栄花物語詳解巻三


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栄花物語詳解 巻二
     和田英松・佐藤球 合著
S03〔栄花物語巻第三〕 さまざまのよろこび
\かくて御門(みかど)・東宮(とうぐう)たゝせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)、六月廿三日に摂政の宣旨かうぶら/せ\給(たま)ふ。准三宮/に/ぞ、内舎人随身二人、左右近衛兵衛などの御随身つかうまつる。右大臣(うだいじん)/に/は、御はらからの一条(いちでう)大納言(だいなごん)と聞(き)こえつる、なり給(たま)ひ/ぬ。七月五日、梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)后(きさき)にたゝせ給(たま)ふ。皇太后宮(くわうたいこうぐう)と聞(き)こえさす。家(いへ)の子(こ)の君達(きんだち)、后(きさき)のひとつ御はら/のは\三所ぞおはする。又(また)御くらゐどもあさけれど、上達部(かんだちめ)/に\なりもておはす。ひとつ御腹の太郎ぎみは、三位の中将(ちゆうじやう)にておはしつる、中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひ/て、やがて此の宮の大夫になり給(たま)ひ/ぬ。二郎ぎみは蔵人の頭にておはしつる、宰相(さいしやう)になり給(たま)ひ/ぬ。三郎ぎみ/は、四位少将(せうしやう)にておはしつる、三位中将(ちゆうじやう)になり給(たま)ひ/ぬ。閑院(かんゐん)の左大将(さだいしやう)は、東宮(とうぐう)大夫になし奉(たてまつ)り給(たま)へり。これにつけてもこと<”/ならず、かのちゝ大臣(おとど)の御心(こころ)ざまを思(おぼ)しいづるなるべし。「世の中にいふたとへのやうに思(おぼ)すにや」/と、あいなうこそはづかしけれ。殿(との)/の御むすめとなのり給(たま)ふ¥人ありけり。殿(との)/の御(おほん)-心地(ここち)にも、「さもや」/と思(おぼ)しける人参(まゐ)り給(たま)ひ/て、宮の宣旨になり給(たま)ひ/ぬ。東宮(とうぐう)
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/に/は、九条(くでう)-殿(どの)の御(おほん)-むすめといはれ給(たま)ふ、又(また)先帝の御時の御息所(みやすどころ)にて\ものし給(たま)ひ/しやがてひとつはらから/の、内侍(ないし)のすけたちになりて、藤内侍(ないし)のすけ、橘内侍(ないし)のすけなどいひ/て、やむごとなくてさぶらひ給(たま)ふ。ごん大納言(だいなごん)といひける人の御(おほん)-むすめなるべし。
東宮(とうぐう)は今年(ことし)十一にならせ給(たま)ひ/に/けれ/ば、この十月に御げんぶく/の\ことあるべきに、大殿(おほとの)/の御(おほん)-むすめ、たいの御かたといふ人の腹におはするをぞ、内侍(ないし)のかみになし奉(たてまつ)り給(たま)ひ/て、やがて御-そひぶし/に/と\覚しをきてさせ給(たま)ひ/て、その御調度ども、夜を昼に急(いそ)がせ給(たま)ふ。たいの御かた、いといろめかしう、世のたはれ人にいひ思(おも)はれ給(たま)へるに、この内侍(ないし)のかんの殿(との)/の御ゆかりに、たゞいまはいといみじうおぼえめでたけれ/ば、世の人、「さば、かうもありぬべきことにこそありけれ」/と\いひ思(おも)ひ/たり。そのおとうとの女君(をんなぎみ)は、この殿(との)/の中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)/の\御女とあれば、宮の御-ぐしげ-殿(どの)/に\なさせ給(たま)ひ/つ。たいの御かたはいとやむごとなき人ならねど、大貳なりける\人/の、むすめ/を\いみじうかしづきめでたうてあらせけるほどに、あまりすき<”しうなりて、いろごのみ/に\なりにけるとなん。この中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)、幸ふかう人にわづらはしとおぼえたる\人/の\くにぐにあまたおさめたりける。かの男子(をのこご)をんなごども\あまたありける、むすめのあるがなかに、いみじうかしづき思(おも)ひ/たりけるを、「男あはせん」/など思(おも)ひけれど、人の心(こころ)の知りがたうあやうかりけれ/ば、たゞ「みやづかへをせさせん」/と思(おも)ひなりて、先帝の御時に、おほやけみやづかへ
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/に\出だし立てたりけれ/ば、女なれど、まなゝどいとよく書き/けれ/ば、内侍(ないし)になさせ給(たま)ひ/て、高内侍(ないし)とぞいひける、この中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)、万(よろづ)にたはれ給(たま)ひ/ける中に、人よりことに志(こころざし)ありて\思(おぼ)されけれ/ば、これをやがてきたのかたにておはしけるほどに、女君(をんなぎみ)-達(たち)三四人、おとこぎみ三人出で来給(たま)ひ/に/けれ/ば、いとゞいみじきものにおぼしながら、なを御たはれはうせざりけれ/ば、この御-子ども/と\いはれ給(たま)ふ\君達(きんだち)あまたになり給(たま)へど、なをこのむかひばら/の/を\いみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へるうちに、はゝきたのかた/の\ざえ/などの、人よりことなりければにや、この殿(との)/のおとこ君たち/も〔女君(をんなぎみ)-達(たち)/も〕\みな、御年のほどよりはいとこよなうぞおはしける。中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)/の、御かたち/も\心(こころ)/も\いとなまめかしう御心(こころ)ざま\いとうるはしうおはす。この中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)の御ほかばら/の\太郎君をば、大千代ぎみ/と\聞(き)こゆるを、摂政-殿(どの)\とりはなち\わ/が\御-子/に\せ/させ給(たま)ひ/て、こ/の-頃(ごろ)中将(ちゆうじやう)など聞(き)こゆるに、むかひばらのあにぎみ/を\こちよぎみとつけ奉(たてまつ)り給(たま)へり。摂政殿の二郎ぎみ\宰相(さいしやう)-殿(どの)は、御かほいろあしう、毛ぶかく、ことのほかに見にくゝおはするに、御心(こころ)ざまいみじうらう<じう\をゝしう、けおそろしきまでわづらはしう\さがなうおはして、中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)をつねにをしへ聞(き)こえ給(たま)ふ\御心(こころ)ざまなる。きたのかたには、くなひきやうなりける\人/の、むすめおほかりける/を/ぞ、ひとりものし給(たま)ひ/ける。くなひきやうは、九条(くでう)-殿(どの)/の御子にておはしける。ことにたはれ給(たま)ふ¥ことなく、万(よろづ)をおぼしもどきたり。
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\きさいのみやの藤内侍(ないし)のすけの腹にぞ、御女一人おはすれど、なにとも思(おぼ)さず。きたのかたの御腹/に、男君たち\あまたおはするに、女君(をんなぎみ)のおはせ/ぬ/を\いと口惜しきことにおぼすべし。五郎ぎみ三位中将(ちゆうじやう)にて、御かたちより始(はじ)め、御心(こころ)ざまなど、あに君-たち/を\いかに見奉(たてまつ)りおぼすにかあらん、引きたがへ、さまざまいみじうらう<じう\をゝしう、道心/も\おはし、わ/が\御方に心(こころ)よせある\人/など/を\心(こころ)ことに覚しかへりみ\はぐくませ給(たま)へり。御心(こころ)ざますべてなべてならず、あべきかぎりの御心(こころ)ざまなり。きさいのみや/も、とりわき思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひ/て、わ/が\御(み)-子(こ)と聞(き)こえ給(たま)ひ/て、心(こころ)ことに何事(なにごと)も思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。たゞいま御(おほん)-年\廿/ばかりにおはするに、たはぶれにあだ<しき御心(こころ)なし。それは御心(こころ)のまめやかなるにもあらねど、「人にうらみ/られ/じ、女/に\つらしと思(おも)はせぬやうに、心(こころ)ぐるしかべい\ことこそなけれ」/とおぼし/て、おぼろ-げ/に\おぼす\人/に/ぞ、いみじう忍(しの)び/て\ものなどもの給(たま)ひ/ける。かうやむごとなき御心(こころ)ざまを、をのづからよにもり聞(き)こえて、われも<とけしきだち聞(き)こゆるところ<”\あれ/ど、「今しばし、思(おも)ふ心(こころ)あり」/とて、さらにきゝ入れ給(たま)はねば、大との/も、「あやしう、いかに思(おも)ふにか」/とぞ覚しの給(たま)ひ/ける。
大との/は、ゐんの女御(にようご)/の\御(おほん)-男御子たち三ところを、みな御ふところにふせ奉(たてまつ)り給(たま)へるを、二宮は東宮(とうぐう)/にゐさせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、今は三四の宮/を、いみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へるに、ある/が
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\なか/に/も\東宮(とうぐう)と四の宮/と/ぞ、たぐひなきものに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へるも、来年ばかり御元服はとおぼしめす。かくて十月になりぬれ/ば、御禊・大嘗会(だいじやうゑ)とて、世ののしりたり。御門(みかど)なゝつにおはしませば、御こしにはみやもろともに奉(たてまつ)るべけれ/ば、宮の御(おほん)-方の女ばうなど、さまざまいみじう世のゝしりたり。女御代(にようごだい)の御ことなど、すべて\世/の\いみじき大事なり。かくて御禊になりぬれ/ば、東三条(とうさんでう)のきたおもてのついひぢくづして、御(おほん)-さじき\せ/させ給(たま)ひ/て、宮たちも御覧(ご-らん)ず。そのほどのぎしき有様(ありさま)、え/も-いは/ずめでたきに、ひとつ御こしにて宮おはします。宮の女ばうがたのくるま廿、又(また)内(うち)の女ばうのくるま十、女御代(にようごだい)の御くるまなど、そへてえ/も-いは/ぬことゞもは、まねびつくすべくもあらず。つね/の\ことなればをしはかるべし。ことゞもはつるほどに、摂政(せつしやう)-殿(どの)おはします。御随身ども、いはんかたなく\つきづきしきさまにてうち出でたるに、又(また)御前の人々など、やむごとなく\きらゝかなるかぎりをえらせ給(たま)へり。「あなめでた」/と見えさせ給(たま)ふ/に、東三条(とうさんでう)の御さじき/の\御簾/の\かたはしをしあけさせ給(たま)ひ/て、四の宮いろ<の御ぞどもに、こき御ぞなどのうへ/に、をりもの〔/の〕御なをしを奉(たてまつ)りて、御簾のかたそばよりさしいでさせ給(たま)ひ/て、「や、大臣(おとど)こそ」/と申させ給(たま)へ/ば、摂政(せつしやう)-殿(どの)あな、まさなど申さ/せ\給(たま)ひ/て、いと美(うつく)しう見奉(たてまつ)らせたまひ/て、うちゑませ給(たま)へるほど、すずろ/に見奉(たてまつ)る人いとゑましう思(おも)ひ奉(たてまつ)るべし。
さてその日も暮れぬれ/ば、大嘗会(だいじやうゑ)/の
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\御急(いそ)ぎぞあるべき。東宮(とうぐう)の御元服十月とありつれど、かやうにさしあひたる御急(いそ)ぎどもにて、十二月ばかりにとおぼしめしたり。はかなう十一月(じふいちぐわつ)にもなりぬれ/ば、大嘗会(だいじやうゑ)/の\ことども急(いそ)ぎたちて、いと世〔/の〕中心(こころ)あはただしう、とばりあげ、なにくれの作法/の\ことゞも\いとさはがしう、おどろ<しうて、五節(ごせつ)/も、今年いまめかしさまさるべし。
かやうにて過ぎもていきて、十二月のついたち頃(ごろ)に、東宮(とうぐう)御元服あり/て、やがて内侍(ないし)のかみ参(まゐ)り給(たま)ふ。麗景殿(れいけいでん)にすませ給(たま)ふ。宮いと若(わか)うおはします。かんの殿は十五ばかりにぞなり給(たま)ふ。大殿(おほとの)/の御(おほん)-むすめ/に\おはしませば、「やがて御てぐるま、女御(にようご)や」/など、あべきかぎり\いともの<しう覚しかしづき奉(たてまつ)り給(たま)ふ/も、たいの御方のさいはいめでたく見えたり。まこと、九条(くでう)-殿(どの)/の十一郎君、宮をぎみ/と\聞(き)こえし人、この頃(ごろ)中納言(ちゆうなごん)にて\東宮(とうぐう)の権大夫にておはす。
はかなく年もかへりぬ。きさいのみや、東三条(とうさんでう)/の-院(ゐん)におはしませ/ば、正月二日行幸(ぎやうがう)あり。いといみじうめでたうて、みやづかさ・殿(との)/の家司など、加階しよろこびしのゝしる。つごもりになりぬれ/ば、つかさめし/に、中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)は大納言(だいなごん)になり給(たま)ひ/ぬ。宰相(さいしやう)-殿(どの)は中納言(ちゆうなごん)になり給(たま)ひ/ぬ。ことしは年号かはりて永延元年といふ。二月は例の神わざ-ども\しきり/て、所々のつかひたち、なにくれなどいふほど/に\すぎ/ぬ。三月はいはし水の行幸(ぎやうがう)あるべけれ/ば、いみじう急(いそ)がせ給(たま)ふ。行事、こ/の\ごん中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)せさせ給(たま)ふ。御くらゐまさら
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/せ\給(たま)ふ/べきにやとみえたり。宮例のひとつ御輿にておはしませば、御(おほん)-有様(ありさま)、いとところせきまでよそほし。
かゝる-ほど/に、三位中将(ちゆうじやう)-殿(どの)、土御門(みかど)の源氏の左大臣(さだいじん)-殿(どの)/の\御(おほん)-むすめ\ふた所、むかひばらにいみじくかしづき奉(たてまつ)り/て、きさきがねとおぼし聞(き)こえ給(たま)ふ/を、いかなるたよりにか、この三位どの、このひめ君をいかでと心(こころ)ふかうおもひ聞(き)こえ給(たま)ひ/て、気色(けしき)だち聞(き)こえ給(たま)ひ/けり。されど大臣(おとど)\「あな物ぐるをし。ことのほか/や。誰かたゞいまさやうにくちはきゝばみ/たるぬしたち\出だし-入れては見んとする」/とて、ゆめに聞(き)こし召(め)しいれぬを、はゝうへ例の女に\似給(たま)は/ず、いと心(こころ)かしこくかど<しくおはして、「など/て/か、たゞこの君を聟にて見ざらん。ときどき物見などに出でゝ見るに、この君たゞならず見ゆる君なり。たゞわれにまかせ給(たま)へれかし。こ/の\ことあしうやありける」/と聞(き)こえ給(たま)へ/ど、殿、すべて「あ/べい\ことにもあらず」/とおぼい/たり。
この大臣(おとど)/は\はら<”/に\男君達(きんだち)いとあまたさまざまにておはしけり。女君(をんなぎみ)-達(たち)もおはすべし。この御腹/に/は、女君(をんなぎみ)二ところ・男三人なむおはしける。弁や少将(せうしやう)などにておはせ/し、法師(ほふし)になり給(たま)ひ/に/けり。又(また)おはする/も、世の中をいとはかなきものにおぼして、ともすればあくがれ給(たま)ふ/を、いとうしろめたきことに思(おぼ)されけり。
かくてこのはゝうへ、此の\三位殿(どの)/の御こと/を\心(こころ)づき/に\おぼし/て、たゞ急(いそ)ぎに急(いそ)がせ給(たま)ふ/を、殿は心(こころ)にゆか/ず\おぼい/たれど、たゞいま
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\御門(みかど)いと若(わか)うおはします、東宮(とうぐう)も又(また)さやうにおはしませ/ば、内、春宮(とうぐう)/と\おぼし-かくべきにもあらず。又(また)さ/べい\人/など/の、物物しうおぼすさまなる/も\たゞいまおはせ/ず。閑院(かんゐん)の大将(だいしやう)などこそは、きたのかた年老い給(たま)ひ/て、ありなしにて聞(き)こえなどすめれど、かのびはのきたのかたなどのわづらはしくて、このはゝきたのかたきこしめし入れず。たゞこの三位どのを急ぎたち給(たま)ひ/て、聟どり\給(たま)ひ/つ。そのほどの有様(ありさま)、いとわざとがましくやむごとなくもてなし聞(き)こえ給(たま)へれば、摂政(せつしやう)-殿(どの)、「くらゐなどまだ\いと浅き/に、かたはらいたきこと。いかにせん」/とおぼしたり。いとかひあるさまに通(かよ)ひありき給(たま)ひける\ほどなく、さきやうのかみになり給(たま)ひ/ぬ。いとわか<しからぬつかさなれど、「われもさてありしつかさなり」/などの給(たま)はせて、大殿(おほとの)のなし奉(たてまつ)らせ給(たま)へるなりけり。今二所のとのばらの御北の方たち、ことなることなうおもひ聞(き)こえたるに、「この殿/は、いとゞ物清くきらゝかにせさせ給(たま)へり」/と、世の人も殿の人も何事(なにごと)につけても心(こころ)ことにおもひ聞(き)こえたり。
かの花山(くわさん)/の-院(ゐん)は、こぞの冬、山にて御受戒せさせ給(たま)ひ/て、そのゝち熊野に参(まゐ)らせ給(たま)ひ/て、まだ\かへらせたまはざんなり。「いかでかゝる御ありき/を\しならはせ給(たま)ひ/けん」/と、あさましう\哀(あは)れ/にかたじけなかりける御すくせと見えたり。御をぢの入道(にふだう)中納言(ちゆうなごん)/は\たぐひ聞(き)こえ給(たま)は/ず、われは飯室といふ所に住み給(たま)ひ/て、いみじく世の中あらまほしう、出家の本意はかくこそ/と
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\見えてゐ給(たま)へり。この三月/に、御房のまへのむめ/の、いとおもしろうさかりなりけれ/ば、ひとりごち給(たま)へりける、ひさしくありて、世にをのづからもり聞(き)こえたり/し、
@見し人もわすれのみゆくやまざとに心(こころ)ながくもきたる春かな W009。
\惟成(これしげ)/の-弁もいみじうひじりにて、「たゞいまのほとけかな」/と見え聞(き)こえてをこなひけり。
大殿(おほとの)の大納言(だいなごん)-殿(どの)/のおほひめぎみ、こひめぎみいみじくかしづきたてゝ、内、春宮(とうぐう)にとおぼし志(こころざし)たり。この大ちよぎみは、くに<”あまたしりたる人の、山の井といふ所に住む/が、むすめおほかるが、聟になり給(たま)ひ/ぬ。三・四/の-宮をばさらにも聞(き)こえさせ給(たま)はず、大殿(おほとの)、この君をいみじくおもひ聞(き)こえさせ給(たま)へり。大納言(だいなごん)-殿(どの)これをばよそ人のやうにおぼして、こちよぎみ/を\「いかで<これとくなしあげん」/とぞおぼしためる。
かの土御門(みかど)-殿(どの)/に/は、少将(せうしやう)にておはしける\君、こ/の-頃(ごろ)又(また)出家し給(たま)へれば、殿、「いとあやしうあさましき事なり。この男(をのこ)どもの、このひめぎみの御うしろみどもをつかうまつらで、かくのみ皆なりはてぬる」/とおぼし嘆(なげ)きて、たづねとり給(たま)ひ/て、「かへり給(たま)へ<」/とせめ聞(き)こえ給(たま)へるも、いとわりなきことなりや。ほかばらの男君たち、なか</にいとさまざまになりはてゝおはしけり。かくてこの殿/に/は、さきやうのかんの殿(との)/のうへ、なやましげにおぼい/たるうちにも例せさせ給(たま)ふ¥ことなどもなかりけれ/ば、大殿(おほとの)も三位どの/も\いみじううれしくおぼされて、御いのりどもさるべういみじく
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\せ/させ給(たま)ふ。きたのかた・大うへ、御心(こころ)のいたるかぎり/の\ことどものこるなうせさせ給(たま)ふ。いとゞ物のはへある御(おほん)-さまなり。
ゐんはいみじうめでたく/ておはします。れいぜんゐんこそ、あさましうおはします\よひなき御有様(ありさま)なれば、このゐんは、いみじうおほくの人靡きてつかうまつれり。かくて永延二年になりぬれ/ば、正月三日ゐんに行幸(ぎやうがう)ありて、宮もおはしませ/ば、いとゞしうものゝぎしき有様(ありさま)まさり/て\心(こころ)ことにめでたし。御門(みかど)の御有様(ありさま)、いみじう美(うつく)しげにおはしますを、ゐんいとかひあり、え/も-いは/ず見奉(たてまつ)ら/せ\給(たま)ふ。御笛をぞ御心(こころ)に入れさせ給(たま)へれば、吹かせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、いみじうもてけうぜさせ給(たま)ふ。ゐんの御方/に/は、御門(みかど)の御をくり物/や\宮の御(おほん)-をくりものやなど、さまざまにせさせ給(たま)へり。上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)の御禄など、すべて目もあやにおもしろくせさせ給(たま)へり。御(おほん)-めのとの内侍(ないし)のすけたちや、なべての命婦、蔵人、宮の御方の女ばう、すべてしものかずにもあらぬ衛士・仕丁まで皆、しなじな/に物給(たま)はせたり。又(また)院司・上達部(かんだちめ)や、さべき人々よろこびせさせ給(たま)へり。
かやうにこそあらまほしけれと見えさせ給(たま)ふ/に/も、れいぜんゐんの御有様(ありさま)を、まづ聞(き)こえさせけり。さておはしますにだに、その御かげにかくれつかうまつりたる\男女/は、たゞ、「くはんをんの衆生化度のため/に\あらはれさせ給(たま)へ/る」/と/ぞ\ましおもひたる。はかなく奉(たてまつ)りたる\御ぞや御ふすまなど/は、奉(たてまつ)るまゝに、やがてわれ/も<とおろし
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\まどひあひて、冬などもいとさむげにておはします/も\いとかたじけなし。この三・四の宮など、たまさかにも参(まゐ)らせ給(たま)ふ折は、いみじうぞめづらかに美(うつく)しみ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。されど御ものゝけのいとおそろしけれ/ば、たはやすくも参(まゐ)らせ奉(たてまつ)らせ給(たま)は/ず。このゐんはかくこそおはしませ/ど、さべき御領の所々、いみじう御(おほん)-宝物おほくさぶらひけれ/ば、たゞこの東宮(とうぐう)やこのみや<にぞ皆得させ給(たま)へりける。
かゝる-ほど/に、このさきやうの大夫-殿(どの)/の\御うへ、けしきだち/て\なやましうおぼしたれば、御読経・御修法の僧ども/を/ば\さるものにて、しるしありと見え聞(き)こえたる僧侶たち\召し集めのゝしる。大とのよりも宮よりも、「いかに<」/とある御せうそこひまなふつゞきたり。さていみじうのゝしりつれど、いとたいらかに殊にいたうも悩ませ給(たま)はで、めでたき女ぎみむまれ給(たま)ひ/ぬ。此の御一家/に/は、始(はじ)めてをんなむまれ\給(たま)ふ/を\かならずきさきがねといみじきことにおぼしたれば、大とのよりも御よろこびたびたび聞(き)こえさせ給(たま)ふ。よろづいとかひある御(おほん)-ならひなり。七日/が\ほどの御(おほん)-有様(ありさま)、書きつゞくるも中</なれ/ば\え/も\まねばず。三日の夜は本家、五日の夜は摂政(せつしやう)-殿(どの)より、七日の夜はきさいの宮よりと、さまざまいみじき御(おほん)-うぶやしなひなり。
いとゞ三位どのはおぼしわくるかたなう、みつもるまじ-げ/にてすぐさせ給(たま)ふ\ほど/に、故村上の先帝の御はらからの十五の宮のひめぎみ、いみじうかしづき給(たま)へるは、源師と聞(き)こえ/し/が\御おとひめぎみをとり
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/て\やしなひ奉(たてまつ)り給(たま)ひ/しなりけり。そのひめぎみをきさいの宮にむかへ奉(たてまつ)り給(たま)ひ/て、宮の御(おほん)-方とて、いみじうやむごとなくもてなし聞(き)こえ給(たま)ふ/を、いづれのとのばら/も\いかで<とおもひ聞(き)こえ給(たま)へ/る\中/に/も、大納言(だいなごん)-殿(どの)/は、例の御心(こころ)の色めきはむつかしきまでおもひ聞(き)こえ給(たま)へれど、宮の御前、さらに<あるまじきことにせいし申させ給(たま)ひ/けるを、このさきやうの大夫どの、その御つぼねの人によくかたらひつき給(たま)ひ/て、さるべきにやおはしけん、むつまじうなり給(たま)ひ/に/けれ/ば、宮/も、「この君はたやすく人に物などいはぬ人なればあら/ん」/と、ゆるし聞(き)こえ給(たま)ひ/て、さべきさまにもてなさせ給(たま)へ/ば、わ/が\御志(こころざし)もおもひ聞(き)こえ給(たま)ふうちに、宮の御心(こころ)もちゐもはゞかりおぼされて、をろかならずおぼされつゝありわたり給(たま)ふ。土御門(みかど)の姫君/は、たゞならましよりはとおぼせ/ど、おほかたの御心(こころ)ばえありざまいと心(こころ)のどか/に、おほどか/に\物わかうて、わざと何かとおぼされずなん。
摂政(せつしやう)-殿(どの)は今年六十にならせ給(たま)へ/ば、この春御賀あるべき御用意どもおぼしめしつれど、ことゞもえしあへさせ給(たま)はで、十月にと定めさせ給(たま)へり。はかなう月日も過ぎもていきて、東三条(とうさんでう)/の-院(ゐん)にて御賀あり。御(おほん)-びやうぶの歌ども、いとさまざまにあめれ/ど、物さはがしうて書きとゞめずなりにけり。家(いへ)の子(こ)の君達(きみたち)、皆まひ人にて\いみじう〔めでたし〕。御門(みかど)も行幸(ぎやうがう)せさせ給(たま)ひ、春宮(とうぐう)もおはしまし/て、殿(との)/の家司ども皆よろこびしたる中にも、有国・惟仲/を\大とのいみじき
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\ものにおぼしめしたり。有国は左中弁、惟仲/は\右中弁にて世のおぼえ・才/など/も、人/よりことなる人<にて、をの<このたびも加階していみじうめでたし。
かやうにてこの月もたちぬれ/ば、五節(ごせつ)などを、殿上人(てんじやうびと)はいつしかと心(こころ)もとなく思(おも)ふほど/に、御-即位の年はさるやむごとなき事にて、今年は五節(ごせつ)のみこそは有様(ありさま)けざやか/に\おまへにも御覧(ご-らん)じ、人/も\おもひためるに、四条(しでう)の宮の御五節(ごせつ)、又(また)\左大臣(さだいじん)-殿(どの)のさひやうへのかう時中の君、さては受領ども奉(たてまつ)る。御前の試(こころ)みの〔御覧(ご-らん)の〕夜などは、うへ若うおはしませど、きさいのみやおはしませ/ば、そのふたまの御簾のうちのけはひ、人のしげさなど、せう<のまひびめなど/の、すこしものゝ心(こころ)しりたらんは、やがてたうれぬべうはづかしうて、おもて赤むらんかしと見えたり。なを宮の御五節(ごせつ)はいと心(こころ)ことなり。と/や\かうやととり<”に女ばういひさはぎて、又(また)の日の御覧(ご-らん)/に、わらは・しもづかへなどの様も、いづれも<誰かはかならずしも\人/に\おとらんと思(おも)ふ/が\あらむ、心(こころ)<”おかしうすてがたうおぼしめし定めさせ給(たま)ふ。
五節(ごせつ)もはてぬれ/ば、臨時の祭り、廿日あまりにせさせ給(たま)ふ。試楽もおかしくて過ぎにしを、祭りの日のかへりあそび御前にてある/に、摂政(せつしやう)-殿(どの)を始(はじ)め奉(たてまつ)り/て、さべきとのばら・殿上人(てんじやうびと)\のこるなうさぶらひ\給(たま)ふ。このまひ人の中に、六ゐ二人ある/に、蔵人のさへもんのぜう\うへの判官といふ源兼澄、まひ人にてかはらけとりたるに、摂政(せつしやう)-殿(どの)御覧(ご-らん)じて、「まづいはひの和歌ひとつつかうまつるべし」/と
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\おほせらるゝまゝに、「よひのまに」/と打ち上げ申し/たれば、「けうあり<、おそし<」/ととのばらの給(たま)はするに、「君をし祈り置きつれば」/とそへ申(ま)したり。大とのいみじうけうぜさせ給(たま)ひ/て、「おそし<」/とおほせらるれば、「まだ夜ぶかくもおもほゆるかな」/と申し/たれば、いみじうけうじ誉めさせ給(たま)ひ/て、摂政(せつしやう)-殿(どの)、あこめの御ぞぬぎてたまはす。
世の中は五節(ごせつ)、臨時の祭りだに過ぎぬれ/ば、残りの月日ある心地(ここち)やはする。しはすの十九日になりぬれ/ば、御仏名とて、ぢごくゑの御(おほん)-びやうぶなどとうで/ゝ\しつらふ/も、目\とゞまり哀(あは)れ/なるに、折しも雪いみじうふりけれ/ば、「をくりむかふ」/といひ置きたる/も\げ/に/と\おぼえたるに、殿上人(てんじやうびと)のぼだひごゑ/も\あやにくなるまで聞(き)こえたり。つぎつぎの宮などのものゝしる。つごもりになりぬれ/ば、追儺とのゝしる。うへいと若うおはしませ/ば、ふりつゞみなどして参(まゐ)らするに、君達(きんだち)/も\おかしう思(おも)ふ。
かくて年号(ねんがう)かはり/て、永祚元年といひて、正月にはゐんに行幸(ぎやうがう)あり。ゐんも入道(にふだう)せさせ給(たま)ひ/にしか/ば、円融(ゑんゆう)/の-院(ゐん)にすませ給(たま)へ/ば、そのゐんに行幸(ぎやうがう)あり。例の作法/の\ことゞもにて、院つかさなど、よろこびさまざまにて過ぎもてゆく。かくて大との、十五の宮の住ませ給(たま)ひ/し二条(にでう)/の-院(ゐん)/を\いみじう造らせ給(たま)ひ/て、もとより世におもしろきところを、御心(こころ)/のゆくかぎり造りみがゝせ給(たま)へ/ば、いとゞしう目もをよばぬまでめでたきを御覧(ご-らん)ずるまゝに、御心(こころ)もいとゞいみじうおぼされて、夜を昼に急(いそ)がせ給(たま)ふ。明年/の正月
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/に\大嘗会(だいじやうゑ)あるべうおぼしの給(たま)は/せ/て、急(いそ)がせ給(たま)ふ/なりけり。
九条(くでう)-殿(どの)/の御(おほん)-男君たち\十一人、をんな君たち六所おはしましける\御(おん)-中(なか)/に、きさいの宮、御すゑいまゝで御門(みかど)にておはしますめり。内侍(ないし)のかみ・六の女御(にようご)など聞(き)こえし、御なごりも見え聞(き)こえ給(たま)はぬに、男君たちは太郎一条(いちでう)の摂政と聞(き)こえし、其の御のち殊にはか<”しう/も\見え聞(き)こえ給(たま)はず。花山(くわさん)/の-院(ゐん)もかの御孫におはしますぞかし。それかくておはしますめり。男君達(きんだち)入道中納言(ちゆうなごん)こそは、かくておはしましつるも、あさましうこそ。女ぎみ/も、九の君までおはせし、その御方のみこそは残り給(たま)ふ/めれ。堀河(ほりかは)の左大将(さだいしやう)、たゞいまは昔も今もいとなをやむごとなき御有様(ありさま)なり。ひろはたの中納言(ちゆうなごん)は、ことなる御おぼえも見え給(たま)はず。こと君(きみ)達(たち)、まだいと御くらゐも浅うおはすめり。このたゞいまの大との/は、三郎にこそはおはしましける/に、たゞいまはこの殿(との)こそ\今ゆくすゑはるか-げ/なる御有様(ありさま)に、たのもしう見えさせ給(たま)ふ/めれ。一条(いちでう)の右大臣(うだいじん)-殿(どの)は、九郎にぞおはしける。かくいみじき御(おん)-中(なか)にも、なをすぐれ給(たま)へるは、ことなるわざになん。かやうにこそはおはしまさふめるに、たゞいま〔御(おん)-〕くらゐもあるが中/に\いとあさく、御年など/も\よろづの御をとうとにおはすれど、いかなるふしをか見奉(たてまつ)るらん、世の人、この三位どのをやむごとなきもの/に/ぞ、同じ家(いへ)の子(こ)の御(おほん)-中(なか)/に/も\人ごとに申(ま)しおもひたる。
かくてはかなく明(あ)け暮(く)れ/て、六月になりぬれ/ば、暑さを嘆(なげ)くほど/に、三条(さんでう)の太政(おほき)-大臣(おとど)
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\いみじう悩ませ給(たま)ひ/て、廿六日うせ給(たま)ひ/ぬ。この殿/は、故小野宮の大臣(おとど)の二郎よりたゞと聞(き)こえつる大臣(おとど)なり。うせ給(たま)ひ/ぬる/を、「あないみじ」/と、きゝおもひおぼせ/ど\かひなし。中宮(ちゆうぐう)・女御(にようご)〔-殿(どの)〕・ごん中納言(ちゆうなごん)やなど、さまざまいみじうおぼし嘆(なげ)くべし。のちの御諱(いみな)廉義公ときこゆ。哀(あは)れ/なる世なれど、さはいかゞ/は/と/ぞ。はかなう御(おほん)-いみも果てゝ、御法事などいみじうせさせ給(たま)ふ。
七月つごもりには相撲(すまひ)にてをのづから過ぐるを、今年はあるまじきなどぞあめる。さて臨時に除目ありて、摂政(せつしやう)-殿(どの)\太政(だいじやう)-大臣(だいじん)にならせ給(たま)ひ/ぬ。殿(との)/の大納言(だいなごん)-殿(どの)\内大臣(ないだいじん)にならせ給(たま)ひ/ぬ。中納言(ちゆうなごん)-殿(どの)は大納言(だいなごん)になり給(たま)ひ、三位どのは中納言(ちゆうなごん)にて\右衛門(うゑもん)/の-督(かみ)かけ給(たま)ひ/つ。こちよぎみは、六条(ろくでう)の中づかさの宮と聞(き)こゆるは、村上の先帝の御七の宮におはしましけり、御はゝ麗景殿(れいけいでん)の女御(にようご)の御腹なり。其の女御(にようご)のせうと、\源中納言(ちゆうなごん)しげみつと聞(き)こゆる/が\御聟になり給(たま)ひ/ぬ。御めまうけのほど、あにぎみにこよなうまさり給(たま)ひ/ぬめり。をのゝみやのさねすけの君は宰相(さいしやう)になりて、なを人に心(こころ)にくきものに思(おも)はれ給(たま)へるに、やもめにおはすれば、さべきむすめも給(たま)へるとのばらなど、けしきだち聞(き)こえ給(たま)へ/ど、おぼす心(こころ)あるべし。「いかなることならん」/などゆかしげなり。
かくて三・四の宮の御元服一度にせさせ給(たま)ふ。さて三の宮/を/ば\だんじやうの宮と聞(き)こえさす。四の宮/を/ば\師宮と聞(き)こえさす。しきぶきやう・中づかさきやう・兵部卿(ひやうぶ-きやう)などにては、村上の先帝の御子達の皆おはしませば、かくなし奉(たてまつ)らせ給(たま)へ
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/る/なり/けり。まこと/や、こ/の-頃(ごろ)の斎宮/にて/は、しきぶきやうの宮/の\女御(にようご)の御をとうとの中の宮ぞおはします。御門(みかど)はかはらせ給(たま)へど、さいゐんには同じ村上の十の宮におはします。
かやうにはかなく過ぎもていく。はかなう年暮れて、今年/を/ば\正暦元年といふ。正月五日、内の御元服せさせ給(たま)ふ。さしつゞき世の中急ぎたちたるに、摂政殿、二条(にでう)/の-院(ゐん)にて大饗せさせ給(たま)ふ。作り立てさせ給(たま)へる有様(ありさま)、え/も-いは/ずおもしろうめでたけれ/ば、ほいあり、嬉しげにおぼし興ぜさせ給(たま)ふ。一条(いちでう)の右の大臣(おとど)、尊者には参り給(たま)へり。目もはるかにおもしろきゐんの有様(ありさま)/に/ぞ。え/も-いは/ぬひんがしの対(たい)/に/は\内のおほい-殿(どの)\すませ給(たま)へ/ば、やがてひめぎみたちなど\もの御覧(ご-らん)ずれば、こととのばらも御覧(ご-らん)ずべう申させ給(たま)へ/ど、聞(き)こし召し入れず。みや<いと美(うつく)しきこ男どもにておはします。
二月には、内大臣(ないだいじん)-殿(どの)/のおほひめ君\内/へ\参(まゐ)らせ給(たま)ふ\有様(ありさま)、いみじうのゝしらせ給(たま)へり。殿(との)/の有様(ありさま)、きたのかたなどみやづかへ/に\ならひ給(たま)へれば、いたう奥ぶかなることをばいとわろきものに覚して、今めかしうけぢかき御有様(ありさま)なり。ひめぎみ十六ばかりにおはします。やがてその夜のうちに女御(にようご)にならせ給(たま)ひ/ぬ。今は又、こひめぎみのいはけなき御有様(ありさま)/を\心(こころ)もとなうおぼさる。かやう/の\ことにつけても、大納言(だいなごん)-殿(どの)はいとうらやましう\女君(をんなぎみ)のおはせぬことをおぼさるべし。あはたといふところ/に\いみじうおかしき殿をえ/も-いは/ずしたてゝ、そこに通(かよ)は
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/せ\給(たま)ひ/て、御障子のゑ/に/は\名ある所々をかゝせ給(たま)ひ/て、さべき人<に歌よませ給(たま)ふ。世の中のゑ物語は書きあつめさせ給(たま)ふ。女ばう数も知らずあつめ/させ給(たま)ひ/て、ただ\あらましごとをのみいそぎ覚したるも、おかしく見奉(たてまつ)る。
此の男君達(きんだち)の御(おん)-中(なか)のこのかみにおはせし君/を/ば\ふくたりぎみと聞(き)こえし、をとゝしの八月にわづらひて\はかなう失せ給(たま)ひ/に/しか/ば、口惜しき事におぼすべし。いみじうさが-なく/て、世の人にやすくもいひおもはれ給(たま)はざりしか/ば/に/や/と/ぞ、\人/も\聞(き)こえける。内大臣(ないだいじん)殿のむかひばらの三郎君は、たゞいま四位少将(せうしやう)などにておはす。それ/も、ふくたり君などの御やう/に\いとさがなうおはすれど、これはさすがにぞ見え給(たま)ふ、四郎ぎみはまだ小さくおはすれど。法師(ほふし)になし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/て、小松のそうづといふ人につけ奉(たてまつ)り給(たま)ひ/てなん。はら<”の御君たち、おほちよぎみよりほかに、まだ\ともかくもしたて<まつり給(たま)は/ず。
大とのとしごろやもめにておはしませば、御(おほん)-めしうど/の\内侍(ないし)のすけのおぼえ、年月/に\そへ/て\たゞ権のきたのかたにて、世の中の人みやうぶ-し、さてつかさめしの折/は\たゞ此の局(つぼね)にあつまる。院の女御(にようご)の御(おほん)-方/に\大輔といひし人なり。世の御始(はじ)めごろ、かうてひとゝころおはします\あしきことなりとて、村上の先帝の御女三の宮は、あぜちの御息所(みやすどころ)と聞(き)こえし御腹/に\男三宮・女三宮むまれ給(たま)へ/り/し、その女三宮を、この摂政(せつしやう)-殿(どの)心(こころ)にくゝ\めでたき物におもひ聞(き)こえさせ給(たま)ひ/て、通(かよ)ひ聞(き)こえ〔/させ〕給(たま)ひ/しか/ど、すべて殊のほかにて
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\絶(た)え奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/にしか/ば、その宮もこれ/をはづかしきことにおぼし嘆きて失せ給(たま)ひ/に/けり。それもこの内侍(ないし)のすけのさいはひ/の\いみじうありけるなるべし。また円融(ゑんゆう)/の-院(ゐん)/の\御時、中将(ちゆうじやう)の御息所(みやすどころ)などありしか/ば、もとかたのみんぶきやうの孫の君なり。参りたりしかど、おほかた、この内侍(ないし)のすけよりほかには人ありとも、おぼい/たらぬとしごろの御(おほん)-有様(ありさま)なり。三・四の宮の御めのとゞも/も、さる/は\おとらぬさまのかたちなれど、たはぶれに物をだにの給(たま)はせずなんありける。
かゝる-ほど/に、大殿(おほとの)/の御(おほん)-心地(ここち)なやましうおぼしたれば、よろづにおそろしき事におぼしめして、とのばらも宮/も\し-残させ給(たま)ふ¥ことなし。この二条(にでう)/の-院(ゐん)ものゝけ\もとよりいとおそろしうて、これ/が\けさへおそろしう申す/は、さまざまの御(おほん)-ものゝけの中に、かの女三宮の入りまじらはせ給(たま)ふ/も、いみじう哀(あは)れ/なり。「なをところかへさせ給(たま)へ」/と、とのばら申させ給(たま)へど、この二条(にでう)/の-院(ゐん)をなをめでたきものにおぼしめし/て、聞(き)こし召し入れ/させ給(たま)はぬほどに、御なやみいとゞおどろ<しけれ/ば、東三条(とうさんでう)院に渡らせ給(たま)ひ/ぬ。みや<の御まへもいみじうなげかせ給(たま)ふ、摂政(せつしやう)も辞せさせ給(たま)ふべう奏せさせ給(たま)へ/ど、「なをしばし<」/とて過ぐさせ給(たま)ふ\ほど/に、御なやみまことにいとおどろおどろしけれ/ば、五月五日/の\事なればにや、菖蒲(あやめ)のねのかゝらぬ御袂(たもと)なし。太政(だいじやう)-大臣(だいじん)の御くらゐをも、摂政(せつしやう)をも辞せさせ給(たま)ふ。なを\そのほど/は、関白(くわんばく)などや聞(き)こえさすべからんと見えたり。なをいみじうおはしませば、五月八日出家せ
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/させ給(たま)ふ。この日摂政(せつしやう)の宣旨(せんじ)、内大臣(ないだいじん)-殿(どの)かうぶら/せ給(たま)ふ。されどたゞいまはこの御なやみの大事なれば、嬉しとも覚しあへず、「これこそは限りの御ことなれ」/とおぼしさはがせ給(たま)ひ/て、二条(にでう)/の-院(ゐん)をばやがて寺になさせ給(たま)ひ/つ。もしたいらかにもをこたらせ給(たま)はゞ、そこにおはしますべきなり。殿(との)/の内(うち)いみじう覚し惑(まど)ふに、なをさらにをこたらせ給(たま)はず。
摂政(せつしやう)-殿(どの)/の御(おほん)-有様(ありさま)\いみじうかひありてめでたし。きたのかたの御はらからの明順・道順・信順などいひ/て、おほかたいとあまたあり。宣旨(せんじ)/に/は、きたのかたの\御はらから/の\せつつのかみ為基(ためもと)がめなりぬ。きたのかたの御おやもまだ\あり。大殿(おほとの)/の御悩みのかくいみじきを、誰も同じ心(こころ)におもひ念じ聞(き)こえ給(たま)ふ。摂政(せつしやう)-殿(どの)御気色(けしき)給(たま)はりて、まづ\この女御(にようご)、きさきにすへ奉(たてまつ)ら/ん/の\さはぎをせさせ給(たま)ふ。われ一の人にならせ給(たま)ひ/ぬれ/ば、よろづ今は御心(こころ)/のまま/なる世/を、この人々のそゝのかしにより/て、六月一日きさきにたゝせ給(たま)ひ/ぬ。世の人、いとかかる折を過ぐさせ給(たま)はぬをぞ申す/める。中宮(ちゆうぐう)大夫には、右衛門(うゑもん)/の-督(かみ)殿をなし聞(き)こえさせ給(たま)へれど、「こ/は\な/ぞ。あなすさまじ」/とおぼい/て、参り/に/だに参りつき給(たま)はぬほどの御心(こころ)ざまもたけしかし。
かゝる-ほど/に、大殿(おほとの)/の御悩み、よろづかひなくて、七月二日失せさせ給(たま)ひ/ぬ。誰も哀(あは)れ/に悲しき御事/を\おぼし惑(まど)はせ給(たま)ふ¥ことかぎりなし。今年御年六十二にぞならせ給(たま)ひ/ける。七八十まで生き給(たま)へる人もおはすめるに、心(こころ)憂く口惜しきことにおぼし惑(まど)ふ。入道(にふだう)/を
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\せ/させ給(たま)へれば、御諱(いみな)なし。弾正宮・帥宮、哀(あは)れ/に覚しまどはせ給(たま)ふ、ことはりに見えさせ給(たま)ふ。おほちよぎみはこ/の-ごろ\蔵人の頭ばかりにてぞおはするを、今はこちよぎみにおとらんことを、さまざまとりあつめおぼしつゞけ\嘆(なげ)かせ給(たま)ふ/も哀(あは)れ/なり。東三条(とうさんでう)院(ゐん)/の\らう・わだどのを皆\土殿にしつゝ、宮・とのばらおはします。東宮(とうぐう)いみじうおぼしいらせ給(たま)へり。つぎ<の御事-どもあべいかぎりせさせ給(たま)ふ。はかなくてのち<の御有様(ありさま)よろづにあらまほしうめでたう見えさせ給(たま)ふ。
かゝる-ほど/に、もとより心(こころ)よせ、おぼしおもひ聞(き)こえさせたりけれ/ば、有国/は、粟田殿の御方/に\しば<参りなどしけれ/ば、摂政(せつしやう)-殿(どの)、心(こころ)よからぬさまにおぼしの給(たま)はせけり。さるは入道(にふだう)-殿(どの)/の、有国・惟仲/を/ば\ひだり\みぎの御まなことおほせられけるを、「きめられ奉(たてまつ)りぬるにや」/と、いとおしげなり。二条(にでう)/の-院(ゐん)/を/ば\法興院といふに、この御いみのほど、おほくのほとけつくりいで奉(たてまつ)り/て、寝殿(しんでん)/におはしまさせ給(たま)ひ/て、八月十余(よ)日御法事やがて\そこにてせさせ給(たま)ふ。そのほどの事おもひやるべし。此の春の大饗の折の、ひんがしの対(たい)のつまの紅梅のえんにさかりなりしも、こ/の-ごろはこしげく/て\みどころもなし。御誦経、内、東宮(とうぐう)より始(はじ)めて皆せさせ給(たま)へり。かのよろづのあにぎみ、たゞいま三位中将(ちゆうじやう)と聞(き)こゆ。宰相(さいしやう)にだになし聞(き)こえ給(たま)はずなりぬるを、心(こころ)憂くおぼすべし。
はかなう年月も暮れもていきて、正暦二年になりにけり。されど今年/は、宮の御前/も、さべきとのばら
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/も、御服にて行幸(ぎやうがう)もなし。摂政(せつしやう)-殿(どの)/の御まつりごと、たゞいまはことなる御-そしられもなく、おほかたの御心(こころ)ざまなども、いとあてによくぞおはしますに、きたのかた/の\御ちゝぬし、二位になさせ給(たま)へ/れ/ば、高二位とぞ世にはいふめる。年老いたる人のざえ\かぎりなき/が、心(こころ)ざまいとなべてならずむくつけく、かしこき人におもはれたり。〔きたのかた/の〕其の男共\ひとつ腹の/は、さべきくに<”のかみどもにたゞなしになさせ給(たま)へり。この人<のいたう世にあひて、をきてつかうまつることをぞ、人やすからず/も/と、やむごとなからぬ御(おほん)-なからひを、心(こころ)ゆか/ず\申し-思(おも)へり。きたのかた\もとより道心いみじうおはして、つねにきやうを読み給(たま)ひ、やま<てらでらの僧どもをたづねとはせ給(たま)へ/ば、哀(あは)れ/にうれしきことに申し-思(おも)へり。
かゝる-ほど/に、円融(ゑんゆう)/の-院(ゐん)の御悩ありて、いみじう世のゝしりたり。折しも今年行幸(ぎやうがう)なかりつるを、おぼつかなくおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ふ\ほど/に、かゝることのおはしませば、行幸(ぎやうがう)けふ明日とおぼし急(いそ)がせ給(たま)ふ。さてよき日して行幸(ぎやうがう)あれば、いみじう苦しげにおはします。御門(みかど)今は御かうぶりなどせさせ給(たま)ひ/て、おとなび/させ給(たま)へる/を、返々かひありて見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。さべき御領の所々、さべき御宝物(たからもの)ども/の\かきたて目録(もくろく)せさせ給(たま)へりけるを、それ皆奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御門(みかど)も若うおはしませど、いかに<とおぼし嘆かせ給(たま)ふ。ゐんはた、さらにも聞(き)こえさせず、常の行幸(ぎやうがう)/に\似/ぬ\御(おほん)-有様(ありさま)/も\いみじう哀(あは)れ/にて、
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\かへすがへすおぼし見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御ものゝけもおそろしけれ/ば、「疾くかへらせ給(たま)ひ/ね」とて、かへし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひ/つ。
さておぼつかなきをいかに<とおぼし聞(き)こえさせ給(たま)ふ\ほど/に、日ごろありて正暦二年二月十二日に失せさせ給(たま)ひ/ぬ。ここらのとしごろなれつかうまつりつる僧俗(そうぞく)・殿上人(てんじやうびと)・判官代、涙を流しまどひ/たり。いはんかたなし。仁和寺(にわじ)のそうじやうと聞(き)こゆるは、土御門(みかど)の源氏の大臣(おとど)/の\御はらからにおはす。仁和寺(にわじ)/の-御子と聞(き)こえける御子におはす。いみじうおぼしまどふ。かのしやくそんの御にうめつの心地(ここち)して、「大師入滅、我随入滅」/と\〓梵波提/が\いひ/て、水になりて流れけん心地(ここち)する人\いとおほかり。哀(あは)れ/にかなしともをろかなり。内には一日の行幸(ぎやうがう)の御有様(ありさま)\おぼしいでゝこひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。