栄花物語詳解巻二十
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〔栄花物語巻第二十〕 御(おほん)賀(が)
治安(ぢあん)三年(さんねん)十月十三日、殿(との)の上(うへ)の御(おほん)賀(が)なり。土御門(つちみかど)殿(どの)を日頃(ひごろ)いみじうつくりみがゝせ給(たま)へれば、常(つね)よりも見所(みどころ)あり、おもしろきこと限(かぎ)りなし。はるあきのはなのにほひその盛(さか)りならねど、心々(こころごころ)の前栽(せんざい)のしもがれ、山(やま)の紅葉(もみぢ)いろをつくしたるもことさらめき、わざとつくりたてさせ給(たま)へらんやうに見(み)えたり。庭(には)の砂子(すなご)などもほかのには似(に)ず見(み)ゆ。其の日になりぬれば、大宮(おほみや)・督(かん)の殿(との)はやがておはします。日の麗(うらゝ)かにさし出(い)でたるほどに皇太后宮(くわうだいこうくう)渡(わた)らせ給(たま)ふ。御こしとあれど、一品(いつぽん)の宮(みや)の奉(たてまつ)らぬかあしければ、からの御車(くるま)にて渡(わた)らせ給(たま)ふ。二(ふた)所(ところ)奉(たてまつ)りて、五の御方(かた)つかうまつらせ給(たま)へり。女房(にようばう)の車(くるま)多(おほ)からず、十五ばかりぞある。袖口(そでぐち)きぬの重(かさ)なりたるほど、浦(うら)の浜木綿(はまゆふ)にやあらん、幾重(いくへ)と知(し)りがたし。かくて渡(わた)らせ給(たま)ひぬるほどに、さしつゞき中宮(ちゆうぐう)おはします。それは御こしにて、内(うち)より出(い)でさせ給(たま)ふ。御供(とも)の女房(にようばう)さきの車(くるま)の如(ごと)し。御(お)前(まへ)達(たち)のおはします所(ところ)寝殿(しんでん)の内(うち)に、各(おのおの)御ちしきよそひて御しとね参(まゐ)りつゝ、三宮・一品(いつぽん)の宮(みや)督(かん)の殿(との)おはします。次(つぎ)に又(また)少(すこ)しひきのけて、上(うへ)の御前(おまへ)の御れうよそひ
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たり。御しやうぞくつかうまつる殿上人(てんじやうびと)・宮人(みやびと)、みつる有様(ありさま)をおもひ参(まゐ)らするに、おはしましてなみゐさせ給(たま)へらむ御有様(ありさま)聞(き)こえさせん方(かた)なく、思(おも)ひやるにめでたし。上(うへ)の御方(かた)の女房(にようばう)先々(さきざき)は宮(みや)の女房(にようばう)にをとらぬさまのしやうぞくを、上(うへ)の御(お)前(まへ)などなまかたはらいたく思(おぼ)し召(め)すに、今日(けふ)は所(ところ)え、うけはりさうすきたるも、理(ことわり)に見(み)え、おかし。大宮(おほみや)の女房(にようばう)は、寝殿(しんでん)のみなみ面(おもて)、にしのわだ殿(どの)かけてうちいでたり。皇太后宮(くわうだいこうくう)のはみなみのたいの東(ひんがし)面(おもて)なり。殿(との)の上(うへ)の御方(かた)は寝殿(しんでん)の東(ひんがし)面(おもて)、中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)は東(ひんがし)の対(たい)のにし面(おもて)、督(かん)の殿(との)の御方(かた)の女房(にようばう)、東(ひんがし)のにしみなみかけてうちいだしたり。御かたがたの女房(にようばう)のこぼれいでたるなりども、ちとせのまがきのきくどもをにほはし、よもの山(やま)の紅葉(もみぢ)のにしきをたち重(かさ)ね、すべてまねふべきにもあらず。色々(いろいろ)の織物(おりもの)・にしき・からあやなど、すべていろをかへてをつくしたり。袖口(そでぐち)にはしろがね・こがねのをきくち、縫物(ぬひもの)・らてんをしたり。御几帳(きちやう)ども色々(いろいろ)様々(さまざま)なり。此(こ)の宮(みや)あの宮(みや)の、同(おな)じいろ一(ひと)つさまにもあらず、聞(き)こえさせあはせ給(たま)へらんやうに見(み)えて、さまかはりたるいみじうめでたし。しきしまやこころのことゝは見(み)えず、こま・もろこしにやとまでぞ見(み)えける。殿(との)の有様(ありさま)、なかじまなどの大ぼくみなもえにしのちはいとこよなけれども、今(いま)おひいでうへさせ給(たま)へるに、木(き)ども・前栽(せんざい)などは、今(いま)少(すこ)し生(お)ひ行末(ゆくすゑ)頼(たの)もしげ見(み)えたり。此(こ)の頃(ごろ)はなつかしう今(いま)めかしくおかしきこと、四しやくの屏風(びやうぶ)のゑめきたり。それだに、為氏(ためうぢ)・つねのりなど
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が書(か)きたるは、古体(こたい)なるべし。弘高(ひろたか)・頼祐(よりすけ)などが書(か)きたらんは、なをあかぬ所(ところ)ありぬべし。これはいみじうこそおもしろけれ。所々(ところどころ)のくさ前栽(せんざい)うちしもがれていかにぞやあるに、ひと本菊(もとぎく)・村菊(むらぎく)などの、あるは盛(さか)りに、あるはうつろひたる。又(また)はなのなきほどなればにや、今日(けふ)はいとどあひしさまさりぬべし。きゞの紅葉(もみぢ)も、おりしりめでたきにみどりのまつに、つたの紅葉(もみぢ)のめでたうかかりたるに、まゆみのえもいはずてりてをしはりいでたるも、今(いま)少(すこ)し近(ちか)うて、みまほしげなり。にはゝはる<として、はしたてのすなごなどのやうにきらめき見(み)えたり。所々(ところどころ)の幄舎(あげばり)・屏幔(へいまん)などのいろけざやかに、つなのいろおどろ<しきまで、あかう見(み)えたるほどなど、けたかうめでたし。人々(ひとびと)のいそがしきけはひのかぜに、きゞの紅葉(もみぢ)の少(すこ)しちりて、御(お)前(まへ)のいけにうかひ流(なが)れたるも、かのかうめいのいけのみづのはるあきのいろ流(なが)れかはるらんもかくやと見(み)えたり。いせがちりかかるをやくもるといふらんと、よみたりけんも覚(おぼ)え、はたばりひろきにしきとやと観教ほつけうのよみたりけんなどにぞ、まつ思(おも)ひよそへられける。御(お)前(まへ)近(ちか)きやりみづはきよくすずしくすみて、わうかのみづのすみ始(はじ)めたるにやと、行末(ゆくすゑ)はるかに見(み)えたり。よろづのこと六十せさせ給(たま)へるに、そうも六十人(にん)をえらび召(め)したり。御屏風(びやうぶ)のうたあたらしうよませ給(たま)はす。古(ふる)きがのうたをかかせ給(たま)へり。侍従(じじゆう)大納言(だいなごん)いみじう書き給(たま)へらんも、すゞろにえましう
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思(おも)ひやらる。かくてこと始(はじ)まりぬれば、そうがうは寝殿(しんでん)のみなみのひさし、ぼんそうは東(ひんがし)のわたり殿(どの)に候(さぶら)ふ。様々(さまざま)のことどもあるべき限(かぎ)りにて、ふねのがく、りやうどうげきすこぎいでたり。此(こ)のよのことと見(み)えず、いみじうめでたし。ことどもはつるきはに、まんざいらく、家(いへ)の子(こ)の君達(きんだち)、舞人(まひびと)にて四人(にん)舞(ま)ひ給(たま)ふ。左衛門(さゑもん)のかうの御(おん)子(こ)のうまのかみかねふさのさきそつの御(おん)子(こ)の四位(しゐ)の少将(せうしやう)つねすけ、同(おな)じ兄君(あにぎみ)蔵人(くらうど)の少将(せうしやう)よしよりは、帥(そつ)中納言(ちゆうなごん)の御(おん)子(こ)の源(みなもと)の少将(せうしやう)さねもとがさゝれたりつるが、にはかに悩(なや)むことありて、えまはずなりぬるかはりにめされたるなりけり。かたては源(みなもと)の大納言(だいなごん)の御(おん)子(こ)のうこんの少将(せうしやう)あきもと・皇太后宮(くわうだいこうくう)ごん大夫(だいぶ)の御(おん)子(こ)のさこんの少将(せうしやう)すけふさ・ともたふの源(みなもと)の宰相(さいしやう)の御(おん)子(こ)うこんの少将(せうしやう)もろよし・こんゑのかみなりまさの朝臣(あそん)子うまのすけみちなりなどなり。すけみちは蔵人(くらうど)の侍従(じじゆう)、五位(ごゐ)にてまふべきを、侍従(じじゆう)は衛府(ゑふ)ならねば、にはかにむまのすけにはなさせ給(たま)へるなりけり。かざしのはなども、しろがね・こがねのきくのはなをつくりて、此(こ)の君達(きんだち)みなかざしたり。そのなかにも、よしなり・すけみちなどは蔵人(くらうど)なれば、むらぎくをおりたるふたへ織物(おりもの)のうゑの袴(はかま)ともを心(こころ)ばへ同(おな)じさまなれど、色(いろ)・をりさまかはりて、おかしう見(み)えたり。殿(との)原(ばら)・殿上人(てんじやうびと)の寝殿(しんでん)の御(お)前(まへ)のにはにひらはりにみなつき給(たま)へり。ことどもはつるきはに、つねみちの右兵衛(うひやうゑ)のかうのれうわうまふ。いみじう美(うつく)しくおかしきほどに、寝殿(しんでん)にかくれゐさせ給(たま)ひて御覧(ごらん)じけるを、高欄(かうらん)の際(きは)に出(い)で
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ゐさせ給(たま)ひて、もてはやし御覧(ごらん)じけうぜさせ給(たま)ふ。さるべき人々(ひとびと)みなものぬぎ給(たま)ふに、また東宮(とうぐう)のだいぶ殿(どの)のすまひ君(ぎみ)、らくそむまひいで給(たま)へる。此(こ)のきみ始(はじ)めのよりはちいさうおはするに、おれかへりまひ給(たま)ふほど、そこらひろきにはに人(ひと)とは見(み)え給(たま)はで、鳥(とり)などの翔(かけ)るらんやうに見(み)え給(たま)へば、内(うち)にもとにもいみじうもてはやしけうぜさせ給(たま)ふに、殿(との)の御(お)前(まへ)おい法師(ほふし)のきぬのいろはゆゝしけれどとて、上(うへ)にひのあこめの御衣(ぞ)ひと重(かさ)ねをぬがせ給(たま)ひて、かづけ奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、此(こ)のきみの御まひのし、うこんのしやうげんまさかたうちかづきて、いとどもてはやしまはせ奉(たてまつ)れば、関白(くわんばく)殿(どの)立(た)たせ給(たま)ひて、東(ひんがし)の対(たい)のみなみのすのこにて御衣(ぞ)をぬがせ給(たま)ふに、御あせにつきてえぬがせ給(たま)はねば、これかれ参(まゐ)りてとかくひき放(はな)ち奉(たてまつ)れば、さらにぬがれねば、たゞあこめの御衣(ぞ)の袖(そで)をひききりて、もていきてかづけたれは、此(こ)の御衣(ぞ)の袖(そで)にかしらをさしいれて、くびにかけて、ありつる御衣(ぞ)をば肩(かた)にかけて落(おと)さで舞(ま)ふ程(ほど)、さいへどこちゝよしもちがことはあめりと、殿(との)原(ばら)けうじ宣(のたま)はせて、そこらの殿(との)原(ばら)御衣(ぞ)をぬがせ給(たま)へば、みなはえかづきあへねば、たゞ此(こ)のきみのまひ給ふ所(ところ)のにはにぬぎあつめさせ給(たま)へれば、このもとに色々(いろいろ)の紅葉(もみぢ)のちりつもりたると見(み)えて、いみじうおかし。まさかたあまりになりて、し扱(あつか)ひにためり。こ女院(にようゐん)の御(おほん)賀(が)、此(こ)の殿(との)にてせさせ給(たま)ひしに、此のまひどもは関白(くわんばく)殿(どの)とたうくうの大夫(だいぶ)とぞまはせ給(たま)ひし。みやうごねん、
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殿(との)の御(おほん)賀(が)に、ないだいじん殿(どの)の君達(きんだち)ぞまはせ給(たま)はん。此(こ)の度(たび)はちいさうおはしませばなめりなど申して、なまおいたる人(ひと)は涙(なみだ)もをちけり。やう<夜にいるほどに、上達部(かんだちめ)みなみのすのこに参(まゐ)りてあそび給(たま)ふ。ひるのがよりも、これはおもしろきこと限(かぎ)りなし。月もとく出(い)でてはるかにみやらるゝに、所々(ところどころ)のはしらまつ、てまたことにともしたるなどいみじうあかきに、また殿(との)原(ばら)の御かはらけも数多(あまた)度(たび)なれば、さかづきのひかりも。さやかにみゆるほどに、△△△△△△△△△△△△△△△△△四条(しでう)大納言(だいなごん)
@よろづよと今日(けふ)ぞ聞(き)こえんかたがたにみやまのまつのこゑをあはせて W240
△△△△△△△△△△△△△△△△△殿(との)の御(おほん)まへ
@ありなれし契もたえでいま更にこころけかじにちよといふらん W241
△△△△△△△△△△△△△△△△△小野宮(をののみや)うだいじん
@ひなづるのおりゐる山(やま)をみつるかなこれやちとせの例(ためし)成らん W242
△△△△△△△△△△△△△△△△△関白(くわんばく)のさだいじん
@きみがためちよやへ重(かさ)ねきくのはな行末(ゆくすゑ)とをく今日(けふ)こそはみれ W243
△△△△△△△△△△△△△△△△△ないだいじん
@かぞふればまだ行末(ゆくすゑ)ぞはるかなるちよをかぎれる君がよはひは W244
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△△△△△△△△△△△△△△△△△中宮(ちゆうぐう)の大夫(だいぶ)
@えだしげみかたがた祈(いの)るちよなればときはのまつもいとどのどけく W245
△△△△△△△△△△△△△△△△△侍従(じじゆう)大納言(だいなごん)
@珍(めづら)しき今日(けふ)のまとゐは君がためちよにやちよにただかくしこそ W246
△△△△△△△△△△△△△△△△△東宮(とうぐう)の大夫(だいぶ)
@むらさきのくものなかよりさしいづる月の光ぞのどけかりける W247
△△△△△△△△△△△△△△△△△東宮(とうぐう)ごん大夫(だいぶ)
@今日(けふ)はさは残(のこ)りひさしきよろづよのかずしりそむる始(はじ)めなりけり W248。
これよりしもは、よふけぬれば、留(とど)めつ。上達部(かんだちめ)の御禄(ろく)の有様(ありさま)なん、暗(くら)ければえ見(み)えねど、闇(やみ)の夜(よ)の錦(にしき)かやとなん。薫(かをり)はかくれなきわざなれば、えもいはずしみかへりたり。いまは宮々(みやみや)かへらせ給(たま)ふ。御有様(ありさま)どもよそほしう、あまりに見(み)えさせ給(たま)ふ。いつも物のめでたきなかに、さはこれを御(おほん)賀(が)とはいふにこそありけれ。これをめでたきものの例(ためし)にはいひかたるべし。さきざきの昔(むかし)の御(おほん)賀(が)どもゝ、いとかくしもやとぞ推(お)し量(はか)らる。そののち殿(との)の御(お)前(まへ)、七大寺めぐりにありかせ給(たま)ふ。様々(さまざま)に御こころのいとまもおはしまさぬに、御有様(ありさま)のつきもせぬを、よの例(ためし)にかたりつゞけ、かきをくべきにやと見(み)えさせ給(たま)ふ。されどかやうのおり参(まゐ)り見るには、こころあはただしうて、その
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よし確(たし)かに見覚(おぼ)えがたう、またをとばかりに伝(つた)へきく人(ひと)は、まいていかでかはとかきつけかたけことどもなれど、たゞ片端(かたはし)ばかりをだにとてある、ものまねびなるべし。いみじうあはれなりけることは、のちにきゝしかば、源(みなもと)の少将(せうしやう)さねもとのきみは、此(こ)の舞人(まひびと)にさゝれ給(たま)へりけるが、身(み)にものゝ熱(ね)してえ舞(ま)はざりしかば、良頼(よしより)の君(きみ)をさし代(か)へさせ給(たま)へりける。かのつくしにそつの中納言(ちゆうなごん)、此(こ)の十二日よりにはかにいみじう煩(わづら)ひ給(たま)ひて、あはれ、われ今日(けふ)しぬるをしらで、明日(あす)少将(せうしやう)は御(おほん)賀(が)にまひかなでんとすらんと、度々(たびたび)宣(のたま)ひて、その日のくれにうせ給(たま)ひにけり。親子(おやこ)の契(ちぎ)りあはれなること、かのきみの煩(わづら)はてさやうにものし給(たま)はましかば、いかにいとをしからましと、いみじく哀(あは)れにこそきゝ侍(はんべ)りしか。