栄花物語詳解巻二十一


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〔栄花物語巻第二十一〕 後(のち)悔(くゐ)の大将(だいしやう)
かくて、内大臣(ないだいじん)殿(どの)の上(うへ)、今年(ことし)廿四ばかりにや、此(こ)の程(ほど)に君達(きんだち)五六人(にん)ばかりになり給(たま)へるを、又(また)今年(ことし)も唯(ただ)にもあらで過(す)ぐさせ給(たま)へるが、今日(けふ)明日(あす)にならせ給(たま)ひにたれば、例(れい)の小二条(こにでう)にこそはすませ給(たま)へるに、もののさとしなど、人々(ひとびと)の夢(ゆめ)騒(さわ)がしう、又(また)自(みづか)らもものこころ細(ぼそ)くおぼされて、いかにと哀(あは)れにのみおぼし乱(みだ)るゝに、渡(わた)らせ給(たま)ふとても、又(また)こころを見(み)むとすらんやと、うち泣(な)かせ給(たま)ふもゆゝし。御(お)前(まへ)なる人々(ひとびと)は、恐(おそ)ろしう思(おも)ひ聞(き)こえさせたり。殿(との)の人々(ひとびと)は更(さら)なり。よその人(ひと)も、此(こ)の御有様(ありさま)を夢(ゆめ)などに見(み)つゝ聞(き)こえさすれば、大納言(だいなごん)殿(どの)の尼上(あまうへ)など、静(しづ)ごゝろなくおぼさるゝに、渡(わた)らせ給(たま)ひぬれば、いとど御すほう・御誦経(じゆぎやう)様々(さまざま)よろづせさせ給(たま)ふ。かねてよりも今年(ことし)らいねんは、かやうなる御有様(ありさま)ならば限(かぎ)りなるとのみおぼしたるに、頼(たの)もしげなくのみ覚(おぼ)えさせ給(たま)ふ。いと恐(おそ)ろしうおぼし見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へど、師走(しはす)の晦日(つごもり)ばかりに、いと平(たひら)かにて、男君(をとこぎみ)むまれ給(たま)ひぬ。御(おん)心地(ここち)なども、なか<れいよりはいとさはやかに、御ゆゝてなどせさせ給(たま)へば、誰(たれ)も今ぞこころのどかに
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おぼし見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。若君(わかぎみ)の御乳母(めのと)、かねてより申ししかば、五節(ごせち)のきみ、故みかはのかみ方隆がむすめ、ゑもんのたいふ致方(むねかた)が妻(め)ぞ参(まゐ)りたる。御産屋(うぶや)の騒(さわ)がしきまぎれに、年(とし)もくれにけり。朔日(ついたち)などのことども、思(おぼ)すことなげなるに、殿(との)の御ありきもなかりければ、こころのどかに君達(きんだち)の御いたゞきもちなど、きゝにくきまでいひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。朔日(ついたち)六日は七日のよなれば、珍(めづら)しげなき御ことなれども、年(とし)の始(はじ)めとていみじきころなれば、いとどめでたし。今日(けふ)は七日にて御湯(ゆ)のあるべければ、又(また)よさりの御湯(ゆ)殿(どの)のことども様々(さまざま)ののしる程(ほど)に、いかにうちあくはせ給(たま)ひて、御けしきいと苦(くる)しげなければ、いと恐(おそ)ろしうて、さるべきそうたち、日頃(ひごろ)の御衣(ぞ)にうちたゆみ心地(ここち)よげなるに、にはかにかくおはしませば、皆(みな)参(まゐ)りあつまりてかぢ参(まゐ)る。殿(との)の内(うち)のそうはさるものにて、ほかのさるべき残(のこ)りなく召(め)しあつめて、かぢ参(まゐ)りたるこゑどもゝののしりみちたり。すべてあさましう苦(くる)しげなる御(おん)心地(ここち)に、静(しづ)ごゝろなき人々(ひとびと)多(おほ)かり。御もののけ人々(ひとびと)にうつしののしる。されどはか<”しきこといはず。べんのさだよりのきみ・だいないきのりただなどよびよせていふことどもあれども、もののけのいふことなれば、誰(たれ)もかれをまことゝ思(おぼ)すべからぬを、きぶねのおはするとて、いみじう恐(おそ)ろしきことどもあれど、さりともなど思(おぼ)す程(ほど)に、此(こ)の殿(との)には、こまつの僧都(そうづ)の霊の、始(はじ)めは御産屋(うぶや)などの折(をり)はいと
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恐(おそ)ろしかりしかど、それをよろづにいひのまゝにせさせ給(たま)ひし程(ほど)に、いみじき御とくひになりて、それぞ此(こ)の年(とし)頃(ごろ)何事(なにごと)もいとよくつげ聞(き)こえさせつるも、それらもをとなきを、、殿(との)は怪(あや)しくおぼつかなく思(おぼ)し召(め)す程(ほど)に、御湯(ゆ)参(まゐ)らんとあれば、もて参(まゐ)りたりけるを、聞(き)こし召(め)して、やがてものも宣(のたま)はせずならせ給(たま)ひぬ。柿(かき)ひたしの汁(しる)をものゝ葉(は)につけて参(まゐ)らすれど、すべて御くちもふさがせ給(たま)ひて筋(すぢ)なければ、心誉僧都(そうづ)参(まゐ)りて、おさへてかぢ参(まゐ)り給(たま)ふに、験(しるし)ありて御くちうごかせ給(たま)へば、御湯(ゆ)などつゆばかり参(まゐ)らす。れいはさもなきに、御自(みづか)らもののけたゞいできにいでくれば、いとかたはらいたしと思(おぼ)し召(め)して、なを人(ひと)にうつさばやと宣(のたま)はすれど、そこらの僧正をあはせてののしり、かぢ参(まゐ)りて、他人(ことひと)にうつせど、なを御(おん)心地(ここち)同(おな)じやうなれば、あつまりてかぢ参(まゐ)る程(ほど)に、れいもつきならひたる女房(にようばう)に、こまつの僧都(そうづ)あらはれて、此(こ)のかぢとめよ。あなかしこ<、あやまつな。たゞひきこゑをよめよめといへば、殿(との)此(こ)のもののけのかくいふに、あるやうあらん。此(こ)のかぢ留(とど)めて、きやうなれ<と宣(のたま)はす。かくいふは正月五日なり。殿(との)いみじうせいせさせ給(たま)へば、かぢ留(とど)めて、そこらのそうひきこゑをよみたり。その程(ほど)のおどろ<しさは推(お)し量(はか)るべし。心誉僧都(そうづ)も誰(たれ)も、御もののけのたへがたげなりつるものを、たゞ同(おな)じことかぢを参(まゐ)らでと、口(くち)惜(を)しうおもふ程(ほど)に、さこそとののしり
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しかど、やがてたえいらせ給(たま)ひぬ。あさましくゆゝしなども世(よ)の常(つね)なり。よろづのものは、此(こ)の二三日の程(ほど)の御有様(ありさま)に、残(のこ)りなくなさせ給(たま)へるに、又(また)<いみじうせさせ給(たま)へどかひもなし。さべきそうたち皆(みな)まかでゝ、良海内供ばかりぞとまりて候(さぶら)ふ。上(うへ)の御はらの内供のきみ、日頃(ひごろ)御まくらがみにて、はかなき御くだもの参(まゐ)らせ給(たま)ふ、起臥(おきふし)もよろづにつかうまつり給(たま)へるなども、すべていとあさましきことなり。尼上(あまうへ)つといだき奉(たてまつ)り給(たま)ひて、ふさせ給〔へ〕り。御むねかちにちなどもはりて、いみじう哀(あは)れに見(み)えさせ給(たま)ふ。いと怪(あや)しう、所々(ところどころ)あかみなどして、うたてげにおはしますは、世(よ)の人(ひと)の有様(ありさま)にてうせさせ給(たま)ひぬるにやあらんと、哀(あは)れにゆゝしう思(おぼ)すにつけても、殿(との)も大納言(だいなごん)殿(どの)も、えみ奉(たてまつ)らせ給(たま)はず、いとあさましうこゑとてもさゝげてののしり泣(な)かせ給(たま)ふもいみじきに、御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)は十一なり、姫君(ひめぎみ)は九ばかり、たゞ此(こ)の二所(ところ)もののこころしらせ給(たま)へる様(さま)にいひつゞけなき給(たま)ふ。こと君達(きみたち)はあそびいさかひなどせさせ給(たま)ふ、哀(あは)れにこころうし。此(こ)の日頃(ひごろ)、かばかりいみじかりつるに、夢(ゆめ)にいひをかせ給(たま)ふことなかりつ。大方(おほかた)ものをいはせ奉(たてまつ)らぬ御もののけなりけり。あさましうこころうく、いみじき僧都(そうづ)のれいにはかられ給(たま)ひぬる。されどそれさべきにもあらずと思(おぼ)すにも、ゆくかたなき御(おん)心地(ここち)どもなり。なをいとおぼつかなくわびし。宣(のたま)はんことをもきかん。又(また)かみのまこと・そらごとを
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も聞(き)かんとて、左近(さこん)の乳母(めのと)泣(な)く泣(な)く御口寄(くちよせ)にいでたつに、尼上(あまうへ)もなをわれもゆかん。もし昔(むかし)の御けしきも見(み)えんに、たいめせずはいとこころうかるべしとて、忍(しの)びてものし給(たま)ふ。年(とし)頃(ごろ)睦(むつ)まじう思(おぼ)し召(め)す女房(にようばう)一人(ひとり)添(そ)へておはしまして、尼上(あまうへ)には、此(こ)の人々(ひとびと)のきぬのすそをひきかけて、おはするやうにもあらずもてなして、かうなきをば、御車(くるま)のくちのかたにのせたり。いかなることにかと心(こころ)もとなき程(ほど)に、此(こ)のかうなき、唯(ただ)なきになきて、うつゝぞ。などかくれ給(たま)ふぞと言(い)ひて、車(くるま)のしりのかたにたゞよりによりて、あはれ、いかゞし給(たま)はんずる。えつかうまつらでやみ侍(はべ)りぬること。必(かなら)ずしぬべきだうりもなかりけれと、かくなりにしかば、哀(あは)れにこころうくこそはなど、いひつゞけ泣(な)かせ給(たま)へど、はかばかしきこともなし。左近(さこん)の乳母(めのと)には、むねをかきあけて、乳(ち)飲(の)まんと宣(のたま)へば、乳母(めのと)ゝしり給(たま)へるとみるになん、なをあさましきものにこそありけれと、哀(あは)れに悲(かな)しういみじうて、泣(な)く泣(な)くかへらせ給(たま)ふそらもなしや。此(こ)のもののけの、さばかりありし折(をり)聞(き)こえけることなど、いまぞおぼしあはせて、こころうくあさましうおぼさる。かくて二三日ある程(ほど)に、前さがみのかみたかよしといふ人(ひと)参(まゐ)りて、夢(ゆめ)に見(み)え給(たま)へることこそ候(さぶら)ひつれ。なき此(こ)の御有様(ありさま)は、ひとのつかまつりたることにこそあべけれ。御帳のおましのしたなどを御覧(ごらん)ぜば、楊枝(やうじ)にしてなんをきたると見(み)え侍(はべ)るなり。誠(まこと)に楊枝(やうじ)
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候はゞ、まこととこそはしらせ給(たま)はめと申せば、いと睦(むつ)まじう思(おぼ)し召(め)す人々(ひとびと)いきてみるに、誠(まこと)にありける。さは夢(ゆめ)にもみゆるものなりけり。あさましうこころうくいみじとも疎(おろ)かなり。殿(との)と尼上(あまうへ)うちかたらひ給(たま)ひつゝ、うちなき<過(す)ぐさせ給(たま)ふ。殿(との)の御身(み)のならんやうもしらずなき惑(まど)はせ給(たま)へば、くらの命婦(みやうぶ)参(まゐ)りて、御(み)堂(だう)の御消息(せうそく)、上(うへ)のことや、よろづに聞(き)こえ慰(なぐさ)むれど、身(み)のあらばこそとのみおぼし惑(まど)ふに、御もののけなどのことも、傅の殿(との)の北(きた)の方(かた)のしわざと言(い)ひて、きぶねのあらはれなどして、いまさへさやうにいふもかたはらいたくおぼさるれば、げに此(こ)の頃(ごろ)ぞ、後(のち)悔(くや)しき大将(だいしやう)とも聞(き)こえつべし。大納言(だいなごん)殿(どの)、姫宮(ひめみや)の御ことをあさましうおぼししほり、本意(ほい)も遂(と)げなんとおぼしたりしかど、此(こ)の上(うへ)の御有様(ありさま)のくるかひありておはしつれば、よろづをおぼし慰(なぐさ)めとどこほりて、御櫛笥(くしげ)殿(どの)の大人(おとな)び給(たま)はんをみてなどおぼしゝに、かくあさましうこころうく、おぼし乱(みだ)るとも疎(おろ)かなり。かくてのみやはとて、此(こ)の月の十四日に御葬送(さうそう)あるべし。いみじながらも、只今(ただいま)ゝでは、御て〔み〕づ・御たいなど急(いそ)ぐにつけても、なごりある様(さま)にはおぼさるゝを、此(こ)ののちいとどいかにと思(おぼ)し召(め)されて、その日になりぬれば、つとめてよりこと<”あらんやは。その御急(いそ)ぎ、内(うち)にも外(と)にもある限(かぎ)りおぼし急(いそ)ぎて、又(また)もろごゑに泣(な)かせ給(たま)ふ程(ほど)、理(ことわり)にいみじや。くれぬれば、
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殿(との)の御車(くるま)に御装束す。御車(くるま)のわなどに、きぬひきなどするをみるにも、常(つね)の有様(ありさま)はかくやありしなど、いみじきことども多(おほ)かり。さて御車(くるま)よせたれば、殿(との)・大納言(だいなごん)殿(どの)・内供のきみなど睦(むつ)まじく思(おぼ)す人々(ひとびと)などしてかきのせ奉(たてまつ)り、此(こ)の度(たび)ばかりのことと思(おぼ)し召(め)せば、殿(との)の御車(くるま)に、殿(との)人のある限(かぎ)り、五位(ごゐ)十人(にん)ばかりつけさせ給(たま)ふ。御こころの内(うち)は、このあるまじきことなり。世(よ)にやんごとなきには、蔵人(くらうど)へたる人(ひと)をこそすめるに、のちのそしりありなんとおぼしながら、なを御志(こころざし)、又(また)世(よ)におはしながらへ給(たま)はましかば、御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)人(ひと)なみ<におはしまさましかば、いかにめでたき御有様(ありさま)ならましなどおぼさるゝに、何事(なにごと)もし残(のこ)させ給(たま)ふべきやうもなし。殿(との)・大納言(だいなごん)殿(どの)など、えもいはぬものを、きさせ給(たま)ひて、御車(くるま)のしりにあゆませ給(たま)ふ。べんもつかまつらんとおぼし宣(のたま)へど、御忌(いみ)の日なるにあはせて、又(また)ゆゝしうおぼして、留(とど)め奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。出(い)でさせ給(たま)ひぬるなごり、ひをうちけちたるやうに人(ひと)ごゑもせぬに、ここかしこ哀(あは)れにいみじきことどもをいひつゞけ泣(な)かせ給(たま)ふ。いみじう哀(あは)れに悲(かな)し。御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)・なかの姫君(ひめぎみ)・太郎ぎみなどぞ、ゆゝしきものは奉(たてまつ)る。大人(おとな)はさるものにて、いとちいさくてきさせ給(たま)ふ御有様(ありさま)ども、哀(あは)れにいみじうこころうきや。さてよ一夜(ひとよ)とかくしあかさせ給(たま)ひて、暁(あかつき)にかへらせ給(たま)ふ。御骨は内供のさるべき人々(ひとびと)ぐしておはす。殿(との)にはまち奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、尼上(あまうへ)
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惑(まど)はせ給(たま)ふ。同(おな)じことゝよみかきたり。哀(あは)れにゆゝしかりける正月なりや。朔日(ついたち)に、殿(との)いとのどやかに御ありきなくて、君達(きんだち)御いたゞきもちせさせ給(たま)ひて、いみじう御(おん)心地(ここち)よげに思(おぼ)すことなげなりしを、大納言(だいなごん)殿(どの)など見(み)奉(たてまつ)りけうぜさせ給(たま)ひし程(ほど)に、いつぞとおぼしわかれぬなり。世(よ)のなかばかりあさましうこころうきものぞなかりけり。いま始(はじ)めたることにはあらねど、なをいとめづらかにのみおぼさる。御忌(いみ)の程(ほど)など、いと哀(あは)れにつれ<なることども多(おほ)かり。殿(との)の御夢(ゆめ)に、ありしながらの御様(さま)にて、しろき御衣(ぞ)数多(あまた)きさせ給(たま)ひて、
@ともしびのひかりは数多(あまた)みゆれどもをぐらのやまを一人(ひとり)ゆくかな W249。
と宣(のたま)ひて、やがてうせ給(たま)ひぬと御覧(ごらん)じて、大納言(だいなごん)にかう<と聞(き)こえ給(たま)ひて、所々(ところどころ)にみあかし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。はかなく御忌(いみ)の程(ほど)過(す)ぎて、二月十八日、御ほうじ長谷(ながたに)ゝてせさせ給(たま)ふ。七僧・百僧など、その程(ほど)の御有様(ありさま)あるべき限(かぎ)りせさせ給(たま)ふ。哀(あは)れに悲(かな)しうて過(す)ぎもていぬ。かへすがへす此(こ)の御ことのあさましさを、疎(おろ)かならずおぼし惑(まど)ふ。御(み)櫛笥(くしげ)殿(どの)、御年(とし)いと若(わか)けれど、御こころふかくよろづをおぼしたる程(ほど)も、いと哀(あは)れに、行末(ゆくすゑ)推(お)し量(はか)られさせ給(たま)ひて見(み)えさせ給(たま)ふ。それにつけても殿(との)は、いとど疎(おろ)かならずこそは思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふめれ。年(とし)頃(ごろ)、殿(との)の御こころのすき<”しきことのやませ給(たま)ひて、宮々(みやみや)にももの宣(のたま)はする人々(ひとびと)あり。殿(との)の内(うち)にも、はかなくおぼしつき
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などして、上(うへ)もうちとけたる御けしきなく、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もよからぬ様(さま)に、はかなくとていひ思(おも)ひ過(す)ぎにし。さやうのたぐひにも、けしからぬ人々(ひとびと)に思(おも)ひいふべかめれと、それあべきことにもあらず。なをいと昔(むかし)もいまも、人(ひと)のこころぞこころうきものはあるや。御櫛笥(くしげ)殿(どの)の御乳母(めのと)をこそいふは、かくいふべかめれは、とかくけしからぬにつけても、ものわかやかにかろ<しからぬ人(ひと)は、出(い)でてはしりもいぬべかりし。されど、大人(おとな)になりにたれば、きゝいれぬ様(さま)にて、自(おの)づから、仏神おはすればと、こころのどかに思(おも)ひたるけしきも、又(また)をしかへし、さるべき人々(ひとびと)は、更(さら)にあべきことならずおぼされたり。唯(ただ)とてもかくてもうせ給(たま)ひぬる人(ひと)の御身一(ひと)つこそあはれなれ。今(いま)は小二条(こにでう)殿(どの)に今日(けふ)明日(あす)渡(わた)らせ給(たま)ふべしとて、もの運(はこ)びなどせさせ給(たま)ふ。年(とし)頃(ごろ)此(こ)の家(いへ)をめでたき所(ところ)とおぼして、まづかかる折(をり)渡(わた)らせ給(たま)へる。をしかへしあさましければ、何(なに)してといふことのやうにつらくあさましうおぼさるなり。登任(なりたふ)が家(いへ)にて平(たひら)かにせさせ給(たま)ふとて、殿(との)のかかゐ・御衣(ぞ)など給(たま)はせし程(ほど)、いへば疎(おろ)かにめでたかりしことぞかし。なをよろづに哀(あは)れに定(さだ)めなき世なりや。大納言(だいなごん)殿(どの)四条(しでう)の宮(みや)へ渡(わた)らせ給(たま)ふ。尼上(あまうへ)は君達(きんだち)の御有様(ありさま)のこころ苦(ぐる)しさに、いまは御行(おこな)ひにとのみ思(おぼ)せど、いとおしくてそひて渡(わた)らせ給(たま)ふ。いづれの度(たび)の御ありきにかは一(ひと)つ車(くるま)に奉(たてまつ)らざりし、此(こ)の度(たび)こそと、哀(あは)れに悲(かな)しうて、又(また)をしかへし泣(な)かせ給(たま)ふも、いと
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いみじ。後撰集(ごせんしふ)にあるやうに、
@ふるさとにきみはいかにとまちとはゞいづれの山(やま)のくもとこたへん W250。
とあるうた、此(こ)の折(をり)におぼし出(い)でさせ給(たま)ふ。殿(との)はそのまゝに御せうじんにて、御行(おこな)ひにてのみ過(す)ぐさせ給(たま)ふに、安(やす)からずけしきだちをとづれ聞(き)こゆる人々(ひとびと)数多(あまた)あれど、只今(ただいま)聞(き)こし召(め)しいれず。哀(あは)れに、月日に添(そ)へて恋(こひ)しくのみ思(おも)ひいで聞(き)こえさせ給(たま)ふこと限(かぎ)りなし。斯(か)かる程(ほど)に、二月(にぐわつ)晦日(つごもり)方(がた)に、殿(との)の御(お)前(まへ)、御(み)堂(だう)近(ちか)きわたりに御本意(ほい)におはしまして、御殿(との)ごもりたるに、人(ひと)参(まゐ)りて、にはかにおどろかし奉(たてまつ)りて、御(み)堂(だう)にひいできて候ふと申せば、殿(との)の御(お)前(まへ)、御車(くるま)にて見(み)奉(たてまつ)りあへぬまで、ものも覚(おぼ)えずまどひおはしまして御覧(ごらん)ずれば、かの長者の家(いへ)の心地(ここち)せさせ給(たま)ふ。われのみ急(いそ)ぎおはしましぬと思(おぼ)し召(め)せど、世(よ)の中(なか)の人(ひと)いつの程(ほど)にかあつまりつらん、だうの上(うへ)にかずしらずのぼりたり。みづをかけゝちののしる。そこらのひろき内(うち)にみちたり。われはたゞほとけの御(お)前(まへ)におはしまして、たすけ給(たま)へとぬかをつかせ給(たま)ふ。そこらの僧俗(そうぞく)・かずしらぬ人(ひと)、御(み)堂(だう)にしてぬかをつき、おほがねをつきて申しののしりたり。北(きた)の方(かた)には、そうばうのにし東(ひがし)とならびつくりたるが、そのそうばうよりひのいできたるなりけり。そこらの人々(ひとびと)、ひをあつしとも思(おも)へらず惑(まど)へばにや、皆(みな)はやけで、上(うへ)の御(み)堂(だう)のへだての中門までぞやけたりけれど、そこらの人々(ひとびと)、みのならんやうもしらず
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まどひつればにや、又(また)ほとけの御験(しるし)にや、にしのかぜ・南(みなみ)のかぜふきて、残(のこ)りにもつかずなりぬれば、そうばうふたつぞやけにける。これにつけても殿(との)の御有様(ありさま)を、殿(との)原(ばら)・そうたちなど、疎(おろ)かならず申し聞(き)こえ給(たま)ふ。ほとけの御験(しるし)、殿(との)の御(お)前(まへ)の御こころの内(うち)の念の程(ほど)をみせしらせんとおぼして、ほとけかみの自(おの)づからあらせ給(たま)へることに見(み)えたりなど、いみじうありがたげに世(よ)人(ひと)も申し思(おも)ひたりけり。かくて、高松(たかまつ)殿(どの)の姫君(ひめぎみ)は、六条(ろくでう)の故中務(なかつかさ)の宮(みや)の御(み)子(こ)のます宮(みや)と申す。関白(くわんばく)殿(どの)の上(うへ)の御おとうとにおはしませば、やがて殿(との)の御(み)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ、三位中将(ちゆうじやう)にしてそおはする。東宮(とうぐう)だいぶ・中宮(ちゆうぐう)だいふいとこころえず怪(あや)しきことにおはしむせびたれど、殿(との)の御(お)前(まへ)にせさせ給(たま)ふやうあるべし、せいし聞(き)こえ給(たま)はんにちからなければ、え申(まう)させ給(たま)はず、いまのだいにこれのりが家(いへ)、土御門(つちみかど)なるにてむことり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。その程(ほど)の御有様(ありさま)推(お)し量(はか)るべし。女君(をんなぎみ)こころよからぬ御けしきなれど、男君(をとこぎみ)それをもしらず、ゆけしおぼいたる様(さま)もおかし。二月晦日(つごもり)なりけり。されど三月にぞ、御露顕(ところあらはし)ありける。三日になりぬれば、所々(ところどころ)の御節供ども参(まゐ)り、今(いま)めかしきことども多(おほ)く、せいわうぼが桃花も折(を)りえりたる様(さま)おかしくて、ところどころすきもの多(おほ)く見(み)えたり。斯(か)かる程(ほど)に、一条(いちでう)の院(ゐん)の一品(いつぽん)宮(みや)、年(とし)頃(ごろ)いみじう道心ふかくおはしまして、御ざえなどはいみじかりし御筋(すぢ)にておはしませばにや、一切経(いつさいきやう)よませ給(たま)ひ、ほうもんども御覧(ごらん)じて、いさゝか女とも覚(おぼ)え
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させ給(たま)はぬ御有様(ありさま)なるに。あまにておはしまさんもかばかりの行(おこな)ひにこそはあらめなどおぼしながら、なをあひなきことなり。何事(なにごと)に障(さは)るべきぞなど思(おぼ)し召(め)しけるにや、三月ににはかにならせ給(たま)ひぬ。此(こ)の宮(みや)の内(うち)は更(さら)なり。大宮(おほみや)・東宮(とうぐう)まで聞(き)こし召(め)して、哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)し聞(き)こえさせ給(たま)ふ。さるは此(こ)の正月に、大宮(おほみや)の京極(きやうごく)殿(どの)におはしましゝに行事ありしに、宮(みや)もそこに渡(わた)らせ給(たま)ひて、御たいめありしに、いみじう哀(あは)れにものをおぼししる様(さま)の御物語(ものがたり)などありて、いまよりは内(うち)におはしますべく聞(き)こえさせ給(たま)ひて、年(とし)頃(ごろ)のおぼつかなさをくやしう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふに、かかる御ことを聞(き)こし召(め)して、哀(あは)れに口(くち)惜(を)しう思(おぼ)し召(め)す。殿(との)の御(お)前(まへ)急(いそ)ぎ参(まゐ)らせ給(たま)ひて、よろづあはれなることを、かへすがへす聞(き)こえさせ給(たま)ふ。故院(ゐん)もかやうにてぞおはしまさんものとぞ思(おぼ)し召(め)したりしかし。よはひひさしとても、いくばく侍(はべ)るべきわざならず。いまはたゞほとけにならせ給(たま)ふべきなり。げんぜごしやうめでたきことなり。波斯王むすめこころをおこせる、人(ひと)もをしへず。髪(かみ)を削(そ)ぎしに、誰(たれ)かはをしへすゝめし。ありがたく、昔(むかし)のこと覚(おぼ)えたる御こころをきてなり。よに侍(はべ)る人(ひと)はよろづにつけて、つみをなんつくり侍(はべ)る。ましてこなど侍(はべ)らば、いとこそもの思(おも)ひわざに侍(はべ)りけれ。女房(にようばう)たちまめによく<つかうまつり給(たま)へなど、哀(あは)れにこまやかに聞(き)こえさせ給(たま)ひて、出(い)でさせ給(たま)ひぬ。帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)はとかく仰(おほ)せらるともせいし申すべきにも侍(はべ)らぬ
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に、こころうくえしり侍(はべ)らでと、いみじうなき給(たま)ふ。大宮(おほみや)よりも殿(との)よりも、御さうぞく奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。宮(みや)より東宮(とうぐう)大夫殿(どの)の中姫君(なかひめぎみ)まだ幼(をさな)くおはせし折(をり)より、とり放(はな)ち養(やしな)ひ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける程(ほど)に、今年(ことし)は九ばかり(に)ぞならせ給(たま)ひにける。此(こ)の殿(との)の御有様(ありさま)を、いみじう口(くち)惜(を)しうこころ細(ぼそ)く思(おぼ)し召(め)したり。それにしたがひて、だいぶ殿(どの)のなげかしう思(おぼ)すべし。かくてやまのざす院源(ゐんげん)召(め)して、御かいうけさせ給(たま)はんとて、その御用意(ようい)あり。御しつらひなどもとの根なれば、をしかへしさるべき様(さま)の御くとも、宮司(みやづかさ)急(いそ)ぎつかうまつる。御帳より始(はじ)めあらためさせ給(たま)ふ。一条(いちでう)の院(ゐん)よろづにし奉(たてまつ)らせ給(たま)へりし。何(なに)の御調度(てうど)ゞもゝ、皆(みな)此(こ)の姫君(ひめぎみ)の御れうにととかをためさせ給(たま)ふ。大宮(おほみや)もいかでとおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。みちの御車(くるま)なれば、さやうにしておはしまさん折(をり)は、同(おな)じこころにておぼつかなからずおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ひける。よにあらまほしき御有様(ありさま)にておはしませば、さるべき人々(ひとびと)なども、皆(みな)志(こころざし)参(まゐ)るべき様(さま)になん侍(はべ)る。さるは御年(とし)なども、まだいと若(わか)くおはしましけれども、げに同(おな)じくはとばかり、行末(ゆくすゑ)をかねて思(おぼ)し召(め)すこと、哀(あは)れにめでたくなんとぞ。