栄花物語詳解巻十五


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〔栄花物語巻第十五〕 疑
殿(との)の御(お)前(まへ)、世(よ)知(し)り始(はじ)めさせ給(たま)ひて後(のち)、御門(みかど)は三代にならせ給(たま)ふ。わが御世は廿三四年ばかりにならせ給(たま)ふに、御門(みかど)若(わか)うおはしますときは、摂政(せつしやう)と申し、大人(おとな)びさせ給(たま)ふ折(をり)は、関白(くわんばく)と申しておはしますに、此(こ)の頃(ごろ)摂政(せつしやう)をも御一男只今(ただいま)の内大臣(ないだいじん)にゆづり聞(き)こえさせ給(たま)ひて、わが御身は太政(だいじやう)大臣(だいじん)の位(くらゐ)にておはしますをも、つねに公(おほやけ)にかへし奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、公(おほやけ)さらに聞(き)こし召(め)し入れぬに、度々(たびたび)わりなくて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。御(おほん)心(こころ)にはすさまじうおぼさる事(こと)限(かぎ)りなし。斯(か)かる程(ほど)に、御(おほん)心地(ここち)例(れい)ならずおぼさるれば、人々(ひとびと)も夢(ゆめ)騒(さわ)がしく聞(き)こえさするに、わが御心地(ここち)にもよろしからずおぼさるれば、此の度(たび)こそは限(かぎ)りなめれと物心(こころ)細(ぼそ)くおぼさる。殿(との)原(ばら)宮々(みやみや)などにもいと恐(おそ)ろしうおぼし嘆(なげ)くに、いとど誠(まこと)におどろ<しき御(おん)心地(ここち)の様(さま)なり。かかればよろづにいみじき御祈(いの)りども、様々(さまざま)なり。されど只今(ただいま)は験(しるし)みえず、いと苦(くる)しうせさせ給(たま)ふ。かずしらず御物のけののしる中に、げにさもやと聞ゆるもあり、又(また)殊(こと)のほかに
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さもあるまじき事(こと)のもの覚えぬなのりをし怪(あや)しき事(こと)どもをぞ申すめる。さても心(こころ)のどかに世をたもたせ給(たま)ふ。ならひなき御有様(ありさま)にて数多(あまた)の年(とし)を過(す)ぐさせ給(たま)へれば、世(よ)の人(ひと)もいと恐(おそ)ろしき事(こと)に思(おも)ひ申したり。御心(こころ)にもあるべきやうにも思(おぼ)し召(め)されず。こころ細(ぼそ)くおぼさる。わが御よの始(はじ)め六七年ばかりありてぞ、すべていみじかりし御(おほん)悩(なや)みありし。かういまゝでおはしますべくもみえさせ給(たま)はざりし。いみじき御祈(いの)り限(かぎ)りなき御ねがひの験(しるし)にや。かくておはしませばこの度(たび)もおこたらせ給ふなんと申す人々(ひとびと)もあり。その度(たび)の御悩(なや)みにはいみじきけんしやどものありしこそ、いと頼(たの)もしかりしか。長谷(ながたに)の観修僧正(くはんずそうじやう)・くはんおん院(ゐん)のそうじやうなどは。なべてならざりし人々(ひとびと)なり。観修僧正(くはんずそうじやう)は、やがて殿(との)のうちに候(さぶら)ひ給(たま)ひしに、僧都(そうづ)と聞(き)こえ候を、この御悩(なや)みおこたらせ給(たま)へりとてこそは。一条(いちでう)の院(ゐん)そうじやうにはなさせ給(たま)ひしが、おんやうじどもは晴明みちよしなどいとかみさびたりし物どもにて、いとしるし異(こと)なりし人々(ひとびと)なり。ところかへさせ給(たま)ひてよろしかるべく申しければ、故麗景殿(れいけいでん)の尚侍の御家(いへ)御門(みかど)に渡(わた)らせ給(たま)ひておこたらせ給(たま)ひにしかば、其(そ)の例(れい)をひきてほかに渡(わた)らせ給(たま)へと、殿(との)原(ばら)申(まう)させ給(たま)へど、すべてさらにいかむと思(おも)ひ侍らばこそあらめとて聞(き)こし召(め)しいれずたゝ仏を頼(たの)み奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。年(とし)頃(ごろ)御本意(ほい)出家(しゆつけ)せさせ給(たま)ひて、この京極(きやうごく)殿(どの)
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のひんがしに御(み)堂(だう)たてゝ、そこにおはしまさんとのみおぼされつるを、こたみおこたらせ給(たま)ふべくは、限(かぎ)りなき御有様(ありさま)にてこそは過(す)ぐさせ給(たま)はめ。されどいかゞとのみ親(した)しきうときやゝましげに思(おも)ひ申したるも、理(ことわり)にみえさせ給(たま)ふ。宮々(みやみや)皆(みな)おはしましあつまらせ給(たま)ひて、さしならびよろづに扱(あつか)ひ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御有様(ありさま)なべてならずめでたうみえさせ給(たま)ふ。とのにも御修法三壇行(おこな)はせ給(たま)ふ。様々(さまざま)の御読経かずをつくさせ給(たま)へり。内(うち)春宮(とうぐう)より大宮(おほみや)皇太后宮(くわうだいこうくう)中宮(ちゆうぐう)。小一条(こいちでう)の院(ゐん)また摂政殿内(うち)の大いとのなど皆(みな)御修法せさせ給(たま)ふ程(ほど)の有様(ありさま)思(おも)ひ遣(や)るべし。殿(との)のうちはさらにもいはず、其(そ)のわたりの人(ひと)の家(いへ)<おほきなるちいさきわかず、ここらのそうどもいりゐたり。かからんにはいかでかとみえさせ給(たま)ふ。御祭祓と言(い)ふ事(こと)頻(しき)りにいはんかたなし。殿(との)の御(お)前(まへ)いまは祈(いの)りはせで唯(ただ)滅罪生善の法どもをゝこなはせ、念ぶつのこゑをたえずきかばやと宣(のたま)はすれど、それはつゆ此殿(との)原(ばら)聞(き)こし召(め)しいれず。いかでとくほいとげてんと宣(のたま)はするを、、大宮(みや)猶(なほ)いま暫(しば)し東宮(とうぐう)の御(おほん)よを、またせ給(たま)ふべく聞(き)こえさせ給(たま)ふを、こころうくあひ思(おぼ)し召(め)さぬなりけりとうらみ申(まう)させ給(たま)へば、いかに<とのみ覚(おぼ)し歎(なげ)かせ給(たま)ふ。御もののけどもいとおどろ<しう申すも例(れい)の事(こと)なり。公(おほやけ)わたくしのだいじ、只今(ただいま)これよりほかは何事(なにごと)かはとみえたり。ぜんりんじのそうじやうなど
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皆(みな)おはす。殿(との)の御(おほん)まへ、さらに命(いのち)をしうも侍らず。さき<”世をまつりごち給(たま)ふ人々(ひとびと)多(おほ)かる中に、己(おのれ)ばかりさるべき事(こと)ともしたる例(ためし)はなくなん。東宮(とうぐう)おはします三(み)所(ところ)の后(きさき)、ゐんの女御(にようご)おはす。只今(ただいま)内大臣(ないだいじん)にて摂政つかまつる。又(また)大納言(だいなごん)にて左大将(さだいしやう)かけたり。又(また)大納言(だいなごん)あるは左衛門(さゑもん)のかうにて別当(べつたう)かけこをのこの位(くらゐ)ぞいとあさけれと、三位中将(ちゆうじやう)にて侍(はべ)り。皆(みな)これ次々(つぎつぎ)公(おほやけ)の御後見(うしろみ)をつかうまつる。みづから太政(だいじやう)大臣(だいじん)准三后の位(くらゐ)にて侍り。この廿余年ならぶ人(ひと)なくて、数多(あまた)の御門(みかど)の御(おほん)後見(うしろみ)をつかうまつるに異(こと)なる難(なん)なくて過(す)ぎ侍(はべ)りぬ。己(おの)が先祖(せんぞ)の貞信公いみじうおはしたる人(ひと)、我太政(だいじやう)大臣(だいじん)にて太郎小野宮のをと二郎右大臣(うだいじん)、四郎五郎こそは大納言(だいなごん)などにてさしならび給(たま)へりけれど后たち給(たま)はずなりにけり。近(ちか)うは九条(くでう)のおとどわが御身は右大臣(うだいじん)にてやみ給(たま)へれど、おほ后(きさき)の御(おほん)はらの冷泉(れいぜい)の院(ゐん)円融(ゑんゆう)の院(ゐん)さしつゞきおはしまし、十一人(にん)の男子(をのこご)の中に五人(にん)太政(だいじやう)大臣(だいじん)になり給(たま)へり。いまにいみじき御さいはひなりかし。されど后(きさき)三(み)所(ところ)たち給(たま)へる例(ためし)はこのくにゝは又(また)なき事(こと)なりなどよにめでたき御有様(ありさま)を言(い)ひつゞけさせ給(たま)ふ。今年(ことし)五十四なり。死(し)ぬとも更(さら)に恥(はぢ)あるまじ。いま行末(ゆくすゑ)もかばかりの事(こと)はありがたくやあらん。あかぬ事は尚侍東宮(とうぐう)に奉(たてまつ)り皇太后宮(くわうだいこうくう)の一品宮の御(おほん)事(こと)、このふたことをせずなり
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ぬるこそあれと大宮(みや)おはしまし摂政のおとどいますかれはさりともとし給(たま)ふ事(こと)ありなんと言(い)ひつゞけさせ給(たま)ふ。宮(みや)殿(との)原(ばら)せきとめがたうおぼされ、僧俗(そうぞく)涙(なみだ)とどめがたし。上(うへ)はさらにもいはず聞(き)こえさせんかたなし。かくていまはとくゐん源僧都(そうづ)召(め)して、御(み)髪(ぐし)おろさせ給(たま)ふ。上(うへ)も年(とし)頃(ごろ)の御本意(ほい)なれば、やがてと宣(のたま)はすれど、かんの殿(との)の御事(こと)の後(のち)にと申(まう)させ給(たま)へば、いと口(くち)惜(を)しと覚(おぼ)し惑(まど)ふもいみじ。僧都(そうづ)の御(み)髪(ぐし)おろし給(たま)ふとて、年(とし)頃(ごろ)のあひだよの固(かた)めにて、一切(いつさい)衆生(しゆじやう)を子のごとくはぐくみ、正法をもて国をおさめひだうのまつりごとなくて過(す)ぐさせ給(たま)ふに限(かぎ)りなき位(くらゐ)をさり、めでたき御身をすてゝすつけ入道(にふだう)せさせ給(たま)ふを、三世しよぶつよろこび給(たま)はんに、げんぜは命(いのち)のび、こしやうはごくらくのじやうぼん上しやうにのぼらせ給(たま)ふべきなり。三帰五かいをうくる人(ひと)から、卅六部の善神恒河沙眷属どもにまもるものなり。いはんや誠(まこと)のすつけをやなど哀(あは)れにたうとき事限(かぎ)りなし。宮々(みやみや)殿(との)原(ばら)惜(を)しみ悲(かな)しひ聞(き)こえ給(たま)ふ事(こと)理(ことわり)に悲(かな)し。内(うち)東宮(とうぐう)より御つかひひまなしかくて後(のち)は、さりともに頼(たの)もしきかたそはせ給(たま)ひぬ。御(おほん)もののけども口(くち)惜(を)しかりねたむ事(こと)限(かぎ)りなし。それもいと頼(たの)もしう聞(き)こし召(め)す。日頃(ひごろ)もならせ給(たま)ふまゝに御もののけども、やう<うすらぎもてゆく御(おん)心地(ここち)もこよなくよろしくならせ給(たま)ひて、御くだ物など聞(き)こし召(め)す。いかでかはほとけの御験(しるし)なきやういといよ<
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頼(たの)もしくおぼさる。よろづよりもかうならせ給(たま)ひしをり、年(とし)頃(ごろ)の御随身どもを召(め)し出(い)でて。禄給(たま)はせてかへし参(まゐ)らせ給(たま)ひしに、御随身はら涙(なみだ)をながして庭(には)のまゝに伏(ふ)し転(まろ)びなきしこそ、いみじう悲(かな)しかりしか。御のりのそうたちい〔よ〕<こころをつくし験(しるし)ありと思(おも)へり。この御悩(なや)みは寛仁三年(さんねん)三月十七日より悩(なや)ませ給(たま)ひて廿七日にすつけせさせ給(たま)へれば、日ながくおぼさるゝまゝに、さるべき僧達(そうたち)・殿(との)原(ばら)などゝ御物がたりせさせ給(たま)ひて、御(おん)心地(ここち)こよなうおはします。いまは唯(ただ)いつしかこのひんがしに御(み)堂(だう)たてゝ、すゞしくすむわさせんとなん。つくるべきかくなんたつべきなと言(い)ふ御こころだくみいみじ。かくて日頃(ひごろ)になるまゝに御(おん)心地(ここち)さはやきて、すこしこころのどかにならせ給(たま)ひて、きのふ今日(けふ)ぞ宮々(みやみや)御(おほん)かたがたへ渡(わた)らせ給(たま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)いまにおこたりにて侍り。大宮(みや)中宮(ちゆうぐう)とくうちへいらせ給(たま)へ。さうざうしくおはしますらんとそゝのかし聞(き)こえさせ給(たま)へど、大宮(みや)は猶(なほ)暫(しば)しとこころのどかにおぼされたり。中宮(ちゆうぐう)ぞいらせ給(たま)ふ。とのは御(み)堂(だう)をいつしかとのみ思(おぼ)し召(め)す。このよの事はたゝ此御(み)堂(だう)の事ばかり思(おぼ)し召(め)さるれば、摂政殿もいみじう御こころにいれてをきて申(まう)させ給(たま)ふ。皇太后宮(くわうだいこうくう)は一条(いちでう)殿(どの)にかへらせ給(たま)ふ。かくとみをき奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、各(おのおの)かへらせ給(たま)ふ御(おん)心地(ここち)ともそ聞(き)こえさせんかたなふ嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)す。この度(たび)の御悩(なや)みかくおこたらせ給(たま)はんものとだれもおぼしかけさりつる事(こと)ぞかし。よにめでたき
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事(こと)の例(ためし)に思(おも)ひ申すべし。かくて三月晦日(つごもり)に例(れい)の宮々(みやみや)の御更衣(ころもがへ)のものども奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。いましもおこたらせ給(たま)ふべき事(こと)ならず。皆(みな)わかち奉(たてまつ)らせ給(たま)ふとて、大宮(みや)にからの御衣(ぞ)のれうにそへさせ給(たま)へり
@からごろもはなの袂(たもと)にぬぎかへよわれこそはるの色はたちつれ W170。
大宮(みや)御覧(ごらん)じていみじうなかせ給(たま)ひて御(おほん)かへし
@からごろもたちかはりぬる世(よ)の中(なか)にいかでかはなのいろもみるべき W171。
殿(との)の御うたを聞て和泉式部(しきぶ)か大宮(おほみや)に参(まゐ)らする
@ぬぎかへん事(こと)ぞ悲(かな)しきはるのいろを君(きみ)がたちける〔こ〕ろもと思(おも)へば W172。
大宮(みや)の宣旨(せんじ)かへし
@たちかはるうき世(よ)の中(なか)は夏(なつ)ごろもそでに涙(なみだ)もとまらざりけり W173。
同(おな)じころ殿(との)のいづみをみて読人(よみびと)知(し)らず、
@みづのおもにうかべるかげはかくながらちよまですまんものにやはあらぬ W174
御(お)前(まへ)のたきのをとを聞(き)きてむまの中将(ちゆうじやう)
@そでのみぞかはくよもなき水のをとのこころ細(ぼそ)きにわれもなかれて W175。
かくて世をそむかせ給(たま)へれど御急(いそ)ぎはうら吹かぜにや、いまは御(おん)心地(ここち)例(れい)ざまになりはてさせ給(たま)ひぬれば、御(み)堂(だう)の事覚(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。摂政(せつしやう)殿(どの)国々(くにぐに)まで、さるべき公(おほやけ)ごとをはある
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物にて、この御(み)堂(だう)の事(こと)をさきとつかうまつるべき仰(おほ)せごと宣(のたま)ふ。殿(との)の御(お)前(まへ)も此の度(たび)生きたるはこと<”ならず、このねがひのかなふべきなめりと宣(のたま)はせて、こと<”なく御(み)堂(だう)におはします。ほう四町をこめておほかきにして、かはらぶきたり。様々(さまざま)におぼしをきて急(いそ)がせ給(たま)ふに、夜のあくるも心(こころ)もとなく日のくるゝも口(くち)惜(を)しうおぼされて、よもすがらはやまをたゝむべきやう、いけをほるべき様(さま)、木をうへなめさせさるべき御(み)堂(だう)御(み)堂(だう)かたがた様々(さまざま)つくりつゞけ、御ほとけはなべての様(さま)にやはおはします。じやう六(ろく)のこんじきのほとけを数(かず)も知(し)らず造(つく)り並(な)め、そなたをは北南とめたうをあけてみちを整(ととの)へつくらせ給(たま)ふ。鶏(とり)の鳴(な)くも久(ひさ)しくおぼされ、よひ暁(あかつき)の行(おこな)ひもおこたらず、安(やす)きいも御とのごもらす唯(ただ)この御(み)堂(だう)の事をのみふかく御心(こころ)にしませ給(たま)へり。日々に多(おほ)くの人(ひと)参(まゐ)りまかでたちこむ。さるべき殿(との)原(ばら)を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、宮々(みやみや)の御ふ御荘ともより一日に五六百人(にん)の夫を奉(たてまつ)るに、かず多(おほ)かるをばかしこき事(こと)におぼしたち国々(くにぐに)のかみともちし官物はをそなはれども、只今(ただいま)はこの御(み)堂(だう)の夫やくざいもくひはだかはらと多(おほ)く参(まゐ)らする事(こと)を、われも<ときをひつかうまつる。大方(おほかた)近(ちか)きもとをきも、参(まゐ)りこみて品々(しなじな)かたがた辺(あた)り辺(あた)りにつかうまつる。ある所(ところ)をみれば、御ほとけつかうまつるとて、ぶつしども百人(にん)ばかりなみゐてつかうまつる。同(おな)じくはこれこそめでたけれとみゆ。
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御(み)堂(だう)の上(うへ)をみあぐれば、たくみども二三百人(にん)と上りゐておほきなる木どもにはふときをゝつけてすゑをあはせておさへ、さとひきあげ騒(さわ)ぐ。御(み)堂(だう)のうちをみれば、ほとけの御座つくり耀(かかや)かす。いたじきをみればとくさ・むくのは。などして四五百人(にん)てごとになみゐて磨(みが)きのごふ。ひはだぶきかべぬりかはらつくりなどかずをつくしたり。又(また)年(とし)おいたるおきな法師(ほふし)などの、二尺ばかりの石を心(こころ)にまかせてきりめ整(ととの)ふるもあり。いけをほるとて四五百人(にん)をりたち、山(やま)をたゝむとて五六百人(にん)をりたち又(また)おほちのかたをみれば、ちから車(ぐるま)にえもいはぬおほぎともにつなをつけてさけひののしりひきもていき、かもがはのかたをみればいかだと言(い)ふ物にくれざいもくをいれて、さをさして心地(ここち)よげにうたひののしりてもてのぼるめり。大つむめづの心地(ここち)するもにしはひんがしと言(い)ふ事(こと)はこれなりけり。みゆと言(い)ふばかりのいしをはかなきいかだにのせて、ゐてくれどしづまずすべて色々(いろいろ)様々(さまざま)言(い)ひつくしまねびやるべきかたなし。かのすたつちやうじやぎをんしやうじやつくりけんもかくやありけんとみゆるを冬(ふゆ)のむろ夏(なつ)の各(おのおの)なるかかる御いきほひにそへ、入道(にふだう)せさせ給(たま)ひて後(のち)は、いとどまさらせ給(たま)へりとみえさせ給(たま)ふにも、猶(なほ)なべてならざりける御有様(ありさま)かなと近(ちか)う見(み)奉(たてまつ)る人(ひと)はたうとみ、とをき人(ひと)ははるかにおがみ参(まゐ)らす。いまはこの御(み)堂(だう)の木くさともならんと思(おも)へる人(ひと)のみ多(おほ)かり。そなたざまにおもむけば海(うみ)のなみもやはらかにたちて、御(み)堂(だう)のものをもて運(はこ)ばせ。川もみづ
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すみて心(こころ)よくうかべもて参(まゐ)るとみゆ。猶(なほ)この世(よ)の事(こと)ゝはみえさせ給(たま)はず。先(まづ)はせんねんにあるそうの御祈(いの)りをいみじうして、ねたりける夢(ゆめ)におほきにいかめしき男(をとこ)の出(い)で来(き)て、何(なに)かかく殿(との)の御事をはともかくも申し給(たま)ふ。こうぼうだいしのぶつはうこうりうのために、むまれ給(たま)へるなりとぞみえさせ給(たま)ひける。又(また)天王寺のしやうとくたいしの御につきには、わうじやうよりひんがしにぶつはうひろめんはわれとしれとこそはかきをかせ給ふなれ。いづれにても疎(おろ)かならぬ御事(こと)なり。御すつけの年(とし)の十月、ならにて御受戒あり。おはします程(ほど)、よろづを削(そ)がせ給(たま)ふと思(おぼ)せと上達部(かんだちめ)殿(との)原(ばら)、あるは御車(くるま)位(くらゐ)あさき上達部(かんだちめ)君達(きんだち)は皆(みな)むまにてつかうまつり給(たま)ふ。あるは直衣(なほし)かりぎぬにておはす。てんじやうの君たち様々(さまざま)のあをども指貫(さしぬき)心(こころ)の限(かぎ)りしたり。さるべきそうがうぼんそうえりたてゝつかうまつれり。おかしげなる人(ひと)の子など御供(とも)に候(さぶら)ふ。世(よ)の人(ひと)み物にして車(くるま)さじきなどしたり。京出(い)でさせ給(たま)ふより内(うち)東宮(とうぐう)の御つかひつゞきたちたり。山階寺(やましなでら)の御まうけ国守つかうまつれる程(ほど)推(お)し量(はか)るべし。御受戒とうだいじにてせさせ給(たま)ふ。ならの都(みやこ)のためにかかる事はあるにやとみえたり。こころのどかに三日おはしまして、御(み)堂(だう)<くらどもひらかせて御覧(ごらん)ずるに、めもあやなる事ども多(おほ)かり。我御堂もかやうにせんと思(おぼ)し召(め)す。かくてかへらせ給(たま)ふとて、てらのそうども品々(しなじな)につけてよろこび給(たま)はす。 唯
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法皇のみゆきもかくこそあらめとみゆ。山階寺(やましなでら)のそうども、だうどうしまでかつけ物疋絹賜(たま)はす。山(やま)には来年そ御受戒あるべく思(おぼ)し召(め)す。大方(おほかた)おぼしをきてたる有様(ありさま)まねびつくすべからず。我世(よ)の始(はじ)めより法華経(ほけきやう)のふだんきやうをよませ給(たま)ひつゝ、内(うち)春宮(とうぐう)宮々(みやみや)皆(みな)この事(こと)を同(おな)じくつとめ行(おこな)はせ給(たま)ふ。次々(つぎつぎ)の殿(との)原(ばら)摂政殿を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、皆(みな)行(おこな)はせ給(たま)ふに、其(そ)の験(しるし)あらはにめでたし。これをみ給(たま)ひてこのひとるいのほかの殿(との)原(ばら)、皆(みな)あるはふだんきやう、あるはあさ夕つとめさせ給(たま)ふ。時の受領ども皆(みな)このまねをしつゝ、くにのうちにてふだんきやうよませぬなし。斯(か)かる程(ほど)にこののりをひろめさせ給(たま)ふになりぬれば、御功徳(くどく)の程(ほど)思(おも)ひ遣(や)るに限(かぎ)りなし。このきやうをかくよませ給(たま)ふにのみあらず、御よの始(はじ)めよりして、年(とし)ごとの五月に、やがて朔日(ついたち)より晦日(つごもり)まで無量(むりやう)義経より法華経(ほけきやう)の廿八ほん、ふげんきやうにいたるまで一日に一品をあてさせ給(たま)ひて、論義をせさせ給(たま)ふ。なんぼくのそうがう・ぼんそう・がくしやう数をつくしたり。やむごとなく大人(おとな)ゝるはそうじやう、あるは聴衆すべて廿人(にん)、かうじ卅人(にん)召(め)しあつめて候(さぶら)はせ給(たま)ふ。論義の程(ほど)いとはしたなげなり。ここらの上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)・そうどものきくに、山(やま)にもならにもがくもんにかたどれるは、おいたる若(わか)きいはず召(め)しあつむれば、只今(ただいま)はこれを公(おほやけ)わたくしの交(ま)じらひの始(はじ)めと思(おも)ひめさるゝをばめんほくにし、
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さらぬをば口(くち)惜(を)しき事(こと)に思(おも)ひて、あるは学問をし、あるはともしびをかかげてきやうろんをならひ、月のひかりに出(い)でて法華経(ほけきやう)をよみ、あるはくらきにはにそらにうかべ誦しなどしてひねもすによもすがらいとなみならひて参(まゐ)りあひたるに、きやうを誦しろんぎをするに、おとりまさりの程(ほど)を聞(き)こし召(め)ししり、このきく人々(ひとびと)そうたち勝負(かちまけ)を定(さだ)め、このかたしり給(たま)へる殿(との)原(ばら)はさしいらへ給ふなどして程(ほど)、恥(は)づかしけにも月の夜はなのあしたには、もののねをふきあはせしらへこの殿(との)原(ばら)そうたち、きやうのうちの心(こころ)をうたによみ、あるはふみにつくり、あるはかの@@05 百千万ごうのぼだひのたね、八十三年(さんねん)のくどくのはやし[かな: ひやくせんまんごふのぼだいのたね、はちじふさんねんのくどくのはやし] B05。又(また)、@@06 ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごう、きやうげんきゞよのあやまりをもて、かへしてたうらい世々の作仏ぜうのいむ、てんぼうりんの縁と[かな: ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ、きやうげんきぎよのあやまりをもて、かへしてたうらいせぜのさくぶつじようのいん、てんほふりんのえんと ] B06、誦し給(たま)ふもたうとくおもしろし。まいて御かはらけも度々(たびたび)になりぬれば、御ころものうらも一乗のたまをかけて、御けしきどもあきらかなり。皆(みな)きやうの心(こころ)をよみ給(たま)ふ。四条(しでう)大納言(だいなごん)の御うたなかに世(よ)につたはりけうをとめたり。ずりやうほんのしやうさいれうずせんを
@いでいると人(ひと)はみれどもよとゝもにわしのみねなる月はのどけし W176
△又(また)普門品
@世(よ)にすくふうちには誰(たれ)かいらざらんあまねきかどを人(ひと)しさゝねば W177。
これをあつまりて誦し給(たま)ふもげにと聞(き)こゆ。さても同(おな)じこころ一筋(すぢ)なればかかす。あるはくやうほうの御読経とて、しんごんの心(こころ)ばへありと聞(き)こし召(め)すをばよにいでたるも、山(やま)にこもりてら
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にゐたるをもたづね召(め)しいづれば、このかたをたつる人々(ひとびと)はいとどほうもんをまもり、はちの油をかたぶけしんごんを磨(みが)きて、かめのみつをうつしよろづにしたてゝ召(め)しいでられては、しんごんのをもむきふかさあさゝの程(ほど)をわき聞(き)こし召(め)して、そうたちに定(さだ)め宣(のたま)はせて、其(そ)のかたにまとにふかうして顕密ともにあきらかなるをばかれすゝまねどあさりのけもんをはなさせ給(たま)ふ。公(おほやけ)わたくしの御しとなさせ給(たま)ふ。あるは宮々(みやみや)の御祈(いの)り御ときやうをつけさせ給(たま)へば、かかるよにあひたるをむなしう過(す)ぐすべからずと思(おも)ひて、をとらしまけじと其(そ)のかたをつとめ行(おこな)ふ。斯(か)かる程(ほど)にのりのともしびをかかけ、ぶつほうの命(いのち)をつがせ給(たま)ふになりぬれば、嬉(うれ)しくあきらかなる御よにあひて、くらきよりくらきにいれるすしやうとも、この御ひかりにてらされてよろこびをなす。又(また)こはたと言(い)ふところは太政(だいじやう)大臣(だいじん)もとつねのおとゝ後(のち)の御諱(いみな)昭宣公なり、その大臣(おとど)の点(てん)じ置(お)かせ給(たま)へりしところなり。藤氏の御はかとおぼしをきてたりけるところに、殿(との)の御(お)前(まへ)若(わか)くおはしましけるとき、故殿の御供(とも)におはしましておぼしけるやう、わがせんぞより始(はじ)め親(した)しき疎(うと)き分(わ)かず、いかで皆(みな)これを仏となし奉(たてまつ)らんとおぼしける御志(こころざし)年(とし)月へけるをこの折(をり)こそとおぼししめしけり。いづれの人(ひと)も、あるはせんぞのたて給(たま)へるだうにてこそ忌日もしせつきやうせつほうをもし給(たま)ふめれ。 真実(しんじつ)の御身をおさめられ給(たま)へるこの山(やま)には唯(ただ)験(しるし)ばかりの石(いし)の卒都婆(そとば)一品(いつぽん)ばかりたてたれば、
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また参(まゐ)りよる人(ひと)もなし。これいと本意(ほい)なき事(こと)なりとおぼして、この山(やま)のいたゞきを平(たひら)げさせ給(たま)ひて、たかきところをばけづり、短(みじか)きところをばつちをゝきなどせさせ給(たま)ふ。さんまいたうをたてさせ給ふなかに、めんたうをあけさせ給(たま)ひてさうに、そうばうをたてさせ給(たま)ひて、供をあてさせ給(たま)ふ。夏(なつ)冬(ふゆ)のいぶくを給(たま)ひやがて其(そ)のあたりのむら、一(ひと)つきとゝなさせ給(たま)ひてみづきよくすみ、煙(けぶり)たえずして事(こと)のたよりを給(たま)はせてはくゝみかへりみさせ給(たま)ふ程(ほど)に、よろづの人(ひと)きをひすみ住す御(み)堂(だう)くやう寛仁三年(さんねん)十月十九日より法華経(ほけきやう)百部其(そ)のなかにわが御てづからかきて一ぶませさせ給(たま)へり。七そう百僧などせさせ給(たま)ひて、ほうぶくうるはしくしてくばらせ給(たま)ふ。其(そ)の日藤氏の殿(との)原(ばら)かつずいきのため、ちやうもんのゆへに残(のこ)りなくつどひ給(たま)へり。さき<”の一の人(ひと)などおぼしよらざりけんとみえたり。殿(との)の御(お)前(まへ)ここらの人(ひと)のまへにてさんまいのひをうたせ給(たま)ふ。我この大願(だいぐわん)のちからにより、この山(やま)にこつをうづみ、かばねをかくし給(たま)へらん人々(ひとびと)わかせんぞより始(はじ)め奉(たてまつ)り、親(した)しきうときわかず、すきにしかたいま行末(ゆくすゑ)にいたるまで、わがすゑの人々(ひとびと)これを同(おな)じくつとめ、さんまいのともしびをけたずかかげつぐべくは。この火とくいづべしと宣(のたま)はせてうたせ給(たま)ひしに、其(そ)の火一どに出(い)でてこの廿余年いまだきえず。其(そ)の日の御願文
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式部(しきぶ)の大輔(たいふ)大江匡衡朝臣(あそん)つかうまつれり。おほふかきつゝけたれどけしきばかりをしるす。始(はじ)めの有様(ありさま)もきかまほしくぞ願文の詞かなのこころしらぬともまなのましりにてあれば、うつしとらず其(そ)の折(をり)は左大臣(さだいじん)にておはします。此の寺(てら)の名(な)をばしやうめうじとぞつけられたる。事(こと)どもはてゝ殿(との)の御(お)前(まへ)を始(はじ)め奉(たてまつ)り、藤氏の殿(との)原(ばら)皆(みな)御誦経(じゆぎやう)せさせ給(たま)ふ。そうども禄たまはりてまかりいでぬ。大方(おほかた)この事(こと)のみならず、年(とし)頃(ごろ)しあつめさせ給(たま)へる事(こと)かずしらず多(おほ)かり。正月より十二月(じふにぐわつ)まで、其(そ)の年(とし)の中の事(こと)ども一とはづれさせ給(たま)はず。この折節(をりふし)急(いそ)ぎあたりたるさるべきそうたち・寺々(てらでら)の別当(べつたう)・所司を始(はじ)めよろこびをなし。祈(いの)りまうすならば正月御斎会のかうじつかうまつるとて、八さうにあるかうじをとぶらひ、山(やま)には四きの懺法に参(まゐ)らせ給(たま)ひて、仏供みあかしまでの事(こと)をせさせ給(たま)ふ。二月には山階寺(やましなでら)の涅槃会(ねはんゑ)に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。よろづの事(こと)残(のこ)りなくし行(おこな)はせ給(たま)ふ。かく人(ひと)の禄などすべて一(ひと)つかくる事(こと)なし。かの熱田(あつた)のみやうじん宣(のたま)ひけん様(さま)も哀(あは)れにおぼさる。三月しがのみろくゑに参(まゐ)らせ給(たま)ひてはてんちてんわうの御てらなり。天平勝宝八年。兵部(ひやうぶ)卿(きやう)正四位(しゐ)下橘朝臣(あそん)奈良麿か行(おこな)ひ始(はじ)めたるなりと哀(あは)れにおぼされて、よろづの事(こと)ども急(いそ)がせ給(たま)ふ。四月ひえの舎利会じかくだいしのもろこしよりもてわたし給(たま)ひて、貞観二年より始(はじ)め行(おこな)ひ給(たま)へり。これにつけてもかの香姓婆羅門
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にとどめ置(お)きけん程(ほど)哀(あは)れにおぼされて、例(れい)のかかる事(こと)なくせさせ給(たま)ふ。長谷寺のぼさつかいに参(まゐ)らせ給(たま)ひて、御帳より始(はじ)めてめでたくせさせ給(たま)ひて、別当(べつたう)法師(ほふし)をよろこびせさせ給(たま)ふ。様々(さまざま)品々(しなじな)につけて、かつげ物疋絹を給(たま)はせて、かの沙弥得道可礼拝威力自然作仏のぬかも哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)す。六月会に山(やま)にのぼらせ給(たま)ひてはでんけうだいしの始(はじ)め行(おこな)はせ給(たま)へる。七月ならの文殊会に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。八月山(やま)の念仏はじかくだいしの始(はじ)め行(おこな)ひ給(たま)へるなり。中のあきかぜすゞしう月あきらかなる程(ほど)なり。八月十一日より十七日までの程(ほど)、公(おほやけ)わたくしの御いとなみをもみ過(す)ぐしてこもりおはしましてやがて行(おこな)はせ給(たま)ふ。九月には参(まゐ)らせ給(たま)ひては香水をもて御いたゞきにそゝかると思(おぼ)し召(め)す。十月山階寺(やましなでら)の維摩会に参(まゐ)らせ給(たま)ひてはよろづをせさせ給(たま)ふ。うちにこれはもとより藤氏の御始(はじ)め不比等のおとゝの御建立のところなれば、代々の一の人(ひと)しり行(おこな)はせ給(たま)ふ。なかにもこのとのいみじうおぼしいたらぬ事(こと)なくせさせ給(たま)ふ。これはこのよの例(ためし)年(とし)をかせ給(たま)ふ事(こと)ども多(おほ)かり。維摩長者の衆生(しゆじやう)のつみをおぼし悩(なや)みけん程(ほど)もいつとなく哀(あは)れにおぼさる。十一月(じふいちぐわつ)山(やま)のしも月会のうち論義にあはせ給(たま)ひて、こぼうしはらのろんぎのをとりまさりの程(ほど)を定(さだ)めさせ給(たま)ひて、まさるにはものをかづけさせ給(たま)ふ。御衣(ぞ)をぬがせ給(たま)ふ。をとるにはいまゝた参(まゐ)りてせんとす
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学問(がくもん)よくすべしと言(い)ひはげまさせ給(たま)ふ程(ほど)も、ほとけの御はうべんににさせ給(たま)へり。十二月(じふにぐわつ)公(おほやけ)わたくしの御仏名御読経のいとなみ疎(おろ)かならず思(おぼ)し召(め)さる。このひま<”には山(やま)のみやしろの八講行(おこな)はせ給(たま)ふ。てんわうじに参(まゐ)らせ給(たま)ひてはたいしの御有様(ありさま)哀(あは)れにおぼさる。いもこの大臣のゐて奉(たてまつ)りたる御きやうは、夢(ゆめ)殿(どの)にある机にをかせ給(たま)へり。わかとりにおはしましたりけるはうせ給(たま)ひける日、やがてさきだゝせ給(たま)ひにけり。かめ井の水に御てをすましても、よろづよまでやとみえさせ給(たま)ふ。かうやに参(まゐ)らせ給(たま)ひて、だいしにうぢやうの様(さま)をのぞき見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御ぐしあをやかに奉(たてまつ)りたる御衣(ぞ)いささかちりはみけがれず、あざやかにみえたり御いろあひなどぞめづらかなるや。唯(ただ)ねふり給(たま)へるとみゆ。哀(あは)れに弥勒の出世(よ)のあしたにこそはおどろかせ給(たま)はんず〓なめれ。きんめいてんわうの御ときのつき八十年ばかりにやならせ給(たま)ひぬらん。かくおぼしいたらぬひまなく哀(あは)れにめでたき御心(こころ)の程(ほど)、世(よ)の例(ためし)になりぬべし。六波羅密寺うんりんゐんのぼさつこう事(こと)の折節(をりふし)迎講などにもおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。大方(おほかた)この事(こと)のみかはわが御願のうちにせさせ給(たま)ふ事(こと)ども、まねびつくすべきかたなし。あるときは六くはんをんをつくらせ給(たま)ふ。あるときは七ぶつやくしをつくらせ給(たま)ふ。あるときは八さうじやうだうをかかせ給(たま)ふ。あるときは九躰の阿弥陀仏をつくらせ給(たま)ふ。又(また)十斎のほとけ等身につくらせ給(たま)ふ。あるときは百躰の釈迦をつくり、
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せんずくはんをんをつくらせ給(たま)ふ。一まんのふどうをつくり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。またこんていの一切経(いつさいきやう)をかきくやうせさせ給(たま)ふ。あるときは八まんぶの法華経(ほけきやう)をかかせ給(たま)ふ。滅罪生善のためと思(おぼ)し召(め)す。これにそへて、せんほふのいとなみおこたらせ給(たま)はず。御(み)堂(だう)のつとめひねもすに、よもすがらおこたらせ給(たま)はす。年月をへてしあつめさせ給(たま)ふ事(こと)、ぶつはうにあらずと言(い)ふ事(こと)なし。世(よ)の中(なか)正法すゑになりててんぢくはほとけあらはれ給(たま)ひしさかいなれど、いまはけいそく山(やま)の古(ふる)き道にはたけしげりて人(ひと)のあとみえず。ことくおんの昔(むかし)の庭はつきうせて人(ひと)もすまさなり。わしのみねには思(おも)ひあらはれて、鶴林にはこゑたえて迦旃はかねのこゑに伝(つた)へけうほんばたひはみづと流(なが)れなどして、あはれなるすゑの世(よ)にかくほとけをつくりだうをたて、そうをとぶらひちからをかたぶけさせ給(たま)ふ。ぶつけうのともしびをかかげ、人(ひと)をよろこばせ給(たま)ひて世(よ)のおやとおはします。わが御身は一(ひと)つにて三代の御門(みかど)の御後見(うしろみ)をせさせ給(たま)ひて、六十に国六斎日に殺生をとどめさせ給(たま)ふ。よき事(こと)をはすゝめあしき事(こと)をばとどめさせ給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に、衆生界つき衆生(しゆじやう)の劫つきんにや、この御代もつきさせ給(たま)はんとみゆ。年(とし)頃(ごろ)しづめさせ給(たま)へる事(こと)どもを聞(き)こえさする程(ほど)に、涌出品のうたがひぞいできぬべき其(そ)の故(ゆへ)は、殿(との)の御出家(しゆつけ)のあひだいまだひさしからでせさせ給(たま)へるぶつじはかずしらず多(おほ)かるはかの品にほとけをみてよりこのかた。
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四十余(よ)年に化度し給(たま)へるところの涌出品のぼさつばかりなし、ちゝ若(わか)うして子おいたり、よこぞりて信ぜずと言(い)ふたとひのやうなり。されど御代の始(はじ)めよりしづめさせ給(たま)へる事(こと)どもしるす程(ほど)に、かかるうたがひもありぬべきなり。世(よ)の中(なか)にある人(ひと)たかきもいやしきも事(こと)ゝ心(こころ)とあひたかふものなり。うへ木しづかならんと思(おも)へど、かぜ休(やす)まず。子けうせんと思(おも)へどおやまたず。一切(いつさい)せけんにさうある物は皆(みな)しす。寿命(ずみやう)無量(むりやう)なりといへど必(かなら)ずつくる期あり。さかりなるものは必(かなら)ずおとろふ。かうはいするものは煩(わづら)ひあり。ほうとしてつねなる事(こと)なし。あるはきのふさかえて今日(けふ)はおとろへぬ。はるのはなあきの紅葉(もみぢ)といへどはるのかすみたなびきあきのきりたちこめつれば、こほれてにほひみえず。唯(ただ)ひとわたりのかぜにちりぬるときは水のあはみぎはのちりとこそはなりぬめれ。唯(ただ)この殿(との)の御(お)前(まへ)のゑいぐわのみこそ、ひらけ始(はじ)めさせ給(たま)ひにしより後(のち)、ちとせのはるのかすみあきのきりにもたちかくされてかせもうごきなくえだをならさねば薫(かをり)まさるよにありがたくめでたき事(こと)、優曇花(うどんげ)の如(ごと)く、水に生(お)ひたる花(はな)は、青(あを)き蓮(はちす)の世(よ)に勝(すぐ)れて、香(か)匂(にほ)ひたる花(はな)は並(ならび)なきが如(ごと)し。
弟子大日本国左大臣正二位藤原朝臣道長前白雲山浄土釈迦尊言風聞天上天下妙覚之理独円三千大千無縁之慈普被仏法之冲〓不可得而称者也
弟子自竹馬鳩車至而立強仕不好独善企兼済不忘敬始願善終
昔弱冠著緋之時従先考大相国屡詣木幡墓所仰三重瞻四域古塚畳畳幽〓寂寂仏儀不見只見春花秋月法音不聞只聞渓鳥嶺猿
尓時不覚涙下窃作此念我若向後至大位心事相諧者争於茲山脚造一堂修三昧福助過去恢弘方来思而渉歳不敢語人
爰承累葉之慶浴皇華之恩年三十極人臣之位十十年忝王佐之任皇帝之為舅也皇后之為父也栄余於身賞過於分如履乕尾如撫竜鬚因茲雖趣朝庭雖居私廬発菩提心凝道場観行住坐臥事三宝造次顛沛帰一乗
抑検家譜万歳藤之栄所以卓犖万姓其理可然何者始祖内大臣扶持宗廟保安社稷淡海公者手草詔勅筆削律令興仏法詳帝範其後后妃丞相積功累徳寔繁有徒矣
建興福寺法華寺開勧学院施薬院忠仁公始長講会昭宣公点木幡墓貞信公建法性寺修三昧九条右相府建楞厳院修三昧先考建法興院修三昧此外傍親列祖之善根徳本不遑称計
方今時時詣墳墓為建寺指点形勝向彼松下則〓二恩父母之廟壇問此巌頭亦〓同胞兄弟之芳骨雖至孝鐘愛之子孫不能晨昏雖近習旧労之僕妾不能陪侍山嵐朝掃庭渓月夜舉燭而已
仍自長保六年三月一日結花構償初心不材之所企造普賢而為削木拝皃之志匪右之所思書妙法而代立碑旌徳之文是以励拙掌而馳筆迹以信為嘉手債毘首而加意巧移孝礼尊顔今日択耀宿始法花三昧刻十月定星之期廻万代不朽之計于時蒙霧開愛日暖可謂天地和合風雨不違祖考感応垂冥助之令然也
別亦奉書法花経百部千軸般若心経百巻嘱百余口賢聖衆以香花梵唄洪鐘浮磬宝蓋幢幡名衣上眼七珎百味供養之演説之青苔鋪設自展七浄瑠璃之茵紅葉乱飛暗成千花錦繍之帳玉軸星羅見崑山之積玉金言流布知提河之有金
夫寺廟者如来之墳墓也実相者法身之舎利也山城独勝有便於弘一乗王舎不遠無煩於率群僚丹丘青像忽具如来真色万籟百泉皆唱妙法之梵音疑是霊鷲山之乗五色雲以飛来歟将若法竜池之驚六種動以涌出歟視耳未曽視聴目未曽聴
彼端木者魯之賢士也移家於孔子之墓傍王劭者晋之重臣也築寺於祖父之廟北聚竜象以弘智峰譏羊太伝之絶後胤伴槐棘以高法棟擬王丞相之拝先塋
黒白衣之雲集豈唯三列五郡之浅契内外戚之影従抑亦見仏聞法之大縁功徳遍于法界利益及于衆生我願既満衆望亦足以此一善廻向四恩天下安穏万民快楽敬礼釈迦妙法大乗妙光法師普賢薩〓入此道場証明功徳天神地祇及茲山幽霊善神被如来之衣著菩薩之座仰願三宝増益一念
嗟呼煖焼寒木於大智之日涙変蒼栢之煙霑朽壌於甘露之泉手播白蓮之種劫石雖〓願主之印不〓芥城縦尽不退之輪長転願共諸衆生上征兜率西遇弥陀弟子帰命稽首敬白
〔造法成寺之時御功徳之次引先年事非相違歟此願文左大弁行成卿清書之由有其伝抑此浄妙寺供養寛弘二年也而注御出家以後年記相違歟。〕