栄花物語詳解巻十九
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〔栄花物語巻第十九(じふく)〕 御着裳
四月には、枇杷(びは)殿(どの)、一品宮の御裳著(もぎ)とて、春(はる)よりよろづに急(いそ)がせ給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)御物具(ものゝぐ)ども、えもいはず整(ととの)へさせ給(たま)ふ。なべてならぬ御事どもをおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。御もすそのこしは、大みやゆひ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふべければ、このみやはさらにもいはず、かのみやの女房(にようばう)のしやうぞくなど、三日のほどいみじき御急(いそ)ぎなり。ぢあん三年(さんねん)四月一日ぞ奉(たてまつ)りける。その日のつとめて土御門(つちみかど)殿(どの)へ渡(わた)らせ給(たま)ふべきなり。一品宮の御乳母(めのと)達(たち)、何(なに)わざをせんと急(いそ)ぎたちたり。御乳母(めのと)などはものまめやかに大人(おとな)しうすべけれども、からぎぬ・物ごしなど、山(やま)を立(た)て、水(みづ)を流(なが)し、置口(おきぐち)をし、螺鈿(らでん)・蒔絵(まきゑ)をし、筋(すぢ)をやり、玉(たま)を入(い)れ、すべてえもいはぬことどもをしたり。若(わか)き人々(ひとびと)はたまひて物ぐるをしきまで心(こころ)のまゝにしたり。大みやには、姫宮(ひめみや)の御おくりものや何(なに)やと、よろづにかきあつめ急(いそ)がせ給(たま)ふ。ある限(かぎ)りの女房(にようばう)、おぼろげならぬはみなつかうまつるとしなどおひ、宮仕(みやづか)へ物うくて里(さと)にゐたるは、此(こ)の頃(ごろ)御(お)前(まへ)のまめわさに参(まゐ)りなん候(さぶら)ひける。晦日(つごもり)の日のよさり、さるべき女房(にようばう)参(まゐ)り
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こむ。又(また)一日の暁(あかつき)などにぞ参(まゐ)りあつまりける。土御門(つちみかど)殿(どの)の西(にし)対にぞうへき御しやうぞくなどはつかうまつらせ給(たま)ふ。つねのたにあるを、この度(たび)はまいて御調度(てうど)ともをもて参(まゐ)りつかうまつれば、えもいはずあたらしう耀(かかや)けり。殿上人(てんじやうびと)・宮人(みやびと)参(まゐ)りこみてゆすれば、けにいみじき見もの也。女房(にようばう)よろづをし整(ととの)へ、今はたゞかほ一(ひと)つを磨(みが)き騒(さわ)ぐほどに、御(お)前(まへ)に、はちうぐうより、かんのとのより、関白(くわんばく)との内(うち)大とのよりなど、いみじうたま<なるおゝんころもばこどもに、御しやうぞく一具(ひとぐ)づゝに、御扇(あふぎ)や薫(たき)物など、さべき様(さま)にて皆(みな)添(そ)へさせ給(たま)へり。御使(つかひ)ども、御(おほん)かへりなど騒(さわ)がしきにまぎれてなし。ゐんよりもえならずせさせ給(たま)へり。うたどもあれど、いたし車(くるま)どもみなゐて参(まゐ)りて、殿(との)原(ばら)参(まゐ)りあつまり給(たま)へれば、騒(さわ)がしう、え御覧(ごらん)じわかぬなるべし。式部(しきぶ)卿(きやう)のみや・中務(なかつかさ)のみやより様々(さまざま)いみじきあふぎどもぞあめる。女房(にようばう)の数(かず)、大人(おとな)若(わか)きなどのきさめ、みなおぼええりあつめさせ給(たま)へり。かかる公(おほやけ)ごとは。さるものにて、各(おのおの)あつめらるゝものどもは、なか<まさざまにて、それをもたる人(ひと)もありけり。人(ひと)との御心(こころ)の限(かぎ)りは急(いそ)がせ給(たま)へども、御身(み)をゆゝしきものに思(おぼ)し召(め)して、えおはしまし見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はぬまゝに、関白(くわんばく)殿(どの)を、其(そ)のことをかのことゝせめ聞(き)こえさせ給(たま)へば、つとめてみやに参(まゐ)らせ給(たま)ひて、女房(にようばう)のこととく<ともよほさせ給(たま)ひて、ときなりぬれば、かの土御門(つちみかど)殿(どの)の御しやうぞくのこと、見(み)奉(たてまつ)らんとて急(いそ)ぎ出(い)でさせ給(たま)ひ
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ぬ。殿(との)原(ばら)みな参(まゐ)り給(たま)ひて、とのもおはしましにたり。うの時とありつれど、たつのときばかりに渡(わた)らせ給(たま)ふ。大みやは御こしにておはしますべけれど、一品
の宮(みや)の異(こと)に奉(たてまつ)らんかひなければ、唐の御車(くるま)にておはします。御車(くるま)にみやの御(お)前(まへ)・一品宮奉(たてまつ)りて、五の御方(かた)つかうまつり給(たま)へり。次々(つぎつぎ)の御車(くるま)十五あり。車(くるま)の有様(ありさま)いふかたなし。えもいはず耀(かかや)きたり。御供(とも)に関白(くわんばく)殿(どの)・内大臣(ないだいじん)殿(どの)を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、いみじう多(おほ)くつかうまつらせ給(たま)へり。殿上人(てんじやうびと)さらにもいはず、奉(たてまつ)りたる御車(くるま)になべての人(ひと)つかうまつらず、たゞみやの侍(さぶらひ)どもつかうまつれり。両宮(ふたみや)の侍(さぶらひ)の長(おさ)ども歩(あゆ)み連(つ)れつかうまつれり。土御門(つちみかど)殿(どの)・枇杷(びは)殿(どの)の遠(とを)からぬ程(ほど)なれど、さすがに麗(うるは)しう装束(さうぞ)きて、古(ふる)きくつをはきつゝつかうまつれり。それもやんごとなからねど、皆(みな)四位(しゐ)・五位(ごゐ)の子(こ)どもにて、皆(みな)面(おもて)赤(あか)み恥(は)づかしう思(おも)へり。この御供(とも)の人々(ひとびと)の見給見るをばさるものにて、みちの物見車(ぐるま)などのいと多(おほ)かるが見(み)るぞ、いとわびしかりける。土御門(つちみかど)殿(どの)には大みやおはしませば、御車(くるま)は陣(ぢん)より舁(か)き下(おろ)して、手引(てひき)にて入(い)らせ給。下(お)りさせ給所(ところ)には、関白(くわんばく)殿(どの)内大臣(ないだいじん)殿(どの)立(た)ちそひて、下(おろ)し奉(たてまつ)らせ給(たま)ひけり。今日(けふ)は枇杷(びは)殿(どの)の女房(にようばう)。色々(いろいろ)をきたり。それに摺裳(すりも)のさまともなれど、みな様々(さまざま)なり。大みやの女房(にようばう)、寝殿(しんでん)のみなみよりにしまで、うちいだしたり。ふじ十人(にん)、うのはな十人(にん)、つゝじ十人(にん)、款冬(やまぶき)十人(にん)ぞある。いみじうおどろ<しうめでたし。枇杷(びは)殿(どの)
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ゝみやの女房(にようばう)は、西(にし)の対のひんがし面(おもて)みなみかけてうちいだしたり。てんじやうは、寝殿(しんでん)のひんがし面(おもて)より、みなみ四まかけてみやの御方(かた)もふだん御どくきやうのざに。忍(しの)びておはします。かくてよろづの儀式(ぎしき)に日くれぬれば、殿(との)の御方(かた)よりときなりぬと度々(たびたび)御消息(せうそく)あり。有べきやうは、寝殿(しんでん)におはしませば、そなたにぞまらうとのみやの御方(かた)は渡(わた)らせ給(たま)ふべけれと、西(にし)の対(たい)の御しつらひの玉をみがゝせ給(たま)へるを、御覧(ごらん)ぜさせんの〔御心(こころ)にて、殿の御前の御定(さだ)めのままなるべし、大宮(おほみや)西(にし)の対(たい)に渡(わた)らせ給(たま)ふべければ、皇太后宮(くわうだいこうくう)は中の渡(わた)殿(どの)より通らせたまひて、寝殿(しんでん)へ渡(わた)らせたまひて御迎へあり。この度(たび)はもろともに二宮うちつづきて渡(わた)らせ給(たま)ふほど、あなめでたと見(み)えさせ給(たま)ふ。皆(みな)御裳、小袿など奉(たてまつ)りたり。御髪ひともと上げさせたまへり。いへば疎(おろ)かなり。御有様(ありさま)ども絵にかかまほし。かくて渡(わた)らせたまひて、御しつらひを御覧(ごらん)ずれば、藤の裾濃の織物(おりもの)の御几帳(きちやう)に、折枝を繍ひたり。紐は村濃の唐組なり。御帳同(おな)じさまなり。御屏風(びやうぶ)などいみじうめでたし。わが御有様(ありさま)をこそ限(かぎ)りなしと思し召(め)しつれ、この度(たび)の御調度(てうど)どもめづらかにいみじう御覧(ごらん)ぜらる。御几帳(きちやう)・御屏風(びやうぶ)の骨などにも、みな螺鈿・蒔絵をせさせたまへり。五尺は本文を書かせたまへり。色紙形に、侍従(じじゆう)大納言(だいなごん)、其(そ)の詞ども草仮名にうるはしう書きたまへり。四尺は唐の綾を張らせたまひて、色紙形に、薄■にて、同(おな)じ人(ひと)草に書きたまへり。
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下絵に栄えたる御手、すべて〕御いとなみいはんかたなくおかしげなり。からにしきをへりにしたり。御ぐどもの、蒔絵(まきゑ)・螺鈿(らでん)のひま<”に。たまをいれさせ給(たま)へり。大方(おほかた)えまねびつくさず。みすのへりにはあをき大もんのをり物をぞせさせ給(たま)へる。御となぶらのほのかなるに、姫宮(ひめみや)いとねふたげにおはしますに、殿(との)の御方(かた)より、とき過(す)ぎぬべしとのみ。申(まう)させ給(たま)へば、大みやの御乳母(めのと)の典侍(ないしのすけ)、御となぶら近(ちか)うとりよせて、うかゞひ給(たま)へば、大みやの御(お)前(まへ)、姫宮(ひめみや)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。いみじう美(うつく)しげに、御(み)髪(ぐし)の。かかりたるほど、なべてならず。めでたう見(み)えさせ給(たま)ふ。ひいななどをつくりたてたるはおかしげなれど、たをやかならねば口(くち)惜(を)し。ゑはめでたうかきたれど、ものいはず、うごかねばかひなし。これはひいなどもゑとも見(み)えさせ給(たま)ふ物から、らうたけに美(うつく)しうなまめかしう。にほはせ給(たま)へれば、御めほかへやらせ給(たま)はず見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)達(たち)など近(ちか)うはえ参(まゐ)らず、みな御几帳(きちやう)・御屏風(びやうぶ)などのうしろに候。いまはしろき御衣(ぞ)とも奉(たてまつ)りかへて、御(み)髪(ぐし)あげに、べんの宰相(さいしやう)の典侍(ないしのすけ)参(まゐ)り給(たま)ふ。近江(あふみ)の三位ぞ参(まゐ)るべければ、この一品宮の御かつけに参(まゐ)りたりしかば、御乳母(めのと)の数(かず)に入(い)りて候(さぶら)ひ給(たま)へば、それは珍(めづら)しげなくてめさぬなりけり。典侍(ないしのすけ)見(み)奉(たてまつ)るに、美(うつく)しうおはしませば、めでたう見(み)奉(たてまつ)る。大みや、東宮(とうぐう)をこそきよらにおはしますと思(おぼ)し召(め)しけるに、これはいとこまかに美(うつく)しう、明(あ)け暮(く)れ我物にて見(み)奉(たてまつ)らはやとのみ
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思(おぼ)し召(め)されけり。典侍(ないしのすけ)、只今(ただいま)の御有様(ありさま)な〔か〕らうへにならひ聞(き)こえさせ給(たま)へらば、いかにひいなあそびのやうにておかしうおはしまさんとけいすれば、宮々(みやみや)笑(わら)はせ給(たま)ふ。かくて御髪(ぐし)上(あ)げさせ給へる御火影(ほかげ)、似(に)るものなくめでたくうつくしう
おはします。御腰(こし)結(ゆ)はせ給(たま)ひて、いとねぶたげなる御けしきなれば、かくて御もすそきせさせ給(たま)へれば、よふけて明日(あす)もとてかへらせ給(たま)ふ。又(また)〔こ〕のみやの御をくりにおはします。御贈(おく)り物(もの)にえもいはずめでたき御よそひのなかにも、色々(いろいろ)のをり物・あやうす物などいつへ重(かさ)ねて、たゝおしまきつゝ、きぬのたけなるひつともにいれつゝ、えもいはずし重(かさ)ねたるさままきゑをきくちにはさまかはり珍(めづら)しうおかしげなる十ばかりにいれさせ給(たま)へるほど、もゝまきばかりのみはあるまし。いまの世(よ)のしきし八帖とあれば、これはいにしへのしきしのいろめでたきやうに見(み)えて、様(さま)殊(こと)にめでたくぞありける。御(お)前(まへ)の物など、すべてちん・すわう・したんのをしきに、しろがねこがねの御さらどもを、れいのやうにはあらで、御かけばんの面(おもて)を海(うみ)の心地(ここち)にして、やまのやうにすはまのかたにつくりて、様々(さまざま)のものどもをもりたり。しろがね・こかねしてせさせ給(たま)へり。大みやの御(お)前(まへ)には、てもふれて、み物にて、御(み)厨子(づし)のかみになみすゑさせ給(たま)へり。御(み)髪(ぐし)あげの典侍(ないしのすけ)のこよひのつぼねえもいはず。やがてしつらはせ給(たま)へる、ものどもたまはせ贈(おく)り物(もの)にはてばこふたつ、女(をんな)のしやうぞくふたくだりづゝ、さるべき物どもそへさせ
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給(たま)へり。こよひのものやがて給(たま)ひたるつぼねには屏風(びやうぶ)・几帳(きちやう)・二階(かい)・すゝりのはこ一人(ひとり)たゝみまで、残(のこ)りなう給(たま)はる。かかる事自(おの)づからさき<”もありしかど、この度(たび)の御(み)髪(ぐし)あげの典侍(ないしのすけ)宣(のたま)はり給(たま)へるやうなる。例(ためし)はなくやとぞ人々(ひとびと)申しける。大みやの女房(にようばう)、みやじ、下仕(しもづかへ)まで、かづけもの、こしさしほど<につけて、様々(さまざま)給(たま)ふ。くひもの、はたさらにもいはず。うちより大みやの御(お)前(まへ)に御消息(せうそく)あり。一品のみやの御乳母(めのと)三人(にん)、かかい給(たま)はせたるなりけり。御つかひに大みやよりろく給(たま)はす。まらうとのみやの御方(かた)より、れいに添(そ)へてめでたうおほえ給(たま)ふ。べんの乳母(めのと)・命婦(みやうぶ)の乳母(めのと)・中将(ちゆうじやう)の乳母(めのと)なり。大との聞(き)こし召(め)して、あらまほしうめでたう思(おぼ)し召(め)しよらせ給(たま)ひける御心(こころ)かなと忝(かたじけな)う美(うつく)しう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、物忌(ものいみ)もせさせ給(たま)はずなりにけり。又(また)の日、大みやの御方(かた)の女房(にようばう)、からなでしこのきぬ。まらうとの御方(かた)はやへやまぶきをおりたれは、ひとへにおかしう見(み)えたり。三日はおはしますべけれ共、日ついてのあしければ、二日のよさりかへらせ給(たま)へば、一品宮の御贈(おく)り物(もの)に、しろがね・こがねの御はこどもに、つらゆきが。てづからかきたるこきん廿くわん、御(み)子(こ)ひだりのかき給(たま)へるごせん廿くわん、たうふうがかきたるまんようしうなどをぞ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける、世(よ)になうめでたきものどもなり。円融(ゑんゆう)の院(ゐん)より一条(いちでう)の院(ゐん)〔に〕わたりたりける物ども
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なるべし。世に又(また)たぐひあるべきものにもあらずなん。さて上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)あそび暮(くら)し給(たま)ひて、よさりはやがて御供(とも)つかうまつり給(たま)ふ。きのふの御禄はさる物にて、今日(けふ)の御供(とも)の人々(ひとびと)、大みやの御乳母(めのと)を始(はじ)めて、かづけものをくらせ給(たま)ふ。上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)・みやのだいぶを始(はじ)め奉(たてまつ)りて、女房(にようばう)までにみなものかづけさせ給(たま)ふ。情(なさけ)を交(かは)しめ、めでたうかひある御なからひなり。枇杷(びは)殿(どの)にも御まうけ、いみじうつかうまつりたれば、御をくりの上達部(かんだちめ)など、暫(しば)し候(さぶら)ひ給(たま)ひてまかで給(たま)ふに、また禄どもれいのやうにてあり。明日(あす)も人々(ひとびと)参(まゐ)り給(たま)ふべき。御まうけどもあり。四月十日、御(み)堂(だう)にまんどうゑせさせ給(たま)はんとおぼして、親(した)しきも、うときも、殿(との)原(ばら)にひともすべきとうだい。一(ひと)つ給(たま)へと申(まう)させ給(たま)へば、ゐんを始(はじ)め奉(たてまつ)りて、われも<とおとらじまけじと、し騒(さわ)がせ給(たま)ふ。その日になりてみなこうてつゝ参(まゐ)りあつまりて、御(み)堂(だう)<きやうざう・しゆらうまであけひゞかせ給(たま)へり。いみじうはらひみかゞせ給(たま)へるいけのめぐりに、ほうじゆどもをめくりてたてさせ給(たま)ふ。七ほうをもてみなつくりたり。それにみなしろがね・こがねのあみをかけて、ひをともしたり。りんどうはとふ車(くるま)のかたちをつくりて、みつの車(くるま)のかたをつくりたり。羅網灯とては、或(あるひ)は村濃(むらご)の組(くみ)色(いろ)<にして結(むす)び渡(わた)し、
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くじやく・あふむ・しやり・かりやうびんなどのかたをつくり、いけには色々(いろいろ)のはちすをつくりてともしたり。又(また)ほとけのあらはれ給(たま)へるさまをして、御ひかりともをし、あしやみづとりなど多(おほ)くの事どもをしたり。 又宝幢(はたほこ)の形(かた)・衣笠(きぬがさ)・華鬘(けまん)などの形(かた)にともしたり。すべて見るはめでたけれども、われ一人(ひとり)にあらず、のどかに見る事ならねば、一(ひと)つにめをとどむとおもへば、またかたへは見失(うしな)ひて、さらに<。はか<”しうおほえかたるべきやうなし。四位(しゐ)・五位(ごゐ)のものまめやかなる。人々(ひとびと)はてかうとて、きやうざう・すらうなとまで所々(ところどころ)にうるはしうともしわたして、いみじきかぜふくともさらに何(なに)ともみえず、われがしいでたるこそめでたけれ<と、心(こころ)をやりてしそしたり。各(おのおの)古(ふる)き人々(ひとびと)きそくめく若(わか)きもわれこそまさりたれとのみ。いふもおかしく昔(むかし)かやの御(み)子(こ)といふ人(ひと)こそ、さいくはいみじかりけれ。それもがなといひいでけり。上達部(かんだちめ)・殿(との)原(ばら)御(み)堂(だう)のすのこにゐ給(たま)ひてわれこそまさりけれ。人(ひと)のはをとりたりをとりたりなど聞にくきまで定(さだ)め給(たま)ふもおかし。さるのときばかりに百よ人(にん)の僧うるはしくしやうそきて、ぎやうだうしていけのめぐりをすぐる程(ほど)、植木(うへき)の中(なか)を分(わ)くると見(み)えて、いみじう尊(たうと)くめでたし。日(ひ)の入(い)る程(ほど)にぞ火ともしつけたる。四てうがうちに火ともさぬ所(ところ)なし。万灯会(まんどうゑ)にはあらで、億千万灯(おくせんまんどう)とぞ見(み)えたる。このうちに入(い)り満(み)ちたる車(くるま)・かち人(ひと)かずしらず多(おほ)かり。世(よ)の中(なか)の聖どもさながら参(まゐ)り
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たり。賀茂(かも)の祭(まつり)の一条(いちでう)の大路にだにいできてののしる。せんあみだ仏といふ法師(ほふし)ばら、こゑをさゝげてののしる。あみだのこゑさへぞたうとかりける。こよひのともしびのひかり、十二ほうじやうどふつ世界(せかい)にいたるらんと見(み)えて、かみは悲想悲々想までいたるらん、しもはごくあくの衆生(しゆじやう)もみなてらさるらんとぞみゆる。召(め)しいたるものは、かかることあなりとたづね参(まゐ)り、みみきかぬものは見きかねど、ひかりをたづねて参(まゐ)りて、すべてあきらかなるまなこをひらき、六こんせうじやうをえたると見ゆるも、こよひのひかりのいたれるにやと、くらきよりくらきにいたる衆生(しゆじやう)も、嬉(うれ)しきゑのとうみやうにあひぬとよろこびをなしたり。はうかうゐんのまんどうゑをこそ、いみじき〔こ〕とに人(ひと)いひしかど、これはいと殊(こと)の外(ほか)にいかめしうめでたし。阿闍世王石の油してしけんも、えやまざらんとみえたり。又(また)の日のつとめてまでなんもえける。御(み)堂(だう)<”の。ほとけのてらされ給(たま)へるは、ひんがしかたのまん八千の世界(せかい)までもてらさるらんとみえたり。かくて此(こ)の頃(ごろ)は、これをいみじう珍(めづら)しきことに世(よ)の人(ひと)もいひ思(おも)へり。かくて賀茂(かも)の祭(まつり)なども過(す)ぎてさ月になりぬ。大みや土御門(つちみかど)殿(どの)におはしませば、との何(なに)わざをして御覧(ごらん)ぜさせんと思(おぼ)し召(め)して、この殿(との)の御まやのまくさのたねとののきたせかゐんと云ところにぞうへける。此(こ)の頃(ごろ)うふべかりければ、御廐(みまや)の司(つかさ)を召(め)して、「この田(た)植(う)へん日は、例(れい)の有様(ありさま)ながらつくろひたることなくて、
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ものおこがましういかにもありのままにて、このみなみのかたのむまはみどよりあゆみつゞかせて、埒(らち)のうちよりとをして、きたさまにわたせ。うしとらのはうのついぢをくづして、それより御覧(ごらん)じやるべきなり。ひんがしの対にてなん御覧(ごらん)ずべきと、仰(おほ)せごとうけ給(たま)ひて、いま二三日のほど、何(なに)わざをと思ふ。その日になりて、かのすみのついゝぢくづさせ給(たま)ふ。ひんがしのたいにみやとののうへ渡(わた)らせ給(たま)ふ。女房(にようばう)たち候ふかぎりは参(まゐ)る。若(わか)うきたなげなき女ども。五六十人(にん)ばかり、もころもといふ物いとしろうきせて、しろきかさどもきせて、はくろめくろらかに、へにあかうけさうせさせてつゞけたてたり。だうあるじといふおきな、いと怪(あや)しききぬき、やれたるひがさゝしてひもときて、あしだはきたり。怪(あや)しきさましたる女(をんな)どもくろかいねりきせて、はうにといふものぬりつけてかづらせさせて、かさゝさせてあしだはかせたり。又(また)うむかくと言(い)ひて、怪(あや)しきやうなるつゞみ。こしにゆひつけてふえふき、さゝらといふものつき、様々(さまざま)のまひ、怪(あや)しの男(をとこ)どもうたうたひゑひて、心(こころ)よくほこりて、十人(にん)ばかりあり。そが中にこのたつゞみといふものは、れいのにもにぬ心地(ここち)して、ごぼ<とぞならしいくめる。親(した)しうものし給(たま)ふ殿(との)原(ばら)ひんがしのすのこにて見給(たま)ふ。若(わか)き君達(きんだち)・四位(しゐ)・五位(ごゐ)などは、ゑんにをしかかりて見けうじ給(たま)ふ。又(また)いと大きなるおけおりひつどもに、これらがくひものどもなるべし、もてつづきたり。様々(さまざま)
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世(よ)に珍(めづら)しきものどもをのみ。もてつゝけたれば、いみじうつらしう御覧(ごらん)ず。さていきつぎて、いまうへののしる御覧(ごらん)じやりて、いとおかしう思(おぼ)し召(め)さる。ありつるがくのものども、みぢのほど慎(つつ)ましげに思(おも)へりつる、かしこにてはわがまゝにののしりあそびたるさまども、いみじうおかし。おりしもあめすこしふりて、たごの袂(たもと)どもゝしほとけゞなり。いつのほどにかきあつまりけん。世(よ)人(ひと)かず知(し)らずなみたちて、見るかほどもさへぞおかしう御覧(ごらん)じける。このた人どものうたふうたを聞(き)こし召(め)せは、
@さみだれにもすそぬらしてうふるたをきみがちとせのみまくさにせん W203
@うふるよりかずも知(し)られず大ぞらにくらにぞつまんみまくさのいね W204
とぞうたふうたさへつくりいでたりけるみまやの官(つかさ)の心(こころ)ばへを、殿(との)原(ばら)いみじうけうぜさせ給(たま)ふ。読人(よみびと)誰(たれ)としらず、ほとゝぎすのなき渡(わた)るを、女房(にようばう)、
@さなへうふるおりにしもなくほとゝぎすしでのたをさも人(ひと)にきにけり W205
また人(ひと)、
@ほとゝぎす雲居(くもゐ)なるねに聞(き)こゆれどしぼりもあへずたごの袂(たもと)は W206
などぞいひける。ことはてゝみまやの司(つかさ)召(め)して、いみじうかんぜさせ給(たま)ひて、ものかつけさせ給(たま)ふ。かやうに覚(おぼ)し残(のこ)すことなく、御心(こころ)をやりけうある御有様(ありさま)どもなり。
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かくてとのの御(お)前(まへ)、かばかりしつくさせ給(たま)ふことどもは、いつかおぼつかなくうしろめたくおぼさるらん、月頃(ごろ)きやう・ほとけなどまうけさせ給(たま)ひて、御四十九日行(おこな)はせ給(たま)ふ。この月の晦日(つごもり)より始(はじ)めさせ給(たま)ふ。ほとけはごくらくじやうどのまんだら日に法華経(ほけきやう)一ぶ、あみだきやう四十九(しじふく)くはんをぞくやうせさせ給(たま)ふ。七日<はしやうぞく一具(ぐ)、さるべき物など御ずきやうにせさせ給(たま)ふ。心(こころ)異(こと)にたうときたひの御はうじにて、だうしたち。いとど心(こころ)にいれてつかうまつる。六月一日になりぬれば、一条(いちでう)の院(ゐん)の御八講、ゑんけうじにて行(おこな)はせ給(たま)ふ。晦日(つごもり)になりぬれば、また。はうかうゐんの御八講、いみじうあつきころ、そうたちさしあひて、いとまなき心地(ここち)すべしをときゝこそ所々(ところどころ)なれと、唯(ただ)とのにのみ召(め)し行(おこな)はせ給(たま)ふ。ゑんけうしの御八講は、殿(との)原(ばら)みな参(まゐ)らせ給(たま)ふ。とのの御(お)前(まへ)も参(まゐ)らせ給(たま)ふ。ゐんなどにもそうども召(め)しあつめさせ給(たま)ふ。この御八講も十七八日のほどにぞはてける。日頃(ひごろ)ひさしきことにて、れいのやうにうとき人(ひと)に物もいはじ、むつかしと仰(おほ)せられて、たゞ僧(そう)の事どもゝ、家(いへ)の官(つかさ)どもにぞあづけさせ給(たま)へる。されどかぎりありて、ほかのことよりはとのがたのことは。いとこよなくて、そうせんなどもいとおどろ<しうてまかでぬ。またの月のはつかのほどにうぢ殿(どの)におはします。そこにて御はつかうせさせ給(たま)ふなりけり。年(とし)頃(ごろ)の御せうようせさせ給(たま)ひければ、其(そ)のさんげとおぼして、法華経(ほけきやう)・四くはんきやう
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などかかせ給(たま)ふ。あみだのまんだらなどかかせ給(たま)ひて、五人(にん)のかうじしておはしまして、五日のほどかう行(おこな)はせ給(たま)ふ。そうはこのかうじたち、ぞくは親(した)しう遣(つか)はせ給(たま)ふ。四位(しゐ)・五位(ごゐ)など四五人(にん)ばかりぐしてよろづをそかせ給(たま)ひておはしましぬ。かのとのにつかうまつるべき仰言(おほせごと)かねてよりありければ、皆(みな)いみじく仕(つか)うまつり設(まう)けたり。さて五日が程(ほど)いみじうあはれに尊(たうと)し。かうじたち、なか<心(こころ)のどかなるところにて、たうとく哀(あは)れにつかうまつる。@@23 十千のいほ、十二部経の首題のみやうじをきゝて、とうりてんにむまれたり [かな: じふせんのいほ、じふにぶきやうのしゆだいのみやうじをききて、たうりてんにうまれたり] B23。五日十さのほど、法華経(ほけきやう)のくとくを、いみじうときつくす。いと尊(たうと)し。ことゞも果(は)つる日、いみじき御功徳(くどく)と思し召(め)して、とのの御(お)前(まへ)、
@うぢかはのそこにしづめるうろくづをあみならねどもすくひつるかな W207。
と仰(おほ)せらるゝを、かうじたちは御かへし奉(たてまつ)らざりけり。いみじうそかせ給(たま)へれと、御むかへに殿(との)原(ばら)さるべき人々(ひとびと)参(まゐ)り給(たま)へれば、かへらせ給(たま)ひぬ。まこと、うぢにては実方の中将(ちゆうじやう)のよみ給(たま)へりけるうたこそ、まさりぬべかりけれと、人(ひと)申しければ、△△宇治河の網代(あじろ)の氷魚(ひを)もこの頃(ごろ)は阿弥陀仏(あみだぼとけ)によるとこそ聞(き)け」とこそありけれ。」八月には、大みやの御(お)前(まへ)にせんざいをうへさせ給(たま)ひて、その
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ついでに、さべき上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)参(まゐ)り給(たま)ひて、大御酒(おほみき)、御果(くだ)物のこともありて、題二(ふた)つを出(いで)させ給て、うたふたつづゝ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。あきの月のひかりさやかなり、いけのみづなかくすむとぞ△△△△△△△△△△東宮(とうぐう)の大夫(だいぶ)
@月かげのいかばかりなる比なればあきはあくるも知(し)られざるらん W209
△△△△いけみづ
@いけみづは流(なが)れぬ物ときゝしかど行末(ゆくすゑ)ながくすみぬべきかな W210
△△△△△△△△△△△△△△△△ちうぐうの大夫(だいぶ)
@あきのよにあきのみやにぞながむれば月の光を添(そ)へてこそみれ W211
@わがきみのちよのまに<よろづよの流(なが)れてすめる池のみづかな W212
△△△△△△△△△△△△△△△△ごんちうなごん
@あまつかぜくもふきはらふつねよりもさやけさまさる秋(あき)のよの月 W213
@わがきみのやどなつかしみよろづよをいけもろともにすみ渡(わた)るべき W214
△△△△△△△△△△△△△△△△左兵衛督(さひやうゑ)の督
@古(いにしへ)もかばかり澄(す)める秋(あき)の夜(よ)の月は見(み)きやと人(ひと)にとはゞや W215
@はる<”ときみがすむべき宿なればかよひてすめる池の水かな W216
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△△△△△△△△△△△△△△△△右兵衛(うひやうゑ)の督
@月かげはいつともわかぬものなれどあきのひかりぞ心(こころ)異(こと)なる W217
@きみがすむやどのいけ水にごりなく流(なが)れてみゆるちよのかげかな W218
△△△△△△△△△△△△△△△△ごんのすけ
@吹かぜにくもやはるらん月かげのみゆるにまさるひかりなりけり W219
@かげみてぞ行末(ゆくすゑ)までも知(し)られけるすむいけ水も心(こころ)有(あ)らし W220
△△△△△△△△△△△△△△△△うだいべん
@こしへのみかへるときゝしかりがねのはかぜにみゆるあきのよの月 W221
@いにしへもいまもまれなるきみがよにみづさへすめる宿にも有哉 W222
△△△△△△△△△△△△△△△△左頭中将(ちゆうじやう)
@あきしまれさしそふいろのことなるも紅葉(もみぢ)やすら睦月(むつき)のかつらも W223
@のどけしときみやみるらんいけ水のひと度(たび)すめるかげをみしより W224
△△△△△△△△△△△△△△△△右頭中将(ちゆうじやう)
@いつとなくさやけくみゆる月なれどなをあきのよににるものぞなき W225
@ながきよのみやの御(お)前(まへ)のいけみづはすむべきほどぞひさしかりける W226
△△△△△△△△△△△△△△△△蔵人(くらうど)の少将(せうしやう)
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@久かたの月のかつらやこよひよりしたば紅葉(もみぢ)てこさまさるらん W227
@君が代はいつともわかぬいけ水のすみ渡(わた)るべき物にやはあらぬ W228
△△△△△△△△△△△△△△△△うせうべんのりたゞ
@ひかりそふ月とぞみゆるくれたけの行末(ゆくすゑ)ながきあきのみやには W229
@いけみづのみぎはまさりてみゆるかないく世すむべきかげにか有らん W230
△△△△△△△△△△△△△△△△さいしゆ輔親(すけちか)
@ほかよりもかけざやかなるみやの月いとどひかりをそふるあきのよ W231
△△△△△△△△△△△△△△△△ためまさ
@くもりなききみがみよかはあまつそらてりこそまされあきのよの月 W232
@うちはへてにごらずゝめるいけみづはちよにひと度(たび)あふときゝしを W233
△△△△△△△△△△△△△△△△式部(しきぶ)のぜうつねなが
@あきのよの月のひかりのまされるはやどからみゆるいろにざりける W234
@いにしへもかくや有けん今日(けふ)のみとながくもすめるいけのみづかな W235
△△△△△△△△△△△△△△△△女房(にようばう)
@あまつそらひかりをそふるみづの面にちよすみぬべき秋(あき)のよの月 W236
△△△△聞(き)こし召(め)して御(み)堂(だう)より奉(たてまつ)らせ給(たま)へる、
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@ふるさとを出にしのちは月かげぞ昔(むかし)もみきと思(おも)ひ遣(や)らるゝ W237
△△みやの御かへし
@そむけどもそなたざまにぞ月かげはありふるさとのかげぞ恋(こひ)しき W238。
同(おな)じころ、うぢの大との、大井に御はらへしにおはしましたりけるほどに、くれて月いとあかくいでたり。あきのよの月にむかふといふことをよませ給(たま)ふに、さだよりのきみ
@月のいるみねをうつせる大井川このわたりをやかつらといふらん W239。
と宣(のたま)へりければ、たゞこれをけうじてやませ給(たま)ひにけりとぞ人(ひと)かたりはんべりし。