栄花物語詳解巻四


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S04〔栄花物語巻第四〕 見はてぬ夢
かくて此の円融(ゑんゆう)の院(ゐん)の御さうそう、むらさき野にてせさせ給(たま)ふ。其のほどの御有様(ありさま)おもひやるべし。一とせの御(おん)子(こ)日に、此のわたりのいみじうめでたかりしはやとおぼしいづるも、哀(あは)れに悲しければ、閑院(かんゐん)の左大将(さだいしやう)、
@むらさきの雲のかけてもおもひきや春のかすみになして見んとは W010。
行成ひやうゑのすけいと若けれど。これをきゝて、一条(いちでう)摂政(せつしやう)の御孫のなりふさの少将(せうしやう)の御もとに、
@をくれじと常のみゆきはいそぎしをけぶりにそはぬたびのかなしさ W011。
などあまたあれど、いみじき御事のみおぼえしかば、皆誰かはおぼゆる人のあらん。さてかへらせ給(たま)ひぬ。御いみのほどのことゞも。いみじう哀(あは)れなりき。さべきとのばらこもりさぶらひ給(たま)ふ。そのころさくらのおかしき枝を人にやるとて。さねかた中将(ちゆうじやう)、
@墨染(すみぞめ)のころもうき世の花ざかりおもわすれても折りてげるかな W012。
これもおかしう聞(き)こえき。世の中諒闇にて、ものゝはへなきことゞもおほかり。
花山(くわさん)の院(ゐん)ところ<”あくがれありかせ給(たま)ひて、熊野ゝ道にて、御(おん)心地(ここち)悩ましうおぼされけるに。あまのしほやくを御覧(ごらん)じ
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て、
@旅(たび)の空よはのけぶりとのぼりなばあまのもしほびたくかとや見ん W013。
との給(たま)はせける。旅(たび)のほどにかやうの事おほくいひ集めさせ給(たま)へれど。はか<”しき人し御ともになかりければ、皆忘れにけり。さてありき巡らせ給(たま)ひて、円城寺といふところにおはしまして、さくらのいみじうおもしろきを見めぐらせ給(たま)ひて、ひとりごたせ給(たま)ひける、
@木のもとをすみかとすればをのづから花見る人になりぬべきかな W014
とぞ。哀(あは)れなる御有様(ありさま)も。いみじうかたじけなくなん。
一条(いちでう)の摂政(せつしやう)のうへは。九の御方ともにひんがしのゐんに住ませ給(たま)ひて、此のゐんを「いかで見奉(たてまつ)らん」とおぼしけれど。たゞいまの御有様(ありさま)。さやうに里(さと)などにいでさせ給(たま)ふべうもあらずなん。
円融(ゑんゆう)の院(ゐん)の御法事。三月廿八日に、やがて同じゐんにてせさせ給(たま)ひつ。としごろ殿上人(てんじやうびと)などの御志(こころざし)あるさまのは、なひ<にいと心(こころ)ことの御用意(ようい)あるべし。さてその年のうちに、右の大臣(おとど)太政(だいじやう)大臣(だいじん)になり給(たま)ひぬ。右の大臣には、六条(ろくでう)の大納言(だいなごん)なり給(たま)ひぬ。土御門(みかど)左大臣(さだいじん)の御はらからなりけり。
東宮(とうぐう)の十五六ばかりにおはしましけるに、ある僧のきやうたうとく読みければ、常に夜ゐせさせて世の物語(ものがたり)申しけるつゐでに。小一条(こいちでう)殿(どの)のひめぎみの御事を語り聞(き)こえさせけるに、宮の御みゝとゞまりて思(おぼ)し召(め)して、この僧を夜ごとに召しつゝ。きやうを読ませさせ給(たま)ひて、たゞよるの御物語(ものがたり)
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には、此の小一条(こいちでう)のわたりの御事を、ことぐさにおほせられて、「此の事かならずいひなして給(たま)へ」などいみじう真心におほせられければ、大将(だいしやう)に聞(き)こえければ、「かくてのみやは過ぐさせ給(たま)ふべき。花山(くわさん)の院(ゐん)の御時もかしこう遁れ申(ま)ししか。御門(みかど)のいと若うおはしますにあはせて、内にも中宮(ちゆうぐう)さへおはしませば、いとわづらはし。これは麗景殿(れいけいでん)さぶらひ給(たま)ふめれど、それはあえなん」など覚していそぎ給(たま)ふ。ひめぎみ十九ばかりにおはしますべし。
はかなき御ものゝ具どもは。先帝の御時、此の大将(だいしやう)の御いもうとの宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)、むらかみいみじうおもひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、よろづのものゝ具をし奉(たてまつ)らせ給(たま)へりし御具ども、御ぐしの箱よりはじめ、びやうぶなどまで。いとめでたくて持たせ給(たま)へれば、さやうのことおぼしいとなむべきにもあらず。たゞ御さうぞくめくものばかりをぞ急(いそ)がせ給(たま)ふ。はゝうへはびはの大納言(だいなごん)延光と聞(き)こえしがむすめにおはしければ、御なからひもいと物清げなり。又(また)先帝の、御さうの琴を宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)にもをしへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。此の大将(だいしやう)にもをしへさせ給(たま)ひけるを、此のひめぎみに殿をしへ聞(き)こえ給(たま)へりければ、まさざまに今少しいまめかしさそひて弾かせ給(たま)ふ。いみじうめでたし。今の世には、かやうの事殊に聞(き)こえねど。これはいみじう弾かせ給(たま)ふ。中のきみにはびはをぞならはし聞(き)こえ給(たま)ひける。ひめぎみの御有様(ありさま)、ひとつにもあらずもてなし聞(き)こえ給(たま)へれば、なかのきみのをばをばきたのかた取り放ちてやしなひ聞(き)こえ給(たま)ふにその
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うへのいたう老い給(たま)ひにたれば、よきわかぎみたちにこそはとおもひ聞(き)こえ給(たま)へれど、左大将(さだいしやう)さもおもひ聞(き)こえ給(たま)はぬを、くちをしう小一条(こいちでう)殿におぼいたるべし。
かくていそぎたゝせ給(たま)ひて、十二月のついたちに参(まゐ)らせ給(たま)ふ。むかしおぼしいでゝ、やがて宣耀殿(せんえうでん)にすませ給(たま)ふ。かひありていみじうときめき給(たま)ふ。されば大将(だいしやう)殿わるぎみをば誰の人かをろかにおもひ聞(き)こゆることあらむ」なぞとおぼしの給(たま)ひける。
麗景殿(れいけいでん)いと時にしもおはせねど、たゞおほかた物花やかにけぢかうもてなしたる御方のやうなれば、心(こころ)安きものがたりどころには、殿上人(てんじやうびと)など、かの御方のほそどのをぞしける。此の女御(にようご)の御方をばいと奥ぶかうはづかしきものにいひおもひけり。
御せうと、このごろくらのかみにてぞものし給(たま)ふ。ちゝ大臣(おとど)にも似給(たま)はず。いとおいらかにぞ、人おもひ聞(き)こえたる。長命君とて侍従にておはせしは、出家し給(たま)ひてしをぞ、ちゝとのは、「いとまにこれがありて、かれがなきこそ口惜しけれ。かやうの御まじらひのほどに、いかにかひあらまし」とぞ、つねにおぼし出でける。大将(だいしやう)の御をひのさねかたの中将(ちゆうじやう)。世のすきものにはづかしういひおもはれ給(たま)へる、その君をぞこの女御(にようご)、おほかたのよろづのものゝはへにものし給(たま)ふ。たゞいまは又(また)限りなき御有様(ありさま)にてさぶらはせ給(たま)へば、いとかひありて見えたり。摂政(せつしやう)殿(どの)よろづのあにぎみは、宰相(さいしやう)にておはす。あはたどのは内大臣(ないだいじん)にならせ給(たま)ひぬ。中宮(ちゆうぐう)の大ぶは大納言(だいなごん)にならせ給(たま)ひぬ。おほちよぎみは中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひぬ。こちよぎみは三位中将(ちゆうじやう)にておはし
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つるも、中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひぬ。いつもたださるべき人のみこそはなりあがり給(たま)ふめれ。
しん中納言(ちゆうなごん)のきたのかた。山の井といふ所にすみ給(たま)へば、山の井の中納言(ちゆうなごん)とぞきこゆる。こちよぎみは、かの大納言(だいなごん)殿(どの)のひめぎみ。いみじう美(うつく)しきわかぎみうみ給(たま)へれば、をばきたのかた・摂政(せつしやう)殿(どの)など、いみじきものにもてかしづき給(たま)ふ。まつぎみとぞきこゆめる。とのむかへ聞(き)こえ給(たま)ふては。めのとにもきみにも、さまざまの御をくりものしてかへし聞(き)こえ給(たま)ふ。女ばうどもいつしかと待ちおぼすべし。
かくて月日も過ぎもていきて、正暦三年(さんねん)になりぬ。哀(あは)れにはかなき世になむ。二月には、故院(ゐん)の御はてあるべければ、天下いそぎたり。御はてなどせさせ給(たま)ひつ。世のなかのうすにびなど果てゝ、はなのたもとになりぬるも、いともののはへあるさまなり。摂政(せつしやう)殿(どの)のひめぎみあまたおはすれば、いますこしおよずけ給(たま)はぬをぞ心(こころ)もとなくおぼさる。
中宮(ちゆうぐう)大夫殿は、土御門(つちみかど)のうへも、みやの御かたも、こぞよりたゞならず見えさせ給(たま)へば、左大臣(さだいじん)殿(どの)はさきのやうにいかに<とおぼしいのらせ給(たま)ふ。みやの御かたにもみやおはしまして、さるべき御いのりのことをきて覚したり。
かくて摂政(せつしやう)殿(どの)の法興院(ゐん)のうちにべちに御だうたてさせ給(たま)ひて、積善寺となづけさせ給(たま)ひて、その御だうくやういみじくぞ急(いそ)がせ給(たま)ふ。
一条(いちでう)の太政(おほき)大臣(おとど)は。六月十六日にうせさせ給(たま)ひぬ。のちの御諱(いみな)恒徳公ときこゆ。女御(にようご)の御のちは、ただ法師(ほふし)よりもけにて、世とともに御をこなひにてすぐさせ給(たま)ふ。
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法住寺をいみじうめでたくつくらせ給(たま)ひて、明(あ)け暮(く)れそこにこもらせ給(たま)ひてぞをこなはせ給(たま)ふ。哀(あは)れにいみじうぞ。御太郎、松雄君とておはせしおとこにて、此のごろ東宮(とうぐう)権大夫にておはす。いまひとゝころ、中将(ちゆうじやう)ときこゆ。その中将(ちゆうじやう)、この四月のまつりのつかひに出で立ち給(たま)ひしかば、よろづにしたてさせ給(たま)ひて、をしかへして、あやしの御くるまにて御覧(ごらん)じて。つかひのきみわたりはて給(たま)ひにしかば、こと<”は見んともおぼさでかへらせ給(たま)ひにしも、世の人おもひ出でゝかなしがる。
女君(をんなぎみ)達(たち)いま三ところひとつ御はらにおはするを、三の御かたをばしんでんのうへと聞(き)こえて又(また)なふかしづきみえ給(たま)ふ。四五の御かたがたもおはすれど、故女御(にようご)としんでんの御かたとをのみ〔ぞ〕、いみじきものにおもひ聞(き)こえ給(たま)ひける。女子はたゞかたちを思(おも)ふなりとの給(たま)はせけるは、四五の御かたいかにとぞをしはかられける。
御いみのころ、この中将(ちゆうじやう)のもとに、斎院より御とぶらひありける、かくなん、
@いろかはるそでにはつゆのいかならんおもひやるにも消えぞいらるゝ W015。
哀(あは)れなることゞも。御法事やがて法住寺にてあり。一条(いちでう)殿(どの)、いみじうなべてのところのさまならず、いかめしうまうにおぼしをきてたりつれば、ひとゝころうせさせ給(たま)ひぬれば、いとおはしましにくげに荒れもていくも心(こころ)ぐるしう。此のしんでんのうへの御所分にてぞありける。よろづのものたゞこの御領にとぞ、おぼしをきてさせ給(たま)ひける。
かゝるほどに、
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花山(くわさん)の院(ゐん)、ひんがしのゐんの九の御かたにあからさまにおはしましけるほどに、やがてゐんの御めのとのむすめなかつかさといひて、明(あ)け暮(く)れ御覧(ごらん)ぜしなかに、なにともおぼし御覧(ごらん)ぜざりけるが、いかなる御さまにかありけん、これを召して御あしなどうたせさせ給(たま)ひけるほどに、むつまじうならせ給(たま)ひて、覚しうつりて、てらへもかへらせ給(たま)はで、つく<”とひごろをすぐさせ給(たま)ふ。九の御かた、我が見え奉(たてまつ)らせ給(たま)ふをばあるものにて、世にをのづからもりきこゆることを、わりなうかたはらいたくおぼされけり。いまは此のゐんにおはしましつきて、世のまつりごとををきて給(たま)ふ。世にもいと心(こころ)憂きことにおもひ聞(き)こえさす。いゐむろにも、さればこそ、さやうにものぐるおしき御有様(ありさま)、さることおはしましなんとおもひしなりと、心(こころ)におぼさるべし。かやうなる御有様(ありさま)、をのづからかくれなければ、御封などもなくて、いかに<とて、きさいのみや、摂政殿など、きゝいとをしがり奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、受領までこそ得させ給(たま)はざらめ、つかさかうぶり、御封などはあべきことなり。いとかたじけなきことなりとさだめさせ給(たま)ひて、さるべきつかさかうぶり、御封など奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、いとゞ御さとずみ心(こころ)やすくひたぶるにおぼされて。ひんがしのゐんのきたなるところにおはしましどころつくらせ給(たま)ふ。
かくておはしますも、さすがにあまへいたくやおぼされけん、わが御はらからの弾正のみやをかたらひ聞(き)こえさせ給(たま)ひて、此の九の御かたにむこどり聞(き)こえさせ給(たま)ふ。「あしからぬことなり」とて、みやおはし通(かよ)は
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せ給(たま)ふ。九の御かた、とし月いみじき御道心にて、法華経(ほけきやう)二三千部とよませ給(たま)ひて、たゞ明(あ)け暮(く)れの御をこなひを、なか<にまぎれでやとよろづおぼさるべし。
弾正みやいみじういろめかしうおはしまして、知るしらぬわかぬ御心(こころ)なり。世中のさはがしきころ、よるよなかわかぬ御ありきもいとうしろめたげなり。おはしますところのみすのもかうのやれたれば、みや、「検非違使にあひたるみすのへりかな」との給(たま)はすれば、ゐん「されど弾正にこそあひて侍れ」などの給(たま)はするもおかし。ゐんものゝはへあり、おかしうおはしましゝに、まいていまは「何事(なにごと)もさばれ」とひたぶるにおぼしめしたるも、「はかなき世になどかさは」と見えさせ給(たま)ふ。
かゝるほどに、中づかさがむすめ、わかさのかみすけたゞといひけるが産(う)ませたりけるも召し出でゝつかはせ給(たま)ふほどに、おやこながらたゞならずなりて、けしからぬことゞもありけり。九の御かた、いと心(こころ)憂くあさましくおぼさるべし。哀(あは)れなる御有様(ありさま)なり。
たゞいま世にいみじきことには、きさいのみやなやませ給(たま)ふ。世のたゞいまの大事にのみ思(おも)ふほどに、さき<”の御ものゝけのけしきなどれいのことなり。すべておはしますべきさまならず。内も行幸(ぎやうがう)などせさせ給(たま)ひて、よろづにおぼしまどはせ給(たま)ふ。ともすればよるひるわかず取り入れ<し奉(たてまつ)れば、「今はたゞいかであまになりなん」との給(たま)はするを、とのばらも、しばしはさるまじきことにのみおぼしまうし給(たま)へど、さらにかぎりと見えさせ給(たま)へば、「さば、とてもかくてもおはしまさ
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んのみこそ」とて、ならせ給(たま)ひぬ。あさましういみじきことなれど、たいらかにおはしまさんのほいなるべし。さて世にあることのかぎりしつくさせ給(たま)ひて、又(また)かくもならせ給(たま)へればにや、御なやみもよろしうならせ給(たま)ひぬ。いしやまにとしごとにおはしまさんかぎりは参(まゐ)らせ給(たま)ひ、はせでら、すみよしなどに、みな参(まゐ)らせ給(たま)ふべき御願どもいみじかりければにや、をこたらせ給(たま)ひぬ。内にもうれしき御ことにおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ふともをろかなり。
御としも三十ばかりにおはしまし、いみじうあたらしき御(おほん)さまにて。あさましう口惜しき御ことなれども、おりゐの御門(みかど)になぞらへて女院(にようゐん)と聞(き)こえさす。さて年官年爵得させ給(たま)ふべきなり。としごとのまつりの御つかひもとゞまりて、たゞ陣屋(ぢんや)などもなくて心(こころ)やすきものから、めでたき御(おほん)有様(ありさま)なり。女院(にようゐん)の判官代などにかたほなるならずえさせ給(たま)へり。
さてそのとしのうちに、はせでらに参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。御ともには、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、とし若くいみじき、かりぎぬすがたをしたり。おとなとのばらは、なをしにてつかうまつり給(たま)ふ。摂政殿御くるまにてつかうまつらせ給(たま)へり。ゐんはからの御くるまに奉(たてまつ)れり。女ばうぐるまのさきに、あまのくるまをたてさせ給(たま)へり。いみじき見物なり。としごろさぶらへるもさらぬも、あま十人ばかりさぶらふ。みゆきとてわらはにてさぶらひしが、御ともにあまになりにしかば、りばたとつけさせ給(たま)へり。わらはべとしごろつかはせ給(たま)はざりしもいまぞおほく参りあつまりたれば、ほめき・すいき・はなこ・しきみなどさまざまつけさせ給(たま)へり。さて
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参(まゐ)らせ給(たま)ひて、めでたきさまにほとけにもつかうまつらせ給(たま)ひて、僧をもかへりみさせ給(たま)ひて、かへらせ給(たま)ひぬ。かくてことしは二三月ばかりに、すみよしへとおぼしめしける。かやうにてあらまほしき御有様(ありさま)にてすぐさせ給(たま)ふ。
山の井の中納言(ちゆうなごん)にておはするに、こちよぎみ、宰相(さいしやう)中将(ちゆうじやう)にておはするを、摂政(せつしやう)殿(どの)やすからずおぼして、ひきこして大納言(だいなごん)になし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。山の井いと心(こころ)憂くおもひ聞(き)こえ給(たま)へり。
かゝるほどに閑院(かんゐん)の大将(だいしやう)いみじうわづらひ給(たま)ひて、大将(だいしやう)辞し給(たま)へれば、あはた殿ならせ給(たま)ひぬ。小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)左になり給(たま)ひて、此の殿右になり給(たま)ひぬ。女院(にようゐん)のきさきにおはしましゝ折、弾正の亮今はみな三位になりてめでたし。
あはた殿(どの)の御むすめ。藤三位のはらの御きみに裳着せさせ奉(たてまつ)らんとのゝしれば、あはたへは心(こころ)よりほかにおぼせど、さべういひ知(し)らせ給(たま)ふ。
かくて摂政(せつしやう)殿(どの)をば、御門(みかど)おとなびさせ給(たま)ひぬれば、関白(くわんばく)殿(どの)と聞(き)こえさす。中ひめぎみ十四五ばかりにならせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)に参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ有様(ありさま)、はな<とめでたし。さて参(まゐ)らせ給(たま)ひぬれば、宣耀殿(せんえうでん)はまかで給(たま)ひぬ。淑景舎にぞすませ給(たま)ふ。何事(なにごと)もたゞかゝやくやうなれば、いはんかたなくめでたし。女御(にようご)の御心(こころ)ざまもはなやかにいまめかしう、ゑましき御(おほん)有様(ありさま)なり。としごろ宣耀殿(せんえうでん)を見奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつる御(おん)心地(ここち)に、これはことにふれていまめかしうおぼさる。女御(にようご)もわざともてなすとおぼさねど、御ぞのかさなりたるすそつき・そでぐちなどぞ、いみじうめでたく御覧(ごらん)ぜられける。何事(なにごと)も女ばう
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のなりなども、人こそここらもて参りあつまれば、よしあしを人のきこゆべきにあらず。
三の御かたみなる中にすこし御かたちも心(こころ)ざまもいとわかうおはすれど、「さのみやは」とて、帥宮にあはせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。みやの御志(こころざし)、世の〔御(おん)〕ひゞきわづらはしうおぼされたれば、哀(あは)れなり。わが御志(こころざし)はゆめになし。とのもことはりに、とりわきおぼし見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。されどみなみの院(ゐん)にむかへ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひぬれば、あべきかぎりにておはします。四の御かたいと若うおはすれど。内の御ぐしげ殿と聞(き)こえさす。
此の御はらのあるがなかのおとうとのきみは、三位中将(ちゆうじやう)になし聞(き)こえ給(たま)ひつ。六条(ろくでう)の右のおほい殿(どの)。いみじきものにかしづき給(たま)ふひめぎみにむこどり給(たま)ひつ。大臣(おとど)、御としなど老い給(たま)ひにたるに、此の三位中将(ちゆうじやう)の御ことをいみじきことにおぼして、よさりはよなかばかりにおはするにも。われはおほとのごもらでよろづをまいりごち給(たま)ふも、哀(あは)れにいみじき御志(こころざし)を、此の中将(ちゆうじやう)のきみゆめにおぼしたらず、かげまさの大進のむすめをいみじきものにおぼいて、このひめぎみの御ためにいみじうをろかにおはすれば、関白(くわんばく)殿(どの)いとかたはらいたうかたじけなきことにの給(たま)はすれど、おとこの心(こころ)はいふかひなげなり。
かくて一条(いちでう)の太政(おほき)大臣(おとど)の家(いへ)をば女院(にようゐん)らうぜさせ給(たま)ひて、いみじうつくらせ給(たま)ひて、御門(みかど)の後院に思(おぼ)し召(め)すなるべし。大納言(だいなごん)殿(どの)は、土御門(つちみかど)のうへもみやの御かたも、みなおとこぎみをぞ生み奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。殿(との)のわかぎみをば、たづぎみとつけ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ
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ける。みやの御かたをば、ゐんの御前のめのととりわき、よろづにあつかひ知(し)らせ給(たま)ひて、いはぎみとつけ奉(たてまつ)り給(たま)へり。
たちばな三位のはらに関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)子(こ)とて。おとこをんななどおはします。又(また)山の井の御(おん)子(こ)もあり。
かくて宣耀殿(せんえうでん)、月ごろたゞにもおはせずなりにけり。大将(だいしやう)殿(どの)いみじきことにおぼしいのらせ給(たま)ふ。東宮(とうぐう)の御志(こころざし)のかひありて、おもひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。このごろは淑景舎さぶらはせ給(たま)へば、「やがてよき折なり」とおぼしめしけり。麗景殿(れいけいでん)はさとにのみおはしまして、けしからぬ名をのみ取りたまふ。東宮(とうぐう)たゞいまは。人知れずまめやかにやむごとなきかたには宣耀殿(せんえうでん)をおぼしたり。いたはしうわづらはしきかたには淑景舎をおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、わざとも麗景殿(れいけいでん)まではさしもおぼしたたず。
かくてこちよぎみ内大臣(ないだいじん)になり給(たま)ひぬ。御(おほん)とし廿ばかりなり。中宮(ちゆうぐう)大夫殿(どの)いとことのほかにあさましうおぼされて。ことに出でまじらはせ給(たま)はずなりもて行く。
土御門(つちみかど)の大臣(おとど)も、正暦四年七月廿九日に失せさせ給(たま)ひにしかば、大納言(だいなごん)殿(どの)や君達(きんだち)、さしあつまりてあつかひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ、いと哀(あは)れなり。御としも七十ばかりにならせ給(たま)ひぬれば、ことはりの御事なれど。殿(との)のうへいみじくおぼしなげきたり。のち<の御ことゞもあべきかぎりにて過ぎさせ給(たま)ひぬ。大納言(だいなごん)殿(どの)のうへ。たゞにもあらぬ御(おほん)有様(ありさま)を、おほい殿(どの)は「これを見はてゝ」とおぼしつゝぞ、失せさせ給(たま)ひける。
関白(くわんばく)殿(どの)は、入道(にふだう)殿(どの)失せさせ給(たま)ひて二年ばかりありて、
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有国を、みなつかさくらゐもとらせ給(たま)ひて、をひ籠めさせ給(たま)ひてしを、あはたどのも大納言(だいなごん)殿(どの)も、心(こころ)うきことにおぼしの給(たま)はす。惟仲をば左大弁(さだいべん)にていみじうもてなさせ給(たま)へり。その折いみじう哀(あは)れなることにぞ、世の人もおもひたりし。またそのまゝにて、子は丹波守にてありしも取らせ給(たま)へりしかば、あさましう心(こころ)憂し。
はかなく年も暮れて正暦五年といふ。いかなるにかことし世の中さはがしう、春よりわづらふ人<おほく、みちおほぢにもゆゝしきものどもおほかり。かゝる折しも、宣耀殿(せんえうでん)もたゞならず、ことしにあたらせ給(たま)へり。土御門(つちみかど)殿(どの)のうへもかうものせさせ給(たま)へば、世のさはがしきにいかに<とおぼしめすほどに、三月ばかりに土御門(つちみかど)殿(どの)のうへ。いとたいらかに女ぎみむまれ給(たま)ひぬ。おそろしき世にうれしきことにおぼされたり。
五月十日のほどに、宣耀殿(せんえうでん)御けしきありておはします。東宮(とうぐう)より御つかひしきりなり。大将(だいしやう)殿、「いかに<」とおぼしさはぐほどに、かぎりなき男宮むまれ給(たま)へり。大将(だいしやう)殿(どの)よろこび泣きし給(たま)ひて、世にめでたき御有様(ありさま)におぼしをきてたり。あらまほしうめでたくて。七日のほども過ぎぬ。よろづをしはかるべし。御めのと参りあつまる。東宮(とうぐう)はいつしかと、まだ見ぬ人のゆかしくこひしうとぞおもひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
「げにいかでとく御覧(ごらん)ぜさせばや。むかしのみやたちは五七にてこそ御たいめんはありけれ」など祖父大臣(おとど)いとこたいにおぼしのどめ給(たま)へれど。みや<は、たゞ「とく<いらせ給(たま)へ」と急(いそ)がせ給(たま)ふ。
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よろづよりも世の中いとさはがしければ、関白(くわんばく)殿(どの)も女院(にようゐん)も、よろづにおそろしきことをおぼしたり。「ことしにらい年まさるべし」ときこゆれば、いとおそろしくおぼさる。
かくてあはた殿(どの)のきたのかた〔の〕したしき御有様(ありさま)にや、むらかみのせんていの九のみや入道(にふだう)して岩倉にぞおはします。又(また)兵部卿(ひやうぶきやう)のみやと聞(き)こえさする御(おん)子(こ)、おなじはらからにて、三宮と聞(き)こえさせし、それも入道(にふだう)しておなじところにおはします。兵部卿(ひやうぶきやう)のみや、この左のおほい殿(どの)のほかばらのむすめに住み奉(たてまつ)り給(たま)ひて、おとこみやたち二人おはしましけるを、一ところをば此の大納言(だいなごん)殿(どの)の御(おん)子(こ)にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、少将(せうしやう)と聞(き)こえしおはす。いま一ところは。ちいさうより法師(ほふし)になし奉(たてまつ)りて、みやのおはしますおかし所にぞおはしましける。九のみやは、九条(くでう)殿(どの)の御(おん)子(こ)入道(にふだう)の高光少将(せうしやう)多武岑のきみと聞(き)こえし、わらは名はまちをさと聞(き)こえしが御むすめに住み給(たま)へりける。いと美(うつく)しきひめぎみにていでおはしましたりけるを、いと見捨てがたふ覚しけれど、世の中はかなかりければ、おぼし捨てゝげるなりけり。
此のひめぎみ、いみじう美(うつく)しうおはするをあはたどのきこしめして、此のみやをむかへ奉(たてまつ)りて、子にし奉(たてまつ)りてかしづき聞(き)こえ給(たま)ふほどに、さるべき人<をとづれ聞(き)こえ給(たま)ふ人おほかりけれど、聞(き)き入れ給(たま)はぬほどに、故三条(さんでう)の大殿(おほとの)のごん中将(ちゆうじやう)せちに聞(き)こえ給(たま)ふ。はかなき御文がきも人よりはおかしうおぼされければ、おぼし立ちて取り奉(たてまつ)り給(たま)ふ。二条(にでう)殿(どの)のひんがしのたいをいみじうしつらひて、はぢなきほどの女ばう十人・わらは二人・しもづかへ二人して、ある
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べきほどにめやすくしたてゝおはしそめさせ給(たま)ふ。ひめぎみの御(おほん)有様(ありさま)いみじう美(うつく)しければ、いとかひありておもひ聞(き)こえ給(たま)へり。
さてしばしありき給(たま)ひて、なをかゝる有様(ありさま)つゝましとて、四条(しでう)のみやの西(にし)の対(たい)をいみじうしつらひて、むかへ聞(き)こえ給(たま)ひつ。みやも女御(にようご)殿(どの)も、いとうれしき御なからひにおぼして、御たいめんなどあり。いとあらまほしきさまなれば、あはたどのいとおぼすさまに聞(き)こえかはし給(たま)ふ。又(また)一条(いちでう)の太政(おほき)大臣(おとど)の御(おん)子(こ)の中将(ちゆうじやう)をぞ我が子にし給(たま)ひて、此のきたのかたの御おとうとをあはせ奉(たてまつ)り給(たま)ひて、よろづにあつかひ聞(き)こえ給(たま)ふ。
かゝるほどに冬つかたになりて、関白(くわんばく)殿(どの)水(みづ)をのみきこしめして、いみじうほそらせ給(たま)へりといふことありて、内などにもおさ<参(まゐ)らせ給(たま)はず。此の二位の新発意心をまどはして御いのりをし、いみじきことゞもをす。きたのかたおぼしいたらぬことなし。世のさはがしきふゆになりてすこし心(こころ)のどかになりぬれば、世の人もうちたゆみ、うれしと思(おも)ふに、殿(との)の御(おん)心地(ここち)のたゞならぬ事をぞ、世の大事に思(おも)ふめる。
内大臣(ないだいじん)殿(どの)のまつぎみ、おかしげにておはするに、女君(をんなぎみ)達(たち)もいとうつくしうてむまれ給(たま)へれば、きさきがねとかしづき聞(き)こえ給(たま)ふ。此のとのは、〔御(おん)〕かたちも身のざえも、此の世の上達部(かんだちめ)にはあまり給(たま)へりとまでいはれ給(たま)ふに、ゆゝしきまでおもひ聞(き)こえ給(たま)ふもことはりなりと見えさせ給(たま)ふ。此の御はらからの三郎、法師(ほふし)になして、そうづになし聞(き)こえ給(たま)ふ。其の御おとうとは、中納言(ちゆうなごん)にておはす。山の井は、此のとの
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ゝ御心(こころ)をきて覚し出でゝ、大納言(だいなごん)になし聞(き)こえ給(たま)へり。かくて関白(くわんばく)殿(どの)、水(みづ)きこしめすことやませ給(たま)はで、いとおそろしうてとしも暮れもて行く。東宮(とうぐう)には宣耀殿(せんえうでん)のわかみやゐて入り奉(たてまつ)り給(たま)ひて、いみじうこと御心(こころ)なく、つといだきもてあつかひうつくしみ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
としもかへりぬ。内には中宮(ちゆうぐう)ならびなきさまにておはします。東宮(とうぐう)は淑景舎いかにと見奉(たてまつ)る。かくて長徳元年正月より世の中いとさはがしうなりたちぬれば、のこるべうもおもひたらぬ、いと哀(あは)れなり。女院(にようゐん)には、関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)〔をぞ〕おそろしうおぼすかたはさるものにて、「世の中心(こころ)のどかにしもおぼしをきてずもや」と、さまざまおぼしみだれさせ給(たま)ふ。ことしはまづしも人などは。いといみじう、たゞこのごろのほどに失せ果てぬらんと見ゆ。四ゐ・五ゐなどのなくなるをばさらにもいはず、「いまはかみにあがりぬべし」などいふ。
いとおそろしきことかぎりなきに、三月ばかりになりぬれば、関白(くわんばく)殿(どの)の御なやみもいとたのもしげなくおはしますに、内に夜のほど参(まゐ)らせ給(たま)ひて、「かくてみだり心地(ごこち)いたくあしくさぶらへば、このほどのまつりごとは、内大臣(ないだいじん)をこなふべき宣旨くださせ給(たま)へ」とそうせさせ給(たま)へば、「げに、さば、かうくるしうし給(たま)はんほどは、などかは」とおぼしめして、三月八日のせんじに、「関白(くわんばく)やまひの間殿上をよび百官執行」とあるよしせんじくだりぬれば、内大臣(ないだいじん)殿よろづにまつりごち給(たま)ふ。
かゝるほどに、閑院(かんゐん)の大納言(だいなごん)世の中心地(ここち)〔に〕わづらひて、三月廿日失せ
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給(たま)ひぬ。哀(あは)れにいみじきことなり。
「あすはしらず、いまはかうなめり」と、さべきとのばら、むねはしりおそろしうおぼさるゝに、関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)いとをもし。四月六日出家せさせ給(たま)ふ。哀(あは)れにかなしきことに覚しまどふ。きたのかたやがてあまになり給(たま)ひぬ。さるは内大臣(ないだいじん)殿(どの)、きのふぞずいしんなどさまざま得させ給(たま)へる。かくて「哀(あは)れにいかに<」と殿(との)のうちおぼしまどふに、四月十日、入道(にふだう)殿(どの)失せ給(たま)ひぬ。「あないみじ」と世のゝしりたり。
内大臣(ないだいじん)殿の御まつりごとは、殿(との)の御やまひの間とこそせんじあるに、やがてうせ給(たま)ひぬれば、「此のとのいかなることにか」と、世の人、世のはかなきよりもこれを大事にざざめきさはぐ。内大臣(ないだいじん)殿(どの)は、たゞわれのみよろづにまつりごちおぼいたれど、おほかたの世には、はかなうみなうちかたぶきいふ人<おほかり。大殿(おほとの)の御さうそう。賀茂のまつりすぐしてあるべし。そのほどもいと折あしういとをしげなり。かゝる御おもひなれども、あべきことゞもみなおぼしをきて、人のきぬ・はかまのたけのべしゞめせいせさせ給(たま)ふ。「たゞいまはいとかゝらで、知らずがほにても、まづ御いみのほどはすぐさせ給(たま)へかし」と、もどかしう聞(き)こえおもふ人々あるべし。きたのかたの御せうとのなにくれのかみども、「いかなるべきことにか」とおもひあはてたり。二ゐのしんぼち此のいみにもこもらで、さべき僧どもしてさまざまの御いのりどもをこなひて、手をひたいにあてゝよるひるいのりまうす。
「あないみじ」といひおもふほどに、小一条(こいちでう)大将(だいしやう)、
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四月廿七日に失せ給(たま)ひぬ。宣耀殿(せんえうでん)の一のみやもいと幼(をさな)くおはしますを、見置き奉(たてまつ)り給(たま)ふほどいといみじうかなし。
左右の大将(だいしやう)しばしもおはせぬもあしきことにや、中宮(ちゆうぐう)大夫殿、此の御かはりに左大将(さだいしやう)になり給(たま)ひぬ。大殿(おほとの)の御さうそう、まつり過ぎて四月のつごもりにせさせ給(たま)ふべし。小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)もおなじ折なり。哀(あは)れにいみじきことゞもなり。
内大臣(ないだいじん)殿(どの)、世の中あやうくおぼさるゝまゝに、二ゐを「たゆむな<」と責めの給(たま)へば、二ゐえもいはぬ法どもを、われもし、又(また)人してもをこなはせて、「さりともと心(こころ)のどかにおぼせ。何事(なにごと)も人やはする。たゞてんだうこそおこなはせ給(たま)へ」と頼(たの)めきこゆ。
御をぢのとのばら、世の中をやすからずなげき、おぼしざゞめきたるは、あはたどのをおそろしきものにおもひ聞(き)こえたるになん。又(また)女院(にようゐん)の御心(こころ)をきても、あはたどの知(し)らせ給(たま)ふべき御ことゞもありて、其のけはひ得たるにやあるらん。世の人のこりなく参りこむほどに、内大臣(ないだいじん)殿(どの)の御なげきさへありて、さまざまもの覚し嘆(なげ)くほどに、あはたどのゆめ見さはがしうおはしまし、ものゝさとしなどすればにや、御(おん)心地(ここち)も浮きたるさまにおぼされて、御やうじなどに物をとはせ給(たま)ふにも、「よろしからぬさとしなり、ところをかへさせ給(たま)へ」と申すめれば、さるべきところなどおぼしもとめさせ給(たま)へど、又(また)御よろこびなど一口ならずさまざまうらなひ申すを、あやしう心まよひておぼさる。
此の殿(との)のうちにかやうのものゝさとし・御つゝしみあることを、内大臣(ないだいじん)殿(どの)聞かせ給(たま)ひて、御いのりいよ<いみじ。「かくたゆむ世なき御いのりの
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しるしにや」と、ものおそろしげに申しおもひたれば、あはた殿四月つごもりにほかへわたらせ給(たま)ふ。それはいづもの前司相如(すけゆき)といひける人の、としごろかうのゝ知(し)らせ給(たま)ふ関白(くわんばく)殿(どの)にも参(まゐ)らで、ただ此のとのをいみじきものに頼(たの)み聞(き)こえさせつるものゝ家なり。中河に左大臣(さだいじん)殿(どの)ちかきところなりけり。ちゝのくらのかみ相信(すけのぶ)のあそんといひける人のつくりて住みける、いけ・やりみづ・やまなどありて、いとおかしうつくり立てゝ、殿(との)の御かたたがへどころといひおもひたりける家(いへ)なりけり。この相如(すけゆき)も、彼のときひらの大臣(おとど)の御(おん)子(こ)のあつたゞの中納言(ちゆうなごん)の御むまごなりければにや、「くらゐなどもあさう、人<しからぬ有様(ありさま)にてあるにや」とぞ、世の人もいひおもひける。さてその家(いへ)にわたらせ給(たま)ひて住ませ給(たま)ふに、さうじどもに手づからゑかきなどして、おかしきさまになんしたりければ、とのなどもけうぜさせ給(たま)ひて、世の人も参り来んに、御(おん)心地(ここち)はなをここにてもれいざまにもおはしまさざりけり。
かくておはしますほどに、五月二日関白(くわんばく)のせんじもて参りたり。折しもここにてかうおはしますを、家(いへ)あるじも世のめでたきことにおもひ、人<もいみじう申しおもへり。世の中のむまくるま、ほかにはあらじかしと見えたり。
内大臣(ないだいじん)殿(どの)には、よろづうちさましたるやうにて、あさましう人わらはれなる御有様(ありさま)をひと殿(との)のうちおもひなげき、かひきとかいふさまにて、「あないみじのわざや。たゞもとの内大臣(ないだいじん)にておはせましかば、いかにめでたからまし。なにのしばしの摂政、あな手づゝ。関白(くわんばく)
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の人わらはれなることを、いづれのちごかはおぼししらざらんと、ことはりにいみじうなん。
かゝるほどに、関白(くわんばく)殿(どの)御(おん)心地(ここち)なをあしうおぼさるれば、御風にてなどおぼして、 朴(ほほ)など参(まゐ)らすれど。さらにをこたらせ給(たま)はず、おきふしやすからずおぼされたり。さるは世の人も、「かくてこれぞあべいこと。いかでかちごにまつりごとをせさせ給(たま)ふやうはあらん」と申しおもへり。大将(だいしやう)殿も今ぞ御心(こころ)ゆくさまにおぼされける。内大臣(ないだいじん)殿(どの)はたゞにも御いみのほどはすぐさせ給(たま)はで。世のまつりごとのめでたきことををこなはせ給(たま)ひ、人のはかまのたけ・かりぎぬのすそまでのべしゞめ給(たま)ひけるを、やすからずおもひけるものどもは、「のべしゞめのいとゞかりしけぞや」とぞ聞(き)こえける。
五月四五日になれば、関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)まめやかに苦しうおぼさるれど、ぬるませ給(たま)ひたれば、えともかうともせさせ給(たま)はず。御読経・御誦経などたゞいまあるべきならず。ことのはじめなればいま<しうおぼされて、せめてつれなふもてなさせ給(たま)ひて、おきふし我が御身一つ苦しげなり。殿(との)の内には、さぶらひにもよるひるもつゆのひまなく、せかいの四位・五ゐ・とのばらまでおはしまし込みさぶらふ。御随身所・こどねり所はさけを飲みのゝしりてうちあげのゝしる。「我がきみの御(おん)心地(ここち)や、かう苦しうおはすらん」ともおもひたらず。左大将(さだいしやう)殿日々におはしましつゝ、あるべきことどもを申しをきてさせ給(たま)ふ。なをいとあさましき御(おん)心地(ここち)のさまを心(こころ)得ず見奉(たてまつ)らせ給(たま)へど、
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まが<しきすぢにはたれも覚しかけず。
かくてこの御(おん)心地(ここち)まさらせ給(たま)ひぬれば、今はとありともかうともとて、ついたち六日の夜中にぞ、二条(にでう)殿(どの)にかへらせ給(たま)ふ。
かゝることゞもかくれなければ、内大臣(ないだいじん)殿(どの)にはおくゆかしうおぼさるゝもことはりになん。殿(との)のうち、今はえつゝみあへずゆすりみちたり。おほかたのさはがしき内にも、かゝる御ことゞものありさだまらぬことさへあれば、うちわたりにもさるべきとのばらさぶらひ給(たま)ひ、たきぐち・たちばきなど番かゝずさぶらふ。
二条(にでう)殿(どの)にはきたのかた、日比たゞにもおはせぬに、「このたびは女君(をんなぎみ)」とゆめにも見え給(たま)ひ、占(うら)にも申しつれば、とのいつしかと待ちおぼしつるに、かくめでたき御ことさへおはしませば、「かならず女君(をんなぎみ)」と待ちおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へるに、かうおはしますを、いかに<と殿(との)のうちゆすりみちたり。女院(にようゐん)よりも御つかひひまなし。大将(だいしやう)殿(どの)はたゞ哀(あは)れにおぼしあつかはせ給(たま)ひて、御誦経によろづのものはこび出でさせ給(たま)ふ。みまやの御むまのこりなく、御くるまうしにいたるまで、御誦経などおほくをきての給(たま)はす。「かくあり<ていかゞ」と、殿(との)のうちの人<ものにぞあたる。
五月八日のつとめて聞(き)けば、六条(ろくでう)の左大臣(さだいじん)・桃園(ももぞの)の源中納言(ちゆうなごん)・清胤僧都といふ人など失せぬとのゝしれば、「あなかま。かゝることはいむわざなり。とのにな聞かせ奉(たてまつ)りそ」と、たれもさかしういひおもへれども、おなじ日のひつじのときばかりにあさましうならせ給(たま)ひぬ。あなまが<し。殿(との)のうちの有様(ありさま)おもひやる
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べし。左大将(さだいしやう)殿はゆめに見なし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、御かほにひとへの〔御(おん)〕そで〔を〕押しあてゝあゆみ出でさせ給(たま)ふほどの心地(ここち)、さらにゆめとのみおぼさる。哀(あは)れにおもほし聞(き)こえさせ給(たま)へりける御(おん)中(なか)なれば、ゆゝしともおぼさずあつかひ聞(き)こえ給(たま)へる、かひなし。おなじ御はらからときこゆべきにもあらず、関白(くわんばく)殿(どの)失せ給(たま)へりしに、御とぶらひだになかりしに、哀(あは)れにたのもしうあつかひ聞(き)こえ給(たま)ひつるかひなきことを。返々とのがたにはおぼし嘆(なげ)く。さいへど殿(との)のとしごろの人々こそあれ、このごろ参りよりつる人々は、やがて出でゝいき果てにけり。関白(くわんばく)のせんじかくふらせ給(たま)ひて、今日七日にぞならせ給(たま)ひける。さき<”のとのばら、やがて世を知(し)らせ給(たま)はぬたぐひはあれど、かゝるゆめはまだ見ずこそありけれ。心(こころ)憂きものになむありける。
彼の内大臣(ないだいじん)殿には、あさましうおこがましかりつる御有様(ありさま)の推しうつりたりしほどを、人わらはれにいみじうねたげなりつるに、「のちは知らず、ほどなふ世を見あはせつるかな」とうれしうて、二ゐの新発意いのりたゆまず、いとゞしう「さりとも<」とおもふべし。「げにさもありぬべき御有様(ありさま)のためしを」とおもふぞ、げにはおほやけばらだたれける。
此のあはた殿(どの)の君達(きんだち)は、はかばかしうおとなび給(たま)へるもなし。いとわかう毛ふくだみてぞ二人おはすめるも、いと哀(あは)れに見え給(たま)ふ。その夜さりやがてあはた殿にゐて奉(たてまつ)りぬ。十一日に御さうそうせさせ給(たま)ふ。かへすがへすあへなういみじう心(こころ)憂し。
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かの中河の家あるじ、人よりも哀(あは)れと覚したる、またかぎりなふうれしとおもひけるに、又(また)かうおはしませば、世を心(こころ)憂くいみじうおもひて、此の御さうそうの夜。志(こころざし)のかぎり火水(みづ)に入りまどひ、あつかひあかし奉(たてまつ)りたれば、心地(ここち)もあしうなりて、家に行きて、「ものをいみじうおもへばにやあらん、心地(ここち)こそいとあしけれ」といへば、むすめどもいとおそろしきことにおもひてなげきけり。
かくて御いみのほど、みなあはたどのにおはすべし。これのみならず、「のこりなくみな人のなるべきにや」と見え聞(き)こえて、あさましきころなり。
彼の家あるじあはたどのにとのゐして、たゞよろづにおもひつゞけて、こひしうおもひ聞(き)こえければ、いも寝られでひとりごちけるか、
@ゆめならで又(また)もあふべききみならば寝られぬいをもなげかざらまし W016。
と詠みたるを、五月十一日より心地(ここち)まことにあしうおぼえたれば、そのつとめてむすめどもの家(いへ)にいきて、「心地(ここち)のあしうおぼえ侍れば、苦しうなるはかならずいくべうもおぼえず侍れば、まで来つるぞ」といひて、「このあはたどのにて一夜いのねられざりしかば、かくなん」と、うたをかたりて、すゞりのしたなるしろきしきしに書き付けて得させたり。かへりて其の日やがて心地(ここち)いみじうわづらふなりけり。家のうちいみじうなげきて、いかに<とよろづにおもふほどに、かぎりになりにける折も、殿(との)の御法事にだにあはずなりぬることをぞ、かへすがへすいひける。さて同じ月の廿九日に失せにけり。家(いへ)のうち
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の人いかゞはおもはざらん。かなしさは同じことなり。ひごろありてむすめの詠みける、
@ゆめ見ずとなげきしきみをほどもなくまた我がゆめに見ぬぞかなしき W017。
失せ給(たま)ひにしとのばらの御法事ども、みなかたはしよりしてげり。
此のあはた殿(どの)の御事ののちより、五月十一日にぞ、左大将(さだいしやう)天下および百官施行といふせんじくだりて、今は関白(くわんばく)殿(どの)と聞(き)こえさせて、又(また)ならぶ人なき御有様(ありさま)なり。女院(にようゐん)もむかしより御志(こころざし)取りわき聞(き)こえさせ給(たま)へりしことなれば、「としごろのほいなり」とおぼしめしたり。此の内大臣(ないだいじん)殿は、あはた殿(どの)の〔御(おん)〕有様(ありさま)にならひて、「此のたびもいかゞ」とおぼすぞ、をこなりける。さりともとたのもしうて、「二ゐの御いのりたゆまぬさまなり。世の中さながら押しうつりにたり。内大臣(ないだいじん)殿(どの)世の中をいみじう覚しなげきければ、御をぢどもや二ゐなど、「なにかおぼす。今はたゞ御いのちをおぼせ、たゞ七八日にてやみ給(たま)ふ人はなくやは。いのちだにたもたせ給(たま)はば、何事(なにごと)をか御覧(ごらん)ぜざらん。いであなおこや。おい法師(ほふし)世に侍らんかぎりは」と、たのもしげにきこゆれば、さりともとおぼすべし。
大将(だいしやう)殿は、六月十九日に右大臣(うだいじん)にならせ給(たま)ひぬ。よろづよりも哀(あは)れにいみじきことは、山の井の大納言(だいなごん)ひごろわづらひて、六月十一日に失せ給(たま)ひぬ。御とし廿五なり。たゞいま人に誉められてようおはしけるきみなれば、今の関白(くわんばく)殿(どの)も、此のきみをば「故殿の子にせさせ給(たま)ひしかば、我も取りわきおもはんとしつるものを」とくちおしうおぼされけり。
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すべてあさましう心(こころ)憂きとしの有様(ありさま)なり。これにつけても内大臣(ないだいじん)殿世をおそろしうおぼしなげき給(たま)ふに、女ゐんには、としごろ法華経(ほけきやう)の御読経あるに、又(また)はじめさせ給(たま)ひて、読ませ給(たま)ふ。世の中のさはがしさをいとおそろしきものに覚したり。あはた殿(どの)の御法事六月廿日のほどなり。あはたどのにてせさせ給(たま)ふ。きたのかたやがてあまになり給(たま)ひぬ。「たゞにもあらぬ御身に」と人々きこゆれど、おぼえのまゝになり給(たま)ひぬるも、ことはりに見え給(たま)ふ。
中宮(ちゆうぐう)世の中を哀(あは)れにおぼしなげきて、さとにのみおはします。されど、さてのみやはとて参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。御門(みかど)いと哀(あは)れにおぼしめしたり。春宮(とうぐう)には、宣耀殿(せんえうでん)も淑景舎もいと哀(あは)れにおなじさまなることを、心(こころ)ぐるしうおもひやり聞(き)こえさせ給(たま)ふ。淑景舎のいとほこりかなりし御けしきもいとゆかしうおぼしめすべし。宣耀殿(せんえうでん)の一のみやもいとこひしうおぼえさせ給(たま)へば、なを「参(まゐ)らせ給(たま)へ」とあれど、世のさはがしければ、よろづつゝましうおぼえて、すが<しうも覚したゝず。
世の中の哀(あは)れにはかなきことを、摂津守為頼朝臣といふ人、
@世の中にあらましかばとおもふ人なきがおほくもなりにけるかな W018。
これをきゝて、東宮(とうぐう)の女蔵人小大進君、かへし、
@あるはなくなきはかずそふ世の中に哀(あは)れいつまであらんとすらん W019。
とぞ。
をのゝみやのさねすけ中納言(ちゆうなごん)、式部卿宮の御むすめ。花山(くわさん)の院(ゐん)の女御(にようご)に通(かよ)ひ給(たま)ふといふこと出で来
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たれば、一条(いちでう)の道信の中将(ちゆうじやう)さし置かせける。
@うれしさはいかばかりかはおもふらん憂きは身にしむ心地(ここち)こそすれ W020。
われもけさうじ聞(き)こえけるにや。
まこと、彼の追い籠められし有国、此のごろ宰相(さいしやう)までなさせ給(たまへれば、哀(あは)れにうれし。「世はかうこそは」と見おもふほどに、此のごろ大貳三拝書奉(たてまつ)りたれば、有国をなさせ給(たま)へれば、世の中はかうこそはあれと見えたり。御門(みかど)の御めのとの橘三位の、きたのかたにていとまうにてくだりぬ。「これぞあべいこと、故殿(との)のいとらうたきものにせさせ給(たま)ひしを、故関白(くわんばく)殿あさましうしなさせ給(たま)ひてしかば、めやすきこと」ゝ世の人聞(き)こえおもひたり。惟仲はたゞいま左大弁にてゐたり。
かくて冬にもなりぬれば、ひろはたの中納言(ちゆうなごん)ときこゆるは、堀河(ほりかは)殿(どの)の御太郎なり。それとしごろのきたのかたには、むらかみの御門(みかど)のひろはたの御息所(みやすどころ)のはゝの女五宮をぞもち奉(たてまつ)り給(たま)へる。其の御はらに女君(をんなぎみ)ふたところ・おとこ一人ぞおはするを、としごろ「いかでそれは内・東宮(とうぐう)に」とおぼしながら、世の中わづらはしうて、うちにはおぼしかけざりつ。東宮(とうぐう)には淑景舎さぶらはせ給(たま)へば、よろづにはゞかりおぼしつるに、「此の絶(た)え間にこそは」と覚したちて、此のひめぎみうちに参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。けふあすと覚し立つほどに、又(また)たゞいまの侍従の中納言(ちゆうなごん)といふは、九条(くでう)殿(どの)の十一郎公季ときこゆる、これもみやばらのむすめをきたのかたにて、ひめぎみ一人・おとこぎみ二人もてかしづきても給(たま)へりければと、世の中にたれも
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おぼしはゞかりつるを、今の関白(くわんばく)殿(どの)の御むすめあまたおはすめれど、まだいと幼(をさな)くてはしりありき給ふほどなれば、それにおぼしはゞかるべきにあらず。これも内にとおぼし立ちけり。春宮(とうぐう)には淑景舎、内侍(ないし)のかみさぶらひ給(たま)ふ。宣耀殿(せんえうでん)には一のみやの御はゝ女御(にようご)にて、又(また)なき御おもひなれば、同じうはうちにとおぼし立つも、げにと見えたることなり。さてひろはたのひめぎみ参り給(たま)ひて、承香殿に住み給(たま)ふ。世のおぼえ、「いでや、けしうはあらむ。あなこたい」ときこゆめれど、さしもあらず、めやすくもてなしおぼしめしたり。いとかひあることなり。
公季中納言(ちゆうなごん)、「などかおとらむ」とおぼして、さしつゞき参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。弘徽殿にぞ住み給(たま)ふ。これは何事(なにごと)にも今一きはゝ今めかしうさまざまにし奉(たてまつ)ることさらなり。たゞ「女御(にようご)の御(おん)おぼえぞ。これは少しのどやかに見え給(たま)へる。承香殿ぞおもはずにおもはすめる」と、世の人申しためる。内わたりいまめかしうなりぬ。女院(にようゐん)、「たれなりとも、唯(ただ)みこの出で来給(たま)はむかたをこそはおもひ聞(き)こえめ」との給(たま)はす。女御(にようご)の御おぼえ、承香殿はまさり給(たま)ふやうにて、はかなふ月日も過ぎもて行く。
中宮(ちゆうぐう)は、「としごろかゝることやはありつる。ことの一所おはせぬげにこそはあめれ」と、哀(あは)れにのみおぼさる。うちには「人見る折ぞ」といふやうに、今めかしう、何事(なにごと)につけても中宮(ちゆうぐう)をつねにこひしうおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。
かゝるほどに、一条(いちでう)殿(どの)をばいまは女院(にようゐん)こそは知(し)らせ給(たま)へ。彼の殿(との)の女君(をんなぎみ)達(たち)
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はたかづかさなるところにぞ住み給(たま)ふに、内大臣(ないだいじん)殿(どの)しのびつゝおはし通(かよ)ひけり。しんでんのうへとは三君をぞ聞(き)こえける。御(おほん)かたちも心(こころ)もやむごとなふおはすとて、ちゝ大臣(おとど)いみじうかしづき奉(たてまつ)り給(たま)ひき。「女子はかたちをこそ」といふことにてぞ、かしづき聞(き)こえ給(たま)ひける。其のしんでんの御かたに内大臣(ないだいじん)殿(どの)は通(かよ)ひたまひけるになんありける。
かゝるほどに、花山(くわさん)の院(ゐん)此の四君の御もとに御(おほん)ふみなど奉(たてまつ)り給(たま)ふ。けしきだゝせ給(たま)ひけれど、けしからぬことゝて、きゝ入れ給(たま)はざりければ、たびたびおほむみづからおはしましつゝ、今めかしうもてなさせ給(たま)ひけることを、内大臣(ないだいじん)殿(どの)は、「よも四君にはあらじ。此の三君のことならん」と押しはかりおぼいて。我が御はらからの中納言(ちゆうなごん)に、「此のことこそやすからずおぼゆれ。いかゞすべき」と聞(き)こえ給(たま)へば、「いで、たゞをのれにあづけ給(たま)へれと。やすきこと」ゝて、さるべき人二三人具し給(たま)ひて、此のゐんの、たかづかさどのより月いとあかきに御むまにてかへらせ給(たま)ひけるを、「をどし聞(き)こえん」と覚しをきてける物は、ゆみやといふものしてとかくし給(たま)ひければ、御ぞのそでより矢はとをりにけり。さこそいみじうおゝしうおはします院(ゐん)なれど、ことかぎりおはしませば、いかでかはおそろしとおぼさざらん。いとわりなふいみじとおぼしめして、ゐんにかへらせ給(たま)ひて、ものもおぼえさせ給(たま)はでぞおはしましける。
これをおほやけにも、とのにも、いとよう申させ給(たま)ひつべけれど、ことざまのもとよりよからぬことのおこりなれば、はづかしう
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おぼされて、「此のこと散らさじ、後代のはぢなり」と忍(しの)ばせ給(たま)ひけれど、とのにもおほやけにもきこしめしつけて、SSおほかたこのごろの人のくちに入りたることはこれになんありける。「太上天皇は世にめでたきものにおはしませど、此のゐんの御全をきてのおもりかならずおはしませばこそあれ。さはありながら、いと<かたじけなくおそろしき事なれど、此のことかくをとなくてはよもやまじ」と、世の人いひおもひたり。
また太元師法といふことは、たゞおほやけのみぞむかしよりをこなはせ給(たま)ひける、たゞ人はいみじきことあれど、をこなひ給(たま)はぬことなりけり。それを此の内大臣(ないだいじん)殿(どの)しのびて此のとしごろをこなはせ給(たま)ふといふことこのごろ聞(き)こえて、これよからぬことの内に入りたなり。又(また)女院(にようゐん)の御(おほん)なやみ。折<いかなることにかとおぼしめし、御ものゝけなどいふことどもあれば、此の内大臣(ないだいじん)殿(どの)を、「なを御心(こころ)をきて心(こころ)幼(をさな)くてはいかゞはあべからん」と、かたぶきもてなやみきこゆる人<おほかるべし。
かくいふほどに、長徳二年になりぬ。二三月ばかりになりぬれば、こぞあさましかりし所々の御はてども、あるは同じ日、あるはつぎの日などうちつゞきてここかしこおぼしいとなみたり。いみじう哀(あは)れになむ。ところ<”に御ぞのいろかはり、あるはうすにびなどにておはするも、哀(あは)れなり。
たゞむ月にぞまつりとのゝしるに、世の人くちやすからず、「まつり果てゝなん花山(くわさん)の院(ゐん)の御ことなどいでくべし」などいふめり。「あなものぐるをし。ぬす人あさりすべしなどこそ
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いふめれ」など、さまざまいひあつかふもいかゞと、いといとをしげになん見えきこゆめる。いかなるべき御ことにかと、心(こころ)ぐるしうこそは侍れ。
このごろ内には、藤三位といふ人の腹にあはた殿(どの)の御むすめおはすれど、殿(との)の、ひめぎみおはせぬをいみじきことにおぼいたりしかど、此の御ことをば、殊に知りあつかはせ給(たま)はざりしに、むげにおとなび給(たま)ふめれば、藤三位おもひ立ちてうちに参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。三位は九条(くでう)殿(どの)の御むすめといはれ給(たま)ふめれば、此のとのばらもやむごとなきものにおぼしたれば、かやうにおぼし立ち参(まゐ)らせ給(たま)ふにも、にくからぬことにて、はかなきことなども左大臣(さだいじん)殿よういし聞(き)こえ給(たま)へり。さて参り給(たま)ひて、くらべやの女御(にようご)とぞ聞(き)こえける。三位は今めかしき御おぼえの者にものし給(たま)ひける。年ごろ惟仲の弁ぞ通(かよ)ひければ、それぞ此の女御(にようご)の御こともよろづにいそぎける。
かう女御(にようご)たち参り給(たま)へれど、いまゝでみやも出でおはしまさぬことを、女院(にようゐん)はいみじうおぼしめしなげかせ給(たま)へり。中宮(ちゆうぐう)のたゞにもおはしまさぬを、さりともとたのもしうおぼしめすを、「なにかはおはしまさん」と、世の人おぼつかなげにぞ申しおもふべかめる。いざや、それも今のことなれば、まことにさやおはしまし果てざらんとも知りがたし。内大臣(ないだいじん)殿(どの)こそはよろづにいのりさはぎ給(たま)ふめれ。あやしうむつかしきことの世に出で来たるのみこそ。いよ<おしとおぼしなげかるれ」。