗景殿(れいけいでん)の女御(にようご)の御腹の宮(みや)なり。北(きた)の方(かた)はやがて村上(むらかみ)の四の宮(みや)ためひらの式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)の御(おん)中(なか)姫君(ひめぎみ)なり。はゝ上(うへ)は故源帥(そち)の大臣(おとど)の御むすめなり。斯(か)かる御(おん)中(なか)より出(い)で給(たま)へる女(をんな)宮(みや)三(み)所(ところ)。男(をとこ)宮(みや)二(ふた)所(ところ)ぞおはします。其(そ)の姫宮(ひめみや)えならずかしづき聞(き)こえさせ給(たま)ふ。いさゝかかたほなる事(こと)もなく、物(もの)きよき御なからひなり。
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中務(なかつかさ)の宮(みや)の御心(こころ)もちゐなど世(よ)の常(つね)になべてにおはしまさず。いみじう御才(ざえ)賢(かしこ)うおはするあまりに、陰陽道も医師のかたも、万(よろづ)にあさましきまで足(た)らはせ給(たま)へり。作文・和哥などの方、世(よ)にすぐれめでたうおはします。心(こころ)にくゝ恥(は)づかしき事(こと)限(かぎ)りなくおはします。
其(そ)の宮(みや)、此(こ)の左衛門(さゑもん)の督殿(どの)を志(こころざし)聞(き)こえさせ給(たま)へば、大(おほ)殿(との)聞(き)こし召(め)していと忝(かたじけな)き事(こと)なりと、かしこまり聞(き)こえさせ給(たま)ひて、男(をのこ)は妻(め)がらなり。いとやむごとなきあたりに参(まゐ)りぬべきなめりと聞(き)こえ給(たま)ふ程(ほど)に、内(うち)内(うち)に思(おぼ)しまうけたりければ今日(けふ)明日(あす)になりぬ。さるは内(うち)などに思(おぼ)し志(こころざ)し給(たま)へる御事(こと)なれど、御宿世(すくせ)にや思(おぼ)し立(た)ちてん事(こと)も奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御有様(ありさま)今(いま)めかし。女房(にようばう)二十人(にん)、わらは・しもづかへ四人(にん)づゝ、万(よろづ)いといみじう奥(おく)深(ぶか)く心(こころ)にくき御有様(ありさま)なり。今(いま)の世(よ)に見(み)え聞(き)こゆる香(かう)にはあらで、げにこれをやいにしへの薫衣香(くのえかう)など言(い)ひて世(よ)にめでたき物(もの)に言(い)ひけんは、此(こ)の薫(かをり)にやとさて押しかへし珍(めづら)しうおぼさる。姫宮(ひめみや)御年(とし)十五六ばかりの程(ほど)にて、御ぐしなど督(かん)の殿(との)の御有様(ありさま)に、いとよう似させ給(たま)へる心地(ここち)せさせ給(たま)ふに、めでたき御かたちと推(お)し量(はか)り聞(き)こえさせ給(たま)ふべし。中務(なかつかさ)の宮(みや)いみじう御気色(けしき)疎(おろ)かならず哀(あは)れに見(み)えさせ給(たま)ふ。
かくて日頃(ひごろ)ありて御露顕(ところあらはし)なれば、御供(とも)に参(まゐ)るべき人々(ひとびと)皆殿(との)の(お)前(まへ)選(え)り定(さだ)めさせ給(たま)へり。其(そ)の夜の有様(ありさま)いさゝか心(こころ)もとなくしつくさせ給(たま)へり。
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男君(をとこぎみ)の御志(こころざし)の程(ほど)・有様(ありさま)のめでたさ。御しな・程(ほど)によるわざにもあらずのみこそはあめれ。されど此(こ)の御なからひいとめでたし。宮(みや)いとかひありて思(おぼ)し見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。六条(ろくでう)に明(あ)け暮(く)れの御歩(あり)きも、路(みち)の程(ほど)などに、夜行の夜なども自(おの)づからありあふらん。いとうしろめたき事(こと)なりと思(おぼ)して、上(かみ)つ方(かた)にさべき御様(さま)にと掟(おき)て聞(き)こえさせ給(たま)ふ。中務(なかつかさ)の宮(みや)今(いま)は心(こころ)安(やす)くなりぬるをいまだにいかで本意(ほい)遂(と)げなんと思(おぼ)しならせ給(たま)ふ。事(こと)にふれてやむごとなき御有様(ありさま)をだに、さべき折節(をりふし)、珍(めづら)しきせちゑなどには、いといだし奉(たてまつ)らまほしうのみ、公(おほやけ)に思(おぼ)し召(め)さるゝ事(こと)こ度(たび)のみにあらねど、すべてさやうに思(おぼ)しかけさせ給(たま)はず。世(よ)に口(くち)惜(を)しき事(こと)になん。
かくて督(かん)の殿(との)、東宮(とうぐう)に参(まゐ)らせ給(たま)はん事(こと)も、いと近(ちか)うなりて急(いそ)ぎ立(た)たせ給(たま)ひにたり。かく参(まゐ)り給(たま)ふべしとある事(こと)を宣耀殿(せんえうでん)にはあべい事(こと)の今(いま)ゝで斯(か)かる年(とし)思(おぼ)し召(め)せば、ともかくも思(おぼ)し宣(のたま)はせぬに、いと怪(あや)しうも思(おぼ)し入れぬかなと候(さぶら)ふ人々(ひとびと)聞(き)こえさすれど、今(いま)はたゞ宮(みや)達(たち)の御扱(あつか)ひをし、其(そ)のひまには行(おこな)ひをこそ思(おも)へ。宮(みや)の御ためにいとおしき事(こと)にこそあれ。さやうならん事(こと)こそよかべかめれなどいといと疎(おろ)かに猶(なほ)思(おも)ひ忍(しの)び給(たま)へど、それに障(さは)らせ給(たま)ふべき事(こと)にもあらぬ物(もの)から、ただ怪(あや)しき人(ひと)だにいかゞは物(もの)は言(い)ふとありがたふ見(み)えさせ給(たま)ふ。
かくて中宮(ちゆうぐう)の御事(こと)のかくおはしませば、しづ心(こころ)なく殿(との)の
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御(お)前(まへ)思(おぼ)し召(め)す程(ほど)に、はかなく秋(あき)にもなりぬ。二月よりさはおはしませば、十一月(じふいちぐわつ)にはと思(おぼ)し召(め)したれば、いと物(もの)騒(さわ)がしうて、督(かん)の殿(との)の御参(まゐ)り冬(ふゆ)になりぬべう思(おぼ)し召(め)しけり。斯(か)かる程(ほど)に帥(そち)殿(どの)の辺(わた)りより若宮(わかみや)をうたて申し思(おも)ひ給(たま)へる様(さま)の事(こと)、此(こ)の頃(ごろ)出(い)で来て、いときゝにくき事(こと)多(おほ)かるべし。誠(まこと)にしもあらざらめど、それにつけてもけしからぬ事(こと)共(ども)出(い)で来て、帥(そち)殿(どの)いとど世(よ)の中(なか)すゞろばしう思(おぼ)し嘆(なげ)きけり。明順(あきのぶ)が知(し)る事(こと)なりなど大(おほ)殿(との)にも召(め)しておほせられて、かくあるまじき心(こころ)なもたりそ。かく幼(をさな)うおはしますとも、さべうてむまれ給(たま)へらば、四天王守(まも)り奉(たてまつ)り給(たま)ふらん。たゞのわらはだに人(ひと)のあしうするには、もはら死(し)なぬわざなり。いはんやおぼろげの御くはほうにてこそ人(ひと)の言(い)ひ思(おも)はん事(こと)によらせ給(たま)はめ。まうとたちはかくては天のせめをかぶりなん。われともかくも言(い)ふべき事(こと)ならずとばかり御(お)前(まへ)に召(め)して宣(のたま)はせたるに、いといみじう恐(おそ)ろしう忝(かたじけな)しと、かしこまりて、ともかくもえ述べ申(まう)さでまかでにけり。其(そ)の後(のち)やがて心地(ここち)あしうなりて五六日(にち)ばかりありて死(し)にけり。
これにつけても帥(そち)殿(どの)世を慎(つつ)ましき物(もの)に思(おぼ)しまさる。同(おな)じ死(し)にといへども、明順(あきのぶ)も折(をり)心(こころ)憂くなりぬる事(こと)を、世(よ)の人(ひと)口(くち)安(やす)からずと言(い)ひ思(おも)ひけるに、帥(そち)殿(どの)いかにか世をありにくゝ、憂き物(もの)になん思(おぼ)しみだれければにや。御(おん)心地(ここち)例にもあらずのみおぼされて、御台(だい)など
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も参(まゐ)らぬにはあらでなか<常(つね)よりも物(もの)をいそがしう参(まゐ)りなどせさせ給(たま)ひけるに、例ならぬ御有様(ありさま)を、上(うへ)も殿(との)も恐(おそ)ろしき事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)きけり。此(こ)の年(とし)頃(ごろ)御ありきなかりつる程(ほど)に、こきん・ごせん・しういなどをぞ、皆まうけ給(たま)へりける。それにつけても猶(なほ)人(ひと)よりけに殊(こと)に御才(ざえ)の限(かぎ)りなればなりけり。
斯(か)かる程(ほど)に中宮(ちゆうぐう)の御事(こと)、御修法・御読経、万(よろづ)の御祈(いの)りはかなき事(こと)も、さきの例を思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ふに、十一月(じふいちぐわつ)廿五日(にち)の程(ほど)に御気色(けしき)ありて悩(なや)ましげに思(おぼ)し召(め)したり。例の聞(き)きにくきまでなりみちたり。されど御物(もの)のけなど大人(おとな)し。其(そ)のかたの心(こころ)のどかにおはしますも、限(かぎ)りなき御祈の験(しるし)なるべし。いみじく平(たひら)かに程(ほど)なく御(み)子(こ)むまれ給(たま)ひぬ。万(よろづ)よりも又(また)後(のち)の御事(こと)とののしらせ給(たま)ふも程(ほど)なくて物(もの)せさせ給(たま)ひつ。いとめでたき〔こ〕とを思(おぼ)し召(め)しよろこびたるに、さきにおとらぬ男(をとこ)さへうまれ給(たま)へれば、殿(との)を始(はじ)め奉(たてまつ)り。いと斯(か)かる事(こと)にはあまりあさましうそらごとかとまでぞ思(おぼ)し召(め)されける。内(うち)にも聞()こし召(め)していつしかと御はかしあり。すべて何事(なにごと)もたゞ始(はじ)めの例を一(ひと)つたがへずひかせ給(たま)ふ。女房(にようばう)のしろぎぬなど此(こ)の度(たび)は冬(ふゆ)にてうきもん・かたもん・織物(おりもの)・からあやなどすべていはんかたなし。此(こ)の度(たび)は袴(はかま)をさへしろうしたればかくもありぬべかりけりとしろたへのつるのけごろもめでたうちとせの程(ほど)推(お)し量(はか)られたり。御湯(ゆ)殿(どの)の有様(ありさま)など始(はじ)めのにて知(し)りぬべければ、書きつゞけ
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ず。御文のはかせも同(おな)じ人(ひと)参(まゐ)りたり。すべて世(よ)にいみじうめでたき御有様(ありさま)に、ましやらん方なし。三日・五日・七日夜などの御作法(さほふ)、なか<まさざまにこそ見ゆれ。此(こ)の度(たび)は事(こと)なれぬと事(こと)そがせ給(たま)ふ事(こと)なし。
帥(そち)殿(どの)は日頃(ひごろ)みづがちに、御たいなどもいかなる事(こと)にかとまで聞(き)こし召(め)せど怪(あや)しうありし人(ひと)にもあらず細(ほそ)り給(たま)ひにけり。御(おん)心地(ここち)もいと苦(くる)しう悩(なや)ましうおぼさる。うちはへ御ときにて過(す)ぐさせ給(たま)ひしときは、いみじうこそふとり給(たま)へりしが。今(いま)は例の人(ひと)の有様(ありさま)にて過(す)ぐさせ給(たま)へど、斯(か)かる御事(こと)をいかなる事(こと)にかと心(こころ)細(ぼそ)しとおぼさるゝまゝに、まつぎみの少将(せうしやう)何事(なにごと)にも人(ひと)よりまさりておぼさるゝも、いかゞならんとすらんと哀(あは)れに心(こころ)苦(ぐる)しう思(おぼ)し嘆(なげ)くも、理(ことわり)にいみじうあらぬ世を哀(あは)れにのみおぼさるゝも、げにとのみ見(み)え聞(き)こゆ。内(うち)には若宮(わかみや)御こひしさも今(いま)の御ゆかしさも、猶(なほ)疾く入らせ給(たま)へとのみ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
内(うち)も焼けにしかば、御門(みかど)は今(いま)だいりにおはします。東宮(とうぐう)は枇杷(びは)殿におはします。師走(しはす)になりぬれば、督(かん)の殿(との)の御参(まゐ)りなり。日頃(ひごろ)思(おぼ)し志(こころざ)しつる事(こと)なれば、おぼろげならで参(まゐ)らせ給(たま)ふ。いとあさましうなりぬる世(よ)にこそあめれ。年(とし)頃(ごろ)の人(ひと)のめこなども、皆参(まゐ)りあつまりて、大人(おとな)四十人(にん)・わらは六人(にん)・しもづかへ四人(にん)。督(かん)の殿(との)の御有様(ありさま)聞(き)こえつづくるも、例のことめきて同(おな)じ〔こ〕となれども、またいかゞは少(すこ)しにてもほの聞(き)こえさせぬやうはあらんな。御年(とし)十六に
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ぞおはしましける。此(こ)の御(お)前(まへ)達(たち)、いづれも御ぐしめでたくおはしまさすなかにも、此(こ)の御(お)前(まへ)すぐれ、いとこちたきまでおはしますめり。東宮(とうぐう)いとかひありていみじうもてなし聞(き)こえさせ給(たま)へり。内(うち)辺(わた)りいとど今(いま)かしさそひぬべし。はかなき具(ぐ)共(ども)ゝ中宮(ちゆうぐう)の参(まゐ)らせ給(たま)ひし折こそ、耀(かかや)く藤壺(ふぢつぼ)と世(よ)の人(ひと)申しけれ。此(こ)の御参(まゐ)りまねぶべき方なし。其(そ)の折よりこなた十ねんばかりになりぬれば、いで其(そ)の事(こと)共(ども)かはかはりたる。其(そ)の程(ほど)推(お)し量(はか)るべし。
かくて参(まゐ)らせ給(たま)ひつれば、東宮(とうぐう)むげにねびはてさせ給(たま)へれば、いと恥(は)づかしうもやむごとなくも様々(さまざま)御心(こころ)づかひ疎(おろ)かならず。年(とし)頃(ごろ)宣耀殿(せんえうでん)をまたなき物(もの)に思(おぼ)し見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつるに、あさましうこよなき程(ほど)の御よはひなれば、たゞ我が御姫宮(ひめみや)達(たち)をかしづきすへ奉(たてまつ)らせ給(たま)へらむやうにぞおぼされける。日頃(ひごろ)にならせ給(たま)ふまゝに、やう<馴れおはします御気色(けしき)も、いとどえもいはず美(うつく)しう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。夜ごとの御宿直(とのゐ)はたさらにもいはず。今(いま)はたゞ此(こ)の御方(かた)にのみおはします。御具(ぐ)共(ども)を片端(かたはし)よりあけひろげて御目とどめて御覧(ごらん)じわたすに、これは<とみどころあり、めでたう御覧(ごらん)ぜらる。御ぐしの箱の内(うち)のしつらひ、こばこどものいり物(もの)どもはさらなり。殿(との)の上(うへ)、君達(きんだち)などのわれも<といどみし給(たま)へるどもなれば、いみじうけうありて御覧(ごらん)ず。中宮(ちゆうぐう)の御参(まゐ)りのもかやうにこそは思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ふめりしが。宣耀殿(せんえうでん)に故村上(むらかみ)の御門(みかど)の、彼の
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昔(むかし)の宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)へりけるは、まきゑの御ぐしのはこひとよろひはつたはりそ。今(いま)の宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)の御方(かた)にぞ候(さぶら)ふを、其(そ)の内(うち)をいみじう御覧(ごらん)じけうぜさせ給(たま)ひしを、これに御覧(ごらん)じあはするに、かれは殊(こと)の外(ほか)にこたいなりけり。
さるは村上(むらかみ)のせんていの様々(さまざま)の御心(こころ)をきて、此(こ)の世(よ)の御門(みかど)の御心(こころ)よりもすぐれさせ給(たま)へりけるも、我が御口(くち)・筆(ふで)しておほせられてつくもどころの物(もの)ども御覧(ごらん)じては、直(なほ)しせさせ給(たま)へるを、これは猶(なほ)いとこよなふ御覧(ごらん)ぜらるゝに、時世(ときよ)に従(したが)ふ目移(めうつ)りにやと御心(こころ)ながら思(おぼ)し召(め)せど、猶(なほ)これはいとめでたければ、殿(との)の心様(こころざま)のあさましきまで何事(なにごと)にもいかでかくとぞ思(おぼ)し召(め)しける。其(そ)の御具(ぐ)共(ども)の屏風(びやうぶ)共(ども)は、為氏(ためうぢ)・常則(つねのり)などが書(か)きて、たうふうこそはしきしがたは書(か)きたれ。いみじうめでたしかし。其(そ)の上(かみ)の物(もの)なれど只今(ただいま)のやうにちりばまず、あざやかにもちゐさせ給(たま)へりしに、これはひろたかゞ書(か)きたる屏風(びやうぶ)共(ども)に、侍従中納言(ちゆうなごん)の書(か)き給(たま)へるにこそはあめれ。いづこかはこれにおとりまさりのあるべきなど御心(こころ)の内(うち)に思(おぼ)し召(め)しあまりては、殿(との)や左衛門(さゑもん)の督などの参(まゐ)り給(たま)へると宣(のたま)ひ定(さだ)めさせ給(たま)へるにつけても、御年(とし)などもねびさせ給(たま)ひにたれば、何事(なにごと)も見ゑり。物(もの)のはへおはしますにこそいと恥(は)づかしう、いとど何事(なにごと)につけても其(そ)の御用意(ようい)心(こころ)異(こと)なり。
そこらの女房(にようばう)えもいはぬなりさうぞくにて、えならぬ織物(おりもの)のからぎぬを、おどろ<しき大海(おほうみ)の摺裳(すりも)共(ども)を引(ひ)きかけわたし
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て、あふぎどもをさしかくし。打(う)ちむれ<ゐては、何事(なにごと)にかあらん、打(う)ち言(い)ひつゝさざめき笑(わら)ふも恥(は)づかしきまで思(おも)ほされて、此(こ)の御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)ふ折は、心(こころ)げさうぜさせ給(たま)ひけり。はかなう奉(たてまつ)りたる御衣(ぞ)のにほひ・薫(かをり)なども、宣耀殿(せんえうでん)よりめでたうしたてゝ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひけり。御門(みかど)東宮(とうぐう)と申すは若(わか)くいはけなくおはしますだに、心(こころ)殊(こと)にいみじき物に人(ひと)思(おも)ひ聞(き)こえさするに、まいて此(こ)の御(お)前(まへ)は御年(とし)も大人(おとな)びさせ給(たま)ひ、御有様(ありさま)などもなべてならずいとおしうらう<じうおはしませば、いと恥(は)づかしげなる事(こと)なむ多(おほ)くおはしますに、督(かん)の殿(との)も他(こと)御かたがたよりもはかなう奉(たてまつ)りたる御衣(ぞ)の袖口(そでぐち)・重(かさ)なりなどのいみじうめでたうおはしませば、殿(との)の御(お)前(まへ)もいとどめでたうのみ重(かさ)ね聞(き)こえさせ給(たま)ふめり。
宣耀殿(せんえうでん)には他人(よそびと)も近(ちか)きもいかに思(おぼ)し召(め)すらん。安(やす)くは大(おほ)殿(との)ごもるらんやなど聞(き)こゆれば、年(とし)頃(ごろ)かうべい事(こと)のかからざりつれば、宮(みや)の御ためにいと心(こころ)苦(ぐる)しくみ奉(たてまつ)れば、今(いま)なん心(こころ)安(やす)く見(み)奉(たてまつ)るなど宣(のたま)はせて、御さうぞくを明(あ)け暮(く)れめでたうしたてさせ給(たま)ひ、御薫物(たきもの)など常(つね)に合(あは)せつゝ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。宮(みや)はたゞ母后(ははぎさき)などぞ思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるも、げにとのみ見(み)えさせ給(たま)ふ。殿(との)の上(うへ)は中宮(ちゆうぐう)と此(こ)の女御(にようご)殿(どの)とをおぼつかなからず渡(わた)り参(まゐ)らせ給(たま)ふ程(ほど)に、いあらまほしうなん。年(とし)もかへりぬ。寛弘七年とぞ言(い)ふめる。万(よろづ)例(れい)の有様(ありさま)にて過(す)ぎもて行くに、帥(そち)殿(どの)は今年(ことし)となりては、いとど
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御(おん)心地(ここち)おもりて今日(けふ)や<と見(み)えさせ給(たま)ふ。何事(なにごと)も月頃(ごろ)しつくさせ給(たま)へれば、今(いま)はいかゞすべきと思(おぼ)し嘆(なげ)き。さるはおとゝしよりは、御封なども例(れい)の大臣(おとど)の定(さだ)めに得させ給(たま)へど、くに<”の守(かみ)もはか<”しくすがやかに奉(たてまつ)らばこそあらめと、いとおしげなり。御(おん)心地(ここち)いみじうならせ給(たま)へば、此(こ)の姫君(ひめぎみ)二(ふた)所(ところ)蔵人(くらんど)少将(せうしやう)とをなめすへて、北(きた)の方(かた)に聞(き)こえ給(たま)ふ。己(おのれ)なくなりなば、いかなる振舞(ふるまひ)どもをかし給(たま)はんずらん。世(よ)の中(なか)に侍(はべ)りつる限(かぎ)りは、とありともかかりとも、女御(にようご)后(きさき)と見(み)奉(たてまつ)らぬやうはあるべきにあらずと、思(おも)ひとりてかしづき奉(たてまつ)りつるに、命(いのち)堪(た)えずなりぬれば、いかゞし給(たま)はんとする。今(いま)の世(よ)の事(こと)とていみじき御門(みかど)の御むすめや。太政(だいじやう)大臣(だいじん)のむすめといへど、皆みやづかへに出(い)で立(た)ちぬめり。此(こ)の君達(きんだち)をいかにほしと思(おも)ふ人(ひと)多(おほ)からんとすらむな。それはたゞこと<”ならず。をのがための末の世(よ)のはぢならんと思(おも)ひて、男(をとこ)にまれ、何(なに)の宮(みや)、かの御方(かた)よりとて事(こと)ようかたらひよせては、故とのの何(なに)とありしかばかかかるぞかしと心(こころ)をつかひしかばなどこそは、世(よ)にも言(い)ひ思(おも)はめ。はゝとておはするか人(ひと)、はた此(こ)の君達(きんだち)の有様(ありさま)をはかばかしう後見(うしろみ)もてなし給(たま)ふべきにあらず。などて世にありつる折、かみにもをのがある折さきにたて給(たま)へと祈(いの)り請(こ)はざりつらんと思(おも)ふが悔(くや)しき事(こと)。さりとて尼(あま)になし奉(たてまつ)らんとすれば、人(ひと)ぎゝ物(もの)ぐるをしきものから、怪(あや)しの法師(ほふし)の具(ぐ)共(ども)になり
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給(たま)はんずかし。哀(あは)れに悲(かな)しきわざかな。麿(まろ)が死(し)なん後(のち)、人(ひと)笑(わら)はれに人(ひと)の思(おも)ふばかりの振舞(ふるまひ)有様(ありさま)をきて給(たま)はゞ、必(かなら)ずうらみ聞(き)こえんとす。夢(ゆめ)<まろがなからん世(よ)の面(おもて)ぶせ。まろを人(ひと)に言(い)ひ笑(わら)はせ給ふなよなど泣く<申し給(たま)へば、大姫君(おほひめぎみ)・小姫君(こひめぎみ)、涙(なみだ)をながし給(たま)ふも疎(おろ)かなり。たゞあきれておはす。北(きた)の方(かた)もいらへ給(たま)はん方もなく、たゞよゝと泣き給(たま)ふ。
まつぎみの少将(せうしやう)などを、取(と)り分(わ)きいみじき物(もの)に言(い)ひ思(おも)ひしかど、位(くらゐ)もかばかりなるを見置きて死ぬる事(こと)、われにをくれてはいかゞせんとする。たましゐあればさりともとは思(おも)へども、いかにせんとすらんな。いでや、世にあり煩(わづら)ひ、官(つかさ)位(くらゐ)人(ひと)よりは短(みじか)し。人(ひと)と等(ひと)しくならんなど思(おも)ひて、世(よ)にしたがひ、物(もの)おぼえぬ追従(ついしょう)をなし、なは得うちしなどをば、世(よ)に片時(かたとき)あり廻(めぐ)らせじとす。其の定(さだ)めならば、たゞ出家(しゆつけ)して山林に入りぬべきぞなど泣く<言(い)ひつゞけ給(たま)ふを、いみじう悲(かな)しと思(おも)ひ惑(まど)ひ給(たま)ふ。げに理(ことわり)に悲(かな)しとも疎(おろ)かなり。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)哀(あは)れにきゝ惑(まど)ひ給(たま)ひて、何(なに)かかくは思(おぼ)しつゞくる。げに皆さる事(こと)共(ども)には侍(はべ)れど、などてかいと殊(こと)の外(ほか)には誰(たれ)も思(おも)はせんなどいみじう泣き給(たま)へば、君(きみ)をこそは年(とし)頃(ごろ)子のやうに思(おも)ひ聞(き)こえ侍(はべ)りつれど、とかくわれも人(ひと)もはか<”しからでやみぬる事(こと)の、哀(あは)れに口(くち)惜(を)しき事(こと)、道雅を猶(なほ)よく言(い)ひをしへ給(たま)へなど万(よろづ)に言(い)ひつゞけ泣き給(たま)ふ。一品宮・一宮も、此(こ)の御(おん)心地(ここち)をいかに<と思(おぼ)し嘆(なげ)く程(ほど)に、
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正月はつかあまりになれば、世(よ)には司召(つかさめし)とて、むま車(くるま)のをとも繁(しげ)く、殿(との)ばらの内(うち)に参(まゐ)り給ふなども聞(き)こゆれば、哀(あは)れにいみじ。
おほ姫君(ひめぎみ)は只今(ただいま)十七八ばかりにて、御ぐしこまやかにいみじう美(うつく)しげにて、たけに四五寸ばかりあまり給(たま)へり。御かたち有様(ありさま)、あいぎやうづきけぢかうらうたげに、いろあひなどいみじう美(うつく)しうて、しろき御衣(ぞ)共(ども)の上(うへ)に、かうばいのかたもんの織物(おりもの)を着給(たま)ふて、濃き袴(はかま)を着給(たま)へる、哀(あは)れにいみじう美(うつく)しげなり。中姫君(ひめぎみ)十五六ばかりにて、おほ姫君(ひめぎみ)よりは少(すこ)しおほきやかにて、いとしうとくに物(もの)<しう、あなきよげの人(ひと)やと見(み)え給(たま)ひて、御ぐしはたけに三寸ばかり足らぬ程(ほど)にて、いみじうふさやかに頼(たの)もしげに見(み)えたり。いろいろの御衣(ぞ)なよゝかに皆重(かさ)なりたる、朔日(ついたち)の御装束(さうぞく)共(ども)のなえたる程(ほど)と見(み)えたり。いみじう哀(あは)れに美(うつく)しげなる御かたちどもに、はゝ北(きた)の方(かた)さざやかにおほどかなる様(さま)にて、只今(ただいま)廿余ばかりにぞ見(み)え給(たま)ふ。それも又(また)いと清(きよ)げにておはす。蔵人(くらんど)の少将(せうしやう)いといろあひ美(うつく)う、かほつきよげにあべき限(かぎ)り、ゑに書きたる男(をとこ)の様(さま)して、香(かう)にうす物(もの)のあをき襲(かさ)ねたるかりあをに、濃紫(こむらさき)のかたもんの指貫(さしぬき)着て、くれなゐの打衣(うちぎぬ)などぞ着給(たま)へる。いろあはひ何(なに)となくにほひ給(たま)へるに、ましていたう泣き給(たま)へれば、面(おもて)赤(あか)み給(たま)へり。
帥(そち)殿(どの)もかたち・身のかた、世(よ)の上達部(かんだちめ)にあまり給(たま)へりとまでいはれ給(たま)へるが、年(とし)頃(ごろ)の御物(もの)思(おも)ひにふとりこちたうおはしましつるを、此(こ)の月頃(ごろ)悩(なや)み給(たま)ひて、やゝ打(う)ち細(ほそ)り
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給(たま)へるが、いろあひなどのさらにかはり給(たま)はぬをぞ、人々(ひとびと)恐(おそ)ろしき事(こと)に聞(き)こゆる。此(こ)の姫君(ひめぎみ)達(たち)のおはすれば、忝(かたじけな)がりて、御烏帽子(えぼうし)引(ひ)き入(い)れて臥(ふ)し給(たま)へり。わかやかなる女房(にようばう)四五人(にん)ばかり、うすいろのしびらども、かごとばかり引(ひ)き結(ゆ)ひ付(つ)けたり。何事(なにごと)もしめり哀(あは)れにおかし。つゐに正月廿九日(にち)に失(う)せ給(たま)ひぬ。御年(とし)卅七にぞおはしける。此(こ)の姫君(ひめぎみ)達(たち)、少将(せうしやう)などさりともと思(おぼ)しけるに、あさましう物(もの)もおぼえ給(たま)はず。たゞをくれじ<と泣(な)き惑(まど)ひ給(たま)へど、かひある事(こと)ならばこそあらめ。いといみじうあはれとも疎(おろ)かなり。只今(ただいま)いとかくしもおはしますまじき程(ほど)に、かくはかなき様(さま)になりぬるは、年(とし)頃(ごろ)さりともの御頼(たの)みに、万(よろづ)心(こころ)のどかに思(おぼ)し渡(わた)りけるを、中宮(ちゆうぐう)の若宮(わかみや)いま宮(みや)さしつゞきて、月日(ひ)のごとくにてひかり出(い)で給(たま)へるに、すべて筋(すぢ)なう今(いま)はかうにこそ思(おぼ)しつるに、御やまひもつき御命(いのち)もつゞめてげるにや。
此(こ)の殿(との)の君達(きんだち)はさらなり。中納言(ちゆうなごん)や頼親(よりちか)の内蔵頭(くらのかみ)、周頼の中務(なかつかさ)大輔(たいふ)など言(い)ふは、此(こ)の御はらからども、哀(あは)れに思(おも)ひ嘆(なげ)き給(たま)へり。一品宮・一宮などの御気色(けしき)も疎(おろ)かなるべきにもあらず。思(おも)ひ遣(や)るべし。哀(あは)れにいみじきなり。いとど言(い)ふかひなくてはなどぞ。人(ひと)も聞(き)こえける。中納言(ちゆうなごん)いとど世(よ)の中(なか)を憂き物(もの)に思(おぼ)したるにつけても、僧都(そうづ)の君(きみ)と打(う)ち語(かた)らひ給(たま)ふつゝ、猶(なほ)世(よ)を捨(す)てまほしうのみ思(おぼ)し語(かた)らひ聞(き)こえ給(たま)ふ。憂き
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世(よ)のなかに、今(いま)はたゞ。みづからの事(こと)になりぬる心地(ここち)のみすれば、いかにせましと思(おぼ)すに遠資がむすめのはの女(をんな)君達(きんだち)のあはれさに万(よろづ)をえ捨て給(たま)はぬ。あはれなり。
小一条(こいちでう)の中の君(きみ)と聞(き)こゆるは、宣耀殿(せんえうでん)の御おとうとの君(きみ)、殿(との)も上(うへ)もともかうもなさで失(う)せ給(たま)ひにしかば、いかで女御(にようご)殿(どの)におとらぬ様(さま)の事(こと)をなど思(おぼ)しかまへて、東宮(とうぐう)のおとうとの帥(そち)の宮に聞(き)こえつげ給(たま)へりしかば、南院(ゐん)にむかへ給(たま)へりしかど、年(とし)月にそへて、御志(こころざし)浅(あさ)うなりもて行(い)きて、和泉守(いづみのかみ)みちさだがめを覚(おぼ)し騒(さわ)ぎて、此(こ)の君(きみ)をば殊(こと)の外(ほか)に思(おぼ)したりしかば、ゐ煩(わづら)ひて小一条(こいちでう)のをば北(きた)の方(かた)の御もとにかへり給(たま)ひにしぞかし。されば東宮(とうぐう)も、宣耀殿(せんえうでん)も、此(こ)の事(こと)を我がくち入れたらましかば、いかにきゝにくからまし。知らぬ事(こと)なれば、心(こころ)安(やす)しとぞ思(おぼ)し宣(のたま)はせける。御さいはひ同(おな)じ御はらからと見(み)え給(たま)はず。いづみをば、故弾正宮(みや)もいみじき物(もの)に思(おぼ)したりしかば、かく帥(そち)殿(どの)もうけとり思(おぼ)すなりけり。故関白(くわんばく)殿(どの)の三君帥(そち)の宮(みや)の上(うへ)も一条(いちでう)辺(わた)りに心(こころ)得ぬ御様(さま)にてぞおはする。又(また)小一条(こいちでう)の中君もいかゞとぞ人(ひと)推(お)し量(はか)り聞(き)こゆめる。斯(か)かる程(ほど)に、六条(ろくでう)の宮(みや)も失(う)せ給(たま)ひにしかば、左衛門(さゑもん)の督殿(どの)ぞ万(よろづ)思(おぼ)し扱(あつか)ひ聞(き)こえ給(たま)ふも本意(ほい)あり。あはれなる御事(こと)なり。
まこと花山(くわさん)の院(ゐん)かくれさせ給(たま)ひにしかば、一条(いちでう)殿(どの)の四君は、たかづかさ殿(どの)に渡(わた)り給(たま)ひにしを殿(との)の上(うへ)の御消息(せうそこ)度々(たびたび)ありて、むかへ奉(たてまつ)り給(たま)ひて、姫君(ひめぎみ)の御具(ぐ)になし聞(き)こえ給(たま)ひに
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しかば、殿(との)万(よろづ)に思(おぼ)しをきて聞(き)こえ給(たま)ひし程(ほど)に、御志(こころざし)いとどまめやかに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ふ。家司(けいし)なども皆定(さだ)め誠(まこと)しうもてなし聞(き)こえ給(たま)へば、いとあべい様(さま)にあるべかしうて過(す)ぎさせ給(たま)ふめれば、院(ゐん)の御ときこそ御はらからたちも知(し)り聞(き)こえ給(たま)はざりしが。此(こ)の度(たび)はいとめでたくもてなし聞(き)こえ給(たま)へりけり。
中宮(ちゆうぐう)の若宮(わかみや)、いみじういと美(うつく)しうてはしりありかせ給(たま)ふ。今年(ことし)は三(み)つにならせ給(たま)ふ。四月には、殿(との)、一条(いちでう)の御ざしきにて若宮(わかみや)に物(もの)御覧(ごらん)ぜせ給(たま)ふ。いみじうふくらかに白(しろ)う愛敬(あいぎやう)づき美(うつく)しうおはしますを、斎院(ゐん)の渡(わた)らせ給(たま)ふ折、大(おほ)殿(との)これはいかゞとて若宮(わかみや)を抱(いだ)き奉(たてまつ)り給(たま)ひて、御簾(みす)をかかげさせ給(たま)へれば、斎院(ゐん)の御こしのかたびらより。御あふぎをさし出(い)でさせ給(たま)へるは、見(み)奉(たてまつ)らせ給ふなるべし。かくて暮れぬれば、又(また)の日(ひ)、斎院(ゐん)より、
@ひかりいづるあふひのかげを見てしかば年(とし)へにけるも嬉(うれ)しかりけり W064。
御かへし、殿(との)の御(お)前(まへ)、
@もろかづら二葉(ふたば)ながらも君(きみ)にかくあふ日(ひ)や神(かみ)の験(しるし)なるらん W065
とぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひたる。若宮(わかみや)・いま宮(みや)打(う)ちつゞきはしりありかせ給(たま)ふも、おぼろげの御功徳(くどく)の御身と見(み)えさせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)を殿(との)はいみじみやむごとなき物(もの)に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるも、理(ことわり)にこそ、
かくて東宮(とうぐう)の一の宮(みや)をば式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)とぞ聞(き)こえさするを、広幡(ひろはた)の中納言(ちゆうなごん)
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は今(いま)は右のおとどぞかし。承香殿の女御(にようご)の御弟(をとゝ)の中姫君(ひめぎみ)に、此(こ)の宮(みや)むこどり奉(たてまつ)り。いでや古体(こたい)にこそなど思(おも)ひ聞(き)こえとせ給(たま)ふに、それさしもあらずはと、目安(やす)き程(ほど)の御有様(ありさま)なり。殿(との)も殊(こと)にわかくよりおぼえこそおはせざりしかど、めでたうののしり給(たま)ひし閑院(ゐん)の大将(だいしやう)は大納言(だいなごん)にてこそは失(う)せ給(たま)ひにしが。此(こ)の殿(との)はかく命(いのち)長くて、大臣までなり給(たま)へれば、いとめでたし。式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)、さばかりにやと思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひしかども、いと思(おも)ひの外(ほか)に女君(をんなぎみ)も清(きよ)げにようおはし、御(おほん)心(こころ)ざまなどもあらまほしう、何事(なにごと)も目安(やす)くおはしましければ、御なからひの志(こころざし)、いとかひある様(さま)なれば、只今(ただいま)は女御(にようご)をまた無き物(もの)に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひしちゝおとど此(こ)の宮(みや)の上(うへ)を、いみじき物(もの)に思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へり。宮(みや)もいみじう御心(こころ)の本躰たはれ給(たま)ふけれど、此(こ)の女君(をんなぎみ)を只今(ただいま)はいみじう思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へれば、いと思(おも)はずなる事(こと)にぞ、人々(ひとびと)聞(き)こえける。
彼の帥(そち)殿(どの)のおほ姫君(ひめぎみ)にはたゞ今の大(おほ)殿(との)の高松(たかまつ)殿(どの)ばらの三位中将(ちゆうじやう)かよひ聞(き)こえ給(たま)ふとぞ言(い)ふと、世(よ)に聞(き)こえたるあしからぬ事(こと)なれど、殿(との)の思(おぼ)しをきてしにはたがひたり。中将(ちゆうじやう)いみじういろめかしうて、万(よろづ)の人(ひと)たゞに過(す)ぐし給(たま)はずなどして、御かたがたの女房(にようばう)に物(もの)宣(のたま)ひ、子をさへ産ませ給(たま)ひけるに此(こ)の御あたりにおはし初(そ)めて後(のち)はこよなき御心(こころ)もちゐなれど、猶(なほ)おり<の物(もの)のまぎれぞ、いと心(こころ)づきなうおはしける。哀(あは)れに志(こころざし)のあるまゝに万(よろづ)に
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扱(あつか)ひ聞(き)こえ給(たま)へば、つかうまつる人(ひと)も打(う)ち泣き、女君(をんなぎみ)も恥(は)づかしきまで思(おぼ)しけり。はゝ北(きた)の方(かた)もとより中の君(きみ)をぞいみじく思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へりければ、万(よろづ)に此(こ)の御ためには疎(おろ)かなる様(さま)に見(み)え給(たま)ひける。中君をば中宮(ちゆうぐう)よりぞ、度々(たびたび)御消息(せうそこ)聞(き)こえ給(たま)へど、昔(むかし)の御遺言(ゆいごん)の片端(かたはし)よりやぶれんいみじさに、ただ今(いま)思(おぼ)しもかけざめれど、目安(やす)き程(ほど)の御振舞(ふるまひ)ならば、さやうにやと、心(こころ)苦(ぐる)しうぞ見(み)え給(たま)ひける。あはれなる世(よ)の中(なか)は、寝(ぬ)るが内(うち)の夢(ゆめ)に劣(おと)らぬ様(さま)なり。あさましき事(こと)は帥(そち)の宮の思(おも)ひもかけざりつる程(ほど)に、はかなう煩(わづら)はせ給(たま)ひて、失(う)せ給(たま)ひにしこそ、猶(なほ)<哀(あは)れにいみじけれ。
内(うち)の一の宮(みや)御げんぶくせさせ給(たま)ひて、式部(しきぶ)卿(きやう)にと思(おぼ)せど、それは東宮(とうぐう)の一宮さておはします、中務(なかつかさ)にても二の宮(みや)おはすれば、只今(ただいま)あきたるまゝに、今上の一の宮をば、帥(そち)の宮(みや)とぞ聞(き)こえける。御才(ざえ)深(ふか)う心(こころ)深(ふか)くおはしますにつけても、上(うへ)は哀(あは)れに人(ひと)知れぬ私物(わたくしもの)に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、万(よろづ)に飽(あ)かずあはれなるわざかな。かうは思(おも)ひしとのみぞ打(う)ちまもり聞(き)こえさせ給(たま)へる。御志(こころざし)のあるまゝにとて、一品(いつぽん)にぞなし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。万(よろづ)を次第(しだい)のまゝに思(おぼ)し召(め)しながら、はか<”しき御後見(うしろみ)もなければ、其(そ)の方(かた)にもむげに思(おぼ)し絶えはてぬるにつけても、かへすがへす口(くち)惜(を)しき御宿世(すくせ)にもありけるかなとのみぞ、悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)しける。中宮(ちゆうぐう)は御気色(けしき)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、ともかくも世に
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おはしまさん折は、猶(なほ)いかでか此(こ)の宮(みや)の御事(こと)をさもあらせ奉(たてまつ)らばやとのみぞ、心(こころ)苦(ぐる)しう思(おぼ)し召(め)しける。此(こ)の(ごろ)となりては、いかで<疾くおりなばやと思(おぼ)し宣(のたま)はすれば、中宮(ちゆうぐう)物(もの)を心(こころ)細(ぼそ)う思(おも)ほしたり。されど美(うつく)しくさしつゞかせたまへる御有様(ありさま)をぞ頼(たの)もしうめでたき事(こと)に世(よ)の人(ひと)申しける。



栄花物語詳解巻九


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〔栄花物語巻第九〕 いはかげ
かくて御門(みかど)、いかでおりさせ給(たま)ひなんとのみ思(おぼ)し宣(のたま)はすれど、殿(との)の御(お)前(まへ)許(ゆる)し聞(き)こえさせ給(たま)はぬ程(ほど)に、例(れい)ならず悩(なや)ましうおはしまして、いかなる事(こと)にかと思(おぼ)して御慎(つつし)みあり。中宮(ちゆうぐう)もしづごゝろなく嘆(なげ)かせ給(たま)ふ程(ほど)に、まめやかに苦(くる)しう思(おぼ)し召(め)さるれば、これより重(おも)らせ給(たま)ふやうもこそあれと、何事(なにごと)も思(おぼ)しわかるゝ程(ほど)に、いかでともかくもと思(おぼ)し召(め)さる。御もののけなど様々(さまざま)繁(しげ)き様(さま)なり。此(こ)の頃(ごろ)一条(いちでう)の院(ゐん)にぞおはします。夏(なつ)の事(こと)なれば、さらぬ人(ひと)だに安(やす)くもあらぬに、いみじう苦(くる)しげにおはしますも、見(み)奉(たてまつ)りつかうまつる人(ひと)安(やす)くもあらず嘆(なげ)く。六月七八九日(にち)の程(ほど)なり。今(いま)はかくておりゐなんと思(おぼ)すを、さるべき様(さま)にをきて給(たま)へとおほせらるれば、殿(との)うけたまはらせ給(たま)ひて、東宮(とうぐう)に御たいめんこそは例(れい)の事(こと)なれとて、思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ふ程(ほど)に、東宮(とうぐう)には一の宮(みや)をとこそ思(おぼ)し召(め)すらめど、中宮(ちゆうぐう)の御こころの内(うち)にも思(おぼ)しをきてさせ給(たま)へるに、うへおはしまして東宮(とうぐう)の御たいめ急(いそ)がせ給(たま)ふに、世(よ)人(ひと)いかなべい事(こと)にかとゆかしう
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申し思(おも)ふに、一の宮(みや)の御かたざまの人々(ひとびと)、若宮(わかみや)かくて頼(たの)もしういみじき御(おん)中(なか)よりひかり出(い)でさせ給(たま)へる、いと煩(わづら)はしうさやうにこそはと思(おも)ひ聞(き)こえさせたり。又(また)あるひはいでやなど推(お)し量(はか)り聞(き)こえさせたり。
東宮(とうぐう)行啓あり。十一日(にち)に渡(わた)らせ給(たま)ふ程(ほど)いみじうめでたし。一条(いちでう)の院(ゐん)にはいかにおはしまさんとすらんよりほかの嘆(なげ)きに、東宮(とうぐう)方(がた)の殿上人(てんじやうびと)など思(おも)ふ事(こと)なげなるも常(つね)の事(こと)ながら、世(よ)のあはれなる事(こと)、たゞ時(とき)の間(ま)にてかはりける。さて渡(わた)らせ給(たま)へれば、御簾ごしに御たいめんありて、あるべき事(こと)ども申(まう)させ給(たま)ふ。世(よ)にはをどろ<しう聞(き)こえさせつれど、いとさはやかによろづの事(こと)聞(き)こえさせ給(たま)へば、世(よ)の人(ひと)のらごとをもしけるかなと宮(みや)は思(おぼ)さるべし。位(くらゐ)もゆづり聞(き)こえさせ侍(はべ)りぬれば、東宮(とうぐう)には若宮(わかみや)をなんものすべう侍(はべ)る。だうりのまゝならば、帥(そち)の宮(みや)をこそはと思(おも)ひ侍(はべ)れど、はか<”しき後見(うしろみ)なども侍(はべ)らねばなん。大方(おほかた)の御まつりごとにも、年(とし)頃(ごろ)親(した)しくなど侍(はべ)りつる男(をのこ)どもに、御用意(ようい)あるべきものなり。みだりごゝちをこたるまでもほい遂げ侍(はべ)りなんとし侍(はべ)り、またさらぬにてもあるべき心地(ここち)もし侍(はべ)らずなど様々(さまざま)哀(あは)れに申(まう)させ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)も御目のごはせ給(たま)ふべし。さてかへらせ給(たま)ひぬ。
中宮(ちゆうぐう)は若宮(わかみや)の御事(こと)さだまりぬるを、例(れい)の人(ひと)におはしまさば、ぜひなく嬉(うれ)しうこそは思(おぼ)し召(め)すべきを、うへはだうりのまゝにとこそは
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思(おぼ)しつらめ。彼の宮(みや)もさりともさやうにこそはあらめと思(おぼ)しつらんに、かく世(よ)のひゞきにより引きたがへ思(おぼ)しをきつるにこそあらめ。さりともと御心(こころ)の内(うち)の嘆(なげ)かしう安(やす)からぬ事(こと)にはこれをこそ思(おぼ)し召(め)すらんと、いみじうこころ苦(ぐる)しういとおし。若宮(わかみや)はまだいと幼(をさな)くおはしませば、自(おの)づから御宿世(すくせ)にまかせてありなんものをなど思(おぼ)し召(め)いて、殿(との)の御(お)前(まへ)にも、猶(なほ)此(こ)の事(こと)いかでさらでありにしがなとなん思(おも)ひ侍(はべ)る。彼の御心(こころ)の内(うち)には、年(とし)頃(ごろ)思(おぼ)しつらん事(こと)のたがふをなん、いと心(こころ)苦(ぐる)しうわりなきなど泣く<と言(い)ふばかりに申(まう)させ給(たま)へば、殿(との)の御(お)前(まへ)げにいとありがたき御事(こと)にもおはしますかな。またさるべき事(こと)なれば、げにと思(おも)ひ給(たま)ひてなんをきてつかうまつるべきを、うへおはしましてあべい事(こと)どもをつぶ<とおほせらるゝに、いな猶(なほ)あしうおほせらるゝ事(こと)なり。次第(しだい)にこそはと奏しかへすべき事(こと)にも侍(はべ)らず。世(よ)の中(なか)いとはかなう侍(はべ)れば、かくて世(よ)に侍(はべ)る折さやうならん御有様(ありさま)も見(み)奉(たてまつ)り侍(はべ)りなば、後(のち)の世も思(おも)ひなくこころ安(やす)くてこそ侍(はべ)らめとなん思(おも)ひ給(たま)ふると申(まう)させ給(たま)へば、又(また)これも理(ことわり)の御事(こと)なれば、かへし聞(き)こえさせ給(たま)はず。うへは御(おん)心地(ここち)の苦(くる)しうおぼえさせ給(たま)ふまゝにも、宮(みや)の御(お)前(まへ)をまつはし聞(き)こえさせ給(たま)へば、片時(かたとき)立(た)ち去(さ)り聞(き)こえ給(たま)はず。いと苦(くる)しげにおはします。
御譲位六月十三日(にち)なり。十四日(にち)より御こ〔ゝ〕ち重(おも)らせ給(たま)ふ。若宮(わかみや)東宮(とうぐう)に立(た)たせ給(たま)ひぬ。世(よ)の人(ひと)をどろくべくもあらず、
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あべい事(こと)ゝ皆思(おも)ひたりつれど、御悩(なや)みの程(ほど)、一の宮(みや)の御(お)前(まへ)立(た)ち去(さ)らず扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふも、御こころの内(うち)推(お)し量(はか)られ、こころ苦(ぐる)しうて、中宮(ちゆうぐう)もあひなう御面(おもて)あかむ心地(ここち)せさせ給(たま)ふ。一品宮もよろづ思(おぼ)しみだれたる内(うち)にも、一の宮(みや)の御事(こと)の斯(か)かるをそへ嘆(なげ)かせ給(たま)ふべし。東宮(とうぐう)の御事(こと)などすべて宮(みや)は何(なに)とも覚えさせ給(たま)はねば、たゞ殿(との)の御かたがたに御いとまなく、内(うち)・春宮(とうぐう)・院(ゐん)など参(まゐ)り定(さだ)めさせ給(たま)ふ程(ほど)、えもいはずあさましきまで見(み)えさせ給(たま)ふ御さいはひかなとめでたく見(み)えさせ給(たま)ふ。かくて院(ゐん)の御悩(なや)みいと重(おも)らせければ、御ぐしおろさせ給(たま)はんとて、ほうしやうじざす院源(ゐんげん)僧都(そうづ)召(め)して、おほせらるゝ事(こと)ども、いみじう悲(かな)しとも疎(おろ)かなり。中宮(ちゆうぐう)われにもあらず涙(なみだ)にしづみておはします。〔一〕の宮(みや)・一品宮などいみじう思(おぼ)し召(め)したり。東宮(とうぐう)の御乳母(めのと)達(たち)の思(おも)ひたる気色(けしき)、そはしもいとめでたし。かくて御ぐし六月十九日(にち)たつのときにおろしはてさせ給(たま)ひて、あらぬ様(さま)にておはします。中宮(ちゆうぐう)えせきあへさせ給(たま)はず。思(おも)ひ遣(や)り聞(き)こえさすべし。
さてだに平(たひら)かにおはしまさば、いとめでたき御有様(ありさま)なるべき、いみじき一院(ゐん)にこそはおはしますべきを、すべておはしますべうも見(み)えさせ給(たま)はぬこそいみじけれ。此(こ)の修法など今(いま)はとどめさせ給(たま)ひて、念仏などをきかばやと宣(のたま)はすれど、只今(ただいま)は同(おな)じやうに平(たひら)かにおはしますべき御祈(いのり)のみぞある。さりともいとかばかりの御有様(ありさま)をそむかせ給(たま)ひぬれば、さりともと頼(たの)もしうのみ誰(たれ)
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も思(おぼ)したるに、いつゝにて東宮(とうぐう)に立(た)たせ給(たま)ふ。七にて御位(くらゐ)につかせ給(たま)ひて後(のち)、二十五年にぞならせ給(たま)ひにければ、今(いま)の世(よ)の御門(みかど)の、かばかりのどかにたもたせ給(たま)ふやうなし。村上(むらかみ)の御事(こと)こそは、世(よ)にめでたきたとひにて、廿一年おはしましけれ。ゑんゆう院(ゐん)の上、世(よ)にめでたき御心(こころ)をきて、たぐひなきひじりの御かどと申しけるに、十五年ぞおはしましけるに、かう久しうおはしましつれば、いみじき事(こと)に世(よ)人(ひと)申し思(おも)へれど、御(おん)心地(ここち)の猶(なほ)いみじく重(おも)らせ給(たま)ひて、寛弘八年六月廿二日(にち)のひるつかた、あさましうならせ給(たま)ひぬ。そこらの殿上人(てんじやうびと)・上達部(かんだちめ)・殿(との)ばら・宮(みや)の御(お)前(まへ)・一の宮(みや)・一品宮(みや)。すべて聞(き)こえん方なし。殿(との)の御(お)前(まへ)えもいはず。いみじき御(おん)心地(ここち)せさせ給(たま)ふとも疎(おろ)かなり。そこらの御ずほうのだんどもこぼち、僧どものもの運(はこ)びののしる程(ほど)いともの騒(さわ)がしう、様々(さまざま)にあはれなる事(こと)多(おほ)かり。
内(うち)方(かた)はめでたき事(こと)を日(ひ)のさし出(い)でたる心地(ここち)したり。此(こ)の院(ゐん)にはよろづ只今(ただいま)はかきくもり、いみじき御有様(ありさま)共(ども)なるに、東宮(とうぐう)のいと若(わか)う行末(ゆくすゑ)はるかなる御程(ほど)、思(おも)ひ参(まゐ)らする。いとめでたし。今年(ことし)は四(よ)つにならせ給(たま)ふ。三の宮はみつにおはします。何(なに)ともなうまぎれさせ給(たま)ふもいみじうあはれなり。いみじき御有様(ありさま)のまた限(かぎ)りなきと聞(き)こえさすれど、道(みち)異(こと)にならせ給(たま)ひぬれば、暫(しば)しこそあれ。さてのみやはとて中宮(ちゆうぐう)も御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。御しつらひ様(さま)殊(こと)にしなして、御となぶら近(ちか)う参(まゐ)りてさべき人々(ひとびと)
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は遠(とを)く退(の)きて候ふ程(ほど)などこそは、世(よ)にたぐひなくゆゝしきわざなりけれ。中宮(ちゆうぐう)もののあはれも何時(いつ)かは知(し)らせ給(たま)ふべき。これこそ始(はじ)めに思(おぼ)し召(め)すらめ。参(まゐ)らせ給(たま)ひし程(ほど)、いみじう若(わか)くおはしまししに、かくての後(のち)十二三年(じふにさんねん)にならせ給(たま)ひぬるに、またならび聞(き)こえさする人(ひと)なくて、明(あ)け暮(く)れよろづになれ聞(き)こえさせ給(たま)ひけるに、俄(にわか)なるやうなる御有様(ありさま)を、いかでかは疎(おろ)かには思(おぼ)し召(め)されん。よろづに理(ことわり)と見(み)えさせ給(たま)ふ。
一品の宮(みや)は十四五ばかりにおはしませば、よろづに今(いま)は思(おぼ)し知(し)りはてて、哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)し嘆(なげ)く。師の宮(みや)は、まだいと若(わか)うおはしませど、大方(おほかた)のどかにこころ恥(は)づかしう、よろづ思(おぼ)し知(し)りたる御有様(ありさま)なれば、いたうしづみ思(おぼ)し嘆(なげ)く様(さま)、理(ことわり)なりと見(み)えたり。ひとかたのみならず、自(おの)づから思(おぼ)しむすぼるゝ事(こと)なきにしもあらじかしと、様々(さまざま)こころ苦(ぐる)しうなん。かくて日頃(ひごろ)の御読経のこゑ、哀(あは)れにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ程(ほど)に、御さうそうは七月八日と定(さだ)めさせ給(たま)へり。いみじう暑き程(ほど)に、こころよりほかに程(ほど)経(へ)させ給(たま)ふを、中宮(ちゆうぐう)いみじう思(おぼ)し召(めしたり。かくておはします事(こと)こそはめでたき事(こと)ながら、限(かぎ)りあるわざなれば、哀(あは)れにのみなん。七月七日明日(あす)は御さうそうとて按察大納言(だいなごん)殿(どの)より、
@たなばたを過(す)ぎにし君(きみ)と思(おも)ひせば今日(けふ)は嬉(うれ)しきあきにぞあらまし W066。
右京命婦(みやうぶ)、御かへし、
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@わびつゝもありつるものをたなばたのたゞ思(おも)ひ遣(や)れ明日(あす)いかにせん W067。
かくて八日のゆふべ、いはかげと言(い)ふところへおはします。儀式(ぎしき)有様(ありさま)めづらかなるまでよそほしきに、さばこれこそはきはの御有様(ありさま)なりけれと、見物(みもの)に人(ひと)思(おも)へり。殿(との)の御(お)前(まへ)を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、いづれの上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)かはのこりつかうまつらぬあらん。おはしましつきては、いみじき御有様(ありさま)と申しつれど、はかなきくもきりとならせ給(たま)ひぬるは、いかゞあはれならぬ。
永き夜といへどはかなう明けぬれば、暁(あかつき)方(がた)には御骨など帥(そち)の宮(みや)・殿(との)など取らせ給(たま)ひて、事(こと)はてぬれば、大蔵卿(おほくらきやう)まさみつ朝臣(あそん)負(お)ひ奉(たてまつ)りてかへらせ給(たま)ふ程(ほど)などいみじう悲(かな)し。かへらせ給(たま)ふみちのそらもなし。皆(みな)一条(いちでう)の院(ゐん)に夜ぶかくいらせ給(たま)ひぬ。高松(たかまつ)の中将(ちゆうじやう)、
@いづこにか君(きみ)をば置(お)きてかへりけんそこはかとだに思(おも)ほえぬかな W068
公信の内蔵頭、
@かへりても同(おな)じ山(やま)ぢをたづねつゝ似たる煙(けぶり)や立(た)つとこそ見め W069。
哀(あは)れにつきせぬ御事(こと)どもなり。
日頃(ひごろ)は扨もおはします御方(かた)の儀式(ぎしき)有様(ありさま)、はかなき御調度(てうど)より始(はじ)め、例(れい)ざまにもてなし聞(き)こえさせ給(たま)へれば、さてのみありつるを今日(けふ)よりはおはしましゝところを、御念仏のほとけおはしまさせ、僧などの慣(な)れ姿(すがた)もいみじう忝(かたじけな)うよろづに悲(かな)し。念仏のこゑの日(ひ)の暮(く)るゝ程(ほど)、ごやなどのいみじう
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哀(あは)れに、様々(さまざま)悲(かな)しき事(こと)多(おほ)くて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。御(お)前(まへ)のなでしこを人(ひと)の折りて持(も)て参(まゐ)りたるを、宮(みや)の御(お)前(まへ)の御すゞりがめにさゝせ給(たま)へるを、東宮(とうぐう)取(と)り散(ち)らさせ給(たま)へば、宮(みや)の御(お)前(まへ)、
@見るまゝにつゆぞこぼるゝをくれにしこころも知らぬなでしこのはな W070。
月のいみじうあかきに、おはしましゝところのけざやかに見ゆれば、宮(みや)の御(お)前(まへ)、
@かげだにもとまらざりけるくもの上(うへ)を玉(たま)の台(うてな)と誰(たれ)か言(い)ひけん W071。
はかなう御忌(いみ)も過(す)ぎて、御法事一条(いちでう)の院(ゐん)てせさせ給(たま)ふ。其(そ)の程(ほど)の御有様(ありさま)、さらなる事(こと)なれば、書きつゞけず。宮々(みやみや)の御有様(ありさま)いみじうあはれなり。御忌(いみ)はてゝ宮(みや)は、枇杷(びは)殿へ渡(わた)らせ給(たま)ふ折、藤式部(しきぶ)、
@ありし世は夢(ゆめ)に見なして涙(なみだ)さへとまらぬやどぞ悲(かな)しかりける W072。
一品の宮は三条(さんでう)院(ゐん)に渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。一の宮(みや)はべちなうにおはします。中宮(ちゆうぐう)より宮々(みやみや)におぼつかなからずをとづれ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。九月ばかりに弁すけなり。一品の宮(みや)に参(まゐ)りて、やまでらに一日まかりたりしに、いはかげのおはしましどころ見参(まゐ)らせしかば、哀(あは)れに思(おも)ひ給(たま)へられて、
@いはかげの煙(けぶり)をきりにわきかねて其(そ)のゆふぐれの心地(ここち)せしかな W073。
一条(いちでう)の院(ゐん)の御念仏・御読経はてまであるべし。御忌(いみ)の程(ほど)同(おな)じごと候(さぶら)はせ給(たま)ひしに、故関白(くわんばく)殿(どの)の僧都(そうづ)の君(きみ)
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はまかで給(たま)ひて、いゐむろはやがて其(そ)のまゝに候(さぶら)ひ給(たま)へば、僧都(そうづ)の君(きみ)の御許(もと)に遣(や)りし、
@くりかへし悲(かな)しき事(こと)は君(きみ)まさぬ宿(やど)の宿(やど)守(も)る身(に)にこそありけれ W074。
僧都(そうづ)の君(きみ)の御かへし、
@君(きみ)まさぬやどに住(す)むらん人(ひと)よりもよその袂(たもと)はかはくまもなし W075。
東宮(とうぐう)は今(いま)は内(うち)におはしませば、中宮(ちゆうぐう)のよろづに思(おぼ)しみだれさせ給(たま)ふに、東宮(とうぐう)の御有様(ありさま)のおぼつかなささへ。添(そ)ひていぶせく思(おぼ)し召(め)さるゝ事(こと)多(おほ)かり。内(うち)にはまだ誰(たれ)も<候(さぶら)はせ給(たま)はず。督(かん)の殿(との)をぞ参(まゐ)らせ給(たま)へとある御消息(せうそこ)度々(たびたび)になりぬれど、殿(との)の御(お)前(まへ)すが<しうも思(おぼ)し立(た)たせ給(たま)はず。内(うち)の御後見(うしろみ)も、殿(との)つかうまつらせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)のはたさらなり。猶(なほ)めづらかなる御有様(ありさま)を、同(おな)じ事(こと)なれど尽きせず世(よ)人(ひと)申し思(おも)へり。内(うち)の宣耀殿(せんえうでん)の宮(みや)たちは、三(み)所(ところ)は御かうぶりせさせ給(たま)へり。四の宮(みや)はまだわらはにておはします。一宮、斎宮に居(ゐ)させ給(たま)へり。御定(さだ)めになりぬ。御即位(そくゐ)・御(ご)禊(けい)・大嘗会(だいじやうゑ)など様々(さまざま)にののしる。女御代(にようごだい)には督(かん)の殿(との)出(い)で給(たま)ふべきやうにぞ。世(よ)人(ひと)申しける。されどそれはまだ定(さだ)めもなし。
かく言(い)ふ程(ほど)に、故帥(そち)殿(どの)の姫君(ひめぎみ)には、高松(たかまつ)殿(どの)の二位(にゐ)の中将(ちゆうじやう)住(す)み給(たま)ひければ、此(こ)の頃(ごろ)ぞ御(み)子(こ)産み奉(たてまつ)り給(たま)へれば、いみじう美(うつく)しき女君(をんなぎみ)におはすれば、殿(との)は后(きさき)がねと抱(いだ)き持(も)ちて慈(うつく)しみ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。七日
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が程(ほど)の御有様(ありさま)限(かぎ)りなく御かたがたよりも御とぶらひどもあり。殿(との)の御(お)前(まへ)はたさらなり。よろづに知(し)り扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。あはれ帥(そち)殿(どの)のいみじきものにかしづき給(たま)ひしを思(おぼ)しいづるにも、これ悪(わろ)き振舞(ふるまひ)にはあらねど、世(よ)に限(かぎ)りなき御有様(ありさま)に思(おぼ)しをきてしものをと、まづ思(おも)ひ出(い)で聞(き)こゆる人々(ひとびと)多(おほ)かり。くはしき御事(こと)も世(よ)の騒(さわ)がしきいとなみなれば、え書き尽くさずなりぬ。推(お)し量(はか)るべし。此(こ)の君(きみ)むまれ給(たま)ひてのちは、内(うち)・殿(との)などに参(まゐ)り給(たま)ふもいとまおしう思(おぼ)されてなん。督(かん)の殿(との)内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。此(こ)の度(たび)はいと心(こころ)異(こと)なり。御門(みかど)の御こころいとおかしう今(いま)めかしうらう<じうおはします。何事(なにごと)ももののはへある様(さま)におはしませば、よろづもてはやし思(おぼ)し召(め)したり。御(ご)禊(けい)などいみじかべう言(い)ひののしるめる。
此(こ)の頃(ごろ)は斎宮も野の宮(みや)におはします程(ほど)いとめでたながら、宣耀殿(せんえうでん)の明(あ)け暮(く)れの御なからひのにはかにひき離(はな)れさせ給(たま)ふも、御涙(なみだ)こぼれさせ給(たま)へど、いま<しければ忍(しの)びさせ給(たま)ふべし。殿(との)は御服(ぶく)疾(と)う脱がせ給(たま)ひて、御(ご)禊(けい)など事(こと)ども執(と)り行(おこな)はせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)の宮司(みやづかさ)などまださだまらず。御忌(いみ)の程(ほど)などは、いとゆゝしく思(おぼ)され給(たま)ふ。又(また)日(ひ)次(ついで)など選(え)らせ給(たま)ふ程(ほど)に、事(こと)しも又(また)一定なれば、此(こ)の頃(ごろ)脱がせ給(たま)ふ。はかなくて十月にもなりぬれば、中宮(ちゆうぐう)の御そでのしぐれもながめがちにぞ過(す)ぐさせ給(たま)ふ。御行(おこな)ひのみぞひまなき。庭(には)も紅(くれなゐ)深(ふか)く御覧(ごらん)じ遣(や)られてあはれなり。ちご宮のいみじうあはて
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させ給(たま)ふ程(ほど)の、美(うつく)しきにも、東宮(とうぐう)のいといみじうをよずけさせ給(たま)ふ程(ほど)を、人(ひと)づてに聞(き)こし召(め)しても、飽(あ)かぬ様(さま)に思(おぼ)し召(め)さる。大方(おほかた)の御有様(ありさま)こそ、のどかにも思(おぼ)し召(め)せど、猶(なほ)行末(ゆくすゑ)つきすまじき御頼(たの)もしさを、そこらの御(おん)中(なか)に、女宮の交(ま)じらせ給(たま)へらましかば、いかにめでたき御かしづきぐさならましとおはしまさぬを、口(くち)惜(を)しき事(こと)に見(み)奉(たてまつ)り思(おぼ)し召(め)すも、あまりなるまである御こころなりし。承香殿・弘徽殿(こきでん)などの、女宮をだに持ち奉(たてまつ)らせ給(たま)はましかばとあはれなり。
世(よ)の中(なか)には御(ご)禊(けい)〔な〕ど、今(いま)めかしき事(こと)ども、様々(さまざま)ゆすれど、中宮(ちゆうぐう)はたゞあはれ尽きせず。思(おぼ)し召(め)されて、さるべき折<は、一品宮に御消息(せうそこ)聞(き)こえさせ給(たま)ひ、何事(なにごと)もこころざし聞(き)こえさせ給(たま)ふ。一品宮も月日(ひ)のすぐるを、哀(あは)れに悲(かな)しき事(こと)に思(おぼ)し召(め)しては、帥(そち)の宮だにひとゝころにおはしまさぬ事(こと)をぞ口(くち)惜(を)しく思(おぼ)し召(め)す。いづこにもたゞ御行(おこな)ひをぞたゆませ給(たま)はぬ。一条(いちでう)の院(ゐん)には御読経・御念仏などたえずして、僧どもの、哀(あは)れにこころ細(ぼそ)く、ひろきところに、人(ひと)ずくなにおぼゆるままに、世はかうこそはありけれと、おはしましし。世(よ)の御有様(ありさま)かたりつゝも、思(おも)ひ出(い)で聞(き)こえさせぬ折なし。帥(そち)の宮は、故院(ゐん)の一条(いちでう)の院(ゐん)におはしましゝ折にこそ、べちなうの御住居(すまひ)もつき<”しかりしが,今(いま)は何事(なにごと)もへだて多(おほ)かる。御(おん)心地(ここち)せさせ給(たま)へば、いかにと思(おぼ)しみだるゝに、殿(との)おはしまして、みなみの院(ゐん)を奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、べちなうをば三宮の御らう
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にと思(おぼ)し召(め)したり。あしかるまじき事(こと)なれば、さやうに思(おぼ)し召(め)したれど、猶(なほ)御はてまではかうてやとぞ思(おぼ)し召(め)しける。年(とし)頃(ごろ)の女房(にようばう)達(たち)、内(うち)に参(まゐ)るはすくなうて、東宮(とうぐう)・中宮(ちゆうぐう)・一品の宮(みや)・帥(そち)の宮(みや)にぞ、皆あかれ<参(まゐ)りける。故院(ゐん)の御こころをきてのやうには、誰(たれ)も<おはしまさじとて、ただ其(そ)の御筋(すぢ)をたづね参(まゐ)るなるべし。哀(あは)れに尽きせずめでたうおはしましゝ。御かどゝ、をしみ申(まう)さぬ人(ひと)なし。
かのくらべや・弘徽殿(こきでん)・承香殿は、皆御ぶくあるべし。いかでかはさあらざらん。あはれなる御かたみの衣は、ところわかずなん。そは内(うち)に、承香殿はまめやかに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へりしものを、いかでか思(おぼ)し知らぬやうはと見(み)えたり。一条(いちでう)の院(ゐん)の御処分なくて失(う)せさせ給(たま)ひにしかば、のちに殿(との)の御(お)前(まへ)ぞせさせ給(たま)ひける。彼の弘徽殿(こきでん)・承香殿など皆此(こ)の内(うち)にてわかち奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。其(そ)の程(ほど)の御こころ、よろづなべてならずなん。あはれなる御こころむけを、いづれも世はかうこそはと申しならも、あたらしうめでたき御有様(ありさま)を、いとどしうのみなん。一条(いちでう)の院(ゐん)御ぐしをろさせ給(たま)はんとて、宮(みや)に聞(き)こえさせ給(たま)ひける、
@つゆのみのかりのやどりに君を置きて家(いへ)を出(い)でぬる事(こと)ぞ悲(かな)しき W076。
とこそは聞(き)こえしが。御かへし、何事(なにごと)も思(おぼ)しわかざりける程(ほど)にてとぞ。
左衛門(さゑもん)の督の北(きた)の方(かた)、内(うち)のおほい殿(どの)の女御(にようご)に、
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@かずならぬ△道しばとのみ△嘆(なげ)きつゝ△はかなく露の
起臥(おきふし)に△明(あ)け暮(く)れたけの△おいゆかん△此(こ)の世(よ)のすゑに
なりてだに△嬉(うれ)しきふしや△見ゆるとて△いつしかとこそ
まつ山(やま)の△たかき梢に△すごもれる△まだこづたはぬ
うぐひすを△梅(うめ)の匂ひに△さそはせて△こち風はやく
吹きぬれば△谷のこほりも△打(う)ちとけて△霞のころも
たちゐつゝ△しづえ迄にも△打(う)ちなびき△岸の藤なみ
浅からぬ△匂ひに通ふ△むらさきの△くものたなびく
あさ夕に△今もみどりの△まつにのみ△心(こころ)をかけて過(す)ぐすまに△夏(なつ)きぬべしと△聞(き)こゆなり△山(やま)ほとゝぎす さ夜ふかく△かたらひ渡(わた)る△こゑ聞(き)けば△何(なに)のこころを
 思(おも)ふとも△言(い)ひやらぬまの△あやめぐさ△長き例(ためし)に
ひきなして△やづまにかかる△ものとのみ△よもぎの宿を
打(う)ちはらひ△玉のうてなと△思(おも)ひつゝ△うつ蝉の世(よ)の
はかなさも△忘(わす)れはてゝは△ちとせへん△君がみそぎを
祈(いの)りてぞ△かきながしやる△かはせにも△かたへすゞしき 風のをとに△驚かれても△いろ<の△花の袂(たもと)の ゆかしさを△秋(あき)ふかくのみ△頼(たの)まれて△紅葉(もみぢ)のにしき きり立(た)たず△よを長月と△言(い)ひ置ける△久しき事(こと)を きくの花△匂ひを染る△しぐれにも△雨(あめ)のしたふる かひや有(あ)ると△はかなく過(す)ぐす△月日(ひ)にも△心(こころ)もとなく 思(おも)ふまに△かしらのしもの△をけるをも△打(う)ちはらひつゝ ありへんと△思(おも)ひむなしく△なさじとぞ△衣のすそに はぐゝみ
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て△ちりもすゑじと△磨(みが)きつる△玉のひかりの 思(おも)はずに△消えにしよりは△かきくらす△こころのやみに 惑(まど)はれて△あくべきかたも△涙(なみだ)のみ△つきせぬ物と 流(なが)れつゝ△恋しきかげも△とどまらず△袖のしがらみ せきかねて△たきのこゑだに△惜(を)しまれず△まどひ入りては たづぬれど△しでの山(やま)なる△わかれぢは△いきてみるべき かたもなし△あはれ忘(わす)れぬ△なごりには△日数ばかりを かぞふとて△鳴(な)き渡(わた)るめる△よぶこどり△ほのかに君が△歎くなる△こゑ計(ばか)りにて△やましろの△とばにいはせの もり過ぎて△われ計(ばか)りのみ△すみのえの△まつゆきがたも 波かくる△岸のまに<△忘(わす)れ草△生やしげらんと 思(おも)ふにも△のきにかかれる△さゝがにの△みながら絶えぬ たよだに△むすばざり劔△いとよはみ△心(こころ)細(ぼそ)さぞ つきもせぬ△むなしき空を△思(おも)ひわび△鴈のむれゐし あとみれば△独とこよに△起臥(おきふし)も△まくらの下に いけらじと△憂(う)き身(み)を歎(なげ)く△をしどりの△つがひ離(はな)れて△夜(よ)もすがら△上毛(うはげ)の△△霜(しも)を△払(はら)ひ侘(わ)び△氷(こほ)るつらゝに△閉(と)ぢられて△来(き)し方(かた)知(し)らず△なく声(こゑ)は△△△夢(ゆめ)かとのみぞ おどろきて△消え帰りぬる△たましゐは△行方(ゆくゑ)も知(し)らず こがれつゝ△釣(つり)に年(とし)経(ふ)る△海人(あまびと)も△船(ふね)流(なが)したる 年(とし)月も△かひなきかたは△まさるとも△苅(か)る藻(も)かきやり もとむとも△みるめなぎさに△うつなみの△あとだに
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見(み)えず 消(き)えなんとは△思(おも)ひの〔外〕に△津(つ)の国(くに)の△暫(しば)し計(ばか)りも ながらへば△なにはの事(こと)も△今(いま)はたゞ△数多(あまた)かきつむ もしほぐさ△しほの誰(たれ)をか△頼(たの)むべき△煙(けぶり)絶(た)えせぬ△薫(たき)ものの△此(こ)のかたみなる△思(おも)ひあらば△独残(のこ)さず 打(う)ちはぶき△衣(ころも)のすそに△はぐゝめど△身の程(ほど)知(し)らず 頼(たの)むめるかな W077
@みづぐきに思(おも)ふこころを何事(なにごと)も△△△えも書(か)きあへぬ涙(なみだ)なりけり W078
内大臣(ないだいじん)殿(どの)の女御(にようご)殿(どの)の御かへし、
@水茎(みづぐき)の跡(あと)を見(み)るにもいとどしく△△△流(なが)るゝものは涙(なみだ)なりけり W079。
@いにしへを△思(おも)ひ出(い)づれば△雪消えぬ△垣根(かきね)の草(くさ)は△二葉(ふたば)にて△生(を)ひ出(い)でん事ぞ△難(かた)かりし△つのぐむ蘆(あし)の はかなくて△枯(か)れ渡(わた)りたる△水際(ぎは)に△△△番(つが)はぬ鴛鴦(をし)は△寂(さび)しくて△二人(ふたり)の羽(はね)の△下(した)にだに△せばくつどひし△鳥(とり)の子の△雲(くも)の中(なか)にぞ△たゞよひし△昼は各(おのおの) 飛(と)び別(わか)れ△夜(よる)は古巣(ふるす)に△△△帰(かへ)りつゝ△翼(つばさ)を恋(こ)ひて△なき侘(わ)びし△数多(あまた)の声(こゑ)と△聞(き)くばかり△悲(かな)しき△△事(こと)は△広沢(ひろさは)の△いけるかひなき△身(み)なれども△波(なみ)のたちゐに つけつゝも△かたみにこそは△頼(たの)みしか△誰(たれ)も我が世(よ)の 若(わか)ければ△行末(ゆくすゑ)遠(とを)き△小(こ)松原(まつばら)△こ高(だか)くならん△枝(えだ)もあらば△其影にこそ△かくれめと△思(おも)ふこころ
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は△深緑(ふかみどり)△いくしほとだに△思(おも)ほえず△思(おも)ひ初(そ)めてし△衣手(ころもで)の△色(いろ)も変(かは)らで△年(とし)経(ふ)れば△生(お)ひ出(い)づる竹の△己(をの)がよゝ△嬉(うれ)しきふしを△みるごとに△いかなる世にか かれせんと△思(おも)ひけるこそ△はかなけれ
△朝(あした)の露(つゆ)を△△△玉(たま)と見(み)て△磨(みが)きし程(ほど)に△消(き)えにけり△夕(ゆふべ)の松(まつ)の△風(かぜ)の音(おと)に△悲(かな)しき事を△しらべつゝ△ねをのみぞ鳴(な)く 群鳥(むらどり)の△群(む)れたる中(なか)に△只一人(ひとり)△いかなるかたに△飛(と)び行(ゆ)きて△知(し)る人(ひと)もなく△惑(まど)ふらん△とまるたぐひは 多(おほ)くして△恋し悲(かな)しと△思(おも)へども△今(いま)はむなしき△大空(おほぞら)の△雲(くも)計(ばか)りをぞ△かたみには△明(あ)け暮(く)れに見る 月かげの△木(こ)の下闇(したやみ)に△惑(まど)ふめる△嘆(なげ)きの森(もり)の△繁(しげ)さをぞ△払(はら)はん方(かた)も△思(おも)ほえぬ△見る人(ひと)ごとに 理(ことわり)の△涙(なみだ)の川(かは)を△流(なが)すかな△ましてやそこの 辺(わた)りには△いかばかりかは△たぐふらん△淵瀬(ふちせ)も知(し)らず 嘆(なげ)くなる△こころの程(ほど)を△思(おも)ひ遣(や)る△人(ひと)のうへさへ 嘆(なげ)かるゝかな W080。
とて、またかくなん、
@君もさば昔(むかし)の人(ひと)と思(おも)はなん△△△われもかたみに頼(たの)むべきかな W081。



栄花物語詳解巻十


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〔栄花物語巻第十〕 日かげのかづら
寛弘八年六月十三日御譲位、十月十六日御即位(そくゐ)なり。さき<”は見(み)ねば知(し)らず。こたみはいみじうめでたし。御門(みかど)もいみじうねびとゝのぼり、雄々(をを)しうめでたくおはします。大(おほ)殿(との)などをなべてならずいみじうおはしますと見(み)奉(たてまつ)り思(おも)ふに、事(こと)限(かぎ)りありければ、御輿(こし)のしりに歩(あゆ)ませ給(たま)ひたるこそあぢきなき事(こと)なりけれ。さるは、御有様(ありさま)などは、なぞの御門(みかど)にか。かばかりめでたき御有様(ありさま)にこそと見(み)奉(たてまつ)り思(おも)ふに、口(くち)惜(を)しうこそ、まめやかには、そこらの上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、御送りつかうまつり給(たま)ひて、御輿(こし)の捧(さゝ)げられ給(たま)へる程(ほど)ぞ、猶(なほ)限(かぎ)りなき十善(じふぜん)の王(わう)におはしますめれ。
かくて今(いま)は御(ご)禊(けい)・大嘗会(だいじやうゑ)など、公私(おほやけわたくし)の大(おほ)きなる事(こと)に思(おぼ)し騒(さわ)ぐに、折(をり)しもあれ、此(こ)の頃(ごろ)、冷泉(れいぜい)の院(ゐん)悩(なや)ませ給(たま)ふと言(い)ふ事(こと)こそ出(い)で来たれば、世(よ)にいみじき事(こと)なり。常(つね)の御有様(ありさま)なれば、さりともけしうはおはしまさじなど思(おぼ)したゆめど、猶(なほ)おぼつかなしとて、殿(との)の御(お)前(まへ)参(まゐ)らせ給(たま)ひて、見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、いみじう苦(くる)しげなる御気色(けしき)におはしますを、いかに<
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と見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)に、歌(うた)をぞ放(はな)ちあげて歌(うた)はせ給(たま)ひける。珍(めづら)しき事(こと)ならねど、あないみじのわざやと見(み)えさせ給(たま)ふは、猶(なほ)御気色(けしき)なども例(れい)の御有様(ありさま)にはかはらせ給(たま)ふと、事(こと)に見(み)えさせ給(たま)へば、いとうたておぼえさせ給(たま)ふに、さすがに見知り奉(たてまつ)らせ給(たま)へるも、恐(おそ)ろしうて急(いそ)ぎ出(い)でさせ給(たま)ひぬ。
内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ひて、おはしましつる事(こと)どもを申(まう)させ給(たま)ひて、猶(なほ)いかゞとこそ見(み)奉(たてまつ)り侍(はべ)りつれ。折しもいみじかるべき事(こと)かな。天下のだいじにこそ侍(はべ)らめと申(まう)させ給(たま)へば、とまれかうまれ。参(まゐ)りて見(み)奉(たてまつ)らであべき事(こと)にもあらず。よき日して、今日(けふ)明日(あす)の程(ほど)に行幸(ぎやうがう)あるべき由(よし)をおほせらるれば、大(おほ)殿(との)それげに候(さぶら)ふべき事(こと)なれど、すべて行幸(ぎやうがう)は思(おぼ)しかけ給(たま)ふべきにあらず。御もののけいと<恐(おそ)ろしう見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふとも、御こころの例(れい)におはしまさばこそあらめなど申(まう)させ給(たま)ふにつけても、哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されて、打(う)ち泣かせ給(たま)ふも、いみじき理(ことわり)の御有様(ありさま)なり。かかりとて御(ご)禊(けい)の事(こと)ども思(おぼ)したゆまず。急(いそ)がせ給(たま)ふ。御(ご)禊(けい)の女御代(にようごだい)には、宣耀殿(せんえうでん)の出(い)でさせ給(たま)ふべき御定(さだ)めありて、急(いそ)がせ給(たま)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に、十月廿四日。冷泉(れいぜい)の院(ゐん)失せさせ給(たま)ひぬ。哀(あは)れに悲(かな)しなど聞(き)こえさするも疎(おろ)かなり。内(うち)にいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。さべき宮(みや)たちも皆失せはてさせ給(たま)ひて、たゞ此(こ)の御門(みかど)のみこそはおはしますぞ。いみじうおはせん宮(みや)たちをば、何(なに)ゝかはせん。年(とし)頃(ごろ)もこそおはしましつれ。かく御位(くらゐ)に即(つ)かせ給(たま)ひてのちしも、かうおはしませ
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ば、御(ご)禊(けい)・大嘗会(だいじやうゑ)のをこたる方(かた)こそあれ、失せさせ給(たま)ひぬる。院(ゐん)の御かざりもいみじ。当代の御ためにもいと様々(さまざま)哀(あは)れに見(み)えさせ給(たま)ふ。さるは年(とし)頃(ごろ)は司召(つかさめし)に、まづ怪(あや)しき国(くに)をも院分と選(え)り奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば我が御代(よ)にだに、いかでよきをとこそ思(おも)ひつれ、口(くち)惜(を)しく哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)さる。
此(こ)のだいじども明年にこそはあらめ。まづ御さうそうの事(こと)など、よろづに大(おほ)殿(との)のみぞをきてつかうまつらせ給(たま)ふ。内(うち)には我が御かはりと思(おぼ)し召(め)して、宮々(みやみや)に御送りせさせ給(たま)ふべうをきて申(まう)させ給(たま)ふも、いみじう哀(あは)れにめでたし。のち<の御事(こと)どもゝ、哀(あは)れにめでたくせさせ給(たま)ふべし。世(よ)の中(なか)皆諒闇になりぬ。殿上人(てんじやうびと)のつるばみのうへのきぬの有様(ありさま)なども、からすなどのやうに見(み)えてあはれなり。よろづもののはへなく、口(くち)惜(を)しとも疎(おろ)かなり。一てんがの者(もの)嘆(なげ)きにしたり。よろづ〔を〕しつくして今(いま)はになるきはに、斯(か)かる事(こと)の出(い)で来たるを、いといみじきせけんの大事なり。
はかなくて月日も過(す)ぎて、年号かはりて、あくる年(とし)長和元年と言(い)ふ。元三日の有様(ありさま)、たゞならましかば、いかにめでたからまし。たれこめて殿上にも出(い)でさせ給(たま)はずなどして、いと口(くち)惜(を)し。督(かん)の殿(との)は、うへの御つぼねにおはしませど、ひるはいま<しく思(おぼ)し召(め)されて渡(わた)らせ給(たま)は。宮(みや)たちも参(まゐ)らせ給(たま)へる御有様(ありさま)。いと<めでたし。うへの女房(にようばう)達(たち)、様々(さまざま)の世(よ)の例(ためし)に引き出(い)で聞(き)こえさせて中(なか)頃(ごろ)となりては、かやうに宮(みや)たちおはします
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やうもなし。村上(むらかみ)のせんていこそ、宮(みや)たち多(おほ)くおはしましなどして、おかしう、女房(にようばう)も明(あ)け暮(く)れ用意(ようい)したりけれ。寛平御時なども、猶(なほ)おかしき事(こと)どもありけり。まづはやうぜい院(ゐん)の御(み)子(こ)たち、いみじうすきおかしうおはしまさひて、かく、
@くや<とまつゆふぐれと今(いま)はとてかへるあしたといづれまされる W082。
と言(い)ふ哥を、しりかよひ給(たま)ひける。所々(ところどころ)に遣(つか)はしたりければ、本院(ゐん)の侍従と言(い)ふ人(ひと)、かくぞ聞(き)こえたりける、
@ゆふぐれは頼(たの)むこころに慰(なぐさ)めつかへるあしたはけぬべきものを W083。
とか。これはあるがなかにおかしく思(おぼ)されけるなど、昔(むかし)ごとを言(い)ひ出(い)でつゝ、宮々(みやみや)の御有様(ありさま)を聞(き)こえあへり。猶(なほ)此(こ)の御(おん)中(なか)に、式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)は、心(こころ)異(こと)におはしますかしなど聞(き)こゆれば、さて中務(なかつかさ)の宮(みや)は悪(わろ)くやおはします。兵部(ひやうぶ)卿(きやう)の宮(みや)は美(うつく)しうおはしますなど、各(おのおの)思(おも)ひ<に聞(き)こえさするもおかし。督(かん)の殿(との)の女房(にようばう)、常(つね)よりも人目(ひとめ)繁(しげ)きここちして、例(れい)のやうにもえ聞(き)こえさせずぞあめる。
さて世(よ)の中(なか)には、今日(けふ)明日(あす)、后(きさき)立(た)たせ給(たま)ふべしとのみ言(い)ふは、督(かん)の殿(との)にや、また宣耀殿(せんえうでん)にやとも申すめり。斯(か)かる程(ほど)に、宣耀殿(せんえうでん)に、内(うち)より、
@はるがすみ野辺(のべ)にたつらんと思(おも)へどもおぼつかなさをへだてつるかな W084。
と聞(き)こえさせ給(たま)へれば、御かへし、
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@かすむめるそらの気色(けしき)はそれながら我が身一(ひと)つのあらずもあるかな W085。
と聞(き)こえさせ給(たま)へれば、あはれと思(おぼ)し召(め)さる。
中宮(ちゆうぐう)には、年(とし)さへへだゝりぬるを、つきせず哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されて、たゞ御行(おこな)ひにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。正月十五日、一条(いちでう)の院(ゐん)の御念仏に、殿(との)ばら皆参(まゐ)らせ給(たま)へり。月のいみじうすみのぼりて、めでたき事(こと)はてて、出(い)でさせ給(たま)ふとて、殿(との)〔ゝ〕御(お)前(まへ)、
@君(きみ)まさぬやどには月ぞ一人(ひとり)住む古(ふる)き宮人(みやびと)たちもとまらで W086。
と宣(のたま)はすれば、侍従中納言(ちゆうなごん)、
@こぞの今日(けふ)こよひの月を見し折にかからんもの思(おも)ひかけきや W087。
はかなくて司召(つかさめし)の程(ほど)にもなりぬれば、世(よ)には司召(つかさめし)とののしるにも、中宮(ちゆうぐう)世(よ)のなかを思(おぼ)しいづる御気色(けしき)なれば、藤式部(しきぶ)卿(きやう)、
@くものうへをくものよそにて思(おも)ひ遣(や)る月はかはらずあめのしたにて W088。
哀(あは)れにつきせぬ御事(こと)どもなりや。宮(みや)の御(お)前(まへ)かへすがへす思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ひて、大(おほ)殿(との)ごもりたる暁(あかつき)方(がた)の夢(ゆめ)に、院(ゐん)のほのかにみえさせ給(たま)ひければ、
@あふ事(こと)を今(いま)はなきねの夢(ゆめ)ならでいつかは君(きみ)をまたは見るべき W089。
とて、いとど御涙(なみだ)せきあへさせ給(たま)はず。
内(うち)には、督(かん)の殿(との)の后(きさき)に居(ゐ)させ給(たま)ふべき御事(こと)を、殿(との)に度々(たびたび)聞(き)こえさせ給(たま)へれど、年(とし)頃(ごろ)にもならせ給(たま)ひぬ。宮(みや)たち数多(あまた)おはします。
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宣耀殿(せんえうでん)こそ、まづさやうにはおはしまさめ。内侍(ないし)のかみの御事(こと)は、自(おの)づからこころのどかになど奏(そう)せさせ給(たま)へば、いとけうなき御こころなり。此(こ)の世をふさはしからず思(おも)ひ給(たま)へるなりなど、ゑじ宣(のたま)はすれば、さばよき日してこそは宣旨(せんじ)もくださせ給(たま)ふべかなれと奏(そう)して、出(い)でさせ給(たま)ひて、にはかに此(こ)の御事(こと)どもの御用意(ようい)あり。何事(なにごと)もそれに障(さは)り、日などのべさせ給(たま)ふべき。御世(よ)の有様(ありさま)ならねば、二月十四日后(きさき)に居(ゐ)させ給(たま)ふとて、中宮(ちゆうぐう)と〔き〕こえさす。急(いそ)ぎ立(た)たせ給(たま)ひぬ。
其(そ)の日になりぬれば、常(つね)の事(こと)ながらも、いみじくやむごとなくめでたし。年(とし)頃(ごろ)の女房(にようばう)達(たち)、上中下の程(ほど)などの、わきがたう思(おも)ひ<なりつる程(ほど)、ねたがりつる人々(ひとびと)など、今日(けふ)のきざみに恥(は)づかしげなる事(こと)ども多(おほ)かり。何事(なにごと)もこころ苦(ぐる)しげに、内(うち)<なづましげなりつる人(ひと)も、事(こと)限(かぎ)りありければ、織物(おりもの)のからぎぬを着、年(とし)頃(ごろ)したりがほなりつる人(ひと)も、にはかにひらぎぬなどにて、いとこころやましげに思(おも)ひたるもおかしきに、さはいへど、大(おほ)宰相(さいしやう)の君(きみ)など言(い)ふ人(ひと)、をば、おとどなど言(い)ひつけ給(たま)ひ、をよびをさし言(い)ひつれど、いとけざやかにえもいはぬ。えびぞめの織物(おりもの)のからぎぬなどを着て候(さぶら)ふに、何(なに)くれの人(ひと)も、こころにくゝ思(おも)はれ、われはと思(おも)ひたりつるも、さしもあらずなど、しな<”わき給(たま)へる程(ほど)など、げに公(おほやけ)とならせ給(たま)ひぬるは、事(こと)なわざなりけり。こころには誰(たれ)も安(やす)からず言(い)ひ思(おも)へど、ともかくもえ啓(けい)せで、こころの内(うち)にのみ
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むせ渡(わた)る程(ほど)も苦(くる)しげなり。又(また)さべき五位(ごゐ)のむすめなどのはぢなき程(ほど)なりつるを、蔵人(くらんど)などにて、おもの参(まゐ)らする。まかなひ・とり次(つぎ)などして、うたてゆゝしき事(こと)どもを、言(い)ひ思(おも)へど、つれなくもてなしたるもいとおしげなり。
宮(みや)の御(お)前(まへ)しろき御よそひにて、大床子に御ぐしあげておはしまし、御丁のそばのしゝ・こまいぬのかほつきも、恐(おそ)ろしげなり。御(お)前(まへ)の御ぐしあげさせ給(たま)へる程(ほど)は、いとこそめでたうおはしましける。もとより御をもやうのふくらかにおかしげにおはしますものから、世にめでたくおはしましける。猶(なほ)さるべうおはしますなりけりとこそは、見(み)奉(たてまつ)りけれ。御年(とし)十九ばかりにぞおはしましける。参(まゐ)らせ給(たま)ひて、三四年ばかりにぞならせ給(たま)ひぬらんかしとぞ。推(お)し量(はか)りまうす人々(ひとびと)あり。大宮(おほみや)は十二にて参(まゐ)らせ給(たま)ひて、十三にてこそ后(きさき)にゐさせ給(たま)ひけれ。されど此(こ)の御(お)前(まへ)は、少(すこ)しをとなびさせ給(たま)ひにけり。御(お)前(まへ)に火たきやすゑ、陣屋(ぢんや)つくり、吉上のことごとしげに、言(い)ひ思(おも)ひたるけしきより、事(こと)おこりて、侍(さぶらひ)のちやうどもなさせ給(たま)ひ、様々(さまざま)こと<”しげに見(み)えたり。やがて大饗いとどうせさせ給(たま)ふべし。大夫には大(おほ)殿(との)の御はらからのよろづのあにぎみの大納言(だいなごん)なり給(たま)ふ。大方(おほかた)宮司(みやづかさ)などみなえりなさせ給(たま)ふ。かくて、いとめでたう二(ふた)所(ところ)さしつゞきておはしますを、世(よ)の例(ためし)に、めづらかなる事(こと)に聞(き)こえさす。
内(うち)には今(いま)は、宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)の御事(こと)を、いかでかと思(おぼ)し召(め)せど、すがやかに殿(との)には申(まう)させ給(たま)はぬ程(ほど)に、
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宣耀殿(せんえうでん)には何(なに)とも思(おぼ)し召(め)したらぬ程(ほど)に、大方(おほかた)の女房(にようばう)のえん<につきて、里人(さとびと)の思(おも)ひのまゝにものを言(い)ひ思(おも)ふは、いかに<御(お)前(まへ)に思(おぼ)しおはしますらん。あさましき世(よ)の中(なか)に侍(はべ)りや。これはさべき事(こと)かはなど、いとさかしがほにとぶらひ参(まゐ)らする人々(ひとびと)などあるを、此(こ)のふみをもまた、かうなん、それかれは申しつるなどかたり申す人(ひと)を、女御(にようご)殿(どの)はなどかかうむつかしう言(い)ふらん。たとひ言(い)ふ人(ひと)ありともかたらでもあれかし。こころにはよろづ思(おも)ひ絶えて、今(いま)はたゞ、のちの世(よ)の有様(ありさま)のみこそ、わりなけれなど、ものまめやかにおほせらるれば、さこそあれ、御こころのひがませ給(たま)へれば、もののあはれ・有様(ありさま)をも知らせ給(たま)はぬと、さかしう聞(き)こえさせける。
斯(か)かる程(ほど)に、大(おほ)殿(との)の御こころ、何事(なにごと)もあさましきまで、人(ひと)のこころの内(うち)をくませ給(たま)ふにより、内(うち)にしば<参(まゐ)らせ給(たま)ひて、ここらの宮(みや)たちのおはしますに、宣耀殿(せんえうでん)のかくておはします、いとふびんなる事(こと)に侍(はべ)り。はやう此(こ)の御事(こと)をこそせさせ給(たま)はめと奏せさせ給(たま)へば、うへこころにもさはおもふを、此(こ)のてんじやうの男(をのこ)どもの、昔(むかし)物語(ものがたり)など各(おのおの)言(い)ふを聞(き)けば、内舎人(うどねり)などのむすめも昔(むかし)は后(きさき)に居(ゐ)けり。今(いま)も中(なか)頃(ごろ)も、納言のむすめの后(きさき)に居(ゐ)たるなんなきと言(い)ふをば、いかゞはすべからんとこそ聞(き)けと宣(のたま)はすれば、ひが事(こと)に候ふなり。いかでか。さらば、故大将(だいしやう)をこそは、贈大臣の宣旨(せんじ)をくださせ給(たま)はめと奏せさせ給(たま)へば、
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さらばさべきやうに行(おこな)ひ給(たま)ふべしと宣(のたま)はすれば、うけ給(たま)はらせ給(たま)ひて、官(つかさ)におほせごと給(たま)はす。さべきかみごとあらん。日を放(はな)ちて、よろしき日して、小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)それがしの朝臣(あそん)、ぞう太政(だいじやう)大臣(だいじん)になして、彼のはかに宣命読むべしと宣(のたま)はす。べんうけ給(たま)ひぬ。
四月にさべき所々(ところどころ)の祭(まつり)はてゝ、よき日して、彼の大将(だいしやう)の御はかにちよくしくだりて、やがて修理(しゆり)の大〔夫〕そひてものすべくあれば、彼の君(きみ)も出(い)で立(た)ち参(まゐ)り給(たま)ふ。よき御(おん)子(こ)持(も)給(たま)ひて、故大将(だいしやう)のかくさかゆき給(たま)ふをぞ、世(よ)の人(ひと)めでたき事(こと)に申しける。彼の御いもうとの宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)、村上(むらかみ)のせんていの、いみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひければ、女御(にようご)にてやみ給(たま)ひにき、男(をとこ)宮(みや)一人(ひとり)産(う)み給(たま)へりしかども、其(そ)の宮(みや)かしこき御(おん)中(なか)より出(い)で給(たま)へるとも見(み)え給(たま)はず、いみじきしれものにてやませ給(たま)ひにける、其(そ)の小一条(こいちでう)の大臣(おとど)の御むまごにて、此(こ)の宮(みや)のかうおはします事(こと)、世にめでたき事(こと)に申し思(おも)へり。
さて四月廿八日后(きさき)に居(ゐ)させ給(たま)ひぬ。くわうごうぐうと聞(き)こえさす。大夫などにはのぞむ人(ひと)も事(こと)になきにや。さやうのけしきや聞(き)こし召(め)しけん、故関白(くわんばく)殿(どの)のいづもの中納言(ちゆうなごん)なり給(たま)ひぬ。宮司(みやづかさ)などきをひのぞむ人(ひと)なく、ものはなやかになどこそなけれ、よろづたゞ同(おな)じ事(こと)なり。これにつけてもあなめでたや、女の御さいはひの例(ためし)には、此(こ)の宮(みや)をこそし奉(たてまつ)らめなど、きゝにくきまで世(よ)には申〔す。〕まづは大(おほ)殿(との)も誠(まこと)にいみじかりけ〔る〕人(ひと)の御有様(ありさま)なり。女(をんな)の御さいはひのもとには、此(こ)の宮(みや)をなんし奉(たてまつ)る
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べきおやなどにもをくれ給(たま)ひて、我が御身一(ひと)つにて、年(とし)頃(ごろ)になり給(たま)ひぬるに、又(また)けしからずびんなき事(こと)し出(い)で給(たま)はず。まづはここら多(おほ)くおはする宮(みや)たちの御(おん)中(なか)に、しれものの交(ま)じらぬにてきはめつかし。いみじき村上(むらかみ)のせんていと申(まう)ししかど、彼の大将(だいしやう)のいもうとの宣耀殿(せんえうでん)の女御の産(う)み給(たま)へりし。八の宮(みや)こそは、世(よ)のしれもののいみじき例(ためし)よ。それに此(こ)の宮(みや)たち五六人(にん)おはするに、すべてしれかたくなしきがなきなりなどこそは、申(まう)させ給(たま)ふ。まいて世(よ)の人(ひと)はきゝにくきまでぞ申しける。今(いま)は小一条(こいちでう)いかで造(つく)り立(た)てんと思(おぼ)し召(め)す。御門(みかど)も今(いま)は御本意(ほい)遂げたる御(おん)心地(ここち)せさせ給らんかし。
かくよろづにめでたき御有様(ありさま)なれども、皇后宮(くわうごうぐう)には、たゞおぼつかなさをのみこそは、尽きせぬ事(こと)に思(おぼ)し召(め)すらめ。同(おな)じ御こころにや思(おぼ)し召(め)しけん、内(うち)より、
@うちはへておぼつかなさを世と共(ゝも)におぼめぐ身ともなりぬべき哉 W090
と有御かへしに、
@露(つゆ)ばかりあはれを知らん人(ひと)もがなおぼつかなさをさてもいかにと W091。
よろづの中にも、姫宮(ひめみや)の御ゆかしさをぞ思(おぼ)し召(め)しける。大宮(おほみや)には院(ゐん)の御ぶくなども果てにたれば、尽きせずのみ思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)の美(うつく)しうをよずけさせ給(たま)ふを、明(あ)け暮(く)れ見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はぬも、哀(あは)れに口(くち)惜(を)しう思(おぼ)さるゝに、三の宮(みや)のいみじう
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美(うつく)しう。紛(まぎ)れ歩(あり)かせ給(たま)ふにぞ、少(すこ)し思(おぼ)し慰(なぐさ)めける。
はかなく秋(あき)は過(す)ぎて冬(ふゆ)にもなりぬれば、内(うち)辺(わた)りは中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)の更衣(ころもがへ)などの有様(ありさま)も、ものけざやかに、月日の行(ゆ)きかふ程(ほど)も知(し)られて、めでたかりける。ただ睦月(むつき)の大嘗会(だいじやうゑ)。御はらいなど、いみじう世(よ)に急(いそ)ぎたちにたり。内(うち)にも、御服立(た)ちぬる月に脱(ぬ)がせ給(たま)ひて、冷泉(れいぜい)の院(ゐん)の御はてもせさせ給(たま)ひて、今(いま)は此(こ)の事(こと)をいみじき事(こと)にののしらせ(たま)ふ。女御代(にようごだい)には、大(おほ)殿(との)の内侍(ないし)の督(かん)の殿(との)出(い)でさせ給(たま)ふ。女御代(にようごだい)の御車(くるま)廿りやうぞあるを、まづ大宮(おほみや)より三(み)つ、中宮(ちゆうぐう)より三(み)つ、車(くるま)より始(はじ)めて、いといみじうののしらせ給(たま)ふ。こたみのもの見には、此(こ)の宮々(みやみや)の御車(くるま)なん。あべきとののしれば、いつしかと人(ひと)待(ま)ち思(おも)へるに、今(いま)は其(そ)の日になりて、女御代(にようごだい)の御車(くるま)のしざまより始(はじ)め、あさましきまでせさせ給(たま)へり。其(そ)の車(くるま)の有様(ありさま)いへば疎(おろ)かなり。あるはやかたをつくりて、ひはだぶき、あるはもろこしのふねのかたをつくりて、乗人(のりびと)のはへなりより始(はじ)めて、それにやぞあはせたり。そでにはをきぐちにてまきゑをしたり。山(やま)をたゝみ、海(うみ)をたたへ、筋(すぢ)をやり、すべて。大方(おほかた)ひきわたしていく程(ほど)、目も耀(かかや)きてえも見わかずなりにしが、車(くるま)一(ひと)つがきぬのかずすべて。十五ぞ着たる。あるはからにしきなどをぞ着せさせ給(たま)へる。此(こ)の世界(せかい)の事(こと)ゝもみえず、照りみちて渡(わた)る程(ほど)の有様(ありさま)、推(お)し量(はか)るべし。殿(との)ばら・君達(きんだち)のむま・車(くるま)、ゆみ・やなぐひまでの有様(ありさま)こそ、世(よ)にめづらかに、まだ見聞(き)こえ
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ぬ事(こと)ゞもなりけれ。過(す)ぎにし方はいはじ、今(いま)行末(ゆくすゑ)もいかで斯(か)かる事(こと)はと見(み)えたり。
冬(ふゆ)の日もはかなく暮れて、大嘗会(だいじやうゑ)の急(いそ)ぎせさせ給(たま)ふ。されど其(そ)の日(ひ)はたゞ麗(うるは)しうぞある。〔歌(うた)ども〕、悠紀の方(かた)は、大中臣能宣(よしのぶ)が子の、祭主輔親(すけちか)つかうまつる。主基の方(かた)は、前加賀守源兼澄(かねずみ)なり。此(こ)の人々(ひとびと)、輔親(すけちか)は能宣(よしのぶ)が子なればと思(おぼ)し召(め)したり。兼澄(かねずみ)は公忠のべんの筋(すぢ)なりなど思(おぼ)し召(め)して、歌(うた)の方(かた)にさもあるべき人(ひと)どもを、あてさせ給(たま)へるなるべし。
悠紀の方(かた)の稲舂歌(いねつきうた)、坂田(さかた)の郡(こほり)、輔親(すけちか)、
@山(やま)のごと坂田(さかた)の稲(いね)を抜(ぬ)き積(つ)みて君(きみ)が千歳(ちとせ)の初穂(はつほ)にぞ舂(つ)く W092。
御かぐらのうた、同(おな)じ人(ひと)、
@大八洲(おほやしま)国(くに)しろしめす始(はじ)めより八百万代(やほよろづよ)の神(かみ)ぞ護(まも)れる W093。
参(まゐ)り音声、高御座山(たかみくらやま)、
@万代(よろづよ)は高御座山(たかみくらやま)動(うご)きなきときはかきはに仰(あふ)ぐべきかな W094。
楽の破のうた、しきち、
@大宮(おほみや)のしきちぞいとど栄(さか)えぬる八重(やへ)のく磨(みが)き造(つく)り重(かさ)ねて W095
楽の急(いそ)ぎの歌(うた)、かな山(やま)、
@かな山(やま)にかたく根(ね)ざせる常盤(ときは)木の数(かず)に生(お)います国(くに)の富草(とみぐさ) W096。
まかで音声、野州川(やすがは)、
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@すべらぎの御代(みよ)をまちでゝ水(みづ)澄(す)める野州(やす)の川波(かはなみ)のどけかるらし W097。
又(また)次(つぎ)の日の参入音声、長等(ながら)の山(やま)、
@天地(あめつち)の共(とも)に久(ひさ)しき名(な)によりて長等(ながら)の山(やま)の長(なが)き御代(みよ)かな W098。
楽の破の歌(うた)、吉水(よしみづ)、
@吉水(よしみづ)のよき事(こと)多(おほ)く積(つ)めるかなおほくら山(やま)の程(ほど)はるかにて W099。
楽の急(きふ)の歌(うた)、
@ゆふしでの日蔭(ひかげ)の蔓(かづら)よりかけて豊(とよ)の明(あかり)のおもしろきかな W100。
退出(まかで)音声、安良(やすら)の里(さと)、
△△諸人(もろびと)の願(ねが)ふ心(こゝろ)の近江(あふみ)なる安良(やすら)の里(さと)の安(やす)らけくして W101。
主基の方(かた)稲舂歌(いなつきうた)、おほくら山(やま)、兼澄(かねずみ)、
@二葉(ふたば)よりおほくら山(やま)に運(はこ)ぶ稲(いね)年(とし)は積(つ)むとも尽(つ)くる世(よ)もあらじ W102。
御かぐらうた、ながむら山(やま)、
@君(きみ)が御代(みよ)ながむら山(やま)の榊葉(さかきば)を八十氏人(やそうぢびと)のかざしにはせん W103。
辰(たつ)の日の楽(がく)の破の歌(うた)、玉松山(たままつやま)、
@天(あま)つ空(そら)朝(あした)に晴(は)るゝ始(はじ)めには玉松山(たままつやま)の影(かげ)さへぞ添(そ)ふ W104。
同(おな)じ日の楽(がく)の急(きふ)の歌(うた)、いなふさ山(やま)、
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@年(とし)つくり楽(たの)しかるべき御代(みよ)なればいなぶさ山(やま)の豊(ゆたか)なりける W105。
同(おな)じ日参(まゐ)り音声、小石山(さゞれいしやま)、
@数知(かずし)らぬ小石山(さゞれいしやま)今年(ことし)より巌(いはほ)とならん程(ほど)は幾世(いくよ)ぞ W106。
同(おな)じ日のまかで音声、千歳(ちとせ)山(やま)、
@動(うご)きなき千歳(ちとせ)の山(やま)にいとどしく万代(よろづよ)そふる声(こゑ)のするかな W107。
巳(み)の日の楽(がく)の破(は)、とみつき山(やま)、
@君(きみ)が代(よ)はとみつき山(やま)の次(つぎ)<にさかへぞまさんよろづよまでに W108。
同(おな)じ日のがくの急(きふ)のうた、ながむら山(やま)、
@よろづよをながむら山(やま)のながらへてつきず運(はこ)ばんみつぎものかな W109。
同(おな)じ日の参(まゐ)り音声、とみのをがは、
@あめのしたとみのをがはのすゑなればいづれのあきかうるはざるべき W110。
同(おな)じ日のまかで音声、ちぢがは、
@にごりなくみえ渡(わた)るかなちぢがはの始(はじ)めてすめるとよのあかりに W111。
此(こ)の同(おな)じ折の御屏風(びやうぶ)のうたなどあれ、同(おな)じ筋(すぢ)の事(こと)なれば。かかず。こぞよりしていみじくののしりつる事(こと)どもゝはてゝ、内(うち)にはこころのどかに思(おぼ)し召(め)さるゝにも、麗景殿(れいけいでん)・淑景舎などのおはせましかばと思(おぼ)し出(い)でさせ給(たま)ふ。
かくて中宮(ちゆうぐう)いかなる
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にか、例(れい)ならず悩(なや)ましう思(おぼ)されけり。殿(との)の御(お)前(まへ)思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふに、例せさせ給(たま)ふ事(こと)、立(た)ちぬる月、此(こ)の月、さもあらで過(す)ぎぬ。いかなるにかと、人々(ひとびと)おぼつかなくのみ聞(き)こえさするに、ものなどつゆ聞(き)こし召(め)さぬは、たゞならぬ御(おん)心地(ここち)にやと思(おぼ)し召(め)すに、御乳母(めのと)の典侍(ないしのすけ)、怪(あや)しう、立(た)ちぬる月、おぼつかなくて止(や)ませ給(たま)ひにし、事(こと)などのおはしますにやと申し給(たま)ふ。誠(まこと)にたゞならぬ御けしきにおはします。殿(との)の御(お)前(まへ)にも、内(うち)にも、いと嬉(うれ)しき事(こと)に思(おぼ)し召(め)して、殿(との)の御(お)前(まへ)何(なに)か、もの聞(き)こし召(め)さずともおはしましぬべき御(おん)心地(ここち)なりとて、よき日して様々(さまざま)の御祈(いの)りども始(はじ)めさせ給(たま)ふ。
師走(しはす)にもなりぬ。世(よ)の中(なか)こころあはただしう、内(うち)より始(はじ)め、宮々(みやみや)の御仏名にも、例(れい)の仏名経など誦ずる声(こゑ)もおかしきに、「降(ふ)る白雪(しらゆき)と共(とも)に消(き)えなんなどもあはれなり。はかなく暮れぬれば、朔日(ついたち)には元日のてうはいより始(はじ)め、様々(さまざま)にめでたし。殿上の方(かた)には、しんどりと言(い)ひていとまさなうこちたきけはひども聞(き)こえたり。朔日(ついたち)より始(はじ)め、事(こと)どもいみじうしげゝれば、様々(さまざま)いはひごとどもにて暮れぬべし。
正月にぞ宮(みや)の御(お)前(まへ)出(い)で〔さ〕せ給(たま)ふべき。其(そ)の日、女房(にようばう)のなりなど、あざやかにせさせ給(たま)ふ。さて其(そ)の夜になりぬれば、儀式(ぎしき)有様(ありさま)など思(おも)ひ遣(や)るべし。常(つね)の行啓せさせ給(たま)ふ、めでたしとありつれど、かうやは見(み)えさせ給(たま)ひつる。御輿(こし)の帷(かたびら)より始(はじ)めて、
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よろづいみじうさやかにめでたし。京極(きやうごく)殿(どの)は、かたふたがれば、えおはしまさで、東三条(とうさんでう)院(ゐん)に出(い)でさせ給(たま)ひぬれば、内(うち)にも御志(こころざし)いとあやにくなるまで、おぼつかなくぞ思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふに、宮(みや)には殿(との)おはしまして、よき日して、大はんにや・くはんをんぎやう・やくしきやう・寿命経などの御読経、各(おのおの)ふだんにせさせ給(たま)ふ。法華経(ほけきやう)は始(はじ)めよりせさせ給(たま)へばなりけり。年(とし)頃(ごろ)山(やま)に籠りて、里さと)へも出(い)でぬ。僧(そう)ども尋(たづ)ね召(め)し出(い)でて、此(こ)の御読経に、候(さぶら)はせ給(たま)ふ。公(おほやけ)よりは、長日の御すほう始(はじ)めさせ給(たま)ふ。様々(さまざま)の御祈(いの)りどもいみじ。
斯(か)かる程(ほど)に、殿(との)の高松(たかまつ)殿(どの)の二郎君、むまのかみにておはしつる、十七八ばかりにやとぞ、いかにおはしけるにか、よなかばかりに、よかはの聖(ひじり)の許(もと)におはして、われ法師(ほふし)になし給(たま)へ。年(とし)頃(ごろ)の本意(ほい)なりと宣(のたま)ひければ、ひじり、大(おほ)殿(との)のいとたうときものにせさせ給(たま)ふに、必(かなら)ず勘当(かんだう)侍(はべ)りなんと申してきかざりければ、いとこころぎたなきひじりのこころなりけり。殿(との)びんなしと宣(のたま)はせんにも、かばかりの身にては苦(くる)しうや覚(おぼ)えん。悪(わろ)くもありけるかな。こころになさずとも、かばかり思(おも)ひ立(た)ちてとまるべきならずと宣(のたま)はせければ、理(ことわり)なりと打(う)ち泣きて、なし奉(たてまつ)りにけり。聖(ひじり)の衣(ころも)取(と)り着(き)させ給(たま)ひて、直衣(なほし)・さしぬぎ・さるべき御衣(ぞ)など、皆ひじりに脱ぎ給(たま)はせて、綿(わた)の御衣(ぞ)一(ひと)つばかり奉(たてまつ)りて、山(やま)にむどうじと言(い)ふところに、夜の内(うち)におはしにけり。よかはのひじり、怪(あや)しき法師(ほふし)一人(ひとり)をぞそへ奉(たてまつ)りける。それを御とも
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にて登り給(たま)ひぬ。
此(こ)の大徳などや言(い)ひ散らしけん、日の出(い)づる程(ほど)に、此(こ)の殿(との)うせ給(たま)へりとて、大(おほ)殿(との)より多(おほ)くの人(ひと)をあがちて、もとめ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、よかはのひじりのもとにて出家(しゆつけ)し給(たま)へると言(い)ふ事(こと)を聞(き)こし召(め)し〔て〕、哀(あは)れに悲(かな)しう、いみじと思(おぼ)し召(め)して、よかはのひじりを召(め)しに遣(つか)はしたるに、かしこまりて、とみにも参(まゐ)らず、いとあるまじき事(こと)なり。参(まゐ)れ<と度々(たびたび)召されて参(まゐ)りたれば、殿(との)の御(お)前(まへ)泣く<有様(ありさま)問(と)はせ給(たま)へば、ひじり申せしやう、宣(のたま)はせし様(さま)、かう<。いとふびんなる事(こと)をつかうまつりて、かしこまり申侍(はべ)ると申せば、などてかともかくも思(おも)はん。ひじりなさずとも、さばかり思(おも)ひたちては、とまるべき事(こと)ならず。いと若(わか)き心地(ここち)に、ここらの中(なか)を捨(す)てゝ、人(ひと)知れず思(おも)ひ立(た)ちける、あはれなりける事(こと)なりや。わがこころにもまさりてありけるかなとて、山(やま)へ急(いそ)ぎのぼらせ給(たま)ふ。高松(たかまつ)殿(どの)のうへは、すべてものもおぼえ給(たま)はず。
殿(との)おはしませば、いくその人々(ひとびと)かきをひ登り給(たま)ふ。いつしかおはしまし着きて、見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、例(れい)の僧たちは、ひたいの程(ほど)けぢめ見(み)えでこそあれ、これはさもなくて、哀(あは)れに美(うつく)しう尊(たうと)げにておはす。猶(なほ)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、御涙(なみだ)とどめさせ給(たま)はず。そこらの殿(との)ばら、いみじう哀(あは)れに見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)さてもいかに思(おも)ひ立(た)ちし事(こと)ぞ。何事(なにごと)のうかりしぞ。われをつらしとおもふ事(こと)やありし。官(つかさ)かうぶりのこころもとなくおぼえしか。又(また)いかでかと思(おも)ひかけし女(をんな)の事(こと)やありし。異事(ことごと)は知(し)ら
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ず。世(よ)にあらん限(かぎ)りは何事(なにごと)をか見捨てゝはあらんとおもふに、こころ憂く、かくはゝをもわれをも思(おも)はで、斯(か)かる事(こと)ゝ宣(のたま)ひつゞけて泣かせ給(たま)へば、いとこころ〔あ〕はただしげに思(おぼ)して、われも打(う)ち泣き給(たま)ひて、さらに何事(なにごと)をかおもふ給(たま)へん。ただ幼(をさな)く侍(はべ)りし折より、いかでと思(おも)ひ侍(はべ)りしに、さやうにも思(おぼ)しかけぬ事(こと)を、かくと申(まう)さんもいと恥(は)づかしう侍(はべ)りし程(ほど)に、かうまでしなさせ給(たま)ひにしかば、あれにもあらでありき侍(はべ)りしなり。誰(たれ)にも<、なか<かくてこそ、つかうまつるこころざしも侍(はべ)らめと申し給(たま)ふ。さてやがてそこにおはしますべき御こころをきて・あるべき事(こと)ども宣(のたま)はす。
宮々(みやみや)の御つかひなど、すべていともの騒(さわ)がし。殿(との)の御(お)前(まへ)、泣く<をりさせ給(たま)ひぬ。御さうぞく急(いそ)ぎして奉(たてまつ)らせ、様々(さまざま)のものども奉(たてまつ)らせたまひ、高松(たかまつ)殿(どの)のうへ、泣く<御衣(ぞ)の事(こと)急(いそ)がせ給(たま)ふ。殿(との)ばら・宮々(みやみや)の奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつるは、きよらなりとて、皆てんだいの僧どもにくばらせ給(たま)ふ。高松(たかまつ)殿(どの)より奉(たてまつ)らせ給(たま)へる御衣(ぞ)をぞ、御料(れう)にはせさせ給(たま)ひける。いでや、今(いま)は布(ぬの)をこそとまでぞ思(おぼ)し召(め)しける。殿(との)よりも宮(みや)よりも、皆(みな)御具(ぐ)掟(おき)て奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。哀(あは)れにいみじうありがたき御出家(すけ)になん。
斯(か)かる程(ほど)に、皇后宮(くわうごうぐう)参(まゐ)らせ給(たま)へとあ〔れ〕ば、いかゞと覚(おぼ)しつゝませ給(たま)ふに、御こころの程(ほど)をや推(お)し量(はか)り聞(き)こえさせ給(たま)ひけん、殿(との)の御(お)前(まへ)、など皇后宮(くわうごうぐう)は参(まゐ)らせ給(たま)はぬにか。もろともに候(さぶら)はせ給(たま)はんこそ、よき事(こと)なるべければ、一所(ひとゝころ)おはしまさんは悪(あ)しき
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事(こと)なりと奏せさせ給(たま)へば、それにつけて、猶(なほ)疾く思(おぼ)したて、おとどもかやうになど、常(つね)に聞(き)こえさせ給(たま)へば、思(おぼ)し召(め)し立(た)ちて参(まゐ)らせ給(たま)ふ。御こしなどあたらしくせさせ給(たま)ひて、いとあるべき限(かぎ)りうるはしくしたてゝ参(まゐ)り給(たま)ふ程(ほど)も、一夜(ひとよ)の御まかでにこそ似ねど、儀式(ぎしき)有様(ありさま)は同(おな)じ事(こと)なり。姫宮(ひめみや)はいとげの御車(くるま)にぞ奉(たてまつ)りける。御こしには致仕の大納言(だいなごん)の御むすめ、大納言(だいなごん)の君(きみ)つかうまつり給(たま)へり。女房(にようばう)もより候(さぶら)ひしに、又(また)参(まゐ)りて、いと目安(やす)くこころにくき御有様(ありさま)なり。
男(をとこ)宮(みや)たち三(み)所(ところ)引(ひ)き連(つ)れさせ給(たま)ひつるに、四の宮(みや)は、御髪(ぐし)は膕(よをろ)過(す)ぎて脛(はぎ)ばかりなり。御かほつきなど、かばかりのわらはもがなと見(み)えさせ給(たま)ふ。それも御直衣(なほし)奉(たてまつ)りたる御有様(ありさま)など、さはいへど、いみじぎ殿(との)ばらの君達(きんだち)には似させ給(たま)はず。おはしましぬれば、年(とし)頃(ごろ)珍(めづら)しき御物語(ものがたり)共(ども)推(お)し量(はか)るべし。御(お)前(まへ)に火たき屋かきすへて、大床子などの程(ほど)のけはひ、うへの御(お)前(まへ)に御覧(ごらん)ずるも、かうてこそは見(み)奉(たてまつ)らんと思(おも)ひしか。みづからよりはかうては、おもふごとしたるこそ嬉(うれ)しけれなど、哀(あは)れにかたらひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。姫宮(ひめみや)の十二三ばかりにていと美(うつく)しうおはしますを、明(あ)け暮(く)れ見(み)奉(たてまつ)らぬ事(こと)を口(くち)惜(を)しう思(おぼ)し召(め)したり。
斯(か)かる程(ほど)に、大(おほ)殿(との)の左衛門(さゑもん)の督を女(むすめ)おはする殿(との)ばらけしきだち給(たま)へど、思(おぼ)し定(さだ)めぬ程(ほど)に、四条(しでう)大納言(だいなごん)の御女(むすめ)二(ふた)所(ところ)を、中姫君(なかひめぎみ)は、四条(しでう)宮に、産まれ給(たま)ひけるより、とり放(はな)ち聞(き)こえ給(たま)ひて、姫宮(ひめみや)とてかしづき聞(き)こえ給(たま)ふ。
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おほいぎみをぞ大納言(だいなごん)世(よ)になきものとかしづき聞(き)こえ給(たま)ふ。ばゝうへは、村上(むらかみ)のせんていの九の宮(みや)、まちおさの入道(にふだう)少将(せうしやう)たかみつの御女(むすめ)の御腹(はら)に、女宮のいみじうめでたしといはれ給(たま)ひしを、あはた殿(どの)取(と)り奉(たてまつ)りて、此(こ)の大納言(だいなごん)のむこどり給(たま)へりしなりければ、はゝうへさばかりものきよくおはします。されど年(とし)頃(ごろ)尼(あま)にておはしませば、大納言(だいなごん)殿(どの)はやまめのやうにておはすれど、ほかごゝろもおはせねば、たゞ此(こ)の姫君(ひめぎみ)をいみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるに、此(こ)の左衛門(さゑもん)のぜうの君(きみ)をと思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、ほのめかし聞(き)こえ給(たま)ひけるに、こころにげなる御けしきなれば、思(おぼ)し立(た)ちて急(いそ)がせ給(たま)ふ。
内(うち)・東宮(とうぐう)などにこそ、斯(か)かる人(ひと)の御かしづきむすめは参り給ふ、例(れい)の事(こと)なれど、内(うち)には皇后宮(くわうごうぐう)、年(とし)頃(ごろ)宮々(みやみや)の御はゝにておはします。また中宮(ちゆうぐう)はたともかくも人(ひと)の申すべきにあらねば、筋(すぢ)なし。東宮(とうぐう)はた、三四ばかりにおはしまして、御あそびをのみしつゝ、ありかせ給(たま)ふに、内(うち)・春宮(とうぐう)放(はな)ちては、さばいかゞ。此(こ)の殿(との)の君たちの事(こと)のみこそは、人(ひと)のいみじき事(こと)は思(おも)ひためれと思(おぼ)し立(た)つ。げにと見(み)えたり。あべい事(こと)どもしたてさせ給(たま)ひて、四条(しでう)の宮(みや)の西(にし)の対(たい)にて、むこどり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。寝殿(しんでん)にてと思(おぼ)せど、宮(みや)の御(お)前(まへ)などおはしましつきたれば、いまさらになど思(おぼ)し召(め)すなるべし。宮(みや)もろともに奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、むこどり奉(たてまつ)り給(たま)ひつ。姫君(ひめぎみ)十三四ばかりにて、御ぐしいとふさやかにて、御たけに足らぬ程(ほど)にて、
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すそなどいとめでたし。御(おほん)かほつきなど、いみじう美(うつく)しげにおはすれば、男君(をとこぎみ)おもふ様(さま)にいと嬉(うれ)しう思(おぼ)さる。よろづの事(こと)、おくぶかくこころにくき。御あたりの有様(ありさま)なれば、思(おも)ひ遣(や)るべし。
さて日頃(ひごろ)ありて、御露顕(ところあらはし)など、こころもとなからずせさせ給(たま)へり。宮(みや)もとよりいみじうものきよらかにおはしますに、此(こ)の頃(ごろ)の有様(ありさま)、する事(こと)どもを聞(き)こし召(め)しあはせて、殿(との)も宮(みや)も、聞(き)こえあはせ給(たま)ひつゝせさせ給(たま)へる事(こと)ども、いとなべてにあらず。大(おほ)殿(との)も、いと目安(やす)きわざなめり。彼の大納言(だいなごん)は、いと恥(は)づかしうものし給(たま)ふ人(ひと)なり。思(おも)ひのまゝにふるまひては、いとおしからんなど、常(つね)にいさめ聞(き)こえさせ給(たま)ふべし。日頃(ひごろ)ありて、御乳母(めのと)の、くらの命婦(みやうぶ)のもとに、はかなき御衣(ぞ)のおろしなどに、よろづあたらしき事(こと)どもなどそへさせ給(たま)へり。四条(しでう)の宮(みや)は、いかでわがあるとき、此(こ)の姫君(ひめぎみ)の事(こと)をともかうもとぞ、思(おぼ)されける。月日過(す)ぎもていきて、東三条(とうさんでう)殿(どの)には。中宮(ちゆうぐう)の御事(こと)誠(まこと)になりはてて、御(おん)心地(ここち)なども苦(くる)しう思(おぼ)されて、内(うち)の御つかひ日にふたゝびなど参り、はかなうあけくるゝにつけても、いつしかとのみ、いみじう疎(おろ)かならぬ御祈(いの)りどもなり。



栄花物語詳解巻十一


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〔栄花物語巻第十一〕 莟(つぼ)み花(ばな)
一条(いちでう)/の-院(ゐん)失せさせ給(たま)ひ/て\後(のち)、女御(にようご)・更衣(ころもがへ)の御有様(ありさま)-共(ども)、様々(さまざま)に聞(き)こゆる/に、承香殿の女御(にようご)/に、故式部(しきぶ)きやう宮(みや)の源宰相(さいしやう)の君(きみ)よりさだの君(きみ)\忍(しの)びつつかよひ聞(き)こえ給(たま)ふ\程(ほど)/に、右のおとどきゝ給(たま)ひ/て、まことそらごとあらはし聞(き)こえんと思(おぼ)しける程(ほど)/に、御目に誠(まこと)/なりけりと見給(たま)ひてけれ/ば、いみじうむつからせ給(たま)ひ/て、さばかり美(うつく)しき御(み)-髪(ぐし)/を、手づからあまになし奉(たてまつ)り給(たま)ふ/に、憂き事(こと)かず知らず見(み)えたり。あさましう怪(あや)しき事(こと)/に、世(よ)-人(ひと)もとののうちにも言(い)ひ騒(さわ)ぐ程(ほど)/に、其(そ)/の後(のち)も猶(なほ)忍(しの)びつゝかよひ給(たま)ひけれ/ば、其(そ)/の度(たび)/は、いづちも<おはしねとあれ/ば、女御(にようご)の御乳母(めのと)/ゝ\ある/は、実誓僧都(そうづ)と言(い)ふ人(ひと)の車(くるま)やどり/なり、其(そ)/の家(いへ)に渡(わた)り\給(たま)ひ/ぬ。宰相(さいしやう)もさるべきにこそと思(おも)ひ/つゝ、疎(おろ)か/ならずかよひ給(たま)ふ程(ほど)/に、自(おの)づから御(み)-髪(ぐし)なども目安(やす)くなりもてゆく。怪(あや)しうひが<しき\事(こと)/に、世(よ)/の-人(ひと)も思(おも)ひ聞(き)こえたり。同(おな)じきわか君達(きんだち)/と\いへ/ども、これは村上(むらかみ)の四の宮(みや)、源帥(そち)-殿(どの)/の\御女(むすめ)の腹(はら)/なれ/ば、いとものきよくものし\給(たま)ふ/を、あやにくに此(こ)/の殿(との)宣(のたま)ふ/を/ぞ、かへすがへす怪(あや)しき事(こと)に人(ひと)聞(き)こゆ/める。又(また)、くらべやの女御(にようご)と聞(き)こえ
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/し/に/は、はゝのとう〔三〕位(ゐ)、今(いま)/の\宣耀殿(せんえうでん)の御はらから/の、修理(しゆり)/のかみをぞあはせ聞(き)こえためる。
かくて中宮(ちゆうぐう)も\唯(ただ)/におはしまさ/ね/ば、出(い)で/させ給(たま)ふ/に、斎信大納言(だいなごん)のおほいの御門(みかど)/の家におはしまい/て、月-頃(ごろ)にならせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、そこにて御(み)-子(こ)むまれ給(たま)ふ/べきにやとおもふ程(ほど)/に、此(こ)/の-頃(ごろ)土御門(つちみかど)-殿(どの)に渡(わた)ら/せ給(たま)ふ/べけれ/ば、いへあるじ-殿(どの)、何(なに)わざをと思(おぼ)し急(いそ)が/せ給(たま)ふ。それも東三条(とうさんでう)院(ゐん)に出(い)で/させ給(たま)へ/り//を、そこの焼けにしか/ば、こちに渡(わた)ら/せ給(たま)ひ/つるなりけり。さて土御門(つちみかど)-殿(どの)には渡(わた)ら/せ給(たま)ふ/に、宮(みや)の御贈(おく)り物(もの)/に\何(なに)わざをして参(まゐ)らせんと思(おぼ)し/ける/に、何事(なにごと)も珍(めづら)しげなき世(よ)/の御有様(ありさま)となりにためれ/ば、なか</なり/とて、村上(むらかみ)の御ときのにつき/を、大(おほ)きなる冊子(さうし)四(よ)つに絵(ゑ)にかかせ給(たま)ひ/て、佐理の兵部(ひやうぶ)-卿(きやう)のむすめの君(きみ)/と、延〓きみとに書かせ給(たま)ひ/て、麗(うるは)しき筥(はこ)一双(ひとよろい)に入(い)れさせ給(たま)ひ/て、さべき御手本など具(ぐ)して奉(たてまつ)り給(たま)ひ/けれ/ば、宮(みや)はよろづのものにまさりて嬉(うれ)しく思(おぼ)し召(め)されけり。女房(にようばう)/の\中(なか)には大(おほ)いなる桧破子(ひわりご)をして、白(しろ)い物・薫物(たきもの)などをぞ入(い)れて出(い)だし給(たま)へりける。かくて渡(わた)ら/せ給(たま)ひ/て、そこにて御祈(いの)り-ども/を、大宮(おほみや)の折の事(こと)どもを皆(みな)せさせ給(たま)ふ。いとわりなき\程(ほど)/の\有様(ありさま)/にて、いと恐(おそ)ろしく、いかに<と思(おぼ)し-騒(さは)が/せ給(たま)ふ。まこと/や、彼の\大納言(だいなごん)の御許(もと)にさるべき家司(いへづかさ)/なり、殿(との)位(くらゐ)などまさらせ給(たま)ひ/けり。いと面目(めいぼく)\ある\御様(さま)なり。
かくていかに<と御心(こころ)を尽くし、念(ねん)じ聞(き)こえ/させ
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\給(たま)ふ\程(ほど)/に、長和二年七月六日の夕がた/より、御けしきある様(さま)におはしませ/ば、御祈(いの)りの僧どもこゑをあはせてののしる。加持\参(まゐ)り、うちまきし騒(さわ)ぐ。うちにも聞(き)こし召(め)し/て、御つかひ頻(しき)り/に参(まゐ)る。御はらへ/の\程(ほど)、いみじくなりあひ/たり。月-頃(ごろ)いみじかりつる御祈(いの)りの験(しるし)/に/や、いぬのときばかりにいと平(たひら)かに御(み)-子(こ)むまれ給(たま)ひ/ぬ。今(いま)一(ひと)-頻(しき)り/のどよみの程(ほど)/に、あさましきまでおどろ<しき/に、僧などいと苦(くる)しから/ぬ\程(ほど)/に、なら/せ\給(たま)ひ/ぬ。世(よ)になくめでたき\事(こと)/なる/に、\唯(ただ)\御(み)-子(こ)何(なに)かと言(い)ふ事(こと)聞(き)こえ給(たま)は/ぬ/は、女(をんな)におはしますにやと見(み)えたり。殿(との)の御(お)-前(まへ)いと口(くち)-惜(を)しく思(おぼ)し召(め)せ/ど、さばれ、これ/を\始(はじ)めたる御事(こと)/なら/ば/こそ\あら/め、又(また)も自(おの)づからと思(おぼ)し召(め)す/に、これ/も\悪(わろ)からず思(おぼ)し召(め)さ/れ/て、こよひのうちに御湯(ゆ)-殿(どの)あるべくののしりたつ。
うち/に/は、けざやか/に\奏せさせ給(たま)は/ね/ど、自(おの)づから聞(き)こし召(め)しつ。御剣(はかし)いつしかと持(も)て参(まゐ)れり。例(れい)は女におはします/に/は。御はかし/は\なき/を、何事(なにごと)も今(いま)の世(よ)/の有様(ありさま)は様々(さまざま)の例(れい)を引かせ給(たま)ふ/べきにあら/ね/ば、殊(こと)/の-外(ほか)/にめでたければ、これを始(はじ)めたる例(ためし)になりぬべし。御使(つかひ)の禄(ろく)、夜目(よめ)にもけざやかに見(み)ゆる、鶴(つる)の毛衣(けごろも)の程(ほど)も心(こころ)-異(こと)/なり。御ちつけ/に/は、東宮(とうぐう)の御乳母(めのと)/の近江(あふみ)の内侍(ないし)/を\召(め)し/たり。それは御乳母(めのと)-達(たち)数多(あまた)候(さぶら)ふなか/に/も、これは殿(との)の上(うへ)の御乳母(めのと)ご/の\数多(あまた)のなかの其(そ)/の一人(ひとり)なる大宮(おほみや)の内侍(ないし)なりけり。
さて\日頃(ひごろ)\候ふ/べき/に、宮(みや)の御湯(ゆ)-殿(どの)/の儀式(ぎしき)有様(ありさま)思(おも)ひ-遣(や)り
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\聞(き)こゆべし。五位(ごゐ)・六位(ろくゐ)御弦打(つるうち)に廿人(にん)召(め)し/たり。五位(ごゐ)は蔵人(くらんど)五位(ごゐ)をえらば/せ給(たま)へ/り。女(をんな)におはしませ/ば、うちにも今(いま)少(すこ)し心(こころ)-異(こと)/にをきて聞(き)こえさせ給(たま)ふ。\唯(ただ)\同(おな)じく/は/と、誰(たれ)も思(おぼ)さ/る/べし。されど東宮(とうぐう)のむまれ給(たま)へ/り/し/を、\殿(との)の御(お)-前(まへ)/の御はつむまご/にて、ゑいぐわの初花(はつはな)と聞(き)こえ/たる/に、此(こ)/の御事(こと)をば莟(つぼ)み花(ばな)とぞ聞(き)こえさすべかめる。それは只今(ただいま)こそ心(こころ)もとなけれ。とき至(いた)りて開(ひら)けさせ給(たま)はん程(ほど)めでたし。白(しろ)い御調度(てうど)/など、\大宮(おほみや)の御例(れい)なり。
御乳母(めのと)に人々(ひとびと)いみじく参(まゐ)らまほしう案内(あんない)申す/べし。宮(みや)のうちの女房(にようばう)-達(たち)、さるべき君達(きんだち)の御(み)-子(こ)\産(う)み/たる/など、あかものに頼(たの)み申し/たり/けれ/ど、いかにも<\唯(ただ)\他人(よそびと)のあたらしから/ん/を/と/ぞ、宮(みや)の御(お)-前(まへ)思(おぼ)し志(こころざ)し/た/める。女房(にようばう)の白(しろ)き衣(きぬ)ども、さばかり暑(あつ)き程(ほど)/なれ/ど、よろづをしつくし、いかで珍(めづら)しき様(さま)にせんと思(おも)ひたる様(さま)ども、心々(こころごころ)におかしうなん。御産養(うぶやしなひ)、三日夜(よ)はとのせさせ給(たま)ふ。五日夜(よ)は宮司(みやづかさ)、七日は公(おほやけ)/より、九日は大宮(おほみや)よりぞせさせ給(たま)へるめる。此(こ)/の-頃(ごろ)殿(との)ばら・殿上人(てんじやうびと)の参(まゐ)る有様(ありさま)、三位より始(はじ)めて六位(ろくゐ)/まで、\唯(ただ)\大宮(おほみや)の御ときの有様(ありさま)なるべし。
東宮(とうぐう)まだ御乳(ち)聞(き)こし召(め)す程(ほど)/なれ/ば、内侍(ないし)とう参(まゐ)るべき御消息(せうそこ)頻(しき)り/なり。御乳母(めのと)に参(まゐ)らん/と申す\人々(ひとびと)数多(あまた)\ある/を、心(こころ)もとなく思(おぼ)し召(め)す程(ほど)/に、故関白(くわんばく)-殿(どの)/の御(み)-子(こ)/と\いは/るる。中務(なかつかさ)/の-大輔(たいふ)ちかよりの君(きみ)の妻(め)のおとうと、としとを/が\妻(め)/なり、御乳母(めのと)/は\いせのかみのむすめぞ\参(まゐ)り/たる/は、やがて夜(よ)の中(うち)に御(おほん)-乳(ち)
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\聞(き)こし召(め)さ/せ/て、内侍(ないし)はうちへ\参(まゐ)りぬ。さべき贈(おく)り物(もの)/など、\いとおどろ<しう思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ひ/て、御(おほん)-乳(ち)つけ/に/しも\あら/ず、やがて御乳母(めのと)の中(うち)に入(い)れさせ給(たま)ひ/つ。
若宮(わかみや)の御(み)-髪(ぐし)あさましくながく、ふりわけにをひさせ給(たま)へり。やがてかくて思(おぼ)し聞(き)こえさせんと定(さだ)めあり。何事(なにごと)もいとめでたし。いみじう美(うつく)し-げにおはします/を、うちにも聞(き)こし召(め)し/て、いつしかとゆかしく思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。此(こ)/の-頃(ごろ)は少(すこ)し心(こころ)のどかげ/にて、殿(との)の御(お)-前(まへ)よりよなかわか/ず、若宮(わかみや)の御扱(あつか)ひに渡(わた)ら/せ給(たま)ふ/に、誰(たれ)もわびしくあつき\程(ほど)/に、うちとけたるいねども、いとかたはらいたし。今(いま)\参(まゐ)りたる御乳母(めのと)/も、いとどもの恥(は)づかしげなり。
うちにいとゆかしげに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひ/つれ/ば、九月ばかりに行幸(ぎやうがう)あらせ/ん/と、殿(との)の御(お)-前(まへ)思(おぼ)し志(こころざ)したり。宮(みや)の御(お)-前(まへ)\其(そ)/の\後(のち)\悩(なや)ましげにのみおはしませ/ば、とみにも参(まゐ)らせ給(たま)ふ/まじ。行幸(ぎやうがう)/の事(こと)/を、此(こ)/の-頃(ごろ)/は。殿(との)のうち急(いそ)ぎ磨(みが)き、よろづつくろはせ給(たま)ふ。御五十日/を、御門(みかど)/はうちにて/など\思(おぼ)し宣(のたま)はすれ/ど、宮(みや)のえ参(まゐ)らせ給(たま)は/ね/ば、里(さと)にて聞(き)こし召(め)す。殿(との)よりよろづにし尽くさせ給(たま)ひ/て、うち、殿上人(てんじやうびと)・台盤所(だいばんどころ)/など、\よろづに大宮(おほみや)までもて\参(まゐ)りさばく。様々(さまざま)のおりびつ物・こもの/など、\かずをつくしてせさせ給(たま)へり。またうちよりいかでか思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ひ/けんと見ゆる/まで、よろづこまかにめでたくせさせ給(たま)へり。八月廿-余(よ)-日(にち)の程(ほど)/なれ/ば、女房(にようばう)のなりどもいみじうし/たる/に、また\唯(ただ)\睦月(むつき)の行幸(ぎやうがう)の事(こと)
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/を\急(いそ)ぎ立(た)た/せ給(たま)ふ。御うぶやの折/も、御五十日/に/も、うちの女房(にようばう)のさるべき限(かぎ)り\皆(みな)\参(まゐ)りたり。御門(みかど)/の御乳母(めのと)の紀の三位のむすめ、源典侍(ないしのすけ)を始(はじ)め、さかり少将(せうしやう)/など/や、さるべき人々(ひとびと)/は\皆(みな)宮(みや)のみふだ/に\つき/たる\ども、おぼつかなからず参(まゐ)りまかづめる。
九月にもなりぬれ/ば、行幸(ぎやうがう)の事(こと)今日(けふ)明日(あす)の程(ほど)に急(いそ)が/せ給(たま)ふ事(こと)いみじ。宮(みや)の女房(にようばう)のなりいみじ/き/に、督(かん)/の-殿(との)の御方(かた)・殿(との)の上(うへ)の御方(かた)、われも</と\ののしる事(こと)いみじ。ふねのがくなどいみじく整(ととの)へさせ給(たま)へり。行幸(ぎやうがう)の有様(ありさま)、皆(みな)例(れい)の作法(さほふ)/なれ/ば、かきつゞくまじ。大宮(おほみや)の東宮(とうぐう)のむまれさせ給(たま)へ/り/し\後(のち)の行幸(ぎやうがう)、\唯(ただ)\\其(そ)/の\まゝの有様(ありさま)なり。殿(との)の有様(ありさま)いみじくおもしろし。ながしまのまつのつたの紅葉(もみぢ)/など、つねの年(とし)はいとかうしもあら/ね/ど、世(よ)/のけしきにしたがふ/に/や、いみじくさかり/に、色々(いろいろ)めでたく見ゆる/に、ゑましうそゞろさむし。上(うへ)の御覧(ご-らん)ずる/に、御目もをよばずめでたう思(おぼ)し召(め)さ/るゝ/に、ふね/の\がく-ども/の\まひ-出(い)で/たる/など、\大方(おほかた)心(こころ)の事(こと)ゝは思(おぼ)し召(め)さ/れ/ず、いみじく御覧(ご-らん)ぜらる。まつのかぜきんをしらぶるに聞(き)こえ、よろづおもしろく吹きあはせたり。御簾ぎはの女房(にようばう)/の\なり、いへ/ば\え/なら/ぬ\にほひどもなり。
入らせ給(たま)ひ/ていつしか/と、若宮(わかみや)をいづらはと申(まう)さ/せ給(たま)へ/ば、殿(との)の御(お)-前(まへ)抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て候はせ給(たま)へれ/ば、抱(いだ)き取(と)り奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へ/ば、ふくよかに美(うつく)しうおはしまし/て、御(み)-髪(ぐし)\振り分けにおはします/を、御覧(ご-らん)じおどろか/せ
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\給(たま)ひ/て、いかになど聞(き)こえさせ給(たま)へ/ば、御物語(ものがたり)をこゑだかにせさせ給(たま)ひ/て、うちゑみうちゑみ-せ/させ給(たま)へ/ば、あな美(うつく)しがり給(たま)へるにこそあめれ。まだ\斯(か)かる人(ひと)をこそ見ざりつれ。うたてあまりゆゝしき御髪(かみ)かな。今年(ことし)過(す)ぎば居丈(ゐだけ)にもなりぬべかめりなど\仰(おほ)せ/られ/て、いみじく美(うつく)し-げに聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
宮(みや)の御(お)-前(まへ)も見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へ/ば、唐(から)の綾(あや)を白菊(しらぎく)にて押(を)し重(かさ)ねて奉(たてまつ)りたり。さればしろき御よそひと見(み)えてめでたき/に、いかに暑き程(ほど)/の御事(こと)/は、御(み)-髪(ぐし)のためこそいみじけれ/とて、見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へ/ば、御すそにたまり/たる\程(ほど)、こよなくところせげに見(み)えさせ給(たま)へ/ば、怪(あや)しく見苦(ぐる)しき子持(こもち)の御(み)-髪(ぐし)かな。古子持(ふるこもち)など、髪(かみ)のすそ細(ほそ)う、色(いろ)青(あを)びれなどし/たれ/ば/こそ、心(こころ)苦(ぐる)しけれ。いとものぐるをしき御有様(ありさま)かな。此(こ)//の\ちご宮(みや)もはゝの御有様(ありさま)に似たるにこそあめれなど聞(き)こえ給(たま)ひ/て、いづら、乳母(めのと)はとゝはせ給(たま)へ/ば、殿(との)の御(お)-前(まへ)、御乳母(めのと)/は。いたく里(さと)び、物恥(ものはぢ)してえ\参(まゐ)り侍(はべ)ら/ざめり/とて、また抱(いだ)きゐて奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/ぬ。
御帳のうちに入らせ給(たま)ひ/て、月-頃(ごろ)の御物語(ものがたり)/など\心(こころ)のどかに聞(き)こえ給(たま)ふ。かく美(うつく)しき人(ひと)を今(いま)/ゝで\見/ざり/つる\事(こと)、猶(なほ)めでたき事(こと)/なれ/ど、此(こ)/の身の有様(ありさま)こそ苦(くる)しけれ。いみじくおもふ\人(ひと)/のともかくもおはせ/ん/を、とみにも見ぬ事(こと)いみじく口(くち)-惜(を)しかし/など、\よろづに聞(き)こえさせ給(たま)ひ/て、いざちごむかへ/て、なかに臥せて見ん。いみじく美(うつく)しきものかな。此(こ)/の宮(みや)たち/の
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\ちご/なり/し/を/こそ、美(うつく)しう\見/しか/ど、猶(なほ)それは例(れい)の有様(ありさま)なり。これは殊(こと)/の-外(ほか)/におかしく見ゆる/は、髪(かみ)の長(なが)ければなめり。猶(なほ)<疾く<入らせ給(たま)へ。うちにては乳母(めのと)いるまじ。まろ乳母(めのと)にて侍(はべ)ら//ん/など、聞(き)こえさせ給(たま)へ/ば、ものぐるをし/とて、少(すこ)し忍(しの)びやかに笑(わら)は/せ給(たま)ふ。
斯(か)かる-程(ほど)/に\日/も\暮れ/ぬれ/ば、上達部(かんだちめ)の御あそび/に\なり/ぬる/が、いみじくなつかしくおもしろき/に、ながしまのもののね/など、ものはるかに聞(き)こゆる/に、なみのこゑ・まつのかぜなども様々(さまざま)にいみじ/や。とみに出(い)で/させ給(たま)ふ/まじき御けしき/なれ/ば、殿(との)入らせ給(たま)ひ/て、夜(よ)に入(い)り侍(はべ)りぬ。かばかりおもしろきあそびども御覧(ご-らん)ぜんと申(まう)さ/せ給(たま)へ/ば、いとおもしろしときゝ侍(はべ)り。がくのこゑは聞くこそおもしろけれ。見るはおかしうやはある。様々(さまざま)のまひどもは皆(みな)見侍(はべ)り/ぬ/と、いとのどかに宣(のたま)はすれ/ば、すげなくて出(い)で/させ給(たま)ひ/ぬ。むげに夜(よ)に入(い)りぬれ/ば、そゝのかし申(まう)さ/せ給(たま)へ/ば、しぶ</に\起き/させ\給(たま)ふ/とて、猶(なほ)疾く入らせ給(たま)へ。今日(けふ)明日(あす)の程(ほど)にとかへすがへす聞(き)こえさせ給(たま)ひ/て出(い)でさせ給(たま)ひ/ぬ。
かくて、左大将(さだいしやう)召(め)し/て、此(こ)/のいへのこ/の君達(きんだち)の位(くらゐ)まし、殿(との)の家(いへ)-司(づかさ)どもの加階-せ/させ、又(また)若宮(わかみや)の御乳母(めのと)のかうぶりゆべき\事(こと)など書き出(い)で/させ給(たま)ひ/て、宮(みや)の御(お)-前(まへ)には啓(けい)せさせ給(たま)ふ。殿(との)はやがて御(お)-前(まへ)にて舞踏し給(たま)ふ。若宮(わかみや)の御乳母(めのと)かうぶり給(たま)はり、近江(あふみ)の内侍(ないし)はかかい/を/ぞ\せさせ給(たま)へる。かくて御贈(おく)り物(もの)、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)/など/の贈(おく)り物(もの)、例(れい)の事(こと)ども
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\思(おも)ひ-遣(や)るべし。よろづあさましくめでたき殿(との)の有様(ありさま)なり。此(こ)/の土御門(つちみかど)-殿(どの)にいくそ度(たび)行幸(ぎやうがう)あり。数多(あまた)の后(きさき)出(い)で入らせ給(たま)ひ/ぬ/らん/と、世(よ)/のあみものに聞(き)こえつべき殿(との)なり。これを勝地と言(い)ふなりけり。これをゑいぐわと言(い)ふにこそあめれ/と、怪(あや)しの者(もの)どもの下(しも)を限(かぎ)れるしなどもゝ、喜(よろこ)び笑(ゑ)み栄(さか)えたり。げにこそよき事(こと)を見聞く/は、我が身の事(こと)/なら/ね/ども、嬉(うれ)しうめでたし。あしき事(こと)を見聞く/は、せんかたなくいとおしきわざ/なれ/ば、此(こ)/の殿(との)ばら・宮々(みやみや)の御有様(ありさま)/を、いづれの民(たみ)も愛(め)で喜(よろこ)び聞(き)こえたり。
御門(みかど)かへら/せ\給(たま)ひ/て\後(のち)/は、若宮(わかみや)を御心(こころ)につきこひしう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひ/て、\唯(ただ)\疾く</と/のみ、御つかひ頻(しき)り/に参(まゐ)れ/ども、猶(なほ)例(れい)ならずのみ思(おぼ)さ/れ/て、のどかげなる御けしきなり。されどうちよりきゝにくきまで申(まう)さ/せ給(たま)へ/ば、十一月(じふいちぐわつ)十日の程(ほど)にぞ参(まゐ)らせ給(たま)ふ/べき。五節(ごせつ)・臨時(りんじ)/の-祭(まつり)などうちしきれ/ば、女房(にようばう)のなり/など、\数多(あまた)襲(かさね)の御用意(ようい)あるべし。月-頃(ごろ)ひさしくなりにける御里居(さとゐ)、若(わか)き人々(ひとびと)。猶(なほ)心(こころ)-異(こと)/に今(いま)めくめり。若宮(わかみや)の御乳母(めのと)今(いま)二人(ふたり)\参(まゐ)り添(そ)ひ/たり。一人(ひとり)はあはのかみまさときの朝臣(あそん)のむすめ、べんの乳母(めのと)ゝ言(い)ふ。今(いま)一人(ひとり)はいせの前司(ぜんじ)たかかたの朝臣(あそん)のむすめ、中務(なかつかさ)の乳母(めのと)ゝ言(い)ふ。月-頃(ごろ)様々(さまざま)\参(まゐ)りあつまりたる女房(にようばう)のかずなど多(おほ)かる/べし。こたみは法住寺の大臣(おとど)/の五の君(きみ)、やがて五の御方(かた)とて候(さぶら)ひ給(たま)ふ。故関白(くわんばく)-殿(どの)/の御むすめ、対(たい)の御方(かた)の腹(はら)の君(きみ)、此(こ)/の御門(みかど)/の東宮(とうぐう)におはしましゝときの御(み)-櫛笥(くしげ)-殿(どの)/にて\候ひ/し/は、麗景殿(れいけいでん)
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/の\内侍(ないし)のかみの御はらからなるべし。またまさみつの大蔵卿(おほくらのきやう)のむすめ、源帥(そち)/の御(おん)-中(なか)の君(きみ)はらも\参(まゐ)り給(たま)へり。それも御み)-櫛笥(くしげ)-殿(どの)になさせ給(たま)へり。此(こ)/のほかのさべき人(ひと)のむすめなどかずいとおほふ\参(まゐ)り給(たま)へり。
すべて此(こ)/の-頃(ごろ)/の\事(こと)/に/は、さ/べき\人(ひと)/の\妻子(めこ)皆(みな)宮仕(みやづかへ)に出(い)ではてぬ。篭(こも)り居(ゐ)/たる/は、おぼろ-げ/の\疵(きず)、片端(かたは)づき/たら/ん/と/ぞ\言(い)ふ/める。さてもあさましき世なりや。太政(だいじやう)-大臣(だいじん)の御むすめ/も、かく出(い)で交(ま)じらひ\給ふ、いみじき事(こと)なり。今(いま)暫(しば)し\あら/ば、何(なに)の院(ゐん)/など/の御後(のち)も出(い)で給(たま)ひ/ぬべかめり/など/ぞ、人(ひと)\申す/める。かくて参(まゐ)らせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、若宮(わかみや)/を、上(うへ)の御(お)-前(まへ)御乳母(めのと)の煩(わづら)ひ\なく、明(あ)け暮(く)れ抱(いだ)きもて扱(あつか)はせ給(たま)ふ。あまりかたはらいたし。今(いま)よりはかなき御具(ぐ)ども、何事(なにごと)をし残(のこ)さ/んと思(おぼ)し召(め)したり。
はかなく年(とし)も返(かへ)り/て、長和三年(さんねん)になりぬ。正月一日より始(はじ)め/て、あたらしく珍(めづら)しき御有様(ありさま)なり。あらたまの年(とし)立(た)ち返(かへ)りぬれ/ば、くもの上(うへ)もはればれしう\見(み)え/て。そらをあふがれ、よ/の\程(ほど)/に\立(た)ち替(かは)りたる春の霞(かすみ)も紫(むらさき)に薄(うす)く濃(こ)くたなびき、日/の\けしき麗(うらゝ)かに光(ひかり)さやけく見(み)え、百千鳥(もゝちどり)も囀(さへづ)りまさり、よろづ皆(みな)心(こころ)ある様(さま)/に\見(み)え、花(はな)もいつしかと紐(ひも)をとき、垣根(かきね)の草(くさ)も青(あを)み渡(わた)り、朝(あした)の原(はら)も荻(をぎ)の焼原(やけはら)かき払(はら)ひ、春日野(かすがの)/の飛火(とぶひ)の野守(のもり)も、万代(よろづよ)の春(はる)の始(はじ)めの若菜(わかな)を摘(つ)み、氷(こほり)解(と)く風(かぜ)もゆるく吹(ふ)きて枝(えだ)を鳴(な)らさず、谷(たに)の鴬(うぐひす)も行末(ゆくすゑ)遥(はるか)なる声(こゑ)に聞(き)こえて耳(みゝ)とまり、船岡(ふなをか)の子(ね)の日(ひ)の松/も、いつしかと君(きみ)にひかれてよろづよ
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/を経(へ)/ん/と\思(おも)ひ/て、常磐堅磐(ときはかきは)の緑(みどり)色(いろ)深(ふか)く見(み)え、甕(もたひ)のほとりの竹葉(ちくえう)も末(すゑ)の世(よ)遥(はるか)に見(み)え、階(はし)の下(もと)の薔薇(さうび)も夏(なつ)を待(ま)ち顔(がほ)/に/など\し/て、様々(さまざま)めでたき/に、てうはいより始(はじ)め/て\よろづにおかしき/に、宮(みや)の御方(かた)の女房(にようばう)のなりども、つね/だに\ある/に、まいてものあざやか/に、薫(かをり)ふかきも理(ことわり)と見(み)えたり。
殿上にはしんどり/と\言(い)ひ/て、こちたく酔(ゑ)いののしり/て、うたてくらうがはしき事(こと)どもさしまじるべし。さるべき公(おほやけ)の御まつりごをも思(おぼ)し紛(まぎ)れず、上(うへ)中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)に渡(わた)ら/せ給(たま)へり。え/も-いは/ずめでたき御直衣(なほし)/に、なべてならず耀(かかや)くばかりなる御(おほむ)-衣(ぞ)ども重(かさ)ねさせ給(たま)へり。御かたち有様(ありさま)、雄々(をを)しうらう<じう\恥(は)づかしげにおはします。宮(みや)の御(お)-前(まへ)はもえぎの御几帳(きちやう)にはたかくれておはします。かうばいの御衣(ぞ)/を/ぞ、やへにも過(す)ぎ/て、いくつともなく奉(たてまつ)り/たる。上(うへ)に、浮文(うきもん)の色(いろ)濃(こま)やかなるを奉(たてまつ)り/たる/に、同(おな)じ色(いろ)の御扇(あふぎ)のかたそばの方(かた)に、大(おほ)き/なる\山(やま)\書き/たる/を、わざ/と/なら/ず\さしかくさせ給(たま)へる御有様(ありさま)、なべて/なら/ず\恥(は)づかしげにけだかう\おはします。御(み)-髪(ぐし)のあさましうながく、ところせげにおはします\程(ほど)、いかでかくと見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。織物(おりもの)に髪(かみ)みだる/と\言(い)ふ\事(こと)/は、髪(かみ)のかるびれ\すくなきときの事(こと)なりけり。やがてうるはしくすがり/て、ひまもなくめでたくおはします。
上(うへ)、いづら/は、若宮(わかみや)はととはせ給(たま)へ/ば、命婦(みやうぶ)の乳母(めのと)抱(いだ)き奉(たてまつ)りて参(まゐ)る。御はかしべんの乳母(めのと)もて参(まゐ)る。御(み)-髪(ぐし)/を\そがせ給(たま)へれ/ば、押しかへし今(いま)こそちごなりけれとて、
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それにつけ/て/も、あな美(うつく)しと見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、抱(いだ)き取(と)り奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、もちゐかがみ見せ奉(たてまつ)ら/せ\給(たま)ふ/とて、きゝにくきまで祈(いの)りいはひつゞけさせ給(たま)ふ¥事(こと)ども/を、御(お)-前(まへ)に候ふ人々(ひとびと)はえ念ぜず。自(おの)づから\うちざゝめき、うづえほかひなど言(い)ふ心地(ここち)こそすれ/とて、忍(しの)びやかに笑(わら)ふ/をいかに<と\仰(おほ)せ/らるゝ\程(ほど)/も、すゞろにめでたくおぼえさせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)-たち、われも<と花を折(を)りてつかうまつる\程(ほど)/も、あらまほしげなり。
宮(みや)と御物語(ものがたり)せさせ給(たま)ひ/て、うち笑(わら)は/せ給ふなゝども聞(き)こゆ。若(わか)き人々(ひとびと)押(お)し凝(こ)りたる御几帳(きちやう)の際(きは)など、絵(ゑ)/に\かか/まほし。大納言(だいなごん)-殿(どの)参(まゐ)らせ給(たま)へれ/ば、暫(しば)し御物語(ものがたり)/など\有(あ)り/て、やがて御-供(とも)につかうまつらせ給(たま)ひ/ぬ。四宮の御髪(ぐし)長(なが)う/て、御直衣(なほし)すがた、女(をんな)をつくり立(た)てたらんやうに見(み)えさせ給(たま)ふ。事(こと)どもやう<果て/ゝ、心(こころ)のどかになりもていき/て、上(うへ)より松(まつ)にゆきのこほり/たる/を、
@春(はる)来(く)れど過(す)ぎにし方(かた)の氷(こほり)こそ松(まつ)にひさしくとどこほりれ W112。
/と\あれ/ば、宮(みや)/の\御(おほん)-かへし、
@千代(ちよ)経(ふ)べき松(まつ)の氷(こほり)は春(はる)来(く)れどうち解(と)けがたきものにぞありける W113。
\晦日(つごもり)になりぬれ/ば、司召(つかさめし)/とて、嬉(うれ)しきもさらぬもあり。
彼の四条(しでう)大納言(だいなごん)の御姫君(ひめぎみ)/は、こぞより唯(ただ)/ならぬ御けしきなりけれ/ば、大納言(だいなごん)も尼上(あまうへ)/も、いみじう思(おぼ)し/て、様々(さまざま)の御祈(いの)りどもいみじ。男君(をとこぎみ)はいみじう思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へ/れ/ど、
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\猶(なほ)いと心(こころ)づきなく、ともすれ/ば、御かくれあそび/の\程(ほど)/も、わらはげたる心地(ここち)-し/て、それをあかぬ事(こと)にぞ思(おぼ)されたる。
かくて内(うち)-辺(わた)りめでたくてすごさせ給(たま)ふ\程(ほど)/に、火出(い)で来(き)て焼(や)けぬ。御門(みかど)も宮(みや)/も、まつもとゝ言(い)ふところに渡(わた)ら/せ給(たま)ひ/ぬ。いづれの御とき/も、斯(か)かる事(こと)はあれ/ど、心(こころ)のどかにしも思(おぼ)し召(め)さ/れ/ぬ/に、斯(か)かる事(こと)をいと<口(くち)-惜(を)しく思(おぼ)さるべし。三日\あり/て、やがてだいりつくるべき事(こと)思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ふ。其(そ)/の\折の修理(しゆり)/のかみ/に/は、皇后宮(くわうごうぐう)の御せうとのみちたう/の-君(きみ)、南殿造(つく)るべく仰(おほ)せらる。もくのかみ/に/は、此(こ)/の宮(みや)の御乳母(めのと)の男(をとこ)。中務(なかつかさ)/の-大輔(たいふ)ちかより/と\あり/し\君(きみ)/を、此(こ)/の司召(つかさめし)になさせ給(たま)へ/り/しか/ば、せいらう殿/を/ば。それつくる。こと殿(との)/を/ば、\唯(ただ)\受領各(おのおの)皆(みな)つかうまつるべき宣旨(せんじ)くだり/て、官使部原国々あかれぬ。此(こ)/の四月みあれの日より手斧(てをの)-始(はじ)め/て、来年の四月いぜん/に\つくりいださ/ゞら/ん/を/ば、官(つかさ)をとりくにを召(め)しかへしなどせさせ給(たま)ひ、其(そ)/の\程(ほど)/につくり/を\へ/たら/ん\あら/ば、任(にん)を延(の)べ位(くらゐ)をまさせ給(たま)ふべきよしの宣旨(せんじ)くだりぬ。かくきびしく\仰(おほ)せ/られしか/ば、まづ近(ちか)きくに<”、南殿・せいらうでん/など/は、皆(みな)四月棟(むね)上(あ)げんとす。公(おほやけ)ごとは異(こと)/なるものなりけり<と見(み)あさみ思(おも)ふべし。
斯(か)かる-程(ほど)/に、三月廿-余(よ)-日(にち)にいはしみづのりうじ/の-祭(まつり)/に、若宮(わかみや)の御乳母(めのと)、うち/に\え\候ふ/まじき\事(こと)/や\あり/けん、にはかに出だし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。殿(との)の上(うへ)添(そ)ひて率(ゐ)て奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。なんでんにぞおはします。御乳母(めのと)-たち、さる/べき\女房(にようばう)。五六人(にん)ぞつかうまつれる。出(い)で/させ給(たま)ひ/て又(また)の日、うち/より、
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\中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)より(き)こえさせ給(たま)へる。かぜの心(こころ)あはただしかり/けれ/ば/なる/べし。
@もろともにながむる折の花(はな)ならば散らすかぜをもうらみざらまし W114。
\これを御覧(ご-らん)じ/て、殿(との)の御かへし、
@心(こころ)して暫(しば)しな吹きそはるかぜはともに見るべき花(はな)も散(ち)らさで W115。
/と/ぞ。\
斯(か)かる-程(ほど)/に、一条(いちでう)/の-院(ゐん)-殿(どの)の尼上(あまうへ)、大宮(おほみや)の宮(みや)たち見(み)奉(たてまつ)り/し/に、我が命(いのち)はこよなう延びにたり。今(いま)は中宮(ちゆうぐう)の姫宮(ひめみや)をだに見(み)奉(たてまつ)らではとなん宣(のたま)はすれ/ば/とて、殿(との)の上(うへ)の御(お)-前(まへ)、さる/べき\ひま/を\思(おぼ)し召(め)しけれ/ば、かう<此(こ)/の宮(みや)/なん、此(こ)/の-頃(ごろ)心(こころ)に出(い)で/させ給(たま)へ/る。よき\折/なり、ゐて奉(たてまつ)ら/ん/と、一条(いちでう)-殿(どの)に聞(き)こえさせ給(たま)へれ/ば、いと嬉(うれ)しき\事(こと)/なり/とて、にはかに御まうけ-し、急(いそ)が/せ給(たま)ふ。姫宮(ひめみや)の御乳母(めのと)-共(ども)/に/は、上(うへ)の御(お)-前(まへ)見(み)えさせ給(たま)は/ね/ば、上(うへ)の御車(くるま)に宮(みや)をば乗せ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、御乳母(めのと)-達(たち)・事(こと)-女房(にようばう)車(くるま)一りやう/して、\唯(ただ)/の\人々(ひとびと)大方(おほかた)の車(くるま)みつばかりにて渡(わた)ら/せ給(たま)ふ。
尼上(あまうへ)、いみじうしつらひ/て、我(われ)もいみじく心懸想(こゝろげさう)-せ/させ\給(たま)ひ/て、待(ま)ち聞(き)こえさせ給(たま)ふ\程(ほど)/に、渡(わた)ら/せ給(たま)へり。上(うへ)の御(お)-前(まへ)抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へれ/ば、いみじう美(うつく)し-げ/にて、\唯(ただ)\笑(わら)ひ/に笑(わら)は/せ給(たま)ふ。あな美(うつく)し。これを抱(いだ)き奉(たてまつ)らばやと思(おも)へ/ども、泣きやせさせ給(たま)は/ん/と、煩(わづら)はしくてと宣(のたま)はすれ/ば、など/て/か、\よも泣かせ給(たま)は/じ/とて、おはしませと申(まう)さ/せ給(たま)へ/ば、\唯(ただ)\かかりにかから
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/せ\給(たま)へ/ば、あな嬉(うれ)しやとて抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、いみじう慈(うつく)しみ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。猶(なほ)命(いのち)は長く侍(はべ)るべきにこそあめれ。此(こ)/の宮(みや)の抱(いだ)か/れ給(たま)ふ。ちごの抱(いだ)か/れぬはいむとこそきゝ侍(はべ)れ。いかで、此(こ)/の\御かたがたの皆(みな)斯(か)かるわざし給(たま)は/ん/を、見\奉(たてまつ)りてとこそは思(おも)ひ給(たま)ふれ/ば/と。宣(のたま)はする/を、上(うへ)いとあはれと見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
さて御乳母(めのと)-達(たち)いみじくいたはらせ給(たま)ふ。上(うへ)の御(お)-前(まへ)も心(こころ)のどか/御物語(ものがたり)聞(き)こえさせ給(たま)ひ/て、又(また)の日ぞかへらせ給(たま)ふ。御贈(おく)り物(もの)/に、此(こ)/の年(とし)-頃(ごろ)誰(たれ)にも知らせ給(たま)はで持たせ給(たま)へ/り/ける\香壷(かうご)の筥(はこ)一双(ひとよろひ)に、古(いにしへ)のえ/も-いは/ぬ香(かう)ども/の今(いま)は名をだにも聞(き)こえ/ぬ/や、其(そ)/の折の薫物(たきもの)/など/のいみじども/の\かず/を\尽くさせ給(たま)へり。又(また)みちかぜ/が\本/など、いみじきものども/の銀(しろがね)・黄金(こがね)の筥(はこ)に入(い)れ/たる/など/を/ぞ\奉(たてまつ)らせ給(たま)へる。斯(か)かる女(をんな)-宮(みや)出(い)でおはしますとて置(お)きて侍(はべ)り/つる/なり/とて、さがし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)-達(たち)/に/は、皆(みな)さるべき様(さま)のさうぞく-ども、また絹(きぬ)など添(そ)へて賜(たま)はせ給(たま)ふ。\唯(ただ)/の\女房(にようばう)-たち/に/も、様々(さまざま)いみじくせさせ給(たま)へり。あか/ず/と\いかにこひしくと聞(き)こえさせ給(たま)ふ。かくてかへらせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、一人(ひとり)ゑみして、こひしうおぼえさせ給(たま)ふ\まゝ/に/は、あひなき事(こと)、少将(せうしやう)やこなた/に/や/と、いとど美(うつく)しう思(おぼ)し召(め)しまはす/も、おこがましうぞ見(み)えさせ給(たま)ひ/けるとぞ侍(はべ)りし。



栄花物語詳解巻十二


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栄花物語巻詳解 巻六
           和田英松 佐藤球 合著
〔栄花物語巻第十二〕 たまのむらぎく
今年(ことし)東宮(とうぐう)七にならせ給(たま)ふ。長和四年とぞ言(い)ふ。御文始(はじ)めの事(こと)あり。がくしには、おほえのまさひらが子の一条(いちでう)の院(ゐん)の御時の蔵人(くらうど)つかうまつりし、挙周(たかちか)をぞなさせ給(たま)へる。其(そ)のころ大(おほ)殿(との)は左大臣(さだいじん)にておはします。堀河(ほりかは)のは右大臣(うだいじん)、閑院(かんゐん)をば内大臣(ないだいじん)と聞(き)こゆ。殿(との)の君達(きんだち)、大納言(だいなごん)にておはします。二郎は左衛門(さゑもん)のかうにて検非違使(けんびゐし)別当高松(たかまつ)殿(どの)のを二位(にゐ)中将(ちゆうじやう)など聞(き)こゆべし。よの上達部(かんだちめ)様々(さまざま)多(おほ)かれど記(しる)さず。
かやうにて過(す)ぎもてゆくに、左衛門(さゑもん)のかう殿(との)の上(うへ)、月頃(ごろ)唯(ただ)ならずものせさせ給(たま)ひける。七八月に当(あた)らせ給(たま)へりければ、四条(しでう)の宮(みや)にてあしかるべしとて、殿(との)人(びと)の三条(さんでう)に家(いへ)持(も)たるが許(もと)にぞ渡(わた)らせ給(たま)ひける。さて八月十余(よ)日にいと平(たひら)かに、いみじう美(うつく)しき女君(をんなぎみ)むまれ給(たま)へり。大(おほ)殿(との)よりも宮(みや)よりも、よろこびの御消息(せうそこ)あまりなるまで頻(しき)りに聞(き)こえさせ給(たま)ふ。大納言(だいなごん)殿(どの)・尼上(あまうへ)などの御けしき思(おも)ひ遣(や)るべし。御産屋(うぶや)の程(ほど)の有様(ありさま)、さらなれば、書(か)き続(つゞ)けず。三日の夜は本家にせさせ給(たま)ふ。五日の夜は大(おほ)殿(との)より、七日の夜は大宮(おほみや)よりとぞ、中宮(ちゆうぐう)・督(かん)の殿(との)よりは、ちご
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の御衣(ぞ)などぞありける。中宮(ちゆうぐう)より、御衣(ぞ)にそへて、
@雛鶴(ひなづる)の白妙衣(しろたへごろも)今日(けふ)よりは千年(ちとせ)の秋(あき)にたちや重(かさ)ねん W116。
などぞほのきゝ侍(はべ)りし。
かくて日頃(ひごろ)あるべき限(かぎ)りの御有様(ありさま)にて、四条(しでう)の宮(みや)にかへらせ給(たま)ふ。なりたふに様々(さまざま)のものかづけさせ給(たま)ふをば。さるものにて、大(おほ)殿(との)、かく平(たひら)かにせさせ給(たま)へる事(こと)ゝて、かかいをせさせ給(たま)ふ。かくて四条(しでう)宮(みや)に渡(わた)らせ給(たま)ひて、いつしかやがてよき日とて見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、えもいはず美(うつく)しうおはしませば、始(はじ)めたる事(こと)にこそとて、年(とし)頃(ごろ)のさるべきものどものなかに、てほんなどを御贈(おく)り物(もの)にせさせ給(たま)ふ。只今(ただいま)は殿(との)限(かぎ)りなうかしづき聞(き)こえさせ給(たま)ふも理(ことわり)なり。大納言(だいなごん)殿(どの)には、うらやましく聞(き)こし召(め)すべし。
はかなう月日も過(す)ぎもてゆくに、此(こ)の隆家の中納言(ちゆうなごん)、月頃(ごろ)目をいみじう煩(わづら)ひ給(たま)ひて、よろづ治し尽くさせ給(たま)へど、猶(なほ)いと見苦(ぐる)しうて、今(いま)は事(こと)に交(ま)じらひもし給(たま)はず、あさましうて篭(こも)り居(ゐ)給(たま)ひぬ。さるは大(おほ)殿(との)なども、明(あ)け暮(く)れ碁(ご)・双六(すぐろく)がたきに思(おぼ)し、にくからぬ様(さま)にもてなし聞(き)こえさせ給(たま)ふに、いみじく心苦(こゝろぐる)しくいとほしき事(こと)に思(おぼ)されける。口惜(くちを)しくあたらしき事限(かぎり)な
し。斯(か)かる程(ほど)に、大弐(だいに)の辞書(じしよ)と言(い)ふもの、公(おほやけ)に奉(たてまつ)りたりければ、我(われ)も我(われ)もとのぞみののしりけるに、此(こ)の中納言(ちゆうなごん)、さばれこれや申してなりなましと思(おぼ)し立(た)ちて、さるべき人(ひと)に。言(い)ひあはせなどし給(たま)ひけるに、から人(ひと)は。いみじう目を
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なんつくろひ侍(はべ)るなる。さておはしましてつくろはせ給(たま)へなど、さるべき人々(ひとびと)聞(き)こえければ、うちにも奏せさせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)にも申(まう)させ給(たま)ひければ、いと心(こころ)苦(ぐる)しき事(こと)に御門(みかど)も思(おぼ)されけるに、大(おほ)殿(との)も誠(まこと)にだに申(まう)さば、他人(ことひと)にとあべきならずとてなり給(たま)ひぬ。霜月(しもつき)の事(こと)なれば、さはなり給(たま)へれど、今年(ことし)などは思(おぼ)したつべきにあらず。いみじうあはれなる事(こと)に世(よ)人(ひと)聞(き)こゆ。
此(こ)の九月に殿(との)の上(うへ)うぢ殿におはしましたりけるに、それよりいみじき紅葉(もみぢ)につけて聞(き)こえさせ給(たま)へりし、
@見れど猶(なほ)あかぬ紅葉(もみぢ)のちらぬまは此(こ)の里人(さとびと)になりぬべきかな W117。
と聞(き)こえさせ給(たま)へりければ、中宮(ちゆうぐう)より御(おほん)かへし、
@心(こころ)にだにあさくは見(み)えぬ紅葉葉(もみぢば)をふかきやまべを思(おも)ひこそやれ W118。
とこそ聞(き)こえさせ給(たま)ひけれ。
月日も過(す)ぎて、年(とし)もかへりぬ。正二月例(れい)の世(よ)の有様(ありさま)にて過(す)ぎもてゆく。今年(ことし)は姫宮(ひめみや)の御年(とし)三(み)つにならせ給(たま)へば、四月に御袴(はかま)の事(こと)あるべし。今(いま)よりつくもどころにちいさき御具(ぐ)どもいみじうせさせ給(たま)ふ。御門(みかど)びば殿におはしませば、やがて其(そ)の殿(との)にてあべし。うちにてあらぬ口(くち)惜(を)しく思(おぼ)し召(め)さるれど、御乳母(めのと)より始(はじ)め、宮(みや)の女房(にようばう)達(たち)いみじう急(いそ)ぎたり。
かく言(い)ふ程(ほど)に、哀(あは)れにあさましき事(こと)は、帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)の御はらからの僧都(そうづ)ぎみこそ、はかなく煩(わづら)ひてうせ
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給(たま)ひぬと言(い)ふめれ。今(いま)は此(こ)の中納言(ちゆうなごん)と、此(こ)の君(きみ)とこそ残(のこ)り給(たま)へりつれ。心(こころ)憂(う)くいみじき事(こと)を世(よ)人(ひと)も聞(き)こゆ。一品(いつぽん)の宮(みや)・帥(そち)の宮などいみじう覚(おぼ)し嘆(なげ)くべし。あさましう心(こころ)憂(う)かりける殿(との)の御有様(ありさま)をぞ、いでや、殿(との)方(がた)は世(よ)にさしもおはしまさじ。はゝ北(きた)の方(かた)の御方(かた)やいかになどあれど、さて山井大納言(だいなごん)、頼親(よりちか)の内蔵頭などは、皆(みな)はら<”の君達(きんだち)ぞかし。それはさばいかなるぞとあるに、げにと聞(き)こえたり。さるは故関白(くわんばく)殿(どの)の御心(こころ)ばへなど、あてにおほどかにて、かく御すゑなどなからんとも見(み)えさせ給(たま)はざりしものをと心(こころ)憂(う)し。帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)、僧都(そうづ)ぎみの御事(こと)に世(よ)のなかいと心(こころ)憂(う)く思(おぼ)されて、いかにせんと思(おぼ)し乱(みだ)れけれど、またぢせんもものぐるおしければ、よろづに思(おぼ)し乱(みだ)れけり。さてのみやはとてくだり給(たま)ふ。賀茂(かも)の祭(まつり)の又(また)の日と思(おぼ)して、いみじう急(いそ)がせ給(たま)ふ。
うちには四月一日姫宮(ひめみや)の御袴着(はかまぎ)なり。大(おほ)殿(との)もいみじう御心(こころ)に入(い)れて急(いそ)がせ給(たま)ふに、内(うち)はた何事(なにごと)をもと思(おぼ)し召(め)して、えもいはずめでたくて奉(たてまつ)る。三日の程(ほど)よろづいとめでたし。上はともすれば、御(おん)心地(ここち)あやまりがちに、御もののけ繁(しげ)うおこらせ給(たま)へば、しづごゝろなく思(おぼ)し召(め)されて、うちをよるをひるに急(いそ)がせ給(たま)ふ。おりさせ給(たま)はんの御心(こころ)に、うちを作り出(い)でざらんがいと口(くち)惜(を)しき事(こと)に思(おぼ)し召(め)すなるべし。
かくて帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)、祭(まつり)のまたの日くだり給(たま)ふべければ、さるべき所々(ところどころ)より、
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御むまのはなむけの御装束(さうぞく)どもあるなかに、中宮(ちゆうぐう)より御心(こころ)寄せ思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へりければ、御装束(さうぞく)せさせ給(たま)ひて、御あふぎに、
@すゞしさは生(いき)の松原(まつばら)まさるとも添(そ)ふる扇(あふぎ)の風(かぜ)な忘(わす)れそ W119。
かくてわれはかちより、北(きた)の方(かた)はふねにてくだらせ給(たま)ふ。一品(いつぽん)の宮(みや)を世(よ)に心(こころ)苦(ぐる)しう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひながら、かうはるかに思(おぼ)したちぬれば、宮(みや)もいみじう哀(あは)れに心(こころ)細(ぼそ)く思(おぼ)さるべし。げん中納言(ちゆうなごん)によろづ宮(みや)の御事(こと)聞(き)こえつけてくだり給(たま)ひぬ。あさましうあはれなる世(よ)の有様(ありさま)なりかし。おはする程(ほど)など、さき<”よりは。こよなしと、人(ひと)褒め聞(き)こゆるさへあはれなり。
殿(との)の大納言(だいなごん)殿(どの)を、今(いま)は左大将(さだいしやう)と聞(き)こゆ。御門(みかど)御もののけともすれば、おこらせ給ふも、いと恐(おそ)ろしく思(おぼ)すに、皇后宮(くわうごうぐう)の女一の宮(みや)は、斎宮にておはしましにき。女二の宮(みや)をちごよりとりわき悲(かな)しくし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、我が御身だに心(こころ)のどかにおはしまさば、いかにも<あべき御有様(ありさま)なれど、ともすれば今日(けふ)か明日(あす)かとのみ心(こころ)細(ぼそ)く思(おぼ)し召(め)したれば、いかで此(こ)の御ためにさるべき様(さま)にと思(おぼ)し召(め)すに、只今(ただいま)思(おぼ)しかくべき事(こと)なければ、此(こ)の大(おほ)殿(との)の大将(だいしやう)などにや。これをあづけ奉(たてまつ)りてまし。御め中務(なかつかさ)の宮(みや)の女ぞかし。それいかばかりかあらん。さりとも此(こ)の宮(みや)にえまさらざらん。またわれかくては、え疎(おろ)かならじと思(おぼ)して、大(おほ)殿(との)の参(まゐ)らせ給(たま)へるに、上(うへ)此(こ)の事(こと)をけしきだち
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聞(き)こえさせ給(たま)へば、殿(との)ともかくも奏すべき事(こと)にも候(さぶら)はずと、かしこまり申(まう)させ給(たま)ひて、まかでさせ給(たま)ひて、大将(だいしやう)殿(どの)をよび奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、かう<の事(こと)をこそ仰(おほ)せられつれども、かうも申(まう)さでかしこまりてまかでぬ。はやうさるべき用意(ようい)して、其(そ)の程(ほど)ゝ仰(おほ)せごとあらん折、参(まゐ)るばかりぞかしと宣(のたま)はすれば、大将(だいしやう)殿(どの)ともかくも宣(のたま)はで、唯(ただ)御めに涙(なみだ)ぞうきたるは、いみじう上(うへ)を思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるに、此(こ)の事(こと)は逃(のが)るべきにもあらぬが、いみじう思(おぼ)さるゝなるべし。殿(との)其(そ)の御けしきを御覧(ごらん)じて、男(をのこ)はめは一人(ひとり)やはもたる、しれのやうや、今(いま)ゝで子もなかめれば、とてもかくても唯(ただ)子をまうけんとこそ思(おも)はめ。此(こ)の辺(わた)りはさやうにもおはしましなんと宣(のたま)はすれば、かしこまりて立(た)たせ給(たま)ひぬ。
大将(だいしやう)殿(どの)我が御殿(との)にかへらせ給(たま)ひて、上(うへ)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、いみじうめでたくしつらひたる御帳のまへに、短(みじか)き几帳(きちやう)をひきよせておはします。御衣(ぞ)のすそに。御(み髪(ぐし)のたまりたる、几帳(きちやう)のそばより見ゆる程(ほど)、唯(ただ)絵(ゑ)に書(か)きたるやうなり。二の宮(みや)の御(み)髪(ぐし)有様(ありさま)はしらず、けだかく恥(は)づかしげにやむごとなからんかたは、えしもやまさらざらんと、御心(こころ)のうちに思(おぼ)されて、つねよりも心(こころ)よう物語(ものがたり)聞(き)こえ給(たま)ふに、うちとけたらぬ御けしきを、例(れい)の事(こと)ながら、ありつる事(こと)ほの聞(き)こえたるにやと、御心(こころ)のをにに苦(くる)しう思(おぼ)さるゝに、人(ひと)知れずむね騒(さわ)がせ給ふも、怪(あや)しうおゝしからぬ御心(こころ)
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なりや。それも御志(こころざし)の限(かぎ)りなきなるべし。何事(なにごと)も世(よ)の御物語(ものがたり)哀(あは)れにもおかしうも聞(き)こえ給(たま)ふ。宮(みや)の御直衣(なほし)すがたおかしうて出(い)で入りまぎれ給(たま)ふを、殿(との)唯(ただ)我が御子のやうに美(うつく)しう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
内(うち)には人(ひと)知れず御用意(ようい)どもありて、つくもどころに御調度(てうど)の事(こと)、心(こころ)殊(こと)に召(め)し仰(おほ)せらる。皇后宮(くわうごうぐう)にも、内(うち)<にはいみじう思(おぼ)し召(め)し急(いそ)がせ給(たま)ふを、此(こ)の事(こと)いかでか漏り聞(き)こえけん。上(うへ)きかせ給(たま)ひて、唯(ただ)ともかくも思(おぼ)し宣(のたま)はせで、御心(こころ)のうちにこそは思(おぼ)すらめ。上(うへ)の御乳母(めのと)はとしとをがつまなり。これをきゝていとあさましう思(おも)ふ。例(れい)の人(ひと)よりは、心様(こころざま)はか<”しく、こころかしこき人(ひと)にてえ忍(しの)びあへず、ときどきくね<しき事(こと)など言(い)ふを、上(うへ)いとかたはらいたき事(こと)に思(おぼ)す。さばれ、かういはであれかしなど制し宣(のたま)はする程(ほど)も、なべてならぬ御こころなりかし。
さて皇后宮(くわうごうぐう)と内(うち)とより、頻(しき)りに御消息(せうそこ)かよひ、宮(みや)たちなどいそがしう出(い)で入り給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に、いかゞしけん、大将(だいしやう)殿(どの)日頃(ひごろ)御(おん)心地(ここち)悩(なや)ましく思(おぼ)さる。御かぜなどにやとて、御湯(ゆ)茹(ゝ)でせさせ給(たま)ふ。ほを聞(き)こし召(め)し御読経の僧ども、ばんかかずつかうまつるべく宣(のたま)はせ、めいそんあざりよごとによゐつかうまつりなどするに、さらに御(おん)心地(ここち)をこたらせ給(たま)ふ様(さま)ならず、いとど重(おも)らせ給(たま)ふ。光栄(みつよし)・吉平(よしひら)など召(め)して、ものとはせ給(たま)ふ。御もののけや、かしこきかみのけや、人(ひと)の呪詛など様々(さまざま)に申せば、かみのけと
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あらば、御すほうなどあるべきにあらず。また御もののけとあるも、まかせたらんも恐(おそ)ろしなど、かたがた思(おぼ)しみだるゝに、唯(ただ)御祭(まつり)・祓頻(しき)りなり。大(おほ)殿(との)しづごゝろなくいそがしうありかせ給(たま)ふ。上(うへ)の御(お)前(まへ)も安(やす)きそらなく思(おぼ)されて、渡(わた)らせ給(たま)はんとのみあれど、殿(との)の御(お)前(まへ)、をのがある同(おな)じ事(こと)なれば、只今(ただいま)はと聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)に、猶(なほ)此(こ)の殿(との)は、ちいさくよりかぜおもくおはしますとて、かぜの治どもをせさせ給(たま)ふ。日頃(ひごろ)すぐるにさらにおこたらせ給(たま)はねば、今(いま)は筋(すぢ)なしとて御すほう五だん始(はじ)めさせ給(たま)ふ。いつかばかりに其(そ)の験(しるし)けざやかならず、御もののけ出(い)で来てののしる。大(おほ)殿(との)にもさき<”出(い)でくるもののけどもとぞ言(い)ふ。などてかそれかうしも悩(なや)まし奉(たてまつ)るべき。もののけはさぞ言(い)ふなど申して、例(れい)の験(しるし)ある心誉僧都(そうづ)・叡効律師など言(い)ふ人々(ひとびと)さばかりまめに加持(かぢ)し奉(たてまつ)るに、此(こ)の御もののけさらにまことゝおぼゆる事(こと)なし。験(しるし)見(み)えず。
かくて一七日過(す)ぎぬ。今(いま)七日延べさせ給(たま)へり。此(こ)の度(たび)ぞいとけ恐(おそ)ろしきこゑ<”したるもののけ出(い)で来たる。これぞ此(こ)の日頃(ひごろ)悩(なや)まし奉(たてまつ)るものなめるとて、鳴(な)りかかりて加持(かぢ)しののしりて、駆(か)り移(うつ)したるけはひ、いとうたてあり。いかに<と思(おぼ)す程(ほど)に、きぶねのあらはれ給(たま)へるなりけり。こはなどかかるべき。此(こ)の殿(との)あだなるわざせさせ給(たま)ふ事(こと)なかりけり。さらにおぼえぬ事(こと)なりと、よくたづぬれば、彼の内(うち)辺(わた)りより聞(き)こゆる事(こと)により、此(こ)の上(うへ)の
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御乳母(めのと)などの、それを申(まう)させたる程(ほど)に、自(おの)づからかみの御こころはかく煩(わづら)はしく聞(き)こえ給(たま)ふなりけり。上(うへ)いと聞き苦(ぐる)しく思(おぼ)さるれど、いかゞはせさせ給(たま)はん。
大(おほ)殿(との)いとあぢきなき事(こと)かなと、思(おぼ)し聞かせ給(たま)ひて、「いかゞすべき」などおぼす程(ほど)に、大将(だいしやう)殿(どの)唯(ただ)消(き)えに消(き)え入(い)らせ給(たま)ひて、いとゆゝしく見(み)えさせ給(たま)へば、そこらの御読経・御すほう、何(なに)くれの御祈(いの)りの僧ども、あつまりて加持(かぢ)参(まゐ)り誦経(じゆぎやう)しののしれど、あさましくておはすれば、殿(との)の上(うへ)ものもおぼえさせ給(たま)はず、急(いそ)ぎ渡(わた)らせ給(たま)へり。いとどゆゝしう見(み)え給へば、唯(ただ)御かほに御かほをあてゝ、涙(なみだ)をながしておはしますに、殿(との)をさへここらの年(とし)頃(ごろ)つかうまつりつる。法華経(ほけきやう)助け給(たま)へ。此(こ)の世界(せかい)も道(みち)弘(ひろ)ごらせ給(たま)ふ事(こと)、多(おほ)くはなにがしがつかうまつれる事(こと)なり。此(こ)の折だ験(しるし)を見(み)奉(たてまつ)らず、おんをかうぶらでは、いつをか待たんずると言(い)ひつゞけさせ給(たま)ひて、泣く<ずりやうほんを読ませ給(たま)ふに、大将(だいしやう)殿(どの)うちみじろき給(たま)ひて、うちあざ笑(わら)はせ給(たま)ふ。殿(との)いよ<涙(なみだ)とどめがたくて読み入りておはします。御もののけ御(お)前(まへ)近(ちか)く候ふ女房(にようばう)の日比かかる事(こと)なりつるに、移りぬ。御もののけいとけだかくやむごとなきけはひにて、いみじうなく、僧たち。皆(みな)しめりて候ふ大将(だいしやう)殿(どの)には御湯など参(まゐ)らせ給(たま)ひて、上(うへ)の御(お)前(まへ)唯(ただ)ちごのやうに抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。いみじう思(おぼ)し召(め)したる事(こと)限(かぎ)りなし。
御もののけ、殿(との)の御前(まへ)を近(ちか)く寄(よ)らせ給(たま)へと申せば、寄(よ)らせ給(たま)へれば、己(おのれ)は世(よ)に侍(はべ)りし折(をり)、いと痴(し)れ
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たりなどは人(ひと)おぼえずなん侍(はべ)りし。またあは<しく人(ひと)中に出(い)で来て聞(き)こゆるに、いと珍(めづら)しくある事(こと)なれど子の悲(かな)しさは大臣(おとゞ)も知(し)り給(たま)へればなん。此(こ)の大将(だいしやう)ををのが世(よ)に侍(はべ)りしおりごゝろさしありて、いかでなど思(おも)ひ給(たま)へしかど、命(いのち)絶(た)えてかく侍(はべ)るにこそあれと、あまかけりても此(こ)の辺(わた)りを片時(かたとき)去(さ)り侍(はべ)らず、いとつみふかからぬ身に侍(はべ)れば何事(なにごと)も皆(みな)見きゝてなん侍(はべ)るを、此(こ)の大将(だいしやう)をやむごとなきあたりに召(め)し入れられぬべく思(おぼ)しかまふめるを、日頃(ひごろ)安(やす)からぬ事(こと)と思(おも)ひ侍(はべ)れど、さはれ唯(ただ)まかせ聞(き)こえて見んと思(おも)ひ侍(はべ)るにいと安(やす)からぬ事(こと)におぼえて、みづから聞(き)こえんとばかり思(おも)ひしに、いとおしく此(こ)の君(きみ)のかくおどろ<しくものし給(たま)へば、いとこころ苦(ぐる)しくてなんかく聞(き)こゆると宣(のたま)はするは、故中務(なかつかさ)の宮(みや)の御けはひなりけりとこころ得(え)させ給(たま)ひつ。
殿(との)かしこまり申(まう)させ給(たま)ひて、すべてかへすがへす理(ことわり)に侍(はべ)れば、かしこまり申し侍(はべ)る。されどこれは此(こ)の男(をのこ)のおこたりにも侍(はべ)らず。またみづからのする事(こと)にも侍(はべ)らず。自(おの)づから侍(はべ)る事(こと)なりと申(まう)させ給(たま)へば、いかにさは子は悲(かな)しく思(おぼ)すやと、せめて度々(たびたび)申(まう)させ給(たま)ふ。此(こ)の事(こと)をながく思(おぼ)したらねどなるべし。殿(との)の御(お)前(まへ)に御覧(ごらん)ぜよ。げにさる事(こと)侍(はべ)らばと理(ことわり)のよし、度々(たびたび)申(まう)させ給(たま)へば、さは今(いま)はこころ安(やす)くまかりなん。さりともそらごとはおとどし給(たま)はじとなん思(おも)ひ侍(はべ)る。もしさらばうらみ申すばかりとて、さりぬ
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べき法文のあはれなるところうち誦しなどし給(たま)ふ。誠(まこと)にたがふところなくて暫(しば)しうち寝て覚めぬ。なごりもなく、御(おん)心地(ここち)さはやかにならせ給(たま)ひぬれば、殿(との)上(うへ)いみじう嬉(うれ)しと思(おぼ)したり。此(こ)の御もののけを、豪家(がうけ)にて様々(さまざま)あるにこそありけれ、これ去りぬれば、かきさましをともせず。御慎(つつし)み様々(さまざま)猶(なほ)いみじうせさせ給(たま)ふ。さてもあさましかりける御(おん)心地(ここち)にもあるかな。かねてかかる事(こと)のあるは、いと嬉(うれ)しき事(こと)なり。さて後(のち)にかやうの事(こと)あらましかば、たが御ためにもひなからましと宣(のたま)はするものから、口(くち)惜(を)しうなん思(おぼ)されける。
かくて御門(みかど)は猶(なほ)御(おん)心地(ここち)苦(くる)しう、ひさしうもたもつまじきなめりと思(おぼ)し召(め)すに、うちの出(い)でくまじきを口(くち)惜(を)しき事(こと)に思(おぼ)し召(め)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。彼の大将(だいしやう)殿(どの)はさてもいかなりし事(こと)どもにかと、怪(あや)しう思(おぼ)されて、唯(ただ)ならましよりは、口(くち)惜(を)しう思(おぼ)さるべし。それも大臣(おとど)の御こころにくしかし。上(うへ)はいともの恥(は)づかしう思(おぼ)さる。御乳母(めのと)にてはなどかさもあらざらんと、にくからず猶(なほ)こころかしこからん御乳母(めのと)は人(ひと)の御為にたいせちのものにぞありける。さて後(のち)にはいみじき事(こと)ありとも、かひあらましやは。
また大宮(おほみや)に山井の四君と言(い)ふ人(ひと)参(まゐ)りたりしを、此(こ)の大将(だいしやう)殿(どの)ものなどときどき宣(のたま)はせけるを、唯(ただ)ならぬ様(さま)になりにければ、いかにも<さたにあらば、いかに嬉(うれ)しからんと思(おぼ)されけるに、
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其(そ)の程(ほど)になりて、出(い)で居(ゐ)ていみじう祈(いの)りし、殿(との)ものなど遣(つか)はして、きよき事(こと)思(おぼ)し召(め)しをきてさせ給(たま)ふに、其(そ)のけしきありて、よろづに騒(さわ)ぎける程(ほど)に、ちごはむまれ給(たま)ひて、母(はゝ)は失せ給(たま)ひぬとののしる。あはれなる事(こと)を思(おぼ)し宣(のたま)はする程(ほど)に、君(きみ)男(をとこ)にておはしければ嬉(うれ)しうもなど聞(き)こし召(め)しけるに、二三日ばかりありて、それも失せにけり。母(はゝ)いみじう老いて子むまご多(おほ)く失(うしな)ふ中にも、此(こ)の度(たび)の事(こと)をいみじうます事(こと)なく思(おも)ひけり。大将(だいしやう)殿(どの)の御有様(ありさま)かやうにて御子おはしますまじきにやとぞ人々(ひとびと)聞(き)こえさすめる。
かくてうちつくり出(い)でて、十月に渡(わた)らせ給(たま)ふ。其(そ)の程(ほど)の有様(ありさま)例(れい)のごとし。中宮(ちゆうぐう)ちご宮(みや)入らせ給(たま)へとあれど、とみに入らせ給(たま)はぬ程(ほど)に、皇后宮(くわうごうぐう)ぞ入らせ給(たま)ふ。女二宮のこひしうおはしませば、聞(き)こえさせ給ふなるべし。さて入らせ給(たま)ひて日頃(ひごろ)おはします程(ほど)に、御物忌(ものいみ)なる日、皇后宮(くわうごうぐう)の御湯(ゆ)殿(どの)つかうまつりけるに、いかゞしけん、其(そ)の火出で来てうち焼けぬ。かかる事(こと)はさても夜(よる)などこそあれ。ひるなればいとかたはらいたくこころあはただしき事(こと)多(おほ)かり。東宮(とうぐう)も入らせ給(たま)へりしかば、それはやがて一条(いちでう)の院(ゐん)に渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。夜(よる)ひるきびしく仰(おほ)せられて、急(いそ)ぎ造(つく)り磨(みが)きたりけるに、入(い)らせ給(たま)ひて一月にだにならぬに、かかる事(こと)はあるものか。これにつけても御門(みかど)世(よ)の中(なか)をこころ細(ぼそ)く思(おぼ)し召(め)さる事(こと)限(かぎ)りなし。皇后宮(くわうごうぐう)もあり<て参(まゐ)らせ給(たま)へるに、かかる
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事(こと)のあるを、いみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。上(うへ)はおりさせ給(たま)はんとて、かく夜(よる)を昼(ひる)に急(いそ)がせ給(たま)ひしかども、すべてこころ憂くかかる事(こと)のあるをぞ、うちの焼くる事(こと)は度々(たびたび)なり。一条(いちでう)の院(ゐん)の御ときなど度々(たびたび)なりしかど、此(こ)の度(たび)のやうにあへなきやうなし。殿(との)の御(お)前(まへ)などもいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。
御門(みかど)は枇杷(びは)殿へ渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。さても中宮(ちゆうぐう)の入らせ給(たま)はずなりにしをかへすがへすめでたき事(こと)に世(よ)人(ひと)も申し思(おも)ひける。中宮(ちゆうぐう)は京極(きやうごく)殿(どの)におはします。かへすがへすめづらかなる事(こと)を、上(うへ)はよろづの事(こと)のなかに思(おぼ)し召(め)さるべし。おりさせ給(たま)はん事(こと)も、内(うち)などよく造(つく)り出でられば、其(そ)の作法(さほふ)にてと思(おぼ)し召(め)しつるに、かへすがへす口(くち)惜(を)しくさりとて、それ又(また)造(つく)り出(い)でんを待(ま)たせ給(たま)ふべきにあらずと、心憂(う)き世(よ)の歎(なげ)きなり。すゑの世(よ)の例(ためし)にもなりぬべき事(こと)を思(おぼ)し召(め)す。理(ことわり)になん。
斯(か)かる程(ほど)に、御(おん)心地(ここち)例(れい)ならずのみおはしますうちにも、もののさとしなどうたてあるまであれば、御物忌(ものいみ)がちなり。御もののけなんなべてならぬわたりにしおはしませば、宮(みや)の御(お)前(まへ)も、もの恐(おそ)ろしうなど思(おぼ)されて、こころよからぬ御有様(ありさま)にのみおはしませば、殿(との)の御(お)前(まへ)も上(うへ)もこれをえさらず嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に、年(とし)はいくばくもあらねば、こころあはただしきうなれど、いと悩(なや)ましく思(おぼ)し召(め)さるゝにぞ。いかにせましと思(おぼ)しやすらはせ給(たま)ふ。師走(しはす)の十余(よ)日月のいみじうあかきに、上(うへ)の御つぼねにて、宮(みや)
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の御(お)前(まへ)に申(まう)させ給(たま)ふ
@こころにもあらでうき世(よ)に長(なが)らへば恋(こひ)しかるべきよはの月かな W120。
長和五年正月十九日御譲位、東宮(とうぐう)には、式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)ゐさせ給(たま)ひぬ。二月九日御即位(そくゐ)なり。御門(みかど)は九(こゝの)つにならせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)は廿三にぞおはしましける。こよなき程(ほど)の御およすけなり。おりゐの御門(みかど)をも三条(さんでう)院(ゐん)と聞(き)こえさす。おりさせ給(たま)へれど、うちの焼けにしかば、猶(なほ)枇杷(びは)殿におはしましつれば、其(そ)のまゝにおはします。中宮(ちゆうぐう)は一条(いちでう)の院(ゐん)におはしましつればさておはします式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)は、かく東宮(とうぐう)に立(た)たせ給(たま)ふべしと言(い)ふ事(こと)ありければ、年(とし)頃(ごろ)女御(にようご)の御もとに、堀河(ほりかは)院(ゐん)におはしましつるを、皇后宮(くわうごうぐう)におはしまして、我が住ませ給(たま)ひしもとの宮(みや)の東(ひんがし)の対(たい)に、俄(にはか)に渡(わた)し奉(たてまつ)らせ給(たま)ひてしかば、堀河(ほりかは)のおとども女御(にようご)もいかなるべき事(こと)にかと思(おぼ)して、なか<嬉(うれ)しき事(こと)にと言(い)ふらんやうに、事(こと)の始(はじ)めに思(おぼ)しみだるべし。かやうの事(こと)を宮(みや)には聞(き)こし召(め)して、ものこころづきなう思(おぼ)し召(め)す。式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)とは一条(いちでう)の院(ゐん)の帥(そち)の宮をぞ今(いま)は聞(き)こえさすめる。もしこたみもやなど思(おぼ)しけん事(こと)音(おと)なくてやませ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)を理(ことわり)に世(よ)人(ひと)は申し思(おも)ひたれど、此(こ)の宮(みや)にはあさましう殊(こと)の外(ほか)にもありけるかな。うちかへし<我が御身一(ひと)つを怨みさせ給(たま)へど、かひなげなり。
御即位(そくゐ)に大極殿に渡(わた)らせ給(たま)へるに、御角髪(びづら)結(ゆ)はせ給(たま)へる程(ほど)、いみじう美(うつく)しきもののめでたく
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おはします。東宮(とうぐう)の御有様(ありさま)のやんごとなくめでたくおはしますにつけても、皇后宮(くわうごうぐう)はあはれ大将(だいしやう)殿(どの)おはしまさましかば、いかにめでたき御後見(うしろみ)ならましとのみ、御こころのうちに思(おぼ)しつゞけさせ給(たま)ふもいみじければ、忍(しの)ばせ給(たま)ふ。大(おほ)殿(との)は世は変(かは)らせ給(たま)へど、我が御身はいとどさかへまさらせ給(たま)ふやうにて、かはそひ柳(やなぎ)風(かぜ)吹(ふ)けば、動くと見れど根はつよし。と言(い)ふ古歌(ゝるうた)のやうに、動(うご)きなくて、おはします。えもいはずめでたき御有様(ありさま)なるに、猶(なほ)又(また)此(こ)の度(たび)は今(いま)一入(ひとしほ)の色(いろ)も心殊(こと)に見(み)えさせ給(たま)ふぞ。いとどいみじうおはしますめる。院(ゐん)東宮(とうぐう)の御事(こと)をさへ申しつけさせ給(たま)へれば、姫宮(ひめみや)の御事を思(おも)ひきこえさせ給へば、御暇(いとま)もおはしまさねど、よろづ扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
堀河(ほりかは)の院(ゐん)には、音(をと)に聞(き)く御有様(ありさま)を、本意(ほい)なく思(おぼ)し嘆(なげ)かるれど、承香殿の今(いま)は宰相(さいしやう)のかくものし給(たま)ふを、口(くち)惜(を)しく見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へど、今(いま)は此(こ)の女御(にようご)の御有様(ありさま)にぞ。よろづ思(おぼ)し慰(なぐさ)めける。宰相(さいしやう)の御子など出で来(き)給(たま)へれば、彼の水(みづ)の折(をり)思(おぼ)し出でられこころ憂し。式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)も、同(おな)じ宮(みや)たちと聞(き)こえさすれど御こころもかたちもいみじうきよらに、御ざえなどふかくやむごとなくめでたうおはしませば、御宿世(すくせ)の悪(わろ)くおはしましけるを、世に口(くち)惜(を)しきものに申し思(おも)へり。
大(おほ)殿(との)の大将(だいしやう)殿(どの)。此(こ)の宮(みや)の御事(こと)をふさはしきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、つねに参(まゐ)り通(かよ)はせ給(たま)ふと見し程(ほど)に、大将(だいしやう)殿(どの)の上(うへ)の御おとうとのなかの宮(みや)に此(こ)の
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宮(みや)をむこに取り奉(たてまつ)りてんと思(おぼ)し志(こころざ)したるなりけり。さてむことり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。大人(おとな)廿人(にん)。わらはべ四人(にん)下仕(しもづかへ)同(おな)じかずなり。我が御むすめのやうに、よろづを急(いそ)ぎ立(た)たせ給(たま)ひて、騒(さわ)がせ給(たま)ふ程(ほど)、上(うへ)ひとゝころを思(おも)ひ聞(き)こえさせ給ふゆへにこそと見(み)えさせ給(たま)ふ。あるがなかのおと宮(みや)は、三条(さんでう)の入道(にふだう)一品宮の御(み)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひし。十ばかりにやおはしますらん。こたみの斎宮にゐさせ給(たま)ひぬ。其(そ)の御扱(あつか)ひも唯(ただ)此(こ)の大将(だいしやう)殿(どの)よろづにせさせ給(たま)ふ。式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)いとかひありて、もてなし聞(き)こえさせ給(たま)ひけり。一品(いつぽん)にておはしましゝかば、御有様(ありさま)いとめでたきに、今(いま)はいとど大将(だいしやう)殿(どの)御後見(うしろみ)せさせ給(たま)へば、御苻などいづれのくにの官(つかさ)かは疎(おろ)かに思(おも)ひ申(まう)さんと見(み)えて、いとどしき御有様(ありさま)なるに、大宮(おほみや)よりもつねに何事(なにごと)につけても聞(き)こえさせ給(たま)ふ。大将(だいしやう)殿(どの)の御志(こころざし)、院(ゐん)なのおはしまさましも、かばかりの事(こと)をこそはせさせ給ましかとのみ見(み)えさせ給(たま)ふ。程(ほど)なく唯(ただ)ならずならせ給(たま)ひにけり。いと哀(あは)れになん。
東宮(とうぐう)には、堀河(ほりかは)の女御(にようご)参(まゐ)らせ給(たま)へ<とあれど、さき<”のやうに思(おも)ひのまゝにてはいかでかと思(おぼ)しやすらふ。いかに大(おほ)殿(との)の御むこにならせ給(たま)ふべしとある事(こと)の世(よ)に聞(き)こゆるに、堀河(ほりかは)の院(ゐん)には、かやうの事(こと)にも、押しかへしものを思(おぼ)すべし。院(ゐん)には猶(なほ)御(おん)心地(ここち)いと悩(なや)ましう思(おぼ)されて、ものこころ細(ぼそ)く思(おぼ)し召(め)さる。今年(ことし)は御はらへだいじやうゑなどあべき年(とし)なれば、今年(ことし)ともかく
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もおはしまさずもがなとのみ、思(おぼ)し召(め)しけり。殿(との)の御(お)前(まへ)公(おほやけ)ごとの様々(さまざま)繁(しげ)きにも、思(おぼ)しまぎれず。院(ゐん)の御事(こと)を思(おぼ)し扱(あつか)はせ給(たま)ふ。枇杷(びは)殿におはしませば、宗像の御崇(たたり)もむつかしければ、三条(さんでう)院(ゐん)をよるをひるになして急(いそ)ぎ造らせ給(たま)ふとあるは、入道(にふだう)一品(いつぽん)の宮(みや)のおはしましゝところなりけり。
はかなう五月五日にもなりにければ、大宮(おほみや)より姫宮(ひめみや)にとて、くすだま奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。それに
@そこふかくひけどたえせぬあやめぐさちとせをまつのねにやくらべん W121
御かへし中宮(ちゆうぐう)より
@年(とし)ごとのあやめのねにもひきかへてこはたぐひなのながき例(ためし)や W122。
今年(ことし)は大事どもあるべき年(とし)なれば、今(いま)より若君(わかぎみ)たちはかなきつぼやなぐひのかざりのりむまのくらの事(こと)を思(おぼ)し急(いそ)ぎけるもおかし。かくて六月もたちぬ。七月朔日(ついたち)には、ほうこう院(ゐん)のみはかうなど急(いそ)がせ給(たま)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に一条(いちでう)殿(どの)の尼上(あまうへ)、日頃(ひごろ)御(おん)心地(ここち)例(れい)ならず思(おぼ)さるれば、殿(との)の上(うへ)渡(わた)らせ給(たま)ひて見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、此(こ)の御事(こと)例(れい)の御悩(なや)みには似させ給(たま)はず、ものこころ細(ぼそ)き様(さま)にはかなき事(こと)も宣(のたま)はせ思(おぼ)したる。理(ことわり)の御事(こと)なれど、いと哀(あは)れにしづごゝろなく思(おぼ)し嘆(なげ)きて、様々(さまざま)の御祈(いの)りどもかず知らずせさせ給(たま)ふ。殿(との)もあからさまにおはしまして、猶(なほ)今年(ことし)平(たひら)かにて過(す)ぐさせ給(たま)ふべき御祈(いの)りを、よく<せさせ給(たま)ふべし。いみじきだいじ
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あべき年(とし)なれば、いとこそ恐(おそ)ろしけれなど様々(さまざま)聞(き)こえさせ給(たま)ふは、あるものにてかうこころ細(ぼそ)く頼(の)みすくなきけしきを、悲(かな)しく思(おぼ)し召(め)して、寿命経のふだんの御読経などせさせ給(たま)ふ。御読経・御すほうかずをつくしたり。
権少将(せうしやう)・たんば中将(ちゆうじやう)御所去らず、いさゝかも立(た)ち離(はな)るれば、いづら<ともとめさせ給(たま)ふも、御志(こころざし)のいみじきと上(うへ)はいとこころ苦(ぐる)しう思(おぼ)ししらせ給(たま)ふ。念仏懺法などきかまほしうせさせ給(たま)へば、さるべき僧どもして、こゑ絶えず行(おこな)はせ給(たま)ふ。いみじうたうとし。さらぬだにかかる事(こと)はたうときを、まして年(とし)老い頼(たの)もしげなき御有様(ありさま)なるに、哀(あは)れにたうとき事(こと)どもに、上(うへ)の御(お)前(まへ)いとど涙(なみだ)をながさせ給(たま)ふ。ほうしやうじざすひゞに御かいさづけ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。其(そ)の程(ほど)の説経いみじうたうとく悲(かな)し。おはらの入道(にふだう)の君(きみ)も、年(とし)頃(ごろ)里(さと)に出で給(たま)はざりしを、こたみさへはいかでかときゝ過(す)ぐし難(がた)く思(おぼ)されて参(まゐ)り給(たま)ふ。唯(ただ)御まくらがみにて、ねぶつをし聞かせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。傅殿もつねに参(まゐ)り給(たま)ひて、明(あ)け暮(く)れ候(さぶら)はぬ事(こと)を嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。つゐにむなしくならせ給(たま)ひぬれば、扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるかひなく、悲(かな)しと思(おぼ)し惑(まど)はせ給(たま)ふ。
大(おほ)殿(との)聞(き)こし召(め)して、急(いそ)ぎおはしまして、上(うへ)の御(お)前(まへ)立(た)ち出(い)でさせ給(たま)へと聞(きこ)えさせ給へど、ものもおぼえさせ給(たま)はぬ様(さま)なれば、聞(き)こえさせ煩(わづら)ひぬと、かく聞(き)こえさせて、上(うへ)の御前(まへ)立(た)ち出(い)でさせ給(たま)へれば、殿(との)はつちに立(た)たせ給(たま)ひて、一家にとりては、げに哀(あは)れに悲(かな)しき御事(こと)なり。されどせけんを見おもふに、これ必(かなら)ずあ
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べい事(こと)なり。そがなかにいつも同(おな)じ事(こと)ゝは言(い)ひながら、をのが侍(はべ)らざらん世などには、いと口(くち)惜(を)しからまし。かく平(たひら)かに誰(たれ)もおはしあるときに、かくなり給(たま)ひぬる、いとめでたき事(こと)なり唯(ただ)折節(をりふし)ひなしなと言(い)ふは、あまりの御事(こと)なり。彼のだいじの程(ほど)などに、かかるべきにもあらずなどあるこそあれ。それもよそ<にてさるべく掟(おき)て聞(き)こえん。同(おな)じ事(こと)なり。いかにぞ此(こ)の中将(ちゆうじやう)少将(せうしやう)の事(こと)はと聞(き)こえさせ給(たま)へば、ひまなくもとめ惑(まど)はし給(たま)ひつるは、猶(なほ)御志(こころざし)のいみじきと見つるになんあはれなる。年(とし)頃(ごろ)も哀(あは)れに見(み)奉(たてまつ)り、そひ奉(たてまつ)らざりつれどおはすと思(おも)ひつればこそありつれ、これこそは限(かぎ)り度(たび)と見(み)奉(たてまつ)るが、いみじう悲(かな)しき事(こと)ゝて、塞(せ)きもあへず泣かせ給(たま)へば、殿(との)の御(お)前(まへ)も哀(あは)れに古体(こたい)なりつる。御こころこそこひしかるべけれ。夏(なつ)冬(ふゆ)の更衣(ころもがへ)の折の御志(こころざし)〔の〕程(ほど)、ときにつけてまづ思(おも)ひ出でられんとすらんと、うち嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。それは昔(むかし)より今(いま)に、御更衣(ころもがへ)の折の、夜昼(よるひる)の御装束(さうぞく)二領(ふたくだり)を、必(かなら)ずして奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ事(こと)のありつれば、さらに<今(いま)はかかる事(こと)、とどめさせ給(たま)へと聞(き)こえさせ給(たま)ひつるを、さは何事(なにごと)をか志(こころざし)とは見(み)え奉(たてまつ)るべきとて、せさせ給(たま)ふなりけり。傅の殿今(いま)はよりみつが家(いへ)におはしませと、それも同(おな)じ事(こと)ゝて奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。
かくて彼の尼上(あまうへ)の掟(おき)てさせける事(こと)は、わか御門(みかど)の御事始(ことはじ)めにかく
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なりなん事(こと)の折節(をりふし)も、口(くち)惜(を)しき事(こと)なれば、暫(しば)しはさるべき様(さま)にて、やまでらなどにおさめて置かせ給(たま)へ。くも煙(けぶり)とも此(こ)の世(よ)のだいじの後(のち)に、こころ安(やす)くせさせ給(たま)へと聞(き)こえ置かせ給(たま)へれば、げに哀(あは)れによくも思(おぼ)し宣(のたま)ひけるかなとて、さやうにぞ思(おぼ)し掟(おき)てさせ給(たま)ひける。九月ばかりにぞさやうにおはしますべかりける。其(そ)の程(ほど)は入棺と言(い)ふ事(こと)してぞおはしまさせける。
明(あ)け暮(く)れの御もの参(まゐ)り、御てうづなど昔(むかし)の様(さま)の事(こと)ども、いみじう悲(かな)しく思(おぼ)し召(め)さるゝ程(ほど)に、七月廿余(よ)日(にち)に火出で来て、土御門(つちみかど)殿(どの)焼けぬ。大方(おほかた)其(そ)のあたりの人(ひと)の家(いへ)。残(のこ)りなくて四五町の程(ほど)焼けぬ。さしすぎほうこう院(ゐん)も焼けぬ。上(うへ)の御(お)前(まへ)は、かかる思(おも)ひにて一条(いちでう)殿におはしまし、大宮(おほみや)も殿(との)の御(お)前(まへ)もうちにおはします夜しも焼けぬれば、つゆ取り出(い)でさせ給(たま)ふものなく、年(とし)頃(ごろ)御つたはりのたからものどもかずも知らず。塗篭(ぬりごめ)にて焼けぬ。猶(なほ)さるべきなりけりと思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふに、此(こ)の殿(との)のやまなかじまなどの大木とも、松(まつ)の蔦(つた)懸(かか)りたりつるまつなど大方(おほかた)ひと木残(のこ)らずなりぬ。あさましう事(こと)さらにすとも、いとかく焼くるやうはありがたけなり。いみじきやと言(い)ふとも、つくり出(い)でてむ銀(しろがね)・黄金(こがね)の御宝物(たからもの)どもは、自(おの)づから出で来まうけさせ給(たま)ひてん。此(こ)の木どもの有様(ありさま)・おほきさなどをふかう口(くち)惜(を)しき事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。大宮(おほみや)の御領の宮(みや)なれば、其(そ)の御具(ぐ)どもさるべきものども、唯(ただ)此(こ)の殿(との)
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にのみこそは置かせ給(たま)へりつれ。すべてめづらかなりとも疎(おろ)かなり。
殿(との)は小二条(こにでう)殿(どの)に渡(わた)らせ給(たま)ふ。此(こ)の殿(との)はやがて八月より手斧(てをの)始(はじ)めせさせ給(たま)ひて、来年(らいねん)の四月以前(いぜん)に造(つく)り出(い)づべきよし仰(おほ)せ給(たま)ひて、国(くに)<の守(かみ)屋一(ひと)つゞつ当(あた)りて、夜(よる)を昼(ひる)にて急(いそ)ぎののしる。かくて九月に、尼上(あまうへ)くはんおんじと言(い)ふところにおはしまさせ給(たま)ふ。上(うへ)の御(お)前(まへ)も御をくりにおはします。さてそこにさべき様(さま)におさめ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御はてまでねぶつつかうまつるべく、そこらの僧によろづををきてさせ給(たま)ふ。いみじうきびしきやうにいませ給(たま)へど、上(うへ)の御(お)前(まへ)のおはしませば大将(だいしやう)殿(どの)を始(はじ)め、さるべき殿(との)ばら皆(みな)つかうまつらせ給(たま)へば、すべてえいみあへぬやうにおどろ<しき御よそひの程(ほど)、ただ推(お)し量(はか)るべし。古体(こたい)の事(こと)なれど、いみじかりける上(うへ)の御幸(さいはい)かなと、申し思(おも)ひはぬ人(ひと)無し。後(のち)<の御事(こと)など推(お)し量(はか)りて知りぬべし。
御はてまで山(やま)の僧どもの山(やま)ごもりしたるして尊勝のごま・あみだごまなどつかうまつらせ給(たま)ふ。たんば中将(ちゆうじやう)をばさるものにて、傅殿の小少将(こせうしやう)いみじう思(おも)ひ給(たま)へれば、上(うへ)の御(お)前(まへ)よろづの御(お)前(まへ)よろづにはぐゝみたまはず。くはんおんじより、又(また)の日かへらせ給ふそらなし。哀(あは)れに悲(かな)しく、涙(なみだ)をながさせ給(たま)へり。かしこにおはしましつる程(ほど)、都(みやこ)の御つかひ、さるべき御つかひどもかず知らず頻(しき)り参(まゐ)りつるもめでたく、さてかへらせ給(たま)ひぬ。またの日中宮(ちゆうぐう)に聞(き)こえさせ給(たま)へる一条(いちでう)殿(どの)より
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@あらしふくみ山(やま)の里(さと)に君(きみ)をゝきてこころもそらに今日(けふ)はしぐれぬ W123。
御衣(ぞ)のいろもゆゝしければ、猶(なほ)彼の御急(いそ)ぎまではとて、小二条(こにでう)殿(どの)に渡(わた)らせ給(たま)はす。殿(との)の御(お)前(まへ)おぼつかなからず。一条(いちでう)殿(どの)に渡(わた)らせ給(たま)ひつゝぞよろづ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。
怪(あや)しう今年(ことし)猶(なほ)世(よ)の中(なか)に火騒(さわ)がしくて、また所々(ところどころ)焼けぬ人(ひと)のくち安(やす)からぬ世(よ)にて、一条(いちでう)殿(どの)と枇杷(びは)殿(どの)と焼くべしとののしれば、うたてゆゝしう思(おぼ)さて、御慎(つつし)みなどありつれど、十月二日枇杷(びは)殿(どの)焼くるものか。あさましくいみじとも疎(おろ)かなり。さるべくもののいはするなりけりとも、いまぞ見ゆる宮(みや)の御(お)前(まへ)も、院(ゐん)も、此(こ)の枇杷(びは)殿(どの)いと近(ちか)きところの、東宮(とうぐう)の亮(すけ)なりとをと言(い)ひし人(ひと)の家(いへ)、大将(だいしやう)殿(どの)に奉(たてまつ)りたりしにぞ。まづ渡(わた)らせ給(たま)ひぬる。院(ゐん)宮(みや)いとあさましき事(こと)なりや。よろづいまはかかるべき事(こと)かは。おぼろげの位(くらゐ)をも去り離(はな)れたるに、さらにかかるべきにもあらず。人(ひと)のおもふらん事(こと)も恥(は)づかしうと思(おぼ)し召(め)しけり。
三条(さんでう)院(ゐん)もいまは出で来ぬれば、うるはしき儀式(ぎしき)もなくて、よるをひるに急(いそ)ぎて、渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。宮(みや)は其(そ)の院(ゐん)いと近(ちか)き程(ほど)に、さぬきのかみなりまさの朝臣(あそん)の家(いへ)に、渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。枇杷(びは)殿(どの)の焼けし折のまゝ。命婦(みやうぶ)の乳母(めのと)里(さと)よりきくにさして参(まゐ)らせたる
@いにしへぞいとどこひしきよそ<にうつろふいろをきくにつけても W124。
とあればべんの乳母(めのと)かへし
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@きくのはな思(おも)ひのほかにうつろへばいとど昔(むかし)の秋ぞこひしき W125。
さて程(ほど)なく宮(みや)の御(お)前(まへ)も三条(さんでう)院(ゐん)に渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。院(ゐん)の様(さま)わざといけやまみづなけれどおほきなる木ども多(おほ)くて、こだちおかしくけたかうなべてならぬ様(さま)したり。こたみは心(こころ)異(こと)につくらせ給(たま)へり。入道(にふだう)一品(いつぽん)宮(みや)の、年(とし)頃(ごろ)すませ給(たま)ひしところなれば、理(ことわり)にぞ。昔(むかし)とこそはいまはいはめ。彼の宮(みや)のおはしましゝとき、四条(しでう)大納言(だいなごん)きんたうのごん中将(ちゆうじやう)など聞(き)こえし折、月よに参(まゐ)り給(たま)ひて、誰(たれ)ともなくて人(ひと)を呼びよせ給(たま)ひて、女房(にようばう)のなかに聞(き)こえよ松(まつ)かうらしま来て見ればと言(い)ひかけて、おはしにける程(ほど)など思(おも)ひ出でられておかし。
かくて、御(ご)禊(けい)になりぬれば、いみじうつねにもわかず。これはなにはの事(こと)もあらためさせ給(たま)へり。殿(との)ばら君達(きんだち)の御むまくらゆみやなぐひのかざりまでいみじ。女御代(にようごだい)には高松(たかまつ)殿(どの)の姫君(ひめぎみ)出(い)でさせ給(たま)へり。其(そ)の車(くるま)の袖口(そでぐち)かずも知らず多(おほ)く重(かさ)なりて耀(かかや)けり。
御門(みかど)わらべにおはしませば、大宮(おほみや)御こしに奉(たてまつ)りたれば、其(そ)の程(ほど)まねびやらんかたなくめでたし。大(おほ)殿(との)の御有様(ありさま)など聞(き)こえさせんにこたいなり。度々(たびた)年(とし)頃(ごろ)の御けしきに、こよなうたちまさらせ給(たま)へり。思(おも)ひなしにやとまでなん。只今(ただいま)の左大将(さだいしやう)には、殿(との)のたらうぎみこそおはすれ右大将(うだいしやう)には、をのの宮(みや)の実資殿おはす。左大将(さだいしやう)の御わかさきひわにおかしきに、をのの宮(みや)のねび給(たま)へれば、それはいみじうなべてならぬかほつきにほゝゑみ給(たま)へるこそ、猶(なほ)ふりがたう
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事(こと)こもりて見(み)え給(たま)へ。ものこころにくき様(さま)し給(たま)ひたり。昔(むかし)の事(こと)などうちおぼえてぞ。左衛門(さゑもん)のかうにて、皆(みな)殿(との)の君達(きんだち)おはします。御ゑぶすがたどもものはなやかに折にあひたる御様(さま)ども、ときのはなの心地(ここち)して、いとめでたし。**46
宮(みや)の女房(にようばう)の車(くるま)、内方(うちかた)のなど女御代(にようごだい)の御供(とも)などえもいはぬ車(くるま)四五十りやうひきつゞきてをしこりたり。左大臣(さだいじん)にては大(おほ)殿(との)おはします。右大臣(うだいじん)にては堀河(ほりかは)のおとど内大臣(ないだいじん)にては閑院(かんゐん)のおとどおはします。いづれの殿(との)ばらも皆(みな)むまにてつかうまつらせ給(たま)へれど、大殿(との)はよろづはてゝ渡(わた)らせ給(たま)ひぬるきはに又(また)さらに御(お)前(まへ)などえりすぐりて、きずなくきらゝかなる限(かぎ)りをえらせ給(たま)ひて、三四十人(にん)ばかりつかうまつりたるに、御随身十二人(にん)内舎人(うどねり)の御随身などむまにのりてみさきえもいはず参(まゐ)りののしりて、われはからの御車(くるま)にておはします程(ほど)、すべてまねび聞(き)こえさすべきやうもなし。またさばかりめでたき事(こと)やはありつるいみじき見物も過(す)ぎぬ。霜月(しもつき)になりぬれば、大嘗会(だいじやうゑ)とて又(また)人々(ひとびと)ひゞきののしる五節(ごせつ)も今年(ことし)はいまめかしさまさりおかし。ゆきすきのうたども、例(れい)の筋(すぢ)同(おな)じ事(こと)なれど、片端(かたはし)をだにとてしるせり。ゆきのかたのうた。備中国いねつきうた内(うち)の蔵人(くらうど)よししげのためまさ。たまだのこほり
@年(とし)へたる玉田(たまだ)の稲(いね)をかり積(つ)みて千代(ちよ)の例(ためし)に舂(つ)きぞはじむる W126。
主基(すき)の方(かた)大ないきふぢはらののりたゞの朝臣(あそん)
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@いはこまの橋(はし)踏(ふ)み鳴(な)らし運(はこ)ぶなりそともの道(みち)の御雪(みゆき)ゆたかに W127。
ゆきすきのうたども同(おな)じ様(さま)にかやうなり。御屏風(びやうぶ)のうたためまさはやのと言(い)ふ所(ところ)を
@あきかぜになびくはやののはなずゝきほに出(い)でてみゆる君(きみ)がよろづよ W128。
たまのむらぎくと言(い)ふところを、これも御屏風(びやうぶ)のりたゞ
@うちはへてにはおもしろきはつしもに同(おな)じいろなるたまのむらぎく W129。
にひだのいけためまさ御屏風(びやうぶ)
@そこきよきにひだのいけの水のおもはくもりなきよのかがみとぞ見る W130。
かやうに同(おな)じこころなれば皆(みな)とどめつとよのあかりのよあれたるやどに、月のもりたりければ、里人(さとびと)誰(たれ)としらず
@珍(めづら)しきとよのあかりのひかりにはあれたるやどのうちさへぞてる W131。
此(こ)の御時の御即位(そくゐ)大嘗会(だいじやうゑ)。御はらへなどの程(ほど)の事(こと)どもすべて珍(めづら)しくやむごとなき事(こと)かずしらず。年中行事の御しやうじにもかきそへられたる事(こと)ども、いと多(おほ)くなんあなる。斯(か)かる程(ほど)に、前斎宮のぼらせ給(たま)ひて、皇后宮(くわうごうぐう)におはします。宮(みや)せばしとて、又(また)しらせ給(たま)ふ所(ところ)にぞおはしまさせ給(たま)ひける。年(とし)頃(ごろ)に大人(おとな)びはてさせ給(たま)へる御有様(ありさま)も、いみじう疎(おろ)かならず見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へれど、ほかに暫(しば)しとておはしまさせ給(たま)ふ程(ほど)に、帥(そち)殿(どの)のまつぎみ
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の三位中将(ちゆうじやう)。道雅の君(きみ)いかゞしけん、参(まゐ)り通(かよ)ふと言(い)ふ事(こと)世(よ)に聞(き)こえてざゝめき騒(さわ)げば、宮(みや)いみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ程(ほど)に、院(ゐん)にも聞(き)こし召(め)してげり。こと<”ならず斎宮の御乳母(めのと)、やがて宮(みや)の内侍(ないし)にて候ふ。中将(ちゆうじやう)の乳母(めのと)のしわざなるべしとて、院(ゐん)いみじうむつからせ給(たま)ひて、ながくまかでさせ給(たま)ひつ。宮(みや)は皇后宮(くわうごうぐう)むかへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、院(ゐん)にはいとどしき御(おん)心地(ここち)、これを聞(き)こし召(め)しゝより、いとどまさるやうに思(おぼ)されて、宮(みや)たちひまなく御つかひにて、皇后宮(くわうごうぐう)院(ゐん)に御ふみしきれり。斎宮にもあらずいみじう思(おぼ)し召(め)さる。中将(ちゆうじやう)の内侍(ないし)はやがておはせ給(たま)ひけるまゝに、かのみちまさの君(きみ)むかへとりて、わがもとにいみじういたはりてをきたりと聞(き)こし召(め)す。皇后宮(くわうごうぐう)にはめざましう思(おぼ)し召(め)されて、人(ひと)しれずいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ひけり。まことそらごとしりがたき御有様(ありさま)なれど、世(よ)にかくもり聞(き)こえたるに、院(ゐん)の御けしきのいといみじきなり。かのさいご中将(ちゆうじやう)のこころのやみにまどひにき夢(ゆめ)うつゝとは世(よ)人(ひと)定(さだ)めよとよみたりしも、かやうの事(こと)ぞかし。それはまた誠(まこと)の斎宮にておはせしおりの事(こと)なり。されどこれは前の斎宮と聞(き)こえさすれば、あながちに恐(おそ)ろしかるべき事(こと)ならねど、院(ゐん)のいときはたけく思(おぼ)し宣(のたま)はするが、いとかたはらいたきをなん。皇后宮(くわうごうぐう)いといみじうみだれたるに、宮々(みやみや)の御けしきどもいみじ。東宮(とうぐう)もわりなこころやましげに思(おぼ)しみだるべし。する事(こと)なき
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年(とし)だにはかなくあけくるゝに、まいていみじきだいじどものありつれば年(とし)もかへりぬ。今年(ことし)をば寛仁元年ひのとのとりの年(とし)と言(い)ふめり。正二月は例(れい)の有様(ありさま)にて過(す)ぎもてゆくに、三月には例(れい)のなをしものなど言(い)ふ事(こと)あればにや。三月四日司召(つかさめし)あり。大(おほ)殿(との)左大臣(さだいじん)をぢせさせ給(たま)へれば、堀河(ほりかは)の右大臣(うだいじん)。左大臣(さだいじん)になり給(たま)ひぬ。閑院(かんゐん)内大臣(ないだいじん)。右大臣(うだいじん)になり給(たま)ひぬ。内大臣(ないだいじん)には殿(との)の大将(だいしやう)殿(どの)ならせ給(たま)ひぬ。かやうに事(こと)どもかはりぬとみる程(ほど)に、同(おな)じ月の十七日、大(おほ)殿(との)摂政を内大臣(ないだいじん)殿(どの)に譲聞(き)こえさせ給(たま)ふ。内大臣(ないだいじん)殿(どの)御年(とし)。今年(ことし)廿六におはしましけり。いと若(わか)うおはしますにと恐(おそ)ろしう思(おぼ)し召(め)しながら、わがおはしませば、何事(なにごと)もと思(おぼ)し召(め)すなるべし。われは只今(ただいま)御官(つかさ)もなき宮(みや)にておはしますなれど、御位(くらゐ)は殿(との)も上(うへ)も准三宮におはしませば、世(よ)にめでたき御有様(ありさま)どもなり。殿(との)の御(お)前(まへ)の御さいはひは、さらにも聞(き)こえさせぬに、上(うへ)の御(お)前(まへ)。かく后とひとしくて、よろづの官(つかさ)かうぶりをえさせ給(たま)ひなどして、年(とし)頃(ごろ)の女房(にようばう)は、皆(みな)かうぶりえ。あるは三位四位(しゐ)になるもあり。様々(さまざま)いとめでたくおはします。かくて四条(しでう)の皇太后宮(くわうだいこうくう)悩(なや)ませ給(たま)ひて、祭(まつり)などはてゝ後(のち)に、うせさせ給(たま)ひぬと言(い)ふ。わかるゝかたなく、よろづに四条(しでう)大納言(だいなごん)殿(どの)扱(あつか)ひ聞(き)こえ給(たま)ふを、あはれなる世(よ)のなかときゝおもふ。三条(さんでう)院(ゐん)御悩(なや)み猶(なほ)おどろ<しくおはします。殿(との)も上(うへ)もいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。



栄花物語詳解巻十三


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〔栄花物語巻第十三〕 木綿四手
かくて前斎宮いと若(わか)き御(おん)心地(ここち)に、此(こ)の事(こと)聞(き)きにくゝ思(おぼ)さるれば、いかにせんと人(ひと)知(し)れずおぼしなげかれて、御覧(ごらん)ぜし伊勢(いせ)の千尋(ちひろ)の底(そこ)の空(うつ)せ貝(がひ)のみ恋(こひ)しく思(おぼ)されて、しほたれ渡(わた)らせ給(たま)ふ。わりなき御ぬれぎぬもこころ苦(ぐる)しきに三位中将(ちゆうじやう)はあとたえてわりなくのみ思(おも)ひ乱(みだ)れてかぜにつけたりけるにや、かくて参(まゐ)らせたり
@さかきばのゆふしでかけし其(そ)のかみに押(を)し返(かへ)しても似(に)たる頃(ころ)かな W132。
人(ひと)知(し)れぬ事(こと)ども多(おほ)かりけれど世(よ)に聞(き)こえねばまねびがたし。また高欄(かうらん)に結(むす)び付(つ)けたりける
@陸奥(みちのく)の緒絶(をだ)えの橋(はし)やこれならん踏(ふ)みゝ踏(ふ)まずみ心(こゝろ)惑(まど)はす W133。
宮(みや)はふるのやしろのなども思(おぼ)されてあはれなるゆふぐれに御てづからならせ給(たま)ひぬ哀(あは)れに昔(むかし)物語(ものがたり)ににたる事(こと)どもなり。皇后宮(くわうごうぐう)は聞(き)きにくかりつれどいみじう悲(かな)しう思(おぼ)さるとも疎(おろ)かなり。院(ゐん)に聞(き)こし召(め)して、おゝしき御こころはあへなんめさましかりつるよりはと思(おぼ)されけり。御悩(なや)み重(おも)らせ
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給(たま)ひて、院源(ゐんげん)僧都(そうづ)召(め)して御(み)髪(ぐし)おろさせ給(たま)ふ程(ほど)、中宮(ちゆうぐう)を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、宮々(みやみや)いみじうよになげかしき事(こと)に思(おぼ)し召(め)して、涙(なみだ)にしづませ給(たま)へり。皇后宮(くわうごうぐう)はよそにきかせ給(たま)ふおぼつかなさを添(そ)へて、いみじうおぼし惑(まど)はせ給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)もいみじう歎(なげ)かせ給(たま)ふ。一院(ゐん)とておはしまさんにたへたる御こころをきてを、口(くち)惜(を)しうこころ細(ぼそ)く思(おぼ)し召(め)せどかひなし。同(おな)じ院(ゐん)と申しながら、御こころくるはしくもののはへおはしましつるものを、姫宮(ひめみや)などの大人(おとな)びさせ給(たま)へらん程(ほど)の。御こころをきてもゆゝしかりつるをと、かへすがへすおぼしつゞけさせ給(たま)ふ。さはかうでも平(たひら)かにだにおはしまさばなどぞ見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御もののけどもいとこころあはただしきけはひなれば御命(いのち)のかたはさりともと思(おぼ)さる。うちつけにや少(すこ)しかろませ給(たま)ひければ、うちたゆみて誰(たれ)もこころのどか思(おぼ)さるゝも理(ことわり)にみゆるを、宮々(みやみや)いかにと哀(あは)れによるひる惑(まど)はれつかうまつらせ給(たま)ふぞいとめでたき。東宮(とうぐう)はいとゆかしき御有様(ありさま)ををとにきかせ給(たま)ふにつけても、いみじう御胸(むね)塞(ふた)がりて、悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)さる。かくて日頃(ひごろ)こころのどかなるにたゆませ給(たま)へりつるに、寛仁元年五月九日のひるつかたあさましくならせ給(たま)ひぬ。院(ゐん)の中どよみてののしるとも疎(おろ)かなりや。宮々(みやみや)こゑを惜(を)しませ給(たま)はぬに、中宮(ちゆうぐう)は御衣(ぞ)をひきかづきてものもおぼえさせ給(たま)はず。橘三位言(い)ひつゞけて泣(な)く泣(な)く
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きえいりて、ふし給(たま)へるもいみじうめづらかなる悲(かな)しさなり。年(とし)頃(ごろ)の女房(にようばう)達(たち)殿上人(てんじやうびと)いへば疎(おろ)かにまどひたり。姫宮(ひめみや)の御(お)前(まへ)いつゝにぞならせ給(たま)ふ。御ぐしはゐだけばかりにぞおはします。世をいとこころあはただしげに思(おぼ)し召(め)して、もののかくれによりて、御涙(なみだ)ををしのごひておはしますを、見(み)奉(たてまつ)る人々(ひとびと)御乳母(めのと)などやらんかたなく悲(かな)し。唯(ただ)の人(ひと)などは何(なに)ともしらぬ程(ほど)を、いかにおぼしわかせ給(たま)ふにかと疎(おろ)かならず。大人(おとな)のなき騒(さわ)ぐにかたへばあはただしう思(おぼ)さるゝなるべし。殿(との)の御(お)前(まへ)いみじうおぼし歎(なげ)かせ給(たま)ひて、御忌(いみ)にこもりつかうまつらせ給(たま)はぬ事(こと)を思(おぼ)し召(め)す。摂政にて世をまつりこたせ給(たま)へば、いかでかはよろづのだいじどものさしあひたれば、いと本意(ほい)なく思(おぼ)し召(め)せど、よそながらよろづをしらせ給(たま)ふも同(おな)じ事(こと)なり。十一日に御葬送せさせ給(たま)ふ。一条(いちでう)の院(ゐん)のおはしましゝいはかげにおはしけり。さみだれもいみじきころにてむつかしけれど、げにそれに障(さは)るべき事(こと)ならねばせさせ給(たま)へるぞいみじう哀(あは)れに悲(かな)しき。東宮(とうぐう)はよろづもおぼえさせ給(たま)はず。皇后宮(くわうごうぐう)もここらの年(とし)頃(ごろ)の御なからひなれば、聞(き)こえさするも疎(おろ)かなり。猶(なほ)こころよきはやむごとなけれど、よそ<におはしますみともになん。限(かぎ)りなき御みなれど、同(おな)じ煙(けぶり)とならせ給(たま)ふもいみじう悲(かな)し。ある人(ひと)思(おも)ひ遣(や)り聞(き)こえさせて一人(ひとり)ごちけれど、其(そ)のひとゝしるさ
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ず、
@日のもとをてらしゝ君(きみ)がいはかげのよはの煙(けぶり)となるぞ悲(かな)しき W134。
かくて事(こと)はてゝかへらせ給(たま)ひぬ。此(こ)の後(のち)御念仏などにそうのさるべき限(かぎ)り候(さぶら)ひ給とりはらひて、ほとけかけ奉(たてまつ)りさるべきそうなどのなれ候(さぶら)ふもいと忝(かたじけな)し。るべき所々(ところどころ)のいたども放(はな)ちて、宮々(みやみや)つち殿(どの)におはしまし、中宮(ちゆうぐう)もさやうにおはします。御衣(ぞ)のいろなど皆(みな)こく奉(たてまつ)り渡(わた)るに、あさましきものなどを、宮々(みやみや)の奉(たてまつ)りてなぬか<の御ときせさせ給(たま)ふも、いみじう哀(あは)れに悲(かな)し。さるべき殿上人(てんじやうびと)殿(との)ばらうたなどよみたれどかきとめずだうめいあざりのばかりぞ人(ひと)かたりける
@あしひきのやにほとゝぎす此(こ)の頃(ごろ)はわがなくねをや聞(き)き渡(わた)るらん W135。
とぞありける。此(こ)の院(ゐん)も御そうふんもなくてうせさせ給(たま)ひにけり。冷泉(れいぜい)の院(ゐん)の御れうの所々(ところどころ)多(おほ)く侍(はべ)りしも、此(こ)の院(ゐん)にえりすぐりてしらせ給(たま)ひけり。またおほ入道(にふだう)殿(どの)の御むまごの宮(みや)たちの御(おん)中(なか)に、此(こ)の院(ゐん)をいみじうまたなきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へりければ、昔(むかし)も猶(なほ)しらせ給(たま)ひし程(ほど)の事(こと)もすべて所々(ところどころ)をば、唯(ただ)此(こ)の院(ゐん)に奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、さき<”の院(ゐん)よりも、此(こ)の院(ゐん)にはやむごとなき所々(ところどころ)多(おほ)くぞ候(さぶら)ひける。されは此(こ)の頃(ごろ)ぞ殿(との)の御(お)前(まへ)せさせ給(たま)ひける。おはしましゝおりも、姫宮(ひめみや)をいかで
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と思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、かくいと幼(をさな)くおはしますを、一品(いつぽん)になし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひしも、いと哀(あは)れに思(おも)ひいで聞(き)こえさせ給(たま)ひて、此(こ)の中宮(ちゆうぐう)の姫宮(ひめみや)東宮(とうぐう)皇后宮(くわうごうぐう)。いま三(み)所(ところ)の宮斎宮姫宮(ひめみや)などよくかぞへたてゝ、様々(さまざま)わかち奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ御用意(ようい)。ありがたくおはしますと人(ひと)聞(き)こえさす。かのおはしましゝおりの御思(おも)ひのほどをしりつゝぞわかち奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。其(そ)のなかにもおほ入道(にふだう)殿(どの)より渡(わた)りたりし所々(ところどころ)をぞ。ほかざまにはせさせ給(たま)はざりける。それもさるべき事(こと)に人(ひと)申しけり。三条(さんでう)院(ゐん)をば一品(いつぽん)宮(みや)の御れうにぞ。其(そ)のおり宣(のたま)はせければせさせ給(たま)へれど、そこにはおはしますまじ。寝殿(しんでん)はてらになさせ給(たま)へければ、御忌(いみ)の程(ほど)過(す)ぎなば、こぼたせ給(たま)ふべしとぞ思(おぼ)し召(め)しける。中宮(ちゆうぐう)は御忘(わす)れはつるまでいと思(おぼ)し召(め)しながら、此(こ)の院(ゐん)のもののけ、いと恐(おそ)ろしければ、あひなし。いつごまでも疎(おろ)かなるべき事(こと)かはとて、暫(しば)しありて一条(いちでう)殿(どの)にわたし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひてり。御法事(ほふじ)やがて此(こ)の院(ゐん)にて、六月廿五日にせさせ給(たま)ふ。その程(ほど)の事(こと)ともいといかめし。四宮またわらはにておはしまして、かかるおりにやなと思(おぼ)し召(め)す事(こと)もありけれど、大方(おほかた)いとのどかに大人(おとな)しき御こころにて、此(こ)のおりならずとも、自(おの)づからこころあはただしきやうなりなどおぼしのどむるを、おはしまさましかば
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かうだに思(おも)ひかけまじやと、人(ひと)知(し)れず思(おぼ)さるべし。中宮(ちゆうぐう)は一条(いちでう)殿(どの)にて明(あ)け暮(く)れの御行(おこな)ひにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ月日のすぐるにつけても姫宮(ひめみや)のあはてありかせ給(たま)ふ。あやうすものなども奉(たてまつ)らで、唯(ただ)のきぬをあこめにて、うすいろなどにてありかせ給(たま)ふ。御(み)髪(ぐし)ながくてちいさきわらはべのやうにおはしますも、哀(あは)れにいみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へりしものをと、御乳母(めのと)達(たち)かけ奉(たてまつ)らぬおりなうこひなき奉(たてまつ)る。姫宮(ひめみや)みゝすかきにせさせ給(たま)へる。これいかであての御もとに奉(たてまつ)らんと宣(のたま)はするにつけても、ほとゝぎすにやつけましと、哀(あは)れに御覧(ごらん)ぜらる。あてはまろをば恋(こひ)しとは思(おぼ)さぬか。などかいとひさしく渡(わた)らせ給(たま)はぬなどかきつゞけさせ給(たま)ふも、涙(なみだ)とどめがたう御(お)前(まへ)にも思(おぼ)し召(め)し候(さぶら)ふ人々(ひとびと)も思(おも)へり。宮(みや)たちおぼつかなからず渡(わた)り見(み)奉(たてまつ)らせけり。東宮(とうぐう)よりもはかなき御あそびものなどまづ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)一条(いちでう)宮(みや)つれ<におはしますらんとて、われもつねに御宿直(とのゐ)せさせ給(たま)ふ。殿(との)ばらもつねに参(まゐ)らせ給(たま)ふべう申(まう)させ給(たま)ふ。院(ゐん)のおはしまさぬかたこそいみじけれども、大方(おほかた)の御有様(ありさま)は、殿(との)のおはしませば、同(おな)じ事(こと)になん。其(そ)のおりの殿上人(てんじやうびと)こころよせの殿(との)ばらなどは、つねに参(まゐ)り給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に東宮(とうぐう)何(なに)の御こころにかおはしますらん。かくて限(かぎ)りなき御みを何(なに)とも思(おぼ)されず。昔(むかし)の御忍(しの)びありきのみ恋(こひ)しく思(おぼ)されて、とき<につけて、はな紅葉(もみぢ)も御こころに
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まかせて御覧(ごらん)ぜんとのみ。猶(なほ)いかでさやうにてもありにしかなと思(おぼ)さるゝ。御こころよるひるきうにわりなくて、皇后宮(くわうごうぐう)に一生はいくばくに侍(はべ)らぬに、猶(なほ)かくて侍(はべ)るこそいぶせく侍(はべ)れ。さるべきにや侍(はべ)るらん。いにしへの有様(ありさま)に、こころ安(やす)くこそ侍(はべ)らまほしけれなどおり<に聞(き)こえさせ給(たま)へれば、宮(みや)はいとこころき御こころなり。御もののけの思(おも)はせ奉(たてまつ)るならん。故院(ゐん)のあべき様(さま)にしすへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひし御事(こと)を、いかにおぼしてやがて御あとをつかす。世(よ)の例(ためし)にもならんとは思(おぼ)し召(め)すぞ。こころうき事(こと)なりとつねにいさめ申(まう)させ給(たま)ひて、御もののけのかうは思(おも)はせ奉(たてまつ)るなりとて、所々(ところどころ)に御祈(いの)りをせさせ給(たま)ふ。おぼしあまりては、わかやかなる殿上人(てんじやうびと)の。申あくがらすならんとて、召(め)し仰(おほ)せなどせさせ給(たま)ふ。されど殿(との)の御(お)前(まへ)にさるべき人(ひと)して、かうやうになどまねび申(まう)させ給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)いとあるまじき御事(こと)なり。さは故院(ゐん)の御次(つぎ)はなくてやませ給(たま)ふべきか。いみじかりし御もののけなれば、それがさ思(おも)はせ奉(たてまつ)るならんと宣(のたま)はせて、さゝいれさせ給(たま)はぬを、いかでたいめせんと度々(たびたび)聞(き)こえさせ給(たま)へば、殿(との)参(まゐ)らせ給(たま)へり。おぼつかなきよの御物語(ものがたり)など聞(き)こえさせ給(たま)ひて、猶(なほ)此(こ)の宿世(すくせ)の悪(わろ)きにや侍(はべ)るらん。かくうるはしき有様(ありさま)こそ、いとむつかしけれ。いかでおり侍(はべ)りて、一院(ゐん)といはれて侍(はべ)るらんと聞(き)こえさせ給(たま)へば、
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さらにあさましき御こころをきてにおはします。故院(ゐん)よろづに御後見(うしろみ)つかうまつるべきよし仰(おほ)せられしかば、皆(みな)さ思(おも)ひ給(たま)ひながら、えさらぬ事(こと)多(おほ)くはへる。うちにも当代いと幼(をさな)くおはしませば、よろづいとまなう候(さぶら)ひてなん。なかにつきて此(こ)の一品(いつぽん)宮(みや)の御ためを思(おも)ひ給れは、こころのどかに世をもおぼしたもたせ給(たま)ひて、おはしまさんのみこそ、頼(たの)もしく嬉(うれ)しく候ふべけれ。唯(ただ)これはこと<”ならし御もののけの思(おぼ)さるゝなめりと、申(まう)させ給(たま)へば、なでうもののけにかあらん。唯(ただ)もとよりあそびのこころのみありならひにければ、かくあるかいとむつかしくおぼえて、こころにまかせてならんと思(おも)ひ侍(はべ)るなり。それに猶(なほ)えあるましう思(おぼ)されば、もとのほいもありさるべき様(さま)にてあらんとなんおもふと申(まう)させ給(たま)ふ。いとふびんなる事(こと)なり。出家(しゆつけ)とまで思(おぼ)し召(め)されば、いと殊(こと)の外(ほか)に侍(はべ)り。さらばさるべき様(さま)につかうまつるべきにこそはへるなれ。一院(ゐん)にておはしまさんも、御みはいとめでたき事(こと)におはします。よにめでたきものは、太上皇にこそおはしますめれなどよくこころのどかに聞(き)こえさせ給(たま)ひてまかでさせ給(たま)ひぬ。其(そ)のまゝにやがて大宮(おほみや)にいらせ給(たま)ひて、かう<の事(こと)をなん。東宮(とうぐう)度々(たびたび)宣(のたま)はすれど。さらにうけひき申(まう)さぬに、召(め)して宣(のたま)ひつるやうなどこまやかに申(まう)させ給(たま)ふ。摂政(せつしやう)殿(どの)もおはします人(ひと)のこれをとかく思(おも)ひ聞(き)こえさする事(こと)ならばこそあらめ。わかた安(やす)くならは
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せ給(たま)へる御こころなれば、一院(ゐん)とて御こころにまかせてあらんと思(おぼ)し召(め)したるも、あらまほしき事(こと)なり。さても東宮(とうぐう)には三宮こそはゐさせ給(たま)はめと申(まう)させ給(たま)へば、大宮(おほみや)げにそれはさる事(こと)に侍(はべ)れと、式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)のさておはしまさんこそよく侍(はべ)らめ。それこそ御門(みかど)にもすへ奉(たてまつ)らまほしかりしかど、故院(ゐん)のせさせ給(たま)ひし事(こと)なれば、さてやみにき。此(こ)の度(たび)はかの宮(みや)のゐさせ給(たま)はんは、故院(ゐん)の御こころのうちにおぼしけんほいもあり、宮(みや)の御ためにもよくなんあるべき。若宮(わかみや)は御宿世(すくせ)にまかせてあらばやとなん思(おも)ひ侍(はべ)ると聞(き)こえさせ給(たま)へば、殿(との)げにいとありがたう哀(あは)れに仰(おほ)せらるゝ事(こと)に侍(はべ)れど。故院(ゐん)もこと<”ならず。唯(ただ)後見(うしろみ)なきにより、かしこうおはすれど、かやうの御有様(ありさま)は唯(ただ)後見(うしろみ)がらなり。帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)だに京になきこそなどあるまじき事(こと)におぼし定(さだ)めつ。かくて八月九日東宮(とうぐう)立(た)たせ給(たま)ひぬ。始(はじ)めの東宮(とうぐう)をば、小一条(こいちでう)院(ゐん)と聞(き)こえさす。院(ゐん)いと思(おぼ)し召(め)す様(さま)に、やさしく思(おぼ)し召(め)されて、十二人(にん)の御随身えり整(ととの)へさせ給(たま)ふ。のるべきむまくらのそろへをせさせ給(たま)ふ。故院(ゐん)の御随身どもの。世(よ)のなかをいとあえなく思(おも)ひたりつるに、さるべうびゞしきなどは、皆(みな)参(まゐ)りあつまりぬ。殿上人(てんじやうびと)のさるべくつかひつけさせ給(たま)へる人々(ひとびと)。いみじうけうありと思(おも)へる。皇后宮(くわうごうぐう)あかぬ事(こと)に口(くち)惜(を)しう思(おぼ)せど、また一院(ゐん)とて年官年爵えさせ給(たま)ふ。蔵人(くらうど)判官代(はんぐわんだい)何(なに)くれ定(さだ)めあるにつけても、あしく
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はおはしまさず。いまめかしう御こころやりあらまほしげなるかたは、月頃(ごろ)の御有様(ありさま)にまさらせ給(たま)へり。さは故院(ゐん)の御次(つぎ)は、かくてやませ給(たま)ひぬるにやと、思(おぼ)し召(め)すかたぞいと悲(かな)しかりける。東宮(とうぐう)の御乳母(めのと)達(たち)つゐの事(こと)ながら、たちまちの事(こと)ゝは思(おも)はざりつるに、あさましく嬉(うれ)しきにせんかたなし。東宮(とうぐう)大夫には、大(おほ)殿(との)の高松(たかまつ)のはらの大納言(だいなごん)なり給(たま)ひぬ。ごん大夫には、法住寺の大臣殿(どの)の。ひやうゑのかう公信の君(きみ)なり給(たま)ふ。東宮(とうぐう)傅には、閑院(かんゐん)の右のおほい殿(どの)なり給(たま)ひぬ。宮司(みやづかさ)帯刀(たちはき)などは、われも<ときをひ給(たま)へど、大(おほ)殿(との)えらびなさせ給(たま)ひつ。よろづあなめでたとみえさせ給(たま)ふ。帯刀(たちはき)どもいとものきよき人(ひと)の事(こと)もさにもなさせ給(たま)ふ。猶(なほ)大宮(おほみや)の御さいはひは、世(よ)にいみじくおはします。式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)、此(こ)のかたはむげにおぼしたえにしかど、此(こ)の度(たび)のひまには、必(かなら)ずたちいで給(たま)ひぬべかりつるを、御宿世(すくせ)はしらせ給(たま)はず。猶(なほ)怪(あや)しうとはいかでか思(おぼ)し召(め)さゞらん。よとゝもにはればれしからぬ御けしきも、こころ苦(ぐる)しうなん。前東宮(とうぐう)の帯刀(たちはき)ども、てにすゑたるたかをそらしたるなど言(い)ふやうにおもふべし。いまの東宮(とうぐう)のをのぞみ申すたぐひともあべかめれど、殊(こと)の外(ほか)の事(こと)にて聞(き)こし召(め)しいれず。それも理(ことわり)にいま<しく思(おぼ)されぬべき事(こと)なり。前東宮(とうぐう)は御年(とし)廿四にならせ給(たま)ひにけり。いまの東宮(とうぐう)は九にぞおはしましける。御門(みかど)も東宮(とうぐう)も御行末(ゆくすゑ)はるかにおはしますにつけてもいとめでたし。かくて高松(たかまつ)殿(どの)の姫君(ひめぎみ)の御事(こと)
P1401
あるべしとぞ世(よ)には言(い)ふめる。さて其(そ)のころ殿(との)の上(うへ)。やはたにまうでさせ給(たま)へりければ、中宮(ちゆうぐう)より聞(き)こえさせ給
@色々(いろいろ)の紅葉(もみぢ)にこころうつるとも都(みやこ)のほかにながゐすな君(きみ) W136。
御かへしありけんかし。これにおちたるなるべし。かくて十月ばかりに聞(き)こし召(め)せば、雅通の中将(ちゆうじやう)日頃(ひごろ)煩(わづら)ひてうせ給(たま)ひぬとののしる。殿(との)の上(うへ)哀(あは)れに聞(き)こし召(め)す。故上(うへ)のいみじうおぼしたりしものをと思(おぼ)し召(め)すなりけり。いまは小少将(せうしやう)をこそは、とり重(かさ)ねおもふべかめれとぞ宣(のたま)はせける。世(よ)の中(なか)のはかなき様(さま)も哀(あは)れにのみなん。皇后宮(くわうごうぐう)には前斎宮いとおかしげなるあまにて行(おこな)はせ給(たま)へば、御持仏など様々(さまざま)にて奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。中将(ちゆうじやう)の乳母(めのと)は、かの三位中将(ちゆうじやう)のもとにと聞(き)こし召(め)しゝかど、いまはそこにもなかなれば、哀(あは)れにいかで<と斎宮は人(ひと)知(し)れず思(おぼ)し召(め)されけり。皇后宮(くわうごうぐう)にはわれこそかやうにあるべきに、此(こ)の姫宮(ひめみや)の世(よ)の中(なか)を、いとこころ細(ぼそ)げにおぼしたるか。こころ苦(ぐる)しさにえおぼし立(た)たぬ程(ほど)も、わりなく思(おぼ)さる。二三の宮(みや)もいまだやもめに宮(みや)にさしあつまらせ給(たま)へり。さるべきわたりに宣(のたま)はするは、つれなくまたいでやなど思(おぼ)し召(め)すは、すゝみ聞(き)こえざる程(ほど)に、自(おの)づから月日すぐるなるべし。御衣(ぞ)どものいろも冬(ふゆ)になるまゝに、いとどさし重(かさ)なり、いろこき様(さま)に様々(さまざま)おはしますを、此(こ)の御様(さま)をゑにかかばやしこそ哀(あは)れにみえさせ給(たま)ひけれ。一条(いちでう)宮(みや)には、こころのどかに思(おぼ)し召(め)さ
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るゝまゝに、御行(おこな)ひがちにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。ごやのかねのをともおどろ<しく聞(き)こし召(め)されければ、みかうしををしあけて御覧(ごらん)じて
@皆(みな)人(ひと)のあかずのみみる紅葉葉(もみぢば)をさそひにさそふこがらしのかぜ W137。
とぞ宣(のたま)はせける。かくて世(よ)の中(なか)に五節(ごせつ)や何(なに)やとののしるなれど、此(こ)の御方(かた)にはありし昔(むかし)をおぼしいでつゝ、よろづをおぼしやるに、さるべき殿上人(てんじやうびと)参(まゐ)りたるつゐでに、若(わか)き人々(ひとびと)いであひて、物語(ものがたり)するもおかしきに、殿(との)の君達(きんだち)などぞいま少(すこ)しものこまやかなる事(こと)どもはかたらせ給(たま)ふめる。かもの行幸(ぎやうがう)まだなかりければ、廿余(よ)日(にち)ばかりにあるべければ、此(こ)の一条(いちでう)殿(どの)のきたの御門(みかど)のまへよりぞ渡(わた)らせ給(たま)ふべかなれば、宮(みや)の御(お)前(まへ)にも候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もゆかしがり思(おも)へど、ものはなやかならんも人目(ひとめ)慎(つつ)ましう思(おぼ)し召(め)されて、唯(ただ)御門(みかど)のもとよりはいくらばかりかは御覧(ごらん)ぜられんなどあるも、いとこころもとなかるべきを、日頃(ひごろ)人々(ひとびと)いと聞(き)きにくゝ申し思(おも)へる程(ほど)に、殿(との)参(まゐ)らせ給(たま)ひて、いかにぞ行幸(ぎやうがう)は御覧(ごらん)ぜんとや。此(こ)のきたの御門(みかど)よりこそは渡(わた)らせ給(たま)ふべかめれなど申(まう)させ給(たま)へば、いさやさやうに此(こ)の人々(ひとびと)は言(い)ふめれといかでかと宣(のたま)はすれば、怪(あや)しの事(こと)や。ざしきをつくりはなやかせ給(たま)はゞこそは、人(ひと)のそしりもあらめ、御(お)前(まへ)より渡(わた)らせ給(たま)はん事(こと)を、御かほふたがせ給(たま)ふべき事(こと)かはと申(まう)させ給(たま)ひて、唯(ただ)さりげなくきたのついぢをくづさせ給(たま)ひて、御覧(ごらん)ずべきよしを申しをかせ給(たま)ひて、出(い)でさせ給(たま)ひ
P1403
ぬれば、若(わか)き人々(ひとびと)よろこび聞(き)こえさす。さて御覧(ごらん)ずるにいみじうめでたし。大宮(おほみや)御こし奉(たてまつ)りて、女ぼう車(ぐるま)えならずして、渡(わた)らせ給(たま)ふ程(ほど)えもいはずめでたく御覧(ごらん)ぜらる。よろづはてゝ後(のち)に、大(おほ)殿(との)渡(わた)らせ給(たま)ふこそ、あないみじやとみえさせ給(たま)へ。又(また)の日此(こ)の宮(みや)より大宮(おほみや)に聞(き)こえさせ給(たま)ふ
@みゆきせしかものかはなみかへるさにたちやとまるとまち明(あ)かしつる W138。
大宮(おほみや)御かへし
@たちかへりかものかはなみよそにてもみしやみゆきの験(しるし)なるらん W139。
さて院(ゐん)の御事(こと)今日(けふ)明日(あす)あるべしとののしるは、誠(まこと)にやあらん。堀河(ほりかは)の女御(にようご)、此(こ)の事(こと)を聞(き)きて御むねふたがりておぼし嘆(なげ)くべし。さて師走(しはす)にぞむことり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふべき。其(そ)の御用意(ようい)心(こころ)異(こと)なり。此(こ)の御(お)前(まへ)をば、月頃(ごろ)御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)とぞ聞(き)こえさせける。御かたち有様(ありさま)あべい限(かぎ)りおはします。御心様(こころざま)など人(ひと)はめでたしとぞ申すめる。さるべき人々(ひとびと)えり整(ととの)へさせ給(たま)ふ。宮々(みやみや)などに参(まゐ)りこみて、宮(みや)と思(おぼ)し召(め)しつれど、はぢなき人々(ひとびと)多(おほ)く参(まゐ)りつどひたり。まづは故院(ゐん)に候(さぶら)ひ給(たま)ひし三位のはらから山井の大納言(だいなごん)のむすめといはれ給(たま)ひし大納言(だいなごん)の君(きみ)とて候(さぶら)ひ給(たま)ふめり。何(なに)くれのみやかの殿(との)ばらの女御(にようご)などさるべき人々(ひとびと)多(おほ)かり。すべてえり整(ととの)へたる限(かぎ)り廿人(にん)わらは下仕(しもづかへ)四人(にん)づゝなり。
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御しつらひより始(はじ)め、あたらしう磨(みが)きたてさせ給(たま)へれば、耀(かかや)きてぞみゆる。其(そ)のよになりて院(ゐん)渡(わた)らせ給(たま)ふ。御せんにさべうこころよせある。殿上人(てんじやうびと)をえらせ給(たま)へり。またなかりつる御なからひ有様(ありさま)の程(ほど)。あらまほしき事(こと)の例(ためし)になりぬべし。殿上人(てんじやうびと)のけしきいへば疎(おろ)かに、さかりならんさくらなどの心地(ここち)したり。御車(くるま)のしりに大蔵卿(おほくらきやう)つかまつり給(たま)へり。さておはしましたれば、此(こ)の御はらからの左衛門(さゑもん)のかう。二位(にゐ)中将(ちゆうじやう)などしそくさしいれ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。殿(との)はおはしますなれど、忍(しの)びてうちのかたにぞおはしますべき殿(との)の御せんどもはうちむれてあるに院(ゐん)の御供(とも)の人々(ひとびと)忍(しの)びさせ給(たま)へと、いと多(おほ)くぞ候(さぶら)ふ。御随身とものけしきえもいはずやさしう思(おも)へり。いらせ給(たま)へれば、御となぶらあるかなきかにほのめきたれど、にほひ有様(ありさま)よめにもしるし。東宮(とうぐう)にておはしましゝに、参(まゐ)らせ給(たま)はましかば、例(れい)の作法(さほふ)にぞあらまし。これはいまめかしうけぢかきものから、又(また)いとやむごとなし。女君(をんなぎみ)十八九ばかりにやおはしますらむとぞおぼえたる。御けはひ有様(ありさま)いとかひありて思(おぼ)さるべし。それにつけても堀河(ほりかは)女御(にようご)。思(おも)ひいでられ給(たま)ふもこころ苦(ぐる)し。かの女御(にようご)も御かたちよくこころはせおはすれば、年(とし)頃(ごろ)いみじう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へりつれど、只今(ただいま)何事(なにごと)もあたらしうめでたき御有様(ありさま)は、いま少(すこ)しいたはしう思(おぼ)さるゝも、われながら理(ことわり)しる様(さま)に思(おぼ)さる。冬(ふゆ)のよなれど
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はかなくあけぬれば、いてさせ給(たま)ふもいとあかぬ様(さま)に思(おぼ)さる。御供(とも)の御随身御車(くるま)副舎人(とねり)まで只今(ただいま)其(そ)のまゝにて位(くらゐ)につかせ給(たま)へらましよりもけに思(おも)ひたり。かへらせ給(たま)ひぬれば、女御(にようご)の君(きみ)御帳よりも出(い)でさせ給(たま)はず。院(ゐん)よりやがておはしましけるまゝにやとみゆる程(ほど)に、御つかひあり二位(にゐ)中将(ちゆうじやう)などいであひ給(たま)ひて、えもいはずゑはし給(たま)ふ。女房(にようばう)のかはらけさゑいつる袖口(そでぐち)などこそめもあやなれ。御かへり給(たま)ひて、女の装束えびぞめの小褂添(そ)へて給(たま)はりて参(まゐ)りぬ。さてくるゝもこころもとなくておはしましぬ。四五日ありてぞ御露顕(ところあらはし)ありける。院(ゐん)皇后宮(くわうごうぐう)に申(まう)させ給(たま)ふ。よさりいかに恥(は)づかしう侍(はべ)らんずらん。かしこにまかれば、二位(にゐ)中将(ちゆうじやう)三位中将(ちゆうじやう)などかまちむかふるに、いとすずろはしきに、こよひはもちいのよとか聞(き)き侍(はべ)りつる。おとどもものせらるべきやうにこそ聞(き)き侍(はべ)りしかど。聞(き)こえさせ給(たま)へば、げにいかにと思(おぼ)し召(め)して、御装束どもにえならぬかどもしめさせ給(たま)ふ。さやうのかたはなべてならぬ宮(みや)の御有様(ありさま)に、心(こころ)異(こと)に恥(は)づかしう思(おぼ)し召(め)してしたてさせ給(たま)ふ程(ほど)推(お)し量(はか)るべし。かくて御もとに参(まゐ)る人々(ひとびと)。少(すこ)しもかたくなしきはえりすてさせ給おはしましていらせ給(たま)へば、左衛門(さゑもん)のかうなど例(れい)の君達(きんだち)参(まゐ)らせ給(たま)へば、なますゞろはしう思(おぼ)し召(め)されていらせ給(たま)ふ。殿上人(てんじやうびと)のざには、かけばんのものどもいみじうしすへたり。御随身所(どころ)めしつぎどころかずしらず。机のものどもしすへたり。
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もてなし給様(さま)こころゆく様(さま)なり。ゑましくさすがにみゆ。いらせ給(たま)へば御となぶら、ひるのやうにあかきに、女房(にようばう)三四人(にん)五六人(にん)づゝうちむれつゝ、えもいはぬ有様(ありさま)どもにて、こほりふたがりたるあふぎどもをさしかくして、なみ候(さぶら)ふ程(ほど)いみじうおどろ<しきものから、恥(は)づかしげなり。御しつらひ有様(ありさま)。耀(かかや)くとみゆ。院(ゐん)の御(おん)心地(ここち)年(とし)頃(ごろ)堀河(ほりかは)のわたりの有様(ありさま)。御めうつりにまつおぼしいでらるべし。かくてもの参(まゐ)らせ給まかなひは、左衛門(さゑもん)のかうつかうまつり給(たま)ふ。とりつぎ給(たま)ふ事(こと)は、二位(にゐ)中将(ちゆうじやう)三位中将(ちゆうじやう)などせさせ給(たま)ふ。御たい参(まゐ)りての程(ほど)に、大(おほ)殿(との)出(い)でさせ給(たま)ひて、うるはしき御よそひにて、御かはらけ参(まゐ)らせ給(たま)ふ程(ほど)いへば疎(おろ)かにめでたし。院(ゐん)は御衣(ぞ)ども御直衣(なほし)などのいろを、いと慎(つつ)ましうかたはらいたう思(おぼ)せと、かやうの事(こと)はそれをゆゝしくと宣(のたま)はせぬ事(こと)なればいかにぞや。やつれたる様(さま)を恥(は)づかしう思(おぼ)し召(め)せど。なか<それしも夜めに御いろのあはひもてはやされて、けざやかにおかしうみえさせ給(たま)ふも、ことさらめきかくもありぬべき事(こと)なりけりとぞみえさせ給(たま)ふ。御けはひにほひなどぞしみかへらせ給(たま)へる。御かたちけぢかくあいぎやうづきおかしくおはします。こよひの御有様(ありさま)。必(かなら)ずゑにかかまほし。御年(とし)廿三四におはしませば、さかりにめでたくひげなど少(すこ)しけはひつかせ給(たま)へる。あなあらまほしめでたやとぞみゆる御有様(ありさま)なめる。かくて御供(とも)の人々(ひとびと)の禄ども、例(れい)の作法(さほふ)に
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いま少(すこ)しまさせ給(たま)へり。御随身所(どころ)めしつぎどころ。御車(くるま)副舎人(とねり)ども様々(さまざま)いとおどろ<しうおぼしをきてたり。大(おほ)殿(との)はとくかへらせ給(たま)ひぬ。もちにや御わりごのふた御帳のうちにさしいれておはしましぬる程(ほど)。物忌(ものいみ)すまじう哀(あは)れにみえさせ給(たま)ふ。かくてかの堀河(ほりかは)の女御(にようご)其(そ)のままにむねふたがりて、つゆばかり御ゆをだに参(まゐ)らでふさせ給(たま)へり。おとどもきえいりぬばかりにて、ふし給(たま)へるに、一の宮(みや)おはしましておとどやゝおきよ<むまにせんとおこし奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、われにもあらずおきあかり給(たま)ひて、たかはひしてむまにのせ奉(たてまつ)り給(たま)ひてありかせ給(たま)へば、一の宮(みや)例(れい)よりはうごかぬむまかなとて、御あふぎしてとく<とうち奉(たてまつ)らせ給(たま)ふを、女御(にようご)みやり奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、めくるゝ心地(ここち)せさせ給(たま)へば、いとどしき御こころのやみもまさらせ給(たま)ひて、御衣(ぞ)をひきかづきてふさせ給(たま)へり。いみじうあはれなる御有様(ありさま)どもなるに、女御(にようご)は若(わか)うおはすれはいとよしや。殿(との)の御年(とし)さばかりなるに、いかにつみえさせ給らんと見(み)奉(たてまつ)る人々(ひとびと)も、あはれこころうしとおもふべし。日頃(ひごろ)ありて院(ゐん)堀河(ほりかは)におはしまして御覧(ごらん)ずれば、わざとみちもみえぬまであれたり。あれと御覧(ごらん)じていらせ給(たま)へれば、女御(にようご)殿(どの)は御帳のまへに、御すゞりのはこをまくらにてふさせ給(たま)へる。御(お)前(まへ)に女房(にようばう)二三人(にん)ばかり候つれど、おはしましつれば、皆(みな)いりにけり。め安(やす)き人々(ひとびと)候(さぶら)ひしかど。此(こ)の頃(ごろ)皆(みな)いではてゝ。
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えさらぬ人々(ひとびと)ぞ候(さぶら)ひける。見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、しろき御衣(ぞ)ども、いつゝむつばかり奉(たてまつ)りて、御こしの程(ほど)に御ふすまをひきかけておはします。御(み)髪(ぐし)はいとうるはしくて、すそ細(ほそ)くてたけに一尺ばかりあまらせ給(たま)へる程(ほど)なり。御かたちきよけにて只今(ただいま)は卅ばかりにおはしますらんかし。されどいみじう若(わか)う清(きよ)げにみえさせ給(たま)ふ。猶(なほ)ふりがたきかたちなりかしと御覧(ごらん)じて、やゝとをどろかし奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、何(なに)ごころもなく見あげ給(たま)へるに、院(ゐん)のおはしませば、あさましくて御かほひきいれ給(たま)へば、御かたはらにそひふさせて、よろづになきみ笑(わら)ひみ慰(なぐさ)め聞(き)こえさせ給(たま)へど。それにつけてもむねふたがりて、御涙(なみだ)のみ流(なが)れいづれば、院(ゐん)はよろづに聞(き)こえさせ給(たま)へどかひなし。いづら一の宮(みや)はと聞(き)こえ給(たま)へば、おはしましてうちはぢらひておはしませば此(こ)の宮(みや)も皆(みな)はぢけるものをとて御涙(なみだ)ををしのごはせ給(たま)ふもいみじうあはれなり。女御(にようご)の御そばのかたに、たたうがみのやうなるもののあるをとりて御覧(ごらん)ずれば、おぼしける事(こと)どもをぞかき給(たま)へる
@過(す)ぎにける年(とし)月何(なに)を思(おも)ひけんいましももののなげかしきかな W140。
また
@うちとけて誰(たれ)もまだねぬ夢(ゆめ)のよに人(ひと)のつらさを見るぞ悲(かな)しき W141
@ちとせへん程(ほど)をばしらずこぬひとをまつはなをこそひさしかりけれ W142
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@恋(こひ)しさもつらさもともにしらせつる人(ひと)をばいかゞうしと思(おも)はぬ W143
@とくとだにみえずもあるかな冬(ふゆ)のよのかたしくそでにむすぶこほりの W144。
などかかせ給(たま)へるいみじうあはれなり。かくものを思(おも)はせ奉(たてまつ)る事(こと)、などかとき<はこころにもとまらざらん。されど人(ひと)のいみじうもてなしおぼいたる事(こと)の煩(わづら)はしければ、只今(ただいま)はいかでかはいま暫(しば)しもありてこそはなど思(おぼ)すもいとあはれなり。むすぶこほりのとかき給(たま)へるかたはらにかかせ給(たま)ふ
@あふ事(こと)のとどこほりつゝ程(ほど)ふればとくれどとくるけしきだになし W145。
よろづに唯(ただ)わが御命(いのち)しらぬ事(こと)をのみ。えもいはず聞(き)こえさせ給(たま)ひて、出(い)でさせ給(たま)ふ。宮(みや)たちのたち騒(さわ)ぎみをくり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、又(また)御涙(なみだ)こぼるれば、ついゐさせ給(たま)ひて慰(なぐさ)め奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)ども召(め)して抱(いだ)かせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、殿(との)の御方(かた)におはしまさせ給(たま)ひて、少(すこ)しこころ安(やす)くて出(い)でさせ給(たま)ふ。みちのそらもなく、いみじう思(おぼ)さるべし。御供(とも)の人々(ひとびと)もとまらせ給(たま)はゞ。いかにひなからんと思(おも)ひけるに、出(い)でさせ給(たま)へばいと嬉(うれ)しく思(おも)ひたるも、いとこころうし。高松(たかまつ)殿(どの)におはしましたれば、たとしへなき事(こと)ども多(おほ)かり。こたみの絶間(たえま)いとこよなし。女御(にようご)いまは唯(ただ)此(こ)の嘆(なげ)きには、わがみのなからんにのみぞたゆべきと心(こころ)一(ひと)つをとなしかうなしいつまでぐさのとのみ。おぼしみだる。あはた殿(どの)の北(きた)の方(かた)は、年(とし)頃(ごろ)此(こ)の殿(との)の北(きた)の方(かた)
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にておはすれは、此(こ)の頃(ごろ)は上(うへ)などの聞(き)こえ給(たま)ふ事(こと)も殿(との)は聞(き)きいれさせ給(たま)はずいみじとのみものをおぼしたるか哀(あは)れになん。晦日(つごもり)になりぬれば、高松(たかまつ)殿(どの)にはやがてそれにぞ院(ゐん)の御乳母(めのと)達(たち)にさべき事(こと)どもせさせ給(たま)ふ。装束ひきくたり織物(おりもの)のきぬまた唯(ただ)のきぬなとそへさせ給(たま)へるにまた院(ゐん)の御衣(ぞ)どもそへさせ給(たま)ふにまたあるものもあるべし。一条(いちでう)宮(みや)には御のさきの事(こと)するにつけても夢(ゆめ)とのみ思(おぼ)し召(め)さる。夜の程(ほど)にか。はかりぬるそらのけしきも、いとはればれしくこころのどかにてうらゝゆかしげなり。よろづもののはへなき年(とし)なれば、例(れい)参(まゐ)り給上達部(かんだちめ)臨時(りんじ)のきやく同(おな)じ事(こと)なり。されど女房(にようばう)などのいてゐもなくひきいりたる御有様(ありさま)も口(くち)惜(を)しうぞ高松(たかまつ)殿(どの)には女房(にようばう)の事(こと)もあらため心地(ここち)よなれと院(ゐん)の御衣(ぞ)のいろ異(こと)なれば、もののはへなき事(こと)どもなり。よろづよりも御門(みかど)の御年(とし)十一にならせ給(たま)へば、正月五日御元服の事(こと)あり。其(そ)の程(ほど)の有様(ありさま)思(おも)ひ遣(や)るべし。此(こ)の廿余(よ)日(にち)の程(ほど)は摂政殿の大饗あるへければ、御屏風(びやうぶ)せさせ給(たま)ふ。さるべき人々(ひとびと)に皆(みな)うたくばり給(たま)はするに、大(おほ)殿(との)われもよまんと仰(おほ)せられてよの急(いそ)ぎに御いとまもおはしまさねど。ともすればはしちかにうちながめて、うめかせ給(たま)ふ程(ほど)。様々(さまざま)にめでたく、人(ひと)の御さいはひ御心様(こころざま)もつねの事(こと)ながら、かばかりいそがしき御こころにかかる事(こと)をさへ忘(わす)れすてさせ給(たま)はぬ。御こころの程(ほど)も
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聞(き)こえさせんかたなくおはします。すべてうた八十ぞいできたりつれど、いりたる限(かぎ)りにつくしかかず。やまとのかみすけたゞの朝臣(あそん)うづえを
@ときは山(やま)おいつくなれどたまつばき君(きみ)がさかゆくつえにとぞきる W146。
大饗したる所(ところ)
@君(きみ)がりとやりつるつかひきにけらし野辺(のべ)のきゞすはとりやしつらん W147
春日(かすが)のつかひたつところいづみ
@春日野(かすがの)に年(とし)もへぬべしかみのますみかさの山(やま)にきたりと思(おも)へば W148。
やまざとにみづある家(いへ)に、まらうとのきたるさいす輔親(すけちか)
@此(こ)のやどにわれをとめなんいけみづのふかきこころにすみ渡(わた)るべく W149。
五月節すけたゞ
@くらぶべきこまもあやめのくさも皆(みな)みづのみまきにひけるなりけり W150。
九月九日殿(との)の御(お)前(まへ)
@かくのみもきくをぞ人(ひと)は忍(しの)びけるまがきにこめてちよを思(おも)へば W151。
四条(しでう)大納言(だいなごん)べちに二首奉(たてまつ)り給(たま)へり。さくらのはな見る女(をんな)車(ぐるま)あるところ
@はるのはなあきの紅葉(もみぢ)も色々(いろいろ)にさくらのみこそひとゝきもみれ W152。
また紅葉(もみぢ)ある山(やま)ざとに男(をとこ)きたり
@やまざとの紅葉(もみぢ)みにとやおもふらんちりはてゝこそとふべかりけれ W153。
いと多(おほ)かれ
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どかかず。大饗の日寛仁二年正月廿三日なり。有様(ありさま)言(い)ふも疎(おろ)かにめでたし尊者には閑院(かんゐん)右大臣(うだいじん)ぞおはしましける。上(うへ)の御有様(ありさま)などいとあらまほしくめでたき殿(との)なり。式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)の姫宮(ひめみや)むまれ給(たま)ひしより。やがてとり放(はな)ちてやしなひ奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、いと美(うつく)しげにておはします。堀河(ほりかは)の院(ゐん)にはかの上陽人の、@@01 『春(はる)往(ゆ)き秋(あき)来(く)れども年(とし)を知(し)らず [かな: はるゆきあきくれどもとしをしらず]』 B01と言(い)ふやうに、あけくるゝもしらせ給(たま)はす。あさましうおぼし嘆(なげ)きてねざめつゝにやあらん。大(おほ)殿(との)ごもらねば、残(のこ)りのともしびのかべにそむける嘆(なげ)きも、こころ細(ぼそ)く思(おぼ)さるゝに、御(お)前(まへ)のむめのこころようひらけにけるも、これをいまゝでしらざりける。わがみ世(よ)にふるなどながめられ給(たま)ひて
@いづこよりはるきたりけんみし人(ひと)のたえにしやどにむめぞにほへる W154。
@@02 『鴬(うぐひす)のうら若(わか)き初音(はつこゑ)もうれはしければ聞(き)くを厭(いと)ふ [かな: うぐひすのうらわかきはつこゑもうれはしければきくをいとふ ] 』 B02などありけんも、誠(まこと)なりけりとおぼししらる。よろづかはらぬ御有様(ありさま)なるに宮(みや)たちの御衣(ぞ)ばかりをぞあさやけさせ給(たま)ひて、〔ゐ〕んの御をきてあれば、宮(みや)たちに御節供参(まゐ)れり。よろづあはれなる世を、殿(との)は小袴きてあしだはかせ給(たま)ひてつえをつきて、みちのまゝにありかせ給(たま)ふ。御(お)前(まへ)の小木どものおいさきつくろはせ給(たま)へば、一の宮(みや)は人(ひと)に抱(いだ)かれさせ給(たま)ふ。つゞきあるかせ給(たま)ふ程(ほど)に哀(あは)れにすごげなり高松(たかまつ)殿(どの)の有様(ありさま)を、院(ゐん)いかに御覧(ごらん)じくらぶらんと、御めうつりの程(ほど)も思(おも)ひ遣(や)られて恥(は)づかしう。すずろはしう思(おぼ)さるる御こころのうち理(ことわり)ながらあながちなり。
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枇杷(びは)殿(どの)の宮(みや)には、故院(ゐん)の御ふえを此(こ)の宮(みや)。ごんだいぶとあるは、けん中納言(ちゆうなごん)にこれかたがひたるところつくろひてとてあづけさせ給(たま)へりけるを、ものの中よりみ出(い)でてかう<侍(はべ)りしを、忘(わす)れていままで参(まゐ)らせ侍(はべ)らざりける事(こと)ゝて、御(お)前(まへ)に参(まゐ)らせ給(たま)ふとて、やがて少(すこ)しふきならさせ給(たま)ふを聞(き)きて、命婦(みやうぶ)の乳母(めのと)
@ふえたけの此(こ)のよをながくわかれにし君(きみ)がかたみのこゑぞ恋(こひ)しき W155。



栄花物語詳解巻十四


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〔栄花物語巻第十四〕 あさみどり
二月になりぬれば、大(おほ)殿(との)の尚侍殿内(うち)へ参(まゐ)らせ給(たま)ふ。よろづの事(こと)整(ととの)へさせ給(たま)へり。大人(おとな)四十人(にん)・わらは六人(にん)・下仕(しもづかへ)同(おな)じかずなり。始(はじ)めの宮々(みやみや)摂政殿などに、皆(みな)人々(ひとびと)参(まゐ)りて、いまはえしもと思(おぼ)し召(め)しつれど、いづれもはぢなき人々(ひとびと)多(おほ)く参(まゐ)りこみたり。わらはゝ其(そ)のよ車(くるま)よするまでえり整(ととの)へさせ給(たま)へる推(お)し量(はか)るべし。ふた宮(みや)の御参(まゐ)りのおりの事(こと)をぞ、よがたりに人々(ひとびと)聞(き)こえさすめるを、これはいま少(すこ)しまさりたる世(よ)の中(なか)の。人(ひと)の御をきてきのふに今日(けふ)はまさりてのみみゆるわざなれば、よろづそれにしたがひてめでたし。御門(みかど)の御有様(ありさま)よりは、かんのとのこよなく大人(おとな)びさせ給(たま)へり。御かたちいみじうおかしげにあいぎやうづきいろあひより始(はじ)めなべてならずみえさせ給(たま)ふ。御ぐしいみじうめでたくて、御たけにすこしぞあまらせ給(たま)へる。上(うへ)の御(お)前(まへ)の御(み)髪(ぐし)より始(はじ)め。ふた宮(みや)の御(み)髪(ぐし)よにたぐひなうながくめでたくおはしますに、この御(お)前(まへ)をぞこころもとなげに思(おぼ)し召(め)したるに、これもいと美(うつく)しげにぞおはします。やへかうばいつゆかかりながら、をし
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おりたるやうなるにほひなり。いづれの物語(ものがたり)にかは。人(ひと)の御むすめ女御(にようご)后(きさき)を、悪(わろ)しと聞(き)こえさせたる。其(そ)のなかにもこの御(お)前(まへ)達(たち)は。御かたちこそさもおはしまさめ。御こころをきて有様(ありさま)などいかでかうこたいならずいまめかしうさりとてはしちかになとやはおはします。いかでかう様々(さまざま)めでたくおはしますにかとみえさせ給(たま)ふ。まいておはしましあつまらせたまへるおりは。ゑをかきたるもかたくなしきまじりたり。これは聞(き)こえさせんかたなくおはしませば、とのも上(うへ)も御めほかへやらせ給(たま)はず。まぼり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。かくて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、御しつらひ有様(ありさま)など例(れい)のおどろ<しうたまを磨(みが)きたてさせ給(たま)へり。御門(みかど)いと若(わか)くおはしましていかゞと世(よ)の人(ひと)聞(き)こえ思(おも)へり。さき<”もおぼつかなからず見(み)奉(たてまつ)りかはさせ給(たま)へる御(おん)中(なか)なれど、かんのとのは。さしならび奉(たてまつ)らせ給(たま)はん事(こと)を、かたらいたく思(おぼ)し召(め)して、御門(みかど)はひたみちに恥(は)づかしう思(おぼ)し召(め)しかはす。しぶ<にのぼらせ給(たま)へるは、よるのおとどにいらせ給(たま)ふ程(ほど)、いみじう慎(つつ)ましうわりなう思(おぼ)し召(め)されて、いかにもうごかでゐさせ給(たま)へれば、近江(あふみ)の三位参(まゐ)りて、あなものぐるをしなどかうてはとて御帳のもとにおはしまさすれば、上(うへ)をきゐさせ給(たま)ひて、御そでをひかせ給(たま)ふ程(ほど)。かんのとのむけにしらせ給(たま)はざらん中よりもまばゆく恥(は)づかしく思(おぼ)し召(め)さるべし。さていらせ給(たま)ひぬれば、とのの上(うへ)おはしまして、御ふすま参(まゐ)らせ給(たま)ふ程(ほど)げにめでたき御有様(ありさま)
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にて、理(ことわり)にみえさせ給(たま)ふ。いらせ給(たま)ひて後(のち)の事(こと)はしりがたし。御乳母(めのと)達(たち)。み帳のあたりに候(さぶら)ふ。とのの御(お)前(まへ)よろづおぼしつゞくるに、ゆゝしうて御めのごはせ給(たま)ふ。暁(あかつき)にはおりさせ給(たま)ふ。さて夜頃(ごろ)のぼらせ給(たま)ひて、よき日してあへい事(こと)ども、物せさせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)達(たち)の贈(おく)り物(もの)の上(うへ)の女房(にようばう)たち。女官までものたまはすれば、よろこびかしこまりて、祈(いの)り申しつゞくるもおかしくなん。をそくのぼらせ給(たま)ふおりは、よふくるまでおはしまして、まちつけ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)なとこそ、猶(なほ)心(こころ)異(こと)におはしますわざなめれ。御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)へれば、ならひ聞(き)こえさせ給(たま)へる程(ほど)、殊(こと)の外(ほか)にいかにと世(よ)人(ひと)も申を、かんのとのもとよりさゞやかに人(ひと)ざま若(わか)うおかしげにおはしませば、なすらひに美(うつく)しうみえさせ給(たま)ふ。上(うへ)あさましうおよすけさせ給(たま)へり。おはしまして御ぐしのはこのうちより始(はじ)め。よろづをさがし御覧(ごらん)ずるに、いとおかしうみどころありて、けうせさせ給(たま)ふ。み調度(てうど)ゞもめでたうおかしきをぞ。明(あ)け暮(く)れの御あそびに御覧(ごらん)じける。かんのとのは猶(なほ)いと恥(は)づかしう人目(ひとめ)おぼしたれど、上(うへ)はいとようむつひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)もおかしくなん。斯(か)かる程(ほど)に故あはた殿(どの)の姫君(ひめぎみ)は今はむけに大人(おとな)になりはて給(たま)へれば、はゝ北(きた)の方(かた)いかでわがあるおりに、頼(たの)もしうさるべき様(さま)にみをき奉(たてまつ)らんとおぼし宣(のたま)へど、さべき事(こと)のめ安(やす)きかあるべきにもあらず。さりとてなべての事(こと)をあり<てすべきにもあらず。いかにせましとおぼし煩(わづら)ふ程(ほど)に、このかんのとのよりせち
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に度々(たびたび)御消息(せうそく)聞(き)こえさせ給(たま)ふ。何(なに)かと思(おぼ)すべきにもあらず、つれ<”の慰(なぐさ)めにかたらひ聞(き)こえさむとぞある。とのの上(うへ)の御消息(せうそこ)聞(き)こえさせ給(たま)ふを、この北(きた)の方(かた)いかにせまじとおぼし乱(みだ)れて姫君(ひめぎみ)にをのが行末(ゆくすゑ)も残(のこ)りすくなければいかにも<して、いかでうしろ安(やす)くと思(おも)ひ聞(き)こえさすめるに、かのわたりにせちに宣(のたま)はすめるを、いかゞ思(おぼ)すと聞(き)こえ給(たま)へば、姫君(ひめぎみ)ともかくも宣(のたま)はで、うちそばみてゐ給(たま)へるを、見(み)奉(たてまつ)り給(たま)へば、御涙(なみだ)のこぼるゝなりけり。北(きた)の方(かた)いとどせきもあへ給(たま)はず、あかき宮(みや)これをよき事(こと)ゝてにはあらず、人(ひと)のせちに宣(のたま)ふ事(こと)なれば、故とのうた物語(ものがたり)をかき御調度(てうど)をしまうけてまち奉(たてまつ)り給(たま)ひしかど、御かほをだにも見(み)奉(たてまつ)り給(たま)はずなりにし事(こと)と言(い)ひつゞけなき給(たま)へば、御(お)前(まへ)なる人々(ひとびと)もゆゝしきまでなきあへる程(ほど)に、二位(にゐ)宰相(さいしやう)参(まゐ)り給(たま)へり。北(きた)の方(かた)この事(こと)どもを聞(き)こえ給(たま)へば、宰相(さいしやう)うちなき給(たま)ひて、かかる事(こと)なんいと苦(くる)しう侍(はべ)る。いたうとれはと言(い)ふやうに、故とのの御こころをきてのまゝにてはあへておぼしかくべきにはあらねど。いまの世(よ)の事(こと)いと様(さま)殊(こと)になりにて侍(はべ)れば、かくせちに申(まう)させ給(たま)ふを、いなともはへらばなにがしなどがためこそひなう侍(はべ)らめ。この御有様(ありさま)のつぐべき世ともみえ侍(はべ)らねば、人(ひと)のためよき事(こと)はかたうあしき事(こと)は安(やす)くなんなど聞(き)こえ給(たま)へば、北(きた)の方(かた)さる事(こと)なりとおぼしたちて、あるべき事(こと)ゝ定(さだ)め給(たま)ふに、宰相(さいしやう)
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大人(おとな)十人(にん)・わらは二人(ふたり)下仕(しもづかへ)さやうにてあへ侍(はべ)りなん。帥(そち)殿(どの)の御方(かた)、大宮(おほみや)に参(まゐ)り給(たま)ひし、さやうになん聞(き)き給(たま)ふべしと申し給(たま)ひて、なびき聞(き)こえ給よしの御かへり聞(き)こえ給(たま)ひつ。姫君(ひめぎみ)をみやり奉(たてまつ)り給(たま)へば、いとちいさやかにさゞやかにて、しだりやなきたちてゐ給(たま)へる。御調度(てうど)ゞもは故とのの様々(さまざま)しまうけ給(たま)ひしどもゝあめり。しろがねの御ぐしのはこさへあるこそとて、またなき給よに限(かぎ)りなき御御門(みかど)こそ思(おも)ひ給(たま)ひけめとて、またなき給(たま)ひぬ。よろづものの例(ためし)めきぬ。あはれなる事(こと)どもかな。かくて宰相(さいしやう)いで給(たま)ひぬ。大(おほ)殿(との)にはこの御かへりを御覧(ごらん)じてければ、よろこびながら人(ひと)の御身にいるべきもの。様々(さまざま)大人(おとな)しきまで奉(たてまつ)れさせ給(たま)へれば、さはかうにこそとは急(そ)ぎ立(た)たせ給(たま)ふにつけても、北(きた)の方(かた)ともすれば、いやめなるちごどものやうにうちひそまれ給(たま)ふ。堀河(ほりかは)のおとどにかかる事(こと)なんあると申し給(たま)へば、すべてまつにものなの給そ。何事(なにごと)もおぼえ侍(はべ)らずと言(い)ふかひなき御いらへなり。かくて故との度々(たびたび)夢(ゆめ)にみえさせ給(たま)ふもののけにもいで給ふなどすれど、さりとておぼしとまるべき事(こと)にもあらぬを、姫君(ひめぎみ)いでやあまにやなりなましなど人(ひと)しれずおぼしみだるれど、まめやかなる御こころなどのあめるに、またいまさらにけしからぬやうにやはと思(おぼ)すも哀(あは)れになん。其(そ)のよになりて、二位(にゐ)宰相(さいしやう)頭中将(ちゆうじやう)など参(まゐ)りあつまり給(たま)ふ。また昔(むかし)より志(こころざし)ありて、したう思(おぼ)されし。
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これかれなど参(まゐ)れり。御こころむかへには。大納言(だいなごん)殿(どの)の御車(くるま)をぞゐて参(まゐ)れる。これを御急(いそ)ぎとおぼし急(いそ)ぐにつけても、世(よ)の中(なか)のあはれぞまづ知(し)られける。さて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、二条(にでう)とのの御方(かた)とて、いみじうかしづきすへ奉(たてまつ)り給(たま)ひて、たは安(やす)くとのの君達(きんだち)参(まゐ)り給(たま)はず、いとやんごとなきものに、もてなし聞(き)こえ給(たま)ふ。この御参(まゐ)りをばさるものにて帥(そち)殿(どの)の姫君(ひめぎみ)の御参(まゐ)りあはれなる事(こと)ぞかし。すべてこのとのの御えだ<に、つゆかかり給(たま)はぬ人(ひと)なくなりはて給(たま)ひぬ。@@03 「昨日(きのふ)の淵(ふち)ぞ今日(けふ)の瀬(せ)となる」 [かな: きのふのふちぞけふのせとなる ] B03と言(い)ふもまことゝみえたり。一条(いちでう)宮(みや)には。御(お)前(まへ)のさくらのをそき事(こと)を御(お)前(まへ)より始(はじ)め奉(たてまつ)りて、こころもとなき事(こと)におぼし宣(のたま)はすれば、土御門(つちみかど)の御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)
@さきさかずおぼつかなしやさくらばなほかのみるらん人(ひと)にとはばや W156。
べんの乳母(めのと)
@大方(おほかた)のさくらもしらずこれを唯(ただ)まつよりほかの事(こと)しなければ W157。
べんの乳母(めのと)其(そ)のころ里(さと)にまかつるに、三条(さんでう)院(ゐん)の前(まへ)を渡(わた)れば、こだかかりしまつのこずゑもすこしいろかはりて、心地(ここち)よげなり。ついひぢには何(なに)となきもの。繁(しげ)うはひかかりたれば、いみじう哀(あは)れに昔(むかし)思(おも)ひいでられて、こぢじうの君(きみ)の里(さと)にあるに言(い)ひやる。車(くるま)とどめたる程(ほど)も過(す)ぎておかしきに
@昔(むかし)みしまつのこずゑはそれながらむぐらはかどをさしてげるかな W158。
かへし小侍従の君(きみ)
@君(きみ)なくてあれまさりつゝむぐらのみさすべきかどと思(おも)ひかけきや W159
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三月廿日の程(ほど)に一(いちでう)宮(みや)にさくら参(まゐ)らせてだうめいあざり
@いかならんきかばやしでの山(やま)ざくら思(おも)ひこそやれ君(きみ)がゆかりに W160。
とあれば中将(ちゆうじやう)の乳母(めのと)かへし
@君(きみ)ゆへは悲(かな)しきけさのにほひかないかなるはるかは猶(なほ)おりけん W161。
かくてとのの中将(ちゆうじやう)此(こ)の頃(ごろ)十五ばかりにおはする。御かたちいと美(うつく)し。年(とし)頃(ごろ)とのの上(うへ)のとりわき御(み)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御おぼえなども心(こころ)異(こと)なるを、只今(ただいま)いみじき人(ひと)の御むこの程(ほど)におはすれば、さやうに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひにたり。おほかへけれどえさしもあらぬに、侍従中納言(ちゆうなごん)のむかひばらの姫君(ひめぎみ)十二ばかりなるを、またなう思(おも)ひかしづき給(たま)ふ。むまれ給(たま)ひけるより心(こころ)異(こと)におぼしをきてたりけるを、この中将(ちゆうじやう)の君(きみ)をさてあらせ奉(たてまつ)らばやとおぼして、さるべきたよりして、とのの御けしき給(たま)はらせ給(たま)へば、ひいなあそびのやうにておかしからんと宣(のたま)はせて、にくげならぬ御けしきを伝(つた)へ聞(き)き給(たま)ひて、とのも北(きた)の方(かた)も、いみじう嬉(うれ)しうおぼして、にはかに急(いそ)ぎたち給(たま)ふ。年(とし)頃(ごろ)も何(なに)をかしづきぐさにおほひたりつればさるべき御調度(てうど)ゞもはあれど、唯(ただ)あざやかに御帳御几帳(きちやう)のかたびらばかりをせさせ給(たま)ふ。さるべき若(わか)き人々(ひとびと)のなり整(ととの)へて、三月廿余(よ)日(にち)におぼし定(さだ)めたるに、其(そ)の日いはしみづの臨時(りんじ)の祭(まつり)のつかひに、この君(きみ)おはすべかりければ、とのの御(お)前(まへ)他人(ことひと)にさしかへさせ給(たま)ふ程(ほど)の御こころをきてを、中納言(ちゆうなごん)は疎(おろ)かならずおぼしよろこびたり。よろづ
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の事(こと)整(ととの)へ給(たま)ひてひるつかた中将(ちゆうじやう)殿(どの)より
@ゆふぐれはまちどをにのみ思(おも)ほえていかでこころのまづはゆくらん W162。
かくてくるゝやをそきとおはしたればみんふのたゆふ君(きみ)おはり権守などしそくさしていれ奉(たてまつ)る。さて其(そ)の上(うへ)とのも北(きた)の方(かた)も、何事(なにごと)あらんとけぢかき程(ほど)に、いもねてあかさせ給(たま)ふ。哀(あは)れにおぼしつゞけらる。きて暁(あかつき)にいで給(たま)ひて、すなはち御ふみあり
@けさはなどやがてね暮(くら)しおきずしておきてはねたくくるゝまをまつ W163。
とありとのの御(お)前(まへ)の御くちつきとしるく思(おぼ)さる。家(いへ)なりぞ御つかひなりける。たゆふの君(きみ)いであひてもてはやし給(たま)ふ次(つぎ)に女房(にようばう)のかはらけ度々(たびたび)になりたれば、いとたえがたけなり。女房(にようばう)の装束に、さくらの織物(おりもの)のうちきそへ給(たま)ふ
@あさみどりそらものどけき春の日はくるゝひさしきものとこそ聞(き)け W164。
姫君(ひめぎみ)恥(は)づかしうおぼいたれど、猶(なほ)御てづからおぼいて、北(きた)の方(かた)せちにそゝのかし聞(き)こえ給(たま)へば、わりなけれどかき給(たま)へるを、大(おほ)殿(との)御覧(ごらん)ずるに、唯(ただ)中納言(ちゆうなごん)の御ての若(わか)きとみえて、えもいはずおかしげなれば、哀(あは)れに御覧(ごらん)ぜらる。其(そ)の後(のち)おはし通(かよ)はせ給(たま)ふに、よろづつくりあはせたるやうなる御なからひなり。女君(をんなぎみ)いと幼(をさな)くおはすれど、御(み)髪(ぐし)はきばかりにてかたちいと美(うつく)しうおはす。男君(をとこぎみ)御(おん)中(なか)いと恥(は)づかしうおぼしつゝみだるものから、哀(あは)れにこころさしふかう。思(おも)ひかはし聞(き)こえ
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給(たま)へりけれど、それも幼(をさな)うおはすれば、男君(をとこぎみ)はやがて侍(さぶらひ)にうたゝねし給(たま)ふ。女君(をんなぎみ)は手習(てならひ)し給(たま)ふまゝに、ふでとりながらねなどし給(たま)ひければ、うちにもとにも人(ひと)ぞ抱(いだ)きて御帳にいれ奉(たてまつ)るおり<多(おほ)かりける。其(そ)の年(とし)の祭(まつり)のつかひに、このとのいで給(たま)へば、大(おほ)殿(との)にもこのとのにもさらなり摂政(せつしやう)殿(どの)までおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。し奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、しうとめの北(きた)の方(かた)見(み)奉(たてまつ)りにいで給(たま)ひて、何(なに)ともなく唯(ただ)かひをつくり給(たま)へば、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)おこがましくと笑(わら)ひ聞(き)こゆるもおかしくなん。このとのただこの君(きみ)の御扱(あつか)ひよりほかの事(こと)なきを、理(ことわり)にみえたり。大姫君(おほひめぎみ)男(をとこ)君達(きんだち)の御はゝ。このいまの北(きた)の方(かた)のあねにものし給(たま)ふ。女君(をんなぎみ)二人(ふたり)男君(をとこぎみ)はみんぶのたゆふさねつね・おはりごんのかみよしつねの君(きみ)。中君はいまは近江(あふみ)のかみつねよりの北(きた)の方(かた)。大姫君(おほひめぎみ)はさやうにほのめかし聞(き)こゆる人々(ひとびと)あれど、中納言(ちゆうなごん)これはおもふやうありと惜(を)しみ聞(き)こえ給(たま)ふ程(ほど)に、いたうさかり過(す)ぎゆくに、このちごのやうにおはする君(きみ)の御事(こと)をもて騒(さわ)げば、故北(きた)の方(かた)の御もののけいできて、この姫君(ひめぎみ)をあへてあらせ奉(たてまつ)るべくもあらず。ゆゝしうつねに言(い)ひをどせば、しづごゝろなく思(おも)ほされける。一条(いちでう)宮(みや)には。四月晦日(つごもり)に御服ぬがせ給(たま)ひてしかば、よろづあらたまりはなやかなりされど猶(なほ)はなやかなるいろは。奉(たてまつ)らず。五月五日院(ゐん)より姫君(ひめぎみ)の御方(かた)にとて、くすだま奉(たてまつ)らせ給(たま)へり
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@此(こ)の頃(ごろ)を思(おも)ひいづればあやめぐさ流(なが)るゝ同(おな)じねにやともみよ W165。
御かへし
@いにしへをかくる袂(たもと)はみるごとにいとどあやめのねこそしげゝれ W166。
九日は御正日にて御覧(ごらん)ずるもいとあはれなり。はかなうて六月にもなりぬ。京極(きやうごく)とのはおとゝしの七月にやけにしを、其(そ)の八月よりよるをひるにてつくらせ給(たま)へれば、いできて今日(けふ)明日(あす)渡(わた)らせ給(たま)ふ。大宮(おほみや)はうちにおはしませばとのの御(お)前(まへ)上(うへ)かんのとの渡(わた)らせ給(たま)ふ。いよのかみよりみつぞ。とののうちの事(こと)すべてさながらつかうまつる。とのの御(お)前(まへ)の御調度(てうど)ゞも、上(うへ)のかんのとのの御事(こと)などすべて残(のこ)るものなく、つかうまつれり。女房(にようばう)のさうしの蔵人(くらうど)所(どころ)御随身所(どころ)迄すべてとののうちにこのものこそなけれとおぼし宣(のたま)ふべきやうなし。いかでかう思(おも)ひよりけんと御覧(ごらん)ぜらるゝぞ。いみじうめでたき。御帳御几帳(きちやう)御屏風(びやうぶ)のしさま厨子(づし)辛櫃のまきゑをきくちめづらかなるまでつかうまつれる。いかでかくしけんと、とのも仰(おほ)せられ、とのばらもかんじ給(たま)ふ。三日の程(ほど)よろづのとのばら参(まゐ)りまかでうちあけあそび給(たま)ふ。御(お)前(まへ)にきぬやつくりてあめうしいたはりかはせつねの事(こと)ゝ言(い)ひながら、めとゝめられたるとののつくり様(さま)、始(はじ)めはこたいに昔(むかし)づくりなりしかば、やのだけ短(みじか)ううちあはぬ事(こと)多(おほ)かりしを、こたみはとのの御こころのうちあふ限(かぎ)りつくらせ給(たま)へれば、世(よ)にいみじき見ものなり。山(やま)のおほきなる木どもうせにしこそ口(くち)惜(を)しき
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事(こと)なれど、いまひきうへさせ給(たま)へる。小木の行末(ゆくすゑ)はるかにおいさき頼(たの)もしき若枝多(おほ)くみどころまさりてなんありける。とのはこれにつけても、ひは殿(どの)の遅(をそ)げなる事(こと)を思(おぼ)し召(め)すべし。いまはかれを急(いそ)がせ給(たま)ふ。はかなくあきになりぬれば、かぜのをともこころ細(ぼそ)きに、堀河(ほりかは)の女御(にようご)。まつかぜのをとを聞(き)こし召(め)して
@まつかぜはいろやみどりにふきつらんものおもふ人(ひと)の身にぞしみける W167。
と思(おぼ)されけり。かやうにて過(す)ぎもてゆきて、かみなづきにもなりぬ。いつしかと初雪(はつゆき)ふりわたり。例(れい)にもにずいととき事(こと)を人々(ひとびと)けうじ思(おぼ)すに、二位(にゐ)中納言(ちゆうなごん)殿(どの)より一条(いちでう)の宮(みや)に
@ふりがたくふりつるけさの初雪(はつゆき)をみけたぬ人(ひと)もあらせてしがな W168。
とあればかへし命婦(みやうぶ)の乳母(めのと)
@きえかへり珍(めづら)しとみるゆきなればふりてもふりぬ心地(ここち)こそすれ W169。
かくてかんのとのはこの二月にこそ参(まゐ)らせ給(たま)ひしが。此(こ)の頃(ごろ)后(きさき)に立(た)たせ給(たま)ひて、よにののしりたり。世(よ)の人(ひと)いかでかさのみはあらん。内大臣(ないだいじん)の御むすめにて二(ふた)所(ところ)ならばせ給(たま)へる例(ためし)だになくて、此(こ)の頃(ごろ)いみじき事(こと)に申すめるに、いさいかなるべき事(こと)にかはあらんと、うちかたぶき思(おも)ひ言(い)ふ人々(ひとびと)上下あるべし。さ言(い)ひしかど。よき日してののしるものか。寛仁二年十月十六日中宮(ちゆうぐう)ふぢはら威子と聞(き)こえさす。ゐさせ給(たま)ふ程(ほど)の
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儀式(ぎしき)有様(ありさま)、さき<”の同(おな)じ事(こと)なり。いまは中宮(ちゆうぐう)をば、皇太后宮(くわうだいこうくう)と聞(き)こえさす。尚侍にはいま姫君(ひめぎみ)ならせ給(たま)ひぬ。大夫(だいぶ)にはごん中納言(ちゆうなごん)能宣(よしのぶ)の君(きみ)なり給(たま)ひぬ。次(つぎ)<の宮司(みやづかさ)、さき<”のやうにきをひのぞむ人々(ひとびと)多(おほ)かるべし。いまはこたいの事(こと)なれば、かくて三后のおはします事(こと)を、よに珍(めづら)しき事(こと)にて、とのの御さいはひ、このよの事(こと)ゝみえさせ給(たま)はず。この御(お)前(まへ)達(たち)のおはしましあつまらせ給(たま)へるおりは。わがめに見(み)奉(たてまつ)りあまらせ給(たま)ひては。只今(ただいま)ものみしりいにしへの事(こと)おぼえたらん人(ひと)に、もののはざまよりかいはませ。奉(たてまつ)らばやとまでぞ宣(のたま)はせける。かくて霜月(しもつき)になりぬ。大将(だいしやう)殿(どの)の姫君(ひめぎみ)は五つ、小姫君(こひめぎみ)は三(み)つにならせ給(たま)ひにければ、御袴(はかま)きせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。京極(きやうごく)殿(どの)に渡(わた)らせ給(たま)ひて、西(にし)の対(たい)いみじうしつらひゐさせ給(たま)へり。とのの御(お)前(まへ)御こしは。ゆひ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふときなりてとの渡(わた)らせ給(たま)へり。大姫君(おほひめぎみ)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、御ぐしせなかなかばばかりにていみじうけたかうおかしげにおはす。小姫君(こひめぎみ)は。御(み)髪(ぐし)ふりわけにて、御かほつきらうたけに美(うつく)し。様々(さまざま)美(うつく)しう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。大姫君(おほひめぎみ)。てゝもはゝも、誰(たれ)も<われをのみこそ思(おも)ひ給(たま)へれ。小姫君(こひめぎみ)をば思(おも)ひ給(たま)はぬぞかしと聞(き)こえ給(たま)へば、あるにかさばかり美(うつく)しき人(ひと)をとぞ宣(のたま)はせける。さてとのの御贈(おく)り物(もの)より始(はじ)め、とののうちの男(をとこ)女(をんな)、さるべき様(さま)にしたがひつゝ、残(のこ)りなく何事(なにごと)もせさせ給(たま)へりいみじうめでたし。そこに二日おはしまして、
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よさりぞかへらせ給(たま)ふ。こたみあかぬ事(こと)は、おほ上(うへ)のあまにおはしませば、そひて渡(わた)らせ給(たま)はずなりにし事(こと)を口(くち)惜(を)しう思(おぼ)されたり。君達(きんだち)の御乳母(めの)女房(にようばう)どもいみじうしたてさせ給(たま)へりけり。かくて高松(たかまつ)殿(どの)には、此(こ)の頃(ごろ)御うぶやの事(こと)あるべうおぼし急(いそ)ぎて、御祈(いの)りなどいみじかりつればにや、いと平(たひら)かにえもいはぬ男(をとこ)御(み)子(こ)むまれさせ給(たま)へり院(ゐん)の御(おん)心地(ここち)にも、様々(さまざま)いと嬉(うれ)しう思(おぼ)されたり。かひありてめでたし。七日の程(ほど)の御有様(ありさま)、御門(みかど)がねといみじうかしづき聞(き)こえさせ給(たま)ふ。よろづめでたき事(こと)どもは推(お)し量(はか)るべし。宮々(みやみや)関白(くわんばく)殿(どの)より、皆(みな)あべい事(こと)どもいみじうせさせ給(たま)へり。女房(にようばう)のなりなどいみじうこのましうて、七日も過(す)ぎぬ。こころのどかに思(おぼ)さるゝ程(ほど)に、このいま宮(みや)御ゆよりあがらせ給(たま)ひて、唯(ただ)きえにきえさせ給(たま)へば、御もののけかとて、かぢしゆすり騒(さわ)ぐ。よろづのものを御誦経(じゆぎやう)にし騒(さわ)がせ給(たま)ふに験(しるし)なし。とのの御(お)前(まへ)も急(いそ)ぎ渡(わた)らせ給(たま)へれど、すべてあさましうつゆにてきえはてさせ給(たま)ひぬ。院(ゐん)のうちあさましうこころうき事(こと)に、おぼし歎(なげ)かせ給(たま)へどかひなし。こころうくいみじき事(こと)を思(おぼ)し召(め)して、またかうこのなかにあへなき事(こと)なかりつと、おぼし歎(なげ)かせ給(たま)ふ。院(ゐん)もいとうしと思(おぼ)し召(め)して、御ありきもたえてこもりおはしませば、堀河(ほりかは)のわたりいとどうとくならせ給(たま)ふ。堀河(ほりかは)の女御(にようご)はかかる事(こと)を、唯(ただ)なるよりは苦(くる)しうきかせ給(たま)ふべし。とのには此(こ)の頃(ごろ)御はかうせさせ給(たま)はんとて、よろづこたみはわかたからふるひて
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んと宣(のたま)はせて、いみじき事(こと)どもせさせ給(たま)ふ。院(ゐん)の御(み)子(こ)の御事あれど、これはさやうの事(こと)におぼし障(さは)るべきならねば急(いそ)がせ給(たま)ふ。われも七宝をつくさせ給(たま)ふ。御さゝげもの宮々(みやみや)とのばらいといみじうかねてよりせさせ給(たま)ひつねのかかる御事(こと)どものなかにも、いみじうひゞかせ給(たま)ふ。せいせういみじうめでたうつかまつれり。御きやうも御てづからかかせ給(たま)へればにや、いみじうめづらかなる事(こと)ども言(い)ひつゞけためり。とのばらいといみじう聞(き)こし召(め)しはやし給(たま)ふ。@@04 るりの経巻は霊鷲山の暁(あかつき)のそらよりもあをし。わうごんのもじは上品上のはるのはやしよりもきなり [かな: るりのきやうくわんはりやうじゆせんのあかつきのそらよりもあをし。わうごんのもじは、じやうほんじやうのはるのはやしよりもきなり] B04などいみじうしもてゆけば。とのの御(お)前(まへ)御はかしを御てづから給(たま)はする程(ほど)、おぼえ有様(ありさま)いはんかたなくめでたし。せいせうのさいはひのいみじき事こと)、これにつけても人々(ひとびと)宣(のたま)ひあひける。五巻の日は御あそびあるべく、ふねのがくなどよろづ其(そ)の御用意(ようい)かねてよりあるに、明日(あす)とくのゆふがた聞(き)こし召(め)せば、式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)うせ給(たま)ひぬとののしる。あさまし、こはいかなる事(こと)ぞ。日頃(ひごろ)悩(なや)ませ給(たま)ふなど言(い)ふ事(こと)もなかりつるをとて、とのの御(お)前(まへ)まつはしり参(まゐ)らせ給(たま)へれどむげに限(かぎ)りになりはてさせ給(たま)ひぬとあれば、あさましういみじうてかへらせ給(たま)ひぬ。明日(あす)の御あそびとどまりぬ。口(くち)惜(を)しながら日頃(ひごろ)ありて御はかうもはてぬ。かへすがへすいかなりつる日頃(ひごろ)の御有様(ありさま)にかと、おぼし宣(のたま)はすれどかひなし。あさましうこころうがりける人(ひと)の御筋(すぢ)かなと、よろづをかぞへつゞけ、
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いみじう恥(は)づかしげにのみ世(よ)人(ひと)申し思(おも)へり。帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)さへはるかにおはする折(おり)、こころうくとおぼし宣(のたま)はす。誰(たれ)何事(なにごと)もこまかにつかうまつるらんと哀(あは)れに思(おも)ひ聞(き)こえさする人々(ひとびと)多(おほ)かり。げん中納言(ちゆうなごん)ぞ一品(いつぽん)宮(みや)の御事(こと)もつかうまつり給(たま)へば、よそなからもさるべき様(さま)にをきてつかうまつり給(たま)ふ。また関白(くわんばく)殿(どの)ぞ上(うへ)の御ゆかりに、よろづ扱(あつか)ひ聞(き)こえ給(たま)ふ。若(わか)うおはしましつれど、御こころいとありがたうめでたうおはしましつる有様(ありさま)に、かく上(うへ)の御方(かた)のゆかりとは言(い)ひながらも、ゆゝしきまでおぼし扱(あつか)はせ給(たま)ふになん一品(いつぽん)の宮(みや)も明(あ)け暮(く)れの御たいめんこそなかりつれど、よろづに頼(たの)もしきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるに、こころうくあさましき事(こと)を思(おも)ほし惑(まど)はせ給(たま)ひて、わが御みもありと宣(のたま)はせ給(たま)ひてもあらず御涙(なみだ)のひまなくおぼし歎(なげ)かせ給(たま)ふ。みなみの院(ゐん)の上(うへ)、いみじうおぼし惑(まど)はせ給(たま)ふ。姫宮(ひめみや)はもとより関白(くわんばく)殿(どの)の御(み)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、日頃(ひごろ)もかのとのにおはしましつれば、よくそやり奉(たてまつ)らざりけるとぞおぼし宣(のたま)はせける。うちにも若(わか)き御こころなれど、いと哀(あは)れに聞(き)き奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。大宮(おほみや)はたいみじう哀(あは)れにおぼし歎(なげ)かせ給(たま)ふ。様々(さまざま)のものども、いと多(おほ)く奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。かうおはしますにつけても、大宮(おほみや)はこたみの東宮(とうぐう)の御事(こと)、あらましかばとかへすがへすこころ苦(ぐる)しう。思(おも)ひ聞(き)こえさせ歎(なげ)かせ給(たま)ふもこと<”ならず故院(ゐん)の御事こと)を疎(おろ)かならず思(おぼ)し召(め)し聞(き)こえさせ給(たま)ふにより、この宮々(みやみや)の御事(こと)も、かく思(おぼ)し召(め)さるゝなるべし。故院(ゐん)の私物(わたくしもの)に思(おも)ひ聞(き)こえ
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させ給(たま)へりしものをあはれと思(おも)ひいできさせ給(たま)ふにつけても、いみじう哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されて、御涙(なみだ)とどめがたう歎(なげ)かせ給(たま)ふも、猶(なほ)ありがたき御こころふかさをのみぞ。世(よ)のはかなきにつけても、とのは猶(なほ)いかでほいとげなんと、かんのとの東宮(とうぐう)に参(まゐ)らせ奉(たてまつ)る事(こと)をせはやと世をあやうく思(おぼ)し召(め)す。宮(みや)の上(うへ)はやがてこの御忌(いみ)の程(ほど)に、あまになりなんとおぼし宣(のたま)へどとのの上(うへ)も、只今(ただいま)さしておはしましなんとおぼし申(まう)させ給(たま)ふ。尼上(あまうへ)もあるまじき事(こと)におぼしたれば、口(くち)惜(を)しう思(おぼ)さる。一品(いつぽん)宮(みや)いかにものこころ細(ぼそ)く思(おぼ)さるらんとて、うちよりも大宮(おほみや)よりもつねに、御消息(せうそこ)聞(き)こえさせ給(たま)ひつゝ、いまはうちにおはしまさせんとぞおぼし宣(のたま)はせける。はかなく年(とし)もくれぬれど、宮(みや)の御事(こと)を上(うへ)はつきせずおぼしたり。二月朔日(ついたち)頃(ごろ)にぞ。御法事(ほふじ)あるべかりける。法興院(ゐん)に故関白(くわんばく)殿(どの)の。べちにたてさせ給(たま)へりし御(み)堂(だう)もやけにし後(のち)はまたつくらせ給(たま)はねば。唯(ただ)法興院(ゐん)にてそせさせ給(たま)ひける。何事(なにごと)も大宮(おほみや)こころもとなからす推(お)し量(はか)りとぶらひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。あはた殿(どの)の北(きた)の方(かた)あまになり給(たま)ひて、いまは中宮(ちゆうぐう)の姫君(ひめぎみ)に、さるべきところ奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、そこに渡(わた)り給(たま)ひて、姫君(ひめぎみ)の御扱(あつか)ひをのみし給(たま)ふ。堀河(ほりかは)のおとど。一人(ひとり)ずみにて世(よ)の哀(あは)れにこころ細(ぼそ)き事(こと)を思(おぼ)すべし。女御(にようご)は渡(わた)り給(たま)ひつゝすませ給(たま)へば、源宰相(さいしやう)の出で入(い)り給(たま)ふこそ、頼(たの)もしき御有様(ありさま)なめれども、もとより御(おん)中(なか)よろしからざりしかば、御たいめもたは安(やす)からずおぼつかなげにのみなん。此(こ)の堀河(ほりかは)の
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院(ゐん)をば、始(はじ)めはこの女御(にようご)に奉(たてまつ)り給(たま)へりけれど、宰相(さいしやう)の事(こと)の後(のち)は、院(ゐん)の女御(にようご)に奉(たてまつ)り給(たま)へれど、一条(いちでう)の院(ゐん)にしろし召(め)してつくらせ給(たま)ひしところなれば、院(ゐん)の女御(にようご)はえしり給(たま)はじと、大宮(おほみや)なとこころよせ聞(き)こえ給(たま)ふやうに聞(き)き侍(べ)りしかば、上人大宮(おほみや)の御こころよせをぞ煩(わづら)はしげに申すめりし。源宰相(さいしやう)をも殊(こと)の外(ほか)に思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ふべき人(ひと)かは。小式部(こしきぶ)きやう宮(みや)のいみじきものにおぼしたりし。うちにも只今(ただいま)の関白(くわんばく)殿(どの)の尼上(あまうへ)は御いもうとにおはしませば、いとおぼえありてこそおはすめれ。なのめにてもありぬべかりし御事(こと)どものあまりけざやかなりし程(ほど)に、かくこの御(おん)中(なか)もあるなめり。院(ゐん)の御有様(ありさま)の殊(こと)の外(ほか)にならせ給(たま)へるを、唯(ただ)なるよりは嬉(うれ)しう思(おぼ)さるべかめるも、人(ひと)の御はらからこそこころうきものはあれとぞ。世(よ)人(ひと)聞(き)こゆめりし。南院(ゐん)には御法事(ほふじ)など過(す)ぎにしかば、いと哀(あは)れにこころ細(ぼそ)くおぼし残(のこ)す事(こと)なし。かくつれ<にものせさせ給(たま)へば、この式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)のおほ上(うへ)も、かよひておはします。堀河(ほりかは)の女御(にようご)殿(どの)は唯(ただ)いつまでぐさとのみ哀(あは)れにものをおぼし明(あ)かしくらさせ給(たま)ふ。院(ゐん)も疎(おろ)かならずおぼしくらさせ給(たま)ふ事(こと)も、暫(しば)しこそあれ男(をとこ)の御こころは、やう<月日頃(ひごろ)へ崇(たたり)ゆくまゝに、うとくこそなりまさらせ給(たま)へ。いまはいかゞとのみみえさせ給(たま)ふを左大臣(さだいじん)殿(どの)もいみじき事(こと)におぼしいりたるのみぞこの
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よはさるものにて、後(のち)の世(よ)の御有様(ありさま)も、いとこころ苦(ぐる)しう。われにより身をいたづらになさせ給(たま)へる事(こと)ゝ、いみじういとおしう思(おぼ)さる。宮(みや)たちおよすけもておはしますまゝにゐむの近(ちか)うおはしまさぬをいみじうおぼしくつしたる御けしきとも悲(かな)しうおぼし見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、三条(さんでう)院(ゐん)の四の宮はまだわらはにておはします。院(ゐん)ぞ御(み)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御元服などおぼしをきてさせ給(たま)ふ程(ほど)に、中務(なかつかさ)の宮(みや)の御ため院(ゐん)なさけなうみえさせ給(たま)ふ事(こと)ありていみじううらみ聞(き)こえさせ給(たま)ひければ、これを御覧(ごらん)じて四の宮(みや)いみじう頼(たの)み奉(たてまつ)りたる。院(ゐん)の御こころをきてかばかりにこそおはしますめれと、こころうく思(おぼ)されて忍(しの)びて仁和寺(にわじ)におはしましにけり。僧正の御もとにおはしまして年(とし)頃(ごろ)出家(しゆつけ)のほいふかう侍(はべ)るをなさせ給(たま)へと聞(き)こえさせ給(たま)ひければ、僧正ともかくも聞(き)こえさすべきにあらず。なし奉(たてまつ)るばかり院(ゐん)宮(みや)などやひなう思(おぼ)し召(め)さんと聞(き)こえさせ給(たま)へば、それは苦(くる)しう思(おぼ)さるべき事(こと)ならず唯(ただ)いかでとうなりなばやとなん思(おもひ侍(はべ)ると宣(のたま)はすれば、若(わか)き御こころにかう宣(のたま)はする事(こと)ゝ、いみじうなき給(たま)ひて、わが御衣(ぞ)どものまだき給(たま)はざりけるをとり出(い)でて奉(たてまつ)り給(たま)ひて、なし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひてげり。この事(こと)ども聞(き)こえて、宮々(みやみや)さるべきとのばら皆(みな)参(まゐ)りこみて見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふ。院(ゐん)もおはしましていみじうなかせ給(たま)ふ。皇后宮(くわうごうぐう)にはさてもいかにおぼしとらせ給(たま)ひてかくと
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悲(かな)しういみじうおぼして、泣(な)く泣(な)く御装束して奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。いみじうあはれなる御事(こと)どもなり。皇太后宮(くわうだいこうくう)よりも御装束して奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。僧正いみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。猶(なほ)このてらにさるべくやんごとなき人(ひと)のたえさせ給(たま)ふまじきと思(おぼ)されけり美(うつく)しかりし御(み)髪(ぐし)を剃(そ)がせ給(たま)ひてしこそ口(くち)惜(を)しかりしかとぞ。



栄花物語詳解巻十五


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〔栄花物語巻第十五〕 疑
殿(との)の御(お)前(まへ)、世(よ)知(し)り始(はじ)めさせ給(たま)ひて後(のち)、御門(みかど)は三代にならせ給(たま)ふ。わが御世は廿三四年ばかりにならせ給(たま)ふに、御門(みかど)若(わか)うおはしますときは、摂政(せつしやう)と申し、大人(おとな)びさせ給(たま)ふ折(をり)は、関白(くわんばく)と申しておはしますに、此(こ)の頃(ごろ)摂政(せつしやう)をも御一男只今(ただいま)の内大臣(ないだいじん)にゆづり聞(き)こえさせ給(たま)ひて、わが御身は太政(だいじやう)大臣(だいじん)の位(くらゐ)にておはしますをも、つねに公(おほやけ)にかへし奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、公(おほやけ)さらに聞(き)こし召(め)し入れぬに、度々(たびたび)わりなくて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。御(おほん)心(こころ)にはすさまじうおぼさる事(こと)限(かぎ)りなし。斯(か)かる程(ほど)に、御(おほん)心地(ここち)例(れい)ならずおぼさるれば、人々(ひとびと)も夢(ゆめ)騒(さわ)がしく聞(き)こえさするに、わが御心地(ここち)にもよろしからずおぼさるれば、此の度(たび)こそは限(かぎ)りなめれと物心(こころ)細(ぼそ)くおぼさる。殿(との)原(ばら)宮々(みやみや)などにもいと恐(おそ)ろしうおぼし嘆(なげ)くに、いとど誠(まこと)におどろ<しき御(おん)心地(ここち)の様(さま)なり。かかればよろづにいみじき御祈(いの)りども、様々(さまざま)なり。されど只今(ただいま)は験(しるし)みえず、いと苦(くる)しうせさせ給(たま)ふ。かずしらず御物のけののしる中に、げにさもやと聞ゆるもあり、又(また)殊(こと)のほかに
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さもあるまじき事(こと)のもの覚えぬなのりをし怪(あや)しき事(こと)どもをぞ申すめる。さても心(こころ)のどかに世をたもたせ給(たま)ふ。ならひなき御有様(ありさま)にて数多(あまた)の年(とし)を過(す)ぐさせ給(たま)へれば、世(よ)の人(ひと)もいと恐(おそ)ろしき事(こと)に思(おも)ひ申したり。御心(こころ)にもあるべきやうにも思(おぼ)し召(め)されず。こころ細(ぼそ)くおぼさる。わが御よの始(はじ)め六七年ばかりありてぞ、すべていみじかりし御(おほん)悩(なや)みありし。かういまゝでおはしますべくもみえさせ給(たま)はざりし。いみじき御祈(いの)り限(かぎ)りなき御ねがひの験(しるし)にや。かくておはしませばこの度(たび)もおこたらせ給ふなんと申す人々(ひとびと)もあり。その度(たび)の御悩(なや)みにはいみじきけんしやどものありしこそ、いと頼(たの)もしかりしか。長谷(ながたに)の観修僧正(くはんずそうじやう)・くはんおん院(ゐん)のそうじやうなどは。なべてならざりし人々(ひとびと)なり。観修僧正(くはずそうじやう)は、やがて殿(との)のうちに候(さぶら)ひ給(たま)ひしに、僧都(そうづ)と聞(き)こえ候を、この御悩(なや)みおこたらせ給(たま)へりとてこそは。一条(いちでう)の院(ゐん)そうじやうにはなさせ給(たま)ひしが、おんやうじどもは晴明みちよしなどいとかみさびたりし物どもにて、いとしるし異(こと)なりし人々(ひとびと)なり。ところかへさせ給(たま)ひてよろしかるべく申しければ、故麗景殿(れいけいでん)の尚侍の御家(いへ)御門(みかど)に渡(わた)らせ給(たま)ひておこたらせ給(たま)ひにしかば、其(そ)の例(れい)をひきてほかに渡(わた)らせ給(たま)へと、殿(との)原(ばら)申(まう)させ給(たま)へど、すべてさらにいかむと思(おも)ひ侍らばこそあらめとて聞(き)こし召(め)しいれずたゝ仏を頼(たの)み奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。年(とし)頃(ごろ)御本意(ほい)出家(しゆつけ)せさせ給(たま)ひて、この京極(きやうごく)殿(どの)
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のひんがしに御(み)堂(だう)たてゝ、そこにおはしまさんとのみおぼされつるを、こたみおこたらせ給(たま)ふべくは、限(かぎ)りなき御有様(ありさま)にてこそは過(す)ぐさせ給(たま)はめ。されどいかゞとのみ親(した)しきうときやゝましげに思(おも)ひ申したるも、理(ことわり)にみえさせ給(たま)ふ。宮々(みやみや)皆(みな)おはしましあつまらせ給(たま)ひて、さしならびよろづに扱(あつか)ひ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御有様(ありさま)なべてならずめでたうみえさせ給(たま)ふ。とのにも御修法三壇行(おこな)はせ給(たま)ふ。様々(さまざま)の御読経かずをつくさせ給(たま)へり。内(うち)春宮(とうぐう)より大宮(おほみや)皇太后宮(くわうだいこうくう)中宮(ちゆうぐう)。小一条(こいちでう)の院(ゐん)また摂政殿内(うち)の大いとのなど皆(みな)御修法せさせ給(たま)ふ程(ほど)の有様(ありさま)思(おも)ひ遣(や)るべし。殿(との)のうちはさらにもいはず、其(そ)のわたりの人(ひと)の家(いへ)<おほきなるちいさきわかず、ここらのそうどもいりゐたり。かからんにはいかでかとみえさせ給(たま)ふ。御祭祓と言(い)ふ事(こと)頻(しき)りにいはんかたなし。殿(との)の御(お)前(まへ)いまは祈(いの)りはせで唯(ただ)滅罪生善の法どもをゝこなはせ、念ぶつのこゑをたえずきかばやと宣(のたま)はすれど、それはつゆ此殿(との)原(ばら)聞(き)こし召(め)しいれず。いかでとくほいとげてんと宣(のたま)はするを、、大宮(みや)猶(なほ)いま暫(しば)し東宮(とうぐう)の御(おほん)よを、またせ給(たま)ふべく聞(き)こえさせ給(たま)ふを、こころうくあひ思(おぼ)し召(め)さぬなりけりとうらみ申(まう)させ給(たま)へば、いかに<とのみ覚(おぼ)し歎(なげ)かせ給(たま)ふ。御もののけどもいとおどろ<しう申すも例(れい)の事(こと)なり。公(おほやけ)わたくしのだいじ、只今(ただいま)これよりほかは何事(なにごと)かはとみえたり。ぜんりんじのそうじやうなど
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皆(みな)おはす。殿(との)の御(おほん)まへ、さらに命(いのちをしうも侍らず。さき<”世をまつりごち給(たま)ふ人々(ひとびと)多(おほ)かる中に、己(おのれ)ばかりさるべき事(こと)ともしたる例(ためし)はなくなん。東宮(とうぐう)おはします三(み)所(ところ)の后(きさき)、ゐんの女御(にようご)おはす。只今(ただいま)内大臣(ないだいじん)にて摂政つかまつる。又(また)大納言(だいなごん)にて左大将(さだいしやう)かけたり。又(また)大納言(だいなごん)あるは左衛門(さゑもん)のかうにて別当(べつたう)かけこをのこの位(くらゐ)ぞいとあさけれと、三位中将(ちゆうじやう)にて侍(はべ)り。皆(みな)これ次々(つぎつぎ)公(おほやけ)の御後見(うしろみ)をつかうまつる。みづから太政(だいじやう)大臣(だいじん)准三后の位(くらゐ)にて侍り。この廿余年ならぶ人(ひと)なくて、数多(あまた)の御門(みかど)の御(おほん)後見(うしろみ)をつかうまつるに異(こと)なる難(なん)なくて過(す)ぎ侍(はべ)りぬ。己(おの)が先祖(せんぞ)の貞信公いみじうおはしたる人(ひと)、我太政(だいじやう)大臣(だいじん)にて太郎小野宮のをと二郎右大臣(うだいじん)、四郎五郎こそは大納言(だいなごん)などにてさしならび給(たま)へりけれど后たち給(たま)はずなりにけり。近(ちか)うは九条(くでう)のおとどわが御身は右大臣(うだいじん)にてやみ給(たま)へれど、おほ后(きさき)の御(おほん)はらの冷泉(れいぜい)の院(ゐん)円融(ゑんゆう)の院(ゐん)さしつゞきおはしまし、十一人(にん)の男子(をのこご)の中に五人(にん)太政(だいじやう)大臣(だいじん)になり給(たま)へり。いまにいみじき御さいはひなりかし。されど后(きさき)三(み)所(ところ)たち給(たま)へる例(ためし)はこのくにゝは又(また)なき事(こと)なりなどよにめでたき御有様(ありさま)を言(い)ひつゞけさせ給(たま)ふ。今年(ことし)五十四なり。死(し)ぬとも更(さら)に恥(はぢ)あるまじ。いま行末(ゆくすゑ)もかばかりの事(こと)はありがたくやあらん。あかぬ事は尚侍東宮(とうぐう)に奉(たてまつ)り皇太后宮(くわうだいこうくう)の一品宮の御(おほん)事(こと)、このふたことをせずなり
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ぬるこそあれと大宮(みや)おはしまし摂政のおとどいますかれはさりともとし給(たま)ふ事(こと)ありなんと言(い)ひつゞけさせ給(たま)ふ。宮(みや)殿(との)原(ばら)せきとめがたうおぼされ、僧俗(そうぞく)涙(なみだ)とどめがたし。上(うへ)はさらにもいはず聞(き)こえさせんかたなし。かくていまはとくゐん源僧都(そうづ)召(め)して、御(み)髪(ぐし)おろさせ給(たま)ふ。上(うへ)も年(とし)頃(ごろ)の御本意(ほい)なれば、やがてと宣(のたま)はすれど、かんの殿(との)の御事(こと)の後(のち)にと申(まう)させ給(たま)へば、いと口(くち)惜(を)しと覚(おぼ)し惑(まど)ふもいみじ。僧都(そうづ)の御(み)髪(ぐし)おろし給(たま)ふとて、年(とし)頃(ごろ)のあひだよの固(かた)めにて、一切(いつさい)衆生(しゆじやう)を子のごとくはぐくみ、正法をもて国をおさめひだうのまつりごとなくて過(す)させ給(たま)ふに限(かぎ)りなき位(くらゐ)をさり、めでたき御身をすてゝすつけ入道(にふだう)せさせ給(たま)ふを、三世しよぶつよろこび給(たま)はんに、げんぜは命(いのち)のび、こしやうはごくらくのじやうぼん上しやうにのぼらせ給(たま)ふべきなり。三帰五かいをうくる人(ひと)から、卅六部の善神恒河沙眷属どもにまもるものなり。いはんや誠(まこと)のすつけをやなど哀(あは)れにたうとき事限(かぎ)りなし。宮々(みやみや)殿(との)原(ばら)惜(を)しみ悲(かな)しひ聞(き)こえ給(たま)ふ事(こと)理(ことわり)に悲(かな)し。内(うち)東宮(とうぐう)より御つかひひまなしかくて後(のち)は、さりともに頼(たの)もしきかたそはせ給(たま)ひぬ。御(おほん)もののけども口(くち)惜(を)しかりねたむ事(こと)限(かぎ)りなし。それもいと頼(たの)もしう聞(き)こし召(め)す。日頃(ひごろ)もならせ給(たま)ふまゝに御もののけども、やう<うすらぎもてゆく御(おん)心地(ここち)もこよなくよろしくならせ給(たま)ひて、御くだ物など聞(き)こし召(め)す。いかでかはほとけの御験(しるし)なきやういといよ<
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頼(たの)もしくおぼさる。よろづよりもかうならせ給(たま)ひしをり、年(とし)頃(ごろ)の御随身どもを召(め)し出(い)でて。禄給(たま)はせてかへし参(まゐ)らせ給(たま)ひしに、御随身はら涙(なみだ)をながして庭(には)のまゝに伏(ふ)し転(まろ)びなきしこそ、いみじう悲(かな)しかりしか。御のりのそうたちい〔よ〕<こころをつくし験(しるし)ありと思(おも)へり。この御悩(なや)みは寛仁三年(さんねん)三月十七日より悩(なや)ませ給(たま)ひて廿七日にすつけせさせ給(たま)へれば、日ながくおぼさるゝまゝに、さるべき僧達(そうたち)・殿(との)原(ばら)などゝ御物がたりせさせ給(たま)ひて、御(おん)心地(ここち)こよなうおはします。いまは唯(ただ)いつしかこのひんがしに御(み)堂(だう)たてゝ、すゞしくすむわさせんとなん。つくるべきかくなんたつべきなと言(い)ふ御こころだくみいみじ。かくて日頃(ひごろ)になるまゝに御(おん)心地(ここち)さはやきて、すこしこころのどかにならせ給(たま)ひて、きのふ今日(けふ)ぞ宮々(みやみや)御(おほん)かたがたへ渡(わた)らせ給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)いまにおこたりにて侍り。大宮(みや)中宮(ちゆうぐう)とくうちへいらせ給(たま)へ。さうざうしくおはしますらんとそゝのかし聞(き)こえさせ給(たま)へど、大宮(みや)は猶(なほ)暫(しば)しとこころのどかにおぼされたり。中宮(ちゆうぐう)ぞいらせ給(たま)ふ。とのは御(み)堂(だう)をいつしかとのみ思(おぼ)し召(め)す。このよの事はたゝ此御(み)堂(だう)の事ばかり思(おぼ)し召(め)さるれば、摂政殿もいみじう御こころにいれてをきて申(まう)させ給(たま)ふ。皇太后宮(くわうだいこうくう)は一条(いちでう)殿(どの)にかへらせ給(たま)ふ。かくとみをき奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、各(おのおの)かへらせ給(たま)ふ御(おん)心地(ここち)ともそ聞(き)こえさせんかたなふ嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)す。この度(たび)の御悩(なや)みかくおこたらせ給(たま)はんものとだれもおぼしかけさりつる事(こと)ぞかし。よにめでたき
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事(こと)の例(ためし)に思(おも)ひ申すべし。かくて三月晦日(つごもり)に例(れい)の宮々(みやみや)の御更衣(ころもがへ)のものども奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。いましもおこたらせ給(たま)ふべき事(こと)ならず。皆(みな)わかち奉(たてまつ)らせ給(たま)ふとて、大宮(みや)にからの御衣(ぞ)のれうにそへさせ給(たま)へり
@からごろもはなの袂(たもと)にぬぎかへよわれこそはるの色はたちつれ W170。
大宮(みや)御覧(ごらん)じていみじうなかせ給(たま)ひて御(おほん)かへし
@からごろもたちかはりぬる世(よ)の中(なか)にいかでかはなのいろもみるべき W171。
殿(との)の御うたを聞て和泉式部(しきぶ)か大宮(おほみや)に参(まゐ)らする
@ぬぎかへん事(こと)ぞ悲(かな)しきはるのいろを君(きみ)がたちける〔こ〕ろもと思(おも)へば W172。
大宮(みや)の宣旨(せんじ)かへし
@たちかはるうき世(よ)の中(なか)は夏(なつ)ごろもそでに涙(なみだ)もとまらざりけり W173。
同(おな)じころ殿(との)のいづみをみて読人(よみびと)知(し)らず、
@みづのおもにうかべるかげはかくながらちよまですまんものにやはあらぬ W174
御(お)前(まへ)のたきのをとを聞(き)きてむまの中将(ちゆうじやう)
@そでのみぞかはくよもなき水のをとのこころ細(ぼそ)きにわれもなかれて W175。
かくて世をそむかせ給(たま)へれど御急(いそ)ぎはうら吹かぜにや、いまは御(おん)心地(ここち)例(れい)ざまになりはてさせ給(たま)ひぬれば、御(み)堂(だう)の事覚(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。摂政(せつしやう)殿(どの)国々(くにぐに)まで、さるべき公(おほやけ)ごとをはある
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物にて、この御(み)堂(だう)の事(こと)をさきとつかうまつるべき仰(おほ)せごと宣(のたま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)も此の度(たび)生きたるはこと<”ならず、このねがひのかなふべきなめりと宣(のたま)はせて、こと<”なく御(み)堂(だう)におはします。ほう四町をこめておほかきにして、かはらぶきたり。様々(さまざま)におぼしをきて急(いそ)がせ給(たま)ふに、夜のあくるも心(こころ)もとなく日のくるゝも口(くち)惜(を)しうおぼされて、よもすがらはやまをたゝむべきやう、いけをほるべき様(さま)、木をうへなめさせさるべき御(み)堂(だう)御(み)堂(だう)かたがた様々(さまざま)つくりつゞけ、御ほとけはなべての様(さま)にやはおはします。じやう六(ろく)のこんじきのほとけを数(かず)も知(し)らず造(つく)り並(な)め、そなたをは北南とめたうをあけてみちを整(ととの)へつくらせ給(たま)ふ。鶏(とり)の鳴(な)くも久(ひさ)しくおぼされ、よひ暁(あかつき)の行(おこな)ひもおこたらず、安(やす)きいも御とのごもらす唯(ただ)この御(み)堂(だう)の事をのみふかく御心(こころ)にしませ給(たま)へり。日々に多(おほ)くの人(ひと)参(まゐ)りまかでたちこむ。さるべき殿(との)原(ばら)を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、宮々(みやみや)の御ふ御荘ともより一日に五六百人(にん)の夫を奉(たてまつ)るに、かず多(おほ)かるをばかしこき事(こと)におぼしたち国々(くにぐに)のかみともちし官物はをそなはれども、只今(ただいま)はこの御(み)堂(だう)の夫やくざいもくひはだかはらと多(おほ)く参(まゐ)らする事(こと)を、われも<ときをひつかうまつる。大方(おほかた)近(ちか)きもとをきも、参(まゐ)りこみて品々(しなじな)かたがた辺(あた)り辺(あた)りにつかうまつる。ある所(ところ)をみれば、御ほとけつかうまつるとて、ぶつしども百人(にん)ばかりなみゐてつかうまつる。同(おな)じくはこれこそめでたけれとみゆ。
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御(み)堂(だう)の上(うへ)をみあぐれば、たくみども二三百人(にん)と上りゐておほきなる木どもにはふときをゝつけてすゑをあはせておさへ、さとひきあげ騒(さわ)ぐ。御(み)堂(だう)のうちをみれば、ほとけの御座つくり耀(かかや)かす。いたじきをみればとくさ・むくのは。などして四五百人(にん)てごとになみゐて磨(みが)きのごふ。ひはだぶきかべぬりかはらつくりなどかずをつくしたり。又(また)年(とし)おいたるおきな法師(ほふし)などの、二尺ばかりの石を心(こころ)にまかせてきりめ整(ととの)ふるもあり。いけをほるとて四五百人(にん)をりたち、山(やま)をたゝむとて五六百人(にん)をりたち又(また)おほちのかたをみれば、ちから車(ぐるま)にえもいはぬおほぎともにつなをつけてさけひののしりひきもていき、かもがはのかたをみればいかだと言(い)ふ物にくれざいもくをいれて、さをさして心地(ここち)よげにうたひののしりてもてのぼるめり。大つむめづの心地(ここち)するもにしはひんがしと言(い)ふ事(こと)はこれなりけり。みゆと言(い)ふばかりのいしをはかなきいかだにのせて、ゐてくれどしづまずすべて色々(いろいろ)様々(さまざま)言(い)ひつくしまねびやるべきかたなし。かのすたつちやうじやぎをんしやうじやつくりけんもかくやありけんとみゆるを冬(ふゆ)のむろ夏(なつ)の各(おのおの)なるかかる御いきほひにそへ、入道(にふだう)せさせ給(たま)ひて後(のち)は、いとどまさらせ給(たま)へりとみえさせ給(たま)ふにも、猶(なほ)なべてならざりける御有様(ありさま)かなと近(ちか)う見(み)奉(たてまつ)る人(ひと)はたうとみ、とをき人(ひと)ははるかにおがみ参(まゐ)らす。いまはこの御(み)堂(だう)の木くさともならんと思(おも)へる人(ひと)のみ多(おほ)かり。そなたざまにおもむけば海(うみ)のなみもやはらかにたちて、御(み)堂(だう)のものをもて運(はこ)ばせ。川もみづ
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すみて心(こころ)よくうかべもて参(まゐ)るとみゆ。猶(なほ)この世(よ)の事(こと)ゝはみえさせ給(たま)はず。先(まづ)はせんねんにあるそうの御祈(いの)りをいみじうして、ねたりける夢(ゆめ)におほきにいかめしき男(をとこ)の出(い)で来(き)て、何(なに)かかく殿(との)の御事をはともかくも申し給(たま)ふ。こうぼうだいしのぶつはうこうりのために、むまれ給(たま)へるなりとぞみえさせ給(たま)ひける。又(また)天王寺のしやうとくたいしの御につきには、わうじやうよりひんがしにぶつはうひろめんはわれとしれとこそはかきをかせ給ふなれ。いづれにても疎(おろ)かならぬ御事(こと)なり。御すつけの年(とし)の十月、ならにて御受戒あり。おはします程(ほど)、よろづを削(そ)がせ給(たま)ふと思(おぼ)せと上達部(かんだちめ)殿(との)原(ばら)、あるは御車(くるま)位(くらゐ)あさき上達部(かんだちめ)君達(きんだち)は皆(みな)むまにてつかうまつり給(たま)ふ。あるは直衣(なほし)かりぎぬにておはす。てんじやうの君たち様々(さまざま)のあをども指貫(さしぬき)心(こころ)の限(かぎ)りしたり。さるべきそうがうぼんそうえりたてゝつかうまつれり。おかしげなる人(ひと)の子など御供(とも)に候(さぶら)ふ。世(よ)の人(ひと)み物にして車(くるま)さじきなどしたり。京出(い)でさせ給(たま)ふより内(うち)東宮(とうぐう)の御つかひつゞきたちたり。山階寺(やましなでら)の御まうけ国守つかうまつれる程(ほど)推(お)し量(はか)るべし。御受戒とうだいじにてせさせ給(たま)ふ。ならの都(みやこ)のためにかかる事はあるにやとみえたり。こころのどかに三日おはしまして、御(み)堂(だう)<くらどもひらかせて御覧(ごらん)ずるに、めもあやなる事ども多(おほ)かり。我御堂もかやうにせんと思(おぼ)し召(め)す。かくてかへらせ給(たま)ふとて、てらのそうども品々(しなじな)につけてよろこび給(たま)はす。 唯
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法皇のみゆきもかくこそあらめとみゆ。山階寺(やましなでら)のそうども、だうどうしまでかつけ物疋絹賜(たま)はす。山(やま)には来年そ御受戒あるべく思(おぼ)し召(め)す。大方(おほかた)おぼしをきてたる有様(ありさま)まねびつくすべからず。我世(よ)の始(はじ)めより法華経(ほけきやう)のふだんきやうをよませ給(たま)ひつゝ、内(うち)春宮(とうぐう)宮々(みやみや)皆(みな)この事(こと)を同(おな)じくつとめ行(おこな)はせ給(たま)ふ。次々(つぎつぎ)の殿(との)原(ばら)摂政殿を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、皆(みな)行(おこな)はせ給(たま)ふに、其(そ)の験(しるし)あらはにめでたし。これをみ給(たま)ひてこのひとるいのほかの殿(との)原(ばら)、皆(みな)あるはふだんきやう、あるはあさ夕つとめさせ給(たま)ふ。時の受領ども皆(みな)このまねをしつゝ、くにのうちにてふだんきやうよませぬなし。斯(か)かる程(ほど)にこののりをひろめさせ給(たま)ふになりぬれば、御功徳(くどく)の程(ほど)思(おも)ひ遣(や)るに限(かぎ)りなし。このきやうをかくよませ給(たま)ふにのみあらず、御よの始(はじ)めよりして、年(とし)ごとの五月に、やがて朔日(ついたち)より晦日(つごもり)まで無量(むりやう)義経より法華経(ほけきやう)の廿八ほん、ふげんきやうにいたるまで一日に一品をあてさせ給(たま)ひて、論義をせさせ給(たま)ふ。なんぼくのそうがう・ぼんそう・がくしやう数をつくしたり。やむごとなく大人(おとな)ゝるはそうじやう、あるは聴衆べて廿人(にん)、かうじ卅人(にん)召(め)しあつめて候(さぶら)はせ給(たま)ふ。論義の程(ほど)いとはしたなげなり。ここらの上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)・そうどものきくに、山(やま)にもならにもがくもんにかたどれるは、おいたる若(わか)きいはず召(め)しあつむれば、只今(ただいま)はこれを公(おほやけ)わたくしの交(ま)じらひの始(はじ)めと思(おも)ひめさるゝをばめんほくにし、
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さらぬをば口(くち)惜(を)しき事(こと)に思(おも)ひて、あるは学問をし、あるはともしびをかかげてきやうろんをならひ、月のひかりに出(い)でて法華経(ほけきやう)をよみ、あるはくらきにはにそらにうかべ誦しなどしてひねもすによもすがらいとなみならひて参(まゐ)りあひたるに、きやうを誦しろんぎをするに、おとりまさりの程(ほど)を聞(き)こし召(め)ししり、このきく人々(ひとびと)そうたち勝負(かちまけ)を定(さだ)め、このかたしり給(たま)へる殿(との)原(ばら)はさしいらへ給ふなどして程(ほど)、恥(は)づかしけにも月の夜はなのあしたには、もののねをふきあはせしらへこの殿(との)原(ばら)そうたち、きやうのうちの心(こころ)をうたによみ、あるはふみにつくり、あるはかの@@05 百千万ごうのぼだひのたね、八十三年(さんねん)のくどくのはやし[かな: ひやくせんまんごふのぼだいのたね、はちじふさんねんのくどくのはやし] B05。又(また)、@@06 ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごう、きやうげんきゞよのあやまりをもて、かへしてたうらい世々の作仏ぜうのいむ、てんぼうりんの縁と[かな: ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ、きやうげんきぎよのあやまりをもて、かへしてたうらいせぜのさくぶつじようのいん、てんほふりんのえんと ] B06、誦し給(たま)ふもたうとくおもしろし。まいて御かはらけも度々(たびたび)になりぬれば、御ころものうらも一乗のたまをかけて、御けしきどもあきらかなり。皆(みな)きやうの心(こころ)をよみ給(たま)ふ。四条(しでう)大納言(だいなごん)の御うたなかに世(よ)につたはりけうをとめたり。ずりやうほんのしやうさいれうずせんを
@いでいると人(ひと)はみれどもよとゝもにわしのみねなる月はのどけし W176
△又(また)普門品
@世(よ)にすくふうちには誰(たれ)かいらざらんあまねきかどを人(ひと)しさゝねば W177。
これをあつまりて誦し給(たま)ふもげにと聞(き)こゆ。さても同(おな)じこころ一筋(すぢ)なればかかす。あるはくやうほうの御読経とて、しんごんの心(こころ)ばへありと聞(き)こし召(め)すをばよにいでたるも、山(やま)にこもりてら
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にゐたるをもたづね召(め)しいづれば、このかたをたつる人々(ひとびと)はいとどほうもんをまもり、はちの油をかたぶけしんごんを磨(みが)きて、かめのみつをうつしよろづにしたてゝ召(め)しいでられては、しんごんのをもむきふかさあさゝの程(ほど)をわき聞(き)こし召(め)して、そうたちに定(さだ)め宣(のたま)はせて、其(そ)のかたにまとにふかうして顕密ともにあきらかなるをばかれすゝまねどあさりのけもんをはなさせ給(たま)ふ。公(ほやけ)わたくしの御しとなさせ給(たま)ふ。あるは宮々(みやみや)の御祈(いの)り御ときやうをつけさせ給(たま)へば、かかるよにあひたるをむなしう過(す)ぐすべからずと思(おも)ひて、をとらしまけじと其(そ)のかたをつとめ行(おこな)ふ。斯(か)かる程(ほど)にのりのともしびをかかけ、ぶつほうの命(いのち)をつがせ給(たま)ふになりぬれば、嬉(うれ)しくあきらかなる御よにあひて、くらきよりくらきにいれるすしやうとも、この御ひかりにてらされてよろこびをなす。又(また)こはたと言(い)ふところは太政(だいじやう)大臣(だいじん)もとつねのおとゝ後(のち)の御諱(いみな)昭宣公なり、その大臣(おとど)の点(てん)じ置(お)かせ給(たま)へりしところなり。藤氏の御はかとおぼしをきてたりけるところに、殿(との)の御(お)前(まへ)若(わか)くおはしましけるとき、故殿の御供(とも)におはしましておぼしけるやう、わがせんぞより始(はじ)め親(した)しき疎(うと)き分(わ)かず、いかで皆(みな)これを仏となし奉(たてまつ)らんとおぼしける御志(こころざし)年(とし)月へけるをこの折(をり)こそとおぼししめしけり。いづれの人(ひと)も、あるはせんぞのたて給(たま)へるだうにてこそ忌日もしせつきやうせつほうをもし給(たま)ふめれ。 真実(しんじつ)の御身をおさめられ給(たま)へるこの山(やま)には唯(ただ)験(しるし)ばかりの石(いし)の卒都婆(そとば)一品(いつぽん)ばかりたてたれば、
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また参(まゐ)りよる人(ひと)もなし。これいと本意(ほい)なき事(こと)なりとおぼして、この山(やま)のいたゞきを平(たひら)げさせ給(たま)ひて、たかきところをばけづり、短(みじか)きところをばつちをゝきなどせさせ給(たま)ふ。さんまいたうをたてさせ給ふなかに、めんたうをあけさせ給(たま)ひてさうに、そうばうをたてさせ給(たま)ひて、供をあてさせ給(たま)ふ。夏(なつ)冬(ふゆ)のいぶくを給(たま)ひやがて其(そ)のあたりのむら、一(ひと)つきとゝなさせ給(たま)ひてみづきよくすみ、煙(けぶり)たえずして事(こと)のたよりを給(たま)はせてはくゝみかへりみさせ給(たま)ふ程(ほど)に、よろづの人(ひと)きをひすみ住す御(み)堂(だう)くやう寛仁三年(さんねん)十月十九日より法華経(ほけきやう)百部其(そ)のなかにわが御てづからかきて一ぶませさせ給(たま)へり。七そう百僧などせさせ給(たま)ひて、ほうぶくうるはしくしてくばらせ給(たま)ふ。其(そ)の日藤氏の殿(との)原(ばら)かつずいきのため、ちやうもんのゆへに残(のこ)りなくつどひ給(たま)へり。さき<”の一の人(ひと)などおぼしよらざりけんとみえたり。殿(との)の御(お)前(まへ)ここらの人(ひと)のまへにてさんまいのひをうたせ給(たま)ふ。我この大願(だいぐわん)のちからにより、この山(やま)にこつをうづみ、かばねをかくし給(たま)へらん人々(ひとびと)わかせんぞより始(はじ)め奉(たてまつ)り、親(した)しきうときわかず、すきにしかたいま行末(ゆくすゑ)にいたるまで、わがすゑの人々(ひとびと)これを同(おな)じくつとめ、さんまいのともしびをけたずかかげつぐべくは。この火とくいづべしと宣(のたま)はせてうたせ給(たま)ひしに、其(そ)の火一どに出(い)でてこの廿余年いまだきえず。其(そ)の日の御願文
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式部(しきぶ)の大輔(たいふ)大江匡衡朝臣(あそん)つかうまつれり。おほふかきつゝけたれどけしきばかりをしるす。始(はじ)めの有様(ありさま)もきかまほしくぞ願文の詞かなのこころしらぬともまなのましりにてあれば、うつしとらず其(そ)の折(をり)は左大臣(さだいじん)にておはします。此の寺(てら)の名(な)をばしやうめうじとぞつけられたる。事(こと)どもはてゝ殿(との)の御(お)前(まへ)を始(はじ)め奉(たてまつ)り、藤氏の殿(との)原(ばら)皆(みな)御誦経(じゆぎやう)せさせ給(たま)ふ。そうども禄たまはりてまかりいでぬ。大方(おほかた)この事(こと)のみならず、年(とし)頃(ごろ)しあつめさせ給(たま)へる事(こと)かずしらず多(おほ)かり。正月より十二月(じふにぐわつ)まで、其(そ)の年(とし)の中の事(こと)ども一とはづれさせ給(たま)はず。この折節(をりふし)急(いそ)ぎあたりたるさるべきそうたち・寺々(てらでら)の別当(べつたう)・所司を始(はじ)めよろこびをなし。祈(いの)りまうすならば正月御斎会のかうじつかうまつるとて、八さうにあるかうじをとぶらひ、山(やま)には四きの懺法に参(まゐ)らせ給(たま)ひて、仏供みあかしまでの事(こと)をせさせ給(たま)ふ。二月には山階寺(やましなでら)の涅槃会(ねはんゑ)に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。よろづの事(こと)残(のこ)りなくし行(おこな)はせ給(たま)ふ。かく人(ひと)の禄などすべて一(ひと)つかくる事(こと)なし。かの熱田(あつた)のみやうじん宣(のたま)ひけん様(さま)も哀(あは)れにおぼさる。三月しがのみろくゑに参(まゐ)らせ給(たま)ひてはてんちてんわうの御てらなり。天平勝宝八年。兵部(ひやうぶ)卿(きやう)正四位(しゐ)下橘朝臣(あそん)奈良麿か行(おこな)ひ始(はじ)めたるなりと哀(あは)れにおぼされて、よろづの事(こと)ども急(いそ)がせ給(たま)ふ。四月ひえの舎利会じかくだいしのもろこしよりもてわたし給(たま)ひて、貞観二年より始(はじ)め行(おこな)ひ給(たま)へり。これにつけてもかの香姓婆羅門
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にとどめ置(お)きけん程(ほど)哀(あは)れにおぼされて、例(れい)のかかる事(こと)なくせさせ給(たま)ふ。長谷寺のぼさつかいに参(まゐ)らせ給(たま)ひて、御帳より始(はじ)めてめでたくせさせ給(たま)ひて、別当(べつたう)法師(ほふし)をよろこびせさせ給(たま)ふ。様々(さまざま)品々(しなじな)につけて、かつげ物疋絹を給(たま)はせて、かの沙弥得道可礼拝威力自然作仏のぬかも哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)す。六月会に山(やま)にのぼらせ給(たま)ひてはでんけうだいしの始(はじ)め行(おこな)はせ給(たま)へる。七月ならの文殊会に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。八月山(やま)の念仏はじかくだいしの始(はじ)め行(おこな)ひ給(たま)へるなり。中のあきかぜすゞしう月あきらかなる程(ほど)なり。八月十一日より十七日までの程(ほど)、公(おほやけ)わたくしの御いとなみをもみ過(す)ぐしてこもりおはしましてやがて行(おこな)はせ給(たま)ふ。九月には参(まゐ)らせ給(たま)ひては香水をもて御いたゞきにそゝかると思(おぼ)し召(め)す。十月山階寺(やましなでら)の維摩会に参(まゐ)らせ給(たま)ひてはよろづをせさせ給(たま)ふ。うちにこれはもとより藤氏の御始(はじ)め不比等のおとゝの御建立のところなれば、代々の一の人(ひと)しり行(おこな)はせ給(たま)ふ。なかにもこのとのいみじうおぼしいたらぬ事(こと)なくせさせ給(たま)ふ。これはこのよの例(ためし)年(とし)をかせ給(たま)ふ事(こと)ども多(おほ)かり。維摩長者の衆生(しゆじやう)のつみをおぼし悩(なや)みけん程(ほど)もいつとなく哀(あは)れにおぼさる。十一月(じふいちぐわつ)山(やま)のしも月会のうち論義にあはせ給(たま)ひて、こぼうしはらのろんぎのをとりまさりの程(ほど)を定(さだ)めさせ給(たま)ひて、まさるにはものをかづけさせ給(たま)ふ。御衣(ぞ)をぬがせ給(たま)ふ。をとるにはいまゝた参(まゐ)りてせんとす
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学問(がくもん)よくすべしと言(い)ひはげまさせ給(たま)ふ程(ほど)も、ほとけの御はうべんににさせ給(たま)へり。十二月(じふにぐわつ)公(おほやけ)わたくしの御仏名御読経のいとなみ疎(おろ)かならず思(おぼ)し召(め)さる。このひま<”には山(やま)のみやしろの八講行(おこな)はせ給(たま)ふ。てんわうじに参(まゐ)らせ給(たま)ひてはたいしの御有様(ありさま)哀(あは)れにおぼさる。いもこの大臣のゐて奉(たてまつ)りたる御きやうは、夢(ゆめ)殿(どの)にある机にをかせ給(たま)へり。わかとりにおはしましたりけるはうせ給(たま)ひける日、やがてさきだゝせ給(たま)ひにけり。かめ井の水に御てをすましても、よろづよまでやとみえさせ給(たま)ふ。かうやに参(まゐ)らせ給(たま)ひて、だいしにうぢやうの様(さま)をのぞき見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御ぐしあをやかに奉(たてまつ)りたる御衣(ぞ)いささかちりはみけがれず、あざやかにみえたり御いろあひなどぞめづらかなるや。唯(ただ)ねふり給(たま)へるとみゆ。哀(あは)れに弥勒の出世(よ)のあしたにこそはおどろかせ給(たま)はんず〓なめれ。きんめいてんわうの御ときのつき八十年ばかりにやならせ給(たま)ひぬらん。かくおぼしいたらぬひまなく哀(あは)れにめでたき御心(こころ)の程(ほど)、世(よ)の例(ためし)になりぬべし。六波羅密寺うんりんゐんのぼさつこう事(こと)の折節(をりふし)迎講などにもおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。大方(おほかた)この事(こと)のみかはわが御願のうちにせさせ給(たま)ふ事(こと)ども、まねびつくすべきかたなし。あるときは六くはんをんをつくらせ給(たま)ふ。あるときは七ぶつやくしをつくらせ給(たま)ふ。あるときは八さうじやうだうをかかせ給(たま)ふ。あるときは九躰の阿弥陀仏をつくらせ給(たま)ふ。又(また)十斎のほとけ等身につくらせ給(たま)ふ。あるときは百躰の釈迦をつくり、
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せんずくはんをんをつくらせ給(たま)ふ。一まんのふどうをつくり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。またこんていの一切経(いつさいきやう)をかきくやうせさせ給(たま)ふ。あるときは八まんぶの法華経(ほけきやう)をかかせ給(たま)ふ。滅罪生善のためと思(おぼ)し召(め)す。これにそへて、せんほふのいとなみおこたらせ給(たま)はず。御(み)堂(だう)のつとめひねもすに、よもすがらおこたらせ給(たま)はす。年月をへてしあつめさせ給(たま)ふ事(こと)、ぶつはうにあらずと言(い)ふ事(こと)なし。世(よ)の中(なか)正法すゑになりててんぢくはほとけあらはれ給(たま)ひしさかいなれど、いまはけいそく山(やま)の古(ふる)き道にはたけしげりて人(ひと)のあとみえず。ことくおんの昔(むかし)の庭はつきうせて人(ひと)もすまさなり。わしのみねには思(おも)ひあらはれて、鶴林にはこゑたえて迦旃はかねのこゑに伝(つた)へけうほんばたひはみづと流(なが)れなどして、あはれなるすゑの世(よ)にかくほとけをつくりだうをたて、そうをとぶらひちからをかたぶけさせ給(たま)ふ。ぶつけうのともしびをかかげ、人(ひと)をよろこばせ給(たま)ひて世(よ)のおやとおはします。わが御身は一(ひと)つにて三代の御門(みかど)の御後見(うしろみ)をせさせ給(たま)ひて、六十に国六斎日に殺生をとどめさせ給(たま)ふ。よき事(こと)をはすゝめあしき事(こと)をばとどめさせ給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に、衆生界つき衆生(しゆじやう)の劫つきんにや、この御代もつきさせ給(たま)はんとみゆ。年(とし)頃(ごろ)しづめさせ給(たま)へる事(こと)どもを聞(き)こえさする程(ほど)に、涌出品のうたがひぞいできぬべき其(そ)の故(ゆへ)は、殿(との)の御出家(しゆつけ)のあひだいまだひさしからでせさせ給(たま)へるぶつじはかずしらず多(おほ)かるはかの品にほとけをみてよりこのかた。
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四十余(よ)年に化度し給(たま)へるところの涌出品のぼさつばかりなし、ちゝ若(わか)うして子おいたり、よこぞりて信ぜずと言(い)ふたとひのやうなり。されど御代の始(はじ)めよりしづめさせ給(たま)へる事(こと)どもしるす程(ほど)に、かかるうたがひもありぬべきなり。世(よ)の中(なか)にある人(ひと)たかきもいやしきも事(こと)ゝ心(こころ)とあひたかふものなり。うへ木しづかならんと思(おも)へど、かぜ休(やす)まず。子けうせんと思(おも)へどおやまたず。一切(いつさい)せけんにさうある物は皆(みな)しす。寿命(ずみやう)無量(むりやう)なりといへど必(かなら)ずつくる期あり。さかりなるものは必(かなら)ずおとろふ。かうはいするものは煩(わづら)ひあり。ほうとしてつねなる事(こと)なし。あるはきのふさかえて今日(けふ)はおとろへぬ。はるのはなあきの紅葉(もみぢ)といへどはるのかすみたなびきあきのきりたちこめつれば、こほれてにほひみえず。唯(ただ)ひとわたりのかぜにちりぬるときは水のあはみぎはのちりとこそはなりぬめれ。唯(ただ)この殿(との)の御(お)前(まへ)のゑいぐわのみこそ、ひらけ始(はじ)めさせ給(たま)ひにしより後(のち)、ちとせのはるのかすみあきのきりにもたちかくされてかせもうごきなくえだをならさねば薫(かをり)まさるよにりがたくめでたき事(こと)、優曇花(うどんげ)の如(ごと)く、水に生(お)ひたる花(はな)は、青(あを)き蓮(はちす)の世(よ)に勝(すぐ)れて、香(か)匂(にほ)ひたる花(はな)は並(ならび)なきが如(ごと)し。
弟子大日本国左大臣正二位藤原朝臣道長前白雲山浄土釈迦尊言風聞天上天下妙覚之理独円三千大千無縁之慈普被仏法之冲〓不可得而称者也
弟子自竹馬鳩車至而立強仕不好独善企兼済不忘敬始願善終
昔弱冠著緋之時従先考大相国屡詣木幡墓所仰三重瞻四域古塚畳畳幽〓寂寂仏儀不見只見春花秋月法音不聞只聞渓鳥嶺猿
尓時不覚涙下窃作此念我若向後至大位心事相諧者争於茲山脚造一堂修三昧福助過去恢弘方来思而渉歳不敢語人
爰承累葉之慶浴皇華之恩年三十極人臣之位十十年忝王佐之任皇帝之為舅也皇后之為父也栄余於身賞過於分如履乕尾如撫竜鬚因茲雖趣朝庭雖居私廬発菩提心凝道場観行住坐臥事三宝造次顛沛帰一乗
抑検家譜万歳藤之栄所以卓犖万姓其理可然何者始祖内大臣扶持宗廟保安社稷淡海公者手草詔勅筆削律令興仏法詳帝範其後后妃丞相積功累徳寔繁有徒矣
建興福寺法華寺開勧学院施薬院忠仁公始長講会昭宣公点木幡墓貞信公建法性寺修三昧九条右相府建楞厳院修三昧先考建法興院修三昧此外傍親列祖之善根徳本不遑称計
方今時時詣墳墓為建寺指点形勝向彼松下則〓二恩父母之廟壇問此巌頭亦〓同胞兄弟之芳骨雖至孝鐘愛之子孫不能晨昏雖近習旧労之僕妾不能陪侍山嵐朝掃庭渓月夜舉燭而已
仍自長保六年三月一日結花構償初心不材之所企造普賢而為削木拝皃之志匪右之所思書妙法而代立碑旌徳之文是以励拙掌而馳筆迹以信為嘉手債毘首而加意巧移孝礼尊顔今日択耀宿始法花三昧刻十月定星之期廻万代不朽之計于時蒙霧開愛日暖可謂天地和合風雨不違祖考感応垂冥助之令然也
別亦奉書法花経百部千軸般若心経百巻嘱百余口賢聖衆以香花梵唄洪鐘浮磬宝蓋幢幡名衣上眼七珎百味供養之演説之青苔鋪設自展七浄瑠璃之茵紅葉乱飛暗成千花錦繍之帳玉軸星羅見崑山之積玉金言流布知提河之有金
夫寺廟者如来之墳墓也実相者法身之舎利也山城独勝有便於弘一乗王舎不遠無煩於率群僚丹丘青像忽具如来真色万籟百泉皆唱妙法之梵音疑是霊鷲山之乗五色雲以飛来歟将若法竜池之驚六種動以涌出歟視耳未曽視聴目未曽聴
彼端木者魯之賢士也移家於孔子之墓傍王劭者晋之重臣也築寺於祖父之廟北聚竜象以弘智峰譏羊太伝之絶後胤伴槐棘以高法棟擬王丞相之拝先塋
黒白衣之雲集豈唯三列五郡之浅契内外戚之影従抑亦見仏聞法之大縁功徳遍于法界利益及于衆生我願既満衆望亦足以此一善廻向四恩天下安穏万民快楽敬礼釈迦妙法大乗妙光法師普賢薩〓入此道場証明功徳天神地祇及茲山幽霊善神被如来之衣著菩薩之座仰願三宝増益一念
嗟呼煖焼寒木於大智之日涙変蒼栢之煙霑朽壌於甘露之泉手播白蓮之種劫石雖〓願主之印不〓芥城縦尽不退之輪長転願共諸衆生上征兜率西遇弥陀弟子帰命稽首敬白
〔造法成寺之時御功徳之次引先年事非相違歟此願文左大弁行成卿清書之由有其伝抑此浄妙寺供養寛弘二年也而注御出家以後年記相違歟。〕



栄花物語詳解巻十六


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〔栄花物語巻第十六〕 もとのしづく
寛仁三年(さんねん)四月許、堀河(ほりかは)の女御(にようご)。明(あ)け暮(く)れ涙(なみだ)にしづみておはしませばにやおはしけん、御(おほん)心地(ここち)もうき、あとかたもおぼされて、れいならぬ様(さま)にてあり過(す)ぐさせ給(たま)ふ程(ほど)に、いと悩(なや)ましうおぼされければ、御風にやとて、 茹(ゆ)でさせ給(たま)ひてのぼらせ給(たま)ふまゝに、御口鼻(くちはな)より血(ち)あえて、やがて消(き)え入(い)り給(たま)ひぬ。おとど御こゑをさゝげてなきののしり給(たま)へど、何(なに)のかひかあらん。七十余(よ)になりぬる己(おのれ)をめせ。若(わか)くさかりなる人(ひと)の行末(ゆくすゑ)はるかなるをば、かへし給(たま)へ<とののしらせ給(たま)へど、かかるみちは筋(すぢ)なきわざなりければ、え留(とど)め奉(たてまつ)らせ給(たま)はず。いとあさましうかくはてさせ給(たま)ひぬれば、ゐん聞(き)こし召(め)して急(いそ)ぎ渡(わた)らせ給(たま)へれど、いまはかくと聞(き)こし召(め)して、御かほにひとへの御衣(ぞ)のそでををしあてゝ。立(た)たせ給(たま)へるより、御涙(なみだ)のつく<”ともりいでたる程(ほど)、もとのしづくやと、哀(あは)れに疎(おろ)かならず。いまはのぼらせ給(たま)ひてもかひなかるべければ、つちに立(た)たせ給(たま)ひて、宮々(みやみや)抱(いだ)きいで奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、一宮の御(おほん)乳母(めのと)の男(をとこ)。左近大夫むねゆきを召(め)して、とのはたものおぼえさせ給(たま)はざめり。この宮々(みやみや)かのひがしのたいにわたし奉(たてまつ)れ。あなかしこ、よるひる近(ちか)くて見(み)奉(たてまつ)れなど、かへすがへす仰(おほ)せられ
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て、いまは言(い)ふかひなければ、いま又(また)こむ。殿にもえたいめんせずなりぬる事(こと)ゝて、出(い)でさせ給(たま)ひぬ。源宰相(さいしやう)は、この御事(こと)かくののしれば、はかなきとのをだにとりあへて、女御(にようご)。もろともにほかへわたり給(たま)ひにけり。一の宮(みや)のいみじうなき給(たま)ひつるも、哀(あは)れに思(おも)ほされて、いくばくもあらざりける御(おほん)有様(ありさま)をなどてつらしと覚え奉(たてまつ)りつらんと、年(とし)頃(ごろ)の本意(ほい)なく、あはれなるわざかなとおぼされて、やがてしものみやに渡(わた)らせ給(たま)ひて、かう<の事(こと)なん侍る。哀(あは)れにいみじき事(こと)、この幼(をさな)き人々(ひとびと)いかゞし侍らんずらん。おとどいまはなくならせぬらん。いとふかくなる様(さま)にこそ聞(き)き侍つれなど、よろづに、哀(あは)れに宣(のたま)ひつゞけて、なかせ給(たま)ふもいみじう悲かな)し、。とのはおはせぬをつと抱(いだ)きて、よろづに言(い)ひつゞけなかせ給(たま)ふ。かかるおもひにや、人(ひと)は法師(ほふし)にもなるらんと宣(のたま)はするを、御前なる人々(ひとびと)心(こころ)のうちにほゝゑまれけり。源宰相(さいしやう)は。心(こころ)苦(ぐる)しき殿(との)の御(おほん)様(さま)を、みすて奉(たてまつ)り給(たま)ふも、事(こと)の始(はじ)めのいとなさけなかりし御心(こころ)の忘(わす)れ給(たま)はぬなりけり。かくてゐん渡(わた)らせ給(たま)ひて、おんやうじ召(め)して、さるべき事(こと)も定(さだ)め宣(のたま)はせ、よろづに扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)も、又(また)いとめでたし。殿(との)の哀(あは)れにおほえれ給(たま)ふも、この宮々(みやみや)の御扱(あつか)ひをせさせ給(たま)ふ。後々(のちのち)の御事ども、みな世(よ)の常(つね)の様(さま)に覚(おぼ)しをきてさせ給(たま)へり。其(そ)の日になりて、つとめてゐんおはしましてよさり
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の事(こと)ども急(いそ)がせ給(たま)ふ。ゐんの殿上人(てんじやうびと)・しも人(ひと)も、年(とし)頃(ごろ)とりわざ。睦(むつ)まじう思(おぼ)し召(め)すは、残(のこ)りなく参(まゐ)るべくをきて仰(おほ)せらる。我そひてこまかに見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はぬばかりなり。しものみやにはあまり親(した)しくなおはしましそなど聞(き)こえさせ給(たま)ふも理(ことわり)にて、このをきてどもくはしうせさせ給(たま)ひてかへらせ給(たま)ひぬ。さてよさりゐていで奉(たてまつ)れば、みやたちはゝの御供(とも)にわれもいなん<となかせ給(たま)ふに、そこらの僧俗(そうぞく)なきあはれがり聞(き)こえぬなし。とのつえにかからせ給(たま)ひてよろほひ、人(ひと)ひかへ奉(たてまつ)りつれど。えおはしましやらねば、夏(なつ)のよもはかなくあけぬべければ、猶(なほ)いとみ苦(ぐる)しき御事なり。御車(くるま)にてすがやかにおはしまさんと聞(き)こえて、みちにて御車(くるま)に奉(たてまつ)りぬ。さてよもすがらとかく扱(あつか)ひ奉て、若(わか)き御(おん)子(こ)に七十余(よ)にてをくれて、かへらせ給(たま)ふぞげに世(よ)の中(なか)のあはれは知(し)られける。御忌(いみ)の程(ほど)も哀(あは)れに心(こころ)細(ぼそ)くてすごさせ給(たま)ふ。ゐんよろづに哀(あは)れにおはします。とのはすこしものおぼしまぎるゝ折(をり)は、このみやたちを見(み)奉(たてまつ)り、慈(うつく)しみ奉(たてまつ)り給(たま)ひてはかばかりの事(こと)をおもふに、わが命(いのち)はこよなうのびぬらんかし。若宮(わかみや)たちの御(おほん)後見(うしろみ)をし。あやまつべき事(こと)かはと宣(のたま)はせ、ひぢはらせ給(たま)ふ哀(あは)れに見(み)奉(たてまつ)る。御(おほん)いみはてはこの宮(みや)達(たち)はむかへ奉(たてまつ)らんと思(おぼ)す。北(きた)の方(かた)は、中宮(ちゆうぐう)の姫君(ひめぎみ)に、さるべきところ奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、そちわたり給(たま)ひにしかば、哀(あは)れに心(こころ)細(ぼそ)くて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。やうやう御法事(ほふじ)の程(ほど)も近(ちか)うなれ
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ば、ゐん何事(なにごと)もおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。殿(との)の御ふなどもかかる折(をり)だにもとめせと、只今(ただいま)受領どもはたゞ御(み)堂(だう)のことをさきとする程(ほど)に、せう<のところの御事をば何(なに)ともおもひたらねどたゞゐんおはしませば、それをよろづに頼(たの)み聞(き)こえ給(たま)ひて、われはちごのやうにて過(す)ぐさせ給(たま)ふもいみじうあはれなり。このみやたちのかくおいほけ<とおはする。おとど一ところをまつはしいみじきものにおもひ聞(き)こえ給(たま)へる程(ほど)ぞ、哀(あは)れに心(こころ)憂(う)きまでみえさせ給(たま)ふ。とのは折(をり)折(をり)には法師(ほふし)にならんと思(おも)へどこのみやみやの御(おほん)有様(ありさま)みはてんの本意(ほい)なり。いまの御門(みかど)・東宮(とうぐう)まだいと若(わか)うおはしませば、みやたちをもうけ給(たま)ふべきにあらず。このゐんのみやたちは、つきの世(よ)には必(かなら)ずたちいで給(たま)はん。但(ただ)しその御ときの摂政関白(くわんばく)は、我おほぢなりそれをゝきていみじからん。いまの摂政のおとど内(うち)のおとどもしは大蔵卿(おほくらきやう)などやたち心地(ここち)つかむ。それらはいと安(やす)しなど言(い)ふあらまし事を宣(のたま)ひ明(あ)かしくらさせ給(たま)へば、御忌(いみ)にこもりたるそうなどをのかどち忍(しの)びてうち笑(わら)ふべし。それはみやたちの御事の。おこがましきにはあらで、七十余(よ)にてかばかりよろづをおぼしほれて、あみだほとけなども申し給(たま)はで、いつとなくはるかなる程(ほど)の御心(こころ)をきてのをこなるべし。後々(のちのち)の御法事(ほふじ)などみなせさせ給(たま)ひて、よろづいと心(こころ)のどかにつれづれまさりて、哀(あは)れにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。ゐんはみやたち見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、しもの
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宮におはしますまゝにぞよらせ給(たま)ひける。あさましくひろ<おもしろきところに、このとのと一二のみやのみぞおはします。さてはうちたゝなど言(い)ふ人(ひと)のをとらぬ程(ほど)のよはひも、いみじう哀(あは)れなれば、ゐんはこのみやたちを哀(あは)れに心(こころ)苦(ぐる)しう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、はかなき御くた物などもよる夜中わかず奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。かくて九月ばかりに、大殿(との)の上(うへ)一条(いちでう)殿(どの)の尼上(あまうへ)をばくはんをんじと言(い)ふところにこそはおさめ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひしが、それを此(こ)の頃(ごろ)とかくし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、のちはいませ給(たま)へばおはしまさで、こはた僧都(そうづ)の中河の家(いへ)に渡(わた)らせ給(たま)ひておはします。其(そ)の程(ほど)にも哀(あは)れにおかしきうたども数多(あまた)あり。斯(か)かる程(ほど)に大二のしそ度々(たびたび)奉(たてまつ)り給(たま)へば、のぞむ人(ひと)かずしらず多(おほ)かるに、侍従(じじゆう)の中納言(ちゆうなごん)三位中将(ちゆうじやう)の。御扱(あつか)ひの心(こころ)もとなさにのぞみ給(たま)へば、ふたゝびとなくなり給(たま)ひぬ。其(そ)ののちはつくしよりものなどもて参(まゐ)りて、いとはなやかにもてなし聞(き)こえ給(たま)ふに、姫君(ひめぎみ)の御(おん)心地(ここち)。ともすればれいならぬをぞ、しづごゝろなくおぼさるゝ。はかなく年(とし)もかへりぬ。世(よ)の中(なか)いまめかし今年(ことし)いもがさと言(い)ふ物おこりぬべしとて、つくしのかたには古(ふる)き年(とし)より。やみけりなど言(い)ふこと聞(き)こゆれば、始(はじ)めやみけりのち、この年(とし)頃(ごろ)になりにければ、始(はじ)めやまぬ人(ひと)のみ多(おほ)かりける世なれば、公(おほやけ)わたくしいとわりなく、恐(おそ)ろしき事におもひ騒(さわ)ぎたり。入道(にふだう)殿(どの)は御(み)堂(だう)のにしによりて、あみだだうたて
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させ給(たま)ひて、九躰のあみだ仏つくらせ給(たま)ひて、この三月にくやうせさせ給(たま)はんとて、いみじう急(いそ)ぎののしりて、宮々(みやみや)もおはしますべければ、やなぎさくら、ふぢやまぶきなどいふ。あやをり物どもをし騒(さわ)がせ給(たま)ふ。かくてこのもがさ京にきにたれば、やむ人々(ひとびと)多(おほ)かり。前大弐も同(おな)じくはこの御(み)堂(だう)くやうよりさきにとおぼし急(いそ)ぎければ、此(こ)の頃(ごろ)のぼり給(たま)ひて、いみじきからのあやにしき多(おほ)く入道(にふだう)殿(どの)に奉(たてまつ)り給(たま)ひて、御(み)堂(だう)のかざりにせさせ給(たま)ふ。めでたき御(み)堂(だう)のゑとののしれども世(よ)の人(ひと)只今(ただいま)はこのもがさに事もおぼえぬさまなり。このもがさは大弐の御もとにきたるとこそはいふめれ。あさましく様々(さまざま)に煩(わづら)ひてなくなるたぐひ多(おほ)かり。いみじうあはれなること多(おほ)かり。斯(か)かる程(ほど)に故のよりさだの左兵衛督(さひやうゑ)のかう、この三月廿余(よ)日(にち)に検非違使(けんびゐし)別当(べつたう)かけ給(たま)ひつ。されどこの月頃(ごろ)心地(ここち)れいにもあらずおはしけるを、いかなるにかと覚(おぼ)し煩(わづら)ひて、この度(たび)もいまだ申し給(たま)はざりけり。ゐん女御(にようご)うせ給(たま)ひにしのち、殿(との)のいとおしう心(こころ)細(ぼそ)げにおはしければ、このはる堀河(ほりかは)殿(どの)にわたり給(たま)へれば、おとどもすこし御けしきよくなりて、め安(やす)かりつるに、かく悩(なや)み給(たま)へばいかに<とおぼしたり。うたてゆゝしきころなれば、ほかへもやなど思(おぼ)せとなをかくてすごし給(たま)ふ程(ほど)に、又(また)もがささへねして悩(なや)み給(たま)へば、よもやまの医師(くすし)をあつめよるひるつくろはせ給(たま)へどむげに
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頼(たの)みすくなき御有様(ありさま)なれば、別当(べつたう)ぢし給(たま)ひつ。関白(くわんばく)殿(どの)の(うへ)の御(おほん)おぢにおはすれば、よろづにとひ聞(き)こえ給(たま)ふ。ものなど多(おほ)く奉(たてまつ)れさせ給(たま)ふ。いみじきことども度々(たびたび)せさせ給(たま)へどいとあべき程(ほど)にさへなりぬれば、哀(あは)れに心(こころ)細(ぼそ)くおぼさる。六月九日法師(ほふし)になり給(たま)ひぬ。女御(にようご)の御はらの姫君(ひめぎみ)達(たち)の御有様(ありさま)を、哀(あは)れにいかに<とおぼしながら、われもふかくになり給にたれば、すべきやうなし。其(そ)の御けしきもわりなくたへかたくおぼされて、女御(にようご)もあまになり給(たま)ひぬ。とのものもおぼえ給(たま)はねど、何(なに)しにかと聞(き)こえ給(たま)へど御(おほん)志(こころざし)なる理(ことわり)にみえさせ給(たま)ふ。あはれなること多(おほ)かり。御とぶらひにをののみやのいま北(きた)の方(かた)参(まゐ)り給(たま)へり。殿(との)の御(おん)心地(ここち)をばさるものにて、殿(との)のうちの男(をとこ)女(をんな)めもあやにめでたくて、車(くるま)よりおりなどし給(たま)ふ程(ほど)、いかでかは疎(おろ)かならん。兵衛(ひやうゑ)督御位(くらゐ)も短(みじか)く、命(いのち)もえたへ給(たま)ふまじくいふかたなき御(おほん)有様(ありさま)なるに、たゞこの北(きた)の方(かた)参(まゐ)りて、哀(あは)れに忝(かたじけな)きさまに泣(な)く泣(な)く聞(き)こゆる程(ほど)ぞ、この世(よ)の御(おほん)有様(ありさま)にめでたかりける。さていとよはげにおはすれば煩(わづら)はしうて泣(な)く泣(な)くいで給(たま)ひぬといへば忝(かたじけな)しやをののみやには姫君(ひめぎみ)ひとところおはしける程(ほど)、大将(だいしやう)殿(どの)そひねさせ給(たま)ひて心(こころ)もとなくうしろめたうおぼされけるに、この北(きた