栄花物語詳解巻十八


P2083
〔栄花物語巻第十八〕 たまのうてな
御(み)堂(だう)数多(あまた)にならせ給(たま)ふまゝに、じやうどはかくこそと見(み)えたり。れいの尼君(あまぎみ)たち、あくれば参(まゐ)りておがみ奉(たてまつ)りつゝ、世を過(す)ぐすあま法師(ほふし)多(おほ)かる中に、心(こころ)ある限(かぎ)り四五人(にん)契(ちぎ)りて、この御(み)堂(だう)の例(れい)時にあふわざをなんしける。うちつれて、御(み)堂(だう)に参(まゐ)りて、見(み)奉(たてまつ)れば、西(にし)によりて北南(きたみなみ)ざまに東向(ひんがしむき)に十余(よ)間(けん)の瓦葺(かはらぶき)の御(み)堂(だう)あり。たるきのはし<”はこがねのいろなり。よろづのかな物みなこがねなり。御(お)前(まへ)のかたのいぬふせぎはきんのうるしのやうにぬりて、ちがひめごとに、らてのはながたをすへて、色々(いろいろ)のたまをいれて、かみにはむらごのくみして、あみをむすばせ給(たま)へり。きたみなみのそばのかた、ひんがしのはし<”のとびらごとに、ゑをかかせ給(たま)へり。かみにしきしがたをして、詞をかかせ給(たま)へり。はるかにあふかれてみえがたし。九ほんれんだいの有様(ありさま)なり。あるひは年(とし)頃(ごろ)のねんぶつにより、あるひはさいごの十ねんのゆへ、あるひはおはりのときぜんちしきにあひ、あるひはじやうきうの人(ひと)、あるひはかいきうのもの、行(おこな)ひの品々(しなじな)にしたがひてごくらくのむかひをえたり。これはしやうじゆらいかうかとみゆ。みだによらいくもにのりて、ひかりを放(はな)ちてぎやうじやのもとにおはします。くはんおん・せいしれんだいをさゝげてともにきたり給(たま)ふ。もろ<のぼさつ・
P2084
しやうじゆ、をんじやうぎがくしてよろこびむかへとり給(たま)ふ。ぎやうじやにんにくのころもみにきつれば、或香にほひしみ薫(かを)りて、ぐぜいやうらくみにきつれば、五ちのひかり耀(かかや)けり。わうごんのこまやかなるひかりとをりて、しまごんのやはらかなるはだへすきたり。芝金台に安座して、しゆゆせつなもへぬほどに、ごくらくかいに参(まゐ)りつきぬ。さうあんにめをひらくあひだ、れんだいにあなうらをむすふほどなり。あるひははつくどく水すみて、色々(いろいろ)のれんげおいたり。そのうへにほとけあらはれ給(たま)へり。さはこれやはなのひらくる始(はじ)めならんと見(み)えたり。あるひは三十二さうあらたにみえ、六(ろく)つう三めうそなへたり。ほとけを見(み)奉(たてまつ)りのりをきくこと、これ耳々分明なり。これこそはけんぶつもんぼうなめれとみゆ。よろづめでたし。こころに五すふたいながくさんづはつなんのおそりをまぬかれたり。命(いのち)はまたむりやうなり。つゐにしやうらうびやうしのくなし。しむけんとしてこれはおんぞうゑくなし。百ほうなれば、ふくとくごなし。こんがうのみなれば、五しやうおもくなし。一どに七ほうしやうごん本をむねとして、三界(さんがい)のくかいにわかれぬ。のちの御(み)堂(だう)のいたじきを見いるれば、かゞみのやうにて、となる人(ひと)のかげさへうつりて見ゆれば、このかたのの尼君(あまぎみ)、
@くもりなく磨(みが)けるたまのうてなにはちりもゐがたきものにぞありける W192。
ひんがしのひさしのなかのまにぞ、殿(との)の御(お)前(まへ)の。御ねんじゆのところばせさせ給(たま)へる。三じやくばかりの御しやうじを一重(ひとへ)に張(は)ら
P2085
せ給(たま)ひて、きたみなみひんがしのかたにたてさせ給(たま)ひて、うへにも同(おな)じさまにておほはせ給(たま)へり。ひとところおはしますばかりのひろさにて、うちの御ざのたかさ。四寸ばかりあがりたり。まきゑの花机ふたつ三つくりつゞけさせ給(たま)ひて、うへに一しやくばかりのくはんおんたたせ給(たま)へり。しろがねのたほうのたうおはします。それはぶつしやりおはすべし。こがねのぶつきなめすへさせ給(たま)ひて、るりのつぼにからなでしこ・きちかうなどをさゝせ給(たま)へり。にほひ色々(いろいろ)に見(み)えてめでたし。火舎にくろほうをたかせ給(たま)へり。花水のくやなどあり。これはくやうほうの御ざなるべし。それによりきたにたゝみしき、うへに御わらうた重(かさ)ねて、けしきある御脇足をかせ給(たま)へり。これ唯(ただ)の御座なるべし。もやの中の柱のもとに、ときしるくともをかせ給(たま)へり。すこしひきいりてもやにほとけおはします。中のまのさうにかうざあり。中にらいばんたてたり。ほとけの御(お)前(まへ)にらてんの華机に、たかつき一にぶつき一(ひと)つすへて、めぐり奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。各(おのおの)ほとけの御(お)前(まへ)に一はち奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。様々(さまざま)のめいかうを奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、いみじうかうばし。色々(いろいろ)のはなのえだなどおりて奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。ほとけを見(み)奉(たてまつ)れば、じやうろくのみだによらい、くわうめうだい一きなり。もろ<の御かうべはみどりのいろふかう、眉間の光毫はみぎにめぐりて、ゑんてんせること五須弥のごとし。せいれんげのまなこは。四大海(しだいかい)をたゝへ、御くちびるは頻婆くはのごとし。たいさういきいつくしく、しまごんのそむようは、秋の月の
P2086
曇(くもり)なく、むすのくはうみやうあらたにて、世界(せかい)あまねくあきらけし。みめうほうしん色々(いろいろ)のさうがうぐそくし給(たま)へり。くはうちうけぶつむすおくにして、くはうみやうたがひにてらし耀(かかや)けり。これすなはちむろまんどくのじやうじゆするところなり。じひのさうはまなこにあり、ぼんおんさうはくちにあり、ぐせいさうは面(おもて)にあり、あいぎやうのさうははのひかりにあり、じんづうのさうはいきほひにあり、ちゑのさうはまなこにあり、めうかうかうきのさうはしんたいにあり、はうべんむりやうのさうはたちゐにあり、十りきむゐのさうはたちゐするにあり、大定智悲のさうは息にあり、しんによじやくめつさうはたぶさにあり。実にはじやくめつにして唯(ただ)なのみあり。このゆへにまさにしるべし、しよくはんの衆生(しゆじやう)はすなはちこれ三じんそく一の身なり。諸仏に又(また)さうがうくはうみやうなり。まんどくゑんまんさうばうくはうみやうなり。しきそくぜくうなるゆへに、これしんによじつさうといふ。すなはちこれしきなるがゆへに、これをさうがうくはうみやうといふ。一色一香中道にあらずといふことなし。すさう行しきもまた<かくのごとし。即三道みだほとけの万徳と、もとより此の比くさうにして一たいむけなり。かみはしにくはんおんせいし、同(おな)じくこんしきにして、たまのやうらくをたれて立(た)たせ給(たま)へり。各(おのおの)はうれんげをさゝげて立(た)たせ給(たま)へり。四てんわう立(た)たせ給(たま)へり。一ぶつの御よそひかくのごとし。いはんや九躰ならはせ給(たま)へるほど、こころにおもひ、くちにのぶべきにあらず。けごんきやうの偈に云、@@10 若有諸衆生、未発菩提心、一得聞仏名、変定成菩提 [かな:  にやくうしよしゆじやう、みほつぼだいしん、いちとくもんぶつみやう、へんちやうじやうぼたい ] B10、また、@@11 わうさうのむす劫にくをうけて、しやうじの中にるてんして、いまだほとけの御なをきかざりしゆへなり [かな:  わうさうのむしゆごふにくをうけて、しやうじのなかにるてんして、いまだほとけのおんなをきかざりしゆゑなり ] B11。しかるをわれらかばかり
P2087
ほとけを見(み)奉(たてまつ)りつ。あにむなしからんやとおもひて、おがみ奉(たてまつ)る。又(また)はちすのいとをむらこのくみにして、九躰の御てよりとをして、中たいの御てにとぢめて、この御ねんしゆのところに、ひんがしさまにひかせ給(たま)へり。つねにこのいとに御こころをかけさせ給(たま)ひて、御ねんぶつの志(こころざし)たえさせ給(たま)ふべきにあらず。御ねんじゆのときにひかへさせ給(たま)ひて、ごくらくにわうじやうせさせ給(たま)ふべきと見(み)えたり。九躰はこれ九品わうじやうにあてて造り奉(たてまつ)らせ給(たま)へるなるべし。きたのひさしきたのわだ殿(どの)かけて、御しやうじともにくどくのこころばへあるゑどもかかせ給(たま)ひて、御簾(みす)ども懸(か)け渡(わた)して、塗竿(ぬりざほ)など渡(わた)して、宮々(みやみや)のうへの御つぼねと見(み)えたり。此の御(み)堂(だう)の御(お)前(まへ)のかたには、またいけのかたにかうらんたかうして、そのもとにさうひ・ほうたん・からなでしこ・らんれんくゑのはなどもうつさせ給(たま)へり。御ねんじゆの折(をり)に参(まゐ)りあひたれば、ごくらくに参(まゐ)りたらん心地(ここち)す。やう<にし日のいるほどに、れいの御ねんふつとて、かたがたより僧達(そうたち)参(まゐ)りあつまる。をそく参(まゐ)るをば、承仕・堂童子など生きつつそゝのかし参(まゐ)らす。其(そ)のときになりぬれば、殿(との)の御(お)前(まへ)おはしましぬ。此の殿(との)原(ばら)、ほかのなども数多(あまた)参(まゐ)り給(たま)へり。おかしき男(をのこ)・つらはべなどつかうまつれり。おはしませば、この御(み)堂(だう)の僧達(そうたち)下(お)り候(さぶら)ふ。御ねんぶつ始(はじ)まりぬれば、殿(との)の御(お)前(まへ)を始(はじ)め奉(たてまつ)り、僧二十人(にん)ばかりめぐり給(たま)ふ。殿(との)原(ばら)みなかうらんにをしかかりておはす。はなこにはなのあればれいの尼君(あまぎみ)のかと仰(おほ)せられて、散らさせ給(たま)ふ。此のはなを御覧(ごらん)じて、あはれなるあまなり。三時のはなみやつかひをつかうまつる。
P2088
いかにくどくうらんと宣(のたま)はすれば、殿(との)の御(お)前(まへ)も、いみじきあまなりと宣(のたま)はす。にし日のほどになれば、御(み)堂(だう)のかなもの、所々(ところどころ)のみはしのかなものどもきらめきて、いけのおもにうつれるもめでたし。かぜすこしうちふけば、ねんぶつのこゑひゞきて、いけのなみも、五根五力・菩提ふん・八聖道をのふと聞(き)こえ、やまひもなくぼさつのこゑにたふれば、草木すらみなのりをとくと聞(き)こゆ。王聚浄戒はしらじいけのかせもすゞしきに、おもひ扱(あつか)ふぼんなふのほのをみなめつしぬと思(おも)ほゆ。御ねんぶつはてゝこゑよき僧のゑかう申したる、いみじうたうときに、東宮(とうぐう)のだいぶとの奉(たてまつ)りたるかうぞめの御衣(ぞ)をかづけさせ給(たま)ふ。はてぬれば殿(との)の御(お)前(まへ)、御(み)堂(だう)のことなど仰(おほ)せられて、人々(ひとびと)暫(しば)しいで給(たま)へ。こころのどかにねんぶつせんと宣(のたま)はすれば、殿(との)原(ばら)も御方(かた)にかへらせ給(たま)ひぬ。殿(との)の御(お)前(まへ)ねんぶつせさせ給(たま)ふ。そのほどらいばんにそう一人(ひとり)候ひて、きやうよみ奉(たてまつ)る。斯(か)かる程(ほど)にいりあひのかねおどろ<しければ、かたのの尼君(あまぎみ)、
@今日(けふ)くれて明日(あす)もありとなたのみそとつきおどろかすかねのこゑかな W193。
数多(あまた)あれどかかずなりぬ。くらくなりぬれば、承仕みあかしもて参(まゐ)りて、御(お)前(まへ)のところに奉(たてまつ)りわたす。ほとけの御ひかりいとど耀(かかや)きまさりて、見(み)奉(たてまつ)る心地(ここち)もまばゆし。殿(との)の御ねんぶつ果てゝ出(い)でさせ給(たま)ふとて、ほとけおがみ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふまゝに、@@12 面善円浄如満月、威光猶如千日月、声如天鼓倶尸羅、故我頂礼弥陀尊 [かな: めんぜんゑんじやうによまんげつ、ゐくわういうによせんにちげつ、しやうによてんこぐしら、こがちやうらいみだそん ] B12。人々(ひとびと)御むかへに参(まゐ)りたれば、出(い)でさせ給(たま)ひぬ。
P2089
此の尼君(あまぎみ)たち、あはれ、此の世のことゝは見(み)えぬかな。人(ひと)のこころのうちに、じやうどもぢごくもあるといふ誠(まこと)にこそあめれ。殿(との)の御(お)前(まへ)の御こころのうちにここらのほとけのあらはれ給(たま)へるにこそあめれなど言(い)ひて、あま君、@@13 人(にん)欲に知、三世一切仏、応当如是観、心造諸如来 [かな:  にんよくにち、さんせいつさいぶつ、おうたうによぜくわん、しんざうしよによらい ] B13とうち誦してまかでぬ。この尼達(あまたち)くらうなりぬれば、家(いへ)<にはいかで中川わたりに家(いへ)ある。あま君のもとにとまりぬ。ものなどくひてうちふすとても、たゞこの御(み)堂(だう)のことを言(い)ひてゑましう嬉(うれ)しきものに思(おも)へり。しもつかたに家(いへ)あるあまども、いまいくばくにもあらず。かかるじやうどのあたりにこそありて、仏をも見(み)奉(たてまつ)らめとて、この御(み)堂(だう)のきたみなみにうつりすめり。あるさかしらするものいできて、などかわたりにしもすみ給(たま)ふべき。かのはうこうゐんまでつくりつゞけらるべしとて、年(とし)頃(ごろ)ゐたる人(ひと)だにみな騒(さわ)ぐところにつくりゐられたりとこぼたれなん物をといへば、さはれ、なしり給そとぞいひつゝゐける。ごやの御懺法のおりに参(まゐ)りあはんとおもひて、よのあくるもいつしかとこころもとなく、めをさましきくほどに、とりのなくも嬉(うれ)しくて、たけくまの尼君(あまぎみ)、
@のりをおもふこころのふかきあきのよはなくとりのねも嬉(うれ)しかりけり W194。
やまの井の尼君(あまぎみ)、
@いにしへはつらく聞(き)こえしとりのねの嬉(うれ)しきさへぞものは悲(かな)しき W195。
といへは尼君(あまぎみ)たちいかなればつらくおぼされしといへば、いなや、昔(むかし)おかしき人(ひと)とうち
P2090
ふして物語(ものがたり)をもいひしに、ちよを一夜(ひとよ)にとおもひしに、とりのなきしはいかゞつらかりしといへば、げにとて笑(わら)ふ。このなかに若(わか)き人(ひと)一人(ひとり)まじりたり。よふかく参(まゐ)りて、またくらからむにまかでなんとて、わざとなう、しどけなげなるきぬのつまをとりて参(まゐ)る。さすがにおかしう見(み)ゆ。南(みなみ)の大もんよりいりて参(まゐ)れば、八月廿日のほどにて、ありあけの月の。すみのぼりたる、いみじうめでたくみゆれば、かのれうじゆせんの。暁(あかつき)のそら思(おも)ひ遣(や)られたり。またいけのかゞみのやうなるにかげを留(とど)めたる月も、いみじうめでたくみゆれば、若(わか)き人(ひと)、
@うらやましかばかりすめるいけみづにかげならべたるありあけの月 W196。
かたのの尼君(あまぎみ)、
@おほぞらといけのみづとにかよひすむありあけの月も西(にし)へこそゆけ W197。
たけくまのあま君、
@いけみづにすめるありあけの月をみてにしのひかりを思(おも)ひ遣(や)るかな W198。
観無量(むりやう)寿経の十六想観おもひいでられてよそへられ給(たま)ふ。いけのめぐり・中しま・御(み)堂(だう)<の御(お)前(まへ)のせんざいに、つゆのたまのやうにきらめきてみゆる、ほとけのやうらくにおもひよそへてめでたし。むしもこゑ<”よりあはせてなくも、唯(ただ)ならず聞(き)こゆ。にしの中もんのみなみのかたに、ひわだぶきのささやかなる御(み)堂(だう)あり。かれは三まいだうぞかし。いさ参(まゐ)らんとてゆけば、みあかしのひかりほのかにみえて、転法輪のざにそうゐたり。ふげんいとさゞやかにて、ざうにのりて立(た)たせ給(たま)へるも、いかめしうおはします。ほとけよりも、かくひとゝころ立(た)たせ給(たま)へ
P2091
る。あらはれ給(たま)へらんすがた。思(おも)ひ遣(や)られて、めでたう見(み)えさせ給(たま)ふに、聞(き)けばほうしほんの清浄光明身のわたりをぞよむなる。いとねふたげなるこゑに、うしろのかたより。かいをおどろ<しうふきいでたれば、嬉(うれ)しきかいのこゑにめをさましつるといふ。尼達(あまたち)しばしのぼりてすのこにゐて、まかづとて、@@14 我昔所諸悪業、皆由无始貧恚痴、従身語意之所生、一切我今皆懺悔 [かな:  がしやくしよしよあくごふ、かいゆむしとんいち、じゆしんごいししよしやう、いつさいがこんかいさんくゑ ]B14と誦してあみだだうに参(まゐ)りたれば、御せほうのおりなりけり。あな嬉(うれ)しとおもひ、みはしにのぼりてほとけを見(み)奉(たてまつ)れば、むすのくはうみやう耀(かかや)きて、十はうかいにへんじ給(たま)はんとみえ給(たま)ふ。かのわうじやう悪集のもんをおもひいづ。七宝のきざはしにひざまづゐて、まんどくの尊容をまもり、一じつの道を聞(き)きて、ふげんの願海いる。くはんぎの涙(なみだ)をながし、かつがうほねをとをす。とんしゆして聞(き)けば、六こんさんげのわたりなりけり。いみじうたうとし。殿(との)の御(お)前(まへ)の御こゑ数多(あまた)に交(ま)じらせ給(たま)はず、あだしう聞(き)こえたり。ことはてゝこゑよきそうどもの、@@15 過去空王仏、眉間白毫相、弥陀尊礼拝、滅罪今得仏 [かな:  くわこくうわうぶつ、みけんびやくがうさう、みだそんらいはい、めつざいこんとくぶつ B15]くわこくうわうぶつ、みけんびやくがうさう。みだそん$らいはい($らいけい)。めつざいこんとくぶつ B15と誦したる、いみじうたうとくおもしろし。この尼達(あまたち)この例(れい)時に参(まゐ)りあふことをそうたちみなずいきし申ほどに、れいのはなのあさつゆかかりながら、はなをもて参(まゐ)りたり。この尼達(あまたち)いみじき志(こころざし)はありとも、この宮仕(みやづか)へこそえすまじけれ。口(くち)惜(を)しきことなどいひあへり。このはな御(み)堂(だう)始(はじ)めの年(とし)より、かうはなをもて参(まゐ)れば、あはれがり給(たま)ひて、いまはよろづをしらせ給(たま)ひけり。昔(むかし)宮仕(みやづか)へなどしければ、老(お)い
P2092
たれどみやびかなるさましたり。御(お)前(まへ)なるあざり、はなこながらとりて、承仕召(め)してとらするおりに、いふともなくて、このあま、
@あさまだき急(いそ)ぎをきつるはなゝれどわれよりさきにつゆぞをきける W199。
といへば、あざりうち笑(わら)ひて、かう<なん申と申せば、殿(との)の御(お)前(まへ)かへしせよと宣(のたま)はすれば、あざり、
@きみがためつとめてはなをおれとてや同(おな)じこころにつゆをきつらん W200。
といふに、そうたちこの尼君(あまぎみ)は、げんぜごしやうめでたきあまなり。いまは。説経のところのざゐなども、御(み)堂(だう)のあまと言(い)ひて、ところえてこそあめれと申す。かくてあかうならぬさきにと急(いそ)ぎまかづれば、きやうざうのひかしのかたよりくつすりて人(ひと)くなり。こゑいとよくて、@@16 十方仏土之中候西方為望。九品蓮台之間、雖下品応足 [かな: じふばうぶつどのなかには、さいはうにこうするをのぞみとす。くほんれんだいのあひだには、げほんといふともたりぬべし ] B16といふことを、つねよりもみゝとまりて、いひをき給(たま)はん。ないきの聖哀(あは)れにおぼえ給(たま)ふ。月のあくまですめるも、かの多武峯の少将(せうしやう)のうらやましくもと、宣(のたま)ひけんも、げにとみえたり。かくてまかでゝうち休(やす)みたるほどに、ある里人(さとびと)きて、まろ、御(み)堂(だう)へゐて参(まゐ)り給(たま)ひて、よくいひきかせてみせ給(たま)へ。一二ど見(み)奉(たてまつ)りしかど、何(なに)ともしらぬ、いと悲(かな)しといへば、このごやに参(まゐ)りて、只今(ただいま)なんいではんべりつる。しばしおはせよ、いまと言(い)ひてひるまのこころのどかなるほどに
P2093
ぞ、ゐて参(まゐ)りて見する。さんまいだうより始(はじ)めて、あみだだうに。ゐて、参(まゐ)りて、かのりうじゆぼさつの十二らいはいをおもひて、@@17 稽首天人(てんにん)所恭敬、阿弥陀仙両足尊、在彼微妙安楽国、無量仏子衆囲遶 [かな: けいしゆてんにんしよくきやう、あみだせんりやうそくそん、ざいひみめうあんらくこく、むりやうぶつししゆうゐねう ] B17とおがみ奉(たてまつ)りて、@@18 なむ四十八ぐわんみだ如来、南無因円果満弥陀如来、南無无量光仏南無無変光仏、南無清浄光仏 [かな:  なむしじふはちぐわんみだによらい、なむいんゑんくわまんみだによらい、なむむりやうくわうぶつ、なむむへんくわうぶつ、なむしやうじやうくわうぶつ ] B18と申。らうをわたりて、大御(み)堂(だう)に参(まゐ)れば、中大たかくいかめしうおはします。摩訶毘廬遮那とこれを申とて、ふげんきやうのもんをいひきかす。@@19 しやかむにぶつをびるしやなとなづけ奉(たてまつ)る。一切(いつさい)のところに遍じ給(たま)へり。そのほとけの所住のところをば、常寂光となづく。浄波羅密の苦空無常(むじやう)のところ、我波羅密の安住せるところ、あゐけうのところ、常波羅密の有相をめつするところ、六波羅密のこころえの性に所住せる所(ところ)、有作無作の諸法の性を見ざる所(ところ)、始なり、じやくなり解脱なり。ないしはんやはらみつなり [かな:  しやかむにぶつをびるしやなとなづけたてまつる。いつさいのところにへんじたまへり、そのほとけのしよぢうのところをば、じやうじやくくわうとなづく。じやうはらみつのくくうむじやうのところ、がはらみつのあんぢうせるところ、あいきやうのところ、じやうはらみつのうさうをめつするところ、ろくはらみつのこころえのしやうにしよぢうせるところ、うさむさのしよほふのしやうをみざるところ、しなり、じやくなり、げだつなり、ないしはんにやはらみつなり ] B19などおもひつゞけ、いひきかす。またらうをわたりて五大堂(だう)に参(まゐ)りたれば、三井寺(みゐでら)の別当(べつたう)僧都(そうづ)、公(おほやけ)の御修法行(おこな)ひ給(たま)ひけん。そう廿人(にん)みなじやうゑそめたり。はうはうのこゑ。いみじうおどろ<し。ほとけを見(み)奉(たてまつ)れば、降三世・軍荼利たち給(たま)へり。大聖・金剛夜叉・不動尊は、おくのかたにゐさせ給(たま)へり。金剛夜叉はしやかほとけと聞(き)き奉(たてまつ)るに、第十六しやかむにぶつと宣(のたま)はせたる。御有様(ありさま)にはあらで、いと恐(おそ)ろしげにみえさせ給(たま)ふ。一時にがうぶくせさせ給(たま)ふにやとみえさせ給(たま)ふ。不動尊はされどすこしみつかせ給(たま)へるかたちす。それも金剛索智のけんを持すれば、
P2094
@@20 一持生生加護 [かな:  いちぢ、しやうじやうかご ] B20の御こころもいと哀(あは)れにて、又(また)、@@21 見我身のほつしんぼだひも断悪終善 [かな: けんがしんのほつしんぼだいもだんあくしゆぜん ]B21なども、疎(おろ)かならずおぼえさせ給(たま)ふ。一々にいひきかせて、またいぬゐの方(かた)のべちゐんの。うへの御(お)前(まへ)の御(み)堂(だう)のかたにゐて参(まゐ)りたれば、みなみのかたには、からなでしこをさながらうへさせ給(たま)ひて、ませをゆはせ給(たま)へり。こくうすくうつろひたるほどめでたし。ひんがしのかたには、様々(さまざま)色々(いろいろ)のくさせんざいかずをつくさせ給(たま)へり。きたみなみのらう・渡(わた)殿(どの)などをば、さるべき。やむごとなきそうどもすゑ、ほとけいとおかしげにておはします。かくて又率(ゐ)て行(い)きて見(み)すれば、この御(み)堂(だう)のひんがしのかたに、五けんばかりのひはだぶきの寝殿(しんでん)に、らう・わたり殿(どの)などして、めぐりにたて蔀しこめて、それぞ殿(との)の御方(かた)なりける。はるかに見参(まゐ)らすれば、さるべき殿(との)原(ばら)・君達(きんだち)、あるはゑぼし・なふし。あるはうへのきぬ、あるはかりぎぬすがたにて、さるべきそうがうたち。あままじりて、四位(しゐ)・五位(ごゐ)たちゐしてもの聞(き)こし召(め)し、おほきみなど参(まゐ)るべし。御(み)厨子(づし)所(どころ)のかたを見れば、さるべき下臈男(をとこ)どもや、何(なに)くれのくふうたち、又(また)袂(たもと)あけたる法師(ほふし)ばらの。つき<”しき五六人(にん)、ちひろのもとにゐなみて、おもののこといそくめり。又(また)ながびつといふものに、御くだもの・さうしものもてつゞき参(まゐ)りたれば、御(お)前(まへ)にて東宮(とうぐう)より始(はじ)め、宮々(みやみや)・ゐんなどまでわかち参(まゐ)らせ給(たま)ひて、又(また)ゐんのうちのそうばうともにくばらせ給(たま)ふ。また国々(くにぐに)の受領どもの、きぬ・わた・様々(さまざま)のそめくさなど、もてつゞき参(まゐ)らせたれば、同(おな)じう宮々(みやみや)にわかち参(まゐ)らせ
P2095
給(たま)ふ。御(み)堂(だう)のうちのそうたちに給(たま)はせ、又(また)仏師・たくみなどに給(たま)はせなどせさせ給(たま)ふ。また干飯などいふものを召(め)し出(い)でて、いけほり、木どもひくものに給(たま)ふ。かのしんげほんの窮子のやうなる召(め)しあつめては、いま各(おのおの)にぞなど給(たま)はすべし。まめにつかうまつるべしなど、召(め)し仰(おほ)せらるゝも、様々(さまざま)めでたし。また見れば、陸奥(みち)のくにの守の奉(たてまつ)れる。御むまゐて参(まゐ)りたるなど言(い)ひて、いみじきくろこま、様々(さまざま)のけどもなど、いみじくたてゝ、十ばかりゐて参(まゐ)るめり。よろづに申しつくすべきかたなし。また参(まゐ)りてみれば、かの十方諸仏雲集院(ゐん)、他方道俗菩薩院(ゐん)、縁覚十二因縁院(ゐん)声聞四諦習覚院(ゐん)など様々(さまざま)あらんやうに、あるところをみれば、法華経(ほけきやう)のふだんの御読誦とて、さるべきなにあざり何(なに)くれのくふなどいふ四五人(にん)ゐてよみひゞかせば、そこにたちどまりて〔き〕ゝ奉(たてまつ)れば、哀(あは)れにたうとくて、こころに只今(ただいま)たほうによらい。しゆつげんし給(たま)はんかしとおぼえて、@@22 願我生々尽未来、上土くちう法華経(ほけきやう)、住す生がいくせいせつさいはう、あんらくこく [かな:  ぐわんがしやうじやうじんみらい、じやうとくちうほけきやう、ぢうすしやうがいくせいせつさいはう、あんらくこく] B22とうちおがみ奉(たてまつ)りて、また有ところを見れば、長日御修法とて、あざり・はんそう十二人(にん)ばかりして、しろきじやうゑをきて行(おこな)ふ。あるところを見れば、大はんにやの御読経とて、年(とし)おい、やんごとなきそうたち十人(にん)ばかりいてよみ奉(たてまつ)る。またあるところを見れば、五大りきぼさつをかけ奉(たてまつ)りて、にんわうきやうをかうし奉(たてまつ)る。あるところをみれば、まんだらをかけ奉(たてまつ)りて、あみだの護摩・尊勝の護摩を行(おこな)ふ。またあるところを見れ
P2096
ば、やくしきやう・寿命きやうの御読経、またあるところを見れば、そう二三十人(にん)ありて、涅槃経六十巻などのてんほんしてよむ。またあるところを見れば、小法師(ほふし)七八人(にん)計(ばか)り声をあはせて、倶舎を誦し、唯識論をうかふ。又(また)あるそうばうを見(み)れば、美(うつく)しげなる男子(をのこご)ども、せんじもんを誦しならひ、かうきやうをよむ。かうやうにして、各(おのおの)所々(ところどころ)こゑを整(ととの)へ、よみ誦しののしれと、こころのこゑ、かしこのをと見る様々(さまざま)まぎれずそのことかのことゝ。聞(き)きわかれて、哀(あは)れにたうとく、目出事、じやうどもかくこそよと、推(お)し量(はか)らるゝ、またいとたうとし。あるところを見れば、ゆふねのゆわかして、そう二三十人(にん)あみののしる。又(また)あるところを見れば、ぶつし四五人(にん)ゐて御ほとけをつくり奉(たてまつ)る。また御(み)堂(だう)とてたくみどもののしりてつくり奉(たてまつ)る。此(こ)の頃(ごろ)はやくしだうのことどもおぼしをきてさせ給(たま)ふめり。かかることどもを、里人(さとびと)おぼつかながら見聞(き)きよろこびて、まかでゝ。尼君(あまぎみ)たちに必(かなら)ず。よろこび聞(き)こえんとて、まかでぬ。はかなく、とにかくに世(よ)の急(いそ)ぎにて過(す)ぎもてゆくに、らいねんはうへの御(おほん)がや、姫宮(ひめみや)の御もきやと、様々(さまざま)の御ことどもあるべければ、今よりその御用意(ようい)あり。はかなく年(とし)もくれぬれば、土御門(つちみかど)殿(どの)に大みやおはしませば、正月朔日(ついたち)行幸(ぎやうがう)・ぎやうけいなど様々(さまざま)いまめかしうて過(す)ぎもてゆくに、司召(つかさめし)になりぬれば、殿(との)の三ゐ中将(ちゆうじやう)中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひぬ。大納言(だいなごん)とのいとどいまひとしほのいろまさりて、かひ
P2097
あるさまにおぼさるべし。その月も、司召(つかさめし)のよろこび。うらみにて過(す)ぎもてゆくめるに、中宮(ちゆうぐう)の大夫(だいぶ)のおほいの御門(みかど)。やけにしのちは、このさじきとのに。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)すみ給(たま)ふに、二月廿余(よ)日(にち)にはかなう火いできてやけぬ。いみじうけしからぬわざかなと、他人(よそびと)も扱(あつか)ひ聞(き)こゆべし。又(また)ほかへ渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。賀茂(かも)の祭(まつり)もとをからぬほどにて、口(くち)惜(を)しくおぼさるべし。おほいの御門(みかど)もあさましくて、やけにしに、またいかなることにかと、かへすがへす思(おぼ)せどかひなし。御(み)堂(だう)よりよろづこまやかに。推(お)し量(はか)り聞(き)こえさせ給(たま)ふことどもあり。みやみやよりも様々(さまざま)の。御しやうぞくどもあれど、片端(かたはし)なるべきことにもあらぬわざになん。三月ばかりに、四てう大納言(だいなごん)はつせに参(まゐ)り給(たま)へり。かへさにいづみ河のもとにて、こころぞかし、御岳(みたけ)のかへさに姫宮(ひめみや)の御こと聞(き)き侍(はべ)りしはとて、さだよりの君、
@見るごとにそでぞぬれけるいづみがはうきこと聞(き)きしわたりと思(おも)へば W201
大納言(だいなごん)うちなき給(たま)ひて、
@いもせ山(やま)よそにきくだにつゆけきにこころゐのもりを思(おも)ひ遣(や)らなん W202。
いみじう哀(あは)れにおぼしきとぞ聞(き)きはんべりし。