栄花物語詳解巻七


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〔栄花物語巻第七〕 鳥邉野(とりべの)
かくて八月ばかりになれば、皇后宮(くわうごうぐう)にはいと物(もの)心(こころ)細(ぼそ)くおぼされて、明(あ)け暮(く)れは御涙(なみだ)にひぢて、過(す)ぐさせ給(たま)ふ。荻(をぎ)のうはかぜ萩(はぎ)の下露(したつゆ)もいとど御耳(みゝ)にとまりて過(す)ぐさせ給(たま)ふにも、いとど昔(むかし)のみおぼされてながめさせ給(たま)ふ。女院(にようゐん)よりはおぼつかなからず御消息(せうそこ)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。内(うち)よりはたゞにもあらぬ御事(こと)を心(こころ)苦(ぐる)しう思(おぼ)しやらせ給(たま)ひて、内藏寮(くらづかさ)より様々(さまざま)物(もの)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御慎(つつし)みをも、思(おぼ)す様(さま)にもあらず。御修法二壇ばかり、さべき御読経などぞあれど、僧などもまづさべきところのをばかかずつとめつかうまつらんと思(おも)ふ程(ほど)に、此(こ)の宮(みや)の御読経などをば、怪(あや)しのかはりばかりの物(もの)はか<”しからず何(なに)ともなくいをのみぬるにつけても、さもありぬべかりし折にかやうの御有様(ありさま)もあらましかば、いかにかひ<”しからまし。なぞや、今(いま)はたゞねんぶつをひまなくきかばやと思(おぼ)しながら、また此(こ)の僧達(たち)のもてなし有様(ありさま)忙(いそ)がしげさともつみをのみこそはつくるべかめれなどおぼされて、たゞさるべき宮司(みやづかさ)などのをきてにまかせられて過(す)ぐさせ給ふ。
帥(そち)殿(どの)・中納言(ちゆうなごん)殿(どの)
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などの参(まゐ)り給ふばかりに万(よろづ)思(おぼ)しなぐさむれど、たゞ御涙(なみだ)のみこそこぼれさせ給(たま)へれば、うたてゆゝしうおぼされても、姫宮(ひめみや)などの御有様(ありさま)をいかに<とのみ思(おも)ほし見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。常(つね)の御夜は僧都(そうづ)の君(きみ)候(さぶら)ひ給(たま)へり。まして此(こ)の君達(きんだち)おはせざらましかば、いかにいとどいはんかたなからましとのみ思(おも)ほし知(し)る事(こと)多(おほ)かるべし。東宮(とうぐう)には宣耀殿(せんえうでん)の数多(あまた)の宮(みや)達(たち)おはしまして、御なからひいとみづ漏るまじげなれば、淑景舎参(まゐ)り給(たま)ふ事(こと)かたし。内(うち)辺(わた)りには五節(ごせつ)・臨時(りんじ)の祭(まつり)など打(う)ちつゞき。今(いま)めかしければ、それにつけても、昔(むかし)忘(わす)れぬさべき君達(きんだち)など参(まゐ)りつゝ、女房(にようばう)など物語(ものがたり)しつゝ、五節(ごせつ)の所々(ところどころ)の有様(ありさま)など言(い)ひかたるにつけても、清少納言(せうなごん)など出(い)であひて、せう<の若(わか)き人(ひと)などにもまさりておかしうほこりかなるけはひを猶(なほ)すてがたくおぼえて、二三人(にん)づゝつれてぞ常(つね)に参(まゐ)る。
宮(みや)は此(こ)の月にあたらせ給(たま)ふ。御(おん)心地(ここち)も悩(なや)ましうおぼされて、清昭法橋常(つね)に参(まゐ)り御願たて、戒(かい)など受けさせ給(たま)ひて、あはれなる事(こと)のみ多(おほ)かり。又(また)さべき白き御調度(てうど)など帥(そち)殿(どの)に急(いそ)がせ給(たま)ふにも、今(いま)内(うち)よりもて参(まゐ)りなんなどあれど、心(こころ)にもまうけであるべきならねば、急(いそ)がせ給(たま)ふ。女房(にようばう)にもきぬども給(たま)はせて急(いそ)がせ給(たま)ふをさへ、一人(ひとり)の御心(こころ)には思(おも)ほしまぎるゝ事(こと)なくて、はかなく御手ならひなどにせさせ給(たま)ひつゝ、物(もの)あはれなる事(こと)共(ども)をのみかきつけさせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)そのまゝの御さうじ
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なれば、法師(ほふし)にをとらぬ御有様(ありさま)・行(おこな)ひなかに只今(ただいま)は此(こ)の事(こと)をのみ申(まう)させ給(たま)ふ。中納言(ちゆうなごん)殿(どの)も里(さと)に出(い)でさせ給(たま)はず、かくてのみ候(さぶら)ひ給(たま)ふ。若宮(わかみや)も姫宮(ひめみや)も御有様(ありさま)の世(よ)に美(うつく)しうおはしますに、何事(なにごと)も思(おも)ほしなぐさみて、我が御命(いのち)共(ども)をこそ知(し)り給(たま)はね。宮(みや)の御有様(ありさま)は何(なに)ゝよりてさあらではあるべきなど思(おぼ)しとりたるにつけても、いみじき物(もの)にかしづき聞(き)こえさせ給(たま)ふ。げに理(ことわり)かなと見えさせ給(たま)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に十二月(じふにぐわつ)になりぬ。宮(みや)の御(おん)心地(ここち)悩(なや)ましうおぼされて、今日(けふ)や<と待(ま)ちおぼさるゝに、今年(ことし)はいみじう慎(つつし)ませ給(たま)ふべき御年(とし)にさへあれば、いかに<と悩(なや)ましげに此(こ)の殿(との)ばら見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、いとど苦(くる)しげにおはします。さるべきはらへ・御読経などひまなし。やむごとなき驗(しるし)ある僧など召(め)しあつめてののしりあひたり。御物(もの)のけなどいとかしがましう言(い)ふ程(ほど)に、長保二年十二月(じふにぐわつ)十五日のよるになりぬ。内(うち)にも聞(き)こし召(め)してければ、いかに<とある御つかひ頻(しき)りなり。斯(か)かる程(ほど)に御(み)子(こ)むまれ給(たま)へり。女(をんな)におはしますを口(くち)惜(を)しけれど、さばれ平(たひら)かにおはしますをまさる事(こと)なく思(おも)ひて、今(いま)は後(のち)の御事(こと)になりぬ。ぬかをつき騷(さわ)ぎ、万(よろづ)に御読経とり出(い)でさせ給(たま)ふに、御湯(ゆ)など参(まゐ)らするに聞(き)こし召(め)し入るゝやうにもあらねば、みな人(ひと)あはて惑(まど)ふをかしこき事(こと)にする程(ほど)に、いとひさしうなりぬれば、猶(なほ)いと<おぼつかなし。御となぶら近(ちか)うもてことて、帥(そち)殿(どの)かほを見(み)奉(たてまつ)り、むげに
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なき御気色(けしき)なり。あさましくてよび探(さぐ)り奉(たてまつ)り給(たま)へば、やがて冷(ひ)えさせ給(たま)ひにけり。
あないみじと惑(まど)ふ程(ほど)に、僧たちさまよひ、猶(なほ)御誦経(じゆぎやう)頻(しき)りにて内(うち)にもとにもいとどぬかを突きののしれど、何(なに)のかひもなくてやませ給(たま)ひぬれば、帥(そち)殿(どの)は抱(いだ)き奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、こゑも惜(を)しまず泣き給(たま)ふ。さるべきなれど、さのみ言(い)ひてやはとて、若宮(わかみや)をば抱(いだ)き放(はな)ち聞(き)こえさせて、かきふせ奉(たてまつ)りつ。日頃(ひごろ)物(もの)をいと心(こころ)細(ぼそ)しと思(おも)ほし召(め)したりつる御気色(けしき)もいかにと見(み)奉(たてまつ)りつれど、いとかくませば思(おも)ひ聞(き)こえさせたりつる。命(いのち)ながきは、憂き事(こと)にこそありけれとて、いかで御供(とも)に参(まゐ)りなんとのみ、中納言(ちゆうなごん)殿(どの)も帥(そち)殿(どの)もなき給(たま)ふ。姫宮(ひめみや)・若宮(わかみや)などみな事(こと)かたにわたし奉(たてまつ)るにつけても、ゆゝしう心(こころ)うし。此(こ)の殿(との)ばらの御折(をり)に宮(みや)の内(うち)の人(ひと)の涙(なみだ)は尽きはてにしかど、のこり多(おほ)かる物(もの)なりけりと見えたり。
内(うち)にも聞(き)こし召(め)して、あはれいかに物(もの)を思(おぼ)しつらん。げにあるべくもあらず思(おも)ほしたりし御有様(ありさま)をと、哀(あは)れに悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)さる。宮(みや)達(たち)いと幼(をさな)き様(さま)にて、いかにとつきすまじう心(こころ)憂(う)き御事(こと)を思(おぼ)し召(め)すにかひなし。此(こ)の度(たび)むまれ給(たま)はん御(み)子(こ)は、男(をとこ)女(をんな)わかず取(と)り放(はな)ち聞(き)こえさせ給(たま)はんと、かねてより思(おぼ)し召(め)しければ、中将(ちゆうじやう)の命婦(みやうぶ)とて候(さぶら)ふを奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御乳母(めのと)にも里(さと)に出(い)でて宮(みや)をむかへ奉(たてまつ)らんと思(おも)ふに、正月の朔日(ついたち)の程(ほど)をだに過(す)ぐさ
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んとてなん。あなかしこ、よく真心(まごころ)につかうまつれとて、御消息(せうそく)の料(れう)など給(たま)はせて奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。宮(みや)に参(まゐ)りたれば帥(そち)殿(どの)出(い)であはせ給(たま)ひて、万(よろづ)に言(い)ひつゞけて泣き給(たま)ふ。若宮(わかみや)抱(いだ)き出(い)で奉(たてまつ)りて、哀(あは)れにいみじう、おかしげにて何(なに)とも思(おぼ)したらぬ御気色(けしき)も、いと悲(かな)しくて涙(なみだ)とどまらねど、われは事忌(こといみ)せまほしうて忍(しの)ぶるも苦(くる)し。さて中将(ちゆうじやう)の命婦(みやうぶ)万(よろづ)に扱(あつか)ひ聞(き)こえさする程(ほど)もいみじうあはれなり。
上(うへ)は中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)にも渡(わた)らせ給(たま)はず、のぼらせ給(たま)へとあれど、聞(き)こし召(め)しいれでなん、過(す)ぐさせ給(たま)ひける。宮(みや)は御手習(てならひ)をせさせ給(たま)ひて、み丁のひもにむすびつけさせ給(たま)へりけるを、今(いま)ぞ帥(そち)殿(どの)・御かたがたなど取(と)りて見給(たま)ひて、此(こ)の度(たび)は限(かぎ)りの度(たび)ぞ。その後(のち)すべきやうなどかかせ給(たま)へり。いみじうあはれなる御手習(てならひ)共(ども)の、内(うち)辺(わた)りの御覧(ごらん)じ聞(き)こし召(め)すやうなどやと思(おぼ)しけるにやとぞ見ゆる。
@夜もすがら契(ちぎ)りし事(こと)を忘(わす)れずば戀(こ)ひん涙(なみだ)のいろぞゆかしき W041。
又(また)、
@知る人(ひと)もなきわかれぢに今(いま)はとて心(こころ)細(ぼそ)くも急(いそ)ぎたつかな W042。
又(また)、
@煙(けぶり)とも雲(くも)ともならぬ身なりともくさばのつゆをそれとながめよ W043。
など、哀(あは)れなる事(こと)共(ども)多(おほ)くかかせ給(たま)へり。此(こ)の御事(こと)のやうにては、例(れい)の作法(さほふ)にてはあらでと思(おぼ)し召(め)しけるなめりとて、帥(そち)殿(どの)急(いそ)がせ給(たま)ふ。
とりべののみなみのかたに二町
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ばかりさりて、たまやと言(い)ふ物(もの)をつくりてついひぢなどつきて、心(こころ)におはしまさせんとせさせ給(たま)ふ。万(よろづ)いとところせき御よそほしさにおはしませば、事(こと)共(ども)ゝをのづからなべてにあらず。思(おぼ)しをきてさせ給(たま)へり。斯(か)かる事(こと)をも宮(みや)<の何(なに)とも思(おぼ)したらぬ御有様(ありさま)共(ども)ゝいみじう悲(かな)しう見(み)奉(たてまつ)る。宮(みや)は今年(ことし)ぞ廿五にならせ給(たま)ふける。その夜になりぬれば、こがねづくり御いとげの車(くるま)にておはしまさせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)より始(はじ)め、さるべき殿(との)ばらみなつかうまつらせ給(たま)へり。こよひしも雪いみじう降りて、おはしますべき屋もみな降り卯づみたり。おはしまし着きてはらはせ給(たま)ひて、内(うち)の御しつらひあべき事(こと)共(ども)せさせ給(たま)ふ。やがて御車(くるま)をかきおろさせ給(たま)ひて、それながらおはします。今(いま)はまかで給(たま)ふとて、殿(との)ばら、明順(あきのぶ)・道順(みちのぶ)など言(い)ふ人々(ひとびと)も、いみじう泣き惑(まど)ふ。折しも雪、片時(かたとき)におはしどころも見えずなりぬれば、帥(そち)殿(どの)、
@誰(たれ)も皆(みな)消(き)え殘(のこ)るべき身ならねどゆき隱(かく)れぬる君(きみ)ぞ悲(かな)しき W044。
中納言(ちゆうなごん)、
@白雪(しらゆき)の降(ふ)りつむ野邊(のべ)は跡(あと)絶(た)えていづくをはかと君(きみ)をたづねん W045。
僧都(そうづ)の君、
@ふるさとにゆみもかへらで君(きみ)ともに同(おな)じ野邊(のべ)にてやがて消えなん W046。
など宣(のたま)ふも、いみじう悲(かな)し。こよひの事(こと)ゑに描かせて人(ひと)にも見せまほしうあはれなり。内(うち)にはこよひぞかしと思(おぼ)し召(め)しやりて、よもすがら御殿(との)ごもらず思(おも)ほしあかさ
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せ給(たま)ひて、御袖のこほりもところせく思(おぼ)し召(め)されて、世(よ)の常(つね)の御有様(ありさま)ならば、かすまんのべもながめさせ給(たま)ふべきを、いかにせんとのみ思(おぼ)し召(め)されて、
@のべまでも心(こころ)ばかりは通(かよ)へどもわがみゆきとも知らずや有(あ)るらん W047。
などぞ思(おぼ)し召(め)し明(あ)かしける。曉(あかつき)にみな人々(ひとびと)かへり給(たま)ひて、宮(みや)には候(さぶら)ふ人々(ひとびと)待(ま)ちむかへたる気色(けしき)いと理(ことわり)に見えたり。おはしましどころ雪のかきたれふるに、打(う)ちかへりみつゝこなたざまにおはせし御(おん)心地(ここち)共(ども)、いと悲(かな)しくおぼされたり。
かくてはるの来る事(こと)も知(し)られ給(たま)はず、あはれよりほかの事(こと)無くて過(す)ぐし給(たま)ふに、世(よ)の中(なか)にはむま車(くるま)のをと繁(しげ)く、さきをひののしるけはひども思(おも)ふ事(こと)なげなるうらやましく、同(おな)じ世ともおぼされず。御忌(いみ)の程(ほど)も過(す)ぎぬれば、院(ゐん)には、今日(けふ)明日(あす)いま宮(みや)むかへ奉(たてまつ)らんとて、三条(さんでう)院(ゐん)に出(い)でさせ給(たま)ふ。事(こと)共(ども)はてなば、姫宮(ひめみや)・一宮などは内(うち)におはしまさせんと思(おぼ)したれど。帥(そち)殿(どの)などはたは安(やす)く見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふまじければ、それをぞ内(うち)にも心(こころ)苦(ぐる)しく思(おぼ)し召(め)されける。女院(にようゐん)にはよき日(ひ)して若宮(わかみや)むかへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)・中納言(ちゆうなごん)殿(どの)など御をくりにと思(おぼ)し召(め)せど、まだいみの内(うち)なる内(うち)にも、万(よろづ)いま<しう慎(つつ)ましうおぼさるゝ程(ほど)に、御むかへにとう三位さるべき女房(にようばう)など、院(ゐん)の殿上人(てんじやうびと)数多(あまた)して御むかへに参(まゐ)れば、渡(わた)らせ給(たま)ふ。これにつけても宮(みや)方(がた)には、哀(あは)れに悲(かな)しき事(こと)尽きずおぼさるべし。出(い)で奉(たてまつ)り給(たま)へれば、院(ゐん)待(ま)ちむかへ
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見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふまゝに、むまれさせ給(たま)ひて卅余(よ)日(にち)にならせ給(たま)へれど、美(うつく)しげに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。斯(か)かる事(こと)共(ども)の思(おも)ひがけぬ御有様(ありさま)を、哀(あは)れにあさましとも言(い)ふは疎(おろ)かに悲(かな)し。宮(みや)には御法事の事(こと)急(いそ)がせ給(たま)ふにも、帥(そち)殿(どの)御涙(なみだ)ひまなし。一宮・姫宮(ひめみや)さへ内(うち)におはしまさば、いとどなぐさむ方(かた)なからん事(こと)を思(おも)ひ給(たま)ふべし。
かくて麗景殿(れいけいでん)の内侍(ないし)のかみは東宮(とうぐう)へ参(まゐ)り給(たま)ふ事(こと)ありがたくて、式部(しきぶ)卿(きやう)の宮(みや)の源中将(ちゆうじやう)忍(しの)びてかよひ給(たま)ふと言(い)ふ事(こと)聞(き)こえて、宮(みや)もかきたえ給(たま)へりし程(ほど)にならせ給(たま)ひにしかば、宮(みや)さすがに哀(あは)れに聞(き)こし召(め)しけり。さくらのおもしろきをながめ給(たま)ひて、たいの御(おほん)方(かた)、
@同(おな)じごとにほふぞつらきさくらばな今年(ことし)のはるはいろかはれかし W048。
などぞ宣(のたま)ひける。
斯(か)かる程(ほど)に大(おほ)殿(との)はすけかたの君(きみ)の家(いへ)におはしますに、いみじう悩(なや)ませ給(たま)ふ。只今(ただいま)の大事に此(こ)の思(おも)ふ御物(もの)のけのいみじきはさる物(もの)にて、わが御(おん)心地(ここち)の物(もの)ぐるをしきまで、世(よ)にありとある事(こと)共(ども)をしつくさせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)里(さと)に出(い)でさせ給(たま)ひなどしていといみじう物(もの)騷(さわ)がし。女院(にようゐん)にもいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。そこらの御願の驗(しるし)にや、仏神の御驗(しるし)のあらはるべきにや、ところかへさせ給(たま)はゞをこたらせ給(たま)ふべきかしとおんやうじども申せば、さるべきところをあはせて給(たま)へば、内侍(ないし)のかみの住(す)み給(たま)ひし土御門(つちみかど)をぞよき方(かた)と申せば、渡(わた)らせ給(たま)ふ。夏(なつ)の事(こと)なれば、さらぬ人(ひと)だにいとたへがたき
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ころなれば、いかに<と見(み)奉(たてまつ)り思(おぼ)す程(ほど)に、いとひさしう悩(なや)み給(たま)ひて、をこたらせ給(たま)ひぬ。いといみじうあさましう思(おも)ひがけぬ事(こと)に、誰(たれ)も嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)す。世(よ)にめでたき御事(こと)なり。
殿(との)の上(うへ)の御はらからの御方(かた)に、みちつな大将(だいしやう)こそは住(す)み奉(たてまつ)り給(たま)ふに、こぞよりたゞにもあらずおはしければ、此(こ)の頃(ごろ)さべき程(ほど)にあたり給(たま)へりけるを、一条(いちでう)殿(どの)はあしかるべし。ほかに渡(わた)らせ給(たま)ふべうおんやうじの申しければ、善き方(かた)とてなかゞはになにがしあざりと言(い)ふ人(ひと)の車(くるま)やどりに渡(わた)らせ給(たま)ひて、むまれ給(たま)ひにたり。男子(をのこご)にて物(もの)し給(たま)へば、嬉(うれ)しう思(おぼ)す程(ほど)に、やがて後(のち)の御事(こと)なくて失(う)せ給(たま)ひぬ。おほ上(うへ)のこりすくなきに、哀(あは)れに思(おぼ)し入たり。殿(との)も哀(あは)れに心(こころ)苦(ぐる)しき事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給ふなかにも、上(うへ)の御はらからの男(をとこ)にて数多(あまた)おはするもうとくのみぞ。これは一(ひと)つ御はらからにて、万(よろづ)をはぐゝみ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。又(また)此(こ)の大将(だいしやう)殿(どの)の御事(こと)をも、殿(との)・上(うへ)もろ心(こころ)に急(いそ)がせ給(たま)ひしに、あへなく心(こころ)憂(う)き事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)かせ給(たま)ふ。大将(だいしやう)殿(どの)も大方(おほかた)のあはれはさる物(もの)にて、御なからひなどのいとめでたう、此(こ)の北(きた)の方(かた)の御ゆかりに世(よ)のおぼえもこよなかりつる。様々(さまざま)に思(おも)ほし嘆(なげ)くも理(ことわり)に見えたり。大将(だいしやう)殿(どの)は此(こ)のちご君(きみ)をつと抱(いだ)きて、彼のかはりと思(おぼ)し扱(あつか)ふにも、やがて其(そ)の御つみの御事(こと)思(おぼ)すにぞ。我がつみのふかきなめる。斯(か)かる事(こと)共(ども)にいかで逃(のが)れて、ひたみちにあみだ仏をねんじ奉(たてまつ)ら
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んと思(おも)ふ物(もの)をと、思(おぼ)し惑(まど)ふ。
さてとかくなし奉(たてまつ)りて、御忌(いみ)の程(ほど)も哀(あは)れに思(おも)ほさる此(こ)の君(きみ)の御扱(あつか)ひにぞ、思(おぼ)しまぎるゝ事(こと)もあべかめる。御乳母(めのと)われも<とのぞむ人(ひと)数多(あまた)あれど、べんの君(きみ)とていやしからぬ、故上(うへ)などもやむごとなき物(もの)にていみじう思(おぼ)したりしかば、其(そ)の御心(こころ)の忘(わす)れがたきに、もし平(たひら)かにてあらば、必(かなら)ずこれを言(い)ひつけにもなどにもの給(たま)はせし御かねごとどもいと忘(わす)れがたくて、やがて其(そ)の君(きみ)万(よろづ)に知(し)り扱(あつか)ひ聞(き)こゆれば、殿(との)の上(うへ)思(おぼ)す様(さま)におぼされたり。かくて今年(ことし)は女院(にようゐん)の御四十賀、公(おほやけ)ざまにせさせ給(たま)ふべければ、はるよりその御調度(てうど)どもせさせ給(たま)ふに、春と思(おぼ)し召(め)ししかど、殿(との)の御(おん)心地(ここち)の例(れい)ならざりしかば、それに障(さは)りて七月にと思(おぼ)し定(さだ)めさせ給(たま)ひけるに、院(ゐん)もまた八講せさせ給(たま)はんとて、これを大事に万(よろづ)思(おぼ)し急(いそ)がせ給ふ。七月にと思(おぼ)し召(め)しけれど、世(よ)の中(なか)物(もの)騷(さわ)がしうおぼされて過(す)ぐさせ給(たま)ふに、例(れい)の九月も御石山(いしやま)まうでなれば、万(よろづ)さしあひ物(もの)騷(さわ)がしくおぼされて、石山(いしやま)まうでの後(のち)にやさきにやと定(さだ)めがたし。
若宮(わかみや)日(ひ)にそへて美(うつく)しうおはしまして、這(は)ひゐざらせ給(たま)ひて御念誦(ねんず)のさまたげにおはしますに、いとわりなきわざかなと、もて扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。誠(まこと)に美(うつく)しういみじと思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、内(うち)にゐて奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、内(うち)もいと美(うつく)しう哀(あは)れに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、抱(いだ)き
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給(たま)ひて渡(わた)らせ給(たま)へば、したひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて泣かせ給(たま)ふ程(ほど)も、いと美(うつく)しう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。院(ゐん)のいまさらに斯(か)かる人(ひと)をあづけさせ給(たま)ひて、心(こころ)とまる事(こと)ゝ申(まう)させ給(たま)へば、さてあしうやはべる。つれ<”に思(おぼ)し召(め)すにかくまぎれはべればと申(まう)させ給(たま)ふまゝに、御涙(なみだ)の浮かばせ給(たま)ふ。
かくてまかでさせ給(たま)ひて九月は石山(いしやま)まうでとて女房(にようばう)達(たち)数多(あまた)急(いそ)ぎののしる。院(ゐん)の御(お)前(まへ)はほとけの御丁のかたびら、石山(いしやま)の僧にほうぶく・かづけ物(もの)など急(いそ)がせ給(たま)ふものから、怪(あや)しう心(こころ)細(ぼそ)うのみおぼさるゝ事(こと)多(おほ)かり。其(そ)の御気色(けしき)を見(み)奉(たてまつ)りて、候ふ人々(ひとびと)もうたてゆゆしきまで思(おも)ひ嘆(なげ)くべし。京出(い)でさせ給(たま)ひてあはたぐち・關山(せきやま)の程(ほど)、鹿(しか)の山(やま)ごえ物(もの)心(こころ)細(ぼそ)う聞(き)こゆ。万(よろづ)哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されて、
@数多(あまた)度(たび)ゆきあふさかのせきみづに今(いま)は限(かぎ)りのかげぞ悲(かな)しき W049。
と宣(のたま)はすれば御車(くるま)に候(さぶら)ひ給(たま)ふ宣旨(せんじ)の君(きみ)、
@年(とし)をへてゆきあふさかの驗(しるし)ありてちとせのかげをせきもとめなん W050
とぞ申し給(たま)ふ。さて参(まゐ)り着かせ給(たま)ひて、御(み)堂(だう)に参(まゐ)らせ給ふより万(よろづ)哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)されて、年(とし)頃(ごろ)参(まゐ)り馴れつる御前に、これは限(かぎ)りの度(たび)ぞかしとおぼされて、いみじう悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)さる。
例(れい)のやうに御祈(いの)り・ずほうなどにもあらで、めつざいしやうぜんのためにとて護摩(ごま)をぞ行(おこな)はせ給(たま)ふ。万(よろづ)にあはれなる度(たび)の御祈(いの)りをせさせ給(たま)へ
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ば、御てらの僧どもゝあるまじき事(こと)に、いかにおぼえさせ給(たま)ふにかと怪(あや)しうをぢまうせど、などてか。これこそ参(まゐ)りはての度(たび)、命(いのち)の限(かぎ)りと思(おも)ひ志(こころざ)したるみやづかひの限(かぎ)りなりとて、あや織物(おりもの)のみちやうのかたびら・しろがねの鉢(はち)共(ども)、僧どもに別當より始(はじ)めて、かずをつくしてほうぶくどもくばらせ給(たま)ふ。同(おな)じくぞくやうせさせ給(たま)ひて、みてらの封などくはへさせ給(たま)ひて、御誦経(じゆぎやう)など心(こころ)殊(こと)にせさせ給(たま)へり。又(また)まんどうゑなどせさせ給(たま)ひて、まかでさせ給ふとてもいみじう泣かせ給(たま)ふ。候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もいと悲(かな)しう見(み)奉(たてまつ)る。御てらのそうども御万歳を祈(いの)り奉(たてまつ)る。出(い)でさせ給(たま)ひて、程(ほど)なく御八講始(はじ)めさせ給(たま)ふ。すべて年(とし)頃(ごろ)の御八講にはすぐれたる程(ほど)推(お)し量(はか)るべし。かうじたち此(こ)の世・後(のち)の世(よ)の御事(こと)めでたうつかうまつる。万(よろづ)を思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。御儀式(ぎしき)有様(ありさま)、聞(き)こえさすれば疎(おろ)かなり。ゆゝしきまであり。殿(との)も其(そ)の気色(けしき)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、万(よろづ)の山々(やまやま)寺々(てらでら)の御祈(いの)りせさせ給(たま)ふ。
かくて十月に御賀あり。土御門(つちみかど)殿(どの)にてせさせ給ふ。行幸(ぎやうがう)などあり。いといみじうめでたし。御屏風(びやうぶ)の哥どもじやうずどもつかうまつれり。多(おほ)かれど同(おな)じ筋(すぢ)の事(こと)は書かず。八月十五夜に男(をとこ)女(をんな)物語(ものがたり)してつまどのもとにゐたるに、べんのすけたゞ、
@あまのはらやどし近(ちか)くは見えね共すみ通(かよ)はせるあきの夜の月 W051。
かぐらしたるところに兼澄(かねずみ)、
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@神山(かみやま)のとるさかきばのもとすゑに群れゐて祈(いの)る君が万(よろづ)代 W052。
などありし。舞人(まひびと)家(いへ)の子(こ)の君達(きんだち)なり。事(こと)共(ども)やう<はつる程(ほど)に、殿(との)の君達(きんだち)二(ふた)所(ところ)はわらはにてまひ給(たま)ひたる。松(まつ)殿(どの)の御はらのいは君は納蘓利舞ひ給(たま)ふ。殿(との)の上(うへ)の御はらのたづ君は龍王舞ひ給(たま)ふ。殿(との)の有様(ありさま)目もはるかにおもしろし。山(やま)の紅葉(もみぢ)かずをつくし、ながしまのまつにかかれるつたのいろを見れば、くれなゐ・すわうの濃きうすき、あをふ黄なるなど様々(さまざま)のいろのきらめきたるさいでなどをつくりたるやうに見ゆるぞ。世(よ)にめでたき。いけの上(うへ)に同(おな)じいろ<様々(さまざま)の紅葉(もみぢ)のにしきうつりて、みづのけざやかに見えていみじうめでたきに、いろ<のにしきのなかより立ち出(い)でたるふねのがく聞くに、すゞろさむくおもしろし。すべてくちもきかねばえ書きもつゞけず、万(よろづ)の今年(ことし)つくさせ給(たま)へり。
中宮(ちゆうぐう)西(にし)の対(たい)におはしまして、院(ゐん)は寝殿(しんでん)におはしませば、上(うへ)もひんがしのみなみ面(おもて)におはします。殿(との)の上(うへ)はひんがしの対(たい)におはしまして、上達部(かんだちめ)などはわだ殿(どの)につき給(たま)へり。諸大夫(しよだいぶ)・殿上人(てんじやうびと)などはあげばりに着きたり。院(ゐん)の女房(にようばう)寝殿(しんでん)のにしみなみのわだ殿(どの)に候(さぶら)ふ。みすのきはなどいみじうめでたし。事(こと)共(ども)はてゝ行幸(ぎやうがう)かへらせ給(たま)ふ。御をくり物(もの)上達部(かんだちめ)のろく・殿上人(てんじやうびと)のかづけ物(もの)などみなしつくさせ給(たま)へり。かみな月の日(ひ)もはかなく暮れぬれば、みな事(こと)共(ども)はてゝ。院(ゐん)は三条(さんでう)院(ゐん)に又(また)の日(ひ)ぞかへらせ給(たま)ふ。さき<”の御賀などはいかゞありけん。これはいとめでたし。入道(にふだう)殿(どの)の六十の賀、院(ゐん)のきさいの宮(みや)
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と聞(き)こえさせしときせさせ給(たま)ひしも、いとかくはあらざりきとぞおぼされける。此(こ)の君達(きんだち)の御美(うつく)しさを誰(たれ)も<涙(なみだ)とどめず見(み)奉(たてまつ)る人々(ひとびと)多(おほ)かり。
霜月(しもつき)には五節(ごせつ)をばさる物(もの)にて神事(かみわざ)共(ども)繁(しげ)かべければ、やがて此(こ)の月に内(うち)へ参(まゐ)らせ給(たま)ふ。上(うへ)いみじう嬉(うれ)しとおぼされて、いつしかと渡(わた)らせ給(たま)へり。若宮(わかみや)はいみじう美(うつく)しうおはしませば、こと<”なくこれをもてあそばせ給(たま)へば、戲(たはぶ)れ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。御物語(ものがたり)のつゐでに、怪(あや)しく物(もの)心(こころ)細(ぼそ)くおぼえはべれば、いかなるべきにかとのみ思(おも)ひ給(たま)ふる。今(いま)は命(いのち)も惜(を)しうもおぼえはべらねども、御有様(ありさま)の今(いま)少(すこ)しゆかしうおぼえさせ給(たま)ふこそ飽かぬ事(こと)にはべれなど聞(き)こえさせ給(たま)ひて、いみじう泣かせ給(たま)へば、上(うへ)もせきあへがたくおぼされて、さやうにもおはしまさば、世(よ)にはいかでか片時(かたとき)も侍らんとなん思(おも)ふ給(たま)ふる。円融(ゑんゆう)の院(ゐん)は見(み)奉(たてまつ)りますなどはべりし内(うち)にも、まだ幼(をさな)うはべりし程(ほど)なりしかばこそ、かくて今(いま)ゝでもはべれ。御(お)前(まへ)の御有様(ありさま)を暫(しば)しも見(み)奉(たてまつ)らではとゆゝしう泣かせ給(たま)へば、猶(なほ)只今(ただいま)の事(こと)にはよもはべらじ。怪(あや)しう例(れい)ならず心(こころ)細(ぼそ)うはべるなりとばかり聞(き)こえさせ給(たま)ひて、若宮(わかみや)をもてあそばし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
上(うへ)は御(おん)心地(ここち)にいと物(もの)嘆(なげ)かしう思(おぼ)し召(め)さるれば、やがて中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)へれば、いらせ給(たま)ふより心(こころ)殊(こと)に物(もの)忘(わす)れせらるゝ御有様(ありさま)、かひありて思(おも)ほし召(め)されて、心(こころ)のどかに御物語(ものがたり)などせさせ給(たま)ひて、院(ゐん)の御方(かた)に
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参(まゐ)りたりつれば、いと心(こころ)細(ぼそ)げに宣(のたま)はせつる社、いと物(もの)思(おも)はしくなりはべりぬればなど、いと物(もの)哀(あは)れにの給すれど万(よろづ)恥(は)づかしう慎(つつ)ましうおぼさるれど、院(ゐん)には殿(との)の御(お)前(まへ)の此(こ)の宮(みや)の御事(こと)を昔(むかし)より心(こころ)殊(こと)に聞(き)こえつけ奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、げにいかなればにかと心(こころ)騷(さわ)ぎしておぼさるべし。あはれなる事(こと)をもおかしき事(こと)をも万(よろづ)に聞(き)こえをかせ給(たま)ひて、くれにはとくのぼらせ給(たま)へ。明日(あす)明後日(あさて)物忌(ものいみ)にはべり。御方(かた)にはえ参(まゐ)るまじとて渡(わた)らせ給(たま)ひぬ。此(こ)の程(ほど)を見(み)奉(たてまつ)るに、やさしうめでたき御なからひなり。晦日(つごもり)になりて院(ゐん)は出(い)でさせ給ふ。上(うへ)常(つね)よりもいみじう惜(を)しみ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、夜(よ)更(ふ)くるまでおはしませばはや渡(わた)らせ給(たま)ひね。夜ふけはべりぬ。出(い)ではべりなんと聞(き)こえさせ給(たま)へばいとしげ<”にてかへらせ給(たま)ひぬれば、出(い)でさせ給(たま)ひぬ。霜月(しもつき)になりぬれば、神事(かみわざ)など繁(しげ)きころにて世(よ)の中(なか)もいと騷(さわ)がしうて過(す)ぎもてゆく。師走(しはす)にもなりぬれば、公(おほやけ)わたくしわかぬ世(よ)の急(いそ)ぎにて、ところわかずいとなみたり。
斯(か)かる程(ほど)に女院(にようゐん)物(もの)せさせ給(たま)ひて、悩(なや)ましう思(おぼ)し召(め)したり。殿(との)御心(こころ)を惑(まど)はして思(おぼ)し召(め)し惑(まど)はせ給(たま)ふ。はかなく思(おぼ)し召(め)ししに日頃(ひごろ)になれば、我が御(おん)心地(ここち)にいかなればにかと、心(こころ)細(ぼそ)うおぼさる。内(うち)にも例(れい)ならぬ様(さま)に思(おも)ほし宣(のたま)はせし物(もの)を、いかゞおはしまさんと思(おも)ほし召(め)すより。やがておものなども御覧(ごらん)じ入れさせ給(たま)はず。万(よろづ)に思(おぼ)ししめりたるを、御乳母(めのと)達(たち)
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もいかゞと見(み)奉(たてまつ)る。中宮(ちゆうぐう)若(わか)き御心(こころ)なれど、此(こ)の御事(こと)を様々(さまざま)にいみじうおぼさる。殿(との)今(いま)は医師(くすし)に見せさせ給(たま)ふべきなり。いと恐(おそ)ろしき事(こと)なりと度々(たびたび)聞(き)こえさせ給(たま)へど、医師(くすし)にみすばかりにてはいきてかひあるべきにあらず、心(こころ)づよく宣(のたま)はせて、見せさせ給(たま)はず。御有様(ありさま)を医師(くすし)にかたり聞かすれば、寸白(すばく)におはしますなりとて其(そ)のかたの療治(れうぢ)共(ども)をつかうまつれば、まさるやうにもおはしまさず。
日頃(ひごろ)になりぬればにや汁(しる)などあえさせ給(たま)へれば、誰(たれ)も心(こころ)のどかに思(おも)ほし見(み)奉(たてまつ)るに、たゞ御物(もの)のけどものいと<おどろ<しきに、御ずほう数を尽くし、大方(おほかた)世(よ)にあるかたの事(こと)共(ども)を、内(うち)方(かた)・殿(との)方(がた)・院(ゐん)方(がた)など三方(みかた)にあかれて、万(よろづ)に思(おも)ほし急(いそ)ぎたり。内(うち)にはいかに<と日々に見(み)奉(たてまつ)らまほしう思(おも)ほしたれど、日つゐでなど選(え)らせ給(たま)ひて、日頃(ひごろ)はたゞ過(す)ぎに過(す)ぎもていぬ。御物(もの)のけを四五人(にん)に駆(か)り移(うつ)しつゝ、各(おのおの)僧どもののしりあへるに、此(こ)の三条(さんでう)院(ゐん)の隅(すみ)の神(かみ)の崇(たたり)と言(い)ふ事(こと)さへ出(い)で来て、其(そ)の気色(けしき)いみじうあやにくげなり。恐(おそ)ろしき山にはと言(い)ふらんやうに、いとどしきに斯(か)かる事(こと)さへあれば、ところを替(か)へさせ給(たま)ふべきなめりと言(い)ふ事(こと)出(い)で来て、御うらにもあふところは、惟仲の帥(そち)の中納言(ちゆうなごん)の知(し)るところに渡(わた)らせ給(たま)ふべきに、御定(さだ)め有(あ)り。やがて其(そ)の日(ひ)行幸(ぎやうがう)あるべし。かく苦(くる)しげにおはしますに、此(こ)の若宮(わかみや)はいみじう騷(さわ)がしうあはてさせ給(たま)ふ
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も、御懐(ふところ)を離(はな)れさせ給(たま)はずむつれ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふを、御乳母(めのと)にこれ抱(いだ)き奉(たてまつ)れと宣(のたま)はず、つく<”とれうぜられ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)の御志(こころざし)、いみじう哀(あは)れにけぢかき程(ほど)に候(さぶら)ふ僧なども涙(なみだ)をながしつゝ候(さぶら)ふ。年(とし)頃(ごろ)哀(あは)れにめでたう人々(ひとびと)をはぐゝませ給(たま)へる御かげにかくれつかうまつりたる人々(ひとびと)。いかにおはしまさんとよりほかの事(こと)なし。誰(たれ)も大願(だいぐわん)をたてゝ涙(なみだ)をのごひて候(さぶら)ふ。
斯(か)かる程(ほど)に晦日(つごもり)になりぬれば、世(よ)の中(なか)物(もの)騷(さわ)がしういとなむ頃なるに、かうをこたらせ給(たま)はぬを安(やす)き空(そら)なく公(おほやけ)わたくし御嘆(なげ)きなり。かくて行幸(ぎやうがう)あり。今日(けふ)と聞(き)こし召(め)して、いつしかと待(ま)ち聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)に、むまの時ばかりにぞ行幸(ぎやうがう)ある。みこしより降りさせ給(たま)ふ程(ほど)も心(こころ)もとなく思(おぼ)し召(め)されて、いつしかと見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、さばかり苦(くる)しげにおはしますに、若宮(わかみや)御懐(ふところ)も離(はな)れず出(い)で入りせさせ給(たま)ふを、片時(かたとき)の程(ほど)に心(こころ)苦(ぐる)しく見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、中将(ちゆうじやう)の乳母(めのと)を召(め)し出(い)でて。これ抱(いだ)き聞(き)こえよと宣(のたま)はすれば、いなとて御懐(ふところ)に入らせ給(たま)ひぬ。あさましうあらぬ人(ひと)にならせ給(たま)へる御かたち涙(なみだ)とまらず思(おも)ほし召(め)して、今(いま)ゝで見(み)奉(たてまつ)らずはべりける事(こと)のいみじき事(こと)ゝて、せんかたなくいみじう悲(かな)しう思(おぼ)し召(め)したり。院(ゐん)もともかくも申(まう)させ給(たま)ふ事(こと)なくて、たゞつく<”と見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、打(う)ち泣かせ給(たま)へど、御涙(なみだ)の出(い)でさせ給(たま)はぬも、これはゆゝしき事(こと)にこそあなれと見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふにも、いとどせき
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もあへず泣かせ給(たま)ふ。年(とし)頃(ごろ)の行幸(ぎやうがう)の作法(さほふ)に様(さま)ごとにゆゝしうのみおはします御有様(ありさま)聞(き)こえさせん方なし。そこらの女房(にようばう)涙(なみだ)におぼれたり。殿(との)も御(おん)心地(ここち)はさかしう思(おぼ)し召(め)せど、万(よろづ)に悲(かな)しき事(こと)を、御直衣(なほし)のそでもしほどけにて出(い)で入り扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
やがてこよひほかへ渡(わた)らせ給(たま)ふべければ、かしこの御さうぞくの事(こと)など万(よろづ)に宣(のたま)はせても、たゞひとゝころ打(う)ち泣きつゝ出(い)で入りせさせ給(たま)ふ。行幸(ぎやうがう)の御供(とも)の上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、そこらの人々(ひとびと)いみじう悲(かな)しう、いかにおはしまさんとのみ嘆(なげ)き給(たま)ふ。上(うへ)はさらに御こゑも惜(を)しませ給(たま)はず。ちごどもなどのやうにさくりもよゝと泣かせ給(たま)ふ。日(ひ)もはかなく暮れぬれば、殿(との)はやかへらせ給(たま)ひなん。夜さりの御辺(わた)り夜更けはべりなんと、いたうそゝのかし聞(き)こえ給(たま)へば、御門(みかど)哀(あは)れにつみふかく心(こころ)憂(う)き物(もの)は、斯(か)かる身にも有(あ)りけるかな。此(こ)の御有様(ありさま)を見捨て奉(たてまつ)る事(こと)のいみじき事(こと)、言(い)ふかひなき人(ひと)だに、斯(か)かる折斯(か)かるやうはあらじかし。心(こころ)憂(う)かりける身なりや。猶(なほ)渡(わた)らせ給(たま)はんところまでと思(おぼ)し宣(のたま)はすれど、さるべき事(こと)にも候(さぶら)はずとて、猶(なほ)疾くかへらせ給(たま)ふべく奏(そう)せさせ給(たま)へば、院(ゐん)物(もの)は宣(のたま)はせねど、あかでかへらせ給(たま)はん事(こと)を悲(かな)しうおぼされたり。御手をとらへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、御かほのもとに我が御かほをよせて泣かせ給(たま)ふ御有様(ありさま)。そこらの内(うち)との人(ひと)どよみたり。あなゆゝし。いかでかからじと、物(もの)騷(さわ)がしき上達部(かんだちめ)などは
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せいし給(たま)ひながら、又(また)打(う)ちひそみ給(たま)ふ。
かくて此(こ)の若宮(わかみや)はいづこへかと宣(のたま)はすれば、中将(ちゆうじやう)の命婦(みやうぶ)それは此(こ)の宮(みや)達(たち)のおはしますところへとなん。殿(との)は申(まう)させ給(たま)ふと奏(そう)すれば、げにさてぞよからんなど宣(のたま)はする程(ほど)に、夜に入りぬればみこしよせて度々(たびたび)奏(そう)すれば、われにもあらで出(い)でさせ給(たま)ふ程(ほど)の御(おん)心地(ここち)、げに思(おも)ひ遣(や)りて聞(き)こえさすべし。限(かぎ)り無き御位(くらゐ)なれど、親子(おやこ)の中の物(もの)悲(がな)しさを、思(おも)ほし知らぬやうにあらばこそあらめ。万(よろづ)理(ことわり)いみじき程(ほど)の御有様(ありさま)ぞ悲(かな)しきや。みこしに乗らせ給(たま)ふ程(ほど)の御気色(けしき)。ゆゝしきまで思(おぼ)し入らせ給(たま)へり。御そでを御かほに押しあてゝおはします程(ほど)、たゞつく<”と流(なが)れ出(い)でさせ給(たま)ふ。殿(との)此(こ)の御送りつかうまつらせ給(たま)ふとて、御乳母(めのと)達(たち)・女房(にようばう)達(たち)、御(お)前(まへ)に候(さぶら)ふべき由(よし)おほせ置かせ給(たま)ひて、参(まゐ)らせ給(たま)ふそらも無く、今(いま)の程(ほど)いかに<とうしろめたうおぼつかなう思(おも)ほし召(め)す。上(うへ)はやがてそのまゝに物(もの)も宣(のたま)はせで、よるのおましに入らせ給(たま)ひて、すべて何事(なにごと)もおぼえさせ給(たま)はで、御つかひのみ頻(しき)りなり。
さて殿(との)かへらせ給(たま)ひて後(のち)。若宮(わかみや)の御乳母(めのと)。さるべき人々(ひとびと)して、姫宮(ひめみや)のおはしますところに送り聞(き)こえさせ給(たま)ふ。院(ゐん)の渡(わた)らせ給(たま)ふをば御車(くるま)舁きおろして、御殿(との)ごもりたるおましながら、殿(との)のおりべ・弾正宮などかき載せ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、やがて殿(との)御車(くるま)には候(さぶら)はせ給(たま)ふ。かしこにも御車(くるま)かきおろして、同(おな)じ様(さま)にておろし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。帥(そち)の宮・弾正宮よるひる扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へば、同(おな)じく
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やがてみなつかうまつらせ給(たま)へり。此(こ)の宮(みや)達(たち)は御をひばかりにおはしませど、内(うち)の御有様(ありさま)にさしつぎて扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へる御志(こころざし)の程(ほど)を思(おも)ほし知(し)りてつかうまつらせ給(たま)ひて、涙(なみだ)におぼれさせ給(たま)へり。ところなどかへさせ給(たま)へればさりともなど頼(たの)もしう思(おぼ)し召(め)す程(ほど)に渡(わた)らせ給(たま)ひて、二三日ありてつゐにむなしくならせ給(たま)ひぬ。殿(との)の御(おん)心地(ここち)たとへ聞(き)こえさせんかたなし。内(うち)にも聞(き)こし召(め)して日頃(ひごろ)もあるにもあらぬ御(おん)心地(ここち)を、すべていとど思(おぼ)しいらせ給(たま)ひてつゆ御ゆをだに聞(き)こし召(め)さで、いといみじうておはします。理(ことわり)の御有様(ありさま)なれば、聞(き)こえさせんかたなし。長保三年(さんねん)十二月(じふにぐわつ)廿二日の事(こと)なり。程(ほど)などもいとどさむくゆきなどもいとたかくふりて、大方(おほかた)の月日(ひ)さへにのこりすくなく、こよみのぢくあらはになりたるも、あはれをましたる程(ほど)の御事(こと)なり。
かくて三日ばかりありてとりべのにぞ御さうそうあるべき。ゆきのいみじきに殿(との)より始(はじ)め奉(たてまつ)り。万(よろづ)の殿上人(てんじやうびと)、いづれかはのこりつかうまつらぬはあらむ。おはします程(ほど)の儀式(ぎしき)有様(ありさま)言(い)ふも疎(おろ)かなり。殿(との)の心(こころ)に入れ扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふに、内(うち)の御志(こころざし)の限(かぎ)り無さあひそひたる程(ほど)は疎(おろ)かなるべき事(こと)かは、さて夜もすがら殿(との)万(よろづ)に扱(あつか)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、曉(あかつき)になれば、みなかへらせ給(たま)ひぬ。雪のいみじきに常(つね)のみゆきにはかくやは有(あ)りしと思(おも)ひ出(い)で聞(き)こえさするにも、そでのこほりひまなし。曉(あかつき)には殿(との)御骨かけさせ給(たま)ひて、こはたへ渡(わた)らせ給(たま)ひて、日(ひ)さし出(い)でて
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かへらせ給(たま)へり。さて程(ほど)もなく御衣(ぞ)の色かはりぬ。内(うち)にも哀(あは)れにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。天下らうあんになりぬ。
はかなくて年(とし)も暮れぬ。睦月(むつき)の朔日(ついたち)ゆゝしなど言(い)ふも事(こと)よろしき折の事(こと)にこそ有(あ)りけれ。いづくも此(こ)の御ひかりにあたりつる限(かぎ)りは皆くれまどひたり。念仏はさらなり。年(とし)頃(ごろ)のふだんの御読経すべてさるべき御事(こと)、御はてまでとをきてさせ給(たま)ふ。内(うち)にはやがて御手づから御きやうかかせ給(たま)ふ。正月七日子日にあたりたれば、ふなをかもかひなき春の気色(けしき)なるに、左衛門(さゑもん)の督(かみ)公任君、院(ゐん)の台盤所(だいばんどころ)にとぞ有(あ)りし、
@たが為に松(まつ)をもひかんうぐひすのはつねかひなき今日(けふ)にもあるかな W053。
とあれど人々(ひとびと)これを御覧(ごらん)じて詠み給(たま)はずなりぬ。御忌(いみ)の程(ほど)もいみじうあはれなる事(こと)共(ども)多(おほ)かり。かくて御法事の程(ほど)にもなりぬれば、花山(くわさん)の慈徳寺にてせさせ給(たま)ふ。二月十余(よ)日(にち)にぞ御法事ありける。其(そ)の程(ほど)の事(こと)共(ども)思(おも)ひ遣(や)るべし。内(うち)の手づから書かせ給(たま)へる御きやうなどそへてくやうぜさせ給(たま)ふ。院源(ゐんげん)僧都(そうづ)かうじつかうまつりたる程(ほど)思(おも)ひ遣(や)るべし。かやうに哀(あは)れにて御忌(いみ)の程(ほど)過(す)ぎぬ。
其(そ)の年(とし)の祭(まつり)いと物(もの)のはへなき事(こと)共(ども)多(おほ)かれど、例(れい)の公(おほやけ)ごとなればとまる〔べき〕にもあらねば、近衛司(このゑづかさ)などこそ見どころもあれ。それもたゝずなどしていとさうざうしげなれ。かくて五六月ばかりになりぬるに、宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)、一の宮(みや)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はでいと久しう
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なりぬるに、其(そ)の後(のち)限(かぎ)り<と見ゆるまでいみじう煩(わづら)はせ給(たま)へば、東宮(とうぐう)御(おん)心地(ここち)を惑(まど)はして覚したり。いみじうおはしましつれど、きのふ今日(けふ)をこたらせ給(たま)へり。弾正宮うちはへ御夜ありきの恐(おそ)ろしさを、世(よ)の人(ひと)安(やす)からずあひなき事(こと)なりと、さかしらに聞(き)こえさせつる。今年(ことし)は大方(おほかた)いと騷(さわ)がしういつぞやの心地(ここち)して、みちおほぢのいみじき物(もの)どもを見過(す)ぐしつゝあさましかりつる御夜ありきの驗(しるし)にや、いみじう煩(わづら)はせ給(たま)ひて失(う)せ給(たま)ひぬ。此(こ)の程(ほど)は新中納言(ちゆうなごん)・いづみ式部(しきぶ)などに思(おぼ)しつきて、あさましきまでおはしましつる御心(こころ)ばへを、うき物(もの)に思(おぼ)しつれど、上(うへ)は哀(あは)れに思(おぼ)し嘆(なげ)きて、四十九日(にち)の程(ほど)に尼(あま)になりぬ。もとよりいみじう道心おはして、三二千部のきやうを読みて過(す)ぐさせ給(たま)へれば、世(よ)のはかなさも思(おぼ)し知(し)られて、いとどしき御行(おこな)ひなり。かくて弾正宮失(う)せさせ給(たま)ひぬと言(い)ふ事(こと)、冷泉(れいぜい)の院(ゐん)ほの聞(き)こし召(め)して、世(よ)に失(う)せじ。ようもとめば有(あ)りなん物(もの)をとぞ宣(のたま)はせける。あはれなる親の御有様(ありさま)になん。東宮(とうぐう)もいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)く。帥(そち)の宮もいみじう哀(あは)れに口(くち)惜(を)しき事(こと)に思(おぼ)し嘆(なげ)くべし。さるは今年(ことし)ぞ廿五にならせたまひける。花山(くわさん)の院(ゐん)ぞ中にもとりわき何事(なにごと)も扱(あつか)ひ聞(き)こえ給(たま)ひける。
あはれなる世(よ)にいかゞしけん。八月廿余(よ)日(にち)に聞(き)けば、淑景舎の女御(にようご)失(う)せ給(たま)ひぬとののしる。あないみじ。こはいかなる事(こと)にか。さる事(こと)も世(よ)にあらじ。日頃(ひごろ)悩(なや)み給(たま)ふとも聞(き)こえ
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ざりつる物(もの)をなどおぼつかながる人々(ひとびと)多(おほ)かるに、誠(まこと)なりけり。御鼻口(はなくち)より血あえさせ給(たま)ひて、たゞにはかに失(う)せ給(たま)へるなりと言(い)ふ。あさましいみじとは世(よ)の常(つね)なり。世(よ)の中(なか)はかなしと言(い)ふ中にも、めづらかに心(こころ)憂(う)き御有様(ありさま)なり。これを世(よ)の人(ひと)もくち安(やす)からぬ物(もの)なりければ、宣耀殿(せんえうでん)いみじかりつる御(おん)心地(ここち)はをこたり給(たま)ひて、かく思(おも)ひがけぬ御有様(ありさま)をば、宣耀殿(せんえうでん)たゞにもあらずし奉(たてまつ)らせ給(たま)へりければ、かくならせ給(たま)ひぬるとのみきゝにくきまで申せど、御みづからはとかく思(おぼ)しよらせ給(たま)ふべきにもあらず。少納言(せうなごん)の乳母(めのと)などやいかゞありけんなど人々(ひとびと)言(い)ふめれど、とてもかくてもいと若(わか)き御身のかくなりぬる事(こと)を、帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)もよにいみじき事(こと)に覚しなげゝど、東宮(とうぐう)にもわざとふかき御志(こころざし)にもあらざりつれど、いつしか事(こと)共(ども)かなふ折もあらば、さやうにもあらせ奉(たてまつ)り。物(もの)はなやかにあらせ奉(たてまつ)らんと思(おぼ)し召(め)しつるを、哀(あは)れに口(くち)惜(を)しうこひしくぞ思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひける。其(そ)の内(うち)にも御衣(ぞ)の重(かさ)なり・そでぐちなどは人(ひと)見るごとに思(おも)ひ出(い)でらるゝ物(もの)をなど、悲(かな)しう覚し宣(のたま)はせけり。御たいめんなどこそはたは安(やす)からざりつれど、御志(こころざし)は宣耀殿(せんえうでん)の御なづらひには思(おも)ほされける物(もの)をと、かへすがへす哀(あは)れに口(くち)惜(を)しくこそとぞ。