栄花物語詳解巻六


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〔栄花物語巻第六〕 耀(かかや)く藤壺(ふぢつぼ)
大(おほ)殿(との)の姫君(ひめぎみ)、十二に成らせ給(たま)へば、年(とし)の内(うち)に御裳着(もぎ)有りて、やがて内(うち)にと思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。万(よろづ)せさせ給(たま)へり。女房(にようばう)の有様(ありさま)共(ども)、彼の初雪(はつゆき)の女御(にようご)殿(どの)に参(まゐ)り込みし人々(ひとびと)よりも、これはめでたし。御(み)几帳(きちやう)御屏風(びやうぶ)より始(はじ)め、なべてならぬ様(さま)なり。さるべき人々(ひとびと)やむごとなき所々(ところどころ)に歌詠ませ給(たま)ふ。うたは主(ぬし)がらなん、おかしさはまさるらんと言(い)ふやうに、大(おほ)殿(との)やがて詠ませ給(たま)ふ。又(また)花山(くわさん)の院(ゐん)詠ませ給(たま)ふ。又(また)四条(しでう)のきんたうの宰相(さいしやう)など詠み給(たま)へり。ふぢ咲きたるところに、
@むらさきの雲とぞ見ゆるふぢの花いかなる宿の驗(しるし)なるらん W037。
又(また)人(ひと)の家(いへ)にちいさき鶴どもかひたるところを花山(くわさん)の院(ゐん)、
@ひなづるをやしなひたてゝまつが枝(え)のかげに住ません事(こと)をしぞ思(おも)ふ W038。
とぞ有る。多(おほ)かれど片端(かたはし)をとて書かず成りぬ。
かくて参(まゐ)らせ給(たま)ふ事(こと)。長保元年十一月(じふいちぐわつ)一日の事(こと)なり。女房(にようばう)四十人(にん)・わらは六人(にん)・しもづかへ六人(にん)なり。いみじく選(え)り整(ととの)へさせ給(たま)へるにやむごとなきをばさらにもいはず。四位(しゐ)・五位(ごゐ)のむすめといへ
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ど、殊(こと)に交(ま)じらひ悪(わろ)くなり。出(い)で立(た)ち清(きよ)げならぬをば、あへてつかうまつらせ給(たま)ふべきにもあらず。ものきらゝかに成り出(い)でよきを選(え)らせ給(たま)へり。さべきわらはなどは、女院(にようゐん)よりなど奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。これはやがて此(こ)の度(たび)のわらはの名ども、内人(うちびと)・院人(ゐんひと)・宮人(みやびと)・殿人(とのびと)などやうつけあつめさせ給(たま)へり。
姫君(ひめぎみ)の御有様(ありさま)さらなる事(こと)なれど御ぐしたけに五六寸ばかりあまらせ給(たま)へり。御かたち聞(き)こえさせん方(かた)なくおかしげにおはします。まだいと幼(をさな)かるべき程(ほど)に、いさゝかいはけたる事(こと)なく、いへば愚かにめでたくおはします。見(み)奉(たてまつ)りつかうまつる人々(ひとびと)も、あまり若(わか)くおはしますをいかにもののはへなくやなど思(おも)ひ聞(き)こえさせしかど、あさましきまで大人(おとな)びさせ給(たま)へり。万(よろづ)めづらかなるまでにて参(まゐ)らせ給(たま)ふ。昔(むかし)の人(ひと)の有様(ありさま)を今(いま)聞(き)きあはするには、いとぞものぐるをしう其の折の人(ひと)のきぬすくなう綿うすくて、めでたき折節(をりふし)も出(い)で交(ま)じらひ、内(うち)<にもいかでありへたらんとおぼえたり。此(こ)の頃(ごろ)の人(ひと)はうたてなさけなきまで着重(かさ)ねても、猶(なほ)こそは風(かぜ)などもおこるめれ。さればいにしへの女御(にようご)・后(きさき)の御かたがたなど思(おも)ふやうに、片端(かたはし)にあらずやと見えたり。
かくて参(まゐ)らせ給(たま)へるに、上(うへ)むげにねび、ものの心(こころ)知(し)らせ給(たま)へれば、いとどもののはへも有り。また恥(は)づかしうおはします。中宮(ちゆうぐう)の参(まゐ)らせ給(たま)へりし程(ほど)などは、上(うへ)もいと若(わか)くおはしましゝかば、これはさらなる事(こと)ながら、御(おほん)心(こころ)をきて・御気色(けしき)などすべてすゑの世(よ)の御門(みかど)にはあまらせ給(たま)へりとまでぞ。世(よ)の人(ひと)やむごとなき君(きみ)に
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おはしますと、時の大臣・公卿(くぎやう)も申し聞(き)こえさせける。故関白(くわんばく)殿(どの)の御有様(ありさま)は、いとものはなやかに今(いま)めかしうあいぎやうづきけぢかうぞ有りしかば、中宮(ちゆうぐう)の御方(かた)は殿上人(てんじやうびと)も細(ほそ)殿(どの)常(つね)にゆかしうあらまほしげにぞ思(おも)ひたりし。弘徽殿(こきでん)・承香殿・くらべやなど参(まゐ)りこませ給ひたり。されどさるべき宮(みや)達(たち)も出(い)でおはしまさで、中宮(ちゆうぐう)のみこそはかく御(み)子(こ)達(たち)あまたおはしますめれ。
此(こ)の御方(かた)藤壺(ふぢつぼ)におはしますに、御しつらひも玉(たま)も少(すこ)し磨(みが)きたるは、ひかりのどかなるやうにも有り、これは照り耀(かかや)きて、女房(にようばう)もせう<の人(ひと)の御前の方(かた)に参(まゐ)りつかうまつるべきやうも見えず。いといみじうあるまじう様(さま)殊(こと)なるまでしつらはせ給(たま)へり。御木丁・御屏風(びやうぶ)の襲(おそひ)までみなまきゑ・らでんをせさせ給(たま)へり。女房(にようばう)は同(おな)じき大海(おほうみ)の摺裳(すりも)・織物(おりもの)のからぎぬなど昔(むかし)より今(いま)に同(おな)じやうなれど、これはいかにしたるとまでぞ見えたる。女御(にようご)のはかなう奉(たてまつ)りたる御衣(ぞ)のいろ・薫(かをり)などぞ世にめでたき例(ためし)にしつべき御宿直(とのゐ)頻(しき)りなり。
よき日(ひ)して御乳母(めのと)共(ども)、命婦(みやうぶ)・蔵人(くらんど)・ぢんの吉上・衛士仕丁まで贈りものを給(たま)はすれば、年(とし)老いたる女官・とじなど世に言(い)ひ知(し)らぬまで御祈(いの)りを申し、祈(いの)り奉(たてまつ)る。御乳母(めのと)達(たち)さへ、絹(きぬ)、綾(あや)織物(おりもの)ゝしやうぞくどもかず多(おほ)く重(かさ)ねさせ給(たま)ひて、ころもはこにつゝませ給(たま)ひて、様々(さまざま)のものども添(そ)へさせ給(たま)へり。此(こ)の御方(かた)に召(め)し使(つか)はせ給(たま)はぬ人(ひと)をば、世に忝(かたじけな)くかしこまりをなし、世にすずろはしく言(い)ひ思(おも)へり。たま<召(め)し使(つか)はせ給(たま)ふをば、世に
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めでたくうらやましう思(おも)ひて、さいはひ人(びと)とぞつけたる。只今(ただいま)内(うち)辺(わた)りはな<”とめでたくいみじきに、三条(さんでう)のおほきさいの宮(みや)は此(こ)の朔日(ついたち)の日(ひ)失(う)せさせ給(たま)ひにしかば、それを彼の宮(みや)には哀(あは)れに悲(かな)しきものに思(おも)ふべし。世(よ)の定(さだ)め無さのみぞ、万(よろづ)に思(おも)ひ知(し)られける。
上(うへ)藤壺(ふぢつぼ)に渡(わた)らせ給(たま)へれば、御しつらひ有様(ありさま)さもこそあらめ。女御(にようご)の御有様(ありさま)も哀(あは)れにめでたく見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。姫宮(ひめみや)をかやうに思(おぼ)し奉(たてまつ)らばやと思(おぼ)し召(め)さるべし。事(こと)御かたがたみなねび整(ととの)ほらせ給(たま)ひ、およずけさせ給(たま)へれば、只今(ただいま)此(こ)の御方(かた)をば、我が御姫宮(ひめみや)をかしづき据(す)ゑ奉(たてまつ)らせ給(たま)へらんやうにぞ御覧(ごらん)ぜられける。年(とし)頃(ごろ)の御目うつり、たとしへ無く哀(あは)れにらうたくし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふべし。内(うち)はし渡(わた)らせ給(たま)ふよりして、或る此(こ)の御方(かた)のにほひは、只今(ただいま)あるたきものならねば、もしは何(なに)くれの香(か)の香(か)にこそあなれ、などもかかへず、何(なに)ともなくしみ薫(かをり)渡(わた)らせ給(たま)ひての御うつりがは事(こと)御かたがたにも似ずおぼされけり。はかなき御ぐしのはこ・すゞりのはこの内(うち)よりして、おかしくめづらかなるものどもの有様(ありさま)に御覧(ごらん)じつかせ給(たま)ひて、あくれはまづ渡(わた)らせ給(たま)ひて、御(み)厨子(づし)など御覧(ごらん)ずるに、いづれか御目とどまらぬかあらん。弘高が歌ゑかきたる册子(さうし)に、行成の君(きみ)歌かきたるなどいみじうおかしう御覧(ごらん)ぜらる。あまりもの興(けう)じする程(ほど)に、むげにうつりこと知(し)らぬしれものにこそなりぬべかめれなどおほせられつゝぞ、かへらせ給(たま)ひける。
ひるまなどに御殿(との)ごもりては、あまり幼(をさな)き御有様(ありさま)なれば、参(まゐ)り寄(よ)ればおきなどおぼえて、
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われ恥(は)づかしうぞなど宣(のたま)はする程(ほど)も、只今(ただいま)ぞ廿ばかりにおはしますめる。同(おな)じ御門(みかど)と申しながらも、いかにぞやかたなりに飽かぬところもおはしますものを、此(こ)の上(うへ)は御かたちより始(はじ)め。きよらにあさましきまでぞおはします。おほ御酒(みき)などは少(すこ)し聞(き)こし召(め)しけり。御ふえをえもいはず吹きすまさせ給(たま)へば、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もめでたう見(み)奉(たてまつ)る。打(う)ちとけぬ御有様(ありさま)なれば、これ打(う)ち向きて見給(たま)へと申(まう)させ給(たま)へば、女御(にようご)殿(どの)、ふえをばこゑをこそ聞(き)け。見るものかはとて聞かせ給(たま)はねば、さればこそこれや幼(をさな)き人(ひと)。七十のおきなの言(い)ふ事(こと)をかくのたまふよ。あな恥(は)づかしやと戲(たはぶ)れ聞(き)こえさせ給(たま)ふ程(ほど)も、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)、あなめでたや。此(こ)の世(よ)のめでたき事(こと)には、ただ今(いま)の我等が交(ま)じらひをこそせめとぞ、言(い)ひ思(おも)ひける。なにはの事(こと)もならばせ給ふ事(こと)なき御有様(ありさま)におはします。
はかなく年(とし)もかへりぬれば、今年(ことし)は后(きさき)にたゝせ給(たま)ふべしと言(い)ふ事(こと)世には申せば、此(こ)の御前の御事(こと)なるべし。中宮(ちゆうぐう)は宮(みや)<の御事(こと)を思(おぼ)し扱(あつか)ひなどして参(まゐ)らせ給(たま)ふべき事(こと)只今(ただいま)見えさせ給(たま)はず。内(うち)にはいま宮(みや)を今(いま)ゝで見奉(たてまつ)らせ給(たま)はぬ事(こと)を、安(やす)からぬ嘆(なげ)きに思(おぼ)し召(め)したり。帥(そち)殿(どの)は其のままに一千日(にち)の御ときにて、法師(ほふし)恥(は)づかしき御行(おこな)ひにておはします。今(いま)は一宮(みや)かくておはしますを、一天下のともしびと頼(たの)みおぼさるべし。理(ことわり)に見えさせ給(たま)ふ。一宮(みや)の御祈(いの)りをえもいはず思(おぼ)し惑(まど)ふべし。中宮(ちゆうぐう)は明(あ)け暮(く)れ、われ参(まゐ)らずとも宮(みや)かくておはしませば、さりとも今(いま)はと心(こころ)のどかに思(おぼ)し召(め)すべし。女院(にようゐん)にも、
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藤壺(ふぢつぼ)の御方(かた)をもとより殿(との)の御前。女院(にようゐん)にまかせ奉(たてまつ)ると申しそめさせ給(たま)ひしかば、いとやむごとなく恥(は)づかしきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)をば心(こころ)苦(ぐる)しく、いとおしきものにぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。
此(こ)の頃(ごろ)藤壺(ふぢつぼ)の御方(かた)。やへかうばいを織りたる表着(うはぎ)は、みながらあやなり。殿上人(てんじやうびと)などの花折らぬ人(ひと)なく、今(いま)めかしう思(おも)ひたり。唯(ただ)む月に藤壺(ふぢつぼ)まかでさせ給(たま)ふべくて、土御門(つちみかど)殿(どの)いみじうはらひ、いとどすりくはへみがゝせ給(たま)ふ。かくて二月になりぬれば、朔日(ついたち)頃(ごろ)に出(い)でさせ給(たま)ふ。上(うへ)いとあかずさうざうしき御気色(けしき)なれど、あるやうあるべしとぞ、世(よ)人(ひと)申すめる。さて出(い)でさせ給(たま)ひぬ。御をくりの上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)。さう<録どもありてかへり給(たま)ふ。斯(か)かる程(ほど)に、内(うち)辺(わた)り御(おほん)つれづれにおぼされて、此(こ)のひまにいかで一宮(みや)見(み)奉(たてまつ)らんと思(おぼ)し召(め)せど、万(よろづ)慎(つつ)ましうて、え宣(のたま)はせぬに、殿(との)、此(こ)の頃(ごろ)こそ一の御(み)子(こ)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はめと奏(そう)せさせ給(たま)へば、いと<嬉(うれ)しう思(おぼ)し召(め)されて、院(ゐん)にも聞(き)こえさせ給(たま)へば、中宮(ちゆうぐう)参(まゐ)らせ給(たま)ふべき由(よし)度々(たびたび)あれど、慎(つつ)ましうのみ思(おぼ)し召(め)すに、まめやかに院(ゐん)も聞(き)こえさせ給(たま)へば、宮(みや)思(おぼ)したゝせ給(たま)ふ。帥(そち)殿(どの)などもなどてか、宮(みや)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はんに、いとど御志(こころざし)もまさらせ給(たま)はざらん。疎(おろ)かなるべきやうなしなど定(さだ)めさせ給(たま)ひて、そゝきたちて二月晦日(つごもり)に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。
御こしなどもこと<”しければ、一の宮(みや)参(まゐ)らせ給ふ御むかへにとて、大(おほ)殿(との)の唐(から)の御車(くるま)をぞゐて参(まゐ)れる。それに宮(みや)姫宮(ひめみや)奉(たてまつ)れり。さるべき人々(ひとびと)みな御むかへにかぞへ奉(たてまつ)ら
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せ給(たま)ふ。殿(との)の心様(こころざま)あさましきまでありがたくおはしますを、世にめでたき事(こと)に申すべし。帥(そち)殿(どの)も、我が御心(こころ)のいかなればにかはと思(おも)はずなりける殿(との)の御心(こころ)かな。女御(にようご)参(まゐ)り給(たま)ひて後(のち)は、よもと思(おも)ひつるに、一宮(みや)の御むかへの有様(ありさま)などぞ、誠(まこと)にありがたかりける御心(こころ)なりけり。われらはしもえかくはあらじかしとぞ。内(うち)<には聞(き)こえ給(たま)ひける。さて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、姫宮(ひめみや)美(うつく)しき程(ほど)にならせ給(たま)へるに、又(また)今宮(みや)のえもいはずきらゝかにおはしますに、御門(みかど)御目のごはせ給(たま)ふべし。女一宮(みや)も四つ五ばかりにおはしまして、ものなどいとよう宣(のたま)はす。女院(にようゐん)も良き夜とて、いま宮(みや)見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、上(うへ)の御児子(ちご)おいにぞいとよう似奉(たてまつ)らせ給(たま)へる。哀(あは)れに美(うつく)しう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。猶(なほ)やむごとなく捨てがたきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるも、理(ことわり)に見えさせ給(たま)ふ。
さて日頃(ひごろ)おはしませば、殿(との)の御(お)前(まへ)、いま宮(みや)を見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、抱(いだ)き慈(うつく)しみ奉(たてまつ)らせ給(たま)はざりける事(こと)ゝ、誰(たれ)も御(み)子(こ)の悲(かな)しさは知(し)り給(たま)へる事(こと)なれば、哀(あは)れに見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。上(うへ)の御ふえを取らせ給(たま)へば、いとゆゝしく美(うつく)しう見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。万(よろづ)心(こころ)のどかに宮(みや)に泣きみ笑(わら)ひみ、唯(ただ)御命(いのち)を知(し)らせ給(たま)はぬ由(よし)をよるひるかたらひ聞(き)こえさせ給(たま)へど、宮(みや)れいの御有様(ありさま)におはしまさず。もの心(こころ)細(ぼそ)げにあはれなる事(こと)をのみぞ申(まう)させ給(たま)ふ。此(こ)の度(たび)は参(まゐ)るに慎(つつ)ましうおぼえはべれど。今(いま)一度(たび)見(み)奉(たてまつ)り。またいま宮(みや)の御有様(ありさま)うしろめたくてかく思(おも)ひたちはべるなど、
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まめやかに哀(あは)れに申(まう)させ給(たま)ふを、上(うへ)、いなや、とかくは宣(のたま)はするぞなど聞(き)こえさせ給(たま)ふを、猶(なほ)ものの心(こころ)細(ぼそ)くのみおぼえはべりなど常(つね)なるまじき御事(こと)共(ども)のみあれば、うたてゆゝしくとおほせらるゝ。身をばともかうも思(おも)ひはべらず。唯(ただ)幼(をさな)き御有様(ありさま)共(ども)のうしろめたさになどいみじう聞(き)こえさせ給(たま)ひけり。
かくて三月に藤壺(ふぢつぼ)后(きさき)にたゝせ給(たま)ふべき宣旨(せんじ)くだりぬ。中宮(ちゆうぐう)と聞(き)こえさす。此(こ)の候(さぶら)はせ給(たま)ふをば皇后宮(くわうごうぐう)と聞(き)こえさす。やがて三月晦日(つごもり)に大饗せさせ給(たま)ひて、又(また)いらせ給ふ。今年(ことし)ぞ十三にならせ給(たま)ひけり。哀(あは)れに若(わか)くめでたき后(きさき)にもおはしますかな。皇后宮(くわうごうぐう)今日(けふ)明日(あす)まかでなんとせさせ給(たま)ふを、せちに猶(なほ)<と聞(き)こえさせ給(たま)ふ。二月に参(まゐ)らせ給(たま)へりしに、朔日(ついたち)頃(ごろ)に里(さと)にて月の御事(こと)ありけるに、三月廿日あまりまでさる事(こと)なかりければ、怪(あや)しくいとどいかに<と心(こころ)細(ぼそ)くおぼさるべし。上(うへ)もいかなればにかおぼつかなげに宣(のたま)はするにも、それを嬉(うれ)しと思(おも)ふべきにもはべらず。今年(ことし)は人(ひと)の慎(つつし)むべき年(とし)にもあり。宿曜などにも心(こころ)細(ぼそ)くのみ言(い)ひてはべれば、猶(なほ)いとこそさらんにつけても心(こころ)細(ぼそ)かるべけれなどぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。
三月晦日(つごもり)に出(い)でさせ給(たま)ふとて、哀(あは)れに悲(かな)しき事(こと)共(ども)を多(おほ)く聞(き)こえさせ給(たま)ひて、御袖も一(ひと)つならずあまたへ濡れさせ給(たま)ふ。かへすがへす此(こ)の月の御事(こと)のさもあらずならせ給(たま)ひぬるを、いでや、さも心(こころ)うかるべきかなと、哀(あは)れにもののみ心(こころ)細(ぼそ)う思(おぼ)しつゞけらるを、ゆゝしうかく思(おも)はじと思(おぼ)しかへせど、
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いとうたてのみおぼさる。其の後(のち)つゆものも聞(き)こし召(め)さで、唯(ただ)よるひる涙(なみだ)に浮(う)きてのみおはしませば、帥(そち)殿(どの)も中納言(ちゆうなごん)殿(どの)もいみじく思(おぼ)し嘆(なげ)きたり。唯(ただ)御祈の事(こと)をのみ急(いそ)がせ給(たま)へど、いさや、世(よ)のなかに少(すこ)し人(ひと)に知(し)られ、人(ひと)がましき名僧(めいそう)などは、此(こ)の辺(わた)りに親(した)しき様(さま)なる事(こと)には煩(わづら)はしき事(こと)に思(おも)ひて、遣(つか)はせ給(たま)へど万(よろづ)に障(さはり)をのみ申しつゝ、たは安(やす)くも参(まゐ)らず。さりとてむげに人(ひと)に知(し)られぬ程(ほど)なるは、くはほうにやあらむ、驗(しるし)などもえ見ぬわざなれば、御祈(いの)り思(おも)ふ様(さま)にもせさせ給(たま)はぬ。くち惜(を)しさ思(おぼ)し嘆(なげ)きたり。賀茂の祭(まつり)なるやとののしるも万(よろづ)よそにのみおぼさるゝもあはれなり。そうづの君(きみ)・清昭あざりばかりぞ、夜居(よゐ)に常(つね)には候(さぶら)ふ。此(こ)の宮(みや)達(たち)の御扱(あつか)ひせさせ給(たま)ひつゝも、かつはわれいつまでとのみ、まづ知(し)るものをおぼさるゝもいみじうぞ。
中宮(ちゆうぐう)は四月晦日(つごもり)にぞ入(い)らせ給(たま)ふ。其の御有様(ありさま)推(お)し量(はか)るべし。御こしの有様(ありさま)より始(はじ)め、何事(なにごと)もあたらしき御有様(ありさま)にて御裳(も)着させ給(たま)ひて、御髮(ぐし)上(あ)げて御こしに奉(たてまつ)る程(ほど)など猶(なほ)さるべき御身にこそおはしましけれ。かく若(わか)くおはします程(ほど)は、らうたげに美(うつく)しげにおはしまさんこそ世(よ)の常(つね)なりけれ、やむごとなさゝへそはせ給(たま)へるめでたし。此(こ)の度(たび)は藤壺(ふぢつぼ)の御しつらひ、大床子たて御帳のまへのこまいぬなども、常(つね)の事(こと)ながら目とどまりたり。若(わか)き人々(ひとびと)いとめでたしとみる。火たきや、土御門(つちみかど)殿(どの)の御(お)前(まへ)にありし、ゑに書きたるやうなりしを、此(こ)の御(お)前(まへ)にてはまた今(いま)少(すこ)し気色(けしき)ことなる
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心地(ここち)するも、打(う)ちつけの目なるべし。此(こ)の度(たび)は女房(にようばう)からぎぬなども、しな<”にわかれてけぢめけざやかなる程(ほど)ぞいとおしげなる。押しなべてありし折は、目とどまりても見えざりし織物(おりもの)のからぎぬどもの、今(いま)見ればもんけざやかに浮きたるもめでたく見え、さしもあらず人(ひと)がらなどは、悪(わろ)からぬも又(また)心(こころ)の限(かぎ)りしたるむもんなどは、いとくち惜(を)しうなん。女官などもないがしろに思(おも)ひふるまひたるなどなか<めやすげなり。
上(うへ)渡(わた)らせ給(たま)ひて御覧(ごらん)じて、さき<”は心(こころ)安(やす)きあそびものに思(おも)ひ聞(き)こえさせしに、此(こ)の度(たび)はいとやむ事なき御有様(ありさま)なれば、忝(かたじけな)さ添(そ)ひてふるまひにくゝこそなりにたれ。さても見(み)奉(たてまつ)りしころと、此(こ)の頃(ごろ)とはこよなくこそおよすけさせ給(たま)ひにけれ。はかなき事(こと)あらば、勘當(かんだう)ありぬべき御気色(けしき)にこそと宣(のたま)はすれば、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もいみじう忍(しの)びやかに言(い)ひつゝ笑(わら)ふべし。はかなく五月五日になりぬれば、人々(ひとびと)菖蒲(さうぶ)・楝(あふち)などのからぎぬ・表着(うはぎ)などもおかしう折知(し)りたるやうに、菖蒲(さうぶ)のみへがさねのみ木丁のうすものにて立てわたさせ給(たま)へるに、上(かみ)を見れば御簾(みす)の緑(へり)もいと青(あを)やかなるに、のきの菖蒲(あやめ)も隙(ひま)なく葺(ふ)かれて、心(こころ)殊(こと)にめでたくおかしきに、御くすだま・しやうぶの御輿(こし)などもて参(まゐ)りたるも珍(めづら)しうて、若(わか)き人々(ひとびと)興(けう)ず。
内(うち)には承香殿を人(ひと)知(し)れずおぼつかなく思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、わざとの御つかひには思(おぼ)しかけず。参(まゐ)る人(ひと)もなければ、もとより此(こ)の御心(こころ)よせのうこんの内侍(ないし)になん、御ふみ忍(しの)び通(かよ)はし給(たま)ふ
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と言(い)ふ事(こと)をのづから漏(も)聞(き)こゆれば、殿(との)はともかくも宣(のたま)はせぬに、いとかしこき事(こと)にかしこまり申して、内(うち)へも参(まゐ)らず。されは、殿(との)の御(お)前(まへ)、うこむの内侍(ないし)が参(まゐ)らぬこそ怪(あや)しけれ。己(おのれ)を見じとてかうしたるなめりなど宣(のたま)はせけるしもぞ、なか<なめう思(おぼ)し召(め)しけるなど人々(ひとびと)思(おも)ひける。
皇后宮(くわうごうぐう)にはあさましきまでもののみおぼえ給(たま)ひければ、御おとうとの四の御方(かた)をぞ、いま宮(みや)の御後見(うしろみ)よくつかうまつらせ給(たま)ふべき様(さま)に、打(う)ちなきてぞ宣(のたま)はせける。御櫛笥(くしげ)殿(どの)もゆゝしき事(こと)をと聞(き)こえて、打(う)ち泣きつゝぞ過(す)ぐさせ給(たま)ひける。月日(ひ)もはかなく過ぎもていきて、内(うち)にはいとど皇后宮(くわうごうぐう)の御有様(ありさま)をゆかしく思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひつゝ、おぼつかなからぬ御消息(せうそく)常(つね)にあり。宮(みや)の美(うつく)しうおはします事(こと)限(かぎ)りなし。
かくて七月にもなりぬれば、わりなき暑(あつ)さをばさるものにて、今年(ことし)相撲(すまひ)は東宮(とうぐう)御覧(ごらん)ぜよと思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ひて、御用意(ようい)心(こころ)異(こと)なるべし。七月七日中宮(ちゆうぐう)より院(ゐん)に聞(き)こえさせ給(たま)ふ、
@くれを待つ雲居(くもゐ)の程(ほど)もおぼつかな踏み見まほしき鵲(かささぎ)の橋(はし) W039。
院(ゐん)より御返事、
@鵲(かささぎ)の橋(はし)の絶間(たえま)は雲居(くもゐ)にてゆきあひのそらを猶(なほ)ぞうらやむ W040。
七月十余(よ)日(にち)の程(ほど)になりぬれば、所々(ところどころ)の相撲人(すまひびと)共(ども)参(まゐ)りあつまりて、左右の大将(だいしやう)などの御もとにはこと<”なく唯(ただ)これ騷(さわ)ぎをせさせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)御覧(ごらん)ずべき年(とし)なれば、何事(なにごと)もいかでかなど思(おぼ)し騷(さわ)ぐ
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もおかしくなん。月日(ひ)の過ぎ行くまゝに、皇后宮(くわうごうぐう)にはいとどものをのみ思(おぼ)し嘆(なげ)かるべし。