栄花物語詳解巻十七
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〔栄花物語巻第十七〕 をんがく
御(み)堂(だう)くやう、ぢあん三年(さんねん)七月十四日と定(さだ)めさせ給(たま)へれば、よろづをしづ心(こころ)なうよるをひるにおぼしいとなませ給(たま)ふ。いけほるおきなの、怪(あや)しきかげのうつれるをみて、
@くもりなきかゞみと磨(みが)くいけのおもにうつれるかげの恥(は)づかしきかな W190。
といふを聞(き)きてかしらしろきおい法師(ほふし)、
@かくばかりさやけくてれる夏(なつ)の日にわがいたゞきのゆきぞきえせぬ W191。
といふもものをおもひしるにやとあはれなり。ひんがしの大もんにたちて、ひんがしのかたをみればみづのおものまもなく、いかだをさして多(おほ)くのくれざいもくを、もてはこふ大方(おほかた)御(み)堂(だう)のうちさらにもいはず、ゐんのめくりまで世(よ)の中(なか)の上下たちこみたり。よろづに磨(みが)きたてさせ給(たま)ふまゝに、ゐんの中金剛不壊のせうちと見(み)えてめでたし。国々(くにぐに)のじゆりやうどもみな仰(おほ)せごとのもの様々(さまざま)もて参(まゐ)りこみたり。さらんずれはをきて仰(おほ)せられたるよりもさしすゝみ、えもいはずめでたうしてもて参(まゐ)りたり。われも<とおとらじまけじと、思たるけしきどもゝおかし。七はうはふりにふり、
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よもよりきたるとみえて、めもをよばぬ御有様(ありさま)なり。さき<”の御(み)堂(だう)のゑによろづはみな。しつくさせつれど、この度(たび)は行幸(ぎやうがう)ぎやうけいあるべうおぼしをきてさせ給(たま)へりければ、其(そ)の御用意(ようい)有様(ありさま)まうけの物いと心(こころ)異(こと)なり上達部(かんだちめ)殿上人(てんじやうびと)のろく楽人(がくにん)舞人(まひびと)のかづけ物までいみじうけうらに思(おぼ)し召(め)すに、又(また)七そう百僧のはうぶくどもなどすべて世(よ)の中(なか)にみちたるたひの御急(いそ)ぎなり請そうたちもこの度(たび)の御急(いそ)ぎを大じに思(おも)へり。わがみのしやうぞくどもわらはべ法師(ほふし)ばらの中まで、しづ心(こころ)なう思いときたり。やむごとなくや又(また)わかやかならんなどが急(いそ)ぎ騒(さわ)ぐは理(ことわり)なり。年(とし)などおひひさしくもあるまじきそうなどのいとどさまもいへば疎(おろ)かなり。二三日かけては試楽といふことせさせ給(たま)ふ。かの日はあへて人(ひと)参(まゐ)るべくもあらさなれば、今日(けふ)だにとておいたる若(わか)き参(まゐ)りつどふ。七八十の女(をんな)おきなつえばかりをたのものしきものにていでたちたるさま、いみじうあはれなり。御(み)堂(だう)の御(お)前(まへ)のもなかにぶたいゆはせて今日(けふ)かの舞人(まひびと)とも残(のこ)りなく、しつくさせ給日頃(ひごろ)ともすればあめふりて、この程(ほど)の御有様(ありさま)。いかに<と申思てこの御(み)堂(だう)にもいみじき御祈(いの)りどもよも山(やま)のぶつじんにもいみじきことども有つればにや、今日(けふ)はなごりなくはれて日頃(ひごろ)のなごりなし。この怪(あや)しのものともあまりなるまで御(お)前(まへ)近(ちか)うたちこみたり。人々(ひとびと)いと見苦(ぐる)しかれすこしのけさせよと
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宣(のたま)はすれば、このえもいはぬおい人どもははらはれて、かのゑ日はえ参(まゐ)るまじければ、かしこうかべて今日(けふ)参(まゐ)りたるなり。あか君やよみつとにしはんべるらんするなり。たすけ給(たま)へと、てをするも哀(あは)れにてえきはやかにもおはす。かくてよろづのことをし整(ととの)へさせ給(たま)ひて、十三日のよさり、かんのとの・大みや、西殿におはしませば一(ひと)つ御車(くるま)にて渡(わた)らせ給(たま)ふ。女房(にようばう)車(ぐるま)ともみなこの御(み)堂(だう)のにしのらうにおろさせ給(たま)ふ。御せんたちはこのだうのにしひさしひつじさるのかたかけてぞおはします。くわうたいこうぐうの御むかへに、関白(くわんばく)殿(どの)参(まゐ)らせ給(たま)ふ。ちうぐうはうちにおはしませば、うちの大との上達部(かんだちめ)殿上人(てんじやうびと)諸大夫(しよだいぶ)、をのをのわかれ<参(まゐ)る。いづれも御こしはところせければ、みながらの御車(くるま)にてぞ渡(わた)らせ給有様(ありさま)いとよそほしちうぐうの御車(くるま)には二てう殿(どの)の御方(かた)候(さぶら)ひ給(たま)ふ。皇太后宮(くわうだいこうくう)御車(くるま)には一品宮おはしまし、五の御方(かた)つかうまつり給(たま)へり。宮々(みやみや)の女房(にようばう)各(おのおの)三二人(にん)つゝぞ候(さぶら)ふ。大みやのおはしましつるやうに、にしむきの大もむよりいらせ給(たま)ふ。ありつる同(おな)じ御つぼねにいらせ給(たま)ひぬ。皇太后宮(くわうだいこうくう)の女房(にようばう)、みなひんがしのらうにみなみのかたなるらうには小一条(こいちでう)の院(ゐん)の女御(にようご)おはします。あみだだうのみなみのらうには関白(くわんばく)殿(どの)のうへおはします。こんだうのもとのらうにはうち大殿(との)のうへおはします。又(また)東宮(とうぐう)ちうぐうの大夫(だいぶ)殿(どの)達(たち)
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のうへの御さじきもあり。きやうざうのみなみのらうには三位中将(ちゆうじやう)御車(くるま)三四ひきつゞけてえもいはずみだれのりこぼれて、女房(にようばう)車(ぐるま)などの候も見るにいまめかしういみじ。殿(との)の御(お)前(まへ)はひがしのついぢくづさせ給(たま)ひて、世(よ)の中(なか)の車(くるま)ども参(まゐ)りて、もの見るべきやうにをきてさせ給(たま)ふ。さるべきやむごとなき御車(くるま)どもたちこみぬれば、わび人の車(くるま)よりくやうもあらねば、このみなみのくらのかたなどにたちこめと、それもその大もんのとにきぬやうちて、ここらのそうのそこより参(まゐ)るべければ、近(ちか)くはえより参(まゐ)らず。行幸(ぎやうがう)をだにみんとてぞたちこみためる。かくて日うらゝかにいづるほどに、御かたがたの女房(にようばう)達(たち)の候(さぶら)ふ。みすぎはのほど見わたせば、みすのあみまよりは〔じ〕めへりまで世(よ)の常(つね)ならずめづらかなるまでみゆるに、くちばをみなへしきちか表着(うはぎ)などのを物いとゆふなどの。すそごの御几帳(きちやう)むらごのひ〔も〕ともして、様々(さまざま)あるゑをでいしてかかせ給(たま)へりえもいはずめでたき袖口(そでぐち)つまともの。うちいだしわたしたる見るに、め耀(かかや)きて何事(なにごと)も見わきがたうそか中にもくれなゐ・なでしこのひきへきなどの耀(かかや)き渡(わた)るに、きちかうをみなへしはぎくちばくさのかうなどのをり物・うすものにあるは。いとゆふむすびからぎぬなどの。いひつくすべうもなき、からくれなゐのみへの袴(はかま)どもゝみなあやなり。枇杷(びは)殿(どの)のみやの御方(かた)にはまたこのあやものうすものどもを、色々(いろいろ)にて同(おな)じかずにて、この袴(はかま)のうへに重(かさ)ねさせ給(たま)へり。またこれなかりつることと、いみじうめづらかなり。この御かたがた聞(き)こえあはせさせ給(たま)へるにも
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あらず。みな心々(こころごころ)にせさせ給(たま)へるに、同(おな)じいろならぬほどなどいみじうおかしう見(み)えたり。これにまた殿(との)のうへ御方(かた)おとりげなし。これのみならずゐんの御方(かた)。関白(くわんばく)殿(どの)うちの大とのなどの。御かたがたいみじうせさせ給(たま)へり。見わたしたるにこれこそは日本ごくのいみじき大じなりけれとみるにいはんかたなき心地(ここち)すべし。天人(てんにん)などのかざりもかやうにこそはと、推(お)し量(はか)られてめでたし。がく所のものの禄どもふきたてたるえもいはずおもしろし。この物見るものどもあないみじと見けうずるほどに、御(お)前(まへ)近(ちか)う参(まゐ)りよれば、検非違使(けんびゐし)むねすけを召(め)して、かれすこしのけさせよと宣(のたま)はすれば、あかきぬきたるものどもいできて弓づえして、たゝうちにうてはと、よみてにげののしるほどに、殿(との)の御(お)前(まへ)。いとこころ苦(ぐる)しげに御覧(ごらん)じたり。はらひやめば同(おな)じやうにたちこみぬ。このうちに法師(ほふし)かさ。きたる物ぞ。田舎人(ゐなかびと)なめりとみえたる。かくて乱声をまつしあはせたれば、いとどいみじくおどろ<しく、いかなるにかと思(おも)へば行幸(ぎやうがう)のおはしましよれば、この見ものの人々(ひとびと)はらはれて、逃(に)ぐるをとなりけり。やう<おはしましよるほどに、御覧(ごらん)じやらせ給(たま)へば、きやうざうすろうみなみのろうなどのあはひに。日てり耀(かかや)きたる御覧(ごらん)じやられたるは、いとあさましう御めもをよばずおはしまして、大もんいらせ給ほとの左右のふねのがくりやうどうげきしう
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まひいでたり。がくをあはせてひびきむりやうなり。せうをふきつゞみをうち、うたをうたいえもいはず御覧(ごらん)ずる。御(おん)心地(ここち)この世(よ)のことゝおぼされずいらせ給(たま)ひて、にしのちうもんのきたのらう。みなみのきざはしに御こしよせておりさせ給(たま)ふ。関白(くわんばく)殿(どの)の。御さじきのまへを渡(わた)らせ給(たま)ひて、あみだだうのすのこよりおはしまして、ひんがしのわだ殿(どの)に御座よそひておはします。次(つぎ)のわたり殿(どの)に東宮(とうぐう)の御座はせさせ給(たま)へり。御供(とも)の内侍(ないし)ども御(お)前(まへ)まで、えつかうまつらで三位中将(ちゆうじやう)の御はかしとらせ給(たま)へれば、御はこはとうの中将(ちゆうじやう)とりたまへり。内侍(ないし)御かたがたの御覧(ごらん)ずるをはゞかるなるべし。入道(にふだう)殿(どの)。べちにゐさせ給(たま)ふべければ、関白(くわんばく)殿(どの)うちの大との。御はしのこなたよりかへらせ給(たま)ふ。うへの御(お)前(まへ)ほとけの御(お)前(まへ)に参(まゐ)らせ給(たま)ひておがませ給(たま)へば入道(にふだう)殿(どの)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、御涙(なみだ)せき留(とど)めずなかせ給(たま)へる。けぢかう見(み)奉(たてまつ)る人々(ひとびと)えのごひあへぬさまなり。御門(みかど)の御有様(ありさま)のいみじうとゝのぼりめでたくおはしますを、大みやの御(お)前(まへ)まいて、いかに見(み)奉(たてまつ)らせ給らんと、思(おも)ひ遣(や)り参(まゐ)らする人々(ひとびと)さくりもよゝなり。御門(みかど)おはしましところにおはしませば、殿(との)の御(お)前(まへ)を始(はじ)め奉(たてまつ)り、関白(くわんばく)殿(どの)・うちの大との。みな候(さぶら)ひ給(たま)ふ。うちの大との御(お)前(まへ)にて、行幸(ぎやうがう)のほど物み車(ぐるま)のいみじうめで申しつる。こゑの聞(き)こえ候つることゝそうし給(たま)ふ。御乳母(めのと)の典侍(ないしのすけ)たち、さるべき女房(にようばう)どもみなかみあけておもの参(まゐ)らする有様(ありさま)、なべてならずいみじうせさせ給(たま)へり。
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暫(しば)しありて東宮(とうぐう)のぎやうけいあり。ことのよしそうして、御車(くるま)かきおろして、ちうもんのとよりえん道しきてあゆみいらせ給(たま)ふ。御車(くるま)に閑院(かんゐん)のおとど。つかうまつらせ給(たま)へり。みやいみじうひはやかにめでたうていらせ給(たま)ふ。行幸(ぎやうがう)に有様(ありさま)異(こと)なれど、いみじうなまめかしう心(こころ)異(こと)なり。大夫(だいぶ)より始(はじ)めみやじ殿上人(てんじやうびと)つかうまつれり。さて御やすまくにいらせ給(たま)ひぬ。上達部(かんだちめ)は今日(けふ)の御(み)堂(だう)のひんがしのひさしにつき給(たま)ひぬ。殿上人(てんじやうびと)諸大夫(しよだいぶ)はにしの廊のまへなるひらはりにつきぬ。楽やはなかしまにしたり。御ずきやうのもの同(おな)じく、なかしまにひらはりして公(おほやけ)より始(はじ)め宮々(みやみや)の禄の辛櫃どもいろあかく、おどろ<しくて、みなこの御(み)堂(だう)のそはのかたにかきすへためり。かくてほとけの御(お)前(まへ)に御座よそひて、うへの御(お)前(まへ)も東宮(とうぐう)もおはします殿(との)の御(お)前(まへ)もそはのかたにおはします。ほとけの御(お)前(まへ)のにはにかうじどくじのかうざさうにたてゝ、かみにえもいはずめでたき白盖おほひたり。なかに礼盤たてたり。いまは宮々(みやみや)の御(お)前(まへ)にものども参(まゐ)らせ給(たま)へり女房(にようばう)のなかに、おかしきひわりごなどいといまめかしう。見どころありてせさせ給(たま)へり。上達部(かんだちめ)殿上人(てんじやうびと)などみなもの参(まゐ)らせ給(たま)ふ。かせうそんじやの室にも。いまだあらざる臥具をしき、けんこちやうじやの家(いへ)にも。あることまれなるおんじきどもなり。宮々(みやみや)御かたがたの女房(にようばう)の心地(ここち)どもかのとうりてんじやうのをくせんざいのたのしみ、大ぼんわうぐうの。深禅定のたのしみもかくやとめでたし。すべて今日(けふ)残(のこ)り給(たま)へらん。殿(との)原(ばら)誰(たれ)かはとみえたり。御(お)前(まへ)のかた
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には、おかしげなるてんじやうわらは。なれつかふまつるに大との東宮(とうぐう)の大夫(だいぶ)の君達(きんだち)、いと美(うつく)しうて交(ま)じらせ給(たま)へりのどかにゐんのうちの有様(ありさま)を御覧(ごらん)ずれば、にはのすなごはすいしやうのやうにきらめきていけのみづ。きようすみて色々(いろいろ)のはちすのはな。なみよりおいたり。そのうへみなほとけあらはれたまへり。ほとけの御かげいけの面(おもて)にえいじたり。東西南北の御(み)堂(だう)・きやうざう・すろうまでのかげうつりて、又(また)一ぶつ世界(せかい)とみえたり。いけのめぐりにうへ木あり。えたごとに皆(みな)羅網かかれり。はなびらやはらかにして、かぜなけれどもうごく。緑真珠のうへきははるりのいろなり。玻〓樹のたをやかなるえだは、いけのそこにみえたり。やはらかなるはなぶさかたぶきておりぬべし。緑真珠のはは、あをきことさかりなる夏(なつ)のうへきのごとし。きんぎんのはゝ、ふかきあきの紅葉(もみぢ)のごとし。虎魄のはゝ、ちうしうのくはうようのごとし。白瑠璃のはゝ、冬(ふゆ)のにはのゆきをおひたるがごとし。かやうに様々(さまざま)かぜのうへきをふけば、いけのなみ金玉のきしをあらふ七宝の橋金のいけによこたはれり。ざつほうのふねうへきのかげにあそぶ。くじやくあふむたかのすにあそぶこの御(み)堂(だう)を御覧(ごらん)ずれば、七宝所成の宝殿なり。宝楼真珠のかはらをもてふき、るりのかべしろくぬり、かはらひかりてそらのかげみえ、天象一如石金銀の棟金色のとびらすいしやうのもといし、しゆ<”のざつほうをもてしやうごんのかざりせり。色々(いろいろ)交(まじ)はり耀(かかや)けり。とびらをしひらきたるを御覧(ごらん)ずれば、八さうじやうだうをかかせ給(たま)へり。しやかほとけの摩耶のうけうよりむまれさせ給(たま)ひて、なんだばつなんだふたつ
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のりやうそらにてゆあむし奉(たてまつ)りけるよりはしにて、しつたたいしと申して、じやうぼんわうぐうにかしづかれ給(たま)ひしに、御出家(しゆつけ)のほいふかくおはします。ちゝの王これをいみじきことにおぼして、となりの国々(くにぐに)のわうの一(ひと)つむすめをとりあつめて五百人(にん)そへ奉(たてまつ)り給(たま)へりけれど、いさゝかそれに御心(こころ)もとまらねば、よものそのはやしをみせ奉(たてまつ)らんとおぼして、百くはんひきていだし奉(たてまつ)り給(たま)ふ。情居天変してしやうらうびやうしをげんじて見(み)奉(たてまつ)り、御年(とし)十九(じふく)のみづのえさるの年(とし)、二月八日の夜中にいで給(たま)ひて、出家(しゆつけ)せさせ給(たま)ひて、むまやの御むまをいたづらに。さのくかひてかへり参(まゐ)りたれば、わう・ふじん、そこらのけ女、みやのうちゆつりてなき、また降魔、成道、転法輪、〓利天にのぼり給(たま)ひて、摩耶をけうけし奉(たてまつ)り給(たま)ふ。しやらそうじゆの涅槃(ねはん)の暁(あかつき)までかたをかきあらはさせ給(たま)へり。はしらにはぼさつしやうしゆの音。かのかたをかきかみをみれば、しよてんくもにのりて戯、しもをみれば、こん<”るりをちとしけり。やう<ほとけを見(み)奉(たてまつ)り給(たま)へば、中ぞんたかくいかめしうおはしまして、大日によらいにおはします。ひかりのなかのけぶつ。むしゆをくにしてむりやうしやうごんぐそくし、宝帳・宝憧・宝瓔珞、上下よもにくはうみやうてらし耀(かかや)けり。中わう最上地のうへに、大ほうれんげの国座あり。毘楞伽宝たい同(おな)じ百ほうの色相はにくせり。八まん四せんのはありてむりやうめうはうそなへたり。よう<ことに百をくの大宝摩尼をかざれり。大千界の日転をめうもんたへなるがごとし。無尽のまんをくしやうごんせりによらいこのざのうへにして、法・報・応化ゑんまうさうかうぐそくし給(たま)ふ。
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無見頂のかうべより、千ふく輪のあなうらまでそなへ給(たま)へり相好、申しつくべからず。ひだりみぎのほうざには弥勒文殊ぞおはします。文殊はかのせいりやうさんには、一まんのほさつしゆ、六千の比丘上首とし給(たま)へれど、こころには一ところおはします。又(また)ぼんでんたいしやくおはします。ぼんわうは鵞といふとりにのらせ給(たま)へり。殿(との)の御(お)前(まへ)は御八十のがにやと見(み)奉(たてまつ)る。四てんわういかめしくて立(た)たせ給(たま)へり。ごくらく世界(せかい)これにつけても、いかに<といとどゆかしく思やり奉(たてまつ)る。びしゆかつまもいとかくはえやつくり奉(たてまつ)らざりけんとみえさせ給(たま)ふ。ほとけの御(お)前(まへ)に螺鈿のはなつくゑ、同(おな)じらてんの高杯ども、かねのぶつきどもをすへつゝ奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。しつほうをもてはなとつくり、けぶつ同(おな)じく七ほうをもてかざり奉(たてまつ)れり。くはしやどもに色々(いろいろ)のたからのかうどもをたかせ給(たま)へれば、いきやうくんじたり。所々(ところどころ)にほうとう・はたかけつらねたり。みなこれ七ほうをもて強盛せり。こがねのすゞやはらかになり、日のむまのときばかりになるほどに、かねのこゑ頻(しき)りになり、ひゞきよにすぐれたり。じやうくはうみやうわう仏のくに、下金剛輪を限(かぎ)りて聞(き)こゆらんとおぼえたり。このけんぶつもんばうの人(ひと)、たちすくみ、かしらいたうもののけうおぼえず苦(くる)しきに、このかねのこゑことなりぬときくに、心地(ここち)嬉(うれ)しうて、苦(くる)しかりつる心(こころ)ともおぼえず。てんぢくのぎをんしやうじやのはりすのかねのをとに、@@07 諸行無常(しよぎやうむじやう)・ぜしやうめつぽう・しやうめつ<い・じやくめつゐらく[かな: しよぎやうむじやう・ぜしやうめつぽふ・しやうめつめつい・じやくめつゐらく] B07とこそ聞(き)こゆなれ。やまひの僧このかねのこゑを聞(き)きて、苦(くる)しみうす。あるひは渡土にむまるなり。そのかねのこゑに、
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今日(けふ)の鐘(かね)の音(をと)、劣(おと)らぬさまなり。かくてこの南(みなみ)の幄(あげばり)には、にんわじのそうじやう・せんりんじのそうじやう・山(やま)のざす・山階寺(やましなでら)の別当(べつたう)そうずなどを始(はじ)め、御供(とも)に廿よ、卅にたらぬ程(ほど)のそうどもの、かたち清(きよ)げに。たけひとしくびゞしきを、十廿人(にん)つゞきたちたり。このなりども、様々(さまざま)いみじうつき<”しくて、くつどもをはきたり。色々(いろいろ)のかはほりどもをひらめかしつかひたるけはひ有様(ありさま)、つき<”しうみえたり。また十余(よ)はかりの。こ法師(ほふし)のいとおかしげなるが、いろうるはしうあひきやうつきたる。二三人(にん)ぐして、三ゑはこ・さう座などいふものどももたり。またおのこころのつくりたてたるやうなる三四人(にん)ぐしたり。各(おのおの)かくひきぐして参(まゐ)りこみ給(たま)ふ。中大童子、様々(さまざま)のしやうぞくして整(ととの)へたり。一人(ひとり)の御具(ぐ)ともかやうなり。各(おのおの)あつまりたるほど。推(お)し量(はか)るべし。ころも・けさも、あるは。あかく、 あるはあをくなどして、いみじうつきみやさしき法師(ほふし)ばら五六人(にん)いできて、みちをはらひ〔け〕しきたつ。からしやうといふものいできたり。講師読師のさゝげられて、こしにのりて参(まゐ)り給(たま)ふなりけり。御斎会になすへて、かうじ・どくじのさきに、しきふひやうぶ・だんじやうなど、左右列ひきてあゆみつゞきたり。楽所乱声えもいはずおどろ<しきに、しゝのこともひきつれてまひ出(い)でてまちむかへ奉(たてまつ)るほど、この世(よ)のことども見(み)えず。次(つぎ)にこのそうたちみなみのらうより。ひだりみぎ整(ととの)へてならびつゞき、各(おのおの)さきにたてゝ、そこらのそうたち参(まゐ)りあつまるほど、ともかくもいは
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れて涙(なみだ)ぞいでくる。そうのなりども、みなぼんおん・しやくじやう。みな品々(しなじな)にしたがひて色々(いろいろ)なり。のうのけさなどは、もろこしよりこの度(たび)の御(み)堂(だう)のゑにと志(こころざ)してもて参(まゐ)れるものどもなれば、あざやかに常(つね)に似(に)ず。玉(たま)を貫(つらぬ)きかけたれば、尊(たうと)さは更(さら)にもいは
ず、いみじき見物(もの)なり。銀(しろがね)・黄金(こがね)の香炉(かうろ)に、様々(さまざま)のたからの、香(かう)を焚(た)きたれば、ゐんのうちせんだん・ぢんすいのかにみちかほれり、色々(いろいろ)のはなそらより四方にとびまかふ。このそうたちのさま・すがたども、たゞかのれうぜんのほうゑに、ぼさつ・せいしゆの参(まゐ)りあつまり給(たま)ひけんも、〔か〕くやとみゆ。三ぜのしよぶつのせつほうの儀式(ぎしき)もかうこそはと、くはんぎの涙(なみだ)留(とど)めがたし。ぶたいのうへにて、様々(さまざま)のぼさつまひどもかずをつくし、またはらはへのとりのまひどもたゝごくらくもかくこそはと、推(お)し量(はか)り、思(おも)ひやりよそへられて見(み)る程(ほど)ぞ、いと思(おも)ひ遣(や)られて、其(そ)のゆへいとど今日(けふ)のことめでたき。くじやく・あふむ・かれうびんなど見(み)えたり。楽所のものの禄どもいとどいみじうおもしろし。これ皆(みな)法(のり)の声(こゑ)なり。あるひは天人(てんにん)・せいしゆの伎楽歌詠すると聞(き)こえ、高山大樹緊那羅のるりのことになずらへて、くはんげん哥舞のきよくには、一じつしんによのりを調(しら)ぶと聞(きこ)ゆ。事(こと)とも始(はじ)まりぬれば、さうに、分(わか)れて行道す。こなたかなたの御堂(だう)、大廻(おほめぐり)にやがて廻(めぐ)れば、このぎやうだうのほどにぞ残(のこ)るひとなく見(み)奉(たてまつ)る。かくて殿上人(てんじやうびと)達(たち)て行幸(ぎやうがう)す。かねてよりえらばせ給(たま)へるにや、かたち人(ひと)よりことに見(み)えたるともたちつづきたり。はなはこもたるそう
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のしやうぞくのいうに整(ととの)へさせ給(たま)へり。そのいろのむらごのくみ、たけひとしくむすびさげたり。ぎやうだうおはりて、ひだりのかたは五大だうのみなみのひさしにつきぬ。みぎのかたにはあみだだうのひんがしのひさしにつきぬ。その次々(つぎつぎ)はれいの作法(さほふ)のことども、推(お)し量(はか)るべし。かうじの山(やま)のざす、いみじうつかうまつり給(たま)へり。御ぐわんもんよみみやたちの御ずきやうなど一<に申こひちかゐ申し給(たま)ふ。ずいきのせつほうきくままにくはんぎの涙(なみだ)いやまさり。よろづにいみじうめでたく悲(かな)し。殿(との)の御(お)前(まへ)様々(さまざま)の涙(なみだ)こぼれさせ給(たま)ふ。ことどもはつるきはに、公(おほやけ)の御禄、左右の蔵人(くらうど)のとうを始(はじ)め、殿上人(てんじやうびと)廿人(にん)たちて、まづかうじを始(はじ)め、七そう次(つぎ)に百五十人(にん)のそうにかつげわたす。大褂・ふすまなり。あなめでたと見(み)えたるに、東宮(とうぐう)大夫ことをまなびて、東宮(とうぐう)の殿上人(てんじやうびと)蔵人(くらうど)まで、又(また)同(おな)じことかづけわたさせ給(たま)へり。また大みやの大夫(だいぶ)みんぶきやう。こと行(おこな)ひて、みやじ、内(うち)・東宮(とうぐう)の殿上人(てんじやうびと)。蔵人(くらうど)などかひまじりてことにかつげわたしたり。また次々(つぎつぎ)くわうたいこうぐう中宮(ちゆうぐう)各(おのおの)大夫(だいぶ)たち。ぎやうじして、みやじ・大夫(だいぶ)たち・五位(ごゐ)などもとりて、様々(さまざま)かつけわたして、次(つぎ)にかんの殿(との)の御方(かた)の東宮(とうぐう方(がた)の人(ひと)。ぎやうじして東宮(とうぐう)の亮(すけ)やすみちなどよりて同(おな)じ今年(ことし)わたしていまはかうにこそとおもふほどに、小一条(こいちでう)の院(ゐん)の御さじきより、院司とも殿上人(てんじやうびと)達(たち)見(み)えてかつけたり。すべてこの世(よ)にはまたあらぬことなり。いみじきもろこしの御門(みかど)なりとも、よその人(ひと)とちはともかくもありぬべし。これは我御このみなゝから、かくせさせ給(たま)ふことは、さらに<いまだ昔(むかし)にもあら
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ざることなり。いま行末(ゆくすゑ)ありがたくやと見おもふ人(ひと)多(おほ)かり。このそうたち、さるべきじやうらうそうかうたちなどは、やがて御でしどもとりつゝ、いとめ安(やす)し。ぼんそうなどのはさるべきにもあらぬは。たゞわがみ一(ひと)つにかつきうづもれたる。見るにこころ苦(ぐる)しう熱(あつ)かはしけなり。あまりになりぬは、とのがたの布施・禄などは、もてつゞけてをくらせ給(たま)ふ。すべてめもこころもおよばず。めづらかにいみじかりつる日の有様(ありさま)を、世(よ)の中(なか)の例(ためし)に。かきつゞくる人(ひと)多(おほ)かるべし。そが中(なか)にもけ近(ぢか)く見(み)聞(き)きたる人(ひと)は、よくおぼえかくらん。これはものもおぼえぬま君達(きみたち)の、おもひ<にかたりつゝかかすれば、いかなるひがことあらんとかたはらいたし。日くるゝほども、内(うち)東宮(とうぐう)かへらせ給(たま)ふ。贈(おく)り物(もの)、上達部(かんだちめ)の禄・殿上人(てんじやうびと)のかつけ物など、いみじう御心(こころ)にいれ、こまかなるさまにをきてさせ給(たま)へり。今日(けふ)のかうじの山(やま)のざすは、そうじやうになさせ給(たま)ふ。御ほとけつかうまつれるぶつしさだともは、ほつけうになさせ給(たま)ひつ。御(み)堂(だう)つくりつかうまつれるたくみども、かうぶり給(たま)はせ、様々(さまざま)のよろこびどもしたり。殿(との)の御(お)前(まへ)の御なみたは理(ことわり)にみえさせ給(たま)へり。大方(おほかた)いづれの人(ひと)もいみじうこそ覚(おぼ)したりつれ。宮々(みやみや)などいまはかへらせ給(たま)ふべきを、殿(との)の御(お)前(まへ)、こよひは留(とど)め申(まう)させ給(たま)ひて、明日(あす)この御(み)堂(だう)心のどかにおがませ給(たま)ひて、明日(あす)のよさりかへらせ給(たま)へと申(まう)させ給(たま)へば、いとよきことゝてみなとまらせ給(たま)ひて、やがてひるの御つぼねにさしあつまります。御(み)堂(だう)<
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のかざりともとりおさめず、同(おな)じことながらあり。女房(にようばう)たちいづれの宮々(みやみや)のもまかでぬ。たゞいづかたにもはぢさせ給(たま)ふまじきぞ。二三人(にん)ばかりつゝ留(とど)めさせ給(たま)ひて、みな御屏風(びやうぶ)のうしろのかたに近(ちか)く候(さぶら)ふ。いと苦(くる)しう思(おぼ)し召(め)せど、こよひのたいめんこそは昔(むかし)おぼえさせ給(たま)ふめれ。御(み)堂(だう)<のあかしども参(まゐ)りわたしたるに、ほとけの御ひかりに御(み)堂(だう)のかざりももてはやされ、めたう御覧(ごらん)ぜらるゝは、いみじう騒(さわ)がしう思(おぼ)し召(め)されつるに、こころのどかなるに、月もくまなくてり渡(わた)るに、御(み)堂(だう)の。みあかしにほとけのてらされ給(たま)へるほどなど、近(ちか)う見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。またにしひんがしの御(み)堂(だう)など見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)、いみじくめでたう。たうとくおぼさる。かの六じさんにいひたるやうに、よるのさかひしづかなるに、所々(ところどころ)のみはしのかな物どもの、きらめきたるさへめでたう御覧(ごらん)ぜらるゝに、今日(けふ)は十四日なれば、三まいだうにはふげんかう。行(おこな)はせ給(たま)ふを、やゝとをきほどなれど、ものずむしぬかづきなどするは、あらはに聞(き)こし召(め)されて、いみじうたうとう思(おぼ)し召(め)さるゝに、ことはてぬなりと聞(き)こし召(め)す。あみだだうに殿(との)の御(お)前(まへ)おはしまして、ねんぶつせさせ給(たま)ふを見(み)奉(たてまつ)りやらせ給(たま)ふも、此よゝり行末(ゆくすゑ)まで、哀(あは)れに頼(たの)もしう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。あみだほとけねんじ奉(たてまつ)る人(ひと)をば、二十五のぼさつまもり給(たま)ふと、たうの大師の宣(のたま)へり。又(また)、ねんじてごくらくをのぞむ人(ひと)もし参(まゐ)ることあやぶみあらば、やくしによらい、二人(ふたり)のぼさつを添(そ)へてごくらくに送(をく)れと告(つ)げ給(たま)ふなりなどおぼしあはせ見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふ。殿(との)の
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御(お)前(まへ)の御有様(ありさま)、いづれの御(お)前(まへ)達(たち)も、頼(たの)もしうめでたう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。こよひの御たいめんを、ほとけの御とくと嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)さるべし。何事(なにごと)も聞(き)こえさせ給(たま)ひて、一品(いつぽん)みやの御有様(ありさま)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、三じやくの御几帳(きちやう)にしらぬまそまさらせ給(たま)ふめるに、御(み)髪(ぐし)はむまれさせ給(たま)ひてののち、二三どばかりそらせ給(たま)へれば、いみじう筋(すぢ)細(ほそ)うめでたう、なよ<とよりかけたるやうにおはします。たけに二三寸ばかりたらせ給(たま)はぬほどにおはします。いみじうふくらかにあひきやうづき、あてに薫(かをり)、えもいはずおはします。今年(ことし)こそは。十一におはしますらめ見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふにかたくなならず、美(うつく)しう整(ととの)ほらせ給(たま)ふ、いまの世(よ)の人(ひと)はかくのみこそおはしましあるわざなめれ。昔(むかし)物語(ものがたり)にもかくこそはと見(み)えさせ給(たま)ふ。大みやの御(お)前(まへ)は、うらやましう、かうやうにて見(み)奉(たてまつ)るか交(ま)じらせ給(たま)へらましかばと、いみじうゝつくしう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)にねふたげに思(おぼ)し召(め)して、おとのごもりぬ。御(お)前(まへ)達(たち)の。御物語(ものがたり)のほどとも、えうけたまはらねば。かきつゞけず。おかしきことどもゝあるべけれと、たは安(やす)くうけたまはらぬこそ口(くち)惜(を)しけれ。かくて夜ひは苦(くる)しう思(おぼ)し召(め)さるべければ、みなおとのごもりぬ。またの日、ひさし出(い)でてみのときばかり、きのふの上達部(かんだちめ)参(まゐ)らせ、きのふはうるはしき御よそひなりしに、今日(けふ)は殿(との)原(ばら)・君達(きんだち)みななふしにて参(まゐ)り給(たま)へり。今日(けふ)の御有様(ありさま)、いみじうなまめかしうおかしきに、みかどものしみかへり給(たま)へるほど、ものめでせん人(ひと)はきえいりぬべし。かくて関白(くわんばく)殿(どの)
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を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、こと殿(との)原(ばら)みなおはしまさふ。みなさるべきは残(のこ)りなく参(まゐ)り給(たま)へり。ひつじのときばかりになりて、御車(くるま)よせて奉(たてまつ)る。くちには大みや皇太后宮(くわうだいこうくう)奉(たてまつ)る。次(つぎ)には中宮(ちゆうぐう)・かんのとの奉(たてまつ)りて、中には一品(いつぽん)みやおはします。から御車(くるま)は、れいのよりはすこしちいさき心地(ここち)すれば、いつところ奉(たてまつ)りたれば、自(おの)づから御衣(ぞ)のわざとならずはつかにはづれていでたる程(ほど)のにほひ・有様(ありさま)、きのふのみすぎはどものめづらかにみえしに、これは聞(き)こえさせんかたなくめでたし。薫(かをり)などはたとふべきかたなし。御車(くるま)にぢげの人(ひと)よりつかず。たゞ殿上人(てんじやうびと)の限(かぎ)りなり。てひきにておはします。殿(との)原(ばら)をしこらせ給(たま)へるに、一(ひと)つ家(いへ)よりほかの上達部(かんだちめ)、ことおりはありとも、今日(けふ)はえしり奉(たてまつ)らじとて、むら<にをくれ給(たま)へり。この御車(くるま)のうちの有様(ありさま)を、あさましうよにめづらかなることの例(ためし)に、この殿(との)原(ばら)聞(き)こえ給(たま)ふ。もろこしにも三ぜんにんの后(きさき)おはすやうありけり。この御門(みかど)には七人(にん)までおはすべきだうりあなれと、いまだあらじ、同(おな)じ大臣(おとど)の御女二人(ふたり)とだに。后(きさき)にてならばせ給(たま)へるは、おはせざりけり。まいて三(み)所(ところ)おはしますに、いま一ところは東宮(とうぐう)女御(にようご)にて、今日(けふ)明日(あす)と聞(き)こえさすばかり、后(きさき)がねにておはします。また一品(いつぽん)みやと聞(き)こえさすれども、后(きさき)とひとしき御位(くらゐ)にて、年官年爵をえさせ給ふなどあれば、よにいみじう、いまだ昔(むかし)にもあらざりし御ことどもなりやと、うちかたらひ聞(き)こえ給(たま)ひつゝおはす。かくてあみだだうには、今日(けふ)盂蘭盆(うらんぼん)講(かう)
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せさせ給へば、参(まゐ)らせ給(たま)ひつゝ、ほとけをも御(み)堂(だう)をも見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、いみじうたうとくめでたう思(おぼ)し召(め)さる。くやうの日などは、いと物騒(さわ)がしければ、こころのどかにも。えみ奉(たてまつ)らせ給(たま)はぬに、いと嬉(うれ)しく思(おぼ)し召(め)さる。殿(との)の御(お)前(まへ)、御(み)堂(だう)<のそうども召(め)して、御ずきやうども申しあげさせ給(たま)ふ。宮々(みやみや)のかんのとの、各(おのおの)。きぬ五十ひきづゝ、御ずきやうにせさせ給(たま)ひて、みやのみおはしまさず。数多(あまた)の御方(かた)におはしませば、かねのこゑいとおどろ<し。そうどもに一日の。残(のこ)りのもの、大褂などみなかつけさせ給(たま)ひて、かねての御まうけもなきことどもなれど、よにめづらかなる御心(こころ)をきてともにみゆれば、わざと思(おも)はぬことどもをだにこそ、かきつゞけかたり伝(つた)へつべかりけれ。さてかへらせ給(たま)ひぬれば、この殿(との)原(ばら)、みな御(み)堂(だう)のすのこに、御わらうたしきて、ゐさせ給(たま)ひぬ。さるべき御くた物・みきなど参(まゐ)らせ給(たま)ふほどに、やゝ御かはらけすゝみて、暫(しば)しこそあれ、みなゑひみだれて、かしこまりもなきまでなれば、いとふびんなることなりとて、まかでゝよさりの御をくりともにこそ参(まゐ)りはんべらめなど申し給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)、この度(たび)の御供(とも)に参(まゐ)り給(たま)へる。人(ひと)には、さるべう験(しるし)はんべらんこそよからめ。なべてのことはいとひなうはんべらん。きのふに皆(みな)こと尽(つ)きにしかども、たゞ御車(くるま)のうちにみえつる物どもやようはんべらんと、聞(き)こえさせ給(たま)へば、奉(たてまつ)りつる御衣(ぞ)どもをみなとり出(い)でさせ給(たま)ひつゝうとくおはするにも睦(むつ)まじきにも、
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みな奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。いろ・にほひ・重(かさ)なりなべてにあらず。これをいみじうゑひみだれ給(たま)へるに、しどけなふひきかづけつゝ、さうとき給御有様(ありさま)ども、きのふうるはしかりしことどもにまさり、いまめかしう見(み)えたるに、御こゑも様々(さまざま)なるに、文集のかふのもんをおぼえ給(たま)ふ。@@08 をるものは何(なに)人(びと)ぞ、きる物は誰(たれ)ぞ、越渓寒女漢宮姫也、織為寒北秋鴈行染為江南春水衆、一対直千金、行泥粉汚不再着 [かな: おるものはなにびとぞ、きるものはたれぞ、ゑつけいのかんじよかんきうのきなり、おりてかんほくしうがんのかうをなしそめてかうなんしゆんすゐのしゆうとなす、いつたいあたひせんきんかうでいふんにけがれてふたたびきず。] B08など、様々(さまざま)の御こゑどもしてずし給(たま)ふも、みゝとまりてめでたう聞(き)こゆ。人(ひと)にとらすれば本意(ほい)なう忝(かたじけな)しとて、みな各(おのおの)かづきてぞ。ひきみだれていで給(たま)ふほど、@@09 つちをふみて、すこしも惜(を)しむこころなし[かな: つちをふみて、すこしもをしむこころなし ] B09ともこそ有けれとみゆ。かくてみだれよろぼひ給(たま)ふほど、ゑにかかまほしくおかしくなむまでいで給(たま)ひて、日くれぬれば、また。御むかへに参(まゐ)り給(たま)へり。中宮(ちゆうぐう)うちにいらせ給(たま)ふ。皇太后宮(くわうだいこうくう)は枇杷(びは)殿(どの)にかへらせ給(たま)ひぬ。大みや・内侍(ないし)のかんのとの・殿(との)のうへなどは、にし殿(どの)におはします。各(おのおの)つかうまつり給(たま)へる殿(との)原(ばら)・殿上人(てんじやうびと)、みなれいの作法(さほふ)の禄どもあり。様々(さまざま)かたがたのかへらせ給(たま)ふ程(ほど)の御よそひなど、いみじうめでたし。もろこしの人(ひと)は、人(ひと)をのろふとては、いとまあれとぞいふなる。只今(ただいま)この殿(との)の御(お)前(まへ)の御有様(ありさま)、やまとのくににはさらにもいはず、からこくまでぞ祈(いの)り申しけんと見(み)えさせ給(たま)ふ。御なからひにこそはおはしますめれ。かかる世を近(ちか)くもとをくも見(み)奉(たてまつ)る人(ひと)さへ、
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皆(みな)唐国(からくに)の人(ひと)に祈(いの)られたる心地(ここち)なむしけるとぞ。