栄花物語詳解巻二十二


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〔栄花物語巻第二十二〕 とりのまひ
かくて、御(み)堂(だう)の東(ひんがし)に、きた南(みなみ)様(さま)にて、にしむきに十余(よ)間のかはらぶきの御(み)堂(だう)たてさせ給(たま)ひて、年(とし)頃(ごろ)つくりみがゝせ給(たま)ひつる御ほとけ、南(みなみ)殿(どの)よりわたし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。万寿元年三月廿余(よ)日(にち)のことなり。やがてそれに御(み)堂(だう)くやうと思(おぼ)し召(め)しけれど、上(うへ)の御はらからのおはらの入道のきみの、二月にうせ給(たま)ひにしかば、上(うへ)の御思(おも)ひにおはしませば、くやうは六月に定(さだ)めさせ給(たま)へり。ほとけの渡(わた)らせ給(たま)ふぞその日なりて、はるのかすみもたちけり。むらさきのくも筋(すぢ)をたなびきけり。日うらゝかにてりたり。くもりなきたつのときばかりにわたし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。じやうろくの七ぶつやくし皆(みな)こんじきにおはします。につくはう・ぐはつくはう、皆(みな)たち給(たま)へる御すがたどもなり。六くはんおん同(おな)じくじやうろくにておはします。ほとけを見(み)奉(たてまつ)れば、師子の御ざより御衣(ぞ)のこぼれいで給(たま)へる程(ほど)、いみじくなまめかしく見(み)えさせ給(たま)ふ。渡(わた)らせ給(たま)ふ程(ほど)は、力車(ぐるま)といふものを二(ふた)つならべて、一仏をおはしまさせ給(たま)ふ。今日(けふ)はその車(くるま)の上(うへ)に、おほきなるれんげのざつくらせ給(たま)ひておはしまさせ給(たま)ふ。あふげは法蓋そらにあり。此(こ)のれんげざ一<にしたがひて、千のくはうみやう耀(かかや)けり。ほとけ此(こ)のざの上(うへ)におはしまして、
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三十二そう・八十種好あらたにて、大定智悲の相現し、いくはうあしたの日の如(ごと)し。普賢色身無辺にし、六だうじさいむりやうにして、躰相神徳魏々たり。烏瑟みどりこまやかに、ちひの御まなこはちすの如(ごと)くひらけたり。くすりのつぼしろがねにて皆(みな)もたせたまへり。又(また)六くはんをんこんじきのさうがう円満し、三昧月輪相現し、むすのくはうみやう耀(かかや)きて、十はうかいにへんまんす。所有のいろには、あまねく一切(いつさい)衆生(しゆじやう)をりやくせんと思(おぼ)したり。同(おな)じく色々(いろいろ)のれんげをざにせさせ給(たま)へり。大ひを始(はじ)めとして、大梵深遠にいたるまでつゞきゐさせ給(たま)へり。御車(くるま)につきつかうまつるものも、かしらにれんげのかうぶりし、あかききぬをきたり。ほとけのぜんこさうには、諸僧威儀具足して、ゐねうし奉(たてまつ)れり。もろ<のたからのかうろには、無価の香をたきて、もろ<のせそんにくやうし奉(たてまつ)る。がくのこゑ、せう・ちやく・きん・くこ・ひは・鐃・銅〓をしらべあはせたり。ぼさつのすがたにてまひつゞきて、ほとけの安とよそほしくあゆませ給(たま)ふにしたがひて、諸僧・梵音・錫杖のこゑをとなへて、讃を誦して渡(わた)る。そらより色々(いろいろ)のたからのはなふりて、こゑ<”天のがくをくやうし、ほとけのくどくかゑいす。此(こ)のにはに参(まゐ)りあひたる人々(ひとびと)、おぼろげのくどくのみとおぼゆ。過(す)ぎにしもいま行末(ゆくすゑ)も、今日(けふ)のほとけにあひ奉(たてまつ)らずなりぬる人(ひと)、前仏後仏の衆生(しゆじやう)の心地(ここち)す。いみじう口(くち)惜(を)し。かの法華経(ほけきやう)のじよほんに、@@24 及見諸仏、此非不縁 [かな: きゆうけんしよぶつ、しひふえん ]B24、これおぼろげの縁にあらずと見(み)えたり。又(また)過去の阿育王のときに、誰(たれ)かほとけを見(み)奉(たてまつ)るものとありければ、一人(ひとり)のおとど
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ありて申しけり。波斯送王のいもうとゝ申しければ、召(め)してとはせ給(たま)へば、誠(まこと)にほとけを見(み)奉(たてまつ)れり。よにすぐれたるものなり。そらにのぼり給(たま)ひてのち、七日までその御あしのあとなをひかりきとこそ申しけれ。いまわれらかずのほとけを見(み)奉(たてまつ)りつ。これおぼろげの縁にあらず。これを縁として、ごくらくじやうどにわうじやうして、もろもろのほとけを見(み)奉(たてまつ)らざらんやと、けんぶつもんぼうのゑんふかき心地(ここち)して、悲(かな)しくなん。仰(あふ)ぎて見(み)れば、ほうしやうのそらはれぬと、〓求のかすみます。がくのこゑ・おほつゞみのをと、げに六種に大ちもうごきぬべし。いけに色々(いろいろ)のれんげなみよりて、かぜすゞしうふけば、いけのなみ苦空無我のこゑをとなへ、諸波羅密をとくと聞(き)こゆ。ゐんの内(うち)、道俗男女涙(なみだ)を流(なが)し、喜(よろこ)び拝(をが)み奉(たてまつ)る。他方の諸仏・〓の楽極に参(まゐ)りあつまり給(たま)へらんもかくやと見(み)えたり。様々(さまざま)に思(おも)ひける、くはんぎの涙(なみだ)一(ひと)ついろなり。関白(くわんばく)殿(どの)を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、よろづ殿(との)原(ばら)おはします。うるはしくさうぞきておはしまし並(な)めば、十六(ろく)の大こくのわうなどのやうに見(み)えさせ給(たま)ふ。内大臣(ないだいじん)殿(どの)・あぜち大納言(だいなごん)などぞ、参(まゐ)り給(たま)はぬも口(くち)惜(を)し。今日(けふ)の行幸(ぎやうがう)の四位(しゐ)・五位(ごゐ)にはに候(さぶら)ふ。日のひかり、ほとけの御ひかりてりあはせ給(たま)へれば、けんぶつもんぼうのそこらの人々(ひとびと)もこんじきにみゆ。殿(との)の御(お)前(まへ)、わが御しわざとも覚(おぼ)えさせ給(たま)はず、涙(なみだ)はあめとふらせ給(たま)へども、そらはくもらず。上達部(かんだちめ)のくはんぎの御袖もしほとけゞなり。東(ひがし)は経蔵、宮(みや)の女房(にようばう)、にしは鐘楼わたりまで、所々(ところどころ)の女房(にようばう)車(ぐるま)どもみつよろづ、のりこぼれ乱(みだ)れ
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いでたり。やなぎ・さくら・ふぢ・やまぶき・こきまぜ、おかし。これもそのかたにおかしくめでたし。ほとけやう<おはしましよる程(ほど)に、御階のさうのそばより、わらはべのとりのまひしたる程(ほど)、誠(まこと)のくじやく・あふむ・ふかん・えんあふのあそびなれたると見(み)えたり。ほとけの御有様(ありさま)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。かくやまの座主、@@25 無量百千劫、浄修身口意、如施〔故〕獲得如此微妙力 [かな: むりやうひやくせんがふ、じやうしゆしんくい、によぜきやくとく、によしみめうりき ]B25と頌して、おがみ奉(たてまつ)り給(たま)ふを、大(おほ)殿(との)の御(お)前(まへ)を始(はじ)め奉(たてまつ)り、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、同(おな)じくおがみ奉(たてまつ)り給(たま)へば、ゐんの内(うち)にそこらみちたる人々(ひとびと)、身のならんやうもしらず、なもとをがみ奉(たてまつ)れば、たゞ異(ことな)れど、声(こゑ)は同(おな)じく聞(き)こえて、涙(なみだ)留(とど)めがたし。ほとけみはしをのぼらせ給折(をり)に、ひだりにはやまのざす、みぎには殿(との)の御(お)前(まへ)立(た)たせ給(たま)ひて、御ほうかいをとり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。みはしの有様(ありさま)、かの持地ぼさつのかまへたまへりけん。こんごん・すいせうの三(み)つの階(はし)に劣(おと)らず見(み)えたり。ほとけの南(みなみ)のはしより、にしむきに、きた様(さま)にならばせ給(たま)へり。ことどもはてゝ、そうどもろく給(たま)はり、かく人(ひと)かづけものたまひて、まかでぬ。此(こ)の程(ほど)は、いよ<御(み)堂(だう)をめでたく磨(みが)きたてさせ給(たま)ふ。四月なれば、賀茂(かも)の祭(まつり)とて世騒(さわ)ぎたるに、又(また)やまのざす、やまの舎利を女のみおがみ給(たま)はぬこといと<口(くち)惜(を)しとて、舎利会せんとて、舎利はまづくだし奉(たてまつ)り給(たま)へれば、世(よ)のなかの人々(ひとびと)参(まゐ)りおがみ奉(たてまつ)る。祭(まつり)はてゝ、四月廿日あまりに、舎利会せさせたり。法興院より祇陀林といふ寺に渡(わた)し奉(たてまつ)り給ふ程(ほど)の有様(ありさま)を、日頃(ひごろ)いみじうとゝのへのゝしりて、
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小一条院・入道殿などの御桟敷(さじき)をはじめ、さるべき殿ばらの御桟敷(さじき)ども、いといみじく造(つく)りのゝしりたり。まづその御桟敷(さじき)の有様(ありさま)ぞいみじき見物(みもの)なる。その日になりぬれば、三百余(よ)人の僧の、梵音・錫杖の音(おと)など、様々(さまざま)いみじくめでたく装束(さうぞ)きとゝのへて、御輿(こし)二(ふた)つをさきにたて奉(たてまつ)りて、定者(ぢやうしや)左右よりいみじくおかしげにて歩(あゆ)み続(つづ)きたるに、御輿(こし)につきたる物ども、頭(かしら)には兜(かぶと)ゝいふものをして、色々(いろいろ)のおどろおどろしういみじき唐錦(からにしき)どもを著(き)て、持(も)ち奉(たてまつ)れり。楽(がく)人・舞人、えもいはぬ■の顔すがた(かをかたち)にて、左右にわかれたる僧達に続(つゞ)きたり。御輿(こし)のおはします法興院より祇陀林までの道の程(ほど)、いみじき宝(たから)の植木(うゑき)どもをおほし並(な)めたるに、空(そら)より色々(いろいろ)の花降(ふ)り紛(まが)ひたるに、銀(しろがね)・黄金(こがね)の香炉(かうろ)に、様々(さまざま)の香をたきて薫(くむ)じ合(あは)せたる程(ほど)、えもいはずめでたし。祇陀林におはしまして、御(お)前(まへ)のにはを、たゞかのごくらくじやうどの如(ごと)くに磨(みが)き、たまをしけりとみゆるに、ここらのほさつ舞人(まひびと)ともに、れいのわらはへのみもいはず。様々(さまざま)装束たびまひたり。此(こ)のかのぼさつたちこん<”・るりのせうや、びはや、さうのふえ、ひちりきなどふきあはせたるは、此(こ)の世(よ)のことゝ夢(ゆめ)に覚(おぼ)えず、たゞじやうどと思(おも)ひなされて、えもいはず哀(あは)れにたうとく悲(かな)し。ことどもはてぬるきはに、かづけもの、入道(にふだう)殿(どの)御さじきより、様々(さまざま)残(のこ)りなくせさせ給(たま)へるに、やまのざすの御こころをきても、様々(さまざま)めでたく色々(いろいろ)にせさせ給(たま)へり。
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此(こ)のだうこそは御覧(ごらん)ぜずなりぬれば、のちに仏舎利ばかりをぞ、内(うち)にも宮(みや)にもゐて奉(たてまつ)りける。先年にやまのざすぢゑそうじやう、はゝの御ためにとて、よしだといふ所(ところ)にてぞ、同(おな)じことし給(たま)ひける。そのときはいみじう世(よ)に珍(めづら)しきことにぞ思(おも)ひて、いまのよがゝりにしける、これはかれにいふべきことにもあらず。その折(をり)のこと・いまの世(よ)のことゝ、同(おな)じくちにいふべきならねば、こればかりめでたきことなくなん。かくて五月にもなりぬれば、れいの殿(との)の卅講とて、急(いそ)がせ給(たま)ふ。五月五日、わらはべのくすだまつけたるを御覧(ごらん)じて、内大臣(ないだいじん)殿(どの)の御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)、
@年(とし)ごとのあやめのくさにひきかへて涙(なみだ)のかかるわが袂(たもと)かな W251。
はかなく過(す)ぎて、六月にもなりぬれば、廿六日、かのやくしだうのくやう、れいのことどもえもいはずめでたし。御(み)堂(だう)の御有様(ありさま)、れいのめも耀(かかや)きて、いかにもみわきがたし。大宮(おほみや)・殿(との)の上(うへ)とぞおはします。御つぼね、此(こ)の御(み)堂(だう)の北(きた)の方(かた)によりて、ひさしにみすかけたり。御(み)堂(だう)のつくり様(さま)、大坊の様(さま)など、にしの御(み)堂(だう)にことならず。やくしほとけの御(お)前(まへ)のかたのもやのはしらには、十二大願(だいぐわん)のこころをゑにかかせ給(たま)へり。六くはんをんの御(お)前(まへ)のかたのはしらには、くはんをんほんの偈のこころを皆(みな)かかせ給(たま)へり。飯室のあざりのてをつくし給(たま)へる程(ほど)、思(おも)ひ遣(や)るべし。南(みなみ)よりきた様(さま)に、七仏やくしならばせ給(たま)へり。はし<”に日光・月光たち給(たま)へり。ひま<に十二神将たけ七さくばかりにて、色々(いろいろ)の衣(きぬ)を著(き)、
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様々(さまざま)のかほ、心々(こころごころ)のけしきにて、もたるもの皆(みな)こと<”なり。みるにかつはゑまじう、かつは恐(おそ)ろしげなり。一<に見(み)奉(たてまつ)りて、随願やくしきやうのもんを思(おも)ひいで奉(たてまつ)る。@@26 一聞我名、悪病除愈、乃至速証、無上菩提 [かな:  いちもんがみやう、あくびやうじよゆ、ないしそくしやう、むじやうぼだい] B26とあり。一度(たび)〕御名(みな)をきゝてだにかかり。いはんや、七仏を見(み)奉(たてまつ)らん程(ほど)、思(おも)ひ遣(や)るべし。又(また)七ぶつやくしぎやうにいはく、もしわがなをきくことあらんもの、悪趣におちば、ほとけのかみちからをもて、又(また)めうがうをきかしめて、返て人趣にむまれて、ぼさつのきやうを修し、すみやかに円満せることを、えしめんと宣(のたま)へり。まいて見(み)奉(たてまつ)る程(ほど)をおもふに、疎(おろ)かならんやは。又(また)六くはんをんは、六道のためにと思(おぼ)し召(め)したり。本誓をおもふにいとあはれなり。@@27 六悲千手獄、△△大悲正餓鬼、△△師子馬頭畜、大光面修羅、△△天人(てんにん)准泥人、△△大梵如意天 [かな: ろくひせんしゆごく、だいひしやうがき、ししめづちく、だいくわうめんしゆら、てんにんじゆんでいにん、だいぼんによいてん] B27と宣(のたま)へり。かく思(おも)ひ続(つゞ)け拝(おが)み奉(たてまつ)るにも、六趣にりんゑすることあらじと、頼(たの)もしくなりぬ。そのなかにも、如意輪の御思惟のけしきも哀(あは)れに見(み)え給(たま)ふ。@@28 難断煩悩、△△即能断除、△△自然智恵、発起慈心、△△随類示現、△△以大慈悲 [かな:  なんだんぼんなう、そくのうだんぢよ、じねんちゑ、ほつきじしん、ずいるいじげん、いだいじひ] B28、又(また)、@@29 難度衆生、△△能度相現、△△悲哀衆生、慈如一子 [かな:  なんどしゆじやう、のうどさうげん、ひあいしゆじやう、じによいつし] B29△△など宣(のたま)はせたる程(ほど)、おぼろげならずかし。ここらのほとけのあらはれ給(たま)へる、かつは、いづこよりきたり給(たま)へるにかしらまほしきに、むりやうぎきやうもんにいはく、@@30 我定恵解知見生、三昧六通道品発、慈悲十力無畏超、衆生業因縁出 [かな:  がぢやうゑげちけんしやう、さんまいろくつうたうほんはつ。じひじふりきむゐてう、しゆじやうごふいんえんしゆつ] B30とのたまへり。殿(との)の御(お)前(まへ)の御(おほん)こころの内(うち)あらはれ給(たま)へりとしりぬ。だうせうごん・ぶつくなど、様々(さまざま)の如(ごと)し。ことども
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はてぬれば、百よにんのそうたち禄給(たま)ひて、かく人(ひと)ともれいの作法(さほふ)にして、まかでぬ。御(み)堂(だう)のくやうの有様(ありさま)先々(さきざき)にことならず。此(こ)のほとけの御うしろ、東(ひんがし)の方(かた)に、間(ま)ごとに戸(と)をたてたり。ほとけの御うしろには、みかうしを短(みじか)やかにしわたして、むらさきのすそごの御帳にて、でいしてゑかきて、むらごのひもしたり。いみじうなまめかしう見(み)えたり。